2022年11月13日
聴衆不在🎥カメラはひたすら📽️ムラヴィンスキーの指揮ぶりに迫る🎞️チャイコフスキー:交響曲第5番[DVD]🎦
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聴衆が不在でしかもカメラはひたすらムラヴィンスキーの指揮ぶりに迫っている。
聴衆不在の映像は、これまでにもいくつか紹介されているが、ここまで執拗に指揮者の動きに迫ったものは一般的にあまり例がない。
これは主に音楽家、特に指揮者を目指す若い人たちのための、いわば教育用として制作されたとの説もある。
ムラヴィンスキーは弟子をとらなかったが、ある時期までは「リハーサルこそ最大の授業である」と語り、学生たちに公開していたこともあったからだ。
そのため、このような〈最終リハーサル〉と思われる映像の制作に対してムラヴィンスキーもその意義を認めていたことは推測できる。
ここでもレニングラード・フィルの一糸乱れぬアンサンブルと尋常ならざる集中力がひしひしと伝わって来る厳格な演奏だ。
オーケストラのパートごとの音色を良く聴いていると、洗練し尽くされたという感じではなく、例えば管楽器の響きには何処か垢抜けないところがある。
中でもトランペットはいくらか余韻に欠けるような気がするが、彼らが一体になると個人の持っている力量が桁違いに増強されて壮絶なサウンドが醸し出されるところが恐ろしい。
それはまさにムラヴィンスキーの半生に亘るレニングラード・フィルへの修錬の賜物なのであろう。
また彼の常套手段でもあるヴァイオリンを指揮者の左右に分けた、いわゆる両翼型の配置から繰り出されるアンサンブルの妙も聴きどころのひとつだ。
チャイコフスキーは甘美で装飾的なエレメントを強調したり管楽器の咆哮を突出させてしまうと、音楽が安っぽくなってしまう。
その点ムラヴィンスキーのモチーフの有機的な繋げ方は見事で、終楽章に向けての着実な準備が第1楽章から感知され、その集中力の持続に全く弛緩がない。
最後に訪れるムラヴィンスキー独特のカタルシスまで鑑賞者を引き離すことがないのは彼のオーケストラへの統率力だけではなく、そこまで着実に聴かせていく徹底した準備と頭脳的で巧みな誘導があることは言うまでもない。
揺るぎない確固たる視点、それを支える絶え間ない努力、情熱、厳しさに頭の下がる思いがする。
言い換えれば、今後、この作品をこれだけ突き詰め、高い次元に持っていく演奏はそう簡単に現れることはないと考えられるのである。
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