トスカニーニ

2016年11月17日


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プラガ・ディジタルスのハイブリッドSACDシリーズでは初のトスカニーニ演奏集で、メンデルスゾーンの交響曲第4番《イタリア》及び第5番《宗教改革》とワーグナーの《パルジファル》から第1幕への前奏曲、「聖金曜日の音楽」の4曲が収録されている。

オーケストラはメンデルスゾーンの2曲の交響曲がNBC交響楽団で、これは日本では既にXRCDとしてリリースされた音源になる。

ライナー・ノーツによれば第4番は1954年2月28日のカーネギー・ホール・ライヴと26日及び27日のリハーサルからリミックスしたマスターのようだ。

第5番はその前年1953年12月13日の同ホールでのライヴでいずれもモノラル録音だが、臨場感に溢れた良好なサウンドにSACD化によってさらに高音部の潤いと艶やかさが加わっている。

むろん、もっと新しいレコーディングで聴きたいという人は多いだろうが、トスカニーニという往年の名指揮者の実力を知る意味においても、これは1,2を争うものになるはずだ。

一方ワーグナーは1935年6月5日ロンドン・クィーンズ・ホールでのライヴでロンドン交響楽団との協演になる。

音質はやや劣るが時代相応以上で鑑賞に充分堪えられる破綻のない音源である。

ナチによって一時は抹殺された状況にさえおかれたことがあるメンデルスゾーンの音楽は、歴史的に不幸な状態におかれたばかりでなく、その明快さや幸福感を理由に、現在でも不当にその真価が否定されているところもある。

そうした中で、トスカニーニとNBC交響楽団によるこの1枚は、かつては頂点の評価さえ得ていた《イタリア》交響曲ばかりでなく、ポピュラリティにおいてはるかに劣る《宗教改革》においてすら、その音楽の真価を再認識させてくれる。

交響曲第4番イ長調《イタリア》は、トスカニーニの素晴らしさが凝縮された名演で、颯爽として走り抜けるような躍動感と輝かしい歌の魅力はたとえようもなく、彼のラテン気質の音楽性が良く表れている。

ドイツ人であるメンデルスゾーンの手になる《イタリア》に対し、イタリア人のトスカニーニは異を唱えたい部分もあったようだが、《イタリア》とあっては一段とやる気も触発されたようで、一点たりとも曖昧さを残さない完成度の高い演奏で作品の魅力を余すところなく引き出している。

それは第1楽章冒頭の弾け飛ぶピツィカートから明らかで、瞬時に異次元の旅へと聴き手を誘うマジックであり、再現者としての使命感、責任感を音に聴かせた熱演と言えようか。

古典的形式をくっきりと保ちながら、優雅なリリスズムや、またスケルツォ的な性格をすっきりした線やリズムで何の付加物もなく、すぱっと表した行き方は、《イタリア》の特徴をすべて尽くしたものである。

音楽の勢いと緊張力、生きたリズム、完璧なまでに結晶化したアンサンブルと響き、それらを駆使した灼熱の迫力はほんの僅かな隙もなく、しかも弦のメロディはめくるめくばかりの艶やかさを持って歌いぬかれるのである。

第2楽章の軽快かつ流麗なリリシズム、それに続く優雅だが起承転結をわきまえた可憐なメヌエット等が魅力的だ。

終楽章「タランテッラ」の何という逞しさ!遅めのテンポからリズムが地の底まで届けとばかり刻み込まれ、各声部の動きの美しさは他に比較するものとてなく、ついにティンパニがスコア指定のトレモロではなく、コントラバスと同じ音型を激しく強打するクライマックスに到達するのだ。

このティンパニはトスカニーニの加筆版らしいが、作曲家自身が聴いたら卒倒するくらいの連打を加えた熱狂的なサウンドは、メンデルスゾーンらしいか否かはこの際問わないこととして、如何にも彼らしい表現と言えないだろうか。

第5番ニ短調《宗教改革》も圧倒的な名演で、さらにオーケストラの表現力が傑出、ドラマティックだが屈託がなく、クリーンなメロディー・ラインを浮かび上がらせた手法にトスカニーニの面目躍如たるものがある。

その明晰さ、歌のしなやかな流動感、立体的な構築は、この作品の求めるすべてを具現しており、この演奏を聴くことで作品の真価を改めて知らされることになろう。

第4楽章のコラールの旋律が現われてからの盛り上げ方はさながらオペラのフィナーレを聴いているような印象を受けるし、終楽章に聴く壮麗なるエンディングが見事で、トスカニーニの怖さすら知らしめる。

緊張感に満ちた古典的とも言える構成感をみせながら、明快なテンポとリズムとをもって、それらは実に美しく輝かしい歌を聴かせているが、特にその風格の高さは無比のものがあり、荘重な趣を力強く表現して、宗教的素材をもって壮麗な記念祭の歓喜を示した立派な演奏である。

最後のワーグナーは余白を埋めるために収録したと思われるが、溢れんばかりの光彩の中に神々しさを湛えた超一流の美しい表現であることには違いない。

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2016年10月18日


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この演奏は1951年1月27日にニューヨークのカーネギー・ホールで録音されて以来リリースを重ねている名盤のひとつだが、欧米でも当時ステレオLP盤を実現していたレコード・メーカーはまだ一社もなく、基本的にはモノラル録音なのだが、SP時代の録音は原盤が脆かったために時にはマイクを2本を立てて複数のマスターが作られることがあったという。

そうすると同一の演奏でもマイクの定位置が異なるため僅かに異なるマスターが出来る。

それらを技術的に合成するとステレオ的な広がりが得られるのだそうだ。

例えばストコフスキーの『動物の謝肉祭』、『春の祭典』(1929年)やエルガーの自作自演による『コケイン』(1933年)等で同演奏で別位置のマスターが見つかっており、それらを合成した音源がPristine ClassicalやNaxosから発売されているが、いずれもとても1920〜30年代とは思えないほど素晴らしい音質である。

そしてこのトスカニーニのヴェルディもライヴの録音の際マイクが複数立てられており、それらをひとつに重ねたものが本盤。

このコンサート当日には左右に1セットずつの異なった録音機材が設置されていたことから、双方の音源をリミックスして強引にステレオCD化したもののようだ。

しかし音場を拡げるだけの擬似ステレオとは違って、まがりなりにも左右が独立した2トラック録音のステレオ効果が得られているのが特徴で、実際鑑賞してみると初期のステレオ・ライヴに匹敵するくらい巧く合成されている。

ただし60年以上も前の音源なのでふたつのテープの間に時間的齟齬が生じるのは当然で、そうした部分については修正されている。

いずれにしても演奏が素晴らしく、また音質自体も悪くないので一聴に値するCDとしてトスカニーニ・ファンのみならず、ヴェルディの音楽を愛する人にとっても歴史的なライヴであるに違いない。

4人のソリストのうち3人がイタリア人で、中でもテノールのディ・ステファノとバスのシエピはシュヴァルツコップとドミンゲスが加わる1954年のデ・サーバタ指揮、ミラノ・スカラ座とのセッションでも名演奏を遺した『ヴェルレク』のスペシャリストだ。

ディ・ステファノのオペラティックで明るい高音が冴える「インジェミスコ」やシエピの深々としたカンタービレには他の歌手では得難い魅力がある。

ヴェルディのレクイエムはイタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニ追悼のために作曲された。

ヴェルディの対位法のテクニックが駆使されていると同時に声の威力が極限まで引き出されていて、一般に理解される宗教曲という概念には収まらない、殆んど1曲のオペラの様相を呈している。

4人のソロと大規模なオーケストラ、コーラスが咽び泣き、咆哮する音楽はしめやかな教会の内部より、劇場空間でこそ圧倒的な効果を上げることができるし、イタリア・オペラを熟知したトスカニーニがひとつの理想的な演奏を遺してくれたと言えるだろう。

トスカニーニが残した素晴らしい演奏の中でもとりわけ名高いこの演奏が純正では無いものの、ステレオで聴けるのは本当に僥倖だ。

なお、Memories盤では全くといっていいほど触れられていないが、このトスカニーニの偶発ステレオの経緯はPristine Classicalのサイトに詳しい。

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2015年04月25日


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オーパス蔵が良質のLPから見事な復刻を行った本盤は、トスカニーニの指揮芸術を良好な音質で満喫することができる1枚である。

かつて、トスカニーニは、快速のインテンポによる指揮者というイメージがあったが、それは、過去に発売された多くのLPやCDのデッドで劣悪な音質によるところが大きい。

最近では、復刻CDやXRCD化などにより高音質化が図られ、歪められたトスカニーニ像が正されつつあるのは朗報と言うべきであろう。

本盤も、オーパス蔵による見事な復刻によって、トスカニーニの至芸を十分に満足し得る音質で味わうことができるようになったことが素晴らしい。

どの曲も、決してインテンポではなく、曲想を巧みに描き分けるための緩急自在のテンポ設定を行うことにより、聴かせどころのツボをしっかりと押さえている。

加えて、トスカニーニならではの濃厚なカンタービレが随所に現れ、徹底的に鍛え抜かれたNBC交響楽団の名人芸も卓越している。

本盤に収められたいずれの曲もトスカニーニの類稀な指揮芸術の至芸を味わえる超名演揃いであると高く評価したい。

メインのシューマンの「第3」は、表題の「ライン」を意識した演奏ではなく、いわゆる音のドラマとしての交響曲を念頭に置いた演奏であるが、オーパス蔵による見事な復刻によって、スコア一辺倒の冷たい音楽ではなく、血も涙もある名演に仕上がっている。

全体の印象は、あたかも南国イタリアの青空の下にあるようで、随所にトスカニーニ一流のカンタービレが、いささかも品性を失うことなく効果的にちりばめられている。

テンポも随所において変化をさせており、トスカニーニ=インテンポという見解を覆すのに十分な卓抜さだ。

ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲は、更に名演で、これはイタリアの陽光に照らされたフランス音楽だ。

詩情がいのちのラヴェルだが、トスカニーニは委細構わずに進む。

とにかく美しさが徒事ではなく、この色彩の洪水と凄絶なフォルテと音楽の前進性は素晴らしいの一語に尽きる。

オーケストラの統率力は抜群で、どんなに楽器が増え、最強奏してもごちゃつくところはいっさいない。

シューマンと同様に、情景描写よりも音のドラマを意識した演奏を行っているが、にもかかわらず、ラヴェルの巧みなオーケストレーションを余すことなく完璧に描き出し、結果として、同曲に込められた情景が眼前に浮かび上がってくるという離れ業を成し遂げている。

これは、巨匠トスカニーニだけが成し得た至高の指揮芸術と言えるだろう。

それにしても1949年の録音というのが信じられないくらい音質が良い。

そして、圧巻は超名演として知られるレスピーギの「ローマの祭り」。

冒頭から終結部まで、誰にも止めることができない勢いと張り詰めるような緊張、オーケストラの驚異的なアンサンブル、そして切れば血が吹き出てくるような圧倒的な生命力が全体を支配しており、それでいて、10月祭の官能的とも言うべきカンタービレの歌い方も実に感動的だ。

特に、主顕祭のもはや人間業とは思えないようなド迫力には、評価する言葉すら思いつかないくらい、完全にノックアウトされてしまった。

これについては、数年前にXRCD化され、当該盤こそが決定盤と考えていたが、オーパス蔵による復刻は、特に重低音の再現において著しい成果をあげており、これだけでも一聴の価値があると思う。

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2015年01月16日


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1954年4月4日 カーネギーホール、ニューヨークに於けるステレオ/ライヴ録音。

