ワルター

2014年01月29日


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本盤には、ベートーヴェンの「第5」とシューベルトの「未完成」という交響曲史上でも最も人気のある作品が収められているが、このうち「未完成」については、同曲演奏史上でもベストを争う至高の超名演と高く評価したい。

シューベルトについては、かつてはウィーンの抒情的な作曲家として捉えられていたが、近年では抒情的な旋律の奥底に潜む人生の寂寥感や絶望感と言ったものに鋭く踏み込んでいく演奏も増加してきているところであり、ベートーヴェンにも比肩し得る大作曲家としての地位を獲得しつつあるところだ。

ワルターによる本演奏は、むしろかつてのシューベルトがウィーンの抒情的な作曲家として捉えられていた時代を象徴するものである。

まさに、古典的な名作映画「未完成交響楽」の世界そのものの演奏と言っても過言ではないところであり、ウィーン風の抒情豊かな絶美の音楽が紡ぎ出されている。

とりわけ、第2楽章のゆったりとしたテンポによる情感豊かな音楽は美しさの極みであり、抗し難い魅力に満ち溢れている。

他方、ベートーヴェンの「第5」は、いささか疑問に感じる点がなくもない。

というのも、第1楽章冒頭の有名な運命の動機について、一度目の三連音後のフェルマータよりも二度目の三連音後のフェルマータの方を短くする演奏様式が、これはLP時代からそう思っているのであるがどうしても納得がいかないのである。

また、演奏全体としても、同時代に活躍したフルトヴェングラーやクレンペラーによる名演と比較するといささか重厚さに欠けると言わざるを得ないだろう。

しかしながら、ベートーヴェンを威圧の対象としていないのは好ましいと言えるところであり、そのヒューマニティ溢れる温かみのある演奏は、近年のピリオド楽器や古楽器奏法による演奏などとは別次元の味わい深い名演と高く評価したい。

本演奏は至高の名演であるだけに、これまでリマスタリングを何度も繰り返すとともに、「第5」についてはBlu-spec-CD盤も発売されたりしているが、ベストの音質は本シングルレイヤーによるSACD盤である。

ワルターによる名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年03月27日


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1960年4月16日 ニューヨーク、カーネギー・ホールで行われた“マーラー生誕百年記念祭”のライヴ録音。

ワルターの『大地の歌』と言えば、ウィーン・フィルを指揮した1936年盤と1952年盤の評価が著しく高いため、本盤の評価が極めて低いものにとどまっている。

特に、1952年盤が、モノーラル録音でありながら、英デッカの高音質録音であることもあり、ワルターの師匠の記念祭での『大地の歌』という看板でさえ、あまり通用していないように思われる。

演奏の質は非常に高いだけに、それは大変残念なことのように思われる。

確かに、1952年盤と比較すると、1952年盤がオーケストラの上質さやワルターが最円熟期の録音ということもあり、どうしても本盤の方の分が悪いのは否めない事実であると思うが、本盤には、1952年盤には見られない別次元の魅力があると考えている。

1960年の録音であり、それは死の2年前であるが、全体に、人生の辛酸を舐め尽くした老巨匠だけが表現することが可能な人生の哀感、ペーソスといったものを随所に感じさせる。

特に、「告別」には、そうした切々とした情感に満ち溢れており、ここには、ワルターが人生の最後になって漸く到達した至高・至純の境地が清澄に刻印されていると思われるのである。

ニューヨーク・フィルも、ワルターの統率の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。

2人のソリストも水準に達しているが、面白いのは第5楽章の出で、テノールのルイスが2拍早く歌い始めていることである。

ワルターの指揮でもこんな信じられないミスが起こり得るのだ。

このミスを除けばルイスはスタジオ録音のヘフリガーより好ましく、逆に女声歌手はミラーのほうを採りたい。

音質はモノーラルでいま一つだが、ワルターの『大地の歌』は音の一つ一つが完全に身についていて、まことに安心である。

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2012年12月16日


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モーツァルトは、数々の協奏曲の名曲を作曲した。

ピアノ協奏曲を筆頭に、クラリネット協奏曲やホルン協奏曲等々、名作には事欠かない。

こうした中にあって、ヴァイオリン協奏曲は5曲(ほかに偽作とされているのが2曲)作曲しているが、いずれも若書きであることもあって、綺羅星のごとく輝く他の名作協奏曲と比較すると、どうしても作品としての質が一段劣ると言わざるを得ない。

それ故に、よほどの名演でないと、作品の魅力を聴き手に伝えることが困難であるということができるのかもしれない。

こうした若書きの未熟さを逆手にとって、最近ではクレーメルなどによる前衛的な解釈を行う名演も生まれているが、古典的な名演としては、やはり、ワルター&フランチェスカッティの黄金コンビによる至高の名演を掲げざるを得ないのではないかと思われる。

モーツァルトを得意としたワルターによる、ヒューマニティ溢れる情感豊かな演奏は高貴な優美さを湛えて感動的であるし、フランチェスカッティの、技巧一辺倒ではなく、人間的な温もりのある演奏も、素晴らしいの一言であると言える。

フランチェスカッティは彼本来の輝くような音色を抑え気味にし、古典的な解釈を心がけているが、その分、彼本来の魅力が薄められた感が残る。

演奏全体には晩年のワルター色が濃厚で、オーケストラは少人数だが重厚な響きと壮麗な迫力に溢れ、入念な表情に満ちている。

遅いテンポによって、彫りの深い表現とスケール大きな風格を示すのも、いかにもワルターらしい。

惜しいのは、DSDリマスタリングの音質。

鮮明にはなったと思うが、少しきつ過ぎるような印象を受けるのはいささか残念だ。

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2012年12月06日


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最晩年のワルターが、ブルックナーの最も深みのある「第9」の録音を遺してくれたのは何という幸せであろうか。

「第4」や「第7」もなかなかの名演であったが、この「第9」も名演の名に相応しい出来であると考える。

演奏は、ワルターの個性を強く表しながら、極めて格調が高い。

「第4」や「第7」では、テンポの動かし方やとりわけスケルツォ楽章におけるトリオでの超スローテンポなど、ブルックナー演奏の定石からするといささか異質な後期ロマン派的解釈も散見されたが、この「第9」に限っていうと、そのような箇所は殆どなく、インテンポによる確かな足取りで、この深遠な交響曲を重厚に、そして荘重に描き出していく。

特に第3楽章は改めてワルターの深遠な芸術を感じさせるが、それと同時に人間的な情味を色濃く残しているのがユニーク。

優美な「第7」と比較すると、ワルターの芸風に必ずしもマッチする交響曲とは言えないと思うが、これほどの深みのある名演に仕立てあげた点はさすがは巨匠ワルターというほかはない。

残念なのは、コロンビア交響楽団の演奏の拙劣さ。

金管楽器は、録音のせいも多少はあるのではないかと思うが、無機的な力づくの吹奏を行っている点が散見される。

特に、最悪なのは終楽章のワーグナーテューバの品のなさ。

ここは何とかならないものであろうか。

終結部のホルンもイマイチだ。

しかしながら、演奏全体としては、名演との評価を揺るがすほどのものではないと考えておきたい。

DSDリマスタリングは、例によって、ややきつめの硬い音質が少々気になった。

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ワルターが手兵コロンビア交響楽団と最晩年に録音したブルックナーの交響曲は、いずれも優れた名演であると言えるが、その中でも最も素晴らしいのは本盤の「第7」ではないだろうか。

というのも、「第7」は、ブルックナーの交響曲の中で、最も優美なものであるが、それが最晩年のワルターのヒューマニティ溢れる情感豊かな指揮と見事にマッチしていると言えるのではないかと考えられるからである。

作品自体が抒情性を前面に表した曲なので、作品とワルターの音楽的本質が深く関わり合った演奏といえる。

特に第1楽章は響きの量感を別にすれば、非常にワルター的といえる。

第3楽章の中間部におけるスローテンポや、特に終楽章におけるテンポの変化など、ブルックナー演奏の定石とはいささか異なる後期ロマン派的解釈も散見されるが、特に第1楽章と第2楽章は他の指揮者の追随を許さないほどの美しさに満ち溢れていると言える。

ただ、ワルターの感性と作品の抒情性が重畳したためか、演奏が歌謡的に傾斜し、造形的な厳しさという意味では問題も残す。

このような弱点もあるが、やはり捨てがたい優美な演奏である。

「第4」や「第9」で見られたコロンビア交響楽団の技量の拙劣さも、この「第7」では殆ど見られない点も、本名演の価値をより一層高めていると言える。

併録の「ローエングリン」第1幕への前奏曲やジークフリート牧歌はさらに超名演。

いずれもゆったりしたテンポの下、深沈たる深みのある抒情的な表現が見事。

コロンビア交響楽団も最高のパフォーマンスを示していると言える。

DSDリマスタリングも、他の盤だとややきつめの硬い音質が気になる例も散見されるが、本盤には、そのような欠点もなく、非常に鮮明な音質に仕上がっている。

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ワルターは必ずしもブルックナー指揮者とは言えないと思うが、それでも、最晩年に、コロンビア交響楽団との間に、「第4」、「第7」及び「第9」の3曲の録音を遺した点に留意する必要があるだろう。

