ブルックナー

2015年03月29日


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ヴァントは、1990年代に入ってブルックナーの交響曲の崇高な超名演を成し遂げることによって真の巨匠に上り詰めるに至ったが、1980年代以前のヴァントがいまだ世界的な巨匠指揮者としての名声を獲得していない壮年期には、たびたび来日して、NHK交響楽団にも客演を行っていたところだ。

本盤に収められたブルックナーの交響曲第4番は、ヴァントが得意中の得意としたレパートリーであり、NHK交響楽団に客演した際のコンサートの貴重な記録でもある。

ヴァントの「第4」では、ベルリン・フィル盤(1998年)、ミュンヘン・フィル盤(2001年)、北ドイツ放送響とのラストレコーディング(2001年)の3点が同格の超名演と高く評価されてしかるべきであろう。

それらに対して、NHK交響楽団を指揮した本盤(1982年ライヴ)の性格はケルン放送交響楽団とのスタジオ録音(1976年)に近いものと言える。

この「第4」は、いわゆるブルックナー指揮者と評される指揮者にとっては、なかなかに難物であるようで、ヨッフムなどは、2度にわたる全集を成し遂げているにもかかわらず、いずれの「第4」の演奏も、他の交響曲と比較すると必ずしも出来がいいとは言い難い。

ヴァントがいまだ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏であるだけに、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏を前述の1990年以降の超名演の数々と比較して云々することは容易ではある。

しかしながら、本演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。

また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になると言えるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならないと考えられる。

そして、本演奏には、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫と生命力が漲っており、その意味では、ケルン放送交響楽団とのスタジオ録音よりも優れた演奏と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名演と高く評価したい。

ヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと喰らい付いていき、持ち得る実力を最大限に発揮した名演奏を披露したNHK交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

1970年代から80年代にかけてのNHK交響楽団は一種独特の魅力と迫力があり、相性のいい指揮者と出会うと鬼神もかくやといった豪快な演奏で多くの聴衆を魅了してきた。

今回もまた激烈なヴァントの指揮のもとかつての重厚かつ豪放なN響サウンドが見事に蘇っている。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年03月28日


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2010年2月12日 ミュンヘン・フィルハーモニーに於けるライヴ録音で、ハイティンクの円熟を感じさせる素晴らしい名演だ。

ハイティンクは、アシュケナージなどと並んで評価が大きく分かれる指揮者と言えるのではないだろうか。

ハイティンクは、全集マニアとして知られ、さすがにハイドンやモーツァルトの交響曲全集は録音していないが、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなど、数多くの作曲家の交響曲全集のスタジオ録音を行ってきているところだ。

既に、80歳を超えた大指揮者であり、近年では全集のスタジオ録音に取り組むことはなくなったが、発売されるライヴ録音は、一部を除いてさすがは大指揮者と思わせるような円熟の名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたブルックナーの交響曲第5番も、そうした列に連なる素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

ハイティンクは、同曲をコンセルトヘボウ・アムステルダム(1971年)、そしてウィーン・フィル(1988年)とともにスタジオ録音を行っており、特に、ウィーン・フィルとの演奏については、オーケストラの美演もあって捨てがたい魅力があると言えるが、演奏全体の持つスケールの雄大さや後述の音質面に鑑みれば、本演奏には敵し得ないと言えるのではないだろうか。

ベートーヴェンやマーラーの交響曲の演奏では、今一つ踏み込み不足の感が否めないハイティンクではあるが、ブルックナーの交響曲の演奏では何らの不満を感じさせないと言える。

本演奏においても、ハイティンクは例によって曲想を精緻に、そして丁寧に描き出しているが、スケールは雄渾の極み。

重厚さにおいてもいささかも不足はないが、ブラスセクションなどがいささかも無機的な音を出すことなく、常に奥行きのある音色を出しているのが素晴らしい。

これぞブルックナー演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

悠揚迫らぬインテンポを基調としているが、時として効果的なテンポの振幅なども織り交ぜるなど、その指揮ぶりはまさに名人芸の域に達していると言ってもいいのではないか。

ハイティンクの確かな統率の下、バイエルン放送交響楽団も圧倒的な名演奏を展開しており、とりわけホルンをはじめとしたブラスセクションの優秀さには出色のものがあると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、現代を代表する大指揮者の1人であるハイティンクによる円熟の名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、ハイブリッドSACDによる極上の高音質録音であると言えよう。

音質の鮮明さに加えて、臨場感溢れる音場の広さは見事というほかはなく、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

近年ますます、その演奏と解釈に磨きのかかるハイティンクの、息詰まるような緊張感をたたえた感動的な演奏が高音質録音で余すことなく捉えられている。

このようなハイティンクによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年03月26日


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チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルによるブルックナーの交響曲集のSACD盤がついに発売された。

本セット盤には、ブルックナーの交響曲第4番、第6番、第7番、第8番が収められており、このうち第8番については、先般、アルトゥスレーベルから同一音源のシングルレイヤーによるSACD盤が発売されており、厳密に言うと、初SACD化は第4番、第6番、第7番の3曲ということになる。

もちろん、本セット盤はハイブリッドSACDであるし、ベルリンのスタジオにてDSDマスタリングが行われていることから、第8番についても、同じ音源によるSACDでも音質の性格はかなり異なるものとなっている。

因みに、EMIから発売されているこのコンビによる通常CD盤では、第4番が1年前の1988年のライヴ録音、第6番は同一音源、第7番は4年後の1994年のライヴ録音、第8番は3年後の1993年のライヴ録音であり、第7番及び第8番については来日時の本盤の演奏の方を高く評価する音楽評論家が多いことなどに鑑みれば、高音質SACD化がなされた本セット盤こそは、チェリビダッケによるブルックナーの交響曲選集の決定盤と言っても過言ではあるまい。

チェリビダッケは生前、自作を除いては自らの演奏のCD化(LP化)を一切禁じていた。

表向きは、実演をCD(LP)では表現し尽くすことができないというのがその理由であったとされるが、ベルリン・フィルの芸術監督に係るフルトヴェングラーの後継者争いで敗退したカラヤンに対する対抗意識も多分にあったのかもしれない。

それ故に、チェリビダッケの演奏を聴くことは実演以外には不可能になったことから、あまたの海賊盤が跋扈するとともに、その存在の神秘性が高まっていくことになった。

我が国にも来日し、その際の演奏がFMでも放送されたことから、一部に熱烈なチェリビダッケファンを生み出したのも記憶に新しいところであるが、殆どのクラシックファンにとっては縁遠い幻の指揮者的な存在であった。

もっとも、チェリビダッケの没後には、遺族の了解を得て、ミュンヘン・フィル(EMI、来日時の演奏についてはアルトゥスやソニー・クラシカルなど)や、さらにそれ以前のシュトゥットガルト放送交響楽団(DG)などとのライヴ録音が相当点数発売されることになり、一般のクラシック音楽ファンでもチェリビダッケの芸術を味わうことができるようになったところだ。

まさに、幻のベールを没後になって漸く脱いだのである。

チェリビダッケは、カラヤンをはじめ同業者への罵詈雑言を浴びせ続けていたが、これは罵詈雑言の対象となった指揮者のファンならずとも、決して気持ちのいいものではなく、このことが現在におけるチェリビダッケに対する評価が二分されている理由であると言えるのかもしれない。

チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということなのであろう。

楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。

それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢で練習に臨むとともに、かなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。

そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのがミュンヘン・フィルであった。

チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追求しようというものではない。

むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、まさに音のドラマ。

これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらない。

ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、1音1音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたが、チェリビダッケの場合は、音の1つ1つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは1つ1つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。

もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であった。

したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、ブルックナーの交響曲についても、そうしたことが言えるのではないだろうか。

EMIから発売されている通常CD盤で言うと、第5番、第8番、第9番については、超スローテンポによる演奏は、間延びした曲想の進み方に違和感を感じずにはいられないところであり、熱狂的なチェリビダッケのファンはともかくとして、とても付いていけないと思う聴き手も多いと言えるのではないかと考えられる。

これに対して、第3番や第4番、第6番などは、その極大なスケールに圧倒されるところであり、チェリビダッケだけに可能な個性的な名演と評価し得るのではないかとも思われるところである。

もっとも、EMI盤では違和感を感じさせた第8番も、本セット盤に収められた演奏は、チェリビダッケがこよなく愛した日本でのコンサートのライヴ録音ということもあって、同じく超スローテンポであっても、演奏の密度の濃さもあって冗長さを感じさせないと言えるところであり、必ずしも筆者の好みの演奏ではないが、音のドラマとしては十分に合格点を与えることが可能な名演と評価し得るのではないかと考えられる。

これは、第7番についても同様のことが言えるところであり、これらのことを総合的に勘案すれば、本セット盤は、ブルックナーの交響曲に深い愛着を持ち続けたチェリビダッケがその晩年に到達し得た自らの指揮芸術の集大成とも言うべき名セット盤と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

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2015年03月19日


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1984年2月、ベルリン・フィルハーモニーにおけるライヴ録音。

ジュリーニの高潔な音楽性が結晶した趣がある名演奏。

最円熟期のジュリーニの高貴にしてゆたかな芸格を最もよく伝える名演である。

ジュリーニは、特に1980年代のロサンジェルス・フィルの監督を辞めた後からは、非常にテンポの遅い、しかも、粘っこい、いわば粘着質の演奏をすることが多くなったような気がする。

したがって、楽曲の性格によって、こうしたジュリーニのアプローチに符合する曲とそうでない曲が明確に分かれることになった。

ブルックナーの交響曲も、同時期にウィーン・フィルと組んで、「第7」、「第8」及び「第9」をスタジオ録音したが、成功したのは「第9」。

それに対して、「第7」と「第8」は立派な演奏ではあるものの、ジュリーニの遅めのテンポと粘着質の演奏によって、音楽があまり流れない、もたれるような印象を与えることになったのは否めない事実である。

本盤は、1984年の録音であるが、確かに第1楽章など、ウィーン・フィル盤で受けたのと同じようにいささかもたれる印象を受けた。

しかし、第2楽章から少しずつそうした印象が薄れ、そして、素晴らしいのは第3楽章と第4楽章。

ジュリーニの遅めのテンポが決していやではなく、むしろ、深沈とした抒情と重厚な圧倒的な迫力のバランスが見事であり、大変感銘を受けた。

総体として、名演と評価してもいいのではないかと思う。

その要因を突き詰めると、やはり、ベルリン・フィルの超絶的な名演奏ということになるのではなかろうか。

この時期のベルリン・フィルは、カラヤンとの関係が決裂状態にあったが、ベルリン・フィルとしても、カラヤン得意のレパートリーである「第8」で、カラヤンがいなくてもこれだけの演奏が出来るのを天下に示すのだという気迫が、このような鬼気迫るような超絶的名演奏を成し遂げたと言えるのではないか。

そのベルリン・フィルの奥深く澄んだ響きと柔軟で底知れぬ表出力がジュリーニの克明な表現とひとつになって、まことにスケールゆたかな、晴朗な力に漲った演奏を築いている。

最円熟期に差し掛かったこの指揮者が、カラヤン時代の響きと演奏スタイルをとどめていたベルリン・フィルの特質を生かした成果とも言える。

彼らが共通して持っているブルックナー像を基本としながら、それを気高い表現に昇華させたのはジュリーニの手腕に他ならない。

芝居じみた要素は微塵もなく、聴衆の耳に媚びることがないため、とっつきやすい演奏とは言えないが、いったんその世界に入ることが出来ると、その精神世界の虜となるだろう。

北ドイツ的な重厚な響きに陥ることなく、あくまでオーストリアの作曲家ブルックナー本来の音色が守られ、その光が交錯するような色合いもこのうえなく美しい。

しかも、透徹した音楽性と強くしなやかな持続力に貫かれた演奏は、細部まで実に精緻に磨かれており、ベルリン・フィルがそうした表現に絶妙の感覚でこのオーケストラならではの色彩とニュアンスを織りなしている。

この巨大な作品の全体と細部を、明確な光の中に少しの夾雑物も交えることなく、くっきりと表現しつくした、ジュリーニならではの感動的なブルックナーである。

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2015年03月15日


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スクロヴァチェフスキは、今日において現役として活躍している世界最高齢の巨匠指揮者であるが、ブルックナーの交響曲第7番については、DVD作品を含めて、既に4種ものレコーディングを行っているなど、自家薬篭中のものとしているところである。

本演奏は、現時点においては最新の5度目のレコーディングに相当するが、何よりも演奏時間が5種の演奏の中で最も長くなっており、とりわけ、これまで比較的速めのテンポで演奏することが多かった第3楽章及び終楽章のテンポがややゆったりとしたより重厚なものとなっているのが特徴である。

第1楽章は、ゆったりとしたテンポに乗って奏されるチェロの音色が実に美しく、ヴァイオリンのトレモロとのバランスも見事である。

ヴァイオリンから受け渡される低弦によるトレモロの刻み方も味わい深く、この冒頭部分だけでも全体を包み込むような深い呼吸を有したスケール雄大さを誇っており、抗し難い魅力に満ち溢れている。

その後も、各旋律を陰影豊かに美しく歌わせる一方で、各楽器セクションの響かせ方は常に明晰さを保って透明感を確保するなど美しさの極みであり、木管楽器やホルンの音色の1つ1つに意味深さがある。

時として、テンポを落としてフレーズの終わりでリテヌートをかけるなど、音楽の流れに明確な抑揚があるのも素晴らしい。

コーダ直前の底知れぬ深みを感じさせる演奏や、コーダの悠揚迫らぬ堂に入った表現もスケール雄大である。

それにしても、ロンドン・フィルの充実した響きには出色のものがあり、とりわけブラスセクションや木管楽器の優秀さには舌を巻くほどである。

第2楽章は、冒頭のワーグナー・テューバの奥深い響きと弦楽合奏のバランスの良い響かせ方からして惹き込まれてしまう。

ゆったりとしたテンポで、1音1音を確かめるような曲想の運びであり、時には止まりそうになるほどであるが、しみじみとした奥深い情感豊かさは、これまでの4種の演奏を大きく凌駕していると言えるだろう。

同楽章において、一部の指揮者は、全体の造型を弛緩させないために、強弱の変化やアッチェレランドを施して冗長さに陥るのを避けているが、本演奏においては、そのような小細工は一切弄しておらず、あくまでもインテンポを基調とした直球勝負の正攻法のアプローチで一貫しており、我々聴き手は、紡ぎ出される情感豊かな美しい音楽の滔々たる流れにただただ身を委ねるのみである。

例によって、スクロヴァチェフスキは、本演奏においても、ノヴァーク版に依拠しつつ、頂点においては、ティンパニを一発目の強打の後は徐々に音量を絞っていくという独自のバージョンによる演奏を展開しているが、賑々しさを避けているのは本演奏の性格からしても至当である。

その後のワーグナー・テューバやホルンの演奏の意味深さ、フルートの抑揚の付いた吹き方など実に感動的で、いつまでも本演奏が醸し出す奥深い美の世界に浸っていたいと思わせるほどである。

第3楽章は、前後半は、中庸の落ち着いたテンポによる演奏であり、これまでの4種の演奏よりも重厚さが際立っている。

ここでも、ロンドン・フィルのブラスセクションの充実した響きが実に魅力的である。

トリオは、ややテンポを落として情感豊かに歌い上げているが、各フレーズの表情付けの巧さは、もはや神業の領域に達していると言っても過言ではあるまい。

終楽章は、冒頭はやや速めのテンポでひそやかに開始されるが、その後はテンポを落として、落ち着いた足取りによる演奏が展開される。

ブラスセクションと弦楽合奏のバランス良い鳴らし方も巧みであり、重厚さにもいささかも不足はない。

随所においてテンポを落としてホルンによる意味深いコラールを響かせたり、ブラスセクションの咆哮にリテヌートを施したりするなど、これまでの4種の演奏と比較して表情の起伏が大きくなったようにも思われるが、それがむしろ功を奏しており、同曲の弱点でもある終楽章のスケールの小ささを微塵も感じさせないのは見事という他はない。

そして、コーダにおいては、微動だにしない荘重なテンポによる威容に満ちた壮麗なクライマックスを築き上げて圧倒的な高揚のうちに全曲を締め括っている。

なお、演奏終了後の拍手は収録されていない。

いずれにしても、本演奏は、スクロヴァチェフスキの5種ある演奏の中でも最も優れた演奏であり、今後、スクロヴァチェフスキが同曲をレコーディングするか予断は許さないところではあるが、現時点においては、スクロヴァチェフスキによる同曲の演奏の掉尾を飾るのに相応しい至高の超名演と高く評価したいと考える。

音質も、各楽器セクションが明瞭に分離するなど、素晴らしく鮮明なものと評価しておきたい。

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2015年03月14日


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本盤に収められたブルックナーの交響曲第5番(カップリングは、シューベルトの交響曲第8番「未完成」)の演奏は、オットー・クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団とともに、1967年3月、ロンドンのロイヤルフェスティバルホールにて行ったコンサートのライヴ録音。

クレンペラーによる同曲の演奏のレコーディングとしては、あらゆる意味において完成度の高い同年のスタジオ録音の演奏と、巨大なスケールと剛毅な曲想の運びの中にもウィーン・フィルの美演の魅力、そして実演ならではの気迫や緊張感を有した1968年のウィーン・フィルとの演奏(ライヴ録音)が存在している。

加えて、それら両演奏がステレオ録音であることに鑑みれば、モノラル録音である本演奏は不利な条件にあると言わざるを得ないが、そうした不利な条件などものともしない偉大な名演奏に仕上がっていると言えるところだ。