トスカニーニのワーグナーとしては、他にもっと状態のいい演奏はあるが、本盤は次の2点で大いに価値のある名盤ということが出来るだろう。

その第1は、トスカニーニにとって2点しかない稀少なステレオ録音であること、第2は、トスカニーニによる最後のコンサートの記録ということだ。

ステレオ録音という点については、さすがに臨場感が違う。

先般には、この演奏の数年前に演奏されたワーグナーの管弦楽曲集のXRCDが発売されたが、全く問題にならない。

もちろん、本盤においても、録音の古さから微妙な音割れなども散見されるが、衰えは見られるものの随所にこれぞトスカニーニならではの本物のカンタービレを満喫できるのは、まさに本盤がステレオ録音であるが故と言えるであろう。

トスカニーニの最後の録音という点については、確かに、統率力に綻びが見られるのは否めない事実だろう。

山崎浩太郎氏の解説はいつもながら明快かつ詳細で、ある意味で色々な伝説や憶測、噂、伝聞で様々に(好き勝手に)語られているこのコンサートの周辺と実情を的確にリポートされている。

しかしながら、山崎氏による懇切丁寧なライナー・ノーツによれば、「タンホイザー」の序曲とバッカナールの中途で指揮が止まったということであるが、それでもオーケストラによる演奏が滞りなく続けられたのは、巨匠ならではのオーラによるものと言えるのではないだろうか。

「タンホイザー」の中断、そして「ホール全体が恐ろしい沈黙に包まれた…云々」も誤情報だったようだ。

したがって、いくつかの瑕疵は散見されるものの、決してトスカニーニの勇名を陥れるような駄演には決してなっておらず、むしろ、トスカニーニと手兵であるNBC交響楽団の強固な絆を感じさせる演奏として高く評価したい。

なお、リハーサル風景も収められているが、トスカニーニのリハーサルの厳しさを認識させてくれるものとして貴重な記録であると言えよう。

録音は、復刻のノイズの無さと正確な音質に定評がある名人、中山実氏の復刻音である。

モノーラル・イメージが強烈なトスカニーニだが、広がる大音響に驚きで音そのものは、きつさの無い自然な音質である。

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2015年01月12日


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これは言わずと知れた有名な名盤で、昔からトスカニーニの代表作と言われていた歴史的な名演であるが、これまで発売されたCDは、録音年代が古いモノラル録音というハンディもあるが、K2カッティング盤も含め、決して満足できる音質とは言えなかった。

それ故に、本盤登場以前は、ムーティ盤や、最新のパッパーノ盤などにどうしても食指が動いていたが、XRCD盤が発売されるに及んで、他の演奏は、殆ど太陽の前の星のように、その存在が霞んでしまった。

それほどまでに、今般のXRCD盤は、実在感溢れる衝撃的な音質であり、あらためて、この歴史的名演の凄さを再認識することに繋がったと言える。

原テープのクオリティの素晴らしさもさることながら、XRCD化により、トスカニーニ率いるNBC交響楽団が誇っていた、目も覚めるような色彩感と傑出したヴィルトゥオジティが空前の華やかさと繊細さをもって見事に蘇っている。

イタリアの血が燃焼し尽くしたかのような迫力に満ちたストレートな表現は、トスカニーニを象徴する独特のものだ。

『ローマの松』の「ボルゲーゼ荘の松」からして、そのメリハリの利いた凄まじい迫力に圧倒されてしまう。

「カタコンブ附近の松」の地下から響いてくるような重厚さも見事であるし、「ジャ二コロの松」の弦楽器の何という艶やかさ。

「アッピア街道の松」はまさに精鋭を率いるトスカニーニ将軍といった趣きの貫録を見せる。

『ローマの噴水』は、特に、「朝のトリトンの噴水」と「真昼のトレヴィの噴水」の光彩陸離たるブリリアントな音の響きに、殆ど幻惑されてしまうようなまばゆいばかりの魅力がある。

そして、圧巻は『ローマの祭り』で、スコアのあらゆる音が完璧に響ききった生命感は、他の追随を許さない。

冒頭から終結部まで、誰にも止めることができない勢いと張り詰めるような緊張、オーケストラの驚異的なアンサンブル、そして切れば血が吹き出てくるような圧倒的な生命力が全体を支配しており、それでいて、「10月祭」の官能的とも言うべきカンタービレの歌い方も実に感動的だ。

特に、「主顕祭」のもはや人間業とは思えないようなド迫力には、評価する言葉すら思いつかないくらい、完全にノックアウトされてしまった。

レスピーギとトスカニーニに親交があり、お互いに共感し得る物があった事、NBC交響楽団がアクロバットに近い演奏を成功させた事、モノラルとはいえ当時のエンジニアが機械の性能を限界まで追求した事により成し得た偉業である。

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2014年10月05日


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本盤に収められたメンデルスゾーンの交響曲第4番&第5番は、トスカニーニ&NBC交響楽団による数多くの録音の中でも、レスピーギのローマ三部作と並んでトップの座に君臨する名演と言える。

とりわけ交響曲第4番については、様々な指揮者による同曲のあらゆる演奏に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

トスカニーニの演奏にはある種の誤解がなされていると言えるのではないだろうか。

その誤解とは、トスカニーニは一切の情緒を差し挟まむことなく、快速のインテンポで素っ気ない演奏をする指揮者であるということだ。

しかしながら、本盤も含め、杉本一家氏がリマスタリングを行ったXRCDシリーズを聴くと、それがとんでもない誤解であることがよく理解できるところである。

かかる誤解は、以前に発売されていたCDの、きわめて劣悪でデッドな音質に起因するのではないかとも考えられるところだ。

それにしても、本盤のようなXRCDによる極上の高音質録音で聴くと、トスカニーニが臨機応変にテンポ設定を行ったり、豊かな情感にもいささかも不足をしていないことがよくわかる。

それにしても、特にこの第4番の演奏には凄まじいものがある。

演奏全体に漲っている気迫と力強い生命力は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っている。

とりわけ、終楽章の終結部に向けての畳み掛けていくような力強さは灼熱のような燃焼度を誇っており、聴いていて手に汗を握るほどだ。

また、第2楽章などを中心として随所に聴くことが可能な極上のカンタービレは美しさの極みであり、抗し難い魅力に満ち溢れている。

いずれにしても、本演奏にはトスカニーニの芸術のすべてが表現し尽くされていると言えるところであり、今般のXRCD化によってはじめて本演奏の真価のベールを脱いだと言っても過言ではあるまい。

他方、交響曲第5番も名演であるが、第4番のようにトスカニーニの演奏が随一とは言い難い面がある。

しかしながら、第1楽章における圧倒的な高揚感、終楽章における悠揚迫らぬテンポによるスケールの雄大な音楽は、これまでの「快速のインテンポ指揮者トスカニーニ」との誤解を打ち破るのに十分な圧倒的な壮麗さと威容を誇っていると高く評価したい。

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2014年06月08日


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全世界初出(1948年録音)。

トスカニーニのヴェルディ「レクイエム」と言えば、名盤中の名盤で複数の録音が知られているが、存在は知られていながら初出となる当盤もファン垂涎と言えよう。

エネルギッシュな指揮ぶり、唸り声をあげる巨匠、そして渾身のアンサンブルでトスカニーニの要求に応えるNBC響、まさに眼前に繰り広げられるかのような超名演である。

アバドのスカラ座盤がラファエロやフラ・アンジェリコの華麗な色合いで聴き手にやさしく接してきたとすれば、こちらはミケランジェロの覇気に満ちた剛毅なスケールで圧倒する。

合唱もオケも独唱も、トスカニーニに金縛りに合ったような緊張感にみなぎり、全員が持てる力を最後の一滴まで出し切る白熱的な気迫を見せる。

金属的な強靭さと輝きに満ち、人間の力の限界を超えようと死と対決して、力づくでねじ伏せようとするさまは、宗教音楽を超えたドラマティックな感動があり、他の追随を許さず、まさにトスカニーニの独壇場と言う他はない。

ヴェルディが世を去った時、トスカニーニはすでに30代の前半にあったし、指揮者としても約15年のキャリアをもっていた。

スカラ座での当時の名歌手たちを連ねた追悼演奏会を指揮したのも彼だった。

これは、まさに作曲家の化身ともなったトスカニーニの畢生の名演のひとつといっても過言ではない。

ボイトがヴェルディについて述べた言葉「音楽こそ彼の宗教に他ならない」は、そのままトスカニーニにも言えるものだ。

「テ・デウム」も、トスカニーニの統率は、いささかの弛緩も軟化もなく、豊かな幻想と劇場的な広がりに満ち溢れている。

曲の雄渾な構想とユニークな書法が、燦然と輝き、そこに内包された無限のファンタジーが雄大に展開を見せるのである。

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トスカニーニとBBC交響楽団の数少ない共演は、ベートーヴェン作品の中では珍しく、各楽章に標題が付された「田園」。

トスカニーニの明快で輝かしい表現は、同時にこれ以上ないカンティレーナのみずみずしさにも充ち溢れている他、各場面の意味と魅力を明確にクローズ・アップさせた演奏設計の旨味にも比類なきものを示している。

曲の持つ、描写的音楽としてのドラマトゥルギー的要素と、交響曲としての古典的構成要素のバランスが秀逸なトスカニーニは、ベートーヴェン自身の述べた「絵画というよりも感情の表現に重きを置いた」という意図を体現することに成功している。

とりわけ第3楽章からフィナーレにいたる一連の流れは、過剰な感情表出を抑えつつも、絶妙なクライマックスを構築。

いわゆるドイツ的な演奏とはその本質を異にするが、結果的に作品のイデアに最も肉迫し得た内容と考えてよいだろう。

トスカニーニのもっとも脂の乗り切っていた時期の音源として、歴史的に意義深い録音としても重要な位置を占めるであろう。

「悲劇的序曲」は、緊張感みなぎる、引き締まった厳しい造形だ。

BBC響の音色は明晰で、ドイツ的な重い暗い響きではないが、その強靭な響きから聴こえてくるのはまぎれもないブラームスである。

精神主義に寄りかからず、スコアに書いてある音そのものにドラマを語らせるところがあり、当時からするとそのショックは如何ばかりであったろうと思う。

速いテンポのなかにも無駄のない、完成された表現である。

「魔笛」序曲は、テンポがかなり速く、この演奏にメルヘン的イメージを期待すると肩透かしを食らってしまう。

しかし、先入観を持たずに聴けば、これは近代的な感覚を持ったフレッシュな演奏であると感じられる。

何よりリズムの斬れが良く、音楽がはじけるように生き生きとしている。

コンサート・ピースとして完成された表現を目指したものであろうが、トスカニーニのスタイルとして徹底しており、そこに微塵の迷いも感じられない。

BBC交響楽団というオケは実に素晴らしく、後年のNBC響との演奏に優るとも劣らない。

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2014年06月07日


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この熱気あふれるヴェルディを聴けば、トスカニーニを新即物主義の化身と見なす評価がいかに的外れなものかがわかるだろう。

魂の底から湧き上がるカンタービレや緩急自在に揺れ動くテンポなど、オペラ全盛期に生を受けた巨匠ならではの至芸が堪能できる逸品。

「リゴレット」は、NBC交響楽団を指揮したライヴ録音で、コンサート形式といっても第4幕だけで、これも本来は全3幕なのを3幕後半だけ切り離して4幕構成にしたバージョンだとか。

