バッハ

2017年03月12日


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マレイ・ペライアは円熟期に入ってからバッハの作品を集中的に録音し始めたが、このセットに収められた8枚は1997年から2009年にかけてソニーに録音したバッハ・アルバムを纏めたもの。

それらは今月末にリリース予定のアワーズ・コレクション15枚組にも加わる予定なのでバッハ以外の作品も鑑賞したい向きには後者の選択肢があるが、フランス組曲全6曲に関してはグラモフォン音源なので残念ながら組み込まれてはいない。

協奏曲集でのオーケストラは総てピリオド・アンサンブルの草分け、アカデミー・オヴ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズでペライア自身の弾き振りになる。

また三重協奏曲やブランデンブルク協奏曲第5番ではベーム式モダン・フルートとの協演になるが、勿論その場合のソロ・ピアノ、フルート及びバロック・オーケストラとの音量的な問題も巧みにクリアーされていて不自然さは感じられない。

ペライアのバッハはすっきりとした解釈の中に特有の優美さを湛えていて、近年リリースされたさまざまな演奏家のピアノを使ったバッハ録音集では最もエレガントな演奏ではないだろうか。

バッハの鍵盤楽器作品をオリジナル楽器で演奏するのは、今やごく普通のことだが、ピアノならではの魅力を十分に生かしたペライアの演奏を聴くと、この時代にあえて現代のピアノを使ってバッハを弾くことの意味を改めて納得させられる。

ここでのペライアは、独自の自由で歌心に満ちた繊細な演奏をしているが、そこに奇を衒ったところやケレン味はまったく感じられず、まさに自然体のバッハであり、創意工夫に富んだ装飾法も見事で、強いインパクトを与える。

洗練された精緻なテクニックに託されたきめ細かな表現が秀逸で、全く惑いのない安定感も特筆される。

それは彼が長年に亘って温めたバッハの音楽への構想の実現に他ならず、50歳を過ぎて一皮むけたペライアが、新しいバッハ表現の可能性をリスナーに示した名演と言えるだろう。

最近ポーランドの若手ブレハッチのバッハ・アルバムが出たが、聴き比べるとやはり曲想の掴み方や表現の巧みさではペライアに水をあけられていることは否めない。

例えば『イタリア協奏曲』ではレジェロのタッチを巧妙に使いながら声部を明瞭に感知させ、第2楽章での感性豊かな歌心の表出や終楽章の歓喜が高い品位の中に表されているし、『ゴールドベルク変奏曲』では整然とした秩序の中に真似のできない個性的なアイデアが満たされている。

また『イギリス組曲』や『パルティータ』ではバッハによって鍵盤音楽に集約された総合的な音楽性と作曲上のテクニックをペライアが丁寧に聴かせて鑑賞者を飽きさせることがない。

音楽の原点に〈歌〉を置くこの人の哲学が年とともに透明度を増し、同時に深みを加えつつあるのを確認できたことは嬉しい。

今や死語となりつつある「気品」という言葉の真意は、ペライアの演奏するバッハに接すれば、一聴理解されるのではないだろうか。

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2017年01月08日


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モンテヴェルディのマドリガルの体系的な録音やピリオド・アンサンブル、コンチェルト・イタリアーノの指揮者として活躍するリナルド・アレッサンドリーニが、普段はそれほど熱心に録音されないバッハの小前奏曲とフーガを1組にした15曲を収録したアルバム。

彼のチェンバリストとしての腕前は既に『ブランデンブルク協奏曲』第5番のソロで披露されているが、今回のようなバッハのソロ・アルバムは初めてのようだ。

しかも大曲『平均律』ではなく際物を扱ったところに肩透かし的なアイデアが感じられる。

しかし丁寧に弾き込まれた曲集は1曲1曲がバラエティーに富んだ個性を主張していて、このCDのように幾つかの異なった調性の前奏曲とフーガを注意深く連続させると『平均律』にも劣らない立派なクラヴィーア曲集が出来上がってしまう。

アレッサンドリーニはこうしたところにも着目していると思われる。

殆んどが個別に作曲された同じ調性による小規模の前奏曲とフーガを任意に連結して全部で15曲に仕上げたものだが、主として前奏曲はBWV924-932の9曲、BWV933-938の6曲、そしてBWV939-943の5曲に纏められて出版された小前奏曲集からピックアップされている。

一方フーガにはBWV948ニ短調のように足鍵盤付チェンバロ用、あるいはアルビノーニのテーマをもとにしたBWV946ハ長調やBWV951ロ短調も含まれていて、特に後者は半音階的な大規模な作品になっている。

バッハは長男フリーデマンを始めとする生徒達のために教育用の作品を少なからず作曲している。

しかしバッハ自身が言った最高の教材は最高の芸術作品でなければならないという言葉を証明するように、こうした小曲にもそれぞれに固有の高い音楽性が備わっていることも確かだ。

ライナー・ノーツには使用楽器もピッチもクレジットされていないが、ヒストリカル・チェンバロのコピーであることは明らかで、a'=400Hz程度の低いピッチを採用しているために豊潤で落ち着いた響きが得られている。

全曲2015年12月2日から5日の間に集中的に録音された音源で音質は鮮明。

詳しい演奏曲目については、上のアマゾンのページのイメージ欄にデジパックの裏面の写真が掲載されているので参照されたい。

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2017年01月02日


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バッハの最高傑作と言えば、やはりその劇的で雄大なスケールから「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」を掲げるかも知れない。

また謎の多さが、イマジネーションを掻き立てるという意味から、「フーガの技法」こそ至上であると主張する人もいるだろう。

筆者もかつては、そのような1人だったかも知れないが、最近、エネスコ指揮による本盤を聴くに及んで、そんな主張は吹っ飛んだ。

本来演奏こそが、作品への評価を決定するのだという思いを改めて強くしたからである。

全4部から構成された長大なこのミサ曲が全曲通して演奏される必然性を意識したことなど、それまで決してなかった。

むしろ「クリスマス・オラトリオ」のように、ミサに応じて各部が演奏される、言わばミサ曲を集成した作品として、これまで聴いてきたように思う。

だが、エネスコの演奏は、作品各部の完成度の高さと、各部が築き上げる全体の普遍性によって、あたかも、ファン・アイクによるあのゲントの祭壇画を仰ぎ見るような作品の多様性と全体の統一、そして何よりも絶対的な偉大さをもって聴かせているようにも思う。

さて、その秘密とは一体どこにあるのか、まず第1は、そのテンポではないだろうか。

エネスコ自身、最晩年のフランス・デッカに録音した一連のバッハのピアノ協奏曲集のライナー・ノートで、テンポについての秘密を解き明かしている。

「できうる限り、不動のテンポを維持すること、和音の継起に付き従えるように急ぎ過ぎないこと、そして、曲の進行に応じて、曲と曲の間に常に確固たる均衡をできる限り維持することが肝要であろう」というのである。

そして第2の点、それは「バッハの旋律を演奏する場合、できるだけ明晰で論理的な表現法を探すこと、つまり旋律が対位法にあてはまる複雑な箇所を参照すること、そうすれば、対位法が道を開いてくれる」(エネスコ『回想録』 白水社刊)とエネスコ自身述べている。

そこには17歳の誕生日に、ルーマニア王妃カルメン・シルヴァから「バッハ全集」をプレゼントされ、「私は休暇を利用して没頭しました。それでもなおわずか150曲のカンタータしか読み終わることができませんでした」と、あまりにも控えめな回顧をしてエネスコが、独学の末にたどり着いたバッハの演奏法こそ、確固たるバックボーンとして存在したのである。

エネスコは、自身天職と考えた作曲家と、生活の自立のためのヴァイオリニストとの二重生活を送ったが、音楽の神の求めのためなら、指揮台にも上がり、ピアニストとしても活躍している。

幅広い活動で音楽に捧げ尽くしたその人生こそ、オルガニストであり、楽師長も務め、カントールに就いたバッハと、普遍的な活動において完璧な一致をみてとれないだろうか。

エネスコこそ20世紀最高のヴァイオリニストであることに、今日異議を唱える者はあるまい。

「ベネディクトス」のアリアでのヴァイオリン・ソロに、エネスコのヴァイオリンを聴くのは筆者だけだろうか。

「ミサ曲ロ短調」は、今日バッハの最後の作品であることが確認されている。

「かくしてバッハはひとつの終焉であり、バッハからは何も生ずることがなく、すべてがひとりバッハへと導かれていくのだった」と述べたのはシュヴァイツァーだったが、この曲こそ、すべてが導かれていくその終焉にあたる作品であり、演奏によって合点がいくのは、エネスコの演奏をおいて他にはない。

今後もこのような演奏が生まれることは決してないだろう。

古楽器によるバッハ以外バッハではなく、音楽史の成果のみ最優先では、音楽家がじっくりと作品に取り組むことなどできようはずもない。

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2016年12月17日


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前回はバッハの『平均律クラヴィーア曲集』全2巻で柔軟な解釈とピリオド楽器の響きを大切にした趣味の良い感性を披露したショルンスハイムだが、今回彼女はバッハの『ゴールドベルク変奏曲』の2度目の録音を果たした。

聴き比べてみると解釈自体にそれほど大きな変化はなく、全体的に更に自由闊達な演奏になり、また装飾音などに繊細なセンスが表れているし、バッハが称賛したチェンバロ、ミートケ・モデルの美しい音響が活かされたゴージャスな雰囲気が醸し出されている。

ただ筆者にはむしろカップリングされているブクステフーデの創作主題による32の変奏曲『ラ・カプリッチョーザ』が意外な副産物だった。

彼女がこのふたつの作品を収録したのは決して偶然ではなく、バッハがおそらくこのリュベックの巨匠の作品を熟知していて、『ゴールドベルク』にも少なからず影響を与えているという事実だ。

彼がブクステフーデのオルガン演奏を聴くためにアルンシュタットから400キロメートルの徒歩の旅を敢行し、3カ月ほどリュベックに滞在したことは良く知られたエピソードだ。

変奏曲『ラ・カプリッチョーザ』は全曲ト長調で書かれているが、およそ思いつく限りのさまざまなヴァリエーションが滾々と湧き出る泉のように現れる、ブクステフーデのファンタジーが縦横に発揮された華麗な作品である。

今回の彼女の使用楽器だが、ミヒャエル・ミートケが1710年頃に製作したチェンバロをクリストフ・ケルンが2013年にコピーしたもので、オリジナルはスウェーデンのフディクスヴァルに保管されている一段鍵盤の楽器のようだ。

製作者ミートケは当時ベルリンに工房を構えていて、大バッハがケーテンの宮廷のために二段鍵盤のチェンバロを購入した記録も残されているために、このモデルはバッハの演奏にしばしば使われている。

ルッカースの流れを汲むダークで澄んだ音色と長い余韻が特徴で、ピッチは2曲とも現代よりほぼ半音ほど低いa'=415Hzだが、調律はブクステフーデにはミーントーン、バッハにはキルンベルガー第3法が採用されている。

ミーントーンは完全五度をごく僅か狭めることによって長三度の和音を純正に保つための調律なので、ごく単純な単一の調性での範囲内で書かれた曲では力強く美しい響きが特徴だが、転調したり変位記号が付くとスケールを形成する音の間隔がずれてしまうので調子外れに聞こえる欠点がある。

この録音でもトラック3の第12変奏でその風変わりな音程が感知されるだろう。

一方キルンベルガーは一箇所の五度を犠牲にすることによってあらゆる転調にも対応できるオールマイティーな調律法を考案している。

彼はバッハの弟子であったことから師の調律法に近いものであることが想像される。

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2016年11月02日


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筆者が最初にルージィチコヴァの録音を聴いたのはブランデンブルク協奏曲第5番と三重協奏曲のカップリングでエラートから高品質LP盤としてリリースされたランパル、スーク、プラハ合奏団のものだった。

その典雅な美しさは現在でもモダン楽器によるアンサンブルでは最も魅力的な演奏だと思う。

その後同シリーズから彼女のゴールトベルク変奏曲が出て、その才気煥発な表現にバッハへの新しい解釈を感じ取ることができた思い出がある。

古楽復興の黎明期にあって、彼女の演奏はネーデルランド派の楽理的な研究やドイツの伝統的なオルガン音楽に基礎を置く演奏家達とも一線を画した、聴いて心地よく溌剌とした演奏がバッハの音楽を理屈抜きに楽しませてくれた。

この20枚には平均律クラヴィーア曲集全2巻、パルティータ、イギリス、フランス組曲それぞれの全曲、ゴールトベルク変奏曲、イタリア協奏曲、半音階的幻想曲とフーガ、フランス風序曲などをメインに、普段聴くことができないヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲からのアレンジになるチェンバロ独奏用協奏曲集などバッハのチェンバロ用主要作品が網羅されている。

ソロ以外では上記した2曲の協奏曲の他にフルニエとの3曲のチェロ・ソナタ及びスークとのヴァイオリン・ソナタ6曲を収録している。

ピリオド楽器が主流の現在のバロック音楽演奏では、モダン・チェンバロはもはやソロだけでなくアンサンブルからも追いやられてしまったが、選択肢に乏しかった1970年代初期までは一流どころのチェンバリストも便宜上モダン楽器を使っていた。

しかしノイペルトに代表されるように鋳鉄の大型フレームから響く音量は厚かましいほど大きく、人工的でキンキンした音色はいかにも代用品といった代物だった。

一方ヒストリカル・チェンバロは言うまでもなく大量生産された規格品ではないので、それぞれに個性があり響きも奥ゆかしく繊細で美しいが、製作台数が少ないだけでなく専門職人による修復が必須で、それに伴う特注部品による楽器のメンテナンスや所有者との貸借交渉などを考慮すればモダン・チェンバロ一台を購入するより遥かに高いコストがかかってしまっただろう。

またヒストリカルには独自の奏法が求められるので、チェンバリストにもテクニックのさらい直しという負担が生じた筈だ。

ルージィチコヴァの全盛期には、メカニズムとマテリアルは合理的に改変されているが、音色の欠点をカバーした改良型も登場している。

彼女がこの録音で弾いているヒストリカルはエムシュのみで他はアンマー、シュペルハーケ、ノイペルトのモダン楽器になる。

ヒストリカルの忠実なコピーの製作が一般的になるのは更に数年を待たなければならなかった。

しっかりした装丁の引き出し式ボックスにデザインなしのカラフルなジャケットで収納され、22ページほどのライナー・ノーツには演奏曲目一覧と英、仏、独語による簡易なコメントが掲載されているが、録音データ及び使用楽器はそれぞれのジャケットのみに記載している。

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2016年10月30日


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リナルド・アレッサンドリーニ指揮によるコンチェルト・イタリアーノがこれまでにリリースしたCDから主にJ.Sバッハとヴィヴァルディの作品を中心に選択した6枚組セットで、CD1では最もポピュラーな『四季』を取り上げている。

この曲にはファビオ・ビオンディとエウローパ・ガランテの絵画的アプローチによる演奏があるが、それとは異なった目の覚めるようなドラマティックな表現が特徴だ。

CD2−3はバッハのブランデンブルグ協奏曲(全曲)で、このセットの中でも出色の出来と言える。

廉価盤化で初出時の録音風景とインタビューを収めたボーナスDVDは付いていないが、数多い古楽アンサンブルの中でも演奏内容、録音状態共にトップクラスのひとつとしてお薦めしたい。

CD4はアレッサンドリーニ自身のチェンバロ独奏によるバッハの作品集で、鮮やかなテクニックを披露する『半音階的幻想曲とフーガ』はもとより、演奏される機会が少ない初期の作品『最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ』も心暖まるような美しい表現で聴かせている。

ちなみに彼の使用しているチェンバロは1740年にドイツで製作された作者不詳の楽器をアントニー・シドニーがコピーしたもので素晴らしい音色と表現力を持っている。

CD5ではヴィヴァルディのトラヴェルソと弦楽及び通奏低音のための協奏曲『夜』やA.マルチェッロのオーボエ協奏曲ニ短調が秀演だが、バッハの『イタリア協奏曲』の復元ヴァイオリン協奏曲版も良くできていて興味深いところだ。

尚CD6にはヴィヴァルディが珍しく対位法を使った弦楽のための協奏曲が12曲収録されている。

イタリアのピリオド楽器使用の古楽アンサンブルというと、このセットのアレッサンドリーニ率いるコンチェルト・イタリアーノより、むしろジョヴァンニ・アントニーニのイル・ジャルディーノ・アルモニコのほうがそのポピュラー性と演奏の奇抜さから知名度が高いかも知れない。

またその他にもソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ、アンドレア・マルコンのヴェニス・バロック・オーケストラやファビオ・ビオンディのエウローパ・ガランテなどが、かなり自由奔放で個性的な解釈を試みているが、お互いに盛んな交流があることも事実である。

例えば、アレッサンドリーニはエウローパ・ガランテと、ヴェニス・バロックのカルミニョーラはジョヴァンニ・アントニーニと、そしてビオンディはコンチェルト・イタリアーノとしばしば協演している。

こうした合奏団の中でもメロディックな表現に優れ、和声の変化の面白さを明瞭に聴かせてくれるのがコンチェルト・イタリアーノで、それはバッハは勿論フレスコバルディやモンテヴェルディにも造詣が深いアレッサンドリーニならではのスコアへの読みがあるからだろう。

彼らのCDはシングルで既に50枚ほどにもなるが、今回の廉価盤化はバロック音楽ファンにとっては朗報に違いない。

5つの曲集がそれぞれ独立したジュエル・ケースに入っているので外側のボックス・サイズは14,5X13,5X5cmで枚数の割には多少かさばるのが弱点だ。

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2016年10月09日


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近年来日も多く、ピアノ界の新たな巨匠として特別な存在感を発揮するアブデル=ラーマン・エル=バシャのバッハ『平均律クラヴィーア曲集 第2巻』(2014年、神奈川・相模湖交流センターにて収録)の登場だ。

