2022年07月03日

バックハウスのベートーヴェンのコンチェルト録音の白眉は、ベーム、ウィーン交響楽団との第4番


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拙ブログの読者Josh様より、先ほど以下の通りメールをいただきました。

「残されたバックハウスのベートーヴェンのコンチェルト録音の白眉は、ベーム、ウィーン交響楽団との第4番の演奏だと思います。

カラー動画、ステレオ録音で残された映像で、ここにはベーム、バックハウス、ウィーン交響楽団メンバーへのインタビューも含まれており、演奏の完成度だけでなく、ドキュメントとしても極めて高い価値があります。

是非、このライブラリーにも記録して頂きたいと思います。」

存じ上げております。もしご覧の方がいらっしゃらなければ、強力にお薦めします。

まさに長年ベートーヴェンを弾き込んできたバックハウスの、巨人的な演奏の一面を知ることのできる映像で、すこぶる雄渾な演奏である。

内容の彫りの深さ、ドイツ的ながっしりとした構成力の素晴らしさは、見事の一語に尽きる。

まさに本演奏こそは、例えばベートーヴェンの交響曲などでのフルトヴェングラーによる演奏と同様に、ドイツ音楽の精神的な神髄を描出するフラッグシップの役割を担っているとさえ言えるだろう。

バックハウスのピアノはいささかも奇を衒うことなく、悠揚迫らぬテンポで曲想を描き出していくというものだ。

飾り気など薬にしたくもなく、聴き手に微笑みかけることなど皆無であることから、聴きようによっては素っ気なささえ感じさせるきらいがないわけではない。

しかしながら、かかる古武士のような演奏には独特の風格があり、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かなニュアンスは、奥深い情感に満ち溢れている。

全体の造型はきわめて堅固であり、スケールは雄渾の極み。

その演奏の威容には峻厳たるものがあると言えるところであり、聴き手もただただ居住まいを正さずにはいられないほどだ。

したがって、本演奏を聴く際には、聴く側も相当の気構えを要すると言える。

バックハウスと覇を争ったケンプの名演には、万人に微笑みかけるある種の親しみやすさがあることから、少々体調が悪くてもその魅力を堪能することが可能であるが、バックハウスの場合は、よほど体調が良くないとその魅力を味わうことは困難であるという、容易に人を寄せ付けないような厳しい側面があり、まさに孤高の至芸と言っても過言ではないのではないかとさえ考えられる。

バックハウスとケンプについてはそれぞれに熱烈な信者が存在し、その優劣について論争が続いているが、筆者としてはいずれもベートーヴェンの至高の名演であり、容易に優劣を付けられるものではないと考えている。

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classicalmusic at 13:00コメント(3)バックハウス | ベーム 

コメント一覧

1. Posted by Josh   2022年07月03日 14:57
5 掲載有難うございます。
Amazon等にも投稿した小生の所感も記しておきます。
---
彼の十八番がこのベートーヴェンの4番のピアノ協奏曲。
ベートーヴェン直系のピアニストで弟子をほとんど持たなかったという師ダルベールに見込まれ叩き込まれたレパートリーのひとつ。若い頃「鍵盤の獅子王」と呼ばれたこの人には、豪壮な同じくベートーヴェンの「皇帝」協奏曲の方がお似合いと初め思うが、この演奏を聴けば、納得する。

1960年代のウィーンでは、
この曲をバックハウスのピアノ、ベームの指揮、ウィーンフィルハーモニーのバックで聴くことは特別な経験であった。
当時のウィーンフィルは、定期演奏会で協奏曲を演奏することはしなかったが、バックハウスは特別待遇で幾度となく招聘した。しかしこの3者が揃っての録音は、わずかに4つ(モノラル2つ、ステレオ2つ)。その中にこの曲は含まれなかった。理由は3者が別々な録音会社と契約していたため、弊害が多すぎたのだ。(ライブ録音は辛うじて残っており2種は所有しているがいずれも水準以下のモノラル録音)

しかしその価値を信じた数少ない人たち(おそらく本人たちもそう感じていたのではないだろうか)が、この撮影を敢行した。ウィーンフィルを諦めウィーン交響楽団を起用、非常に状態のよいカラーとステレオで掛け替えのない宝物のような瞬間が、ここに刻まれることとなった。それだけに、本人たちもこの一期一会の撮影にかける意気込みは映像を通してひしひしと伝わってくる。スタジオ録音とは思えない独特の緊張感。
2. Posted by Josh   2022年07月03日 14:58
5 (つづき)
この曲はピアノのモノローグで静かに始まる。
清澄な空気と祈りが静かに告げられる。
精神的な美が何の誇張もなく表現される。

83歳のバックハウスはこの部分の演奏について収められているインタビュー(必見!!)の中でピアノの前に座り手を鍵盤の上に置き、こう語っている。

「私は毎日愛して止まないこの協奏曲の冒頭を練習し続けてきた。でも未だに・・・・完全に満足できたことがない」

60年以上毎日(!!)弾き続けたというのに納得がいかないとは、本当に頭が下がる。クラシック音楽家の止まらぬ成長は、こういう謙虚な姿勢から来ているのだろう。孔子の「20にして・・・」という言葉を連想させる。

彼の言葉どおり、祈るように少し手を震わせながら鍵盤に手を置き慎重にでも決然と音楽が始まる。

実はバックハウス、その謙虚さから多くの個性的な指揮者たちと共演し録音している。
C.クラウス、クナッパーツブッシュ、カラヤン、S=イッセルシュテット。
しかしいずれもバックハウスのベストフォームとはいえない。
原因は指揮者がクセモノか場違いか支えきれていないか。

その違いがよく判るのが1楽章中間部のブリッジパッセージ。
どの指揮者との演奏でも淡々としているが、いかにベームの指揮の時に感じきったテンポ、音色で演奏しているか!

ベ−ムが指揮を執ったときのバックハウスは自分の呼吸の中で安心して音楽に没入している。感じ切った音色、パッセ−ジ、テンポ、リズムといったさり気無い小さな『成果』が積み重なると豊潤な音楽の源泉となり、驚くべき至高・至福の境地へと聴き手を誘う。彼のように謙虚に淡々と音楽を紡いでいくピアニストには一事が万事、演奏の生命力に関わる重要な問題。

この演奏は「何も為せずして全てを表現し尽くした」バックハウス真骨頂の至芸が堪能できる。

彼こそ真の音楽家であり表現者であると思う。
3. Posted by 和田   2022年07月27日 19:46
すみません。返信が途轍もなく遅れてしまいました(__)バックハウスとベームは表面的な美しさには目もくれず、素朴さを基調としながら、魂がそのまま語りかけるような意味深い名演を行っていることが映像を通じてよくわかりました。あらゆる音を同等に響かせて分厚い立派さを創造するバックハウス、熱っぽさに武骨な憧れを加味したベーム、と本当に素晴らしい演奏です。バックハウスとベームとの間にあるスタイルへの自然の合意が、密度の高いベートーヴェン演奏の一つの典型を生み出しています。何という両者の謙虚さ、お互いを尊重しあう温かさ、最上の遺産です。またのコメントお待ちしております。

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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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