ブーレーズ

2016年06月15日


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ピエール・ブーレーズは早くも1960年代から、20世紀の音楽体系とも言うべき現代音楽作品集に取り組み、その意欲的な試みをソニーに残している。

このバルトークに当てられた4枚も1967年から10年間かけて制作されたもので、逸早く20世紀の音楽の芸術的な価値を認識したブーレーズの先見の明と、その演奏に賭けた情熱と意気込みが当シリーズにも明瞭に感じられる。

この頃はまだこうした作曲家の作品群を系統的に録音する指揮者は少なく、それまで単発的なセッションはあっても余白を埋める予備のように扱われていた作品が、彼が先鞭をつけたことによって、やがてコンサートのレギュラー・プログラムや新譜のCDにも採り上げられるようになった。

その後ブーレーズは1990年代からソロ協奏曲も加えて新境地を示した、よりインテグラルな2度目のセッションを果たして、そちらも高く評価されている。

しかしバルトークに関して言えば、フリッチャイによるセンセーショナルな先例は別格としてブーレーズの壮年期特有の覇気に漲った先鋭的な演奏と、それぞれの曲の構造を浮き彫りにする解析力に優れたこのセットの演奏をお薦めしたい。

何故ならそうした表現が、作品が創られた時代の作曲家の野心をも率直に伝えているように思えるからだ。

中でもバレエ音楽『かかし王子』はストラヴィンスキーの『春の祭典』を始めとする当時の前衛的な音楽がクラシック楽壇を騒然とさせていた時期に上演された作品だけに、バルトークの筆にもそれを充分に意識した、時代の最先端を行く作曲家としての自負と情熱の迸りがある。

このセッションは1975年に行われたが、ブーレーズの精緻な指揮によって独特の透明感と同時にメルヘンチックな色彩豊かな雰囲気が醸し出され、バレエの舞台を彷彿とさせるような絵画性とファンタジーに富んでいる。

手兵ニューヨーク・フィルのパワフルな音響も全開で『4つの管弦楽曲』や『中国の不思議な役人』と並んでオーケストラの醍醐味を味わえる演目だ。

またエスニカルな魅力を引き出したものとしてはCD2の『田舎の情景』及び最後に収められている『舞踏組曲』が同じメンバーによって堪能できる。

ソニー・クラシカル・マスターズの廉価盤シリーズで、ライナー・ノーツは付いていないが、このセットには曲目と演奏者が一覧できる6ページのパンフレットが挿入されている。

リマスタリングの効果は上々で音質はこの時代のものとしては極めて良好。

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2015年10月24日


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ブーレーズが15年の長きにわたって録音したマーラーの集大成BOXであるが、ブーレーズのマーラーは、若き日の前衛時代ではなく、むしろ角の取れたソフト路線が顕著となった時期の録音だけに、純音楽的なアプローチでありながら、比較的常識的な演奏に仕上がっていることが多いように思う。

それゆえ演奏は、あらゆる意味でバーンスタインやテンシュテットなどによる濃厚でドラマティックな演奏とは対極にある純音楽的なものと言えるだろう。

ブーレーズは、特に1970年代までは、聴き手の度肝を抜くような前衛的なアプローチによる怪演を行っていた。

ところが、1990年代にも入ってDGに様々な演奏を録音するようになった頃にはすっかりと好々爺になり、かつての前衛的なアプローチは影を潜め、オーソドックスな演奏を行うようになった。

もっとも、これは表面上のことで、必ずしもノーマルな演奏をするようになったわけではなく、そこはブーレーズであり、むしろスコアを徹底的に分析し、スコアに記されたすべての音符を完璧に音化するように腐心しているようにさえ感じられるようになった。

楽曲のスコアに対する追求の度合いは以前よりも一層鋭さを増しているようにも感じられるところであり、マーラーの交響曲の一連の録音においても、その鋭いスコアリーディングは健在である。

本演奏においても、そうした鋭いスコアリーディングの下、曲想を細部に至るまで徹底して精緻に描き出しており、他の演奏では殆ど聴き取ることが困難な旋律や音型を聴くことができるのも、本演奏の大きな特徴であり、ブーレーズによるマーラー演奏の魅力の1つと言えるだろう。

もちろん、スコアの音符の背後にあるものまでを徹底的に追求した上での演奏であることから単にスコアの音符のうわべだけを音化しただけの薄味の演奏にはいささかも陥っておらず、常に内容の濃さ、音楽性の豊かさを感じさせてくれるのが、近年のブーレーズの演奏の素晴らしさと言えるだろう。

本演奏においても、そうした近年のブーレーズのアプローチに沿ったものとなっており、マーラーのスコアを明晰に紐解き、すべての楽想を明瞭に浮かび上がらせるようにつとめているように感じられる。

もっとも、あたかもレントゲンでマーラーの交響曲を撮影するような趣きも感じられるところであり、マーラーの音楽特有のパッションの爆発などは極力抑制するなど、きわめて知的な演奏との印象も受ける。

黙っていても大編成のスコア1音1音に、目に見えてくるような透徹さが保たれている。

なおかつそれら各部が有機的に結合されつつ前進していくため、感情移入的演奏を耳にすると初心者には雑多に聴こえてしまいがちなマーラーの濃厚なロマンティシズムが、知らず知らずのうちにすっと聴く者に入ってくるのだ。

さらに、ブーレーズの楽曲への徹底した分析は、マーラーの本質である死への恐怖や生への妄執と憧憬にまで及んでおり、演奏の表層においてはスコアの忠実な音化であっても、その各音型の中に、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを感じることが可能である。

これは、ブーレーズが晩年に至って漸く可能となった円熟の至芸とも言えるだろう。

いずれにしても本演奏は、バーンスタインやテンシュテットとあらゆる意味で対極にあるとともに、一切の耽美的な要素を拭い去った、徹底して純音楽的に特化された名演と評価したい。

もっとも、徹底して精緻な演奏であっても、例えばショルティのような無慈悲な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても音楽性の豊かさ、情感の豊かさを失っていないのも、ブーレーズによるマーラー演奏の素晴らしさであると考える。

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2015年08月27日


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ダヴィッド・フレーのヴァージン・クラシックスへのデビュー・アルバムで、新旧両作曲家の作品を交互に並べたカップリングはこれまでに余り例がないが、何事もないかのように続けられる演奏が彼のこだわりのない広い音楽観を良く表している。

しかもバッハとブーレーズの間にそれほど違和感を感じさせないのは、フレーの一貫した音楽性によって全曲が統一されているからだろう。

本盤におけるフレーの演奏はウェットで軽やかな詩情と洗練された音響に満たされている。 

バッハの作品では明るく開放的なフレーズが、軽やかな詩情に乗せて歌われるが、一面サラバンドのような緩徐楽章ではウェットでいくらか耽美的な雰囲気を醸し出している。

いずれにせよフレーの演奏は総てが彼なりに完璧に料理されていて、その特徴はバッハに関しては最低限バロック的なルールを守りながら、対位法の旋律に溢れんばかりの感性を託して歌っていることだろう。

バッハの鍵盤楽曲の中では最も自由な発想で書かれた『パルティータ第4番』では、そうした可能性が最大限発揮されている。

彼が最近リリースしたCDも2曲の『パルティータ』であり、こうした選曲は決して偶然とは思えない。

一方ブーレーズの2曲は彼が作曲家自身から演奏についての助言を受けたもので、こちらにもフレーの表現上のエッセンスがそれぞれの曲に良く反映され、洗練された透明な音響を作り出している。

それは決して奇をてらった押し付けがましい解釈ではなく、自然に聴き手を自分の方に誘導するすべも知っているようだ。

若手だが既に演奏表現に対するしっかりしたポリシーを持っていて、しかも大らかで無理のない表現力とレパートリーを限定してじっくり取り組む姿勢から、将来を期待できるピアニストの1人であることが窺われる。

同世代のドイツの若手、マーティン・シュタットフェルトとは全く違うタイプのユニークな存在として評価したい。

尚これからこのCDを購入したい方は、バッハのピアノ協奏曲集とセットになってプライス・ダウンされた2枚組の方をお薦めする。

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2015年08月20日


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この3枚のCDは2009年にリリースされたソニー・ブーレーズ・エディションに組み込まれていた6枚組のセットと同一のセッションで、この中から他の現代作曲家の作品をカットしてヴェーベルンのみの3枚を独立させたものだ。

微小形式にこだわりを見せた作曲家なため、その作品をかき集めても、CD3枚分が関の山である。

作品番号の付いた作品1から31までの全曲と作品5のオーケストラ版、更に編曲物2曲、バッハの『音楽の捧げ物』から「6声のリチェルカーレ」(録音は1967年から72年で、24bitリマスタリングによって鮮明な音像と極めて良好な音質が復活している)及びヴェーベルン自身の指揮によるシューベルトの『ドイツ舞曲』6曲を収録している。

後者は1932年にフランクフルト放送管弦楽団を振ったもので、音質は良くないが歴史的価値のある貴重なサンプルである。

演奏者にはロンドン交響楽団、ジュリアード弦楽四重奏団、ヴァイオリンにアイザック・スターンを迎えて、現在に至るまで全く遜色の無い高い演奏水準を維持しているセッションである。

オーケストラ作品は、ピエール・ブーレーズの指揮するロンドン交響楽団が中心になって演奏しているのだが、細部までコントロールされた精妙な音響は、若かりし頃のブーレーズならではの味わいだ。

ブーレーズは1990年代にベルリン・フィル、エマーソン弦楽四重奏団など演奏者を総入れ替えして、作品番号の無い曲まで組み入れた第2回目の録音になる6枚のCDをグラモフォンから出しているが、1990年代の新録音では、その怜悧さが幾分影をひそめてしまった。

この旧盤にはブーレーズの研ぎ澄まされた鋭い感性に導かれた覇気とひたむきな情熱が感じられる。

現代音楽を聴く面白みは作曲家が創作スタイルを目まぐるしく変化させていくところにもあり、それは時代の進展の加速化と表裏一体で興味深い。

微小形式へのこだわりから、小品しか作れない作曲家だったのではないかと言われることもあるが、シェーンベルクの指導の下で後期ロマン主義の音楽から決別するまでは、意外とロマンティシズムに傾倒した作品を手掛けていたらしく、その痕跡は、初期作の「夏風の中で」という作品に留められている。

ヴェーベルン初期の作品からは後期ロマン派の残響を引き摺りながら、ウィーンの世紀末的デカダンスを反映した喘ぐような歌が聞こえてくる。

作品1の『パッサカリア』や作品2の『軽やかな小舟で逃げよ』にはそうした特殊な美学がある。

その後彼の手法は無調や十二音技法に向かうが、作風は次第に透明感を帯びてきて、前者とは別の感性に訴えかけてくる不思議な魅力がある。

ある作曲家は、音楽作品は手を入れれば入れるほど自然になっていくという言葉を残しているが、あながち極論とも思えない。

しかしヴェーベルンの音楽は時代の最先端を行く超現実的とも言える洗練されたテクニックで作曲されたために、実際にそれらの作品が音として鳴り響いた時に、初めて耳にした聴衆の驚きや戸惑いもしごく尤もだったことは想像に難くない。

ヴェーベルンの微小な作品は、いわば、肥え太ったロマンティシズムの贅肉をそぎ落とした結果生み出されたものであった。

そうした作品の色気の残り香などは、グレゴール・ピアティゴルスキーの演奏するチェロのための小品からも感じ取ることができるだろう。

今日では、マウリツィオ・ポリーニのような、より精妙なピアニストによる演奏が楽しめるため、チャールズ・ローゼンのピアノは、冷徹さに欠けるという評も成り立つが、どこかほんのり暖かいローゼンのピアノは、個人的には好みである。

なお、シューベルトの『ドイツ舞曲』をヴェーベルン本人が指揮した録音も収録されているが、その艶やかな演奏を聴くにつけ、ウィーン人としてのヴェーベルンのアイデンティティを感じさせる。

ソニー・マスターズのシリーズには珍しく収録曲目と演奏者を掲載した6ページのパンフレットが挿入されているが、バジェット盤の宿命で歌詞対訳等は一切省略されている。

現在では日本語の対訳サイトもあるので個人で検索することもできるだろう。

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2015年07月27日


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ブーレーズはDGに相当に長い年数をかけてマーラーの交響曲全集を録音したが、本盤に収められたマーラーの「第1」は、その初期の録音(1998年)である。

ひと昔前のブーレーズと言えば「冷徹なスコア解析者」といったイメージの名演が多かったが、最近はそれに「人間味」が加わって、良くも悪くも万人向けのスタンスにシフトしてきたと考えられる。

