2022年05月19日
元祖二刀流!多岐にわたって高度の能力を発揮し、一流を極めるとてつもない資質をもったバレンボイム
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かつてのルネサンス時代におけるレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどを思い出すまでもなく、世の中には、常人の想像をはるかに超えた多彩な能力の持ち主というものがいる。
もちろん現代のように各分野の専門化が先鋭化し、それぞれの領域を極めるために多大な時間とエネルギーを要求される時代にあっては、ルネサンス時代のように一人の人間が、音楽も美術も工学も医学もといった具合に、多分野にわたって抜きんでた能力を発揮することは難しくなった。
例えば音楽という領域だけに限ってみると、そこで多彩な能力を発揮する人をたまに見かけることがある。
もちろん音楽を勉強するうえで、ピアノや作曲理論というものは、どのような人でもクリアしなければならない関門のようなものなので、誰もが当たり前であると思われるかもしれない。
しかし一応できるのと、一流として人の前に立つことができるのとでは全く意味が異なる。
多彩で様々にこなしはするけれど、Aは一流、しかしBは二流という人が多いのが実際の所なのだ。
ところがふたまた以上をかけている人で、たまにどちらが本業かわからないほど多岐にわたって高度な能力を発揮する人がいる。
ダニエル・バレンボイムこそ、まさにその筆頭にあげられるべき音楽家ということになろう。
指揮者としての彼はベルリン州立歌劇場総監督就任後は、そのレパートリーを確実に増やしており、ドイツ=オーストリア系のレパートリーにおいては今や筆頭にあげるべき存在になっている。
こういう活躍を展開すれば、もともとはピアニストであったとしても、その活動はごく制限されるか、撤退するのが普通である。
ところが彼は、指揮者としての仕事が膨大なものになったからといって、若いときから注目されていたピアニストとしての活躍も決してないがしろにしていない稀有な存在なのである。
そういえば、そんな存在は過去にも現在にも少なからずいたと言われるかもしれない。
確かにセルもショルティもバーンスタインもピアノは一流だったし、ごく最近でもレヴァイン(故人)がいたし、チョンは健在。
しかし彼らはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を録音できるほど、ピアニストとしての自立した立場を持っていたわけではない。
たまに聴衆の前でピアノ協奏曲を演奏したり、室内楽ピアニストとして腕を披露することはあったが、あくまでそれは指揮活動の傍らにおかれた存在でしかなかった。
唯一アシュケナージがピアノ、指揮の両面においてバレンボイムに近い活躍を展開していたが、逆に彼の場合は指揮の領域ではまだまだバレンボイムの域に達しないまま引退してしまった。
古楽の分野に限ってみれば、レオンハルト、ジギスヴァルト・クイケン、コープマン、鈴木雅明と挙げられるが学問的に正しいからと言って感動に繋がらないことを白日の下に晒されてしまう。
百聞は一見に如かず、コンサートに身銭を切って行ったが、美しいだけで、二度と聴く気がしない。
コープマンの態度に至っては、舞台上でコソコソしていて、いつ現れたかと思うと舞台から去っていくので卑屈にすら映る(資質すら疑い「ギャラ泥棒」とブーイングを浴びせたくなった)。
反対にバレンボイムは正々堂々たる姿勢で誠実に音楽に取り組んでいたし、シュターツカペレ・ベルリンから失われたドイツの音を甦らせていた。
今や驚くほかはないレパートリーの広さを誇っているが、いずれにしても非常に高い水準にあり、どれを聴いてもまず期待を裏切られることはない。
まさにとてつもない資質をもった演奏家ということができるだろう。
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