ベートーヴェン

2020年11月10日


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ベートーヴェンの音楽に内在する可能性を鮮烈に引き出した演奏だ。

初めて彼らのカルテットを聴いた時には、例えば『セリオーソ』の極限まで高揚するようなアグレッシブなアタックや第1ヴァイオリンを受け持つギュンター・ピヒラーのスタンド・プレイ的な独特のディナーミクにいくらか違和感を感じた。

しかし曲を追って聴き込んでいくうちに、決してグロテスクなパフォーマンスではないことに気付いた。

そこには外側に発散されるサウンドの斬新さとは対照的に、作品の内部に掘り下げて収斂させる表現力にも成功しているからだ。

彼らのアンサンブルは良く鍛えられていて、4人の士気の高さとともに音色には特有の透明感がある。

個人的には特に後期の作品群が。彼らの解釈に最も相応しいのではないかと思う。

聴覚を失って音響から隔絶された世界で作曲を続けたベートーヴェンの境遇を考えれば、どうしてもそこにセンチメンタルな表現を期待しがちだ。

彼らはむしろクールな情熱で弾き切り、清澄だが鑑賞的なイメージを払拭することによって、新時代のベートーヴェン像を見事に描き出したところが秀逸だ。

現在多くのレーベルからリリースされている箱ものバジェット盤は、それぞれ限定生産と銘打ってあるにせよ、芸術的価値は別として、商品としては音源の在庫清算とも思われる。

こうした企画のラッシュは初出時に1枚1枚正価で買い集めたオールド・ファンにとっては、ミュージック産業の生き残りを懸けたサバイバル戦を垣間見るようで複雑な思いだ。

ただこれからクラッシックを聴き始める入門者や若い世代の人達には朗報に違いない。

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2020年08月27日


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両者が調和を求めた演奏ではなく、どちらかと言うと即興的な趣を持ったコンサートという面白みがある。

既にもう1枚の同コンサートのCDのレビューでも書いたが、グラフマンは伴奏に回っても相手に従順に付き添っていくピアニストではない。

そこにはかなり強い主張が感じられ、自らイニシアチブをとって相手を自分の演奏に引き込もうとしているのが聴き取れる。

しかしシェリングも決して後には引かない態勢だ。

彼にとってもベートーヴェンはレパートリーの中心をなす作曲家だけに、譲れない一線があるに違いない。当然2人の間には瞬間瞬間の駆け引きのようなものがあり、一進一退のせめぎ合いがある。

しかしそれが演奏に破綻をきたさないのは、お互いに相手の音楽を注意深く聴き取り、なおかつ付かず離れずの表現上の巧みなバランスを保っているからだろう。

大曲『クロイツェル』のような高度なアンサンブルを要求される難曲でも、緊張感を孕んだ両者の実に彫りの深い表現が聴かれる。

そのあたりはシェリングのディプロマティックで老獪なテクニックがものを言っているのかもしれない。

それはまた1950年代のルービンシュタインとのセッションと大きく異なっている点だ。

何故なら当時は明らかにシェリングの方が巨匠に胸を借りる形で歩み寄っているからだ。

シェリングとグラフマンは1970年と71年のそれぞれ12月にワシントンのライブラリー・オブ・コングレスに招かれ、クーリッジ・オーディトリアムでコンサートを開いた。

この会場は米議会図書館附属の小ホールなので、どんな演奏会であっても入場券は即日完売になってしまう。

また時によっては招待制に限定されることもある。

いずれにしても合衆国政府から実力を認められたアーティストが出演する名誉ある舞台なので、彼らの演奏に対する熱意も充分に感じ取れる。

音質は鮮明だが響きはデッドで、いまひとつ臨場感がないのが惜しまれる。

8ページほどの簡易なライナー・ノーツにはこの演奏会についての回想が掲載されている。

それによると当日彼が使用したピアノはスタインウェイOLD199ということだ。

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2020年06月23日


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ブルーレイ・オーディオ・ディスクが目当てで買ったものだが、音質の良さに改めて感心した。

録音は1959年にウィーン・ムジークフェラインのブラームス・ザールで行われているが、残響は多過ぎず潤いのある両者の明瞭な音色が程よいバランスで捉えられている。

幸い音源の保存状態も完璧でヒス・ノイズも殆ど聞こえない。

できればCDとの抱き合わせではなくブルーレイ単独でリリースして欲しかった。

シュナイダーハンはかつてのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリニストで、時代で言えばワルツやポルカで大衆的な人気を博したボスコフスキーの一代前のコンサートマスターだった。

シュナイダーハンもやはり生粋のウィーンっ子で、彼らに共通する伝統的なウィーン流の奏法がこのディスクでも堪能できる。

確かにスリルや緊張感にみなぎる演奏ではないが、力みが全くなく流麗で屈託のない解釈と洗練された音色で歌い上げるメロディー、特に第5番ヘ長調『春』などで彼の力量が最高度に発揮されている。

一方でまた第9番イ長調『クロイツェル』では迫力よりも風格で優っていて、戦闘的な表現は一切避けながら堂々たる演奏スタイルを披露している。

ピアニスト、カール・ゼーマンは当時のドイツを代表するソリストだっただけあって、いわゆる伴奏者にとどまらず自分自身の主張も通しながら柔軟かつきめ細かいデュエットを協演していて好感が持てる。

シュナイダーハンはカール・リヒターとバッハの6曲のヴァイオリン・ソナタ集も録音していた。

こちらも数年前にカール・リヒターのセットに組み込まれていたが、こちらも名演の名に恥じない演奏で、個人的にはコーガンとのものより趣味に合っている。

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2020年05月30日


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コンドラシンは修行時代に劇場指揮者としてのキャリアを積んだので、オペラやバレエなどの舞台用作品には百戦錬磨の手腕を持っていたが、モスクワ・フィルに移って初めて彼の本領が発揮されるオーケストラル・ワークへの研鑽の機会を掴んだと言えるだろう。

ディスコグラフィーを見る限り、彼のベートーヴェンの交響曲はここに収録された第3番『英雄』と第4番及び第8番の3曲しか見当たらない。

しかしここでは大曲としての構造を完全に掌握した明晰な解釈と堂々たる風格を備えた演奏は、ベートーヴェン指揮者としても第一級の腕を持っていたことを証明している。

第1楽章の颯爽とした開始と緻密なオーケストレーションの再現からも、彼の充実した音楽的構想を聴き取ることができる。

また対照的で劇的な変化が印象に残る第2楽章『葬送』は、通常比較的快速で進めるコンドラシンには珍しく15分ほどかけた、じっくりと構えたアプローチが特筆される。

ちなみに全楽章の演奏時間は約50分に及んでいる。

スケルツォのトリオでは特にホルンに聴かれる特徴だが、終楽章でも古色蒼然としたコンセルトヘボウの音色が生かされて、深みのあるスケールの大きなフィナーレを飾っている。

彼らが古い伝統を引っ提げたプライドの高い名門オーケストラだけに、この共演でもアンサンブルの安定感と共に気品を備えた拡張の高さが面目躍如だ。

コンドラシンがコンセルトヘボウ管弦楽団を振った一連のライヴは、当時オランダ国営放送協会によって録音され、音源の権利をフィリップスが買い取って当初9枚のLPでリリースされた後、8枚のCDにリカップリングして再発になったが、残念ながら現在総てが廃盤になっている。

いずれも客席からの雑音が若干混入しているが、音質の良好なステレオ録音なので是非グレードアップしたセットで復活して欲しいシリーズだ。

ちなみにこれらとは別に仏ターラから同メンバーによる3枚のCDが入手可能で、音源も幸い前者とだぶりがない。

尚このベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』は、1979年3月11日に彼らの本拠地アムステルダム・コンセルトヘボウで行われたコンサートからのライヴで、コンドラシンが西側で遺した2曲しかないベートーヴェンの交響曲のレコーディングだ。

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2020年04月06日


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ベートーヴェンの初期室内楽の集大成といえる2作品を、ウィーンの音楽家たちが最もウィーン的であった時期の名手による演奏で収めたアルバム。

このディスクもかつてのウィーン・フィルの奏者の演奏から醸し出される音楽の馥郁たる薫りと、替え難い特有の情緒が貴重な1枚だ。

彼らはメンバー同士でアンサンブルを組んで切磋琢磨していたので、こうした室内楽も常に自然体でありながら、非常に味わい深い趣を持っている。

またここに収録された2曲は田舎町のボンからウィーンに出て来たべートーヴェンが、精一杯の洒落っ気と商売気を出して作曲した作品である。

そこにはもちろんウィーン気質に取り入るような社交性の中にも確固とした形式と品の良さが感じられる。

最近、あるアンサンブルが演奏したゼプテットを聴く機会があったが、バリリ率いるウィーン・フィルのウィンド及びブラス・グループに比較すると、演奏技術はともかくとしてあまりにも冷たく思えてしまった。

特に第2楽章アダージョ・カンタービレでたっぷりと歌われるウラッハやバリリのメロディーは、恐らく現在では殆ど聴くことが叶わないウィーン風の哀感を漂わせている。

ヴィエンナ・スクールと言えば、典型的な古典派の作曲家ハイドン、モーツァルトそして初期のべートーヴェンやシューベルトもその範疇に入る。

ハプスブルク、マリア・テレージア時代の権謀術数をめぐらせた政略とは裏腹に宮廷趣味は洗練され、その屈託のない享楽嗜好は彼らの作風にも影響を及ぼしている。

ウィーンでは交響曲へのメヌエットの挿入がほぼ欠かせない条件だったことにも表れている。

また複雑さを嫌い、シンプルで明快な音楽が好まれたことが、そのまま古典派の様式として形成されていることも例外ではないだろう。

べートーヴェンは早くからメヌエットを捨て去ってしまったが、この2曲では当然の如く採り入れている。

特にゼプテットの第3楽章ではジェオメトリックとも言えるような、均整の取れた充実した変奏曲として扱われている。

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2020年01月05日


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2020年はベートーヴェンの生誕250年であるが、コンヴィチュニー&ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーヴェン演奏は過去のものとはいえ自然体の表現が今あらたに普遍性を得ている。

コンヴィチュニーは古いドイツの楽長タイプの指揮者を連想させるが、オーケストラも同様で、第1、第2ヴァイオリンが左右に分かれ、コントラバスは左手奥に位置するという配置がさらに古めかしい印象を強める。

しかし、この配置では完璧なアンサンブルを求めるのは容易なことではないが、ベートーヴェンの場合、左右の掛け合いが実に効果的で、演奏に独自の立体感をもたらしたのは収穫である。

また管楽器の独特の音色が印象的で、いまと違って当時はすべて古い年代の楽器であったのだろうが、なかでも木管の原色的な色調とヴィブラートを抑制した奏法は、彼らの演奏にすばらしく古雅な趣をそえている。

むろん管弦のバランスが、確かにドイツ風といえる独自の重量感をもっていることは付け加えるまでもない。

したがって古典的、理性的なベートーヴェンであるが、それは情念の解放とか、情熱の外部への高揚を求めるより、伝統の枠組のなかにぴたりとはまり込んだような音楽をつくっている。

彼らの演奏はすべてが保守的であり、自由でしなやかな流動感や現代的な感覚美とは無縁のように感じられる。

しかし、それで音楽が形式的かというとそうではなく、楽想の発展が建築的に表出されながらも、その内部には素朴に内燃する感興が示されているのである。

確かに、この指揮者の音楽へのアプローチは、常に実直・誠実であった。

現代の指揮者のように外面的な効果や恰好のよさを求めず、ひたすら純粋に音楽の再現に徹していた。

むろん、いま、このような指揮者はもはや存在しないとさえいえるが、それが、現在再びコンヴィチュニーの再評価をうながす大きな理由となっているのだろう。

あえていえば、すべての演奏はコンヴィチュニーの表現を土台としてはじまる。

その客観的な妥当性と安定感の高さは、稀有のような大きな普遍性をつくり出していると考えてよいのである。

ベートーヴェンはその意味で現在も高く評価されてしかるべき演奏である。

この演奏は、かつてわが国に紹介された頃、伝統の響きと形容されたが、現在ではロマン派をくぐり抜けたところの古典主義への再帰と見るべきであろう。

ベートーヴェン演奏の様式が、オリジナル楽器の再興で大きく変化した現在、既にコンヴィチュニーの演奏のスタイルが過去のものになったといえるが、しかしながらコンヴィチュニーがゲヴァントハウス管弦楽団を駆使した芸術は、彼らの時代の証言であり、それとともにそれなりの普遍性を獲得している。

それは現在も無視し得ないもので、時代を越えて音楽そのものの本質を語ってくれるのである。

コンヴィチュニーの『ベートーヴェン交響曲・序曲全集』は、いま、その意味でかえって新鮮であるかも知れない。

これらの演奏のほとんど一分の隙もない構築性、必要最小限の表情があらゆる虚飾と添加物を取り去って、その本質を無理なく、ほとんど自然体のように表出するからである。

それはコンヴィチュニーの演奏が一見、没個性的に見えながら、実はそうではなく、確固とした音楽観を身に付けていることを証明しているとも思えるほどである。

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2020年01月01日


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スメタナ四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の名演としては、1976〜1985年という約10年の歳月をかけてスタジオ録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集が名高い。

さすがに、個性的という意味では、アルバン・ベルク四重奏団による全集(1978〜1983年)や、近年のタカーチ四重奏団による全集(2002年)などに敵わないと言えなくもないが、スメタナ四重奏団の息のあった絶妙のアンサンブル、そして、いささかもあざとさを感じさせない自然体のアプローチは、ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに大きく貢献していた。

もちろん、自然体といっても、ここぞという時の重量感溢れる力強さにもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた美しい演奏というのが、スメタナ四重奏団による演奏の最大の美質と言っても過言ではあるまい。

ベートーヴェンの楽曲というだけで、やたら肩に力が入ったり、はたまた威圧の対象とするような居丈高な演奏も散見されるところであるが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏にはそのような力みや尊大さは皆無。

ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力を真摯かつダイレクトに聴き手に伝えることに腐心しているとも言えるところであり、まさに音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言っても過言ではあるまい。

今回マスターとして使用されたのは、総て前述の名盤の誉れ高い全集に収められた演奏の約20年前の旧録音で、彼らの活力に漲っていた時期の代表的な演奏だ。

全集があまりにも名高いことから、本盤の演奏はいささか影が薄い存在になりつつあるとも言えるが、メンバーが壮年期を迎えた頃のスメタナ四重奏団を代表する素晴らしい名演と高く評価したい。

演奏の基本的なアプローチについては、後年の全集の演奏とさしたる違いはない。

しかしながら、各メンバーが壮年期の心身ともに充実していた時期であったこともあり、後年の演奏にはない、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出してくるような強靭な生命力が演奏全体に漲っていると言えるところだ。

例えば大作第13番の大フーガでは鍛え上げられた緊密なアンサンブルによって、一瞬たりとも緊張感を失うことなく一気呵成に聴かせてしまう。

したがって、後年の円熟の名演よりも本盤の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないとも言える。

このセットに収められたベートーヴェンの6曲の後期弦楽四重奏曲は、彼の聴覚が完全に失われた後の作品で、音の世界から全く隔絶された彼の頭脳の中だけで思索され、生み出された。

その内容の深遠さには尋常ならざるものがあることから、前述のアルバン・ベルク四重奏団などによる名演などと比較すると、今一つ内容の踏み込み不足を感じさせないわけではないが、これだけ楽曲の魅力を安定した気持ちで堪能することができる本演奏に文句は言えまい。

スメタナ四重奏団は、こうした孤高の境地にあったベートーヴェンの作品が実は紙に書かれただけのものでない、実際に私達の心を強く打つ音楽であることを彼らのアンサンブルを通して証明した、稀にみる四重奏団だった。

いずれにしても、本盤の演奏は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としては最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したい。

尚第11番(1962年録音)と第12番(1961年)は、これまでのCDリストから消えていたもので、スプラフォン独自のリマスタリングで復活した。

音質は極めて良好で、クレスト1000シリーズの廉価盤に比較してやや中低音に厚みのある、奥行きを感じさせるリマスターだ。

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2019年11月26日


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古い音源ながら新規の24bit/96kHzリマスタリングも良好で、ブルーレイ・オーディオの長所が良く出ている。

アナログ時代の名残でマスター・テープのヒス・ノイズが聞こえるにしても、音場がより立体的になり、それぞれの楽器の音像もかなり明瞭に聴くことができるし、低音から高音までのオーケストラのサウンドの拡がりも充分で、CDで初めてリリースされた時の音質より格段に向上している。

綴じ込みだがライナー・ノーツもしっかりしたコレクション仕様で、資料としての価値も高い。

またこれも既に指摘されているようにCDとの抱き合わせ商法ではなく、単独のブルーレイ・オーディオ・ディスクでの全曲リリースが好ましい。

ライバルのワーナーからはリマスター盤は集大成されたものの、高音質盤の方は二の足を踏んでいるのが惜しまれる。

この交響曲全集は1997年にドイツ・グラモフォン創立100周年記念として同社から刊行された全20巻87枚のベートーヴェン・エディションの第1巻に組み込まれた音源だ。

筆者自身は実はベーム、ウィーン・フィルの方を期待していたのだが、当時まだ帝王の威厳に輝いていたカラヤン盤が選ばれたのも、売れ筋から考えて当然と言えば当然の結果だった。

しかし改めて鑑賞してみると、確かに音楽的にも無駄がなく颯爽としたテンポ感やオーケストレーションの再現のスマートさは、幾らか頑固なまでにスコアに誠実なベームとは対照的であり、ベートーヴェン演奏の新時代を築いたディスクとしても強い説得力がある。

1960年代の全集は、ベルリン・フィルの芸術監督に就任して7年が過ぎ、フルトヴェングラーのオーケストラからカラヤンが自らの手中に収めつつある時期に、ベルリン・フィルにとっても最も重要なレパートリーであるベートーヴェンで自らの力と新生ベルリン・フィルを世に問うたもの。

この頃には既にカラヤンのスペクタクルなサウンド・スタイルは確立されていて、ここでもベルリン・フィルの実力を縦横に発揮させた濃厚なオーケストレーションが特徴的だ。

その表現は後の2度の録音より鮮烈で、彼のベートーヴェンの音楽に対する創造的な気概に満ちている。

トスカニーニの影響が強いなどと言われたこともあるが、今聴くとそこにあるのはやはりカラヤンの個性である。

しかもトスカニーニの亜流的な演奏とは画然と異なり、主観と客観が見事にバランスした演奏の清新な表現は今も説得力を失わない。

溌剌とした覇気とカラヤン特有の演出の妙が絶妙のバランスを保っていて、テンポにたるみがなく、表情は率直でむらがない。

ドイツ・グラモフォン社が持っていた新録音ではなく、この演奏を選んだ理由は演奏の質の高さだけでなく、よい意味でのスタンダード性からだろう。

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2019年11月01日


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カラヤンはベートーヴェンの交響曲全曲録音を都合4回行ったが、この『第9』はその2回目にあたる1962年のもので、ドイツ・グラモフォンへのベルリン・フィルとの初録音でもある。

