ワーグナー

2022年07月26日


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1975年12月4日、NHKホールにおけるステレオ録音(ライヴ)。

これは素晴らしい演奏内容だ。

驚く程スケールの大きな演奏で、テンションの高い1970年代のN響とマタチッチの巨人的音楽作風の相乗で、超弩級の音楽に仕上がっている。

それにしても何と言う演奏だろう。

「マタチッチの」「N響の」という文脈ではなく、すべてのワーグナー録音のなかでも屈指の名盤と言える。

いずれも完全にオーケストラ・ピースとして演奏しており、その分物語性はないが完結した音楽となっており、完成度は高い。

揺るぎない骨格、透明感と品位、横の流れの自然さ、どこをとっても立派の一語に尽きる。

マタチッチ自身が語っているようにクナッパーツブッシュのワーグナーを下敷きにした演奏となっている。

響きは雄大で広がりがあり、ムラヴィンスキーの突き刺すような演奏とは違い包容力がある。

巨大な山脈が地の底から動いていくかのような何とも凄い演奏だ。

雪崩のようなフォルテもマタチッチの高い集中力を感じさせてくれる。

緻密でありながら大胆、流麗でありながら重厚、N響という先入観は不要。

ただひたすらに音楽に奉仕する指揮者と演奏者のみがここにある。

その音楽の圧倒的な力に、この録音当時、もしマタチッチがバイロイトで「リング」を上演していたら、その歴史はその後大きく変わっていたのでは?とさえ思う。

日本の楽団でこのレベルの音楽をやってみせたマタチッチは本当に凄い指揮者であった。

技術を云々している場合ではない。この演奏には圧倒的な音楽的説得力がある。

整った演奏は他にたくさんあるが、ここではライヴの良さが技術的なものを超えているように思われる。

マタチッチとこういう結びつきを持ったN響はとても幸運だったのだと思う。

音質はややぼやけているが、ホールでの演奏を思わせる自然なもので好ましい。

演奏・録音・選曲の面からマタチッチのファンのみならず、ワーグナーの入門としても薦めたい。

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2022年07月13日


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1965年、スラヴ・オペラの指揮者として初来日したマタチッチ。

当時日本では全く無名であった彼は、そのオペラ公演だけで日本の楽界を席捲し、NHK交響楽団をはじめとして多くの音楽家、音楽ファンの心を鷲掴みにした。

その後の度重なる来日でも、飾り気の無い音楽の真髄をとらえた雄大な演奏は、多くのファンを熱狂させ、忘れがたい名演を遺した。

巨匠と強い絆で結ばれたN響による風格溢れるワーグナーは、聴衆よりも先に、N響の楽員がマタチッチの音楽性にまいってしまったようだ。

プロずれがしていて、ややもすればことなかれ主義の演奏をするこのオーケストラが、マタチッチの指揮下では目の色を変えて情熱的な演奏を繰り広げたのである。

確かに一部には今日のN響にはない技術の問題が金管等に見出されるが、それを補って余りある、マタチッチの解釈に必死で喰らいついていこうというひたむきさがある。

マタチッチはどの曲の演奏も線の太い、逞しい表現で堂々と運び、ドイツ風の重厚なワーグナーを作り上げている。

マタチッチならではの強靭で立体感ある音楽作りはワーグナーにピッタリで、がっちり作った枠の中で各パートを自在に出し入れして明快かつ起伏の深い描写が展開される。

豪快さと細部の抉り出しが見事に表現された『マイスタージンガー』第1幕前奏曲には、そうした特質が端的に示されている。

1つ1つの和音を入念に磨いて積み上げることで神秘性や悲劇性が際立つ『ローエングリン』第1幕前奏曲は特に秀逸で、清澄な弦の響きも強く心を惹きつける。

またどの曲においてもフレージングの息が長く、こってりならずにたっぷり歌いこまれているのが素晴らしい。

マタチッチの懐の深さ、N響の献身ぶり、これは本当に凄いレコードだと思う。

これほど人間の熱い思いが剥き出しになったワーグナー演奏、しかも、実に呼吸の深い名演奏となっている録音は、他に類例があるだろうか。

あっても、クナッパーツブッシュくらいのものだろう。

N響とマタチッチの間に通う信頼感が生み出した名演であり、日本のオーケストラによる優れたワーグナー演奏と言えよう。

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2022年06月07日


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ヤノフスキはリヒャルト・ワーグナー生誕200周年を記念すべく、彼の主要な音楽劇作品を手兵ベルリン放送交響楽団を率い、当時を代表する歌手を迎えてコンサート形式でライヴ録音した。

あれから既に10年になろうとしているが、確かにSACD化されたディスクは現在でも最も音質に恵まれている。

この『さまよえるオランダ人』は2010年の録音で短いわりには多くを表現となければならないオペラの要所要所を良くまとめている。

歌手の存在を突出させずに、ストーリーを音楽中心に追っていくのは、おそらく現代のワーグナーのスタンダードな解釈と思われる。

それだけ歌手が小粒になったのかも知れない。

また堅実で巧いがヤノフスキには指揮者としてのカリスマ性はここでもそれほど感じられない。

特にコンサート形式のライヴでは物語の熱気もいまひとつ伝わってこないのも事実だろう。

歌手陣で実力を発揮しているのは船長ダーラント役のマッティ・ザルミネンで味のある役柄を演じている。

一方『マイスタージンガー』のハンス・ザックスで好演したアルベルト・ド―メンのオランダ人はやや硬さが感じられる。

逆にエリック役のロバート・ディーン・スミスは『マイスタージンガー』では力みが目立ったが、こちらでは出番が少ないこともあってか余裕がみられる。

ゼンタ役のリカルダ・メルベトだが、彼女は典型的なワーグナー・ソプラノとしての強い声の持ち主だと思うが、いくらか無理をして歌っているように思われる。

ワーグナーを歌うには大規模なオーケストラに対抗するために往々にして声帯を酷使してしまう。

彼女もやはり後半で声のコントロールが安定していないのが聴き取れる。

特にライヴでは体力の配分が大切で、声量より確実な表現力の披露を期待したいところだ。

コーラスは良く鍛えられていて好演だし、オーケストラも巧妙だ。

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2022年06月05日


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クナッパーツブッシュという指揮者をどう評価するのかということについては、クラシック音楽ファンの中でも意見が分かれるのではないだろうか。

ブルックナーの交響曲の演奏に際しては改訂版に固執したり、ベートーヴェンの交響曲第8番やブラームスの交響曲第3番、ハイドンの交響曲第94番などにおける超スローテンポなど、かなり大胆な演奏を行っているからである。

これを個性的な芸術と見るのか、それとも許し難いおふざけ演奏と感じるのかによって、クナッパーツブッシュに対する評価は大きく変わってくると言えるところだ。

もっとも、そのようなクナッパーツブッシュが他の指揮者の追随を許さない名演奏の数々を成し遂げた楽曲があるが、それこそは、ワーグナーのオペラであった。

それはクナッパーツブッシュが活躍していた時期はもとより、現在においてもクナッパーツブッシュを超える演奏が未だに存在していない。

まさにクナッパーツブッシュこそは史上最大のワーグナー指揮者であったと言っても過言ではあるまい。

もっとも、クナッパーツブッシュのワーグナーのオペラの録音は、いずれも音質的に恵まれているとは到底言い難いところであり、それが大きなハンディとなっているのであるが、ただ1つだけ音質面においても問題がない録音が存在している。

それこそが、本盤に収められた舞台神聖祝典劇『パルジファル』の1962年のライヴ録音である。

本演奏こそは圧倒的な超名演であり、おそらくは人類の遺産と言っても過言ではないのではないか。

冒頭の前奏曲からして、その底知れぬ深みに圧倒されてしまう。

その後は、悠揚迫らぬインテンポで曲想を進めていくが、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さ、演奏の彫りの深さには凄みさえ感じさせるところであり、演奏全体から漂ってくる荘厳で神々しい雰囲気は、筆舌には尽くし難い崇高さを湛えている。

これほどの深沈とした深みと崇高さを湛えた演奏は、他の指揮者が束になっても敵わないような高みに達している。

カラヤンは、後年に、同曲のオーケストレーションを完璧に音化した絶対美とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功した超名演(1979〜1980年)を成し遂げている。

ある意味では人間のドラマとも言うべきクナッパーツブッシュによる本超名演とはあらゆる意味で対極にある超名演であり、容易に優劣はつけ難いと考えるが、我々聴き手の肺腑を打つ演奏は、クナッパーツブッシュによる本超名演であると考えられる。

歌手陣も充実しており、グルネマンツ役のハンス・ホッターを筆頭に、パルシファル役のジェス・トーマス、アンフォルタス役のジョージ・ロンドン、ティトゥレル役のマルッティ・タルヴェラ、クリングゾール役のグスタフ・ナイトリンガー、そしてクンドリー役のアイリーン・ダリスなどが、クナッパーツブッシュの指揮の下、渾身の名唱を繰り広げているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、ワーグナーの舞台神聖祝典劇『パルジファル』の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

なお、クナッパーツブッシュによる同曲の録音は、1962年の前後の年代のものが多数発売されているが、音質面をも含めて総合的に考慮すれば、本演奏の優位性はいささかも揺るぎがないものと考える。

録音は、リマスタリングがなされたこともあって従来盤でも十分に満足できる音質である。

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2022年06月01日


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1953年のバイロイト祝祭に於けるライヴ録音で、ネット配信でどの程度の音質を再現できているか聴いてみたくなった。

勿論歌詞対訳などは望むべくもないことは承知の上だが、音質に関しては特に歌手達の声がほぼ満足できる状態に再現されていて、劇場の潤沢な残響も声楽に潤いを与えている。

リマスタリングには無頓着だが、このセットは正規音源を使ったものらしくモノラルながら鑑賞に全く不都合はない。

あえて弱点を挙げるとすればオーケストラにセッション録音のような迫力と細部の精緻さにやや欠けるところだ。

これはバイロイトという特殊なオーケストラ・ピットを構えている劇場のライヴでは止むを得ないし、当時の録音方法と技術を考えれば決して悪いとは言えない。

このライヴの魅力はウィーンの名匠クレメンス・クラウスが亡くなる一年前に遺した、結果的に彼のワーグナーへの総決算的な上演になっていることだ。

1953年バイロイトに初登場、それが最後となったクラウスの指揮には1960年代のブーレーズの登場を予感させるようなラテン的な明澄さと締まったテンポ感、さらりとした味があった。

本来クナッパーツブッシュが予定されていたにも拘らず、ヴィーラント・ワーグナーの、舞台セットよりも照明効果を重視する演出との衝突から、クラウスに白羽の矢が立ったという経緯があるようだ。

皮肉にもクラウスの死によりクナがバイロイトに復帰することになるのだが、この時の上演の出来栄えは素晴らしい。

クナとは全く異なったアプローチによる、精妙な中にもダイナミズムを湛えたリリカルな仕上がりになっている。

クナほどスケールは大きくないかもしれないが、ワーグナーの楽劇として明快にしっかりとまとめられていて、長時間の作品であることを忘れさせてしまう。

クラウスの音楽を完璧に支えているのが当時全盛期にあった歌手陣である。

彼らの輝かしい声によって活性化された若々しい表現が、オール・スター・キャストの名に恥じない舞台を創り上げている。

ブリュンヒルデやイゾルデには、今一つの感が否めなかったマルタ・メードルのクンドリーは素晴らしい歌唱で、グルネマンツのルートヴィヒ・ヴェーバーも役どころにぴったりで印象的だ。

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2022年05月06日


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1974年、バイロイト音楽祭に於ける、カルロス・クライバー指揮の《トリスタンとイゾルデ》上演の貴重な記録。

バイロイトは1962年からのヴィーラント・ワーグナー演出、カール・ベーム指揮による《トリスタン》が1970年に終了した後、次の《トリスタン》を準備する時期になっていた。

バイロイトの新しい《トリスタン》にふさわしい指揮者といえば、カラヤンではあったのだが、カラヤンは既にザルツブルクで復活祭音楽祭を始めていた。

これに対抗できる当時の指揮者といえば、たったひとり、バーンスタインだったのだが、条件が折り合わず、他の指揮者を探すことになったという。

結果、バイロイトが選んだのが、一部では人気が出ていたが、まだ世界的な名声とは無縁で、この時44歳、いま思えば若い指揮者だったクライバーであった。

新しい《トリスタン》の演出はアウグスト・エヴァーディングで、当時から立派な性格と卓越した話術と抜群の政治力と凡庸な演出力で知られ、めざましい舞台も期待できないと思われたが、事実その通りになった。

イゾルデはカタリーナ・リゲンツァで、これ以外はあり得ないという選択だ。

ニルソンのような輝かしい声や切れ味で勝負するソプラノとは違い、繊細な声と表現力とで、女性的な性格の濃いイゾルデを歌う。

この人としても最高の出来だったのだろう、情熱と優しさが一体となったイゾルデが現れた。

でも問題がトリスタンであった。この頃ワーグナー・テノールは全滅状態で、トリスタンやジークフリートを歌う歌手はいたが、歌える歌手はいなかった。

ヴォルフガング・ヴィントガッセンの時代はもう終わり、ルネ・コロとペーター・ホフマンの時代はまだ始まっていなかった。

結局ヘルゲ・ブリリオートが歌ったが、悲しい人選というほかなく、よく探して、コロに歌わせればよかったのに、と思うのは、後になってから生まれる感想だ。

カラヤンの《神々の黄昏》でジークフリートを歌い、全曲盤で聴けるが、これが精いっぱいだったのか表情はかなしそうで、「かなしみのトリスタン」には合っているとも考えられるのだが、声がかなしいのは困る。

しかし、トリスタンが弱くてもなお、クライバーの《トリスタン》は凄かった。

悲しみの底に沈んでゆくような精緻な美が後のセッションの全曲盤の本領であるのに対し、バイロイトのは激しい情念が渦巻くような演奏だ。

前奏曲から、かろうじて抑制しているが、その抑制が限界に達しているのが感じられる。いつ奔り出てもおかしくない。

異様な緊迫感で始まった演奏は、2人が愛の薬を飲んで、ついに抑制された感情は堰を切ってしまう。その後は手を握りしめ、衝撃に耐えるほかなくなる。

クライバーの激しくも悩ましい指揮の素晴らしさは圧倒的で、この楽劇からかび臭さを剥ぎ取った。

それは実に若々しく、また初々しい感情表現に溢れた表現であり、この楽劇の演奏史を塗り替えたと言ってもよいであろう。

クライバーの指揮で聴いているとトリスタンとイゾルデは本当に若い。

若者の恋愛劇に聴こえてくるし、2人は媚薬など飲まなくとも、絶対に求め合い、結ばれたはずだとの確信すら持つようになってしまう。

それほどクライバーの演奏に充満している感情は激しく、血は濃く、生命の鼓動が渦巻いている。

当然のことに演奏全体に勢いと推進力があり、ドラマは前へ前へと展開、いささかも漫然とすることがない。

しかもワーグナーの本場バイロイトのオーケストラの美質を最大限に生かしたサウンドの素晴らしさも格別であり、聴き手は馥郁たる美音の饗宴に、ドラマとはもう一つ別の陶酔的興奮すら覚えてしまうほどである。

若きクライバーは音楽を瞬時も停滞させることなく、ぐいぐいと引っ張っていくエネルギッシュな演奏は、ワーグナーのヴェズリモを聴くかのようである。

この革新性は誰にも真似のできない世界であった。

バイロイト音楽祭にデビューした当時のクライバーはカリスマではなかった。なったのはこの夏だったのだ。

クライバーの《トリスタン》は、確かに圧倒的だった。

だが原理は過去のものだったのではないだろうか。溢れる官能、愛と死の勝利。ワーグナーが夢見たワーグナーというべきか。

クライバーの強烈な個性は、失われつつある過去の美を呼び起こす。ロマン派の美学は蘇り、現代の美を圧倒してしまう。

クライバーの驚くべき高みに達した《トリスタン》上演は、74・75・76年の3回続き、その間にクライバーは神話的な指揮者になっていた。

《トリスタンとイゾルデ》が、時の美を映すだけの演奏を獲得できる作品で、その最高の例が1970年代半ばの名演に現れたのは確かだ。

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2022年04月05日


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本盤の演奏は、1949年12月16日(奇しくもベートーヴェンと私の誕生日)のハンブルク(オケは結成間もない北西ドイツ放送交響楽団)でのライヴ録音である。

名指揮者イッセルシュテットが最も充実した時代の演奏であると同時に、まだ戦後バイロイト音楽祭の復興もままならぬ時代の記録でもある。

イッセルシュテットは最近ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》のライヴ録音の日の目を見るなど数々の秀演を遺している。

しかしそれらのライヴ録音にも冠絶する至高の名演は、本盤に収められた楽劇《トリスタンとイゾルデ》であると考える。

それどころか、同曲の他の指揮者による名演であるフルトヴェングラー&フィルハーモニア管による演奏(1952年)やベーム&バイロイト祝祭管による演奏(1966年)、さらにクライバー&シュターツカペレ・ドレスデンによる演奏(1980〜1982年)と並んで4強の一角を占める超名演と高く評価したい。

フルトヴェングラーが深沈とした奥行きの深さ、ベームが実演ならではのドラマティックで劇的な演奏、クライバーがオーケストラのいぶし銀の音色を活かした重厚さを特色とした名演であった。

これらに対して、学者風でにこりともしない堅物の風貌のイッセルシュテットが、同曲をこれほどまでに官能的に描き出すことができるとは殆ど信じられないほどである。

イッセルシュテットは、実演でこそ本領を発揮する指揮者あることが明らかにされてきている。

本演奏でもその実力を如何なく発揮しており、冒頭の前奏曲からして官能的で熱き歌心が全開だ。

その後も、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や緊張感、そして切れば血が吹き出してくるような強靭な生命力に満ち溢れており、全盛期のイッセルシュテットならではのリズミカルな躍動感も健在だ。

テンポは若干速めであるが、隙間風が吹くような箇所は皆無であり、どこをとっても造型の堅固さと充実した響きが支配しているのが素晴らしい。

セッションにおける冷静なイッセルシュテットとは趣が異なり、実演でこそ燃え立つ真の名匠としてのイッセルシュテットの逞しい音楽が渦巻いている。

ハンブルクに集結した名歌手陣の、その感動的な歌唱の魅力は素晴らしく、現在聴いても少しも色褪せていない。

とりわけ、第2幕のイゾルデ役のパウラ・バウマンとトリスタン役のマックス・ローレンツによる愛の熱唱は、イッセルシュテットの心を込め抜いた指揮も相俟って、おそらくは同曲演奏史上でも最高峰の名演奏に仕上がっている。

その官能的な美しさといい、はたまたドラマティックな迫力といい、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

そして、第3幕終結部のイゾルデの愛の死におけるバウマンによる絶唱は、もはや筆舌には尽くし難い感動を覚えるところだ。

これらの主役2人のほか、今となっては贅沢な脇役陣の渾身の熱唱も、本名演に大きく貢献していることを忘れてはならない。

録音は、1949年のモノラル録音にしては十分に満足できる音質であり、ワグネリアンには必聴の熱演と絶賛したい。

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どこまでもドイツ音楽の伝統に根をおき、ドイツ民族の美学を最良の形で示した重鎮カイルベルトが、バイロイト音楽祭で《ニーベルングの指環》を指揮した伝説の1955年ライヴ録音からの第2夜《ジークフリート》が現役盤として残っている。

