フルトヴェングラー

2014年09月13日


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本盤にはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と、フルトヴェングラーのレパートリーとしては大変に珍しいバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

ヴァイオリンはいずれもメニューインであるが、これまた素晴らしい名演奏を披露している。

メニューインは、フルトヴェングラーとの共演が終わった後は、これといった名演は遺しているとは必ずしも言えないので、本演奏の録音当時がベストフォームにあったのではないかとも考えられる。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、4大ヴァイオリン協奏曲の中でも、チャイコフスキーと同様に音楽内容の深みよりは旋律の美しさが売りの作品である。

したがって、音楽の表層を美しく装っただけの演奏でも十分に魅力のある演奏を成し遂げることは可能であるが、さすがにフルトヴェングラーはそのような薄味の演奏は行っていない。

荘重なインテンポで楽曲の心眼を抉り出していくような奥行きのある演奏は、深沈とした情感を湛えていて実に感動的であり、スケールも雄大だ。

メニューインのヴァイオリンも、表面上の美麗さに拘泥することなく、情感の豊かさと気品の高さを湛えているのが素晴らしい。

バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番も名演だ。

バルトークは巷間「現代のベートーヴェン」と称されているが、フルトヴェングラーの同曲へのアプローチは、ベートーヴェンの楽曲に接する時と何ら変わりがない。

ヴァイオリンだけでなく、オーケストラ演奏にも超絶的な技量が求められる楽曲であるが、フルトヴェングラーは同曲でも徹底した内容重視。

音楽の内容の精神的な深みを徹底的に追求しようという姿勢は健在であり、楽曲の核心に鋭く切り込んでいこうとする凄みのある演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分だ。

メニューインのヴァイオリンもフルトヴェングラーの指揮に一歩も引けを取っていない。

バルトークも生前、メニューインのヴァイオリン演奏を高く評価していたということであり、メニューインもバルトークの音楽に私淑していたとのことであるが、本演奏でも、卓越した技量をベースとしつつ、楽曲への深い理解と愛着に根差した濃密で彫りの深い演奏を披露しているのが素晴らしい。

両演奏ともに1950年代のスタジオ録音であることもあって、今般のSACD化による高音質化の効果には大変目覚ましいものがあり、これまでの既発CDとはそもそも次元の異なる鮮明な音質に生まれ変わった。

メニューインのヴァイオリンの弓使いまで聴こえる鮮明さはほとんど驚異的ですらある。

このような名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年09月11日


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本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第5番は、新たに発見されたメタル・マスターよりリマスタリングを行っているとのことである。

録音は、1937年のスタジオ録音であるが、確かに、これまでの既発売のCDとは次元の異なる良好な音質に生まれ変わったと言える。

フルトヴェングラーの「第5」の名演としては、1947年の復帰後のコンサートの3日目のライヴ録音(DG)が超名演として知られているが、これはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されて、それによって音質の抜本的な改善がみられたところである。

復帰初日のライヴ録音も一昨年、アウディーテからきわめて鮮明な音質で発売されたことから、今後はDG盤とアウディーテ盤が決定盤との評価が確立するものと考えられる。

これに次ぐ名演とされているのが、昨年1月にEMIからSACD盤が発売されたが、1954年のスタジオ録音ということになる。

ドラマティックな1947年盤に対して、こちらは荘重なインテンポを基調とする奥行きのある演奏ではあるが、フルトヴェングラーの芸術の懐の深さをあらわすものとして、この3強の地位は今後ともいささかも揺るぎがないと考えられる。

そして、この3強に続く名演が、1943年のライヴ録音(既にドリームライフによりSACD化)と本盤の1937年のスタジオ録音ということになるのではないだろうか。

フルトヴェングラーの全盛期は1930年代と主張される識者の方も多数おられるところであり、本演奏においても、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏がいかに重厚で深みのあるものであったのかがよく理解できるところだ。

既発CDの音質がきわめて劣悪であったことから、前述の3強や1943年盤の後塵を拝していた名演が、今般のSACD化によって再び脚光を浴びることになることが大いに期待されるところだ。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、メニューインと組んでルツェルン祝祭管弦楽団を指揮したスタジオ録音であるが、一般的にメニューインとの演奏で名演とされているのは1953年のスタジオ録音盤(同様に今回SACD化)の方である。

しかしながら、今般のSACD化によって見違えるような良好な音質に生まれ変わっており、1953年盤にも比肩し得る名演であることが証明された意義は極めて大きい。

メニューインについては、とある某有名評論家を筆頭に芳しからざる酷評がなされているが、フルトヴェングラーの下で演奏する際には、気品溢れる芸術的な演奏を披露していると言っても過言ではあるまい。

それにしても、メニューインのヴァイオリンの弓使いまで聴こえる今般のSACD化による高音質化の威力は殆ど驚異的ですらある。

ブラームスのハイドンの主題による変奏曲は、1952年のライヴ録音だけに、今般のSACD化による音質向上効果には著しいものがあり、実演ならではのフルトヴェングラーのドラマティックな表現をも加味すれば、フルトヴェングラーによる同曲の演奏の中では最高の名演と高く評価したい。

ワーグナーの2曲は、いずれも1948〜1949年にかけてのスタジオ録音であるが、こちらもSACD化によって素晴らしい音質に蘇った。

いずれも定評ある懐の深い名演であるが、特に、「ブリュンヒルデの自己犠牲」におけるフラグスタートの名唱が鮮明に響くのには大変驚いたところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

なお、本盤に収められたハイドンの主題による変奏曲は、第1弾のブラームスの交響曲第1番(TOGE−11006)と同じ日のコンサートの際の演奏であるにもかかわらず、当該盤には本演奏ではなく1949年のスタジオ録音の方が収められていた。

フルトヴェングラーの実演での凄さに鑑みれば、同一のコンサートの演目は可能な限り同じCDに収めるのがベストであり、このようなカップリングには若干の疑問を感じることをこの場を借りて指摘しておきたい。

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2014年07月24日


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フルトヴェングラーの代名詞と言えば、ベートーヴェンの交響曲であるが、9曲ある交響曲の中でも第1番を除くいわゆる奇数番号の交響曲については、自他ともに認める十八番であったと言えるだろう。

それら4曲の交響曲については、かなりの点数の録音が遺されているのも特徴であり、近年になっても新発見の録音が発掘されたり、あるいはより音質のより音源の発見、さらにはSACD化などの高音質化が図られるなど、フルトヴェングラーの指揮芸術に対する関心は、没後50年以上が経っても今なお衰えの兆しが一向に見られないところだ。

フルトヴェングラーによるベートーヴェンの交響曲第9番の名演としては、諸説はあると思うが、これまでのところ、バイロイト祝祭管弦楽団とのライヴ録音(1951年)と、最晩年のフィルハーモニア管弦楽団とのライヴ録音(1954年)が2強を形成していたと言える。

もちろん、これら2つの演奏自体が圧倒的な素晴らしさを誇っているのであるが、それ以上に、両名演についてはSACD化が図られているというのも大きいと言えるのではないだろうか。

フルトヴェングラーの録音は、演奏が素晴らしくても音質が良くないというのが定評であり、逆に、これまであまり評価が高くなかった演奏がSACD化によって、高評価を勝ち取ることもあり得るところである(例えば、1947年5月25日のベートーヴェンの交響曲第5番のライヴ録音)。

本盤に収められた1952年の交響曲第9番についても、今般のSACD化によって、そのような可能性を秘めた名演と言えるだろう。

これまで、とりわけトゥッティにおいて音が団子状態になったり、不鮮明で聴き取りにくい箇所が極めて多かったのが大幅に解消され、前述のバイロイト盤や1954年盤にも十分に対抗できるような良好な音質に生まれ変わった意義は、極めて大きいことである。

本演奏は、かのバイロイト盤から約半年後のものであるが、それだけに気力・体力ともにさらに充実したフルトヴェングラーによる至高の指揮芸術を、これまでとは違った良好な音質で堪能することができるようのなったのは実に素晴らしいことと言えるだろう。

第1楽章冒頭の他の指揮者の演奏の追随を許さない深遠さ、その後のとても人間業とは思えないような彫りの深さ、第3楽章の誰よりもゆったりしたテンポによる演奏の神々しいまでの崇高さ、そして終楽章のドラマティックな表現など、フルトヴェングラーだけに可能な至芸は、我々聴き手の深い感動を誘うのに十分である。

オーケストラがウィーン・フィルであることも、本演奏の大きなアドバンテージであると言えるところである。

いずれにしても、SACD化によって、これまでとは格段に良好な音質に生まれ変わるに至った本盤の演奏は、バイロイト盤や1954年盤とともに3強の一角を占めるとも言うべき至高の超名演に位置づけられることになったと言えるところであり、本SACD盤の登場を大いに歓迎したい。

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2014年07月19日


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本盤に収録されたモーツァルトの2曲については、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきたが、それらとは一線を画する素晴らしい超高音質SACDの登場を大いに歓迎したい。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、録音が1949年ということもあり、マスターテープの保存状態がかなり良かったのではなかろうか。

何よりも、弦楽合奏の音に一本芯が通ったような力感が増したのが何よりも大きい。

そして、高弦の響きは艶やかで美しさの極み、トゥッティに差し掛かっても音が歪むことがないのが素晴らしい。

演奏は、いわゆるモーツァルト演奏に必要不可欠とされている優美さや繊細さを基調としたものではなく、いかにもフルトヴェングラーならではのロマンティシズム溢れる濃厚なものだ。

しかしながら、雄渾なスケールと彫りの深さにおいては、他のどの演奏よりも際立ったものがあり、本演奏を個性的な名演と評価するのに筆者としてはいささかも躊躇しない。

「グラン・パルティータ」は、さらに2年遡る1947年の録音であるが、これまた驚異的な高音質だ。

戦後間もなくとはとても信じられないような鮮明な音質に唖然としてしまうほどだ。

各管楽器がブリリアントに響くのは圧巻の一言であり、トゥッティにおいても音が歪むことは殆どない。

ここでのフルトヴェングラーの演奏においては、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のような濃厚な味付けは聴かれず、むしろ優美にして颯爽としたものと言える。

それでいて、厳しい造形美や楽曲の核心を抉り出していくが如き彫りの深さは健在であり、今般の高音質化によって、同曲のトップの座を争う名演になったと評価しても過言ではないのではなかろうか。

また、古き良き時代のウィーン・フィルの各奏者が奏でる美音を聴くことができるのも本盤の魅力であり、それらを望み得る最高の音質で味わえることの喜びを大いに噛みしめたい。

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2014年07月04日


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フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の演奏については、必ずしも評価が高いとは言い難い。

一部の熱心なフルトヴェングラーの愛好者はともかくとして、フルトヴェングラーの演奏を聴く場合には、独墺系の作曲家による交響曲については、先ずはベートーヴェン、次いでブラームスというのが相場ではないかと思われるところだ。

とりわけ、1990年代に入って、ヴァントや朝比奈がいわゆるインテンポを基調とする崇高な名演の数々を成し遂げるようになってからは、テンポの振幅を大胆に駆使したフルトヴェングラーによる演奏は、音質の劣悪さも相俟って、時代遅れの演奏としてますます影の薄い存在となっていったところである。

しかしながら、EMIが1949年の演奏(ライヴ録音)をSACD化するに及んで、とりわけブルックナーの交響曲演奏の生命線でもある低弦の重量感溢れる響きや、ブラスセクションのブリリアントな響きなどが、決して団子状態にならず、かなり鮮明に再現されるようになったことにより、フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の演奏が再び脚光を浴びることになったのは記憶に新しい。

そして、今般、優秀な音源として知られるRIASのマスターテープから、シングルレイヤーによるSACD化が行われる運びとなり、ついに当該演奏が決定的とも評価し得る圧倒的な高音質に生まれ変わった。

今般のシングルレイヤーによるSACD盤の登場は、フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲演奏の再評価への決定打になるのではないかとさえ考えられるところだ。

それにしても、こうして良好な音質で聴くと、演奏はさすがに素晴らしい。

徹頭徹尾、アッチェレランドを随所に用いるなどテンポの思い切った緩急を駆使したいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな名演だ。

もっとも、第1楽章におけるトゥッティに向けての猛烈なアッチェレランドや、第2楽章の快速のテンポと中間部のスローテンポの極端な対比など、現代においては殆ど聴かれない大時代的なアプローチとも言えるが、1949年においては一般的なアプローチであり、フルトヴェングラーの演奏が必ずしも特異なものであったとは言えない点に留意すべきであろう。

現代でも文句なく通用するのは第3楽章及び終楽章であり、これは圧倒的な超名演である。

第3楽章におけるいつ果てるとも知れない滔々とした調べは美しさの極みであり、かの歴史的な名演であるベートーヴェンの交響曲第9番のバイロイト盤(1951年ライヴ録音)の第3楽章にも比肩し得る至高・至純の高みに達している。

終楽章も、ハース版にはないシンバルを加えたり、終結部の猛烈なアッチェレランドなど、いささか違和感を感じさせる箇所がないわけではないが、全体としては雄渾なスケール感を感じさせる彫りの深い名演に仕上がっていると高く評価したい。

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2014年07月03日


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素晴らしい高音質SACDの登場だ。

フルトヴェングラーの遺産をSACD化するという歴史的な偉業は、第1弾のベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーにおいて、これまでのCDとは一線を画する高音質化に成功していたが、第2弾においても、同様に目覚ましい成果をあげている。

グルックの「アルチェステ」序曲及び「オーリードのイフィジェニー」序曲の弦楽合奏の太い芯が一本通ったような厚みのある音質からして、これまでのCDとは次元の異なる驚異的な高音質だ。

高弦の艶やかな響きも鮮明に再現されており、フルトヴェングラーのロマンティシズムに満ち溢れた名演を望み得る最高の音質で味わうことができるのが素晴らしい。

モーツァルトの第40番は、グルックと比較すると録音年代が古いことから、音場がやや狭いのが残念ではあるが、それでも、既発CDと比較すると、弦楽合奏など段違いに鮮明な音質に生まれ変わっており、この当時の録音としては、最高の音質であると評価したい。