それにしても、第1楽章の何物にも揺り動かされることのないゆったりとしたテンポによる威容に満ちた曲想の運びを何と表現すればいいのであろうか。

どこをとってもいささかも隙間風の吹かない重厚さと深い呼吸に満ち溢れている。

ブラスセクションの強奏などもややゴツゴツしていて剛毅ささえ感じさせるが、それでいて音楽が停滞することなく滔々と流れていくのが素晴らしい。

第2楽章は、クレンペラーとしては、決して遅すぎないテンポによる演奏であるが、木管楽器の活かし方など実に味わい深いものがあり、厚みのある弦楽合奏の彫りの深さ、格調の高さには出色のものがある。

後半のブラスセクションがやや直線的で武骨さを感じさせるのは好みが分かれると思われるが、いたずらに洗練された無内容な演奏よりはよほど優れていると言えるだろう。

第3楽章は中庸のテンポを基調としているが、ブラスセクションの抉りの凄さや弦楽合奏と木管楽器のいじらしい絡み方など、クレンペラーの個性的かつ崇高な指揮芸術が全開である。

トリオは一転してやや遅めのテンポで味わい深さを演出しているのも実に巧妙である。

終楽章は、第1楽章と同様に悠揚迫らぬ荘重な曲想の展開が際立っており、低弦やティンパニの強靭さ、そして抉りの効いたブラスセクションの咆哮など、凄まじさの限りである。

そして、こうした演奏を基調としつつ、輻輳するフーガを微動だにしない荘重なテンポで明瞭に紐解いていく峻厳とも言うべき指揮芸術には、ただただ圧倒されるほかはなく、コーダの壮大な迫力にはもはや評価する言葉が追い付かないほどだ。

いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの偉大な指揮芸術の凄さを堪能することができるとともに、クレンペラーによる同曲の名演とされている同年のスタジオ録音の演奏や、翌年のウィーン・フィルとの演奏と同格の至高の超名演と高く評価したいと考える。

カップリングのシューベルトの交響曲第8番「未完成」の演奏も、木管楽器が活躍する交響曲であることもあってクレンペラー得意のレパートリーであり、翌年のウィーン・フィルとの演奏(ライヴ録音)や、前年のバイエルン放送交響楽団との演奏(ライヴ録音)など、強力なライバルが目白押しである。

もっとも、本演奏は、ブルックナーの交響曲第5番の演奏よりもより鮮明な音質で捉えられていることもあって、音質面においてもそれら両演奏と殆ど遜色がないところであり、悠揚迫らぬ曲想の運び方、木管楽器の絶妙な活かし方、スケールの雄大さなど、これ以上は求め得ないほどの至高の高みに聳えたつ超名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

前述の両演奏との優劣の比較は困難を極めるが、筆者としては三者同格の超名演としておきたい。

音質は、前述のようにモノラル録音ではあるが、テープヒスさえ気にならなければ、1967年のライヴ録音にしては比較的聴きやすい良好なものと評価したい(ブルックナーの交響曲第5番については、ピッチが不安定な箇所が散見されるように感じたが、鑑賞には特段の支障はないと思われる)。

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2015年03月13日


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世界的にブルックナー指揮者として高い評価を得ている“ミスターS”ことスクロヴァチェフスキの魅力を堪能できる1枚。

本盤に収められたブルックナーの後期作品は、大曲ゆえに映像タイトルがあまり多くなく、カラヤンとブーレーズのウィーン・フィルとの録音盤(DVD)以降、長らく新タイトルの登場を待ち望んでいた作品であるが、そんな長年の「渇望」を一気に癒してくれたのがこのBlu-ray名盤であった。

まずはライヴ盤だけに演奏に多少のキズはあるものの、日本のオケがここまで完成度の高いブルックナーを披露したことに賞賛を贈りたい。

スクロヴァチェフスキの年齢を考えれば、間違いなく貴重な記録となる作品であるが、それだけにとどまらず、演奏自体も十二分に聴き応えがある。

今や、ドイツものの重厚なシンフォニーに限って言えば、読売日本交響楽団が日本のトップと言って良いかもしれないと思ったほどである。

まさか日本のオケがここまで完璧にブルックナーの神髄に迫る演奏を聴かせてくれるとは、まったく想像すらできなかった。

しかも、録り直しなしの「一発ライヴ録音」でこの演奏水準を出せたということが二重の驚きだ。

日本のオケの演奏技術が向上したというのもあるのだろうが、綿密なリハーサルの積み重ねと共に、指揮者スクロヴァチェフスキの統率力、即ちタクトの力が大きいのであろう。

音響の諸相を明晰に、魔境を鮮烈に「映し出す」驚異の職人芸、あくなき芸術的探究心と覇気を掲げた老匠の指揮に、懸命に応えるオーケストラ。

マエストロの至芸、渾身の演奏、スケール感という、いつもの褒め言葉で事足りるブルックナーではない。

指揮者の精緻な「こだわり」が生きた、壮絶かつ豊穣な音楽づくりであり、ライヴの凄み、ここに極まる、と評したい。

ここに聴く、観るブルックナーは、いずれも音の巨大な塊が押し寄せてくる、モノクロームのブルックナーではなく、巨匠がこれまでの歩みを振り返り、感慨にふけった演奏でもない。

ここぞという場面での、剛毅さ、決然とした運び、創りに驚き、響きの美しき綾に酔いしれる。

そんなスクロヴァチェフスキの秘技をも、カメラは捉えた。

マエストロの好きな言葉「音楽の律動」を目の当たりにすることも出来る、画期的なライヴ映像の誕生だ。

ザールブリュッケン放送交響楽団とのスタジオ録音も良い演奏であったが、今回の演奏はそれを技術と音の美しさで凌ぐ名演中の名演である。

  
加えてBlu-rayならではの映像の美しさ、さらに、奏者を的確に捉える画面構成と、指揮者の解釈をも映像に反映した映像チームの力量は、NHKの番組をも凌駕するものと言えるだろう。

ぜひ来日オケや、サイトウ・キネンなどもこのチームに作って欲しいと願ってしまう。

また、5.1chサラウンドの効果も目覚ましいものがあり、響きも楽しく、がっしりとした低弦群の土台の上に、美しい中高弦楽器群と管楽器のサウンドが重なり、えも言われぬ美しい音の「ピラミッド」が形成される。

演奏時は違和感なく演奏に集中でき、カーテンコールではより臨場感を持って体感することが出来た。

スクロヴァチェフスキが80歳半ばを過ぎてなお、その指揮芸術がますます深化していることを十二分に窺い知ることが可能であると言えるところだ。

また、大曲2曲で1枚ということを考えれば、価格も良心的と言って良いと思う。

スクロヴァチェフスキには、今後とも出来るだけ長生きしていただいて、ブルックナーの交響曲をできるだけ多く演奏・録音して欲しいと思っているクラシック音楽ファンは筆者だけではあるまい。

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2015年03月11日


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「第4」は、クレンペラーとしてはやや速めのインテンポによる演奏であるが、マーラーなどとは異なり、随所に見られる金管のアクセントの強烈さなど、若干の違和感を感じる箇所が散見されることは否めない。

他方、さすがと言えるような感動的な箇所も見られ、その意味で、功罪半ばする演奏ということが言えるかもしれない。

例えば、第3楽章を例にとると、ホルンによる第1主題を明瞭に演奏させているのは大正解であり、演奏によっては、ここを快速テンポで曖昧模糊に吹奏させている例もあり、それでは第3楽章の魅力が台無しになってしまう。

しかし、この第1主題の展開部に向けての盛り上がりがあまりにも大仰、特に、トランペットのアクセントがあまりにも強烈すぎて、朝比奈やヴァントの名演に接してきた者(もちろん、これらの演奏が絶対と言うつもりは毛頭ないが)からすると、どうしても違和感を感じてしまう。

トリオに入ると、テンポを少し落として抒情豊かな至芸を見せるが、ここは実に感動的で、クレンペラーの偉大さを感じる箇所だ。

このように、第3楽章1つをとってみても、評価がなかなか定めにくいのが正直なところである。

しかしながら、1960年代の初めという、ブルックナーがあまり一般に受容されていない時期に、これだけの水準の演奏を成し遂げたのは評価すべきであり、その意味において、本演奏を佳演と評価するには躊躇しない。

クレンペラーのブルックナーは、曲によって相性のいい曲とそうでない曲があるのではないだろうか。

剛毅で微動だにしないインテンポが、例えば、「第4」などの場合、強烈なアクセントなどもあって、若干の違和感を感じさせる演奏であったが、「第5」は、ブルックナーの交響曲の中でも最も男性的な、剛毅な性格の作品であるだけに、クレンペラーの演奏が悪かろうはずがない。

そればかりか、クレンペラーのブルックナーの交響曲の演奏中でも、この「第5」が随一の名演と評価すべきではないだろうか。

どの楽章も重量感溢れる、同曲に相応しい名演であるが、特に高く評価したいのは第3楽章と終楽章。

第3楽章は、まさに巨象の進軍であり、スケールも雄大で、この凄まじい迫力は、同曲に超名演を遺した朝比奈やヴァントと言えども一歩譲るだろう。

終楽章は、第3楽章をさらに上回る巨人の演奏であり、主部の踏みしめるような超スローテンポの演奏は、壮大なスケールであり、これだけのゆったりとしたテンポをとっても、全体的な造型にいささかの揺らぎもないのは、まさに巨匠クレンペラーの晩年の至芸の真骨頂と言えるだろう。

終結部の雄大さには、もはや評価する言葉が追いついてこない。

ブルックナーの「第6」は、壮麗にして剛毅な「第5」と、優美な「第7」に挟まれて、ずいぶんと目立たない存在である。

ブルックナーならではの美しい旋律と重厚さ、つまりは「第5」と「第7」を足して2で割ったような魅力に溢れた交響曲だけに、非常に惜しいことであると思う。

しかし、こうした「第6」の魅力は、ブルックナーを愛する巨匠には十分に伝わっており、ヨッフムや、最近ではヴァントや朝比奈などが、「第6」の素晴らしい名演を遺している。

クレンペラーもそうした「第6」を愛した巨匠の1人と言うことができるだろう。

レッグに、かつて録音を止められたことがあるという、いわくつきの曲でもあるが、それだけクレンペラーが、この「第6」に傾倒していたと言えるのではないだろうか。

演奏の性格は、他の交響曲へのアプローチとほとんど変わりがなく、剛毅にして重厚。

したがって、アクセントなどは相変わらずきついが、それでも、この「第6」の場合は、あまり気にならない。

同時期にヨッフムが「第6」の名演を遺しているが、ヨッフムのロマン派的な演奏とは全く対照的だ。

したがって、第2楽章など、もっと歌ってほしいと思う箇所も散見されるが、この曲の弱点とも言われる第3楽章や終楽章は、重量感溢れる演奏を展開しており、この両楽章については、ヨッフムと言えども太刀打ちできない雄大なスケールを誇っている。

ある意味では、ヴァントの演奏の先触れとも言える側面も有している。

いずれにせよ、本演奏は、クレンペラーの同曲への愛着に満ち溢れた壮麗な名演と評価したい。

剛毅で重厚なクレンペラーのアプローチと、ブルックナーの交響曲中で最も優美な「第7」の取り合わせは、どう見ても、なかなか噛み合わないのではないかと大いに危惧したが、聴き終えてそれは杞憂に終わった。

それどころか、途轍もない名演に仕上がっている。

第1楽章の冒頭からして、深沈たる深みのある演奏であり、随所で聴かれる美しい木管の響かせ方もクレンペラーならではのものだ。

第2楽章も崇高な演奏であり、決して低俗な抒情に流されることなく、格調の高さを失わない点はさすがと言うべきである。

第3楽章は、クレンペラーの剛毅で重厚な芸風に最も符号する楽章であり、テンポといい強弱の付け方といい、文句のつけようのない素晴らしさだ。

終楽章も、踏みしめるようなリズムなど重量感溢れる演奏であり、「第7」の欠点とも言われるスケールの小ささなど微塵も感じられない。

それにしても、クレンペラーが、このような優美な「第7」で名演を成し遂げるというのは実に不思議だ。

メンデルスゾーンの「スコットランド」や「真夏の夜の夢」などで名演を成し遂げたのと同様に、これは指揮界の七不思議と言ってもいいかもしれない。

「第8」は、実に惜しい。

第3楽章までは深みのある超弩級の名演なのに、終楽章に来て大きな問題点が発生する。

クレンペラーは、終楽章に大幅なカットを施しているのだ。

なぜ、このような恣意的な解釈を行うのであろうか。

おそらくは、長過ぎるとか冗長に過ぎると思ったのであろうが、仮にそのように思っていたとすれば、いささかきつい言い方かもしれないが、ブルックナーを指揮する資格はそもそもないとも言えるだろう。

ノヴァーク版が一般化しても、ブルックナーのスコアに記した音符をできるだけ忠実に再現したハース版を変わらずに信奉し続けたヴァントや朝比奈の演奏が高く評価される今日においては、きわめて奇異な解釈と言わざるを得ないだろう。

終楽章冒頭のテンポの入り方も深沈として実に味わい深いのに、大変惜しいことである。

これぞ諺に言う、「百日の説法屁一発」というものではないか。

第3楽章まで聴き終えて、超名演との評価は確実と思っていたのに、愕然とした次第である。

この終楽章のカットは、ブルックナーファンとしては、クレンペラーの偉大さを評価する者としても許しがたいという思いが強い。

クレンペラーのブルックナーでは、「第5」が最も優れた名演だと考えているが、それに次ぐのがこの「第9」だと思う。

というのも、クレンペラーの峻厳にして剛毅な芸風が、ブルックナーの「第5」や「第9」という硬派の交響曲の性格と合致するからだと考えられる。

この「第9」の録音はクレンペラーの死の3年前のものであるが、それだけに、ここにはクレンペラーが到達した至高・至純の境地が示されているとも言えるだろう。

第1楽章は、実に堂々たるインテンポであるが、剛毅にして重厚なアプローチが、これぞブルックナーという深みのある音楽を紐解いていき、時折見られる金管の強奏も、決して無機的には陥っていない。

第2楽章は、重量級の進軍を開始するが、特に、クレンペラーの特徴が表れているのは中間部のトリオの箇所。

ここの木管楽器の活かし方は実に美しく、これは、他の指揮者でもあまり聴かれないだけに貴重な解釈と言えるだろう。

終楽章は、第1楽章と同様のことが言えるが、展開部から、それまでのインテンポから一転して、ドラマティックな演出を試みている。

木管楽器の強調などやり過ぎの感は否めないが、それでも違和感を感じるほどではないのは、クレンペラーの同曲への深い愛着と理解の賜物と言うべきだろう。

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2015年02月27日


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チェリビダッケは生前、自作を除いては自らの演奏のCD化(LP化)を一切禁じていた。

表向きは、実演をCD(LP)では表現尽くすことができないというのがその理由であったとされるが、ベルリン・フィルの芸術監督に係るフルトヴェングラーの後継者争いで敗退したカラヤンに対する対抗意識も多分にあったのかもしれない。

それ故に、チェリビダッケの演奏を聴くことは実演以外には不可能になったことから、あまたの海賊盤が跋扈するとともに、その存在の神秘性が高まっていくことになった。

我が国にも来日し、その際の演奏がFMでも放送されたことから、一部に熱烈なチェリビダッケファンを生み出したのも記憶に新しいところであるが、殆どのクラシックファンにとっては縁遠い幻の指揮者的な存在であった。

もっとも、チェリビダッケの没後には、遺族の了解を得て、ミュンヘン・フィル(EMI)や、さらにそれ以前のシュトゥットガルト放送交響楽団(DG)などとのライヴ録音が相当点数発売されることになり、一般のクラシック音楽ファンでもチェリビダッケの芸術を味わうことができるようになったところだ。

まさに、幻のベールを没後になって漸く脱いだのである。

チェリビダッケは、カラヤンをはじめ同業者への罵詈雑言を浴びせ続けていたが、これは罵詈雑言の対象となった指揮者のファンならずとも、決して気持ちのいいものではなく、このことが現在におけるチェリビダッケに対する評価が二分されている理由であると言えるのかもしれない。

チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということなのであろう。

楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。

それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。

そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのがミュンヘン・フィルであった。

チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追求しようというものではない。

むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、まさに音のドラマ。

これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらない。

ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、1音1音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたが、チェリビダッケの場合は、音の1つ1つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは1つ1つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。

もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であった。

したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、本盤に収められたブルックナーの交響曲集についても、そうしたことが言えるのではないだろうか。

特に、第5番、第8番、第9番の超スローテンポによる演奏は、間延びした曲想の進み方に違和感を感じずにはいられないところであり、熱狂的なチェリビダッケのファンはともかくとして、とても付いていけないと思う聴き手も多いと言えるのではないだろうか。

他方、第3番や第6番などは、その極大なスケールに圧倒されるところであり、チェリビダッケだけに可能な個性的な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

このように、功罪相半ばする交響曲集であると言えるところであるが、チェリビダッケの最晩年の芸風を満喫することができることや、信じ難いような廉価であることを鑑みれば、充分に推薦に値するBOXではないかと考える。

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2015年02月26日


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ムラヴィンスキーは、ブルックナーの後期3大交響曲のCDを遺しているが、この3大交響曲の中で、その眼光紙背に徹した峻厳な芸風から、もっとも、ムラヴィンスキーに向いているのは「第9」と言えるのではなかろうか。

