ブラームス

2017年06月18日


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独ヘンスラーのプロフィール・レーベルからリリースされているカルロ・マリア・ジュリーニがドイツのオーケストラに客演したラジオ放送用ライヴ録音シリーズのひとつ。

1979年1月26日に収録された質の良いステレオ音源は、大手メーカーのセッション録音に引けを取らない音質が再現されているし、また鑑賞の時に煩わしい聴衆からの雑音は一切混入していないのも幸いだ。

プロフィール・レーベルのリマスタリングには定評があり、それはこれまでにリリースされたジュリーニがドイツの放送局に遺した幾つかの音源でも証明されている。

この録音でも音場が広く分離状態も良くオーケストラのそれぞれの楽器配置も明瞭で、確かにやっつけ仕事ではない良心的で丁寧な仕上がりが感知される。

唯一の弱点を挙げるとすれば収録曲がブラームスの交響曲第1番ハ短調の1曲のみというところだろう。

ジュリーニは若い頃オペラからオーケストラル・ワークに至るかなりのレパートリーを持っていたが、年と共にそれらを厳しく収斂していった指揮者なので、こうした音源の発掘は歓迎したい。

ブラームスはジュリーニが得意としていた作曲家の1人で、交響曲第1番に関しては、フィルハーモニア管弦楽団(1961年)、ロスアンジェルス・フィル(1981年)、ウィーン・フィル(1991年)とそれぞれスタジオ録音している。

ここでのジュリー二の指揮は難解に感じられる部分が全くない明快なもので、冒頭からメリハリを利かせた起伏のあるダイナミズムの中にブラームスの演奏には異例なほどの鮮やかな色彩感を反映させている。

テンポの采配もかなり自由で、第2楽章後半のヴァイオリン・ソロとホルンのユニゾンではカンタービレを充分に奏でる流麗な抒情が美しいし、終楽章のテーマもテンポを抑えて悠々とした歌心を披露している。

ジュリーニは音楽を理詰めで聴かせるタイプの指揮者ではなく、あくまでも作曲家のオーケストレーションの妙を引き出し、それを最大限活かしながら表現する、言ってみれば感性が主導する解釈が支配的だが、その一方で音楽の起承転結を疎かにせず作品を弛緩させることのない巧妙なバランス感覚が彼の美学でもある筈だ。

その結果オーケストラの重厚さやほの暗さによって表されるブラームスの諦観よりも、むしろ平明だがより開放的なサウンドが特徴だろう。

ジュリーニはまた、ブラームスの作品独自の重厚な音構造、和声感覚、ディテールの入念な動きをことごとく表出しながら、伴奏音型、対旋律、普通なら目立たない楽句も手にとるように表現している。

それもバイエルン放送交響楽団がジュリーニの手足の如く自在に力量を発揮し、緻密な演奏をする姿勢がなければ不可能だが、事実、オケは極めて質の高い水準を示している。

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2017年03月18日


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リヒテルが初めてアメリカを訪れた際の歴史的録音で、このCDの音源はリヒテル・アメリカ・デビュー盤のひとつとしてLP時代から評価の高いものだった。

この録音が行われた1960年はいわゆる冷戦下、アメリカから見れば“鉄のカーテン”で隔てられていた“東側”の演奏家が初めてアメリカに来演した年にあたる。

とりわけリヒテルの2ヵ月にわたるツアーはセンセーションを巻き起こし、RCAによるレコーディングも並行して行われた。

その初録音がここに収められたブラームスで、同年11月に収録された『熱情』ともども、リヒテル絶頂期の凄みが生々しく伝わってくる。

リヒテルは超人的技巧を駆使しながらもスケールの大きい、厳しい感情表現を示しており、特に両端楽章が立派だ。

ラインスドルフの指揮は極めて熱っぽく、オーケストラの華やかさも加えて、リヒテルとがっぷり四つに組んでいる。

過去にはラインスドルフ&シカゴ響とリヒテルの爆演のように言われたこともあるが、良く聴いてみるとシカゴ響はラインスドルフによって非常に良くコントロールされていて、力強いが野放図な音を出しているわけではなく、リヒテルも決して力に任せて対決するような姿勢ではない。

それぞれが個性を完全に燃焼させながらもぴったりと呼吸を合わせて、コンチェルトを聴く醍醐味を満喫させてくれるのだ。

そこには極めてスケールの大きい音楽的な構想を持ったピアニズムが展開されていて、両者の張り詰めた緊張感の中に溢れるほどのリリシズムを湛えた演奏が感動的だ。

またリヒテル壮年期の水も漏らさぬテクニックの冴えもさることながら、第3楽章を頂点として随所に現れる抒情の美しさは如何にも彼らしい。

一方ここにカップリングされたベートーヴェンのピアノ・ソナタ『熱情』は同年にニューヨークのカーネギー・ホールで録音されたもので、当初はもう1曲の『葬送』と共にリリースされた。

この2曲のソナタは2004年にXRCD化もされているが、リヒテルの凄まじい集中力と緊張感の持続が恐ろしいほど伝わってくる。

リヒテルは深々とした呼吸で熱っぽく弾きあげた、ダイナミックな根太い演奏で、全篇に溢れる強烈なファンタジーが魅力だ。

この曲の力強さと抒情性を、巧みに弾きわけていて見事で、全体に、極めてエネルギッシュな表現である。

彼自身はこの演奏を嫌って失敗作のように言っていたが、音楽的な造形からも、またその表現力の幅広さと強烈なダイナミズムからもベートーヴェンに相応しい曲作りで、本人であればともかくあらを探すような次元の演奏では決してない。

1960年にリヒテルはアメリカにおいて一連のセッション及びライヴから当地でのファースト・レコーディングを行っているが、このCDに収められている2曲もその時の音源で、リヴィング・ステレオの良質なオリジナル・マスターが今回のDSDリマスタリングによって更に洗練された音質で甦っている。

ソニー・クラシカル・オリジナルスは、古い音源を最新のテクニックでリマスターして、従来のCDとは異なった音響体験を提案している興味深いシリーズだが、何故か音源によってリマスタリングの方法が異なっている。

このCDではSACD用のDSD方式が採用されているが、同シリーズの総てのCDと同様レギュラー・フォーマット仕様でミッド・プライスで提供しているのがメリットだろう。

音質は鮮明で協奏曲ではシカゴ・オーケストラ・ホールの音響空間も自然に再現されているし、ソロ・ピアノも潤いのある艶やかな音色が特徴で、オーケストラとのバランスも理想的だ。

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2017年02月05日


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円熟の極みにあったベームの指揮と、ウィーン・フィルの伝統のある響きと卓越した表現力が一体化した名盤。

男性的ともいえる雄渾な楽想とともに、限りない憧憬を秘めた第3楽章が映画音楽に使われた交響曲第3番と、哀愁感や情感を存分に湛え内省的で諦観に満ちた、作曲家晩年の枯淡の境地を示す交響曲第4番を収録。

ベームのブラームスと言えば、「第1」にはベルリン・フィルとの旧盤(1959年スタジオ録音)、ウィーン・フィルとの来日公演のライヴ録音(1975年)があり、「第2」にもベルリン・フィルとの旧盤(1956年スタジオ録音)、ウィーン・フィルとの来日公演のライヴ(1977年)が存在する。

しかし「第3」と「第4」にはそのような競合盤が存在せず、本盤がそれぞれのベームの代表盤と言うことができる。

遅いテンポで悠然と進むなかにも緊張感がみなぎっていて、ベームの録音のなかでも高い評価を得ているもののひとつ。

ブラームスとベームの相性は抜群だと思う。

ブラームスの渋い芸風が、これまたベームの華やかさと無縁の芸風と見事に符合し、ブラームス演奏のひとつの規範とも言えるオーソドックスな演奏に仕上がっている。

近年のブラームスの交響曲で、最も規範とされているに違いない充実の名演と言えるところであり、月並みな言い方だが、まさに両曲とも最高の意味でのオーソドックスという言葉が相応しい。

十分に力強くありながら、同時に柔軟でもあり、情に流されることがなく、構造美への志向が高い。

それは、ただ見事というだけでなく、ここに暖かな人間の血が通っているのであり、晩年のベームと伝統のウィーン・フィルの美質がしっかり刻まれていて、全体としてブラームスの交響曲の魅力を大いに味わわせてくれる。

ベームには、この曲をこのように料理してやろうと言う恣意的な解釈は皆無であり、こうしたベームの自然体のアプローチが、ブラームスの芸術の真の魅力を存分に満喫させてくれるのである。

特に「第4」は、この曲の真髄を突いた最高級の表現であり、そのようなベームとブラームスの相性の良さを感じさせる名演だと思う。

こうした構造の精緻な音楽はベームも最も得意とするところだが、録音当時80歳、寂寥感とか哀愁を感じさせるところが少なくない。

中庸のテンポで、決して奇を衒うことなくオーソドックスな演奏をしているが、平板さや冗長さは皆無であり、ブラームスの音楽の素晴らしさ、美しさ、更には、晩年のブラームスならではの人生のわびしさ、諦観などがダイレクトに伝わってくる。

ベームは、その自伝に著しているように、造型を大切にする指揮者であるが、凝縮度は壮年期に比して衰えは見られるものの、全体の造型にはいささかの揺るぎもみられない。

一方、「第3」は、まとめるのがなかなか難しい曲だけに、「第4」ほどの名演ではないと思うが、全篇ゆったりと恰幅の良いテンポに、中身がぎっしり詰まっている。

第2楽章の濃厚な歌はまるで夢うつつの天国的気分、第3楽章には枯れた味わいなど、いかにも晩年のベームならではの至芸を味わうことができるが、それでいて、両端楽章の地を抉るような深いリズムなど一瞬たりとも集中の途切れることがない。

それにしても、この頃(1970年半ば)のウィーン・フィルは音の厚みとともに合奏が途轍もなく強力だ。

1950年代後半から1960年代初頭にかけての絶頂期以来、もうひとつの頂点にあったのではないだろうか。

セッションだけあって盛り上がりはいまひとつとも言えるかもしれないし、ライヴなら全体として、もっと燃え立った表現になっていると思われるが、それを補って余りある緻密で味の濃い演奏は、LP時代から未だに離れられないでいる。

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2017年01月04日


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シュタルケルのブラームス・チェロ・ソナタ集は1979年のエラート音源で、ピアニストはジェルジ・シェベックだが、これは彼らにとって第2回目のセッション録音となり同メンバーによる1964年のマーキュリー音源とは別物になる。

メンデルスゾーンのチェロ・ソナタをカップリングしてあるマーキュリー盤は現在単独でもセット物でも選択肢が多いが、当CDは3回目のベートーヴェン・チェロ・ソナタ全集と同様アペックスからのリイシュー廉価盤で、現在ワーナーのイコン・シリーズの10枚組かこのアペックス盤のみで入手可能だ。

第1回目の録音から更に15年を経たシュタルケルの解釈は大きな変化を遂げたわけではないし、テンポも第1番の第1楽章がややゆったりしている他は殆んど変わっていない。

むしろ様式の洗練によってブラームスの対位法が更に明確になり派手なアピールこそないが、それだけにハッタリのない、しかし圧倒的な余裕と確信を感じさせる演奏と言えるだろう。

ブラームスのチェロ・ソナタ第1番ホ短調は彼が32歳の時に完成した作品で、素朴な民謡風の語り口調の冒頭とバッハの『フーガの技法』から採り入れたテーマによる終楽章のフーガがこの曲に意欲的な性格を与えている。

それとは対照的に第2番ヘ長調はブラームス53歳の円熟期の曲で、おおらかに歌い上げるカンタービレと自在に変化する細やかな曲想が印象的だ。

シュタルケルは回を重ねるごとに解釈を切磋琢磨して、よりシンプルだが作品の核心を衝く磨き抜かれた演奏を遺しているが、この2回目の録音でも曲想にのめり込むことなく確実なテクニックに裏付けられた表現で作品全体に毅然とした輪郭を与え、硬派のロマンティシズムを聴かせている。

ピアニスト、ジョルジ・シェベックはシュタルケルとは同郷の朋友でハンガリー時代からの協演者だが、彼の演奏は常に明快でチェロを巧みに引き立てるだけでなく、時には大胆な音響でソロに拮抗している。

録音状態は当時のものとしては極めて良好で、溌剌とした擦弦音をも捉えた生々しい音質が再現されている。

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2016年12月07日


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バルビローリは、どちらかと言えば北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、手兵のハレ管弦楽団を始め、フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団など、英国のオーケストラとの間で素晴らしい名演の数々を遺しているが、次いで独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られている。

何よりも、ベルリン・フィルの楽団員や芸術監督のカラヤンがバルビローリに対して敬意を有していたことが何よりも大きいとも言える。

これに対して、ウィーン・フィルとの相性は、巷間あまり良くなかったとも言われている。

確かに、バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集、管弦楽曲集のみであるところであり、こうした点にもそれが表れていると言えるのかもしれない。

しかしながら、ウィーン・フィルとの唯一のスタジオ録音となるブラームスの交響曲全集、管弦楽曲集は素晴らしい名演だ。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、確かに、ブラームスの各交響曲の緩徐楽章における情感豊かな演奏には、そうしたバルビローリの芸術の真骨頂が見事にあらわれている。

それ故に第2番や第4番がとりわけ名演との誉れ高いのは当然のことであるが、マーラーの交響曲を得意としていただけあって、ドラマティックな表現や強靭さを基調とする演奏も頻繁に行っていたことを忘れてはならない。

交響曲第1番も、バルビローリ=抒情的でヒューマニティ溢れる演奏をする指揮者というある種の固定観念を覆すに足る力強い演奏を行っている。

冒頭の序奏からして凄まじいまでの迫力を誇っており、主部に入ってからの堂々たる進軍は、ゆったりとしたテンポによる微動だにしない威容を誇っている。

終楽章も決して急がない音楽ではあるが、頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

もちろん、第2楽章の枯淡の境地とも評すべき情感豊かな表現は、バルビローリならではのヒューマニティ溢れるもので、抗し難い魅力に満ち溢れている。

交響曲第2番の演奏は、バルビローリとウィーン・フィルの相性の良くなかったとの評価が果たして正しかったのかどうか再検証が必要なほどの名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

何よりも、第2番という楽曲の性格とバルビローリの芸風が見事に符号している点が大きく、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするという指揮芸術の在り様が第2番と見事に合致。

同曲の随所に聴くことが可能な枯淡の境地とも評すべき名旋律の数々を、バルビローリは、これ以上は求め得ないほど情感豊かに歌い抜いているところであり、そのヒューマニティ溢れる表現の美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

もっとも、終楽章の終結部における頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力においてもいささかも不足はなく、これはバルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

併録の悲劇的序曲も、バルビローリならではの素晴らしい名演だ。

交響曲第3番も第1番と同様、バルビローリ=抒情的でヒューマニティ溢れる演奏をする指揮者というある種の固定観念を覆すに足る力強い演奏を行っている。

第1楽章冒頭からして凄まじいまでの迫力を誇っており、主部からの堂々たる進軍は微動だにしない威容を誇っている。

終楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

もちろん、第2楽章及び第3楽章の枯淡の境地とも評すべき情感豊かな表現は、バルビローリならではのヒューマニティ溢れるもので、抗し難い魅力に満ち溢れている。

ハイドンの主題による変奏曲は、各変奏曲の描き分けが実に巧みであり、名匠バルビローリならではの老獪な至芸を堪能することが可能な素晴らしい名演に仕上がっている。

交響曲第4番の演奏は、バルビローリ&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも白眉とも言うべき素晴らしい名演だ。

この両者の相性の良くなかったとの評価が果たして正しかったのかどうか再検証が必要なほどの名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

何よりも、第4番という楽曲の性格とバルビローリの芸風が見事に符号している点が大きく、第2番と同様に抒情的でヒューマニティ溢れる指揮芸術の在り様が第4番と見事に合致。

同曲の随所に聴くことが可能な人生の諦観を感じさせる枯淡の境地とも評すべき名旋律の数々を、バルビローリは、これ以上は求め得ないほど情感豊かに歌い抜いているところであり、そのヒューマニティ溢れる表現の美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

もっとも、第3楽章における畳み掛けていくような気迫と生命力においてもいささかも不足はなく、これはバルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

終楽章の各変奏の描き分けの巧みさは、名匠バルビローリの老獪な至芸を十分に満喫することが可能だ。

そして全体的に、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリならではの懐の深さをあらためて再認識させるとともに、情感溢れる指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演集と高く評価したい。

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2016年11月01日


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ドイツ・グラモフォンからブラームス・エディション全8巻が刊行されたのは、確か作曲家の没後100周年を前にした1996年だったと思う。

しかしその全集と更に翌年のベートーヴェン全集に組み入れられた交響曲全集はカラヤン&ベルリン・フィルのものだった。

確かに人気、実力ともに彼らの演奏は圧倒的な強みを持っていたので、当然と言えば当然の選択だったのかも知れない。

だがベーム&ウィーン・フィルによる交響曲全集はあくまでもウィーン流美学にこだわったブラームスで、他の指揮者やオーケストラでは替え難い魅力を持っており、このコンビのスタイル全開の演奏を堪能できるものだ。

また随所に聴かれるソロ・パートやアンサンブルの巧みさ、弦の響きの瑞々しさとウィンナ・ホルンの渋い音色などがベーム晩年の鷹揚かつ洗練された手法で絶妙に統合されている。

交響曲第1番の冒頭や終楽章の追い込みでもベームの指揮はことさら個性を強調したものではないし、迫力を誇示するようなハッタリもない自然体が基調だ。

それは音楽自体が内包するエネルギーの開放であり、オーケストラをこれだけ美しく響かせながら律儀に構築されたブラームスも珍しいのではないだろうか。

緩徐部分では秋の日の静かな森の中を散策しているような木の葉のざわめきや木漏れ日をイメージさせる。

第2楽章での官能的なソロ・ヴァイオリンは当時のコンサート・マスター、ゲルハルト・へッツェルが弾いている。

交響曲第2番は第1番の張り詰めた緊張感から開放された、安らぎと機知に富んだ作曲家のアイデアが面目躍如だ。

冒頭のテーマがウィンナ・ホルンの牧歌的な響きを充分に醸し出していて、この曲全体の雰囲気を決定しているのも印象的だ。

また終楽章でも決して羽目を外さない厳格さには、流石にブラームスを知り尽くしているベームの頑固なまでに堅実な指揮ぶりが健在である。

第3番冒頭のブラス・パートの荘厳な響きは決してスペクタクルな効果を狙ったものではないが、このオーケストラの伝統を背負うような重厚なハーモニーだ。

またしばしば現れる管楽器のソロも弦楽器のたゆとうようなメロディーも、ベームの采配によって雄弁にまとめられている。

第3楽章ポコ・アレグレットのひたひたと忍び寄るような諦観も彼ら独自の表現である。

当時のウィーン・フィルはコンサート・マスターのへッツェルを始めとしてフルートのトリップ、クラリネットのプリンツ、ファゴットのツェーマンやホルンのヘーグナーなどの首席奏者達の全盛期で、彼らがウィーン・フィルの音色やウィーンの演奏スタイルを決定していたと言っても過言ではないだろう。

