2019年10月27日

パールマンの屈託のない完成度の高い演奏に違和感を覚えるショスタコーヴィチ


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パールマンのごく若い頃の録音(1971年から78年まで)を集めた『ツィゴイネルワイゼン/カルメン幻想曲』というアルバムを久し振りに聴いてみた。

後年のパールマンからは想像できないことだが、デビュー当時の彼は、切れ味鋭く、極めて緊張度の他界音楽を聴かせていた。

パールマンの弾いたショスタコーヴィチとグラズノフのヴァイオリン協奏曲(1989年)を聴いていると、音楽の作りもアバウトになった気がする。

ショスタコーヴィチ第1番の全曲の中心は、重々しいバスの響きと警鐘のように鳴るホルンの信号音で始まる第3楽章パッサカリアだ。

この楽章の最後には4分以上も続く胃の痛くなるようなカデンツァが控えていて、作曲者の名前をドイツ語に読み替えた例のD-Es-C-Hの暗号も顔を出す。

つまりこれは伝統的なヴィルトゥオーゾ・コンチェルトとは違うのだが、例えばコーガンのヴァイオリン、ショスタコーヴィチ最高の理解者コンドラシンによる演奏は、そういう音楽をやっていた。

ところがこのパールマン盤からきこえてくるのは、思わず「あっ、グラズノフだ」と叫んでしまいそうな、屈託のない、陽気な音楽だ。

ショスタコーヴィチの作品は、スターリニズムと闘った芸術家の魂の慟哭の音楽として再現しなければならない、などという野暮なことは筆者はなるべく言わないようにはしたい。

だいいち『証言』出現以前は、全く同じ曲とその楽譜に接していたにもかかわわらず、多くの人が彼のことを別の偏見と共に理解していた。

しかしそれにしても、この曲を弾くパールマンのこだわりのなさは一体何だろう。

例えば第3楽章、彼はここを、時代がかったポルタメントを頻出させて、まるでロマンスか何かにように甘く、ハッピーに弾き進む。

しかし作曲者は、これを1948年に完成後、スターリンが世を去る1953年まで発表を控えていた曲なのだ。

音楽は楽しく聴ければそれでいいではないか、という意見は尊重するが、「楽しくなければ音楽ではない」という論にくみすることはできない。

なぜなら世の中には胃の痛くなるような音楽もあるからだ。

パールマンの演奏は、全体があまりに楽天的なため、終楽章の強制された解放感が、ただの踊りの曲にきこえる。

このコンチェルトが終わると、そのままグラズノフが続いて鳴り出すというのは、ここではほとんどブラックユーモアと化している。

実はこの演奏はテルアビブでのライヴなのだが、そのためパールマンはそのような演奏を心掛けたのだろう、と思えるようなサービス精神にあふれている。

ただ、生演奏もレコードも、以前の彼はもう少しテンションの高いヴァイオリンを弾いていた。

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classicalmusic at 12:02コメント(0)パールマン | メータ 

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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