モーツァルト

2022年08月06日


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内田光子と言えば、今や我が国にとどまらず、世界でも指折りの女流ピアニストと言えるが、今から40年ほど前は、ジェフリー・テイト&イギリス室内管弦楽団をバックとしてスタジオ録音を行ったモーツァルトの一連のピアノ協奏曲の演奏で知られる存在であった。

これら一連の録音は現在でも十分に通用するクオリティの高い名演であるが、内田光子はそうした当時の高評価に安住することなく研鑽に努め、シューベルトのピアノ・ソナタ集やベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ集などの数々の歴史的な超名演を経て、現在の確固たる地位を築き上げてきたと言えるだろう。

そうした現代最高の女流ピアニストの一人となった内田光子が、数年前からクリーヴランド管弦楽団の弾き振りによって開始したチクルスが、まさに満を持して再録音に挑むことになるモーツァルトのピアノ協奏曲集である。

既に、第1弾(第20番&第27番)、第2弾(第23番&第24番)が登場しており、本盤は新チクルスの第3弾(第9番&第21番)ということになる。

第1弾、第2弾ともに至高の超名演であったが、本盤の演奏もそれらに優るとも劣らない凄い超名演だ。

かつてのジェフリー・テイトと組んで演奏した旧盤とは比較にならないような高みに達しているとも言えるだろう。

それにしても、モーツァルトの傷つきやすい繊細な抒情を、これほどまでに意味深く演奏した例は、これまでの様々なピアニストの演奏にあったであろうか。

モーツァルトの楽曲は、ピアノ協奏曲に限らないが、一聴すると典雅で美しい旋律に時として憂いに満ちた寂しげなフレーズが盛り込まれているが、そうした箇所における表現が内田光子の場合は絶妙なのである。

各旋律における表情付けの意味深さは鬼気迫るものがあり、諸説はあると思うが、モーツァルトのピアノ協奏曲の本質のベールが内田光子によってこそはじめて脱がれたとも言ってもいいのではないか。

これら両曲の演奏の内面から浮かび上がってくるモーツァルト渾身の魂の響きは、あまりにも繊細にして優美であり、涙なしでは聴けないほど感動的と評しても過言ではあるまい。

モーツァルトのピアノ協奏曲に旋律の美しさ、聴きやすさ、親しみやすさのみを求める聴き手には全くおすすめできない演奏とも言えるが、モーツァルトのピアノ協奏曲を何度も繰り返し聴いてきた聴き手には、これらの楽曲の本質をあらためて認識させてくれる演奏であり、その意味では玄人向けの演奏とも言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、モーツァルトのピアノ協奏曲演奏の真の理想像の具現化と言っても過言ではない、至高の超名演と高く評価したい。

音質は、2012年のスタジオ録音であり、従来盤でも十分に満足できるものと言える。

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内田光子は、モーツァルトの旧ピアノ協奏曲全集によって、その確固たる地位を確立したが、本盤は、その20年後の待望の新録音である。

自己を厳しく律する内田としては、旧全集の出来が素晴らしかっただけに、再録音には相当に慎重であったと思われ、新しいモーツァルト解釈への確信が得られるのに、必然的に20年の歳月がかかったということなのだろう。

それだけに、新録音では、旧録音とは異なり、特にK491の全般やK488の第2楽章で顕著であるが、万感の思いを込めた情感溢れる濃厚な弾きぶりが際立っている。

また、軽快なK488の第1楽章や第3楽章では、澄み切った抒情に満ち溢れており、内田のモーツァルトの解釈が、旧盤に比してより深まった印象を強く受けた。

テイト盤はとにかくピアノとオーケストラが流れるように一体化した完璧な美しさと粒立ちの良いピアノの美しい音が際立っていたが、今回のクリーヴランド盤は各パートの演奏に個性と持ち味がしっかりと前に出ていて、自由闊達なピアノとの対話が面白い。

弦の各声部のディテールもしっかり聴かせ音楽がより鮮やかになった。

またライヴなのでカデンツァ部分のさらに彫りの深い表現が絶品。

弱音と無音部分の息遣いが素晴らしい。

弾き振りのライヴ録音なので仕方がないのだが、当然内田の集中も分散されてるわけで、以前の流れるような美しさや速いパッセージでの丁寧なタッチが失われたのが少々残念だが、弾き振りならではのリズミックな縦の線を強調し各パートの生き生きとした表現がよりモーツァルトらしく思われた。

もちろん、旧盤の価値が新盤の登場によって減じるということはいささかもないと思われるが、新盤には、旧盤にはない奥深さがあるという点において、旧盤と並んで高く評価される名演であると考える。

SHM−CD仕様により、内田のタッチをより鮮明に聴くことができる点も素晴らしい。

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2022年08月02日


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内田光子の円熟を感じさせる素晴らしい名演だ。

内田はモーツァルトのピアノ協奏曲全集をジェフリー・テイトと組んで録音していた。

それは内田光子の名声を確固たるものとする名演であったが、本盤が登場するに及んで、すっかりと影に隠れてしまった。

それほどまでに、内田光子のこの約20年にも及ぶ道程は、きわめて意義深いものであったと言える。

モーツァルトの傷つきやすい繊細な抒情を、これほどまでに意味深く演奏した例は過去にあったであろうか。

第20番など、何気なく開始されるのに、聴き進むに及んで、音楽の内面から浮かび上がってくるモーツァルト渾身の魂の響きは、あまりにも繊細にして優美であり、涙なしでは聴けないほど感動的だ。

内田光子の弾き振りであるが、クリーヴランド管弦楽団も、内田光子の繊細なピアノに符合した、実に内容豊かでコクのある演奏をしているのが素晴らしい。

第27番も素晴らしい超名演。

モーツァルトの畢生の名作を、これ以上は求め得ないような透徹した表現で弾き抜いている。

繊細な抒情に加えて、ここぞという時の力強さにもいささかの不足はないが、それでいて、時折見られる効果的な間の取り方は、殆ど名人芸の域に達している。

これは、内田光子としても、前録音から約20年を経て漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

鮮明な高音質も、本名演に華を添えることになっており、高く評価すべきものと考える。

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2022年07月29日


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ヴァントほどの大指揮者になると、愉悦性に富んだ管弦楽曲と言えどもいささかも手抜きはしない。

その最たる例が、本盤に収められたハフナー・セレナード&ドイツ舞曲であると言えるだろう。

モーツァルトの管弦楽曲と言えば、オペラの序曲を除けば、セレナードとディヴェルティメントが2本柱と言えるが、超有名な「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」を除けば、独墺系の指揮者は、そのどちらかを好んで演奏する傾向が強いように思われるところだ。

カラヤンなどは、ディヴェルティメントを得意のレパートリーとしており、最晩年にも素晴らしいスタジオ録音を成し遂げている。

これに対して、生前カラヤンのライバルと目されたベームはセレナードを好んで演奏していたことは良く知られているところだ。

そして、ヴァントは、こうしたベームの系譜に繋がる指揮者と言えるだろう。

とは言っても、ベームによるセレナードの演奏と、ヴァントによるセレナードの演奏は随分とその性格が異なる。

どちらの指揮者も、堅固な造型美や重厚にして剛毅な演奏という点において共通しているが、ベームの演奏には、ウィーン・フィルなどによる美演ということも多分にあると思われるが、優美さや典雅さに満ち溢れているのではないだろうか。

これに対して、ヴァントの演奏は、例によって厳格なスコアリーディングに基づいた緻密さを基軸にしており、優美さや典雅さよりもむしろ、交響曲を演奏するような姿勢で演奏に接しているとさえ言えるだろう。

したがって、ハフナー・セレナードの持つ愉悦性においては、いささか欠けていると言わざるを得ないが、格調の高さにおいては無類のものがあり、一聴すると武骨な表現の中にも、独特のニュアンスや情感の豊かさが込められているのが見事である。

必ずしも、一般受けする演奏とは言い難いが、演奏に内在する意味の深さ、彫りの深さには尋常ならざるものがあり、本演奏は、巨匠ヴァントの晩年の至高・至純の境地があらわれた素晴らしい名演と高く評価すべきではなかろうか。

ドイツ舞曲も、ヴァントのような大指揮者が演奏すると、偉大な芸術作品に変貌し、まさに、同曲の真の魅力を引き出すのに成功した稀有の名演と高く評価したい。

音質は、1989年のスタジオ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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以前ユニヴァーサル・コリアから34枚組のイングリッド・ヘブラーのモーツァルトとシューベルトの全録音集がリリースされたが、既に廃盤になっている。

こちらは本家フィリップスの全音源を収録した58枚のオリジナル・ジャケット仕様である。

これまではプレミアム価格で販売されていたショパンのワルツ集やハイドンのソナタ集、シューマンの『子供の情景』などと共に彼女の殆ど総てのレパートリーを鑑賞することができる。

音質は全盛期のフィリップス特有の切れの良い鮮明なサウンドが特徴である。

最後のCD58のモーツァルトのピアノ・ソナタ第12番ヘ長調及び第13番変ロ長調に関しては1953年のモノラル録音だが今回初CD化された。

彼女はモーツァルトの権威だったが、モーツァルトに大きな影響を与えた大バッハの末っ子ヨハン・クリスティアン・バッハの作品も多く手掛けている。

このセットではピアノ・ソナタやフルート・オブリガート付きのピアノ・ソナタ、また18曲に及ぶピアノ協奏曲も圧巻だ。

ここではノイペルト製のフォルテピアノのコピーを演奏している。

ヘブラーは恣意的な解釈を避けた、磨き上げた美しい音色で清楚に演奏した殆ど最後のピアニストだった。

そのスタイルはモーツァルトの音楽に最もふさわしく、純粋な音楽の喜びを体現させてくれる。

その意味でもこの全集は貴重なものだが、彼女がフィリップス以外にレコーディングした音源については含まれない。

その主な音源はDENONからリリースされた二回目のモーツァルトのソナタ全集で、こちらは現行で入手可能だ。

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2022年07月28日


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何という素晴らしい名演であろうか。

精妙なアンサンブルの中に、モーツァルト特有の陽気さ、軽妙さ、悲痛さ、苦悩といった、さまざまな情感を盛り込んだ名演だ。

弦楽四重奏曲第17番「狩」は、まさに狩りを皆で楽しむような生き生きとした力強い生命力に満ち溢れている。

構築性を尊重し、明るく大きく歌い上げており、これはスメタナ四重奏団ならではの名演だ。

スメタナ四重奏団の各奏者の醸し出す絶妙のアンサンブルは、これぞ弦楽四重奏曲の醍醐味とも言うべき高次元の至高の音楽を構築している。

他方、第15番は、モーツァルトにしては珍しい短調の楽曲であるが、悲劇的な曲想の中でも、決して甘美なメロドラマには陥ることなく、常に高踏的な至純の美しさを失わないところが素晴らしい。

そのデモーニッシュな魅力には聴き手を引きつけて離さない魅力がある。

ここでも、スメタナ四重奏団の各奏者の奏でるアンサンブルは、これ以上は求められないようなレベルに達しており、4人の室内楽的なかけ引きも見事というほかない。

第17番「狩」と同様、録音も含めれば、同曲最高の名演と言っても過言ではないだろう。

いずれも彼らの最盛期の録音といってよいだろう。

録音は、世界初のデジタル録音として、前述のようにもともと素晴らしいものである。

モーツァルトの弦楽四重奏曲の録音史上、最高の名演の一つをこのような高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2022年07月23日


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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の名首席奏者達が織り成す自在な独奏と、モーツァルト指揮者として定評のあったベームの指揮が美しく調和した演奏で聴く、モーツァルトの2曲の協奏交響曲集。

モーツァルトの2曲ある協奏交響曲を1つに収めたCDは、意外にも本盤くらいしか見当たらないが、間違いなく本盤はその決定盤とも言うべき永遠の名盤である。

何よりも、全盛期のベーム、そして、名うての名プレーヤーが数多く在籍していた黄金時代のベルリン・フィル、そして、当時、最も脂が乗っていたベルリン・フィルの名プレーヤーの三者がそろい踏みである点が大きい。

ベームの指揮は、厳しい造型を重視した緻密なものであるが、モーツァルトに深い愛着を持っていただけに、どこをとっても気品のある美しさに満ち溢れている。

しっとりとした情感を帯びたしなやかな表情と優雅な感覚、正確無比なテンポ感と確信に満ちた造型によるこの演奏は、古楽器演奏が全盛となった現代でも全く色褪せることはなく、逆にますますその輝きを増しているかのようだ。

各ソロ奏者も最高のパフォーマンスを示しており、無理なく、無駄なく、職人芸に徹したソロが実に清々しく、ベルリン・フィルも極上のアンサンブルでそれに応えている。

個性や名人芸の披露ではなく、ベームを核に繰り広げられていく演奏という名の対話であり、それが音楽の流れとともに絆をより強くしていく、そんな奥ゆかしい至芸である。

まだ20代の若さだったブランディスやライスターは初々しさを、40代であったカッポーネやシュタインスやピースクらは経験の豊かさに物を言わせた奥ゆかしいソロを披露、最愛のモーツァルトの花園に聴き手を招き入れる。

音楽ファンに残された心の故郷のようなアルバムである。

SHM-CD化によって音質もさらに鮮明さが増したところであり、これにより、本盤の価値は一段とアップしたと言えるだろう。

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2022年07月22日


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ハイドンの交響曲全集第10集のタイトルは『一日の時間』で、初期の3曲『朝』『昼』『晩』と音楽的に近い内容を持っているモーツァルトの『セレナータ・ノットゥルナ』がカップリングされている。

ハイドンの3曲の様式はヴィヴァルディの複数のソロ楽器のための協奏曲、つまりコンチェルト・グロッソを想起させるものがある。

またバッハも『ブランデンブルク協奏曲集』で試みた様々な楽器のソロが活躍する場を交響曲に与えている。

それだけにトラヴェルソ、オーボエ、ファゴット、ヴァイオリンからコントラバスまでにソロ・パートが書かれている。

この頃はまだ交響曲に絶対音楽としての厳格な位置付けや、ソナタ形式の洗練というよりも、むしろ嬉遊性が溢れている。

こうした曲目においてイル・ジャルディーノ・アルモニコは水を得た魚のようにヴァイタリティ―に溢れた楽しい演奏を繰り広げている。

またそれぞれのソリストの腕前も充分に示されている。

モーツァルトの『セレナータ・ノットゥルノ』の様式はまさにこうした管弦楽用の楽しみのための音楽として徹底したもので、やはり様々な楽器が使われている。

ハイドンには『セレナーデ』と名付けた管弦楽曲は見当たらないが、それは『ノットゥルノ』と同様の曲種になるだろう。

それだけにハイドンの『朝』『昼』『晩』とモーツァルトの『セレナーデ』は共通の根を持つ音楽であることが理解できるし、指揮者アントニーニもこうした共通性を意識した選曲だと思われる。