1990年代後半から始まったこのマーラー・チクルスもその流れを汲んでおり、「聴きやすく」「わかりやすい」マーラー像をわれわれに提示してくれているような新たな名演がリリースされている。

演奏は、あらゆる意味でバーンスタインやテンシュテットなどによる濃厚でドラマティックな演奏とは対極にある純音楽的なものと言えるだろう。

ブーレーズは、特に1970年代までは、聴き手の度肝を抜くような前衛的なアプローチによる怪演を行っていた。

ところが、1990年代にも入ってDGに様々な演奏を録音するようになった頃にはすっかりと好々爺になり、かつての前衛的なアプローチは影を潜め、オーソドックスな演奏を行うようになった。

もっとも、これは表面上のことで、必ずしもノーマルな演奏をするようになったわけではなく、そこはブーレーズであり、むしろスコアを徹底的に分析し、スコアに記されたすべての音符を完璧に音化するように腐心しているようにさえ感じられるようになった。

楽曲のスコアに対する追求の度合いは以前よりも一層鋭さを増しているようにも感じられるところであり、マーラーの交響曲の一連の録音においても、その鋭いスコアリーディングは健在である。

本演奏においても、そうした鋭いスコアリーディングの下、曲想を細部に至るまで徹底して精緻に描き出しており、他の演奏では殆ど聴き取ることが困難な旋律や音型を聴くことができるのも、本演奏の大きな特徴であり、ブーレーズによるマーラー演奏の魅力の1つと言えるだろう。

もちろん、スコアの音符の背後にあるものまでを徹底的に追求した上での演奏であることから、単にスコアの音符のうわべだけを音化しただけの薄味の演奏にはいささかも陥っておらず、常に内容の濃さ、音楽性の豊かさを感じさせてくれるのが、近年のブーレーズの演奏の素晴らしさと言えるだろう。

本演奏においても、そうした近年のブーレーズのアプローチに沿ったものとなっており、マーラーの「第1」のスコアを明晰に紐解き、すべての楽想を明瞭に浮かび上がらせるようにつとめているように感じられる。

もっとも、あたかもレントゲンでマーラーの交響曲を撮影するような趣きも感じられるところであり、マーラーの音楽特有のパッションの爆発などは極力抑制するなど、きわめて知的な演奏との印象も受ける。

黙っていても大編成のスコア1音1音に、目に見えてくるような透徹さが保たれている。

なおかつそれら各部が有機的に結合されつつ前進していくため、感情移入的演奏を耳にすると初心者には雑多に聴こえてしまいがちなマーラーの濃厚なロマンティシズムが、知らず知らずのうちにすっと聴く者に入ってくるのだ。

さらに、ブーレーズの楽曲への徹底した分析は、演奏の表層においてはスコアの忠実な音化であっても、その各音型の中に、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを感じることが可能である。

これは、ブーレーズが晩年に至って漸く可能となった円熟の至芸とも言えるだろう。

いずれにしても本演奏は、バーンスタイン&コンセルトヘボウ・アムステルダム(1987年ライヴ)やテンシュテット&シカゴ交響楽団(1990年ライヴ)とあらゆる意味で対極にあるとともに、ワルター&コロンビア交響楽団(1961年)の名演から一切の耽美的な要素を拭い去った、徹底して純音楽的に特化された名演と評価したい。

もっとも、徹底して精緻な演奏であっても、例えばショルティのような無慈悲な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても音楽性の豊かさ、情感の豊かさを失っていないのも、ブーレーズによるマーラー演奏の素晴らしさであると考える。

このようなブーレーズの徹底した純音楽的なアプローチに対して、最高のパフォーマンスで応えたシカゴ交響楽団の卓越した演奏にも大きな拍手を送りたい。

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2015年06月15日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第8番は、ブーレーズによるマーラーチクルスが第6番の録音(1994年)を皮切りに開始されてからちょうど13年目(2007年)の録音である。

このように13年が経過しているにもかかわらず、ブーレーズのアプローチは殆ど変っていないように思われる。

かつては、作曲家も兼ねる前衛的な指揮者として、聴き手を驚かすような怪演・豪演の数々を成し遂げていたブーレーズであるが、1990年代に入ってDGに録音を開始するとすっかりと好々爺になり、オーソドックスな演奏を行うようになったと言える。

もっとも、これは表面上のこと。

楽曲のスコアに対する追求の度合いは以前よりも一層鋭さを増しているようにも感じられるところであり、マーラーの交響曲の一連の録音においても、その鋭いスコアリーディングは健在である。

本演奏においても、そうした鋭いスコアリーディングの下、曲想を細部に至るまで徹底して精緻に描き出しており、他の演奏では殆ど聴き取ることができないような旋律や音型を聴き取ることが可能なのも、ブーレーズによるマーラー演奏の魅力の1つと言えるだろう。

今まで約25年間この曲を聴き続けてきたが、これほど鮮明でバランスのとれた演奏は初めてである。

俗物的な見世物の感が強い「第8」をこれだけ冷静に構築したブーレーズの手腕に拍手を贈りたい。

決して音楽に耽溺しない比類ないコントロールでまとめられた演奏に関しては否定する諸氏もおられようが、筆者は大いに評価したい。

音楽による生と宇宙の肯定を企図した「第8」は、第1部が(マーラーから見て)1000年前に中世マインツの大司教ラバヌス・マウルスが作ったラテン語賛歌、第2部がゲーテ「ファウスト」からの引用により構成されるが、第2部最後の「永遠に女性的なものがわれらを引いて昇り行く」という高揚した境地に至るまでの壮大なドラマが、ブーレーズ特有の緻密な音の積み上げにより巨大な峰にまで積み上がっていく様は「圧巻」である。

聴いてるだけでも大仕事だったろうということが想像されるが、この音の積み上げの「圧巻」が巨大なこの曲のボリュームと相俟ってこの作品を名盤としているように思う。

もっとも、あたかもレントゲンでマーラーの交響曲を撮影するような趣きも感じられるところであり、マーラーの音楽特有のパッションの爆発などは極力抑制するなど、きわめて知的な演奏との印象も受ける。

したがって、「第8」で言えば、ドラマティックなバーンスタイン&ウィーン・フィル(1975年ライヴ)やテンシュテット&ロンドン・フィル(1991年ライヴ)の名演などとはあらゆる意味で対照的な演奏と言えるところである。

もっとも、徹底して精緻な演奏であっても、例えばショルティのような無慈悲な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても音楽性の豊かさ、情感の豊かさを失っていないのも、ブーレーズによるマーラー演奏の素晴らしさであると考える。

過去と同時に未来を眺めていた作曲家、というのがブーレーズが各所で繰り返したマーラー評だが、そのような視点に立って、ロマン派的要素の濃厚なこの大作をブーレーズの緻密なフィルターを通して演奏してみたこの作品は、やはり「現代的」なのだと思う。

さらに、シュターツカペレ・ベルリンの落ち着いた演奏が、本演奏に適度の潤いと温もりを付加させていることも忘れてはならない。

ブーレーズは同曲をシュターツカペレ・ベルリンと録音したのは意外だったが、聴いてみてなるほどブーレーズの頭の中には全曲のきちんとした設計図があったのだな、と感心した次第である。

8人のソリスト、2つの混成合唱団と児童合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

そして優秀な録音が、ブーレーズの緻密な隅々まで神経の行き届いた演奏を、見事に浮かび上がらせている。

最近のDGのオーケストラ録音は、目の覚めるようなものが多いが、巨大な管弦楽と合唱を伴ったこの交響曲では、セッション録音でなければ細部の音まで良く聴き分けられるのは無理だったと思う。

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2015年05月25日


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本盤には、ブーレーズが指揮したストラヴィンスキーの3大バレエ音楽のうち、「春の祭典」のシングルレイヤーによるSACD盤が収められているが、驚天動地の衝撃的な超高音質である。

通常のボリュームで聴いても部屋が吹っ飛んでしまうようなとてつもない音圧であり、その圧倒的な超高音質に完全にノックアウトされてしまうことは必定である。

このような高音質化により、本盤は、様々な指揮者による同曲の演奏史上でも今なおトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

ブーレーズは、同曲を本演奏も含め3度に渡って録音を行っている。

最初の録音はフランス国立放送交響楽団との演奏(1964年)であり、クリーヴランド管弦楽団との本演奏(1969年)が続き、そしてDGへの録音となった同じくクリーヴランド管弦楽団との演奏(1991年)が存在している。

このうち、最初の1964年盤については、圧倒的な名演との評価がなされてはいるものの一般配布されていなかったこともあって現在でも入手難。

3度目の1991年盤は、一般論としては立派な名演と言えるのではないかと考えられる。

もっとも、ブーレーズの芸風は、1990年代に入ってDGに自らのレパートリーを再録音するようになってからは、かつての前衛的なアプローチが影を潜め、すっかりと好々爺となり、比較的オーソドックスな演奏をするようになってきたように思われる。

もちろん、スコアリーディングについてはより鋭さを増しているものと思われるが、当該指揮によって生み出される音楽は比較的親しみやすいものに変容しており、これはまさしくブーレーズの円熟のなせる業ということになるのではないだろうか。

したがって、立派な円熟の名演ということには間違いないが、いわゆる普通の演奏になってしまっているとも言えるところであり、ブーレーズならではの強烈な個性が随分と失われてきていると言えるのではないかと思われる。

これに対して、本演奏は徹頭徹尾、ブーレーズならではの個性が全開の快演であると言えるところだ。

思い切った強弱の変化や切れ味鋭い強烈なリズムを駆使するなど、これ以上は求め得ないような斬新な解釈を施すことによって、ストラヴィンスキーによる難解な曲想を徹底的に鋭く抉り出しており、その演奏のあまりの凄まじさには戦慄を覚えるほどである。

これほどの先鋭的な解釈が施されたのは、おそらくは同曲演奏史上でも空前にして絶後であり、ブーレーズによる本演奏によって初めて、同曲が完全に音化されたと言っても過言ではあるまい。

まさに若き日の脂が乗り切ったブーレーズならではの先鋭的な超名演であり、これほど楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻な表現が施された演奏は比類がない。

ブーレーズの凄みのある指揮の下、一糸乱れぬアンサンブルで持ち得る実力を十二分に発揮し、最高の演奏を繰り広げているクリーヴランド管弦楽団にも大いに拍手を送りたい。

このような豪演を聴いていると、セル時代の全盛期のクリーヴランド管弦楽団の鉄壁のアンサンブルと超絶的な技量の凄さをあらためて認識させられるところだ。

音質は、前述のようにブーレーズによる衝撃的な超名演を味わうには不可欠のシングルレイヤーによるSACD盤であり、音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ブーレーズによる圧倒的な超名演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年05月20日


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益々その活動に輝きが増す生ける伝説、20世紀音楽の巨人ブーレーズによるバルトーク協奏曲プロジェクトの最終章。

クレーメル、バシュメット、エマール、名実共に現代最高のソリスト達、世界トップのオーケストラ、ベルリン・フィル、ロンドン響を従え、鉄壁の布陣で臨んだ演奏。

本盤には遺作となったヴィオラ協奏曲及びヴァイオリン協奏曲第1番を軸として、2台のピアノ、打楽器と管弦楽のための協奏曲のオーケストラバージョンが収められている。

名演であると考えるが、とりわけヴィオラ協奏曲については素晴らしい超名演であると高く評価したい。

それどころか、ヴィオラ協奏曲には競合する目ぼしい名演が殆ど見当たらないことから、本演奏の登場によって漸く同曲の真価がそのベールを脱いだと言っても過言ではあるまい。

それにしても、本演奏におけるバシュメットのヴィオラ演奏は圧倒的だ。

変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化など、実に多彩な表現を見せており、その桁外れの表現力の幅の広さは圧巻というほかはない。

同曲は、バルトークの最晩年の作品だけに、その内容の深遠な奥深さには尋常ならざるものがあると言えるが、バシュメットの多彩な表現力を駆使した彫りの深い演奏は、まさに同曲の心眼を鋭く抉り出していくに足る凄みさえ感じさせるところであり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

ベルリン・フィルの卓越した技量をベースにした名演奏も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

ヴァイオリン協奏曲第1番は、クレーメルの超絶的な技量をベースにしたいささかも歌わない冷徹とも言える表現が同曲の性格に見事に符号している。

バルトークの楽曲に特有の、ハンガリー風の民族色の表現にはいささか不足しているとは言えるが、同曲を純粋な現代音楽として捉えると、かかるクレーメルのアプローチにも十分な説得力があり、何らの遜色があるわけではないと考えられる。