最近、放送音源などによるライヴ録音の発掘が積極的に行われているが、これは英デッカによる正真正銘「正規」録音である。

上演の模様を鮮やかにとらえたオリジナル・ステレオのサウンドが素晴らしい。

そして、聴きものは、まずカイルベルトの指揮で、その生々しい迫力に満ちた演奏を聴くと、この往年のドイツの名指揮者の実力と魅力を思い知らされる。

忘れるには惜しい名匠で、特に《ジークフリート》は、カイルベルトの残したオペラの録音のなかでも、特筆すべき名盤である。

カイルベルト壮年期の熱気と覇気に満ちた筋肉質な音楽作りの力によって、この長大な作品を一気呵成に聴かせてくれる。

カイルベルトの指揮は肌触りはざらざらしているが、ジークフリートとブリュンヒルデが出逢ってからの感動は筆舌につくし難い。

歌手陣の充実も、正に「バイロイト音楽祭の黄金期の記録」と呼ぶべきもの。

1950年代から1960年代にかけてバイロイトで活躍した、ヴィントガッセンとヴァルナイという2人のワーグナー歌手の歴史的な共演盤でもある。

声のエネルギーに満ち満ちていた時代のヴィントガッセンのジークフリート、ホッターのさすらい人は、他の彼らの録音以上の若々しい声の魅力に満ちている。

ヴァルナイのブリュンヒルデも圧巻で、この名手の貴重な記録だ。

主役2人の名歌手の最盛期の貴重な記録だが、さすがにスケールの大きな味わいの深い二重唱が展開されている。

ヴァルナイの言葉の明晰さ、声の響きの逞しい力、ドラマティックな緊張の鋭さ、そして音楽の生み出す感動に聴き手の心に強く訴えかける真摯さは全く素晴らしい。

かつて、情報の限られていた日本では、レコードで活躍する演奏家ばかりが目立って、そうでない音楽家が不当に過小評価される傾向があったが、このヴァルナイなどはその代表格であろう。

後発のニルソンの華々しい録音活動にかくれてしまったが、1950年代のバイロイト音楽祭では最高のブリュンヒルデ歌いであった。

筆者には、直線的な威力で聴かせるニルソンより、黄金時代の伝統をついで、大きく深く音楽を呼吸させるヴァルナイの歌のほうが、よほど感動的に聴こえる。

このテスタメント盤は、録音機会の少なかった彼女が残した貴重なライヴ録音盤である。

地の底からわきあがって高天にのぼるような、その長大な呼吸を聴くことができる。

ヴィントガッセンにもほぼ同じことが言え、ジークフリートでの知的な解釈と若々しいヴァイタリティが聴きものだ。

かつてはベーム盤もバイロイトのライヴ録音ということで大きな話題になったし、高く評価された。

だが、その一方で、音はよくてもこの壮大なドラマを充分に表現しきれていないのは、ライヴ録音のためではないかという疑問もあったのだが、それも、カイルベルトによる1955年のライヴ録音で氷解した。

ベームを過大評価していたのである。

戦後バイロイトの1つの頂点を刻む記録として後世に語り継がれていくべき名盤で、残る3作も復活を望みたい。

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2022年03月05日


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破滅的な世界大戦が終結して6年の歳月が流れた1951年7月、フルトヴェングラーが指揮する「第9」により、ナチス・ドイツ時代の呪縛にあえいでいたバイロイト音楽祭が劇的に再開された。

フルトヴェングラーに代わって楽劇の指揮を取ったのは、共にバイロイトは初めてとなるカラヤン[マイスタージンガー、リング(CDは『ラインの黄金』と『ワルキューレ』第3幕、『ジークフリート』のみ)を指揮]とクナッパーツブッシュ[(リング(CDは『神々のたそがれ』のみ)、『パルジファル』、『マイスタージンガー』を指揮]であった。

新時代の旗手としてスターへの階段を駆け上りつつあったカラヤンと、音楽を志して以来一貫してワーグナーを熱烈に賛美し、彼の作品上演のために身を捧げてきたクナッパーツブッシュは鮮やかな対照を示している。

そして、両者の創り出した音楽は、聖地に巡礼してきた、音に飢えたワグネリアンの胸裏に終生忘れることのない深い感銘を刻印した。

1930年代の終わりに彗星の如く桧舞台に登場し、瞬く間にドイツ楽壇の寵児となり、「奇蹟のカラヤン」と賞賛されたヘルベルト・フォン・カラヤン。

終戦直後一時的に不遇を託つが、持ち前の意志力でEMIの花形指揮者の地位を勝取るなどし、栄光への階段を駆け上がった。

その最中の1951年には、指揮者陣の柱石となることを期待され、戦後初めて開催された記念すべきバイロイト音楽祭に華々しく登場した。

この年、『ニーベルングの指環』チクルスと『マイスタージンガー』を指揮する重責を担い、精緻な構成力、流麗な造形力を駆使し、明晰かつ情熱的な音楽で聴衆を圧倒、新時代の到来を鮮やかに印象付けた。

しかし、好事魔多しの諺通り、翌年の『トリスタン』を最後に、バイロイトとは袂を分かつことになる。

この後カラヤンは、ウィーン、ベルリン、スカラ座に君臨し、「帝王」の名をほしいままにしたが、再びバイロイトのピットに入ることはなかった。

この『マイスタージンガー』は、黄金の翼を羽ばたいて天へと飛翔するかのようなカラヤン壮年期一世一代の晴れ舞台の貴重な記録である。

この楽劇にまとわりつくナチス時代の不幸な埃を払い落とし、作品に内在するヒューマンな感情と祝祭的な高揚感を余すところ無く表現している真に傑出した演奏である。

後年の有名なドレスデン国立歌劇場管弦楽団での再録音と比べても、一気呵成に畳み込む推進力の鮮烈さや積極果敢な覇気に富んだ表現意欲の鋭気など、演奏内容ではこちらの旧録を推す人が多いのむべなるかなと頷ける。

1970年代のドレスデンとのステレオ盤よリ素直な表現で、戦後のバイロイト再開の記念碑的な名演の興奮が伝わってくる。

エーデルマン、シュヴァルツコップ、ホップ、クンツなど、当時最高の歌手を揃えた布陣で望み、声楽面での瑕瑾も見当たらない。

当時のベスト水準のキャストを擁し、冷静なカラヤンの指揮にもライヴらしい高揚感が漂い、まさに至高の音楽が現出されている。

カラヤンのプロデューサーとして有名なEMIのウォルター・レッグが自身バイロイトに乗り込んで収録した甲斐があり、デッカ録音とはまた趣の異なった、暖気に満ちた気品のある精妙な音づくりも魅力をいや増している。

カラヤンがバイロイトで公式録音したワーグナーの作品は、この全曲盤と『ワルキューレ』第3幕のみだった。

今回のNAXOS盤では、保存状態のよい初期LPレコードを基にして、クナッパーツブッシュの『パルシファル』で大評判を取った令名高い覆刻エンジニア、マーク・オバート=ソーンが丁寧にCD蘇生を施している。

現代人の耳をも充分満足させ得る第一級の仕上がりを誇るものと言えるだろう。

この『マイスタージンガー』の古典的名盤は、1951年7、8月にバイロイト音楽祭で演奏された5回の公演と1回のリハーサルに基づいて制作されたものである。

この録音は最初から磁気テープに収録され、最初は、当時よく見られたように、LP(今回の復刻CDのソース)とSPセットの両方が同時に発売された。

オリジナルのEMIコロンビア録音は、様々な側面で論議を呼んでいる。

異なった演奏の継ぎ合わせがしばしばあからさまに目立ち、時折音ゆれや音量の変動が発生する。

声楽は近接録音されており、大声量の楽節では耳障りな傾向がある。

第3幕の式典開始の場面のような大規模アンサンブルの部分を除けば、この録音では、デッカのエンジニアによって同時に収録されたクナの『パルジファル』におけるほどには、バイロイト祝祭劇場の独特のアコースティックな音響特性の雰囲気を伝えていない。

マーク・オバート=ソーンの復刻作業では、オリジナルのLPレコードから聴き取れた暖かさを現出するように努めてみたという。

高音域の増強よりも、偉大な存在感や瞬間をイメージできるように創造しようと試みたそうだ。

また、この方法に沿い、正統的なワーグナー・サウンドにふさわしい豊かな低音の響きに留意している。

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2022年02月03日


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ワーグナーの楽劇《トリスタンとイゾルデ》は特別な作品である。

誕生以来オペラの中心的主題は恋愛悲劇だが、その頂点を成すのが《トリスタン》ということになる。

指揮者たちは誰も彼も、いざというとき《トリスタン》を振りたがる。

メトロポリタン・オペラに呼ばれたマーラーは《トリスタン》を要求した。

そのすぐ後に招かれたトスカニーニも同じく《トリスタン》を指揮させるという条件を出し、二人の間に問題が起こっている。

フルトヴェングラーもベームも、ここぞというときに、《トリスタン》に挑んだ。

そしてカラヤンの表舞台への登場が「奇跡」と呼ばれたのは、1937年ウィーン国立歌劇場での《トリスタン》と、翌38年ベルリン国立歌劇場での《トリスタン》だった。

カラヤンは自分がどんな作品で世に出るべきかを、よく心得ていた。

カラヤンの名を轟かせるには、ウィーンとベルリンに《トリスタン》で登場するより良い手段はない。

もっとも、指揮者の多くがそう望むが、なかなか実現できないというだけの話。

レナード・バーンスタインは、バイロイト音楽祭に呼ばれたとき、断固として《トリスタン》を主張し、とうとうバイロイトで振らないまま逝った。

カラヤンは間違いなく実力があったが、同時に野心と政治力があり、さらに幸運の女神を味方につけていた。

《トリスタン》で華々しく世に出たカラヤンだが、若い頃の演奏がどうだったかは、推定するほかはない。

本セッションの1970年のものとは大分違い、さっそうとした演奏であったことは、容易に推測できる。

一方にフルトヴェングラーをはじめとするロマンティックなワーグナー演奏があり、カラヤンのワーグナーはそうした演奏とは一線を画したものとして注目を集めていたからだ。

ワーグナーでこそ「ドイツのトスカニーニ」的なところが示されたのではないか。

ここにとり上げるのはカラヤンの同曲唯一のスタジオ録音で、彼はこのとき62歳、どうも指揮者にとって《トリスタン》を指揮するのに最もふさわしい年齢は60代であるらしい。

ベームがバイロイトでこの作品の指揮を始めたのは67歳だった。

フルトヴェングラーもバーンスタインも60代の後半で《トリスタン》を録音した。

カラヤンは、最晩年に今一度《トリスタン》全曲を上演、録音したかったようだがついに果たせなかった。

当時のEMIの録音の特色でもあったのだが、この録音には、クリアーさに欠ける部分があるのがどうしても欠点として残る。

それでもカラヤンとベルリン・フィルにしかできない極限のピアニッシモが織り成す官能的な表現は、幻のような愛の世界へと聴き手を引き込む。

カラヤンとベルリン・フィルの関係が最も緊密な時代の録音だけに、華麗な官能美にあふれた管弦楽の有機性は、他に比肩するものがない。

ベルリン・フィルの驚異的な合奏能力と表現力をフルに発揮してつくり出された音の極限的精錬と美感もさることながら、それが単なる審美的な彫琢だけにとどまらず、《トリスタン》は聴き手の官能を呪縛し、音楽の奔流と陶酔の中に巻き込んでしまう。

時おり起こる嵐のような高揚ではベルリン・フィルがここぞとばかりに圧倒的な表現力を示すのもインパクトがある。

カラヤンの黄金期を支えた名歌手たちによる配役も素晴らしい。

ヴィッカーズとデルネシュのコンビも最高で、この2人は幻のなかで唯一リアリティを持って存在する。

圧倒的な声の威力と鋭い緊張に加え、デリケートなやさしさと繊細な情感にも不足のないデルネシュ。気迫に満ちた歌唱で抜群の存在感を示すヴィッカーズ。

愛し合う2人以外にも当時としては申し分のない歌手が揃えられており、各人が最良の歌唱を展開している。

カラヤンはそうした声を管弦楽に組み込み、その精密無比な響きの美の中に溶解させる。

しかし、激しく熱い愛や情念とは結びつかない、徹底的に美が支配する《トリスタン》である。

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2022年01月27日


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巨匠の戦後初のオペラ公演は、1947年、楽壇にカムバックを果たし、意欲満々の巨匠がドイツのオケを振っての《トリスタン》だった。

残念ながら第1幕は原盤が欠落 (録音機材が不調で収録できなかったとの説もあり)、第2幕、第3幕も一部はカットされているが(計3か所、24分間ほど)、それぞれ66分、68分の収録時間。

有名な「愛の二重唱」から「愛の死」の終結シーンにいたるまで音楽の主要部は収録されている。

音質は録音年を考えればきわめて良好!

トリスタン、イゾルデ、マルケ王の主要三役をドイツ人で固めた歌唱陣の充実ぶりもさることながら、何よりも特筆すべきはフルトヴェングラーの指揮!

後年フィルハーモニア管弦楽団を振っての有名なEMI全曲録音をも凌ぐ、オーケストラ・コントロールの完成度の高さ!

緊迫感に満ち、すさまじいまでの官能と情念の世界が繰り広げられている。

1984年、世界初出LPとなった伊チェトラ盤は、ミラノ、ディスコス社制作のこの音源をキングレコードは同年に国内発売した。

CDは91年にチェトラ輸入盤を国内仕様で発売したが、マスターテープはキングレコードの倉庫に眠ったままだった。

今回、このアナログテープから初のCD化、日本語解説書 (岡俊雄、浅里公三、両氏のライナーノーツ)付、歌詞対訳はホームページ(キングレコードWebサイト)に掲載 (カット箇所も明示)している。

さらにボーナストラックとして、同日の上演前のリハーサル風景の音源を収録されており、同一音盤に集められるのは世界で初めてとなる。

後年のセッション全曲録音(1952年)はオケがドイツの団体でないことを考えれば、この記録の価値は増大する。

事実、そのオケ(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)が素晴らしい。

繊細で雄弁なニュアンス、劇的な緊迫、重量感、後年以上であろう。

この演奏には少なからぬ感銘を与えられた。

その最大の理由は、フルトヴェングラーの指揮がとくに素晴らしいというほかはないオーケストラ・コントロールである。

多分、ピットにマイクを立ててあると思われるほど、1947年録音としてはオーケストラの細部がよくとらえられており、そのオーケストラが歌手の表現を見事にカヴァーしているのである。

ワーグナーの楽劇において、オーケストラの重要さを説いたフルトヴェングラーの見解はいろいろな文献に見られる。

その代表的な例はカルラ・ヘッカーの《フルトヴェングラーとの対話》のオペラの章などである。

ドイツの楽壇に復活したフルトヴェングラーの精神的な昂揚が、オーケストラの細部の息づかいにまで、一瞬の緩むところもなく張りつめており、筆者の耳には歌い手以上にオーケストラが本当の主役であるかのようにきこえた。

きいているうちに、歌手への不満はほとんど気にならなくなってしまったほどである。

第2幕では、トリスタンとイゾルデは夜の闇にまぎれて逢い引きする。

きわめて遅いテンポで奏される抒情的な部分は、単に陶酔的、耽美的なだけではなくて、どうしようもない悲哀を湛えている。

むしろ、悲しみのほうが愛の悦びに勝るほどだ。

こんなに悲しい《トリスタン》は他にはないだろう。

そして、悲しければ悲しいほど、ふたりの人間が声を合わせて歌うという行為が至上の幸福と見えてくる。

もはや《トリスタン》は巷間言われるようなエロティックな禁断の愛の物語ではなく、運命の物語になっている。

筆者が好きだった《トリスタン》の録音(カール・ベーム&バイロイト祝祭管弦楽団かクライバー&シュターツカペレ・ドレスデン)など他の名盤ではこれがわからなかったのだ。

両者とも、速めのテンポで非常に劇的に、生々しく、このドラマを表現していた。

以前の筆者にとっては、これらの演奏が持つ直接的な熱狂や切迫感がリアルに思われた。

人と人が出会ってしまうことの悲しみや恐ろしさをわかっていなかったのだ。

そうやってどうしようもない悲哀にたっぷりと浸されたあとで、音楽の表情が変わり、「それなら、死のうか。別れることなく永遠にひとつでいるために」という台詞が覚悟もて歌い出される。

その部分の衝撃、オーケストラのぞっとするような不気味さ、そしてその不気味さがじわじわと恍惚へと移り変わっていくさまの誘惑と危険、幸福と不幸、高貴と破廉恥。

筆者は今回、ここをききながら、大げさでなく身震いするような思いを味わった。

もしかして、ここでトリスタンとイゾルデが上りつめていくエクスタシーは性愛的なものであると同時に、運命を自ら受け入れてしまったことの歓喜ではあるまいか。

第3幕最後、「イゾルデの愛の死」がまた格別である。

侍女が「イゾルデさま、私たちが言っていることが聞こえていますか?」と尋ねる。

それを伴奏するオーケストラは、イゾルデがもはやこの世の人間ではないことを示している。

形容しがたい弱音から、「愛の死」の浄化された音楽が始まる。

フルトヴェングラーのゆっくりめの速度を心から美しいと思う。

音楽が人を興奮させるのではなく、いっしょに呼吸するような時間を貴重だと思う。

オーケストラの音がしっとりとしており、まさに身体にしみこむような妖しい感触なのだ。

以前はそれほど好きな演奏ではなかったが、時の流れのためなのかどうか、今やこの演奏は魅力的という言葉では足りないくらい、異様な力強さで訴えかけてくるようになっているのである。

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2022年01月23日


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もう長らく読んでいないレコード芸術誌だが、2021年度レコ芸アカデミー賞特別部門歴史的録音にブーレーズ&N響の《バイロイト引越/大阪1967》が輝いたことを知り冷静でいられなくなったので、いつもよりとりとめのない書き方になるのをお許しいただきたい。

ここで紹介するボックスは4年前ビルギット・ニルソンの生誕100周年に発売されたもので、熱狂的なニルソン・ファン目線で見ても収録内容のセレクトは、それなりに妥当で大体納得の行くものだ。

中でもニルソンの相手役としての「“3大ヘルデン”の〈トリスタン〉聴き比べ」は企画としても聴きごたえがある。

普段メジャー商業録音にしか接しないような聴き手には、無理が祟り深刻に声を痛めてしまう前、美声とパワーの両立を目指した万能ヘルデン・テノール、ジェス・トーマスの〈トリスタン〉を再評価する良い機会にもなると思う。

しかし、ヴィッカーズ+ニルソンの場合、映像版であればこそ独自の価値もあった本セットのオランジュ・ライヴに限らず他にも複数種存在するホルスト・シュタインやラインスドルフ指揮の選択肢もある。

プリマドンナを立てるサポート上手で互いに一番ウマが合ったヴィントガッセン+ニルソンの中から選ぶなら、生粋のワーグナー指揮者なのにキャリアを通して何故か《トリスタン》だけは芳しくなかったサヴァリッシュの《バイロイト1957》の代わりに、ニルソン=ベーム・トリスタンのベストと考えている《バイロイト1964》か、あるいはブーレーズ&N響も“聴き物”の《バイロイト引越/大阪1967》を、また、《サロメ》も幕切れのニルソンの超人的歌唱で選んで、収録のベーム《メト1962》より実を取って、商業録音での知名度など関係なく同郷同世代のショルティに比べ遥かに現場経験豊富な「腕利きワグネリアン/シュトラウシアン」だったジョルジュ・セバスティアン指揮《ブエノスアイレス・テアトロコロン1965》のほうが良かったのではないか。

