ベートーヴェン

2022年07月02日


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これは素晴らしい名演だ。

なんという力強さと強固な意思、そして壮大にして雄弁で、それらが凝縮された巨大さ。

これは、実に厚みのある「第9」で、年の瀬に聴くにふさわしいどっしりとして、しかも暖かみのある演奏だ。

「第9」を聴いて感動するなど何年ぶりのことだろう。

演奏、録音とも垢抜けないものだが、ここには現代のクラシック音楽が失ってしまったものがはちきれんばかりに詰まっている。

マタチッチは、フルトヴェングラーらの生きていた時代の証言者であり、この「第9」は、今のN響と比べてアンサンブルなど荒いものの、音楽は熱気に満ち溢れている。

マタチッチのベートーヴェンに対する共感と尊敬の念がそうさせたのであろうか。

全体を通して、各楽器がしっかりと音を鳴らして、そして心がこもっていて熱い演奏だ。

フルトヴェングラーなどの、伝説的な巨匠時代の名残であり、1970年代、日本の音楽界の発展期にこんな名指揮者と名演を繰り広げていたN響、スケールの大きい不滅の名演と言える。

現代のスマートなベートーヴェンを聴きなれた耳には奇異に聴こえるかも知れない。

決して機能的でないオーケストラの朴訥な音と相俟って、田舎くさく聴こえるかも知れない。

しかし、その音楽のなんと熱いことであろうか。

特にフィナーレのこれ以上は望めないスケールの合唱団を従えての怒涛のクライマックスは圧巻。

N響を最も燃えさせた名指揮者、マタチッチ最大の遺産の一つであり、最近の指揮者の軽佻浮薄な音楽とは対をなす立派な演奏と評価したい。

若干録音は古いが、こういうCDの発売に心から拍手を送りたい。

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2022年07月01日


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ピアノ、指揮者、オーケストラ、そして録音の4拍子が揃った稀有の名演である。

従来のピアノ協奏曲の録音だと、ピアノが主導権を握って指揮者&オーケストラは伴奏に徹するか、それとも、指揮者が大物であることもあって、ピアノがオーケストラの一つの楽器として埋没してしまうか、はたまた指揮者とピアニストが火花を散らし合ういわゆる競争曲になるケースが多い。

本盤の場合は、ピアノと指揮者&オーケストラが同格であり、両者が一体となって音楽を作り上げているのが素晴らしい。

先ずは、グードのピアノであるが、その微動だにしない堂々たるピアニズムを高く評価したい。

峻厳たる造型の構築力にも秀でたものがあり、強靭な打鍵は地の底まで響かんばかりの圧巻の迫力がある。

スケールも雄大であり、その落ち着き払った威容には、風格さえ感じさせる。

他方、ピアノタッチは透明感溢れる美しさを誇っており、特に、各曲の緩徐楽章における抒情的なロマンティシズムの描出には抗し難い魅力を湛えていると言える。

技量にも卓越したものがあるのだが、上手く弾いてやろうという小賢しさは薬にしたくも無く、一音一音に熱い情感がこもっており、技術偏重には決して陥っていない。

この風格豊かで、内容の濃いグードのピアノに対して、イヴァン・フィッシャーも一歩も譲っていない。

いわゆる古楽器奏法を行っているのだが、音楽は実に豊かに流れる。

強弱の絶妙な付け方といい、楽器の効果的な生かし方といい、フィッシャーの音楽性の豊かさや表現力の桁外れの幅の広さを大いに認識させられる。

これまでのベートーヴェンのピアノ協奏曲の演奏では聴かれなかったと言っても過言ではないほどの至高・至純の美しさを湛えていると言える。

ブダペスト祝祭管弦楽団も、フィッシャーの指揮の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。

録音はこれまた極上であり、グードのピアノタッチや、フィッシャー&ブタペスト祝祭管弦楽団の最美の演奏を鮮明な音質で味わえる点も高く評価したい。

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2022年06月14日


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アリスによるアルバム第4弾であるが、とてもデビューして間もないピアニストの演奏とは信じられないような成熟した演奏を聴かせてくれている。

彼女のチャイコフスキ−の協奏曲と同様、彼女の演奏はピアノの技巧を感じさせない、素晴らしい音楽のみが聴こえてくるのだ。

初のベートーヴェンのピアノ・ソナタの録音であるが、初期の第3番はともかくとして、いきなり第21番「ワルトシュタイン」の録音に臨むとは、大変恐れ入った次第である。

アリスとしてもよほど自信があるのだろう。

ライナーノーツの解説によれば、10年来の研究・練習の成果とのことであるが、確かに、ここでは若きピアニスト特有の青臭さなど微塵も感じられない。

アリスのベートーヴェンは繊細な神経に支えられ、そしてスケールの大きなものであり、特に「ワルトシュタイン」はベートーヴェンのピアノを理想的に表現している。

それにしても、何という堂々たるピアニズムであろうか。

卓越した技量も当然のことながら、男性顔負けの力強い打鍵には圧倒される。

それでいて、抒情的な箇所での情感豊かさは、さすがは女流ピアニストならではの繊細な美しさに満ち溢れている。

要は、表現の幅が広いということであり、この年齢にして、これだけの表現ができるというのは、アリスの類稀なる才能と、今後の前途洋々たる将来性を感じずにはいられない。

併録の小品もいずれも名演であり、特に、ボーナストラックの「エリーゼのために」の高踏的な美しさは、実に格調が高く、アリスの芸術性の高さを改めて思い知らされた。

録音も実に鮮明であり、アリスのピアノを完璧に捉えられているのが素晴らしい。

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2022年06月07日


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エデルマンは、今をときめく名ピアニストだ。

リストやショパン、シューマン、そしてバッハのピアノ作品集などがトリトーンから発売されているが、いずれも素晴らしい名演に仕上がっている。

本盤は、そうしたエデルマンによる満を持してのベートーヴェンのピアノ・ソナタ集ということになるであろう。

そして、その期待を決して裏切ることのない名演と高く評価したい。

彼の持つ、音のパレットが確固たる音楽の造形に色を添え、エデルマンらしい感性豊かなベートーヴェンを聴かせる。

まず、選曲に注目したい。

ベートーヴェンのピアノ作品集と言えば、「悲愴」、「月光」、「熱情」が通例であるが、エデルマンは「悲愴」のかわりに第4番を録音した。

その理由は定かではないが、エデルマンのベートーヴェンのピアノ・ソナタに対する強い拘りを感じさせるのは事実だ。

その第4番は、エデルマンの手にかかるととても初期の作品とは思えないようなスケール雄大な演奏に仕上がっている。

緩急自在のテンポ設定と力強さが持ち味であるが、一つ一つの音に温かみ溢れる演奏を聴かせ、繊細な抒情にもいささかも不足はない。

「月光」と「熱情」も凄い。

「月光」では、音の伸び、弱音強音の完璧なまでのコントロールを、「熱情」では音の厚みと絶妙な和声感が特筆の演奏。

特に、両曲の終楽章の重厚にして力強い打鍵は圧倒的であり、とりわけ「熱情」の終楽章は、あたかもベートーヴェンの心底に潜む暗い情念のようなものが描出されて感動的だ。

また、第1楽章の展開部から再現部へ移行する部分での音圧も圧巻!

名演と言うよりも、凄演と言った評価の方が正しいのかもしれない。

SACDによる極上の高音質録音も名演に大いなる華を添える結果となっている。

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2022年06月06日


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ウィルヘルム・バックハウスはモノとステレオで2度ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集(第29番を除く)を完成していたが、《ディアベッリの主題による33の変奏曲》はこれが唯一の録音(1954年10月、ヴィクトリア・ホール、ジュネーヴ)である。

バックハウスは、ベートーヴェン弾きとして歴史に名を刻んでいるが、実は意外に幅広いレパートリーをもったピアニストであった。

若い頃は"鍵盤の獅子王"と呼ばれた技巧派で、いかなる難曲もさらりと弾いてしまうほどであったが、それが逆に冷たい演奏という印象を与えてもいたようだ。

ピアニスティックなショパンを弾いていたのもその頃であったが、やがて外面的な美を追求することをやめた。

作曲家の精神あるいは作品の本質に迫る姿勢に変わって、素朴で武骨な、いかにも男性的な演奏を聴かせるようになった。

そうしたバックハウスの真価が最高度に発揮される場がベートーヴェンであったと考えるのは、決して筆者だけではないだろう。

そして、この《ディアベッリ変奏曲》は、ピアノ・ソナタ旧全集と並んで、彼のベートーヴェンの真髄を味わうことのできる録音になっている。

ステレオ録音による新全集と比較すると少し音質は古いが、ここに示された堅固で揺るぎない構成力、重厚で重みのある響き、強靭な集中力の持続、彫りが深く格調の高い造形的美観などは、衰えをみせる前の彼ならではの持ち味であり、それは、このピアニストの本領を鮮やかに伝えているのである。

バックハウスは正確な読みを通じて、作品の根源に迫っている。

彼が読み取ったベートーヴェンの音楽からは、装飾的要素や遊びやゆとりの要素が一切無縁なものとして切り捨てられている。

この《ディアベッリ》はまさにそうしたものとして提示され、ほかには考えられないぎりぎりの解釈を強靭に主張する。

その表現は威厳のある風格を備えると同時に、優しさを感じさせ、特にこのベートーヴェンには隙のない技巧に加えて、独特の味わいがある。

変にうまそうに弾いたり、媚びたり、小才を利かせたりするところがいっさいなく、ピアニズムを感じさせずに、作曲者の魂が深く重厚に、立体的に、交響的に迫ってくる。

最も偉大で立派な音楽があり、本演奏に肉薄し得たのは最晩年のアラウのみであろう。

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2022年05月31日


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生粋のフランス人でありながら、ベートーヴェンやシューマンなどドイツ音楽にすこぶる付きの名演を残したイーヴ・ナット。

ナットは1956年8月31日にパリでその生涯を終えていることからもわかるように、その録音はすべてモノーラルであるが、彼ほど強烈な印象を与えられたピアニストも数少ない。

筆者がナットの録音を初めて耳にしたのは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集で、これはフランス人の手になる初めての全集であったが、彼の後にベートーヴェン全集を録音したフランスのピアニストは、ハイドシェック、ポミエ、レヴィナスくらいだろう。

ベートーヴェンの音楽と言えばゲルマン的気質の最たるものであり、古くはシュナーベルからバックハウス、ケンプ、それにグルダやブレンデルなど、ゲルマン系の演奏家による名演がしのぎを削っている中で、わざわざフランス系の演奏を聴こうとは当初は思ってはいなかった。

だがナットの演奏は、マルセル・プルーストが「彼の演奏は極めて偉大で……彼の姿は視界から消えて、作品への窓に過ぎなくなってしまう」と書いたように、非情なまでに作品に献身的であり、そのベートーヴェンやシューマンはいつまでも人類の宝である。

“ベートーヴェンを読む”ことに生涯をかけて悔いのなかったナットの演奏が、こうして聴けることは誠に喜ばしい。

その非情なほどに私情をまじえない姿勢は、バックハウスにも共通していることである。

明晰な打鍵から生み出される濁りのない音色を駆使して奏でられる透明な音像は、それだけでもゲルマン的なベートーヴェン表現とは一線を画した個性的で新鮮な魅力にあふれているが、それが楽曲の構造の隅々までをも、一切の曖昧さを残さず、実にくっきりと描き出しているのに感心することしきりであった。

特に中期から後期にかけての作品で、ナットの演奏は実に厳しく、フランス的な知性と思弁が捉えたベートーヴェンをはっきりと聴くことができる。

打鍵は明晰であるだけでなく力強く深さを持っているため、中期ベートーヴェンの覇気や推進力も見事に表現されるが、それがやみくもに猪突猛進的となるのではなく、あくまで理性によって強力に統御されているため、崇高な精神の輝きとして感じられるのも印象的であった。

ナットは作曲にも相当の才能があったと伝えられているが、それは当然、彼の説得力に満ちた作品の描き方や核心を突く演奏につながったと思われるが、後期曲集などを聴いていると、彼の解釈が優れていたのは、結局は技術や個性的な解釈に依存するのではなく、心から共鳴する作品に真摯に向き合い、余計な恣意を挟まず、作品そのものに対して自らを捧げようとする精神からきていたように思えてならない。

実に透徹した表情を持つ演奏に仕上がっており、しかも情感の豊かさや懐の深い精神性にも事欠かず、ベートーヴェンの音楽の核心を垣間見せてくれる。

またベートーヴェン全集と並ぶナット畢生の傑作であるシューマンの主だった作品がほぼ収められており、ナットのシューマン解釈の説得力の大きさを知らしめてくれる。

ナットのシューマンはまず見通しのよい構成が的確に押さえられているのが特徴で、それに重くもたれるような表現から解放された明快な表現が、逆にシューマンの微妙で繊細な情感の移ろいを見事に捉え、ロマンティシズムというものに新たな光を当てている。

そしてそれはまた、とかく演奏者の思い入れだけが先行して形を崩してしまい、果ては真のロマンティシズムも雲散霧消させてしまいがちなシューマンの作品などで、説得力に満ちた優れた成果をもたらす要因となったように思える。

ここには良い意味でのラテン的精神の粋が見られ、演奏家としてではなく、むしろ芸術家としての強い倫理感が感じられる。

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2022年05月29日


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弊メルマガ登録者の皆様にお送りしたブッシュ四重奏団のシューベルト「死と乙女」にアクセスが集中している(コメントをいただいた方々にこの場を借りてお礼を申し上げます(__))。

そこで、20世紀前半に活躍した伝説的ドイツ人ヴァイオリニスト、アドルフ・ブッシュが、1928〜1949年に、EMIで制作した音源を全て収録したボックス・セットを紹介したい。

このセットのために、状態の最も良いマスターからリマスターがおこなわれ、さらに、別テイクによる初出音源も含まれるなど注目の内容。

32ページのブックレットには、イラストやレアな写真も含まれている。

アドルフ・ブッシュ[1891-1952]は、兄フリッツ[1890-1951]が指揮者、弟ヘルマン[1897-1975]がチェリストというブッシュ三兄弟の二男。

3歳からヴァイオリン学習を始め、11歳でケルン音楽院に入学、1912年、ブラームスのヴァイオリン協奏曲でソリストとしてデビューした。

同年、ウィーン・コンツェルトフェライン四重奏団を結成、さらにウィーン・コンツェルトフェライ管弦楽団の首席奏者となった。

翌1913年にザルツブルク音楽祭の前身であるSalzburger Musikfestに出演していた(ちなみに現在のザルツブルク音楽祭はSalzburger Festspiele)。

ソロ、室内楽、オケ奏者として実績を重ねたブッシュは、1917年、26歳でベルリン高等音楽院の教授に就任、1919年、ブッシュ弦楽四重奏団を結成している。

その後、1921年に18歳のルドルフ・ゼルキン[1903-1991]とブランデンブルク協奏曲第5番で初共演、大成功を収め、以後、ヨーロッパ各地での室内楽の公演を中心に評価を高めて行く。

しかし1926年、ナチ党がヒトラーの独裁体制となると、翌年、ブッシュはゼルキンがユダヤ系だったこともあり、共にスイスのバーゼルに移住、演奏活動を継続する。

遂に1939年、第二次世界大戦が始まると家族やカルテットのメンバーとアメリカに移住、1952年6月9日に亡くなるまでアメリカを拠点に演奏活動をおこなった。

ブッシュ四重奏団は、巨匠ヨアヒムが築き上げた厳格な形式感と深い精神性を追求していくというドイツ室内楽の伝統を最も正統的に継承し、演奏史に一時代を画した世界最高の四重奏団のひとつである。

この中ではベートーヴェンの弦楽四重奏曲が圧巻だ。

ずっしりと重いボウイングによって楽想を深く沈潜させていくブッシュ独特のアプローチが冴える高貴なベートーヴェン演奏である。

特に後期の弦楽四重奏曲では、その外部に放出する力感を可能な限り抑制する緊迫した造型法がとられている。

その分だけ内に秘めた精神の大きさが感じられて胸が締めつけられる思いがする。

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2022年05月22日


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1917年にブダペスト国立歌劇場のメンバーによって結成されたハンガリーの代表的室内楽団ブダペスト四重奏団は、1967年にちょうど半世紀にわたって個性的な活動を繰り広げた20世紀最高の弦楽四重奏団である。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の黎明期ともいえるSP期から数えると、何と3回もの全曲録音(1回目は1曲欠ける)を行なっているブダペスト四重奏団は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に生涯を捧げた歴史がある。

1917年からのSP期に第1回、1952年のLP期に第2回、1958年のステレオ期に第3回と、1967年に解散するまで何かとベートーヴェンとのかかわりをもってきた。

このステレオ期の1958年から61年にかけてニューヨークで録音された全集は、ブダペストのそれまでの至芸の総決算といえるもので、ベートーヴェンの本質に肉薄したその演奏は、人間ベートーヴェンの精神性を見事に語り尽くしている。