そして、本盤の「第4」であるが、これは典型的な後期ロマン派的な演奏だ。

金管群は力強さを増し、そのため終楽章などいっそう雄大な音楽と感じられる。

冒頭の力強いトレモロからして指揮者の芸格の高さが如実に表れていると思うが、テンポのめまぐるしい変化も特筆すべきだ。

特に、第3楽章の中間部の超スローテンポや、終楽章の開始部の快速のテンポなどは、他の演奏にもあまり見られない例であると言える。

こうしたテンポの変化は、ブルックナー演奏の基本からするといささか逸脱していると言えるが、それでいて恣意的な解釈を感じさせないのは、巨匠ワルターだけが成し得た至芸と言えよう。

第1楽章は壮麗で、展開部は部分的にやや緊張力が乏しいが、音楽的には常にゆとりがあり、対旋律もよく歌っている。

第2楽章も端正でありながら、情緒豊かな表現もワルター的といえる。

抒情的な箇所のヒューマ二ティ溢れる情感の豊かさは実に感動的であり、総体として、名演と評価するのにやぶさかではない。

ブルックナー以上に素晴らしいのが併録の『タンホイザー』より「序曲とヴェヌスベルクの音楽」。

ゆったりとしたインテンポでスケール雄大な音楽を構築しており、カレッジ・コンサート合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

惜しいのはDSDリマスタリングの音質がややきつい点。

SACD化かBlu-spec-CD化するなどして、もう少し柔らかい音質に改善していただくことを大いに望みたい。

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2012年12月02日


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4大ヴァイオリン協奏曲の一角を占める不朽の名作。

しかも、ベートーヴェンが作曲した数々の楽曲の中でも、最も明朗な要素を持った傑作。

この傑作ヴァイオリン協奏曲には、これまで多くの名ヴァイオリニスト&名指揮者のコンビが、その登頂に向けて挑んできた。

その結果として、これまで数多くの名演が成し遂げられてきたが、本盤のフランチェスカッティ&ワルターの黄金コンビによる演奏も、過去の様々な名演に決して引けを取らない名演であると高く評価したい。

本名演の特徴を一言で言えば、情感豊かな人間的な温もりのある演奏ということができるのではないだろうか。

ワルターのヒューマニティ溢れる情感豊かな指揮ぶりは、いつもながら感動的であるし、ワルターと同様に、いわゆる技術偏重には陥らず、どこまでも温か味のある演奏を披露するフランチェスカッティのヴァイオリンも素晴らしい。

フランチェスカッティのヴァイオリンは、したたるような美音と淀みのない流れで純音楽的な香りに満ちており、何よりも艶やかなカンタービレが彼ならではの魅力を発揮している。

幾分ロマン性の勝った表現だが、ベートーヴェンの音楽の造形はしっかりと把握している。

ワルターの指揮も、この曲らしいリリシズムの点でピカ一で、細部にまで愛情が溢れている。

ワルターの確かな統率の下、コロンビア交響楽団も最高のパフォーマンスを示していると言える。

DSDリマスタリングは、ややきつめの音質に仕上がったような印象があり、鮮明さにおいてはややグレードアップが見られるものの、全体としてイマイチな感じがしたのは大変残念だ。

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2012年06月11日


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1955年11月13日、ウィーン国立歌劇場でのライヴ録音。

ウィーン国立歌劇場再建50年記念CDで、伝説の演奏がついに正規盤で発売された。

戦後のワルターとウィーン・フィルのライヴは随分発掘されたが、これは残る中でも特に大物。

ウィーン・フィルの「第9」といえばワインガルトナー、フルトヴェングラー、カラヤン、クライバー、イッセルシュテット、ベーム、バーンスタインと枚挙に暇がないが、おそらくこの演奏はその中でも1、2を争う名演奏。

フルトヴェングラーとまったく違う、ワルターの「第9」を堪能した。

再建されたウィーン国立歌劇場がベーム指揮の『フィデリオ』で柿落としをしてちょうど一週間後の1955年11月13日、ワルターはウィーン国立歌劇場で、ブルックナーの『テ・デウム』と共に、ベートーヴェンの第9交響曲を演奏した。

1955年といえば、ワルターの生涯の中でも最も気力の漲っていた時期、加えて記念行事的演奏会、それだけにウィーン・フィルもルーティンなところは一切なく、全パートがフル稼働しているような、熱気と充実感に満ちた演奏になっている。

ワルターは絶好調! 数年後のスタジオ録音よりはるかに素晴らしく、指揮者の気迫は物凄い。

また第3楽章での綿々とした弦、管の美しさはさすがウィーン・フィルで、テンポは遅くはないが柔和な響きと、アクセントなどの細やかなニュアンスの工夫が生きていて、穏やかさと豊かな表現力とが両立している。

第4楽章は振幅の大きい表現となり、演奏後の拍手と歓声の凄さは壮絶で、この前年にフルトヴェングラーが亡くなり、今や最後の巨匠となったワルターに対するウィーンの聴衆の熱い思いが伝わってくるようだ。

これはワルター流を徹底したベートーヴェンという意味では評価できる。

彼の全録音中でも重要なディスクの一つであろう。

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2012年06月07日


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1948年4月18日 ニューヨークでのライヴ録音。

それにしても凄まじいベートーヴェンだ。ワルターの最高傑作の1つと評しても過言ではない。

第1曲の「キリエ」からワルターの気迫と情熱は際立っており、ひびきも実に立派だ。

中間部のテンポがかなり遅く、スケールの大きさと風格を感じさせるのが独特である。

つづく「グローリア」はたいへんなスピードだが、決して上滑りせず、特に最後のプレストの手に汗を握るような速さと、その直前のアッチェレランドはまさに最高。

録音の分離が悪く、細部を聴きとれないのがかえすがえすも惜しまれるが、決めどころにおけるティンパニのとどろきと金管の最強奏が絶妙なアクセントとなり、テンポも曲想の移りや言葉の意味にしたがって微妙に変化してゆく。

クレンペラーに比して、少なくとも筆者にとっては理想の「グローリア」だが、前記の特徴は、ワルターの《ミサ・ソレムニス》全体にいえることであり、わけてもオーケストラの雄弁さはその比を見ない。

「クレド」は一転して遅いテンポで開始される。

構えが大きく、まことに壮麗だが、音楽の局面に応じて無限に変化する。

たとえばキリストの受難の場面で、オーケストラの音を1つ1つはっきり切って、異常な苦しみを表出したり、特に復活の後"天に昇りて御父の右に座し"のコーラスの途中に現われる最後の審判のトロンボーンで、大きくテンポを落としつつ強奏させるなど、ワルターならではといえよう。

つぎの「サンクトゥス」では、"オザンナ"のフーガをクレンペラー同様ソロの四重奏にしているが、ここはコーラスの方が良いと思う。

最後の「アニュス・デイ」はワルターらしく良く歌った名演で、聴いていて音楽のみを感じさせ、なんの抵抗もない。

後半の"ドナ・ノービス"の部分は速めだが、終結はちょっとあっさりしすぎるようだ。

ベートーヴェンの書き方は確かにこの通りだし、その方がミサの儀式の途中なので正しいのかも知れないが、コンサート形式による大曲の結びとしては物足りなさが残る。

ワルターの《ミサ・ソレムニス》で気になったことといえば、この終わり方だけであった。

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2012年06月06日


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ワルターとウィーン・フィル美の結晶!モーツァルト第40番&第38番『プラハ』。

ワルターといえばモーツァルト。モーツァルトといえばウィーン・フィル。

ワルターの40番の演奏は昔から定評あるものでここでも豊満な美演に感動した。

この40番を初めて聴いたとき、言葉で表現できないような経験をした。

この演奏の高みは希有のものである。

それ以来、繰り返し聴き続けている。

筆者にとって別格のモーツァルト演奏である。

この演奏のすばらしさを感じ取ることのできる感性を持っていたのは何と幸福なことであろう。

『プラハ』の序奏の堂々たる風格、そして主題提示の美しさはワルター&ウィーン・フィルならではの味わい。

うれしいことに新たな音質で蘇った。

ワルターとウィーン・フィル、そしてモーツァルトの組み合わせは、あらゆる反対意見を黙らせてしまう。

しかし戦前の録音は、何と言っても音を心の中で修正しながら聴かなければならなかった。

1950年代の高SN比録音が発見されたとき、モーツァルトと同じ永遠の旅芸人として、ありとあらゆる試練と辛酸をなめたワルターとウィーン・フィルの再会があった。

39番と41番の希有のウィーン・フィルのテープ録音もいつの日か、世に出るであろう。

ワルターは、ワルターの中にモーツァルトが生きている真の芸術家であった。

ワルター・ファンのあいだでは、SONY盤(1952年5月18日表記)とALTUS盤(1956年6月24日表記)の40番の演奏はまったく同一で、しかも音源所有者であるオーストリア放送協会の提供したデータが1956年6月24日ということから、正しい録音年月日は1956年6月24日であると広く認識されていることを付記しておく。

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2012年06月04日


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ワルターは、旋律をよく歌わせる指揮者である。

それも、中庸を行った歌わせ方で、その品の良さ、典雅さはたとえようもなく美しい。

ワルターは、常に微笑みを忘れなかった人だ。

だから、とくにモーツァルトの明るく歌うような旋律では、常に「笑って……」という言葉を連発したという。

その暖かみのある真摯で人間味あふれる表現は、ワルター独自の世界である。

そして、ワルターはまた、モーツァルトを演奏する際に、オーケストラのメンバーを前にして「泣き伏したくなるほど、明るく、明るくなければならない」と言ったというが、その言葉は、この第40番の第2楽章のことを言ったのではないか、と思われるほどぴったりの演奏である。

