ブルックナー

2022年08月05日


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ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団との録音で、ギュンター・ヴァントの存在を知った人は、それから半世紀以上になるが、率直に言って今日の名声が予期以上のものであったという人は、かなり多いかもしれない。

そのレパートリーは、独墺系の中では近・現代までも含む広さを持っているが、彼の名を特別なものとしたのは、いわゆるブルックナー&マーラー時代に、きわめて明快にブルックナーだけを支持して、そのエクスパートとされたことによるだろう。

事実、彼はマーラーを忌避し、ブルックナーには、版の選定に至るまできわめて厳しい理念を根底に置きながら、稀な深ささえ持った愛着ぶりを示している。

その録音の数も実に多いが、そこに主張されているものは、主観よりも客観であり、きわめて誠実なアプローチの中に、確実に聴く者をとらえずにはおかない説得力を示している。

1992年の北ドイツ放送交響楽団との第7番のライヴは、まさにその代表的な演奏のひとつであり、ヴァントが80歳にして到達した至高の解釈が示されたものだろう。

ヴァントにとって、自らの解釈をもっとも忠実に表現してくれる楽器は1982年から1991年まで主席指揮者を務め、その後は名誉指揮者のポストにあった北ドイツ放送響である。

長年の共同作業を通してオーケストラの楽員にはヴァントの考えが隅々まで浸透し、指揮者のちょっとした動きにもオーケストラ全体が機敏に反応し、完璧なまでの有機体を形成している。

その点で、ベルリン・フィルとのブルックナーは、北ドイツ放送響との録音に及ばないと言える。

さすがに高齢になりすぎたベルリン・フィルとの一連の録音は、何故か音質も北ドイツ放送響盤に及ばない。

一説によれば、ライヴ録音のノイズや演奏ミスを修正するため、過度の編集をする事により、音質劣化が起こり、音の抜けが悪くなったそうだ。

ベルリン・フィルとの演奏を気に入っている人は、北ドイツ放送響との録音と是非比較し、ご確認される事をお勧めする。

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2022年08月04日


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廃盤になって久しかったクナッパーツブッシュの「ブル3」デッカ録音が、テスタメントから復活した。

まず何より当時の録音ではデッカの音は他社の追随を許さぬ飛び抜けたものだ。

テスタメントの復刻は何度でも聴きたくなるような素晴らしい音質で、空気まで芳しく香ってくるような名録音である。

モノラル後期にセッション・レコーディングされたこの録音は、当時、RCAと並んで最先端の技術力を誇ったデッカならではの音の良さが魅力でもあり、往年のウィーン・フィルの濃厚なサウンドを克明な音質で愉しむことが可能だ。

とはいえ最大のポイントはやはりクナッパーツブッシュのユニークな音楽づくりにあると言えるであろう。

ここではブルックナー、ワーグナーというクナッパーツブッシュ得意のレパートリーがとりあげられていることもあって、非常に聴きごたえのある仕上がりとなっている。

ウィーン・フィルの「ブル3」はこの盤の他シューリヒト、ベームがありいずれも必聴の名盤だが、もし1枚を選ぶとすれば問題なくこの盤になる。

あえて改訂版を選択したクナッパーツブッシュのワーグナー的な響きのこの音楽を、ブルックナー演奏では真の実力を発揮するウィーン・フィルとデッカの素晴らしい録音で愉しむことができる。

根本的には素朴な演奏で、テンポは遅く、メロディはとても美しく(特に弦楽器のふくよかな音の響きはウイーン・フィルならでは)、曲の組み立てのスケールは大きく、蕩々と音楽が奏でられる。

想像の世界だが、古き良きウイーンの息吹が底流に脈々と流れてくるような駘蕩とした感があり、指揮者もオケもブルックナーに深く没入しているのが伝わってくる。

ジークフリート牧歌も勿論究極の名演。

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2022年07月16日


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1990年代に入って、余人を寄せ付けないような神々しいまでの崇高な名演の数々を成し遂げた巨匠ヴァントによる本拠地、ハンブルク・ムジーク・ハレでの最後のライヴ録音である。

とは言っても、ヴァントの場合は、数回に渡って行われる演奏会の各演奏を編集した上で、ベストの演奏を作り上げていくという過程を経て、初めて自らの録音を販売するという慎重さを旨としていたことから、厳密に言うと、本拠地での最後の演奏会における演奏そのものと言えないのかもしれない。

また、その数日後にも、同じプログラムでヴッパータールやフランクフルトで演奏会を行っているということもある。

そうした点を考慮に入れたとしても、巨匠の人生の最後の一連の演奏会の記録とも言えるところであり、本演奏には、巨匠が最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地が示されていると言っても過言ではあるまい。

冒頭のシューベルトの交響曲第5番も、冒頭からして清澄さが漂っており、この世のものとは思えないような美しさに満ち溢れている。

もちろん、ヴァントの演奏に特有の厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型美の残滓を聴くことは可能であるものの、むしろ緻密な演奏の中にも即興的とさえ言うべき伸びやかさが支配している。

加えて、各旋律の端々には枯淡の境地とも言うべき情感が込められており、その独特の情感豊かさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ヴァントにとって、同曲の演奏は、ケルン放送交響楽団との全集以来の録音(1984年)であると思われるが、演奏の芸格の違いは歴然としており、最晩年のヴァントが成し遂げた至高の超名演と高く評価したい。

ブルックナーの交響曲第4番は、ヴァントが何度も録音を繰り返してきた十八番とも言うべき楽曲である。

ヴァントによるブルックナーの唯一の交響曲全集を構成するケルン放送交響楽団とのスタジオ録音(1976年)、北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音(1990年)、ベルリン・フィルとのライヴ録音(1998年)、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(2001年)の4種が既に存在し、本盤の演奏は5度目の録音ということになる。

演奏の完成度という意味においては、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィルとの演奏を掲げるべきであるが、演奏の持つ味わい深さにおいては、本盤の演奏を随一の超名演と掲げたい。

シューベルトの交響曲第5番と同様に、本演奏においても、厳格なスコアリーディングに基づく緻密さや堅固な造型美は健在であるが、テンポをよりゆったりとしたものとするとともに、随所に伸びやかさや独特の豊かな情感が込められており、まさにヴァントが人生の最後に至って漸く到達し得た崇高にして清澄な境地があらわれていると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、筆者としては、本演奏こそはヴァントによる同曲の最高の名演であるとともに、ベーム&ウィーン・フィルによる演奏(1973年)や朝比奈&大阪フィルによる演奏(2001年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤が初発売された後、リマスタリングが一度もなされていないものの、十分に満足できるものである。

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ヨッフム得意のブルックナー。

ブルックナーの魅力を、当時最も直截的に伝えていたのは、フルトヴェングラーよりもヨッフムだった。

その演奏の魅力は、いまだ色褪せず健在である。

とあるサイトで「ブルックナーにおいては後期ロマン時代の官能的音楽が要求するような余りに大きいアッチェレランドやリタルダンドを私は戒めたいと思う。テンポの絶対的平均性のみがもたらしうる『ゆりうごく輪』をえがきつつ、ブルックナーの上昇は展開するのである。」と言うヨッフムの言葉が紹介されていた。

しかし、彼が1970年代にシュターツカペレ・ドレスデンを率いて完成させた2度目の全集では、テンポを大きく動かし、アッチェレランドやリタルダンドも駆使して、神々しいまでのクライマックスを築き上げる人に変わっていた。

おそらく上記の言葉はヨッフムの若い頃の言葉なのではないだろうか。

なぜなら、1954年に録音されたこのブルックナー演奏では、まさに「テンポの絶対的平均性のみがもたらしうる『ゆりうごく輪』をえがきつつ、ブルックナーの上昇は展開する」からである。

そして、この両者の中間に位置するのが1960年代に手兵のバイエルン放送交響楽団とベルリン・フィルを指揮して完成させた最初の全集と言うことになるのであろうか。

この25年間、にヨッフムにどのような心変わりがあったのか、筆者には解りかねる。

しかし、その心変わりを良しと思わない人にはこの演奏はなかなかに興味深く聴けるのではないだろうか。

どちらにしても、20世紀を代表するブルックナー指揮者の原点を確認するという意味では貴重な音源である。

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1979年6月24日 オットーボイレン、ベネディクト修道院バジリカ聖堂に於けるステレオ(ライヴ)録音。

荘厳な中にもロココ様式ならではの美しさが漂うオットーボイレンのベネディクト修道院にあるバジリカ聖堂。

日本では、ヨッフム指揮コンセルトヘボウ管によるブルックナー第5番の響きの豊かなライヴ録音で有名になったこの場所で、なんとギュンター・ヴァントがブルックナーの第9番を演奏していた。

まず驚くのは音質の良さ。

機材の優秀さやマイク・ポジション選定の巧みさもあってか、ライヴ録音ながら、同時期のケルン放送響とのスタジオ録音よりも明らかに音質が良く、特に深みのある低音域を軸とした強烈なトゥッティは迫力満点の聴きものとなっている。

間接音が豊かなため、管楽器の音も実に潤い豊かだし、また、それゆえブルックナー特有の「休止」もここでは大変に効果的。

オーケストラがチェリビダッケ時代のシュトゥットガルト放送交響楽団という点も見逃せないところ。

日頃からチェリビダッケに鍛えられていただけあって、ヴァントの厳しい要求にも高い集中力で見事に応え、合奏精度の高さ、アーティキュレーションの統一、ソロの洗練された美しさなど申し分ない。

その性能の良さに影響されてか、あるいはライヴということもあってか、ヴァントのアプローチも、同時期のケルン盤に較べてより表現の振幅の大きなものとなっており、劇的な性格が強まっているのがポイント。

第1楽章展開部のクライマックス(13:25〜)など驚くほかない壮絶な音楽である。

ヴァントの伝記作者でもあるヴォルフガング・ザイフェルト氏が大絶賛する気持ちも十分に納得の見事な演奏と言えるだろう。

本場ドイツで伝説となって、ブルックナー指揮者ヴァントの名声を確立した名演である。

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2022年07月15日


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1961年10月29日 ウィーン・ムジークフェラインザールに於けるライヴ録音(モノラル)。

かつて筆者が購入した海賊盤は音質が劣悪で、古ぼけた音が遠くの方から響いてくるようだった。

それでも、ブルックナーという作曲家の雄大さ、クナの演奏の物凄さには魅せられたことをついこの間のことのように覚えている。

クナ唯一のウィーン・フィルとの「ブル8」の解釈は驚くほどミュンヘン・フィル盤2種に似ている。

この時点ですでに1963年の演奏が確立していたのだと言える。

音は若干悪いがオケはやはり上だ。

曲のどこをとっても素晴らしい演奏だが、たとえば第3楽章における弦楽器の艶やかな音はさすがにウィーン・フィルであり、第4楽章のコーダを聴いていると、当日の会場では途方もない大音響が鳴り響いていたのだろうと想像出来る。

こうした底知れぬパワーもウィーン・フィルならではである。

しかし、流麗な分あのゴツゴツした魅力や、息を呑むようなダイナミズムはミュンヘン・フィル盤に一歩譲る。

しかし、これだけを採れば超名演であることは確かで、仮にミュンヘン・フィル盤2種が存在しなかったら、こちらのほうが伝説的名演と言われたであろう。

録音はモノラルなのに、このマスターからの復刻音は素晴らしいものであり、ステレオのような定位感があるのが特色だ。

音質は鮮明でフレッシュ。弦の艶、豪快な金管、打楽器の迫真的な響き、柔らかさより硬いくらい鮮明な印象だ。

これでステレオだったら、いや、もうあと少し音が良かったらミュンヘン・フィル盤2種と人気を分けた事は確実であろう。

筆者としては、クナッパーツブッシュの演奏記録の中では、最晩年の2種のミュンヘン・フィル盤、そしてこのウィーン・フィル盤をベスト3にしたいと思う。

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2022年07月14日


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マタチッチは、偉大なブルックナー指揮者であった。

1990年代に入って、ヴァントや朝比奈が超絶的な名演の数々を生み出すようになったが、1980年代においては、まだまだブルックナーの交響曲の名演というのは数少ない時代であったのだ。

そのような時代にあって、マタチッチは、1960年代にシューリヒトが鬼籍に入った後は、ヨッフムと並ぶ最高のブルックナー指揮者であったと言える。

しかしながら、これは我が国における評価であって、本場ヨーロッパでは、ヨッフムはブルックナーの権威として広く認知されていたが、マタチッチはきわめてマイナーな存在であったと言わざるを得ない。

それは、CD化された録音の点数を見れば一目瞭然であり、ヨッフムは2度にわたる全集のほか、ライヴ録音など数多くの演奏が発掘されている状況にある。

これに対して、マタチッチは、チェコ・フィルとの「第5」(1970年)、「第7」(1967年)及び「第9」(1980年)、スロヴァキア・フィルとの「第7」(1984年)やウィーン響との「第9」(1983年)、あとはフィルハーモニア管弦楽団との「第3」(1983年)及び「第4」(1954年)、フランス国立管弦楽団との「第5」(1979年)のライヴ録音がわずかに発売されている程度だ。

ところが、我が国においては、マタチッチはNHK交響楽団の名誉指揮者に就任して以降、ブルックナーの交響曲を何度もコンサートで取り上げ、数々の名演を成し遂げてきた。

そのうち、いくつかの名演は、アルトゥスレーベルにおいてCD化(「第5」(1967年)、「第7」(1969年)及び「第8」(1975年))されているのは記憶に新しいところだ。

このように、マタチッチが精神的な芸術が評価される素地が未だ残っているとして我が国を深く愛して来日を繰り返し、他方、NHK交響楽団もマタチッチを崇拝し、素晴らしい名演の数々を成し遂げてくれたことが、我が国におけるマタチッチのブルックナー指揮者としての高い評価に繋がっていることは間違いあるまい。

そのようなマタチッチが、NHK交響楽団とともに成し遂げたブルックナーの交響曲の数々の名演の中でも、特に伝説的な名演と語り伝えられてきたのが本盤に収められた「第8」だ。

しかしながら、既発CDがきわめてデッドで劣悪な音質であることも広く知られており、その結果、窮余の策として、前述のアルトゥスレーベルから発売の1975年盤の方を上位に置かざるを得ない状況が長らく続いていた。

そのような中で、今般のBlu-spec-CD化によって、本盤に収められた伝説的な名演が見違えるような鮮明な音質に生まれ変わっており、これによって漸く長年の渇きが癒されることになったのは慶賀にたえない。

本演奏におけるマタチッチのアプローチは、1990年代以降通説となった荘重なインテンポによる演奏ではない。

むしろ、速めのテンポであり、そのテンポも頻繁に変化させたり、アッチェレランドを駆使したりするなど、ベートーヴェン風のドラマティックな要素にも事欠かない演奏となっている。

それでいて、全体の造型はいささかも弛緩することなく、雄渾なスケールを失っていないのは、マタチッチがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

このようなマタチッチの渾身の指揮に対して、壮絶な名演奏で応えたNHK交響楽団の好パフォーマンスも見事というほかはない。

いずれにしても、本演奏は、1980年代以前のブルックナーの「第8」の演奏の中では、間違いなくトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

本演奏はSACD化されたが、SACD互換機をお持ちでない方には、本Blu-spec-CDをお薦めしておきたいと考える。

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2022年07月09日


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明後日7月11日に95歳を迎える指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットは、ゲヴァントハウス管弦楽団時代に様々な名演を成し遂げてきた。

演奏はいずれも実際のコンサートでの演奏をライヴ録音したもので、曲により多少のムラはあるものの、ライヴという条件を考慮すると、全体の水準は十分に高いレベルに達していると考えられる。

ブロムシュテットの円熟の境地と、ドイツ経済の繁栄と共に実力もレベル・アップしたかのようなゲヴァントハウス管弦楽団の充実した演奏を楽しむことができる。

何と言ってもそのレパートリーの中心にあったのは、ブロムシュテットが最も得意とする独墺系の音楽、中でもブルックナーの交響曲であったことは論を待たないところだ。

何よりも、これまでブルックナーの交響曲を自らの中核と位置づけてきたブロムシュテットである。

それだけに、ブロムシュテットの確固たる信念を感じ取ることが可能な、仰ぎ見るような威容を湛えた堂々たる演奏に仕上がっているのが素晴らしい。

本全集においても、基本的なアプローチは、楽想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、これは近年のブルックナーの交響曲演奏の王道を行くものである。

そして、かかるアプローチは、誠実とも言えるこの指揮者の美質そのものである。

例えば、かつてシュターツカペレ・ドレスデンとともにスタジオ録音を行った交響曲第4番や第7番の定評ある名演などと比較すると、彫りの深さ、懐の深さにおいて、遥かに凌駕している。

近年のブロムシュテットの好調ぶりを伝える見事なもので、どの作品でも細部まで丁寧に誠実にリハーサルしたと思われる着実なアプローチを土台に、作品それぞれの個性がきちんと伝わってくるのが嬉しいところだ。

この指揮者ならではの全体の造型の堅固さは健在であるが、スケールも雄渾の極みであり、各楽想の描き出すに際しての彫りも深い。

全体としてはゆったりとしたインテンポを基調としているが、ここぞという箇所では微妙にテンポを動かしており、それが演奏全体を四角四面にしないことに大きく貢献している。

ブラスセクションなども最強奏させているが、無機的になることはいささかもなく、どこをとっても奥行きの深さを損なっていないのが素晴らしい。

シャイー時代になってオーケストラの音色に色彩感を増したと言われているゲヴァントハウス管弦楽団ではある。

本演奏ではブロムシュテットの確かな統率の下、かつてのシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難い。

それでもドイツ風の重心の低い音色で重厚な演奏を繰り広げているのが素晴らしく、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきである。

ブロムシュテットは、厳しいトレーニングで機能性と音色にさらに磨きをかけ、引き締まった力強いサウンドにゲヴァントハウス管弦楽団を鍛え直した。

コンヴィチュニー時代の再来を思わせる第2ヴァイオリン右側の対向配置も効果的だ。

そして音楽自体に何とも言えない深みがあり、これはブロムシュテットの円熟であるのみならず、ブロムシュテットが晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地の表れと評しても過言ではあるまい。

このような名演奏を聴いていると、今や亡きヴァントや朝比奈、スクロヴァチェフスキ、現代を代表するブルックナー指揮者と評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、あまた存在するブルックナーの交響曲全集の中でも、最も優れた名演の1つに掲げられる至高の名演と高く評価したいと考える。

そして、本盤で素晴らしかったのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

コンサート会場の豊かな残響を取り入れた臨場感溢れる鮮明な高音質は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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2022年06月25日


