クナッパーツブッシュ

2015年04月11日


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大戦末期に空爆で焼失したウィーン国立歌劇場の再開を祝って上演された演目のひとつで、1955年ウィーン国立歌劇場の再開記念公演のライヴ録音である。

元帥夫人に伝説的なライニング、オクタヴィアンに当時新進気鋭だったユリナッチ、ゾフィーにギューデン、オックス男爵にベーメと、主役どころをウィーン出身の歌手で固めた配役も強力であり、ウィーン伝統の勝利と評された。

ライヴということもあり、歌手もオケも実に生き生きとしており、女性3人の主役は父クライバー盤と同じで当時のベスト・メンバー。

特筆すべきは男爵のクルト・ベーメで、クリップス指揮の「ドン・ジョヴァンニ」で騎士長を演っているのしか手元になかったが、ブッフォに堕する寸前ぎりぎりの豊かな演技と歌唱で、筆者が聴いた中ではベストの男爵である。

とはいえ、筆者は根っからのオペラ好きではないせいかもしれないが、個人的にはオペラの場合でもオーケストラの比重は大きく考えている。

歌手がいかに豪華であっても、オーケストラが添え物的では満足できない(むろん、逆にオケが良くて歌手がB級でも困るが)。

その点、この録音はオーケストラがびっくりするほどきれいで、すっかりリラックスしたウィーン・フィルも甘美な懐かしい調べを奏でる。

ウィーン国立歌劇場管弦楽団は、細かいことを別にすれば、ほぼウィーン・フィルと同一のオーケストラであるといってよい。

だからウィーン国立歌劇場でのオペラ公演のライヴ録音は、表記はウィーン国立歌劇場管弦楽団でも、ウィーン・フィルのオペラ演奏であるといってさしつかえない。

だが、何といっても最大の聴きものは、大きなスケールと深い呼吸をもったクナッパーツブッシュの指揮である。

彼らしい悠揚迫らぬ演奏であり、銀の薔薇の献呈の場面などでは無類の陶酔を聴かせるが、彼独特の個性は影を潜めていて普遍的な美しさに到達している。

クナッパーツブッシュの作り出す音楽がちゃんと呼吸しているので、歌手をあおるようなことにはならない。

終幕の三重唱のうねるような盛りあがりなど、さすがというほかはない。

クナッパーツブッシュの歴史的名演奏のドキュメントのひとつとして長く残されるべきものだろう。

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2015年01月19日


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これは75歳のクナッパーツブッシュが北ドイツ放送響に客演した際の貴重な記録である。

2枚目はオール・ワーグナー・コンサートの貴重な記録で、ほかのプログラムは《マイスタージンガー》第1幕と第3幕への前奏曲、ジークフリート牧歌、《トリスタンとイゾルデ》前奏曲と愛の死であった。

クナのワーグナー録音は、プライヴェート盤も含めて数々あるが、この日の演奏はどれもじつにすばらしく、とくにこの《自己犠牲》は、クナの最高傑作のひとつと言い切れるほどの超名演である。

遅いテンポと暗い音色で曲が始まると、誰もがそのただならぬ雰囲気に圧倒されるに違いない。

若き日のルートヴィヒはソプラノの声域まで楽々とこなし、そのドラマティックで美しい声での渾身の感情移入はじつにみごとだが、オケも個々の楽器の存在を感じさせず、ひとつの有機体となってブリュンヒルデと絶妙にからむ。

ブリュンヒルデが薪の山に火をかけるところから、いよいよ猛火の中へ躍りこむまでの緊張感の高まりには凄まじいものがあるが、その後のオケのみの部分は、もはや神業である。

業火が燃え盛り、ライン河が氾濫するそのカタルシスの頂点は、とてもオーケストラの出す音とは思えない。

そして愛の救済の動機がなんと高貴にヴァイオリンで歌われ、さらに神々の城が崩壊していく場面で、ワルハラの動機がなんと雄大に奏されることだろう。

終わりに、ジークフリートの動機が最後の力を振り絞るように奏され、一瞬の間の後にふたたび万感のこもった愛の救済の動機で全曲が閉じられるとき、筆者はいつも目頭が熱くなってしまうのである。

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2014年12月28日


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クナッパーツブッシュという指揮者をどう評価するのかということについては、クラシック音楽ファンの中でも意見が分かれるのではないだろうか。

ブルックナーの交響曲の演奏に際しては改訂版に固執したり、ベートーヴェンの交響曲第8番やブラームスの交響曲第3番、ハイドンの交響曲第94番などにおける超スローテンポなど、かなり大胆な演奏を行っているからである。

これを個性的な芸術と見るのか、それとも許し難いおふざけ演奏と感じるのかによって、クナッパーツブッシュに対する評価は大きく変わってくると言えるところだ。

もっとも、そのようなクナッパーツブッシュが他の指揮者の追随を許さない名演奏の数々を成し遂げた楽曲があるが、それこそは、ワーグナーのオペラであった。

それはクナッパーツブッシュが活躍していた時期はもとより、現在においてもクナッパーツブッシュを超える演奏が未だに存在していないと言えるところであり、クナッパーツブッシュこそは史上最大のワーグナー指揮者であったと言っても過言ではあるまい。

もっとも、クナッパーツブッシュのワーグナーのオペラの録音は、いずれも音質的に恵まれているとは到底言い難いところであり、それが大きなハンディとなっているのであるが、ただ1つだけ音質面においても問題がない録音が存在している。

それこそが、本盤に収められた舞台神聖祝典劇「パルシファル」の1962年のライヴ録音である。

本演奏こそは圧倒的な超名演であり、おそらくは人類の遺産と言っても過言ではないのではないか。

冒頭の序曲からして、その底知れぬ深みに圧倒されてしまう。

その後は、悠揚迫らぬインテンポで曲想を進めていくが、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さ、演奏の彫りの深さには凄みさえ感じさせるところであり、演奏全体から漂ってくる荘厳で神々しい雰囲気は、筆舌には尽くし難い崇高さを湛えている。

これほどの深沈とした深みと崇高さを湛えた演奏は、他の指揮者が束になっても敵わないような高みに達している。

カラヤンは、後年に、同曲のオーケストレーションを完璧に音化した絶対美とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功した超名演(1979〜1980年)を成し遂げており、ある意味では人間のドラマとも言うべきクナッパーツブッシュによる本超名演とはあらゆる意味で対極にある超名演と言えるところであり、容易に優劣はつけ難いと考えるが、我々聴き手の肺腑を打つ演奏は、クナッパーツブッシュによる本超名演であると考えられる。

歌手陣も充実しており、グルネマンツ役のハンス・ホッターを筆頭に、パルシファル役のジェス・トーマス、アンフォルタス役のジョージ・ロンドン、ティトゥレル役のマルッティ・タルヴェラ、クリングゾール役のグスタフ・ナイトリンガー、そしてクンドリー役のアイリーン・ダリスなどが、クナッパーツブッシュの指揮の下、渾身の名唱を繰り広げているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、ワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルシファル」の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

なお、クナッパーツブッシュによる同曲の録音は、1962年の前後の年代のものが多数発売されているが、音質面をも含めて総合的に考慮すれば、本演奏の優位性はいささかも揺るぎがないものと考える。

録音は、リマスタリングがなされたこともあって従来盤でも十分に満足できる音質である。

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2014年07月08日


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クナッパーツブッシュ唯一の録音となるモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1940年録音)に加え、J.S.バッハの3作品(1944年録音)を収録した、クナッパーツブッシュとウィーン・フィルによるアルバム。

何と言っても「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が楽しい。

筆者の勝手な思い込みで、クナとモーツァルトの相性は悪いと思っていたのであるが、クナの「アイネ・クライネ」の録音が存在していたというのに本当に驚かされた。

モーツァルトの「アイネ・クライネ」は余計な表情をつけなられない曲だと思っていたが、クナはまさにやりたい放題の大暴れ、しかも大成功を収めたのだ。

これを聴いて怒り出してはいけない。

最初は余りにも珍妙な演奏で腰を抜かしたが、ロココ調のセレナードという固定観念にとらわれずに聴けば、なかなかどうして愉快痛快な演奏ではないか。

フレーズごとに耽美的なディミヌエンドをかけ、各声部の動きにあざといアクセントをかけ、ロマンティックな音楽を聴かせるのは乙な趣向だ。

終曲の途轍もないスロー・テンポ! その中でクナは遊びに遊ぶ。

思い切ったポルタメントはほんの序の口、途中で2ヵ所、モーツァルトが書いた伴奏部の音の長さと表情を変え、主題の対旋律としてしまったのである。

天才モーツァルトの楽譜を変更したのだ! こんな勇気は他の指揮者には絶対にない。

これはもはやクナッパーツブッシュ編曲と言い切ってしまってよいほどで、非常に面白い。

アカデミズムを軽蔑するクナの、「してやったり」という顔が目に見えるようではないか。

彼だから許され、彼だから可能な業ではあるが、それでも、このCDは筆者に「モーツァルトでもここまでできるのだ!」という感銘を与えてくれる。

第1楽章もセレナードとは思えぬくらい深々としており、淋しいけれど神経質に陥らないニュアンスが漂い、何よりも豊かな歌が横溢する。

その歌はメヌエット中間部にも現われるが、特筆すべきは第2楽章の美しさで、細部までこれほど丁寧に愛情をこめぬいた演奏は他に決してない。

できるところでは全部リタルダンドをかけ、息の長いクレッシェンドで盛り上げ、コーダでは何と第1ヴァイオリンをソロに変えている。

クナはワルターのように粋に運ぶことはまるで考えていないが、それでいて泥臭くなっていないのは、どこもかしこも真実だからであろう。

筆者はあえて言いたい。

「アイネ・クライネ」のCDは、特別の興味がない人以外には、ワルター(&ウィーン・フィル)とクナッパーツブッシュの2種類だけ持っていればよい。

そして、彼らの演奏を折に触れて聴き比べれば、音楽創造というものの素晴らしさや秘密が、次々と解明されてゆくに違いない。

交響曲第39番と第40番も悠揚迫らざるスケール感と気品高い演奏で聴く者を魅了する。

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2014年05月07日


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「トリスタンとイゾルデ」という作品は、オペラ指揮者が情熱を傾けたくなってしまう抗しがたい吸引力を持っているようだ。

そのため多くの巨匠たちがこぞってこの作品を取り上げ力作を残してきた。

それでもなぜか、真のカペルマイスターにとって録音の機会を得るだけでも困難だったのは世の矛盾を目の当たりにするようで、深く考えるのに抵抗を感じてしまう。

20世紀最高のワーグナー指揮者だったクナッパーツブッシュは結局、正規録音を残していない!