フルトヴェングラーのモーツァルトは、世評においては決して高いものとは言えなかったが、本盤のような鮮明な高音質録音で聴くと、フルトヴェングラーなりによく考え抜かれた、気迫溢れる名演であることがよくわかる。

「魔笛」は、オーケストラとリップの独唱が鮮明に分離して聴こえるのが、フルトヴェングラーのCDとしては驚異的。

フルトヴェングラーのうねるような熱い音楽が、2曲のみの抜粋ではあるが、「魔笛」の真髄を見事に描出しているのが素晴らしい。

これを聴いて、例えば「ドン・ジョヴァンニ」の全曲などをSACD化して欲しいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

ハイドンの交響曲第94番も、グルックほどではないが、十分に満足し得る高音質。

従来のCDだと音が団子状態になっていた箇所も鮮明に再現されることになり、これによって、フルトヴェングラーの定評ある濃密で彫りの深い、そして雄渾な名演を望み得る最高の音質で堪能できることを大いに喜びたい。

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2014年07月01日


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先般発売されたベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番「田園」(1947年及び1954年)に続く、RIAS音源のシングルレイヤーによるSACD化の第2弾の発売である。

今般は、シューベルトの交響曲第8番「未完成」及び第9番「ザ・グレイト」、そして、ブルックナーの交響曲第8番だ。

フルトヴェングラーによるシューベルトの交響曲第8番「未完成」の名演としてはウィーン・フィルとのスタジオ録音(1950年)が有名であり、EMIよりSACD盤が発売されたことから、現在までのところ随一の名演との地位を獲得していた。

他方、交響曲第9番「ザ・グレイト」の名演としては、戦前のベルリン・フィルとのライヴ録音(1942年)、そして戦後のベルリン・フィルとのスタジオ録音(1951年)がタイプが全く異なる名演の双璧とされ、とりわけ、後者については、ベルリン・フィルの団員がフルトヴェングラーと成し得た最高の名演との高評価をするほどの名演であった。

それ故に、本盤に収められた両曲のライヴ録音は、数年前にRIAS音源によるCD化が行われるまでは、音質の劣悪さもあって、一部の熱心なフルトヴェングラー愛好者以外には殆ど無視された存在であったが、RIAS音源によるCDが素晴らしい音質であったことから、俄然注目を浴びる存在となったことは記憶に新しい。

そして、今般のシングルレイヤーによるSACD化は、フルトヴェングラーによる両曲演奏の代表盤の一つとしての地位を獲得するのに大きく貢献することに繋がったと言っても過言ではあるまい。

交響曲第8番「未完成」については、1950年盤と同様に、濃密でロマンティシズムに満ち溢れた彫りの深い演奏であるが、ライヴ録音ということもあって、とりわけ第1楽章においては、ドラマティックな表現が聴かれるのがフルトヴェングラーらしい。

もちろん、そうした表現が、いわゆる「未完成」らしさをいささかも損なっておらず、むしろ、表現の濃密さは1950年盤以上であり、実演でこそ真価を発揮するフルトヴェングラーの指揮芸術の真骨頂が本演奏には存在していると言えるだろう。

交響曲第9番「ザ・グレイト」については、1951年盤の深遠な表現に、1942年盤が有していたドラマティックな表現を若干盛り込んだ、いい意味での剛柔のバランスがとれた名演と言えるのではないだろうか。

同曲の演奏は、筆者も常々論評しているように極めて難しいものがあるが、1942年盤のようにベートーヴェンの交響曲に続くものとして演奏するタイプ、1951年盤のようにブルックナーの交響曲の先達として演奏するタイプが両端にあると思われるが、本盤の演奏はその中間点を模索したものとして十分に説得力のある名演に仕上がっていると評価したい。

それにしても、本盤の音質はフルトヴェングラーのCDとしては極上の高音質と言ってもいいのではないだろうか。

とりわけ低弦の生々しいまでの重量感溢れる響きや、高弦の艶やかな響きは、既にSACD化されている音源を除いて、これまでのフルトヴェングラーのCDではなかなか聴くことが出来ないものであり、かかる高音質が本盤の価値を更に高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年06月25日


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ブラームスの4つの交響曲の中で最もフルトヴェングラーの芸風に合致するのは、衆目の一致するところ第1番ということになるのではないだろうか。

フルトヴェングラーはベートーヴェンの交響曲を十八番としていただけに、ブラームスの交響曲の中でも最もベートーヴェンの交響曲に近い性格を有している第1番において、その実力を如何なく発揮することは自明の理と言えるからである。

実際のところ、筆者も正確に数えたことはないが、フルトヴェングラー指揮のブラームスの交響曲第1番の録音は、かなりの点数が遺されている。

しかしながら、録音状態はいずれも芳しいとは言えないところであり、フルトヴェングラーならではの至芸を味わうにはきわめて心もとない状況に置かれてきたと言わざるを得ない。

そのような長年の渇きを癒すことになったのが、昨年1月、EMIから発売された、1952年(本演奏の2週間前)にウィーン・フィルと行った演奏のライヴ録音のSACD盤であった。

当該SACD盤の登場によって、既発CDとは次元の異なる高音質に生まれ変わったところであり、これによってフルトヴェングラーによるブラームスの交響曲第1番の決定盤としての地位を獲得したと考えてきたところである。

そのような中で、今般、ユニバーサルによって1952年のベルリン・フィルとのライヴ録音がSACD化されたというのは、前述のEMIによるSACD盤の登場と並ぶ快挙と言えるだろう。

本演奏については、数年前にターラ盤が発売され、それなりに満足し得る音質改善は図られてはいたが、音質の抜本的な改善には繋がっているとは必ずしも言えず、フルトヴェングラーの彫りの深い芸術を味わうのはきわめて困難な状況に置かれていた。

ところが、今般のSACD化によって、見違えるような良好な音質に生まれ変わるとともに音場もかなり広くなったところであり、フルトヴェングラーの深みのある至芸を堪能することが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

演奏は、前述のEMI盤と同様に冒頭から重厚にして濃厚なフルトヴェングラー節が全開、終楽章の圧倒的なクライマックスに向けて夢中になって畳み掛けていく力強さは圧倒的な迫力を誇っている。

また、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れており、その深沈とした奥行きや彫りの深さは、まさに神々しいばかりの崇高さを湛えている。

いずれにしても本盤の演奏は、今般のSACD化によって前述のEMI盤と並ぶ至高の超名演と高く評価し得るに至ったと言えるだろう。

併録のグルックの歌劇「アルチェステ」序曲も、いかにもフルトヴェングラーならではの濃厚な味わいの名演だ。

いずれにしても、このようなフルトヴェングラーによる至高の超名演を、現在望み得る最高のパッケージメディアであるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年06月20日


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素晴らしい高音質SACDの登場だ。

今般のフルトヴェングラーの一連のSACDシリーズの中でも白眉の出来と言えるのではなかろうか。

フルトヴェングラーによるブラームスの「第4」の初期盤をかつて聴いたが、音の揺れがひどく、とても聴くに堪えない音質であったと記憶する。

爾来、初期盤は、筆者のCD棚に埃をかぶって放置されているが、その後、何度もリマスタリングを繰り返したものの、いずれもどんぐりの背比べといった状態であった。

数年前に、グランドスラムからかなり満足し得る音質のCDが発売されたが、今般のSACDとは比べるべくもない。

それくらい、今般のSACDは、次元の異なる高音質と言えるだろう。

これだけの高音質録音になると、フルトヴェングラーのドラマティックな表現が見事に再現されることになり、その演奏に対する評価も大きく変更を余儀なくされることになる。

ブラームスの「第4」については、シューリヒトやムラヴィンスキーなどの淡麗辛口な演奏や、それに若さを付加したクライバーによる演奏の評価が高く、他方、情感溢れるワルターや、重厚な渋みを加えたベーム盤などが、高く評価されてきた。

筆者も、それに異論を唱えるつもりはないが、それは、今般のフルトヴェングラーのSACD盤が存在しないことが前提である。

ブラームスの「第4」について、これだけドラマティックな演奏をして、名演の評価を勝ち得た演奏は皆無であり、その意味では、本盤は、画期的な名演と評価できる。

第1楽章の、自然体ではじまる開始部の何とも言えない深みからして、別次元の名演と言えるし、その後の緩急自在のテンポ設定は、あたかも魔法の指揮のようだ。

第2楽章のむせ返るような熱い抒情は感動の極みであるし、第3楽章の効果的な間の取り方など、巨匠だけが成し得る至芸と言えるだろう。

終楽章のパッサカリアについては、凄まじい音のドラマであり、これは他のいかなる名演をも凌駕する至高・至純の高みに達している。

併録の「コリオラン」序曲は、おそらくはフルトヴェングラーの同曲の演奏中最高の名演。

ということは、史上最高の名演と言うことであり、今般の高音質化によって、さらに名演のグレードが上がったと言える。

「レオノーレ」序曲第2番の巨大なスケールと圧巻のドラマについては、もはや表現する言葉が追いつかないような凄まじさだ。

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2014年06月02日


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素晴らしい高音質SACDの登場だ。

フルトヴェングラーのチャイコフスキーの交響曲第4番の録音については、これまでグランドスラム盤やオーパス盤などにより様々な復刻を繰り返してきたが、今般のSACDはそれらとは次元の異なる鮮明な高音質に蘇った。

フルトヴェングラーは、必ずしも演奏機会は多いとは言えなかったが、チャイコフスキーの後期3大交響曲についてはコンサートでも時として採り上げ、録音も遺されている。

この中で、「第5」は、聴衆やオーケストラの質の悪さも相まって問題外。

「第6」は、楽曲がフルトヴェングラー向きということもあって複数の録音(しかも名演)が遺されている。

他方、「第4」についてはスタジオ録音による本盤しか遺されていないが、これが素晴らしい名演なのだ。

録音が数日にわたって行われている点にも、フルトヴェングラーが本盤の録音にかけた情熱と意欲、そして強い拘りが表れているとも言える。

チャイコフスキーの「第4」の名演と言えば、ムラヴィンスキー盤(1960年のDG盤)、カラヤン盤(1971年のEMI盤)が何よりも念頭に浮かぶが、本フルトヴェングラー盤は、今般の高音質化を持ってこれらの名演に比肩することが可能となり、同曲の名演のベスト3の一角を占めるに至ったと言っても過言ではない。

ムラヴィンスキーが鉄壁のアンサンブルを駆使した豪演、カラヤンがライヴ録音を思わせるようなドラマティックな名演であるのに対して、フルトヴェングラーは、気宇壮大な彫りの深い名演と言ったところではないだろうか。

フルトヴェングラーはチャイコフスキーの「第4」を、ベートーヴェンやブラームスなどの交響曲に接するのと同様のアプローチで指揮しているのだ。

その意味では、チャイコフスキーの「第4」を、ベートーヴェンの諸交響曲にも比肩する大芸術作品に仕立てあげたとも言えるところであり、その作品の核心に迫っていこうという鋭くも真摯な姿勢は、演奏を濃密で深みのあるものにしており、内容の濃さという点に限って言えば、フルトヴェングラー盤こそは随一の名演と言ってもいいのではないかとさえ考えられる。

それにしても信じられないような高音質だ。

冒頭のホルンのファンファーレの主題の生々しい音にまずは驚かされる。

その後も、高弦の艶やかな響きといい、ブラスセクションや木管楽器のブリリアントな響き、厚みのある低弦の迫力など、信じられないような鮮明な音質に生まれ変わっている。

音場も非常に幅広いものになり、特に終楽章において顕著であるが、トゥッティになっても音が歪むことが殆どないというのは驚異的ですらある。

また、例えば、第1楽章の第1主題の提示に際してのヴァイオリンとチェロによる緩急をつけた導入の仕方、第2楽章の木管楽器による主題や、中間部に向けての弦楽による抑揚をつけた歌わせ方、第3楽章のピツィカートの味わい深い濃厚さ、終楽章終結部の効果的なアッチェレランドなどは、フルトヴェングラーだけが成し得る魔法のような至芸であるが、このように随所に施された至芸が鮮明に再現されるというのは、本高音質盤の最大のメリットであると高く評価したい。

併録の弦楽セレナードからの抜粋2曲も、厚みのある弦楽合奏が鮮明に再現されており、フルトヴェングラーの卓越した至芸を望み得る最高の高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2014年05月31日


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マーラーの「さすらう若人の歌」では、フルトヴェングラーは音楽を完全にものにしきっており、オン・マイクの録音のせいもあって、F=ディースカウとのスタジオ録音よりもさらに積極的な部分が多い。

弦の心のこもった音色は本当にすばらしく、第1曲、中間部最後のソロ・ヴァイオリンのロマンティックなポルタメントなど、前盤には見られなかったものだし、同じく中間部の木管も含めた小鳥の歌の可憐な鮮やかさも最高だ。

ペルは声がやや大味で、豊かな声で朗々と、心を込めて歌ってゆくが、高音がちょっと苦しいせいか、リズムが崩れるマイナスがないでもない。

しかし、そのために、時には身につまされるような野暮ったいくらいの歌心が伝わってくる。

「エロイカ」は有名なスタジオ録音直後のライヴだけに、同じスタイルを基本としながら、それに即興性を加えたものとなった。

音質は硬いが明快だ。

感銘深いのは第1楽章、レコーディングの後なのでアンサンブルがきっちりと仕上がり、テンポには緊迫感があり、しかも緩急の動きはこの方が大きい。

それでいて最晩年の様式である枯れた味が全篇に流れ、その中に炎の核がほの見えるところがすばらしい。

つづく第2楽章はオーボエの気持ちのこもった歌とか、低弦のフォルティッシモをすごいテヌートで弾かす即興性など印象的な場面もあるが、中間部の盛り上がりやその後のフガートはもう一つだ。