さらに、メト・ライヴにしたってニルソンのパワーもピーク期60年代で指揮も元気なシッパースの素晴らしい《エレクトラ》もあったのに。

本BOXのコンセプトは大前提としてニルソン・トリビュートで歌手陣の出来を第一義とすべきものを、リマスタリングの方向性も含め妥協の産物というかビギナー向きな配慮というか、パフォーマンスの実質より“カタログ映え”する「スター指揮者のネームヴァリュー優先」といった安直で不誠実なマーケティングの“ウケ狙い”にちょっと走り過ぎてはしないだろうか。

などと内容に踏み込んであれこれ考え始めると際限なく結局延々と恨み節になってしまうが、思いつくまま取り留めなく上に書いたようなことも、再生機器を調整したり新しい音質に耳が慣れてしまうかも知れない。

いずれにしても、子供だった筆者が心ときめかせながらオペラに目覚めた頃、キャリア末期とは言えまだ現役だったニルソンの生誕100周年をこうして迎えるのは…色んな意味で感慨深い。

ニルソン級のパフォーマンスが完全消滅した今日、また、そういうBest of Bestsの誰もが知る一握りのスーパースターに限らず、劇場では名実共に大成功を収めながら商業録音に縁がなかったというだけで不当に過小評価され今では歴史に埋もれるがまま忘れられつつある偉大な歌手たち、さらに、致命的に人材不足の現在ならば各地の主要劇場からオファー殺到でスター待遇が当然であろうような才能豊かな中堅実力者たち…。

そういった次々と現れては消えていった有名無名の大勢の名歌手たちに支えられ繁栄が長く続いた黄金期にはむしろそれがスタンダードだった所謂「Great Singing」は急速に衰退し、その右肩下がりに歯止めも掛からず、オペラは音楽的に低迷してマンネリなシロモノになり果て、今日の上演において洞察や批評精神、創造性の“最後の砦”として気を吐いてきた演出の領域も行き詰まりを見せ始め、それでもどうにか小手先のマーケティングで無理無理体裁を保っている。

そんな時代(他にも多様で豊かだった古き佳き物事が消え去り異質で違和感あるものにどんどん“上書き”されて行く時代)に巡り合わせた世代には申し訳ないけれど、この分野に関しては自分は多少は運が良かったのかなとも思う。

都合よく美化されたノスタルジックな想い出云々の話でなく、今と違って「正真正銘の名歌手」就中「本物のドラマティック・ソプラノたち」が本気で歌うオペラ・ライヴは、商業録音を上質なオーディオを駆使していくら聴いたところで決して代替しえない人生を揺るがす“衝撃と畏怖”の物凄い体験で、幼く無知な聴き手に過ぎなかったとは言え、オペラ後進国である極東の一角に居ながら、そういう水準のオペラ公演が滅びる前に実際にこの目でチラッと垣間見ることが出来たのは本当に幸いだった。

所詮、貧弱音質で真価のごく一部しか伝わらないにせよ、このBOXには「人類から失われた偉大さ」がぎっしり詰まっている。

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2022年01月10日


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マレク・ヤノフスキは2010年から2013年にかけて、手兵ベルリン放送交響楽団を率いてワーグナーの主要なオペラを集中的にライヴ録音した。

総てベルリン・フィルハーモニーでのDSDレコーディングでSACD化されていて、またライヴといっても演奏会形式な舞台や客席からのノイズは全くない。

音質はこれまでの『マイスタージンガー』では屈指だが、確かに劇場での臨場感に関してはやや希薄だ。

特にこの類まれな喜歌劇にとってはスマート過ぎる音質かも知れない。

しかしオペラ畑で叩き上げたヤノフスキだけあって、これだけの長い作品の聴かせどころを効果的に、しかも解かり易くまとめている。

例えば第1幕への前奏曲は、単独で演奏する場合はどの指揮者も重厚な表現になりがちだ。

彼はライトモティーフを聴かせる以外は部分的に拘泥することなく、喜歌劇の特徴のひとつである、一日のうちに完結するドラマを想起させる颯爽とした、快活な演奏だ。

このタイプはオペラ劇場で鍛えた指揮者、例えばサヴァリッシュなどにも一脈通じている。

またベルリン放送響も融通性のあるオーケストラで、精緻でありながら歌手にも良く寄り添っていて好演。

歌手陣で最も際立っているのは、言うまでもなく靴屋の親方ハンス・ザックス役のアルベルト・ド―メンで、豊かな声量は勿論だが、演技が目に浮かぶような歌唱と表現力に圧倒される。

第2幕及び第3幕の二つのモノローグは聴きどころだ。

エファを演じるエディト・ハラ―も悪くはないが、いわゆるワーグナー・ソプラノに欠けがちな、きめ細やかな抒情的な表出、特にヴァルターとの重唱に必要な愛情豊かな表現力に多少不足していて冷たく聞こえるのが残念だ。

ヴァルター役のアメリカ人テナーのロバート・ディーン・スミスも期待していたより聴き劣りがした。

ヘルデンテノール系は力みが目立つと重苦しくなってしまうが、彼にもそうした傾向が無きにしも非ずだ。

やはりこのオペラの喜劇性を考えればもう少し柔軟な歌唱が望まれるだろう。

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2021年11月08日


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1954年、ビルギット・ニルソンがバイロイト音楽祭にデビュー年のライヴ録音。

ヴィントガッセン、ヴァルナイ、ウーデなど、1951年に再開された「新バイロイト」を代表する歌手が共演している。

軍令使は若き日のフィッシャー=ディースカウ(彼もこの年がバイロイト・デビュー)。

初出はLP時代のメロドラム盤だが、バイエルン放送のテープを使った正規リリースは今回が初めてで音質も良好だ。

ヴォルフガング・ヴィントガッセンは、第2次大戦後のワーグナー・テノールの第一人者で、残されたレコードも大部分ワーグナー。

若々しい声質と風貌のヘルデンテノールで、第2次大戦後最高の爛蹇璽┘鵐哀螢鶚瓩塙發評価された。

ヴィントガッセンの「ローエングリン」の演奏記録は、バイロイト音楽祭に於ける1953年のカイルベルト盤、翌年のヨッフム盤が残されていて、演奏はいずれ劣らぬ名演だが、エルザは53年のスティーバーも悪くないが、54年のニルソンの方が上だ。

ヴィントガッセンは、バイロイトで最初の2年間は、パルジファルと「ラインの黄金」のフローを歌い、3年目の1953年にはパルジファルをラモン・ヴィナイとダブル・キャストで歌ったほか、新たにローエングリンとジークフリートも歌って、とくにローエングリンで絶賛され、バイロイトでの名声を確立した。

オペラ評論家とした大をなしたアンドルー・ポーターは、当時編集同人をつとめていた英国の『オペラ』誌にこう書いて送った。

「ローエングリンのヴォルフガング・ヴィントガッセンは、ほぼ間違いなく現在の舞台では最高のワーグナー・テノールであろう。ジークフリートの役ではまだ声のスタミナがイマイチだが(ほかの点ではほとんど申し分がないのだが)、彼のローエングリンは力強くノーブルで、甘美でもあり、また叙情味も豊かであった」

本盤の演奏を聴くと、ヴィントガッセンは、ワーグナーを歌って名声があったヘルデンテノールのなかでは声の質がやや細く軽いほうで、とりわけスタミナと劇的な表現力が必要とされるパルジファル、ジークムントなどよりもドイツ語ではユーゲントリヒャー(若々しい)・ヘルデンテノールと呼ばれているリリコ・スピント寄りのローエングリンや「オランダ人」のエリック、「マイスタージンガー」のヴァルターなどにいっそう適していたことがわかる。

前述のポーターも言うように声質もうってつけだし、風貌も役どころにふさわしく、戦後最高のローエングリンだったと思う。

エルザもニルソンによるセッション録音は残されず、しかも比較的初期にレパートリーから外したため、バイロイトでのこの全曲盤は貴重だ。

ニルソンは水晶のように硬く澄み切ったドラマティック・ソプラノにして知的なオペラ役者だった。

若きオイゲン・ヨッフムの指揮は、ドイツ音楽の伝統に根ざした、手堅い表現で、押し出しの立派な、風格のある演奏である。

ヨッフムの演奏は少しも鈍重でなく、温かく優しい表情の中にひとつひとつの音やモティーフをくっきりと鮮明に浮かび上がらせている。

いかにも職人肌の実直な指揮ぶりであり、総じて不満を感じさせる箇所はない名指揮ぶりであると言える。

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2021年11月03日


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ワーナーによるフルトヴェングラーの歴史的遺産のSACD化は、交響曲及び管弦楽曲を皮切りとして、協奏曲や声楽曲など多岐に渡るジャンルについて行われてきたが、ついにオペラが登場した。

ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」と既にご紹介した楽劇「ワルキューレ」、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」の3点という豪華ラインナップとなっている。

いずれも名演であると思うが、その中でもベストの名演は楽劇「トリスタンとイゾルデ」と言えるのではないだろうか。

フルトヴェングラーが生前スタジオ録音した正規レコードのうちでは、この「トリスタン」が最もすばらしい。

それどころか本演奏は、フルトヴェングラーによるあらゆるオペラ録音の中でもダントツの名演であるとともに、様々な指揮者による同曲の名演の中でも、ベーム&バイロイト祝祭管による名演(1966年)、クライバー&ドレスデン国立管による名演(1980〜1982年)と並んでトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

レコーディング嫌いで有名であったフルトヴェングラーが、このような4時間近くも要する長大な作品をスタジオ録音したというのも奇跡的な所業と言えるところであり、フルトヴェングラーがいかにこの演奏に熱意を持って取り組んだのかを伺い知ることが可能であると言えるところだ。

本演奏でのフルトヴェングラーは荘重にして悠揚迫らぬインテンポで曲想を進めていくが、ワーグナーが作曲した官能的な旋律の数々をロマンティシズム溢れる濃厚さで描き出しているのが素晴らしい。

各登場人物の深層心理に鋭く切り込んでいくような彫りの深さも健在であり、スケールも雄渾も極み。

とりわけ終結部の「愛と死」における至純の美しさは、神々しいばかりの崇高さを湛えているとさえ言える。

官能と陶酔がいつの間にか崇高な法悦と浄化にまで昇華していく、彼のワーグナー演奏の秘法が、ここに余すところなく示されているのである。

こうした濃厚で彫りの深いフルトヴェングラーの指揮に対して、イゾルデ役のフラグスタートの歌唱も官能美の極みとも言うべき熱唱を披露しており、いささかも引けを取っていない。

トリスタン役のズートハウスは実力以上のものを発揮していると言えるし、クルヴェナール役のフィッシャー=ディースカウも、後年のいささか巧さが鼻につくのとは別人のような名唱を披露している。

フィルハーモニア管弦楽団もフルトヴェングラーの統率の下、ドイツ風の重厚な演奏を展開しているのが素晴らしい。

録音は、フルトヴェングラー自身がレコーディングに大変に満足していただけのこともあって、従来盤でもかなり満足し得る音質を誇っていたが、ユニバーサルによるSACD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

細部のニュアンスや全体のデュナーミクの躍動を格段に鮮明に聴くことができる。

例えば、第2幕冒頭の弦楽器の繊細な合奏やホルンによる狩りの響き、そして歌手陣の息遣いまでが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらあり、このような歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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LP時代から筆者にとってこの演奏は一つの座右の盤でもあった。

スタジオ録音ということもあり、ライヴでのフルトヴェングラーのあの凄まじい熱気は不足しているものの、最晩年の彼の悠揚迫らざる境地は伝わってくる。

指揮は個性的でいながらどこまでも普遍的、オペラティックでありながらシンフォニックである。

緊張は和らげられて、大きな瞑想が全体を覆うように包み込んで、明澄さと円熟の境地は、以前のようにドラマを激しく転回させるのではなく、ドラマを音楽の流れに完全に委ね切る方向に作用している。

全体に流れるようなそのテンポは、演技を伴わない分、凝縮へと向かうが、これが無駄を排除した簡素さの実現に寄与している。

フルトヴェングラーは、彼独特の重量感にあふれた情感で、音楽をいわば「再構成」するようないつもの方法を明らかに避けている。

必要以上に情緒を強調したり、モティーフに誇張の色づけを与えたりしていない。

逆に、率直すぎるほど率直に、雄渾なタッチで、ワーグナーの音楽自体を十二分に鳴り響かせている。

歌手陣は、彼のかかる誘導に支えられ、力強い歌いぶりをみせる。

フルトヴェングラーの棒には、オケを含めた奏者すべてに対し「どこからでも来い」と言わんばかりの稀有の懐の深さがある。

フランツのヴォータンの品格、ズートハウスのヘルデンテノール、リザネックのドラマディシズム、フリックの格調、全てがズッシリとした重みとともに今も筆者を襲う。

フルトヴェングラーのワーグナーを聴いていつも感じるのだが、歌われる言葉を大切にして、聴衆に聴こえるように、オーケストラの響きとのバランスを意識しているので、ワーグナー特有の長い語りも、室内楽でも聴いているように、いかなる音楽的退屈さとも無縁なのである。

これこそ、他のすぐれたワーグナー指揮者の演奏では、絶対に体験できないことである。

このフルトヴェングラーの最後の演奏を聴いていると、芸術家とは、あるべきヴィジョンに向かってつねに、そして最後まで進化して仕事をする存在なのだとつくづく合点してしまう。

そんな芸術家に対して、過去のある時点と比較することにどんな意味があるというのだろう。

《ワルキューレ》の最初の一音が鳴り始めたときから、フルトヴェングラーの心の底には、近づく死への予感から、「ヴォータンの惜別の歌」が、ずっと鳴り響いていたのではなかろうか。

録音は、従来盤でも1954年のスタジオ録音ということもあって、フルトヴェングラーのCDとしては比較的満足できる音質を誇ってはいたが、今般のユニバーサルによるSACD化によって見違えるような素晴らしい高音質に生まれ変わった。

とりわけ、歌手陣の息遣いまでが鮮明に再現されるのは驚異的ですらあり、フルトヴェングラーの遺言とも言うべき至高の超名演を、現在望み得る最高の音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2021年11月02日


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このプロジェクトは1962年にヴィーラント・ワーグナーの演出で制作されたもので、指揮を担当したカール・ベームは主役の2人にビルギット・ニルソンとヴォルフガング・ヴィントガッセンの起用を求めたという。

この2人は初年度から高い評価を得て、幸いなことにその演奏の収録が行なわれていたが、本盤に収められた最後の1966年盤が言うまでもなく1967年度レコード・アカデミー大賞を受賞した伝説的な名盤である。

主役2人の演唱も圧倒的だが、演奏もすばらしい。

ベームによる贅肉をそぎ落とした引き締まった響きと速めのテンポは、この作品の内包するエロティシズムとは無縁のものながら、聴くたびに圧倒される白熱的な名演奏である。

ベームは、バイロイトにもたびたび登場し、ワーグナーのツボを心得た指揮者である。

一世代前の、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのような重厚壮大な「重さ」とは一線を画するものであるが、ワーグナー演奏としてけっして場違いな印象はなく、むしろ戦後のバイロイトが築いた頂点のひとつであり、「ヴィーラントによるバイロイト様式の完成」ではないかと思われる。

そして、フルトヴェングラーが深沈とした奥行きの深さ、クライバーがオーケストラのいぶし銀の音色を活かした重厚さを特色とした名演であったのに対して、ベームによる本演奏は、実演ならではのドラマティックで劇的な演奏と言えるのではないだろうか。

そして、学者風でにこりともしない堅物の風貌のベームが、同曲をこれほどまでに官能的に描き出すことができるとは殆ど信じられないほどである。

ベームは、実演でこそ本領を発揮する指揮者と言われたが、本演奏ではその実力を如何なく発揮しており、冒頭の前奏曲からして官能的で熱き歌心が全開だ。

その後も、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や緊張感、そして切れば血が吹き出してくるような強靭な生命力に満ち溢れており、全盛期のベームならではのリズミカルな躍動感も健在だ。

テンポは若干速めであるが、隙間風が吹くような箇所は皆無であり、どこをとっても造型の堅固さと充実した響きが支配しているのが素晴らしい。

とりわけ、第2幕のイゾルデ役のニルソンとトリスタン役のヴィントガッセンによる愛の熱唱は、ベームの心を込め抜いた指揮も相俟って、おそらくは同曲演奏史上でも最高峰の名演奏に仕上がっていると言えるところであり、その官能的な美しさといい、はたまたドラマティックな迫力といい、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

ニルソンの、イゾルデにふさわしい威容と禁断の愛に苦悩する表現の豊かさは見事なもの。

そして、第3幕終結部の愛と死におけるニルソンによる絶唱は、もはや筆舌には尽くし難い感動を覚えるところだ。

第2幕ではニルソンのスケールの大きさにのみこまれそうなヴィントガッセンも、第3幕で死を目前にしての鬼気迫る熱唱は凄絶というほかない。

これらの主役2人のほか、歌手も総じてすぐれた出来映えで、1960年代に全盛期を迎えた名歌手の饗宴は真に感動的だ。

リマスタリングは24bit/96kHzでおこなわれ、さらにそのハイレゾ音源を収録したBlu-ray-Audioディスクも同梱されているが、できればCDとの抱き合わせではなくブルーレイ単独でリリースして欲しかった。

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2021年10月17日


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ワーグナー指揮者としてすっかり名声を確立した感のある巨匠ダニエル・バレンボイムだが、バイロイトで上演される主要10作品を収めた本全集は現代を代表するワーグナー指揮者バレンボイムの能力がフルに生かされた名演といえよう。

オペラやオーケストラ・コンサート、コンチェルト、室内楽、ピアノ・ソロや歌曲伴奏に至るまで、膨大できわめて多岐に渡る演奏経験と、豊富に蓄積されたノウハウの数々により、オペラでも素晴らしい手腕を発揮するバレンボイム。

バイロイトでの約20年の実績に加え、音楽監督を務めるベルリン州立歌劇場での約20年のさまざまな実務経験は、バレンボイムのオペラ運営能力を飛躍的に向上させており、現代にふさわしい高度な機能性を欠かすこと無く、十分な深みとロマンティシズムを備えた歌唱を実現することにも成功している。

10の作品は『マイスタージンガー』『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』の5作品がバイロイトでのライヴ録音、『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』『ローエングリン』の3作品がベルリン州立歌劇場でのセッション録音、『トリスタンとイゾルデ』『パルジファル』の2作品がベルリン・フィルとのセッション録音となっている。

バレンボイム独自のグラマラスな音楽作りと、現代的な機能美の混在した演奏として、たいへん聴きごたえがある。

近年は歌手が小粒になり、ワーグナー特有のアクは希薄になった印象は否めない。

また、指揮者も独自の個性を主張するあまり、ワーグナー本来の姿を見失いがちな傾向が見られる。

そうしたなかで、ワーグナーを聴いた充実感を筆者にもっとも感じさせてくれたのが、バレンボイムだった。

1980年代から90年代にかけて、バイロイトで首席指揮者待遇を受けたのがバレンボイムである。

1981年にジャン=ピエール・ポネルの新演出《トリスタンとイゾルデ》でデビューしたバレンボイムは1988年のハリー・クプファーの《ニーベルングの指環》、93年のハイナー・ミュラーの《トリスタンとイゾルデ》、96年のヴォルフガング・ワーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》など、のべ161公演を指揮して音楽面から音楽祭の屋台骨をささえた。

この公演数は音楽祭史上で抜きん出たものである。

《トリスタン》でみせる大きな音楽のうねり、《リング》の壮大なスケールなど、フルトヴェングラーの精神を引継ぎ、そこに現代の息吹をそそいだバレンボイムの面目躍如たるところ。

