バッハ

2020年10月13日


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クリスティーネ・ショルンスハイムの楽器の響きに対する感性をバッハの平均律に最大限活かした秀演。

彼女の音楽学者としての学理的な研究はともかくとして、いや実際良い意味でおよそ学者らしくない演奏なのだが、何よりも先ず響きとして美しい平均律だ。

彼女はレジスターを巧みに替えてさまざまな音響効果の可能性を試みて、この長大な曲集に華やかな彩りを添えている。

また和音をアルペッジョにしたり、テンポを若干揺らして遊び心も感じられるフレキシブルな表現が随所に聴かれる。

しかしそれは弾き崩しやレジスターの乱用ではなく、あくまでもバロックの様式に則った再現と言えるだろう。

むしろ対位法の究極の姿という、しかつめらしい作曲技法を最後まで退屈させることなく、心地良く聴かせてくれる演奏だ。

既に彼女はハイドンのピアノ・ソナタ全曲集でも明らかにしているように、使用楽器の選択には細心の注意を払っている。

それは当時の作曲家がイメージした音の再現に他ならないが、今回この録音のために使われたチェンバロはヨハネス(ヤン)・ルッカースが1624年に製作した二段鍵盤を持つオリジナル楽器で、現在ではフランス、コルマール市のウンターリンデン博物館所蔵になる。

このセットのジャケットの内側とCDにも写真が印刷されているので参考にされたい。

ライナー・ノーツにはこのチェンバロを修復したクリストファー・クラーク氏のコメントも掲載されている。

それによるとこの楽器は過去数回手が加えられているが、ルッカース特有の暗めで気品があり、立ち上がりの良い響きは健在でバッハの対位法作品の演奏には非常に適している。

尚ピッチはa'=392。

演奏内容、録音状態から言っても破格の値段で、初めてバッハの平均律を聴いてみたい方のファースト・チョイスとしてもお勧めしたい。

録音は2010年及び2011年。

4枚のCDが内側のみプラスティックの折りたたみ式のジャケットに収納されていて綴じ込みの英、独語ライナー・ノーツ付。

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2020年09月29日


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ピエール・アンタイの奏法はドイツ・オランダ系のチェンバリストの重厚さにはやや欠けるかも知れない。

しかし特有の軽妙洒脱さと歯切れの良いリズム感があり、柔軟で明快な解釈は聴いていてすこぶる心地良いものがある。

アンタイの演奏は彼の師グスタフ・レオンハルトの真摯で厳格な対位法の再現を踏襲しているものの、テンポは速く、より自由闊達でモダンな表現が特徴的だ。

勿論バッハの対位法を曖昧に弾き崩すことは無く、理論と感性、そして技巧のバランス感覚の調和が取れているということにおいても優れた演奏家だ。

その典型的な例を『半音階的幻想曲とフーガニ短調』に聴くことができる。

この作品集の録音に使われた楽器の音色の美しさも特筆される。

アンタイが使用しているのは1997年製のルッカース・モデルで、はじけるような音の立ち上がりの良さと、素朴で直線的な音色が魅力だ。

特に対位法の各声部を明瞭に弾き分けることが必要になるバッハの演奏にとっては、華美な傾向になりがちなフランス系のチェンバロよりルッカースのほうが適しているだろう。

ピッチはa=415に調律されている。

この2枚組のCDは既に2005年にヴァージン・クラシックスからリリースされていたものの廉価盤化で、ヴェリタスX2シリーズのひとつになる。

ここに収められたバッハの作品集の中で、いわゆるスタンダード・ナンバーは『半音階的幻想曲とフーガニ短調』のみだ。

例えばCD1枚目の『組曲ホ短調』BWV996は元来リュートの為の作品であり、また7曲目の『ソナタニ短調』BWV964は『無伴奏ヴァイオリンの為のソナタ第2番ニ短調』のチェンバロ版で、アレンジを得意としたバッハの興味深い作品でもある。

尚録音は総て1997年に行われ、音質はチェンバロ特有の高音部の繊細さを鮮明に再現していて極めて良好。

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2020年07月26日


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ラ・プティット・バンドを統率するシギスヴァルト・クイケンも70歳を越えた現在、以前と比べれば録音活動はめっきり少なくなったが、新録音には常に解釈を着実に更新した新鮮さが感じられる。

バッハの『クリスマス・オラトリオ』は彼の2回目の録音で、2013年のセッションをSACD化したもののリイシュー廉価盤になる。

ハイブリッド仕様ながらサラウンドの立体的な音像と臨場感に説得力がある。

レオンハルト亡き後シギスヴァルト・クイケンはオ−ケストラ及びコ−ラスのパ−トを原則1名と設定している。

ここでも彼の構想はあくまでもピリオド・スタイルによるバッハ時代の音響の再現に徹している。

同シリーズ盤になる『ロ短調ミサ』を聴いた時にはコ−ラスに申すし迫力があっても良いと思った。

こちらの方を聴いていると確かに各声部が明瞭で、音量自体はこじんまりしているがアンサンブルの鮮烈な音色や歌手達の生き生きした表現力を感じ取ることができる。

バッハはこの作品で多くの種類の管楽器とティンパニをを取り入れて特有の壮麗なサウンドと牧歌的な雰囲気を醸し出している。

ライナーノーツを見るとオ−ボエ、オ−ボエ・ダモ−レ、オ−ボエ・ダ・カッチャは第1及び第2奏者がそれぞれ持ち替え、ホルン奏者はトランペットを持ち替えで演奏している。

こうした割り振りも当時の演奏習慣に則った編成で、経済的にも教会の雇い入れる音楽家の人数もかなり制限された事情が窺われる。

同様に4人のソリストがコ−ラスの各声部を一人ずつ担当しているが、彼らは豊かな音楽性と真摯な表現でイエス降誕への祝福を幸福感の中に伝えている。

ベルギー、ル−ヴェンのプレディクヘ−レン教会での録音は潤沢な残響を採り入れながら鮮明な音像を捉えていて秀逸。

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2020年03月25日


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現在ではバロック・ヴァイオリンの大御所的存在のジュリアーノ・カルミニョーラがチェンバリスト、アンドレア・マルコンと組んだ最新盤で、先ず両者の音質の美しさに惚れ惚れとさせられる。

ネット配信の音源でもこれだけの音質を再生できる優秀な録音がこのディスクのセールス・ポイントのひとつだろう。

ヨーロッパの総てのヴァイオリン楽派はアルカンジェロ・コレッリにその源を辿ると言われているように、彼のDNAとその奏法は現代のイタリア人演奏家にも受け継がれていることを証明するような1枚だ。

バッハの織り成す対位法は勿論忠実に再現されているが、その中に節度のあるカンタービレと効果的な即興性などがちりばめられている。

また第6番の第3楽章では、マルコンが生き生きとしたチェンバロ・ソロでその腕前を披露している。

バッハが何故チェンバロだけの楽章を挿入したのかは知る由もないが、彼が興に乗じて弾いたであろう即興演奏を髣髴とさせる部分だ。

オブリガート・チェンバロ付の6曲のヴァイオリン・ソナタは、現在に至るまでさまざまな形態で演奏されてきた。

例えばカルミニョーラの師でもあったシェリングのモダン奏法にヴァルヒャがヒストリカル・チェンバロで伴奏した録音や、モダン・チェンバロで対応したコーガン、リヒター盤、あるいはピリオドには一切拘らずにピアノを使用したカピュソン、フレー盤などだ。

純粋な古楽のスタイル、つまりピリオド楽器にピリオド奏法での演奏というと、シギスヴァルト・クイケン、レオンハルト盤があり、通奏低音にヴィオラ・ダ・ガンバを加えたトリオ・ソナタ式のマンゼ盤もリリースされている。

これらはバッハの音楽の懐の深さと変幻自在の融通性を示していて興味深いが、このディスクはピリオド・スタイルの最新録音でもあり、古楽ファンには是非お薦めしたい。

使用楽器はライナー・ノーツによればヴァイオリンは作者不詳の17世紀のオリジナル、チェンバロはウィリアム・ホーンがコピーしたミートケ・モデルで、ミートケはケーテン時代のバッハがベルリンに赴いて宮廷のために購入した二段鍵盤を持つ大型チェンバロだ。

尚ピッチは現代より半音ほど低いa'=415Hzに調律されている。

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2020年03月23日


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ヴァルヒャの演奏は一切の饒舌を避けた、バッハ音楽の真髄だけが光を放っているようなシンプルなもので、あたかも平均律の原典譜を目の前に提示されたかの感さえある。

それだけに解釈は断固として明瞭で一点の翳りも戸惑いもない。

それはあの伝説的な暗譜方法、つまり各声部を別々に暗記してそれらを頭の中で再構成するという驚異的な暗譜法に由来しているのかも知れない。

理知的でありながら冷淡でなく、彼特有の突き進むような情熱で満たされていて聴く者に幸福感を与える稀有な演奏だ。

彼がバッハオルガン音楽の権威であることは無視できないし、チェンバロの演奏表現にもそれが反映しているのは事実だ。

ただ彼の演奏はバッハの音楽の媒介者としてひたすら奉仕するという目的で、楽器の持つ特性や能力を超越したところで成り立っているように思う。

そうした意味では1回目の録音時と基本的な姿勢は変わっていない。

勿論彼がこの2回目の録音の為にオリジナル楽器を選んでくれたのは幸いではあるが。

ちなみにこのセッションに使われたチェンバロだが、第1巻ではヤン・ルッカースが1640年にアントワープで製作したものでピッチはa'=415Hz、フレミッシュ特有のシンプルで立ち上がりの良い、しかも輪郭の明瞭な音色が対位法の音楽に適している。

第2巻はジャン=アンリ・エムシュが1755年から56年にかけてパリで製作し、1970年にクロード・メルシエ=イティエによって修復された楽器でピッチはa'=440Hz。

こちらはバロック盛期の華麗な響きを持っている。

ヴァルヒャがヒストリカル・チェンバロを使用したのはこの『平均律』を含めてわずか2例で、もうひとつがシェリングと組んだバッハのヴァイオリン・ソナタ集になる。

それは当時博物館に収容されていた古楽器の大掛かりな修復が余儀なくされていた事情によるものと思われる。

音源は1974年9月に行われたアナログ録音だが、音質はそれぞれのチェンバロの音質の特色を良く捉えた優れたものだ。

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2020年02月27日


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本書は吉田秀和氏が書き下ろしたものではなく、機会あるごとに書いたバッハの作品への分析や演奏批評、レコード解説などを一冊に纏めたものである。

取り上げているサンプルは20年以上前の録音だが、現在私達がバッハを鑑賞する時の明快な手引きとして活用できる点が優れている。

これを読んでいると彼が如何に音楽の本質を捉えて語っているかが理解できる。

また決して対位法や和声の楽理に固執した偏狭な聴き方ではなく、バッハの書いたスコアが実際の音として再現されることへのほとんど無限の可能性と聴くことへの感動を伝えている。