この交響曲全集はハイドン以外の作曲家の作品も多数収録してあり、それらをピリオド楽器、ピリオド奏法で鑑賞できるのも興味深い。

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2022年07月02日


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モーツァルト書簡集下巻は彼が最後の数年を生きたウィーンでの生活を中心に、膨れ上がる借金に苛まれながらも次々に傑作を生み出していく精力的な作曲活動、そして遂に力尽きて亡くなる50日前までの彼の行動と心情がありのままに吐露されている。

モーツァルトは妻に限りない愛情を注いだ作曲家だった。

彼は湯治のためにバーデンに滞在するコンスタンツェ宛に頻繁に手紙を書き、借金だらけになっても彼女には滞りなく送金を続け、常に体を気遣っている。

その甲斐もあってコンスタンツェは病から快復するが、皮肉にもその前にモーツァルトは亡くなってしまう。

困窮の生活の中で彼が澄み切った青空のように屈託のない作品を作曲し続けることができたのは驚異でしかない。

手紙の中に居酒屋で独りで食事をすることの惨めさも書かれている。

彼は作曲する時以外は誰かが傍らに居てくれないと堪えられない寂しがりやだった一面も興味深い。

最後の年譜で訳者は『モーツァルトは35年10ヶ月9日間生存し、そのうち10年2ヶ月8日間を旅の空で過ごした』と記している。

人生のほぼ1/3を彼はヨーロッパ諸都市でのコンサート、オペラ上演やそれに伴う移動のために費やしたことになる。

筆者は以前ザルツブルクとウィーンでモーツァルトの住んだ3軒の家を訪れたことがある。

現在ではいずれも記念館になっていて、彼に因んださまざまな展示物を見学することができるが、ある一室で彼が生涯に書いた総てのスコアを一列に積み上げてあった光景が思い出される。

それはその部屋の天井まで届くほどの高さがあり、彼が如何に離れ技的な作曲活動をしていたかを証明している。

平均するとモーツァルトは生涯を通じて1日6ページのフル・スコアを毎日書き続けたことになるそうだが、この書簡集でも明らかにされているように度重なる演奏旅行とその準備、生活のための生徒へのレッスンやあらゆる雑事に煩わされていたことを考えれば、今日私達が名曲として鑑賞している作品群が到底信じられないようなスピードで作曲されていたことになる。

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モーツァルトの書簡集上巻は1770年、彼が14歳で父親に連れられて第1回目のイタリア旅行をした時から始まる。

この演奏旅行で彼はどの都市でも大成功を博して神童の名を欲しいままにしたが、母や姉宛に書かれた手紙の端々には既に彼の人間を観察する純真な眼差しが表れている。

モーツァルトはこの時期からイタリア・オペラを盛んに作曲するようになるが、たとえ一人前の作曲家の腕を持っていたとしてもリブレットから登場人物の心情の機微を掴めない者にはオペラを書くことはできない。

それが母国語でない言語であれば尚更だが、彼の短かった生涯に20曲以上の劇場作品を作曲することになる恐るべき才能の萌芽が既に少年時代から確実に培われていたのは事実だ。

また他の作曲家の作品でも優れたものについては称賛を惜しまない、極めて公平かつ正確な判断力が養われていたことも興味深い。

彼がこの時代あらゆる作曲のテクニックを海綿のように吸収して学ぶことを可能にしたのも、こうした謙虚で柔軟な姿勢があったからに違いない。

成人してからのモーツァルトの就職活動の旅は失敗に終わる。

音楽以外の私生活での彼は実社会に適応できない実質的な破綻者だったことは想像に難くない。

彼に英才教育を施した父レオポルトは言ってみれば実利主義者のビジネスマンで、借金までして旅に出させた息子の就職活動がはかばかしくないことを厳しく諌めている。

しかし根っからの芸術家気質のモーツァルトは父への返信では常に慇懃だが、実際の行動はかなり奔放で滞在期日を大幅に延長したり作曲料を取り損なったり、父親のオーガナイズから大脱線してしまっている。

またその事実からは稀有の天才を受け入れるすべを知らなかった当時の上流社会の不条理性も伝わって来る。

要領良く立ち回ればそれなりの地位を獲得することもできた筈だが、モーツァルトはその才に欠けていた。

彼は自分の能力を誰よりも良く自覚していたが、それを切り売りする形で生計を立てる道を選ぶべきでないことも熟知していたし、気の進まない曲は頼まれても1曲も書けなかった。

彼がザルツブルクの宮廷オルガニストの地位をコロレード大司教から解任され、他の如何なる宮廷の地位も得られなかったことは、結果的に言えば悪くなかった。

この書簡集から父レオポルトはモーツァルトの将来の作曲家としての活躍よりも、現在を堅実に生きる道を選ばせたかったことが明らかだからだ。

しかしお仕着せの音楽家としてお定まりの曲を書きながら一生を終えるには、彼の才能は余りにも抜きん出ていたことも事実だろう。

それを考えると短かったとは言え、ウィーンでまがりなりにも独立して作曲活動に明け暮れた生活こそ、彼が望んでいた人生だったに違いない。

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2022年06月26日


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昨今においてますます進境著しいエレーヌ・グリモーであるが、意外にもモーツァルトの楽曲については殆ど録音を行っていない。

ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番を2度も録音していることなどに鑑みれば、実に不思議なことである。

本盤に収められたモーツァルトのピアノ協奏曲第19番及び第23番についても、グリモーによるモーツァルトのピアノ協奏曲初の録音であるのみならず、モーツァルトの楽曲としても、ピアノ・ソナタ第8番の演奏(2010年)以来、2度目の録音ということになる。

ピアノ・ソナタ第8番については、モーツァルトを殆ど演奏していないグリモーだけに、他のピアニストによる演奏とはまるで異なる、いわゆる崩した個性的な演奏を繰り広げていた。

グリモーの心の込め方が尋常ならざるレベルに達しているため、非常に説得力のある名演に仕上がっていた。

それだけに、本盤のピアノ協奏曲においても、前述のピアノ・ソナタ第8番の演奏で聴かれたような超個性的な表現を期待したのであるが、見事に肩透かしを喰わされてしまった。

カデンツァにおける即興性溢れる演奏には、そうした個性の片鱗は感じさせるものの、演奏全体の基本的なアプローチとしては、グリモーはオーソドックスな演奏に徹している。

グリモーのピアノ演奏は、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番を得意のレパートリーとしていることからも窺い知ることができるように、力強い打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の起伏の幅が桁外れに広いスケールの大きさを特徴としている。

とりわけ、力強い打鍵は、男性ピアニスト顔負けの強靭さを誇っているとさえ言えるところである。

ところが、本演奏においては、モーツァルトのピアノ協奏曲だけに、むしろ、楽曲の随所に盛り込まれた繊細な抒情に満ち溢れた名旋律の数々を、女流ピアニストならではの清澄な美しさを保ちつつ心を込めて歌い抜くことに主眼を置いているように思われる。

そして、モーツァルトの楽曲に特有の、各旋律の端々から滲み出してくる独特の寂寥感の描出についてもいささかも不足はない。

加えて、グリモーが素晴らしいのは、これは濃厚な表情づけを行ったピアノ・ソナタ第8番の演奏の場合と同様である。

感情移入のあまり感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥るということは薬にしたくもなく、どこをとっても格調の高さを失っていない点である。

このように、本盤の演奏は総じてオーソドックスな様相の演奏であるが、前述のような繊細にして清澄な美しさ、そしていささかも格調の高さを失うことがない心の込め方など、グリモーならではの美質も随所に盛り込まれている。

バイエルン放送室内管弦楽団による好パフォーマンスも相俟って、まさに珠玉の名演に仕上がっていると高く評価したい。

併録のレチタティーヴォ「どうしてあなたが忘れられるでしょうか?」とアリア「心配しなくともよいのです、愛する人よ」については、グリモーの透明感溢れる美しいピアノ演奏と、モイツァ・エルトマンの美声が相俟った美しさの極みとも言うべき素晴らしい名演だ。

音質についても、2011年のライヴ録音であるが、グリモーのピアノタッチがより鮮明に再現されるなど、申し分のないものであると高く評価したい。

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2022年06月22日


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この録音が行われた1986年当時、バルトールド・クイケンは古楽界の中堅として最も脂の乗り切った演奏活動をしていた時期だった。

彼の特徴は常に良い意味での模範的な演奏をすることで、技巧的に困難な部分でもさりげなく吹いてしまう。

それよりも驚かされるのは、よりシンプルに書かれたところで最高に美しく聴かせる術を知っていることだ。

2曲の協奏曲の緩徐楽章やアンダンテハ長調がその典型的な例で、彼の前の時代にはトラヴェルソを教える教師さえいなかった古楽の黎明期に、クイケンは殆んど独学でこの楽器の奏法を復活させ、独自のメソードを作り上げた。

現在の名教師としての声望は、彼の演奏自体がそのまま立派な手本になるという、例外のない模範的な実践がその理由だろう。

モーツァルトは当時マンハイムの宮廷楽団のメンバーだったトラヴェルソの名手、ヴェンドリングの演奏を想定してこれらの曲を書いた。

クイケンの演奏はかつてのヴェンドリングのそれをイメージさせるのに充分なヒントを与えてくれる。

この曲集でクイケンは黒檀製のA.グレンザー・モデルを使っている。

拓殖材より比重が重く、音の輪郭が明確でまた音自体が良く通るのが特徴だが、確かに2管編成のオーケストラにうずもれることなくソロ・パートの華やかな響きを浮かび上がらせるには最適な楽器だろう。

ワン・キー・タイプで1780年製のオリジナルからのコピーになり、ライナー・ノーツによればモーツァルトのフルートが加わる一連の曲は1777年から78年にかけての作曲とされているので、文字通りピリオド楽器による再現ということになる。

兄シギスヴァルトがコンサート・マスターを務めるラ・プティット・バンドとの協演でピッチはa'=430に調律されている。

ピリオド楽器によるモーツァルトのフルート協奏曲集の録音はそれほど多くなく、ヒュンテラーをソロに迎えた1995年のブリュッヘン、十八世紀オーケストラのセッションが挙げられる。

ヒュンテラーがオリジナルのヤコブ・デンナーを使ったことでも話題になったCDだ。

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2022年06月17日


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モーツァルトの初期のヴァイオリン・ソナタ7曲を収録したディスク。

チェンバロがズザナ・ルージチコヴァー、そして第6番、第8番及び第10番にはペトロ・ヘイニーのヴィオラ・ダ・ガンバが加わってバス・パートをチェンバロの左手と重ねている。

録音は1990年にプラハのドモヴィーナ・スタジオで行われ、チェコ・スプラフォンからリリースされたCDの方は既に廃盤になっているが、幸いMP3で鑑賞できる。

音質は極めて良好で、スークの美音を生かした流麗なソロとルージチコヴァーの軽やかなチェンバロの音色が繊細に再生される。

彼女が弾いているのはモダン・チェンバロだが、音量は控えめで、高音のきらびやかな音はそれほど金属的ではないので耳障りではない。

スークはモーツァルトのヴァイオリン協奏曲に関しては全曲録音しているが、ソナタはこの1枚しかレコーディングの機会に恵まれなかったようだ。

ヘイニーのヴィオラ・ダ・ガンバも含めてアンサンブルは緊密で、さりげなく巧みな連携プレイが保たれているのに好感が持てる。

モーツァルトの初期のヴァイオリン・ソナタは、ヴァイオリンのオブリガートが付いた鍵盤楽器のためのソナタという、このピリオド独自のジャンルである。

後期のソナタのようなソロ・ヴァイオリンが主導権を握る形態ではなく、むしろヴァイオリンがしばしば伴奏に回る、

愛らしく軽い曲趣が特徴だろう。

後の大作に比べればシンプルな印象を受けるが、多分にギャラント様式特有の装飾豊かな華やかさも感じられる。

こうした作品は一流どころのヴァイオリニストがあまり演奏しないので、サンプルが殆ど見当たらない貴重なセッションに違いない。

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2022年06月14日


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本演奏を聴いて大変驚くとともに深い感銘を覚えた。

サヴァリッシュと言えば、どうしてもNHK交響楽団を指揮した、立派ではあるが大人しい演奏が印象的であるだけに、筆者としても、これまで所詮はベームの亜流指揮者としてあまり高い評価をして来なかった。

史上最年少でバイロイト音楽祭に登場するなど、才能には抜群のものがあり、凡演は少ないものの、他の指揮者を圧倒するような名演を成し遂げることも殆どないといったところが、これまでのサヴァリッシュに対する共通の評価と言えるのかもしれない。

しかしながら、本盤の両曲の演奏は、そうした印象を覆すのに十分な圧倒的な演奏なのではないだろうか。

冒頭のモーツァルトの交響曲第39番からして、重厚で彫りの深い表現に大変驚かされる。

演奏全体の堅固な造型美は相変わらずであるが、それ以上にどこをとってもあたりを振り払うような威容に満ちた風格が漂っているのが素晴らしい。

あたかもベートーヴェンの交響曲に接する時のような硬派の演奏と言えるが、それでいて四角四面に陥らず、モーツァルトらしさをいささかも失わないというのは、多分にウィーン・フィルによる美演によるところが大きいと言える。

