バッハ
2008年07月22日
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バウムガルトナーの演奏は全体に明るく軽快だが、構成が実にしっかりしており、しかもどの曲にもバッハの音楽に対する真摯な姿勢がはっきりと示されている。
「管弦楽組曲」は音楽の流れを大切にしながら、すっきりと精巧に仕上げ、ルツェルン音楽祭弦楽合奏団固有の明澄な響きが美しい。
ニコレのフルート・ソロともども第2番が素晴らしい。
バウムガルトナーの棒によって生命を得たこの楽器が空中を自由に泳ぎ回り、深山の涼しさを湛えた音色も極めて美しい。
他の曲も、がっしりとした骨格をもちながらよく歌う真実にあふれた豊かな音楽になっている。
第3番も第2番を凌ぐ素晴らしさだ。
第1番もまた、木管がうまい。ブルグのオーボエは特に魅力的だ。
第4番もよく練り上げられている。
「ブランデンブルグ」も指揮者と楽員たちとの息がぴったりと合った、極めて質の高い演奏である。
この「ブランデンブルグ」は数多い録音のうち、最も安心して聴ける模範的名演である。
特に第2番と第4番の2曲では、前者の純正なハーモニーとバランスの美しさ、後者のブロックフレーテの音色の魅力は忘れ難い。
整然としたアンサンブルで、しかも冷淡になっていない第3番、3人のソリストの絡み合いと香りのある音楽性が全曲にたちこめる第5番も見事だ。
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2008年07月19日
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グールドの墓碑には、この「ゴールドベルク変奏曲」のアリアの冒頭の3小節が刻まれているという。このバッハの名作は、それほどにグールドを象徴する音楽なのである。
彼は1955年にこの曲で衝撃的なデビューを飾り、50歳で没した1982年にも同じ曲の再録音盤を発表した。映像にもこの曲の録音を残している(81年)。
バッハがこの曲を通じて音楽のあらゆる次元を変奏として表したように、グールドの音楽表現の源泉はここに集約されているようにさえ聴こえる。
それが最初は衝撃だった極端とも思えるテンポ設定も、装飾音の風変わりな扱いも、アーティキュレーションも決して奇を衒ったり、変化のための変化としてなされたものではなく、「現代のピアノ」という本来はバッハの鍵盤楽器とは相容れない楽器を通じて、斬新で普遍的な聴くに足る演奏を模索した結果の美しい結晶だったことに気付く。
グールドは異例の幅広いレパートリーを通じて、現代ピアノにふさわしい解釈を探ってきたが、バッハにおけるこれは彼の結論だといえる。
バッハの抽象美を最大限に発揮しつつ、ここにはグールドがバッハに寄せる感嘆の念が実に切実に刻まれているのが共感を呼ぶのだ。
改めてこのデビュー盤を聴くと、最後の録音となった、あまりにも対照的なゴールドベルクの演奏も、ひとつの変奏のように思えてくる。
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2008年06月27日
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いずれも現代楽器による華麗なバッハのあり方を示したものだ。
カラヤン唯一の「マタイ」では、カラヤンはこの曲から望み得る最美の演奏を導き出している。
劇性を追うと同時に、バッハの中から他の指揮者が引き出しようもないほどの"美の世界"を創造したのである。
当代最高のソリストたちとベルリン・フィルの磨きぬかれた音は、すべて"美"のための奉仕だ。
血の噴き出るような"人間劇"としてのバッハはここにはないが、美しい宗教画の数々が聴き手を待っている。
「ミサ曲ロ短調」は、まさにカラヤン美学の頂点に立つバッハである。
その彫琢の細やかさと"美"のためにすべてを奉仕させてしまうカラヤンの徹底した審美の世界は、その純度が高ければ高いほど、バッハがこんなにも美しくてよいのだろうか、という疑問も湧く。
ここまでバッハが官能的な美を獲得してしまうという意味で、前人未踏のバッハであり、一聴に値する演奏である。
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2008年05月07日
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ストコフスキーお得意のバッハ編曲物。どの曲もバッハの音楽の精神をしっかりつかんだ立派なアレンジだ。
ストコフスキーのバッハのトランスクリプションは、SP時代からの呼び物だっただけに多くの録音があるが、このステレオ録音では鮮やかな色彩とスペクタキュラーな楽しみがある。
ストコフスキーの編曲物というと頭から俗悪なものと決めてかかる向きもあろうが、少なくともこのディスクに関しては違う。
ことにバッハの音楽に、ある種の抵抗を覚える人に、この作曲家の本質を知らせる意味で高い価値があろう。
演奏は、全体にストコフスキーの個性のにじみ出た、かなりユニークでややアクの強い表現だが、彼のバッハに対する尊敬の念が表れていて心を惹かれる。
