ブラームス

2015年01月01日


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ドイツ・レクイエムはブラームスの作曲した声楽作品の最高峰であるだけでなく、ブラームスの最高傑作と評価する識者もいるほどの偉大な作品である。

それだけに、これまで様々な指揮者によって数多くの演奏・録音が行われてきているが、本盤に収められたクレンペラーによる演奏は、録音から既に50年が経過しているにもかかわらず、現在でもなおトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

本演奏において、クレンペラーは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。

奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏とも言える。

それ故に、同曲の厳粛かつ壮麗さが見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた比類のない演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。

木管楽器を時として強調させているのもクレンペラーならではの表現と言えるが、それが演奏全体に独特の味わい深さを付加させている点も忘れてはならない。

独唱陣もフィッシャー=ディースカウ&シュヴァルツコップという超豪華な布陣であり、その歌唱の素晴らしさは言うまでもないところだ。

フィッシャー=ディースカウは、クレンペラーに嫌われ、数々の悪質ないじめを受けていたことで有名ではあるが、本演奏ではそのようなことを微塵も感じさせないほどの文句の付けようのない名唱を披露している。

クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団や同合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、これだけの名演だけに、これまで本盤のようなARTによるリマスタリングなどが繰り返し行われてきたことや、数年前にはHQCD化もなされたこともあって、比較的満足できる音質であった。

しかしながら、先般、ついに待望のSACD化が行われたことによって大変驚いた。

本リマスタリング盤やHQCD盤などとは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

オーケストラと合唱の見事に分離して聴こえることや、フィッシャー=ディースカウやシュヴァルツコップの息遣いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、1961年のスタジオ録音であるとはにわかに信じがたいほどだ。

あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&シュヴァルツコップ、そしてクレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団及び同合唱団による至高の超名演であり、多少高額でも、SACD盤の購入を是非ともおすすめしておきたい。

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2014年12月20日


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カラヤンは手兵ベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を3度にわたってスタジオ録音しているが、同時にブラームスの交響曲全集も3度にわたってスタジオ録音している。

その他にも、一部の交響曲について、ウィーン・フィルやフィルハーモニア管弦楽団、コンセルトへボウ・アムステルダムなどと録音を行うとともに、ベルリン・フィルなどとのライヴ録音も遺されていることから、カラヤンがいかにブラームスの交響曲を得意としていたのかがよく理解できるところだ。

ベルリン・フィルとの全集で言えば、最初の全集が1963〜1964年、本盤に収められた交響曲第2番及び第3番を含む2度目の全集が1977〜1978年、そして3度目の全集が1987〜1988年と、ほぼ10年毎に、そしてベートーヴェンの交響曲全集のほぼ直後に録音されているのが特徴である。

この3つの全集の中で、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、紛れもなく本盤の2度目の全集であると考えられる。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルは、まさにこの黄金コンビの全盛時代である。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本盤に収められた交響曲第2番及び第3番においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっている。

このような演奏について、例えば第2番については、ワルター&ニューヨーク・フィルによる名演(1953年)、ベーム&ウィーン・フィルによる名演(1975年)、第3番については、クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィルによる名演(1950年)などと比較して、その精神的な深みの追求の欠如などを指摘する評論家もいるとは思われるが、これほどの圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンによる名演との優劣を付けることは困難であると考える。

本盤の2曲を含め、カラヤン&ベルリン・フィルによる2度目のブラームスの交響曲全集については、長らくに渡って高音質化の波から外れてきた。

3度目の全集についてはSHM−CD化、最初の全集についてはリマスタリングが施されたにもかかわらず、これまで殆ど手つかずの状態であったというのは、演奏の素晴らしさからすれば、明らかに不当な扱いを受けてきたと言えるだろう(これは、ベートーヴェンの交響曲全集においても共通して言えることだ)。

しかしながら、今般、全集のうち交響曲第2番及び第3番に限ってということではあるが、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が図られることになった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

そして、可能であれば、全集の中の残された交響曲第1番及び第4番、そして悲劇的序曲、ハイドンの主題による変奏曲についてもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を行っていただくことを大いに期待したい。

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2014年12月19日


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本盤には、今や伝説的ともなったチェリビダッケの1986年の来日公演の中から、ブラームスの交響曲第4番、R・シュトラウスの交響詩「死と変容」、そして、ロッシーニの歌劇「どろぼうかささぎ」序曲、ブラームスのハンガリー舞曲第1番ト短調、ヨハン&ヨーゼフ・シュトラウス:ピツィカート・ポルカといった小品が収められている。

特に、ブラームスの交響曲第4番については、チェリビダッケ自身がその演奏の出来に大変満足していただけに、今般CD化され発売される運びとなったことは、チェリビダッケのファンのみならず、多くのクラシック音楽ファンにとっても誠に慶賀に堪えないことであると言えるだろう。

それにしても、何という圧倒的な音のドラマであろうか。

チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということの証左である。

楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。

それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。

そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのが、本盤の演奏を行っているミュンヘン・フィルであった。

また、チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追求しようというものではない。むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、まさに音のドラマ。

これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらない。

ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、1音1音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたが、チェリビダッケの場合は、音の1つ1つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは1つ1つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。

もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であった。

したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、本盤に収められたブラームスの交響曲第4番やR・シュトラウスの交響詩「死と変容」については、前述のようなチェリビダッケのアプローチがプラスに働いた素晴らしい名演と言えるだろう。

確かに、テンポは遅い。

しかしながら、両曲をチェリビダッケ以上に完璧に音化した例は他にはないのではなかろうか。

いずれにしても、これら両曲の演奏を演奏時間が遅いとして切り捨てることは容易であるが、聴き終えた後の充足感においては、過去の両曲のいかなる名演にも決して引けを取っていないと考えられるところである。

その他の小品も、チェリビダッケならではのゆったりとしたテンポによる密度の濃い名演と評価したい。

チェリビダッケの徹底した拘りと厳格な統率の下、まさに完全無欠の演奏を行ったミュンヘン・フィルによる圧倒的な名演奏に対しても大きな拍手を送りたい。

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2014年12月17日


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本盤にはベーム&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集が収められている。

ベームは、本演奏以外にもブラームスの交響曲を単独でウィーン・フィルのほかベルリン・フィルやバイエルン放送交響楽団などと録音しており、全集という纏まった形でのスタジオ録音としては、本全集が唯一のものと言えるところだ。

本全集に収められた楽曲のうち、第1番についてはベルリン・フィルとの演奏(1959年)に一歩譲るが、その他の楽曲については、ベームによる最高の名演と言っても過言ではあるまい。

本全集を聴いていて思うのは、ベームの芸風とブラームスの楽曲は抜群の相性を誇っているということである。

ベームは、本全集のほかにも、前述の第1番の1959年の演奏や、バックハウスと組んでスタジオ録音したピアノ協奏曲第2番の演奏(1967年)など、圧倒的な名演の数々を遺しているのは、ベームとブラームスの相性の良さに起因すると考えられるところだ。

ベームの本盤の各楽曲の演奏におけるアプローチは、例によって重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体として非常にゆったりとしたものである。

そして、ベームは、各楽器セクションを力の限り最強奏させているが、その引き締まった隙間風の吹かない分厚い響きには強靭さが漲っており、濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

かかる充実した隙間風の吹かない重厚な響きをベースとした質実剛健たる演奏が、ブラームスの各楽曲の性格と見事に符号すると言えるのではないだろうか。

演奏は、1975〜1977年のスタジオ録音であり、この当時のベームによる一部の演奏には、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。

また、各曲の緩徐楽章や、第2番及び第4番の緩徐箇所における各旋律の端々から漂ってくる幾分憂いに満ちた奥深い情感には抗し難い魅力に満ち溢れており、これはベームが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の清澄な境地をあらわしていると言えるのかもしれない。

併録のハイドンの主題による変奏曲における、各変奏曲の描き分けの巧みさは老巨匠ならではの圧巻の至芸と言えるところであり、アルト・ラプソディにおいては、クリスタ・ルートヴィヒやウィーン楽友協会合唱団による渾身の名唱も相俟って、スケール雄大な圧倒的な名演に仕上がっていると評価したい。

そして、特筆すべきは、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏である。

とりわけ、第1番第2楽章におけるゲアハルト・ヘッツェルによる甘美なヴァイオリン・ソロのあまりの美しさには身も心も蕩けてしまいそうだ。

いずれにしても、かかるウィーン・フィルによる美演が、ベームの重厚でシンフォニック、そして剛毅とも言える演奏に適度な潤いと深みを与えているのを忘れてはならない。

音質は、1975〜1977年のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも十分に満足できるものである。

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2014年12月10日


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素晴らしい名演だ。

同曲演奏史上でもトップの座を争う名演として高く評価したい。

モントゥーは、若き日に生前のブラームスと会ったことがあることもあり、フランス人指揮者でありながら、こよなくブラームスを愛していたことで知られている。

「第2」については、本盤以外にもウィーン・フィルとのスタジオ録音(1959年)があり、「第3」については2種(COA(ターラ)及びBBC(BBCレジェンド))、「第1」についてはCOA盤が発売されている。

「第4」については、筆者は入手しておらず未聴であるが、既発売のCDのいずれもが名演である。

しかしながら、本盤の「第2」は、これらの名演とは別次元の超名演と言える。

89歳で世を去るまで現役として活躍を続けた20世紀を代表するフランスの大指揮者モントゥーが晩年になってロンドン交響楽団を指揮した、彼の偉大な風格が刻印された淀みなく流れるいぶし銀のような演奏である。

自らの死を2年後に控えたこともあるが、ここには、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠だけが表現し得る風格と、至高・至純の美しさに満ち溢れている。

当盤は昔から評価が高い演奏であるが、力まかせの演奏ではなく、ごく自然体でありながら指揮者の意図が隅々まで浸透した素晴らしい演奏と言える。

必要以上に大袈裟にならず、それでいて十分な迫力もあり、別録音のウィーン・フィル盤と同様のテンポ設定でありながら、より自分の主張したい演奏に仕上がっていて申し分がない。

第1楽章など、提示部の繰り返しを行うなど、決して前に進んでいかない音楽であるが、それが決していやではないのは、モントゥーの深みのある音楽性の賜物と言える。

終楽章の堂々たる進軍は、あたりを振り払うような威容に満ち満ちており、これぞ大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。

併録の2つの序曲も、制度設計がしっかりした風格のある素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年12月07日


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これは素晴らしい名全集だ。

1990年代には、ほぼ同世代のドイツ人指揮者ザンデルリンクがベルリン交響楽団を指揮してブラームスの交響曲全集をスタジオ録音しているが、1995年〜1997年に、ヴァントが北ドイツ放送交響楽団とともにライヴ録音した本全集も、ザンデルリンクによる全集に比肩し得る至高の名全集と評価し得るのではないだろうか。

当初の予定では、全集を一気に完成させる予定であったが、ヴァントが体調を崩したために、第1番〜第3番が先行発売され、1997年に第4番が単独で発売されたという経緯がある。

ヴァントは、本全集の約10年前にも、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにブラームスの交響曲全集をスタジオ録音(1982〜1985年)している。

この他にも、交響曲第1番については、シカゴ交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団(1996年)、ミュンヘン・フィル(1997年)とのライヴ録音、交響曲第4番についても、ベルリン・ドイツ交響楽団とのライヴ録音(1994年)が遺されている。

いずれ劣らぬ名演と言えるが、気心が知れたオーケストラを指揮した演奏ということからしても、本全集こそは、ヴァントによるブラームスの交響曲演奏の代表盤と言っても過言ではあるまい。

ヴァントによる演奏は、ザンデルリンクのゆったりとしたテンポによる演奏とは大きくその性格を異にしている。

やや速めのテンポで一貫しており、演奏全体の造型は極めて堅固で、華麗さとは無縁であり、演奏の様相は剛毅かつ重厚なものだ。

決して微笑まない音楽であり、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところであり、本盤の各演奏は、ザンデルリンクによるものとは違ったアプローチによって、ブラームスの交響曲演奏の理想像を具現化し得たと言えるのではないだろうか。

各演奏の出来にムラがないというのも見事であると言えるところだ。

いずれにしても、本全集は、ヴァントの最晩年の至高の芸風を体現した至高の名全集と高く評価したい。

音質は、1990年代のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月04日


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鬼才アファナシエフのブラームス最晩年の小品集は実演にも接したことがあるが、このアルバムも実に凄い演奏だ。

ブラームスの後期の小品集は、小品とはいいながら晩年のブラームスの寂寥感、生きる事の悲しみや、つらさ、孤独、苦しみやかすかな喜びが投影された珠玉の作品集である。

ひとつひとつの音が、ピアノの美しい音色を響かせるとともに、晩年のブラームスの生活をも感じさせてくれる。 

確かにシューベルトの即興曲に通ずるものがあり、楽譜通りに演奏しても、それなりの演奏となろう。

ここでのアファナシエフの演奏は、楽譜を読み込み、楽譜を超え、ブラームスの情感の心情に迫り、抉り出そうとする、本質を表現せしめた音楽を奏でている。

思索的な表情や美音が印象に残る一方、悠然とした間のとり方など、アファナシエフらしい個性的な解釈が散見されるが、それは唐突に現れるのではなく、全体の流れのなかに乗せられている。

それに、ブラームスの作品117〜119の3つのピアノ作品は、シェーンベルクの十二音技法にも通じるような深みを湛えた至純の名作でもあるが、アファナシエフの演奏は、まさに、こうした近現代の音楽に繋がっていくような鋭さがある。

それでいて、晩年のブラームスの心の奥底を抉り出すような深みのある情感豊かさも、感傷的にはいささかも陥らず、あくまでも高踏的な次元において描き出している点も素晴らしい。