いや、むしろ、ウィーン・フィルにこれだけの名演奏をさせたサヴァリッシュの類稀なる才能と統率力を褒めるべきであろう。

いずれにしても、このような素晴らしい超名演を聴いていると、ベームがサヴァリッシュを何故に高く評価し、信頼していたのかがよく理解できるところだ。

次いで、ブルックナーの交響曲第9番も凄い超名演だ。

まさに壮絶の極みとも言うべき豪演であり、指揮者の名前を伏せて聴くと、サヴァリッシュによる演奏であると言い当てる者は殆どいないのではないか。

とてもNHK交響楽団を指揮していたサヴァリッシュとは思えないような凄みのある指揮ぶりでありる。

多くの聴き手が、サヴァリッシュに対するこれまでの印象を大きく変えるきっかけとなるかもしれない。

そして、おそらくは、サヴァリッシュによる最高の超名演と言っても過言ではないと言えるのではないだろうか。

第1楽章からしてテンションは全開。

とかく安全運転に終始しがちなサヴァリッシュ&NHK交響楽団による演奏とはそもそも次元が異なる緊迫感に貫かれている。

どこをとっても濃密かつ重厚な音楽が紡ぎ出されているのが素晴らしい。

ブラスセクションなども最強奏させているが、いささかも無機的になることなく、懐の深さを有しているのが見事である。

第2楽章の速めのテンポによって畳み掛けていくような気迫や怒涛のような重量感溢れる進軍にはただただ手を汗握るのみ。

本気になった指揮者とオーケストラによる真剣勝負のぶつかり合いがここにあると言えるだろう。

終楽章も凄まじい。

1990年代にヴァントや朝比奈が成し遂げた悠揚迫らぬインテンポによる演奏とは大きく異なり、テンポの効果的な振幅なども織り交ぜたドラマティックな表現も駆使している。

それでいてブルックナーらしさをいささかも失わないというのは、サヴァリッシュがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みしているからに他ならない。

そして、ウィーン・フィルによる極上の美を誇る名演奏が、本演奏に独特の潤いと温もりを付加させているのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

演奏終結の後、かなりの間をおいて拍手が沸き起こるのも、当日の聴衆の深い感動を物語るものと言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、サヴァリッシュによる至高の超名演であり、サヴァリッシュに対する印象を一変させるだけのインパクトのある圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質は、1983年のライヴ録音であるが、十分に満足できる良好な音質と高く評価したい。

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2022年04月19日


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クナッパーツブッシュ唯一の録音となるモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1940年録音)始め、モーツァルトの交響曲2作品を収録したアルバム。

何と言っても「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が楽しい。

筆者の勝手な思い込みで、クナとモーツァルトの相性は悪いと思っていたのであるが、クナの「アイネ・クライネ」の録音が存在していたというのに本当に驚かされた。

モーツァルトの「アイネ・クライネ」は余計な表情をつけなられない曲だと思っていたが、クナはまさにやりたい放題の大暴れ、しかも大成功を収めたのだ。

これを聴いて怒り出してはいけない。

最初は余りにも珍妙な演奏で腰を抜かしたが、ロココ調のセレナードという固定観念にとらわれずに聴けば、なかなかどうして愉快痛快な演奏ではないか。

フレーズごとに耽美的なディミヌエンドをかけ、各声部の動きにあざといアクセントをかけ、ロマンティックな音楽を聴かせるのは乙な趣向だ。

終曲の途轍もないスロー・テンポ! その中でクナは遊びに遊ぶ。

思い切ったポルタメントはほんの序の口、途中で2ヵ所、モーツァルトが書いた伴奏部の音の長さと表情を変え、主題の対旋律としてしまったのである。

天才モーツァルトの楽譜を変更したのだ! こんな勇気は他の指揮者には絶対にない。

これはもはやクナッパーツブッシュ編曲と言い切ってしまってよいほどで、非常に面白い。

アカデミズムを軽蔑するクナの、「してやったり」という顔が目に見えるようではないか。

彼だから許され、彼だから可能な業ではあるが、それでも、このディスクは筆者に「モーツァルトでもここまでできるのだ!」という感銘を与えてくれる。

第1楽章もセレナードとは思えぬくらい深々としており、淋しいけれど神経質に陥らないニュアンスが漂い、何よりも豊かな歌が横溢する。

その歌はメヌエット中間部にも現われるが、特筆すべきは第2楽章の美しさで、細部までこれほど丁寧に愛情をこめぬいた演奏は他に決してない。

できるところでは全部リタルダンドをかけ、息の長いクレッシェンドで盛り上げ、コーダでは何と第1ヴァイオリンをソロに変えている。

クナはワルターのように粋に運ぶことはまるで考えていないが、それでいて泥臭くなっていないのは、どこもかしこも真実だからであろう。

筆者はあえて言いたい。

「アイネ・クライネ」のディスクは、特別の興味がない人以外には、ワルター(&ウィーン・フィル)とクナッパーツブッシュの2種類だけ持っていればよい。

そして、彼らの演奏を折に触れて聴き比べれば、音楽創造というものの素晴らしさや秘密が、次々と解明されてゆくに違いない。

交響曲第39番と第40番も悠揚迫らざるスケール感と気品高い演奏で聴く者を魅了する。

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2022年04月09日


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2016年がアルテュール・グリュミオー没後30周年に当たり、逸早くユニヴァーサル・イタリーからリリースされたのがフィリップス音源のモーツァルト演奏集を網羅した19枚のバジェット・ボックスだ。

豊潤で艶やかな音色を駆使したグリュミオーのスタイリッシュなヴァイオリンが冴え渡る名演。

グリュミオーがレパートリーの中でも最も得意とした作曲家の一人がモーツァルトであったことは疑いないが、彼は何よりも美音家として名を馳せた。

洗練された甘美で豊潤な音色を武器に、スタイリッシュな奏法を駆使して一世を風靡した演奏は現在でもその輝きを失ってはいない。

確かに現代のヴァイオリニストの演奏に比べれば、ポルタメントを随所にかけたやや官能的でロマンティックな解釈は時としてモーツァルトらしくないかも知れない。

しかし彼の持っている洗練された音楽性が、自然にその曲想に反映するような音楽においては最良の効果を発揮する顕著な例がこのモーツァルトだ。

それは同じ世代のヴァイオリニスト、シェリングとは好対照を成していて興味深い。

後者の場合は自然発生的な音楽の発露としてではなく、むしろ構築され練り上げられていく表現だからだ。

確かにポルタメントをふんだんに取り入れた、ロマンティックなグリュミオーの歌い口は、たとえ彼が当時モーツァルトのスペシャリストであったとしても、来たるべき時代のモーツァルトの解釈とは言えないだろう。

しかしそれは独特の説得力があり、理屈抜きで彼の奏法に引き込んでしまう魅力を持っている。

特に黄金のコンビだったクララ・ハスキルとのソナタ集や2種類の協奏曲集は至高の名演として不滅の輝きを放っている。

その他にも、自らグリュミオー・トリオを率いてウィリアム・ベネットと組んだフルート四重奏曲や弦楽五重奏曲などは、音楽として先ず完璧に美しく、耽美性を排した颯爽として高貴な風格を持った彼ならではのスタイルが記録されている。

協奏曲集(新録)では、コリン・デイヴィス率いるロンドン交響楽団の潔く速めのテンポがグリュミオーのソロを極めて効果的に支えているのも特筆に値する。

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2022年04月07日


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モーツァルト弾きとして名を成した、ヘブラーの自信が滲み出た演奏だ。

彼女の持ち味のひとつに、見事にコントロールされた美しい響きがあるが、それはこの再録音によってますます磨きあげられている。

若いピアニストが生み出す響きのように鋭角的でなく、まろやかな中にヒューマンな感情を漂わせ、聴き手を魅了するのだ。

ひとつひとつの音符がくっきりと輝き出るような明確なタッチ、よい意味で芯のある響きが快く、少なくともモーツァルトを弾くために、磨くだけ磨きこまれた筋金入りの技巧を聴くことができる。

そして、この演奏には"気品"があり、そこが彼女の強味であろう。

ほんの少し聴いただけで気持ちが和んでくる、まろやかで、うるおいがあって、ぬくもりの感じられる演奏だ。

モーツァルトに対するヘブラーの思い入れが、弾き出されるすべてのフレーズ、すべての音に、ごく自然に反映されている。

どのソナタのどの楽章であれ、こうしたヘブラーの持ち味をたっぷりと味わわせ、楽しませてくれる。

全体に渡ってさりげない"思い入れ"が生かされており、それが容易に真似のできないこの人の個性だと知らされる。

この自然な語り口は、長いキャリアを通じてヘブラーがつかみとった奥義だろう。

ヘブラーの演奏には恣意的な表現が少しも無く、ただ自分の持ち合わせている洗練された音楽性と技巧をひたすらモーツァルトの音楽に奉仕させるという姿勢を貫いている。

その潔さとあくまでも古典派の音楽へのアプローチとしての自由自在な表現が円熟期を迎えた彼女の到達しえた解釈なのだろう。

ただここでのモーツァルトは決して枯淡の境地的なものではなく、むしろ清冽な響きで奏でた瑞々しい音楽が印象的だ。

テンポのとり方にも非常に安定感があり、それぞれのソナタに聴かれる明確なタッチによる細かなニュアンスとシンプルだが巧みな歌いまわしに彼女の確信が窺われる。

また曲想の輪郭をむやみに曖昧にすることなく、常に明晰で研ぎ澄まされた感覚を駆使した品のある表現はヘブラーならではのものだ。

どのソナタをとっても粒揃いだが、中でも白眉は第9番イ短調K.310以降の中期及び後期の作品群で、モーツァルトの自由奔放とも言える着想と深い音楽性、そして作曲技法が一つの模範的な演奏で再現されている。

1986年から91年にかけての録音で音質の素晴らしさも特筆される。

当代最上のモーツァルト演奏のひとつである。

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2022年03月25日


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ワルター・バリリ(1921.6.16〜)はウィーン生まれのヴァイオリニストで、ウィーン音楽院に学んだ後、1936年ミュンヘンでデビューした。

1938年にウィーン・フィルに入団し、1940年にはコンサートマスターに就任、1943年には自らの名を冠した四重奏団を組織した。

当時、ウィーンにはコンツェルトハウス協会に所属するウィーン・コンツェルトハウス四重奏団、ムジークフェラインで定期演奏会を行ったシュナイダーハン四重奏団、と同じウィーン・フィルを母体とする2つの名団体が演奏活動を行っていた。

しかし、バリリ四重奏団は結成以来、なぜかメンバーの離脱や急死などの不運が重なり、1951年6月に一時活動の停止を余儀なくされた。

ところが、同じ年にシュナイダーハン四重奏団を主宰するヴォルフガング・シュナイダーハンがソリストに転身することになり、リーダーを失ったシュナイダーハン四重奏団の他の3人にバリリが加わる形で、1951年8月新たなバリリ四重奏団が生まれた。

バリリ氏は1996年の来日時のインタビューでこの時の運命的とも言えるタイミングの良さについて「なるようになるものだ」と語っていた。

ちょうど同じ頃、レコード界ではLPレコードの開発という革命が起き、戦後景気に湧くアメリカではレコード会社が次々に設立された。

1949年、ニューヨークで設立されたクラシック音楽専門レーベル「ウエストミンスター」もその一つ。

ウエストミンスターは米ドルの強さを背景に、ウィーンに出張録音を行い、バリリ四重奏団やウィーン・コンツェルトハウス四重奏団と数多くのLPレコードを制作した。

ウエストミンスター・レーベルは1954年に日本盤も発売されるようになり、彼らの室内楽演奏は日本でも多くのファンを獲得して、1957年12月、バリリ四重奏団の初来日公演は熱狂的に迎えられた。

ところが1959年、バリリは右ひじを故障し、カルテットの活動を断念、新生バリリ四重奏団も約9年でその幕を下ろすこととなった。

このセットには、バリリ四重奏団の米ウエストミンスターへの録音がまとめられており、LPレコード初期に彗星のように現れては消えて行った、名団体の芸術の粋をじっくりと楽しむことができる。

中でも、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集は、LP初期に、ブダペストSQのそれと人気を二分したバリリSQの名盤である。

精密な機能的側面を追求するブダペストに対し、バリリはヒューマンな情緒性を大切にする点で一線を画した。

ベートーヴェンの特に後期の弦楽四重奏曲は、特に専門家でなくても至難であることはある程度想像できる。

しかし、だからといってひたすら苦行のように、あるいはいたずらに精密さばかりを求められても聴く方にとってはちょっと困るが、その点、このバリリSQの演奏は非常に楽しくて、ほっとする。

奥行きのある内容を多くの言葉を費やして語ることなら、できなくはないかもしれないが、それを優しい表情で、それとはなしに語るのは必ずしも簡単ではない。

また、スケールの大きさとデリカシーとを雄弁の限りを尽して語ることなら、できなくはないかもしれないが、それを柔軟性をもって簡潔に語るのは必ずしも簡単ではない。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集におけるバリリSQの演奏は、そのような難事を立派にやり遂げた内容と言えよう。

ここにおけるバリリSQの4人は、強い緊張感を貫きながらも身のこなしは軽やか、決して肩をいからせぬ優美な輪郭で、ベートーヴェンの各曲の全体像をスムーズに描き出していく。

もちろん、ウィーン風の優雅なスタイルであり、味付けはかなり濃厚な方なので続けて飲用するとやや飽きるかもしれないが、折に触れて取り出せばその都度に新たな感動に浸ることが出来る。

同じウィーンのスタイルとはいっても、コンツェルトハウスSQとはまた違うし、アルバン・ベルクSQとはもっと違いが顕著である。

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2022年03月21日


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本ベーム盤は1963年に初来日したベルリン・ドイツ・オペラの日生劇場で上演されたもののライヴで、68年盤とは違う。

舞台の雑音が入るとはいえ、音質は鮮明、なによりも純音楽的なスタジオ録音に対し、きわめてドラマティックな超名演なのだ。

《フィガロの結婚》の数多い名演盤の中で、クレンペラー盤と同じく指揮者(オーケストラ)を中心に聴くことができるただ2つのディスクである。

当時69歳のベームもテンポが速く、モーツァルトの生き生きした世界を見事に再現、全体に燃焼度の高い、一期一会の公演の貴重な記録となっている。

序曲から腰の強いカロリー満点のフォルテに驚かされ、そのきれいごとでないひびきやたたきつけるようなアタックに嬉しくなる。

迫力も最高、前進性も最高である。

幕が上がってもオーケストラの厚みと緊張感は変わらない。

典雅さ、優雅さ、デリカシーなどはクレンペラー盤にやや譲るが、それは劣るというよりもベームの音楽の特徴であり、むしろそのことが愉しい。

しかも第2幕の伯爵夫人のアリアなどに見せる優しい共感や心の震えはさすがベームといえよう。

同じくケルビーノが部屋の窓からとび下りるときのスザンナとの二重唱の絶妙な最弱音もこれがベストだと思う。

しかし彼の真骨頂は人間味たっぷりで雄弁をきわめたドラマの進行であろう。

どの一部をとっても今まさにそこで劇が行なわれている、その醍醐味がこのライヴにはある。

第2幕フィナーレのアッチェレランドがかかった終結の高揚感など、ベームならではだ。

歌手ではデビュー当時のマティスが聴きものである。

まだ25歳の彼女の初々しいケルビーノは場内の全聴衆をとりこにしたそうだが、第1幕のアリアはクライバー盤のダンコと並んでベストといえよう。

他の歌手もみな芸達者だが、グリュンマーの伯爵夫人は声も表現も重すぎ、ベリーのフィガロはいかにも庶民的で、気品や立派さに欠ける。

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2021年11月19日


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1966年から名門シカゴ響の首席奏者をつとめるアメリカの名ホルン奏者、デイル・クレヴェンジャー。