大絶賛を受けた第1巻に続き、本作でもエル=バシャの繊細なタッチにより生み出される作品の美観と構築性は健在で、先ず、何よりもエル=バシャの奏でるピアノの音が実に美しい。

第1巻と同様に、エル=バシャの強い希望によりべヒシュタインD−280を使用したとのことであるが、その効果は抜群であり、他の数々の名演とは一線を画するような、実に美しくも深みのある音色が演奏全体を支配している。

卓越した技術をもとに奏でられるその音は、まったく混濁がないが、絶妙なペダリングにより暖かな響きを導き出し、シンプルで飾り気のない美しい音色、ピュアなサウンドはエル=バシャの魅力のひとつであろう。

エル=バシャのアプローチはあくまでも正攻法であり、いささかも奇を衒うことなく、曲想を丁寧に精緻に描き出していくというものだ。

かかるアプローチは、前述のようなピアノの音との相性が抜群であり、このような点に、エル=バシャの同曲への深い拘りと理解を感じるのである。

また、エル=バシャのアプローチは正攻法で、精緻でもあるのだが、決して没個性的というわけではなく、徹頭徹尾エル=バシャのアナリーゼが展開される。

1曲目のプレリュードから即バッハの世界に引き込み、隙のない緊張感と豊かな響きのなかで「無限の調和」の旅をしているかのようである。

より自由に奏でられるプレリュード、完全に構築されてゆくフーガ、この「静」と「動」で展開される偉大なるバッハの作品を完全に創造している。

もちろん、平均律クラヴィーア曲集の綺羅星の如く輝く過去の演奏、例えば、グールドやリヒテル、アファナシエフなどのような聴き手の度肝を抜くような特異な個性があるわけではないが、表現力は非常に幅広く、卓抜したテクニックをベースに、テンポの緩急を自在に操りつつ、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、実に内容豊かな音楽を構築している点を高く評価したい。

これまでの平均律クラヴィーア曲集の名演では、構成されたプレリュード、フーガの各曲すべてが優れた演奏ということは殆どなく、曲によっては特に優れた演奏がある一方で、いささか不満が残る演奏も混在するというのが通例であった。

しかし、エル=パシャによる本演奏では、特に優れた特記すべき演奏があるわけではないが、いずれの曲も水準以上の演奏であり、不出来な演奏がないというのが素晴らしい。

こうした演奏の特徴は、長大な同作品を、聴き手の緊張感をいささかも弛緩させることなく、一気呵成に聴かせてしまうという至芸に大きく貢献しており、ここに、エル=バシャの類稀なる音楽性と才能を大いに感じるのである。

名器ベヒシュタインによる深みのある音色が、エル=バシャの音楽を支え、徹頭徹尾表現される調和と秩序の美しいピアニズムが堪能できるもので、期待を裏切らぬ高水準の名演と高く評価したい。

録音は、SACDによる極上の高音質録音であり、エル=バシャの美しいピアノを鮮明な音質で味わうことができる点も評価したい。

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2016年09月20日


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今や押しも押されぬ一級の演奏家の仲間入りをしているシフが1981年から92年にかけてDECCAレーベルに録音したアルバムで、シフの洗練された音楽性と初々しいピアニズムの結晶を聴く名演集。

ピアノによるバッハ演奏の、最も現代人の感覚にぴったりくるのがシフの演奏で、淀みない流れと触発する美しさに溢れたシフの演奏に耳を傾けていると、バッハの鍵盤楽器作品が尽きせぬ心の泉であることが再確認される。

シフが弾くバッハの魅力は現代ピアノがもつ限りない機能性と美的表現力とに全幅の信頼をおき、そこからバッハの鍵盤曲の魅力を縦横無尽に引き出していく点にある。

しかもその背景にはシフならではの知的にコントロールされた音楽の心があり、技巧や感覚美の次元をこえたもうひとつ向こうの世界へと聴き手を誘う吸引力がある。

ロマンティックすぎる解釈かもしれないが、軽やかな弾みと自然な流れが小気味よいうえ、解釈上のツボも押さえられていて、この美しさには抗し難い魅力があり、聴き込むほどに味わいの増す演奏だ。

ここに聴くシフのピアノは、とにかく音色に磨き抜かれたような美しさがあり、1音聴いただけで、その魅力にひきこまれてしまう。

しかもここでのシフは無心かつ無垢であり、バッハの世界で戯れるかのような姿すら見せている。

シフの磨き抜かれたピアノの音色、洗練されたリズムの冴えなどを耳にすれば、ピアノという楽器に興味と関心とをもっているほとんどすべてのひとは、おそらく脱帽状態となってしまうことだろう。

そのうえ、ここにおけるシフは、バッハ演奏における様式観に関しても、ノンシャランにはならず、きちんとした筋をとおしており、説得力が強い。

磨かれ、粒をきれいに揃えた音と、軽やかな運びで、シフはバッハの鍵盤楽器作品を、自然な姿に整える。

リズムの良さにも水際立ったものがあり、テクニックもスムースで、バッハの音楽に対する各種様式観にもバランスのとれた配慮が行き届いており、間然としたところがない。

粒立ちのよい音で、色彩豊かに展開されるバッハは、実に新鮮な感覚に満ち溢れており、今日のバッハ演奏を代表するものの1つと言っても、決して過言ではないだろう。

チェンバロによる、オリジナルを重視する演奏とは実に大きく隔たっているが、それでも、聴いて正しくないなんて言う気には決してならないはず。

もしバッハがピアノとすぐれたピアニストを知っていたら、強くそれを希望したに違いないと思えるくらい、バッハの本質はここにあると感じられる。

20世紀末の人間の感覚とバロックの巨人が求めた技の、重なり合うところに、シフの演奏が成立していて、技術がただひたすらに作品のためにあることを実感させる至芸である。

筆者が、シフを聴いて初めて驚きを覚えたのは、これらの録音以前に、放送を通じてドメニコ・スカルラッティやバッハの作品を聴いたときだが、その切れ味のよいリズム感と、美しいタッチから生み出される透明感に満ちた音色で奏されるバッハやスカルラッティの音楽の、なんと躍動と愉悦に満ちていたことか。

軽やかなタッチが作り出す滑らかな調べはあくまでも磨き抜かれたタッチの美しさを誇るが、いささかも人工的、メカニカルな印象を与えず、音楽そのものに浸らせ、その新鮮な表情は彼らの作品に新しい光を当てるものだった。

粒立ちの良い音の佇まい、演奏に漂う清潔感と凛々しい気品も抜きん出ており、リズム処理のスムースさにも他の演奏家にはない快い切れがある。

このアルバムではそうした彼の美質を十分に保ちつつ、音色にはまろやかさと暖かさが、表現には余裕と落ち着きが増し、音楽全体に懐の深さや味わい深さが加わっている。

バッハの鍵盤楽器作品は今日では、チェンバロによる演奏が広く聴かれるようになっているが、ピアニストにとってバッハの音楽は不可欠のレパートリーである。

演奏会で取り上げることは少ないにせよ、名ピアニストほどバッハ作品を見事に弾いている。

しかし、多くのピアニストが19世紀の解釈でバッハを弾いて疑問を抱かないのに対し、シフのバッハ解釈は意識的にロマン主義的解釈を避けた次元でバッハ音楽の普遍性をピアノという、言わばモダン楽器で見事に彫琢している。

オリジナル楽譜にはあるべくもない強弱記号であるが、シフはこれを19世紀の解釈ではなく、バッハ音楽のテクスチャーから読み取れる自然かつ音楽的な変化として表現している。

それに、実を言えばグールドじゃないところも大きな魅力で、ある意味でもっともシフらしい、飾らないシフと出会えるアルバムと言えるかもしれない。

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2016年07月15日


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ラ・プティット・バンドの新録音によるJ.S.バッハの『管弦楽組曲』全曲を1枚のCDに収めたもの。

最近の彼らの演奏で顕著なことは、演奏者数を当時の宮廷楽団の慣習に則り、各パートの奏者をぎりぎりまで絞り込んで、従来の管弦楽というイメージよりもむしろアンサンブルに近い形態をとり、曲の解釈の面でもあらゆる面で誇張のない、よりインティメイトな雰囲気でのバッハの再現を試みていることであるが、その基本姿勢はこの曲集でも全く変わっていない。

リーダーだったグスタフ・レオンハルト亡き後も彼らはシギスヴァルト・クイケンを中心に衰えをみせない活動を続けているが、こうした演奏にレオンハルト譲りの厳格さと共に、彼ら自身が古楽を楽しむ洗練された究極の姿を観るような気がする。

それはまた彼らがこれまでに辿り着いた研究の成果を実践に移したものとしても興味深い。

オーケストラのそれぞれのパートを見ると、第1、第2ヴァイオリンが2名ずつ、ヴィオラ1名、通奏低音としてはバス・ドゥ・ヴィオロン2名とチェンバロのみである。

基本的にこの8人の他に曲によってバッハが指示したトランペット、ティンパニ、オーボエ、ファゴット、トラヴェルソが順次加わるが、習慣的に任意で加えることができるリュートやテオルボなどは一切省いた簡素な編成が特徴的である。

またそれほど重要でないと判断された序曲での繰り返しを避け、無駄と思われる装飾や表現も思い切って削ぎ落としたシンプルそのものの解釈で、足早のテンポ設定と相俟って現在の彼らの虚心坦懐の境地を窺わせている。

しかし響きは素朴であっても素っ気ない演奏とは違い、対位法の各声部を明瞭にしてしっかりした音楽構成を感知させている。

それだけに当時バッハがイメージしていた音像がダイレクトに伝わってくるような気がする。

組曲第2番ロ短調の「ロンド」ではフランス風のイネガルを取り入れてこの珠玉の小品に精彩を加え、終曲「バディヌリー」では逆にテンポを落としてソロの名人芸を聴かせるよりもアンサンブルとしての調和を図っているようだ。

2012年のセッションで、会場になった教会の豊かな残響をある程度取り入れているため、ごく臨場感に溢れた録音ではないが音質には透明感が感じられ極めて良好。

ピッチはa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチを採用している。

アクサン・レーベルの新譜はデジパックで統一されていて、差し込まれたライナー・ノーツにはシギスヴァルト・クイケンによるバッハの『管弦楽組曲』についての歴史的な考察が掲載されている。

そこには第2番が当初トラヴェルソ用ではなく、ヴァイオリン・ソロが加わったイ短調の組曲だったことも述べられている。

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2016年06月27日


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ウィーンの大家イェルク・デムス(1928-)のピアノ演奏によるバッハ作品集の3枚組で、パルティータ全6曲BWV825-830と『ゴールドベルク変奏曲』BWV988を収録している。

デムスはフリードリッヒ・グルダ亡き後もイングリット・ヘブラー、パウル・バドゥラ=スコダと共に健在で、実際の演奏活動からは引退しているものの伝統的なウィーン流派のピアノを教授している頼もしい存在である。

彼が生涯に亘って研究している作曲家の1人がバッハで、この曲集の他にも『平均律』全曲を始めとする何種類かの録音があるが、いずれも彼の溢れんばかりの音楽性を変化に富んだ自在なタッチと奥ゆかしい情緒に託した独特の美学が聴きどころだろう。

例えばパルティータ第1番変ロ長調の瑞々しさとダイナミズムはバッハが既にピアノを意識して作曲したかのような印象を与えるし、第3番イ短調での毅然としたスケルツォの主張と、間髪を入れず終曲ジークに入るアイデアが秀逸だ。

また第5番ト長調のテンポ・ディ・ミヌエットは弱音を駆使して殆んどメヌエットの原型を留めないくらい速いが、次に来るパスピエが逆にメヌエットを想起させる自由な発想もデムスらしい。

一方で『ゴールドベルク変奏曲』のテーマの歌わせ方は天上的な美しさを持っている。

アルペッジョを高音から低音に向かって弾く奏法もメロディーに一層可憐な効果を出しているし、最終変奏のクオドリベットも通常は歓喜に満ちた表現が多いが、彼は名残を惜しむかのように静かに奏でて、その抒情性の表出とピアニスティックなテクニックにおいて最高度に洗練された流麗な変奏曲に仕上げている。

70分を超える大曲だが、彼は丁寧な音楽作りと構成力によって冗長になることを完璧に避けている。

デムスはしばしば修復されたフォルテピアノを使ってモーツァルトから初期ロマン派の作曲家の作品をコンサートに採り入れていて、筆者自身彼のピリオド楽器によるシューベルトの夕べを聴いたことがある。

それだけ彼は歴史的な楽器の機能や奏法にも造詣が深く、またその音色にもこだわっていたことが理解できる。

このバッハ作品集でのセッションはピアノ演奏で、使用楽器が明記されていないので断言はできないが、音色から判断するとベーゼンドルファーと思われる。

透明感やきらびやかさではスタインウェイに譲るとしても、その温かみのあるまろやかな音色とソフトな弱音は典型的なウィンナー・トーンで、バッハの作品に特有の味わいを与えている。

ヌォーヴァ・エーラのロゴをつけているが、実際にはメンブランからのリイシュー盤で、ライナー・ノーツに英、伊語による曲目解説があり、録音データは1974年とクレジットされている。

尚トラックを表示した収録曲目一覧には若干のミス・プリントが見られる。

オーソドックスなジュエルケース入りで、欲を言えばジャケット・デザインに洒落っ気がないのが惜しまれるが、これがオリジナル・ジャケットのようだ。

音質は破綻のない時代相応の良好な状態と言えるだろう。

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2016年06月17日


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「ベルリンのバッハ、フリードリッヒ大王のためのフルート作品」と題された1枚で、大バッハが大王に招かれて1747年にベルリンを訪問した当時の宮廷楽団のメンバー達によるフルートのためのアンサンブル作品を4曲収録している。

1曲目のトリオ・ソナタハ短調は大王がバッハに3声及び6声のリチェルカーレの即興演奏を所望した際に、自らクラヴィーアを弾いて与えた主題をもとに作曲された。

彼はライプツィヒに帰ってから2ヶ月後にこの主題を駆使した高度な対位法作品集『音楽の捧げ物』BWV1079を大王に献呈しているが、トラヴェルソとヴァイオリンが指定された4楽章のトリオ・ソナタもその一部をなしている。

ヴェンツとムジカ・アド・レーヌムの演奏は速めのテンポを設定して、古楽特有の古色蒼然とした響きとは一線を画した、垢抜けたモダンな音響を創造しているが、ハ短調というトラヴェルソにとっては不得手な調性にも拘らず、ヴェンツによって生き生きと鮮やかに再現されている。

それに続くヤーニチュとグラウン、そしてバッハの次男カール・フィリップ・エマヌエルも大王の宮廷楽団のメンバーで、大バッハの対位法の妙技を尽くした神秘的で神々しい作風とは明らかに異なった、来るべきギャラント様式への移行を示していて興味深い。

3曲共に装飾的な要素の強い明るい響きを持った曲想で、厳格な対位法がもはや作曲上のテクニックとしてのエレメントになっているのも聴きどころだろう。

18世紀中葉のヨーロッパで最も高い文化と理想的な芸術環境を形成していた都市のひとつがベルリンで、プロシャ王フリードリッヒ2世はポツダムのサン・スーシ宮殿を洗練された文化の牙城として余暇を楽しんだ。

彼の宮廷楽団は大バッハの次男でチェンバリストのカール・フィリップ・エマヌエルを含めた12名の器楽奏者から成り立っていたが、彼らの他に別格的な作曲家で大王のトラヴェルソ教師でもあったクヴァンツがいた。

大王のトラヴェルソ奏者としての腕前はプロ級だったことから数多くの横笛のための作品が献呈されたが、斬新な作曲技法の試みを厭わなかったカール・フィリップ・エマヌエルは、少なくとも大王の趣味には合わなかったために、当時の宮廷では不当に低い待遇を受けていたようだ。

ムジカ・アド・レーヌムのメンバーはそれぞれがピリオド楽器を使用しているが、この録音に関してはライナー・ノーツに楽器名が書かれていない。

バロック・ヴァイオリン及びヴィオラがマンフレード・クレマー、チェロがブラス・マテ、チェンバロがマルセロ・ブッシで、ヤーニチュとグラウンではマリオン・モーネンが第2トラヴェルソを担当している。

1995年にオランダ、デルフトの教会で行われたセッション録音で音質は極めて良好。

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2016年06月05日


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英国のベテラン女流トラヴェルソ奏者レイチェル・ブラウンが初めてリリースしたバッハのフルート・ソナタ集。

これまで彼女のレパートリーはくまなく聴いてきたが、バッハの無伴奏フルート・パルティータイ短調を含むフルート・ソナタ・アルバムは初めての企画で、円熟期を迎え満を持しての演奏ということになる。

収録曲目は、真作4曲のフルート・ソナタ、無伴奏フルート・パルティータ、声楽作品からオブリガート・フルート付部分のピックアップが6曲、そしてブラウン自身がトラヴェルソ用にアレンジした協奏曲を含む編曲物2曲という内訳になる。

ブラウンの若い頃は男性顔負けの大胆でエネルギッシュな吹込みによる輪郭が明瞭で個性的な表現が魅力だったが、前回のテレマンの『無伴奏ファンタジー』でも明らかなように、ここ数年ではよりデリケートでインティメイトな芸風に変わってきた。

