2019年11月18日

ドイツ精神史上の稀有な邂逅、フルトヴェングラーとマタイ受難曲


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バッハを「雲上に君臨する聖者」と称え、「神の子の苦しみ、キリストの救済史を自己の魂において深く体験し、最後の、最大の受難曲《マタイ受難曲》において一つの巨大な創造的事業を成し遂げた人物」と語ったのは、一世を風靡した巨匠ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)である。

フルトヴェングラーは時代的には後期ロマン派の出であると共に、すぐれた学者・教育者の家系に生まれ、音楽好きでブラームスやシューベルトを尊敬していたブラームスやシューベルトを尊敬していた父の専門の考古学を始め、さまざまな学問分野に関心を寄せた、近代ドイツの典型的な知識人であった。

そうした幅広い教養を土台としたフルトヴェングラーの芸術家としての生い立ちには、少年時代にバッハのマタイ受難曲を聴いたことと、16歳の時にフィレンツェに滞在してミケランジェロの彫刻に出会ったことが、その成長に本質的な影響力を及ぼした二つの原体験であったといわれる。

カーライルの『英雄と英雄崇拝』やロマン・ロランの『ミケランジェロ』などから知られるように、それは彼の世代の中で心ある人々が共通の体験としてもっていた、あの創造する英雄的人間への強い憧れの目覚めであり、そしてまたその英雄的悲劇性への開眼であった、といえるのではなかろうか。

少なくともバッハの受難曲の解釈に関しては、19世紀後半から第一次世界大戦までのこの時期では、偉大な「神人イエス」を主人公とする受難の悲劇という視点が主流を占めていたから、こうした視点での演奏によるマタイ体験が、あのダビデ像やピエタに象徴されるように偉大な人間の悲劇性とそれをめぐる悲壮美と悲哀感の無比な表現を「冷たく客観的な」石材から呼び起こしたミケランジェロ芸術への共感へとつながって行った必然性が、筆者にはよくうなずけるように思われる。

後年フルトヴェングラー自身がバッハのこの大作について語った次のことばも、そのことを裏付ける。

「神の子の苦しみ、キリストの救済史(のドラマ)を自己の魂において深く体験し、最後の、最大の受難曲においてあの巨大な作品を創造することのできた人間、これがバッハなのだ。この大曲は、少なくとも第一音から最終音に至るまで作品に一貫するあの印象深く巨大な情念の統一性に関する限り、ロマン派時代の記念碑的作品であるヴァーグナーのトリスタンにのみ比せられるべきものであろう」(1948年、『音と言葉』芦津丈夫邦訳により一部改訂)。

そして彼の哲学的音楽観は、そのマタイの音楽の中に客観的、叙事的平静さと主観的、激情の両素が「模倣しがたい独自な仕方で結合している」ことを認識した。

その認識に立脚しつつ、神人イエスの受難と死の救済史に一貫するオラトリオ的・ドラマ的情念の統一性(いまかりにこれを「神的英雄の受難と死をめぐる悲劇性のパトス」と呼んでおく)を表出しようとした真摯な試みが、教会外の場で上演されたフルトヴェングラーのこのマタイ受難曲のユニークな特色ではなかろうか。

バッハ自身はすべて赤インクで記入した福音書聖句の一部省略を始め、アリア、コラールなどの省略も、単に時間上の制約というよりは、そうした悲劇的パトスの一貫性をより明確に打ち出そうとするこの指揮者の天才的直覚と曲全体のドラマ的把握から必然的に生じた行為だったといえよう。

しかし時代は二つの大戦の惨禍を経て、福音書をイエスという一人の宗教的天才の言行録と見る後期ロマン派的自由主義的神学(そこでは聖書の抜萃とその宗教史的、哲学的釈義が重視された!)が、神の主導権とキリストにおける福音の啓示の絶対性を主張する弁証法神学に、そしてまた様式史的、編集史的聖書教義の登場に席を譲らざるをえない情況となった。

そこからバッハを見直すとき、「原始キリスト教の信仰の本質こそが、バッハ自身にとって、未だに完全に自覚された生の基盤であり、魂の糧であった。そこでもし神学の語が、真のキリスト教信仰が自己自身によって立つ実質への自覚と反省への営みを意味するとすれば、バッハは神学の人であったといわねばならない。彼はベートーヴェンのような宗教性の音楽家たるにとどまらず、またブルックナーのようにナイーヴな教会的信仰の人でもなかった。バッハの神学的思考と洞察の枠外れのエネルギーは(カントやヘーゲルなどの思想よりももっと深く人の心を震撼し(シュヴァイツァーの言)、彼の音楽活動の全領域に充溢していて、そのどんな片隅に触れても純粋な生命力として吹き出して来るのである(ハンス・ベッシュ「バッハと終末論」1950年より)。

ルターの説いた十字架の神学をその神学的思考の核心に据えたバッハ音楽。

かくしていぜん大きな未開拓の世界を内蔵したマタイ受難曲は、その後の歴史的主義的復古演奏の試行錯誤を経て、たぶんその基盤の再発掘を含めて、また作品全体の新たな統一的構造の把握に(例えば礒山雅氏はこれを「慈愛の構造」として把えようとする(『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』173項以下)到達するように、現代の私たちに呼びかけ、さし招いているのである。

そして巨匠フルトヴェングラーは、その生涯の最後に、この人独自の全体的統一性の把握に基づくマタイ受難曲のライヴ録音(1954年4月14/17日。同年11月30日に68歳で逝去)を後世へのよき励ましとして、また時には反面教師の意味でも何よりも貴重な精神的教訓として残していってくれたのである。

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classicalmusic at 14:11コメント(0)バッハ | フルトヴェングラー 

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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