カラヤン

2017年01月20日


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巨匠カラヤンが最も得意とした作曲家の1人がリヒャルト・シュトラウスであったことは疑いの余地がない。

この作曲家の音楽がオーケストレーションを極限まで駆使し、スペクタクルで絢爛たる音響効果を持っていることと、指揮者としてのカラヤンの音楽性に共通点が見出されるのは偶然ではないだろう。

カラヤンはR.シュトラウスのスコアを緻密に磨き上げ、極めて巧妙な演出で聴かせる。

しかもこうした作品の再現には高度な演奏技術とアンサンブルの熟練が要求される。

そうした条件を満たすことができたのが、彼の手兵ベルリン・フィルであったことは幸いというほかはない。

ベルリン・フィルの演奏が、世界のヴィルトゥオーゾ集団にふさわしく、きめの細かいアンサンブルで応えている。

管楽器のソロのうまいこと、弦のアンサンブルの美しいこと、このコンビはまさにR.シュトラウス演奏の第一人者と言える。

劇的な迫力といい、耽美的な美しさといい、これほどの演奏が現れると、後攻の指揮者もオーケストラもさぞ辛いに違いない。

巨匠晩年の時代、両者の関係は決して良好なものとは言えなかったが、カラヤンによって練り上げられ、醸し出されるベルリン・フィルの華麗なサウンドは少しも衰えていないし、R.シュトラウス特有の世紀末的な甘美さや映像的な音響もとりわけ魅力的だ。

スペクタキュラーな要素も加味して、彼らの演奏は緻密さにおいても、またスケールの大きさにおいても、文句の付けようもないほど、見事な出来を示しているのである。

R.シュトラウスの交響詩は本質的に、都会的な洗練味と卓越した職人芸にあるが、これはまたカラヤン&ベルリン・フィルの本質とも合致しているかのようである。

この5枚組のセットにはグラモフォンに録音された彼らの最良の記録が集大成されていて、演奏内容は勿論1969年から86年にかけて行われた当時の録音水準の高さも注目される。

このセットでは彼らがクラシック界の一世を風靡したほどの『アルプス交響曲』、『英雄の生涯』、『ティル』や『ツァラトゥストラ』のほかにも名演が目白押しだ。

例えばローター・コッホをソリストに迎えた『オーボエ協奏曲』は白眉のひとつで、真摯で鮮やかなソロと隙の無いアンサンブルでやり取りするオーケストラが聴き所だ。

また現実離れした夢想空間を巧みに表現した『ドン・キホーテ』も知的な滑稽さに満ちている。

尚ここでのチェリストは1975年のロストロポーヴィチに代わってアントニオ・メネセスが起用されている。

協奏曲的な趣きは後退しているが、カラヤンの主張はむしろ増幅される結果になった。

R.シュトラウスの楽曲に関する限り、カラヤン&ベルリン・フィルを選んでおけば、まず間違いがないというのが、結論のようである。

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2016年10月23日


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このCDを聴いて強く印象に残ったのは音質が驚くほど良いことで、特に交響曲第2番は1960年3月のセッションだが、当時のEMIの初期のステレオ録音としては最良のマスターが残されていたようだ。

それが今回チェコ・プラガ独自のリマスタリングによって鮮明度が増し分離状態も改善されて臨場感を俄然高めている。

どちらもロンドン・キングスウェイ・ホールが録音会場に使われているが、交響曲第4番は1953年7月のモノラル音源を擬似ステレオ化して音場を拡げ、時代相応以上の生々しいサウンドの再現に成功している。

終楽章のグロッケンシュピールの響きで高まるこの作曲家特有のクライマックスもクリアーだ。

対照的な曲想を持つこのシベリウス2曲の交響曲にカラヤン若き日の噴出するような熱っぽい感性が手に取るように伝わってくる演奏で、オーケストラは良く練り上げられているが大袈裟な表現を避けた新鮮味がある。

特に交響曲第2番は初期のカラヤンの直截なスタイルが残っており、その素直さや情熱の率直な表明が、作品の激しい気力を的確に表していて、両端楽章の白熱するような緊張感は、カラヤンの演奏でも屈指のものといってよい。

幸いこの時期のフィルハーモニア管弦楽団は全盛期を迎えていて、ウォルター・レッグの手腕によってヨーロッパの一流どころの指揮者が次々に迎えられ、彼らが実質的に楽団の質の飛躍的な向上に貢献している。

しかしながら数年後の解散によって再びこの頃の水準に戻ることがなかったのが惜しまれる。

誤解を招かないために書いておくが、ハルモニア・ムンディ傘下のプラガ・ディジタルスの新企画ジェニュイン・ステレオ・ラブは、オーストリアで生産されている同プラガのSACDとは異なり、あくまでもレギュラー・フォーマットによるCDで総てチェコ製になる。

その特徴は新規のリマスタリングにあり、多くの既出盤を聴いた感じでは鮮明度だけではなく、空間的な広がりやボリューム・レベルのアップなどいずれも従来盤を凌いでいることが明瞭に感知できる。

音楽性豊かで音質的にも優れたセッション及びライヴがピックアップされていることは勿論だが、これまでにリリースされた20枚余りのCDには貴重音源も少なからずあり魅力的なシリーズになっている。

尚ライナー・ノーツの裏面にはロンドンのカラヤン(1)と記載されているので第2集以降にも期待したい。

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2016年04月29日


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極限の美を追求した、カラヤンならではの磨き抜かれた壮絶な演奏を体感できる1973年録音盤。

広範なレパートリーを誇るとともに、余人を寄せ付けないような膨大な録音を遺したカラヤンであったが、マーラーの交響曲については、必ずしも主要なレパートリーとしては位置づけていなかったようだ。

カラヤンが録音したマーラーの交響曲は、第4番、第5番、第6番、第9番、そして『大地の歌』の5曲のみであり、これに少数の歌曲が加わるのみである。

同時代の大作曲家であるブルックナーの交響曲全集を録音した指揮者にしてはあまりにも少ないし、むしろ、クラシック音楽ファンの中には、カラヤンの指揮するマーラーの交響曲全集を聴きたかったと思っているリスナーも多いのではないだろうか。

そうした比較的数少ないカラヤンの録音したマーラーの交響曲の中で、先般、第6番のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われる運びとなった。

筆者としては、第9番の1982年のライヴ録音のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を期待したいところであるが、いずれにしても、カラヤンの芸風が色濃く表れた稀少なマーラーの交響曲演奏の1つがSACD化されたことについて、大いに喜びたいと考える。

本盤に収められたマーラーの交響曲第5番は、全盛期のカラヤンとベルリン・フィルの徹底的に磨き抜かれた、甘美で艶やかな美音の洪水が聴き手を圧倒するが、起伏も豊かで、隅々にまで配慮が行き届いていて実に見事である。

同曲の名演としては、バーンスタイン&ウィーン・フィルによるライヴ録音(1987年)やテンシュテット&ロンドン・フィルによるライヴ録音(1988年)などが、ドラマティックな超名演として第一に掲げるべきであろうが、本盤のカラヤンによる演奏は、それらの演奏とは一線を画する性格を有している。

クラシック音楽史上最大のレコーディング・アーティストであったカラヤンによる本演奏は、それらのドラマティックな名演とはあらゆる意味で対極にある演奏であり、ここには前述のような人間のドラマはいささかもなく、純音楽的な絶対美だけが存在している。

しかしながら、その圧倒的な究極の音のドラマは、他の指揮者が束になっても構築不可能であるだけでなく、バーンスタイン盤などの名演との優劣は容易にはつけられないものと考える。

何よりも、当時蜜月の関係にあったカラヤン&ベルリン・フィルが、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な名演奏を展開しているのが素晴らしい。

うなりをあげるような低弦の迫力、雷鳴のように轟きわたるティンパニ、ブリリアントに響き渡るブラスセクションなど、凄まじいまでの迫力を誇っている。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは、もはや人間業とは思えないような凄さであり、加えて、カラヤンならではの流麗なレガートが演奏全体に艶やかとも言うべき独特の美しさを付加させているのを忘れてはならない。

もちろん、そうした美しさが、前述のバーンスタインやテンシュテットなどの名演にあった強靭な迫力をいささか弱めてしまっているというきらいもないわけではないが、他方、第4楽章における徹底して磨き抜かれた耽美的とも言うべき極上の美しさには抗し難い魅力が満ち溢れている。

この「アダージェット」で、カラヤンは、テンポを極端に落とし、官能的とすら言えるほどの艶やかな歌を聴かせてくれる。

我々聴き手の肺腑を打つ演奏と言えば、前述のバーンスタインやテンシュテットなどの名演を掲げるべきであろうが、聴き終えた後の充足感においては、本演奏もいささかも引けを取っていない。

筆者としては、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルならではの磨き抜かれた美しさの極みとも言うべき素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

マーラーの抱えていたペシミズムやニヒリズムなどは一顧だにせず、あくまで自分の流儀をやり通したカラヤンは流石である。

本演奏については、数年前に他の交響曲とのセットでSHM−CD化が図られたが、音質の抜本的な改善は図られなかったと言える。

カラヤン&ベルリン・フィルによる極上の美酒とも言うべき究極の名演であり、可能であれば、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望みたいと考える。

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2016年04月15日


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本盤に収められたブラームスの交響曲全集は、カラヤン&ベルリン・フィルによる3度目の、そして最後のスタジオ録音である。

それだけでなく、数多くの様々な作曲家に係る交響曲全集のスタジオ録音を行ってきた、史上最高のレコーディング・アーティストであるカラヤンによる最後の交響曲全集にも相当する。

3度にわたるカラヤン&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、1977〜1978年に録音された2度目の全集であると考えられる。

というのも、この当時はカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期であったと言えるからだ。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

当該2度目の全集においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっていた。

これに対して、本盤の3度目の全集においては、カラヤンの統率力の衰えは隠しようもない。

1982年に勃発したザビーネ・マイヤー事件によって、カラヤンとベルリン・フィルの間には修復不可能な亀裂が入るとともに、カラヤン自身の著しい健康悪化も加わって、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏に、1970年代以前のような輝きが失われるようになったからだ。

したがって、いわゆるカラヤンの個性が全開であるとか、はたまたカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築と言った観点からすれば、第1番などには全盛期の豪演の片鱗が感じられなくもないが、前述の1977〜1978年の2度目の全集と比較するといささか劣っていると言わざるを得ない。

しかしながら、本演奏には、死の1〜3年前の演奏ということもあって、枯淡の境地を感じさせるような独特の味わいがあると言えるところであり、このような演奏の奥深い味わい深さと言った点においては、カラヤンによるこれまでのいかなる演奏をも凌駕していると言えるだろう。

このような奥行きのある味わい深さは、カラヤンが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地であったと言えるのかもしれない。

もっとも、本盤においては、何故か交響曲第4番について1988年の録音ではなく、1977〜1978年の2度目の全集中の録音を採用している。

演奏自体は1977〜1978年の演奏もきわめて優れてはいるのであるが、全集の構成としてははなはだ疑問を感じずにはいられない。

最近になって、最後の全集が輸入盤で発売はされたが、このような疑問を感じさせるカップリングについては、早急に改めていただくようにユニバーサルに対して要望しておきたい。

音質は、従来盤でも十分に満足できるものであると言えるが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤がより良好な音質であった。

もっとも、カラヤンによる最晩年の至高の名演でもあり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2016年04月02日


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カラヤンはベルリン・フィルとともにDVD作品を除けば3度にわたってベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、本盤に収められた全集はそのうちの1960年代に録音された最初のものである。

先般、当該全集のうち、「エロイカ」と第4番がシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されたが、他の交響曲についても同様にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されるのには相当の時間を要することが想定されることから、この機会に全集についてもコメントをしておきたい。

カラヤン&ベルリン・フィルによる3つの全集のうち、最もカラヤンの個性が発揮されたものは何と言っても2度目の1970年代に録音されたものである。

1970年代は名実ともにカラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代であり、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏に、カラヤンならではの流麗なレガートが施された、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していた。

また、1980年代に録音された最後の全集は、カラヤンの圧倒的な統率力に綻びが見られるものの、晩年のカラヤンならでは人生の諦観を感じさせるような味わい深さを感じさせる名演であるということが可能だ。

これに対して、本盤に収められた1960年代に録音された全集であるが、カラヤンがベルリン・フィルの芸術監督に就任してから約10年が経ち、カラヤンも漸くベルリン・フィルを掌握し始めた頃の演奏である。

したがって、1970年代の演奏ほどではないものの、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの萌芽は十分に存在している。

他方、当時のベルリン・フィルには、ティンパニのテーリヒェンなど、フルトヴェングラー時代の名うての奏者がなお数多く在籍しており、ドイツ風の重心の低い重厚な音色を有していたと言える(カラヤンの演奏もフルトヴェングラーの演奏と同様に重厚ではあるが、音色の性格が全く異なっていた)。

演奏はどれも優れたもので、オーケストラとの良好な関係を反映した覇気にあふれたアプローチがとにかく見事。

まだカラヤン色に染まりきらない時期のベルリン・フィルが、木管のソロなどに実に味のある演奏を聴かせているのも聴きどころで、ほとんど前のめり気味なまでの意気軒昂ぶりをみせるカラヤンの意欲的な指揮に絶妙な彩りを添えている。

したがって、本全集に収められた各演奏はいずれも、カラヤンならではの流麗なレガートが施された圧倒的な音のドラマにドイツ風の重厚な音色が付加された、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると評価したいと考える。

カラヤンの個性が全面的に発揮されたという意味では1970年代の全集を採るべきであろうが、徹頭徹尾カラヤン色の濃い演奏に仕上がっている当該1970年代の全集よりも、本全集の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないと考えられる。

録音については、リマスタリングを行ったとは言え、従来盤ではいささか生硬な音質であった。

しかしながら、その後本SACDハイブリッド盤が発売され、これによって生硬さがなくなり、見違えるような高音質に生まれ変わったと言えるところであり、筆者としてもこれまでは本SACDハイブリッド盤を愛聴してきた。

ところが、今般、当該全集のうち、「エロイカ」と第4番がシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化され、当該盤のレビューにも記したが、緑コーティングなども施されたこともあって、更に素晴らしい極上の高音質になったと言える。

前述のように全交響曲をシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化するには相当の時間を要するとは思われるが、カラヤンによる至高の名演でもあり、できるだけ早期に全交響曲をシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化していただくよう強く要望しておきたいと考える。

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2016年03月19日


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本盤には、カラヤンがウィーン・フィルを指揮して演奏したドヴォルザークの交響曲第8番及び第9番が収められている。

両曲ともにカラヤンは十八番としており、これまでに何度もスタジオ録音を繰り返し行っている。

第8番で言えば、ウィーン・フィルとの演奏(1961年)、そして手兵ベルリン・フィルとの演奏(1979年)があり、第9番については、手兵ベルリン・フィルとの4つの演奏(1940年、1957年、1964年及び1977年)が存在している。

いずれ劣らぬ名演であると言えるが、これらの名演の中でとりわけカラヤンの個性が発揮された演奏は、ベルリン・フィルとの全盛期の1970年代の演奏であったと言える。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

したがって、両曲についても、特に第9番については1977年盤、第8番については1979年盤においてかかる圧倒的な音のドラマが健在であるが、この稀代の黄金コンビも1982年のザビーネ・マイヤー事件の勃発を契機として、大きな亀裂が入ることになった。

加えて、カラヤン自身の健康悪化もあり、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏にもかつてのような輝きが失われることになったところだ。

そのような傷心のカラヤンに温かく手を差し伸べたのがウィーン・フィルであり、カラヤンもウィーン・フィルに指揮活動の軸足を動かすことになった。

本盤の演奏は、そのような時期(1985年)のカラヤンによる演奏であり、ここには1977年盤(第9番)や1979年盤(第8番)のようなオーケストラを圧倒的な統率力でドライブして音のドラマを構築したかつてのカラヤンの姿はどこにも見られない。

ただただ音楽そのものを語らせる演奏であるとさえ言えるだろう。

したがって、カラヤンの個性の発揮という意味においては1977年盤(第9番)や1979年盤(第8番)と比較していささか弱いと言わざるを得ないが、演奏が含有する独特の味わい深さや奥行きの深さという意味においては、本演奏の方をより上位に掲げたいと考える。

特に、第9番の第2楽章。

有名な家路の旋律をカラヤンは情感豊かに演奏するが、中間部は若干テンポを落として心を込めて歌い抜いている。

この箇所の抗し難い美しさはこれまでの他の演奏からは決して聴けないものであり、これこそカラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

第8番の第3楽章の名旋律の清澄な美しさにも枯淡の境地を感じさせるような抗し難い魅力がある。

ウィーン・フィルも、名誉指揮者であるカラヤンに心から敬意を表して、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の大熱演を披露しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、重厚さと優美さ、ドヴォルザークならではのボヘミア風の抒情、そして、カラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地とも言うべき独特の味わい深さと言ったすべての要素を兼ね備えた、まさに完全無欠の超名演と高く評価したい。

このような完全無欠の超名演を2曲カップリングしたCDというのは、野球の試合に例えれば、ダブルヘッダーで両試合とも完全試合を達成したようなものであるとさえ言えるだろう。

音質は、リマスタリングがなされたこともあって従来盤でも十分に満足できるものであるが、SHM−CD化によって若干ではあるが、音質がやや鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

もっとも、カラヤンによる至高の超名演でもあり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2015年09月24日


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カラヤン没後25周年記念企画でEMI音源を新規にリマスタリングして全13巻計101枚のCDにまとめたセットのひとつになり、2巻ある声楽曲集のうち初期録音が5枚に編集されている。

使用されたオリジナル・マスターが1947年から1958年にかけての製作なので驚くような変化は聴き取れないが、演奏史に残るような貴重なセッションやライヴが鑑賞に充分堪えられる音質に改善されていることは評価できる。

例えばCD4−5のベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』は1958年のステレオ録音で、シュヴァルツコップ、ルートヴィヒ、ゲッダ、ザッカリアをソリストに迎え、フィルハーモニア管弦楽団とウィーン楽友協会合唱団を振ったものだが音質及び分離状態も良好で、若き日のカラヤンの颯爽とした推進力と同時にスペクタクルな音響創りも既に示されている。

CD1−2のバッハの『ロ短調ミサ』は1952年の録音で、マスターの保存状態がそれほど良くないのでバックのオーケストラが映えないのが残念だし、またバスのハインツ・レーフスは非力の謗りを免れないだろう。

CD2のトラック13−17は1950年にカラヤン、ウィーン交響楽団との同曲のリハーサルから収録されたもので、5曲のみの抜粋だがコントラルトのキャスリーン・フェリアーの貴重なソロと、シュヴァルツコップとのデュエットが入っている。

このうち4曲は既にフェリアーのEMIコンプリート・レコーディングス3枚組に加わっていた曲目になる。

CD3ブラームスの『ドイツレクイエム』に関しては1947年のモノラル録音でコーラス陣はいまひとつだが、共に30代だったシュヴァルツコップとホッターの絶唱を堪能できるのが嬉しい。

ワーグナー歌手としてのキャリアを着実に歩んでいたホッターの張りのある歌声とその表現力には流石に説得力がある。

このセットのもうひとつのセールス・ポイントはCD5に収められたR.シュトラウスの『四つの最後の歌』で、シュヴァルツコップとしてはアッカーマンとのセッションに続く1956年のライヴ録音になり、第2曲「九月」の短い後奏を当時フィルハーモニア管弦楽団の首席だったデニス・ブレインの絶妙なソロで聴けることだろう。

演奏の前後に拍手の入ったモノラル録音ながらノイズのごく少ない良質の音源だ。

尚ブレインのホルンはこの連作歌曲以外でもオーケストラの第1ホルンとして随所で感知できる。

英、独、仏語による19ページのライナー・ノーツ付だが、歌詞対訳は省略されている。

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2015年09月03日


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とある影響力の大きい某評論家によって不当に貶められている演奏であるが、筆者としては、「メリー・ウィドウ」史上最高の名演と高く評価したい。

