筆者のこと

2022年07月09日


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筆者の実家ではとてつもない雷鳴、雷光、異常気象、そして停電が続いていた。

安倍さんを聖人に喩える気はさらさらないが、あまりにもイエス・キリストが磔刑された時の現象と酷似している。

遺体は東京の自宅に戻るが、報道を見ていると安倍さんが如何にフレンドリーな外交を展開していたのかが、各国首脳のコメントで分かるではないか。

筆者の海外の知人は米国、台湾、ロシア、インドのコメントは心に熱く感じたという。

特にアメリカの市民が銃撃はアメリカでは茶飯事だが、日本で起きたことにが大いにショックだという意見、そしてインドのモディ首相の弔辞も心に浸みた。

彼の教室にはインド人の地球物理家が居るが、彼もどうしてこんな事になるのか理解出来ず、安倍元首相の功績を激賞していたそうだ。

筆者も内政ではアンチ安倍だが、彼をして「正に地球儀を俯瞰する外交は立派でしたね」と言わしめている。

崩壊感がマーラーの音楽にぴったりであるが、だからといってマーラーなど聴ける状況ではないことは百も承知だ。

ショスタコーヴィチ交響曲第7番に続いて、ブラームスの交響曲第4番、シューベルトの後期作品が胸に染み渡る。

プーチン、トランプらが「私の真の友人」と嘆き悲しむ安倍さんは、百歩譲っても外交手腕は飛び抜けていた。

そりゃそうであろう、最近ようやく映像で明らかにしているが、苦しみ悩む人たちに対して、国籍を問わず、正気ではいられない表情を浮かべ、親身に寄り添った人である。

繰り返すが、金や権力、ましてや欲望を刺激する物なぞのためにやっていけないのが政治家なのだ。

それはともかく選挙なんてやっている場合だろうか?

民主主義の根幹が選挙というのなら、国民の大多数を占める老人は、もう選挙に行く体力、気力など残っていない。

読者に(リスペクトの気持ちを忘れたくない)あえて問いかけますが、特に真夏の異常気象にさらされている皆様、結果が見えている選挙なんぞやってる場合ではないのでは?

民主主義が根付いているのであれば、喪に服させてくれと言いたい。

世界のリーダーを失ってしまったのだ(嘘ではありませんよ)。

その証左に民主主義の先進国であり且つ同盟国のホワイトハウスでは半旗を掲げている。

聖書はどのように読もうが自由であり、ヒントを言うこと自体恣意的な気もしないではないが、小説のように、長すぎれば、マタイ受難曲に接してからでも遅くはない。

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2022年07月08日


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安倍晋三元首相が銃殺されるという事件を受け、病に倒れている場合ではない(まだ嗅覚がない)と痛感し、心よりご冥福をお祈りする。

かつて田中角栄御殿の近所に住んでいた者として言うが、安倍さんは金、権力、ましてや欲望のために生きた人では断じてない。

政治家はそんな物のためにやっていける仕事ではないし、筆者の母校の創設者は片足を失っている(母校の先輩、岸田総理がこのことを知らないはずがない)。

日本は長い経済のスランプに苦しんできたし、年間の自殺者数の痛ましいデータ、企業倒産も高水準、悲観論者の中には、明日にも日本が沈没してしまうような予測をする方々もいる。

皆様の生活はどうだろう?

お先真っ暗だといいたい方は日本のGDP(国内総生産)を調べてみよう。

選挙が迫っているのでどうしても経済政策に目が行ってしまうが、国民の1400兆円と企業の内部留保あっても、国の借金はもうそれに迫っている。

アベノミクスで格差が拡大してしまった感も有り、外から見ると旨く回っておらず、もはや世界一の資産国ではない。

但しバブルに浮かれて不良債権だらけになった銀行は、米国国債や米国の主要株式を大量に保有している。

あり得ぬ話だが、仮に銀行がこの米国債を叩き売れば、米国経済は大混乱に陥るだろう。

むやみに卑屈になるほど弱い国どころか、そりゃ十分に世界屈指の経済大国ではあり、なるほど不安や不満はあるものの、現在の仕組みをすべて叩き壊すのには程遠い状況だ。

悪事を働き捕まった中国人が「カネはあるし、(捕まっても)罪は軽く、この国は天国だ」と嘯いたそうだが、あながち的外れではない。

そのような豊かな国のシステムがどんでん返しのように変わるわけがない。

今後予測されるのは世の中が自由放任よりも秩序重視へと動いていくというこの流れはしばらく変わらない。

歴史とはつまるところ緊張と弛緩の繰り返しであり、ある程度行き過ぎて、あれこれと弊害が出るまではベクトルは逆には向かないからだ。

現状を見る限りでは、このベクトルが反転しそうな気配は感じられない。

ごく少数の人や、ケチをつけ不平を並べることを日々の生業にしている人々を除けば、誰しも現在のシステムを根こそぎ引っ繰り返そうとするほどの不満は抱いていないに違いない。

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2022年05月29日


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およそあらゆる伝説と言われるものには何がしかの原体験や史実があり、それを核にした多くの人々の心理的な昇華がその形成に深く関わっているということが本書によって理解できる。

それは著者の言葉「庶民は苦難を無意識のうちに濾過させ、突き放した形でひとつの伝説の中に凝縮させる」に要約されていると思う。

更に伝説の非合理性を暴いてこれを大衆の無知がゆえに信じられた虚構とする啓蒙主義者達に対して、「民衆にとって長い年月の辛苦の中から滴り落ちるようにして生み出されてきた虚構の方が、無味乾燥な史実よりも重い意味を持っている」と述べている。

伝説はまた口述という形で伝えられていく宿命を持っている。

それが筆記され、不特定多数の人に読まれる時点で既に伝説本来の姿は変容せざるを得ない。

何故ならそれによって語り手のスピリットは失われ、往々にして読者は物語の展開にのみ興味をそそられてしまうからだ。

それゆえ研究者も伝説を育んだ社会とその時代の庶民の心情を無視して厳密な事実関係だけを合理的なデータで調査しようとすると、その姿はごく稚拙なものに見えてくるだけでなくストーリーの精神的な支えが雲散霧消してしまう。

それが『ハーメルンの笛吹き男』の研究で著者が最も力を入れて訴えていることではないだろうか。

伝説にはそれを生み出すだけの強いスピリットが宿っていて、その謎を解明するには史実はもとより彼らの精神史を辿る方法が不可欠だと著者は考える。

ここではむしろ130人の子供たちが消え去った時代の社会的な検証と、貧窮に喘いでいた人々の燻ぶるような情念への一種の共感が、過去とは異なった方面からの研究を前進に導いたと信じたい。

それまでとは異なった包括的な究明を試みたのが、最後の章に詳述されているシュパヌートとヴァンの2人だ。

彼らはハーメルンの伝説が示している本質的な部分が本来考察されるべき道筋から逸脱し、安っぽい教訓話に陥っていることを図らずも認識したことから新たな展開をみせる。

しかしそれはようやっと20世紀になってからのことだ。

この著書はこれまで自分自身が漠然と抱いていた伝説解明への明晰な方向を示してくれた研究として高く評価したい。

それは本書の執筆に携わった阿部氏自身の発見でもあり、また彼が痛感した過去のさまざまな解釈に関する歪曲の実態を強く警告しているように思える。

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2020年10月25日


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音響に独自のポリシーを掲げてオリジナル録音によるさまざまなメディアをリリースしている独タチェット・レーベルからの1枚。