また、本演奏でもベルリン・フィルの圧倒的な名演奏は健在だ。

さらに、本盤には2台のピアノ、打楽器と管弦楽のための協奏曲が収められているが、これはオーケストラバージョンとしての作品の出来としてはいささか問題がある。

もっとも、ピアノや打楽器パートについては見事な書法であり、純粋なソナタとしては傑作の名に値する楽曲であると言えるであろう。

これをエマールなどの豪華ソリストがこれ以上は求め得ないような名演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

音質は、2004年及び2008年の録音ということもあって鮮明で素晴らしいものであると言えるが、とりわけヴィオラ協奏曲については同曲演奏史上でもトップの座に君臨する超名演であることもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2015年04月29日


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ブーレーズはDGに相当に長い年数をかけて、着実に歩を進めながらマーラーの交響曲全集を録音したが、ブーレーズのアプローチはどの交響曲に於いても、殆ど変っていないように思われる。

本盤に収められたマーラー最長のシンフォニーであり、複雑で膨大な構造を持つ第3交響曲を、解析能力抜群のブーレーズはウィーン・フィルとともに壮大に描き切っている。

マーラー嫌いにこそ真髄が味わえるとさえ感じさせるブーレーズによるマーラーチクルスは、すこぶる冴えわたっている。

かつては、作曲家も兼ねる前衛的な指揮者として、聴き手を驚かすような怪演・豪演の数々を成し遂げていたブーレーズであるが、1990年代に入ってDGに録音を開始するとすっかりと好々爺になり、オーソドックスな演奏を行うようになったと言える。

1970年代までは、聴き手の度肝を抜くような前衛的なアプローチによる怪演を行っていたが、かつての前衛的なアプローチは影を潜めてしまった。

もっとも、これは表面上のことであって、必ずしもノーマルな演奏をするようになったわけではなく、そこはブーレーズであり、むしろスコアを徹底的に分析し、スコアに記されたすべての音符を完璧に音化し、細部への拘りを徹底した精緻な演奏を成し遂げるべく腐心しているようにさえ感じられるようになった。

むしろ楽曲のスコアに対する追求の度合いは以前よりも一層鋭さを増しているようにも感じられるところであり、マーラーの交響曲の一連の録音においても、その鋭いスコアリーディングは健在である。

演奏においても、そうした鋭いスコアリーディングの下、曲想を細部に至るまで徹底して精緻に描き出しており、他の演奏では殆ど聴き取ることができないような旋律や音型を聴き取ることが可能なのも、ブーレーズによるマーラー演奏の魅力の1つと言えるだろう。

もっとも、あたかもレントゲンでマーラーの交響曲を撮影するような趣きも感じられるところであり、マーラーの音楽特有のパッションの爆発などは極力抑制するなど、きわめて知的な演奏との印象も受ける。

したがって、「第3」で言えば、ドラマティックなバーンスタイン&ニューヨーク・フィル(1987年ライヴ)やテンシュテット&ロンドン・フィル(1986年ライヴ)の名演などとはあらゆる意味で対照的な演奏と言えるところである。

もっとも、徹底して精緻な演奏であっても、例えばショルティのような無慈悲な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても音楽性の豊かさ、情感の豊かさを失っていないのも、ブーレーズによるマーラー演奏の素晴らしさであると考える。

作曲家のアイデンティティとも言える「角笛」シリーズの一隅を成す「第3」は、言わずもがなの壮大なスケールと切れの良さに繊細なフレージングの妙味が加わって無敵の演奏が繰り広げられている。

同曲は比較的大編成のオーケストラを要するため、音響バランスに注意が必要だが、ブーレーズの耳の良さ及び分析力のよって、見事に表現されている。

さらに、ウィーン・フィルの優美な演奏が、本演奏に適度の潤いと温もりを付加させていることも忘れてはならない。

特に第3楽章の舞台裏ポストホルン(首席トランペットのシューによる見事な吹奏)のノスタルジックな美音も印象的だ。

ウィーンの音楽家たちを率いて、ここまで客観的・分析的な演奏を構築した上に、総体としては“楽しめる”ものに仕上げる手腕は、いつまでも“作曲家の視点”ばかりを指摘していても的外れに終わってしまう、演奏家としての周到さと円熟を披瀝している。

バロック・オペラから現代作品まで幅広く、深みのある歌唱を繰り広げる絶好調のフォン・オッターの共演も話題性を超えたコラボレーションとして結実している。

加えてウィーン少年合唱団、ウィーン楽友協会女声コーラスも最高のパフォーマンスを示している。

演奏に刺激されてか、細部と総体のバランスも絶妙なすこぶる優秀な録音に仕上がっている。

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2015年04月27日


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ブーレーズは、15年もの長きにわたってマーラーの交響曲全集の録音に取り組んできたが、本盤は、その最後を飾るものである。

まさに、有終の美を飾る名演として高く評価したい。

全集の最後を、未完の交響曲第10番で終えるというのも、いかにもブーレーズらしい。

ブーレーズのマーラーは、若き日の前衛時代ではなく、むしろ角の取れたソフト路線が顕著となった時期の録音だけに、純音楽的なアプローチでありながら、比較的常識的な演奏に仕上がっていることが多いように思う。

そのような中で、今回の第10番は、もちろん、若き日のブーレーズのような切れ味鋭い前衛的な解釈が全体を支配しているわけではないが、近年のブーレーズに顕著な好々爺のような穏健的な解釈ではなく、むしろ、曲想を抉り出していくような冷徹とも言えるアプローチをとっている。

それ故に、甘さを一切排した、若き日のブーレーズを彷彿とさせるような名演に仕上がっている。

テンポがやや速めなのも、こうした傾向に拍車をかけており、私見ではあるが、ブーレーズが、マーラーの交響曲へのアプローチの仕方を、この第10番において漸く見出すことができたのではないかと思うほどだ。

演奏は、あらゆる意味でバーンスタインやテンシュテットなどによる濃厚でドラマティックな演奏とは対極にある純音楽的なものと言えるだろう。

ブーレーズは、特に1970年代までは、聴き手の度肝を抜くような前衛的なアプローチによる怪演を行っていた。

ところが、1990年代にも入ってDGに様々な演奏を録音するようになった頃には、すっかりと好々爺になり、かつての前衛的なアプローチは影を潜めてしまった。

もっとも、必ずしもノーマルな演奏をするようになったわけではなく、そこはブーレーズであり、むしろスコアを徹底的に分析し、スコアに記されたすべての音符を完璧に音化するように腐心しているようにさえ感じられるようになった。

もちろん、スコアの音符の背後にあるものまでを徹底的に追求した上での演奏であることから、単にスコアの音符のうわべだけを音化しただけの薄味の演奏にはいささかも陥っておらず、常に内容の濃さ、音楽性の豊かさを感じさせてくれるのが、近年のブーレーズの演奏の素晴らしさと言えるだろう。

本演奏においても、そうした近年のブーレーズのアプローチに沿ったものとなっており、複雑なスコアで知られるマーラーの第10番を明晰に紐解き、すべての楽想を明瞭に浮かび上がらせるように努めているように感じられる。

それ故に、他の演奏では殆ど聴き取ることが困難な旋律や音型を聴くことができるのも、本演奏の大きな特徴と言えるだろう。

さらに、ブーレーズの楽曲への徹底した分析は、マーラーが同曲に込めた死への恐怖や生への妄執と憧憬にまで及んでおり、演奏の表層においてはスコアの忠実な音化であっても、その各音型の中に、かかる楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを感じることが可能である。

これは、ブーレーズが晩年に至って漸く可能となった円熟の至芸とも言えるだろう。

併録の「子供の不思議な角笛」は、第10番とは異なり、いかにも近年のブーレーズらしい穏健な解釈であるが、コジェナーやゲルハーヘルの独唱と相俟って、ゆったりとした気持ちで音楽を味わうことができるのが素晴らしい。

ゲルハーエルには庶民的な風合いがあって実に好ましく、しかも彼には庶民を装っている自分を脇から眺める、もう1つの自意識もあって「塔の中の囚人の歌」では囚人の大言壮語に対するパロディの視点がちゃんと確保されている。

コジェナーも「美しいトランペットの鳴り渡るところ」ではまことに情が深く、メゾソプラノの落ち着いたトーンと、コジェナーならではの表現力豊かな歌唱が魅力的である。

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2014年12月21日


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ブーレーズは、かつては前衛的な解釈で聴き手を驚かすような演奏を数多く行ってきたが、1990年代に入ってDGに様々な録音を行うようになってからは、すっかりと好々爺になったように思われる。

もちろん、だからと言って、演奏自体の質が落ちたということはいささかもない。

老いても前衛時代の残滓はなお残っているところであり、むしろ、いい意味での硬軟バランスのとれた名演奏を行うことが多くなったと言えるのではないだろうか。

特に、1990年代から2000年代の長きにわたって録音されたマーラーの交響曲全集には、そうした名演奏が数多く含まれているように思われる。

交響曲「大地の歌」も、そうした近年のブーレーズの芸風がプラスに働いた名演と高く評価したい。

「大地の歌」の名演としては、ワルター&ウィーン・フィル(1952年)とクレンペラー&フィルハーモニア管(1964年、1966年)が双璧とされてきた。

前者はどちらかと言うとウィーン・フィルの美演を最大限に活かした耽美性を強調した演奏、後者は同曲の心底にある厭世観を鋭く抉り出した演奏と言うことが可能ではないかと考えられる。

これら両名演に対して、ブーレーズの演奏は、「大地の歌」が有する耽美性や厭世観を極力排して、徹底してスコアに記された音符を精緻に表現することにつとめた演奏と言えるのではないだろうか。

もっとも、かつてのブーレーズであれば、さらに徹頭徹尾、冷徹な演奏を繰り広げることもあり得たと思うが、本演奏では、精緻な中にも随所に豊かな情感が込められているのが素晴らしい。

このような演奏を聴いていると、かの前衛的なブーレーズに対して、到底似つかわしくない円熟という表現をついに使わざる得なくなったのではないかと感じずにはいられない。

メゾ・ソプラノのウルマーナとテノールのシャーデも、このようなブーレーズの新しい円熟の芸風に符号した見事な歌唱を披露している。

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2014年10月01日


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ブーレーズはDGに相当に長い年数をかけてマーラーの交響曲全集を録音したが、本盤に収められたマーラーの「第9」は、その最初期の録音である。

演奏は、あらゆる意味でバーンスタインやテンシュテットなどによる濃厚でドラマティックな演奏とは対極にある純音楽的なものと言えるだろう。

ブーレーズは、特に1970年代までは、聴き手の度肝を抜くような前衛的なアプローチによる怪演を行っていた。

ところが、1990年代にも入ってDGに様々な演奏を録音するようになった頃には、すっかりと好々爺になり、かつての前衛的なアプローチは影を潜めてしまった。

もっとも、必ずしもノーマルな演奏をするようになったわけではなく、そこはブーレーズであり、むしろスコアを徹底的に分析し、スコアに記されたすべての音符を完璧に音化するように腐心しているようにさえ感じられるようになった。

もちろん、スコアの音符の背後にあるものまでを徹底的に追求した上での演奏であることから、単にスコアの音符のうわべだけを音化しただけの薄味の演奏にはいささかも陥っておらず、常に内容の濃さ、音楽性の豊かさを感じさせてくれるのが、近年のブーレーズの演奏の素晴らしさと言えるだろう。

本演奏においても、そうした近年のブーレーズのアプローチに沿ったものとなっており、複雑なスコアで知られるマーラーの「第9」を明晰に紐解き、すべての楽想を明瞭に浮かび上がらせるように努めているように感じられる。

それ故に、他の演奏では殆ど聴き取ることが困難な旋律や音型を聴くことができるのも、本演奏の大きな特徴と言えるだろう。

さらに、ブーレーズの楽曲への徹底した分析は、マーラーが同曲に込めた死への恐怖や生への妄執と憧憬にまで及んでおり、演奏の表層においてはスコアの忠実な音化であっても、その各音型の中に、かかる楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを感じることが可能である。

これは、ブーレーズが晩年に至って漸く可能となった円熟の至芸とも言えるだろう。

いずれにしても本演奏は、バーンスタイン&コンセルトヘボウによる名演(1985年)とあらゆる意味で対極にあるとともに、カラヤン&ベルリン・フィル(1982年)の名演から一切の耽美的な要素を拭い去った、徹底して純音楽的に特化された名演と評価したい。