テンポは、過去のいかなる演奏と比較しても、相当に(というか極端に)遅いと言わざるを得ないが、シューベルトの後期3大ピアノ・ソナタの時のようなもたれるということはなく、こうした遅いテンポが、おそらくはアファナシエフにだけ可能な濃密な世界(小宇宙)を構築している。

各曲ごとに大きく異なる楽想を、アファナシエフならではのゆったりとしたテンポで、ブラームスの心底の深淵を覗き込むような深遠なアプローチを行っている。

その深みのある情感の豊かさは、同曲の過去のいかなる演奏をも凌駕するような至高・至純の高みに達していると言っても過言ではあるまい。

研ぎ澄まされた鋭さ、深みのある情感、内容の濃密さという3つの要素が盛り込まれたこの演奏は、聴き手にも途轍もない集中力を要求する。

同曲集には、同じく鬼才であったグールドの超名演があったが、内容の深みや鋭さにおいて、アファナシエフに軍配があがると言っても過言ではないかもしれない。

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2014年11月28日


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2011年9月18日に惜しくも逝去したクルト・ザンデルリンクは、2002年には既に指揮活動から引退していたところであるが、特に晩年の1990年代においては、ヴァントやジュリーニなどとともに数少ない巨匠指揮者の1人として、至高の名演の数々を披露してくれたところである。

その中でも最良の遺産は、何と言っても本盤に収められたベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行ったブラームスの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

東独出身ということもあって、東西冷戦の終結までは鉄のカーテンの向こう側に主たる活動拠点を有していたことから、同じく独墺系の指揮者で4年年長のカラヤンと比較すると、その活動は地味で必ずしも華々しいものとは言えなかったところである。

もっとも、西側で活躍していたカラヤンが、重厚ではあるもののより国際色を強めた華麗な演奏に傾斜していく中で、質実剛健とも言うべきドイツ風の重厚な演奏の数々を行う貴重な存在であったと言えるところだ。

ザンデルリンクは、本全集のほかにも、ライヴ録音を含め、数々のブラームスの交響曲の録音を遺しているが、その中でも最も名高いのは、シュターツカペレ・ドレスデンとともに1971〜1972年に行ったスタジオ録音と言えるのではないだろうか。

当該全集は今でもその存在価値を失うことがない名演であるが、それは、ザンデルリンクの指揮の素晴らしさもさることながら、何と言っても、ホルンのペーター・ダムなどをはじめ多くのスタープレイヤーを擁していた全盛期のシュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の音色の魅力によるところが大きい。

それに対して、本盤の全集は、スタジオ録音としてはザンデルリンクによる2度目のものとなるが、演奏自体は、旧全集よりも数段優れているのではないだろうか。

ザンデルリンクによる本演奏は、旧全集の演奏よりもよりかなりゆったりとしたテンポをとっているのが特徴だ。

そして、演奏全体の造型は堅固であり、スケールの雄大さも特筆すべき素晴らしさであると言えるのではないか。

もっとも、かかるテンポの遅さを除けば、何か特別な個性を発揮して奇を衒った解釈を施すなどということはなく、むしろ曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行くと言うオーソドックスな自然体のアプローチに徹しているとさえ言えるが、よく聴くと、各旋律には独特の細やかな表情づけが行われるとともに、その端々からは、晩年を迎えたザンデルリンクならではの枯淡の境地を感じさせる夕映えのような情感が滲み出していると言えるところであり、その味わい深さには抗し難い魅力が満ち溢れている。

かかる味わい深さ、懐の深さにおいて、本盤の演奏は旧全集の演奏を大きく引き離していると言えるところであり、とりわけ楽曲の性格からしても、第4番の奥行きの深さは圧巻であると言えるところだ。

その人生の諦観のようなものを感じさせる汲めども尽きぬ奥深い情感は、神々しいまでの崇高さを湛えていると言っても過言ではあるまい。

ハイドンの主題による変奏曲も、まさに巨匠ならではの老獪な至芸を堪能できる名演であるし、アルト・ラプソディも、アンネッテ・マルケルトやベルリン放送合唱団の名唱も相俟って、素晴らしい名演に仕上がっている。

ベルリン交響楽団も、その音色には、さすがに全盛期のシュターツカペレ・ドレスデンほどの魅力はないが、それでもドイツ風の重厚さにはいささかも欠けるところはなく、ザンデルリンクの指揮によく応えた素晴らしい名演奏を行っていると言ってもいいのではないだろうか。

いずれにしても、本全集は、ブラームスの交響曲を数多く演奏してきたザンデルリンクによる決定盤とも言うべき至高の名全集と高く評価したいと考える。

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2014年11月26日


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ワルターについては、フルトヴェングラーやトスカニーニ、メンゲルベルクといった他の4大指揮者と異なり、ステレオ録音が開始された時代まで生きたただ1人の巨匠指揮者である。

それ故に、音質が良いということもあって、ワルターによる演奏を聴くに際しては、最晩年の主としてコロンビア交響楽団とのスタジオ録音盤を選択するケースが多い。

したがって、最晩年の穏健な芸風のイメージがワルターによる演奏には付きまとっていると言えるが、1950年代前半以前のモノラル録音を聴けば、それが大きな誤解であるということが容易に理解できるはずだ。

本盤に収められたブラームスの交響曲第1番の演奏は、コロンビア交響楽団との最晩年のスタジオ録音ではあるが、1950年代前半以前のワルターを思わせるような、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力を有した力感溢れる演奏に仕上がっている。

ワルターを穏健派の指揮者などと誤解をしているクラシック音楽ファンにとっては、度肝を抜かれるような力強い演奏といえるかもしれない。

もちろん、第2楽章や第3楽章の心を込め抜いた情感豊かな表現は、いかにも最晩年のワルターならではの温かみを感じさせる演奏であるが、老いの影などいささかも感じられないのが素晴らしい。

そして、終楽章は、切れば血が吹き出てくるような生命力に満ち溢れた大熱演であると言えるところであり、とても死の3年前とは思えないような強靭な迫力を誇っている。

カップリングされている悲劇的序曲と大学祝典序曲もワルター渾身の力感漲る名演。

特に、大学祝典序曲など、下手な指揮者にかかるといかにも安っぽいばか騒ぎな通俗的演奏に終始してしまいかねないが、ワルターは、テンポを微妙に変化させて、実にコクのある格調高い名演を成し遂げているのは見事というほかはない。

コロンビア交響楽団は、例えば、ブラームスの交響曲第1番の終楽章におけるフルートのヴィブラートなど、いささか品性を欠く演奏も随所に散見されるところではあるが、ワルターによる確かな統率の下、編成の小ささをいささかも感じさせない重量感溢れる名演奏を披露している点を高く評価したい。

DSDマスタリングとルビジウム・クロック・カッティングによる高音質化も著しい。

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2014年11月04日


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ザンデルリンクによるブラームスの交響曲全集と言えば、後年にベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行った名演が誉れ高い。

当該全集の各交響曲はいずれ劣らぬ名演であったが、それは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポをベースとしたまさに巨匠風の風格ある演奏であり、一昨年、惜しくも逝去されたザンデルリンクの代表盤にも掲げられる永遠の名全集とも言える存在であると言えるところだ。

ザンデルリンクは、当該全集の約20年前にもブラームスの交響曲全集をスタジオ録音している。

それこそが、本盤に収められた交響曲第1番を含む、シュターツカペレ・ドレスデンとの全集である。

前述のベルリン交響楽団との全集が、押しも押されぬ巨匠指揮者になったザンデルリンクの指揮芸術を堪能させてくれるのに対して、本全集は、何と言っても当時のシュターツカペレ・ドレスデンの有していた独特のいぶし銀とも言うべき音色と、それを十二分に体現しえた力量に最大の魅力があるのではないだろうか。

昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。

奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。

そのような中で、本盤のスタジオ録音がなされた1970年代のシュターツカペレ・ドレスデンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特のいぶし銀の音色、まさに独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。

こうしたオーケストラの音色や演奏において抗し難い魅力が存在しているのに加えて、ザンデルリンクの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチを示している。

前述の後年の全集と比較すると、テンポなども極めてノーマルなものに落ち着いているが、どこをとっても薄味な個所はなく、全体の堅牢な造型を保ちつつ、重厚かつ力強い演奏で一貫していると評しても過言ではあるまい。

むしろ、このような正統派のアプローチを行っているからこそ、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な音色、技量が演奏の全面に描出されていると言えるところであり、本演奏こそはまさに、ザンデルリンク、そしてシュターツカペレ・ドレスデンによる共同歩調によった見事な名演と高く評価したいと考える。

Blu-spec-CD化によって、音質にさらに鮮明さが加わったことも大いに歓迎したい。

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2014年10月26日


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本盤にはブラームスの交響曲第4番とハイドンの主題による変奏曲が収められているが、スクロヴァチェフスキ&読売日響は、既にブラームスの交響曲第1〜3番を録音していることから、本演奏はまさにスクロヴァチェフスキ&読売日響によるブラームスの交響曲全集の完結編ということになる。

また、スクロヴァチェフスキは、ハレ管弦楽団とともにブラームスの交響曲全集をスタジオ録音(1987年)しており、本盤を持って2度目の全集の完成ということになるが、演奏内容については、今般の2度目の全集の方がダントツの素晴らしさと言えるだろう。

そして本盤の第4番の演奏も、スクロヴァチェフスキによる2度目のブラームスの交響曲全集の掉尾を飾るに相応しい至高の圧倒的な超名演に仕上がっていると高く評価したい。

ブラームスの交響曲第4番のこれまでの他の指揮者による名演としては、シューリヒトやムラヴィンスキーなどによる淡麗辛口な演奏や、それに若さを付加したクライバーによる演奏の評価が高く、他方、情感溢れるワルターや、さらに重厚な渋みを加えたベームによる名演、そして本年に入ってSACD化が図られたことによってその価値が著しく高まったドラマティックなフルトヴェングラーによる名演などが掲げられるところだ。

これに対して、スクロヴァチェフスキによる本演奏の特徴を一言で言えば、情感豊かなロマンティシズム溢れる名演と言ったことになるのではないだろうか。

もっとも、ワルターの演奏のようなヒューマニティ溢れる演奏とは若干その性格を異にしているが、どこをとっても歌心に満ち溢れた豊かな情感(感極まって、例えば第1楽章などスクロヴァチェフスキの肉声が入る箇所あり)を感じさせるのが素晴らしい。

それでいて演奏全体の造型は堅固であり、いささかも弛緩することはない。

加えて、第3楽章の阿修羅の如き快速のテンポによる畳み掛けていくような気迫溢れる豪演など、86歳の老巨匠とは思えないような力感が演奏全体に漲っているが、それでも各楽章の緩徐箇所においては老巨匠ならではの人生の諦観を感じさせるような幾分枯れた味わいをも有しているところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、これまでの様々な大指揮者による名演にも比肩し得るだけの奥行きのある深遠さを湛えている。

また、すべてのフレーズに独特の細やかな表情付けが行われており、終楽章のゆったりとしたテンポによる各変奏の巧みな描き分けも含め、演奏全体の内容の濃密さにおいても出色のものがあると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、現代最高の巨匠指揮者スクロヴァチェフスキが最晩年になって漸く成し得た至高の超名演と高く評価したい。

ハイドンの主題による変奏曲は、まさに老巨匠ならではの職人技が際立った名演奏。

各変奏の描き分けの巧みさは、交響曲第4番の終楽章以上に殆ど神業の領域に達している。

加えて、各フレーズの端々に漂う豊かな情感においても、そしてその演奏の彫りの深さにおいても、同曲の様々な指揮者による名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

読売日本交響楽団も、崇敬する巨匠スクロヴァチェフスキを指揮台に頂いて、その持ち得る実力を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのが見事である。

ホルンなどのブラスセクションや木管楽器なども実に上手く、弦楽合奏の豊穣さなど、欧米の一流のオーケストラにも匹敵するほどの名演奏とも言えるだろう。

なお、本盤で更に素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

各楽器の位置関係までもが明瞭に再現される臨場感溢れる鮮明で豊穣な高音質は、本超名演の価値をより一層高いものとしていることを忘れてはならない。

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2014年10月20日


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数年前に惜しくも解散したアルバン・ベルク弦楽四重奏団。

この四重奏団が遺してきた数々の名演を念頭に置いた時、音楽界においてこれほど残念なことはなかったと考える。

最近では、カルミナ弦楽四重奏団とかアルカント弦楽四重奏団など、切れ味鋭い、現代的センス溢れる名演を繰り広げる楽団が、全盛期を迎えつつあるとも言えるが、そうした現代的なアプローチの元祖とも言うべき存在は、このアルバン・ベルク四重奏団にある。

そして、現代隆盛の四重奏団にないものが、このアルバン・ベルク四重奏団にはある。

それは、ウィーン出身の音楽家で構成されていることを強みにした、美しい音色であろう。

こうした「美しさ」という強みによって、各楽曲へのアプローチに潤いを与えていることを見過ごしてはならない。

それ故に、どの曲を演奏しても、前衛的なアプローチをしつつも、温かみのある血も涙もある演奏に仕上がっていることに繋がっているものと言える。

本盤のブラームスの弦楽四重奏曲もそうしたアルバン・ベルク四重奏団の長所が見事にプラスに働いた名演だ。

鉄壁とも言うべきアンサンブルを駆使しつつ、楽想を抉り出の描出にいささかの不足もない。

巷間評される「ウィーンの伝統にモダンな機能美を加えたその演奏スタイルは、ウィーン古典派と新ウィーン楽派をつなぐ結節点としてのブラームスの一面を見事につかみだした」という評価は、本名演の評価として誠に当を得た表現と言える。

筆者としては、ブラームスの弦楽四重奏曲は地味な印象が強くて聴き通すことが困難であったが、アルバン・ベルク四重奏団の厳しさと華麗さが加味されて非常に良い効果を生んでおり、はじめてブラームスの四重奏が聴き通せたと言っても過言ではない。

