ワーグナー

2014年01月30日


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トスカニーニの唯一のステレオ録音であり、最後の公開演奏録音である。

チャイコフスキー「悲愴」交響曲は1954年3月21日の演奏、ワーグナー・プログラムが4月4日の文字通りの最後の公開公演でいずれもカーネギーホールでの収録である。

この間、トスカニーニは3月25日に87歳の誕生日を迎えている。

演奏会は全米にラジオで実況中継されているが、これとは別にステレオによる録音記録が残されていた。

この最後の演奏会での悲劇の実際は、諸石幸生氏の著作(音楽之友社)に詳しい。

トスカニーニはすでに記憶障害に悩んでおり、1953−54年シーズンの契約も不承不承であったという。

悲劇はすでに前日のリハーサルに起こっていた。

だから本番当日でのトラブルは予測されており、指揮者が立ち往生した際も混乱のなかで何とか演奏は続けられた。

このCDを聴くと、トラブルのあった「タンホイザー」序曲のバッカナーレで、ソロが不安げに揺らぎテンポが異様に落ちてあてもなくさまようのが感じ取れるが、中断はしない。

終末の和音が不自然なのは、修正の痕跡というよりは録音上のミスではないかと思う。

演奏は中断したとか、緊急のアナウンスが入り、ブラームスの交響曲に切り替わったとかの話が流布しているのは、前日のリハーサルの録音が実存していることや、本番での実況放送を録音した私家版のせいらしい。

実際には演奏は混乱しつつも続けられたというのが真相だ。

ステレオの効果は驚くほど顕著だ。

常識的な予想に反して、悲劇のワーグナー・プログラムのほうが俄然良い。

その音の官能的なことと豊麗豊饒な厚みは驚愕的だ。

伝説のスタジオ8Hの砂漠のような音質で、NBC響はずいぶんと誤解されている。

この録音を聴くと、金に飽かせず名人を選りすぐりストラディバリウスだけでも8台持っていたというこのオーケストラの豊かな音の実像にようやくたどり着いたという実感で心がいっぱいになる。

これに比べると「悲愴」のステレオ録音は音が希薄で虚弱な印象が否めない。

最晩年の衰えのせいなのか、録音技術の未熟さのせいなのかはよくわからない。

しかし、1947年の不滅の超名演には並ぶべくもない。

テクノロジーが芸術価値を伝えきれないことはあっても、もともと無いものを補充し逆転させることはない。

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2014年01月29日


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1965年、スラヴ・オペラの指揮者として初来日したマタチッチ。

当時日本では全く無名であった彼は、そのオペラ公演だけで日本の楽界を席捲し、NHK交響楽団をはじめとして多くの音楽家、音楽ファンの心を鷲掴みにした。

その後の度重なる来日でも、飾り気の無い音楽の真髄をとらえた雄大な演奏は、多くのファンを熱狂させ、忘れがたい名演を遺した。

巨匠と強い絆で結ばれたN響による風格溢れるワーグナーは、聴衆よりも先に、N響の楽員がマタチッチの音楽性にまいってしまったようだ。

プロずれがしていて、ややもすればことなかれ主義の演奏をするこのオーケストラが、マタチッチの指揮下では目の色を変えて情熱的な演奏を繰り広げたのである。

確かに一部には今日のN響にはない技術の問題が金管等に見出されるが、それを補って余りある、マタチッチの解釈に必死で喰らいついていこうというひたむきさがある。

マタチッチはどの曲の演奏も線の太い、逞しい表現で堂々と運び、ドイツ風の重厚なワーグナーを作り上げている。

マタチッチならではの強靭で立体感ある音楽作りはワーグナーにピッタリで、がっちり作った枠の中で各パートを自在に出し入れして明快かつ起伏の深い描写が展開される。

豪快さと細部の抉り出しが見事に表現された『マイスタージンガー』第1幕前奏曲には、そうした特質が端的に示されている。

1つ1つの和音を入念に磨いて積み上げることで神秘性や悲劇性が際立つ『ローエングリン』第1幕前奏曲は特に秀逸で、清澄な弦の響きも強く心を惹きつける。

またどの曲においてもフレージングの息が長く、こってりならずにたっぷり歌いこまれているのが素晴らしい。

マタチッチの懐の深さ、N響の献身ぶり、これは本当に凄いレコードだと思う。

これほど人間の熱い思いが剥き出しになったワーグナー演奏、しかも、実に呼吸の深い名演奏となっている録音は、他に類例があるだろうか。

あっても、クナッパーツブッシュくらいのものだろう。

N響とマタチッチの間に通う信頼感が生み出した名演であり、日本のオーケストラによる優れたワーグナー演奏と言えよう。

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2014年01月15日


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1951年に再開された戦後第1回のバイロイト音楽祭における記念すべき上演の記録である。

1951年から1964年まで1953年を除いて毎年《パルジファル》をバイロイトで指揮したクナッパーツブッシュの録音のなかでは、1962年の深遠な演奏が音もよく好評だが、ヴィントガッセンがパルジファルを演じたこの1951年の若々しい覇気に溢れた白熱の演奏の魅力もそれに優るとも劣らない。

ライヴ特有の雑音やアンサンブルの粗さはあるものの、クナッパーツブッシュの高い集中度に満ちたスケール豊かな音楽は、やはり大きな魅力をもっている。

音の状態はいくぶん古さを感じさせるものの、いかにもクナッパーツブッシュらしく、たいへん個性的で構えの大きな演奏だ。

この作品の官能的な一面と、神秘的な崇高美をそれぞれ見事に表現したもので、独唱陣も、彼の呪縛的な棒に魅せられて、陶酔的に一体となって演唱している。

とりとめのないような作品を、とりとめのないような表現の仕方で把握しようとしても、必ずしもうまくいくというわけではない。

しかし、その難事にあえて挑み、成功させてしまったのが、このクナッパーツブッシュ盤である。

長大な発想をもつ《パルジファル》を、ここでの指揮者は四つに組もうとか、知的にふるまおうとか、奇襲をかけてポイントを取ろうとかいった作為めいたことはいっさいせず、ごく無造作な調子で、あるがままに再現しようとしていく。

そのような単純で、素朴なアプローチがこれほどまでに多大な成果をあげうるのは、一重に指揮者のただならぬ力量のためといえるだろう。

歌手陣もそれぞれが白熱した名唱を聴かせており、ことに20世紀屈指のワーグナー・テノールだったヴィントガッセンのパルジファルは、これが唯一の正規の録音で、その強い存在感に満ちた歌唱は見事である。

《パルジファル》における記念碑的な意味をもつアルバムだ。

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2014年01月04日


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1975年12月4日、NHKホールにおけるステレオ録音(ライヴ)。

これは素晴らしい演奏内容だ。

驚く程スケールの大きな演奏で、テンションの高い1970年代のN響とマタチッチの巨人的音楽作風の相乗で、超弩級の音楽に仕上がっている。

それにしても何と言う演奏だろう。

「マタチッチの」「N響の」という文脈ではなく、すべてのワーグナー録音のなかでも屈指の名盤と言える。

いずれも完全にオーケストラ・ピースとして演奏しており、その分物語性はないが完結した音楽となっており、完成度は高い。

揺るぎない骨格、透明感と品位、横の流れの自然さ、どこをとっても立派の一語に尽きる。

マタチッチ自身が語っているようにクナッパーツブッシュのワーグナーを下敷きにした演奏となっている。

響きは雄大で広がりがあり、ムラヴィンスキーの突き刺すような演奏とは違い包容力がある。

巨大な山脈が地の底から動いていくかのような何とも凄い演奏だ。

雪崩のようなフォルテもマタチッチの高い集中力を感じさせてくれる。

緻密でありながら大胆、流麗でありながら重厚、N響という先入観は不要。

ただひたすらに音楽に奉仕する指揮者と演奏者のみがここにある。

その音楽の圧倒的な力に、この録音当時、もしマタチッチがバイロイトで「リング」を上演していたら、その歴史はその後大きく変わっていたのでは?とさえ思う。

日本の楽団でこのレベルの音楽をやってみせたマタチッチは本当に凄い指揮者であった。

技術を云々している場合ではない。この演奏には圧倒的な音楽的説得力がある。

整った演奏は他にたくさんあるが、ここではライヴの良さが技術的なものを超えているように思われる。

マタチッチとこういう結びつきを持ったN響はとても幸運だったのだと思う。

音質はややぼやけているが、ホールでの演奏を思わせる自然なもので好ましい。

演奏・録音・選曲の面からマタチッチのファンのみならず、ワーグナーの入門としても薦めたい。

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2014年01月02日


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1953年の放送用録音による全曲盤である。

3年前のスカラ座での録音よりも、ローマ盤のほうが音がよく、演奏はかなり落ち着きと渋さを増しているが、たとえば《ワルキューレ》を次のウィーン盤と比べると、ちょうどミラノ、ウィーンの中間的解釈であることがわかる。

フルトヴェングラーのローマ盤は、今のところCD、DVDを通じて屈指の演奏であろう。

1953年のモノーラル録音で、音の状態も良好とはいえず、歌手たちの出来も万全とはいえないし、オケの力量にも限界があるが、フルトヴェングラーらしい、スケールの大きな雄渾な表現は、圧倒的なものである。

歌手陣では、ヴィントガッセンのローゲ、パツァークのミーメ、ナイトリンガーのアルベリヒなどが名唱を聴かせる。

コネツニのジークリンデは3年前よりもずっと立派になっており、フンディングのフリックにも 不気味な威厳がある。

歌の充実度ではクラウスが1953年度のバイロイトでの公演を指揮したライヴのほうがやや上だが、オケが引っ込み気味のそのライヴよりもバランスよく録音されていて、フルトヴェングラーの指揮の素晴らしさを満喫できる。

クラウスやショルティの指揮よりも後期ロマン派風に重く粘る傾向もあるが、4部作全体を一貫して流れる高貴なロマンティシズム、浄化された官能美、パセティックな感動の高まりなどは、他の追従を許さない。

この巨匠が、ワーグナーの音楽にかける気迫のひしひしと感じられる、精神性の豊かな、しかもロマン的な色彩の濃い秀演だ。

フルトヴェングラーはこの録音後わずか1年で突然世を去ってしまった。

この録音がまさしくかけがえのないない貴重な意味をもつのは、それが単に"フルトヴェングラーの指環"全曲であるばかりでなく、世界中の多くの人々にとっても容易に聴くことのできなかったこの巨匠のワーグナー演奏を、集約的な姿で示しているからに他ならない。

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一つの時代の終わりには、その時代を総括するような巨大な大物がしばしば出現するものだ。