独奏者・室内楽奏者としても多彩な活躍ぶりを見せるクレヴェンジャーが、1987年にハンガリーで録音した貴重なソロ・コンチェルト・アルバムが復活。

このCDはマルティノン、ショルティ、バレンボイムそしてムーティに至る時代のシカゴ交響楽団首席ホルン奏者を実に47年に亘って務めたデイル・クレヴェンジャーが、1987年にハンガリーで録音したモーツァルトのホルンのための作品集になる。

ヤーノシュ・ローラ指揮、リスト室内管弦楽団との協演で4曲の協奏曲及びホルンと管弦楽のためのコンサート・ロンド変ホ長調K.371を収録している。

クレヴェンジャーは今更云々するまでもないシカゴの至宝的ホルニストであった。

男性的で深みのある音色に加えて、高音からペダル音まで実にバランスよく磨き抜かれた鋭敏な吹きっぷりが見事の一言。

オーケストラの一員としての演奏活動に情熱を持ち続けたこともあって、その実力と長いキャリアに比較してソリストとしての単独録音はそれほど多くない。

因みにモーツァルトの協奏曲ではこの他にアバド、シカゴ響との第3番がある。

協奏曲第1番ニ長調K.412でクレヴェンジャーはバルブ機能を持たないナチュラル・ホルンを使っているために、ゲシュトップ操作を頻繁にしているのが聞こえる。

当然その都度楽器内部の圧力や体積の変化によって響きも音量も微妙に変わってくるが音程の取り方は正確無比で、音楽の流れを止めない芸術的な演奏テクニックは流石だ。

ナチュラル・ホルンでの全曲演奏はヘルマン・バウマンの他にも現在までに数種類の選択肢があり、特筆すべきことではないかもしれない。

クレヴェンジャーがこうしたピリオド楽器にも熟達した腕を持っていたことを証明している。

彼の音は狩猟ホルンをイメージさせる特有の野趣と直線的な力強さがあり、数多く存在するモーツァルトの協奏曲集の中でも、良い意味で芯のある硬派的な演奏の代表格だろう。

コンサート・ロンド変ホ長調については1989年に欠落していた中間部60小節が再発見されたが、それはこの録音の後のことで、当然彼らは旧復元版を演奏している。

またそれぞれのカデンツァでクレヴェンジャーは低音から高音に至る広い音域をカバーする滑らかな音の推移や、アルペッジョの速いパッセージを安定した奏法で模範的に披露している。

ローラ指揮、リスト室内管弦楽団の軽快でソロを引き立てたサポートも好感が持てる。

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2021年10月09日


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1973年の録音をハイブリッドSACD化したもので、SACDで聴けばより鮮烈な音質で鑑賞できる。

このディスクの特徴はソロのヘルマン・バウマンを始めとしてウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの全員がピリオド楽器を使用し、ピリオド奏法で演奏していることで、モーツッァルトの時代に聴かれたであろうサウンドと音楽的な趣味が再現されている。

指揮するアーノンクールはオーケストラにある程度の抑制をかけながら、ロココ風の軽快な音楽を心掛けている。

彼らはバロック音楽蘇生の黎明期に貢献した最初期のピリオド・アンサンブルで、その意味では老舗の風格を持っている。

弦楽器は総てガット弦を使い、ヴィブラートをかけない、よりストレート弾き方はそれまでのモーツァルトの音楽からはイメージできない響きがあった。

一方ホルンはバルブ機能のない、管を巻いただけのナチュラル・ホルンで、伝統的には領主たちが狩りの時に森林で合図を送っていたものだ。

しかし楽曲に応用するには倍音とベルに手を入れて調節するゲシュトップ奏法に加えて、微妙な圧力の相違を唇の変化でスケールを創るという至難の業が要求される。

倍音だけでは高音になると平均律とは振動数の差が生じるために、調子外れに聴こえてくるので、こうした現象をコントロールしながら、音楽性を保つのは容易ではない。

しかしバウマンの表現は流石に巧い。

また倍音が豊富だと勢い音が割れやすいが、うまく使えば彼のように野趣豊かで力強い演奏効果が得られる。

その高音の透明感、まるで歌をうたっているかのような自然な演奏、そしてオーケストラ埋もれない個性を繰り広げており、現在に至るまで、この演奏を凌ぐ盤は存在していない。

ちなみにバウマンは、この録音の十年後にモダン・フレンチホルンを使った同曲集を、ピンカス・ズーカーマン指揮、セント・ポール室内管弦楽団とも録音している。

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2021年10月05日


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ベームは晩年にウィーン・フィルの気の置けないメンバーとモーツァルトの管楽器のための協奏曲や室内楽を集中的に録音した。

この7枚組のセットには編曲物のフルート協奏曲第2番ニ長調を除いた管楽器が加わる総ての協奏曲と室内楽のための代表的なセレナーデ及びディヴェルティメントが収められている。

尚このうちセレナーデ第6番『セレナータ・ノットゥルナ』、同第7番『ハフナー』、同第9番『ポストホルン』と同第10番『グラン・パルティータ』の4曲に関してはベルリン・フィルとの協演になる。

協奏曲の独奏者はそれぞれがウィーン・フィルの首席奏者を務めたメンバーばかりで、総てオーケストラの団員でカバーしてしまうところにウィーン・フィルの実力が窺われる。

元来ベームはモーツァルトを得意としていたが、また彼らに対する注文の煩さ、細部への要求の頑固さなどでも良く知られていた。

全曲を通じて中庸の美を頑固なまでにわきまえ、整然とした秩序の中に表現された演奏集で、遊びを許さないベームの生真面目な性格が良く表れている。

しかし彼らには強い仲間意識があって、とりわけ指揮者、ソリスト、オーケストラが家庭的な和やかさ、親密さで演奏を楽しんでいる雰囲気さえ伝わってくるのも特徴的だ。

ここに収められた協奏曲集の中でもフルートのヴェルナー・トリップ、オーボエのゲルハルト・トゥレチェク、クラリネットのアルフレート・プリンツ、ファゴットのディトマー・ツェーマン、そしてホルンのギュンター・ヘーグナーが、各自会心の出来と言うべき自由闊達でしかもウィーン流にこだわった見事な演奏を披露している。

特に4曲のホルン協奏曲はヘーグナーがソロにウィンナー・ホルンを使用した数少ない録音になる。

音が割れやすい上に音色が渋く、奏法が難しいウィンナー・ホルンは、しかし彼のような名人の手にかかると如何にもモーツァルトに相応しい情緒と趣を醸し出してくれる。

特有のくすんだ音色の魅力もさることながら、控えめながら上品で巧みな表現が秀逸だ。

セレナーデでは、第13番『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』1曲目のト長調のように、ごくポピュラーなレパートリーにおいてもウィーン・フィルの自然発生的な歌心の流出はやや抑えられて、洗練された音楽性と古典派特有の形式美の表出のほうが勝っている。

こうした解釈が聴き古された名曲にかえって新鮮な印象を与えているのは指揮者の力量の示すところだろう。

一方『ポストホルン』ではモーツァルトの多彩でシンフォニックなオーケストレーションを遺憾なく再現した精緻で、しかも力強い指揮ぶりが冴えている。

また当時のベルリン・フィルのスター・プレイヤー達、ジェイムズ・ゴールウェイやローター・コッホのソロの美しさと巧妙なアンサンブルが花を添えた魅力に溢れる演奏だ。

尚メヌエットで活躍するポストホルンのソロはホルスト・アイヒラーが担当している。

1970年から79年にかけての録音で、音質は極めて良好。尚この7枚組のボックス・セットはSHM−CD仕様の日本盤でも再リリースされている。

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2021年08月08日


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このライヴもモーツァルト生誕200年のザルツブルク音楽祭から収録されたものだが、その2年前の1954年の同曲のフルトヴェングラーによるライヴと比較して、ミトロプーロス盤はドラマがよりリアリスティックに描かれている。

フルトヴェングラーの振った『ドン・ジョヴァンニ』は日本風に言えば古典的な歌舞伎に喩えられるかもしれない。

勿論ドラマティックな手法は超一流だが、ミトロプーロスのそれはより新派的で、それぞれの登場人物のキャラクターの扱いも更に細かい。

DVDにもなったフルトヴェングラーの54年の舞台のキャストと多くは重複するが、ミトロプーロスは、テンポの変動を抑さえ気味にしながらも、終盤に向けてに黒い情念を燃え滾らせていて、カロリーの高さには変わりがないものの、ミトロプーロスらしさが光る演奏になっている。

歌手との呼吸などを聴くと、METに何度も登板しているだけに、フルトヴェングラーよりは技術的なオペラ的手腕に長けているとも言えるところであり、4年後に世を去ったこの鬼才の晩年を代表する名盤となっている。

また歌手陣の一部がリフレッシュされているのも特徴だ。

フルトヴェングラー盤でのドン・オッターヴィオ役のアントン・デルモータは貴族然とした青年を演じたが、こちらのレオポルド・シモノーは当時40歳で、全盛期の若々しい歌唱を聴くことができる。

彼はカナダ人だが良く計算された表現でのイタリア風のベルカントを満喫させてくれる。

ツェルリーナはフルヴェン盤ではベテランの大歌手で既に54歳だったエルナ・ベルガーから36歳のリタ・シュトライヒに若返りした。

レポレッロはオットー・エーデルマンからブッフォ役では右に出る者がいないとされたフェルナンド・コレナに替わっている。

彼らがミトロプーロスによって見事に統制され、しかし一方で個性的な演技をする面白さはこのライブの聴きどころだろう。

ちなみにこの年はバックハウスやハスキルが協奏曲を演奏し素晴らしい音源を残すなど非常に豪華なものだった。

おそらく1956年もフルトヴェングラーが存命だったら、おそらく指揮台に立っていただろう。

音質は当時のモノラル・ライヴ録音としては時代相応と言ったところで、鑑賞に不都合はない。

尚同じ音源はオルフェオ・シリーズとは別個にソニーからもリリースされている。

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2021年07月27日


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スイスの生んだ名バッソ・ブッフォ、フェルナンド・コレナ・モーツァルト・アリア集の復刻盤である。

前半が1952年のモノラル録音によるオペラ・アリア集、後半が1960年のステレオ録音でオーケストラ付き演奏会用アリア集。

コレナはバッソ・セリオの役柄も器用にこなしたが、彼の十八番は何といっても観衆を抱腹絶倒させるブッフォのキャラクターで、50年代から60年代に国際的なオペラの舞台で最も人気のあった歌手の1人だ。

幸い『セヴィリアの理髪師』のバルトロ、『愛の妙薬』のドゥルカマーラ、『ドン・パスクァーレ』のタイトルロールなどは全曲盤が残されている。

このディスクはオール・モーツァルト・リサイタルで、『フィガロ』ではフィガロとバルトロの両方の役を歌っていて、『魔笛』ではザラストロが意外なところだ。

演奏会用アリア集は、コレナのスタイリッシュな歌唱が曲によっては裏目に出て、多少くどい印象を与えている。

例えば『この美しい手と瞳に』はコントラバスの超絶技巧のオブリガートが付く美しいアリアだが、この曲に関しては彼の同僚だったチェーザレ・シエピのふたつのライヴ録音がイタリア風のカンタービレの手本を示したような演奏で、現在に至るまでベストだろう。

またコレナに一番合っていると思われる『男たちはいつもつまみ食いをしたがる』が何故か入っていない。

彼の喜劇役者としての才能は傑出していて、頑固でケチ、好色で間抜け、知ったかぶりの権威主義者など最も人間臭い性格の役柄では右に出るものがいなかった。

舞台上ではしばしばとっちめられてひどい目に遭うが、コレナの演技はドタバタ喜劇になる一歩手前で踏みとどまっている。

それは彼があくまでも主役を引き立てる脇役であることを承知していたからに違いない。

現在コレナのような強烈な個性を持ったバッソ・ブッフォが殆ど皆無なのは演出上、一つの役柄に突出した人物が求められなくなったことや、指揮者が歌手のスタンド・プレイを許さなくなったことなどが考えられる。

その意味ではオペラ歌手たちが自由に個性を競い合っていたオペラ黄金期の最良のサンプルと言える。

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2021年07月05日


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4枚のCDのうちの今回初CD化が10曲あり、これまで聴けなかったドラティのレバートリーを楽しむことができるのは嬉しい。

但し初出時のLP盤と聴き比べると音質の鮮明さ、キレ味という点でいくらか分が悪い。

これは新規にリマスタリングしたエロクエンスの方に原因があるのかも知れない。

当時のマーキュリー・リヴィング・プレゼンスのクリアーな音質と臨場感が充分に生かされていないのは残念だ。

これはミネアポリス交響楽団との1953年のモノラル録音、モーツァルトの第40番にも言える。

オーケストラにやや乱れがあるものの、全体的な推進力はドラティらしく好演だが、分離状態が明瞭でない。

ドラティはハンガリー動乱でドイツに亡命したハンガリーの演奏者達とフィルハーモニア・フンガリカを創設して、世界初のハイドンの交響曲全集をレコーディングした。

このセットには第94番『驚愕』と第103番『太鼓連打』の2曲が収録されている。

このオーケストラ自体既に解散してしまったので貴重な記録でもある。

アンタル・ドラティは指揮者、作曲家、ピアニストでもあったがナチスに追われてハンガリーから英国、アメリカと活動拠点を変えた。

オーケストラ・ビルダーとしても優れた腕を持っていて、第1曲目のモーツァルトの交響曲第40番を聴けば、現ミネソタ管弦楽団の黎明期のサウンドをイメージすることができる。

その他にもダラス交響楽団、ナショナル交響楽団、デトロイト交響楽団などを第一級のオーケストラに練り上げた功績は大きい。

英国ではBBC、ロイヤル・フィルハーモニー、ロンドン交響楽団との共演が多かったが、このセットにはロンドン交響楽団とのハイドン、モーツァルトの作品を堪能できる。

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2021年01月28日


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ウェストミンスターのUHQCDシリーズからは、ウィーン・フィル第13代コンサートマスター、ヴァルター・バリリのモーツァルト珠玉のモーツァルト・ヴァイオリン・ソナタ集が3枚ほどリリースされている。

