2021年11月11日

SACDで甦るクレンペラーの《マタイ》、核心部分ですべてを耐えて重きを担っているアトラスのようなクレンペラーの姿が印象的❣


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なにしろバッハの《マタイ受難曲》は偉大な作品なので、どのようなアプローチの仕方をも許容し得るような大きさを秘めている。

そこにあって当クレンペラー盤は、とくに気宇壮大、スケールの大きな演奏内容といえるだろう。

編成の大きなオーケストラ、声楽陣などから生み出される各表現は、いずれも濃い陰影をもち、粗削りのようなたくましい輪郭に彩られ、たいそう大胆。

ドラマティックな起伏も、他に類を見ないほど大きい。

偉大な《マタイ受難曲》を、些事にわずらわされることなく、可能な限り偉大に再現し得た演奏内容だ。

この演奏の核心のような部分で、すべてを耐えて重きを担っているアトラスのようなクレンペラーの姿が印象的である。

《マタイ受難曲》には、唯一無二といってもいいほどのリヒターによる不朽の名盤がある。

まこと、凄まじいほどの気魄と先鋭な切り込みの烈しさに打たれぬ人はいない。

これに対抗できるのはクレンペラー盤であろう。

聴く者をゆったりと包み込み、そのドイツ的音響構築の悠揚迫らぬ余裕は、イエスに対する畏敬の念をその底辺に据え、人間が犯したさまざまな愚かな“あやまち”を責めるのではなく、共に許し合おうとするクレンペラーの包容力の大きさでもある。

十字架上の2人のうち、どちらを助けるか問われ、群衆は「バラバを!」と叫ぶが、リヒターは怖ろしいまでの緊迫感と、犯してはならなかった罪への責めを音の中に刻みつけた。

クレンペラーには“悲しみ”が感じられる。

クレンペラーの上にふりかかったさまざまの苦難を通して、このマエストロはその試練に耐え抜き、自分の精神を強く、他には愛をもって音楽をつくっていった。

その人間的な深さがバッハを貫いている。

その意味でもこの巨匠のベートーヴェンは比類ない演奏の典型だが、その根源にはこうしたバッハへの帰依があってのことと思われる。

筆者は本名盤を学生時代に聴き、バッハの宗教曲の素晴らしさに、身も心も酔いしれる思いを味わった。

《マタイ受難曲》では、ある女がイエスに香油を注ぎかけたというレチタティーヴォからアルトの悔恨のアリアに至るあたりや、「備えせよ」のバス・アリアから最後の大らかな合唱に入るあたりは、正直のところ、涙なくしては聴くことができなかった。

クレンペラーはこの受難の物語の中から、人間の普遍的な愛情の襞にまで入り込んで、すべての人物が人間の愚かしい行動を是認しなければならない苦しさを描き出していく。

これはクレンペラーならではの世界だろう。

全体に遅めのテンポ設定が主流をなしているが、彼にとってこのテンポは不可欠なものに違いない。

雄渾な音楽づくりの中にも、クレンペラーの老巧な棒さばきと、張りつめた緊張感とが身近に伝わってくる。

テンポ設定ひとつにしても、やや遅めにとり、コラールも重厚に、コラールフェルマータも、様式からはみ出さない限度においてテヌートを加えるなど、細心の注意が行きわたっている。

1961年のステレオ録音だけに音質も良好で、シュヴァルツコップもF=ディースカウの声もまだ瑞々しく、ルートヴィヒのアルトも沈痛だ。

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classicalmusic at 21:31コメント(0)F=ディースカウ | シュヴァルツコップ 

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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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