それだけにカール・リヒターの『ブランデンブルク協奏曲』をまず解説して、それとは対照的なネヴィル・マリナーの同曲集も挙げている。

また『ゴ−ルドベルク変奏曲』に関してはグレン・グ−ルドとトレヴァ−・ピノックを推薦し、同様に『平均律』にはリヒテルとグルダの演奏が比較されている。

吉田氏のバッハ鑑賞への指標は明確で、19世紀の恣意的な表現の流れを汲む演奏はバッハには相応しくないとしている。

その中にハイフェッツの無伴奏も含まれているのは手厳しい。

しかし正確なリズムと的確なダイナミズムによる、生き生きとしたポリフォニーの再現が示される演奏には視野を大きく拡げている。

以下彼の書いた本文の一部を紹介しておく。

『私は、いつも「最高」のバッハのものばっかり好んで聴く趣味はないし、それを特に探そうと考えているものでもない。バッハには、まだ、別のバッハがいくつもある。そういう中で、リヒターのバッハと著しく違っていて、しかも、私を魅惑してやまないのは、グレン・グ−ルドのバッハである。リヒターとグ−ルドと、私は、そのどちらも捨てたくはないし、捨てる必要を少しも感じない。音楽は、それを許すのである。Gott sei Dank.(神が感謝されんことを)』

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2020年02月16日


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大バッハの末っ子ヨハン・クリスティアン・バッハは、幼いモーツァルトに多大な影響を及ぼしたことで逆に顧みられるようになった音楽家だ。

当時はその単純明快なイタリア風の作風でロンドンの大衆に絶大な人気を博した作曲家だった。

彼の作品16は『旋律楽器による伴奏付のキーボードのための6曲ソナタ集』で、特に楽器の指定はされていないので演奏者の選択に委ねられるが、ここでは当時の音色を再現すべく、普段は滅多に聴くことがないピリオド楽器が使われているところに特徴がある。

この録音はハンガリーを代表する古楽器奏者ミクローシュ・シュパーニとベネデク・チャーログが1999年に行ったセッションで、タンジェント・ピアノとトラヴェルソという楽器編成では殆んど唯一の貴重なサンプルでもある。

モーツァルトにも同様のソナタが存在するように、こうしたソナタではヴァイオリンやフルートなどのメロディー楽器はあくまでも伴奏にまわり、鍵盤楽器に彩りを添える役割を果たしている。

全曲ともに簡易な2楽章形式で作曲されていて、もはやバロックの複雑さからは解き放たれた軽快なギャラント様式は、古典派志向を確実に予見していて興味深い。

演奏者シュパーニとチャーログはどちらもブダペスト出身で、ヨーロッパの古楽畑では既にベテラン奏者になる。

この2人はやはりヒストリカル楽器やそのコピーを使って大バッハのソナタ集や『夜の響き』と題されたCDを意欲的にリリースしている。

彼らのポリシーはそのピリオドの音響をできる限り忠実に再現するということに集約されるだろう。

それは現代人の耳に心地良いか否かに係わらず、当時の人々が実際に聴いていたであろう音楽を目指しているために、大らかで奥ゆかしい響きの中に意外な新鮮さが感じられるのも事実だ。

シュパーニが弾くタンジェント・ピアノは18世紀に流行した鍵盤楽器で、音色はどちらかと言えばチェンバロに近いが、タッチによって微妙なダイナミクスの表現も可能で、また音色を変化させるレジスターも付いている。

シュパーニは古楽器のコレクターとしても知られているが、彼がこの録音に使用したのはイタリアの製作家バルダッサーレ・パストーリ製のコピーで、一方トラヴェルソ奏者チャーログはベルギーの名工G.A.ロッテンブルグの1745年モデルを使用している。

ピッチは現代より半音低いa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチ採用。

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2020年02月05日


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2009年に刊行されたナイーヴ・クラシック・コレクション・シリーズの第1巻を飾るボックス・セット。

既にリリースされたCDの廉価盤化だが23X14cmのボックスの中に2枚のCDと文庫本程度の仏、英語によるライナー・ノーツが収納されているコレクション仕様になっている。

当巻はピエール・アンタイのチェンバロ演奏によるJ.S.バッハの作品集で、1枚目はゴールドベルク変奏曲BWV.988、2枚目がチェンバロ協奏曲第3番ニ長調BWV.1054、同第1番ニ短調BWV.1052及び三重協奏曲イ短調BWV.1044で、その間を縫うようにしてプレリュードとフーガBWV.880と892が収録されている。

使用チェンバロはミヒャエル・ミートケの二段鍵盤のコピーでピッチはソロ曲がa=415、協奏曲はa=400。

ミートケのチェンバロはバッハがケーテンの宮廷楽長時代に同楽団用に購入したもので、ブランデンブルグ協奏曲第5番のチェンバロ・パートはこの楽器のために書かれたとされている。

アンタイの演奏は彼の師グスタフ・レオンハルトの真摯で厳格な対位法の再現を踏襲しているものの、テンポは速く、より自由闊達でモダンな表現が特徴的だ。

ゴールドベルク変奏曲では軽妙なタッチと気の利いた独特のセンスが楽器の音色の美しさも手伝って、この大曲を決して飽きさせることが無い。

一方協奏曲集は溌剌としたテンポの設定と歯切れの良いリズム感が従来の古楽のイメージを払拭するほど快活な演奏だ。

尚オーケストラ、ル・コンセール・フランセーは、わずか6名の小編成で日本人ではヴァイオリンの寺神戸亮とチェロの鈴木秀美が参加している。

トラヴェルソ・ソロは兄弟のマルク・アンタイが担当。

古楽の世界ではベルギーのクイケン三兄弟と並んでフランスではアンタイ三兄弟がリーダー・シップを取っている。

彼らも既に単独あるいは合同で多くのCDをリリースしているが更にこれからの活躍が期待される。

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2020年02月03日


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ヒラリー・ハーンは1997年にCDデビュー(ソニー)、そのデビュー盤がバッハの無伴奏作品(ソナタ第3番、パルティータ第2番&第3番)だった。

このデッカからリリースされた『ヒラリー・ハーン・プレイズ・バッハ』をもって、実に20年の時を経て『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』全曲が完成することになる。

デビューからの約20年間でヒラリー・ハ−ンの音楽性は深化の一途を辿った。

レパートリーを広げ、ヴァイオリン協奏曲の王道的な作品を発表しながら、現代作品に至るまで広く取り上げる現代屈指のヴァイオリニストになった。

2003年にドイツ・グラモフォンに移籍した後は、グラミー賞2度受賞(ソニー時代にも1回受賞)を果たすなど、更に磨きの掛かった技術と音楽性で人々を魅了してきた。

今回デッカから発表されるバッハ・アルバムは、これまで歩んできたおよそ20年という歳月を振り返りながら初心に立ち戻り、新たな世界への一歩を力強く踏み出さんとする確かな意思を感じ取れる、研ぎ澄まされた音色に満たされている。

前述のようにヒラリー・ハ−ンは18歳の時にバッハの無伴奏3曲でディスク・デビューを飾り、その後残された3曲は録音を先送りしていた。

20年ぶりの解釈の変化を知るためにデビュー盤を聴き直してみたが、当時の颯爽としたフレッシュなイメージを残しつつ更に洗練味を増した、潔癖とも言うべき、非の打ちどころのないほどの完璧主義的スタイルを創り上げている。

その分幾らか覇気は後退しているが、これは曲目の性格に由来するものかも知れない。

つまり長丁場のシャコンヌを含むパルティータ第2番や大規模なフ−ガを持つソナタ第3番は既に録音済みなので、ここではむしろヴァイオリンを流麗に歌わせながら、ポリフォニーの綾を精緻に紡ぎだすことへの接点を究極的に追い求めた奏法を開拓しているのが聴きどころだろう。

それぞれの作品の解釈はデビュー当時と大差はなく、恣意的な表現はできる限り避けてバッハの音楽が聴き手に直接伝わるように演奏している。

それゆえ個性的な無伴奏を期待した人には当て外れかも知れない。

あくまでもオ−ソドックスの道を踏み外すことなく、その上に自己のスタイルを築いていくのは安易な道を選択しないハ−ンの矜持だろう。

その意味でもここに完結したバッハの無伴奏全曲は彼女の到達し得たひとつの境地を示していると言える。

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2020年01月17日


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2014年はC.Ph.E.バッハの生誕300周年に当たり、彼にちなんだコンサートの開催や作品集のリリースも盛んに行われた。

オランダのブリリアント・レーベルからはCD30枚のエディションも刊行されたが、このフルート・ソロと通奏低音のためのソナタ全曲集も同エディションに組み込まれた2枚をピックアップしたもので、2012年及び翌13年に収録されたヴェンツとしては久々のCDになる。

彼の若い頃の演奏はロカテッリのソナタ集に代表されるような、名技主義を前面に出したおよそ古楽とは思えないような疾走するテンポが特徴で、クイケン門下の異端児的な存在だったが、ここ数年超絶技巧は残しながらも様式に則ったよりスタイリッシュな演奏をするようになったと思う。

この曲集も流石に大バッハの次男の作品だけあって、豊かな音楽性の中にかなり高度な演奏上のテクニックが要求される。

ヴェンツを強力に支えているのがチェンバロのミハエル・ボルフステーデで、ムジカ・アド・レーヌムの長い間のパートナーとして絶妙なサポートをしている。

2枚目後半での彼のフォルテピアノのダイナミズムも聴きどころのひとつだ。

今回ヴェンツの使用したトラヴェルソは最後の3曲がタッシ・モデル、それ以外はノーストの4ジョイント・モデルで、どちらもシモン・ポラックの手になるコピーだ。

ピッチはa'=400Hzの低いヴェルサイユ・ピッチを採用している。

これはそれぞれの宮廷や地方によって統一されていなかった当時の、ベルリン宮廷で好まれたピッチで、ムジカ・アド・レーヌムもこの習慣を踏襲している。

またボルフステーデは2枚目のWq131、133及び134の3曲には漸進的クレッシェンドが可能なフォルテピアノを使って、来るべき新しい表現を予感させているが、この試みは既にヒュンテラーの同曲集でも効果を上げている。

尚このソナタ集には無伴奏ソナタイ短調が入っていない。

ヴェンツは大バッハの無伴奏フルート・パルティータは既に録音済みだが、この曲もやはり非常に高い音楽性を要求されるレパートリーだけに将来に期待したい。

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、27年間に亘ってプロイセンのフリードリッヒ大王の宮廷チェンバリストとして奉職したために、大王のフルート教師クヴァンツや大王自身の演奏に常に参加して彼らの影響を少なからず受ける立場にあった。

しかし作曲家としては彼の革新的な試みが不当に評価されていて、俸給はクヴァンツの年2000タラーに対して若かったとは言え彼は300タラーに甘んじなければならなかった。

当時のプロイセンでは2部屋食事付ペンションの家賃が年100タラー、下級兵士の年俸が45タラーだったので決して低い額とは言えないが、クヴァンツが如何に破格の待遇を受けていたか想像に難くない。

カール・フィリップ・エマヌエルが作曲したフルート・ソナタには他にもオブリガート・チェンバロ付のものが10曲ほど残されているが、さまざまな試みが盛り込まれた音楽的に最も充実していて深みのある曲趣を持っているのはここに収められた11曲の通奏低音付ソナタだろう。

ソロと低音の2声部で書かれたオールド・ファッションの書法で、通常チェロとチェンバロの左手が通奏低音を重ねて右手が和声補充と即興的なアレンジを施すことになるが、このCDでも彼らはそのオーソドックスなスタイルを遵守している。

最後の第11番を除いて緩急のふたつの楽章に舞曲を加えた3楽章形式で、終楽章は通常ヴァリエーションで曲を閉じている。

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2019年12月06日


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20世紀後半の演奏の世界に新しい流れを作り出したのが古楽グループであった。