清らかで崇高な「前奏曲変ホ短調BWV853」や深々とした表現の「トッカータとフーガ ニ短調BWV565」「パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582」など、聴く人の心を打つ実に感動的な演奏だ。
これを聴くと、バッハがぐっと身近なものになってくる。
このディスクは、バッハの音楽の楽しさを広く大衆に親しませようとした、ストコフスキーの偉大さを知るという意味でも貴重といえる。
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2008年05月06日
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「何もバッハまでカラヤンで聴くことないんじゃない?」という読者の声が聞こえてきそうである。しかし、管弦楽組曲第2番が始まった瞬間、カラヤンの魔術に心奪われるに違いない。まことに真摯でゴージャスな響きだ。
管弦楽組曲は全体に緩急の差を極端に付け、起伏を大きくとっているのが特徴で、編成は少ないがシンフォニックな色調が強い。
第2番はツェラーが大奮闘しているが、カラヤンの強烈な個性の中に埋没している。
第3番は序曲と「エア」が秀演で、序曲はグラーヴェとヴィヴァーチェの対比のつけ方が微妙だし、ゆっくりとしたテンポで旋律を存分に歌わせた「エア」の表情の美しさにも心を奪われる。
スマートで洗練されたカラヤン風の「ブランデンブルク」だ。弦の編成もかなり少なく、速めのテンポで柔らかくデリケートに進め、独奏楽器をあまり表面に浮き立たせないのも大きな特徴といえよう。
全6曲では第5番がいちばん上出来で、しっとりとした器楽合奏を土台にして、ソリストたちが品のよいニュアンスに富んだデリカシーを競い合っている。
第4番も洗練を極めた解釈。
第2番ではトランペットをフルートと同じ音量で弱く吹かせ、華やかではないが、繊細な感覚が独特だ。
第3番は柔らかい響きが印象的。スマートで洗練されたバッハであり、速めのテンポ、柔らかいダイナミックスでデリケートに進む。
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2008年05月01日
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大学生のころ、私はこのCDを何度も聴き、バッハのすばらしさに、身も心も酔いしれる思いを味わった。
特に、ある女がイエスに香油を注ぎかけたというレチタティーヴォからアルトの悔恨のアリアに至るあたりや、「備えせよ」のバス・アリアから最後の大らかな合唱に入るあたりは、正直のところ、涙なくしては聴くことができなかった。
クレンペラーはこの受難の物語の中から、人間の普遍的な愛情の襞にまで入り込んで、すべての人物が人間の愚かしい行動を是認しなければならない苦しさを描き出していく。
これはクレンペラーならではの世界だろう。
全体に遅めのテンポ設定が主流をなしているが、彼にとってこのテンポは不可欠なものに違いない。
雄渾な音楽づくりの中にも、クレンペラーの老巧な棒さばきと、張りつめた緊張感とが身近に伝わってきて、テンポ設定ひとつにしても、やや遅めにとり、コラールも重厚に、コラールフェルマータも、様式からはみ出さない限度においてテヌートを加えるなど、細心の注意が行きわたっている。
1961年の録音だけにシュヴァルツコップもF=ディースカウの声もまだ瑞々しい。
ルートヴィヒのアルトも沈痛だ。
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2008年04月15日
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カンタータもまた、リヒターが遺したバッハ演奏の重要なレパートリーだが、数多くの録音の中から6曲収められている。
組み合わせもよい。
リヒターらしい厳格なバッハ像が描かれている点ではどの作品も変わりなく、1曲1曲の作品ではF=ディースカウやヘフリガーをはじめ、リヒターのバッハ演奏に欠くことのできないすぐれた独唱者たちの歌唱を聴くことができる。
1970年代の充実したバッハを比較的よい音質で聴くことができる。
ことにBWV.140は独唱者のすばらしさで光る理想的な名演だ。
リヒターの最晩年、1978年に録音された演奏で、円熟の高みをきわめたこの人のバッハ観が、見事にあらわされている。
実に緻密な音楽づくりで、この曲を一分の隙もない格調の高い作品として再現しており、内面的な掘り下げかたも深く、オーケストラ、合唱団ともに、リヒターの要求によくこたえている。
リヒターは人間の精神の脆弱さを衝き、叱咤し、バッハを通じて人々が神に近づけるよう全ての力をバッハに捧げた指揮者だったが、このカンタータの録音を始めた頃から、苛烈なまでの求道的精神から転じて、人間的なあたたか味のある、またロマンティックな傾斜を見せている。