またこの音源は後にOIBPリマスタリングされ、グラモフォンが1997年に刊行した全20巻、合計87枚に及ぶベートーヴェン全集の第1巻に組み込まれた。

同社が持っていた新録音ではなく、この演奏を選んだ理由は演奏の質の高さだけでなく、よい意味でのスタンダード性からだろう。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任して7年が過ぎ、フルトヴェングラーのオーケストラからカラヤンが自らの手中に収めつつある時期に、ベルリン・フィルにとっても最も重要なレパートリーであるベートーヴェンで自らの力と新生ベルリン・フィルを世に問うたもの。

この頃には既にカラヤンのスペクタクルなサウンド・スタイルは確立されていて、ここでもベルリン・フィルの実力を縦横に発揮させた濃厚なオーケストレーションが特徴的だ。

その表現は後の2度の録音より鮮烈で、彼のベートーヴェンの音楽に対する創造的な気概に満ちている。

管弦楽とコーラスの音のバランスも非常に均整が取れていて、彼のサウンドづくりに懸ける執念のようなものが伝わってくる。

トスカニーニの影響が強いなどと言われたこともあるが、今聴くとそこにあるのはやはりカラヤンの個性である。

しかもトスカニーニの亜流的な演奏とは画然と異なり、主観と客観が見事にバランスした演奏の清新な表現は今も説得力を失わない。

溌剌とした覇気とカラヤン特有の演出の妙が絶妙のバランスを保っていて、テンポにたるみがなく、表情は率直でむらがない。

高度なアンサンブルが要求されるソリスト陣の中ではヴァルター・ベリーの力強さ、ヤノヴィッツの清冽な歌いぶりが優れているが、とりわけ終盤の四重唱は絶品。

カップリングされた『コリオラン序曲』は1965年の録音で、華麗であり、要所を巧みに押さえた表現だが、カラヤンがこうした曲の演奏効果を知り尽くしていることは言うまでもない。

音質はこの時代のものとしては極めて良好で、今回のルビジウム・カッティングによって得られたオーケストラの練り上げられた音色が、かえってアナログ録音の特質を良く捉えているようだ。

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2019年08月20日


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歴史的名演というものの最たるものがこのフルトヴェングラーの「第9」であるだけに、これまでにも高音質化の試みが何度もなされてきたが、通常CD盤でありながら、最も満足のいく出来ばえなのがこの2019年ニューマスター盤だ。

改めて述べるまでもないと思うが、第2次大戦後、ヒットラーとの関係などもあり閉鎖されていたバイロイト音楽祭が1951年に再開されたとき、その開幕記念を飾る演奏として計画されたのが、このフルトヴェングラーの「第9」コンサートであった。

ドイツ人なら誰しもが喜んだであろう再開であったが、それは虐殺されたユダヤ人の悲劇がまだ生々しかった時代のことであり、現代とは自ずと取り巻く環境は異なっていたはずである。

フルトヴェングラーも一時期は演奏活動を禁じられたほど第2次大戦の悲劇は音楽家たちにも影を落とした。

このバイロイト音楽祭もクナッパーツブッシュやカラヤンのようなバイロイト初登場の指揮者たちが顔を揃えているから、再開といえども祝典気分一色というのではなかったはずである。

むしろ新たな陣容でドイツの音楽史が歩み出すことを内外にアピールする切実な責務、使命感がその底にあったものと思われる。

フルトヴェングラーの双肩にそうした期待感と重圧がのしかかってきたわけだが、ここでフルトヴェングラーが聴かせた音楽はまさに壮絶そのものであった。

それは「第9」という作品の桁外れの素晴らしさを余すところなく明らかにすると同時に、演奏という再現行為が達成し得る、さらに深遠で、神秘的な奥深さへと聴き手を誘う記念碑的偉業となったのである。

演奏という行ないはいつしか信仰告白とでも言うべき高みへと浄化され、作品は作品としての姿を超えて彼方からの声と一体化する、そんな陶酔的感動の瞬間を作り出してしまっている。

以来、この歴史的ライヴ録音は演奏芸術の鑑として聳え立ち、もちろんその後、誰もこれを凌駕する演奏など作り出していない。

超えられる演奏などではなく、目標として仰ぎ見ることだけが許された名演と言ってもよいのかもしれない。

アメリカ生まれのスウェーデン人の名指揮者ヘルベルト・ブロムシュテット(1927年生まれ)は偶然にもこの演奏を聴くことができた音楽家だが、その日受けた感動をあまりしゃべりたがらない。

同じ指揮者として自分が日々やってることが、このフルトヴェングラーの演奏と対照されるとき、一体どれほどの意味と価値を持つものなのか悩み抜くからで、ことに「第9」の指揮は今なお怖いという。

聴衆の中に一人でもあの日の聴衆がいると思うと怖くてステージに上がれなくなる、いやこの歴史的名演をCDや放送で聴いて感動した人がいると思っただけでも、もう緊張してしまうのだそうである。

世界的巨匠と崇められるベテランの名指揮者を今なお呪縛してしまう、それほどの名演である。

歴史に残る演奏に出会える機会はそうあるものではないが、稀に見る奇跡を記録した演奏がこの「第9」である。

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2019年06月27日


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ベートーヴェンの『変奏曲ヘ長調』Op.34、同ニ長調Op.76及び『プロメテウスの創造物による15の変奏曲とフーガ変ホ長調』Op.35は1970年にザルツブルクでオイロディスクに録音したセッションになる。

カップリングされたシューマンの『ノヴェレッテ』第2番ニ長調、第4番ニ長調、そして第8番嬰へ短調の3曲は79年に東京厚生年金会館ホールでのライヴになる。

いずれもリマスタリングされた音質はきわめて良好で、リヒテルの多彩な表現力が縦横に駆使された優れたアルバムになっている。

またピアノの音色の美しさとその対比も周到に考えられていて、彼の音に対する鋭い感性が窺える。

ベートーヴェンの『変奏曲ニ長調』では自作の劇付随音楽『アテネの廃墟』からの「トルコ行進曲」がそのままテーマとして使われているが、ヘ長調の方では流麗に仕上げ、この曲では鮮やかな対照を際立てるリヒテルのテクニックは流石だ。

彼はこの曲を気に入っていたらしくコンサートでしばしば取り上げたが、普段それほど演奏される機会に恵まれていないので貴重なサンプルでもある。

一方フーガのついた大作変ホ長調のテーマは後に交響曲第3番『エロイカ』の終楽章にも再利用されているだけに、リヒテルも当然そのピアニスティックな効果を意識したスケールの大きな表現が聴き所だ。

各変奏の鮮やかな性格対比があるうえに、作品全体を通してベートーヴェンが意図した統一と集中が達成されていて、この2つが相乗効果を発揮して、緊迫した音楽的瞬間を生み出している。

まさにベートーヴェン弾きとしてのリヒテルの面目躍如たる名演で、この演奏は“音によるドラマ”にほかならず、ここまで変奏曲を深めてくれるピアニストは珍しい。

ライナー・ノーツは見開きの3ページのみで典型的な廉価盤仕様だが、演奏の内容は非常に価値の高いものだ。

音源は英オリンピアからのライセンス・リイシューになり、ミュージック・コンセプツ社では特に音質の優れているものを選んでアルト・レーベルから供給しているようだ。

尚前半3曲のベートーヴェンに関してはザルツブルクと書かれている以外は録音場所が明記されていない。

ホールを限定することはできないが、その潤沢な残響とピアノの音色からして、彼が好んで訪れたクレスハイム城内で行われたことが想像される。

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2019年05月26日


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ハインツ・レーグナーが1982年から翌83年にかけてベルリン放送交響楽団を指揮したベートーヴェン序曲全集のリイシュー盤で、当時のドイツ・シャルプラッテン音源を2枚のCDに纏めたものだ。

西側のオーケストラのような垢抜けたスマートでスペクタクルな演奏とは言えないが、彼の堅実な音楽の構築と愚直とも思えるテンポ設定や楽器法から鳴り響くパワフルなオーケストラが、本来の極めてドイツ的で質実剛健な音響を創り上げていることは確かだ。

この時代の旧東ドイツのオーケストラ特有のサウンドは団員のグローバル化と共に現在次第に失われつつあるが、このCDを聴いていると、まだこの時期には彼らの伝統が健在であったことが証明されている。

アバドがほぼ同時期にウィーン・フィルを振った同序曲集と聴き比べると、その鮮やかな違いに驚かされるが、レーグナーの演奏にはベートーヴェン気質の力強さとある種の朴訥さを髣髴とさせるものがある。

ベートーヴェンは生涯にたった1曲のオペラしか作曲しなかったが、改訂版や異なった劇場での初演のために都合4曲の序曲を用意している。

またその他の劇場作品の付随音楽や特別の機会のための序曲を合わせると11曲になり、その総てがここに収録されている。

この2枚組は2011年に初めてCD化された時のリマスタリング盤だが、録音会場となったベルリン放送局SRKホールの残響がやや過剰という印象があり、これはオリジナル・マスターに由来するものと思われる。

ただし音質は良好で、左右へのワイドな音場が感知され臨場感にも不足していない。

10ページほどのライナー・ノーツにそれぞれの曲についての簡易な日本語解説付。

ところで筆者はレーグナーが読売日本交響楽団を指揮してベートーヴェンの「第9」の実演に接したことがあるが、彼のスタイルは、このCDとは異なり、大いに戸惑った覚えがある。

彼は「第9」を振りながら少しも力まず、最強音は中強音、弱音は最弱音というように音量を抑え、きれいな音色で、さながらモーツァルトのようなベートーヴェンを描き出してみせたのである。

しかも、ユニークなのは全曲にいくつかの山があり、そのクライマックスでは余力を十二分に残した指揮者とオーケストラが、肌に粟粒を生じさせるほどの凄絶なフォルティッシモを轟かせたことである。

レーグナーのオーケストラに対する統率力には抜群のものがあり、読売日本交響楽団がいかにしなやかで緻密な音色とアンサンブルを獲得したのは周知の通りだ。

やがて彼は、乞われて同楽団の常任指揮者となり、やっとその芸風の全貌が示されるようになった。

すなわち、彼は前述の「第9」にみられるように、スケールの小さい、短距離のフレージングを持った、軽やかな音楽を奏でる人で、舞台姿や指揮ぶりもそのことを如実に物語っていたのである。

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2019年05月14日


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「交響曲ごとに作風が変わり新しい境地を拓いていった」という評価は、朝比奈隆がベートーヴェンの偉大さを語る決まり文句のようになっていた。

このことは、ベートーヴェンの9つの交響曲を1人の指揮者と1つのオーケストラのコンビで完璧に演奏することがいかに難しいかを物語っている。

事実、朝比奈だけでなく多くの指揮者がこの交響曲全集を手掛けてきたが、決定盤は未だ現われていないと言っても過言ではない。

現在のところ、全集録音の最多記録を誇る朝比奈が手兵大阪フィルと組んでDVD化された『最後のベートーヴェン交響曲全集』を視聴し、ますますこの感を強くした。

朝比奈は、永年にわたり関西を中心に指揮活動を行なう傍ら、壮年時代から度々ヨーロッパに足を運んで現地のオーケストラを指揮する活動を続けており、ベートーヴェンの解釈では本場のヨーロッパでも高い評価を受けていて、このDVDからも、その成果は十分窺い知ることができる。

しっかりした曲の構成、重要なパッセージでのテンポの運び、強弱を含めた1つ1つの音符の処理など、どれをとっても立派でさすがであり、それが最も遺憾なく発揮されているのが、第5番である。

オーケストラの演奏はベストではないのだが、盤を通じて指揮者の気魄がジーンと胸に迫ってくる名演奏である。

遅めに設定したテンポは、大阪フィルの音に質量感を与えることに成功しているが、その反面、一部のマッチングの悪い場所では、遅めのテンポが仇になって、間延びした感じになってしまっている(3番『英雄』1・4楽章、4番4楽章など)。

オーケストラの音色に注目すると、大阪フィルの各パートの音色は、どれをとっても華麗である。

比較的種類が少ない初期の交響曲においては、この音色がベートーヴェンの音楽美を引き出すのにプラスの作用をしている。

しかし4番以降、多くの楽器が重なるパッセージにおいては、旋律を受け持つ楽器の音色が不鮮明で、ベートーヴェンの特徴である各楽器がそれぞれに語りかけてくるような箇所では、旋律の説得力が弱められている。

さて、このDVDはライヴであるが、ライヴ収録には、指揮者の意図を忠実に実現したいという狙いを出せる反面、録り直しは利かないというリスクがあり、ここでは演奏者のスタミナの問題も小さくない。

朝比奈の遅めのテンポ、完全なリピート実施、生演奏という状況下で、演奏者は力を使い果たしてしまうのか、最後の盛り上がりに十分な力が出せていない。

7番終楽章のコーダには音抜けがあり、9番最後のプレスティッシモ以降のコーラスには疲れが目立つ。

これがもし指揮者の意図にそぐわないものならば、この部分の音を録り直した方がずっと良い演奏になったことだろう。

日本人の体位は近年向上しているが、まだまだ欧米人の域には達しておらず、特に息を使う管楽器や声楽の人にとって、このハンディは大きい。

また9番のような場合、1人や2人のスーパーマンを連れて来て解決する問題ではないのである。

最近では、バックアップ・テープで、ライヴの趣旨を損なうことなく音の部分修正ができる技術も進んできているので、企画段階からの音の録り直しについての配慮が必要だったように思われる。

以上、問題点ばかり書いたが、この全集の中には滋味溢れる好演が多く、特に1番、2番、5番は、ベスト・ワン級の名演奏であり、また、6番『田園』と7番もなかなか良い演奏である。

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2019年04月14日


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ジネット・ヌヴー(1919-49)の録音集は既にコンプリート・スタジオ録音4枚組がドキュメンツからリリースされているが、ヴェニアスによってライヴを含めた彼女の1938年から49年までの音源が、よりインテグラルな形で纏められた。

1935年のヴィエニャフスキ・コンクールで僅か15歳だったヌヴーが26歳のダヴィッド・オイストラフを抑えて優勝したエピソードは両者のキャリアが語られる時、必ずと言っていいほど引き合いに出されるが、実際にはこの2人の演奏スタイルはデュオニュソスとアポロンに喩えても良いほど異なっている。

少なくともこの時期のヌヴーは強い感性に導かれるままに演奏しているように思える。

それは天才だけが成し得る技には違いないのだけれど、一方でオイストラフはクラシックの将来の演奏様式を先取りするような個性の表出を避けた高踏的な解釈が特徴だ。

残念ながら彼女は円熟期を迎えることなく夭折したので、その後どのような演奏を開拓したかは知る由もない。

しかしここに示された作品にのめり込むような濃密な情念はヌヴー若き日ならではの奏法だ。

しかも彼女は、当時としても稀有な、音楽に対する烈しい情熱と深い洞察力、解釈を構成する夥しい精神と明晰な知性をそなえており、並外れた自発性と詩的感覚がそれを支えている。

このようなテンペラメントは確実な技巧と結びついて、スケールの大きい、力強い演奏を生み出した。

彼女がベートーヴェン、ブラームス、シベリウスの協奏曲で、戦前からの巨匠に伍して充実した演奏をしたのもそのためである。

中でもイッセルシュテット、北西ドイツ放送交響楽団のサポートによるブラームスは白眉で、何かに憑かれたような激しさが聴く者を圧倒する。

2年前のスタジオ録音も構成力と感情表現のバランスが見事であったが、それに比べてライヴ録音の緊張感が演奏にいっそうの輝きを与えていて、臨場感があり、高揚した精神が演奏の隅々まで行き渡っている。

その反面、第2楽章では旋律を優美に歌わせて優美な情感を引き出している。

それはあたかも短く燃え尽きる彼女の人生を予感しているようで感慨深い。

ドラティ、ハーグ・レジデンティ管弦楽団のサポートによるブラームスは、3種類ある彼女の録音の最後であるが、彼女の演奏がますます充実してゆくのがよくわかる。

ブラームスのロマンティシズムを健康な精神と結びつけた彼女の解釈は、この曲の理想的な演奏を生み出している。

ロスバウト、南西ドイツ放送交響楽団のサポートによるベートーヴェンでも、彼女の力強い個性は、雄渾な解釈で、この音楽にあらゆる面から迫っている。

第2楽章の優美な表情は、彼女の幅広い、そして深い感情移入を示している。

ジュスキント、フィルハーモニア管弦楽団のサポートによるシベリウスも素晴らしく、この曲のロマンティシズムを線の太い解釈で豊かに表現し、テクニックもしっかりとしており、現在もこの曲の代表的な演奏の1つである。

得意としたフランス近代音楽でも、彼女は決して感覚的な魅力を求めていない。

ここに収められたショーソン、ドビュッシー、ラヴェルの音楽は、豊かな感情を伴って聴き手に語りかける。

今日でも、30歳でヌヴーほどの存在感を持ったヴァイオリニストは思い当たらないし、彼女は、他のヴァイオリニストが40代、50代で到達する精神的な深さを獲得していた。

それだけに、遺された録音を聴くことは大きな幸福であり、それは常に畏敬と驚きを喚び起こす。

彼女の芸術は、彼女の性別・年齢を超えて訴えかけるし、また、大曲、小曲にかかわらず、彼女の演奏は充実していて、狄燭侶歃儔鉢瓩箸枠狃に対して使われる言葉である。

ヌヴーはモーツァルトのように短い生涯を駆け抜けたが、あるいは彼女の生涯を見越して天がこのような充実感と完成度を与えたのであろうか。

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2019年03月13日


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ブロムシュテットがシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者だった1975年から80年までに録音した、彼としては第1回目のベートーヴェン交響曲全集になる。

ちなみに第2回目は2014年から17年にかけて、やはりカペルマイスターを務めたゲヴァントハウスとの最新録音が注目されている。

彼はそれぞれのオーケストラの持ち味を活かすことも忘れない指揮者なので一概に両者の演奏を同列に並べて比較することはできない。

とは言え聴き比べて直ぐに気がつくのは、こちらの1回目の演奏の方が全体的なテンポが遅いことだ。

一般的に言って指揮者は、若い頃はエネルギッシュで速めのテンポを設定し、巨匠と言われるようになるとじっくり構えて聴かせどころにより時間を費やす演奏に変化するが、ブロムシュテットの場合はこれに当てはまらないというところに彼の非凡さが窺える。

