ワーグナー

2016年12月23日


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決して経験がない訳ではないにも関わらず、オペラ・ハウスとは疎遠だった巨匠チェリビダッケであるが、コンサートではしばしばオペラの序曲などを好んで指揮していた。

今回のアルバムは、圧倒的な声量を誇ったビルギット・ニルソンとまさにがっぷり四つの名演集で、ワーグナー作品についてはかつてGALAという海賊盤レーベルから出ていたが、劣悪なモノラル音源で当盤とは比較にならない。

ビルギット・ニルソンはノルウェーの伝説的ワーグナー・ソプラノ、キルステン・フラグスタートの後継者たる強靭な声を持ったスウェーデン出身のソプラノだったが、決して野太い大音声の歌手ではなく、むしろ焦点の定まった輪郭の明瞭な声質を完璧にコントロールした怜悧な歌唱でスケールの大きな舞台を創り上げた。

ニルソンの歌唱芸術はスタイリッシュだが恣意的ではなかったために劇場作品のみならず歌曲や宗教曲に至る広いレパートリーを可能にしたと言えるだろう。

当然彼女のオペラ全曲盤やアリア集は多いが、指揮者がチェリビダッケというのは異例中の異例で、しかも非常に高い演奏水準で彼らの超個性的な協演を堪能することができる演奏集である。

特徴的な精緻を極めた弱音、繊細でいながら大きなうねりも生み出す巧みなオーケストラ・ドライヴ、熱い血を持つチェリビダッケが展開する官能美に余裕たっぷりのニルソンの堂々たる歌唱には深い感動とともに痺れる他ない。

特に『ヴェーゼンドンクの歌』では、曲の性格ゆえ『トリスタン』以上に室内楽的な、細やかな響きへの配慮が窺え、見通しがよい響きは、どこかラヴェルのようでもある。

とりわけ「夢」が絶品で、夜の暗闇の中で若いふたりが抱き合う『トリスタン』第2幕を先取りした音楽だが、彼の棒によってまさに夜の空気が震えるような、色がにじむような繊細な音楽が生み出されたことが、この録音からはよくわかる。

チェリビダッケの要求が曲想の官能性よりも神秘的なサウンドの表出に向けられているのが興味深い。

この翌年の再共演が、イタリア・オペラのアリア3曲で、チェリビダッケの音楽づくりはいつもの通り、ヴェルディも熟練の管弦楽作家として描き尽くしているが、ニルソンの顔を潰すような場面はなく、まさに、龍虎相打つと言ったお互いの尊敬が音楽に込められている。

トラック1−8まではストックホルムに於ける2回のライヴから収録された良好なステレオ録音で、演奏終了後に拍手が入っているが客席からの雑音は無視できる程度のごく僅かなもので、音響はややデッドだがそれだけに声楽には適したすっきりとした音像が得られている。

尚トラック9及び10には『トリスタンとイゾルデ』からのリハーサル風景がモノラル録音で入っている。

通常リハーサルに於いて歌手は声量を抑えたソットヴォーチェで歌うことが許されているが、ここでのニルソンはオーケストラのやり直しの部分でも、繰り返しフルヴォイスで応じてワーグナー・ソプラノの貫禄を示して団員からの拍手喝采を受けている。

チェリビダッケはオペラ畑でキャリアを積んだ指揮者ではなく、オペラ全曲録音はセッション、ライヴ共に全く見当たらないが、かと言って彼が劇場作品への能力を欠いていたわけではないと思われる。

彼が大規模な劇場作品に手を染めなかった理由はライナー・ノーツで許光俊氏も指摘しているように、あらゆる妥協の産物に他ならないオペラ上演は、彼にとって受け入れ難い苦痛だったに違いない。

広範囲のジャンルからのスタッフで成り立つオペラ上演では、時として指揮者は彼ら同士の意見の対立を宥め賺して八方丸く治める手腕が求められる。

相手の欠点に容赦なく斬り込んだり、明け透けに毒舌で中傷するようなことがあれば指揮者の降板か、最悪の場合公演はキャンセルに追い込まれてしまうだろう。

チェリビダッケの隠されたオペラへの情熱と指揮法をこのアルバムで垣間見ることができるのは幸いだ。

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2016年10月04日


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当時オペラ上演のための劇場を失っていたシュターツカペレ・ドレスデンとそのコーラスがルドルフ・ケンペを迎えて、戦禍にも絶えることがなかった古き良き時代のドイツ精神の高揚と彼らのオペラ再興への強い情熱、そして弥が上にもその底力をみせたワーグナーの『マイスタージンガー』である。

ある意味ではソヴィエトの文化政策介入への牽制があったのかも知れない。

ケンペは多くの登場人物を的確に描き分けて、大規模なオーケストラにも几帳面な指示を与え堅実かつ感性豊かなワーグナーの世界を提示している。

純粋な演奏時間だけで4時間を超す大作だが、すっきりと纏められている上に音質も良く全曲を聴き通すのが苦にならない。

尚このセットにはライナー・ノーツは付いているが、歌詞対訳は省略されている。

中部ドイツ放送制作のマスター・テープの録音およびその保存状態が極めて良好で、ここにも彼らの高い技術水準が示されている。

モノラル録音ながら今回のリマスタリングによって細部まで鮮明な音質で鑑賞できるし、セッションであるために音場が近く歌手達の声に潤いと臨場感があり、余計な雑音がないのも幸いだ。

キャスティングでもエヴァにティアーナ・レムニッツ、ハンス・ザックスがフェルディナンド・フランツ、ポーグナーにクルト・ベーメ、また騎士ヴァルターには当時全盛期だったヘルデン・テノールのベルント・アルデンホフなど実力派歌手を起用して、ドレスデンの威信を賭けた万全の態勢で臨んでいたことが理解できる。

ドレスデン市街は1945年2月の大空襲による爆撃でオペラの殿堂だったゼンパーオーパーはもとより演劇用のシャウシュピールハウスも大破したが、幸い後者は1948年から使用可能な状態に修復され、1950年にはケンペ、シュターツカペレによる『マイスタージンガー』の上演に漕ぎ着けた。

これが成功裡に終了したことから翌年同じメンバーでのレコーディングが中部ドイツ放送によって実現した。

録音会場は主としてシャウシュピールハウスのグローサーザールと衛生博物館が使われている。

ちなみにゼンパーオーパーが完全に再建され、ブロムシュテットによるベートーヴェンの『第9』で不死鳥のように甦るのはようやっと1985年のことになり、それまでメンバーたちが本格的なオペラを上演できなかったことを考えれば、それが悲願の達成であったことは想像に難くない。

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2016年10月02日


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選曲も妥当だし、演奏もなかなか安定していて、ワーグナーの音楽そのものをじっくりと鑑賞したい方に是非お薦めしたい1枚である。

レーグナーはワーグナーが書いたスコアを誠実に鳴らし、その音符ひとつひとつを自ら語らせてゆく。

全体の見通し、つまり造形もきわめて確かで、ここにレーグナーの類稀な才能をみせている。

楽器の存在を忘れさせて、人間の心そのものしか感じさせないような有機的な響きを創造する、その実力は恐るべきものと言える。

そのうえテンポのさばき方の妙、間のよさ、ダイナミックスとの関連性は第一級である。

レーグナーの指揮には派手なアピールも華やかさもないが、常に落ち着いたテンポを設定して音楽を練り上げていく、ドイツの職人気質を感じさせる。

しかもそこから生まれてくる音楽は飾り気こそないが、足取りの確かな演奏で、格調を高めるために少し音楽を抑制しているが、重厚かつ荘厳、玄人をも唸らせるような深い感動をもたらしてくれる。

『マイスタージンガー』の前奏曲はその最たる例で、この楽劇のエッセンスを抉り出したような壮大さを、決して表面的な美しさではなく、叙事詩として徹底的に聴かせてくるのが特徴ではないだろうか。

遅めのテンポの上に内容とこくのある響きが乗り、各楽器がよく溶け合った鬱然として暗い音色、レガートを効かせた旋律線、広々と解放される歌、有機的に浮き沈みする動機の数々、特にチェロの対旋律が湧き出るあたりは背筋がゾクゾクする。

他の曲にも共通して言えることだが、ワーグナーの音楽は下手をするとこけおどしのはったり的な要素が出てしまう。

しかしレーグナーの指揮はそうしたことから全く無縁で、冷徹な知性と一途とも言える情熱から構築された音楽が溢れ出るように聴こえてくる。

しかし、さらに美しいのは『ジークフリート牧歌』で、これはレーグナーの全ディスクの中の最高と言えるだろう。

少し遅めのテンポの中に作品への共感をしっとり込めながら、爽やかに歌いついで美しく、夜明けの深い森にたたずんでいるような永遠の安らぎに満たされた幸福感を感じさせてくれる。

それは心の内面を癒し、潤すような大自然の穏やかなぬくもりにも似ていて、質の高い、自発性に満ちた演奏で、本当に体中が震えるような、恍惚たる陶酔感に満ちた美演と言えよう。

オーケストラの極上の音質、もはや楽器が出す音とは思えない血の通ったハーモニー、そう、フルトヴェングラーが最新のステレオで録音したら、こんな演奏に聴こえるに違いない。

事実、胸をしめつけるようなピアニッシモ、情緒にあふれたフレーズのつながり具合など、フルトヴェングラーにそっくりな場面が多々あり、現代には珍しいロマンティックな、自在な、温かいワーグナーが流れてゆくのである。

今回のCDでは以前ベルリン・クラシックスから出ていたCDの欠点だった音質のざらつきや、LPから直接起こしたような音の揺れがかなり改善されて、自然な響きの録音が美しく、滑らかで艶のある音色を再現しているが、これはリマスタリングの効果だろう。

また同じシリーズで同指揮者、ベルリン放送交響楽団によるビゼーの組曲『アルルの女』やベートーヴェン序曲集なども今回リニューアルされてリリースされた。

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2015年12月16日


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2013年2月惜しまれつつ鬼籍に入った指揮者サヴァリッシュの業績を偲ぶために買ったCDのひとつで、彼は早くからオペラ畑でも頭角を現したが、ピアニストとして、また室内楽の演奏家としても評価が高かった。

そうした総合的な幅広い音楽観がサヴァリッシュの指揮に良く表れていると思う。

ミュンヘン生まれの指揮者サヴァリッシュは、およそ20年間音楽監督あるいは総監督としてバイエルン国立歌劇場に在任したが、当歌劇場を去るにあたって録音したこの『マイスタージンガー』は、彼と劇場の幸せな結びつきを証明する特別のもののように思える。

彼らが分かち合ったに違いない“おらが町のオペラ”の情熱がこの名盤を生んだのだろうか。

サヴァリッシュは自身が鍛え上げた柔軟で統制のとれたオーケストラとコーラスを手足のように駆使して、平易で説得力のある素晴らしい音楽を作っている。

サヴァリッシュの指揮は分かり易いということでオーケストラのメンバーからの信頼も厚かった。

抽象的な表現や要求はできるだけ避け、より現実的で隅々まで統制の行き届いた明晰な音楽作りがサヴァリッシュの特徴だ。

その点では同僚カルロス・クライバーとは対照的だったと言えるだろう。

決して即興的な指揮はしなかった堅実で理知的な指揮者だったが、誰にも引けを取らない繊細かつ情熱的な感性を持っていたのも事実だ。

1957年バイロイト歌劇場に当時としては史上最年少の33歳で起用され『トリスタンとイゾルデ』でデビューしたのもそうしたサヴァリッシュの実力が認められたからに違いない。

このセッションが録音されたのは1993年で、既にワーグナーの作品にも熟達していたサヴァリッシュの円熟期の職人的な技が傑出した、隙なく几帳面にまとめられた如何にもサヴァリッシュらしい出来栄えになっている。

聴衆を陶酔の渦に巻き込むような幻惑的な演奏とはタイプを異にする、文学と音楽とをより有機的に結び付けたサヴァリッシュのポリシーが伝わる真摯な演奏だ。

あくまでもワーグナー的なカタルシスの魅力を求める人にとっては意見が分かれるところかも知れない。

しかし決して冷淡な演奏ではなく、控えめだが豊かな情感が随所に感じられるし、喜歌劇としての明朗さがあり、また登場人物の性格を音楽で描き分ける手腕も見事だ。

それゆえ最後まで忍耐強く聴き取ろうという人にとっては、これほど良くできたセッションもそう多くない筈だ。

歌手たちも当時としては最良のメンバーが選ばれていて、深く豊かな声を聴かせるヴァイクルのザックスは極めつけ。

またヴァルター役のテノール、ヘップナーの力強い美声とロマンティックな歌唱も特筆もので、なるほどここは明るい南ドイツだったな、それに彼だから歌試合で優勝できるのだと納得。

ステューダー(エヴァ)やロレンツィ(ベックメッサー)も適役で、同オペラの立派な選択肢のひとつとしてお薦めしたい。

尚11ページほどのライナー・ノーツは廉価盤の宿命で歌詞対訳は省かれているが、英、独、仏語による簡易な解説が掲載されている。

総合芸術と言われるオペラをまとめることは、指揮者として秀でていても容易なことではない。

うるさ型の歌手陣1人1人に自分の音楽的要求を呑み込ませ、コーラスにも目を配らなければならないし、オーケストラとの限られたリハーサルや演出家が加わる舞台稽古への立会い、バレエが組み込まれている場合の稽古など、その規模が大きくなるほど仕事は煩雑化する。

『マイスタージンガー』のように実際の上演時間が5時間を超えるものであれば尚更だ。

勿論音楽面だけでなく、総ての関係者との人間関係がうまくいった時、初めて上演を成功させることができる。

サヴァリッシュはその辺りを絶妙に心得ていて、後年その仕事の煩雑さを忌憚なく吐露しながらも、誰とも衝突を起こさなかった稀な人物であった。

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2015年10月26日


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1953年のバイロイト祝祭に於けるライヴ録音で、2010年にオルフェオからリリースされた時は値段が高かったのだが、このドキュメンツ盤は半額以下になり、どの程度の音質を再現できているか聴いてみたくなった。

勿論歌詞対訳などは望むべくもないことは承知の上だが、音質に関しては特に歌手達の声がほぼ満足できる状態に再現されていて、劇場の潤沢な残響も声楽に潤いを与えている。

ドキュメンツは版権の切れた過去の名演奏を低コストで提供することに主眼を置いていてリマスタリングには無頓着だが、このセットは正規音源を使ったものらしくモノラルながら鑑賞に全く不都合はない。

あえて弱点を挙げるとすればオーケストラにセッション録音のような迫力と細部の精緻さにやや欠けるところだが、これはバイロイトという特殊なオーケストラ・ピットを構えている劇場のライヴでは止むを得ないし、当時の録音方法と技術を考えれば決して悪いとは言えない。

このライヴの魅力はウィーンの名匠クレメンス・クラウスが亡くなる一年前に遺した、結果的に彼のワーグナーへの総決算的な上演になっていることで、本来クナッパーツブッシュが予定されていたにも拘らず、ヴィーラント・ワーグナーの、舞台セットよりも照明効果を重視する演出との衝突から、クラウスに白羽の矢が立ったという経緯があるようだ。

皮肉にもクラウスの死によりクナがバイロイトに復帰することになるのだが、この時の上演の出来栄えは素晴らしく、クナとは全く異なったアプローチによる、精妙な中にもダイナミズムを湛えたリリカルな仕上がりになっている。

クナほどスケールは大きくないかもしれないが、ワーグナーの楽劇として明快にしっかりとまとめられていて、長時間の作品であることを忘れさせてしまう。

クラウスの音楽を完璧に支えているのが当時全盛期にあった歌手陣で、彼らの輝かしい声によって活性化された若々しい表現が、オール・スター・キャストの名に恥じない舞台を創り上げている。

ちなみに主役級の4人は1956年にクナとのライヴでも再び顔を合わせていて、全曲盤がやはりオルフェオからリリースされている。

稀代のヴォータン歌いホッターは44歳だったが、この役柄では殆んど完成の域に達していたと思えるほど、その歌唱には説得力がある。

歌手にとっても4晩の長丁場を歌い切るには相応の体力と精神力が求められる筈だが、この時期のホッターの声による演技力にその充実ぶりが示されている。

一方ジークフリート役のヴィントガッセンにはいくらか大時代的な歌唱法が残っているとしても、強靭で伸びのある声を無理なく活かした雄大な表現はヘルデン・テノールの面目躍如たるものがある。

ヴィントガッセンも大歌手時代の最後の1人だった。

女声陣もすこぶる強力なキャスティングだが、中でもフラグスタート引退後のブリュンヒルデ歌いヴァルナイ若き日の名唱が光っている。

ニルソンの怜悧で精緻な表現に比べれば、ヴァルナイの声は暗めでより官能的な趣があり、「ブリュンヒルデの自己犠牲」での深みのあるシーンは彼女最良の舞台のひとつだったのではないだろうか。