今のバロック音楽演奏はオリジナル楽器全盛だが、我々はもう一度リヒターの遺した偉業をふり返り、彼の真摯なメッセージを新しく受け取るべきだろう。
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2008年04月02日
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リヒターの演奏は、いわゆる歴史的な演奏ではないが、ストイックな表情できりりと引き締まった音楽を聴かせる。
その世界は極めて壮大で、堂々として威厳があり、ロマンティックな情感を持つが、決して恣意的なものではない。
年をとるにつれ、リヒターのバッハは伸び伸びとした趣を増し、その分威厳が薄れて身近に感じるものになった。
音楽の作りはあくまでも緻密で、バッハのポリフォニックなテクチュアが鮮やかに描き分けられている。
ひとつの時代のモニュメントとして貴重な価値を持つ演奏といえよう。
至極謹厳に弾き進んだパッサカリアとフーガ ハ短調BWV582は、リヒターを偲ぶのには忘れてはならない1曲だ。
コペンハーゲンのイエスポー教会オルガン、フライベルク大聖堂のジルバーマン・オルガン、アルレスハイム大聖堂のジルバーマン・オルガンの3つの楽器を使用している。
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2008年03月29日
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音楽という芸術は、必要なときにはいつでも金を出してくれる人間たちの寛容さに支えられていた。
教会はカトリック、プロテスタントを問わず歴史上、最も有力な保護者だった。といって音楽が芸術として奨励されていたのかというと、そうではない。音楽は礼拝に必要な装飾のひとつであったのだ。したがって音楽家の育成と保護が教会によってなされたのである。作曲家や歌手は典礼に参加する必要性から、聖職者を兼ねることも稀ではなかった。
音楽と教会の結びつきと同様に、音楽家と国家、ならびに貴族のような有力者との関係も見落とすことはできない。知られるとおり、フランスの絶対王政は17世紀以降、音楽を宮廷の庇護のもとに置き、フランス音楽は宮廷生活という新たな礼拝のメディアとして独占された。ルイ14世はジャン・バティスト・リュリを登用し、王立音楽アカデミーを設立した。
フランスの絶対主義時代の最大のパトロンがルイ14世であったとすると、そのような意味でドイツを代表する絶対君主は、時代もコンテクストも異なることになるが、フリードリヒ2世(大王)であるといえよう。絶対王政の時代の末期に位置する彼は「啓蒙専制君主」と呼ばれ、文化の振興に力を注いだ。教養が高く、平和を重んじた大王はフランスからヴォルテールを招いて教えを受けたりもしていた。
大王がすでに宮廷伴奏者となっていたエマヌエル・バッハと通して、その父ヨハン・セバスティアン・バッハをプロイセンに呼び寄せたことは広く知られた事実である。
1747年、バッハは大王に初めて謁見した。最初の謁見の時から大王はバッハにフーガのためのテーマを与えたという。ライプツィヒに戻ったバッハは王に与えられたテーマを基にした楽曲を譜面にし、これを銅版に刻みこんで王に捧げた。有名な「音楽の捧げもの」である。
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2008年02月22日
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フィッシャーの録音はレコード史上初の全曲録音ながら、名演として今日に語り継がれてきたものだ。
フィッシャーが47歳から50歳にかけての、ピアニストとして最も脂が乗った時期の演奏で、いまなお「平均律」の数多い全曲盤の中でも光彩を放っている。
ここでのフィッシャーはバッハの音楽世界にごく自然に没入してゆき、その自然さでバッハをわれわれに近付ける。
すべての音に彼の情愛が注がれており、それが聴き手の心を豊かにするのである。
これこそ彼の《音楽》の真骨頂を示したものだ。
バッハが前奏曲とフーガという組み合わせの中に実に多様な表現と感情移入を可能としていたことを、リヒテルは明らかにしている。
それだからこそ、その作品は芸術として大きい。
ここでのリヒテルを、抒情的に流れすぎていると思う向きもあろう。
だが、そのために無味乾燥を避け、聴き手の心に長く残る演奏芸術となった。
リヒテルが生命体とした「平均律」から私達はすばらしい音楽体験が味わえる。
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2008年02月11日
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座右に置き、折りに触れて長く楽しみたい愛聴盤を選ぶとすれば、その中にぜひ加えなければならないのがこれ。
バッハ晩年の代表作2曲をカップリングし、しかも際立って高い水準で申し分ない。