ここでのプロムシュテットはまだ40代半ばでありながら、驚くべき感性の成熟と自信とに満ち溢れて、虚飾を排したベートーヴェン像を打ち立てている。

オーケストラは両者共に当時の東ドイツの名門だが、音色ではそれぞれ独自のカラーを持っていて、このふたつの音源に関して言えば、ドレスデンの方がよりカラフルに聞こえる。

いずれもブロムシュテット自身の個性を前面に出した解釈ではないが、このドレスデン盤ではダイナミズムにメリハリがあり、曲想が生き生きと再現されている。

それに対してゲヴァントハウスとの全集は緊張感は変わらないが、ヴィブラートを押さえたピリオド奏法を採用して比較的さっぱりした印象の中にベートーヴェンのスコアの緻密なテクスチュアを描き出している。

そのあたりに30年を経過したブロムシュテットの演奏スタイルの変化が表れているのは確かだ。

ドレスデンのルカ教会で収録された音源は当時としてはかなり良質で、オン・マイクでの採音なので臨場感に富んでいるし、教会の広い空間の音響も豊かだ。

肌理の細かさでは2回目のゲヴァントハウスでのディジタル録音に敵わないのは致し方ないとしても、将来高音質盤での復活があってもいいと思う。

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2019年02月27日


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クレモナ四重奏団が2012年から15年にかけてレコーディングしたベートーヴェンの弦楽四重奏曲16曲と『大フーガ』、それに弦楽五重奏曲ハ長調Op.29を8枚のハイブリッドSACDに纏めたセットで、これらは既に順次個別にリリースされていたものだ。

上に書いた見出しは、実は彼らがロンドンのウィグモア・ホールで行ったコンサートの時に『ザ・ストラド』誌評に書かれていた『古典的なフレーズを完璧に縫い取るモーツァルト、あたかもアルマーニのスーツのように』から剽窃したもので、クレモナ四重奏団の演奏の性質を言い得て妙な批評だ。

あくまでも古典芸術としての解釈が根底にありながら、ここにはすっかり現代人の感覚でリニューアルされたモダンで快活なベートーヴェン像が描かれている。

作品によって表情を見事に変え、優美な音色に加えて抜群の音程感で現代最高の呼び声高い四重奏団と言える。

アルバン・ベルク四重奏団の旧メンバー、ハット・バイエルレに師事しただけあって時には大胆でアグレッシブな表現も効果的だが、またイタリア人がDNAとして持っているカンタービレや音色に対する美学は俄然健在だ。

イタリアらしい明るく非常にクリアな発音が魅力の1つで、個々の音色が見事に溶け合った驚くべきアンサンブルを聴かせてくれる。

それは大先輩イタリア四重奏団の専売特許でもあったのだが、クレモナのメンバーはイタリア四重奏団のヴィオラ奏者だったピエロ・ファルッリやサルヴァトーレ・アッカルドの薫陶も受けている。

実際この演奏集に使われている楽器は総てグァルネリ、アマーティ、グァダニーニなどクレモナの名工が手掛けた歴史的名器とそのコピーで、ライナー・ノーツに作品ごとの使用楽器が明記されている。

尚弦楽五重奏曲ハ長調のみはヴィオラ・パートにエマーソン四重奏団のローレンス・ダットンをゲストに迎えている。

本全集では作品に合わせて使用楽器を変えているところにも注目で、音色の違いを楽しむこともできる。

第1ヴァイオリンのクリスティアーノ・グアルコが奏でる上記の名器の優美な音色は絶品の一言に尽きる。

また『大フーガ』の録音にて使用したヴィオラは1980年生まれのピエトロ・ガルジーニ制作によるものだ。

ガルジーニは若い頃からマウロ・スカルタベッリの工房で弦楽器作りに親しむようになり、その後、ルイジ・エルコレやガブリエーレ・ナターリに師事した若手職人である。

2008年3月には「フォルムと音楽:ヴァイオリンのメカニズム」と題した論文により、フィレンツェ大学建築学修士号を取得。

その後は修復や専門技術の分野で活躍し、特に過去の巨匠たちの傑作の複製の製造と、修復を仕事の2つの柱としているようだ。

名器と現代の新進気鋭の職人が制作した最新の優れた楽器も積極的に使用している。

現代の楽器も歴史的な楽器と同様に素晴らしいことを証明するかのような魂のこもった演奏を聴くことができる。

SACDで聴くと弦楽器の音質の鮮烈な解像度と臨場感に圧倒される。

定位が良く手に取るようにアンサンブルの醍醐味が味わえるし、またヴァイオリンの高音や擦弦音も耳障りでなく、おそらくベートーヴェンの同全曲盤では現在最も良い音質で鑑賞できるセットだろう。

イタリアではインターナショナルな水準に達したカルテットは少なく、かつてはイタリア四重奏団がその抒情性やカンタービレの美しさだけでなく、現代音楽を積極的に採り上げた殆んど唯一の存在だった。

演奏スタイルこそ異なっているが、幸いクレモナは彼らの成し遂げた業績を更新できるだけの実力を持っているものと信じる。

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2019年02月08日


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クラウディオ・アバドのベートーヴェン:交響曲全集はベルリン・フィルとの協演のCD、DVDが圧倒的に市場を占めていて、1987年から89年にかけて録音されたウィーン・フィルとの旧全集の方は隅に押しやられているのが実情だ。

しかしアバドのベートーヴェンの交響曲旧全集には、彼が振る以前のウィーン・フィルでは聴くことのできなかった明るく流麗で、しかも四肢を自由に広げたような奔放とも言える表現がある。

ウィーン・フィルの持つ音色の瑞々しさとしなやかさを溢れんばかりのカンタービレに託した柔軟な表現が特徴だ。

哲学的な深み云々よりも率直でストレートな、いわゆるイタリア的なアプローチを試みた演奏で、オーケストラもアバドの要求に良く応えているだけでなく、むしろ自分達の音楽としてそれを自発的に取り入れているのが聴き所だろう。

ウィーン・フィルの持ち味でもあるシックで瑞々しい響きを最大限に活かしながら、流れるようなカンタービレでベートーヴェンの新たな美学を描いてみせた秀演で、音楽の内部から湧き出るような歌心を表現することによって、滞ることのない奔流のような推進力がそれぞれの曲に生命感を吹き込んでいる。

ここではかつての名指揮者が執拗に繰り返した、ベートーヴェンの音楽の深刻さは影を潜め、どちらかと言えば楽天的な趣きさえ感じられるが、その華麗な演奏スタイルとスペクタクルなスケール感はアバドの身上とするところだろう。

それはかつての質実剛健で重厚なベートーヴェン像からすれば、意外なくらい明るく軽快な趣を持っているが、それがかえってスケールの大きさと柔軟なドラマ性の獲得に繋がっている。

また各曲の終楽章に聴かれるように豪快で喚起に漲ったスケールの大きい指揮ぶりはベルリン・フィルとの新録音に決して優るとも劣らない。

特に第3番『エロイカ』ではそうした彼の長所が遺憾なく発揮されている。

第2楽章の葬送行進曲では辛気臭さは全く感じられず、むしろ流暢なカンタービレの横溢が特徴的だ。

また終楽章での飛翔するようなオーケストラの躍動感とウィーン・フィル特有の練り上げられた音色の美しさが、決定的にこの大曲の性格を一新している。

曲中の随所で大活躍するウィンナ・ホルンの特有の渋みを含んだ味のある響きとそのアンサンブルは他のオーケストラでは聴くことができない。

尚カップリングされた序曲集も作曲家の音楽性を瑞々しく歌い上げた、しかも威風堂々たる演奏が秀逸だ。

音質は極めて良好で、録音会場となったムジークフェライン・グローサーザールの潤沢な残響が特徴的だし、低音の伸びが良く、各楽器ごとの独立性が高いことも評価できる。

クラウディオ・アバドはウィーン・シュターツオーパーの音楽監督への就任前夜からウィーン・フィルとベートーヴェンの作品を集中的にドイツ・グラモフォンに録音している。

カップリングはライヴの交響曲を中心に、余白を序曲等で満たした6枚の個別のCDとそれらをまとめたセット物もリリースされた。

彼はその後ベルリン・フィルと映像付の再録音を果たし、現在ではそちらの方が良く知られているし、先頃出された41枚組の箱物『ザ・シンフォニー・エディション』でも第2回目の全集がリイシューされているが、ウィーン・フィルとの旧全集の復活はアバド・ファンには朗報に違いない。

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2019年01月27日


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ブダペスト弦楽四重奏団は、ハンガリーで1917年にブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバーによって結成され、1938年からアメリカに定着して活動し、メンバー交代をおこないながら約50年活動を続けた名門四重奏団である。

アメリカ議会図書館専属の弦楽四重奏団であり、図書館のストラディヴァリス楽器コレクションを定期的に利用できるような立場にあった。

図書館での彼らの定期的な公演はすべてこれらの傑出した楽器を使用しており、またここでの録音でもこの楽器が使用された。

この1951〜1952年録音のベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集は、第2代目のリーダー、ヨーゼフ・ロイスマンがリードしていた時代のものだ。

まっすぐな輝きに満ちた完璧なアンサンブルの団体として、世界的に名声を得ていたもので、「ベートーヴェンの弦楽四重奏における現代の演奏の基準は、ブダペストの弦楽四重奏団によって設定された」と、『ニューヨーク・タイムズ』紙に書かれたほどの名盤である。

ブダペスト四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲録音は、1930年代のHMVへの「ラズモフスキー第2番」に始まり、米コロンビアに移籍後1940年代に8曲が追加された。

そして1951〜1952年のモノラル、1958〜1961年のステレオと2種類の全曲録音が達成された。

ステレオ録音による新盤も稀有な名演ではあるが、どちらかを取るかということになると、筆者としてはこの旧盤を選びたい。

演奏に対する厳しい姿勢と作品に対する深い愛情が一体化した演奏は、この演奏団体の真価が最大限に発揮された名演中の名演の1つに数えられる。

精巧な合奏技術とザッハリヒで妥協のない視点で作品に臨んだ彼らは、その正確無比な再現を実現させる中に、輝かしい精神の高揚をも成し遂げているのである。

この1951〜1952年録音は、これまでアナログLP盤から起こしたと思われる非正規盤しかなかったが、今回Sony Classicalとしてオリジナル・マスターテープより24bit/192kHzテクノロジーを用いてリマスターをおこない、正規盤として初CD化された。

これは、室内楽録音の歴史において重要な瞬間でもあり、その素晴らしい演奏を堪能することができる。

個々のディスクは、発売当時のレーベルデザインにより、アメリカ盤初出LPジャケットのデザインによる紙ジャケットに封入、厚紙製クラムシェルボックス(L3,4cmxW13cmxH13.2cm)に収容されている。

詳細な録音データを記載したオールカラー別冊解説書添付。

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2018年08月25日


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リチャード・グード(1943年6月1日〜)はアメリカのピアニストで、ベートーヴェンと室内楽を得意としている。

ニューヨーク州イースト・ブロンクス出身で、カーティス音楽院でルドルフ・ゼルキンとミェチスワフ・ホルショフスキに師事。

第1回クララ・ハスキル国際コンクールに入賞し、エイヴリー・フィッシャー賞を受賞。

リチャード・ストルツマンと共演したブラームスのクラリネット・ソナタの録音では、グラミー賞を受賞している。

1983年、40歳のグードに初レコーディングの話がまとまったとき、彼が要求した曲はベートーヴェンの全ソナタ集であった。

それほど彼は胸の中にベートーヴェンを温めつづけて来たのだ。

この全集は、「ベートーヴェン演奏として理想的なピアニスト」「完璧さと独自の解釈・自己主張が均一的に散りばめられた唯一の演奏」と絶賛されたものだ。

そして1987年にニューヨークで行なわれたソナタ全曲演奏会によって一大センセーションを巻き起こしたグードの実力は全世界に知られたのである。

グードの演奏は決して華麗でもなければ、聴き手をうならせるような超絶的な技巧も披露していない。

その点では、彼は確かにスター的なコンサート・ピアニストの部類からはかけ離れている。

といってもグードは決して衒学的な難しい理屈をこねまわすタイプでもない。

これまでの感情的な奥深さを求めたものではなく、ベートーヴェンの純粋主義者と完璧主義者という中にエキサイティングさを感じさせる、当時としては珍しい解釈であったもので、彼の感情と感性の深さが、このセットに記録されている。

グードが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタは、コンサートでもディスクでも(グードはアメリカ出身ピアニストとして初めてベートーヴェンのソナタを全曲録音した)聴くたびに新しい発見がある。

そこには型にはまったマンネリ感が全くなく、音楽そのものと聴き手の間に自分自身を割り込ませようとする演奏家にありがちな尊大さがかけらも感じられない。

この"無私無欲"の才能は彼の師であるルドルフ・ゼルキンが体現していたのと同じものだ。

グードのピアノからは、まるで作曲家自身が鍵盤に向かい、たったいま頭に浮かんだばかりの楽想を表現しているかのように聴こえる。

峻厳たる造型の構築力にも秀でたものがあり、強靭な打鍵は地の底まで響かんばかりの圧巻の迫力がある。

スケールも雄大であり、その落ち着き払った威容には、風格さえ感じさせる。

他方、ピアノタッチは透明感溢れる美しさを誇っており、特に、各曲の緩徐楽章における抒情的なロマンティシズムの描出には抗し難い魅力を湛えている。

技量にも卓越したものがあるのだが、上手く弾いてやろうという小賢しさは薬にしたくも無く、1音1音に熱い情感がこもっており、技術偏重には決して陥っていない。

そして何よりグードの演奏が体験させてくれるのは途轍もなく巨大なスケールで屹立するベートーヴェン像である。

宇宙的なスケールで描くグードのベートーヴェンは、強く、深く、そして雄大に心を打つ。

実演に接した人なら、ホールの空間からさらに拡大されたような錯覚を引き起こし、それでいて音楽自体はまるで眼前で展開されているがごとき距離で息づいているといった形容を理解してもらえるはずだ。

さすがに録音となるとそこまでの再現は望めないかも知れないが、限りなく深く沈潜していく感覚を追体験することは可能だろうと思う。

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2018年08月03日


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ウィーンの生んだ名ピアニスト、フリードリヒ・グルダが世を去って歿後10年にあたる2010年、オルフェオによって3種目となるベートーヴェンのソナタ全曲録音が復刻リリースされた。

もちろん完全初出の正規音源に拠るもので、フィルアップにはやはり完全初出の「エロイカ」変奏曲とディアベッリ変奏曲、さらには初出レパートリーのバガテルまで含まれるという内容である。

グルダのもっとも重要なレパートリーのひとつとされるベートーヴェンだが、ソナタではスタジオ・セッションによる2種の全曲録音がよく知られている。

ひとつは、デッカによって'54年2月にロンドンで開始され、'58年にウィーンのゾフィエンザールで完結したモノラル・セッション録音(全曲のリリースは'73年)。

いまひとつは、'67年にオーストリア放送の協力で、アマデオのもとクラーゲンフルト・スタジオでまとめに行なわれたステレオ・セッション録音('68年にリリース)。

グルダによるソナタ録音のほとんどすべては、この2度のセッション・レコーディングに集約されるが、いくつかのナンバーについては、たとえば、第31番のように、'59年のシュヴェツィンゲン音楽祭(hanssler 93-704)、'64年のザルツブルク音楽祭(ORFEOR-591021)、'93年のモンペリエといった具合に、別演奏のライヴ録音が存在している。

'48年以来、グルダはベートーヴェンのソナタ全曲演奏会シリーズの計画を温めており、これは年代順に取り上げてゆくという先駆けだったが、実際に初めて実現したのは'53/54年のシーズンの始めであった。

グルダはオーストリアの5つの都市、クラーゲンフルト、ウィーン、リンツ、グラーツ、ザルツブルクでソナタ全曲を弾いている。

このセットに収められているすべてのソナタは、ちょうどグルダがベートーヴェンに専念していたこの時期、'53年10月から'54年1月にかけて、まだソビエトの管理下にあったウィーンのラジオ局RAVAGによってスタジオ収録されたものである。

収録当時グルダは24歳、現状で上記を含めた3種のうち、最初のセッション録音にあたるわけだが、じつに3度にもおよぶセッション録音を果たしたピアニストはほかにアルフレート・ブレンデル、ダニエル・バレンボイムくらいで、きわめて稀な例ではないだろうか。

どこまでも美しく輝かしく、そして雄弁なピアノの音色、早くから完成されたテクニックを武器に生涯数々の伝説を打ち建ててきたユニークなピアニストによる超一級のドキュメントとして、また上記2種の全集との相違も含めて、「1953/54年ウィーンでの全集録音」は、今後ますます重要なポジションを獲得していくものと考えられる。

ソナタだけでも十分過ぎるほどの内容であるが、さらにうれしいことにフィルアップもまた貴重で、エロイカ変奏曲とディアベッリ変奏曲も、2種目となる初出音源、さらに、6つのバガテルについてはグルダ初出のレパートリーになる。

紙製スリップケース入りのCD9枚を収めた外箱は、約30ミリ厚のクラムシェル・タイプ。独・英・仏語による68ページのブックレットが付属。

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2018年07月24日


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ブロムシュテットらしく、いわゆるオペラティックで劇場的な派手さを狙った演奏ではないが、堅実な采配がかえってこの作品の舞台効果を高めていると同時に、手際の良い場面の進行でストーリーにも連続性が保たれている。

ベートーヴェンがシーンを盛り上げる時に歌手の個人的な見せ場のアリアよりも重唱で一人一人の心理描写や葛藤を描く、アンサンブルの音楽的高みを創って緊張感を高めていることが良く理解できる。

名高い囚人のコーラスでも抑制された、しかし力強い男声合唱を聴かせている。

またシュターツカペレ・ドレスデンの飾り気のないオーケストラの音色がこのオペラの文学性と交響的な作風の両面を矛盾することなく表現していて秀逸で、そこにはこの作品に懸ける彼らの強い意気込みが感じられる。

この録音の後、ベルリンの壁が崩壊してからドレスデンのオペラの殿堂ゼンパーオーパーでの彼らの最初の演目も『フィデリオ』で、旧体制からの開放をこのオペラのストーリーになぞらえて、苦しみの末に勝ち得た人類愛と歓喜を上演に託している。

このディスクに収録されているのは初稿なので、現在では牢獄のシーンの後に習慣的に挿入される序曲『レオノーレ』第3番はここでは演奏されない。

ブロムシュテットの抜擢した歌手陣もそれぞれが実力派で、エッダ・モーザーの知的な歌唱はヒロイン、レオノーレの毅然とした性格を良く表している。

ただし第11番のシーンでは後半やや力み気味になっているのが惜しまれる。

ベートーヴェンは発声の生理的メカニズムを活かすメロディーというより、どちらかと言えば器楽的な作法をとっているので実際声楽曲として歌い切ることには困難があるに違いない。

