2021年11月12日

天才リヒター伝説の東京公演 手兵を引き連れ初来日で聴かせた不滅の「マタイ」 NHKオリジナル音源より新マスタリングで復活 !


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リヒターが手兵のミュンヘン・バッハ管弦楽団、合唱団を率いて1969年に初来日したおりの東京での実況録音。

初めてこのマタイ受難曲とロ短調ミサ曲と併せて聴いた時には、自分の音楽観や人生観をさえ揺さ振られるほどの大きな感動を受けた。

指揮台の前にチェンバロを置き、まったくの暗譜で指揮はもちろんレチタティーヴォでの通奏低音まで弾いてしまう姿勢には、バッハ自身が現れたのではないかという錯覚さえ覚えたものだ。

その時の音楽から放射されてきた意味の大きさ深さは未だに比べるものがないほどだが、この実況録音盤で聴いてもその時の印象は鮮明に蘇ってくる。

1958年のスタジオ録音も良いが、日本人にとってはこの演奏があくまで原点である。

ところで1970年前後といえば、オリジナル楽器によるバロック演奏が一般化していった時期であるが、表面的にはリヒターは、こうした新しいバッハ演奏の影響をまったく受けなかったように見える。

しかし、60年代後半から70年代にかけての繁栄の時代に人々の意識は徐々に変化していった。

そうした変化とリヒター自身が年齢を加えていったことが、この時期、リヒターの眼をより大らかなバッハへの音楽へと向けたのではないだろうか。

しかし、こうしたリヒターのよりロマンティックといえるようなバッハへの回帰は、ある意味ではその裏返しでもあったのではないだろうか。

リヒターがバッハ演奏家の第一人者となった50年代から60年代のドイツは、敗戦から立ち直って、奇跡ともいわれる戦後の復興を着々と成し遂げようとしていた時期であり、厳しく凝縮し、強い劇性と生命力にみちたリヒターのバッハ演奏は、いかにもそうした時代にふさわしかったといえるだろう。

しかし、そこにはより自然で力みのない人間的な表現があり、旧盤のように鮮烈に聴き手の胸を打つことはないが、バッハの音楽の大きさやゆたかさをより素直に味合わせてくれる良さもある。

そして、年齢的にも真の円熟期を迎えようとしていたリヒターが、新たに目指したバッハ演奏は、そうした肩張らぬ素直な人間的表現だったのではないだろうか。

しかし、79年に単独で来日したものの、リヒターには、その時間が残されていなかった。

81年4月には再び手兵のミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団を率いて来日することが決まっていたが、その直前の2月15日に、滞在中のミュンヘンのホテルで心臓麻痺のために、54歳という働き盛りに急逝してしまい、多くの音楽ファンを驚き、悲しませることになった。

しかし、酷な想像かもしれないが、もしリヒターが60代、70代と活動を積み重ねていったとしても、古楽器演奏がますます隆盛なこの時代に、かつてのような誰をも心服させるような新たなバッハ像を構築し得たかどうかは、やはり疑問ではないだろうか。

その意味では、54歳というあまりに早い死は、30代にして現代最高のバッハ解釈家としての名声を獲得したに対する天の配剤であったようにも思える。

つまり、リヒターが50年代末から60年代にかけて残した数々の名演は、今もそれほど強い輝きを放っているといってもよいだろう。

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classicalmusic at 20:37コメント(0)リヒター | バッハ 

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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