これは戦慄すべき事実である。

この作品は凡演で聴かされると退屈でしょうがないが、人によっては慎重に組んであるフルトヴェングラー盤を聴いても同じように感じるかもしれない。

しかし、これはどうだろうか。

すべての旋律がこれほど生き生きと流れる例が他にあるだろうか。

空気をたっぷり含んでゆっくりと掃き出すような雄大な流れは、心地よく身を横たえてずっと聴いていたくなってしまう。

筆者は20年来ベーム盤を愛聴してきたが、クナッパーツブッシュ盤に出会い、こちらに乗り換えた。

ベーム盤と比べ、第1幕はより起伏に富み、第2幕は第2場がより濃厚、第3幕は甲乙つけ難い。

1950年のクナはベームに劣らぬ緻密な棒さばきで、クライマックスへ突進するベームに比べ、クナ盤ではワーグナー音楽の流れに身を任せる醍醐味が味わえる。

聴く方も気合いを入れないといけないベーム盤と違い、クナ盤はするりと自然にワーグナー的陶酔へと引き込んでくれる。

長いので前奏曲か愛の死(最初と最後)だけでも聴き比べれば、他とは次元が違うことを確認できるだろう。

魔術のようだ。

音楽の力だけでコンウォールの空想世界を作り上げてしまった、そんな演奏である。

音質は録音年代にしては標準レヴェルである。

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2014年04月12日


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当アルバムの最大の聴きものは、交響曲第3番である。

クナッパーツブッシュはブラームスの「第3」を得意中の得意としており、残されたCDはどれも超弩級の凄まじさだ。

このウィーン・フィルとの演奏も、全篇、肌が粟立つような戦慄の表現である。

第1楽章の冒頭から巨大かつ悪魔的であり、対旋律のホルンの圭角といい、恐るべきリタルダンドといい、強弱指定を無視した猛烈な歌といい、すべてをやりつくしたクナの姿がある。

彼は音楽を引っかきまわし、ウィーン・フィルは音にいのちを刻みつけてゆく。

だから、この半世紀以上も前のライヴが最新のステレオ録音よりもずっと生々しく響くのだ。

再現部冒頭の凄さ、その後のクライマックスはまるで怪獣の叫びだし、大きな間では息が吸えなくなってしまうような気がする。

第2楽章はアンダンテだが、表情の吹っ切れていること、アレグロ楽章となんら変わりがない。

歌はむせて溢れて何が何だかわからなくなってしまいそうだし、見得を切る大テヌートや、恐るべきクレッシェンドの洪水など、もはや評する言葉を持たない。

この演奏は批評の対象にならない。

もし、クナの表現に抵抗があって愉しめないという人がいたら、なんと不幸でかわいそうな人だろうか!

ド熱いチェロで開始される第3楽章を経てフィナーレに入ると、これがまた第1楽章と好一対なのだ。

テンポの大きな落とし方、大きなリタルダンド、いずれも破目を外しており、普通ならやりすぎとしか考えられないはずなのに、こうでなくては! と思わせるのはどうしてか。

曲とぴったり合ったときの絶好調のクナの凄みは、人間業を超えてしまうのであろう。

ピアノ協奏曲第2番はカーゾンが渾身の力を振り絞った演奏だ。

それを包み込むクナッパーツブッシュの指揮は、素朴でしみじみとした情感、溢れ出るパッション、彫りの深い抉りが素晴らしい。

悲劇的序曲も曲想をよくつかんだ彫りの深い演奏で、思う存分旋律を歌わせており、噛んで含めるような、という表現がぴったりの演奏だ。

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2014年04月11日


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クナッパーツブッシュのベートーヴェン「第2」はおそらくこれが唯一の音源ということもあり、貴重な録音である。

第1楽章は冒頭から勢いをつけてドカーンときて圧倒されるが、続く序奏を積極的に歌っている。

アクセントを強めにはっきりと付けて演奏していて、テンポも大胆に動き、音楽に溌剌とした若々しいエネルギーが溢れている。

第2楽章は咳払いの中から蝋燭の炎の立ち上るように始まり、抑揚の幅を大きくとって豊かな歌を聴かせる。

繊細な表現があったかと思うと、コントラバスが唸りを上げたり幅の広い表現である。

第3楽章のスケルツォでも強弱の振幅が幅広くメリハリの効いた演奏だ。

第4楽章はかなり遅いテンポで始まるが、遅かったのは冒頭部分だけで、すぐにアッチェレランドして快適なテンポになる。

とても色彩感豊かな演奏であるが、コーダに向けてどんどんアッチェレランドしていき怒涛の終演となった。

「ブラ4」も素晴らしい。

全体的にはもうひとつのケルン放送響盤が優れているが、このブレーメン・フィル盤も、霊感溢れる即興性が生きていて興味深い。

第1楽章はレトロな響きで、低域が分厚く恰幅の良い堂々とした演奏。

音楽の高揚に伴ってテンポが速くなって、作品への共感と熱い思いが伝わってくる演奏である。

第2楽章はクナッパーツブッシュの感情の赴くままにテンポが動いているようで、この動きは自然で聴いているこちらも共感できるものだ。

特に訴えかけるようなメロディーの長調のパッセージで、グングンかかるアッチェレランドが凄い。

第3楽章は遅めのテンポで開始するが、いつの間にか普通のテンポになっており、低域が厚いので安定感がある。

音楽が進むにつれて熱気を帯びてきて、第4楽章は激しい金管の咆哮やクナッパーツブッシュの足踏みなども録音されている。

テンポの振幅と幅広い表現が特徴の演奏で、音の輪郭もくっきりとしている。

演奏中の会場のノイズは聞こえるのに、不自然に拍手をカットしてあるので、終わり方が変なのが残念だ。

昨今こんな風に演奏する指揮者はいないだろうし、実際にコンサート会場で聴いたらどんな風に聴こえるのか分からないが、聴衆が、クナッパーツブッシュという指揮者の手による音楽を聴きに行っていた時代の証言である。

音質も1952年の録音ながら、使用音源はブレーメン放送からのライセンスを得たもので、ターラの高音質化も相俟って、非常に鮮明である。

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2014年04月10日


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バックハウスの演奏そのものの出来から言えば、デッカのステレオ盤を選択するのが妥当だろうが、ここではあえてこのクナッパーツブッシュと共演した1954年のライヴをあげる。

その理由は伴奏が何とも個性的だからだ。

まず、ウィーン・フィルの個々の奏者がこの指揮者の悠然たる棒に乗って嬉々として演奏しており、その結果として著しく甘美な味わいをまき散らしているのだ。

独奏の方はあくまでも淡々としているのだが、逆に伴奏はどうころがるのかわからない危うさを秘めており、この不可思議な対比が面白い。

音質はまずまずではあるが……。

ところで、最近の情報だとこの時の映像が残されているという(しかも、部分ではなく全曲らしい)。

どのレーベルでもいいから1日も早くDVD化して欲しい。

シューマンの「第4」は、1956年、シュターツカペレ・ドレスデンとのライヴであるが、クナッパーツブッシュの圧倒的なパワーが直截に発揮されたという意味では、有名なウィーン・フィル盤より一層クナッパーツブッシュらしい演奏と言うことができる。

クナッパーツブッシュは、最初の一撃からシューマンの悩みを粉砕せずにはおれない。

悩みを愉しむ、という陰が一切なく、常に健康的で逞しい。

ティンパニの強打や金管の咆哮など、ウィーンの典雅さに包まれていない分、物凄い迫力である。

第3楽章の推進力も、まだ若々しいパワーを有していた1950年代のクナッパーツブッシュならではだ。

筆者としては、このクナッパーツブッシュの演奏ような人間的大きさで、作品の憂鬱を吹き飛ばすという対処で、病気を愛する病人による演奏に関わらないようにしたい。

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「皇帝」は、冒頭の部分だけとはいえ、このようなハチャメチャなライヴがよくぞ正規のCDで登場したものである。

しょっぱなからピアノとオーケストラが同時に出るところが、指揮者の棒振りのタイミングの遅さで完全にズレてしまっている。

しかも、2度目はほとんど意図的とさえ思えるほど指揮者の棒が遅いために、ぽっかりと大きく穴があいてしまっているのだ。

恐らく、バックハウスは終演後この行為に激怒したに違いないのだが、それでも両者はその後も何回か共演しているらしく、この怠け者指揮者と実直で正統派のピアニストはどこかで相通じるものがあったのだろう。

しかし、タイプこそ違っても、大きな器を持った演奏家が現代には何と少ないことか。

「第8」にはいろいろな解釈の仕方があるようだが、ぴったりくるのはワインガルトナーやシュミット=イッセルシュテットのようなウィーン風の小味な表現だ。

逆にトスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラー、シェルヘンなどは、どことなく違和感が残る。