古楽演奏の精神という考え方は、作品は作曲者が生き、耳にしていたように再現されるとき、最も正しく、また本来あるべき姿で甦るということに要約されようが、こうした動きは1970年代以降の世界的なうねりとなり、各地に古楽器オーケストラが誕生した。

守備範囲はバロックから古典派というのが初期の傾向であったが、彼らの進出ぶりは目覚ましく、楽譜の読み、スタイルの研究、知識の拡大、そして何よりも深化されていく演奏技術などが相互に、それもプラスの方向で影響を与え合って演奏の世界を一変させた。

21世紀となった今、こうした成果はモダン・オーケストラにも取り入れられるようになってきたし、古楽オーケストラも対象領域を拡げるなど事態は流動化しているが、ベルギーに1972年に創設されたラ・プティット・バンドは守備範囲をいたずらに拡大することなく、彼らが得意とし、また「好きだ」と言える作品に勢力を集中、古楽オーケストラのリーダー的存在感と品格とを保ち続けている。

創設者はバロック・ヴァイオリンの名手シギスヴァルト・クイケン(1944年生まれ)だが、コンサートマスターに寺神戸亮、チェロの首席には鈴木秀美らを擁するなど日本の名手たちも多数参加しており、狭いセクト主義に傾くことのない音楽最優先、感動最優先のアンサンブルである。

もちろんバッハは彼らの中心的レパートリーだが、不思議に《ブランデンブルク協奏曲》のような人気曲に対しては慎重であった。

歴史的名作の再現には、完璧なる人材と十分なる準備期間、そして演奏の熟成度が不可欠との判断があったのだろうか、ラ・プティット・バンドは結成から20年以上が過ぎた1993年から翌年にかけて、ようやく録音に踏み切ったのである。

満を持して取り組まれたバッハの名作だが、結果は、単に巧い、美しい、洗練されているといった次元を超えた「豊かさ」に満ち溢れている。

古楽オーケストラならではのふくよかで温かい音色、緩急も自在なアンサンブルの妙技、演奏家一人一人の顔が見えるような人間的味わい、そして演奏にかける気迫などを通して、聴き手は名作の名作たる由縁を再確認するとともに、その喜びに浸るように味わうことが可能となっている。

狩りのホルンの絢爛たるソロが屋外的興奮へと誘う〈第1番〉、トランペットに替えてホルンがソロを務め、しっとりとした華やかさを感じさせる〈第2番〉、規模は小さいながらイタリア的合奏の魅力を満喫させる〈第3番〉、独奏ヴァイオリンとリコーダーの掛け合いが楽しい〈第4番〉、これ以上に華麗で躍動的な幸福感はないと言いたくなる〈第5番〉、いぶし銀のヴィオラ・ダ・ガンバが光る〈第6番〉など、いずれも時を忘れて聴き入らせる名演である。

作品が喜んでいるような演奏と言ったら、一番分かりやすいのかもしれない。

技術だけでは名演にはならない。

経験、学識、相互理解、年輪がミックスされて「味」が出てくる。

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2019年11月18日


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バッハを「雲上に君臨する聖者」と称え、「神の子の苦しみ、キリストの救済史を自己の魂において深く体験し、最後の、最大の受難曲《マタイ受難曲》において一つの巨大な創造的事業を成し遂げた人物」と語ったのは、一世を風靡した巨匠ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)である。

フルトヴェングラーは時代的には後期ロマン派の出であると共に、すぐれた学者・教育者の家系に生まれ、音楽好きでブラームスやシューベルトを尊敬していたブラームスやシューベルトを尊敬していた父の専門の考古学を始め、さまざまな学問分野に関心を寄せた、近代ドイツの典型的な知識人であった。

そうした幅広い教養を土台としたフルトヴェングラーの芸術家としての生い立ちには、少年時代にバッハのマタイ受難曲を聴いたことと、16歳の時にフィレンツェに滞在してミケランジェロの彫刻に出会ったことが、その成長に本質的な影響力を及ぼした二つの原体験であったといわれる。

カーライルの『英雄と英雄崇拝』やロマン・ロランの『ミケランジェロ』などから知られるように、それは彼の世代の中で心ある人々が共通の体験としてもっていた、あの創造する英雄的人間への強い憧れの目覚めであり、そしてまたその英雄的悲劇性への開眼であった、といえるのではなかろうか。

少なくともバッハの受難曲の解釈に関しては、19世紀後半から第一次世界大戦までのこの時期では、偉大な「神人イエス」を主人公とする受難の悲劇という視点が主流を占めていたから、こうした視点での演奏によるマタイ体験が、あのダビデ像やピエタに象徴されるように偉大な人間の悲劇性とそれをめぐる悲壮美と悲哀感の無比な表現を「冷たく客観的な」石材から呼び起こしたミケランジェロ芸術への共感へとつながって行った必然性が、筆者にはよくうなずけるように思われる。

後年フルトヴェングラー自身がバッハのこの大作について語った次のことばも、そのことを裏付ける。

「神の子の苦しみ、キリストの救済史(のドラマ)を自己の魂において深く体験し、最後の、最大の受難曲においてあの巨大な作品を創造することのできた人間、これがバッハなのだ。この大曲は、少なくとも第一音から最終音に至るまで作品に一貫するあの印象深く巨大な情念の統一性に関する限り、ロマン派時代の記念碑的作品であるヴァーグナーのトリスタンにのみ比せられるべきものであろう」(1948年、『音と言葉』芦津丈夫邦訳により一部改訂)。

そして彼の哲学的音楽観は、そのマタイの音楽の中に客観的、叙事的平静さと主観的、激情の両素が「模倣しがたい独自な仕方で結合している」ことを認識した。

その認識に立脚しつつ、神人イエスの受難と死の救済史に一貫するオラトリオ的・ドラマ的情念の統一性(いまかりにこれを「神的英雄の受難と死をめぐる悲劇性のパトス」と呼んでおく)を表出しようとした真摯な試みが、教会外の場で上演されたフルトヴェングラーのこのマタイ受難曲のユニークな特色ではなかろうか。

バッハ自身はすべて赤インクで記入した福音書聖句の一部省略を始め、アリア、コラールなどの省略も、単に時間上の制約というよりは、そうした悲劇的パトスの一貫性をより明確に打ち出そうとするこの指揮者の天才的直覚と曲全体のドラマ的把握から必然的に生じた行為だったといえよう。

しかし時代は二つの大戦の惨禍を経て、福音書をイエスという一人の宗教的天才の言行録と見る後期ロマン派的自由主義的神学(そこでは聖書の抜萃とその宗教史的、哲学的釈義が重視された!)が、神の主導権とキリストにおける福音の啓示の絶対性を主張する弁証法神学に、そしてまた様式史的、編集史的聖書教義の登場に席を譲らざるをえない情況となった。

そこからバッハを見直すとき、「原始キリスト教の信仰の本質こそが、バッハ自身にとって、未だに完全に自覚された生の基盤であり、魂の糧であった。そこでもし神学の語が、真のキリスト教信仰が自己自身によって立つ実質への自覚と反省への営みを意味するとすれば、バッハは神学の人であったといわねばならない。彼はベートーヴェンのような宗教性の音楽家たるにとどまらず、またブルックナーのようにナイーヴな教会的信仰の人でもなかった。バッハの神学的思考と洞察の枠外れのエネルギーは(カントやヘーゲルなどの思想よりももっと深く人の心を震撼し(シュヴァイツァーの言)、彼の音楽活動の全領域に充溢していて、そのどんな片隅に触れても純粋な生命力として吹き出して来るのである(ハンス・ベッシュ「バッハと終末論」1950年より)。

ルターの説いた十字架の神学をその神学的思考の核心に据えたバッハ音楽。

かくしていぜん大きな未開拓の世界を内蔵したマタイ受難曲は、その後の歴史的主義的復古演奏の試行錯誤を経て、たぶんその基盤の再発掘を含めて、また作品全体の新たな統一的構造の把握に(例えば礒山雅氏はこれを「慈愛の構造」として把えようとする(『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』173項以下)到達するように、現代の私たちに呼びかけ、さし招いているのである。

そして巨匠フルトヴェングラーは、その生涯の最後に、この人独自の全体的統一性の把握に基づくマタイ受難曲のライヴ録音(1954年4月14/17日。同年11月30日に68歳で逝去)を後世へのよき励ましとして、また時には反面教師の意味でも何よりも貴重な精神的教訓として残していってくれたのである。

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2019年11月14日


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このディスクがリリースされた当初からの愛聴盤で、1997年の録音になる。

その頃無伴奏トラヴェルソのための曲集と言えば、バルトールド・クイケンがオリジナル楽器のG.A.ロッテンブルグを演奏して録音をしたテレマンの『無伴奏フルートのための12のファンタジー』が唯一で、これは当時としては異例に早い1978年のセッションだった。

しかしその後無伴奏の作品のみを集めた企画は、採算性の都合もあって制作されなかったのが実情だろう。

演奏者のベネデク・チャーログはハンガリーの中堅トラヴェルソ奏者で、既にこれまでにも数多くのCDをリリースしている。

その中には普段あまり聴くことができないJ.Ch.バッハの6曲のソナタやコレッリのヴァイオリン・ソナタからの18世紀の編曲版など興味深いものが多い。

この曲集では中心に大バッハの『無伴奏フルートのためのパルティータ』及びC.Ph.E.バッハの『無伴奏フルートのためのソナタイ短調』という、トラヴェルソ用のピースとしては音楽的にも、また技術的にも最高度の表現を要求される2曲を置いて、その他にテレマンの『ファンタジー』から6曲、クヴァンツの組曲とJ.Ch.フィッシャーの『メヌエットのテーマによる変奏』が収録されている。

尚クヴァンツの組曲は独立して書かれたものではなく、彼の『初心者のための練習用小品』からホ短調の舞曲を5曲組み合わせたものになる。

チャーログは音楽的な中庸をわきまえた堅実なテクニックを持った演奏家で、彼の師クイケン譲りのごく正統的で飽きのこない解釈とその再現に特徴がある。

彼がこの録音のために使用している楽器は全曲ともA.G.ロッテンブルグ製作の1745年モデルで、インスブルックの古楽器製作者ルドルフ・トゥッツの手になるコピーだ。

このトラヴェルソは後期バロックを代表する名器で、転調にも比較的強くスケールにもバランスのとれたオールマイティな性能を備えているが、どちらかというとこうした曲目には音色がいくらか軽めで、またf'''音が出しにくい欠点がある。

この音はC.Ph.E.バッハの『ソナタ』に3回現れるが、チャーログは巧妙なテクニックでカバーしてこの難音をクリアーしている。

一方大バッハの『パルティータ』の「アルマンド」には最高音のa'''が使われている。

この演奏で彼は後半部の繰り返しを省略して1回だけに留め、不釣合いな2回の音の突出を回避している。

これらの曲はクイケンやハーゼルゼットなどの大家が、より適したモデルのトラヴェルソを使って演奏しているので、楽器の選択という点でこのセッションが理想的というわけではないが、デビューしたばかりの若手の演奏家の一途な情熱が感じられるところを高く評価したい。

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2019年11月06日


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このディスクにはオランダのトラヴェルソ奏者ウィルベルト・ハーゼルゼットの演奏によるバッハの無伴奏チェロ組曲第1番から第3番までの3曲と、無伴奏フルートのためのパルティータイ短調の都合4曲が収録されている。