モーツァルトの音楽に対する心からの共感が、これほど陶酔的にあらわれた演奏というのも、他にはない。

モーツァルトを愛してやまなかったワルターは、モーツァルトの他の交響曲と同じく、第41番《ジュピター》も何度も録音している。

いずれ劣らぬ名演だが、亡くなる2年前に録音されたこの演奏が最もすばらしい。

ワルターのモーツァルトへの敬愛の念がにじみ出た演奏で、ゆったりとしたテンポの第1楽章からして、いかにもワルターらしい風格が感じられるが、圧巻は終楽章のフーガで、その壮大で崇高な表現には、本当に魅せられる。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」はきりりと引き締まった気品のある表現で、細部にまで磨き抜かれた、表情豊かな演奏をおこなっている。

とくに、第2楽章の柔らかな、そして、暖かみのある表情は比類がない。

ワルターならではの、優しさと愛と歌にみちあふれた名演で、この指揮者の最晩年の録音だが、とてもそうとは信じられないほどの生気が感じられるのがすばらしい。

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2012年06月03日


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1960年5月29日、ウィーン、ムジークフェラインザールでのライヴ録音。

マーラー生誕百年記念の1960年、ウィーンでも祝賀コンサートが予定され、その目玉として、ブルーノ・ワルターを招くことが計画された。

当時80代半ばに達していたワルターは、1957年に心臓発作を起こしたこともあって、表舞台からは限りなく引退に近い状態にあり、もっぱらコロンビア交響楽団とのレコーディング活動に専念していたのであるが、この特別公演はほかならぬ恩師の記念演奏会ということもあってか、ワルターにも気力がみなぎり、感動的な演奏を聴かせてくれることとなったのである。

結果としてワルターのウィーンでの最後の演奏会となったこの公演であるが、曲目といい、演奏内容といい、ワルター好きなら絶対おさえておきたい意義深いものであることは確かである。

幸い、この種のライヴ録音としては、モノラルながら音の状態もまずまずであり、細部まできちんと聴けるのがなによりの朗報。

当時のワルターは、一連のコロンビア響とのレコーディングにもあらわれているように音楽のスケールの大きさや厳しい造形美を追及していた時期にあたり、ここでの演奏にもそうした傾向が窺われているのが非常に興味深いところ。

たとえば名高いマーラーの第4番では、クレンペラーも真っ青の堂々たる造形美を示しながらも、情感表現では実演のワルターならではの濃やかを示し、その相乗効果がとんでもない深みをみせてくれているのである。

特に第3楽章アダージョは絶品であり、『フィデリオ』第1幕四重唱のパロディ(クレンペラー盤で聴くとよくわかる)とも思われる第1主題部での天国的な静謐(もとネタは世俗丸出し。ちなみにワルターの『フィデリオ』は強烈だった)や、中間部での過ぎ去った人生への賛歌とでもいいたくなるその思索的な美しさと雰囲気には実に素晴らしいものがある。

第4楽章では、クレンペラー盤と同じくシュヴァルツコップが独唱を担当し、通常とは大きく異なる境地に達した感動的な歌唱を聴かせてくれている。

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2012年04月11日


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ブルーノ・ワルターは、ナチスの圧迫を逃れるに先立って、ウィーン・フィルといくつかの録音を残した。

それらはすべて円熟期の巨匠を偲ばせる優れた演奏だが、二短調協奏曲もそのひとつである。

ワルターがモーツァルトの音楽を愛し、傾倒していたことは広く知られているが、彼の心情は録音からもうかがえる。

彼は二短調協奏曲を支配しているデモーニッシュな気分、清純なリリシズムを忠実に再現しているが、彼のテンペラメントから劇的な表現にも節度がある。

彼はロマンティシズムではあったが、明晰な古典精神を身につけていた。

この二短調協奏曲で、ワルターはソロを弾きながら指揮しているが、彼のタッチは常に温かい感触を持ち、音楽への愛情を感じさせる。

とくに第2楽章でひとつひとつの音をいたわるように弾いて旋律を形作っていく解釈には心を打たれる。

その後の多くの録音が登場したが、これほど心を打つ演奏にはついに出会わなかった。

「ブラ1」は音の状態はよくないが、しかしなんといい演奏だろう。

第3楽章までは静かな内心のドラマを穏やかに表わした表現で、木管の表情が、得も言われず美しい。

ワルター一流の柔らかい流動性は音楽の上に微妙な明暗を描きながら、ひたひたと聴き手の心を潤す。

凄みとか深刻さとか、あるいは驚きとか、そういうものを超えた幸福そのものの音楽が、音の貧しさを超えて鳴り響く。

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2012年03月29日


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モーツァルトのオペラの中で、音楽の密度がいちばん濃いのは《ドン・ジョヴァンニ》であろう。

水準以上なら、どのような舞台に接しても筆者は感動してしまう。

また、どのような演奏スタイルも受け入れてしまう。

エクサン・プロヴァンス音楽祭のハーディングの指揮など、通常の倍も速いかというスピードですっきりと流した演奏だったが、実に美しかった。

しかし、ドラマティックで凄味のある《ドン・ジョヴァンニ》ということになると、未だもってワルターが随一だ。

1942年のライヴなので音が古く、しかもレチタティーヴォのチェンバロをピアノで代用するという時代物だが、演奏だけを考えれば現在もこれに匹敵し得る盤は1組もない。

それは一にも二にもワルターの指揮が圧倒的だからで、歌手一人ひとりに言いたいことがあっても、指揮者中心に聴くべき演奏ゆえ、歌のことは気にならない。

それはすべての歌手が水準以上に達し、歌手のアンサンブルも見事の一語に尽き、ワルターの強力な統率下においてまとまりが最上だからである。

全盛期の彼の迫力と緊迫感は手に汗を握るほどであり、対照的に柔らかく優しい息づかいにもあふれているのだから鬼に金棒。

これほどドラマやその内容の濃さを感じさせる演奏はないが、音楽的な緊張や流れの良さも抜群なのだ。

筆者など聴き始めたら録音の古ささえ忘れてしまい、聴いている2時間半の間、体中が熱くなり通しだ。

音質の古さを補って余りある気迫のこもった名演奏の復刻である。

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2012年03月26日


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《ザ・グレイト》はむせるような濃厚なロマンをたたえた秀演。

ワルターの演奏は、次から次へとあらわれる美麗な旋律を、ソフトなタッチで、きめこまやかに、上品にうたわせているところが魅力で、この曲をこれほど見事に彫琢した演奏というのも珍しい。

一句一音に至るまで感情が込められ、テンポが楽想の変転に応じて自在に動くが、そこに不自然な感じがないのは、もはや絶妙の芸としかいいようがない。

そのニュアンスはデリケートであたたかく、しかも雄渾な音楽が目覚ましく展開される。

ワルターの類稀な才能をいやというほど見せつけてくれる名演である。

彼はシューベルトが書いた音符の意味をすべて知りつくしているが、その大切な音を純音楽的な美しさと香りを伴って生かし抜くところが凄いのだ。

第1楽章もスケルツォも、曲想に応してテンポを細かく変化させるが、ほんのわずかな不自然さも感じさせることはなく、常に極上のアンサンブルを保ち続ける。

第2楽章にはワルター晩年の諦観さえ聴こえてくる。

後半の2つの楽想は強靭な力と抒情が一体になった表現で、フィナーレの雄大な風格は比較するものがない。

フィナーレのスケールの大きい意志的な迫力も見事だが、響きには高雅な温かみと透明感を失うことがない。

インマゼールとは正反対の、昔ながらのシューベルトを最高に深化させた演奏といえよう。

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あらゆる時代を越え、常に《未完成》の人気ディスクの上位に残り続けるのがワルターのこのディスクではないだろうか。

旋律を心ゆくまでうたわせたウィーン的な香りをもった名演奏で、最高級の心優しさと充実感を我々の胸に刻みつけてくれる演奏である。

この作品の歌謡性をよく表した演奏だが、さすがに堂々とした風格がある。

真の意味での不滅の名盤というべきであろう。

ここでのワルターの棒も徹頭徹尾ロマンティシズムに満ち、ふくよかな情趣としなやかな歌心にあふれている。

そのリリシズムの深さは諸所でほとんど耽美的といってよいほどの魅惑的世界を醸成しており、いいしれぬ感動を聴き手にもたらす。

彼の晩年の安定した心境と法外なまでの優しさを伝えきっているようでもある。

両楽章ともに絶品、ことに第2楽章の纏綿たる表情はワルターならではのものである。 

ニューヨーク・フィルの演奏だけに、ワルター独特の重厚な響きと情緒豊かな表情がいっそう濃厚に表わされている。

こうしたロマンティックな《未完成》を聴かせてくれる指揮者は、いまや少なくなってしまった。

ベートーヴェンの《田園》と並び、この指揮者が遺した宝物のような録音といってよい。

コロンビア響との第5番も名演。

全体にやや遅めのテンポをとり、古典的な形式の中に描かれたシューベルトのロマン的な抒情をあたたかく表出している。

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2012年03月14日


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モーツァルトの《3つのドイツ舞曲》はすばらしい名演だ。

オーケストラに自由に演奏させながら、全体として小味で洒落たワルター・ムードが一貫している。

シュトラウスの《皇帝円舞曲》は、ワルターがウィーン・フィルとのコンビで遺した唯一のウィンナ・ワルツだけに貴重なレコードである。

彼は本場のオーケストラを振ってもリズムはふつうの3拍子でやらせており、テンポも速く、附点リズムの奏し方などまったくワルター調を通している。

ワーグナーの《ジークフリート牧歌》の録音はこれが4回目となり、造型面では完璧となっている。

溺れた感じがなく、かなりオーケストラの自発性を尊重しながら、客観的なスタイルを創造したのである。

旋律がほんとうの意味で歌われているのはこのレコードであり、それはワルター・プラス・恍惚たるウィーンの歌だ。

マーラーの《アダージェット》は速めのテンポでスムーズに流しながら、ごく自然にマーラーの粘っこい人間味が浮かび上がり、やがてせつない憧れへと高まってゆく。

指揮者もオーケストラも自分たちの音楽を演奏している強みがあり、音色の高貴さもウィーン以外では聴けないものだ。

筆者はこのハイドンの《軍隊》をもって、ワルターのSP時代のレコーディング中、マーラーの《第9》と並ぶ最高傑作としたい。

あらゆる面で心技一体となった《軍隊》であり、ワルターが常にこれほど充実した、自信たっぷりな名指揮を見せてくれたら、われわれはウィーン・フィルとのコンビによる最高の名盤をさらに多く持つことができたであろう。