バロック時代のバッハとヘンデル、古典派時代の終わりのベートーヴェン等はその例の一つであろう。

フルトヴェングラーはその意味で、古典=ロマン派時代の終焉の時期に、この時代の持つ精神性、音楽構造、内的エネルギーの在り方を、演奏の上に総括した位置にある。

フルトヴェングラーは、とりわけベートーヴェン、ワーグナー、ブラームスの演奏に優れた盤を残している。

そして1952年の《トリスタンとイゾルデ》は、この作品の奇蹟にも近い演奏であると思う。

その後、いくつかの《トリスタン》が録音され、名演もある。

しかし、フルトヴェングラーの演奏と比肩し得るものはない。

というより、同じ次元で比較できないというべきだろう。

その理由はフルトヴェングラーの天才のみにあるのではなく、彼の生きた時代と関わっている。

ドイツ古典=ロマン派時代の音楽構造の根本は、ベートーヴェンに代表されるような、頂点を目指して進む音の有機的な生命にあった。

そしてそうした時代が終焉を迎えつつあった時代にフルトヴェングラーはその音楽の総体を包括し、時代の証言として音化したのである。

今後も《トリスタンとイゾルデ》の名演は出るだろう。

しかし、歴史が遡行できない以上、フルトヴェングラーの残した証言に比肩し得るものは、もはや産まれ得ないのである。

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2014年01月01日


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本盤に収められたワーグナーの楽劇「ワルキューレ」は、フルトヴェングラーによる最後のスタジオ録音、そして最後の演奏となったものである。

楽劇「トリスタンとイゾルデ」の成功によって、フルトヴェングラーもレコーディングというものを再評価し、楽劇「ニーベルングの指環」の全曲録音に挑むべく本演奏の録音を行ったのであるが、それを果たすことなくこの世を去ることになってしまったのは、フルトヴェングラー自身も心残りであったであろうし、クラシック音楽ファンにとっても大きな損失であったと言わざるを得ないだろう。

それでも、遺された録音が楽劇「ラインの黄金」ではなく、楽劇「ワルキューレ」であったというのは不幸中の幸いであったと言えるのかもしれない。

本演奏については、楽劇「トリスタンとイゾルデ」があまりも神々しい超名演であるために過小評価されているように思われるが、筆者としては、フルトヴェングラーによる畢生の名演として高く評価したい。

全体としては荘重な悠揚迫らぬインテンポで楽想を進行させているが、各登場人物の深層心理に鋭く切り込んで行く彫りの深さ、そしてスケールの雄大さはいかにもフルトヴェングラーならではのものであり、とりわけ第1幕のジークムント、ジークリンデ、フンディングの間の心理戦におけるドラマティックにして奥行きのある表現は、まさにフルトヴェングラーの真骨頂と言えるだろう。

また、第3幕におけるヴォータンとブリュンヒルデの心の葛藤の描き方には、劇性を遥かに超越した枯淡の境地のようなものさえ感じられるところであり、フルトヴェングラーが構築した現世での最後の音楽に相応しい崇高さを湛えている。

歌手陣もフルトヴェングラーの彫りの深い指揮に一歩も引けを取っておらず、特に、ブリュンヒルデ役のマルタ・メードルとジークリンデ役のレオニー・リザネクの歌唱は素晴らしく、ジークムント役のルートヴィヒ・ズートハウスも実力以上の歌唱を披露している。

ヴォータン役のフェルディナント・フランツの歌唱も重厚さと厳かな威厳を湛えていて圧倒的な迫力を誇っている。

フルトヴェングラーの統率の下、最高のパフォーマンスを示したウィーン・フィルにも大きな拍手を送りたい。

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2013年11月17日


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1992年8月20日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ録音。

演奏、録音ともに揃った素晴らしいディスクで、テンシュテットの真価を味わうことができる超名演である。

かつてNHKで放映された同年のワーグナー・ライヴも超弩級の破格の名演だったが、今回ディスク化された音源も素晴らしい出来映えである。

ここには、テンシュテット最晩年の病魔と闘うという鬼気迫るような凄まじい緊迫感が感じられる。

テンシュテットは例によって異常なハイ・テンションであり、ロンドン・フィルがドイツのオケ顔負けの渾身の力を出して応えている。

テンシュテットの圧倒的な統率の下、うなりあげるような低弦の重量感溢れる迫力やティンパニの雷鳴、天国的な美しさを誇る高弦の囁き、悪魔的な金管の最強奏など、いずれも素晴らしい。

ワーグナーを聴く醍醐味がここにあり、殊にクライマックスでのテンシュテット節炸裂は凄絶。

ワーグナー芸術の持つ祝祭性と官能、陶酔の輪舞がテンシュテットの桁外れの表現力により余すところなく描きつくされている。

インテンポではなく、楽劇(歌劇)全体を意識した緩急自在のテンポ設定や、思い切ったダイナミックレンジの幅の広さが特徴ではあるが、音楽がそうした指揮によって矮小化することなく、スケールの大きさをいささかも損なうことがないのが素晴らしい。

爆演系とのレッテルが貼られがちなテンシュテットだが、大変に実力のある指揮者だからこそここまで演奏ができる、という点が見落とされがちであり、オケのコントロールといい、スコアの読みといい、素晴らしい演奏内容である。

音質も今まで出た正規ライヴ盤の中でも最高級で、音抜け、ティンパニの轟音、シンバルの立体的な響き、そして会場の雰囲気等々CDでもかなり再現できている部類に入るのではないだろうか。

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2013年07月26日


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クナッパーツブッシュは、1951年、戦後再開されたバイロイト音楽祭で《パルジファル》の指揮を任されて以来、トラブルによって中断した1953年を除き、死の前年の1964年(この録音)まで毎年この曲を振りつづけた(1953年にもナポリで指揮している)。

《パルジファル》の呼吸の深い、悠久のフレーズを持った音楽は《ニーベルングの指環》以上にクナにぴったりだ。

そういえば、彼はすでに若き日、大学の卒業論文に『クンドリーの本質』について書いている。

そのころから《パルジファル》に傾倒していたのだ。

聴きどころは、何といっても最晩年のクナの紡ぎ出す、摩訶不思議な音の世界。

「渋い」としか表現のしようのない音色と響きは、音響的には遥かに恵まれた条件の下で収録された1950年代末のスタジオ録音においては、音の巨大なうねりや地響き、凄絶なカタストローフの背後に隠れてしまうのに対して、ダイナミック・レンジの狭さやオーケストラ・ピットの独特な構造に起因する倍音成分の遅れなど、演奏家にとっては不利な条件の多い、バイロイトでのライヴ録音においては、逆に際立つ結果となっている。

《パルジファル》の録音と言えば、まずクナの1962年盤が挙げられるべきだし、個人的にはこの盤さえあれば、他のクナの録音は要らないとさえ思っていた。

しかしこの1964年盤も、音楽の厚みが凄く、オーケストラとともにワーグナーの美しさを全開させており、他の指揮者はまったく太刀打ちできない。

歌手陣も総じて素晴らしいが、中でもグルネマンツを歌うホッターが出色で、懐が深く、暖かな温もりで聴き手を包み込む。

筆者はホッターのグルネマンツを聴くたびに、この舞台神聖祝典劇は「パルジファル」ではなく、「グルネマンツ」というタイトルの方が相応しいと思えてならない。

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2013年03月21日


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テンシュテットの真価を味わうことのできる超絶的名演だ。

本盤の録音は、1980〜1983年であり、これはテンシュテットが咽頭癌で倒れる直前であるが、ここでは、既に、晩年の鬼気迫るような気迫溢れる大熱演が聴かれる。

したがって、ここには、最晩年の病魔と闘うというような凄まじい緊迫感はいまだ感じられないが、それでも、オーケストラを全力で追い立て行く生命力溢れる爆演ぶりは、テンシュテットだけに可能な至芸と言えるだろう。

スタジオ録音でありながら、あたかもライヴ録音であるかのような豪演だ。

こうしたテンシュテットの、オーケストラを追い立てていくような大熱演は、よほどのオーケストラでないと付いて行くのが困難であると思われるが、さすがは天下のベルリン・フィル。

本盤の録音当時は、カラヤンとの関係が最悪の状態にあった時期であり、カラヤンの後継者と目されていたテンシュテットと至高の名演を成し遂げることによって、カラヤンを見返してやろうとの強い意識も働いていたものと思われる。

それ故にかここではベルリン・フィルも、世界一のオーケストラの名に恥じない望み得る最高のパフォーマンスを示している。

テンシュテットは、楽劇全体を意識した緩急自在のテンポ設定や、思い切ったダイナミックレンジの幅の広さが特徴ではあるが、音楽がそうした指揮によって矮小化することなく、スケールの大きさをいささかも損なうことがないのが素晴らしい。

マーラーの演奏で垣間見せるようなテンポの変化は殆どなく、ゆったりとしたインテンポによるスケール雄大なアプローチであり、それでいて、劇的な迫力にもいささかも不足もない。

テンシュテットの圧倒的な統率の下、ベルリン・フィルのうなりあげるような低弦の重量感溢れる迫力やティンパニの雷鳴、天国的な美しさを誇る高弦の囁き、悪魔的な金管の最強奏など、いずれも素晴らしい。

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2012年11月04日


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本盤とほぼ同時期に録音されたカラヤン&ドレスデン国立歌劇場管弦楽団盤が空前絶後の超名演だけに、その陰に隠れて過小評価されている演奏である。

さすがに指揮者やオーケストラの格などに鑑みると、どうしても旗色が悪い演奏ではあるが、歌手陣なども加味するとなかなかの佳演と評価してもいいのではなかろうか。

一語でいうと地味で素朴な風格を帯びた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」である。

といってヨッフムの演奏は少しも鈍重でなく、温かく優しい表情の中にひとつひとつの音やモティーフをくっきりと鮮明に浮かび上がらせている。

本盤の魅力は、何といっても、両主役であるザックスとヴァルターに、それぞれフィッシャー=ディースカウ、プラシド・ドミンゴを配している点であろう。

フィッシャ=ディースカウはいつものように巧すぎるとも言える歌唱を披露しているが、それでも本盤ではそうした巧さがほとんど鼻につかない。

この役にはやや明るい声だが、ひとつひとつの言葉のもつ抜き差しならぬ意味を、微細な表情の中に鮮やかに歌い出している。

ドミンゴはいかにも色男らしさを描出しているが、それが若き騎士であるヴァルターという配役と見事に符合している。

これら両者と比較すると、エヴァ役のリゲンツァは、いささか線が細く、この点だけが残念だ。

べックメッサー役のヘルマンや、ポーグナー役のラッガーなど、脇を固める歌手陣も見事なパフォーマンスを示しており、合唱陣の名唱も相まって、本盤の価値をより一層高めることに大きく貢献している。

ヨッフムの指揮は、ドイツ音楽の伝統に根ざした、手堅い表現で、押し出しの立派な、風格のある演奏である。

いかにも職人肌の実直な指揮ぶりであり、ワーグナーの他のオペラだと平板な印象を与えかねない危険性を孕むアプローチであると思うが、楽曲が、ワーグナーとしては肩の力が抜けた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」だけに、そのような不安はほぼ払拭され、総じて不満を感じさせる箇所はない名指揮ぶりであると言える。

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2012年10月05日


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音楽評論家の故黒田恭一氏は、数年前の音楽テレビ番組の中で、クライツベルクの将来に大いに期待とのことを言って高く評価していたと記憶するが、本CDは、その理由が十分過ぎるくらいにわかる名盤だと思う。