いわばロシア人だけによるメンバーが復活してからのことであり、このアンサンブルが円熟期を迎えていた時のことである。

ロイスマン、アレクサンダー・シュナイダー、クロイト、ミッシャ・シュナイダーという4人が、その顔ぶれであった。

この顔合わせは、1917年に創設された際のメンバーが、すべて姿を消した1936年に発足したことになる。

もっとも、1944年に第2ヴァイオリンが交代したため、一時変わってしまい、1955年に再び顔をそろえたのであった。

4人がすべてロシア人でありながら、教育はドイツ・オーストリアで受けており、1938年からは、アメリカのワシントン国立図書館に所属していたということを考えると、この名称がかなり奇異に感じられるのも事実だが、意外にブダペスト四重奏団として自然に受け取られていたのも興味深い。

その主軸を占めたのは、新即物主義的なロイスマンであり、彼が主導しながら、その演奏では、4人の平等なる均衡のもとに緊密なアンサンブルが築かれていた。

そのベートーヴェンは、彼らにとってのひとつの究極であり、彼らの音楽も哲学も、そして理念もすべてそこに集約されており、弦楽四重奏のひとつの規範もそこに示されている。

ベートーヴェンの楽譜を深く洞察することによって、音楽の表現に欠くべからざるもののみを有機的に結合させ、作品を構造的に抽出している。

技術的には衰えを見せてはいるものの、聴く度ごとに新たな発見を見出すことのできるレコード史上の一大金字塔と言っても過言ではあるまい。

録音は古くなったが、1967年に解散したこの団体の演奏は、歴史の浅い弦楽四重奏団からは味わえないような風格が感じられる。

初期の作品から、後期の作品に至るまで、常に厳しい姿勢で貫かれ、音楽の内面をじっと凝視するかのような鋭さをもっている。

それだけに、現在聴くと、表情の柔らかさにはやや乏しく、演奏スタイルも古めかしいが、そういったものを越えた、精神的な充実ぶりが、感動を呼ぶ。

ブダペスト四重奏団の残した数多くの遺産のうちでも最高のものといってよく、この弦楽四重奏曲集の音楽特性をこれほど豊かに表現した演奏というのも少ない。

今後このような演奏が再び生まれてくる可能性はまずない。

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2022年05月21日


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1953年8月26日のルツェルン音楽祭での演奏の貴重なライヴ録音である。

これは、ラジオ放送を録音したもの(いわゆるエアチェック)なので音の状態は十分ではないものの、演奏は素晴らしい。

シューマンのマンフレッド序曲、交響曲第4番、ベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ」というファンならずともよだれが出そうなプログラムになっている。

フルトヴェングラーの指揮する「エロイカ」は、極めて高い見識を持った優れた解釈を下地にしており、残されたすべての演奏が格別の名演である。

ここでの演奏は、時期的に近接している1952年11月30日のウィーン・フィルとの演奏とごく近いものだ。

物腰の柔らかいウィーン・フィルと違い、ルツェルン祝祭管弦楽団(スイス・ロマンド管弦楽団の団員などから構成されているという)の素直な反応がフルトヴェングラーにウィーンでの演奏よりも少しばかり動的かつ情熱的な演奏を促したのも知れない。

第1楽章は物凄い気迫で開始され、最初の和音だけとれば、これが今までのベストと言えよう。

そして続く主題の足どりはゆったりとして実に良い雰囲気であり、堂々としてスケール雄大、ひびきが満ちあふれる。

オーケストラが指揮者に慣れていない感じで、それがフレッシュな感動を生み出す原因の1つになっているのだろう。

指揮者の棒は1952年のスタジオ録音以上に力みがないが、音の背後の凄絶さはまさに最高、常に立派な充実感に満たされている。

テンポの動きは再現部の前と直後に1度ずつあるだけで、後は安定しきっており、最晩年の確立した大演奏と言えよう。

第2楽章は心はこもっているが流れを失わず、旋律はソロといい合奏といい、肉のり厚く歌われ、中間部から再現部のフガート、その後の阿鼻叫喚に至るまで、他のどの盤に比べても仕掛けはないが、それでいて物足りなくないのは偉とすべきであろう。

この楽章は、深く悲しみに沈み込むような1952年12月8日のベルリン・フィルとの演奏より2分も短い。

お互い相手を知りぬいた組み合わせとは異なった、一期一会の感興がこの演奏の大きな魅力となっている。

スケルツォからフィナーレにかけても同じスタイルだが、後者に入ると音質がだんだん濁ってくるのが残念だ。

しかし、少しも速くならないフーガといい、ポコ・アンダンテといい、コーダといい、音の後ろに凄いものが隠されており、充分満足させてくれるのが素晴らしい。

シューマンの「第4」も完璧無類のグラモフォン盤の後に聴いても引けを取らない名演だ。

録音は濁り気味だが、なんといってもライヴの音がするし、音に命がこもっているのである。

晩年のフルトヴェングラーだけに実演だからといって踏み外すことなく、ベルリン盤の良さをそのまま保ちつつ、やはり気迫が違うのだ。

第1楽章の出もそうだし、フィナーレ冒頭の弦の刻みの生きていること、主部の第1主題の語りかけなど、ベルリン盤を上まわり、録音が同レヴェルなら、筆者はこのルツェルン盤の方を採りたいくらいである。

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2022年05月19日


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1985年に69歳の誕生日を目前にして没したギレリスは、晩年ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音に取り組んでいたが、残念なことに未完のままに終わった。

ギレリス後期のレコーディング活動は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集がメインとなった。

残念なことに、彼の突然の死によって、全集の完成はあと5曲を残して未完になってしまったものの、録音された27曲の演奏内容はどれも充実したものばかり。

かつての「鋼鉄の腕をもつピアニスト」も、すっかり角がとれて、福徳円満な巨匠に円熟している。

ゆったりとした歌が魅力で、これらの名曲を手中にした自信のようなものがあり、未完ではあっても、今日のベートーヴェン演奏の最高の指針といえよう。

彼の残した演奏はいずれも特筆すべきもので、その強靭なタッチと正確無比なピアニズムはベートーヴェンに最も相応しい。

そうしたギレリスにぴったりの最後のソナタ第32番が録音されなかったのは断腸の思いだが、録音された作品に聴くギレリスの精神の集中力には驚くべきものがある。

つまりギレリスの演奏は、ベートーヴェンこそ彼が真に対決すべき作曲家であったことを如実に物語っているのだ。

その豊かな表現の底には常に鋼の精神があり、ベートーヴェン作品の大きさと奥行きの深さをよく知らしめる演奏である。

ギレリスのベートーヴェンのディスクはいずれも高い評価を得ているが、全体のスケールが大きいだけでなく、細部のすみずみまで磨き抜かれた演奏で、1音1音があざやかに浮かび上がってくる。

力強い一方で、内に秘められたデリケートな抒情性が何とも心憎い。

各部のバランスも良く、非常に安定している。

それぞれの曲の冒頭から聴き手をひきつけ、最後まで緊張感がとぎれないのはさすがである。

ギレリスの強靭なタッチとダイナミック・レンジの広さも魅力的で、彼はつねにコントロールを失うことなく、オーソドックスに、ひとつひとつの音を積み重ねて、音の大建築を作り上げていく。

甘さはないが、格調高い演奏で、シーリアス過ぎてついていけない人が続出しそうだ。

聴きものはやはり後期のピアノ・ソナタ。

《ハンマー・クラヴィーア》は驚くほど高い透明度を持った演奏。

あたかも作品の構造そのものが自らの意志で音楽として鳴り響くという趣だが、これは知と情が作品の特質に従ったバランスを見せるということで、完璧に音楽的な演奏といえる。

余分な感情の動きや情緒のひだがまとわりつくということもない。

そしてギレリスのいわば構造的演奏は第4楽章のフーガでその真価を十全に発揮している。

演奏者本人が「エヴェレストに登るよう」と語った、ひとつの規範となる現代的解釈の名演。

第30番と第31番は1985年10月に急逝したギレリスが残した文字通り最後の録音。

いずれも流麗な演奏で、年齢からは考えられないほどみずみずしい響きだ。

特に第31番は出色の出来で、フィナーレのフーガの前に置かれているアダージョ・マ・ノン・トロッポは、もの悲しい淋しさをしずしずと歌いあげ、弛緩した趣が全くなくてさすが。

ここにはギレリスが到達した最後の境地が示されている。

しかもこの2曲からは、強い精神集中の向こうに、より開かれた世界をうかがい知ることができる。

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2022年05月12日


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ハインツ・レーグナーが1982年から83年にかけてベルリン放送交響楽団を指揮したベートーヴェンの序曲全集。

西側のオーケストラのように垢抜けたスマートな演奏スタイルとサウンドではないが、堅実な音楽構成と頑固とも言えるテンポ設定によって鳴り響くパワフルな音響は、質実剛健なドイツの伝統的なベートーヴェンを堪能させてくれる。

東西ドイツ再統合の後はオーケストラも年々グローバル化が進んで、団員のレベルは向上しているがそれぞれのオーケストラが持っていた独自の音色が失われつつあるのもまた事実だろう。

ほぼ同時代にアバドがウィーン・フィルを振った序曲全集を聴くと、その開放的で流麗なベートーヴェンに驚かされる。しかしレーグナーにはある種の朴訥さとシンプルな力強さが感じられる。

ベートーヴェンは生涯にたった一曲のオペラしか作曲しなかったが、改作や異なった劇場での初演のために都合4曲の序曲を用意した。

またその他の劇場作品のための付随音楽や、特別の機会に演奏する序曲などを合わせると11曲になり、そのすべてがこの2枚のディスクに収録されている。

録音会場のベルリン放送局SRKホールの残響がいくらか過剰な感じがするが、これはオリジナル・マスターに由来するものだろう。

ただし音質は良好で、左右へのワイドな音場が感知され臨場感にも不足していない。

10ページほどのライナー・ノーツにそれぞれの曲についての簡易な日本語解説付。

ところで筆者はレーグナーが読売日本交響楽団を指揮してベートーヴェンの「第9」の実演に接したことがあるが、彼のスタイルは、このCDとは異なり、大いに戸惑った覚えがある。

彼は「第9」を振りながら少しも力まず、最強音は中強音、弱音は最弱音というように音量を抑え、きれいな音色で、さながらモーツァルトのようなベートーヴェンを描き出してみせたのである。

しかも、ユニークなのは全曲にいくつかの山があり、そのクライマックスでは余力を十二分に残した指揮者とオーケストラが、肌に粟粒を生じさせるほどの凄絶なフォルティッシモを轟かせたことである。

レーグナーのオーケストラに対する統率力には抜群のものがあり、読売日本交響楽団がいかにしなやかで緻密な音色とアンサンブルを獲得したのは周知の通りだ。

やがて彼は、乞われて同楽団の常任指揮者となり、やっとその芸風の全貌が示されるようになった。

すなわち、彼は前述の「第9」にみられるように、スケールの小さい、短距離のフレージングを持った、軽やかな音楽を奏でる人で、舞台姿や指揮ぶりもそのことを如実に物語っていたのである。

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2022年04月14日


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ミラノフ、カスターニャ、ビヨルリンク、キプニスと4人の名歌手たちを揃えたこの演奏は多くの点で1953年に録音されたRCA盤を凌駕しているが、《クレド》の冒頭でトロンボーンがミスをしたためにレコード化ができなかったと伝えられている。

RCA盤の鮮明だが広がりに欠ける録音と比べて、この録音は聴きずらいことはない。

トスカニーニはゆっくりとしたテンポを設定しており、それが音楽に落ち着きと厳粛さを与えている。

キプニスの印象的な暗く重いバスも聴く人に大きな感銘を与える。

トスカニーニほど、鉄のような固い意志と、赤々と燃える情熱で、この最高峰に臨んだ指揮者はなかった。

ベートーヴェンがミサのテキストと格闘したが如く、トスカニーニはスコアと激しく闘っている。

トスカニーニはいわゆるドイツ的な伝統とそこから生じる束縛などといった要素を完全に断ち切り、先入観から解放された立場で作品の絶対音楽としてのイデアを抽出している。

さらに演奏スタッフの究極的な技術の見事さをフルに活用することによって、それをこれ以上はあり得ないと想えるほどに理想に近い状態で演奏として結晶させることに偉大な成功を収めている。

そして、巨匠の壮麗無比な造型感覚と他者の追随を許すことのない高度な集中力の持続は、その明晰で隙のない楽曲の把握の完全性ともあいまって、白熱的な輝きを放つ緊迫した音楽表現を実現させている。

特筆すべきは《クレド》後半の〈エト・ヴィータム・ヴェントーリ・セークリ〉(来世の生命を待ちのぞむ)以下の猛スピード(全演奏家にとって、恐怖のテンポ)に聴く、比類なき魂の高揚感。

この厳しさを経てこそ、《サンクトゥス》以下の「魂の浄化」作用が一層際立つのである。

弦楽の瞑想による《ベネディクトゥス》の前奏、その深い精神性は、トスカニーニが決して「トゥッティとアリアだけ」(フルトヴェングラー)の芸術家でなかった何よりの証となろう。

至高の名演であり、これほどのレヴェルの演奏が存在することは驚き以外の何物でもない。

唯一の疑問は、〈ドナ・ノビス・パーチャム〉(我らに平和を与えたまえ〉。

楽聖がついに「心の平安」を確信できず、解決を未来に託した楽曲であるが、トスカニーニが振ると、実に肯定的に終わってしまうのである。

ここだけは、悠久の余韻に浸っていたかった。

トスカニーニの余りにも健全な魂を象徴する一コマではある。

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2022年04月06日


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カール・ズスケは、1962年にベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)のコンサートマスターに引き抜かれ、1965年に同僚と語らってズスケ弦楽四重奏団を結成、1966年にジュネーヴ国際コンクールに入賞した。

ズスケは多忙な国立歌劇場の仕事の合間を縫って室内楽に取り組み、やがてベルリン弦楽四重奏団と改称し、国際的にドイツ民主共和国(東ドイツ)最高の室内楽団と評価されることとなった。

それとともにズスケは室内楽の名手として名声を高め、数々の優れた室内楽のレコードを残したが、このベートーヴェンはこの団体の代表的名盤である。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集には文字通り歴史的名盤がいくつもあって、どれひとつとして聴き逃せないことは勿論であるが、筆者が比較的少数派という自覚付きながらまず真っ先に選ぶのは(旧)ベルリン弦楽四重奏団の全集である。

おそらく戦後ドイツが生み出した最高の弦楽四重奏団の1つの最善の成果が示された演奏で、極めて端正で清潔な表現と清々しい響きに彩られたベートーヴェン。

しかし単にすっきりしているというのではなく、その中に自在で柔軟性に富む表情と豊かな感興が息づいていて、ズスケの叙情性豊かな表現が、緩徐楽章だけでなく随所に効果的である。

強い自己主張を打ち出すよりも、作品に真摯に奉仕することにより、内から自然と滋味が滲み出てくるような秀演である。

旧東ドイツに属するとは言え演奏スタイルは決して古めかしくなく、むしろ優れて今日的で、どの曲、どの楽章を聴いても明確な表現をもった積極性に溢れた音楽が繰り広げられている。

つまり、これは感情のみを第一義とした旧時代的な演奏ではなく、もっと堅固にまとめられた、切れ味の鋭い音楽をつくっている。

そのためには、ベートーヴェンの与えた指定を少しもないがしろにせず、それを曖昧でなく鮮明に示して、すみずみまで迫力に満ちた演奏である。

ズスケ以下切れ込みの鋭い踏み込んだ表現が光り、しかも無用な情熱に駆られることなく、悠然たる歩みと堅固な造形感に貫かれた堂々とした演奏が展開されている。

これは極めて透明度の高い、そして古典的美しさを端正な造形で表現した演奏であるが、ズスケを中核とするメンバーは、瑞々しくも感情の潤いに満ちた音楽を歌っているのである。

全体に精神の輝きと自在な表情に満ちた生命感に溢れており、アダージョ楽章における気品を湛えた崇高な表現も出色である。

4人の奏者の均質で透明な響きが実に美しく、ズスケをはじめ、チェロのブフェンダーや内声も感興に溢れる素晴らしい演奏を展開する。

各声部の自発性豊かな表情と声部間の応答の敏感軽妙なこと、練れた柔らかい響きときめ細かな表情にも感心する。

この団体は、表情が決して粘り過ぎず、響きもいぶし銀のように底光りのする光沢と透明感があり、表現も一見淡泊であるが、実に細やかな神経が行き渡っており、各奏者の反応も敏感で清々しい。

これほど美しい造形と精神性のバランスのとれた演奏は少なく、奇を衒わない正統的な表現でここまでの深みを出せる団体は現在でも多くはない。

初期作品は、古典的で均整の取れた佇まいを、何のケレン味もなく実に落ち着いた余裕を感じさせるアンサンブルで見事に描き出している。

中期作品では、とかく熱を上げすぎバランスを崩す演奏が多いなかで、これは極めて落ち着いた盤石の安定感を示しているが、その中に込められた精神的充実ぶりも超一級。

後期作品は、ズスケの透明で柔軟性に満ちた音楽性がアンサンブル全体に行き渡り、心の奥から滲み出てくるような歌を、決して力まずに豊かに引き出しており、繊細な配慮の行き届いた緩急やデュナーミクの変化も実に自然である。