ここではまたバッハの意図する音楽にかなり忠実な再現が行われていて、この曲集では偽作とされる作品に関しては除外している。

無伴奏パルティータでは第1楽章アルマンドの最後の音がトラヴェルソの最高音a'''で、通常多くの奏者はこの音の突出を避けるためにリピート後に1回だけ演奏するが、ブラウンは1回目はメゾ・フォルテ、2回目はフォルテという具合にダイナミクスに変化をつけて楽譜通り繰り返している。

またサラバンドに代表される各楽章のリピート部分は当時の演奏習慣に従って、細やかな装飾音で飾った華麗なヴァリエーションに仕上げているのが特徴だ。

4曲のソナタの中でも最も充実した演奏がロ短調BWV1030で、バッハがチェンバロの右手パートも総て書き入れた実質3声部が織り成す精妙な対位法作品だが、ブラウンは気負いのない演奏の中にもトラヴェルソで表現し得る高い音楽性を感知させている。

楽章ごとの性格の違いもくっきり描かれていて、終楽章のフーガからジーグに至る部分ではテンポを速めて緊張感を高めながら曲を締めくくっている。

設定されたピッチは低いが、チェンバロとの音色のバランスも良く取れている。

今回の録音に使われたトラヴェルソは1725年製のシェーラー・モデル及び1720年製のI.H.ロッテンブルグ・モデルのそれぞれワン・キー・タイプで、ピッチはどちらも現代よりほぼ長二度低いa'=392Hz。

尚34ページほどのライナー・ノーツにはそれぞれの曲目に関するブラウンのトラヴェルソ奏者としての興味深いコメントと、カンタータで歌われるアリアの英語対訳及び演奏者全員の写真入略歴が掲載されている。

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2016年05月17日


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2012年に他界したグスタフ・レオンハルトが1984年から1996年にかけてフィリップスに遺した音源を15枚のCDにまとめたバジェット・ボックスで、この中の何枚かは現在既に入手困難になっているだけに今回の復活を歓迎したい。

チェンバリストとしては勿論、オルガニスト、ピリオド・アンサンブルの指導者、また指揮者として古楽復興の黎明期を支え、生涯古楽への情熱を傾けたパイオニア的存在感と、彼に続いた後継者達に与えた影響は計り知れない。

このアンソロジーではバッハは言うまでもなくクープランやラモーではフランス趣味を、またフレスコバルディやスカルラッティではイタリア様式を、更にブルやパーセルでは典型的なイギリス風の奏法を聴かせる多才さも聴きどころだ。

バッハの鍵盤楽器用の作品については他のレーベルからよりインテグラルなセットが入手可能なので、ここではむしろレオンハルトの幅広いジャンルに亘る古楽研究とその豊富なレパートリーを集成しているところに価値がある。

ピリオド楽器を使った古楽演奏の録音が試みられたのはそう古いことではない。

レオンハルト、アーノンクール、ビルスマやブリュッヘンなどによって博物館の調度品に成り下がっていたヒストリカル楽器が再び日の目を見るのは1960年代だが、それらの楽器を演奏可能なまでに修復して、その奏法を復元する作業は一朝一夕のことではなかった筈だ。

古楽を教える教師さえ稀だった時代にあって、おそらくそれは試行錯誤による古い奏法の再構築と演奏への全く新しい発想があったことが想像される。

チェンバロに関してはまだモダン楽器が主流だった頃に、初めてオリジナルの響きを堪能させてくれたのもレオンハルトだったと記憶している。

確かにこの頃既にヘルムート・ヴァルヒャがバッハの鍵盤楽器のための主要な作品を体系的に録音していたが、最大限の敬意を払って言わせて貰えば、彼はバッハの権威としてその作品を、チェンバロという楽器を媒体として表現したに過ぎない。

言い換えればバッハの音楽が楽器を超越したところにあることを教えている。

だからヴァルヒャはバッハ以外の作曲家の作品をチェンバロで弾くことはなかった。

彼とは対照的に楽器の音色や機能、あるいはその特性に沿って作曲された曲目の価値を蘇生させたのがレオンハルトではないだろうか。

彼はまた古楽器のコレクターでもあり、このセットでも何種類かの異なったチェンバロとクラヴィコードの個性的な音色を楽しむことができるが、幸いフィリップス音源も共鳴胴の中で直接採音したような鮮烈な音質で、繊細かつヒューマンな響きとスタイリッシュなレオンハルトの至芸を良く捉えている。

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2016年04月27日


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ル・コンセール・デ・ナシオンの8名のメンバーによる『音楽の捧げもの』が録音されたのは10年以上も前のことになるが、ピリオド楽器を使用した演奏として音楽的な水準の高さにおいても、またその再現の美しさでも未だ第一級の価値を失っていない。

ジョルディ・サヴァルの演奏にはスピリチュアルな高揚からの特有の気迫のようなものが常に感じられ、それが弛まずにこの演奏全体を牽引していることは確かだ。

それだけに隙のない声部の織り成す対位法の綾が聴きどころだが、バッハが献呈文に綴ったラテン語のイニシャルがリチェルカーレを暗示しているように、ここでもサヴァル自ら弾くヴィオールが加わる古風な楽器編成が、その謎めいた美学を象徴しているように思われる。

バッハは「ふたつのヴァイオリンのための同度のカノン」及び「トリオ・ソナタ」以外の楽器編成を指定していないので、アンサンブルの編成はサヴァル自身のアレンジと思われる。

大王のテーマはマルク・アンタイのトラヴェルソによって提示される。

これはバッハがポツダムの宮廷を訪れた時に、フリードリヒ大王が自らトラヴェルソを吹いてこのテーマを与えたという言い伝えに基くものだ。

その事実関係はともかくとして、アンタイはテーマの高貴さと神秘性をシンプルに奏して、曲の開始に相応しい期待感を高める効果を上げている。

また後半の始めに置かれた「トリオ・ソナタ」では、彼の自由闊達な音楽性とオーソドックスなテクニックの手堅さが示されている。

3声と6声のリチェルカーレはどちらもピエール・アンタイの柔軟で色彩感豊かなチェンバロ・ソロで演奏されているが、6声の方は最後に通奏低音付の弦楽合奏版でも収録されている。

特に後者を聴くと『フーガの技法』と並んで対位法音楽の頂点とも言われているこの曲集が、決して紙に書かれただけの理論の集大成ではなく、実際に音楽として鳴り響いた時の美しさを表現し得ていることに改めて気付かせてくれる。

これもサヴァルのポリシーだろうが音質の良さでも高く評価できるCDで、それぞれの古楽器の繊細な音色を捉え、音響のバランスにも優れている。

尚ピッチは現代より半音ほど低いa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチを採用している。

三面折のデジパック入りで、35ページほどの綴じ込みのライナー・ノーツには仏、英、西、カタルーニャ、独、伊語による簡易な解説が掲載されている。

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2016年04月11日


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レオンハルトはひとつひとつの短い曲に豊かなアーティキュレーションと控えめだが自在なフレージングで個性を与え、全体的にも精彩と変化に富んだ曲集に仕上げている。

また良く聴いているとレジスターの使い分けも多彩で、チェンバロの機能と音色の魅力を巧みに引き出しているところにも斬新さがある。

鍵盤楽器の学習者にとってバッハのインヴェンションとシンフォニアは避けて通れない、言わば必須の練習曲だが、レオンハルトの演奏はそうした教則本をイメージさせるような陳腐さや退屈さから一切解放された、音楽としての価値を改めて問い直し、最高の教材は同時に最高の芸術作品でなければならないというバッハ自身の哲学を実践した演奏と言えるだろう。

特にシンフォニアになると各声部を注意深く感知させるだけでなく、装飾音の扱いにもさまざまな工夫が聴かれるし、時には大胆とも思える拍内でのリズムのずらしやハーモニーを崩して弾く方法を試みて、チェンバロ特有の表現力の可能性を追究すると共に、この曲集の持つ音楽的な高みを明らかにしている。

彼らによって復元されたこうした奏法は、ヒストリカル楽器の持つ構造的な機能を熟知して初めて可能になるもので、それ以前のモダン・チェンバロによる演奏では聴くことができない。

楽譜に対する深い洞察により作品の本質に鋭く迫った演奏で、厳格なバランス感覚に裏打ちされた知的な自由さが大きな魅力となっている。

気品あるチェンバロの音色も一聴に値するものであるが、1974年にアムステルダムで録音されたいくらか古い音源なので、音質がやや硬く聞こえるのが惜しまれる。

ここでの使用楽器はアントワープの名匠J.D.ドゥルケンが1745年に製作した二段鍵盤のチェンバロを、1962年にマルティン・スコヴロネックがレオンハルトのためにコピーしたもので、典型的なルッカース系の暗めだが品のある豊かな余韻を持った響きが特徴だろう。

レオンハルトはピリオド楽器による演奏の先駆者として楽器の選択にもかなりの拘りを持っていた演奏家の1人だ。

尚ピッチは現代よりほぼ半音ほど低いa'=415Hzに調律されている。

このふたつの曲集ではバッハの明確な意図に基く全く無駄のない学習方法が考案されている。

これから鍵盤楽器を学ぼうとする人のために、始めは指の独立と2声部を巧く弾けるように、そして上達するに従って3声の曲に移り、とりわけカンタービレ、つまりそれぞれの旋律を歌わせる基本的なテクニックを学びながら、更にはテーマを展開して曲を構成するための作曲技法習得の手本としても役立てるようにと添え書きしている。

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2016年02月24日


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これはたいそう独自な存在感をもったアルバムだ。

バッハが後世に遺した最も驚くべき金字塔のひとつ、BWV1001〜1006に関しては、ほとんどあらゆるレコードを聴き味わってきたつもりであるが、その中で最も奏者の、ひいては人間の“心の声”を実感させてくれた演奏と言えば、それはシゲティのものにほかならない。

とはいえ、本盤の演奏内容は、たぶん、評価が極端に分かれる結果となるだろう。

音は必ずしも美しくなく、ときにきつくなる要素を含んでいるし、テクニックも今日のレヴェルからすると必ずしも完璧といえるほどのものではなく、加えて録音も硬調でもう少し潤いといったものがほしい。

しかしながら、ここでシゲティがバッハの音楽に対して示す強い求心力は、今もって感動的である。

高い志をもちながら、妥協することなく、ひたすらバッハの音楽の核心に迫ろうとするシゲティのひたむきさ、深く、鋭い表現力は聴き手の心を強くとらえてやまない。

音楽に精神主義というものがあるならば、さしずめシゲティはその代表といえるだろう。

とくに晩年の演奏はその比類のない集中力の強さで、その強靭な演奏は触れれば切れるほど鋭く、率直に作品の本質に迫ろうとする姿勢が、聴き手を説得せずにはおかない。

このバッハはそうしたシゲティ67〜68歳時の傑作と言える。

これらの曲を発掘して、その素晴らしさを現代人に教えた当人の演奏だけに、晩年近づいてからのシゲティの録音のなかでは技巧の衰えも比較的目立たない。

この6曲はあらゆる音に燃える気迫があり、深い意味と心情の表出がある。

たんなる表面的な美感を越えた、内部から語りかける音楽である。

ひたすらバッハの音楽の核へと踏み込んでいこうとするシゲティの気迫には、今日の多くの演奏家らが失ってしまったような、ただならぬ説得力があると言えよう。

つねにすらすらとよどみなく、万人の耳に快い、力強くまろやかな音色で語るのが雄弁術の極意だという。

だが、人間が己れの内奥の真実を世に告げるために、そのような雄弁は果たして必要なのだろうか? 本盤の演奏を聴くたび、改めてそう思う。

自分が信ずる牴山敕真実瓩鯢集修靴茲Δ箸垢襯轡殴謄の弓と指は、表面的な完全さや洗練を目指さない故にこそ貴い。

このことを把握して聴くなら、シゲティの音と表現の意味深い猗しさ瓩呂泙気靴非凡なものだ。

ここでは、1フレーズ、1音が、それこそ魂から出た言葉として響き、その“意味”を伝えるためにこそヴァイオリンは鳴っている。

いったんそのことに気づき、その“言葉”がわかると、シゲティの音を「きたない」などとする批評が、いかに皮相なものにすぎないか、よく理解されよう。

技術的には押しなべて高くなり、録音もよくなったにもかかわらず、聴き手に強い感動を与えるようなバッハと接する機会が著しく少なくなってしまった今日だからこそ、あえて当シゲティ盤に最注目する価値は高まっていると言えよう。

もちろん、技術面の完全さは音楽に必要だが、稀にはそれを超える感動も、たしかに存在する。

もとより、視点や趣味により評価はまちまちであろうが、これほど心を打つ演奏、心の奥底に訴えかけてくる演奏は稀だ。

彼以後に、もうこのようなバッハはない。

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2015年12月26日


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このリヒターの崇高なバッハの成果は未だに独自の光彩を放ち、独創的で強い主張を持っている。

中でも彼のブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲などの息づくようなバイタリティーに溢れた表現は強く惹かれるものがあったが、当初アルヒーフのセット物は布張りカートン・ボックス入りのコレクション仕様で値段も高く、気軽に手が出せるような代物ではなかった。

そうした懐かしさも手伝ってかつての欲求を満たしてくれるのがこのセットで、同じくユニヴァーサル・イタリーから先発でリリースされたバッハのカンタータ集に続いて、今回はチェンバロ及びオルガン・ソロ、室内楽、オーケストラル・ワークに『ロ短調ミサ』を加えた18枚で構成されている。

この中には現在入手困難な1966年収録のシュナイダーハンとのヴァイオリン・ソナタ集も含まれている。

リヒターは1972年にレオニード・コーガンとも同曲集の再録音をオイロディスクに遺しているが、バッハへのアプローチも、また音楽的な趣味や個性も全く異なった2人のヴァイオリニストと組んだアンサンブルの記録としても貴重な音源だ。

この演奏ではシュナイダーハンのウィーン流のしなやかで自由闊達なソロが美しい。

尚ブランデンブルク協奏曲集は1967年の再録音の方が採用されている。

ちなみに第1回目の1956−57年の音源はドイツ・ヘンスラーから独自のリマスタリングで復活している。

ミュンヘン・バッハ管弦楽団は、バイエルン放送響、ミュンヘン・フィル、バイエルン国立管の団員などの精鋭から編成され、何よりも当代のバッハの使徒とでもいうべきリヒターに対する尊敬の念と忠誠心を持っていたと言われる。

その演奏の均一性、精神的な統一感はいま聴いても新鮮な驚きがあるだろう。

リヒター指揮による同管弦楽団、同合唱団による一致団結した統一感とストイックとしか言いようのない敬虔、厳格な音楽づくりは、その後同様な演奏を聴くことを至難としている。

一方、リヒターは当時にあって、バッハについて深い学識ある研究者であるとともに、最高のチェンバロ奏者&オルガニストであり指揮者であった。

チェンバロ、オルガンなどの独奏の高次性も並外れており、しかもすぐれた即興性に魅力がある。

彼が使用しているチェンバロは総てノイペルト製のモダン・チェンバロで、ピリオド楽器が主流の現在では金属的で大きな音がやや厚かましく聞こえるが、奇しくも当時のリヒターのラディカルとも言える解釈にそぐわないものでなかったことは確かだ。

またニコレとのフルート・ソナタ集では常にレジスターを使って音量と音色を注意深くコントロールしている。

ライナー・ノーツは46ページほどで、曲目一覧、英、伊、独語によるリヒターのキャリア及びこのセットに収められた18枚の全録音データが掲載されている。

新しいリマスタリングの表示はないが音質は極めて良好で、サイズ13X13X5cmのシンプルなクラムシェル・ボックス仕様。

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2015年12月18日


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このCDには大バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710-1784)の3曲のトラヴェルソのためのソロ・ソナタ及び3曲の2本のトラヴェルソと鍵盤楽器のためのトリオが収録されている。

セカンド・トラヴェルソにはマリオン・モーネン、そしてチェンバロとフォルテピアノがジャック・オッグ、通奏低音のチェロにはヤープ・テル・リンデンのそれぞれベテラン奏者を配した手堅い巧みなアンサンブルが聴きどころだ。

ソロと通奏低音で書かれたものと鍵盤楽器のオブリガートが付くものとがあり、前者には基本的にチェロが加わっている。

フリーデマン・バッハの作品には既に漸進的な強弱やアクセントなどが求められ、父親とは明らかに異なった音楽語法を追究していたことが理解できる。

このためにオッグは曲によってフォルテピアノを使って、それまでのチェンバロでは表現し得なかったモダンな音楽のあり方を実践している。

特にソナタヘ長調Fk51はトラヴェルソのテクニックが駆使された難曲で、ハーゼルゼットとオッグの老練なアンサンブルが醍醐味だ。

今回彼らが使用した楽器は、ハーゼルゼットがアウグスト・グレンザー、モーネンがパランカのワン・キー・タイプ、テル・リンデンのチェロがグランチーノ、オッグのチェンバロはクシェ・モデル、ピアノはゴットフリート・ジルバーマン・モデルでピッチはa'=415Hz。

2005年にオランダで録音された曲集で音質は極めて良好。

フリーデマン・バッハの音楽はかなり個性的で、時折衝動に駆られて急くような音形の繰り返しや不意とも言えるモジュレーションの変化があり、彼の鋭利だが移ろい易い刹那的な音楽美学を反映している。

そうした音楽のあり方はほぼ同時代のミューテルやクラインクネヒトのトラヴェルソのための作品にも共通していて、いわゆる多感様式時代の過渡的な趣味の傾向だったに違いない。

