2022年01月27日

1947年ベルリンの指揮台に復帰したフルトヴェングラーの《トリスタン》! 秘蔵音源、ついに国内盤CDとしてよみがえる! !


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巨匠の戦後初のオペラ公演は、1947年、楽壇にカムバックを果たし、意欲満々の巨匠がドイツのオケを振っての《トリスタン》だった。

残念ながら第1幕は原盤が欠落 (録音機材が不調で収録できなかったとの説もあり)、第2幕、第3幕も一部はカットされているが(計3か所、24分間ほど)、それぞれ66分、68分の収録時間。

有名な「愛の二重唱」から「愛の死」の終結シーンにいたるまで音楽の主要部は収録されている。

音質は録音年を考えればきわめて良好!

トリスタン、イゾルデ、マルケ王の主要三役をドイツ人で固めた歌唱陣の充実ぶりもさることながら、何よりも特筆すべきはフルトヴェングラーの指揮!

後年フィルハーモニア管弦楽団を振っての有名なEMI全曲録音をも凌ぐ、オーケストラ・コントロールの完成度の高さ!

緊迫感に満ち、すさまじいまでの官能と情念の世界が繰り広げられている。

1984年、世界初出LPとなった伊チェトラ盤は、ミラノ、ディスコス社制作のこの音源をキングレコードは同年に国内発売した。

CDは91年にチェトラ輸入盤を国内仕様で発売したが、マスターテープはキングレコードの倉庫に眠ったままだった。

今回、このアナログテープから初のCD化、日本語解説書 (岡俊雄、浅里公三、両氏のライナーノーツ)付、歌詞対訳はホームページ(キングレコードWebサイト)に掲載 (カット箇所も明示)している。

さらにボーナストラックとして、同日の上演前のリハーサル風景の音源を収録されており、同一音盤に集められるのは世界で初めてとなる。

後年のセッション全曲録音(1952年)はオケがドイツの団体でないことを考えれば、この記録の価値は増大する。

事実、そのオケ(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)が素晴らしい。

繊細で雄弁なニュアンス、劇的な緊迫、重量感、後年以上であろう。

この演奏には少なからぬ感銘を与えられた。

その最大の理由は、フルトヴェングラーの指揮がとくに素晴らしいというほかはないオーケストラ・コントロールである。

多分、ピットにマイクを立ててあると思われるほど、1947年録音としてはオーケストラの細部がよくとらえられており、そのオーケストラが歌手の表現を見事にカヴァーしているのである。

ワーグナーの楽劇において、オーケストラの重要さを説いたフルトヴェングラーの見解はいろいろな文献に見られる。

その代表的な例はカルラ・ヘッカーの《フルトヴェングラーとの対話》のオペラの章などである。

ドイツの楽壇に復活したフルトヴェングラーの精神的な昂揚が、オーケストラの細部の息づかいにまで、一瞬の緩むところもなく張りつめており、筆者の耳には歌い手以上にオーケストラが本当の主役であるかのようにきこえた。

きいているうちに、歌手への不満はほとんど気にならなくなってしまったほどである。

第2幕では、トリスタンとイゾルデは夜の闇にまぎれて逢い引きする。

きわめて遅いテンポで奏される抒情的な部分は、単に陶酔的、耽美的なだけではなくて、どうしようもない悲哀を湛えている。

むしろ、悲しみのほうが愛の悦びに勝るほどだ。

こんなに悲しい《トリスタン》は他にはないだろう。

そして、悲しければ悲しいほど、ふたりの人間が声を合わせて歌うという行為が至上の幸福と見えてくる。

もはや《トリスタン》は巷間言われるようなエロティックな禁断の愛の物語ではなく、運命の物語になっている。

筆者が好きだった《トリスタン》の録音(カール・ベーム&バイロイト祝祭管弦楽団かクライバー&シュターツカペレ・ドレスデン)など他の名盤ではこれがわからなかったのだ。

両者とも、速めのテンポで非常に劇的に、生々しく、このドラマを表現していた。

以前の筆者にとっては、これらの演奏が持つ直接的な熱狂や切迫感がリアルに思われた。

人と人が出会ってしまうことの悲しみや恐ろしさをわかっていなかったのだ。

そうやってどうしようもない悲哀にたっぷりと浸されたあとで、音楽の表情が変わり、「それなら、死のうか。別れることなく永遠にひとつでいるために」という台詞が覚悟もて歌い出される。

その部分の衝撃、オーケストラのぞっとするような不気味さ、そしてその不気味さがじわじわと恍惚へと移り変わっていくさまの誘惑と危険、幸福と不幸、高貴と破廉恥。

筆者は今回、ここをききながら、大げさでなく身震いするような思いを味わった。

もしかして、ここでトリスタンとイゾルデが上りつめていくエクスタシーは性愛的なものであると同時に、運命を自ら受け入れてしまったことの歓喜ではあるまいか。

第3幕最後、「イゾルデの愛の死」がまた格別である。

侍女が「イゾルデさま、私たちが言っていることが聞こえていますか?」と尋ねる。

それを伴奏するオーケストラは、イゾルデがもはやこの世の人間ではないことを示している。

形容しがたい弱音から、「愛の死」の浄化された音楽が始まる。

フルトヴェングラーのゆっくりめの速度を心から美しいと思う。

音楽が人を興奮させるのではなく、いっしょに呼吸するような時間を貴重だと思う。

オーケストラの音がしっとりとしており、まさに身体にしみこむような妖しい感触なのだ。

以前はそれほど好きな演奏ではなかったが、時の流れのためなのかどうか、今やこの演奏は魅力的という言葉では足りないくらい、異様な力強さで訴えかけてくるようになっているのである。

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classicalmusic at 09:11コメント(0)ワーグナー | フルトヴェングラー 

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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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