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2012年03月13日


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ワルターは第2次世界大戦前にウィーン・フィルといくつかの優れた演奏を録音したが、彼はモーツァルトの解釈で傑出していたから、1つ選ぶとすれば《ジュピター》交響曲を挙げる。

モーツァルトの交響曲の最高峰は《ジュピター》交響曲、20世紀最高のモーツァルト指揮者はワルター、モーツァルトの演奏に最も見事に対応するオーケストラはウィーン・フィルである。

この3つの要素が1度だけ結びついた録音は、色褪せない魅力を持っている。

この作品に内蔵する威厳と品位、そして独特の構成と豊かな感情を、ワルターは心からの共感と深い理解に基づいて表現する。

ワルターの解釈はあらゆる意味でオーソドックスであり、それが彼の人間性と結びついて豊かな雰囲気をもたらし、モーツァルトの精神はそこから天上に向かって昇華する。

第4楽章のロンド主題によるフーガの演奏は、それを実感させずにはおかない。

ウィーン・フィルの美しい音色、豊かな響きもモーツァルトの音楽に美しい輝きをもたらしている。

ワルター&BBC交響楽団の「ブラ4」はいかにも人間的な親しみを感じさせる表現である。

金管やティンパニを抑え、ルバートを使いながら主題を情緒豊かに歌った温かい第1楽章、しみじみと寂しいムードを醸し出し彼としては旋律を地味に取り扱った第2楽章、たいへん速いテンポで活気にあふれた第3楽章など、ワルターは音楽各部の意味を強調しつくしている。

小味なモーツァルト風リズムと旋律のロマン的な歌、ここに彼の指揮するブラームスの、そしてモーツァルトの基本的な秘密がある。

1930年代半ばの録音であるが、充分観賞に耐えうる音質である。

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2012年03月12日


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ワルターは1947年エディンバラ音楽祭で戦後初めてウィーン・フィルと再会したが、これはその翌年、ウィーンへの復活コンサートでの放送用ライヴ録音。

マーラー指揮者としてのワルターの存在の歴史的な重みについては改めて述べるまでもないが、この《復活》の録音は、彼がこよなく愛したウィーン・フィルとの関わりの上でも、特別の意味を持つものとなっている。

すなわち、これはワルターが戦後、ようやくウィーンにカムバックした年、1948年の楽友協会における記念すべきライヴ録音なのである。

演奏はたいへんすばらしく、まずは第4楽章の〈原光〉を深々とした表現で歌うロゼッテ・アンダイのアルト独唱に注目。

言うまでもなくこの曲の重心は巨大な終楽章だが、そこが演奏も一番凄く、巨大なフィナーレを貫くテンションの高さ、オーケストラと声楽の強力な一体感は比類がない。

声楽とオーケストラが一体となり、ワルターに率いられて全表現がマーラーの心中に深く沈下してゆく。

その模様はまったく壮観で、どこがどうという分析を超えて皆良い。

なかでもアルトのアンダイは飛びぬけて立派だ。

声の質も歌い方も、ともにその時代を表してマーラー的世界に密着し、ワルターの表現をいっそう幅のあるものにしている。

マーラーの極意のほどを改めてワルターから教示される思いである。

音源は放送用のテープで、音の状態が比較的良いのも幸いだ。

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2012年03月11日


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ワルターの天性が何の無理もなく、自然に花咲いている点で、ウィーン・フィルとの《田園》は《未完成》などと共に彼の最高傑作の1つとなっている。

ベートーヴェンは《田園》を「描写ではなく、感情の表れ」と述べたそうだが、確かに自然に寄せる彼の感情を最も素直に反映した作品である。

このような性格を最も強く感じさせるのがワルター&ウィーン・フィルの録音で、彼の暖かい人間性がベートーヴェンの感情と結びついて、調和のとれた美しい演奏が聴かれる。

ワルターのベートーヴェン解釈は時として抒情的に傾くこともあるが、この曲ではそれが清々しいロマンティシズムを生み出している。

これは、彼が第2次世界大戦前にウィーンで行なった録音の1つだが、オーケストラの音色、響き、そして表現力には、戦後の2つの録音では味わえない豊かなニュアンスがある。

《レオノーレ》序曲第3番は、ワルターの有する種々の要素が絡み合って独特の魅力を形作った演奏である。

ワルターの地であるモーツァルト式のリズムやハーモニーが無意識のうちに顔を出して、ベートーヴェンとしては厚みに欠け、洗練され過ぎた響きになっていることも事実だが、これはワルター&ウィーン・フィルならではのユニークな《レオノーレ》といえるだろう。

《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》は、ワルターが録音したあらゆるモーツァルトの最高傑作の1つ。

これほどまでに美しいと、もはや批評する気も起こらない。ただただ陶酔するのみである。

優美、典雅、上品、ロマンティックな情感など、何万言を費やそうとも、この録音の美しさのいかほども言いつくせはしないだろう。

最高級の名品であり、これ1曲だけでワルターの名前は不滅である。  

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2012年02月22日


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これはワルターの目指した音楽の最高の刻印であると同時に、ワーグナー演奏史の最良の一頁として記念される名演である。

1935年に録音されたこのSPが発売されたときは大きなセンセーションを巻き起こしたらしい。

何しろワーグナーの楽劇などまったく録音されなかった時代だからである。

ワルターのテンポは異常に速い。おそらくは晩年はもっと遅いテンポをとったに違いないが、この場合いかにも50代のワルターらしい。

ただ、全体的に見てライトモティーフの表出が著しく弱いのがワルターの欠点となっている。

しかしジークリンデが自分の想いを歌う部分の、春の陽ざしのような微光のほほえみ、ウィーンの弦の不健康な美しさなど、ワルターならではの表現も見られるし、背伸びをしない地のままの指揮に好感が持てる。

全曲が一つのまとまった解釈となり、聴いているときの安心感と陶酔は比類がない。

それに何よりも歌手が素晴らしく、ワーグナー歌唱の至高の範例とされるほどの名唱であろう。

特に第1幕のフィナーレの素晴らしさはあらゆる比較を絶している。

とくにロッテ・レーマンはごく自然に歌いながら、温かい息吹きと魅力的な女性美がむせるようだ。

メルヒオールも努力なしにジークムントの暗さを背負った人柄を出している。音色の変化が微妙だが、節まわしの巧さといい、すべてが生まれつきの才能のように自然である。

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2011年11月26日


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1957年1月16日に亡くなったトスカニーニの"追悼演奏会"における実況録音である。

ワルターのライヴの最高傑作のひとつであり、これを聴かずしてワルターを語ることは決してできないと思う。

1957年2月といえば、ワルターが現役引退した直後、心臓発作を起こす直前であるが、これこそ心技一体、充実し切った名指揮ぶりといえよう。

このコンサートが終わった後の新聞評に、ワルターはトスカニーニそっくりのスタイルで演奏した、と書かれたそうだが、ワルターの性格として、追悼演奏会ならばトスカニーニを意識したことは充分考えられるし、シンフォニー・オブ・ジ・エアーの特質をフルに発揮しようと思ったことも事実であろう。

しかし大切なのは、ワルターがトスカニーニのスタイルで演奏したことではなく、そのスタイルを完全に自分のものとして咀嚼し、少しの残滓も認められないほど消化しつくした点にある。

すなわち、ここでワルターは最も激しい、最も雄渾な迫力を見せるが、そこにいささかの無理や力みもなく、彼ならではの豊かな歌や、厚みや、ニュアンスをいっぱいにこめながらしかもトスカニーニ以上の凄まじいダイナミズムを実現しているのである。

ともかく、この「エロイカ」は何回聴いても新鮮さを失わず、およそ飽きるということがない。

ワルターとトスカニーニをミックスした感じで、仮借のない進行を見せながらも、リズムがもたれ気味になって、人間味を与えるようなところもワルターらしい。

芝居気はまったくなく、指揮者よりは「エロイカ」そのものを聴く感じである。

初めてこの曲に接したときの感激がよみがえってくる。

本当の名演とはそうしたものなのだろう。

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2011年08月03日


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1954年12月、カーネギー・ホールにおけるライヴ録音。

ワルターはこんにちのようにブルックナーの音楽が広く聴かれるようになる前から、いち早くとりあげた指揮者だけあって、その音楽の神髄に肉薄した演奏だ。

彼のブルックナーは最も純粋な音楽美を示したもので、透明、清澄のかぎりをつくし、ニュアンスやデリカシーの点でも比類がない。

冴えたみずみずしさと愛情にあふれた美しさが上品で詩的な感受性を湛え、ブルックナー独特の熱っぽさや壮麗さを充分生かしつつも、少しも重苦しくなったり劇的になったりしていない。