従って、演奏内容、音の鮮度、録音の自然さなど色々な条件を総合的に考慮して、これはどんな名盤にもおよそひけをとらない素晴らしいレコーディングだと確信する。

そしてリーダーのズスケがライプツィヒ・ゲヴァントハウスに移った後も、じっくり時間をかけてシリーズを完遂した制作態度にも、この全集の盤石の重みがある。

このベートーヴェンの全集完成をもって解散したこのメンバーによる品格高い音楽性が余すところなく記録されているのである。

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2022年04月01日


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ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲レコーディングに初めて取り組み、私たちの時代に聴くことができる最も古いサンプルを遺してくれたのがアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)である。

これらの演奏が資料として貴重なだけでなく、当時の彼のベートーヴェンのピアノ作品に対する価値観と、それを後世に問うという使命感を伝えていて興味深い。

シュナーベルの演奏は過去の批評家たちによって指摘されているほど恣意的なものではなく、むしろ新時代の解釈を告げる速めのテンポ設定をしたシンプルで、しかも作品の構造を明確にする造形性にも優れている。

現在シュナーベルに対する認識は薄くなっているが、グレン・グールドが唯一の指針としてシュナーベルの演奏を挙げているように、19世紀の伝統と20世紀の新しい息吹きとを融合させたピアノの巨匠として忘れることのできない演奏家である。

この全集を聴き終わった後、鬼才が彼に傾倒したという逸話もあながち信じられないことでもない。

1932年から35年にかけての録音なので音がいくらか痩せていて音場も狭いがノイズは意外に少なく、今回アビーロード・スタジオで新規に行われたリマスタリングによって高度な鑑賞にも堪え得るだけの良好な音質が再現されていることは確かだ。

シュナーベルも毀誉褒貶相半ばする演奏家の1人で、その主な理由はピアニスティックなテクニックが完璧でなかったということから来ているようだ。

確かに彼と同時代に活躍して鍵盤の獅子王の異名を取ったバックハウスに比べると、ヴィルトゥオーゾという観点からすれば劣っていたことは事実だろう。

しかしそうした弱点をカバーするだけの高邁なスピリットと表現力を備えていたことは、このソナタ全集を聴けば明らかである。

シュナーベルはこの録音に先立って早くも1927年にベルリンでベートーヴェン没後100年記念としてソナタ全曲のチクルス・リサイタルを開いているので、1曲1曲を手の内に入れた決して借り物でない彼の哲学を具現した演奏と言える。

ソナタ全曲演奏会を開いて一大センセーションを巻き起こし、1932年から35年にかけて完成した全集レコードは、当時の演奏家、愛好家にとっては聖書的な役割を果たしていた。

その演奏は現在聴いても決して古びたものではなく、ベートーヴェンの巨大な音楽を見事に描き出した名演として心を打つ。

世紀末的なロマンティシズムを引き摺ることなく、懐古趣味を早くから捨て去って、独創的なベートーヴェン像を提示しているところはかえって現代的で、彼がこのソナタ全曲録音に取り組んだ理由も納得できる。

また当時の録音システムでは如何なる巨匠であろうとも録り直しや修正が許されない一発録りが基本だったので、彼自身もライヴ同様の緊張感を持って臨んでいたことが想像される。

筆者はあるときには、シュナーベルはもはや大時代な演奏に聴こえるに違いないと勝手に思いこんで、遠ざかっていたこともあったが、ワーナーの手で復刻されたシュナーベルは、やはり空前にして絶後のベートーヴェン弾きであったことを肯かせてくれる。

どんな曲を弾かせても、ベートーヴェンの再来ではないかと思わせるほどの説得性を持っている。

ベートーヴェンの音楽は言うまでもなく《高貴》な音楽であり、その高貴さをシュナーベルほど高貴に弾いたピアニストはいない。

一例を挙げれば、作品109の第3楽章の変奏で、限りない高みに近づき、それが崩れ落ちて諦観のうちに終わるのだが、その高揚と崩落のあとの虚無と無言の慟哭を描かせてはシュナーベルの右に出る者はいない。

SP録音を感じさせない凄い響きに着目したい。

こうした、時代を超えた演奏が復刻されては、あとを行く者の影は薄いを言わざるを得ない。

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2022年03月26日


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32曲あるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏を世界中で60回以上行い、60年以上にもわたって作品を研究し続けるベートーヴェンのスペシャリスト、巨匠ブッフビンダー3回目のピアノ・ソナタ全集(第1回はテルデック 1980/82、第2回はRCA 2010)。

2014年のザルツブルク音楽祭における、ひと夏で行った全曲演奏会の貴重な記録で、同音楽祭の歴史の中でも初の全曲演奏会だった。

実力派のベートーヴェン弾きとしての長い演奏経験を踏まえた、しっかりした音楽構成と迷いの無い確信に満ちたタッチ、そして堂々たるダイナミズムで大家の風格を感じさせる価値の高いソナタ全曲集だ。

ブッフビンダーは若い頃からソロだけでなく、アンサンブルや伴奏の分野でも幅広く活動を続けてきたが、そうした活動がより客観的な、しかし一方では豊かで自在なニュアンスを含んだ独自のベートーヴェン像を実現させたのかもしれない。

この全集の妙味は、まずその音のクオリティの高さにあろう。

いっさいの混濁を省き、クリアな音像のなかで、デュナーミクの指示が原典に忠実に、そして目一杯に生かされ、そのなかから重厚かつ繊細きわまりないベートーヴェンが立ち現れる。

全体にペダルを控えめにした演奏であるが、その使用を巧妙に隠していると思われるフシもあり、ペダルの超絶技巧とも言える。

ことに初期作品ではそれはすばらしい成果を上げているし、中期作品以降でのペダルの実験的な使用も、作曲年代に鑑みた解釈の点で、納得のいく処理を常に見せている。

そして、特にソナタ演奏における現代的なスタイルとは何かといろいろ聴いたうち、楽譜=テクストへの批判的態度と演奏密度が、もっとも理想的に結び合っているのが、ブッフビンダーの演奏なのである。

とりわけ手稿譜のファクシミリからフランツ・リスト校訂版などに至る、現存する様々なソナタの楽譜に対する奏者の熱心な研究は周到で興味深い。

現代のピアノで演奏するという前提をあくまでも認識した上で行われた演奏で、その楽器の特質を充分に生かしつつ、例えば、デュナーミクの対照性や打鍵の機能性、果ては「ワルトシュタイン」第3楽章の冒頭などにおけるソステヌート・ペダルの使用という点に到るまで、初期作品にはけっしてダンパー・ペダルを意識させることなく、絶妙にカムフラージュしながら用いる技術のすばらしさなど、これこそドイツ=オーストリアの伝統を今日に継承した類稀な演奏である。

ブッフビンダーは若い頃からソロだけでなく、アンサンブルや伴奏の分野でも幅広く活動を続けてきたが、そうした活動がより客観的な、しかし一方では豊かで自在なニュアンスを含んだ独自のベートーヴェン像を実現させたのかもしれない。

奇を衒った表現ではなく、音楽的にも技術的にも安定した深みのある演奏が秀逸だ。

収録曲順はそのままソナタの番号順になるので聴き手には有難い。

音質は瑞々しく、ライヴとしては例外的と言えるほど極めて良好。

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2022年03月25日


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ターラ・レーベルの名盤を最新リマスタリングで復刻したディスクで、シュライヤーはじめ名歌手を揃えた《ミサ・ソレムニス》のライヴ録音になる。

《ミサ・ソレムニス》は、長くスランプに陥っていたベートーヴェンが、4年間に及ぶ創作を通じて、自らを再生させた音と声による壮大な記念碑である。

それはまた、カトリックの教義と自らの内面の真実との闘争を綴った偉大な魂の記録とも言える。

この作品なしに、晩年の聖なる弦楽四重奏曲群は生まれ得なかったし、カトリック・ミサの範疇では描き切れなかった人類愛、真の自由の究極の理想は《第9交響曲》で実現されたのである。

巨大な声楽と管弦楽が緻密かつ豪快にうねり積み上げられていくベートーヴェンの大曲《ミサ・ソレムニス》を相手に、イッセルシュテットの硬派な美質が存分に発揮された名演だ。

的確に立派に鳴り響く、申し分のない音楽造りは、さすがドイツの伝統を体現する名匠といった演奏である。

この曲は、モノラル録音のトスカニーニ盤を別格とすれば、長らくクレンペラー盤が最高とされてきた。

実際、カラヤンも、ベームも、バーンスタインもショルティもクレンペラーを超えることはできなかったと考えている。

しかし、クレンペラーと近い時期にライヴ録音されたこの演奏はクレンペラーに匹敵するか、あるいはこれを超えた名演奏である。

以下、クレンペラー盤と比較すると独唱者は女声陣は互角であるが、男声陣はシュライヤーとエンゲンでこちらの方が上だ。

オーケストラとコーラスの技量は筆者の聴いたところではこの演奏の方がわずかながら上のように思う。

指揮は、「キリエ」は互角で、「グローリア」と「クレド」はクレンペラーのスケール雄大な指揮に一日の長があるように思うが、「サンクトゥス」以下はこの方が上だと思う。

特に終曲の「アニュス・デイ」はこの方が劇的な迫力があって、暗から明への穏やかにしてゆるぎない移り変わりがことのほか素晴らしい。

多様な精神の流れがひとつに収斂していき、ベートーヴェンの神髄とも言える天上の世界に到達するラストは感動的だ。

オーケストラはイッセルシュテット自ら大戦直後にあちこちの捕虜収容所を回り演奏家を集めて創設した北ドイツ放送交響楽団。

彼は1945年から26年間にわたり初代首席指揮者を務めこのオーケストラを鍛え、世界有数のオーケストラに育て上げた。

その信頼関係が生む悠然とした演奏に注目したい。

また、1966年のライヴ録音ながら非常に明晰でバランスが良く聴きやすいのも特筆されるべきである。

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ワルター・バリリ(1921.6.16〜)はウィーン生まれのヴァイオリニストで、ウィーン音楽院に学んだ後、1936年ミュンヘンでデビューした。

1938年にウィーン・フィルに入団し、1940年にはコンサートマスターに就任、1943年には自らの名を冠した四重奏団を組織した。

当時、ウィーンにはコンツェルトハウス協会に所属するウィーン・コンツェルトハウス四重奏団、ムジークフェラインで定期演奏会を行ったシュナイダーハン四重奏団、と同じウィーン・フィルを母体とする2つの名団体が演奏活動を行っていた。

しかし、バリリ四重奏団は結成以来、なぜかメンバーの離脱や急死などの不運が重なり、1951年6月に一時活動の停止を余儀なくされた。

ところが、同じ年にシュナイダーハン四重奏団を主宰するヴォルフガング・シュナイダーハンがソリストに転身することになり、リーダーを失ったシュナイダーハン四重奏団の他の3人にバリリが加わる形で、1951年8月新たなバリリ四重奏団が生まれた。

バリリ氏は1996年の来日時のインタビューでこの時の運命的とも言えるタイミングの良さについて「なるようになるものだ」と語っていた。

ちょうど同じ頃、レコード界ではLPレコードの開発という革命が起き、戦後景気に湧くアメリカではレコード会社が次々に設立された。

1949年、ニューヨークで設立されたクラシック音楽専門レーベル「ウエストミンスター」もその一つ。

ウエストミンスターは米ドルの強さを背景に、ウィーンに出張録音を行い、バリリ四重奏団やウィーン・コンツェルトハウス四重奏団と数多くのLPレコードを制作した。

ウエストミンスター・レーベルは1954年に日本盤も発売されるようになり、彼らの室内楽演奏は日本でも多くのファンを獲得して、1957年12月、バリリ四重奏団の初来日公演は熱狂的に迎えられた。

ところが1959年、バリリは右ひじを故障し、カルテットの活動を断念、新生バリリ四重奏団も約9年でその幕を下ろすこととなった。

このセットには、バリリ四重奏団の米ウエストミンスターへの録音がまとめられており、LPレコード初期に彗星のように現れては消えて行った、名団体の芸術の粋をじっくりと楽しむことができる。

中でも、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集は、LP初期に、ブダペストSQのそれと人気を二分したバリリSQの名盤である。

精密な機能的側面を追求するブダペストに対し、バリリはヒューマンな情緒性を大切にする点で一線を画した。

ベートーヴェンの特に後期の弦楽四重奏曲は、特に専門家でなくても至難であることはある程度想像できる。

しかし、だからといってひたすら苦行のように、あるいはいたずらに精密さばかりを求められても聴く方にとってはちょっと困るが、その点、このバリリSQの演奏は非常に楽しくて、ほっとする。

奥行きのある内容を多くの言葉を費やして語ることなら、できなくはないかもしれないが、それを優しい表情で、それとはなしに語るのは必ずしも簡単ではない。

また、スケールの大きさとデリカシーとを雄弁の限りを尽して語ることなら、できなくはないかもしれないが、それを柔軟性をもって簡潔に語るのは必ずしも簡単ではない。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集におけるバリリSQの演奏は、そのような難事を立派にやり遂げた内容と言えよう。

ここにおけるバリリSQの4人は、強い緊張感を貫きながらも身のこなしは軽やか、決して肩をいからせぬ優美な輪郭で、ベートーヴェンの各曲の全体像をスムーズに描き出していく。

もちろん、ウィーン風の優雅なスタイルであり、味付けはかなり濃厚な方なので続けて飲用するとやや飽きるかもしれないが、折に触れて取り出せばその都度に新たな感動に浸ることが出来る。

同じウィーンのスタイルとはいっても、コンツェルトハウスSQとはまた違うし、アルバン・ベルクSQとはもっと違いが顕著である。

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2022年03月23日


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ミラノ出身の大ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音完結作。

クラシック音楽全体の中でも中核をなす重要なレパートリーであり、ベートーヴェン自身の芸術や作曲様式の発展を辿る32の傑作の録音が、39年の歳月をかけて完結された。

ポリーニのマイペースぶりにはほとほと恐れ入るが、殆んど諦めていたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を、彼がまさに半生を賭けて完成させたことを率直に喜びたい。

この曲集についてはとにかく1度全曲を聴き通すことが望ましい。

そうすればポリーニが如何に自分に誠実な演奏を心掛けてきたかが理解できるだろう。

39年という歳月は、当然のようにポリーニに芸風の変化をもたらしているが、それでも、一貫して深い陰影のある彫像性が刻まれた、コクのあるベートーヴェンとなっている。

ポリーニは完全無欠のテクニックを誇っていた時代でも、決して聴き手に媚びるようなピアニストではなかったし、しばしば指摘されるような無味乾燥の機械屋でもなかった。

中でも彼が壮年期に録音したベートーヴェン中期から後期にかけての作品群が堅牢な音楽的造形美と洗練で、さながら名刀を鍛える刀匠のような素晴らしさがある。

確かにここ数年ポリーニの技巧的な衰えは否めない。

以前のような強靭なタッチも影を潜めたが、あえてそれを別の表現や解釈にすり替えようとはせず、不器用ともいえるくらい真っ正直に自己のポリシーを貫き通しているのが彼らしいところではないだろうか。

最近のセッションでは、初期のソナタでの若き日のベートーヴェンの斬新な創意や、性急で苛立つようなリズム、不安や焦燥の中から希望を見出そうとするひたむきな情熱が感じられる。

そこには尽きることのない目標に向かって突き進むような意志があり、また逆にそれを制御しようとする極めて冷静な知性とのせめぎ合いもあり、巨匠としての風格はむしろ稀薄だ。

その意味ではポリーニに円熟期というのは存在しないのかも知れない。

いずれにしても誰にも真似のできない超一流の美学に輝いたベートーヴェン・ソナタ全集のひとつとして聴くべき価値を持っていることは確かだ。

録音状態はさすがに総て均等というわけにはいかない。

過去40年間の録音技術の進歩も無視できないし、会場によって音響が異なり、またセッションとライヴが入り乱れているので、客席の雑音や拍手が入るのは勿論、ポリーニの癖でもある演奏中のハミングも聞こえてくるが、音楽鑑賞としては全く不都合はない。

同一曲で2種類以上の音源が存在する場合は新録音の方が採用されている。

例えばCD5の『テンペスト』を含む第16番から第20番までの5曲は、2013年と2014年にかけて行われたセッションで初出盤になる。

クラムシェル・ボックスに収納されたごくシンプルな紙ジャケットに色違いの8枚のCDが入っている。

曲順はソナタの番号順に再編集されていて録音年代順ではないが、録音データはジャケットの裏面とライナー・ノーツで参照できる。

なお国内盤は、SHM−CD仕様により、音質は従来盤に比べきわめて鮮明になるとともに、音場が非常に幅広くなった。

ピアノ曲との相性抜群のSHM−CDだけに今般のSHM−CD化は大いに歓迎すべきであり、ポリーニによる至高の名演をこのような高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2022年03月22日


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《ファルスタッフ》《ばらの騎士》に続くバーンスタイン&ウィーン・フィルによるオペラ第3作で、バーンスタインがウィーンでセンセーショナルな成功を収めていた1970年代に録音された名盤中の名盤。

バーンスタインはウィーンでベートーヴェン生誕200年記念の1970年にもこのオペラを指揮、「最も感動的な音楽的事件」と絶賛されたが、この録音はそれから8年後の新演出上演に基づくキャストによって行なわれた。