テノールのリチャード・カシリーは超美声というわけではないが、発声が柔軟で力任せに歌うタイプではないために、変化する心理描写が欠かせないフロレスタンには適役だ。

数年前、ウィーン・シュターツオーパーで『フィデリオ』が上演された時、絶叫するテノールに辟易した思い出がある。

刑務所長ドン・ピツァロ役のテオ・アダムも性格俳優さながら安定した歌唱で脇を固めている。

1976年ドレスデン・ルカ教会でのセッション録音で、音質は極めて良好。

ブリリアントからのバジェット盤でシノプシスは掲載されているが、リブレットは省略されている。

ベートーヴェンの唯一のオペラ『フィデリオ』は、彼の命名では原作の戯曲と同様の『レオノーレ』だったが、初演の失敗や既に存在していた同名の作品との混同を避けるため主人公レオノーレの仮名フィデリオで上演されるようになった。

ブロムシュテットが採用したのはベートーヴェンが1805年にひとまず書き終えた初稿版で、セリフ付オペラ・コミク様式の3幕仕立てで構成されている。

冒頭に置かれた序曲は現在『レオノーレ』第2番と言われているものだが、初演のために用意されたオリジナル作品で、劇中のモチーフを取り入れた舞台の情景を暗示させる充実した内容を持っている。

序曲『レオノーレ』第1番は実際には1806年に第2稿として作曲されたもので、更に同第3番を1807年のプラハ初演の機会に、そしてオペラのモチーフを全く欠いたフィデリオ序曲を1814年に書いている。

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2018年07月20日


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バーンスタインのロマンティックな感性がここでも縦横に発揮されたパッショネイトな演奏。

ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を鑑賞するには、ひとくさりの楽理の知識と精神的な準備がないと、その深遠さに気付くことが困難なことは周知の通りだが、この弦楽合奏版ではそうした下準備を一切必要としないほどダイレクトに聴き手の心に入り込んでくる浸透性と情熱的な包容力がある。

そこにはバーンスタインの音楽を聴かせる作曲家の直感と指揮者としての力量が示されているし、またウィーン・フィル黄金期のストリング・セクションのシックな音色と深呼吸するような振幅の大きいダイナミズムが指揮者の解釈に良く呼応している。

当時のウィーン・フィルは折り合いの悪い指揮者には彼らの演奏姿勢を譲らない頑固で高いプライドを持っていたが、バーンスタインとは常に幸福な共演を果たしている。

このディスクに収録された2曲の弦楽合奏版は、言ってみればベートーヴェンの作品の本筋からはいくらか離れた際物だが、実際に大編成のストリング・オーケストラのサウンドとして鳴り響くと、聴く人の感性に訴えて大きな感動をもたらすことに驚かされる。

それはこれらの作品の普遍性が驚異的な融通性をも持ち合わせていることの証左でもあるだろう。

第16番ヘ長調が1989年ウィーン・ムジークフェライン・グローサーザール、第14番嬰ハ短調が77年ウィーン・コンツェルトハウスでのライヴ・レコーディングだが、客席からの雑音が最小限に抑えられた良好な録音がUHQCD化によって更に鮮明に再生される。

尚弦楽合奏版は既にトスカニーニの時代から演奏されていたようだがアレンジャーは明記されていない。

以下は個人的な思い出。

随分前のことだがウィーンの郊外、ハイリゲンシュタットのベートーヴェン記念館で偶然聴いたのがバーンスタイン、ウィーン・フィルによるこのディスクだった。

10月も終わりの頃、午前中カーレンベルクの丘に登って斜面に広がる葡萄畑やドナウ河畔のウィーンの遠景を見た後、ハイリゲンシュタット公園に降りてベートーヴェンの像の傍らのベンチに腰掛けて、木々の間を素早く走り抜ける野生の栗鼠を見ていた時、前に行ったことのある彼の記念館がごく近くにあることを思い出した。

ベートーヴェンが一時期夏の間借りていた小さな家で、重度の難聴に絶望した彼が自殺を決意して遺書を書いた場所だ。

他に誰も見学者がいなかったので部屋の片隅に装備されていた簡素なオーディオ・コーナーでリラックスしながら何気なく聴き始めたのがこれだった。

弦楽合奏版で鑑賞するのは初めてだったが、この演奏を聴いているうちに、図らずもベートーヴェンの波乱に満ちた生涯が脳裏をよぎって涙を禁じえなかった。

その後ベートーヴェンが礼拝に通っていた近くの聖ヤコブ教会に入った時には暗闇になっていて、ひっそりと静まり返った堂内に点いていた薄暗いランプの下で、さっき聴いた音楽がまだ残響のように鳴っている錯覚に襲われた。

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2018年07月02日


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ワルター・バリリ(1921.6.16〜)はウィーン生まれのヴァイオリニストで、ウィーン音楽院に学んだ後、1936年ミュンヘンでデビューした。

1938年にウィーン・フィルに入団し、1940年にはコンサートマスターに就任、1943年には自らの名を冠した四重奏団を組織した。

当時、ウィーンにはコンツェルトハウス協会に所属するウィーン・コンツェルトハウス四重奏団、ムジークフェラインで定期演奏会を行ったシュナイダーハン四重奏団、と同じウィーン・フィルを母体とする2つの名団体が演奏活動を行っていた。

しかし、バリリ四重奏団は結成以来、なぜかメンバーの離脱や急死などの不運が重なり、1951年6月に一時活動の停止を余儀なくされた。

ところが、同じ年にシュナイダーハン四重奏団を主宰するヴォルフガング・シュナイダーハンがソリストに転身することになり、リーダーを失ったシュナイダーハン四重奏団の他の3人にバリリが加わる形で、1951年8月新たなバリリ四重奏団が生まれた。

バリリ氏は1996年の来日時のインタビューでこの時の運命的とも言えるタイミングの良さについて「なるようになるものだ」と語っていた。

ちょうど同じ頃、レコード界ではLPレコードの開発という革命が起き、戦後景気に湧くアメリカではレコード会社が次々に設立された。

1949年、ニューヨークで設立されたクラシック音楽専門レーベル「ウエストミンスター」もその一つ。

ウエストミンスターは米ドルの強さを背景に、ウィーンに出張録音を行い、バリリ四重奏団やウィーン・コンツェルトハウス四重奏団と数多くのLPレコードを制作した。

ウエストミンスター・レーベルは1954年に日本盤も発売されるようになり、彼らの室内楽演奏は日本でも多くのファンを獲得して、1957年12月、バリリ四重奏団の初来日公演は熱狂的に迎えられた。

ところが1959年、バリリは右ひじを故障し、カルテットの活動を断念、新生バリリ四重奏団も約9年でその幕を下ろすこととなった。

このセットには、バリリ四重奏団の米ウエストミンスターへの録音がまとめられており、LPレコード初期に彗星のように現れては消えて行った、名団体の芸術の粋をじっくりと楽しむことができる。

中でも、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集は、LP初期に、ブダペストSQのそれと人気を二分したバリリSQの名盤である。

精密な機能的側面を追求するブダペストに対し、バリリはヒューマンな情緒性を大切にする点で一線を画した。

ベートーヴェンの特に後期の弦楽四重奏曲は、特に専門家でなくても至難であることはある程度想像できる。

しかし、だからといってひたすら苦行のように、あるいはいたずらに精密さばかりを求められても聴く方にとってはちょっと困るが、その点、このバリリSQの演奏は非常に楽しくて、ほっとする。

奥行きのある内容を多くの言葉を費やして語ることなら、できなくはないかもしれないが、それを優しい表情で、それとはなしに語るのは必ずしも簡単ではない。

また、スケールの大きさとデリカシーとを雄弁の限りを尽して語ることなら、できなくはないかもしれないが、それを柔軟性をもって簡潔に語るのは必ずしも簡単ではない。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集におけるバリリSQの演奏は、そのような難事を立派にやり遂げた内容と言えよう。

ここにおけるバリリSQの4人は、強い緊張感を貫きながらも身のこなしは軽やか、決して肩をいからせぬ優美な輪郭で、ベートーヴェンの各曲の全体像をスムーズに描き出していく。

もちろん、ウィーン風の優雅なスタイルであり、味付けはかなり濃厚な方なので続けて飲用するとやや飽きるかもしれないが、折に触れて取り出せばその都度に新たな感動に浸ることが出来る。

同じウィーンのスタイルとはいっても、コンツェルトハウスSQとはまた違うし、アルバン・ベルクSQとはもっと違いが顕著である。

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2018年06月28日


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マーラーやシェーンベルクらのスペシャリストとして知られた指揮者シェルヘンが、最晩年に集中して行なった異常なライヴ演奏。

驚くほど緊張力の強い、情熱的な表現で、このベートーヴェン全集によって、わが国でもシェルヘンの再評価が一躍、加速されたと思う。

全集としてはかつてのウェストミンスター録音もあるが、演奏は極めて構えが大きく、大胆で自己主張が強い。

シェルヘンの芸術は晩年になってさらに率直に自己主張があらわされて、結果的にアンサンブルを整えるより、音楽の核心を性急に表現しようとする姿勢が、ますます強くなったように感じられる。

それも表現主義的な様式の帰結と言えるが、そこにスケールの大きい巨匠的な確信と激しい情熱が加わったため、音楽はかつてない相貌を示すことになった好例である。

まったく自由自在、強引とさえ言える表現だが、音楽の展開には予測不可能な面白さがある。

彼は足を踏み鳴らし、怒号をあげながら、呆気にとられるようなスピードで力まかせにオーケストラを追い立ててゆくものだから、オケも崩壊寸前。

楽員はアマチュアのように弾きまくり、吹きまくる、文字どおり「手に汗にぎる」演奏なのである。

スイスのイタリア語地域を本拠とするルガーノ放送管弦楽団は、少々荒っぽいが乗るとなかなかよい演奏をすることで知られている。

ここでもかなり荒っぽく、全体の響きも透明とは言い難いが、あるところから妙に乗ってきたりするから音楽とは不思議なものだ。

全編「ファイト一発!」「これでいいのだっ!」という信念の固まりで、昨今、こんな演奏例は他に皆無、みなホットに燃えたぎっている。

それだけにアンサンブルは粗く、第9番の声楽もよくないが、そんな欠点を超越して希有の音楽を聴かせる。

第1番のフィナーレなど、さすがにイタリア語を話す人たちだけに饒舌で面白く、第2番もフィナーレが最高で、全体に歌があって楽しい。

のめり込む『エロイカ』は、第1楽章の最初からチェロの第1主題が乱れたりして驚くが、シェルヘンのベートーヴェンの真骨頂はそんなことを気にさせず、激越なクレッシェンド、弦が悲鳴を上げるスフォルツァートなど元気いっぱいだ。

葬送行進曲はいかにもそれらしく、スケルツォはスリル満点、フィナーレも活気にあふれているが、フガートの処理などさすがと思わせる。

シェルヘンの音楽的パワーはさすが、と思わせるのは第4番で、序奏の神秘的な出だしから、いきなり全力投球のアレグロへの移行など解釈も面白いし、フィナーレも元気いっぱいの演奏だ。

第5番は出だしから勢いがあり、アンサンブルの乱れなど重要なこととは思えなくなるから不思議で、現代の完璧主義に疲れた向きには絶好だろう。

『田園』もまた乗りに乗っており、こんなに楽しげな第1楽章も珍しく、第2楽章の小川の流れも少々速め、第3楽章の村祭りも景気がよい。

となれば嵐の場面が凄いのは必定で、ティンパニは轟音だし、シェルヘンが叱咤激励どころか怒鳴る声まで聞こえるド迫力である。

“舞踏の聖化”と呼ばれた第7番は予想どおり元気がよいが、リズムの根本がしっかりしているので、崩れそうで崩れない。

第2楽章のアレグレットは意外にしっとりと歌うが、どんどん盛り上げて行くのも彼らしく、第3楽章プレストが大忙しなのは言うまでもないが、フィナーレも強烈、シェルヘンの怒鳴り声まで聞こえる、とにかくエキサイトした熱演だ。

第8番は最初からめいいっぱいのライヴ・ファン必聴の演奏で、弦のセクションの松やにが飛び散るのが見えるような勢いに脱帽するし、第2楽章のユーモアがまた格別。

全曲を20分強で荒れ狂い突進するので、ビデオを早送りしているみたいだが、とにかく楽しい。

第9番もまことにヴォルテージが高く、第1楽章のアレグロは文字どおりマエストーソ(荘重)で、第2楽章では崩れそうで崩れないリズムが迫力を生む。

第3楽章は意外とあっさりしているが、フィナーレ導入部の激越さには驚くばかりで、とても弾けないような速いテンポも飛び出す。

“歓喜の旋律”はしみじみとしているが、いよいよ独唱と合唱が入ると物凄い迫力で、最後まで緊張感が持続する。

激情が先に立って仕上げがおろそかになっており、一般的にはお薦めできないが、フルトヴェングラーが警告した、レコード用の演奏がコンサート・ホールにも進出、という物足りなさを実感している人には最も貴重な記録と言えよう。

シェルヘンがルガーノのベートーヴェン・チクルスで成し遂げようとしたことは、「慣習」という名でスコア上に堆積した夾雑物を一掃することである。

その象徴が、「間違い」と言われ続けてきたメトロノーム記号を全面的に信頼し、実践したことであろう。

オリジナル楽器が市民権を得た今となってはこのテンポも不思議ではないが、この時代からスコア忠実主義だったとすればシェルヘンの評価も変わるだろう。

尚「しゃべる」「うなる」「号令をかける」の3拍子そろったリハーサルも収録されていて、そこでの怒声の凄まじさといったらなく、それが激烈な演奏と一体となり、本番が物足りなくなるほどだ。

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2018年05月21日


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イングリット・ヘブラーは決して幅広いレパートリーを開拓したピアニストではなかったが、幸い2曲のベートーヴェンのピアノ協奏曲を録音している。

その演奏は彼女の生涯の課題となったモーツァルトの亜流のように思われるかも知れないが、実際にはこのディスクでモーツァルトとは異なったアプローチで作品に取り組んでいることが明らかにされている。

つまりヘブラーはモーツァルトの延長線上にあるベートーヴェンではなく、控えめではあるにせよ次世代のウィーン楽派の担い手としてのベートーヴェンの野心的な試みを感知させている。

確かに現在の個性を前面に打ち出すピアニストのパフォーマンスに比べれば、こうした正面切った正攻法の演奏は売れ筋ではないだろう。

それくらい飾り気がなく、またスリルに満ちた疾走感とも縁のない再現だが、音楽的にはしっかりとした力強い構成感の中に確信を持った表現が充分な説得力を持っている。

協奏曲としては作曲家の処女作となるピアノ協奏曲第2番変ロ長調では、その瑞々しいフレッシュな感覚がヘブラーの毅然としたソロとガリエラ指揮するニュー・フィルハーモニア管弦楽団のどちらかというと室内楽的な軽快な雰囲気の中に良く表れている。

ガリエラはモーツァルトでやや失望させたがベートーヴェンではしごく真っ当なサポートをしているように思える。

確かにコリン・デイヴィスがこの2曲を指揮していたら、全く別物に仕上がっていただろうという印象は免れないのだが。

第4番ト長調でもヘブラーの解釈は決して革新的なものではなく、むしろ文字通りオーソドックスの典型のような表現である。

常にアーティキュレーションを曖昧にしない明瞭なタッチと泰然自若としたピアニズムから醸し出される格調の高さが抜きん出ている。

どちらも1970年のフィリップス音源で、リマスタリングされた音質は鮮明で分離状態も良好。

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2018年05月11日


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このディスクに収められたベートーヴェンの3曲のソナタは、リヒテル円熟期の至芸が理想的な音質で捉えられている上に、米ミュージカル・コンセプツ社がアルト・レーベルとして供給している廉価盤で入手できるのが嬉しい。

いずれも旧オリンピア音源のライセンス・リイシューになり、英レジス・レーベルの廃盤に伴っての復活なので既に知られていた録音だがリヒテル・ファンには勿論、入門者にもお勧めしたい1枚だ。

彼のベートーヴェンは男性的でパワフルな一面、きめ細かな音楽表現が横溢していて決して武骨な印象を与えない。

特に穏やかな楽章でのレガート奏法による節度のあるカンタービレは、彼のデリカシーを良く示している。

表現力の幅が圧倒的に広いにも拘らず、そのバランスに長け中庸を心得ているところは流石にリヒテルだ。

第3番と第4番では初期に書かれたという理由で演奏されることの少ないこれらのソナタを、リヒテルは実に感動的に演奏している。

モーツァルトやハイドンとは一線を画したスケールの大きさ、そのなかに盛り込まれた強靭な精神は、ピアノ音楽の新しい時代の到来を告げており、そのことを実感させてくれる演奏である。

その作風の若々しさと作曲家の野心が見事に表されていて秀逸で、これほど音楽的に重みのある初期ソナタの演奏には、滅多に接することができない。

第27番ではドラマのモノローグのような第1楽章の開始と、温かく包み込むような優しさを再現した第2楽章の鮮やかな対比が極めて美しい。

演奏時間も10分ちょっとの短いものだが、第1楽章でリヒテルは実に内省的に嫋々と歌ってみせ、第2楽章では親愛感溢れる歌を聴かせる。

ピアノ・ソナタ第3番ハ長調Op.2,No3及び第4番変ホ長調Op.7は1975年にウィーンで行われたセッションで、ホールの名称は明記されていない。

一方第27番ホ短調Op.90は1971年のザルツブルク・クレスハイム城内でのセッションになる。

リヒテルはホールの音響にもかなりこだわった考えを持っていて、セッション録音の時にはピアノの鋭く乾いた音色を嫌って、比較的残響豊かな場所を選んでいる。

特にクレスハイムの音響はリヒテルの好みに合っていたようで、バッハの『平均律』全曲を始めとするいくつかの録音で大規模な音楽ホールとは一味違った特有の潤いのある響きを鑑賞することができる。

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2018年04月27日


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この作品の冒頭ではドイツが1945年5月に連合国に降伏した後、逸早く進駐してきたソヴィエト側がマテリアル的な復興よりも精神的な文化高揚政策を優先させていたことが述べられている。

敗戦後僅か2週間でベルリン・フィルの最初のコンサートが開かれたことには驚かされた。

勿論それはソヴィエトの周到な政治的目論見があってのことだが、インタビューを受けた人々も打ちひしがれたドイツ国民を新たな希望に向けて士気を高めるためには少なからず貢献したことを認めている。

そして2ヶ月後にアメリカ軍が入ってくる前にソヴィエトの方針は既に徹底されていて、分割された地区によって占領軍同士の政策の相違が次第に鮮明になってくることが理解できるが、悲劇は50年代に入ってからのスターリン体制下での締め付けに始まったようだ。