大バッハが最も期待をかけて教育した息子だったが、その非凡な才能は当時の社会には受け入れられなかった。

それは彼の個人的な性癖が禍したとされているが、遺された作品には優れたものが少なくない。

例えばトラヴェルソ用の6曲のデュエットにもその目まぐるしい転調や半音階の中に迸り出るような斬新な楽想が満たされている。

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2015年12月08日


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ヘルムート・ヴァルヒャが1957年にEMIに録音したJ.S.バッハの『パルティータ』BWV825-830全曲が、過去のライヴやセッションの名演を掘り出してCD化しているカナダのドレミ・レーベルからレジェンダリー・トレジャース・シリーズとして復活した。

ヴァルヒャが遺した総てのオルガン用の作品は既にリイシューされているし、またチェンバロ曲集はこの6曲のパルティータを除いては比較的手に入れることが容易だが、この音源に関しては何故か再発されていなかった。

おそらく録音状態の劣悪さが原因かも知れないが、この2枚組セットにはDLC24-bitリストレーションの表示があり、雑味のとれたかなり鮮明な音質が得られている。

曲目は他に1960年の録音になる『フランス風序曲ロ短調』BWV831、『イタリア協奏曲ヘ長調』BWV971及び『半音階的幻想曲とフーガニ長調』BWV903で、この3曲に関しては製造中止になっているとは言え、ARTリマスターのEMI盤がかろうじて入手できる。

見開き1枚の曲目紹介とオリジナルLPの写真のみでライナー・ノーツは付いていない。

ヴァルヒャがJ.S.バッハの鍵盤楽器用の総ての楽曲の暗譜を決意したのは彼が完全に失明した後、19歳の時だったと言われる。

そして40歳の誕生日にはその課題を達成していた。

点字楽譜もまだ存在しなかった時代に、母や夫人の弾く一声部一声部を暗譜して、頭の中で音楽全体を再構成するという驚異的な方法で身につけた曲は、どれを聴いても整然として明確な秩序を保っているだけでなく、彼特有の覇気に貫かれている。

ヴァルヒャが日頃使用していた楽器はユルゲン・アンマー社のモダン・チェンバロで、それには止むを得ない事情があったと考えられる。

戦後から1960年代にかけてオリジナル・チェンバロは博物館を飾る調度品に成り下がっていた。

それは教会の中で厳然とその生命を保っていたオルガンに比べると、時代に取り残された楽器としかみられていなかったのが実情だ。

それが演奏可能なまでに修復され始めるのはいくらか後の時代であり、ヴァルヒャはようやっとその晩年に古楽復興の黎明期に巡り会えた演奏家である。

この楽器の音色が見直されるようになってから、当世流の便宜的改造が加えられたのがノイペルトやアンマーのモダン・チェンバロである。

当時内部のフレームは金属製でa'=440の現代ピッチに調律されていた。

ピリオド楽器に比べるとさすがにどこか人工的な響きだが、それでもアンマーの音は潤沢で幅広い表現力を持っていることからヴァルヒャは多くの録音にこの楽器を用いた。

しかしヴァルヒャも晩年修復されたオリジナル楽器を使って『平均律』を録音しなおしたし、シェリングと協演したバッハの『ヴァイオリン・ソナタ』全曲のセッションでもオリジナルを演奏している。

J.S.バッハの数多い組曲の中でも『パルティータ』にはそれまでの舞曲の組み合わせという様式に囚われないシンフォニア、ファンタジア、カプリッチョあるいはブルレスカ、スケルツォなどの新しいエレメントが入り込んでいて、それだけにバッハの自由闊達で手馴れた作曲技法が駆使されている。

ヴァルヒャの演奏は一見淡々としているようで、突き進むような情熱が隠されている。

それは彼の哲学でもある、バッハが書き記した音符をくまなく明瞭に伝えるという使命感に支配されているからで、書法を曖昧にするような表現、例えばテンポ・ルバートや過度な装飾は一切避けている。

こうした妥協を許さない理路整然とした演奏を聴いていると、あたかもバッハの手稿譜が目の前に現れるような感覚に襲われる。

ヴァルヒャの奏法はオルガンを弾く時と基本的に同様で、楽器の特徴を聴かせるというよりは、むしろバッハの音楽の再現に自己と楽器を奉仕させるということが大前提になっているような気がする。

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2015年11月20日


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この演奏で最も注目すべき点は、ソロを弾くラインホルト・バルヒェットが飾り気のない、すこぶる流麗でシンプルな解釈を示していることで、これによってバッハの書法が真摯に再現されている。

モダン奏法によるバルヒェットのヴァイオリンとチェンバロによるセッションだが、聴き込んでいくと装飾音の扱いなどからバルヒェットがいかに古楽を良く研究していたかが理解できる。

当時まだ古楽の黎明期にあって、本来のバッハの音楽表現に相応しい演奏を試みている稀なヴァイオリン・ソナタ集だ。

ヴァイオリンの大家が弾く、風格はあるがバロックの室内楽としての魅力からはいくらか乖離した演奏とは異なり、モダン奏法によるバッハの音楽に対する無理のない再現と、その両立にも成功している例ではないだろうか。

それは良い意味での中庸の美で、古楽がピリオド楽器及びピリオド奏法によって演奏されることが当然になった現在では、得難いサンプルとしての価値を持っている。

バルヒェットのソロに花を添えているのがヴェイロン=ラクロワのチェンバロで、その軽妙洒脱な奏法がこの曲集をより親しみ易いものにしている。

このセッションで彼が使用しているのはクルト・ヴィットマイヤー製作のモダン・チェンバロで、確かにピリオド楽器に慣れた耳には時折音色が厚かましく感じられることがあるにせよ、彼はレジスターを巧みに操作して楽器の弱点をカバーしている。

個人的に話になるが、筆者がクラシック音楽に親しみ始めた少年の頃、毎週日曜日の朝NHK.FMから放送されていた角倉一郎氏の解説による『バッハ連続演奏』というラジオ番組があって、ある時彼がこの演奏を採り上げていた。

それがこの録音を知った最初の体験で、今でも印象深く記憶に残っている。

エラート音源の3枚組のLPは、その後長い間廃盤の憂き目に遭っていたが、一度日本でCD化され更に2009年にワーナー・ミュージックとタワー・レコードのコラボによってデトゥール・コレクションのひとつとして2枚組の廉価盤で復活したものがこのセットだ。

なお偽作を含む通奏低音付のBWV1021から1024の4曲のソナタではチェロのヤコバ・ムッケルが参加している。

録音は1960年頃という表示があり、現代ピッチのa'=440Hzを採用している。

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2015年10月28日


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ジュリアーノ・カルミニョーラが1999年から2002年にかけてソニーに録音したCD7枚をまとめたセットで、バジェット価格でのリイシュー化を評価したい。

中でも彼の音楽性が最も高次元で表出されているのは、やはりヴィヴァルディの協奏曲集だ。

尽きることのない作曲家のファンタジーが、カルミニョーラの比較的シンプルなカンタービレやあらゆるヴァイオリンのテクニックを駆使した激情的な表現手段によって効果的に示されているが、それらが彼の情熱のごく自然な発露として噴出しているのが秀逸だ。

それに続くロカテッリの『ヴァイオリンの技法』はそれぞれの協奏曲に長大な超絶技巧のカデンツァを挿入した協奏曲集で、言ってみれば当時の最高峰の秘伝的奏法をカルミニョーラの美しい音色と理想的な演奏で聴けるのは幸いだが、そこには後のパガニーニが『24のカプリース』で試みた、殆んど技巧のための技巧の曲集といった、時としてくどい印象が残るのも事実だろう。

アンドレア・マルコン指揮、ヴェニス・バロック・オーケストラのスリリングで気の利いたサポートも特筆される。

意外だったのがバッハのヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのための6曲のソナタで、カルミニョーラは抑制を効かせながらも流麗に、しかも誠実に弾いている。

チェンバリストのアンドレア・マルコンもレジスターを使った音色の変化を控えめにして、ソナタの曲想や対位法の忠実な再現に心掛けているように思える。

この曲集はいずれのパートにも一切ごまかしのきかない厳格なアンサンブルが要求され、また彼らが得意とする即興演奏の余地もないが、2人のイタリア人がピリオド楽器で演奏するバッハとして非常に高い水準であることは確かだ。

尚最後の1枚はリュート奏者のルッツ・キルヒホフを迎えた4曲のトリオ・ソナタ集で、ヴァイオリンと相性の良いリュートの響きが耳に心地良く、キルヒホフの堂に入った奏法も聴きどころだ。

全体的に音質は極めて良好。

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2015年09月21日


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本盤に収められたバッハのゴルトベルク変奏曲は、鬼才とも称されたグールドによる最後のスタジオ録音である。

グールドは、かなり以前から公の場での一切のコンサートを拒否してきたことから、本演奏はグールドによる生涯における最後の演奏ということにもなるのかもしれない。

グールドは1955年に、ゴルトベルク変奏曲のスタジオ録音によって衝撃的なデビューを遂げたことから、偶然であったのか、それとも意図してのことであったのかは不明であるが、デビュー時と同じ曲の演奏によってその生涯を閉じたと言えるところであり、これはいかにも鬼才グールドならではの宿命のようなものを感じさせるとも言える。

実際に新旧両盤を聴き比べてみるとかなりの点で違いがあり、この間の26年間の年月はグールドにとっても非常に長い道のりであったことがよくわかる。

そもそも本演奏は、1955年盤と比較すると相当にゆったりとしたテンポになっており、演奏全体に込められた情感の豊かさや彫りの深さにおいてもはるかに凌駕している。

斬新な解釈が売りであった1955年盤に対して、本演奏は、もちろん十分に個性的ではあるが、むしろかかる斬新さや個性を超越した普遍的な価値を有する演奏との評価が可能ではないかと考えられる。

いずれにしても本演奏は、バッハの演奏に心血を注いできたグールドが人生の終わりに際して漸く達成し得た至高・至純の境地にあると言えるところであり、本演奏の持つ深遠さは神々しいとさえ言えるほどだ。

まさに、本演奏こそはグールドのバッハ演奏の集大成とも言うべき高峰の高みに聳える至高の超名演と高く評価したい。

これほどの歴史的な超名演だけに、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきているが、ベストの音質はシングルレイヤーによるSACD盤である。

音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、殆ど驚異的であるとさえ言える。

グールドの鼻歌までが鮮明に再現される本SACD盤こそ、グールドの至高の芸術を最も鮮明に再現しているものとして大いに歓迎したい。

いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をシングルレイヤーのSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年09月17日


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1978年にベルギーで行われたセッションで、トラヴェルソが加わるバロック後期の5人の作曲家の作品を収録している。

演奏者パルナッスス・アンサンブルは1970年に結成された古楽器奏者の5人のメンバー、バロック・ヴァイオリンのヤンネーケ・ヴァン・デア・メーア、トラヴェルソのバルトールド・クイケン、バロック・オーボエのパウル・ドムブレヒト、バロック・チェロのリヒテ・ヴァン・デア・メーア、チェンバロのヨハン・フイスから構成されている。

この時期は古楽復興の黎明期であり、まだピリオド楽器とその奏法の復元が模索されていた。

バロック・ブームと言ってもその頃はモダン楽器か、一部古楽器を取り入れた混合編成のアンサンブルが主流で、これらの作品が作曲された時代の音響の再現に興味を抱いた人はクラシック・ファンの中でもごく一部に過ぎなかった筈だ。

それにも拘らずこの曲集では、それまで余り知られていなかったレパートリーを作曲者の時代のスピリットさえも感知させる質の高い演奏と響きを再現している。

そうした研究が彼らの出身地ネーデルランドを中心に確立されたことが、古楽の故郷と言われる所以だろう。

録音機器を一新する前のアクサン・レーベルのCDなので、臨場感では現在のものにやや劣るが音質の点では及第点だ。

5曲の中でも特に彼らがアンサンブルの実力を発揮していると思われるのが、ヤーニチュとヨハン・クリスティアン・バッハの2曲で、前者は対位法に織り込まれたバロック後期特有の憂愁を湛えている。

彼は大バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエルがチェンバロを弾いていたフリードリッヒ大王の宮廷楽壇のメンバーの1人だっただけに、優れた室内楽を多く残していて、このヘ長調の四重奏曲は弦楽に管楽器を取り入れた彼の典型的なスタイルで書かれている。

ヤーニチュの作品集自体それほどリリースされていないが、この曲は現在までに録音された彼のカルテットの中でも最も美しいサンプルと言っても過言ではないだろう。

一方バッハの末っ子ヨハン・クリスティアンの作品は既に古典派をイメージさせる明快な和声と屈託のない曲想が特徴で、ギャラント様式の軽快な装飾も心地良い。

こうした音楽はある程度の洒落っ気が欠かせないが、彼らの演奏は古楽の研究者というイメージから離れた親しみ易さがあり充分に愉しませてくれる。

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2015年09月16日


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アーノンクールがレオンハルトと共にピリオド楽器によるバッハの受難曲やカンタータを集中的に録音していた当時の貴重な映像のひとつで、彼特有の鋭利な解釈がバッハの『ヨハネ受難曲』の特徴を浮き彫りにしている。

それは演奏形態も大規模で壮麗な『マタイ』の抒情性に比較してより劇的なエレメントが集約されていることだろう。

福音史家のレチタティーヴォにも細かな音形がしばしば現れ、その感情の高揚をつぶさに伝えている。

アーノンクールのテンポもやや速めの設定で全体を114分でまとめているが、場合によっては間髪を入れずひとつの曲から次の曲に移るという手法が取られていて、それだけに引き締まった緊張感が第40曲の最後のコラールまで失われることがないのは流石だ。

またコーラスの占める比重が重く、バッハがこの曲でコーラスを優位に立たせ、その表現力を自在に使いこなして物語を進めるテクニックを駆使していたことも興味深い。

ここではテルツ少年合唱団と彼らのOBに当たる男声合唱団総勢30名余りの良く統制された、しかし情熱的な歌唱が聴きどころだ。

ソリストでは福音史家のクルト・エクヴィルツの歌詞を掘り下げた明確なレチタティーヴォに強い説得力があるし、またバスのアントン・シャリンガーの温かみのある声と真摯な歌唱にも好感が持てる。

アーノンクールはソプラノとコントラルトのソロにテルツ少年合唱団のピックアップ・メンバーを採用しているが、2人のボーイ・コントラルト、クリスティアン・インムラーとパナヨティス・イコノムーはいずれも秀逸。

特にイコノムーはこの録音当時まだ14歳だった筈だが、声の陰翳の付け方から感情の表出までとても子供とは思えない高い音楽性を持っていて驚かされる。

現在ではどちらもバス・バリトン歌手としてオペラの舞台や宗教曲の演奏に活躍しているというのも当然だろうが、またこうした歌手を輩出するテルツの持つ実力にも頷ける。

リージョン・フリーで画像の質は良好だ。

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2015年09月12日


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ベルギーのトラヴェルソ奏者で、ヨーロッパ古楽界を担うクイケン3兄弟の1人バルトールド・クイケンがカナダのピリオド・アンサンブル、アリオンを指揮したバロック組曲集で、2001年にケベックで録音されている。

演奏曲目はいずれもバロック盛期の作曲家4人の管弦楽のための組曲で、このうちヨハン・ベルンハルト・バッハ(1676-1749)の組曲ト短調はヴァイオリン・ソロ、そして大バッハの管弦楽組曲第2番ロ短調はトラヴェルソ・ソロが加わるが、バロック・ヴァイオリンはコンサート・マスター、シャンタル・レミヤール、トラヴェルソはクイケン門下のクレール・ギモンが受け持っている。

この曲集の選曲の面白いところは、17世紀末にルイ王朝の宮廷でリュリを中心とする作曲家達によって形成されたオペラやバレエ用序曲付管弦楽組曲が、ドイツでどのように発展したか俯瞰できることで、勿論ここに収録された4曲は総てがドイツ人の作品になる。

もうひとつ興味深い点はバッハ・ファミリーから大バッハと彼の又従兄ヨハン・ベルンハルトの曲を採り上げたことで、同時代の作曲家としてお互いに影響しあった彼らの作風と、その違いも明瞭に表れている。

近年の研究では大バッハのロ短調組曲は、当初トラヴェルソではなくヴァイオリン・ソロで構想されたという説もあり、その意味でも比較の対象に相応しい選曲だろう。

全曲とも符点音符でアクセントを強調した序奏と速いフガートが交替する、いわゆるフランス風序曲に続く舞曲を中心とする個性的ないくつかの小曲によって構成されている。

バルトールド・クイケンが自ら指揮をした曲はそれほど多くない筈だが、流石に若い頃からグスタフ・レオンハルトの下で豊富なアンサンブルの経験を積んだだけあって、解釈が手堅くやはりネーデルランド派の古楽様式を引き継いでいるが、それぞれの曲の個性も充分に引き出している。

J.S.バッハの管弦楽組曲第2番でのクレール・ギモンの飾り気のない清楚なトラヴェルソにも好感が持てる。

クイケン兄弟が要になるラ・プティット・バンドは2012年に大バッハの管弦楽組曲全集の2回目の録音を果たし、そちらではクイケン自身がトラヴェルソを吹いているが、速めのテンポでシンプルな解釈はこのCDの演奏に近いものになっている。

アトマ・レーベルのCDの音質は極めて良好で、録音会場になったサントギュスタン教会の豊かな残響の中にも古楽器の鮮明な響きを捉えている。

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2015年09月01日


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ジャン=フランソワ・パイヤールがこの協奏曲集を録音したのは1973年で、現在でこそバロック音楽の演奏形態では主導権を握っているピリオド楽器のアンサンブルは、当時はまだ古楽の再現を模索していた時代で、ごく一部の聴衆しか獲得していなかった。

その頃既に全盛期を迎えていたのがモダン楽器による演奏だった。

その草分け的な存在がパイヤール室内管弦楽団で、ジャン=フランソワ・パイヤールによって1953年に創設されたジャン=マリー・ルクレール器楽合奏団を母体として59年に結成された。