どの曲も、堂々たるゆったりとしたテンポによる巨匠風の名演で、ワーグナーの音楽の魅力を満喫させてくれる。

「タンホイザー」序曲が特に素晴らしく、これほど深い表現は滅多に聴けるものではない。

まず出だしの管楽器の響きから引き込まれる。

和音のバランスが絶妙である。

一流とは言えないオランダ・フィルからこれほどの音を引き出すのは、よほどの才能であろう。

中間部の微妙な感じもとても良い。

特筆すべきは、後半の盛り上がりである。

弦楽器の下降音階に乗ってクレッシェンドしてくる管楽器には圧倒される。

音量で圧倒するのではなく内面に訴える音づくりはまことに素晴らしく、聴くたびに感動する。

繰り返すが、決して一流とは言えないオランダ・フィルにこれだけの名演奏をさせたクライツベルクの統率力は高く評価されるものである。

クライツベルクが思いがけず若くして世を去ってしまった今、「彼は天才であった」という感を深くする。

ペンタトーンに彼が残した録音は、どれも最高の音質であり、この遺産だけでも有り難いと思わなければいけないであろう。

しかし音よりもなによりも特筆すべきは演奏の素晴らしさ。

こんなに豊かなワーグナーは最近の他の指揮者からは聴く事ができなかった。

名曲の名演奏あっての名録音であり、賛辞を惜しまない。

ほんとうに、出来るだけ多くの人に聴いていただきたいと筆者は思っている。

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2012年09月20日


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スヴェトラーノフがミュンヘン・フィルに客演した貴重な演奏会の記録。

大変な名演の登場だ。

壮大なスケール感と精緻なアンサンブルが両立した、稀有なワーグナー演奏と言える。

菅も弦も素晴らしい音を出していて、力強さと優美さが両立している。

チェリビダッケ時代のミュンヘン・フィルの実力は言わずもがなで、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕前奏曲からして、音の塊が横綱の体当たりのように迫ってくる。

響きの深さと力量が並はずれているのだ。

勿論、《ジークフリート牧歌》などにみられる穏やかな曲調も、ミュンヘン・フィルならではのシルキーな弦の美質が生かされているし、《トリスタンとイゾルデ゙》「前奏曲と愛の死」における官能美も特筆される。

いずれも素晴らしい演奏で、スヴェトラーノフが持つ感性が十二分に発揮された名演集だ。

チェリビダッケ全盛期のオーケストラから、スヴェトラーノフらしい重厚かつ情感あふれる個性的なトーンを引き出し、それが、ワーグナーの音楽に見事にマッチしているのはさすがという他はない。

このCDで気に食わないのはライナーノートの某評論家の解説。

なぜ、ワーグナーに数々の名演を残したカラヤンと比較する必要があるのか。

カラヤンの演奏をなんらの根拠も示さずに浅薄と決めつける一方的な偏向的解説。

海外盤なので、いかにも某評論家の海外への売名行為が見え見えで、せっかくの名演に水を差す結果になっている。

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2012年05月23日


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LP時代から筆者にとってこの演奏は一つの座右の盤でもあった。

スタジオ録音ということもあり、ライヴでのフルトヴェングラーのあの凄まじい熱気は不足しているものの、最晩年の彼の悠揚迫らざる境地は伝わってくる。

指揮は個性的でいながらどこまでも普遍的、オペラティックでありながらシンフォニックである。

緊張は和らげられて、大きな瞑想が全体を覆うように包み込んで、明澄さと円熟の境地は、以前のようにドラマを激しく転回させるのではなく、ドラマを音楽の流れに完全に委ね切る方向に作用している。

全体に流れるようなそのテンポは、演技を伴わない分、凝縮へと向かうが、これが無駄を排除した簡素さの実現に寄与している。

フルトヴェングラーは、彼独特の重量感にあふれた情感で、音楽をいわば「再構成」するようないつもの方法を明らかに避けている。

必要以上に情緒を強調したり、モティーフに誇張の色づけを与えたりしていない。

逆に、率直すぎるほど率直に、雄渾なタッチで、ワーグナーの音楽自体を十二分に鳴り響かせている。

歌手陣は、彼のかかる誘導に支えられ、力強い歌いぶりをみせる。

フルトヴェングラーの棒には、オケを含めた奏者すべてに対し「どこからでも来い」と言わんばかりの稀有の懐の深さがある。

フランツのヴォータンの品格、ズートハウスのヘルデンテノール、リザネックのドラマディシズム、フリックの格調、全てがズッシリとした重みとともに今も筆者を襲う。

フルトヴェングラーのワーグナーを聴いていつも感じるのだが、歌われる言葉を大切にして、聴衆に聴こえるように、オーケストラの響きとのバランスを意識しているので、ワーグナー特有の長い語りも、室内楽でも聴いているように、いかなる音楽的退屈さとも無縁なのである。

これこそ、他のすぐれたワーグナー指揮者の演奏では、絶対に体験できないことである。

このフルトヴェングラーの最後の演奏を聴いていると、芸術家とは、あるべきヴィジョンに向かってつねに、そして最後まで進化して仕事をする存在なのだとつくづく合点してしまう。

そんな芸術家に対して、過去のある時点と比較することにどんな意味があるというのだろう。

《ワルキューレ》の最初の一音が鳴り始めたときから、フルトヴェングラーの心の底には、近づく死への予感から、「ヴォータンの惜別の歌」が、ずっと鳴り響いていたのではなかろうか。

録音は、従来盤でも1954年のスタジオ録音ということもあって、フルトヴェングラーのCDとしては比較的満足できる音質を誇ってはいたが、今般のSACD化によって見違えるような素晴らしい高音質に生まれ変わった。

とりわけ、歌手陣の息遣いまでが鮮明に再現されるのは驚異的ですらあり、フルトヴェングラーの遺言とも言うべき至高の超名演を、現在望み得る最高の音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2012年05月08日


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1943年度のバイロイト音楽祭での実況盤であるが、残念なことに第1幕第1場の主要部から第2場の初めにかけてと、第3幕第4場の5重唱が欠落している。

部分的な欠落はあるが、バイロイトのフルトヴェングラーを知るためには欠かせぬもので、1943年のステージの録音とは思えぬほど音も良好で、特に独唱が鮮明に入っているのはありがたい。

フルトヴェングラーのワーグナー録音の中でも最も充実しているものの一つが、大戦末期のバイロイト音楽祭での《マイスタージンガー》。

1940年代に活躍したローレンツ、ミュラー、フックス、プロハスカなど超豪華なキャストを擁し、フルトヴェングラーも昂揚の限りを尽くしたかのような奇跡的な名演である。

フルトヴェングラーの指揮は、例によってドラマの内容を最大限に生かそうというもので、それを歌手たちが100パーセント体現し、ポルタメントなどの過剰が古くさく感じる反面、心理描写の表現は実に見事だ。

特にハンス・ザックス役のプロハスカ、ベックメッサー役のフックスが巧く、エヴァ役のミュラーも美しい。

フィナーレのザックスの語りと最後の合唱に見せる緊張と高揚はフルトヴェングラーのワーグナー観を最も説得力のある形で示したものといえるだろう。

《指環》などではフルトヴェングラー流のワーグナーに抵抗もあるが、《マイスタージンガー》の場合は曲調と指揮者の個性とがマッチしており、コーラスのもやつくのを我慢すれば、フルトヴェングラー・ファン、ワーグナー・ファンともに充分に楽しめる。

これこそ真のドイツ魂の発露であり、この指揮者の味の濃さと豊かな雰囲気が生きた場合といえよう。

このフルトヴェングラーの歴史的録音は、1937年にトスカニーニがウィーン国立歌劇場管弦楽団を指揮した《マイスタージンガー》の全曲ライヴ録音と双璧をなすといえる最高にすばらしいものである。

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2012年05月07日


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1947年10月3日 ベルリン、アドミラルパラストに於けるライヴ録音。

フルトヴェングラーの戦後初のオペラ公演のライヴで、第2、3幕の主要部分を収めている。

演奏は、フルトヴェングラーらしいロマンティックな大きなうねりを伴った、気宇壮大な音楽が楽しめる。

基本的な演奏の路線は有名な1952年盤と殆ど変わりなく、スリリングなフレーズ回しや音楽づくりがこの曲の劇性を浮き彫りにしている名演である。

その強い陶酔と法悦は、まさにこの作品の本質に迫る名解釈だし、オケも熱っぽい演奏でその指揮に応えている。

しかしながら本盤では、局所的な違いはある。

強音を鳴らす部分での多少の加速や、ズートハウスの所々の即興的な歌い回しが面白く、フルトヴェングラーの熱気という点では1952年盤と変わらない。

加速については見せ場をきっちり作ることに成功しているし、ズートハウスの演技も演奏に良い影響を与えており、具体的には必死さが出ている。

歌手陣では前述したズートハウスの力に満ちた歌唱と、フリックの深い情感に満ちた演唱は、今日の我々にも強い説得力を持っている。

万人向きではないが、フルトヴェングラーとワーグナー・ファンには大きな喜びをあたえるディスクだろう。

筆者は、巨匠の《トリスタン》ライヴ録音が存在する時点で最高の評価をしてしまうが、これは1952年盤を気に入った方にも薦められるものである。

1947年の録音としては音質もかなり良い。

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2012年05月06日


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フルトヴェングラーの晩年、1952年イタリアでの録音で、トリノとローマの、いずれもRAI所属のオーケストラを振っている。

一連の録音でも、評判の高かったワーグナーの管弦楽作品は、さすがに充実した演奏で、新リマスターで、音の鮮度が上がっている。

いずれもライヴだけあって、フルトヴェングラーが感興の趣くままに精神を高揚させながら、オーケストラを意のままに動かし、大変熱っぽい音楽をつくりあげている。

《さまよえるオランダ人》序曲は速い部分はより速く、遅い部分はより遅いフルトヴェングラー流の演奏で、かなり熱狂的であり、緊迫感にもあふれている。

《ジークフリート牧歌》は幸福感に満ちた名演で、ウィーン盤よりはるかに音は鈍いが、演奏はこのほうが魅力的だ。

冒頭の温かい情感と人間味にあふれた弦のひびきやハーモニーは、誰にも真似のできないフルトヴェングラー・トーンで、まるで聴く者の心に寄り添ってくるようだ。

全体にむせかえるような歌に満ちた豊かさがたまらない。

盛り上がりのアッチェレランドもウィーン盤ほど夢中になりすぎず、コーダは繊細さの中に情愛がこもっている。

《神々の黄昏》〜「ジークフリートのラインへの旅/ジークフリートの葬送行進曲」は、この巨匠の体質が強く滲み出た感動的な名演だし、《トリスタンとイゾルデ》〜「前奏曲と愛の死」の官能美にあふれた表現にも心打たれる。

それにしてもトリノとローマの放送オケにフルトヴェングラーは何と心のこもった音を出させ、心のこもった音楽を奏でさせることだろうか。

フルトヴェングラーの偉大な芸術を知るうえで貴重なディスクである。

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2012年03月30日


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フルトヴェングラーによるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の録音としては、本演奏(1953年のいわゆるローマ盤)と1950年に録音されたミラノ・スカラ座歌劇場管弦楽団ほかとの演奏(いわゆるミラノ盤)の2点が掲げられる。

このうち、ミラノ盤については、演奏としては極めてドラマティックで壮絶な名演であり、フラグスタートがブリュンヒルデ役をつとめるなど歌手陣は豪華ではあるが、録音状態が劣悪で、よほどの忍耐力がないと最後まで聴きとおすのがつらい音質であると言わざるを得ない。