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正規盤初出のレパートリーである音源そのものはすでにファンの間では広く知られていたが、Profilが熱いリクエストに応えてリリースに踏み切った1枚。

巨匠クルト・ザンデルリング指揮バイエルン放送交響楽団のブルックナー第4番『ロマンティック』は格別の出来栄え。

巨匠スタイルの圧倒的なアプローチに応える、バイエルン放送響の底知れぬ実力を感知できる。

この音源はSACDバージョンでも既にリリースされているが、こちらはレギュラーフォーマット盤。

ヘンスラーは独自のリマスタリングで定評があり、この演奏も解像度が良好で低音も充分に豊かだ。

また丁寧なサウンド・リストレーションによってブルックナーの分厚いオーケストレーションも破綻なく再生される。

できれば広い空間で音響を解き放つ程度にボリュームを上げて鑑賞することをお薦めする。

そうすることによって本来のスケールの大きなブルックナーのサウンドが蘇る。

ザンデルリングはブルックナーの第3番、第4番そして第7番を録音したが、いずれも幸い良い状態の音質で残されている。

ザンデルリングはバイエルン放送交響楽団の機動力とパワフルな音量を充分に引き出しながら、一方で第2楽章では滔々と溢れる流れのような抒情を歌わせている。

柔らかく繊細に始まり、やがてあたかも木漏れ日が射しこむかのような優しい表情をみせるあたりなど、言葉を失うほどの美しさだ。

全体的なテンポは穏やかだが、構成感はしっかりしていて、71分の交響曲を長く感じさせない。

しかも楽章ごとに緊張感を高めて終楽章でクライマックスを創り上げる力量は流石で、壮大なフィナーレに至ってはこのうえなく感動的だ。

確かに指揮者の派手なアピールは感じられないが、音楽そのものの力学で聴かせる優れたサンプルだ。

その後この音源はヘンスラー・プロフィール・レーベルからリリースされたクルト・ザンデルリング・エディション11枚組に組み込まれ、その第1曲を飾っている。

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2022年06月14日


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本演奏を聴いて大変驚くとともに深い感銘を覚えた。

サヴァリッシュと言えば、どうしてもNHK交響楽団を指揮した、立派ではあるが大人しい演奏が印象的であるだけに、筆者としても、これまで所詮はベームの亜流指揮者としてあまり高い評価をして来なかった。

史上最年少でバイロイト音楽祭に登場するなど、才能には抜群のものがあり、凡演は少ないものの、他の指揮者を圧倒するような名演を成し遂げることも殆どないといったところが、これまでのサヴァリッシュに対する共通の評価と言えるのかもしれない。

しかしながら、本盤の両曲の演奏は、そうした印象を覆すのに十分な圧倒的な演奏なのではないだろうか。

冒頭のモーツァルトの交響曲第39番からして、重厚で彫りの深い表現に大変驚かされる。

演奏全体の堅固な造型美は相変わらずであるが、それ以上にどこをとってもあたりを振り払うような威容に満ちた風格が漂っているのが素晴らしい。

あたかもベートーヴェンの交響曲に接する時のような硬派の演奏と言えるが、それでいて四角四面に陥らず、モーツァルトらしさをいささかも失わないというのは、多分にウィーン・フィルによる美演によるところが大きいと言える。

いや、むしろ、ウィーン・フィルにこれだけの名演奏をさせたサヴァリッシュの類稀なる才能と統率力を褒めるべきであろう。

いずれにしても、このような素晴らしい超名演を聴いていると、ベームがサヴァリッシュを何故に高く評価し、信頼していたのかがよく理解できるところだ。

次いで、ブルックナーの交響曲第9番も凄い超名演だ。

まさに壮絶の極みとも言うべき豪演であり、指揮者の名前を伏せて聴くと、サヴァリッシュによる演奏であると言い当てる者は殆どいないのではないか。

とてもNHK交響楽団を指揮していたサヴァリッシュとは思えないような凄みのある指揮ぶりでありる。

多くの聴き手が、サヴァリッシュに対するこれまでの印象を大きく変えるきっかけとなるかもしれない。

そして、おそらくは、サヴァリッシュによる最高の超名演と言っても過言ではないと言えるのではないだろうか。

第1楽章からしてテンションは全開。

とかく安全運転に終始しがちなサヴァリッシュ&NHK交響楽団による演奏とはそもそも次元が異なる緊迫感に貫かれている。

どこをとっても濃密かつ重厚な音楽が紡ぎ出されているのが素晴らしい。

ブラスセクションなども最強奏させているが、いささかも無機的になることなく、懐の深さを有しているのが見事である。

第2楽章の速めのテンポによって畳み掛けていくような気迫や怒涛のような重量感溢れる進軍にはただただ手を汗握るのみ。

本気になった指揮者とオーケストラによる真剣勝負のぶつかり合いがここにあると言えるだろう。

終楽章も凄まじい。

1990年代にヴァントや朝比奈が成し遂げた悠揚迫らぬインテンポによる演奏とは大きく異なり、テンポの効果的な振幅なども織り交ぜたドラマティックな表現も駆使している。

それでいてブルックナーらしさをいささかも失わないというのは、サヴァリッシュがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みしているからに他ならない。

そして、ウィーン・フィルによる極上の美を誇る名演奏が、本演奏に独特の潤いと温もりを付加させているのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

演奏終結の後、かなりの間をおいて拍手が沸き起こるのも、当日の聴衆の深い感動を物語るものと言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、サヴァリッシュによる至高の超名演であり、サヴァリッシュに対する印象を一変させるだけのインパクトのある圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質は、1983年のライヴ録音であるが、十分に満足できる良好な音質と高く評価したい。

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2022年05月17日


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ドイツの名指揮者クルト・ザンデルリンクは晩年ヨーロッパの名門オーケストラだけでなく、中堅として支える地方の実力派の楽壇に頻繁に客演したが、シュトゥットガルト放送交響楽団とも質の高い演奏を遺してくれた。

そのひとつが1999年12月に行われた地元リーダーハレでのライヴで、演奏終了後の拍手や歓声の他は客席からのノイズは殆ど混入していない。

またブルックナーには不可欠なホールの潤沢な残響にも不足していない。

欲を言えばサウンドの立体感が欲しいところだが、レギュラー・フォーマットのCDでは限界があるのも事実だ。

残念ながら大手メーカーからはザンデルリンクにブルックナー交響曲全集の企画は持ち込まれなかった。

この第7番の他にはベルリン放送交響楽団、コンセルトヘボウ、BBCノーザン、ゲヴァントハウスそれぞれとの第3番とバイエルン放送交響楽団との第4番『ロマンティック』などがレパートリーとして挙げられる程度だ。

第3番、第4番と並んで彼の大曲をまとめ上げる力量と知的なアプローチが作品の重厚な構成感を聴かせるだけでなく、ここではまたライヴならではの白熱した雰囲気も伝わってくる。

全曲を通じて高揚感に溢れており、なかでも第2楽章ではザンデルリンクの持ち味とも言える美しい弦の響きが存分に発揮された、素晴らしい演奏が繰り広げられている。

この作品のハース版を使うところにもザンデルリンクの表面的な派手さを避ける意思が見えている。

特に第2楽章の後半でのクライマックスにシンバルやトライアングルが加わると、往々にしてあざとさが表出されてしまう。

ワーグナーの楽劇のような舞台作品であれば、時には効果的だが純粋な管弦楽曲には慎重でなければならない筈だ。

そうした管弦楽法を熟知している指揮者としてザンデルリンクは第一級の腕を示している。

またシュトゥットガルト放送交響楽団も彼の悠揚迫らぬテンポの中に、広いダイナミズムを巧みにコントロールして高度な合奏力で呼応している。

2012年に統廃合が行われた結果、現在では南西ドイツ放送交響楽団の名称で呼ばれているシュトゥットガルト放送交響楽団だが、確かにオーケストラとしての完成度から言えば彼らを上回る楽団は少なくないだろう。

しかしこのブルックナーではザンデルリンクの悠揚迫らざるテンポの中に、幅広いダイナミズムを巧みにコントロールした采配に呼応する、高度な合奏力を持ったオーケストラであることが証明されている。

むしろ超一流のオーケストラではそれほど顧みられない作曲家の朴訥とした作風を滲み出させているところも秀逸。

こうした表現に関してはドイツの地方オーケストラがかえってその実力を示しているのは皮肉だ。

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2022年05月13日


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フルトヴェングラーは、生前ドイツ・ブルックナー協会の会長を務めていた、いわば、ブルックナーの専門家であったが、そうした面目が、この集成の全面ににじみ出ている。

作品と指揮者が運命の糸で結ばれている、そんな磁力にも似た求心力を背景にうねるような起伏をもって再現された名演、熱演。

フルトヴェングラーのブルックナーは、情熱的で気迫に満ちた音楽を聴かせ、アゴーギクとデュナーミクを巧みに融合させた効果は、まさに名人芸と言わねばなるまい。

フルトヴェングラーは、内面的な燃焼度の高い、雄渾な演奏で、その強烈な個性には圧倒されてしまう。

個性的でスケールの大きい表現だが、あまりにロマン的で、ブルックナーの素朴さよりもフルトヴェングラーの音楽を聴く感が強い。

それでもこの指揮者の芸術的ルーツが、ブルックナーと同じところにあることを理解できる自然体の表現であり、そこに演奏の魅力もあるのである。

フルトヴェングラーの解釈は作品との強い一体感をベースとしたもので、それはバーンスタインがマーラー演奏に見せた陶酔感すら覚えさせるものがある。

とりわけ大戦中に演奏されたフルトヴェングラーのブルックナーには例えようもない気品と影の暗さがあり、それが感動のテンションをさらに高める。

そうした美質を引っさげてフルトヴェングラーはブルックナーの核心部分へと果敢かつ勇猛に足を踏み入れていきながら、聴き手を抗し難い興奮へと巻き込み、陶酔的感動に浸らせてしまう。

精神的な高さと深さで、これを凌駕するような演奏は他になく、聴いたあとに深い感動の残る秀演である。

ブルックナーの音楽の雄大さ、フルトヴェングラーの表現力の息の長さ(オーケストラの器の大きさも加えるべきなのかもしれない)に、誰もが圧倒されてしまうことであろう。

われわれの日常生活で用いられている単位では、とても手に負えないような雄大さであり、息の長さである。

こうした芸術活動だけに許されるような次元に接する機会が、最近はとみに少なくなってしまった。

また、フルトヴェングラーは、なにを指揮しても決して急ぎすぎることがなかった。

悠揚迫らぬそのテンポは、まずは聴き手を落ち着かせるのに力を発揮したばかりでなく、さらに進んで揺るぎない信頼を勝ちとった、と言って良いだろう。

これぞフルトヴェングラー人気の根源のひとつ、という気がする。

そうした独特のグランド・デザインによりながらも、ブルックナーの楽想を生かし、音楽を生かすため、フルトヴェングラーはテンポを細かく動かし、表情に変化を与え、クレッシェンドを活用して強い緊張感を生み出している。

そして表出されたブルックナーの深奥から湧き起こる音楽的情熱と、深々とした祈り、見事だ。

旋律のみずみずしいしなやかさ、地の底から噴きあげるようなブラスの和声の充実感、作為なく、ブルックナーの音楽そのものを感じさせる造型、あらゆる点で、もう二度と現れまいと思われるような演奏だ。

まさにフルトヴェングラーの凄さに圧倒されてしまう巨人の足音である。

尚録音データは以下の通り。

◆第4番『ロマンティック』(VPO、1951年10月22日、シュトゥットガルト)
◆第5番(BPO、1942年10月28日、ベルリン・ベルンブルガ・フィルハーモニー) 
◆第6番(第1楽章欠落、BPO、1943年11月)
◆第7番(BPO、1951年4月23日、カイロ)
◆第8番(VPO、1944年10月17日、ウィーン、ムジークフェラインザール)
◆第9番(BPO、1944年10月7日、ベルリン)

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2022年04月19日


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4種類存在するフルトヴェングラーのブルックナーの交響曲第8番は、どれもユニークな内容を持つ演奏として知られている。

中でも最も強烈なのが、この1949年3月15日にベルリン・フィルとおこなったコンサートのライヴ録音である。

前日の3月14日に、ダーレムのゲマインデハウスで放送用に収録された録音もTESTAMENTから発売されていた。

しかし聴衆の有無や、ホールの響き、録音状態の違いなどもあって、印象は大きく異なる。

この3月15日の演奏は、フルトヴェングラー流の動的ブルックナー解釈の極点を示すものとして有名なものだ。

第1楽章展開部後半での強烈なアッチェランドを伴うクライマックス形成や、第4楽章コーダでの激しい追い込みは、ほかの演奏からは考えられないカタルシスをもたらしてくれる。

もちろんそうしたドラマティックなダイナミズムだけが凄いのではない。

たとえば第3楽章アダージョでは、楽員の共感に満ちた濃厚な演奏が、深い情感表現に結実していて、恍惚とするばかりの美しさをもたらしてくれるのが感動的である。

そうした音楽が、紆余曲折を経ながらも次第にクライマックスに向かって盛り上がってゆくときのコントロールの巧みさ・迫真の音楽づくりは、フルトヴェングラーにしかできない非常に雄弁なものと言えるのではないだろうか。

肝心の音質は、前日の放送用録音に較べてたいへん条件が良く、当時のライヴとしては最良のクオリティで、超弩級のモンスター演奏を味わえるのが大きな魅力となっている。

アルカディア、M&A、ドイツ協会盤などで出ていたが、このデルタ盤は、いままで一番音が良かったドイツ協会盤に近いクオリティをもっているのが嬉しいところだ。

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2022年04月13日


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ルツェルン音楽祭からのライヴ録音で、ヒンデミットの『木管楽器とハープのための協奏曲』は文句なく秀逸な演奏だ。

伊Affettoからのライセンス盤でセブンシーズがリリース (廃盤) したことがあるが、この度ルツェルン音楽祭が保管しているマスター音源からの正規初出となる。

現代音楽にも興味を持っていたベームは、同時代を生きたパウル・ヒンデミット (1895-1963) の作品も大切にしてきた。

ここに収めた『木管とハープのための協奏曲』はベーム唯一の録音。

ウィーン・フィルの首席奏者の巧みな演奏はもちろんのこと、ピタリと合わせるベームのタクトにも脱帽。

この作品はメンデルスゾーンの結婚行進曲が随所に現れる実に楽しくして練りこまれた協奏曲だが、ベームと黄金時代のウィーン・フィルが奏でる演奏に改めて驚かされる。

1970年の収録で多少客席からの咳払いなどの雑音が聴こえるが、ソリスト達とオーケストラの音は鮮明に捉えられていて臨場感にも不足していない。

第一級のオーケストラは協奏曲を演奏する時でも、外部からソリストを呼ばなくても総て自前の楽団員でカバーできるものだ。

当時のウィーン・フィルにはスタープレイヤーがひしめいていて、彼らの腕前と優れた音楽性を充分に満喫できるのが嬉しい。

ベームの指揮は精緻な中にも絶妙な遊び心が感じられて、決して堅物の律義な演奏に留まらないところは流石だ。

このレパートリーに関しては公式のセッション録音が存在しないので、これだけでもこのディスクの価値は俄然高いと言えるだろう。

本演奏でも楽譜に忠実にすべてのアーティキュレーションの細部にまで気を配り、ベームとウィーン・フィルとの強い結びつきを感じさせる。

緊張感を常に持ちながらこの作品を演奏するベームの姿勢、そして絶大な信頼を寄せるウィーン・フィルが一体となりこの上なく美しい響きを生み出している。

問題はブルックナーの交響曲第7番で、ヒンデミットに比較して音質が劣っている。

データを見ると1964年の録音だが、当時既に殆どすべての大手レコード・メーカーがステレオ録音を取り入れていたにも拘らず、ルツェルンではまだモノラルから脱皮していなかった。

また音質もややデッドで潤いに欠けているのも欠点だ。

ブルックナーを鑑賞するにはせめて潤沢な残響が欲しいところだが、ライヴという制限もあって全体的に言って貧しいサウンドと言える。

ベームがライヴに懸ける情熱は伝わってくるし、第2楽章のブラス・セクションで導入される『ワーグナーのための葬送』も聴きどころなので残念だ。

幸い1976年のグラモフォンへの良好なセッション録音が残されているので、この曲に関してはそちらをお薦めしたい。

また、ブックレットには音楽祭のアーカイヴから多くの写真も掲載している。

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2022年04月11日


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マーラーの愛弟子であったワルターは必ずしもブルックナー指揮者とは言えないと思うが、それでも、最晩年に、コロンビア交響楽団との間に、「第4」、「第7」及び「第9」の3曲の録音を遺した点に留意する必要があるだろう。

先ずは「第4」であるが、これは典型的な後期ロマン派的な演奏だ。

金管群は力強さを増し、そのため終楽章などいっそう雄大な音楽と感じられる。

冒頭の力強いトレモロからして指揮者の芸格の高さが如実に表れていると思うが、テンポのめまぐるしい変化も特筆すべきだ。

特に、第3楽章の中間部の超スローテンポや、終楽章の開始部の快速のテンポなどは、他の演奏にもあまり見られない例であると言える。

こうしたテンポの変化は、ブルックナー演奏の基本からするといささか逸脱していると言えるが、それでいて恣意的な解釈を感じさせないのは、巨匠ワルターだけが成し得た至芸と言えよう。

第1楽章は壮麗で、展開部は部分的にやや緊張力が乏しいが、音楽的には常にゆとりがあり、対旋律もよく歌っている。

第2楽章も端正でありながら、情緒豊かな表現もワルター的といえる。

抒情的な箇所のヒューマ二ティ溢れる情感の豊かさは実に感動的であり、総体として、名演と評価するのにやぶさかではない。

「第7」は、ブルックナーの交響曲の中で、最も優美なものであるが、それが最晩年のワルターのヒューマニティ溢れる情感豊かな指揮と見事にマッチしていて、素晴らしい。

作品自体が抒情性を前面に表した曲なので、作品とワルターの音楽的本質が深く関わり合った演奏といえる。

特に第1楽章は響きの量感を別にすれば、非常にワルター的といえる。

第3楽章の中間部におけるスローテンポや、特に終楽章におけるテンポの変化など、ブルックナー演奏の定石とはいささか異なる後期ロマン派的解釈も散見されるが、特に第1楽章と第2楽章は他の指揮者の追随を許さないほどの美しさに満ち溢れていると言える。

