2019年07月16日

神なき時代にSACD&SHM−CD仕様で蘇るリヒター迫真の『マタイ』


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あたかも指揮者カール・リヒターのスピリットが演奏者全員に乗り移ったかのような気迫に満ちた、バッハの最高傑作の名に恥じない《マタイ受難曲》だ。

この曲をより器用に、それらしく表現した演奏は他にも存在するが、キリスト受難のエピソードを単なる絵空事に終わらせず、のっぴきならない生きたドラマとして描き出した例は非常に少ない。

リヒターのバッハ、特に《マタイ》はバネのきいたリズムを特徴としている。

ともすると、懶惰に陥りがちなわたしたちを励起させるリズムだが、決して押し付けがましくはない。

どうしても、そのリズムの勢いに突き動かされ、ついて行きたいと思わずにはいられぬ躍動感に満ちている。

そして、それはあるひとつの目標に向かって、ともに心を合わせて前進してゆくときの一体感を掻き立ててくる。

この目標は、神との出会いを目指しているのは言うまでもなく、神の存在をフィジカルに体得するリズムとでも言おうか。

その時、わたしたちは人間が霊的な存在だと知り、この霊的なリズムに乗ると、誰もが超越的な空気に触れ、物質的な欲望がいかに卑小で、ともに同胞であることが、すべてに優るよろこびだとわかる。

それが神とともにあるという意味だが、その意味が今日忘れられている。

というよりもすでに経済の高度成長期の1970年代に、わたしたちはリヒターが望んだのとは別の生き方に引かれはじめた。

彼はその離反に深く悩み苦しんだのだろう、彼の2度目の《マタイ》の録音は、それを食い止めようとする絶望的な努力と挫折感を響かせている。

株価の変動に一喜一憂し、金勘定に忙しいわたしたちは、リヒターの《マタイ》にもう一度立ち返って、心を問い直す必要があるのではないか。

ソリスト陣にも作品の核心を突くことのできる歌手たちを起用しているのも聴き所だ。

たとえばエヴァンゲリストを演じるエルンスト・へフリガーの迫真の絶唱は他に類を見ない。

それはこの受難を書き記したマタイ自身が直接この物語の中に入り込んで、聴き手に切々と訴えかけてくるような説得力がある。

少年合唱を含むコーラスにおいても洗練された和声的な美しさよりも、むしろ劇的な感情の表出と状況描写に最重点が置かれているのも特徴的だ。

リヒターのバッハはオリジナル楽器や当時の歌唱法を用いたいわゆる古楽としての再現ではないが、あらゆる様式を超越してしかも作品の本質に触れることのできる稀に見る演奏として高く評価したい。

1958年の録音自体かなり質の良いものだが今回のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、より明瞭な音像を体験できるようになった。

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classicalmusic at 00:05コメント(0)バッハ | リヒター 

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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