ブラームスの弦楽四重奏曲は、交響曲と比較して人気がないようであるが、筆者はアルバン・ベルク四重奏団によって、ブラームスという作曲家のロマンティックな側面が、交響曲より強く出されていて、好きになった。

その後、何度も聴き入り、ブラームスの室内楽の良さがじわじわと染み通るかのようである。

ただし、アルバン・ベルク四重奏団のブラームスは彼ら独特の鋭い感性に貫かれた演奏である為に、ある意味で聴く人を選んでしまうかもしれない。

しかもここに収められた3曲は作曲家自身が推敲に推敲を重ねた結果の、ひたすら個人的な思索の所産に他ならず、多くの聴衆を想定した音楽ではないからだ。

それはベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲に例えることができるだろう。

人によってはいたたまれないくらい厳しい曲想だろうし、また好む人にとっては逆に限りなく深みのある室内楽のエッセンスが堪能できるといった複雑な側面は、聴く人におもねることの無いブラームスの気質を窺わせている。

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2014年10月13日


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凄い演奏だ。

冒頭から大地を揺るがすようなティンパニとNHK交響楽団ならではの重厚なサウンドに心奪われる。

ブラームスの「第1」は、NHK交響楽団にとっては得意のレパートリーとも言うべき楽曲である。

最近でこそ、デュトワやアシュケナージ、プレヴィンなどを音楽監督に迎え、フランス系やロシア系の音楽も十八番にしつつあるNHK交響楽団であるが、それ以前は、名誉指揮者であるサヴァリッシュやスウィトナー、ホルスト・シュタインなどのドイツ系の指揮者が幅を利かせ、ドイツ系の音楽を中心に演奏していたのである。

さらに前の時代のカイルベルトやシュヒターなども含め、ブラームスの「第1」は、それこそ自己薬籠中の楽曲と言っても過言ではなかったと考えられる。

実際に、サヴァリッシュなどによる同曲のCDも発売されているが、本マタチッチ盤はそもそも次元が異なる名演と高く評価したい。

ブラームスの「第1」としては全体的に速めのテンポで進められるが、音楽全体のスケールは極めて雄大である。

激しい所はより凄まじく、美しい所はより切々と、この強力な対比が恐ろしく大スケール。

マタチッチは、必ずしもインテンポには固執せずに、随所でテンポを変化させており、特に終楽章のアルペンホルンが登場する直前など、いささか芝居がかったような大見得を切る表現なども散見されるが、音楽全体の造型がいささかも弛緩しないのは、巨匠ならではの圧巻の至芸と言える。

NHK交響楽団も力の限りを振り絞って力奏しており、その圧倒的な生命力は切れば血が飛び出てくるほどの凄まじさだ。

当時は、力量はあっても事なかれ主義的な演奏をすることが多いと揶揄されていたNHK交響楽団であるが、本盤では、こうした力強い生命力といい、畳み掛けていくような集中力といい、実力以上のものを出し切っているような印象さえ受ける。

したがって、NHK交響楽団の渾身の演奏ぶりを褒めるべきであるが、それ以上に、NHK交響楽団にこれだけの鬼気迫る演奏をさせた最盛期の巨匠マタチッチのカリスマ性を高く評価すべきであると考える。

いずれにしても、本盤のブラームスの「第1」は、NHK交響楽団の同曲演奏史上においても、特筆すべき至高の名演と高く評価したい。

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2014年09月21日


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ドイツ・レクイエムはブラームスの作曲した声楽作品の最高峰であるだけでなく、ブラームスの最高傑作と評価する識者もいるほどの偉大な作品である。

それだけに、これまで様々な指揮者によって数多くの演奏・録音が行われてきているが、クレンペラーのスタジオ盤(EMI)は、録音から既に50年が経過しているにもかかわらず、現在でもなおトップの座を争う至高の超名演であるが、本演奏もクレンペラー壮年期の貴重な録音として聴き逃すことはできない。

1956年当時のクレンペラーならではの引き締まったテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。

奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏とも言える。

それ故に、同曲の厳粛かつ壮麗さが見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた比類のない演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。

木管楽器を時として強調させているのもクレンペラーならではの表現と言えるが、それが演奏全体に独特の味わい深さを付加させている点も忘れてはならない。

この演奏においては、スムーズな響きや、しなやかなフレージングといったものは希薄であるが、決して硬直した演奏になっているわけではなく、推進力や勢いがあって、切れ味鋭いアクセントやフレージングによって、作品の世界を峻厳なる表現によって描きつくし、そしてそれが精神の輝きとなって放射しているような感すらあって、聴いていてただならぬ感動に打ちのめされてしまったところだ。

こうして聴いてみると、ケルン放送響時代のクレンペラーの演奏には、他の時期とは異なった特色があり、クレンペラーの心身の充実と、自身の持ち味であるザッハリヒさと、ケルン放送響のアンサンブルとの相性とによる相乗効果によって、この時期ならではの独特な完成度と充実感があると言える。

独唱陣も超豪華な布陣であり、清楚な美声のグリュンマー、若きプライの朗々とした迫力ある歌も実に魅力的であり、その歌唱の素晴らしさはあらためて言うまでもないところだ。

クレンペラーの確かな統率の下、ケルン放送交響楽団や同合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、このCDの音質は大変に秀逸で、デジタルマスタリングが行われてはいるものの、放送局のオリジナルマスターに記録されていたであろう音の雰囲気があまり損なわれておらず、音のキレや力感、硬質のカッチリした響きといったものを堪能することができる。

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2014年09月18日


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凄い演奏が登場した。

ヴァイトブリックレーベルから発売されているスヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団による一連のライヴ録音はいずれも凄い演奏揃いであるが、本盤のブラームスの交響曲全集もそれら既発の演奏に優るとも劣らないような豪演と言えるであろう。

スヴェトラーノフによるブラームスの交響曲全集と言えば、かつての手兵であるソヴィエト国立交響楽団とともに行ったライヴ録音(1981年)がいの一番に思い浮かぶ。

旧ソヴィエト連邦時代のオーケストラによる演奏であること、そしていまだ円熟には程遠いスヴェトラーノフ壮年期の演奏であったこともあり、ロシア色濃厚な演奏に仕上がっていた。

これに対して、本全集の演奏は、意外にも、その様相はドイツ正統派の演奏とも言うべきオーソドックスなアプローチに徹しているとも言える。

スヴェトラーノフが、例えばラフマニノフなどの交響曲などにおいて行うような超スローテンポの演奏など薬にしたくもなく、中庸というよりはむしろ若干速めのテンポで曲想を進行(特に、交響曲第1番)させていると言えるところだ。

旧全集よりも約5年程度しか経っていないにもかかわらず、その演奏の性格がかなり異なっているとも言えるが、これは、オーケストラが手兵のソヴィエト国立交響楽団ではなかったことも影響していると言えるのかもしれない。

それでも、各交響曲の演奏の細部をよく聴くと、必ずしもオーソドックス一辺倒の演奏になっていないというのはいかにもスヴェトラーノフならではのものと言える。

トゥッティにおける途轍もない強靭な迫力、猛烈なアッチェレランド、緩徐楽章における心を込め抜いた濃密な歌い方、そして、何と言ってもスヴェトラーノフならではのいつ果てることのないフェルマータの強調など、個性的な解釈にも事欠かないと言えるところだ。

もっとも、そうした個性的な解釈を随所に施しつつも、演奏全体の造型をいささかも弛緩させることにはならず、ドイツ音楽としての演奏様式の伝統、言い換えれば、いわゆるブラームスの交響曲らしさを逸脱することになっていないのが素晴らしい。

これは、スヴェトラーノフが、得意のロシア音楽のみならず、独墺系の音楽についても深い理解を有していたことの証左ではないかとも考えられるところだ。

そして、スヴェトラーノフのオーソドックスな中にも随所に個性的な解釈を施した独特の指揮の下、一糸乱れぬアンサンブルを示しつつ見事な名演奏を展開したスウェーデン放送交響楽団の好パフォーマンスにも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、筆者としては、本盤のブラームスの交響曲全集は、スヴェトラーノフによるブラームスの各交響曲の演奏の代表的な名演で構成される素晴らしい名全集と高く評価したいと考える。

音質も、1980年代のライヴ録音ではあるが、最新録音とさほど遜色がないような十分に満足できる良好なものと評価したい。

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2014年09月06日


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1955年3月3日 コングレス・ハレ、ライプツィヒでのライヴ(モノラル)録音。

エリー・ナイ(1882-1968)は20世紀前半に活躍したドイツの名女流奏者。

ドイツでかつて“ピアノの女神”と称えられたエリー・ナイは、わが国では不当に低く評価されていないだろうか。

彼女のベートーヴェン演奏は、バックハウスやケンプとは比較にならぬほどの“尊敬”と“敬愛”を集めていた。

E・フィッシャーと並んで、ドイツ・ピアニズムの精神性を、“信仰”の次元にまで高めたのが、ナイの演奏であった。

ナイは戦前から活躍しながら、わが国ではあまり知られていないが、ベートーヴェンとともにブラームスも得意のレパートリーとしていただけに、力強い構成力と優美な情感が結びつき、聴き応えがある。

ひとつひとつの音の表情が細かいため、フレーズに豊かな感情が息づき、それが強い推進力と相俟って充実した演奏を生み出している。

テクニックは万全ではなく、むしろ、老境にあるナイのピアニズムは拙々としたものだ。

しかし、この同曲の「精神美」の本質を、最もドイツ的な美意識とドイツ的な語法を用いて演奏したナイのこの録音は、永遠に伝えられるべきものである。

コンヴィチュニー指揮のゲヴァントハウス管弦楽団も同じ傾向の演奏で、ドイツ人の典型的なブラームスが聴ける。

コンヴィチュニーの重厚な伴奏はオーケストラ音楽としての、この名曲の真価も存分に堪能させ、それに融合したナイの深々とした叙情とバックハウス、ケンプに伍して一歩も引かないスケールを誇るこの名演は、ドイツ音楽、ドイツ型演奏の愛好家には堪らない逸品と言えるだろう。

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2014年09月02日


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本盤には、カラヤンの最後の来日公演(1988年)のうち、最終日(5月5日)に演奏されたモーツァルトの交響曲第39番及びブラームスの交響曲第1番が収められている。

当時のカラヤンは、ベルリン・フィルとの関係に修復不可能な溝が生じていたこと、そして、死を1年後に控えたこともあって健康状態も芳しいとは言えなかったことなどから、心身ともに万全とは言い難い状況にあった。

1986年に予定された来日公演を、自らの病気のためにキャンセルしたカラヤンであったが、我が国を深く愛するとともに、サントリーホールの建設に当たっても様々な助言を行ったこともあり、心身ともに万全とは言えない中でも、気力を振り絞って来日を果たしたところであり、筆者は、こうしたカラヤンの音楽家としての献身的な行為に、心から敬意を表するものである。

もっとも、カラヤンのそうした心身ともに万全とは言えない状態、そしてカラヤンとベルリン・フィルとの間の抜き差しならない関係も本演奏に影を落としていると言えるところであり、本演奏は、随所にアンサンブルの乱れやミスが聴かれるなど、カラヤン&ベルリン・フィルによるベストフォームにある演奏とは必ずしも言い難いものがある。

モーツァルトの交響曲第39番及びブラームスの交響曲第1番ともに、本演奏の1年前にベルリン・フィルとともに行ったスタジオ録音(1987年DG)、加えてブラームスの交響曲第1番で言えば、本演奏の5か月後にロンドンで行われたライヴ録音(1988年テスタメント)の方がより優れた名演であり、これらの名演と比較して本演奏を貶めることは容易ではあると言えるだろう。

しかしながら、本演奏については、演奏上の瑕疵や精神的な深みの欠如などを指摘すべき性格の演奏ではない。

そのような指摘をすること自体が、自らの命をかけて来日して指揮を行ったカラヤンに対して礼を失するとも考えられる。

カラヤンも、おそらくは本演奏が愛する日本での最後の演奏になることを認識していたと思われるが、こうしたカラヤンの渾身の命がけの指揮が我々聴き手の心を激しく揺さぶるのであり、それだけで十分ではないだろうか。

そして、カラヤンの入魂の指揮の下、カラヤンとの抜き差しならない関係であったにもかかわらず、真のプロフェッショナルとして大熱演を繰り広げたベルリン・フィルや、演奏終了後にブラヴォーの歓呼で熱狂した当日の聴衆も、本演奏の立役者である。

まさに、本演奏は、指揮者、オーケストラ、そして聴衆が作り上げた魂の音楽と言っても過言ではあるまい。

このような魂の音楽に対しては、そもそも演奏内容の細部に渡っての批評を行うこと自体がナンセンスであり、我々聴き手も虚心になってこの感動的な音楽を味わうのみである。

いずれにしても、筆者としては、本演奏は、カラヤン&ベルリン・フィル、そして当日会場に居合わせた聴衆のすべてが作り上げた圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

音質は、1988年のライヴ録音であるが、従来CD盤でも十分に満足できる良好なものであると評価したい。

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2014年08月16日


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ザンデルリンクによるブラームスの交響曲全集と言えば、後年にベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行った名演が誉れ高い。

当該全集の各交響曲はいずれ劣らぬ名演であったが、それは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポをベースとしたまさに巨匠風の風格ある演奏であり、昨年、惜しくも逝去されたザンデルリンクの代表盤にも掲げられる永遠の名全集とも言える存在であると言えるところだ。

ザンデルリンクは、当該全集の約20年前にもブラームスの交響曲全集をスタジオ録音している。それこそが、本盤に収められた交響曲第3番を含む、シュターツカペレ・ドレスデンとの全集である。