ただ、ワルターの感性と作品の抒情性が重畳したためか、演奏が歌謡的に傾斜し、造形的な厳しさという意味では問題も残す。

このような弱点もあるが、やはり捨てがたい優美な演奏である。

「第4」や「第9」で見られたコロンビア交響楽団の技量の拙劣さも、この「第7」では殆ど見られない点も、本名演の価値をより一層高めていると言える。

最晩年のワルターが、ブルックナーの最も深みのある「第9」の録音を遺してくれたのは何という幸せであろうか。

「第4」や「第7」もなかなかの名演であったが、この「第9」も名演の名に相応しい出来であると考える。

演奏は、ワルターの個性を強く表しながら、極めて格調が高い。

「第4」や「第7」では、テンポの動かし方やとりわけスケルツォ楽章におけるトリオでの超スローテンポなど、ブルックナー演奏の定石からするといささか異質な後期ロマン派的解釈も散見されたが、この「第9」に限っていうと、そのような箇所は殆どなく、インテンポによる確かな足取りで、この深遠な交響曲を重厚に、そして荘重に描き出していく。

特に第3楽章は改めてワルターの深遠な芸術を感じさせるが、それと同時に人間的な情味を色濃く残しているのがユニーク。

優美な「第7」と比較すると、ワルターの芸風に必ずしもマッチする交響曲とは言えないと思うが、これほどの深みのある名演に仕立てあげた点はさすがは巨匠ワルターというほかはない。

残念なのは、コロンビア交響楽団の演奏の拙劣さ。

金管楽器は、録音のせいも多少はあるのではないかと思うが、無機的な力づくの吹奏を行っている点が散見される。

特に、最悪なのは終楽章のワーグナーテューバの品のなさ。

ここは何とかならないものであろうか。

終結部のホルンもイマイチだ。

しかしながら、演奏全体としては、名演との評価を揺るがすほどのものではないと考えておきたい。

ブルックナー以上に素晴らしいのが併録のワーグナーの『タンホイザー』より「序曲とヴェヌスベルクの音楽」。

ゆったりとしたインテンポでスケール雄大な音楽を構築しており、カレッジ・コンサート合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

「ローエングリン」第1幕への前奏曲やジークフリート牧歌はさらに超名演。

いずれもゆったりしたテンポの下、深沈たる深みのある抒情的な表現が見事。

ここでは、コロンビア交響楽団も最高のパフォーマンスを示していると言える。

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2022年04月10日


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ゆったりと流れるように始められた音楽から「この演奏はいつもとは違う、今日はどんなところに連れて行かれるのだろう」。

そんな予感のうちに自然に音楽に集中すると、時間の感覚を失い、ただひたすらにブルックナーの永遠に身をゆだね、神秘的な信仰告白を聴き、壮大なバロック時代の英雄崇拝の心地良さに浸りきった。

最初にこのレコードを聴いたときの印象は、いつものフルトヴェングラー体験とは、様相が大きく異なっていた。

演奏の凄さに度肝を抜かれたのはもちろんだが、やはり最後にこんなブルックナーに到達していたのかという思いと、これまで円熟を語られることのなかったフルトヴェングラーの、まさに晩熟を実感した。

今日この演奏が、フルトヴェングラーによるもので、そのオリジナルテープがウィーン・フィルのアルヒーフに存在する旨、トレミスが確認しているが、1982年のレコード発売以来、主にイギリスでの演奏の真偽をめぐって、多くの疑問が寄せられてきた。

それは演奏がフルトヴェングラーの「いつものスタイル」ではなかったから、つまり劇的な曲の進め方や、アゴーギクを強くきかせてアッチェレランドを辞さないというやり方で、ブルックナーになじみのない聴衆にもわかりやすいような、作品への架け橋として意図された演奏とは異なったものだったからである。

フルトヴェングラーの『音楽ノート』(白水社)によれば「正しい均衡を保ち『静力学的』に安定している楽曲は、決して法外な長さを必要としない。

法外に長い作品(ブルックナー)のシンフォニー楽章の再現部においては、自由奔放にして妥協点に欠ける造形が(・・・・・・)その欠点を暴露する。

ベートーヴェン、否ブラームスにもまだ見られた繰り返しが、ブルックナーにはもはや不可能である。(・・・・・・)

最初いくつかの楽章がしばしば再現部に見せる余白は、こうした状況から生じたものである」とかの発言が残されて、ベートーヴェンという峰を辿って、ブルックナーへと到達するというフルトヴェングラーの考え方が理解できるのではなかろうか。

この演奏会を実際に聴いたノヴァコフスキーの文章があるので、紹介させていただく(『フルトヴェングラーを語る』白水社)。

「ニコライ・コンサートでの演奏でした。(・・・・・・)年に一度の演奏会はウィーン音楽シーズンの頂点と言うべきもので、久しい以前からフルトヴェングラーの主催にゆだねられておりました。普通はベートーヴェンの『第9』を演奏するのが長い伝統になっていたしたが、(・・・・・・)ブルックナーの『第8』が選ばれることもありました(・・・・・・)このたびは、音楽の作り方が以前とは趣が変わっていました。アゴーギクに寄りかかった緊張が和らげられ、比類のない大きな瞑想のようでした。指揮者の姿はすべてを受容する献身の器としか思えませんでした。最後に到達した明澄と円熟の境地がここに忘れ難い最晩年の様式を生み出したのです。(・・・・・・)フィナーレの最後の響きがやむと、息を呑むような静寂が一瞬あたりを領します。やがて人々は席から立ち上がり、フルトヴェングラーとフィルハーモニーの楽員に喝采の嵐を送るのでした」

その後フルトヴェングラーはルツェルン音楽祭で、最後となったブルックナーの演奏(『第7番』)を行なっているが、それこそ「人々は魔法でもかけられたように、すわったっきりでした。エドウィン・フィッシャー、フルニエ、シュテフィ・ガイヤー、クーベリック、マイナルディ、ミュンヒンガー、その他多くの音楽家たちはほとんど試演のときから、もうそうでした。稀に見るほどに完璧な演奏でした。さながら冥界からの音信のようでした」。

最晩年のスタイルによる完成されたブルックナーだったのである。

その「冥界からの音信」のようなアダージョだけでも聴いてみたかったものである。

ブルックナーの受容状況は、今日大きく様変わりした。

原典への追従はやめて、ブルックナーの内面へと立ち向かおう。

きっとこの演奏にこそ、最高のブルックナーの『第8』を聴くであろう。

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2022年03月27日


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ブルックナーの作品は現在でこそさかんに取り上げられて演奏されているが、そうした傾向は比較的最近のことで、日本ばかりでなく国際的にも50年ほど前まではあまり取り上げられる機会は多くなかった。

そうした中にあってオイゲン・ヨッフムは、早くからブルックナーの作品を積極的に演奏していた指揮者の1人で、そのために国際ブルックナー協会からブルックナー・メダルを贈られている。

ヨッフムはブルックナーのミサ曲をはじめとする宗教音楽の多くを録音に残しており、そのいずれもが優れた演奏。

これらの声楽作品(合唱曲)は、ブルックナーの音楽をより良く理解するうえで欠かせないと思われるカトリシズムについて考えさせるだけでなく、交響曲への直接的な旋律の引用や雰囲気の再現といった観点からも非常に興味深いものとなっており、純粋に声楽作品として味わうだけでなく、交響曲と合わせて楽しめるのがポイントとなっている。

ミサ曲第1番の独唱では、エディット・マティス(S)、カール・リーダーブッシュ(B)、また第3番ではエルンスト・ヘフリガー(T)など当時の第一級の歌い手が登壇、メンバーの質の高さが第一に特筆されよう。 

ヨッフムの解釈は、おそらく敬虔なミサ曲を扱う配慮は忘れないながら、むしろポリフォニックな構築力をより強く感じさせる。

緊張感と迫力に富み作品に内在する熱く強いパッションを前面に押し出して聴き手を圧倒する。 

第2番に顕著だが、厳しい合唱の統率力ゆえか、混声が完全に融合しひとつの統一された「音の束」のように響いてくる。

その統一感が規律を旨とするミサ曲の緊張感を否応なく醸成する一方、管楽器のみの伴奏が効果的にこれと掛け合い、合唱の美しさとダイナミズムに見事なアクセントを付けている。

テ・デウムを別格とし、1864ー68年にかけて集中的に作曲されたブルックナーの宗教曲の最高傑作の3曲を続けて聴くと、これらの作品の音楽的な連続性にも思いはいたる。

宗教曲はいつも聴くわけではないが、ブルックナーを愛するリスナーにとって、ときに深夜、光も音量も落として、交響曲以外のもうひとつのブルックナーの世界に浸るも良し。

ヨッフム会心のこの名盤は、その際の最高の贈り物であり、交響曲以外の「もうひとつのブルックナーの世界」に浸るうえで必携の名盤と言えよう。

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2022年03月24日


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カラヤンにとってのコンサートにおける「ブル8」は勝負曲であった(オペラ・ハウスでは《トリスタンとイゾルデ》)。

フルトヴェングラーの後任としてベルリン・フィル戦後初のアメリカ・ツアーを率いた1955年も、ベルリン・フィルとの不協和音が囁かれる中で敢行した生涯最後のウィーン・フィル、ニューヨーク公演もこの曲を轟かせて批判の声を封じ込めたのだ。

当演奏は伝説の1966年日本公演の直後に行われたヨーロッパ・ツアーから、名ホール、アムステルダムのコンセルトヘボウで行われた凄絶なライヴ。

名門ホールのコンセルトヘボウの豊かな残響を伴った好条件の会場で、壮年期における気力十分なカラヤンとベルリン・フィルの劇的なブルックナー演奏が残ったことは、まさに僥倖だ。

その演奏は、弦が柔らかに歌う最弱音から、金管が荒々しく咆哮する最強音まで、振れ幅の大きい表現で聴く者を圧倒する。

カラヤンのライヴはスタジオ録音の印象とは異なり、非常にアグレッシブかつ即興的であり、彼の実演がいつも大喝采に終わるのは、それなりの理由があるのである。

縦の線を揃えることにはあまり注意が払われていないので、時折、おやと思うようなズレも散見されるが、それはそれで、より音楽の生々しさ、一回性を伝えて余りある。

また、ブルックナーの作品は、後期に近づけば近づくほど扱われる和声も複雑になってきていて、「今鳴っているのは何調で、次は何調に転調する」といったプログラム的な聴き方では間に合わない部分が頻出する。

この曲でも所々で短調と長調の旋律が同時に鳴っていて、音と音がぶつかり合うことで極めて深い響きを生んでいる。

そうした入り組んだ曲を扱った時のカラヤンは、まさに音楽のすべてを一手に束ねる「大司祭」というべき高みに達する。

指揮者のリッカルド・ムーティがカラヤンのブルックナー演奏を「神の声をきくよう」と評したと伝わっているが、この演奏の前では、それもあながち誇張には聞こえない。

一方で、第3楽章のアダージョでは、各楽器を思いのままに歌わせながら、流麗な音楽の流れを作り出している。

曲尾近くでは大伽藍のような壮大なクライマックスが築き上げられるが、それが少しの誇張もなく自然に達成されているのは、まさにカラヤンならでは。

このあたり、彼特有の流れるような柔らかい腕の動きが目に見えるようでもある。

まさに知情意のバランスの取れたブルックナーとして、長く語り継いでゆくべき演奏だろう。

壮麗な音響、荒々しいまでの推進力、絶望に至るほどのカタルシス、他国客演時では常日頃より燃え上がるのがカラヤンだった。

スタイリッシュなだけでない汗をかくカラヤンを味わいたいならこれも聴かねばなるまい。

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カラヤンとベルリン・フィル1966年来日公演のうち、ベートーヴェンの交響曲全曲シリーズとならんでクラシック・ファンの関心を集めたのがブルックナーの交響曲第8番。

まだ日本でブルックナー・ブームが起こる以前、聴衆の強い集中力と熱気が伝わる壮絶なライヴで、ベートーヴェンがカラヤンとベルリン・フィル芸術の精神的な骨格を示してくれたとすれば、ブルックナーは血と肉づけを体験させてくれたと評された。

1966年と言えば、まさにカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代で、心身ともにベストコンディションであり、精緻さと重厚さを兼ね備えた最高のブルックナー演奏と言える。

ベルリン・フィルも、名うてのスタープレーヤーがあまた在籍した楽団史上でも特筆すべき技量を誇った時代である。

それぞれ最高の状態にあったカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏は、おそらくはオーケストラ演奏史上でも空前にして絶後の高水準を誇っていたと言ってもいいのではないだろうか。

弦楽合奏の鉄壁のアンサンブル、唸るような低弦の重量感のある響き、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器群の美しい響き、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニの響きなどが見事に融合するとともに、カラヤン一流の流麗なレガートが施された、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れたまさに圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。

カラヤンの前任者であるフルトヴェングラーのような音楽の精神的な深みの徹底した追求などは薬にしたくもないが、音楽の持つ根源的な力強さにおいては、フルトヴェングラーの数々の名演にいささかも劣っているものではないと言えるところだ。

フルトヴェングラーの目指した音楽とカラヤンの目指した音楽は、このようにそもそも方向性の異なるものであり、その優劣を論ずること自体がナンセンスであると考えられるところである。

特にブルックナーの演奏において、かつて影響力の大きかった某音楽評論家の偏向的な批評などを鵜呑みにして、本演奏のような圧倒的な名演に接する機会すら放棄してしまうクラシック音楽ファンが少なからず存在すると想定されるのは大変残念なことであると言えるだろう。

カラヤンの個性が全面的に発揮されたブルックナーの交響曲第8番の演奏としては、1975年のスタジオ録音を掲げる者も多くいると思われる。

しかし来日公演盤は、実演でこそ真価を発揮するカラヤンならではの途轍もない生命力溢れる力感が随所に漲っているなど、音のドラマとしての根源的な迫力においてはかかるスタジオ録音を大きく凌駕している。

シンフォニックな充実度も満点で、終演後の熱狂ぶりが当時の日本の音楽ファンの真摯さとして伝わってくるのが嬉しい。

まさにカラヤン&ベルリン・フィルという稀代の黄金コンビによる全盛時代の演奏の凄さを大いに堪能させてくれる究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。

音質は、従来CD盤においても音響がイマイチとされる東京文化会館でのライヴ録音と思えないような生々しさであったが、待望のハイブリッドSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためて本全集の各演奏の凄さとSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な超名演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2022年03月20日


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クナッパーツブッシュのブルックナーとワーグナーは、まさに巨匠の真骨頂で、重厚で巨大な音楽づくりは誰にも真似のできない大芸術だ。

クナッパーツブッシュは残念ながら、ブルックナーの「第9」をスタジオ録音せずに鬼籍に入ってしまった。

それでもやはりブルックナー作品の奥の院である「第9」だけは、一度はクナッパーツブッシュで聴くべきだと信ずるひとりであり、今回、[CD3]のベルリン・フィルを指揮した1950年1月30日のライヴ録音によるターラ盤を聴くに及んで、それは筆者にとって、まさしく確信に近いものとなった。

実際、ブルックナーについて、何かを考え、また、何かを語ろうとする場合、この1950年1月30日のベルリン・フィルを振ったクナッパーツブッシュのブルックナー「第9」を聴いて、その演奏の凄さに波長が合わない人がいるとしたら、それはもう(ブルックナー・ファンとしての話だが)ダメなんじゃないか、とさえ思いたい位の演奏の巨大さである。

クナッパーツブッシュの指揮するブルックナーには、一見無造作で八方破れのような、開き直った演奏と思わせながら、改訂版の譜面の長所を完璧にわがものとした演奏は、細部まで鋭い目配りが届いていることを常に示している。

練習嫌いで、ぶっつけ本番に近いやり方によるオーケストラ全員の緊張感を演奏の上に反映させることを得意としたクナッパーツブッシュの指揮術は、ブルックナーの交響曲の壮大な造型に実に良くマッチしていた。

そして、ブルックナーの交響曲の演奏が進むにしたがって、クナッパーツブッシュという指揮者の心の内なる音楽感興が、曲想の振幅と共に高潮し、たちまち壮麗をきわめたビジョンの展開となって聴き手の魂を奮い立たせる時、それは圧倒的な姿となって現実化する。

クナッパーツブッシュのブルックナーやワーグナーに傾倒させられ、畏怖を感じるのは、まさにその時である。

この1950年1月30日のブルックナー「第9」がそれであり、クナッパーツブッシュの指揮のもと、ベルリン・フィルの精鋭たちも、このときこそとばかりに全員が奮い立ってブルックナーを奏でているのが聴きとれる。

繰り返すようだが、ハンス・クナッパーツブッシュとは、なんという巨大な指揮者だったのだろう、と思わずにはいられない。

そして、ブルックナーの「第9」だったら、一度は、この演奏を聴いてみなければなるまいと思うのである。

ブルックナーの交響曲とクナッパーツブッシュという指揮者の本質を知るために、である。

[CD6]は75歳のクナッパーツブッシュが北ドイツ放送響に客演した際のオール・ワーグナー・コンサートの貴重な記録である。

プログラムは《マイスタージンガー》第1幕と第3幕への前奏曲、ジークフリート牧歌、《トリスタンとイゾルデ》前奏曲と愛の死であった。

クナのワーグナー録音は、プライヴェート盤も含めて数々あるが、1963年3月24日の演奏はどれもじつにすばらしく、とくにこの《自己犠牲》は、クナの最高傑作のひとつと言い切れるほどの超名演である。

遅いテンポと暗い音色で曲が始まると、誰もがそのただならぬ雰囲気に圧倒されるに違いない。

若き日のルートヴィヒはソプラノの声域まで楽々とこなし、そのドラマティックで美しい声での渾身の感情移入はじつにみごとだが、オケも個々の楽器の存在を感じさせず、ひとつの有機体となってブリュンヒルデと絶妙にからむ。

ブリュンヒルデが薪の山に火をかけるところから、いよいよ猛火の中へ躍りこむまでの緊張感の高まりには凄まじいものがあるが、その後のオケのみの部分は、もはや神業である。

業火が燃え盛り、ライン河が氾濫するそのカタルシスの頂点は、とてもオーケストラの出す音とは思えない。

そして愛の救済の動機がなんと高貴にヴァイオリンで歌われ、さらに神々の城が崩壊していく場面で、ワルハラの動機がなんと雄大に奏されることだろう。

終わりに、ジークフリートの動機が最後の力を振り絞るように奏され、一瞬の間の後にふたたび万感のこもった愛の救済の動機で全曲が閉じられるとき、筆者はいつも目頭が熱くなってしまうのである。

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2022年03月19日


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ブルックナーの交響曲は版の問題も重要だが、それも指揮者の解釈の結果と考えれば、演奏に備わった説得力のほうがより大きな問題となる。