80年代には感情移入の激しさのあまり、音楽が空中分解する危険もあったが、90年頃から真の円熟の域に入り、ヴァルトラウト・マイヤー、ジョン・トムリンソンなど「バレンボイム・ファミリー」ともいうべき名歌手とともにワーグナーの高水準の上演を実現している。

92年にはベルリン州立歌劇場の音楽総監督に就任し、そこでクプファーとともにワーグナー主要10作品を順次舞台にかけた。

2002年の春には同一指揮者・演出家による10作品の連続上演という史上初の試みも成し遂げられた。

本シリーズはその間の1989年のベルリン・フィルとの『パルジファル』によって開始され、2001年にベルリン州立歌劇場で収録された『さまよえるオランダ人』で締めくくられており、しかもすべてがドイツにおけるデジタル・レコーディングという音の条件の良さもポイントである。

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2021年10月14日


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極上の高音質ブルーレイオーディオ盤により、このディスクのプロデューサーであるジョン・カルショウの「現在望みうる最上の《指環》をレコードで再現したい」という執念のようなものが一層強く感じられる名盤だ。

ワーグナーの巨大な4連作《ニーベルングの指環》のステレオ全曲録音は、ショルティ/ウィーン・フィルの顔合わせによって始められた。

そのレコーディングは1958年9月の《ラインの黄金》に始まり、《ジークフリート》(62)、《神々の黄昏》(64)を経て、1965年の《ワルキューレ》に至るというものであった。

それは、たんに壮大なスケールをもった記念碑的なプロダクションということだけではなく、その後予想もつかなかったような数にのぼる《指環》の全曲盤が登場しているにもかかわらず、総合的に鑑みてこのショルティ盤を超えるものがいまだにないという点において、重要な存在をなしてきている。

そこでショルティは、ウィーン・フィルという伝統的なオーケストラの本質的なものを決して損なうことなく、完全に近代的なアンサンブルに仕立てあげ、ワーグナーの音楽のスタイルを緻密で雄大に展開しえている。

ショルティの精妙な演出と、スケールの大きな、ダイナミックな表現もさることながら、録音効果がまことに抜群で、全曲を飽きさせずに聴かせてくれる。

ロンドン、キング、ヴィントガッセン、ニルソンらをはじめとする歌手たちのすべてが、その時点における最もすぐれた、しかも適切な人々であることはいうまでもない。

すべてにおいて理想的な条件が追究されているということは、レコーディングにおけるひとつの黄金時代であったからこそ可能であったといえなくもない。

ショルティの直情径行のダイナミックな音楽作りは、ドイツの伝統的なものとは一線を画すが、その描写的音楽作りは、耳で聴くドラマとしての聴き易さを生み出しており、更には、プロデューサーのJ・カルショウの聴覚上の演出も一助となっている。

このレコード史上最初の《指環》全曲はイギリスの雑誌が読者投票をもとに選出した20世紀の名盤ベストテンの第1位に選ばれていたが、それは演奏だけでなく、録音、そしてとても採算が合うとは考えられなかった大作がベスト・セラーを記録し、その後のレコード界に及ぼした波及的効果などを考慮されてのことではないだろうか。

ショルティとウィーン・フィル、画期的ともいえる録音もすばらしいが、また今振り返ると、ニルソンとヴィントガッセンが全盛期を迎え、ヴォータンのホッターが最盛期を過ぎつつあるという絶好のタイミングで録音が行なわれたのも幸いだった。

ワーグナー・ファンはもちろん、ワーグナーに興味が乏しい人々にとっても、こればかりは、無視することのできないものであるといってもよかろう。

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2021年10月13日


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1960年前後にカラヤンがウィーン国立歌劇場の芸術長だったとき、シーズンの目玉は《ニーベルングの指環》の通し上演だった。

しかし当時のデッカはそれらの上演とほぼ同じ歌手陣とオーケストラを起用しながら、指揮だけはカラヤンではなく、ショルティに任せてしまった。

それをどう思っていたのか、ウィーンを辞めたカラヤンは間もなくザルツブルク・イースターを創始、1967〜70年に上演に並行してクラモフォンに「指環」セッション録音を行なうことにした。

歌手陣もショルティ盤とは異なるが、特色は何よりもベルリン・フィルを起用したことで、精緻かつ重厚な響きが聴ける。

カラヤンの透徹した意志が全4部作を支配し、精妙緻密で洗練された響きの美しさから生まれる抒情性に覆われた、他に類を見ないユニークな「指環」だ。

しかもカラヤンの手腕の恐るべき点は、ゲルマン音楽の伝統的な心理のうねりと巨大なダイナミズムをも盛り込んでいることだ。

その意志は歌手のひとりひとりにまで徹底し、絶妙の心理描写を全員が成し遂げているのである。

「ラインの黄金」は音楽自体のもつ一種の若々しい覇気と、壮大なドラマの発端としての可能性を秘めた率直さが、カラヤンの明快で壮麗な表現の中に見事にとらえられている。

フィッシャー=ディースカウのヴォータンは若々しい知能犯的な性格が面白い。

シリーズ第1弾の「ワルキューレ」は完成度のうえで多少の不満はあるものの、このうえなく精妙で美しい。

従来のワーグナー演奏から余計な脂肪分を取り去ろうとしたカラヤンの意図は、ここでもはっきりと表れている。

「ジークフリート」は完成度のうえで最も素晴らしい出来映えといえる。

精妙で透明なリリシズムの中に、ワーグナーの音楽の新しい姿と生命を発見しようとするカラヤンの意図は、ここでその頂点をきわめた。

旧来のロマンティックな情緒過剰な表現とは無縁の室内楽的透明さをもつ抒情的な美のきわみがある。

「神々のたそがれ」はカラヤンの「指環」の最後を飾るもので、「ワルキューレ」から比べるとその意図も一段と徹底し、ベルリン・フィルの演奏にも、より雄弁な呼吸がうかがわれる。

歌い手の出来にやや不揃いな面があり、「ジークフリート」ほどの完成度はないものの、その中ではみずみずしい情感にあふれ、しかも力強い緊張も兼ね備えたデルネシュのブリュンヒルデは素晴らしい。

古い音源ながら新規の24bit/96kHzリマスタリングも良好で、ブルーレイ・オーディオの長所が良く出ていて、音場がより立体的になり、歌声とそれぞれの楽器の音像もかなり明瞭に聴くことができる。

低音から高音までのオーケストラのサウンドの拡がりも充分で、CDで初めてリリースされた時の音質より格段に向上している。

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2021年10月11日


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フルトヴェングラーによるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の録音としては、本演奏(1953年のいわゆるローマ盤)と1950年に録音されたミラノ・スカラ座歌劇場管弦楽団ほかとの演奏(いわゆるミラノ盤)の2点が掲げられる。

このうち、ミラノ盤については、演奏としては極めてドラマティックで壮絶な名演であり、フラグスタートがブリュンヒルデ役をつとめるなど歌手陣は豪華でもあり、先般のキングインターナショナルによるSACD化によって音質が改善された。

これに対して、本ローマ盤は、オリジナルマスターテープがミラノ盤よりも比較的良好であるとともに、歌手陣も錚々たる顔ぶれが揃っていること、そしてオーケストラが、フルトヴェングラーの下で何度も演奏を行っていたイタリア放送交響楽団(RAIローマ交響楽団)であることなど、ミラノ盤と比較するとよりよい条件が揃っている。

従って遺された2つの録音を総体として評価すれば、本ローマ盤をフルトヴェングラーによる楽劇「ニーベルングの指環」の代表盤とするのにいささかも躊躇するものではない。

本ローマ盤は、これまで様々なレーベルによってリマスタリングやLPからの板おこしなどが繰り返し行われてきたが、ミラノ盤よりは良好な音質とは言え、必ずしも満足できる音質とは言い難いものであった。

しかしながら、今から約10年前、遂にEMIがSACD化に踏み切ったのは歴史的な快挙であり、これまでの高音質化の取り組みの究極の到達点とも言えた。

ところがレーベルがワーナーになり、製造工程が改善されたためか、更に素晴らしい音質に蘇ったと言える。

もちろん最新録音のようにはいっていないが、各歌手陣の歌唱も比較的鮮明に聴き取ることができるようになったと言えるし、それ以上に、これまでは団子のような音塊に成り下がっていたオーケストラ演奏が見違えるようなクリアな音質に生まれ変わったことにより、フルトヴェングラーの至芸を大いに満喫することが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

それにしても、フルトヴェングラーによる楽劇「ニーベルングの指環」の全曲演奏を、このような良好な音質で聴ける日が訪れるとはいまだかつて夢想だにもしなかったところであり、筆者としても長年の渇きを癒すものとして深い感慨を覚えたところだ。

演奏内容は、言わずと知れた不朽の超名演だ。

既に他界されたかつて影響力のあった某音楽評論家が、フルトヴェングラーによるワーグナー演奏をスケールが小さいなどと酷評していたようであるが、氏は一体何を聴いてそのような判断を下していたのであろうか。

本演奏の悠揚迫らぬ確かな歩みと同時に、テンポの振幅を効果的に駆使した圧倒的なドラマ性、そして各登場人物の深層心理に鋭く切り込んでいくような彫りの深い深遠な音楽は、ワーグナーの壮麗かつドラマティックな音楽を完璧に音化し尽くしており、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを誇っていると言えるところだ。

これに対し、史上最高のワーグナー指揮者と評されてきたクナッパーツブッシュによる3種のバイロイト・ライヴの高音質化の取り組み(1957年盤のSACD化など)もなされてきたが、思うように音質の劇的改善が望めなかったことから、もう間違いなく、フルトヴェングラーのローマSACD盤こそがワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の全曲演奏史上最高の名演の玉座を勝ち取ったと十分に考えられると言っても過言ではあるまい。

歌手陣も、さすがは巨匠フルトヴェングラーがキャスティングしただけあって豪華の極みであり、ジークフリート役のルートヴィヒ・ズートハウス、ブリュンヒルデ役のマルタ・メードル、ローゲ役やジークムント役のヴォルフガング・ヴィントガッセン、そしてミーメ役のユリウス・パツァークなど、フルトヴェングラーの渾身の指揮とともに、これ以上は求め得ないような最高の歌唱を披露しているのが素晴らしい。

イタリア放送交響楽団も、フルトヴェングラーの確かな統率の下、ドイツ風の重厚な名演奏を繰り広げているのを高く評価したい。

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2020年05月09日


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バーンスタインによるワーグナー・オペラ初録音にして唯一の録音。

またフィリップスへの初録音で、演奏会式上演のライヴ録音。

1984年度レコード・アカデミー大賞受賞盤。

バーンスタインは限られた場合にしかオペラのピットに入らない指揮者だった。

特別な機会だからこそそれと並行してレコーディングが行なわれることが多く、そのようにして作られた全曲盤がいくつかある。

この《トリスタンとイゾルデ》はコンサート・ホールのセミ・ステージ形式でライヴ録音されたもの。

バーンスタインは極端に遅いテンポによって、舞台上演では不可能なデフォルムされた音楽を聞かせる。

演奏会形式に近いだけに指揮者の個性が強く出て、遅めのテンポで濃厚な演奏が展開される。

この指揮者ならではの特異な解釈だが、一旦波長が合うときわめて大きな感動をもたらしてくれる。

これほど陶酔的なロマンティシズムで貫かれた《トリスタンとイゾルデ》演奏もあるまい。

バーンスタインの徹底した思い入れによって構築され尽くしたこの演奏は、まさにその思い入れの徹底性そのものによって一個の超然たる宇宙を形成している感。

テンポも桁外れなまでにに遅く、時として殆ど無テンポに近くなることさえある。

ここまで主情的なアプローチには異論も多かろうが、そこに醸成されるロマンは前代未聞の粘着的官能的ロマンティシズムの世界を浮き上がらせている。

ホフマン、ベーレンスの両主役の歌唱も見事、ヴァイクルのクルヴェナール、ミントンのブランゲーネもそれに劣らぬ名唱を披露している。

当時のドイツを代表するワーグナー歌手が集められているのだが、とにもかくにも「バーンスタインの」《トリスタン》である。

同時期の《ボエーム》も同傾向の演奏で、ファンにはたまらない。

まさにバーンスタインの魔力の極みといってよいアルバムだ。

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2020年05月03日


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《パルジファル》と並ぶワーグナーの最高傑作《ニーベルングの指環》に私たちは理想の録音と呼べるものを持っていない。

このクナッパーツブッシュの《神々の黄昏》は1951年のバイロイト音楽祭におけるライヴ。

戦後初の開催となったこの年の音楽祭では、カラヤンとクナッパーツブッシュという対照的な指揮者が《指環》のチクルスを分担した。

両方の演奏はEMIとデッカによって収録されたが、日の目を見たのはカラヤン指揮の《ワルキューレ》第3幕のみだった。

このクナッパーツブッシュの《黄昏》は1999年になってようやくリリースされたもので、しかも録音は英デッカ、これを朗報と言わずして何と言うべきか。

そして何という音!クッキリと浮かび上がってくるオーケストラの生々しい臨場感。

まだ管楽器が遠く、ときに隔靴掻痒の感はあるが、クナの音楽の強烈な粘性、底なしに深い呼吸感と濃厚な表情は身体が震えるほどすばらしい。

当時としてはきわめて良好な音質で、巨人クナッパーツブッシュのワーグナー解釈を聴くことができるのが何より有難く、レコード界の一大快挙と言えるところであり、この上は行方不明の前3作もぜひ発見してほしい。

あまりにすばらしいスタジオ録音の《ワルキューレ》第1幕に圧倒された筆者は、クナの《指環》全曲を耳にするのが悲願となった。

やがて登場したバイロイト・ライヴ3組(1956、57、58年)はあまりにも音が貧しく、これまでに度重なる高音質化が図られてきたにもかかわらず、未だに満足できるディスクが見当たらない。

いずれも音が貧しく、舞台上の声はかなり良くとれているのに奈落のオケは鮮明さを欠いており、せっかくのクナの表現がなかなか私たちに伝わってこない。

なまじ期待が大きかっただけにディスクを目にするのも腹立たしい気がしたものだ。

この1951年バイロイト・ライヴは《神々の黄昏》1曲だけではあるが、十二分に満足させ、堪能させ、感動させてくれた。

前記3組の音が良かったらと長嘆息だが、贅沢は言うまい。

一般的に評価が高いので今まで聴いてきたショルティ盤などが、なんと矮小に思えたことか。

歌手とウィーン・フィルの魅力だけで、肝心のショルティの音楽は薄っぺらだ。

演奏はプロローグから雰囲気満点、歌の背景のオーケストラが常にものをいい、ワーグナーの音楽の美しさに体がしびれてしまう。

物語が進むにつれておけの有機的な意味深さ、生々しさ、恐怖感が増してゆき、息もつかせぬ緊迫感など他に類を見ない。

しかもクナはひびきを凝縮させずにやりとげるのだ。

第1幕第3場、そして第2幕第3場、第4場、第5場あたりの凄みは圧倒的で、ときには美しさに泣けてくる。

歌手では戦後のバイロイト盤のキャストと比べて聴き劣る人もいるが、錚々たる人たちが揃っていて、全体に水準は高い。

特にブリュンヒルデ、ハーゲン、アルベリヒ、ワルトラウテなど最高で、何よりも心の表出がすばらしい。

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2019年11月10日


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キルステン・フラグスタートが彼女のキャリアの終焉にデッカに録音した音源を10枚のCDにまとめたもので、世紀のワーグナー・ソプラノの晩年の演奏を知る上では貴重なセットだ。

確かに彼女は当時まだ強靭な美声を維持していたし、歌い崩すこともなく、その年齢の割には真摯な歌唱だが、さすがに声とテクニックの衰えは否めない。

長年に亘って声帯を酷使するワーグナーをレパートリーにしていた歌手としては驚異的な歌手生命を保っていたことは事実だが、彼女が58歳で引退を決意した理由は、自分の声の老化を彼女自身が一番良く知っていたからに違いない。

ちなみにこのセットの録音は、彼女が公式の舞台から引退した1956年から翌57年にかけて行われている。

もしフラグスタートの全盛期の芸術を堪能したいのであれば、ニンバス・レーベルのプリマ・ヴォーチェ・シリーズの鑑賞をお薦めする。

勿論このCDの中ではクナッパーツブッシュ指揮、ウィーン・フィルとの『ヴェーゼンドンクの歌』やワーグナーの楽劇の中からのアリア集、あるいは故郷のノルーウェイ歌曲集などでその至芸を窺い知ることができる。

フラグスタートのファンであれば重要なコレクションに成り得るだろうし、また近年器用だが小粒な歌手が多い中で、彼女のようなスケールの大きい声楽家は稀で、ワーグナーの楽劇マニアであれば聴いて損のない優れた演奏だ。

この10枚に収められた曲目は既にオーストラリア・エロクエンス・レーベルから単独でリリースされていたものをセット化したリイシュー盤で、初出の音源は含まれていないが、ほぼ半分ほどがステレオ録音で音質も良好だ。

ミドル・プライスの廉価盤ではあるが、価格的にもう少し低く抑えることができたと思う。

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2019年05月29日


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このディスクは、ワーグナー演奏の最も貴重な記録のひとつであるだけに、最新録音のような音質で聴くことができるのに感謝したい。

20世紀最高のワーグナー指揮者と言われるクナッパーツブッシュが指揮し、フラグスタート、スヴァンホルムという2大ワーグナー歌手の協演を聴くことができるからである。

冒頭の弦楽器の生々しさからしてこれまで聴いてきたデッカの正規盤をはるかに上回る音質で、とても70年以上も前の録音とは思えない。

2トラック、3センチ、オープンリール・テープからの復刻ということだが、オリジナル・マスターテープに限りなく近いものではないだろうか。

ダイナミックレンジが広く、楽器の分離も明瞭で、これまでのヴェールを被ったようなモヤモヤがきれいに取り払われ、クナッパーツブッシュの深い呼吸が生み出すスケールの大きさに改めて驚かされる。

『ワルキューレ』は『指環』四部作中でも最も優れた作品とされるもので、上演回数も多く、レコードも名指揮者たちの名演が多数出ている。

しかしクナッパーツブッシュの解釈はそれらに対して言わば別格的な存在である。

前奏曲だけを比較しても判る通り、ここには骨の髄までワーグナーを理解し、楽劇の美を極め尽くした指揮者の表現がある。

表情の幅も大きく、内面的な美しさを雄大に表現して行く解釈は、まったくワーグナーにその生涯を打ち込んだ人でなければ実現不可能であろう。

デッカは1950年代半ばからフラグスタートと専属契約し、彼女をブリュンヒルデ役に起用して『ワルキューレ』をレコーディングしようとした。

フラグスタートは第3幕と第2幕の一部を録音したが、それだけでなくジークリンデを歌うことを強く希望し、そこで行なわれたのがこの録音である。

第3幕などの録音とは区別するために、あえて指揮者はショルティからクナッパーツブッシュに交代した。

クナッパーツブッシュはデッカのプロデューサー、カルショウたちによるステレオの特性を活かした演出などには興味を示さず非協力的だったが、ウィーン・フィルからは篤く信頼されていたそうで、ここでも美しい音色を引き出している。

またこのディスクは『ワルキューレ』第1幕だけであるが、これをもって中途半端なレコードと難ずるのは不当である。

なぜならこの第1幕はジークムントとジークリンデの愛の主題として、内容は最高度に充実しており、全体にもよくまとまり、これだけ引き離しても充分に聴き応えがあるからである。