いずれも同郷のウィーン三羽烏ピアニストの一人、パウル・バドゥーラ=スコダとの1950年代初期のモノラル録音だが、幸い録音、保存状態ともに上々で潤いのある音質と臨場感は高度な鑑賞にも充分に堪え得る。

2人ともウィーン出身で、ウィーン流の音楽的コンセプト、品良く歌い、喜びに満ちた演奏が聴く者を魅了する。

言うまでもなく彼らの演奏はウィーンの伝統と独特の美音で上品に気高く歌い上げるスタイルだ。

すっきりしていて恣意的なフレージングや歌い崩しがなく、モーツァルトの様式に則ったシンプルな解釈が特徴だろう。

それはシュナイダーハン、ボスコフスキーからバリリに受け継がれたウィーン・フィル歴代のコンサートマスター達が守ってきた音楽性と高度なアンサンブルのテクニックによる表現だ。

以前にも書いたが、バリリのヴァイオリンは線が細めで、ドラマティックな迫力には欠けるが柔軟で艶やかな音色は、彼の奏法と相俟って特有の粋な雰囲気が醸し出される。

そのさり気ない洒落っ気とモーツァルトの音楽のバランスが絶妙に保たれていて、ヴァイオリンを愛する方には是非お勧めしたい1枚。

確かに現在では聴くことのできないウィーンの情緒とはこういうものなのだろう。

ちなみに1921年生まれのバリリは今年100歳になる、戦前からのウィーン・フィルを知る存命中の数少ないヴァイオリニストでもある。

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2021年01月08日


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ヨゼフ・スークとズザナ・ルージイッチコヴァがモーツァルトの7曲のヴァイオリン・ソナタをチェコ・スプラフォンに録音したもので、このうちK.11及びK.13の2曲には更にペトロ・ヘイニーのヴィオラ・ダ・ガンバが加わった、バロックから初期古典派時代の楽器編成を採用している。

スークの磨き抜かれた艶やかなヴァイオリンの音色と、ルージイッチコヴァの典雅なチェンバロが息のあったアンサンブルを聴かせる宮廷風室内楽の魅力に溢れる1枚だ。

どちらかというとバロック時代の名残を残した音響だが、演奏にくどさが感じられず、流麗で颯爽とした曲趣が再現されているのも特徴的だ。

彼らは既にバッハやヘンデルのソナタ集でも協演しているコンビなので相性の良さでは定評があるが、このモーツァルトに関しては前者に比べるとそれほど知られていないようだ。

音質は鮮明で極めて良好。

ルージイッチコヴァが弾いているのはモダン・チェンバロだが、響きに人工的な煩わしさが少ない改良型を使用していて、ヒストリカル楽器ほどではないにしてもレジスターの操作でデリケートな曲趣も表出できる機能を備えている。

彼女の演奏を初めて聴いたのはバッハの『ブランデンブルク協奏曲第5番』や『ゴールドベルク変奏曲』のLPで、その華麗な奏法は驚くほど新鮮な印象を与えてくれた。

その後彼女がバロック音楽だけでなく、夫君の作曲家ヴィクトル・カラビスの作品を始めとする現代物にも積極的に取り組んでいることを知った。

しかし古楽を研究した人だけあって、ここでの装飾音やフレージングは確信に満ちたものがある。

このCDは1990年に録音されたモーツァルトのごく初期のヴァイオリン・ソナタ集で、いずれも彼が少年時代に演奏旅行したパリやロンドンでの音楽的な収穫として生み出されたものだ。

神童モーツァルトが弱冠10歳そこそこで作曲した作品だが、その豊かな音楽性と作曲技法は既に並外れた才能を示している。

こうした一連の作品はヴァイオリン、あるいはフルート助奏付のピアノ・ソナタという当時流行した過渡的な楽器編成のスタイルをとっていて、時には低音弦楽器をアドリブに加えることも可能だった。

それらは古典的なヴァイオリン・ソナタやピアノ・トリオの萌芽としても興味深い。

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2020年11月25日


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イタリア四重奏団が1960年から73年にかけて完成させたモーツァルトの弦楽四重奏曲全23曲のコンプリート・セットになる。

これは91年に刊行されたCD180枚に及ぶフィリップス・モーツァルト・エディションにも組み込まれた。

ひとつの弦楽四重奏団がモーツァルトの弦楽四重奏を網羅した録音は希少であるだけでなく、演奏水準の高さでも第一級の曲集だけにお薦めしたい。

彼らの演奏は一見快活で自由闊達のように聴こえるが、実際にはダイナミズムの変化を細部まで入念に研究し尽くして、それを忠実に実践に移している。

明るく力強い響きとオーケストラを髣髴とさせる大胆な表現、またイタリアン・スタイルの流麗なカンタービレが彼らの武器で、イタリア風モーツァルトの喜びを堪能させてくれるセッションだ。

アンサンブルとしても良く鍛え上げられていて、ライヴでは常に全曲暗譜で臨んでいた。

実際彼らの合わせ稽古は昼食を挟んで一日中、時には夜半まで続けられるということも珍しくなかったというエピソードは、第2ヴァイオリンのエリーザ・ペグレッフィの語るところだ。

モーツァルトの初期の弦楽四重奏曲は彼が11歳の時に始まる一連のイタリア旅行の成果で、弱冠14歳の時に作曲した第1番ト長調の様式はサンマルティーニの同作品を手本にしている。

後にハイドンの高度な作曲技法を取り入れる前に、彼がボローニャのマルティーニ神父に師事して伝統的な対位法と声楽曲のカンタービレを習得していたことは、その後のモーツァルトの音楽性の洗練にも影響を与えていて、その技法は宗教曲、オペラにも一脈通じている。

カップリングは作曲のクロノロジカルな順序で編集されているので、イタリア様式時代、ザルツブルク時代、ハイドン・セット、そしてプロイセン・セットと創作年代を追って変化する作風も理解し易い。

またモーツァルトがハイドンから受け継ぎ、更にベートーヴェンに引き継がれるカルテットの形態が、もはや完成された小宇宙であることも納得できる。

音質はフィリップスの音源らしく鮮明で良好。

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2020年11月16日


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ハイドンの弦楽四重奏への試み、つまり音楽の喜遊性と芸術性の統合が、モーツァルトにおいては既に喜遊性がやや影を潜め、このジャンルが専ら高度な音楽性や内面的な奥深い表現、ひいてはそれらを可能たらしめる自己の作曲技術の開拓を追究した作曲家自身の思索の場となった。

これらの曲集が難産の末に生み出されたというエピソードは天才モーツァルトの語るところだ。

そうした意味でもこのアルバン・ベルク四重奏団の演奏は作曲家の創意工夫と野心的な試みとが明瞭に把握できる秀逸なサンプルと言える。

ウィーンの団体にとって、モーツァルトやシューベルトはまさに自分たちのアイデンティティを示す音楽と言えるからこそ、アルバン・ベルク四重奏団にとってはかけがえのないものなのだ。

鋭敏でクールな解釈は彼らならではのものだが、また鮮烈な表現の中にさりげないウィーンの情緒を感じさせる魅力も持ち合わせている。

すこぶる精妙な重奏を維持しつつ、表現全体として線が太くて積極的、筋をきちんと一本通したものになっていて、その絶妙なバランスが耳を傾けさせる、溌剌として瑞々しく、説得力に富むモーツァルトだ。

ところでモーツァルトは、弾き方いかんで端麗になったり、細部肥大症になったりするし、清楚になることもあれば、官能的になることだってある。

愉悦性の強調も可能なら、悲劇性の強調だって可能なのであって、要するに、すこぶる幅が広い。

アルバン・ベルクの演奏は、決して一部の要素を強調しないのが特色だ。

以前より一層しなやかさを増した表情が、全体にほのかなロマンティシズムを附加し、その陰翳豊かな表現は息を飲むほどの素晴らしさで、どの曲でも余計な力みが完全に抜け、音楽は実によどみなく流れ、瑞々しさに溢れている。

これほど緻密で、しかも人為的作為性というものが感じられない感興豊かな演奏は滅多にない。

7枚組のボックスにはハイドン・セットの6曲とプロイセン・セットの3曲及びホフマイスターK499、そしてマルクス・ヴォルフのヴィオラが加わった弦楽五重奏曲K515、K516と更にモーツァルト自身の編曲になる弦楽四重奏伴奏のピアノ協奏曲K414及びピアノ四重奏曲K493が収められている。

尚録音は1988年から91年にかけて行われたものだが、アルフレート・ブレンデルが加わる7枚目のみが2000年のライヴから採られている。

廉価盤セットながら35ページのライナー・ノーツには曲目紹介、録音データの他に英、独、仏語による簡単な解説付で音質は極めて良好。

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2020年11月05日


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フリッチャイの『フィガロ』が人間劇を見せるオペラとすれば、ベームのそれはグランド・マナーで聴かせる洗練された手法が際立っている。

それゆえ実際の舞台での上演を比較するなら、前者はとんとん拍子に進む喜劇としての側面が最大限に生かされているし、後者は芝居の面白みよりも、むしろ音楽をじっくり聴かせる玄人向けの演奏だろう。

ベームはモーツァルトが書き記した音符を忠実に再現することに腐心していて、そのために習慣的に省略される第4幕のマルチェッリーナとドン・バジリオそれぞれのアリアも収録している。

マルチェッリーナのアリアの後半はコロラトゥーラの技巧がちりばめられた難曲なので、単なる脇役としてのキャスティングでは済まされない。

確かにモーツァルトの時代は総ての登場人物に最低1曲のアリアが与えられていたのも事実だ。

だから最終幕はバルバリーナの短いアリアから始まってマルチェッリーナ、ドン・バジリオ、フィガロそしてスザンナとアリアが連なっていて壮観だが、舞台での芝居の展開は緩慢になる。

しかしベームはとにかく音楽自体に語らせることに神経を集中させているようだ。

それだけに表現を歌手の自主性に任せることは避けているように思われる。

彼にとって『フィガロ』はそれほど思い入れのある、また熟練を要する作品として厳しく取り組んでいる姿が想像される。

1968年の録音で会場はベルリンのイエス・キリスト教会だが、音質はリマスタリングの効果もあってクリアーだ。

ベルリン・ドイツ・オペラの決して重くならない伴奏も舞台作品で鍛えた実力を示している。

歌手陣も当時のオール・スター・キャストを実現したもので、タイトル・ロールのヘルマン・プライ、フィッシャー=ディースカウの伯爵、ヤノヴィッツの伯爵夫人、エディット・マティスのスザンナ、トロヤノスのケルビーノなど現在では望めないような豪華な顔ぶれを揃えているのも魅力だ。

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2020年10月28日


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カラヤンに匹敵するほどの才能を持ちながら白血病で48歳の若さで逝った名指揮者フリッチャイ。

オペラにも造詣の深かったフリッチャイは、ヨーロッパの名だたるオペラ・ハウスで成功をおさめたが、ドイツ・グラモフォンのコンプリート・レコーディング集の第2巻に12曲の全曲録音が収録されている。

その中でモーツァルトは『後宮』『魔笛』『ドン・ジョヴァンニ』『イドメネオ』と『フィガロの結婚』で、それぞれが起承転結を良く心得た溌溂とした解釈が現在聴いても強い説得力があり、音楽も洗練されていてモーツァルトの美観を改めて体験できる。

筋肉質の引き締まった演奏で、これほど高貴でドラマティックでスリリングな『フィガロ』は聴いたことがない。

それでいてモーツァルト特有の洗練された優雅さと透明感にも不足していない。

ときにはテンポを揺らし、情感たっぷりに歌わせる。

オーケストラと歌手のバランスが自然で聴きやすいのは、歌手を自由に歌わせることで解放感が生まれているからだろう。

ちなみにカール・ベームは第4幕のマルチェッリーナとドン・バジリオの長いアリアを敢えて採用しているが、フリッチャイは芝居の流れの軽快さを維持するために、この2曲は上演習慣に従って割愛している。

1960年の初期ステレオ録音だが、シンプルな音像とクリアーな音質で聴き易い。

カラヤン、ベームがアナログ・ステレオ時代に好んで使ったベルリン、イエス・キリスト教会での収録だけにその芳醇な響きがじつに魅力的。

尚レチタティーヴォ・セッコのチェンバロは右側に置かれている。

タイトル・ロールのフィガロはキャストの中では唯一のイタリア人レナート・カペッキで、絶妙な語り口で根っからの劇場人として芸達者なところを披露している。

伯爵役はフリッチャイにその才能を見出されたフィッシャー=ディースカウで、ベーム盤でも高貴さと好色さを巧みに表現しているが、ここでは更に若々しさが漲っいる。

ケルビーノのヘルタ・テッパーは、この世間知らずの奔放な少年役にはやや謹厳的に聞こえる。

女声陣ではやはり伯爵夫人のシュターダーとスザンナのゼーフリートの方が適役と言えるだろう。

ベルリン放送交響楽団も融通性のある気の利いたサボートも好演。

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2020年09月02日


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ダヴィッド・フレー5枚目のアルバムで、今回はモーツァルトのピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482及び第25番ハ長調K.503の2曲をオランダ人の指揮者ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンとフィルハーモニア管弦楽団の協演で収録している。

尚曲中で使用しているカデンツァは、前者がエドウィン・フィッシャー、後者がフリードリッヒ・グルダの手になる。

ホールの音響空間を生かしたソロとオーケストラの釣り合いのとれたシンプルな録音状態も良好。

フレーと同世代の若手のピアニスト、マーティン・シュタットフェルトの演奏と聴き比べるとそのスタイルの違いが興味深い。

双方とも現在までにドイツ系の作曲家の作品をリリースしていて、勿論シュタットフェルトにとっては自国の音楽なので尤もなことだが、フレーは目下フランスの音楽には目もくれず、果敢にもドイツ圏の作品のみを録音し続けている。

シュタットフェルトも既にモーツァルトのピアノ協奏曲第20番と24番をリリースしているが、彼の場合曖昧さを残さない理路整然とした、古典派としての作曲家の位置づけを明確にしている。

一方フレーはいくらか耽美的になる傾向を持っているので、モーツァルトの様式感や形式美を感知させるという点ではシュタットフェルトに一歩譲るとしても、あくまでもデリケートなシルキー・タッチで仕上げた流麗で品の良い表現は、モーツァルトの音楽自体が持つ限りない美しさと幻想を巧みに引き出している。