だから30分くらいしかないが、でも聴き応えは十分で、ともかく、これは素晴らしい。

音もかなりよくて、歌に関してはほとんどステレオ並みに楽しめる。

中でも公爵のスケベな歌、〈女心は雲のように…〉、ここなんかちょっと甲高い、やや軽薄な感じで歌ってるので、いかにも好色漢のお気楽な歌という感じがする。

ドミンゴが歌ったのもあるけど、ドミンゴだとちょっと声があまりに清らかな感じがして、軽薄さが出てないと思う。

それとジルダがスパラフチーレ、マッダレーナの殺しの話を聞く場面。

ここもゾクゾクするほど弦を磨き上げていて、気持ちがいいほど緊張感を盛り上げてくれる。

NBC響の合奏力で聴く者を圧倒してしまって、「どうだ」と言う感じだ。

歌手たちの息もピッタリで、巨匠の前ではずすなんてとんでもないという雰囲気。

そして最後の場面、娘が身代わりになったと気づいて「おお…ジルダ…」とリゴレットが嘆くところ、ウォーレンの歌も心がこもっている。

いかにも慈愛に満ちた父親の感じがして、グッと悲劇的な感情が高まって、歌手の迫真の演技に息を飲む…、それから管弦楽が一挙に大音量になって壮絶に終わる。

オーパス蔵の復刻も成功している。

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このCDの録音は、カーネギーホールでそれぞれ行われた、トスカニーニの最晩年の83歳と86歳の時の録音である。

いずれも80歳を超えた人の指揮ぶりとは全く思えないくらい、気迫に富んだ、乾坤一擲の力演を聴かせる。

「未完成」の方は、いつものトスカニーニ節が幾分なりを潜め、ナイーブで温かみのある印象がして、聴いていて何か救われる気がして、トスカニーニにもこういう一面もあるのだということが分かる。

しかし、その核心はトスカニーニらしい一本筋が入っており、結果としてトスカニーニしか成しえない「未完成」が形づくられる。

この演奏は数ある「未完成」の録音の中でも傑出した1枚には違いあるまい。

一方、「ザ・グレイト」はいつものトスカニーニ節炸裂といった感じで、全曲緊張感に包まれ、一分の隙もないような演奏を聴かせる。

これが86歳のときの指揮とは恐れ入るとしか言いようがない。

トスカニーニの指揮ぶりは、フルトヴェングラーとは正反対に、あらゆる場面を明確に、メリハリを効かせて演奏するのが特質だ。

そのためオーケストラに対しては、常に最高の技術力を求め、妥協は一切しなかったようだ。

この「ザ・グレイト」の録音は、そんなトスカニーニの指揮の特徴が集約されている。

このときまでにトスカニーニは何回も「ザ・グレイト」の指揮をしてきたはずだが、このCDの録音が凄いのは、初めてこの曲を指揮をするような緊張感が漂っていることだ。

トスカニーニが素晴らしいのは、現在の指揮者にも営々とその影響が引き継がれていることだ。

フルトヴェングラーは“神様”であっても、結果として一代で完結してしまった。

誰も“神様”の真似などはしないし、しようとしても出来ないのだ。

これに対しトスカニーニに指揮には、現代人の我々にも通じる何かが残されている。

例えば、フリッツ・ライナー、シャルル・ミュンシュ、ジョージ・セル、ゲオルク・ショルティなどにトスカニーニの遺産は引き継がれ、さらに、カラヤン、バーンスタインそして我らがマエストロ小澤征爾などにバトンタッチされている。

また、現在第一線で活躍するノリントン、ラトルらにも多かれ少なかれ影響を与えているのである。

ただ、残念なことにトスカニーニのCDは録音の質が良くないことだ。

オーケストラの音の響きの豊かさがまったくといっていいほど伝わってこないのだ。

だから、トスカニーニのCDは、トスカニーニに興味がある人か、指揮の特徴に興味がある人しか推薦できない。

フルトヴェングラーさえ豊かな音響をとらえた録音が残されているのにだ。

筆者は、トスカニーニに質のよい録音が残されていたら、現在においてもフルトヴェングラーの人気を凌駕していたのではとさえ思う。

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2014年06月06日


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アニア・ドルフマンはトスカニーニの指揮で共演した最初の秀れたロシアの女流ピアニストであった。

ドルフマンはロシア出身のピアニストだが、イシドール・フィリップの薫陶を受けた彼女のテクニックは鉄壁の出来栄えを誇る。

1932年渡米して、その年トスカニーニと共演して絶賛を博し、世界一流のピアニストとしてその名声を高めた。

その後、主にアメリカで活躍し、トスカニーニともしばしば共演していた。

ソリストの選択には厳しかったトスカニーニが常に喜んで共演していた女流ドルフマンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番は、お互いの音楽性を損なうことなく、作品の本質へ迫った求心的な演奏を聴くことができる。

ドルフマンは女流ピアニストではあるが、前述のようにその技巧は素晴らしく、特に低音の響きは力強くたくましい。

一方、女性特有の柔和なタッチによる優美さも兼ね備えており、この2つの特徴を彼女は十二分に把握し、それらを巧みに演奏に反映させ、曲を仕上げていくようである。

メリハリの効いたトスカニーニの伴奏は、ドルフマンの推進力をさらに強くさせており、とてもわくわくする演奏に仕上がっている。

「エグモント」序曲のは、録音は悪いものの、触れば火傷しそうなほどの熱気、気迫に満ちた素晴らしい演奏。

しかしながら、「熱さ」一辺倒ではなくコーダ直前での悲しみの表現も印象に残る。

トスカニーニが編曲した弦楽四重奏曲第16番は、トスカニーニが弦セクションのトレーニングのために選んだ曲だと思うが、第3楽章は遅めのテンポで旋律を慈しむように柔らかく歌い上げ、各奏者が互いの音を聴きながら響きを慎重に練り上げていく過程がよく分かる気がする。

ここでは旋律をストレートに歌うトスカニーニのイメージがあまり見えてこないのが面白いところだ。

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演奏は音質はともかく、この「マイスタージンガー」を聴いてこれがトスカニーニと想像できる人は少ないであろう。

まずテンポがゆったりしていて、トスカニーニのテンポは速いという定説をくつがえすものである。

もっともワーグナーに関してはトスカニーニは全般に遅めのテンポであったらしい。

バイロイト音楽祭における「パルジファル」で最も長い時間の演奏はトスカニーニであると読んだ記憶がある。

この「マイスタージンガー」がトスカニーニらしくないのは彼特有の整然とした時の刻みが聴かれないのが大きな原因である。

特にホルンなどが昔風の野太い音を張り上げ、リズムも間延びしている。

この時代のホルンの技術がこの程度でそれ以上の要求は無理であったのか、トスカニーニが伝統的様式を敢えて尊重しているのかはわからない。

歌手も今日的なレベルから言えば、音程が不正確でやはりリズムが間延びすることが少なくない。

一方、現代のワーグナー歌手の歌い方はオーケストラの整然とした流れの中に組み込まれ、ひとつの言葉やモチーフに感情を込めた方式は希薄になっている。

この「マイスタージンガー」の歌手の歌い方はまさに後者に属するものであるし、この時代の様式に合致するものである。

ちなみに現代ワーグナー演奏様式を打ち立てたひとりはカラヤンであろう。

この事情は1967年、ザルツブルク復活祭音楽祭における「ワルキューレ」の公演に関する記録で知ることができる。

話は戻るが、トスカニーニは1937年の公演では伝統的様式に従っていると言える。

トスカニーニはヨーロッパの伝統的様式の改革者として登場し、華々しい成功を収め、20世紀の音楽史に大きな影響を与えた人のはずである。

この事情はオットー・シュトラッサーの著書にもかなり詳しく書かれており、非常に興味深いものがある。

この「マイスタージンガー」はトスカニーニの信条に反するものかも知れない。

これはあくまで想像であるが、トスカニーニは常に自分の主張を通すのではなく、時と場合により柔軟な対応ができる人であったのではないかと思う。

特にワーグナーに関しては遅いテンポを採用したことからも、トスカニーニ自身がワーグナーを聖域と考え、むしろ伝統的様式を楽しんでいたのかも知れない。

そんな勝手な想像をしてしまうくらいこの「マイスタージンガー」の演奏は意外であり、また興味深いものである。

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本CDのメインは、1957年2月3日、カーネギー・ホールで行われたトスカニーニ追悼コンサートのライヴ録音。

トスカニーニの手兵NBC交響楽団はトスカニーニ引退後にシンフォニー・オブ・ジ・エアと改組し、指揮者を置かずに独自の活動を暫くは続けた。

ワルターの「エロイカ」のみ知られていたトスカニーニ追悼演奏会だが、何とミュンシュ、モントゥーもシンフォニー・オブ・ジ・エアの指揮台に立っていたのである。

いずれもトスカニーニが得意とした曲であり、この3巨匠はNBC響ともお馴染みだっただけにいずれも見事な演奏である。

ブルーノ・ワルターの指揮によるベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ」、シャルル・ミュンシュよるドビュッシーの「海」、ピエール・モントゥーによるエルガーの「エニグマ変奏曲」、オーケストラは「トスカニーニのオーケストラ」NBC交響楽団のメンバーが中心となった、シンフォニー・オブ・ジ・エア。

最初のブルーノ・ワルターの「エロイカ」は、既に過去のレビューでも紹介したとおり良く知られた名演。

緊迫感のある、激しい演奏で、最後まで一気に惹き付けるが、素晴らしいカンタービレを聴かせる第2楽章がとりわけ見事。

オーケストラがやはり素晴らしく、圧倒的な技巧の冴えと、サウンドの美しさは、溜息が出るほどだ。

ミュンシュの「海」とモントゥーの「エニグマ変奏曲」も、両者の十八番であって、当然素晴らしい演奏。

録音は時代相応であるが、演奏のすばらしさを堪能する程度には修復が入っており、十分楽しめる。

因みに、本CDは2枚組、ボーナストラックにはトスカニーニ引退後解散されたNBC交響楽団のメンバーが、解雇に抗議して自主団体としてシンフォニー・オブ・ジ・エアを立ち上げた際、リリースしたレコード録音の抜粋。

こちらはステレオ録音で、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」組曲、ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」、ワーグナーの「マイスタージンガー前奏曲」。

トスカニーニに敬意を払って、指揮者なしで演奏されたもの(コンサート・マスターのダニエル・ギレーが合図を送ったとの由)。

こちらは、やはり演奏としては取り立てて言うべき程のものがないが、見事なサウンドでオーケストラの優秀さは十分堪能できる。

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2014年06月05日


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ミュージック&アーツから復刻リリースされたトスカニーニのベートーヴェン「第9」のライヴ盤。

収録されているのは1941年7月24日におけるブエノスアイレスのコロン歌劇場でのライヴであるが、これは「トスカニーニの1941年ブエノスアイレス・ライヴ」として、クラシック・ファンの間ではかなり有名な演奏である。

これまでにもアリオーソなど、一部のヒストリカル・レーベルからリリースされたこともあるが、それらは入手が難しくて、実際に聴くのはこのミュージック&アーツ盤が初めてである。

もっとも、音質的には良好とはちょっと言い難く、アナログ・テープ再生時独特のノイズ・レベルがかなり高いし、音場もこもり気味で、録音年代を考慮しても音質水準はそれほど高くはないようである。

しかし、その音質から伝わってくるアンサンブルの燃焼力、そして演奏自体の張り詰めた緊迫感がただごとでなく、例えばフルトヴェングラーのバイロイトの「第9」のように、音質を超えて伝わってくる強度のリアリティに、聴いていて圧倒させられる。

一聴すると、まず第1楽章冒頭の強奏部から凄まじいティンパニの強打に驚かされるし、その後の不気味なほどのうねりが圧倒的である。

たとえば展開部(4:46)での爆発的な強奏といい、(5:55)での度を越したティンパニの激打といい、トスカニーニの流儀による推進性みなぎる音楽の流れの中から、恐ろしいほどのダイナミクスが常に充溢しているし、再現部からコーダにかけてのテンションの高さも、常軌を逸したような凄味に満ちていて圧倒させられるものである。

他の楽章も同様だが、第2楽章は第1楽章より音質が一段鮮明で、演奏の迫力感は殆ど常軌を逸している。

逆に終楽章は相対的に音質が落ち、局面によってはやや聴き苦しい。

そのためか否か、トスカニーニの指揮も前半2楽章ほどの凄味には欠けるようにも思える。

それでもアンサンブルのものすごい燃焼力はジリジリ伝わってきて、やはりこれは並の演奏ではないという印象は、最後まで揺るぎなかった。

オケは南米ブエノス・アイレスのテアトル・コロン・オーケストラ(ケルン歌劇場のオーケストラ)で、弱いセクションを(特に木管楽器を中心に)補強しており、NBC交響楽団のメンバーも加わっている。