厳しさと説得力があるリヒター指揮の「音楽の捧げもの」と名手ニコレの気品のある演奏に対し、ヴァルヒャが《構造美》を余すところなく味わわせてくれる「フーガの技法」のコントラストがまことに心憎い。
1963年と1956年の録音にもかかわらず、いまだにこれを超えるディスクは出ていない。
この両曲の平凡な演奏は《寄せ集め》的印象を強めるが、この演奏は晩年のバッハが到達したポリフォニーの世界を一種の緊張感をもって再現している。
オルガニスト、あるいは指揮者としてバッハと取り組み、文字通りバッハと共にあったリヒターとヴァルヒャが練達と彫琢の表現を達成している。
特に前者の「トリオ・ソナタ」は忘れ難い風格がある。
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2008年02月09日
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第2次世界大戦前夜の演奏会のライヴ録音で、少なからぬカットがあるが、記念碑的名演として知られている。
これほど人間的で、ロマンティックな演奏はほかにないだろう。
メンゲルベルクの音の捉え方、動かし方はもはや奇蹟に近い。
彼には厳格なイン・テンポということがなく、感情の昂まりとともに波打つ血の流れのように、聴き手に熱さが伝わってくる。
ここには19世紀後半から20世紀初頭に生きた、まぎれもない真実の感情が波打っている。
世界最後のエヴァンゲリストといわれたエルプの名唱も新鮮な感動を呼びおこす。
別項で紹介した、リヒターの58年盤と共に必聴の名盤だ。
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2008年02月04日
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稀有の才能をもったグールドというピアニストは、クラシック音楽の演奏についての概念を打ち破り、さまざまな問題提起を投げかけた。
グールドのバッハは録音も多く、そのいずれもが斬新なバッハ解釈として評価も高い。
グールドのバッハの本質を追求する姿勢はここでも変わりはなく、個性的な解釈、テンポ、タッチが聴かれる。
「フーガの技法」はいかにも浮き浮きした躍動感があり、独特の楽しみを生み出している。
グールドがここでみせたテンポ感やリズム感は、彼が演奏するバッハに共通するもので、比較的若い聴き手の感覚にマッチしている。
「イタリア協奏曲」の第2楽章アンダンテはとりわけ彼がバッハの緩除楽章を自家薬籠中のものとしていることを示す良い例で、他のいかなるピアニストも彼のように演奏することはできない。
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「トッカータ」は快いリズムに乗せ、親しみのこもった音を駆使して、新しいバッハの世界を構成している。
各曲のいわゆるトッカータ風の即興的な部分で、グールドの演奏がきわめてユニークな持ち味を聴かせるのはいうまでもないが、より厳格に書かれたフーガ部分の解釈がなかなか聴きもので、飽きさせることがない。
フレッシュな響きを保ち、楽想の性格的対比を最大限に実現した、ピアノによるバッハの個性に満ちた演奏である。
「6つの小前奏曲」以下はあまり馴染みがないものばかりだが、演奏はすっかりお馴染みの《グールド調》で、楽想に応じて自在に彼のファンタジーが繰り広げられ、少しも飽きさせない。
つつましい作品も彼の手にかかると、実に多彩な表情をもって生き返る。
彼の卓抜さが楽しめるのは「6つの小前奏曲」と「小前奏曲」で、ここでは奇才が縦横にそのイメージをふくらませ、聴き手を自分の世界に引き入れてゆく。
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グールド/リトル・バッハ・ブックはグールドのバッハ入門盤。
さすがにグールドが自信を持って世に問うアルバムだけあって、ここに集められた21曲の小曲は、いずれもグールドのバッハの面白さを充分に聴かせる。
思えばこの天才ピアニストは、どれほど私たちがバッハにアプローチする幅を広く開けてくれたことだろう。
どの曲も実に見通しのよいバッハである。
今日のバッハ演奏はグールド抜きには考えられないが、その原点がここにある。
「平均律」はグールドの代表盤のひとつ。
グールドの弾くバッハは非常に表現の幅が広く、1曲1曲が個性的に仕上げられている。
解釈は伝統的形式や枠にこだわらず、聴き手の意表をつく着想の面白さがあり、常にバッハを見る自由な眼を感じさせるが、バッハの本質を実に克明・的確にとらえているところに、ユニークな面をもちながら、大きな感銘をもたらすグールドならではの凄味を感じさせる。
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評価の高いグールドのバッハ演奏。
イギリス組曲は録音に6年を要しており、自己の表現に完璧を目指すグールドの姿勢がこの演奏に濃厚に反映されている。
実に考え抜かれた解釈が随所に聴かれるが、特にテンポの遅い舞曲やプレリュードはグールドの面目躍如たるものがある。