わけてもクナッパーツブッシュの超スロー・テンポによる極大のスケールと味の濃い演奏はその最たるものだが、このくらい徹底すると有無を言わさず納得させられてしまう。

それというのも、クナの芸術性が抜群だからであろう。

曲の内容は異常にふくらみ、形はデフォルメされ、ものものしくも情熱的に進み、ときには苦しみや怒りとなり、豪傑笑いも見せる。

第1楽章からテンポは遅いが、推進力に溢れた音楽の運びがすばらしい。

第2楽章はデリカシーのあるチャーミングな演奏であり、第3楽章は「気合の入った」メヌエットになっている。

第4楽章は、冒頭が手探りのように始まるところがいかにもクナッパーツブッシュであるが、凛とした立体的な演奏が実に見事である。

クナッパーツブッシュの遅いテンポに何ら違和感のない筆者であるが、曲のしなやかなフォルムからはいささか外れた、特異な「名演」なのだと思う。

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2014年04月09日


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クナッパーツブッシュ唯一のウィーン・フィルとの「ブル8」(1961年ライヴ)については、既にレビュー投稿済みなので、ここでは『エロイカ』について述べたい。

この1962年のウィーン・フィルとの『エロイカ』ライヴは、前述のミュンヘン・フィル盤とともにクナッパーツブッシュの巨大さを味わえるのが嬉しい。

第1楽章の凄絶さはブレーメン盤に譲るものの、音の響きを愉しむ高尚な遊びの精神が演奏に桁外れの大きさを与えている。

その点、月並みな論評ながらブルックナー的な演奏と言えるだろう。

クナッパーツブッシュお得意の不意打ちのアクセントもウィーン風に柔らかに翻訳されており、演奏のところどころに可憐な花を咲かせている。

大らかな分、ミュンヘン・フィル盤ほど堅牢な造型ではない。

現実の世界からより自由になった孤高の芸術家の「魂の逍遥」を味わいたい。

第2楽章は、晩年のクナッパーツブッシュとウィーン・フィルだけが創造できた異空間である。

ヴァイオリンの調べに伴う何と言う色香…、喪服を纏った若き未亡人のような妖艶さとでも言おうか。

涙に濡れるオーボエの嘆きも、聴く者の心を濡らさずにはおかない。

中間部の対位法も、晩年のクナッパーツブッシュならではの巨大な音の建築物となっている。

スケルツォもクナ節全開だ。

主部のリズムの何と言う刻みの深さ。トリオでは、クナッパーツブッシュとプレイヤーの微笑ましい心の交流が見て取れる。

ホルンのプレイヤーに向かって「そこは遠慮なく吹いて下さいよ」と合図を送ると「よしきた。任せとけ」とばかりに、とんでもない最強奏で応える。

オケのメンバーは、このようにクナッパーツブッシュに褒められたい一心で張り切る。

クナッパーツブッシュも彼らの頑張りに満足げな表情で応える、というわけだ。

さて、フィナーレの変奏曲こそは、クナッパーツブッシュの真骨頂で、まるでひとりの「英雄」の生涯を回顧するような音のドラマが展開する。

ここには、英雄の台頭、獅子奮迅の活躍から、その失脚と死までが、「叙事詩」のような壮大さで描かれているのである。

ことにテンポを落とすポコ・アダージョ以後の深い感動の歌は、クナッパーツブッシュにしか描けない。

まるでワーグナーの楽劇を聴くようであり、「なるほど、これでこそ『エロイカ』なのだ」という不思議な感動に襲われるのである。

「レオノーレ」序曲第3番も迫真の演奏である。

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クナッパーツブッシュの面目躍如いった演奏だが、ブレーメン盤の異形をオーソドックスな器に封じ込めたもの、と言うことができる。

全体に客観性を増した演奏と言えようが、異形さが封じ込められた分、かえって恐ろしさが増すということもあるわけだ。

ミュンヘン・フィルの表現力がブレーメン国立フィルを上回ることで余裕が生まれ、格調の高さも段違いである。

また、極めてロマンティックな表現で、音楽は常にゆとりをもって表情豊かに歌っており、その響きにはコクがある。

第1楽章でのテンポ操作はより自然になり、第2楽章でのスコアの改変もない。

「葬送行進曲」は朗々と歌うなかにヒューマンな感情が表現され、非常に味わい深い。

後半の2つの楽章も悠揚迫らずといった趣があり、至るところにクナッパーツブッシュならではの表情がある。

第3楽章トリオのホルンなど、まるでアルプスの山々が眼前に現れたような伸びやかさである。

フィナーレもより高い視点からスコアを眺めた、スケールの大きさを獲得している。

表現力と造型、音そのものの存在感など、この指揮者の4種の『エロイカ』の録音の中で、最もバランスの取れた演奏として評価しておきたい。

筆者は必ずしもこの演奏を愛聴しているとは言えず、当レビューを書くために久々に聴いたのであるが、この『エロイカ』のような演奏が、コンサートに集まった聴衆を唖然とさせ、一回性の魔術で呪縛したことは容易に想像できる。

全くユニークで、特異な芸風がよく表れた演奏と言うほかない。

ターラから発売された当国内盤のCDは、既出のものに較べ音質が改善されており、この種のものとしては録音も良好である。

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2014年04月08日


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クナッパーツブッシュ指揮による『エロイカ』の録音は、現在のところ4種存在する。

その中で、最も異彩の光を放つのが、このブレーメン盤であり、それにしても常識では語れないベートーヴェンである。

第1楽章冒頭の2つの和音、その間の息苦しいまでの沈黙に耐えるのは容易ではない。

巨人の踏み鳴らす足音のような凄絶さは、他の3種の録音を凌駕するものだ。

続く主部も今にも音楽が止まるのではないかと思わせるほどの超スローテンポに始まるが、さすがのクナッパーツブッシュも、このテンポを最後まで維持することはできなかったのだろう。

すぐに軌道修正していく様が面白い(その後のテンポは案外速めだ)。

全体に最晩年のクナッパーツブッシュとは違った若く強靭な生命感があるのが大きな魅力である。

第2楽章「葬送行進曲」は、硝煙くすぶる荒れ果てた戦の跡が目に浮かぶように始まる。

オケの色彩感が乏しい分、暗めのモノトーンの音色が一層凄味を醸し出しており、葬儀への参列者に襲いかかる突発的な嗚咽のようで痛々しい。

第3楽章では、オーボエに歌われたテーマが、弦や他の管楽器と共にフォルティッシモで歌われるところは、肉を斬って骨を断つような音の抉りの深さに恐れ入る。

トリオのホルンの最強奏は、聴くたびに魂を震撼させられる。

クナッパーツブッシュの胆力の為せる技であり、単なる大音響でないことは明らかである。

フィナーレも冒頭の遅いテンポが素晴らしい。

すべての16分音符が見えるようであり、剣の達人の技をスローモーションで解析するような趣がある。

ポコ・アダージョの深々とした響きも良いし、コーダのプレストも慌てず騒がず『エロイカ』のラストに相応しい堂々たる終結である。

当盤は正規の国内盤としてターラから出ているが、音の歪みもなく、情報量も圧倒的に多い。

マイクの捉えた演奏の凄絶さも克明に伝えてくれている。

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2014年01月31日


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廃盤になって久しかったクナッパーツブッシュの「ブル3」デッカ録音が、テスタメントから復活した。

まず何より当時の録音ではデッカの音は他社の追随を許さぬ飛び抜けたものだ。

テスタメントの復刻は何度でも聴きたくなるような素晴らしい音質で、空気まで芳しく香ってくるような名録音である。

モノラル後期にセッション・レコーディングされたこの録音は、当時、RCAと並んで最先端の技術力を誇ったデッカならではの音の良さが魅力でもあり、往年のウィーン・フィルの濃厚なサウンドを克明な音質で愉しむことが可能だ。

とはいえ最大のポイントはやはりクナッパーツブッシュのユニークな音楽づくりにあると言えるであろう。

ここではブルックナー、ワーグナーというクナッパーツブッシュ得意のレパートリーがとりあげられていることもあって、非常に聴きごたえのある仕上がりとなっている。

ウィーン・フィルの「ブル3」はこの盤の他シューリヒト、ベームがありいずれも必聴の名盤だが、もし1枚を選ぶとすれば問題なくこの盤になる。

あえて改訂版を選択したクナッパーツブッシュのワーグナー的な響きのこの音楽を、ブルックナー演奏では真の実力を発揮するウィーン・フィルとデッカの素晴らしい録音で愉しむことができる。

根本的には素朴な演奏で、テンポは遅く、メロディはとても美しく(特に弦楽器のふくよかな音の響きはウイーン・フィルならでは)、曲の組み立てのスケールは大きく、蕩々と音楽が奏でられる。

想像の世界だが、古き良きウイーンの息吹が底流に脈々と流れてくるような駘蕩とした感があり、指揮者もオケもブルックナーに深く没入しているのが伝わってくる。

ジークフリート牧歌も勿論究極の名演。

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2014年01月15日


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1951年に再開された戦後第1回のバイロイト音楽祭における記念すべき上演の記録である。

1951年から1964年まで1953年を除いて毎年《パルジファル》をバイロイトで指揮したクナッパーツブッシュの録音のなかでは、1962年の深遠な演奏が音もよく好評だが、ヴィントガッセンがパルジファルを演じたこの1951年の若々しい覇気に溢れた白熱の演奏の魅力もそれに優るとも劣らない。

ライヴ特有の雑音やアンサンブルの粗さはあるものの、クナッパーツブッシュの高い集中度に満ちたスケール豊かな音楽は、やはり大きな魅力をもっている。

音の状態はいくぶん古さを感じさせるものの、いかにもクナッパーツブッシュらしく、たいへん個性的で構えの大きな演奏だ。

この作品の官能的な一面と、神秘的な崇高美をそれぞれ見事に表現したもので、独唱陣も、彼の呪縛的な棒に魅せられて、陶酔的に一体となって演唱している。

とりとめのないような作品を、とりとめのないような表現の仕方で把握しようとしても、必ずしもうまくいくというわけではない。

しかし、その難事にあえて挑み、成功させてしまったのが、このクナッパーツブッシュ盤である。

長大な発想をもつ《パルジファル》を、ここでの指揮者は四つに組もうとか、知的にふるまおうとか、奇襲をかけてポイントを取ろうとかいった作為めいたことはいっさいせず、ごく無造作な調子で、あるがままに再現しようとしていく。