甘美な旋律を歌わせながら、豊かな表現力で生き生きと描きあげた「メリー・ウィドウ」は、魅力たっぷりで、カラヤンならではの精緻で磨き抜かれた華麗な演奏を堪能できる。

名演となった要因の第一は、やはりカラヤン&ベルリン・フィルの雰囲気満点の名演奏ということになるであろう。

歌手たちの歌いっぷりと合わせて実に堂々としていて、それでいて優美で愉悦感もあって、圧倒的に素晴らしい。

特に、第2楽章のワルツや第2楽章と第3楽章の間にある間奏曲の美しさは、ライバルであるマタチッチ盤やガーディナー盤など全く問題にならないほどの極上の美演である。

これ以外にも、随所に見られる詩情溢れる抒情豊かな旋律の歌い方も完全無欠の美しさであり、ここぞという時の力強い表現も見事の一言である。

ただ管弦楽のベルリン・フィルが個性が強すぎるのか、よりコンサート的な演奏になっている感じがするのは否めない。

歌手陣も、いかにもカラヤン盤ならではの豪華さで、全く隙を感じない絶妙な配役である。

その扇の要にいるのはダニロ役のルネ・コロということになるが、ハンナに対する心境の微妙な移ろいを絶妙の歌唱で巧みに表現しているのはさずがという他はない。

また、ハンナ役のハーウッド、ヴァランシエンヌ役のストラータス、ツェータ男爵役のケレメン、そしてカミーユ役のホルヴェークも最高のパフォーマンスを示しており、これらの五重唱の極上の美しさにはただただため息をつくのみ。

カラヤンの演奏の巧さは言うまでもないが、この録音の特徴は色々な意味で純然たるスタジオ録音のオペレッタという点にある。

巨大なスケールの演奏で、すでにこのオペレッタに馴染んでいる人には少々違和感があるかも知れない。

だが、ベルリン・フィルの途轍もない美音とルネ・コロの名唱の前に、すぐそんなことは忘れてしまう。

第2幕の二重唱「すべてパリ風に」で低弦が猛烈なアタックをかけてくるところはまさに震えがくるような、足元がポッカリ空いたような浮遊感に、カラヤンが構築した美の空間にスッポリとはまってしまった。

20世紀の開幕期に発表されたこの作品、あるいはこのどこか未来的、人工的で、どこまでも続くかのような広がりを感じさせる演奏は、意外と曲の本質を突いているのかも知れない。

ちなみにカラヤンはウィーン・フィルとJ.シュトラウス「こうもり」を、DECCA及びライヴでの音源が残しているが、その演奏と比べると、はるかに引き締まった演奏を展開している。

随所にオーストリア出身の独特な個性を感じるのは、フィルハーモニア管と録音したJ.シュトラウス「こうもり」同様である。

これを聴くと、カラヤンがベルリン・フィルと「こうもり」をDGに録音しなかったのが極めて残念でならない。

録音は、通常盤でもなかなかの高音質である。

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2015年08月21日


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本盤には、ワイセンベルクのピアノ、カラヤンによる蜜月時代の名演集が収められている。

演奏はいかにも全盛期のカラヤン&ベルリン・フィル(チャイコフスキーはパリ管弦楽団)ならではの圧倒的なものである。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、唸るような低弦の重量感溢れる力強さ、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックで美音を振りまく木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなど、圧倒的な音のドラマが構築されている。

そして、カラヤンは、これに流麗なレガートを施すことによって、まさに豪華絢爛にして豪奢な演奏を展開しているところであり、少なくとも、オーケストラ演奏としては、本盤に収められたいずれの楽曲の演奏史上でも最も重厚かつ華麗な演奏と言えるのではないだろうか。

他方、ワイセンベルクのピアノ演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルの中の1つの楽器と化していたと言えるところであり、その意味では、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築の最も忠実な奉仕者であったとさえ言えるが、よくよく耳を傾けてみると、ワイセンベルクの強靭にして繊細なピアノタッチが、実はカラヤン&ベルリン・フィルの忠実な僕ではなく、むしろ十二分にその個性を発揮していることがわかる。

カラヤンは、今を時めくピアニストとともにチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音する傾向があるようだ。

リヒテル、ワイセンベルク、ベルマン、そして最晩年のキーシンの4度に渡って同曲を録音しているが、そのいずれもが、これから世に羽ばたこうとしていた偉大なピアニストばかりであるという点においては共通している。

実に充実したスケールを備えた演奏で、パリ管弦楽団の抒情的な美しさを持つ魅力を生かしたカラヤンの演奏に対し、ワイセンベルクも、カラヤン設定のテンポと表現の中で、冴えた技によって明確な演奏をきかせてくれる。

美しい憂愁をたゆたうように歌いつぐ第2楽章は特に印象的で、デリケートなピアノにも注目される。

もちろん、カラヤン&パリ管弦楽団の演奏は凄いものであり、ベルリン・フィルとの間で流麗なレガートを駆使して豪壮華麗な演奏の数々を成し遂げていたカラヤンにしてみれば、パリ管弦楽団との本演奏では若干の戸惑い(特に、パリ管弦楽団において)なども見られないわけではないが、そこはカラヤンの圧倒的な統率力によって、さすがにベルリン・フィルとの演奏のレベルに達しているとは言えないものの、十分に優れた名演奏を行っていると言えるところだ。

ラフマニノフは、ワイセンベルクとカラヤンが残したレコーディングの中でもトップを争う素晴らしい出来栄え。

まずはカラヤン&ベルリン・フィルによる同曲史上最高と言いたくなる壮麗な伴奏には驚くほかはなく、その圧倒的な勢力に対峙するワイセンベルクの一種「クリスタル・ビューティー」とでも形容すべきピアニズムが、濃厚かつ華麗な抒情美の世界を展開する。

もっとも、流麗なレガートを駆使して豪壮華麗な演奏の数々を成し遂げていたカラヤンの芸風からすれば、ラフマニノフの楽曲との相性は抜群であると考えられるところであるが、カラヤンは意外にもラフマニノフの楽曲を殆ど録音していない。

カラヤンの伝記を紐解くと、交響曲第2番の録音も計画されていたようではあるが、結局は実現しなかったところだ。

したがって、カラヤンによるラフマニノフの楽曲の録音は、本盤に収められたピアノ協奏曲第2番のみということになり、その意味でも、本盤の演奏は極めて貴重なものと言えるだろう。

ベートーヴェンは、ワイセンベルクならではの研ぎ澄まされた技量と抒情を味わうことができる名演だ。

しかしここでもゴージャスなカラヤンサウンドが全体を支配していて、ピアノ協奏曲ではなく、あたかも一大交響曲を指揮しているような圧倒的な迫力を誇っている。

その重戦車の進軍するかのような重量感においては、古今東西のあらゆる演奏をわきに追いやるような圧巻のド迫力を誇っている。

このような演奏では、ワイセンベルクのピアノは単なる脇役に過ぎず、要は、いわゆるピアノ協奏曲ではなく、ピアノ付きの交響曲になっている。

それ故に、カラヤンのファンを自認する高名な評論家でさえ、「仲が良い者どうしの気ままな演奏」(リチャード・オズボーン氏)などとの酷評を下しているほどだ。

しかしながら、筆者は、そこまでは不寛容ではなく、本演奏は、やはり全盛期のカラヤン、そしてベルリン・フィルでないと成し得ないような異色の名演であると高く評価したい。

いわゆるピアノ協奏曲に相応しい演奏とは言えないかもしれないが、少なくとも、ベートーヴェンの楽曲の演奏に相応しい力強さと重厚さを兼ね備えていると思われるからである。

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2015年08月17日


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1970年代と言えば、カラヤン&べルリン・フィルの全盛時代に相当する。

この1970年代にカラヤンはレパートリーの拡充に注力し、ヴィヴァルディからマーラー、ベルク、シェーンベルク、ウェーベルンまでを録音し、オルフの録音も忘れることはできないし、また国歌集までをも録音した。

本BOXには、カラヤン3度目のベートーヴェン交響曲全集、ブラームス・チャイコフスキー・メンデルスゾーン・シューマンの交響曲全集、モーツァルト後期交響曲集、ブルックナーとマーラーの交響曲集、新ウィーン楽派管弦楽曲集、さらにカルメン&アルルの女、ペール・ギュント&十字軍の兵士シーグル、ヴェルディ序曲・前奏曲全集、時の終わりの劇、プロイセン&オーストリア行進曲集、10代のムターを世界に紹介することとなったモーツァルトとベートーヴェンの協奏曲録音、そしてカラヤンにとっては非常に珍しいバロック録音(クリスマス協奏曲集)など、充実のレパートリーを収録。

1970年代のカラヤン&ベルリン・フィルの名録音を集大成し、加えてベートーヴェンの数字ジャケ、ブルックナーの翼ジャケ、マーラーの虹ジャケなどオリジナル紙ジャケット&オリジナルカップリングで再現された豪華BOXとなっている。

カラヤン&ベルリン・フィルという黄金コンビの全盛時代(1970年代)の演奏は、それは凄いものであった。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、ポルタメントやアッチェレランド、流れるようなレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

悪魔的とも言うべき金管楽器の鋭い音色や、温かみのある木管の音色、重厚な低弦の迫力、そして雷鳴のように轟くティンパニの凄さなど、黄金時代にあったベルリン・フィルの圧倒的な技量が、そうした劇的な要素を大いに後押ししている。

やはりこのように通して聴くことにより、今まで気づかなかったようなカラヤンの良さがあらためて発見できたところであり、録音後約40年経った今でも表現のダイナミックレンジの広さと隅ずみにまで行き届いた奇を衒わない創意に圧倒された。

今回は、日本の愛聴者が多いからの配慮であろうか、ブックレットに英語、ドイツ語に加え日本語の分厚い解説がついているのも嬉しい。

写真は案外少ないが、装丁もきれいで、内容的にはカラヤン時代のベルリン・フィルを支えたコントラバスのクラウス・シュトール氏の文章もありとても充実している(できればライナー・ツェペリッツ氏の言葉が聞きたいところであったが、今となっては不可能なのが残念)。

オペラを除くカラヤンのDG録音が単価200円で手に入るこの価格には驚きで、1枚1枚、解説を読み漁って大事な宝物のようにレコードを扱っていた30年前がウソのようである。

このBOXを持てば、クラシック音楽のレパートリーのうち重要なもののかなりの部分をほとんど決定盤と言っても良い最高の演奏で一網打尽にできるので、クラシック初心者には特にお薦めである。

1970年代に極められたカラヤン&ベルリン・フィルの極上の響きと流麗この上ない音楽は、確かに宇野功芳氏をはじめとして批判する人が多いのも分かる気もする。

しかし、亡くなった黒田恭一氏が「美しい音楽は、それが極まるとキラッと光って誰かを刺す」とカラヤンが亡くなった直後のレコード芸術の対談で語っていたが、それも至言である。

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2015年08月10日


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古今東西の名指揮者の中で、誰が最もモーツァルティアンかときかれた時、筆者はためらわずに最初にカラヤンに指を屈するであろう。

特に1960年代以降の円熟したカラヤンに。

1つにはカラヤンの天性が、モーツァルトの“歌”を歌うことができることである。

指揮者のタイプの中には、リズムに秀でた人、バランス感覚にすぐれた人、統率力のある人、個性的な音楽を作る人など、いろいろの特徴があるわけであるが(もちろんそれらを集成したのが大指揮者なのだが)モーツァルト演奏する場合は、特にこの作曲家の、こんこんと湧いて尽きぬ歌の泉とその千変万化の流れとを、直感的に本能的に捉えられる指揮者でないと、モーツァルトの美しさのエッセンシャルな部分を表現できないことになってしまう。

モーツァルトの音楽を精妙に造型する指揮者がいても、それだけではもうひとつ足りないのである。

ほとんどドミソでできたようなテーマでも、モーツァルトの場合は、不思議なことには“歌”なのだから。

その意味では現在に至るまで、カラヤンの右に出る指揮者はいないであろう。

さらには(当然のことだが)カラヤンはモーツァルトを良く研究し、正確に把握している。

その一例は、彼の後期シンフォニーの録音に際して、かなり大きな編成のオーケストラを使ったということである。

その理由は、彼自身の言葉によれば、「モーツァルトはいつでも60人、70人という当時としては大きなオーケストラの響きが好きだった、ということが手紙を読めばわかる」というのである。

事実その通り、モーツァルトはパリやウィーンの大きなオーケストラの響きを好んでいた。

カラヤン&ベルリン・フィルは、スケール大きな堂々たる演奏で、独自の自己主張を表した表情がときに牛刀をもって鶏を割く感も与えるが、いっぽうで磨き上げた音彩と柔らかいニュアンスが特色と言える。

ここに収められた9曲では、特に第32、33番が端麗な美感で聴き手を説得する。

また第29番は輪郭をぼかしたような響きとレガートの用法がカラヤン風であり、彼が独自のモーツァルト観を持っていたことを示している。

有名なト短調シンフォニー(K.550)は、どこでいつ演奏されたのか(あるいは何のために書いたのか)もわからない3曲の1つであるが、この曲には2つの版があり、あとの版ではクラリネットを加えて木管の響きを変えると同時に音を厚くしている。

その理由はいくつか推測できるとして、その中には、モーツァルトが大きな弦編成を考えていたということも挙げられよう。

この曲をひどく感傷的な理由で、原形のまま演奏することも行われるようだが、モーツァルトが自分の意志でわざわざ改作したものを、ことさらに原形に演奏するのは愚かなことではあるまいか。

カラヤンは? カラヤンはもちろんクラリネットを入れた形で演奏している。

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2015年07月30日


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1970年代半ばのカラヤンは、耽美的表現が完成した時期であり、カラヤンの切れ味鋭い棒の魔術をたっぷりと堪能できる。

演奏は文句のつけようがないほど素晴らしく、カラヤンはチャイコフスキーを十八番にして、得意中の得意としていたが、豪壮華麗な演奏で、チャイコフスキーらしいチャイコフスキーであることは間違いない。

ベルリン・フィルとの関係が最も良好であったこと、オーケストラの機能とカラヤンの表現意欲がピークにあったことをこのディスクは示す。

交響曲第4番はこれが6度目の録音。

「第4」はライヴ的な迫力が魅力の1971年盤と、最晩年の荘重な巨匠風の名演を聴かせてくれる1984年盤の間にあって、若干影が薄い感があるが、全盛期のカラヤンとベルリン・フィルの黄金コンビが成し遂げた最も完成度の高い名演は、この1976年盤ではなかろうか。

カラヤンは、優美なレガートを軸としつつ、どんなに金管を力奏させても派手すぎることなく、内声部たる弦楽器にも重量感溢れるパワフルな演奏を求め、ティンパニなどの打楽器群も含めて重厚な演奏を繰り広げたが、こうした演奏は、華麗で分厚いオーケストレーションを追求し続けたチャイコフスキーの楽曲との抜群の相性を感じる。

同時代の巨匠ムラヴィンスキーは、チャイコフスキーの「第5」を得意とし、インテンポによる荘重な名演を成し遂げたが、これに対してカラヤンの演奏は、テンポを目まぐるしく変えるなど劇的で華麗なもの。

交響曲第5番は、これが4度目の録音。

ムラヴィンスキーの「第5」は確かに普遍的な名演に違いないが、カラヤンの「第5」も、チャイコフスキーの音楽の本質を的確に捉えた名演だと思う。

まさに両者による名演は、東西の両横綱と言っても過言あるまい。

重厚でうなるような低弦、雷鳴のように轟くティンパニ、天国から声が響いてくるような甘いホルンソロなど、ベルリン・フィルの演奏はいつもながら完璧であり、そうした個性派の猛者たちを巧みに統率する全盛期のカラヤン。

この黄金コンビの究極の名演の1つと言ってもいいだろう。

生涯に何度も「悲愴」を録音したカラヤンであるが、これが6度目の録音。

先般、死の前年の来日時の録音が発売されて話題となったが、それを除けば、ベルリン・フィルとの最後の録音が本盤ということになる。

1988年の来日盤は、ライヴならではの熱気と死の前年とは思えないような勢いのある演奏に仕上がっているが、ベルリン・フィルの状態が必ずしもベストフォームとは言えない。

その意味で、カラヤンとベルリン・フィルという黄金コンビが成し遂げた最も優れた名演ということになれば、やはり本盤を第一にあげるべきであろう。

第1楽章の第1主題の展開部や第3楽章の終結部の戦慄を覚える程の激烈さ、第1楽章の第2主題のこの世のものとも思えないような美しさ、そして第4楽章の深沈とした趣き、いずれをとっても最高だ。

この黄金時代の録音は、録音の良さもさることながら、完全無欠なものに仕上がっていて、見事にカラヤン色に染められてしまったオーケストラの音色を味わう事が出来る最上の輸入廉価盤である。

カラヤンの録音は往々にしてホールの比較的後方から聴いているような柔らかい音色と、包み込まれる様なふくよかな中低域がその特色であり魅力でもあるかと思う。

全体的にこの上なく美しいチャイコフスキーで、いかにもカラヤンらしい表現ではあるけれども、ファーストチョイスで問題ないだろう。

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2015年07月27日


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ニューイヤー・コンサートが最も輝いた時(1987年1月1日)の歴史的なライヴ録音である。

惜しくも、たった1度しか実現しなかったカラヤン指揮ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのライヴ録音が音源だ。

思えば今から四半世紀以上前のものだが、おそらく歴代ニューイヤー・コンサートの録音の中でも随一の出来だと思われる。

これは、ウィーン・フィルの楽団長が、最も思い出に残るニューイヤー・コンサートとして、この演奏会をあげていたことでも分かる通り、カラヤンの下、ウィーン・フィルが溢れんばかりの美音を提供し、カラヤンの意図を十全に汲み出していて、オーケストラとしても会心の演奏と言える。

1曲目、「こうもり」序曲の冒頭を聴いただけで、他の演奏との格の違いが実感される。

しかも、ニューイヤーというと、毎年曲が変わるので、どうしても初めて聴くような、あえて繰り返し聴かなくても……という曲が混じってしまうのだが、ここでは曲目を見て頂ければ分かるように、1曲残らず名曲がきら星のごとく並んでおり、シュトラウス・ウィンナ・ワルツ・ベストと何ら変わらない選曲であり、これも、カラヤンだけが許されたウィーン・フィルからの特別な計らいなのである。

したがって、これを、全てのクラシックファン、ことに初めてワルツ・ポルカを聴かれる方に、強く推薦したい。

リチャード・オズボーンの伝記によると、カラヤンは、この指揮の直前は、健康状態も最悪で、気力も相当に萎えていたというが、本盤を聴くと、どの楽曲とも生命力に満ち溢れた演奏を行っており、老いの影など微塵も感じさせない。

充分でない体調を押してなのだが、馥郁たるウィーン・フィルのサウンドを重厚に引き出して、しかもシュトラウス・ワルツの極意というか独特の呼吸が伴っているのは流石同国オーストリア人同士の阿吽なのかも知れない。

それにしても、カラヤンの指揮するウィンナ・ワルツは、実に豪華絢爛にして豪奢。

それでいて、高貴な優美さを湛えており、ウィーン・フィルも水を得た魚の如く、実に楽しげに演奏をしている。

ウィンナ・ワルツが持つ独特の『間』と『アクセント』を見事に体現しており、その1音1音に命を吹き込んだこの演奏は、どの楽曲にも生命力が満ち溢れている。

そして何よりも、ウィーン・フィルとカラヤン自身が音楽することを楽しんでいることが伝わってくる演奏である。

カルロス・クライバーもこんな演奏がしたくて、2回もニューイヤー・コンサートを引き受けたのかもしれない。

バトルの「春の声」での独唱も見事であり、このように役者が揃ったニューイヤー・コンサートは、まさに空前にして絶後であり、今後ももはや決して聴くことはできないだろう。

残念なのは、当時演奏されたはずの「皇帝円舞曲」が収録されていないことであるが、それを除けば、あまた市場に溢れている各種のニューイヤー・コンサートのCDの中でも、随一の名盤と言うべきであろう。

幸運にも筆者はこのライヴをテレビ中継で見ることができたのだが、その緊迫感ある演奏は以後(例えばクライバーやムーティが登場した折にも)お目にかかれなかったと記憶している。

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2015年07月23日


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本盤には、ビゼーが作曲した南フランスの牧歌的な風景の中で繰り広げられる劇音楽から編纂した馴染み深いメロディが次々に登場する「アルルの女」組曲と情熱的なスペイン情緒を背景にした歌劇の名旋律を独立したオーケストラに再編した「カルメン」組曲などが収められている。

本盤に収められた演奏は、カラヤンがこれらビゼーの2大有名管弦楽曲を手兵ベルリン・フィルとともに行った演奏としては、1度目の1970年盤のスタジオ録音ということになる。