それどころか評家によってはこの第1幕こそワーグナー全作品を通じて最も美しい音楽であるとする人もある位で、密度の濃い、手法の円熟した傑作である。

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2019年02月20日


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2005年にグレン・グールドばりに、バッハの『ゴールドベルク変奏曲』で華麗にデビューしたドイツのピアニスト、マルティン・シュタットフェルト。

早くもソニー・クラシカルから9枚目のアルバムとなる本作は、シュタットフェルトらしいテーマ性に満ちた1枚となった。

“ドイツ・ロマンティック”というタイトルで、ドイツ・ロマン派の極め付けともいえるワーグナーのオペラのピアノ・アレンジ(リスト編曲)から始まり、シューマンやブラームスといった、ドイツ・ロマン派といえば即座にその名が浮かぶ有名作曲家の作品が綴られていく。

また、ワーグナーの珍しいピアノ・ソロ作品もなかなか聴けない佳品で、ピアノのための作品だけではなく、オペラや歌曲のアレンジが多いところも、シュタットフェルトの鋭い主張を感じさせるところと言えよう。

ロマンスという言葉の起源を辿ると中世騎士道物語に発している。

放浪の騎士がその高潔さと神への敬虔な心から悪を挫き弱きを助け、貴婦人へのプラトニック・ラヴを謳い上げた幾百ものストーリーが創作された。

この騎士の姿は現実には有り得ない男の理想像なのだが、その滑稽なほどの高邁な精神はセルバンテスの『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』で痛烈にパロディー化されたにも拘らず、後のロマン派の多くの作曲家の永遠のテーマとして採り上げられることになる。

このディスクでシュタットフェルトが選曲したワーグナーの『トリスタン』や『タンホイザー』はまさにこうした物語をオペラ化したものに他ならない。

中でもシューマンは最もロマンティックな感性を持った作曲家ではないだろうか。

彼の音楽は文学と密接に結びついていて歌曲以外の作品、例えばここに収録された『森の情景』でもそのスピリットを感知させてくれる。

深い森は騎士物語の重要なエレメントだからだ。

ブラームスもまた『マゲローネのロマンス』で騎士道精神を高揚しているが、こうしたピアノ小品にも彼の文学的ロマン性が横溢している。

シュタットフェルトがデビューした頃、彼のモダンな解釈による明快で颯爽としたバッハは久々のバッハ弾きとして注目を集めたし演奏にも好感が持てたが、CDのリリースを重ねていくうちに、器用過ぎるほど器用なのだが何をやりたいのか良く分からないピアニストという印象が強くなって、その後それほど熱心に聴かなくなっていた。

むしろ同世代ではダヴィッド・フレーの方が終始一貫した主張を持ち続けているように思える。

しかしこのディスクではシュタットフェルトの意図は明らかだ。

それは本来の意味での中世騎士道のロマンティックな哲学的感性は本家のラテン系諸国よりもドイツに引き継がれ、多くの作曲家にインスピレーションを与えたからだろう。

その頃既にベルリオーズがあの『幻想交響曲』で人間の理想像どころか宿命的な破綻を描いていたことを考えれば、その思考回路の違いに驚かされる。

勿論ベートーヴェンも『フィデリオ』で騎士道精神を表現しているし、『アデライーデ』はプラトニック・ラヴが前提として了解されていると思える。

このディスクを鑑賞することによってドイツ・ロマン派の作曲家への作品への理解を一層深めることができるだろう。

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2016年12月23日


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決して経験がない訳ではないにも関わらず、オペラ・ハウスとは疎遠だった巨匠チェリビダッケであるが、コンサートではしばしばオペラの序曲などを好んで指揮していた。

今回のアルバムは、圧倒的な声量を誇ったビルギット・ニルソンとまさにがっぷり四つの名演集で、ワーグナー作品についてはかつてGALAという海賊盤レーベルから出ていたが、劣悪なモノラル音源で当盤とは比較にならない。

ビルギット・ニルソンはノルウェーの伝説的ワーグナー・ソプラノ、キルステン・フラグスタートの後継者たる強靭な声を持ったスウェーデン出身のソプラノだったが、決して野太い大音声の歌手ではなく、むしろ焦点の定まった輪郭の明瞭な声質を完璧にコントロールした怜悧な歌唱でスケールの大きな舞台を創り上げた。

ニルソンの歌唱芸術はスタイリッシュだが恣意的ではなかったために劇場作品のみならず歌曲や宗教曲に至る広いレパートリーを可能にしたと言えるだろう。

当然彼女のオペラ全曲盤やアリア集は多いが、指揮者がチェリビダッケというのは異例中の異例で、しかも非常に高い演奏水準で彼らの超個性的な協演を堪能することができる演奏集である。

特徴的な精緻を極めた弱音、繊細でいながら大きなうねりも生み出す巧みなオーケストラ・ドライヴ、熱い血を持つチェリビダッケが展開する官能美に余裕たっぷりのニルソンの堂々たる歌唱には深い感動とともに痺れる他ない。

特に『ヴェーゼンドンクの歌』では、曲の性格ゆえ『トリスタン』以上に室内楽的な、細やかな響きへの配慮が窺え、見通しがよい響きは、どこかラヴェルのようでもある。

とりわけ「夢」が絶品で、夜の暗闇の中で若いふたりが抱き合う『トリスタン』第2幕を先取りした音楽だが、彼の棒によってまさに夜の空気が震えるような、色がにじむような繊細な音楽が生み出されたことが、この録音からはよくわかる。

チェリビダッケの要求が曲想の官能性よりも神秘的なサウンドの表出に向けられているのが興味深い。

この翌年の再共演が、イタリア・オペラのアリア3曲で、チェリビダッケの音楽づくりはいつもの通り、ヴェルディも熟練の管弦楽作家として描き尽くしているが、ニルソンの顔を潰すような場面はなく、まさに、龍虎相打つと言ったお互いの尊敬が音楽に込められている。

トラック1−8まではストックホルムに於ける2回のライヴから収録された良好なステレオ録音で、演奏終了後に拍手が入っているが客席からの雑音は無視できる程度のごく僅かなもので、音響はややデッドだがそれだけに声楽には適したすっきりとした音像が得られている。

尚トラック9及び10には『トリスタンとイゾルデ』からのリハーサル風景がモノラル録音で入っている。

通常リハーサルに於いて歌手は声量を抑えたソットヴォーチェで歌うことが許されているが、ここでのニルソンはオーケストラのやり直しの部分でも、繰り返しフルヴォイスで応じてワーグナー・ソプラノの貫禄を示して団員からの拍手喝采を受けている。

チェリビダッケはオペラ畑でキャリアを積んだ指揮者ではなく、オペラ全曲録音はセッション、ライヴ共に全く見当たらないが、かと言って彼が劇場作品への能力を欠いていたわけではないと思われる。

彼が大規模な劇場作品に手を染めなかった理由はライナー・ノーツで許光俊氏も指摘しているように、あらゆる妥協の産物に他ならないオペラ上演は、彼にとって受け入れ難い苦痛だったに違いない。

広範囲のジャンルからのスタッフで成り立つオペラ上演では、時として指揮者は彼ら同士の意見の対立を宥め賺して八方丸く治める手腕が求められる。

相手の欠点に容赦なく斬り込んだり、明け透けに毒舌で中傷するようなことがあれば指揮者の降板か、最悪の場合公演はキャンセルに追い込まれてしまうだろう。

チェリビダッケの隠されたオペラへの情熱と指揮法をこのアルバムで垣間見ることができるのは幸いだ。

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2016年10月04日


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当時オペラ上演のための劇場を失っていたシュターツカペレ・ドレスデンとそのコーラスがルドルフ・ケンペを迎えて、戦禍にも絶えることがなかった古き良き時代のドイツ精神の高揚と彼らのオペラ再興への強い情熱、そして弥が上にもその底力をみせたワーグナーの『マイスタージンガー』である。

ある意味ではソヴィエトの文化政策介入への牽制があったのかも知れない。

ケンペは多くの登場人物を的確に描き分けて、大規模なオーケストラにも几帳面な指示を与え堅実かつ感性豊かなワーグナーの世界を提示している。

純粋な演奏時間だけで4時間を超す大作だが、すっきりと纏められている上に音質も良く全曲を聴き通すのが苦にならない。

尚このセットにはライナー・ノーツは付いているが、歌詞対訳は省略されている。

中部ドイツ放送制作のマスター・テープの録音およびその保存状態が極めて良好で、ここにも彼らの高い技術水準が示されている。

モノラル録音ながら今回のリマスタリングによって細部まで鮮明な音質で鑑賞できるし、セッションであるために音場が近く歌手達の声に潤いと臨場感があり、余計な雑音がないのも幸いだ。

キャスティングでもエヴァにティアーナ・レムニッツ、ハンス・ザックスがフェルディナンド・フランツ、ポーグナーにクルト・ベーメ、また騎士ヴァルターには当時全盛期だったヘルデン・テノールのベルント・アルデンホフなど実力派歌手を起用して、ドレスデンの威信を賭けた万全の態勢で臨んでいたことが理解できる。

ドレスデン市街は1945年2月の大空襲による爆撃でオペラの殿堂だったゼンパーオーパーはもとより演劇用のシャウシュピールハウスも大破したが、幸い後者は1948年から使用可能な状態に修復され、1950年にはケンペ、シュターツカペレによる『マイスタージンガー』の上演に漕ぎ着けた。

これが成功裡に終了したことから翌年同じメンバーでのレコーディングが中部ドイツ放送によって実現した。

録音会場は主としてシャウシュピールハウスのグローサーザールと衛生博物館が使われている。

ちなみにゼンパーオーパーが完全に再建され、ブロムシュテットによるベートーヴェンの『第9』で不死鳥のように甦るのはようやっと1985年のことになり、それまでメンバーたちが本格的なオペラを上演できなかったことを考えれば、それが悲願の達成であったことは想像に難くない。

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2016年10月02日


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選曲も妥当だし、演奏もなかなか安定していて、ワーグナーの音楽そのものをじっくりと鑑賞したい方に是非お薦めしたい1枚である。

レーグナーはワーグナーが書いたスコアを誠実に鳴らし、その音符ひとつひとつを自ら語らせてゆく。

全体の見通し、つまり造形もきわめて確かで、ここにレーグナーの類稀な才能をみせている。

楽器の存在を忘れさせて、人間の心そのものしか感じさせないような有機的な響きを創造する、その実力は恐るべきものと言える。

そのうえテンポのさばき方の妙、間のよさ、ダイナミックスとの関連性は第一級である。

レーグナーの指揮には派手なアピールも華やかさもないが、常に落ち着いたテンポを設定して音楽を練り上げていく、ドイツの職人気質を感じさせる。

しかもそこから生まれてくる音楽は飾り気こそないが、足取りの確かな演奏で、格調を高めるために少し音楽を抑制しているが、重厚かつ荘厳、玄人をも唸らせるような深い感動をもたらしてくれる。

『マイスタージンガー』の前奏曲はその最たる例で、この楽劇のエッセンスを抉り出したような壮大さを、決して表面的な美しさではなく、叙事詩として徹底的に聴かせてくるのが特徴ではないだろうか。

遅めのテンポの上に内容とこくのある響きが乗り、各楽器がよく溶け合った鬱然として暗い音色、レガートを効かせた旋律線、広々と解放される歌、有機的に浮き沈みする動機の数々、特にチェロの対旋律が湧き出るあたりは背筋がゾクゾクする。

他の曲にも共通して言えることだが、ワーグナーの音楽は下手をするとこけおどしのはったり的な要素が出てしまう。

しかしレーグナーの指揮はそうしたことから全く無縁で、冷徹な知性と一途とも言える情熱から構築された音楽が溢れ出るように聴こえてくる。

しかし、さらに美しいのは『ジークフリート牧歌』で、これはレーグナーの全ディスクの中の最高と言えるだろう。

少し遅めのテンポの中に作品への共感をしっとり込めながら、爽やかに歌いついで美しく、夜明けの深い森にたたずんでいるような永遠の安らぎに満たされた幸福感を感じさせてくれる。

それは心の内面を癒し、潤すような大自然の穏やかなぬくもりにも似ていて、質の高い、自発性に満ちた演奏で、本当に体中が震えるような、恍惚たる陶酔感に満ちた美演と言えよう。

オーケストラの極上の音質、もはや楽器が出す音とは思えない血の通ったハーモニー、そう、フルトヴェングラーが最新のステレオで録音したら、こんな演奏に聴こえるに違いない。

事実、胸をしめつけるようなピアニッシモ、情緒にあふれたフレーズのつながり具合など、フルトヴェングラーにそっくりな場面が多々あり、現代には珍しいロマンティックな、自在な、温かいワーグナーが流れてゆくのである。

今回のCDでは以前ベルリン・クラシックスから出ていたCDの欠点だった音質のざらつきや、LPから直接起こしたような音の揺れがかなり改善されて、自然な響きの録音が美しく、滑らかで艶のある音色を再現しているが、これはリマスタリングの効果だろう。

また同じシリーズで同指揮者、ベルリン放送交響楽団によるビゼーの組曲『アルルの女』やベートーヴェン序曲集なども今回リニューアルされてリリースされた。

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2015年12月16日


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2013年2月惜しまれつつ鬼籍に入った指揮者サヴァリッシュの業績を偲ぶために買ったCDのひとつで、彼は早くからオペラ畑でも頭角を現したが、ピアニストとして、また室内楽の演奏家としても評価が高かった。

そうした総合的な幅広い音楽観がサヴァリッシュの指揮に良く表れていると思う。

ミュンヘン生まれの指揮者サヴァリッシュは、およそ20年間音楽監督あるいは総監督としてバイエルン国立歌劇場に在任したが、当歌劇場を去るにあたって録音したこの『マイスタージンガー』は、彼と劇場の幸せな結びつきを証明する特別のもののように思える。

彼らが分かち合ったに違いない“おらが町のオペラ”の情熱がこの名盤を生んだのだろうか。

サヴァリッシュは自身が鍛え上げた柔軟で統制のとれたオーケストラとコーラスを手足のように駆使して、平易で説得力のある素晴らしい音楽を作っている。

サヴァリッシュの指揮は分かり易いということでオーケストラのメンバーからの信頼も厚かった。

抽象的な表現や要求はできるだけ避け、より現実的で隅々まで統制の行き届いた明晰な音楽作りがサヴァリッシュの特徴だ。

その点では同僚カルロス・クライバーとは対照的だったと言えるだろう。

決して即興的な指揮はしなかった堅実で理知的な指揮者だったが、誰にも引けを取らない繊細かつ情熱的な感性を持っていたのも事実だ。

1957年バイロイト歌劇場に当時としては史上最年少の33歳で起用され『トリスタンとイゾルデ』でデビューしたのもそうしたサヴァリッシュの実力が認められたからに違いない。

このセッションが録音されたのは1993年で、既にワーグナーの作品にも熟達していたサヴァリッシュの円熟期の職人的な技が傑出した、隙なく几帳面にまとめられた如何にもサヴァリッシュらしい出来栄えになっている。

聴衆を陶酔の渦に巻き込むような幻惑的な演奏とはタイプを異にする、文学と音楽とをより有機的に結び付けたサヴァリッシュのポリシーが伝わる真摯な演奏だ。

あくまでもワーグナー的なカタルシスの魅力を求める人にとっては意見が分かれるところかも知れない。

しかし決して冷淡な演奏ではなく、控えめだが豊かな情感が随所に感じられるし、喜歌劇としての明朗さがあり、また登場人物の性格を音楽で描き分ける手腕も見事だ。

それゆえ最後まで忍耐強く聴き取ろうという人にとっては、これほど良くできたセッションもそう多くない筈だ。

歌手たちも当時としては最良のメンバーが選ばれていて、深く豊かな声を聴かせるヴァイクルのザックスは極めつけ。

またヴァルター役のテノール、ヘップナーの力強い美声とロマンティックな歌唱も特筆もので、なるほどここは明るい南ドイツだったな、それに彼だから歌試合で優勝できるのだと納得。

ステューダー(エヴァ)やロレンツィ(ベックメッサー)も適役で、同オペラの立派な選択肢のひとつとしてお薦めしたい。

尚11ページほどのライナー・ノーツは廉価盤の宿命で歌詞対訳は省かれているが、英、独、仏語による簡易な解説が掲載されている。

総合芸術と言われるオペラをまとめることは、指揮者として秀でていても容易なことではない。

うるさ型の歌手陣1人1人に自分の音楽的要求を呑み込ませ、コーラスにも目を配らなければならないし、オーケストラとの限られたリハーサルや演出家が加わる舞台稽古への立会い、バレエが組み込まれている場合の稽古など、その規模が大きくなるほど仕事は煩雑化する。

『マイスタージンガー』のように実際の上演時間が5時間を超えるものであれば尚更だ。

勿論音楽面だけでなく、総ての関係者との人間関係がうまくいった時、初めて上演を成功させることができる。

サヴァリッシュはその辺りを絶妙に心得ていて、後年その仕事の煩雑さを忌憚なく吐露しながらも、誰とも衝突を起こさなかった稀な人物であった。

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2015年10月26日


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1953年のバイロイト祝祭に於けるライヴ録音で、2010年にオルフェオからリリースされた時は値段が高かったのだが、このドキュメンツ盤は半額以下になり、どの程度の音質を再現できているか聴いてみたくなった。

勿論歌詞対訳などは望むべくもないことは承知の上だが、音質に関しては特に歌手達の声がほぼ満足できる状態に再現されていて、劇場の潤沢な残響も声楽に潤いを与えている。

ドキュメンツは版権の切れた過去の名演奏を低コストで提供することに主眼を置いていてリマスタリングには無頓着だが、このセットは正規音源を使ったものらしくモノラルながら鑑賞に全く不都合はない。

あえて弱点を挙げるとすればオーケストラにセッション録音のような迫力と細部の精緻さにやや欠けるところだが、これはバイロイトという特殊なオーケストラ・ピットを構えている劇場のライヴでは止むを得ないし、当時の録音方法と技術を考えれば決して悪いとは言えない。

このライヴの魅力はウィーンの名匠クレメンス・クラウスが亡くなる一年前に遺した、結果的に彼のワーグナーへの総決算的な上演になっていることで、本来クナッパーツブッシュが予定されていたにも拘らず、ヴィーラント・ワーグナーの、舞台セットよりも照明効果を重視する演出との衝突から、クラウスに白羽の矢が立ったという経緯があるようだ。

皮肉にもクラウスの死によりクナがバイロイトに復帰することになるのだが、この時の上演の出来栄えは素晴らしく、クナとは全く異なったアプローチによる、精妙な中にもダイナミズムを湛えたリリカルな仕上がりになっている。

クナほどスケールは大きくないかもしれないが、ワーグナーの楽劇として明快にしっかりとまとめられていて、長時間の作品であることを忘れさせてしまう。

クラウスの音楽を完璧に支えているのが当時全盛期にあった歌手陣で、彼らの輝かしい声によって活性化された若々しい表現が、オール・スター・キャストの名に恥じない舞台を創り上げている。

ちなみに主役級の4人は1956年にクナとのライヴでも再び顔を合わせていて、全曲盤がやはりオルフェオからリリースされている。

稀代のヴォータン歌いホッターは44歳だったが、この役柄では殆んど完成の域に達していたと思えるほど、その歌唱には説得力がある。

歌手にとっても4晩の長丁場を歌い切るには相応の体力と精神力が求められる筈だが、この時期のホッターの声による演技力にその充実ぶりが示されている。

一方ジークフリート役のヴィントガッセンにはいくらか大時代的な歌唱法が残っているとしても、強靭で伸びのある声を無理なく活かした雄大な表現はヘルデン・テノールの面目躍如たるものがある。