ペーター・シュライアーによれば旧東ドイツの演奏家が国外で活動できるようになったのは1964年からで、彼らのギャラの20%から50%までが国家に徴収されて重要な財源になっていたが、これに味を占めた国側は外貨獲得のために多くの演奏家を西側に送り出すことになる。

しかし個人的な渡航は一切許可されず、彼らの亡命を防ぐために秘密警察があらゆる監視体制を張り巡らせ、演奏家達にも誓約書へのサインを殆んど強制していたようだ。

ベルリンの壁が築かれたのは西側からの影響を阻むためではなく、東側からの人々の流出を阻止する目的だったことは明白だろう。

演出家クリスティーネ・ミーリッツは『国民全員に国を出る権利がある筈で、それを直ちに許可するか否かは自由だが、壁の前で射殺することは絶対に許されない』と憤りを持って語っている。

国の文化政策の中で最も収益を上げていたのがLPレコードの独占販売だったという事実も興味深い。

レコード製作会社は偶然国営になったようだが、精神的に枯渇していた国民にとってレコード鑑賞は欠かせない趣味に定着して、その影響は皮肉にも西側に及ぶことになる。

制作費が安かったために西側のドイツ・グラモフォンは当初質の高い東側のアーティストの演奏を中心に提携という形で録音したが、国営VEB製作LP第1号がフランツ・コンヴィチュニー指揮、シュターツカペレ・ドレスデンによるベートーヴェンの『英雄』だったことも象徴的だ。

ドレスデンのルカ教会が教会としてよりも録音会場として大修復されるのもレコード産業の一役を担うためだったと思われる。

ベルリンの壁の崩壊は東側に次々と起こりつつあった東欧革命の気運が頂点に達した時期に起こるべくして起こった事件であることは疑いない。

東ドイツは経済的な破綻を国民にひた隠しにして事実を全く知らせなかった。

クルト・マズアの立場からも見えてくるように、当時の音楽家達はそれぞれの立場で抵抗し改善を要求したが、彼らが先頭に立って東西の統一運動を進めたわけではなかった。

インタビューの中でも語られているが、一般的に音楽家で積極的に政治に深く介入しようとする人は少なく、しかもオペラ・ハウスやオーケストラでは西側の団員が去った後、メンバーの大幅な補充が余儀なくされたために、彼らが演奏活動によって困窮しないだけの最低限の生活を約束されていたことも要因のひとつだろう。

最後のシーンは1985年に再建を終えたドレスデンのゼンパーオーパーでの杮落としになったベートーヴェンの『フィデリオ』の上演で、この映画のフィナーレとして最も感動的な部分だ。

演出家ミーリッツは囚人のコーラスの後、聴衆が数分間咽び泣いていたことを自らも涙ぐんで思い出している。

そして何よりも国家による国民への精神的な搾取が堪えられなかったという言葉が痛烈だ。

言語は総てドイツ語だが、サブタイトルは日本語も選択できる。

日本語の字幕スーパーは簡潔に要約されているので意味するところは理解できるものの、日本語の文章としては不自然な言い回しや言葉使いが見られるのが残念だ。

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2018年04月05日


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このSACDにはリヒテルのプラハ・ライヴから1965年の6月2日に演奏されたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番変イ長調Op.110及び86年5月18日の同『ディアベリの主題による33の変奏曲ハ長調』Op.120の2曲が収録されている。

特に後者はリヒテル晩年のライヴにも拘らず突き進むような覇気と、泰然自若としたスケールの大きさに驚かされる。

ベートーヴェン特有の音楽を構築していくような堅牢さと、哲学的な深みを同時に表現し得た稀有な演奏として多くの人に鑑賞して欲しいライヴだ。

それぞれのヴァリエーションもリヒテルの創造力のオリジナリティーに貫かれていて説得力に充ちている。

例えば第1変奏の思い切りテンポを落とした生命力に漲るマーチは、あたかも巨人の足取りのようでこの大曲の始まりに威厳を与えているし、第32変奏のフーガの力強さは壮大なクライマックスを形成するのに相応しい。

そして通常は長大な曲を名残惜しむように静かに演奏される終曲のテンポ・ディ・メヌエットでは、意表を衝くように颯爽と足早に締めくくっていて、もったいぶらない潔い解釈も彼らしい。

まさに会場にいるような臨場感、物凄い推進力で、約50分の大曲を一気に聴かせてしまう魔力、リヒテルの凄さを再認識させてくれる。

参考までにリヒテルの『ディアベリ』は同年の翌月に行ったアムステルダム・コンセルトヘボウ・ライヴもレジス・レーベル他からリリースされている。

プラハ・デジタルスのリミテッド・エディション・シリーズの1枚で、この他に既にリヒテルのライヴだけでもシューベルトのピアノ・ソナタ集、ショパンのバラード集、そしてラフマニノフやグリーグの協奏曲など4枚が出揃っている。

総ての録音にDSDリマスタリングが施されていて音質的にもかなり向上しているが、このSACDではソナタの方は音源が古いだけに、いくらかマスター・テープの劣化が聞き取れる。

それに比較して『ディアベリ』は極めて良好で、SACD化により会場のノイズまでがますますリアルになり、リヒテルのほんのわずかなニュアンスの変化さえ伝わってくる。

10ページほどのライナー・ノーツには英、仏語での簡単な楽曲解説とリヒテルの略歴が掲載されている。

尚ハイブリッド仕様なので互換機がなくても再生可能。

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2018年03月26日


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ジャン・マルティノン(1910-76年)はシカゴ交響楽団の音楽監督を辞任した後、故郷に戻ってからもフランス国立放送管弦楽団の首席指揮者としてコンサート、録音に精力的な活動を続け、その成果として仏EMIにかなりの量の音源を遺すことになる。

ライナー・ノーツによればこのCDに収録されたプログラムは1970年3月11日にパリのシャンゼリゼ劇場で行われたライヴで、ベートーヴェン生誕200周年記念演奏会の一晩からピックアップされたもののようだ。

オン・マイクで捉えられた録音状態は劇場のややデッドな音響も相俟って鮮明で、この時代のライヴとしては臨場感にも不足しない極めて良好なステレオ録音だと思う。

拍手も盛大に入っているが、幸い演奏中の客席からの雑音はごく僅かで鑑賞に全く不都合はない。

マルティノンのレパートリーとしては入手困難だった音源で、特に前半の2曲に彼の実力が発揮されている。

『大フーガ』はベートーヴェンが当初弦楽四重奏曲Op.130の終楽章として作曲したものだが、741小節という破格に不釣合いな長さと受け入れ難い難解さから、出版時により短い曲に挿げ替えを余儀なくされた。

その後も耳の聞こえなくなったベートーヴェンが頭の中で捻り出した音楽のように考えられてきた。

実際には彼が古いフーガの作法を野心的に模索して未来にも通用する音楽語法としてリニューアルしてみせたサンプルと言えるだろう。

個々で演奏されているのはフェリックス・ワインガルトナーがコントラバスを加えて弦楽合奏用にアレンジしたもので、彼はまたピアノ・ソナタ第29番『ハンマークラヴィーア』もオーケストラ版に編曲している。

作曲家でもあったマルティノンは込み入った対位法の声部を明快に描き分けながら、中間部では静謐な清澄さを引き出して晩年のベートーヴェンの心境をも感知させ、この作品の内部に潜む豊かな曲想を再現している。

曲の構造と長さに負けないだけのしっかりしたオーガナイズと統率力が冴え渡った演奏だ。

三重協奏曲ハ長調は個性的なフランスのソリスト3人が協演しているところに面白みがある。

中でもフェラスとハイドシェックは異なった音楽性を持っていて、それに箍を嵌めるようにして纏めているのがマルティノンだが、全体的には流麗で軽快な演奏に仕上がっている。

トルトゥリエとハイドシェックはこの曲にはっきりした輪郭を与えているが、細部を聴いていると終楽章でフェラスが拍から逸脱しそうになったり、ライヴならではのスリルもある。

フランス国立放送管弦楽団は暖色系で柔軟な表現を得意とする典型的なフランスのオーケストラだが、ベートーヴェンの作品でもそうした長所が活かされて違和感はない。

最後の2曲はヴァイオリンのためのふたつのロマンスを、フェラスがオリジナルのオーケストラ伴奏で弾いたものだ。

いくらか線が細く透明感のあるしなやかな音色が如何にも彼らしいが端正な演奏ではなく、ヘ長調の中間部で不意にアッチェレランドをかけて、マルティノンが取り繕う場面も聴き取ることができる。

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2018年02月14日


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Richter The Masterシリーズの第4巻目にあたり、2枚のCDにベートーヴェンの2曲のソナタ、2曲のロンド、そしてピアノ三重奏曲『大公』及び『ピアノと木管楽器のための五重奏曲』が収録されている。

とりわけ2枚目の2つのアンサンブルはフィリップスが持つリヒテル唯一のライヴ音源で、しかもこのシリーズはリミテッド・エディションで既に製造中止になっている。

そのために幻の名演としてセカンドハンドでも法外なプレミアムが付いてしまっている。

同シリーズの他のセットはまだ手に入るだけに残念だ。

『大公』は彼が他の曲でも協演したボロディン四重奏団のメンバーとの演奏になるが、何故かこの曲はその後セッションで採り直すことがなかったようだ。

一方ピアノ五重奏曲は曲自体が滅多に演奏されないということもあって、更にこのCDに付加価値を加えているが、こちらではパリを中心に活動している当時としては新進気鋭のモラゲス木管五重奏団が協演している。

どちらも1992年12月にモスクワのプーシュキン・ミュージアムで行われたコンサートからの録音のようだ。

『大公』ではボロディンの2人がいつになく古典的な均整の取れたアンサンブルを聴かせていて、リヒテルの気品に満ちたピアニズムとバランス良く調和している。

シューベルトの『鱒』ではいくらか癖のあるロマンティックな表現が気になったが、ここではポルタメントなどは最低限に抑えられているのが好ましい。

特に第3楽章のヴァリエーションでの変化に富んだリリカルな表現は秀逸だ。

『ピアノ五重奏曲』はモラゲスの管楽器奏者達の精緻な合わせ技が素晴らしいが、それは彼らの個人的な技術水準の高さも証明している。

実際第2楽章でオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンのそれぞれが披露する節度をわきまえたカンタービレは白眉だ。

また晩年のリヒテル特有の包容力のあるピアノが、伴奏に回った時にも注意深くソロを引き立てているのも流石だ。

尚1枚目のCDに収められているピアノ・ソナタ第18番及び第28番と2曲のロンドはリヒテルの音源が他にもあり入手することも可能だが、このライヴは第18番が1992年、その他が1986年のアムステルダム・コンセルトヘボウでのコンサートから録音されたもののようだ。

ライナー・ノーツは17ページほどで英、仏、独語の簡易なエピソードが掲載されているが、このライヴの経緯については全く触れておらず、録音データに関しても信用できるものではないことも付け加えておく。

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2017年12月30日


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スークとパネンカによる「ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ」全集は、1969年のレコード・アカデミー賞に輝いた名盤。

2012年にスプラフォンからリイシューされたリマスタリング盤で、音質に磨きがかかったことで、ベートーヴェンの抒情性が更に前面に出た極めて美しい演奏を評価したい。

スークとパネンカの名コンビによるこの演奏は、素晴らしいアンサンブルを聴かせる。

スークのヴァイオリンは、すこぶる繊細で、甘美な音色をもっており、パネンカのピアノも実に安定していて品位が高い。

作曲家の音楽の構築性や哲学的な深み、あるいはドラマティックな力強さという観点から鑑賞するのであれば、彼らより優れたヴァイオリン・ソナタ集は存在する。

例えばスークとほぼ同時代に活躍したオイストラフの演奏を思い出すことができるだろうし、シェリング、ルービンシュタインの選集もあり、またグリュミオー、ハスキル盤は彼らの中では最もロマンティックな演奏かも知れない。

スークはプラハ・ヴァイオリン楽派を継承する流麗な奏法を身上としているし、パネンカもいわゆる美音家である。

2人がその音色を活かす表現に傾倒するのは当然で、いわゆる巨匠型の演奏家ではないが、力量と総合力の高さを持っている。

しかしこのソナタ集が単に美的感覚だけでは捉えられていないことは、第7番ハ短調や第9番『クロイツェル』の劇的な解釈を聴けば納得できるだろう。

また彼らには以前の美音を誇ったヴァイオリニスト達にありがちだった耽美的な古臭さは微塵もなく、むしろ抑制された現代的で新鮮なセンスで曲想を把握し、洗練された趣味と音色で歌い上げていく颯爽とした感覚が魅力で、若い人たちには好まれよう。

第5番『春』では、そうしたスークの持ち味が充分に生かされていて良い出来だし、アンサンブルも緊密で、中でも緩徐楽章でのスークの瑞々しいカンタービレにパネンカの濁りのない澄み切ったピアノの音色が溶け合って聴き手を陶酔させるような表現も巧みだ。

同じチェコ出身のこのピアニストの端正で隅々まで行き届いた潔癖ともいえるピアニズムは称賛したい。

つまり、このコンビは逞しさや情熱よりも、端正な演奏が身上なので、ベートーヴェンの抒情を歌い上げて、清楚な点ではトップ・クラスの演奏だし、ひと味違ったベートーヴェンに接することができる。

1966年から翌67年にかけてプラハのスプラフォン・ドモヴィーナ・スタジオでのセッション録音で音質は極めて良好。

スークはやはり同郷のチェンバリスト、ズザナ・ルージィチコヴァーと組んでモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ選集も同スプラフォンからリリースしている。

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2017年12月20日


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ヘルベルト・ブロムシュテットは既にシュターツカペレ・ドレスデンとのベートーヴェン交響曲全集を完成させていて、このライプツィヒ・ゲヴァントハウスとのセットは彼がここ数年間で成し遂げた2度目の録音になる。

ブロムシュテットは現在90歳でスクロヴァチェフスキ亡き後のクラシック楽壇でも最長老だが、また現役の中では最高峰のベートーヴェン指揮者と言っても過言ではないだろう。

彼は1975年から85年までの10年間はシュターツカペレ・ドレスデンの、そして98年から2005年まではゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターに就任していたので、今回の全集も自ら鍛え上げた手兵を見事に統率した演奏がいわゆる客演とは一味も二味も異なった、細部まで練り上げられた緻密さと地に足の着いた安定感を持っている。

確かに個性を前面に出したスリルに満ちた演奏ではないが、テンポは概して快速で、その推進力に生命感が漲っている。

また管弦共にヴィブラートを抑制したピリオド奏法を採用しているために和声の進行も一層明瞭に感知できる。

ライプツィヒがまだ旧東ドイツの都市だった頃のゲヴァントハウスのコンサートでマズアによるベートーヴェンの第8番を聴いたことがある。

洒落っ気のない素朴な音色だったが強力に統率されたパワフルな響きに驚かされた。

その時にベートーヴェンのあるべき演奏の姿を知らされた思いだった。

今では楽員のグローバル化も進み、また音色も随分洗練されているが、新しいこの交響曲全集を聴いても飾り気の少ない重心の低さが如何にもゲヴァントハウスらしい。

前任者クルト・マズアとも全曲録音を行っているが、ブロムシュテット自身も長期間に亘って旧東ドイツのふたつのオーケストラを任された経験から、楽団の持っている伝統的なスタイルを熟知している。

彼はオーケストラの配置にチェロを中央に据えて第2ヴァイオリンを上手に置く両翼型を常套的に採用しているが、これはメンデルスゾーンがゲヴァントハウスのカペルマイスターだった時にその原型が形成されたようだ。

これによってベートーヴェンのオーケストレーションの妙味も明らかにされている。

音質は鮮明で分離状態も良好だが、低音部がかなり豊かに響いているのは録音会場の音響の特質かもしれない。

例えば交響曲第9番第2楽章スケルツォでのティンパニ・ソロの深く重厚な響きには圧倒される。

4人のソリストを合唱団と同列のオーケストラの後ろに配置しているのも特徴的で、声楽の突出を避けたバランス感覚も独自のものがある。

ただしテノールのエルスナーはいくらか影の薄い存在だ。

現在のゲヴァントハウスは1981年にオープンした三代目のコンサート・ホールで、ライプツィヒ歌劇場と並んで新時代を象徴するようなモダンな建築様式によるライプツィヒのクラシックの殿堂になっている。

尚このセットは横からスライドして引き出すカートン・ボックスの中に、それぞれが見開きのダブル・ジャケット4つに5枚のCDを挿入したコレクション仕様で、ブロムシュテットのスナップや演奏会場となったゲヴァントハウス大ホール内部の写真が掲載された独、英、仏語による70ページの充実したブックレットが付いている。

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2017年12月18日


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この4枚に収録されたデ・サーバタの演奏は、例えばブラームスの交響曲第4番第2楽章における深みのあるリリカルなカンタービレや、ベートーヴェンの『英雄』第2楽章の壮麗なしめやかさに表れている。

彼が引退後最後に公衆の前に現れたのは1957年1月のトスカニーニの葬儀の日で、当日この葬送行進曲が彼の指揮で演奏されたが、CD4でそれに先立つ1946年の同曲を鑑賞できる。

全曲を51分かけた演奏で第2楽章の17分間は最も長いが緻密な音楽設計によって弛緩のない緊張感が貫かれている。

またシベリウスでの沈潜した神秘性と熱狂、コダーイの野太さと狂乱する民族舞踏の敏捷性にも真似のできない彼独自の哲学と手法が示されていて、ベルリン・フィルも彼らの機動力をフルに稼動させて呼応しているのが聴きどころだ。

最後の『ワルキューレの騎行』の閃光が飛び交うような鮮烈なサウンドはステレオ音源で聴くことをイメージすると、その神々しさがのっぴきならないものに思われる。

モーツァルトの『レクイエム』に関してはソリスト4人が個性的なオペラ歌手であったために、過去にはこの演奏が準イタリア・オペラのように評価されたことがあった。

しかし実際にはデ・サーバタによって良く統制され、歌手達も抑制した歌唱とアンサンブルで、確かにイタリア的なモーツァルトだが決して様式から逸脱した音楽ではない。

戦中戦後のイタリアを代表する指揮者ヴィクトル・デ・サーバタ(1892-1967)は、トスカニーニ、セラフィンに続く歴代ミラノ・スカラ座の音楽監督の一人で、戦後はマリア・カラスに代表される大歌手達と共にスカラ座黄金時代を築いた巨匠であった。

残念ながら全盛期に心臓発作で引退を余儀なくされたために遺された音源は少なく、また総てが古いモノラル音源である。

録音条件とその音質の稚拙さを受け入れるならば、彼の極めて精緻でありながら振幅の広いダイナミズムとイタリア人らしいパッショネイトな指揮による、スケールの大きな表現は時代を感じさせないだけの高い音楽性の裏付けが感じられるし、それは後輩のカンテッリやジュリーニにも一脈通じるオリジナリティーと言えるだろう。