とは言っても、腕利きのメンバー(特に弦楽セクション)がいることは間違いない(所々、見事なアンサンブルが聴ける)。

時代(第2次大戦中だから)からしても、亡命演奏家が多く参加しているであろうから、当然であろう。

しかしながら、この録音の魅力は、たとえばNBC交響楽団との演奏ではオーケストラの壮麗なサウンドに耳を奪われて見落としがちになる、デモーニッシュな表現が剥き出しになっていること。

全体に独特の白熱感があり、最後の猛烈な拍手の嵐もうなずけるものである。

あくまでも、ドキュメントとしての価値が高いものであるが、演奏としても激しい熱狂の「第9」として、聴いて損はない。

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2014年05月25日


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トスカニーニがSP時代から繰り返し録音してきた「真夏の夜の夢」の決定的名演。

メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」(序曲)が作曲者10歳台の作曲から(付随音楽)作曲時30歳半ばまでの期間的隔たりを感じさせず、トスカニーニは手兵NBC交響楽団と息の合った明確な印象を持つ演奏を展開している。

「序曲」での疾走感から生き生きとしたトスカニーニらしさがスタートする。

「夜想曲」はホルン主体に展開してその鷹揚な演奏にもトスカニーニはバッチリ対応。

「スケルツォ」ではトスカニーニ指揮メンデルスゾーン「イタリア」交響曲の名演を想起させる。

超有名な実用音楽ともなっている「結婚行進曲」も彼の指揮演奏でより説得感が増幅する。

「フィナーレ」では妖精祝福の女声独唱(E.フィリップス)・合唱が挿入されている。

これらの録音の頃1947年、トスカニーニは80歳近くであったが、彼の音楽に対する志の高さは相変わらずであることをつくづく感じ入ってしまう。

ケルビーニの交響曲は現在でも演奏されることは少ないが、トスカニーニは同じイタリアの作曲家ということもあって、生前好んで演奏していた曲の一つである。

実際、トスカニーニはケルビーニの作品を非常に高く評価しており、「現在、ケルビーニの作品が不当に軽視されているのは、指揮者たちの認識不足と勉強不足のためである」と言っていた。

だから、この他にもケルビーニのレクイエムなどの名演奏を残している。

この曲は、イタリア人の交響曲といってもハイドン風な古典的な4楽章形式で書かれており、ちょうどハイドンの交響曲にみるような古典的な明快さに貫かれているから、その演奏もトスカニーニのハイドンと多くの共通性を示している。

トスカニーニが最晩年になって初めて録音したケルビー二の交響曲は、カップリングの「オイリアンテ」序曲とともにLP時代の名録音として知られ、音の分離も飛躍的に改善され、トスカニー二の実際の響きを体験するのに最も適していると言える。

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2014年04月15日


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トスカニーニは、1950年代初頭にNBC交響楽団とスタジオ録音した全集をはじめ、数多くのベートーヴェンの交響曲の録音を遺しているが、その中でも最も優れた名演は、本盤に収められた交響曲第1番ではないかと考えられるところだ。

交響曲第1番は、ベートーヴェンの交響曲の中でも最も規模の小さい楽曲であるが、同時代に活躍した大指揮者、例えばフルトヴェングラーやメンゲルベルク、クレンペラーなどは、その後の長大な交響曲を意識した重厚な演奏を行っている。

これに対してトスカニーニは、全体として非常に引き締まった演奏を展開しており、演奏全体に漲っている気迫や張り詰めた緊迫感には尋常ならざるものがある。

それでいて、一聴すると素っ気ないように聴こえる各フレーズの端々には豊かな情感が満ち溢れており、全体として剛柔のバランスのとれた素晴らしい演奏に仕上がっている。

いずれにしても本演奏は、様々な指揮者による同曲の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

トスカニーニは、一切の情緒を差し挟まない、快速のインテンポによる演奏をする指揮者との見方が一部になされているが、本演奏を聴くと、テンポも臨機応変に変化させているし、情感に溢れた血も涙もある演奏を行っていることがよく理解できるところだ。

一方、交響曲第7番については、第1番ほどの魅力がある演奏にようには思わないが、それでも第2楽章の熱いカンタービレや終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強い躍動感など、トスカニーニだけにしか成し得ない至芸も散見されるところであり、総じて名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

また、本盤で素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質録音であろう。

これまで発売されてきたCDは、10年ほど前に発売されたK2カッティング盤も含めて決して満足できる音質とは言い難いものであったが、XRCD化によって信じられないような極上の高音質に蘇った。

かかる高音質化によって、トスカニーニの至芸のベールを脱ぐに至った功績は大なるものがあると言わざるを得ないところであり、このようなトスカニーニの至高の名演をXRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年03月08日


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《ボエーム》はプッチーニ38歳のときの出世作だが、1896年のトリノにおける初演を指揮し、自らの指揮者キャリアも成功させたのが、当時28歳のトスカニーニ(1867-1957)だった。

トスカニーニは作曲者をして「天才、魔法の指揮、再現以上の再創造」とまで言わしめているが、1946年、即ち初演50周年を記念してこの思い出深いオペラをニューヨークで演奏会形式で指揮している。

ミミにアルバネーゼ、ロドルフォにピアースとトスカニーニ好みの歌い手たちが起用されているが、オーケストラを含めてトスカニーニ・ファミリーと言ってよい名演奏家たちによる《ボエーム》は、ドラマも詩情も尋常ではない熱いカンタービレの心が充満している。

その立役者はもちろんトスカニーニその人だが、79歳という年齢のことなど忘れさせる若々しい、張りと輝きを誇る指揮ぶりであり、アリアもデュエットも、オーケストラもコーラスも、歌う火の玉になった演奏が圧倒的だ。

作品に注がれる巨匠の共感の心はそれほど切実であり、熱い想いがそのままのテンションで炎のカンタービレとなっている。

そして、そんな巨匠の指揮に魅せられたかのようにミミが、ロドルフォが、ムゼッタが、マルチェッロが、一途な眼差しで作品を歌い上げ、狂おしいまでに多感な音のドラマを作り出している。

《ボエーム》に感傷的な甘美さを求める人には、この演奏はあまりにも苛酷に響くかもしれない。

しかしトスカニーニはここで、より深い悲劇的な真実を教えてくれる。

厳しい音楽の中から、プッチーニが描こうとした愛の世界が、何と格調高く浮かび上がってくることか。

歌手陣の水準が今日からみれば不満を感じさせる部分があるとはいえ、トスカニーニはこの作品の最も深い部分での真実を描き出している。

トスカニーニは心の底から感じている。このオペラは他人事ではないのである。79歳の巨匠の心臓に流れている血はまさに沸騰しているのであり、そのほとばしりが歌わずにはいられなくしている。

演奏から半世紀以上が過ぎたが、永遠に凌駕されることのない遺産である。

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2014年02月21日


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まさに強烈無比な演奏だ。

フルトヴェングラーはトスカニーニによるベートーヴァンの交響曲の演奏を指して、「無慈悲なまでの透明さ」と評したとのことであるが、従来CD盤のような劣悪な音質で本演奏を聴く限りにおいては、そうした評価もあながち外れているとは言えないのかもしれない。

ドヴォルザークの交響曲第9番と言えば、米国の音楽院に赴任中のドヴォルザークのチェコへの郷愁に満ち溢れた楽曲であるだけに、チェコの民族色溢れる名旋律の数々を情感豊かに歌い抜いた演奏が主流であると言えるが、トスカニーニは、そうした同曲に込められたチェコの民族色豊かな味わいなど、殆ど眼中にないのではないかとさえ考えられるところだ。

演奏全体の造型はこれ以上は求め得ないほどの堅固さを誇っており、その贅肉を全て削ぎ落としたようなストレートな演奏は、あたかも音で出来た堅牢な建造物を建築しているような趣きすら感じさせると言えるだろう。

そして、速めのテンポを基調とした演奏の凝縮度には凄まじいものがあり、前述のように音質が劣悪な従来CD盤で聴くと、素っ気なささえ感じさせる無慈悲な演奏にも聴こえるほどだ。

しかしながら、音質については後述するが、本XRCD盤で聴くと、各フレーズには驚くほど細やかな表情づけがなされているとともに、チェコ風の民族色とはその性格が大きく異なるものの、イタリア風のカンタービレとも言うべき歌心が溢れる情感が込められているのがよく理解できるところであり、演奏全体の様相が強烈無比であっても、必ずしも血も涙もない無慈悲な演奏には陥っていない点に留意しておく必要があるだろう。

そして、このようなトスカニーニの強烈無比な指揮に、一糸乱れぬアンサンブルを駆使した豪演を展開したNBC交響楽団の卓越した技量にも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本演奏は、トスカニーニの芸風が顕著にあらわれるとともに、ドヴォルザークの交響曲第9番を純音楽的な解釈で描き出した演奏としては、最右翼に掲げられる名演と高く評価したい。

音質については、従来CD盤が様々なリマスタリングやK2カッティングなどが行われてきたところであるが、前述のようにいずれも劣悪な音質で、本演奏の真価を味わうには程遠いものであった。

トスカニーニ=快速のインテンポによる素っ気ない演奏をする指揮者という誤った見解を広めるには格好の演奏であったとさえ言えるところだ。

ところが、本XRCD盤の登場によって、ついに本演奏の真価のベールを脱いだと言っても過言ではあるまい。

音質の鮮明さ、臨場感、音圧の凄まじさのどれをとっても、従来CD盤とは別格の高音質であり、トスカニーニの演奏が、決して無慈悲な演奏ではなく、各フレーズにどれほどの細やかな表情づけが行われているのか、そして情感が込められているのかを理解することが漸く可能になったと言えるところだ。

いずれにしても、本XRCD盤は、トスカニーニの演奏に関する前述のような誤解を解くに当たっても大変意義の大きいものであり、トスカニーニによる同曲の圧倒的な名演を、このような高音質のXRCD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年01月30日


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トスカニーニの唯一のステレオ録音であり、最後の公開演奏録音である。

チャイコフスキー「悲愴」交響曲は1954年3月21日の演奏、ワーグナー・プログラムが4月4日の文字通りの最後の公開公演でいずれもカーネギーホールでの収録である。

この間、トスカニーニは3月25日に87歳の誕生日を迎えている。

演奏会は全米にラジオで実況中継されているが、これとは別にステレオによる録音記録が残されていた。

この最後の演奏会での悲劇の実際は、諸石幸生氏の著作(音楽之友社)に詳しい。

トスカニーニはすでに記憶障害に悩んでおり、1953−54年シーズンの契約も不承不承であったという。

悲劇はすでに前日のリハーサルに起こっていた。

だから本番当日でのトラブルは予測されており、指揮者が立ち往生した際も混乱のなかで何とか演奏は続けられた。

このCDを聴くと、トラブルのあった「タンホイザー」序曲のバッカナーレで、ソロが不安げに揺らぎテンポが異様に落ちてあてもなくさまようのが感じ取れるが、中断はしない。

終末の和音が不自然なのは、修正の痕跡というよりは録音上のミスではないかと思う。

演奏は中断したとか、緊急のアナウンスが入り、ブラームスの交響曲に切り替わったとかの話が流布しているのは、前日のリハーサルの録音が実存していることや、本番での実況放送を録音した私家版のせいらしい。