流動的フォルムの時代錯誤バレンボイム、ブロック的フォルムの朝比奈を両端として、ヴァントやここに採り上げるチェリビダッケの名演には使用楽譜の枠組みを超えた工夫があり、その他、シャルク版使用のクナッパーツブッシュの昔からギーレンの現在まで、指揮者の多様な作品観が構造表出にストレートに反映するさまが実に面白い。

使用楽譜や規模の問題を抱えながらも、その難度の高さが演奏家の意識を鼓舞するのか、これまでに数多くの名盤がつくられた幸運な作品、ブルックナーの交響曲第8番。

CDの発売点数もすでに60種を超え、各演奏の傾向、スタイルには相当な違いが認められる。

合計演奏時間60分を切るクーセヴィツキー盤(カット版)から、ほぼ100分かかるチェリビダッケ盤まで、視野狭搾的な偏狭鑑賞に陥らない限り、さまざまな解釈・主張がたっぷり楽しめる好条件が整ったソフト環境だ。

筆頭に採り上げるべきは、チェリビダッケがミュンヘン・フィルを指揮したもの。

DVDを含めればほかに少なくとも5種の異演盤があるが、内容は1994年盤が最高だ。

解釈に変化があるわけではないが、シュトゥットガルト放送響時代の動的な音楽が激しい身振りによってひきだされたものならば、ミュンヘン・フィルとの静的な音楽は着座しての冷静な指揮から生み出されたものだろう。

実際第3楽章アダージョにおける、地に足のついた見通しのよいフォルムのなかで、極度に純化された美音により各素材がそれぞれの役割を果たしてゆく光景は、形容の言葉もないほど美しい。

「美は餌にすぎない」とはチェリビダッケ自身の言葉だが、終楽章再現部第3主題部から結尾までの表現は、まさにそうした思惟の具現とも呼ぶべきものである。

遅いテンポと張りつめた緊迫感、拡大されたデュナーミクがもたらす異様なクライマックスには、戦慄を覚えるほどの「畏怖」の気配が確かにある。

もちろん、それはブルックナーの音楽に本来存在するものなのだろうが、チェリビダッケ以外の演奏からは、ついぞ聴いたことのない響きの表情・気配であることもまた事実(クレンペラーに至っては、再現部第3主題部をカットしてしまっている)。

改めて「観照と形象」ということについて、考えさせられる偉大な演奏だ。

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2022年01月21日


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Profilレーベルのヴァントの名盤がSACDハイブリッド化された。

Altusレーベルがライセンスし、このハイブリッド盤のための最新リマスタリングを施して製品化した。

シューベルトとブルックナー、ふたつの未完成交響曲を1日で演奏した1993年のライヴをそのまま収録しており、両曲共にヴァントの得意とした作品なので大変に聴きごたえがある。

先ず録音状態だが、1993年のライヴとしてはかなり良い状態でレコーディングされている。

ライヴといっても殆どセッションと変わらないくらい聴衆からのノイズは抑えられている。

従来のレギュラー・フォーマット盤では高音の角が取れて、やや丸みを帯びて聞こえ、音像も平面的に広がる傾向がある。

しかしマスターの状態が良好なので、特に高音質に拘るオーディオ・ファンでなければ充分高度な鑑賞にも堪えられる。

とはいえ聴き比べるとやはり高音の鮮烈な再生と音像の立体感、そして音量を上げても破綻がない点ではSACD盤が優っている。

シューベルトの『未完成』は精緻なアプローチがヴァントの身上だろう。

それだけに演奏に独特の品格があり、高貴な雰囲気を醸し出している。

弦楽とブラス・セクションのバランスが絶妙で、あらゆる意味での逸脱を避けた境地が窺えるが、豊かな歌心が横溢していて物足りなさは全く感じられない。

これはヴァントのひとつの至芸だろう。

恐ろしい低音が聴き手を一気に音楽へ引きずり込む第2楽章の楽器バランスの美しさもヴァントの独壇場だ。

一方ブルックナーの第9番はオーケストラから壮麗なサウンドを引き出し、ブラス・セクションには殆ど限界まで咆哮させる大技を繰り出しているが、ヴァントならではの統率があくまでも緻密な音楽表現の中に収めているのは流石だ。

完璧に整っていながらも熾烈・強烈な音響で、圧倒的な完成度でもって至高の音の大伽藍を築き上げている。

1980年代から90年代初頭にかけて客演したベルリン・ドイツ交響楽団とのライヴ録音には、ヴァントの解釈がとりわけ鮮烈に現れているといっていいだろう。

ヴァントの演奏解釈の本質は、一つひとつのパーツが全体を構成するための入念な設計にある。

テンポは速めで、決して流れを停滞させることなく、圧倒的な構成美を作り出す。

ベトついた感情表現などは無縁で、透き通るようなクリアさ、辛口の味わいが魅力だ。

こういった方向性に、ベルリン・ドイツ交響楽団はじつにフレキシブルに、過剰なまでの反応の良さで応えている。

異様なまでに密集度の高いサウンドだが、同時に適切なバランスで組み立てられている。

そこで生み出されるのは、驚異的といっていい立体感だ。

ヴァントは晩年になって、ようやく世界の楽壇から注目されるようになったが、このシューベルトとブルックナーも彼の長いキャリアの頂点を示した演奏のひとつだろう。

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2021年11月10日


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ブロムシュテットと手兵シュターツカペレ・ドレスデンとの1980年代の共演で、彼らはこれまで第4番『ロマンティック』及び第7番のみを録音している。

このディスクの第7番は、おそらくブルックナーの交響曲全集へ発展させる予定でレコーディングを開始した第1弾で、1980年にドレスデンのルカ教会で収録されている。

広い空間に進展する音響が残響に至るまで精緻に採音されていて、ブルックナーの巨大なスケール感も良く捉えられている。

当時まだ爆撃で破壊されたドレスデンの都市復元が続いていた頃で、録音会場としては殆ど唯一の場所だったに違いない。

東側でもPCMディジタル録音が普及しつつあった時代の音源としては極めて良好で、虚飾のない精妙なサウンドが再生される。

ブロムシュテットがブルックナーの作曲時に描こうとした音楽的構想を、できるだけ忠実に再現しようとしたことはほぼ間違いないだろう。

作曲家自身の決定的なスコアが存在しない限り、最もシンプルに校訂された版を参考にすることは解釈の上での重要な解決策だが、ブロムシュテットがハース版を採用していることからも、そうした傾向は明らかだ。

しかし彼らの演奏から醸し出される音楽は決して地味なものではなく、光彩を放つような豊饒な音色の変化と生命力にあふれた推進力が堂々たる貫録を感じさせる。

気迫のこもった渾身の名演を聴かせ、オーケストラの洗練されたアンサンブルを御して、ブロムシュテットは彫りの深い、宗教的とも言える瞑想的な表現で迫る。

この指揮者は従来淡泊な表現に特色があったら、ここではまるで別人のような燃焼を示しているのである。

彼もハース版を用いながら、ノヴァーク版の打楽器を盛大にならしている。

だが単なる楽天主義というか、極楽トンボではなく、ドラマティックな効果を発揮しているのである。

これはブロムシュテットの数多い録音の中でも、特筆される名演奏と言えると思う。

彼らのコラボによる交響曲全集が頓挫した理由は知る由もないが、ブルックナー・ファンにとっては第4番と共にコレクションに加えたい1枚だ。

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2021年06月14日


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全体を通して端正な中にも豊かな共感をもった演奏であり、亡き指揮者ヨッフムの注目すべき遺産である。

周知のようにヨッフムは2度にわたってブルックナー交響曲全集を完成しており、生涯ブルックナーに打ち込み、20世紀のブルックナー演奏の正統派を担う存在だった。

しかしこの指揮者は、これはブルックナーに限らず全般にいえることだが、スタジオ録音となるとまとめへの指向がまさって、音楽の内的動態性が弱まる傾向があったことも確かだ。

CD6枚組集成として復刻されたコンセルトヘボウ管弦楽団とのこのライヴは、そうした弱点がないばかりか、音楽が内的な力に満ちて確固たる有機体をつくり、ひとつの完成されたブルックナー世界を見事につくり出している。

驚くほど円熟した音楽で、ヨッフムのブルックナー芸術の真髄が見事に表出されている。

静かな深みを湛えた音楽は強く心に染み込むもので、ヨッフムの若い時代からのブルックナーへの愛情、そして人生への観照、さらに神への祈りに通じる想念までが示されている。

作曲家独自の生成と高潮とが交替する作品の構成を、 いっそう純化し、明確化して、曲に見通しのよさを与え、 オケもまさにアンサンブルの極致ともいえる演奏を展開し、この作曲家と作品への豊かな共感を溢れんばかりに表現している。

ヨッフムはコンセルトヘボウと縁が深く、完全に気心が知れた者同士の息の合った演奏になっているのがよく伝わってきた。

このオーケストラ特有の美しい響きに満たされ展開される理想的なブルックナーで、味わいと迫力が見事に融合した、今や失われた美しいブルックナー演奏が甦っている。

強固ながらも威圧的にならない開放的な造形と音の広がり、「オルガン的な響き」のブルックナーはここに極まった感がある。

第5番は有名なフィリップス盤と比べ、ヨッフム翁最晩年の記録だけあってよりスケール感があり、ターラ・レーベルの中でも特に愛された名盤であった。

第6番はコンセルトヘボウ管も自薦の名演で、第2楽章など無類の味がある。

第7番は1970年の録音で晩年の東京ライヴとは別もの、力強さと雄渾さが素晴らしい。

第4番は語り口のうまさにぐいぐいと引き込まれる。

第8番も第3楽章における柔らかで透明な明るさを湛えた美しさはヨッフムのブルックナーの到達点にも思えるし、フィナーレの圧倒的なコーダが忘れがたい見事な大演奏。

どの曲も今回新たにリマスタリングを施し、放送録音ということを考えても優秀な音質であり、愛蔵盤として永くお聴き頂けるセットとなろう。

解説書も充実、ヨッフム翁の有名な論文「ブルックナーの交響曲の解釈のために」を新訳(河原融氏訳)で収録している。

この論文はヨッフムがブルックナーについてわかりやすく語ったもので、曲の頂点はどこか?といった議論から第5番の金管増強の件に関する考察など、ブルックナーを聴く上で興味深く参考になる話題が満載である。

これまで不十分な訳でしか読めなかった文章でもあり、細かな注釈まで完備したこの新訳は大変貴重なものと言える。

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2020年09月06日


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オイゲン・ヨッフムは1958年から67年にかけて第1回目のブルックナー交響曲全集をベルリン・フィル及びバイエルン放送交響楽団と共に完成させた。

そして彼が73歳になった時、当時はまだ旧東ドイツのオーケストラだったシュターツカペレ・ドレスデンを振って全曲再録音を行った。

完成にはほぼ5年間を要したがヨッフム晩年の真摯なスタイルと相俟って、比較的自由に解き放たれたテンポ感と時として強烈なサウンド造りがシュターツカペレ・ドレスデン特有の響きを最大限に引き出している。

彼らの持ち味は派手さを嫌ったかのような音色と、頑固とも言えるアンサンブルの集中力に良く表れている。

また特に『ロマンティック』以降では主席ホルン奏者だったペーター・ダムの存在感が決定的に反映されているのも興味深い。

ちなみにヨッフムは同交響曲選集をコンセルトヘボウとのライヴでも録音している。

第5番はフィリップスから、第4番から第8番までの5曲はターラ・レーベルからそれぞれリリースされている。

録音会場はドレスデン郊外のルカ教会で、大戦末期のドレスデン無差別爆撃で大破したが戦後レコーディング・スタジオとして大修復され、現在でも彼らの練習及び録音会場になっている。

ドレスデンには近年オーケストラル・ワーク専用のモダンなコンサート・ホールが完成したが、こちらは主にドレスデン・フィルの本拠地として使われているようだ。

しかし天井の高い豊かな音響空間を持つルカ教会は、これでもかと分厚く音が構築されていくようなブルックナーの作品には濁りのない豊饒なサウンドを提供してくれる。

このセットでの音質も当時のEMIの録音としては上出来だろう。

新規のリマスタリングを期待していたが、バジェット盤の宿命で、前回のリマスタリングと焼き直しのライナーノーツだったのが残念だ。

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2020年06月29日


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ブルーレイ・オーディオとしての音質改善への期待が大き過ぎたためか、思ったほどではなかった。

デッカの音源自体に劣化が生じているのかも知れない。

確かに全体の音像も細密画的になり解像度も向上しているが、ウィーン・フィルのおおらかな空気感が少しばかり後退して、例えばオーボエの音色がやや鋭く痩せたように聴こえる。

マスターの保存状態やその消耗によっても変わってしまうだろうが、最近聴き込んでいる同時代のスプラフォン音源の方が優っているものが多い。

演奏内容については既に過去に投稿した名演なので今更云々しないことにする。

尚このディスクでは同音源の3種類のリマスタリングを聴き比べることが可能だが、それらの中での大差は感じられなかった。

このディスクの場合これまでSACDを始めとするさまざまなバージョンでリリースされてきた。

今回は粗製乱造とまでは言わないがブルーレイ・オーディオ化する場合先ず音源の吟味は必須だろう。

LP盤やレギュラー・フォーマットのCDと大差ない音質しか確保できないのであれば、改めてブルーレイでリニューアルする必然性はない。

廉価盤にしたのはそうした理由かも知れない。

理想的には最初からDSD録音された専用の音源から制作することが求められるので、このブルックナーのような歴史的名演は音質の改善という点に関しては当たり外れがあることも念頭に置かなければならないだろう。

1973年11月にウィーン・ゾフィエンザールで行われたセッション録音で、大編成のオーケストラの収容能力には限界があるムジークフェラインに代わって、デッカがその録音に頻繁に使ったプールの上に板を渡した仮設舞台でしかないが、音響空間が広いためか意外にもブルックナーなどの豊麗なサウンドを拾わなければならないレコーディングには向いていた。

このために全楽器が鳴り響くクライマックスではひとつの音塊になることが避けられて音の進展も良好だ。

また二手に分かれたブラス・セクションも力技ではなく、あくまでも音楽の推進力が伝わってくる録音であることも確かだ。

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2020年06月21日


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2013年ドイツ・グラモフォンからリリースされたウィーン・フィル・エディション50枚組を上回る65枚組セット。

録音年代もデッカがウィーン・フィルと契約した直後の1951年から96年にかけての、どちらかというと歴史的名録音が多いのも特徴だ。

音質的にはむしろグラモフォンに優るデッカが誇った高音質がセールス・ポイントで、居並ぶ名指揮者の下で最も彼ららしい演奏とそのサウンドを堪能できる。

交響曲や大規模な管弦楽曲に関しては既に名盤の誉れに輝くものばかりだが、中でもブルックナーは第1番(1866年リンツ稿)アバド、第2番(1872年ハース版)及び第6番ホルスト・シュタイン、第3番(1889年ノヴァーク版)と第4番ベーム、第5番(ノヴァーク版)マゼール、第7番、第8番(1890年ノヴァーク版)ショルティ、第9番メータという壮観な顔ぶれだ。

現在手に入りにくくなった音源としてはCD6のモーツァルト協奏曲集が貴重だ。

1962年のセッションだが若き日のアルフレート・プリンツによるクラリネット協奏曲及びヴェルナー・トリップのフルートとフーベルト・イェリネクのハープでのフルートとハープのための協奏曲は、ウィーンの奏者でなければ出せない情緒と感性に満たされている。

彼らは後にベームとも再録音しているが、このミュンヒンガーとの協演もその精緻さと柔軟性に若々しさが加わって捨て難い魅力を持っている。

またウィーン・フィルの独壇場になるJ・シュトラウスの演奏はCD45からの一連のいわゆる軽音楽に注目すべきものがある。

クレメンス・クラウス指揮の『ニュー・イヤー・コンサート』は1951年のモノラル録音だが、ポルタメントをかけた弦楽器特有の歌心やワルツの二拍目を先取りする独特のリズム感は、現在であればあざとい奏法になってしまうところをごく自然に、さりげなくやりのけている。

それは彼らが伝統的に体得している感性に他ならないからだろう。

続くウィリー・ボスコフスキーの軽快でいくらか享楽的なウィーン趣味の演奏もひとつの典型だ。

彼らがベルリン・フィルやコンセルトヘボウと決定的に異なるところは、ウィーン・フィルがオペラの上演団体から成り立っていることで、シーズン中はシュターツオーパーのオーケストラ・ピットに入るのが本業なので、楽員であれば否応なく歌に合わせバレエに親しむことが要求される。

これが彼ら独自の音楽観を形成させているひとつの要因に違いない。

更にウィンナー・ホルンに代表されるような古いスタイルの楽器へのこだわりが相俟ってその演奏と音色に反映されていることは確実だ。

ライナー・ノーツの後半に日本語全訳が付けられているのも親切な配慮だ。

尤も日本人のウィーン・フィル・ファンをターゲットにした商法なのかもしれないのだが。

これは読み物としても面白いが、特にポール・モズリーとレイモンド・マッギルによるエッセイにこのセットの聴きどころ総てと指揮者達についての短いコメントが書かれている。

これを読むとウィーン・フィルの体質が良くも悪くも保守的であったことが理解できる。

ごく近年まで女性プレイヤーの入団を受け入れなかったのもそのひとつだし、彼らは新しい作品には常に懐疑的で、自分達より音楽を知らない(と彼らが思う)若い指揮者の登用には難渋を示したとある。

指揮者とオケの対立や録音時間捻出の問題で、デッカのプロデューサーと技術チームがたびたび振り回されたというのも無理のないことだろうが、一方でその頑固さが彼ら独自の音楽とトーンを保ってきた理由なのかも知れない。

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2020年05月14日


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ブルックナーの交響曲は版の問題も重要だが、それも指揮者の解釈の結果と考えれば、演奏に備わった説得力のほうがより大きな問題となる。

流動的フォルムの時代錯誤バレンボイム、ブロック的フォルムの朝比奈を両端として、ヴァントやここに採り上げるチェリビダッケの名演には使用楽譜の枠組みを超えた工夫があり、その他、シャルク版使用のクナッパーツブッシュの昔からギーレンの現在まで、指揮者の多様な作品観が構造表出にストレートに反映するさまが実に面白い。

使用楽譜や規模の問題を抱えながらも、その難度の高さが演奏家の意識を鼓舞するのか、これまでに数多くの名盤がつくられた幸運な作品、ブルックナーの交響曲第8番。

CDの発売点数もすでに60種を超え、各演奏の傾向、スタイルには相当な違いが認められる。

合計演奏時間60分を切るクーセヴィツキー盤(カット版)から、ほぼ100分かかるチェリビダッケ盤まで、視野狭搾的な偏狭鑑賞に陥らない限り、さまざまな解釈・主張がたっぷり楽しめる好条件が整ったソフト環境だ。

