2022年08月22日
拙ブログの読者には是非読んで欲しい『失われた時を求めて』(3)―花咲く乙女たちのかげにI 📚読者にとっては鬼門、読破できるか挫折かの章
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プルーストの超大作の三巻目は(私)のジルベルトへの愛の始まりから、純愛の中に昇華される終焉までが書かれている。
巻末の訳者あとがきで吉川一義氏自身が指摘しているように、この章を読み通せるかどうかがこの作品全体を読破できるかの鍵になっているようだ。
確かに四巻目からは遥かに読み易くなる印象がある。
何故ならこの章は健康的で活発な女の子ジルベルトへの思いが、ひたすら(私)の中で分析され、思い悩み、反芻されるという繰り返しが長々と続くからなのだ。
物語にドラマティックな展開はなく、むしろ淡々とした口調で現実と思い出が交錯するというプルースト特有のスタイルに付き合うにはある程度の根気がいる。
まして当時のフランスの富裕層や社交界にそれほど興味を持てない人にとっては、彼のアイロニックな視点や人々に対する細かい観察の価値を見出すことが難しいかもしれない。
しかし文章のいたるところに著者自身の哲学が記されていて、例えば「そもそも人生において、また人生の明暗が分かれる状況において、恋愛にからんで生じるどんな出来事であろうと、その一番いい対処法は理解しようとしないことである」もそのひとつだ。
また彼が愛したベートーヴェンの弦楽四重奏曲に関して「天才の作品が直ちに賞賛されることが少ないのは、書いた人が非凡で、似たような人がほとんど存在しないからである。そこで天才の作品自体が、その天分を理解できる稀有な精神の種をまき、そうした精神を育て増やしていくほかはない」とも言っている。
そして「天才的作品を生み出すのは、この上なく優雅な環境で暮らし、もっとも華々しい話術やきわめて広範な教養を身につけた人たちではなく、自分のためにのみ生きるのを突然やめて、自分の人格に鏡のような働きをさせる能力を獲得した人たちである」と続く。
このあたりはこの章を読むひとつの醍醐味だろう。
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