彼のこの「このオペラに生命を与えているのはただただベートーヴェンの音楽なのです」という主張によりセリフはかなりカットされているが、当時ベートーヴェンの交響曲全集も録音中だったウィーン・フィルを見事に統率して展開する演奏には独特の劇的迫力が満ちている。

この特異な理想主義的傾向をもつオペラに対し、バーンスタインは少しもケレン味なく、ホットに取り組んでいっている。

そのひたむきな姿勢は説得力が強く、バーンスタイン自身の生きかたとオーヴァーラップするものを、彼はここに見出しているのだろう。

バーンスタインはウィーン・フィルと新時代のベートーヴェン像を打ち立てたが、オペラもまったく同じである。

とくに本盤に収められた《フィデリオ》では、バーンスタインの音楽に彫りの深さを感じることが可能である。

バーンスタインはこのオペラに得意の同化を行なったが、それが成功し、輝きと躍動感に満ちた《フィデリオ》になった。

大胆といえるテンポやディナーミクの設定、弾むように柔軟で若々しいリズム、のびやかでなめらかなフレージング、立体的なふくらみを誇る明るいサウンドで全曲を再現、どこをとっても初々しい。

ベームが聴かせた劇的求心力と緊迫感には乏しいが、先入観を払拭、ゼロから組み立てて再現したすがすがしさは値千金の価値をもつ。

歌い手の水準が高いのも嬉しく、レオノーレにはリリックな声の優しいヤノヴィッツのレオノーレををはじめ、切実なコロのフロレスタンも聴ける。

他の歌唱もバーンスタインの意図に沿ったもので、とくにフィナーレの感動的な表現は圧巻である。

さらにウィーン・フィルによる極上の美演が付加されることにより、演奏全体に潤いと適度な奥行き、そして重厚さを付加することに成功している点を忘れてはならない。

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「第9」に比べて演奏頻度が極端に低く、ポピュラリティに欠ける《ミサ・ソレムニス》だが、芸術的な感動の深さはむしろ「第9」を上回る。

それだけに演奏はむずかしく、フルトヴェングラーでさえ演奏がうまくいかなかったということで録音もないのが実情だ。

同曲随一の名演と評されるクレンペラー盤(ワーナー)は遅いテンポを一貫させた静的な表現だが、もっと速いテンポを基本にしながら自在な緩急を駆使したドラマティックな演奏があっても良い。

いや、むしろその方がベートーヴェン的なのだが、その要求にぴったり適ったワルター/ニューヨーク・フィル(伊ウラニア)はあまりにも音が悪く、聴くに耐えなかった。

これ以上残念なことはなかったわけだが、この度M&A盤が出て積年の不満が解消したのである。

もっとも、元来が音の良くないディスクで、当時(1948年)の他のライヴに比すると明晰度が不足するが、ひどい歪みや音の割れがなくなったので、十分にワルターの表現を享受できる。

とくにウラニア盤のピッチが半音高かったのを正常に戻したのは何といっても大きい。

それにしても凄まじいベートーヴェンで、ワルターの最高傑作と評しても過言ではない。

第1曲の「キリエ」から彼の気迫と情熱は際立っており、ひびきが実に立派だ。

中間部のテンポがかなり遅く、スケールの大きさと風格を感じさせるのが独特である。

つづく「グローリア」はたいへんなスピードだが、決して上滑りせず、とくに最後のプレストの手に汗を握るような速さと、その直前のアッチェレランドはまさに最高。

録音の分離が悪く、細部を聴きとれないのがかえすがえすも惜しまれるが、決めどころにおけるティンパニのとどろきと金管の最強奏が絶妙のアクセントとなり、テンポも曲想の移りや言葉の意味にしたがって微妙に変化してゆく。

クレンペラーに比して、少なくとも筆者にとっては理想の「グローリア」だが、前記の特徴はワルターの《ミサ・ソレムニス》全体にいえることであり、わけてもオーケストラの雄弁さはその比を見ない。

「クレド」は一転して遅いテンポで開始される。

構えが大きく、まことに壮麗だが、音楽の局面に応じて無限に変化する。

たとえばキリストの受難の場面で、オーケストラの音を一つ一つはっきり切って、異常な苦しみを表出したり、とくに復活の後“天に昇りて御父の右に座し”のコーラスの途中に現われる最後の審判のトロンボーンで、大きくテンポを落としつつ最強奏させるなど、ワルターならではといえよう。

というより、ここはこうなくてはならぬ!と長年の鬱憤が晴らされた思いで、なぜ他の指揮者が簡単に通り過ぎてしまうのか筆者にはまるで理解できない。

つぎの「サンクトゥス」では“オザンナ”のフーガをクレンペラー同様ソロの四重奏にしているが、ここはコーラスの方が良いと思う。

最後の「アニュス・デイ」はワルターらしくよく歌った名演で、聴いていて音楽のみを感じさせ、なんの抵抗もない。

後半の“ドナ・ノービス”の部分は速めだが、終結はちょっとあっさりしすぎるようだ。

ベートーヴェンの書き方はたしかにこの通りだし、その方がミサの儀式の途中なので正しいのかも知れないが、コンサート形式による大曲の結びとしては物足りなさが残る。

ワルターの《ミサ・ソレムニス》で気になったことといえば、この終わり方だけであった。

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2022年03月21日


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ベートーヴェンが作曲した唯一のオペラである《フィデリオ》は、様式的な不統一も目立つし、見る者をオペラの鑑賞というよりも、宗教的な儀式に参列したような思いにさせて終わるオペラ史上特異な名作である。

というのは、オペラ・ブッファとジングシュピールとを混ぜ合わせたような始まり方からシーリアスなオペラへと移行し、最後の場ではオラトリオに近い性格なものになるからだ。

その間の男女間の愛情の描き方も他の多くのオペラとは違っていて、形而下的な官能性を排除して形而上的な愛の追究に終始している。

だが、それでいてすぐれた上演に接したときの感動は他に比べるものがないほど大きいと思われる。

ここにご紹介する1963年10月、東京・日比谷の日生劇場のこけら落としに初来日したベルリン・ドイツ・オペラの《フィデリオ》がそうであろう。

ベルリン・ドイツ・オペラの4つの演目の中でも、最高の凝集度と説得力を発揮していたゼルナーの演出を伝えられないのは、音だけのCDゆえしかたない。

それでも、当時まだ69歳で、老け込む前のベームの指揮、ときの総監督ゼルナーの象徴主義的名演出による熱気をはらんだこの公演のライヴが、予想を上回るいい音でCDに収められているのは幸いだ。

指揮者として全盛期の絶頂にあった指揮の下で、名歌手たちがオケ・合唱と一丸となって盛り上げるアンサンブルの素晴らしさに圧倒される。

レオノーレとフロレスタンには当時30代で声の充実度が絶頂に達していたルートヴィヒとキング、また、ロッコとピツァロにはともにオペラ役者として円熟境に達したところだったグラインドルとナイトリンガーを起用した配役も理想に近い。

これらの名歌手を、絶頂期にあったベームが強い統率力と推進力に溢れた指揮で、力強くまとめ上げている。

ベートーヴェンが真に求めたであろうその本来の姿が堂々と浮かび上がってくる感動的な名演である。

ホールは残響が皆無なので、序曲はこちこちに固まった色気のない音で、全盛期のベームの凝縮し切った迫力が強調されて表われる。

幕が上がってからも演奏の緊張力は半端ではない。

速いテンポの「囚人の合唱」など、ときに乱暴、ときに下手くそに思われるほど表情が強調されており、迫真のドラマとはこのことだ。

第14番の四重唱ではオケが怒り、凄いスピードで猛烈にたたみこむ。

「レオノーレ序曲第3番」もなりふり構わぬ怒濤の迫力で、テンポの動きが激しい。

ベームはこの序曲を第2幕のフィナーレの直前に演奏しているが、最初の和音が鳴ったとき、本当に鳥肌が立った。

前述の歌手はレオノーレ役のルートヴィヒ、フロレスタン役のキング、いずれも感情移入がすごく、スタイルの古さを感じさせるが、ドラマが比類なく生きていることは確かであり、とくにピサロ役のナイトリンガーの邪悪さは格別だ。

指揮も申し分なく、歌の出来もこれだけムラのない全曲盤は他にあるまい。

人間にとっての自由の尊さを訴えたこの祭儀的な音楽劇のCDのまず筆頭にこれを挙げたい。

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トスカニーニが創設2年目のNBC響と1939年に行ったベートーヴェン・チクルスをまとめてCD化したもの。

NBC交響楽団はニューヨーク・フィルを退いたトスカニーニのために結成されたオーケストラで、NBC放送が当時の最高レヴェルのプレイヤーを集めて、トスカニーニの指揮芸術をラジオ放送を通じて世に広めようとしたものである。

トスカニーニは1950年代に同じNBC響を振って、ベートーヴェンの交響曲全曲を再録音しているので、その方が代表盤になってしまったが、演奏自体は問題にならぬくらい1939年盤の方が良い。

オーケストラは創立されたばかり、トスカニーニも70代に入ったばかり、その極度に結晶化された響きと気迫は「凄まじい」の一語に尽き、フルトヴェングラー盤に唯一匹敵し得るCDといえよう。

極めて力強い音楽がひしひしと伝わってくる。

徹頭徹尾トスカニーニの強靭な意志に貫かれ、すべての音に渾身の力が注がれた、激しく熱い音楽である。

ダイナミクスの幅は大きく、フォルテやアクセントが強調され、急速な楽章のクライマックスなどはまさに息をのむほどの迫力だ。

ここにはヨーロッパの伝統、ドイツ風の含みや暗さなど皆無で、すべてむき出しの音だけで勝負している。

金管とティンパニは最強奏されるが少しも粗さを見せず、時にはかなり大きなテンポの動きもあって、決して機械的な演奏ではない。

このベートーヴェン交響曲全集は後年のそれと比べて、トスカニーニのアクレッシヴで毅然としたベートーヴェンをたっぷりと聴き取ることができる。

かつてトスカニーニの指揮は、アメリカを中心に現代の演奏様式に非常な影響を及ぼしたが、ベートーヴェンの交響曲全集は、彼の芸術を代表する名演揃いである。

しかしトスカニーニの演奏は、現代の音楽学的な研究の観点から眺めると、もはや過ぎ去った時代の表現という感がないわけではない。

かつて楽譜に忠実といわれた解釈も、現在の眼で見るとそうではなく、かなりロマン的で主観的な表情や解釈をまじえている。

しかし彼の場合は、音楽が凄いほどの生命力をもっていることを、いまも高く評価せねばなるまい。

現在、トスカニーニの演奏は楽譜に忠実という意味ではなく、視点を変えて受容されることが必要な時代といえる。

これらの演奏にみなぎる極度の緊張力とカンタービレの魅力、ドイツの伝統にしばられない率直な表情などが、改めて評価されてよいのである。

ここには明快な歌と灼熱の生命力をもった音楽があるが、現在の演奏では、ベートーヴェンに必要な意志的な力が、トスカニーニほど端的に示されることが、なくなってしまった。

したがってトスカニーニの演奏は、現在では新しい意味を感じさせる。

特に奇数番の曲にトスカニーニの真骨頂があると言えるだろう。

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2022年03月20日


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ロマン・ロランは実に数多くの作品を書いたが、世界に広く読まれているものは、なんといっても『ジャン・クリストフ』であろう。

ロマン・ロランは当作品でノーベル文学賞を受賞したが、まさに彼の代表作であり、世界文学史上の不滅の傑作である。

この作品は、どんな逆境にあってもひるまずに、人間完成を目指して苦闘する一つの魂の生成史である。

主人公ジャン・クリストフの幼少時代は、ロマン・ロランが終生私淑してやまなかったベートーヴェンがモデルになっていることは周知の通りであるが、彼自身の現実の思い出も少なからず取り入れられている。

また、成人後のジャン・クリストフにも、作者自身の生活体験が豊富に取り入れられている。

しかしジャン・クリストフは、あくまでも、作者が理想の人間像として描き出した人物である。

もちろん、ジャン・クリストフの人生観、社会観、また芸術観などは、作者のそれであることに間違いはないが、ジャン・クリストフの個性なり気質なりは、作者のそれとはかなりかけ離れたものと考えなければなるまい。

むしろ、オリヴィエ・ジャナンの中にこそ、作者の面影が多く射し言っているといっても差し支えないであろう。

ロマン・ロランは、ベートーヴェンこそは一生を通じて彼の魂の師であった。

彼がいく度か生の虚無感におそわれた危機に、彼の心の内部に無限の生の火をともしてくれたものは、実にベートーヴェンの音楽であった。

ロマン・ロランのベートーヴェンに対する尊敬と傾倒とは、また、中年及び晩年において、大規模なベートーヴェン研究となって結実している。

これは音楽研究家としてのロマン・ロランの、専門的な学究的著作ではあるが、ここに分析されたベートーヴェンの自然観、宗教観、女性観は、ロマン・ロラン自身のそれらと非常に似かよったところがある。

われわれはここに、相寄る魂の実に美しい一つの実例を見ることができる。

ロマン・ロランは、19世紀の末から20世紀の前半を誠実に生き抜いた一人の偉大なヒューマニストの、信仰の告白であり、人間信頼の賛歌であり、時代の生きた良心的な証言である。

晩年ロマン・ロランは「私はずいぶん読まれているが理解されていない」と嘆いているが、果たしてそうであろうか?

多くの人々は、彼の幾多の作品を通して、彼の魂の奥深い深淵をのぞきこんで、そこから彼の魂の秘密をくみとろうと努力している。

特に『ジャン・クリストフ』を読むことは、われわれにそうした努力を強いるのである。

そうしたところに、彼の作品のはかり知れぬ魅力と偉大さがあるといえるであろう。

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トスカニーニのスタジオ録音による唯一のドイツ・オペラである。

厳しく切り詰められた造形のなかに、トスカニーニ独特の豊かなカンタービレがあふれ、強烈な説得力を持っている。

その雄渾な気迫に満ちた音楽作りは、ベートーヴェンがこのオペラに込めた精神を見事に描き出して、余すところがない。

録音の古さ、歌手に水準の低さ、管弦楽に粗さは残るあるものの、トスカニーニ芸術の厳然たる美しさは時代を超えて生き続けている。

いろんな《フィデリオ》の演奏にふれたあと、トスカニーニの録音を聴くと、一瞬「ああ、これは志を持った音楽だ」という思いに胸が熱くなる。

トスカニーニの思想は死後一人歩きを始める。

「楽譜に忠実な演奏」は、いつの間にやら「音符を正確に弾くだけの演奏」に堕してしまった。

創造者には、旧勢力との間の生死を賭けた闘いが待っていたが、後を継ぐ者にはそれがなかった。

「ベートーヴェンは史上初めて、音楽に理想と力を持ち込んだ音楽家です」と語った碩学がいらっしゃった(丸山眞男氏)が、それ以来、筆者のベートーヴェンの聴き方が変わった。

天の啓示を受けた思いであったが、トスカニーニのベートーヴェンは筆者にあの時の衝撃を思い出させる。

対立した巨匠フルトヴェングラーは一人の後継者も産むことが出来なかったが、トスカニーニは指揮法と芸術思想の後継者としてカラヤンを持つことができ、演奏スタイルは時代の規範となった。

20世紀楽壇の帝王カラヤンは、トスカニーニに私淑していると公言して憚らなかった。

実際、カラヤンの音楽はトスカニーニ同様、フルトヴェングラーの重厚さ、神秘性、哲学的かつ文学的なねっちりした表現とは無縁だった。

巨匠二人の優劣の問題ではなく、一方は伝統の完成者であり、もう一方は伝統の創始者であった。

トスカニーニが、スコアから一切の文学性を追放したのはファッションのためではない。

作曲者と作品への熱烈な崇拝が、演奏家の愚かなる解釈を拒んだ。

つまり、「自分は偉大な作曲家の僕(しもべ)である」という最大級の謙虚さを、トスカニーニは持ち合わせていた。

オペラ・ハウスにオーケストラ・ピットを設け、客席の照明を落とす習慣を定着させたのもトスカニーニの功績のひとつだ。

これとて、劇場と聴衆の怠慢を許さない、という強い使命感の表れであったに違いない。

トスカニーニの正義は、大は「ナチスやムッソリーニ政権への痛烈な反逆」から、小は「離婚歴のある人物とは口もきかない(浮気は構わない)」まで、政治、プライヴェートの別なく、止まることを知らなかった。

そんなトスカニーニの演奏を、「冷たい」「厳しい」と敬遠するのは簡単だ。

しかし、甘く心地よいばかりが「愛」ではないことを、私たちは知るべきではないのか。

耳当たりのよい音楽は、耳の感度を下げ、魂を怠惰にする。

時代の激動に身を置かざるを得ない今こそ、トスカニーニの《フィデリオ》を聴いて、辛口の「愛」をすすんで享受し、燃えたぎる業火の情熱に、身も心も焼き尽くせと志願するときなのだ。

異論は百も承知の上で「21世紀もこの人を忘れてはならない」と声を大にして言いたい。

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2022年03月10日


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カラヤンは、DVD作品を除くと、4度にわたってベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しており、1977年の普門館でのライヴによる全集もあるが、本全集はそれらいずれの全集をも大きく凌駕していると言っても過言ではあるまい。