この中でバッハがトラヴェルソ用に書いた作品は後者の1曲のみで、その他はハーゼルゼット自身の編曲になる。

チェロ組曲はその優れた対位法的な骨格から他の楽器でもしばしば演奏される曲集で、フルート用にアレンジされた楽譜も出版されているが、それは現代のベーム式フルートのために編曲されたものだ。

バロック時代のトラヴェルソで演奏する場合にはその調性に適った選曲と音域に合わせて手を入れることが不可欠になってくる。

ここでは6曲の組曲の前半3曲が選ばれ、ハーゼルゼットのアレンジによって、和音を分散形にしたり音域を適宜オクターヴ移動させることによって原曲の持ち味を活かしながら、楽器に無理のない音楽表現ができるように工夫されている。

編曲物であってもバッハの音楽の普遍性とその融通性に改めて納得させられる演奏だ。

使用楽器は組曲ト長調BWV1007にはクヴァンツのポツダム・モデルを使用している。

これは2キー・タイプでピッチはa'=387Hz、ニューヨークの製作家C.フォルカース&A.ポウェルの手になるコピーだ。

また組曲ロ短調BWV1008ではベルギーのデ・ヴィンネのコピーになるデンナー・モデルのワン・キー・タイプでこちらのピッチはa'=392。

そして組曲ハ長調BWV1009及びパルティータBWV1013はアラン・ヴェーマルス製作のI.H.ロッテンブルグのワン・キー・タイプというように楽器の選択にもかなり凝っている。

それはそれぞれの曲の調性と音域に見合ったトラヴェルソの機能を充分に発揮させるためにハーゼルゼットが使い分けたためだろうが、結果的に三種の笛の音色を堪能できるという趣向にもなっている。

最後に置かれたパルティータイ短調は第1楽章のアルマンドでトラヴェルソの最高音a'''が出てくる難曲だが、ハーゼルゼットは後半部の繰り返しを省略して、最後の最高音を老獪とも言える絶妙なテクニックで消え入るように演奏している。

この方法によって、この音だけが突出して組曲としての継続感を妨げることを避けている。

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2019年11月05日


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一昨年亡くなったチェコの女流チェンバリスト、ズザナ・ルージチコヴァーの追悼盤で、LPに付属したDVDにはゲッツェルズ監督によるドキュメンタリー映画が収録されていて、彼女が晩年のインタビューで答えた過酷な人生が多くのクリップや写真と共に語られていて感動を禁じ得ない。

彼女は一部を除いて英語で話しているが、日本語の字幕スーパーも付けられている。

この字幕に関してはいくらかやっつけ仕事的なミスも散見されるが、大意は問題なく理解できる。

差別と貧困のなかでも彼女が捨てることがなかったのは人間愛と音楽への情熱で、その隠された不屈の闘志とも言うべき強さを生涯持ち続けたことは驚異的だ。

彼女はその理由として幸福な家庭に生まれたことを忘れず、そして良き夫に恵まれたことを挙げている。

またルージチコヴァーの薫陶を受けた若い音楽家達が、その芸術を受け継いでいるのも頼もしい限りだ。

彼女は同郷の指揮者カレル・アンチェルと同じくアウシュヴィッツから命からがら生還を果たしたが、その幸運も束の間でスターリン体制の下で再び屈辱的な生活を余儀なくされる。

また18歳からのピアノ・レッスンの再開は、先生からも見捨てられた状態だったと話している。

ユダヤ人差別は決して終わったわけではなく、予定されていたアンチェルとの協演は、ひとつの楽団に2人のユダヤ人は多過ぎると当局に阻止されてしまう事件も象徴的だ。

1968年にはソヴィエト軍のプラハ侵攻によって再び厳しい統制が敷かれ市民の生活が当局の監視下に置かれた時、彼女はまたしても過去の時代の到来を感じずにはいられなかった。

アンチェルが亡命を決意した理由も良く理解できる。

こうした状況の中でルージチコヴァーはチェンバリストとしての道を決意し、ミュンヘンのコンクールに優勝して西側からの招聘に応じて演奏活動を始める頃からようやく音楽家としての運が開けたようだ。

彼女はエラートからの提案でバッハのチェンバロのための全作品の世界初録音を完成させた。

後にスカルラッティのソナタ全曲のオファーも来たが、その大事業を始めるには遅すぎた、再びチェンバリストに生まれたら是非スカルラッティも全曲録音したいとユーモアを交えて語っている。

時代に翻弄され人生の辛酸を舐め尽くした音楽家として信じられないくらいのバイタリティーと豊かな音楽性、そしてなによりも厳しくも温かい人間愛を伴った演奏を遺してくれたことを心から感謝したい。

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2019年10月28日


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ヘンリク・シェリングの最初の無伴奏全曲録音であるが、音楽的には既に完成していて、1967年の2回目のステレオ盤に全く遜色の無い出来栄えだと思う。

バッハの無伴奏ヴァイオリンの全曲録音の歴史を辿ると、メニューインが34-35年、エネスコ40年、ハイフェッツ52年、シェリング55年、シゲッティ55-56年、グリュミオー60-61年、シェリングの再録音67年そしてミルシテインの再録音74年となる。

なかでもシェリングのそれは他の誰よりも精緻で客観的であることを認めざるを得ない。

まだバロック音楽自体が再認識され始めたあの時期に、彼は既にバッハ演奏に対する芸術的信念とも言うべき哲学を、自身の演奏に実践していたのだ。

それはそれまでの無伴奏に対する概念を覆すほど鮮烈なものだった。

何故ならこの曲を歪曲することなく、誠実にしかもあるがままに再現することに成功したからだ。

とりわけ55年のモノ録音は、あの時代にあって冷徹なほど曲の構造を分析し、それを忠実に再現するために彼独自の奏法を開拓した革新的な表現が聴ける。

バッハの楽譜を克明に読み、作品の意思を汲み取ろうとする姿勢が演奏に直接反映されており、それが無伴奏ながら本質的にポリフォニックなこの音楽の構造を、はっきりと際立たせる表現を生む。

また若いからこその純粋で考えすぎない潔さに魅力があり、深謀遠慮も手練手管もなければ迷いもなく、シェリングの積極的な意欲が強烈に訴えかけてくる演奏だ。

ロマンティシズムに溢れたハイフェッツの演奏と比べれば、シェリングが全く新しい時代の解釈を先取りしていたことが明瞭に理解できるはずだ。

その後も彼は自分のコンサートのプログラムに盛んにこの曲集を採り上げた。

まさに彼が生涯の課題として取り組み、弾き込んだレパートリーのひとつだった。

細部では67年盤の方が自由闊達な躍動感を持っているのに対して、こちらでは一途な、そして静かな情熱の迸りを感じさせる。

確信をもって、しかも力強い説得力を伴って聴かせるシェリングの演奏には、人間の計り知れない力をみる思いがする。

更にこの55年のモノ録音ではヴァイオリンのまろやかで、しかもくっきりとした輪郭を持った美しい音色を堪能できる。

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2019年10月24日


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英国の女流トランペッター、アリソン・バルサムはバルブ機能のないナチュラル・トランペットの奏法をマスターして、2012年に彼女としては最初のピリオド楽器によるバロック作品集をトレヴァー・ピノックと制作している。

今回はパヴロ・べズノシューク率いるアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックとオルガニスト、スティーヴン・クレオバリーのサポートでナチュラル、モダンの2種類の楽器を巧みに使い分けた演奏を披露している。

尚トラック11のバッハのカンタータ『主よ、人の望みの喜びよ』のコラールではケンブリッジ・キングスカレッジ合唱団とオルガンのトム・エザリッジがゲスト出演して、このアルバムに花を添えている。

2015年から2016年にかけて録音された新譜で、バルサムの軽快なトランペットやオルガンの分厚い中低音を忠実に再現した音質は極めて良好。

アルバムのタイトルはラテン語のユービロ(歓喜を叫ぶ)から取ったものだろう。

全体的な印象ではクリスマス向けの家族で気軽に楽しめる娯楽的な側面が強いが、一流どころのピリオド・アンサンブルによる本格的な演奏集というのがセールス・ポイントだろう。

彼女のソフトでふくよかなトランペットの音色が活かされた音楽性豊かな表現と鮮やかなテクニックを堪能できるのが魅力だ。

ただアレンジ物ではコレッリの『クリスマス協奏曲』からのサイモン・ライトのトランペット用編曲版が全曲入っているが、果たしてこの曲がトランペット・ソロ用に最適かというと首を傾げざるを得ない。

確かにクリスマスには相応しい作品には違いないが、合奏協奏曲でひとつの声部をソロ楽器で強調すれば、全体的な対位法としての響きのバランスが崩れてしまうのは明らかだ。

それよりオリジナルのバロック・トランペット協奏曲を入れて欲しかったというのが正直な感想だ。

トランペットの輝かしく英雄的な演奏効果はこれまでに多くの作曲家によって、例外なくそうした表現のために用いられてきた。

バルサムはその洗練されたテクニックと歌心に溢れた柔軟な感性で、バロック時代のトランペットが私達が考えているほど甲高く野放図な音を出す楽器ではなかったことを証明して、従来のトランペットのイメージを少なからず再認識させてくれる。

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2019年10月20日


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「甘美な響きの調和」と題されたこのディスクにはリーザ・べズノシュークのトラヴェルソとナイジェル・ノースのバロック・リュート及びギター演奏で、バロックからロマン派までの心和む7曲のデュエットが収められている。

入門者あるいは古楽に全くなじみのない方にも理屈なく楽しめるアルバムだが、演奏は古楽ファンも充分満足させるだけの質と内容を持っている。

金属管のフルートでは出すことのできない柔らかでぬくもりのあるトラヴェルソの音色とリュートやギターの古雅な響きが溶け合った穏やかで優しい音楽は、リラックス・タイムのBGMとしても最適だ。

ちなみにべズノシュークのトラヴェルソは、ロカテッリとC.Ph.E.バッハのソナタには1745年製のG.A.ロッテンブルグのワン・キー・モデル、その他の曲には1790年製H.グレンザーの8キー・モデルを使用している。

ノースは同じく最初の2曲にモデル名の明記されていない13弦リュート、その他には1815年製J.パヘス・モデルの6弦ギターをそれぞれ用いている。

リーザ・べズノシュークはトレヴァー・ピノック時代のイングリッシュ・コンサートを始めとする英国の主要なピリオド楽器使用のバロック・アンサンブルのメンバーでもある。

夫はバロック・チェリストのリチャード・タニクリフ、弟パヴロはバロック・ヴァイオリニストという古楽ファミリーのメンバー。

彼女自身既にバッハやヘンデルのフルート・ソナタ全集をリリースしていて、ロンドンではレイチェル・ブラウンと並ぶベテラン女流トラヴェルソ奏者だ。

一方リュートとギターを弾くナイジェル・ノースはグスタフ・レオンハルトの下で古楽を修めたイギリスを代表するリュート奏者。

リン・レーベルからバッハの『無伴奏チェロ組曲』のリュート編曲版などの優れたディスクを出している。

このセッションは1986年に英ブリストルのアーモンズバリー・パリシュ・チャーチという12世紀のゴシック教会で行われた。

古楽には欠かせない雰囲気と適度な残響が活かされていて音質も鮮明だ。

アモン・ラー・レコーズは、オリジナル楽器やピリオド楽器を使った珍しい曲目のセッションをリリースしている英国のマイナー・レーベルだが、演奏者はその道では名の通った人ばかりで、通常殆んど聴くことがないレアな作品を質の良い演奏で鑑賞できるのが特徴だ。