彼らの品のある大らかなサウンドはバロック・ブームの隆盛にも大きく貢献したが、中でもソリストに名手を揃えたバッハのブランデンブルク協奏曲集は一世を風靡した画期的な録音だった。

リヒター、ミュンヘン・バッハ管弦楽団のような厳格に統率された厳しさこそないが、より開放的で屈託のない表現と垢抜けた音響に惹かれたファンも多かった筈だ。

ここに彼らの演奏をお薦めするのは懐古趣味ではなく、一時代を築いた音楽家達の情熱とその洗練を極めた演奏に聴くべき価値があると思うからで、難解な理論を振りかざすことなく常に彼らの柔軟な感性に沿って平明な音楽の再現に務めた姿勢は、忘れ去られてしまうには余りにも惜しい。

その後モダン・バロックの衰退と共にパイヤールも他のレパートリーを開拓することになるが、この6曲は彼らが頂点にあった頃の演奏を刻んだ贅沢な記録でもある。

廉価盤なのでリーフレットに曲目データ、演奏者とアンサンブルについての簡易な紹介が印刷されているだけだが、幸い音質は良好な状態に保たれている。

当時の話題のひとつが第1番の第1ホルンをモーリス・アンドレが吹いていることだった。

第2番で彼はピッコロ・トランペットを演奏しているが、このあたりのキャストにも融通性があり、彼のホルンもなかなかの熱演だ。

また第3番第2楽章の即興による短いカデンツァと第5番のチェンバロ・ソロはアンネ=マリー・ベッケンシュタイナーで、彼女はパイヤールの通奏低音奏者としても個性的なモダン・チェンバロの響きを聴かせている。

その他にもフルートのランパル、オーボエのピエルロ、ヴァイオリンのジャリなど当時のフランスの名手を揃えたオール・スター・キャストのスタイリッシュな演奏を楽しむことができる。

尚第1番でバッハが指定したヴィオリーノ・ピッコロは通常のヴァイオリンで、第2番と第4番の笛のパートはリコーダーではなくベーム式フルートで、そして第6番のヴィオラ・ダ・ガンバのパートはチェロで演奏されている。

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2015年08月30日


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1971年5月のシュヴェツィンゲン音楽祭からのライヴ録音で、当日はシュタルケルとチェコのチェンバリスト、ズザナ・ルージチコヴァーとのデュオ・リサイタルからJ.S.バッハのオブリガート・チェンバロ付のヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ第1番ト長調BWV1027及び第3番ト短調BWV1029の2曲と、シュタルケルが無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調BWV1011、ルージチコヴァーが『半音階的幻想曲とフーガニ短調』BWV903をそれぞれ演奏したオール・バッハ・プログラムの一晩の模様が収録されている。

ヘンスラーからリリースされている過去の放送用音源はいずれも録音、保存状態が共に良好で、このライヴも良質のステレオ録音になり客席からの雑音や拍手は皆無だ。

尚ガンバ・ソナタに関しては、6年後に彼らはプラハで全曲セッション録音も行っているので、このデュオ・リサイタルがきっかけになっているのかも知れない。

またシュタルケルはマーキュリー時代にハンガリーの盟友ジェルジ・シェベックとピアノ伴奏盤も残しているし、ルージチコヴァーはフッフロやフルニエとも録音し、その後スークの弾くヴィオラと同曲集をスプラフォンからもリリースしているので、両者にとっても重要なレパートリーだったようだ。

圧巻は何と言ってもシュタルケルの弾く無伴奏チェロ組曲第5番で、改めて彼の真摯で飾り気のない、しかし覇気と深みのある演奏に聴き入ってしまった。

音楽的な構造を弾き崩すことなく明確に感知させながらも自由闊達さを失わない彼の表現は、書道で言えば楷書でも草書でもなく、行書に例えられるのではないだろうか。

プレリュードに続く一連の舞曲も本来の舞踏のスピリットを感じさせるし、また緩徐部分では歌い過ぎることなく、張り詰めた緊張感を保ち続けている。

ステージ上での彼は泰然自若としてあたかも禅僧のように半眼で演奏していたことが思い出されるが、第5番はスコルダトゥーラ調弦なので演奏技術も変則的になる筈だ。

しかしそのパワフルで幅広い表現力は並大抵のものではなく、ここでもやはりライヴ特有の覇気に満たされた、はじけるような擦弦音や激しいボウイングの音が捉えられている。

ルージチコヴァーはシュタルケルと同様に古楽だけでなく現代音楽にも造詣の深いチェンバリストだが、こうした彼女のフレッシュな解釈と大胆なレジスターの処理がシュタルケルのチェロに拮抗して斬新な効果をもたらしている。

彼女の使用楽器は常にモダン・チェンバロで、特にソロにおいてはヒストリカル楽器を聴き慣れた耳にはやや厚かましく響くかも知れない。

それ故ガンバの幽玄な響きには明らかに適さないが、このロココ劇場内で響くチェロとの音量のバランスは妥当で、それほど違和感なく鑑賞することができる。

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2015年08月28日


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本作は、イタリア・バロックを中心に録音を行ってきたイル・ジャルディーノ・アルモニコが、バッハの名曲に挑戦したアルバムで、躍動感あふれるバッハ作品が堪能できる1枚。

ジョヴァンニ・アントニーニ率いるイル・ジャルディーノ・アルモニコが手掛けたバッハの『ブランデンブルク協奏曲』全曲集で、ごく最近復活したリイシュー盤になる。

録音は1996年から翌97年にかけてスイスのルガーノで行われ、ソロ楽器のエクストラを含めるとメンバーは総勢24名の大所帯だが、現在ソリストとしての活動が目覚しいバロック・ヴァイオリニストのエンリーコ・オノーフリもヴィオリーノ・ピッコロ、ヴァイオリン、ヴィオラで、また指揮者アントニーニ自身もリコーダーとトラヴェルソを演奏して八面六臂の活躍をしている。

『ブランデンブルク協奏曲』も今やピリオド・アンサンブルによる演奏が主流になってその選択肢も多いが、彼らの解釈は昨年リリースされたカルミニョーラのソロによるバッハのヴァイオリン協奏曲集に通じる開放的でドラマティックなイタリア趣味に支配されている。

ただ筆者自身は彼らの他の演奏から想像されるようなもっとラディカルなものを期待していたためか、いつものような新奇さはそれほど感じられなかった。

確かにバッハの場合、彼らが得意とする自在なテンポ設定や即興的な要素がある程度制限されてしまうのかも知れない。

ピリオド楽器の中でも管楽器はその個性的な音色に魅力がある。

第1番はナチュラル・ホルンの野趣豊かな響きを全面に出した音響を堪能できるし、第2番では以前使われていた小型のトランペットではなく、ヒストリカル楽器が使用されていて、音色もマイルドで他の楽器、例えばリコーダーやヴァイオリンなどを圧倒しない奥ゆかしさがある。

第3番の第2楽章でバッハはふたつの和音しか書き込まなかったが、オノーフリが短い即興的なヴァイオリンのカデンツァを挿入している。

また第5番では第2楽章のヴァイオリン、トラヴェルソとチェンバロの可憐な対話が美しいし、第6番では通奏低音としてチェンバロの他にリュートを加えて一層親密で和やかな雰囲気を醸し出している。

イル・ジャルディーノ・アルモニコは1985年にミラノで結成されたピリオド・アンサンブルで、若手奏者を中心に当時アーノンクール、レオンハルトやピノックの下で研鑽を積んだ経験者が参加している。

指揮者アントニーニ自身もまたレオンハルトと演奏活動を行っていたひとりだ。

テルデックの歴史的古楽レーベル、ダス・アルテ・ヴェルクから代表的なセッションがリリースされているが、最近ではチェチリア・バルトリやレージネヴァなどのアリア集の伴奏でも健在なところを見せているのが興味深い。

メンバーのそれぞれが由緒ある古楽器やそのコピーを使った古色蒼然としたサウンドに現代感覚を活かして解釈する斬新な表現に魅力がある。

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2015年08月27日


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ダヴィッド・フレーのヴァージン・クラシックスへのデビュー・アルバムで、新旧両作曲家の作品を交互に並べたカップリングはこれまでに余り例がないが、何事もないかのように続けられる演奏が彼のこだわりのない広い音楽観を良く表している。

しかもバッハとブーレーズの間にそれほど違和感を感じさせないのは、フレーの一貫した音楽性によって全曲が統一されているからだろう。

本盤におけるフレーの演奏はウェットで軽やかな詩情と洗練された音響に満たされている。 

バッハの作品では明るく開放的なフレーズが、軽やかな詩情に乗せて歌われるが、一面サラバンドのような緩徐楽章ではウェットでいくらか耽美的な雰囲気を醸し出している。

いずれにせよフレーの演奏は総てが彼なりに完璧に料理されていて、その特徴はバッハに関しては最低限バロック的なルールを守りながら、対位法の旋律に溢れんばかりの感性を託して歌っていることだろう。

バッハの鍵盤楽曲の中では最も自由な発想で書かれた『パルティータ第4番』では、そうした可能性が最大限発揮されている。

彼が最近リリースしたCDも2曲の『パルティータ』であり、こうした選曲は決して偶然とは思えない。

一方ブーレーズの2曲は彼が作曲家自身から演奏についての助言を受けたもので、こちらにもフレーの表現上のエッセンスがそれぞれの曲に良く反映され、洗練された透明な音響を作り出している。

それは決して奇をてらった押し付けがましい解釈ではなく、自然に聴き手を自分の方に誘導するすべも知っているようだ。

若手だが既に演奏表現に対するしっかりしたポリシーを持っていて、しかも大らかで無理のない表現力とレパートリーを限定してじっくり取り組む姿勢から、将来を期待できるピアニストの1人であることが窺われる。

同世代のドイツの若手、マーティン・シュタットフェルトとは全く違うタイプのユニークな存在として評価したい。

尚これからこのCDを購入したい方は、バッハのピアノ協奏曲集とセットになってプライス・ダウンされた2枚組の方をお薦めする。

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2015年08月14日


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昨年2014年はカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの生誕300周年に当たり、彼にちなんだコンサートの開催や作品集のリリースも盛んに行われた。

オランダのブリリアント・レーベルからはCD30枚のエディションも刊行されたが、このフルート・ソロと通奏低音のためのソナタ全曲集も同エディションに組み込まれた2枚をピックアップしたもので、2012年及び翌13年に収録されたヴェンツとしては久々のCDになる。

彼の若い頃の演奏はロカテッリのソナタ集に代表されるような、名技主義を前面に出したおよそ古楽とは思えないような疾走するテンポが特徴で、クイケン門下の異端児的な存在だったが、ここ数年超絶技巧は残しながらも様式に則ったよりスタイリッシュな演奏をするようになったと思う。

この曲集も流石に大バッハの次男の作品だけあって、豊かな音楽性の中にかなり高度な演奏上のテクニックが要求される。

ヴェンツを強力に支えているのがチェンバロのミハエル・ボルフステーデで、ムジカ・アド・レーヌムの長い間のパートナーとして絶妙なサポートをしている。

2枚目後半での彼のフォルテ・ピアノのダイナミズムも聴きどころのひとつだ。

今回ヴェンツの使用したトラヴェルソは最後の3曲がタッシ・モデル、それ以外はノーストの4ジョイント・モデルで、どちらもシモン・ポラックの手になるコピーだ。

ピッチはa'=400Hzの低いヴェルサイユ・ピッチを採用している。

これはそれぞれの宮廷や地方によって統一されていなかった当時の、ベルリン宮廷で好まれたピッチで、ムジカ・アド・レーヌムもこの習慣を踏襲している。

またボルフステーデは2枚目のWq131、133及び134の3曲には漸進的クレッシェンドが可能なフォルテピアノを使って、来るべき新しい表現を予感させているが、この試みは既にヒュンテラーの同曲集でも効果を上げている。

尚このソナタ集には無伴奏ソナタイ短調が入っていない。

ヴェンツは大バッハの無伴奏フルート・パルティータは既に録音済みだが、この曲もやはり非常に高い音楽性を要求されるレパートリーだけに将来に期待したい。

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、27年間に亘ってプロイセンのフリードリッヒ大王の宮廷チェンバリストとして奉職したために、大王のフルート教師クヴァンツや大王自身の演奏に常に参加して彼らの影響を少なからず受ける立場にあった。

しかし作曲家としては彼の革新的な試みが不当に評価されていて、俸給はクヴァンツの年2000タラーに対して若かったとは言え彼は300タラーに甘んじなければならなかった。

当時のプロイセンでは2部屋食事付ペンションの家賃が年100タラー、下級兵士の年俸が45タラーだったので決して低い額とは言えないが、クヴァンツが如何に破格の待遇を受けていたか想像に難くない。

カール・フィリップ・エマヌエルが作曲したフルート・ソナタには他にもオブリガート・チェンバロ付のものが10曲ほど残されているが、さまざまな試みが盛り込まれた音楽的に最も充実していて深みのある曲趣を持っているのはここに収められた11曲の通奏低音付ソナタだろう。

ソロと低音の2声部で書かれたオールド・ファッションの書法で、通常チェロとチェンバロの左手が通奏低音を重ねて右手が和声補充と即興的なアレンジを施すことになるが、このCDでも彼らはそのオーソドックスなスタイルを遵守している。

最後の第11番を除いて緩急のふたつの楽章に舞曲を加えた3楽章形式で、終楽章は通常ヴァリエーションで曲を閉じている。

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2015年08月10日


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このDVDは以前レーザー・ディスクでリリースされた1988年の東京カザルス・ホールでのライヴ映像で、バッハの『無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調』、カサドの『無伴奏組曲』そしてコダーイの『無伴奏ソナタ』の3曲を収録している。

シュタルケルはこの時64歳だったが、その演奏はかくしゃくとして剛毅で正確無比、また一方で高度な遊び心をもみせる余裕に驚かされる。

演奏中、目は殆んど半眼に閉じて楽器も指も見ていないし、顔も無表情に近く、あたかも無我の境地にあるかのようだが、そこに燃えるような集中力が宿っていて、一人の芸術家が到達した峻厳の高みを垣間見る思いがする。

これらの作品にはチェロのあらゆるテクニックが使われていて、素人目に見ても弦を左手の親指で押さえたり、複雑な運弓など技術的な完璧さが求められることが理解できるが、総ての曲が無伴奏であるために、音楽の内側へと凝縮していく彼の凄まじいばかりの精神力を感じずにはいられない。

シュタルケルはバッハの『無伴奏チェロ組曲』全曲を生涯に4回ほど録音していて、このライヴの4年後に彼の最後の全曲録音を行っている。

勿論その度ごとに彼の解釈も変化しているので、この曲集に託したシュタルケル自身の研鑽が生涯を通して続けられたと言えるだろう。

バロック音楽にも造詣の深い彼が、それぞれの舞曲に洗練された表現を聴かせてくれるが、決して恣意的にならないところにもバッハへの確固たるポリシーが貫かれている。

3曲目はハンガリー出身の彼が、コダーイ自身から薫陶を受けた秘曲だけに独壇場の凄みと迫力を持っている。

確かにマジャール人としての誇りを持つ真に迫った演奏には違いないが、この作品もカサドの組曲も彼によって民族性を超越した普遍的な価値を持つ音楽に昇華されているところに意義があるのではないだろうか。

このコンサートが催されたカザルス・ホールは1987年にオープンした日本でも本格的な室内楽専用のコンサート・ホールで、ユルゲン・アーレントによって製作されたバロック・オルガンは世界に誇るべき楽器であるにも拘らず、2010年4月以降会場は閉鎖されて宝の持ち腐れになっている。

カザルス夫人の意志を継いだ命名だけに文化大国日本の名誉に賭けてもコンサートの再開に向けての努力が望まれる。

尚DVDはパルナッススからのリイシューになり、ライナー・ノーツもなければ録音データにも乏しいところがアメリカのレーベルらしいが、リージョン・フリーでこのライヴが復活したことは評価したい。

画像に若干の揺れが見られるが概ね良好で音質も鮮明だ。

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2015年08月05日


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当時のFM東京の音源は2002年に初出の際、レギュラー・フォーマットのCD2枚組でリリースされた。

これは本当に凄いバッハで、初めて聴いた時、筆者はシェリングの傑出した表現力とそれを支える万全なテクニック、そしてその鮮烈な音質に驚いたものだが、その後リイシュー盤を出しながらもこれらのCDは既に廃盤の憂き目に遭っている。

今回のSACD化では音場の広がりとそこから醸し出される空気感がより立体的な音像を提供しているのが特徴と言えるだろう。

尚前回余白に収められていたシェリング自身の語りによるバッハ演奏のためのヴァイオリン奏法や解釈についてのコメントは省略されている。

本番に強かったシェリングはスタジオ録音の他にも多くのライヴで名演を残しているが、中でも最も音質に恵まれているのは間違いなくこのSACDだろう。

当日のプログラムは彼の生涯の課題とも言うべきバッハの作品のみを取り上げた興味深いもので、完璧主義者のシェリングらしく演奏は精緻でバッハの音楽構成と様式感を明瞭に再現しながらも、ライヴ特有の高揚感と熱気が間近に感じられる。

実演に接した人の話のよると、シェリングのヴァイオリンの美音が冴え、バッハにしては甘美すぎるのではないかという印象があったらしいが、この録音ではそういう感じはまったくなく、しなやかで明るく、洗練された雰囲気を漂わせた親しみやすいバッハになっている。