ヴィントガッセンも大歌手時代の最後の1人だった。

女声陣もすこぶる強力なキャスティングだが、中でもフラグスタート引退後のブリュンヒルデ歌いヴァルナイ若き日の名唱が光っている。

ニルソンの怜悧で精緻な表現に比べれば、ヴァルナイの声は暗めでより官能的な趣があり、「ブリュンヒルデの自己犠牲」での深みのあるシーンは彼女最良の舞台のひとつだったのではないだろうか。

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2015年09月06日


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1962年に行われた、バイロイト公演でのライヴ録音で、若きサヴァリッシュの素晴らしい貴重な記録である。

『タンホイザー』には1845年に、ドレスデンでこの作品が初演されたときの「ドレスデン版」と、それから16年後の1861年にパリで上演された際、第1幕冒頭のバレエ部分を拡大改訂した「パリ版」の2つの版があるが、これは、バイロイトで長らく使用されてきた「ドレスデン版」と「パリ版」とを組み合わせた演奏である。

ワーグナーのオペラのなかでは『タンホイザー』は比較的ディスクに恵まれていないのではなかろうか。

決定的名盤はと訊かれて、他の作品ならば選ぶのに苦労するほどだが、このオペラについてはすぐに思い当たる盤はない。

それは作品自体に「ドレスデン版」は音楽の説得力がやや弱く、「パリ版」は全体の統一を欠くという弱点があることと無関係ではないかもしれない。

サヴァリッシュ以来バイロイトが慣用するようになったこの折衷版がさしあたっての妥協案であろう。

そうしたなか、この1962年のバイロイト・ライヴは、当時まだ30代だったサヴァリッシュのストレートな音楽づくりと黄金期の名歌手たちが一体となった秀演と言えるだろう。

このときの公演は、今は亡きヴィーラント・ワーグナーの名演出と、当時39歳だったサヴァリッシュの、颯爽とした速めのテンポで、新鮮な感覚にあふれた表現が評判となり、大成功を収めた。

このディスクは、その充実した舞台の雰囲気を生々しく収録したもので、聴き手の心をつかんで離さない大変すぐれた演奏である。

1960年代初頭のサヴァリッシュのバイロイトでの活躍の中でも、この『タンホイザー』はとりわけ傑出している。

サヴァリッシュはバイロイトのオーケストラを的確に掌握し、ワーグナー中期作品にふさわしい瑞々しい味わいを引き出している。

サヴァリッシュの指揮は、速めのテンポで生き生きとした音楽を奏で、録音のせいか、あまり重厚さは感じないが、軽快に音楽が進んでいき、推進力がありながらも、全体を手堅くきちっとまとめている。

知がしばしば勝ちすぎることも多いサヴァリッシュだが、ここでは知と情の絶妙なバランスが、熱気を帯びたドラマを形成していく。

全盛期のヴィントガッセンの力強いタイトルロールをはじめとして、当時大きな話題を巻き起こした2人の新人、シリアとバンブリーの新鮮な若々しさ、そしてずらりと脇を固めたヴェテランたち(ヴェヒターやグラインドル)の見事な歌唱など、今もなお、雰囲気にあふれた『タンホイザー』のベスト・レコードのひとつと言える。

とりわけ、タンホイザーを歌っているヴィントガッセンの老巧でありながら輝かしく、雄弁で力強い声による歌唱がひときわ光っており、主役にぴったり。

シリアのエリーザベトや“黒いヴェーヌス”として話題となったバンブリーのヴェーヌスもこの役にふさわしく、声の鮮烈な透明さが劇を引き締めて、サヴァリッシュの棒に立派にこたえている。

録音状態も良好で、拍手はカットされているが、実際の上演を基に作成された録音のようで、実際のバイロイト祝祭劇場で聴いているような錯覚に陥るほどだ。

サヴァリッシュのバイロイト公演には、他にも『さまよえるオランダ人』(1961年)、『ローエングリン』(1962年)も遺されており、いずれもサヴァリッシュのバイロイト公演の最高の記録が刻まれている。

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2015年09月04日


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フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなど、綺羅星の如く大巨匠が活躍していた20世紀の前半であったが、これらの大巨匠は1960年代の前半には殆どが鬼籍に入ってしまった。

そうした中で、ステレオ録音の爛熟期まで生き延びた幸運な大巨匠(それは、我々クラシック音楽ファンにとっても幸運であったが)こそは、オットー・クレンペラーであった。

クレンペラーは、EMIに対して膨大な点数のスタジオ録音を行ったが、その大半はこの大巨匠の指揮芸術の素晴らしさを味わうことが可能な名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

そうした押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。

特に、本盤に収められたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。

当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。

本盤には、ワーグナーの有名な管弦楽曲である歌劇「リエンツィ」序曲、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、歌劇「タンホイザー」序曲、歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲、第3幕への前奏曲、楽劇「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲、楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死、そして長大な楽劇「ニーベルングの指環」からの抜粋などが収められている。

このうち楽劇「ニーベルングの指環」については、クレンペラーは若き日より何度も指揮を行ってきたところであるが、残念ながらライヴ録音も含め現時点では全曲録音が遺されていないようである。

本盤の各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるものであり、どれも強い表現意欲に突き動かされたような名演ばかりだ。

どれもクレンペラーの演奏の特徴である、動的というより静的、でも細部の隈取がクリアで、いつも巨大なあざやかな壁画を眺めているようなところが良く現れた演奏となっている。

全体に寸分の揺るぎもない重厚な演奏で、そのリズムは、巨人の足どりのようにずっしりと重いが、これが本当のワーグナーの響きというものだろう。

フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。

テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いと言えるが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有していると言えよう。

これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。

ことに、「ローエングリン」の格調の高さは特筆に値するが、そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。

もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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2015年08月31日


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ハイティンク初のワーグナー/オペラで、1985年1月、ミュンヘンのヘルクレスザールに於けるスタジオ録音。

ハイティンク指揮バイエルン放送響は、ケーニヒ(T)のタンホイザー、ポップ(S)のエリーザベト、ヴァイクル(Br)のヴォルフラム、メイアー(S)のヴェーヌスといった具合に、若手を中心に組んだキャスティングだが、録音が素晴らしく、ハイティンクの円熟を窺わせるに足る名演と言えよう。

オペラ指揮者としてのハイティンクも、重視しなくてはならない。

ハイティンクの指揮は、実に明快にこのオペラの魅力を表現している。

コンサートでも共通して言えることだが、1980年以降になってからのハイティンクは、堂々とした風格と確信にみちた表情で聴き手を圧倒する。

真摯な作品への取り組みで知られるハイティンクだが、ここでも端正な造形に支えられた精緻極まりない管弦楽美が楽しめる。

必ずしもめざましい演奏でなければならないとは限らない。

念入りに、過度な興奮なく演奏されるとき《タンホイザー》はこういう魅力を発散するのだ、という演奏が聴ける。

最近のハイティンクは、彼独特の陰影の深い、濃厚な色調をつくり、それが多様なグラデーションを伴って、堅実で気宇の大きな音楽を歌うが、その密度の濃い、骨格のたくましい設計と壮大な高揚がある。

やはりハイティンクの音楽が、意外なほど強靭の個性をもっていることに、改めて感心させられた次第であるが、現在のハイティンクには、まさにその個性が何物をも恐れずにあらわれている。

なるほど、アムステルダム、ウィーン、ベルリン、ボストン、バイエルン、シカゴと場所によっての違いはあるが、よい指揮者が楽団の固有の性格や響きを尊重するのは当然で、ハイティンクも例外ではない。

とはいえ、どのオーケストラの演奏も間違いなくハイティンクの響きであり、音楽である。

ここでもバイエルン放送響の、きわめてドイツ的な、いぶし銀のような響きが前面にあらわれた演奏に仕上がっている。

上記の歌手陣も大変充実しており、ケーニヒはライト級の声が多くなった昨今のヘルデン・テノールの中では珍しく重厚でドラマティックな歌を聴かせ、ポップの透明清純なエリーザベトもよい。

とりわけ、モルの深々とした美声による全人的な役作りと、ヴァイクルの滋味あふれる柔軟で人間的な歌唱も特筆ものだ。

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2015年08月29日


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ヴォルフガング・ヴィントガッセンは、第2次大戦後のワーグナー・テノールの第一人者で、残されたレコードも大部分ワーグナー。

若々しい声質と風貌のヘルデンテノールで、第2次大戦後最高の爛蹇璽┘鵐哀螢鶚瓩塙發評価された。

ヴィントガッセンの「ローエングリン」の演奏記録は、バイロイト音楽祭に於ける1953年度のカイルベルト盤、翌年のヨッフム盤が残されているが、演奏はいずれ劣らぬ名演。

2種のうち、前者は当時の英デッカのスタッフによる録音なので、モノラル・ライヴとしては最高に素晴らしい録音水準を誇っているのが有難い。

ただしエルザは53年のスティーバーも悪くないが、54年度のニルソンの方が上なので、甲乙つけ難い。

ヴィントガッセンは、バイロイトで最初の2年間は、パルジファルと「ラインの黄金」のフローを歌い、3年目の1953年にはパルジファルをラモン・ヴィナイとダブル・キャストで歌ったほか、新たにローエングリンとジークフリートも歌って、とくにローエングリンで絶賛され、バイロイトでの名声を確立した。

オペラ評論家とした大をなしたアンドルー・ポーターは、当時編集同人をつとめていた英国の『オペラ』誌にこう書いて送った。

「ローエングリンのヴォルフガング・ヴィントガッセンは、ほぼ間違いなく現在の舞台では最高のワーグナー・テノールであろう。ジークフリートの役ではまだ声のスタミナがイマイチだが(ほかの点ではほとんど申し分がないのだが)、彼のローエングリンは力強くノーブルで、甘美でもあり、また叙情味も豊かであった」

本盤の演奏を聴くと、ヴィントガッセンは、ワーグナーを歌って名声があったヘルデンテノールのなかでは声の質がやや細く軽いほうで、とりわけスタミナと劇的な表現力が必要とされるパルジファル、ジークムントなどよりもドイツ語ではユーゲントリヒャー(若々しい)・ヘルデンテノールと呼ばれているリリコ・スピント寄りのローエングリンや「オランダ人」のエリック、「マイスタージンガー」のヴァルターなどにいっそう適していたことがわかる。

前述のポーターも言うように声質もうってつけだし、風貌も役どころにふさわしく、戦後最高のローエングリンだったと思う。

そしてどこまでもドイツ音楽の伝統に根をおき、ドイツ民族の美学を最良の形で示した重鎮カイルベルトの音楽性が過不足なく聴取できると言えよう。

ローエングリンのヴォルフガング・ヴィントガッセン、エルザのエレノア・スティーバー、オルトルートのアストリッド・ヴァルナイ、テルムラントのヘルマン・ウーデ、ハインリヒのヨーゼフ・グラインドルといったエルザのスティーバーを除くと当時のバイロイト常連たちを中心に、カイルベルトが全体をがっちりとまとめあげた演奏だ。

少し前の名歌手たちを巧みに統率しながら、カイルベルトがつくりあげる音楽はオーソドックスで、底力がある。

いかにもドイツの伝統に深く根をおろしているという性格で、すべての要素が安定感をもち、危うさがない。

素朴といえば素朴な性格なのだけれど、このロマンティック・オペラを、ごく自然なスタンスで再現し、そこにはこのオペラ独特の持ち味がよく導き出されており、何も不足はない。

虚飾めいたものはなく、在るがままを素直にまとめた名演と言えよう。

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2015年08月13日


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ショルティのワーグナー・オペラ総集編が、廉価BOXで再発される運びになったことをまずは大いに歓迎したい。

《さまよえるオランダ人》は、シカゴ交響楽団の音の豊麗な威力と、一糸乱れぬアンサンブルが実に壮観で、ショルティの意図が100%体現されて余すところがない。

こうした完全な管理システムのもとに統御されたシカゴの強靭な音は、あるいは「オランダ人」のまだいくぶん平板な音楽にはかえって適しているのかもしれない。

歌手たちはとくにとび抜けた魅力はないがまずまずの出来である。

《タンホイザー》はパリ版による全曲録音で、序曲の途中から豊麗なバッカナールに流れ込む形をとっている。

このことにより、初めてヴェーヌスは類型的な異教的官能の女神としてではなく、純愛の象徴エリーザベトのアンチテーゼとしての劇的実体が得られた。

タンホイザーを歌うコロが初々しいのをはじめ、主役2人の女声がともに魅力的であり、ショルティの指揮もこれ以前の「指環」全曲よりもふくらみを持っている。

《ローエングリン》は、あらゆる点に周到な目配りと配慮の行き届いた表現で、音楽とドラマのデリケートな色調や陰影や情感の明暗を表出し、以前のショルティのようなゴリ押しはなく、音楽は自然に、豊かに流れ出ていく。

主役2人にドミンゴとノーマンを選んでいるのも素晴らしく、その声の豊麗さと肉感的なほどの美しさはとび抜けている。

もちろん、ワーグナー独特の朗唱法をきちんと守りながら、見事な歌唱を聴かせている。

《トリスタンとイゾルデ》は、1960年当時のショルティの、鋭角的な音作りと猪突猛進的な音楽運びが、残念ながら「トリスタン」の壮大な官能の世界を描ききるほどには成熟していなかった。

しかし合奏力の精緻さや音楽の推進力に不足はなく、和声的というより、あまりに構築的な演奏といえよう。

歌手陣は、ニルソン、ウールをはじめとして高水準の歌唱を展開している。

《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は、このオペラの成否を決める重要な2つの要素である、明快さとふくよかさを併せ持った演奏だ。

ヴァルターを歌うコロが、若々しく伸びの良い声で力演、ベックメッサーのヴァイクルも、甘美な声と確かな技巧で聴かせ、またハンス・ザックスのベイリーが、淡々としているが必要なものは過不足なく備えた好演だ。

そしてウィーン・フィルの味わい深い演奏が、このオペラに豊かな肉付けをしていることを忘れてはならない。

《ニーベルングの指環》は、1958〜65年にかけて録音された壮大な全集。

ショルティの指揮は、一言でいうと明快強靭なダイナミズムやスリリングな緊張に貫かれており、実に活気に溢れたデュナーミクと、清潔で的確な表現によって、ワーグナーの音楽を生き生きと歌い上げている。

音楽の豊麗さという点でも傑出しており、ここにはショルティの力ずくのダイナミズムや直截さだけでなく、ふくよかなロマンティシズムやたくましい流麗さ、そして壮大な詩とドラマがある。

その精緻で雄弁な音の繰り広げられる壮大なドラマのおもしろさと感動はまったく底知れないものだ。

キャストの面では、全作を通じて同一の歌手で歌われていない配役があるなど、統一感のうえではやや弱い点もあるが、そうした面を越えて不朽の名演であることに変わりはない。

とりわけ、第2次大戦後の最もすぐれたワーグナー歌いの名手がズラリと並んださまは壮観というほかない。

《パルジファル》におけるショルティは、自信に満ちた態度でテンポを悠然と運び、豊かできびしい音の流れを作りだしており、ウィーン・フィルも、他に類がないほど豊麗で、しかも清純な美しい響きを聴かせている。

それに加えて練達の歌手たちが素晴らしく、威厳に満ちたホッター、明晰な歌を聴かせるフリック、そして敬虔さ、妖艶さともに最高の名唱ルートヴィヒなど、まさに最上のキャスティングといえるだろう。

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2015年08月10日


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プラガ・ディジタルスでは初登場のフルトヴェングラーの第2集はワーグナーの劇場作品からのオーケストラル・ワーク集で、前回と同様ウィーン・フィルを振ったHMV音源からのSACD化になる。

第1集のリヒャルト・シュトラウス作品集が思いのほか良かったので今回も期待したが、音質的にはいくらか劣っていることは否めない。

その理由はマスター・テープの経年劣化で、さすがに1940年代のものはヒス・ノイズも少なからず聞こえるが、広めの空間で再生するのであればそれほど煩わしくはない。

むしろこの時代の録音としては良好で、LPで聴いていた時より音場の広がりと奥行きが加わり、モノラルながらしっかりした音像が得られているのはひとつの成果だろう。

またレギュラー・フォーマットのCDでは、こうした古い音源は往々にして痩せて乾涸びた響きになりがちだが、このSACDではある程度の潤いと光沢も蘇生している。

収録曲のデータを見ると『さまよえるオランダ人』序曲(1949年)、『ローエングリン』第1幕への前奏曲(54年)、『タンホイザー』序曲(52年)、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲及び「徒弟たちの踊り」(49年)、『ワルキューレ』より「ワルキューレの騎行」(54年)、『神々の黄昏』より「ジークフリートのライン騎行」及び「ジークフリートの葬送の音楽」(54年)となっているので、「ワルキューレの騎行」に関しては同じメンバーによる旧録音ではなく、全曲盤からピックアップされたものと思われるが、残念ながら『トリスタン』が選曲から漏れている。

フルトヴェングラーはこの時期ウィーン・フィルの実質上の首席指揮者だったこともあり、彼らとのコンサートや録音活動を集中的に行っていてオーケストラも彼の要求に良く呼応している。

フルトヴェングラーは幸いワーグナーの楽劇のいくつかを全曲録音しているので、彼の音楽的な構想を理解するには全曲を通して鑑賞することが理想的だが、こうした部分的な管弦楽曲集でも充分にその片鱗が窺える。

例えば『オランダ人』序曲の冒頭はたいがい嵐の海の情景描写に終始してしまうが、彼のように神の怒りに触れた者の絶望感を表現し得た指揮者は数少ない。

『タンホイザー』で繰り返される巡礼のコーラスのテーマでは、筆者はかつて何故この旋律をカラヤンのようにもっとレガートに演奏しないのか疑問に思ったことがあった。

しかし後になってそれが赦されることのない罪を背負った巡礼者タンホイザーの喘ぎであり、途切れがちな息遣いと足取りを表していることに気付いて愕然とした思い出がある。

一方『マイスタージンガー』の意気揚々とした幸福感に満ちた前奏曲はこの作品の喜劇性とその晴れやかな終幕を予告しているかのようだ。

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2015年08月07日


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サヴァリッシュの《リング》は、この『EMI/Wagner:THE GREAT OPERAS』に収録され、値下げ再発となっているので、本BOXを入手する方が、他のワーグナーのオペラの名演も聴くことができ、お買い得と言える。

とりわけ《リング》ビギナーの方でチョイスに迷われてるなら、是非、購入検討リストの最上位に加えて、よりビッグ・ネームの指揮者を擁する他盤とも同列に比較して頂きたいのが本盤であり、リブレットこそ付随しないが、買って失敗のない内容、と保証出来得る。

海外Amazonで、単なる盤コレクターでなく、劇場に通い慣れ目と耳が肥えた猛者たちのレビューを読んで、「種々、複数の《リング》を所有しているが、何だかんだ云って、聴きやすくて楽しめる、また、実際プレイヤーにかける機会が多いのが案外このサヴァリッシュ=バイエルン盤なんじゃないか」みたいな意見を目にしては、「やっぱり、みんな考えること、感じてることは変わらないな」と思ったりもする。

手許にある《リング》にはいずれも長短思い入れがあり、オケ/合唱、歌手陣、音質、使用言語、(映像なら)演出…と各面のケチをつけ始めればキリがなくなるが、「ツィクルス全体と捉えたときの、失点、瑕疵の少なさ故の満足度の意外な高さ」が、このCD版《サヴァリッシュ・リング》の魅力のように感じている。