彼のオペラ及び宗教曲での名演はなんと言ってもカラス、ディ・ステファノ、ゴッビを迎えたプッチーニの『トスカ』と、シュヴァルツコップ、ドミンゲス、ディ・ステファノ、シエピとのヴェルディのレクイエムだがEMI音源なのでここには収録されていない。

このセットで唯一の声楽曲はチェトラ音源でイタリアのオペラ歌手を起用したモーツァルトのレクイエムになり、その他はオーケストラル・ワークで占められている。

勿論当時からスカラ座の音楽監督はイタリア・オペラに精通しているだけでなく、ベートーヴェンを始めとするゲルマン系の管弦楽曲にも最大限の敬意を払って積極的にレパートリーに取り入れていたので、決して彼らにとっても稀な演目ではなかった。

ライナー・ノーツによればデ・サーバタの両親は第1次世界大戦後イタリアに編入された旧オーストリア領出身で、それは彼のレパートリーにも大きく反映され、スカラ座管弦楽団を率いたベートーヴェン交響曲全曲チクルスも行っていたようだ。

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2017年11月17日


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久しくソロの新譜をリリースしていなかったエフゲニー・キーシンが2006年から2016年に亘るインターナショナルなコンサートのライヴ録音からベートーヴェンの作品を纏めたダブル・アルバム。

2枚組のCDに自身の選曲によるソナタ5曲とヴァリエーション1曲の都合6曲が収録されている。

潔癖とも言える正確でキレの良いタッチや和声の濁りを避けたペダルの使い方は以前と変わらないが、ベートーヴェンのレパートリーのみを選んだところに近年のキーシンの音楽的成長と将来に向けての彼自身の心境が示されているように思える。

ベートーヴェンはひとかどの演奏家であれば生涯をかけて取り組むべき作曲家であり、彼のピアノ・ソナタは名人芸の披露に留まらず、演奏者の人間的な成熟度が否応なく反映される。

例えば第32番の演奏でキーシンはベートーヴェン晩年の音楽的深遠な表現にはまだ期待を残すとしても、そこに敢えて挑戦しているのが現在の彼の姿ではないだろうか。

これらのライヴは6ヵ国に及ぶ演奏会からそれぞれ1曲ずつ収録してあり、ライヴに強いキーシンの力量を示すと同時に、少年時代から常に聴衆の中で育った彼が身につけたシンパシーが感じられ、実際どの演奏でも拍手喝采を浴びている。

尚音質は悪くないが、ライヴのためか全体的なボリューム・レベルがやや低い。

音楽産業界も残酷なもので、スター・プレイヤーの卵を発見するとその音楽家を育て上げるのではなく、酷使して儲けるだけ儲けた後は次の新人探しに躍起になるのが常だ。

そうした演奏家は最も重要で、しかもレパートリーを増やすよりももっと時間のかかる自己研鑽の余地を与えられずに、多忙なコンサートや録音活動でその才能をとことん消耗し尽くされてしまうので、円熟期を迎えることがない。

もし彼らが過去の名声にすがって空蝉のような演奏を繰り返すならば、いよいよ聴衆からも見放されてしまう。

私達はそうした例にヴァン・クライバーンを思い出すことができるだろう。

神童としてデビューしたキーシンもその危機に陥りかねない時期にあった。

しかし現在46歳を迎えた彼は正念場に何とか踏み止まって、新境地を拓くべく努力を続けていることが理解できる。

大手メーカーでは先ず新人による売れ筋の曲目をレコーディングの対象にするので、彼がこれから次々に新録音を発表することは考えられない。

しかしこのベートーヴェン・アルバムは奇を衒わない彼らしい性格が表れた優れたサンプルだし、また評価されるべき才能を持つピアニストだと信じたい。

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2017年07月26日


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本盤に収められたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、ケンプが2度にわたってスタジオ録音した全集のうち、1960年代半ばに行った2度目のステレオによるものであるが、いずれの楽曲も素晴らしい名演と高く評価したい。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は現在でもかなり数多く存在しており、とりわけテクニックなどにおいては本全集よりも優れたものが多数あると言えるが、現在においても、本全集の価値はいささかも色褪せていないと考える。

本全集におけるケンプのピアノは、いささかも奇を衒うことがない誠実そのものと言える。

ドイツ人ピアニストならではの重厚さも健在であり、全体の造型は極めて堅固である。

また、これらの楽曲を熟知していることに去来する安定感には抜群のものがあり、その穏やかな語り口は朴訥ささえ感じさせるほどだ。

しかしながら、一聴すると何でもないような演奏の各フレーズの端々から漂ってくる滋味に溢れる温かみには抗し難い魅力があると言えるところであり、これは人生の辛酸を舐め尽くした巨匠ケンプだけが成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。

同時代に活躍していた同じドイツ人ピアニストとしてバックハウスが存在し、かつては我が国でも両者の演奏の優劣についての論争が繰り広げられたものであった。

現在では、とある影響力の大きい某音楽評論家による酷評によって、ケンプの演奏はバックハウスを引き合いに著しく貶められているところである。

確かに、某音楽評論家が激賞するバックハウスによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集についてはいずれの楽曲も素晴らしい名演であり、筆者としてもたまに聴くと深い感動を覚えるのであるが、体調が悪いとあのような峻厳な演奏に聴き疲れすることがあるのも事実である。

これに対して、ケンプの演奏にはそのようなことはなく、どのような体調であっても、安心して音楽そのものの魅力を味わうことができる。

筆者としては、ケンプの滋味豊かな演奏を聴衆への媚びと決めつけ、厳しさだけが芸術を体現するという某音楽評論家の偏向的な見解には到底賛成し兼ねるところである。

ケンプによる名演もバックハウスによる名演もそれぞれに違った魅力があると言えるところであり、両者の演奏に優劣を付けること自体がナンセンスと考えるものである。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であるが、数年前に発売された、本全集から有名な4曲を抜粋したSHM−CD盤が現時点ではベストの音質であると考えられる。

しかしながら、当該SHM−CD盤は現在入手難であり、4曲以外のピアノ・ソナタについてはSHM−CD化すらされていないという嘆かわしい現状にある。

いずれのピアノ・ソナタもケンプならではの素晴らしい名演でもあり、今後は本全集についてSHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2017年07月09日


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カルロ・マリア・ジュリーニは1956年にミラノ・スカラ座の芸術監督の職を離れた以降イタリアのオーケストラとは比較的疎遠になったが、それでも彼が客演指揮者として振った興味深い演奏が少なからず遺されている。

このCDに収録された2曲のベートーヴェンは彼の円熟期70歳の1984年にフィレンツェ5月祭管弦楽団を指揮したライヴになる。

彼らはシーズン中にフィレンツェのオペラ劇場テアトロ・コムナーレのピットに入る楽団で、ヨーロッパの伝統的オーケストラの格から言えば二流止まりだが、ジュリーニはそれぞれのオーケストラが持っている個性と長所を巧みに引き出す術を知っていた。

この演奏では劇場作品に精通したオーケストラらしく2曲とも良い意味での劇場的表現力とその融通性が発揮されている。

『エグモント』序曲ではストーリーからイメージされる重圧感よりもシンフォニックなオーケストレーションの思い切った対比の変化で聴かせているし、交響曲第7番ではジュリーニの鷹揚なテンポ感から導き出される豪快なダイナミズムと開放的なパワーが引き出されている。

また第2楽章では、ベートーヴェンにしては意外なほどリリカルで瑞々しいカンタービレが美しい。

終楽章ではエネルギッシュなフィナーレに、イタリアのオペラ・ハウスらしい怒号のような歓声と拍手喝采が浴びせられている。

オーケストラは1928年に指揮者、ヴィットーリオ・グイによって設立され、1933年からは彼が創設したフィレンツェ5月祭の名を冠することになった。

このフェスティバルは現在ヨーロッパの重要な芸術的イヴェントとして古典から新作までの演劇、オペラ、バレエなどの劇場作品を中心に更にコンサートにも多彩なプログラムを組んだ上演期間が定着している。

彼らは当初オペラのレパートリーをデッカやドイツ・グラモフォンに録音していたが、当時のイタリア・オペラ黄金期と重なったためにテバルディ、シミオナート、ビョルリンクやバスティアニーニなどの名歌手との協演でも名盤をものしている。

近年は独自のレーベル「オペラ・ディ・フィレンツェ」を立ち上げてライヴ録音のCDをリリースしている。

オン・マイクで採音された良好な音質で、音場が近いためにかなりの臨場感も得られている。

幸い演奏終了後の拍手と楽章間のごく僅かなノイズ以外には演奏中の客席からの雑音は殆んど聞こえないが、ティンパニがややアンバランスに響き過ぎていて、これはミキシングの問題と思われる。

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2017年07月06日


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1940年にプラハ・ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団がナチス占領下のプラハで、ヨゼフ・カイルベルトを首席指揮者に据えて活動を始めた時、このオーケストラから派生したチェコ・ドイツ弦楽四重奏団も誕生した。

この四重奏団のメンバーである、ルドルフ・ヨーゼフ・ケッケルト、ヴィリー・ビュヒナー、オスカー・リードル、ヨーゼフ・メルツの4人は、プラハ・ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団の、それぞれ首席奏者だった。

この四重奏団は1941年に第1ヴァイオリンを弾いていたケッケルトの名前を取ってケッケルト四重奏団と改名し、活動を仕切り直したという。

その後、1965年に第2ヴァイオリンのビュヒナーが亡くなって息子のルドルフ・ヨアヒム・ケッケルトが加わり、1975年にヴィオラがリードルからフランツ・シュッセル、その翌年にはチェロのメルツからヘルマール・シュテッヒラーに代わり、1982年に解散するに至った。

そのケッケルト四重奏団が特に輝いていたのが、初代のケッケルト、ビュヒナー、リードル、メルツの4人の時代と言われ、そのオリジナル・メンバーによるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集は、LP時代にドイツ本流の四重奏団による極め付きとして愛聴されていたものだ。

モノラル音源なので、その音質は昨今のデジタル音源のクリアさを求められないが、この往年のドイツ・グラモフォン仕様の装丁と、ケッケルト四重奏団の名前で飛びつく人たちは、そのような音質面での不満は織り込み済みだろう。

ケッケルト四重奏団は、必ずしも第1ヴァイオリンが主導するような四重奏団ではないのだが、ケッケルトの妙技が殊に印象に残る。

ベートーヴェンの初期の四重奏曲は、勿体ぶったところのないあっさりとした演奏スタイルなのだが、ケッケルトを中心にメリハリをつけているので、推進力がついている。

メルツのチェロもきびきびしていて、ルーティンに陥らない鮮度を常に保っている。

この四重奏団の演奏におけるメリハリが軍隊調にならず、程よい粘り気を持っているのは、ケッケルトの歌い口のバランス加減にある。

中期の「ラズモフスキー・セット」、「ハープ」、「セリオーソ」も、四者四様の駆け引きがごく自然な会話のように展開する。

作品の相貌に合わせてダイナミックに強弱をつけているにも拘らず、それぞれのパートが如何なる局面でも一切お互いの邪魔になっていない。

無論、こうした駆け引きは四重奏の基本なのだが、このケッケルト四重奏団を基本に考えると、現代の四重奏は、いかにも上手に駆け引きしているのを自慢しているような風があって、この四重奏のような日常会話のごとく演奏する境地に達していないと感じられる。

後期のベートーヴェンの四重奏曲は、かなり入り組んだアンサンブルで、大方の四重奏団は気を引き締めて仕事に取り掛かるのだが、ケッケルト四重奏団は、そうした気負いを捨て、無心の境地で複雑なアンサンブルを楽しんでいる。

結成して15年のアンサンブルが、こうした高みのあるアンサンブルを実現しているのは、驚異的ではなかろうか。

音質を除けば、プロフェッショナル、アマチュアを問わず四重奏団員の誰しもが羨むアンサンブルである。

ドイツ・グラモフォンは、しかるべき企画力をもって、この音源をもっと販促して世界中の好楽家たちの目に触れるようにするべき。

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2017年06月22日


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現代ドイツを代表するカルテット、アルテミス弦楽四重奏団が1998年に開始し、途中2人のメンバー・チェンジを経て2011年に完成させたベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集。

1989年にドイツのリューベックで結成されたアルテミス弦楽四重奏団は、アルバン・ベルク弦楽四重奏団の面々や、ラサール弦楽四重奏団のワルター・レヴィンに師事し、エマーソン弦楽四重奏団やジュリアード弦楽四重奏団からも大きな影響を受けている。

活動が本格的になったのは1994年頃からで、1996年にはミュンヘン国際音楽コンクールで優勝、翌1997年、プレミオ・パオロ・ボルチアーニ弦楽四重奏国際コンクールでも優勝し、その圧倒的な実力を世に示した。

以後、ヴァイオリンとヴィオラのメンバー・チェンジを経て現在に至り、ますます高まる演奏能力によって、世界各国で高い評価を獲得している。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の録音史を考えると1978〜1983年に完成されたアルバン・ベルク弦楽四重奏団の最初の全集が1つのターニングポイントと言えるところであり、圧倒的な技術とシンフォニーのような音量、雄大なダイナミックレンジと機敏で明晰な解釈で、一世を風靡した。

以後、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を録音するにあたっては、アルバン・ベルク弦楽四重奏団とは違った新しい価値をどのように達成するか、というのが1つの基準になる。

そこで、このアルテミス弦楽四重奏団の録音であるが、彼らも豊かな音量を誇っており、そういった意味でスケールの大きい、室内楽的範疇に収まらない演奏を繰り広げているが、併せて、きわめて緊密なやり取りを高度な制御により行っている点が凄い。

彼らの演奏は力強くシャープで、広大なダイナミックレンジを持つが、長年に渡って研鑽を積んだ合奏能力はきわめて高度なものであり、このベートーヴェン録音シリーズでも、そのパワーを遺憾なく発揮すると同時に、細部に至るまで作品情報が掌握されていることが大きなプラスになっている。

チェロのエカルト・ルンゲはベートーヴェンについて、「最もモダン、刺激的、実験的そして豪胆な作曲家」と語っていたが、彼らのベートーヴェン演奏からはそうした積極的な要素が強く感じられるのがポイントで、このスタンスの徹底により、彼らの全集は、大きい存在感を獲得している。

そうして彼らが獲得した自然な歌謡性は、アルバン・ベルク弦楽四重奏団ではやや乏しく感じられたものである。

聴いていて「潤う」成分が欲しいリスナーには、このアルテミス弦楽四重奏団の演奏は、絶好の録音と言える。

個人的に強く印象に残ったのは、飛躍を感じさせる充実感に満ちた第5番、弦楽四重奏曲の概念を覆した名曲に相応しい壮大さを感じさせる第7番、アコースティックな暖かみを十全に感じさせてくれる第12番の3曲。

逆に、やや物足りないと思った曲としては、均質性に配慮しているが、もう一歩力強い踏み込みが欲しかった第14番、弦楽器的なサウンドに徹しているが、より活発さの欲しかったヘ長調Hess34の2曲を挙げる。

しかし、全般に現代的でシャープな感性で押し切った、素晴らしい内容の濃い全集であり、その平均的な質の高さは驚異的なものと言って良く、全集として強く推薦したい。

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2017年06月16日


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イタリアSQは、ここで新しいベートーヴェン像を描き出そうとしており、全曲を通じておおらかなリリシズムが支配する明るく流麗な表現と息の合った絶妙なアンサンブルが特徴だ。

4人の奏者の音楽性には見事な均一性が保たれ、しなやかな弦の味わいが終始貫かれている。

好んで明るい音色を求めながらも、楽章に応じて音色を巧みに変化させ、その上表情にも意志的な姿勢をみせ、テンポをテリケートに浮動させながら、音楽をよく歌わせている。

むろん、アンサンブルにも隙がないが、彼らの演奏は実に明快で、そして美しい歌に溢れているのが、大きな特色に数えられるだろう。

歌う際の独自のアクセントとダイナミクスの変化で造型していく他に類のないベートーヴェン演奏で、その未来のベートーヴェン像を象徴するかのような新鮮なアプローチは驚嘆に値する。

ひとりひとりが南国的な明るい感性をもち、強烈な歌の精神でベートーヴェンの心を歌い上げているが、リズムも明快に処理しており、朗々たる魅力に圧倒される。

ベートーヴェンの解釈として異例であることは認めざるを得ないが、彼らはどんなフレーズにも歌を見い出し、洗練されたカンタービレの奏法で歌い上げてしまう。

極めて特徴のある演奏スタイルだが違和感はなく、ベートーヴェンの前向きの迫力を伝える演奏として貴重なものだ。

確かに哲学的な深みのある表現については他の四重奏団に一歩譲るかもしれないが、感覚的に誰でも素直に入ってゆける、親しみやすいベートーヴェン演奏と言えるだろう。

それだけに演奏が決して神経質で辛気臭いものにならない屈託の無さが魅力だが、また一方でメリハリの効いたオーケストラを髣髴とさせるスケールの大きな表現と自由自在に変化するテンポの採り方も手馴れたものだ。

ベートーヴェンの深遠な音楽の前に少しも萎縮することなく、むしろ耳に心地よい響きの中に総ての音楽的なドラマを映し出すリリシズムこそ彼らの演奏の身上なのだ。

弦楽器同士ならではの柔らかな対話の仕方というものに、イタリアSQはとてもよく通暁していたグループであったが、ここでも彼らの語り合いは少しも肩に力が入り過ぎておらず、トゲトゲしくならず、なめらかで、自然で、味わい深く再現されている。

余裕を持ったゆったりしたテンポの設定からもそのことが理解できるが、それ故にこの全曲集はなんと10枚のCDに収められている。

技巧的な安定感の強さは、これらの四重奏曲の数多い録音の中でも屈指のものだし、彼らの南方的な資質も各曲で遺憾なく発揮されている。

とりわけ中期の作品95「セリオーソ」や同59の3曲の「ラズモフスキー」等は彼らの面目躍如たるものがあり、各々の第1楽章では意志的な逞しさにも不足はない。

一方、作品74「ハープ」の軽やかな透明感、端正な楽想の処理、各部のバランスの妥当さ、変奏部分の連続性の強さは無類に楽しく、美しい限りで、彼らの音楽性の幅を感じさせる。

また、後期の作品132の最終部分で歌われるヴァイオリンとチェロのスケール豊かな表情には、この全集の独自性が見事に集約されている。

長年に亘り培ってきたインティメイトな交流が存分に発揮され、自然な呼吸の中から自ずと曲の本質を衝いた演奏が生まれたと言うべきだろう。

4人のイタリア人がベートーヴェンを主要なレパートリーにしていたことは興味深いが、その発端は1951年に参加したザルツブルク・フェスティヴァルでのフルトヴェングラーとの出会いだった。