また第4番冒頭の瑞々しい哀愁も、カラヤン&ベルリン・フィルとは全く異なった枯淡の味わいを持っている。

しかしそれは脆弱さとは無縁で、第2楽章の静謐だが溢れんばかりの幸福感に満たされたオーケストレーションの処理や終楽章パッサカリアの造形美の鮮やかさもベームの卓越した指揮法に負っている。

カップリングには、『ハイドンの主題による変奏曲』、クリスタ・ルートヴィヒのメゾ・ソプラノとウィーン楽友協会の男声コーラスが加わる『アルト・ラプソディー』、そして『悲劇的序曲』の3曲が収録されている。

彼らが『大学祝典序曲』を残してくれなかったのは残念だが、これらの作品にもウィーンの演奏者ならではの情緒が滲み出ている。

それは後半生を同地で過ごしたブラームスの作品の解釈において、ひとつの流儀として受け継がれているのではないだろうか。

『ハイドンの主題による変奏曲』は、端正な音楽作りと上品な佇まいで、数多いこの曲の演奏の中では傑出したセッションと言える。

『アルト・ラプソディー』で歌われるゲーテの『冬のハルツ紀行』は、まさに当時のブラームスの心境を反映させた内面的な独白をアルト・ソロに託している。

クリスタ・ルートヴィヒはウィーン出身ではないが、ベームの薫陶を受けた歌手だけあって指揮者のこだわりをわきまえた理知的で、しかもリリカルになり過ぎない手堅い表現が秀逸だ。

『悲劇的序曲』では、ベームはこの作品のタイトルを額面通りに受け止めるのではなく、むしろ古典派的な様式感を感知させることに注意を払っているようで、それだけにドラマティックな表現はいくらか控えめに留めている。

録音場所は総てウィーンの黄金ホールと呼ばれるムジークフェラインのグローサー・ザールで、1870年オープンの歴史的コンサート・ホールだ。

この演奏会場は内部装飾の豪華さもさることながら、残響の潤沢なことでも良く知られている。

因みに残響時間は1680人の満席時で2秒なので、当然聴衆のいないセッションでは更に長くなる。

曲種によってはそれがいくらか煩わしいこともあるが、こうした純粋なオーケストラル・ワークでは最良の効果を発揮できる。

録音は1975年から77年にかけてのベーム最晩年のセッションになるが、音楽的な高揚と充実感は全く衰えておらず、音質はこの時代のものとしては極めて良好で、楽器間の分離状態、高音の伸びや潤いも時代を感じさせず、臨場感にも不足していない。

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2016年10月16日


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ベルナルト・ハイティンクとヨーロッパのオーケストラでは最高水準を誇るコンセルトヘボウによるブラームスのオーケストラ・ワーク集で、7枚のCDに声楽が加わらない管弦楽曲と協奏曲が網羅されている(ただしハンガリー舞曲は第10番までになる)。

いずれにしても1人の指揮者が同一の作曲家の作品を同じオーケストラでこれだけ録音すること自体稀であり、ハイティンクのブラームスに賭ける情熱とその徹底ぶりが窺える。

4曲の交響曲はハイティンクのスコアへの深い読み取りが手に取るように実現されていて、それがかえってインスピレーションに乏しい無個性で学究的な演奏と受け取られる為か、日本での彼への評価はいまひとつ相応なものではない。

だが実際には細部までコントロールの行き届いたオーケストレーションの再現は、理性と感性とのバランスの調和であり、大見得を切るような表現こそないが非常に味わい深い、まさに大指揮者の風格をもっている。

ハイティンクの棒に従うコンセルトヘボウの巧さと音色の美しさも特筆される。

2曲のピアノ協奏曲のソロを弾くクラウディオ・アラウはピアノを響かせることを熟知していた巨匠だった。

衝撃的な音質を一切避けた潤いに満ちたおおらかで悠然と奏でる音楽のスケールは大きく、良い意味での古き良き時代を髣髴とさせるロマンティックな演奏だが、それは時代を超えた魅力に溢れている。

両方とも廃盤になって久しかったものの復活になる。

一方ヴァイオリン協奏曲のソロはシェリングで、円熟期特有のやや内省的で緻密な音楽設計による表現は、しばしば精彩を欠いた演奏として批判されるが、改めて聴き直してみると、音楽の内部に向かって注がれる集中力と気高い音楽性は決して低く評価されるものではない。

また同様のコンセプトでサポートするハイティンク&コンセルトヘボウの一糸乱れぬ統率感とアンサンブルの巧みさも秀逸。

二重協奏曲も非常に完成度の高い仕上がりで、シェリングとシュタルケルの水も漏らさぬデュエットが聴き所だ。

それはひとえに両者間の協調から生み出されるもので、ブラームスの作品らしく殆ど峻厳とも言える音楽的な密度の濃さと、その演奏から醸し出される独特の透明感は一種冒し難い雰囲気さえある。

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2016年05月12日


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メロディアからリリースされたレオニード・コーガン(1924−82)生誕90周年記念の協奏曲集である。

ブラームスがピエール・モントゥー指揮、ボストン交響楽団との1958年のモノラル・ライヴ、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲及びソロ・ヴァイオリンとオーケストラのための『瞑想』はコンスタンティン・シルヴェストリ指揮、パリ音楽院管弦楽団との1959年のステレオ・セッション録音になる。

ブラームスでは速めのテンポで疾駆するコーガンのソロが全曲を席捲していて、曲自体の持っている豊かなカンタービレとブラームス特有のうねるような情緒がいくらか萎縮してしまっている印象を受ける。

確かに強靭な精神力で弾き切っているのは事実でその緊張感と集中力は凄まじいが、音楽の流れがせわしくもう少し余裕が欲しいところだ。

モノラル録音で音響もデッドなので尚更そう聴こえるのかも知れない。

モントゥーは同年にシェリングともこの曲を録音しているが、テンポ設定はずっと落ち着いていてダイナミズムもきめ細かいしオーケストラに遥かに多くを語らせていて、シェリングの白熱のソロを見事にサポートしている。

尚このライヴでは何故か楽章ごとに拍手喝采が入っていて多少煩わしく感じられる。

一方チャイコフスキーはコーガンの持ち味が縦横に発揮された秀演で、ロマンティックな歌心と隙のない表現力が相俟って、彼の協奏曲の録音の中でも代表的なもののひとつに数えられるだろう。

第一声のテーマの歌い出しの美しさや第2楽章に湛えられた冷やかな抒情から終楽章のキレの良いテクニックを駆使した追い込みまでが大きなスケールで再現されている。

シルヴェストリ率いるパリ音楽院管弦楽団も良く統制されて巧妙なバックアップでコーガンを支えている。

最後に置かれた同メンバーによる『瞑想』は大曲の後の余韻を味わう贅沢なアンコール・ピースといったところで、こうした小品にもコーガンの技巧一点張りではないデリカシーが表出されている。

メロディア・レーベルのジャケットのデザインや装丁は相変わらず洒落っ気がないが、彼らもデジパック仕様を始めた。

CD化で初出のライヴと書かれてあるが、ライヴはブラームスだけで、チャイコフスキーの2曲は質のよいステレオ録音で、録音データが1959年としか表示されておらず、また客席からの雑音や拍手が全く聞こえないのでセッションだろう。

ブラームスはカナダのドレミ・レーベルから既にCD化されていたが、正規音源を使ったLPからの板起こしと思われる。

挿入されたライナー・ノーツには露、英、仏語の簡易な曲目解説とコーガンへの賛辞が掲載されている。

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2016年04月15日


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本盤に収められたブラームスの交響曲全集は、カラヤン&ベルリン・フィルによる3度目の、そして最後のスタジオ録音である。

それだけでなく、数多くの様々な作曲家に係る交響曲全集のスタジオ録音を行ってきた、史上最高のレコーディング・アーティストであるカラヤンによる最後の交響曲全集にも相当する。

3度にわたるカラヤン&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、1977〜1978年に録音された2度目の全集であると考えられる。

というのも、この当時はカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期であったと言えるからだ。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

当該2度目の全集においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっていた。

これに対して、本盤の3度目の全集においては、カラヤンの統率力の衰えは隠しようもない。

1982年に勃発したザビーネ・マイヤー事件によって、カラヤンとベルリン・フィルの間には修復不可能な亀裂が入るとともに、カラヤン自身の著しい健康悪化も加わって、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏に、1970年代以前のような輝きが失われるようになったからだ。

したがって、いわゆるカラヤンの個性が全開であるとか、はたまたカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築と言った観点からすれば、第1番などには全盛期の豪演の片鱗が感じられなくもないが、前述の1977〜1978年の2度目の全集と比較するといささか劣っていると言わざるを得ない。

しかしながら、本演奏には、死の1〜3年前の演奏ということもあって、枯淡の境地を感じさせるような独特の味わいがあると言えるところであり、このような演奏の奥深い味わい深さと言った点においては、カラヤンによるこれまでのいかなる演奏をも凌駕していると言えるだろう。

このような奥行きのある味わい深さは、カラヤンが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地であったと言えるのかもしれない。

もっとも、本盤においては、何故か交響曲第4番について1988年の録音ではなく、1977〜1978年の2度目の全集中の録音を採用している。

演奏自体は1977〜1978年の演奏もきわめて優れてはいるのであるが、全集の構成としてははなはだ疑問を感じずにはいられない。

最近になって、最後の全集が輸入盤で発売はされたが、このような疑問を感じさせるカップリングについては、早急に改めていただくようにユニバーサルに対して要望しておきたい。

音質は、従来盤でも十分に満足できるものであると言えるが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤がより良好な音質であった。

もっとも、カラヤンによる最晩年の至高の名演でもあり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2016年04月07日


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2008年に38年に亘った演奏活動に終止符を打ったアルバン・ベルク四重奏団が、その全盛期に録音した、彼らにとっては2度目に当たるブラームスの3曲の弦楽四重奏曲とピアノ五重奏曲へ短調を収録した2枚組リイシュー盤になる。

当時のメンバーは結成当時からの第1ヴァイオリンのギュンター・ピヒラー及びチェロのヴァレンティン・エルベンの他、第2ヴァイオリンがゲルハルト・シュルツ、ヴィオラがトマス・カクシュカで、ピアノにはブラームスのスペシャリスト、エリーザベト・レオンスカヤを迎えている。

アルバン・ベルク四重奏団のブラームスは彼ら特有の鋭い感性に貫かれた演奏であるために、ある意味で聴く人を選んでしまうかもしれない。

しかもここに収められた4曲は作曲家が推敲に推敲を重ねた結果の、ひたすら個人的な思索の所産に他ならず、多くの聴衆を想定した音楽ではないからだ。

それはベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲にも喩えられるだろう。

人によってはいたたまれないくらい厳しい曲想だろうし、また好む人にとっては逆に限りなく深みのある室内楽のエッセンスが堪能できるといった複雑なプロフィールは、聴く人におもねることのないブラームスの気質を窺わせている。

楽器の扱いにも細心の注意が払われていて、例えば第3番変ロ長調第3楽章では、ブラームスが生涯に亘って愛着を示したヴィオラをリードさせる魅力的なスケルツォが展開する。

ここではトマス・カクシュカの精緻だがエネルギッシュなヴィオラ・パートが聴きどころだ。

彼らの持ち味でもある緊密なアンサンブルや強い集中力、そして果敢な表現力が縦横に駆使された熱演だが、一方で現代的に洗練されたクールなセンスが、これらの作品を通じて新時代のブラームス像を提示しているのではないだろうか。

ピアノ五重奏曲では当時既にブラームスでは一家言を持っていたベテラン、レオンスカヤが協演しているが、主導権を握っているのはアルバン・ベルク側で、これはポリーニ、イタリア四重奏団とは好対照をなしている。

後者はあたかもピアノ協奏曲のような華やかさがあって、輝かしくスケールの大きなブラームスに仕上がっているが、レオンスカヤ、アルバン・ベルクはあくまでも室内楽という範疇でのブラームスの小宇宙を描いた演奏と言えるだろう。

彼ら自体かなり個性的なカルテットなので外部からの協演者が入ると、時としてよそよそしい雰囲気が露呈されることが無きにしも非ずだが、この曲に関しては成功しているといって間違いない。

尚音源は1987年6月21日にウィーン・コンツェルトハウスのモーツァルト・ザールで行われたライヴ録音になる。

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2016年03月28日


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プラガ・ディジタルスの新シリーズ、ジェニュイン・ステレオ・ラブからの左手のためのピアノ曲集第2集になり、第1集のヴィトゲンシュタインに続いてチェコのピアニスト、オタカー・ホルマン(1894-1967)に因んだ作品を中心に4曲が収録されている。

日頃コンサートやメディアを通して鑑賞する機会の少ない曲種を集めた面白い企画に興味をそそられて買った1枚。

ヴィトゲンシュタイン同様ホルマンも第一次世界大戦で右手の機能を失い、左手のみでコンサート活動を続けたピアニストの1人だ。

彼のために作曲されたのがヤナーチェクの『カプリッチョ』及びマルティヌーの小協奏曲で、前者はフルート、トランペット2、トロンボーン3、チューバのブラス・アンサンブルにピアノの左手がソロとして加わるユニークな楽器編成を持っている。

ヤナーチェク特有の発話旋律が使われた、泥臭さはあるが語りかけるような生き生きしたリズム感とピアノ・パートが超然として斬新な音響を創造している。

一方マルティヌーのそれは『ディヴェルティメント』の副題が示すようにいくらか取り留めのない嬉遊性を感じさせる3楽章の協奏曲に仕上げられた曲だ。

他の2曲はブラームスの『左手のためのシャコンヌニ短調』とリヒャルト・シュトラウスのピアノ協奏曲『家庭交響曲からのパレルゴン』になる。

ブラームスの『シャコンヌ』は右手の故障で演奏活動を休止していたクララ・シューマンの慰みのために編曲されたと言われている。

バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調の終曲『シャコンヌ』の骨格と和声を忠実にピアノの左手に移したもので、ヴァルター・クリーンの1964年のラジオ・ライヴから採られている。

クリーンは伴奏家としてもグリュミオーとの協演で知られたピアニストだがブラームスのスペシャリストでもあり、ここでは骨太で力強い彼のソロを聴くことができる。

シュトラウスの方はヴィトゲンシュタインの要請に応える形で自作の『家庭交響曲』からのモチーフを取り入れて作曲され、フリッツ・ブッシュ指揮、ヴィトゲンシュタインのソロで初演された。

単一楽章で書かれていて後半部はタティアーナ・ニコラーエワの超絶技巧を、ロジェストヴェンスキーが華麗で堂々たるオーケストラでサポートしたモスクワ・ライヴになる。

第1集に比べて曲目の知名度がそれほど高くないために音源の選択肢も少なく、それだけに貴重なアルバムだ。

録音状態は概ね良好で鑑賞に難はない。

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2016年03月15日


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アバドはブラームスの楽曲を数多く指揮しており、交響曲や管弦楽曲、協奏曲、声楽曲などあらゆる分野の楽曲の演奏・録音を行っているが、アバドの芸風に符号した楽曲も多いこともあって、少なくともベートーヴェンよりは多くの名演を遺していると言えるのではないだろうか。

そうしたアバドによる数あるブラームスの楽曲の名演の中でもトップの座を争うのは、ブレンデルと組んだピアノ協奏曲第1番(1986年)と本盤に収められたハンガリー舞曲集ではないかと考えている。

本ハンガリー舞曲集については、ブラームスが生誕150年を迎えるのを記念して録音が行われたものであるが、古今東西の指揮者による同曲の多種多様な演奏の中でも、フィッシャー&ブダペスト祝祭管による名演(1998年(旧盤(1985年)も名演であるが、どちらを上位にするかは議論の余地があるところだ。))と双璧を成す至高の超名演と高く評価したい。

本演奏においては、何よりもアバドの指揮が素晴らしい。

この当時のアバドは次代を担う気鋭の指揮者として、ロンドン交響楽団などと素晴らしい名演の数々を行っていた時代である。

ここでも、そのような気鋭の指揮者アバドならではの生命力溢れる力強さとともに、豊かな歌謡性に満ち溢れた快演に仕上がっている。

ハンガリー舞曲はごくごくソフィスティケイトされた形ではあるけれどハンガリー・ジプシー音楽が直接あるいは間接に取り入れられた作品。

そのエキゾチックな雰囲気を、アバドとウィーン・フィルがきびきびした足取りと抜群のアンサンブルでたっぷりと楽しませてくれる。

確かに、本演奏には、前述のフィッシャー盤のような民族色の濃さは感じられないが、豊かな音楽性や歌謡性、そして湧き立つような躍動感においては、ハンガリー舞曲集の演奏としていささかも不足はないと言えるだろう。

このようなアバドとともに、豊穣な美しさを誇る名演奏を繰り広げたウィーン・フィルにも大きな拍手を送りたい。

本名演の成功の半分はアバドの指揮によるものであるが、ウィーン・フィルの優美にして豊麗な響きも、本演奏に独特の魅力や味わい深さを付加していることを忘れてはならない。

録音は、従来盤でも十分に満足し得る音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質がより鮮明になるとともに、音場が広がったように思われる。

アバド&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2016年02月13日


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このCDの特徴は先ずダヴィッド・オイストラフによるブラームスが作曲したソロ・ヴァイオリンとピアノのための作品全4曲が収録されていることで、これ迄に個別にしかリリースされていなかったものを1枚のCDにまとめた画期的な企画と言える。

