2022年03月10日
時代や様式を越えて聴き手を恐るべき力で説得し、感動させるメンゲルベルクの《マタイ》、オーパス蔵復刻
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クラシック音楽の愛好家で、もし《マタイ》を聴かずに一生を過ごすとしたら、これほどもったいないことはない。
しかし《マタイ》はとっつきにくいことも事実なので、このメンゲルベルク盤とリヒター盤を両方備え、まず第1曲だけを繰り返し比較試聴し、バッハのスタイルに馴染んだら、今度はアリアをすべてカットして第1部だけを何度も聴くとか、それなりの努力を惜しむべきではない。
メンゲルベルクはバッハのスタイルを完全に無視、ロマンティックなスタイルで劇的に演奏しているので、かえってわかりやすいかもしれない。
本盤は1939年4月2日に行われた演奏会の実況録音だが、当時のアムステルダムでは毎年復活祭の前の日曜日にメンゲルベルクが《マタイ》を振るのが常で、世界中からファンが集まったという。
SP時代の実況録音(もちろんモノーラル)ということで音は古いが、音響の良いコンセルトヘボウ・ホール、更にオーパス蔵による名復刻のため、聴きずらくはなく、演奏自体は最も感動的である。
スタイルは19世紀のコンサート風で、すなわち大人数のオケ、大人数のコーラスによる極めてドラマティックな表情たっぷりの演奏であり、大会場で多数の聴衆を前に指揮棒を振るメンゲルベルクの姿が眼に浮かぶ。
メンゲルベルクは主情的で、よくもここまで、と驚嘆するほど音楽を自分自身に引き寄せている。
その“自分自身”とは19世紀風、後期ロマン派のドラマの世界であるが、こんなことを《ロ短調ミサ》でやったら、音楽は完全に破壊してしまうだろう。
そこに《マタイ》の特殊性があり、懐が深いので、どのようなスタイルをも受け入れてしまう。
しかし同じ旧スタイルでもワルターやフルトヴェングラーは中途半端で煮え切らない。
メンゲルベルクは振る舞い切って成功したわけだが、こんなことが可能なのは彼一人だけだ。
メンゲルベルクの《マタイ》を大時代的なバッハとして嫌う人は少なくないことは、古楽演奏によるバッハが主流の現代にあっては仕方のないことかもしれない。
オリジナル楽器全盛の現在、最も時代錯誤的バッハという声も聴こえてきそうだ。
しかしメンゲルベルクの《マタイ》にはそういう古臭いスタイルを越えて人間の根源的な祈りや叫びが絞り出されているではないか。
音楽芸術は学問ではなく、現代の古楽演奏を裏打ちする音楽学の研究結果はあくまで表現の手段に過ぎないはずだ。
だとすれば古楽とモダンの違いは形ばかり、音楽家の表現すべきは心の底からの祈りの他に一体何があると言うのだろうか。
その響きがバロックであれ、ロマンであれ、現代であれ、大切なことは「バッハの心」だ。
メンゲルベルクの表現の、例えば各アリアに頻出する強烈なルバートなどは私たちの感覚からはあまりにも遠く離れてしまったことも厳然たる事実だが、血の涙を流さんばかりの魂の叫びと祈りが満ちているのだ。
この演奏が表情過多であるとか、バッハのスタイルにそぐわない、などと思っている人も、聴き終えた後には、そんな疑問が極めて些細な、芸術というものの本質に少しも関係のないことと気づき、音のドラマの奔流に身も心も押し流される自分を発見するはずである。
いずれにせよ《マタイ》を語る上に絶対に欠かせぬ歴史的大演奏であり、様式を超えたこの《マタイ》は人間の精神の営みの豊穣を語り続けよう。
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