巨匠は彼らをホテルに招いてベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲とブラームスのピアノ五重奏曲について自らピアノを弾きながら助言した。

それは彼らにとってかけがえのない経験であり、その後の演奏活動の重要な課題ともなった。

このベートーヴェンだけに限らず、イタリアSQの演奏の大部分は、弦楽四重奏というスタイルの最良の部分を高らかにかかげるようなものであった。

1967年から75年にかけてフィリップスへの録音が集大成されたもので、更にリイシュー廉価版として再登場、音質の良さも特筆に値する。

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2017年06月08日


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カール・ズスケは、1962年にベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)のコンサートマスターに引き抜かれ、1965年に同僚と語らってズスケ弦楽四重奏団を結成、1966年にジュネーヴ国際コンクールに入賞した。

ズスケは多忙な国立歌劇場の仕事の合間を縫って室内楽に取り組み、やがてベルリン弦楽四重奏団と改称し、国際的にドイツ民主共和国(東ドイツ)最高の室内楽団と評価されることとなった。

それとともにズスケは室内楽の名手として名声を高め、数々の優れた室内楽のレコードを残したが、このベートーヴェンはこの団体の代表的名盤である。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集には文字通り歴史的名盤がいくつもあって、どれひとつとして聴き逃せないことは勿論であるが、筆者が比較的少数派という自覚付きながらまず真っ先に選ぶのは(旧)ベルリン弦楽四重奏団の全集である。

おそらく戦後ドイツが生み出した最高の弦楽四重奏団の1つの最善の成果が示された演奏で、極めて端正で清潔な表現と清々しい響きに彩られたベートーヴェン。

しかし単にすっきりしているというのではなく、その中に自在で柔軟性に富む表情と豊かな感興が息づいていて、ズスケの叙情性豊かな表現が、緩徐楽章だけでなく随所に効果的である。

強い自己主張を打ち出すよりも、作品に真摯に奉仕することにより、内から自然と滋味が滲み出てくるような秀演である。

旧東ドイツに属するとは言え演奏スタイルは決して古めかしくなく、むしろ優れて今日的で、どの曲、どの楽章を聴いても明確な表現をもった積極性に溢れた音楽が繰り広げられている。

つまり、これは感情のみを第一義とした旧時代的な演奏ではなく、もっと堅固にまとめられた、切れ味の鋭い音楽をつくっている。

そのためには、ベートーヴェンの与えた指定を少しもないがしろにせず、それを曖昧でなく鮮明に示して、すみずみまで迫力に満ちた演奏である。

ズスケ以下切れ込みの鋭い踏み込んだ表現が光り、しかも無用な情熱に駆られることなく、悠然たる歩みと堅固な造形感に貫かれた堂々とした演奏が展開されている。

これは極めて透明度の高い、そして古典的美しさを端正な造形で表現した演奏であるが、ズスケを中核とするメンバーは、瑞々しくも感情の潤いに満ちた音楽を歌っているのである。

全体に精神の輝きと自在な表情に満ちた生命感に溢れており、アダージョ楽章における気品を湛えた崇高な表現も出色である。

4人の奏者の均質で透明な響きが実に美しく、ズスケをはじめ、チェロのブフェンダーや内声も感興に溢れる素晴らしい演奏を展開する。

各声部の自発性豊かな表情と声部間の応答の敏感軽妙なこと、練れた柔らかい響きときめ細かな表情にも感心する。

この団体は、表情が決して粘り過ぎず、響きもいぶし銀のように底光りのする光沢と透明感があり、表現も一見淡泊であるが、実に細やかな神経が行き渡っており、各奏者の反応も敏感で清々しい。

これほど美しい造形と精神性のバランスのとれた演奏は少なく、奇を衒わない正統的な表現でここまでの深みを出せる団体は現在でも多くはない。

初期作品は、古典的で均整の取れた佇まいを、何のケレン味もなく実に落ち着いた余裕を感じさせるアンサンブルで見事に描き出している。

中期作品では、とかく熱を上げすぎバランスを崩す演奏が多いなかで、これは極めて落ち着いた盤石の安定感を示しているが、その中に込められた精神的充実ぶりも超一級。

後期作品は、ズスケの透明で柔軟性に満ちた音楽性がアンサンブル全体に行き渡り、心の奥から滲み出てくるような歌を、決して力まずに豊かに引き出しており、繊細な配慮の行き届いた緩急やデュナーミクの変化も実に自然である。

従って、演奏内容、音の鮮度、録音の自然さなど色々な条件を総合的に考慮して、これはどんな名盤にもおよそひけをとらない素晴らしいレコーディングだと確信する。

そしてリーダーのズスケがライプツィヒ・ゲヴァントハウスに移った後も、じっくり時間をかけてシリーズを完遂した制作態度にも、この全集の盤石の重みがある。

このベートーヴェンの全集完成をもって解散したこのメンバーによる品格高い音楽性が余すところなく記録されているのである。

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2017年05月19日


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ベートーヴェンの作品でも弦楽四重奏曲は、作曲者の内面を反映した特別な作品と言える。

それらは、ひとりディスクで聴くにふさわしい規模であり、人生のあらゆる機会に聴き手の内奥に触れる。

音楽のもつ偉大な力を、さらに大規模な作品と同じように痛感させるのも凄い。

そのためベートーヴェンの弦楽四重奏曲は入手できるほとんどのディスクを聴いてきたと思うが、その中で、特に強い感銘を与えられたのが、このスメタナ四重奏団の全集である。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏が、弦楽四重奏団にとってひとつの究極であるとともに、常にそのマイルストーンとなり得るものであることは間違いなく、それはスメタナ四重奏団にとっても、それは例外ではなかったろう。

モノーラル録音の時代から、彼らはベートーヴェンへのアプローチを重ねてきたし、メンバーの交替はあっても、一貫してボヘミアの伝統を生かした美しい音とアンサンブルによって、深く格調の高い演奏を緻密に展開してきた。

全集と言えば、かつてのブダペスト四重奏団が練達の境地でひとつの高峰を築いていた。

最近の東京クヮルテットの新鮮な表現も忘れ難いが、音楽の大きさにおいて、まだスメタナ四重奏団の最後の録音には及ばない。

スメタナ四重奏団は深い精神性とアンサンブルの集中力において、依然、他の追随を許さない。

弦楽四重奏のひとつの理想を達成した演奏であり、初期、中期、後期のいずれもが確かに作品の本質をあらわにしている。

本セットに収録されているのは1976年から85年にかけてのデジタル録音で、スメタナ四重奏団としては2度目の録音になるが、1回目は全集として完結していないので事実上これが彼らにとってはベートーヴェンが書いた17曲の弦楽四重奏曲(このうち1曲はピアノ・ソナタからの編曲)の唯一の記念碑的な全曲集になっている。

スメタナ四重奏団は古典から現代に至る膨大なレパートリーを総て暗譜によって演奏したが、とりわけベートーヴェンは精力的にコンサートのプログラムに取り入れた作曲家の1人だった。

彼らの公式演奏記録によれば1945年の結成から1989年にキャリアを終えるまでにベートーヴェンの弦楽四重奏曲のみで合計1490回、また音楽性の表出や演奏技術面においても難解とされる同後期作品だけでも654回取り上げている。

しかも1956年以降は最後までメンバー不動で活動を続けた、まさに百戦錬磨のカルテットでもあった。

スメタナ四重奏団は、モノーラル時代からベートーヴェンを何度も録音してきており、レーベルもウェストミンスター、スプラフォン、そしてデンオンと変わった。

それぞれの演奏が、今も光彩を放っているが、やはり音楽の深さにおいて、最後のデンオンへの録音が感動的である。

演奏の全体的な印象としては、第1回目の覇気はやや影を潜めたが、全曲を貫く奇を衒わないごく正統的なアプローチは筋金入りだ。

長年のキャリアと経験によって培われた阿吽の呼吸と鍛え上げられた緊密なアンサンブルを絶妙にコントロールして、清澄な響きの中に洗練された音楽性を醸し出す奏法は、彼ら独自の境地を切り開いていて感動を禁じ得ない。

彼らのベートーヴェンはヨーロッパの伝統様式を踏襲しながら、それを新古典的な感覚で生かしており、内面から湧き上がる表情の深遠さは類を見ない。

しかも弦の響きの美しさとアンサンブルの清澄さ、室内楽的な融合と統一においても、彼らを凌ぐベートーヴェンは未だ存在しないと言える。

その感情を極度に抑制し、作為的なこわばりのない自然な音楽の姿を作り出していく技術の確かさには、ただ驚き入るばかりだ。

アナログ録音は、やや禁欲的に過ぎるきらいがあるが、デジタル録音では、持ち前の透明度の高い音色の中から暖かい情感が滲み出てくるあたりの味わいの深さが凄い。

作品に深く傾倒することによって、透徹した格調高い音の世界を生み出しており、特にベートーヴェンの晩年の心境を抉り出した後期の作品が素晴らしい。

彼らのベートーヴェンは、ハイドンもモーツァルトでもそうだが、弦楽四重奏の美学を終局にまで追い詰めた稀に見る完成度の高い名演なのだ。

それは、彼らの歴史の究極であるばかりではなく、室内楽のひとつの規範ともなり得よう。

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2017年05月17日


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アルバン・ベルク弦楽四重奏団の評価を決定づけたベートーヴェンの全集の第1回録音(1978年〜1983年)で、1985年度レコード・アカデミー賞受賞盤。

この団体の強い音楽的個性や主張がアルバム全体を通して終始一貫しており、今尚実に強烈な印象を残すアルバムである。

全体にテンポはやや速めだが、決して軽薄に流れず、むしろメリハリが実に明確で、音楽を絶えず前へ前へと駆動する力に溢れているため、若々しい推進力や軽快な躍動が生まれる。

清新な意気に満ちた初期作品や強い集中力によって統御された緊張度の高い中期作品群も素晴らしいが、何よりも後期作品集の一期一会的な完成度の高さが魅力的である。

ベートーヴェンの音楽に内在する可能性を鮮烈に引き出した演奏で、アンサンブルの緊密度や柔軟性、各奏者の技術的、精神的な充実感も並々ならぬ高さにある。

初めて彼らの弦楽四重奏を聴いた時には、例えばOp.95『セリオーソ』の極限まで高揚するようなアグレッシブなアタックや第1ヴァイオリンを受け持つギュンター・ピヒラーのスタンド・プレー的な独特のディナーミクにいくらか違和感を持ったが、曲を追って聴き込んでいくうちに決して表面的でグロテスクなパフォーマンスではないことに気付いた。

そこには外側に表出されるサウンドの斬新さとは裏腹に曲の内部へ掘り下げていく表現の凝縮を感知させることにも成功しているからだ。

しかも彼らのアンサンブルは精緻を極めていて、4人の士気の高さとともに音色には特有の透明感がある。

個人的には特に後期の作品群が、最も彼らの解釈に相応しいのではないかと思うところで、第15番になると鮮明さを強調しすぎることなく音のバランスが良くなっている。

聴覚を失って音響から切り離された世界で作曲を続けなければならなかったベートーヴェンの境遇を考えれば、どうしてもそこにセンチメンタルな表現を期待しがちだが、彼らはむしろクールな情熱で弾き切り、清澄だが感傷的なイメージを払拭することによって新時代のベートーヴェン像を見事に描き出しているところが秀逸だ。

改めて感じたのはこの団体がウィーン出身であることで、スピード感、刺激といった現代的なセンスをもちながら、決して優美さを失わないのである。

強い表現性をもちながら、知・情・意のバランスの良い演奏は筆者の長年の愛聴盤になっている。

旧セットと曲目の配列もCDの枚数も全く同様だが、ワーナー・バジェット・シリーズのひとつとして更にプライス・ダウンされている。

現在多くのレーベルから一斉射撃のようにリリースされている箱物廉価盤は、それぞれが限定生産と銘打ってあるにせよ、芸術的な価値は別としていわゆる減価償却を終えた商品なのだろう。

こうした企画のラッシュは初出時に1枚1枚正価で買い集めたオールド・ファンにとっては、ミュージック産業の生き残りを賭けた熾烈なサバイバル戦を垣間見るようで、何とも複雑な思いがする。

しかしこれからクラシックを聴き始める入門者や若い世代の人達には勿論またとないチャンスには違いない。

それは兎も角として、アルバン・ベルク四重奏団は2008年7月の解散までに都合2回のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲録音をしているが、この演奏は1978年から83年に行われたセッションで、第2回目は1989年のウィーン・コンツェルトハウスでのライヴが同じくワーナーから再リリースされる。

メンバーの息遣いが聴こえてくるような鮮明な録音も驚異的で、それが緊張感漲る演奏の特質を一層強めているのに気付き、レコード芸術において演奏と録音が不可分であることを印象づけられる。

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2017年05月13日


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1917年にブダペスト国立歌劇場のメンバーによって結成されたハンガリーの代表的室内楽団ブダペスト四重奏団は、1967年にちょうど半世紀にわたって個性的な活動を繰り広げた20世紀最高の四重奏団である。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の黎明期ともいえるSP期から数えると、何と3回もの全曲録音(1回目は1曲欠ける)を行なっているブダペスト四重奏団は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に生涯を捧げた歴史がある。

1917年からのSP期に第1回、1952年のLP期に第2回、1958年のステレオ期に第3回と、1967年に解散するまで何かとベートーヴェンとのかかわりをもってきた。

このステレオ期の1958年から61年にかけてニューヨークで録音された全集は、ブダペストのそれまでの至芸の総決算といえるもので、ベートーヴェンの本質に肉薄したその演奏は、人間ベートーヴェンの精神性を見事に語り尽くしている。

いわばロシア人だけによるメンバーが復活してからのことであり、このアンサンブルが円熟期を迎えていた時のことである。

ロイスマン、アレクサンダー・シュナイダー、クロイト、ミッシャ・シュナイダーという4人が、その顔ぶれであった。

この顔合わせは、1917年に創設された際のメンバーが、すべて姿を消した1936年に発足したことになる。

もっとも、1944年に第2ヴァイオリンが交代したため、一時変わってしまい、1955年に再び顔をそろえたのであった。

4人がすべてロシア人でありながら、教育はドイツ・オーストリアで受けており、1938年からは、アメリカのワシントン国立図書館に所属していたということを考えると、この名称がかなり奇異に感じられるのも事実だが、意外にブダペスト四重奏団として自然に受け取られていたのも興味深い。

その主軸を占めたのは、新即物主義的なロイスマンであり、彼が主導しながら、その演奏では、4人の平等なる均衡のもとに緊密なアンサンブルが築かれていた。

そのベートーヴェンは、彼らにとってのひとつの究極であり、彼らの音楽も哲学も、そして理念もすべてそこに集約されており、弦楽四重奏のひとつの規範もそこに示されている。

ベートーヴェンの楽譜を深く洞察することによって、音楽の表現に欠くべからざるもののみを有機的に結合させ、作品を構造的に抽出している。

技術的には衰えを見せてはいるものの、聴く度ごとに新たな発見を見出すことのできるレコード史上の一大金字塔と言っても過言ではあるまい。

録音は古くなったが、1967年に解散したこの団体の演奏は、歴史の浅い弦楽四重奏団からは味わえないような風格が感じられる。

初期の作品から、後期の作品に至るまで、常に厳しい姿勢で貫かれ、音楽の内面をじっと凝視するかのような鋭さをもっている。

それだけに、現在聴くと、表情の柔らかさにはやや乏しく、演奏スタイルも古めかしいが、そういったものを越えた、精神的な充実ぶりが、感動を呼ぶ。

ブダペスト四重奏団の残した数多くの遺産のうちでも最高のものといってよく、この弦楽四重奏曲集の音楽特性をこれほど豊かに表現した演奏というのも少ない。

今後このような演奏が再び生まれてくる可能性はまずない。

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2017年04月29日


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リヒテルはある作曲家の作品を系統的に網羅するような演奏や録音には全く関心を持っていなかったようだ。

勿論彼が録音という仕事自体に熱心でなかったことは良く知られたところだが、例えばベートーヴェンのピアノ協奏曲は第1番と第3番しか弾かなかったし、ピアノ・ソナタでは32曲の作品のうちセッションとライヴ総てを掻き集めてきても22曲しか録音されていない。

それは彼自身も言っているように、ピアニストなら誰もが採り上げるような曲はあえて避け、自分の気に入っている作品に集中したいという願望の表れだったのだろう。

それでも彼の超人的な記憶力は膨大なレパートリーをもたらし、彼が望んだか否かに拘らず結果的に充分立派なディスコグラフィーを遺すことになった。

1枚目の4曲では晩年のリヒテルが切り開いた境地とも言うべき、何物にも囚われない自由闊達な表現が感動的で、中でも『熱情』では当時の彼の音楽的な構想を最も良く反映した解釈を聴くことができる。

それは彼がアメリカ・デビューを果たした1960年の録音と比較して一層きめ細かで優美でさえある。

一方作曲家後期の3曲はリヒテルが虚心坦懐に弾いた率直で心穏やかなベートーヴェンという印象で、中期のソナタのように激情を爆発させるわけではなく、響きの精妙さをもって対し、作曲家晩年の深遠な抒情を最大限に引き出している。

そこには巨匠特有の精神的な余裕と経験を積んだ貫禄が感じられ、こうした曲の表現に一層の深みと俗世のしがらみから開放された清澄な輝きを感じさせる。

またその美しさはテクニックの衰えを補って余りあるものがあり、雄渾な表現を得意とするいつもの彼とは異なる一面が示されていて興味深い。

この2枚組のCDに収められた7曲のソナタは、全曲フィリップス音源で前半がアムステルダム・コンセルトヘボウ、後半がシュトゥットガルトのルートヴィヒスブルク城オルデンスザールでのどちらもライヴからのデジタル録音になるが、これらは生前リヒテル自身がリリースを承認したそれほど多くない音源のようだ。

ふたつの演奏会場での音響の差が歴然としているが、音質自体は極めて良好だ。

17ページほどのライナー・ノーツには英、仏、独語によるリヒテルの略歴と演奏についての簡易な解説付。

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2017年04月23日


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ヨーロッパでは品薄のためプレミアム価格で取り引きされていた当CD(2016年1月から4月にかけてミュンヘンにて収録)が再生産されたらしく、アマゾンEUのマーケットでもこのところリーズナブルな値段に戻っている。

このCDに収録されたベートーヴェンの管楽器が加わる室内楽は演奏される機会が少なく、こうしたジャンルだけを集めた録音も稀で、ドイツ・グラモフォンからのベートーヴェン・エディション第14巻及び第15巻以来纏めて聴くことができなかったものだ。