1966年と言えば、まさにカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代で、心身ともにベストコンディションであり、精緻さと重厚さを兼ね備えた20世紀最高のベートーヴェン演奏と言える。

ベルリン・フィルも、名うてのスタープレーヤーがあまた在籍した楽団史上でも特筆すべき技量を誇った時代であり、それぞれ最高の状態にあったカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏は、おそらくはオーケストラ演奏史上でも空前にして絶後の高水準を誇っていたと言ってもいいのではないだろうか。

弦楽合奏の鉄壁のアンサンブル、唸るような低弦の重量感のある響き、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器群の美しい響き、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニの響きなどが見事に融合するとともに、カラヤン一流の流麗なレガートが施された、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れたまさに圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。

カラヤンの前任者であるフルトヴェングラーのような音楽の精神的な深みの徹底した追求などは薬にしたくもないが、音楽の持つ根源的な力強さにおいては、フルトヴェングラーの数々の名演にいささかも劣っているものではないと言えるところだ。

フルトヴェングラーの目指した音楽とカラヤンの目指した音楽は、このようにそもそも方向性の異なるものであり、その優劣を論ずること自体がナンセンスであると考えられるところである。

かつて影響力の大きかった某音楽評論家の偏向的な批評などを鵜呑みにして、本全集のような圧倒的な名演に接する機会すら放棄してしまうクラシック音楽ファンが少なからず存在すると想定されるのは大変残念なことであると言えるだろう。

カラヤンの個性が全面的に発揮されたベートーヴェンの交響曲全集の演奏としては、1970年代にスタジオ録音された3度目の全集を掲げる者も多くいると思われるが、本全集は、実演でこそ真価を発揮するカラヤンならではの途轍もない生命力溢れる力感が随所に漲っているなど、音のドラマとしての根源的な迫力においてはかかるスタジオ録音による全集を大きく凌駕していると言えるところであり、まさにカラヤン&ベルリン・フィルという稀代の黄金コンビによる全盛時代の演奏の凄さを大いに堪能させてくれる究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。

音質は、従来CD盤においても音響がイマイチとされる東京文化会館でのライヴ録音と思えないような生々しさであった。

本全集の演奏のうち、「第3」については1982年のベルリン・フィル創立100周年記念ライヴ盤(ソニークラシカルのDVD作品)、「第7」は、同時期の1978年のベルリンでのライヴ盤(パレクサレーベル)に一歩譲るが、それ以外は、カラヤン自身にとって最高の超名演で構成されている圧倒的な名全集と高く評価したいと考える。

このような中で、今般、待望のハイブリッドSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためて本全集の各演奏の凄さとSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な超名演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2022年03月07日


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活動の拠点をヨーロッパに移したバーンスタインが定期的に指揮台に立ったオーケストラのひとつであるアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との初顔合わせ録音だった。

個人的なことだが、ウィーンを中心にヨーロッパで活躍するようになったバーンスタインの円熟を最初に教えてくれたのが、この1978年にライヴ録音された《ミサ・ソレムニス》だった。

このオーケストラやウィーン・フィルといった確固とした個性を持つ楽団との共演を通して、バーンスタイン最円熟期の芸風は確立されていた。

このベートーヴェンでも、それ以前の彼と大きく印象が異なることが実感される。

バーンスタインによる《ミサ・ソレムニス》は、ニューヨーク・フィルとの1960年録音もあるが、当曲がベートーヴェンの最高傑作であることを実感させてくれる稀有の名演である。

この曲はヒマラヤ高峰のような至高かつ峻厳な趣をたたえている。

しかしバーンスタインの演奏はニューヨーク・フィル時代の彼には珍しく柔和な表情を示し、ヒューマンなあたたかみに満ちている。

何の理屈もなく、ただひたすら聴き込まされてしまうような熱演を行なっているのがバーンスタインである。

作品に対する深い共感はオーケストラの伝統的な表現イディオムと一体になり、真に感動的な瞬間を生み出している。

劇的に高揚した場面でも決して上滑りになることなく、宗教的な感動に根差した深い表現が実現される。

演奏会の雰囲気をそのまま収めているだけに、その緊張感には独特のものがあり、バーンスタインの率直でひたむきな情熱といったものが、聴き手にひしひしと伝わってくる。

いかにもバーンスタインらしい作品への共感度が、ライヴ録音によって一段と強く表出され、きわめて劇的で集中力の高い演奏となっている。

バーンスタインらしい、そしてライヴならではの集中力や熱気とともに、作品への共感が少しも力づくになることなく、しなやかに懐深く歌われている。

白熱した昂揚と真摯な沈潜がつくる劇的な表現の幅も驚くほど大きいが、それが決して作為的なものにならず、オーケストラと合唱、独唱者たちが渾然一体となって、ベートーヴェンがこの大作にこめた感動を高らかに歌い上げている。

まさに合唱、オーケストラ、独唱が、聴衆を含めて一体となって、ベートーヴェンの音楽に没入しているかのような感じを受ける。

それら全てが友愛の精神に貫かれ、しかも格調の高さを失っていない。

繊細な神経が隅々にまで行き渡りながらも、調和の理念がスケール大きく展望され、真摯な祈りがこもり、最後は充実した和音感でしめくくられて感動的だ。

アムステルダム・コンセルトヘボウの柔軟な反応力は見事である。

無心なバーンスタインの心から投影されてくるベートーヴェンの音楽は、民族国境をこえて、まさしく世界をひとつに結ぶ力をもっている。

この求心力、緊張力の持続はライヴ独特の強味でもあり、バーンスタインの人となりが明らかになった名演と言える。

カラヤンのよく計算された、完璧ともいえる演出の巧みさこそないが、ここには素晴らしい集中力と、爆発的な熱狂がある。

独唱はベテラン揃いで、なかでもモーザーのスケールの大きな歌いぶりや、シュヴァルツの端正な歌唱は見事だ。

声楽陣も、この指揮者の真摯な姿勢に感化されたような、スケールの大きい充実した歌唱を展開しており、すべての演奏家が最大の力を出しきった、全く自然に音楽を作っていく様は感動的である。

録音もコンセルトヘボウ独特の豊麗でコクのある非常に好ましいものだ。

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2022年03月06日


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ベルリンの壁開放を祝って1989年12月25日に東ベルリンのシャウシュピール・ハウスにおいて行われたバーンスタイン指揮の「第9」演奏会の実況録音。

バイエルン放送響と同合唱団を中心に、東西ドイツと米英仏ソ連のオケと東西ドイツの合唱団のメンバーが参加し、独唱者もアメリカ(ソプラノ)、イギリス(メゾ・ソプラノ)、東ドイツ(テノール)、西ドイツ(バス)と国際色豊かな演奏である。

バイエルン放送協会による録音で、西側だけでなく東側でも同時に発売されたという。

《壁》が崩壊した年のクリスマス・コンサートとして記念碑的企画であり、混成メンバーによる演奏そのものが「第9」の理念を実践したものといえよう。

急遽集まったオケのアンサンブルは最上のものとはいえないが、そうしたことよりもあらゆる思いをこめたその内容を聴き取るべきだ。

第4楽章は、バーンスタインの堂々とした風格豊かな音楽が聴きもので、作品の祝祭的な性格を最大限に発揮させている。

なお、合唱部分では歌詞を「歓喜(Freude)」から「自由(Freiheit)」に変更して歌っている。

危機に取り囲まれたバーンスタインの生きる指標がヒューマニズムなのだった。

かなり際どい言い方になるが、ソロ歌手の人選も、黒人もいればレズもいるというモノスゴイものだ。

こんな企画をキワモノ扱いする向きもあるけれど、キッチュと偽善の危険と隣り合わせのヒューマニズムをここまで貫徹させるエネルギーを持つ音楽家が他にいなかったのは紛れもない事実。

いったい、ヒューマニズムを否定したら何があるのかと問いたげな自信満々のパフォーマンスなのである。

ひたすら高揚するこのフィナーレを聴いて、単に好き嫌いを言っていても仕方がない。

感動しっぱなしでも意味がない。

あなたにとってコレは何なのか、それが問題なのだ。

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2022年03月05日


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ユニバーサルやワーナーが揃ってSACD盤の発売に積極的になってからというもの、一時は瀕死の状態にあったSACDが急速に脚光を浴びるようになったというのは、パッケージメディアの良さをあらためて認識させるという意味において、大変喜ばしいことである。

そうしたSACD復活の流れの中で、大指揮者による数々の来日公演のCD化で定評のあるアルトゥスレーベルが、ムラヴィンスキーの来日公演(1973年)のCD2点を皮切りとして、シングルレイヤーによるSACD盤の発売に踏み切ったのは、何という素晴らしいことであろうか。

アルトゥスレーベルによるSACD化第2弾として、何を発売するのか筆者としても非常に興味を抱いていたところであるが、選ばれた音源は、いずれも文句のない歴史的な名演揃いである。

第2弾の2点のSACD盤のうち、もう一つのSACD盤に収められた、ヨッフムの死の半年前の来日公演のブルックナーの交響曲第7番及びモーツァルトの交響曲第33番も、歴史的とも言うべき超名演であるが、本盤に収められたケーゲルによるベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番についても素晴らしい名演であり、その価値においてはいささかも引けを取るものではない。

そして、本演奏もケーゲルの死の1年前の来日公演の貴重な記録であり、アルトゥスレーベルによる第2弾の音源の選び方にも、なかなかの工夫がなされているという好印象を受けたところだ。

ケーゲルは、独カプリッチョレーベル(現在は解散)に、手兵ドレスデン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音(1982〜1983年)しており、それもケーゲルの名を辱めることのない名演であると言えるが、本盤の演奏とは比べ物にならないと言えるだろう。

それにしても、本盤の演奏はとてつもなく凄い演奏だ。

筆舌には尽くし難い演奏というのは、本演奏のようなことを言うのであろう。

本演奏には、生きるための希望も、そして絶望も、人間が持ち得るすべての感情が込められていると思われる。

「田園」の第1楽章の超スローテンポや、第5番の終楽章の大見得を切った表現など、個性的な解釈が随所に聴くことができるものの、全体としては、表向きは淡々と音楽が流れており、加えて平静ささえ漂っているだけに、嵐の前の静けさのような不気味さを感じさせる演奏とも言えるところだ。

翌年には自殺を図るケーゲルが、どのような気持ちで本演奏を行ったのかは不明であるが、そうしたケーゲルの悲劇的な死を我々聴き手が知っているだけに、余計に本演奏にとてつもない凄みを感じさせるのかもしれない。

併録の「エグモント」序曲やバッハのG線上のアリアも名演であるが、特に、凄いのはG線上のアリアであろう。

一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、ケーゲルの救いようのない絶望感を聴き取る(というか感じ取る)ことが可能であり、まさに我々聴き手の心胆を寒かしめる演奏と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤は、演奏の素晴らしさ(というよりも凄さ)、そして極上の高音質という、望み得る要素をすべて併せ持った至高の名SACDと高く評価したい。

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2021年12月27日


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歴史的名演というものの最たるものがこのフルトヴェングラーの「第9」であるだけに、これまでにも高音質化の試みが何度もなされてきた。

今回はまさに1951年7月29日、スウェーデン放送によって中継放送された番組、冒頭の4か国語 (ドイツ語、フランス語、英語、スウェーデン語の順) によるアナウンスから巨匠の入場、渾身の指揮、やや長めのインターバルをはさみ、最後の2分半以上に及ぶ大歓声と嵐のような拍手 (と番組終了のアナウンス) まで、85分間、一切のカットなしに当夜のすべての音をSACDハイブリッド盤に収録されている。

改めて述べるまでもないと思うが、第2次大戦後、ヒットラーとの関係などもあり閉鎖されていたバイロイト音楽祭が1951年に再開されたとき、その開幕記念を飾る演奏として計画されたのが、このフルトヴェングラーの「第9」コンサートであった。

ドイツ人なら誰しもが喜んだであろう再開であったが、それは虐殺されたユダヤ人の悲劇がまだ生々しかった時代のことであり、現代とは自ずと取り巻く環境は異なっていたはずである。

フルトヴェングラーも一時期は演奏活動を禁じられたほど第2次大戦の悲劇は音楽家たちにも影を落とした。

このバイロイト音楽祭もクナッパーツブッシュやカラヤンのようなバイロイト初登場の指揮者たちが顔を揃えているから、再開といえども祝典気分一色というのではなかったはずである。

むしろ新たな陣容でドイツの音楽史が歩み出すことを内外にアピールする切実な責務、使命感がその底にあったものと思われる。

フルトヴェングラーの双肩にそうした期待感と重圧がのしかかってきたわけだが、ここでフルトヴェングラーが聴かせた音楽はまさに壮絶そのものであった。

それは「第9」という作品の桁外れの素晴らしさを余すところなく明らかにすると同時に、演奏という再現行為が達成し得る、さらに深遠で、神秘的な奥深さへと聴き手を誘う記念碑的偉業となったのである。

演奏という行ないはいつしか信仰告白とでも言うべき高みへと浄化され、作品は作品としての姿を超えて彼方からの声と一体化する、そんな陶酔的感動の瞬間を作り出してしまっている。

以来、この歴史的ライヴ録音は演奏芸術の鑑として聳え立ち、もちろんその後、誰もこれを凌駕する演奏など作り出していない。

超えられる演奏などではなく、目標として仰ぎ見ることだけが許された名演と言ってもよいのかもしれない。

アメリカ生まれのスウェーデン人の名指揮者ヘルベルト・ブロムシュテット(1927年生まれ)は偶然にもこの演奏を聴くことができた音楽家だが、その日受けた感動をあまりしゃべりたがらない。

同じ指揮者として自分が日々やってることが、このフルトヴェングラーの演奏と対照されるとき、一体どれほどの意味と価値を持つものなのか悩み抜くからで、ことに「第9」の指揮は今なお怖いという。

聴衆の中に一人でもあの日の聴衆がいると思うと怖くてステージに上がれなくなる、いやこの歴史的名演をCDや放送で聴いて感動した人がいると思っただけでも、もう緊張してしまうのだそうである。

世界的巨匠と崇められるベテランの名指揮者を今なお呪縛してしまう、それほどの名演である。

歴史に残る演奏に出会える機会はそうあるものではないが、稀に見る奇跡を記録した演奏がこの「第9」である。

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2021年12月14日


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ソヴィエト連邦が崩壊後、情報公開の波に乗ってさまざまなロシアの幻のピアニストの録音が紹介され、多くの素晴らしいピアニストたちの全貌が明らかになってきた。

1908年生まれで78年に没したマリア・グリンベルクもその一人で、もし西側で活躍していれば間違いなく最高の女流ピアニストに数えられていただろう。

ロシア帝国末期にオデッサに生まれたマリヤ・グリンベルクは、激動のロシア革命を生き抜き、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ時代のソ連で過ごしたロシアン・ピアニズムの大御所。

しかし、彼女の一生は苦難の連続で、父や夫はソ連当局によって逮捕され死に追いやられる。

イギリスのスクリベンダム・レーベルから登場したボックスは、グリンベルクの重要な録音を集めたもので、ロシア物に強い同レーベルならではの凝った内容。

得意のベートーヴェン全集録音と別録音のほか、バッハ、スカルラッティからバルトークやルトスワフスキ、ヒンデミット、カバレフスキー、ロクシーン、ワインベルクなどの近現代作品に至る様々な時代の作品を収録。

スクリベンダム・ボックスのデザインは、グリンベルクの故郷オデッサをモチーフに美麗に仕上げたものだ。

ポチョムキン階段から船と鉄道を臨む視点は、オデッサの歴史を考えると意味深でもあり、外に向かって開かれたオデッサのイメージに、ポチョムキンの「赤い旗」、そして「グリンベルクの顔」の織り成す不思議な感覚が面白い。

ソ連随一と言われていたグリンベルクのベートーヴェン演奏は、ゲンリフ・ネイガウス[1888-1964]が絶賛していたほか、かのラザール・ベルマン[1930-2005]も教えを請いに来るほど見事なものであり、LPで全集セットを贈られたショスタコーヴィチも感激していたそうだ。

グリンベルクはもともとベートーヴェン演奏に適性があったようで、イグムノフに師事していた学生の頃にも『熱情ソナタ』第1楽章展開部の第2主題の扱いをめぐって師と激論を戦わせ、最終的にはイグムノフがグリンベルクの方法を認めることになるなど、そこにはすでに大きな説得力も備わっていたようだ。

そのグリンベルクが一気にベートーヴェンに開眼するきっかけになったのが、それから少し経った1935年、27歳の時に接したアルトゥール・シュナーベルのモスクワ公演だった。

シュナーベルのベートーヴェンに接して「私のなかのすべてがまたたく間に燃え上がったのてす」と語るグリンベルクは、それまでに習ったロマンティックなベートーヴェン演奏をリセットし、構築的で論理的なスタイルを強い集中力で実現するようになる。

数々の圧政の中で生き抜いてきたこのグリンベルクの弾くピアノは実に強靭で逞しく、そして慈愛に満ちた両面がある。

筆者が愛聴するシューマンの『交響的練習曲』で前者の、『子供の情景』で後者の豊かなファンタジーを聴かせている。

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2021年12月07日


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カルロ・マリア・ジュリーニは1978年から81年にかけて、ロサンジェルス・フィルとベートーヴェンの3曲の交響曲、都合CD2枚分を録音した。