スケルツォからフィナーレにかけてはあまり上出来ではない。

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2014年05月30日


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ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、フルトヴェングラーとしてはわりにおとなしい、どちらかといえば地味な造型だが、響き自体はまことに立派で風格があり、内に秘められた過剰さを伴わぬ気迫が見事である。

しかし、これがベルリン・フィルだったら、いっそうこくのある表現になったことは疑いを入れない。

メニューインはフルトヴェングラーを心から尊敬しているヴァイオリニストだが、確かに指揮者への傾倒がにじみ出ており、まことに純情、真摯である。

やや線は細いが心がいっぱいにこもって、しかも粘りすぎず、表現上の特徴こそ今一歩とはいえ、フルトヴェングラーともども、音楽が豊かに湧き上がってくることを買いたい。

シューマンの「第4」は有名なドイツ・グラモフォンの録音の3ヶ月後、ルツェルン音楽祭で指揮したライヴ。

ライヴにこそ本領を発揮すると言われたフルトヴェングラーの特質が如実に捉えられるもので、ほの暗いロマンに彩られた、生命力みなぎる名演。

完璧無類のグラモフォン盤の後に聴いても引けを取らない名演だ。

なんといってもライヴの音がして、音に命がこもっているのである。

晩年のフルトヴェングラーだけに実演だからといって踏みはずすことなくベルリン・フィル盤の良さをそのまま保ちつつ、やはり気迫が違うのだ。

第1楽章の出もそうだし、フィナーレ冒頭の弦の刻みの生きていること、主部の第1主題の語りかけなど、ベルリン・フィル盤を上まわる。

ベルリン・フィル盤はSACDされ高音質になったため、録音が同レヴェルなら、筆者はこのルツェルン盤の方を採りたいくらいである。

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シューマンのピアノ協奏曲は、フルトヴェングラーとギーゼキングの唯一の協演盤であり、ベルリン・フィルの定期公演における実況盤である。

フルトヴェングラーの特徴は第1楽章に顕著だ。

冒頭和音の気迫、続いて入るピアノとのずれがいかにも彼らしく、木管による第1主題が始まると、心のこもった情感がいっぱいに漂ってくる。

この楽章で彼が言いたかったのは暗い人間の心だったのだ。

中間部初めのクラリネットや再現部の第1テーマはさながらしのび泣きを想わせる。

ギーゼキングも珍しく情緒的な演奏で指揮者に応えている。

第2楽章のフルトヴェングラーはやや歌い過ぎてデリカシーを欠き、第3楽章もわりに冴えない。

しかしコーダの加速はおそらく彼の示唆であろう、スムーズに決まっている。

ブラームスの第4番は、ベルリン・フィルの定期の実況録音で、当時のものとしては響きが豊かだ。

演奏は有名な1948年盤に酷似しているが、オケの状態はこの方が良いくらいである。

特にポルタメントを多用した弦の甘美さが際立っている。

しかし表現の厳しさや深みはさすがに5年後の演奏に及ばず、思い切りの良い決め方も今一歩だ。

このディスクだけを採ればもちろん名演だが、解釈が似ているだけに価値はうすい。

音質はどの復刻CDよりも自然な実在感と生命力にあふれる情報量豊かな再生音をオーパス蔵の復刻盤は持っている。

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フルトヴェングラーは初め作曲家を志し、途中で指揮者に転向したのだが、作曲への情熱を捨てきれず、忙しい指揮活動の合間をぬっては作品を発表した。

交響曲は4曲あり、それらの中では1945年に完成した「第2番」が最も有名である。

4つの楽章から成り、後期ロマン派風の響きと内容による長大な音楽だが、色彩的な効果は意識して避けられ、地味で真摯な内容を持つ。

第1楽章は憧れとおののきに満ち、第2楽章ではしっとりとした佇まいが移りやすく変化してゆく。

第3楽章のスケルツォはたいへん魅力的なテーマを持ち、曲想やオーケストレーションにユニークな味わいを見せる。

フィナーレは昔の思い出のような序奏に始まり、高まって勝利の朝を迎える。

アレグロ・モルトの主部は明るいものくると思いのほか、苦味にあふれ、特にモデラートの第2主題以降、展開部にかけては意味深い訴えがすばらしい音楽美とともに進み、全曲中、最も感動的な部分と言えよう。

その後はやや凡長なきらいもあるが、コーダの盛り上がりは果たして勝利なのだろうか。

懐疑的な色がぬぐえないからだ。

初演は1948年2月22日、ベルリン・フィルの定期公演で行われたが、残念ながら録音は残されていない。

本CDは1953年ムジークフェラインザールでのライヴ録音。

個々の楽器はよくとらえられているし、明快でもあるが、ホール全体の溶け合った、豊かな響きに欠ける。

そのせいか、ヴァイオリンの甘美さとか、オーボエの音色などにウィーン訛りが強く、フルトヴェングラーの曲を聴く、という意味においては物足りなさが残る。

しかしフルトヴェングラーの同曲の数種の録音の中で、入手しやすいCDは当盤のみであり、その意味では貴重な録音と言える。

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2014年05月29日


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激しく強烈な壮年の演奏から、穏やかに全てを見通したような最晩年の達観した演奏へと変貌していくフルトヴェングラーの境地がうかがえる。

ウィーン色が濃いことも特徴で、ウィーン・フィルの美麗な弦と木管が豊かに歌う第3楽章は、格別の魅力を湛えている。

殊のほか音がいいのに驚いた。

筆者の感性の問題なのか、非常にいい音で鳴っているように感じる。

基本的に同演異盤を買いあさるような趣味はないのだが、この演奏の魔力にとりつかれて、独協会盤、デルタ盤と聴いてきて満足がいかず、購入した。

独協会盤は聴きやすいものの、倍音が削がれて、電子楽器みたいで、実在感を感じず、デルタ盤は楽器の生音は聞こえてくるものの、シャリシャリして、線が細く、広がりを欠き、両者に今ひとつ満足できないでいたが、この仏ターラ盤は高音域が若干カサつくものの、弦楽器の広がりがあり、管楽器も楽器の生音が聞こえてきて、大方満足のいくものであった。

演奏はもしかしたら「バイロイトの第九」を凌ぐ素晴らしい演奏かもしれない。

第1楽章開始の遅いテンポと間合いを十二分にとった重々しい表現はバイロイト盤を凌ぎ、強靭に踏みしめてゆくフーガも素晴らしいし、楽章終結のティンパニも凄絶に鳴っている。

もう一ヶ所、印象的なのが第3楽章の第2主題で、音量を強く出し、遅いテンポでじっくりと歌ってゆく美しさは、フルトヴェングラーの演奏でもベストの一つと言えよう。

倒れる前のまだまだ元気なフルトヴェングラーは持ち前の柔軟な指揮ぶりを発揮し、最も芸術的と称される、しかも黄金期のウィーン・フィルはその素晴らしい音色を遺憾なく発揮している。

全体を通して、弦楽器のボルタメントなどのウィーン風の節回しが表情豊かで、管楽器もまろやかで暖かい響きで、演奏全体に歌心を感じる。

そして、フルトヴェングラーの独特の揺らぎに瞬時に反応して、素晴らしい演奏を聴かせている。

解釈はバイロイトに通じる劇的なものであり、さらに即席のバイロイト祝祭管にない演奏の完成度が感じられる。

このCDは筆者にとっては音質も満足できるものであり、筆者の重要な愛聴盤の1枚になりそうだ。

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1954年4月28日から5月21日にわたる長い演奏旅行中、パリ・オペラ座におけるコンサートをライヴ録音したもの。

同じ年と数年前にセッション録音で「運命」と「未完成」をウィーン・フィルと収録したものが有名だ。

その演奏は緻密で完成度が高いのであるが、なんとなく分別臭くて面白くないなと思う面も確かにあった。

この演奏は同じ様式の佇まいを備えながら、熱気、緊張感、即興性を兼ね備えて、なかなか素晴らしい演奏である。

また、ウィーン・フィルとベルリン・フィルの異なる特徴を反映して、ちょっとごつごつした感じの剛毅な演奏。

ライブならではのたまにアンサンブルの乱れもあるが、音楽の流れは損なっていない。

またまた、フルトヴェングラーの名演に出会えたことに感謝である。

音質はすこぶる新鮮で、モノラル録音であることを除けば、十分現役盤として通用する。

パリ・オペラ座の特徴であろうか、残響が少なく、デッドに聴こえ、防音室で聴いているような傾向が少々あるが、その分、各楽器の音が新鮮で、音色がある。

ほとんど音はいじっていないのではないのだろうか。

また、独立性がすこぶる良くて、各パートが何をやっているかが手に取るようにわかる。

更には、曲間が未編集なので、まさに客席にいるかのような臨場感を味わえる。

素晴らしい復刻を、デルタの技術者の方々に心から感謝するものである。

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2014年05月28日


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1951年10月29日、ミュンヘンのドイツ博物館コングレスザールでの実況録音。

地元のバイエルン放送がラジオ放送用に録音したものとのことである。

当月のフルトヴェングラー/ウィーン・フィルは5日から22日まで、18日間で16回のコンサートをこなし、27日はフルトヴェングラーは単独でハンブルクに行き北ドイツ放送響を振り、翌28日はカールスルーエで再度ウイーン・フィルと合流しブラームス他を演奏している。

そして29日にミュンヘンに入るという超人的な強行軍である。

この録音もあくまでも放送用で、その後、長くLP、CDで聴きつがれることは演奏者は想像もしていなかっただろう。

フルトヴェングラーの足跡をたどるうえでは貴重な記録だが、会場の悪さ、オーケストラの疲労度からみてもベストの状況の録音とは思えない。

会場の雑音の多さは一切無視するとしても、第1楽章冒頭のホルンのややふらついた出だしといい、折に触れての弦のアンサンブルの微妙な乱れといい、意外にもフルトヴェングラーの演奏にしては要所要所での劇的なダイナミクスの不足といい、第4番を聴きこんだリスナーにとっては気になる点は多いはずである。

一方でレーヴェの改編版による演奏という点に関してはあまり気にならないかも知れない。

それくらいフルトヴェングラーの演奏が「独特」であり後者の方に大方の関心が向かうからかも知れないが…。

にもかかわらず、本盤はブルックナー・ファンにとっては傾聴に値すると思う。

それは第2楽章アンダンテを中心に各楽章の弦のピアニッシモの諦観的な響きにある。

特に第2楽章18分28秒の非常に遅いテンポのなかに籠められているのは、転調をしても基本的にその印象が変わらない深く、名状しがたい諦観であると思う。

しかもそれはウイーン・フィルのこよなく美しい響きとともにある。

ここに表出されている諦観が作曲者のものなのか、指揮者の時の感興か、双方かはリスナーの受け止め方如何であろうが。

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2014年05月23日


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フルトヴェングラーの、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の有名な1953年のザルツブルク音楽祭の収録。

数回にわたり、録音し、たとえばEMIの1954年、1950年のものもあり、1954年のものは収録時など未詳だが、カラーでフルトヴェングラーの別録りされた序曲を見ることもできる初のオペラ映画ともなり、ステージの雰囲気を残しながら、その後の映像の規範となった。

フルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」の毒、それは重く粘るテンポ、デモーニッシュなものに対応する再ロマン化の試みである。

一聴、演奏の性質は理解されるのは、20世紀、ロマン派以降の音楽が見つめたロマンの性格をまとったドン・ジョヴァンニ像。

マーラーは地獄堕ちの場で、終わらせる試みをして、古典の伝統を保持しようとしたブラームスも絶賛したのはその圧倒的な表現力であった。

ドラマ・ジョコーソ、音楽のためのおどけたドラマであることの証であるヴォードヴィル風のラスト「これが悪人の最後だ。そして非道なものたちの死は、いつでも生とは同じものなのだ」。

ロマンは、ここに偉大な教育パパであったレオポルドの存在と抗ったモーツァルトを重ね合わせ、権威に向かって「ノー」を貫く矜持をみた。

実際、これが喜劇である前に地獄堕ちの場は圧倒的な効果をもたらす。

フルトヴェングラーの映像での演出は、まさに宇宙が現出する。

オッフェンバックの「ホフマン物語」はオムニバスだが、さまざまなE.T.A.ホフマンの諸編をつなぎ合わせて、やはり、楽屋落ち的に「ドン・ジョヴァンニ」の引用がされた。

それは『ドン・ファン』のモチーフに同じで、実際、舞台では恋愛巧者でどん欲に恋愛のカタログの数を積み上げていったドン・ジョヴァンニの試みはすべて失敗に終わるのである。

モーツァルトは巧みに心理にまで踏み込んだ音楽で積み上げたが、それは舞台人としてだけではなく、教養人としてダ・ポンテのシナリオの文学的にも周到な読みがあったと思われる。

当盤は、そのロマン化の徹底を貫いたフルトヴェングラー盤の中でも音質も満足いくもの。

よりロマンを感じるには1954年盤だろう。

音楽が運ばれる必然性、テンポということでは、この重いテンポは幾つかの齟齬をきたしている。

すでに、現代の耳で聴く分にはウィーン初演版をとりあげたガーディナーや、エストマンの小劇場、さらに少人数という芝居小屋の雰囲気が満載のものなどがある。

クイケン、アーノンクールなどピリオド楽器が見出したもの、また、重さでは共通するカラヤンが晩年になり、初めて録音したものは、歌手の年齢層にも考慮され、オペラ巧者のウィーン・フィルではなくシンフォニック・オーケストラであるベルリン・フィルを起用した。

アバドも1997年に録音し、これらはモダンがピリオド楽器の斬新の一方、呼吸が浅く、軽妙なドン・ジョヴァンニ像とは対極のものとしてまだモダンの方向も有効なことを示している。

実際、モーツァルト畢生の大作として、モダンは多くの演奏を制作してきた。

ジュリーニ、クレンペラー、ベーム、ムーティ、クリップス、ショルティみな一家言あるものだ。

ワルターの伝説のメト・ライヴ、またすでに1936年のブッシュ盤には古典的な端正がすでにあった。

しかし、「フィガロ」や「コシ・ファン・トゥッテ」では最良の成果をあげたベームでも、「ドン・ジョヴァンニ」(プラハ盤)のフィッシャー=ディースカウは、その知が鼻につき、モーツァルト録音中、一級の録音とはいえない。