どの作品に於いても客観性が重視されるムラヴィンスキーの演奏だが、オルガン的発想から育まれたブルックナーの作品にさしものムラヴィンスキーも悪戦苦闘(版の問題、手法は違えど、朝比奈やヴァントもそうだったのだから当然かもしれない)ぶりも否めないが故に、彼の十八番と言える名盤に見られない彼の個性が随所に見られた本作品。

ムラヴィンスキー晩年の悠揚迫らぬブルックナーであるが、とにかく最初から最後まで峻烈で厳しい演奏と言えるところであり、分厚い弦楽器のトレモロの上に堂々と響きわたる金管群の咆哮が凄まじい。

謹厳な顔からは想像もつかない天真爛漫なスケルツォや終楽章の深い沈潜には、巨匠が到達した孤高の境地がうかがえるようだ。

もちろん、朝比奈やヴァント、そしてかつてのシューリヒトなどの名演に接した者にしてみれば、本盤の演奏は、やや特異な印象を受けるというのが正直なところだ。

第1楽章の終結部のあまり品のいいとは言えないトランペットのヴィブラートや、終楽章の金管楽器による叩きつけるような最強奏などにはどうしても違和感を感じるし、特に後者については無機的にさえ聴こえるほどだ。

木管楽器、特にクラリネットやオーボエの抑揚のない直線的な奏し方も、いかにもロシア的な奏法なのであろうが、ブルックナーの演奏としてはいかがなものであろうか。

終楽章のホルンの柔らかいヴィブラートも、いささか場違いな印象を与える。

しかしながら、こうしたブルックナーの交響曲の演奏スタイルからすると、決してプラスにはならない演奏を行っているレニングラード・フィルを、ムラヴィンスキーは見事に統率し、総体としてムラヴィンスキーならではの個性的な名演を仕上げた点を高く評価したい。

相当な練習を繰り返したことも十分に想像できるところであり、後日談によれば、練習には通常よりも多く時間が取られたらしいが、本人にしてみれば「まだまだ満足出来ない、時間も足りない。」と思われただろう。

自己満足に陥らない作曲者及び作品への畏敬の念がそう物語っている。

前述のように、いわゆる正統派のブルックナー演奏ではなく、あくまでも、ムラヴィンスキーの個の世界にあるブルックナー演奏と言えると思われるが、それでもこれだけ、ムラヴィンスキーの厳格なスコアリーディングに基づく個性的な解釈と、オーケストラに対する卓越した統率力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

ムラヴィンスキーという大指揮者の底知れぬ恐ろしさと難しさ、そして深さを感じずにはいられない。

さらにシングルレイヤーによるSACD化により、見違えるような音質に仕上がり、その音質の素晴らしさゆえにムラヴィンスキーのヴァイオリン両翼配置の美しさと強力な金管、浮きあがる木管など実に美しくしかも克明に再現されるのは、素晴らしいの一言である。

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はじめに、筆者は、必ずしもチェリビダッケの良い聴き手ではないということを告白しておかなければならない。

同業他者への罵詈雑言の数々、生前に録音を殆ど許可しなかった(海賊盤しか手に入らなかった)という異常なまでのこだわり、そして、あのハリー・ポッターのマルフォイをそのまま大人にしたような傲岸不遜な風貌も相俟って、どうもチェリビダッケには、胡散臭さを感じていたというのが正直なところだ。

チェリビダッケの没後、ようやく少なからぬライヴ録音が発売されたが、正直言って玉石混交。

あの異常なまでのスローテンポに(すべてとは言わないが)、どうしても必然性が感じられなかった。

チェリビダッケのファンからすれば、聴く耳がないと怒られそうだが、人それぞれに好みや感じ方があるので、それはそれで仕方がないのではないかと思っている次第だ。

しかしながら、数年前に発売された、来日時のブルックナーの「第5」を聴いて、歳をとったせいで丸くなったという面も無きにしも非ずだが、ようやく、チェリビダッケの芸術というものへの理解が少し出来たような気がした。

そして聴いた本盤の「第8」。

確かに、常識はずれのスローテンポではあるが、少なくとも、かつて海賊盤で聴いたミュンヘン・フィルとのライヴ録音の時のようにもたれるというようなことはなく、心行くまで演奏を堪能することができた。

チェリビダッケのブルックナー演奏の性格を一言で言えば、光彩陸離たる豊穣さと言えるのではないか。

どこをとっても隙間風の吹かない重厚さ、壮麗さが支配しており、どんなに金管楽器を最強奏させても、無機的には陥らない。

それでいて、抒情的な箇所の最弱音も、いわゆる痩せたりするということは皆無であり、常に意味のある高踏的な音が鳴り切っている。

これぞ、究極のオーケストラ演奏と高く評価したい。

確かに、通例のブルックナーの演奏からすれば異端とも言えるところであり、これは、あくまでもチェリビダッケの個の世界にあるブルックナーということになるのかもしれない。

それ故に、かつての筆者のように抵抗感を示す聴き手もいるとは思うが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

その超スローなテンポにも入りきらないほどにぎっしりと詰まったメッセージがあり、一瞬の輝きが連なってこそ音楽が生命を持っており、だからこそ細部に執着するのだ。

個と汎の有機的な融合、瞬間と連続が繰り返すチェリビダッケ独自の世界に、もう名演かどうかなど関係ない。

ここにはチェリビダッケが引き起こす音と響きの{出来事}に立ち会うことの幸せがあり、ブルックナーという原石を徹底的にチェリの作法で磨いた作品なのだ。

交響曲史の頂点、とチェリビダッケも語る、怒り、神への栄光を掴み取り、獲得してしまうまでの長い道程、そして鍛え抜かれたミュンヘン・フィルのアンサンブルが、見事に応える。

ペーター・ザドロの強烈なティンパニ、本当に人間が吹いているのだろうかと驚かされる金管群のスタミナなど、圧倒的だ。

ブルックナーが完成させた中でも最も長大な曲に対して、それを上回るような高い精神性で挑むチェリビダッケの崇高な姿がここにある。

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2015年02月24日


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カラヤンは、ブルックナーの交響曲の第8番を、DVD作品などを除けば、3度スタジオ録音している。

その中でも本演奏は3度目の最後の録音に当たるものであるが、ダントツの名演であり、他の指揮者による様々な同曲の名演の中でも、上位にランキングされる至高の名演として高く評価したい。

カラヤンの最初の録音は、ベルリン・フィルの芸術監督に就任して間もない頃の演奏であり(1957年盤)、カラヤンがいまだベルリン・フィルを必ずしも掌握しきれていないこともあるせいか、立派ではあるがいささか重々し過ぎる演奏になってしまっていた。

そして、モノラル録音というのも大きなハンディがあると言わざるを得ない。

これに対して、2度目の録音(1975年盤)は、その後に全集に発展する第1弾となったものであるが、カラヤン全盛時代ということもあり、鉄壁のアンサンブルと流麗なレガートの下、金管楽器のブリリアントな響きや肉厚の弦楽合奏、フォーグラーによる雷鳴のようなティンパニなど、いわゆるカラヤンサウンド満載。

音のドラマとしては最高ではあるが、ブルックナーというよりはカラヤンを感じさせる演奏であったことは否めない。

これら1957年盤及び1975年盤に対して、本盤の演奏は、そもそもその性格を大きく異にしている。

ここには、カラヤンサウンドを駆使して圧倒的な音のドラマを構築したかつてのカラヤンの姿はどこにもない。

第1楽章や第2楽章などにはその残滓がわずかに聴き取れるが、第3楽章以降に至っては、自我を抑制し、虚心坦懐に音楽そのものの魅力をダイレクトに伝えていこうという自然体のアプローチの下、滔々と流れる崇高な音楽が流れるのみだ。

カラヤンとしても、最晩年になって漸く到達し得た忘我の境地、至高・至純の清澄な境地であると言うべきであり、これほどの高みに達した名演は、神々しささえ感じさせる荘厳さを湛えているとさえ言える。

このようなカラヤンとともに、美しさの極みとも言うべき名演奏を繰り広げたウィーン・フィルの好パフォーマンスにも大きな拍手を送りたい。

録音については従来CDやSHM−CDでも十分に鮮明ではあるが、いまだにSACD化されていないのは、非常に不思議な気がしている。

これだけの歴史的な名演でもあり、今後、更なる高音質化を大いに望みたい。

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2015年02月14日


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「第7交響曲」の空前の大成功によって、生涯最高の美酒に酔いしれたブルックナーが、きわめて良好な精神状態で、自信を持って書き上げた「第8」の初稿は、ハ短調という悲劇的な調性を感じさせない、実に晴朗で、伸びやかな作品であった。

ブルックナーにとっての悲劇は、この自信満々の新作を「最良の理解者」と信じ、初演を託していた指揮者レヴィに「演奏不能」と拒絶されたことだ。

ブルックナーが再び自信を喪失、精神状態に不安をきたし、当の「第8」のほか、「第3」や「第1」の価値の薄い改訂(「第3」については異論もあろうが)にまで手を染めて、ついには「第9」が未完成に終わってしまったことはブルックナー愛好者によく知られる痛恨事である。

しかし、仮にレヴィが「これは素晴らしい!」という度量を見せて、このままの形で初演していたとしたら、後にリヒターが行った改訂版での初演ほどの成功を収め得たかどうかは誰にも分からない。

確かに、この初稿は途方もなく伸びやかで斬新なため、一般の聴衆にはつかみどころがなく、受け入れられなかったかも知れないからだ。

改訂により作品の本質を「喜劇から悲劇へ」と転換させながら、ブルックナーはより求道性を高め、響きを深淵にした。

特に、第1楽章、初稿が華々しいファンファーレで終わるのに対し、改訂稿は弦のピアニッシモで終わる。

このことによって、悲劇に始まり勝利に終わるという全曲を一貫するプログラムで出来上がったことが、初演成功の大きな要因であったと思われる。

では初稿は、決定稿への踏み台に過ぎなかったのかというと、そうではなく、初稿は初稿で、まことに清新な音の大モニュメントなのである。

繰り返しになるが、「第7」成功の自信に溢れたブルックナーの書いた最も幸福な作品と言っても良く、ことに第3楽章は「天上の音楽」そのものである。

さて、悲劇的な宿命を負った美しい初稿が初めてレコードとなったのは、ここに取り上げるインバル&フランクフルト放送響による演奏である。

多くの音楽愛好家の注目を集めたのは言うまでもなく、初めて耳にしたときの新鮮な感動は今でもよく覚えている。

今、改めて聴き直してみて、インバル盤の水準の高さを認めたいと思う。

速めのテンポと引き締まったサウンドにより、初稿らしい爽やかな演奏になっているからである。

ただし、インバルは本質的にはブルックナー向きの指揮者ではないのではないか。

「第3」「第4」といった初稿の演奏が成功している割には、残りのナンバーの感銘度がいまひとつなことからも、それが伺える。

オーケストラの響きを開放するよりは凝縮する方向に向かわせるため、ブルックナーを聴く醍醐味が減ってしまうからであろう。

ベームほどの熟達と情熱があれば、それもカバーできるのであるが、そこまでの技と心がインバルには用意されていないのである。

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2015年01月28日


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ヴァントのブルックナーは既に神格化されているが、その芸術が至高の境地に達したのは1990年代後半である。

特に、ベルリン・フィルと組んで遺した「第5」、「第4」、「第9」、「第7」、そして最後の「第8」は、人類共通の至宝と言うべきであるが、今般、これらの至宝に、更に、ミュンヘン・フィルと組んだ至高の名演群(「第6」と「第7」が入れ替わっているが)が加わることになった。

いずれ劣らぬ名演揃いであるが、その中でも、ヴァントの自伝にも記されているが、「第5」と「第9」は、ブルックナーが妥協を許さずに作曲した作品として、特に愛着を持って接していたようで、他の指揮者の追随を許さない超名演に仕上がっている。

本盤は、この1カ月後にライヴ録音したベルリン・フィル盤と並んで、ヴァントの「第5」の総決算とも言うべき超名演である。

両盤に優劣をつけることは困難であるが、違いはオーケストラの響きぐらいのものであり、これだけの高次元のレベルに達すると、後は好みの問題ということになるであろう。

録音で聴くと少々弛緩した印象もあったチェリビダッケ盤に較べ、ここでのヴァントの勇壮なオーケストラ・ドライヴには、聴き手を興奮させずにはおかない劇的な展開の巧みさと迫力が確かに備わっており、ミュンヘン・フィルの明るく流麗で色彩的、かつ俊敏なサウンドがそうした解釈と面白いマッチングをみせて素晴らしい聴きものとなっている。

引き締まったサウンドを好んだヴァントが、チェリビダッケによって厳しく訓練され、高い適応力を備えていたオーケストラとの共同作業から手に入れたのは、美しくしかもパワフルなサウンドだったのである。

ここでのミュンヘン・フィルは本当にすばらしく、技術上の高水準はもちろん、自分たちの演奏に対する自信といういうか、何か誇らしさが聴こえてくるようでもあり、どのパートもしっかりと存在感を保ちつつ、もちろんアンサンブルとして完璧な出来を示している。

厳格なスコアリーディングに基づく剛毅にして重厚な演奏スタイルであるが、1980年代のヴァントに見られたような、凝縮しすぎるあまりスケールが矮小化されるという欠点もいささかも見られない。

リズムにも柔軟性が付加されており、硬軟併せ持つバランスのとれた名演と言うべきである。

終結部の微動だにしない圧倒的な迫力はこの超名演の締めくくりに相応しいものであり、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然のことにように思われる。

この公演から約1ヶ月の後にはベルリン・フィルに客演して同曲を指揮するヴァントだが、リハーサル回数の問題もあったのであろうか。

ヴィルトゥオジティはともかく、指揮者の解釈がより深く楽員に浸透したのは、どうやらミュンヘン・フィルの方だったようだ。

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ブルックナー「第8」、シューベルト「未完成」とも、長年に渡ってチェリビダッケに鍛え抜かれたミュンヘン・フィルを指揮していることもあって、演奏全体に滑らかで繊細な美感が加わっていることが特徴。

ブルックナーの「第8」は、まぎれもなくブルックナーの最高傑作であると思うが、それだけに、ヴァントも、ライヴ録音も含め、何度も録音を行ってきた。

しかしながら、ヴァントの厳格なスコアリーディングによる眼光紙背に徹した凝縮型のアプローチとの相性はイマイチであり、1993年の北ドイツ放送交響楽団までの録音については、立派な演奏ではあるものの、やや面白みに欠けるきらいがあった。

しかしながら、本盤のミュンヘン・フィルとの演奏と、この数カ月後のベルリン・フィルとの演奏の何という素晴らしさであろうか。

神々しいばかりの超名演と言っても過言ではあるまい。

ヴァントは、これまでの凝縮型のアプローチではなく、むしろ朝比奈隆のように、より柔軟でスケール雄大な演奏を行っている。

本盤は、ベルリン・フィル盤に比べると音質にやや柔和さが見られるが、この当たりは好みの問題と言えるだろう。

これまで発売された他のオーケストラとの共演盤に較べて、艶の乗った響きの官能的なまでに美しい感触、多彩に変化する色彩の妙に驚かされる。

もちろん、ヴァントの持ち味である彫りの深い音楽造りは健在なのですが、そこに明るく柔軟な表情が加わることで、他盤とは大きく異なる魅力を発散しているのである。

微動だにしないゆったりとしたインテンポを貫いているが、同じミュンヘン・フィルを指揮したチェリビダッケの演奏のようにもたれるということもなく、随所で見せるゲネラルパウゼも実に効果的だ。

音質が良いせいか、ヴァントの演奏としては思いのほか木管楽器の主張が強いことも、演奏全体により多彩な表情を与えているようだ。

ヴァント自身もここではテンポの動きを幅広く取って、非常に息の長い旋律形成を試みており、それぞれのブロックの締め括りに置かれたパウゼが深い呼吸を印象付けている。

深く沈み込んでいくような美しさと、そそり立つ岩の壁を思わせる壮大な高揚とが交錯する終楽章は中でも素晴らしい出来栄えである。

最後の音が消えてから約10秒後、それまで圧倒されたようにかたずを飲んでいた会場が、やがて嵐のようなブラヴォーに包まれていく様子がそのまま収録されていることも印象的で、当日の聴衆の本名演に対する深い感動が伝わってくる名シーンだ。

「未完成」も超名演で、暗く厳しい悲劇性とはかさい美しさが共存した深いロマンティシズム漂う仕上がり。

かのワインガルトナーが、第1楽章の低弦による旋律を「地下から聞こえてくるように」と表現したが、提示部が終了し、展開部に移行する個所の低弦の軋むような重厚な響かせ方は、まさに地下に降りて行くような趣きがあり、他の指揮者では決して聴くことができないもの。

第2楽章は、速めのインテンポで淡々と演奏するが、随所に漂う何とも言えない寂寥感は、ヴァントとしても最晩年に漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

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ブルックナーの「第6」は隠れた名曲である。

いわゆるブルックナー指揮者でも、「第3」〜「第5」や「第7」〜「第9」はよく演奏会で採り上げるものの、「第6」はあまり演奏しないということが多い。

作品の質の高さからしても、これは大変残念なことと言えるだろう。

そのような中で、ヴァントは、この「第6」を積極的に演奏してきた指揮者である。

これまでの最新録音は、CDでは1995年盤、DVDでは1996年盤が知られ、いずれも手兵の北ドイツ放送交響楽団とのもので、いずれも名演と言えるものであった。

本盤は、1999年の録音であり、今のところ、ヴァントが遺した「第6」の最後の録音ということになるが、ヴァントの「第6」としては、前述の1995年盤や1996年盤を超える間違いなく最高の名演であり、他のヨッフムの旧盤やアイヒホルン盤などと比較しても本盤の方がはるかに格が上。