巧みなアンサンブルということにかけては後者は1960年代から70年代のローター・コッホやカール・ライスター首席時代のベルリン・フィル・ウィンド・アンサンブルのスター・プレイヤー達なので優劣はつけ難い。

収録曲は木管楽器のアンサンブルとそれにホルン、ピアノが加わる作品に限られていて、弦楽器が入る名高い七重奏曲は残念ながら含まれていないし、ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調は別の3枚組の方に加わっているが、単独のアルバムのプログラムとしては統一性のとれた高い芸術性を感じさせる選曲だ。

クラリネットのポール・メイエが中心となって結成された管楽アンサンブル、レ・ヴァン・フランセーは名称のとおり、ここではまさにフランス流のウィンド・アンサンブルのしなやかさと開放的な表現がそれぞれの曲に横溢している。

管楽器のスーパースター軍団らしく、華やかでしかも精緻な演奏が作曲家の垢抜けた洒落っ気さえ感じさせる解釈と合わせの美しさが秀逸だ。

メンバーはフルートのエマニュエル・パユ、オーボエのフランソワ・ルルー、ホルンのラドヴァン・ヴラトコヴィチ、ファゴットのジルベール・オダン、ピアノのエリック・ル・サージュ、そしてメイエの6人から成り、メンバー全員が超一流のソリストでもある、言わば管楽器のドリーム・チーム。

彼らは1993年に南フランスの小都市サロン・ド・プロヴァンスでの国際室内楽音楽祭の創設時にフランス系の器楽奏者で結成され、レギュラー・メンバー6人を中心に今ではこの町の夏の音楽祭のみならずインターナショナルなツアーも盛んに行っている。

“レ・ヴァン・フランセー”の名を冠する以前に主要メンバーが参加した『プーランク:室内楽曲全集』(1999年RCA)は、同年のレコード・アカデミー大賞を獲得した。

それ以前からもメンバーは共演を重ねており、とりわけル・サージュ、パユ、メイエが主宰するサロン・ド・プロヴァンス国際室内楽音楽祭〈ミュジーク・ア・ランペリ〉では、ほとんどのメンバーが創設当初から20年以上にわたり同じステージに上っている。

それぞれが現役のソリストあるいはオーケストラの首席奏者であることから、アンサンブルとして顔を合わせる機会は限られているが、それでもこれまでに初期のRCAの音源を含めると既に都合10枚のCDをリリースしている。

音質は鮮明でボリューム・レベルも高く、レ・ヴァン・フランセーの明るい音色が明瞭に捉えられていて、管楽器の妙技を堪能できる。

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2017年04月03日


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プラガ・ディジタルスからのハイブリッドSACDシリーズでは発売延期になっているルツェルン音楽祭でのベートーヴェンの『第9』を含めると既に7枚目のアルバムになるフルトヴェングラー演奏集。

今回は序曲『レオノーレ』第3番、交響曲第7番イ長調及び同第8番ヘ長調の3曲が収録されたオール・ベートーヴェン・プログラムだ。

昨年2016年5月にリリースされると同時に入手困難になったディスクで、一部の好事家だけでなく多くのフルトヴェングラー・ファンが注目していたことが想像される。

先にワーナーからリリースされたEMI音源のベートーヴェン交響曲全集では第2番と第8番が1948年の古いライヴ録音で、正直言ってその演奏の真価を問うにはほど遠い音質だった。

ここでの第8番は版権の異なる1954年の音源をリマスタリングしているが、勿論こちらの方が音質はずっと良く、SACD化はファンにとって朗報に違いない。

全曲とも擬似ステレオ化されているが不自然さはなく、オーケストラは総てウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で、この時代の彼らの醸し出す音色とその奏法が魅力のひとつになっている。

序曲『レオノーレ』第3番はライナー・ノーツには1944年6月2日のウィーン・ライヴと記されていて、彼の数種類ある同曲の録音では最も古いものだ。

音質は例外的に優れていて第2次世界大戦末期のウィーン・フィルにこれだけパワフルな演奏が可能だったことが興味深い。

第7番は1950年6月18日及び19日のスタジオ・レコーディングとの記載で、どちらが正確なデータか判断できかねるが、これは以前から知られていた同年1月のセッション録音と同一音源だ。

ワーナーのレギュラー・フォーマットの全集からの同曲と聴き比べると、ヒス・ノイズはいくらか多いがオーケストラの鳴りが俄然良く、特に弦楽セクションの勢いが全く違う。

終楽章のたたみかけるような追い込みに唸るように呼応するウィーン・フィルのアンサンブルも秀逸だ。

一方第8番はフルトヴェングラーが亡くなる年のザルツブルク音楽祭からのライヴだが、その生命力漲るエキサイティングな演奏に驚かされる。

ベートーヴェンはウィーンの交響曲には欠かせなかったメヌエットを早くから捨て去ってスケルツォを導入したが、この第8番の第3楽章にはこれが最後だと言わんばかりの、過去の習慣にきっぱりと別れを告げるような大上段に構えたメヌエットを書いている。

フルトヴェングラーはこの作曲家の皮肉っぽいユーモアを熟知していて、かつて聴いたことのないような壮大なメヌエットを奏でている。

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2016年12月22日


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ケンペ&ミュンヘン・フィルによるベートーヴェン演奏はどれも既に定評あるもので、渋く底光りするような独特の音響による骨格造形も逞しいアプローチは実に魅力的である。

奇を衒ったところなど全くないが、密度の薄いところも全くないという、実にクオリティの高い全集で、何度聴いても飽きのこない内容だ。

この演奏からオーケストラの個々の奏者の名人芸や離れ技を聴き取ることは難しく、個人技による感覚上の美観は、ここでは強く抑制されている。

従ってここに見られる音楽的美しさは、表層にたなびくものではなく、内に頑固なまでにしがみついたものであり、全9曲まったくムラのない出来だが、第4番から第7番までの演奏は特に強い感銘を与える。

最近では、ベートーヴェンの交響曲の演奏にも、ピリオド楽器を用いた演奏や古楽器奏法の波が押し寄せてきているが、本全集が録音された1970年代は、まだまだ大編成のオーケストラを用いた重厚な演奏が主流であったと言える。

例えば独墺系の指揮者で言えば、カラヤンやベームといった大巨匠が交響曲全集を相次いでスタジオ録音するとともに、クーベリックやバーンスタインによる全集なども生み出されるなど、まさにベートーヴェンの交響曲全集録音の黄金時代であったと言っても過言ではあるまい。

そのような中で、決して華やかさとは無縁のケンペによるベートーヴェンの交響曲全集が、1975年のレコード・アカデミー賞を受賞するなど一世を風靡するほどの評判を得たのはなぜなのだろうか。

確かに、本全集の各交響曲の演奏は、巷間言われているように、厳しい造型の下、決して奇を衒わない剛毅で重厚なドイツ正統派の名演と評することが可能であるが、決してそれだけでないのではないだろうか。

一聴すると、オーソドックスに思われる演奏ではあるが、随所にケンペならではの個性が刻印されていると言えるだろう。

例えば、第2番では、冒頭の和音の力強さ、第2楽章のこの世のものとは思えないような美しさ、第3楽章は、他のどの演奏にも増して快速のテンポをとるなど、決して一筋縄ではいかない特徴がある。

第4番第1楽章冒頭の超スローテンポによる開始、そして第3楽章など、他のどの演奏よりも快速のテンポだが、それでいて、全体の造型にいささかの揺らぎも見られないのはさすがと言うべきであろう。

第5番の第1楽章のテンポは実にゆったりとしているが、決してもたれるということはなく、第1楽章に必要不可欠な緊迫感を決して損なうことなく、要所での音の強調やゲネラルパウゼの効果的な活用など、これこそ名匠ケンペの円熟の至芸と言うべきであろう。

終楽章のテンポはかなり速いが、決して荒っぽさはなく、終結部のアッチェレランド寸前の高揚感は、スタジオ録音とは思えないほどのド迫力と言えるところだ。

第6番の第1楽章は、かなりのスローテンポで、同じようなスローテンポで第2楽章もいくかと思いきや、第2楽章は流れるようなやや速めのテンポで駆け抜ける。

第3楽章に至ると、これまた凄まじい快速テンポをとるなど、必ずしも一筋縄ではいかない個性的な演奏を展開している。

第7番は、冒頭から実に柔和なタッチでゆったりとしたテンポをとり、主部に入っても、テンポはほとんど変わらず、剛というよりは柔のイメージで第1楽章を締めくくっている。

第2楽章は、典型的な職人芸であり、決して安っぽい抒情に流されない剛毅さが支配しており、第3楽章は雄大なスケールとダイナミックな音響に圧倒されるし、終楽章は、踏みしめるようなゆったりしたテンポと終結部の圧倒的な迫力が見事だ。

第8番は、中庸のテンポで、ベートーヴェンがスコアに記した優美にして軽快な音楽の魅力を、力強さをいささかも損なうことなく表現しているのが素晴らしい。

そして、第9番は、ケンぺ&ミュンヘン・フィルによる偉大な本全集の掉尾を飾るのに相応しい圧倒的な超名演。

ここでのケンペの指揮は堂々たるドイツ正統派で、気を衒うことは決してしない堂々たるやや遅めのインテンポで、愚直なまでに丁寧に曲想を描いているが、悠揚迫らぬ歩みによるいささかも微動だにしない風格は、巨匠ケンペだけに可能な圧巻の至芸と言えるだろう。

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団も、ケンペによる確かな統率の下、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

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2016年12月11日


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クレンペラーの巨大とも言える音楽を満喫することが可能な圧倒的名演と高く評価したい。

ベートーヴェンは、クレンペラーの個性が、ハイドンやモーツァルト以上に生きるレパートリーである。

ベートーヴェンが志向し続けた、より良きものへ、より高きものへの意志を、クレンペラーは、竹を割ったような率直さの中に確然と表現するすべを知っており、どれもまず、傾聴に値する演奏と言えるだろう。

本演奏において、クレンペラーは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を精緻に、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出して行く。

クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、いささかも無機的な演奏に陥ることがなく、どこをとっても彫りの深い、隙間風が全く吹かない重厚な音楽が紡ぎ出されている。

演奏全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールは極大であり、重厚にして重量感溢れる音楽が構築されている。

テンポの振幅は必要最小限に抑えるなど、小賢しいアプローチとは無縁であるが、木管楽器をやや強めに演奏させるのはいかにもクレンペラーならではのユニークなもので、これによって演奏がウドの大木になることを避ける結果となっており、演奏のどこをとっても彫りの深さが健在である。

巧言令色などとは全く無縁であり、飾り気が全くない微笑まない音楽であるが、これはまさに質実剛健な音楽と言えるのではないだろうか。

実直そのもので、ドラマティックな要素などは薬にしたくもなく、フルトヴェングラーによる人間のドラマ、カラヤンによる音のドラマとは異なるクレンペラー独自の音楽が展開されてゆく。

近年においては、ベートーヴェンの交響曲演奏は、ピリオド楽器やピリオド奏法による演奏が一般化しているが、本演奏は、そうした近年の傾向とは真逆の伝統的な、ドイツ正統派によるものと言えるだろう。

特に交響曲第3番、第5番、第7番、第9番における悠揚迫らぬゆったりとしたテンポによる演奏は、あたりを振り払うかのような威容に満ち溢れており、あたかも巨象が進軍するかのような重量感に満ち溢れている。

それでいて前述のように木管楽器を効果的に活かして、格調の高さを損なわない範囲において随所にスパイスを効かせるなど、クレンペラー独自の解釈が聴かれる。

このような微動だにしないインテンポによる威風堂々たる重厚なベートーヴェンにはただただ頭を垂れるのみである。

また、交響曲第1番、第2番、第4番、第8番のこれまでの様々な指揮者による演奏としては、ベートーヴェンの交響曲の中でも規模の小さい交響曲だけに比較的軽快に演奏されるものが多いが、クレンペラーは、あたかも大交響曲に接するかのようなスケールの雄大な演奏を行っており、おそらくは各曲の演奏史上でも最も構えの大きい演奏ではないだろうか。

それに、ベートーヴェンの交響曲の一般的な演奏スタイルとして、偶数番の交響曲は柔和に行うとの考えも一部にあるが、クレンペラーにはそのような考えは薬にしたくもなく、奇数番などに行うようなアプローチで偶数番の演奏に臨むことによって、スケール雄大な大交響曲に構築していった点を高く評価すべきであろう。

序曲集もクレンペラーのスケール雄大な音楽づくりを味わうことができる素晴らしい名演揃いだ。

したがって、クレンペラーによるベートーヴェンは、フルトヴェングラーやカラヤンによる名演も含め、古今東西の様々な指揮者による名演の中でも、最も峻厳で剛毅な名演と高く評価したい。

クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団もしっかりと付いていき、ドイツ風の重厚な音色を出すなど、最高のパフォーマンスを発揮していることも高く評価すべきものと考える。

いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの巨大な芸術の凄さを十二分に満喫することが可能な素晴らしい名演として永遠に語り継がれるべき遺産であることは疑いの余地がない。

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2016年11月09日


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ユニヴァーサル・イタリーの新譜で、昨年12月に亡くなったシレジア出身の指揮者クルト・マズアと彼の手兵ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による2回目のベートーヴェンの交響曲全曲及び三重協奏曲ハ長調、ピアノ、合唱と管弦楽のための『ファンタジア』ハ短調、ヴァイオリン協奏曲ニ長調、そして11曲の序曲を収録したオール・ベートーヴェン・プログラムの充実した内容を持つセットである。

録音は1972年から93年にかけて行われたもので、それはマズアが43歳でゲヴァントハウスの音楽監督就任以来20年以上に亘る彼らのコラボの集積でもある。

アナログからデジタルへの移行期だったために双方のシステムが使われているが、総てがフィリップス音源で音質は極めて良好だ。

グローバル化の進んだ当節のオーケストラのサウンドの変化はゲヴァントハウスでも同様で、近年では非常に洗練された垢抜けた響きを持っていて、昨年聴いた時には旧東ドイツのオーケストラではむしろシュターツカペレ・ドレスデンの方が渋みのあるドイツらしい音色を保っているように思えたが、ゲヴァントハウスには伝統的な文化の厚みを担った重厚さと気迫が残っていて、現在でもそれがこのオーケストラのカラーになっているのだろう。

ある意味では融通性は少ないが質実剛健でベートーヴェンの原点を感じさせるような力強くダイナミックな表現が聴きどころで、それを更に引き出すようなマズアの手法が象徴的だ。

彼にはこれらの作品を小器用にまとめることよりも、もっと大掴みだが骨太な音楽性を感じさせるといった趣があり、媚びや洒落っ気のない直線的で頑固とも言える音響力学が彼らの醍醐味だろう。

マズアの指揮には個性的な面白みやスリルに欠けるという評価があるが、彼はカリスマ性で惹きつけたり個性を前面に出す指揮者ではなく作曲家の音楽語法を手に取るように明らかにするという意味で彼がここに示しているベートーヴェン像は、筆者自身には納得のいくものだ。

シンプルでテンポも速めだが、明確な構想があり整然としたオーケストレーションと混濁のない響きは決して軽佻浮薄な音楽に陥ることがなく、黒光りするような職人的な練達の技を感じるというのが正直な印象だ。

マズアとゲヴァントハウスの対立するイディオムが、背反することなくひとつの語法へと収斂したのが成功の一因と言えるところであり、音楽の起伏も豊かで、骨格が太く強い芯のある演奏になっている。

交響曲は熟成した柔らかく質朴な美しさと、滔々とした音楽の流動感があり、ライプツィヒの街と伝統にふさわしい色が音楽にも表れている。

ヴァイオリン協奏曲ではアッカルドの楽観的なイタリア式カンタービレが意外に良く調和して、ヨアヒムの長大なカデンツァも朗々とした自然な美しさがある。

三重協奏曲のボザール・トリオはソリストとしての主張は控えめながら、粒の揃ったアンサンブルをマズアが几帳面に支えている。

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2016年10月27日


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晩年のフルトヴェングラーによるベートーヴェンの交響曲の演奏は、他のレーベルをも含めれば、全曲をウィーン・フィルによって聴くこともできるが、全集という形で手にするとするならば、これが唯一最高のものと言うことができよう。

歴史的名演とも言えるバイロイト音楽祭ライヴの《第9》が含まれているばかりでなく、いくつかの作品は、彼の録音の中でも傑出したものであり、録音条件の不利をこえた価値がそこにはある。

それは、フルトヴェングラーの音楽と精神とが集約されたものと言っても過言ではなく、創造性にあふれた芸術の記録として、いずれも貴重なものである。

ベートーヴェンの演奏も、人が変わり、時代を追ってくるに従って、かなりの変化をみせてきたが、これは永遠の規範ともなり得よう。

極めて陰影豊かな第1番、若々しい音楽を流動させる第2番、端然とした造型の《エロイカ》、深沈として情感を色濃く漂わせた第4番や《田園》、均整感が強く堂々とした第5番や第7番と、どの演奏も強烈な個性をもった雄渾な表情だ。

第8番の音楽的創意の豊かさも比類なく、第9番は劇的で雄大、声楽陣の充実も素晴らしい。

このベートーヴェン交響曲全集のマスターは2010年に同音源がSACD化された時のリマスタリングで、今回レギュラー・フォーマットのCD5枚に収録してバジェット・ボックスとしてリイシューされた。

それ以前のCDに比べると音質はかなり良くなっていて、潤いと艶のあるサウンドが得られているが、9曲の中では最も古い1948年録音の第2番及び第8番の2曲はさすがにスクラッチ・ノイズの彼方でオーケストラが鳴っているといった感触で、他に音源のないことが惜しまれる。

第8番と第9番以外のオーケストラはウィーン・フィルで、この時代の彼らのローカル色豊かな音響とアンサンブルを堪能できるのも特徴だ。

5枚目の第9番は1954年のルツェルン音楽祭ではなく、それより古い1951年のバイロイト・ライヴだが最後の拍手が入らなければセッションと思えるほど音質に恵まれていて、フルトヴェングラーの憑かれたようにテンポを上げていく熱狂的なフィナーレが聴きどころだ。

第7番に関しては新たに発見された未使用のテープからのリマスタリングという触れ込みだった。

確かに1950年の録音としては良好な音源には違いないが、期待したほどの音質の向上は感じられなかった。

いずれにしても交響曲全曲演奏を通してフルトヴェングラーによるベートーヴェンへの独自の解釈、特にそれぞれの楽器の扱い方やダイナミクスがより一層明瞭に感知されるようになり、自在に変化するテンポ感と相俟って特有の高揚感を体験させてくれる。

入門者にも気軽に鑑賞できるリーズナブルなバジェット・ボックス化を歓迎したい。

尚総てがモノラル録音だが、何曲かについては電気的に音場を拡げた擬似ステレオのように聞こえる。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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