そのような単純で、素朴なアプローチがこれほどまでに多大な成果をあげうるのは、一重に指揮者のただならぬ力量のためといえるだろう。

歌手陣もそれぞれが白熱した名唱を聴かせており、ことに20世紀屈指のワーグナー・テノールだったヴィントガッセンのパルジファルは、これが唯一の正規の録音で、その強い存在感に満ちた歌唱は見事である。

《パルジファル》における記念碑的な意味をもつアルバムだ。

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2014年01月14日


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1961年10月29日 ウィーン・ムジークフェラインザールに於けるライヴ録音(モノラル)。

かつて筆者が購入した海賊盤は音質が劣悪で、古ぼけた音が遠くの方から響いてくるようだった。

それでも、ブルックナーという作曲家の雄大さ、クナの演奏の物凄さには魅せられたことをついこの間のことのように覚えている。

クナ唯一のウィーン・フィルとの「ブル8」の解釈は驚くほどミュンヘン・フィル盤2種に似ている。

この時点ですでに1963年の演奏が確立していたのだと言える。

音は若干悪いがオケはやはり上だ。

曲のどこをとっても素晴らしい演奏だが、たとえば第3楽章における弦楽器の艶やかな音はさすがにウィーン・フィルであり、第4楽章のコーダを聴いていると、当日の会場では途方もない大音響が鳴り響いていたのだろうと想像出来る。

こうした底知れぬパワーもウィーン・フィルならではである。

しかし、流麗な分あのゴツゴツした魅力や、息を呑むようなダイナミズムはミュンヘン・フィル盤に一歩譲る。

しかし、これだけを採れば超名演であることは確かで、仮にミュンヘン・フィル盤2種が存在しなかったら、こちらのほうが伝説的名演と言われたであろう。

録音はモノラルなのに、このマスターからの復刻音は素晴らしいものであり、ステレオのような定位感があるのが特色だ。

音質は鮮明でフレッシュ。弦の艶、豪快な金管、打楽器の迫真的な響き、柔らかさより硬いくらい鮮明な印象だ。

これでステレオだったら、いや、もうあと少し音が良かったらミュンヘン・フィル盤2種と人気を分けた事は確実であろう。

筆者としては、クナッパーツブッシュの演奏記録の中では、最晩年の2種のミュンヘン・フィル盤、そしてこのウィーン・フィル盤をベスト3にしたいと思う。

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2014年01月13日


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クナは極端にレパートリーが偏っており、お気に入りの曲ばかりを繰り返し取り上げた。

ワーグナーとブルックナーが支柱であり、シュトラウス一家のワルツとブラームスにR.シュトラウスを加えるとディスコグラフィーがほぼ完成する。

ブルックナーの第4番は1944年バーデン・バーデンでの演奏記録だが、当時の放送録音としては音質が非常に良い。

戦時中の録音だが、当時最先端を誇ったドイツ帝国の磁気テープによる驚異的な音質で名演を堪能出来る。

クナによる第4交響曲の録音では、ウィーン・フィルを指揮したデッカ録音が最高の出来だが、このベルリン・フィル盤も遜色のない見事な演奏で、流麗な美しさは後年のデッカ録音にも匹敵する。

そして当盤の尽きることのない最大の魅力はオーケストラにある。

クナは、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルから劇的で動的な機能美を存分に引き出しており、音楽が弛緩するようなことは一切ない。

戦時中のベルリン・フィルが奏でる滴るような音色が素晴らしい当盤は、表現こそ中庸だが、哀感漂う響きが心憎い名演である。

特にベルリン・フィルの暗い情熱を秘めた弦楽合奏の神秘的な美しさは実に素晴らしい。

ベルリン・フィルは折しもフルトヴェングラー時代の荘重で黒光りする響きを放っており、時に見せる思索的な音楽は、ブルックナーの交響曲たるものがドイツ精神を離れては理解出来ないことをそれとなく示してくれる。

クナの常で改訂版を使用しての演奏である。

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2013年11月15日


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1959年3月19日 ミュンヘンでのライヴ録音。

クナッパーツブッシュには、Archipelレーベルからミュンヘン・フィルとの「第5」のライヴ録音が発売されており、DECCA盤を上回る名演とマニアに大人気の演奏。

個性の強い演奏だが、ブルックナー指揮者として一世を風靡した巨匠だけに、その彫りの深さと、悠然とした音楽の運びは、見事としか言いようがない。

演奏は全体に、ライヴのクナッパーツブッシュならではのアクティヴな音楽の表情、強烈なコントラストと味のあるアゴーギクがたいへんに効果的なもので、第1楽章冒頭のピチカートから、ドスの効いた低音と動的な表情が堪らない。

第3主題も素朴な逞しさと無垢な美しさが並存する見事な演奏であり、絶妙すぎるテンポ・ルバートと共に忘れがたい感銘を与えてくれる。

クナッパーツブッシュが愛好した「シャルク改訂版」による演奏のため、原典版に慣れた耳には驚く個所もいくつかあるが、第4楽章フーガおよび二重フーガにおけるティンパニ追加や、コーダでの賑やかな打楽器追加など、演奏が良いため、むしろ効果的と思える部分も少なくないのが面白いところである。

全曲のクライマックスである第4楽章コーダでのとんでもなく巨大なスケール感と凄まじいエネルギーには、あらためてクナッパーツブッシュの音楽の底知れぬ魔力に呪縛されてしまうこと請け合いだ。

前述したように、金管やティンパニを賑やかに鳴らし放題に鳴らした凄絶な演奏であるが、スタジオ録音と比べ、どちらか一方がクナッパーツブッシュの本質ということは言い切れないと思う。

それ故スタジオ録音で聴かせた優美さとライヴの豪放さのどちらもがクナッパーツブッシュ芸術の真骨頂であることは間違いない。

もしクナッパーツブッシュが後者だけの単純な演奏家であれば、バイロイトの「パルジファル」のような神聖な演奏は不可能であったはずだ。

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期待を上回る名演奏。

アルプス交響曲はケンペ、カラヤン、そして、ムラヴィンスキーくらいを手元に置いていていれば充分かなと思っていたが、これも是非持っておくべきCDだと思う。

これは、「クナ」マジックのひとつと言えよう。

神々しいクナのブルックナーは別にして、マジックを感じる「ブラ3」に共感した人は、この演奏に嵌まる可能性は大きい。

特にあの山頂での高揚感は格別だ。

恥じらい気味なオーボエの後、形容を絶する弦と金管の呼応には、聴く者の琴線に触れるものがある。

この部分では、弦の上昇音階が先走らないようにということか、拍を刻むクナの足踏みも聴こえる。

「嵐」 の冒頭におけるトロンボーンの強奏、中間部のオルガンの絶叫は最大の聴きどころだ。

今までアルプス交響曲は、クナの中でそれほど重要なコンサート・プログラムとして紹介されていなかったが、なかなかどうして、この曲における自然に対する畏敬の念のようなものを、今回初めて抱かされた。

「ブラ3」や「ベト8」などとともに クナの十八番のひとつであったに違いない。 

ライヴならではの細かいミスが散見されるが、そんなことはどうでもよくなってしまうほどの名演だ。 

今は聴けない「大時代的」演奏の最良の姿がここにあると言える。

それにしても1952年当時のウィーン・フィルは素晴らしい。

ワルターの「大地の歌」、クラウスの「英雄の生涯」、そしてフルトヴェングラーの「エロイカ」もこの年の録音なのだ。

併録された、1958年録音の「死と変容」も厳粛崇高な凄演だ。

この曲をこれほど神がかり的に表現し、しかも成功した例を筆者はほかに知らない。

両曲の録音は6年の開きがあるが、それはほとんど感じられず、そしてダイナミックレンジの広い大編成オケの曲だが、驚異的な高音質と言える。

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筆者は過去にこの演奏をHUNTという海賊盤レーベルのCDを聴いていたのであるが、今般ORFEO盤が放送局蔵出しのテープを使用しているということで、購入し、聴いてみたところ、びっくりするほど生々しい音質に改善されていた。

クナッパーツブッシュは残念ながら、ブルックナーの「第9」をスタジオ録音せずに鬼籍に入ってしまった。

それでもやはりブルックナー作品の奥の院である「第9」だけは、一度はクナッパーツブッシュで聴くべきだと信ずるひとりであり、今回、このバイエルン国立管弦楽団を指揮した1958年のライヴ録音によるORFEO盤を聴くに及んで、それは筆者にとって、まさしく確信に近いものとなった。

実際、ブルックナーについて、何かを考え、また、何かを語ろうとする場合、この1958年のバイエルン国立管弦楽団を振ったクナッパーツブッシュのブルックナー「第9」を聴いて、その演奏の凄さに波長が合わない人がいるとしたら、それはもう(ブルックナー・ファンとしての話だが)ダメなんじゃないか、とさえ思いたい位の演奏の巨大さである。

クナッパーツブッシュの指揮するブルックナーには、一見無造作で八方破れのような、開き直った演奏と思わせながら、改訂版の譜面の長所を完璧にわがものとした演奏は、細部まで鋭い目配りが届いていることを常に示している。

練習嫌いで、ぶっつけ本番に近いやり方によるオーケストラ全員の緊張感を演奏の上に反映させることを得意としたクナッパーツブッシュの指揮術は、ブルックナーの交響曲の壮大な造型に実に良くマッチしていた。

そして、ブルックナーの交響曲の演奏が進むにしたがって、クナッパーツブッシュという指揮者の心の内なる音楽感興が、曲想の振幅と共に高潮し、たちまち壮麗をきわめたビジョンの展開となって聴き手の魂を奮い立たせる時、それは圧倒的な姿となって現実化する。

