2020年06月03日
忠実な伝記ドキュメンタリー、ガーシュウィンのサクセス・ストーリー
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BBC放送制作のジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)の伝記映画になり、彼の生涯を当時の実写フィルムとインタビューで構成した信頼性の高いドキュメンタリーだ。
一介のユダヤ系移民が自らの才能ひとつで築いた夢のようなサクセス・ストーリーと彼の早世は、それ自体完全なドラマだが、この作品では豊富な資料と証言に基く彼の生涯の忠実な再構成が試みられている。
それを実証しているのがガーシュウィン自身の映像も含めたかなりの量のモノクロ・フィルムで、彼の演奏や日常生活のひとこまを写し撮ったものや、最後の大作オペラ『ポーギーとベス』の初演直前のリハーサル風景は短いながら貴重なクリップだ。
インタビューに応じているのは妹フランシスを始めとしてマイケル・ティルソン・トーマス、バーンスタイン、マイケル・ファインスタイン、『ポーギーとベス』初演の2人の主役アニー・ブラウンとトッド・ダンカンらのミュージシャンだけでなく、ケイ・スウィフト、キティ・ハートなどの女性陣の証言も充実している。
ガーシュウィン・ファミリーのアドヴェンチャーはジョージの父モイシェがロシアからの移民としてニューヨークに着いた時から始まった。
移民船が港に入った時、モイシェは自由の女神像を一目見ようとして船のデッキから身を乗り出した瞬間、風で帽子が飛ばされてしまう。
この帽子の中にしまっておいたアメリカでの唯一の拠り所であった伯父の住所を失った彼は、新天地での身寄りからの援助をも阻まれ孤立してしまう。
しかし彼は持ち前の商才で事業が成功して、長男アイラのためにピアノを買ったが、弾いたのは専ら弟のジョージだった。
音楽家のファミリーとは縁のなかった彼にとって、まさに天性の能力の開眼だったのだろう。
その後ジョージは楽譜出版社のカスタマーのための試奏ピアニストとしてジェローム・レミック商会に就職するが、この頃から始めたミュージック・ライターとしての才能も直ぐに開花する。
1919年に発表した『スワニー』はミリオン・セラーを獲得してガーシュウィンは10万ドルの収入を得、その後の音楽活動も順風満帆だった。
1924年2月12日のニューヨークのエオリアン・ホールでの『ラプソディー・イン・ブルー』初演にはハイフェッツ、クライスラー、ラフマニノフやストラヴィンスキーなどクラシック楽壇の重鎮も列席していた。
社交界の寵児となった彼は私生活でも浮名を流す伊達男だったが、家庭を持つには至らなかった。
性格の全く異なる兄アイラとのコラボは生涯を通して常に良好に続き、アイラの詩とジョージの音楽は離れ難く結び付いている。
ある時は最初に音楽が作曲され、後から歌詞が付けられたこともあったようだが、こうした自在な仕事ぶりは仲の良かった兄弟ならではのものだろう。
『ポーギーとベス』のオール黒人キャストによる黒人達の生活を描いたオペラという発想も、斬新であるばかりでなく当時の社会から追いやられた人々の姿をアメリカ独自の音楽語法を使って赤裸々に綴った作品である筈だ。
英語の音声による90分ほどの作品で、残念ながらイタリア語以外の字幕スーパーはないが、現行唯一のバージョンによるDVDで鑑賞する価値は高い。
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