筆頭に採り上げるべきは、チェリビダッケがミュンヘン・フィルを指揮したもの。

DVDを含めればほかに少なくとも5種の異演盤があるが、内容は1994年盤が最高だ。

解釈に変化があるわけではないが、シュトゥットガルト放送響時代の動的な音楽が激しい身振りによってひきだされたものならば、ミュンヘン・フィルとの静的な音楽は着座しての冷静な指揮から生み出されたものだろう。

実際第3楽章アダージョにおける、地に足のついた見通しのよいフォルムのなかで、極度に純化された美音により各素材がそれぞれの役割を果たしてゆく光景は、形容の言葉もないほど美しい。

「美は餌にすぎない」とはチェリビダッケ自身の言葉だが、終楽章再現部第3主題部から結尾までの表現は、まさにそうした思惟の具現とも呼ぶべきものである。

遅いテンポと張りつめた緊迫感、拡大されたデュナーミクがもたらす異様なクライマックスには、戦慄を覚えるほどの「畏怖」の気配が確かにある。

もちろん、それはブルックナーの音楽に本来存在するものなのだろうが、チェリビダッケ以外の演奏からは、ついぞ聴いたことのない響きの表情・気配であることもまた事実(クレンペラーに至っては、再現部第3主題部をカットしてしまっている)。

改めて「観照と形象」ということについて、考えさせられる偉大な演奏だ。

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2019年08月19日


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ザルツブルクに生まれザルツブルク近郊に亡くなったカラヤン(1908-89)は晩年になるにつれ、ブルックナーに接近した。

1970年代半ばから80年代初めにはベルリン・フィルと交響曲全集を完成させたが、80年代の最後には再び、しかし今度はウィーン・フィルとの演奏会でブルックナーの《第7番》《第8番》を採り上げた。

そしてこの《第7番》を1989年4月にムジークフェラインで指揮しているが、それはカラヤンの死のわずか3か月前のことだし、結果的にカラヤン最後の指揮姿となったものである。

この4月というのは因縁深く、1955年以来率いてきたベルリン・フィルの終身指揮者のポストを決して円満とは言えない形で辞任しているし、健康状態にも深い翳りがさしてきていた時期にあたる。

最後の曲目がブルックナーの大作になったことはこの“苦渋に満ちた”巨匠の胸の内を考えると複雑である。

だが、最後の指揮だからといってカラヤンは決して穏やかな好々爺のようなマエストロなどには微塵もなっていない。

いやむしろ精神的な高みへの志向がより明確になり、怖ろしいほどの統率力でウィーン・フィルを牽引、彼方の頂への崇高な旅を続けている。

ウィーン・フィルの美音に甘えるのでもなく、またブルックナーの深い絨毯に憩うのでもない、あくまでも指揮者としての作品を冷徹に見据え、そのあるべき姿に肉薄していった壮絶なるブルックナーの世界を打ち立てている。

そんな尋常ではない気迫に満ちたカラヤンを前にしてウィーン・フィルは襟を正して演奏に専念、“心の王国”を守る石垣となっている。

“心の王国”と言えば、ブルックナーを聴いている人はずるい、と思っていた時期がある。

ベートーヴェンにもモーツァルトにもない世界がブルックナーにあるのはいいが、同じ感動でもブルックナーのそれは、聴き手が心の中に王国を作ってしまう喜びがあると知ったからである。

ブルックナーを聴いていると気持ちが穏やかになり、雄大なる自然との一体感に包まれるが、それはやがて不思議な高揚感とも征服感ともいうべき満足感へと変わり、いつしか心の中に王国を持ったかのような気分になってしまうからである。

この一人天下とでも完全孤独とでも言える感覚はベートーヴェンからもモーツァルトからも与えられない類のものであり、極端に言えばあとは何もいらない、そんな気分にしてしまう力を持つ。

ちょっと怖いが、ブルックナーにはそんな喜びと怖さが同居している。

指揮者には年齢を重ねるにつれ、ブルックナーに接近していく生き方と、そうではない生き方があるようだが、孤独を代償にできなければブルックナー指揮者にはなれないのかもしれない。

カラヤンは広大なレパートリーを誇ったが、最後の指揮が同郷のブルックナーだったのは象徴的だ。

ムーティをして「神の声を聴く」と言わしめたとされる演奏であり、それは同時に20世紀後半の楽壇をリードしてきた帝王カラヤンの栄光と孤独とが凝縮された名演と言うことになろう。

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2018年11月16日


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残念ながらこのセットも既に製造中止の憂き目に遭っていて、現在ではプレミアム価格を覚悟しなければならない。

ただし全曲集と言っても9セットの個別売りされているSACDをごくシンプルなカートン・ボックスに収納しただけのもので、ライナー・ノーツはそれぞれのディスクに付いているのでばら売りで購入するのと殆んど変わりはない。

むしろ後者の方がまだ正規価格で入手可能だろう。

また欧文に比べると半分以下の1ページ弱だが日本語による解説も掲載されている。

音質は極めて良好で、SACDの本領を発揮した高音の伸びに無理がなく、また低音部も誇張された印象はなく全体的なバランスも取れている。

録音会場は総てライプツィヒ・ゲヴァントハウスのグローサー・ザールで、彼らの伝統になるヴァイオリン両翼配置のオーケストラや決して華美になることのない特有の音色による深みのあるサウンドも鮮やかに再生される。

そしてそれらがブレンドされる広い音響空間と潤沢な残響もブルックナーには相応しい録音環境と言える。

全曲ライヴ音源だが観客席からの雑音は最低限に抑えられていて、終楽章終了後もしばし沈黙の時があって、その後に拍手が始まる。

これは事前に聴衆に協力が求められていたのだろう。

ブロムシュテットの指揮者としての活動の中でもシュターツカペレ・ドレスデン及びゲヴァントハウスとの2種類のベートーヴェン全集と並ぶ大事業がこのブルックナーの交響曲全集の録音だったとも言える。

彼はこのシリーズを始める前に、やはりかつての手兵シュターツカペレ・ドレスデンを振った第4番及び第7番を1980年と81年にそれぞれ録音しているが、何故かその後同企画は頓挫してしまった。

90歳を迎えた現在の彼が更にこれから大掛かりな企画に挑戦することは殆んど望めないので、これがブロムシュテット唯一のブルックナー全集になる筈だ。

第8番だけが2枚組で、都合10枚のハイブリッド仕様のSACDになり、2005年7月から2012年3月まで7年がかりで収録されている。

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2018年10月04日


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クルト・ザンデルリンク(1912-2011)は、晩年ヨーロッパの名門オーケストラだけでなく、中堅を支えるいくつかの実力派の楽団にも頻繁に客演したが、シュトゥットガルト放送交響楽団とも質の高い演奏を遺してくれた。

そのひとつが1999年12月に地元リーダーハレで行われたこのディジタル・ライヴになる。

演奏終了後の歓声と拍手の他には幸い客席からの雑音は殆んどなく、またブルックナーには不可欠なホールの潤沢な残響や空気感にも不足しない良好な録音状態にも好感が持てるし、CDの音質や臨場感も極めて良好だ。

独SWRの制作によるディスクのリニューアル盤で、ジャケットの写真を一新して今年再販された。

当時の西側に彼の名が知られたのが遅かったためか、大手メーカーからザンデルリンクにブルックナーの交響曲の全曲録音の企画は持ち込まれなかった。

この他にはベルリン放送交響楽団、コンセルトヘボウ、BBCノーザン、ゲヴァントハウスそれぞれとの第3番とバイエルン放送交響楽団との第4番『ロマンティック』などがレパートリーとして挙げられる程度だ。

いずれも彼の大曲に対する知的なアプローチが作品の構成を堅固に聴かせるだけでなく、同時にライヴならではの白熱した雰囲気も伝わってくる。

この晩年の第7番は、優しく、時に力強いザンデルリンクの良さが十二分に発揮された名演中の名演である。

ザンデルリンクならではの慈愛に満ちたブルックナーで、いつものように丁寧に1つ1つの音を作り上げていくが、そういう音楽に対して謙虚な姿勢が感じられる一方で、音は確固たる自信にあふれている。

とりわけ第2楽章は、人間の奥底にある穏やかな感情を静かに描いているように感じられる。

かつての日本盤解説では「何があってもびくともしない」と評されていたがその通りで、その安定感が聴き手に対し、大樹に寄り添うような安心感を与えてくれるのだろう。

2012年に統廃合が行われた結果、現在では南西ドイツ放送交響楽団の名称で呼ばれているシュトゥットガルト放送交響楽団だが、確かにオーケストラとしての完成度から言えば彼らを上回る楽団は少なくないだろう。

しかしこのブルックナーではザンデルリンクの悠揚迫らざるテンポの中に、幅広いダイナミズムを巧みにコントロールした采配に呼応する、高度な合奏力を持ったオーケストラであることが証明されている。

むしろ超一流のオーケストラではそれほど顧みられない作曲家の朴訥とした作風を滲み出させているところも秀逸で、こうした表現に関してはドイツの地方オーケストラがかえってその実力を示しているのは皮肉だ。

例えば第2楽章後半の壮麗なクライマックスを聴いていると、ノヴァーク版のシンバルが如何にあざとく煩わしいものかが理解できる。

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2018年09月10日


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オイゲン・ヨッフム(1902-1987)がドイツ・グラモフォンに録音した総ての音源を集大成する企画で、この第1集はオーケストラル・ワークスの42枚組になり、第2集にはオペラ、声楽曲等が組み込まれることになるようだ。

ヨッフムは質実剛健で堅実な指揮をした典型的なドイツの巨匠で、作品に対する徹底した楽理的な分析に裏付けられた飾り気のない実直な再現を信条としていた。

彼のスタイルはドイツ的とよく称されるが、それは、中央ヨーロッパの、落ち着いた色合いの響きから、奥行きの深い、しかし溶け合ったサウンドを引き出し、ここぞという所では勇壮な迫力を導いたことを表している。

一方でヨッフムはオーケストラのインストラクターとしての実力も高く評価されている。

何故なら彼はヨーロッパの幾つかの楽団、例えばバイエルン放送響、コンセルトヘボウ、バンベルクなどの窮状を救った功績が広く認められているからだ。

揺るぎない基礎から積み上げていく堅牢な音響は特にブルックナー、ブラームス、ベートーヴェン、ハイドンの交響曲に顕著で、細部までぶれのないまとめ方をするが、むやみにスケールを強調して作品を誇大に見せたり、聞こえよがしの演出的効果などは嫌っていた。

このセットでもほぼ半数のCDがこれらの作曲家の交響曲で占められており、この指揮者の手腕が発揮された、当時の最も良質な音楽芸術が記録されたものだと考えられる。

ヨッフムの多くの功績の中でも特筆すべきはブルックナー作品の啓発で、自身も国際ブルックナー協会の会長を務めながら、世界各地で多くのオーケストラを振って、その交響曲を演奏した。

彼の指揮スタイル全般に言えることだが、テンポの揺らしが大きいロマン的でスケールの大きい表現が特徴で、おそらくフルトヴェングラーの影響があったのだろう。

当時のベルリン・フィルにも、そのような表現方法が染みついていたのではないだろうか。

それにしても、当時あまり取り上げられる機会の少なかったブルックナーの第1、第2、第6交響曲といった渋い作品にも、強い共鳴と共感から、実に情熱的で美しい演奏が繰り広げられている点は、見逃せない当全集の価値だろう。

ブルックナーに関して言えば、後年の深いアダージョの表現などは、EMIのシュターツカペレ・ドレスデンとの録音に更なる深みを感じさせるところもあるが、全体的な前進性、野趣性、それらを踏まえたドイツ音楽らしい雄渾な迫力に満ちている点で、この旧全集は見事なものだと思う。

そういった意味で、今尚聴き劣りのしない、現役の名演として、指折るべき全集として、このブルックナーは記録以上の価値を有している。

また、ベートーヴェンの全集については、長らく入手が困難だったもので、当企画による復刻は歓迎される。

モノラル録音を含むが、第9番などを聴くと、モノラル末期の録音品質がここまで向上していたのだと改めて気づかされるほどの内容だ。

尚最後のベートーヴェンの2曲のピアノ協奏曲は、ベームの死によって完成されなかったポリーニ、ウィーン・フィルとの全集を補填したものになる。

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2018年05月15日


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名匠ブロムシュテット、シュターツカペレ・ドレスデンのコンビによる馥郁たる魅力にあふれたブルックナーの交響曲はこの第4番『ロマンティック』と第7番の2曲しか残されていない。

少なくともセッション録音については他に見当たらないし、現在90歳というブロムシュテットの年齢を考慮すれば、今後同メンバーによる他の交響曲を追加することは殆んど期待できないが、いずれも名演の名に恥じない演奏だ。

ブルックナーの大規模な交響曲の中でもそれほど複雑な構成を持たず、また第2楽章のように美しいメロディーや終楽章での壮大なクライマックスの聴きどころも周到に準備されていることから入門者のファースト・チョイスとしてもお薦めできる。

このディスクはUHQCDで従来盤よりいくらか高いが、音質に関しては明らかに改善されている。

特にブルックナーのオーケストレーションのように総奏部分で分厚く和声を重ねる書法では、どうしても再生時の解像度の高さが不可欠だが、幸いこのリニューアル・バージョンでは楽器ごとの分離状態もクリアーで充分満足のいくものに仕上がっている。

レギュラー・フォーマットのCDでもまだ音質改善の余地があることを示したシリーズで、今後リリースされる曲目にも注目したい。

演奏内容については、今更云々するまでもなく評価の高いディスクだが、ブロムシュテットのバランスのとれたしかもスケールの大きい表現力には改めて敬服させられる。

冒頭のいわゆるブルックナーの霧の中に現れるホルンは首席奏者だったペーター・ダムのソロと思われるが、惚れ惚れするような弱音のカンタービレが絶妙な導入部を形成している。

第2楽章ではヴァイオリン・パートの飾り気のない鄙びたカンタービレが朴訥でシンプルなブルックナー像を暗示していて興味深い。

大編成のオーケストラが決してグロテスクな鈍重さに陥らず、繊細でありながら緊張感を失うことなく力強く輝かしい音響を創り上げるシュターツカペレ・ドレスデンの鍛え抜かれた演奏テクニックと団員の結束も超一流だ。

1981年にドレスデン・ルカ教会で録音されている。

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2018年04月03日


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ブロムシュテット、ゲヴァントハウスによるブルックナー交響曲全集のプロジェクトは2012年に完成され、日本では9曲の交響曲が9枚のSACDセットに纏められたが、何故か既に製造中止の憂き目に遭っていてばら売りでも入手困難な状態だ。

一方こちらは彼のもうひとつの手兵、シュターツカペレ・ドレスデンとの1980年代の共演で、このコンビではこれまで第4番及び第7番のみが録音されている。

幸いこの2曲は現行のレギュラー・フォーマット盤でも手に入るが、昨年両曲ともUHQCDとしてリニューアルされた。

第7番ホ長調はおそらく全曲集へ発展させるつもりで開始した第一弾で、1980年にドレスデンのルカ教会で収録されている。

広い空間に進展する音響が良く捉えられていてブルックナーの巨大なスケール感にも不足していない。

当時まだ爆撃で破壊された都市の復元が続いていたドレスデンでは録音会場として相応しい唯一の場所だったようだ。

東側でもPCMディジタル録音が普及しつつあった頃の音源としては極めて良好で、彼ら特有の虚飾のない精妙なサウンドが一層鮮明に再生される。

ブロムシュテットのドイツ王道をゆく誠実な指揮により、第7番の雄大で美しい響きが理想的に再現されていて、熟成の極みともいえるドレスデン・サウンドとの組み合わせがその魅力を最大に高めている。

ここではブロムシュテットがブルックナーの作曲時に描こうとした音楽的構想にできるだけ忠実な演奏を試みたことは間違いないだろう。

作曲家自身の決定的なスコアというものが存在しない限り、最もシンプルに校訂された版を参考にすることは解釈の上での重要な解決策の筈だが、彼がハース版を採用していることからもそうした傾向が明らかだ。

ただし彼らの演奏から醸し出される音楽は決して地味一辺倒なものではなく、光彩を放つような豊穣な音色の変化と生命力に溢れた推進力があってまったく脆弱さを感じさせない。

シュターツカペレ・ドレスデンとのブルックナー全集が頓挫した理由は分からないが、ブロムシュテットの現在の年齢を考えれば彼らが再び採り上げることに殆んど期待は持てない。

しかしブルックナー・ファンにとっては第4番と共に是非コレクションに加えておきたい名演のひとつであることは確かだ。

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2018年03月16日


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1970年にプラハで録音されたこの音源は、ロヴロ・フォン・マタチッチによって力強く彫琢された表現とチェコ・フィルハーモニー管弦楽団が底力をみせた名演として既に高い評価を受けていたので、今回UHQCDとしてリイシューされたことを評価したい。

スプラフォン原盤の音質は極めて良好だが、15年前のCDに比べると一皮剥けたような印象がある。

金管楽器のアンサンブルの響きにも潤いと艶が出ているし、チェコ・フィル特有の弦楽の瑞々しさも一際冴えて感じられる。

これまでに行われたレギュラー・フォーマットでのさまざまなCDの音質改善の試み、例えばSHM-CDやHQCD或いはルビジウム・カッティングなどの中では、XRCDとこのUHQCDが最も際立った変化が感知されるリニューアルのシステムである。

勿論1ランク上のSACDと同様で原音自体の質やその保存状態が悪ければ音質改善にも多くは望めないので、マスターの状態に基く選曲にも注意が払われていると思われる。

ハイレゾ時代を迎えた現在、通常のCDでもリマスタリングとマテリアルの改革で、未だ音質改善の余地が残されているということだろう。

リーズナブルな価格でこうした名演を良好な音質で鑑賞できることはメディアを選ぶ際の有力な選択肢と言える。

ブルックナーの交響曲第5番は対位法への回帰とその試みが特徴的で、彼の教会オルガニストとしてのキャリアを反映している。

第4楽章に置かれたフーガはさながらベートーヴェンの大フーガ変ロ長調のように展開するが、後半でマタチッチはチェコ・フィルの練達のアンサンブルを駆使して、音楽の流れを全く遮ることなく弦楽部に対するふたつのブラス・セクションをそそり立つ彫刻のように立体的に響かせている。