このディスクはブルーレイ・オーディオのためのサラウンド・システムのチューニング・ディスクとしては殆んど唯一で、そのサウンドの特長を自分のシステムに最大限活かすべく調整できるように工夫されている。

3部分に分かれていて、先ず第1部では音楽ではない音響や効果音を聴く、興味深い『スナック』がおかれている。

ピアノの音像がスピーカーの間を目まぐるしく動くトラック1。トラック2はダイナマイトの炸裂音、続いてトラック3はヘリコプターの飛来、更にトラック4にサッカー・スタジアムの観衆の声援が収録されている。

この部分は丁度サッカー選手が競技場での試合中に聞こえる観客席からの波打つようなどよめきやゴールを決めた時の怒号が臨場感を高めていて秀逸。

第2部はクラシックの名曲を使ったサラウンド効果のデモンストレーションで、ここにタチェットの音響に対する独特のポリシーが表れていて面白い。

鑑賞者をオーケストラがぐるりと取り囲んだ形での演奏になり、実際のコンサートでは有り得ない聞こえ方だ。

それを不自然と言ってしまえばそれまでだが、オーディオは元来虚構の音響世界であり、個人的にはこうした再生方法を認めるのであれば、それだけ鑑賞の楽しみも倍増するだろうと思う。

例えばサンプルの1曲バッハの『マタイ受難曲』ではオルガンが正面に位置してその左右に管弦楽、鑑賞者の耳の左に第1コーラス、右に第2コーラスという配置になっている。

第3部はテスト・セクションで、オーディオ機器のバランス調整に役立てることができる。

ここに収録されている多くのサンプル曲をそれぞれの方向からモノラルで流して、リスニング・ルームの形や大きさ、あるいは材質などによってスピーカーの位置や音量ボリュームを矯正することができるように工夫されている。

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2020年04月14日


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2009年5月に亡くなった音楽評論家、黒田恭一氏への追悼出版となった。

幅広いジャンルの音楽を聴き、そして書いた著者だったが、中でも最も愛着をもって接していたのがオペラの世界で、99年から3年間に亘って『レコード芸術』誌に連載されたものを再編纂した単行本だ。

尚巻末には友人の浅里公三氏が本書で紹介されているCD、DVDの一覧を付け加えている。

オペラの登場人物中35人の役柄には誰が最適かという興味深い課題をもとに、それを『源氏物語』の雨夜の品定めになぞらえて考察している。

しかしベスト・キャストに選ばれるのは勿論女性歌手ばかりではなく男性も、また時としてはカウンター・テナーにも話題が及んでいる。

黒田氏は通常ビギナーのための推薦盤としては、比較的新しい録音で手に入りやすい優良盤を挙げることを鉄則としていたようだが、本書では一時代を画した、いわゆる往年の名歌手達が続々と登場する。

その理由は、オペラ歌手は役者として、しかも如何に声で演技ができるかという高度な問題を抱えているために、それぞれの役柄を理想的に歌える歌手はそれほど多くなく、時代を広げた考察が必要になるからだろう。

それだけにここに紹介されたメディアは初心者だけでなく、オペラに精通したコレクターも満足させる内容になっている。

文章は彼らしく平易で独特のユーモアが感じられるが、登場人物の役柄への観察は鋭く、また歌手に対して要求する条件もかなり厳しい。

例えばカルメンやトスカに求められているのは歌唱技術ではなく、女優としての表現力だとしている。

いくら美声に恵まれた歌手でも、そうした条件を満たすのは並大抵ではないが、当然そこにはマリア・カラスの名前が挙がる。

一方ヴォータンの理想はハンス・ホッターで、軽く明るいバス・バリトンで歌われる最近の風潮をからかって「わからずや親父の癇癪」にしか聞こえないと皮肉っているのは痛快だ。

またドン・ジョヴァンニでは個人的な出会いを認めながらチェーザレ・シエピに軍配を上げている。

いずれにしても、どれほど優れた歌手を主役に据えても、指揮者、オーケストラ及び脇役が手薄ではオペラは盛り上がらないし、また役によってはその人物の解釈の仕方が一通りでない場合もある。

そうした事情もあって、過去に録音されたものから一曲のオペラにつきベスト・キャスト盤を一組だけ選考するのは実際困難で、本書でも複数のCDが考慮されている。

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2019年10月12日


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専門的なチェック機器やメーターを使うことなく、家庭のオーディオ空間や機器をある程度本格的にチェックできる簡易なディスクであることを評価したい。

SACDバージョンに関しては、音質を聴き比べるためのサンプラー盤は幾つかのメーカーからリリースされているが、細かい検証ができて鑑賞のための基本的な改善が可能なディスクは今のところこれが唯一だろう。

先ず左右片側ずつ及び両側同時チャンネルでスピーカーの接続エラーがないか確認後に、中央からブレのない信号音が聞こえてくるか位相をチェックし、スピーカーの位置関係を矯正することによって正しい音場が得られる。

部屋の形がシンメトリーでなくても、ある程度はユニットを的確に移動させることでコンサート・ホールの音響に近づけることができる。

それからピンク・ノイズを使った音色調整をしてから、音域ごとの帯域バランスをチェックするのが最も基本的な事項だろう。

更にリファレンス信号と周波数スイーブ・セクションが続くが、ここでは自分自身の聴覚の検証を行うことにもなる。

サラウンドを装備している方には同様に5,1chのそれぞれと全チャンネルからの信号を正確にキャッチするための調整が可能だ。

パイプ・オルガンの低音部の響きにはサブ・ウーファーの位相の確認も重要だろう。

一通り基礎的なチェックを終えてオーディオ環境を改善した後は、後半のデモンストレーション音源で、どの程度音場やバランスが改善されたかを鑑賞しながら確認できる趣向になっているが、この音源も勿論2チャンネル用とサラウンド用の2種類が収録されている。

サンプルはクラシック音楽が殆んどだが、さまざまな楽器によって編成されているオーケストラやソロの音源で音場や定位、音色などを調節することは他のジャンルにも応用できる。

1曲だけがカーティス・フラー・クインテットによるモノラル録音も含まれているので、中心が定まっているかどうかこの演奏で検証できる。

またこのディスクはハイブリッド仕様なので、レギュラー・フォーマットCDとSACDの音質の差や音色の滑らかさの違いも1枚で試聴可能だ。

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2018年12月18日


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2012年2月に鬼籍に入ったモーリス・アンドレのEMIへのセッションをまとめた13枚組のボックス・セット。

彼の没後ユニヴァーサルからも6枚組の追悼盤が逸早くリリースされたが、そちらのほうは曲目の殆んどがバロック音楽に絞られている。

それに対してこのEMI盤の中心となるのはテレマン、タルティーニ、ハイドン、フンメルに代表されるバロックから古典派にかけての42曲の協奏曲(協演者の異なる同一曲や編曲物を含む)が収録されている。

CD1はカラヤン、ベルリン・フィル、CD3はへスス・ロペス=コボス、ロンドン・フィル、CD4はネヴィル・マリナ−、アカデミー室内、そしてCD5はムーティ、フィルハーモニアと錚錚たる協演者が揃っている。