クナッパーツブッシュのブルックナーやワーグナーに傾倒させられ、畏怖を感じるのは、まさにその時である。

この1958年のブルックナー「第9」がそれであり、クナッパーツブッシュの指揮のもと、バイエルン国立管弦楽団の精鋭たちも、このときこそとばかりに全員が奮い立ってブルックナーを奏でているのが聴きとれる。

繰り返すようだが、ハンス・クナッパーツブッシュとは、なんという巨大な指揮者だったのだろう、と思わずにはいられない。

そして、ブルックナーの「第9」だったら、一度は、この演奏を聴いてみなければなるまいと思うのである。

ブルックナーの交響曲とクナッパーツブッシュという指揮者の本質を知るために、である。

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1955年12月5日のライヴ録音。

クナッパーツブッシュは同曲を最晩年の1963年にミュンヘン・フィルとステレオでスタジオ録音しているが、この演奏もハンス・リヒターの直弟子として、19世紀のドイツ音楽の偉大な伝統を身をもって伝えるクナッパーツブッシュのブルックナー解釈の真髄とでもいえよう。

クナッパーツブッシュが優れた演奏を聴かせるのはワーグナーとブルックナーだが、それは両者の共通点を彼も持っていたからである。

クナッパーツブッシュのくだんの武骨で頑丈な表現とブルックナーの朴訥きわまりない音楽は実に相性が良く、この相性の中からこそこうした悠揚迫らざる演奏が生まれるのだと思う。

実に明晰で雄大な第8交響曲で、歯切れの良さとスケール感に満ちた超人的な演奏といってよいだろう。

聴き続けているとこちらの身が、何か超時間的、超時限的な雄大さに包み込まれてゆくような感覚さえある。

このところクナッパーツブッシュのブルックナーはいささか人気が下火になっているきらいがあるようだが、熟聴すればするほど、彼が人気やブームの圏外の大存在であることを痛感させられる。

1892年シャルク改訂版を使用しているとはいえ、実質的には原典版とそれほど違わないし、何よりもこの広々としたスケール感と深い味わいはクナッパーツブッシュならでのものだ。

特にこの本拠のバイエルン国立管弦楽団との演奏は、自然体で、しかも際限もなく大きな広がりを持っている。

生前ブルックナーを得意とした指揮者の個性あふれる演奏のひとつであり、感銘深い。

録音も放送局蔵出しのテープによるもので、筆者が過去に聴いていた海賊盤に比べ、驚くほど生々しい音質に改善されている。

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1954年10月11日、ミュンヘンでのライヴ録音。

ブルックナーとワーグナーに定評のあった、巨匠クナッパーツブッシュの演奏だけに、本拠のバイエルン国立管弦楽団を指揮して、乗りに乗った演奏を聴かせる。

確信に満ちた揺るぎない表現で、随所に個性的な表情も見られるが、それがブルックナーの音楽的様式を少しも損ねないところは、さすがクナッパーツブッシュだ。

クナッパーツブッシュに限らず、彼と同時代に活躍した指揮者によるブルックナーの演奏は、ほとんどが音楽の構成と感情のバランスに特徴が見られるが、彼は一見醒めた眼で作品を見つめながら、音楽のロマン的な感情の流れに重点を置いて解釈し、やや遅くほとんど動かないテンポに乗って悠然と進む流れの中から、豊かな感情を浮かび上がらせる。

そのために演奏は大きく起伏し、素朴で男性的なエネルギーに溢れている。

深さのある演奏とは、こうした表現の場合を言うのであろうか。

耳と心とで感じとる以外に説明のしようがない、美しい象徴だけが体をしびれさす。

両端楽章の生気に満ちたダイナミックスや、第2楽章の悠揚とした歌の大きさはまさに巨匠の音楽。

バイエルン国立管弦楽団もそれによく応え、彼らの最善を発揮している。

クナッパーツブッシュとバイエルン国立管弦楽団はブルックナーを心で感じつくしている。

そして、この共感と魂の一致がなかったならば、いかに巧みに計算された演奏でも、ブルックナーは生きた姿として、我々に訴えてこない。

演奏には改訂版を用いているが、これはノヴァーク版とあまり変わらない。

録音状態も良好で、この時代のものとしては驚くほど生々しい音質である。

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1949年8月30日、ザルツブルクでのライヴ録音で、これはLP時代から何度再発されてきたか数えきれないほど有名な録音だ。

クナッパーツブッシュとウィーン・フィルによるこの録音は、それが残されていたことに深く感謝したいかけがえのないディスクである。

というのはクナッパーツブッシュが「ブル7」をスタジオ録音しないまま鬼籍に入ってしまったからである。

クナッパーツブッシュのブルックナーはそのどれもが格別の名演で、この「第7」にも1963年のケルン放送響との録音もあるが、この巨匠の音楽が最良の状態で打ち出されるのは、やはりウィーン・フィルを得た時と考えるのが妥当であろう。

ウィーン・フィルの美しい音色が、クナッパーツブッシュの骨格の太い解釈に豊かな雰囲気をもたらしている。

本盤では改訂版を使用し、なおかつクナッパーツブッシュ独自の解釈を加えた演奏だ。

さすがに雄渾な表現で、感興が泉のごとく湧き出し、ライヴ特有の気迫が凄い。

そしてウィーン・フィルのまろやかでブレンドの良いサウンドで綴られたこの「第7」は、この指揮者ならではの巨大で悠然とした音楽の流れが絶品であるほか、旋律の粘り強いロマン的な表情もが独自の魅力を放っており、辛口の大人の味つけが聴き手を魅了する。

ただ、これはクナッパーツブッシュのひとつの名演だが、全てがユニークであることも、また事実である。

クナッパーツブッシュといえば、「練習嫌い」で有名だが、この演奏に破綻はなく、彼の指揮に付いて行けるウィーン・フィルだからこそできる演奏だと思う。

ウィーン・フィルの往年の響きと相俟って深い感銘を与える一盤である。

1949年のライヴとしては極上といってよい明瞭な音質であることも、演奏の味わいを一層深いものにしている。

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2013年07月26日


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クナッパーツブッシュは、1951年、戦後再開されたバイロイト音楽祭で《パルジファル》の指揮を任されて以来、トラブルによって中断した1953年を除き、死の前年の1964年(この録音)まで毎年この曲を振りつづけた(1953年にもナポリで指揮している)。

《パルジファル》の呼吸の深い、悠久のフレーズを持った音楽は《ニーベルングの指環》以上にクナにぴったりだ。

そういえば、彼はすでに若き日、大学の卒業論文に『クンドリーの本質』について書いている。

そのころから《パルジファル》に傾倒していたのだ。

聴きどころは、何といっても最晩年のクナの紡ぎ出す、摩訶不思議な音の世界。

「渋い」としか表現のしようのない音色と響きは、音響的には遥かに恵まれた条件の下で収録された1950年代末のスタジオ録音においては、音の巨大なうねりや地響き、凄絶なカタストローフの背後に隠れてしまうのに対して、ダイナミック・レンジの狭さやオーケストラ・ピットの独特な構造に起因する倍音成分の遅れなど、演奏家にとっては不利な条件の多い、バイロイトでのライヴ録音においては、逆に際立つ結果となっている。

《パルジファル》の録音と言えば、まずクナの1962年盤が挙げられるべきだし、個人的にはこの盤さえあれば、他のクナの録音は要らないとさえ思っていた。

しかしこの1964年盤も、音楽の厚みが凄く、オーケストラとともにワーグナーの美しさを全開させており、他の指揮者はまったく太刀打ちできない。

歌手陣も総じて素晴らしいが、中でもグルネマンツを歌うホッターが出色で、懐が深く、暖かな温もりで聴き手を包み込む。

筆者はホッターのグルネマンツを聴くたびに、この舞台神聖祝典劇は「パルジファル」ではなく、「グルネマンツ」というタイトルの方が相応しいと思えてならない。

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2013年05月03日


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クナッパーツブッシュの既発売のCDは、必ずしも良好とばかりは言えない音質であったと言わざるを得なかった。

ところが、本セットに収められた録音は、既発売のCDとは見違えるような良好な音質に生まれ変わったと言えるところであり、本アウディーテ盤の登場によって、漸くクナッパーツブッシュの芸術の真価を味わうことが可能になったと言っても過言ではないのではないかと考える。

それにしても、本セットの良好な音質で聴くと、クナッパーツブッシュの指揮芸術の桁外れのスケールの大きさをあらためて認識させられる。

ブルックナーの「第9」は、悪名高き改訂版を使用しており、これまでは音質の劣悪さも相俟って、筆者としても歯牙にもかけて来なかった演奏であるが、今般のCD化によって、弦楽器など実に艶やかに響くようになり、見違えるような音質に生まれ変わったのは実に素晴らしいことだ。

改訂版の醜悪さが余計に目立つようになったのはご愛嬌ではあるが、クナッパーツブッシュの懐の深い至芸を良好な音質で味わえるようになった意義は極めて大きい。

なお、本セットには、スタジオ録音とともに2日後のライヴ録音が収められているが、音質の面を加味すれば一長一短と言ったところではないだろうか。

「未完成」は素晴らしい名演だ。

これまでは劣悪な音質故に、気にも留めていなかった演奏であるが、これほどの名演とは思いもしなかった。

深沈たる奥行きのあるスケール雄大な演奏は、巨匠クナッパーツブッシュだけに可能な圧巻の至芸と言えるだろう。

これもスタジオ録音と2日後のライヴ録音が収められているが、音質をも含めると、容易に優劣はつけられない。

ブルックナーの「第8」も、これまではミュンヘン・フィルとの超弩級の名演があることや音質の劣悪さから、殆ど芳しい評価がなされてこなかった演奏であるが、これだけの良好な音質になると、さすがにミュンヘン・フィル盤にはかなわないが、それに肉薄する名演と言ってもいいのではないだろうか。