このようなブーレーズの徹底した純音楽的なアプローチに対して、最高のパフォーマンスで応えたシカゴ交響楽団の卓越した演奏にも大きな拍手を送りたい。

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2014年08月24日


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ブーレーズによるドビュッシーの管弦楽曲集と言えば、1960年代後半にクリーヴランド管弦楽団やニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮した名演(1966〜1968年)がいの一番に思い浮かぶ。

それは、各管弦楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くすとともに、一切の主観や情感を排した前衛的とも言える斬新な演奏であった。

本盤に収められた演奏は、それから20年以上の期間を経て行われた録音であるが、ブーレーズは随分と丸くなったというのが第一印象だ。

これは、ドビュッシーに限らずに、他の作曲家の楽曲における演奏についても言えることであり、1990年代に入ってDGに行った録音にはすっかりと好々爺となったブーレーズによる円熟の演奏を聴くことが可能である。

もっとも、そこは腐ってもブーレーズであり、何も万人受けをするような通俗的な演奏をするようになったわけではない。

むしろ、スコアリーディングについては深化したと言えるところであり、徹底したスコアの読み込みによって、楽想をあたかもレントゲンで撮影するかのように、楽想を精緻に描き出していくというアプローチ自体には何ら変わりがないところだ。

もっとも、かつては一切を排していた情感の豊かさが付加されたところであり、これがブーレーズの近年の演奏の円熟ぶりであり、はたまた魅力の一つであると言えるだろう。

本演奏においても、ブーレーズは徹底したスコアリーディングに基づいて楽想を精緻に描き出しているが、情感の豊かさにおいてもいささかも不足はなく、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

なお、とある影響力のある高名な音楽評論家が本盤を徹底的にこき下ろしているが、かかる罵詈雑言に右顧左眄することなく、信用できるのは自分の耳だけであるということを肝に銘じておきたいものだ。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質を誇っていたが、今般のSHM−CD化によって音質がより鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

ブーレーズによる円熟の名演を、SHM−CDによる鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年08月19日


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本盤には、ブーレーズがクリーヴランド管弦楽団とともにスタジオ録音(DG)したストラヴィンスキーの3大バレエ音楽のうち、「春の祭典」と「ペトルーシュカ」が収められている(「火の鳥」はシカゴ交響楽団との演奏)。

そして、「春の祭典」については、ブーレーズは本演奏も含め3度にわたって録音を行っている。

最初の録音はフランス国立放送交響楽団との演奏(1964年)であり、次いでクリーヴランド管弦楽団との演奏(1969年)があり、そして本演奏(1991年)へと続くことになる。

他方、「ペトルーシュカ」については、ブーレーズは本演奏も含め2度録音を行っており、本演奏(1991年)は、ニューヨーク・フィルとの演奏(1971年)に続くものである。

「春の祭典」については、何と言っても前述の1969年盤の衝撃が現在においてもなお忘れることができない当該演奏は徹頭徹尾、ブーレーズならではの個性が全開の快演であったと言える。

思い切った強弱の変化や切れ味鋭い強烈なリズムを駆使するなど、これ以上は求め得ないような斬新な解釈を施すことによって、ストラヴィンスキーによる難解な曲想を徹底的に鋭く抉り出しており、その演奏のあまりの凄まじさには戦慄を覚えるほどであった。

「ペトルーシュカ」についても、1971年盤は、まさに若き日の脂が乗り切ったブーレーズならではの先鋭的な超名演であった。

したがって、ブーレーズの個性が全開の圧倒的な超名演ということになれば、両曲ともに旧録音である1969年盤、1971年盤の方を第一に掲げるべきであると考えるが、本盤に収められた演奏も、それらの旧盤と比較するとインパクトは落ちるものの、立派な名演とは言えるのではないだろうか。

ブーレーズの芸風は、1990年代に入ってDGに自らのレパートリーを再録音するようになってからは、かつての前衛的なアプローチが影を潜め、すっかりと好々爺となり、比較的オーソドックスな演奏をするようになってきたように思われる。

もちろん、スコアリーディングについてはより鋭さを増しているものと思われるが、当該指揮によって生み出される音楽は比較的聴きやすいものに変容しており、これはまさしくブーレーズの円熟のなせる業ということになるのではないだろうか。

したがって、いわゆる普通の演奏になってしまっているとも言えるところであり、ブーレーズならではの強烈な個性が随分と失われてきているが、徹底したスコアリーディングに基いて、その精緻さをさらに突き詰めるとともに、豊かな情感をも加味した円熟の名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

ブーレーズの指揮の下、一糸乱れぬアンサンブルで鉄壁の名演奏を繰り広げたクリーヴランド管弦楽団にも大いに拍手を送りたい。

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2014年06月21日


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本盤には、ブーレーズが指揮したストラヴィンスキーの3大バレエ音楽のうち、「春の祭典」と「ペトルーシュカ」が収められている。

このうち、「春の祭典」については、様々な指揮者による同曲の演奏史上でも今なおトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

ブーレーズは、同曲を本演奏も含め3度に渡って録音を行っている。

最初の録音はフランス国立放送交響楽団との演奏(1964年)であり、クリーヴランド管弦楽団との本演奏(1969年)が続き、そしてDGへの録音となった同じくクリーヴランド管弦楽団との演奏(1991年)が存在している。

このうち、最初の1964年盤については、圧倒的な名演との評価がなされてはいるものの一般配布されていなかったこともあって現在でも入手難。

3度目の1991年盤は、一般論としては立派な名演と言えるのではないかと考えられる。

もっとも、ブーレーズの芸風は、1990年代に入ってDGに自らのレパートリーを再録音するようになってからは、かつての前衛的なアプローチが影を潜め、すっかりと好々爺となり、比較的オーソドックスな演奏をするようになってきたように思われる。

もちろん、スコアリーディングについてはより鋭さを増しているものと思われるが、当該指揮によって生み出される音楽は比較的親しみやすいものに変容しており、これはまさしくブーレーズの円熟のなせる業ということになるのではないだろうか。

したがって、立派な円熟の名演ということには間違いないが、いわゆる普通の演奏になってしまっているとも言えるところであり、ブーレーズならではの強烈な個性が随分と失われてきていると言えるのではないかと思われる。

これに対して、本演奏は徹頭徹尾、ブーレーズならではの個性が全開の快演である。

思い切った強弱の変化や切れ味鋭い強烈なリズムを駆使するなど、これ以上は求め得ないような斬新な解釈を施すことによって、ストラヴィンスキーによる難解な曲想を徹底的に鋭く抉り出しており、その演奏のあまりの凄まじさには戦慄を覚えるほどである。

これほどの先鋭的な解釈が施されたのは、おそらくは同曲演奏史上でも空前にして絶後であり、ブーレーズによる本演奏によって初めて、同曲が完全に音化されたと言っても過言ではあるまい。

ブーレーズの凄みのある指揮の下、一糸乱れぬアンサンブルで最高の演奏を繰り広げたクリーヴランド管弦楽団にも大いに拍手を送りたい。

このような豪演を聴いていると、セル時代の全盛期のクリーヴランド管弦楽団の鉄壁のアンサンブルと超絶的な技量の凄さをあらためて認識させられるところだ。

「ペトルーシュカ」については、ブーレーズによる同曲の2度の録音のうち、本演奏は最初のものとなる。

2度目のクリーヴランド管弦楽団との演奏(DG)(1991年)が、「春の祭典」の場合と同様に、いわゆるノーマルな名演になっているのに対して、本演奏はまさに若き日の脂が乗り切ったブーレーズならではの先鋭的な超名演。

これほど楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻な表現が施された演奏は比類がないと言えるところであり、「春の祭典」と同様に、ブーレーズによる本演奏によって初めて、同曲が完全に音化されたと言っても過言ではあるまい。

ブーレーズは、当時ニューヨーク・フィルの音楽監督に就任して間もない頃であったが、ニューヨーク・フィルもブーレーズの指揮にしっかりと応え、持ち得る実力を十二分に発揮した最高の演奏を披露しているのが素晴らしい。

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ブーレーズはDGに相当に長い年数をかけてマーラーの交響曲全集を録音した。

演奏は、あらゆる意味でバーンスタインやテンシュテットなどによる濃厚でドラマティックな演奏とは対極にある純音楽的なものと言えるだろう。

ブーレーズは、特に1970年代までは、聴き手の度肝を抜くような前衛的なアプローチによる怪演を行っていた。

ところが、1990年代にも入ってDGに様々な演奏を録音するようになった頃には、すっかりと好々爺になり、かつての前衛的なアプローチは影を潜めてしまった。

もっとも、必ずしもノーマルな演奏をするようになったわけではなく、そこはブーレーズであり、むしろスコアを徹底的に分析し、スコアに記されたすべての音符を完璧に音化するように腐心しているようにさえ感じられるようになった。

もちろん、スコアの音符の背後にあるものまでを徹底的に追求した上での演奏であることから、単にスコアの音符のうわべだけを音化しただけの薄味の演奏にはいささかも陥っておらず、常に内容の濃さ、音楽性の豊かさを感じさせてくれるのが、近年のブーレーズの演奏の素晴らしさと言えるだろう。

本演奏においても、そうした近年のブーレーズのアプローチに沿ったものとなっており、マーラーの「第4」のスコアを明晰に紐解き、すべての楽想を明瞭に浮かび上がらせるようにつとめているように感じられる。

それ故に、他の演奏では殆ど聴き取ることが困難な旋律や音型を聴くことができるのも、本演奏の大きな特徴と言えるだろう。

さらに、ブーレーズの楽曲への徹底した分析は、演奏の表層においてはスコアの忠実な音化であっても、その各音型の中に、かかる楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを感じることが可能である。

これは、ブーレーズが晩年に至って漸く可能となった円熟の至芸とも言えるだろう。

いずれにしても本演奏は、バーンスタイン&コンセルトヘボウ・アムステルダムによる名演(1987年)とあらゆる意味で対極にあるとともに、カラヤン&ベルリン・フィル(1979年)の名演から一切の耽美的な要素を拭い去った、徹底して純音楽的に特化された名演と評価したい。

第4楽章におけるバンセもそういったブーレーズの解釈と意図に沿った歌唱を行っている。

このようなブーレーズの徹底した純音楽的なアプローチに対して、最高のパフォーマンスで応えたクリーヴランド管弦楽団の卓越した演奏にも大きな拍手を送りたい。

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2014年04月08日


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《リング》のような巨大な作品を、CDなりLPなりで聴き通すのは、初心者にはむしろ苦痛といってもいいかもしれない。

実演から入るのがいちばんだと思うが、それにしても舞台での字幕は読みにくいものだ。

筆者がお薦めしたいのは、まずは映像で、この長い作品の構造を把握しておくことだ。

最近はレヴァインやサヴァリッシュなど、いろいろな《リング》がDVDその他で市販されている。

しかしいちばんすぐれているのは、パトリス・シェローが演出し、ピエール・ブーレーズが指揮した、フランス・チームによるバイロイトの実況盤であろう。

ライン河がダムになっていたり、ヴォータンがフロックコートを着ていたりと、最初は物議をかもした上演だったが、結局その後の《リング》演出は、すべてここから始まるという原点となった。

そしていまだにこの映像を超えるものはないと、筆者は確信している。

それは何よりも、演出が音楽そのものの徹底した読み込みから生まれた、きわめて必然的なものだったからだ。

「ワルキューレ」第3幕の、画家ベックリンの「死の島」を模したと思われる岩山など、視覚的な装置としても実に美しく、説得力がある。

管弦楽も、むしろ室内楽的な透明さを目指しながら、しかも迫力に欠けないブーレーズの指揮は、ワーグナーのもくろんだ指導動機の積み重ねによる壮大な音響という構造を、非常によく表していると思う。

歌手も素晴らしい。

ちょっと情けない感じのマッキンタイヤーのヴォータンが、だからこそいまの神々にふさわしく、ジョーンズのひたむきなブリュンヒルデには、心を打たれる。

格好いいホフマンのジークムント、小人役などのツェドニクの快演=怪演ほか、歌も演技も、総じてかなりのレベルの高さである。

べつに「入門」というわけではなく、この映像は《リング》のなかでも傑出したものと言える。

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2014年01月12日


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ブーレーズによるベルリオーズの幻想交響曲と言えば、「レリオ、または生への回帰」との組み合わせで話題となったロンドン交響楽団との旧盤(1967年)の衝撃が今でも忘れられない。

この当時のブーレーズは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」(1969年)やバルトークの管弦楽のための協奏曲(1973年)など、前衛的な名演の数々を成し遂げていた時期であり、幻想交響曲においてもその斬新な解釈が聴き手の度肝を抜いたものであった。