モーツァルトのオペラのどの作を最上のものとするかはしばしば論議され、そして、そんな比較などはやるべきではないのだが、ドラマ性では筆頭なのが「ドン・ジョヴァンニ」。

このフルトヴェングラー盤が今でも、そのドラマ性の齟齬と重く粘るロマンがモーツァルトの本質とは乖離している面があっても、珍重されるのは、その表現が徹底されているからだ。

加えて、シェピとエーデルマンのコンビ、これを一人の人物のコインの裏表という心理的な読みもあるが、1950年代、その歌手のもつ、雰囲気と濃厚なものへの対応。

時代的には、ロマンというには20世紀とはすでに表現主義が跋扈している状態。

だからこそ、ロマンへの回帰なのだ。

他、シュヴァルツコップのドンナ・エルヴィーラ、グリュンマーのドンナ・アンナの女声陣。

たとえばシェピはよりウィーン的なクリップス盤にも登場しているが、歌そのものはよくても、指揮の牽引の力は弱い。

重量の重さ、それは聴き手にとっても、時代の嗜好というフィルターを経て、それでも淘汰されずに生き残ったこと。

やはり往年の演奏のもっていた多少強引でも柄の大きさは得がたく、本作は、そうした濃厚さを今も讃えるものである。

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2014年05月19日


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本盤は、フルトヴェングラーの遺産のSACD化シリーズ第2弾の中では、音質改善効果が極めて少ないと言える。

第1弾でのベートーヴェンの「第2」や「第8」ほどの劣悪な音質ではないが、これらのCDでは、併録の「第4」や「第6」が見違えるような高音質になっていたために高い評価をしてきた。

他方、本盤はブルックナーの「第7」のみの収録であり、残念なのは、マスターテープに起因するものとは思うが、低音があまりにも貧弱で鳴り切っていないということである。

これは、ブルックナーの交響曲の録音としては致命的な欠陥であろう。

フルトヴェングラーのブルックナーへのアプローチは、アッチェレランドを随所に施すなど思い切ったテンポの緩急を駆使するというドラマティックなものであり、現代におけるブルックナー演奏においては、時代遅れとも言うべき大時代的な演奏様式だ。

しかしながら、ライナーノーツで相場ひろ氏が解説しておられるように、本盤の録音当時には、こうしたドラマティックな演奏様式が一般的であったのであり、必ずしもフルトヴェングラーの演奏が特異なものであったとは言い難い。

ただし、このようなドラマティックな演奏は、低音がしっかりと捉えられた鮮明な音質でないと、きわめて軽妙浮薄な演奏に聴こえてしまう危険性が高い。

もっとも、高音質ではあっても、フルトヴェングラーの演奏様式の表層だけを模倣したバレンボイムの凡庸な演奏などは論外であるが、フルトヴェングラーの彫りの深い演奏を、この程度の音質で味わうには相当に無理があると言うべきである。

同時期の録音である「第8」の方は、今般のSACD化によってきわめて良好な音質に生まれ変わったことに鑑みれば、きわめて残念であるというほかはない。

いずれにしても、既発売のCDと比較すると、若干は音質の向上効果は見られるところであり、フルトヴェングラーのドラマティックな名演を、不十分ながら、これまでよりは良好な音質で味わうことができることについては一定の評価をしておきたい。

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2014年04月28日


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今般のフルトヴェングラーによるブラームスの交響曲全集(EMI)のSACD化に当たって、最も高音質化の効果が著しかったのは、「第1」と「第4」であり、その両者に挟まれた本盤はやや分が悪いと言えるが、それでも、これまでのリマスタリングCDと比較すると、次元の異なる良好な音質に生まれ変わったものと高く評価したい。

マスターテープの状態や録音年の違いもあるが、「第2」の方が、より音場に拡がりがあり、「第3」の方は、ノイズを抑えた分だけ、ややダイナミックレンジが狭まった感じがしないでもない。

「第2」の場合は、特に高音にピークがあり、やや音質が濁る傾向があるが、弦楽器など艶やかで実に鮮明な音質に蘇っており、十分に満足し得る音質である。

演奏内容についてであるが、「第2」も「第3」も、フルトヴェングラーが必ずしも数多く指揮しなかった楽曲であることもあり、遺された音源も本盤を含め限られるが、こうして高音質化したSACDを拝聴すると、あらためて、この巨匠の演奏の素晴らしさを大いに感じることができる。

「第2」は、第1楽章と第2楽章は自我を抑制した印象を受ける。

フルトヴェングラーのライヴとしては珍しいが、それでも、むせ返るような弦楽合奏の抒情は、至高・至純の美しさを湛えている。

第3楽章の終結部の大きなリタルランドは、大見えを切るようないつものフルトヴェングラーであるが、これは終楽章の熱狂への橋渡しと考えられないわけではない。

そして、終楽章は完全なフルトヴェングラーの独壇場で、冒頭から、夢中になって突き進んでいき、終結部の猛烈なアッチェレランドは、かの名演の誉れ高いワルター&ニューヨーク・フィル盤と同格の迫力と言える。

「第3」は、冒頭から、フルトヴェングラー節が全開。

第2楽章や第3楽章のむせ返るような抒情も美しさの極みであるし、終楽章の熱狂も、さすがはフルトヴェングラーならではの圧巻の至芸と言える。

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フルトヴェングラーは、ベートーヴェンとともに、ブラームスの交響曲も数多く演奏し、録音もかなりの点数が遺されているが、最もフルトヴェングラー向きの交響曲を掲げるとすれば、やはり「第1」ということになるのではなかろうか。

ベートーヴェンの「第10」と評されたことからもわかるように、ベートーヴェンを意識して作曲された交響曲でもあり、フルトヴェングラーとしても、アプローチのしやすい楽曲であると考えられるからである。

ライナーノーツの解説にもあるように、フルトヴェングラーは10種類もの録音が確認されているようである。

筆者も、そのうち、かなりの点数を聴いてはきたが、音質がいずれもイマイチであり、フルトヴェングラーの本領が発揮された演奏とは言い難いものがあった。

しかしながら、ついに、本盤の登場によって、長年の渇きが癒された。

今般の高音質のSACD盤によって、彫りの深いフルトヴェングラーならではの深みのある表現をかなり鮮明に聴き取ることが可能になったからだ。

特に、弦楽器の艶やかな響きが素晴らしく、これは、既発のCDとは全く次元の異なるものである。

全体的にオンマイクのような感じで、音場の拡がりがあまりなく、特に重要なホルンの音色が弱いのが気にはなるが、それでも、これだけの鮮明な音質に生まれ変わったのだから文句は言えまい。

次いで、音質がいいのは、ハンガリー舞曲の3曲。

このしたたるような弦合奏の厚みのある響きは、従来CDには全く聴かれなかったものだ。

ハイドンの主題による変奏曲は、演奏自体はドラマティックな豪演であり、フルトヴェングラーの個性が全開の超名演であるが、今般の収録曲の中では、音質改善効果が一番少ないとも言える。

特に、高弦がきつく聴こえるのが残念ではあるが、それでも、従来CDと比較するとかなりのレベルにまで改善されたと言えるのではないか。

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2014年04月18日


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フルトヴェングラーの「第9」のバイロイト・ライヴ盤は、人類の持つ至宝とも言うべき永遠の歴史的名盤とされている。

それ故に、初期盤以来、何度もリマスタリングを繰り返してきた。

しかしながら、ブライトクランク盤も含め、いずれのCDも音質の改善効果はイマイチであったと言わざるを得ない。

それ故に、筆者は、フルトヴェングラーによる「第9」の最後の録音であるフィルハーモニア盤(1954年盤)が、ターラよりSACDで発売されたこともあり、そちらの方をベスト盤として、これまで愛聴してきた。

ところが、今般のSACD盤は、ターラ盤に匹敵する高音質であり、ついに長年の渇きが癒されることになった。

それにしても、この歴史的名演を、これほどの高音質で聴ける日が来ようとは、夢にも思わなかった。

しかも、あのEMIがSACDを発売しようとは!

弦楽器の艶やかな、そして金管楽器のブリリアントな響きは、これまでのCDとは次元の異なる鮮明な高音質であるし、我々聴き手の肺腑を衝くようなティンパニの雷鳴のような轟きは、凄まじいまでの圧巻の迫力と言える。

独唱や合唱も、これ以上は求め得ないような鮮明さであり、オーケストラと見事に分離して聴こえるのには大変驚いた。

ホルンの音色がやや古いのは残念ではあるが、これは、録音年代の古さを考慮すれば、致し方がないと言える。

特に、筆者が感心したのは、有名なエンディング。

従来盤だと、フルトヴェングラーの夢中になって突き進むハイテンポにオーケストラがついていけず、それ故に音が団子状態になって聴こえていたが、本盤を聴くと、オーケストラはフルトヴェングラーの指揮に必死についていっており、アンサンブルもさほどは乱れていないことがよくわかった。

これは、世紀の大発見であり、「第9」の肝の箇所だけに、今般のSACD化による最大の功績とも言えるのではないだろうか。

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2014年04月17日


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従来このフルトヴェングラーのチャイコフスキー「第5」の録音は、「演奏・音質共に芳しくない」と言われてきた。

しかし今回デルタ盤で聴き直してみて、音質はともかくとして、演奏自体には、やはりフルトヴェングラーの刻印を十分感じ取ることが出来た。

この演奏には、オーケストラの非力を超えて、ほの暗いドイツ人のの情念が感じられる。

その解釈がチャイコフスキー「第5」の曲想とは、若干異なるかも知れないが…。

筆者はこの録音に3つの意義を感じている。

第一には、言うまでも無く、この録音がフルトヴェングラーが遺した唯一のチャイコフスキー「第5」であることだ。

フルトヴェングラー没後50年以上が経過した現在、戦後の演奏会での録音が今後出現する可能性は非常に低いと考えられる。

第二には、極めてドイツ的なチャイコフスキー解釈になっていることだ。

1952年の夏に大病を患う直前のフルトヴェングラーはまだまだ元気一杯で、ハードスケジュールの中、熱気溢れる演奏を行なっている。

第三には、この演奏が、フルトヴェングラーがチャイコフスキー「第5」を指揮した生涯最後の機会であったことだ。

もしこの演奏が録音されていなければ、我々はフルトヴェングラーのチャイコフスキー「第5」の解釈を耳にすることが出来なかったのだ。

この録音が残されたことに感謝したい。

さらにもう一つ付け加えるとすれば、この録音はある理由で熱心なフルトヴェングラー・ファンの間では有名であった。

それは第4楽章コーダに入る直前の休止部で、聴衆の拍手が入っていることだ。

おそらく当時のイタリアの聴衆にとってチャイコフスキー「第5」はあまり馴染みのない曲目だったのであろう。

終了と勘違いした聴衆の拍手が録音されているのだ。

かつて発売された盤の中には、この拍手をノイズとしてカットしていたものが多かったが、本CDではオリジナルのまま拍手を残している。

それは1952年6月6日のコンサート会場で何が起ったかをそのまま残すことに、ライヴ発売の意味があるからだ。

本CDにはチャイコフスキー「第5」と同じ日のコンサートで演奏された、ワーグナーの2曲が含まれているが、いずれもウィーン・フィルとのスタジオ録音には及ばない。

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2014年04月12日


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フルトヴェングラーの過去の名演のSACD化が着々と進んでいる。

それには、EMIが膨大なフルトヴェングラーの名演のSACD化に踏み切ったことによるところが大きいと言えるが、他のレーベルも負けておらず、キングインターナショナルが、アウディーテレーベルから一昨年発売されたフルトヴェングラーのRIAS音源のSACD化を行ったことは、高音質の呼び声が高いだけに、クラシック音楽ファンにとっては大朗報と言えるだろう。

SACD化の対象となったのは、1947年と1954年のいずれもベルリン・フィルとのベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番。

1947年の演奏の方は、フルトヴェングラーの第2次大戦後の復帰コンサートということもあって、歴史的な超名演との評価が定着しており、本盤に収められた1954年の演奏については、やや分が悪いと言わざるを得ない。

フルトヴェングラーの演奏は、演奏内容の深みにおいては共通しているものの、一つ一つの演奏会に対して、初めて楽曲に接する時のような気構えで臨んだとも言われていることから、各演奏の違いには顕著なものがある。

そうした中にあっても、1947年と1954年の演奏の違いは桁外れであると言えるところであり、とても同じ指揮者による演奏とは思えないほどであると言えるだろう。

交響曲第5番において顕著であるが、フルトヴェングラーの美質でもあった実演におけるドラマティックな表現は、本盤の演奏では随分と影を潜めており、その意味ではある種の物足りなさを感じるかもしれない。

もっとも、そうした踏み外しはないものの、演奏の持つ奥行きの深さ、彫りの深さ、独特の深沈とした味わい深さは、交響曲第5番及び第6番ともに、1947年の演奏を大きく凌駕していると言えるところであり、大巨匠フルトヴェングラーも死の年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地にある演奏と評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、1947年の演奏などとの対比において諸説はあると思うが、筆者としては、フルトヴェングラーによるベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の演奏解釈の究極の到達点とも言うべき至高の超名演と高く評価したい。

それにしても、音質は素晴らしい。

1947年の演奏についても、従来CD盤との違いは歴然としていたが、1954年の演奏については、より後年の演奏だけに、SACD化の効果については歴然たるものがあると言えるだろう。

1954年のライヴ録音、そして音質が悪いとして定評のあるフルトヴェングラーのCDにしては、各楽器セクションの分離度や鮮明さは圧倒的であると言えるところであり、シングルレイヤーによるSACD化により、さすがに最新録音のようにはいかないが、この当時の演奏としては最高水準の音質に仕上がったと評してもいいのではないだろうか。

いずれにしても、フルトヴェングラーによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年04月04日


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これまでの既発CDとは一線を画する素晴らしい高音質SACDの登場だ。