演奏全体に現代人の知性による魅力があふれ、独特の世界が展開されている。
個性的でありながら、バッハ音楽の普遍性を実感させる、刺激的なバッハ演奏だ。
フランス組曲とフランス風序曲は、この種の曲集としては比較的短期間に完成している。
バッハを楽しい音楽に仕立て直してしまうグールドの才能を、ありのまま受け入れる聴き手には、数多くの示唆に富んだ愛すべきCD。
グールドのバッハで目立つのは、楽想に応じてテンポを極端に対比させるやり方である。
その結果、かつてなかったほど軽妙で快いバッハの世界が現出する。
このような自由奔放な発想は、伝統が根を張っているところでは、決して生まれないだろう。
彼の代表盤の1つだ。
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「2声とインヴェンションと3声のシンフォニア」はグールドの鬼才ぶりがいかんなく発揮された1枚である。
これが世に出るまで、バッハの「インヴェンション」は学習曲に過ぎなかったが、グールドの独自の解釈は、これらの小曲に新しい生命を吹き込み、芸術作品として蘇生させた。
バッハの意図を読み取る洞察力と、それを現代のピアノで鮮やかに表現する独創性はいずれもグールドの超常識の精神が生み出した成果の反映である。
聴いていて何とも面白い。
グールドのバッハの魅力は、現代の感性で作品に豊かな生命を吹き込んだ点である。
この「パルティータ」の、実に軽快に躍動する演奏を聴くと、かつて人気のあった舞曲が、現代の衣裳をまとってよみがえるようだ。
再現芸術家たるグールドが最も腐心したのは、「作品は生きている」と聴き手に実感させることだったのであろう。
彼の反伝統的な演奏スタイルを批判する人も、演奏が初々しい生命力にあふれていることは認めざるをえない。
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数ある古楽器によるバッハのディスク中でも、屈指のものといってよい演奏である。
明敏さと明晰さ、テンポの適宜さと楽器のバランスの的確さ、どこをとっても実に見事に彫琢されており、ピノックの誘導には、古楽器の採用をことさら標榜するような強引さもなく、結果的に現代の我々の耳を十二分に充足させるだけの古楽ならではの魅力を浮き彫りにしているのである。
ピノックの解釈がソロばかりでなく、弦楽まではっきり示されている。
力強いリズム、豊かな弦の響きを生かしつつ、覇気あふれる指揮が1つ1つのフレーズから豊かなエネルギーを発散させる。
知性と感情のバランスが非常に優れた解釈は、新鮮な魅力に満ちている。
ソロは音色に艶がある上、表情豊か。
特にソロが活躍するパッセージでは、強い推進力で全体をリードする。
オーケストラも完璧な協奏ぶりで、その強い意志力と、勢いのある音楽は他に類を見ない。
極めて優秀な演奏である。
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2008年01月16日
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「管弦楽組曲」は古典的な香りを大切にしながらも、リヒター独自の現代的な感覚を盛り込んだすこぶる精緻なもので、一点一画もゆるがせにせずどの曲も整然と仕上げている。
しかも、全体にずっしりとした手ごたえを感じさせるあたり、いかにもリヒターらしい。
ニコレ、ビュヒナー、グントナー、クレメントらの名手達も派手な表現をさけ、オーケストラと良く協調しており好感が持てる。
これはリヒターの名を永遠に残す名盤である。
個性的な「ブランデンブルグ」である。
これらの中では、第3,4,5番が感動の極みだ。
第3番はアンサンブルも最高で、表面はどこまでも整然としながら、内部には荒れ狂う痛切な魂がみなぎる。
第4番はブロックフレーテを使い、その哀しみを湛えた訴えるような音色が素晴らしい。
第5番はきわめて現代風な名演で、速いテンポとはがねのようなリズムによって生命力と意志の力を感じさせる。
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2008年01月11日
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当然ながらオリジナル楽器を使っていてもダメな演奏は存在するし、現在の楽器を使っても良い演奏は存在する。
例えばパイプオルガンは、17世紀のものが使用可能な状態で残されていたために、早くからそれをオリジナルの状態に修復して演奏したCDが出ている。
しかし、オリジナル楽器による演奏が必ずしも良くはないのである。
18世紀の楽器を用いたコープマンのバッハと、現代のオルガン(といってもバロックタイプだが)を用いたリヒターのバッハを比較すると、判断に迷う。
楽器以外の要因も強いが、個人的にはリヒターに軍配を挙げたくなってしまう。
また、「ゴルトベルク変奏曲」では、歴史的チェンバロを用いたレオンハルトやピノック、モダン・チェンバロを用いたカークパトリックやリヒター、ピアノを用いたグールドやワイセンベルクと多くの演奏があるが、ひとつ選ぶとすれば、レオンハルトかグールドの2回目の録音になる。