しかしながら、そのような前衛的なブーレーズも、1990年代に入ってDGに様々な楽曲を録音するようになると、すっかりと好々爺となり、大人しい演奏が増えるようになってきた。

もっとも、スコアリーディングについてはより追求度が上がったとも言えるところであり、そのアプローチは更に精緻さを増したとさえ言えるところだ。

本盤に収められた幻想交響曲においても、ブーレーズによる精緻なアプローチは際立っている。

細部の一音に至るまで蔑ろにすることがない精緻さは、あたかもスコアをレントゲンで撮影するかのような精巧さであり、これまでの演奏では聴き取れなかったような音型さえ聴こえてくるほどである。

それでいて、単なるスコア至上主義には陥っておらず、どこをとっても情感の豊かさに満ち溢れているというのは、まさにブーレーズの円熟の至芸と言えるところである。

いずれにしても、本演奏はブーレーズの新境地を体現した素晴らしい名演と高く評価したい。

併録は、今回は「レリオ、または生への回帰」ではないが、「トリスティア」もブーレーズならではの非常に考え抜かれた精緻な名演に仕上がっている。

クリーヴランド管弦楽団の卓抜した技量も、このような精巧な演奏に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

クリーヴランド管弦楽団合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって、さらに音質が鮮明になるとともに音場が幅広くなった。

ブーレーズによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年12月24日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第2番は、ブーレーズによるマーラーチクルスが第6番の録音(1995年)を皮切りに開始されてからちょうど10年目の録音である。

このように10年が経過しているにもかかわらず、ブーレーズのアプローチは殆ど変っていないように思われる。

かつては、作曲家も兼ねる前衛的な指揮者として、聴き手を驚かすような怪演・豪演の数々を成し遂げていたブーレーズであるが、1990年代に入ってDGに録音を開始するとすっかりと好々爺になり、オーソドックスな演奏を行うようになった。

もっとも、これは表面上のことであり、楽曲のスコアに対する追求の度合いは以前よりも一層鋭さを増しているようにも感じられるところであり、マーラーの交響曲の一連の録音においても、その鋭いスコアリーディングは健在である。

本演奏においても、そうした鋭いスコアリーディングの下、曲想を細部に至るまで徹底して精緻に描き出しており、他の演奏では殆ど聴き取ることができないような旋律や音型を聴き取ることが可能なのも、ブーレーズによるマーラー演奏の魅力の一つと言えるだろう。

もっとも、あたかもレントゲンでマーラーの交響曲を撮影するような趣きも感じられるところであり、マーラーの音楽特有のパッションの爆発などは極力抑制するなど、きわめて知的な演奏との印象も受ける。

したがって、「第2」で言えば、ドラマティックなバーンスタイン&ニューヨーク・フィル(1987年ライヴ)やテンシュテット&ロンドン・フィル(1989年ライヴ)の名演などとはあらゆる意味で対照的な演奏と言えるところである。

もっとも、徹底して精緻な演奏であっても、例えばショルティのような無慈悲な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても音楽性の豊かさ、情感の豊かさを失っていないのも、ブーレーズによるマーラー演奏の素晴らしさである。

さらに、ウィーン・フィルの優美な演奏が、本演奏に適度の潤いと温もりを付加させていることも忘れてはならない。

クリスティーネ・シェーファーやミシェル・デ・ヤングによる独唱やウィーン楽友協会合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

なお、このような細部への拘りを徹底した精緻な演奏としては、最近ではホーネック&ピッツバーク交響楽団が第1番や第4番で見事な名演を成し遂げているが、ホーネックが今後第2番を手掛けた時に、本演奏を超える演奏を成し遂げることが可能かどうか興味は尽きないところである。

録音は、今般のSHM−CD化によって従来盤よりも音質はやや鮮明になるとともに音場が広がることになった。

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2013年08月12日


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本盤にはブーレーズが、各曲毎に異なったピアニスト、オーケストラと組んで演奏を行ったバルトークのピアノ協奏曲全集が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

それどころか、バルトークのピアノ協奏曲の演奏史上でも、フリッチャイがゲーザ・アンダと組んでベルリン放送交響楽団を指揮した歴史的な超名演(1960、1961年)に次ぐ至高の超名演と高く評価したい。

ブーレーズは、1960年代から1970年代にかけては、前衛的で先鋭的なアプローチによって聴き手を驚かすような衝撃的な名演の数々を成し遂げていた。

しかしながら、1990年代に入ってDGと専属契約を締結した後は、すっかりと好々爺となり、かつてと比較すると随分とノーマルな装いの演奏を繰り広げるようになった。

もちろん、ブーレーズの芸風の基本は徹底したスコアの読み込みにあることから、そのスコアに対する追求の度合いはより深まったと言えなくもない。

ただ、それを実際に音化する際には、おそらくは円熟の境地に去来する豊かな情感が付加されるようになってきたのではないだろうか。

かかるブーレーズの円熟のアプローチが今一つしっくりこない楽曲(とりわけ、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、ラヴェル)もあるが、他方、バルトークについては、各楽曲が含有する深遠な世界がより巧みに表現されることになり、むしろ功を奏していると側面もあると考えられる。

とりわけ、ピアノ協奏曲については、バレンボイムと組んで行った演奏(1967年)(ただし、第1番及び第3番のみ)が、指揮者とピアニストの呼吸が今一つであったことからしても、本演奏の圧倒的な優位性にいささかの揺らぎはないものと考えられる。

それにしても、本盤における各曲におけるピアニストやオーケストラの使い分けには抜群のセンスの良さを感じさせる。

第1番は、3作品の中では最も前衛的な装いの楽曲であるが、ツィマーマンの卓越した技量や、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と強靭さは、同曲のアプローチの規範となるべきものと言える。

シカゴ交響楽団の超絶的な技量も本名演に華を添えているのを忘れてはならない。

第2番は、気鋭の若手ピアニストであるアンスネスが、強靭で迫力ある演奏を行いつつも、祖国の大作曲家グリーグの抒情小曲集で披露したような繊細なピアニズムを随所に聴かせてくれるのが素晴らしい。

バルトークが「親しみやすく気楽な性格を持っている」と評したわりには、きわめて晦渋な音楽との印象を受ける同曲ではあるが、ベルリン・フィルの圧倒的な技量も相俟って、おそらくは同曲演奏史上最も明瞭で美しい演奏に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

第3番は、バルトークの最晩年の作品だけにその内容の奥深さには尋常ならざるものがあるが、グリモーの強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでの桁外れの表現力の幅の広さが、本演奏における彫りの深い表現の醸成に大きく貢献していると言えるだろう。

ロンドン交響楽団も、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

いずれにしても、バルトークのピアノ協奏曲各曲の性格を的確に把握し、それぞれに最適のピアニストとオーケストラを配したキャスティングの巧妙さにも大きな拍手を送りたい。

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2013年07月16日


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ブーレーズは、15年もの長きにわたってマーラーの交響曲全集の録音に取り組んできたが、本盤は、その最後を飾るものである。

まさに、有終の美を飾る名演として高く評価したい。

全集の最後を、未完の交響曲第10番で終えるというのも、いかにもブーレーズらしい。

ブーレーズのマーラーは、若き日の前衛時代ではなく、むしろ角の取れたソフト路線が顕著となった時期の録音だけに、純音楽的なアプローチでありながら、比較的常識的な演奏に仕上がっていることが多いように思う。

そのような中で、今回の第10番は、もちろん、若き日のブーレーズのような切れ味鋭い前衛的な解釈が全体を支配しているわけではないが、近年のブーレーズに顕著な好々爺のような穏健的な解釈ではなく、むしろ、曲想を抉り出していくような冷徹とも言えるアプローチをとっている。

それ故に、甘さを一切配した、若き日のブーレーズを彷彿とさせるような名演に仕上がっている。

テンポがやや速めなのも、こうした傾向に拍車をかけており、私見ではあるが、ブーレーズが、マーラーの交響曲へのアプローチの仕方を、この第10番において漸く見出すことができたのではないかと思うほどだ。

併録の「子供の不思議な角笛」は、第10番とは異なり、いかにも近年のブーレーズらしい穏健な解釈であるが、コジェナーやゲアハーヘルの独唱と相俟って、ゆったりとした気持ちで音楽を味わうことができるのが素晴らしい。

2人の歌手が6曲ずつを分担、「死んだ鼓手」を前半最後の6曲目に入れた以外は珍しく出版譜通りの曲順で演奏されている。

録音も極上で文句なし。

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2013年02月28日


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ブーレーズならではの素晴らしい名演だ。

ヴァイオリン協奏曲第1番や交響曲第3番は、シマノフスキが、印象派の影響を色濃く受けた時代の傑作であるが、ドビュッシーやラヴェルの名演を数々成し遂げてきたブーレーズにして見れば、得意とする作品とも言えるだろう。

確かに、若き日のブーレーズのように、前衛的で切れ味鋭いアプローチは影を潜め、すっかりと好々爺となり、角の取れた柔和なアプローチを示すようになりつつある近年のブーレーズではあるが、本盤では、そうした円熟に加えて、若き日の前衛的なブーレーズを彷彿とさせるような凄みをも感じさせる名演を成し遂げていると言える。

特に、ヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章において、そうした傾向は顕著であり、ヴァイオリンのテツラフの卓越した技量をベースとした切れ味鋭い演奏と相俟って、シマノフスキの魅力を大いに満喫することができるのが素晴らしい。

ブーレーズらしく分かり易い演奏で、スクリャービン風の和声進行、反復を含みながら弧を描くように展開する音楽の軌道を明晰に描いている。

テツラフの音色のコントロールも滅法巧く、一種のヴァンダラーとしてのヴァイオリン独奏の性格を明らかにしながら、オーケストラと骨太で鋭いアンサンブルを繰り広げてゆく。

神秘的な曲想と柔らかく繊細なテツラフの音色とは相性がいい。

交響曲第3番での大気感も素晴らしく、神秘的で官能的な響きといった、この作品に不可欠な雰囲気を十分に表出しており、優秀な独唱や合唱も相俟って、完璧に再現されている。

デイヴィスリムの透明でリリックなテナーがシマノフスキ特有の詩世界に寄り添い、ウィーン・フィルも最高のパフォーマンスを示していると言える。

シマノフスキを得意とする指揮者としてはラトルが掲げられ、残された演奏はいずれも名演ではあるが、前衛性と円熟のバランスを考慮すれば、本盤に収められた両曲に限って言えば、ブーレーズの方に軍配をあげたい。

録音も含めると、これらの曲の新定番と言えるだろう。

ボーナスCDのブーレーズによるインタビューも貴重な記録だ。

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2013年02月10日


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期待を裏切らない名演だと思う。

ブーレーズとエマールの組み合わせは、これまでもリゲティのピアノ協奏曲などの共演で既に名コンビぶりを発揮していたが、今回は、ラヴェルの傑作協奏曲をいかに料理するのか、聴く前から大変興味を抱いていた。

若き日の前衛的なアプローチが影をひそめ、すっかりと好々爺になったブーレーズであるが、フランスの若手ピアニストでありながら、非常に個性的な解釈で知られるエマールとの共演で、この傑作協奏曲をいかに解釈するのか……。

結果は、意外にも正統派のアプローチであった。

ブーレーズは相変わらずの分析的な表現が、ラヴェルの巧緻なオーケストレーションでは奏功。

もちろん、左手のためのピアノ協奏曲において時折見られる無機的になる寸前の最強奏など、若き日の前衛時代を一部に垣間見ることもできるが、ピアノ協奏曲ト長調、特に第2楽章などの繊細にして優美な指揮は、若い日に先鋭的なラヴェルの管弦楽曲集を遺した指揮者とは思えないような情感の豊かさだ。

エマールのピアノもただただ美しい。

エマールは予想通りのクールで客観的な表現で、それ以上でも以下でもない。

こういう行き方だと、まるでブーレーズ自身がピアノを弾いているかのように、オケと一体化している。

2つのピアノ協奏曲における繊細にして情感豊かなタッチも美しいが、「鏡」における諸作品におけるエスプリに満ち溢れたセンス満点の弾きぶりは、改めてエマールがフランス人であることを再認識させられた。

ツィメルマンとの録音も同じブーレーズ&クリーヴランド管のコンビがバックであったが、今回の方がさらに良い出来映えだと思う。

録音も非常に鮮明であり、素晴らしい。

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2012年10月27日


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楽壇の最重鎮ブーレーズによる最新のストラヴィンスキーは、2009年2月&3月ライヴ録音。

