2020年01月07日

リヒテルのスピリット面目躍如の回想録


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本書ではスヴャトスラフ・リヒテルと友人達との交流を中心に彼のキャリアの後半に焦点を当てて、ユ−リ−・ボリソフが回想した対話形式の作品になるが、話しているのは大部分リヒテルで、ユニ−クなリヒテル語録といった印象がある。

日常的な会話の中に彼の演奏に対する哲学や、一種謎めいたファンタジーを垣間見ることができる魅力的な会話録だ。

リヒテルは少年時代からオペラや演劇の出前伴奏をすることで家計を助けていたが、その影響もあって早くから文学や絵画の素養も身につけていたので、本書に表れる文学的、あるいは美術的な幅広い教養と実践で鍛えた即興性が彼の演奏に深みを与えていたと言えるだろう。

自身述べているが、リヒテルは円熟期に絶対音感を失っただけでなく、音が1全音ずれて聞こえる現象に悩まされた。

それは音楽家にとってかなり致命的で、頭で考えている音と実際ピアノから鳴り響く音にずれが生じると、暗譜での演奏が困難になる。

彼が後年楽譜を見ながらコンサートに臨むようになったのはこうした事情だ。

本書ではリヒテルが演奏する作品1曲1曲に音楽の範疇を超えるかなり強烈なイメージを抱いて弾いていたことが明らかにされている。

それが純粋にスピリチュアルなものであろうと、具体的な視覚に訴えるものであろうと彼の演奏上のほぼ決定的な解釈になったようだ。

逆にそうしたイメージが枯渇したり、全く湧かない場合は演奏しない。

彼が全集物の体系的な演奏や録音にそれほど興味を示さなかったのも、それぞれの曲に通り一遍の性格を与えることを拒んだからだろう。

また演奏にはム−サ(ギリシャの芸術を司る女神)の降臨が欠かせなかったらしく、ボリソフに「君にはム−サの女神がついているかね?必ず手に入れたまえ、、、はっきりと思い描くことだ、力を込めて。守ってもらえるように」と言い、「私のム−サはもう疲れ果てているよ。かなりの年だな。息をするのもやっとで」などと自嘲的な冗談にも事欠かない。

リヒテルの会話にはボリソフもたじろぐほどの多くの比喩や他の分野からの引用が溢れていて、読み進めるには章ごとの訳注が欠かせないが、慣れてくると非常に面白く、思わず吹き出したり、苦笑せずにいられないような部分も多々ある。

それはコンサートで笑顔ひとつ見せなかった彼の意外なプロフィールを窺わせていてなおさら滑稽だ。

カラヤンとのべ−ト−ヴェンのトリプル・コンチェルトのセッションはよほど根に持っていたらしく、演奏内容よりも写真撮影を優先したカラヤンを至るところで槍玉に挙げているが、ここでもリヒテルは明け透けに批判している。

同業者でもホロヴィッツ、グ−ルド、ガブリ−ロフ、ギレリス、ポリ−二などが引き合いに出されているが、感動した演奏には称賛を惜しまない姿勢は流石だ。

指揮者ではムラヴィンスキーとコンドラシンが彼にとっては別格的な存在だったようだが、基本的に彼の判断は曲目に関する演奏者の解釈と表現力に集中していて、名演奏家でも往々にして失敗があることを示唆している。勿論自分の演奏にも手厳しく、録音したレコードは10枚くらい残して後は全部廃棄できたらどんなに幸せかとも言っている。

周期的な鬱状態に苦しんだリヒテルの精神状態がそれに特有のアクセントを与えている。

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classicalmusic at 12:42コメント(0)リヒテル  

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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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