ベートーヴェンの「第8」とハイドンの「驚愕」は、いずれも見違えるような高音質、特に低弦の重心の低い音色が響くようになったことによって、クナッパーツブッシュの桁外れにスケールの大きい至芸を味わうことができるようになった意義は極めて大きいものと言わざるを得ない。

これだけの高音質になると、テンポの遅さも必然のように思えてくるから実に不思議だ。

小品もいずれも良好な音質に蘇り、いかにスケールの大きい素晴らしい名演であったのかをあらめて認識させられた。

例えば、喜歌劇「千一夜物語」間奏曲のむせかえるような情感豊かな演奏は、何という人間味に溢れているのであろうか。

組曲「くるみ割り人形」のスケール極大な音楽や、「こうもり」序曲の胸にずしんと響いてくるような低弦の重厚な響きは、圧巻の迫力を誇っていると言える。

ピチカート・ポルカやワルツ「バーデン娘」は、まさにクナッパーツブッシュだけに許される桁外れにスケールの大きい芸術的な遊びと高く評価したい。

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2012年10月20日


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クナッパーツブッシュはワーグナーを得意とした巨匠であるが、他の作曲家の少なからぬ曲についても好んで指揮を行った。

本盤は、そうしたクナッパーツブッシュの得意とした曲を集めた好企画である。

ウィーン・フィルの魅力を引き出しクナッパーツブッシュの個性を十二分に発揮した名演奏ばかりだ。

ハイドンの「第88」は、まさに鈍行列車のようなテンポであり、第1楽章など止まってしまいそうな印象を受けるが、その濃厚な味わいは何とも言えない魅力だ。

第2楽章のむせ返るような抒情も極上の美しさであるし、終楽章の踏みしめるような巨像の行進もスケール雄大だ。

「死と変容」は、めまぐるしく曲想が変化する曲を堂々たるイン・テンポで一貫しているのが凄いが、死の音楽が開始される際のティンパニの一撃はどの演奏よりも凄まじい迫力だ。

終結部の天上の音楽の美しさも出色のものであり、こうした何とも言えない音楽の構えの大きさはクナッパーツブッシュの真骨頂と言えるだろう。

ブラームスの「第3」は、様々なオーケストラと名演を遺しているが、このウィーン・フィル盤も素晴らしい。

第1楽章の迫力も度肝を抜くのに十分であるし、第2楽章や第3楽章の溢れんばかりのロマンティシズムの美しさには、もはや表現する言葉が追いつかない。

終楽章のゆったりとしたテンポによる迫力満点の演奏は、「第3」をブラームスの英雄と称された理由が実にわかるような壮大さだ。

「ジークフリート牧歌」は、ワーグナーを得意とした巨匠ならではの深沈たる何とも言えない味の濃さが魅力の名演だ。

録音は、もう少し鮮明であればと思うが、クナッパーツブッシュの巨大な芸術を味わうには、これでも十分であると考える。

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2011年11月25日


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「第8」は1961年、「第9」は1950年、いずれもライヴ録音。

「第8」は、ウィーン・フィルの色彩感あふれる音と芳醇な弦に魅了される。

それは筆者がこれまで抱いていたクナッパーツブッシュの「ブル8像」を粉々に打ち砕いてしまった。

繰り返し聴くたびに、虜となっていく自分を発見するのである。

この虚飾のまったくない音を聴いていると、自分がひとり砂漠に立って、夜空を見上げるような寂寥感、ただひとり宇宙に投げ出されたような孤独感を覚えずにはいられない。

そして、その孤独にじっと耐えるクナッパーツブッシュの偉大な魂を想うのである。

さらに、この演奏は、キリスト教徒でない筆者にすら、偉大なる造物主の存在を確信させずにはおかない。

そして、これこそ「クナのブル8」の本質ではないだろうか。

「第9」は、一般に普及している原典版ではなく、ここではレーヴェ編曲の改訂版が用いられている。

クナッパーツブッシュの解釈は、濃厚な表情で演奏しており、これはブルックナーの様式とはやや異なる表現だ。

とはいえ音楽のスケールはすこぶる大きく表情にコクがあり、ゆっくりめのスケルツォに続いて、最後のアダージョは神秘的な恍惚の世界だ。

クナッパーツブッシュの指揮のもと、ベルリン・フィルの精鋭たちも、このときこそとばかりに全員が奮い立ってブルックナーを奏でているのが聴きとれる。

改訂版を採用した演奏はクナッパーツブッシュ盤のみなので、貴重な録音といえる。

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2011年08月06日


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カーゾンの面目躍如たるベートーヴェンだ。

ひとつひとつの音を明瞭に積み重ね、全体像を築き上げていく。

カーゾンの洗練された《皇帝》は、フィナーレの繊巧さにおいてほとんどモーツァルト風といっていいが、内面的な知性と集中力の凄さをそなえている。

ピアノ・パートとオーケストラ・パートの和声・旋律の呼応が自然に浮かび上がり、マッチョ・スタイルのエネルギッシュな《皇帝》では決して出会うことができない音風景が展開する。

クナッパーツブッシュの風格ある指揮が立派で、時にハラの探り合いのようになるのが楽しい。

クナッパーツブッシュの雄大ではあるが重苦しくはないオーケストラを堂々と鳴らし切ると、やおらカーゾンの輪郭明瞭でクリスタルのような音のピアノが流れ出す。

音楽美学も録音への姿勢も異にすると推察される2人の協演はしかし、不思議に調和して濃密な音楽的時間を紡ぎ出していく。

聴けば聴くほど2人(+オケ)の交わりの面白さを堪能できる。

"頭脳と腹との対話"のような両端楽章も充実しているが、白眉は緩徐楽章。

カーゾン・タッチの極致にウィーン・フィルの柔らかな管が絡み、じっと聴き入るクナッパーツブッシュの気配がいい。

クナッパーツブッシュの指揮は一見ぶっきらぼうのように聴こえるが、ソリストをサポートする温かい人間味が秘められている。

ステレオ初期の録音だけに、ハイ・レンジはいささか息苦しいが、観賞に耐える復刻である。

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2011年07月25日


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指揮者の中にはレパートリーの広さを誇る人がいる一方で、取り上げる曲目の範囲を限り、専ら自分に合った楽曲で勝負する人がいる。

後者の中でも代表的な存在が他ならぬクナッパーツブッシュである訳だが、彼の場合その音楽は少しもこれ見よがしなところが無いにも関わらず、そこには強く聴き手を引きつけて離さない大きな力があり、同時にそこにこの指揮者の巨大なパーソナリティーをを反映した極めてスケールの大きな演奏が実現されることになる。

クナッパーツブッシュの場合、このような最も代表的な例としてワーグナーを挙げることになるのだが、こういった巨大な芸術が実現される前提としてこの指揮者の体質が作曲家ワーグナーに最もぴったりしていることを誰しも認めない訳にはいかないし、それはこの指揮者が楽曲の中に自己の総てを投入することによって達成されるものにも他ならないと思う。

そしてもう1人、クナッパーツブッシュが完全に自己を同化させることの出来る作曲家を挙げるとすれば、それにブルックナーの存在が大きく立ち現われてくることになる。

こうして晩年のクナッパーツブッシュが指揮したブルックナーの歴史的ともいえる演奏が次々と発掘された録音を聴くに及んで、クナッパーツブッシュがブルックナー指揮者として最も著名な存在に挙げられるものであることを改めて確認した。

その悠然たるテンポと素朴な神秘主義は、特にワーグナーの中でも晩年の《パルジファル》のようないわばブルックナー風の音楽にぴったりしたものがあった。

当然ブルックナーを振った場合でも、クナッパーツブッシュの才能は他の誰よりもふさわしいものがある。

作曲家ブルックナーと同様に、この指揮者は性格的に或る種の素朴さを持っている。

彼の演奏は外声を殆ど無頓着といえる程に扱うのだが、このことは1つには彼がリハーサルに熱を入れないことからくるとはいえ、然しその無頓着さはブルックナーその人の農民風の無尽さにマッチしたものがある。

そしてクナッパーツブッシュが、ゆっくりした歩みと共に築かれるこの作曲家の壮大な音楽の流れを害うことなしにその脈動を変えるルバートの方法は、清澄さと高鳴る昂揚が順次交替するその音楽の本質を適格にとらえている様に思われる。

この実況盤は、色々な意味でこの指揮者の有りし日の芸術を偲ぶ貴重な記録を提供してくれるのである。

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2011年05月20日


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このブラームスの3番はクナの得意中の得意で、いろいろ出ているCDはすべて名演だが、ここでは手に入りやすく、録音も1940年代前半のものとしては満足できるベルリン盤を挙げた。

「クナッパーツブッシュのベストCDは?」と問われれば、いろいろあるが、交響曲に限るとそれはブルックナーの8番ではなく、このブラームス3番のライヴであろう。

初めてこの演奏を耳にしたときの興奮と感動は今もって忘れられない。

フルトヴェングラーが矮小に感じられるほどの悪魔的な棒さばきで、内容も造型もあまりに巨大すぎるため、全体像が見えないような恐怖をあたえられたのである。

人間業を超えた極大のスケールと、ものすごい迫力と、曲想の彫り深い抉りが極限まで濃密に発揮されており、聴いていて戦慄を禁じ得ない。

オーソドックスな演奏を好む人には嫌われるかもしれないが、これは明らかに好き嫌いを超えており、心の底から享受できない人をみると気の毒になってしまう。

「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」は、クナがウィーン・フィルを指揮した1940年のライヴ盤が日の目を見たことを喜びたい。