これに対して、本ローマ盤は、音質がミラノ盤よりも比較的良好であるとともに、歌手陣も錚々たる顔ぶれが揃っていること、そしてオーケストラが、フルトヴェングラーの下で何度も演奏を行っていたイタリア放送交響楽団(RAIローマ交響楽団)であることなど、ミラノ盤と比較するとよりよい条件が揃っていると言えるところであり、遺された2つの録音を総体として評価すれば、本ローマ盤をフルトヴェングラーによる楽劇「ニーベルングの指環」の代表盤とするのにいささかも躊躇するものではない。

本ローマ盤は、これまで様々なレーベルによってリマスタリングやLPからの板おこしなどが繰り返し行われてきたが、ミラノ盤よりは良好な音質とは言え、必ずしも満足できる音質とは言い難いものであった。

しかしながら、今般、ついにEMIがSACD化に踏み切ったのは歴史的な快挙とも言えるものであり、これまでの高音質化の取り組みの究極の到達点とも言えるだろう。

それにしても、素晴らしい音質に蘇ったと言える。

もちろん最新録音のようにはいっていないが、各歌手陣の歌唱も比較的鮮明に聴き取ることができるようになったと言えるし、それ以上に、これまでは団子のような音塊に成り下がっていたオーケストラ演奏が見違えるようなクリアな音質に生まれ変わったことにより、フルトヴェングラーの至芸を大いに満喫することが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

それにしても、フルトヴェングラーによる楽劇「ニーベルングの指環」の全曲演奏を、このような良好な音質で聴ける日が訪れるとはいまだかつて夢想だにもしなかったところであり、筆者としても長年の渇きを癒すものとして深い感慨を覚えたところだ。

演奏内容は、言わずと知れた不朽の超名演だ。

とある影響力のある某音楽評論家が、フルトヴェングラーによるワーグナー演奏をスケールが小さいなどと酷評しているようであるが、氏は一体何を聴いてそのような判断を下しているのであろうか。

本演奏の悠揚迫らぬ確かな歩みと同時に、テンポの振幅を効果的に駆使した圧倒的なドラマ性、そして各登場人物の深層心理に鋭く切り込んでいくような彫りの深い深遠な音楽は、ワーグナーの壮麗かつドラマティックな音楽を完璧に音化し尽くしており、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを誇っていると言えるところだ。

これで、もう少し音質が優れていたとすれば、間違いなく、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の全曲演奏史上最高の名演の玉座を勝ち取ったことも十分に考えられると言っても過言ではあるまい。

歌手陣も、さすがは巨匠フルトヴェングラーがキャスティングしただけあって豪華の極みであり、ジークフリート役のルートヴィヒ・ズートハウス、ブリュンヒルデ役のマルタ・メードル、ローゲ役やジークムント役のヴォルフガング・ヴィントガッセン、そしてミーメ役のユリウス・パツァークなど、フルトヴェングラーの渾身の指揮とともに、これ以上は求め得ないような最高の歌唱を披露しているのが素晴らしい。

イタリア放送交響楽団も、フルトヴェングラーの確かな統率の下、ドイツ風の重厚な名演奏を繰り広げているのを高く評価したい。

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2012年02月22日


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これはワルターの目指した音楽の最高の刻印であると同時に、ワーグナー演奏史の最良の一頁として記念される名演である。

1935年に録音されたこのSPが発売されたときは大きなセンセーションを巻き起こしたらしい。

何しろワーグナーの楽劇などまったく録音されなかった時代だからである。

ワルターのテンポは異常に速い。おそらくは晩年はもっと遅いテンポをとったに違いないが、この場合いかにも50代のワルターらしい。

ただ、全体的に見てライトモティーフの表出が著しく弱いのがワルターの欠点となっている。

しかしジークリンデが自分の想いを歌う部分の、春の陽ざしのような微光のほほえみ、ウィーンの弦の不健康な美しさなど、ワルターならではの表現も見られるし、背伸びをしない地のままの指揮に好感が持てる。

全曲が一つのまとまった解釈となり、聴いているときの安心感と陶酔は比類がない。

それに何よりも歌手が素晴らしく、ワーグナー歌唱の至高の範例とされるほどの名唱であろう。

特に第1幕のフィナーレの素晴らしさはあらゆる比較を絶している。

とくにロッテ・レーマンはごく自然に歌いながら、温かい息吹きと魅力的な女性美がむせるようだ。

メルヒオールも努力なしにジークムントの暗さを背負った人柄を出している。音色の変化が微妙だが、節まわしの巧さといい、すべてが生まれつきの才能のように自然である。

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2012年02月20日


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ワーグナーの創作の転換点にあるロマンティック・オペラ《ローエングリン》の録音は数多くあるが、筆者が最も好んで聴き返すのは、名匠ケンペがウィーン・フィルを指揮した往年の名盤である。

ドイツの名匠のひとり、ケンペは今や忘れ去られてしまったのだろうか。

ここでウィーン・フィルから彼が引き出した多彩にして雄大な音楽は、この"ロマンティック・オペラ"の真髄を示している。

オペラティックな感興に満ち、大胆さと親密さもほどよく兼ね備えているケンペのアプローチは、懐かしいドイツの"古き良き時代"の香りを伝えてくれる。

ここで神秘的なまでの美しさを示すウィーン・フィルの演奏は、オペラ・ハウスでのこのオーケストラの経験の集積にほかならない。

ウィーン・フィルによるワーグナー演奏の魅力とは何か?と考えるとき、このケンペの録音は、その明確な解答を与えてくれるだろう。

歌手陣の充実も同曲随一の豪華さであり、この曲を代表する名盤である。

ジェス・トーマスの高貴で逞しいローエングリン、フィッシャー=ディースカウの知能犯のようなテルラムント、ルートヴィヒの巧妙なオルトルート、フリックの堂々たるハインリヒ王は、いずれもこれらの役柄の最上の演唱を示している。

グリュンマーのエルザがいささか古風だが、忘れがたい名盤である。

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2011年11月27日


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このムラヴィンスキー・エディションに収められたロシアものを中心とした作品の演奏にムラヴィンスキーは素晴らしい成果をあげているが、ワーグナーの演奏だけは何とも奇妙な印象を与える。

端的にいうならば、筆者はムラヴィンスキーがワーグナーを演奏する必然性を感じることが出来ないのである。

そう思える最大のポイントは、ムラヴィンスキーのフレージングが本質的に非ワーグナー的であるということである。

すなわちポキポキと折れるような極めて短いフレージングなのである。

したがってムラヴィンスキーの演奏からはいかなる「麻薬」的効果も現れてこない。

こうしたフレージングだから細部の細かいニュアンスもさっぱり伝わってこない。

ワーグナーが詰め襟の軍服を着てそそくさと分列行進とともに消えていってしまうという印象なのである。

たとえば、クナッパーツブッシュの演奏の凄さは、そのフレージングの息の長さ、一つ一つの音に十分な意味を与えようとするフレーズの充溢度に現れている。

ムラヴィンスキーの演奏にはそうした要素は全くといっていいほど感じられない。

おそらくムラヴィンスキーの演奏スタイルは、1930年代に始まるソ連の公認文化としての社会主義的リアリズムの性格に(一部はノイエ・ザッハリヒカイトの影響も受けつつ)由来している。

フレージングに潜むマニエリスティクな彫琢が希薄なムラヴィンスキー。社会主義リアリズムにワーグナーは似合わない?

筆者はこういうスタイルの演奏でワーグナーを聴きたいとは思わない。

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2011年11月23日


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EMIによるフルトヴェングラーの歴史的遺産のSACD化は、本年1月の交響曲及び管弦楽曲を皮切りとして、協奏曲や声楽曲など多岐に渡るジャンルについて行われてきているが、今般の第4弾ではついにオペラが登場。

ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」と「ワルキューレ」、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」の3点という豪華ラインナップとなっている。

いずれも名演であると思うが、その中でもベストの名演は楽劇「トリスタンとイゾルデ」と言えるのではないだろうか。

それどころか本演奏は、フルトヴェングラーによるあらゆるオペラ録音の中でもダントツの名演であるとともに、様々な指揮者による同曲の名演の中でも、ベーム&バイロイト祝祭管による名演(1966年)、クライバー&ドレスデン国立管による名演(1980〜1982年)と並んでトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

レコーディング嫌いで有名であったフルトヴェングラーが、このような4時間近くも要する長大な作品をスタジオ録音したというのも奇跡的な所業と言えるところであり、フルトヴェングラーがいかにこの演奏に熱意を持って取り組んだのかを伺い知ることが可能であると言えるところだ。

本演奏でのフルトヴェングラーは荘重にして悠揚迫らぬインテンポで曲想を進めていくが、ワーグナーが作曲した官能的な旋律の数々をロマンティシズム溢れる濃厚さで描き出しているのが素晴らしい。

各登場人物の深層心理に鋭く切り込んでいくような彫りの深さも健在であり、スケールも雄渾も極み。

とりわけ終結部の「愛と死」における至純の美しさは、神々しいばかりの崇高さを湛えているとさえ言える。

こうした濃厚で彫りの深いフルトヴェングラーの指揮に対して、イゾルデ役のフラグスタートの歌唱も官能美の極みとも言うべき熱唱を披露しており、いささかも引けを取っていない。

トリスタン役のズートハウスは実力以上のものを発揮していると言えるし、クルヴェナール役のフィッシャー・ディースカウも、後年のいささか巧さが鼻につくのとは別人のような名唱を披露している。

フィルハーモニア管弦楽団もフルトヴェングラーの統率の下、ドイツ風の重厚な演奏を展開しているのが素晴らしい。

録音は、フルトヴェングラー自身がレコーディングに大変に満足していただけのこともあって、従来盤でもかなり満足し得る音質を誇っていたが、今般のSACD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

例えば、第2幕冒頭の弦楽器の繊細な合奏やホルンによる狩りの響き、そして歌手陣の息遣いまでが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらあり、このような歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2011年09月12日


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ゲルギエフ初のワーグナー。

彼はワーグナーにことのほか情熱を示しているが、録音として出るのはこれが最初となる。

「パルジファル」は聖杯伝説を扱い宗教色が強いため、旧ソ連時代は全く演奏されず、崩壊後の1997年にゲルギエフにより80年ぶりに復活蘇演された。

晩年のワーグナーならではの長大で難解な作品ながら、ゲルギエフは得意として世界各地で上演し、好評を博している。

日本でも熱い期待が寄せられ、つい先ほどの2011年2月に第3幕を演奏会形式で上演して、好評を博した。

当盤はもちろん全曲盤。

ルネ・パーペをはじめリトアニアの名花ヴィオレッタ・ウルマーナほかゲルギエフの信頼厚い芸達者が集結、非常な熱演を見せてくれる。

ゲルギエフも終始強い緊張感を保ちつつ、壮麗な響きを引き出す豪演で、聴き手を陶酔の世界へと導く。

彼の音楽もますます大きくなり、さすがの巨匠芸を聴かせてくれる。

音のスライドが美しい、まさに音の饗宴で、ところどころ派手な場面もあるが、音楽の静謐さを損なうことはない。

こんな「パルジファル」は聴いたことがなかった!