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2015年09月06日


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1962年に行われた、バイロイト公演でのライヴ録音で、若きサヴァリッシュの素晴らしい貴重な記録である。

『タンホイザー』には1845年に、ドレスデンでこの作品が初演されたときの「ドレスデン版」と、それから16年後の1861年にパリで上演された際、第1幕冒頭のバレエ部分を拡大改訂した「パリ版」の2つの版があるが、これは、バイロイトで長らく使用されてきた「ドレスデン版」と「パリ版」とを組み合わせた演奏である。

ワーグナーのオペラのなかでは『タンホイザー』は比較的ディスクに恵まれていないのではなかろうか。

決定的名盤はと訊かれて、他の作品ならば選ぶのに苦労するほどだが、このオペラについてはすぐに思い当たる盤はない。

それは作品自体に「ドレスデン版」は音楽の説得力がやや弱く、「パリ版」は全体の統一を欠くという弱点があることと無関係ではないかもしれない。

サヴァリッシュ以来バイロイトが慣用するようになったこの折衷版がさしあたっての妥協案であろう。

そうしたなか、この1962年のバイロイト・ライヴは、当時まだ30代だったサヴァリッシュのストレートな音楽づくりと黄金期の名歌手たちが一体となった秀演と言えるだろう。

このときの公演は、今は亡きヴィーラント・ワーグナーの名演出と、当時39歳だったサヴァリッシュの、颯爽とした速めのテンポで、新鮮な感覚にあふれた表現が評判となり、大成功を収めた。

このディスクは、その充実した舞台の雰囲気を生々しく収録したもので、聴き手の心をつかんで離さない大変すぐれた演奏である。

1960年代初頭のサヴァリッシュのバイロイトでの活躍の中でも、この『タンホイザー』はとりわけ傑出している。

サヴァリッシュはバイロイトのオーケストラを的確に掌握し、ワーグナー中期作品にふさわしい瑞々しい味わいを引き出している。

サヴァリッシュの指揮は、速めのテンポで生き生きとした音楽を奏で、録音のせいか、あまり重厚さは感じないが、軽快に音楽が進んでいき、推進力がありながらも、全体を手堅くきちっとまとめている。

知がしばしば勝ちすぎることも多いサヴァリッシュだが、ここでは知と情の絶妙なバランスが、熱気を帯びたドラマを形成していく。

全盛期のヴィントガッセンの力強いタイトルロールをはじめとして、当時大きな話題を巻き起こした2人の新人、シリアとバンブリーの新鮮な若々しさ、そしてずらりと脇を固めたヴェテランたち(ヴェヒターやグラインドル)の見事な歌唱など、今もなお、雰囲気にあふれた『タンホイザー』のベスト・レコードのひとつと言える。

とりわけ、タンホイザーを歌っているヴィントガッセンの老巧でありながら輝かしく、雄弁で力強い声による歌唱がひときわ光っており、主役にぴったり。

シリアのエリーザベトや“黒いヴェーヌス”として話題となったバンブリーのヴェーヌスもこの役にふさわしく、声の鮮烈な透明さが劇を引き締めて、サヴァリッシュの棒に立派にこたえている。

録音状態も良好で、拍手はカットされているが、実際の上演を基に作成された録音のようで、実際のバイロイト祝祭劇場で聴いているような錯覚に陥るほどだ。

サヴァリッシュのバイロイト公演には、他にも『さまよえるオランダ人』(1961年)、『ローエングリン』(1962年)も遺されており、いずれもサヴァリッシュのバイロイト公演の最高の記録が刻まれている。

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2015年09月05日


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1974年と75年、バイロイト音楽祭に於ける、カルロス・クライバー指揮の《トリスタンとイゾルデ》上演の貴重な記録。

バイロイトは1962年からのヴィーラント・ワーグナー演出、カール・ベーム指揮による《トリスタン》が1970年に終了した後、次の《トリスタン》を準備する時期になっていた。

バイロイトの新しい《トリスタン》にふさわしい指揮者といえば、カラヤンではあったのだが、カラヤンは既にザルツブルクで復活祭音楽祭を始めていた。

これに対抗できる当時の指揮者といえば、たったひとり、バーンスタインだったのだが、条件が折り合わず、他の指揮者を探すことになったという。

結果、バイロイトが選んだのが、一部では人気が出ていたが、まだ世界的な名声とは無縁で、この時44歳、いま思えば若い指揮者だったクライバーであった。

新しい《トリスタン》の演出はアウグスト・エヴァーディングで、当時から立派な性格と卓越した話術と抜群の政治力と凡庸な演出力で知られ、めざましい舞台も期待できないと思われたが、事実その通りになった。

イゾルデはカタリーナ・リゲンツァで、これ以外はあり得ないという選択だ。

ニルソンのような輝かしい声や切れ味で勝負するソプラノとは違い、繊細な声と表現力とで、女性的な性格の濃いイゾルデを歌う。

この人としても最高の出来だったのだろう、情熱と優しさが一体となったイゾルデが現れた。

でも問題がトリスタンであった。この頃ワーグナー・テノールは全滅状態で、トリスタンやジークフリートを歌う歌手はいたが、歌える歌手はいなかった。

ヴォルフガング・ヴィントガッセンの時代はもう終わり、ルネ・コロとペーター・ホフマンの時代はまだ始まっていなかった。

結局ヘルゲ・ブリリオートが歌ったが、悲しい人選というほかなく、よく探して、コロに歌わせればよかったのに、と思うのは、後になってから生まれる感想だ。

カラヤンの《神々の黄昏》でジークフリートを歌い、全曲盤で聴けるが、これが精いっぱいだったのか表情はかなしそうで、「かなしみのトリスタン」には合っているとも考えられるのだが、声がかなしいのは困る。

しかし、トリスタンが弱くてもなお、クライバーの《トリスタン》は凄かった。

悲しみの底に沈んでゆくような精緻な美が後のセッションの全曲盤の本領であるのに対し、バイロイトのは激しい情念が渦巻くような演奏だ。

前奏曲から、かろうじて抑制しているが、その抑制が限界に達しているのが感じられる。いつ奔り出てもおかしくない。

異様な緊迫感で始まった演奏は、2人が愛の薬を飲んで、ついに抑制された感情は堰を切ってしまう。その後は手を握りしめ、衝撃に耐えるほかなくなる。

クライバーの激しくも悩ましい指揮の素晴らしさは圧倒的で、この楽劇からかび臭さを剥ぎ取った。それは実に若々しく、また初々しい感情表現に溢れた表現であり、この楽劇の演奏史を塗り替えたと言ってもよいであろう。

クライバーの指揮で聴いているとトリスタンとイゾルデは本当に若い。若者の恋愛劇に聴こえてくるし、2人は媚薬など飲まなくとも、絶対に求め合い、結ばれたはずだとの確信すら持つようになってしまう。

それほどクライバーの演奏に充満している感情は激しく、血は濃く、生命の鼓動が渦巻いている。当然のことに演奏全体に勢いと推進力があり、ドラマは前へ前へと展開、いささかも漫然とすることがない。

しかもワーグナーの本場バイロイトのオーケストラの美質を最大限に生かしたサウンドの素晴らしさも格別であり、聴き手は馥郁たる美音の饗宴に、ドラマとはもう一つ別の陶酔的興奮すら覚えてしまうほどである。

若きクライバーは音楽を瞬時も停滞させることなく、ぐいぐいと引っ張っていくエネルギッシュな演奏は、ワーグナーのヴェズリモを聴くかのようである。この革新性は誰にも真似のできない世界であった。

バイロイト音楽祭にデビューした当時のクライバーはカリスマではなかった。なったのはこの夏だったのだ。

クライバーの《トリスタン》は、確かに圧倒的だった。だが原理は過去のものだったのではないだろうか。溢れる官能、愛と死の勝利。ワーグナーが夢見たワーグナーというべきか。クライバーの強烈な個性は、失われつつある過去の美を呼び起こす。ロマン派の美学は蘇り、現代の美を圧倒してしまう。

クライバーの驚くべき高みに達した《トリスタン》上演は、74・75・76年の3回続き、その間にクライバーは神話的な指揮者になっていた。

《トリスタンとイゾルデ》が、時の美を映すだけの演奏を獲得できる作品で、その最高の例が1970年代半ばの名演に現れたのは確かだ。

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2015年09月04日


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フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなど、綺羅星の如く大巨匠が活躍していた20世紀の前半であったが、これらの大巨匠は1960年代の前半には殆どが鬼籍に入ってしまった。

そうした中で、ステレオ録音の爛熟期まで生き延びた幸運な大巨匠(それは、我々クラシック音楽ファンにとっても幸運であったが)こそは、オットー・クレンペラーであった。

クレンペラーは、EMIに対して膨大な点数のスタジオ録音を行ったが、その大半はこの大巨匠の指揮芸術の素晴らしさを味わうことが可能な名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

そうした押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。

特に、本盤に収められたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。

当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。

本盤には、ワーグナーの有名な管弦楽曲である歌劇「リエンツィ」序曲、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、歌劇「タンホイザー」序曲、歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲、第3幕への前奏曲、楽劇「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲、楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死、そして長大な楽劇「ニーベルングの指環」からの抜粋などが収められている。

このうち楽劇「ニーベルングの指環」については、クレンペラーは若き日より何度も指揮を行ってきたところであるが、残念ながらライヴ録音も含め現時点では全曲録音が遺されていないようである。

本盤の各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるものであり、どれも強い表現意欲に突き動かされたような名演ばかりだ。

どれもクレンペラーの演奏の特徴である、動的というより静的、でも細部の隈取がクリアで、いつも巨大なあざやかな壁画を眺めているようなところが良く現れた演奏となっている。

全体に寸分の揺るぎもない重厚な演奏で、そのリズムは、巨人の足どりのようにずっしりと重いが、これが本当のワーグナーの響きというものだろう。

フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。

テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いと言えるが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有していると言えよう。

これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。

ことに、「ローエングリン」の格調の高さは特筆に値するが、そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。

もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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2015年08月31日


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ハイティンク初のワーグナー/オペラで、1985年1月、ミュンヘンのヘルクレスザールに於けるスタジオ録音。

ハイティンク指揮バイエルン放送響は、ケーニヒ(T)のタンホイザー、ポップ(S)のエリーザベト、ヴァイクル(Br)のヴォルフラム、メイアー(S)のヴェーヌスといった具合に、若手を中心に組んだキャスティングだが、録音が素晴らしく、ハイティンクの円熟を窺わせるに足る名演と言えよう。

オペラ指揮者としてのハイティンクも、重視しなくてはならない。

ハイティンクの指揮は、実に明快にこのオペラの魅力を表現している。

コンサートでも共通して言えることだが、1980年以降になってからのハイティンクは、堂々とした風格と確信にみちた表情で聴き手を圧倒する。

真摯な作品への取り組みで知られるハイティンクだが、ここでも端正な造形に支えられた精緻極まりない管弦楽美が楽しめる。

必ずしもめざましい演奏でなければならないとは限らない。

念入りに、過度な興奮なく演奏されるとき《タンホイザー》はこういう魅力を発散するのだ、という演奏が聴ける。

最近のハイティンクは、彼独特の陰影の深い、濃厚な色調をつくり、それが多様なグラデーションを伴って、堅実で気宇の大きな音楽を歌うが、その密度の濃い、骨格のたくましい設計と壮大な高揚がある。

やはりハイティンクの音楽が、意外なほど強靭の個性をもっていることに、改めて感心させられた次第であるが、現在のハイティンクには、まさにその個性が何物をも恐れずにあらわれている。

なるほど、アムステルダム、ウィーン、ベルリン、ボストン、バイエルン、シカゴと場所によっての違いはあるが、よい指揮者が楽団の固有の性格や響きを尊重するのは当然で、ハイティンクも例外ではない。

とはいえ、どのオーケストラの演奏も間違いなくハイティンクの響きであり、音楽である。

ここでもバイエルン放送響の、きわめてドイツ的な、いぶし銀のような響きが前面にあらわれた演奏に仕上がっている。

上記の歌手陣も大変充実しており、ケーニヒはライト級の声が多くなった昨今のヘルデン・テノールの中では珍しく重厚でドラマティックな歌を聴かせ、ポップの透明清純なエリーザベトもよい。

とりわけ、モルの深々とした美声による全人的な役作りと、ヴァイクルの滋味あふれる柔軟で人間的な歌唱も特筆ものだ。

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2015年08月29日


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ヴォルフガング・ヴィントガッセンは、第2次大戦後のワーグナー・テノールの第一人者で、残されたレコードも大部分ワーグナー。

若々しい声質と風貌のヘルデンテノールで、第2次大戦後最高の爛蹇璽┘鵐哀螢鶚瓩塙發評価された。

ヴィントガッセンの「ローエングリン」の演奏記録は、バイロイト音楽祭に於ける1953年度のカイルベルト盤、翌年のヨッフム盤が残されているが、演奏はいずれ劣らぬ名演。

2種のうち、前者は当時の英デッカのスタッフによる録音なので、モノラル・ライヴとしては最高に素晴らしい録音水準を誇っているのが有難い。

ただしエルザは53年のスティーバーも悪くないが、54年度のニルソンの方が上なので、甲乙つけ難い。

ヴィントガッセンは、バイロイトで最初の2年間は、パルジファルと「ラインの黄金」のフローを歌い、3年目の1953年にはパルジファルをラモン・ヴィナイとダブル・キャストで歌ったほか、新たにローエングリンとジークフリートも歌って、とくにローエングリンで絶賛され、バイロイトでの名声を確立した。

オペラ評論家とした大をなしたアンドルー・ポーターは、当時編集同人をつとめていた英国の『オペラ』誌にこう書いて送った。

「ローエングリンのヴォルフガング・ヴィントガッセンは、ほぼ間違いなく現在の舞台では最高のワーグナー・テノールであろう。ジークフリートの役ではまだ声のスタミナがイマイチだが(ほかの点ではほとんど申し分がないのだが)、彼のローエングリンは力強くノーブルで、甘美でもあり、また叙情味も豊かであった」

本盤の演奏を聴くと、ヴィントガッセンは、ワーグナーを歌って名声があったヘルデンテノールのなかでは声の質がやや細く軽いほうで、とりわけスタミナと劇的な表現力が必要とされるパルジファル、ジークムントなどよりもドイツ語ではユーゲントリヒャー(若々しい)・ヘルデンテノールと呼ばれているリリコ・スピント寄りのローエングリンや「オランダ人」のエリック、「マイスタージンガー」のヴァルターなどにいっそう適していたことがわかる。

前述のポーターも言うように声質もうってつけだし、風貌も役どころにふさわしく、戦後最高のローエングリンだったと思う。

そしてどこまでもドイツ音楽の伝統に根をおき、ドイツ民族の美学を最良の形で示した重鎮カイルベルトの音楽性が過不足なく聴取できると言えよう。

ローエングリンのヴォルフガング・ヴィントガッセン、エルザのエレノア・スティーバー、オルトルートのアストリッド・ヴァルナイ、テルムラントのヘルマン・ウーデ、ハインリヒのヨーゼフ・グラインドルといったエルザのスティーバーを除くと当時のバイロイト常連たちを中心に、カイルベルトが全体をがっちりとまとめあげた演奏だ。

少し前の名歌手たちを巧みに統率しながら、カイルベルトがつくりあげる音楽はオーソドックスで、底力がある。

いかにもドイツの伝統に深く根をおろしているという性格で、すべての要素が安定感をもち、危うさがない。

素朴といえば素朴な性格なのだけれど、このロマンティック・オペラを、ごく自然なスタンスで再現し、そこにはこのオペラ独特の持ち味がよく導き出されており、何も不足はない。

虚飾めいたものはなく、在るがままを素直にまとめた名演と言えよう。

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2015年08月13日


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ショルティのワーグナー・オペラ総集編が、廉価BOXで再発される運びになったことをまずは大いに歓迎したい。

《さまよえるオランダ人》は、シカゴ交響楽団の音の豊麗な威力と、一糸乱れぬアンサンブルが実に壮観で、ショルティの意図が100%体現されて余すところがない。

こうした完全な管理システムのもとに統御されたシカゴの強靭な音は、あるいは「オランダ人」のまだいくぶん平板な音楽にはかえって適しているのかもしれない。

歌手たちはとくにとび抜けた魅力はないがまずまずの出来である。

《タンホイザー》はパリ版による全曲録音で、序曲の途中から豊麗なバッカナールに流れ込む形をとっている。

このことにより、初めてヴェーヌスは類型的な異教的官能の女神としてではなく、純愛の象徴エリーザベトのアンチテーゼとしての劇的実体が得られた。

タンホイザーを歌うコロが初々しいのをはじめ、主役2人の女声がともに魅力的であり、ショルティの指揮もこれ以前の「指環」全曲よりもふくらみを持っている。

《ローエングリン》は、あらゆる点に周到な目配りと配慮の行き届いた表現で、音楽とドラマのデリケートな色調や陰影や情感の明暗を表出し、以前のショルティのようなゴリ押しはなく、音楽は自然に、豊かに流れ出ていく。