元来モーツァルトの音楽のスタイルはインターナショナルな性格を持っているので、そうした意味では彼らのように全く異なる解釈があっても当然のことだろう。

フレーは自己のフランス的な感性を、一見対立するようにみえるドイツの音楽に最大限活かすことに挑戦して、異なった音楽上の趣味の融合を試みている。

指揮者ヴァン・ズヴェーデンも完全に彼に肩入れして、調和のとれたきめ細かい指示でサポートしているところに好感が持てる。

いずれはメンデルスゾーンやブラームスも聴いてみたい、将来が楽しみなピアニストの一人だ。

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2020年08月16日


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古くはリリー・クラウスやクララ・ハスキル、最近でもマリア・ジョアン・ピリスのように、昔からモーツァルト演奏家といわれるピアニストはかなりいる。

イングリッド・ヘブラーももちろんモーツァルトしか演奏しないわけではないが、彼女ほどそのレパートリーをモーツァルトに絞って演奏し続けている人は稀であると言えよう。

彼女はいろいろな国の、さまざまな特色を持った先生について勉強したためか、幅広い音楽性を身につけて育ってきたが、そうした中から最終的にモーツァルトに到達したわけだから、それがいかに本物であるかがわかる。

それだけにヘブラーの解釈は決して恣意的ではなく、時代を感じさせない普遍性と高い品性に支えられていて、将来にも聴き継がれるべき優れた演奏だと思う。

モーツァルトの作品を自己の個性の表出に捻じ曲げてしまう再現も多い中で、作曲家に奉仕する姿勢を生涯貫いた彼女の謙虚さはむしろ稀少で、またスペシャリストとしてその全盛期に網羅的に取り組んで成し遂げたレコーディングは偉業と言えるだろう。

彼女のモーツァルト・ピアノ協奏曲全曲録音は1964年に開始され4年間の歳月を費やして完成しているが、その頃すでにモーツァルトの音楽に対する彼女自身の様式を完全に確立していたように思われる。

第21番、第26番はヴィトルド・ロヴィツキ指揮によるロンドン交響楽団の演奏で、全体をそつなく纏めてソロを引き立てている。

前者の名高い第2楽章のアンダンテも気負いのない率直なサポートが古典的な形式感を感知させて、他の楽章とのバランスも良好に保たれている。

ヘブラーの演奏活動の中でも当初からモーツァルトは生涯の課題であり、端的に言えば必要以上の恣意的な表現を嫌い、古典派やロココ趣味の音楽性から求められるシンプルだが気品のある流麗な再現を堪能できる。

彼女の自然体の演奏は磐石で細やかな表現にも欠くことがなく、強烈な個性を感じさせない、常に王道を歩む演奏であることが半世紀以上に亘って聴き続けられている理由だろう。

1960年代半ばの録音状態は極めて良好。

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2020年05月25日


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ウィーン・フィル第13代コンサートマスターのヴァルター・バリリが、ウィーンの伝統と独特の美音で上品に気高く歌い上げるモーツァルト珠玉のヴァイオリン・ソナタ。

ウィーン三羽烏の一人、バドゥーラ=スコダとの共演になる。

このディスクの音源はいずれも1954年のモノラル録音で、音質が心配だったが極めて良好なオリジナル・マスターの録音と保存状態で全く問題なく鑑賞できる。

通常の音量で聴くのであればヒス・ノイズも全く気にならない程度のもので、ヴァイオリン・ソロとピアノの音色には潤いがあり、音像も明瞭で奥行きさえ感じさせる。

今回のリマスタリングとUHQCD化は音源を最大限生かしたという意味でも価値のあるものだろう。

当時のウェストミンスターのエンジニア達の水準の高さもさることながら、アメリカに渡ってオリジナル・マスターテープを再発見した日本人グループの意気込みが伝わってくるような音質が聴きどころのひとつだ。

ちなみにバリリとバドゥーラ=スコダのコンビによるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集はこの他にもう2枚が同シリーズでリリースされている。

バリリと、バドゥーラ=スコダのデュオは、言うまでもなくこのレーベルならではの忘れ難いコンビ。

とりわけモーツァルトのソナタの淡々とした演奏は、今ではすっかりどこかに消えてしまった独特の時代色と室内楽の微妙な呼吸を、懐かしく偲ぶことができる貴重な記録である。

二人の物静かな語り口が、モーツァルトの切実な心の内を、何と痛切に伝えることか。

一方演奏の特徴は、バリリもバドゥーラ=スコダもウィーン生まれ、ウィーン育ちの演奏家なので、彼らに脈々と受け継がれた伝統的な音楽性や趣味と奏法を堪能できるところにある。

バリリのヴァイオリンの音質はやや線が細く、スケールの大きな表現ではないが、品の良い艶やかな音色と控えめな洒落っ気でモ−ツァルトの室内楽の愉悦を味わうことができる。

また若き日のバドゥーラ=スコダの軽快で気の利いたピアノ・パートが更にこのソナタ集に花を添えていて、他の2枚も是非聴いてみたくなる演奏だ。

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2020年05月11日


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モーツァルトが洗礼の時に父親によって命名されたラテン語フルネームは、ヨアネス・クリソストムス・ヴォルフガングス・テーオフィルスだが、最後のテーオフィルスをドイツ語に置き換えるとゴットリープになり、イタリア語ではアマデーオと訳される。

モーツァルトは3回のイタリア旅行でヴァティカン、ヴェローナ、ボローニャのそれぞれの都市から法外で名誉な肩書を授与された。

そのイタリア人達からの呼び名がアマデーオだったようで、彼はこの地での大成功を生涯忘れることなく、公式のサインには好んでこれを記したと説明されている。

ミラノの宮廷作曲家としてのオファーを打診したフェルディナント大公は、まだ少年だったために母のマリア・テレージアに助言を求めた。

ウィーンからの返書がここでも紹介されているが、女帝は面と向かっては褒めちぎっていたモーツァルト親子に関して、大公には河原乞食同然の旅芸人であり、息子の名誉を傷つける無用の人々とこき下ろしたために、フェルディナントはオファーを取り下げた。

マリア・テレージアは後々のハプスブルク継承権を目論んで、子女子息を問わず自身の子供達をヨーロッパのめぼしい王家に次々と政略結婚させた。

そうした権謀術数には長けていたが、こと芸術に関しては社交辞令、あるいは刺身のつま程度にしか考えていなかったことが想像される。

それは後世に祀り上げられた芸術の庇護者の名折れでしかないだろう。

いずれにしても当時のウィーンには、かなり陰湿かつ執拗なモーツァルト潰しの動向があり、彼のコンサートやオペラ上演には必ず妨害が入ったようだ。

しかし度重なる就職活動に失敗したことが、モーツァルトをウィーンで独立させ、短い期間であったにも拘らず自由な音楽活動をさせることになったのは運命の皮肉だろうか。

お仕着せの作曲家として宮廷内に留まって能力を発揮するには、彼の才能はあまりにも破格だったからだ。

本書のテーマは、現代ではモーツァルトの名前として罷り通っているアマデウスが、実は本人自身が一度もこの名でのサインをしなかったという事実を明らかにすることで、内容は学術的だが石井氏の平易な筆致で分かり易く、また伝記作品としても興味深く読める一冊だ。

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2020年05月02日


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このディスクには前回の2枚組のセットでは取り上げていなかった交響曲第39番変ホ長調及び第40番ト短調が収録された。

2曲の演奏に共通して言えることはテンポを落とさず、クレッシェンド、ディミヌェンド、アクセント等を律儀に感知させることによって楽想を明瞭にして、より率直なモーツァルトの音楽を再現していることだ。

またここではアバドが以前得意としていたリリカルなカンタービレはやや抑えられて、ピリオド奏法を活かした軽快さがキー・ポイントになっている。

オーケストラは勿論モダン楽器使用の少人数の典型的な古典編成だが、少数精鋭のメンバーによって作り出される音楽は無理のない伸びやかさがあり、メリハリを効かせた迫力にも不足していない。

アバドはモダン楽器にピリオド奏法を取り入れた、いわば折衷様式の新しいモーツァルトの解釈を試みていて、晩年の彼の音楽観や心境の変化を知る上でも興味深い。

特に第40番ではデモーニッシュな曲想はむしろ避け、明るく鮮烈な息吹きで表現している。

それは陰影に富んだ表現ではないし、深みという点でも歴史的なオーケストラに一歩譲るとしても、生き生きとした推進力と明快さは彼らのような経験の浅いオーケストラでこそ可能な若々しさに溢れている。

2008年6月及び翌2009年6月のどちらもライヴで、彼らの本拠地ボローニャでの録音になる。

最近のライヴ録音では聴衆の雑音を全く入れないことが可能な為に、拍手の部分がカットされるとセッションと全く区別がつかない。

しかもこのシリーズでは、さながらオーケストラと同じステージ上で聴いているような臨場感が得られている。

モーツァルト管弦楽団について言うならば、コンサート・マスター、カルミニョーラによって指導されたピリオド奏法とアンサンブルの確実さや、その音色の瑞々しさが魅力だ。

また指揮者アバドのきめ細かい指示が几帳面に反映されているのが特徴で、聴けば聴くほど味が出てくる。

アバドの没後、このオーケストラが特定の機会や録音目的の為だけでなく、定期演奏会を重ねていくことによって、将来彼らがどのように楽団を発展させていくか期待される。

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2020年03月18日


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UHQCD化されたウェストミンスター復刻盤30枚のひとつで、モ−ツァルトの2曲の協奏交響曲を収録しいる。

ヴァイオリンとヴィオラのための変ホ長調が1951年、またカップリングされている4人の管楽器奏者が加わるオーボエ、クラリネット、ファゴット及びホルンのための変ホ長調は1949年の録音なので音質が心配だったが、想像以上にバランスの良好な音源だ。

ウェストミンスター盤は過去何回か復刻されているが、オリジナル・マスターが日本人グループによってアメリカで再発見されるまでは、出自不詳の板起こし盤もあったようで、その意味でも今回のUHQCD化ではいずれも比較的奥行きのあるしっかりした初出盤の音質が生かされていると思う。

ヴァルター・バリリのヴァイオリンは線は細めだが良く徹る艶やかな典型的ウィーン流の奏法で、ごく控えめだがポルタメントなどロマン派の名残を残しているのが興味深い。

確かに現代風のモーツァルトとは言えないが、演奏の全体像としては決して大時代の恣意的解釈を引き摺っているわけではなく、むしろその瑞々しさからは新時代を予感させるような新鮮なサウンドを伝えている。

ヴィオラのポール・ドクターとの絶妙なデュエットも聴きどころだ。

一方4本の管楽器が加わる変ホ長調の作品では、ここでも当時のウィーン・フィルの花形奏者を連ねていて、それぞれがモーツァルトの音楽性を謳歌するような、気の利いたアンサンブルで聴く者に幸福感を与えてくれる。

まだ戦後の混乱期だったことを考えると、彼らの音楽に対する不屈の情熱と演奏への意気込みを感じずにはいられない。

ウィーンでは1945年3月の空襲で、シュターツオーパーを始めとするいくつかの演奏会場が大破するまでオ−ケストラの定期演奏会やオペラ上演も平然と行われていた。

しかし連合軍占領後、音楽家の活動は現実的に皆無に等しかったようだ。

二ューヨークで設立されたウェストミンスター社は、当初ウィーンの演奏家を中心にレコーディングを開始した。

仕事に飢えていたアーティストは安く使えたし、それにも増して超一級の演奏が期待できたからだろう。

実際彼らは水を得た魚のように次々と名演奏を遺してくれた。

それも今では聴けなくなってしまったウィーンの伝統的な音楽性を惜しみなく披露しているのがこのシリーズの価値と言える。

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2020年03月06日


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昨年ウェストミンスター・レコードからの名盤が30枚ほどUHQCD化された。

こちらはクラリネットのウラッハとファゴットのエールベルガーがモ−ツァルトの協奏曲をアルトゥーロ・ロジンスキー指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団のサポートで録音した音源で、音質はまずまずの仕上がりといったところだ。

どちらも1954年のモノラル録音だが、両者のソロ楽器とオーケストラのバランスや音色は良好に採音されている。

同シリーズのクラリネット五重奏曲集よりも若干グレードアップが感知できるので、当時のレコーディング技術も日進月歩だったことが想像される。

ウラッハの全集盤が英スクリベンダムからも11枚組でリリースされているが、オリジナルLP盤は別格として、これまでにCD化されたディスクの中ではこのUHQCDが最も音質恵まれている。

ウラッハもエールベルガ−も当時のウィーン・フィルの首席奏者で、彼らの奏法や音色がオ−ケストラのカラ−を決定していたと言っても過言ではないだろう。

2人にとって共通しているのは楽器に無理を強いず、むしろ特性を極力活かしながら自然に歌わせる奏法を基本にしていることだ。

鋭いスタッカートを避けながら創り上げていくメロディーラインは艶やかで特有の品性が醸し出される。

また彼らはそれぞれがアンサンブルに所属していたので、他の奏者と合わせることにも職人的な腕を持っていた。

ウィーン・フィルのメンバーは現代でこそグロ−バル化が進んで、オーケストラならではの特徴も失われつつある。

この時代は戦後の混乱期であったにも拘らず、彼らの音楽的趣味が縦横に発揮されていた全盛期で、更に次世代のヨーロッパを代表する楽団の黄金期に引き継がれることになる。

かなり頑固なポリシーを持っていたオ−ケストラで、団員はウィーンで勉強した奏者に限られ、女人禁制というのが当初の入団資格だったようだ。

楽器は現在でも拘り続けているウィンナー・ホルンやオーボエが、その音色の特徴になっているのは周知の通りだ。

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2020年02月29日


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ウェストミンスター名盤シリーズからのUHQCD化されたリニューアル盤で、ウラッハ及びカンパーのアンサンブルを収録した1枚。

確かに鮮明な音質と比較的明瞭な音像が得られていて、従来盤よりもこちらをお薦めしたい。

但しモーツァルトが1951年、ブラームスが1952年のどちらもモノラル録音で、ヒスノイズも少なからず入り込んでいる。

この時代の音源としては多くを望めないことも事実だ。

それにも増して価値があるのは彼らの演奏で、頑固なまでに受け継がれたウィーンの伝統的奏法と音色への嗜好が溢れんばかりに感じられる。

ヴィエンナ・スクールはモ−ツァルトの時代にまで遡ることができるが、更には歴史的に多くの著名な音楽家を輩出したウィ−ン近隣の東欧諸都市からの影響も見逃せないだろう。