前述のベルリン交響楽団との全集が、押しも押されぬ巨匠指揮者になったザンデルリンクの指揮芸術を堪能させてくれるのに対して、本全集は、何と言っても当時のシュターツカペレ・ドレスデンの有していた独特のいぶし銀とも言うべき音色と、それを十二分に体現しえた力量に最大の魅力があると言えるのではないだろうか。

昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。

奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったと言えるが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。

そのような中で、本盤のスタジオ録音がなされた1970年代のシュターツカペレ・ドレスデンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特のいぶし銀の音色、まさに独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。

こうしたオーケストラの音色や演奏において抗し難い魅力が存在しているのに加えて、ザンデルリンクの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチを示している。

前述の後年の全集と比較すると、テンポなども極めてノーマルなものに落ち着いているが、どこをとっても薄味な個所はなく、全体の堅牢な造型を保ちつつ、重厚かつ力強い演奏で一貫していると評しても過言ではあるまい。

むしろ、このような正統派のアプローチを行っているからこそ、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な音色、技量が演奏の全面に描出されていると言えるところであり、本演奏こそはまさに、ザンデルリンク、そしてシュターツカペレ・ドレスデンによる共同歩調によった見事な名演と高く評価したい。

併録のハイドンの主題による変奏曲も、この黄金コンビならではの素晴らしい名演だ。

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2014年08月14日


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ワルターの女性美がこれほど前面に押し出された演奏も少ないだろう。

曲が男性的な迫力に満ちたものだけにいっそう目立つ。

彼はティンパニや金管を極端に抑え、木管の色彩を排除し、ダイナミズムの角をことごとくすりつぶして、スケールの小さいロマンの世界を明滅させるのだ。

両端楽章のどこにも劇的な力みが見られず、陶酔的なまでに柔らかく、上品でエレガントである。

ブラームスの指定したアクセントまで無視して流麗に運んでしまう。

終楽章のコーダに入る直前、この最高の盛り上がりにおいて、むしろディミヌエンドを感じさせるところにこの演奏の特徴が集約されている。

危険な美しさとはこのようなものをいうのだろう。

音楽的に考えればこんなばかなことはないが、ワルター&ウィーン・フィルの感じたままであるせいか、完成、円熟していて、どこにも物足りなさや不自然さがない。

これは驚くべきことである。

しかもテンポの大きな動きは常軌を逸するほどで、たとえば第1楽章再現部直前の崩れるようなリタルダンド、終楽章の経過句における凄まじいアッチェレランドなど特に甚だしい。

前者ではドラマティックな効果よりはむしろ頽廃を感じさせ、後者ではリズムが上すべりして少しも激しくなく、意外に効果が弱くなってしまった。

一つにはウィーン・フィルの楽員がワルターの表現を知り尽くして、気分の高揚を伴わずに表現するせいもあるのだろう。

印象的に美しいのは第3楽章で、ここはウィーンの高貴な夢である。

実に小味だ。

また終楽章の導入部で弦が疾風のように降りてくるところは、32分休符が生きて不健康の極を示す。

クレメンス・クラウスの儚さとは違うが、ワルターの女性的な天性はこのブラームスに最もよく表われているのではないだろうか。

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2014年07月26日


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本盤に収められたブラームスの交響曲全集は、カラヤン&ベルリン・フィルによる3度目の、そして最後のスタジオ録音である。

それだけでなく、数多くの様々な作曲家に係る交響曲全集のスタジオ録音を行ってきた、史上最高のレコーディング・アーティストであるカラヤンによる最後の交響曲全集にも相当する。

3度にわたるカラヤン&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、1977〜1978年に録音された2度目の全集であると考えられる。

というのも、この当時はカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期であったと言えるからだ。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

当該2度目の全集においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっていた。

これに対して、本盤の3度目の全集においては、カラヤンの統率力の衰えは隠しようもないと言える。

1982年に勃発したザビーネ・マイヤー事件によって、カラヤンとベルリン・フィルの間には修復不可能な亀裂が入るとともに、カラヤン自身の著しい健康悪化も加わって、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏に、1970年代以前のような輝きが失われるようになったからだ。

したがって、いわゆるカラヤンの個性が全開であるとか、はたまたカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築と言った観点からすれば、第1番などには全盛期の豪演の片鱗が感じられなくもないが、前述の1977〜1978年の2度目の全集と比較するといささか劣っていると言わざるを得ない。

しかしながら、本演奏には、死の1〜3年前の演奏ということもあって、枯淡の境地を感じさせるような独特の味わいがあると言えるところであり、このような演奏の奥行きのある味わい深さと言った点においては、カラヤンによるこれまでのいかなる演奏をも凌駕していると言えるだろう。

このような奥行きのある味わい深さは、カラヤンが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地であったと言えるのかもしれない。

音質は、1980年代後半のデジタル録音であり、従来盤でも十分に満足できるものである。

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2014年07月22日


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全4曲どれも素晴らしい演奏だ。

全体的な傾向として派手さはないが、端正で力強く、味わい深い演奏と言えよう。

ケンぺの演奏は、華麗さなどとは無縁であり、あくまでも真摯に楽曲を描いていくという職人肌の指揮が持ち味であるが、それによって生み出されるいぶし銀の味わいが、ブラームスの交響曲と見事に符合していると言えるのではないだろうか。

中でも第3番はステレオ録音ということもあってか、以前から分売されて、名演として名高かったが、実はブラームスの「第3」はなかなか演奏が難しい。

4つの交響曲中、最もスケールが小さく、等身大に表現してしまうと、こじんまりとした軽い演奏に陥ってしまう危険性がある。

それ故に、提示部の繰り返しを行ったりして、バランスをとる指揮者も一部にいるが、ケンぺはそのようなことはしない。

ケンぺのアプローチはあくまでも正攻法。

それでいて、何と力強い作品だろうかと思わせるのはさすがというべきだろう。

同曲をブラームスの「英雄」と称する人もいるようだが、ケンぺの演奏を聴いているとそれもむべなるかなと思われる。

北ヨーロッパならではの幾分渋い色調の音色を出しつつ、重厚さにもいささかの不足もない。

第2楽章や第3楽章の抒情的な旋律の歌い方も実に感動的であり、この「第3」は、ケンぺとしても会心の名演と評価してもいいだろう。

ケンぺの職人肌の演奏は、渋いブラームスの交響曲との相性が抜群だと思うが、「第4」は、ブラームスの交響曲の総決算と位置づけられる曲だけに、演奏が悪かろうはずがない。

ブラームスの「第4」という傑作の魅力を、恣意的にではなく自然体の表現で満喫させてくれる名演ということができるだろう。

ケンぺの演奏は決して華麗さなどとは無縁であるが、よく聴くと、渋い曲想のはしばしに感じられる滋味溢れる内容の豊かさがあり、これこそ、ケンぺ&ベルリン・フィルが見事に描き出した至高のブラームス像と言えるだろう。

あまたのブラームスの交響曲全集の中でも最も剛毅で、美しい名演の1つと言えるだろう。

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2014年07月21日


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ザンデルリンクによるブラームスの交響曲全集と言えば、後年にベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行った名演が誉れ高い。

当該全集の各交響曲はいずれ劣らぬ名演であったが、それは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポをベースとした正に巨匠風の風格ある演奏であり、昨年、惜しくも逝去されたザンデルリンクの代表盤にも掲げられる永遠の名全集とも言える存在であると言えるところだ。

ザンデルリンクは、当該全集の約20年前にもブラームスの交響曲全集をスタジオ録音している。

それこそが、本盤におさめられた交響曲第2番を含む、シュターツカペレ・ドレスデンとの全集である。

前述のベルリン交響楽団との全集が、押しも押されぬ巨匠指揮者になったザンデルリンクの指揮芸術を堪能させてくれるのに対して、本全集は、何と言っても当時のシュターツカペレ・ドレスデンの有していた独特のいぶし銀とも言うべき音色と、それを十二分に体現しえた力量に最大の魅力があると言えるのではないだろうか。

昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。

奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったと言えるが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。

そのような中で、本盤のスタジオ録音がなされた1970年代のシュターツカペレ・ドレスデンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特のいぶし銀の音色、まさに独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。

こうしたオーケストラの音色や演奏において抗し難い魅力が存在しているのに加えて、ザンデルリンクの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチを示している。

前述の後年の全集と比較すると、テンポなども極めてノーマルなものに落ち着いているが、どこをとっても薄味な個所はなく、全体の堅牢な造型を保ちつつ、重厚かつ力強い演奏で一貫していると評しても過言ではあるまい。

むしろ、このような正統派のアプローチを行っているからこそ、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な音色、技量が演奏の全面に描出されていると言えるところであり、本演奏こそはまさに、ザンデルリンク、そしてシュターツカペレ・ドレスデンによる共同歩調によった見事な名演と高く評価したい。

併録の悲劇的序曲もこの黄金コンビならではの素晴らしい名演だ。

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2014年07月01日


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本盤にはブラームスの交響曲第1番と第3番が収められているが、このうち第3番についてはかつてBBCレジェンドレーベルから発売されていた音源の再発売であり、本稿においては、第1番を中心にレビューを書かせていただきたい。

さて、その交響曲第1番であるが、テンシュテットは、本演奏以前に3度に渡って同曲の録音を行っている。

最初の演奏は1976年のシュトゥットガルト放送交響楽団とのライヴ録音。

次いで、ロンドン・フィルとの1983年のスタジオ録音。

そして、3度目の演奏はロンドン・フィルとの1990年のライヴ録音。

特に、手兵ロンドン・フィルとの演奏はいずれも名演であり、とりわけ3度目の演奏については、圧倒的な超名演と言えるものであった。

本盤の演奏は、更にその2年後のライヴ録音。

演奏は、1990年の演奏よりもさらに壮絶とも言うべき豪演と言えるだろう。

テンシュテットは、1985年頃に咽頭がんを発症した後は、体調がいい時だけに指揮活動が制限されるという厳しい状況に追い込まれた。

それだけに、一つ一つの演奏がそれこそ命がけのものとなったことは必定であり、テンシュテットはそれこそ持ち得る力を全力で出し切るという渾身の演奏を行っていたところだ。

1993年の終わり頃には、ついに指揮活動を停止せざるを得なくなるのであるが、それまでの間の演奏は、いずれも壮絶の極みとも言うべき圧倒的な演奏を展開していた。

特に、マーラーの交響曲については、そうしたテンシュテットの鬼気迫る芸風が、他の指揮者の追随を許さないような超名演を生み出すことに繋がっていたが、他の作曲家による楽曲についても、我々聴き手の心を揺さぶるような凄みのある演奏を成し遂げていたとも言えるところだ。

ブラームスの交響曲第1番についても、1990年の演奏もそうであったが、本盤の1992年の演奏は更に凄まじいまでの気迫と生命力に満ち溢れており、どこをとっても切れば血が噴き出てくるような熱き情感が込められているとも言えるだろう。

テンシュテットは、おそらくは間近に迫る死を覚悟はしていたとも言えるが、本演奏には、自らの命のすべてをかけるような凄みがあると言えるところであり、そうした命がけの大熱演が我々聴き手の肺腑を打つのである。

病状はかなり進行していたと思われるが、そうした中で、ここまでの渾身の演奏を成し遂げたテンシュテットの指揮者としての凄さ、偉大さにはただただ首を垂れるほかはないところだ。

このような超名演を聴いていると、テンシュテットのあまりにも早すぎる死がクラシック音楽界にとって大きな損失であったことを、あらためて認識させられるところだ。

カップリングのブラームスの交響曲第3番については、咽頭がん発症前の1983年の演奏であり、交響曲第1番ほどの迫力はないが、それでも実演ならではのテンシュテットの熱のこもった名演と高く評価したい。

音質も、1992年及び1983年のライヴ録音ではあるが、両者の音質にはあまり大差がなく、いずれも最新録音とさほど遜色がないような十分に満足できる良好なものと評価したい。

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2014年06月25日


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ブラームスの4つの交響曲の中で最もフルトヴェングラーの芸風に合致するのは、衆目の一致するところ第1番ということになるのではないだろうか。

フルトヴェングラーはベートーヴェンの交響曲を十八番としていただけに、ブラームスの交響曲の中でも最もベートーヴェンの交響曲に近い性格を有している第1番において、その実力を如何なく発揮することは自明の理と言えるからである。

実際のところ、筆者も正確に数えたことはないが、フルトヴェングラー指揮のブラームスの交響曲第1番の録音は、かなりの点数が遺されている。

しかしながら、録音状態はいずれも芳しいとは言えないところであり、フルトヴェングラーならではの至芸を味わうにはきわめて心もとない状況に置かれてきたと言わざるを得ない。

そのような長年の渇きを癒すことになったのが、昨年1月、EMIから発売された、1952年(本演奏の2週間前)にウィーン・フィルと行った演奏のライヴ録音のSACD盤であった。

当該SACD盤の登場によって、既発CDとは次元の異なる高音質に生まれ変わったところであり、これによってフルトヴェングラーによるブラームスの交響曲第1番の決定盤としての地位を獲得したと考えてきたところである。

そのような中で、今般、ユニバーサルによって1952年のベルリン・フィルとのライヴ録音がSACD化されたというのは、前述のEMIによるSACD盤の登場と並ぶ快挙と言えるだろう。

本演奏については、数年前にターラ盤が発売され、それなりに満足し得る音質改善は図られてはいたが、音質の抜本的な改善には繋がっているとは必ずしも言えず、フルトヴェングラーの彫りの深い芸術を味わうのはきわめて困難な状況に置かれていた。

ところが、今般のSACD化によって、見違えるような良好な音質に生まれ変わるとともに音場もかなり広くなったところであり、フルトヴェングラーの深みのある至芸を堪能することが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

演奏は、前述のEMI盤と同様に冒頭から重厚にして濃厚なフルトヴェングラー節が全開、終楽章の圧倒的なクライマックスに向けて夢中になって畳み掛けていく力強さは圧倒的な迫力を誇っている。