ストラヴィンスキーはブーレーズが最も得意とするレパートリーと言えるが、その演奏スタイルは若き日の前衛時代と比較すると、ずいぶんと角が取れてきたように思う。

特に、1969年にクリーヴランド管弦楽団とスタジオ録音を行った『春の祭典』など、あまりの尖鋭的な切れ味鋭い凄演に、完全にノックアウトされてしまった記憶がある。

あれから約40年。ブーレーズもさすがに円熟の境地に至ったのであろう。

したがって、「3楽章の交響曲」など、時折、若き日のブーレーズならではの尖鋭性の片鱗も見られるものの、いささかこじんまりと纏まりすぎたのかなという気がする。

それでも、シカゴ交響楽団の卓抜たる技量を生かした演奏は見事であり、決してブーレーズの名声に泥を塗るような演奏には陥っていない。

むしろ、現在のブーレーズのアプローチに相応しいのは、『プルチネッラ』の方だろう。

ストラヴィンスキーが新古典主義を迎えた時代の音楽であり、若き日の角が取れ、円熟の境地を迎えつつあるブーレーズと、楽曲の性格が見事に符合するからである。

ブーレーズの指揮は以前に比べれば円満さが先に感じられるが、この曲には非常にマッチしたアプローチだと思う。

独唱陣も好演であり、シカゴ交響楽団もブーレーズの棒と渾然一体となった名演を成し遂げている。

録音は、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質であり、ブーレーズ&シカゴ交響楽団の名演をこれ以上は求められないような音場で味わうことができるのは素晴らしい。

是非とも、座右に置きたいディスクだ。

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2012年08月22日


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ブーレーズは、「モーゼとアロン」を2度にわたって録音しているが、本盤に収められたのは旧盤で、仏ADFディスク大賞受賞盤。

シェーンベルク演奏のひとつの極致を示す名演である。

最近では好々爺になりつつあるブーレーズが、前衛的な切れ味鋭い演奏を繰り広げていた時代の名演であり、筆者としては、やや角が取れた新盤よりも本旧盤の方をより高く評価したい。

シェーンベルクの未完の大作、しかも、十二音技法によって作曲された決して耳当たりのいいとは言えないこのオペラは、現在でこそ輸入盤を含めると何点かの録音が存在しているが、本盤が録音された1970年代半ばでは、きわめて珍しいものであり、本盤登場時の衝撃は想像に難くはない。

ロスバウト盤に続く国内2組目の同オペラ全曲盤であった。

ブーレーズの指揮は精妙きわまりない表現と透徹した把握が素晴らしい。

音色の鮮明さ、リズム感の鋭利さ、それらを劇的な効果と寸分の隙もなく直結させる表現力の確かさ、それはほとんど透明で官能的な明るさを湛えている。

それほどまでに、本演奏の切れ味鋭い精緻なアプローチは、シェーンベルクがその複雑なスコアに記した音符の数々を明瞭に浮かび上がらせ、複雑怪奇な本オペラの魅力を余すことなく我々聴き手に提示してくれたのが素晴らしい。

歌手陣も優秀であり、特に主役の2人、モーゼ役のギュンター・ライヒとアロン役のリチャード・キャッシーの重厚にして卓抜した歌唱が、本演奏の価値を高めることに大いに貢献している。

BBC交響楽団や合唱陣の好演も見過ごすことはできない。

併録の室内交響曲第2番も、この時期のブーレーズならではの透徹した尖鋭的アプローチが見事な名演だ。

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2012年07月01日


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これは素晴らしい名演だ。

現代を代表する最高のピアニストの1人でもあるバレンボイムが、リスト生誕200年を記念して満を持して臨むリストのピアノ協奏曲第1番及び第2番の録音であり、それだけにその覚悟と自信のほどを伺い知ることが可能な圧倒的な名演に仕上がっている。

何よりも、バレンボイムの音楽の構えが極めて大きい。

そしてその骨太の音楽づくりは、演奏をスケール雄大なものにするのに大きく貢献している。

超絶的なテクニックにおいてもいささかも不足はないところであるが、それでいて巧過ぎるなどといったいわゆる技巧臭を感じさせないのが何より素晴らしい。

強靭で叩きつけるような打鍵は圧倒的な迫力を誇っていると言えるし、他方、繊細な抒情的表現においても申し分がないものがあり、その表現力の桁外れの幅の広さには唖然とさせられるほどだ。

このように、スケールの雄大さ、技巧臭をいささかも感じさせない内容の豊かさ、そして表現力の幅の広さなどを駆使した結果、とかく技量一辺倒で薄味な演奏が多いリストのピアノ協奏曲を極めて内容豊かで奥深いものに昇華させ、殆どベートーヴェンのピアノ協奏曲の域にまで引き上げているのに成功したと言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、バレンボイムによる本演奏は、リストのピアノ協奏曲のあらゆる演奏の中でも、最も奥深い内容を有した至高の名演奏と言ってもいいのではないだろうか。

このような圧倒的で彫りの深いバレンボイムのピアノを下支えしているのが、ブーレーズ&シュターツカペレ・ベルリンによる名演奏である。

徹底したスコアリーディングに基づいて、楽想を精緻に描き出していくというブーレーズならではのアプローチは本演奏においても健在である。

バレンボイムの彫りの深いピアニズムに触発された点も多分にあるとは思われるが、かつてのブーレーズの演奏に顕著であった冷徹さは薬にしたくもなく、むしろ各フレーズの端々からは豊かな情感が滲み出してきているところであり、演奏全体に独特の潤いと温もりを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

アンコールとして収められたコンソレーション第3番や忘れられたワルツ第1番も、バレンボイムならではの雄渾なスケールと重厚さ、そして奥行きのある彫りの深さを感じさせる素晴らしい名演だ。

音質は、ピアノ演奏と相性が良いSHM−CD盤であることもあって、バレンボイムのピアノ・タッチが実に鮮明に捉えられており、素晴らしい鮮明な高音質である。

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2011年12月24日


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《ヴォツェック》演奏史上に大きな足跡を残した名盤。

ブーレーズの怜悧な眼光によって解き明かされたビュヒナーとベルクによる心理世界は、一点の曖昧さも残さず、人間存在の根底に迫ってくる。

明晰な分析に基づき、ベルクのスコアを緻密かつ克明に再現する。

鋭敏な表現で線の錯綜をくまなく表出するオーケストラは、当ディスクの最大の魅力。

切れ味鋭いアプローチでこの作品の前衛的な側面に強い光をあてる。

シュトラウスのマリーも、この表現に合致し、主役のベリーをはじめとする歌手たちの名唱が、ブーレーズの描く管弦楽の荒涼たる世界の上で、苦渋に満ちた人間存在への深い問いかけを行っているのである。

正直なところ現在の筆者は、《ヴォツェック》よりも数段《ルル》の方を好むが、ベルクの音楽に接しはじめた当時、《ヴォツェック》の持つ求心的なドラマトゥルギーや構成の明晰さと堅固さ、無駄なく切り詰められたフォルム等に幾度となく驚かされたものである。

その大きな原因はまさにこのブーレーズ盤の先鋭なアプローチにあった。

現在再度聴いても、際だって説得力のある鮮烈な演奏である。

スコアの隅々まで精巧に読み解き、独自の急進的センスによって徹底的な彫琢を加えた《ヴォツェック》ディスクであり続けている。

刺激と知性に満ちた《ヴォツェック》解釈の金字塔である。

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2011年02月16日


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ブーレーズにとって2度目の《青ひげ公の城》だが、1976年のBBC交響楽団との演奏に対して、これが、バルトーク演奏に抜群のキャリアと適応性をもつシカゴ交響楽団との顔合わせであるという点に、まず注目されよう。

もちろん声楽陣も異なり、ハンガリーのポルガールにノーマンを加えた、現代きっての強烈な個性と美声を誇る2人の名歌手を主役に迎え、すこぶる性格的な歌唱が聴きものだ。

ブーレーズの精妙きわまりない音楽により、バルトークのこの作品の真髄が味わえる。

ブーレーズは、民族的というよりも、音楽をかなり緻密にとらえ、ある種の抑制とともにその流れを保ち、青ひげ公とユディットの心の動きと、7つの扉の内側に秘められた世界を、オーケストラの見事な音色的推移とともに描き出している。

その心理描写の妙、管弦楽の精緻な美しさ、さらに1時間以上のドラマを1本に紡ぎ上げる音楽的俯瞰力と持続力の素晴らしさは、まったく驚嘆に値する。

ポルガールの歌唱はやや控えめな歌いぶりの中で見事に孤独感を浮かび上がらせ、その性格描写の巧みさと母国語であるという利点も加えて、一層の冴えを見せている。

ノーマンは発声に不十分な部分もみられるが、ユディットのの情熱と不安を絶妙に歌い上げ、ドラマに対する強い共感を示す演唱を聴かせてくれる。

ノーマンはイタリア・オペラ風のニュアンスもみせるが、やはり稀少の好演だ。

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2010年11月17日


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バルトークの2作のバレエ音楽にいち早く目を向け、全曲録音したのはドラティだったが、その次の功労者はブーレーズといえるかもしれない。

彼はストラヴィンスキーの3大バレエ同様、先鋭的な解釈と表現で刻み直し、同作品の真価を再認識させたのである。

思えばこの《中国の不思議な役人》はディアギレフの依頼によって書かれた作品。

作風にしてもストラヴィンスキーの《春の祭典》や《ペトルーシュカ》を彷彿とさせるものがある。

ブーレーズの興味は、オーケストラをマキシマムまで駆使した逸品を掘り起こすという意味で一貫性がある。

この演奏によってバルトークの作品群がさらに潤沢になり、またオケの演目に新たな名品が加えられたのも事実である。

ブーレーズは、シカゴ響の名人芸をフルに使って、現代のリファレンス的な名演を実現させた。

緻密な合奏力といい、音色の変化といい、抜群のニュアンスの豊かさを聴かせる。

そしてブーレーズ自身の円熟味が、かつてのラディカルさを間引く結果にもなった。

《中国の不思議な役人》では、マジャール的な土俗感には目もくれずに、スコアから、鮮やかなリズムと峻烈なハーモニーを引き出すことに成功。

エロスと欲が渦巻くストーリーを表面的になぞることなく、名人集団のシカゴ響を縦横に操りながら、のっぴきならない緊張感を放射しつつ、高揚感に富んだ瞬間を形成している。

《弦チェレ》も、曖昧さが介在する余地のないアプローチを繰り広げながら、BBC響と吹き込んだ旧盤に比べて、随所にしなやかな表現が盛り込まれている。

とりわけ、第3楽章では、緻密な響きの大海原の表情を刻々と変化させ、平均律の殻を打ち破るように、ティンパニや弦のグリッサンドが精妙に明滅していくのが印象的である。

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2010年06月15日


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ブーレーズならではの精緻な演奏である。

知的なコントロールが徹底した演奏は、従来のような表現主義的であったり、陶酔を誘うようなマーラーではないが、作品の細部と全体を透徹した眼で俯瞰して、「大地の歌」からこれまでになく精妙で陰翳の深い表現を引き出している。

ウィーン・フィルの美しい響きと色彩が、そうした明晰かつ新鮮な演奏をいっそうニュアンス美しく味わい深いものにしているし、ふたりの歌手も好演である。

ブーレーズはどこか非常に冷めたところがあって、同じマーラーの第9番のときにもそう感じたのだが、終楽章に7割をかけない。

終楽章は35パーセントでいいんだというバランスのとり方が、すごく面白いと思う。

第9番も、終楽章を聴いてくれればおれの言いたいことが全部わかる、という演奏ではなくて、むしろ1、2、3楽章を聴いたときにブーレーズの考えがわかる。

それと同じようなことをここでもやっていて、最後の楽章はもう結論が出てしまっているから、あまり深追いしない。

その前にやろうとしていることに面白さがある、というところが私の好きなところだ。

ブーレーズのように細かく俯瞰できる演奏はなく、どうしても歌のほうへいってしまう傾向が強いけれども、ブーレーズの場合はオケが素晴らしいから、オケの表現の細かさ、いろんな重層的なところがよくわかる点が魅力である。

ただ、「大地の歌」というタイトルどおり、"歌"を求めるとなると、ちょっとどうかな?というところはあるけれども、ブーレーズにとっての歌手は、人間というよりも、楽器であってもいいのかもしれない。