1980年代にスタジオ録音された新盤も、一般的な意味においては、十分に名演の名に値すると言えるであろう。

しかしながら、本盤に収められた1970年の演奏があまりにも素晴らしい超名演であったため、本演奏と比較すると新盤の演奏はいささか落ちるということについて先ずは指摘をしておかなければならない。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代、そして1970年代というのが一般的な見方であると考えられるところだ。

この黄金コンビによる同時期の演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そして雷鳴のようなティンパニの轟きなどが鉄壁のアンサンブルの下に一体化した完全無欠の凄みのある演奏を繰り広げていた。

そして、カラヤンは、ベルリン・フィルのかかる豪演に流麗なレガートが施すことによって、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。

しかしながら、1982年にザビーネ・マイヤー事件が勃発すると、両者の関係には修復不可能なまでの亀裂が生じ、この黄金コンビによる演奏にもかつてのような輝きが一部の演奏を除いて殆ど聴くことができなくなってしまった。

新盤に収められた演奏は1982〜1984年にかけてのものであり、これは両者の関係が最悪の一途を辿っていた時期でもあると言える。

加えてカラヤン自身の健康悪化もあって、新盤の演奏においては、いささか不自然なテンポ設定や重々しさを感じさせるなど、統率力の低下が顕著にあらわれていると言えなくもないところだ。

したがって、カラヤンによるこれらの楽曲の演奏を聴くのであれば、前述のようにダントツの超名演である1970年盤の方を採るべきであると考える。

演奏は、カラヤン一流の緻密な設計と巧妙な演出の光るもので、その豊かな表現力には舌を巻く。

カラヤンの指揮した舞台の付随音楽は天下一品といってよく、この「カルメン」組曲の前奏曲など、まさに幕開きの音楽にふさわしい劇場風の華やかな気分にあふれている。

「アルルの女」も文句のつけようのない卓越した演奏で、カラヤンの卓抜な棒がそれぞれの曲の性格をくっきりと浮き彫りにしている。

本演奏でカラヤンがみせる執念と集中力はたいへんなもので、手になれた作品を扱いながら、手を抜いたところは少しもなく、南欧特有の陽光に包まれた情緒を豊かに匂わせている。

ベルリン・フィルの木管セクションの軽妙洒脱な歌いまわしも絶妙といっていいほど冴え渡っており、愉悦感に満ち溢れた規範的な演奏を繰り広げている。

音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、本従来盤でも十分に良好な音質である。

もっとも、新盤の演奏においては、とりわけ緩徐箇所における情感豊かな旋律の歌わせ方などにおいて、晩年のカラヤンならではの味わい深さがあると言えるところだ。

そして、管弦楽曲の小品の演奏におけるカラヤンの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さにおいては、新盤の演奏においてもいささかも衰えが見られないところであり、総じて新盤の演奏も名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。



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2015年07月09日


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オーストリア生まれのカラヤンによるシュトラウス・ファミリーの名曲集。

カラヤンが元旦恒例の「ニュー・イヤー・コンサート」に登場したのはその最晩年であったが、録音においては、既に50代の頃にこの素敵な名盤を遺していた。

何れもウィーン・フィルの伝統的な演奏スタイルと、カラヤン独特の美学が融合した名演に仕上がっている。

シュトラウス一家に代表されるウィンナ・ワルツは、あの3拍子の第2拍の後にごくわずかな間が入る独特のリズムが特徴であり、それはウィーンの人によれば、「学べるものではなく、感じなければならない」ということになる。

実際、ウィンナ・ワルツの微妙なリズムばかりでなく、そのリズムにのって歌われる流麗な旋律なども、すぐれた指揮者の演奏によると、とても粋な、ウィンナ・ワルツ特有の魅力が生まれることになる。

だが、だからといって、ウィーンの音楽家しかウィンナ・ワルツの独特の魅力は伝えられないかというと、そんなことはなく、また、例えばこの数年のウィーン・フィルの「ニュー・イヤー・コンサート」を聴いてもわかるように、同じウィーン・フィルでも指揮者によって、それぞれの個性が演奏に微妙に反映されている。

カラヤンも、周知のようにウィーンとは関係が深く、彼はザルツブルク生まれだが、父はウィンナ・ワルツの全盛期にウィーンに生まれているし、カラヤンも幼少期からしばしばウィーンを訪れ、また音楽の勉強の総仕上げをしたのもウィーンである。

そしてカラヤンがシュトラウスの音楽を知ったのは、まだ作曲家とそのテンポを知っている演奏家が活躍していた時代であった。

指揮者になってからも、その最初のオーケストラであるドイツのウルム時代から、《こうもり》をはじめシュトラウスの音楽をしばしば演奏した。

録音もカラヤンの初期から晩年まで、かなり頻繁に行い、それぞれの時期を代表する名演を遺していることは、改めて言うまでもないだろうが、このウィーン国立歌劇場の総監督時代のウィーン・フィル(1959年)との録音は忘れることができない。

カラヤンのシュトラウス・ファミリーの作品の演奏は、実際に踊るためのものではない聴くためのコンサート・スタイルの最右翼と言える。

殊に、このカラヤン全盛時代に演奏されたウィーン・フィルとの録音は、きわめてシンフォニックで豪華な響きに満たされており、ワルツ、ポルカといった軽い作品の中に新たな魅力を発見することができる。

モノゴトは“全力投球”をすると、優美さとか優雅な雰囲気、洒落た気分などという要素は、なかなかに出し難いものだ。

全力投球をすると、モノゴトはつい体に力が入り過ぎてしまい、柔軟性を失ってしまいがちであるが、ここにおけるカラヤンはそうではなく、シュトラウスの作品に対し、カラヤンはまさに全力投球をしており、手をゆるめるようなところは少しもない。

それでいて、ここに聴く演奏には、曲が強く要求してやまない優美な、洒落た雰囲気に満ち満ちていて、体に力が入り過ぎるような傾向がない。

なるほど、カラヤンという指揮者は、ややもすると通俗的なポピュラー曲と扱われかねないシュトラウスの作品でさえ、少しも力を抜くことなく、他の曲と同じような姿勢で取り組み、しかも作品が要求するものは的確に表現し得たのだと、改めて感服してしまう。

ここで注目されるのは、ほとんどの指揮者があまり取り上げないヨーゼフの《うわごと》である。

これはおそらくカラヤンの好みなのだと思うが、またウィーン・フィルのような大編成のシンフォニー・オーケストラの演奏ということも関係している。

「ワルツ王」も弟の《うわごと》をとりわけ愛していたそうだが、カラヤンもまた非常に好きだったに違いない。

このダンス音楽の枠を越えた幻想的な音楽の美しさをカラヤンほど素晴らしく表現した指揮者はいないし、ことにこのウィーン・フィルとの演奏は見事である。

他の曲もすべて洗練の極にある演奏であり、シュトラウスの音楽の魅力を堪能させてくれるのである。

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2015年06月22日


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本盤は、現在ではあまり演奏される機会に恵まれないオネゲルの交響曲第2、3番とストラヴィンスキーの協奏曲(弦楽合奏のための)を収録したアルバム。

いずれもカラヤン唯一の録音で、手兵ベルリン・フィルと1960年代末に編み出した豊饒な音空間、深刻で神秘的な響きに酔いしれる1枚。

カラヤンは新ウィーン楽派やバルトークあたりを除いてさほど20世紀音楽を録音していないので、彼が録音したストラヴィンスキーの《春の祭典》とかショスタコーヴィチの交響曲第10番やプロコフィエフの交響曲第5番、そしてこのオネゲルの交響曲第2、3番あたりは例外的な珍品に属するのかも知れない。

しかし、第2次世界大戦の苦渋を純楽器交響曲に昇華させたオネゲルの名作2曲を、カラヤンは手兵ベルリン・フィルの緊張感溢れる弦のサウンドも相俟って、きわめて高純度な演奏で聴かせる。

とりわけこのCDは、カラヤンの現代音楽への取り組みの初期の録音だけあって貴重なもので、戦争中・戦争直後の時代が色濃く反映された作品を、高い集中力と緊張感で表現している。

一般的にはそれほど馴染みのないオネゲルの交響曲も、カラヤンの手にかかると実に説得力のある演奏になる。

2曲とも実に鮮やかなアンサンブルで、音楽の輪郭が明快だ。

第2番は弦楽合奏の表現がとても多彩で、しかも劇的な彫りが深く、音楽をおもしろく、しかもわかりやすく聴かせる演奏と言える。

第3番ではカラヤンの読みが常に鋭く、抒情と劇性の配分とその音楽的な効果が見事に表現されており、終楽章が特に傑出した演奏だ。

オネゲルの交響曲第2、3番は第2次世界大戦前後に書かれただけあって、重苦しい曲だが、カラヤンはそれだけで終始せず、この両曲の美しさと悲しみを巧みに表現している。

弦楽オーケストラの張り詰めたドラマの最後にかすかな救いのようにトランペットが聞こえる第2番、「怒りの日」や「深き淵より」が呼応する第3番、いずれも素晴らしい。

とりわけ弦楽器の緊密なアンサンブルが生み出す濃厚な官能性と輝きは、R.シュトラウスやマーラーの場合と同じで、地中海風というよりむしろウィーン世紀末風なオネゲル像が聴かれる。

この演奏は他の演奏に比べて粘着性が高く、演奏速度もかなり遅い部類に入り、まさにデュトワの演奏とは対極にあるようだ。

ヴェルディやチャイコフスキーばりに歌われる旋律については賛否もあろうが、交響曲第2番終楽章のくすんだトランペットや、交響曲第3番の中間楽章では、ゴールウェイのふくよかなフルートの音色を楽しむことができ、そうした色彩感だけでも至福の気分を味わうことができる。

特に第3番では、全体がきわめて劇的に表現されているだけでなく、その中に何時になく深い悲しみの表情が宿っているのが強く印象に残る。

カラヤンは「怒りの日」では重厚かつ凶暴に荒れ狂い、「深き淵より」では地の底で深く苦悩・思索し、「我らに平和を」では絶望に打ちひしがれ、救いを求めてのたうち回り、すべてに疲弊し果てた後に、ソロヴァイオリンによって奏でられる「天からの一筋の光」にかすかな救いを感じるという静謐さを高度な精神性を持って描いていて、聴き手の胸を抉る。

第2次世界大戦の悲惨な経験した1人として、カラヤンにとっても共感の持てる作品だったのだろう、同曲をこれほどまでに深く表現し、聴くたびに何かを考えさせられる深淵な演奏は珍しい。

それにしてもオーケストラの旨さ、ふくよかさ、きめの細かさはどうだろう。

当時のベルリン・フィルの弦楽器の粘ったテクスチュア感も凄い。

音響美だけに終わらず、カラヤンとしては珍しく曲への深い共感が感じられる1枚で、作品のツボを心得たカラヤンの流麗な解釈も改めて聴き手をひきつける。

ストラヴィンスキーの協奏曲(弦楽合奏のための)も傑出した演奏で、これらはカラヤン&ベルリン・フィル最盛期の名演と高く評価したい。

カラヤンも戦争体験者、懺悔の1枚であろうか。

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2015年06月19日


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カラヤンは、特にお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したが、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」についてもその例外ではない。

DVD作品を除けば、ベルリン・フィルとともに本演奏を含め4度にわたって録音(1940、1957、1964、1977年)を行うとともに、ウィーン・フィルとともに最晩年に録音(1985年)を行っている。

いずれ劣らぬ名演であるが、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、カラヤン&ベルリン・フィルが全盛期にあった頃の本演奏と言えるのではないだろうか。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビであったと言えるが、特に全盛期でもあった1960年代から1970年代にかけての演奏は凄かった。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においてもいわゆる豪壮華麗なカラヤンサウンドを駆使した圧倒的な音のドラマは健在で、カラヤン得意の曲でもあるだけに、演奏には寸分の隙もなく、ベルリン・フィルの優秀な機能を駆使して、鮮やかな音楽に仕上げている。

艶やかな美感がカラヤン的であるが、全体に彼としては押しつけがましくない解釈が好ましく、しかも情熱的な緊張にあふれ、溌剌とした生命力を感じさせる。

均衡感が強い造形で、交響的様相を濃厚に表した好演で、この作品がドイツ・ロマン派の延長線上にあることを示しており、この曲に対する先入観も満足させる演奏で、そこにカラヤンの自己主張があることは言うまでもない。

反面、民族性の表出や古典的な造形を打ち出すことよりも、中庸の安定と演奏の洗練が重視されているようで、そのため快適な音の魅力と流暢な表情が耳に快く、それが一種の楽天性を感じさせるのもカラヤンらしさと言えるのだろう。

冒頭のダイナミックレンジを幅広くとった凄みのある表現など、ドヴォルザークの作品に顕著なボヘミア風の民族色豊かな味わい深さは希薄であり、いわゆるカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏とも言えなくもないが、これだけの圧倒的な音のドラマの構築によって絢爛豪華に同曲を満喫させてくれれば文句は言えまい。

後年のカラヤンの演奏ほど個性的ではないが、デュナーミクの幅広い処理や独自のルバートなど、カラヤンらしい表情を随所で味わうことができる。

1985年代のウィーン・フィルとの録音も確かにすばらしいのだけれど、カラヤンのドヴォルザーク演奏の典型的な表現はその前のベルリン・フィルとの録音の方がはっきりしている。

あるがままに、という姿勢が全然なく、すべてをつくり込んだ、ある意味ではとても強引な演奏だ。

もしも、この曲にボヘミアの作曲家のどこか牧歌的な味わいを求めようとするなら、当てが外れることになる。

しかし、先入観を捨て、指揮者の美学、時代の美学の反映をそこに聴きとろうとするなら、このカラヤンとベルリン・フィルの演奏は理想的ではないだろうか。

ドヴォルザークは田舎の作曲家なんぞじゃなく、交響曲第9番は巧みに効果を組み込んだ名曲……でもあった。

筆者としては、カラヤンの晩年の清澄な境地を味わうことが可能なウィーン・フィルとの1985年盤の方をより上位の名演に掲げたいが、カラヤンの個性の発揮という意味においては、本演奏を随一の名演とするのにいささかの躊躇をするものではない。

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2015年06月18日


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広範なレパートリーを誇ったカラヤンであるが、カラヤンは必ずしもシューベルトを得意とはしていなかったようである。

カラヤン自身は、シューベルトをむしろ好んでおり、若き頃より理想の演奏を行うべく尽力したようであるが、難渋を繰り返し、特に、交響曲第9番「ザ・グレイト」に関してはフルトヴェングラーに任せるなどとの発言を行ったということもまことしやかに伝えられているところだ。

実際に、レコード芸術誌の「名曲名盤300選」などにおいても、シューベルトの交響曲第8番「未完成」や交響曲第9番「ザ・グレイト」の名演として、カラヤン盤を掲げた著名な音楽評論家が皆無であるというのも、いかにカラヤンのシューベルトの評価が芳しいものでないかがよく理解できるところだ。

しかしながら、それほどまでにカラヤンのシューベルトの演奏は出来が悪いと言えるのであろうか。

本盤に収められているのは、カラヤンによる唯一のシューベルトの交響曲全集からセレクトされた2枚組である。

そして、カラヤンはシューベルトをその後一度も録音しなかった。

したがって、本演奏は、いずれもカラヤンによるこれらの交響曲の究極の演奏と言っても過言ではあるまい。

そしてその演奏内容は、他の指揮者による名演とは一味もふた味も異なる演奏に仕上がっている。

円熟のきわみにあった帝王とベルリン・フィルの名コンビぶりは、若書きの交響曲から、ゴージャスなサウンドを引き出して、比類のない魅力を引き出すことに成功。

ともに、3回ずつ、セッション録音を残している《未完成》と《ザ・グレイト》は、当ディスク所収の演奏が3回目のものであり、すみずみまでカラヤンの美学に貫かれているのが特徴だ。

本演奏に存在しているのは、徹頭徹尾、流麗なレガートが施されたいわゆるカラヤンサウンドに彩られた絶対美の世界であると言えるだろう。

シューベルトの交響曲は、音符の数が極めて少ないだけに、特にこのようないわゆるカラヤンサウンドが際立つことになると言えるのかもしれない。

したがって、シューベルトらしさといった観点からすれば、その範疇からは大きく外れた演奏とは言えるが、同曲が持つ音楽の美しさを極限にまで表現し得たという意味においては、全盛期のカラヤンだけに可能な名演と言えるのではないかと考えられる。

また、シューベルトの心眼に鋭く切り込んでいくような奥の深さとは無縁の演奏ではあると言えるが、これだけの究極の美を表現してくれたカラヤンの演奏に対しては文句は言えまい。

なお、カラヤンは当録音の以前にもシューベルトの楽曲を録音しているが、本演奏のような美の世界への追求の徹底度がやや弱いきらいがあり、筆者としては本演奏の方をより上位に掲げたい(カラヤンを好まない聴き手には、他の録音の方がより好ましい演奏に聴こえることも十分に考えられるところである)。

いずれにしても、本演奏は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルが醸成した究極の美の世界、そしてカラヤン流の美学が具現化された究極の絶対美の世界を堪能することが可能な極上の美を誇る名演と高く評価したい。

併録の劇音楽「ロザムンデ」序曲も、カラヤンの美学に貫かれた素晴らしい名演だ。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。

数年前にリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴している。

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2015年06月06日


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カラヤンはロシアものも大変巧かったが、このディスクに収められた曲目はそのよい例で、カラヤン&ベルリン・フィルのコンビの実力を如実に示した卓抜な演奏だ。

本盤に収められたR・コルサコフによる交響組曲「シェエラザード」の演奏は、カラヤンによる唯一の録音である。

カラヤンは、同じロシア5人組のムソルグスキーによる組曲「展覧会の絵」やチャイコフスキーによる3大バレエ音楽の組曲を何度も録音していることに鑑みれば、実に意外なことであると言えるであろう。

その理由はいろいろと考えられるが、何よりもカラヤン自身が本演奏の出来に十分に満足していたからではないだろうか。

それくらい、本演奏は、まさにカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏になっていると言えるだろう。

この曲の交響的な性格と標題音楽的な性格の中間をいくような表現で、カラヤンは全編をシンフォニックに華麗に仕上げながらも、そこに東洋的なムードを巧みに盛り込み、音による豪華絢爛たる絵巻を繰り広げている。

第1曲の「海とシンドバッドの船」は、テンポが少し速いような気がするが、第2曲以後は余裕をもった指揮ぶりでアラビアン・ナイトの世界へ聴き手を誘ってくれるかのようだ。

本演奏は1960年代後半のスタジオ録音であるが、これはカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代に相当している。

ベルリン・フィルにとってもあまたのスタープレイヤーを擁した黄金時代であり、健康状態にも殆ど不安がなかったカラヤンによる圧倒的な統率の下、凄みのある演奏を繰り広げていた。

鉄壁のアンサンブル、金管楽器のブリリアントな響き、木管楽器の超絶的な技量、肉厚の弦楽合奏、雷鳴のようなティンパニの轟き(もっとも、この時はフルトヴェングラー派のテーリヒェンが演奏していたが)などを駆使しつつ、これに流麗なレガートを施したいわゆるカラヤンサウンドとも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していたと言える。

こうしたカラヤンサウンドは、本演奏においても健在であり、おそらくはこれ以上は求め得ないようなオーケストラの極致とも言うべき演奏に仕上がっている。

加えて、当時世界最高のコンサートマスターと称されたシュヴァルベによるヴァイオリンソロの美しさは、抗し難い魅力に満ち溢れており、本演奏に華を添えていることを忘れてはならない。

また、オペラを得意としたカラヤンならではの演出巧者ぶりは同曲でも存分に発揮されており、各組曲の描き分けは心憎いばかりの巧さを誇っており、ことに劇的にまとめた終楽章は圧巻だ。

このような諸点を総合的に勘案すれば、本演奏は非の打ちどころがない名演と評価し得るところであり、カラヤンとしてもこの名演を凌駕する演奏を行うことは困難であることを十分に自覚していたのではないかとさえ考えられるところだ。

併録のイタリア奇想曲や大序曲「1812年」も、カラヤン唯一の録音であるが、これまた全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏の凄さを感じることが可能な素晴らしい名演だ。

イタリア奇想曲は、次から次へ現れる親しみ易い旋律展開は全くカラヤン向きと言えるところであり、ベルリン・フィルの演奏技術とカラヤンの劇的な演出に圧倒される。

カラヤンは、大序曲「1812年」において、冒頭にロシア正教による合唱を付加している。

さらに終結部にも付加すればより効果的であったのではないかとも思われるが(デイヴィスやマゼールなどの演奏に例あり)、十分に堪能できる名演であり文句は言えまい。

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2015年05月30日


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本盤には、カラヤンの最後の来日公演(1988年)のうち、初日(5月2日)に演奏されたモーツァルトの交響曲第29番及びチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」が収められている。