主役2人にドミンゴとノーマンを選んでいるのも素晴らしく、その声の豊麗さと肉感的なほどの美しさはとび抜けている。

もちろん、ワーグナー独特の朗唱法をきちんと守りながら、見事な歌唱を聴かせている。

《トリスタンとイゾルデ》は、1960年当時のショルティの、鋭角的な音作りと猪突猛進的な音楽運びが、残念ながら「トリスタン」の壮大な官能の世界を描ききるほどには成熟していなかった。

しかし合奏力の精緻さや音楽の推進力に不足はなく、和声的というより、あまりに構築的な演奏といえよう。

歌手陣は、ニルソン、ウールをはじめとして高水準の歌唱を展開している。

《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は、このオペラの成否を決める重要な2つの要素である、明快さとふくよかさを併せ持った演奏だ。

ヴァルターを歌うコロが、若々しく伸びの良い声で力演、ベックメッサーのヴァイクルも、甘美な声と確かな技巧で聴かせ、またハンス・ザックスのベイリーが、淡々としているが必要なものは過不足なく備えた好演だ。

そしてウィーン・フィルの味わい深い演奏が、このオペラに豊かな肉付けをしていることを忘れてはならない。

《ニーベルングの指環》は、1958〜65年にかけて録音された壮大な全集。

ショルティの指揮は、一言でいうと明快強靭なダイナミズムやスリリングな緊張に貫かれており、実に活気に溢れたデュナーミクと、清潔で的確な表現によって、ワーグナーの音楽を生き生きと歌い上げている。

音楽の豊麗さという点でも傑出しており、ここにはショルティの力ずくのダイナミズムや直截さだけでなく、ふくよかなロマンティシズムやたくましい流麗さ、そして壮大な詩とドラマがある。

その精緻で雄弁な音の繰り広げられる壮大なドラマのおもしろさと感動はまったく底知れないものだ。

キャストの面では、全作を通じて同一の歌手で歌われていない配役があるなど、統一感のうえではやや弱い点もあるが、そうした面を越えて不朽の名演であることに変わりはない。

とりわけ、第2次大戦後の最もすぐれたワーグナー歌いの名手がズラリと並んださまは壮観というほかない。

《パルジファル》におけるショルティは、自信に満ちた態度でテンポを悠然と運び、豊かできびしい音の流れを作りだしており、ウィーン・フィルも、他に類がないほど豊麗で、しかも清純な美しい響きを聴かせている。

それに加えて練達の歌手たちが素晴らしく、威厳に満ちたホッター、明晰な歌を聴かせるフリック、そして敬虔さ、妖艶さともに最高の名唱ルートヴィヒなど、まさに最上のキャスティングといえるだろう。

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2015年08月10日


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プラガ・ディジタルスでは初登場のフルトヴェングラーの第2集はワーグナーの劇場作品からのオーケストラル・ワーク集で、前回と同様ウィーン・フィルを振ったHMV音源からのSACD化になる。

第1集のリヒャルト・シュトラウス作品集が思いのほか良かったので今回も期待したが、音質的にはいくらか劣っていることは否めない。

その理由はマスター・テープの経年劣化で、さすがに1940年代のものはヒス・ノイズも少なからず聞こえるが、広めの空間で再生するのであればそれほど煩わしくはない。

むしろこの時代の録音としては良好で、LPで聴いていた時より音場の広がりと奥行きが加わり、モノラルながらしっかりした音像が得られているのはひとつの成果だろう。

またレギュラー・フォーマットのCDでは、こうした古い音源は往々にして痩せて乾涸びた響きになりがちだが、このSACDではある程度の潤いと光沢も蘇生している。

収録曲のデータを見ると『さまよえるオランダ人』序曲(1949年)、『ローエングリン』第1幕への前奏曲(54年)、『タンホイザー』序曲(52年)、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲及び「徒弟たちの踊り」(49年)、『ワルキューレ』より「ワルキューレの騎行」(54年)、『神々の黄昏』より「ジークフリートのライン騎行」及び「ジークフリートの葬送の音楽」(54年)となっているので、「ワルキューレの騎行」に関しては同じメンバーによる旧録音ではなく、全曲盤からピックアップされたものと思われるが、残念ながら『トリスタン』が選曲から漏れている。

フルトヴェングラーはこの時期ウィーン・フィルの実質上の首席指揮者だったこともあり、彼らとのコンサートや録音活動を集中的に行っていてオーケストラも彼の要求に良く呼応している。

フルトヴェングラーは幸いワーグナーの楽劇のいくつかを全曲録音しているので、彼の音楽的な構想を理解するには全曲を通して鑑賞することが理想的だが、こうした部分的な管弦楽曲集でも充分にその片鱗が窺える。

例えば『オランダ人』序曲の冒頭はたいがい嵐の海の情景描写に終始してしまうが、彼のように神の怒りに触れた者の絶望感を表現し得た指揮者は数少ない。

『タンホイザー』で繰り返される巡礼のコーラスのテーマでは、筆者はかつて何故この旋律をカラヤンのようにもっとレガートに演奏しないのか疑問に思ったことがあった。

しかし後になってそれが赦されることのない罪を背負った巡礼者タンホイザーの喘ぎであり、途切れがちな息遣いと足取りを表していることに気付いて愕然とした思い出がある。

一方『マイスタージンガー』の意気揚々とした幸福感に満ちた前奏曲はこの作品の喜劇性とその晴れやかな終幕を予告しているかのようだ。

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2015年08月07日


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サヴァリッシュの《リング》は、この『EMI/Wagner:THE GREAT OPERAS』に収録され、値下げ再発となっているので、本BOXを入手する方が、他のワーグナーのオペラの名演も聴くことができ、お買い得と言える。

とりわけ《リング》ビギナーの方でチョイスに迷われてるなら、是非、購入検討リストの最上位に加えて、よりビッグ・ネームの指揮者を擁する他盤とも同列に比較して頂きたいのが本盤であり、リブレットこそ付随しないが、買って失敗のない内容、と保証出来得る。

海外Amazonで、単なる盤コレクターでなく、劇場に通い慣れ目と耳が肥えた猛者たちのレビューを読んで、「種々、複数の《リング》を所有しているが、何だかんだ云って、聴きやすくて楽しめる、また、実際プレイヤーにかける機会が多いのが案外このサヴァリッシュ=バイエルン盤なんじゃないか」みたいな意見を目にしては、「やっぱり、みんな考えること、感じてることは変わらないな」と思ったりもする。

手許にある《リング》にはいずれも長短思い入れがあり、オケ/合唱、歌手陣、音質、使用言語、(映像なら)演出…と各面のケチをつけ始めればキリがなくなるが、「ツィクルス全体と捉えたときの、失点、瑕疵の少なさ故の満足度の意外な高さ」が、このCD版《サヴァリッシュ・リング》の魅力のように感じている。

このレーンホフ演出のサヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場の《リング》はNHK-BSで放送され、DVDになっている。

演出、カメラワークなどの映像製作面における失望感は、優れた歌手、指揮者らによる演奏の印象も薄くしてしまっていた。

最近のオペラは舞台をみるよりも音だけを聴いたほうがいい場合も多いが、15年近く前のこのCDを購入して聴いてまさにそう思った。

DVDの音はわからないが、CDでの音はBS放送のときよりもオーケストラが前面に出ており、リマスタリングされたため音が美しく、バイエルン国立歌劇場管弦楽団の澄み切った音色の美しさが堪能できる。

全体的に叙情的なサヴァリッシュの指揮もCDで聴いたほうが引き締まっており、このコンビによるオルフェオのブルックナーの交響曲の名演を彷彿とさせる。

目の前で展開するレーンホフの演出に疑問を感じ、反感を覚える理性と自身の内なる「荒ぶるドイツ性」との間に相当の葛藤を抱えながら、さらに、あろうことか、ベルリンでは『壁崩壊』がまさに進行中という非常事態の最中、「一時代の終焉」を劇場にいる全員が意識する中で振っていたことが「災い転じて福となった」のかどうかは知らない。

しかし、ここでのサヴァリッシュの指揮は、ひたすら高燃焼で畳み掛け「聴き手のアドレナリンの血中放出を過度に促進させる」類いの音作りではないにせよ、祝祭の華やぎの中で謙虚にスコア自体に語らせ、実に自然な呼吸で豪華歌手陣を存分に歌わせており、「老カペルマイスター」らしい貫禄、威厳ある落ち着きを強く感じさせる。

筆者としては、年々丸くなっていった感のある後期のサヴァリッシュのスタイルの特段の贔屓筋でもないが、ここでは、手練れではあっても露骨に武骨/タカ派的な方向には極力走るまいと自重する、良識派戦後西ドイツ人=サヴァリッシュらしい抑制の効いたリリカルなアプローチに、往年の奥義もバイロイトの実地で身に付けた経験豊富な正統派ワーグナー指揮者であればこそのスケールの大きさと本能的に抗い難い「暴走への欲望」を時折覗かせてくれたりもして、彼としては、1950-60年代のバイロイトやイタリアでのライヴ各種名演と並んで後世に遺る出色の名盤だと思う。

さらに1990年頃の名歌手を総動員した歌手陣は最高で、ヴィントガッセンを上回るジークフリートであるコロ、「黄昏」で邪悪なハーゲンを歌うサルミネンは特に印象深い。

おそらく歌手陣では、ショルティ、ベームの時代以降で最高であり、映像を見ないで聴けばデジタル時代でこれを超えるものがなく、もっと評価されるべきディスクであろう。

筆者にとっては、《リング》を難しく考えたくないとき、敢えて気軽に流したいときの最右翼盤となっている。

なお拍手は一部カットされており、オーディエンスノイズから推測するとゲネプロや本番の上演から編集されているようだ。

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2015年07月31日


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『世界初のデジタル《リング》』で名高く、30年経った今日の基準でも全く古びれていないばかりか、優秀なエンジニアの技量と感性が今より冴え渡る高音質。

東ドイツが国家と社会主義の威信を賭け、矜持と執念、嫉妬と羨望も滲ませて「西側、西ドイツ、バイロイトへの殴り込み」的に、また、「ドレスデン大空襲の無差別大量殺戮への恨み、鎮魂と祈り」も込めて制作しただけあって、ズラリと並べた国宝級の名歌手たちの歌声は誇り高く、自ら民衆蜂起を主導しながらも革命に挫折したワーグナーの怨念の地、古巣シュターツカペレ・ドレスデンの響きは、どこまでも精密で美しく、今や失われた「様式美」を感じる。

折しもデタントが崩れ東西対立が激化した1980年代初期の「時代の熱気」も仄かに漂っており、結局、東独がこの後10年と保たずに“滅亡”し、これに参加した人々の人生も一変したことを想い起こせば、それが何か「壮大で華々しい最後の大攻勢」めいた雰囲気に感じられて、この《リング》に一層意味深で悲劇的な奥行きを与えているようにも思われてくる。

「結局は転向して王侯貴族と結託したナチズムの始祖」である前に「ドイツ左翼革命の先駆者」でもある彼らなりのワーグナー観で再定義を試み、精密丁寧爽やかな風通しの良い音作りで脱構築することで東独の国是「反ナチ」色を野心的に追求した結果、「非慣例的・非ワーグナー的」「軽薄」「薄味淡白」と散々叩かれ、実際そうではあるのだが、であっても、これはこれで、信念を貫いていて面白いところもあるし、いまだに頑張ってるのが嬉しくて、ついつい応援したくなってしまうヤノフスキの指揮。

まだ30代だった若いサルミネンの〈ハーゲン〉、声は物足りないが是非映像版で観てみたかった美貌の演技派アルトマイヤーの〈ブリュンヒルデ〉…。

誉めるところは色々あるけれど、筆者にとって、本盤を愛聴し続ける意義は、何といってもペーター・シュライアーの強烈な〈ミーメ〉に尽きる。

日本でも多くの名演名唱を楽しませてくれた稀代の名モーツァルト・テノールで美声の持ち主の彼が、シュプレヒゲザングの権化と化し、技巧を総動員して繰り広げる絶唱は、「舌を巻く」どころか、まさに、文字通り「テノールの鬼」そのもの。

バッハからクルト・ヴァイルやベリオまで、何を歌わせても俄然巧く解釈は鋭く深い。

若い頃の録音から既にずば抜けた存在感で、この人の声楽家としての幅、能力の高さには心底呆れるばかり。

それでいて、例えばフィッシャー=ディースカウの全く色気のない声が醸していたような、ある種の「名状し難い退屈さ」「説教臭さ」とは一切無縁、「オペラ快楽主義者」たちを魅了し続けたところが、これまた、シュライアーの素晴らしさ、偉さ。

悪漢謀略家の力強さも内に秘めたキューン、「狂気」や「凶気」をはっきり感じさせるほどに凄まじいシュトルツェやヴォールファールト、どこまでも憎めない滑稽で愛嬌あるツェドニクといった本職の性格テノールの達人とは一味もふた味も異なる、本盤のシュライアーの知的に狡猾で鬼気迫り哀れな分裂症的〈ミーメ〉、その驚異的な芸達者ぶり、「尋常ならざる声の演技力」にも、是非、注目して頂きたい。

ここでは〈ローゲ〉も歌い分けており、これも当然、巧過ぎに巧く、しばしば《ライン》の共演陣を霞ませてしまう…。

〈ローゲ〉や〈ミーメ〉は、《リング》に深遠さを与える重要なキー・ロールだが、傑出したグレアム・クラーク辺りを除いて、最近の公演や録音ではすっかり平均値が落ちてしまった感が否めず、現役の脇の歌手たちにこの「凄味ある巧さや旨み、陰険邪悪な怪優ぶり」を望むべくもないから、主役級の人材不足も相俟って、余計に「ドラマ」がシラけ興醒めしてしまうのだ。

リヒャルト・ワーグナーその人の後輩にあたる聖十字架合唱団の一員として少年時代から歌っていた地元ドレスデンでの国家的大プロジェクト参加で、国定「宮廷歌手」の誇りも胸に余計意気に感じていたであろう、“やり過ぎ”なほどノリノリのペーター・シュライアー、そして、脂が乗り切っていたリリックな美声のルネ・コロ、さらに、テオ・アダム(彼もクロイツシューレが母校の生粋のドレスナー)も軽量なりにもまだまだ頑張っている。

その3人が各自持ち味を発揮している《ジークフリート》第1幕は、文句なしに輝かしい名録音だと思う。

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2015年07月04日


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ショルティは、ワーグナーの主要なオペラを全て録音し、あの1958年から65年にかけての《ニーベルングの指環》の全曲録音ひとつによっても、他に比肩するもののない業績の豊かさを思わせている。

そこにある完璧ともいえる音楽分析と深い理念に裏付けられたワーグナー観は、ショルティが常に最も信頼し得るワーグナー指揮者のひとりであったことを疑わせる余地はない。

しかし、ショルティのワーグナーの中でも、多くのワグネリアンや評論家に評価の芳しくないのが《トリスタンとイゾルデ》(1960年スタジオ録音)である。

同時期の《ニーベルングの指環》がそのスペクタクルな録音も含めていまだに「最高」評価が多いの比べ、また、《トリスタンとイゾルデ》のディスクの中でもフルトヴェングラー、ベーム、クライバーが常に名盤の上位に置かれるのに比べ、ショルティの《トリスタンとイゾルデ》は高く評価されることがなかった。

それ故、ショルティの残したワーグナー・オペラの中では最も「マイナー」な扱いをされているディスクである。

確かに同オペラの官能美の極致をゆく音楽が、ショルティの直情径行的な芸風とマッチするとは思えず、筆者としてもこの全曲録音を長い間無視してきたことを否定するつもりはない。

しかし、その後ショルティが手兵シカゴ交響楽団と《トリスタンとイゾルデ》の「前奏曲と愛の死」を振ったディスクを聴いてみたら、これが非常な名演なのである。

冒頭の哀切なピアニッシモからして心惹かれるが、木管の透明さと弦の粘着力を両方併せ持ち、この曲の世界を的確に描き出していた。

筆者はこれを機会にショルティの《トリスタンとイゾルデ》の全曲盤を入手するに至ったのである。

今回初めて聴いてみて、従来のそういう評価がいかに不当であるかを痛感した次第であり、これは大変良い出来のディスクである。

まず、ショルティの指揮が、《ニーベルングの指環》では正直言って耳をつんざくような響きが随所にあって、デリカシーのなさに辟易することもあり、そういう調子で《トリスタンとイゾルデ》を演奏されたら辟易するのかと思っていたが、さすがにこの作品でショルティはそんな演奏はしていない。