ブルックナーの世界に陶酔しながらも、精緻に、優雅に、愛情をこめて荘厳な雰囲気を描出している。

ワルターは音楽の宗教的な深さよりも人間的な温かさに焦点をあてて演奏しているのが特徴で、情感豊かな旋律を、実に美しく歌いあげている。

第1楽章の広がりと豊かさは、コロンビア響との録音では乏しかったもので、大編成のニューヨーク・フィルらしい充実感があり、艶やかな歌にいたってはワルターの独壇場だ。

第2楽章アダージョでは、滔々と流れる情緒的な旋律をゆったりと品よく歌わせているし、聴いているといつしか神の深い慈愛に包まれているような安らぎを覚えるほどで、このあたりにもワルターのブルックナー観がよくうかがえる。

楽譜は例によってハース版を使用しており、アダージョのクライマックスにおけるシンバルやティンパニも加えていない。

華やかになりがちなクライマックスも、しっかりと手綱を引き締めていて、巨匠の芸の深さを感じさせる。

筆者としてはこの素朴さを支持したいと思う。

すなわち、音楽の本質に関係のない外面的な効果で聴く人を驚かせるようなことはしていない。

むしろ効果など少しも狙わずに演奏を進める点ではヴァントに匹敵する。終始、有機的な心の調べが聴こえてくるのである。

数あるブルックナーの録音のうちでも、これほど穏やかな優しさにあふれた演奏も珍しい。

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2011年04月14日


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このブラームスの交響曲第2番にも、自分の好んでいるものがたくさんある。

ザンデルリンク(新盤)、モントゥー(ロンドン響)、チェリビダッケ(EMI)、シューリヒト(ウィーン・フィル)、ほかにもムラヴィンスキー、クナッパーツブッシュ、フルトヴェングラーなども。

しかし、以前全集で紹介しているので少し悩んだが、この曲の最高の名演奏として、ワルターのニューヨーク・フィルとの録音を推薦する。

それは、この曲にはいつも皮肉や毒舌しか口から出てこないブラームスと違って、終始機嫌が良く、朗らかな姿が映し出されているからで、それにぴったりと合っているのが、このワルター、ニューヨーク・フィル盤だったのである。

ワルターの指揮は燃えるような情熱でオーケストラを引っ張っているが、オーケストラ側は引っ張られているというよりも、ワルターの音楽を完全に自分たちの響きとして消化吸収し、それを思い切り発散している。

これは指揮者とオーケストラの、ある意味では理想的な形であろう。

それに、オーケストラ全体の明るめの色調もこの曲にはふさわしい。

それにしても凄いのは第4楽章だ。

恐ろしいくらいの超スピードなのだが、フルトヴェングラーやミュンシュのような暑苦しさや危険なスリルというものはなく、ひたすら爽快である。

このときワルターは77歳だったが、、それを考慮すると信じがたい若々しさである。

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2010年11月02日


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第25番と第28番と第29番はコロンビアso.(後年の西海岸のそれではなく、ニューヨーク・フィルなどを主体とした団体)、第35番が正規のニューヨーク・フィルによる演奏。

ワルター最盛期の録音なので、演奏はいずれも充実している。

第25番は凄絶と形容したいほどの劇的な熱演で、男性的かつ非常に厳しく、ワルターのロマン主義的な本質を端的に表明している。

両端楽章の迫力はワルター以外例がなく、この曲の疾風怒涛を赤裸々に表出したものといえよう。

第2楽章の歌との対照も見事である。

また、こうした暗い作品を指揮しても、ワルターの場合は、いつも人間的なやさしさがあらわれている。

この曲におけるやさしさも絶品で、ことに第2楽章の演奏など、このオーケストラをあたたかく包みこむようなワルターの呼吸が、楽員ひとりひとりの呼吸とぴったりと合って、あたたかな音楽を生み出している。

ワルターと楽員の心と心がしっかりと結びあった、理想的な名演だ。

第28番も名演で、これだけふくよかに歌うモーツァルトも珍しい。

第29番もはつらつとした表現で、モーツァルトのひとつの理想像を実現している。

「ハフナー」もまた凄まじく、力と輝きにあふれた表現で、全曲が歌と音楽に満ちあふれた輝かしい名演である。

テンポの変動のさせ方や、ベートーヴェンのような楽器の響かせ方など、これこそアンチ・ロココである。

しかも第2楽章では、実にヒューマンなあたたかさを伝えてくれる。

モーツァルトの音楽にひそむ雄弁なドラマに着目した、いかにもワルターらしい演奏だ。

モノーラル録音なので、音の状態はよくないが、精神的な深さに惹かれるディスクである。

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2010年09月01日


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ワルターは、晩年にコロンビア交響楽団を指揮して、多くのレパートリーをステレオ録音している。

フルトヴェングラーよりも10歳年上だった彼の演奏を、かなり良好な音質で聴くことができるのは、そうしたおかげである。

この全集も、1958年から59年にかけての録音で、CD化されて、より鮮明な音になった。

ワルター最晩年の録音で、巨匠は既に80代を迎えていたが、ふくよかで温かい人間性と彫りの深い音楽性で聴き手を魅了する歴史的名演である。

巨匠の偉大な風格を示した演奏である。

ワルターの演奏は、すこぶる老熟した、底光りのするような深い味わいをもったもので、ワルターならではの、優しく、温かく、穏やかな人間性というものが、聴き手にそのまま伝わってくるかのようだ。

温かく、豊かなニュアンスに満ちた心を和ませる表現は、ワルター独自のものだ。

晴朗に歌いながら要所をよく引き締めて格調高く、全集を貫くヒューマンな歌の心はベートーヴェンの本質を表現して余すところがない。

基本的にワルターは抒情の人、歌の人といえ、《田園》交響曲などそうした魅力が類稀な結晶となっているが、《運命》や第7番などでは密度濃い構成力と逞しい推進力をベースに壮麗な音の世界が打ち立てられており、決して好々爺的な演奏などではない。

フルトヴェングラー、トスカニーニらとともに20世紀前半から半ばにかけての指揮界に君臨してきたワルターの至芸は、さすがに芸風に余人の追随を許さぬ風格と存在感がある。

特にロマンティックでみずみずしい第2番と、作品の本質を衝いた表現で聴き手を感動に誘う《田園》は、全曲中の白眉である。

巨匠の芸術から学び取るものは大きい。

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2010年06月09日


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いずれもワルターにとっては、唯一の録音である。

「ドイツ・レクイエム」では、ワルターはあくまでブラームスの心情に沿い、今の若い世代の指揮者のように、第2楽章あたりで凄い追い込みをかけたりしない。

さすが巨匠の風格だ。

ワルターはここで"死"を通じて"生"を歌う。

例えば第2楽章。

ほとんどの指揮者はここで熱演をみせるところだが、彼のもたらす感動はそうした外面的な演出法にあるのではないことがはっきりする。

もちろんこの中にこめられたワルターのエネルギーの凄まじさは筆舌につくし難い。

"生"をみつめる者の、80歳にしてのみ"視る"ことのできる恐ろしさと平明さがここにはある。

この「ドイツ・レクイエム」には、すべてを超えた世界の頂きにあって優しくほほえんでいるような趣があり、長所や短所、録音の技術を云々することは、ワルターにとってもはや意味のないところだ。

「アルト・ラプソディ」は、おだやかな表情で、作品のもつ情感をせつせつと歌い上げていて、素晴らしい。

ただ、独唱のミラーの声質が軽く、歌唱もやや平板で物足りない。

ヴィブラートを多用した唱法や表情の単調さも気になりこの作品にふさわしくない。

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2010年03月04日


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「第1」は驚くほど精気のみなぎった演奏だ。しかし内部には枯淡ともいうべき孤独感があり、堂々とした風格が示されている。

そこにはワルター独自のあたたかさとのびやかな歌と、ひたむきな推進力と緊張感があり、豊麗なロマンティシズムがすべてを支えている。

これは歴史的な演奏の記録である。

「ハイドン変奏曲」は整った構成で各楽章が入念に処理されており、格調の高い演奏だ。

「大学祝典序曲」は温雅で明朗、祝典的な華やかさが快い印象を与える。

「第2」はオーケストラの人数が少ないためか、響きの量感に不足している。

ワルターの指揮もやや生気に欠ける感があるが、それでも旋律はふくよかに歌い、ドイツ・ロマン主義の精髄を伝える。

後半の2つの楽章では率直に感興を盛り上げるが、造形には全く無理がない。

「第3」もオケの編成が少ない感じがあるが、CD化で音色がまろやかになった。

ワルターの指揮も平衡感が強く、それぞれの楽章の性格が判然と描き出されている。

「第4」は、作品の抒情性を豊かに引き出した演奏で流麗この上ない。

特に第2楽章のなぐさめにみちた暖かい表現は印象的で、後半の2つの楽章も力強い。

ニュアンスの美しさも特筆に値するが、終曲では音構造が明確に表現され、単なるロマンティシズムを突き抜けた境地を示す。

「悲劇的序曲」は純音楽的な表現。やや遅めのテンポで朗々と旋律を歌わせたもので、情感を大切にしながら、流れの豊かな演奏を行っている。

こうした曲を聴くと、ワルターのブラームス観というのものをはっきりとうかがうことができる。

「運命の歌」は老ワルターの、温かな人間味と、やさしさが伝わってくるかのような、慰めにみちた演奏である。合唱団は技術的にも優れたものとはいえないが、ワルターの棒によく応えて、感動的な歌唱を行っている。