「パルジファル」解釈の新しい礎となる衝撃的演奏の登場といえよう。

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2011年09月11日


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ショルティ盤は、まず何よりも、その歌手陣の豪華さが魅力である。

1971年〜72年という録音時期も、ちょうど、ワーグナー歌手の世代交代期にあったわけで、ホッター、フリックといった大ヴェテランと若きコロとの組み合わせの妙も楽しい。

それぞれ名声にふさわしい歌いぶりを示しているが、威厳にみちたホッター、明晰な歌を聴かせるフリック、そして敬けんさ、妖艶さとともに最高の名唱ルートヴィヒなど、それぞれ巧者な歌唱で、まさに最上のキャスティングといえるだろう。

特にフリックとルートヴィヒを称えたい。

フリックは地味な役柄だが、役作りの確かさ、心理表現のこまやかさでこの演奏に重みを与えている。

ショルティの棒は、力まず、ごく自然に流しながら、この作品のもつ音楽の美しさをあますところなく再現している。

ショルティは、自信に満ちた態度でテンポを悠然と運び、豊かできびしい音の流れを作り出しており、ウィーン・フィルも、他に類がないほど豊麗で、しかも清純な美しい響きを聴かせている。

またショルティは、第2幕の花の乙女たちが登場する場面ではより官能的な美しさを求めたいが、緻密なまとめぶりと劇的な場面での高揚はさすが。

特筆すべきは、オーケストラのうまさで、ウィーン・フィルの艶麗で、しかも澄み切った響きの美しさは、たとえようもない。

ショルティの指揮のもとウィーン・フィルも美質を存分に発揮している。

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2011年07月28日


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ケーゲルは近頃いろいろなライヴが発掘された。日本での最晩年の演奏とか、ショスタコーヴィチとか、魅力的なものが陽の目を見た。

けれども、今なお、「パルジファル」はケーゲルの最高の演奏のひとつであり続ける。

ともかく、オーケストラの響きが明晰をきわめ、かつ美しい。ほのかに青がかかったガラスのような響きだ。まったく曖昧なところがない。バス声部はもったいぶらず、いきいきと動き、響きはたっぷりしたままに軽快ですらある。

だから、全体が精悍で引き締まった印象になる。CD3枚になっているが、とても快適なテンポである。鈍くならない。押しつけがましい和音で威圧したりしない。アンフォルタスの苦しみを表す場面など、しばしば引きずるような演奏になりがちだが、全然そうではない。ひとことで言えば、自分の視力がよくなった気がする。

1970年代の脂がのった名歌手の競演もすごい。若々しい美声で全体を歌い通すコルトのグルネマンツ。コロの凛としたパルジファル。このふたりの力によって、「パルジファル」がまるでベルカント・オペラのように快楽的なものになる。

第1幕など、事実上、グルネマンツのための音楽だが、惚れ惚れと聴ける。おいしい水のように楽々と体の中に入ってくる。

それに合唱もすばらしく鍛錬されていて、黄金のハーモニーを聞かせるのだ。

極端な話、ストーリー、思想を知らずともよい。ただただ音楽の見事さに身を浸すだけで満足感を得られる演奏だ。オーケストラ、ソロ歌手、合唱、ここまでの水準で揃った録音は他にない。音質もいい。

つまり、ケーゲルの「パルジファル」は、重々しさに欠けていないのに躍動感があり、感覚的に磨かれているのに皮相ではなく、明晰でありながら味気なくならず、・・・そういう妙なるバランスを持っている。

驚いたことにライヴ録音だが、おそらくこの演奏会のためにたいへんな準備がなされたことであろう。

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2011年05月25日


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バイロイトでは《オランダ人》は若い指揮者に任されることが多く、巨匠の域に達していたベームが指揮したのは異例のこと。

これは同時にベームが最後にバイロイトに出演した時の記録となった。

ここで彼は、ワーグナーのこの出世作にふさわしい、硬質かつ直線的な音楽づくりによって、1幕仕立ての上演を息もつかせぬばかりの緊張感で貫いている。

ベームの筋肉質で無駄のない進行は、この作品のスタイルによく合っている。

厳しさにかけては天下一品のベームに鍛えぬかれた、当時のバイロイトのオーケストラの水準も驚くばかり。

まるでオーケストラ全体が唸りをあげるように高揚していくところなど、他のオペラのオーケストラにはないものだ。

そこでは世界から腕利きのワグネリアンが集まったこのオーケストラの強みが最大限に発揮されている。

ステュアート、ジョーンズと主役2人が米英出身なのはいかにもこの時代のバイロイトらしいし、他にもリッダーブッシュらの歌手陣の水準も高い。

名合唱指揮者ピッツの薫陶を受けた驚くべき威力の合唱も、ここでは主役のひとりとして大きな役割を果たしている。

「水夫の合唱」の部分など、鮮烈きわまりない表現で、恐るべき生命力である。

質実剛健でしかも含蓄に富んだこの演奏は、《オランダ人》の解釈の一つの理想と言えるのではなかろうか。

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2011年05月19日


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ワーグナーの音楽は、寄せては返し、返しては寄せる波の動きを聴き手にイメージさせる点にその特徴がある。

沖合から寄せてきた漣は、みるみるうちに目の前で膨れ上がり、すべてを呑み込んだ後にさっと引いていく。

それが繰り返されると、音楽は巨大な波のうねりと化する。

「ヴォータンの別れ」においても何度となく登場する、海鳴りとともにどっと押し寄せた管弦楽の大波が、洪水のように辺りを浸食しながら轟音をあげて岩にぶつかり、飛沫となって砕け散る様は壮観でさえある。

波に身を委ねて漂っていると、だんだんと気持ちがよくなってくる。

長大な内容と膨大なエネルギーの発散にもかかわらず、ワーグナーの作品に聴き手が独特の心地よさを覚えるのは、そのせいであろう。

クナッパーツブッシュの編み出す音楽は、こうした波のイメージを的確に伝える一方で、大地の底から湧き出る源初的な響きを伴っている。

喜多尾道冬氏も指摘するように、大自然のもつ剥き出しの力を連想させる、その巨大な響きの塊は、人類が地球に登場する遥か以前から存在していたものであり、太古の時代より人類を畏怖させてきた。

クナッパーツブッシュの演奏を聴くことによって自己の存在が震撼するように感じられるのは、じつはDNAを通じて受け継がれてきた、遠い過去の記憶が蘇るせいなのかもしれない。

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2011年05月01日


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ショルティによるワーグナーの前奏曲や序曲を中心とした1枚で、ショルティ初のオリジナル・ワーグナー/管弦楽曲集であった。

録音は1961年と65年、すなわちショルティがウィーン・フィルによって《指環》全曲レコーディングの金字塔を打ち立てていた時期と重なる一盤。

おそらくこの曲集は、ショルティのワーグナー・アプローチのひとつの原点を示すものであると同時に、彼のワーグナー観の最も説得力あるエッセンスではあるまいか。

オケの良さのためもあって、彼のワイルドで強引な指向は、むしろスケールの大きなダイナミズムへと転化され、切迫した激しい表出はより総合的サウンドへと融解している感。

のちのシカゴ響とのワーグナー集などと比べると一層その感を強くする。

総じて良い出来映えで、とくに《タンホイザー》序曲や《さまよえるオランダ人》序曲などは屈指の出来映え。

《タンホイザー》序曲は情感豊かで、いかにもショルティらしい線のきつい明快な表現だが、そのニュアンスのつけ方が実に巧い。

《リエンツィ》と《さまよえるオランダ人》はそれぞれダイナミックで男性的な表現だ。

ウィーン・フィルもさすがに巧く、オーケストラのもつ特質がそれぞれにいきているのも事実だし、ショルティの音楽の深さも見逃せない。

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2011年04月23日


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第2次大戦後で最も傑出し、歴史的名盤となったフルトヴェングラーによる『指環』全曲盤。

1950年3月2日から4月2日までミラノ・スカラ座で行なわれた歴史的な上演の実況録音盤である。

1953年秋にローマのスタジオで録音した『指環』に比べても、いっそうフルトヴェングラー色が濃いワーグナーになっている。

このスカラ座の演奏には、生き生きとみなぎる劇的な力と雄弁さがあり、最初から最後まで一瞬の弛緩もなしに持続する強い緊張がある。

スカラ座盤の方がフルトヴェングラーの体臭がより強く表れているが、ローマ盤よりも解釈が徹底しており、存在価値があるように思われる。

たとえば『ワルキューレ』第1幕の、甘すぎるくらい艶のあるヴァイオリンの歌、幕切れの部分の猛烈なアッチェレランド、第3幕の「ヴォータンの別れ」における流れの緊迫感と勁い意志の力などは、もちろん行きすぎではあるが、フルトヴェングラーならではの表現ともいえよう。

『神々のたそがれ』における「ラインへの旅」もテンポの非常に速い勇み立った指揮ぶりで、前へ前へと進む若々しいリズムが爽快だが、かなり独特なフルトヴェングラー調のワーグナーであり、「葬送行進曲」のヒステリックなくらい突撃的な演奏についても同様なことがいえる。

印象に残ったのは『ジークフリート』第3幕の愛の二重唱で、フラグスタートのブリュンヒルデとスヴァンホルムのジークフリートという戦後最高のコンビがクライマックスを築き、ここのオーケストラ伴奏もさすがに意味深く、雄弁であった。

音の状態も予想以上によく、かけがえのないのない記録だ。

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2011年04月22日


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海賊盤ではオケが引っ込み気味の録音だったが、この正規盤ではバランスの良い録音に改善された。

1953年バイロイトに初登場、それが最後となったクラウスの指揮には1960年代のブーレーズの登場を予感させるようなラテン的な明澄さと締まったテンポ感、さらりとした味があった。

クラウスのユニークなワーグナー解釈は、我々に新鮮な美の発見と喜びを与えてくれる。

精緻なオーケストラのテクスチュアの中から生まれるリリシズムと、ゲルマン的心理のうねりと、筋肉質なダイナミズムの融合は、ゲルマンの血を残しつつ、より一歩進化した洗練を、ワーグナーの世界にもたらした。

緻密で美しい、しかも常に豊かな音楽を見失わないクラウスの指揮の素晴らしさは、今日でも全く変わることなく我々を魅了してくれる。

音楽の豊麗さという点でも傑出しており、ふくよかなロマンティシズムやたくましい流麗さ、そして壮大な詩とドラマがある。

その精緻で雄弁な音の繰り広げる壮大なドラマの面白さと感動はまったく底知れないものだ。

しかも歌手には第2次大戦後の最もすぐれたワーグナー歌手をズラリと揃えている。

歌手として絶頂期にあったヴィントガッセンの輝かしいジークフリートが聴ける。

ブリュンヒルデはこれに負けず劣らずヴァルナイである。

特にホッターの不世出のヴォータンが聴けるのが嬉しい。

こうした名ワーグナー歌手たちが、その全力を傾けつくしたこの演奏が、第2次大戦後のワーグナー歌唱の輝かしいピークを形作っているという思いを改めて強める。

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2011年04月07日


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堂々とした骨太の《ローエングリン》がこれだ。

クーベリック盤はワーグナーのロマン的オペラと銘打たれた作品の味わいを素直に引き出した名演。

ロマンティックなオペラというより、重厚でドラマティックな力を備えた作品として描かれている。

初期のロマンティック・オペラと後期の楽劇のいわば分岐点に立つ作品だが、クーベリックは、そのロマンティックな側面をことさらにふくらませることなく、明快にひき締まった感覚で、ドラマティックで新鮮な演奏を築いている。