当時のカラヤンは、ベルリン・フィルとの関係に修復不可能な溝が生じていたこと、そして、死を1年後に控えたこともあって健康状態も芳しいとは言えなかったことなどから、心身ともに万全とは言い難い状況にあったと言える。

1986年に予定された来日公演を、自らの病気のためにキャンセルしたカラヤンであったが、我が国を深く愛するとともに、サントリーホールの建設に当たっても様々な助言を行ったこともあり、心身ともに万全とは言えない中でも、気力を振り絞って来日を果たしたところであり、筆者としては、こうしたカラヤンの音楽家としての献身的な行為に、心から敬意を表するものである。

もっとも、カラヤンのそうした心身ともに万全とは言えない状態、そしてカラヤンとベルリン・フィルとの間の抜き差しならない関係も本演奏に影を落としていると言えるところであり、本演奏は、随所にアンサンブルの乱れやミスが聴かれるなど、カラヤン&ベルリン・フィルによるベストフォームにある演奏とは必ずしも言い難いものがある。

モーツァルトの交響曲第29番は、本演奏の1年前にベルリン・フィルとともに行ったスタジオ録音(1987年DG)、加えてチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」で言えば、先般SACD化されたベルリン・フィルとともに行った録音(1971年EMI)の方がより優れた名演であり、これらの名演と比較して本演奏を貶めることは容易ではあると言えるだろう。

現に、レコード芸術誌において、とある高名な音楽評論家が本演奏について厳しい評価を下していたのは記憶に新しいところだ。

しかしながら、本演奏については、演奏上の瑕疵や精神的な深みの欠如などを指摘すべき性格の演奏ではない。

そのような指摘をすること自体が、自らの命をかけて来日して指揮を行ったカラヤンに対して礼を失するとも考えられる。

カラヤンも、おそらくは本演奏が愛する日本での最後の演奏になることを認識していたと思われるが、こうしたカラヤン渾身の命がけの指揮が我々聴き手の心を激しく揺さぶるのであり、それだけで十分ではないだろうか。

そして、カラヤンの入魂の指揮の下、カラヤンとの抜き差しならない関係であったにもかかわらず、真のプロフェッショナルとして大熱演を繰り広げたベルリン・フィルや、演奏終了後にブラヴォーの歓呼で熱狂した当日の聴衆も、本演奏の立役者である。

まさに、本演奏は、指揮者、オーケストラ、そして聴衆が作り上げた魂の音楽と言っても過言ではあるまい。

このような魂の音楽に対しては、そもそも演奏内容の細部に渡っての批評を行うこと自体がナンセンスであり、我々聴き手も虚心になってこの感動的な音楽を味わうのみである。

いずれにしても、筆者としては、本演奏は、カラヤン&ベルリン・フィル、そして当日会場に居合わせた聴衆のすべてが作り上げた圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

音質は、1988年のライヴ録音であるが、従来CD盤でも十分に満足できる良好なものであると評価したい。

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史上最高のレコーディング・アーティストであったカラヤンによる最後の演奏・録音となった楽曲はブルックナーの交響曲第7番で、ウィーン・フィルとの演奏(1989年)である。

言うまでもなく、さすがにそこまで断定的な言い方をしなくとも、大方の音楽ファンは、カラヤンによるブルックナーの最高の名演と言えば、最後の録音でもある「第7」を掲げるのではないだろうか。

ただ、それは、通説となっているカラヤンの個性が発揮された演奏ではなく、むしろ、カラヤンの自我が影を潜め、只管音楽そのものに奉仕しようという、音楽そのものの素晴らしさ、魅力を自然体で語らせるような趣きの演奏に仕上がっており、もちろん、筆者としても、至高の超名演と高く評価をしているが、全盛期のカラヤンの演奏とはおよそかけ離れたものとも言えるところだ。

もっともカラヤンの個性が明確にあらわれているのは、カラヤン&ベルリン・フィルが蜜月時代にあり、しかも全盛期にあった1970年代の録音になる。

カラヤンによるブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」の録音としては次に掲げる2種が存在している。

最初のものは1971年度レコード・アカデミー賞を受賞した本盤のベルリン・フィルとの演奏(1970年)(EMI)、次いで、その後、カラヤンによる唯一のブルックナーの交響曲全集に発展していくことになるベルリン・フィルとの演奏(1975年)(DG)である。

いずれもカラヤンが心技共に円熟した時期の録音で、全体がきりりと引き締まっている。

カラヤンは、ベルリン・フィルの持てる力と特質とを充分に発揮させ、いわゆる泥臭さのない明朗な音で、都会的とも言える新しい感覚をもってブルックナーを再現している。

カラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、オルガンのような重量感はあっても少しも重苦しくなく、フィナーレにそれがよく示されている。

ベルリン・フィルの技術はさすがに高度なものだし、アンサンブルも緻密で、精緻な美しさを存分味わうことができる。

カラヤンもオーケストラも、脂の乗り切っていることを示す力演なのである。

とはいえこの2種の録音が5年しか離れていないにしては、この両者の演奏の装いは大きく異なっている。

EMIとDGというレコード会社の違い、ダーレムのイエスキリスト教会とベルリン・フィルハーモニーホールという会場の違いもあるが、それだけでこれだけの違いが生じるというのはおよそ信じ難いところだ。

いずれも実に感覚的に磨かれた壮麗なブルックナーであるが、カラヤン的な個性、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期ならではの演奏の豪快さ、華麗さといった点においては、1975年のDG盤の方にその特色があらわれていると言えるだろう。

1975年盤は、旋律は冒頭から極めて明快に力強く歌っているが、アーティキュレーションにカラヤンの個性が濃厚に示されているのが興味深い。

これに対して、本盤(1970年)の演奏は、むしろ、この時期のカラヤンとしては極力自己主張を抑制し、イエスキリスト教会の残響を巧みに生かした荘重な演奏を心がけているとさえ言えるところであり、カラヤンのブルックナーのなかでは好ましい演奏と言えよう。

その意味では、至高の超名演である「第7」(1989年)に繋がる要素も存在していると言ってもいいのかもしれない。

流麗なレガート、ここぞという時のブラスセクションの迫力などは、いかにも全盛期のカラヤン、そしてベルリン・フィルならではのものであるが、それがいささかも外面的なものとならず、常に内容豊かで、音楽の有する根源的な迫力をあますことなく表現し尽くしているのが素晴らしいと言える。

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2015年05月23日


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カラヤンの長く、広いレコーディング・レパートリーにおいて、生涯ただ1度だけ取り上げたニールセンの作品、それがこの交響曲第4番《不滅》である。

しかし、北欧の音楽に無縁というよりは、シベリウスやグリーグに極めて優れた演奏を聴かせていたことを思えば、カラヤンがニールセンをとりあげたことに何の不思議はない。

むしろ、シベリウスやグリーグに比べると知名度が必ずしも高くないニールセンを1981年にとりあげて録音していたカラヤンの慧眼に感服させられる。

リチャード・オズボーン著の伝記によると、カラヤンがこの曲を録音に選んだのは「第一次世界大戦とその恐るべき遺産に関連していたため」だったという。

また、作曲家自身の発言では「音楽のみが完全に表現しうるもの━━生への根源的な意志」がこの曲のテーマであり、カラヤンがそのテーマに深く共感したのだそうだ。

演奏は、例によって流麗にして豪華、深く広大な息づかいを感じさせ、それでいて力感も不足しておらず、スケールも大きい。

カラヤンの耽美主義的な表現は、総じて遅めのテンポで扱った根本的なアプローチのありかたに強く反映している。

冒頭の対照的な主題でカラヤンが特に意識的にコントラストを与えるようなアクセントづけを行っているところにも明白であるが、その後の進行の曲折のありようをカラヤンほど微細な処置というか、細部拡大主義というか、精密に扱った指揮者を知らない。

ニールセンの6曲の中で特にレコードの数が多いのが第4番の《不滅》であるが、多くの指揮者がニールセン的変化を直線的に扱っているのに対して、カラヤンはエモーションの内面的なものをかつてどの指揮者からも聴かれなかったほど透かし彫りのように浮き上がらせる。

そのいちばん目立った例は、アダージョの静寂たる佇まいの中に込められた内的情熱の沈潜である。

カラヤンのピアニッシモのコントロールの絶妙さは改めて贅言を要するまでもないところだが、《不滅》という暗示的な標題が生命と同じような音楽の永遠性の息吹きを伝えることをモットーに打ち出したニールセンの意図は、カラヤンによってこの上もなく見事に実現されているのである。

ベルリン・フィルの弦がまさに、虹を描くように次々と鮮やかな音色を聴かせ、カラヤンが壮大でダイナミックにまとめている。

素朴さ、土臭さに欠けるという指摘もされたそうだが、カラヤンにそうした要素を求めるのは文字通り「無い物ねだり」であろう。

デンマークでは「日曜日の晴れ着を着た農夫」と評され、日本でも、当時のレコード芸術では、小石氏の推薦評価は貰ったものの、もう1人の評者である大木氏からは「ベルリン・フィルの大運動場」と酷評された演奏である。

しかし、ニールセンはデンマークのローカルな作曲家ではない。

それどころか、シベリウスと並ぶ20世紀の大交響曲作曲家であり、カラヤンは、圧倒的な統率力でベルリン・フィルの技量を最大限に発揮させて、ニールセンの傑作交響曲を等身大に演奏したのに過ぎない。

録音当時のカラヤンは、相当に体力が衰えていたというが、冒頭から、そうとは到底思えないような生命力に満ち溢れた演奏を繰り広げており、筆者はこの演奏を聴いて、ニールセンの音楽の可能性を感じ取ることができた。

第2部の北欧的抒情も実に美しく、第3部の弦楽合奏の重量感もベルリン・フィルならではのもので、第4部の終結部のティンパ二の連打の圧倒的な大迫力。

前述のように、ニールセンを北欧のローカルな作曲家と看做す者からは素朴さを欠くとの批判も予測されるが、筆者としては、ニールセンを国際的な大交響曲作曲家としての認知に導くことに貢献した大名演であると評価したい。

音質はもともと抜群に優れていたが、SHM−CD化により更に目覚ましく向上している。

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2015年05月19日


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R.シュトラウスのアルプス交響曲は、単一楽章で書かれアルプスの登山から下山までを22の主題で描写している、意外にもシュトラウスの作曲した最後の管弦楽曲。

ワーグナーの後継者と言われただけあり巨大な管弦楽による広いダイナミックレンジ、劇的な場面転換による音楽で聴く者を圧倒する。

曲が派手なだけにやり過ぎと感じてしまう所もあるとは思うが、カラヤンの演奏により軽快でスリリングなものになっている。

カラヤンはR・シュトラウスの音楽を十八番としており、管弦楽曲や協奏曲、管弦楽伴奏付き歌曲、オペラに至るまで数多くの録音を遺している。

特に、交響詩については、初期の「マクベス」を除き、それぞれ複数の録音を行っている。

ところが、これらの交響詩の集大成として作曲されたアルプス交響曲をレパートリーに加えたのは、本盤が録音された1980年になってからである。

家庭交響曲を1973年に録音していることからしても、これは実に遅すぎたのではないかとも言える。

その理由の解明はさておき、本カラヤン盤が登場する以前は、アルプス交響曲の録音などは極めて少なかったと言わざるを得ない。

ベーム&シュターツカペレ・ドレスデン(1957年)はモノラルであり問題外。

質実剛健なケンぺ&シュターツカペレ・ドレスデン(1970年)が唯一の代表盤という存在であったと言える。

この他にはスペクタクルなメータ&ロスアンジェルス・フィル盤(1975年)や快速のテンポによるショルティ&バイエルン放送響盤(1979年)があったが、とても決定盤足り得る演奏ではなかったと言える。

そうしたアルプス交響曲を、現在における一大人気交響曲の地位に押し上げていくのに貢献した演奏こそが、本盤のカラヤンによる至高の超名演である。

本カラヤン盤の発売以降は、様々な指揮者によって多種多様な演奏が行われるようになり、現在では、R・シュトラウスの他の有名交響詩の人気をも凌ぐ存在になっているのは周知の事実である。

いずれにしても、本演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが構築し得た究極の音のドラマと言えるだろう。

壮大なアルプスの、日の出から日没までを描いたR.シュトラウスの交響曲をベルリン・フィルの厚みのある弦セクションが本領を発揮し、美しい情景を艶やかに描き出している。

本演奏の2年後には、ザビーネ・マイヤー事件をきっかけとして両者の関係が修復不可能にまで悪化したことから、ある意味では、この黄金コンビの最後の輝きとも言える存在なのかもしれない。

本演奏でのベルリン・フィルのアンサンブルの鉄壁さはあたかも精密機械のようであり、金管楽器や木管楽器の超絶的な技量には唖然とするばかりだ。

肉厚の弦楽合奏や重量感溢れるティンパニの響きは圧巻の迫力を誇っており、カラヤンの代名詞でもある流麗なレガートも好調そのものだ。

アルプス交響曲については、前述のように本カラヤン盤の登場以降、様々な指揮者によって多種多様な名演が成し遂げられるようになったが、現在においてもなお、本演奏は、いかなる名演にも冠絶する至高の超名演の座を譲っていないものと考える。

音質については、従来盤でも非常に鮮明な高音質を誇っていたが、今回のSHM−CD化によって、若干の音質向上効果が見られたのではないかと考えられる。

可能ならば、SACD化を望みたいところであるが、多少なりとも音質向上が図られたことについては高く評価したい。

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本盤は、R.シュトラウスを最も得意としたカラヤンが、《ばらの騎士》の元帥夫人などで共演し、高く評価し信頼していたトモワ=シントウを起用しての歌曲集が収められたアルバムである。

演奏は1985年のスタジオ録音であるが、これはいわゆるザビーネ・マイヤー事件の勃発後であり、カラヤンとベルリン・フィルの関係が修復不可能にまで悪化した時期である。

本盤に収められた「4つの最後の歌」は、「メタモルフォーゼン」と並ぶ作曲者の人生の最後を飾る畢生の名曲であるが、カラヤンには、1973年にヤノヴィッツと共演した録音があり、それはヤノヴィッツのこの上ない美声も相俟って、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代を象徴する極上の美演に仕上がっていた。

当該演奏は、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルと各楽器セクションの超絶的な技量を駆使した名演奏に、カラヤンによる流麗なレガートが施された、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。

この超名演に対して、本盤の演奏は、カラヤンとの関係に大きな亀裂が生じた時代のベルリン・フィルとの演奏。

それでも、さすがにカラヤンならではの重厚で、なおかつ極上の美しさを兼ね備えた名演とは言えるが、1973年盤と比較すると、前述のような両者の関係の亀裂やカラヤン自身の健康悪化もあって、カラヤンの統率力にも綻びが見られるところであり、演奏の精度や完成度といった点においては、若干ではあるが落ちると言わざるを得ないだろう。

しかしながら、本盤の演奏には、晩年のカラヤンならではの枯淡の境地とも言うべき独特の味わい深さがあるとも言えるところであり、前述の1973年盤とは異なった独特の魅力があると言えるのではないだろうか。

本盤の「4つの最後の歌」では、ことに後半の2曲などは素晴らしく、R.シュトラウスが死の前に書いた人生への訣別の思いがよく表れている。

カラヤンに見出され、育てられたトモワ=シントウの、情感豊かな表現が、この作品の陶酔的な世界を遺憾なくあらわしている。

彼女は、R.シュトラウスの特質である息の長いフレーズを、しなやかに気負いなく美しく歌い上げ、カラヤンの指揮さばきと見事に一体化して、R.シュトラウスの音楽の精髄を存分に堪能させてくれる。

ベルリン・フィルの洗練の極みを行く合奏と、トモワ=シントウの豊麗な声が作曲者晩年の澄み切った境地を余すところなく再現している。

トモワ=シントウもさることながら、ここでは心憎いほど巧妙なカラヤンの棒の魔術に酔わされる。

静寂感・黄昏感といった、R.シュトラウスの交響詩とまるで違う世界がこの曲にはあるが、R.シュトラウスが得意なカラヤンがベルリン・フィルと共にシルクのような煌びやかな伴奏をしている。

したがって、本盤の演奏は、音のドラマとしてはいささか綻びがみられると言えるものの、人生の諦観さえ感じさせる味わい深さという意味においては、筆者としては素晴らしい名演として高く評価したいと考える。

それにしてもトモワ=シントウの声と情感豊かさは、R.シュトラウス作品にほんとうにふさわしい。

この中で最も見事なのは「カプリッチョ」からの2曲で、トモワ=シントウが伯爵夫人の心の揺れ動きを、カラヤンと呼吸をひとつにして、役になりきって歌っている。

トモワ=シントウの表現力とカラヤン芸術が、R.シュトラウスの音楽への共感をきわめて美しく澄んだ表現によって伝えた名演というべきだろう。

音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、従来CD盤でも十分に良好な音質であったが、今般ルビジウム・クロック・カッティングを施された上にSHM−CD化されたことよって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

いずれにしても、トモワ=シントウ、カラヤンによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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2015年05月17日


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広範なレパートリーを誇ったカラヤンであるが、カラヤンは必ずしもシューベルトを得意とはしていなかったようである。

カラヤン自身は、シューベルトをむしろ好んでおり、若き頃より理想の演奏を行うべく尽力したようであるが、難渋を繰り返し、特に、交響曲第9番《ザ・グレイト》に関してはフルトヴェングラーに任せるなどとの発言を行ったということもまことしやかに伝えられているところだ。

実際に、レコード芸術誌の「名曲名盤300選」などにおいても、シューベルトの交響曲第8番《未完成》や交響曲第9番《ザ・グレイト》の名演として、カラヤン盤を掲げた著名な音楽評論家が皆無であるというのも、いかにカラヤンのシューベルトの評価が芳しいものでないかがよく理解できるところだ。

しかしながら、それほどまでにカラヤンのシューベルトの演奏は出来が悪いと言えるのであろうか。

ともに、3回ずつ、セッション録音を残している《未完成》と《ザ・グレイト》であるが、本盤に収められたの演奏はそれぞれ2回目のものであり、カラヤン&ベルリン・フィルがまさに黄金の絶頂期を迎える少し前のもので、この頃ならではの推進力ある演奏に仕上がっており、すみずみまでカラヤンの美学に貫かれているのが特徴だ。

《未完成》は1回目のフィルハーモニア管弦楽団との録音よりも、さらにカラヤンの自己主張が強い。

しかし作品を歪曲するものではなく、美しく魅力的なアプローチであり、なめらかな旋律線に独自の感覚美を与えながら、全体を感興豊かに表出している。

《ザ・グレイト》は《未完成》より明るい音質で、演奏は全体に速めのテンポをとり、強い推進力をもってシューベルトのスコアから劇性と交響性を引き出している。

重厚な響きが快速テンポで運ばれるドライブ感が痛快、輝く金管群も後年のものとはまた違った響きであり、聴いていて爽快で、ベルリン・フィルの超絶技巧が冴えに冴え、信じられない重低音が鳴り響き、轟き渡っている。

壮年期のカラヤン、まさに血の気が多い時期だったのだろう、非常に強力な統率力でオケをドライブしている。

天下のベルリン・フィルといえども、今ではこんな壮絶な演奏は不可能になってしまった。

そして、本演奏に存在しているのは、徹頭徹尾、流麗なレガートが施されたいわゆるカラヤンサウンドに彩られた絶対美の世界であると言えるだろう。

シューベルトの交響曲は、音符の数が極めて少ないだけに、特にこのようないわゆるカラヤンサウンドが際立つことになると言えるのかもしれない。

したがって、シューベルトらしさといった観点からすれば、その範疇からは大きく外れた演奏とは言えるが、同曲が持つ音楽の美しさを極限にまで表現し得たという意味においては、全盛期のカラヤンだけに可能な名演と言えるのではないかと考えられる。

また、シューベルトの心眼に鋭く切り込んでいくような奥の深さとは無縁の演奏ではあると言えるが、これだけの究極の美を表現してくれたカラヤンの演奏に対しては文句は言えまい。

なお、カラヤンは当録音の以後にもこの2曲を含むシューベルトの交響曲全集をEMIに録音しており、華麗さと美への追求はいっそう徹底していると言えるが、カラヤンのアプローチがより徹底している本盤のほうを筆者はより好んで聴いている。