また総てがライヴ録音だが幸い音質が極めて良好なステレオ音源で、客席からの雑音や拍手は入っているが、鮮明な音像が再現されている。

オイストラフのスコアへの読み込みの深さと共に押し出しの良い堂々たる表現力、そしてストラディヴァリウス "マルシック" の磨き抜かれた明るく艶やかな音色が全曲を通じて堪能できるアルバムだ。

オイストラフは生前ブラームスのヴァイオリン・ソナタをセッション、ライヴを含めると全曲録音している。

ただし全曲集としての企画ではなく、それぞれが異なった機会のために演奏されたもので、協演のピアニストは少なくとも4人いる。

リリースしたレーベルについては複雑になるので省略するが、それらの音源は第1番ト長調『雨の歌』がオボーリンとの1957年及びこのCDに収められているバウアーとの1972年盤があり、第2番イ長調にはモスクワとザルツブルク・ライヴの2種類のリヒテルとの1972年盤が存在し、第3番ニ短調では1955年及び1957年にヤンポリスキー、1966年にはバウアーと、そして1972年にはリヒテルとも協演している。

しかしヨアヒムに献呈されたF.A.E.ソナタのスケルツォハ短調に関してはここに収められた1968年のリヒテルとのライヴが唯一の音源らしい。

スケルツォハ短調はシューマン、ディートリヒ、ブラームスの合作によるヴァイオリン・ソナタの第3楽章として作曲されたもので、オイストラフの毅然として打ち込むようなリズムにリヒテルの緊張感に充ちたピアノが煽るような躍動感を響かせ、短い中間部では両者が息の合った硬派のカンタービレを聴かせる魅力的な小品に仕上がっている。

尚この曲集では何故かヴァイオリン・ソナタ第3番をリヒテルではなくバウアーとのプラハ・ライヴを選んでいる。

勿論バウアーは伴奏者としても独自の主張を持った優れたピアニストだったので、隙のない華やかなフィナーレを飾って盛大な拍手を受けていて、むしろこのCDでは最もスケールが大きく劇的な演奏をしている。

リヒテルの伴奏については、そのきめ細かい表現とアンサンブルの巧さは言うまでもないが、オイストラフとは一番相性の良かったピアニストではないだろうか。

オイストラフ&リヒテルによる全曲録音が遺されなかったことが惜しまれる。

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2015年09月28日


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1曲目のゴールトマルクの『ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調』は、ミルシテインの洗練を極めたヴァイオリンの音色とそのテクニックが驚異的で、この曲の真価を正統的に示した名演と言えるだろう。

ハンガリーの作曲家、カロリー・ゴールトマルクのこの作品は、作曲年代からすれば後期ロマン派の範疇に属しているが、ミルシテインは艶やかで透明な音色をフルに活かしながらも、恣意的な表現や感傷を斥け潔癖とも言える解釈で作品の構造と本来のロマン性を明らかにしている。

この時代において早くも耽美的な演奏から脱却し、よりモダンなヴァイオリン奏法を実践したヴァイオリニストとしてのミルシテインの存在は鮮烈な印象を与えている。

全曲を通じて非常に完成度の高いセッションだが、とりわけ終楽章のポロネーズのリズムに乗った天翔るような自由闊達さとカデンツァの覇気に満ちた推進力は格別だ。

ハリー・ブレック指揮するフィルハーモニア管弦楽団との協演で、筆者が過去に聴いたこの曲の録音の中でも傑出した演奏だと断言できる。

2曲目のブラームスでも切れ味の良いソロが冴え渡っているが、第1楽章のカデンツァはミルシテイン自身の手になるもので、通常多くのヴァイオリニストが弾くヨアヒムやクライスラー版とはまた趣きを異にしたオリジナリティーを感じさせる。

第2楽章のカンタービレでも曲想の流れに任せる古いロマンティシズムの表現とは常に一線を画した、高踏的なスタイルをミルシテインが既に確立していたことが理解できる。

終楽章では歓喜する輝かしいヴァイオリンの動きにぴったり寄り添うフィストゥラーリ指揮によるフィルハーモニア管弦楽団のドラマティックに盛り上がるサポートも聴きどころだ。

ゴールトマルクが1957年、ブラームスが1960年のロンドンにおけるセッション録音で、どちらもエンジェルのオープン・リール・ステレオ・テープからのDSDリマスタリングと記載されている。

オリジナル・マスターの保存状態も良く、SACD化の効果も明瞭に出ている成功例のひとつだ。

尚最後に置かれたバッハの『無伴奏パルティータ第2番』からの「シャコンヌ」は全曲演奏ではなく何故か6分52秒で終わっている。

ライナー・ノーツには1956年8月6日のザルツブルク・ライヴからのプライベートなモノラル音源と表記されているが、不思議にもライヴ特有のノイズは全くない。

この演奏も透徹したミルシテインの緊張感とその音質が素晴らしいだけに中途半端な編集が惜しまれる。

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2015年08月18日


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ブラームスの交響曲全集は、現在カタログには40種類以上の現役盤がひしめいているが、結局、魅力度ということにかけては、ショルティ&シカゴ交響楽団が、圧倒的な貫禄であたりを睥睨している。

ショルティは先輩格のカラヤンと同様に、極めて広範なレパートリーを誇っており、数多くのレコーディングを行ったところであるが、意外な有名曲の録音をなかなかしなかったということがあった。

例えば、本盤に収められたブラームスの交響曲全集については、1977年〜1979年になって漸く初録音したところである。

その理由は定かではないが、まさに満を持して録音に臨んだだけに、スケールの大きな巨匠風の表現で、ショルティの名声をいささかも傷つけることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。

演奏内容は、1970年代のベートーヴェンの交響曲全集同様、きわめて剛直・骨太で構築的な仕上がりを見せるが、叙情的な場面での気遣いもなかなかのもので、オーケストラのパワーと表現力がフルに生かされたきわめて立派な演奏である。

ブラームスにおけるショルティのアプローチは、例によって強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。

ショルティは機能的に優秀なシカゴ交響楽団の名人芸をフルに発揮させて、タカ派とも言えるエネルギッシュで、戦闘的なブラームス像を描き上げている。

それでいて、1970年代後半に入ってショルティの指揮芸術にも円熟の境地とも言うべきある種の懐の深さ、奥行きの深さが付加されてきたところであり、本演奏にもそうした点が如実にあらわれている。

要は、ショルティを貶す識者が欠点と批判してきた力づくとも言うべき無機的な強引さが本演奏においては影を潜め、いかなる最強奏の箇所に至っても、懐の深さ、格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

スケールも雄渾の極みと言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれたスケール雄大な演奏というのが本演奏の特質と言えるのかもしれない。

更にはブラームスの絶対音楽としての魅力を十分に堪能させてくれる本演奏に対しては、文句は言えないのではないかと考えられるところだ。

いかにもショルティらしい表現で、どの曲も堅固な造形でまとめられ、それが同時にショルティの資質と音楽的な特色を示している。

交響曲ではスコアに指定された反復を全て実行し、しかも各曲それぞれの性格が鮮明に表されているのが素晴らしい。

例えば第1番は妥当なテンポで堅実にまとめられながらも、そこに作品に必須の豪快さや劇性が存分に示されているのだ。

加えて第2番の風格豊かで明朗な歌、第3番の古典的な語法とロマン的内容のバランスのよさ、第4番の精妙にブレンドされた響きなど、現代的なコンセプトによるブラームスの典型的演奏と言って良い。

2曲の序曲とハイドンの主題による変奏曲も精緻な表現である。

そして、本演奏において更に素晴らしいのはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

ショルティの指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を壮絶な名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

セッションに使用された会場は、ショルティ&シカゴ交響楽団黄金時代のサウンド・イメージを世界に広めたシカゴのメディナ・テンプルで、名エンジニア、ケネス・ウィルキンスンの手腕が奏功してか、30年経った現在聴いても実に素晴らしいサウンドである。

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2015年08月11日


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このCDの音源はリヒテル・アメリカ・デビュー盤のひとつとしてLP時代から評価の高いものだった。

過去にはラインスドルフ&シカゴ響とリヒテルの爆演のように言われたこともあるが、良く聴いてみるとシカゴ響はラインスドルフによって非常に良くコントロールされていて、力強いが野放図な音を出しているわけではなく、リヒテルも決して力に任せて対決するような姿勢ではない。

そこには極めてスケールの大きい音楽的な構想を持ったピアニズムが展開されていて、両者の張り詰めた緊張感の中に溢れるほどのリリシズムを湛えた演奏が感動的だ。

またリヒテル壮年期の水も漏らさぬテクニックの冴えもさることながら、第3楽章を頂点として随所にあらわれる抒情の美しさが如何にもリヒテルらしい。

一方ここにカップリングされたベートーヴェンのピアノ・ソナタ『熱情』は同年にニューヨークのカーネギー・ホールで録音されたもので、当初はもう1曲の『葬送』と共にリリースされた。

この2曲のソナタは2004年にXRCD化もされているが、リヒテルの凄まじい集中力と緊張感の持続が恐ろしいほど伝わってくる。

彼自身はこの演奏を嫌って失敗作のように言っていたが、音楽的な造形からも、またその表現力の幅広さと強烈なダイナミズムからもベートーヴェンに相応しい曲作りで、本人ならともかく、あらを探すような次元の演奏ではないと思う。

1960年にリヒテルはアメリカにおいて一連のセッション及びライヴから当地でのファースト・レコーディングを行っているが、このCDに収められている2曲もその時の音源で、リヴィング・ステレオの良質なマスターが今回のDSDリマスタリングによって更に洗練された音質で蘇っている。

ソニー・クラシカル・オリジナルスは古い音源を最新の技術でリマスターして、それまでのCDとは異なった音響体験を提案している興味深いシリーズだが、何故か音源によってリマスタリングの方法が違う。

このCDではSACD用のDSD方式が採用されているが、同シリーズの総てのCDと同様レギュラーのCDに収めてあり、ミドル・プライスで提供しているのがメリットだ。

音質は鮮明で協奏曲ではシカゴ・オーケストラ・ホールの音響空間もよく再現されている。

またピアノも潤いのある自然で艶やかな音色が特徴で、オーケストラとのバランスも理想的だ。

尚ライナー・ノーツは10ページほどでLP初出時のオリジナルの解説が英、独、仏語で掲載されている。

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2015年07月02日


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筆者は、ウィーンに行くと、必ずウィーン国立歌劇場と、ムジークフェライン・ザールに行くことにしている。

ムジークフェライン・ザールは、コンサート専用のホールで、「黄金大ホール」といわれているように、ホールの内装は金ピカで、古き良き時代のオーストリアが、いかに音楽に対して贅をつくしていたかがよくわかる。

このホールは、音響効果の優れていることでも有名で、ホール全体が、あたかも楽器そのもののようである。

このロシアの巨匠ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団によるディスクは、1978年の6月、ウィーン芸術週間に、このホールで行われた演奏会のライヴ録音である。

このコンビによるブラームスの交響曲第2番の録音は、いままでに何枚か出ているが、今回のは、それらのものを遥かに凌ぐ名演奏で、この曲を完全に手中に収めた、悠然たる構えの表現である。

ムラヴィンスキーはドイツ古典派、ロマン派の音楽に深い造詣を持っていたことはよく知られている。

ムラヴィンスキーが来日公演で「ベト4」に聴かせたあの揺るぎなく格調の高い指揮ぶりは、優秀録音からもよく伝わってきて、深い感銘を残さずにはおかなかった。

この「ブラ2」でも堅固で明快な構成感を打ち出しながら、しかもその内側にブラームスのロマンをはっきりととらえた、力強く集中度の高い演奏を聴かせてくれる。

それはよく言われるようにこの交響曲の田園風の味わいというよりは、強靭で意志的なものを感じさせるが、そんなところがこの指揮者の厳しい格調に通じるものにも他ならないだろう。

眼光紙背に徹したスコアの読み方は人工的なほどだが、音として出てきたものはきわめて自然でしなやかで、純音楽的である。

淡々とした運びの中の自在な表情と無限の息づき、強弱のたゆたいや寂しさ、魔法のようなテンポの動きなど、センス満点の名演だ。

驚かさせられるのは、驚異的なダイナミックレンジの広さであり、フィナーレ冒頭の弱音とコーダにおける想像を絶する巨大さとの対比、それも先へ行くに従いどんどん熱を帯びて調子があがっていく様を当時の観客と共有できる。

さらに第2楽章の中間部から終わりまでの恐ろしいまでの充実度、ムラヴィンスキーの神業に震えがくる思いがする。

興味深いのが、まぎれもないブラームスの音楽でありながら、チャイコフスキーを思わせる部分が多々あることだ。

第1楽章終結部の弾むようなリズム感、また第3楽章中間部の木管の軽やかなアンサンブルなど、バレエ指揮で鍛えたムラヴィンスキーならではの独特な解釈にうならされる。

また、全体に音色が透明で、ことに弦楽の冷たい響きはロシア音楽のように聴こえる。

ただしロシア物を指揮するムラヴィンスキーと、ブラームスを指揮する彼では、微妙な相違があったような気がする。

ブラームスの場合には、どこか醒めていて、陶酔に陥るのを避けるべく自らをコントロールしているような演奏ぶりだ。

例えば第4楽章は、なんとも情熱的な演奏ぶりで聴き手を圧倒するものがあるが、ムラヴィンスキーその人は、仕掛人として終始冷静にことを運び、熱狂の渦の外に立っているようだった。

その姿は、まさしく「謹厳で冷徹な指揮者」というにふさわしいものであり、まさに「ロシアの大指揮者の目を通したブラームス」として目から鱗が落ちる思いがした。

そのうえ、巨匠的風格が曲のすみずみまでに滲み出ており、ライヴ独特のきりりと引き締まった緊張感が何とも素晴らしく、激しく心を揺さぶられる。

ウェーバーの「オベロン」序曲の演奏にも同様のことがいえ、ムラヴィンスキーはオーケストラをきりりと引き締め、一分の隙もない厳しい表現を行っている。

録音はムジークフェラインの響きとしてはやや乾いた印象を与えるとはいえ、一連の旧ソヴィエト録音よりはるかに条件は整っており、ムラヴィンスキーによる同曲の録音といえば、まずこの演奏を聴く必要があろう。

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2015年06月30日


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ワルターと言えば、モーツァルトの優美な名演の印象が強いだけに、誠実で温かみのあるヒューマンな演奏だとか、温厚篤実な演奏を行っていたとの評価も一部にはあるが、このブラームスの「第1」の熱い演奏は、そのような評価も吹き飛んでしまうような圧倒的な力強さを湛えている。

「第1」は、1959年の録音であるが、とても死の3年前とは思えないような、切れば血が吹き出てくるような生命力に満ち溢れた熱演だ。

もちろん、第2楽章や第3楽章の豊かな抒情も、いかにも晩年のワルターならではの温かみを感じさせるが、老いの影などいささかも感じられず、まさに、ワルター渾身の力感漲る名演と高く評価したい。

コロンビア交響楽団は、例えば、終楽章のフルートのヴィブラートなど、いささか品を欠く演奏も散見されるものの、ワルターの統率の下、編成の小ささを感じさせない重量感溢れる好演を示している点を評価したい。

ワルターによるブラームスの「第2」と言えば、ニューヨーク・フィルとの1953年盤(モノラル)が超名演として知られている。

特に、終楽章の阿修羅の如き猛烈なアッチェレランドなど、圧倒的な迫力のある爆演と言ってもいい演奏であったが、本盤の演奏は、1953年盤に比べると、随分と角が取れた演奏に仕上がっている。

しかしながら、楽曲がブラームスの「田園」とも称される「第2」だけに、ワルターの歌心に満ち溢れたヒューマンな抒情を旨とする晩年の芸風にぴたりと符合している。

第1楽章から第3楽章にかけての、情感溢れる感動的な歌い方は、ワルターと言えども最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地ではないかと思われる。

終楽章は、1953年盤に比べると、幾分角のとれた柔らかい表現にはなっているものの、それまでの楽章とは一転して、力感溢れる重量級の演奏を行っている。

コロンビア交響楽団は、金管楽器などにやや力不足の点も散見されるが、ワルターの統率の下、なかなかの好演を行っている。

「第3」は、巷間第1楽章や第4楽章の力強さから、ブラームスの「英雄」と称されることもあるが、筆者としては、むしろ、第2楽章や第3楽章の詩情溢れる抒情豊かな美しい旋律のイメージがあまりにも強く、ここをいかに巧く演奏できるかによって、演奏の成否が決定づけられると言っても過言ではないと考えている。

その点において、ワルターほどの理想的な指揮者は他にいるであろうか。

ワルターは、ヨーロッパ時代、亡命後のニューヨーク・フィルを指揮していた時代、そして最晩年のコロンビア交響楽団を指揮していた時代などと、年代毎に芸風を大きく変化させていった指揮者であるが、この最晩年の芸風は、歌心溢れるヒューマンな抒情豊かな演奏を旨としており、そうした最晩年の芸風が「第3」の曲想(特に第2楽章と第3楽章)にぴたりと符合し、どこをとっても過不足のない情感溢れる音楽が紡ぎだされている。

もちろん、両端楽章の力強さにもいささかの不足もなく、総体として、「第3」のあまたの名演でも上位にランキングされる名演と高く評価したい。

「第4」におけるワルターのアプローチは、何か特別な解釈を施したりするものではなく、むしろ至極オーソドックスなものと言えるだろう。

しかしながら、一聴すると何の仕掛けも施されていない演奏の端々から滲み出してくる憂愁に満ち溢れた情感や寂寥感は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

これは、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠が、その波乱に満ちた生涯を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きがあり、かかる演奏は、巨匠ワルターが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地にあるとも言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、ブラームスの「第4」の深遠な世界を心身ともに完璧に音化し得た至高の超名演と高く評価したい。

小編成で重厚さに難があるコロンビア交響楽団ではあるが、ここではワルターの統率の下、持ち得る実力を最大限に発揮した最高の演奏を披露しているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

併録の2つの序曲も名演で、特に、大学祝典序曲など、下手な指揮者にかかるといかにも安っぽいばか騒ぎに終始してしまいかねないが、ワルターは、テンポを微妙に変化させて、実にコクのある名演を成し遂げている。