スケールも一段と大きく、シェリング得意の美音で、実に厳しく清澄で、豊麗、流麗なバッハを聴かせてくれる。

厳格一点ばりのバッハではなく、厳格さのなかにヒューマンな感情があり、そこが人々が支持するゆえんであろう。

シェリング気迫と円熟の至芸であり、その一点一画もゆるがせにしない音楽の作り方は、一貫した力に満ちた真に辛口の音楽とでも言えるところであり、レコード並みの完璧さでありながらライヴならではの感興の盛り上がりに聴き手は息もつくことができない。

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番も冒頭から終曲まで異常な求心力で演奏される。

中でも終曲シャコンヌは、音楽的に全く隙のない構成力とそれを余すところなく聴かせる表現の巧みさ、そして緊張感の持続が最後の一音まで貫かれていて、最後の一音が消えると、この世ならざる感動に満たされ、演奏が終わった時に聴衆が息を呑む一瞬が印象的だ。

このシャコンヌを聴くと、シェリングが作品のひとつひとつの音のもつ意味というものを、いかに考えているかがよくわかる。

2曲のソナタのピアノ・パートは彼としばしば共演したマイケル・イサドーアで、控えめながら端正で確実な演奏が好ましい。

このようなライヴが、かつて日本で存在したことにも感謝したい。

また、シングルレイヤーによるSACD化により音質も大変良くなり、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

シェリングのヴァイオリンの弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、まるでシェリングが顔前にいるかのようなリアリティさえ感じられ、あらためてSACDの潜在能力を思い知った次第だ。

いずれにしても、1976年の日本での偉大なコンサートがこのような最上の音質で聴けることを大いに喜びたい。

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2015年08月02日


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名匠オスカー・シュムスキー(1917-2000)の本邦初のソロ・アルバム(国内盤は既に廃盤)が本盤に収められたバッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ》であった。

シュムスキーは1917年フィラデルフィア生まれ。8歳のときストコフスキーの招きで、フィラデルフィア管弦楽団とモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番を弾いてデビュー、神童と騒がれた。

その後アウアー、ジンバリストに師事し、NBC交響楽団団員、プリムローズ弦楽四重奏団の第1ヴァイオリンなどを経て、1959年には指揮者としてもデビュー。当録音の行われた1975年からイェール大付属音楽学校で教鞭を執っている。

バッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ》は、作曲されてから約300年が経っているにもかかわらず、今なお世界のヴァイオリニストが弾きこなすのを究極の目標とするというのは殆ど驚異である。

しかも、無伴奏のヴァイオリン曲という分野でも、このバッハの曲を超える作品は未だに存在しておらず、おそらくは、今後とも未来永劫、無伴奏のヴァイオリン曲の最高峰に君臨する至高の作品であり続けるものと思われる。

1つの楽器に可能な限り有効な音を詰め込み、表現の極限に挑戦したバッハの意欲的な創作と、調性による曲の性格の違いを明確に描かなければならない難曲でもある。

そのような超名曲だけに、古今東西の著名なヴァイオリニストによって、これまで数多くの名演が生み出されてきた。

そのような千軍万馬の兵たちの中で、シュムスキー盤はどのような特徴があるのだろうか。

本演奏でシュムスキーが奏でる1715年製のストラディヴァリウス“エクス=ピエール・ロード”の瑞々しい響きは実に豊かだ。

そしてその美しい響きが織り成すバッハの音楽が、いかに若々しく精神的に充実していることか。

シュムスキーの年季の入ったテクニックは見事で、いかなるパッセージも苦もなく弾き進む。

しかも、そこにはいわゆる難曲を克服するといった観はみじんもなく、聴き手のイマジネーションを大きくふくらませてくれる、スケールの大きなバッハだ。

これは言葉のもっともよい意味での「模範演奏」と言えるものとして高く評価されてしかるべきである。

たとえば〈シャコンヌ〉では、ヨーロッパで19世紀以来培われてきた「伝統的」な演奏法のエッセンスがこのなかに結実している。

逆に「古楽器派」の人にはそこが癪にさわるのも、まあわからなくもない。

世評の高いミルシテイン盤と比較してみると、ミルシテインのバッハを大理石の彫像とするなら、シュムスキーの演奏は木彫りのイエス像である。

前者の音はどこまでも磨き抜かれ、ボウイングに一切の淀みはなく、造型は限りなく気高い。

一方、後者は、ノミの一打ち一打ちに「祈り」が深く刻まれた音で、鮮やかな刃跡の何という力強さ、自在さ。

これぞ、名匠中の名匠の技と言えるところであり、瞼を閉じて聴こえてくるは、百万会衆の祈りの歌。

愛称「ケンブリッジの公爵」から紡ぎだされる悠久のフレージングは、遥かな歴史をも語っている。

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2015年08月01日


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このCDではハンガリーの中堅古楽奏者2人、トラヴェルソのチャーログと鍵盤楽器奏者のシュパーニが、バッハの真作と認められている4曲のフルート・ソナタを採り上げている。

また音響の点でも現代の音楽ホールなどの広い空間で行うセッションとは全く異なった、宮廷でのプライベートなコンサートや友人達や音楽仲間の集いで演奏されたであろう、ごくインティメイトで奥ゆかしい音楽が再現されているところに特徴がある。

潤沢な響きに慣れた耳にはその素朴さにもの足りなさを感じるかも知れないが、ピリオド楽器とその奏法で綴ったデリケートな音楽語法と古風な音色は、バッハが作曲していた時代の音響感覚を探るためのサンプルとして興味深いものがある。

このセッションで特に彼らの工夫がみられるのは使用楽器の選択で、現在バッハのフルート・ソナタをピリオド楽器で演奏したCDは枚挙に暇がないが、当時の演奏習慣や可能性を考慮して、この録音では双方が2種類の楽器を使い分けている。

先ずホ長調BWV1035とホ短調BWV1034の2曲には、18世紀初頭の製作者不明のトラヴェルソのコピー及び1770年製のサクソン・モデルのクラヴィコードが用いられピッチはa'=408Hz。

一方イ長調BWV1032と大曲ロ短調BWV1030では、トラヴェルソが1740年製のクヴァンツ・モデルと1749年製のゴットフリート・ジルバーマン・モデルのフォルテピアノが使われていてこちらのピッチはa'=415Hzと微妙に異なっている。

古楽器コレクターとしても知られるシュパーニはこれらの楽器をライナー・ノーツに写真掲載している。

ラメーは古楽専門のドイツの新レーベルで、ここ数年間にレベルの高いユニークな演奏のCDを多くリリースしているが、ジャケットの装丁にも凝っていて、このCDではデジパックの前面に18世紀に使用されたダイヤル式マイクロ・メーターの写真が印刷されている。

3面の折りたたみで綴じ込みのライナー・ノーツには2人の演奏者それぞれによる、楽器とその響きへの考察が書かれていて、彼らがふたつの楽器の間にどのような音響とバランスを考えてこの録音に臨んだかが理解できるが、入門者向けとは言えないだろう。

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2015年07月26日


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ここに収められたCD26枚のバッハの教会カンタータ集は以前アルヒーフから同内容でリリースされ、既に法外なプレミアム価格で扱われているもので、今回のユニヴァーサル・イタリーによる全歌詞付126ページのブックレットを伴ったバジェット盤企画の快挙を評価したい。

尚BWV26及びBWV51でのソプラノは前者がウルズラ・ブッケル(1966年)、後者がマリア・シュターダー(1959年)が歌った旧録音の方が採用されている。

カール・リヒターは1959年からこのカンタータ集の録音に取り組み、その精力的な活動は78年まで続けられたが、彼が54歳の若さで他界しなければ、更に多くのセッションを遺してくれたであろうことが惜しまれる。

このセットには教会歴に従いながら75曲の作品が収録されていて、どの曲を聴いても生命力に漲るリヒターの強い個性が発揮された鮮烈な音楽が蘇ってくる。

それはリヒターの一途でひたむきな宗教観とバッハの音楽への斬新な解釈が、音源の古さを通り越してひとつのドラマとして響き渡るからだろう。

勿論リヒターの名を不動にした『マタイ』、『ヨハネ』の両受難曲や『ロ短調ミサ』などの大曲も彼の最も輝かしい演奏の記録には違いないが、彼はプロテスタントの教会で日常的に歌われるカンタータの研究の積み重ねによって、初めてバッハの宗教曲の本質が理解できるようになると考えていた。

確かにバッハが生涯に250曲もの教会カンタータを作曲したとすれば、それはバッハの全作品中最も高い割合で書かれたジャンルになり、如何に心血が注がれた作品群であるかが納得できる。

リヒターが指揮棒を握る時にはソリストやコーラスだけでなく、オーケストラにも彼の熱いスピリットが乗り移ったような統一感が生まれる。

この時代はまだ古楽の黎明期で、モダン楽器とピリオド楽器を混交させながらの奏法も折衷様式をとっているが、そうした条件を補って余りあるほどリヒターの演奏には不思議な普遍性がある。

リヒターの高い精神性に導かれた隙のない、そして全く弛まない緊張感が時代を超越して聴き手に迫る驚くべき手腕は流石だ。

リヒターはルター派の牧師の父を持ち、最初に音楽教育を受けた学校が宗教色の強い環境だったことも彼のその後の活動に色濃く影を落としている。

当然リヒターの少年時代にとって聖書講読や教会歴に沿った行事での演奏は、切り離すことができない生活の一部だったことは想像に難くないし、後のライプツィヒ聖トマス教会のオルガニストを始めとする教会でのキャリアは、バッハの研究者として彼に課された宿命的な仕事だったに違いない。

このカンタータ集は彼のバッハへの哲学が集約された音楽の森とも言うべき優れた内容を持っていて、将来に聴き継がれるべき演奏である筈だ。

特に新しいリマスタリングの表示はなく、足掛け20年に亘る音源なので、時代によって音質に若干のばらつきがあるのは致し方ないが、幸い全体的に鮮明で良質な音響空間が得られていて鑑賞に全く不都合はない。

ブックレットには詳細な曲目、演奏者及び録音データと、リヒターとバッハのカンタータについての英語解説、そしてオリジナルのドイツ語による全歌詞が掲載されている。

ボックス・サイズは13x13x6,5cmでシンプルなクラムシェル・タイプの装丁だが、品の良いコレクション仕様に好感が持てる。

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2015年07月23日


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LP時代初期、ヴィヴァルディの《四季》と並ぶ大ヒットを記録したバッハの《管弦楽組曲》。

ミュンヒンガーは、後発のレコードメーカーながらいち早くLPレコード製作に着手したデッカに成功をもたらした。

埋もれていた名曲《パッヘルベルのカノン》を世に出したのもミュンヒンガーで、バロック音楽ブームの火つけ役も担い、ローマ教皇やイギリス女王の御前でも演奏した。

ミュンヒンガーにとって3度目の当録音は、前2作よりも遅めのテンポで骨組みのしっかりした純ドイツ風の演奏になっている。

近年のバロック研究の成果として生まれた新たな解釈ではなく、オーソドックスなスタイルを根底においたバッハである。

ミュンヒンガーはバロック音楽作品を小編成のオーケストラで忠実に再現することにより、作品が持つテクスチュアそのものを浮き上がらせることに成功した指揮者だった。

だが、バロック音楽に飽き足らずフルオーケストラを志向し、シュトゥットガルト・クラシック・フィルを結成、そこでモーツァルトやベートーヴェンの交響曲を録音し、また、彼とシュトゥットガルト放送交響楽団との録音もある。

だが、ミュンヒンガーの名盤となるとバロック音楽を取り上げていたシュトゥットガルト室内管弦楽団のものになるだろう。

本盤に収められたバッハ《管弦楽組曲》、それに《ブランデンブルク協奏曲》《パッヘルベルのカノンーバロック音楽の楽しみ》は気品あるバロック音楽のスタンダードである。

ミュンヒンガーのバッハの演奏は、骨組みがドイツ的にがっしりしており、流麗で、しかも色調が渋く、古典的な香りをたたえているのが特色である。

この演奏も解釈そのものは、前2回の録音とほとんど変わりはないのだが、全体にややテンポを遅めにとり、丹念に仕上げており、音楽の内容がいちだんと円熟味と深みを増しているのが素晴らしい。

さらに今回は、今までの2回の録音よりも、響きと表情に丸みが加わり、柔らかくコクのある演奏になっている。

フルートにジャン=ピエール・ランパルではなくウィーン・フィルの首席フルート奏者、ヴォルフガング・シュルツを起用。

第2番のソロ・パートでウィーン風の洒脱な演奏が楽しめ、シュルツのテクニックも大変見事だ。

また、デッカから彼らのバッハの《管弦楽組曲第2番、第3番》と《ブランデンブルク協奏曲第2番、第6番》を1枚に収めたタイトルもリリースされている。

こちらは廉価盤シリーズでの発売なので比較的入手しやすく、ミュンヒンガー入門盤としてはお手ごろである。

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2015年07月22日


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フレーのバッハ演奏は、千変万化のディナーミクと絶妙なバランスが際立った名演である。

バッハの『パルティータ』特有の自由闊達な作曲技法と、それまでの様式に必ずしも囚われないエレメントの挿入をフレーの感性が個性的に捉えた、優美でリリカルな表現が特徴だ。

フレーのバッハは彼のデビュー・アルバムで『パルティータ第4番ニ長調』をすこぶる柔軟な感性で弾いたものが印象に残っているが、ここに収められた2曲でも彼のこの曲集への音楽的構想とアイデアが明瞭に反映されている。

フレーのディナーミクから創り出される音色の変化はチェンバロやオルガンのレジスターの使い分け以上に千変万化で微妙な陰影に富んでいる。

例えばフレーは対位法の各声部を決して対等に扱おうとはしない。

第2番のアルマンドに聴かれるように、左手の声部は影のように従わせ、サラバンドにおいても夢幻的とも言えるリリシズムを醸し出している。

ある声部を霧で包むようなピアニスティックなテクニックは2曲目の『トッカータハ短調』にも充分に活かされているし、それはフーガにも敢然として現れる。

こうした表現方法は大曲になると冗長になって取り留めのないものになりがちだが、第6番のような後の『フーガの技法』に通じるスケールの大きな曲でも、彼はその構成感に絶妙なバランスを保って違和感を与えていないのは流石だ。

この録音は2012年にパリのノートルダム・デュ・リバン教会で行われた。堂内の潤沢な残響に包まれているが、ピアノの音質は極めて明瞭に採られている。

またここに選ばれた3曲は総て短調で書かれているが、フレーの豊かな音楽性が光彩に満たされた幸福感を醸し出していて決して陰気な印象を与えていない。

この方法はリヒテルがクレスハイム城で録音した『平均律』と同様の効果を上げていると言えるだろう。

このあたりにもフレーのバッハを再現するための、より具体的な音響的構想と手段が窺える。

フレーにとってバッハは特に重要なレパートリーで、既にブレーメンドイツ室内管弦楽団との協奏曲集のCD及びDVDもリリースされている。

『パルティータ』に関してはこれで第2、第4、そして第6番の偶数番号が揃ったことになる。

この曲集の内包する殆んど無限とも言える音楽的可能性からして、またフレーの好みから考えても残りの奇数番号3曲に挑戦することが充分予想されるし、またそれに期待したい。

フレーは生粋のフランス人でありながら目下のところ自国の作品にはそれほど興味を示さず、主としてドイツ圏のピアノ作品を集中的に録音している。

自分の感性を全く趣味の異なるドイツ物で磨きをかけながら更に洗練しているのかも知れない。

それは逆説的で風変わりな発想にも見えるが、今までにそれらの作品に与えられていたイメージを拡張し、新たな可能性を示しているという点でも現代の優れた若手ピアニストの1人に数えられるだろう。

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2015年07月21日


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バロック期やウィーン古典派のヴァイオリン音楽の泰斗であるカルミニョーラが、ついにバッハのヴァイオリン協奏曲をリリースしてくれた。

カルミニョーラから迸り出るようなドラマティックな表現が特徴的な協奏曲集だ。

それぞれの曲のテンポも快速で、彼らの演奏は時としてアグレッシヴになりがちだが、それはライナー・ノーツにも書かれているようにこうした協奏曲の持つイタリアン・バロックの曲趣を強調したもののようだ。

協奏曲やソナタの分野でバッハは同時代のヴィヴァルディの様式を好んで取り入れた。

それは当時のイタリアの音楽が簡潔な構成の中に名人芸を取り入れて特有の劇的な効果を上げていることに注目したからにほかならない。

このCDに収められた協奏曲は、いずれもバッハがイタリア趣味に開眼し、その音楽語法を完全に会得したケーテン宮廷楽長時代の作品とされている。

それゆえこの曲集の演奏では、彼の対位法的な手法の巧妙さよりもむしろ音響的な斬新さやスリルに満ちた再現が聴きどころだろう。

バロックの劇的な音楽性を再現したイタリア風バッハであり、バッハの音楽の多様な可能性を試みたひとつの優れたサンプルに違いない。

特に、他の追随を許さない非常に美しい音色と、随所に光る即興の妙は、まさにカルミニョーラの熟練の技のなせる所と言えよう。

カルミニョーラをサポートするのはピリオド・アンサンブル、コンチェルト・ケルンで、楽器編成を見ると第1ヴァイオリンがコンサート・ミストレスの平崎真弓を含めて4名、第2が3名、ヴィオラ及びチェロが各2名ずつに通奏低音のコントラバスとチェンバロが加わる計13名で、a'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチを採用している。

『2挺のヴァイオリンのための協奏曲ニ短調』では平崎がソロの第1ヴァイオリンを担当している。

彼女はライプツィヒ国際バッハ・コンクール2位の受賞者で日本人の若手バロック・ヴァイオリニストとしてはこれからが期待される存在だが、演奏もカルミニョーラに引けをとらないほどの高い音楽性と気迫で互角に競っているところが頼もしい。