特にカラヤンを好まない聴き手にとっては、本演奏の方がより好ましい演奏に聴こえることも十分に考えられるところである。

いずれにしても、本演奏は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルが醸成した究極の美の世界、そしてカラヤン流の美学が具現化された究極の絶対美の世界を堪能することが可能な極上の美を誇る名演と高く評価したい。

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2015年05月16日


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本全集は、カラヤン&ベルリン・フィルという黄金コンビの最絶頂期である1970年(「第9」のみ1968年)に収録された映像作品である。

カラヤンはベートーヴェンの交響曲全集を本DVD作品を除けば4度にわたってスタジオ録音している。

このうち、フィルハーモニア管弦楽団との最初の全集を除けばすべてベルリン・フィルとの録音となっている。

いずれの全集もカラヤンならではの素晴らしい名演であると考えているが、中でもカラヤンの個性が最も発揮されたのは1970年代に録音された3度目の全集ということになるのではないだろうか。

その他では、先般、FM東京から、カラヤン&ベルリン・フィルの1977年の来日時の驚くべき普門館ライヴによる全集が発売されたところだ。

本全集は、さすがにあの超絶的な名演には敵わないが、それらとほぼ同じスタイルによる名演を映像作品によって味わうことが可能であり、精緻さと重厚さを兼ね備えた20世紀最高のベートーヴェン演奏と言える。

演奏は、この時期のカラヤン&ベルリン・フィルならではの圧倒的な勢力がとにかく凄まじく、その奔流と言いたくなる強烈な流動感に息を飲まされる。

特にカラヤンが指揮した時のベルリン・フィルの気合いの入った集中力の高さは見ていて本当に圧倒される。

名うてのスタープレイヤーが数多く在籍していた当時のベルリン・フィルは、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏を展開していた。

カラヤンは、これに流麗なレガートを施し、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていたと言える。

それは本全集においても健在であり、これほどの圧倒的な音のドラマは、前述の普門館ライヴ録音は別格として、クラシック音楽演奏史上においても空前にして絶後ではないかと考えられるほどの高みに達している。

もちろん、カラヤンは本全集における各曲の演奏においては音のドラマの構築に徹していることから、各楽曲の精神的な深みの追求などは薬にしたくもないと言える。

したがって、とある影響力の大きい音楽評論家などは、精神的な深みを徹底して追求したフルトヴェングラーの名演などを引き合いにして、本全集のみならずカラヤンのベートーヴェン演奏の精神的な内容の浅薄さを酷評しているが、本全集はかかる酷評を一喝するだけの圧倒的な音のドラマの構築に成功しており、筆者としてはフルトヴェングラーの名演などとの優劣は容易にはつけられないものと考えている。

また、各楽曲の精神的な深みの追求がないという意味においては、何色にも染まっていない演奏であると言える(もちろん、表面的な音はカラヤン色濃厚であるが)ところであり、初心者には安心してお薦めできる反面で、特に熟達した聴き手には、各曲への理解力が試される難しい演奏と言うことができるのかもしれない。

本DVDを見聴きして、カラヤンが絶頂に在る事、ベルリン・フィルの充実度が最高の時期である事が誰の眼にも解るであろう。

録画・録音場所の選定や録画スタイルに異論を抱く愛好家が多いのは事実であり、筆者自身もそのように考えていた。

しかし、カラヤン自身が考えに考えた上での映像であり、チャレンジであった事が痛いほど画面から解る。

幸いフイルムに記録されており、年月を経た今日でも忠実な色再現をしており、音質に至っては本当に申し分ない。

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2010年よりユニバーサルが開始したシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化シリーズであるが、当初は、これまでに既にハイブリッドSACD盤で発売されていたものの焼き直しに過ぎなかった。

しかしながら、2011年6月より、これまで一度もSACD化されていない録音を採り上げており、フルトヴェングラー、ベーム、アルゲリッチ、クーベリック、ヨッフムと続き、今般はついに待望のカラヤンの登場となった。

カラヤンのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤としては、既にベートーヴェンの交響曲第3番及び第4番、そしてチャイコフスキーの第3番ほかが収められた2枚が既発売であり、今後、どの演奏をシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化するのか大変興味深いところであったが、管弦楽の小品集5枚を選定したのには大変驚かされたところだ。

もっとも、意表をつく選定ではあると言えるが、カラヤンは大作のみならず、管弦楽曲の小品にもいささかも手を抜かずに真剣勝負で演奏に臨み、圧倒的な名演の数々を遺しただけに、かかる選定もカラヤンの芸術の一面を知る意味においては妥当であると言うべきであろう。

本盤には、1967年にスタジオ録音されたオペラ間奏曲集が収められている。

本盤に収められた各楽曲の演奏の印象を一言で言うと巧い、そしてただただ美しいということである。

1967年と言えば、まさにカラヤン、そしてベルリン・フィルの全盛時代に相当する。

かかる全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルは、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックと美音を振り撒く木管楽器群、雷鳴のようなティンパニなどが融合し、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した圧倒的な音のドラマとも言うべき演奏の数々を行っていた。

カラヤンは、流麗なレガートを施すことによって曲想を徹底して磨き抜いたところであり、こうして磨き抜かれたベルリン・フィルの美しい音色は、いわゆるカラヤン・サウンドとも称されていたところだ。

本盤に収められた各楽曲の演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤン・サウンドに満たされた極上の美演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

そして、これらの各楽曲におけるカラヤンの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さは筆舌に尽くし難いものがあり、まさに本盤に収められた各楽曲の演奏は、あらゆる意味で非の打ちどころがない圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

どの楽曲の演奏についても、前述のように巧い、そして美しいという評価が当てはまるが、特に、タイスの瞑想曲。

同曲の演奏におけるミシェル・シュヴァルベのヴァイオリン・ソロは、もはやこの世のものとは思えないような美しさであり、カラヤンによる心憎いばかりの表情づけの巧さも相俟って、身も心も蕩けてしまいそうな極上の絶対美の世界を構築しているとさえ言えるだろう。

シュミットの歌劇「ノートル・ダム」間奏曲の重厚な弦楽合奏の滴るような美しさは、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルだけに描出可能な至高の名演奏と言っても過言ではあるまい。

本盤については、これまでリマスタリングが行われるなど、高音質化の不断の取り組みが行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の極上の美演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年05月13日


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本盤は、カラヤンが到達した最晩年の境地を垣間見るモーツァルトを収録したアルバムで、待望の名盤の復活である。

70代後半に入ったカラヤンは、自己の芸術を集大成するかのように意欲的なレコーディングを続けたが、モーツァルトの交響曲はなかなか手がけなかった。

この2曲は、そうしたカラヤンが満を持すように録音した久しぶりのモーツァルト録音であった。

第29番は実に22年ぶり3度目の、第39番は12年ぶり5度目の録音になる。

カラヤンは同じDGへの1975年録音の演奏も、ひたすら突っ走る目眩しく天駆ける飛翔感があり、この2曲の本質を突いた抜群の魅力を持っている。

しかし、明るくストレートな表現は、オリジナル楽器のオーケストラに任せて、ここでは最晩年の1987年の録音を選びたい。

最晩年のカラヤンが自らのドイツ的資質を明らかにした演奏であり、ここでは、モダン・オーケストラでしか味わえない魅力を最良の形で表現していると言える。

ベルリン・フィルとのカラヤンのモーツァルトは、この手兵のすぐれた機能を生かして、いかにも美しい響きとスケールをもっていた。

そうしたカラヤンのモーツァルトの魅力は、ここでも当時最新のデジタル録音によって、いっそう美しくとらえられている。

カラヤンが残したモーツァルトの交響曲の最後のスタジオ録音であるが、それ以前のスタジオ録音とは大いに異なり、この曲をこう解釈するという自己主張が抑えられ、曲そのものの魅力を表現しようという、いわゆる自然体の姿勢が顕著である。

と同時に、しばしば耽美的と評され、濃密な表現が際立ってもいたその演奏が、ここではよりしなやかな流れを獲得している。

細部まで眼の通った入念な仕上げも見事だが、最晩年のカラヤンは、さらに巨視的に音楽をとらえているといってよいだろう。

それだけにこの演奏は、かつてのカラヤンのモーツァルトの交響曲演奏に感じられたある種の重苦しさを逃れて、その音楽にいっそう深く美しい光を当てている。

ここには、カラヤンを貶す人の間で巷間言われているような尊大さのかけらは殆ど見られない。

全体的にゆったりとしたテンポの下、カラヤン得意のレガートによって歌い抜かれた高貴で優美な曲想が、人生の諦観とも言うべき深い情感を湛えている。

第29番は独自のあたたかさと透明度の高さが融合した演奏で、かつてのカラヤンの弱点でもあった自我の表出を抑え、古典主義的世界の再現を見事に果たしている。

特にコン・スピーリトの終楽章は驚くほど躍動的で、爽快なテンポで全体をきりりと引き締めている。

第39番は、冒頭の和音からして内的な充実の感じられる崇高な響きを持っており、聴き手に深い感銘を与えるが、明晰で格調高く、しかも不思議に親しみやすい。

カラヤンが同じザルツブルク出身のモーツァルトと天才同志の魂の会話をしているような、そんなことまで思わせる感動的な名演だ。

カラヤンの死の2年前の演奏であるが、カラヤンとしてもまさに人生のゴールを目前にして、漸く到達した至高にして崇高な境地というべきなのであろう。

これらの演奏には、半世紀をこえるカラヤンのモーツァルトへの共感が最も純粋な形で込められているといってよいのではないだろうか。

音質は、ルビジウム・クロック・カッティングを施した上で、さらに高品質SHM−CD仕様がなされたことにより、素晴らしくクリアな音質となっている。

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2015年05月12日


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2008年はカラヤンの生誕100年ということで、数々の企画盤やライヴ音源の復刻が行われたが、本盤もその貴重な1枚。

1988年ロンドンでのベルリンフィルとの演奏会で、結果的にこれが最後のロンドン公演だったとのこと。

楽器の到着が間に合わなかったドタバタや、もうあまり体が動かせなくなっていた帝王の姿など、その模様をカラヤンの評伝も書いたリチャード・オズボーンがライナーノーツに記している。

曲目はシェーンベルクの「浄夜(弦楽合奏版)」とブラームスの交響曲第1番で、音質はあまり良いとは言えないが、演奏は名演の前に「超」をいくつか付してもいいくらいの超絶的な大名演だ。

ここでの「浄夜」に聴かれる重厚な美音の洪水、このような重厚な演奏は、現在のベルリンフィルからはもはや聴けないものだ。

今の感覚からするとやや重たいかもしれない曲線美、降り注ぐような弦の霜降り的な濃厚さ、しかし決してテンポはもたれはしないそのバランス感覚は絶妙。

あくまで後期ロマン主義の傑作としての演奏で、世紀の替り目に書かれたシェーンベルクが、ココシュカやエゴン・シーレと魂を同じくする音楽というよりはクリムトの時代の背景音楽としてのゴージャス感で響いてくる。

しばしば疎ましかったカラヤン独特のレガート・スタイルも、曲との適合か、心地良く感じられるほど。

R.シュトラウスの名演で鳴らしたカラヤンが「グレの歌」を手がけなかったのが惜しくなった。

一方のブラームスは壮観なまでに音響が聳え立ち、何かドラマが人工物にすり替えられているような抵抗を感じないではないのだが、しかしやはりこれを実演で聴いて圧倒されないではいることは出来なかったことであろう。

内声の隅々に至るまで充実した分厚さ(あまりにもべったり塗り籠めていると嫌悪を覚える方もいるかもしれない)や、集団の高度な自発性がもたらす弾力性(ふと精強な軍隊のイメージが頭をよぎるのはやはり否めない)が相俟って、轟々たる推進力が生まれている。

特に終楽章でこんなコーダを築き上げられるオーケストラは他になく、その場に居合わせたら恐怖すら覚えたかもしれない。

カラヤンのブラームスの「第1」には他にも数々の名演があるが、その中でもこの演奏はダントツだと思う。

とても死の1年前の指揮者によるものとは言えない、情熱的で熱い演奏が繰り広げられている。

やはり、カラヤンはライヴの人だったのだ。

ロイヤル・フェスティバル・ホールの聴衆にとって当夜のことは確かに一生の思い出であろう。

もはや好悪を超えた次元にあった音楽家集団の記録として忘れられなくなりそうだ。

カラヤンの録音芸術における完全主義により、テクノロジーの粋を極めた数々の作品は、それゆえに支持するもの、拒否するものも多かった。

しかし、カラヤンの数々のアプローチは録音技術における数々のアカデミックな研究につながり、多元的な成果を生み出した。

カラヤンが常に新しいメディアに興味を示したのは、なにか新しいことを伝えられる媒介を探求するという彼の姿勢がそのまま投影されたものであり、時代を先駆けたマルチな芸術家であった証左である。

逆に言えば、録音技術というフィルターの効果の薄いライヴ録音(もちろんリマスターはあるけれど)はまた別のものを伝える貴重な記録となる。

本ディスクも録音状態から言えば必ずしも良好とは言えないし、またカラヤンが目指した究極形態と比して完成度は劣るが、演奏それ自体として魅力が横溢している。

立派な、といえば、もう立派すぎるくらいの演奏で、在りし日のカラヤン&ベルリン・フィルの音作りがどういうものであったかを典型的に伝えてくれる1枚には違いない。

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2015年05月04日


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カラヤン最晩年(1986年)のモーツァルトのレクイエムである。

祈りの心を込めて真摯に歌い上げる壮麗な合唱と哀愁を秘めた清澄な独唱、そして重厚な響きのウィーン・フィルをカラヤンが見事に統率し、彼の意思が隅々まで透徹した情感豊かで崇高なる演奏を聴かせている1枚。

ベーム&ウィーン・フィルをはじめとする厳かな演奏がひしめく中にあって、筆者がまず第一に手を伸ばすのが本CD。

カラヤンは、1960年代、1970年代に、それぞれベルリン・フィルと組んでモーツァルトのレクイエムを録音しているが、特に1970年代の演奏に顕著ないわばオペラ風な劇的性格の演奏とは異なり、本盤は枯れた味わいの演奏に仕上がっている。

1回目は宗教音楽としての美しさを、2回目はクラシック音楽としての美しさを、そしてこの録音はそれらを超越した、この曲の持つ神秘性を引き出した録音と言えるのではないか。

カラヤンの指揮は王道を行くもので、比較的テンポも中庸で、カラヤンの故郷ザルツブルグゆかりのモーツァルトの白鳥の歌をケレン味なく演奏している。

これが、偉大なるモーツァルトに捧げるカラヤンの「祈り」なのである。

それは、晩年の健康状態のすぐれないカラヤンの精神が、これを作曲したときのモーツァルトの精神にかぎりなく近づいたからではないだろうか。

カラヤンの、いつもの美しさを求める傾向は影をひそめ、モーツァルトが表現しようとしたレクイエムの神髄に、ストイックなほどに迫っている、最高のモツレク演奏のひとつだと思う。

オーケストラもウィーン・フィルであるし、特に重要なソプラノ奏者がバルツァからトモワ=シントウに変わったこともあると思われるが、それ以上に、ベルリン・フィルとの関係が悪化し、健康状態も相当に悪化したカラヤンのこの当時の心境の反映、または、カラヤンが最晩年に至って到達した枯淡の境地とも言えるのではないだろうか。

いずれにしても、このような要素が複合的に絡み合い、モーツァルトのレクイエムの感動的な名演の1つとなった。

同曲の代表的名盤とされるベーム盤より遥かに聴きやすく、古楽器ものより重厚さや華麗さに溢れている。

ソリストもバランスが取れていて四重唱の「思い出して下さい…」が大変素晴らしく、個人的には重過ぎない「キリエ」「怒りの日」から、ここまでの流れの美しさが好みである。

何と言っても、帝王晩年の黄昏を感じさせ、老境に至ったカラヤンの穏やかな心の深みを垣間見せる、自然体の表現が最大の魅力だ。

カラヤンらしいのは深みのある表現にも関わらず、曖昧さがなく、非常に聴きやすい演奏である事。

美と敬虔と荘厳の共存した稀有な名演でありながら、カラヤンはウィーン・フィルの最も荘厳な音色を引き出しているようでもあり、全ての人に訪れる死というものに正面から向き合って死とは何かと問いかけているような迫力を感じる。

合唱は、相変わらずウィーン楽友協会合唱団であるが、カラヤンの統率力の下、終身監督であるカラヤンと一体となった感動的な演奏を行っている。

1980年代のカラヤンのCDの出来は録音状態も含め、結構ムラがあるように思うが、このCDは全盛期のものと比べても極上の1枚だと言えるだろう。

いずれにしても、カラヤンらしい神々しい演奏であり、落ち着いた神聖な気分に浸りたい人にはぴったり来る演奏であろう。

SHM−CD化により、解像度がやや向上したことも評価したい。

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カラヤンはR.シュトラウスを十八番にしていたが、とりわけ交響詩「英雄の生涯」に私淑していたようであり、R.シュトラウスの全交響詩の中でも最もスケールの大きい作品だけに、遺された録音はいずれも精緻さと重厚さを兼ね備えた20世紀最高のR.シュトラウス演奏と言える。

スタジオ録音では、1959年盤(DG)と1974年盤(EMI)、1985年盤(DG)の3種が存在しており、ライヴ録音でもモスクワ盤(1969年)や、ロンドン盤(1972年及び1985年)など複数が存在している。

前述した演奏のいずれもがベルリン・フィルとのものであることが特徴と言えるところであり、カラヤンが同曲を演奏するにあたってはオーケストラの機能性を重視していたことがよく理解できるところだ。

カラヤンはライヴでこそその真価を発揮する指揮者であり、前述の3種のライヴ録音は素晴らしい超名演ではあるが、ここでは本盤と3種あるスタジオ録音の間の比較を軸に論じていくこととしたい。

いずれも名演の名に値すると思うが、演奏の性格は大きく異なると考えられる。

1959年盤については、カラヤンによるDGへのデビュー盤でもあるが、この当時はベルリン・フィルにフルトヴェングラー時代の重心の低い音色の残滓が存在しており、シュヴァルベのヴァイオリンソロはいかにもカラヤン好みの官能的な美しさを誇ってはいるものの、オーケストラの音色はいわゆるカラヤンサウンドで満たされているとは言い難い面があり、カラヤンの個性が完全に発揮されているとは言い難いとも言える。

これに対して1974年盤は、カラヤン色が濃い演奏と言える。

シュヴァルベのヴァイオリンの官能的な美しさは相変わらずであるが、オーケストラは肉厚の弦楽合奏、ブリリアントな金管楽器の朗々たる響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器、雷鳴のように轟くティンパニなどをベースに流麗なレガートが施されるなど、いわゆるカラヤンサウンドが満載であり、徹頭徹尾カラヤン色に染め上げられた演奏に仕上がっている。

これに対して1985年盤は、カラヤンの統率力の衰えから、カラヤンサウンドを聴くことができるものの、1974年盤のように徹頭徹尾ということにはなっていない。

したがって、音のドラマの構築という点では1974年盤よりも劣っていると言わざるを得ないが、本演奏にはカラヤンが自らの人生を自省の気持ちを込めて顧みるような趣きが感じられるところであり、枯淡の境地にも通じるような味わい深さといった面では、1959年盤や1974年盤をはるかに凌駕していると言えるだろう。

ことに自己の回想録のように深く沈み込んだような美しさはそれまでには見られなかったもので、それに加えてオーケストラの唖然とする合奏力は、カラヤン美学の総決算と言ってもいいだろう。

これには、ヴァイオリンソロが官能的な美しさを誇るシュヴァルベから質実剛健なシュピーラーに変わったのも大きいと考えられる。

いずれにしても、これら3種の名演の比較については困難を極めるところであり最終的には好みの問題になるとは思うが、筆者としては、カラヤンが最晩年に至って漸く到達した枯淡の境地、至純の境地を味わうことができる1985年盤を随一の至高の超名演と高く評価したいと考える。