悲劇的序曲は、「第2」の終楽章の延長線にあるような、力強い劇的な演奏となっており、ワルター円熟の名演と高く評価したい。

他方、ハイドンの主題による変奏曲は、めまぐるしく変遷する各変奏曲の描き分けが実に巧みであり、これまた老巨匠の円熟の至芸を味わうことができる名演と言える。

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2015年06月11日


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ティタニア・パラストにおける定期演奏会の実況録音であり、場内の咳ばらいが異常に多いが、そんなことが気にならないほど演奏は素晴らしく、音も当時のものとしてはかなり良い。

フルトヴェングラーの数多いCDの中でも、特に注目すべきものであろう。

ブラームスの「第3」は、ブラームスを聴くよりはフルトヴェングラーの名人芸を味わうべき演奏だと思う。

彼は音楽を完全に自己の個性の中に同化しており、テンポの極端な流動感、ドラマティックな設定、スコアにないティンパニに追加など、さながらフルトヴェングラー作曲の交響曲を聴く想いがするほどだ。

ことに驚くべきは、フレーズとフレーズの有機的な移り変わりで、その密接な血の通わせ方は際立って見事であり、これだけ自由自在な表現なのにもかかわらず、作り物の感じが皆無で、音楽が瞬間瞬間に生まれ、湧き起こってくる。

まさにフルトヴェングラー芸術の神髄ではなかろうか。

第1楽章の冒頭からして以上のことは明らかであり、第1主題の提示から第2主題の登場にかけての細かいテンポの流動は、ワルター&ニューヨーク・フィルにも匹敵するほどで、これでこそこの部分の音楽は生きるのである。

何とも言えぬ情感に浸りきる第2主題を経て、音楽は再び冒頭に戻されるが、第1主題がいっそうの情熱を持って反復されるところ、単なる機械的な提示部の繰り返しでないことがわかるであろう。

激しい気迫で追い込んでゆく展開部の加速は雄弁なドラマであり、その終わりの部分から再現部初めにかけての、ものものしいテンポの落とし具合は、沸き立つコーダの高まりとともに、音楽自体の呼吸と完全に一致して少しも違和感もない。

スコアのフレージング指定を改変して始まる第2楽章もフルトヴェングラーの独壇場だ。

ブラームス・ファン以外にはかなり重荷なこの音楽も、彼の手にかかると思わず聴き惚れてしまう。

ピアニッシモは強調されているが、全体としては強めで豊かな音楽になっており、漸強弱の指定があると、待っていましたとばかり強調する。

これはフルトヴェングラーとしても珍しい例であり、テンポの激変といい、旋律の思い切った歌といい、ブラームスのひそやかさを愛する人にはいささかの抵抗があるかもしれない。

第3楽章は中間部の後半以後のほとばしるような憧れの情が聴きもので、中でも再現部でテーマが第1ヴァイオリンに歌われる部分はほとんど泣いているかのようだ。

第4楽章は最もフルトヴェングラー的な部分であろう。

主部だけでもテンポが4段階に激しく変わり、同じ爛▲譽哀蹲瓩涼罎妊▲鵐瀬鵐討らプレストまでの差があり、音楽的な常識からは考えられないことであり、彼だから許されるというべきであろう。

展開部の熾烈な迫力などは凄まじさのかぎりだし、部分的には見事なところも多いが、実演を直接聴いているのならともかく、CDになるとやや極端な感じが否めない。

「マンフレッド」序曲も素晴らしい名演で、何よりも歌い方の豊かさにまいってしまう。

オーケストラの響きが満ち溢れるようであり、すみずみにまでフルトヴェングラーの血が通い、感情の波が大きく拡がってゆく。

フォルトナーはドイツの前衛的な作曲家で、このヴァイオリン協奏曲は1946年の作であり、現代音楽的な理屈っぽさを持つが、ドイツの作曲家ならではの心を打つ場面にも欠けてはおらず、だからこそフルトヴェングラーも採り上げたのであろう。

この曲の初演者でもあり、献呈もされたタッシュナーのヴァイオリンは線が細いが、高音に意味と魅力があり、ポルタメントが心をそそる。

音楽を身近に感じていることがよくわかる演奏だ。

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2015年05月22日


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本盤に収められたブラームスの交響曲全集はジュリーニによる2度目の全集に相当する。

最初の全集が、フィルハーモニア管弦楽団との1960年代の録音(1960、1962、1968年)であったことから、本演奏はそれから約30年後の録音である。

もっとも、ジュリーニは、その間にもロサンゼルス・フィルとともに第1番(1981年)及び第2番(1980年)をスタジオ録音するとともに、バイエルン放送交響楽団とともに第1番をライヴ録音(1979年)していることから、ジュリーニはブラームスを得意中の得意としていたと言っても過言ではあるまい。

また、本盤の演奏は、今後ライヴ録音などが発売されれば事情が変わる可能性もあるが、現時点ではジュリーニによる最後のブラームスの交響曲の演奏ということでもあり、ある意味ではブラームスを得意としたジュリーニによる最終的な解釈が刻印されていると言えるのではないだろうか。

本演奏は、これまでの演奏と異なって、実にゆったりとしたテンポをとっている。

また、反復も原則として行っており、演奏時間もこれらの楽曲の演奏の中ではきわめて長い部類に入るものと考えられる。

テンポもあまり動かさずに悠揚迫らぬインテンポで曲想が進んでいくが、これだけの遅いテンポだと、場合によっては冗長さを感じさせたり、全体の造型が弛緩する危険性も孕んでいる。

しかしながら、ジュリーニの場合は、全体の造型が弛緩することはいささかもなく、各フレーズには独特のニュアンスや豊かな歌心が込められるなど、常にコクのある情感豊かな充実した音楽が構築されているのが素晴らしい。

ここぞという時の強靭な迫力や重厚さにおいてもいささかも欠けることがなく、例えば第1番や第2番の終楽章における圧倒的な高揚感には我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

また、第1番の第2楽章、第2番の第2楽章、第3番の第2楽章及び第3楽章、そして第4番の第1楽章及び第2楽章の濃厚で心を込めた情感豊かな歌い方には抗し難い魅力に満ち溢れている。

第4番の終楽章においても、パッサカリアによる表情が目まぐるしく各変奏を巧みに描き分け、巨匠ならではの老獪な至芸を感じさせるのが見事である。

そして、何よりもジュリーニが素晴らしいのは、いかなるトゥッティに差し掛かろうと、はたまた緩徐楽章などにおいて心を込めて歌い上げていようと、格調の高さをいささかも失っていない点である。

とかく重厚で仰々しいブラームスの演奏が数多く行われている中で、ジュリーニによる本演奏が含有する気品と風格は際立っている言えるところであり、ゆったりとしたテンポによるスケール雄大な演奏であることも相俟って、本演奏はまさに巨匠ならではの大人(たいじん)の至芸と言っても過言ではあるまい。

また、ジュリーニの統率の下、これ以上は求め得ないような美しい演奏を展開したウィーン・フィルによる好パフォーマンスも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

併録のハイドンの主題による変奏曲や悲劇的序曲も、晩年のジュリーニならではのスケール雄大で、重厚さと優美さを兼ね備えた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

とりわけ、ハイドンの主題による変奏曲における第7変奏の筆舌には尽くし難い美しさは、ジュリーニとしても空前にして絶後の名演奏と言えるのではないだろうか。

録音は、従来盤でもムジークフェラインザールの豊かな残響を活かした十分に満足できる音質であったが、数年前に第1番及び第4番のみSHM−CD盤で発売され、現在では当該SHM−CD盤がベストの音質である。

もっとも、ジュリーニによる遺産とも言うべき至高の名演でもあり、今後は第2番及び第3番のSHM−CD化、そして可能であれば本全集全体についてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2015年05月14日


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本盤に収められたブラームスのピアノ協奏曲第2番、そして、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの第23番「熱情」は、東西冷戦の真っ只中であった時代、当時の鉄のカーテンの向こう側からやってきた壮年期のリヒテルによる記念碑的な名演だ。

協奏曲、ソナタともに、リヒテル最初のアメリカ・ツアーの折の録音で、その雄弁な表現に圧倒されてしまう。

リヒテルは、偉大なピアニストであったが、同時代に活躍していた世界的な大ピアニストとは異なり、全集を好んで録音したピアニストではなかった。

こうした事実は、これだけの実績のあるピアニストにしては大変珍しいとも言えるし、我々クラシック音楽ファンとしてはいささか残念であるとも言えるところである。

したがって、リヒテルが特定の作曲家のピアノ協奏曲全集やピアノ・ソナタ全集を録音したという記録はない。

ブラームスのピアノ協奏曲について言えば、スタジオ録音としては、単発的に、本盤の第2番などを録音し、後年にマゼールと再録音が遺されているが、他の諸曲についてはライヴ録音が何点か遺されているのみである。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタについても同様であり、こうしたことは、リヒテルがいかに楽曲に対する理解と確信を得ない限り、録音をしようとしないという芸術家としての真摯な姿勢の証左とも言えるのではないだろうか。

それだけに、本盤に収められた各曲の演奏は、貴重な記録であると同時に、リヒテルが自信を持って世に送り出した会心の名演奏とも言えるところだ。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番にしても、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番「熱情」にしても、リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫りの深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開している。

人間業とは思えないような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅広さは桁外れであり、十分に個性的な表現を駆使していると言えるが、それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。

要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、ブラームスやベートーヴェンへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。

個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。

とりわけ、ピアノ・ソナタ「熱情」におけるピアノが壊れてしまうと思われるような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでのダイナミックレンジの幅広さには出色のものがあり、終楽章終結部の猛烈なアッチェレランドはもはや人間業とは思えないほどの凄みのある演奏に仕上がっていると高く評価したい。

またブラームスのピアノ協奏曲第2番では、オケとともに凄まじい迫力がその演奏にもたらされており、刺激的なものとなっている。

また、同曲に込められたブラームスの枯淡の境地とも言うべき美しい旋律の数々を、格調の高さを損なうことなく情感豊かに歌い抜いているのも素晴らしい。

そして、演奏全体のスケールの雄大さは、ロシアの悠久の大地を思わせるような威容を誇っていると言えるところであり、これぞまさしくリヒテルの本演奏におけるピアニズムの最大の美質と言っても過言ではあるまい。

バックをつとめているのはラインスドルフ&シカゴ交響楽団であるが、さすがにここでもドイツ風の重厚な演奏を行っており、リヒテルによる凄みのあるピアノ演奏のバックとして、最高のパフォーマンスを示していると高く評価したい。

リヒテルの再録音、即ちマゼールと共演したものもあるが、間延びしていて、ラインスドルフとの共演よりも集中力が保持できていないもどかしさを感じさせるところであり、それに対しこの旧盤は一気呵成に終楽章まで聴かせ、燃焼度も高く、オーケストラと一体となってブラームスの世界を紡ぎ出している。

いずれにしても、本盤に収められた各演奏は、リヒテルのピアニストとしての偉大さを十二分に窺い知ることが可能な圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

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2015年05月12日


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2008年はカラヤンの生誕100年ということで、数々の企画盤やライヴ音源の復刻が行われたが、本盤もその貴重な1枚。

1988年ロンドンでのベルリンフィルとの演奏会で、結果的にこれが最後のロンドン公演だったとのこと。

楽器の到着が間に合わなかったドタバタや、もうあまり体が動かせなくなっていた帝王の姿など、その模様をカラヤンの評伝も書いたリチャード・オズボーンがライナーノーツに記している。

曲目はシェーンベルクの「浄夜(弦楽合奏版)」とブラームスの交響曲第1番で、音質はあまり良いとは言えないが、演奏は名演の前に「超」をいくつか付してもいいくらいの超絶的な大名演だ。

ここでの「浄夜」に聴かれる重厚な美音の洪水、このような重厚な演奏は、現在のベルリンフィルからはもはや聴けないものだ。

今の感覚からするとやや重たいかもしれない曲線美、降り注ぐような弦の霜降り的な濃厚さ、しかし決してテンポはもたれはしないそのバランス感覚は絶妙。

あくまで後期ロマン主義の傑作としての演奏で、世紀の替り目に書かれたシェーンベルクが、ココシュカやエゴン・シーレと魂を同じくする音楽というよりはクリムトの時代の背景音楽としてのゴージャス感で響いてくる。

しばしば疎ましかったカラヤン独特のレガート・スタイルも、曲との適合か、心地良く感じられるほど。

R.シュトラウスの名演で鳴らしたカラヤンが「グレの歌」を手がけなかったのが惜しくなった。

一方のブラームスは壮観なまでに音響が聳え立ち、何かドラマが人工物にすり替えられているような抵抗を感じないではないのだが、しかしやはりこれを実演で聴いて圧倒されないではいることは出来なかったことであろう。

内声の隅々に至るまで充実した分厚さ(あまりにもべったり塗り籠めていると嫌悪を覚える方もいるかもしれない)や、集団の高度な自発性がもたらす弾力性(ふと精強な軍隊のイメージが頭をよぎるのはやはり否めない)が相俟って、轟々たる推進力が生まれている。

特に終楽章でこんなコーダを築き上げられるオーケストラは他になく、その場に居合わせたら恐怖すら覚えたかもしれない。

カラヤンのブラームスの「第1」には他にも数々の名演があるが、その中でもこの演奏はダントツだと思う。

とても死の1年前の指揮者によるものとは言えない、情熱的で熱い演奏が繰り広げられている。

やはり、カラヤンはライヴの人だったのだ。

ロイヤル・フェスティバル・ホールの聴衆にとって当夜のことは確かに一生の思い出であろう。

もはや好悪を超えた次元にあった音楽家集団の記録として忘れられなくなりそうだ。

カラヤンの録音芸術における完全主義により、テクノロジーの粋を極めた数々の作品は、それゆえに支持するもの、拒否するものも多かった。

しかし、カラヤンの数々のアプローチは録音技術における数々のアカデミックな研究につながり、多元的な成果を生み出した。

カラヤンが常に新しいメディアに興味を示したのは、なにか新しいことを伝えられる媒介を探求するという彼の姿勢がそのまま投影されたものであり、時代を先駆けたマルチな芸術家であった証左である。

逆に言えば、録音技術というフィルターの効果の薄いライヴ録音(もちろんリマスターはあるけれど)はまた別のものを伝える貴重な記録となる。

本ディスクも録音状態から言えば必ずしも良好とは言えないし、またカラヤンが目指した究極形態と比して完成度は劣るが、演奏それ自体として魅力が横溢している。

立派な、といえば、もう立派すぎるくらいの演奏で、在りし日のカラヤン&ベルリン・フィルの音作りがどういうものであったかを典型的に伝えてくれる1枚には違いない。

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2015年05月10日


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アファナシエフ究極の名演という言葉は、この録音にこそふさわしいと思う。

ロシア・ピアニズムの流れを組む名手でありながら孤高の芸術世界を築くアファナシエフの描く音楽はいずれも心の深淵をのぞき込むかのように深く暗い表情を湛えている。

感情的興奮やヴィルトゥオジティとは全く次元の異なる世界にリスナーはとまどい、やがて言葉を失うほどの感銘を覚える。

アファナシエフは、ブラームスの深淵に浸りきり、研ぎ澄まされた音の中にあらゆる感情が込められた空前の表現を行っている。

前作の後期ピアノ作品集は、おそらくは過去のブラームスのピアノ作品集のCD中最高の超名演(私見ではグールドより上)であったが、本盤も、前作ほどではないものの、素晴らしい名演である。

確かに「アファナシエフ流」のインパクトは後期作品集に劣るが、ポツポツと弾かれる音が漂う「間」(ま)、その空白を感傷が埋めているような、この人特有の音空間はやはりとんでもなく美しく、録音が良いせいか、本当に音の1つ1つが冴え渡っている。

特に、作品116の7つの幻想曲は、ブラームスの最晩年の作品だけに、前作の深みのある鋭い名演に繋がるアプローチを行っている。

同曲は、複数のカプリチオと間奏曲で構成されているが、各曲ごとに大きく異なる楽想を、アファナシエフならではのゆったりとしたテンポで、ブラームスの心底の深淵を覗き込むような深遠なアプローチを行っている。

シェーンベルクの十二音技法にも通じるような深みを湛えた至純の名作であるが、アファナシエフの演奏は、まさに、こうした近現代の音楽に繋がっていくような鋭さがある。

それでいて、晩年のブラームスの心の奥底を抉り出すような深みのある情感豊かさも、感傷的にはいささかも陥らず、あくまでも高踏的な次元において描き出している点も素晴らしい。

テンポは、過去のいかなる演奏と比較しても、相当に(というか極端に)遅いと言わざるを得ないが、シューベルトの後期3大ピアノ・ソナタの時のようなもたれるということはなく、こうした遅いテンポが、おそらくはアファナシエフにだけ可能な濃密な世界(小宇宙)を構築している。

研ぎ澄まされた鋭さ、深みのある情感、内容の濃密さという3つの要素が盛り込まれたこの演奏は、聴き手にもとてつもない集中力を要求する。

その深みのある情感豊かさは、同曲の過去のいかなる演奏をも凌駕するような至高・至純の高みに達している。

4つのバラードは、ブラームスの若書きの作品ではあるが、アファナシエフの解釈は、晩年の諸作品へのアプローチと何ら変わることがない。

バラード集の時間軸を変容させ、独特の呼吸で横の線を異化していく特異な世界があるが、このバラード集に纏わりつく死のイメージをここまで音化した演奏は思いつかない。

誰の演奏を聴いてもイマイチ感のあるバラード集で、暗黒面の境界線に佇みながら静かに生者のほうを見つめるピアノを聴かせてくれる、凄い演奏が作品の方向性を作り変えている。

要は、同曲を、最晩年の作品に繋がっていく道程と位置づけており、各バラードの解釈は、初めて耳にするような深みを湛えている。

2つのラプソディーは、ブラームスとしては比較的めまぐるしく表情が変転する楽曲であるが、アファナシエフは、ここでも単なるお祭りさわぎに終始することなく、次元の高い深みのある音楽が紡ぎだされていく。

また、本質的にこの人のピアノはロマン派と相性が良いのだということが良く分かる点も、後期作品集と同様である。

そういえば、アファナシエフが「もののあはれ」を表現の原点としているというエピソードがあるが、この人の演奏を聴いていると、「もののあはれ」というものが、普通な意味でのメランコリーを否定しつつも、結局はメランコリーの一形態だったではないか、ということを思い出させられる。

我々がアファナシエフの演奏をメランコリックとつい評してしまうときも、本来そのような重層的な意味合いを意識すべきなのかもしれないが、そんな遠回りをしなくても、本盤の場合はストレートにメランコリックである。