ということは、現存する数々の「第6」の名演中、史上最高の超名演と言っても過言ではあるまい。

第1楽章など、金管を思いっきり力強く吹かせているが、決して無機的にはならず、アルプスの高峰を思わせるような実に雄大なスケールを感じさせる。

それでいて、木管楽器のいじらしい絡み合いなど、北欧を吹く清涼感あふれる一陣の風のようであり、音楽の流れはどこまでも自然体だ。

第2楽章は、音楽評論家の宇野氏が彼岸の音楽と評しておられたが、本盤の演奏こそがまさに彼岸の音楽であり、ヴァントとしても、死の2年前になって漸く到達し得た至高・至純の境地ではないだろうか。

「第6」は、第3楽章や第4楽章のスケールが小さいと言われるが、ヴァントの演奏を聴くと決してそうは思えない。

スケルツォの宇宙のひびき、各楽器のフレッシュな色の出し方、まことに美しくも意味深く、中間部では木管による「第5」のテーマの高級なフレージングに打たれた。

終楽章など、実に剛毅にして風格のある雄大な演奏であり、まことに綿密である。

抉りの効いた強音部と思いやりにみちた弱音部の歌が対比され、内容の深さと音楽美が、いつもブルックナーの音楽の森羅万象を語りかけてゆく。

特に、第2楽章の主題が回帰する箇所のこの世のものとは思えないような美しさで息もつかせない。

演奏終了後、ただちに拍手が起きないのも、他の「第4」や「第8」などの場合と同様であり、当日の聴衆の深い感動を窺い知ることができる。

ヴァントは、2002年にベルリン・フィルと「第6」を演奏する予定だったとのことであるが、その死によって果たせなかった。

本盤の演奏を超えるような名演を成し遂げることが出来たのかどうか、興味は尽きない。

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2015年01月27日


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ヴァントが最晩年にベルリン・フィルと遺した名演の数々は実に凄いものであった。

「第5」に始まり、「第9」、「第4」、「第7」、「第8」と、いずれも神々しいばかりの名演である。

今般、同時期にミュンヘン・フィルと行った名演の数々が、国内盤で発売されたが、いずれも、ベルリン・フィル盤と比べても、優るとも劣らない名演である。

重複しているのは、「第4」、「第5」、「第8」及び「第9」であるが、違いはオーケストラの音色と録音くらいのものであり、あとは好みの問題だと思われる。

本盤の「第9」の録音は1998年4月。

その約半年後のベルリン・フィルとの録音、さらに、来日時の録音が、名演のベストスリーということになるが、その中でも、本盤とベルリン・フィル盤が超名演と言うことになるだろう。

どちらもとび切りの一級で、スケルツォとアダージョに優劣はつけられないが、第1楽章は再現部冒頭とコーダがベルリン・フィル盤を上まわる。

ということは史上最高ということであって、ヴァントはブルックナーがこうしてほしいとスコアに書きこんだすべてを初めて音にして見せたのだ。

第1楽章など、実にゆったりとしたテンポによる深沈とした趣きであるが、ここぞというときの金管楽器の最強奏など悪魔的な響きであり、低弦の重厚な響かせ方にも凄みがある。

第2楽章も豪演だ。

ここは中庸のテンポをとるが、中間部のトリオの箇所との絶妙なテンポの対比も自然体で見事だ。

終楽章は、相変わらず金管を最強奏させているが、決して無機的には陥らず、天啓のような趣きがある。

それと対比するかのようなこの世のものとは思えないような美しい弦楽の奏で方は、ブルックナーの絶筆に相応しいアプローチであると思われる。

それにしても言語に絶するのはコーダで、最後の頂点を築いた後、天国の音楽へ、その別世界に突然入ってゆくところは美しさの限りだ。

演奏終了後に起きる一瞬の間も、当日の聴衆の感動を伝えるものであり、ヴァントの音楽を愛する聴衆の質の高さの表れということが言えるだろう。

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ブルックナーの交響曲中で最もポピュラリティを獲得している「第4」であるが、ブルックナーの権威であるヴァントとしても、1998年のベルリン・フィルとの演奏で、漸く理想の名演を成し遂げることができたのではないかと思う。

それは、やや速めのインテンポで淡々とした演奏ではあったが、随所に見せる味の濃さが見事であった。

しかし、ヴァントの死後、手兵の北ドイツ放送交響楽団との神々しいばかりのラストコンサート盤が発売されるに及んで、ベルリン・フィル盤もトップの座を譲ることになった。

本盤は、そのラスト・コンサート盤の1か月前の演奏であるが、これは、ラスト・コンサート盤にも優るとも劣らない超名演で、これをもって『ロマンティック』の最高峰と言うに憚らぬ大演奏と言えるだろう。

数多いヴァントのブルックナーであるが、耳の肥えたファンほどミュンヘン・フィルとの組み合わせに執着するのも道理で、ヴァント晩年の味わい、オーケストラの音色の適度な明るさ、弦の暖かみのある厚い響き、管楽器の比類ない美しさなど他に代え難い魅力にあふれている。

いわゆるブルックナー開始は、やや強めの弦楽のトレモロによって開始されるが、これを聴いただけで他の指揮者とはものが違う。

この第1楽章は、意外にも随所でテンポの変化を行っているが、それでいて音楽が実に自然に流れる。

金管楽器を常に最強奏させているが、無機的な響きは皆無であり、ヴァントのブルックナーの交響曲の本質への深い理解と相俟って、筆舌には尽くしがたいハイレベルの演奏を成し遂げている。

第2楽章は、ゆったりとしたテンポで淡々と進行しているが、そこから湧きあがってくる何とも言えない寂寥感を何と表現すればいいのだろうか。

第3楽章も、主部をやや速めのテンポで演奏して、中間部でテンポをやや緩やかにするという緩急の差を、オーケストラを手足のように扱い、決して恣意的な印象を与えないで成し遂げるのは、まさに巨匠ならではの至芸。

終楽章は、ヴァントのブルックナー交響曲演奏の総決算と言えるもので、厳格なスコアリーディングによる緻密さと、最晩年の「第8」でも顕著であるが、柔軟で、なおかつスケール雄大なアプローチを融合させた稀有の名演を成し遂げている。

演奏終了後、聴衆から拍手が起こるまでに一瞬の間が空くが、これは、この超名演から受けた聴衆の深い感動と、聴衆の質の高さが窺い知れる素晴らしい瞬間だ。

この演奏会の半年後2002年2月14日にヴァントは90年の生涯を閉じたのだった。

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2015年01月19日


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シューリヒトの1930年代の代表的録音のひとつ。

放送録音を除くとこれがシューリヒトの初のブルックナー録音であった。

シューリヒトは1964年にハーグ・フィルとも録音したが、オケの演奏能力の低さやコンサート・ホール・レーベル特有の音質の低さが気になってしまう人もいるのではなかろうか。

それに対し当盤は、1938年と録音は一段と古いが、戦前にシューリヒトがしばしば客演したベルリン・フィルとの唯一のブルックナーの交響曲録音であり、それが残されていたことに深く感謝したいかけがえのないディスクである。

シューリヒトのブルックナーはそのどれもが格別の名演だが、戦前のベルリン・フィルのまろやかでブレンドのよいサウンドで綴られたこの第7番は、この指揮者ならではの悠然とした音楽の流れが絶品であるほか、渋く苦みばしった枯淡の表情もが独自の魅力を放っており、辛口の大人の味つけが聴き手を魅了する。

ハーグ・フィル盤とは基本的なスタンスは同じものの、微妙に表情の趣が異なる感じだ。

それはベルリン・フィルに良い意味での緊張感が漲り、普段よりさらなる透明感のある響きと密度の濃いニュアンスが醸し出されているからである。

ブルックナーを得意としていたシューリヒトの存在感と、誠実に音楽に奉仕する彼の棒が生み出した名演と言えようか。

録音はいかんせん古いが、最早そんなことは超越している。

否、このオーケストラであり、この録音だからこそ、シューリヒトとしても一期一会の素晴らしいブルックナーとなったのだと思う。

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2015年01月14日


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「第4」はブルックナーの交響曲の入門曲と目されているだけに、古今東西のブルックナー指揮者のみならず、ブルックナーをあまり指揮しない指揮者によっても多くの録音・演奏がなされている交響曲である。

オーソドックスな名演としてはベーム&ウィーン・フィルが忘れられないし、最近では朝比奈&大阪フィルやヴァント&北ドイツ放送響(あるいはベルリン・フィルやミュンヘン・フィル)の超名演があった。

更には、ムーティ&ベルリン・フィルの意外な指揮者による異色の名演も記憶に新しい。

そのような数々の名演を聴いた上で、やはり原点にというか、故郷に帰ってくるような感慨を覚える演奏がこのヨッフム&ベルリン・フィルによる名演だ。

ドイツ・ブルックナー協会の総裁を務めていたヨッフムの、脂の乗りきっていた時期の録音。

ヨッフムはベルリン・フィルから作品の持つロマン性を導き出すのに見事に成功しており、壮大なスケールで高揚感溢れる重厚な演奏を繰り広げている。

堂々としてまことに自然な音楽のつくりであり、後年の録音より求心力のある、力強い演奏になっている。

決して派手さはなく、いわゆる巧言令色からは程遠い。

しかし、このような質実剛健たる愚直とも言うべきアプローチこそが、ブルックナーの「第4」に最も相応しい解釈と言うことができるだろう。

ヨッフムの演奏は弦楽器の音色が幾分ほの明るく、しかも透明度の高いところに特色がある。

その弦の響かせ方に南ドイツ的な軽妙なニュアンスがあると評する人もいるが、水の流れにたとえると、緑陰からさす木漏れ日を少しく浴びた清流のような感じである。

こうしたヨッフムの演奏の特色はこの「第4」に限らず、どのブルックナーの演奏にも共通するが、縦横にすぐれた大家の技倆だと思う。

忘れてはならないのは、ベルリン・フィルが重厚でパワフルないかにもブルックナーの交響曲に不可欠の好演を行っているという点だ。

ヨッフムは、その後、シュターツカペレ・ドレスデンと再録音を行っているが、統率力にいささか綻びが見られることもあり、オーケストラの技量や録音も含めて、本盤の方を上位に置きたい。

シベリウスの「夜の騎行と日の出」は、ヨッフムとしてはきわめて珍しいレパートリーと言える。

北欧の指揮者の演奏に慣れた耳からすると、いかにもドイツ的な野暮ったさを感じるが、決して凡演というわけではなく、重厚さと繊細さを兼ね備えたなかなかの佳演である。

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2015年01月09日


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フルトヴェングラーのブルックナーの「第8」の1954年盤については、クナッパーツブッシュの演奏ではないかとの説が存在しているが、本盤の名演を聴いて、そんな疑念はすっかりと吹き飛んでしまった。

第1楽章のゆったりとした深沈たるインテンポの表現を聴いていると、確かに、そのような説を唱える者にも一理あると思ったが、第2楽章のスケルツォの猛スピードの演奏と、中間部のゆったりとしたテンポの極端な対比や、第3楽章のうねるような熱いアダージョの至高美、そして終楽章のものものしい開始や、ドラマティックな展開など、フルトヴェングラーならではのテンペラメントな世界が全開だ。

仰ぎ見ると…その途轍もなく巨大な威容に圧倒され、覗き込むと…底知れぬ暗澹たる深みに震えが来る。

それほど演奏の「深度」は形容しがたいほど深く、1音1音が明確な意味付けをもっているように迫ってくる。

テンポの「振幅」は、フルトヴェングラー以外の指揮者には成し得ないと思わせるほど大胆に可変的であり、強奏で最速なパートと最弱奏でこれ以上の遅さはありえないと感じるパートのコントラストは実に大きい。

しかしそれが、恣意的、技巧的になされているとは全く思えないのは、演奏者の音楽への没入度が凄いからである。

これほど深遠な精神性を感じさせる演奏は稀有中の稀有であると言えるところであり、根底に作曲家すら音楽の作り手ではなく仲介者ではないかと錯覚させる、より大きな、説明不能な音楽のエートスを表現しようとしているからであろうか。

「フルトヴェングラー体験」をしたいリスナーには、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス等の伝説の名演とともに欠くべからざる一角を占める演奏である。

改訂版の使用であり、終楽章には大幅なカットや、ブルックナーらしからぬ厚手のオーケストレーションが散見されるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

あと10年生きていてくれたら、フルトヴェングラーはさらなる崇高な高みの境地に至っていたのではないかを思わせる。

グランドスラムによる復刻は、この当時のものとは言えないくらい鮮明なものであり、特に低弦による重量感溢れる迫力には大変驚かされた。

ボーナストラックのワーグナーやマーラーも定評ある名演。

特に、マーラーのさすらう若人の歌は、各楽章ごとの巧みな描き分けが見事であり、殆どマーラーを指揮していないにもかかわらず、これほどの超名演を成し遂げたフルトヴェングラーの偉大さにあらためて感じ入った。

若きフィッシャー=ディースカウも、その後の洋々たる将来を予見させるのに十分な見事な歌唱を披露している。

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2015年01月03日


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これ以上は求められないような超高音質SACDの登場だ。

ベーム&ウィーン・フィルによる定評ある名演だけに、これまで、従来盤に加えて、SACDハイブリッド盤やSHM−CD盤など、高音質化に向けた様々な取組がなされてきた。

英デッカの録音だけに、もともとかなりの高音質で録音されているが、それでも、前述のような高音質化に向けての不断の取組を見るにつけ、まだまだ高音質化の余地があるのではないかと考えてきた。

そして、満を持しての今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の登場であるが、これまでのCDとは一線を画する極上の高音質CDと言えるだろう。

ベームのブルックナー「第4」は、その求心力ある演奏によって、この曲のスタンダード盤とでも言って良いものである。

ベームがウィーン・フィルを指揮した、ロマン的な情感をたっぷりと湛えた荘厳にして崇高な演奏は、彼の残した代表的な遺産のひとつとして多くのファンから支持されている。

筆者にとってはLP時代からの愛聴盤であるが、ウィーン・フィルとベームのブルックナーは意外と少なく、「第3」「第4」「第7」「第8」しかリリースされていないが、その中でも英デッカ録音の「第3」「第4」特別な名演である。

この演奏はLPで発売された当初、吉田秀和氏によりフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ以来の大演奏と評されたと記憶するが、確かに、ここにはベームとウィーン・フィルの最上の成果がある。

ベームの指揮は熟達と形容するほかはなく、明確な見通しと構想をもってオーケストラを導き、統率する。

それは指揮者が自らの個我に拘るものではなく、オーケストラの能力・魅力を最大限に引き出して、楽曲が要求するところを虚心に実現するためのものといった趣がある。

ウィーン・フィルも全幅の信頼を置く老ベームに全力を傾けて応え、その音色・音質は芯のある引き締まったしなやかなもので、深々と、時には清々しく軽やかに、洗練のうちに野趣を失うこともなく、理想的なブルックナーサウンドを聴かせてくれる。

冒頭、朝霧が徐々に晴れていくかのような弦のトレモロに乗って、ウィーン・フィルのホルン奏者達が、まさにブルックナー交響曲の開始を告げるがごとく、遠くで誇らしげに鳴り響くのを聴く時、聴く者は抗し難い魅力に捉えられ、これから比類ない音楽が展開されるのを予感する。

そよ風が駆け抜けるようなブルックナーは、ベーム指揮のベートーヴェン「田園」とイメージがよく似ていて、重くなりがちなブルックナーのシンフォニーを爽やかに聴かせてくれている。

それは軽薄ということではなく、ちゃんと真髄と捕らえつつ歌い上げるという表現が合っていると言えるところであり、テンポのコントロールが一定でどっしりとした安定感がある演奏である。

ベームはその著『回想のロンド』になかで、「ブルックナーのように孤独で独特な存在に対して、オーケストラ全体が目標を決めていることこそ決定的なことなのだ。もしも壇上のわれわれみなが納得してさえいれば、われわれは聴衆をも納得させずにはおかない」旨を語り、特にウイーン・フィルとの関係では、この点を強調している。

ブルックナーにおいて「第3」「第7」「第8」とも、ウイーン・フィルとのコンビではこうした強固な意志を感じさせる。

同国オーストリア人の気概をもっての魂魄の名演と言えるだろう。

その他にもこの歴史的な名演の売りはいくつかあるが、何よりも素晴らしいのは、ウィーン・フィルならではの美しい音色を味わうことができることだ。

そして、本CDでは、こうしたウィーン・フィルの美しい響きを存分に満喫できるのが何よりも素晴らしい。

朗々たるウィンナホルンの響きは見事であるし、どんなに最強奏しても、あたたかみを失わない金管楽器や木管楽器の優美さ、そして厚みがありながらも、決して重々しくはならない弦楽器の魅力的な響きなど、聴いていてほれぼれとするくらいだ。

各楽器の響きの分離も、最強奏の箇所も含めて実に鮮明であり、演奏の素晴らしさも含め、究極のCDと評価しても過言ではないと考える。

後に、ヴァントやチェリビダッケ、更にクーベリック、ザンデルリンク等々とこの曲には名演が続出・目白押しであるが、筆者にとってブルックナー第4交響曲の最高の名演は依然このベーム指揮ウィーン・フィルによるものである。