本盤に収められた楽曲は、いずれも1950年代の録音であり、マスターテープの状態にもかなり恵まれていると言えるのかもしれない。

冒頭の「ロザムンデ」は、従来のCDだと、音が団子状態になったり、音場が狭いことともあり、それほどの名演とは思っていなかったが、今般のSACD化によって、フルトヴェングラーの濃密でロマンティシズムに満ち溢れた彫りの深い音楽を構築していることが鮮明に再現され、情感豊かかつ雄渾な超名演であることがよくわかった。

ホルンは残念ながら古めかしい音がするものの、木管楽器や高弦のつややかな響きや低弦の厚みのある響きなどは、この当時の録音としては驚異的な高音質だ。

「未完成」は、冒頭をはじめ、中間部や終結部において提示される低弦による第1主題が、最新録音のようにはいかないものの、相当程度深みのある音質に蘇っており、これまでのCDとは次元の異なる素晴らしい高音質である。

ワインガルトナーは、この主題を指して、地下の底からのようにと評したが、本盤のフルトヴェングラーの演奏を聴いていると、あたかも地下の底から響いてくるような、底知れぬ不気味さを感じさせる。

高弦や木管楽器の響きは美しさの極みであり、ホルンも「ロザムンデ」ほどの古めかしさは感じさせず、フルトヴェングラーの深みのある情感豊かな名演を心行くまで満喫させてくれるのが素晴らしい。

シューマンの「マンフレッド」序曲は、1949年のライヴ録音(DG)の方が世評は高いが、今般の高音質化によって、フルトヴェングラーの濃厚にして彫りの深い表現を鮮明な音質で味わうことが可能となったことにより、筆者としては、ドラマティックさにおいては1949年盤には一歩譲るものの、両者同格の雄渾な名演と評価してもいいのではないかと考える。

リストの「前奏曲」は、おそらくは同曲史上最高の名演。

後年には、カラヤンも、本盤に唯一匹敵する素晴らしい名演を成し遂げているが、カラヤンが圧倒的な音のドラマを構築したのに対して、フルトヴェングラーは徹底した内容重視。

同曲の全ての音符が、あたかも生き物のように躍動しているかのようなコクのある音楽は、作曲者リストが同曲に込めた内容以上のものを紡ぎだした、至高・至純の高みに達している。

このような超名演を、現在望む得る最高の鮮明な高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2014年03月28日


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第2次大戦後、長らく指揮活動から遠ざけられていたフルトヴェングラーの待望の復帰コンサート(1947年5月25日〜27日)は、敗戦に打ちひしがれていたドイツ国民にとっても復興への希望をつなぐ歴史的な演奏会であったのではないだろうか。

そうした当時の聴衆の熱気、そしてフルトヴェングラーの指揮活動への渇望もあって、現時点でCD化されている初日(5月25日)、第3日(5月27日)の演奏は、フルトヴェングラーの、そしてコンサートの演目でもあったベートーヴェンの交響曲第5番、第6番、「エグモント」序曲の最高の名演と評価する識者も極めて多いと言えるところだ。

長年にわたって一般的であったのは第3日の演奏であり、これはDGより逐次高音質化の努力が行われ、昨年にはついにシングルレイヤーによるSACD化も行われたところであるが、それでも完全に満足できるレベルの音質には至っていないところである。

これに対して、第1日の演奏は、ターラレーベルなどから発売はなされていたものの、音質がさらに今ひとつで第3日の演奏に比して目立たない存在であったが、一昨年に、アウディーテレーベルから発売されたRIASの音源によるCDが信じ難いような高音質であったため、俄然注目を浴びる存在となった。

聴きようによっては、第3日の演奏のSACD盤よりも優れた音質とも言えるところであり、演奏内容の質にも大差がないこともあって、現時点では、一部には異論があるかもしれないが、第1日の演奏の方をフルトヴェングラーの代表盤と評する見方が今や支配的になってきたと考えられるところである。

そして、今般、当該アウディーテ盤がついにシングルレイヤーによるSACD化がなされる運びとなり、これをもって、当該盤は揺るぎない玉座の地位を占めるに至ったと評しても過言ではあるまい。

演奏内容、そして音質のいずれの面においても、フルトヴェングラーの数ある演奏の中でも最高峰と言える。

これ以上は求め得ないような重厚にしてドラマティック、そして彫りの深い表現が駆使された交響曲第5番、「田園」としてはいささか重い表現と言えるが、深沈とした味わい深さにおいては他の演奏の追随を許さない交響曲第6番、いずれもフルトヴェングラーの両曲の最高の名演であり、様々な意見はあると思うが、筆者としては、交響曲第5番については、様々な指揮者による名演の中でも随一の超名演と高く評価したい。

それにしても音質の素晴らしさは、戦後間もない1947年のライヴ録音ということに鑑みれば、殆ど驚異的であると言えるだろう。

フルトヴェングラーの大半のライヴ録音は、とりわけトゥッティなどにおいて音が団子状態になり、各楽器セクションの動きが不明瞭になるという欠陥が多々存在しているところであるが、本盤においてはそのようなことは殆どない。

「田園」の第1楽章冒頭からしばらくの間はやや音が前に出てこない感もないわけではないが、それ以外の箇所については、フルトヴェングラーの他の演奏盤のいずれと比較しても、各楽器セクションの分離の明瞭度は比較的優れており、シングルレイヤーによるSACD化により、さすがに最新録音のようにはいかないものの、この当時の演奏としては最高水準の音質に仕上がったと評してもいいのではないだろうか。

いずれにしても、フルトヴェングラーによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年03月23日


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本盤には、ブラームスのヴァイオリン協奏曲と二重協奏曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

ヴァイオン協奏曲は、メニューインがヴァイオリンをつとめているが、フルトヴェングラーの没後の凋落ぶりに鑑みれば、とても信じられないような素晴らしい演奏を披露している。

メニューインは、本盤の録音の頃がベストフォームにあったと言えるのかもしれない。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、4大ヴァイオリン協奏曲の中でもオーケストラが特に分厚いことで知られており、オーケストラ演奏が薄っぺらだとそもそもどうにもならない。

フルトヴェングラーの場合は、そのようなことはいささかも心配ご無用で、本演奏においても、粘ったような進行や重厚さが際立っており、楽曲の核心に向かって鋭く切り込んでいくような彫りの深さも健在だ。

オーケストラは、いつものベルリン・フィルやウィーン・フィルではなく、ルツェルン祝祭管弦楽団ではあるが、フルトヴェングラーの統率の下、持ち得る能力を最大限に発揮した最高のパフォーマンスを示しており、重厚さにおいても前述の両オーケストラと比較してもいささかも引けを取るものではない。

二重協奏曲は、ウィーン・フィルの首席奏者をソリストに起用して演奏したものであるが、これまた素晴らしい名演と評価したい。

ブラームスが最晩年に作曲した協奏曲だけに、フルトヴェングラーのような深遠なアプローチは見事に功を奏しており、孤独な年老いた独身男性の寂寥感を抉り出すような凄みのある演奏に仕上がっている。

ボスコフスキーのヴァイオリンやブラベッツのチェロもウィーン・フィルと一体となってフルトヴェングラーによる崇高な音楽の醸成に奉仕しているのが素晴らしい。

また、この当時のウィーン・フィルの音色に顕著に存在した独特の音色が、演奏全体に適度な潤いとあたたかみを付加している点も忘れてはならない。

録音は、ヴァイオリン協奏曲が1949年とやや古いが、今般のSACD化によって見違えるような素晴らしい音質に生まれ変わった。

特に、ヴァイオリンやチェロの弓使いまでが鮮明に聴こえるのは、録音年代を考えると殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、このような歴史的な名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年03月22日


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本盤にはフルトヴェングラーがメニューインを起用してスタジオ録音を行ったベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と、ロマンス第1番及び第2番が収められているが、いずれも素晴らしい至高の超名演と高く評価したい。

ヴァイオリン協奏曲については、今般の一連のシリーズにおいて同時にSACD化された、ルツェルン祝祭管弦楽団と1947年にスタジオ録音した演奏もあり、そちらも素晴らしい名演で今般のSACD化によって更にそのグレードを上げたところである。

両演奏の優劣の比較は困難を極めるところであるが、録音が本演奏の方が良好であることや、オーケストラの力量においてもフィルハーモニア管弦楽団の方が数段上であることを考慮に入れれば、筆者としては本演奏の方をわずかに上位に置きたいと考える。

本演奏におけるフルトヴェングラーの指揮は例によってスケールの雄大な巨匠風そのものだ。

先を決して急ぐことはない荘重なインテンポで楽想を進めていくが、常に音符の背後にある音楽の精神的な深みを追求しようという姿勢には不動のものがあり、楽曲の核心を鋭く抉り出していくような彫りの深さには際立ったものがある。

フルトヴェングラーによる奥行きのある指揮に対して、メニューインのヴァイオリンも一歩も引けを取っていない。

メニューインは、フルトヴェングラーの死後はクレンペラーとの共演も含め、さほどの名演を遺しているとは言い難いので、この時がベストフォームとも言えるのかもしれないが、卓越した技量を駆使しつつ、情感の豊かさや気品の高さをいささかも失うことがなく、いささかも隙間風の吹かない濃密な演奏を展開しているのが素晴らしい。

併録の「ロマンス」第1番及び第2番は、フルトヴェングラーならではの濃厚なロマンティシズムを味わうことが可能な名演だ。

本演奏におけるうねるような人間味溢れる濃厚さは、他の指揮者だと大仰に聴こえてしまう危険性もあるが、フルトヴェングラーの場合はいささかもそのような危険性に陥ることはない。

それどころか、深沈とした奥行きを感じさせるというのは、フルトヴェングラーだけに可能な圧巻の至芸と言える。

録音は、1953年のスタジオ録音であり、フルトヴェングラーの録音としては比較的恵まれているとも言えるが、今般のSACD化によって見違えるような素晴らしい音質に生まれ変わった。

メニューインのヴァイオリンの弓使いまで聴こえるのは殆ど信じ難いほどであり、このような歴史的な名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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本盤は、フルトヴェングラーの管弦楽曲のいわゆる小品を集めたCDであるが、これまでのリマスタリングCDとは次元の異なる素晴らしい高音質SACDと高く評価したい。

フルトヴェングラーは、いかなる規模の小さい小品であっても、他の規模の大きい交響曲やオペラなどに接するのと同様のアプローチを行っている。

その意味では、クレンペラーと同様であるが、クレンペラーのように聴き手がどう考えようが、わが道を行くということはなく、聴き手に楽曲の魅力を伝えるという演出巧者ぶりは多分に感じられる。

それは、後年のカラヤンと同様なのであるが、カラヤンのように、小品に特化した聴かせどころのツボを心得た演奏を行っているというわけではない(カラヤンの演奏には、フルトヴェングラーの演奏とは違った、圧倒的な音のドラマの構築という魅力があり、決して劣っているわけではない)。

フルトヴェングラーの場合は、小品に特化した演奏は薬にしたくもなく、その演奏は楽曲全体が聴かせどころとも言える濃密なものであり、それ故に、小品においても、雄渾なスケールをいささかも損なうことなく、それでいて聴き手を直ちに惹きつけてやまない彫りの深い名演の数々を生み出したのだと言える。

本盤も、そうしたフルトヴェングラーだけが成し得た至芸の数々を味わうことが可能だ。

メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」序曲とベルリオーズの「ラコッツィ行進曲」は1949年の録音であるが、決して不満を感じさせる音質ではなく、また他の曲はいずれも1950年代の録音であり、マスターテープの保存状態もかなり良かったものと思われる。

高弦や木管楽器のつややかな響き、完全とは言えないものの相当程度各弦楽器が分離して鮮明に聴こえるようになった弦楽合奏など、驚異的な高音質と言える。

ウェーバーの「魔弾の射手」序曲のホルンもいささかも古臭さを感じさせず、実に生々しく響くのには大変驚かされた。

いずれにしても、フルトヴェングラーの至芸を、現在望み得る最高の音質で味わうことができることの幸せを大いに噛みしめたい。

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フルトヴェングラーによる交響曲や管弦楽曲のSACD化に引き続き、今回のSACD化シリーズは協奏曲や管弦楽伴奏付きの歌曲が中心だ。

クラシック音楽業界が不況にあり、ネット配信の隆盛によりパッケージメディアの権威が大きく揺らいでいる中でのEMIによるこのような果敢な取り組みは、大いに賞賛に値する。

本盤には、エドウィン・フィッシャーと組んだベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番と、ルフェビュールと組んだモーツァルトのピアノ協奏曲第20番、そしてフルトヴェングラーによる自作自演である交響的協奏曲が収められている。

いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

このうちベートーヴェンは、まさにフルトヴェングラーの独壇場と言える。

ピアノの伴奏箇所においては、エドウィン・フィッシャーのピアノを引き立てる立場に徹しているようにも感じられるが、オーケストラ単独の箇所はフルトヴェングラー節が全開。

オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団であるが、このイギリスのオーケストラからドイツ風の重心の低い音色を引き出し、音楽の構えの大きい雄渾なスケールの演奏を行っている。

スタジオ録音ということもあり、ライヴ録音の時のような猛烈なアッチェレランドなどは影を潜めてはいるが、重厚にして力感溢れる演奏は、いかにもフルトヴェングラーの音楽ならではの奥行きの深さを誇っている。

エドウィン・フィッシャーのピアノも、フルトヴェングラーの指揮にはいささかも引けを取っておらず、生命力溢れる力強さの中にも崇高な深みを感じさせるピアニズムが見事である。

他方、モーツァルトは、必ずしもフルトヴェングラーが得意とする作曲家とは言えないが、本盤に収められたピアノ協奏曲第20番はそうした通説を覆すほどの名演だ。

これには、ピアノ協奏曲第20番という楽曲の性格に起因するところが大きいと思われる。

本演奏における冒頭は慟哭に聴こえるし、その後も思い切った強弱や適度なテンポの変化などドラマティックな表現も散見されるが、音楽がいささかも矮小化することはなく、スケールの雄大さを失っていないのは、フルトヴェングラーだけが成し得た卓越した至芸の賜物と言える。