Blu-spec-CD化によって、アファナシエフのタッチをより鮮明に味わうことができるようになったことを大いに喜びたい。

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2015年04月29日


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名匠、名伴奏者オーマンディが指揮するフィラデルフィア管弦楽団とがっぷり組み合ったブラームスの第2協奏曲は、ルービンシュタインによる4度目の録音で85歳のピアノとは思えない矍鑠ぶりを記録しており、バックハウス&ベーム盤と並ぶ名演と言えるだろう。

ブラームスは、何よりもルービンシュタインの堂々たるピアノが素晴らしい。

ルービンシュタインの音楽が円熟を極めると同時にテクニックの水準が非常に高いレベルにあった、またとない貴重な時期の演奏である。

ブラームスの演奏には、堅固な造形が前面に出たものと、ロマンティシズムが前面に出たものがあり、この演奏は後者に属する。

しかし構成感や造形も申し分なく、足腰がしっかりしていてバランスがピカイチ、これこそブラームスの全体像を見事に捉えた演奏である。

自然な情感が実に豊かで、気難しくはないけれども歯ごたえがしっかりしているので、聴いていて心地よく音楽の流れに身を任せることができ、同時に感慨や高揚感も十分である。

作品の良さが自然に、トータルに引き出されているのでうっとうしさや嫌みがなく、内容充実とともに繰り返し聴きたくなる。

さすがに若いころからブラームスに傾倒して長年にわたり演奏を積み重ねてきただけのことはある。

この人特有の低音域の豊かさとまろやかで深い音色、充実した分厚い和音の響き、何よりテクニックに安定感と余裕があり、それを派手にひけらかすことなくブラームスの音楽と一体化させている。

ルービンシュタインのステレオ録音には、とかく「この年齢にもかかわらず」との評がありがちで、確かにそう言いたくなる演奏があるのもわかるところではある。

しかし、このみずみずしくてテンポが遅すぎず、流れに滞りのない演奏にはそういったご心配は一切無用。

人生の辛酸を舐め尽くした巨匠の味わい深い演奏が、生涯独身を貫いて、人生の寂しさやわびしさを人一倍感じ、華麗さとは無縁の渋い作品を生み出してきたブラームスの音楽に見事に符合する。

オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団は、いささか音の重心が軽く、ブラームスとしては今一歩深みが乏しい気もするが、確かな技量と様式感で、ピアノと一体化した解釈が素晴らしい。

ルービンシュタインの堂々たる演奏を加味すれば、総合的評価として、本演奏を名演と評価することに躊躇しない。

録音もピアノとオーケストラのバランスがとてもよく、奥行き感や残響がうまく捉えられていて、ふくよかで豊かな表情を生み出している。

ルービンシュタインの協奏曲録音には、たとえステレオでもこれらの要素に違和感があるものがいくつかあるのだが、この録音は彼のものでも最高の状態であろう。

他方、シューマンは、ルービンシュタイン生涯最後のセッション録音だけに、実に演奏の奥が深く、作品の内面的なロマンティシズムを見事に描き出していて余すところがない。

冒頭の「夕べに」からして、他のピアニストとは次元の違う音のドラマが繰り広げられており、この幻想小曲集こそ、ルービンシュタインが人生のゴールで到達した至高・至純の境地と言えるのだろう。

幻想小曲集の随一の超名演と評価したい。

Blu-spec-CD化によって、ルービンシュタインの名演がより鮮明に味わうことができることを大いに喜びたい。

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2015年04月28日


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カラヤンは手兵ベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を3度にわたってスタジオ録音しているが、同時にブラームスの交響曲全集も3度にわたってスタジオ録音している。

その他にも、一部の交響曲について、ウィーン・フィルやフィルハーモニア管弦楽団、コンセルトへボウ・アムステルダムなどと録音を行うとともに、ベルリン・フィルなどとのライヴ録音も遺されていることから、カラヤンがいかにブラームスの交響曲を得意としていたのかがよく理解できるところだ。

ベルリン・フィルとの全集で言えば、最初の全集が1963〜1964年、本盤の2度目の全集が1977〜1978年、そして3度目の全集が1987〜1988年と、ほぼ10年毎に、そしてベートーヴェンの交響曲全集のほぼ直後に録音されているのが特徴である。

この3つの全集の中で、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、紛れもなく本盤の2度目の全集であると考えられる。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルは、まさにこの黄金コンビの全盛時代である。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本盤においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっている。

特に第3番は新盤よりこちらの方が音が整理され、情感溢れる名演であり、第2番のフィナーレのカラヤンらしからぬライヴのような突っ込みも圧倒的、第4番もこちらの方がしっとりしていい感じで、第1番だけは新盤の重量感ある録音が曲に合っているようだが、これも甲乙つけがたい。

このような演奏について、例えば全集においては、ザンデルリンク&ベルリン響による名演(1990年)、第1番においては、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる名演(1952年)、第2番については、ワルター&ニューヨーク・フィルによる名演(1953年)、第3番については、クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィルによる名演(1950年)、第4番については、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる名演(1948年)などと比較して、その精神的な深みの追求の欠如などを指摘する者もいるとは思われるが、これほどの圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンによる名演との優劣を付けることは困難であると考える。

そして、このカラヤン生誕100周年の交響曲シリーズの音質は、今までの国内盤とあまりに違い、スッキリと分離した楽器の音(ことに弦楽器)が、団子にならず歪まない。

フォルテでの迫力も、濁らずに鳴っているので、これがベルリン・フィルの絶頂期の録音だと、あらためて驚嘆する。

この後、最晩年に再録音し、そちらも名演とされているが、この1978年盤も負けていないし、より自然で鮮やかな演奏はフレッシュで、音の抜けも良く整った録音である。

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2015年04月21日


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ドイツ音楽の正統を伝える数少ない巨匠であったサヴァリッシュによる重厚長大かつホットなブラームス演奏をまとめたボックス・セット。

NHK交響楽団との数多くの公演で我が国でも非常に有名なサヴァリッシュは、とある高名な音楽評論家などが著しく低評価を与えていたこともあり、敬遠されがちという印象があるが、実際にNHKホールにその実演に接した音楽愛好家は彼の音楽性、理知的でありながら時に踏み外して情熱的になる演奏は高く評価されている。

そのように実力に関しては申し分のないサヴァリッシュであるが、人気の方については今一つと言わざるを得ない。

我が国のオーケストラを頻繁に指揮する指揮者については、過小評価されてしまうという不思議な風潮があるのはいかがなものかとも思うが、それでもサヴァリッシュの不人気ぶりには著しいものがあると言わざるを得ない。

確かに、サヴァリッシュが外国の一流オーケストラを指揮した名演というのは殆ど存在していないというのは事実である。

唯一、現在でも素晴らしい名演とされているのは、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮してスタジオ録音(1972年)を行ったシューマンの交響曲全集であるというのは衆目の一致するところだ。

ただし、各交響曲のいずれもが様々な指揮者によるそれぞれの楽曲の演奏中のベストの名演ということではなく、全集全体として優れた演奏ということであり、まさに最大公約数的な名全集に仕上がっていたところである。

これはいかにもサヴァリッシュらしいとも言えるのではないだろうか。

サヴァリッシュは、史上最年少でバイロイト音楽祭に登場するなど、きわめて才能のある指揮者として将来を嘱望されていたにもかかわらず、その後はかなり伸び悩んだと言えなくもないところだ。

膨大な録音を行ってはいるが、前述のシューマンの交響曲全集以外にはヒット作が存在しない。

いい演奏は行うものの、他の指揮者を圧倒するような名演を成し遂げることが殆どないという、ある意味では凡庸と言ってもいいような存在に甘んじていると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたブラームスの交響曲全集は、目立った名演を殆ど遺していないサヴァリッシュとしては、前述のシューマンの交響曲全集に次ぐ名全集と言えるのではないだろうか。

確かに、個々の交響曲の演奏に限ってみれば、いずれの交響曲についても他に優れた演奏があまた存在していると言えるが、全集全体として見ると、水準以上の名演が揃った優れたものと言えるところだ。

サヴァリッシュの演奏は、鋭敏なバランス感覚と安全運転だけに終始しない即興性の見事な融合に特徴を見出せる。

確かに、バランス感覚が出すぎる演奏に出くわすと「安全運転」「生真面目」「平均点」という評価になることがある。

しかし、即興性が見事なバランス感覚の上に立ち現れたとき、我々はドイツ本流の指揮者による管弦楽を聴く醍醐味をこれでもか、と堪能することができる。

スケールが大きく、一点一画を揺るがせにしない、しかし全く窮屈でない、という過去のどんな指揮者の演奏に優るとも劣ることはあるまい。

堅固な造型美と重厚かつ剛毅さを兼ね備えたいかにもドイツ風の硬派の演奏と言えるが、かかる芸風はブラームスの交響曲の性格に見事に符号していると言えるところであり、ロンドン・フィルの渾身の名演奏も相俟って、素晴らしい名全集に仕上がっていると言えるだろう。

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2015年04月11日


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ブラームスを得意としたジュリーニであるが、1990年代に録音されたウィーン・フィルとの全集は、いかにも晩年のジュリーニらしいゆったりとしたテンポによる堂々たる名演揃いだ。

ジュリーニは特に晩年、たっぷり時間をかけてじっくりと演奏するタイプの指揮者であったが、ウィーン・フィルも非常に歌わせるタイプのオケで、ジュリーニとの相性もぴったりなので、演奏は哀愁たっぷりの胸にジーンとくるような詩情にあふれている。

ゆったりとしたテンポによる気品のあるブラームスで、鈍重さは微塵もなく、静かな緊張感に貫かれた表現がジュリーニらしい。

本盤に収められた「第1」は、ジュリーニならではのスローなテンポではあっても、緩ませず、ブラームスの憧れたベートーヴェンの交響曲を思い描いたような、重厚さに重きを置いた解釈の演奏である。

重厚さに重きを置くといっても、そこはやはりジュリーニらしい歌うような軽やかさも忘れていない。

ジュリーニは、オケとの調和をはかりつつ、理想とするブラームスの「形」を哀愁と優しさを感じさせながら描く。

非常にゆっくりしたテンポだが、今までの総決算のような気迫に満ち、第1楽章だけでも普通の交響曲を1曲を聴いたような充実感がある。

のっけから、ううむ、と唸ってしまうほど徹底的にテンポが遅いが、決して茫洋と失速しているわけではない。

音楽を運ぶ音の動きが常に克明に捉えられて、耳が鋭敏になった上に豊かな歌がのるために、その遅さが逆にたまらなく強烈に感覚を高ぶらせる。

まさに、熟成したブランデーのような濃密な味わいだ。

冒頭の和音はソフトなフォルティッシモで開始されるが、その後はゆったりとしたテンポによる堂々たる進軍を開始する。

この進軍は主部に入っても微動だにしないが、他方、隋所に現れるブラームスならではの抒情的旋律については、これ以上は不可能なくらい美しく、かつ風格豊かに歌い上げている。

このような優美な旋律のノーブルで風格豊かな歌い方は、第2楽章や第3楽章でも同様であり、これは最晩年のジュリーニが漸く到達した至高・至純の境地と言えるだろう。

第4楽章は、再び巨象の堂々たる進軍が開始されるが、主部の名旋律の演奏の何と歌心に満ち溢れていることか。

スローテンポを基調として、ブラームスが楽譜に書き込んだもの全てを歌い切っているかのようだ。

ジュリーニの演奏を見事に支えるウィーン・フィルの重厚にして優美な演奏も素晴らしいの一言であり、この「第1」は、万人向けではないが、ジュリーニの渾身の超名演と評価したい。

ハイドンの主題による変奏曲にも同様のことが言える名演であるが、ジュリーニの持ち味であるゆっくりとした演奏でじっくり曲を作りこむ点は変わらず、晩年ならではの歌うような演奏は非常に印象に残る。

特に、第7変奏の筆舌には尽くし難い美しさは、空前にして絶後と言えるのではないだろうか。

ジュリーニの持つ明快さとウィーン・フィルのしなやかさとが相俟った、緊張感に満ちた名演だ。

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2015年04月03日


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最初にLPで発売予定時から絶賛されていた演奏で、その年のレコード・アカデミー賞を受賞した、バーンスタイン晩年の最高度に円熟した演奏である。

現在カタログには、40種類以上の現役盤がひしめいているが、結局魅力度ということにかけては、バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが、圧倒的な貫禄であたりを睥睨している。

バーンスタインは押しも押されぬ史上最大のマーラー指揮者であると考えるが、その精神分裂的な性格がマーラーと通底するシューマンの交響曲や協奏曲を除けば、バーンスタインの指揮する独墺系の音楽は今一つ彫りの深さを感じさせる演奏が少ないと言える。

とりわけ、1980年代半ば以降のバーンスタインには、異常なスローテンポによる大仰な表情づけの演奏が増えてきたことから、マーラーやシューマンの楽曲を除いては、いささかウドの大木の誹りを免れない浅薄な凡演が多くなったと言わざるを得ない。

しかしながら、本盤に収められたブラームスの交響曲全集は、1981〜1982年のライヴ録音ということもあって、1980年代後半の演奏のような大仰さがなく、ウィーン・フィルによる名演奏も相俟って、素晴らしい名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

いずれの曲も、ライヴならではの迫力で、スケールの大きな巨匠風の演奏であり、ロマンティシズムに溢れた演奏である。

バーンスタインはウィーン・フィルの柔らかなアンサンブルを駆使して、ふっくらと聴き手を包み込むような、包容力溢れる暖かい手触りの名演を展開している。

バーンスタインは己の感情をストレートにぶつける事によって古典的形式美の奥に封印された喜怒哀楽の全てを漏らさず紡ぎ出し、劇的でスリリングでしかも朗らかな歌心にも溢れた極めてロマン的なブラームス像を打ち出した。

バーンスタインは、1960〜1964年にかけてニューヨーク・フィルとともにブラームスの交響曲全集をスタジオ録音しているが、それはいかにもヤンキー気質丸出しのエネルギッシュな演奏であり、随所に力づくの強引な最強奏も聴かれるなど外面的な効果だけが際立った浅薄な演奏であった。

しかし、本盤に収められた演奏では、バーンスタインの音楽に彫りの深さを感じることが可能であり、持ち前のカロリー満点の生命力に満ち溢れた演奏に、ウィーン・フィルによる極上の美演が付加されることにより、演奏全体に潤いと適度な奥行き、そして重厚さを付加することに成功している点を忘れてはならない。

ウィーン・フィルはブラームスの交響曲を初演したオーケストラで、それだけにここでも並々ならぬ自信が感じられる。

バーンスタインはそうしたオーケストラの魅力を余すところなく発揮させており、ライヴ録音ならではの白熱的な演奏を展開している。

ウィーン・フィル独特の弦の柔らかな響きと管楽器の美しいハーモニー余すことなく表現して、指揮者と楽団の知的で親密さがなければ実現できなかったであろう快い緊張感に支えられた均質な演奏に聴き手は高い満足度を感じる全集であると言えるだろう。

いずれにしても、本全集は、バーンスタインによるエネルギッシュな力感溢れる指揮に、ウィーン・フィルによる美演が加わったことにより、剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

仮に、本全集の録音に際して、バーンスタインがウィーン・フィル以外のオーケストラを起用していたとすれば、これほどの魅力的で奥行きのある演奏にはならなかったのではないかとも考えられるところだ。

録音は1981〜1982年のデジタル・ライヴ録音であるが、従来盤でも充分に満足し得る高音質である。

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2015年04月02日


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本盤には、アバド&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲全集等が収められているが、全曲ともに若干甘い気はするものの名演と評価したい。

アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任間もない頃に、本盤に収められたブラームスの交響曲全集を完成させた。

ちなみにアバドは、4つのオーケストラを振り分けた旧全集(1970〜72年)でも明るくのびやかな響きによって、溌剌と新鮮な表現を聴かせてくれたが、本全集の演奏には、いっそう美しい余裕と確かな構成感がある。

細部の琢磨にも一段と精緻であると同時に、きわめてバランスの良い表現は、常に豊かな歌を湛えており、しかものびやかに洗練され格調が高い。

もっとも、カラヤン時代の猛者がいまだ数多く在籍していたベルリン・フィルを掌握し得た時期の録音ではないことから、第1番などは名演の名には恥じない演奏であるとは言えるが、アバドの個性が必ずしも発揮された演奏とは言い難いものであった。

他方、楽曲の性格とのマッチングや録音時期(芸術監督就任前の1988年)の問題もあって、第2番はアバドならではの豊かな歌謡性が発揮された素晴らしい名演であった。

このようにベルリン・フィルの掌握の有無なども演奏の出来に作用する重要な要素であるとは思うが、根本的には、アバドの芸風に符号する楽曲かどうかというのが演奏の出来不出来の大きな分かれ目になっていると言えるのではないだろうか。

アバドのアプローチは、前任者のカラヤンのような独特の重厚なサウンドを有していたわけでもない。

むしろ、各楽器間のバランスを重視するとともに、イタリア人ならではの豊かな歌謡性を全面に打ち出した明朗な演奏を繰り広げている。

このようなアプローチの場合、第1番ではいささか物足りない演奏(もっとも、第1番はカラヤン時代の重厚な音色の残滓が付加されたことによって、怪我の功名的な名演に仕上がった)になる危険性があり、他方、第2番については、楽曲の明朗で抒情的な性格から名演を成し遂げることが可能であったと考えられる。

一方、第3番及び第4番も、楽曲の心眼に踏み込んでいくような彫りの深さ(とりわけ第3番の両端楽章や第4番の終楽章)といった面においてはいささか生ぬるい気がしないでもないが、とりわけ第3番の第2楽章及び第3楽章や第4番の第1楽章及び第2楽章などの情感豊かな歌い方には抗し難い魅力があり、第2番ほどではないものの、比較的アバドの芸風に符号した作品と言えるのではないだろうか。

また、第3番については、第2番と同様にアバドが芸術監督に就任する前の録音でもあり、ウィーン・フィルに軸足を移したカラヤンへの対抗意識もあって、ポストカラヤンの候補者と目される指揮者とは渾身の名演を繰り広げていたベルリン・フィルの途轍もない名演奏が、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

もっとも、大病を克服した後のアバドは、凄みのある名演を成し遂げる大指揮者に変貌していると言えるところであり、仮に現時点で、ブラームスの交響曲全集を録音すれば、より優れた名演を成し遂げる可能性が高いのではないかと考えられるところだ。