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2014年12月23日


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本盤に収められたヨッフム&ベルリン・フィルによるブルックナーの交響曲第7番は、ヨッフムが2度にわたってスタジオ録音したブルックナーの交響曲全集のうち、最初のものに含まれるものである。

2度にわたる全集はいずれも名全集の名に恥じないものであり、どちらを上位に置くべきかについては大いに議論の分かれるところではあるが、2度目の全集(1975〜1980年)がEMIによる必ずしも万全とは言い難い音質であることを考慮に入れると、筆者としては1958〜1967年にかけて録音が行われた最初の全集の方をわずかに上位に掲げたいと考えている。

当該全集に含まれた演奏はいずれも名演の名に相応しいものであるが、どちらかと言うと、初期の交響曲第1〜3番及び第6番がより優れた演奏である。

それでも、後期の第7〜9番の演奏が劣っているというわけではなく、一般的な意味においては名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

本盤の第7番の演奏におけるヨッフムのアプローチは、1990年代になってヴァントや朝比奈が確立した、悠揚迫らぬインテンポによる荘重な演奏とは大きく異なっている。

むしろ、随所にテンポの振幅を加えており、旋律もたっぷりと情緒豊かに歌わせるなど、ロマンティシズムの色合いさえ感じさせるほどだ。

ブラスセクションなどは、後年のヴァントや朝比奈のように、必ずしも最強奏させることなく、むしろ全体をオルガン風にブレンドしているような印象を受ける。

したがって、ヴァントや朝比奈の演奏に慣れ親しんだ耳で聴くと、いささか柔和な印象を与えると言えなくもないが、それでもスケールは十分に雄大であると言えるところであり、演奏全体として、ブルックナーの音楽の魅力を十分に描出するのに成功しているというのは、ヨッフムがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

同じく後期の交響曲である第8番の演奏においては、いささかスケールの小ささが気になったところであるが、本盤の第7番については、その演奏の壮大なスケール感において不足はないと言えるところだ。

ベルリン・フィルもヨッフムの確かな統率の下、その合奏能力を十二分に発揮した壮麗な名演奏を展開しており、その演奏の重厚さにおいては、後年のシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏(1976年)や、ライヴ録音であるミュンヘン・フィルとの演奏(1979年)やコンセルトへボウ・アムステルダムとの演奏(1986年)といった名演を大きく凌駕していると言っても過言ではあるまい。

そして、本盤で素晴らしいのはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、およそ信じ難いような鮮明な高音質に生まれ変わったことである。

従来CD盤では、各楽器セクションが明瞭に分離せず、一部混濁して聴こえたりしたものであるが、本盤では明瞭に分離して聴こえるところである。

加えて、マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、臨場感についても抜群のものがあり、おそらくは現在において望み得る最高の鮮明な超高音質である。

いずれにしても、ヨッフムによる素晴らしい名演を、シングルレイヤーによる超高音質SACD&SHM−CDで味わうことができることを大いに歓迎したい。

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2014年12月19日


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この演奏ははっきり言って良くない。

ラトルは、2008年のマーラーの交響曲第9番の録音あたりから、猛者揃いのベルリン・フィルを漸く掌握して、自らの個性を発揮した素晴らしい名演の数々を成し遂げるようになったが、2002年の芸術監督就任後の数年間は、それこそ鳴かず飛ばずの状態が続いていた。

世界最高峰のオーケストラを手中に収め、それだけに多くのクラシック音楽ファンの視線は厳しいものとならざるを得ないが、そうしたことを過剰に意識したせいか、気負いだけが空回りした凡庸な演奏を繰り返していたと言えるところだ。

個性を発揮しようと躍起になるのは結構なことであるが、自らの指揮芸術の軸足がふらついているようでは、それによって醸成される演奏は、聴き手に対して、あざとさ、わざとらしさしか感じさせないということに繋がりかねない。

ラトルは、ヴァントが、その最晩年にベルリン・フィルとともに行ったブルックナーの交響曲のコンサートを聴き、実際に楽屋を訪ねたこともあったようである(ヴァントの自伝にその旨が記述されている)。

しかしながら、本演奏を聴く限りにおいては、ヴァントから学んだものなど微塵もないと言わざるを得ない。

いや、むしろ、ヴァントの神々しいまでの崇高な名演を過剰に意識するあまり、しゃかりきになって、独自のスタイルを打ち出そうともがいているような印象さえ受ける。

これは、ブルックナーの交響曲を演奏するに際しては、危険信号であると言えるだろう。

ベルリン・フィルも、そうしたラトルの指揮に戸惑いを見せているような雰囲気も感じられるところであり、もちろん重量感溢れる演奏は行っているものの、今一つ音楽に根源的な迫力が感じられない。

ラトルも、無用なテンポの振幅は最小限に抑えているようではあるが、独自のスタイルを打ち出そうというあせりのせいか、時として無用な表情づけがなされているのが問題だ。

ラトルは、昨年、ブルックナーの交響曲第9番(終楽章の補筆版付き)の名演を成し遂げたが、かかる演奏との格差は歴然としており、現代のラトルがブルックナーの交響曲第4番の録音を行えば、より優れた演奏を行うことができたのではないかと容易に想定できるだけに、ラトルは、同曲の録音を行うのがいささか早過ぎたと言えるのかもしれない。

それ故、ラトルには今後、ブルックナーの交響曲第4番の再録音を大いに望んでおきたいと考える。

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2014年12月11日


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ヴァントが1990年代後半にベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そして手兵北ドイツ放送交響楽団を指揮して行ったブルックナーの交響曲の演奏は、いずれも至高の超名演である。

同時期に朝比奈が成し遂げた数々の名演と並んで、今後ともおそらくは半永久的にブルックナーの演奏史上最高の超名演の地位を保持し続けていくものと考えられる。

もっとも、そうした地位が保全されているのは、ブルックナーの交響曲のすべてにおいてではないことに留意しておく必要がある。

要は、ヴァントの場合は「第4」以降の交響曲に限られるということである。

本盤に収められた「第3」は、ヴァントによる「第3」の最後の録音である。

ヴァントは、ベルリン・フィルと「第8」をライヴ録音した後、惜しくも鬼籍に入ったが、存命であれば「第6」のライヴ録音が予定されていたと聞いている。

そして、おそらくはその次に「第3」のライヴ録音を想定していた可能性が高い。

仮に、最晩年における「第3」のライヴ録音が実現していれば、決定的な超名演になったと思われるが、これは無いものねだりと言うべきであろう。

本演奏は1992年のライヴ録音であり、オーケストラは手兵北ドイツ放送交響楽団。

ヴァントが、前述のような至高の超名演を成し遂げるようになる直前の時期のものだ。

それでも、筆者としては、朝比奈&大阪フィルによる名演(1993年)に次ぐ名演と評価したいと考える。

そして、往年の名演として定評のあるベーム&ウィーン・フィルによる名演(1970年)よりも上位に置きたいとも考えている。

本演奏においても、ヴァントは例によって厳格なスコアリーディングの下、峻厳に楽想を進めていく。

造型もきわめて堅固であり、金管楽器などを最強奏させているのもいつもどおりであるが、本演奏においてもいささかも無機的になることはない。

ただ、音楽全体を徹底して凝縮化させているので、スケールはいささか小ぶりと言わざるを得ない。

このあたりが、1990年代後半以降のスケールも雄渾なヴァントとは異なる点であろう。

しかしながら、スケールがやや小さいという点が気にならなければ、演奏自体は文句のつけようがない至高の名演と評価したい。

また、さらに素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

ヴァントによる厳格で緻密な解釈に基づいた名演の魅力を味わうためにはSACDによる高音質録音は必要不可欠であると考えられるところであり、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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2014年11月20日


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本盤には、シューリヒトが晩年にウィーン・フィルとともにスタジオ録音を行ったブルックナーの3曲の交響曲のうち第3番が収められているが(他は、第8番及び第9番)、久しぶりの発売であるとともに、待望のシングルレイヤーによるSACD化と言えるだろう。

というのも、第8番や第9番がシューリヒトの、引いてはそれぞれ両曲の演奏史上でも特筆すべき名演だけに、いささか影が薄い存在であるということもその理由に掲げられると言えるのかもしれない。

シューリヒトの死の2年前の録音ということもあり、第8番や第9番と比較すると、シューリヒトの統率力にいささか衰えが見られることに加えて、当時は一般的であった改訂版の使用も相俟って、大方の音楽評論家があまり芳しい評価をして来なかったという側面も否定できない。

しかしながら、果たして、そうした低評価だけで片付けられるような演奏と言えるのであろうか。

確かに、速めのテンポで燃え盛るようなドラマティックな生命力溢れる力演を聴かせてくれた第8番や、深沈たる彫りの深い表現を聴かせてくれた第9番の演奏と比較すると、いささか統率力が弱まり(ブラスセクションが荒削りになっている点において顕著)や彫りの深さに欠けた演奏とも言えるが、それでも巨匠シューリヒトならではの至芸は随所に表れているのではないかと考えられる。

演奏全体の引き締まった造型美には殆ど問題はないし、淡々と流れていく曲想の端々には、独特の奥深い情感が込められているのは、シューリヒトならではの指揮芸術の賜物と言えるところであり、死の2年前ということもあり、それはあたかも人生の辛酸を舐め尽くした巨匠の至純・至高の境地と言っても過言ではあるまい。

そして、本演奏の魅力は、何と言ってもウィーン・フィルによる美演であろう。

ウィーン・フィルはシューリヒトを崇敬していたとのことであるが、本演奏でも崇敬するシューリヒトを指揮台に頂き、渾身の名演奏を繰り広げている点を高く評価したい。

いずれにしても、本演奏は、シューリヒトのベストフォームにある演奏ではないことについては否定しないが、ウィーン・フィルの好パフォーマンスも相俟って、シューリヒトの最晩年の清澄な境地が表れた素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、手元に第8番及び第9番と組み合わさったセット盤を所有しているが、当該従来CD盤が今一つ冴えない音質でやや問題があった。

第8番や第9番がHQCD化、ついでハイブリッドSACD化され、圧倒的な超高音質に生まれ変わったにもかかわらず、本演奏についてはHQCD化すら図られないのは実に不思議な気がしていたところだ。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、シューリヒトによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年11月14日


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ヴァントは、いわゆる大器晩成型の巨匠指揮者として、1990年代に様々な名演の数々を遺したが、数年前にライヴ・ボックス第1弾が発売され、クラシック音楽ファンの間で話題となったベルリン・ドイツ交響楽団との一連のライヴ録音も、その枢要な地位を占めるものである。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

今般、国内盤として発売されるのは、ライヴ・ボックスの第2弾、待望の分売化と言えるだろう。

本盤には、ヴァントが最も得意としたレパートリーでもあるブルックナーの交響曲第6番及び第8番が収められている。

交響曲第6番については、既に、ヴァントによる唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団との演奏(1976年スタジオ録音)のほか、北ドイツ放送交響楽団との2度にわたるライヴ録音(1988年と1995年)、更には、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(1999年)の4つの録音が存在しており、本演奏は5つ目の録音の登場ということになる。

本演奏を含め、いずれ劣らぬ名演であるが、この中でも最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

もっとも、本演奏も、さすがにミュンヘン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、当該演奏の4年前の演奏ということもあって、同年に録音された北ドイツ放送交響楽団との演奏と並んで、十分に素晴らしい至高の名演に仕上がっていると高く評価したい。

第1楽章など、金管を思いっきり力強く吹かせているが、決して無機的には陥ることなく、アルプスの高峰を思わせるような実に雄大なスケールを感じさせる。

それでいて、木管楽器のいじらしい絡み合いなど、北欧を吹く清涼感あふれる一陣のそよ風のようであり、音楽の流れはどこまでも自然体だ。

第2楽章は、とある影響力の大きい某音楽評論家が彼岸の音楽と評しておられたが、本盤の演奏こそがまさに彼岸の音楽であり、前述のようにミュンヘン・フィルとの演奏ほどの至高の高みには達していないものの、ヴァントとしても、最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地をあらわしていると言えるのではないだろうか。

第6番は、第3楽章や第4楽章のスケールが小さいと言われるが、ヴァントの演奏を聴くと必ずしもそうとは思えない。

終楽章など、実に剛毅にして風格のある雄大な演奏であり、特に、第2楽章の主題が回帰する箇所のこの世のものとは思えないような美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、交響曲第8番については、ヴァントが最も数多くの録音を遺したブルックナーの交響曲であった。

ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1971年)にはじまり、ヴァントによる唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団との演奏(1979年)、NHK交響楽団との演奏(1983年)、北ドイツ放送交響楽団との3度にわたる演奏(1987年ライヴ録音、1990年東京ライヴ録音、1993年ライヴ録音)、ミュンヘン・フィルとの演奏(2000年ライヴ録音)、ベルリン・フィルとの演奏(2001年ライヴ録音)の8度にわたる録音が既発売であるので、本演奏を加え、何と合計で9度にわたって録音したことになるところだ。

本演奏を含め、いずれ劣らぬ素晴らしい名演であると評価したいが、この中で、最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

もっとも、本演奏も、さすがにミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、1年前の北ドイツ放送交響楽団との演奏と並んで、十分に素晴らしい名演と高く評価するのにいささかも躊躇するものではない。

1980年代までのヴァントによるブルックナーの交響曲の演奏におけるアプローチは、厳格なスコア・リーディングの下、楽曲全体の造型を厳しく凝縮化し、その中で、特に金管楽器を無機的に陥る寸前に至るまで最強奏させるのを特徴としており、優れた演奏である反面で、スケールの若干の小ささ、そして細部にやや拘り過ぎる神経質さを感じさせるのがいささか問題であった。

そうした短所も1990年代に入って、かかる神経質さが解消し、スケールの雄大さが加わってくることによって、前述のミュンヘン・フィルやベルリン・フィルとの歴史的な超名演を成し遂げるほどの高みに達していくことになるのだが、本演奏は、そうした最晩年の超名演の先駆であり、高峰への確かな道程となるものとも言える。

比較的ゆったりとしたテンポをとっているが、必ずしももたれるということはなく、ゆったりとした気持ちで、同曲の魅力を満喫することができるというのは、ヴァントのブルックナーへの理解・愛着の深さの賜物と言える。

金管楽器の最強奏も相変わらずであるが、ここでは、やり過ぎということは全くなく、常に意味のある、深みのある音色が鳴っているのが素晴らしい。

いずれにしても、本盤に収められた交響曲第6番及び第8番は、ブルックナーを得意としたヴァントならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

音質も、1990年代のライヴ録音であり、十分に満足できるものである。

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ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲全集も、本盤の交響曲第9番と同時発売の第2番の登場を持ってついに完結した。

全集のセット版も同時発売されるようであるが、これまで1枚ずつ買い揃えてきた聴き手にはいささか残念な気もしないでもない。

第2番がブロムシュテットによる初録音であるのに対して、第9番は、1995年のゲヴァントハウス管弦楽団との録音以来、16年ぶりの再録音。

これまでのレビューでも記したように、旧録音が同じゲヴァントハウス管弦楽団との演奏であっただけに、再録音しない可能性についても言及してきたところであるが、ブロムシュテットは待望の再録音を行ってくれた。

旧盤の演奏も優れた演奏ではあったが、本盤の演奏は、ブロムシュテットの円熟を大いに感じさせる、さらに優れた名演に仕上がっていると高く評価したい。

何よりも、これまでブルックナーの交響曲を自らの中核と位置づけてきたブロムシュテットであるだけに、本演奏には、ブロムシュテットの確固たる信念を感じ取ることが可能な、仰ぎ見るような威容を湛えた堂々たる演奏に仕上がっているのが素晴らしい。

この指揮者ならではの全体の造型の堅固さは健在であるが、スケールも雄渾の極み。

シャイー時代になってオーケストラの音色に色彩感を増したと言われているゲヴァントハウス管弦楽団ではあるが、本演奏ではブロムシュテットの確かな統率の下、ドイツ風の重心の低い音色で重厚な演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

全体としてはゆったりとしたインテンポを基調としているが、ここぞという箇所では微妙にテンポを動かしており、それが演奏全体を四角四面にしないことに大きく貢献している。

ブラスセクションなども最強奏させているが、無機的になることはいささかもなく、どこをとっても奥行きの深さを損なっていないのが素晴らしい。

そして、旧盤の演奏よりも優れているのは、各楽想の描き出すに際しての彫りの深さであると言えるだろう。

音楽自体に何とも言えない深みがあるということであり、これはブロムシュテットの円熟であるのみならず、ブロムシュテットが晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地のあらわれと評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、ブロムシュテットの円熟を大いに感じさせる、全集の掉尾を飾るに相応しい名演であり、ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲全集の中でも、最も優れた名演の1つに掲げられる至高の名演と高く評価したいと考える。

そして、本盤でさらに素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

コンサート会場の豊かな残響を取り入れた臨場感溢れる鮮明な高音質は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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2014年11月11日


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本盤に収められたブルックナーの交響曲全集は、カラヤンによる唯一のものである。

当該全集に含まれた交響曲のうち、第1番〜第3番と第6番については、カラヤンとしてもコンサートで一度も採り上げたことがない楽曲であることから、カラヤンは本全集を完成させるためにのみ演奏を行ったことになる。

カラヤンが指揮するブルックナーについては、最晩年のウィーン・フィルとの第7番(1989年)や第8番(1988年)を別とすれば、音楽評論家の評価は必ずしも芳しいものとは言い難い。