毎回カルミニョーラが録音に使うヴァイオリンはそれぞれが名器と言われているものだが、今回も前回のヴィヴァルディ協奏曲集と同様、ボローニャの名匠ヨハネス・フロレーヌス・グィダントゥスの手になる1739年製のオリジナル楽器を使用している。

2013年にケルンで録音されたセッションで、コントラバスの低音からチェンバロの響きに至る高音までがバランス良く採音された臨場感溢れる鮮烈な音質。

カルミニョーラファンのみならずバッハの愛好家を始めとする幅広い層に心からお薦めしたい稀有な録音である。

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2015年07月16日


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バッハの「平均律クラヴィーア曲集」は鍵盤楽器だけではなく、音楽全体にとっての聖典であると言われている。

「平均律」は1オクターブを構成する12音の周波数の差を均等に調律する方法であるが、バッハはその12音それぞれを基音とし、さらに長調と短調の両方を作ることで全24の調性による練習曲を作った。

それが「平均律クラヴィーア曲集」全2巻である。

そんなバッハの「平均律クラヴィーア曲集」は、ピアノ音楽の旧約聖書とも言われているだけに、古今東西の多くのピアニストにとっては、新約聖書たるベートーヴェンのピアノ・ソナタと並んで、弾きこなすのは大いなる目標とされてきた。

かつては、グールドの超個性的な名演もあったが、グールドと並んで「鬼才」と称されるアファナシエフが、同曲に対してどのようなアプローチをしているのか、聴く前は大変興味津々であった。

同じロシアのピアニストであるリヒテルも、同曲に素晴らしい名演を遺しているが、アファナシエフのアプローチは、リヒテルの研ぎ澄まされた鋭利なピアニズムとは対照的で、ゆったりとしたテンポをベースとしたきわめて静的で精緻なものだ。

シューベルトの後期3大ピアノ・ソナタで見せたような、超スローテンポのやり過ぎとも言えるアプローチはここではいささかも見られない。

その分、肩すかしを喰わされたきらいがないわけではないが、バッハがスコアに記した音符を透徹した表現で完璧に描き出したという点においては、さすがは「鬼才」アファナシエフならではの個性的アプローチと言える。

第1巻では、最後のフーガを2バージョン収めているのも、アファナシエフの同曲への深い愛着とこだわりを感じさせる。

第2巻は、第1巻よりもさらに技巧的にも内容においても高度な内容を内包しているが、アファナシエフのアプローチは、第1巻の演奏といささかの変化もない。

シューベルトの後期3大ピアノソナタで見せたような極端なスローテンポによるあくの強いアプローチはとらず、ピアノ曲の旧約聖書とも称される同曲への深い畏敬の念を胸に抱きつつ、構成される全24曲(前奏曲とフーガを別の曲と考えると48曲)を1曲1曲、あたかも骨董品を扱うような丁寧さで、精緻に描き出していく。

全体として静けささえ感じられるほどであり、これぞバッハの音楽とも言うべき底知れぬ深みを湛えた演奏と言うべきである。

「鬼才」とも言われたアファナシエフにしては、少々物足りないとも思われるが、それだけ同曲集に対しての強い愛着とこだわりを感じさせる。

また、全体的に音楽を構成する個々の音が際立っていて、隙間の無いロジックパズルのように理路整然と整っている。

同じロシアの先輩ピアニストであるリヒテルの鋭角的なアプローチとは対照的であると考えるが、演奏から受ける感動においては、いささかの不足もなく、リヒテルの名演とは別次元の名演と高く評価したい。

技巧的にバリバリと弾く人も多い曲集だが、むしろこうやってじっくりと構えてもらった方が、ひとつひとつの音が際立って曲集全体の構造(つまり音楽の最も初歩的な理論)が理解しやすいと思う。

しばしば「鬼才」と評されるアファナシエフだが、ここで彼はその演奏によって、音楽理論の真髄へ迫る手がかりを与えてくれるのであり、音楽を勉強する人なら、聴いてみて損はないはずだ。

また、アファナシエフの透徹したピアノのタッチが鮮明な音質で味わえる点も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2015年07月12日


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この6枚組のセットはソニー・ヴィヴァルテからのリイシュー物で、既に入手困難になっているCDをまとめてプライス・ダウンしているのがセールス・ポイントだ。

最初の1枚はマンハイム楽派を中心とした4曲のフルート協奏曲とグルックの『精霊の踊り』を収めている。

トラヴェルソの持つ木質特有のソフトで温かく、しかも色彩感溢れる音色を活かしたバルトルド・クイケンの名人芸を堪能できる理想的なセッションだ。

使用楽器はカール・シュターミッツの作品のみアウグスト・グレンザーの8キー・モデル、その他は同ワンキー・モデルで、最後のグルックのソロ・パートは彼の弟子でカナダの女流トラヴェルソ奏者クレール・ギモンに替わっている。

オーケストラはカナダのピリオド楽器使用のバロック・アンサンブル、ターフェル・ムジークで、いずれも1991年の録音。ピッチは全曲ともa'=430。

CD2−3はC.Ph.エマヌエル・バッハのオブリガート・チェンバロ付の10曲のフルート・ソナタ集で、このうち変ホ長調及びト短調はBWV番号の付いた、かつては父大バッハの作として考えられていたものになる。

エマヌエル・バッハにはこの他にチェンバロのパートを記していない通奏低音付のソナタを更に11曲残しているが、クイケンはそれらをアクサン・レーベルからリリースしている。

1993年のセッションで使用楽器はクイケンのトラヴェルソがアウグスト・グレンザーのワン・キー・モデル、一方ヴァン・アスペレンの弾くチェンバロは二段鍵盤のミートケ・モデルでピッチはa'=415。

CD4は、18世紀に北ヨーロッパの芸術の都となったベルリン宮廷で演奏された作品集で、当時フリードリヒ大王のもとで活躍した作曲家の7曲のソナタが選ばれている。

奏法の異なるさまざまなトラヴェルソを使い分けるクイケンの巧みなテクニックは言うまでもないが、ここでは1750年製作のクヴァンツ・2キー・モデルを使っている。

通奏低音のチェロは兄のヴィーラント・クイケンで、彼は1570年製のアンドレア・アマーティのオリジナル、そしてヴァン・アスペレンのチェンバロはミートケ・モデルになる。1995年の録音でピッチはa'=415。

CD5−6はJ.S.バッハのソナタ集で、トラヴェルソはフランス・ブリュッヘンに替わる。

ブリュッヘンは横笛の演奏に関しては友人でもあるクイケンの実力を充分に認めていたようで、トラヴェルソ演奏のサンプルはそれほど多くないが1973年及び75年に録音されたこのソナタ集と『無伴奏パルティータイ短調』はその代表的なセッションだ。

改めて聴き直してみるとクイケンほど精緻ではないにしても、なかなか味のある高い音楽性を持ったパフォーマンスとしての魅力がある。

当時ブリュッヘンは古楽の新星と言われただけあって、そのフレッシュな解釈と意欲的な試みは古楽器奏者としてパイオニア的な意義を持っていただけに歴史的にも貴重な演奏だ。

因みにクイケンが第1回目のバッハのフルート・ソナタ全集を録音したのは1988年のことなので、ブリュッヘンの挑戦が如何に画期的なものであったか想像に難くない。

使用楽器は1773年にシェーラーが象牙で製作したオリジナルで、筆者の記憶に間違いがなければ、現在このトラヴェルソは有田正広氏の所蔵になっている筈だ。ピッチはa'=415。

尚その他のいくつかのトラックは『無伴奏パルティータ』を5種類の異なった楽器で演奏した例で、原曲のオールマイティー的な性格を象徴している。

最後はロ短調ソナタの第1楽章をバロック・アンサンブル用に編曲した興味深い演奏だ。

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2015年06月11日


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独自の奏法やその風貌、そして芸術観だけでなく生涯そのものでもオリジナリティを貫いたグレン・グールドが、わずか30年足らずのキャリアの期間にバッハだけでもディスク44枚分の録音及び録画を遺していたというのは驚異的な事実である。

それはまたグールドが如何に対位法の音楽やそのテクニックに傾倒していたかの証明でもあるだろう。

そしてグールドはその迷路のような狭間に分け入って、それぞれの声部をより効果的に感知させる怜悧で不思議なピアノ奏法を編み出した。

グールド自身が意識していたか否かに拘らず、その強烈な個性がともすれば息詰まりになっていたバッハの音楽に新しい生命を吹き込んで、その後の演奏家に幅広い解釈の扉を開いた功績は大きい。

一方で彼は演奏の一回性に疑問を持っていた。

言うならばそれぞれのコンサートごとに変化する、あるいは聴衆を満足させる演奏ではなく、逆に聴衆を介さない自己の最大限の集中力の中での再現を試みようとした。

少なくとも彼は1964年以降公衆の面前から姿を消した。

音楽家の中には録音芸術を虚構として嫌う人達も少なくないが、彼は果敢にも録音を通してのみその本領を発揮しようとした新時代のピアニストであった。

そうした意味ではこの膨大な記録に彼の直截的なメッセージが託されていると言ってもいいだろう。

とにかく現段階で入手可能なグールドのCBC、コロムビアへのバッハ録音が網羅されている。

中心になるのは曲目構成、ジャケットと共に初出時のオリジナルLPを再現した27枚のCDで、このうちにはカップリングの関係でベートーヴェンの2曲の協奏曲も含まれている。

またグールドがセンセーショナルなデビューを飾ったゴルトベルク変奏曲に関しては1954年のCBCラジオ放送盤、1955年のモノラル盤及び同録音の擬似ステレオ盤、1959年のザルツブルク・ライヴ盤と1981年のステレオ・デジタル盤、1982年のティム・ペイジとの対話での抜粋、さらには1955年のスタジオ・アウトテイク録音、そしてとどめにDVD3枚目の1964年テレビ放送用録画及び6枚目の1981年のモンサンジョン監修動画のなんと9種類が収められている。

全44枚のディスクのうち6枚はDVDで、初出のものは2枚目の「Well-Tempered Lisner」と題されたジャーナリスト、カーティス・デイヴィスとの対話が演奏の間を縫ってトラック4、7、9、11に収められている。

またこのDVDではグールドがモダン・チェンバロを弾く映像も興味深い。

それ以外の5枚は既出だが廉価盤で、しかもまとまって手に入るのが嬉しい。

また既に良く知られているブリューノ・モンサンジョン監修による彼自身との対話では、グールドの哲学がどのように実際の演奏に昇華されていくかが見どころだ。

ボックスの装丁は買うほうが気恥ずかしくなるような立派な布張りで、ディスクの枚数の割には随分大きく、ずっしり重いコレクターズ仕様。

ハード・カバー装丁で上質紙の192ページほどある横長のライナー・ノーツの巻頭に、ミヒャエル・シュテーゲマンの「グールド、21世紀のバッハ」と題されたエッセイを英、独、仏語で、全ディスクのデータ、オリジナル解説、グールドのバイオグラフィーは英語で掲載し、随所にカラー及びセピア色の写真が満載されていて殆んど単行本の外観と内容を持っている。

それぞれのジャケットは紙製だが折り返しのある丁寧な作りで、ディスクの配列が背中を向けた横向き収納なので、ボックスを縦に置くと目当ての曲目が容易に取り出せる。

コストパフォーマンス的にもグールド・ファンには見逃せない企画だ。

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2015年04月24日


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グレン・グールド没後20年/生誕70年を記念した3枚組メモリアル・アルバム。

彼の代表作である、1955年と1981年の「ゴルトベルク変奏曲」をカップリングし、さらにレアな音源(1955年の録音時のアウトテイク)を初CD化。

グールドの全く対照的な新旧2つのゴルトベルク変奏曲を1つのセットに収めた好企画盤。

1955年の「ゴルトベルク」は、24ビットリマスターで収録、1981年の「ゴルトベルク」のオリジナル盤はデジタル録音だが、今回は、並行して録音されていたアナログ・テープからのDSDマスタリングによるマスターを初めて使用。

そして、グールドと縁の深いティム・ペイジと「ゴルトベルク」について語った50分におよぶインタビュー・セッション(1982年録音、日本盤のみ完全日本語訳付)を収録。

グレン・グールドのレコーディング・デビュー作となる1955年の「ゴルトベルク変奏曲」は世界に旋風を巻きおこした。

確固たる現実的な音楽観、完璧な演奏技術、驚くべき透明感、的を得たリズムの変化、それに加え、ハミングしたりときには乱暴なまでにテンポを速める不思議な癖。

それらがグールドをたちまち伝説のピアニスト、まったく新しい手法によるバッハの音楽の解明者の地位に祭りあげた。

そして、それから26年後のグールドの最後のレコーディング作品もまた「ゴルトベルク変奏曲」だった。

こちらでは、さらにリラックスし、ときおり遅すぎるほどにテンポを落とし、より内面的に音楽を読みとり(けれども彼ならではの激しいアタックやアクセントは変わっていない)、変奏曲のうち15曲で前半部を反復している。

1955年作品と1981年作品はそれぞれ独自の手法をとっているが、どちらも素晴らしく、これら2つの演奏はどちらもクラシック音楽全体の中でも比類を絶して素晴らしいもののひとつに入る。

旧盤の繰り返しをすべて省いた一直線の快速の演奏、新盤のゆったりとしたテンポで、自らの人生を顧みるかのような味わいのある演奏。

いずれも優劣の付け難い永遠の超名演と言うべきであるが、それを1つのセットにまとめることによって両者の違いをより明確に聴き分けることが可能となったのも大いに評価に値する。

新盤では、繰り返しの実施の有無が各変奏曲によってバラバラで一貫性がないとの批判が一部にあるが、これは、グールドのバッハ解釈の究極の到達点を示すものとして、むしろ肯定的に解釈すべきではなかろうか。

このCD3枚組の新たな豪華ボックスセットは楽しく、聴く喜びにあふれ、音楽の真理があり、音楽を愛する者なら誰でもコレクションに加えるだろう。

ディスク3にはレコーディング・セッションのアウトテイクとおしゃべりが収録されている。

そのなかでグールドは即興で「God Save the King」を弾き、さらにそれを「The Star-Spangled Banner」へつないでいる。

また、評論家ティム・ペイジによるロング・インタビューはグールドの風変わりなユーモアと独特の音楽観に深い洞察を与えてくれる。

本作はまさに必携のコレクションである。

もちろん、グールドのバッハだけが、バッハ演奏の正当な解釈であると言うつもりは毛頭ないが、従来の古色蒼然たるバッハ解釈に新風を吹き込み、芸術性を損なうことなく、バッハの知られざる魅力を堪能させてくれたという意味では、グールドの功績は大と言わざるを得ないだろう。

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2015年03月15日


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バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、作曲されてから約300年が経っているにもかかわらず、今なお世界のヴァイオリニストが弾きこなすのを究極の目標とするというのは殆ど驚異である。

しかも、無伴奏のヴァイオリン曲という分野でも、このバッハの曲を超える作品は未だに存在しておらず、おそらくは、今後とも未来永劫、無伴奏のヴァイオリン曲の最高峰に君臨する至高の作品であり続けるものと思われる。

1つの楽器に可能な限り有効な音を詰め込み、表現の極限に挑戦したバッハの意欲的な創作と、調性による曲の性格の違いを明確に描かなければならない難曲でもある。

そのような超名曲だけに、古今東西の著名なヴァイオリニストによって、これまで数多くの名演が生み出されてきた。

そのような千軍万馬の兵たちの中で、ミルシテイン盤はどのような特徴があるのだろうか。

本盤は、ミルシテインにとって最初の録音であるが、先ず特筆すべきは、超人的な名人芸ということになるだろう。

圧倒的な技巧と表現力で演奏された無伴奏で、実に鮮やかとも言うべき抜群のテクニックである。

肉付きの良い音色が、完全に削ぎ落とされ、ソリッドな表現となって聴き手を突き刺す。

もちろん、卓越した技量を全面に打ち出した演奏としてはハイフェッツ盤が掲げられるが、ミルシテインは、技量だけを追求するのではなく、ロマン的とも言うべき独特の詩情に溢れているのが素晴らしい。

非常に快速なテンポで弾き進められて行くが、卓越した技巧に支えられた音色は美しく格調高い。

非人間的な音は1音たりとも発することはなく、どの箇所をとっても、ニュアンス豊かで、詩情豊かな表情づけがなされているのが見事である。

美音と歌心を主体とする優美な演奏のようにも聴こえるが、現代楽器を使用したシャコンヌの変奏の極めつけ。

現代楽器で30の変奏を完璧に描きわけ、かつ主題、動機の変形、装飾音、バスを見事に弾き分けている。

流麗な和声に溺れる「安いバッハ」とは次元が全く違い、「この部分は精神的に」などと戯けたことを発想するレベルでは全く理解不能な音楽で全く見事。

「美しい」という言葉が見当違いと思えるほどあらゆる要素を厳しく追い込んでおり、音の揺れ1つにすら意味がある。

思い入れたっぷりに弾かれた無伴奏より数段楽しめるし、ケーテン時代の作風やそれまでの無伴奏の伝統を考えればミルシテインの方が本来ではないかと思えるのである。

最近話題になったクレーメルによる先鋭的な名演などに比較すると、いかにも旧スタイルの演奏とも言えるが、このような人間的なぬくもりに満ち溢れた名演は、現代においても、そして現代にこそ十分に存在価値があるものと考える。

