2022年04月14日
ドイツ的な伝統から生じる束縛を完全に断ち切り、先入観から解放された立場で作品の絶対音楽としてのイデアを抽出したトスカニーニの《ミサ・ソレムニス》
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ミラノフ、カスターニャ、ビヨルリンク、キプニスと4人の名歌手たちを揃えたこの演奏は多くの点で1953年に録音されたRCA盤を凌駕しているが、《クレド》の冒頭でトロンボーンがミスをしたためにレコード化ができなかったと伝えられている。
RCA盤の鮮明だが広がりに欠ける録音と比べて、この録音は聴きずらいことはない。
トスカニーニはゆっくりとしたテンポを設定しており、それが音楽に落ち着きと厳粛さを与えている。
キプニスの印象的な暗く重いバスも聴く人に大きな感銘を与える。
トスカニーニほど、鉄のような固い意志と、赤々と燃える情熱で、この最高峰に臨んだ指揮者はなかった。
ベートーヴェンがミサのテキストと格闘したが如く、トスカニーニはスコアと激しく闘っている。
トスカニーニはいわゆるドイツ的な伝統とそこから生じる束縛などといった要素を完全に断ち切り、先入観から解放された立場で作品の絶対音楽としてのイデアを抽出している。
さらに演奏スタッフの究極的な技術の見事さをフルに活用することによって、それをこれ以上はあり得ないと想えるほどに理想に近い状態で演奏として結晶させることに偉大な成功を収めている。
そして、巨匠の壮麗無比な造型感覚と他者の追随を許すことのない高度な集中力の持続は、その明晰で隙のない楽曲の把握の完全性ともあいまって、白熱的な輝きを放つ緊迫した音楽表現を実現させている。
特筆すべきは《クレド》後半の〈エト・ヴィータム・ヴェントーリ・セークリ〉(来世の生命を待ちのぞむ)以下の猛スピード(全演奏家にとって、恐怖のテンポ)に聴く、比類なき魂の高揚感。
この厳しさを経てこそ、《サンクトゥス》以下の「魂の浄化」作用が一層際立つのである。
弦楽の瞑想による《ベネディクトゥス》の前奏、その深い精神性は、トスカニーニが決して「トゥッティとアリアだけ」(フルトヴェングラー)の芸術家でなかった何よりの証となろう。
至高の名演であり、これほどのレヴェルの演奏が存在することは驚き以外の何物でもない。
唯一の疑問は、〈ドナ・ノビス・パーチャム〉(我らに平和を与えたまえ〉。
楽聖がついに「心の平安」を確信できず、解決を未来に託した楽曲であるが、トスカニーニが振ると、実に肯定的に終わってしまうのである。
ここだけは、悠久の余韻に浸っていたかった。
トスカニーニの余りにも健全な魂を象徴する一コマではある。
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