また、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れており、その深沈とした奥行きや彫りの深さは、まさに神々しいばかりの崇高さを湛えている。

いずれにしても本盤の演奏は、今般のSACD化によって前述のEMI盤と並ぶ至高の超名演と高く評価し得るに至ったと言えるだろう。

併録のグルックの歌劇「アルチェステ」序曲も、いかにもフルトヴェングラーならではの濃厚な味わいの名演だ。

いずれにしても、このようなフルトヴェングラーによる至高の超名演を、現在望み得る最高のパッケージメディアであるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年06月24日


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本盤には、アバド&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲第3番及び第4番が収められているが、両曲ともに若干甘い気はするものの名演と評価したい。

アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任間もない頃に、本盤に収められた第3番及び第4番を含めブラームスの交響曲全集を完成させた。

もっとも、カラヤン時代の猛者がいまだ数多く在籍していたベルリン・フィルを掌握し得た時期の録音ではないことから、第1番などは名演の名には恥じない演奏であるとは言えるが、アバドの個性が必ずしも発揮された演奏とは言い難いものであった。

他方、楽曲の性格とのマッチングや録音時期(芸術監督就任前の1988年)の問題もあって、第2番はアバドならではの豊かな歌謡性が発揮された素晴らしい名演であった。

このようにベルリン・フィルの掌握の有無なども演奏の出来に作用する重要な要素であるとは思うが、根本的には、アバドの芸風に符号する楽曲かどうかというのが演奏の出来不出来の大きな分かれ目になっていると言えるのではないだろうか。

アバドのアプローチは、前任者のカラヤンのような独特の重厚なサウンドを有していたわけでもない。

むしろ、各楽器間のバランスを重視するとともに、イタリア人ならではの豊かな歌謡性を全面に打ち出した明朗な演奏を繰り広げている。

このようなアプローチの場合、第1番ではいささか物足りない演奏(もっとも、第1番はカラヤン時代の重厚な音色の残滓が付加されたことによって、けがの功名的な名演に仕上がった)になる危険性があり、他方、第2番については、楽曲の明朗で抒情的な性格から名演を成し遂げることが可能であったと考えられる。

他方、本盤に収められた第3番及び第4番も、楽曲の心眼に踏み込んでいくような彫りの深さ(とりわけ第3番の両端楽章や第4番の終楽章)と言った面においてはいささか生ぬるい気がしないでもないが、とりわけ第3番の第2楽章及び第3楽章や第4番の第1楽章及び第2楽章などの情感豊かな歌い方には抗し難い魅力があり、第2番ほどではないものの、比較的アバドの芸風に符号した作品と言えるのではないだろうか。

また、第3番については、第2番と同様にアバドが芸術監督に就任する前の録音でもあり、ウィーン・フィルに軸足を移したカラヤンへの対抗意識もあって、ポストカラヤンの候補者と目される指揮者とは渾身の名演を繰り広げていたベルリン・フィルのとてつもない名演奏が、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

もっとも、大病を克服した後のアバドは、凄みのある名演を成し遂げる大指揮者に変貌していると言えるところであり、仮に現時点で、ブラームスの交響曲全集を録音すれば、より優れた名演を成し遂げる可能性が高いのではないかと考えられるところだ。

いずれにしても、アバドはベルリン・フィルの芸術監督就任直後にブラームスの交響曲全集を完成させるのではなく、芸術監督退任直前に録音を行うべきであったと言えるのではないか。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質ではあったが、今般のSHM−CD化によってやや音質に鮮明さが増すとともに、音場が幅広くなったと言えるところだ。

いずれにしても、アバドによる名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後間もない頃にブラームスの交響曲全集を完成させたが、筆者としては、アバドがブラームスの交響曲に取り組むのはいささか早過ぎたのではないかと考えているところだ。

というのも、ベルリン・フィルはカラヤンの指揮の下でブラームスの交響曲を何度も演奏しており、本演奏ではアバドの解釈がベルリン・フィルに必ずしも浸透しているとは言い難いからである。

したがって、第1番などは名演ではあるが、それはカラヤン時代の遺産が作用しているという怪我の功名的な側面もあり、アバドの個性が発揮された演奏とは言い難いものであったとも言える。

しかしながら、第2番はむしろ、第1番とは異なりアバドの個性がそれなりに発揮された名演と言えるのではないだろうか。

本盤に収められた第2番がこのようにアバドならではの名演となった理由はいくつかあると考えられるが、先ずは楽曲の性格がアバドの芸風に符号している点が掲げられる。

第2番は、ブラームスの交響曲の中でも最も牧歌的な雰囲気に満ち溢れており、流麗で伸びやかな曲想が特徴的なブラームスの田園とも称される楽曲である。したがって、アバドの純音楽的で歌謡性豊かなアプローチに最も適した交響曲であると言える。

第2の理由としてベルリン・フィルによる名演奏が掲げられる。

本演奏については1988年の録音であり、これはカラヤンが存命でなおかつ芸術監督であった時代のものである。

この当時のベルリン・フィルは、ウィーン・フィルに軸足を移したカラヤンへの対抗意識もあり、ポストカラヤンの候補者と目される指揮者とは渾身の名演を繰り広げていた。

本演奏もその例外ではなく、ここにはアバドの指揮に必死に喰らいついていった(というよりも、アバドを立てた)ベルリン・フィルの猛者たちの圧倒的な名演奏を聴くことが可能だ。

なお、アバドは、1970年代初頭にもベルリン・フィルとともにブラームスの「第2」を録音しており、それも若きアバドによる生命力溢れる素晴らしい名演であったが、本演奏においては、さらに円熟味とスケールの雄渾さが加わっていると評価することも可能であり、筆者としては本演奏の方をより上位に掲げたい。

併録の大学祝典序曲も交響曲第2番と同様のアプローチによる文句の付けようがない名演であり、ハイドンの主題による変奏曲は、アバドならではの豊かな歌謡性を活かした歌心溢れる美演である。

音質については、今般のSHM−CD化によって若干鮮明になるとともに、音場が広くなったように感じた。

いずれにしても、アバドの名演をこのようなSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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本盤に収められたブラームスの交響曲第1番は、アバドがベルリン・フィルの芸術監督に就任直後に完成させた全集に含まれるものである。

本演奏を聴き終えた感想は、アバドもなかなか健闘しているのではないかと言ったところだ。

というのも、この時期のアバドは低迷期に入っていたと言えるからである。

アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督の就任前であり、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などと数々の名演を成し遂げていた時期であると考えている。

ところが、アバド自身も全く想定していなかったベルリン・フィルの芸術監督に就任してからは、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始し、かつての輝きを失ってしまったように思われる。

そのようなアバドが再び凄みのある演奏を繰り広げるようになったのは、大病を克服した後であり、それは皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督退任直前のことであった。

アバドは、前任のカラヤンや前々任のフルトヴェングラーなどとは異なり、カリスマ性など皆無であったことから、プライドの高い楽員で構成され、カラヤン時代に全盛を誇った大物奏者が数多く在籍していたベルリン・フィルを統率するのは、とても荷が重いことであったのかもしれない(アバドのライバルであったムーティもそのことを予見していたと言われている)。

そもそも本演奏では、アバドのやりたい音楽とベルリン・フィルの奏でる音楽に微妙なずれがあるのではないかと考えられる。

というのも、ブラームスの交響曲第1番はカラヤンの代名詞のような楽曲であり、その重厚にして華麗な演奏はカラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の象徴のようなものであったからだ。

カラヤン時代の名うての奏者が数多く在籍していたベルリン・フィルとしても、カラヤンのようにオーケストラを最強奏させるのではなく、各楽器間のバランスの重視に軸足を置いたアバドのやり方には相当手こずったのではないかとも考えられる。

したがって、本演奏は、全体としてはアバド流の歌謡性豊かな演奏にはなっているが、随所にカラヤン時代の重厚さが入り混じると言う、アバドの個性が全開とは言い難い演奏であり、筆者としては、アバドがブラームスの交響曲に取り組むのはいささか早過ぎたのではないかと思われてならないところだ。

もっとも、本演奏も見方を変えれば、カラヤン時代の重厚さとアバドの歌謡性が融合した新時代を象徴する演奏とも評価し得るところであり、アバドの健闘が光る名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

悲劇的序曲は、アバドが芸術監督に就任する直前の演奏ということもあって、アバド、そしてベルリン・フィルによる畳み掛けていくような気迫と力感、そして豊かな歌謡性が漲る豪演であり、交響曲第1番以上の名演と評価したい。

SHM−CD化による若干の高音質化も本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2014年06月20日


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素晴らしい高音質SACDの登場だ。

今般のフルトヴェングラーの一連のSACDシリーズの中でも白眉の出来と言えるのではなかろうか。

フルトヴェングラーによるブラームスの「第4」の初期盤をかつて聴いたが、音の揺れがひどく、とても聴くに堪えない音質であったと記憶する。

爾来、初期盤は、筆者のCD棚に埃をかぶって放置されているが、その後、何度もリマスタリングを繰り返したものの、いずれもどんぐりの背比べといった状態であった。

数年前に、グランドスラムからかなり満足し得る音質のCDが発売されたが、今般のSACDとは比べるべくもない。

それくらい、今般のSACDは、次元の異なる高音質と言えるだろう。

これだけの高音質録音になると、フルトヴェングラーのドラマティックな表現が見事に再現されることになり、その演奏に対する評価も大きく変更を余儀なくされることになる。

ブラームスの「第4」については、シューリヒトやムラヴィンスキーなどの淡麗辛口な演奏や、それに若さを付加したクライバーによる演奏の評価が高く、他方、情感溢れるワルターや、重厚な渋みを加えたベーム盤などが、高く評価されてきた。

筆者も、それに異論を唱えるつもりはないが、それは、今般のフルトヴェングラーのSACD盤が存在しないことが前提である。

ブラームスの「第4」について、これだけドラマティックな演奏をして、名演の評価を勝ち得た演奏は皆無であり、その意味では、本盤は、画期的な名演と評価できる。

第1楽章の、自然体ではじまる開始部の何とも言えない深みからして、別次元の名演と言えるし、その後の緩急自在のテンポ設定は、あたかも魔法の指揮のようだ。

第2楽章のむせ返るような熱い抒情は感動の極みであるし、第3楽章の効果的な間の取り方など、巨匠だけが成し得る至芸と言えるだろう。

終楽章のパッサカリアについては、凄まじい音のドラマであり、これは他のいかなる名演をも凌駕する至高・至純の高みに達している。

併録の「コリオラン」序曲は、おそらくはフルトヴェングラーの同曲の演奏中最高の名演。

ということは、史上最高の名演と言うことであり、今般の高音質化によって、さらに名演のグレードが上がったと言える。

「レオノーレ」序曲第2番の巨大なスケールと圧巻のドラマについては、もはや表現する言葉が追いつかないような凄まじさだ。

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2014年06月11日


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バルビローリは、どちらかと言えば北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められた交響曲第1番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、手兵のハレ管弦楽団を始め、フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団など、英国のオーケストラとの間で素晴らしい名演の数々を遺しているが、次いで独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られている。

何よりも、ベルリン・フィルの楽団員や芸術監督のカラヤンがバルビローリに対して敬意を有していたことが何よりも大きいとも言える。

これに対して、ウィーン・フィルとの相性は、巷間あまり良くなかったとも言われている。

確かに、バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであり、こうした点にもそれが表れていると言えるのかもしれない。

しかしながら、ウィーン・フィルとの唯一のスタジオ録音となるブラームスの交響曲全集は素晴らしい名演だ。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、確かに、ブラームスの各交響曲の緩徐楽章における情感豊かな演奏には、そうしたバルビローリの芸術の真骨頂が見事にあらわれている。

それ故に第2番や第4番がとりわけ名演との誉れ高いのは当然のことであるが、マーラーの交響曲を得意としていただけあって、ドラマティックな表現や強靭さを基調とする演奏も頻繁に行っていたことを忘れてはならない。

本盤に収められた第1番も、バルビローリ=抒情的でヒューマニティ溢れる演奏をする指揮者というある種の固定観念を覆すに足る力強い演奏を行っている。

冒頭の序奏からして凄まじいまでの迫力を誇っており、主部に入ってからの堂々たる進軍は、ゆったりとしたテンポによる微動だにしない威容を誇っている。

終楽章も決して急がない音楽ではあるが、頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

もちろん、第2楽章の枯淡の境地とも評すべき情感豊かな表現は、バルビローリならではのヒューマニティ溢れるもので、抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さをあらためて再認識させる素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1960年代のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年06月10日


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本盤に収められた交響曲第2番の演奏は、バルビローリ&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、第4番と並んで最も優れた名演だ。

バルビローリは、北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、そのレパートリーには広範なものがあり、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められた交響曲第2番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られているが、他方、そのライバルであったウィーン・フィルとは必ずしも相性が良くなかったと言われている。

バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであるが、本盤の交響曲第2番の演奏は、そうした相性の良くなかったとの評価が果たして正しかったのかどうか再検証が必要なほどの名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

何よりも、第2番という楽曲の性格とバルビローリの芸風が見事に符号している点が大きい。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、そうした指揮芸術の在り様が第2番と見事に合致。

同曲の随所に聴くことが可能な枯淡の境地とも評すべき名旋律の数々を、バルビローリは、これ以上は求めえないほど情感豊かに歌い抜いているところであり、そのヒューマニティ溢れる表現の美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

もっとも、終楽章の終結部における頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力においてもいささかも不足はなく、これはバルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリならではの情感溢れる指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の悲劇的序曲も、バルビローリならではの素晴らしい名演だ。

音質は、1960年代のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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バルビローリという指揮者がいかに懐の深い指揮芸術を有していたのかを再認識させる素晴らしい名演だ。

バルビローリは、北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、そのレパートリーには広範なものがあり、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められた交響曲第3番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られているが、他方、そのライバルであったウィーン・フィルとは必ずしも相性が良くなかったと言われている。

バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであるが、こうした点にもそれが表れていると言えるのかもしれない。

しかしながら、ウィーン・フィルとの唯一のスタジオ録音となるブラームスの交響曲全集は素晴らしい名演だ。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、確かに、ブラームスの各交響曲の緩徐楽章における情感豊かな演奏には、そうしたバルビローリの芸術の真骨頂が見事にあらわれている。

それ故に第2番や第4番がとりわけ名演との誉れ高いのは当然のことであるが、マーラーの交響曲を得意としていただけあって、ドラマティックな表現や強靭さを基調とする演奏も頻繁に行っていたことを忘れてはならない。

本盤に収められた第3番も、バルビローリ=抒情的でヒューマニティ溢れる演奏をする指揮者というある種の固定観念を覆すに足る力強い演奏を行っている。

交響曲第3番の冒頭からして凄まじいまでの迫力を誇っており、主部からの堂々たる進軍は微動だにしない威容を誇っている。

終楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

もちろん、第2楽章及び第3楽章の枯淡の境地とも評すべき情感豊かな表現は、バルビローリならではのヒューマニティ溢れるもので、抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さをあらためて再認識させる素晴らしい名演と高く評価したい。

ハイドンの主題による変奏曲は、各変奏曲の描き分けが実に巧みであり、名匠バルビローリならではの老獪な至芸を堪能することが可能な素晴らしい名演に仕上がっている。

音質は、1960年代のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤に収められた交響曲第4番の演奏は、バルビローリ&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも白眉とも言うべき素晴らしい名演だ。

バルビローリは、北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、そのレパートリーには広範なものがあり、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められた交響曲第4番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られているが、他方、そのライバルであったウィーン・フィルとは必ずしも相性が良くなかったと言われている。

バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであるが、本盤の交響曲第4番の演奏は、そうした相性の良くなかったとの評価が果たして正しかったのかどうか再検証が必要なほどの名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

何よりも、第4番という楽曲の性格とバルビローリの芸風が見事に符号している点が大きい。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、そうした指揮芸術の在り様が第4番と見事に合致。

同曲の随所に聴くことが可能な人生の諦観を感じさせる枯淡の境地とも評すべき名旋律の数々を、バルビローリは、これ以上は求めえないほど情感豊かに歌い抜いているところであり、そのヒューマニティ溢れる表現の美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

もっとも、第3楽章における畳み掛けていくような気迫と生命力においてもいささかも不足はなく、これはバルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

終楽章の各変奏の描き分けの巧みさは、名匠バルビローリの老獪な至芸を十分に満喫することが可能だ。

そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリならではの情感溢れる指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の大学祝典序曲も、バルビローリならではの素晴らしい名演だ。

音質は、1960年代のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年06月02日


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カラヤンの遺産(レガシー)というシリーズの10番目にあたるDVDで、第1番は1987年1月23日―29日、第2番は1986年6月15日―19日の収録である。

カラヤンが最も得意とするブラームスの、最晩年の重厚で流麗な名演である。

「第1」といえばまずは第1楽章の出だしが重要だが、この演奏は鳥肌ものである。

カラヤン晩年の円熟した、そして堂々としたタクトで、ベルリン・フィルの職人的で完璧な演奏だ。

第1番が名演なのは誰もが認めるところだが、筆者は第2番(特に第2楽章!)にも、その切ない音色に思わず胸が締めつけられてしまう。

聴衆は一切映らず、パートごとの映像もバックは真っ暗と、映像的には荘厳過ぎて面白みが少ないかもしれないが、音質は最高。

ただ、演奏、音質、画質、共に全く問題はないのだが、カメラワークが単純すぎて飽きる。

各パートの演奏もほんとにそのパートだけぶつ切りで抜かれ、しかも何故か背景が真っ暗。

コンサートホールで撮影しているのに、どういう角度から撮影するとこのような現象が起こるのか疑問が残る。

たぶんわざわざそういう演出にしているのだろうけれど、現代の感覚からするとどう見ても不自然だと思う。

演奏者も撮影を意識しているのか、ほとんど体を揺らさずに演奏しているためパッションが感じられず、どうしても「作られた感」が拭いきれない。

もう少しカメラを引いて、オーケストラ全体を捉えた映像が少しでもあれば指揮者とオケの一体感を感じられる自然な映像になったと思う。

本当に、画質、音質、演奏が素晴らしいだけに残念とはいえ、永く価値を持ち続けるDVDだと思う。

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2014年05月22日


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この作品は、チャイコフスキー作品と同じくライヴでないライヴの為、映像と音は別採りの信じがたい映像。

でも、この内容が凄いからあえて採り上げた。

カラヤン&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、1970年代半ばの全集であると考えられる。

というのも、この当時はカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期であったと言えるからだ。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

当該全集においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっているのである。

それ故ベルリン・フィルもカラヤン自身も最も脂の乗った時期の収録なだけに映像も見応え満点。

「第1」の終楽章は展開部からは指揮でぐいぐい引っ張っていく。

音も指揮の素晴らしさそのものの音を出している為、白熱の迫力と気力でベルリン・フィルをダイヤモンドに変身させている奇跡の演奏だと思う。

「第2」も「第3」も素晴らしく、「第2」のラストではコンマスの弓の糸が何本も切れている。

それほどカラヤンの指揮するときのベルリン・フィルは本気を出して演奏するのだ。

「第4」のラストもさすがであるし、音のズレを指摘する人がいるが、ほとんど目につかない。

ましてカラヤン芸術にブレはない。

聴衆は全て、撮影の為のバイト生ということで凄い作品である。

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2014年05月17日


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本盤に収められたブラームスの交響曲第1番は、全盛期のベームならではの名演である。

それどころか、ベームによる数ある名演の中でも、そして同曲の様々な指揮者による名演の中でもトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

同曲の過去の超名演としては、ミュンシュ&パリ管弦楽団盤(1968年)やカラヤン&ベルリン・フィル盤(1988年、ロンドン・ライヴ)などがあるが、このうちミュンシュ盤は、ドラマティックであるがブラームスというよりはミュンシュの至芸を味わうべき演奏とも言えるところである。

他方、カラヤン盤はいわゆるカラヤンサウンド満載の重厚な名演であるが、音質がいささかクリアとは言い難い面がある。

したがって、ベームによる本演奏の優位性はいささかも揺らぎがない。

ベームは1970年代に入ってから、ウィーン・フィルとともに同曲のスタジオ録音(1975年)やライヴ録音(1975年来日時)を行っており、一般的には名演との評価も可能ではあるが、とても本演奏のようなレベルには達していない。

本演奏は、第1楽章の序奏部において悠揚迫らぬテンポで堂々と開始される。

その後、主部に入ると阿修羅の如き速めのインテンポで曲想が進行していく。

ベームは、各楽器を力の限り最強奏させているが、その引き締まった隙間風の吹かない分厚い響きには強靭さが漲っており、それでいて無機的にはいささかも陥っていない。

第2楽章や第3楽章も、比較的速めのテンポで進行させているが、ここでも重厚な響きは健在であり、各旋律の端々から漂ってくる幾分憂いに満ちた奥深い情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

第2楽章におけるミシェル・シュヴァルベのヴァイオリンソロのこの世のものとは思えないような美しさには身も心も蕩けてしまいそうだ。

そして、終楽章の重戦車が進軍するが如き堂々たるインテンポによる重量感溢れる演奏には、あたりを振り払うような威容があり、終結部の畳み掛けていくような気迫と力強さは圧倒的な迫力を誇っている。

また、この当時のベルリン・フィルには、フルトヴェングラー時代に顕著であったドイツ風の重厚な音色の残滓があり(カラヤン時代も重厚ではあったが、質がいささか異なる)、ベームのドイツ正統派とも言うべき重厚にして剛毅なアプローチに華を添える結果となっていることも忘れてはならない。

それにしても、音質は素晴らしい。

従来盤でも比較的満足できる音質ではあったのだが、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤はそもそも次元が異なる圧倒的な超高音質である。

ベームによる歴史的な超名演をこのような極上の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年05月16日


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ワルターは最晩年にコロンビア交響楽団を指揮して、自らのレパートリーの数々のステレオ録音を行ったが、その中にはブラームスの交響曲全集も含まれている。

当該全集の中でもダントツの名演は、本盤に収められた第4番ということになるのではないだろうか。

それどころか、ワルターが我々に残してくれた数々の名演の中にあって、これは5本の指に入る素晴らしい演奏だ。

ワルターによるブラームスの交響曲の名演としては、ニューヨーク・フィルを指揮した第2番の豪演(1953年)がいの一番に念頭に浮かぶが、今般の全集中の第2番にはとてもそのような魅力は備わっておらず、本演奏の優位性は揺るぎがないと言える。

第4番はブラームスの晩年の作品であることもあって、孤独な独身男の人生への諦観や枯淡の境地をも感じさせる交響曲である。

本演奏におけるワルターのアプローチは、何か特別な解釈を施したりするものではなく、むしろ至極オーソドックスなものと言えるだろう。

しかしながら、一聴すると何の仕掛けも施されていない演奏の端々から滲み出してくる憂愁に満ち溢れた情感や寂寥感は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

晩秋に落葉が一葉一葉ひらひらと舞い落ちて来る様な冒頭からして、これほど切なさが胸に募る演奏は今日まで他で聴いた事がない。

これは、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠が、その波乱に満ちた生涯を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きがあり、かかる演奏は、巨匠ワルターが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地にあるとも言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、ブラームスの「第4」の深遠な世界を心身ともに完璧に音化し得た至高の超名演と高く評価したい。

小編成で重厚さに難があるコロンビア交響楽団ではあるが、ここではワルターの統率の下、持ち得る実力を最大限に発揮した最高の演奏を披露しているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年05月14日


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ワルターが残したブラームスはいずれも絶品で、永遠のスタンダードとしての地位は今後も揺るがないだろう。

新古典主義の作曲家ブラームスの音楽の、構築的にしっかりとした重厚さよりも、ロマンティックな情感に重点をおいた演奏で、ワルターならではの柔和なブラームスとなっている。

ブラームスが作曲に長い時間をかけたこの第1交響曲でも、ワルターの確かな構成力と、慈愛に満ちた表現が聴ける。

ワルターと言えば、モーツァルトの優美な名演の印象が強いだけに、誠実で温かみのあるヒューマンな演奏だとか、温厚篤実な演奏を行っていたとの評価も一部にはあるが、本盤のブラームスの「第1」や、併録の2つの管弦楽曲の熱い演奏は、そのような評価も吹き飛んでしまうような圧倒的な力強さを湛えている。

ブラームスの「第1」は、1959年の録音であるが、とても死の3年前とは思えないような、切れば血が吹き出てくるような生命力に満ち溢れた熱演だ。

もちろん、たっぷりと旋律を歌わせた第2楽章や、明朗な田園的気分をやさしく表出した第3楽章の豊かな抒情も、いかにも晩年のワルターならではの温かみを感じさせるが、老いの影などいささかも感じられない。

まさに、ワルター渾身の力感漲る名演と高く評価したい。

併録の2つの管弦楽曲も名演。

特に、大学祝典序曲など、下手な指揮者にかかるといかにも安っぽいばか騒ぎに終始してしまいかねないが、ワルターは、テンポを微妙に変化させて、実にコクのある名演を成し遂げている。

ハイドンの主題による変奏曲は、めまぐるしく変遷する各変奏曲の描き分けが実に巧みであり、これまた老巨匠の円熟の至芸を味わうことができる名演と言える。

コロンビア交響楽団は、例えば、ブラームスの「第1」の終楽章のフルートのヴィブラートなど、いささか品を欠く演奏も散見されるものの、ワルターの統率の下、編成の小ささを感じさせない重量感溢れる好演を示している点を評価したい。

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2014年05月13日


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ワルターによるブラームスの「第2」と言えば、ニューヨーク・フィルとの1953年盤(モノラル)が超名演として知られている。

特に、終楽章の阿修羅の如き猛烈なアッチェレランドなど、圧倒的な迫力のある爆演と言ってもいい演奏であったが、本盤の演奏は、1953年盤に比べると、随分と角が取れた演奏に仕上がっている。

しかしながら、楽曲がブラームスの「田園」とも称される「第2」だけに、ワルターの歌心に満ち溢れたヒューマンな抒情を旨とする晩年の芸風にぴたりと符合している。

第1楽章から第3楽章にかけての、情感溢れる感動的な歌い方は、ワルターと言えども最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地ではないかと思われる。

終楽章は、1953年盤に比べると、幾分角のとれた柔和な表現にはなっているものの、それまでの楽章とは一転して、力感溢れる重量級の演奏を行っている。

コロンビア交響楽団は、金管楽器などにやや力不足の点も散見されるが、ワルターの統率の下、なかなかの好演を行っている。

ブラームスの「第3」は、巷間第1楽章や第4楽章の力強さから、ブラームスの「英雄」と称されることもあるが、筆者としては、むしろ、第2楽章や第3楽章の詩情溢れる抒情豊かな美しい旋律のイメージがあまりにも強く、ここをいかに巧く演奏できるかによって、演奏の成否が決定づけられると言っても過言ではないと考えている。

その点において、ワルターほどの理想的な指揮者は他にいるであろうか。

ワルターは、ヨーロッパ時代、亡命後のニューヨーク・フィルを指揮していた時代、そして最晩年のコロンビア交響楽団を指揮していた時代などと、年代毎に芸風を大きく変化させていった指揮者であるが、この最晩年の芸風は、歌心溢れるヒューマンな抒情豊かな演奏を旨としており、そうした最晩年の芸風が「第3」の曲想(特に第2楽章と第3楽章)にぴたりと符合。