ルフェビュールのピアノも、むしろフルトヴェングラーの指揮と歩調を合わせるように、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、豊かな表現力を披露しているのが素晴らしい。

録音については、既発CDはピアノの音は比較的よく聴きとることができたが、フルトヴェングラー指揮のオーケストラの音がやや判然としなかったと言わざるを得なかった。

しかしながら、今般のSACD化によって、ピアノの音色もよりクリアになるとともに、オーケストラの音が非常に鮮明になった。

このような歴史的な名演を、望み得る最高の高音質SACDで味わうことができることを大いに喜びたい。

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2014年03月21日


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これまでの既発売のフルトヴェングラーでは考えられないような超高音質SACDの登場を大いに歓迎したい。

弦楽合奏の圧倒的な重量感、高弦の艶やかな響き、金管楽器や木管楽器のブリリアントな響きなど、とても1950年代の録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

特に、R・シュトラウスの3曲は、もともとフルトヴェングラーの数ある録音の中でも比較的音質が良いことで知られていただけに、その効果は一層絶大で、最新録音に匹敵するような鮮度を誇っていると言っても過言ではあるまい。

おそらくは、フルトヴェングラーSACDシリーズの中でも白眉の高音質と言えるだろう。

いずれにしても、今般のフルトヴェングラーの遺産の一連のSACD化に向けてのEMIの取り組みは、フルトヴェングラーの圧倒的な名演だけにその意義は極めて大きく、まさに歴史的な偉業と高く評価したい。

「モルダウ」は、決して急ぐことがないゆったりとしたインテンポによる彫りの深い、そして雄渾な名演であるが、かかるフルトヴェングラーの卓越した至芸を鮮明な音質で堪能できるのが素晴らしい。

特に、終結部の急流の部分は、従来CDだと音が団子状態でよく聴き取れないのが難点であったが、本盤においては相当程度分離して聴こえるのが見事。

「ドン・ファン」は、冒頭の輝かしい響きの何という鮮明さ。

その後は、各管楽器、弦楽器がクリアに分離して聴こえるのは驚異的であるし、低弦による迫力ある鮮明な響き、そしてソロヴァイオリンによるシルキーな美音には抗し難い魅力がある。

ホルンの朗々たる響きも、古めかしさをいささかも感じさせない。

フルトヴェングラーによる同曲の真髄を徹底的して追求することに根差した彫りの深い濃密な表現が、今般の高音質化によって鮮明に再現された意義は極めて大きいと言うべきであり、同曲には圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンの名演もあるが、筆者としては、一概に優劣は付け難いものの今後は本盤の方を愛聴したいと考える。

「ティル」も圧巻の高音質で、冒頭のホルンの音色が、従来CDだといささか古めかしく聴こえたが、本盤ではそのようなことはなく、音の鮮度が保たれているのは素晴らしい。

その後も、金管楽器の生々しい響き、木管楽器の艶やかな響き、打楽器の迫力は唖然とするほどで、トゥッティにおいて、各楽器が鮮明に分離して聴こえるのは凄いの一言。

フルトヴェングラーの表現は、「ドン・ファン」と同様に彫りの深い濃厚さが支配しており、今般の高音質化によって、間違いなく同曲最高の名演の地位を獲得したと言っても過言ではないのではないか。

「死と変容」は、フルトヴェングラーならではの壮絶にしてドラマティックな名演であるが、従来CDだと、特にトゥッティの箇所で、音がやや団子状態になるなど、今一つその至芸を満喫することが困難な面もあった。

しかしながら、今般の高音質化によって、フルトヴェングラーが表現する死との凄まじい闘いや生についての天国的な美しさが、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な力感溢れる高音質に生まれ変わっており、本名演の価値をより一層高いものとしたと言えるのではないか。

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第1集と比較すると、いずれも録音年代が古いだけに、音質においてやや分が悪いことは否めない。

しかしながら、この年代の録音にしては、素晴らしい高音質に蘇っており、演奏の質の高さも含め、至高の名SACDとして高く評価したい。

少なくとも、初期盤や、その後に何度も繰り返されたリマスタリングCDとは桁違いの高音質である。

冒頭の「さまよえるオランダ人」序曲の圧倒的な音場、音圧からして、その圧巻の迫力に大変驚かされる。

演奏内容も、フルトヴェングラーならではの振幅の激しいものであり、終結部のゲネラルパウゼなど、いささかやり過ぎのきらいがないわけではないが、音楽が矮小化することがないのは、さすがの至芸と言える。

「トリスタンとイゾルデ」は、さすがに1930年代の録音だけに、音質はいささか古いが、それでも、望みうる最大限の音質の鮮明化は施されているように思われる。

フルトヴェングラーは、後年、このオペラの全曲をスタジオ録音しているが、演奏自体は、本盤の方がはるかに上。

同曲の不健康な官能美を、いささかも感傷に陥らず、高踏的な崇高さで描いたのは見事と言うほかはない。

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第1幕への前奏曲は、最もフルトヴェングラー向きの作品だけに、あたりを振り払うかのような峻厳たる威容は、他のどの演奏よりも素晴らしい。

そして、本盤の白眉は「パルシファル」だ。

その中でも、聖金曜日の音楽の純音楽盤は、他にもきわめて録音が少ないが、これまではフルトヴェングラー盤の音質が悪いだけに、窮余の策としてワルター盤を最上位の名演に掲げてきたが、今般の高音質化によって、かなり満足できる音質に生まれ変わっており、今後は、このフルトヴェングラー盤をより上位に置きたいと考える。

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2014年03月20日


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これは「第4」の極上の高音質を聴くべきCDで、それだけでも十分におつりがくるくらいの名SACDと高く評価したい。

まず「第2」であるが、この劣悪な音質はいかんともし難いのだと思う。

何よりも、フルトヴェングラーが「第2」を殆ど演奏しなかったことがその理由であり、漸く発見された本演奏にしても、マスターテープが失われているのだから、そもそもリマスタリングのやりようがないということだと考える。

アセテート盤からの復刻で、雑音などが頻繁に聴こえ、ダイナミックレンジの極端な狭さから、決して聴きやすい音質とは言えないが、既発のCDに比べると、幾分聴きやすくなったのではないか。

ただ、演奏内容は、ワルターの名演などに比較すると、第3楽章のトリオのわざとらしいテンポ設定などイマイチであり、フルトヴェングラーとしても決して満足のできる演奏とは言えないのではないかと思う。

これに対して、「第4」は音質が実に鮮明。

これまでのCDとは全く次元の異なる高音質と言える。

あたかも最新録音を聴くような趣きさえする。

「第4」には、ワルターの優美さや、ムラヴィンスキーの透徹した鋭利さを旨とする演奏が高く評価されており、筆者も、それに大いに賛成するが、こうして高音質化された本CDを聴くと、フルトヴェングラーの演奏も、それらに優るとも劣らぬ見事な名演と改めて再認識することになった。

フルトヴェングラーは、「第4」を偶数番交響曲というような範疇におさめることなく、「エロイカ」や「第5」に接するのと同様にアプローチしているのであり、そのスケールの雄大さにおいては、過去のどの演奏よりをも凌いでいると言えよう。

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ライナーノーツで満津岡氏が論じられておられるように、フルトヴェングラーは、ベートーヴェンの奇数番号の交響曲を得意とし、偶数番号の交響曲はワルターなどの演奏に一歩譲るとされている。

確かに、「第2」など、このシリーズの1曲しか録音が遺っていないし、「第8」も3種類だけしか遺されていない。

しかしながら、本盤の「田園」や本シリーズの「第4」を聴くと、果たして、そのような単純な考え方が成り立つのかと疑問が生じてくる。

それくらい、本盤の「田園」は、これまで発売されたCDとは次元が異なる高音質なのだ。

弦楽器の艶やかな、そしてホルンの朗々たる響きは、あたかも最新録音に近いような鮮度を誇っており、低弦の重量感溢れる迫力も出色のものだ。

これほどまでに高音質化されると、「第4」と同様であるが、演奏内容に対する評価も俄然変更を余儀なくされることになる。

フルトヴェングラーの「田園」は、これまでの従来盤で聴くと、あまりのスローテンポ(特に第1楽章)ぶりに、お化けが出てきそうだとの評価をしたこともあるが、本盤を聴くと、そのテンポが実に理にかなった適切なものであることがよくわかる。

その深沈たるコクのある味わい深さは、フルトヴェングラーだけが成し得る至純の表現と言うべきであり、終楽章の讃歌に至るまで、これ以上は求め得ないような深みのある凄い音楽が連続する。

「田園」と言えば、ワルターの新旧両盤やベーム盤が何よりも名演として念頭に浮かぶが、こうして高音質化された本盤を聴くと、特に、その内容の深さという点に鑑みれば、フルトヴェングラーの本演奏こそ、それら他の名演を凌駕する至高の領域に達していると言える。

これに対して、「第8」は、音質の改善効果がイマイチである。

もちろん、「第2」などと比較すると、まだましと言えるのかもしれないが、それでも「田園」と比較して聴いてみると、その音質の劣悪さが際立つ。

もちろん、演奏自体は、さすがと思わせる箇所も多く、記録としては貴重なものと言えよう。

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凄い高音質SACDの登場だ。

「ワルキューレの騎行」を除いて、いずれも1950年代のスタジオ録音であり、もともと音質の条件は良かったと言えるが、それでも、既発売のリマスタリングCDとは段違いの高音質であると高く評価したい。

重厚な弦楽合奏もつややかに響くし、金管楽器がいささかも古臭さを感じさせず、ブリリアントに鳴り切っているのが素晴らしい。

「ブリュンヒルデの自己犠牲」におけるフラグスタートの歌唱も鮮明の極みであるし、オーケストラの音色と明瞭に分離するとともに、ホールの空間さえ感じさせる点など、これまでのフルトヴェングラーのCDでは考えられなかったことだ。

これほどの高音質になると、これまでかなりの偏見で捉えられてきたフルトヴェングラーのワーグナーについても、全面的にその評価を改める必要が出てくるのではないか。

その偏見とは、影響力の大きいとある高名な音楽評論家による、「ワーグナーはクナッパーツブッシュによるインテンポによる演奏が名演で、これに対して、フルトヴェングラーの演奏は、テンポの激変が音楽を著しく矮小化しており、クナッパーツブッシュの名演には一歩も二歩も譲る」との評価であるが、筆者としては、そうした見解は、多分にこれまでのCDの劣悪な音質によるのではないかと考えている。

本盤のような高音質CDになると、フルトヴェングラーの演奏に彫りの深い内容の濃さが出て、スケールの大きさにおいても、クナッパーツブッシュの名演に必ずしも劣るとは言えないと考えるからだ。

確かに、テンポの揺れは感じるが、決して音楽を矮小化することには繋がっておらず、むしろ、オペラ指揮者としての演出巧者ぶりが遺憾なく発揮されていると言うべきである。

特に、「ブリュンヒルデの自己犠牲」のラスト、愛による救済のテーマが流れる箇所の雄渾なスケールは、フルトヴェングラーだけが成し得る至高・至純の高みに達している。

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2014年03月19日


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フルトヴェングラー指揮によるベートーヴェンの交響曲第5番の演奏については数多くの録音が遺されており、いずれも名演であるが、その中でも最も評価が高いのは本盤に収められた、戦後復帰コンサートの3日目である1947年5月27日のライヴ録音と、既に昨年1月にEMIよりSACD化されて話題を呼んだ1954年のスタジオ録音であるということは論を待たないところだ。

両演奏はあらゆる意味で対照的な性格を有しているが、フルトヴェングラーの指揮芸術の懐の深さをあらわすものとして、クラシック音楽ファンの間でも長年に渡って愛好されてきた名演である。

1954年盤は、前述のようにSACD化によって見違えるような鮮度の高い音質に生まれ変わっており、音質におけるハンディはほぼ解消されたと言ってもいいだろう。

これに対して1947年盤については、かねてから演奏は最高であるが音質が劣悪との刻印が押されているものであり、かかる音質の劣悪さは数年前にSHM−CD盤が発売されても殆ど変わることがなかった。

さらに一昨年、アウディーテより、本演奏の2日前の戦後復帰コンサート初日のライヴ録音がにわかには信じ難い鮮明な音質で発売されたことから、ますます当該1947年盤の立場が危うくなってきていたところであった。

そのような中での今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の登場は、まさに起死回生とも言うべき壮挙と言えるだろう。

もちろん、最新録音のような鮮明な音質になったわけではないが、少なくともこれまでの数々のリマスタリング盤やSHM−CD盤とは次元の異なる高音質に生まれ変わっており、この歴史的な超名演をかなり満足できる音質で堪能できるようになった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

演奏は、フルトヴェングラーの実演がいかに凄まじいものであったのかがわかるような壮絶な超名演だ。

楽曲の本質を鋭く抉り出していくような彫りの深い表現が全体を支配しており、第2楽章の濃厚な味付けはむせ返るようなロマンティシズムに満ち溢れている。

終楽章のエンディングに向けて徐々にテンポを加速し、頂点に向けて畳み掛けていくような凄みのあるアッチェレランドを駆使しているが、それでいて全体の堅固な造型がいささかも弛緩することがないのは、フルトヴェングラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるだろう。

併録の「エグモント」序曲や大フーガも、濃厚なロマンティシズムとドラマティックな迫力に満ち溢れた素晴らしい超名演だ。

フルトヴェングラーは、仮に小品であっても、交響曲に接するのと同じように、楽曲の内容の精神的な深みを徹底的に追求する姿勢で演奏に臨んだが、これら両曲の演奏においても同様であり、その演奏の彫りの深さにおいては、他の指揮者が束になっても到底かなわない。

いずれにしても、このようなフルトヴェングラーによる歴史的な遺産とも言うべき至高の超名演を、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤という、現在望み得る最高品質のパッケージメディアで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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フルトヴェングラーが最も得意としたレパートリーは、何と言ってもベートーヴェンの交響曲であったが、次いで得意としていたのはワーグナーとこのブラームスの交響曲であったのではないだろうか。