とりわけ、とある影響力の大きい音楽評論家が、カラヤンと同い年の朝比奈やヴァントの演奏を激賞し、カラヤンの演奏を内容空虚と酷評していることが、今日におけるカラヤンのブルックナー、とりわけ本全集の低評価を決定づけていると言えるのではないだろうか。

筆者としても、朝比奈やヴァントによるブルックナーについては、至高の超名演と高く評価している。

特に、1990年代後半の演奏は神がかり的な名演であるとさえ言える。

しかしながら、朝比奈やヴァントの演奏様式のみが、ブルックナーの交響曲の演奏様式として唯一無二であるという考え方には反対だ。

とある影響力の大きい音楽評論家は、ブルックナーとシベリウスは指揮者を選ぶなどということを言っておられるようであるが、筆者としては、両者の音楽がそれほど懐の狭いものであるとは考えていない。

それこそ、ベートーヴェンなどの交響曲と同様に、ブルックナーやシベリウスの交響曲も、様々な演奏様式に耐え得るだけの懐の深さを有していると考えているところだ。

本全集は、1975年から1981年にかけてのスタジオ録音であり、これはカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代。本全集完成の翌年にはザビーネ・マイヤー事件が勃発して、両者の関係が修復不可能にまで悪化することに鑑みれば、本全集はこの黄金コンビによる最後の輝きであるとさえ言えるだろう。

それにしても何と言う凄まじい演奏であろうか。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの咆哮、桁外れのテクニックを示す木管楽器群、そして分厚い弦楽合奏、大地が轟くかのような重量感溢れるティンパニのド迫力、これらが一体となったベルリン・フィルの超絶的な演奏に、カラヤンは流麗なレガートを施し、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功している。

かかる演奏に対して、前述の影響力の大きい音楽評論家などは内容が空虚であるとか、精神性の欠如などを云々するのであろうが、カラヤン&ベルリン・フィルが構築したかかる圧倒的な音のドラマは、そのような批判を一喝するだけの桁外れの凄みがあると言えるところであり、これは他の指揮者が束になってもかなわない至高の水準に達しているとさえ考えられる。

いずれにしても、本演奏にはカラヤン&ベルリン・フィルが創造し得た究極の音のドラマが存在していると言えるところであり、筆者としては、本全集を至高の超名演で構成された名全集と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

なお、第7番や第8番については、最晩年のウィーン・フィルとの演奏の方を、その独特の味わい深さからより上位の名演に掲げたいと考えるが、当該演奏は自我を抑制して、楽曲にのみ語らせる演奏になっているところであり、カラヤンらしさという意味においては、本全集に含まれた演奏の方を採るべきであろう。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であったが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤による全集が現時点での最高の音質である。

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2014年11月09日


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スウィトナーは、ドイツ・シャルプラッテンに、ブルックナーの交響曲を「第1」、「第4」、「第5」、「第7」、「第8」の5曲を録音したが、病気のためにその後の録音を断念せざるを得なかったと聞く。

「第1」を録音していることに鑑みれば、おそらくは全集の完成を目指していたものと考えられるが、録音された5曲の演奏内容の水準の高さを考えると、全集完成に至らなかったのは大変残念なことであると考える。

せめて、「第3」や「第9」を録音して欲しかったというファンは、結構多いのではないだろうか。

スウィトナーのブルックナーへのアプローチは非常に考え抜かれたものだ。

というのも、各交響曲によって、微妙にアプローチが異なるからである。

「第8」は、緩急自在のテンポ設定やアッチェレランドを駆使したドラマティックな名演であったし、「第5」は、快速のテンポによる引き締まった名演であった。

他方、「第4」では、ゆったりとしたインテンポによる作品のみに語らせる自然体の名演であった。

「第1」は、どちらかと言えば、「第4」タイプの演奏に分類されると思われるが、スウィトナーは、このように、各交響曲毎に演奏内容を変えているのであり、こうした点に、スウィトナーのブルックナーに対する深い理解と自信を大いに感じるのである。

「第7」は、「第4」と同じタイプの演奏。

つまりは、作品のみに語らせる演奏と言うことができる。

同じタイプの名演として、ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデン盤があるが、当該盤は、オーケストラの重厚でいぶし銀の音色が名演たらしめるのに大きく貢献していた点を見過ごすことはできない。

これに対して、本盤は、技量においては申し分ないものの、音色などに特別な個性を有しないシュターツカペレ・ベルリンを指揮しての名演であることから、スウィトナーの指揮者としての力量が大いにものを言っているのではないかと考えられる。

録音も、ベルリン・イエス・キリスト教会の残響を生かしたものであり、きわめて秀逸である。

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スウィトナーは、ドイツ正統派の指揮者として、ベートーヴェンやシューベルト、ブラームスなどの交響曲全集を録音し、演奏内容もいずれも極めて高い評価を得ている。

ブルックナーについては、交響曲全集を完成させたわけではないが、第4番以降の主要な作品を録音するとともに、その演奏内容の質の高さから、スウィトナーとしても、自らの主要レパートリーとしての位置づけは十分になされていたものと考えられる。

特に、本盤の「第1」は、ブルックナー指揮者としてその名を馳せている他の指揮者でさえ、演奏を行うことは稀な曲目でもあり、スウィトナーが「第1」を録音したという厳然たる事実は、前述のような位置づけの証左と言えるのではなかろうか。

演奏内容は、いかにもドイツ正統派といった評価が適切な重厚な名演だ。

スウィトナーの指揮は、聴き手を驚かすような特別な個性があるわけでもない。

むしろ、曲想を格調高く丁寧に進めていくというオーソドックスなものであるが、かかるアプローチは、ブルックナー演奏にとっては最適のものである。

金管楽器を最強奏させているが、決して無機的になることはない。

そして、堅固な造形美は、いかにもドイツ人指揮者ならではのものであるが、フレージングの温かさやスケールの雄大さは、スウィトナーの個人的な資質によるものが大きいと考える。

シュターツカペレ・ベルリンも重心の低い深みのある音を出しており、ブルックナー演奏としても実に理想的なものと言える。

スウィトナーとシュターツカペレ・ベルリンとのコンビネーションは最高で、曲の面白さをしっかりと伝えてくれる名演である。

ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を生かした録音も素晴らしい。

特にコアなブルックナー・ファン、スウィトナー・ファンには聴き逃すことのできない名盤と言えよう。

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2014年11月08日


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作品のみを語らせる演奏というのはそうざらにあるわけではない。

海千山千の指揮者が演奏をするわけであるから、作品の魅力もさることながら、指揮者の個性がどうしても前面に出てくることになるのが必定だ。

さりとて、個性を極力自己抑制して、作品のみに語らせる演奏を行おうとしても、それが逆に仇となって、没個性的な薄味な演奏に陥ってしまう危険性も高いのが実情だからだ。

ところが、スウィトナーはそうした単純なようで難しい至芸を見事に成し遂げてしまった。

ブルックナーの「第4」では、同様の自然体のアプローチによる名演として、ベーム&ウィーン・フィル盤とブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデン盤がある。

しかしながら、これらの両名演では、指揮者の力量も多分にあるとは思うが、それ以上に、ウィーン・フィルの深みのある優美な音色や、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の音色による魅力が、名演に大きく貢献したという事実も忘れてはならない。

これら両オーケストラと比較すると、シュターツカペレ・ベルリンは、力量においては決して劣るものではないとは思うが、特別な個性的な音を持っているわけではない。

このような地味とも言えるオーケストラを指揮しての本演奏であるからして、スウィトナーの指揮者としての卓越した力量がわかろうというものである。

ブルックナーの「第4」の魅力を、ゆったりとした安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、本盤は、ベーム盤やブロムシュテット盤にも匹敵し得る至高・至純の名演と高く評価したい。

シュターツカペレ・ベルリンはスウィトナーの特質に寄り添いながら、一体となったメジャー級の充実したアンサンブルと華美にならない高貴な美しい音を聴かせてくれる。

ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を生かした録音も実に秀逸であり、美しい響きと録音で、肩肘張らずに聴いていて愉しい演奏ということでは、お薦めのブルックナーである。

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いわゆるブルックナーの演奏の定石とされている荘重なインテンポを基調とした名演ではなく、ドラマティックな要素をより多くとり入れた異色の名演と評価したい。

スウィトナーは、「第4」などでは、作品のみに語らせる自然体の演奏を行い、テンポにしても、音の強弱の設定にしても、いい意味での常識的な範疇におさめた演奏を展開していたが、この「第8」では、他の交響曲の演奏とは別人のような個性的な指揮を披露している。

各楽章のトゥッティに向けた盛り上がりにおいては、アッチェレランドを多用しているし、金管楽器も、随所において無機的になる寸前に至るまで最強奏させている。

このようなドラマティックな要素は、本来的にはブルックナー演奏の禁じ手とも言えるが、それが決していやではないのは、スウィトナーがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからに他ならない。

第1楽章の中間部の金管楽器の最強奏では、旋律の末尾に思い切ったリタルダントをかけるのも実に個性的であるし、第2楽章冒頭の高弦の響かせ方も、他の演奏では聴かれないものだけに新鮮味に溢れている。

トリオの美しさは出色のものであり、その情感の豊かさと朗々と咆哮するホルンの深みのある響きは、楽曲の魅力を表現し得て妙である。

第3楽章は、非常にゆったりとしたインテンポで楽想を進めていく。

弦楽合奏の滴るような厚みのある響きは美しさの極みであるし、金管楽器も木管楽器の奥行のある深い響きも素晴らしい。

終楽章は、威容のある堂々たる進軍で開始するが、ティンパニの強打が圧巻のド迫力だ。

その後も雄渾にして壮麗な音楽が続いていく。

そして、終結部の猛烈なアッチェレランドは、ブルックナーというよりはベートーヴェンを思わせるが、いささかの違和感を感じさせないのは、スウィトナーの類稀なる指揮芸術の賜物であると考える。

ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を生かした鮮明な録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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ブルックナーの「第5」については、2010年末、マークによる快速のテンポによる名演が発売された。

全体を約66分というスピードは、途轍もないハイテンポであるが、いささかも上滑りすることがない、内容豊かで重厚な名演であった。

本盤のスウィトナー盤も、マーク盤ほどではないが、全体を約69分という、ブルックナーの「第5」としてはかなり速いテンポで演奏している。

第1楽章の冒頭の弦楽器によるピツィカートは途轍もない速さであるし、その後の最強奏も畳み掛けるようなハイテンポだ。

それでいて、歌うべきところは情感を込めて歌い抜くなど、いささかも薄味の演奏には陥っていない。

スウィトナーは例によって、金管楽器には思い切った最強奏をさせているが、無機的には決して陥っていない。

第2楽章がこれまた途轍もなく速い。

冒頭のピツィカートなど、あまりの速さに、木管楽器との微妙なずれさえ感じられるが、これはいくらなんでも素っ気なさ過ぎとは言えないだろうか。

それでも、それに続く低弦による主題は、ややテンポを落として情感豊かに歌い抜いている。

その後は、速いテンポで曲想を進めていくが、浅薄な印象はいささかも受けない。

第3楽章は、一転して中庸のテンポに戻る。

その格調の高い威容は素晴らしいの一言であり、ここは本演奏でも白眉の出来と言えるのではないか。

終楽章は、比較的速めのテンポで開始されるが、第1楽章や第2楽章のように速過ぎるということはない。

その後は、低弦による踏みしめるような重厚な歩みや金管楽器の最強奏など、実に風格豊かな立派な音楽が連続する。

フーガの歩みも、ヴァントほどではないが、見事に整理し尽くされており、雄渾なスケールと圧倒的な迫力のうちに、全曲を締めくくっている。

いずれにしても、第2楽章冒頭など、やや恣意的に過ぎる解釈が聴かれないわけではないが、全体としては、名演と評価するのに躊躇しない。

ベルリン・イエス・キリスト教会の残響を生かした鮮明な録音も、本名演に華を添える結果となっている。

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2014年10月22日


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当盤にはブロムシュテットがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター退任後、名誉指揮者として最初に指揮台に上がった時(2006年11月)のライヴ録音が収められている。

ブロムシュテットによるブルックナーの交響曲第7番と言えば、何と言っても、1980年にシュターツカペレ・ドレスデンとともに行ったスタジオ録音が念頭に浮かぶ。

当時のドレスデンは、今はなき東ドイツにあり、シュターツカペレ・ドレスデンも、現在ではすっかりと色褪せてしまったが、いぶし銀とも言うべき独特の魅力的な音色を誇っていた。

ホルンのペーター・ダムをはじめとした伝説的なスター・プレイヤーもあまた在籍していただけに、当該演奏の魅力は絶大なるものがあった。

ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデンのコンビは、同時期に来日を果たして、第4番の演奏を披露し、NHKなどでも放映されたが、とにかく、シュターツカペレ・ドレスデンの音色に完全に魅了されてしまったことを鮮明に記憶しているところだ。

ブロムシュテットの指揮も、自我を極力抑制して、シュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な演奏にすべてを委ねているとさえ言えるところであり、そのことが、当該演奏を独特の魅力のあるものとしていたのではないかとも思われるところである。

本盤に収められた第7番の演奏は、当該演奏から四半世紀以上も経った2006年のものであるが、ここで感じられるのは、今や、現代を代表する大指揮者となったブロムシュテットの円熟と言えるのではないだろうか。

同曲演奏に対する基本的なアプローチに変わりはないが、楽想を描き出していく際の彫りの深さ、懐の深さは、1980年の演奏を遥かに凌駕している。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてもシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、まさに理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さ、そして、近年の同曲の演奏でも最上位にランキングされる見事な名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。

クヴェルシュタント・レーベルの録音技量は素晴らしく、弦のかすかなトレモロまでもが臨場感を持って聴き取れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年10月20日


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ズヴェーデンは、エクストン・レーベルに対して、オランダ放送フィルとともにブルックナーの交響曲の録音を行っており、既に第2番、第4番、第5番、第7番、第9番の5曲の録音を終了している。

第2番(2007年)以降の録音が途絶えていたところであり、既に発売された各交響曲の演奏のいずれもが水準の高い名演であることに鑑みれば、このコンビでブルックナーの交響曲全集を完成して欲しいと思っていた聴き手は筆者だけではないとも思われるが、今般、エクストン・レーベルではないが、ついに、続編である第8番(2011年録音)が登場したのは実に慶賀に堪えないところだ。

ズヴェーデンは1960年生まれで未だ50歳になったばかりでもあり、是非とも今後残る交響曲の録音を行っていただき、全集を完成していただくことをこの場を借りて強く要望しておきたいと考える。

ズヴェーデンのブルックナーの交響曲へのアプローチは、これまでに録音された交響曲の演奏でもそうであったが、ヴァントや朝比奈などの数々の名演によって通説となりつつある、いわゆるインテンポを基調とする演奏スタイルを原則として採っている。

もっとも、インテンポによる演奏を基調とはしているが、随所においてテンポを微妙に変化させることによって、演奏に効果的なスパイスを利かせていることも付記しておく必要がある。

そして、各旋律の歌わせ方には、ロマンティシズムの香りが漂っており、加えて、細部にわたって独特の表情づけを行うなど、単にスコアに記された音符の表層だけを取り繕っただけの薄味な演奏にはいささかも陥っておらず、常に含蓄のある豊かな情感に満ち溢れた演奏を行っているのが素晴らしい。

したがって、演奏全体としては、いわゆるブルックナーらしさをいささかも失っておらず、とりわけ第3楽章の清澄な美しさなど、抗し難い魅力に満ち溢れていると評価したい。

本演奏の当時のズヴェーデンは未だ50歳であるが、指揮者としては若手であるにもかかわらず、これだけの風格のある、そして彫りの深い演奏を成し遂げたということ自体が驚異的であり、ズヴェーデンという指揮者の類稀なる才能を感じるとともに、今後さらに大化けしていくことも十分に考えられるところだ。

いずれにしても、本盤に収められた交響曲第8番の演奏は、第2番の録音以来4年が経過しているにもかかわらず、ズヴェーデンがブルックナー指揮者として健在であることを世に知らしめるとともに、残された他の交響曲(第1番、第3番、第6番)の演奏にも大いに期待を抱かせる素晴らしい名演と高く評価したい。

また、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

最近では、エクストン・レーベルを筆頭にして、SACD盤を積極的に発売しても、マルチチャンネルから撤退するケースが多いようであるが、本盤のような、各楽器セクションの配置が明瞭にわかるような臨場感溢れる鮮明な高音質を聴いていると、是非ともマルチチャンネル付きのSACDを復活させていただきたいと切に願わざるを得ないところだ。

そして、かかるマルチチャンネル付きのSACDによる圧倒的な高音質録音が、本演奏の価値を高めるのに大きく貢献しているのも忘れてはならない。

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2014年10月11日


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マタチッチによる1984年のN響ライヴのXRCD盤がついに発売される運びとなったのは慶賀に堪えない。

収録曲目は、ベートーヴェンの交響曲第2番及び第7番、そしてブルックナーの交響曲第8番であり、既に本年3月にBlu-spec-CD盤で発売されているのと同一の音源である。

Blu-spec-CD盤は、従来盤とは次元の異なる鮮明な高音質であり、十分に満足できるものであったが、本XRCD盤はやや大人しめの音質であったBlu-spec-CD盤よりも更に音圧が加わったところであり、まさに理想的な究極の音質に生まれ変わったと言える。

あらためて、XRCDの潜在能力の高さを認識した次第であり、マタチッチによる歴史的な超名演を望み得る最高の音質で味わうことができることになったことを大いに歓迎したいと考える。