そういう点では、この2人の歌手もよくやっている。

ブーレーズの演奏が、これからのひとつの指針になるかもしれない。これ以降の若い指揮者たちは、この影響を相当受けるのではないだろうか。

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2010年04月13日


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新ウィーン楽派に近づいたマーラー演奏である。

激情に押し流されず、作品の多層的・多義的な形式構造を克明に描き出すことによって、書かれた楽譜からマーラーそのものに肉薄しようとする演奏の最右翼。

遊び性やロマン性もそこから浮き出して聞こえてくるが、クリーヴランド管弦楽団の力量あってこその表現でもある。

マーラー特有の世紀末的哀感に、感傷という香料を加えて強調する―これがかのワルター以来のマーラー演奏の主流になっていたような気がする。

だがここにきて、感傷性や抒情性を過度に強調せず、より客観的な再現を目指す演奏が多くなってきた。

ブーレーズのマーラーはその最たるものだ。

もの悲しい表情をたたえている「夜の歌」。しかしブーレーズは、厭世的な悲しみや感傷を強く押し出すことは避け、また低回趣味にも組していない。

基調となっているのは、"ほのかな明るさ"。

人生のたたかいとか慟哭、内面の恐怖というものを決して強調せず、整理整頓のかぎりをつくした透明感がいかにもブーレーズらしい。

加えてブーレーズは、古巣であるクリーヴランド管に、いささか現実感に乏しい室内楽的ともいうべき精妙さを求めている。

重々しすぎないモダンなマーラーで、練れた音作りはベストと言えよう。

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2010年04月01日


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マーラーが完成させた最後の交響曲は、前作《大地の歌》の最後で歌わせた「永遠に」の旋律が再び冒頭から登場するように、地上的なゴタゴタから離れ、生き死にの葛藤さえ越えて、彼岸を見つめているような作品。

同時に、棺桶に片足を突っ込みながらも、生への執着から完全に解き放たれることもままならず、なかなか成仏できない者のためのミサ曲でもある。

つまり、調和と葛藤という二重性がこの曲のテーマなのだ。第1楽章でソナタ形式を踏襲しながらも、二重変奏曲風にも聴こえるように。

ブーレーズという指揮者は、かつてギンギンに理論武装したスタイルでキチキチに音楽を締め上げる指揮者の代名詞であった。

ところが、今ではスター指揮者に落ちぶれてしまった、と評されることも多い。

その音楽から意志の強さが消え、または大レーベルの看板指揮者として利用されたのは事実であるけれど、それを単純に堕落とだけ見なすのは軽率のような気がする。

最近のブーレーズの持つ、飄々とした軽みは、この曲の持つ二重性を素直に表現しているように思えるのだ。

意志が透徹されていないからこそ獲得されるもの、いや意志とは関係ない次元で訪れるものがある。たとえば、死とはそういうもののように。

両端楽章は、その運命を受け入れるかのように、枯れている。

主題が最終的に聖化されて高らかに歌われるのではなく、徐々に消滅に向かう作品だから、この方法は理に適っている。室内楽的な書法が美しく響く。

それに比べて、中間の2つの楽章は悪魔のダンスのように、やたらに乾いていて細かいのが邪悪。というか、ここまで悪ふざけしたこの楽章は聴いたことがない。

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2010年01月24日


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私見を述べさせてもらうと、ウェーベルンこそが、音楽の最後の開拓者である。

セリー音楽が行き詰まって久しいが、それはウェーベルンのせいでは、もちろんない。

理論的に可能性を追及していった結果、到達したモザイク様の音の列。しかもそこに存在するのは、感性でのみ拾える色彩の魔術であった。

第2次大戦後の現代音楽の騎手ブーレーズが若かりし頃、ベルクをロマン派の残滓と酷評し、ウェーベルンこそが手本たるべき作曲家だとほめちぎったのは有名な話だ。

しかし理詰めで行けば、無調を突き詰め12音技法を〈開拓〉していったウェーベルンの世界は正しいと思う。

このディスクは、そのブーレーズ2度目の「ウェーベルン全集」である。

たとえば作品1の「パッサカリア」。すでにここでは、やがて音楽の本質的形式とみなすに至った変奏曲が採用されている。

この曲は以前にも習作だが大オーケストラのための「夏の風の中で」という曲があるが、この作品1と同様に、後の彼の音楽とは思えない、重厚で華麗な後期ロマン派が存在する。

だが、それも来るべき時のためのステップであったと考えれば納得がゆく。

やがて無調に突入して有名な作品5の「弦楽四重奏曲」や作品6の「大オーケストラのための6つの小品」が続く。

しかし、愁眉は何といっても作品10の「オーケストラのための5つの小品」だろう。

ここでブーレーズは、そのアフォリズムの頂点にふさわしく、多彩な動機、音価、音色を繊細すぎるほど繊細に演奏しきっている。

というより伝統音楽とは何であったかを、悲しいまでに簡潔な点描音楽で問うているように思われる。

それはウェーベルンの願いでもあったのだが…。

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2009年12月19日


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ブーレーズがマーラーの交響曲に着手した最初の録音であるとともに、これは同作品の理想的な演奏である。

ライヴでは、おそらくはこんなに鮮やかには聴こえてこないだろう。

複雑な構造の綾を見事に解き明かし、ハイビジョン映像でもみるかのごとくクリアーに描き出す。

しかも大編成のオーケストラの響きの厚みから遠近感まで写しとってしまうのである。

そうした解析度の高さ、解釈の精緻さに、以前は冷たさを感じたものだが、この演奏でのブーレーズにはそれがあまり感じられない。

むしろ歌いまわしの自然さ、雄弁さが際立ち、エモーショナルな流れにも熱っぽさがよく出ているように思われる。

特に第4楽章後半でのゾクゾクするような表現は迫真的で聴きものだ。

起伏豊かでも決して絶叫せず、一途であっても決して切実さは見せないところがブーレーズらしいが、それだけに作品をとらえる視野が幅広く、部分が肥大化された印象は微塵も与えない。

マーラーの内なる慟哭の交響曲もブーレーズの手にかかると音楽史上の大作として見事に再現された存在感がある。

冴え冴えとした美しさとともに、凄みを感じさせるマーラーだ。

これでようやく作品と互角に向き合うことができるようになった。

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2009年12月07日


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ブーレーズの明晰で精緻な読みとウィーン・フィルの美しい響きが最良の形で結びついた演奏である。

どんな作品を指揮する場合でも"明晰"を追求してやまないブーレーズ。

響きの明晰に加えて、造形も明晰であるのが、ブーレーズ本来の持ち味と言ってよかろう。

しかしそうした演奏ぶりでありながら、マーラー特有の情念は逃していない。

ただしその情念は、ブーレーズ以前の指揮者たちのそれとは違って、いかにもスマートで現代的。

粘っこい趣を薄めた一種の爽快さが、とても新鮮で印象的。

第4楽章アダージェットの冒頭における弦の響きと柔らかくデリケートなニュアンスなど、この上ない美しさで、いかにも静かに心に浸透し、ほのかな哀調をたたえた表現がそっと胸を締めつけるようである。

と同時に、その表現は、決して情緒に流れて格調を失うことがない。

両端楽章をはじめとする明晰で緻密な表現の冴えとしなやかな彫りの深さも間然するところのない見事なもので、柔軟で自発性にとんだウィーン・フィルの能力が最高度に発揮されている。

特に、第3楽章スケルツォの明敏で懐の深い表現は、現在のブーレーズならではの味わいだろう。

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2009年08月31日


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ブーレーズの《火の鳥》(全曲版)はニューヨーク・フィルとの懐かしい録音も負けず劣らず有名だが、シカゴ響盤は17年後、ブーレーズ67歳の年のレコーディング。

ほぼ同じ時期の《春の祭典》がクリーヴランド管だったのに対して、《火の鳥》ではシカゴ響となったのは、何か彼の考えがあったのか、それとも全然別の事情だったのか。

ともあれ、むしろ逆の方がしっくりくるのではないかと想像するのは浅い考えで、結果的にシカゴ響の怪物的なスケールと、名人的な個人技を含む超絶テクニックの双方を、ブーレーズの精緻なリードが文字通りフルに引き出し、結びつけているところにこの快演の鍵がある。

ブーレーズは、かつてストラヴィンスキーの新古典主義にみられる方向転換を痛烈に批判していたことがあったと記憶する。

彼の見解からすれば、ストラヴィンスキーの真価は3大バレエのような初期作品にこそあるとでもいわんばかりに、録音もこのあたりのものを中心に行なっていた。

《火の鳥》にしても、改訂を重ねるごとに洗練されスリム化していく組曲版には目もくれず、大編成(4管)による厚塗りの初演版をとりあげる。

特殊楽器入りの大編成オケの響きの魅力が満載である。

この演奏ではそうした重厚なヴォリューム感はもちろんのことだが、実演ではかき消されてしまう内声部の動きとかハープやチェレスタの音色をクリアに立ち上がらせ、絶妙に配合する。

出来過ぎた響きゆえ耳には毒かもしれない。

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2009年06月25日


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ブーレーズは作曲家としての厳しい目で各曲を鋭く分析し、どの曲も寸分の隙もなくすこぶる精緻に仕上げている。

作品を客観的に見詰めながらも、演奏のすみずみにまでこまやかな情趣を浸透させるようになったブーレーズ。

そんな彼がベルリン・フィルから精妙な響きを引き出し、それに熟した熱っぽい情念を注ぎ込んで、なんともいえぬ見事なラヴェルを生み出している。

カラヤン後のベルリン・フィルは響きの精妙さが少し失われてきたような気がしていたが、しかしブーレーズはラヴェルに必要な極上の響きを再び取り戻しており、《マ・メール・ロワ》《スペイン狂詩曲》《ボレロ》はいずれもすこぶるスマート、かつ新鮮である。

なかでも《ボレロ》は、最初の淡白な表現から徐々にクライマックスを導いていく絶妙な手腕に、ただただ圧倒される。

《マ・メール・ロワ》も、この曲のもつメルヘン的な世界を精妙な筆致で生き生きと描き上げていて秀抜だ。

《ダフニスとクロエ》はいかにも作曲家ブーレーズらしい演奏で、このバレエ音楽のスコアを深く読み、一つ一つの音を的確に引き出し、作品のすみずみにまで神経を通わせている。

演奏は、組み立てがしっかりしており、鋭い棒さばきで各場面を活写し、旋律の歌わせ方もきわめて巧みである。

ことに第3場は聴かせどころをぴしりと押さえた演奏で、ラヴェルの考えた音色を生き生きと再現していて見事だ。

ベルリン・フィルも指揮者の意図にしっかりと応えていて立派だ。

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2009年05月06日


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ブーレーズはこのところ、随分角がとれておとなしくなった。

このバルトークも極めて洗練された表現で、モダン・ミュージックの古典のようにアプローチしている。

だがスコアの読みの深さはさすがで、曖昧な箇所は一つもなく、書かれてある音符はすべて耳に届く趣向になっている。

ブーレーズの演奏は、バルトークの管弦楽法の精髄を示すような、極めて緻密な曲づくりである。

それぞれの楽器の動きが細部にいたるまで明晰に描かれ、立体感のある音響空間を作り出している。

まるでスコアの透かし彫りをみるような演奏で、いかにも頭脳明晰なブーレーズらしい表現だ。

そして何度かおとずれる恍惚とした美しい響きの瞬間。すみずみまで現代的な感覚を生かした演奏といえよう。

シカゴ響のアンサンブルも精緻そのもので、その腕の確かさはまさにこの曲向きというべきだろう。

その名人芸的なアンサンブルも緻密この上なく、コンチェルタンテな部分では、このシカゴ響の凄さが威力を発揮する。

現時点でのリファレンスともいうべき、揺るぎないスタンダードといえるだろう。

組み合わされた《4つの小品》も、見事というほかはない名演といえる。

円熟のブーレーズの手にかかると、実に都会的に洗練された音楽になってしまう。

歳月の経過を、改めて感じさせる1枚ではある。

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2009年04月02日


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ブーレーズのストラヴィンスキーは実に面白い。

バレエのシーンがオーヴァーラップしていく音楽の並列的な構成が、スリルいっぱいの音響空間へと見事にまとめられている。

視覚的なイメージを刺激する色とりどりの音が溢れている1911年版による「ペトルーシュカ」の、思わずむせかえるような鮮やかさ、そして、ロシアの爆発するような春の訪れを描いた「春の祭典」のリズムの明晰さと奔放なエネルギーの発散。

いずれもこれ以上の演奏はなかなか望めない名演である。

ブーレーズはかつて、「ペトルーシュカ」を1971年にニューヨーク・フィルと、「春の祭典」を1969年に、この録音と同じクリーヴランド管弦楽団と録音している。

どちらもリリースされた当時、大変話題となったアルバムで、特に後者はその録音を待って、ようやくストラヴィンスキーの「春の祭典」の作品としての奥行きがわかったと言ってもいいほど、センセーショナルだった。