落ち着いたリリシズムが全編を支配し、無駄な煽りもなく、この美しくも哀しいドラマをしっかりと表現している。

そしてウィーン・フィルも若きショルティによって迫力あるサウンドを聴かせており、この作品のオーケストラ・パートとしては異例と言って差し支えない起伏の激しい音楽が今聴くと実に新鮮で、カルショウによる半世紀前の録音とは思えないリアルな録音も冴え渡っている。

それにウィーン・フィルの濃厚な音色も個性的であり魅力十分で、音色の美しさと豊かな表現力は特筆ものであり、合奏力の精緻さや音楽の推進力にも不足はない。

強いて難点を挙げれば、1960年当時のショルティの、鋭角的な音作りと猪突猛進な音楽運びは、残念ながら《トリスタンとイゾルデ》の壮大な官能の世界を描き切るほどに成熟していなかった。

和声的というより、あまりにも構築的な演奏と言えよう。

歌手陣は、意外にも唯一のセッション録音となった希代のドラマティック・ソプラノ、ニルソンをはじめとして高水準の歌唱を展開しており、ニルソンはベーム盤では結構絶叫部分が多かったのだが、ここではセッションということもあり、繊細な表現が際立つとても良い出来栄え。

ウールはさすがにセッションにおいても声の不足が感じられてしまうのだが、もともと難役であるし、十分水準には達している。

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2015年06月26日


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フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなど、綺羅星の如く大巨匠が活躍していた20世紀の前半であったが、これらの大巨匠は1960年代の前半には殆どが鬼籍に入ってしまった。

そうした中で、ステレオ録音の爛熟期まで生き延びた幸運な大巨匠(それは、我々クラシック音楽ファンにとっても幸運であったが)こそは、オットー・クレンペラーであった。

クレンペラーは、EMIに対して膨大な点数のスタジオ録音を行ったが、その大半はこの大巨匠の指揮芸術の素晴らしさを味わうことが可能な名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

そうした押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。

特に、本盤に収められた《ワルキューレ》第1幕(1969年ステレオ録音)については、賛否両論があるものと言えるだろう。

当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。

このうち楽劇「ニーベルングの指環」については、クレンペラーは若き日より何度も指揮を行ってきたところであるが、残念ながらライヴ録音も含め現時点では全曲録音が遺されていないようである。

本盤のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるものであり、強い表現意欲に突き動かされたような演奏内容である。

生き物のように重々しくコントラバスがうごめく冒頭を聴くと、マーラーの「復活」がこの曲からかなり直接的な影響を受けたのではないかとさえ思えてくるが、それもここでのクレンペラーの極端なアプローチがあればこそであり、その異様なまでのグロテスクな迫力には圧倒されてしまう。

本編に入ってからもオーケストラは常に意味深く雄弁に響き渡り、ワーグナーのオーケストレーションの天才をここまで強調するクレンペラーの慧眼にはいちいち頷くほかはない。

クレンペラーの演奏の特徴である、動的というより静的、でも細部の隈取がクリアで、いつも巨大なあざやかな壁画を眺めているようなところが良く現れた演奏となっている。

全体に寸分の揺るぎもない重厚な演奏で、そのリズムは、巨人の足どりのようにずっしりと重いが、これが本当のワーグナーの響きというものだろう。

フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。

テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いと言えるが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有していると言えよう。

これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。

もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

3人の歌手には注文をつけたいところもあるが、ともかく《ワルキューレ》第1幕の凄みを教えてくれる強烈な演奏内容である。

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2015年05月14日


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ショルティは20世紀後半を代表する指揮者の1人であるが、我が国の音楽評論家の間での評価は実力の割に極めて低いと言わざるを得ない。

先般、お亡くなりになった吉田秀和氏などは、数々の著作の中で、公平な観点からむしろ積極的な評価をしておられたと記憶するが、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評しているとある影響力の大きい音楽評論家をはじめ、ショルティを貶すことが一流音楽評論家の証しと言わんばかりに、偏向的な罵詈雑言を書き立てる様相ははっきり言っておぞましいと言うほかはないところだ。

ニキシュは別格として、ライナーやオーマンディ、セル、ケルテスなど、綺羅星の如く登場したハンガリー人指揮者の系譜にあって、ショルティの芸風は、強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。

そうした芸風でシカゴ交響楽団を鍛え抜いた力量は、先輩格のライナー、オーマンディ、セルをも凌駕するほどであったと言えよう。

もちろん、そうした芸風が、前述のような多くの音楽評論家から、無機的で冷たい演奏との酷評を賜ることになっているのはいささか残念と言わざるを得ない。

確かに、ショルティの芸風に合った楽曲とそうでない楽曲があったことについて否定するつもりは毛頭ないが、少なくともショルティの演奏の全てを凡庸で無内容の冷たい演奏として切って捨てる考え方には全く賛同できない。

ただ、ショルティのそうした芸風からずれば、ウィーン・フィルとの相性が必ずしも良くなかったことはよく理解できるところだ。

フレージングの1つをとっても対立したことは必定であり、歴史的な名演とされる楽劇「ニーベルングの指環」の録音の合間をぬって録音がなされたとされる、本盤に収められたワーグナーの管弦楽曲集にしても、ウィーン・フィルの面々は、ショルティの芸風に反発を感じながらも、プロフェッショナルに徹して演奏していたことは十分に想定できるところだ。

膨大なレコーディングとレパートリーを誇ったショルティであるが、ショルティはワーグナーを数多く手掛けており、ウィーン・フィルとともに本演奏を含め主要な楽劇等をスタジオ録音しているなど、ワーグナーを自らの最も重要なレパートリーの1つとして位置づけていた。

それだけにショルティは、ワーグナー演奏には相当な自信を持っているのであろうが、本盤では、特に最強奏の箇所において力づくのなりふり構わぬ響きが際立っている。

特に、1960年代に録音された「リエンツィ」や「さまよえるオランダ人」、「タンホイザー」、そして「トリスタン」にその傾向が著しい。

それ故、ワーグナーの楽曲がショルティの芸風に必ずしも符号していたかどうかは疑問のあるところであるが、それでもウィーン・フィルとの一連の録音は、ショルティの鋭角的な指揮ぶりを、ウィーン・フィルの美音が演奏全体に潤いを与えるのに大きく貢献しており、いい意味での剛柔のバランスのとれた名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

多少、無機的な音はするものの、やみくもに楽器を大きく打ち鳴らすだけの“迫力”とは次元を異にする、洗練された“凄み”のようなものが伝わってくる。

華麗で重厚な響きの中にダイナミックなオーケストレーションが展開され、少なからぬ人が「ワーグナー管弦楽曲のCDはこうあってほしい」と思うであろう形の1つ、と言って良いかもしれない。

もちろん、ウィーン・フィルとしてはいささか不本意な演奏であろうが、それでも生み出された音楽は立派な仕上がりであり、聴き手としては文句を言える筋合いではないと言える。

いずれにしても、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さにウィーン・フィルならではの美音による潤いが付加された本演奏は、若き日のショルティを代表する名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

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2015年05月04日


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本盤の演奏は、1966年のバイロイト音楽祭のライヴ録音である。

名指揮者ベームが最も充実した時代の演奏であると同時に、戦後のバイロイトの最も実り多かった時代の記録でもある。

ベームの遺したワーグナーのオペラの録音には、バイロイト祝祭管との歌劇「さまよえるオランダ人」の演奏(1971年)や、バイロイト祝祭管との楽劇「ニーベルングの指環」の演奏(1966、1967年)など数々の名演を遺しているが、それらの名演にも冠絶する至高の名演は、本盤に収められたバイロイト祝祭管との楽劇「トリスタンとイゾルデ」であると考える。

それどころか、同曲の他の指揮者による名演であるフルトヴェングラー&フィルハーモニア管による演奏(1952年)やクライバー&シュターツカペレ・ドレスデンによる演奏(1980〜1982年)と並んで3強の一角を占める超名演と高く評価したい。

そして、フルトヴェングラーが深沈とした奥行きの深さ、クライバーがオーケストラのいぶし銀の音色を活かした重厚さを特色とした名演であったのに対して、ベームによる本演奏は、実演ならではのドラマティックで劇的な演奏と言えるのではないだろうか。

そして、学者風でにこりともしない堅物の風貌のベームが、同曲をこれほどまでに官能的に描き出すことができるとは殆ど信じられないほどである。

ベームは、実演でこそ本領を発揮する指揮者と言われたが、本演奏ではその実力を如何なく発揮しており、冒頭の前奏曲からして官能的で熱き歌心が全開だ。

その後も、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や緊張感、そして切れば血が吹き出してくるような強靭な生命力に満ち溢れており、全盛期のベームならではのリズミカルな躍動感も健在だ。

テンポは若干速めであるが、隙間風が吹くような箇所は皆無であり、どこをとっても造型の堅固さと充実した響きが支配しているのが素晴らしい。

晩年の老いたベームとは異なる、真の巨匠としてのベームの逞しい音楽が渦巻いている。

バイロイトに集結した名歌手陣の、その感動的な歌唱の魅力は素晴らしく、現在聴いても少しも色褪せていない。

とりわけ、第2幕のイゾルデ役のビルギット・ニルソンとトリスタン役のヴォルフガング・ヴィントガッセンによる愛の熱唱は、ベームの心を込め抜いた指揮も相俟って、おそらくは同曲演奏史上でも最高峰の名演奏に仕上がっていると言えるところであり、その官能的な美しさといい、はたまたドラマティックな迫力といい、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

そして、第3幕終結部のイゾルデの愛の死におけるビルギット・ニルソンによる絶唱は、もはや筆舌には尽くし難い感動を覚えるところだ。

これらの主役2人のほか、クルヴェナール役のエーベルハルト・ヴェヒター、ブランゲーネ役のクリスタ・ルートヴィヒ、そして、マルケ王役のマルッティ・タルヴェラによる渾身の熱唱も、本名演に大きく貢献していることを忘れてはならない。

また、その後大歌手に成長することになる、ペーター・シュライヤーが水夫役で登場しているのも、今となっては贅沢な布陣と言える。

録音は、従来盤でもリマスタリングが行われたこともあって十分に満足できる音質であると言えるが、同曲演奏史上トップの座を争うベームによる至高の超名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2015年04月17日


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歴史的な名指揮者が指揮したワーグナーの珠玉の名演を集めた好企画CDだ。

恐らく“怪物”ワーグナー程序曲や前奏曲が好んで演奏会で採り上げられ、録音が行われる作曲家は他におるまい。

巨大なオペラ本編の雰囲気を凝縮した交響詩的世界がその最大の魅力であろう。

本CDのミソは、SACDマルチチャンネルであるということで、本盤に収められた名演を現在望み得る最高の音質で味わうことができる点が素晴らしい。

本盤には、20世紀を代表するワーグナー指揮者として、歴史にその名を刻んでいる、ベーム、カラヤン、ヨッフム、クーベリックなどの録音が収められている。

先ずは、ワーグナーの聖地バイロイトでも最高の名演を聴かせていたベームが、ウィーン・フィルと至高のワーグナーを披露している。

カラヤン&ベルリン・フィルは、桁外れに幅広い表現力で、ワーグナーのオーケストレーションの魅力を最大限に表現し尽くした演奏と言えるだろう。

ヨッフムは一語でいうと地味で素朴な風格を帯びているが、といってヨッフムの演奏は少しも鈍重ではなく、温かく優しい表情が印象深い。

また、誇張を排した真摯な表現の中に適度なドイツ的重厚さと劇的な緊張感を湛えたクーベリックのスタイルは今なお高い支持を受けている。

特に、音質面ですばらしいと思ったのは、カラヤンによる「ワルキューレ」と「神々の黄昏」からの抜粋。

2008年には、4部作全曲がSHM−CD化され、それもなかなか見事な音質ではあったが、本盤の音質はそもそも次元が違う。

逆に言うと、本盤を聴いて、ないものねだりながら、4部作全曲をSACDマルチチャンネルで聴きたくなってしまった。

次いで、ベームの「ローエングリン」と「さまよえるオランダ人」が見事であり、オペラの舞台が眼前に迫ってくるかのような実在感が見事である。

他の諸曲も鮮明であるが、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」だけは、オリジナルテープの劣化のせいか、やや音質に難があるのは残念であった。

とはいえ費用対効果を考えると、ワーグナーの音楽を最高の音質と演奏で味わうのに最高の1枚であると評価したい。

ちなみにマルチチャンネルとは、基本的にはスピーカー5個とサブ・ウーファー1個で再生されるSACDのことである。

前に3つ、後ろに2つ、適当なところにサブ・ウーファーを1つ、というセッティングであるが、実際には5.0chといって、サブ・ウーファーを使わないマルチチャンネル・ディスクが多い。

ライヴ録音だったらホールの感じで、前方にステージ、残響音や拍手の音が部屋中に拡がり、スタジオ録音なら、前方の音を、真横、後ろに配置して、拡がりのある空間で音楽が聴ける。

とにかく、マルチチャンネルはステレオ(2チャンネル)とは比べ物にならないくらい臨場感が出るのだ。

最近では、ユニバーサルを筆頭にして、SACD盤を積極的に発売しても、マルチチャンネルから撤退するケースが多いようであるが、本盤のような、各楽器セクションの配置が明瞭にわかるような臨場感溢れる鮮明な高音質を聴いていると、是非ともマルチチャンネル付きのSACDを復活させていただきたいと切に願わざるを得ないところだ。

そして、かかるマルチチャンネル付きのSACDによる圧倒的な高音質録音が、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのも忘れてはならない。

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2015年03月12日


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旧ソ連の巨匠指揮者エフゲニ・スヴェトラーノフが、1988年というチェリビダッケが鍛えに鍛えた全盛時代のミュンヘン・フィルに客演したワーグナー・アーベント(恐らくこれが唯一の共演)・ライヴ。

スヴェトラーノフとチェリビダッケ支配下のミュンヘン・フィル、そしてワーグナー、いずれの組み合わせも、固定観念では発想しがたく、実現した経緯も半分イベント的な意図だったかもしれない。

しかし、その結果、高い次元でスタンダードさと開放的な力強さのバランスが取れた名演が生まれた。

最もドイツ的なオーケストラによる力の漲った鳴りっぷりのいいワーグナーの名演、と言ってもいいかもしれない。

シルキーで透明な弦楽合奏の美音、マッシヴな金管の咆哮、アンサンブルの精緻は滅多に耳にすることのできない逸品であり、しっとりとした落ち着きと極大な包容力を誇る魅力たっぷりの名演集である。

チェリビダッケ全盛期のオーケストラから、スヴェトラーノフらしい重厚かつ情感あふれる個性的なトーンを引き出し、それが、ワーグナーの音楽に見事にマッチしているのはさすがという他はない。

それは、逆にこのコンビだったからこそ誕生し得たものであり、いつもとは異なり、自国の音楽をストレスフリーで楽しんでいる楽員の活き活きとした表情が見えるかのようなワーグナーなのである。

正直な話、同じオーケストラをチェリビダッケが指揮したワーグナー集のCDをはるかに上回る。

特に「マイスタージンガー」第3幕前奏曲と「ローエングリン」第1幕前奏曲は絶品。

最初の「マイスタージンガー」第1幕前奏曲はやや雑然としているが、2曲目の第3幕前奏曲以後は、この指揮者とオーケストラが意外なほどに調和しているさまが見て取れる。

これは、すでに老いを自覚し、雑念や欲から逃れようとする主人公がもの思いに耽る場面で奏される音楽である。

オペラ全体の中でもっとも深みのある音楽のひとつとされているけれど、ここでのスヴェトラーノフのように感情豊かに奏でた例は空前絶後ではないか。

おそらく劇場では難しいであろうほどのゆっくりしたテンポで、ひとりの男の胸に去来するもの、すなわち自分は去らねばならないと知った人間の悲しみをじっくりと描き出す。

豊満な音色の弦楽器は時にすすり泣くようにも聴こえるし、2分過ぎからなど、まさしく溜め息そのものような音楽だ。

ヴァイオリンやフルートのあまりにも澄んだ響きは、さすがにチェリビダッケとともに繰り返しブルックナーを演奏し続けてきた楽団ならではの美しさである。

続く「ローエングリン」第1幕前奏曲も息をのむような美しさで、陶酔的だ。

単に音響的に美しいというだけではない。

醜悪なこの世界を逃れて、美しい世界に憧れる強い気持がどうしようもなく切々と示されているのである。

筆者はこの「ローエングリン」第1幕前奏曲ほど、現実の世界に絶望し、別世界を夢想してそれに殉じようとするロマン主義芸術家たちの悲惨と栄光と誇りを表現したものはないと思っているが、スヴェトラーノフが奏でたのはまさしくそのような音楽だ。