この巨匠ならではの格調高く透徹した表現によって、作品のすみずみにまで、いかにもしなやかに澄んだ光を通しており、強く爽やかな劇性がまことにくっきりと美しい。

バイエルン放送交響楽団の明快で、ごまかしのない演奏も魅力的。

もう一世代前になった感のある歌手たちだが、まだ古びない、十分に立派な歌が聴ける。

聖杯騎士にふさわしい品格をそなえた気品あふれるキングや、性格表現にすぐれたステュアートのテルラムントなど、知と情を合わせそなえた歌手陣もすばらしく充実しており、中でもヤノヴィッツの清らかに澄んだ声と初々しく清楚な歌唱は最高のエルザといってよいだろう。

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2011年04月01日


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スケールの大きなシンフォニックな表現の中に、このオペラ独自の幻想と主役たちの苦悩とを最もよく伝えているのは、もう録音の古さも多少感じられるが、クレンペラー指揮の演奏であろう。

クレンペラーの、終始一貫、すさまじいまでに力に満ちた厳しい音楽に圧倒される。

一見、悠然たるテンポの運びから吹き出してくる壮絶な気迫と白熱のドラマにも圧倒される。

しかも単なる表面的なダイナミズムの激しさだけではなく、もっと実体をもった強固な音の構築である。

それは劇場的、オペラティックな表現ではない。

クレンペラーは音によってドラマを描くのではなく、あくまで音楽そのものを表現している。

たたみかけるような凝集力ではベーム盤に一歩譲るとしても、ここには、いかにもクレンペラーらしい厳しい意志的な掘り下げと、憧憬の、一種霊的な表現とがある。

アダムのタイトル・ロール、収録時33歳のシリアのゼンタ、そして今は亡きフィンランドの名バス、タルヴェラのダーラントも、それぞれ役の中に深く踏み込んだ熱演を聴かせている。

ちなみにクレンペラーは、1843年のドレスデン・オリジナル版を、序曲の終わりにも、全曲の幕切れにも、ゼンタの「救済の動機」を繰り返さないかたちで取り上げている。

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2011年03月31日


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フルトヴェングラーには現在までに3種類の『ワルキューレ』全曲ディスクがあり、録音年順に辿ると、1950年のミラノ・スカラ座でのライヴ盤、次いで53年ローマ・イタリアsoとの録音、そして54年のつまり彼の逝く年に録音されたウィーン・フィル盤である。

そこに第1幕だけであるが、1952年のローマRAIでの演奏が加わった。

案に違わずそのいずれもが、フルトヴェングラーの高貴なロマンティシズムに裏打ちされた感銘深い演奏であり、オペラ全曲あるいは『指環』全曲のドラマトゥルギーの中から確然と造型された『ワルキューレ』第1幕となっている。

いわば遥か彼方の大団円を見はるかすような巨視的な曲作りである。

ただ志向はあくまでドラマティック。

冒頭の激しい嵐の描出で劇性の伏線を張り、第1場のジークムントとジークリンデとの出会いから第2場フンディンク絡みのシーンまでを幾分静的に描き、第3場以降を加速度的に盛り上げ、激しくて深いクライマックスへと煽り立てる。

言うまでもなく第3場のドラマーティクに主軸を置いた音楽作りである。

それが最も尖鋭に感じられるものとしてスカラ座盤を挙げようと思うが、歌手陣を考え合わせるとイタリア放送so盤、オーケストラの良さではウィーン・フィル盤ということになろうか。

この1952年ローマRAI盤の演奏には生き生きとみなぎる劇的な力と雄弁さ、凄まじいまでの表現力、そして独得の白熱と高揚があり、フルトヴェングラーの気迫と精神力にはただ驚くばかりだ。

歌手ではジークリンデ役のコネツニがやや軽いが若々しく可憐だ。

『ワルキューレ』第1幕には、ワーグナーが生涯書いた最も美しいページが数多くあるが、このCDは、フルトヴェングラーの『指環』全曲の名演の一端を知る上で恰好のものといえるだろう。

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2011年03月29日


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あまりにも素晴らしい演奏なので、改めて紹介させていただく。

1955年のバイロイト音楽祭でのライヴ。

最近、放送音源などによるライヴ録音の発掘が積極的に行われているが、これは英デッカによる正真正銘「正規」録音である。

上演の模様を鮮やかにとらえたオリジナル・ステレオのサウンドが素晴らしい。

そして、聴きものは、まずカイルベルトの指揮。

その生々しい迫力に満ちた演奏を聴くと、この往年のドイツの名指揮者の実力と魅力を思い知らされる。

忘れるには惜しい名匠だ。

これは、カイルベルトの残したオペラの録音のなかでも、特筆すべき名盤である。

そして、1950年代から1960年代にかけてバイロイトで活躍した、ヴィントガッセンとヴァルナイという2人のワーグナー歌手の歴史的な共演盤でもある。

2人の名歌手の最盛期の貴重な記録だが、さすがにスケールの大きな味わいの深い二重唱が展開されている。

ヴァルナイの言葉の明晰さ、声の響きの逞しい力、ドラマティックな緊張の鋭さ、そして音楽の生み出す感動に聴き手の心に強く訴えかける真摯さは全く素晴らしい。

かつて、情報の限られていた日本では、レコードで活躍する演奏家ばかりが目立って、そうでない音楽家が不当に過小評価される傾向があった。

このヴァルナイなどはその代表格であろう。

後発のニルソンの華々しい録音活動にかくれてしまったが、1950年代のバイロイト音楽祭では最高のブリュンヒルデ歌いであった。

筆者には、直線的な威力で聴かせるニルソンより、黄金時代の伝統をついで、大きく深く音楽を呼吸させるヴァルナイの歌のほうが、よほど感動的に聴こえる。

このテスタメント盤は、録音機会の少なかった彼女が残した貴重なライヴ録音盤である。

地の底からわきあがって高天にのぼるような、その長大な呼吸を聴くことができる。

ヴィントガッセンにもほぼ同じことがいえ、ジークフリートでの知的な解釈と若々しいヴァイタリティが聴きものだ。

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2011年03月05日


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どこまでもドイツ音楽の伝統に根をおき、ドイツ民族の美学を最良の形で示した重鎮カイルベルトが、バイロイト音楽祭で《ニーベルングの指環》を指揮した伝説の1955年ライヴ録音。

カイルベルト壮年期の熱気と覇気に満ちた筋肉質な音楽作りの力によって、この長大な作品を一気呵成に聴かせてくれる。

カイルベルトの指揮は肌触りはざらざらしているが、《ジークフリート》で主役ふたりが出逢ってからの感動は筆舌につくし難い。

また《神々のたそがれ》では特に「ジークフリートの葬送行進曲」の緊迫感と悲劇的な盛り上がりは凄い。

最後のヴァルハラの炎上まで、坂を昇りつめるように一気に盛り上がるその迫力は他に例をみない。

バイロイト祝祭管弦楽団の技術に粗さも感じられるが、カイルベルトの覇気は、そんな小さな傷も気にならない圧倒的迫力を生み出している。

歌手陣の充実も、正に「バイロイト音楽祭の黄金期の記録」と呼ぶべきもの。

声のエネルギーに満ち満ちていた時代のヴィントガッセンのジークフリート、ホッターのヴォータンは、他の彼らの録音以上の若々しい声の魅力に満ちている。

ヴァルナイのブリュンヒルデも圧巻。この名手の貴重な記録だ。

かつてはベーム盤もバイロイトのライヴ録音ということで大きな話題になったし、高く評価された。

だが、その一方で、音はよくてもこの壮大なドラマを充分に表現しきれていないのは、ライヴ録音のためではないかという疑問もあったのだが、それも、カイルベルトによる1955年のライヴ録音で氷解した。

ベームを過大評価していたのである。

戦後バイロイトの1つの頂点を刻む記録。

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2011年03月02日


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オペラティックな面白さにあふれた、ある意味では大変分かりやすいワーグナー演奏。

つまりフルトヴェングラーの深遠な抒情やベームの凝集的表現の対極にある。

それはワーグナーの音楽の生命をもう一度自由な空間に解放しようとする試みだろう。

《ラインの黄金》の演奏は作品の持つドラマとしての内容と面白さを存分に描き、語り出すことをまず第一に指向している。

純音楽的角度から音の練磨や整理を目指すのでなく、実際に舞台で展開されるドラマをオペラティックに、雄弁に物語ろうとする姿勢だ。

テンポが遅いことも、様々なドラマの芽が次々に掲示されてゆくこの曲を、大変面白く聴かせる結果となっている。

歌手ではイェルザレムのよく考えられた性格表現に感心させられる。

《ワルキューレ》の録音では、特にレヴァインという指揮者の特性がはっきりと示されている。

しなやかで、しかも彼独特の粘りのある音の運びが、ワーグナーのオーケストレーションのテクスチュアを抒情的に、また壮大、勇壮に音を響かせながら、現代的なワーグナーの音像を展開してくれる。

ジェイムズ・モリスはこの役に必要な諸条件を具えた、1、2を争うヴォータン歌いだ。

レヴァインの明快でわかりやすい、しかもオペラティックな興趣にとんだ表現のおかげで、この《ジークフリート》の録音は彼の「リング」全曲の中でも特に成功した演奏になった。

歌手ではゴルトベルクのジークフリートが、旧態依然たるヘルデンテノールの域を出ていないのが残念だが、ツェドニクの名人芸、ヴォータンの人間性と神性の葛藤を歌に滲ませてゆくモリス、そしてベーレンスがとりわけすぐれた歌唱を聴かせる。

《神々のたそがれ》では、レヴァインのオペラティックで感興豊かな語り上手の部分が、壮大な叙事詩の内容と一致した傑出した出来栄えだ。

音の響きそのものが尋常ならぬ美しさに満ち、自ずからドラマを語り出し、滔々と流れていくさまは壮観であり、説得力がある。

配役ではドラマの進展と諸相をあますところなく表現して素晴らしいベーレンスを筆頭に、ステューダー、サルミネン、ヴァイクルが成功している。

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2011年02月18日


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大規模な作品であるだけに、万全の名演というのは存在していないが、このショルティの旧盤は、ショルティの機能美に満ちた指揮にウィーン・フィルの味わい深い演奏が豊かな肉づきを与えている点が、大きな魅力となっている。

このオペラの成否を決める重要な2つの要素である、明快さとふくよかさをあわせ持った演奏だ。

第2幕フィナーレでの、夜中のニュルンベルクの街の大騒ぎの場面の雑然とした大アンサンブルを、音楽とドラマの感興を片時も失うことなく、整然とまとめあげているのは、このショルティの指揮の特徴を最も顕著に示した部分といえよう。

ヴァルターを歌うコロが、若々しく伸びの良い声で力演している。

ベックメッサーのヴァイクルも、甘美な声と確かな技巧で聴かせ、またハンス・ザックスのベイリーが、淡々としているが必要なものは過不足なく備えた好演だ。

ベイリーのハンス・ザックス、モルのポーグナーのバスの対比、コロのヴァルター、ダラポッツァのダヴィッドのテノールの対比もいいし、ヴァイクルのベックメッサーのブッファ的でないキャラクターも美しい。

