2022年05月21日

ウィーン時代のワルターを飾る絶品!ワルターとウィーン・フィルがぴったりと意気投合し、細部まで心を通わせ合ったブラ3


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ブラームスの交響曲第3番は、ウィーン時代のワルターを飾る絶品の一つ。

ワルターとウィーン・フィルがこれほどぴったりと意気投合し、細部まで心を通わせ合った例も少ないだろう。

なぜならば、ワルターにはかなりウィーン・フィルの楽員に任せたり妥協したりした演奏も数多く見られるからである。

ここでは両者の目指す美の方向が完全に一致しているようだ。

第1楽章の第1テーマを聴けば、彼らがリズムやアンサンブルなどに少しも神経を使わず、もっぱら音楽の心だけを表現していることがわかる。

ふつうはそれがプラスにもなる代りにマイナスともなってしまうのだが、ここではプラスの面だけが濃く現われ、その結果として、内部には情熱の火が燃えさかっているにもかかわらず、外観は徹底して角が取れ、まろやかに円熟したのである。

一つ一つのメロディーが何と思い切って歌われることだろう。

第2、3楽章にその最高の例が見られるが、しかもほんのわずかな外面性もないのは楽員一人一人が情緒を感じぬいているからだろうし、音色がすばらしく高貴なせいもあるのだろう。

両端楽章の、自由自在な緩急にもおどろかされるが、情熱に任せてはめをはずすことなく、つねに自然なのは偉とすべきだ。

終楽章の第2テーマが現われた後の盛り上げにおいて、ぐんぐん加速するが、オーケストラが手足のごとくぴったりと密着していささかの崩れも見せず、完璧なアンサンブルを誇っているのはワルターにとっても珍しい。

たいていは棒が先に行ってしまうか、またはオーケストラがワルターの意図を見越してほんとうの情熱に燃えず、形だけをつくってしまうかのいずれかである。

第1楽章冒頭の柔らかい響き具合からもわかるように、全体に金管が少しも気張らず、ブラームスらしいしつこさから解放しているのも快いが、木管の恍惚たる和音といい、チェロや高弦の情緒に濡れた音色といい、耽美、陶酔という言葉が身をもって実感される瞬間である。

少しも聴かせようとする構えがなく、自らの感じたままを正直に表現してゆくワルターとウィーン・フィルの名コンビに絶大な拍手を贈りたい。

豊かな音楽とはこのようなものをいうのであろう。

シュテファン・ツヴァイクが「ワルターの指揮で、その至福の瞬間には、彼自身波に連れ去られてしまって、もうそこに居ないような感じ……」と書いているのは、ウィーン時代のワルターにこそ当てはまるだろう。

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classicalmusic at 01:03コメント(0)ブラームス | ワルター 

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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