ついに感極まったように金管楽器群が圧倒的な音響の大伽藍を築きあげるとき、そこに鳴っているのはまさにひとつの精神である。

先の曲と同じくこの曲でも、時間が完全に止まっているのではないかという不思議な印象を受ける。

まさに心にしみいるような音楽だ。

ただ美しいだけ、迫力があるだけでなく、深い音楽を聴きたいのであれば、昨今これに優るものはないかもしれない。

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2015年03月11日


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ショルティは、近年のワーグナー指揮者の中では、カラヤンとともに頭抜けた存在であり、他に比肩するもののない業績の豊かさを思わせている。

そこにある完璧とも言える音楽分析と深い理念に裏付けられたワーグナー観は、ショルティが常に最も信頼し得るワーグナー指揮者のひとりであったことを疑わせる余地はない。

特に、1950年代後半から60年代前半に録音した「ニーベルングの指環」の全曲盤は、燦然と輝く歴史的名盤であり、同曲のベスト盤として、圧倒的な評価を受けているが、ショルティの若い時代の悪癖である、やや力づくの演奏も見られるなど、問題点がないわけではなかった。

そんなショルティが、同じオケと同じ録音場所で、1982年、彼が70歳時に、「ニーベルングの指環」4部作のオーケストラ・パートの名曲の抜粋盤として再録音したのが、このCDである。

本盤は、あれから20年後の録音ということもあり、角がすっかりとれた円熟の名演に仕上がっている。

テンポ設定も実に落ち着いたものとなっており、ゆったりとした気持ちで、ワーグナーの音楽の素晴らしさを満喫することができる。

冒頭の「ヴァルキューレの騎行」は、「ジークフリートの葬送行進曲」とともに、所謂ワーグナー管弦楽曲集での定番曲となっているが、最もショルティ向きの曲と言ってもよく、そのドラマティックで切れ味鋭い演奏は圧巻であり、これは、同曲のベストの演奏と言っても過言ではないだろう。

「ジークフリートの葬送行進曲」と「フィナーレ」については、ショルティの前記全曲盤での「神々のたそがれ」の演奏と比較して聴いてみたのだが、まず、「ジークフリートの葬送行進曲」のテンポが、極端に遅くなっているのに驚かされる。

テンポの遅さは、そのまま曲の掘り下げの深さに繋がっており、力で押し切る傾向のあった若き日の演奏と比べると、弱音部での木目細やかな表現力が際立っており、ショルティの変化、円熟を強く感じる。

「フィナーレ」は、ワーグナー管弦楽曲集では滅多に演奏されない曲だと思うが、「ニーベルングの指環」全曲の最後を飾るにふさわしい感動的な名曲であり、ショルティは、円熟の名人芸で、壮大なクライマックスから、美しくも物哀しい弱音部の旋律までを見事に描き分け、最後は、厳かに、全曲を締め括ってみせる。

ここでの曲目は、ショルティにとっては、それらがコンサート・レパートリーであると同時に、完全に手中にしているオペラ・レパートリーの一部であるということが、その演奏の内容をいっそう確かなものとしている。

もちろん、ウィーン・フィルの自発性も充分生かされているが、高い造形性と深い音楽表現に裏付けられた好演と言える。

ショルティはウィーン・フィルとはあまり相性が良くないと言われているが、この演奏に関しては「ニーベルングの指環」の抜粋盤ではあるが、全曲を長いと敬遠している人にとっても全曲を聴いてみたくなるような、力強さと美しさが堪能できるものとなっている。

音質も英デッカによるナチュラルな極上の名録音である。

ただ不満を1つ述べるとすれば、もう少し楽曲の収録を増やしてもらいたかったという点。

例えば、「神々のたそがれ」については、「夜明けとジークフリートのラインの旅」をなぜ録音しなかったのだろうか。

収録時間にも余裕があるだけに、やや物足りない気がするのは筆者だけであろうか。

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2015年03月08日


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これは、現在CD化されている「トリスタンとイゾルデ」のなかでも、初心者から通まで、存分に唸らせることのできる稀有なセットである。

「トリスタンとイゾルデ」は、筆者もこれまで何度も聴いてきたが、本盤を聴いて、あらためてワーグナーのオペラの最高傑作ではないかとの思いを抱いた。

スケール雄大な「ニーベルングの指環」や深遠な「パルシファル」などもあるが、トリスタン和音の活用により、その後の十二音技法など、後世の音楽に絶大なる影響を与えた点を見過ごしてはならない。

また、登場人物がきわめて少ないというシンプルな台本でありながら、これだけの劇的なオペラに仕立て上げた点も驚異というほかはないと考える。

これだけの傑作オペラだけに、これまでフルトヴェングラーやベーム、カラヤン(オルフェオのライヴ)盤など名盤が目白押しであるが、本盤のクライバー盤も、これら過去の名演に十分に匹敵する不朽の名演と高く評価したい。

クライバーの天才によって100%その実力を引き出されたシュターツカペレ・ドレスデンの驚愕すべき凄絶演奏に圧倒される一組であり、炎のように熱く水のようにしなやか、異常な熱狂と浄化された美感という相反する要素がここでは奇跡的に同居している。

その名演の性格を一言で表現すると、生命力溢れる若武者の快演ということになるのではなかろうか。

あの華麗な指揮ぶりを彷彿させるような力感が随所に漲っており、特に第2幕のトリスタンとイゾルデの愛の二重唱、マルケ王の独白、そしてメロートとトリスタンの決闘に至る変遷の激しい各場面における、ダイナミックレンジの幅が極めて大きいメリハリのある表現には圧倒される。

クライバーの解釈は、必ずしもスコアに忠実ではないが、劇的な場面では、鮮烈な稲妻を思わせる鋭い弦を奏でさせ、他方、叙情的な場面では弱音で滑らかな、また輝くような艶のある音を引き出す。

この強弱のコントラストに加え、レガートとスタッカート、またアゴーギク、低音と高音との対比を自在に駆使して、この大曲を寸分も飽きさせずに一気に聴かせる。

歌手陣も超豪華布陣。

特に、トリスタンのルネ・コロ、マルケ王のクルト・モル、イゾルデのマーガレット・プライス、そしてクルヴェナールのフィッシャー=ディースカウの主役4人はまさに完璧であり、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏もいぶし銀の輝きを放っている。

この音楽は、その誕生当初、「未来の音楽」と呼ばれ、従来の和声法からみても、また歌劇の作法からみても、全く新しい境地を開いたと看做された作品だが、そのような斬新さをいまなお感じさせる演奏・録音と言えよう。

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2015年01月31日


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幅広いレパートリーを誇っていたセルだが、ドイツ古典〜ロマン派は得意分野の1つだった。

セルの演奏が円熟味を増したといわれる晩年、1968年の、ワーグナーの超大作楽劇から抜粋した名盤。

セルが指揮するクリーヴランド管弦楽団は、セルの楽器と称されるほどの驚異的なアンサンブルを誇った。

本盤もセル率いるクリーヴランド管弦楽団がいかに凄いオーケストラだったかが嫌が上でも圧倒的に伝わる名盤。

悠然として濃厚な往年のクナッパーツブッシュ盤と同様なハイライトと一番対極にある、極度にタイトで洗練の極みを行く演奏スタイルと言えよう。

しかし、時には、凝縮のあまりいささかスケールの小ささが目立つ場合もあった。

本盤は、そうしたセルの演奏の長所と短所が同居している演奏だと思った。

評価したいのは、「ワルハラ城への神々の入場」、「ワルキューレの騎行」、「魔の炎の音楽」、「森のささやき」の4曲。

これらは、セルの精密な指揮と、それにぴったりとついていくクリーヴランド管弦楽団が、ワーグナーがスコアに記した名旋律の数々を感動的に表現していく。

しかし、「夜明けとジークフリートのラインへの旅」、「ジークフリートの葬送行進曲」と終曲の2曲は、凝縮を意識しすぎたせいか、あまりにも演奏のスケールが小さい。

セルは、精密で緻密な指揮を行い、クリーヴランド管弦楽団もそれに見事に合わせているが、やはり、ワーグナーの天才性が発揮されるこの2曲では、演奏が楽曲に負けてしまっている。

『ニーベルングの指環』への入門CDとしては、これで十分なのかもしれないが、本盤を1つの完結した作品として見れば、竜頭蛇尾の誹りを免れないだろう。

しかしながら、「楽劇」というより、「管弦楽曲」としてのあり方を『指環』ハイライト盤でここまで追求した演奏は滅多にないだろう。

音質は、Blu-spec-CD盤はもとより、従来CD盤でも十分に良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が図られることになった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

それでも、前述の短所は払拭されているとは言い難いが、セル&クリーヴランド管弦楽団による完成度の高い演奏を現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2015年01月27日


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ショルティが「ニーベルングの指環」全曲を録音して以降、カラヤンやベームの全曲録音や、過去の演奏では、クナッパーツブッシュの名演、最近では、カイルベルトの名演が発掘されたりしているが、現在においても、トップの座を譲らない永遠の名盤だ。

まぎれもなく、レコード録音史上最高の名盤と評価したい。

本盤は、そのクラシックの録音史上に残る名盤のハイライトである。

熱烈なワグネリアンでも『指環』全曲を聴くのには、相当な覚悟が必要であるが、その点で、このハイライトは有り難い。

筆者としてはショルティの全曲盤のレビューを既に書いたが、あまりに長大な作品なので、通常はこのハイライト盤を聴くことが多い。

何よりも、ホッターやフラグスタート、ロンドン、さらにはヴィントガッセン、キング、ルートヴィヒ、ニルソンといった超豪華歌手陣が素晴らしい。

歴史的なワーグナー歌手の全盛期に録音されたというのが、まずは本盤の成功の要因にあげられると思う。

次いで、ウィーン・フィルの名演が実にすばらしい。

ショルティのいささか力づくの指揮が、ウィーン・フィルの優美な音色が緩衝材になって、非常に調和のとれた演奏になっている点も見逃してはなるまい。

そして、録音の素晴らしさ。

名プロデューサーのカルショウの下、ニーベルハイムに降りていく際の金床の音色や、ニーベルング族が金を天上界に運んでいる際、アルべリヒの一喝によって逃げ惑う際の悲鳴の響かせ方、ワルキューレの騎行の立体音響など、1950年代後半〜60年代前半の録音とは思えないくらいの鮮明さであり、現在に至るまで、これを凌駕する録音が現れていないのは脅威と言うべきであろう。

この演出によって、想像的視覚効果がもたらされ、それこそがスタジオ録音における録音技術のマジックが冴えた瞬間であり、この全曲録音が評価されている決定的要素の1つと言える。

ワーグナーの良くも悪くも絶対に聴いておかなければならない音楽が、最高のスタジオ録音で残されたことを感謝すべきであろう。

これを聴くと、カルショウは歌劇場の再現では無く、映像の無い大作映画を鑑賞しているみたいな錯覚を覚える。

ステレオ初期なのに、今聴いても凄い録音であり、エンターテイメント精神溢れる効果が十二分に味わえる。

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2015年01月19日


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これは75歳のクナッパーツブッシュが北ドイツ放送響に客演した際の貴重な記録である。

2枚目はオール・ワーグナー・コンサートの貴重な記録で、ほかのプログラムは《マイスタージンガー》第1幕と第3幕への前奏曲、ジークフリート牧歌、《トリスタンとイゾルデ》前奏曲と愛の死であった。

クナのワーグナー録音は、プライヴェート盤も含めて数々あるが、この日の演奏はどれもじつにすばらしく、とくにこの《自己犠牲》は、クナの最高傑作のひとつと言い切れるほどの超名演である。

遅いテンポと暗い音色で曲が始まると、誰もがそのただならぬ雰囲気に圧倒されるに違いない。

若き日のルートヴィヒはソプラノの声域まで楽々とこなし、そのドラマティックで美しい声での渾身の感情移入はじつにみごとだが、オケも個々の楽器の存在を感じさせず、ひとつの有機体となってブリュンヒルデと絶妙にからむ。

ブリュンヒルデが薪の山に火をかけるところから、いよいよ猛火の中へ躍りこむまでの緊張感の高まりには凄まじいものがあるが、その後のオケのみの部分は、もはや神業である。

業火が燃え盛り、ライン河が氾濫するそのカタルシスの頂点は、とてもオーケストラの出す音とは思えない。

そして愛の救済の動機がなんと高貴にヴァイオリンで歌われ、さらに神々の城が崩壊していく場面で、ワルハラの動機がなんと雄大に奏されることだろう。

終わりに、ジークフリートの動機が最後の力を振り絞るように奏され、一瞬の間の後にふたたび万感のこもった愛の救済の動機で全曲が閉じられるとき、筆者はいつも目頭が熱くなってしまうのである。

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2015年01月16日


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1954年4月4日 カーネギーホール、ニューヨークに於けるステレオ/ライヴ録音。

トスカニーニのワーグナーとしては、他にもっと状態のいい演奏はあるが、本盤は次の2点で大いに価値のある名盤ということが出来るだろう。

その第1は、トスカニーニにとって2点しかない稀少なステレオ録音であること、第2は、トスカニーニによる最後のコンサートの記録ということだ。

ステレオ録音という点については、さすがに臨場感が違う。

先般には、この演奏の数年前に演奏されたワーグナーの管弦楽曲集のXRCDが発売されたが、全く問題にならない。

もちろん、本盤においても、録音の古さから微妙な音割れなども散見されるが、衰えは見られるものの随所にこれぞトスカニーニならではの本物のカンタービレを満喫できるのは、まさに本盤がステレオ録音であるが故と言えるであろう。

トスカニーニの最後の録音という点については、確かに、統率力に綻びが見られるのは否めない事実だろう。

山崎浩太郎氏の解説はいつもながら明快かつ詳細で、ある意味で色々な伝説や憶測、噂、伝聞で様々に(好き勝手に)語られているこのコンサートの周辺と実情を的確にリポートされている。

しかしながら、山崎氏による懇切丁寧なライナー・ノーツによれば、「タンホイザー」の序曲とバッカナールの中途で指揮が止まったということであるが、それでもオーケストラによる演奏が滞りなく続けられたのは、巨匠ならではのオーラによるものと言えるのではないだろうか。

「タンホイザー」の中断、そして「ホール全体が恐ろしい沈黙に包まれた…云々」も誤情報だったようだ。

したがって、いくつかの瑕疵は散見されるものの、決してトスカニーニの勇名を陥れるような駄演には決してなっておらず、むしろ、トスカニーニと手兵であるNBC交響楽団の強固な絆を感じさせる演奏として高く評価したい。

なお、リハーサル風景も収められているが、トスカニーニのリハーサルの厳しさを認識させてくれるものとして貴重な記録であると言えよう。

録音は、復刻のノイズの無さと正確な音質に定評がある名人、中山実氏の復刻音である。

モノーラル・イメージが強烈なトスカニーニだが、広がる大音響に驚きで音そのものは、きつさの無い自然な音質である。

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2014年12月31日


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カラヤンは様々なジャンルの音楽に名演を遺してきたが、その中でもオペラは最も得意の分野であった。

そうしたカラヤンのオペラのレパートリーの中でもワーグナーは重要な位置を占めていたが、録音運に恵まれていたかと言うと、必ずしもそうとは言い切れない面がある。

舞台神聖祝典劇「パルシファル」、楽劇「ニーベルングの指環」、そして楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、カラヤンならではの至高の名演と言えるが、他のオペラは、歌手陣などに条件が整わなかったこともあって、カラヤンの本領が発揮されたとは言い難い状況にある。

それ故に、本盤のように、ワーグナーのオペラの序曲や前奏曲を集めた録音は大変貴重である。

カラヤンは、本盤の前後にも同様の序曲・前奏曲集を遺してはいるが、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期を考慮すると、本盤こそが、最高の名演と高く評価すべきものと考える。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の演奏はそれは凄いものであった。

うなりを上げるような低弦をベースとした弦楽器群の豊麗かつ重厚な響き、悪魔的とも評すべき抜群のテクニックを示すブラスセクションのブリリアントな響きや木管楽器の美しい響き、雷鳴のように轟きわたるティンパニの響きが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、いわゆるカラヤン・サウンドと称される極上の美を誇る名演奏を繰り広げていた。

これまでのオーケストラが成し得た究極の音のドラマを構築していたとも言えるところであり、本盤の各序曲や前奏曲の演奏も、そうした全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマが構築されていると言っても過言ではあるまい。

冒頭の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第1幕への前奏曲の堂々たる進軍は、シュターツカペレ・ドレスデンとの全曲録音(1970年)よりもこちらの方の出来が上であるし、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲の緩急自在のテンポ設定を駆使した演奏は、いかにも演出巧者らしいカラヤンの真骨頂である。