演奏内容は、定評ある名演だ(既にBlu-spec-CD盤のレビューに記したところであり、詳しくはそちらを参照されたい)。

ブルックナーの交響曲第8番におけるマタチッチのアプローチは、1990年代以降ブルックナー演奏の主流となった荘重なインテンポによる演奏ではない。

むしろ、速めテンポであり、そのテンポも頻繁に変化させたり、アッチェレランドを駆使したりするなど、ベートーヴェン風のドラマティックな要素にも事欠かない演奏となっている。

それでいて、全体の造型はいささかも弛緩することなく、雄渾なスケールを失っていないのは、マタチッチがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

このようなマタチッチの渾身の指揮に対して、壮絶な名演奏で応えたNHK交響楽団の好パフォーマンスも見事というほかはない。

いずれにしても、本演奏は、1980年代以前のブルックナーの交響曲第8番の演奏の中では、間違いなくトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

また、ベートーヴェンの交響曲第2番及び第7番についても、渾身の大熱演と言える。

マタチッチの手の動きを殆ど排したアイコンタクトによる指揮の下、NHK交響楽団が生命力溢れる壮絶な演奏を繰り広げているのが極めて印象的である。

アンサンブルなどに若干の乱れはみられるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

スケールも雄渾の極みであり、聴き終えた後の高揚感や充足感には尋常ならざるものがある。

いずれにしても、巨匠マタチッチによる渾身の名演と高く評価したい。

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2014年10月07日


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ヨッフムは、ブルックナーの交響曲全集を2度にわたってスタジオ録音している。

この記録は、朝比奈が1990年代に3度目の全集を録音するまでは破られることがなかったものであるが、いずれにしてもこれはブルックナーの権威でもあったヨッフムの面目躍如とも言うべき立派な業績であると考えられる。

両全集ともに素晴らしい名全集であると言えるところであり、両者の優劣を比較することは困難を極めるが、2度目の全集(1975〜1980年)がEMIによる決して万全とは言い難い音質であることを考慮に入れると、筆者としては1958〜1967年にかけて録音が行われた本盤の最初の全集の方をわずかに上位に掲げたいと考えている。

本全集の各交響曲の演奏におけるヨッフムのアプローチは、1990年代になってヴァントや朝比奈が確立した、悠揚迫らぬインテンポによる荘重な演奏とは大きく異なっている。

むしろ、驚くほどテンポの変化を加えており、旋律もたっぷりと情緒豊かに歌わせるなど、ロマンティシズムの色合いさえ感じさせるほどだ。

ブラスセクションなどの最強奏は、後年のヴァントや朝比奈にも通じるものがあるが、壮絶にしてドラマティックな要素をも兼ね備えているのが独特である。

したがって、ヴァントや朝比奈の演奏に慣れ親しんだ耳で聴くと、いささかやり過ぎの印象を与えるとともに、スケールがやや小型であるというきらいもないわけではないが、それでいてブルックナーの音楽の魅力を十分に描出するのに成功しているというのは、ヨッフムがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

どの交響曲も水準以上の名演であるが、とりわけ第1番、第2番は素晴らしい超名演であるとともに、第6番については、同曲の演奏史上でも今なおトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

というのも、これらのブルックナーの交響曲の中でも比較的規模が小さい交響曲においては、前述のようなヨッフムのアプローチがすべてプラスに働いているからである。

他方、第7番や第8番については、より壮大なスケール感が欲しいという気もするが、それはあくまでも高い次元での問題であり、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

第9番も、さすがに同曲最高の名演とは言い難いが、それでもベルリン・フィルの強力なブラスセクションを十二分に活かした壮絶な表現は、後年のヨッフムのシュターツカペレ・ドレスデン(1978年)やミュンヘン・フィル(1983年)との演奏をはるかに凌駕する圧倒的な迫力を誇っており、現在でもなお十分に存在感を誇る名演に仕上がっていると高く評価したい。

録音も、ベルリン・イエス・キリスト教会やミュンヘン・ヘルクレスザールの豊かな残響を効果的に生かした素晴らしい音質を誇っており、前述のように後年のEMIの録音をはるかに凌駕している。

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2014年10月03日


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本盤に収められたブルックナーの交響曲第8番は、85歳となった現代を代表する巨匠指揮者であるブロムシュテットが、長年にわたって務めてきたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマスターを退任するに当たって行われた記念碑的なコンサートのライヴ録音である。

ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団という稀代の名コンビは、様々な名演を成し遂げてきたが、何と言ってもそのレパートリーの中心にあったのは、ブロムシュテットが最も得意とする独墺系の音楽、中でもブルックナーの交響曲であったことは論を待たないところだ。

既に、このコンビは、英デッカに第9番をスタジオ録音(1995年)しているし、1998年には第3番を録音している。

そして、今般の2005年の第8番のライヴ録音であるが、本演奏があまりにも素晴らしいものであったせいか、その後、このコンビによるブルックナーの交響曲チクルスが開始され、2012年のライヴ録音である第2番の登場により、既に交響曲全集が完成したところだ。

このように、本演奏は、退任コンサートにとどまらず、このコンビの新たな出発点にもなった演奏とも言えるが、それだけにその演奏の質の高さは尋常ならざるものがある。

このような名演奏を聴いていると、ヴァントや朝比奈なき現在においては、ブロムシュテットこそは、スクロヴァチェフスキと並んで、現代を代表するブルックナー指揮者と評しても過言ではあるまい。

本演奏においても、基本的なアプローチは、楽想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、これは近年のブルックナーの交響曲演奏の王道を行くものである。

そして、かかるアプローチは、誠実とも言えるこの指揮者の美質そのものであるが、例えば、楽曲自体は異なるが、かつてシュターツカペレ・ドレスデンとともにスタジオ録音を行った交響曲第4番や第7番の定評ある名演などと比較すると、彫りの深さ、懐の深さにおいて、はるかに凌駕している。

ブラスセクションなどもかなり強靭に鳴らしていると言えるが、無機的な音は皆無であり、どこをとっても奥深い、それこそブルックナーらしさを失っていないのが素晴らしい。

ライヴ録音ならではの熱気には事欠かないものの、かつてのブロムシュテットにあった唯一の欠点でもある、楽曲の頂点における力みが感じられないというのは見事であり、これは、ブロムシュテットの円熟の証左と言えるだろう。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてもシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、まさに理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さを感じさせる見事な名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。

臨場感溢れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年09月30日


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ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲全集も、本盤の交響曲第2番の登場を持ってついに完結した。

全集のセット盤も同時発売されるようであるが、これまで1枚ずつ買い揃えてきた聴き手にはいささか残念な気もしないでもない。

第2番は、先般発売された第1番と同様に、ブロムシュテットにとっての初録音でもあり、その意味においても極めて貴重な演奏と言えるだろう。

第2番の場合、第3番などと同様にどの版を採用するのかが大きな問題となるが、ブロムシュテットが選択したのは第3番と同様に何と初稿。

第3番のレビューにも記したように、何故にブロムシュテットが初稿を採用したのかは疑問が残るが、ブルックナーの当初の作曲の意図が最も表れているものとも言えるところであり、ブロムシュテットもそうした点に鑑みて、初稿を採用したのではないだろうか。

かつては、初稿はブルックナーを研究する音楽学者の学究的な関心事項でしかなかったが、近年では、インバルやティントナー、シモーネ・ヤングなどの初稿を尊重する指揮者によって、芸術的にも優れた名演が数多く成し遂げられるようになってきたことから、今日では初稿のグレードが大いに上がってきている。

本盤の演奏もブロムシュテットの円熟ぶりを窺い知ることが可能な大変優れたものであり、本演奏によって、第2番の初稿のグレードはさらにアップしたと言えるだろう。

何よりも、これまでブルックナーの交響曲を自らの中核と位置づけてきたブロムシュテットであるだけに、本演奏には、ブロムシュテットの確固たる信念を感じ取ることが可能な、仰ぎ見るような威容を湛えた堂々たる演奏に仕上がっているのが素晴らしい。

この指揮者ならではの全体の造型の堅固さは健在であるが、スケールも雄渾の極み。

シャイー時代になってオーケストラの音色に色彩感を増したと言われているゲヴァントハウス管弦楽団ではあるが、本演奏ではブロムシュテットの確かな統率の下、ドイツ風の重心の低い音色で重厚な演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

全体としてはゆったりとしたインテンポを基調としているが、ここぞという箇所では微妙にテンポを動かしており、それが演奏全体を四角四面にしないことに大きく貢献している。

ブラスセクションなども最強奏させているが、無機的になることはいささかもなく、どこをとっても奥行きの深さを損なっていないのが素晴らしい。

第2楽章の聖フローリアン教会の自然の美しさを感じさせるような抒情豊かな演奏も抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏に仕上がっているとも言えるところだ。

同曲の近年の初稿による名演としては、シモーネ・ヤングによる名演が存在しているが、本演奏は当該名演と同格か、あるいはオーケストラの優秀さを勘案すれば、それ以上の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、ブロムシュテットの円熟を大いに感じさせる、全集の掉尾を飾るに相応しい名演であり、同曲の初稿による演奏としては、最も優れた名演の1つに掲げられる至高の超名演と高く評価したい。

そして、本盤でさらに素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると考える。

コンサート会場の豊かな残響を取り入れた臨場感溢れる鮮明な高音質は、本超名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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本盤に収められたブルックナーの交響曲全集は、世界的なブルックナー指揮者として名を馳せたヴァントによる唯一のものである。

本全集の完成以降、ヴァントは手兵北ドイツ放送交響楽団やベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団などとともに数多くのブルックナーの交響曲の演奏・録音を行っているが、新たな全集を完成させることはなかったところだ。

また、本全集を完成して以後の演奏・録音は、第3番以降の交響曲に限られていたことから、本全集に収められた交響曲第1番及び第2番は、ヴァントによる唯一の録音してきわめて貴重な演奏である。

また、本盤に収められた各交響曲の演奏は1974〜1981年にかけてのものであり、ヴァントがいまだ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏である。

したがって、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏をそれら後年の名演の数々と比較して云々することは容易ではある。

しかしながら、本盤の演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。

また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になると言えるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならないと考えられる。

そして、このようなヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと付いていき、持ち得る能力を最大限に発揮した名演奏を披露したケルン放送交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本全集は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名全集と高く評価したい。

価格も2200円弱という考えられないような廉価であり、水準の高い名演で構成されたブルックナーの交響曲全集をできるだけ廉価で購入したいという聴き手には、第一に購入をお薦めしたい名全集であると考える。

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2014年09月28日


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朝比奈はブルックナーの交響曲を得意とし、3度に渡る全集を軸として数多くの演奏・録音を行ってきた。

それらは、我が国におけるブルックナーの幅広い認知に大きく貢献した偉大なる遺産と言えるが、とりわけ1990年代以降の演奏・録音は、現在でもヴァントによる名演と比肩し得る至高の名演揃いであると言えるところだ。

もっとも、本盤に収められたブルックナーの交響曲第7番は、朝比奈&大阪フィルが1975年のヨーロッパ・ツアーの最中にライヴ録音された演奏であるが、1990年代以降の数々の同曲の名演にも匹敵する至高の超名演と高く評価したい。

朝比奈は、本演奏の後にも同曲を何度も演奏・録音し、大阪フィルの技量などにおいてはそれらの演奏の方が本演奏よりもはるかに上であると言えるが、それでも本演奏の持つ崇高な高みにはついに達し得なかったのではないかとさえ思われるほどだ。

何よりも本演奏は、ブルックナーの聖地でもあるザンクト・フローリアン大聖堂での演奏、地下に眠るブルックナーに対する深い感謝の気持ちを込めた史上初めての奉納演奏、そして演奏中ではなく奇跡的に第2楽章と第3楽章の間に鳴ることになった神の恩寵のような教会の鐘の音、そして当日のレオポルト・ノヴァーク博士をはじめとした聴衆の質の高さなど、様々な諸条件が組み合わさった結果、朝比奈にとっても、そして大阪フィルにとっても特別な演奏会であったと言っても過言ではあるまい。

そして、そのような特別な諸条件が、かかる奇跡的な超名演を成し遂げるのに寄与したと言えるのかもしれない。

本演奏終了後、拍手喝采が20分も続く(CDではカットされている)とともに、レオポルト・ノヴァーク博士が本演奏に対して感謝の言葉を朝比奈に送ったこと、そして、とある影響力の大きい某評論家が様々な自著において書き記しているが、当日の一聴衆であったドイツ人が本演奏に感涙し、朝比奈に感謝の手紙を送ったというのも、本演奏がいかに感動的で特別なものであったのかを伝えるものであるとも考えられる。

いずれにしても、本演奏は素晴らしい。

朝比奈は、大聖堂の残響に配慮したせいかブラスセクションをいつもとは異なり抑制させて吹かせているが、それが逆に功を奏し、全体の響きがあたかも大聖堂のパイプオルガンのようにブレンドし、陶酔的とも言うべき至高の美しさを有する演奏に仕上がっている。

悠揚迫らぬテンポで着実に曲想を進行させていくのは朝比奈ならではのアプローチであるが、とりわけ第2楽章の滔々と流れていく美しさの極みとも言うべき清澄な音楽は、本演奏の最大の白眉として、神々しいまでの崇高さを湛えていると評価したい。

なお、一昨年には、同じヨーロッパ・ツアーにおいて、オランダで同曲を演奏したライヴ録音が発売され、ブラスセクションの鳴りっぷりはそちらの方が上であり、聴き手によっては好みが分かれると思われるが、演奏全体の持つ独特の雰囲気など、総合的な観点からすれば、本演奏の方をわずかに上位に掲げたいと考える。

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2014年09月13日


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巨匠チェリビダッケがベルリン・フィルを指揮した唯一の映像として知られるブルックナーの交響曲第7番がようやく登場した。

1992年3月31日と4月1日の2日間、ベルリンのシャウシュピールハウスで行われたコンサートは、当時のヴァイツゼッカー大統領直々の計らいで実現したもので、1954年以来38年ぶりにチェリビダッケが、この間関係が決裂していたベルリン・フィルの指揮台に復帰するという意味で特別な出来事であった。

こうした背景もあって会場が異様な空気に包まれるなか、やがて演奏が開始されてゆくのであるが、ここでの全曲86分を超える演奏時間は、数あるチェリビダッケによるブルックナーの7番のなかでも破格に長大な部類に入るもので、アダージョに至っては30分を超える時間をかけてたっぷりと歌い抜かれており、まさに耽美的というほかないその美観はあらためて稀有の巨匠の個性的な芸風を強く印象づける形となっている。

38年ぶりにベルリン・フィルを振ったチェリビダッケの指揮と、それに食らいついて行っているという雰囲気のベルリン・フィルの演奏で、なんとなく両者の間に、しっくりいっていないようなニュアンスは見られるものの、さすがにその演奏は圧倒的である。

筆者は特にチェリビダッケのファンというわけではないが、それでもこの演奏を見ると(聴くと)『これがチェリビダッケのブルックナーなのだ』と納得させられてしまう。

あのゆっくりとしたテンポとセンチメンタルになることを嫌う演奏は、最初のトレモロから聴く側の心を捉えて離さない、終始、緊張感みなぎる素晴らしい演奏である。

これを見て(聴いて)筆者がまだ高校生の頃、NHKで放送されたチェリビダッケとミュンヘン・フィルの組み合わせの来日公演の模様を思い出した。

他の指揮者に比べると、確かにテンポは非常にゆっくりしているが、映像で見るとそれが1つ1つの音をしっかりと歌わせているのがわかり、感動した覚えがある。

久しぶりに、どっしりとしたブルックナーを聴くことが出来た。

また、ドキュメンタリーでリハーサル風景が映し出されているが、チェリビダッケの傲慢な態度にちょっと曳いてしまった。

彼は楽団員から畏敬の念は抱かれているかもしれないが、必ずしも愛されてはいないのではないか、そんな思いがした。

楽団員から愛される小澤征爾やアバドの謙虚さとは対照的なリハーサル風景であった。

いずれにしても、貴重な映像であり、チェリビダッケの若い頃の様子を知ることもできる興味深いDVDである。

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2014年09月12日


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ルーマニア出身の巨匠指揮者セルジュ・チェリビダッケ(1912〜1996)の生誕100年を記念し、彼が最も得意としたブルックナーの交響曲をSACDハイブリッド化したボックスセットからの同時分売。

交響曲第4番「ロマンティック」は1989年2月、ウィーン・ムジークフェラインザールでの演奏会をソニー・クラシカルが収録したもので、生前からその存在は知られながら、これまで未発表だった幻のライヴ録音である。

トータルで84:08(拍手込み)という演奏時間は、EMIから正規盤として1996年に発売された1988年10月のライヴよりも長く、それゆえ収録にディスク2枚分を要している。

残響の豊かなムジークフェラインの音響効果を考慮してのテンポ配分と思われ、30分を超える巨大な造形によるフィナーレでは、極遅のコーダで管のコラールを支えるチェリビダッケ独特の弦の刻みに施されたアクセントが未曽有の感動を呼び起こす。

結果的には素晴らしい演奏で、筆者としてはこれまでEMI盤を普段から愛聴してきたのであるが、今回のソニー・クラシカル盤も、大いに心を揺さぶられる名演であること間違いない。