第3番変ホ長調『英雄』とシューマンの『マンフレッド序曲』をカップリングしたのが当ディスクで、もう1枚が第5番ハ短調『運命』及び第6番ヘ長調『田園』になる。

いずれもジュリーニ60代の円熟期を迎えた堂々たる演奏で、オーケストラを自在に統制した、細部まで思い通りに仕上げた緻密さ、それでいて息苦しくならない流麗な音楽性が溢れた見事なセッションだ。

ジュリーニの演奏は一言で表現すれば、がっちりとした楷書体の枠組みを旋律を土台としながら滑らかに繋ぎながら歌い込んでいくスタイルである。

その完成度が最も高かったのが1970年代から1980年台の前半であり、このディスクもその時期の代表盤のひとつだろう。

テンポは遅いが緊張感が途切れることは決してなく、この曲の構築性を浮かび上がらせてくる当演奏は深い感銘を与えるもので、20世紀後半の『英雄』の名盤のひとつたりえるものだろう。

若い頃の覇気は影を潜めたが、決して勢いが失われたわけではなく、音楽的な深みが聴く者を引き込んでいく。

テンポの設定は非常に落ち着き払っていて、『英雄』ではほぼ一時間を要している。

しかし音楽設計は手に取るように明らかで、第1楽章の壮観な構成力、第2楽章の葬送行進曲の長さに負けない美しさと緊張感の表出は、如何にもジュリーニらしい。

シューマンの『マンフレッド序曲』は特有の渋さがあり、独立して演奏する管弦楽曲としては、それほど輝かしく効果的でもないが、こうした作品にもジュリーニならではの劇的な手法が生かされている。

こけおどし的なダイナミズムは一切なく、ほの暗い音色の中にも濁りのない独自のシューマン像を描き出している。

彼はロサンジェルス・フィルハーモニックに音楽監督として1978年から84年まで務めている。

オーケストラとの信頼関係も良かったためか、一糸乱れぬ統制と自在な音楽性を紡ぎだすことに成功している。

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2021年11月03日


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いかにもフルトヴェングラーならではの彫りの深い素晴らしい名演だ。

本演奏はスタジオ録音であり、セリフのみの箇所を大幅にカットしていることもあって、ライヴ録音における極めて燃焼度の高いドラマティックな演奏を成し遂げる常々のフルトヴェングラーとはいささか異なった演奏と言えるが、悠揚迫らぬインテンポによって濃密に曲想を進めていくなど深沈とした奥深さを湛えているのが素晴らしい。

なお、フルトヴェングラーには、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」については、本演奏のほかにも1950年のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音盤(数年前にオーパスが見事な復刻を行った)があり、それは本演奏とは異なって極めてドラマティックな演奏であるとともに、歌手陣がきわめて豪華であることからそちらの方を上位に置く聴き手も多いとは思うが、本演奏にも優れた箇所も多く存在するところであり、容易には優劣はつけられないのではないだろうか。

また、本演奏においては各登場人物の深層心理に鋭く切り込んでいく彫りの深さが際立っており、とりわけ第2幕冒頭の序奏などにおいては、1950年盤以上に奥行きのある表現を展開しているなど、その筆舌には尽くし難いような深沈たる荘重さは、フルトヴェングラーとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないだろうか。

また、フルトヴェングラーは、1950年盤と同様に、レオノーレ序曲第3番を、マーラーが慣習づけた流儀にしたがって終結部(第2幕第2場)の直前に配置しているが、これが冒頭の序曲ともども凄い演奏だ。

両曲ともに冒頭からしていわゆるフルトヴェングラー節全開。

あたかも交響曲に接するのと同様のアプローチで、劇的でなおかつ重厚な演奏を繰り広げており、スケールは雄渾の極み。

とりわけレオノーレ序曲第3番においては、終結部のトゥッティに向けて畳み掛けていくような緊迫感と力強さは圧巻の迫力を誇っている。

このように、序曲及びレオノーレ序曲第3番だけでも腹がいっぱいになるほどの密度の濃い演奏を成し遂げていると言えるだろう。

歌手陣はさすがに1950年盤の豪華さには劣っているが、それでもマルタ・メードルやヴォルフガング・ヴィントガッセン、オットー・エーデルマンなどの一流歌手陣が最高の歌唱を繰り広げている。

フルトヴェングラーの統率の下、最高のパフォーマンスを示したウィーン・フィルやウィーン国立歌劇場合唱団にも大きな拍手を送りたい。

録音は1953年のスタジオ録音であり、従来盤でもフルトヴェングラーのCDとしては比較的満足できる音質であったが、ユニバーサルによるSACD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

歌手陣の息遣いまでが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらあり、このような歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2021年11月01日


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1983年から84年にかけてプラハで録音された音源で、スプラフォンと日本コロムビアが提携したレコーディング・シリーズのひとつ。

彼らは逸早くPCMディジタル録音を手掛けていただけあって、この時代の音源として音質は極めて良好だ。

ベートーヴェンのピアノ・トリオで、先ずお薦めしたいのはシェリング、フルニエ、ケンプによる演奏で、ケンプが扇の要のような存在だ。

第4番変ロ長調『街の歌』のみはカール・ライスターのクラリネットがシェリングに替わっている。

最近ユニヴァーサルのシェリング・エディションで復活した、一期一会の緊張感と高度な愉悦に満ちた大家風のトリオは是非聴いて頂きたい。

一方このスーク・トリオによる演奏では全曲を通してヨゼフ・スークが弾いている。

1950年代からトリオとして頻繁に演奏活動していただけに気の合った生き生きしたアンサンブルは美しいだけでなく、おおらかな音楽性を満喫できる。

ピアニストはヨゼフ・ハーラで、前任者のヤン・パネンカとは異なった美学を持っていて、聴き比べるとこのコンセプトの違いが良く理解できる。

第7番変ロ長調『大公』は既にパネンカとは過去に2回レコーディングしているので、この演奏はスーク・トリオとしては3回目、ハーラは初めて加わった時の録音になる。

パネンカのクリアーで美音を生かした緻密な演奏とは一線を画し、若々しい推進力に満ちたハーラのピアニズムも良い。

またリーダーシップをとるスークのヴァイオリンを巧みに支えるフッフロのチェロも毅然とした風格を持っている。

それにしても何と室内楽的なバランスの整った演奏だろう。

スーク・トリオの演奏は、室内楽的かつ古典的で、緊密なまとまりを聴かせる。

3人それぞれが実に明確な主張を展開しながら見事な調和を保ち、一体となって感興豊かで恰幅の大きな世界を作り上げている。

スリリングなところはないが、充分に練られた表現にはまとまりだけではない華もあって楽しめる。

平均年齢54歳の録音にもかかわらず、もっともみずみずしく新鮮な息吹を感じることができる。

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2021年04月19日


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筆者としてはカラヤン、リヒテル、オイストラフ、ロストロポーヴィチという巨匠4人の協演が決して失敗だったとは思わない。

むしろ音楽は生き生きしてベートーヴェンのオーケストレーションの醍醐味も味わうことができる。

彼ら1人1人のスタンドプレイで終わるのではなく、それぞれが抑制しながら堅実なアンサンブルを聴かせてくれる。

そのうえでの名人芸が、曲中にちりばめられている魅力的なセッションだ。

その音楽性、集中力の高さと表現力の豊かさは流石だ。

ここで一目置きたいのはカラヤンのサポートだ。

他の演奏者による録音も何組か聴き比べてみたが、この作品のオーケストラ・パートの充実感を示せた指揮者は意外に少ない。

3人のソリストを引き立てることは勿論だが、3つの楽章の特徴を巧みに掴んで構成し、終楽章アッラ・ポラッカで壮大な効果を上げるようなサウンドを創り上げている。

このセッションでリヒテルがカラヤンと気まずい関係になったことは、本人の証言で間違いない。

でも出来上がったテイクはなかなかどうして素晴らしいものだし、リヒテル自身もカラヤンのこうした才能を否定していたわけではないだろう。

リヒテルはモンサンジョンが制作したドキュメンタリー映画の中で、ベートーヴェンのトリプル・コンチェルトは酷い出来だったと証言している。

このエピソードはまた、ユーリー・ボリソフの『リヒテルは語る』の中でも「確かに恨みを抱いていた。そう、カラヤンにだ。三重協奏曲でね。もっと練習すべきなのに、写真撮影に移ろうと言い出した!まったく正気の沙汰じゃないよ…」と書かれている。

カラヤンには二つ返事で従うロストロポーヴィチの態度を苦々しく思いながら、オイストラフとは良好な関係を保っていたようだ。

しかしながら4人の巨匠のキャスティングは、この演奏を聴く限り成功している。

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2020年12月31日


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「完全なる音楽家」と称賛される現代最高の巨匠指揮者にして、ピアニストでもあるダニエル・バレンボイムは70年以上にわたってベートーヴェン作品に取り組んできた。

その彼が、今年のベートーヴェン生誕250周年にあたって32曲のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲とディアベッリ変奏曲を、ベルリンのピエール・ブーレーズ・ザールで録音した。

これは彼にとって映像も含むと、なんと5度目のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音となった。

(第1回1966〜1969 [EMI]、第2回1981〜1984 [DG]、第3回1983〜1984 [メトロポリタン・ミュニク制作の映像]、第4回2005 [DECCA])

この全集は、輸入盤とデジタル配信は10月30日に、ハイレゾ音源も収録した国内盤はベートーヴェンの誕生日とされる12月16日に発売された。

32曲のピアノ・ソナタをCD1〜CD10の10枚に収録、CD11にディアベッリ変奏曲を、CD12とCD13は、ウエストミンスター・レーベルに1958年、当時15歳の天才少年だったバレンボイムが録音した6曲のピアノ・ソナタを収録している。

今回の録音は、今年のコロナ・ウィルスのパンデミックのために多くの公演が中止となり、バレンボイムがベートーヴェンの楽譜に深く没頭したことにより実現した。

4月にピエール・ブーレーズ・ザールから全世界に配信したライヴ・ストリーミング・コンサートのディアベッリ変奏曲のライヴ録音に続き、ピアノ・ソナタ全曲を5月〜6月にスタジオ録音した。

「ピアノを弾くことだけに3ヵ月もの時間を費やしたことは過去50年間無かった」とバレンボイムは語っている。

1942年生まれのバレンボイムは10歳のときに、初めてベートーヴェンのピアノ・ソナタを聴衆の前で演奏し、15歳でウィグモア・ホールにリサイタル・デビューした――このときの演奏曲目には、《ハンマークラヴィーア》ソナタも入っていた。

そして、このステージが彼の華やかな国際的キャリアの出発点となった。

ピアニスト、指揮者の両方で成功を収め、ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団およびベルリン・バレンボイム/サイード・アカデミーの創設者でもあるという経歴のすべてを通して、彼はベートーヴェンの音楽と、その人生のあり方に深く寄り添ってきた。

アンネ=ゾフィー・ムターは、この新録音に寄せた文章の中でこう述べている。

「ダニエル・バレンボイムほど、ベートーヴェンの人生観を体現し、演奏で実際に表現できる音楽家はほかにいません」

私たち人間が予測もつかない困難に遭遇した今年、バレンボイムが立ち戻ったのは、ベートーヴェンだった――これらの作品を、数えきれないほど何度も演奏してきたにもかかわらず――彼が望んだのは、これらの作品を「初心に立ち帰って」演奏することだった。

豊富な経験にもかかわらず、バレンボイムはこれらの作品に「ゼロから」アプローチし、作品に新たな光をあてている。

まさに、現代最高のベートーヴェン・マスターによる決定盤となる全集の登場と言える。

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2020年11月10日


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ベートーヴェンの音楽に内在する可能性を鮮烈に引き出した演奏だ。

初めて彼らのカルテットを聴いた時には、例えば『セリオーソ』の極限まで高揚するようなアグレッシブなアタックや第1ヴァイオリンを受け持つギュンター・ピヒラーのスタンド・プレイ的な独特のディナーミクにいくらか違和感を感じた。

しかし曲を追って聴き込んでいくうちに、決してグロテスクなパフォーマンスではないことに気付いた。

そこには外側に発散されるサウンドの斬新さとは対照的に、作品の内部に掘り下げて収斂させる表現力にも成功しているからだ。

彼らのアンサンブルは良く鍛えられていて、4人の士気の高さとともに音色には特有の透明感がある。

個人的には特に後期の作品群が。彼らの解釈に最も相応しいのではないかと思う。

聴覚を失って音響から隔絶された世界で作曲を続けたベートーヴェンの境遇を考えれば、どうしてもそこにセンチメンタルな表現を期待しがちだ。

彼らはむしろクールな情熱で弾き切り、清澄だが鑑賞的なイメージを払拭することによって、新時代のベートーヴェン像を見事に描き出したところが秀逸だ。

現在多くのレーベルからリリースされている箱ものバジェット盤は、それぞれ限定生産と銘打ってあるにせよ、芸術的価値は別として、商品としては音源の在庫清算とも思われる。

こうした企画のラッシュは初出時に1枚1枚正価で買い集めたオールド・ファンにとっては、ミュージック産業の生き残りを懸けたサバイバル戦を垣間見るようで複雑な思いだ。

ただこれからクラッシックを聴き始める入門者や若い世代の人達には朗報に違いない。

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2020年08月27日


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両者が調和を求めた演奏ではなく、どちらかと言うと即興的な趣を持ったコンサートという面白みがある。

既にもう1枚の同コンサートのCDのレビューでも書いたが、グラフマンは伴奏に回っても相手に従順に付き添っていくピアニストではない。

そこにはかなり強い主張が感じられ、自らイニシアチブをとって相手を自分の演奏に引き込もうとしているのが聴き取れる。

しかしシェリングも決して後には引かない態勢だ。

彼にとってもベートーヴェンはレパートリーの中心をなす作曲家だけに、譲れない一線があるに違いない。当然2人の間には瞬間瞬間の駆け引きのようなものがあり、一進一退のせめぎ合いがある。

しかしそれが演奏に破綻をきたさないのは、お互いに相手の音楽を注意深く聴き取り、なおかつ付かず離れずの表現上の巧みなバランスを保っているからだろう。

大曲『クロイツェル』のような高度なアンサンブルを要求される難曲でも、緊張感を孕んだ両者の実に彫りの深い表現が聴かれる。

そのあたりはシェリングのディプロマティックで老獪なテクニックがものを言っているのかもしれない。

それはまた1950年代のルービンシュタインとのセッションと大きく異なっている点だ。

何故なら当時は明らかにシェリングの方が巨匠に胸を借りる形で歩み寄っているからだ。

シェリングとグラフマンは1970年と71年のそれぞれ12月にワシントンのライブラリー・オブ・コングレスに招かれ、クーリッジ・オーディトリアムでコンサートを開いた。

この会場は米議会図書館附属の小ホールなので、どんな演奏会であっても入場券は即日完売になってしまう。

また時によっては招待制に限定されることもある。

いずれにしても合衆国政府から実力を認められたアーティストが出演する名誉ある舞台なので、彼らの演奏に対する熱意も充分に感じ取れる。

音質は鮮明だが響きはデッドで、いまひとつ臨場感がないのが惜しまれる。

8ページほどの簡易なライナー・ノーツにはこの演奏会についての回想が掲載されている。

それによると当日彼が使用したピアノはスタインウェイOLD199ということだ。

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2020年06月23日


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ブルーレイ・オーディオ・ディスクが目当てで買ったものだが、音質の良さに改めて感心した。

録音は1959年にウィーン・ムジークフェラインのブラームス・ザールで行われているが、残響は多過ぎず潤いのある両者の明瞭な音色が程よいバランスで捉えられている。

幸い音源の保存状態も完璧でヒス・ノイズも殆ど聞こえない。

できればCDとの抱き合わせではなくブルーレイ単独でリリースして欲しかった。

シュナイダーハンはかつてのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリニストで、時代で言えばワルツやポルカで大衆的な人気を博したボスコフスキーの一代前のコンサートマスターだった。

シュナイダーハンもやはり生粋のウィーンっ子で、彼らに共通する伝統的なウィーン流の奏法がこのディスクでも堪能できる。

確かにスリルや緊張感にみなぎる演奏ではないが、力みが全くなく流麗で屈託のない解釈と洗練された音色で歌い上げるメロディー、特に第5番ヘ長調『春』などで彼の力量が最高度に発揮されている。

一方でまた第9番イ長調『クロイツェル』では迫力よりも風格で優っていて、戦闘的な表現は一切避けながら堂々たる演奏スタイルを披露している。

ピアニスト、カール・ゼーマンは当時のドイツを代表するソリストだっただけあって、いわゆる伴奏者にとどまらず自分自身の主張も通しながら柔軟かつきめ細かいデュエットを協演していて好感が持てる。

シュナイダーハンはカール・リヒターとバッハの6曲のヴァイオリン・ソナタ集も録音していた。

こちらも数年前にカール・リヒターのセットに組み込まれていたが、こちらも名演の名に恥じない演奏で、個人的にはコーガンとのものより趣味に合っている。

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2020年05月30日


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コンドラシンは修行時代に劇場指揮者としてのキャリアを積んだので、オペラやバレエなどの舞台用作品には百戦錬磨の手腕を持っていたが、モスクワ・フィルに移って初めて彼の本領が発揮されるオーケストラル・ワークへの研鑽の機会を掴んだと言えるだろう。