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2009年12月14日


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『亡き子をしのぶ歌』は、マーラー直系のワルターによるウィーン・フィルの、侘しげだが、まさしく豊潤そのものの響きがしなやかに漂うなかに、「いま、晴れやかに陽はのぼろうとしている…」と歌い出すフェリアーの声の、なんと印象的なことだろう。

哀しみにむせぶようなオーボエとホルンと絡み合う、深い憂愁をふくんだコントラルトのその声は、第5曲になって、「こんな嵐の日に」と、家から出してやった子供たちに対する自責の思いを歌うとき、言い知れぬ感情の奔流につつまれるが、海のごとく深く、秋の空のように澄んだ清冽の美とともに、度重ねて聴くほどに感動が魂にしみる。

フェリアーだけが歌うことの出来たマーラーの歌の世界。

まさに折紙つきの絶唱と言える。 

交響曲第4番は終戦の年の1945年5月に、ワルターの亡命地アメリカで録音された演奏である。

ワルターはおだやかに、また感興にみちてマーラーの旋律を歌わせた表現で、古き良き時代のあたたかい情感が立ち昇ってくる。

この作品のもつ天国的な気分を、ゆったりと陶酔的に表現したもので、清らかで純粋な美しさにあふれている。

しかも造形的には意外なほど端正で、これもワルターの見識を示している。

ワルターは、どのような苦境にあっても、ほほえみを忘れない人だったというが、ここには、そうした彼のやさしさが、そのまま反映されているかのようだ。

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2009年11月16日


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ワルターは周知のようにマーラーの愛弟子にして友人で、《大地の歌》と交響曲第9番はマーラーの死後ワルターの手によって初演された。

その2曲をワルターはすでに第2次世界大戦前に、まだマーラー時代の面影が残しているウィーン・フィルと録音している。

2曲とも、まだ壮年期の活力を残していた激しい表情や動態脈が晩年の演奏のとは一線を画する。

《大地の歌》も、音質の点では戦後のウィーン・フィルとのモノラルやニューヨーク・フィルとのステレオ録音が遥かに優れているが、演奏がはらむどこか切羽詰まった情動や、刹那にかけるかのような耽美的な表情はこの演奏ならではだ。

旧盤はSP盤の復刻だが、ウィーン・フィルの退廃的な美が最大の魅力だ。

戦後のウィーン・フィルが別の団体と思えるほどである。

第1楽章の今にも崩れそうなヴァイオリン・ソロがすべてを語っている。

トルボルクは、マーラーを得意としており、シューリヒトのコンセルトヘボウ管とのライヴでも名唱を聴かせてくれている。

ひとつの時代のマーラー演奏の貴重な記録。

暗黒時代はそこまで迫っていた。

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2009年11月02日


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「第8」は、溌剌とした気概にみちた好演。

もちろん民族的な色彩に頼った演奏ではなく、この曲をロマン派の交響曲として扱っており、響きの柔らかい感触と温雅な抒情性はワルターの芸術的特質をよく表している。

メリハリも強く、爽快な流動感が曲趣にふさわしい。

「新世界より」は、数あるこの曲のレコードでも強い主張をもった演奏。

なんと音のしっとりと安定した演奏であろう。

フレーズとフレーズのつなぎが細やかなニュアンスをもっている。

第1楽章の冒頭から悠久なものを感じさせ、そこに情緒がひたひたと押しよせてくる。

決して、たたみかけてくるような鋭いアクセントや速いテンポはないが、雄大に、落ち着いて諄々と説くように曲を運んでいる。

やはりワルターは19世紀の雰囲気を身につけている。

気力が素晴らしく充実しており、音も引き締まっているが、響きは決して硬くならず、適度のふくらみと歌と人間的なぬくもりが魅力的だ。

4つの楽章が端麗なのもよいが、随所に感興が高揚しており、その抒情性はなんとも美しい。

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2009年10月27日


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ワルター戦前のウィーン・フィルとの最後の録音のひとつとなった、歴史的名盤である。

もしかするとこれはある種別格の録音なのかも知れない。

1938年、ワルターが不穏な情勢の中で振った美しくも凄まじいマーラー演奏。

録音の古さは否定しがたいけれども、その折の無比の熱気は現在でもストレートに伝わってくる。

気迫のこもった粘りのある演奏で、アクセントが時に大変激しく、強弱の落差も極めて大きい。

起伏に富む叙事詩的な語り口だが、表情には即興的な趣があり、終楽章の表現も濃厚で、決して遅くはならず、積極的に進められる。

ワルターならではのロマンティックな情感もさることながら、特に第3楽章を中心として極めて激しい気迫、鋭角的なアゴーギク、尖鋭な推進力が目立ち、それは聴く側に一種の危機感すら覚えさせる。

唯一的な歴史的録音のひとつであり、そこに言うなればこの交響曲の一種死を予感させる音の錯綜を通じて、社会情勢の一触即発的な空気までを見事にリアライズしたものと評することもできそうである。

マーラー・ファンには決して聴き逃すことのできない1枚といえよう。

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2009年06月21日


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ワルターらしいモーツァルトの名盤いうことになると、晩年のステレオ録音ではなく、1950年代のモノーラル録音ということになろう。

ワルターはステレオ録音で、コロンビア交響楽団を指揮したものも、一般には高く評価されているようだが、私の個人的見解によれば、ロマンティックで濃厚な歌と、しなやかな弾力性を失っていない点で、断然旧録音のモノーラル盤の方を推したい。

音そのものに力が漲っているほか、音楽の運びにも勢いがあって、聴く者を惹きつけて放さない。

ステレオの再録音の方は、リズムが硬直し、オーケストラの楽器編成も中途半端で、ワルターの良さを生かし切っているとは思えない。

ワルターのモーツァルトを愛するなら、絶対にモノーラルの旧盤を選ぶべきである。

ワルター最盛期の録音なので、いずれも充実した演奏で、ワルターの特徴が徹底している。

テンポを動かしてよく歌いよく流す。非常に大切に音を処理して繊細なリリックな美しさを出している。テンポと表情とがまったく一致している。管弦楽全体を飽和的に歌いたぎらせる。リズムも軽快で柔らかい。

まったくワルターの個性が隅々まで滲透して余すところがない。

第39番は非常にシンフォニックで男性的なモーツァルトで、しかも全曲が歌心に満ちて、激しい気迫で聴き手に強く迫ってくる。

第40番は豊麗な表現で、ワルターの残したこの曲の録音中でも中核的な地位にある解釈だ。

「ジュピター」は壮麗な秀演。重厚で全体が力強く、指揮者の悠揚とした風格が示されている。これほど情感の濃い「ジュピター」は、もはや現在の指揮者では聴くことができない。

特に終楽章の緻密な動きには、さすがワルターだと感心せざるを得ない。情緒の表出と構成の設計が、こんなにうまく一致するともう何もいうことはない。

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2009年05月03日


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ニューヨーク・フィルと録音していた頃のワルターは、最も順調に活動を続けていた時代であり、この録音セッションも1日か2日で一気に録音されている。

その好調はむろん演奏にも反映しており、4曲とも熱気にあふれる音楽を展開している。

ことに第2番と第3番は素晴らしく感興豊かな名演で、旋律のみずみずしい表情を後年のステレオ盤に優るとも劣らない。

構成力が強く、情緒深い表現も見事。

ニューヨーク・フィルの豊麗な響きもブラームスにふさわしく、編成が大きいことも有利だ。

とにかく実に気力がみなぎり、成熟したロマンをもった演奏であり、特に第2番はこのモノーラルでの全集中でも1番に挙げたい録音である。

第4番はゆったりとした大きな動きを捉えた力強い演奏だ。

これはワルターの音楽の心であり、彼がブラームスから感じた精神性の最も美しい表現のひとつである。

ことに第1楽章と終楽章は、表情といい構成といい、彼岸に達した想像を越えた美をとらえている。

ブラームスの交響曲のなかでも、飛びぬけてメロディックに仕上げられた第3番第3楽章のポコ・アレグレットを一番美しく聴かせているのもワルターである。

その旋律の歌わせ方の巧みさと、バックの弦と管の絶妙なバランスは、フルトヴェングラーでも描けない。

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2009年03月23日


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第8番は、作品の内面に凝集されたエネルギーを鮮やかに解放し、強い説得力をもっているとともに、じつに柔らかなよい演奏だ。

作品のもつ、ユーモラスで愛らしい特徴をよく生かした演奏である。

全体にロマンティックな味わいにみちた表現で、細部にまで磨き抜かれた、表情豊かな演奏をおこなっている。

ことに第3楽章は素晴らしく、その柔らかく、おおらかな雰囲気は、ワルターならではの魅力があり、老ワルターが相好をくずしながら指揮しているような、心のあたたまる演奏だ。

第9番の演奏は、第3楽章までがハリウッド、第4楽章がニューヨークで録音されているため、当然、オーケストラが異なるが、演奏は第3楽章までが素晴らしく美しい。

第4楽章は声楽が入るまでは遅めのテンポで堂々とした音楽をつくっているのはよいが、バリトンのウィルダーマンの品格のなさにやや不満が残る。

とはいえ、久々に表現力たっぷりのオーケストラを前にして、ワルターの中に燃え立つものがあったのであろう。

全体にワルターの特色が存分に表わされており、興味深い表現といわねばならない。

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2009年03月22日


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ワルターの第7番は、劇的な起伏より純音楽的な美しさを求めた平衡感の強い、音楽的に練りあげられた表現である。