1991年に録音されたこの新しい盤は、いくらかテンポが動いているところはあるが、どちらの曲も以前の解釈と根本的な違いはない。

しかし、ブーレーズの指揮者としての円熟を示すかのように、肩の力が抜けて表現にも余裕が出てきた感じで、クリーヴランド管弦楽団の精度が向上したのと相まって、健康的に音群が炸裂していく。

スケールもはるかに大きく感じられる。

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2009年03月01日


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作曲家が自作演奏に直接関与することが稀有となってしまった現代において、ブーレーズの存在は神々しくさえ思える。

彼の出世作と覚しき《ル・マルトー・サン・メートル》は、おそらく20世紀の傑作のひとつとして歴史に残る。

ブーレーズにとって《ル・マルトー・サン・メートル》は4度目の録音だが、さすがに演奏スタイルに変化がみられる。

今回の演奏は緊張感の鋭さがやや後退しているが、語り口はより柔軟になり、抒情的な深みと広がりを増し、滋味の深さで聴き手を引き込んでいく。

ブーレーズはかつての気負いがなくなり、メンバーも音楽を楽しみながら演奏しているのがよく分かる。

しかし大変な難曲。これを彼は彼の手兵たるヴィルトゥオーゾ集団を擁して、完璧に近い演奏を実践してみせる。

作品、演奏ともに人間の限界への挑戦であり、究極の世界を垣間見せられたような思いにかられる。

超人的なアンサンブルの巧緻さはいうまでもないが、それによる解析度の高さ、そして解釈の明解さなど、今後もこれを凌駕しうるのは彼自身しかあり得ないだろう。

これがライヴである凄さ!肝に銘じておきたい。

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2009年02月23日


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リゲティが1960年代に書いた作品を集めたディスクである。

ちょうど作風が変化していく時期のもので、「メロディ」の明朗な音楽にいたる途上にある。

どの演奏も優れていて、私にとっても、彼の音楽を理解するための手がかりとなった。

口ずさめる歌がない音楽でもときにリリックだったり、温かく包む響きをたたえていることを示す好例である。

1966年作曲の《ルクス・エテルナ》など、リゲティの曲を初めてお聴きになる方に推薦したい。

現代音楽では、音楽に視覚的要素を求める場合が少なくない。

それはシアター・ピースあるいはミュージック・シアターなどと呼ばれ、特定のストーリーは持たないが、演奏者の演技が音楽演奏において要求される。

リゲティの《アヴァンチュール》は、ミュージック・シアターの傑作であり、さらに「発声」の音楽的可能性を徹底的に追求した作品としても注目される。

これを指揮するブーレーズとアンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏は、これまで出た《アヴァンチュール》の演奏の中で最も優れた内容のものであり、この破天荒な作品を、見通し易い構成の中に置いている。

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2008年09月29日


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周知のように当オペラは2幕のみの未完の作品だが、これはウィーンの作曲家ツェルハによる完成形3幕版での唯一の録音である。

1979年にブーレーズ指揮、シェロー演出でパリ・オペラ座で初演され、大評判となった。これはその同一キャストによる録音である。

ブーレーズの一分の隙もない統率のもとで、オーケストラもすべての歌手達も見事なアンサンブルを聴かせている。

しかも、彼の指揮は単に精確なきびしさだけに留まらず、舞台上のドラマとしての起伏や多彩な効果の点で、一段と豊かな表現を示すようになった。

また、パリ・オペラ座のオーケストラのもつ透明でデリケートな音色感の多様さが、ベルクの音楽の精妙なディティールをよりいっそう明瞭に語り出している点も、特徴のひとつである。

このまがまがしくも魅力的なオペラの音楽を素晴らしく雄弁に演奏していて見事だ。

ルル役のストラータス、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢役のミントンをはじめとする歌手たちの気迫がものすごい。

そしてなにより、ベルクの音楽が持つ異様な力に圧倒される。

現代ものを難しいと敬遠している向きにもお薦めしたいディスクだ。

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2008年07月24日


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ドビュッシーの作品が、これほどまでの美しさと生きた音楽としての輝きをもって再現されたことは、前例がない。

ドビュッシーについて語られがちな繊細さや香りの豊かさ以前に、ここには生命の讃歌として音楽があり、内側からあふれ出る熱い情感と、その波打つ起伏の美しさに驚く演奏なのである。

ブーレーズは確かに1960年代から傑出した演奏を聴かせてきたし、そのあらゆる場面で楽譜の裏側まで見せるかのような明晰で、時に怜悧なまでに磨き抜かれた表現を堪能させてきた。

しかし、1990年代になってからはそうした客観性に人間的息づかいと表情が加味されるようになり、明らかに作品をとらえる視線に温かさがプラスされてきた。

音楽がいい意味でふくらみ始めてきたのである。

このドビュッシー録音はその証しであり、作品の手法の鮮やかさとともに、作曲者の素顔や心の状態にまでふれあうことを可能とするかのような人間的感動がある。

それは傑出した指揮者とオーケストラのみが作り出し得る一種の魔法の瞬間であり、媚薬にも似た音楽が聴き手を鳴り響く音楽のもう一つ奥の世界へと誘う演奏なのである。

クリーヴランド管弦楽団が精妙にして華麗なサウンドを聴かせている点も素晴らしい。単に技術やアンサンブルが優れているだけでなく、ブーレーズの意図を咀嚼した上での自発性を誇る演奏であり、ドビュッシーがひとまわり大きくなって蘇る、そんなスリリングな感動に浸らせてくれる。

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2008年07月09日


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ベリオの代表作「シンフォニア」は、引用音楽に指針を与えたという点で歴史的な作品だ。

その歴史的意味は複数の旋律が同時に引用された第3部がすべて引用で構成されているという点で、引用音楽の根本問題を提起した。

第2次世界大戦後の音楽の中で、引用音楽は特別な意味を持っている。

それは常に斬新なもののみを目指していた時代に、過去の音楽の引用のみによって音楽を構成することによって、私達の音楽遺産へ目を向けさせ、ポスト・モダンの様式への道を開いたのである。

この作品は何度か録音されているが、ブーレーズの演奏はそれらの中でも最上級のものだろう。

引用された音楽を最も巧みに処理しているのがブーレーズによるこの演奏で、これまでの録音の中で最もベリオの意図をよく再現したものである。、

引用された音楽を鮮明に描き出し、音楽過程の対比性を的確に表現している。

全体の構成的な面においても迷いがない。

そして何よりシャープである。

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2008年06月19日


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シェーンベルクの名前を一躍天下にとどろかせたこの「グレの歌」は、頽廃と官能にみたされた後期ロマン主義音楽の残照ともいうべき大作である。

ちなみに、シェーンベルクは、この作品を作曲するために、普通の楽譜の約2倍の48段の五線紙を特別にあつらえたという。

そういったこの曲の難解なスコアをすみずみまで徹底して分析したブーレーズの手腕が、最高度に発揮された演奏だ。

「グレの歌」には名演が多いが、ブーレーズは未来に向けての“ネオ・ロマンティシズム”の旗手たるべき、新鮮な演奏を繰り広げる。

全体に音楽の設計の明晰さが際立っており、音色は磨き抜かれて宝石のように美しく、しっとりとした味わいがある。

ブーレーズは、華麗で豊穣な音に包まれ、北欧の神秘的抒情を彩るこの作品から贅肉をそぎ落とし、現代的な照明を与えることによって、後期ロマン派のよどみから「グレ」を救い出したのだ。

やはり、これは稀代の名演のひとつだろう。

ただ、ブーレーズの特性は、シェーンベルクの音楽にある「表現主義」の残滓を徹底的に排除しようとしており、問題があるとすれば、この点であろう。

独唱陣は、いずれも立派だが、特に語り手のライヒが光っている。

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2008年01月18日


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ブーレーズは、1925年生まれのフランスの指揮者・作曲家。

スコアから今まで聴いたこともないような音の関係をすくい取り、鮮やかに聴かせる驚異の耳を持つ指揮者だと、近頃はこぞって絶賛の様相だが、かつての指揮者ブーレーズは、すれっからしの聴き手のアイドルであった。

誰もがあたりまえとして踏襲してきた演奏のやり方を、いかにも前衛作曲家らしい大胆な仮説のもとに一度ご破算にし、まったく新しいやり方で組み立て直すという離れ業を次々と演じてみせた。

それは、良くできた推理小説を読むような胸ときめくものであると同時に、世の常識や規範への反逆といった《危ない》側面も多分に含んでいた。

だが、最近のブーレーズは明らかに音楽が変わった。

仮説を突きつける《武器》であった《耳》を、新鮮な快感を提供する《売り物》に変えた。

かつての《危ない》ブーレーズを代表する演奏としては、シェーンベルクの「グレの歌」、《大指揮者》ブーレーズを代表する演奏としては、ラヴェルの管弦楽曲集を挙げておこう。

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作品分析。

譜読みがスコアの情報を読みとる段階とすれば、アナリーゼはその情報を集約し、分析する作業となる。

「綿密なアナリーゼに基づく云々」という言葉は、こうした分析作業がきっちり行なわれ、それが演奏に反映されている状況を示す。

とにかく解剖のようなもの。

ブーレーズの演奏が「レントゲン写真」のようと言われるのも、このアナリーゼが徹底しているから。

彼が振ったストラヴィンスキーの「春の祭典」を聴けば実感である。

これは、クリーヴランド管との2種類の演奏(69年と91年の録音)が残されているが、91年盤で聴いてみたい。

またアナリーゼが大ざっぱな演奏は、聴いているこちらにも、その作品の意味や構造がさっぱり見えないという難点を持つが、逆に徹底したアナリーゼは、それまであまり表に出てこなかった作品の本質を暴き出す。

しかしこれは悲喜こもごも。

同じくブーレーズが振ったベートーヴェンの「交響曲第5番」やベルリオーズの「幻想交響曲」などはその好例。

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2007年12月22日


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ブーレーズのストラヴィンスキーは後年の洗練され円熟した演奏よりも、エネルギッシュで野性味のある旧盤を採りたい。

ブーレーズは作曲家としての厳しい目でスコアを徹底的に分析し、それを自分のものとしたうえで作品のなかから豊かな音楽を引き出す。

その棒は実に切れ味がよく鋭い。

「春の祭典」は作曲家としてのブーレーズ一流の鋭い眼力で、あの難解なスコアを徹底的に分析して演奏したもの。

迫力に満ちた劇的な演奏で、リズムの扱いがうまく、第2部の「選ばれた乙女への賛美」から「終曲」にかけての逞しく力強い表現に圧倒されてしまう。

また「ペトルーシュカ」は、四管編成の1911年版を用いた演奏で、録音もよいせいか、その絢爛たる音の洪水に圧倒されてしまう。

ブーレーズの棒は実に歯切れがよく、明快率直に表現しているが、決してドライといった感じではなく、各場の情景の描き方は、驚くほどきまこまやかで、明暗の度合いをくっきり浮き彫りにしている。

特に第3場の「ムーア人の部屋」は、よい出来栄えである。

「火の鳥」はブーレーズの綿密な設計力と楽譜の読みの深さの光る名演で、彼はスコアを克明に分析し、ひとつひとつの音のもつ意味をよく考えながら、このバレエのロシア的な民族色を色濃く表出している。

ことに「王女たちのロンド」と「子守歌」は素晴らしい。

「火の鳥」とカップリングされたバルトークの「中国の不思議な役人」も全編に緊張感のあふれた大変充実した演奏で、ブーレーズならではの演出のうまさである。

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2007年10月11日


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しかし現在、彼らのようなクラシック音楽界のスター的存在は皆無に近い(人によってはサイモン・ラトルとかニコラウス・アーノンクールがいるではないか!と主張する人もいるかもしれないが)。

やはりこれだけ社会構造が多様化し、複雑化し、高度化するにしたがって、指揮界の巨匠を阻む力は増大するものなのだろうか。

私が今最も注目している現役の指揮者はピエール・ブーレーズである。彼は鋭敏な耳で、スコアを明晰に音にする技術は卓越している。得意のフランス物やストラヴィンスキー、バルトークにも傾聴させられる。ただカリスマ的なスター性に不足を感じさせるのである。

それはブーレーズだけでなく、そういった性質を感じさせるタイプの指揮者が多くなったのは、戦後になって指揮者たちに求められる絶対的な専門技量が、音楽的な部分よりも、人間性や度量や政治性といった音楽以外の部分により問われるようになってきているためと考えられる。


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