演奏を比較する場合、どうもその曲を最初に聴いたときの演奏が強く影響してしまうようで、偏りなく比較するのは難しいが、オリジナル楽器にこだわる過ぎるのは良くないようだ。
したがって、まず第1に良い演奏であること、第2に、できればオリジナル楽器によることを条件として未知の作品を聴いていくことが望ましい、というのが現段階の結論である。
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2008年01月07日
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平均律の特長を端的にいえば同じ調律のままですべての調性の曲が弾ける、という点である。
それらの響きは皆ある程度純正調からはずれており、私たちは知らず知らずのうちにほんの少しずつ濁った響きを聴いていることになる。
バッハの「平均律クラヴィーア曲集」では長短24の調性の音楽がたて続けに同じ楽器で演奏されるわけで、1曲1曲調律し直す思考の人から見ればこれは驚異であったに違いない。
しかし平均律の本当の強みはむしろ1曲の中で自由な転調の可能性を開いたところにあった。
そしてバッハの息子たちからハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに至る古典派の人々は、この、平均律の中での自由な転調とそれを生かした楽曲構成の一つのモデルを完成していったのである。
バロック以前の音楽には個々の響きの独創性はあっても、このようなシステマティックな転調の構造はみられない。
古典派以降の音楽に曲の調性が付記されている場合は、その調性を構造の軸にすえて転調をくりかえし、最後にそこに戻って曲を閉じる、というプロセスを示していると思えばよい。
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2008年01月05日
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バッハ演奏の典型的なスタイルをうちたてたシゲティの代表盤として、後世に語り継がれるべき名盤だ。
このシゲティのスタイルをより万人向けにしたのが、別項で述べたシェリングの名演といえるかもしれない。
現在ではシゲティ以上に美しい響き、正確な音程を誇る演奏は少なくないし、もっと演出巧者な演奏はいくつもある。
にもかかわらずシゲティのバッハが求められるのは、なんといっても、バッハを見据え、バッハの世界に肉迫していったシゲティの真摯な姿勢が、聴き手をとらえて離さないからだろう。
このアルバムでもわかるように、ひたひたと押し寄せてくる力を内に秘めた演奏は、ちょっとやそっとで生みだせるものではない。
これほど作品の内面を深く見つめ、きびしく、鋭く、しかもあたたかく弾きあげた演奏というのは、ほかにない。
中でもソナタ第1番が秀逸だ。
アダージョとシチリアーノの何という深さ、激しいアクセントが意味を語るフーガ、自在な魂の乱舞を思わせるプレスト、すべてが最高のシゲティであり、最高のバッハである。
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長きに渡り、この曲の古典的で規範的な演奏として、動かしがたい地位を獲得している名盤だ。
カザルスの豪快無比にして、音楽の内実に目を向けた演奏は、内面的に極めて深く掘り下げられていて、確かな実在感がある。
ここに聴かれる求道的な姿勢は、ロマン主義へのアンチ・テーゼとしての新即物主義と呼応するものだが、オリジナルのみが持ちうる吸引力がある。
カザルスはすさまじい気力をこめてバッハに向かっている。
現在の技術的水準からすれば演奏に満足できないところが出てくるかもしれないが、チェロの最高の音楽にカザルスが迫っていく一種独特の緊迫感、これは何物にもかえがたく聴き手の耳を奪う。
録音された1930年代当時、これらは文字通り孤高の存在だった。
この演奏は、先駆者カザルスの偉大さを存分に実感させてくれる。
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2007年12月30日
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いずれもオランダのエディソン賞を受賞している銘盤。
第1巻はイギリスで1972年に製作された複製チェンバロ(18世紀モデル)を使用している。
チェンバロの機能に忠実な演奏を目指すレオンハルトは、独自の観点からテンポを設定しており、ゆったりと弾き進んでゆく。
信念を曲げず、考えた通り、信ずる通りにバッハを構築してゆく強い意思が、その演奏に一種の重みと風格を添えている。
彼がチェンバロで演奏したバッハの中で最も説得力のあるものだ。
第2巻は西ドイツで1962年に制作された複製チェンバロ(18世紀モデル)を使用。
レオンハルトはチェンバロの機能に忠実な歴史的な演奏を志向しているだけに、独自の観点からテンポを設定しており、フーガおよびそれに先立つプレリュードという形式での彼のテンポ感覚は聴き手に違和感を与えず、充分納得させるものだ。