ディスコグラフィーを見る限り、彼のベートーヴェンの交響曲はここに収録された第3番『英雄』と第4番及び第8番の3曲しか見当たらない。

しかしここでは大曲としての構造を完全に掌握した明晰な解釈と堂々たる風格を備えた演奏は、ベートーヴェン指揮者としても第一級の腕を持っていたことを証明している。

第1楽章の颯爽とした開始と緻密なオーケストレーションの再現からも、彼の充実した音楽的構想を聴き取ることができる。

また対照的で劇的な変化が印象に残る第2楽章『葬送』は、通常比較的快速で進めるコンドラシンには珍しく15分ほどかけた、じっくりと構えたアプローチが特筆される。

ちなみに全楽章の演奏時間は約50分に及んでいる。

スケルツォのトリオでは特にホルンに聴かれる特徴だが、終楽章でも古色蒼然としたコンセルトヘボウの音色が生かされて、深みのあるスケールの大きなフィナーレを飾っている。

彼らが古い伝統を引っ提げたプライドの高い名門オーケストラだけに、この共演でもアンサンブルの安定感と共に気品を備えた拡張の高さが面目躍如だ。

コンドラシンがコンセルトヘボウ管弦楽団を振った一連のライヴは、当時オランダ国営放送協会によって録音され、音源の権利をフィリップスが買い取って当初9枚のLPでリリースされた後、8枚のCDにリカップリングして再発になったが、残念ながら現在総てが廃盤になっている。

いずれも客席からの雑音が若干混入しているが、音質の良好なステレオ録音なので是非グレードアップしたセットで復活して欲しいシリーズだ。

ちなみにこれらとは別に仏ターラから同メンバーによる3枚のCDが入手可能で、音源も幸い前者とだぶりがない。

尚このベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』は、1979年3月11日に彼らの本拠地アムステルダム・コンセルトヘボウで行われたコンサートからのライヴで、コンドラシンが西側で遺した2曲しかないベートーヴェンの交響曲のレコーディングだ。

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2020年04月06日


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ベートーヴェンの初期室内楽の集大成といえる2作品を、ウィーンの音楽家たちが最もウィーン的であった時期の名手による演奏で収めたアルバム。

このディスクもかつてのウィーン・フィルの奏者の演奏から醸し出される音楽の馥郁たる薫りと、替え難い特有の情緒が貴重な1枚だ。

彼らはメンバー同士でアンサンブルを組んで切磋琢磨していたので、こうした室内楽も常に自然体でありながら、非常に味わい深い趣を持っている。

またここに収録された2曲は田舎町のボンからウィーンに出て来たべートーヴェンが、精一杯の洒落っ気と商売気を出して作曲した作品である。

そこにはもちろんウィーン気質に取り入るような社交性の中にも確固とした形式と品の良さが感じられる。

最近、あるアンサンブルが演奏したゼプテットを聴く機会があったが、バリリ率いるウィーン・フィルのウィンド及びブラス・グループに比較すると、演奏技術はともかくとしてあまりにも冷たく思えてしまった。

特に第2楽章アダージョ・カンタービレでたっぷりと歌われるウラッハやバリリのメロディーは、恐らく現在では殆ど聴くことが叶わないウィーン風の哀感を漂わせている。

ヴィエンナ・スクールと言えば、典型的な古典派の作曲家ハイドン、モーツァルトそして初期のべートーヴェンやシューベルトもその範疇に入る。

ハプスブルク、マリア・テレージア時代の権謀術数をめぐらせた政略とは裏腹に宮廷趣味は洗練され、その屈託のない享楽嗜好は彼らの作風にも影響を及ぼしている。

ウィーンでは交響曲へのメヌエットの挿入がほぼ欠かせない条件だったことにも表れている。

また複雑さを嫌い、シンプルで明快な音楽が好まれたことが、そのまま古典派の様式として形成されていることも例外ではないだろう。

べートーヴェンは早くからメヌエットを捨て去ってしまったが、この2曲では当然の如く採り入れている。

特にゼプテットの第3楽章ではジェオメトリックとも言えるような、均整の取れた充実した変奏曲として扱われている。

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2020年01月05日


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2020年はベートーヴェンの生誕250年であるが、コンヴィチュニー&ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーヴェン演奏は過去のものとはいえ自然体の表現が今あらたに普遍性を得ている。

コンヴィチュニーは古いドイツの楽長タイプの指揮者を連想させるが、オーケストラも同様で、第1、第2ヴァイオリンが左右に分かれ、コントラバスは左手奥に位置するという配置がさらに古めかしい印象を強める。

しかし、この配置では完璧なアンサンブルを求めるのは容易なことではないが、ベートーヴェンの場合、左右の掛け合いが実に効果的で、演奏に独自の立体感をもたらしたのは収穫である。

また管楽器の独特の音色が印象的で、いまと違って当時はすべて古い年代の楽器であったのだろうが、なかでも木管の原色的な色調とヴィブラートを抑制した奏法は、彼らの演奏にすばらしく古雅な趣をそえている。

むろん管弦のバランスが、確かにドイツ風といえる独自の重量感をもっていることは付け加えるまでもない。

したがって古典的、理性的なベートーヴェンであるが、それは情念の解放とか、情熱の外部への高揚を求めるより、伝統の枠組のなかにぴたりとはまり込んだような音楽をつくっている。

彼らの演奏はすべてが保守的であり、自由でしなやかな流動感や現代的な感覚美とは無縁のように感じられる。

しかし、それで音楽が形式的かというとそうではなく、楽想の発展が建築的に表出されながらも、その内部には素朴に内燃する感興が示されているのである。

確かに、この指揮者の音楽へのアプローチは、常に実直・誠実であった。

現代の指揮者のように外面的な効果や恰好のよさを求めず、ひたすら純粋に音楽の再現に徹していた。

むろん、いま、このような指揮者はもはや存在しないとさえいえるが、それが、現在再びコンヴィチュニーの再評価をうながす大きな理由となっているのだろう。

あえていえば、すべての演奏はコンヴィチュニーの表現を土台としてはじまる。

その客観的な妥当性と安定感の高さは、稀有のような大きな普遍性をつくり出していると考えてよいのである。

ベートーヴェンはその意味で現在も高く評価されてしかるべき演奏である。

この演奏は、かつてわが国に紹介された頃、伝統の響きと形容されたが、現在ではロマン派をくぐり抜けたところの古典主義への再帰と見るべきであろう。

ベートーヴェン演奏の様式が、オリジナル楽器の再興で大きく変化した現在、既にコンヴィチュニーの演奏のスタイルが過去のものになったといえるが、しかしながらコンヴィチュニーがゲヴァントハウス管弦楽団を駆使した芸術は、彼らの時代の証言であり、それとともにそれなりの普遍性を獲得している。

それは現在も無視し得ないもので、時代を越えて音楽そのものの本質を語ってくれるのである。

コンヴィチュニーの『ベートーヴェン交響曲・序曲全集』は、いま、その意味でかえって新鮮であるかも知れない。

これらの演奏のほとんど一分の隙もない構築性、必要最小限の表情があらゆる虚飾と添加物を取り去って、その本質を無理なく、ほとんど自然体のように表出するからである。

それはコンヴィチュニーの演奏が一見、没個性的に見えながら、実はそうではなく、確固とした音楽観を身に付けていることを証明しているとも思えるほどである。

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2020年01月01日


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スメタナ四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の名演としては、1976〜1985年という約10年の歳月をかけてスタジオ録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集が名高い。

さすがに、個性的という意味では、アルバン・ベルク四重奏団による全集(1978〜1983年)や、近年のタカーチ四重奏団による全集(2002年)などに敵わないと言えなくもないが、スメタナ四重奏団の息のあった絶妙のアンサンブル、そして、いささかもあざとさを感じさせない自然体のアプローチは、ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに大きく貢献していた。

もちろん、自然体といっても、ここぞという時の重量感溢れる力強さにもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた美しい演奏というのが、スメタナ四重奏団による演奏の最大の美質と言っても過言ではあるまい。

ベートーヴェンの楽曲というだけで、やたら肩に力が入ったり、はたまた威圧の対象とするような居丈高な演奏も散見されるところであるが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏にはそのような力みや尊大さは皆無。

ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力を真摯かつダイレクトに聴き手に伝えることに腐心しているとも言えるところであり、まさに音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言っても過言ではあるまい。

今回マスターとして使用されたのは、総て前述の名盤の誉れ高い全集に収められた演奏の約20年前の旧録音で、彼らの活力に漲っていた時期の代表的な演奏だ。

全集があまりにも名高いことから、本盤の演奏はいささか影が薄い存在になりつつあるとも言えるが、メンバーが壮年期を迎えた頃のスメタナ四重奏団を代表する素晴らしい名演と高く評価したい。

演奏の基本的なアプローチについては、後年の全集の演奏とさしたる違いはない。

しかしながら、各メンバーが壮年期の心身ともに充実していた時期であったこともあり、後年の演奏にはない、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出してくるような強靭な生命力が演奏全体に漲っていると言えるところだ。

例えば大作第13番の大フーガでは鍛え上げられた緊密なアンサンブルによって、一瞬たりとも緊張感を失うことなく一気呵成に聴かせてしまう。

したがって、後年の円熟の名演よりも本盤の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないとも言える。

このセットに収められたベートーヴェンの6曲の後期弦楽四重奏曲は、彼の聴覚が完全に失われた後の作品で、音の世界から全く隔絶された彼の頭脳の中だけで思索され、生み出された。

その内容の深遠さには尋常ならざるものがあることから、前述のアルバン・ベルク四重奏団などによる名演などと比較すると、今一つ内容の踏み込み不足を感じさせないわけではないが、これだけ楽曲の魅力を安定した気持ちで堪能することができる本演奏に文句は言えまい。

スメタナ四重奏団は、こうした孤高の境地にあったベートーヴェンの作品が実は紙に書かれただけのものでない、実際に私達の心を強く打つ音楽であることを彼らのアンサンブルを通して証明した、稀にみる四重奏団だった。

いずれにしても、本盤の演奏は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としては最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したい。

尚第11番(1962年録音)と第12番(1961年)は、これまでのCDリストから消えていたもので、スプラフォン独自のリマスタリングで復活した。

音質は極めて良好で、クレスト1000シリーズの廉価盤に比較してやや中低音に厚みのある、奥行きを感じさせるリマスターだ。

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2019年11月26日


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古い音源ながら新規の24bit/96kHzリマスタリングも良好で、ブルーレイ・オーディオの長所が良く出ている。

アナログ時代の名残でマスター・テープのヒス・ノイズが聞こえるにしても、音場がより立体的になり、それぞれの楽器の音像もかなり明瞭に聴くことができるし、低音から高音までのオーケストラのサウンドの拡がりも充分で、CDで初めてリリースされた時の音質より格段に向上している。

綴じ込みだがライナー・ノーツもしっかりしたコレクション仕様で、資料としての価値も高い。

またこれも既に指摘されているようにCDとの抱き合わせ商法ではなく、単独のブルーレイ・オーディオ・ディスクでの全曲リリースが好ましい。

ライバルのワーナーからはリマスター盤は集大成されたものの、高音質盤の方は二の足を踏んでいるのが惜しまれる。

この交響曲全集は1997年にドイツ・グラモフォン創立100周年記念として同社から刊行された全20巻87枚のベートーヴェン・エディションの第1巻に組み込まれた音源だ。

筆者自身は実はベーム、ウィーン・フィルの方を期待していたのだが、当時まだ帝王の威厳に輝いていたカラヤン盤が選ばれたのも、売れ筋から考えて当然と言えば当然の結果だった。

しかし改めて鑑賞してみると、確かに音楽的にも無駄がなく颯爽としたテンポ感やオーケストレーションの再現のスマートさは、幾らか頑固なまでにスコアに誠実なベームとは対照的であり、ベートーヴェン演奏の新時代を築いたディスクとしても強い説得力がある。

1960年代の全集は、ベルリン・フィルの芸術監督に就任して7年が過ぎ、フルトヴェングラーのオーケストラからカラヤンが自らの手中に収めつつある時期に、ベルリン・フィルにとっても最も重要なレパートリーであるベートーヴェンで自らの力と新生ベルリン・フィルを世に問うたもの。

この頃には既にカラヤンのスペクタクルなサウンド・スタイルは確立されていて、ここでもベルリン・フィルの実力を縦横に発揮させた濃厚なオーケストレーションが特徴的だ。

その表現は後の2度の録音より鮮烈で、彼のベートーヴェンの音楽に対する創造的な気概に満ちている。

トスカニーニの影響が強いなどと言われたこともあるが、今聴くとそこにあるのはやはりカラヤンの個性である。

しかもトスカニーニの亜流的な演奏とは画然と異なり、主観と客観が見事にバランスした演奏の清新な表現は今も説得力を失わない。

溌剌とした覇気とカラヤン特有の演出の妙が絶妙のバランスを保っていて、テンポにたるみがなく、表情は率直でむらがない。

ドイツ・グラモフォン社が持っていた新録音ではなく、この演奏を選んだ理由は演奏の質の高さだけでなく、よい意味でのスタンダード性からだろう。

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2019年11月01日


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カラヤンはベートーヴェンの交響曲全曲録音を都合4回行ったが、この『第9』はその2回目にあたる1962年のもので、ドイツ・グラモフォンへのベルリン・フィルとの初録音でもある。

またこの音源は後にOIBPリマスタリングされ、グラモフォンが1997年に刊行した全20巻、合計87枚に及ぶベートーヴェン全集の第1巻に組み込まれた。

同社が持っていた新録音ではなく、この演奏を選んだ理由は演奏の質の高さだけでなく、よい意味でのスタンダード性からだろう。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任して7年が過ぎ、フルトヴェングラーのオーケストラからカラヤンが自らの手中に収めつつある時期に、ベルリン・フィルにとっても最も重要なレパートリーであるベートーヴェンで自らの力と新生ベルリン・フィルを世に問うたもの。

この頃には既にカラヤンのスペクタクルなサウンド・スタイルは確立されていて、ここでもベルリン・フィルの実力を縦横に発揮させた濃厚なオーケストレーションが特徴的だ。

その表現は後の2度の録音より鮮烈で、彼のベートーヴェンの音楽に対する創造的な気概に満ちている。

管弦楽とコーラスの音のバランスも非常に均整が取れていて、彼のサウンドづくりに懸ける執念のようなものが伝わってくる。

トスカニーニの影響が強いなどと言われたこともあるが、今聴くとそこにあるのはやはりカラヤンの個性である。

しかもトスカニーニの亜流的な演奏とは画然と異なり、主観と客観が見事にバランスした演奏の清新な表現は今も説得力を失わない。

溌剌とした覇気とカラヤン特有の演出の妙が絶妙のバランスを保っていて、テンポにたるみがなく、表情は率直でむらがない。

高度なアンサンブルが要求されるソリスト陣の中ではヴァルター・ベリーの力強さ、ヤノヴィッツの清冽な歌いぶりが優れているが、とりわけ終盤の四重唱は絶品。

カップリングされた『コリオラン序曲』は1965年の録音で、華麗であり、要所を巧みに押さえた表現だが、カラヤンがこうした曲の演奏効果を知り尽くしていることは言うまでもない。

音質はこの時代のものとしては極めて良好で、今回のルビジウム・カッティングによって得られたオーケストラの練り上げられた音色が、かえってアナログ録音の特質を良く捉えているようだ。

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2019年06月27日


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ベートーヴェンの『変奏曲ヘ長調』Op.34、同ニ長調Op.76及び『プロメテウスの創造物による15の変奏曲とフーガ変ホ長調』Op.35は1970年にザルツブルクでオイロディスクに録音したセッションになる。

カップリングされたシューマンの『ノヴェレッテ』第2番ニ長調、第4番ニ長調、そして第8番嬰へ短調の3曲は79年に東京厚生年金会館ホールでのライヴになる。

いずれもリマスタリングされた音質はきわめて良好で、リヒテルの多彩な表現力が縦横に駆使された優れたアルバムになっている。

またピアノの音色の美しさとその対比も周到に考えられていて、彼の音に対する鋭い感性が窺える。

ベートーヴェンの『変奏曲ニ長調』では自作の劇付随音楽『アテネの廃墟』からの「トルコ行進曲」がそのままテーマとして使われているが、ヘ長調の方では流麗に仕上げ、この曲では鮮やかな対照を際立てるリヒテルのテクニックは流石だ。

彼はこの曲を気に入っていたらしくコンサートでしばしば取り上げたが、普段それほど演奏される機会に恵まれていないので貴重なサンプルでもある。

一方フーガのついた大作変ホ長調のテーマは後に交響曲第3番『エロイカ』の終楽章にも再利用されているだけに、リヒテルも当然そのピアニスティックな効果を意識したスケールの大きな表現が聴き所だ。

各変奏の鮮やかな性格対比があるうえに、作品全体を通してベートーヴェンが意図した統一と集中が達成されていて、この2つが相乗効果を発揮して、緊迫した音楽的瞬間を生み出している。

