2022年08月18日
まさに絶頂期のライヴ‼パリのブルーノ・ワルター完全版(1955年5月5日 シャンゼリゼ劇場 ライヴ録音)
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モーツァルト「プラハ」のワルターの演奏は造型的にも、細部の表情づけの点でも、すでに4年後のコロンビア盤の解釈を先取りしているが、あの演奏にオーケストラの張り切った厚みと、ワルターの若々しさをつけ加えた感じである。
それにしてもワルターのほとばしり出るように燃え立つエネルギーは、いかに実演とはいえ、まさにすばらしい。
フランスの会場は一体に残響に乏しく、オーケストラの音色にも艶がないが、聴いているうちに、その生々しさがかえって長所に思われてくる。
第1楽章の導入部からして、きりりと引き締まったテンポとリズムで素朴な表現を見せ、しかもその中でやりたいことをやりつくしており、表面的な洗練への意志は全くない。
ヴィブラートをいっぱいにかけた歌は、オーケストラがワルターの指示を、一生懸命に守っている感じだが、主部に入ると、非常なスピードとなる。
コロンビア盤も他の指揮者に比べれば速いほうだが、それさえ遅く思われるほどこれは速く、おそらくシューリヒトに匹敵するだろう。
その速いテンポによる生命力は、徹底的に歌いぬかれる旋律美によってさらに輝きを増し、第2主題でぐっとテンポを落とすロマンティシズムと共に、ワルターの「プラハ」を聴く醍醐味がここにある。
第2楽章も速めのテンポで、いささかも繊細ぶらず、思い切って旋律を豊麗に歌う。
美しさのかぎりであり、われわれは音楽に身を任し、ただただ陶酔するのみである。
しかも歌いぬくだけでなく、そこに胸がときめくような、えもいわれぬたゆたいが見られる。
フィナーレはその異常な速さ(シューリヒトよりさらに速い)に驚かされる。
オーケストラが合わないくらいのテンポだが、ことによると舞台に立ったワルターが、内部から突き上げてくる情熱によって、即興的にこのテンポを採ったのかも知れない。
実にスリル満点、誰しもが興奮を禁じ得ないであろう。
「ジークフリート牧歌」はワルターの数多い録音の中で最も魅力あるものの一つ。
それは弦の響きや音色にライヴならではの生々しい人間味があり、それを放送局のマイクが十二分にとらえているからである。
ワルターのこの曲への愛情がいたるところにみなぎっている。
造型的にも若いころほど逸脱せず、後のコロンビア盤ほどとりすましてもいない。
フランスのオケはホルンやトランペットが軽すぎるとはいえ、オーボエとクラリネットのデリケートな敏感さはさすがにセンス満点だ。
ブラームスの交響曲第2番には、いちいち採り上げるまでもなく、自分の好んでいるディスクがたくさんある。
この曲には、いつも皮肉や毒舌しか口から出てこないブラームスと違って、終始機嫌が良く、朗らかな作曲家の姿が映し出されているが、それにぴったりと合っているのが、このワルター&フランス国立放送管盤である。
ワルターの指揮は燃えるような情熱でオーケストラを引っ張っているが、オーケストラ側は引っ張られているというよりも、ワルターの音楽を完全に自分たちの響きとして消化吸収し、それを思い切り発散している。
これは指揮者とオーケストラの、ある意味では理想的な形であろう。
それに、オーケストラ全体の明るめの色調もこの曲にはふさわしい。
第1、第2楽章あたり、ワルターならではの幻想的な魅力にあふれた部分は多々あるが、それにしても凄いのはフィナーレで、このディスクの最大の聴きどころであろう。
恐ろしいくらいの超スピードなのだが、フルトヴェングラーやミュンシュのような暑苦しさや危険なスリルというものはなく、ひたすら爽快である。
スピード感も熱気もことによるとニューヨーク・フィル盤を上回り、コーダはいよいいよ燃え立って実演ならではの灼熱を見せるのである。
このときワルターは78歳だが、それを考慮すると信じがたい若々しさであり、最盛期のような名演と言っても過言ではあるまい。
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