楽劇「ローエングリン」の第3幕への前奏曲の力感溢れる演奏は圧巻の迫力を誇っており、我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

舞台神聖祝典劇「パルシファル」の両前奏曲については、さすがに後年の全曲録音(1980年)には及ばないが、それを除けば十分に感動的であり、その豊穣かつ官能的な美しさは、おそらくはオーケストラが紡ぎ出すことが可能な究極の美を表現し得ているとも言えるところであり、美しさという点においては、おそらくは古今東西のあらゆる名演に冠絶する最美の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にリマスタリングも施されるとともに、HQCD化もなされたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤やHQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、カラヤン、そしてベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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カラヤンは様々なジャンルの音楽に名演を遺してきたが、その中でもオペラは最も得意の分野であった。

そうしたカラヤンのオペラのレパートリーの中でもワーグナーは重要な位置を占めていたが、録音運に恵まれていたかと言うと、必ずしもそうとは言い切れない面がある。

舞台神聖祝典劇「パルシファル」、楽劇「ニーベルングの指環」、そして楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、カラヤンならではの至高の名演と言えるが、他のオペラは、歌手陣などに条件が整わなかったこともあって、カラヤンの本領が発揮されたとは言い難い状況にある。

それ故に、本盤のように、ワーグナーのオペラの序曲や前奏曲を集めた録音は大変貴重である。

カラヤンは、本盤の前後にも同様の序曲・前奏曲集を遺してはいるが、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期を考慮すると、本盤こそが、最高の名演と高く評価すべきものと考える。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の演奏はそれは凄いものであった。

うなりを上げるような低弦をベースとした弦楽器群の豊麗かつ重厚な響き、悪魔的とも評すべき抜群のテクニックを示すブラスセクションのブリリアントな響きや木管楽器の美しい響き、雷鳴のように轟きわたるティンパニの響きが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、いわゆるカラヤン・サウンドと称される極上の美を誇る名演奏を繰り広げていた。

これまでのオーケストラが成し得た究極の音のドラマを構築していたとも言えるところであり、本盤の各序曲や前奏曲等の演奏も、そうした全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマが構築されていると言っても過言ではあるまい。

冒頭の歌劇「タンホイザー」序曲の壮麗にしてスケール雄大な演奏は、全盛期のこのコンビだけに可能な超名演である。

楽劇「ローエングリン」の第1幕への前奏曲や楽劇「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲と愛の死の官能的な美しさは、おそらくはオーケストラが紡ぎ出すことが可能な究極の美を表現し得ているとも言えるところであり、美しさという点においては、おそらくは古今東西のあらゆる名演に冠絶する最美の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にリマスタリングも施されるとともに、HQCD化もなされたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤やHQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

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2014年12月28日


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クナッパーツブッシュという指揮者をどう評価するのかということについては、クラシック音楽ファンの中でも意見が分かれるのではないだろうか。

ブルックナーの交響曲の演奏に際しては改訂版に固執したり、ベートーヴェンの交響曲第8番やブラームスの交響曲第3番、ハイドンの交響曲第94番などにおける超スローテンポなど、かなり大胆な演奏を行っているからである。

これを個性的な芸術と見るのか、それとも許し難いおふざけ演奏と感じるのかによって、クナッパーツブッシュに対する評価は大きく変わってくると言えるところだ。

もっとも、そのようなクナッパーツブッシュが他の指揮者の追随を許さない名演奏の数々を成し遂げた楽曲があるが、それこそは、ワーグナーのオペラであった。

それはクナッパーツブッシュが活躍していた時期はもとより、現在においてもクナッパーツブッシュを超える演奏が未だに存在していないと言えるところであり、クナッパーツブッシュこそは史上最大のワーグナー指揮者であったと言っても過言ではあるまい。

もっとも、クナッパーツブッシュのワーグナーのオペラの録音は、いずれも音質的に恵まれているとは到底言い難いところであり、それが大きなハンディとなっているのであるが、ただ1つだけ音質面においても問題がない録音が存在している。

それこそが、本盤に収められた舞台神聖祝典劇「パルシファル」の1962年のライヴ録音である。

本演奏こそは圧倒的な超名演であり、おそらくは人類の遺産と言っても過言ではないのではないか。

冒頭の序曲からして、その底知れぬ深みに圧倒されてしまう。

その後は、悠揚迫らぬインテンポで曲想を進めていくが、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さ、演奏の彫りの深さには凄みさえ感じさせるところであり、演奏全体から漂ってくる荘厳で神々しい雰囲気は、筆舌には尽くし難い崇高さを湛えている。

これほどの深沈とした深みと崇高さを湛えた演奏は、他の指揮者が束になっても敵わないような高みに達している。

カラヤンは、後年に、同曲のオーケストレーションを完璧に音化した絶対美とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功した超名演(1979〜1980年)を成し遂げており、ある意味では人間のドラマとも言うべきクナッパーツブッシュによる本超名演とはあらゆる意味で対極にある超名演と言えるところであり、容易に優劣はつけ難いと考えるが、我々聴き手の肺腑を打つ演奏は、クナッパーツブッシュによる本超名演であると考えられる。

歌手陣も充実しており、グルネマンツ役のハンス・ホッターを筆頭に、パルシファル役のジェス・トーマス、アンフォルタス役のジョージ・ロンドン、ティトゥレル役のマルッティ・タルヴェラ、クリングゾール役のグスタフ・ナイトリンガー、そしてクンドリー役のアイリーン・ダリスなどが、クナッパーツブッシュの指揮の下、渾身の名唱を繰り広げているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、ワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルシファル」の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

なお、クナッパーツブッシュによる同曲の録音は、1962年の前後の年代のものが多数発売されているが、音質面をも含めて総合的に考慮すれば、本演奏の優位性はいささかも揺るぎがないものと考える。

録音は、リマスタリングがなされたこともあって従来盤でも十分に満足できる音質である。

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2014年12月27日


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カラヤンは、クラシック音楽史上最大のレコーディングアーティストであり、膨大な数の録音を行った。

とりわけオペラはカラヤンの絶対的な得意分野であり、遺された録音はいずれも水準が高く名演も数多く存在しているが、その中でも最高峰に君臨する名演は、本盤に収められたワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」ということになるのではないだろうか。

それどころか、同曲の数々の演奏の中でも、クナッパーツブッシュ&バイロイト祝祭歌劇場管による名演(1962年)と並ぶ至高の超名演と高く評価したい。

もっとも、本演奏はクナッパーツブッシュによる演奏とはその性格を大きく異にしている。

クナッパーツブッシュによる名演がスケール雄大な懐の深い人間のドラマであるとすれば、カラヤンによる本演奏は、同曲の極上の絶対美を誇る旋律の数々を徹底して美しく磨き抜いた圧倒的な音のドラマと言うことができるのではないだろうか。

本演奏は1979〜1980年のスタジオ録音であり、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビがその最後の輝きを放っていた時期のものだ。

当時のカラヤン&ベルリン・フィルは、鉄壁のアンサンブル、ブラスセクションのブリリアントな響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器、雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが一体となった圧倒的な演奏に、カラヤンが流麗なレガートを施し、それこそオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていた。

本演奏においてもそれは大いに健在であり、どこをとっても磨き抜かれた美しさを誇るいわゆるカラヤン・サウンドで満たされている。

おそらくは、同曲演奏史上、最も美しく磨き抜かれた演奏と言えるところであり、とりわけ有名な「聖金曜日の音楽」における極上の美しさには、身も心も蕩けてしまいそうになるほどだ。

このようなカラヤン&ベルリン・フィルが構築した絶対美の世界にあっては、歌手陣や合唱団もそれに奉仕する1つの楽器に過ぎないとも言えるところであり、これほどまでに美を徹底して突き詰めた演奏は、カラヤンとしても空前にして絶後の出来であったとも言えるのではないだろうか。

まさに、本演奏は、マーラーの交響曲第9番(1982年ライヴ)と並んで、稀代のレコーディングアーティストであるカラヤンが構築し得た究極の美しさを誇る至高の超名演であると高く評価したい。

もっとも、歌手陣も、カラヤンが構築した美の世界の中のおいて素晴らしい歌唱を行っている。

とりわけ、パルジファル役のペーター・ホフマンとグルネマンツ役のクルト・モルの歌唱は圧倒的であり、花の乙女役のバーバラ・ヘンドリックスやアルト独唱のハンナ・シュヴァルツなど、脇役陣にも目を光らせたカラヤンならではのキャスティングにも抜群のセンスの良さを感じることも可能だ。

録音は、カラヤンにとっての初のデジタル録音であり、従来盤でもきわめて優秀なものである。

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2014年12月23日


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巨匠カラヤンが遺した数多くのオペラのスタジオ録音の中でも、本盤に収められたワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は特異なものである。

というのも、もともと指揮を予定していたバルビローリがキャンセルしたということもあるが、オーケストラは当時鉄のカーテンの向こう側にあったシュターツカペレ・ドレスデン、そして歌手陣はいわゆるカラヤン組に属する歌手は殆ど皆無であるという、カラヤンにとって完全アウェイの中で録音が行われたからである。

本盤の演奏は1970年であるが、この当時のカラヤンは、手兵ベルリン・フィルとともに黄金時代を築いていた時期に相当し、ベルリン・フィルの卓越した技量を誇る演奏に流麗なレガートを施したいわゆるカラヤンサウンドを駆使して、圧倒的な音のドラマを構築していた。

それは、例えば、同時期にスタジオ録音されたワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」(1966〜1970年)を聴けばよく理解できるところである。

しかしながら、本演奏においては、ベルリン・フィルを指揮して圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンはどこにも存在していない。

したがって、カラヤンサウンドなどというものは皆無の演奏に仕上がっているところであり、シュターツカペレ・ドレスデンならではのドイツ風のいぶし銀の重厚な音色が全体を支配していると言えるところだ。

そして、カラヤンはシュターツカペレ・ドレスデンを巧みに統率するとともに、ライト・モティーフを適切に描き分けるなど、稀代のオペラ指揮者ならではの才能を十二分に発揮した見事な演出巧者ぶりを発揮している。

カラヤンは、本演奏の録音に際しては、演奏を細かく中断させることなくできるだけ通しで録音を行ったということであるが(編集も最小限に抑えられている)、これによって音楽の流れがいささかも淀みがないとともに、どこをとっても強靭な気迫と緊迫感、そして生命力に満ち溢れているのが素晴らしい。

歌手陣も、主役級にはいわゆるカラヤン組に属する歌手は殆どいないものの全体としては豪華な布陣であり、ハンス・ザックス役のテオ・アダムとフェイト・ポーグナー役のカール・リッダーブッシュ、そしてシクストゥス・ベックメッサー役のジェレイント・エヴァンスは特に充実した歌唱を披露している。

また、ヴァルター・フォン・シュトルツリング役にルネ・コロ、ダーフィト役にペーター・シュライアー、エーファ役にヘレン・ドナート、そして夜警役にクルト・モルを起用する当たりは、いかにもカラヤンならではの豪華なキャスティングである。

ドレスデン国立歌劇場合唱団の豊穣にして充実した歌唱も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏はカラヤンのオペラ指揮者としての実力が存分に発揮された演奏であり、シュターツカペレ・ドレスデンの潤いに満ちたいぶし銀の音色も相俟って、同曲演奏史上最高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

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2014年12月08日


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押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。

特に、本盤に収められたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。

クレンペラーは、LP時代に3枚にもわたるワーグナーの管弦楽曲集のスタジオ録音を行った(1960〜1961年)。

CD時代には、収録時間の関係もあって2枚にまとめられたが、EMIのSACD化に際しての基本方針はLP盤の可能な限りの復刻を目指していることから、今般のシングルレイヤーによるSACD盤の発売に際しては、再び3枚に分割されることになった。

当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。

本盤には、長大な楽劇「ニーベルングの指輪」からの抜粋、そして歌劇「タンホイザー」第3幕への前奏曲、舞台神聖祝典劇「パルジファル」第1幕への前奏曲が収められているが、このうち楽劇「ニーベルングの指環」については、クレンペラーは若き日より何度も指揮を行ってきたところだ。

残念ながら、ライヴ録音も含め、現時点では全曲録音が遺されていないようであり、その意味では本盤の存在は極めて貴重なものと言えるだろう。

本盤の各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるもの。

フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。

テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有している。

これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。

そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。

もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、1960〜1961年のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、クレンペラーによる名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月07日


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本盤には、ワーグナーの有名な管弦楽曲である歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲、楽劇「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲、「徒弟たちの踊りと親方たちの入場」、楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死、そして楽劇「ニーベルングの指環」から「神々の黄昏」第3幕のジークフリートの葬送行進曲が収められている。

諸説はあると思うが、筆者としてはクレンペラーならではの名演と評価したいと考える。

押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。

特に、本盤に収められたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。

クレンペラーは、LP時代に3枚にもわたるワーグナーの管弦楽曲集のスタジオ録音を行った(1960〜1961年)。

CD時代には、収録時間の関係もあって2枚にまとめられたが、EMIのSACD化に際しての基本方針はLP盤の可能な限りの復刻を目指していることから、今般のシングルレイヤーによるSACD盤の発売に際しては、再び3枚に分割されることになった。

当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。

本盤の各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるもの。

フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。

テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有している。

これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。

そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。

もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、1960年のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、クレンペラーによる名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月06日


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フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなど、綺羅星の如く大巨匠が活躍していた20世紀の前半であったが、これらの大巨匠は1960年代の前半には殆どが鬼籍に入ってしまった。

そうした中で、ステレオ録音の爛熟期まで生き延びた幸運な大巨匠(それは、我々クラシック音楽ファンにとっても幸運であったが)こそは、クレンペラーであった。

クレンペラーは、EMIに対して膨大な点数のスタジオ録音を行ったが、その大半はこの大巨匠の指揮芸術の素晴らしさを味わうことが可能な名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

そうした巨匠クレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。

特に、本盤に収められたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。

クレンペラーは、LP時代に3枚にもわたるワーグナーの管弦楽曲集のスタジオ録音を行った(1960〜1961年)。

CD時代には、収録時間の関係もあって2枚にまとめられたが、EMIのSACD化に際しての基本方針はLP盤の可能な限りの復刻を目指していることから、今般のシングルレイヤーによるSACD盤の発売に際しては、再び3枚に分割されることになった。

当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。

本盤には、歌劇「リエンツィ」序曲、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、歌劇「タンホイザー」序曲、歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲が収められているが、これら各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるもの。

フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。

テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有している。

これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、ワーグナーの音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。

そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。

もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、1960年のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、クレンペラーによる名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年09月23日


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本盤には、晩年のカラヤンがベルリン・フィルとともにスタジオ録音したワーグナーの管弦楽曲集が収められている。

本盤の演奏は1984年であるが、これはカラヤンとベルリン・フィルの関係が、例のザビーネ・マイヤー事件の勃発によって修復不可能にまで悪化し、抜き差しならない関係にあった時期のものである。

カラヤン&ベルリン・フィルというクラシック音楽史上にも残る黄金コンビの全盛時代は1960年代から1970年代にかけてであるというのは論を待たないところだ。

この時期のベルリン・フィルには、各楽器の奏者史上でもトップを争う名うてのスタープレイヤーがあまた在籍しており、鉄壁のアンサンブルと超絶的な技量を誇っていた。

カラヤンは、このような超名人集団であるベルリン・フィルを統率し、その演奏に流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤン・サウンドと称される重厚にして華麗な音色を醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

音楽内容の精神的な深みの追求という意味においては、前任者のフルトヴェングラーには及ばなかったと言えるが、この時期のカラヤンの演奏には、そうした音楽内容の精神的な深みを絶対視するとともに、偏向的な見解によってカラヤンを不当に貶し続けてきているとある影響力の大きい某音楽評論家を一喝するだけの圧倒的な音のドラマが構築されていた。

したがって、音楽の持つ根源的な迫力においては、フルトヴェングラーによる名演と容易には優劣を付け難い高水準に達していたとも言えるのではないだろうか。

ところが、前述のようなサビーネ・マイヤー事件の勃発による手兵ベルリン・フィルとの関係悪化、そしてカラヤン自身の健康悪化も相俟って持ち前の圧倒的な統率力に綻びが生じてきたところであり、本演奏においても、随所にそれが顕著に表れていると言えなくもない。

カラヤンはベルリン・フィルとともに、その全盛期である1970年代にEMIにワーグナーの管弦楽曲集をスタジオ録音(1974年)しており、それは超名演の呼び声が高い演奏であるが、当該演奏と本盤の演奏を比較すると、演奏の精度においてはその差は歴然としているとも言える。

しかしながら、本盤の演奏には、晩年のカラヤンならではの枯淡の境地とも言うべき独特の味わい深さがあるとも言えるところであり、前述の1974年盤とは異なった魅力があると言えるのではないだろうか。