しかし、巨匠的ともいえるスケールの雄大な音楽で、81歳の指揮者とは思えない緊張力と生命力に感嘆させられてしまう。

野性的といえるほどに情熱的なこの第7番を、ワルターは平穏な特徴をつかんで演奏しているところに特色がある。

大人しく、表だった迫力や推進力よりも、ご飯をゆっくり噛んで味わうような趣があり、それはそれで美しい価値がある。

スケルツォと終楽章をトスカニーニと比較してみると、その特徴がよくわかる。

ワルターのように、円満な表情でいたずらにまくし立てない壮麗な雰囲気をもった演奏も、ドイツ流の伝統的なものとして尊い。

ギリシャ的舞踏の聖化を、ワルターは柔軟で優美な形象の雰囲気から描き出そうとする。

終楽章にしても、はめをはずした歓喜の酩酊はなく、ワルターは香り高い酒の匂いを楽しんでいる。

歓喜のなかに沈思を求めたのがこのワルターの「第7」である。

また第2楽章での、前打音を拍の前に出す扱いは珍しい。

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2009年03月21日


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ロマンティックな表情で、のびのびと旋律を歌わせた演奏である。

その柔和で素朴な情感は、ワルターの穏やかな人柄がそのままあらわれているかのようだ。

ワルターは、ハイドンやモーツァルトでも数多くの名演を残しているので、ふたりの作曲家の影響が色濃いこの2曲など、古典派の歴史をひもとくつもりで、ワルターの演奏で聴くのも面白いのではなかろうか。

ワルターは、彼の個性の中にもっているモーツァルト風の特徴をはっきり出し、決してドイツ風の濃い表情をとらず、むしろ何の屈託もなく自然に表現している。

誇張もなければ強い主張もしない。柔らかに流れるように演奏している。

そうかといって、ハイドン風に様式化された表現ではなく、やはりモーツァルトの柔軟で優雅な音楽的雰囲気の演奏である。

第1番はワルター独自のアゴーギクによって、徹底して歌わせた演奏。

個性的ではあるが、作品の古典的構成を無視しているわけではなく、そのニュアンスの豊かさは十二分に評価できる。

第2番は交響曲全曲中の傑作のひとつで、青春の歌とも形容したい作品をロマンティックに、生き生きと表現して余すところがない。

実にあたたかく、人間的に息づく音楽である。

ことに第2番のほうは、ワルターが録音したベートーヴェンの全交響曲のなかでも、トップランクのものである。

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2009年03月20日


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ワルターの指揮した、ベートーヴェンの「交響曲全集」のなかでは、偶数番号の作品演奏がよいといわれているが、第4番は、柔和な表情とあたたかさで光った演奏で、ワルターはロマンティックな性格の濃いこの作品を、ごく自然に歌い流しながらまとめている。

この作品のおおらかで屈託のない詩想がなみなみと表現されていて、暗い影の認められない抒情的な幻想が豊かに湧いてくる。

実に音楽の美しさを感じさせる名演である。

フルトヴェングラーのようなスケールの大きさはないが、ことにベートーヴェンの甘い恋愛感情のあふれ出た第2楽章の旋律の高雅なロマンにみちた歌は絶品といえ、他の指揮者には求められないものである。

「運命」はワルターの特性で塗りつぶされて完全にワルターの「運命」になっている。

そこに流れている音楽性の豊かなことには、何人も敬意を表さざるを得まい。

ワルターの晩年のベートーヴェンには信じられないほどの、若々しい気迫から生み出される音楽の新鮮さには驚かざるを得ないが、特に「運命」にはそうした特徴がよくうかがえる。

速めのテンポでさっそうと表現される第1楽章など、全く若々しい。

全体的にはロマンティックな柔和さと、激しい情熱とが同居しているような演奏である。

晩年のワルターが、いままでの波乱にとんだ体験を告白しているかのような感じの表現で、ややゆったりとしたテンポで旋律を歌わせながら、悠然とまとめている。

万人に愛される標準的な演奏だ。

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晴朗に歌いながらも、要所をよく引き締めていて清澄で格調の高い演奏を聴かせるとともに、ワルターらしい伸びやかな音楽の広がりがスケールの大きさを感じさせる。

ワルターの演奏は、いたずらに劇的な誇張をさけたダイナミックな進行で、この曲が内に秘めた大らかな世界を十二分に歌い出している。

充分に音を柔らかくふくらませて、オーケストラ全体をよく歌わせた表現である。

やや遅いテンポで悠々と大きく歌ってゆくところ、あたかもとうとうとした大河の流れを思わせるかのような、悠然とした演奏で、その流麗で気品の高い表現には惹きつけられる。

旋律はふくらみをもって深呼吸で歌われ、あくまでもおおらかでスケールが大きい。

ピアニッシモはまるでささやくように、そしてクレッシェンドの幅は大きなうねりのように盛り上がるが、それでいて全体の表情は穏和で情緒的だ。

特に第2楽章と終楽章にワルターの個性が美しく出ている。

第2楽章の葬送行進曲は深い感動を表現しており、テンポと後半の対位法的進行のところの見事な処理、第4楽章の大きく波打つような情感の盛り上がり、こうありたいと思う表現である。

ワルターの録音では、最高の演奏のひとつである。

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2009年03月19日


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「巨人」はワルターの数多いレコードでも、1,2を争う秀演で、曲の抒情と大胆な楽想の変化、劇性の起伏が完全にワルターのものとして消化されている。

ワルターはこの曲の抒情を輻輳した気分の転換、そしてユニークな書法を完全に消化し、一篇の長編のようにまとめている。

その格調の高さ、一分の隙のない構成も稀有のものである。

ワルターの演奏は、自然な確信にみち、作為のない音感と、明晰な造型とをもって、聴く者を大きく作品の世界に引きずりこむ。

マーラーの音楽になんらかの抵抗を感じられないではいられないとしても、そうした抵抗をほとんど無用のものと化せしめるに違いない。

そして、ともかく、レコードが鳴っている時間は純粋にマーラーの音感に彩られるに違いない。

この呪縛は、やはり強烈な体験であろう。

いずれにしてもワルターはマーラーの語法や管弦楽法を完全に掌握しており、そこにワルターならではのぬくもりを実感させる。

オケの弦のひびきなど、若干の弱点もあるけれど、その語り口は充分によく咀嚼されつくされており、今なお刺激的であり、示唆的である。

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2008年10月08日


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ワルター/ニューヨーク・フィルとの最後の録音となったこの盤は、初演者ワルターの、この曲の理想のステレオ録音を残そうとの意気込みが、並々ならぬ気迫を生み、がっしりとした構成感の上に寂寥感の漂うきびしい世界を現出させている。

ワルターは、曲の耽美的な情熱をまったく自分のものとしてこまかく感じとりながら、共感をもって演奏している。

そして、各楽章の情緒を入念にとらえて、陶酔と虚無と悲哀とを見事に統一づけて表現している。

それは細部の技術を支配する精神的把握の力によるものであろう。

特に終楽章での歌手、オケと一体になった大きくて深い歌にあふれたスケール感は、ワルター自身の告別の辞でもあるかのような名演。

ヘフリガーはやや声量に乏しく晴朗すぎる感があるがニュアンスは豊かで、ミラーも共感の強い歌唱を聴かせる。

そして、「告別」ではワルターの指導のためか、極めて内面的で寂寥感をもった表現を聴かせる。

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2008年10月07日


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数あるこの曲の録音のなかで、いまだにこのワルターの演奏を凌駕するものは一つもない。

ワルターが戦前にウィーンを逃れて11年。1949年に戦後初めてウィーンへ戻って演奏したのがこの「大地の歌」だった。

そして歌っているフェリアーは、間もなく41歳の若さで惜しくもガンで死去している。

歴史的に重要ということもあるが、これはフェリアーとワルターの惜別の歌であると同時に、これほど哀切極まりない「大地の歌」は他にはない。

最後の"告別"など凄い。

テノールのパツァークも一世一代の名唱とさえいってもいい。

「大地の歌」は、ワルターの個性をつぶさに生かせる作品であり、その個性を思う存分生かした演奏である。

ワルターはマーラーの直弟子だから、マーラーを演奏するときに最もいい面が出てくる。

本当に耽溺的で陶酔しきった演奏である。

フェリアーのいいところもよく出ており、この曲の理想的なレコードだろう。

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2008年09月22日


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ワルター「モツ・レク」唯一のスタジオ録音は1956年のモーツァルト生誕200年記念録音。

モーツァルトの音楽をこよなく愛したワルターの最高の名演奏で、ワルターの各種の録音のなかで、録音の古さを超えて輝き続ける名盤である。

演奏は、ワルターが自分の思うままに指揮した感受性豊かな表現が聴きもので、なによりもミサの管弦楽の美しさを、情緒豊かに表現している。

情緒の細かな動きを隅々まで捉えて、入念に表現しようと努力したものだ。

やや主観的な表現だが、これほどモーツァルトの心をつかんで、美しく歌いあげた演奏というのも珍しい。

ワルターのモーツァルトに対する“想いの深さ”がひしひしと伝わってくるようで、4人の独唱者もこれに寄りそっている。

ワルターのモーツァルト観が最も充実した形で示され、これは抒情的に美しくまとまった「レクイエム」である。

ゼーフリートをはじめとする4人の独唱者とウェストミンスター合唱団も充分にその力を発揮し、集中力に富んだ濃密な演奏を展開している。

もちろん、それはワルターの確かな構成感と愛情に満ちた優美な表現との見事なバランスが生んだ成果でもある。

逆に「テ・デウム」はコーラスもオケも重厚で、特に内声を生かした厚みのあるハーモニーがブラームス風だが、もう少し清澄な響きや、冴えた表情や、厳しい迫力がほしいと思う。