ただ最近の新録音はないようで、過去の音源をコレクター向けに細々と再生産しているのは残念だ。

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2019年10月17日


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ベルギーのピリオド・アンサンブル、イル・ガルデッリーノは古楽の故郷ネーデルランドの古い伝統を受け継ぎながら、インターナショナルなメンバーが情熱的な演奏を繰り広げる、もはや古楽の老舗的グループである。

基本的に各パート1人に通奏低音の補充にヴィオローネが加わる編成だが、後半の2曲ではソロ楽器としてもチェンバロが大活躍する。

このアンサンブルの創設者の1人でトラヴェルソ奏者、ヤン・デ・ウィンネは古楽器製作者でもある。

当然このディスクに収録された3曲は彼の製作したピリオド楽器、2キー・タイプのクヴァンツ・モデルを使ったソロになる。

写真を見る限りではオリジナルと同じ黒檀材を使っているが、ピッチは現代よりほぼ半音低いa'=415Hzの替え管のようだ。

クヴァンツ・モデルの特長は転調に強く、低音から高音まで音量が豊かで協奏曲でも他の楽器に埋もれることなく華やかな効果を上げることができる。

バロック・ヴァイオリンはポーランドの若手ヨアンナ・フシュチャで、使用楽器はヘンドリック・ヤコブスの手になる17世紀のオリジナル。

一方チェンバロはモスクワ生まれのイスラエル人ベテラン・チェンバリスト、ツヴィ・メニケルで1738年製クリスティアン・ファーターのコピーを演奏している。

2017年ベルギー、ボランドのサンタポリネール教会での録音は極めて良好。

バッハは横吹きの笛、つまりフラウト・トラヴェルソのための珠玉の名曲を生み出している。

無伴奏パルティータイ短調、チェンバロ付のソナタロ短調や、ここで演奏されている弦楽合奏を従えた管弦楽組曲第2番ロ短調、ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調及び三重協奏曲イ短調だが、他にもカンタータや受難曲でもトラヴェルソがオブリガートで演奏される場面が随所にみられる。

縦笛に比較して陰翳に富み表現力豊かな横笛が、ヴェルサイユ宮廷からヨーロッパ諸国へ熱狂的に波及することに一役かったのが、フリュート・トラヴェルシェールの名手だったオトテールだ。

後のロンドンではジャーマン・フルートと呼ばれたほどドイツの宮廷で持て囃され、楽器の改良も進んで4ピース、ワンキーの標準型が開発された。

中でもプロイセンのフリードリヒ大王の玄人裸足の演奏と彼の作品は当時のヨーロッパの宮廷趣味を象徴している。

大王のフルート教師クヴァンツが、同じ宮廷のチェンバリストだった大バッハの次男、カール・フィリップ・エマヌエルの7倍の俸給を受けていたことも事実だ。

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2019年09月22日


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リュート界の巨匠スミス・ホプキンソンは2012年10月に残されていたバッハの『無伴奏チェロ組曲』の前半3曲をテオルボを弾いて録音を果たし、既にリリースされていたバロック・リュートによる後半の3曲を復活させ、これでこの組曲全6曲が揃った。

また彼は過去にアストリー・レーベルから『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』のリュート版も出しているので、バッハの2大無伴奏曲集が完結したことになる。

このCDは前述のチェロ組曲後半の3曲のリイシュー盤で、第5番以外は彼がリュートのためにアレンジした楽譜を使っている。

第4番と6番はオリジナルの調性が採用されているが、ホプキンソンの使用楽器はa'=415のバロック・ピッチに調弦されているので実際には半音ほど低く響いている。

尚第5番に関してはバッハ自身のリュート用編曲版がBWV995として残されているが、彼の弾くリュートの機能をフルに活用するためか原調のト短調を長二度上げたイ短調に移調している。

ただしこれもピッチの関係で変イ短調に聞こえる。

リュートによる無伴奏では、チェロで演奏するのとは全く異なった雰囲気が醸し出される。

チェロのような孤高で力強い表現は持ち合わせていないが、そこにはよりリラックスした和やかさと特有の華やかさが感じられる。

しかし実際の演奏には高度なテクニックが駆使されていることが想像される。

それは対位法の音楽をリュートで弾くことの困難さだけではなく、各声部の音質の調整や音量のバランスなど多くの問題を抱えているからだ。

それゆえこの6曲は彼が長年に亘って開拓したリュート奏法が集約された最良のサンプルと言え、バッハの音楽性に迫りながらも、リュートの繊細な響きを活かしたこの名手ならではの演奏内容だ。

バッハの無伴奏曲で彼が録音していないのは『無伴奏フルートのためのパルティータイ短調』BWV1013で、トラヴェルソ奏者B・クイケンは、この曲がオリジナルが失われてしまったヴァイスのリュート組曲であった可能性を指摘している。

彼は大バッハがトラヴェルソを学んでいた三男のヨハン・ゴットフリート・ベルンハルトのためにアレンジしたのかも知れないと推測している。

そうだとすればホプキンソンの復元による原曲のリュート組曲の演奏も聴いてみたくなる。

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2019年09月20日


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ハンガリー出身の名チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケル(1924-2013)はバッハの無伴奏組曲の録音を4回行っている。

この2枚のCDに収録されているのは1992年、彼が68歳の時のデジタル録音を24bitリマスターしたもので、最後の全曲集になった。

またそれとは別に1950年代初期のSP盤にも既に4曲を入れていたので、彼がこの無伴奏をいかに生涯の課題にしていたか想像に難くない。

つまり一生の間、バッハ無伴奏を極めるべく研鑽に励んだ修道者のようなチェリストであり、その成果が本盤である。

しかも演奏は実にかくしゃくとして揺るぎなく、難技巧の部分も楽に弾き切るテクニックもさることながら、自由闊達かつ泰然自若の趣には真似のできない至芸が感じられる。

さすがに完璧な技術、力強さ、癖のない自然な演奏であり深い味わいがあって、バッハが直接語りかけてくる趣と言うべきであろうか。

シュタルケルは古楽奏者ではないが、バロック音楽に造詣が深く、それが舞曲の生き生きとした解釈や装飾音の扱いに良く現れている。

また彼はバッハを決して恣意的に捉えず、むしろ私的なイデオロギーを表現手段に持ち込むことを嫌って、常にシンプルで様式に則った音楽の再現を試みているように思う。

それゆえに非常にすっきりとした曲の輪郭が聴き取れ、何よりもバロック組曲としての秩序と構成感が活かされているのが特徴的だ。

奇を衒った個性的な演奏ではないが、筋の通った骨太な演奏は誰にでも受け入れられる包容力を持っている。

録音状態と音質は極めて良好。

特にチェロ特有の張りのある中高音や伸びやかな低音が鮮明に再現されているし、耳障りにならない適度な残響に好感が持てる。

内部が折りたたみ式のプラスティック・ジュエル・ケースに2枚のCDが収納されているが、節約仕様の廉価盤のため、残念ながらライナー・ノーツは省略されている。

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2019年09月19日


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なぜ心にこれほど深い慰めをもたらすのか、人生への力強い肯定を語るのか、「神の秩序の似姿」に血肉をかよわせるオルガン曲、聖の中の俗、俗の中の聖を歌い上げるカンタータ、胸いっぱいに慈愛しみ渡る≪マタイ受難曲≫……。

300年の時を超え人々の魂に福音を与え続ける楽聖の生涯をたどり、その音楽の本質と魅力を解き明かした名著。

1985年に出版された同名の単行本からの文庫版で、その後の最新の資料を基にかなりの部分に亘って改訂を施し、面目を一新した形で刊行された。

バッハの評伝、あるいは彼の音楽を理解するための入門書として最適であるばかりでなく、彼の人生観、宗教観や作曲技法に至るまで、ある程度専門的な部分にまで踏み込んだ著者の考察が簡潔に、また親しみ易く書かれているのが特徴だ。

本文の構成はバッハの経歴とその作品の成立過程、彼を取り巻いていた人間関係やその当時の社会的な背景などをクロノロジカルに追って進めていくものだ。

彼は生涯ドイツから一歩も外へ出る機会を持つことがなかったにも拘らず、如何に多方面から勤勉に学び、それを完全に自分の音楽として昇華していったかが理解できる。

また当時の音楽家としては稀に見るレジスタンス精神で上司と闘った、不屈の闘志家としての側面も興味深い。

最後に置かれた補章「20世紀におけるバッハ演奏の四段階」では、バッハ復興時代から現在に至るまでの演奏家による演奏史について著者礒山氏の忌憚のない意見と将来への展望が述べられている。

尚単行本の巻末に掲載されていた作品総覧は、現在のバッハ研究の現状にそぐわないものとして割愛され、楽曲索引にとって替えられた。

勿論そこでバッハの作品大系を俯瞰することができる。

「人間の小ささ、人生の空しさをバッハはわれわれ以上によく知っているが、だからといってバッハは人間に絶望するのではなく、現実を超えてより良いものをめざそうとする人間の可能性への信頼を、音楽に盛りこんだ。

その意味でバッハの音楽は、切実であると同時に、きわめて楽天的でもある。

バッハの音楽を聴くとき、われわれは、人間の中にもそうした可能性があることを教えられて、幸福になるのである。」――<本書より>

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2019年09月17日


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1981年生まれのアメリカの若手オルガニスト、キャメロン・カーペンターのデビュー・アルバムになる。

名門ジュリアード&カーティス音楽院のオルガン科主任教授を務めた“オルガン界の保守派”ジョン・ウィーヴァー博士をして「地球上に存在するとも思っていなかったようなテクニック」と言わしめたキャメロン・カーペンター。

バーチャル・パイプ・オルガンの優勝者であり、全米シアターオルガン協会会報誌にて、「並はずれている(extraordinary)」と称される一方、「世界で最も物議をかもしているオルガン奏者だ」とも批判されている。

タイトルの『レヴォリューショナリー』は現在の保守的なオルガン界に、まさに革命をもたらさんとした彼の意気込みを表明したものだ。

テルデックからリリースされたファースト・アルバムはオルガニストとして初めてグラミー賞ソロ・アルバム部門にノミネートされ、オルガン演奏の常識を打ち破るアーティストと巷間噂話されている。

彼の鬼才を充分に発揮した演奏はそれ自体鮮烈で衝撃的だが、その驚異的なテクニックの前にいまひとつ音楽性が明瞭に浮かび上がってこない。

だがオルガンでショパンのエチュード『革命』を弾く必然性があるかと言えば首を傾げざるを得ない。

ボーナスDVDを観て頂ければ一目瞭然だが、確かに足鍵盤の上で両足をピアノの左手のように縦横無尽に疾駆させることは、肉体的に並外れた能力を必要とするには違いないが、それは一方で彼のヴィルトゥオジティの誇示に他ならない。