その特徴のひとつは音楽の輝かしさや力強さとは対照的なみずみずしさやしなやかな表現力を養うものだ。

それぞれの緩徐楽章に現れる揺蕩うようなカンタービレには郷愁を誘うような哀歓を漂わせている。

またそうした表現を可能にするためには楽器の音色の開拓と、演奏する曲目のテンポ設定を工夫しなければならない。

その点でもウラッハ、ウィーン・コンツェルトハウスのメンバーの解釈と奏法は受け継がれた伝統の深みを伝えて余りある。

ウラッハのクラリネットは音量のダイナミズムを巧みに制御しながら、常に滑らかな表現になるように努めているし、カンパーのヴァイオリンも線は細いが洗練された歌心が秀逸だ。

例えばモーツァルトの第3楽章メヌエットのヴァリエーションは殆どレントラーのような鄙びた素朴さを感じさせて如何にもウィーン風だ。

またブラ−ムスの第3楽章アンダンティーノは、恐らく現代では誰も採用しないような徹底した穏やかなテンポの中に、永遠の安らぎが表されている。

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2019年12月28日


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交響曲にクラリネットが加わるようになったのがまさにモ−ツァルトの時代で、彼の友人でもありクラリネットの名手だったアントン・シュタ−ドラ−を想定してモ−ツァルトは多くの作品を遺した。

それらは現在ではモダン・クラリネットで演奏する習慣がすっかり定着しているが、モ−ツァルト時代に使われていたのは当然現代のそれではない。

形態はバセットホ−ンのボックス写真で明らかなようにかなり異なっていたし、また音色の違いも聴きとることができる。

しかしいわゆるピリオド楽器によるこうしたレパートリーの再現はごく限られていて、売れ筋とも言えないので鑑賞のための選択肢も少ないのが現状だ。

5枚のCDには現在に伝えられているモ−ツァルトのクラリネットのための全作品及び編曲物が網羅されている。

古楽器奏者ジャン=クロ−ド・ヴェイヤンはこの楽器のスペシャリストであるだけでなく、楽器の性質を知り尽くした巧みな表現力で、モ−ツァルトがイメージしたであろう高度な音楽性を導き出すことに成功している。

モ−ツァルトのクラリネットのための代表作と言えば、3枚めにカップリングされているクラリネット五重奏曲イ長調と同協奏曲イ長調だ。

ヴェイヤンは当時の楽器の欠点を補いながら、その機能を最高度に発揮させて、この2曲のシンプルで整然した形式の中にモ−ツァルトの典型的な芸術性と溢れんばかりの嬉遊性を表現している。

尚現代の分厚いオ−ケストラのサウンドに慣れた耳にはアンサンブルの響きが薄く、物足りなく感じられるかもしれない。

だがそれでもピリオド楽器による貴重なサンプルという意味では一聴の価値があるだろう。

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2019年12月16日


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カラヤンはモーツァルトの《レクイエム》を計3回録音しており、これはその第1回録音(1961年)。

ベルリン・フィル、ウィーン楽友協会合唱団、ソリストはヴィルマ・リップ(ソプラノ)、ヒルデ・レッスル=マイダン(アルト)、アントン・デルモータ(テノール)、ヴァルター・ベリー(バス)という布陣になる。

カラヤンは周知のようにザルツブルク生まれであるだけに、若い頃からモーツァルトの演奏を得意としていた。

しかしながら彼のモーツァルト演奏は、どの曲ももってまわったような表現で、スカッとした味がなく、交響曲でもディヴェルティメントでも、大体傾向は同じになってしまう。

しかし、この《レクイエム》は別格で、カラヤン特有の巧みな演出が結晶した名演と言える。

全体にもたついたところがなく、この曲の持つ深い哀愁を、きめこまやかに表出している。

3回の録音のどれにもアンチ・カラヤンに属する聴き手にも抗し難いような、他の指揮者にはみられない“魔性”の誘いがある。

《レクイエム》でありながら、そこに内在するエネルギーの噴出力はまぶしいほどで、カラヤン独特のデモーニッシュな吸引力が全篇を覆う。

この最初の録音は、各楽章の性格を深く対照的に抉り、速い部分と遅めの部分の落差をつけており、オケの重厚な響きが圧倒的だ。

聴かせどころのツボをこれ以上ない程に巧妙に捉えたカラヤンのアプローチは、わざとらしさや表現の大げささを感じさせることも否めないが、この名作のドラマティックな悲劇性をたまらなく鮮やかに描出している。

つまりカラヤンらしさが最も前面に押し出された名演でありながら、それでも聴き手を魅了し尽くしてしまう魅力を放っている。

特に〈ラクリモサ(涙の日よ)〉は見事な演奏で、これを聴いていると自然に涙がわいてくる。

前述のようにカラヤンは他にもこの作品の録音を残しているが、ここに聴かれる輝かしくも集中力の高い表現は、とても他の録音のおよぶところではない。

ここでは声楽陣がすべてウィーン勢のせいか、アンサンブルもお互いの信頼の上に成り立つメンタルな緻密さが感じられ、3回の録音の中でも一番安定していて、合唱、独唱も好演である。

オリジナル楽器によるスリムなモーツァルトの対極にある《レクイエム》である。

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2019年09月27日


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モーツァルトの4曲のフルート四重奏曲をピリオド楽器で演奏したものとしては最も安定感があり、また音楽的にも洗練された内容のCDだ。

クイケン兄弟の三男バルトルドがフラウト・トラヴェルソを吹いた1982年の録音だが、立ち上る霧のような音楽とでも言えばよいのか、幻想的な調べの美しさと表現の詩的優しさが傑出、古楽ならではの美学が結晶となっている。

テクニカルな面での巧さも格別だが、何よりも音色が素晴らしく、それは、フルートというよりは1本の笛が導き出す音と音楽のマジックであり、聴き手が一つの調べから幾千もの夢をつかみ取るような余韻の美しさを誇っている。

特にニ長調KV285はモーツァルトの天才が面目躍如たる曲想で、このようなフルート・ソロ・パートが華麗に活躍する曲ではどうしてもクイケンの鮮やかな技巧に注意が集中しがちだが、第2楽章の弱音のカンタービレの美しさや巧みなフレージングなどはシンプルであるが故に真似のできない彼ならではの表現を堪能できる。

こうした緩徐楽章にこそ真のテクニックが必要だということを痛感する。

使用楽器はA・グレンザーのワンキー・モデルで高音の軽やかさがこうしたロココ風の音楽には最適のトラヴェルソと言えるだろう。

兄シギスヴァルトのヴァイオリンは1700年製のG・グラチーノ、長兄ヴィーラントのチェロは1570年製のA・アマーティ、そしてヴィオラのルシー・ヴァン・ダールは1771年製のサミュエル・トンプソンという具合にトラヴェルソ以外は3人ともオリジナル楽器を用いている。

いずれにしても彼らの音楽性とアンサンブルの技量は高度に練り上げられていて、モーツァルトの時代のアンサンブルのあり方を再現したものとして高く評価されるべき演奏だ。

録音としては既に古典的存在となってしまったが、筆者には時代を画した永遠の名盤のように思われてならない。

以上演奏については申し分ないが、この時期のアクサン・レーベルの録音技術は、同時期のソニーに入れたクイケンの録音に比べるといまひとつ冴えない。

音質に切れがなく、臨場感にも若干欠けているのは事実で、こうした欠点はここ数年間で改善されたが残念だ。

作曲家がある特定の楽器の為の作品を書く時、その当時の名演奏家の演奏を前提にすることがしばしばある。

このCDに収められたフルート四重奏曲中3曲はフルート愛好家ドゥ・ジャンのオーダーで作曲されたが、モーツァルトとも親交があり、当時のマンハイム宮廷楽団で活躍していた著名なフルーティスト、J.B.ヴェンドリングの演奏をイメージして書かれたものだ。

モーツァルト自身手紙の中で、フルートは音程が悪くて我慢がならないが、ヴェンドリングの演奏は素晴らしく、音程にも全く問題がないと記している。

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2019年07月31日


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1970年代末、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの復活というのは一つの事件という感じがした。

そしてミケランジェリのピアニズムのもつ硬質な輝きと美しさは、この録音で聴く限りいささかも損なわれていない。

ミケランジェリとコード・ガーベン、この異色の顔合わせが生み出す演奏もまた異色である。

所謂モーツァルト風の様式とはかなり違っているが、これは主としてミケランジェリのモーツァルトの音楽に対する考え方から生じたもので、その響きは恐ろしいほど緻密で強い余韻を作っている。

ガーベンもミケランジェリの解釈を全面的に支持し、北ドイツ放送交響楽団を実に美しく響かせ、ソリスト、指揮者、オーケストラの熱意をひとつの目的に凝集させ、強い緊張感に裏づけられた演奏を生み出している。

ここでミケランジェリは一歩退いてモーツァルトの音楽の敬虔な使徒たらんとしているように思える。

そしてミケランジェリが考えているモーツァルトは、ギャラントな要素や愉悦の要素といったものを剥ぎ取られたモーツァルト、すなわち音楽をできるだけ純化された「ひびき」の透明性の中に結晶化させようとしながら、一方でそうした音楽の結晶度の高さによっても掬い切れないメランコリーのたゆたいや激情をアンビヴァレントな形で(しかも音楽といささかの矛盾もなく)露呈させてしまうようなモーツァルトである。

一言で言えば、「冥いモーツァルト」である。

それは、最近のモーツァルトのイメージからすればやや古風な、刺激の乏しいモーツァルトに聴こえるかも知れないが、ここでミケランジェリが表現している世界は生半可なものではない。

ミケランジェリはよく粒の揃った硬質なタッチで、しかも「ひびき」の世界を100パーセント音化するというよりも、抑制された表現の中で余白、余韻を残しながら「冥いモーツァルト」の核心にある音楽に結晶した「感情的な」要素を、極めて格調高く表現する。

そしてそれは、このまま一歩踏み出せば途方もない「悲劇」が始まるかも知れないという予感に、かろうじて「ひびき」の均衡を通じて耐えているかのようなモーツァルトの「短調」作品に驚くほどマッチしていると言えよう。

指揮のガーベンがミケランジェリの意を挺してオーケストラの響きにミケランジェリのピアニズムとの同質性を与えている点も、コンチェルト(競争)の要素はその分減じているとは言え、見逃せない。

ミケランジェリのピアニズムは、彼に先行する世代、例えばホロヴィッツやルービンシュタインらのものとは大きく異なっている。

ピアノ技術の体系と音楽の論理の固有性の間にどのような橋を架けるのか、というところに自らの課題を見出した。

そして彼は、ピアニズムそのものの技術的純化を音楽の結晶度の高さにそのまま添加させ、ピアニズムと音楽の間の空隙を埋めるという方向を選択したのである。

この選択の意味の大きさを戦後ピアニズムの歴史の中で考えてみる必要がある。

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2019年07月30日


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カラヤンは、モーツァルトの『レクイエム』を3回録音しており、これは、1986年に録音されたもので最後のものになる。

以前の2回がオーケストラにベルリン・フィルを使用していたのに対し、この録音だけがウィーン・フィルになっているが、合唱は、いずれもウィーン楽友協会合唱団が努めている。

3回の録音の中では、やはりこの最後の録音が最も良く、モーツァルトの『レクイエム』演奏の頂点に立つ稀有な名演と言えよう。

この演奏には、真に偉大な芸術家に晩年が訪れた時のみに聴くことのできる種類の崇高な表現がある。

ジュスマイアー版によって演奏しているが、19世紀から受け継がれ20世紀が求めたモーツァルト像の一つの理想的な具現である。

冒頭の静かな祈りに満ちたpの入り、トロンボーンに導かれて、“Requiem aeterna,”(永遠の安息)と歌いだす時の突き刺すような悲しみのf、どちらも音の純粋な美しさに溢れている。

続く“kyrie”(キリエ)でのフガートの構築性、“Dies irae”(怒りの日)のエネルギッシュな緊迫感、そして、モーツァルトの筆が止まった“Lacrimosa”(涙の日)の光さす永遠の表現と、どれを取っても晩年のカラヤンが二百年余り前の同郷の天才の魂と呼応したとしか思えないような素晴らしい表現が聴ける。

特に“Lacrimosa”では一つ一つの音符を長めに取り―特に合唱の八分音符―重厚な響きで悲しみを表現して行く。

さらに、それを具現するウィーン・フィルの柔軟な表現力とウィーン楽友協会合唱団のスケールの大きい表現も忘れられない。

また、ソリストもテノールのコールに不安定な部分が見られるものの他はオーケストラと合唱が一体化した卓越した歌唱を聴かせてくれる。

最後は、冒頭の“Tedecet hymnus”(賛歌を捧げ)の音楽が回帰して、“Lux aeterna”(永遠の光り)と歌い出されるが、スコアの上では歌詞の違いしかない。

しかし、カラヤンは微妙にテンポを落とし、より静謐なニュアンスを出している。

続く“Cum Sanctis”(主の聖人と共に)でもキリエのフガートが回帰するが、カラヤンは、ここでも音の芯を太くしてより重厚な表現で単なる冒頭の再現には終わらせない解釈を行なっていて、素晴らしい説得力がある。

ここは天才の直観で流れとして自然にそうなったのかもしれないが、カラヤンの指揮者としての最高の姿がここにある。

いずれにしてもこのカラヤンとウィーン・フィルの録音は、数ある『レクイエム』の録音の中でも最も優れた演奏であることは間違いない。

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2019年07月01日


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学生時代、東京の神田にあった行きつけのレコード店の主人の助言で買ったモーツァルトのクラリネット五重奏曲のCDは、レオポルト・ウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のものだった。

いくらか大時代的な響きのする録音から聞こえてきた彼らのモーツァルトは、限りなくしっとりとしたレガート奏法による、天上の音楽のようだった。

後にアルフレート・プリンツとウィーン室内合奏団の演奏を聴き、あの時の記憶が蘇ってきて、彼がウラッハの高弟だったこともその時に知った。

プリンツのテクニックは師匠のそれよりモダンで精緻ではあるが、紛れも無くウラッハ流であり、脈々と受け継がれているウィーン奏者の伝統に深い感慨を覚えた。

彼の柔らかく、練り上げられた滑らかなクラリネットの音質は、決して押し付けがましいものでなく、モーツァルトのこの名作を飽くまでもウィーン風にこだわった演奏で満喫することができる。