ボーデのエヴァ、ハマリのマッダレーナも、派手さはないが、堅実な味わいを示している。

その他のマイスタージンガーたちも、いずれも高水準の演唱によって、ドラマを生き生きと描き出している。

ショルティは晩年に再び録音しているので、ウィーンでの録音はちょっと影が薄い。

しかしこの旧盤は、明快で、しかも表現力豊かなショルティの指揮と、技量抜群のウィーン・フィルの素晴らしい響きがうまく調和した明晰このうえない名演で、力強い《マイスタージンガー》なのだ。

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2011年02月10日


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クプファー演出の《指環》を映像収録した際に、あわせて録られたサウンド・トラック的な録音。

《ラインの黄金》のみ1991年、他3作は1992年のバイロイト音楽祭でのライヴ。

私自身がこれまでにいちばん大きな感銘を受けた《指環》は、バイロイトで1988年から1992年まで続いたバレンボイムの指揮によるものである。

バレンボイム独自のグラマラスな音楽作りと、現代的な機能美の混在した演奏として、たいへん聴きごたえがある。

ベーム時代のバイロイトと比べると近年は歌手が小粒になり、ワーグナー特有のアクは希薄になった印象は否めない。

また、指揮者も独自の個性を主張するあまり、ワーグナー本来の姿を見失いがちな傾向が見られる。

そうしたなかで、ワーグナーを聴いた充実感をもっとも感じさせてくれたのが、バレンボイムの《指環》だった。

バレンボイムは強者ぞろいのバイロイトのオーケストラを緩急自在に操り、スケールの大きな音楽を作り出している。

歌手陣も、作品を味わうのに過不足のない水準を示している。

アン・エヴァンスのブリュンヒルデなど、一部に弱いキャストはあるものの、配役は録音当時望み得るベストに近い。

クプファーの演出意図にそったバレンボイムの指揮も、後へ行くほど深く曲の内面に踏み込み、後半の見せ場の数々では、CDに残されたフルトヴェングラーの歴史的名演にも迫る。

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2010年09月04日


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1990年代にバレンボイムは全曲盤を次々に録音していたが、それとは別に管弦楽曲集を作ったというのは面白い。しかもシカゴ交響楽団で。

オペラの全曲はベルリン・フィルだったりバイロイトだったりするのだけれど、オペラはオペラ、オーケストラ曲はオーケストラ曲ということなのであろう。

ある意味で、カラヤンがベルリン・フィルで録音した管弦楽曲集が、1970年代に当時のオーケストラ演奏の最も進んだのものひとつを聴かせたということになると、バレンボイムは1990年代にシカゴ交響楽団という楽器を使ってそういうことをやったのかなという気がする。

バレンボイムは、パリ管時代にもワーグナーにかなり強い志向をみせていたが、シカゴ交響楽団という、より適性の強い機能を手中にして、見事なワーグナーの音を作り出すことに成功している。

アンサンブルの精度の高さと音色的な配分のよさもさすがであり、音楽・音響ともに楽しめる1枚だ。

バレンボイムは、オペラにおいても確実に注目すべき業績を重ねているし、ワーグナーの表現においては、いわば天性とも思えるような強靭な力を発揮してきている。

このシカゴ交響楽団との「序曲・前奏曲集」も、それを物語るものの一つといってよいであろう。

きわめてよく知られた音楽ばかりであるが、それらが誰にも納得のいく世界を示しているのと同時に、他のいかなる追随も許さぬほど新鮮で強烈なものとなっている。

それは、バレンボイムのあらゆる音楽的希求に対して、オーケストラが不可能という文字を知らぬほど完璧に対応しえているからでもあろうが、この種のレパートリーとしては、まさに最上の1枚といっても過言ではない。

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2010年02月11日


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ショルティの当オペラの初録音にして、ワーグナー・オペラ全曲録音の最後を飾った。ショルティはこれでワーグナーの主要なオペラをすべて録音したことになる。

ショルティが求めていた理想的なキャストによる「ローエングリン」である。

演奏は、いかにもショルティらしい、彫りの深い精密な表現で、しかも、デリケートで変化に富んだ情感を豊かに表出しているあたり、この人の年輪の深さを感じる。

あらゆる点に周到な目配りと配慮にいきとどいた表現で、音楽の細部はすこぶる正確な精妙さで一分の隙もなく整えられており、音楽とドラマのデリケートな色調や、襞や陰影や情感の明暗を表出している。

以前のショルティのようなゴリ押しはなく、音楽は自然に、豊かに流れ出ていく。

ウィーン・フィルも豊麗な音色と清澄な響きで聴かせている。

独唱陣のなかでは、ノーマンのエルザとドミンゴのローエングリンが出色だ。

この主役2人の声の豊麗さと肉感的なほどの美しさはとび抜けている。

もちろん、ワーグナー独特の朗唱法をきちんと守りながら、見事な歌唱を聴かせている。

また、ヘールルーファー演じるフィッシャー=ディースカウや、テルラムントのニムスゲルン、オルトルートのランドーヴァらの磨き抜かれた歌唱も見事。

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2010年01月20日


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カラヤンは、自分の芸術的理想を実現するために1964年に創設したザルツブルグ・イースター音楽祭で、まず《ニーベルングの指環》全曲を上演したように、ワーグナーの音楽に強い愛着をもっていた。

そして《指環》全曲をはじめ、ワーグナーの主要なオペラと楽劇を録音しているほか、まとまった管弦楽曲集もこの録音のほかに、同じくベルリン・フィルとの1957年のモノーラル録音と1984年のデジタル録音、さらに1987年のザルツブルグ音楽祭におけるウィーン・フィルとのライヴ録音などがある。

ただ、それらも一聴に値する名演揃いであるが、内容的に最もすぐれているのは、カラヤンが心身ともに充実していた1970年代半ばのこの2枚のアルバムだろう。

《指環》を除く主要な管弦楽曲がほとんどそろっているし、なによりも、しなやかに強い持続力と前進力をそなえた気力充実した演奏が素晴らしい。

精緻な表現を細部まで彫り美しく徹底するとともに、《さまよえるオランダ人》序曲における金管や《ローエングリン》前奏曲の弦の精妙なアンサンブルと澄んだ響き、《トリスタンとイゾルデ》の木管の美しい音色など、名手揃いのベルリン・フィルの威力が遺憾なく発揮されている。

〈ヴェヌスベルクの音楽〉のめくるめくような官能的な表現もカラヤンならではのものだろう。

ワーグナーの音楽の壮麗さと精妙さを、ともに過不足なく満足させてくれる名演というべきである。

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2009年10月06日


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《マイスタージンガー》に比べると、個性豊かなすぐれた演奏が多い。

カラヤン盤は、この作品がひたすら豊かな響きの美しさに捧げられていると感じさせる演奏で、彼のワーグナー演奏の集大成とも呼ぶべき美しさ、緻密さ、雄大さ、深さを聴かせてくれる。

そのまばゆいばかりの管弦楽の美しさは、我々を魅了してやまない。

いかにもカラヤンらしい、よく練り上げられた演奏で、宗教的な崇高さと官能的な面を、精緻な表現で見事に表出している。

思わせぶりなしに、ここまでカラヤンの美意識は《パルジファル》を表現してしまった。

カラヤンの《パルジファル》は、彼のワーグナー演奏の頂点に立つ演奏であり、またこの作品のひとつの極を究めた表現ともいえる。

隙のない精妙な演奏は素晴らしく、官能的な美しさと美声を揃えたキャストも充実している。

《マイスタージンガー》と並ぶ、カラヤンのワーグナー演奏の極致というべきだろう。

ベルリン・フィルというオーケストラの力も効いている。

歌手陣も、素晴らしい出来映えだが、パルジファルのホフマンは彼のベストの歌唱であり、またグルネマンツのモルも光っている。

カラヤンは、以前から70歳になったら録音したいと語っていた念願の作品であるワーグナーの《パルジファル》を完成して、その精緻精妙をきわめた表現によって、カラヤン美学の極致を示したのであった。

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カラヤンが珍しくベルリン・フィルやウィーン・フィル以外のオーケストラと録音したのが、この《ニュルンベルクのマイスタージンガー》だ。

録音当時の1970年は、ドイツは東西2国に分断されていた。

その東独を代表するドレスデン・シュターツカペレの持つ古雅な音色こそ、ベルリン・フィルやウィーン・フィルではなく、カラヤンがこのオーケストラを録音に採用した最大の要因だろう。

もし、ここで手兵のベルリン・フィルを起用していたとしたら、その演奏は、よりゴージャスな響きのインターナショナルなキャラクターを持つものになっていただろう。

中世ドイツの健全な市民精神を描き上げたこの作品にふさわしい音色を持ったこのオーケストラを、カラヤンは敢えて起用した。

その成果が、ここに見事に記録されている。

演奏は、この人一流の演出巧者なもので、中世ドイツの市民の生活と複雑な人間感情とを鮮やかに描出している。

このあたり、いかにもカラヤンならではの手腕だ。

歌手陣は、当時の最上の顔ぶれが揃えられている。

ユニークなのは、ヘレン・ドナートのエヴァ。通常この役の歌手よりもリリックなドナートは、エヴァの可憐さをよく表現している。

若き日のルネ・コロのヴァルターも素晴らしい。ザックスとの声の対比としての若々しさを、美声の極みを示すコロは見事に描き出している。

キャリアの頂点で早逝した名バス歌手リッダーブッシュによるポーグナーも、人間味に溢れた名唱として忘れ難い。

テオ・アダムのザックス、エヴァンスによるベックメッサーは、個性の強い歌唱で、好悪を分けるかもしれない。

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2009年09月25日


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1963年にミュンヘン国立歌劇場が再建された際の記念公演のライヴ録音で、この作品に対するカイルベルトの傾倒の深さが如実に示された名演奏である。

これだけの大曲、名曲なので、昔から腕っ節の強い指揮者たちが、何人も取り組んできたが、フルトヴェングラーやトスカニーニのライヴ盤は、名演としてもよく知られているし(フルトヴェングラーは、音楽にかなりの欠落があるのが残念)、何種類かあるクナッパーツブッシュも素晴らしいものが多く、特に比較的最近、オルフェオ・レーベルでCD化された1955年のライヴなどはオケもさることながら、歌手の見事さに目も眩む思いがしたところだ。

しかし、筆者にとってのベスト・ワンは、カイルベルトがバイエルンで指揮した記念ライヴのCDである。

ここで表出されている素朴で重厚な表現は、いかにもカイルベルトらしい。

雄渾な前奏曲が始まると、たちまちのうちに劇場空間のなかに引きずり込まれるのがわかる。

前奏曲から合唱に移る瞬間の美しさは、まるでそのとき幕がさっと開かれ、舞台の奥行きが一気に深まるようで、いつ聴いても陶然としてしまい、後はひたすら、音楽のなかに身をゆだねるのみだ。           
この録音から30年後のサヴァリッシュ時代のミュンヘン・オペラの感覚と比較すると、いろいろ懐かしい思い出がよみがえる貴重な録音である。