したがって、本盤の演奏は、音のドラマとしては若干の綻びがみられるものの、カラヤンが自身のこれまでの波乱に満ちた生涯を自省の気持ちを込めて回顧するような、いわば人生の諦観さえ感じさせる味わい深さという意味においては、筆者としては素晴らしい名演との評価をするのにいささかも躊躇するものではない。

音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、本従来CD盤でも十分に良好な音質である。

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2014年09月21日


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カラヤンは様々なジャンルの音楽に名演を遺してきたが、その中でもオペラは最も得意の分野であった。

そうしたカラヤンのオペラのレパートリーの中でもワーグナーは重要な位置を占めていたが、録音運に恵まれていたかと言うと、必ずしもそうとは言い切れない面がある。

舞台神聖祝典劇「パルシファル」、楽劇「ニーベルングの指環」、そして楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、カラヤンならではの至高の名演と言えるが、他のオペラは、歌手陣などに条件が整わなかったこともあって、カラヤンの本領が発揮されたとは言い難い状況にある。

それ故に、本盤のように、ワーグナーのオペラの序曲や前奏曲を集めた録音は大変貴重である。

カラヤンは、本盤の前後にも同様の序曲・前奏曲集を遺してはいるが、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期を考慮すると、本盤こそが、最高の名演と高く評価すべきものと考える。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の演奏はそれは凄いものであった。

うなりを上げるような低弦をベースとした弦楽器群の豊麗かつ重厚な響き、悪魔的とも評すべき抜群のテクニックを示すブラスセクションのブリリアントな響きや木管楽器の美しい響き、雷鳴のように轟きわたるティンパニの響きが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、いわゆるカラヤン・サウンドと称される極上の美を誇る名演奏を繰り広げていた。

これまでのオーケストラが成し得た究極の音のドラマを構築していたとも言えるところであり、本盤の各序曲や前奏曲等の演奏も、そうした全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマが構築されていると言っても過言ではあるまい。

冒頭の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第1幕への前奏曲の堂々たる進軍は、シュターツカペレ・ドレスデンとの全曲録音(1970年)よりもこちらの方の出来が上であるし、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲の緩急自在のテンポ設定を駆使した演奏は、いかにも演出巧者らしいカラヤンの真骨頂である。

また、楽劇「ローエングリン」の第3幕への前奏曲の力感溢れる演奏は圧巻の迫力を誇っており、我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

さらに、歌劇「タンホイザー」序曲の壮麗にしてスケール雄大な演奏は、全盛期のこのコンビだけに可能な超名演である。

そして、楽劇「ローエングリン」の第1幕への前奏曲や楽劇「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲と愛の死の官能的な美しさは、おそらくはオーケストラが紡ぎ出すことが可能な究極の美を表現し得ているとも言えるところであり、美しさという点においては、おそらくは古今東西のあらゆる名演に冠絶する最美の超名演と高く評価したいと考える。

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2014年09月17日


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本盤に収められた歌劇「ローエングリン」は、ワーグナーの主要オペラをすべて録音したショルティによる一連の録音の掉尾を飾るもの(その他には、晩年の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のコンサート形式による録音が存在している)である。

ショルティのワーグナーについては、最初期の楽劇「ニーベルングの指環」は別格の名演であるが、その他のオペラの中には呼吸の浅い浅薄な演奏もいくつか存在している。

これはワーグナーのオペラに限らず他の諸曲にも共通していると言えるが(マーラーの交響曲第5番のように、成功した名演もあることに留意しておく必要がある)、そのようなショルティも1980年代半ばになると円熟の境地に達したせいか、奥行きの深い演奏を繰り広げるようになってきたように思われる。

例えば、ブルックナーの交響曲第9番の名演(1985年)などが掲げられるところであり、ショルティもこの頃になって漸く名実ともに真の円熟の大指揮者となったと言っても過言ではあるまい。

本演奏も、そうした円熟のショルティの至芸を味わうことができるスケール雄大な名演と言えるところであり、前述の楽劇「ニーベルングの指環」を除けば、ショルティのワーグナーのオペラの中では最も素晴らしい名演と高く評価したい。

円熟のスケール雄大な名演と言っても、本演奏においても、例によって拍が明瞭でアクセントがやや強めであることや、第2幕におけるブラスセクションによる最強奏など、いわゆるショルティらしい迫力満点の正確無比な演奏を繰り広げているのであるが、ウィーン・フィルによる美演が演奏全体に適度の潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

ショルティとウィーン・フィルの関係は微妙なものがあり、必ずしも良好とは言えなかったとのことであるが、少なくとも遺された録音を聴く限りにおいては、両者が互いに協調し合った名演奏を繰り広げていると言えるのではないだろうか。

また、歌手陣も極めて豪華な布陣と言える。

ジェシー・ノーマンのエルザ役には若干の疑問符を付けざるを得ないが、ドミンゴのローエングリン役は意表をついたキャスティングながら見事なはまり役。

ゾーンティンの国王ハインリッヒ役は威厳があって素晴らしい歌唱を披露している。

加えて、軍令使役にフィッシャー=ディースカウを起用するという何とも贅沢なキャスティングは、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

なお、本盤は英デッカによる今はなきゾフィエンザールにおける最後の録音であるという意味においても貴重であり、その鮮明な極上の高音質録音についても高く評価したい。

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2014年08月31日


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ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」はそのストーリーの途方もないスケールの大きさもさることながら、ライトモチーフを効果的に活用したオーケストレーションの豪華さ、華麗さも大きな魅力となっているが、カラヤン&ベルリン・フィルによる本演奏は、そうしたオーケストレーションの魅力を最大限に表現し尽くした演奏ということができるのではないだろうか。

カラヤン&ベルリン・フィルという稀代の黄金コンビの全盛期は、1960年代後半から1970年代にかけてというのは論を待たないところだ。

この全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンド満載の圧倒的な音のドラマが構築されている。

これほどまでに豪華絢爛にして豪奢な同曲の演奏は他にも類例を見ないが、もちろん繊細な箇所における抒情豊かさ、そして室内楽的な精緻さにおいてもいささかも不足はないところであり、その表現力の桁外れの幅の広さも、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの卓越した至芸の賜物である。

このような豪華絢爛であると同時に、繊細さ、精緻さをも兼ね備えた、いわゆるダイナミックレンジの幅広い演奏に対しては、とある影響力の大きい某音楽評論家が映画音楽のように響くとして酷評しているが、これだけの圧倒的な音のドラマを構築することによって、同曲のオーケストレーションの魅力を大いに満喫させてくれたことに対して文句は言えないのではないかと考えている。

歌手陣も、トーマス・ステュアート、ジョン・ヴィッカーズ、ヘルガ・デルネシュ、ゲルハルト・シュトルツェと言った今や伝説となったワーグナー歌手の起用は順当であるが、楽劇「ワルキューレ」におけるジークリンデ役のグンドゥラ・ヤノヴィッツやブリュンヒルデ役のレジーヌ・クレスパンの起用は、いかにもカラヤンならではの意表を突くキャスティングである。

また、4つの楽劇において、例えばヴォータン役をディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとトーマス・ステュアート、ブリュンヒルデ役をレジーヌ・クレスパンとヘルガ・デルネシュ、ジークフリート役をジェス・トーマスとヘルゲ・ブリリオートがつとめるなど、作品によって配役を変えているが、これは作品の性格によって配役を変更するというカラヤンならではの考えに基づくものと考えられるところである。

もっとも、ショルティ&ウィーン・フィル盤(1958〜1965年)やベーム&バイロイト祝祭管盤(1966、1967年)と比較するといささか小粒なキャスティングであることや前述のような配役の統一性など、若干の問題もなきにしもあらずではあるが、カラヤンはこれらの歌手陣の能力を最大限に引き出すとともに、技量抜群のベルリン・フィルを巧みに統率して、楽曲全体として圧倒的な名演に仕立て上げている点をむしろ評価すべきであり、これは卓越したオペラ指揮者であったカラヤンの面目躍如たるものであると言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、オペラ指揮者としてのカラヤンが、その全盛期にベルリン・フィルとともに成し遂げた名演であり、とりわけオーケストラ演奏の充実ぶりにおいては比類のない名演である。

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2014年07月29日


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全盛期のベームによる圧倒的な名演だ。

1966、7年度のバイロイト音楽祭におけるライヴで、いろいろな意味で、「記念碑的な名演」という言葉こそふさわしいレコードである。

ベームはスタジオ録音よりも実演でこそその本領を発揮する指揮者と言われているが、本盤の演奏を聴いているとよく理解できるところだ。

それにしても、本演奏におけるベームは凄まじいばかりのハイテンションだ。

ひたすら音楽を前へと進めていこうという畳み掛けていくような気迫と緊張感、そして切れば血が噴き出してくるような圧倒的な生命力に満ち溢れている。

長大なワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」は、全体を演奏するのに大抵は14時間前後を要するが、ベームは何と約13時間程度で全曲を駆け抜けている。

これだけ速いテンポだと、性急で浅薄な印象を聴き手に与える危険性もあるが、本演奏に関してはそのようなことはいささかもなく、どこをとっても隙間風の吹かない造型の堅固さと充実した響きが支配しているのが素晴らしい。

このベームの演奏が聴き手に感じさせるのは決して表面的なテンポの速さではなく、凄まじいばかりの白熱と緊張に満ちたその音楽の素晴らしい持続力と高揚である。

全盛期のベームの特徴でもある快活なリズム感も効果的であり、随所に清新な躍動感が息づいているのが見事であるという他はない。

同曲には、重厚で強烈無比なショルティ&ウィーン・フィルによる演奏(1958〜1965年)や、ドラマティックなフルトヴェングラー&RAIローマ響による演奏(1953年)、圧倒的な音のドラマを構築したカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1966〜1970年)、あらゆる意味でバランスのとれたカイルベルト&バイロイト祝祭管による演奏(1955年)など、名演が目白押しではあるが、演奏の持つ実演ならではの根源的な迫力においては、ベームによる本名演もいささかも引けを取っていない。

歌手陣も豪華であり、ジークフリート役(「ラインの黄金」においてはローゲ役)のヴォルフガング・ヴィントガッセン、ブリュンヒルデ役のビルギット・ニルソン、ジークムント役のジェームズ・キング、アルベリヒ役のグスタフ・ナイトリンガー、ファフナー役のクルト・ベーメ、そしてハーゲン役のヨーゼフ・グラインドルなど、いまや伝説となった大物ワーグナー歌手も、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の名唱を披露しているのが素晴らしい。

また、ヴォータン役に急遽抜擢されたテオ・アダムによる素晴らしい歌唱も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、ライヴ録音だけに、4作を通じて活躍する配役が原則として同じ歌手によって歌われており、これによって自然なドラマの流れが高い集中力で持続されている点も本演奏の大きなアドバンテージと言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、全盛期のベーム、そして歴史的なワーグナー歌手がバイロイト祝祭劇場に一同に会した歴史的な超名演であると高く評価したい。

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2014年06月18日


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このプロジェクトは1962年にヴィーラント・ワーグナーの演出で制作されたもので、指揮を担当したベームは主役の2人にニルソンとヴィントガッセンの起用を求めたという。

この2人は初年度から高い評価を得たが、幸いなことにその演奏の収録が行なわれていた。

主役2人の演唱も圧倒的だが、演奏もすばらしい。

ベームによる贅肉をそぎ落とした引き締まった響きと速めのテンポは、この作品の内包するエロティシズムとは無縁のものながら、聴くたびに圧倒される白熱的な名演奏である。

ベームは、バイロイトにもたびたび登場し、ワーグナーのツボを心得た指揮者である。

一世代前の、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのような重厚壮大な「重さ」とは一線を画するものであるが、ワーグナー演奏としてけっして場違いな印象はなく、むしろ戦後のバイロイトが築いた頂点のひとつであり、「ヴィーラントによるバイロイト様式の完成」ではないかと思われる。

そして、フルトヴェングラーが深沈とした奥行きの深さ、クライバーがオーケストラのいぶし銀の音色を活かした重厚さを特色とした名演であったのに対して、ベームによる本演奏は、実演ならではのドラマティックで劇的な演奏と言えるのではないだろうか。

そして、学者風でにこりともしない堅物の風貌のベームが、同曲をこれほどまでに官能的に描き出すことができるとは殆ど信じられないほどである。

ベームは、実演でこそ本領を発揮する指揮者と言われたが、本演奏ではその実力を如何なく発揮しており、冒頭の前奏曲からして官能的で熱き歌心が全開だ。

その後も、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や緊張感、そして切れば血が吹き出してくるような強靭な生命力に満ち溢れており、全盛期のベームならではのリズミカルな躍動感も健在だ。

テンポは若干速めであると言えるが、隙間風が吹くような箇所は皆無であり、どこをとっても造型の堅固さと充実した響きが支配しているのが素晴らしい。

とりわけ、第2幕のイゾルデ役のビルギット・ニルソンとトリスタン役のヴォルフガング・ヴィントガッセンによる愛の熱唱は、ベームの心を込め抜いた指揮も相俟って、おそらくは同曲演奏史上でも最高峰の名演奏に仕上がっていると言えるところであり、その官能的な美しさといい、はたまたドラマティックな迫力といい、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

ニルソンの、イゾルデにふさわしい威容と禁断の愛に苦悩する表現の豊かさは見事なもの。

そして、第3幕終結部の愛と死におけるビルギット・ニルソンによる絶唱は、もはや筆舌には尽くし難い感動を覚えるところだ。

第2幕ではニルソンのスケールの大きさにのみこまれそうなヴィントガッセンも、第3幕で死を目前にしての鬼気迫る熱唱は凄絶というほかない。

これらの主役2人のほか、歌手も総じてすぐれた出来映えで、1960年代に全盛期を迎えた名歌手の饗宴は真に感動的だ。

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2014年06月06日


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演奏は音質はともかく、この「マイスタージンガー」を聴いてこれがトスカニーニと想像できる人は少ないであろう。

まずテンポがゆったりしていて、トスカニーニのテンポは速いという定説をくつがえすものである。

もっともワーグナーに関してはトスカニーニは全般に遅めのテンポであったらしい。

バイロイト音楽祭における「パルジファル」で最も長い時間の演奏はトスカニーニであると読んだ記憶がある。

この「マイスタージンガー」がトスカニーニらしくないのは彼特有の整然とした時の刻みが聴かれないのが大きな原因である。

特にホルンなどが昔風の野太い音を張り上げ、リズムも間延びしている。

この時代のホルンの技術がこの程度でそれ以上の要求は無理であったのか、トスカニーニが伝統的様式を敢えて尊重しているのかはわからない。

歌手も今日的なレベルから言えば、音程が不正確でやはりリズムが間延びすることが少なくない。

一方、現代のワーグナー歌手の歌い方はオーケストラの整然とした流れの中に組み込まれ、ひとつの言葉やモチーフに感情を込めた方式は希薄になっている。

この「マイスタージンガー」の歌手の歌い方はまさに後者に属するものであるし、この時代の様式に合致するものである。

ちなみに現代ワーグナー演奏様式を打ち立てたひとりはカラヤンであろう。

この事情は1967年、ザルツブルク復活祭音楽祭における「ワルキューレ」の公演に関する記録で知ることができる。

話は戻るが、トスカニーニは1937年の公演では伝統的様式に従っていると言える。

トスカニーニはヨーロッパの伝統的様式の改革者として登場し、華々しい成功を収め、20世紀の音楽史に大きな影響を与えた人のはずである。

この事情はオットー・シュトラッサーの著書にもかなり詳しく書かれており、非常に興味深いものがある。

この「マイスタージンガー」はトスカニーニの信条に反するものかも知れない。

これはあくまで想像であるが、トスカニーニは常に自分の主張を通すのではなく、時と場合により柔軟な対応ができる人であったのではないかと思う。

特にワーグナーに関しては遅いテンポを採用したことからも、トスカニーニ自身がワーグナーを聖域と考え、むしろ伝統的様式を楽しんでいたのかも知れない。

そんな勝手な想像をしてしまうくらいこの「マイスタージンガー」の演奏は意外であり、また興味深いものである。

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2014年05月07日


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「トリスタンとイゾルデ」という作品は、オペラ指揮者が情熱を傾けたくなってしまう抗しがたい吸引力を持っているようだ。

そのため多くの巨匠たちがこぞってこの作品を取り上げ力作を残してきた。

それでもなぜか、真のカペルマイスターにとって録音の機会を得るだけでも困難だったのは世の矛盾を目の当たりにするようで、深く考えるのに抵抗を感じてしまう。

20世紀最高のワーグナー指揮者だったクナッパーツブッシュは結局、正規録音を残していない!