実際には演奏は混乱しつつも続けられたというのが真相だ。

ステレオの効果は驚くほど顕著だ。

常識的な予想に反して、悲劇のワーグナー・プログラムのほうが俄然良い。

その音の官能的なことと豊麗豊饒な厚みは驚愕的だ。

伝説のスタジオ8Hの砂漠のような音質で、NBC響はずいぶんと誤解されている。

この録音を聴くと、金に飽かせず名人を選りすぐりストラディバリウスだけでも8台持っていたというこのオーケストラの豊かな音の実像にようやくたどり着いたという実感で心がいっぱいになる。

これに比べると「悲愴」のステレオ録音は音が希薄で虚弱な印象が否めない。

最晩年の衰えのせいなのか、録音技術の未熟さのせいなのかはよくわからない。

しかし、1947年の不滅の超名演には並ぶべくもない。

テクノロジーが芸術価値を伝えきれないことはあっても、もともと無いものを補充し逆転させることはない。

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2014年01月14日


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1954年3月21日 カーネギー・ホールに於けるステレオ録音。

同年のワーグナーの管弦楽曲集の録音と共に最晩年のトスカニーニが残した数少ないステレオ録音である。

トスカニー二はファシズムに反対して故国イタリアを飛び出したせいか、連合国側のロシアの作曲家を積極的に取り上げていたが、意外にチャイコフスキーが少ないようだ。

交響曲では「悲愴」と「マンフレッド」だけがトスカニーニの取り上げた曲であった。

しかし、トスカニーニの「悲愴」を聴くと、トスカニーニがどうしてチャイコフスキーを敬遠していたのか何となく分かる気がする。

トスカニーニはチャイコフスキーを甘い旋律を書くセンチメンタルな作曲家というイメージで見ていたのかも知れない。

トスカニーニは曲全体を速めのテンポで通し、第1楽章の甘い第2主題も実にアッサリと流している。

情感たっぷりに歌いあげるのをわざと避けているように聴こえる。

しかし、それは無味乾燥というのではなくて、むしろ旋律自体が十分に甘いので、その甘さがほど良く残るという感じだ。

その一方で激しい情熱的な部分での凄まじさも比類がなく、オケに一糸の乱れもなく厳しささえ感じられる。

その意味で、第3楽章は最大の聴きものになっている。

第4楽章も普通の指揮者が振るような哀しみのなかに沈滞していくような音楽ではなく、むしろ再生か希望が期待されているかのように力強いのだ。

実にトスカニーニらしいと言えるが、この厳しい造形の「悲愴」は、この曲の別の一面を見るようで強い説得力を感じる。

文学的な表現にこだわらず、ひたすら音楽的な要素を厳しく掘り下げたユニークな解釈と言えよう。

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この《悲愴》は、トスカニーニの持ち味が見事に結実した演奏の一つであり、聴けば聴くほどに味わいが深まる、恐ろしくコクのある名演になっている。

トスカニーニのアプローチは、楽曲の把握や演奏設計がほとんど完全なだけでなく、そのレアリザシオンもがほとんど完全である。

NBC響の完璧なまでの精巧さを誇る見事なアンサンブルは、それ自体としても驚異的な成果として注目されるが、それを駆使したトスカニーニの研ぎ澄まされた表現は、単なる精確な作品の再現という域を超えて、そこにこれ以上なく美しいカンティレーナの魅力や作品のドラマ性の最高度に純度の高い表現を成立させているのである。

第1楽章の実に効果的な演奏設計などは、とくに注目に値するものであり、第2楽章の磨き抜かれた抒情的表現の素晴らしさも、トスカニーニならではの魅力を放っている。

音質こそは古いが、その演奏内容のみに目を向ければ、やはり最も理想に近い演奏と考えてよいだろう。

《展覧会の絵》のトスカニーニ盤を初めて聴いた時の驚きは、25年余り経った今も忘れられない。

レコードを熱心に聴くようになって間もなく、《展覧会の絵》も初めて聴いたのだが、その直截というか、音に徹した強烈な表現に唯々息を呑んで聴き入っていた。

モノーラル録音ながらその冴えた色彩感とひき締まった響きは、まことに印象鮮やかだったし、ことさら標題にこだわることなく、あくまで音と表現に徹して各曲を強靭な表出力をもって描き切るとともに、そこに絶妙な変化をもって添えられた深く澄んだ抒情が何とも美しい。

レスピーギ三部作やロッシーニ序曲集と並ぶ、トスカニーニ最高の名演の一つであると高く評価したい。

録音が古いのは残念だが、しなやかで強く、透徹した美しさをもつ演奏の力は、今も十分に伝わってくるし、ぜひ一聴をお勧めしたい。

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2013年11月12日


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本盤は、トスカニーニの類稀なる指揮芸術の至芸を味わうことができる1枚である。

トスカニーニはメンデルスゾーンを敬愛しており、様々な作品の録音を残しているが、「スコットランド」交響曲の録音は1つしかないということで、貴重な遺産である。

そして演奏は聴き手の期待を裏切らない素晴らしい名演であると高く評価したい。

メンデルスゾーンの「スコットランド」は1941年4月5日の古い録音であるが、TESTAMENTの音源はなかなか良い状態で、充分観賞に耐え得るものだ。

全体として、トスカニーニならではの速めのインテンポで進められており、メンデルスゾーンのロマンティックな面にはやや乏しいが、この曲の古典的な色合いを強く押し出した演奏としては傑出している。

第1楽章からトスカニーニならではの濃厚なカンタービレが随所に現れ、徹底的に鍛え抜かれたNBC交響楽団の名人芸も卓越している。

第2楽章は特に後半のダイナミックな盛り上がり方は圧巻であり、相変わらずオーケストラの合奏の充実度も高い。

続く第3楽章はしっとりと、かつ溺れ過ぎない感触の歌い方が見事で、フィナーレは速いテンポでありながら、アンサンブルが整理され、荒々しさよりも古典的な音楽らしい格調と気品が優っているのは注目される。

1945年11月4日に演奏された「フィンガルの洞窟」序曲も大変素晴らしい演奏で、引き締まった推進力のあるアンサンブルは圧巻だ。

シューマンの「第2」は、1887年にトスカニーニが初めてとりあげたシューマン作品でもあり、トスカニーニにとって大変特別な作品であった。

しかし、シューマンはトスカニーニにとって最も縁遠い作曲家ではないだろうか。

詩人の夢想は何処を探してもないが、1941年3月29日に演奏された第2交響曲は熱い気魄が漲った筋肉質の音楽で、己の感性を信じた潔い名演と言える。

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2012年11月05日


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ショスタコーヴィチの「第7」はトスカニーニによるアメリカでの初演の歴史的記録である。

トスカニーニのショスタコーヴィチは、今では偽書であるとされているものの、一時は一斉を風靡したヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」によって、ボロカスに酷評されている。

ショスタコーヴィチ曰く、テンポといいリズムといいすべてが間違っていると評しており、これによって、証言をバイブルのように信奉する人など、本演奏を歯牙にもかけていなかったところである。

しかし、証言が偽書であるか否かにかかわりなく、いかなる楽曲も作曲者の手を離れると単なるスコアに過ぎず、絶対的に正しい演奏など存在しないのではないか。

例えば、多くの聴き手に感動を与えるフルトヴェングラーのベートーヴェンも、果たしてベートーヴェンが評価したかどうかはわからないのである。

筆者は、本演奏を、ファシズムに対して一切の妥協を排して批判し続けたトスカニーニならではの鬼気迫る歴史的名演と評価したい。

初演でありながら、これほどまでに説得力のある演奏を成し遂げるトスカニーニの類まれなる才能と情熱には感服するほかはない。

ショスタコーヴィチの「第7」は、バーンスタインの演奏が非常に世評高いが、この交響曲の持つ真の意味を表現している点ではトスカニーニの表現にいささかの抜かりはなく、この交響曲の持つ意味を深く抉り出そうという彫りの深い表現を行っている。

バーバーの「弦楽のためのアダージョ」編曲版の初演者であるトスカニーニの演奏は、やはり聴き逃せないだろう。

強く引き締まり、大きくうねる演奏は、しなやかに澄んだ抒情をたたえており、その深々とした表現は、作品に対する巨匠の愛着を真摯に示している。

音の状態は決して良くないが、戦時中の録音ということを考えると、信じられないようなオーケストラの圧倒的な力感を感じさせてくれるのが見事である。

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2012年08月31日


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1951年11月6日 ニューヨーク、カーネギー・ホールでのモノラル録音。

本盤を聴いて先ず感動したのは、XRCD化による見事な音質だ。

トスカニーニのCD中、おそらくはトップの座を争うほどの高音質に改善されており、特に、第2楽章の終結部のヴァイオリン・ソロのシルキーな音色など、最新録音にも優る信じ難い鮮明な音質である。

まず耳につくのは、低弦の圧倒的に豊かな充実ぶりで、今までのCDとは別の音源を聴いているようだ。

オケの美しい音全体に広がりが出て、演奏にも以前の性急さが薄れ、余裕があるように感じる。

巷間、トスカニーニは、快速のイン・テンポを信条とする指揮者だと言われているが、確かに、過去に発売された数多くのデッドな劣悪音質のCDを聴いていると、そのような印象を受けるのも否めない事実であろうが、本盤のような高音質CDを聴くと、トスカニーニが、決してそのようなイン・テンポ一辺倒の指揮者でないことがよくわかる。

テンポは場面場面で的確に揺れ動くし、特に、終楽章の中間部の低弦による名旋律の主題の歌わせ方など、快速トスカニーニのイメージを根底から覆してしまうほどの、堂々たるテンポ設定だ。

それにしても、隋所に聴かれる旋律の艶やかな歌わせ方の巧妙さをどう表現すればいいのだろうか。

もちろん、圧倒的な迫力にもいささかの不足はなく、とても90歳に近い老巨匠による指揮とは思えないぐらいの生命力に満ち溢れており、トスカニーニの魂の演奏がXRCD化によって蘇っている。

トスカニーニならではのぐいぐいと攻めるかのように豪快な第1、第4楽章は圧巻!

無いものねだりながら、ブラームスの「第2〜第4」も、XRCD化して欲しいと思ったのは、筆者だけではないと思われる。

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2012年03月28日


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1937年のザルツブルク音楽祭は、ナチスによって併合される前の最後の音楽祭として、トスカニーニ(とワルター)が落日の輝きをはなった音楽祭だった。

何本か残されたその年のライヴ録音のひとつがこのトスカニーニの《ファルスタッフ》。

恐らく、イタリアの巨匠がもっとも愛したオペラであり、厳しさと背中合わせの軽妙な諧謔精神が息づいた名演だ。

後年のNBC響盤も非常に高く評価されているが、残念なのは、そこには劇場の香りがまったくしなかったこと。

その点当盤は、録音は貧しいながら音楽の生命力は桁外れで、演奏は空前の域にまで達している。

トスカニーニの最高のパートナーはウィーン・フィルだった、と叫びたくなる。

一方、カラヤンのは1957年のザルツブルク音楽祭で大きな話題になった公演。

カラヤンはトスカニーニが指揮した《ファルスタッフ》に痛く感激し、ことのほか思い入れのあるオペラだったそうだ。

そしてザルツブルク音楽祭で取り上げたのがこの上演だった。

前年にEMIへ録音したキャストとは、ゴッビ、シュヴァルツコップ、パネライ、モッフォ、アルヴァなどが共通しており、アンサンブルは見事に出来上がっている。

後年に取り上げた時に比べ、若々しく張りのある音楽が《ファルスタッフ》の生命力を生かしているように思われる。

これまた、帝王カラヤンの全盛期の実力を見せつける名演。

どちらも一度は聴いていただきたい演奏だ。

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2012年02月08日


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トスカニーニが残したオペラの全曲録音のなかでも最高の出来映えなのがこの《ファルスタッフ》と3年前の《オテロ》。

どちらも放送のためのライヴで、潤いのないこもり気味な音質が惜しまれるが、リズミックな躍動感、テンポが《オテロ》での悲劇的な運びに対して、こちらはちゃんと喜劇の運びになっていることなど、長所は挙げだしたらきりがないほどである。