本映像作品はこの1985年盤と同時期に収録されたものだが、すべて同じセクションから取られたものではないものの、基本的なコンセプトは全く同一なのは言うまでもない。

その場合は、やはり映像がある方が迫力が非常に大きくなるという点で魅力が倍増する。

特にカラヤンが指揮した時のベルリン・フィルの気合いの入った集中力の高さは見ていて本当に圧倒される。

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2015年05月02日


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同曲演奏史上最高の超名演だ。

ロストロポーヴィチを迎えての「ドン・キホーテ」で、カラヤンによるR.シュトラウスの録音中屈指の名演として有名なもの。

ベルリン・フィルの豊穣な響きはもちろん、ロストロポーヴィチの卓越した演奏もまた素晴らしい。

録音は1975年であるが、これは、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代。

カラヤンにとっては、その後、様々な故障を抱えて体力的に衰えていく分岐点となった年であるし、ベルリン・フィルも、楽団史上最高の名奏者が集まった全盛期であった。

そして、ロストロポーヴィチの脂が最も乗った時期でもあり、当時のベルリン・フィルの首席ヴィオラ奏者のコッホも加わったメンバーの組み合わせは、まさに豪華絢爛にして豪奢と言わざるを得ないだろう。

こうした豪華な面々の組み合わせがかえって仇になる作品もあるとは思うが、R.シュトラウスの管弦楽曲の場合は、そのオーケストレーションの華麗さ故に大いにプラスに働くことになる。

カラヤン&ベルリン・フィルの重量感溢れる豪壮な演奏は、それだけで聴き手の度肝を抜くのに十分であるし、ロストロポーヴィチのチェロの表現力の幅の広さは、まさに史上最高のドン・キホーテと言っても過言ではあるまい。

冒頭からR.シュトラウスにうってつけの豊満な響きで、まったりとしながらメリハリが利いていて飽きさせない。

主題提示部の圧倒的な迫力から、終曲の詩情豊かな繊細さに至るまで、このチェリストの底知れぬ実力を感じずにはいられない。

滑らかでスムーズ、淀みないカラヤンの指揮するオーケストラに、逞しく奔放なロストロポーヴィチの演奏が音楽的なスケールとダイナミズムを一層際立たせた名演奏である。

チェロとオーケストラが融合しながら協奏曲とはひと味違う、真の意味での管弦楽曲作品に仕上がっている。

ロストロポーヴィチの鬼気迫る演奏がドン・キホーテの狂気を見事に表出し、それに拮抗するカラヤン&ベルリン・フィルのゴージャスなサウンドが素晴らしい。

また、コッホの哀愁を帯びたヴィオラの音がヨボヨボのロバに乗ったサンチョ・パンザを髣髴とさせる。

カラヤンの作為的な演出が全面に出た演奏を嫌う向きも多いが、この曲はそれが大正解なのである。

これはドン・キホーテの脳内に構築されたバーチャル空間なのだから。

筆者は本来、説明的な標題音楽というのが苦手なのだが、この演奏の前にはその嗜好が霧散してしまう。

虚構の豪奢な伽藍が陸続と連なるような大絵巻を描出できる指揮者はカラヤンをおいて他にはいないだろう。

カラヤン&ベルリン・フィルは、本盤の約10年前にフルニエと、約10年後にメネセスと組んで、「ドン・キホーテ」を録音しており、いずれも名演ではあるものの、とても本盤ほどの魅力はない。

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2015年04月29日


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本盤はカラヤン&ベルリン・フィルのロンドンに於けるライヴ録音(1985年)で、曲目はベートーヴェンの交響曲第4番とR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。

両曲ともに、完熟期のカラヤン&ベルリン・フィルならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

まずは、ベートーヴェンの「第4」であるが、リチャード・オズボーンによる偉大な伝記を紐解くと、カラヤンはこの「第4」の指揮に相当手こずったとの記述がある。

確かに、遺されたスタジオ録音を聴く限りにおいては、凡演ではないものの、どこか食い足りないというか、カラヤンならばもう一段上の演奏ができるのではないかと思ったりしたものである。

しかしながら、本盤に収められた1985年のロンドン・ライヴ盤は素晴らしい名演であり、カラヤンも晩年に至って漸く理想の「第4」の演奏を実現できたのではないか。

やや遅めのテンポをとってはいるが、ダイナミックレンジの幅広さや抒情豊かな箇所の情感溢れる歌い方など、いい意味でのバランスのとれた至高の演奏に仕上がっている。

カラヤンはR・シュトラウスを十八番にしていたが、とりわけ交響詩「英雄の生涯」に私淑していたと言える。

スタジオ録音では1959年盤(DG)、1974年盤(EMI)、1985年盤(DG)の3種が存在しており、ライヴ録音でもモスクワ盤(1969年)や、ロンドン盤(1972年及び本盤に収められた1985年)など複数が存在している。

前述した演奏のいずれもがベルリン・フィルとのものであることが特徴と言えるところであり、カラヤンが同曲を演奏するにあたってはオーケストラの機能性を重視していたことがよく理解できるところだ。

カラヤンはライヴでこそその真価を発揮する指揮者であり、前述の3種のスタジオ録音は素晴らしい超名演であるが、ここでは本盤を含め3種あるライヴ録音の間の比較を軸に論じていくこととしたい。

1969年盤はモスクワでのライヴということもあって一期一会的な豪演で、シュヴァルベのヴァイオリンソロはいかにもカラヤン好みの官能的な美しさを誇ってはいるものの、録音があまり冴えず荒々しい響きが際立ち、オーケストラの音色はいわゆるカラヤンサウンドで満たされているとは言い難い面があり、カラヤンの個性が最良に発揮されているとは言い難いとも言える。

これに対して1972年ロンドンでのライヴ盤は、カラヤン色が濃い演奏と言える。

シュヴァルベのヴァイオリンの官能的な美しさは相変わらずであるが、オーケストラは肉厚の弦楽合奏、ブリリアントな金管楽器の朗々たる響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器、雷鳴のように轟くティンパニなどをベースに流麗なレガートが施されるなど、いわゆるカラヤンサウンドが満載であり、徹頭徹尾カラヤン色に染め上げられた演奏に仕上がっている。

これに対して本演奏(1985年ロンドン・ライヴ)は、カラヤンの統率力の衰えから、カラヤンサウンドを聴くことができるものの、1972年盤のように徹頭徹尾ということにはなっていない。

したがって、音のドラマの構築という点では1972年盤よりも劣っていると言わざるを得ないが、本演奏にはカラヤンが自らの人生を自省の気持ちを込めて顧みるような趣きが感じられるところであり、枯淡の境地にも通じるような味わい深さといった面では、1969年盤や1972年盤をはるかに凌駕していると言えるだろう。

これには、ヴァイオリンソロが官能的な美しさを誇るシュヴァルベから質実剛健なシュピーラーに変わったのも大きいと考えられる。

いずれにしても、これら3種の名演の比較については困難を極めるところであり最終的には好みの問題になるとは思うが、筆者としては、カラヤンが最晩年に至って漸く到達した枯淡の境地、至純の境地を味わうことができる本演奏を随一の至高の超名演と高く評価したい。

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2015年04月28日


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カラヤンは手兵ベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を3度にわたってスタジオ録音しているが、同時にブラームスの交響曲全集も3度にわたってスタジオ録音している。

その他にも、一部の交響曲について、ウィーン・フィルやフィルハーモニア管弦楽団、コンセルトへボウ・アムステルダムなどと録音を行うとともに、ベルリン・フィルなどとのライヴ録音も遺されていることから、カラヤンがいかにブラームスの交響曲を得意としていたのかがよく理解できるところだ。

ベルリン・フィルとの全集で言えば、最初の全集が1963〜1964年、本盤の2度目の全集が1977〜1978年、そして3度目の全集が1987〜1988年と、ほぼ10年毎に、そしてベートーヴェンの交響曲全集のほぼ直後に録音されているのが特徴である。

この3つの全集の中で、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、紛れもなく本盤の2度目の全集であると考えられる。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルは、まさにこの黄金コンビの全盛時代である。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本盤においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっている。

特に第3番は新盤よりこちらの方が音が整理され、情感溢れる名演であり、第2番のフィナーレのカラヤンらしからぬライヴのような突っ込みも圧倒的、第4番もこちらの方がしっとりしていい感じで、第1番だけは新盤の重量感ある録音が曲に合っているようだが、これも甲乙つけがたい。

このような演奏について、例えば全集においては、ザンデルリンク&ベルリン響による名演(1990年)、第1番においては、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる名演(1952年)、第2番については、ワルター&ニューヨーク・フィルによる名演(1953年)、第3番については、クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィルによる名演(1950年)、第4番については、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる名演(1948年)などと比較して、その精神的な深みの追求の欠如などを指摘する者もいるとは思われるが、これほどの圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンによる名演との優劣を付けることは困難であると考える。

そして、このカラヤン生誕100周年の交響曲シリーズの音質は、今までの国内盤とあまりに違い、スッキリと分離した楽器の音(ことに弦楽器)が、団子にならず歪まない。

フォルテでの迫力も、濁らずに鳴っているので、これがベルリン・フィルの絶頂期の録音だと、あらためて驚嘆する。

この後、最晩年に再録音し、そちらも名演とされているが、この1978年盤も負けていないし、より自然で鮮やかな演奏はフレッシュで、音の抜けも良く整った録音である。

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2015年04月25日


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本作は、生涯に100曲以上の交響曲を作曲したハイドンの第104番《ロンドン》と第103番《太鼓連打》を収録したアルバム。

若きカラヤンがウィーン・フィルと共に、生命力あふれる実に堂々とした演奏で、ハイドン最後の2曲の交響曲を聴かせてくれる作品。

大編成のモダン・オーケストラを壮麗に響かせた艶やかで優美な演奏で、まさに王者の風格があり、独自の魅力を漂わせている。

ウィーン国立歌劇場音楽監督時代の一連のデッカ録音の中の最高作の1つで、明るいオケの音色を生かして、確固たる古典美をつくりだしている。

カラヤンのハイドン交響曲に初めて接したのはウィーン・フィルを振っての1959年他の英デッカのLP盤《太鼓連打》《ロンドン》だったリスナーも多いと思う。

後年カラヤンはハイドン交響曲を1975年頃ベルリン・フィルとEMIに、そして1980年代初め同じベルリン・フィルとDGに録音しており、ますます豪華で重厚な交響曲へと仕上げられて行き、流麗なレガートの味は堪能できるだろう。

しかし三つ子の魂百までで英デッカ盤のある意味溌剌さは後年盤には求める事は出来ず、既に50年以上前の録音とはいえ、今なお、価値の高い1枚と言えるだろう。

ハイドンの《ロンドン》はカラヤンが好んで指揮した楽曲の1つである。

筆者の手元にも、ベルリン・フィルを指揮した新旧2種のスタジオ録音、ウィーン・フィルを指揮した1979年のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音、そして本盤の合計で4種もある。

これらの中でも、最もバランスのとれた名演は、本盤のウィーン・フィルとのスタジオ録音ではないかと考えている。

演奏者の品位と、曲の力を引き出した演奏で、カラヤンらしいそつのない、颯爽とした演奏になっていて、クレンペラーのような荘厳さとは変わってエレガントなタッチを感じる。

カラヤンならではの颯爽としたテンポによる演奏であるが、よく聴くと、隋所に抑揚の効いた極上のレガートがかかっており、各楽章の描き分けも実に巧みだ。

特に第4楽章、あっけないほどに隙のない展開、小5分で締めくくってしまうが、そこが心憎いほど演出巧者なカラヤンの神髄かも知れない。

ウィーン・フィルも、極上の美演でカラヤンの指揮に応えている。

《太鼓連打》は、後年のベルリン・フィルとのスタジオ録音も名演であり、あとは好みの問題だと思うが、この当時のウィーン・フィルの演奏の美しさには抗しがたい魅力がある。

前述のようにカラヤンはハイドンを晩年ベルリン・フィルとも録音しているが、このウィーン・フィルとの録音では、肩の力を抜いて、まさに「ご当地」の音楽に興じている演奏家たちの気構えが充分に伝わってくる。

両曲で聴かせる品の良さ、快活さ、そして音の密度の濃さには、聴いていて満足感を得られるし、何よりハイドンの音楽の素晴らしさを存分に紹介してくれていると思う。

なお、《ロンドン》等最終楽章で本盤は後年盤で演奏された反復部分は略されておりスッキリしている。

SHM−CD化により、これらの名演がより高音質で聴けることになったことを大いに喜びたい。

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2015年04月23日


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ワイセンベルクが1966年に復帰して約10年後、彼とカラヤンの絆が実を結んだ全盛期の頃の演奏。

リハーサルなしで録り上げた第4番をはじめ、すべての楽章、旋律、どれもが聴き応え充分な内容の1枚。

しかしながら、そもそもカラヤンが、協奏曲の指揮者として果たして模範的であったかどうかは議論の余地があるところだ。

カラヤンは、才能ある気鋭の若手奏者にいち早く着目して、何某かの協奏曲を録音するという試みを何度も行っているが、ピアニストで言えばワイセンベルク、ヴァイオリニストで言えばフェラスやムター以外には、その関係が長続きしたことは殆どなかったと言えるのではないだろうか。

ソリストを引き立てるというよりは、ソリストを自分流に教育しようという姿勢があったとも考えられるところであり、遺された協奏曲録音の殆どは、ソリストが目立つのではなく、全体にカラヤン色の濃い演奏になっているとさえ感じられる。

そのような帝王に敢えて逆らおうとしたポゴレリチが練習の際に衝突し、コンサートを前にキャンセルされたのは有名な話である。

本盤に収められた演奏も、どちらかと言えばカラヤン主導による演奏と言える。

カラヤンにとっては、当時蜜月関係のピアニストであったワイセンベルクをあたたかく包み込むような姿勢で演奏に臨んだのかもしれない。

特に、オーケストラのみの箇所においては、例によってカラヤンサウンドが満載。

鉄壁のアンサンブルを駆使しつつ、朗々と響きわたる金管楽器の咆哮や分厚い弦楽合奏、そしてティンパニの重量感溢れる轟きなど、これら両曲にはいささか重厚に過ぎるきらいもないわけではないが、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功している。

カラヤンの代名詞でもある流麗なレガートも好調であり、音楽が自然体で滔々と流れていくのも素晴らしい。

ワイセンベルクのピアノも明朗で透明感溢れる美しい音色を出しており、詩情の豊かさにおいてもいささかの不足はなく、とりわけ両曲のカデンツァは秀逸な出来栄えであるが、オーケストラが鳴る箇所においては、どうしてもカラヤンペースになっているのは致し方がないと言えるところである。

それ故ワイセンベルクによるピアノ演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルの中の1つの楽器と化しており、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築の最も忠実な奉仕者であると言えるところであり、このような演奏では、ワイセンベルクのピアノは単なる脇役に過ぎない。

要は、いわゆるピアノ協奏曲ではなく、ピアノ付きの交響曲になっていると言える。

それ故に、カラヤンのファンを自認する高名な評論家でさえ、「仲が良い者どうしの気ままな演奏」(リチャード・オズボーン氏)などとの酷評を下しているほどだ。

しかしながら、筆者は、そこまでは不寛容ではなく、本演奏は、やはり全盛期のカラヤン、そしてベルリン・フィルでないと成し得ないような異色の名演であると高く評価したい。

たとえば、第3番冒頭の、ピアノが入ってくるところの美しさなど絶品で、オーケストラもピアノもこんなに美しい演奏は、そうそうない。

いわゆるピアノ協奏曲に相応しい演奏とは言えないかもしれないが、少なくとも、ベートーヴェンの楽曲の演奏に相応しい力強さと重厚さを兼ね備えていると思われるからだ。

筆者としては本演奏を両曲のあらゆる演奏の中でも最もスケールが雄渾で、壮麗な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

特に、ベートーヴェンの音楽に“精神”でなく“美”を求める人には、お薦めの1枚である。

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2015年04月22日


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カラヤンの生誕100周年を契機に、様々なライヴの名演盤が発掘されているが、本盤も、カラヤンがライヴの人であることを証明する素晴らしい名演だ。

近年発売された様々な伝記でも明らかにされているが、カラヤンは、スタジオ録音とコンサートを別ものと捉えていた。

そして、コンサートに足を運んでくれる聴者を特別の人と尊重しており、ライヴでこそ真価を発揮する指揮者だったことを忘れてはならない。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は一般的に1960年代及び1970年代と言われているが、この当時の弦楽合奏は鉄壁のアンサンブルと独特の厚みがあり、いわゆるカラヤンサウンドの基盤を形成するものであった。

本ライヴ録音はまさにその全盛期の真っ只中に演奏されたものだけに、いわゆるカラヤンサウンド満載の演奏と言える。

冒頭のモーツァルトからして、絶妙のレガートによる極上の美演が繰り広げられており、ディヴェルティメントのような軽快な楽曲を超一流の高貴な芸術作品に仕立て上げているというのは、カラヤンならではの魔術という他はない。

一糸乱れぬアンサンブルを駆使した重量感溢れる分厚い弦楽合奏は圧巻の迫力を誇っていると言えるところであり、カラヤンは、このような重厚な弦楽合奏に流れるようなレガートを施すことによって、曲想を徹底して美しく磨き抜いている。

これによって、おそらくは同曲演奏史上最も重厚にして美しい演奏に仕上がっていると言えよう。

古楽器奏法やピリオド楽器の使用が主流となりつつある今日においては、このようなカラヤンによる重厚な演奏を時代遅れとして批判することは容易である。

しかしながら、ネット配信の隆盛によって新譜CDが激減し、クラシック音楽界に不況の嵐が吹き荒れている今日においては、カラヤンのような世紀の大巨匠が、特にディヴェルティメントのようなモーツァルトとしては一流の芸術作品とは必ずしも言い難い軽快な曲を、ベルリン・フィルの重量感溢れる弦楽合奏を使って大真面目に演奏をしていたという、クラシック音楽界のいわゆる古き良き時代(それを批判する意見があるのも十分に承知しているが)が少々懐かしく思われるのもまた事実であり、このような演奏を聴くとあたかも故郷に帰省した時のようにほっとした気持ちになるというのも事実なのだ。

このように賛否両論はある演奏であると言えるが、筆者としては、同曲を安定した気持ちで味わうことができるという意味において、素晴らしい名演と高く評価したい。

ストラヴィンスキーの「春の祭典」は、同曲演奏史上でもトップの座に君臨する超弩級の名演である1978年ライヴ録音(パレクサ盤)に連なる確かな道程を感じることのできる名演である。

「春の祭典」は、まずは管楽器奏者の抜群の技量に圧倒される。

これがライヴ録音なんて信じられない。

弦楽合奏の厚みも桁外れのド迫力であり、こうしたベルリン・フィルの猛者を圧倒的な統率力で纏め上げていくカラヤンの凄さ。

しかも、技術偏重には陥らず、音色に妖気のようなものが漂っているところが見事であり、「春の祭典」の本質を射抜いた史上初の演奏と言っても過言ではないのではないか。

名うての名プレーヤーが揃うベルリン・フィルを、カラヤンが圧倒的な統率力でドライブし、緩急自在のテンポを駆使して、難曲の代表格である同曲の聴かせどころを心得た心憎いまでの巧みな演奏を行っており、同曲を実にわかりやすく聴かせてくれる点を高く評価したい。

音質は、1972年のライヴとは思えないくらい鮮明である。

カラヤンのライヴ録音は、今後もいろいろと発掘されていくと思われるが、おそらくは、それらのライヴ録音によって、カラヤンの凄さがあらためて再認識されるのではないかと大いに期待している次第だ。

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2015年04月19日


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巨匠カラヤンと技巧派ワイセンベルク蜜月時代の遺産のひとつが復刻された。

カラヤン初にして唯一のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集録音として大きな注目を集めた作品でもある。

しかしながら、そもそもカラヤンが、協奏曲の指揮者として果たして模範的であったかどうかは議論の余地があるところだ。

カラヤンは、才能ある気鋭の若手奏者にいち早く着目して、何某かの協奏曲を録音するという試みを何度も行っているが、ピアニストで言えばワイセンベルク、ヴァイオリニストで言えばフェラスやムター以外には、その関係が長続きしたことは殆どなかったと言えるのではないだろうか。

ソリストを引き立てるというよりは、ソリストを自分流に教育しようという姿勢があったとも考えられるところであり、遺された協奏曲録音の殆どは、ソリストが目立つのではなく、全体にカラヤン色の濃い演奏になっているとさえ感じられる。

そのような帝王に敢えて逆らおうとしたポゴレリチが練習の際に衝突し、コンサートを前にキャンセルされたのは有名な話である。

本盤に収められた演奏も、どちらかと言えばカラヤン主導による演奏と言える。

カラヤンにとっては、当時蜜月関係のピアニストであったワイセンベルクをあたたかく包み込むような姿勢で演奏に臨んだのかもしれない。

特に、オーケストラのみの箇所においては、例によってカラヤンサウンドが満載。

鉄壁のアンサンブルを駆使しつつ、朗々と響きわたる金管楽器の咆哮や分厚い弦楽合奏、そしてティンパニの重量感溢れる轟きなど、これら両曲にはいささか重厚に過ぎるきらいもないわけではないが、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功している。