特に普段はチェビダッケはガスタイク・フィルハーモニーでの録音を聴く機会が多く、ムジークフェラインザールの豊かで華麗な響きにも改めて魅了された。

余すところ無くミュンヘン・フィルのハーモニーが味わえ、ガスタイク・フィルハーモニーの
EMI盤とは違った魅力が放たれている。

終楽章フィナーレの偉大さは相変わらずで、EMI盤は終演後の拍手がカットされているが、ソニー・クラシカル盤は拍手が収録されており、終演後直後の静寂から、まばらに拍手が始まり…、聴衆の『何か凄いものを聴いてしまった』という心の代弁が筆者にはヒシヒシと感じ取れるのである。

録音は、ソニー・クラシカル所蔵のオリジナル・マスターからの初のDSDマスタリングによるSACDハイブリッド化し、マスタリングはベルリンのb-sharpスタジオで行われたもので、音質は鮮明であるとともに、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるなど、音場が幅広いように感じられるところである。

そのことは、ムジークフェラインザールの残響の豊かさが生かされた臨場感溢れる音質であることも一躍買っていることを忘れてはならない。

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2014年09月11日


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周知の通りセルジウ・チェリビダッケは「録音嫌い」で知られたマエストロである。

その理由を訊かれたとき、彼がよく引き合いに出していたのはフルトヴェングラーの言葉だった。

録音した演奏のプレイバックを聴いて、フルトヴェングラーはこう叫んだという。

「何もかもが変わってしまった!」と。

もちろん1950年代以前と現代とではすでに録音技術にも大きな差があるし、再現度は格段に高まっているはずなのだが、それでもオーケストラが響く空間のアコースティックや聴衆の醸し出す雰囲気といった、何気に重要なパラメータを含むアンビエント――参加意識も含めた「共時体験」としての――は、排除されないまでも、少なくとも圧縮され薄まらざるを得ない。

各々の演奏会場の音の響き方によって採るべきテンポも当然変わってくると考えるタイプのマエストロは、生演奏に接することしか音楽の真実に迫るすべはないと主張する。

それは確かにその通りだろう。

一期一会の演奏会は、突き詰めれば一瞬たりとて同じ音がなく「時間とともに消えてゆく」現象の集積なのだから。

しかし、フルトヴェングラーにせよチェリビダッケにせよ、我々は過去に偉大な演奏があり得たことを「知って」しまっている。

その記録がいかに(彼らにとって)不完全なものだとしても、現に音楽として「追体験」できる音源が存在する以上、聴いてみたくなるのが人情というものだ。

ライヴ体験と切り離され録音された演奏だけで評価を下す危険性は常に意識しておかなくてはならないが、次々に発掘される名演の「記録」は、一種の文化的世界遺産ともいうべき価値を有している。

生きて飛んでいる蝶を間近に見るのが最上の観察だとしても、絶滅した蝶の姿は標本から類推するしかないのだから。

チェリビダッケの偉大さは、彼のそうした哲学的な音楽の捉え方が単なる観念論でなく、きわめて高度な職人技の上に成り立っていたということである。

たとえば交響曲第7番の第1楽章、冒頭に姿を現す弦のさざめきを表現する際、一人一人のトレモロに関し微妙に弓幅を変えることでムラのないヴェールのような広がりを醸し出すテクニック。

また交響曲第4番のフィナーレにおけるコーダでは、ユニゾンで奏される弦の刻みの拍の頭に楔を打ち込むがごとく短いアクセントを施し、最後に回帰してくる凱歌を気宇壮大に迎え入れる素地がつくられる。

こうした処理はスコアの“改変”ではなく、現場主義的な発想のもとに楽譜の意図する効果を最大限発揮させるための熟練された方法論に他ならない。

緻密に練られた解釈と、それを実現するのに必要な「楽器」とが揃った1980年代後半から90年代初めこそが、チェリビダッケとミュンヘン・フィルの最盛期だったと言っていいだろう。

さらにチェリビダッケの最晩年、亡くなる数年間はまた一層深化した異形の境地が訪れるのだが、より均整のとれたフォルムという意味でもその前の時期のほうが一般的な評価は高いはずである。

このDVDセットに所収されているのは何れもその実り多い時期のライヴで、交響曲第6番は彼らの本拠ミュンヘンのガスタイク、交響曲第7番と第8番は来日公演時のサントリーホールにおける収録。

すでに稀代の名演として定評のある演奏だが、今回は幻ともいうべき1989年のムジークフェラインザールでのライヴが入っているのが貴重だ。

前述の通り演奏会場の音響やアンビエントも演奏の大きな構成要素と捉えるチェリビダッケにとって、ムジークフェラインはいささか荒ぶる音楽への志向を誘われるホールだったのかも知れない。

特に両端楽章での激しいアゴーギクを伴った凄みのある音楽運びは、他に残された演奏にはあまりみられないほどの変動幅を含んでいる。

完全かどうかという見方をすれば粗もあり、これがチェリビダッケの〈ロマンティック〉の代表盤だとは言えないが、彼らの垣間見せた意外な「貌」という意味では非常に貴重な音源と言って間違いない。

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2014年09月10日


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生前は原則として一切の録音を拒否し、幻の指揮者と言われていたチェリビダッケであるが、没後、相当数の録音が発売されることになり、その独特の芸風が多くのクラシック音楽ファンにも知られることになった。

数年前にブルックナーの交響曲第5番とともに、本盤に収められた交響曲第8番の来日時(1990年)のコンサートのライヴ録音のCD化が行われたのは記憶に新しいところである。

今般、ついに、そのライヴ録音CDが、第5番とともに、シングルレイヤーによるSACD化が図られることになったのは、チェリビダッケの芸術を更に広く知らしめる意味においても、極めて意義の大きいことと言わざるを得ない。

チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということなのであろう。

楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。

それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。

そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿り着いたのがミュンヘン・フィルであった。

チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追求しようというものではない。

むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、まさに音のドラマ。

これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらないと言える。

ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、一音一音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたが、チェリビダッケの場合は、音の一つ一つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは一つ一つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。

もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であった。

したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、それはブルックナーの交響曲についても言えるところだ。

EMIから発売されているブルックナーの交響曲集についても、第3番や第6番は素晴らしい名演であったが、第5番や第8番については、超スローテンポによる演奏で、間延びした曲想の進み方に違和感を感じずにはいられないところであり、熱狂的なチェリビダッケのファンはともかくとして、とても付いていけないと思う聴き手も多いのではないだろうか。

ところが、1990年の来日時の演奏である本盤に収められた第8番、そして同時発売の第5番については、アプローチとしては基本的に変わりがないものの、チェリビダッケが愛した日本での公演であること、当日の聴衆の熱気、そして何よりも極上の高音質録音によって、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえることなどが相俟って、スローテンポであってもいささかも間延びがしない充実した音楽になっているのではないかと思われるところだ。

確かに、この演奏をブルックナーの交響曲演奏の理想像と評価するには躊躇するが、いわゆる音のドラマとしては究極のものと言えるところであり、良くも悪くもチェリビダッケの指揮芸術の全てが如実にあらわれた演奏と言うことができるだろう。

いずれにしても、聴き手によって好き嫌いが明確に分かれる演奏であり、前述のように、ブルックナーらしさという意味では疑問符が付くが、少なくともEMIに録音された演奏よりは格段に優れており、筆者としては、チェリビダッケの指揮芸術の全てがあらわれた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

そして、前述のように、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは、シングルレイヤーによるSACD化によって、音質が更に鮮明になり、なおかつサントリーホールの残響の豊かさが生かされた臨場感溢れる音質であることも一躍買っていることを忘れてはならない。

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2014年08月28日


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朝比奈隆はブルックナーの交響曲全集を3度にわたって録音した世界で唯一の指揮者である。

本盤に収められた「第8」の演奏は、大阪フィルとの最後の演奏(2001年7月)となったもので、朝比奈が録音したブルックナーの「第8」の中でも、3度目の全集に含まれる大阪フィルとの1994年盤、NHK交響楽団と録音した1997年盤と並んで、3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

朝比奈は、ブルックナーの交響曲の中でも「第5」とこの「第8」を得意としていたことはよく知られているところだ。

その理由はいくつか考えられるが、つまるところ朝比奈の芸風に最も符合した交響曲であったからではないだろうか。

朝比奈のアプローチは荘重なインテンポで、曲想を真摯にそして愚直に進めていくというものだ。

スコアに記された音符を一つも蔑ろにすることなく力強く鳴らして、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽を構築していく。

このようにスコアに記された音符をすべて重厚に鳴らす演奏であれば、カラヤンやチェリビダッケも同様に行っているが、彼らの演奏は、ブルックナーよりも指揮者を感じさせるということであろう(カラヤン&ウィーン・フィルによる1988年盤を除く)。

俺はブルックナーの「第8」をこう解釈するという自我が演奏に色濃く出ており、聴き手によって好き嫌いが明確にあらわれるということになるのだ。

これに対して、朝比奈の演奏は、もちろん朝比奈なりの同曲への解釈はあるのだが、特に当盤は朝比奈最晩年(93歳)の演奏ということもあり、そうした自我を極力抑え、同曲にひたすら奉仕しているように感じることが可能だ。

聴き手は、指揮者よりもブルックナーの音楽の素晴らしさだけを感じることになり、このことが朝比奈のブルックナーの演奏をして、崇高で神々しいまでの至高の超名演たらしめているのだと考えられる。

しかも、スケールは雄渾の極みであり、かかるスケールの大きさにおいては、同時代に活躍した世界的なブルックナー指揮者であるヴァントによる大半の名演をも凌駕すると言っても過言ではあるまい(最晩年のベルリン・フィル盤(2001年)及びミュンヘン・フィル盤(2000年)を除く)。

本盤で惜しいのは大阪フィルがいささか非力という点であり、特に終結部のトランペットが殆ど聴こえないというのは致命的とも言えるが、演奏全体の評価に瑕疵を与えるほどのものではないと言える。

録音も大変優れたものであり、朝比奈による崇高な超名演を望み得る最高の音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年08月24日


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ベームは、いわゆるブルックナー指揮者とは言い難いのではないだろうか。

シュターツカペレ・ドレスデンとともに「第4」及び「第5」、ウィーン・フィルとともに「第3」、「第4」、「第7」及び「第8」をスタジオ録音しており、これ以外にも若干のライブ録音が存在しているが、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの各交響曲全集を録音した指揮者としては、必ずしも数多いとは言えないのではないかと考えられる。

しかしながら、遺された録音はいずれも決して凡演の類ではなく、特に、ウィーン・フィルと録音した「第3」及び「第4」は、他の指揮者による名演と比較しても、今なお上位にランキングされる素晴らしい名演と高く評価したい。

ところで、この「第3」(1970年)と「第4」(1973年)についてであるが、よりベームらしさがあらわれているのは、「第3」と言えるのではないだろうか。

ベームの演奏の特色は、堅固な造型、隙間風の吹かないオーケストラの分厚い響き、峻厳たるリズム感などが掲げられると思うが、1970年代初頭までは、こうしたベームの特色が存分に発揮された名演が数多く繰り広げられていた。

しかしながら、1970年代後半になると、リズムが硬直化し、テンポが遅くなるのに併せて造型も肥大化することになっていった。

したがって、スケールは非常に大きくはなったものの、凝縮度が薄くなり、それこそ歯応えのない干物のような演奏が多くなったことは否めない事実である(シュターツカペレ・ドレスデンを指揮したシューベルトの「ザ・グレイト」のような例外もあり)。

「第4」は、そうした硬直化にはまだまだ陥っているとは言えないものの、どちらかと言えば、ウィーン・フィルによる美演を極力生かした演奏と言うことができるところであり、名演ではあるが、ベームらしさが発揮された演奏とは言い難い面があるのではないだろうか。

これに対して、本盤の「第3」は、徹頭徹尾ベームらしさが発揮された演奏ということが可能だ。

堅固な造型、隙間風の吹かないオーケストラの分厚い響きは相変わらずであり、峻厳たるリズムで着実に進行していく音楽は、素晴らしいの一言。

全体のスケールはさほど大きいとは言えないが、ヴァント&ケルン放送交響楽団盤(1981年)よりははるかに雄渾と言えるところであり、これだけの凝縮化された密度の濃い音楽は他にもあまり例はみられない。

金管楽器がいささか強すぎるきらいもないわけではないが、全体の演奏の評価に瑕疵を与えるほどのものではないと考える。

ブルックナーの「第3」の他の名演としては、1990年代に入って、朝比奈&大阪フィル盤(1993年)が登場するが、それまでは本演奏はダントツの名演という存在であった。

朝比奈盤に次ぐのが、ヴァント&北ドイツ放送交響楽団盤(1992年)であると考えるが、本演奏は、現在でもこれら両名演に次ぐ名演の地位をいささかも譲っていないと考える。

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2014年08月23日


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ベームは、ブルックナーの交響曲をすべて演奏しているわけではなく、遺された録音などを勘案すると、演奏を行ったのは第3番、第4番、第5番、第7番及び第8番の5曲に限られているものと思われる。

この中でも、文句なしに素晴らしい名演は1970年代前半にウィーン・フィルを指揮して英デッカにスタジオ録音を行った第3番(1970年)及び第4番(1973年)である。

これに対して本盤に収められた第8番については、少なくとも従来盤やその後に発売されたSHM−CD盤を聴く限りにおいては、筆者としてはこれまでのところ感銘を受けたことは一度もないところだ。

というのも、最大の欠点は、金管楽器がいささか無機的に響くということであろう。

ベームは、例によって、本演奏においても各金管楽器を最強奏させているのであるが、いずれも耳に突き刺さるようなきついサウンドであり、聴いていてとても疲れるというのが正直なところなのだ。

また、ベームの全盛時代の代名詞でもあった躍動感溢れるリズムが、本演奏ではいささか硬直化してきているところであり、音楽の自然な流れにおいても若干の淀みが生じていると言わざるを得ない。

したがって、ベームによる遺された同曲のライヴ録音に鑑みれば、本演奏はベームのベストフォームとは到底言い難いものであると言えるところであり、演奏自体としては凡演とまでは言わないが、佳演との評価すらなかなかに厳しいものがあったと言える。

しかしながら、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤を聴いて驚いた。

これまでの従来盤やSHM−CD盤とはそもそも次元が異なる圧倒的な超高音質に生まれ変わったところであり、これによって、これまでは無機的できついと思っていたブラスセクションの音色に温もりと潤いが付加され、これまでよりも格段に聴きやすい音色に改善されたと言えるところである。

加えて、音場が幅広くなったことにもよると思うが、音楽の流れも、万全とは言えないもののかなり自然体で流れるように聴こえるように生まれ変わったとも言える。

したがって、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって本演奏の欠点がほぼ解消されたとも言えるところであり、筆者としても本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤ではじめて本演奏に深い感銘を受けたところだ。

いずれにしても、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤に限っては、本演奏を名演と高く評価したい。

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2014年08月15日


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今や現代を代表する大指揮者となったインバルの新譜はどれも注目で聴き逃すことができない。

既にマーラーの交響曲を軸として、ショスタコーヴィチなどの交響曲の名演を東京都交響楽団やチェコ・フィルとともに再録音しており、そのいずれもが旧録音を超える圧倒的な名演となっていた。

ブルックナーの交響曲についても、既に第5番及び第8番という最も規模の大きい交響曲を東京都交響楽団と再録音している。

いずれもフランクフルト放送交響楽団との演奏を上回る名演であり、インバルが、マーラーとブルックナーの両方の交響曲の演奏を得意とする稀有の指揮者であることを見事に証明していたと言えたところだ。

そして、今般、ブルックナーの交響曲チクルスの第3弾として、満を持して人気交響曲である交響曲第7番が登場した。

とにかく素晴らしい名演。

これ以上の言葉が思い浮かばないほどの至高の超名演と言えるだろう。

同曲は、かの朝比奈隆がブルックナーの最も優美な交響曲と称したが、インバルも、第1楽章冒頭の弦楽による繊細な響きからして、かの聖フローリアン教会の自然の中のそよ風のような雰囲気が漂う。

その後も、同曲特有の美しい旋律の数々を格調高く歌い上げていく。

それでいて、線の細さなどはいささかもなく、トゥッティにおいてはブラスセクションをしっかりと響かせるなど強靭な迫力にも不足はなく、骨太の音楽が構築されている。

このあたりの剛柔の的確なバランスは、インバルによるブルックナーの交響曲演奏の真骨頂とも言うべき最大の美質と言えるだろう。

そして、インバルによる本演奏は、朝比奈やヴァントなどが1990年代以降に確立した、今日ではブルックナーの交響曲演奏の規範ともされている、いわゆるインテンポを基調とした演奏には必ずしも固執していない。

第3楽章や第4楽章などにおいても顕著であるが、演奏全体の造型美を損なわない範囲において、若干ではあるが効果的なテンポの振幅を加えており、ある種のドラマティックな要素も盛り込まれていると言えるところだ。

それにもかかわらず、ブルックナーの交響曲らしさをいささかも失っていないというのは、インバルが、同曲の本質を細部に渡って掌握しているからに他ならないと言うべきである。

また、本演奏において特筆すべきは、東京都交響楽団の抜群の力量と言えるだろう。

本年発売されたショスタコーヴィチの交響曲第4番においてもそうであったが、弦楽器の厚みのある響き、そしてブラスセクションの優秀さは、とても日本のオーケストラとは思えないほどの凄味さえ感じさせる。

いずれにしても、本盤の演奏は、今や世界にも冠たる名コンビとも言うべきインバル&東京都交響楽団による圧倒的な超名演と高く評価したい。

録音も超優秀で、SACDによる鮮明にして臨場感溢れる極上の高音質は、本盤の価値をより一層高めることになっているのを忘れてはならない。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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