問題があるとすれば、終楽章でマタチッチはシャルクが削除、加筆訂正した版を採用していることで、その後のよりシンプルなオーケストレーション版で演奏することが一般的な傾向にある現在では、クライマックスで響き渡るシンバルやトライアングルのトレモロがあざとく聞こえてしまう。

ブルックナーの自己のスコアへの意思が決定的に示されていない以上、当時としては充分に通用した過渡的な解釈のひとつだろうが、マタチッチ自身晩年のRAIミラノとの演奏ではハース版に準じた演奏に戻っている。

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2018年01月05日


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プラガ・ディジタルスから続々とリリースされているフルトヴェングラーのハイブリッドSACDも既に12枚になるが、同ディスクは2枚組でウィーン・フィルとの1944年及びベルリン・フィルとの1949年録音のブルックナーの交響曲第8番をそれぞれ1枚ずつに収録している。

彼の指揮した同曲は4種類の音源が知られていて、ウィーン・フィルを振った1954年4月10日のライヴが最後になるが、このセットの2枚はどちらも放送用録音で、レコーディング状態が安定していて幸い煩わしい客席からの雑音からも解放されている。

フルトヴェングラーの場合はリマスタリングによってどれだけ音質が改善されるかが鑑賞時のひとつのポイントになる。

戦前から戦後にかけての1940年代の録音なので音質に関しては期待していなかったが、比較鑑賞するためにはそれほど苦にならない程度のサウンドが再生されるのは思わぬ収穫だった。

特に後者は擬似ステレオながら、リマスタリング効果もあってかなり鮮明な楽器の音色が甦って、ある程度の奥行きを伴った臨場感にも不足していない。

ただ双方に共通する弱点は総奏部分になると再生しきれない箇所があることだが、それは音源自体に由来するもので改善の余地は期待できないだろう。

両セッション共に1939年のハース版をもとにフルトヴェングラー自身が手を加えたスコアが使用されていて、作品への大きな解釈の変更はない。

演奏時間もトータルでウィーン・フィルが77分04秒、ベルリン・フィルが76分55秒で大差はないが、若干楽章ごとの揺れがあり第3楽章ではウィーン・フィルの方がやや遅く、全体的なトーンも落ち着いている。

フルトヴェングラーのブルックナーは個性的でスケールの大きい表現だが、あまりにもロマン的で、ブルックナーの素朴さよりもフルトヴェングラーの音楽を聴く感が強い。

それでもこの指揮者の芸術的ルーツが、ブルックナーと同じところにあることを理解できる自然体の表現であり、そこに演奏の魅力もあるのである。

ウィーン・フィルとの演奏はフルトヴェングラーが若々しい気迫に満ちた音楽を聴かせ、アゴーギクとデュナーミクを巧みに融合させた効果はまさに名人芸と言わねばなるまい。

ベルリン・フィルの方はよりパワフルで唸りを上げて迫り来る怒涛のような勢いだが、それはむしろヨーロッパの2大オーケストラの創り出すサウンドの違いを熟知していたフルトヴェングラーが、彼らの特質を活かしながら演奏した結果のように思われる。

いずれにしても大戦末期のウィーンで、国威高揚のための放送用音源であったとしても、こうしたレコーディングが平然と行われていたことは驚異に値する。

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2017年06月30日


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朝比奈隆にとって、ブルックナーの交響曲は最も得意とするレパートリーで、交響曲全集を3度にわたって録音した世界で唯一の指揮者である。

本BOXに収められた演奏は、1990年代前半に完成させた朝比奈による3度目の全集で、テンポの遅い、がっしりした構成という解釈の基本は不変であるが、方向としてはより純度の高い、無駄のないすっきりとした演奏となっている。

3度目の全集に含まれる演奏は、いずれ劣らぬ素晴らしい名演揃いであるが、その中でも、第3番、第8番、第9番は至高の超名演と言えよう。

朝比奈のアプローチは荘重なインテンポで、曲想を真摯にそして愚直に進めていくというものだ。

スコアに記された音符を1つも蔑ろにすることなく力強く鳴らして、その指揮表現は、良き時代のドイツの音楽を反映したものと言うべく、内声部を重視して響きに厚みと重量感をもたせ、壮大なスケール感を生み出し、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽を構築していく。

その裏づけとなるのが、ひたむきな情熱で、いわば無手勝流の指揮ぶりだが、かえって安定した立派さを生み出すのである。

このようにスコアに記された音符をすべて重厚に鳴らす演奏であれば、カラヤンやチェリビダッケも同様に行っているが、彼らの演奏は、ブルックナーよりも指揮者を感じさせるということであろう。

俺はブルックナーをこう解釈するという自我が演奏に色濃く出ており、聴き手によって好き嫌いが明確にあらわれるということになるのだ。

これに対して、朝比奈の演奏は、もちろん朝比奈なりの解釈はあるのだが、そうした自我を極力抑え、各曲にひたすら奉仕しているように感じることが可能だ。

聴き手は、指揮者よりもブルックナーの音楽の素晴らしさだけを感じることになり、このことが朝比奈のブルックナーの演奏をして、神々しいまでの至高の超名演たらしめているのだと考えられる。

オーケストラの実力はともかくとして、ブルックナーの魂の真髄を表現する演奏という意味に於いて、これほど作為が無い、崇高な演奏は筆者の試聴歴では未だかつて無いものである。

ムーティをして「晩年のカラヤンのブルックナーは神の声がする」と言わしめたが、この朝比奈の至高の超名演もスタイルは違えども、まさしく「神の声」を聴くようである。

しかも、スケールは雄渾の極みであり、かかるスケールの大きさにおいては、同時代に活躍した世界的なブルックナー指揮者であるヴァントによる大半の名演をも凌駕すると言っても過言ではあるまい。

日本の音楽ファンは、自国の指揮者やオーケストラをとかく軽視しがちだが、ここでの朝比奈の指揮ぶりは、その重厚壮麗な迫力と恰幅の良さにおいて際立っており、本場のドイツを見まわしてみても、これだけのブルックナーを振れる指揮者は現今見当たらない。

本全集で惜しいのは大阪フィルがいささか非力という点であるが、全員打って一丸となった熱演であることは疑う余地がなく、演奏全体の評価に瑕疵を与えるほどのものではないと言える。

長年、朝比奈のブルックナーを聴き続け、そのスタイルに慣れてしまったせいもあるかもしれないが、少なくともブルックナーとベートーヴェンに関する限り、音楽そのものを最も堪能させてくれるのが朝比奈であり、他の演奏は指揮者の個性や味つけがチラチラ見え隠れするのだ。

朝比奈の偉大さは、その芸術の完成の道にあってすら演奏ごとに新しい発見をしようとする意欲を持ち続け、それを演奏に反映し続けたことである。

完成期の芸術らしくすべては自然のなかで様々な要素が円満に溶け合い、しかも日々新たなものであろうとする彼の晩年の演奏とそのあり方は、ひとりの演奏家の晩年の理想の姿であったのかもしれない。

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2017年06月24日


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先ず収録曲の音質についてだが、音源はいずれも第2次世界大戦中のものであることを考慮すれば時代相応と言うことができる。

録音方法も使用されたマテリアルも最良とは言い難いが、幸いマスター・テープは破綻のない保存状態で残されていたようだ。

SACD化によって音場に奥行きが出て比較的余裕のある音響が再現され弦の高音にも潤いが出ているが、分離状態に関してはそれほど改善はみられない。

クライマックスの全オーケストラが鳴り響く総奏部分では音割れこそないが団子状態になってしまいそれぞれの楽器固有の音が再生し切れていないが、これはこの時代のモノラル録音の宿命だろう。

併録されている交響曲第7番の第2楽章は更に2年遡る1942年の録音だが、皮肉にもこちらの方が良好な音質が保たれている。

ただし収録は第2楽章アダージョのみで、1949年から51年にかけて彼がベルリン・フィルを振った3回の同曲の全曲録音とは別物で、単独で遺された放送用ライヴ音源のようだ。

幸いどちらも聴衆からのノイズは一切混入していない。

フルトヴェングラーの指揮したブルックナーの交響曲第9番では唯一の音源が1944年10月7日のベルリンに於ける当ラジオ・ライヴである。

このブルックナー未完の大作は終楽章を欠いた形で遺されていて、原典主義を重んじたフルトヴェングラーは、作曲家の書いた楽章以外には何も付け足さずに第3楽章迄で演奏を終了している。

それでもこの曲の演奏時間はトータル57分59秒で、完成していれば彼の交響曲の中でも最大の規模を持った作品になっていた筈だ。

それだけにこの曲の解釈は演奏家は勿論、音楽学者や批評家によって様々で、フルトヴェングラーの遺したこの録音は自己主張が強く、極めて劇的で豪快、振幅の大きい音楽である。

特に曲中でしばしば起こる恣意的で性急とも思えるテンポの変化が現代人の私達の耳にはあざとく聞こえて、この作品ではもっと素朴で端正な表現が望ましいと批判の矢面に立たされることが多いようだ。

それが時代遅れの手法であるか否かはこの際問わないことにして、ブルックナーがオーケストレーションの中に描き出したセオリーとエモーションが高い次元で止揚される壮大な音楽的構想は感じ取ることができると思う。

それはスコアから作曲家の楽理だけでなく宗教観や哲学を読み取る術を知っていた大指揮者ならではの解釈に違いなく、それを敢えて否定する気にはなれない。

従って、必ずしも万人向きの演奏ではないかも知れないが、途轍もない大きなエネルギーを秘めたフルトヴェングラーならではのブルックナーである。

大戦が敗色濃厚になっていたこの時期のドイツでベルリン・フィルを率いてブルックナー最後の大曲を録音すること自体異例な催しとしか考えられないが、ナチによる国民への士気高揚のためのプロパガンダのひとつだったのかも知れない。

ブルックナーの死への恐怖がドイツの滅亡の予感と共鳴しあい、この上ない凄絶な音楽を生み出していて、クレッシェンドとともにテンポが大きく揺れ動き、大きな音楽のうねりを作り出す。

しかも、それは外面的な効果とは全く無縁で、ブルックナーの音楽から決して逸脱おらず、この作曲家にはこうした一面もあったのだと改めて教えてくれる。

フルトヴェングラーにしてみれば自身の確固たる音楽的信念からの選曲だったに違いないが、ナチへの協力者というレッテルを貼られて戦後の一時期楽壇から追放されたのはこうした活動に起因しているのだろう。

しかし敗戦2週間後にベルリン・フィルは逸早く戦後最初のコンサートを開くことになる。

今度はソヴィエトのプロパガンダだったのだが、こうした大きな政治的変遷に振り回されながらも彼らはドイツの文化遺産を絶やすことなく継続していくことになるのは象徴的だ。

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2017年04月01日


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フルトヴェングラーが遺したブルックナーの交響曲第4番の音源は複数存在するが、今回プラガによってSACD化されたのが1951年のシュトゥットガルト・ライヴで、録音データについては諸説あり、このディスクのライナー・ノーツには10月20日と書かれている。

モノラル録音ながら音場にかなりの拡がりがあり低音域も豊かだが、SACD化によって奥行きも感知されるようになり、高音部の再現にも無理がない。

放送用ライヴのためか幸い雑音が極めて少なく音質も良好で、聴衆の咳払いや拍手も一切入っていない。

第1楽章冒頭のいわゆるブルックナーの霧の中に現れるホルン・ソロのミスが聞かれるので、リマスタリングに使われた音源は修正されていないオリジナル・マスターのコピーだろう。

この程度のミスはライヴにはつきもので、虚構を増長するような部分的な差し替えは、それがテクニック的に可能であったとしてもかえって興醒めしてしまう。

スコアは基本的に第3稿(1878ー80)だがレーヴェ版の第3楽章後半のカット部分を復活させて、全曲の演奏時間は66分40秒でハース版に近いものになっている。

ここでもフルトヴェングラーの自己主張が大胆に示されており、全体に極めて劇的な表現をつくり、緩急自在のテンポ感覚に情念が渦巻くようなディナーミクの変化が相俟ってかなり個性的なブルックナーに仕上げられている。

第1楽章から自在な解釈が面白く、聴衆を彼の世界に引き込んでいく変幻自在な指揮法が際立っているが、それに従うウィーン・フィルの特質も浮き彫りにされている。

圧巻は終楽章で、壮麗なうちに感動に満ちたものとなっており、精神の高揚と解放が生き生きと表されている。

大自然の抱擁をイメージさせる弦の温もりやウィンナ・ホルンを始めとするブラス・セクションの渋い音色の咆哮は、より輝かしいサウンドのベルリン・フィルとは対照的で、荘厳な雰囲気の中に導かれる終楽章のカタルシスは理屈抜きで感動的だ。

この曲はウィーン・フィルが初演した作品でもあり、彼らにも伝統を受け継ぐ自負と限りない愛着があったに違いない。

通常ブルックナーの歴史的名盤としては採り上げられないが、一般に考えられているブルックナーとは異なるロマン派の演奏様式としても尊重すべきであり、フルトヴェングラー・ファンだけにキープしておくには勿体ない演奏だ。

ブルックナーらしくないという意見も出ようが、ここまで音楽的になり、豊かな創造性を持つとこれはこれで立派な存在理由がある。

余白にカップリングされたワーグナーの『パルジファル』第3幕から「聖金曜日の音楽」は、同年4月25日のカイロ・ライヴとクレジットされていて、オーケストラはベルリン・フィルになる。

音質に関してだがオーケストラの音響の再生自体は擬似ステレオだが悪くなく、またベルリン・フィルのメンバーの巧みなソロも聴きどころだが、ヒス・ノイズが全体にベールのようにかかっていてやや煩わしいのが残念だ。

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2017年02月10日


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ヴァント&ベルリン・フィルによるブルックナーの交響曲の中でも最高峰の超名演は、紛れもなく「第7」であると考える。ヴァントは、同時期にミュンヘン・フィルとともにブルックナーの数々の交響曲を演奏しており、それらの演奏もベルリン・フィル盤と同様にいずれも至高の超名演であるが、「第7」についてはミュンヘン・フィル盤がないだけに、なおさら本演奏の価値が際立っている。ブルックナーの「第7」には、シューリヒト&ハーグ・フィル(1964年)、マタチッチ&チェコ・フィル(1967年)、朝比奈&大阪フィル(1975年、聖フローリアンライヴ)、ヨッフム&コンセルトヘボウ(1986年、来日公演盤)マゼール&ベルリン・フィル(1988年)、カラヤン&ウィーン・フィル(1989年)、スクロヴァチェフスキ&読売日響(2010年)など、多種多様な名演が目白押しであるが、本ヴァント&ベルリン・フィル盤は、それら古今東西のあまたの名演に冠絶する史上最高の超名演と高く評価したい。ヴァントのアプローチは、例によって厳格なスコアリーディングに基づく計算し尽くされたものであり、凝縮化された堅固な造型が持ち味だ。ただ、1980年代のヴァントは、こうしたアプローチがあまりにも整理し尽くされ過ぎていることもあって神経質な面があり、いささかスケールの小ささを感じさせるという欠点があった。しかしながら、1990年代に入ってからは、そのような欠点が散見されることは殆どなくなったところであり、本盤の演奏でもスケールは雄渾の極みであり、神々しささえ感じさせるほどだ。音楽はやや速めのテンポで淡々と流れていくが、素っ気なさなど薬にしたくも無く、どこをとってもニュアンス豊かな情感溢れる音楽に満たされているのが素晴らしい。ヴァントは、決してインテンポには固執せず、例えば第1楽章終結部や第3楽章のトリオ、そして終楽章などにおいて微妙にテンポを変化させているが、いささかもロマンティシズムに陥らず、高踏的な優美さを保っている点は見事というほかはない。金管楽器などは常に最強奏させているが、いささかも無機的な音を出しておらず、常に奥行きのある深みのある音色を出しているのは、ヴァントの類稀なる統率力もさることながら、ベルリン・フィルの圧倒的な技量の賜物と言えるだろう。

ブルックナーが完成させた最高傑作「第8」が、この黄金コンビによるラストレコーディングになったというのは、ブルックナー演奏にその生涯を捧げてきたヴァントに相応しいとも言えるが、次のコンサートとして「第6」が予定されていたとのことであり、それを実現できずに鬼籍に入ってしまったのは大変残念というほかはない。そこで、この「第8」であるが、ヴァントが遺した数々の「第8」の中では、同時期のミュンヘン・フィル盤(2000年)と並んで、至高の超名演と高く評価したい。本盤の前の録音ということになると、手兵北ドイツ放送交響楽団とスタジオ録音した1993年盤ということになるが、これは後述のように、演奏自体は立派なものではあるものの、面白みに欠ける面があり、本盤とはそもそも比較の対象にはならないと考える。ただ、本盤に収められた演奏は、ヴァントが指揮した「第8」としてはダントツの名演ではあるが、後述の朝比奈による名演と比較した場合、「第4」、「第5」、「第7」及び「第9」のように、本演奏の方がはるかに凌駕していると言えるのかというと、かなり議論の余地があるのではないだろうか。というのも、私見ではあるが、「第8は」、必ずしもヴァントの芸風に符号した作品とは言えないと考えるからである。ヴァントのブルックナーの交響曲へのアプローチは、厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型と緻密さが持ち味だ。また、金管楽器を最強奏させるなどのオーケストラの凝縮化された響きも特徴であるが、1980年代のヴァントの演奏は、全体の造型美を重視するあまり凝縮化の度が過ぎたり、細部への異常な拘りが際立ったこともあって、スケールが小さいという欠点があったことは否めない。そうしたヴァントの弱点は、1990年代後半には完全に解消され、演奏全体のスケールも雄渾なものになっていったのだが、前述の1993年盤では、スケールはやや大きくなった反面、ヴァントの長所である凝縮化された濃密さがいささか犠牲になった嫌いがあり、峻厳さや造型美だけが際立つという「第8」としてはいわゆる面白みのない演奏になってしまっている。むしろ、来日時の手兵北ドイツ放送交響楽団とのライヴ盤(1990年アルトゥス)の方が、ライヴ特有の熱気も付加されたこともあって、より面白みのある素晴らしい名演と言えるのではないだろうか。いずれにしても、ヴァントの持ち味である厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型や緻密さと、スケールの雄大さを兼ね備えるというのは、非常に難しい究極の指揮芸術と言えるところであるが、ヴァントは、ベルリン・フィルとともに、「第5」、「第4」、「第9」、「第7」と順を追って、そうした驚異的な至芸を成し遂げてきたのである。ところが、この「第8」は、スケールは雄大であるが、堅固な造型美や緻密さにおいては、ヴァントとしてはその残滓は感じられるものの、いささか徹底し切れていないと言えるのではないだろうか。これは、ヴァントが意図してこのようなアプローチを行ったのか、それとも肉体的な衰えによるものかは定かではないが、いずれにしても、ヴァントらしからぬ演奏と言うことができるだろう。したがって、本盤に収められた演奏については、細部には拘泥せず曲想を愚直に描き出して行くことによって他に類を見ないスケールの雄大な名演の数々を成し遂げた朝比奈のいくつかの名演(大阪フィルとの1994年盤(ポニーキャニオン)、N響との1997年盤(フォンテック)、大阪フィルとの2001年盤(エクストン))に並ばれる結果となってしまっているのは致し方がないところではないかと考える。もちろん、これはきわめて高い次元での比較の問題であり、本盤に収められた演奏が、「第8」の演奏史上に燦然と輝く至高の超名演であるとの評価にはいささかも揺らぎはない。