カラヤンの代名詞でもある流麗なレガートも好調であり、音楽が自然体で滔々と流れていくのも素晴らしい。

ワイセンベルクのピアノも明朗で透明感溢れる美しい音色を出しており、詩情の豊かさにおいてもいささかの不足はなく、とりわけ両曲のカデンツァは秀逸な出来栄えであるが、オーケストラが鳴る箇所においては、どうしてもカラヤンペースになっているのは致し方がないと言えるところである。

それ故ワイセンベルクによるピアノ演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルの中の1つの楽器と化しており、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築の最も忠実な奉仕者であると言えるところであり、このような演奏では、ワイセンベルクのピアノは単なる脇役に過ぎない。

要は、いわゆるピアノ協奏曲ではなく、ピアノ付きの交響曲になっていると言える。

それ故に、カラヤンのファンを自認する高名な評論家でさえ、「仲が良い者どうしの気ままな演奏」(リチャード・オズボーン氏)などとの酷評を下しているほどだ。

しかしながら、筆者は、そこまでは不寛容ではなく、本演奏は、やはり全盛期のカラヤン、そしてベルリン・フィルでないと成し得ないような異色の名演であると高く評価したい。

初咲きの花のように初々しい第1番、精緻なカラヤンの指揮ぶりに対し大胆に振る舞うワイセンベルクのピアノが楽しい第2番、ともにマジックとも呼ばれた一時代を画したサウンドに一体化されたピアノ・ソロと認識していたものが、あらためて聴くとソロを引き立てる見事な伴奏ぶりに驚く。

いわゆるピアノ協奏曲に相応しい演奏とは言えないかもしれないが、少なくとも、ベートーヴェンの楽曲の演奏に相応しい力強さと重厚さを兼ね備えていると思われるからだ。

筆者としては本演奏を両曲のあらゆる演奏の中でも最もスケールが雄渾で、壮麗な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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2015年04月18日


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これは凄い超名演だ。

カラヤンは、ライヴでこそ実力を発揮する指揮者であるが、本盤はそうしたカラヤンの面目躍如たる至高の超名演に仕上がっている。

カラヤンの「英雄の生涯」については、先般、同じロンドンでの1985年のライヴ録音が発売され、超名演であったが、次いで発売された1972年ライヴ盤も、それに匹敵する素晴らしい名演だと思う。

それどころか、最もカラヤンの個性が発揮された演奏は、紛れもなく本盤に収められた演奏であると言えるのではないだろうか。

1972年と言えば、カラヤンとベルリン・フィルという黄金コンビの最良の時代であり、指揮者とオーケストラが一体となり、両者が最高のパフォーマンスを示していた。

本演奏においても、そうした全盛期のこの黄金コンビの演奏の凄さを味わうことが可能だ。

ベルリン・フィルは、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、金管楽器の朗々たる響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器の響き、分厚い弦楽合奏、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニの迫力などが一体となり、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な名演奏を繰り広げている。

カラヤンは、流麗なレガートを施すことによって、楽想を徹底的に美しく磨きあげており、シュヴァルべのソロも抜群の巧さで、本ライヴ録音の価値を更に高めている。

マイクの位置のせいか、金管楽器がやや強く聴こえるなど、録音のバランスがいささか悪い気もするが、この時代のライヴ録音からすれば、水準以上の音質であり、全盛期のカラヤンの圧倒的な統率力と、ベルリン・フィルというスーパー軍団の重厚かつ超絶的な技量を満喫できるのは贅沢な限りだ。

ジャケットのデザインも含め完全無欠とも言うべき本演奏は、同曲演奏史上究極の名演との評価もあながち言い過ぎではないと考えられる。

しかしながら、好き嫌いでいうと、筆者としては、カラヤンの統率力に綻びが見られるとは言え、後年の1985年のライヴ録音の方が好みである。

というのも、1985年盤には、カラヤンの自省の念も込められた枯淡の境地が感じられるからであり、演奏の味わい深さという意味では、1985年盤の方をより上位に掲げたいと考える。

他方、「田園」は、素っ気なささえ感じられるような快速のテンポのせいか、カラヤンとの相性が必ずしもいい曲ではないと考えているが、本盤では、全盛期のライヴということもあり、同時期のスタジオ録音よりはずっと楽しむことが出来た。

ベートーヴェンの全交響曲中で、カラヤンがあまり名演を遺していないのが同曲であると考えている。

その理由は、カラヤンが、他の指揮者ならば必ず反復をする第3楽章を含め、すべての反復を省略するなど、快速のテンポで全曲を演奏するが、スタジオ録音というハンディもあって、全体として聴き手に、平板で、せかせかとした浅薄な印象を与えがちなことが掲げられる。

しかしながら、本盤は、ライヴにおけるカラヤン、そしてベルリン・フィルの圧倒的な高揚感と、録音の鮮明さによって、いつものように快速のテンポでありながら、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルでないと成し得ないような重厚にして、しかも流麗な至高・至純の音楽を構築することに成功している。

もしかしたら、本盤こそ、カラヤンが「田園」という楽曲について、聴き手に伝えたかったことの全てが込められているのかもしれない。

筆者も、カラヤンの「田園」で感動したのは、本盤が初めてである。

解説は、リチャード・オズボーンであり、内容はいつもながら実に素晴らしい。

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2015年04月17日


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カラヤンは、チャイコフスキーを得意としており、交響曲第4番は6度もスタジオ録音している。

加えて、ウィーン交響楽団とのライヴ録音も存在しており、カラヤンとしても何度も演奏した得意のレパートリーと言えるが、遺された録音の中で随一の名演は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代である1971年に録音された本盤であると考える。

本盤の特徴を一言で言えば、ライヴ録音を思わせるような劇的な迫力だ。

豪演と言っても過言ではないような圧巻の迫力であり、その圧倒的な生命力は、とてもスタジオ録音とは思えないほどである。

冒頭から、悪魔的な金管の最強奏に始まり、厚みのある弦合奏の重量感や、雷鳴のようなティンパニの轟きには戦慄を覚えるほどだ。

第1楽章終結部の猛烈なアッチェレランドは、古今東西の同曲の演奏の中でも、最高の迫力を誇っている。

第2楽章の木管の巧さも特筆すべき美しさであり、そのむせ返るような熱い抒情には、身も心もとろけてしまいそうだ。

終楽章の疾風の如きハイテンポによる進行は圧巻という他はないが、それでいて、アンサンブルにいささかの乱れもないのは、殆ど驚異でもある(これに匹敵できるのは、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの1960年盤のみ)。

カラヤンはチャイコフスキーを得意としていたが、このうち、交響曲第5番は5回もスタジオ録音している。

いずれも名演であると思うが、その中でもトップの座に君臨するのは、1971年に録音された本盤であると考える。

スタジオ録音であるが、ライヴ録音ではないかと思われるほど、劇的な性格を有した豪演と言うことができる。

この当時は、カラヤンとベルリン・フィルは蜜月状態にあり、この黄金コンビは至高の名演の数々を成し遂げていたが、本盤の演奏も凄い。

金管楽器も木管楽器も実に巧く、厚みのある重厚な弦楽器も圧巻の迫力で、雷鳴のようなティンパニの轟きも、他の誰よりも圧倒的。

そうした鉄壁の技量とアンサンブルを誇るベルリン・フィルを、これまた圧倒的な統率力で指揮するカラヤンの凄さ。

粘ったようなテンポや猛烈なアッチェレランドの駆使、そしてカラヤンには珍しいポルタメントの効果的な活用など、実に内容豊かでコクのあるチャイコフスキーを構築している。

カラヤンは、チャイコフスキーを得意としたが、その中でも十八番は、この交響曲第6番「悲愴」だったと言える。

スタジオ録音だけでも7度も行うとともに、先般発売された来日時のライヴ録音や、NHK交響楽団とのライヴ録音などを加えると、圧倒的な点数にのぼる。

オペラのように起承転結がはっきりした標題音楽的な要素や、華麗なオーケストレーションなど、いかにもカラヤンが得意とした要素が散りばめられているのが、カラヤンが同曲を得意とした要因の1つに掲げられると考える。

遺された録音は、いずれも名演であるが、その中でも、本盤は、ライヴ録音ではないかと思われるような劇的な豪演を成し遂げているのが特徴と言える。

悪魔的とも言うべき金管楽器の鋭い音色や、温かみのある木管の音色、重厚な低弦の迫力、そして雷鳴のように轟くティンパニの凄さなど、黄金時代にあったベルリン・フィルの圧倒的な技量が、そうした劇的な要素を大いに後押ししている。

カラヤンも、圧倒的な統率力で、ベルリン・フィルを巧みにドライブするとともに、ポルタメントやアッチェレランド、流れるようなレガートなどを効果的に駆使して、「悲愴」の魅力を大いに満喫させてくれる。

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2015年03月22日


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ブラームスの「第1」はカラヤンの名刺代わりの作品であった。

頭に思い浮かぶだけでも、ベルリン・フィルとの3種のスタジオ録音、先般相次いで発売された最後の来日時、死の前年のロンドンでの両ライヴ録音など、まだまだ数多くあるような気がする。

カラヤン得意の曲だけにいずれ劣らぬ名演揃いであるが、いずれも手兵のベルリン・フィルとの録音。

他方、本盤は古き良き時代のウィーンならではの芸術的な香りが残っていた1950年代のウィーン・フィルとのスタジオ録音、しかも、鮮明な英デッカのステレオによる名録音というだけで、他の盤とは異なった大きな存在価値がある。

当時、ベルリン・フィルとウィーン国立歌劇場を手中に収め、文字通り楽壇の帝王への道を突き進んでいたカラヤンの壮年期の生命力溢れる圧倒的な指揮ぶりが、これまた全盛期のウィーン・フィルの美演と見事に融合し、重厚さと優美さといういささか相反する要素を併せ持つ珠玉の名演となっている。

何よりも後年のベルリン・フィルとの諸録音には無い、黄金期ウィーン・フィルの輝かしく芳醇な音色が絶品だ。

特に第2、3楽章の濃厚妖艶なレガートと輝く弦楽の魅惑は、まだ素朴さを残した管も味があって最高である。

終楽章も明るく華麗に締め、ベルリン・フィルとの諸録音(特に1988年のロンドン・ライヴ)に聴かれる音響大洪水とはかけ離れているが、流麗華美でこれも魅力的。

いわゆるカラヤン臭が少なく、大家ぶったところもない、オケの思うまま、自由に演奏させているが締めるべきところは締めるといった演奏。

1959年の録音で、これから登り坂の壮年期のカラヤンの溌剌とした指揮とフルトヴェングラーの余韻が未だ残るウィーン・フィルのコラボが生んだ極上の名演と言えよう。

晩年、カラヤンはベルリン・フィルと決別して、ウィーン・フィルに回帰したが、そこには残念ながら、往時のカラヤンらしい抜群の切れはない。

しかし、この壮年期の演奏記録は別で、カラヤンが後にベルリン・フィルと録音したものと比べると、壮大さでは劣るかもしれないが、オケの音色の美しさは際立っているように思う。

驚くほど充実し、その音楽の<純度>、爽快な<迫力>には得難い魅力がある。

帝王カラヤンの最も充実した時期の記録であり、ウィーン・フィルは、このカリスマとの邂逅に、持てる力を出し切っている。

ベルリン・フィルの隙のない完璧な演奏スタイルとは異なり、ウイーン・フィルらしい流麗さ、時に統制を緩めたようなパッショネイトな表情もあり、生き生きと息づく音楽である。

カラヤンは、生涯にわたって大学祝典序曲を1度も録音しなかったが、他方、悲劇的序曲は晩年に至るまで幾度となく録音している。

本盤の演奏も、「第1」と同様の性格を有する流麗で幻想的、且つドラマティックな名演に仕上がっている。

壮年期のカラヤンの覇気が漲り、冒頭の2つの和音から一気に引き込まれるような推進力を持っている。

遅いテンポで濃厚ロマンティシズムが薫り立ち、ティンパニの激打と瞬発的金管強奏により、曲の持つ緊迫感とドラマを克明に打ち出した。

好みは分かれるかもしれないが、1970年代のカラヤン全盛期の録音よりもこの1959年録音の簡潔でバランスの取れた、絶妙の味わいの演奏を好む聴き手も少なくないだろう。

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2015年03月21日


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カラヤンはドヴォルザークの「第8」を何度も録音しているが、なぜかウィーン・フィルとの録音が多い。

スタジオ録音では本盤(1961年)と1985年盤、それに、ライヴでは1974年のザルツブルク音楽祭での演奏(アンダンテ)。

いずれ劣らぬ名演であるが、ライヴならではの迫力なら1974年盤、円熟の名演なら1985年盤を採るべきであろうが、本盤には、ベルリン・フィルとウィーン国立歌劇場を手中に収め、人生の上り坂にあった壮年期のカラヤンならではの圧倒的な勢いがある。

オーケストラを存分に鳴らしつつ、テンポ設定は緩急自在、カラヤン得意の優美なレガートも絶好調であり、豪華絢爛にして豪奢な演奏になっている。

力強く颯爽と駆け抜ける第1楽章、圧倒的な高揚感で天にも届きそうな第2楽章、艶やかな第3楽章、そして圧巻は終楽章で、テンポを揺らして旋律ごとの対比を描き出していて、終結部も凄まじいド迫力だ。

カラヤン=スマートというイメージがあるが、むしろ民族的な泥臭ささえ感じられるところであり、曲のイメージに合っている。

もちろん、ウィーン・フィルの絶美の演奏が、この名演に潤いを与え、ボヘミア風の抒情にもいささかの不足がない点も特筆すべきであろう。

また、1960年代にカラヤンがウィーン・フィルと残した録音は、ベルリン・フィルとの演奏とは違う優美なニュアンスを帯びている。

ドヴォルザークの土着的味わいと、カラヤンの垢抜けた都会的透明感が、絶妙のバランスで共存し、非の付け所のない絶品として仕上がっている。

併録の「ロメオとジュリエット」も、カラヤンの十八番であり幾度も録音を繰り返したが、ウィーン・フィルとの組み合わせにより、ドラマティックな運びの中に曲想をよく生かした華麗さと繊細さのバランスが見事な名演に仕上がっている。

この1960年代の録音ではやはり勢いがあると同時に、ウィーン・フィルの美しい音を最大限引き出している。

いずれも若々しく、躍動感に富み、ウィーン・フィルが、いかに凄いオーケストラか、これでもか、と分からせてくれる名盤と言えよう。

この時期のカラヤン&ウィーン・フィルしか出せない、もう、現代では、こんなに活きのいいウィーン・フィルの響きは、聴けないであろうと思わせる貴重な記録とも言える。

また、音質も英デッカならではの見事なもので、録音会場のゾフィエンザールの弾力のある残響がとても心地よい。

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2015年03月20日


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このフランスの名曲に、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏、しかも映像作品を選ぶというのは、奇を衒っていると思われるかもしれないが、本当に気に入っているのだ。

カラヤンはこの曲の組み合わせで、本盤以外に1964年3月と1985年12月〜1986年2月にそれぞれDGで録音を行っているので、本盤(1985年11月〜12月)はちょうど後者の録音と同時期の収録ということになるが、この演奏のいちばんの特徴は、ライヴ録音ということである。

注意して聴いていると、オーディエンス・ノイズが頻繁に入ることからすぐに分かる。

カラヤンの映像作品の多くは、聴衆が映っていてもニセの聴衆だったり、あるいは音と映像が完全に別取りで、ライヴを装っていてもスタジオ録音だったりして、視聴していて白けることおびただしいものもある。

筆者は映画が好きなせいか、映像を見るとすぐに「カメラの位置は?」と考えてしまうのだが、たとえば1972年収録の「海」の映像作品では、客席に聴衆はいるものの、曲の冒頭はカラヤンの斜め後ろからオケを撮っており、絶対に望遠で撮った絵ではないことから、これだとカメラは指揮者の数メートル後ろの舞台上にいなくてはならない。

実際の演奏会ではそんなことは有り得ないわけだから、「ああ、これもニセものかぁ……」と、その後は見る気がしなくなるのだ。

やたら逆光を多用したり、顔の見えにくい奏者を幾何学的に並べたり、あるいは管楽器を構える角度がやたらぴったり合っていたりするのもわずらわしい。

ふだんあれだけ体を振ってアンサンブルを作る努力をしているライスターが、微動だにしないでクラリネットを咥えているわけないのだ。

部分撮りの奏者の顔が音楽をやっているように見えないことが多いのは、ことによるとその奏者だけで映像のみ収録し、音は捨てているからだろうか。

同じアングルの映像で、最初はフルート1人が吹いていて、次に2人に増え、終いには4人になるのを見せられると、腹が立つのを通り越して呆れてしまう。

映像の遊びは音楽にとって邪魔なだけだ。

もちろん本盤でもそういった「はめ込み画像」はあるのだが、フルオケが映っている場面、そしてなぜか凝った別撮り映像においても、奏者の表情が真剣でしかも活き活きとしているので、見ていて嬉しくなってしまう。

「海」におけるコンサートマスターのブランディスの体を張ったリード! あれは決して映像収録用の「演技」だとは思えないのだ。

「牧神」と「ダフニス」では、それまでトップサイドだったシュピーラーがコンマスに交替し、ブランディスがトップサイドに下がる贅沢さ! それにツェラーのフルートの妙技! さらに、まだ颯爽としなやかだったカラヤンの棒も、ドイツもののときより真剣に見える。

映像のことをあれこれ言ってしまったが、音そのものでも、「聴衆を前にした燃えるベルリン・フィル」が楽しめる。

カラヤンは基本的にはライヴ録音はやらない主義だったから、本盤のような正規のライヴ・ステレオ録音は貴重である。

「海」の第1楽章最後の部分の巨大な音の柱! 第2楽章後半、どこまでもぐんぐんと伸びていくような盛り上がりと、そのあと深海に沈潜したような静寂、「海」というよりは戦争の記録映画の伴奏にも使えるような、スペクタクルな第3楽章、それでいて毛ほどの粗さもないのだ。

「牧神」はツェラーを筆頭とする管がひたすら巧く、それを支える温かくて精妙な弦も見事だ。

「ダフニス」は、かつてベルリンのフィルハーモニーザールが「カラヤンサーカス」と言われていたことを思い出させるような、音の饗宴の世界である。

「夜明け」の甘美さ、「無言劇」の驚異的なアンサンブルの完璧さ、「全員の踊り」の凄まじい盛り上げ方、カラヤン&ベルリン・フィルのライヴが、いかに凄かったのかの証となるだろう。

そこでは、まさに生きている人間が演奏しているのだ。

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2015年03月05日


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カラヤン&ベルリン・フィルの来日公演(1977年、普門館)に於ける、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏については、既に従来CD盤が発売され、5枚のCDの各レビューには絶賛の評を記したところである。

カラヤンは、DVD作品を除くと、4度にわたってベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、本全集はそれらいずれの全集をも大きく凌駕していると言っても過言ではあるまい。

1977年と言えば、まさにカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代。

カラヤンの体調も若干の陰りは見られつつあったものの、心身ともにベストコンディションにあったと言える。

ベルリン・フィルも、名うてのスタープレーヤーがあまた在籍した楽団史上でも特筆すべき技量を誇った時代であり、それぞれ最高の状態にあったカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏は、おそらくはオーケストラ演奏史上でも空前にして絶後の高水準を誇っていたと言ってもいいのではないだろうか。

弦楽合奏の鉄壁のアンサンブル、唸るような低弦の重量感のある響き、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器群の美しい響き、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニの響きなどが見事に融合するとともに、カラヤン一流の流麗なレガートが施された、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れたまさに圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。

カラヤンの前任者であるフルトヴェングラーのような音楽の精神的な深みの徹底した追求などは薬にしたくもないが、音楽の持つ根源的な力強さにおいては、フルトヴェングラーの数々の名演にいささかも劣っているものではないと言えるところだ。

フルトヴェングラーの目指した音楽とカラヤンの目指した音楽は、このようにそもそも次元の異なるものであり、その優劣を論ずること自体がナンセンスであると考えられるところである。

とある影響力の大きい某音楽評論家の偏向的な批評などを鵜呑みにして、本全集のような圧倒的な名演に接する機会すら放棄してしまうクラシック音楽ファンが少なからず存在すると想定されるのは大変残念なことであると言えるだろう。