2曲目のブラームスでもウィーン室内合奏団の演奏は、作曲者晩年の室内楽に漂う寂寥感やある種の諦観をないまぜにしながらも、あからさまに感情を吐露するのでなく、それをあくまでも洗練されたウィーン趣味に昇華させ、幽玄とも言える印象的な音楽作りで魅了する。

プリンツのクラリネットは弦楽と一体になって溶け合い、ある時は谷間から立ち昇る霧のように現れ、またある時は影のように消えていく。

UHQCD化された同録音の音質の変化については、先ず音量のボリューム自体が大きくなっているが、これはリマスタリングによる結果かもしれない。

このシリーズは先ず音源のリマスター処理から行われるようだ。

ただ音量の違いだけでなく、それぞれの楽器の音質が一層クリアーになっているのもはっきり聴き取ることができる。

その結果、演奏者が一歩前に出たような臨場感が得られ、ここでは特にプリンツのクラリネットとヘッツェルのヴァイオリンの音色がこれまでになく艶やかに再現されている。

1曲目のモーツァルトでは第2楽章のヴァイオリン・ソロによって繰り返される下降音形を聴き比べると旧盤より明らかに音質が潤っている。

また第3楽章のメヌエットのトリオ部分と終楽章でのクラリネット・ソロは、芯のある立体的な音像がイメージできる。

2曲目のブラームスについては廉価盤で若干感じられた曖昧模糊とした雰囲気が払拭されて、より明瞭で繊細な音質に変わった。

特にヴァイオリン・パートの鮮明さは旧盤では聴くことのできなかったものだ。

全体的にみて今回のUHQCD化には肯定的な印象を持つことができたというのが正直な感想だ。

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2019年06月24日


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ダヴィッド・フレーとの前作『Swing Sing and Think』でも監修を担当したブリューノ・モンサンジョン監督が、今回はモーツァルトの2曲の協奏曲での彼らのリハーサル及びレコーディングの模様を163分の作品にまとめあげたDVDになる。

これらはいずれもCD制作時の副産物的なドキュメンタリーである為に、目立った演出効果を狙ったものではない。

むしろフレーと指揮者ヴァン・ズヴェーデンそしてフィルハーモニア管弦楽団のありのままの録音風景が、独特のカメラ・ワークで捉えられている。

しかし彼らがあたかもひとつのドラマの中の役柄を演じているように見えるのは、監督の手馴れた手腕によって凝縮された各人の個性と、巧みなカットで編集された結果だろう。

こうしたドキュメンタリーは、彼らがキャリアの出発点に立っている若手のアーティストであるがゆえに可能な作品だ。

もし巨匠クラスの指揮者やピアニストであれば、決して舞台裏の姿などは公開しないだろうし、音楽稽古についても同様で、忌憚の無い意見の交換でお互いの音楽の接点を探っていく過程が映像を介して理解できるのが魅力だ。

この作品は大きく2つの部分に分けられる。

前半は2曲の協奏曲の間にそれぞれ2つのディスカッションを挟んだもので、後半は全曲通しのレコーディング風景になる。

中でも興味深いのはフレーと指揮者の音楽稽古で、こうした試行錯誤は彼らの将来の演奏活動にとっても重要なプロセスであるに違いない。

この映像を見るとフレーの演奏姿と顔の表情は、やはり風変わりな印象を与える。

それがモンサンジョン監督の創作意欲を刺激するところなのかもしれないが、どこにでもあるようなパイプ椅子に腰掛け、長身の体を折り曲げて上半身を鍵盤にかぶせるようにして弾く奏法は、かつてのグレン・グールドを彷彿とさせる。

その音楽はモーツァルトにしてはかなり感性になびいたものであり、古典的な均衡からは幾分離れたファンタジーの世界に翼を広げる彼のユニークな解釈が特徴的だ。

フレーはいくらか耽美的になる傾向を持っているので、モーツァルトの様式感や形式美を感知させるという点ではシュタットフェルトに一歩譲るとしても、あくまでもデリケートなシルキー・タッチで仕上げた流麗で品の良い表現は、モーツァルトの音楽自体が持つ限りない美しさと幻想を巧みに引き出している。

元来モーツァルトの音楽のスタイルはインターナショナルな性格を持っているので、そうした意味では彼らのように全く異なる解釈があっても当然のことだろう。

フレーは自己のフランス的な感性を、一見対立するようにみえるドイツの音楽に最大限活かすことに挑戦して、異なった音楽上の趣味の融合を試みている。

指揮者ヴァン・ズヴェーデンも完全に彼に肩入れして、調和のとれたきめ細かい指示でサポートしているところに好感が持てる。

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2019年06月22日


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フランク・ペーター・ツィンマーマンは、本当に久しぶりに出現したドイツの本格派男性ヴァイオリニストとして、ヴァイオリン音楽好きの期待を集めている。

女性ではすでにアンネ・ゾフィー・ムターが10代から大活躍していたが、この2人は年齢も近く、ツィンマーマンの側はかなりムターを意識していたようだ。

彼は1990年代初めからドイツ物に限らず、新録音を次々に出し、しかもそれらがいずれも高水準なのは立派だ。

再三の来日公演でも、ちょっと聴くと何もしていないようでいながら、彼ほどヨーロッパ音楽の伝統を感じさせる人はいないと思わせる。

このモーツァルトも、本当に若いうちから大成してしまったかのような大人の演奏だ。

モーツァルトのヴァイオリン・ソナタは、ピアノが歌っている合間にヴァイオリンがそっと「入ってもいいですか」というように割り込んでくることのほうが多い。

実際には「ヴァイオリンのオブリガード付きピアノ・ソナタ」なのだ。

ツィンマーマンのヴァイオリンと、パートナーのロンクウィッヒのピアノは、こうした際の呼吸が実にいい。

例えば『変ホ長調K.380』の第1楽章冒頭からピアノが勢いよく飛び出して第1主題を奏するが、ヴァイオリンは完全なオブリガードだ。

こうした曲ではピアニストの表現力がヴァイオリンと同じくらいに問われる。

他の主題もピアノ主導で、ロンクウィッヒは、単独でソナタ・アルバムを作ってもいいほどに純度の高いピアノを弾いている。

しかも、この「合間」をうかがうツィンマーマンのヴァイオリンは、ほんの何気ないフレーズの出だしや終わりの部分に微妙な強弱があり、同音型の反復時にきかせるかすかなエコー効果とともにまさにドイツの音楽家が19世紀以来営々と築いてきた伝統を感じさせる。

音そのものの純度が高いこともモーツァルトのヴァイオリン作品の再現には欠かせないが、ほとんど全編が、美声スーブレッド歌手のアリアのようだ。

これを「古い」とか「若いのに保守的に過ぎる」とか批判する見解もあるかもしれないが、ツィンマーマンのモーツァルトは、当然のことながら現代に生きる、録音当時20代の若者の手になる音楽だ。

古いようでいながら、決して復古調ではないし「伝統」に安住した演奏でもないのが気持ちいい。

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2019年05月29日


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原典主義者ムーティがウィーン・フィルを得て、現代の言葉でモーツァルトを語った演奏だ。

ムーティのモーツァルトは、主観と客観の絶妙なバランスに支えられており、現代の聴き手にとってモーツァルトの交響曲を聴くことがいかに大きな慰めとなり、また救いとなるかを、現代の言葉で証明して見せた魅力と説得力がある。

モーツァルトだからということで距離をおくことなく、実にのびやかに歌い上げた爽快感あふれる演奏であり、時に見せる大胆なアプローチも、かえってモーツァルトの新しさを掘り起こしている。

また時としてモーツァルトの緩徐楽章は精神的な永遠性を感じさせる。

その一つの例が交響曲第29番イ長調のアンダンテだ。

この曲は彼が19歳の時の作品で、全曲を通してオーケストレーションの完成度の高さと爽やかで淀み無く流れる曲想の美しさは、モーツァルトの天性の閃きを示している。

楽器編成は弦と木管及びホルンだけの小編成だが、特に全楽章中で最も長くひときわ抒情的な第2楽章は、ムーティの棒によってウィーン・フィルから限りない安らぎとも言える音楽が引き出されている。

このCDには他に第33番変ロ長調と第34番ハ長調が収められている。

尚ムーティは1991年から98年にかけてウィーン・フィルと11曲のモーツァルトの交響曲を録音した。

人数を大幅に減らした編成により古典派らしい風通しの良い音を鳴らしているが、旋律の美しさは最大限に活かされており、素朴調にならないのはやはりウィーン・フィル伝統のスタイルといったところであろうか。

録音場所は総てウィーンの黄金ホールと呼ばれるムジーク・フェラインのグローサー・ザールで1870年オープンの歴史的な演奏会場だ。

このホールは内部装飾の豪華さもさることながら、特に残響音の潤沢なことで知られている。

5枚のCDのどれを聴いてもすぐに気が付くが、オーケストラの瑞々しい余韻がホール全体に広がっている。

残響時間は1680人満席時で2秒だから、当然聴衆のいない録音時には更に長くなる。

曲種によってはそれがいくらか煩わしいこともあるが、このモーツァルトに関しては指揮者ムーティの音楽的な意図を明確に伝えることができていると思う。

今般この豊かな音響がSHM−CD化によって明瞭に再生されたことは幸いだ。

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2019年02月04日


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1972年4月に東京の青山タワー・ホールで世界初のPCMデジタル方式による録音が行われた。

それがまさにこの演奏で、このCDにはスメタナ四重奏団全盛期のモーツァルトの弦楽四重奏曲2曲が収められている。

それはその後の多くの名演が一切のテープ・ヒス音から開放されただけでなく、経年変化によるオリジナル・マスターの音質の劣化も劇的に改善されたオーディオ界の歴史的なイベントでもあった。

今回この録音がブルースペックCDとしてリニューアルされ、更にマスターに忠実な音質が得られるようになったことは評価したい。

と言っても工学に疎い筆者は機器を使ったデータがあるわけでもなく、ただひたすら自分の耳を頼りに聴き比べたことを断っておく。

先ず従来のCDと比較して音質的には雑味が払拭された鮮やかさが出ていることと、以前は多少平面的に聞こえた音響空間に奥行きが感じられることなどが挙げられる。

特にスメタナ四重奏団の明るい弦の響きに更に磨きがかかったような艶やかさも加わり、また中低音のバランスも改善されているようで、変化自体は微妙だが、その違いは明らかだ。

価格の面では通常盤の15パーセント増し程度に抑えてあるが、これは最近HQCDも同価格にプライス・ダウンして対抗しているので、熱心なオーディオ・ファンの耳を満足させる為のひとつの試みとしては妥当なところかも知れない。

いずれにせよ、デンオンから続々と名盤を生み出し、永く室内楽の世界に君臨することになる栄光の歴史のスタートを飾ったスメタナ四重奏団の記念すべきアルバムだ。

スメタナ四重奏団は、その活動初期にEMIやウエストミンスターにもモーツァルトの素晴らしい録音を残している。

更に後の1975〜82年に、彼らのモーツァルト解釈の結論としての『ハイドン・セット』全曲をデンオンに録音しているが、これもそれに優るとも劣らない演奏。

会場の違い(日本の方がデッド)や、PCM録音の初期と経験を重ねたものといった違いから、こちらの方がより鮮明で、後のものがより豊かな雰囲気をもつという違いがあるが、解釈に大きな違いはない。

第15番K.421二短調では、曲の内面にまで大胆に切り込んだ彫りの深い表現が聴きものである。

まず第1楽章の底にひそむ不安の影をクローズアップして激しい緊迫感を盛り上げて聴き手をぐっと手元に引きつける。

続くモーツァルトのレクイエムのなかの四重唱を思わせる第2楽章では、慰めの四重奏を聴き手の魂の奥底にまで響かせる。

そしてモーツァルトの「疾走する哀しみ」を弾き出した悲愴感に溢れる終楽章で終わる。

第17番K.458変ロ長調『狩り』も、愛とか、デリカシーとか、歌とか、我々が常識的にモーツァルトに求めるものを百戦錬磨の技術で鮮明に印象づけながら、生命感に溢れる演奏を聴かせてくれる。

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classicalmusic at 20:06コメント(0) 

2019年01月05日


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クラウディオ・アバドは晩年、自ら結成したモーツァルト管弦楽団の首席奏者を起用し、モーツァルトの管楽器の為の協奏曲シリーズを継続して録音した。

その第1弾がアレッシオ・アッレグリーニとのホルン協奏曲全曲で、既にこのディスクに先立ってリリースされている。

今回はモーツァルトのパリ滞在時代の代表作『オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンとオーケストラの為のシンフォニア・コンチェルタンテ変ホ長調』K.297b及び『フルートとハープの為の協奏曲ハ長調』K.299の2曲が、2008年のライヴから採られている。

アバドの音楽作りの特徴は軽快なテンポを維持して、モーツァルトの曲想の若々しさを強調していることだろう。

またこのシリーズでの演奏には総てにピリオド奏法を取り入れ、彼のイメージする新しいモーツァルト像を披露している。

若手のソリスト達には巨匠的な個性や面白みはこれから期待するとしても、アバドの意思を誠実に再現する意欲に満ちていて、彼の細やかな指示が隅々まで行き届いた整然としたアンサンブルを聴かせてくれる。

このモーツァルト管弦楽団では、アバドが招聘したベテラン奏者にオーケストラの要所を受け持たせ、その傍らに配置された若手の演奏家に、彼らとのアンサンブルを通して直接的な音楽体験の場を提供している。

その筆頭がヴァイオリンのカルミニョーラやフルートのズーンであり、ホルンではアッレグリーニだ。

今回の『フルートとハープの為の協奏曲』では、ハープは若手のレティーツィア・ベルモンドに委ねられているが、フルート・ソロはズーン自身が担当している。

彼の楽器の音色を聴いてすぐに気付いた方もいるかもしれないが、自ら改良を加えたハインズ製のベーム式木管フルートを使っている。

彼はコンセルト・ヘボウやボストン交響楽団の首席奏者を歴任しているが、旧知のアバドの招聘でこのモーツァルト管弦楽団の主席フルーティストも務めている。

更に同作曲家のオーボエやフルート、そしてクラリネットの為の協奏曲などがリリースされており、いずれもハズレがなく、伸びやかで、春の風のような爽やかな名演だ。

尚、このシリーズは音質も鮮明で極めて良好。

アバドは個性が弱いと評されることもあったが、作品の良さを高いレベルで表現する手腕は、巨匠の名に相応しい。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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