これほど、聴くたびに舌をまくほどの新鮮な発見と感動をもたらす演奏は、容易にあるものではないだろう。

後続の指揮者たちの表現法に与えた影響もいろいろ指摘されている名演奏だ。

配役も録音の欠陥から歌手たちの声自体の魅力を十分に伝えていないのはもどかしいが、ヴァルデンゴのタイトルロールにしても達者な技巧を駆使してつぼをよく心得たヴェテランの芸を見せているし、女声陣は概して男声以上に魅力的である。

1962年に52歳で没したイタリアのメゾ・ソプラノ、クローエ・エルモのクイックリー夫人など押し出しも立派、実もあれば花もある歌で聴き手を魅了する。

それに対して、当時まだ22歳のテレッサ・シュティッヒ=ランダルのナンネッタは、この役に打ってつけな清澄で繊細な歌唱を聴かせている。

そこへゆくと、トスカニーニのお気に入りのソプラノ、ヘルヴァ・ネッリのフォード夫人は、やや個性味が薄いけれども、軽やかな声に女らしさを匂わせながら手堅く歌っている。

フェントンやフォードの出来には若干不満もあったが、トスカニーニの指揮と全体の仕上がりのすばらしさの前には些細な傷の程度である。

トスカニーニのオペラ演奏の価値を、頭では納得しても耳が承知しなかったような人には、とくに一聴をお薦めしたい。

あまりにも豊穣なドラマと歌に、耳を洗われる思いがする。

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《オテロ》全曲盤中最も古い録音で、トスカニーニのヴェルディ・オペラの不滅の名盤。

この演奏についてレヴァインは「オペラ録音史上最高のもの」と言ったそうだが、これは確かに歴史的名演の名に値する数少ない録音のひとつである。

これは、まさしくトスカニーニの数ある演奏の中でも最も傑出した出来ばえを示すものであり、同時にこの偉大な指揮者の本質がこれほど見事に表われた例も少ない、と思われる演奏である。

このオペラの初演に19歳でチェロ奏者として参加したトスカニーニが80歳の時に録音した演奏で、晩年のオペラ録音の中でも比較的歌手にも恵まれており、特にヴィナイのオテロとヴァルデンゴのイアーゴが傑出している。

ヴィナイの圧倒的なオテロと取っ組んだトスカニーニの気迫の激しさも相当なものである。

トスカニーニ一流の強引なテンポの運び方もフレーズの波のようなうねらせ方も、息もつかせぬたたみ方のすさまじさも、ヴィナイは平然と受けて立つ。

ヴィナイは暗めの力強い声でオテロの英雄的な性格と悲劇を最も見事に表現しているが、それ以上に凄いのはいうまでもなくトスカニーニの指揮である。

厳しいデュナーミクと強靭なカンタービレによって全曲を強く一貫し、統一している。

冒頭から最後まで貫いている堅固な造形、劇的な緊迫感と迫力あふれる演奏は、音質を超越して深い感動に誘う。

また「愛の二重唱」における甘美な陶酔感の格調の高い表現もすばらしい。

そしてトスカニーニは、じっくり構えてヴェルディの後期の音楽の意味を教えてくれるのである。

ヴェルディ最後のイタリア・グランド・オペラがいかに完璧な作品であるかがわかる名演である。

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ヴェルディとワーグナーは対極的な作曲家だと見なされている。それは正しいだろう。

ヴェルディは可視光線のなかを一直線に歩んだ作曲家だった。

一方ワーグナーは、いわば紫外線と赤外線にひびきの源を求めた。

それは意識と無意識、現実と超越の差だといってよいかもしれない。

ところでレクイエムは生者と死者との対話の音楽だ。リアリスト、ヴェルディにとっては苦手の領域のはず。

それにもかかわらず彼は友人の死に衝撃を受けて、レクイエムを作曲することを思い立った。

彼は現実を支配する巨人の力業で死者に声をとどろかせ、その霊を慰めようとする。

だが生と死のあいだには厚い壁がはだかっており、彼はそれを超えることができない。

それでも渾身の力をこめ、生者のあらゆる力を結集して死者の国の壁を叩くなら、その真剣さは死者に通ずるだろう。

いわばその過剰な生命力が、逆説的に死の匂いを焙りだしており、その構図がこの《レクイエム》の核心をなしている。

この曲をこう理解すれば、それはほとんどトスカニーニの演奏を語ったも同じことになる。

彼はヴェルディの化身かと思われるほど、やはり可視光線のなかを一直線に歩んだ指揮者だった。

この《レクイエム》の演奏は、作曲家と一心同体となった、いわば入神の技を示している。

過剰な生が死の影を映し出すこの曲の意味をトスカニーニほど突き詰め、死とはなにかを考えさせる指揮者はいない。

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2011年01月10日


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トスカニーニが創設2年目のNBC響と1939年に行ったベートーヴェン・チクルスをまとめてCD化したもの。

NBC交響楽団はニューヨーク・フィルを退いたトスカニーニのために結成されたオーケストラで、NBC放送が当時の最高レヴェルのプレイヤーを集めて、トスカニーニの指揮芸術をラジオ放送を通じて世に広めようとしたものである。

トスカニーニは1950年代に同じNBC響を振って、ベートーヴェンの交響曲全曲を再録音しているので、その方が代表盤になってしまったが、演奏自体は問題にならぬくらい1939年盤の方が良い。

オーケストラは創立されたばかり、トスカニーニも70代に入ったばかり、その極度に結晶化された響きと気迫は「凄まじい」の一語に尽き、フルトヴェングラー盤に唯一匹敵し得るCDといえよう。

極めて力強い音楽がひしひしと伝わってくる。

徹頭徹尾トスカニーニの強靭な意志に貫かれ、すべての音に渾身の力が注がれた、激しく熱い音楽である。

ダイナミクスの幅は大きく、フォルテやアクセントが強調され、急速な楽章のクライマックスなどはまさに息をのむほどの迫力だ。

ここにはヨーロッパの伝統、ドイツ風の含みや暗さなど皆無で、すべてむき出しの音だけで勝負している。

金管とティンパニは最強奏されるが少しも粗さを見せず、時にはかなり大きなテンポの動きもあって、決して機械的な演奏ではない。

このベートーヴェン交響曲全集は後年のそれと比べて、トスカニーニのアクレッシヴで毅然としたベートーヴェンをたっぷりと聴き取ることができる。

特に奇数番の曲にトスカニーニの真骨頂があると言えるだろう。

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2010年11月03日


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モーツァルトのこの3大交響曲は、そのスコアを現実の場で再現することの難しさにおいて、名作といわれる他の交響曲のどれよりも厳しい要求を演奏者に突きつけていると考えられる。

そして、最も緻密で精巧な能力を必要とするこの3曲の再現を最高のレヴェルで実現させたトスカニーニの演奏は、まさに驚異的といえる精巧無比な名演であり、そこで描出されている不純物のない作品の姿は、何度接しても新鮮な感動を与えてくれるのである。

3曲の中では特に第39番が個性的な名演である。

トスカニーニは第1楽章序奏から、かなり速いテンポをとることで序奏と主部を有機的に関連付け、優美さが強調されがちなこの楽章の構築性を浮き彫りにするなど、実にユニークだ。

烈しく彫りの深い表現が聴き手を驚かせる第40番も、作品の精神を鋭くえぐり出した異色の名演として注目したい。

旋律が細やかに表情づけられ、流麗かつしなやかに歌われているのも魅力的で、テンポが自在に動き、曲に内在する感情の変転を見事に表している。

《ジュピター》についてはいまさらコメントを必要とすることはあるまいが、スマートで、整然として隙がない。

造形の均衡ももちろん素晴らしく、そのため説得力が強い。

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2010年10月20日


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実に半世紀以上も前の録音であり、1867年生まれのトスカニーニは85歳に達しようとしていたが、20世紀の演奏芸術の方向性を決定づけたトスカニーニの指揮で聴くベートーヴェンの「運命」は、鋭く直進するアレグロ・コン・ブリオの芸術であり、今なお輝いている。

トスカニーニの、歯切れのよいダイナミックな演奏スタイルが端的に表われた、いわゆるトスカニーニ張りの典型的な表現である。

おそらく、ドイツ人やウィーンの人だったら、こんな素っ気ないベートーヴェンはない、というだろうが、音楽的にみれば、最も穏当で正確な「運命」だけに、演奏では最上級のものということができる。

余情を廃して作品を裸にし、ベートーヴェンの核心に肉薄するとこうなる、そんな決意表明を目の当たりにする壮絶な演奏であり、作品全体がひとつのクレッシェンドする情熱で再現されたかのようである。

この客観主義と完璧主義がその後の後輩指揮者たちのひとつの目標となったものであり、カラヤンもショルティもセルもアバドも、彼らの精神的礎をここに求めたといっても決して過言ではないであろう。

「田園」におけるトスカニーニの明快で輝かしい表現は、同時にこれ以上ないカンティレーナのみずみずしさにも充ち溢れている他、各場面の意味と魅力を明確にクローズ・アップさせた演奏設計の旨みにも比類なきものを示している。

いわゆるドイツ的な演奏とはその本質を異にするが、結果的に作品のイデアに最も肉薄し得た内容と考えてよいだろう。

トスカニーニの楽器と化したNBC交響楽団も素晴らしい。

ライヴではふくよかであったはずの響きの豊かさが感じ取れないのは惜しまれるが、このCDではかなり改善された音質で聴ける。

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2010年10月17日


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モノーラル録音だが、SP時代にこの曲の最高の名演奏といわれていたものである。

この曲を最も得意としていたトスカニーニだけあって、そのがっしりとした構成とダイナミックな表現は、比類がない。

「歌え。休止符までも歌うんだ!」と語ったトスカニーニには序奏という観念はなかったのかもしれない。

それほどここに聴く第7番は、ポコ・ソステヌートの序奏から鮮烈であり、既にドラマが始まっているのである。

続くヴィヴァーチェの主部の激しさは推して知るべしであり、熱き情熱が火の塊となって疾走する。

まさに火柱そのものであり、聴き手をかつてない高揚感に誘い、唖然とさせるといっても決して過言ではないだろう。

第2楽章も情緒的にひきずり、肥大させるのではなく、作品が鋭い緊迫感を秘めながら、淡々と、しかし空前の起伏をもって再現されている。

そして軽やかなリズムの処理に84歳の巨匠とは思わせない至芸を聴かせる第3楽章を経て、まさに舞踏の神化というべき終楽章に突入するが、ここで繰り広げられるリズムの興奮も空前絶後であり、聴き手を唯一無二のトスカニーニ体験へと誘う。

作品の外観を最も完全に近い精確さをもって描出したトスカニーニは、同時に楽譜に書かれているすべての音符に、その意味を明らかにすることによってみずみずしい生命を注入し、作曲者の意図を極めて高い程度で浮き彫りにすることに成功を収めている。

現在発売されている3種類のトスカニーニの演奏のなかでは、音質的に最も安定しているこの録音に着目したい。

数ある巨匠の名盤の中でも屈指の1枚である。

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2010年03月06日


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トスカニーニは、NBC響を指揮して数え切れないほどの不滅の名演を生み出したが、サン=サーンスの交響曲第3番は、そのなかでもトスカニーニの持ち味が最大限に発揮され、特に傑出した成果を実現させることになった名演の一つと考えてよいだろう。

トスカニーニの魅力としては、明快で壮大な造型感覚やドラマティックでメリハリの効いた表現などがまず第一に指摘されるが、そうした魅力が強力にクローズ・アップされることになったこのサン=サーンスの演奏は、さらに凄まじいほどの緊迫感や桁外れの集中力の持続もが際立っている入魂の熱演であり、トスカニーニの真価を痛感させてくれる内容を示している。