その中でも、ベートーヴェンの交響曲第10番との異名を持つ交響曲第1番を十八番としていたのは、十分に理解できるところだ。

それだけに数多くの録音を遺しており、10種類もの録音が確認されているところである。

筆者としても、その殆どをこれまで聴いてきたところであり、いずれ劣らぬ名演であるが、問題はその大半の音質が今一つであり、フルトヴェングラーの芸術の本領を味わうには心もとない状況にあった。

その中でも、本盤の演奏は、フルトヴェングラーは北ドイツ放送交響楽団に客演した唯一の演奏であるが、10種類ものフルトヴェングラーの同曲演奏の中では音質においても恵まれていることもあって、代表盤の地位を占めていたところである。

しかしながら、昨年よりEMIやユニバーサルがフルトヴェングラーの過去の名演のSACD化を行い、ブラームスの交響曲第1番については、ウィーン・フィルとのライヴ録音(1952年1月)、ベルリン・フィルとのライヴ録音(1952年2月)のSACD化が行われた。

もっとも、必ずしも最新録音というわけにはいかないが、少なくとも従来CD盤との違いは明らかであり、これによって、フルトヴェングラーによる同曲演奏の魅力を比較的満足できる音質で味わうことができることになり、この2つのSACD盤がフルトヴェングラーによる同曲演奏の代表盤の地位を占めることになったと言っても過言ではあるまい。

したがって、本盤の演奏の影がかなり薄くなったところであったが、今般、ついにターラレーベルが本演奏をSACD化することになった。

演奏自体も極めて優れたものであっただけに、今般のSACD化によって、かつての代表盤としての地位を取り戻すことになった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

それにしても、本演奏は素晴らしい超名演だ。

冒頭から重厚にして濃厚なフルトヴェングラー節が全開。

終楽章の圧倒的なクライマックスに向けて夢中になって畳み掛けていく力強さは圧倒的な迫力を誇っている。

また、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れており、その深沈とした奥行きや彫りの深さは、まさに神々しいばかりの崇高さを湛えている。

いずれにしても本盤の演奏は、フルトヴェングラーによる同曲最高の超名演と高く評価したい。

併録のハイドンの主題による変奏曲も、効果的なテンポの振幅や、彫りの深い表現を駆使したフルトヴェングラーならではの圧倒的な超名演と評価したい。

音質は、前述のように、今般のSACD化によって見違えるような良好な音質になった。

もちろん最新録音のようにはいかないが、弦楽器の艶やかな音色には抗し難い魅力に満ち溢れており、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フルトヴェングラーによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年02月21日


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フルトヴェングラーにとって音楽とは、古典主義とその末裔たるロマン主義こそ唯一絶対の頂点で、この絶対主義に同調できない友人には、絶交をその場で申し出たことも、若いころにはたびたびあったそうである。

この絶対主義の理念こそが、フルトヴェングラーのシューマン演奏を、他の演奏家による演奏が及ぶべくもない、比類なきものにしたといえないだろうか。

シューマンは、同時期に3つの「弦楽四重奏曲」も完成させている。

どちらの分野にしろ、これらの作品のチャンピオンはベートーヴェンで、当然シューマン自身、ベートーヴェンを意識して作曲したのであろう。

フルトヴェングラーのベートーヴェン絶対主義こそ、シューマンの演奏を、ベートーヴェンが築き上げた交響曲の高みへと少しでも近づけようとした営みだったといえないだろうか。

この演奏に耳を傾ければ、誰しもすぐそこにベートーヴェンの音楽があると合点するだろう。

ベートーヴェンとの距離の遠近をそれほど意識させずに、ベートーヴェンの後期の作品を聴いているような高みへと誘う演奏こそ、フルトヴェングラーとルシアン・カペーにしかできなかったのではなかろうか。

この2人の芸術家ほど、そのベートーヴェン信仰を生涯貫いた人物はいない。

この録音は第4番がベルリン・フィル、第1番がウィーン・フィルとの演奏であるが、フルトヴェングラーは「僕の結婚相手はベルリン・フィルだよ。でも、ウィーン・フィルは僕の恋人なんだ。だから離れるわけにはいかんのさ」と述べている。

カラヤンもそうだったが、この世界を代表する2大オーケストラを曲によって使い分けられることは指揮者にとってなんと幸せで恵まれていることだろう。

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2014年01月29日


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1945年1月28日。

一体この演奏が行われていたその日、ウィーンの町並みはいかなるものだったのか。

いつ連合軍の空襲が襲ってくるかわからない、そうした状況だったのではないだろうか。

そうした、死の危険と隣り合わせの状況下においてなお、このような実に素晴らしいブラームスが演奏されていたということ自体が感動的である。

フルトヴェングラーは、この後すぐにスイスに亡命した。

彼は、ついに第三帝国内にとどまり続けることはできなかったが、最後の最後まで、こうした命がけの演奏をしていたのだ。

この演奏では、フルトヴェングラーの巧みなテンポ設定を知ることができる。

どの楽章、どの部分に関してもテンポについて簡単に考えられているところはない。

フルトヴェングラーの棒さばきによって、曲のあるフレーズ、あるアーティキュレーションがなんと美しく、すばらしく演奏されることか。

途中音程が悪い箇所はいくつかあるが、筆者はもはやこの演奏を聴いているときには、そうしたことを気にしなくなっていた(全く気にかけないということはありえないが)。

そうした傷は、この演奏に関しては、実に小さな傷でしかなく、この演奏から伝わってくるメッセージは強いものだ。

第4楽章の最後の高揚。

この楽章だけでテンポは激しく流動するが、まったくいやらしくなく、わざとらしくない。

この曲の世界に完全に引き込まれてしまうのである。

後半は、フルトヴェングラーの激しいアッチェルランドにオケがついていけないほどである。

オケがアンサンブルを保つことができるかできないか、そのぎりぎりのところまでフルトヴェングラーはオケの奏者を追い込む。

そうして出来上がった音楽は、実に感動的で、聴くものの心を揺さぶる。

何度も繰り返すが、今の指揮者にこうした演奏をできる者は存在しない。

ここまで、音楽の世界に聴衆を引き込んでくれるフルトヴェングラーは、まさにマエストロの名にふさわしい偉大な指揮者だった。

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2014年01月27日


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フルトヴェングラーによる「エロイカ」については、かなり多くの録音が遺されており、音質面を考慮に入れなければいずれ劣らぬ名演であると言えるが、最高峰の名演は本盤に収められた「ウラニアのエロイカ」(1944年)と1952年のスタジオ録音であるというのは論を待たないところだ。

1952年盤が荘重なインテンポによる彫りの深い名演であるのに対して、本盤の演奏は、いかにも実演のフルトヴェングラーならではのドラマティックな名演である。

第1楽章からして、緩急自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、そして大胆なアッチェレランドを駆使するなど、これ以上は求め得ないようなドラマティックな表現を展開している。

第2楽章の情感のこもった歌い方には底知れぬ深みを感じさせるし、終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力は、我々聴き手の肺腑を打つだけの圧倒的な迫力を誇っている。

このように、本演奏と1952年盤は同じ指揮者による演奏とは思えないような対照的な名演であるが、音楽の内容の精神的な深みを徹底して追求していこうというアプローチにおいては共通している。

ただ、音質が今一つ良くないのがフルトヴェングラーの「エロイカ」の最大の問題であったのだが、1952年盤については昨年1月、EMIがSACD化を行ったことによって信じ難いような良好な音質に蘇ったところであり、長年の渇きが癒されることになった。

他方、本演奏については、これまではオーパスによる復刻盤がベストの音質であったが、1952年盤がSACD化された今となっては、とても満足できる音質とは言い難いものがあった。

ところが、次にターラレーベルによるSACD化によって、さすがに1952年盤ほどではないものの、オーパスなどのこれまでの復刻CDとは次元の異なる良好な音質に生まれ変わったところであり、筆者もこれこそが「ウラニアのエロイカ」の決定盤として愛聴してきたところだ。

しかし今般、アルトゥスレーベルから、フルトヴェングラー復刻競争にとどめをさすかのような、レーザーによる非接触方式(エルプ)による画期的復刻で、かつてない鮮度と驚きの音質のディスクが登場した。

1940年代の録音にもかかわらず、ダイナミックレンジの広さからして他盤の追随を許さず、フルトヴェングラーの極限のピアニッシモまでもが体感できる。

一例を挙げれば、葬送行進曲の最後のピアニッシモの空気感まで再現し、まるで幻のマスターテープを聴くかのようだ。

いずれにしても、「ウラニアのエロイカ」を現在求め得る最高音質CDで聴くことができる喜びを大いに噛み締めたい。

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2014年01月09日


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フルトヴェングラーの熱心なファンには釈迦に説法であるが、フルトヴェングラーが最も得意としていた楽曲はベートーヴェンの交響曲。

その中でも、第3番、第5番、第7番、第9番については、他の指揮者の追随を許さないとされる名演の数々を成し遂げており、本人もそれを自認していた節がある。

音質面でのハンディは否めないが、音楽の内容を徹底して追求していこうという深みにおいては、確かに、他の様々な指揮者による演奏を大きく凌駕していたと言えるだろう。

フルトヴェングラーが遺した「エロイカ」の10種類以上ある録音の中で、双璧とされる名演は、大戦中のいわゆる「ウラニアのエロイカ」とも称されるウィーン・フィルとのライヴ録音(1944年)、そしてEMIにスタジオ録音を行ったウィーン・フィルとの演奏(1952年11月26〜27日)というのは論を待たないところだ。

これらについては、前者はターラレーベルが、後者はEMIがSACD化を行っており、もちろん最新録音のようにはいかないが、従来CD盤よりも相当に音質改善がなされており、音質面においても、フルトヴェングラーの同曲の他の演奏の録音よりも恵まれた状態にある。

この2大名演に次ぐ演奏というのは、諸説あると思われるが、本盤に収められた1952年11月30日のウィーン・フィルとのライヴ録音であると言えるのではないだろうか。

ライヴ録音と言えども、フルトヴェングラーが体調を崩していた後の演奏でもあり、気力、体力ともに充実していた1944年の「ウラニアのエロイカ」の時のような、畳み掛けていくような気迫や生命力が全面に出ているわけではない。

もちろん、同年のスタジオ録音のように、踏み外しを極力抑えているわけではないが、その点においては、若干の物足りなさを感じないわけにはいかない。

しかしながら、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、演奏全体に漂う何とも言えない深遠さ、そして、スケールの雄大さは、「ウラニアのエロイカ」を大きく凌駕し、同年のスタジオ録音に肉薄するものがある。

フルトヴェングラーとしては若干控えめではあるが、随所に聴くことが可能な格調をいささかも失うことがないテンポの振幅や、終結部のゲネラルパウゼなども実に効果的だ。

その意味では、同年のスタジオ録音に、フルトヴェングラーのライヴ録音ならではの力感や気迫を付加させたような性格の演奏と言えるところであり、両名演には若干及ばないものの、いい意味での剛柔のバランスという点においては、いかにもフルトヴェングラーならではの素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

そして、かかる本名演も、これまでは音質がいささか劣悪であるというハンディがあったが、今般のターラレーベルによるSACD化によって、大きく改善したと言える。

高弦などが若干きつく聴こえるのは録音年代からして致し方ないところであるが、今般のSACD化によって、漸く「ウラニアのエロイカ」や同年のスタジオ録音といった2大名演と共通の土俵での比較が可能になったと言えるだろう。

いずれにしても、フルトヴェングラーによる素晴らしい名演をSACDによる比較的良好な音質で味わうことができるようになったのを大いに喜びたい。

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2014年01月02日


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1953年の放送用録音による全曲盤である。

3年前のスカラ座での録音よりも、ローマ盤のほうが音がよく、演奏はかなり落ち着きと渋さを増しているが、たとえば《ワルキューレ》を次のウィーン盤と比べると、ちょうどミラノ、ウィーンの中間的解釈であることがわかる。

フルトヴェングラーのローマ盤は、今のところCD、DVDを通じて屈指の演奏であろう。

1953年のモノーラル録音で、音の状態も良好とはいえず、歌手たちの出来も万全とはいえないし、オケの力量にも限界があるが、フルトヴェングラーらしい、スケールの大きな雄渾な表現は、圧倒的なものである。

歌手陣では、ヴィントガッセンのローゲ、パツァークのミーメ、ナイトリンガーのアルベリヒなどが名唱を聴かせる。

コネツニのジークリンデは3年前よりもずっと立派になっており、フンディングのフリックにも 不気味な威厳がある。

歌の充実度ではクラウスが1953年度のバイロイトでの公演を指揮したライヴのほうがやや上だが、オケが引っ込み気味のそのライヴよりもバランスよく録音されていて、フルトヴェングラーの指揮の素晴らしさを満喫できる。

クラウスやショルティの指揮よりも後期ロマン派風に重く粘る傾向もあるが、4部作全体を一貫して流れる高貴なロマンティシズム、浄化された官能美、パセティックな感動の高まりなどは、他の追従を許さない。

この巨匠が、ワーグナーの音楽にかける気迫のひしひしと感じられる、精神性の豊かな、しかもロマン的な色彩の濃い秀演だ。

フルトヴェングラーはこの録音後わずか1年で突然世を去ってしまった。

この録音がまさしくかけがえのないない貴重な意味をもつのは、それが単に"フルトヴェングラーの指環"全曲であるばかりでなく、世界中の多くの人々にとっても容易に聴くことのできなかったこの巨匠のワーグナー演奏を、集約的な姿で示しているからに他ならない。

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一つの時代の終わりには、その時代を総括するような巨大な大物がしばしば出現するものだ。