いずれにしても、アバドはベルリン・フィルの芸術監督就任直後にブラームスの交響曲全集を完成させるのではなく、芸術監督退任直前に録音を行うべきであったと言えるのではないか。

録音は従来盤でも十分に満足できる高音質である。

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2015年03月22日


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ブラームスの「第1」はカラヤンの名刺代わりの作品であった。

頭に思い浮かぶだけでも、ベルリン・フィルとの3種のスタジオ録音、先般相次いで発売された最後の来日時、死の前年のロンドンでの両ライヴ録音など、まだまだ数多くあるような気がする。

カラヤン得意の曲だけにいずれ劣らぬ名演揃いであるが、いずれも手兵のベルリン・フィルとの録音。

他方、本盤は古き良き時代のウィーンならではの芸術的な香りが残っていた1950年代のウィーン・フィルとのスタジオ録音、しかも、鮮明な英デッカのステレオによる名録音というだけで、他の盤とは異なった大きな存在価値がある。

当時、ベルリン・フィルとウィーン国立歌劇場を手中に収め、文字通り楽壇の帝王への道を突き進んでいたカラヤンの壮年期の生命力溢れる圧倒的な指揮ぶりが、これまた全盛期のウィーン・フィルの美演と見事に融合し、重厚さと優美さといういささか相反する要素を併せ持つ珠玉の名演となっている。

何よりも後年のベルリン・フィルとの諸録音には無い、黄金期ウィーン・フィルの輝かしく芳醇な音色が絶品だ。

特に第2、3楽章の濃厚妖艶なレガートと輝く弦楽の魅惑は、まだ素朴さを残した管も味があって最高である。

終楽章も明るく華麗に締め、ベルリン・フィルとの諸録音(特に1988年のロンドン・ライヴ)に聴かれる音響大洪水とはかけ離れているが、流麗華美でこれも魅力的。

いわゆるカラヤン臭が少なく、大家ぶったところもない、オケの思うまま、自由に演奏させているが締めるべきところは締めるといった演奏。

1959年の録音で、これから登り坂の壮年期のカラヤンの溌剌とした指揮とフルトヴェングラーの余韻が未だ残るウィーン・フィルのコラボが生んだ極上の名演と言えよう。

晩年、カラヤンはベルリン・フィルと決別して、ウィーン・フィルに回帰したが、そこには残念ながら、往時のカラヤンらしい抜群の切れはない。

しかし、この壮年期の演奏記録は別で、カラヤンが後にベルリン・フィルと録音したものと比べると、壮大さでは劣るかもしれないが、オケの音色の美しさは際立っているように思う。

驚くほど充実し、その音楽の<純度>、爽快な<迫力>には得難い魅力がある。

帝王カラヤンの最も充実した時期の記録であり、ウィーン・フィルは、このカリスマとの邂逅に、持てる力を出し切っている。

ベルリン・フィルの隙のない完璧な演奏スタイルとは異なり、ウイーン・フィルらしい流麗さ、時に統制を緩めたようなパッショネイトな表情もあり、生き生きと息づく音楽である。

カラヤンは、生涯にわたって大学祝典序曲を1度も録音しなかったが、他方、悲劇的序曲は晩年に至るまで幾度となく録音している。

本盤の演奏も、「第1」と同様の性格を有する流麗で幻想的、且つドラマティックな名演に仕上がっている。

壮年期のカラヤンの覇気が漲り、冒頭の2つの和音から一気に引き込まれるような推進力を持っている。

遅いテンポで濃厚ロマンティシズムが薫り立ち、ティンパニの激打と瞬発的金管強奏により、曲の持つ緊迫感とドラマを克明に打ち出した。

好みは分かれるかもしれないが、1970年代のカラヤン全盛期の録音よりもこの1959年録音の簡潔でバランスの取れた、絶妙の味わいの演奏を好む聴き手も少なくないだろう。

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2015年03月20日


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いずれも鮮烈な名演だ。

ブラームスの「第3」は1954年4月27日、ベルリンのディタニア・パラストに於ける定期公演の実況盤であるが、音の状態は非常に良く、演奏も死の年のものだけに完璧をきわめ、フルトヴェングラーのディスクの中でも屈指の名盤と言えよう。

この「第3」は旧盤も素晴らしかった。

わけても第1楽章の情熱はむしろ古いほうを採りたいくらいであるが、第2楽章以下は録音の良さも含めて、完成されきった新盤に軍配を挙げるのが妥当であろう。

ただし、解釈の根本はまったく同じである。

とにかく大胆なアゴーギクによって情熱的で共感の限りを表明しており、彫りの深い表情には創造的な芸術性の力が漲っている。

第1楽章は冒頭から緊迫した生命力が湧き出しており、ティンパニの最強打が目立つほかは、旧盤の表現をいっそう凝縮させたものだ。

今回は提示部の反復も行われていない。

第2楽章は録音の鮮明さによって、楽器の音色そのものに心がにじみ出ていることが手に取るようにわかる。

相変わらずテンポの動きの大きい、むせるような歌に満ちたブラームスであるが、旧盤よりは遥かに結晶化されているようである。

第3楽章も音色自体に心がこもりきっており、それが後半、あふれんばかりにほとばしり出て来て、“音楽は心だ”と改めて思い知らされるような表現である。

ただし、第1主題のリズムは旧盤よりも格調があるとはいえ、再現部のホルンには若干崩れが見られる。

第4楽章は旧盤の造型をそのままに立派さを加えた超名演で、疑いもなく全曲の白眉と言えよう。

最晩年のフルトヴェングラーとしては、テンポの激しい動きと表情の凄まじさはその比を見ないほどであるが、ほとんど同じスタイルによる旧盤でいちばん不出来だったこの楽章が、新盤では最上の出来となったところに、フルトヴェングラーの芸術の完成をわれわれは知るのである。

わけても提示部、再現部のそれぞれ終わりの部分における追い込みで、オケの鳴りが少しも悪くならないこと、旧盤では随所に追加されたティンパニを一切使用していないこと、の2点に注目すべきである。

フルトヴェングラーが録音した5つの「未完成」の中で、いちばんすっきりしているのはウィーン盤であり、次いではこの1952年盤である。

解釈の基本は1回目のベルリン盤とまったく同一であり、それを円熟させた表現と言えるところであるが、厳しくも凝縮されたリズムとひびきが際立ち、入魂の演奏が随所に聴かれる。

無駄と虚飾のない秀演で、第1楽章は雄大なスケールをもち、旋律の表情が意外なほど素直に磨かれている。

第2楽章第2主題を吹くクラリネットの、思いをたっぷりと込めた哀しみのソロと、それに応える最弱音も印象的だ。

2曲ともフルトヴェングラーとしても屈指の優れた演奏だけに今後SACD化するなど、更なる音質の向上が望まれる。

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2015年03月10日


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全体的に、マーツァルとしては今一つの出来と言わざるを得ない。

チェコ・フィルの音色と楽曲がとてもよく合った美演であり、実に美しい演奏ということは言えるのではないかと思う。

しかし、ブラームスの「第4」は、果たして、このように美しいだけの演奏でいいのであろうか。

第1楽章は思い入れたっぷりに曲が進んで行くし、残りの3楽章も淡々とはせず、音色が何とも美しく、多彩な音色を引き出しているマーツァルは素晴らしい指揮者には違いない。

マーツァルは、オーケストラを無理なくバランスよく鳴らすことにおいては抜群の才能を発揮する指揮者であり、チェコ・フィルの圧倒的な技量や中欧のオーケストラならではのしっとりとした美音も相俟って、このような美演となったのであると思われる。

いわゆるドイツ正統派の名演とは異なり、マーツァルの演奏は、むしろ柔和なイメージであるが、軟弱な演奏かというとそうではない。

ブラームスの音楽の美しさを、オーケストラを無理なく鳴らすことによって、優美に仕立て上げるというマーツァル得意の名人芸が繰り広げられているのだ。

但し、それ故に、曲によって相性の良さが分かれる結果となっており、ブラームスの「第1」は、美しさと重厚さを併せ持ったなかなかの名演であると思ったが、この「第4」はいかにも軽量級の演奏だ。

美しくはあるが、どこかうわべだけの綺麗さといった趣きであり、ブラームスの交響曲の演奏に必要不可欠な重量感が大いに不足している。

つまり、今一つ楽曲への踏み込みが足りないのではないかと考えられるところであり、決して、凡演とは言えないが、マーツァルならば、もう一段上の彫りの深い演奏を行うことができたのではないだろうか。

要するに、本演奏は、いかにも内容に乏しいのである。

表面だけをなぞっただけの浅薄な演奏では、「第1」などでは問題点が表面化することはなかったとも言えるが、ブラームスの交響曲中、最も内容の深い「第4」については、とても水準以上の演奏を成し遂げることはできないということなのだと思う。

エクストンによる自然で心地よく量感豊かな優れたSACDによる極上の高音質録音が、ただただ虚しく聴こえるのも実に悲しい限りだ。

マーツァルは、マーラーやチャイコフスキー、ドヴォルザークでは、美しいだけではなく、盛り上がるところは自然に盛り上がり、心の内が熱くなるのを禁じえない感動があったと言えるところであり、筆者にとっては聴き込めば聴き込むほどに愛すべき宝物になったとも言えたところだ。

このような数々の素晴らしい名演を成し遂げているのに、ブラームスのようなドイツ正統派の音楽は、マーツァルには荷が重いのであろうか。

マーツァルならば、もっといい演奏が出来るのではないかと考えられるところであり、才能がある指揮者だけに、更なる自己研鑽が必要ということなのかもしれない。

チェコ・フィルは、見事な演奏を繰り広げており、とりわけ、中欧のオーケストラならではのしっとりとした美音が、演奏全体に適度の潤いと温もりを与えている点を忘れてはならない。

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2015年03月02日


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超完全主義者カルロス・クライバーが50歳の時の録音で、クライバーの数少ないスタジオ録音中、最高の名演だと思う。

ヨハネス・ブラームスがこの曲を作曲した時とほぼ同年齢の時期の録音である。

ブラームスの「第4」は数ある交響曲の中でも最もユニークなものではないだろうか。

古色蒼然とした外観をまといながら、内に秘めた心からのロマンティックな想い、各楽器の特徴を知り尽くした管弦楽法、このような交響曲に名演を残せるのは、ほんの限られた指揮者とオーケストラだけであろう。

このクライバー盤は、絶妙なテンポの間と、巧みなオーケストレーションで、最高の名演奏の1つであることは良く知られている。

ブラームスの「第4」へのクライバーのアプローチは、名人の一筆書きのような、やや速めのテンポ設定の中、内容豊かなニュアンスを随所に感じさせるという味の濃いものであり、過去の名演では、シューリヒトやムラヴィンスキーに近いものである。

確かに、この録音当時50歳であったクライバーに、シューリヒトやムラヴィンスキーのような深みを求めるのは酷であるが、逆説的に言うと、この若さにしてこれだけのブラームスを指揮したという若武者の快挙に拍手喝采を送るべきであろう。

有名な1982年12月にベートーヴェンの交響曲第4番を練習中、意見の相違で楽員と対立し、定期演奏会をキャンセルしてしまったという所謂「テレーズ事件」の少し前であり、妥協を許さないクライバーと職人集団ウィーン・フィルの面々のぶつかりあいがまずきっとあって、徹底したこの曲についての論戦があってその後、録音したとしか思えない。

ブラームス最後の交響曲を演奏するにあたって、クライバーとウィーン・フィルの譲れないものを感じさせ、それが熱となり感動を呼ぶ。

物悲しい一面を強調した演奏も多いのであるが、この演奏は凛とした風格を美しい音色とテンポで表現しており弛緩といったものがない。

聴き始めから直ぐにブラームスの懐かしくもロマンティックな世界に引き込まれ、時間の経つのを忘れて聴き惚れる、そして驚くほど速く全曲を聴ききってしまう、素晴らしい音楽であり演奏である。

音楽の構成をありありと示してくれるよう表現であり、個々の楽器も十分に鳴っている。

この演奏を支えているのは、クライバーの天才的な音楽性は勿論であるが、オーケストラを歌わせる能力、良く考え抜かれたダイナミックスの配分、各楽器の実に巧妙な使い方、最終楽章の各変奏における特徴の把握、曲を分析し尽くした努力であろう。

しかし、音楽を聴いてみれば流れるように自然に良く歌う演奏であり、作為的なところは全く無い。

ややもするとウィーン・フィルは箍の緩んだ演奏をすることのある気まぐれ楽団であるが、クライバーにかかると真の実力を発揮しており、それが、クライバーの指揮するウィーン・フィルの魅力となっている。

ウィーン・フィルが一体化した結合感ある有機体になって哀しさに泣いているような演奏であり、第1楽章などまるで管の音がひらひらと哀しげに墜ちてくるような錯覚すら覚える。

これほどの指揮者はもう現れないだろうとさえ感じさせる神のタクトだ。

円熟期を迎えつつあった天才クライバーの、この曲に対する深い理解と曲に対する畏敬の念を感じられる名盤と言えるだろう。

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2015年02月15日


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朝比奈隆の実に4度目となるブラームスの交響曲全集である。

2000年9月から2001年3月のブラームス・チクルスのライヴ録音で、これが彼にとって最後のブラームス演奏となったものであるが、これは録音史上10指、いや5指に入るブラームスではないか。

1990年以降の演奏はテンポがかなり遅く、重厚な響きと構成を重視した演奏になっているのは周知のとおりだ。

ロマンのうねりは、1990年代の2種類の録音が優っているが、澄み切った寒い青空の下にある葉のすべて落ちた巨木のように、飾り気のない枯淡・達観の演奏もまた印象深い。

朝比奈と言えば、まずは、ブルックナーの名演で知られるが、この最晩年のライブ1発録音は、壮絶でありながらも、引き締まったフォルムの見事な演奏であることがわかる。

そう、「引き締まった」というのが本全集の大きな特徴である。

いささか間延びがちであった大フィルとの旧全集より、テンポが速く、アンサンブルも緊密だ。

それは、第2番のコーダにも現れている。

大フィル盤と同じくテンポを煽るが、大フィルが朝比奈の指揮棒についていけず、縦の線が完全にずれているのに比べ、新日本フィルは乱れそうで乱れない。

第3番はロマン性よりも、クラシカルな端正さを感じさせるし、第4番も力感に溢れている。

朝比奈はこの演奏について「フルトヴェングラーのまねをするといろいろ問題があるけど、クレンペラーならよいのではないかと思ってね」と、述べていたように思うが、もちろんそれは朝比奈流の洒落であって、出てきた音楽を聴くと、クレンペラーの真似をしたわけではなく、紛れもない、朝比奈の音楽だ。

このブラームス、生演奏だからこその熱さが存分に感じられ、これぞブラームス!という重厚感がひしひし伝わる演奏である。

朝比奈のブラームスへの共感・憧れといった気持ちが全面に出ているように感じられるとともに、ルバートを排し、収斂したテンポで音楽を統一する再晩年の境地が聴ける。

文句の付け所のない完成度の高さ(録音も秀逸)で、音楽はこれまでにもまして白熱し、知・情・意が見事に一致した素晴らしい全集の完成だ。

同じ新日本フィルとのベートーヴェンの交響曲全集と並んで、世界に冠たる大全集の登場である。

なぜか、朝比奈の場合、実演よりも録音のほうが良く聴こえることが多いというのも妙だが、筆者としてはそう感じるのだから仕方ない。

普段朝比奈を「アバウト」な指揮者だと思っている人は、これを聴くと考えを改めるだろう。

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2015年02月08日


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ブラームスは、ウィーン時代のワルターを飾る絶品のひとつで、ワルターとウィーン・フィルがこれほどぴったりと意気投合し、細部まで心を通わせ合った例も少ないだろう。

なぜならば、ワルターにはかなりウィーン・フィルの楽員に任せたり妥協したりした演奏も数多く見られるからであり、ここでは両者の目指す美の方向が完全に一致しているようだ。

第1楽章の第1テーマを聴けば、彼らがリズムやアンサンブルなどには少しも神経を使わず、もっぱら音楽の心だけを表現していることがわかる。

ふつうはそれがプラスにもなる代わりにマイナスともなってしまうのだが、ここではプラスの面だけが濃く現われ、その結果として、内部には情熱の火が燃えさかっているにもかかわらず、外観は徹底して角が取れ、まろやかに円熟したのである。

1つ1つのメロディーが何と思い切って歌われることだろう。

第2、第3楽章にその最高の例が見られるが、しかもほんのわずかな外面性もないのは楽員1人1人が情緒を感じぬいているからだろうし、音色がすばらしく高貴なせいもあるのだろう。

両端楽章の、自由自在な緩急にも驚かされるが、情熱に任せてはめをはずすことなく、つねに自然なのは、偉とすべきだ。

終楽章第2テーマが現われた後の盛り上げにおいて、ぐんぐん加速するが、オーケストラが手足のごとくぴったりと密着していささかの崩れも見せず、完璧なアンサンブルを誇っているのはワルターにとっても珍しい。

たいていは棒が先に行ってしまうか、またはオーケストラがワルターの意図を見越してほんとうの情熱に燃えず、形だけをつくってしまうかのいずれかである。

第1楽章冒頭の柔らかい響き具合からもわかるように、全体に金管が少しも気張らず、ブラームスらしいしつこさから解放しているのも快いが、木管の恍惚たる和音といい、チェロや高弦の情緒に濡れた音色といい、耽美、陶酔という言葉が身をもって実感される瞬間である。

少しも聴かせようという構えがなく、自らの感じたままを正直に表現してゆくワルターとウィーン・フィルの名コンビに絶大な拍手を贈りたい。

豊かな音楽とはこのようなものをいうのであろう。

シュテファン・ツヴァイクが「ワルターの指揮で、その至福の瞬間には、彼自身が連れ去られてしまって、もうそこに居ないような感じ……」と書いているのは、ウィーン時代のワルターにこそ当てはまるだろう。

ハイドンは、ウィーン・フィルとの「軍隊」を想わせるモーツァルト風に優美でロマンティックな演奏である。

ただし、テンポはたいへん速く、その中でワルターは感じたことをすべて実現しているのだ。

ロンドン交響楽団の弦にウィーンのそれのような憧れを湛えた音色とレガートを求め、ダイナミズムの角を取って、情緒的な雰囲気を醸成している。

使用楽譜はもちろん旧版だが、これにはロマンティックな強弱の指示が細かく書き込まれており、ワルターは忠実に従っているため、エコー効果など常々の彼からは聴けないような神経質な感じがある。