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2008年05月19日


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楽しいレコードだ。

ワルター最晩年の録音だが、実に若さにあふれており、ワルターが悦に入って歌いながら指揮している様が眼に見えるような演奏だ。

いずれもワルター独自の愛と豊かな歌に満ちあふれた心温まる演奏で、どの曲にもモーツァルトに対する敬愛の念が強くにじみ出ており、そこに強く心打たれる。

音楽の核心に迫った軽快な「フィガロの結婚」、しなやかに旋律を歌わせた「コシ・ファン・トゥッテ」、そして青年のようなみずみずしさで表現した「魔笛」など、どれもモーツァルトの音楽の美しさを理想的に歌いあげている。

ただし、「ドン・ジョヴァンニ」の序曲が含まれていないのは惜しい。

オペラの序曲もよいが、「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」は傑作だ。細かな音まで神経がゆきわたっていて、しかも歌えるだけ歌っている。

きりりと引き締まった気品のある表現で、細部にまで磨き抜かれた、表情の豊かな演奏をおこなっている。

特に、第2楽章の柔らかな、そして、あたたかみのある表情は比類がない。

ワルターならではの、やさしさと愛と歌にみちあふれた名演で、最晩年の録音とは信じられないほどの生気が感じられるのが素晴らしい。

これはまったくワルターのセレナードといってよいだろう。素晴らしい美しさだ。

「フリーメーソンの葬送音楽」もモーツァルトの真髄をついた素晴らしい演奏で、ここにはこの巨匠の持ち味が最高度に発揮されている。

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2008年03月26日


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ワルターがコロンビア響を指揮したブラームスの第4交響曲は、もうずっと以前から愛聴していた。

音楽を意識して聴くようになった最初の頃に集めた少数のLPの中に、既にこのワルター盤が入っていたように思う。

そして当時からはかなりの長い時間がたった今日でも、本盤は依然として価値を保ち続けている。

いや、もっと深い部分でその価値を受け止めることが出来るようになったというべきかも知れない。

当ワルター盤はそのような存在意義を感じさせる演奏内容なのである。

ここではすべての事柄がしみじみとした情感でもって語られている。

第1楽章の第1主題も終楽章のパッサカリアも、長い人生を黙々と歩んできたあとに到来した深い自覚や悟り、決定的な敗北感や挫折感、そこから生じる諦めの気持ち、ちょっとしたことにも期待をもってしがみつこうとする執着やあせり等々を、強く意識させずにはおかない。

長い人生を耐えてきた者にようやく訪れた晩秋とでも形容すればよいのであろうか。すべてが濃い晩秋の色あいに染まってしまっている。

過剰なロマンティシズムと謗る勿れ!人は誰しも年齢を加えてくると、様々な感慨とともに自らの来し方を顧みなければならないものなのだ。

我々はその時になったら、いったいどう顧みればよいのだろうか。

時に、この交響曲を作曲したブラームスは52歳であと12年の生命を残しており、これを録音したワルターは83歳で死の年まで約3年を残していた。

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これは春風のようになごやかでまた香り高いハイドンであり、実にふくよかな感情を古典の造形に融合させたワルターならではの名演。

ワルターはハイドンの中に抒情詩を発見して、それを楽しんで吟じている。

これはワルターの遺産にふさわしい。

特に「軍隊」は知・情・意の均衡が素晴らしい。

「V字」は第2楽章の遅いテンポの歌が、現在の演奏には求められぬもので、その味わいは豊かで、深い。

ワルターでなければ演奏できないハイドンである。

聴く者の心をあたたかな愛情で満たしてくれる、こうした柔らかに微笑んだハイドンを演奏する指揮者はもう求められなくなった。

CD化によってオーケストラのバランス感もかなり高められ、演奏全体がより澄明に生彩を増している。

CD化された往年の名指揮者の演奏のなかでも、ワルターはことに成功したものが多い。

遅めのテンポで朗々と歌わせた旋律や、こまやかなニュアンスが、CD化されたことによって、より明瞭に伝わってくる。

半世紀近く前の録音とはとても思えないほどだ。

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2008年03月09日


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ワルターはロマンティシズムの体験者であった。それは第1次大戦後の新しい音楽の流れに対してとった態度からも明らかである。

彼はシェーンベルクの「グレの歌」や「浄夜」には愛着を示しながら、十二音技法には疑問を投げかけている。

彼の次の世代の指揮者たち、クレンペラー、クライバー、フルトヴェングラーがかなり積極的に新しい傾向の作品を取りあげたのに対し、ワルターは消極的であった。

ただ彼のロマンティシズムは世紀末的なデカダンスとは無縁なもので、人間が本来もっている性格の一つとしてのロマンティシズム、言葉をかえれば人間性そのものであった。そのことはミュンヘン時代を回想する彼の言葉によく表わされている。

「戦争や革命や政治的な改造があったにもかかわらず、当時の世界は相変わらず、文学と音楽、学問と人間性がみずからのかちえた地位を主張し、十戒と人間的な良心が千年にわたるその支配権を行使できるような(中略)ものであった。それはわれわれの音楽が生まれた世界であり、人間精神の偉大な業績が作り出された世界だった。」(『主題と変奏』)

ワルターの芸術の本質が楽天的で、メランコリーであるにしてもペシミスティックな陰がないのは、それがこのような世界観、音楽観に根差しているからである。

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2008年02月26日


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巨匠の演奏を残すために結成されたオーケストラといえば、ワルターのためのコロンビア交響楽団もそうである。

コロンビア交響楽団という名称は、米コロンビア(CBS)が他社との契約上正式な名称を使えない場合に使用したもので、特定のオーケストラの名称ではない。

こうした例は当時、ほかにもRCA(ビクター)のRCAビクター交響楽団などいくつかあった。

しかし、引退していたワルターの演奏を開発されたばかりのステレオに残すために行われた録音のオーケストラは、ワルターが引退生活を送っていたロスアンジェルス在住の演奏家を集めて結成されたのである。

ハリウッド映画が全盛だった当時は、映画音楽のためのフリーのすぐれた演奏家が大勢いたから、1958年から61年まで毎年1月から3月まで綿密なスケジュールを決め、ほとんど同じメンバーによってベートーヴェンとブラームスの交響曲全集をはじめ、ワルターの主要なレパートリーの大半を記録することができたのである。

ただし、ベートーヴェンの第9の終楽章だけは合唱団の都合でニューヨーク・フィルを使ったといわれる。

ワルター&コロンビア響の代表的名盤として、マーラーの交響曲第1番「巨人」を挙げておく。

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2008年01月11日


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第40番第1楽章の第1主題の魅力には、クラシック音楽ファンならずとも一度はとりこになるであろう。

そのテーマをこのCDで聴いたときには腰を抜かさんばかりに驚いて、感動した。

美しいポルタメントがかけられているのである。

こんなことはワルターとウィーン・フィルでなければ不可能であろう。

事実、ワルターは残された他の録音ではポルタメントはかけていない。

ライヴ録音によるもので、ステージでの演奏の気分を満々とたたえている。

2曲ともに演奏の前後に熱狂的な拍手が収められており、ときにワルターの声も入るなど臨場感が強い。

特に第40番はえもいわれぬロマンティックな、そして孤高の寂寥感を持った稀有の名演である。

ウィーン・フィルとワルターの心が通じ合ったほとんど室内楽ともいえる演奏は、あらゆるモーツァルトのレコードのなかでも特筆すべきもの。

会場全体が音楽的高揚感で充たされ、あるあおられた空気の中で、演奏者も聴衆もひとかたまりになって突っ走ってゆくような趣きを伝えている。

ここでの演奏者たちがこの時代に音楽的生きがいを感じていたのは、まさにこういう場面であり、その最も音楽的に充実した成果の例がここにみられる。

第25番もワルターの情熱の激しさに圧倒されるが、そこに漂う哀愁感もまた感動的だ。

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ワルターのあたたかい歌心に感銘を受ける演奏で、ワルター自身が感に堪えないで歌っている気持がそのままわれわれの心にも伝わってくるような、人の演奏を聴いている、また聴かせてもらっているという気持がいつの間にかなくなって、ワルターと一緒に演奏しているような境地に没入してしまうモーツァルトである。

今日流行のオリジナル楽器による演奏とはまったく異なる豊麗なモーツァルトであり、ワルター流のアゴーギグも散見されるが、みずみずしい感興が格調高い造形の中から美しく立ち現れ、その魅力には抗し難いものがある。

音色の豊潤な香りがあり、響きの奥深さが感得される。

特にヴァイオリンの魅力は、ワルターの意図した弦の響きを改めて実感させてくれる。

それは、緩徐楽章の繊細極まりない表現に端的に示されている。

「リンツ」「プラハ」の序奏と緩徐楽章にはワルター最良の美質が示されている。

作品の造形も格調高く、カッチリ捉えつつ、そこに人間的なぬくもりをこめた豊麗な歌を語ってゆく。

表現としていささか時代がかっていても、ワルターのこの歌は決して色褪せぬ魅力を発散しており、聴き手を捉えて離さない。

全篇にわたってワルターの意志が行き届いた演奏といえる。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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