その他にビーバーのソナタからオペラ・アリアの編曲物、映画音楽からポピュラー・ナンバー、ジャズからムード・ミュージックまでおよそありとあらゆる小品を吹きまくった、気さくで最も彼らしいアルバムになっているのが特徴だ。

勿論彼の膨大なレパートリーを一通りカバーするセット物が欲しい方はエラートから刊行された全4巻計24枚の全集も選択肢のひとつだが、コスト・パフォーマンスとバラエティーに富んだ選曲の面白さから考えると、このセットが理想的で入門者にもお勧めできる。

彼は筆者の少年時代から既にトランペット界のスターだったし、持っていた音楽性の違いを別にすればホルンのデニス・ブレインのような絶対的な存在だった。

ブレインの生演奏に接することは全く不可能だったが、モーリス・アンドレは幸いコンサートを聴くことができた演奏家の一人で、初めて聴いた演奏会ではその名人芸と聴衆の熱狂に圧倒されたものだ。

彼のトランペットについてはもはや多くの言葉を必要としないと思う。

柔らかく、しかも明るく輝かしい音色とどこまでも軽快で天衣無縫な幅広い表現力、そして目の醒めるような超絶技巧であらゆるジャンルの音楽をオールマイティーにこなした天才というイメージが、彼の体格の良さと人懐っこい顔立ちと共に強く印象に残っている。

アマゾンのページの写真ではボックスが正立方体のように見えるが、実際には13X13X厚み5,5cmの大きさで、先にリリースされたデュ・プレの全集と同様に横に引き出すタイプのしっかりした装丁。

ブックレットは43ページで、モノクロ写真がほぼ12ページ分、そして18ページ目以降に曲目と録音データが掲載されている。

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2018年04月21日


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ペイターの『ルネサンス』は学生時代に初めて読んで、彼の芸術作品への魅力的な解釈と大胆な論法に惹かれたが、著者が採り上げている時代の美術や文学に精通していなかったために、かなり敷居の高い思想書という印象があった。

しかし本書に紹介されている作品を実際に鑑賞し、またネットを通じて総てが検索できるようになった現在になって、ようやっと彼の批評の精神、つまり人々を啓蒙する批評家としての活動の真価を見出せるようになった。

ペイターの記述の中には、サンプルとして説明されている作品の作者がしばしば誤って示されているが、当時ではまだ知り得なかった事情があるので許容範囲とすべきだろう。

いずれにしてもルネサンスが我々にもたらした啓蒙精神を明かす息遣いや人間性の回復を高らかに唱えていて、後の時代に与えた影響も絶大であったことを証明する一冊だ。

本書には写真や図版などの掲載は皆無だが、入門者のためにはある程度のイメージが必要だろう。

記憶違いでなければ、ワイルドが称賛した同書にもカラー図版が付いていた筈だ。

それぞれの章でルネサンスに関わった人物とその作品が論じられていて、それは現代にも通用する鋭利な視点からの洞察に貫かれている。

最終章に置かれたドイツの古典学者ヴィンケルマンへの考察は圧巻で、確かに彼はルネサンスの時代人ではないが、その精神を実生活においても証明する結果になった彼の人生へのペイターの共感が滲み出ている。

ヴィンケルマンは貧しい家庭の出身だったが自身のギリシャ、ローマの古典作品への並外れた理解力とおよそ真似のできない情熱で、そうした作品群の価値を明らかにしていく。

目標達成のためには省略できるものは総て省き、いよいよ古典の宝庫ローマに向かうためにカトリックへの改宗を果たして、その地に12年間滞在することになる。

後のゲーテを筆頭とするその後のドイツ文学が彼から受けた影響はまさにルネサンス的と言えるものだろう。

ヴィンケルマンは『芸術の美は、自然の美よりも高度の感受性を必要とする....』と書いている。

それはワイルドの『自然は芸術を模倣する』に受け継がれた哲学ではないだろうか。

自然界が神によって創造されたものであれば、プラトンがイデア論で展開した『現世はイデアの世界の影が映し出されたところ』という意味でも理解できるし、芸術が自然に対して優位に立つ創造の源泉であることも認識される。

だからその原点からある種の霊感を得て創り出されるのが芸術作品であり、自然を模倣するだけの作品は芸術作品とは言えない。

こうした思考はルネサンス的発想に支えられているが、それは古典研究から得られた成果であるに違いない。

中世とルネサンスを分けることができるとすれば、その時代に生きたアーティストや科学者たちが時代を切り拓く最先端に立っていたことを自覚していたか否かがその境界線になるのではないだろうか。

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2017年01月10日


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クラシック音楽ファンにはお馴染みの稀代の音楽評論家、黒田恭一氏がカラヤン、バーンスタイン、カルロス・クライバーからマイルス・デイビス、ピアソラまで、35名のアーティストとひとつのアンサンブルに礼状を書くという想定で綴られたエッセイ集で、それが取りも直さず音楽への礼状としてまとめられている。

同氏の著書の中でも彼の人柄の温かさと、それぞれの人を見極める鋭い洞察がひときわ感じられる作品で、音楽をきくことをこよなく愛し、音楽の輝きをひとりでも多くの人と分かち合うことを切望し続けたひとりの音楽評論家の音楽への深い愛と洞察に満ちた名著である。

ただしこの本の発行が1990年で、著者(1938-2009)も含めてここに登場するアーティストの多くは既に他界している。

黒田氏はフランコ・ボニゾッリをテノール馬鹿の典型としながら、イタリア・オペラの醍醐味はまさにそこにあると断言している。

それは決して蔑視ではなく、自分の声の温存を顧みないサービス精神を潔しとし、聴衆を満足させる術を讃えているのだ。

またカルロス・クライバーには、彼の天才的資質を充分に認めながらも、一方では彼の欠点をも見事に見抜いている。

彼に欠けているのは父のE・クライバーにはあった傷つく勇気だと指摘していて、それは音楽上の欠点ではないにしろ、その視点は非常に興味深い。

マリア・カラスの項では、インタビューを断ってきた彼女の寂しげな一瞬の表情から著者は総てを悟っている。

カルロ=マリア・ジュリーニは、彼の野暮と紙一重の誠実さを褒め、自分の大切な万年筆をお釈迦にされ(筆圧のせい?)ても、その万年筆を宝物として大事にしまっておくという興味深いエピソードがある。

ヘルベルト・フォン・カラヤンについては、全盛期の颯爽とした姿を知っているだけに、晩年の介添人に付き添われ登場した時のカラヤンに対する感情、マイルスに対して、バック・ミラーを捨てて走り続け、寂しくありませんかと問うその感情・・・など挙げていけばきりがないが、総て文字通り黒田氏の温厚な性格が良く出ている。

そこにはもちろんそれぞれのアーティストに対する鋭い観察に裏打ちされている事は言うまでもない。

黒田氏は「きく」という行為の本質をわきまえていた数少ない評論家のひとりだったし、彼にとってそこにはジャンルも境界も存在しなかった。

そしてその喜びをひとりでも多くの人と分かち合うことを心から願っていたし、自分がその仕事に携わっていることへの感謝の気持ちを忘れなかった。

本文中でも「どのような音楽に対しても、感謝の気持ちを胸にたたんできいていきたい、と思う。感謝の気持ちを忘れてきかれた音楽は、いかなる音楽も、ききてにほほえみかけない」とし、クラシック、ジャズ、ポピュラー、中南米音楽……と、ジャンルを問わず、絶えずみずみずしい感性で音楽と向き合い続けたことが理解できる。