そもそもこの曲は演奏が難しくよけいな表情がつけられないので、音色自体にとろけるような魅力がないとどうにもならない。

しかし、クナはまさにやりたい放題の大暴れ、しかも大成功を収めている。

とくに終曲のとてつもない超スロー・テンポ! その中で彼は遊びに遊ぶ。

クナは、たとえばワルターのように粋に運ぶことはまるで考えていないが、それでいて泥臭くなっていないのは、どこもかしこも真実だからであろう。

このディスクを聴くと、音楽創造というもののすばらしさや秘密が、つぎつぎと解明されてゆくに違いない。

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2011年05月19日


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ワーグナーの音楽は、寄せては返し、返しては寄せる波の動きを聴き手にイメージさせる点にその特徴がある。

沖合から寄せてきた漣は、みるみるうちに目の前で膨れ上がり、すべてを呑み込んだ後にさっと引いていく。

それが繰り返されると、音楽は巨大な波のうねりと化する。

「ヴォータンの別れ」においても何度となく登場する、海鳴りとともにどっと押し寄せた管弦楽の大波が、洪水のように辺りを浸食しながら轟音をあげて岩にぶつかり、飛沫となって砕け散る様は壮観でさえある。

波に身を委ねて漂っていると、だんだんと気持ちがよくなってくる。

長大な内容と膨大なエネルギーの発散にもかかわらず、ワーグナーの作品に聴き手が独特の心地よさを覚えるのは、そのせいであろう。

クナッパーツブッシュの編み出す音楽は、こうした波のイメージを的確に伝える一方で、大地の底から湧き出る源初的な響きを伴っている。

喜多尾道冬氏も指摘するように、大自然のもつ剥き出しの力を連想させる、その巨大な響きの塊は、人類が地球に登場する遥か以前から存在していたものであり、太古の時代より人類を畏怖させてきた。

クナッパーツブッシュの演奏を聴くことによって自己の存在が震撼するように感じられるのは、じつはDNAを通じて受け継がれてきた、遠い過去の記憶が蘇るせいなのかもしれない。

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2011年03月01日


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クナッパーツブッシュはブラームスの交響曲第3番を得意にしており、何種類も録音があるが、どれかひとつと言われれば、最後のシュトゥットガルト放送響を採る。

クナの「ブラ3」は、どの演奏も遅いテンポでうねるように流れ、大胆なアゴーギクを駆使しながら、そこには音楽としての必然性があるという共通点がある。

しかし年月を経るとともに、その内実が変容していったのは、積み重ねた年輪のなせる業であろう。

このシュトゥットガルト盤は、クナが到達したほとんど最後の境地である。

この演奏は、この偉大な芸術家の独白を聴く思いがする。

第1楽章のテンポは「遅い」のではなく「幅が広い」のである。決してもたれることなく、巨大なフォルムが浮かび上がるが、その感情はどこか懐古的である。

第2楽章は、すべてのパートがじつにしみじみと語りかけてくるのが素晴らしい。

そして第3楽章のテーマを弾くチェロがこんなに痛切だったことが今までにあったろうか! メロディーがヴァイオリンに移ったときの対旋律のチェロは、ほとんど泣いているようではないか!

一般的に放送オケというのは機能的で、わりとドライな演奏をしがちだが、この日のシュトゥットガルト放送響は違う。

オケがクナの棒の下で演奏できる喜びに、胸をふるわせていたに違いないと私は確信するのである。

第4楽章は普通の倍も遅いようなテンポで開始され、ひたすらうねっていくが、そこには強烈なエネルギーの放射がある。

しかしそれはフルトヴェングラー流の、指揮者もオケも夢中になって燃え上がっていくというタイプの演奏ではなく、指揮者が淡々と出す指示に、オケが自発的に心をこめて応えるというものではなかったのか。

だからこそ、音楽が楽譜の指示からはみ出して大揺れに揺れても、どこか見通しの良さがあるのだと思う。

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2010年03月01日


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クナッパーツブッシュとウィーン・フィルによるこの録音は、それが残されていたことに深く感謝したいかけがえのないディスクである。

ブルックナーという作曲家の本質を見事に把握した演奏で、歴史に残る名演といえよう。

造形のスケールも大きく、あらゆる部分に意味があり、深い心情が表出されている。

素朴で力強く作為のない自然体の演奏だが、そこには音楽を知り尽くした境地が開かれていて、風格がある。

この曲は、演奏者のブルックナーの精神や音への共感がなくては充分に表現し切れない曲である。

クナッパーツブッシュのブルックナーはそのどれもが格別の名演だが、この巨匠の音楽を最良の状態で打ち出されるのは、やはりウィーン・フィルを得た時と考えるのが妥当であろう。

全曲を一貫した重い情感で、どっしりと統一した、クナッパーツブッシュの深い理解と、ウィーン・フィルの渋いブルックナー・トーンとは、他に求められないものである。

これはあたかも、ブルックナーの音楽とその表現の典型を示したような演奏である。

改訂版を用いた演奏のため、ブルックナーの作風とは異質の部分があるにもかかわらず、それを忘れさせてしまうほど豊かな音楽が充満している。

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2009年09月09日


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改訂版を用いたものだが、この演奏は感動的で、数多いこの曲のレコードのなかでも屈指の名演といえる。

両端楽章がことに美しく、枯淡に近い精神美と豊かな抒情性をあわせもった表現が展開されている。

弦の神秘な刻みに乗って現れる魅力溢れるホルン、芳醇な香りを湛えた弦の調べに、溶けるような金管の目映さ。

第1楽章で特に胸躍るのは、展開部である。重戦車のような迫力の金管が、しっとりとした弦の音色にくるまれている様が実に美しい。

弦主体のバランスはクナッパーツブッシュというより、デッカ録音スタッフの趣味かもしれないが、改訂版による杜撰なアレンジも粗を見せないばかりか、弦に木管をブレンドさせた部分など、思いもかけない優しい表情を見せてくれる。

第2楽章の魂の逍遥も、まったく肩の力の抜けた達意の指揮ぶりで、聴き手を中世の森へ誘い、第3楽章のリズム感も卓抜だ。

このスケルツォは、改訂版の珍妙なアレンジと短縮によってズタズタにされているのだが、少なくともレコードで聴く限り、それほど不自然に感じないから不思議だ。

そして、全宇宙が鼓動するような圧倒的なフィナーレ!

ウィーン・フィルの演奏も絶妙というほかはない。

モノーラル録音だが、CD化によって、ゆがみの少ないまろやかな音質に改善されていて、音の分離も明快。

ブルックナーの音楽を愛する人にはぜひともおすすめしたい1枚だ。

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2009年05月16日


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ブルックナー指揮者として一世を風靡したこの人の、集大成ともいえる晩年の録音(1963年)である。

この演奏はハンス・リヒターの直弟子として、19世紀のドイツ音楽の偉大な伝統を身にもって伝えるクナッパーツブッシュのブルックナー解釈の真髄とでもいえよう。

本拠のミュンヘン・フィルとの演奏は、自然体で、しかも際限もなく大きな広がりをもっている。

生前ブルックナーを得意とした指揮者の個性あふれる演奏のひとつであり、感銘深い。

何カ所かカットのある改訂版が用いられているが、内容的にはきわめて充実した演奏だ。

全体にクナッパーツブッシュの主観が強くあらわれているが、その悠容迫らぬ表現には圧倒される。

「クナッパーツブッシュなんて、ドイツの田舎と日本でしか人気がない」。こんな風に言われてもクナ・ファンはいちいち気にする必要はない。

不安な人は「世界的な人気を誇る指揮者」の駄演を聴けばよい。

ところで、こういった古い演奏は、新しい演奏の登場によって役目を終えるというのがある意味理想なのだが、なかなかそうはいかない。

あらためて聴いたが、やはり素晴らしい。

この落ち着きと風格、彫りの深い表情、渋い味わい、どれをとっても最高だ。

ことに終楽章は素晴らしく、指揮者の魔力がオーケストラ全体に乗り移ったかのようで、ティンパニの一打にいたるまで燃焼度の高い表現だ。

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2009年05月14日


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ワーグナーはやっぱり《パルジファル》に神秘的な性格を与えようとしていたに違いない。

現在ではむしろこの作品の神秘のヴェールは取り除かれ、響きの美しさなどが前面に出てきて現代化されたのだけれど、神秘性を切り捨てるわけにはいかない。

となってみると、クナッパーツブッシュが実現させた、神秘のヴェールの奥に輝く《パルジファル》はその効力を失わないことになる。

ジェス・トーマス、ジョージ・ロンドン、といった歌手陣は、たとえそこにハンス・ホッターのグルネマンツという希代の名唱を加えても、すでに上映史の領域に入っている。

クナッパーツブッシュの指揮だって当然ながら過去に属しているのだけれど、歌が宿命的に持つ過去への後退をぎりぎり免れているのではないか。

ほとんどリズムの感覚などなく、あくまでゆったりと指揮者は《パルジファル》の中に入ってゆく。

前奏曲で奥地への道に踏み込んでしまったら、あとは聖林を信じるほかはなくなる。

信じたら、儀式への参列の切符を手にしたも同然。

そして第1幕で、また第3幕で、いつ果てるともなく、と思えるくらいの感覚で繰り広げられる儀式に、同化し、陶酔するほかはなくなる。

もしかしたら、聖林は、金メッキしたまがいのものであるかも知れないのだが、クナッパーツブッシュの作り出す大きなうねりは、決してそれを気づかせず、崇拝させ、起こる奇跡に法悦を覚えさせることになる。

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2008年06月09日


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クナッパーツブッシュのワーグナーの凄みを最も手っ取り早く聴くことのできるディスクだ。