テクニックはあくまで音楽表現の手段であって目的には成り得ない筈だ。

こう言っては酷かも知れないが、鉾先を逸らせた安っぽい編曲物で勝負するより、いっそのこと全部自作のオリジナルを並べてくれた方が彼らしいアルバムになったと思う。

音楽は音の嵐や洪水ではない。

如何に多くの音を付け足して音楽を立派に見せるかということより、如何に音を省略できるかを考える方が難しい。

易しいテクニックで書かれた曲でも、持て余すことなく聴かせるすべを培ったならば、それこそ彼のレヴォリューションだろう。

超一流の大道芸人で終わるか、それ以上の存在になるか、これからの彼に期待したい。

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2019年09月15日


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ピリオド楽器を使った演奏では第一線に位置するグスタフ・レオンハルトのマタイ受難曲は、新バッハ全集によっているが、期待を裏切らぬ名盤である。

レオンハルトのバッハへの永年の傾倒ぶりを如実に感じさせる演奏で、バッハ自身がライプツィヒのトーマス教会で演奏した最終稿をイメージさせるに充分な説得力と、手作りの魅力がある。

表現は常に地に着いており、広い奥行きを感じさせ、穏やかで落ち着きのある運びから「マタイ」の充実した内容がしみじみと伝わってくる。

カール・リヒターのマタイが起こりつつある悲劇的なドラマに深く食い入った表現とするならば、レオンハルトのそれは楽譜から総てを読み取った、バッハその人の宗教観を反映した解釈とでも言うべきだろうか。

それだけに作曲者の書法をガラス張りにして見せた誠実かつ素朴な再現は高く評価したい。

プレガルディエンのエヴァンゲリストは思い入れの無い、淡々とした中に、真摯な語り部としての役割を果たしている。

それは決して無味乾燥な徐唱ではなく、歌詞の意味合いを正確に辿った非常に知的で、しかも完璧なレガート唱法だ。

また2人のソプラノ・ソロをテルツ少年合唱団員から抜擢したことで、この受難曲でのより繊細で崇高な表現を可能にしている。

俗世の欲得から離れた、たおやかなボーイ・ソプラノの歌唱は理屈抜きに新鮮な感動をもたらしてくれる。

更にレオンハルトはコラールにおいてドイツ語のアクセントを強調した波打つような歌唱法を採用している。

これは既に親しまれていた、バッハ以前の古い旋律に新しい歌詞があてがわれる場合のアーティキュレーションを補う手段だが、またこの方法によってバッハが充当した絶妙な和声進行を聴き手に明瞭に感知させる。

クイケン、アンタイ両兄弟がかなめを押さえた器楽を担当するラ・プティット・バンドもこの曲の特質に忠実な再現を心がけたチームワークが秀逸。

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2019年08月31日


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リュート界の大御所、ホプキンソン・スミス自身が編曲したバッハの『無伴奏チェロ組曲』第1、2、3番が収録されている。

バロック・リュートは楽器によって響きに特徴があり、彼が使用している楽器はジャーマン・テオルボで1986年ジョエル・ヴァン・レネップが用いられている。

チェロの重厚な響きを意識してしまうが、ホプキンソンは柔らかい響きでリュートの素朴な味わいが魅力となって、さらにバッハの深い音楽性も感じられる素晴らしい演奏を聴かせる。

ある作品を指定された楽器とは機能の異なる楽器で演奏する場合、編曲が不可欠になってくる。

ホプキンソンには当然ながら無伴奏チェロのために作曲された楽譜をテオルボ用に移し直す必要があった。

この編曲は彼自身が行っているが、バッハの音楽性を的確に捉えたホプキンソンのセンスの良い編曲と心地よい演奏が秀逸だ。

このディスクを聴いて最初に気が付いたことはオリジナルの調性から長三度高く移調してあることだ。

正確に言えば第1番ト長調はロ長調に、第2番ニ短調は嬰へ短調に、そして第3番ハ長調はホ長調に聴きとれる。

これは彼の使用しているテオルボの音域とその表現力を最大限活かすためだと思われるが、実際チェロで弾くような荘重で力強い印象はなく、意外にも軽やかで幽玄とも言うべき繊細で柔らかな感触を引き出している。

しかもそこからは自然で無理のない対位法の綾が紡ぎ出される。

それは日頃通奏低音をイメージさせる楽器とは全く趣を異にしている。

ちなみにこのセッションで演奏されているジャーマン・テオルボはシルヴィウス・レオポルト・ヴァイスによって1720年に考案され、製作されたもののコピーで、基本的に13から14コースの弦が張られているが、高音の2弦を除いてはユニゾン、あるいはオクターヴのダブル・ストラングなのでジャケットの写真に見えるように弦の数は24本以上になる。

旋律楽器のチェロ1本のために書かれた楽譜を和音楽器のテオルボ用に移す場合、チェロでは省略された対位法の隠された旋律や和声を実際に響く音として復元しなければならない。

これはホプキンソンがライナー・ノーツでも書いているように、バッハがある楽器から他の楽器のためにアレンジした手法に沿って、できるだけ忠実に再現するように努力したようだ。

バッハは自作は勿論、当時のヨーロッパの作曲家の作品をさまざまな楽器編成のオーケストラや独奏楽器用に編曲したアレンジの大家でもあったことを考えれば、編曲ものを原曲と照らし合わせることによって、逆に単旋律に凝縮されたポリフォニーの音楽を導き出すことも可能だろう。

しかしそれがチェロで弾くのとは全く違った、独自の静謐な世界を創造しているのが興味深く、またバッハの楽曲の持つ融通性だけでなくその普遍性を改めて認識した。

録音は2012年10月にグルノーブルで行われ、テオルボの特質を良く捉えた澄み切った音質が特徴だ。

今回は前半の3曲のみが収録されているが、後半の3曲も彼は以前に録音していて、それらも現在入手可能だ。

ちなみに第5番に関してはバッハ自身の編曲が存在していて、ホプキンソンがリュートで演奏したものが既に『バッハのリュートのためのコンプリート・ワークス』として同じくフランス・ナイーヴから2枚組のボックス・セットでリリースされている。

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2019年08月28日


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華やかさのある美声と超絶的な技巧を持ち、バロックの声楽曲の解釈で高い評価を受け、人気・実力ともに世代を代表するフランスのカウンター・テナー、フィリップ・ジャルスキー。

彼自身のルーツでもあるバロック音楽に立ち返り、バッハとテレマンの宗教カンタータ集で、初の全曲ドイツ語録音作品をリリースした。

これまでに彼はカストラートのために書かれたオペラを中心とするレパートリーで持ち前の柔らかな美声と無理のないリリカルな歌唱力が高く評価されてきた。

言ってみればイタリアやフランスの恋愛のリリシズムの世界をひたすら歌ってきたわけだが、こうした彼の柔軟で優れた表現力がドイツの宗教作品にも応用できることは彼自身承知していた筈だ。

このCDに収録された4曲のカンタータは、いずれもジャルスキーの甘美で華麗な歌唱で満たされている。

子音を強調しない発音がドイツ語らしくはないが、これまでのドイツの宗教曲の解釈に新たな可能性を拓いたと言えないだろうか。

過去にはルネ・ヤーコプスの例もあるが、彼の声質はアルトなのでジャルスキーの方がより可憐で刹那的な魅力を持っている。

バッハの宗教曲だからといってことさら禁欲的である必要はないと思うが、確かに彼の歌には仄かに官能的な色香が漂っていて、祈りの要素が希薄に感じられるかも知れない。

しかし豊かな表現力がそれぞれの作品に充分な説得力を与えていると同時にピリオド・アンサンブル、フライブルク・バロック・オーケストラの渋めの音色がソロに落ち着きを加えて効果的なサポートをしているのも好ましい。

ボーナスDVDには3曲目のバッハのカンタータ『私は満ち足りて』の全曲レコーディング・シーンが収録されている。

指揮者を置かない小編成のフライブルク・バロック・オーケストラとのインティメイトなアンサンブルが映し出されているが、前回のようなジャルスキーのコメントやインタビューは含まれていない。

三面開きのデジパック入りで34ページほどのライナー・ノーツには録音データ、曲目解説の他に収録曲総てのドイツ語歌詞と英、仏語の対訳が掲載されている。

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2019年08月25日


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クラシック音楽の愛好家で、もし《マタイ》を聴かずに一生を過ごすとしたら、これほどもったいないことはない。

しかし《マタイ》はとっつきにくいことも事実なので、このメンゲルベルク盤とリヒター盤を両方備え、まず第1曲だけを繰り返し比較試聴し、バッハのスタイルに馴染んだら、今度はアリアをすべてカットして第1部だけを何度も聴くとか、それなりの努力を惜しむべきではない。

メンゲルベルクはバッハのスタイルを完全に無視、ロマンティックなスタイルで劇的に演奏しているので、かえってわかりやすいかもしれない。

本盤は1939年4月2日に行われた演奏会の実況録音だが、当時のアムステルダムでは毎年復活祭の前の日曜日にメンゲルベルクが《マタイ》を振るのが常で、世界中からファンが集まったという。

SP時代の実況録音(もちろんモノーラル)ということで音は古いが、音響の良いコンセルトヘボウ・ホール、更にオーパス蔵による名復刻のため、聴きずらくはなく、演奏自体は最も感動的である。

スタイルは19世紀のコンサート風で、すなわち大人数のオケ、大人数のコーラスによる極めてドラマティックな表情たっぷりの演奏であり、大会場で多数の聴衆を前に指揮棒を振るメンゲルベルクの姿が眼に浮かぶ。

メンゲルベルクは主情的で、よくもここまで、と驚嘆するほど音楽を自分自身に引き寄せている。

その“自分自身”とは19世紀風、後期ロマン派のドラマの世界であるが、こんなことを《ロ短調ミサ》でやったら、音楽は完全に破壊してしまうだろう。

そこに《マタイ》の特殊性があり、懐が深いので、どのようなスタイルをも受け入れてしまう。

しかし同じ旧スタイルでもワルターやフルトヴェングラーは中途半端で煮え切らない。

メンゲルベルクは振る舞い切って成功したわけだが、こんなことが可能なのは彼一人だけだ。

メンゲルベルクの《マタイ》を大時代的なバッハとして嫌う人は少なくないことは、古楽演奏によるバッハが主流の現代にあっては仕方のないことかもしれない。

オリジナル楽器全盛の現在、最も時代錯誤的バッハという声も聴こえてきそうだ。

しかしメンゲルベルクの《マタイ》にはそういう古臭いスタイルを越えて人間の根源的な祈りや叫びが絞り出されているではないか。

音楽芸術は学問ではなく、現代の古楽演奏を裏打ちする音楽学の研究結果はあくまで表現の手段に過ぎないはずだ。

だとすれば古楽とモダンの違いは形ばかり、音楽家の表現すべきは心の底からの祈りの他に一体何があると言うのだろうか。

その響きがバロックであれ、ロマンであれ、現代であれ、大切なことは「バッハの心」だ。

メンゲルベルクの表現の、例えば各アリアに頻出する強烈なルバートなどは私たちの感覚からはあまりにも遠く離れてしまったことも厳然たる事実だが、血の涙を流さんばかりの魂の叫びと祈りが満ちているのだ。

この演奏が表情過多であるとか、バッハのスタイルにそぐわない、などと思っている人も、聴き終えた後には、そんな疑問が極めて些細な、芸術というものの本質に少しも関係のないことと気づき、音のドラマの奔流に身も心も押し流される自分を発見するはずである。