どこをとっても過不足のない情感溢れる音楽が紡ぎだされている。

もちろん、両端楽章の力強さにもいささかの不足もなく、総体として「第3」のあまたの名演でも上位にランキングされる名演と高く評価したい。

初期ステレオのため、多少高音がずり上がったような感じがしなくもないが、ワルターの音楽の前ではそれは大きな問題ではない。

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2014年05月05日


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1985年に製作された映像作品。

カラヤンがレパートリーにしていた合唱作品のなかでも、特に得意としていたのがこの「ドイツ・レクイエム」。

映像を含めて6回のレコーディング中の最後となったのがこのソフトで、かつての耽美的な傾向をさらに越えた沈潜とした美しさ、柔和でさえある暖かいサウンドが非常に印象的。

カラヤンの合唱作品演奏を支え続けてきたウィーン楽友協会合唱団の深い響きと、カラヤン晩年のお気に入りだったバトルの美声とが織り成すコントラストも鮮やかである。

この演奏は本当に素晴らしい(映像作品としてははなはだ疑問ではあるが…)。

この「ドイツ・レクイエム」、カラヤン晩年の流麗な志向の強い演奏と言ってよいだろう。

冒頭からとにかく実に美しく磨きあげた演奏であり、この大変に美しい作品を、ますます美しく、見事に演奏しきっている。

先入観が強いかもしれないが、それはいかにも晩年のカラヤンらしいと言えようか。

またロマンティシズムにも溢れ、レクイエムとしての音楽を超越した存在となっている。

晩年のボロボロになった肉体的条件もあるのかもしれないが、カラヤンの指揮は身振りも小さく、しなやかなもの。

何しろ、ウィーン・フィルはじめ、超優秀なメンバーを集めての演奏であるから、カリスマ・カラヤンのちょっとしたインスパイアでみんなしっかり動く。

オケも合唱も、そしてソリストの歌も、カラヤンの意図を実現すべく、精妙な表現に邁進している。

合唱のアンサンブルがやや粗くなる部分もあるが、そうした些細なことよりも全体を通してのライヴとしての高揚感に陶酔してしまう。

もちろん、一方、これもカラヤンらしい壮大さも兼ね備えていて、迫力も十分であるが、どちらかといえば、落ち着きの方が勝った演奏だ。

録音がまた実にバランスのしっかりしたもので、オルガンの音も妙に目立つことなく、しかし良いバランスの美しい音で聴こえる。

カラヤンが録音というものに常にこだわりを持っていた、その理由がわかるような気がする。

感情の一時的な高揚にとらわれないバランス感覚、それこそが彼の真骨頂だったのかもしれない。

ただ、実演ではむしろこのような爆演も多かったようだから、その使い分けもポリシーだったのであろう。

これは、カラヤン芸術の極みであろう。

是非座右に1枚お薦めしたい。

他の演奏と比較して名演とか傑作とか、そういう形で評価するDVDではないような気がする。

先に推薦した1960年代ベルリン・フィルとのCDも良いが、映像を含めた中ではこれがベスト。

問題は例によって例のごとしのカラヤン的映像で、横からのアングルがほとんどで、たまに正面が入るという調子なので、はっきり言って無くても全然かまわないレベルのものだ。

ただ、映像があることで、何だか全体の印象がかえって決まってしまった感じがして、全般にわたってソフトで柔らかな印象を持った。

演奏については大いにお薦めしたい。

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カラヤンはブラームスのドイツ・レクイエムを得意中の得意としていた。

スタジオ録音だけでも、ウィーン・フィルとの3度にわたる演奏(1947年、1957年及び1983年)、ベルリン・フィルとの2度にわたる演奏(1964年及び1976年)など、5度にわたって録音を行っている。

これ以外にもDVD作品やライヴ録音などが存在しており、カラヤンとしてもいかに同曲に深い愛着を抱いていたのかがよく理解できるところだ。

これらの演奏はいずれ劣らぬ名演であると言えるが、どれか一つを選べと言われれば、筆者は躊躇なくベルリン・フィルを指揮して録音した本1964年盤を随一の名演として掲げたい。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代及び1970年代であるというのは衆目の一致するところだ。

したがって、このコンビによる全盛時代の圧倒的な音のドラマの構築と言った観点からすれば、むしろ1976年盤の方を採るべきであろう。

しかしながら、同曲の清澄にして敬虔な性格に鑑みれば、ベルリン・フィルが重厚にして華麗ないわゆるカラヤンサウンドに完全には染まり切らず、いまだフルトヴェングラー時代のドイツ風の音色の残滓があった1960年代前半の音色の方がより同曲の演奏に適合しているのではないかと考えられるところである。

また、同曲は、清澄な中にも劇的な箇所も散見されるなど、表情の起伏がある楽曲であるが、カラヤンによる1964年盤においては、1976年盤ほどの劇的な表現を控え、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏がなされているのも好ましい。

いずれにしても、本演奏は、ドイツ・レクイエムを十八番としたカラヤンによる最も優れた至高の名演として高く評価したい。

独唱陣もソプラノのグンドゥラ・ヤノヴィッツ、そしてバリトンのエーベルハルト・ヴェヒターともに、圧倒的な名唱を披露してくれているのが素晴らしい。

また、ウィーン楽友協会合唱団も終身監督であるカラヤンの確かな統率の下、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の合唱を展開している。

録音は、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤による極上の高音質だ。

合唱付きの管弦楽曲の録音は非常に難しいが、そのようなハンディをいささかも感じさせないような名録音であったことが、本盤を聴くとよく理解できる。

当盤は初出時、ユニバーサルが満を持して発売を開始したシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤であったが、期待を全く裏切らないような圧倒的な高音質に仕上がっている。

シングルレイヤー、そしてSHM−CD仕様というのも、SACDのスペックを最大限に生かすものとして、大いに歓迎したい。

本演奏については、これまでも通常CD盤、SACDハイブリッド盤、そしてSHM−CD盤などが既に発売されているが、本盤と聴き比べると、そもそも次元が異なる。

合唱とオーケストラの分離は見事であり、繊細な弦楽による弱奏から、力強いフォルテッシモに至るまで、ダイナミックレンジの幅広さを完璧に捉えきっている。

合唱の各パートや、独唱なども鮮明に再現されており、ガラスCDやクリスタルCDなどを除けば、現在望み得る最高の音質を誇る至高の名SACDと高く評価したい。

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2014年05月02日


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作品への筆者の個人的な嗜好から言うと、遥かに第2番のソナタが優れていると思えるが、ともあれ両曲ともにブラームス晩年の超傑作と言って良い。

重く柔らかく甘美で憧憬に満ちた奇蹟のような音楽。

もしもテンポや歌い回し、及びピアノ伴奏のまろやかなダイナミズムが理想的に結合し得れば、筆者はむしろヴィオラ版を好むが、現在入手可能なディスク中、それを満足させてくれるヴィオラ版は皆無と言って良いだろう。

オリジナルのクラリネット版でも、作品の真の深淵にまで達している演奏にはなかなか出会えない。

やはりとどめはウラッハか。

録音と演奏スタイルの古さを飛び越え、今なお他盤の追随を許さない録音であろう。

ウェストミンスター原盤のこの録音は、他の様々な名盤を越えて、曲のどの箇所にも溢れ出ている慈しみ深さと古き良きウィーンへの郷愁とともに、広く聴き継がれてゆくものだろう。

ブラームスと感傷味という結びつきが的を射ているかどうかはともかく、これほどしっくりと印象づけられる録音も珍しい。

それは単なる懐古趣味だとでも言い切って、もっと若々しい演奏を推奨することも可能だが、晩年のブラームスの生きたウィーン自体がすでにそうした懐古趣味の街だったのだ。

作品が書かれた当時のウィーンの趣きと20世紀後半のウィーンが持つ佇まいが、不思議とシンクロする演奏、それがこのウラッハとデムスの名盤に集約されている。

作品がいずれもかなり重くて、ウラッハといえども完璧と言えないところもあるが、ブラームスのイメージにぴったりとはまっている。

モノトーンでそっけなさすぎるけれど、変な色合いを持つよりは余程素晴らしい。

デムスの伴奏はそれに比べて少し饒舌だったかもしれないが、何はともあれモノ時代の文字通りの不滅の名盤であることには変わりはないであろう。

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2014年04月28日


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今般のフルトヴェングラーによるブラームスの交響曲全集(EMI)のSACD化に当たって、最も高音質化の効果が著しかったのは、「第1」と「第4」であり、その両者に挟まれた本盤はやや分が悪いと言えるが、それでも、これまでのリマスタリングCDと比較すると、次元の異なる良好な音質に生まれ変わったものと高く評価したい。

マスターテープの状態や録音年の違いもあるが、「第2」の方が、より音場に拡がりがあり、「第3」の方は、ノイズを抑えた分だけ、ややダイナミックレンジが狭まった感じがしないでもない。

「第2」の場合は、特に高音にピークがあり、やや音質が濁る傾向があるが、弦楽器など艶やかで実に鮮明な音質に蘇っており、十分に満足し得る音質である。

演奏内容についてであるが、「第2」も「第3」も、フルトヴェングラーが必ずしも数多く指揮しなかった楽曲であることもあり、遺された音源も本盤を含め限られるが、こうして高音質化したSACDを拝聴すると、あらためて、この巨匠の演奏の素晴らしさを大いに感じることができる。

「第2」は、第1楽章と第2楽章は自我を抑制した印象を受ける。

フルトヴェングラーのライヴとしては珍しいが、それでも、むせ返るような弦楽合奏の抒情は、至高・至純の美しさを湛えている。

第3楽章の終結部の大きなリタルランドは、大見えを切るようないつものフルトヴェングラーであるが、これは終楽章の熱狂への橋渡しと考えられないわけではない。

そして、終楽章は完全なフルトヴェングラーの独壇場で、冒頭から、夢中になって突き進んでいき、終結部の猛烈なアッチェレランドは、かの名演の誉れ高いワルター&ニューヨーク・フィル盤と同格の迫力と言える。

「第3」は、冒頭から、フルトヴェングラー節が全開。

第2楽章や第3楽章のむせ返るような抒情も美しさの極みであるし、終楽章の熱狂も、さすがはフルトヴェングラーならではの圧巻の至芸と言える。

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フルトヴェングラーは、ベートーヴェンとともに、ブラームスの交響曲も数多く演奏し、録音もかなりの点数が遺されているが、最もフルトヴェングラー向きの交響曲を掲げるとすれば、やはり「第1」ということになるのではなかろうか。

ベートーヴェンの「第10」と評されたことからもわかるように、ベートーヴェンを意識して作曲された交響曲でもあり、フルトヴェングラーとしても、アプローチのしやすい楽曲であると考えられるからである。

ライナーノーツの解説にもあるように、フルトヴェングラーは10種類もの録音が確認されているようである。

筆者も、そのうち、かなりの点数を聴いてはきたが、音質がいずれもイマイチであり、フルトヴェングラーの本領が発揮された演奏とは言い難いものがあった。

しかしながら、ついに、本盤の登場によって、長年の渇きが癒された。

今般の高音質のSACD盤によって、彫りの深いフルトヴェングラーならではの深みのある表現をかなり鮮明に聴き取ることが可能になったからだ。

特に、弦楽器の艶やかな響きが素晴らしく、これは、既発のCDとは全く次元の異なるものである。

全体的にオンマイクのような感じで、音場の拡がりがあまりなく、特に重要なホルンの音色が弱いのが気にはなるが、それでも、これだけの鮮明な音質に生まれ変わったのだから文句は言えまい。

次いで、音質がいいのは、ハンガリー舞曲の3曲。

このしたたるような弦合奏の厚みのある響きは、従来CDには全く聴かれなかったものだ。

ハイドンの主題による変奏曲は、演奏自体はドラマティックな豪演であり、フルトヴェングラーの個性が全開の超名演であるが、今般の収録曲の中では、音質改善効果が一番少ないとも言える。

特に、高弦がきつく聴こえるのが残念ではあるが、それでも、従来CDと比較するとかなりのレベルにまで改善されたと言えるのではないか。

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2014年04月22日


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英国の偉大なピアニスト、デイム・マイラ・ヘスと共演のブラームスのピアノ協奏曲第2番は名演としてワルター・ファンの間では有名な録音。

ヘスはワルターが高く評価していた名ピアニストであり、これは貴重なライヴ録音。

女流ながら構えが大きく、決然たる威厳に満ち、すべての音が鳴り切ったシンフォニックな響きは男性的とさえ言えよう。

第2楽章の強靱でいて情熱的な弾きっぷりと前進性もすばらしい。

しかも第1楽章では、ときにリズムを崩して不健康な味を見せたり、第3楽章では音の一つ一つに心をこめぬき、極めて意味深い名演を成しとげているのだ。

それでいて流れが停滞することはいっさいないのである。

ワルターの指揮も立派だ。

終始、厚みと充実感と豊かな歌があり、むせるようなロマン、いじらしさ、熱狂的な追い込みなど、音楽を堪能させてくれる。

第3楽章における美しい情感の表出は、これがほんとうのブラームスという気がする。

モーツァルトのモテット「エクスルターテ・ユビラーテ(踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)」は名花ゼーフリートの親しみやすい声が作品に打ってつけで、小柄なゼーフリートが意外に声を張り上げて歌い上げている。

ゼーフリートとワルターらしい生命力に富んだモーツァルトである。

いずれもワルターとニューヨーク・フィルの蜜月時代のライヴがいかに素晴らしかったかを証明するような名演である。

音質は仏ターラ社の優れたリマスタリング技術によって復刻されたものなので、演奏が気に入れば聴いているうちに気にならなくなる。

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2014年04月21日


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クラリネットのウラッハの芸術性が映えるクラリネット作品集で、ウィーンのプレイヤーならではの音色が存分に堪能できる賛沢なラインナップ。

レオポルド・ウラッハは、1902年にウィーンに生まれたクラリネットの名手で、若くしてウィーン国立歌劇場管弦楽団とウィーン・フィルの首席奏者やウィーン国立アカデミーの教授を務めた。