これは彼のバッハ演奏の意図が最も抵抗なく受け入れられる演奏である。
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2007年12月23日
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「ミサ曲ロ短調」は61年の録音だが未だに鮮烈な内容を保ち続けているのは、リヒターの決して消えることのない精神力のためだろう。彼ほどの凝集力、音楽の持続力を保ち続けた指揮者はいなかった。そして独唱陣の何と水準の高いことだろう。不確かな個所は1小節たりともない。その精神の高さでは、リヒターを超えるバッハの演奏家は当分現れまい。まさに不朽の名盤といってよいだろう。
「マタイ受難曲」は不朽の名盤中の名盤。この峻厳そのもののバッハを超える演奏は、今後もなかなか現れないだろう。時代も変わっているから、あるいはこのリヒターの妥協のなさに息苦しく感じられるところがあるかもしれない。しかし、20世紀が遺したバッハ演奏の頂点を示すものとしての評価は変わらないだろう。
バッハの「マタイ」を聴こうとする人にとって、この曲の投げかける真摯な問いかけをいい加減に受け止めることはできまい。リヒターの「マタイ」の厳しさは他に類のない高さにあり、未だにその鮮烈さを失うことなく我々の前に屹立している。最初からじっくりと対訳とにらに合わせながら、急がず聴き込んで欲しい。
「ヨハネ受難曲」も厳しいまでの威厳にみちたバッハ演奏で、リヒターの峻厳な指揮に支えられて、全曲を極めて高い緊張感が支配している。過度の感情移入は厳しく抑制され、ヘフリガーの福音史家も静かな語り口の中に驚くほどの説得力をもって、この受難のドラマの劇性を表出する。リヒターのバッハ演奏の中でも最高峰のひとつに数えられる名演である。
「クリスマス・オラトリオ」は細部にいたるまで妥協を許さないリヒターの緻密な設計と、強力な統率力が全曲を支配している。バッハを真正面からとらえた演奏で、厳しいまでの表情は他の演奏にはみられない威容を示す。4人の独唱者、オーケストラ、合唱団の集中力の高い、真摯な演奏も申し分なく、その重厚な響きと清澄な音色は一度聴いた者の耳を離そうとしない。現代楽器を用いた演奏だが、時代や様式を超えたバッハ像がある。
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2007年12月19日
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グレン・グールドは上記のDVDをみても分かるように、奇人変人ではない。
むしろ20世紀の知性といってもいいくらいだ。
そして、グールドは明らかにバッハの演奏を変革した演奏家だ。
神話を離れて作品を読む柔軟な精神と、さらに読み取ったものをそのまま音にできる類まれなテクニックがそのことを可能にした。
グールドのバッハは、ニュートラルな響きが生み出す人間臭さを離れた抽象的な秩序の世界であり、どの演奏をとっても聴くたびに新しい発見がある。
音楽を聴くとき、これほど素晴らしいものはない。
「ゴルトベルク変奏曲」はグールド最後の録音の1つで、26年ぶりの再録音。
何と考え抜かれた演奏だろう。
冒頭からゆっくりとしたテンポに驚くが、遅いテンポであっても音楽は強力な説得力をもっている。
そして速い部分はいっそう速く演奏して、テンポの鮮やかな対比をみせ、この対比によって演奏全体は沈滞感とはおよそ無縁の、活気というか、動感の溢れたものになっている。
グールドの弾いたバッハの中で「ゴルドベルク変奏曲」ほど彼の奇才が生かされ、しかも説得力のある演奏は見当たらない。
ここには彼がバッハ演奏のために編み出したあらゆる工夫が表れており、極めて多彩な演奏になっていて飽きることがない。
グールドの手にかかると、この作品は実に魅力的に変貌し、それぞれの変奏がまことに鮮やかに描き分けられる。
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前者はシェリングの積極的な意欲が強烈に訴えかけてくる演奏だ。
バッハの楽譜を克明に読み、作品の意思を汲み取ろうとする姿勢が演奏に直接反映されており、それが無伴奏ながら本質的にポリフォニックなこの音楽の構造を、はっきりと際立たせる表現を生む。
確信をもって、しかも力強い説得力を伴って聴かせるシェリングの演奏には、人間の計り知れない力をみる思いがする。
後者は「無伴奏」の代表的名盤として広く知られているもの。
実演に接した人の話によると、シェリングのヴァイオリンの美音は冴え、バッハにしては甘美すぎるのでは、と思ったそうだが、録音ではそういう感じはまったくなく、しなやかで明るく、洗練された雰囲気を漂わせた親しみやすいバッハになっている。
彼得意の美音で、実に豊麗、流麗なバッハを聴かせてくれる。
厳格一点ばりのバッハではなく、厳格さのなかにヒューマンな感情があり、そこが人々が支持するゆえんだろう。
