2019年10月02日
イタリア人特有の美音やカンタービレの魅力よりも作曲家の人間性を暖かく感じさせたデ・ヴィート
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予備知識を全く持たずに演奏(録音)を聴いて、驚かされる芸術家がある。
筆者にとって、ジョコンダ・デ・ヴィートはそのような芸術家の1人だった。
それは、彼女がエドウィン・フィッシャーと共演したブラームスの「ヴァイオリン・ソナタ第1番」と「第3番」の録音で、筆者の興味はフィッシャーのブラームスを聴くことにあり、ヴァイオリニストについてそれほど関心を持っていなかった。
あったとしても、イタリアのヴァイオリニストがブラームスを演奏するのは珍しい……ぐらいのものであったろう。
ところが、デ・ヴィートの演奏は、悲壮な先入観を打ち砕くほど素晴らしかった。
フィッシャーの自発性に溢れた闊達な演奏は、筆者の期待を充分に満たしてくれたが、デ・ヴィートはフィッシャーと世代も個性も異にしながら、豊かな自発性とブラームスの音楽に対する深い共感に基づく解釈で、フィッシャーと全く対等に演奏していた。
加えて、ブラームスの抒情性と落ち着いた情感を暖かい雰囲気の中で生かしブラームスの人間性を実感させてくれた。
デ・ヴィートがフィッシャーとブラームスのソナタを録音したのは1954年、彼女は47歳であった。
デ・ヴィートは1961年に引退したから、彼女の演奏活動が頂点にあるときにこの2曲が録音されたことは、彼女にとっても、われわれにとっても幸福であった。
イタリアのヴァイオリニストであるデ・ヴィートは、イタリアのヴァイオリンとヴァイオリン音楽に強い愛情を持っていたが、官能的な音色の魅力や華麗な技巧に優先権を与えず、常に音楽が内蔵する真の精神を表現することを目標にしていた。
したがって、彼女がドイツやオーストリアの音楽を演奏する時にも、解釈の基礎にはイタリアのヴァイオリンとその音楽があった。
そこから彼女の演奏は、独特の輝きが生まれたのである。
それは、デ・ヴィートの人間性に基づくものであろう。
デ・ヴィートはスタンダードなヴァイオリニストのレパートリーを演奏したが、特にバッハ、メンデルスゾーン、ブラームスの音楽では、熟達したテクニックと詩的な想像力がほとんど理想的な状態で溶け合っていた。
演奏を支配していたのは明晰な様式感だが、それは内面的な精神と豊かな情熱に結びついていた。
また、彼女がイタリアの古典ヴァイオリン音楽を高く評価していたことが、彼女の演奏様式に晴れやかな魅力を加えた。
イタリアのヴァイオリニストで、ドイツ・オーストリア音楽をレパートリーに入れる人は多いが、彼らの演奏でまず印象づけられるのは美しい音であり、鮮やかなカンタービレである。
デ・ヴィートの演奏では、そのような感覚に訴える魅力よりも、豊かな自発性と熟成した解釈から生まれる内面的な精神、暖かい感情が聴き手を捉える。
彼女が演奏を通じて作曲家の人間性を感じさせることが、彼女を偉大なヴァイオリニストと呼ばせるのである。
デ・ヴィートの音の美しさ、響きの豊かさは、同時に優れた楽器の威力を示している。
彼女は1953年以前、1762年のガリアーノを弾いていたが、その後1690年のストラディヴァリ“トスカ”を使った。
それは、イタリア政府が聖チェチーリア音楽院のために購入した名器で、同校の終身教授であった彼女に貸与された。
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