文章について言えば、彼は思いついたことをそのまま書き下ろすことはしなかったように思う。

解りにくい言い回しや、むやみな漢字の使用は故意に避けている推敲が窺えるからだ。

また本書を読めば一部の人が黒田氏の批評は生ぬるいと言うのが全く表面的な見解であることも理解できるだろう。

思えば黒田氏は筆者の恩師であり、授業以外の面でも学生達に協力を惜しまない優しい方だった。

東中野のお宅に初めて伺い、地下のオーディオ・ルームに案内された時の驚きを今でも忘れることができない。

部屋の側面には無数のLPが几帳面に整理されて収納してあり、呆気にとられて溜息をついている筆者に、「欲しいのがあったら、ダビングしてやるよ」と気さくに仰ってくれたことも記憶に新しい。

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2015年07月10日


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本著は、不世出の音楽評論家吉田秀和が、世界の名演奏家に光をあて、その芸術の特質とあふれる魅力を明晰に語った作品。

この評論集には23人の器楽奏者、7つの弦楽四重奏団及び17人の声楽家について彼らの演奏への評価とその特質や印象などがまとめてある。

特に、入門者が鑑賞する際に聴くべきポイントは何処にあるか、そしてCDその他のメディアを選択する時、先ず誰の演奏が妥当かなど実用的なガイド・ブックの側面と、一方ではクラシック音楽の将来への展望を示した吉田哲学が随所に滲み出た貴重なエッセイ集としての価値がある。

それは吉田氏の鋭い洞察力と圧倒的な経験や知識が、対象となる演奏家のスピリチュアルな領域にまで踏み込んだ全体像を見抜いているからで、私自身著者と意見を共有できる部分が非常に多く、クラシック鑑賞のための心強い指針となってくれる。

吉田氏の文章はいつもながら平易かつ穏当な口調で、楽譜を掲載して解説することは最小限に抑えている。

そして吉田氏の考察はあくまでも提案という形で提示され、決して読者に強制するものではないが、それには確たる根拠があり充分な説得力を持っている。

私達が批評家に求めるものは啓蒙であって、演奏家への毀誉褒貶ではない筈だ。

音楽家への好みや巧い下手だけをあげつらうことは安易な行為であるにも拘らず、それだけを書いて批評家を名乗る人も往々にして見かけるが大切なのはその理由で、楽曲を分析して分かり易く説明して演奏のあるべき姿をより多くの人に伝える努力が望まれる。

その点についても吉田氏は一点の曇りもなく冷静沈着に書いており、特に我が国においては、吉田氏のように好き嫌いを別にして公平に指揮者を評価できる音楽評論家は数少なかった。

ただ筆者にとって惜しむらくは、声楽家はドイツ系あるいはドイツ物をレパートリーにする歌手が多く、イタリア・オペラやフランス、スペイン物で活躍する人達がほとんど取り上げられていないことで、それは吉田氏の音楽鑑賞に対する嗜好である可能性が強いが、あえて彼が書くことをためらったジャンルなのかも知れない。

本文中では吉田氏は自分より巧く表現できる人や批評家をためらいもなく挙げているのも潔いが、それは彼が音楽を理知的な基盤の上に展開する感性の昇華として受け止めていたからではないだろうか。

ともすればそれとは対極的な情動的で感性が一人歩きするようなラテン的な音楽は、かえって彼にとってアナリーゼやその評価を下すことが困難だったのかも知れない。

本文は書下ろしではなく、著者生前中に音楽誌への連載やLPやCDのライナー・ノーツ用に執筆されたもので、下記のアーティストが含まれている。

弦楽器奏者ではミルシテイン、シェリング、ヴァルガ、スーク、ヘッツェル、パールマン、クレーメル、ミンツ、ムター、ヴェンゲーロフ、メニューイン、スターン、バシュメット、今井信子、カザルス、シュタルケル、ロストロポーヴィチ、ビルスマ、マイスキー、ヨーヨー・マ、デュ・プレ、鈴木秀美、ケラス。

弦楽四重奏団はジュリアード、メロス、リンゼイ、東京、ドーマス、ハーゲン、フォークラー。

声楽家はキリ・テ・カナワ、フォン・シュターデ、バトル、ヘンドリックス、オッター、シェーファー、コジェナー、ホッター、へフリガー、フィッシャー=ディースカウ、プライ、シュライアー、ベーア、アライサ、ターフェル、マティス、フェリアー。

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2008年05月12日


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2008/4/17 ヘラクレスザール、ミュンヘン
SEMYON BYCHKOV, Leitung (昨日はプログラムにDiligentと書いてあったのだが・・・)
EMANUEL AX, Klavier (こちらも表記が違う。どちらも古風な言い方のような気が。)
SYMPHONIEORCHESTER DES BAYERISCHEN RUNDFUNKS

フレデリック・ショパン  ピアノ協奏曲第2番 OP.21
フレデリック・ショパン  ノクターン第13番(アンコール)
---------------------------------------------------------
セルゲイ・ラフマニノフ  交響曲第2番 OP.27

ショパンの2番は恥ずかしながらあまり熱中して聞いたことが無かったが、こんなに素晴らしい曲であったとは。アックスは特にエスプリが効いている訳では無いのだが、曲の良さを丁寧に伝える弾きぶりで十分満足させられる出来、来シーズンも招かれているようだが、ウイーンのブフビンダーといい、日本でスターで無い人がある都市では大スターだったりするから面白い。
昨日とは違い体した期待をして望んだ演奏会では無いのだが、こういう素晴らしいものに出会えるから音楽旅行はやめられない。
ヘラクレスザールは、シュターツオパーも入る旧王宮に一部ある演奏会場だが、実に豊かで温かい音を育むホールであり、バイエルン放送響の品格溢れる繊細な表現は、この音響環境でこそ生まれるものと確信した。先に小さなセヴェランス・ホールでブーレーズ/クリーブランド管弦楽団で新ウイーン学派の演奏会に訪れた際も、なるほどクリーブランドのヨーロッパ風の音楽性溢れる演奏はこのホールの賜と溜飲の下る思いをしたのを思い出す。
観客も音楽を聴きに来ているという思いが強く感じられ、楽章間に咳一つしないのには驚いた。温かく熱心ではあるが、決して粗暴ではない拍手が続く中、当たり前のように、ノクターンの中でも地味な13番がアンコールで奏され、豊かな思いで前半が終了した。
ラフマニノフは正に自家薬籠中のもの。細部までビシュコフの意図するデュナーミクが行き届き、クライマックスの描き方も単に情熱に流れず、抑えるところは抑え、聞かせるところは聞かせる充実した表現で、内声の扱いも実に丁寧で素晴らしい。これを超えられるのはザンデルリンクのロマンだけか。気が付くようなカットは無く、演奏時間は1時間ぴったりであった。ビシュコフはこれまで軽視して聞いてこなかったが、この旅後半での思いがけない再会時もそうだったが、実に入念な音楽作りで指揮能力も高い。これからはもう少し聞く機会を増やしてみようと思う。