これは戦慄すべき事実である。

この作品は凡演で聴かされると退屈でしょうがないが、人によっては慎重に組んであるフルトヴェングラー盤を聴いても同じように感じるかもしれない。

しかし、これはどうだろうか。

すべての旋律がこれほど生き生きと流れる例が他にあるだろうか。

空気をたっぷり含んでゆっくりと掃き出すような雄大な流れは、心地よく身を横たえてずっと聴いていたくなってしまう。

筆者は20年来ベーム盤を愛聴してきたが、クナッパーツブッシュ盤に出会い、こちらに乗り換えた。

ベーム盤と比べ、第1幕はより起伏に富み、第2幕は第2場がより濃厚、第3幕は甲乙つけ難い。

1950年のクナはベームに劣らぬ緻密な棒さばきで、クライマックスへ突進するベームに比べ、クナ盤ではワーグナー音楽の流れに身を任せる醍醐味が味わえる。

聴く方も気合いを入れないといけないベーム盤と違い、クナ盤はするりと自然にワーグナー的陶酔へと引き込んでくれる。

長いので前奏曲か愛の死(最初と最後)だけでも聴き比べれば、他とは次元が違うことを確認できるだろう。

魔術のようだ。

音楽の力だけでコンウォールの空想世界を作り上げてしまった、そんな演奏である。

音質は録音年代にしては標準レヴェルである。

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1952年7月23日、バイロイト祝祭劇場でのライヴ(モノラル)録音。

ORFEO社のバイロイト・ライヴ・シリーズの第1弾として発売されたもので、これまでも他社から発売されていたが、正規盤としては初出。

わずかだったカラヤンのバイロイト出演だが、1952年の「トリスタン」は大変素晴らしい演奏である。

ORFEOの正規CDが出たのは2003年になってからだが、以前から海賊盤で愛聴してきた。

演奏は実に素晴らしいもので、カラヤンはクナッパーツブッシュとは全くタイプが異なる非常に引き締まった演奏をバイロイト祝祭管で聴かせてくれる。

カラヤンの指揮は後年の豪華だがやや重たい指揮に比べてしなやかで、戦前のウイーンやベルリンでの成功、あるいは後のクライバーの名演をも彷彿させる。

1950年代バイロイトの歌手陣は凄まじく、まずメードルのイゾルデは一つの理想形であろう。

メードルは前年のクンドリー(パルシファル)でも歴史的な名演を成し遂げている。

ブリュンヒルデのヴァルナイと共に戦後バイロイトの復興はこの2人の歌姫にかかっていたと言って良いだろう。

メードルとヴァルナイは後のニルソンほど多くの録音を残さなかったが、ニルソンの発声はフラグスタートに近いやや古いスタイルのもので、メードルやヴァルナイの方がスタイルとしては新しい。

そしてこのライヴ録音は音もまずまずだ。

メードルのイゾルデはこれまでテルデックのハイライト盤があっただけなので、全曲がこうして後世に残されたのは大変喜ばしい。

ヴィナイのトリスタンも悪くないと思うが、しかしヴィナイはこの時が初役でドイツ語が自由でなかったためカラヤンはヴィナイを気に入らなかったらしい。

カラヤンの新盤のヴィッカースよりは筆者には数段望ましいが、カラヤンの評価は逆だったそうだ。

カラヤンの声の趣味は時々変わっているように思う。

ちなみにカラヤンは、最晩年に今一度「トリスタン」全曲を上演、録音したかったようだが、ついに果たせなかった。

1970年盤が当時のEMIの録音の特色でもあったのだが、クリアーさに欠ける部分があるのが、どうしても欠点として残る。

したがって、当バイロイト盤をカラヤンの「トリスタン」の代表盤に掲げる人もいるだろう。

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2014年04月08日


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《リング》のような巨大な作品を、CDなりLPなりで聴き通すのは、初心者にはむしろ苦痛といってもいいかもしれない。

実演から入るのがいちばんだと思うが、それにしても舞台での字幕は読みにくいものだ。

筆者がお薦めしたいのは、まずは映像で、この長い作品の構造を把握しておくことだ。

最近はレヴァインやサヴァリッシュなど、いろいろな《リング》がDVDその他で市販されている。

しかしいちばんすぐれているのは、パトリス・シェローが演出し、ピエール・ブーレーズが指揮した、フランス・チームによるバイロイトの実況盤であろう。

ライン河がダムになっていたり、ヴォータンがフロックコートを着ていたりと、最初は物議をかもした上演だったが、結局その後の《リング》演出は、すべてここから始まるという原点となった。

そしていまだにこの映像を超えるものはないと、筆者は確信している。

それは何よりも、演出が音楽そのものの徹底した読み込みから生まれた、きわめて必然的なものだったからだ。

「ワルキューレ」第3幕の、画家ベックリンの「死の島」を模したと思われる岩山など、視覚的な装置としても実に美しく、説得力がある。

管弦楽も、むしろ室内楽的な透明さを目指しながら、しかも迫力に欠けないブーレーズの指揮は、ワーグナーのもくろんだ指導動機の積み重ねによる壮大な音響という構造を、非常によく表していると思う。

歌手も素晴らしい。

ちょっと情けない感じのマッキンタイヤーのヴォータンが、だからこそいまの神々にふさわしく、ジョーンズのひたむきなブリュンヒルデには、心を打たれる。

格好いいホフマンのジークムント、小人役などのツェドニクの快演=怪演ほか、歌も演技も、総じてかなりのレベルの高さである。

べつに「入門」というわけではなく、この映像は《リング》のなかでも傑出したものと言える。

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2014年03月31日


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1960年1月9日、ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場に於けるライヴ録音で、モノラルのライヴながら良い音質である。

2011年1月に陽の目を見たメトロポリタン歌劇場でのライヴで、個人所有のエア・チェック音源をゴールデン・メロドラムがCD化したディスクである。

ワーグナー自身が自画自賛した作品だけに、“聖地”バイロイトだけでなく、世界中の歌劇場においても屈指の人気作として幾多の名舞台が繰り広げられてきた。

録音も数多く存在するが、ベームは自らが語るように「バッハとモーツァルトによって浄化された様式的ワーグナー像」を確立している。

それは「終局迄突き進む唯一のクレッシェンド」であり、まさに音楽的に見て隙がない。

強固な芯が全体を貫いていて、その推進力は物凄いエネルギーを秘めている。

「私は『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデ役を33人の指揮者の下で歌ってきたが、ベームに匹敵する人は誰もいなかった」という旨の事を語ったというニルソンを始め、歌手陣の声は1960年のエア・チェックという事を考えると、それなりの鑑賞度の高さを具え、当時の会場の空気を伝えてくれる。

しかし、管弦楽は遠い。

その為、高揚感という点ではやや物足りない。

管弦楽がもっとましな録音だったら……と思わずにはいられない。

とはいえ、全体的に高い水準でまとめられているところは流石にベームならではであり、物足りない個所を割引いてもなお余りある魅力があり、決して史料的価値だけの録音ではない。

そうした意味において当盤が発掘された事はベーム・ファン、そしてワグネリアンにとって誠に喜ばしい限りである。

因みにキャストの紹介など演奏開始を伝える放送局のナレーションが冒頭に入っている。

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2014年03月21日


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第1集と比較すると、いずれも録音年代が古いだけに、音質においてやや分が悪いことは否めない。

しかしながら、この年代の録音にしては、素晴らしい高音質に蘇っており、演奏の質の高さも含め、至高の名SACDとして高く評価したい。

少なくとも、初期盤や、その後に何度も繰り返されたリマスタリングCDとは桁違いの高音質である。

冒頭の「さまよえるオランダ人」序曲の圧倒的な音場、音圧からして、その圧巻の迫力に大変驚かされる。

演奏内容も、フルトヴェングラーならではの振幅の激しいものであり、終結部のゲネラルパウゼなど、いささかやり過ぎのきらいがないわけではないが、音楽が矮小化することがないのは、さすがの至芸と言える。

「トリスタンとイゾルデ」は、さすがに1930年代の録音だけに、音質はいささか古いが、それでも、望みうる最大限の音質の鮮明化は施されているように思われる。

フルトヴェングラーは、後年、このオペラの全曲をスタジオ録音しているが、演奏自体は、本盤の方がはるかに上。

同曲の不健康な官能美を、いささかも感傷に陥らず、高踏的な崇高さで描いたのは見事と言うほかはない。

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第1幕への前奏曲は、最もフルトヴェングラー向きの作品だけに、あたりを振り払うかのような峻厳たる威容は、他のどの演奏よりも素晴らしい。

そして、本盤の白眉は「パルシファル」だ。

その中でも、聖金曜日の音楽の純音楽盤は、他にもきわめて録音が少ないが、これまではフルトヴェングラー盤の音質が悪いだけに、窮余の策としてワルター盤を最上位の名演に掲げてきたが、今般の高音質化によって、かなり満足できる音質に生まれ変わっており、今後は、このフルトヴェングラー盤をより上位に置きたいと考える。

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2014年03月20日


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凄い高音質SACDの登場だ。

「ワルキューレの騎行」を除いて、いずれも1950年代のスタジオ録音であり、もともと音質の条件は良かったと言えるが、それでも、既発売のリマスタリングCDとは段違いの高音質であると高く評価したい。

重厚な弦楽合奏もつややかに響くし、金管楽器がいささかも古臭さを感じさせず、ブリリアントに鳴り切っているのが素晴らしい。

「ブリュンヒルデの自己犠牲」におけるフラグスタートの歌唱も鮮明の極みであるし、オーケストラの音色と明瞭に分離するとともに、ホールの空間さえ感じさせる点など、これまでのフルトヴェングラーのCDでは考えられなかったことだ。

これほどの高音質になると、これまでかなりの偏見で捉えられてきたフルトヴェングラーのワーグナーについても、全面的にその評価を改める必要が出てくるのではないか。

その偏見とは、影響力の大きいとある高名な音楽評論家による、「ワーグナーはクナッパーツブッシュによるインテンポによる演奏が名演で、これに対して、フルトヴェングラーの演奏は、テンポの激変が音楽を著しく矮小化しており、クナッパーツブッシュの名演には一歩も二歩も譲る」との評価であるが、筆者としては、そうした見解は、多分にこれまでのCDの劣悪な音質によるのではないかと考えている。

本盤のような高音質CDになると、フルトヴェングラーの演奏に彫りの深い内容の濃さが出て、スケールの大きさにおいても、クナッパーツブッシュの名演に必ずしも劣るとは言えないと考えるからだ。

確かに、テンポの揺れは感じるが、決して音楽を矮小化することには繋がっておらず、むしろ、オペラ指揮者としての演出巧者ぶりが遺憾なく発揮されていると言うべきである。

特に、「ブリュンヒルデの自己犠牲」のラスト、愛による救済のテーマが流れる箇所の雄渾なスケールは、フルトヴェングラーだけが成し得る至高・至純の高みに達している。

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2014年02月21日


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現代を代表するワーグナー指揮者バレンボイムの能力がフルに生かされた名演といえよう。

ワーグナー指揮者としてすっかり名声を確立した感のあるバレンボイムだが、彼が主要十作品のうちもっとも古くから指揮してきたのが《トリスタンとイゾルデ》である。

この音楽がもつ大きなうねり、そこから生まれる陶酔感をこれほど大胆に表現できる指揮者は現役では他に見当たらない。

それは彼が幼い頃から敬愛するフルトヴェングラーの精神を現代に受け継ぐものといえるだろう。

フルトヴェングラーを心から尊敬するというバレンボイムは、その精神を受け継ぎ、きわめてスケールが大きく、しかも現代的な精密さをあわせもった音楽を聴かせる。

フルトヴェングラーを忘れさせる、というほどでなくても、ここにはまぎれもなく現代の《トリスタン》が響いている。

ベルリン・フィルもそうした指揮者の要求に的確に反応し、オペラで普段演奏するオーケストラとは一味違った、いつになく熱気に満ちあふれた、精妙かつ熱い音楽を奏でている。

第1幕の幕切れ、第2幕の愛の二重唱など、これこそワーグナーを聴く醍醐味という印象。

イゾルデのマイヤーは、まだソプラノに転向した直後で、まだソプラノの役に挑んで日が浅かったため、今の彼女ほどの水準の素晴らしさはないとはいえ、その豊かな艶をたたえた深々とした声はきわめて魅力的。

トリスタンのイェルザレムも彼の最良の歌唱を聴かせている。

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2014年01月30日


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トスカニーニの唯一のステレオ録音であり、最後の公開演奏録音である。

チャイコフスキー「悲愴」交響曲は1954年3月21日の演奏、ワーグナー・プログラムが4月4日の文字通りの最後の公開公演でいずれもカーネギーホールでの収録である。

この間、トスカニーニは3月25日に87歳の誕生日を迎えている。

演奏会は全米にラジオで実況中継されているが、これとは別にステレオによる録音記録が残されていた。

この最後の演奏会での悲劇の実際は、諸石幸生氏の著作(音楽之友社)に詳しい。

トスカニーニはすでに記憶障害に悩んでおり、1953−54年シーズンの契約も不承不承であったという。

悲劇はすでに前日のリハーサルに起こっていた。

だから本番当日でのトラブルは予測されており、指揮者が立ち往生した際も混乱のなかで何とか演奏は続けられた。

このCDを聴くと、トラブルのあった「タンホイザー」序曲のバッカナーレで、ソロが不安げに揺らぎテンポが異様に落ちてあてもなくさまようのが感じ取れるが、中断はしない。

終末の和音が不自然なのは、修正の痕跡というよりは録音上のミスではないかと思う。

演奏は中断したとか、緊急のアナウンスが入り、ブラームスの交響曲に切り替わったとかの話が流布しているのは、前日のリハーサルの録音が実存していることや、本番での実況放送を録音した私家版のせいらしい。

実際には演奏は混乱しつつも続けられたというのが真相だ。

ステレオの効果は驚くほど顕著だ。

常識的な予想に反して、悲劇のワーグナー・プログラムのほうが俄然良い。

その音の官能的なことと豊麗豊饒な厚みは驚愕的だ。

伝説のスタジオ8Hの砂漠のような音質で、NBC響はずいぶんと誤解されている。

この録音を聴くと、金に飽かせず名人を選りすぐりストラディバリウスだけでも8台持っていたというこのオーケストラの豊かな音の実像にようやくたどり着いたという実感で心がいっぱいになる。

これに比べると「悲愴」のステレオ録音は音が希薄で虚弱な印象が否めない。

最晩年の衰えのせいなのか、録音技術の未熟さのせいなのかはよくわからない。

しかし、1947年の不滅の超名演には並ぶべくもない。

テクノロジーが芸術価値を伝えきれないことはあっても、もともと無いものを補充し逆転させることはない。

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2014年01月29日


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1965年、スラヴ・オペラの指揮者として初来日したマタチッチ。

当時日本では全く無名であった彼は、そのオペラ公演だけで日本の楽界を席捲し、NHK交響楽団をはじめとして多くの音楽家、音楽ファンの心を鷲掴みにした。

その後の度重なる来日でも、飾り気の無い音楽の真髄をとらえた雄大な演奏は、多くのファンを熱狂させ、忘れがたい名演を遺した。

巨匠と強い絆で結ばれたN響による風格溢れるワーグナーは、聴衆よりも先に、N響の楽員がマタチッチの音楽性にまいってしまったようだ。

プロずれがしていて、ややもすればことなかれ主義の演奏をするこのオーケストラが、マタチッチの指揮下では目の色を変えて情熱的な演奏を繰り広げたのである。

確かに一部には今日のN響にはない技術の問題が金管等に見出されるが、それを補って余りある、マタチッチの解釈に必死で喰らいついていこうというひたむきさがある。

マタチッチはどの曲の演奏も線の太い、逞しい表現で堂々と運び、ドイツ風の重厚なワーグナーを作り上げている。

マタチッチならではの強靭で立体感ある音楽作りはワーグナーにピッタリで、がっちり作った枠の中で各パートを自在に出し入れして明快かつ起伏の深い描写が展開される。

豪快さと細部の抉り出しが見事に表現された『マイスタージンガー』第1幕前奏曲には、そうした特質が端的に示されている。

1つ1つの和音を入念に磨いて積み上げることで神秘性や悲劇性が際立つ『ローエングリン』第1幕前奏曲は特に秀逸で、清澄な弦の響きも強く心を惹きつける。

またどの曲においてもフレージングの息が長く、こってりならずにたっぷり歌いこまれているのが素晴らしい。

マタチッチの懐の深さ、N響の献身ぶり、これは本当に凄いレコードだと思う。

これほど人間の熱い思いが剥き出しになったワーグナー演奏、しかも、実に呼吸の深い名演奏となっている録音は、他に類例があるだろうか。

あっても、クナッパーツブッシュくらいのものだろう。

N響とマタチッチの間に通う信頼感が生み出した名演であり、日本のオーケストラによる優れたワーグナー演奏と言えよう。

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