カラヤンの個性が全面的に発揮されたベートーヴェンの交響曲全集の演奏としては、1970年代にスタジオ録音された3度目の全集を掲げる者も多くいると思われるが、本全集は、実演でこそ真価を発揮するカラヤンならではの途轍もない生命力溢れる力感が随所に漲っているなど、音のドラマとしての根源的な迫力においてはかかるスタジオ録音による全集を大きく凌駕していると言えるところであり、まさにカラヤン&ベルリン・フィルという稀代の黄金コンビによる全盛時代の演奏の凄さを大いに堪能させてくれる究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。

音質は、従来CD盤においても音響がイマイチとされる普門館でのライヴ録音と思えないような鮮明さであった。

「第9」については、アンプの故障によって、特に終楽章の音のバランスが悪いとのことであるが、確かにそういった感じはしたが、気になるほどのものではないと言える。

本全集の演奏のうち、「第3」については1982年のベルリン・フィル創立100周年記念ライヴ盤(ソニークラシカルのDVD作品)、「第7」は、同時期の1978年のベルリンでのライヴ盤(パレクサレーベル)に一歩譲るが、それ以外は、カラヤン自身にとって最高の超名演で構成されている圧倒的な名全集と高く評価したいと考える。

このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためて本全集の各演奏の凄さとSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な超名演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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カラヤンは、独墺系の指揮者では珍しいシベリウス指揮者であった。

他には、独墺系指揮者でただ1人全集を完成したザンデルリンクがいるだけである。

カラヤンは、「第3」を録音せずに鬼籍に入ってしまったが、録音の予定はあったと聞く。

これは大変残念なことではあるが、しかしながら、遺された録音はいずれ劣らぬ名演であると考える。

認知度が高いのは、フィルハーモニア管弦楽団時代の録音や、1960年代の「第4」以降の4曲を収録したベルリン・フィルとの録音であるが、何故か、1970年代の「第4」及び「第5」、そして、1980年代の本盤や「第2」、「第6」の認知度が意外にも低いのは何故であろうか。

特に、これらの演奏には、オーケストラの最強奏、特に、フォーグラーの迫力あるティンパニが、シベリウスにしては大仰過ぎる、更に一部の評論家によると、シベリウスの本質を逸脱しているという批判さえなされている。

しかしながら、シベリウスの本質とは一体何であろうか。

確かに、北欧風のリリシズムに満ち溢れた清澄な演奏が、シベリウスの演奏により相応しいことは認めるが、シベリウスは北欧のローカルな作曲家ではないのだ。

まさに、21世紀初頭を代表する国際的な大シンフォニストなのであり、それ故に、演奏様式はもっと多様であってもいいのではないだろうか。

カラヤンこそは、特に、認知度が低かった独墺系社会にシベリウスの交響曲や管弦楽曲の素晴らしさを認知させたという偉大な業績があり、作曲者も、カラヤンの演奏を高く評価していた事実を忘れてはならないだろう。

本盤の収められた交響曲集は、確かに、オーケストラが鳴り過ぎる、ティンパニが強靭過ぎるとの批判は予測はされるが、北欧風の清澄な抒情にもいささかの不足もなく、筆者としては、シベリウスの交響曲を、ドイツの偉大な交響曲にも比肩する芸術作品に仕立て上げた素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の管弦楽曲集も、聴かせどころのツボを心得たカラヤンならではの名演だ。

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2015年03月03日


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本作は、名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ベルリン・フィルの弦楽器の豊麗な響きの魅力をシンフォニックに発揮させ、大芸術に昇華させた優雅で流麗な曲想によって広く愛好されている、有名なメヌエットを含むディヴェルティメント第17番(1987年)と弦楽四重奏曲のような簡潔なまとまりをみせる、清冽な活気と優美な楽想を湛えた珠玉の名作《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》(1981年)を収録したアルバム。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は一般的に1960年代及び1970年代と言われている。

この当時の弦楽合奏は鉄壁のアンサンブルと独特の厚みがあり、いわゆるカラヤンサウンドの基盤を形成するものであったと言える。

しかしながら、蜜月状態にあったカラヤン&ベルリン・フィルも、ザビーネ・マイヤー事件の勃発によって大きな亀裂が入り、その後は修復不可能にまで両者の関係が拗れてしまったところである。

本盤に収められた演奏は、《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》が全盛時代末期のもの、ディヴェルティメント第17番が両者の関係が最悪の時期のものと言えるが、演奏を聴く限りにおいては、両演奏ともにそのような事件の影響を何ら感じさせないような、いわゆるカラヤンサウンド満載の演奏と言える。

一糸乱れぬアンサンブルを駆使した重量感溢れる分厚い弦楽合奏は圧巻の迫力を誇っていると言えるところであり、カラヤンは、このような重厚な弦楽合奏に流れるようなレガートを施すことによって、曲想を徹底して美しく磨き抜いている。

これによって、おそらくは両曲演奏史上最も重厚にして美しい演奏に仕上がっていると言えるだろう。

1980年代になって、オケの統率力に衰えが出たとか、ベルリン・フィルの入団人事の争いがあったなど、翳りも出始めたカラヤンの芸術だが、何事もないかのように美しいビロードの弦が微笑むかのように心地よい響きを聴かせている。

昨今の古楽的な解釈の視点からだととんでもない解釈だろうが、ここまで聴かせ上手ならば許せてしまう魔力を持っている。

古楽器奏法やピリオド楽器の使用が主流となりつつある今日においては、このようなカラヤンによる重厚な演奏を時代遅れとして批判することは容易である。

しかしながら、ネット配信の隆盛によって新譜CDが激減し、クラシック音楽界に不況の嵐が吹き荒れている今日においては、カラヤンのような世紀の大巨匠が、特にディヴェルティメントのようなモーツァルトとしては一流の芸術作品とは必ずしも言い難い軽快な曲を、ベルリン・フィルの重量感溢れる弦楽合奏を使って大真面目に演奏をしていたという、クラシック音楽界のいわゆる古き良き時代(それを批判する意見があるのも十分に承知しているが)が少々懐かしく思われるのもまた事実であり、このような演奏を聴くとあたかも故郷に帰省した時のようにほっとした気持ちになるというのも事実なのだ。

このように賛否両論はある演奏であると言えるが、筆者としては、両曲を安定した気持ちで味わうことができるという意味において、素晴らしい名演と高く評価したい。

ことにディヴェルティメント第17番は晩年のカラヤンの愛奏曲であったが、彼にとってこの作曲家の本質的なものが含まれていると感じていたのであろう。

誰にでも書けそうで絶対に書けない音楽、華やかな衣擦れを思わせる音の色に喜びを感じつつも、ふと訪れる静寂にわが身を振り返る。

そうした人間の心の機微を、さらりと私たちに表現してくれており、最高の贅沢品とは、こういったもののことをいうのだろうと改めて感じたところであり、カラヤンが同郷のザルツブルクの大作曲家に対する深い敬愛の念が滲み出たアルバムと言えるだろう。

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本盤は、カラヤンにしては異例のレパートリーで、1974年発売の≪新ウィーン楽派管弦楽曲集≫より代表的な作品を集めたアルバムである。

シェーンベルクという新ウィーン楽派と称される現代音楽の作品を世に広げた記念すべき録音と高く評価したい。

カラヤン唯一のスタジオ録音で、精緻かつスケール豊かな表現と、それに万全に応えるオーケストラの完璧な合奏力を堪能できる1枚。

カラヤン&ベルリン・フィルの絶頂期の録音で、あの妖艶さが多少の好き嫌いを生むとはいえ、精緻さ、音の輝き、腰の強さなど、すべてにおいて超一級であり、録音もまったく色褪せていない。

カラヤンは、バロック音楽から近現代音楽に至るまで、膨大なレパートリーを誇り、数々の名盤を遺したが、その中でも、最高峰に位置づけられる録音の1つが、この新ウィーン楽派管弦楽曲集ということになるであろう。

新ウィーン楽派と言えば、どうしても取っ付き難いイメージがあるが、カラヤンならではの解り易いアプローチによって、そうしたイメージを覆すことに成功したのが素晴らしい。

「12音階」とか「無調性」とか、未だに多くの音楽ファンから「難曲」だと敬遠されがちな新ウィーン楽派作品を、ここまで極限的なまでに鮮明かつ美しい音楽に仕上げられたのは当時のカラヤン&ベルリン・フィルだけではないだろうか。

カラヤンの入念な解釈が、1970年代楽団史上最高峰の状態にあったベルリン・フィルの機能性を十二分に生かし、贅沢に使い尽くした感のある名演奏である。

カラヤンの圧倒的な統率力とベルリン・フィルの卓越した合奏力、全盛時代の双方がガプリ四つに組んだ本演奏こそ、当該曲集の史上最高の名演と言っても過言ではあるまい。

カラヤン得意の優美なレガートも見事に決まっており、特に、シェーンベルクの「浄夜」など、この世のものとは思えないほどの美しさで、大きな深みと響きの豊かさが楽しめる。

シェーンベルクの全作品中おそらく最も演奏機会の多い「浄夜」であるが、カラヤンはこの作品の入り組んだ声部にまで光をあてつつ官能的な演奏を繰り広げていて、特に、女が告白をする部分の陶酔的高揚は比類がない。

ブーレーズなどによるスコアにX線を当てたような分析的な演奏とは正反対の、この曲が当初から持つ世紀末的文学世界に根ざした名演で、ベルリン・フィルの合奏力も凄い。

このシェーンベルクの代表作、「浄夜」は名曲でコンサートにもとりあげられるが、ひとつだけ落とし穴がある。

この曲は演奏者が美しさを引き出そうとすればするほど、作曲者の意図から離れ、逆に作曲者の心理と指示に従えば従うほど、美しさが失われていくのだ。

その落とし穴をカラヤンは見事に克服し、非常に美しく、かつ、シェーンベルクの意図を汲んだ曲をレコーディングした部分をつなぎあわせ、ミキシングすることにより、両方の条件を満たした完璧な「浄夜」をつくりあげることに成功した。

コンサートでは決してこのようなアンサンブルの名演は聴く事は不可能で、録音技術を駆使してこそ仕上がったというクラシック音楽世界では伝説の音楽録音と言える。

この演奏はそういう意味でこの曲の最高の録音と言えるだろう。

また、シェーンベルクが書いた最も編成の大きなオーケストラのための作品「ペレアスとメリザンド」では豊かでセンシティブなバランスを備えている。

演奏はスタンダードであり、だからこそ、難解と言われる曲の持ち味が素直に解かるので、聴きやすく、現代音楽の入門たる歴史的名盤となっている所以であろう。

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2015年02月28日


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オペラや交響曲の大作を指揮して数々の名演を聴かせてくれたカラヤンは、また同時にオーケストラの小品を指揮しても他の追随を許さない非凡にして絶妙な演奏を披露してくれた。

本盤は、カラヤンが遺した膨大な録音の中から、「モルダウ」「高い城」「前奏曲」「ハンガリー狂詩曲」など選りすぐりの演奏を厳選して新たに編んだのがこのアルバム。

リストとスメタナの交響詩をカラヤン&ベルリン・フィルの洗練された華麗な演奏でオーケストラ演奏の醍醐味を味わうことができる。

名曲とは、優れた楽曲と演奏が一体となって聴き手に示されることが必要であり、ベルリン・フィルという世界最高峰のオーケストラを最大限に生かしてきたカラヤンの実力を、目の当たりにし、そして堪能できるのである。

有名曲を最高の演奏で提供しようとしたカラヤンの面目躍如たる録音で、高度に洗練された演奏による名曲集だ。

カラヤンという大指揮者は、収録作のような入門的名曲をずいぶんと繰り返し録音している。

録音技術の進歩に側して、その時々の若い聴衆を確実に獲得していた訳で、このあたりのマメさが「帝王」の地歩を築いたと言えるだろう。

カラヤンは、大曲であろうと、本盤に収められた小曲であろうと、どのような曲を録音するに際しても決して手抜きをしなかった。

過去の巨匠では、決して小曲をおろそかにしたのではなかろうが、本盤のような小曲集を録音をする指揮者は少数であったこともあり、カラヤンの小曲集の質の高さは群を抜いている(アンチ・カラヤン派からは、それをセールスマンとして批判するのだろうが)。

こうした小品にこそ、演奏者の音楽的力量は如実に現れるものだが、カラヤン&ベルリンフィルのコンビはさすがと言うしかない。

音楽はこのように美しくなければと思わせる名演揃いで、いずれも楽曲の性格を見事にすくい取っていて、全く自然な流れとなっている。

正統性だとか精神性だとかを考えたときに、カラヤンの演奏は賛否両論であるが、純粋に管弦楽の美しさを追い求めるのなら、カラヤンとベルリン・フィルの演奏はまったく文句のつけようがない。

本盤の出来も見事というほかはなく、カラヤンの魅力がストレートに伝わってきて、難しいことを考えずに、オーケストラの華麗な響きに身を委ねられる、まさに完璧な戦略的音楽商品。

特に、名演は「高い城(ヴィシェラフト)」。

チェコ出身の指揮者が行うチェコへの愛着を主体とした演奏とは異なるが、重心の低いベルリン・フィルを統率して、重厚にして壮大な珠玉の名演を成し遂げている。

「モルダウ」は、1980年代の最後の録音の方が味わい深く、そちらの方に軍配をあげたいが、それも高い次元での比較であり、本盤の演奏も名演と評価するのにやぶさかではない。

「前奏曲」は、1980年代にも再録音しているが、統率力においてやや陰りがみられることもあり、本盤の方に軍配をあげたい。

おそらくは、フルトヴェングラーの名演と並んで、同曲の最高の名演と評価したい。

リストの他の2曲もカラヤンならではの名演ぞろいであり、いずれも極め付きの名演が、聴く者に至福のひとときをもたらしてくれる。

こういう演奏を聴くと、カラヤン一流の美学が実は繊細なデリカシーに裏打ちされていることがわかる。

表向きの深みには欠けるのだろうが、個人的には、押し付けがましい精神性のようなものは却って邪魔で、さらっと流れても実は細部まで行き届いた演奏の中にこそ、音楽そのものから立ち現れる精神の深みが感じられてよい。

これはそのよい見本と言えるところであり、本盤は、小曲においても惜しみなく全力を尽くしたカラヤンの至芸を味わうことができる名演集と言うことが出来よう。

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2015年02月25日


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一時代を画した《カルメン》だろう。

アルコア版を用い、カラヤン得意の細やかな作品分析によって作りあげたアルバムのひとつであり、カラヤンの残した最上のオペラ全曲演奏のひとつだ。

カラヤンは、20世紀後半の、音楽の美を作り上げた人物の代表で、オペラはその中心にあったのだが、《カルメン》はそのまた中心ということになる。

力を入れつつ、時を得ないで必ずしも最高のキャストが揃えられず、成功しない場合も多かったのだが、これはうまくいった。

そしてカラヤンの求める《カルメン》像が実現した。

カラヤンのオペラはいずれもゴージャスな響きを追求するもので、オペラ・コミーク版でありながらもグランド・オペラ風に響くのが面白い。

とはいえ、絢爛豪華な旧盤と正反対なフランス風のあっさりとして洒落たタッチで、ビゼー本来の創作意図がこうであったのかとわれわれの感じ方を改めてくれるような演奏である。

オペラのなかの場面それぞれが、まるで一番の見せ場であるかのように聴かせてくれる。

各楽器のあらゆる音を聴きわけ、あらゆるテンポの変化をあやつり(もっとも本作の大部分は非常にゆっくりとしたテンポだが)、あらゆる注釈に注意を払って、カラヤンは情熱的に指揮している。

激しいコントラストで描き出されるビゼーの名作は、録音されてから40年も経って、新鮮さこそ失われたが、聴く者に迫ってくる力は変わらない。

もちろん最高のキャストが揃えられたことが、カラヤンにこういう演奏を可能にさせたわけだ。

強烈なアグネス・バルツァのカルメンは、艶っぽく強気なカルメンで、これ以上ないほど役にフィットしている。

斬新でなく、従来のカルメン像の延長線上にあるのだが、ほとんどその頂点を極めているように思える。

バルツァのカルメンは、中に入っている写真では魔女のようだが、歌は艶があり、かつドラマティックな要素も十分で、本当に申し分がない。

激しく気まぐれなカルメンに、ひたすら迫るドン・ホセとしてのホセ・カレーラスもまた、伝統的ドン・ホセ像の、20世紀の頂点だろう。

特に、2人のラストシーンは特に圧巻で、声だけなのに目の前に2人がいるかのような迫力が感じられる。

そして、バルツァの強烈な個性に満ちたカルメンと、カレーラスの情熱に溢れたホセを重厚なカラヤンの指揮が支えている。

カティア・リッチャレッリのミカエラなど、ほかの歌手たちにもまったく弱点がない。

カラヤンのひたむきな指揮によって、バルツァの威勢のいいカルメンは際立ったものとなり、録音時には最盛期を過ぎていたカレーラスのドン・ホセもまた、朗々と声を響かせることになったのだろう。

このドン・ホセは、ほとんど病的に思えるほどに情熱にあふれ、それでいて大きな困難を抱えていることを声に感じさせる。

また、ホセ・ヴァン・ダムは、いかにも不屈の男エスカミーリョらしく聴こえるし、カティア・リッチャレッリの声は人生に疲れきっている様子を伝えている。

リッチャレッリのミカエラには好き嫌いがあるかも知れないが、第1幕のドン・ホセとの2重唱や第3幕のアリアなど、とてもスケールの大きい歌唱を披露している。

ファン・ダム以外はフランス語を母語としていないので、少し発音に疑問を持つところもあるが、それを補ってあまりある歌唱が楽しめる。

誰もにお薦めできる名盤だが、特に、歌の中に演技力・臨場感を求める人は必聴であろう。

ベルリン・フィルも凄い存在感を示しており、カラヤンの指揮の下、鮮やかにうねるようにスケールの大きい演奏を聴かせる。

オペラ・コミックとしての軽やかで風通しのいい《カルメン》とは正反対の、壮麗なグランド・オペラとしての大悲劇だが、これこそカラヤンの《カルメン》で、たとえこれからこのオペラの演奏が変わってゆくとしても、これは座標ということになるはずだ。

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2015年02月24日


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カラヤンは、ブルックナーの交響曲の第8番を、DVD作品などを除けば、3度スタジオ録音している。

その中でも本演奏は3度目の最後の録音に当たるものであるが、ダントツの名演であり、他の指揮者による様々な同曲の名演の中でも、上位にランキングされる至高の名演として高く評価したい。

カラヤンの最初の録音は、ベルリン・フィルの芸術監督に就任して間もない頃の演奏であり(1957年盤)、カラヤンがいまだベルリン・フィルを必ずしも掌握しきれていないこともあるせいか、立派ではあるがいささか重々し過ぎる演奏になってしまっていた。

そして、モノラル録音というのも大きなハンディがあると言わざるを得ない。

これに対して、2度目の録音(1975年盤)は、その後に全集に発展する第1弾となったものであるが、カラヤン全盛時代ということもあり、鉄壁のアンサンブルと流麗なレガートの下、金管楽器のブリリアントな響きや肉厚の弦楽合奏、フォーグラーによる雷鳴のようなティンパニなど、いわゆるカラヤンサウンド満載。

音のドラマとしては最高ではあるが、ブルックナーというよりはカラヤンを感じさせる演奏であったことは否めない。

これら1957年盤及び1975年盤に対して、本盤の演奏は、そもそもその性格を大きく異にしている。

ここには、カラヤンサウンドを駆使して圧倒的な音のドラマを構築したかつてのカラヤンの姿はどこにもない。

第1楽章や第2楽章などにはその残滓がわずかに聴き取れるが、第3楽章以降に至っては、自我を抑制し、虚心坦懐に音楽そのものの魅力をダイレクトに伝えていこうという自然体のアプローチの下、滔々と流れる崇高な音楽が流れるのみだ。

カラヤンとしても、最晩年になって漸く到達し得た忘我の境地、至高・至純の清澄な境地であると言うべきであり、これほどの高みに達した名演は、神々しささえ感じさせる荘厳さを湛えているとさえ言える。

このようなカラヤンとともに、美しさの極みとも言うべき名演奏を繰り広げたウィーン・フィルの好パフォーマンスにも大きな拍手を送りたい。

録音については従来CDやSHM−CDでも十分に鮮明ではあるが、いまだにSACD化されていないのは、非常に不思議な気がしている。

これだけの歴史的な名演でもあり、今後、更なる高音質化を大いに望みたい。

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