この日の昼は、私が欧州一だと感じている鮨屋TOSHIにて43ユーロと少し高いが、十分満足できるTOKUSENを頂く。夕方小腹がすいたところで、Franziskanerともう一つミュンヘンを代表するビールとして有名なAugustinerが美味しいAugustiner GrossgaststatteでEdelstoffを飲む。ここにもWeisbiarはあるが、やはり晩飯を食べたZum FranziskanerでのHefeweiss Biarが最高。定番の酢漬けソーセージサラダ、ブルスト・ザラ―トを食らい大満足の夜であった。

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何時もは旅行記などを書くマメなタイプの人間ではないのだが、折角気合の入った音楽旅行を毎年やっているのに、コンサート記録帳を見ないと思い出せない状態に陥っているのに気付き、今回は自分の記憶を深める意味合いも込めて、感じたことを書き綴ることにした。

ミュンヘン

4月16日から約20日間の旅程の第一番目の年はミュンヘン。昨年はバイエルン・シュターツオパーでケント・ナガノ指揮の「サロメ」と「不思議の国のアリス」初演を観劇し、一時はドイツ・ワースト劇場との評に甘んじていた名門の復活・隆盛に胸躍ったものであったが、今年はオペラは無し、宿もシュターツオパーの裏のフィア・ヤーレスツァイテンでは無く、ガスタイクセンター裏のヒルトン・シティである。

2008/4/16 ガスタイク・フィルハーモニー、ミュンヘン
CHRISTIAN THIELEMANN, Dirigent
RENEE FLEMING, Sopran
MUNCHENER PHILHARMONIKER

ハンス・プフィッツナー   劇付随音楽「ハイルブロンのケートヘン」序曲 OP.17
リヒャルト・シュトラウス  4つの最後の歌 OP.AW150
---------------------------------------------------------------------------
リヒャルト・シュトラウス  「エジプトのヘレナ」第2幕から
アルノルト・シェーンベルク 浄夜 OP.4

ルネ・フレミングは声は小さいが、繊細な声の変化や豊かな表現力で聞かせるタイプで何度か聞いたことがある。今回は4つの最後の歌、しかもティーレマンの指揮ということで期待に胸膨らませて行ったのだが、残念ながら満足感は得られなかった。彼女がいつも以上に繊細な表情付けをしようと抑えた声量で歌うのに加え、ガスタイクの貧弱な音響が手伝って全く音楽が伝わってこない。しかも2列目の席であったのが更に悪かった。以前後方の席でマーラーを聞いた時には十分聞こえたが、このホールは曲を考えて席を取らなくてはいけないようだ。ただ、エジプトのヘレナではリラックスして十分聞かせてくれた。声は出るということだ。
4つの最後の歌に関しては、折角の耽美的な場面が、殆ど憧憬を得られぬまま、何とかフレミングの表情を聞き取ろうとするところで終わってしまった。
ティーレマンは良い流れの時があったかと思うと、つまらなく音楽が停滞してしまう場面があるし、やはり指揮の下手さが気になる。齋藤秀雄のしゃくり上げに似た、膠着した縦の動きが頻発し、表現に関する動きが全く無い上にリズムが死んでいる。浄夜は殆どの場面はよかったが、やはりたまにそういう場面に出くわす。後半アダージョのチェロで始まる主題の部分は、オーケストラに助けられた。やはりドイツオケのチェロは心が篭っている。これが無かったら欲求不満のまま帰るところであった。
夜はホテルのレストランでシーズンのSpargel(=白アスパラガス)を、愛飲のFranziskanerのWeisbiarで頂く。小サイズでも大きなアスパラ5本であったから、ドイツではやはり量に気を付けなくてはいけない。

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まずは旅程から。

4月16日 7:40タクシー 品川8:14-横須賀線-東京8:22 8:30-(Nex11)-9:29第1ターミナル
Apr.16(Wed)NRT10:55-(OS52)-15:55VIE16:45-(OS115)-17:45MUC Hilton City
20時ミュンヘン ミュンヘン・フィル 浄夜、ヘンツェ、4つの最後の歌

4月17日 20時ミュンヘン バイエルン放送響 ショパン、ラフマニノフ2 Hilton City

4月18日 MUC11:25-(LH1116)-LRJ12:30 列車15分
20時 ゲヴァントハウス リゲティ、マーラー4 Renaissance

4月19日 Apr,19(Sat)LEJ10:40-(AF1617)-12:20CDG Holiday Inn Bastille
20時パリ・バスティーユ ヴォツェック

4月20日 10:55 Gare du Nord-12:17 Brussels Midi ベルギー王立美術館
15時-17:30ブラッセル・モネ メデー/ルセ
19:30 Palais des Beaux-Arts La Fida Ninfa/スピノージ Scandic

4月21日 20時Palais des Beaux-Arts ファウスト/アーノンクール     Scandic

4月22日 8:27 Centraal-9:03 Gent, St.Baaf, MSK Gent, 11:24 Gent-12:00 Centraal
13:16 Central-13:34Aeroport BRU15:00-(SN2585)-16:25TXL  Adlon
7:40タクシー 品川8:14-横須賀線-東京8:22 8:30-(Nex11)-9:29第1ターミナル
Apr.22(Tue)NRT10:55-(OS52)-15:55VIE16:30-(OS7265)-17:40TXL 
20時ベルリン・フィルハーモニー ラトル・BPO

4月23日 19時ベルリン・シュターツオパー ペレアスとメリザンド Adlon

4月24日 Apr.24(Thu) TXL11:55-( AP4215)-13:30 LIN
15:00 Santa Maria delle Gracie  Bulgari
20時ミラノ・スカラ マクベス

4月25日 20:00 Aimo e Nadia Bulgari

4月26日 9:05Milano Centrale-IC611-12:09Venezia Santa Lucia Locanda Vivardi
13:30 Osteria alle Testiere 15:00 SMd Miracoli, Ss. Giovanni e Paolo, Scuola di S.Girogio
19時ヴェニス・フェニーチェ セビリアの理髪師
22時夕食 Antico Martini

4月27日 16:00-17:00 Peggy Guggenheim 17:30-19:15 Galleria dell’Accademia
19:30 Ai Gondolieri Locanda Vivardi

4月28日 12:43 Venezia-ES9473-15:22 Firenze SMN
15:57 Firenze SMN-17:14 Pisa S. Rossore 18:20 ピサの斜塔
19:07 Pisa S. Rossore-20:33 Firenze SMN 21時夕食 Baglioni

4月29日 ボローニャ ノルマ Baglioni

4月30日 サン・マルコ美術館(8:30-13:50) Baglioni
16:30 Galleria degli Uffizi
20時フィレンツェ カルメン

5月1日  Mar.1(Thu)FLR07:05-(OS538)-09:00VIE Radisson SAS
17:30-22:30 ジークフリート

5月2日 19:30-22:15 死の都 Radisson SAS

5月3日 ウイーン 15:30ヤンソンス、19:00-23:15フィガロ Radisson SAS

5月4日 May.04(Sun)VIE14:05-(OS51)-08:15+1NRT 車あり 

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2008年02月20日


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読者の方は私をクラシック一辺倒の固い人間だと感じてらっしゃるかもしれないが、実は人知れずビートル・マニアでもある。