いかにもウィーンの香りに満ちた、ゆったりと典雅な演奏スタイルは独特のもので、LP初期には、クラリネット奏者といえばウラッハだけが飛び抜けて名高かった。

日本では特に人気があり、当時の愛好家はウラッハによってクラリネットの名曲に親しんだそうである。

54歳という働き盛りに亡くなったが、これは亡くなる4年前の録音。

名手ウラッハの、柔らかくふくよかな音色を楽しめる名演で、その馥郁としたロマン的情緒は聴き手の心に強く迫ってくる。

ウラッハの音色はそもそもほの暗さを持っており、音量をあまり感じさせない。

実はウラッハの音色の最大の特徴は音域をまたがった際の音色の変化が極めて少ない点にあるのではないかと思っている。

クラリネットは楽器の特性上どうしても音域別に音色が異なり、特にフォルテでその差が激しくなる。

ウラッハの演奏は、強いて言えばフォルテが少なくて、その面で音色感が統一される面もあろう。

そして、彼の極めて柔らかくふくよかな響きは、他の楽器と見事に音色が溶け合う。

われわれが聴くことのできるウラッハの演奏は、ほぼ1950年代の初めに集中していて、年齢的にもおそらく最も音楽の円熟した時期と考えていいのだろう。

少なくともCDで聴く限り、技巧も極めて安定しており、ブラームスの緩徐楽章などの纏綿としたピアニッシモのメロディには今でも感銘を受ける。

音楽スタイルもウィーンの伝統を保持し、洗練されて気品のある優美で深みのある音楽を作っている。

反面、ダイナミズムは小さいが、これは録音面で少し割り引いた方がいいかもしれない。

ただ、フレーズの終わりのところのそっけなさにはちょっと時代を感じるところもあるが……、このあたりがまたウィーン・スタイルと言えなくもない。

前述したように、ウラッハの演奏は特に日本人に好まれるという。

あるいは、ウラッハによって日本人のクラリネット感が形成されてきたのかもしれない。

現在では、ウラッハの音色と音楽スタイルを、ウィーンのクラリネット奏者に聴き取ることは難しいだろう。

その点で、ウラッハの録音はますます貴重になっていくのではなかろうか。

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2014年04月20日


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ザンデルリンクによるブラームスの交響曲の演奏といえば、本盤(1972年)の後にスタジオ録音したベルリン交響楽団との全集(カプリッチョレーベル)(1990年)が名演の誉れ高く、その中でも交響曲第4番がダントツの名演であった。

本盤も、それに優るとも劣らない名演と高く評価したい。

何よりも、オーケストラの力量から言えば、本盤の方が断然上であり、その意味では、新盤とは違った意味での魅力ある名演と言うことができよう。

シュターツカペレ・ドレスデンのくすんだ音色と、ザンデルリンクの愛情あふれるアプローチがすばらしい。

それにしても、東ドイツという国が存在していた時代のシュターツカペレ・ドレスデンの音色には独特のものがあった。

重心の低い、それでいていぶし銀の輝きのある美しいジャーマン・サウンドは、特に、ドイツ音楽を演奏する際に、他では味わうことができない深遠さを醸し出すことになる。

本盤の演奏で言えば、特に、第2楽章の深沈たる抒情は感動的だ。

ザンデルリンクの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチで、全体の造型をしっかりと構築した上で、オーソドックスに曲想を描き出していく。

こうした自然体とも言うべきアプローチが、シュターツカペレ・ドレスデンの素晴らしい合奏とその音色の魅力、そしてブラームスの交響曲第4番という楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに成功したと言える。

ザンデルリンクによるドイツ風の重厚で、なおかつ堅固な造形美を誇る名演奏に、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の音色が付加された極上の名演と言えよう。

本演奏については、前述のようなザンデルリンク&シュターツカペレ・ドレスデンを代表する名演の一つだけに、各種のリマスタリング盤やBlu-spec-CD盤が発売されるなど、数々の高音質化の努力が試みられてきたところだ。

しかしながら、今般発売されたシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDやBlu-spec-CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

いずれにしても、ザンデルリンク&シュターツカペレ・ドレスデンによる素晴らしい名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年04月12日


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ブラームスの交響曲第2番には、いちいち採り上げるまでもなく、自分の好んでいるCDがたくさんある。

この曲には、いつも皮肉や毒舌しか口から出てこないブラームスと違って、終始機嫌が良く、朗らかな作曲家の姿が映し出されているが、それにぴったりと合っているのが、このワルター&フランス国立放送管盤である。

ワルターの指揮は燃えるような情熱でオーケストラを引っ張っているが、オーケストラ側は引っ張られているというよりも、ワルターの音楽を完全に自分たちの響きとして消化吸収し、それを思い切り発散している。

これは指揮者とオーケストラの、ある意味では理想的な形であろう。

それに、オーケストラ全体の明るめの色調もこの曲にはふさわしい。

第1、第2楽章あたり、ワルターならではの幻想的な魅力にあふれた部分は多々あるが、それにしても凄いのはフィナーレで、このCDの最大の聴きどころであろう。

恐ろしいくらいの超スピードなのだが、フルトヴェングラーやミュンシュのような暑苦しさや危険なスリルというものはなく、ひたすら爽快である。

スピード感も熱気もことによるとニューヨーク・フィル盤を上回り、コーダはいよいいよ燃え立って実演ならではの灼熱を見せるのである。

このときワルターは78歳だが、それを考慮すると信じがたい若々しさであり、最盛期のような名演と言っても過言ではあるまい。

ハイドンの「奇蹟」は、前年のニューヨーク・フィル盤と酷似した表現だが、フランスのオケによるライヴだけに、このほうがワルターの言いたいことがはっきりわかる。

なおこのCDは音質は乾いているが、仏ターラ社の優れたリマスタリング技術によって復刻されたもので、鮮度は抜群だ。

また他レーベルでも同一の演奏が出ているが、このCDほどの音は期待できない。

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当アルバムの最大の聴きものは、交響曲第3番である。

クナッパーツブッシュはブラームスの「第3」を得意中の得意としており、残されたCDはどれも超弩級の凄まじさだ。

このウィーン・フィルとの演奏も、全篇、肌が粟立つような戦慄の表現である。

第1楽章の冒頭から巨大かつ悪魔的であり、対旋律のホルンの圭角といい、恐るべきリタルダンドといい、強弱指定を無視した猛烈な歌といい、すべてをやりつくしたクナの姿がある。

彼は音楽を引っかきまわし、ウィーン・フィルは音にいのちを刻みつけてゆく。

だから、この半世紀以上も前のライヴが最新のステレオ録音よりもずっと生々しく響くのだ。

再現部冒頭の凄さ、その後のクライマックスはまるで怪獣の叫びだし、大きな間では息が吸えなくなってしまうような気がする。

第2楽章はアンダンテだが、表情の吹っ切れていること、アレグロ楽章となんら変わりがない。

歌はむせて溢れて何が何だかわからなくなってしまいそうだし、見得を切る大テヌートや、恐るべきクレッシェンドの洪水など、もはや評する言葉を持たない。

この演奏は批評の対象にならない。

もし、クナの表現に抵抗があって愉しめないという人がいたら、なんと不幸でかわいそうな人だろうか!

ド熱いチェロで開始される第3楽章を経てフィナーレに入ると、これがまた第1楽章と好一対なのだ。

テンポの大きな落とし方、大きなリタルダンド、いずれも破目を外しており、普通ならやりすぎとしか考えられないはずなのに、こうでなくては! と思わせるのはどうしてか。

曲とぴったり合ったときの絶好調のクナの凄みは、人間業を超えてしまうのであろう。

ピアノ協奏曲第2番はカーゾンが渾身の力を振り絞った演奏だ。

それを包み込むクナッパーツブッシュの指揮は、素朴でしみじみとした情感、溢れ出るパッション、彫りの深い抉りが素晴らしい。

悲劇的序曲も曲想をよくつかんだ彫りの深い演奏で、思う存分旋律を歌わせており、噛んで含めるような、という表現がぴったりの演奏だ。

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2014年04月11日


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クナッパーツブッシュのベートーヴェン「第2」はおそらくこれが唯一の音源ということもあり、貴重な録音である。

第1楽章は冒頭から勢いをつけてドカーンときて圧倒されるが、続く序奏を積極的に歌っている。

アクセントを強めにはっきりと付けて演奏していて、テンポも大胆に動き、音楽に溌剌とした若々しいエネルギーが溢れている。

第2楽章は咳払いの中から蝋燭の炎の立ち上るように始まり、抑揚の幅を大きくとって豊かな歌を聴かせる。

繊細な表現があったかと思うと、コントラバスが唸りを上げたり幅の広い表現である。

第3楽章のスケルツォでも強弱の振幅が幅広くメリハリの効いた演奏だ。

第4楽章はかなり遅いテンポで始まるが、遅かったのは冒頭部分だけで、すぐにアッチェレランドして快適なテンポになる。

とても色彩感豊かな演奏であるが、コーダに向けてどんどんアッチェレランドしていき怒涛の終演となった。

「ブラ4」も素晴らしい。

全体的にはもうひとつのケルン放送響盤が優れているが、このブレーメン・フィル盤も、霊感溢れる即興性が生きていて興味深い。

第1楽章はレトロな響きで、低域が分厚く恰幅の良い堂々とした演奏。

音楽の高揚に伴ってテンポが速くなって、作品への共感と熱い思いが伝わってくる演奏である。

第2楽章はクナッパーツブッシュの感情の赴くままにテンポが動いているようで、この動きは自然で聴いているこちらも共感できるものだ。

特に訴えかけるようなメロディーの長調のパッセージで、グングンかかるアッチェレランドが凄い。

第3楽章は遅めのテンポで開始するが、いつの間にか普通のテンポになっており、低域が厚いので安定感がある。

音楽が進むにつれて熱気を帯びてきて、第4楽章は激しい金管の咆哮やクナッパーツブッシュの足踏みなども録音されている。

テンポの振幅と幅広い表現が特徴の演奏で、音の輪郭もくっきりとしている。

演奏中の会場のノイズは聞こえるのに、不自然に拍手をカットしてあるので、終わり方が変なのが残念だ。

昨今こんな風に演奏する指揮者はいないだろうし、実際にコンサート会場で聴いたらどんな風に聴こえるのか分からないが、聴衆が、クナッパーツブッシュという指揮者の手による音楽を聴きに行っていた時代の証言である。

音質も1952年の録音ながら、使用音源はブレーメン放送からのライセンスを得たもので、ターラの高音質化も相俟って、非常に鮮明である。

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2014年04月03日


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ミュンシュはライヴ録音においては当然のこと、スタジオ録音でも灼熱のように燃え上がる圧倒的な熱演を披露した。

本盤に収められたブラームスの交響曲第1番は、最晩年にミュンシュがパリ管弦楽団とともにスタジオ録音を行った4点の録音のうちの1点に相当するが、死を10か月後に控えた指揮者とは思えないような力強くも情熱に満ち溢れた圧倒的な豪演に仕上がっている。

冒頭の序奏からしてひたすら音楽を前進させようという強靭な意思が漲っている。

その後は、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化などを駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき劇的な演奏を展開する。

とりわけ第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っている。

第2楽章などにおける心を込め抜いた歌い方は、豊麗な情感に満ち溢れており、切れば血が噴き出てくるようなミュンシュの熱き歌心がひしひしと伝わってくるなど実に感動的だ。

パリ管弦楽団も、火の玉のような燃え上がったミュンシュの壮絶な入魂の指揮に必死でついていっており、アンサンブルが乱れる寸前のところで踏みとどまっているかのようなスリリングな演奏が、本演奏の圧倒的な迫力に更なる拍車をかけているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、ミュンシュが成し遂げた様々な名演の中でも、同時期に録音された幻想交響曲(1967年)と並んで最上位に掲げられる超名演であると高く評価したい。

ただ、ブラームスの「第1」の演奏としては、例えば「名曲名盤300選」などで多くの音楽評論家がトップに推薦しているように本演奏が絶対的かつ理想的な名演かと言うと、一つの方向性としてはあり得るとは思うが、何か違うのではないかと言わざるを得ない。

ましてや、とある影響力の大きい音楽評論家が本演奏について、「フルトヴェングラー以上にフルトヴェングラーらしいドイツ的な名演」などと評しているが、これほどフルトヴェングラーを、そしてミュンシュを冒涜する言葉はないだろう。

それは、フルトヴェングラーによる同曲の様々な録音を聴けば容易に理解し得るところであるし、これはあくまでもミュンシュによる演奏なのだ。

筆者としては、本演奏が至高の超名演であることを十分に認めはするものの、同じように熱演であっても、剛毅にして重厚さを保ちつつ速めのインテンポで一気呵成に全体を巧みに纏め上げたベーム&ベルリン・フィルによる超名演(1959年)の方によりブラームスらしさを感じるということを、この場を借りて指摘をしておきたい。

録音は従来盤が全く冴えない音質で大きな問題があったが、数年前に発売されたHQCD盤では、相当程度音質は改善されたように思われる。

しかし、今般、最新のART(アビー・ロード・テクノロジー)によるリマスタリングによって、驚異的な高音質に蘇った。

最新のART技術によって蘇ったこのCDの演奏を、手持ちの旧盤と比較しながら聴いてみたのだが、音が伸びない不満を感じる旧盤に対し、この新盤は、全く別の演奏かと聴きまごうほど、ダイナミックレンジが大幅に改善されている。

特に最強音の音域の広がりは、想像を絶するほどであり、ミュンシュのスケールの大きい白熱の演奏の真価が、より鮮明に伝わってくるようになっているのだ。

ミュンシュ&パリ管弦楽団による歴史的かつ奇跡的な名演奏を、このような最新のリマスタリング技術で鮮やかに蘇った高音質録音で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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