いずれにせよ《マタイ》を語る上に絶対に欠かせぬ歴史的大演奏であり、様式を超えたこの《マタイ》は人間の精神の営みの豊穣を語り続けよう。

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2019年08月18日


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2005年にリリースされた12枚組のセットに比べて比較的アバウトな編集で、組曲はパルティータのみ、フランス組曲やイギリス組曲は含まれていない。

またゴールドベルク変奏曲に関しては、彼が23歳の時のセンセーショナルな初録音が取り上げられている。

それにしてもこの6枚のCDはグールドのバッハへの思索を伝えて余りあるボックス・セットだ。

1955年にバッハの録音を開始して以来、その解釈の斬新さ、奇抜な奏法は彼より前の時代のピアニストのバッハ観を覆し、バッハに現代的な生命を吹き込んだ革新的な出来事だった。

勿論彼の仕事はバッハに限ったことではないが、とりわけ対位法作品への傾倒は尋常ならざるものがある。

彼の演奏の特徴は過剰なカンタービレを退け、むしろ極めてドライな感覚でひとつひとつの声部を独立させて、あたかも幾何学的な対位法をイメージさせる。

その構成力の巧みさは言うまでもないが、音の無い部分にまで感知される緊張感の持続は印象的だ。

そうした意味でグールドは、ともすれば行き詰まりになりかけていたそれまでの解釈を劇的に打破したピアノ音楽の改革者でもあり、更に後の時代のピアニストに多くの示唆を与えた新時代の音楽家だった。

彼自身がそれを意識していたか否かに拘らず、天才的なインスピレーションと創意に溢れた音楽は今もってその光彩を失っていない。

リマスターの効果で音質、音量共にレベル・アップされているが、マスター・テープに由来すると思われる音の歪みが数箇所に聞かれる。

完全節約仕様の為、ライナー・ノーツは無い。

収録曲目 CD1. ゴールドベルク変奏曲BWV.988、平均律クラヴィーア曲集第2巻より第9番のフーガ、同第14番のフーガ CD2. インヴェンションとシンフォニアBWV.772-801 CD3. トッカータBWV910-916 CD4. パルティータ第1番BWV.825から第5番BWV.829 CD5. パルティータ第6番BWV.830、6曲の小プレリュードとフーガBWV833-938、プレリュードとフゲッタBWV.899及び同902、9曲の小プレリュードBWV.924-928及び同930、フーガハ長調BWV.952、フゲッタハ短調BWV.961、フーガハ長調BWV.953、プレリュードとフーガBWV.895及び同900 CD6. フーガの技法BWV.1080 コントラプンクトゥス1-9(パイプオルガン使用)、同1、2、4、9、11、13及び14(ピアノ)、BACHの名によるプレリュードとフーガ変ロ長調BWV.898

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2019年08月08日


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ガーディナーは、1985年に『ロ短調ミサ』、86年に『ヨハネ受難曲』、87年に『クリスマス・オラトリオ』を録音し、最後に『マタイ受難曲』を録音してJ・S・バッハの4大宗教作品のシリーズを完了した。

最後に『マタイ』を置いたのは作品の重みを考慮してのことだろうが、やはりリヒターによる不滅の名演を意識せざるを得なかった部分も大きいだろう。

それだけに結果が新鮮で素晴らしく優れた『マタイ』になっているのは喜ばしい。

ガーディナーの演奏スタイルは、19世紀以来のドイツでの伝統的な重厚な演奏ではない。

そのオリジナル楽器とバロック唱法で歌われる明晰明朗な『マタイ』は新鮮な驚きと新たな感動を呼ぶ。

まず合唱だが、冒頭部などでやや不安定な箇所があるなど万全でない部分があるのが残念だが、総じて水準の高い演奏を保っている。

特にコラールにおける静かに湧き出てくるリリカルな情感は素晴らしい。

ソリスト陣では、なんといってもキーになるエヴァンゲリストのロルフ・ジョンソンが幅のある表現で劇的に物語を語っていくのが印象的。

ただ、ガーディナーのスタイルは、総じて静かな流れを基調としているだけに時には浮き上がってしまう場面もある。

また、テキストの一語一語の意味をもう少し大切にして欲しい箇所もある。

その他のソロでは、メゾ・ソプラノのフォン・オッターの奥の深い表現とシュミットの若々しいイエスが良い。

また、カウンター・テナーのチャンスの歌唱力もさすがで、第39番のアリア“Erbarme dich, mein Gott”(憐みたまえ、我が神)の内なる感情表現は説得力がある。

このアリアでは、オブリガート・ヴァイオリンのニュアンスの豊かさも聴きもので、器楽を担当するイングリッシュ・バロック・ソロイスツが常に陰影豊かな卓越した表現を行なっているのも3時間半に及ぶ長丁場を飽きさせずに聴かせてくれる大きな力になっている。

尚、ライナー・ノートにガーディナー自身の『マタイ』の構成区分の解釈が付されているのが大変参考になる。

こうしてオリジナル楽器の優れた『マタイ』を聴くと今日のバッハ演奏の新しい流れの方向がはっきり示された録音だったという確信が持てるほど、この演奏は新鮮な魅力に満ち溢れている。

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2019年08月07日


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収録曲は5曲で、3曲の『ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガート・チェンバロのためのソナタ』と2曲の編曲物で構成されている。

このうちBWV1020はフルート・ソナタト短調、またBWV1022の方は偽作とされているヴァイオリン・ソナタヘ長調が原曲で、後者はスコルダトゥーラ調律が要求される曲なのでソロ・パートはト長調で書かれているが、実際には全音下の調が響くことになる。

スークのヴィオラでの演奏は大らかな優雅さに満ちていて、アレンジによる違和感が全く感じられないばかりか、バッハの音楽の融通性とその包容力に今更ながら驚かされる。

ガンバとの奏法の違いについて無知な筆者はどちらがより弾き易い楽器なのか判断しかねるが、音量的にも潤沢で何よりも彼の演奏には円熟期の余裕がある。

一方ルージイッチコヴァはレジスターの使用をかなり制限して、低いヴィオラのソロを引き立てているし、それぞれの声部も明瞭に感知させている。

彼らのバッハのヴァイオリン・ソナタ集ではチェンバロのレジスターをいじり過ぎた感が否めないが、ここでのアンサンブルは両者のごく妥当なバランスが保たれている。

チェコの名手、ヨセフ・スークとズザナ・ルージイッチコヴァは1960年代からの共演で多くのバロック作品の録音を残してくれた。

ルージイッチコヴァの演奏を初めて耳にしたのはランパル、スーク、プラハ合奏団との『ブランデンブルク協奏曲第5番』で、彼女の颯爽とした華麗なソロに惹かれ、その後にリリースされた『ゴルトベルク変奏曲』も期待を裏切らない素晴らしい出来栄えだった。

当時はピリオド楽器による演奏はまだ少数派で、彼女の楽器も16フィート装備のモダン・チェンバロだったが、今でこそいくらか違和感が感じられる音色と音量も、新鮮なバロック音楽に飢えていた者には渇を癒す鮮烈な響きだった。

スークとはバッハとヘンデルのヴァイオリン・ソナタ集及びモーツァルト初期の同曲集、そしてシュタルケルとはこのCDと同様の3曲のヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタのチェロ版を録音している。

尚このセッションは1996年にプラハで行われ、彼らのコラボでは最後に位置する曲集になった。

やはりモダン・チェンバロ使用でa'=440Hzの現代ピッチが使われている。

CD自体はプラガ・ディジタルスからのリイシュー盤で、別冊ライナー・ノーツの付かない見開き3面のデジパック入り。

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2019年07月16日


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あたかも指揮者カール・リヒターのスピリットが演奏者全員に乗り移ったかのような気迫に満ちた、バッハの最高傑作の名に恥じない《マタイ受難曲》だ。

この曲をより器用に、それらしく表現した演奏は他にも存在するが、キリスト受難のエピソードを単なる絵空事に終わらせず、のっぴきならない生きたドラマとして描き出した例は非常に少ない。

リヒターのバッハ、特に《マタイ》はバネのきいたリズムを特徴としている。

ともすると、懶惰に陥りがちなわたしたちを励起させるリズムだが、決して押し付けがましくはない。

どうしても、そのリズムの勢いに突き動かされ、ついて行きたいと思わずにはいられぬ躍動感に満ちている。

そして、それはあるひとつの目標に向かって、ともに心を合わせて前進してゆくときの一体感を掻き立ててくる。

この目標は、神との出会いを目指しているのは言うまでもなく、神の存在をフィジカルに体得するリズムとでも言おうか。

その時、わたしたちは人間が霊的な存在だと知り、この霊的なリズムに乗ると、誰もが超越的な空気に触れ、物質的な欲望がいかに卑小で、ともに同胞であることが、すべてに優るよろこびだとわかる。

それが神とともにあるという意味だが、その意味が今日忘れられている。

というよりもすでに経済の高度成長期の1970年代に、わたしたちはリヒターが望んだのとは別の生き方に引かれはじめた。

彼はその離反に深く悩み苦しんだのだろう、彼の2度目の《マタイ》の録音は、それを食い止めようとする絶望的な努力と挫折感を響かせている。

株価の変動に一喜一憂し、金勘定に忙しいわたしたちは、リヒターの《マタイ》にもう一度立ち返って、心を問い直す必要があるのではないか。

ソリスト陣にも作品の核心を突くことのできる歌手たちを起用しているのも聴き所だ。

たとえばエヴァンゲリストを演じるエルンスト・へフリガーの迫真の絶唱は他に類を見ない。

それはこの受難を書き記したマタイ自身が直接この物語の中に入り込んで、聴き手に切々と訴えかけてくるような説得力がある。

少年合唱を含むコーラスにおいても洗練された和声的な美しさよりも、むしろ劇的な感情の表出と状況描写に最重点が置かれているのも特徴的だ。

リヒターのバッハはオリジナル楽器や当時の歌唱法を用いたいわゆる古楽としての再現ではないが、あらゆる様式を超越してしかも作品の本質に触れることのできる稀に見る演奏として高く評価したい。

1958年の録音自体かなり質の良いものだが今回のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、より明瞭な音像を体験できるようになった。

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2019年06月18日


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フランスの若手ピアニスト、ダヴィッド・フレーは既にこの時点でバッハとブーレーズ、そしてシューベルトとリストを組み合わせた魅力的なCDを出している。

先般バッハの4曲のキーボードの為の協奏曲を弾き振りしたCDは勿論同時にリリースされた。

そのうちの3曲、BWV1055、1056及び1058のリハーサル風景とインタビュー、そして本番を撮ったものがこのDVDだ。

フレーはグレン・グールドのファンであり、しかもそれにとらわれることなく、あくまで自分の音楽性を打ち出していこうとしていることにも感動させられる。

彼の仕事はブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニーというまだ駆出しのオーケストラを手なづけていくところから始まる。

彼が要求するのはメロディーを巧く歌うこととスウィングするような感性の柔軟さで、オーケストラがどのように彼についていくかが見どころだ。

リハーサルは和気あいあいとしたものだが、時折フレーのうるさい注文に首をかしげたり、また茶化したりする団員の姿も正直に撮影されている。

面白いのは彼のピアノ演奏について多くの人が指摘するように、かつてのグールドを彷彿とさせるような特殊なゼスチュアと顔の表情だ。

鍵盤に顔をかぶせるようにして自己の世界に浸る奏法は確かに独特のアピールがある。

この映画でのフレーは、ある意味でグールドを「演じきって」おり、また最初はこの「グールドまがい」のピアニストにどう対応しようかと手探り状態であったドイツ・カンマーフィルの楽員たちが、次第にフレーのスイングする音楽をどうせなら徹底的に演じてやろうと、役になりきっていく過程も興味深い。