「ザ・ビートルズ/サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、1968年にビートルズが打ち立てた、音楽ジャンルを超越した一枚。

テープによるマルチ・トラック録音、LPサイズによるコンセプト・アルバムなど、この時代を代表する方法論が全面に打ち出され、さらにロックを基盤としながらクラシックやジャズや民族音楽や現代音楽など様々な音楽要素を万華鏡のようにちりばめたトータル・アートの指向が全編に満ちている傑作である。

もっとも、本人たちはそう大層なことをやろうと思ったわけではなく、ちょっとみんなを驚かそうという遊びのつもりだったのかもしれない。

しかし、結果的にはクラシックとかポップとかいう次元を越えた20世紀を代表する名作の一つとなった。

ロックがクラシックの音楽家にも一目置かれるようになったのも、このアルバムがきっかけ。

クラシック音楽のブログにロックの名盤を混入させたのは、そんな理由から。

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2008年01月14日


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わたしたちは、ぜいたくになってきた。たんに物質的なぜいたくということだけではなくて、ぜいたくな時間、ぜいたくな空間を体験したいと思っている。

そのひとつの現われとして、音響も雰囲気もいいホールで、いい音楽をゆったりと楽しみたいという欲求も出てきているのだろう。

すると、これは下品な音楽ではいけない。やっぱりここは、クラシック音楽に登場してもらわなければなるまいということになるのである。

たしかに、クラシックは軽く聴かれるようになった。近寄り難い権威というのはなくなっただろう。

しかし、品のいい高級な音楽というイメージ、ハイ・アートとしての権威は、依然として保持されているのではないだろうか。

だからこそテレビCFが《高級感を出すために》クラシックを使ったりするのではないか。

言い換えれば、クラシックは近寄り難い権威から近寄り易い権威になったのである。誰もがカジュアルに楽しめる高級品になったのである。

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2008年01月13日


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20年くらい前と比べてみると、今わたしたちを取り巻く音楽は、驚くほど多種多様になってきている。

十分に多様化されたとは言わないが、それでもずいぶんといろいろな音楽にたくさん接することができるようになった。

その結果、当然のことながら、わたしたちの耳は鍛えられた。あるいは、べつの言い方をすれば、耳がぜいたくになってきたのである。

だから、ありきたりの薄っぺらな音楽では、もう満足できなくなってきている。ちゃちな音楽に、ぐらっと心動かされるというようなことが減ってきている。

また、いろいろなタイプの音楽を聴きたいという思いが強くなってきている。ワン・タイプの音楽だけでは、どうも飽きてしまうのである。

そこで、さまざまなジャンルを越境しながら、本当にぐっとくるハイ・クオリティの音楽を捜そうという志向が出てくる。

すると、そこにクラシック音楽があった。ここをよけて通るのは損である。もともとジャズやロックを聴いていたような人たちがクラシック音楽に耳を向け始める。

いわゆるクラシック音楽ブームの一角は、そういった層によって支えられているのであろう。

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2008年01月07日


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つまり、前項でも述べたようにオーディオは生演奏の代用品ではなく、それ自体が独立した音楽の聴取形態なのである。そして、オーディオがあって初めて普及するようになった音楽ジャンルも存在する。

例えばチェンバロやクラヴィコードあるいはリュートなどは音量が小さく、とてもコンサート・ホールで演奏できる代物ではなかったから、19世紀には全く忘れられてしまった。しかしオーディオのおかげでこれらの楽器の個性が再認識されるようになってきている。

オーディオのもうひとつの特徴は、CDやDVDでは繰り返し聴くことができる、という点にある。特に大規模な管弦楽曲などは、1回聴いただけでとらえられるものではない。2回、3回と聴くうちに、細部の微妙な表現から全体の構築性に至るまで、作品がより明確になってくるものである。

これはオーディオだから可能なのであって、もし一生のうち一回しか聴けない状況であれば、作品の理解ははるかに浅いものとなるだろう。

「何回も聴けると思うと真面目には聴かないものだ。一回だからこそ、全身全霊をあげて、一音も聴きもらすまい、と真剣に聴くのだ。」という反論もあろうが、これは負け惜しみだ。

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私は昨年クレーメルとツィメルマンのコンサートに行く予定だったのが、友人宅の優秀なオーディオでオイストラフとリヒテルのフランク/ヴァイオリン・ソナタを聴いて、これをしのぐ演奏はありえないと考えコンサートに行くのをやめてしまった、という記事を書いたが、ここで問題となるのは、「やはりクラシックは生で聴かなければ本当の良さがわからない」という見解である。

結論を先に述べるなら、「同一の演奏が適切な環境で聴ける、という条件が満たされる場合にのみ、ライヴはオーディオをしのぐ」といえよう。具体的にいうなら、例えばクレーメルやツィメルマンが最高のコンディションで、最高の集中力で演奏したフランクを、適切な演奏会場のよい席で聴くことは、同一の演奏のCDを聴くことよりも良いだろう、ということである。

しかし、このような条件はまず満足されることがない。したがって「ライヴはオーディオをしのぐか」という発問は、実際にはほとんどの場合「凡庸なライヴは卓抜な演奏のオーディオをしのぐか」と書き換えられ、この場合の答えは「ノー」である。

良い演奏は音質や臨場感で高められはするが、良くない演奏は、いくら音質が良くても良い演奏にはならないのである。しかも、実際にはライヴは音質の面でも、必ずしもオーディオより良いわけではない。

演奏会場には結構ノイズがある。咳ばらい、空調、隣席の物音などは確実にS/N比を損なっている。周波数特性、音圧レベル、残響特性はマクロにはホールの設計に左右されるが、座席の位置にもかなり左右される。個々人の耳たぶの形状にさえ左右されるのである。

だから、「クラシックはライヴに限る」などというのは一種の迷信なのである。

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2007年12月03日


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私がクラシック音楽に親しみ始めた、まだ年齢が一桁の頃、うちに置いてあった、カンポーリのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲にしびれっぱなしだった。

カンポーリのヴァイオリンは、まるでイタリアのベルカント唱法のように、放埓といえるほどストレートに、感覚に直接訴えてくるスタイルである。

美音で売っている他のヴァイオリニストたち、例えばグリュミオーにしろコーガンにしろ、そこには羞恥心とはいわないまでも、放埓に流れぬよう、なにがしかの抑制が利いているのだが、カンポーリの演奏にはその抑制はなかった。

後で知ったのだが、ポピュラーからクラシックに転向したのだという。しかも1930年代の中頃までのカンポーリは、自らのサロン・オーケストラを率いて、ライト・クラシックからポピュラー・ナンバーまで、幅広いレパートリーを演奏し、イギリスでは高い人気を誇ってきたのだそうだ。

上記のクライスラーをはじめとする小品もポピュラー音楽で鍛えたノウハウが生かされている。カンポーリは例え曲がチャイコフスキーの協奏曲であっても、どのフレーズをどう演奏すると聴衆が喜ぶか、そのポイントを本能的に察知していた。