まさにベートーヴェン弾きとしてのリヒテルの面目躍如たる名演で、この演奏は“音によるドラマ”にほかならず、ここまで変奏曲を深めてくれるピアニストは珍しい。

ライナー・ノーツは見開きの3ページのみで典型的な廉価盤仕様だが、演奏の内容は非常に価値の高いものだ。

音源は英オリンピアからのライセンス・リイシューになり、ミュージック・コンセプツ社では特に音質の優れているものを選んでアルト・レーベルから供給しているようだ。

尚前半3曲のベートーヴェンに関してはザルツブルクと書かれている以外は録音場所が明記されていない。

ホールを限定することはできないが、その潤沢な残響とピアノの音色からして、彼が好んで訪れたクレスハイム城内で行われたことが想像される。

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2019年05月14日


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「交響曲ごとに作風が変わり新しい境地を拓いていった」という評価は、朝比奈隆がベートーヴェンの偉大さを語る決まり文句のようになっていた。

このことは、ベートーヴェンの9つの交響曲を1人の指揮者と1つのオーケストラのコンビで完璧に演奏することがいかに難しいかを物語っている。

事実、朝比奈だけでなく多くの指揮者がこの交響曲全集を手掛けてきたが、決定盤は未だ現われていないと言っても過言ではない。

現在のところ、全集録音の最多記録を誇る朝比奈が手兵大阪フィルと組んでDVD化された『最後のベートーヴェン交響曲全集』を視聴し、ますますこの感を強くした。

朝比奈は、永年にわたり関西を中心に指揮活動を行なう傍ら、壮年時代から度々ヨーロッパに足を運んで現地のオーケストラを指揮する活動を続けており、ベートーヴェンの解釈では本場のヨーロッパでも高い評価を受けていて、このDVDからも、その成果は十分窺い知ることができる。

しっかりした曲の構成、重要なパッセージでのテンポの運び、強弱を含めた1つ1つの音符の処理など、どれをとっても立派でさすがであり、それが最も遺憾なく発揮されているのが、第5番である。

オーケストラの演奏はベストではないのだが、盤を通じて指揮者の気魄がジーンと胸に迫ってくる名演奏である。

遅めに設定したテンポは、大阪フィルの音に質量感を与えることに成功しているが、その反面、一部のマッチングの悪い場所では、遅めのテンポが仇になって、間延びした感じになってしまっている(3番『英雄』1・4楽章、4番4楽章など)。

オーケストラの音色に注目すると、大阪フィルの各パートの音色は、どれをとっても華麗である。

比較的種類が少ない初期の交響曲においては、この音色がベートーヴェンの音楽美を引き出すのにプラスの作用をしている。

しかし4番以降、多くの楽器が重なるパッセージにおいては、旋律を受け持つ楽器の音色が不鮮明で、ベートーヴェンの特徴である各楽器がそれぞれに語りかけてくるような箇所では、旋律の説得力が弱められている。

さて、このDVDはライヴであるが、ライヴ収録には、指揮者の意図を忠実に実現したいという狙いを出せる反面、録り直しは利かないというリスクがあり、ここでは演奏者のスタミナの問題も小さくない。

朝比奈の遅めのテンポ、完全なリピート実施、生演奏という状況下で、演奏者は力を使い果たしてしまうのか、最後の盛り上がりに十分な力が出せていない。

7番終楽章のコーダには音抜けがあり、9番最後のプレスティッシモ以降のコーラスには疲れが目立つ。

これがもし指揮者の意図にそぐわないものならば、この部分の音を録り直した方がずっと良い演奏になったことだろう。

日本人の体位は近年向上しているが、まだまだ欧米人の域には達しておらず、特に息を使う管楽器や声楽の人にとって、このハンディは大きい。

また9番のような場合、1人や2人のスーパーマンを連れて来て解決する問題ではないのである。

最近では、バックアップ・テープで、ライヴの趣旨を損なうことなく音の部分修正ができる技術も進んできているので、企画段階からの音の録り直しについての配慮が必要だったように思われる。

以上、問題点ばかり書いたが、この全集の中には滋味溢れる好演が多く、特に1番、2番、5番は、ベスト・ワン級の名演奏であり、また、6番『田園』と7番もなかなか良い演奏である。

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2019年04月14日


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ジネット・ヌヴー(1919-49)の録音集は既にコンプリート・スタジオ録音4枚組がドキュメンツからリリースされているが、ヴェニアスによってライヴを含めた彼女の1938年から49年までの音源が、よりインテグラルな形で纏められた。

1935年のヴィエニャフスキ・コンクールで僅か15歳だったヌヴーが26歳のダヴィッド・オイストラフを抑えて優勝したエピソードは両者のキャリアが語られる時、必ずと言っていいほど引き合いに出されるが、実際にはこの2人の演奏スタイルはデュオニュソスとアポロンに喩えても良いほど異なっている。

少なくともこの時期のヌヴーは強い感性に導かれるままに演奏しているように思える。

それは天才だけが成し得る技には違いないのだけれど、一方でオイストラフはクラシックの将来の演奏様式を先取りするような個性の表出を避けた高踏的な解釈が特徴だ。

残念ながら彼女は円熟期を迎えることなく夭折したので、その後どのような演奏を開拓したかは知る由もない。

しかしここに示された作品にのめり込むような濃密な情念はヌヴー若き日ならではの奏法だ。

しかも彼女は、当時としても稀有な、音楽に対する烈しい情熱と深い洞察力、解釈を構成する夥しい精神と明晰な知性をそなえており、並外れた自発性と詩的感覚がそれを支えている。

このようなテンペラメントは確実な技巧と結びついて、スケールの大きい、力強い演奏を生み出した。

彼女がベートーヴェン、ブラームス、シベリウスの協奏曲で、戦前からの巨匠に伍して充実した演奏をしたのもそのためである。

中でもイッセルシュテット、北西ドイツ放送交響楽団のサポートによるブラームスは白眉で、何かに憑かれたような激しさが聴く者を圧倒する。

2年前のスタジオ録音も構成力と感情表現のバランスが見事であったが、それに比べてライヴ録音の緊張感が演奏にいっそうの輝きを与えていて、臨場感があり、高揚した精神が演奏の隅々まで行き渡っている。

その反面、第2楽章では旋律を優美に歌わせて優美な情感を引き出している。

それはあたかも短く燃え尽きる彼女の人生を予感しているようで感慨深い。

ドラティ、ハーグ・レジデンティ管弦楽団のサポートによるブラームスは、3種類ある彼女の録音の最後であるが、彼女の演奏がますます充実してゆくのがよくわかる。

ブラームスのロマンティシズムを健康な精神と結びつけた彼女の解釈は、この曲の理想的な演奏を生み出している。

ロスバウト、南西ドイツ放送交響楽団のサポートによるベートーヴェンでも、彼女の力強い個性は、雄渾な解釈で、この音楽にあらゆる面から迫っている。

第2楽章の優美な表情は、彼女の幅広い、そして深い感情移入を示している。

ジュスキント、フィルハーモニア管弦楽団のサポートによるシベリウスも素晴らしく、この曲のロマンティシズムを線の太い解釈で豊かに表現し、テクニックもしっかりとしており、現在もこの曲の代表的な演奏の1つである。

得意としたフランス近代音楽でも、彼女は決して感覚的な魅力を求めていない。

ここに収められたショーソン、ドビュッシー、ラヴェルの音楽は、豊かな感情を伴って聴き手に語りかける。

今日でも、30歳でヌヴーほどの存在感を持ったヴァイオリニストは思い当たらないし、彼女は、他のヴァイオリニストが40代、50代で到達する精神的な深さを獲得していた。

それだけに、遺された録音を聴くことは大きな幸福であり、それは常に畏敬と驚きを喚び起こす。

彼女の芸術は、彼女の性別・年齢を超えて訴えかけるし、また、大曲、小曲にかかわらず、彼女の演奏は充実していて、狄燭侶歃儔鉢瓩箸枠狃に対して使われる言葉である。

ヌヴーはモーツァルトのように短い生涯を駆け抜けたが、あるいは彼女の生涯を見越して天がこのような充実感と完成度を与えたのであろうか。

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2019年03月13日


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ブロムシュテットがシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者だった1975年から80年までに録音した、彼としては第1回目のベートーヴェン交響曲全集になる。

ちなみに第2回目は2014年から17年にかけて、やはりカペルマイスターを務めたゲヴァントハウスとの最新録音が注目されている。

彼はそれぞれのオーケストラの持ち味を活かすことも忘れない指揮者なので一概に両者の演奏を同列に並べて比較することはできない。

とは言え聴き比べて直ぐに気がつくのは、こちらの1回目の演奏の方が全体的なテンポが遅いことだ。

一般的に言って指揮者は、若い頃はエネルギッシュで速めのテンポを設定し、巨匠と言われるようになるとじっくり構えて聴かせどころにより時間を費やす演奏に変化するが、ブロムシュテットの場合はこれに当てはまらないというところに彼の非凡さが窺える。

ここでのプロムシュテットはまだ40代半ばでありながら、驚くべき感性の成熟と自信とに満ち溢れて、虚飾を排したベートーヴェン像を打ち立てている。

オーケストラは両者共に当時の東ドイツの名門だが、音色ではそれぞれ独自のカラーを持っていて、このふたつの音源に関して言えば、ドレスデンの方がよりカラフルに聞こえる。

いずれもブロムシュテット自身の個性を前面に出した解釈ではないが、このドレスデン盤ではダイナミズムにメリハリがあり、曲想が生き生きと再現されている。

それに対してゲヴァントハウスとの全集は緊張感は変わらないが、ヴィブラートを押さえたピリオド奏法を採用して比較的さっぱりした印象の中にベートーヴェンのスコアの緻密なテクスチュアを描き出している。

そのあたりに30年を経過したブロムシュテットの演奏スタイルの変化が表れているのは確かだ。

ドレスデンのルカ教会で収録された音源は当時としてはかなり良質で、オン・マイクでの採音なので臨場感に富んでいるし、教会の広い空間の音響も豊かだ。

肌理の細かさでは2回目のゲヴァントハウスでのディジタル録音に敵わないのは致し方ないとしても、将来高音質盤での復活があってもいいと思う。

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2019年02月27日


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クレモナ四重奏団が2012年から15年にかけてレコーディングしたベートーヴェンの弦楽四重奏曲16曲と『大フーガ』、それに弦楽五重奏曲ハ長調Op.29を8枚のハイブリッドSACDに纏めたセットで、これらは既に順次個別にリリースされていたものだ。

上に書いた見出しは、実は彼らがロンドンのウィグモア・ホールで行ったコンサートの時に『ザ・ストラド』誌評に書かれていた『古典的なフレーズを完璧に縫い取るモーツァルト、あたかもアルマーニのスーツのように』から剽窃したもので、クレモナ四重奏団の演奏の性質を言い得て妙な批評だ。

あくまでも古典芸術としての解釈が根底にありながら、ここにはすっかり現代人の感覚でリニューアルされたモダンで快活なベートーヴェン像が描かれている。

作品によって表情を見事に変え、優美な音色に加えて抜群の音程感で現代最高の呼び声高い四重奏団と言える。

アルバン・ベルク四重奏団の旧メンバー、ハット・バイエルレに師事しただけあって時には大胆でアグレッシブな表現も効果的だが、またイタリア人がDNAとして持っているカンタービレや音色に対する美学は俄然健在だ。

イタリアらしい明るく非常にクリアな発音が魅力の1つで、個々の音色が見事に溶け合った驚くべきアンサンブルを聴かせてくれる。

それは大先輩イタリア四重奏団の専売特許でもあったのだが、クレモナのメンバーはイタリア四重奏団のヴィオラ奏者だったピエロ・ファルッリやサルヴァトーレ・アッカルドの薫陶も受けている。

実際この演奏集に使われている楽器は総てグァルネリ、アマーティ、グァダニーニなどクレモナの名工が手掛けた歴史的名器とそのコピーで、ライナー・ノーツに作品ごとの使用楽器が明記されている。

尚弦楽五重奏曲ハ長調のみはヴィオラ・パートにエマーソン四重奏団のローレンス・ダットンをゲストに迎えている。

本全集では作品に合わせて使用楽器を変えているところにも注目で、音色の違いを楽しむこともできる。

第1ヴァイオリンのクリスティアーノ・グアルコが奏でる上記の名器の優美な音色は絶品の一言に尽きる。

また『大フーガ』の録音にて使用したヴィオラは1980年生まれのピエトロ・ガルジーニ制作によるものだ。

ガルジーニは若い頃からマウロ・スカルタベッリの工房で弦楽器作りに親しむようになり、その後、ルイジ・エルコレやガブリエーレ・ナターリに師事した若手職人である。

2008年3月には「フォルムと音楽:ヴァイオリンのメカニズム」と題した論文により、フィレンツェ大学建築学修士号を取得。

その後は修復や専門技術の分野で活躍し、特に過去の巨匠たちの傑作の複製の製造と、修復を仕事の2つの柱としているようだ。

名器と現代の新進気鋭の職人が制作した最新の優れた楽器も積極的に使用している。

現代の楽器も歴史的な楽器と同様に素晴らしいことを証明するかのような魂のこもった演奏を聴くことができる。

SACDで聴くと弦楽器の音質の鮮烈な解像度と臨場感に圧倒される。

定位が良く手に取るようにアンサンブルの醍醐味が味わえるし、またヴァイオリンの高音や擦弦音も耳障りでなく、おそらくベートーヴェンの同全曲盤では現在最も良い音質で鑑賞できるセットだろう。

イタリアではインターナショナルな水準に達したカルテットは少なく、かつてはイタリア四重奏団がその抒情性やカンタービレの美しさだけでなく、現代音楽を積極的に採り上げた殆んど唯一の存在だった。

演奏スタイルこそ異なっているが、幸いクレモナは彼らの成し遂げた業績を更新できるだけの実力を持っているものと信じる。

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2019年02月08日


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クラウディオ・アバドのベートーヴェン:交響曲全集はベルリン・フィルとの協演のCD、DVDが圧倒的に市場を占めていて、1987年から89年にかけて録音されたウィーン・フィルとの旧全集の方は隅に押しやられているのが実情だ。

しかしアバドのベートーヴェンの交響曲旧全集には、彼が振る以前のウィーン・フィルでは聴くことのできなかった明るく流麗で、しかも四肢を自由に広げたような奔放とも言える表現がある。

ウィーン・フィルの持つ音色の瑞々しさとしなやかさを溢れんばかりのカンタービレに託した柔軟な表現が特徴だ。

哲学的な深み云々よりも率直でストレートな、いわゆるイタリア的なアプローチを試みた演奏で、オーケストラもアバドの要求に良く応えているだけでなく、むしろ自分達の音楽としてそれを自発的に取り入れているのが聴き所だろう。

ウィーン・フィルの持ち味でもあるシックで瑞々しい響きを最大限に活かしながら、流れるようなカンタービレでベートーヴェンの新たな美学を描いてみせた秀演で、音楽の内部から湧き出るような歌心を表現することによって、滞ることのない奔流のような推進力がそれぞれの曲に生命感を吹き込んでいる。

ここではかつての名指揮者が執拗に繰り返した、ベートーヴェンの音楽の深刻さは影を潜め、どちらかと言えば楽天的な趣きさえ感じられるが、その華麗な演奏スタイルとスペクタクルなスケール感はアバドの身上とするところだろう。

それはかつての質実剛健で重厚なベートーヴェン像からすれば、意外なくらい明るく軽快な趣を持っているが、それがかえってスケールの大きさと柔軟なドラマ性の獲得に繋がっている。

また各曲の終楽章に聴かれるように豪快で喚起に漲ったスケールの大きい指揮ぶりはベルリン・フィルとの新録音に決して優るとも劣らない。

特に第3番『エロイカ』ではそうした彼の長所が遺憾なく発揮されている。

第2楽章の葬送行進曲では辛気臭さは全く感じられず、むしろ流暢なカンタービレの横溢が特徴的だ。

また終楽章での飛翔するようなオーケストラの躍動感とウィーン・フィル特有の練り上げられた音色の美しさが、決定的にこの大曲の性格を一新している。

曲中の随所で大活躍するウィンナ・ホルンの特有の渋みを含んだ味のある響きとそのアンサンブルは他のオーケストラでは聴くことができない。

尚カップリングされた序曲集も作曲家の音楽性を瑞々しく歌い上げた、しかも威風堂々たる演奏が秀逸だ。

音質は極めて良好で、録音会場となったムジークフェライン・グローサーザールの潤沢な残響が特徴的だし、低音の伸びが良く、各楽器ごとの独立性が高いことも評価できる。

クラウディオ・アバドはウィーン・シュターツオーパーの音楽監督への就任前夜からウィーン・フィルとベートーヴェンの作品を集中的にドイツ・グラモフォンに録音している。

カップリングはライヴの交響曲を中心に、余白を序曲等で満たした6枚の個別のCDとそれらをまとめたセット物もリリースされた。

彼はその後ベルリン・フィルと映像付の再録音を果たし、現在ではそちらの方が良く知られているし、先頃出された41枚組の箱物『ザ・シンフォニー・エディション』でも第2回目の全集がリイシューされているが、ウィーン・フィルとの旧全集の復活はアバド・ファンには朗報に違いない。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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