このレーンホフ演出のサヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場の《リング》はNHK-BSで放送され、DVDになっている。

演出、カメラワークなどの映像製作面における失望感は、優れた歌手、指揮者らによる演奏の印象も薄くしてしまっていた。

最近のオペラは舞台をみるよりも音だけを聴いたほうがいい場合も多いが、15年近く前のこのCDを購入して聴いてまさにそう思った。

DVDの音はわからないが、CDでの音はBS放送のときよりもオーケストラが前面に出ており、リマスタリングされたため音が美しく、バイエルン国立歌劇場管弦楽団の澄み切った音色の美しさが堪能できる。

全体的に叙情的なサヴァリッシュの指揮もCDで聴いたほうが引き締まっており、このコンビによるオルフェオのブルックナーの交響曲の名演を彷彿とさせる。

目の前で展開するレーンホフの演出に疑問を感じ、反感を覚える理性と自身の内なる「荒ぶるドイツ性」との間に相当の葛藤を抱えながら、さらに、あろうことか、ベルリンでは『壁崩壊』がまさに進行中という非常事態の最中、「一時代の終焉」を劇場にいる全員が意識する中で振っていたことが「災い転じて福となった」のかどうかは知らない。

しかし、ここでのサヴァリッシュの指揮は、ひたすら高燃焼で畳み掛け「聴き手のアドレナリンの血中放出を過度に促進させる」類いの音作りではないにせよ、祝祭の華やぎの中で謙虚にスコア自体に語らせ、実に自然な呼吸で豪華歌手陣を存分に歌わせており、「老カペルマイスター」らしい貫禄、威厳ある落ち着きを強く感じさせる。

筆者としては、年々丸くなっていった感のある後期のサヴァリッシュのスタイルの特段の贔屓筋でもないが、ここでは、手練れではあっても露骨に武骨/タカ派的な方向には極力走るまいと自重する、良識派戦後西ドイツ人=サヴァリッシュらしい抑制の効いたリリカルなアプローチに、往年の奥義もバイロイトの実地で身に付けた経験豊富な正統派ワーグナー指揮者であればこそのスケールの大きさと本能的に抗い難い「暴走への欲望」を時折覗かせてくれたりもして、彼としては、1950-60年代のバイロイトやイタリアでのライヴ各種名演と並んで後世に遺る出色の名盤だと思う。

さらに1990年頃の名歌手を総動員した歌手陣は最高で、ヴィントガッセンを上回るジークフリートであるコロ、「黄昏」で邪悪なハーゲンを歌うサルミネンは特に印象深い。

おそらく歌手陣では、ショルティ、ベームの時代以降で最高であり、映像を見ないで聴けばデジタル時代でこれを超えるものがなく、もっと評価されるべきディスクであろう。

筆者にとっては、《リング》を難しく考えたくないとき、敢えて気軽に流したいときの最右翼盤となっている。

なお拍手は一部カットされており、オーディエンスノイズから推測するとゲネプロや本番の上演から編集されているようだ。

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2015年07月31日


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『世界初のデジタル《リング》』で名高く、30年経った今日の基準でも全く古びれていないばかりか、優秀なエンジニアの技量と感性が今より冴え渡る高音質。

東ドイツが国家と社会主義の威信を賭け、矜持と執念、嫉妬と羨望も滲ませて「西側、西ドイツ、バイロイトへの殴り込み」的に、また、「ドレスデン大空襲の無差別大量殺戮への恨み、鎮魂と祈り」も込めて制作しただけあって、ズラリと並べた国宝級の名歌手たちの歌声は誇り高く、自ら民衆蜂起を主導しながらも革命に挫折したワーグナーの怨念の地、古巣シュターツカペレ・ドレスデンの響きは、どこまでも精密で美しく、今や失われた「様式美」を感じる。

折しもデタントが崩れ東西対立が激化した1980年代初期の「時代の熱気」も仄かに漂っており、結局、東独がこの後10年と保たずに“滅亡”し、これに参加した人々の人生も一変したことを想い起こせば、それが何か「壮大で華々しい最後の大攻勢」めいた雰囲気に感じられて、この《リング》に一層意味深で悲劇的な奥行きを与えているようにも思われてくる。

「結局は転向して王侯貴族と結託したナチズムの始祖」である前に「ドイツ左翼革命の先駆者」でもある彼らなりのワーグナー観で再定義を試み、精密丁寧爽やかな風通しの良い音作りで脱構築することで東独の国是「反ナチ」色を野心的に追求した結果、「非慣例的・非ワーグナー的」「軽薄」「薄味淡白」と散々叩かれ、実際そうではあるのだが、であっても、これはこれで、信念を貫いていて面白いところもあるし、いまだに頑張ってるのが嬉しくて、ついつい応援したくなってしまうヤノフスキの指揮。

まだ30代だった若いサルミネンの〈ハーゲン〉、声は物足りないが是非映像版で観てみたかった美貌の演技派アルトマイヤーの〈ブリュンヒルデ〉…。

誉めるところは色々あるけれど、筆者にとって、本盤を愛聴し続ける意義は、何といってもペーター・シュライアーの強烈な〈ミーメ〉に尽きる。

日本でも多くの名演名唱を楽しませてくれた稀代の名モーツァルト・テノールで美声の持ち主の彼が、シュプレヒゲザングの権化と化し、技巧を総動員して繰り広げる絶唱は、「舌を巻く」どころか、まさに、文字通り「テノールの鬼」そのもの。

バッハからクルト・ヴァイルやベリオまで、何を歌わせても俄然巧く解釈は鋭く深い。

若い頃の録音から既にずば抜けた存在感で、この人の声楽家としての幅、能力の高さには心底呆れるばかり。

それでいて、例えばフィッシャー=ディースカウの全く色気のない声が醸していたような、ある種の「名状し難い退屈さ」「説教臭さ」とは一切無縁、「オペラ快楽主義者」たちを魅了し続けたところが、これまた、シュライアーの素晴らしさ、偉さ。

悪漢謀略家の力強さも内に秘めたキューン、「狂気」や「凶気」をはっきり感じさせるほどに凄まじいシュトルツェやヴォールファールト、どこまでも憎めない滑稽で愛嬌あるツェドニクといった本職の性格テノールの達人とは一味もふた味も異なる、本盤のシュライアーの知的に狡猾で鬼気迫り哀れな分裂症的〈ミーメ〉、その驚異的な芸達者ぶり、「尋常ならざる声の演技力」にも、是非、注目して頂きたい。

ここでは〈ローゲ〉も歌い分けており、これも当然、巧過ぎに巧く、しばしば《ライン》の共演陣を霞ませてしまう…。

〈ローゲ〉や〈ミーメ〉は、《リング》に深遠さを与える重要なキー・ロールだが、傑出したグレアム・クラーク辺りを除いて、最近の公演や録音ではすっかり平均値が落ちてしまった感が否めず、現役の脇の歌手たちにこの「凄味ある巧さや旨み、陰険邪悪な怪優ぶり」を望むべくもないから、主役級の人材不足も相俟って、余計に「ドラマ」がシラけ興醒めしてしまうのだ。

リヒャルト・ワーグナーその人の後輩にあたる聖十字架合唱団の一員として少年時代から歌っていた地元ドレスデンでの国家的大プロジェクト参加で、国定「宮廷歌手」の誇りも胸に余計意気に感じていたであろう、“やり過ぎ”なほどノリノリのペーター・シュライアー、そして、脂が乗り切っていたリリックな美声のルネ・コロ、さらに、テオ・アダム(彼もクロイツシューレが母校の生粋のドレスナー)も軽量なりにもまだまだ頑張っている。

その3人が各自持ち味を発揮している《ジークフリート》第1幕は、文句なしに輝かしい名録音だと思う。

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2015年07月04日


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ショルティは、ワーグナーの主要なオペラを全て録音し、あの1958年から65年にかけての《ニーベルングの指環》の全曲録音ひとつによっても、他に比肩するもののない業績の豊かさを思わせている。

そこにある完璧ともいえる音楽分析と深い理念に裏付けられたワーグナー観は、ショルティが常に最も信頼し得るワーグナー指揮者のひとりであったことを疑わせる余地はない。

しかし、ショルティのワーグナーの中でも、多くのワグネリアンや評論家に評価の芳しくないのが《トリスタンとイゾルデ》(1960年スタジオ録音)である。

同時期の《ニーベルングの指環》がそのスペクタクルな録音も含めていまだに「最高」評価が多いの比べ、また、《トリスタンとイゾルデ》のディスクの中でもフルトヴェングラー、ベーム、クライバーが常に名盤の上位に置かれるのに比べ、ショルティの《トリスタンとイゾルデ》は高く評価されることがなかった。

それ故、ショルティの残したワーグナー・オペラの中では最も「マイナー」な扱いをされているディスクである。

確かに同オペラの官能美の極致をゆく音楽が、ショルティの直情径行的な芸風とマッチするとは思えず、筆者としてもこの全曲録音を長い間無視してきたことを否定するつもりはない。

しかし、その後ショルティが手兵シカゴ交響楽団と《トリスタンとイゾルデ》の「前奏曲と愛の死」を振ったディスクを聴いてみたら、これが非常な名演なのである。

冒頭の哀切なピアニッシモからして心惹かれるが、木管の透明さと弦の粘着力を両方併せ持ち、この曲の世界を的確に描き出していた。

筆者はこれを機会にショルティの《トリスタンとイゾルデ》の全曲盤を入手するに至ったのである。

今回初めて聴いてみて、従来のそういう評価がいかに不当であるかを痛感した次第であり、これは大変良い出来のディスクである。

まず、ショルティの指揮が、《ニーベルングの指環》では正直言って耳をつんざくような響きが随所にあって、デリカシーのなさに辟易することもあり、そういう調子で《トリスタンとイゾルデ》を演奏されたら辟易するのかと思っていたが、さすがにこの作品でショルティはそんな演奏はしていない。

落ち着いたリリシズムが全編を支配し、無駄な煽りもなく、この美しくも哀しいドラマをしっかりと表現している。

そしてウィーン・フィルも若きショルティによって迫力あるサウンドを聴かせており、この作品のオーケストラ・パートとしては異例と言って差し支えない起伏の激しい音楽が今聴くと実に新鮮で、カルショウによる半世紀前の録音とは思えないリアルな録音も冴え渡っている。

それにウィーン・フィルの濃厚な音色も個性的であり魅力十分で、音色の美しさと豊かな表現力は特筆ものであり、合奏力の精緻さや音楽の推進力にも不足はない。

強いて難点を挙げれば、1960年当時のショルティの、鋭角的な音作りと猪突猛進な音楽運びは、残念ながら《トリスタンとイゾルデ》の壮大な官能の世界を描き切るほどに成熟していなかった。

和声的というより、あまりにも構築的な演奏と言えよう。

歌手陣は、意外にも唯一のセッション録音となった希代のドラマティック・ソプラノ、ニルソンをはじめとして高水準の歌唱を展開しており、ニルソンはベーム盤では結構絶叫部分が多かったのだが、ここではセッションということもあり、繊細な表現が際立つとても良い出来栄え。

ウールはさすがにセッションにおいても声の不足が感じられてしまうのだが、もともと難役であるし、十分水準には達している。

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2015年06月26日


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フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなど、綺羅星の如く大巨匠が活躍していた20世紀の前半であったが、これらの大巨匠は1960年代の前半には殆どが鬼籍に入ってしまった。

そうした中で、ステレオ録音の爛熟期まで生き延びた幸運な大巨匠(それは、我々クラシック音楽ファンにとっても幸運であったが)こそは、オットー・クレンペラーであった。

クレンペラーは、EMIに対して膨大な点数のスタジオ録音を行ったが、その大半はこの大巨匠の指揮芸術の素晴らしさを味わうことが可能な名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

そうした押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。

特に、本盤に収められた《ワルキューレ》第1幕(1969年ステレオ録音)については、賛否両論があるものと言えるだろう。

当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。

このうち楽劇「ニーベルングの指環」については、クレンペラーは若き日より何度も指揮を行ってきたところであるが、残念ながらライヴ録音も含め現時点では全曲録音が遺されていないようである。

本盤のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるものであり、強い表現意欲に突き動かされたような演奏内容である。

生き物のように重々しくコントラバスがうごめく冒頭を聴くと、マーラーの「復活」がこの曲からかなり直接的な影響を受けたのではないかとさえ思えてくるが、それもここでのクレンペラーの極端なアプローチがあればこそであり、その異様なまでのグロテスクな迫力には圧倒されてしまう。

本編に入ってからもオーケストラは常に意味深く雄弁に響き渡り、ワーグナーのオーケストレーションの天才をここまで強調するクレンペラーの慧眼にはいちいち頷くほかはない。

クレンペラーの演奏の特徴である、動的というより静的、でも細部の隈取がクリアで、いつも巨大なあざやかな壁画を眺めているようなところが良く現れた演奏となっている。

全体に寸分の揺るぎもない重厚な演奏で、そのリズムは、巨人の足どりのようにずっしりと重いが、これが本当のワーグナーの響きというものだろう。

フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。

テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いと言えるが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有していると言えよう。

これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。

もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

3人の歌手には注文をつけたいところもあるが、ともかく《ワルキューレ》第1幕の凄みを教えてくれる強烈な演奏内容である。

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2015年05月14日


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ショルティは20世紀後半を代表する指揮者の1人であるが、我が国の音楽評論家の間での評価は実力の割に極めて低いと言わざるを得ない。

先般、お亡くなりになった吉田秀和氏などは、数々の著作の中で、公平な観点からむしろ積極的な評価をしておられたと記憶するが、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評しているとある影響力の大きい音楽評論家をはじめ、ショルティを貶すことが一流音楽評論家の証しと言わんばかりに、偏向的な罵詈雑言を書き立てる様相ははっきり言っておぞましいと言うほかはないところだ。

ニキシュは別格として、ライナーやオーマンディ、セル、ケルテスなど、綺羅星の如く登場したハンガリー人指揮者の系譜にあって、ショルティの芸風は、強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。

そうした芸風でシカゴ交響楽団を鍛え抜いた力量は、先輩格のライナー、オーマンディ、セルをも凌駕するほどであったと言えよう。

もちろん、そうした芸風が、前述のような多くの音楽評論家から、無機的で冷たい演奏との酷評を賜ることになっているのはいささか残念と言わざるを得ない。

確かに、ショルティの芸風に合った楽曲とそうでない楽曲があったことについて否定するつもりは毛頭ないが、少なくともショルティの演奏の全てを凡庸で無内容の冷たい演奏として切って捨てる考え方には全く賛同できない。

ただ、ショルティのそうした芸風からずれば、ウィーン・フィルとの相性が必ずしも良くなかったことはよく理解できるところだ。

フレージングの1つをとっても対立したことは必定であり、歴史的な名演とされる楽劇「ニーベルングの指環」の録音の合間をぬって録音がなされたとされる、本盤に収められたワーグナーの管弦楽曲集にしても、ウィーン・フィルの面々は、ショルティの芸風に反発を感じながらも、プロフェッショナルに徹して演奏していたことは十分に想定できるところだ。

膨大なレコーディングとレパートリーを誇ったショルティであるが、ショルティはワーグナーを数多く手掛けており、ウィーン・フィルとともに本演奏を含め主要な楽劇等をスタジオ録音しているなど、ワーグナーを自らの最も重要なレパートリーの1つとして位置づけていた。

それだけにショルティは、ワーグナー演奏には相当な自信を持っているのであろうが、本盤では、特に最強奏の箇所において力づくのなりふり構わぬ響きが際立っている。

特に、1960年代に録音された「リエンツィ」や「さまよえるオランダ人」、「タンホイザー」、そして「トリスタン」にその傾向が著しい。

それ故、ワーグナーの楽曲がショルティの芸風に必ずしも符号していたかどうかは疑問のあるところであるが、それでもウィーン・フィルとの一連の録音は、ショルティの鋭角的な指揮ぶりを、ウィーン・フィルの美音が演奏全体に潤いを与えるのに大きく貢献しており、いい意味での剛柔のバランスのとれた名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

多少、無機的な音はするものの、やみくもに楽器を大きく打ち鳴らすだけの“迫力”とは次元を異にする、洗練された“凄み”のようなものが伝わってくる。

華麗で重厚な響きの中にダイナミックなオーケストレーションが展開され、少なからぬ人が「ワーグナー管弦楽曲のCDはこうあってほしい」と思うであろう形の1つ、と言って良いかもしれない。

もちろん、ウィーン・フィルとしてはいささか不本意な演奏であろうが、それでも生み出された音楽は立派な仕上がりであり、聴き手としては文句を言える筋合いではないと言える。

いずれにしても、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さにウィーン・フィルならではの美音による潤いが付加された本演奏は、若き日のショルティを代表する名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

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2015年05月04日


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本盤の演奏は、1966年のバイロイト音楽祭のライヴ録音である。

名指揮者ベームが最も充実した時代の演奏であると同時に、戦後のバイロイトの最も実り多かった時代の記録でもある。

ベームの遺したワーグナーのオペラの録音には、バイロイト祝祭管との歌劇「さまよえるオランダ人」の演奏(1971年)や、バイロイト祝祭管との楽劇「ニーベルングの指環」の演奏(1966、1967年)など数々の名演を遺しているが、それらの名演にも冠絶する至高の名演は、本盤に収められたバイロイト祝祭管との楽劇「トリスタンとイゾルデ」であると考える。

それどころか、同曲の他の指揮者による名演であるフルトヴェングラー&フィルハーモニア管による演奏(1952年)やクライバー&シュターツカペレ・ドレスデンによる演奏(1980〜1982年)と並んで3強の一角を占める超名演と高く評価したい。

そして、フルトヴェングラーが深沈とした奥行きの深さ、クライバーがオーケストラのいぶし銀の音色を活かした重厚さを特色とした名演であったのに対して、ベームによる本演奏は、実演ならではのドラマティックで劇的な演奏と言えるのではないだろうか。

そして、学者風でにこりともしない堅物の風貌のベームが、同曲をこれほどまでに官能的に描き出すことができるとは殆ど信じられないほどである。

ベームは、実演でこそ本領を発揮する指揮者と言われたが、本演奏ではその実力を如何なく発揮しており、冒頭の前奏曲からして官能的で熱き歌心が全開だ。

その後も、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や緊張感、そして切れば血が吹き出してくるような強靭な生命力に満ち溢れており、全盛期のベームならではのリズミカルな躍動感も健在だ。

テンポは若干速めであるが、隙間風が吹くような箇所は皆無であり、どこをとっても造型の堅固さと充実した響きが支配しているのが素晴らしい。

晩年の老いたベームとは異なる、真の巨匠としてのベームの逞しい音楽が渦巻いている。

バイロイトに集結した名歌手陣の、その感動的な歌唱の魅力は素晴らしく、現在聴いても少しも色褪せていない。

とりわけ、第2幕のイゾルデ役のビルギット・ニルソンとトリスタン役のヴォルフガング・ヴィントガッセンによる愛の熱唱は、ベームの心を込め抜いた指揮も相俟って、おそらくは同曲演奏史上でも最高峰の名演奏に仕上がっていると言えるところであり、その官能的な美しさといい、はたまたドラマティックな迫力といい、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

そして、第3幕終結部のイゾルデの愛の死におけるビルギット・ニルソンによる絶唱は、もはや筆舌には尽くし難い感動を覚えるところだ。

これらの主役2人のほか、クルヴェナール役のエーベルハルト・ヴェヒター、ブランゲーネ役のクリスタ・ルートヴィヒ、そして、マルケ王役のマルッティ・タルヴェラによる渾身の熱唱も、本名演に大きく貢献していることを忘れてはならない。