バロック時代のバッハとヘンデル、古典派時代の終わりのベートーヴェン等はその例の一つであろう。

フルトヴェングラーはその意味で、古典=ロマン派時代の終焉の時期に、この時代の持つ精神性、音楽構造、内的エネルギーの在り方を、演奏の上に総括した位置にある。

フルトヴェングラーは、とりわけベートーヴェン、ワーグナー、ブラームスの演奏に優れた盤を残している。

そして1952年の《トリスタンとイゾルデ》は、この作品の奇蹟にも近い演奏であると思う。

その後、いくつかの《トリスタン》が録音され、名演もある。

しかし、フルトヴェングラーの演奏と比肩し得るものはない。

というより、同じ次元で比較できないというべきだろう。

その理由はフルトヴェングラーの天才のみにあるのではなく、彼の生きた時代と関わっている。

ドイツ古典=ロマン派時代の音楽構造の根本は、ベートーヴェンに代表されるような、頂点を目指して進む音の有機的な生命にあった。

そしてそうした時代が終焉を迎えつつあった時代にフルトヴェングラーはその音楽の総体を包括し、時代の証言として音化したのである。

今後も《トリスタンとイゾルデ》の名演は出るだろう。

しかし、歴史が遡行できない以上、フルトヴェングラーの残した証言に比肩し得るものは、もはや産まれ得ないのである。

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2014年01月01日


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本盤に収められたワーグナーの楽劇「ワルキューレ」は、フルトヴェングラーによる最後のスタジオ録音、そして最後の演奏となったものである。

楽劇「トリスタンとイゾルデ」の成功によって、フルトヴェングラーもレコーディングというものを再評価し、楽劇「ニーベルングの指環」の全曲録音に挑むべく本演奏の録音を行ったのであるが、それを果たすことなくこの世を去ることになってしまったのは、フルトヴェングラー自身も心残りであったであろうし、クラシック音楽ファンにとっても大きな損失であったと言わざるを得ないだろう。

それでも、遺された録音が楽劇「ラインの黄金」ではなく、楽劇「ワルキューレ」であったというのは不幸中の幸いであったと言えるのかもしれない。

本演奏については、楽劇「トリスタンとイゾルデ」があまりも神々しい超名演であるために過小評価されているように思われるが、筆者としては、フルトヴェングラーによる畢生の名演として高く評価したい。

全体としては荘重な悠揚迫らぬインテンポで楽想を進行させているが、各登場人物の深層心理に鋭く切り込んで行く彫りの深さ、そしてスケールの雄大さはいかにもフルトヴェングラーならではのものであり、とりわけ第1幕のジークムント、ジークリンデ、フンディングの間の心理戦におけるドラマティックにして奥行きのある表現は、まさにフルトヴェングラーの真骨頂と言えるだろう。

また、第3幕におけるヴォータンとブリュンヒルデの心の葛藤の描き方には、劇性を遥かに超越した枯淡の境地のようなものさえ感じられるところであり、フルトヴェングラーが構築した現世での最後の音楽に相応しい崇高さを湛えている。

歌手陣もフルトヴェングラーの彫りの深い指揮に一歩も引けを取っておらず、特に、ブリュンヒルデ役のマルタ・メードルとジークリンデ役のレオニー・リザネクの歌唱は素晴らしく、ジークムント役のルートヴィヒ・ズートハウスも実力以上の歌唱を披露している。

ヴォータン役のフェルディナント・フランツの歌唱も重厚さと厳かな威厳を湛えていて圧倒的な迫力を誇っている。

フルトヴェングラーの統率の下、最高のパフォーマンスを示したウィーン・フィルにも大きな拍手を送りたい。

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2013年10月18日


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フルトヴェングラーの「悲愴」のライヴとしては唯一のもので、録音の差もあるが、大戦前のSP録音とは迫力の点で格段の差がある。

演奏の総合点も良く、フルトヴェングラーの「悲愴」としてはこのほうを選ぶべきであろう。

フルトヴェングラーの壮年期の演奏に近い個性的な表現で、スケールも大きい。

最近の演奏様式には見られないロマン的なチャイコフスキーだが、音楽は意味深く、十分説得力がある。

全体に暗くユニークな演奏で、第1楽章の展開部や第3楽章など、ライヴならではの劇的迫力が示されている。

とくに第1楽章のクライマックスの高揚は筆舌につくしがたい。

ティンパニと金管の咆哮の中に全宇宙が崩壊する。

終楽章の情緒豊かな振幅の大きい表現も、この指揮者ならではのロマン性を感じさせる。

チャイコフスキー特有のメランコリーよりもむしろ不健康な哀愁が全曲をふさわしくしめくくる。

フルトヴェングラーはほとんど病的なチャイコフスキーの抑圧感や心理のひだに深く分け入っており、それを当時の神経質な演奏様式で表現している。

そこには人間的ななぐさめと絶望的な雰囲気が交錯しており、これほど深刻な「悲愴」の演奏はほかにない。

それだけに作品の本質に触れる凄さがある。

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2012年12月23日


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ウィーン・フィルと録音した3曲が、さすがはグランドスラム盤ならではの見事な復刻である。

これまでのEMI盤のやや不鮮明な音質とは段違いの、素晴らしい音質に蘇っている。

これによって、フルトヴェングラーの名演を良好な音質で味わうことができるようになったことを大いに喜びたい。

R.シュトラウスの交響詩と言えば、カラヤンによる名演が真っ先に思い浮かぶが、フルトヴェングラーの名演はそれとは全く対照的なもの。

カラヤンの演奏が、オーケストラの機能美を活かした音のドラマであるとすれば、フルトヴェングラーの演奏は、劇的な人間のドラマであるということができよう。

ここで指摘しておきたいのは、両者に優劣はないということ。

両者ともに、それぞれのやり方で最高峰の名演を成し遂げたのだから、あとは、好みの問題と言える。

「ドン・ファン」の官能美と彫りの深い表現、「ティル」のめまぐるしく変遷する場面毎の描き分けの巧みさ、「死と変容」のダイナミックレンジを幅広くとった劇的な表現は、フルトヴェングラーならではの至芸と言えよう。

どの曲もフルトヴェングラーらしい内容のぎっしり詰まった演奏づくりに、今さらながら感動した。

ウィーン・フィルも、フルトヴェングラーの統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

併録のベルリン・フィルとの「ティル」は、グランドスラム盤をもってしても録音はいささか良くない。

演奏自体は、ウィーン・フィルとの演奏よりも劇的な表現を行っているだけに少々残念な気がした。

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2012年12月11日


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戦後のフルトヴェングラーとベルリン・フィルの名演の数々を、少なくとも一般人が簡単に入手できる優れたBOXだと思う。

価格と音の良さと演奏の素晴らしさを考えてみてもこれは素晴らしいBOXだ。

いずれも様々なレーベルから何度もプレスを繰り返して発売されてきた定評ある名演が収録されているが、本BOXの売りは信じられないような音質の良さということになるであろう。

いずれの演奏も、音質の向上が目覚ましいが、とりわけ、CD1のフルトヴェングラー復帰コンサートのベートーヴェンの「第5」と、CD12の、フルトヴェングラーの死の年のベートーヴェンの「第6」と「第5」が著しい。

フルトヴェングラー復帰コンサートの「第5」は、これまで名演と高く評価されてきた、その2日後の演奏がどうにもならないような劣悪な音質だっだだけに、本盤は比較にもならないような信じがたいような高音質で、こうなってくると、本演奏こそ、まぎれもなく、あらゆるフルトヴェングラーのベートーヴェンの「第5」の演奏中、最高の名演と高く評価しなくてはなるまい。

それと比較すると、死の年の「第5」は、いわゆるフルトヴェングラーならではの踏み外しは少ないが、深沈たる深みにおいては、こちらの方にむしろ軍配をあげたい。

「第6」も、フルトヴェングラー向きの楽曲とは言えないと思っていたが、これだけ音質がいいと、そうしたこれまでの考え方を是正したくもなってくる。

その他の演奏では、シューベルトの「第9」が、フルトヴェングラーならではの熱気に溢れた名演で、音質向上効果も抜群のものがある。

その他の演奏も、いずれ劣らぬ名演が繰り広げられており、音質が悪いが故に、フルトヴェングラーを敬遠してきた人の認識を改めさせるのに十分な、素晴らしいBOXであると高く評価したい。

フルトヴェングラー入門者には、バラバラで安いEMIやDGのライヴの廉価盤を集めるよりは、このBOXから購入することを強くお薦めしたい。

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2012年11月30日


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殆どが既にフルトヴェングラーを代表する名演として聴き慣れた曲のはずなのに、このCDを聴いた時の充実感はどこからくるのだろうか。

ともすればこのCDに収録されている曲は、大曲の添え物的に扱われることが多い。

しかし、このように1枚のCDにまとめられると、フルトヴェングラーの演奏は、ここに収録されている曲が序曲・小品であることを忘れさせるほど巨大で感動的であることがよりはっきりする。

決して聴かせどころのツボを心得た巧さを感じる演奏ではない。

小品集でも、こうした名演を聴かせたカラヤンとは大違いである。

しかしながら、一聴すると不器用にも思える演奏内容の何という深さ。

フルトヴェングラーは、これらの小品に対して、一大交響曲を演奏するかのような姿勢でアプローチしていると言える。

したがって、楽曲によっては重々しくなったりするなど、まさに、「鶏を割くに牛刀を用ふ」の例えが符合するような演奏になっているが、逆説的に言えば、小品をこれほどまでにドラマティックに演奏し、そして、その核心に迫るような彫りの深い演奏を行った例は空前にして絶後と言っても過言ではないであろう。

もしかしたら、大曲よりも、こうした小品にこそ、フルトヴェングラーとカラヤンのアプローチの大きな違いがあらわれているのかもしれない。

ここで言っておきたいのは、両者に一概には優劣をつけられないということ。

両者ともに、異なったアプローチによって、それぞれに抜群の名演を行ったのだから、あとは好みの問題にすぎないと思うからである。

グランドスラム盤ならではの復刻音質はいつもながら見事であり、フルトヴェングラーの名演を良質な音で聴くことができる喜びを大いに噛みしめたい。

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2012年11月23日


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こんなに素晴らしい名演であるとは知らなかった。

本盤のグランドスラムによる素晴らしいLP復刻を聴いたのを契機として、フルトヴェングラーはブルックナー向きの指揮者ではないとの認識を改めなければならなくなった。

それほどまでに、既発売CDと、今回のグランドスラム盤の音質の差は大きいと言える。

これまでの市販盤より細部の音が明瞭となり、リマスタリングも成功。

ベルリン・フィルならではの重厚な低音も見事に捉えられているし、最弱音の繊細な響きもかなり鮮明に捉えられている。

演奏も、ベートーヴェンの交響曲などで顕著な劇的なアプローチは決して行っていない。

時折、テンポの変化も見られるが、全体としては荘重なインテンポを維持していると言える。

これは、ブルックナー演奏の王道とも言うべきアプローチであり、フルトヴェングラーは、ベートーヴェンの交響曲とは異なるブルックナーの交響曲の本質をしっかりと鷲掴みにしていたことがよくわかる。

放送録音という状況のせいか、曲想のせいか、フルトヴェングラーとしては、穏やかに安定感のある、内容的な演奏となっており、実に感動的だ。

ライナーノーツによれば、改訂版を使用とのことであるが、「第7」の場合はあまり問題にはならない。

現代でこそ、ヴァントや朝比奈、そして少し時代を遡ればマタチッチによる名演などが目白押しの同曲であるが、本名演の録音は1949年。

まだ、「第7」の名演など殆ど生まれていなかった時代だ。

その意味では、「第7」の真価を初めて世に知らしめた歴史的な名演との評価もあながち言いすぎではあるまい。

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2012年09月24日


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タイトルが、故ヴェルナー・テーリヒェン著『フルトヴェングラーかカラヤンか』(音楽之友社)を念頭に置いているのは明らかだが、インタビュアーである著者の答えは予め出ていて、テーリヒェンを始めとするベルリン・フィル元団員たちの証言を楯にしてずらりと並べ、その陰から矛を繰り出そうという意図だったのだろう。

しかし、元団員たちもただ者ではない。

多くは「その手には乗らない」応答に終始したように読める。

色々興味深い証言はあるのだが・・・・。

それにしても、世の中、本書に限らず、「白か黒か」、「正義か悪か」式の割り切り方に無理矢理持って行こうという傾向が強くて辟易する。

テーリヒェンはすっかりアンチ・カラヤン派のヒーローにされてしまった。

しかし、先年、NHKが、保有する往年の名演奏家たちによるライヴ映像を最新技術で蘇らせたが、ある番組の中に、1957年のベルリン・フィル初来日公演の模様を元団員たちが視聴するシーンがあった。

その中で、かつての自分たちの演奏を、指揮(勿論カラヤン)も含めて一番熱っぽく賞賛し懐かしがっていたのがテーリヒェンその人であった。

上記著書を読んでいただけに少々驚いたが、一方でなるほどと納得もできるのである。

長く続いた人間関係には、単純に仲が良かった悪かったでは済まされない、愛憎が複雑に絡み合った事情があるもの。

うまくいっている時は「あばたもえくぼ」だったのが、一つ歯車が狂い出すとすべてがネガティブになり「えくぼがあばた」になることも珍しくない。

互いに年をとり、柔軟性がなくなって頑なになり、寛容さも忍耐強さも失われてくれば尚更である。

テーリヒェンの著述や発言はそのことを踏まえて受け取る必要があるのではないか。

また、著者とテーリヒェンが崇敬してやまないフルトヴェングラーにしても、ベルリン・フィルとの関係は常に蜜月状態、運命共同体であったわけではなかったことは、ミーシャ・アスター著『第三帝国のオーケストラ』(早川書房)等、近年出版されたいくつかの書物につぶさに記されている。

特に第2次世界大戦後は、1947年5月の有名な復帰コンサートにおける興奮と感動があったにしても、両者の関係はかなり微妙で考え方の乖離も小さくなかった様子。

この点、日本のフルトヴェングラー・ファン諸氏の認識とはかなり相違しているのではないか。

テーリヒェンの著述や発言が、必ずしもこうした事実関係を反映しているわけではないことも記憶しておくべきであろう。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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