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2017年02月09日


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ヴァントがその最晩年にベルリン・フィルと成し遂げたブルックナーの交響曲の演奏の数々は、いずれも至高の超名演であるが、「第5」は、一連の演奏の中でのトップバッターとなったものである。ヴァントの伝記などを紐解くと、ヴァントは、ブルックナーの交響曲の中でも特に「第5」と「第9」を、妥協を許すことなく作曲した楽曲として特に高く評価していたことが記されている。それだけに、ヴァントとしても相当に自信を有していたと考えられるところであり、ベルリン・フィルを指揮した演奏の中でも「第5」と「第9」は、他の指揮者による名演をはるかに引き離す名演を成し遂げていると言えるのではないだろうか。辛うじて比較し得る「第5」の他の名演としては、ヨッフム&コンセルトへボウ・アムステルダム盤(1964年)、朝比奈&東京交響楽団盤(1995年)が掲げられるが、前者はいささかロマンティシズムに傾斜する傾向、後者はオーケストラの力量に難点があり、ヴァント&ベルリン・フィル盤には遠く及ばないと考える。唯一対抗し得るのは、同じヴァントによるミュンヘン・フィル盤(1995年)であると考えるが、剛毅な性格を有する「第5」には、ベルリン・フィルの音色の方がより適しているのではないかと考える。現在、DVDでしか発売されていない朝比奈&シカゴ交響楽団による演奏(1996年)が今後CD化されるとすれば、本盤を脅かす存在になる可能性はあるが、そのようなことがない限りは、本名演の優位性は半永久的に安泰と言っても過言ではあるまい。本演奏におけるヴァントのアプローチは、眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングに基づく峻厳たるものだ。やや速めのインテンポによる演奏は、巧言令色とは正反対の質実剛健そのものと言える。全体の造型はきわめて堅固であり、それによる凝縮化された造型美はあたかも頑健な建造物を思わせるほどであるが、それでいて雄渾なスケール感を失っていないのは、ヴァントが1990年代半ば、80歳を超えて漸く達成し得た圧巻の至芸と高く評価したい。金管楽器なども常に最強奏しているが、いささかも無機的な響きになることなく、常に奥深い崇高な音色を出しているというのは、ベルリン・フィルのブラスセクションの卓越した技量もさることながら、ヴァントの圧倒的な統率力の賜物と言うべきであろう。また、峻厳な装いのブルックナーの「第5」においても、第2楽章などを筆頭として、聖フローリアンの自然を彷彿とさせるような抒情的な音楽が随所に散見されるが、ヴァントは、このような箇所に差し掛かっても、いささかも感傷的には陥らず、常に高踏的とも言うべき気高い崇高さを失っていない点が素晴らしい。このように、非の打ちどころのない名演であるのだが、その中でも白眉は終楽章である。ヴァントは、同楽章の壮大で輻輳したフーガを巧みに整理してわかりやすく紐解きつつ、音楽がごく自然に滔々と進行するように仕向けるという、ほとんど神業的な至芸を披露しており、終楽章は、ヴァントの本超名演によってはじめてその真価のベールを脱いだと言っても過言ではあるまい。

ブルックナーの11ある交響曲の中でも「第4」は、ブルックナーの交響曲の演奏が現在のようにごく普通に行われるようになる以前の時代から一貫して、最も人気があるポピュラリティを獲得した作品と言える。ブルックナーの交響曲全集を録音しなかった指揮者でも、この「第4」の録音だけを遺している例が多いのは特筆すべき事実であると言えるのではないか(ジュリーニなどを除く)。そして、そのようなブルックナー指揮者とは必ずしも言い難い指揮者による名演が数多く遺されているのも、この「第4」の特殊性と考えられる。例えば、ベーム&ウィーン・フィル盤(1973年)、ムーティ&ベルリン・フィル盤(1985年)などはその最たる例と言えるところである。近年では、初稿による名演も、インバルを皮切りとして、ケント・ナガノ、シモーネ・ヤングなどによって成し遂げられており、「第4」の演奏様式も今後大きく変化していく可能性があるのかもしれない。ただ、この「第4」は、いわゆるブルックナー指揮者と評される指揮者にとっては、なかなかに難物であるようで、ヨッフムなどは、2度にわたる全集を成し遂げているにもかかわらず、いずれの「第4」の演奏も、他の交響曲と比較すると必ずしも出来がいいとは言い難い。それは、朝比奈やヴァントにも当てはまるところであり、少なくとも1980年代までは、両雄ともに、「第4」には悪戦苦闘を繰り返していたと言えるだろう。しかしながら、この両雄も1990年代に入ってから、漸く素晴らしい名演を成し遂げるようになった。朝比奈の場合は、大阪フィルとの1993年盤(ポニーキャニオン)と2000年盤(エクストン)盤が超名演であり、これにN響との2000年盤(フォンテック)、新日本フィルとの1992年盤(フォンテック)が続くという構図である。これに対して、ヴァントの場合は、本盤に収められたベルリン・フィル盤(1998年)、ミュンヘン・フィル盤(2001年)、北ドイツ放送響とのラストレコーディング(2001年)の3点が同格の超名演と高く評価したい。本演奏におけるヴァントは、必ずしもインテンポに固執しておらず、第3楽章などにおけるテンポの変化など、これまでのヴァントには見られなかった表現であるが、それでいてブルックナーの本質を逸脱しないのは、ヴァントが最晩年になって漸く成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。また、眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングを行っており、全体の造型はきわめて堅固ではあるが、細部に至るまで表現が緻密でニュアンスが豊かであり、どこをとっても深みのある音色に満たされているのが素晴らしい。金管楽器なども完璧に鳴りきっており、どんなに最強奏してもいささかも無機的には陥っていない。これは、ベルリン・フィルの卓越した技量によるところも大きいが、ヴァントによる圧倒的な統率力にも起因していると考えられる。第2楽章は、聖フローリアンを吹く一陣のそよ風のようにソフトに開始されるが、その筆舌には尽くし難い繊細さは崇高な高みに達している。その後は、ブルックナーならではの情感豊かな音楽が続いていくが、ヴァントはいささかも感傷的には決して陥らず、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。いずれにしても、本演奏は、ヴァントが80代半ばにして漸く成し遂げることが出来た「第4」の至高の超名演であり、これぞまさしく大器晩成の最たるものと評価したい。

ヴァントがブルックナーの交響曲の中でも特に高く評価していたのが、前述の「第5」と「第9」であったというのは、ヴァントの伝記などを紐解くとよく記述されている公然の事実だ。実際に、ブルックナーの「第9」は、ヴァントの芸風に見事に符号する交響曲と言えるのではないか。最後の来日時(2000年)に、シューベルトの「未完成」とともに同曲の素晴らしい名演を聴かせてくれたことは、あれから17年経った現在においても鮮明に記憶している。いずれにしても、至高の超名演で、同時期にミュンヘン・フィルと行った演奏(1998年)もあり、ほぼ同格の名演とも言えるが、同曲の峻厳とも言える性格から、オーケストラの音色としてはベルリン・フィルの方が同曲により適していると考えられるところであり、筆者としては、本盤の方をより上位に置きたいと考える。なお、前述の来日時の2000年盤との比較については、なかなか難しい面があるが、オーケストラの安定性(ホームグラウンドで演奏しているかどうかの違いであり、北ドイツ放送交響楽団との技量差はさほどではないと考える)において、本盤の方がわずかに上回っていると言えるのではないか。本名演に匹敵すると考えられる同曲の他の名演としては、シューリヒト&ウィーン・フィル盤(1961年)、朝比奈&大阪フィル盤(1995年)が掲げられるが、前者は特に終楽章のスケールがやや小さいこともありそもそも対象外。後者については、演奏内容はほぼ同格であるが、オーケストラの力量においては、大阪フィルはさすがにベルリン・フィルと比較すると一歩譲っていると言えるだろう。今後、本名演を脅かすとすれば、未だDVDも含め製品化されていない、朝比奈&シカゴ交響楽団による演奏(1996年)がCD化された場合であると考えるが、権利関係もあって容易には事が運ばないと考えられるところであり、おそらくは、本名演の天下は、半永久的に揺るぎがないものと考える。本名演でのヴァントのアプローチは、いつものように眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングによって、実に緻密に音楽を組み立てていくが、造型の堅固さにも際立ったものがある。金管楽器なども最強奏させているが、無機的な音はいささかも出しておらず、常に深みのある壮麗な音色が鳴っている。スケールも雄渾の極みであり、前述の堅固な造型美や金管楽器の深みのある音色と相俟って、神々しささえ感じさせるような崇高な名演に仕上がっている。特に、終楽章のこの世のものとは思えないような美しさは、ヴァントとしても、80代の半ばになって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。いずれにしても、前述のように、本名演が古今東西の様々な名演に冠絶する至高の超名演であるということに鑑みれば、ヴァントは、本超名演を持って、ブルックナーの「第9」の演奏史上において、未踏の境地を切り開いたとさえ言えるだろう。

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2016年07月27日


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2回の交響曲全集を完成させたブルックナーの権威、オイゲン・ヨッフムはドイツ・グラモフォンにCD4枚分の宗教作品集を録音していて、それらはこれまで別売りのCDでしか入手できなかったので、今回ザ・コレクターズ・エディションとして15曲がまとめられて廉価盤化されたことは歓迎したい。

ただしヨッフムのコンプリート録音集が欲しい方にはグラモフォンによる全集の新企画があり、9月に第1集のオーケストラル・ワーク集42枚組がリリースされる。

この4枚は第2集以降に組み込まれることが予想されるので、そちらの購入をお薦めしたい。

第1回目のブルックナーの交響曲全集がベルリン・フィルとバイエルン放送交響楽団による合作だったように、この宗教曲集も同様でコーラスもバイエルン放送合唱団及びベルリン・ドイツ・オペラ合唱団が参加している。

ヨッフム・ファンにとっては勿論EMIのイコン・シリーズ22枚も重要なコレクションだが、そちらにはシュターツカペレ・ドレスデンとの2回目の交響曲全集が入っているが宗教曲は収録されていない。

これはヨッフムの偉大な遺産のひとつで、ブルックナーの宗教合唱作品を集め、これだけ充実した演奏を聴かせた指揮者はいない。

荘厳だがむやみに曲のスケール感を強調しないヨッフムらしい折り目正しい几帳面なアプローチによる演奏は、かえってこれらの宗教曲としての側面を明確に示す結果になり、敬虔なカトリック教徒だったブルックナーの音楽的意図が生かされていると言えないだろうか。

ソロを歌う声楽家もソプラノのエディット・マティスを始めとする宗教曲に相応しい布陣で、ヨッフムのアイデアが忠実に反映されている。

3つのミサ曲はそれぞれ立派だが、ことに第3番には、この強固な構築力を超える若手の指揮者が今後出るとは思えないほどの迫真力があり、「テ・デウム」の壮大さ、「パンジェ・リング」の神秘など、いずれも名演揃いだ。

尚現在までにリリースされたブルックナーの宗教作品のCDとしては、一流どころの指揮者の演奏はそれほど多くなくチェリビダッケ、バレンボイム、リリング盤などがめぼしいところで、最近ではスティーヴン・レイトンがポリフォニー・ブリテン・シンフォニアを振ったミサ曲第2番を中心とする合唱曲集が選択肢として有力候補に挙げられるが、残念ながらいずれも体系的な企画ではなく単発のCDで終わっている。

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2016年07月01日


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ライナー・ノーツの録音データを見ると1969年11月26日ベルリンのフィルハーモニーでのライヴ録音と記載されていて、共演のオーケストラは勿論ベルリン・フィルなので確かにこれまで正規リリースされていなかった初出音源ということになる。

ドイッチュラント・ラジオによる録音のようだが英テスタメント独自のディジタル・リマスタリングの効果もあってオン・マイクで採った骨太で鮮明な音質が甦っている。

録音レベルが高く臨場感にも不足していないし、またそれだけにベームの音楽的構想と音響空間が手に取るように伝わって来るブルックナーだ。

客席からの雑音は演奏終了後の拍手喝采は別として、楽章間の短いインターバルで僅かに聞こえる程度で、演奏中は皆無なのもこの時代のライヴとしては優秀だ。

この演奏は第2稿、つまり1890年バージョンになり、ベームの覇気と練達の技とも言える構築性がバランス良く表れたライヴではないだろうか。

現行の音源では彼が指揮した第8番は他に1971年のバイエルン放送響とのライヴ及び1976年のウィーン・フィルとのセッションが存在するが、それらの中ではこの録音が最も早い時期のものになり、テンポに関してはウィーン・フィルの壮麗な足取りよりは速く、バイエルンの血気に逸る演奏よりは僅かに遅い。

ブルックナーの霧と呼ばれる冒頭からクライマックスでのブラス・セクションの咆哮、そして執拗なまでのモティーフの反復に至るまで常に地に足の着いた音響が特徴的で、明瞭な輪郭を失うことなく音楽を彫琢していくベームによって、ベルリン・フィルが見事に統率されている。

曲中最も長い第3楽章アダージョも小細工なしの正攻法で、流れを堰き止めたりテンションを落とすことなく終楽章に導いていくベームの手法が面目躍如たる演奏で、音響力学による造形とも言えるブルックナーの作法の真髄に迫った素晴らしい仕上がりを見せている。

また指揮者に付き従いながらその構想を成就させるベルリン・フィルの隙のないアンサンブルと余裕のあるパワフルな音量も特筆される。

ベームは相手がたとえベルリン・フィルであっても妥協を許さなかったことが想像されるが、オーケストラのバランスの保持と細部の合わせにもベーム、ベルリン・フィルのコラボレーションと両者の力量が示された演奏だ。

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2016年04月25日


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フルトヴェングラーのブル5(ハース版準拠)はウィーン・フィルとの1951年のザルツブルクでのライヴ盤がよく知られている。

この1942年のライヴ録音は意外に音がクリアで迫力に富み、大戦中のベルリン・フィルとの録音の中でも音は最良のもので、1951年盤よりはるかに明確にフルトヴェングラーのブルックナー観が打ち出されている。

本演奏では、フルトヴェングラーが若々しい気迫に満ちた音楽を聴かせ、アゴーギクとデュナーミクを巧みに融合させた効果は、まさに名人芸と言わねばなるまい。

生前、ブルックナー協会の会長をつとめていたフルトヴェングラーの、ブルックナーの音楽に対する傾倒の深さを物語るかのような、雄渾な演奏で、その彫りの深い、雄大な表現には圧倒されてしまう。

特に第1楽章の冒頭、序奏部のあとのブルックナー休止に続くティンパニの一撃と金管の壮烈なコラールはフルトヴェングラーの真骨頂を示すもの。

フルトヴェングラーの視点から再構成されたブルックナーという印象もあるが、その音楽の壮大さは比類がなく、全編、ライヴならではの即興性はあるものの、それ以前に強固な演奏スタイルを感じる。

フルトヴェングラーの指揮も、ブルックナーの信仰告白とも言うべきこの曲に対して、深い精神性に裏づけされて見事に音化されている。

フレーズの処理が実に生き生きとしており、オーケストラは常時に変化するテンポ、リズムにピタッとあわせ、その一方でメロディは軽く、重く、明るく、暗く、変幻自在に波打つ。

凡庸な演奏では及びもつかない凝縮感と内容の豊穣さであり、作品の世界にのめりこみながらも、バランスを崩す直前で踏みとどまるが、その匙加減が絶妙だ。

第1楽章、ブルックナーに特徴的な「原始霧」からはじまり、順をおって登場する各主題をフルトヴェングラーは意味深長に提示していく。

それはあたかも深い思索とともにあるといった「纏」(まとい)とともに音楽は進行していく。

この曲は極論すれば第1楽章で完結しているかの充足感があるが、続く中間2楽章では、明るく浮き立つメロディ、抒情のパートはあっさりと速く処理し感情の深入りをここでは回避しているようだ。

その一方、主題の重量感とダイナミックなうねりは常に意識され、金管の分厚い合奏がときに前面に出る。

終楽章は、第1楽章の<対>のように置かれ、各楽章での主題はここで走馬灯のように浮かび、かつ短く中断される。

その後、主題は複雑なフーガ、古式を感じさせるコラール風の荘厳な響き、そしてブルックナーならでは巨大なコーダへと展開され、長い九十九折(つづらおり)の山道を登り峻厳なる山頂に到達する。

このブル5、フルトヴェングラーの演奏スタイルに特異な魔術(デーモン)を感じ、作品にふさわしいドラマティックな要素が際立つ。

現代においては殆ど聴かれない大時代的なアプローチとも言えるが、1942年においては一般的なアプローチであり、フルトヴェングラーの演奏が必ずしも特異なものであったとは言えない点に留意すべきであろう。

旋律のみずみずしいしなやかさ、地の底から噴きあげるようなブラスの和声の充実感、作為なく、ブルックナーの音楽そのものを感じさせる造型、あらゆる点で、もう二度と現れまいと思われるような演奏である。

今日のブルックナー解釈とは異なる世界に位置する歴史的名盤である。

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2016年02月14日


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1951年8月19日、ザルツブルク音楽祭における歴史的ライヴ録音で、伝説的なブルックナーとして有名なもの。

作品と指揮者が運命の糸で結ばれている、そんな磁力にも似た求心力を背景にうねるような起伏をもって再現された名演、熱演。

ウィーン・フィルの個性的な音と演奏が豊かであった時代の演奏であり、流暢で深い陰影をもった情緒的表現は、確かに伝説になるだけの価値のあるものだ。

フルトヴェングラーの指揮も、ブルックナーの信仰告白とも言うべきこの曲に対して、深い精神性に裏づけされて見事に音化されている。

フルトヴェングラーは、ドイツ・ブルックナー協会の会長をしていたので、いわば、ブルックナーの専門家であるが、そうした面目が、この古い録音の全面ににじみ出ている。

そうしたフルトヴェングラーの、ブルックナーの音楽に対する傾倒の深さを物語るかのような、内面的な燃焼度の高い、雄渾な演奏で、そのその強烈な個性と彫りの深い、雄大な表現には圧倒されてしまう。