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2007年11月22日
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アメリカの音楽評論家、ハロルド・ショーンバーグは、
「フルトヴェングラーは歴史に弱かったし、音楽的直観力は高くても、音楽的教養は低かった。」
といって彼のバッハをけなしているが、一方フルトヴェングラーは次のように語っている。
「大多数の人々は、バッハの音楽に退屈しないと、それが正しい様式で演奏されているとは思えないのだ。」
私自身はフルトヴェングラー説に賛成したい。
バッハ当時のスタイルをそのまま再生してみるのも意義のあることには違いないが、意義のあることと感動とは別問題である。
今日ではバッハの時代とは比較にならない程、楽器の性能も技術も進歩し、コンサート・ホールや聴衆の数が拡大されている。
そして何よりも現代の聴衆は古典派、ロマン派、近代音楽を通り抜けてきている。それゆえに当時とは感覚的にまるで違うのである。
何度でも聴きたくなるような演奏こそ、聴衆の求める理想である。
フルトヴェングラーの「ブランデンブルグ」協奏曲はその高さまでいっていないのかもしれない。
バッハの音楽よりはフルトヴェングラーの個性を感じさせてしまうからである。何度でも反復して聴きたい、という気にはなれない。
それは彼とバッハの相性が今一つ良くないからだが、しかし無味乾燥で、無表情で、まるで機械が演奏しているようなバッハよりはどれほど良いか分からない。
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ただ前述のモーツァルトの項でのフルトヴェングラーのコメント通り、彼のバッハにはいろいろな問題があろう。
「マタイ受難曲」を愛し、自分が死ぬときはマタイのコラールを聴きたいを漏らし、あたかも信仰告白のようにこの作品を指揮した彼であったが、遺された録音は意外に冴えないもので、とてもメンゲルベルクのような説得力は持っていない。
それは彼が自分の強烈な個性を抑えすぎているからで、むしろブランデンブルグ協奏曲第3番や第5番の方が数段面白い。
それはまさにフルトヴェングラー色濃厚なバッハで、大きなルバート、意味深いアタック、引きずるようなレガート奏法、極度に遅いテンポによって音楽は絶えず沈んで考え込むように流れてゆく。
表情も意志的なアクセントから、あえかで哀しくたおやかなピアニッシモまで無限の変化を示し、全編巨大な内容を孕んでいる。
すなわち人間の心しか感じさせないバロックなのである。
特筆すべきは第5番第1楽章におけるフルトヴェングラー自身のピアノである。
そのテンポの自在な動き、強弱の幅の広さ、情熱的な盛り上がりは指揮者のピアノとは思えない名人芸である。これは現代の機械的なチェンバロとは一線を画している。
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2007年11月12日
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私の少年期の記憶をたどれば、かつて日本でクラシック音楽といえば、ハイドン、モーツァルト以後の音楽が中心で、バッハも「古典派」の音楽とみなされ、19世紀的解釈で演奏されていた。
しかし1960年代に始まった「バロック音楽ブーム」によって当時の楽器や演奏様式による本来のバッハが聴かれるようになると、それは古さを感じさせるのではなくむしろ新鮮さを感じさせ、時代がかった古典派、ロマン派の音楽に食傷ぎみだった多くの人々に歓迎されることとなった。
ところで、バッハの伝記的イメージは、かつては「信仰篤い教会音楽家」だった。確かにバッハは約200曲の教会カンタータや大規模な受難曲を作曲し、また教会の象徴であるオルガンのための作品を多数書いた。
しかし、バッハは自分の置かれた地位が教会の音楽監督(カントル)であればオルガン曲や教会カンタータを書き、信仰よりも音楽を楽しむことを趣味とした領主の宮廷楽長になったときには協奏曲(コンチェルト)やチェンバロ曲を書く、というように自分の環境に柔軟に対応して、要求される音楽を作曲している。
ここからは極めて実務的に仕事をこなすプロの音楽家のイメージは得られるが、禁欲的宗教者のイメージはない。
しかし、あまりに「信仰篤い」イメージが強かったために、その反動として今度は人間的な側面を過大視する見方も現れた。例えば「バッハは2人の妻を持ち、多数の子供をもうけた」ということが取り沙汰される。
確かにバッハは最初の妻の死の1年後に再婚しているが、これは当時の習慣としては普通のことだった。
また、2人の妻との間に20人の子供が生まれたのも事実だが、栄養状態の悪い当時、生まれた子供の大半は生後1年以内に死んでおり、成人したのは10人で、これも当時としては普通のことだった。
いずれにせよ、バッハは聖人でもなければ俗物でもない、ごく普通の人間だったということである。
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