クナッパーツブッシュが生前最も得意としていたワーグナーだけに、そのスケールは桁違いに大きく、この人独自の風格がある。

堂々とした格調の高い演奏で、その悠然とした音の流れは、豊かなロマンにあふれている。強烈な個性をもった演奏だが、聴いた後に深い感動を覚える。

巨人クナッパーツブッシュのワーグナーがこんなに鮮明な録音で、しかもウィーン・フィルの魅力的な響きによって聴けるのはなんと幸せなことか。

名歌手フラグスタートとニルソンの歌唱が聴けるのも素晴らしい。

ここに収められた6曲は、いずれも悠然たる構えで運んだ雄渾かつ重厚な表現で、音楽の彫りが大変深い。

まさにワーグナーの真髄を極めた巨匠の至芸である。

ことに「ジークフリートの葬送行進曲」とニルソンの歌った「愛の死」は圧倒的。「ヴォータンの別れ」も全く凄い。どの曲も彼の芸格の高さに心を打たれる。

いつも不思議なのはテンポで、聴いているとずいぶん遅く感じられるのに、実際はむしろ速いことだ。

支え切れない内容を持ちながら枯れているからで、もはや神技というほかない。

一時代を画したすぐれたワーグナー演奏だ。

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2008年06月07日


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1951年バイロイト音楽祭におけるライヴ。

戦後初の開催となったこの年の音楽祭では、カラヤンとクナッパーツブッシュという対照的な指揮者が「指環」のチクルスを分担した。

両方の演奏はEMIとデッカによって収録されたが、日の目を見たのはカラヤン指揮の「ワルキューレ」第3幕のみだった。

このクナッパーツブッシュの「神々のたそがれ」は1999年になってようやくリリースされたもの。当時としてはきわめて良好な音質で、巨人クナッパーツブッシュのワーグナー解釈を聴くことが出来るのが何より有り難い。

クナの「リング」全曲盤には1956年と57年のバイロイトライヴがあったものの、音が鈍すぎて到底彼の真価を伝えていなかった。

そこに忽然と現れたのがこのCD。しかも録音は英デッカ。「神々のたそがれ」だけというのが残念だが、まさにレコード界の一大快挙といえよう。

演奏はプロローグから雰囲気満点、歌の背景のオーケストラが常にものをいい、ワーグナーの音楽の美しさを満喫させる。

物語が進むにつれてオケの有機的な意味深さ、生々しさ、恐怖感が増してゆき、息もつかせぬ緊迫感など他に類例を見ない。

第1幕第3場、そして第2幕第3場、第4場、第5場あたりの凄みは圧倒的。

歌手も錚々たる顔ぶれがそろっており、ブリュンヒルデ、ハーゲン、アルベリヒ、ワルトラウテなど最高で、何より心の表出が素晴らしい。

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2008年04月29日


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有名なDECCAのスタジオ盤の6年後におこなわれた演奏。

一連のクナッパーツブッシュのブルックナー録音と同じく、ここでも改訂版が用いられているが、この作品の場合、小節数が最も一般的なノヴァーク第3稿と同じこともあり、さほどの違和感はない。

第8番と同様に原典版との差が比較的少ないため、安心してクナの音楽に浸ることが可能である。

拍手嫌いのクナらしく、ここでも聴衆の拍手が鳴り止まないうちに演奏が開始されている。

冒頭からリズムの良い実にクナらしい進行で、ウィーン・フィルの弾力ある弦と味のあるウィンナ・ホルンの絡みが絶妙。

音質が生々しいため、荒々しく巨大な第1主題部と、気持ちのこもった美しい第2主題部のコントラストも強烈で、クナッパーツブッシュの「第3」が特別な存在であることをすでに十分過ぎるくらいに印象付けてくれる。

第2楽章と第3楽章は、スタジオ盤に較べて少々テンポの速くなっている部分で、演奏に独特の勢いの良さがあるが、第2楽章第2主題部などの美しい旋律は徹底的に歌いこまれているため、ここでもやはり強いコントラストが感じられる。

スケルツォ主部での豪快かつパワフルな演奏も見事で、トリオも実に愉快だ。

第4楽章は、スタジオ盤に較べて、より柔軟なアゴーギクが印象的。

しかもウィーン・フィルの豊麗なサウンドが非常に効果的に作用しており、第4楽章第2主題でのとろけるような美しさや、コーダの圧倒的なスケールなどこのコンビでなければ不可能な深い味わいが堪らない。

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2008年02月05日


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《ワルキューレ》第1幕全曲は、クナッパーツブッシュがステレオで遺したスタジオ録音によるワーグナー演奏としてかけがえのないものだ。

不世出のワーグナー指揮者クナッパーツブッシュとウィーン・フィルの黄金バッテリーに、全盛期を過ぎたとはいえ、神のごときとまでうたわれたフラグスタートが加わった記念碑的録音。

表現の雄大なスケール、悠揚迫らぬその足取りには本当に感嘆させられる。

クナッパーツブッシュが比較的速めのテンポと粗いタッチで荒涼とした原風景を描いていく一方で、フラグスタートは、後継者のニルソンには欠けている、優しさ、か弱さ、可憐さといった要素を表すことにより、作品に彩りとニュアンスを添えている。

嵐を暗示する前奏曲からして、これ以上の演奏は望めないのでは、と思わせるほどだが、それに輪をかけてすばらしいのは、第3場の「一族の男たちが」以降における、ジークムントとジークリンデの愛の2重唱である。

《トリスタンとイゾルデ》や《ジークフリート》においても繰り返される、恋に落ちた男と女の熱にでも浮かされたような気分とその哀しさを、これほどみごとに表現した例はあるまい。

この作品を書くためにワーグナーという男は、いったい何人の女と手を取り合って咽び泣いたのだろうか、などと余計な想像まで働かせてしまう。

聴き手をそうした思いに誘うのも、クナッパーツブッシュがワーグナーの音楽の本質を抉り出し、突きつけるからであろう。

しかしワーグナー後期のこの作品のもつロマンティシズムと官能の陶酔にはいささか不足しているように感じられる。

が、ともあれ、クナのファンにとっては聴き逃せないものであることは確かだろう。

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2008年02月04日


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戦後のバイロイト、最初の全盛期に収録されたクナッパーツブッシュの《ニーベルングの指環》は、今では聴くことのできない彫りの深さと呼吸感の豊かさ、そしてスケール感が圧倒的である。

それは《指環》がただ単に作品として立派に再現されたというだけでなく、聴く者すべてが存在の拠り所を再確認していく、そんな意味すらもつほどに味わい深い演奏と言ってもよいであろう。

クナッパーツブッシュの棒から生まれる、滔々たる大河の流れにも似た音楽の壮大さは、深遠崇高な音の叙事詩にも例えられよう。

いつの間にか、聴き手を底知れない恍惚と法悦の中に引き込む魔術的な手腕は、まさに彼独特の名人芸だ。

加えて歌手陣の充実ぶりと歌の素晴らしさ。

ホッターの神韻たる威厳と感動にあふれるヴォータンは、他に比肩するものがなく、ヴァルナイの力強いブリュンヒルデも傑出している。

配役が一貫した歌手陣というのも嬉しく、みずみずしい歌唱が堪能できる。

ただひとつ難点なのが録音で、テスタメントから発売された《神々のたそがれ》クラスの生々しい録音だったら、さらに感銘深かっただろうにと惜しまれる。

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2007年10月19日


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では即興性とは果たして何だろうか?

私はこの「即興性」というものは、名演奏家の大きな条件であると考えているが、芸風からしてフルトヴェングラーの場合はいっそう強く感じられたのである。

彼と同時代に活躍した、クナッパーツブッシュはリハーサル嫌いで、舞台での演奏はほとんど即興で行われたといわれる。

なるほど彼の指揮した小品はそのように思われるが、ワーグナーやブルックナーになると表現が極めて綿密で、とてもぶっつけ本番とは思えない。

フルトヴェングラーは反対に練習の好きな人であった。往年のベルリン・フィルの楽員も誇っているように、彼は練習も本番と同じように全力を尽くして行うので、すぐに疲れてしまい、結果として練習時間が短かったそうだ。

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2007年10月17日


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ワーグナーには毒がある。酒や煙草と同じで、一度味を覚えたらやめられない。しまいには中毒になってしまうのだ。

でも酒や煙草と違って、体には毒にならないから、どっぷりこの世界に浸ってみようという気持ちを変えないで今日に至っている。現に私がそうだし(今カラヤンの「タンホイザー」を聴いている)、ある友人はここ一か月程ワーグナーしか聴いてないというし、また別の友人はクナッパーツブッシュの「パルジファル」を全部集めようとしている。

私はどうしたことか、上映に四日もかかる「リング」も全曲盤をフルトヴェングラーで二種、あとクナ、クラウス、バレンボイム、全曲盤の抜粋でベーム、カラヤン、ショルティ、レヴァインと持っている。「リング」の全曲なんて生涯に何度聴くであろうか?それなのにまだ集めようという気を断つことができないのである。

ワーグナーにはいつの間にか聴き手を底知れない恍惚と法悦の中に引き込む魔術的な手腕があるのだ。初心者はまずクナッパーツブッシュの「序曲、前奏曲集」を耳にタコができるまで聴き込んでみてほしい。

その段階を終えたら、いよいよ全曲盤にチャレンジ。まずは「リング」をお薦めする。といってもあんなに長いものをいきなり最初から聴く必要はない。「ワルキューレ」それも第1幕だけを何度も耳にするのが賢明であろう。

ここでも指揮者によってスケールと深みが断然違ってくることを強調せねばならない。CDはクナッパーツブッシュ/ウィーン・フィルのデッカ盤。表現の雄大なスケール、悠揚迫らぬその足取りには本当に感嘆させられる。キャストもショルティ盤より上だ。人類の宝といいたい。

究極的には「パルジファル」をやはりクナッパーツブッシュ/バイロイト祝祭(62年、フィリップス)。極めて鮮明な音のなかに「パルジファル」の絶妙な世界が繰り広げられ、いつの間にか形容を絶した陶酔と感動と法悦に導かれていく。この名盤はクナッパーツブッシュの深い沈潜と共感に満ちた芸術の至高の結晶だったばかりでなく、この作品のもつ、神秘と官能、祈りと浄化のドラマの、ひとつの理想的な表現にまで達したものだったといっていいだろう。

ワーグナー演奏についてはクナに限る。

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