個性的でスケールの大きい表現だが、あまりにロマン的で、ブルックナーの素朴さよりもフルトヴェングラーの音楽を聴く感が強い。

それでもこの指揮者の芸術的ルーツが、ブルックナーと同じところにあることを理解できる自然体の表現であり、そこに演奏の魅力もあるのである。

フルトヴェングラーの視点から再構成されたブルックナーという印象もあるが、その音楽の壮大さは比類がなく、やや晦渋な表現ながら、終楽章の雄大なスケール感は圧倒的である。

音楽の豊かなダイナミズムと、強い緊張感が維持されている第5番であり、この大胆なアゴーギクはフルトヴェングラーらしさを印象づけるものだ。

この演奏におけるフルトヴェングラーのドラマティックな音楽の盛り上げ方は、ブルックナー・ファンの間で意見の分かれるところだが、フルトヴェングラーならではの至高の世界を作り上げている。

現代においては殆ど聴かれない大時代的なアプローチとも言えるが、1951年においては一般的なアプローチであり、フルトヴェングラーの演奏が必ずしも特異なものであったとは言えない点に留意すべきであろう。

旋律のみずみずしいしなやかさ、地の底から噴きあげるようなブラスの和声の充実感、作為なく、ブルックナーの音楽そのものを感じさせる造型、あらゆる点で、もう二度と現れまいと思われるような演奏である。

精神的な高さと深さで、これを凌駕するような演奏は未だもって他にはなく、聴いた後に深い感動の残る秀演である。

フルトヴェングラーの手にかかるとブルックナー作品はにわかに神秘的気配を強め、神々しくなる。

素朴な味わいや木訥な語り口に思えていた特質がその性格を一変させ、深層心理に肉薄するメスとなって機能しはじめ、聴き手に迫るのである。

フルトヴェングラーの巨大な個性によって大きく包み込まれたブルックナーのスケールとロマン、そして全容から立ちのぼってくる言い尽くせぬ香気には何者にも抗えないようなところがある。

この指揮者の深遠でしっとりとしたロマンティシズムが打ち出された演奏であり、官能的かつ叙情的な誘導が最大の魅力になっている。

また、フルトヴェングラーは、なにを指揮しても決して急ぎすぎることがなかった。

悠揚迫らぬそのテンポは、まずは聴き手を落ち着かせるのに力を発揮したばかりでなく、さらに進んで揺るぎない信頼を勝ちとった、と言って良いだろう。

これぞフルトヴェングラー人気の根源のひとつ、という気がする。

この第5番では、そうした独特のグランド・デザインによりながらも、ブルックナーの楽想を生かし、音楽を生かすため、フルトヴェングラーはテンポを細かく動かし、表情に変化を与え、クレッシェンドを活用して強い緊張感を生み出している。

そして表出されたブルックナーの深奥から湧き起こる音楽的情熱と、深々とした祈り、見事だ。

フルトヴェングラーの凄さに圧倒されてしまう巨人の足音である。

今日のブルックナー解釈とは異なる世界に位置する歴史的名盤であり、かつてこの演奏によってブルックナーの洗礼を受けた諸氏も少なくあるまい。

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2016年02月12日


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フルトヴェングラーは同曲をスタジオ録音をしておらず、当録音を含め3種のライヴ盤が出ていたが、このDG盤はEMI盤と並んで、名盤として有名なもので、カイロ放送局のテープによる復刻。

LP発売時にはハース版に準拠とされていたが、今回はシャルク改訂版に準拠と認められている。

しかし、いわゆる改訂版のイメージとは異なり、晴朗な抒情感と堅固な構築力をもった演奏である。

この演奏におけるフルトヴェングラーのドラマティックな音楽の盛り上げ方は、ブルックナー・ファンの間で意見の分かれるところだが、フルトヴェングラーならではの至高の世界を作り上げている。

決して音の状態は良いとは言えないが、生前、ブルックナー協会の会長をつとめていたフルトヴェングラーの、ブルックナーの音楽に対する傾倒の深さを物語るかのような、雄渾な演奏で、その彫りの深い、雄大な表現には圧倒されてしまう。

フルトヴェングラーの視点から再構成されたブルックナーという印象もあるが、その音楽の壮大さは比類がない。

旋律的な魅力によって曲の壮大な美しさを肌で感じることのできる演奏で、フルトヴェングラーは淡々と、しかもよく歌い切っていて、弦の美しい第2楽章ひとつとってもツボをしっかりつかんでいることがよくわかり、さすがに息長く歌わせて、連綿と続く歌の美しさにも特筆すべきものがある。

とはいえ、フルトヴェングラーとしては淡泊な表現で、彼一流の劇性は希薄となっており、抑制のきいた表現とも言えるが、それでもアダージョ楽章は非常に音楽的だ。

作品にふさわしい抑制もきかせているが、クライマックスの構築の仕方はあくまでフルトヴェングラー流。

一貫してメロディ・ラインを重視し、作品の無限旋律の美しさを見事に歌い出すが、第1・第2楽章の無時間的な広大さなど、ほとんど魔力的な世界であり、その中でもとくに第2楽章、クライマックスへの織りなしは圧倒的な効果を放っている。

また、第1楽章と終楽章におけるテンポの大きな動きを伴うロマン的な語り口はこの指揮者ならでは。

この作品の情緒を深くつかんでいればこそとれた手段で、フルトヴェングラーの芸術に直に触れる思いがする。

フルトヴェングラーの手にかかるとブルックナー作品はにわかに神秘的気配を強め、神々しくなる。

素朴な味わいや木訥な語り口に思えていた特質がその性格を一変させ、深層心理に肉薄するメスとなって機能しはじめ、聴き手に迫るのである。

フルトヴェングラーの巨大な個性によって大きく包み込まれたブルックナーのスケールとロマン、そして全容から立ちのぼってくる言い尽くせぬ香気には何者にも抗えないようなところがある。

この指揮者の深遠でしっとりとしたロマンティシズムが打ち出された演奏であり、官能的かつ叙情的な誘導が最大の魅力になっている。

美しさを超えた第2楽章を感動の核としながらも、この交響曲全体像が怒涛となって聴き手に襲う演奏は他に例がなく、怖くなるようなフルトヴェングラーの指揮芸術の奥義を堪能させる。

ベルリン・フィルの楽員たちは全身全霊を傾けて表現している。

今日のブルックナー解釈とは異なる世界に位置する歴史的名盤であり、かつてこの演奏によってブルックナーの洗礼を受けた諸氏も少なくあるまい。

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2016年02月07日


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1944年10月17日、ウィーン、ムジークフェライン・ザールでのライヴ録音。

旧DDR放送局のテープから復刻されたもので、ハース版に基づいた演奏だが、フルトヴェングラーが若々しい気迫に満ちた音楽を聴かせ、アゴーギクとデュナーミクを巧みに融合させた効果は、まさに名人芸と言わねばなるまい。

ブルックナーの交響曲第8番は、ブルックナー自身が、「私の書いた曲の中で最も美しい音楽」と言って自信をもっていたという。

そうしたこの第8番を、フルトヴェングラーは、内面的な燃焼度の高い、雄渾な演奏で聴かせ、その強烈な個性には圧倒されてしまう。

作品と指揮者が運命の糸で結ばれている、そんな磁力にも似た求心力を背景にうねるような起伏をもって再現された名演、熱演。

個性的でスケールの大きい表現だが、あまりにロマン的で、ブルックナーの素朴さよりもフルトヴェングラーの音楽を聴く感が強い。

それでもこの指揮者の芸術的ルーツが、ブルックナーと同じところにあることを理解できる自然体の表現であり、そこに演奏の魅力もあるのである。

フルトヴェングラーの解釈は作品との強い一体感をベースとしたもので、それはバーンスタインがマーラー演奏に見せた陶酔感すら覚えさせるものがあるが、大戦中に演奏されたフルトヴェングラーのブルックナーには例えようもない気品と影の暗さがあり、それが感動のテンションをさらに高める。

そうした美質を引っさげてフルトヴェングラーはブルックナーの核心部分へと果敢かつ勇猛に足を踏み入れていきながら、聴き手を抗し難い興奮へと巻き込み、陶酔的感動に浸らせてしまう。

精神的な高さと深さで、これを凌駕するような演奏は他にないと言えるところであり、聴いたあとに深い感動の残る秀演である。

とりわけ、第3楽章アダージョは比類のない美しさで、晩年のブルックナーが到達した深い精神性が見事にあらわれている。

この第3楽章アダージョの部分を聴くと、ブルックナーの音楽の雄大さ、フルトヴェングラーの表現力の息の長さ(ウィーン・フィルの器の大きさも加えるべきなのかもしれない)に、誰もが圧倒されてしまうことであろう。

われわれの日常生活で用いられている単位では、とても手に負えないような雄大さであり、息の長さである。

こうした芸術活動だけに許されるような次元に接する機会が、最近はとみに少なくなってしまった。

また、フルトヴェングラーは、なにを指揮しても決して急ぎすぎることがなかった。

悠揚迫らぬそのテンポは、まずは聴き手を落ち着かせるのに力を発揮したばかりでなく、さらに進んで揺るぎない信頼を勝ちとった、と言って良いだろう。

これぞフルトヴェングラー人気の根源のひとつ、という気がする。

この第8番では、そうした独特のグランド・デザインによりながらも、ブルックナーの楽想を生かし、音楽を生かすため、フルトヴェングラーはテンポを細かく動かし、表情に変化を与え、クレッシェンドを活用して強い緊張感を生み出している。

そして表出されたブルックナーの深奥から湧き起こる音楽的情熱と、深々とした祈り、見事だ。

フルトヴェングラーの凄さに圧倒されてしまう巨人の足音である。

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2015年07月30日


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2013年2月17&21日、ロンドン、バービカンセンターに於けるライヴ録音。

2011年にリリースされた交響曲第4番「ロマンティック」が、近年の充実ぶりを示す演奏内容との高評価を得ていたハイティンク&ロンドン交響楽団が、今度はブルックナーの交響曲第9番をレコーディング。

ハイティンクの円熟を感じさせる素晴らしい名演の登場だ。

ハイティンクは、全集マニアとして知られ、さすがにハイドンやモーツァルトの交響曲全集は録音していないが、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、マーラー、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなど、数多くの作曲家の交響曲全集のスタジオ録音を行ってきているところだ。

ブルックナーについても、ハイティンクは早くも40代前半にコンセルトヘボウ・アムステルダムと交響曲全集録音を完成させ、今日に至る豊富なディスコグラフィからも、当代有数のブルックナー指揮者としてのハイティンクの業績にはやはり目を瞠るものがある。

そのなかでも近年のハイティンクが、良好な関係にある世界有数の楽団を指揮したライヴ演奏の数々は内容的にも一際優れた出来栄えをみせているのは熱心なファンの間ではよく知られるところで、このたびのロンドン交響楽団の第9番もまたこうした流れのなかに位置づけられるものと言えるだろう。

既に、80歳を超えた大指揮者であり、近年では全集のスタジオ録音に取り組むことはなくなったが、発売されるライヴ録音は、一部を除いてさすがは大指揮者と思わせるような円熟の名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたブルックナーの交響曲第9番も、そうした列に連なる素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

ハイティンクは、同曲をコンセルトヘボウ・アムステルダム(1965年)(1981年)とともに2度スタジオ録音を行っており、オーケストラの名演奏もあって捨てがたい魅力があるが、演奏全体の持つスケールの雄大さや後述の音質面に鑑みれば、本演奏には敵し得ないと言えるのではないだろうか。

ベートーヴェンやマーラーの交響曲の演奏では、今一つ踏み込み不足の感が否めないハイティンクではあるが、ブルックナーの交響曲の演奏では何らの不満を感じさせない。

本演奏においても、ハイティンクは例によって曲想を精緻に、そして丁寧に描き出しているが、スケールは雄渾の極み。

重厚さにおいてもいささかも不足はないが、ブラスセクションなどがいささかも無機的な音を出すことなく、常に奥行きのある音色を出しているのが素晴らしい。

これぞブルックナー演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

悠揚迫らぬインテンポを基調としているが、時として効果的なテンポの振幅なども織り交ぜるなど、その指揮ぶりはまさに名人芸の域に達していると言ってもいいのではないか。

ハイティンク自身によるものとしては過去最長の演奏時間を更新しているが、実演特有の有機的な音楽の流れに、持ち前のひたむきなアプローチでじっくりと神秘的で崇高なるブルックナーの世界を聴かせてくれる。

ハイティンクの確かな統率の下、ロンドン交響楽団も圧倒的な名演奏を展開しており、とりわけホルンをはじめとしたブラスセクションの優秀さには出色のものがあると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、現代を代表する大指揮者の1人であるハイティンクによる円熟の名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さに加えて、臨場感溢れる音場の広さは見事というほかはなく、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

マルチチャンネルで再生すると、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的であるとすら言えるだろう。

ハイティンクによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年07月16日


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ヴァントが晩年にミュンヘン・フィルと録音した一連のブルックナーの至高の超名演は、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD化されたというのは何という素晴らしいことであろうか。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、ベルリン・フィル盤と同様に更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

長年に渡ってチェリビダッケに鍛え抜かれたミュンヘン・フィルを指揮していることもあって、演奏全体に滑らかで繊細な美感が加わっていることが特徴。

ブルックナーの「第8」は、まぎれもなくブルックナーの最高傑作であると思うが、それだけに、ヴァントも、ライヴ録音も含め、何度も録音を行ってきた。

しかしながら、ヴァントの厳格なスコアリーディングによる眼光紙背に徹した凝縮型のアプローチとの相性はイマイチであり、1993年の北ドイツ放送交響楽団までの録音については、立派な演奏ではあるものの、やや面白みに欠けるきらいがあった。

しかしながら、本盤のミュンヘン・フィルとの演奏と、この数カ月後のベルリン・フィルとの演奏の何という素晴らしさであろうか。

神々しいばかりの超名演と言っても過言ではあるまい。

ヴァントは、これまでの凝縮型のアプローチではなく、むしろ朝比奈隆のように、より柔軟でスケール雄大な演奏を行っている。

本盤は、ベルリン・フィル盤に比べると音質にやや柔和さが見られるが、このあたりは好みの問題と言えるだろう。

これまで発売された他のオーケストラとの共演盤に較べて、艶の乗った響きの官能的なまでに美しい感触、多彩に変化する色彩の妙に驚かされる。

もちろん、ヴァントの持ち味である彫りの深い音楽造りは健在なのであるが、そこに明るく柔軟な表情が加わることで、他盤とは大きく異なる魅力を発散しているのである。

微動だにしないゆったりとしたインテンポを貫いているが、同じミュンヘン・フィルを指揮したチェリビダッケの演奏のようにもたれるということもなく、随所で見せるゲネラルパウゼも実に効果的だ。

音質が良いせいか、ヴァントの演奏としては思いのほか木管楽器の主張が強いことも、演奏全体により多彩な表情を与えているようだ。

ヴァント自身もここではテンポの動きを幅広く取って、非常に息の長い旋律形成を試みており、それぞれのブロックの締め括りに置かれたパウゼが深い呼吸を印象付けている。

深く沈み込んでいくような美しさと、そそり立つ岩の壁を思わせる壮大な高揚とが交錯する終楽章は中でも素晴らしい出来栄えである。

最後の音が消えてから約10秒後、それまで圧倒されたようにかたずを飲んでいた会場が、やがて嵐のようなブラヴォーに包まれていく様子がそのまま収録されていることも印象的で、当日の聴衆の本名演に対する深い感動が伝わってくる名シーンだ。

いずれにしても、ヴァント&ミュンヘン・フィルによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年07月08日


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ブロムシュテット初のブルックナー録音で、シュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を務めていた時期(1975〜85年)に残された最良の演奏のひとつ。

同じコンビによる「第4」も極上の名演であったが、本盤もそれに優るとも劣らない出来を誇っている。

「第7」は、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の音色を十分に生かしたブロムシュテット壮年期の素晴らしい稀有の名演として高く評価したい。

ブロムシュテットは、北欧の出身でありながら、ドイツ音楽を得意とするとともに、オードソックスなアプローチをする指揮者であると考えているが、本演奏でも、そうしたブロムシュテットの渋い芸風が曲想に見事にマッチングしていると言えるだろう。

いささかも奇を衒うことなく、インテンポによる自然体のアプローチが、「第7」の魅力を聴き手にダイレクトに伝えることに大きく貢献している。

指揮者もオーケストラも作品に奉仕した演奏と言えば良いのか、ここには作為めいたもの、過剰なもの、演出めいたものは一切なく、ただブルックナーの豊かな音楽が滔々と、淀みなく、しかも温かい温度感をもって流れている。

カンタービレの心が優しく、音楽の表情がふくよかであり、そうした幸福感が自然に聴き手を包み込んでくれる。

ブロムシュテットの指揮は敬虔な信仰家といった趣があり、過剰さはないが、人間の音楽としてのふくらみがあり、不足感はまったく感じさせない。

オーケストラのサウンドがまた素晴らしい。

ウィーン風のふくよかで雄大ながら愚純な趣のブルックナーともドイツ風のどこか無骨な巨人のようなブルックナーとも違う、引き締まってガッチリした壮大かつ精緻なブルックナーが聴ける。

これは、神と対話するオルガン的な宗教サウンドのブルックナーではなく、コンサート・ホールで交響曲としてサウンドさせるシンフォニック・ブルックナーの理想形のひとつかも知れない。

第1楽章の展開部や第2楽章のモデラートの進ませ方は丁寧すぎるとも言えるが、スケルツォの躍動とフィナーレにおける高揚により、すべてが明るく解決している。

特に終楽章の大聖堂のような充実した構築性は素晴らしい。

加えて、前述のように、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀のジャーマンサウンドが、演奏に潤いを与えている点も見過ごしてはならない。

深みのある弦と金管とのブレンドが美しく、落ち着いた佇まいをもった、端然とした演奏である。

ドレスデン・ルカ教会の豊かな残響も、同オーケストラの音色をより豊穣なものとしている点も大きなプラスだ。

音質は今回のBlu-spec-CD化によって、長年の渇きが漸く癒されたと言えるところであり、さすがにSACDにはかなわないが、従来盤と比較すると鮮明さが相当に増しており、本演奏の価値は大いに高まったと考える。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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