比類なき技巧と音色美、精神的な深さが見事に同居した稀有のアルバムと言えよう。

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2015年03月09日


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グールドの類稀なる才能を感じさせる圧倒的な名演集だ。

グールドと言えばその代名詞はバッハの鍵盤楽曲、そしてバッハの鍵盤楽曲と言えば、グールドの演奏がいの一番に念頭に浮かぶクラシック音楽ファンが多いと思われるが、今般、改めてグールドによる一連のバッハの鍵盤楽曲の演奏を聴くと、グールドとバッハの鍵盤楽曲との強固な結びつきを感じることが可能だ。

それにしても、本盤に収められたグールドのバッハは超個性的だ。

バッハは、難解な楽曲もあれば長大な楽曲もあるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、難解さや長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハの鍵盤楽曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハの鍵盤楽曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハの鍵盤楽曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハの鍵盤楽曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、前述のように多くのクラシック音楽ファンが、バッハの鍵盤楽曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハの鍵盤楽曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハの鍵盤楽曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤に収められたバッハの鍵盤楽曲の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演集と高く評価したいと考える。

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2015年02月06日


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世界を股に活躍する現代を代表するヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンの衝撃のデビュー・アルバム。

17歳のデビュー・アルバムでいきなりバッハの『無伴奏』などというと、『ゴルトベルク』でデビューしたあのグールドを想起させるが、このヒラリー・ハーンの演奏は、デビュー盤とか年齢といったことを抜きにして、古今の『無伴奏』の録音のなかでもトップクラスにランクされるべき1枚である。

「そんなに若いと、勢いだけの単調な演奏になっているのではないか」と思う人もいるかもしれないから、有名な「シャコンヌ」を聴いてみることにしよう。

手元にあるCDで確認すると、シェリングは約14分30秒、古楽器演奏を代表するレイチェル・ポッジャーは約13分30秒で弾いているが、ハーンはなんと17分52秒もかけている。

しかしながら、遅いという印象はまったくない。

まず、リズム感が非常に正確であること、そして、精緻に丁寧に表情を描くことにより、遅さではなく密度と強度の高さを感じさせるのである。

ここまで雄弁な「シャコンヌ」というのも、なかなか聴けるものではなく、また若さゆえの美しさ、悩み、想い等が渾然となり伝わる名演奏だと思う。

さらに特筆すべきは、ヴァイオリンの音がとにかく美しいことで、奏者によっては音がきつくなったり汚れてしまうことも少なくない『無伴奏』であるが、ハーンの演奏にはそのような部分がまったくなく、恐るべきコントロール力である。

姿勢を正して背筋を伸ばしたようなピーンと張った音、透明感と切れのよさ、そして若々しさ、素晴らしい。

ハーンはヴァイオリンを習う前からバッハには慣れ親しんでいたそうで、なにしろ両親がバッハのロ短調ミサ曲やらカンタータやらの歌い手だったと本人自ら手記している。

この彼女のデビュー録音はナタン・ミルシテイン、イツァーク・パールマン、シュロモ・ミンツらの諸先輩に伍して堂々一歩もヒケをとらない、驚くべき才能を示している。

この演奏が心を打つのは、音楽に対する真摯さと若い人特有の、自分の人生に対する信頼がストレートに現れているからで、ハーンを以ってして、まさにこの時だから残すことができた録音だと思う。

将来これらの曲の再録音があるかもしれないが、その時は別のものになるだろうし、年の行った他の演奏家と比べた評論もあるが、それらは殆ど意味をなさない。

聴いていて、若い時の瑞々しい気持ちが蘇る名演と言えよう。

唯一の欠点は、デビュー盤だったからなのかもしれないが、全曲録音ではないということで、何年かしたら、ぜひとも全曲録音に取り組んでほしいと強く願っているところだ。

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2015年02月02日


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ポリーニはこれまで、古典派から現代音楽まで、手広く手掛けて優れた録音を残しているのは言うまでもないが、それにしてもまさに満を持してのポリーニのバッハである。

ポリーニが無敵のテクニックを誇っていた時代ではなく、キャリアの殆んど終盤近い時期に平均律を録音したことに、彼が長年に渡って温めていた遠大な構想を垣間見る思いがする。

おそらく無限の可能性を持っているために、演奏上の限りない試行錯誤が要求されるこの曲集は、演奏家として、そして何よりも人間として豊富な経験を積んだ今の彼でなければ録音できないことを彼自身が自覚していたに違いない。

それだけに決して野心的な演奏ではなく、むしろ自然体の境地にあるような誇張のない、心を込めた表現が生きている。

ポリーニという芸術家には完璧ともいえるピアノ演奏の技巧を身につけた上で、これまた確かな教養を裏づけとして、レパートリーを決めうち気味に制覇する完全主義的な雰囲気があったので、近年の録音活動の活発化は、まさにファンには歓迎の至りだろう。

ポリーニは、リサイタルではこの平均律クラヴィーア曲集を取り上げてきたが、いつものように研鑽に研鑽を重ねてついに自身納得の行くものと成り得たのがこのアルバムということになる。

これは素晴らしい名演であり、ポリーニとしても会心の名演と言えるだろう。

ポリーニのことなので、冷徹とも言えるようなクリスタルなタッチで、バッハが記したスコアを完璧に再現することに腐心しているのかと思ったが、冒頭の第1曲の、温かみさえ感じさせる柔和なタッチに驚かされた。

24の調で書かれたプレリュードでは音楽の内部から迸り出る個性以外の個性付けは避けているが、曲ごとの特徴を心憎いほど的確に捉えているのも事実だ。

それに続くフーガの各声部は独立しているという以上に自由に解き放たれ、老獪とも言えるペダリングによってまろやかに潤っているが、それでいて全く混濁のない響きと、隙のない緊張感の持続が特徴的だ。

またそれぞれの曲に対する造形美と、曲集全体に与える統一感は彼本来の手法でもある。

リヒテルの平均律が、彼の非凡な創造性とピアノの機能を駆使したデュオニュソス的表現とするなら、ポリーニのそれは総てを秩序のもとに明瞭に奏でたアポロン的な平均律と言えるだろう。

もちろん、スコアリーディングの鋭さについては、いささかの抜かりもないが、近年のポリーニには珍しいくらい、情感溢れる豊かな歌心に満ち溢れている。

そうした歌心の豊かさは、時折聴かれるポリーニの肉声にもあらわれている。

バッハの演奏におけるスタジオ録音で、ピアノとともに、ピアニストの肉声が聴かれる例として、グールドが有名であるが、ポリーニの場合、グールドのような個性的な解釈を売りにしているわけでなく、そのアプローチはあくまでもオーソドックスなもの。

バッハの宇宙をひとつひとつ丁寧に奏しており、作品の構造が手に取るようにわかる。

それでいて、四角四面に陥っていないのは、前述のようなポリーニの豊かな歌心と、この曲に対する深い理解・愛着の賜物であると考える。

楚な佇まいながら細やかな歌心があり、バッハの直裁な音楽がややまろやかに響く。

起伏もあくまでも小さなニュアンスを含んだ歌にとどまっていて、この辺がポリーニというピアニストが天性として持っている芸術性による表現方法なのだろうと思う。

チェンバロに比較し、残響が豊かなピアノの特性を十分に生かしきった心地良いフレーズの数々は生命力に満ち溢れ、ポリーニの確かな洞察力が要所に滲み出ている。

グールド、リヒテル、アファナシエフなどの超個性的な演奏を聴いた後、本盤を聴くと、あたかも故郷に久々に戻ったようなゆったりとした気持ちになるような趣きがあるとも言えるだろう。

グールド以後、一番聴きたくないのは、グールドの亜流である。

仮にグールドの時代なるものがあったとしたら(そんなものはそもそもないのであるが)、それ以後に演奏としてあるのは、もはや、ポリーニのようなスタイルしかないのであろう。

部分的にもう少しなんらかの色があった方がよいと思う箇所もあるとはいえ、これはこれで確かに「ポリーニならでは」の厳しさと音楽の神秘や切なさ、愁いといった情緒も備わったバッハなのだと思う。

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2014年12月16日


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これは素晴らしい超名演だ。

いや、超の前にいくつもの超を並べてもいいのかもしれない。

近年では、雨後の竹の子のように綺羅星のごとく輝く若手ピアニストが登場してきている。

それぞれに優れた名演を成し遂げてはいるものの、これから10年先、20年先と、果たして順調に大ピアニストに成長していけるのかどうかは未知数である。

これに対して、ルイサダは、まさに大ピアニストへの道を着実に歩んでいると言っても過言ではあるまい。

フランス人のピアニストとして、その独特の洒落たセンスに満ち溢れた瀟洒な味わいの名演奏の数々を成し遂げてきたルイサダであり、とりわけショパンの演奏に関しては、他のピアニストの追随を許さないものがあるとさえ考えている。

そのようなルイサダが、久しぶりに、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの楽曲を軸としたアルバムを発売した。

もちろん、ドイツ風の重厚な演奏を展開しているわけではなく、そこは、ルイサダもフランス人、そのような土俵では勝負を繰り広げていない。

しかしながら、それぞれの各演奏に込められた何というセンスの良さ。

前述のように、ルイサダならではのフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいは、そこかしこに聴くことが可能ではあるが、テンポの効果的な振幅や思い切った強弱を施して、実に個性的なアプローチを行っている。

それでいて、あざとさなどはいささかも感じさせず、格調の高さを失うことがないというのは、大ピアニストたるルイサダだけに可能な圧巻の至芸であると言えるだろう。

当然のことながらドイツ風の演奏などではないが、重厚さなどにも不足することはない。

ルイサダならではの個性的な演奏ではあるが、いわゆるバッハらしさ、モーツァルトらしさ、そしてベートーヴェンらしさを失わないというのは、現今のピアニストの中では、ルイサダだけに可能な演奏と言えるのではないだろうか。

ドビュッシーの月の光は、まさに水を得た魚の如くであり、フランス音楽の魅力のすべてが描出された至高の名演奏が繰り広げられている。

ワーグナーのエレジーは、前述のバッハやモーツァルト、ベートーヴェンの演奏などとは異なり、楽曲の性格のせいか憂いのある色調が支配しているが、それでいて感傷的にいささかも陥らず、高踏的な美しさを失っていないのが素晴らしいと言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、ルイサダが、更なる大ピアニストに上り詰めていく確かな道程にあることを感じさせるとともに、その表現力の桁外れの幅広さなどを大いに感じさせる至高の超名演であると高く評価したい。

ルイサダの次なるアルバムを期待したい。

また、本盤で素晴らしいのは、SACDによる高音質録音である。

ルイサダの幅広い表現力を誇るピアノタッチが鮮明に表現されるのは、やはりSACDによる高音質録音に負うところが大きいのではないだろうか。

いずれにしても、ルイサダによる至高の超名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年12月14日


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巨匠クレンペラーにしか成し得ないスケール雄大な超名演だ。

どっしりとそびえる大木のような安定感と風格を漂わせるクレンペラーのバッハは、昨今の古楽ブームで耳慣れたヴィヴィッドな演奏と比べるとなんともおおらか。

どこか懐かしさにも似た暖かさを湛えたその響きに時代を超越する個性を見る思いがする。

偉大な指揮者が謙虚にバッハと向き合った演奏であり、近代のオーケストラで演奏したブランデンブルク協奏曲の中では間違いなく突出した1枚である。

このような大オーケストラを用いた重量級の演奏様式は、古楽器奏法やピリオド楽器を用いた小編成のオーケストラによる演奏が一般化した今日においては、殆ど顧みられないものであるが、これだけの芸術性豊かな名演を聴かされると、今日一般に行われている小編成による演奏が、いかにスケールの小さい軽妙浮薄なもののように思われてくる。

かつては、フルトヴェングラーやカラヤンなどが、大オーケストラを豪快に鳴らして、今日のマーラーやブルックナーの演奏様式に匹敵する重量級の演奏を繰り広げていたのだ。

もちろん、バッハが生きていた時代の演奏様式を検証することの意義を否定するものではないが、芸術の感動という点において、それがどれほどの意味を持つのかは大いに疑問があると言わざるを得ない。

バッハは、当時許されていた楽器性能の最大限を発揮させて、各楽曲を作曲しているのであり、時代考証的には問題があっても、クレンペラーの演奏に、バッハが感動した可能性だって否定できないのである。

特に木管楽器の素朴で温かい音色が印象的で、今日のオリジナル楽器による演奏にも一脈通じる新鮮さが感じられるところであり、幼少の頃からバッハの音楽に親しみ、特別な愛着を育んだクレンペラーが、大らかな響きで包み込んだブランデンブルク協奏曲と言えよう。

いずれにしても、これだけ重厚で力強いブランデンブルク協奏曲は、他にも類例はなく、このような演奏様式による、いわゆる旧スタイルの演奏の中では、随一の名演と高く評価したい。

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2014年11月13日


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クレンペラーの死の4年前、最晩年の演奏であるが、いかにも巨匠ならではの重厚な名演である。

幼少期の頃からバッハの音楽に親しんできたクレンペラーの最晩年の指揮、そしてそれを演奏するのはイギリスを代表する一流オケであり、クレンペラーとの信頼が厚いニュー・フィルハーモニア管弦楽団。

勿論悪いはずがなく、これを聴かない人はバッハの音楽を聴かないも同然であり、聴いて損はない。

ヒストリカルな見地からはとんでもない演奏なのだろうが、その悠然たる風格には圧倒される。

グッと抑えた表現からにじみ出る詩情はまさにドイツのバッハであり、スケールの大きさや重量感を持ちながら透明感も十分な実にユニークな演奏だ。

バッハの演奏様式については、近年ではピリオド楽器による古楽器奏法や、現代楽器による古楽器奏法などによる小編成のオーケストラ演奏が主流となっている。

本盤に聴かれるような大編成のオーケストラによる重厚な演奏は、かつては主流であったが、近年ではすっかりと聴かれなくなってしまった。

そうした旧スタイルの演奏様式を古色蒼然と批判する向きもあるくらいである。

しかしながら、近年の演奏の何と言う味気ないことか。

芸術性の高い演奏も、稀には存在しているが、殆どは軽妙浮薄の最たるものであり、学者は喜ぶかもしれないが、音楽芸術の感動という点からは著しくかけ離れているのではないかと筆者としては考えている。

このような軽妙浮薄な演奏が流布している中で、本盤のクレンペラーの演奏は何と感動的に響くことか。

かつてはこうした交響楽指揮者がバッハを堂々と演奏していたものである。

ここには、ベートーヴェン以降の交響曲にも匹敵する厚みのある内容がぎっしり詰まっている。

いずれも雄大なフランス風序曲で始まるバッハの管弦楽組曲に、クレンペラーは晴れやかな響きを行き渡らせている。

これはベートーヴェンで見せるような、厳然とした面もちとはまた違ったクレンペラーの魅力であり、巨匠の本質にさまざまな角度から接することができる。

テンポも微動だにしない堂々たるインテンポであり、例えば、第2番のバディネリのように、かつての大編成のオーケストラによる旧スタイルの演奏の際にも、速めのテンポで駆け抜けるのが主流の楽曲でも、深沈たるテンポで実に味わい深い演奏を行っている。

金管の鋭い響きや、巨象が踏みしめるような堂々たる音楽の進め方など、スケールは極大であり、この旧スタイルの演奏としては、トップの座を争う名演と高く評価したい。

この演奏を聴くと、これほど悠揚とした演奏はもう今後耳にすることはできないのではないかとすら思えてくる。

そしてクレンペラーこそ、まさに偉大で風格のあるアポロン的演奏家ではなかろうか。

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2014年11月12日


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驚天動地の極上の超高音質CDの登場だ。

ユニバーサルによる数々のSACD&SHM−CD化のの中で、最も音質がいいのは本盤ではないかと考える。

本演奏については、既にマルチチャンネル付きのSACDが発売されているが、あまり問題にならない。

むしろ、マルチチャンネルが付いていないのに、本盤が、これほどまでの臨場感を感じさせることに殆ど驚異を覚える。

レーベル面をグリーンにコーティングしたり、SHM−CD化を図っただけで、これほどまでに音質が激変するというのは、正直信じられない思いがする。

バッハのヴァイオリン協奏曲は、後年のモーツァルトやベートーヴェン以降の作曲家の手によるヴァイオリン協奏曲とは異なり、ヴァイオリンの技巧を披露する箇所は少なく、むしろ、独奏楽器とオーケストラ(と言っても、室内楽的な編成であるが)の調和を旨とした楽曲である。

それだけに、本盤のような高音質SACDは、相当のアドバンテージがあると言える。

というのも、高音質SACD化によって、ヴァイオリン等の独奏楽器とオーケストラの分離が鮮明に表現できるからであり、特に、本盤の場合は、それが目覚ましい効果をあげているのである。

このような調和型のヴァイオリン協奏曲でありながら、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンの弓使いさえ聴こえてくるのは驚異的で、まるで彼女が目の前で弾いてくれているような凄い臨場感がある。

演奏は、ヒラリー・ハーンならではの繊細にして、気迫溢れる名演で、バッハ演奏に新たな魅力を付け加えてくれた。

バッハは彼女にとってもっとも共感を持つ作曲家のひとりで、ソニーでのデビュー・アルバムもバッハのソロ作品を集めたものであった。

彼女自身「バッハは私にとって特別なもので、ちゃんとした演奏を続けていくための試金石のような存在です」と語っており、ドイツ・グラモフォン・レーベルでのデビュー盤となったこのアルバムでもバッハを取り上げることとなった。

2台のヴァイオリンのための協奏曲で共演しているヴァイオリニスト、マーガレット・バトヤーはロサンジェルス室内管弦楽団のコンサート・ミストレスで、ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲で共演しているアラン・フォーゲルはロサンジェルス室内管弦楽団の首席オーボエ奏者である。

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