また、その後大歌手に成長することになる、ペーター・シュライヤーが水夫役で登場しているのも、今となっては贅沢な布陣と言える。

録音は、従来盤でもリマスタリングが行われたこともあって十分に満足できる音質であると言えるが、同曲演奏史上トップの座を争うベームによる至高の超名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2015年04月17日


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歴史的な名指揮者が指揮したワーグナーの珠玉の名演を集めた好企画CDだ。

恐らく“怪物”ワーグナー程序曲や前奏曲が好んで演奏会で採り上げられ、録音が行われる作曲家は他におるまい。

巨大なオペラ本編の雰囲気を凝縮した交響詩的世界がその最大の魅力であろう。

本CDのミソは、SACDマルチチャンネルであるということで、本盤に収められた名演を現在望み得る最高の音質で味わうことができる点が素晴らしい。

本盤には、20世紀を代表するワーグナー指揮者として、歴史にその名を刻んでいる、ベーム、カラヤン、ヨッフム、クーベリックなどの録音が収められている。

先ずは、ワーグナーの聖地バイロイトでも最高の名演を聴かせていたベームが、ウィーン・フィルと至高のワーグナーを披露している。

カラヤン&ベルリン・フィルは、桁外れに幅広い表現力で、ワーグナーのオーケストレーションの魅力を最大限に表現し尽くした演奏と言えるだろう。

ヨッフムは一語でいうと地味で素朴な風格を帯びているが、といってヨッフムの演奏は少しも鈍重ではなく、温かく優しい表情が印象深い。

また、誇張を排した真摯な表現の中に適度なドイツ的重厚さと劇的な緊張感を湛えたクーベリックのスタイルは今なお高い支持を受けている。

特に、音質面ですばらしいと思ったのは、カラヤンによる「ワルキューレ」と「神々の黄昏」からの抜粋。

2008年には、4部作全曲がSHM−CD化され、それもなかなか見事な音質ではあったが、本盤の音質はそもそも次元が違う。

逆に言うと、本盤を聴いて、ないものねだりながら、4部作全曲をSACDマルチチャンネルで聴きたくなってしまった。

次いで、ベームの「ローエングリン」と「さまよえるオランダ人」が見事であり、オペラの舞台が眼前に迫ってくるかのような実在感が見事である。

他の諸曲も鮮明であるが、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」だけは、オリジナルテープの劣化のせいか、やや音質に難があるのは残念であった。

とはいえ費用対効果を考えると、ワーグナーの音楽を最高の音質と演奏で味わうのに最高の1枚であると評価したい。

ちなみにマルチチャンネルとは、基本的にはスピーカー5個とサブ・ウーファー1個で再生されるSACDのことである。

前に3つ、後ろに2つ、適当なところにサブ・ウーファーを1つ、というセッティングであるが、実際には5.0chといって、サブ・ウーファーを使わないマルチチャンネル・ディスクが多い。

ライヴ録音だったらホールの感じで、前方にステージ、残響音や拍手の音が部屋中に拡がり、スタジオ録音なら、前方の音を、真横、後ろに配置して、拡がりのある空間で音楽が聴ける。

とにかく、マルチチャンネルはステレオ(2チャンネル)とは比べ物にならないくらい臨場感が出るのだ。

最近では、ユニバーサルを筆頭にして、SACD盤を積極的に発売しても、マルチチャンネルから撤退するケースが多いようであるが、本盤のような、各楽器セクションの配置が明瞭にわかるような臨場感溢れる鮮明な高音質を聴いていると、是非ともマルチチャンネル付きのSACDを復活させていただきたいと切に願わざるを得ないところだ。

そして、かかるマルチチャンネル付きのSACDによる圧倒的な高音質録音が、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのも忘れてはならない。

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2015年03月12日


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旧ソ連の巨匠指揮者エフゲニ・スヴェトラーノフが、1988年というチェリビダッケが鍛えに鍛えた全盛時代のミュンヘン・フィルに客演したワーグナー・アーベント(恐らくこれが唯一の共演)・ライヴ。

スヴェトラーノフとチェリビダッケ支配下のミュンヘン・フィル、そしてワーグナー、いずれの組み合わせも、固定観念では発想しがたく、実現した経緯も半分イベント的な意図だったかもしれない。

しかし、その結果、高い次元でスタンダードさと開放的な力強さのバランスが取れた名演が生まれた。

最もドイツ的なオーケストラによる力の漲った鳴りっぷりのいいワーグナーの名演、と言ってもいいかもしれない。

シルキーで透明な弦楽合奏の美音、マッシヴな金管の咆哮、アンサンブルの精緻は滅多に耳にすることのできない逸品であり、しっとりとした落ち着きと極大な包容力を誇る魅力たっぷりの名演集である。

チェリビダッケ全盛期のオーケストラから、スヴェトラーノフらしい重厚かつ情感あふれる個性的なトーンを引き出し、それが、ワーグナーの音楽に見事にマッチしているのはさすがという他はない。

それは、逆にこのコンビだったからこそ誕生し得たものであり、いつもとは異なり、自国の音楽をストレスフリーで楽しんでいる楽員の活き活きとした表情が見えるかのようなワーグナーなのである。

正直な話、同じオーケストラをチェリビダッケが指揮したワーグナー集のCDをはるかに上回る。

特に「マイスタージンガー」第3幕前奏曲と「ローエングリン」第1幕前奏曲は絶品。

最初の「マイスタージンガー」第1幕前奏曲はやや雑然としているが、2曲目の第3幕前奏曲以後は、この指揮者とオーケストラが意外なほどに調和しているさまが見て取れる。

これは、すでに老いを自覚し、雑念や欲から逃れようとする主人公がもの思いに耽る場面で奏される音楽である。

オペラ全体の中でもっとも深みのある音楽のひとつとされているけれど、ここでのスヴェトラーノフのように感情豊かに奏でた例は空前絶後ではないか。

おそらく劇場では難しいであろうほどのゆっくりしたテンポで、ひとりの男の胸に去来するもの、すなわち自分は去らねばならないと知った人間の悲しみをじっくりと描き出す。

豊満な音色の弦楽器は時にすすり泣くようにも聴こえるし、2分過ぎからなど、まさしく溜め息そのものような音楽だ。

ヴァイオリンやフルートのあまりにも澄んだ響きは、さすがにチェリビダッケとともに繰り返しブルックナーを演奏し続けてきた楽団ならではの美しさである。

続く「ローエングリン」第1幕前奏曲も息をのむような美しさで、陶酔的だ。

単に音響的に美しいというだけではない。

醜悪なこの世界を逃れて、美しい世界に憧れる強い気持がどうしようもなく切々と示されているのである。

筆者はこの「ローエングリン」第1幕前奏曲ほど、現実の世界に絶望し、別世界を夢想してそれに殉じようとするロマン主義芸術家たちの悲惨と栄光と誇りを表現したものはないと思っているが、スヴェトラーノフが奏でたのはまさしくそのような音楽だ。

ついに感極まったように金管楽器群が圧倒的な音響の大伽藍を築きあげるとき、そこに鳴っているのはまさにひとつの精神である。

先の曲と同じくこの曲でも、時間が完全に止まっているのではないかという不思議な印象を受ける。

まさに心にしみいるような音楽だ。

ただ美しいだけ、迫力があるだけでなく、深い音楽を聴きたいのであれば、昨今これに優るものはないかもしれない。

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2015年03月11日


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ショルティは、近年のワーグナー指揮者の中では、カラヤンとともに頭抜けた存在であり、他に比肩するもののない業績の豊かさを思わせている。

そこにある完璧とも言える音楽分析と深い理念に裏付けられたワーグナー観は、ショルティが常に最も信頼し得るワーグナー指揮者のひとりであったことを疑わせる余地はない。

特に、1950年代後半から60年代前半に録音した「ニーベルングの指環」の全曲盤は、燦然と輝く歴史的名盤であり、同曲のベスト盤として、圧倒的な評価を受けているが、ショルティの若い時代の悪癖である、やや力づくの演奏も見られるなど、問題点がないわけではなかった。

そんなショルティが、同じオケと同じ録音場所で、1982年、彼が70歳時に、「ニーベルングの指環」4部作のオーケストラ・パートの名曲の抜粋盤として再録音したのが、このCDである。

本盤は、あれから20年後の録音ということもあり、角がすっかりとれた円熟の名演に仕上がっている。

テンポ設定も実に落ち着いたものとなっており、ゆったりとした気持ちで、ワーグナーの音楽の素晴らしさを満喫することができる。

冒頭の「ヴァルキューレの騎行」は、「ジークフリートの葬送行進曲」とともに、所謂ワーグナー管弦楽曲集での定番曲となっているが、最もショルティ向きの曲と言ってもよく、そのドラマティックで切れ味鋭い演奏は圧巻であり、これは、同曲のベストの演奏と言っても過言ではないだろう。

「ジークフリートの葬送行進曲」と「フィナーレ」については、ショルティの前記全曲盤での「神々のたそがれ」の演奏と比較して聴いてみたのだが、まず、「ジークフリートの葬送行進曲」のテンポが、極端に遅くなっているのに驚かされる。

テンポの遅さは、そのまま曲の掘り下げの深さに繋がっており、力で押し切る傾向のあった若き日の演奏と比べると、弱音部での木目細やかな表現力が際立っており、ショルティの変化、円熟を強く感じる。

「フィナーレ」は、ワーグナー管弦楽曲集では滅多に演奏されない曲だと思うが、「ニーベルングの指環」全曲の最後を飾るにふさわしい感動的な名曲であり、ショルティは、円熟の名人芸で、壮大なクライマックスから、美しくも物哀しい弱音部の旋律までを見事に描き分け、最後は、厳かに、全曲を締め括ってみせる。

ここでの曲目は、ショルティにとっては、それらがコンサート・レパートリーであると同時に、完全に手中にしているオペラ・レパートリーの一部であるということが、その演奏の内容をいっそう確かなものとしている。

もちろん、ウィーン・フィルの自発性も充分生かされているが、高い造形性と深い音楽表現に裏付けられた好演と言える。

ショルティはウィーン・フィルとはあまり相性が良くないと言われているが、この演奏に関しては「ニーベルングの指環」の抜粋盤ではあるが、全曲を長いと敬遠している人にとっても全曲を聴いてみたくなるような、力強さと美しさが堪能できるものとなっている。

音質も英デッカによるナチュラルな極上の名録音である。

ただ不満を1つ述べるとすれば、もう少し楽曲の収録を増やしてもらいたかったという点。

例えば、「神々のたそがれ」については、「夜明けとジークフリートのラインの旅」をなぜ録音しなかったのだろうか。

収録時間にも余裕があるだけに、やや物足りない気がするのは筆者だけであろうか。

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2015年03月08日


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これは、現在CD化されている「トリスタンとイゾルデ」のなかでも、初心者から通まで、存分に唸らせることのできる稀有なセットである。

「トリスタンとイゾルデ」は、筆者もこれまで何度も聴いてきたが、本盤を聴いて、あらためてワーグナーのオペラの最高傑作ではないかとの思いを抱いた。

スケール雄大な「ニーベルングの指環」や深遠な「パルシファル」などもあるが、トリスタン和音の活用により、その後の十二音技法など、後世の音楽に絶大なる影響を与えた点を見過ごしてはならない。

また、登場人物がきわめて少ないというシンプルな台本でありながら、これだけの劇的なオペラに仕立て上げた点も驚異というほかはないと考える。

これだけの傑作オペラだけに、これまでフルトヴェングラーやベーム、カラヤン(オルフェオのライヴ)盤など名盤が目白押しであるが、本盤のクライバー盤も、これら過去の名演に十分に匹敵する不朽の名演と高く評価したい。

クライバーの天才によって100%その実力を引き出されたシュターツカペレ・ドレスデンの驚愕すべき凄絶演奏に圧倒される一組であり、炎のように熱く水のようにしなやか、異常な熱狂と浄化された美感という相反する要素がここでは奇跡的に同居している。

その名演の性格を一言で表現すると、生命力溢れる若武者の快演ということになるのではなかろうか。

あの華麗な指揮ぶりを彷彿させるような力感が随所に漲っており、特に第2幕のトリスタンとイゾルデの愛の二重唱、マルケ王の独白、そしてメロートとトリスタンの決闘に至る変遷の激しい各場面における、ダイナミックレンジの幅が極めて大きいメリハリのある表現には圧倒される。

クライバーの解釈は、必ずしもスコアに忠実ではないが、劇的な場面では、鮮烈な稲妻を思わせる鋭い弦を奏でさせ、他方、叙情的な場面では弱音で滑らかな、また輝くような艶のある音を引き出す。

この強弱のコントラストに加え、レガートとスタッカート、またアゴーギク、低音と高音との対比を自在に駆使して、この大曲を寸分も飽きさせずに一気に聴かせる。

歌手陣も超豪華布陣。

特に、トリスタンのルネ・コロ、マルケ王のクルト・モル、イゾルデのマーガレット・プライス、そしてクルヴェナールのフィッシャー=ディースカウの主役4人はまさに完璧であり、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏もいぶし銀の輝きを放っている。

この音楽は、その誕生当初、「未来の音楽」と呼ばれ、従来の和声法からみても、また歌劇の作法からみても、全く新しい境地を開いたと看做された作品だが、そのような斬新さをいまなお感じさせる演奏・録音と言えよう。

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2015年01月31日


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幅広いレパートリーを誇っていたセルだが、ドイツ古典〜ロマン派は得意分野の1つだった。

セルの演奏が円熟味を増したといわれる晩年、1968年の、ワーグナーの超大作楽劇から抜粋した名盤。

セルが指揮するクリーヴランド管弦楽団は、セルの楽器と称されるほどの驚異的なアンサンブルを誇った。

本盤もセル率いるクリーヴランド管弦楽団がいかに凄いオーケストラだったかが嫌が上でも圧倒的に伝わる名盤。

悠然として濃厚な往年のクナッパーツブッシュ盤と同様なハイライトと一番対極にある、極度にタイトで洗練の極みを行く演奏スタイルと言えよう。

しかし、時には、凝縮のあまりいささかスケールの小ささが目立つ場合もあった。

本盤は、そうしたセルの演奏の長所と短所が同居している演奏だと思った。

評価したいのは、「ワルハラ城への神々の入場」、「ワルキューレの騎行」、「魔の炎の音楽」、「森のささやき」の4曲。

これらは、セルの精密な指揮と、それにぴったりとついていくクリーヴランド管弦楽団が、ワーグナーがスコアに記した名旋律の数々を感動的に表現していく。

しかし、「夜明けとジークフリートのラインへの旅」、「ジークフリートの葬送行進曲」と終曲の2曲は、凝縮を意識しすぎたせいか、あまりにも演奏のスケールが小さい。

セルは、精密で緻密な指揮を行い、クリーヴランド管弦楽団もそれに見事に合わせているが、やはり、ワーグナーの天才性が発揮されるこの2曲では、演奏が楽曲に負けてしまっている。

『ニーベルングの指環』への入門CDとしては、これで十分なのかもしれないが、本盤を1つの完結した作品として見れば、竜頭蛇尾の誹りを免れないだろう。

しかしながら、「楽劇」というより、「管弦楽曲」としてのあり方を『指環』ハイライト盤でここまで追求した演奏は滅多にないだろう。

音質は、Blu-spec-CD盤はもとより、従来CD盤でも十分に良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が図られることになった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

それでも、前述の短所は払拭されているとは言い難いが、セル&クリーヴランド管弦楽団による完成度の高い演奏を現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2015年01月27日


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ショルティが「ニーベルングの指環」全曲を録音して以降、カラヤンやベームの全曲録音や、過去の演奏では、クナッパーツブッシュの名演、最近では、カイルベルトの名演が発掘されたりしているが、現在においても、トップの座を譲らない永遠の名盤だ。

まぎれもなく、レコード録音史上最高の名盤と評価したい。

本盤は、そのクラシックの録音史上に残る名盤のハイライトである。

熱烈なワグネリアンでも『指環』全曲を聴くのには、相当な覚悟が必要であるが、その点で、このハイライトは有り難い。

筆者としてはショルティの全曲盤のレビューを既に書いたが、あまりに長大な作品なので、通常はこのハイライト盤を聴くことが多い。

何よりも、ホッターやフラグスタート、ロンドン、さらにはヴィントガッセン、キング、ルートヴィヒ、ニルソンといった超豪華歌手陣が素晴らしい。

歴史的なワーグナー歌手の全盛期に録音されたというのが、まずは本盤の成功の要因にあげられると思う。

次いで、ウィーン・フィルの名演が実にすばらしい。

ショルティのいささか力づくの指揮が、ウィーン・フィルの優美な音色が緩衝材になって、非常に調和のとれた演奏になっている点も見逃してはなるまい。

そして、録音の素晴らしさ。

名プロデューサーのカルショウの下、ニーベルハイムに降りていく際の金床の音色や、ニーベルング族が金を天上界に運んでいる際、アルべリヒの一喝によって逃げ惑う際の悲鳴の響かせ方、ワルキューレの騎行の立体音響など、1950年代後半〜60年代前半の録音とは思えないくらいの鮮明さであり、現在に至るまで、これを凌駕する録音が現れていないのは脅威と言うべきであろう。

この演出によって、想像的視覚効果がもたらされ、それこそがスタジオ録音における録音技術のマジックが冴えた瞬間であり、この全曲録音が評価されている決定的要素の1つと言える。

ワーグナーの良くも悪くも絶対に聴いておかなければならない音楽が、最高のスタジオ録音で残されたことを感謝すべきであろう。

これを聴くと、カルショウは歌劇場の再現では無く、映像の無い大作映画を鑑賞しているみたいな錯覚を覚える。

ステレオ初期なのに、今聴いても凄い録音であり、エンターテイメント精神溢れる効果が十二分に味わえる。

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2015年01月19日


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これは75歳のクナッパーツブッシュが北ドイツ放送響に客演した際の貴重な記録である。

2枚目はオール・ワーグナー・コンサートの貴重な記録で、ほかのプログラムは《マイスタージンガー》第1幕と第3幕への前奏曲、ジークフリート牧歌、《トリスタンとイゾルデ》前奏曲と愛の死であった。

クナのワーグナー録音は、プライヴェート盤も含めて数々あるが、この日の演奏はどれもじつにすばらしく、とくにこの《自己犠牲》は、クナの最高傑作のひとつと言い切れるほどの超名演である。

遅いテンポと暗い音色で曲が始まると、誰もがそのただならぬ雰囲気に圧倒されるに違いない。

若き日のルートヴィヒはソプラノの声域まで楽々とこなし、そのドラマティックで美しい声での渾身の感情移入はじつにみごとだが、オケも個々の楽器の存在を感じさせず、ひとつの有機体となってブリュンヒルデと絶妙にからむ。

ブリュンヒルデが薪の山に火をかけるところから、いよいよ猛火の中へ躍りこむまでの緊張感の高まりには凄まじいものがあるが、その後のオケのみの部分は、もはや神業である。

業火が燃え盛り、ライン河が氾濫するそのカタルシスの頂点は、とてもオーケストラの出す音とは思えない。

そして愛の救済の動機がなんと高貴にヴァイオリンで歌われ、さらに神々の城が崩壊していく場面で、ワルハラの動機がなんと雄大に奏されることだろう。

終わりに、ジークフリートの動機が最後の力を振り絞るように奏され、一瞬の間の後にふたたび万感のこもった愛の救済の動機で全曲が閉じられるとき、筆者はいつも目頭が熱くなってしまうのである。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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