しかもテンポの動きが驚くほど多く、かつ大きい(たとえば第1楽章第2主題)。

それを自然に成し遂げてしまうのが一口にいえぬ老熟の味であり、名人芸である。

全曲が現実を離れた歌となり、ワルターならでは成し得ぬ魅力の極を示したハイドンといえよう。

それにしても、このような歴史的な名演SPを、現代に生きる我々に十分に鑑賞に耐えうるように復刻してくれたのは実に素晴らしいことであり、オーパス蔵に感謝の言葉を捧げたい。

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2015年01月31日


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ブラームスが4手のピアノ連弾用として作曲し、ドヴォルザークや自らのオーケストラ編曲版によってより広く親しまれるようになったハンガリー舞曲集。

またこの作品に触発されてドヴォルザークがやはり連弾用として作曲し、後に管弦楽用に編曲したスラヴ舞曲集。

カラヤンの指揮はずば抜けて巧く、ベルリン・フィルを見事にドライヴした熱気溢れる演奏を繰り広げている。

カラヤンは、本盤においても、これ以上の言葉が思い浮かばないほどの演出巧者ぶりを発揮し、各曲の聴かせどころをつかんで、これ以上は求められないほどの巧みな名演奏を繰り広げている。

いずれもカラヤン&ベルリン・フィルにとって重要なレパートリーだが大空間を感じさせる演奏なので素朴というよりゴージャス。

オーケストラの高い技量を生かしきったダイナミクスの変化やデリケートなリズムの処理など、究極の管弦楽演奏と言うべきであろう。

本盤は、カラヤン&ベルリン・フィルのドイツグラモフォンへの参入初期の録音であるが、発売当初からベストセラーを記録したのもよくわかる。

また、ハンガリー舞曲集もスラヴ舞曲集も、曲の順番ではなく、曲想を踏まえ再配置し、独自の曲順に並びかえられている点においても、カラヤンのこれらの曲への深いこだわりが感じられる。

それに、ベルリン・フィルにまだフルトヴェングラー時代の残滓ともとれる何とも言えない野性的な味が残っていて、これらの曲集をいっそう引き立てている。

カラヤンは同じ曲を何度も繰り返し録音することで有名であるが、これらの曲集は再録音しておらず、カラヤンとしても完全満足の成果であったということが言えるだろう。

全集としては、他にも優れた名演が目白押しであるが、選集ということになると今なおカラヤン壮年期のこの録音を超える演奏は他になく、本盤を随一の名演と評価することに躊躇しない。

スケルツォ・カプリチオーソも、ベルリン・フィルのホルンセクションの巧さを生かした珠玉の名演に仕上がっている。

カラヤンとベルリン・フィルがいい緊張関係にあった時代の聴くべき価値のある演奏だと言えよう。

ルビジウム・クロック・カッティングによる更なる高音質化も成功している。

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2015年01月26日


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若き日のルプーによるブラームスであるが、いずれも名演だ。

創意に溢れた2曲のラプソディをはじめ、作曲家晩年の心境を刻んだ傑作として知られる間奏曲集や小品集を収録した、ブラームスのピアノ作品集は、やや晦渋な曲と思われるかもしれないが、ルプーが透明な音色で美しく紡ぎ出した気品に満ちた詩情溢れる世界が繰り広げられる。

シューベルト、ベートーヴェン、モーツァルト等、限られたレパートリーの中でその比類のない音楽性を発揮するピアニスト、ルプー。

滋味溢れるブラームスの小品等でも、そのリリシストぶりを聴かせてくれる。

晩年のブラームスの単純ななかにも様々な顔をのぞかせるこれらの小品をルプーが見事に弾き分けている。

少しでも余計な重さが加わるとバランスが壊れそうなくらいガラス細工のような繊細な演奏、それとこの温かさと懐かしさは何だろう。

ルプーの演奏は一生独身を貫き通したブラームスの枯れた老境をあまねく表現していて、とても味わい深い。

2つのラプソディは、千人に一人のリリシストと称されるルプーとは信じられないような劇的な表情を垣間見せる。

もちろん、抒情的な箇所における美しさにもいささかの不足もなく、その意味においては、剛柔バランスのとれた名演と高く評価したい。

3つの間奏曲は、かのグレン・グールドやアファナシエフの超個性的な名演の印象があまりも強いために、他のいかなるピアニストが弾いても物足りなさを感じさせる危険性が高いが、ルプーのような清澄な美しさを湛えた演奏に接すると、正直ほっとさせられる。

あたかも故郷に帰郷したような気分だ。

ブラームスの最晩年の傑作が内包する深い精神性は、むしろ、このような抒情的な演奏によってこそ表現し得るのではないかとも考えさせられるような強い説得力が、本名演にはある。

6つの小品や4つの小品にも、3つの間奏曲とほぼ同様のことが言える。

抒情溢れる清澄な音楽の中から、ブラームスの最晩年の至高・至純の深遠な境地が浮かび上がってくるような趣きがある。

昔のバックハウスの超名演があるが、ルプーがあと20年も経てば、一層したたり落ちる渋みが出て来そうだ。

本盤のSHM−CD化は、ブラームスの重厚な音楽ということもあるが、ピアノの各音が通常CDと比較して、明快に分離し、かなり鮮明な高音質になったような印象を受けた。

その意味では、本盤については、SHM−CD化は、やや高額な価格が適正かどうかはともかくとして、先ずは成功と言えるだろう。

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2015年01月23日


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弱冠15歳でウィーン国立歌劇場に入団し、1995年の定年退団までウィーン・フィルの顔として、楽団の黄金時代を支えたクラリネットの演奏史に残る名手プリンツが、故ヘッツェルらウィーン・フィルの首席奏者よる気心の知れた仲間たちと残した不滅の名盤。

クラリネット五重奏曲の2大傑作をカップリングした名CDは、これまでにも数多くあったが、本盤も、その中で存在感を決して失うことがない名演と高く評価したい。

本盤は、クラリネットのプリンツを始め、史上最高のコンサートマスターと謳われたヘッツェルなど、ウィーン・フィルの首席奏者を構成員とするウィーン室内合奏団の極上の美演が売りと言える。

ウィーン・フィルの首席メンバーなどによる、ウィーン情緒たっぷりの、ウィーン風な音色の何たるかを実感できる演奏で、プリンツの色彩豊かで柔らかく自然なふくよかな音色と情趣と気品に溢れた弦楽器の絡み合いはウィーン情緒にあふれていて、すばらしく美しい。

どこをとっても、ウィーンの香りが漂っており、こうしたあたたかいウィーンスタイルの演奏を聴くだけでも、本盤の価値は相当に高いものと考える。

プリンツのクラリネットは、まさにまろやかなウィンナクラリネットの醍醐味を満喫させてくれるが、圧倒的な技量や作品の内面を深く抉り出していこうという深遠さにもいささかの不足はない。

ウィーン室内合奏団では、何よりもヘッツェルのヴァイオリンが素晴らしい。

特に、ブラームスのクラリネット五重奏曲冒頭のこの世のものとは思えないような清澄な音色は、ブラームスの最晩年の枯淡の境地を最高の形で具現化するものとして、他のヴァイオリニストを寄せ付けないような至高・至純の高みに達している。

ウィーンスタイルの演奏としては、同じくウィーン・フィル首席クラリネット奏者であったウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団の古き良き時代の録音と、まさに双璧をなす名盤と言えよう。

さらにHQCD化によって、音質が非常に鮮明になったのも大変うれしいことであり、プリンツの音色が従来盤ではやや鋭い印象があったのだが、本HQCD盤では音の芯を包み込む柔らかい響きが再現されていて、彼の本当の素晴らしさを再確認できたところだ。

そして、ただ音量の違いだけでなく、それぞれの楽器の音質が一層クリアーになっているのもはっきり聴き取ることができる。

その結果、演奏者が一歩前に出たような臨場感が得られ、ここでは特にプリンツのクラリネットとヘッツェルのヴァイオリンの音色がこれまでになく艶やかに再現されているのである。

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2015年01月01日


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ドイツ・レクイエムはブラームスの作曲した声楽作品の最高峰であるだけでなく、ブラームスの最高傑作と評価する識者もいるほどの偉大な作品である。

それだけに、これまで様々な指揮者によって数多くの演奏・録音が行われてきているが、本盤に収められたクレンペラーによる演奏は、録音から既に50年が経過しているにもかかわらず、現在でもなおトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

本演奏において、クレンペラーは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。

奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏とも言える。

それ故に、同曲の厳粛かつ壮麗さが見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた比類のない演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。

木管楽器を時として強調させているのもクレンペラーならではの表現と言えるが、それが演奏全体に独特の味わい深さを付加させている点も忘れてはならない。

独唱陣もフィッシャー=ディースカウ&シュヴァルツコップという超豪華な布陣であり、その歌唱の素晴らしさは言うまでもないところだ。

フィッシャー=ディースカウは、クレンペラーに嫌われ、数々の悪質ないじめを受けていたことで有名ではあるが、本演奏ではそのようなことを微塵も感じさせないほどの文句の付けようのない名唱を披露している。

クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団や同合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、これだけの名演だけに、これまで本盤のようなARTによるリマスタリングなどが繰り返し行われてきたことや、数年前にはHQCD化もなされたこともあって、比較的満足できる音質であった。

しかしながら、先般、ついに待望のSACD化が行われたことによって大変驚いた。

本リマスタリング盤やHQCD盤などとは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

オーケストラと合唱の見事に分離して聴こえることや、フィッシャー=ディースカウやシュヴァルツコップの息遣いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、1961年のスタジオ録音であるとはにわかに信じがたいほどだ。

あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&シュヴァルツコップ、そしてクレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団及び同合唱団による至高の超名演であり、多少高額でも、SACD盤の購入を是非ともおすすめしておきたい。

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2014年12月20日


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カラヤンは手兵ベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を3度にわたってスタジオ録音しているが、同時にブラームスの交響曲全集も3度にわたってスタジオ録音している。

その他にも、一部の交響曲について、ウィーン・フィルやフィルハーモニア管弦楽団、コンセルトへボウ・アムステルダムなどと録音を行うとともに、ベルリン・フィルなどとのライヴ録音も遺されていることから、カラヤンがいかにブラームスの交響曲を得意としていたのかがよく理解できるところだ。

ベルリン・フィルとの全集で言えば、最初の全集が1963〜1964年、本盤に収められた交響曲第2番及び第3番を含む2度目の全集が1977〜1978年、そして3度目の全集が1987〜1988年と、ほぼ10年毎に、そしてベートーヴェンの交響曲全集のほぼ直後に録音されているのが特徴である。

この3つの全集の中で、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、紛れもなく本盤の2度目の全集であると考えられる。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルは、まさにこの黄金コンビの全盛時代である。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本盤に収められた交響曲第2番及び第3番においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっている。

このような演奏について、例えば第2番については、ワルター&ニューヨーク・フィルによる名演(1953年)、ベーム&ウィーン・フィルによる名演(1975年)、第3番については、クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィルによる名演(1950年)などと比較して、その精神的な深みの追求の欠如などを指摘する評論家もいるとは思われるが、これほどの圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンによる名演との優劣を付けることは困難であると考える。

本盤の2曲を含め、カラヤン&ベルリン・フィルによる2度目のブラームスの交響曲全集については、長らくに渡って高音質化の波から外れてきた。

3度目の全集についてはSHM−CD化、最初の全集についてはリマスタリングが施されたにもかかわらず、これまで殆ど手つかずの状態であったというのは、演奏の素晴らしさからすれば、明らかに不当な扱いを受けてきたと言えるだろう(これは、ベートーヴェンの交響曲全集においても共通して言えることだ)。

しかしながら、今般、全集のうち交響曲第2番及び第3番に限ってということではあるが、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が図られることになった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

そして、可能であれば、全集の中の残された交響曲第1番及び第4番、そして悲劇的序曲、ハイドンの主題による変奏曲についてもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を行っていただくことを大いに期待したい。

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2014年12月19日


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本盤には、今や伝説的ともなったチェリビダッケの1986年の来日公演の中から、ブラームスの交響曲第4番、R・シュトラウスの交響詩「死と変容」、そして、ロッシーニの歌劇「どろぼうかささぎ」序曲、ブラームスのハンガリー舞曲第1番ト短調、ヨハン&ヨーゼフ・シュトラウス:ピツィカート・ポルカといった小品が収められている。

特に、ブラームスの交響曲第4番については、チェリビダッケ自身がその演奏の出来に大変満足していただけに、今般CD化され発売される運びとなったことは、チェリビダッケのファンのみならず、多くのクラシック音楽ファンにとっても誠に慶賀に堪えないことであると言えるだろう。

それにしても、何という圧倒的な音のドラマであろうか。

チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということの証左である。

楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。

それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。

そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのが、本盤の演奏を行っているミュンヘン・フィルであった。

また、チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追求しようというものではない。むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、まさに音のドラマ。

これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらない。

ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、1音1音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたが、チェリビダッケの場合は、音の1つ1つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは1つ1つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。

もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であった。

したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、本盤に収められたブラームスの交響曲第4番やR・シュトラウスの交響詩「死と変容」については、前述のようなチェリビダッケのアプローチがプラスに働いた素晴らしい名演と言えるだろう。

確かに、テンポは遅い。

しかしながら、両曲をチェリビダッケ以上に完璧に音化した例は他にはないのではなかろうか。

いずれにしても、これら両曲の演奏を演奏時間が遅いとして切り捨てることは容易であるが、聴き終えた後の充足感においては、過去の両曲のいかなる名演にも決して引けを取っていないと考えられるところである。

その他の小品も、チェリビダッケならではのゆったりとしたテンポによる密度の濃い名演と評価したい。

チェリビダッケの徹底した拘りと厳格な統率の下、まさに完全無欠の演奏を行ったミュンヘン・フィルによる圧倒的な名演奏に対しても大きな拍手を送りたい。

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2014年12月17日


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本盤にはベーム&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集が収められている。

ベームは、本演奏以外にもブラームスの交響曲を単独でウィーン・フィルのほかベルリン・フィルやバイエルン放送交響楽団などと録音しており、全集という纏まった形でのスタジオ録音としては、本全集が唯一のものと言えるところだ。

本全集に収められた楽曲のうち、第1番についてはベルリン・フィルとの演奏(1959年)に一歩譲るが、その他の楽曲については、ベームによる最高の名演と言っても過言ではあるまい。

本全集を聴いていて思うのは、ベームの芸風とブラームスの楽曲は抜群の相性を誇っているということである。

ベームは、本全集のほかにも、前述の第1番の1959年の演奏や、バックハウスと組んでスタジオ録音したピアノ協奏曲第2番の演奏(1967年)など、圧倒的な名演の数々を遺しているのは、ベームとブラームスの相性の良さに起因すると考えられるところだ。

ベームの本盤の各楽曲の演奏におけるアプローチは、例によって重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体として非常にゆったりとしたものである。

そして、ベームは、各楽器セクションを力の限り最強奏させているが、その引き締まった隙間風の吹かない分厚い響きには強靭さが漲っており、濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

かかる充実した隙間風の吹かない重厚な響きをベースとした質実剛健たる演奏が、ブラームスの各楽曲の性格と見事に符号すると言えるのではないだろうか。

演奏は、1975〜1977年のスタジオ録音であり、この当時のベームによる一部の演奏には、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。

また、各曲の緩徐楽章や、第2番及び第4番の緩徐箇所における各旋律の端々から漂ってくる幾分憂いに満ちた奥深い情感には抗し難い魅力に満ち溢れており、これはベームが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の清澄な境地をあらわしていると言えるのかもしれない。

併録のハイドンの主題による変奏曲における、各変奏曲の描き分けの巧みさは老巨匠ならではの圧巻の至芸と言えるところであり、アルト・ラプソディにおいては、クリスタ・ルートヴィヒやウィーン楽友協会合唱団による渾身の名唱も相俟って、スケール雄大な圧倒的な名演に仕上がっていると評価したい。

そして、特筆すべきは、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏である。

とりわけ、第1番第2楽章におけるゲアハルト・ヘッツェルによる甘美なヴァイオリン・ソロのあまりの美しさには身も心も蕩けてしまいそうだ。

いずれにしても、かかるウィーン・フィルによる美演が、ベームの重厚でシンフォニック、そして剛毅とも言える演奏に適度な潤いと深みを与えているのを忘れてはならない。

音質は、1975〜1977年のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも十分に満足できるものである。

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2014年12月10日


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素晴らしい名演だ。

同曲演奏史上でもトップの座を争う名演として高く評価したい。

モントゥーは、若き日に生前のブラームスと会ったことがあることもあり、フランス人指揮者でありながら、こよなくブラームスを愛していたことで知られている。

「第2」については、本盤以外にもウィーン・フィルとのスタジオ録音(1959年)があり、「第3」については2種(COA(ターラ)及びBBC(BBCレジェンド))、「第1」についてはCOA盤が発売されている。

「第4」については、筆者は入手しておらず未聴であるが、既発売のCDのいずれもが名演である。

しかしながら、本盤の「第2」は、これらの名演とは別次元の超名演と言える。

89歳で世を去るまで現役として活躍を続けた20世紀を代表するフランスの大指揮者モントゥーが晩年になってロンドン交響楽団を指揮した、彼の偉大な風格が刻印された淀みなく流れるいぶし銀のような演奏である。

自らの死を2年後に控えたこともあるが、ここには、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠だけが表現し得る風格と、至高・至純の美しさに満ち溢れている。

当盤は昔から評価が高い演奏であるが、力まかせの演奏ではなく、ごく自然体でありながら指揮者の意図が隅々まで浸透した素晴らしい演奏と言える。

必要以上に大袈裟にならず、それでいて十分な迫力もあり、別録音のウィーン・フィル盤と同様のテンポ設定でありながら、より自分の主張したい演奏に仕上がっていて申し分がない。

第1楽章など、提示部の繰り返しを行うなど、決して前に進んでいかない音楽であるが、それが決していやではないのは、モントゥーの深みのある音楽性の賜物と言える。

終楽章の堂々たる進軍は、あたりを振り払うような威容に満ち満ちており、これぞ大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。