この時代のワーグナーは、演奏にも演出にもまだ保守的・伝統的な様式を根強く残しており、ヴィーンラント様式とははっきり一線を画していた。

その良くも悪くも素朴な古めかしさが今となっては独特に感じられる。

いわば、読みづらい毛筆の行書だが、それが作品にはむしろふさわしく、なんという柔らかい、それでいて芯のあるオーケストラであろうか。

巧さもとびきりで、管楽器と弦とのブレンドも絶妙。               

演奏、録音の両面で技術的な傷が見受けられるが、まさに古き良き時代のマイスターの堅実さをそのまま表現したような演奏は今日では貴重なものとなった。

ライヴ故の高揚感もあり、少しばかり古めかしいドイツ的な「マイスタージンガー」の典型的な演奏といえよう。

歌手もハンス・ホッターをはじめ、懐かしい顔ぶれが揃い、たっぷりと聴かせてくれる。

ザックスのオットー・ヴィーナーは、ちょっとクセがある声と思われるかもしれないが、自分の心を偽ろうとする誠実な大人の深い味を出している。

いまはほとんどいなくなってしまったヘルデン・テノールのジェス・トーマスも、声に張りがあり、輝かしさと若さで、ヴァルターにぴったり。

ヒロインであるエヴァのクレア・ワトソンも、凛々しさそのもので、ポーグナーはハンス・ホッターなので文句のつけようがない。

ワーグナー唯一の明るい作品であるこのマイスタージンガーは、ともすれば軽くみられがちだが、オケ、ソリスト、合唱のすべてにわたって、音楽的にも精密であり豊かなので、いい演奏に出会えば、もっとワーグナーには喜劇を書いてほしかったと、誰もが思うのではないだろうか。

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classicalmusic at 19:36コメント(0) 

2009年09月23日


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フルトヴェングラーは、ワーグナーの作品について「どれほど壮大にできあがっているにしても、結局はやはり一歩一歩の無数の積み重ねであり、これらはテンポによってまとめ合わされる」といい、統一的なテンポを守るという指揮者本来の課題はワーグナーにおいても最も重要であると続けている。

この言葉は、微妙にテンポを動かし変化させるフルトヴェングラーの演奏とは、一見矛盾するように思えるかもしれない。

だが、ワーグナーの音楽を「段落も切れ目もなく、すべては流れるような推移である」ととらえるフルトヴェングラーにとって、それもワーグナーの音楽の自然な流れであることは、演奏が何よりも証明している。

フルトヴェングラーはコンサートでもワーグナーの序曲や前奏曲をしばしば演奏したが、特に晩年のウィーン・フィルとの一連の録音では、濃密なロマンティシズムが壮大なスケールで表現され、深い感動に誘う。

「タンホイザー」序曲の彫りの深い雄渾な表現、「ローエングリン」第1幕前奏曲の神秘的で崇高な雰囲気のつくり方、「さまよえるオランダ人」序曲の激情と悲劇のドラマへの暗示など、この演奏の見事さを述べ出すとキリがない。

「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲と愛の死はフルトヴェングラーの最も得意とした曲で、私見ではフルトヴェングラーの作曲家としての側面がこの和声的にきわめて複雑な曲に対して、他の追随を許さぬ比類ない解釈を与えることを可能にした。

恐怖すら感じさせるこの演奏を聴くと指揮者の内に宿るディオニュソス的な陶酔にまったく我を忘れてしまう。

「ジークフリートの葬送行進曲」が圧巻である。この演奏を聴くたびに、胸が熱くなくのを抑えることができない。

これはフルトヴェングラーが録音したワーグナーの演奏の中でも群を抜く名演奏といってよい。

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classicalmusic at 21:11コメント(0) 

2009年09月16日


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シノーポリ初のワーグナーで、ニューヨーク・フィルとも初顔合わせだったが、シノーポリは不思議とニューヨーク・フィルと相性が良く、このワーグナーとR.シュトラウスの交響詩は素晴らしい。

シノーポリのワーグナーはインスピレーションにあふれた演奏であり、迷いのない、直感的アプローチの鮮やかさに心奪われる。

その美しさはワーグナーに対する認識を変えさせるほどで、神秘的ですらある。

極めて色彩的な音を出すオーケストラから、シノーポリがドイツ的な重厚な音を引き出しているのは、まさに指揮棒の魔術といってよく、並々ならぬ才能を感じさせる。

全体に表情が生き生きとして、ダイナミックな迫力も満点、官能美を十分に発揮している。

全体の仕上がりは大変密度が濃く、訴えかけの強い演奏を行っている。

重心がどっしりと重く、重厚なサウンドにはロマンティックなうねりがあり、いかにもワーグナーらしい趣に満ちている。

シノーポリは、とかく渾然としがちな内声部にも独特のバランスを行き渡らせた表現がユニークで、明晰な読みの通った演奏はスケールと説得力にも不足はない。

オケの卓抜な合奏力も特筆に値しよう。迫力とうねりに関しては、ニューヨーク・フィルは偉大な力を感じさせる。

シノーポリはニューヨーク・フィルをやる気にさせた、数少ない指揮者の一人といえよう。

中でも「ローエングリン」第1幕への前奏曲は神秘的で崇高な感じを見事に表現した感動的な名演だし、「ローエングリン」第3幕への前奏曲も情熱と力感にあふれた演奏だ。

20世紀も終わりに近づいてこうした演奏が生まれたのは、奇跡といってもいいだろう。

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2009年07月16日


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これはクライバー本人がなかなか満足できず、発売が遅れた録音だ。いっそう燃え上がった有無を言わさぬ演奏が可能であったとは思えるものの、十分に素晴らしい。

クライバーの果敢な意欲と完全主義が、この演奏全体に躍動し、鮮烈な光彩を与えている。

言葉で言い表せぬほどしなやかで、精妙この上ない妖しいまでの官能美を湛えており、テンポの大きな伸縮やデュナーミクの変容と緊密に関連しながら、この比類のない愛のドラマを雄弁に表現している。

クライバーの《トリスタン》は、内側へ、下方へと沈んでゆく。激しく情念や官能性を噴出させるのとはまったく逆の方向を持っている。

エネルギーは凝縮されてゆくことによって高まる。この驚異的な作品の、ドラマと音楽との基本構造にかなっていると言うべきかもしれない。

凝縮されていくエネルギーは、解放以上に聴く者をとらえる。空前の《トリスタン》がここにある。

前奏曲は、上等のなめし革のような触感で、静けさと熱っぽさ、爽快感と粘り気が不思議なバランスで同居している。

第2幕の静かな愛のシーンでは清冽な美しさが繰り広げられる。オーケストラは透き通っていて明るく、この響きによって、音楽は常に柔らかな光りに包まれる。

実に新鮮な感銘を与えるプライスのイゾルデ、積極性のある好演が光るコロのトリスタンなど、歌手たちの歌は優れているだけでなく、指揮者の音楽に見事に合致しており、オーケストラと相まって、他に類がない細やかな味わいのある演奏になっている。

石の建築ではなく、金属とガラスのそれにも喩えられようか。

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2009年07月11日


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このディスクのプロデューサーであるジョン・カルショーの「現在望みうる最上の《指環》をレコードで再現したい」という執念のようなものが感じられる名盤だ。

ワーグナーの巨大な4連作《ニーベルングの指環》のステレオ全曲録音は、ショルティ/ウィーン・フィルの顔合わせによって始められた。

そのレコーディングは1958年9月の《ラインの黄金》に始まり、《ジークフリート》(62)、《神々の黄昏》(64)を経て、1965年の《ワルキューレ》に至るというものであったが、それは、たんに壮大なスケールをもった記念碑的なプロダクションということだけではなく、その後予想もつかなかったような数にのぼる《指環》の全曲盤が登場しているにもかかわらず、このショルティ盤を超えるものがいまだにないという点において、重要な存在をなしてきている。

そこでショルティは、ウィーン・フィルという伝統的なオーケストラの本質的なものを決して損なうことなく、完全に近代的なアンサンブルに仕立てあげ、ワーグナーの音楽のスタイルを緻密で雄大に展開しえている。

ショルティの精妙な演出と、スケールの大きな、ダイナミックな表現もさることながら、録音効果がまことに抜群で、全曲を飽きさせずに聴かせてくれる。

ロンドン、キング、ヴィントガッセン、ニルソンらをはじめとする歌手たちのすべてが、その時点における最もすぐれた、しかも適切な人々であることはいうまでもなく、すべてにおいて理想的な条件が追究されているということは、レコーディングにおけるひとつの黄金時代であったからこそ可能であったといえなくもないが、ワーグナー・ファンはもちろん、ワーグナーに興味が乏しい人々にとっても、こればかりは、無視することのできないものであるといってもよかろう。

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2009年05月14日


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ワーグナーはやっぱり《パルジファル》に神秘的な性格を与えようとしていたに違いない。

現在ではむしろこの作品の神秘のヴェールは取り除かれ、響きの美しさなどが前面に出てきて現代化されたのだけれど、神秘性を切り捨てるわけにはいかない。

となってみると、クナッパーツブッシュが実現させた、神秘のヴェールの奥に輝く《パルジファル》はその効力を失わないことになる。

ジェス・トーマス、ジョージ・ロンドン、といった歌手陣は、たとえそこにハンス・ホッターのグルネマンツという希代の名唱を加えても、すでに上映史の領域に入っている。

クナッパーツブッシュの指揮だって当然ながら過去に属しているのだけれど、歌が宿命的に持つ過去への後退をぎりぎり免れているのではないか。

ほとんどリズムの感覚などなく、あくまでゆったりと指揮者は《パルジファル》の中に入ってゆく。

前奏曲で奥地への道に踏み込んでしまったら、あとは聖林を信じるほかはなくなる。

信じたら、儀式への参列の切符を手にしたも同然。

そして第1幕で、また第3幕で、いつ果てるともなく、と思えるくらいの感覚で繰り広げられる儀式に、同化し、陶酔するほかはなくなる。

もしかしたら、聖林は、金メッキしたまがいのものであるかも知れないのだが、クナッパーツブッシュの作り出す大きなうねりは、決してそれを気づかせず、崇拝させ、起こる奇跡に法悦を覚えさせることになる。

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2009年05月05日


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「指環」の聴き方であるが、最初から全曲を聴いたのではわけがわからない。

ワーグナーは舞台をみずに音楽だけ聴いても情景がわかるよう、100種ものライト・モティーフ(動機)を作り、それを全曲にちりばめた。

たとえば〈ジークフリートの動機〉〈眠りの動機〉〈不機嫌の動機〉〈呪いの動機〉〈死の動機〉〈愛の決心の動機〉などである。

これらの全部でなくてもよいから、せめて30でも40でも暗記すれば、知っている動機が出てくるたびに懐かしく、たのしく、筋がよくわかる。

動機をおぼえるのは「指環」のハイライト盤を聴くにかぎる。セル指揮クリーヴランド管弦楽団がベストだ。

聴きどころ全6曲が舞台の進行順にオーケストラだけで演奏されており、これを耳にタコができるくらい聴きまくるとよい。

セルのワーグナーは、ドイツの指揮者たちと違って、ドイツ・ロマン主義の伝統や因習などワーグナー演奏につきものの、一切の虚飾や無駄を排し、曲の核心に真っ向から鋭い刃物で切り込んでいくものである。

1968年、セルの晩年の録音なので、老熟した芸風がよくあらわれており、フルトヴェングラーやクレンペラーのようなドイツ的な演奏とは対照的に、現代風に明快に表現している。

ドイツ風のワーグナーに慣れた耳には異質に聴こえるかもしれないが、これはこれで現代のひとつの解釈として受容できる。

これらの中では、堂々とした表現の「ジークフリートの葬送行進曲」やセルのリズム感覚の素晴らしさが示されたスケールの大きい「ワルキューレの騎行」が特に見事だ。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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