私のようなストイックな芸術至上主義者でも魅了されるので、ぜひ初心者からマニアまでお薦めしたい。

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2007年10月09日


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たとえ私のようなクラシック音楽狂の人間であっても、世間一般の人々が岩波の青本を読む気を起こさないように、何もワーグナーの楽劇の大作とか新ウィーン楽派の難解な音楽を聴いておかなければならぬ、といった考えは毛頭ない。

確かに現代は働くのが精一杯(特に日本人は)な我々の周囲から何かと「意味」と呼ばれているものが急速に抜け落ちてしまっている時代といえる。

とはいえ芸術のなかに日常生活から想像もつかない不可思議な「意味」を見い出そう、または追い求めようと努める者にとってみれば、現実の日常生活においては、重厚な発想に裏付けられた「意味」から重さがなくなり、軽薄なものしか見当たらないと断定したくなる気持ちにならざるをえない。

新世紀を生きていく上で、常に変わらざるものを問い続ける姿勢を保ち続ければ、周囲から違和感の目を持たれかねないが、個々の現象的なものからより真なるもの、究極的なものに思惟が向かうならば、自らを取り巻く世界の出来事を「意味」付けすることによって価値を問わねばならないという思いに至るのである。

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それにしてもクラシック音楽を聴く人が少ない。がぜん少数派である。

私は早大時代有志とさんざんあれこれ思案してポスターを作って、学内に張りまくったのだが、集まらないこと夥しいのだった。

もっとも「フルトヴェングラー研究会」というサークルの名前そのものがまずかったのかもしれない。ちょっとイデオロギーがかってると誤解する人もいるのかもしれないし、実際私の知っている教授はフルトヴェングラーをナチだと決め付けてかかってくるのもいた。

フルトヴェングラーとナチスとの関係については、いずれ詳細に述べようと思うが、フルトヴェングラーが戦後裁判にかけられた時にユダヤ系のユーディー・メニューインが強力に援助の手を差し伸べたことや、彼が戦後シカゴ交響楽団に招聘された時に、多くのアメリカで活動している音楽家たちが反対運動するなか、同じくユダヤ系のブルーノ・ワルターが賛成したことからも、フルトヴェングラーの良心は明らかであるとだけここでは述べておく。

話は戻るが、クラシック音楽は古典である。それゆえ何か特別の縁がない限り、一生触れないことがあっても不思議ではない。私としてはこんなにもったいないことはないと思うのだが…。嘆いてばかりいても仕方がない。私がブログを立ち上げる意味もまさにそこにある。

クラシック音楽に少しでも興味のある方が、上記のCDを縁にクラシックを聴いてみたいと思っていただければ幸いである。

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2007年10月07日


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しかし、これらを満足しうる演奏は少ない。

20世紀最高のワーグナー指揮者であるとともにブルックナー指揮者として一世を風靡したハンス・クナッパーツブッシュにしても、ライヴ録音には粘り強いロマン的な表情があり、ブルックナー様式とややかけ離れた感を与える。

従って、クナとカール・シューリヒトの正規録音が最高である。

その他日本には馴染みが深くて定評のあるロヴロ・フォン・マタチッチには優れたライヴ録音がある。

録音の多い朝比奈隆とオイゲン・ヨッフムは前者にはオケの弱さ、後者にはムラッ気があるが、廉価で交響曲全集の一つを揃えられたい向きにはうってつけ。目安としては朝比奈は最近のもの程良く、ヨッフムは新旧両盤どちらとも言いがたい。

交響曲全集よりもまず、ブルックナーの音楽の特質であるスケールの大きさ、オルガン的な響きの美しさ、宗教的な深さを感じられたい向きには、朝比奈指揮大阪フィルの名高き聖フローリアンでの実況録音(7番)をお薦めする。

これはブルックナーの入門であり、深奥でもある。これこそ日本人の誇りである。

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ここでまず強調しておきたいのは、作曲家を解釈する演奏家の問題についてであり、これについては後々私のブログのテーマになるのだが、特にブルックナーの演奏についてで、特にブルックナーはナイーヴなのだ。演奏家によって生きも死にもする。それがただ単に凄い指揮者と優秀なオケだと名演奏になりえるとは必ずしも限らない点がユニークなのである。

私は、一時期まで宇野功芳氏の批評に全面的に賛同であった。しかし最近になって宇野氏が批判するフルトヴェングラーやカラヤンのブルックナー演奏にも素直に感動できるようになった。前者の精神性の高さと深さ、後者の良く彫琢された美しい表現も、ブルックナーは許容しうるだけの懐の深さはある作曲家ではないだろうか。

とはいえ、大自然の寂寥と人間の孤独を表現したブルックナーは、ドライな感情の人間には演奏できるか甚だ疑問であるし、即物的な演奏態度によっては必ずしもその本質を具現しない。徹底的に心象の世界の音楽だからである。そこで、私は以下のような基本的な考え方を変えていない。

1 厳しい客観性をもち、効果を狙いすぎず、あるがままを再現する。

2 透明な音感と、響きの透明度が必要。

3 「詩情」がほしい。

ブルックナーの名演へ

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2007年10月06日


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「スコアに忠実に」ということを極端に実施した例といえば、ベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ(英雄)」第1楽章のコーダで第一主題がトランペットに現れるところ、途中トランペットのテーマが消えてしまう演奏(ゲオルグ・ショルティの89年盤等)みたいに余りにもスコアに忠実なのには驚くばかりである。

ご存知のようにベートーヴェンが生きていた頃のトランペットにはそれ以上の音域が吹けなかったのだ。それを忠実に実行したところで何の意味があるのだろうか。ちなみにそれを「忠実に」実行したショルティは、これまた「忠実に」提示部の反復も行っている。

ライヴならともかく、家でCDを聴いてるのに、もう何度もその曲を聴いてて細部まで知り尽くしているのに、ご丁寧にも反復されたのでは、私などうんざりしてしまう。提示部の反復によって音楽が発展、止揚されているのであれば文句は言わない。全く同じ繰り返しなのである。

最近のリッカルド・ムーティ指揮のモーツァルトのシンフォニーなんか、さらにご丁寧にも展開部から再現部にかけても反復を実行している。皆様はどう率直に感じられるだろうか?何度も聴けてラッキーと思われるだろうか?そうではあるまい。反復なぞしなくても、それこそ一期一会、その演奏家の一世一代の名演を聴きたい!とお思いになるのではないだろうか(最近驚愕したのはムーティが「ザ・グレイト」でも反復を実行していたことである)。そこまで忠実にスコアを実行するのは不自然ではないだろうか。

ちなみに私はショルティもムーティも嫌いな指揮者ではない。むしろそれまでいい演奏をしていたからこそ、度重なる不自然さに疑問を呈したいのだ。

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2007年10月05日


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同曲異演奏などまだ聴き比べる程聴きこんでないという初心者には、クラシック音楽は初めは堅苦しく感じるかもしれないが、聴くにつれて慣れるものである。何も岩波の青本を読むような知的忍耐力を要しない。

私の場合初めはどこかで、例えばCMや映画などで使われた音楽の断片が記憶に焼きついて、その断片を含む曲であれば、初めて耳にしたときでも全体を興味深く聴き進められた。CMや映画で印象に残ったフレーズを探すことにとても愉悦感に浸れた時期が確かにあった。