併録の2つの序曲も、制度設計がしっかりした風格のある素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年12月07日


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これは素晴らしい名全集だ。

1990年代には、ほぼ同世代のドイツ人指揮者ザンデルリンクがベルリン交響楽団を指揮してブラームスの交響曲全集をスタジオ録音しているが、1995年〜1997年に、ヴァントが北ドイツ放送交響楽団とともにライヴ録音した本全集も、ザンデルリンクによる全集に比肩し得る至高の名全集と評価し得るのではないだろうか。

当初の予定では、全集を一気に完成させる予定であったが、ヴァントが体調を崩したために、第1番〜第3番が先行発売され、1997年に第4番が単独で発売されたという経緯がある。

ヴァントは、本全集の約10年前にも、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにブラームスの交響曲全集をスタジオ録音(1982〜1985年)している。

この他にも、交響曲第1番については、シカゴ交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団(1996年)、ミュンヘン・フィル(1997年)とのライヴ録音、交響曲第4番についても、ベルリン・ドイツ交響楽団とのライヴ録音(1994年)が遺されている。

いずれ劣らぬ名演と言えるが、気心が知れたオーケストラを指揮した演奏ということからしても、本全集こそは、ヴァントによるブラームスの交響曲演奏の代表盤と言っても過言ではあるまい。

ヴァントによる演奏は、ザンデルリンクのゆったりとしたテンポによる演奏とは大きくその性格を異にしている。

やや速めのテンポで一貫しており、演奏全体の造型は極めて堅固で、華麗さとは無縁であり、演奏の様相は剛毅かつ重厚なものだ。

決して微笑まない音楽であり、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところであり、本盤の各演奏は、ザンデルリンクによるものとは違ったアプローチによって、ブラームスの交響曲演奏の理想像を具現化し得たと言えるのではないだろうか。

各演奏の出来にムラがないというのも見事であると言えるところだ。

いずれにしても、本全集は、ヴァントの最晩年の至高の芸風を体現した至高の名全集と高く評価したい。

音質は、1990年代のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月04日


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鬼才アファナシエフのブラームス最晩年の小品集は実演にも接したことがあるが、このアルバムも実に凄い演奏だ。

ブラームスの後期の小品集は、小品とはいいながら晩年のブラームスの寂寥感、生きる事の悲しみや、つらさ、孤独、苦しみやかすかな喜びが投影された珠玉の作品集である。

ひとつひとつの音が、ピアノの美しい音色を響かせるとともに、晩年のブラームスの生活をも感じさせてくれる。 

確かにシューベルトの即興曲に通ずるものがあり、楽譜通りに演奏しても、それなりの演奏となろう。

ここでのアファナシエフの演奏は、楽譜を読み込み、楽譜を超え、ブラームスの情感の心情に迫り、抉り出そうとする、本質を表現せしめた音楽を奏でている。

思索的な表情や美音が印象に残る一方、悠然とした間のとり方など、アファナシエフらしい個性的な解釈が散見されるが、それは唐突に現れるのではなく、全体の流れのなかに乗せられている。

それに、ブラームスの作品117〜119の3つのピアノ作品は、シェーンベルクの十二音技法にも通じるような深みを湛えた至純の名作でもあるが、アファナシエフの演奏は、まさに、こうした近現代の音楽に繋がっていくような鋭さがある。

それでいて、晩年のブラームスの心の奥底を抉り出すような深みのある情感豊かさも、感傷的にはいささかも陥らず、あくまでも高踏的な次元において描き出している点も素晴らしい。

テンポは、過去のいかなる演奏と比較しても、相当に(というか極端に)遅いと言わざるを得ないが、シューベルトの後期3大ピアノ・ソナタの時のようなもたれるということはなく、こうした遅いテンポが、おそらくはアファナシエフにだけ可能な濃密な世界(小宇宙)を構築している。

各曲ごとに大きく異なる楽想を、アファナシエフならではのゆったりとしたテンポで、ブラームスの心底の深淵を覗き込むような深遠なアプローチを行っている。

その深みのある情感の豊かさは、同曲の過去のいかなる演奏をも凌駕するような至高・至純の高みに達していると言っても過言ではあるまい。

研ぎ澄まされた鋭さ、深みのある情感、内容の濃密さという3つの要素が盛り込まれたこの演奏は、聴き手にも途轍もない集中力を要求する。

同曲集には、同じく鬼才であったグールドの超名演があったが、内容の深みや鋭さにおいて、アファナシエフに軍配があがると言っても過言ではないかもしれない。

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2014年11月28日


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2011年9月18日に惜しくも逝去したクルト・ザンデルリンクは、2002年には既に指揮活動から引退していたところであるが、特に晩年の1990年代においては、ヴァントやジュリーニなどとともに数少ない巨匠指揮者の1人として、至高の名演の数々を披露してくれたところである。

その中でも最良の遺産は、何と言っても本盤に収められたベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行ったブラームスの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

東独出身ということもあって、東西冷戦の終結までは鉄のカーテンの向こう側に主たる活動拠点を有していたことから、同じく独墺系の指揮者で4年年長のカラヤンと比較すると、その活動は地味で必ずしも華々しいものとは言えなかったところである。

もっとも、西側で活躍していたカラヤンが、重厚ではあるもののより国際色を強めた華麗な演奏に傾斜していく中で、質実剛健とも言うべきドイツ風の重厚な演奏の数々を行う貴重な存在であったと言えるところだ。

ザンデルリンクは、本全集のほかにも、ライヴ録音を含め、数々のブラームスの交響曲の録音を遺しているが、その中でも最も名高いのは、シュターツカペレ・ドレスデンとともに1971〜1972年に行ったスタジオ録音と言えるのではないだろうか。

当該全集は今でもその存在価値を失うことがない名演であるが、それは、ザンデルリンクの指揮の素晴らしさもさることながら、何と言っても、ホルンのペーター・ダムなどをはじめ多くのスタープレイヤーを擁していた全盛期のシュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の音色の魅力によるところが大きい。

それに対して、本盤の全集は、スタジオ録音としてはザンデルリンクによる2度目のものとなるが、演奏自体は、旧全集よりも数段優れているのではないだろうか。

ザンデルリンクによる本演奏は、旧全集の演奏よりもよりかなりゆったりとしたテンポをとっているのが特徴だ。

そして、演奏全体の造型は堅固であり、スケールの雄大さも特筆すべき素晴らしさであると言えるのではないか。

もっとも、かかるテンポの遅さを除けば、何か特別な個性を発揮して奇を衒った解釈を施すなどということはなく、むしろ曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行くと言うオーソドックスな自然体のアプローチに徹しているとさえ言えるが、よく聴くと、各旋律には独特の細やかな表情づけが行われるとともに、その端々からは、晩年を迎えたザンデルリンクならではの枯淡の境地を感じさせる夕映えのような情感が滲み出していると言えるところであり、その味わい深さには抗し難い魅力が満ち溢れている。

かかる味わい深さ、懐の深さにおいて、本盤の演奏は旧全集の演奏を大きく引き離していると言えるところであり、とりわけ楽曲の性格からしても、第4番の奥行きの深さは圧巻であると言えるところだ。

その人生の諦観のようなものを感じさせる汲めども尽きぬ奥深い情感は、神々しいまでの崇高さを湛えていると言っても過言ではあるまい。

ハイドンの主題による変奏曲も、まさに巨匠ならではの老獪な至芸を堪能できる名演であるし、アルト・ラプソディも、アンネッテ・マルケルトやベルリン放送合唱団の名唱も相俟って、素晴らしい名演に仕上がっている。

ベルリン交響楽団も、その音色には、さすがに全盛期のシュターツカペレ・ドレスデンほどの魅力はないが、それでもドイツ風の重厚さにはいささかも欠けるところはなく、ザンデルリンクの指揮によく応えた素晴らしい名演奏を行っていると言ってもいいのではないだろうか。

いずれにしても、本全集は、ブラームスの交響曲を数多く演奏してきたザンデルリンクによる決定盤とも言うべき至高の名全集と高く評価したいと考える。

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2014年11月26日


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ワルターについては、フルトヴェングラーやトスカニーニ、メンゲルベルクといった他の4大指揮者と異なり、ステレオ録音が開始された時代まで生きたただ1人の巨匠指揮者である。

それ故に、音質が良いということもあって、ワルターによる演奏を聴くに際しては、最晩年の主としてコロンビア交響楽団とのスタジオ録音盤を選択するケースが多い。

したがって、最晩年の穏健な芸風のイメージがワルターによる演奏には付きまとっていると言えるが、1950年代前半以前のモノラル録音を聴けば、それが大きな誤解であるということが容易に理解できるはずだ。

本盤に収められたブラームスの交響曲第1番の演奏は、コロンビア交響楽団との最晩年のスタジオ録音ではあるが、1950年代前半以前のワルターを思わせるような、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力を有した力感溢れる演奏に仕上がっている。

ワルターを穏健派の指揮者などと誤解をしているクラシック音楽ファンにとっては、度肝を抜かれるような力強い演奏といえるかもしれない。

もちろん、第2楽章や第3楽章の心を込め抜いた情感豊かな表現は、いかにも最晩年のワルターならではの温かみを感じさせる演奏であるが、老いの影などいささかも感じられないのが素晴らしい。

そして、終楽章は、切れば血が吹き出てくるような生命力に満ち溢れた大熱演であると言えるところであり、とても死の3年前とは思えないような強靭な迫力を誇っている。

カップリングされている悲劇的序曲と大学祝典序曲もワルター渾身の力感漲る名演。

特に、大学祝典序曲など、下手な指揮者にかかるといかにも安っぽいばか騒ぎな通俗的演奏に終始してしまいかねないが、ワルターは、テンポを微妙に変化させて、実にコクのある格調高い名演を成し遂げているのは見事というほかはない。

コロンビア交響楽団は、例えば、ブラームスの交響曲第1番の終楽章におけるフルートのヴィブラートなど、いささか品性を欠く演奏も随所に散見されるところではあるが、ワルターによる確かな統率の下、編成の小ささをいささかも感じさせない重量感溢れる名演奏を披露している点を高く評価したい。

DSDマスタリングとルビジウム・クロック・カッティングによる高音質化も著しい。

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2014年11月04日


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ザンデルリンクによるブラームスの交響曲全集と言えば、後年にベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行った名演が誉れ高い。

当該全集の各交響曲はいずれ劣らぬ名演であったが、それは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポをベースとしたまさに巨匠風の風格ある演奏であり、一昨年、惜しくも逝去されたザンデルリンクの代表盤にも掲げられる永遠の名全集とも言える存在であると言えるところだ。

ザンデルリンクは、当該全集の約20年前にもブラームスの交響曲全集をスタジオ録音している。

それこそが、本盤に収められた交響曲第1番を含む、シュターツカペレ・ドレスデンとの全集である。

前述のベルリン交響楽団との全集が、押しも押されぬ巨匠指揮者になったザンデルリンクの指揮芸術を堪能させてくれるのに対して、本全集は、何と言っても当時のシュターツカペレ・ドレスデンの有していた独特のいぶし銀とも言うべき音色と、それを十二分に体現しえた力量に最大の魅力があるのではないだろうか。

昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。

奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。

そのような中で、本盤のスタジオ録音がなされた1970年代のシュターツカペレ・ドレスデンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特のいぶし銀の音色、まさに独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。

こうしたオーケストラの音色や演奏において抗し難い魅力が存在しているのに加えて、ザンデルリンクの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチを示している。

前述の後年の全集と比較すると、テンポなども極めてノーマルなものに落ち着いているが、どこをとっても薄味な個所はなく、全体の堅牢な造型を保ちつつ、重厚かつ力強い演奏で一貫していると評しても過言ではあるまい。

むしろ、このような正統派のアプローチを行っているからこそ、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な音色、技量が演奏の全面に描出されていると言えるところであり、本演奏こそはまさに、ザンデルリンク、そしてシュターツカペレ・ドレスデンによる共同歩調によった見事な名演と高く評価したいと考える。

Blu-spec-CD化によって、音質にさらに鮮明さが加わったことも大いに歓迎したい。

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2014年10月26日


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本盤にはブラームスの交響曲第4番とハイドンの主題による変奏曲が収められているが、スクロヴァチェフスキ&読売日響は、既にブラームスの交響曲第1〜3番を録音していることから、本演奏はまさにスクロヴァチェフスキ&読売日響によるブラームスの交響曲全集の完結編ということになる。

また、スクロヴァチェフスキは、ハレ管弦楽団とともにブラームスの交響曲全集をスタジオ録音(1987年)しており、本盤を持って2度目の全集の完成ということになるが、演奏内容については、今般の2度目の全集の方がダントツの素晴らしさと言えるだろう。

そして本盤の第4番の演奏も、スクロヴァチェフスキによる2度目のブラームスの交響曲全集の掉尾を飾るに相応しい至高の圧倒的な超名演に仕上がっていると高く評価したい。

ブラームスの交響曲第4番のこれまでの他の指揮者による名演としては、シューリヒトやムラヴィンスキーなどによる淡麗辛口な演奏や、それに若さを付加したクライバーによる演奏の評価が高く、他方、情感溢れるワルターや、さらに重厚な渋みを加えたベームによる名演、そして本年に入ってSACD化が図られたことによってその価値が著しく高まったドラマティックなフルトヴェングラーによる名演などが掲げられるところだ。

これに対して、スクロヴァチェフスキによる本演奏の特徴を一言で言えば、情感豊かなロマンティシズム溢れる名演と言ったことになるのではないだろうか。

もっとも、ワルターの演奏のようなヒューマニティ溢れる演奏とは若干その性格を異にしているが、どこをとっても歌心に満ち溢れた豊かな情感(感極まって、例えば第1楽章などスクロヴァチェフスキの肉声が入る箇所あり)を感じさせるのが素晴らしい。

それでいて演奏全体の造型は堅固であり、いささかも弛緩することはない。

加えて、第3楽章の阿修羅の如き快速のテンポによる畳み掛けていくような気迫溢れる豪演など、86歳の老巨匠とは思えないような力感が演奏全体に漲っているが、それでも各楽章の緩徐箇所においては老巨匠ならではの人生の諦観を感じさせるような幾分枯れた味わいをも有しているところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、これまでの様々な大指揮者による名演にも比肩し得るだけの奥行きのある深遠さを湛えている。

また、すべてのフレーズに独特の細やかな表情付けが行われており、終楽章のゆったりとしたテンポによる各変奏の巧みな描き分けも含め、演奏全体の内容の濃密さにおいても出色のものがあると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、現代最高の巨匠指揮者スクロヴァチェフスキが最晩年になって漸く成し得た至高の超名演と高く評価したい。

ハイドンの主題による変奏曲は、まさに老巨匠ならではの職人技が際立った名演奏。

各変奏の描き分けの巧みさは、交響曲第4番の終楽章以上に殆ど神業の領域に達している。

加えて、各フレーズの端々に漂う豊かな情感においても、そしてその演奏の彫りの深さにおいても、同曲の様々な指揮者による名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

読売日本交響楽団も、崇敬する巨匠スクロヴァチェフスキを指揮台に頂いて、その持ち得る実力を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのが見事である。

ホルンなどのブラスセクションや木管楽器なども実に上手く、弦楽合奏の豊穣さなど、欧米の一流のオーケストラにも匹敵するほどの名演奏とも言えるだろう。

なお、本盤で更に素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

各楽器の位置関係までもが明瞭に再現される臨場感溢れる鮮明で豊穣な高音質は、本超名演の価値をより一層高いものとしていることを忘れてはならない。

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2014年10月20日


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数年前に惜しくも解散したアルバン・ベルク弦楽四重奏団。

この四重奏団が遺してきた数々の名演を念頭に置いた時、音楽界においてこれほど残念なことはなかったと考える。

最近では、カルミナ弦楽四重奏団とかアルカント弦楽四重奏団など、切れ味鋭い、現代的センス溢れる名演を繰り広げる楽団が、全盛期を迎えつつあるとも言えるが、そうした現代的なアプローチの元祖とも言うべき存在は、このアルバン・ベルク四重奏団にある。

そして、現代隆盛の四重奏団にないものが、このアルバン・ベルク四重奏団にはある。

それは、ウィーン出身の音楽家で構成されていることを強みにした、美しい音色であろう。

こうした「美しさ」という強みによって、各楽曲へのアプローチに潤いを与えていることを見過ごしてはならない。

それ故に、どの曲を演奏しても、前衛的なアプローチをしつつも、温かみのある血も涙もある演奏に仕上がっていることに繋がっているものと言える。

本盤のブラームスの弦楽四重奏曲もそうしたアルバン・ベルク四重奏団の長所が見事にプラスに働いた名演だ。

鉄壁とも言うべきアンサンブルを駆使しつつ、楽想を抉り出の描出にいささかの不足もない。

巷間評される「ウィーンの伝統にモダンな機能美を加えたその演奏スタイルは、ウィーン古典派と新ウィーン楽派をつなぐ結節点としてのブラームスの一面を見事につかみだした」という評価は、本名演の評価として誠に当を得た表現と言える。

筆者としては、ブラームスの弦楽四重奏曲は地味な印象が強くて聴き通すことが困難であったが、アルバン・ベルク四重奏団の厳しさと華麗さが加味されて非常に良い効果を生んでおり、はじめてブラームスの四重奏が聴き通せたと言っても過言ではない。

ブラームスの弦楽四重奏曲は、交響曲と比較して人気がないようであるが、筆者はアルバン・ベルク四重奏団によって、ブラームスという作曲家のロマンティックな側面が、交響曲より強く出されていて、好きになった。

その後、何度も聴き入り、ブラームスの室内楽の良さがじわじわと染み通るかのようである。

ただし、アルバン・ベルク四重奏団のブラームスは彼ら独特の鋭い感性に貫かれた演奏である為に、ある意味で聴く人を選んでしまうかもしれない。

しかもここに収められた3曲は作曲家自身が推敲に推敲を重ねた結果の、ひたすら個人的な思索の所産に他ならず、多くの聴衆を想定した音楽ではないからだ。

それはベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲に例えることができるだろう。

人によってはいたたまれないくらい厳しい曲想だろうし、また好む人にとっては逆に限りなく深みのある室内楽のエッセンスが堪能できるといった複雑な側面は、聴く人におもねることの無いブラームスの気質を窺わせている。

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