密度の高い響きと強靭なリズム、鮮烈なデュナーミク、甘美といえるほどのカンタービレが総合され、かつてない厳しい音楽を生み出してゆく。

サン=サーンスが意図したであろう循環主題を中心とした劇的な構成、オルガンを加えたことによるオーケストレーションの効果が充分に発揮され、激しく訴えかけてくる。

トスカニーニの頂点をかたちづくる時期の演奏で、とかく平板に陥りやすいこの曲に最後までひきつけておくのは、やはりマエストロの偉大な統率力によるものである。

作品の評価すら変えた名演である。

フランクはCD化で録音年の違いによる音質の差が目立つが、演奏には少しの違和感もなくトスカニーニはきわめて明晰な表現で、作品独特の響きと構成を白日の基にさらけ出す。

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2009年11月01日


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トスカニーニ盤は、音質こそは古さを感じさせるが、その内容のみに目を向ければ、やはり最も理想に近い演奏と考えてよいだろう。

そこでは、楽曲の把握や演奏設計がほとんど完全なだけでなく、そのレアリザシオンもがほとんど完全で、さらにみずみずしいカンティレーナの魅力にも充ち溢れており、三拍子そろった名演を味わうことができる。

交響曲では一点の曖昧さも残さない、いわば裸身のチャイコフスキーだ。

徹底した明るさへの志向が、トスカニーニ独自のコクのある歌と相まってリアリスティックな表現を作っているが、第1楽章では期せずしてそこに堂々とした風格が示されている。

抒情的要素をかなぐりすて、粗野なほどに逞しいダイナミズムを生かし、かつ簡潔に曲の雄大な主旨をえぐり出した音楽的な「マンフレッド交響曲」である。

そして、この演奏ほどトスカニーニの形式主義者の特徴を発揮した例は少ない。

それは第1楽章にもよく表われているが、終楽章の構成的解釈にいっそうはっきり出ている。

整然たる楽式の感覚から割り出した純音楽的な演奏だ。

「ロメオとジュリエット」もトスカニーニ風で、端正に造形されており、劇性と抒情性の両者を満足させた演奏だ。

演奏はやや緊張感に乏しい雰囲気で始まるが、曲が進むにつれて素晴らしい高揚感を示してくる。

録音状態も優れており、NBC交響楽団の卓越した演奏を聴くことができる。

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2009年01月29日


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トスカニーニは、若い頃からフランス音楽にも興味を持ち、特にドビュッシーの作品を最も高く評価していた。

だから、たとえば「ペレアスとメリザンド」をパリ初演の6年後(1907年)に、人々の反対を押し切って、ミラノ・スカラ座でイタリア初演を行ない、成功を収めるなど、ドビュッシー作品の演奏回数は多かった。

トスカニーニは「ドビュッシーの音楽は、雰囲気や情緒だけをとらえて表現しようとしたら、その本質的な美しさは絶対に引き出すことはできない。音の純粋で、綿密な構成を追求していくことによって初めて表現し得るもので、雰囲気や情緒はその結果として自然に出てくるものだ」と言っている。

交響詩「海」は、特に演奏回数の多い、トスカニーニの重要なレパートリーになっていた作品で、彼のドビュッシーに対する主張が最も端的、かつ如実に示された演奏であり、この曲の特色をこれほど明快に表現した演奏も少ないように思われる。

トスカニーニとドビュッシーは、ちょっと考えるとあまり結びつかないように思われるかもしれないが、ドビュッシーの音楽は音の綿密な構成を追求していくことによってその音楽の真の美しさを表現できる。

それがトスカニーニの演奏の特質に適合している。

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2008年12月05日


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トスカニーニ盤は、これらの交響曲のスコアから最も理想に近い現実を引き出すこととなった特筆すべき演奏である。

4曲の交響曲は、いずれも楽譜に無用な表情を加えないトスカニーニ一流の率直な表現だ。

きびしく張り詰めた緊迫感や凄まじい集中力が光るこの演奏では、作品の全体像がこれ以上なく見事に把握されているだけでなく、作品の細部もが最も精妙で美しく表現されており、そこでは、全体と部分があたりまえのこととして一体化している様相さえをも見出すことができる。

オリジナルマスターからのリマスタリングによって音構造の細部や、デュナーミクの様相が明瞭にわかるようになり、その結果演奏も鮮度の高い印象を受ける。

第1番の凄いほどの覇気、第2番の骨格がたくましくリアルな表情、第3番の解放感に満ちた表情、第4番のうるおいのある旋律が特に印象的だ。

トスカニーニのブラームスは、現在のところ必ずしも正当な評価を受けているとはいえないが、これは、その真価を認識する上で最も重要な手掛かりとなるに違いない名演中の名演である。

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2008年11月18日


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演奏はすでに語りつくされた名演揃いで、現在の様式感覚とは異なった一面もあるが、そうした問題を超越してトスカニーニの偉大な芸術性に改めて感嘆させられる。

この指揮者の情熱と意志力、そして明晰な歌謡性が総合された独自のスタイルは、余人の追随を許さない。

かつてトスカニーニの指揮は、アメリカを中心に現代の演奏様式に非常な影響を及ぼしたが、ベートーヴェンの交響曲全集は、彼の芸術を代表する名演揃いである。

しかしトスカニーニの演奏は、現代の音楽学的な研究の観点から眺めると、もはや過ぎ去った時代の表現という感がないわけではない。

かつて楽譜に忠実といわれた解釈も、現在の眼で見るとそうではなく、かなりロマン的で主観的な表情や解釈をまじえている。

しかし彼の場合は、音楽が凄いほどの生命力をもっていることを、いまも高く評価せねばなるまい。

現在、トスカニーニの演奏は楽譜に忠実という意味ではなく、視点を変えて受容されることが必要な時代といえる。

これらの演奏にみなぎる極度の緊張力とカンタービレの魅力、ドイツの伝統にしばられない率直な表情などが、改めて評価されてよいのである。

ここには明快な歌と灼熱の生命力をもった音楽があるが、現在の演奏では、ベートーヴェンに必要な意志的な力が、トスカニーニほど端的に示されることが、なくなってしまった。

したがってトスカニーニの演奏は、現在では新しい意味を感じさせる。

特に第3,5,7,9番の奇数ナンバーの曲は、作品の特色が攻撃的にあらわされて、聴き手の精神を高揚させずにはおかない。

なかでも第9番の解釈には、耳を洗われるような清新さがある。

やはり、これらの9曲は、ひとつの時代を画した演奏といえるだろう。

現代のベートーヴェンを語る上で、どうしても聴きのがせない珠玉の集成である。

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2008年11月01日


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グィド・カンテルリは、1956年11月24日に飛行機事故により、わずか36年の生涯を終えてしまった。

イタリア系の指揮者で、トスカニーニにその才能を高く評価されていたが、その演奏は、トスカニーニとは大きく異なり、深々とした呼吸の音楽に特徴があった。

アポロ的とも言える澄んだ響きの構成感のくっきりとした音楽と、伸びやかな歌を内に取り込んだ深く沈み込む情感とが一体となった彼の指揮は、そのまま生き続けていたならば、どれほどの巨匠となって、今日の私達の耳を楽しませてくれただろうか、と思わせる。

カンテルリの演奏は、このところ放送用のテープからのCDがかなり出ているが、EMI系の英HMVに、かなりの量の正規録音を残している。

その中にはミラノ・スカラ座管弦楽団とのチャイコフスキー「第5」の名演もあるが、その他はフィルハーモニア管との録音だ。

メンデルスゾーン「イタリア」、シューベルト「未完成」、シューマン「第4」、ブラームス「第1」「第3」、ベートーヴェン「第7」、チャイコフスキー「悲愴」、などの交響曲の他、ワーグナー、ドビュッシーの管弦楽曲など、かなり広範囲にわたっている。

その内「未完成」とブラームス「第3」、ベートーヴェン「第7」はオリジナルのステレオ録音が残されている。

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2008年10月19日


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19歳で初めて「椿姫」を指揮したというトスカニーニが、プロフェッショナルとして最後に取り組んだ「椿姫」である。

音楽というのは、その曲についてであれ、演奏についてであれ、出会いのしかたで印象がかなり違ってしまう。

この「椿姫」など、トスカニーニも歌手もガチガチに硬くなってしまった本番の演奏(RCA盤)のゲネ・プロの演奏を聴けることは幸いであった。

軽やかさ、響きの立体感、躍動、いずれも本番には聴けないものだからである。

トスカニーニのリハーサルはその激怒ぶりだけが有名だが、演奏者たちにとって、しばしば本番以上の充実感を得られるものだったという。このゲネ・プロはまさにその実例。

ここには美しい歌声と涙を誘うストーリーとしう表層的な魅力ではなく、声と音楽そして劇的な力を調和させて、力強くドラマティックなオペラの真髄を求めるトスカニーニの、果敢な気迫がもたらす感動が溢れている。

自分が熱望する表現を求めて、彼は全曲を通じて自分自身も声を出して歌いづめで、その声は時にアリアを歌う歌手より大きく聴こえたりする。

ハーヴェイ・ザックスが「『椿姫』はトスカニーニにとって彼の時代のオペラであり、現代的な芝居だった」と言う通り、生きた血の通う刺激的な名演奏だ。

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2008年09月28日


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ホロヴィッツは非常に速いテンポでさっそうと弾きまくっている。力強く、逞しく、技巧の冴えは驚くべきものだ。

第三者的に聴くならば、およそブラームスらしくない豪快な演奏で、ホロヴィッツの全盛時代(1940年にホロヴィッツは36歳)の正確無比でピアノを華麗に鳴らしての演奏は、それだけで耳を楽しませてくれるが、さらにトスカニーニの指揮がこの作品のロマン性を表面に出して、しかもオーケストラを強烈に響かせる。

ブラームスの渋さなどは飛び散って、ともかく面白い演奏だ。

じっくりと聴きたいならばやはりR・ゼルキンあたりが妥当だろうが、20世紀の代表的巨匠2人が組んだ録音として、このホロヴィッツ=トスカニーニ盤は次世代でも聴かれよう。

チャイコフスキーは同曲のベスト・ワンといってよい演奏。トスカニーニは絶好調で、ホロヴィッツも脂が乗り切っている。

鋼のように力のあるタッチとリズム、腕が鳴るような技巧の冴えが人間業を超え、終楽章のコーダに至っては超人の凄まじさを見せる。

ホロヴィッツとトスカニーニという芸術家が一歩も譲ることなく拮抗し、己れの主張を行う様はまさに凄絶という他はない。

両者の対決は汗を握るばかりだが、聞こえてくる音楽はチャイコフスキーそのものである。

この曲を語る上で決して忘れることのできない1枚だ。

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2008年09月16日


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録音は古いが、モノーラル時代の屈指の名盤である。

トスカニーニはメンデルスゾーンで素晴らしい演奏を聴かせていたが、この「イタリア」はその最たるものである。

この曲の明澄爽快な気分を、これほどまでにストレートに表出した演奏というのも珍しい。

旋律の歌わせ方も巧妙だし、リズムも生き生きと踊っている。

灼熱する音と躍動する表情、輝かしい歌の美しさは、明るい南欧の風物に瞠目した作曲者の感動をそのまま伝えてくるようだ。

古典的形式をくっきりと保ちながら、優雅なリリシズムや、またスケルツォ的性格を、すっきりした線やリズムでなんの付加物もなく、すぱっと現わした行き方は、「イタリア」の特徴をすべて尽くしたものである。

一方「宗教改革」も圧倒的名演で、その明晰さ、しなやかな流動感、立体的な構築は、この作品の求めるすべてを具現している。

トスカニーニが、メンデルスゾーンの交響曲の中で、最も高く評価していたのがこの曲である。

それだけに、この曲の、ロマン派初期の若々しさにあふれた表情を美しく表現しており、構成もがっちりとしていて秀演だ。

荘重な趣きを力強く表現して、宗教的素材をもって壮麗な記念祭の歓喜を示した立派な演奏である。

それにしても、本盤のようなXRCDによる極上の高音質録音で聴くと、トスカニーニが臨機応変にテンポ設定を行ったり、豊かな情感にもいささかも不足をしていないことがよくわかる。

