2022年06月19日
歴史家ギボンの功罪
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一時代前はエドワード・ギボンの著した『ローマ帝国衰亡史』がこの時代を知る上で重要な手掛かりを提供する著書であったことは疑いない。
18世紀に能う限りのギリシャ、ラテン語による古典文書を読破して書き上げられたこの考察が、後の時代に与えた影響を無視することはできないし、現代においてもその価値を決して低く評価すべきではないだろう。
また本書の著者南川氏もそのエピローグの中で、紀元二世紀を帝国の全盛期、皇帝たちの「輝ける世紀」と呼びたいと記している。
ギボンの考察は当時の限られた資料の中で成しえた歴史的な結果としての総括であり、そこには勿論彼の主観が強く反映されている。
そうした既成概念を新しい資料をもとに今一度検証する意味で、本書は多くのローマ史ファンにお薦めしたい一冊だ。
確かにローマはこの時代にその版図を最大に広げ、地中海沿岸全域をその領土に組み入れたが、それには当然多くの犠牲が払われ、また一方為政者たちにとっては大きな幸運が道を開いたと言うべきかも知れない。
ハドリアヌス皇帝は死後、神格化されるどころか元老院によって危うくDAMNATIO MEMORIAEつまりカリグラやネロのように記憶抹消の断罪が下される筈だった。
彼は帝国全土を巡行して領土の状況を把握することに余念がなかったが、元老院に対してはその独裁的な粛清や治世から決定的な対立関係にあったことが本書によって理解できる。
中でも出色は元老院議会と国政の係わり合い、そして皇帝後継者選出や騎士階級の人々の出身地、また彼らの政治的力学関係及びその時代的変遷について詳述されていることだ。
ローマに早くも最初の斜陽が射し始める頃には、皇帝は元老院議員を始めとする国政の中枢部に係わる人員を家系の優劣ではなく、能力主義で抜擢するようになる。
それはローマにとっては大きな改革だったが、当然それだけの軋轢は覚悟しなければならなかっただろう。
それを巧みに乗り切ったのが結果的に五賢帝時代だったということになる。
著者は現代に伝わる史書だけでなく、碑文などをもとにしたプロソポグラフィーの研究成果を取り入れて独自の仮説を立て、生身の皇帝像とその周辺を描くことを試みた。
その手腕と努力を高く評価したい。
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