上にあげたものはクラシックの入門の入門である。クラシックをそもそも聴かない人やアレルギーを感じる人向け。

そしてそうこうしているうちに、古今の名曲の大半は聴き終えてしまう。大体そういった時期になると曲自体よりも演奏の方に興味が沸いてくる。というのは、演奏家が平凡だと、作品自体までその演奏家の水準に落ちてくることが身に滲みてわかってくるからである。

年末になると各地で開催される「第九」のコンサートに嫌気がさす方々も少なからずいらっしゃるのではないだろうか。

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2007年10月04日


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前置きが長くなってしまったが、要するに「クラシック音楽中毒患者」なのである。

クラシック音楽は私の「信仰」でもある。

前述したように、入学当初新興宗教のサークルに誘われたり(これが皆いい人ばかりなので厄介)、クラスメイトから健全な志向へと導かれたりして様々な刺激を受けた。

しかし現在も続いている親友のほとんどはフルトヴェングラー研究会の人たちである。この友情は廃ることがないと思う。

友人はほとんど結婚してしまったが、結婚式の選曲も楽しかった。

私はこのままだといつ結婚するのか知れないが、もし私が結婚するとしたら、結婚式では、ある先輩は居合の演舞、ある後輩は能を披露してくれるそうである。

それも私がクラシック音楽を通して真実を語ってきた功徳なのかもしれない。


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2007年10月03日


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早大時代は個性的な友人に恵まれて幸福だった。

それでも入学当初は迷える子羊を誘うがごとく新興宗教に入り込んだこともあったが、良き友人の導きによって、フルトヴェングラー研究会に入った。

3年生の時幹事長になり、サークルを大学公認に昇格させた。

入学式の時に奥島総長が言ったように、早稲田に豊穣の海を見出すか、不毛の砂漠に彷徨うかは全て本人次第である。

今思えば私は充実した大学生活を送ることができたと思う。何せ卒業論文まで好きなクラシック音楽、それもフルトヴェングラーについて書くことができたのだから。

色々あったけれども文句なしである。

大学を卒業してからは職業を転々として、イタリアにも行ったりして、今現在は帰省している。


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それから私は東京の早稲田予備校の寮で浪人生活を送った。

ところがその予備校の指導方針が私に合わなかったと感じた。それでも元々できる奴は自分で勉強して開拓していくのであるが、私は行き詰っていた。

そこへ親友が代々木ゼミナールを紹介してくれた。

代ゼミの人気講師陣は違った。つまらない受験勉強を通して人生を語るのだった。

私は填まりこんだ。そのまま二浪目は代ゼミで過ごし、晴れて念願の早稲田大学文学部に合格した。


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2007年10月02日


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純粋だった私の心は荒れ狂った。夜中自転車で遠くまで徘徊した。

家に帰ったら、シューマンの「詩人の恋」をフィッシャー=ディースカウ(バリトン)とエッシェンバッハ(ピアノ)でむさぼるように聴いた。

私は詩人になった。ハイネの詩を追体験した。後で思えばシューマンやハイネの意図する詩人はもっと大人の恋だったのだろうけれども。

当然受験は玉砕である。まぁ第一志望校(早稲田)しか受けなかったから仕方ないが…。

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ところがである。高校3年の夏休みに両親の縁でたまたま家庭教師を頼むことになった。女性だった。早稲田大学の1年生。憧れの第一志望校である。ルックスがまた私のストライクゾーンのど真ん中だった。一目ぼれしてしまった。これでは勉強にならない。

今思えば与えられた宿題を形だけ一日10時間位こなしただけだったといえようか。教えてもらう時間はほとんどデート気分である。とはいえ生真面目な性格だったので、怠けてるつもりは毛頭ない。

しかし夏休みは当然終わりの時が来る。当然彼女は東京へ帰ってしまう。最後の日、母が運転する車で駅まで送って、その去りようを見て切なくてたまらなくなった。帰宅しても当然勉強どころの騒ぎではない。彼女にラヴレターを書く決心をした。それこそ熱烈な思いを込めて書いて送った。結果は火を見るより明らかである。

「私は他に好きな人がいます。」


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2007年10月01日


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色々と音楽評論文を(卒論も含めて)書いてきたが、「優れたCDを挙げろ」と言われて選出するのは、大変な難問である。これがよくある雑誌の採点ものだったら案外すっきり割り切れるのだと思うが、「好きなCDも含めて」というのであれば多少ニュアンスは異なり、自らの感性を中心にして考えることができる。

ここでの目的は、どこまでも「優れた〜」を選ぶことであるが、それと「好きな〜」とがある程度一致するとしても、勿論それで全てという訳ではない。それにそれぞれの古典の名演奏に順位をつけるなどというのは、もともと不可能なことなのだが、遊び気分で一応挙げる(それでも真剣に!)だけのことである。

どんな場合でもそうであるが、「好き」であることの順位などは、その日その時で変わることがあっても不思議ではないのだと思う。とはいえ、選出するものは「私の琴線に触れる」ものばかりで、このブログを読んでくれる方々にも共感してもらいたいものばかりである。

まぁ読んで頂ければ、私が特に選り好みをせず、作曲家のジャンルも演奏家のそれも、それなりに聴きこんでる奴だと納得して頂けると思う。まず、私が長年傾倒しており、初心者の多くの方に耳慣れないユニークな作曲家について、紹介を含め持論を展開させて頂く。

ブルックナーへ

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classicalmusic at 22:28コメント(0)トラックバック(0) 

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何だかこれまで書いてきた文章は余りにも構えすぎていて、もっとブログなんだから「徒然なるままに」記しても良いのではないかという気がしてきた。

ブログにしては特殊性に染まりすぎている。これでは読んでもらえるのも読んでもらえない。読者も著者の略歴も知らないで読むのは、ラベルの分からないワインを飲んでいるようで、安心できないだろうから、簡単に自己紹介させて頂く。

私は1974年、熊本県天草郡(現上天草市)生まれ。地元の公立小学校を卒業した。割と運動神経が良い少年でクラス委員などもやる活発な少年であった。卒業写真には「尊敬する人」→「ヘルベルト・フォン・カラヤン」、「将来なりたい職業」→「指揮者」という極めて無邪気な少年だった。

中学校から熊本市に移住した(両親は公務員)。これは両親が熊本市の県立のトップクラス校に入学させるためで、中学時代は塾に通ったり、家庭教師に教えてもらったりと結構それなりに勉強したつもりだったのだが(直前の模試でも成績優秀者の載った)、志望校に落ちてしまった(どうもこの頃から私の人生は狂い始めてたようである)。あがり症のためである(多分)。

やむなく某私立大学の附属高校に通うことになった私は、いきなり担任の教師からこう言われた。「公立に落ちたことは忘れてしまいなさい。これまでもそうした人が充実した高校生活を送ってきてます。」私は納得がいかなかった。なぜなら周囲の生徒で校風に馴染んでいった奴等は、ただその日が良ければそれで良し、遊んでいるようにしか映らなかったからである。

私は流されそうになりながらも、青山学院出の教師の触発や、有名な和田秀樹の「偏差値50からでも早慶に受かる法」を読んで一発逆転を虎視眈々と狙っていた。ちなみに6歳から習っていたピアノもこの頃やめてしまった。

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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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