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2008年07月14日


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トスカニーニの緊迫したダイナミックな演奏の見本のようなレコードである。

劇的交響曲「ロメオとジュリエット」冒頭のアレグロ・レガートの、粗野と思われるばかりに力をむき出しにした緊迫したリズムの演奏を聴けば、トスカニーニがこの曲から何を求めてそれをどう表現しようとしているかが推察できる。

つまり、トスカニーニは、これを徹底的に一つの音の劇としたのである。

トスカニーニの指揮はこの曲を標題的には扱っていない。

ロマンティックな幻想をすっかり洗い落とし、純粋な音楽だけを引き出した。

極めて割り切った演奏である。

幾分、早目のテンポで歌われる美しい旋律は、きれいに垢抜けして明快そのものである。

トスカニーニの演奏様式の最もはっきり出た演奏として記念的意味もあるといえる。

トスカニーニのベルリオーズ演奏は全てがユニークで素晴らしいが、劇的物語「ファウストの劫罰」においても他の指揮者では絶対に聴くことのできない演奏を示している。

NBC交響楽団の優れた演奏能力が示された好例である。

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2008年04月15日


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トスカニーニは何という音楽を描き出したのだろう。

トスカニーニほど、鉄のような固い意志と、赤々と燃える情熱で、この最高峰に臨んだ指揮者はなかった。

ベートーヴェンがミサのテキストと格闘したが如く、トスカニーニはスコアと激しく闘っている。

気迫の鋭さ、圧倒的造形の前に、今聴き直してもたじたじとならざるをえない。

その骨格の太さ、剛直さは、まさにベートーヴェンの魂そのものの具現であり、情緒のつけいる隙はない。

平凡な指揮者の手にかかると退屈以外の何物でもないこの曲が、信じ難いほどの輝きをもって、われわれの前に立ち現れている。

トスカニーニの演奏も劇的であり、交響的である。

独唱者の質がよく揃っていること、どの部分の重唱も整然として独唱もあたかも一個の楽器の如くに処理されているのがいかにもトスカニーニらしい。

「クレド」は全曲の圧巻だ。

速いテンポで直線的に表情を追っていく迫力は、このレコードの特徴を最もよく現した部分である。

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2008年04月09日


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ヴェルディへの愛情にもかかわらず、トスカニーニはワーグナーを「最大の作曲家」と明言している。

トスカニーニは「神々の黄昏」のイタリア初演を敢行し、1930,31年にはワーグナーの愛息ジークフリートに誘われてバイロイトに登場(非ドイツ語圏からは初)するなど、ワーグナーを熱烈に崇拝していた。

そして、1954年4月4日、記憶力に支障をきたして87歳の巨匠が引退を決意し、最後に行った公演の演目も、オール・ワーグナーであった。

特筆すべきは、この引退公演の録音がトスカニーニ唯一のステレオ録音であることだ。

録音スタッフの心意気に打たれるとともに、この録音によって、ヴァイオリンを両翼に置く旧配置の立体感が味わえるとともに、NBC響の思いのほか繊細で、色彩豊かで柔軟なサウンドを確認できるのである。

どの演奏にもクリスタルのような透明な輝きがあり、暖かい豊かな響きで録音されている。

最晩年のトスカニーニの比較的ゆっくりとしたテンポのもとに力強く壮大なワーグナー。

そこにはトスカニーニのワーグナーに対する尊敬の念がはっきりと示されている。

ことに「ジークフリートのラインへの旅」は素晴らしく、彫りの深い情感豊かな表現に強く惹かれる。

トスカニーニは、ついに「タンホイザー」のバッカナーレを最後まで指揮できず、「マイスタージンガー」前奏曲も華やかな終結部の最中に指揮台を降りるのであるが、それでもNBC響楽員の巨匠を愛し、慈しむ気持ちの伝わる感動的なドキュメントである。

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トスカニーニが最も得意としたのはオペラではヴェルディとワーグナー。

ワーグナーの全曲では、1937年のザルツブルグ音楽祭での「マイスタージンガー」が残されているとはいえ、プライヴェート盤で音も悪い。

まともな音で聴ける正式商品では、この5枚のワーグナー名演集がまず必聴といえよう。

トスカニーニのワーグナー演奏は、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのような主観の強い解釈とは正反対で、あくまでも客観的な目で作品の核心に鋭く切り込んでいるのが特色だが、このアルバムはその好例。

その演奏は燃焼度が高く、訴えかけてくる力がきわめて強い。

活力と覇気にあふれた「ワルキューレの騎行」、「ローエングリン」第3幕への前奏曲、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲、曲想をくっきりと浮き彫りにした「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死など、トスカニーニならではの見事な演奏だ。

また厳しさの中に崇高な気分を湛えた「パルジファル」第1幕への前奏曲、聖金曜日の音楽など、いずれも彼の真骨頂を示した立派な演奏である。

この「パルジファル」は、戦後のブーレーズの指揮を予感させるようなラテン的・カトリック的明澄さに特徴がある。

「ジークフリート牧歌」も清らかな愛情に満ちていて素晴らしい。

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2008年04月08日


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トスカニーニが1952年秋にただ一度だけフィルハーモニア管に客演した時の記念碑的なライヴ。

ウォルター・レッグのEMIによって録音されていたものの、契約その他の関係でようやく2000年に公式発売されたものである。

この巨匠ならではの強く引き締まったうねりと豊かな歌にみちた演奏が感動的で、その指揮に肩怒らせることなく応えるフィルハーモニア管の柔軟な表現も素晴らしい。

指揮台の上で阿修羅の如く燃え上がるトスカニーニと、それを柔らかく受け止めるオケの取り合わせの妙が最高だ。

時をほとんど同じくしているだけに、NBC響との録音と基本的な解釈に相違はないが、こちらの演奏はトスカニーニの心に大きなゆとりがあるようで、比べるとあまりの違いに驚かされる。

フィルハーモニア管との演奏は音楽の流れが自然で力強く、壮大な音楽が構築されている。

どの曲も素晴らしく豊かに歌い、流動的かつ感動的に高揚しており、トスカニーニの新即物主義的な芸術性が最もよく生かされた結果といえる。

トスカニーニは熱烈な歓待を受け、さらには技術的にも素晴らしいフィルハーモニア管との共演にご満悦だったに違いない。

唯一残念なのは、正規録音の割に音が冴えないことである。

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2008年04月02日


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いずれもトスカニーニの絶頂期の名演揃いであり、20世紀前半の管弦楽演奏が到達した最高水準の記録である。

ベートーヴェンは明快・端正で彫りが深く、しかも内面の緊張力と動感が凄まじく、今なお新鮮な感銘を与える。

ハイドンも古典主義的美感の極致といえるほど端麗な名演で、モーツァルトはレコード史上に残るこの曲の最高の演奏だ。

ハイドンはトスカニーニがニューヨーク・フィルの常任指揮者に就任した直後の録音で、ベートーヴェンは7年間勤めてきた常任指揮者の地位を辞任する直前に録音したレコードの一つ。

これらの曲目はいずれも後年のNBC響との録音でも聴くことができるが、NBC響との演奏は厳しく緊迫感のある表現となっている。

一方、ニューヨーク・フィルとの演奏は驚くほど自由な雰囲気をもっており、表現もこなれていて後年の演奏には見られない美しさがあり、一段と白熱的でもあった。

とりわけベートーヴェンは傑出した名演。

1951年のNBC交響楽団とのRCA盤も素晴らしいが、厳格すぎて自由な雰囲気が欠如している。

ニューヨーク・フィルの黄金時代に録音されたこの円熟した演奏とは比較にならない。

70年以上前の音ながら、充分に鑑賞に耐える録音である。

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2008年03月06日


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トスカニーニが生涯敬愛し続けた自国の大先輩ロッシーニの序曲集は、8曲ともそれぞれの曲の持ち味を存分に表出した見事な演奏で、練達の棒できびきびと運びながら、どの曲も明快にまとめている。

輝かしい歌と美しく強靭な生命力にあふれた、聴いていて手に汗握り、身の引き締まるような名演である。

みずみずしく生き生きとした表現には強く惹かれるし、イン・テンポで進めながらも歌わせるべき旋律は表情豊かに歌わせているあたりは、さすがトスカニーニならではの至芸である。

そうしたトスカニーニの厳しい指揮に見事な集中力で反応したNBC響の卓抜な能力も素晴らしい。

トスカニーニは、上記のようにロッシーニを得意としているのだが、それにしてもこの演奏はよい。

実に明快な演奏である。

トスカニーニは独特のリズムの硬さがあるのだが、それが特に「ウィリアム・テル」序曲ではマッチしている。

驚くほど表情が鮮やかであり、華やかな、透明な空気のアルプスの風景そのものを感じさせる。

この曲のCDでは、まずこれにとどめをさす。

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すっかり聴き慣れた通俗名曲を手がけたトスカニーニは、しばしばそこから思いがけないほどみずみずしく新鮮な新しさを引き出し、私たちを驚かせる。

そして、その好例の一つが、この《新世界より》であるといってよいだろう。

《新世界より》は新古典主義的で純音楽的ともいえる表現で、さっそうたる演奏である。

トスカニーニは、とってつけたようなセンチメンタリズムを一切排して演奏している。

しかし旋律のカンタービレは、どれもはっきりと効いていて、十二分に歌っている。

しかも旋律の歌わせ方が洗練されている。

オーケストラのアンサンブルにも破綻がなく、楽器の特質がくっきりと出て、曲が立体的にさえ聴こえる。

作品の古典的形式感をドイツ的伝統や民族的な性格と関係なく表出したトスカニーニの解釈は、以後この曲の演奏を一変させた画期的なものだったが、その新鮮さは今でも失われていない。

NBC響のほとんど完璧なアンサンブルで綴られたこの演奏は、弾力性のあるリズム、力強くブリリアントな感情の高揚、磨き抜かれたカンティレーナの美しさ、輝かしい集中力の持続などが強烈なアピールを放っており、それは、常にフレッシュな感動によって聴き手を魅了せずにはおかないのである。

「ハーリ・ヤーノシュ」も端的な表現で一貫しており、作品のハンガリー的な民族性を赤裸々に表出している。

「モルダウ」は標題的な書法をあまり強調しない直截な演奏で、堂々とした巨匠的風格を表した好演だ。

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2008年02月25日


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すぐれたオーケストラでありながら解散し、現在では録音でしか聴けないオーケストラもある。

その筆頭にあげられるのは、なんといってもNBC交響楽団であろう。

1936年にニューヨーク・フィルを辞任したトスカニーニをアメリカに呼び戻すためにNBC放送が1937年に創設したオーケストラである。

当時、ヨーロッパから移住してきた演奏家を含む約700人の応募者から厳選された名手揃いのメンバーによって構成され、トスカニーニの厳しい指導により史上最高のオーケストラとまでいわれ、はじめは放送だけだったが、間もなく公開のコンサートとレコーディングも行うようになった。

だがトスカニーニが1954年に引退して間もなく解散を命じられた後、自主運営のシンフォニー・オブ・ジ・エアとして活動したが長続きせず、1963年に解散した。

NBC交響楽団としては結局17年間活動しただけだが、その録音はトスカニーニという強烈な個性をもった巨匠の主要なレパートリーのほとんどを後世に伝える貴重な記録となったのである。

そのすべてがCD化されており、その中から1枚だけ選ぶのは非常に難しいが、いかに傑出したオーケストラであったかがわかる演奏をあえて選べば、レスピーギの「ローマ三部作」だろうか。

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