しかし同時に溢れるほどの音楽性もその演奏から滲み出ていて、バッハから殆ど無限ともいえる音楽表現の可能性を引き出してみせる。

特に緩徐楽章に於ける感性豊かで繊細な歌いまわしは感動的だ。

冷静で感性よりも理性が先行するという意味で傾向が全く違うドイツの同世代のピアニスト、マルティン・シュタットフェルトに挑戦するかのような企画も興味深い。

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2019年06月16日


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バッハは《クリスマス・オラトリオ》でキリストの降誕という一大イベントを、大いなる祝福と歓喜に満ちた曲想で飾った。

4大宗教音楽のひとつに数えられるが、神への畏怖の念の優る他の宗教曲に比べ、これは神との親密感が全体に浸透し、イエスがこの世に生を享けたことがどんな人間にも生きる喜びとなることをメッセージしている。

ガーディナーは1985〜88年にかけて強い意気込みをもって、集中的にバッハの4大宗教音楽を録音したが、彼の演奏の特徴と魅力が端的に示されているのはこの《クリスマス・オラトリオ》だろう。

速めのテンポで運んで、いかにも生き生きとしているし、オリジナル楽器ならではの伸びやかに澄んだ響きがそうした演奏にぴったりで、爽やかである。

彼の演奏スタイルは精神性を重視するドイツ系の指揮者と違い、イギリス人らしいリアルな感覚でアプローチ。

キリストの生誕を祝う喜びは、人々の日々の生活のなか、巷の情景となって浮かび上がってくる。

細部の描写がこまやかで、ユーモアに富み、全体に親しみや優しさ、あたたかみがこもっているのが特徴だ。

これほど作品にふさわしい喜ばしい生命感にあふれ、しかも、きりりと引き締まった様式感を合わせそなえた演奏はなかったと言ってよいだろう。

ガーディナー率いるイングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏は、目の醒めるような晴れやかさと華麗な表現で、どのピリオド楽器使用の合奏団よりも喜びに溢れた雰囲気を湛えている。

また手兵でもあるモンテヴェルディ合唱団の、これぞプロのコーラスと呼ぶに相応しい一糸乱れぬ統率と鮮やかなテクニックで、この曲に欠かすことのできない推進力を担っている。

勿論指揮者自ら創設したこのコーラスの力量はガーディナー自身充分心得ていて、彼らを前面に出した圧倒的な迫力で曲を進めていくアプローチも聴き所だ。

アージェンタ、オッター、ベーアらの7人の独唱者も古楽の専門家らしく、それぞれの歌詞の意味合いを活かした癖のない爽やかな歌唱に好感が持てる。

とりわけ福音史家を演ずるロルフ・ジョンソンはテクストの読みの深さと柔軟な表現力が秀逸で、ガーディナーの指揮に鋭敏に反応して、真摯で溌剌とした歌唱を聴かせてくれる。

1987年の録音であるにもかかわらず、ガーディナーの進めた古楽新鋭の気風は現在いささかも色褪せていない。

また音質の鮮明なことも特筆される。

この曲を初めて聴いてみたいという方にも是非お勧めしたいセットだ。

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2019年06月10日


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エイヴィソン・アンサンブル、エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団、フレットワークなどでの活躍で知られる英国出身のベテラン中のベテラン、バロック・チェロ、ヴィオール奏者、リチャード・タニクリフによるバッハ。

ヨーロッパの古楽界では既に長いキャリアを積んだベテラン・チェロ奏者として高い評価を受けているリチャード・タニクリフが、満を持してバッハの『無伴奏チェロ組曲』を録音した。

第一印象は端正な演奏で野心的なところがなく、それでいて聴き手を引き込んでいく静かでひたむきな情熱が感じられる。

技術的にかなり困難な作品であるにも拘らず、その澄み切った音色と流麗さを失うことなく悠々と流れていく音楽には彼一流の品格と誠実さが良く表れている。

作品を深々と表現する安定した技量と堂々とした解釈、教会の残響を大きく拾った美しい録音などが聴きどころだ。

この演奏に使用されたバロック・チェロは1720年製作のオリジナル楽器で、第6番ニ長調のみはアンナー・ビルスマが既に試みたチェロ・ピッコロを使って、その機能性や表現力の幅広さと高音の美しさを改めて世に問うている。

ピッチはいわゆるスタンダード・バロック・ピッチのa'=415で、覇気は充分感じられるが張り詰めた緊張感よりもしみじみとした落ち着いた雰囲気を醸し出している。

リチャード・タニクリフは、女流トラヴェルソ奏者リーザ・ベズノシュークの夫であり、リーザの弟パブロ・ベズノシュークも英国古楽界を代表するバロック・ヴァイオリン奏者である。

彼も先頃バッハの『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』全曲を同じリン・レコーズ・レーベルからリリースしたばかりだ。

どちらもSACDとして鑑賞するに越したことはないが、ハイブリッド仕様なので互換機がなくても再生可能だ。

尚録音は2010年から翌11年にかけて行われ、通常CDでも音質は極めて良好。

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2019年05月23日


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ヴェンツの1回目のフルート・ソナタ全曲録音が1991年で、それから18年後、彼が48歳になった2008年にこのソナタ集の再録音が行われた。

前回は偽作を含むソナタ7曲が勢揃いしていたが、今回は真作4曲と無伴奏パルティータ、それにトリオ・ソナタとして知られているBWV1038、1039及び『音楽の捧げ物』を加えてバッハの作品により忠実なプログラムになっている。

前回と異なる点は先ず使用楽器がパランカではなく、ブレッサン、オーバーレンダー、ウェイネの3種類のモデルを使い分けていることだ。

パランカはかなり機能的なトラヴェルソだが、むしろバッハ以降の音楽に適しているので今回の楽器の選択は時代の要求に適ったものと言える。

次にテンポの設定についてはテクニックに任せて吹きまくっていた30代の頃よりやや遅めになって音楽に余裕を持って取り組んでいる姿勢が窺われる。

バッハはいわゆる名人芸が聴衆の心を強く捉えることを充分に心得ていて、それを自分の作品に効果的に取り入れる一方で彼はその弊害も熟知していた。

つまり技巧を優先させると往々にして音楽性が二の次になるという明らかな現象であり、彼はそれを完璧に避けた。

当時カストラートの超絶技巧歌唱が全盛を極めていたイタリア・オペラにバッハが手を染めなかったのは偶然ではない。

トラヴェルソ奏者としてのヴェンツの豊かな音楽性や優れた表現力は、ヘンデルやブラヴェのソナタ集で顕著だが、前回に限って言えば速すぎるテンポ設定のために技巧が前面に出て、バッハ特有の深い音楽的な味わいが薄らいでしまっていた。

これを正当化するために彼は前回のCDの解説書とアメリカのニュースレター誌トラヴェルソに小論文を掲載している。

今回も大曲ロ短調ソナタの終曲ジーグは相変わず誰よりも速く、曲の始めから既に速いテンポを採っていて、殆どアクロバット的な超絶技巧曲のようだ。

つまりヴェンツはバッハが記した拍子記号と当時の習慣的な記譜法から曲の速度を割り出したようなのだ。

またこの時代の作曲家たちが絶対的な速度感ではなく、相対的にテンポを考えていたことを認めながら、メルツェルに先立って1696年に既にエチエンヌ・ルリエがメトロノームを製作していたことも指摘している。

彼はやはりヴィルトゥオジティを通した高い音楽性の実現を試みているのだろう。

彼の師クイケンの演奏をクラシックでアポロン的な表現とするなら、ヴェンツのそれはデュオニュソス的であり、様々な楽器を繰り出して聴かせる音色の変化に加え、アーティキュレーションも自在かつ多彩だ。

尚前回より楽譜には忠実で、リピートも省略していないため無伴奏パルティータ、アルマンドの最後の超高音aも2回吹いているし、サラバンドの反復部分の任意装飾も興味深い。

ピッチはa=415に統一されている。

このCDはブリリアント・レーベルの廉価盤だが勿論オリジナル・リリースで音質は非常に良く、トラヴェルソ特有の暖かみのある陰影を含んだ音色や、ボルフステーデの弾くルッカース・モデルのチェンバロの芯のあるふくよかな音質が良く再現されている。

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2019年04月20日


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フランスのトラヴェルソ奏者、マルク・アンタイが初めてバッハのフルート・ソナタ集を録音したのが1998年で、こちらの新録音が2016年なので18年ぶりの再録音ということになる。

解釈はごく正統的で、以前とそれほど変わってはいないが、兄弟でチェンバロを弾くピエールと同様余裕をみせた品位のある演奏が繰り広げられている。

このアルバムにはバッハの真作とされている4曲のソナタと無伴奏パルティータイ短調のみが収録されていて、選曲にも彼のこだわりが示されている。

前回と異なるのは通奏低音付のホ短調ソナタBWV1034を加えたことだが、ヴィオラ・ダ・ガンバを省略してチェンバロのみの伴奏にしていることだろう。

これは当時の演奏習慣では充分有り得る演奏形態で、特にバッハはチェンバロの左手と右手にそれぞれの声部を与え、実際にはデュエットの形態を採りながらソロ楽器と三声部の対位法の書法を発展させていくソナタを多く遺している。

ここでは大曲ロ短調ソナタがその典型的なサンプルだし、トラヴェルソの調性と機能を最大限に発揮させた作品だが、アンタイ兄弟が自由闊達な表現の中に息の合った素晴らしいアンサンブルを聴かせている。

バロック時代の無伴奏フルート作品の双璧と言えるのがここに収録された大バッハの無伴奏パルティータと息子カール・フィリップ・エマヌエルの無伴奏ソナタの2曲だが、いずれもテクニック的にもまた高度な音楽性においても難曲とされている。

ここでアンタイは前回同様繰り返しをしていない。

これは最後の最高音aの2度の突出を避けるための解決策だろう。

しかし以前にも増して楽器の音色が充分に活かされているように思える。

勿論これは録音技術の進歩のためかも知れない。

使用楽器は名匠I.H.ロッテンブルク・モデルで、2013年にルドルフ・トゥッツの手になるコピーだ。

この楽器は響きが豊かで、音色に高貴さを感じさせるのが特長だが写真から判断すると材質は柘植材のようだ。

チェンバロはバッハのケーテン時代にベルリンで工房を開いていたミヒャエル・ミートケによる1702年製のオリジナルをウィリアム・ダウド及びブルース・ケネディーが復元したもので、余韻が長くややダークで可憐な響きが魅力的だ。

バッハがミートケのチェンバロをケーテン宮廷楽団用に購入したことは良く知られたエピソードだ。

録音はオランダのハーレムで2016年に行われている。

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2019年03月27日


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例によってこのセットもレギュラー・フォーマットのCD2枚にブルーレイ・オーディオ1枚の抱き合わせ仕様でリリースされている。

CDに関しては、既に廉価盤からSACDに至るまでリイシューを重ねている音源なので必要なかったと思うのだが・・・。

1960年12月の録音で、バッハの無伴奏チェロ組曲としては最初のステレオ録音だが、良い意味でのロマンティックでスタイリッシュな感性をベースに、比較的自由な表現力を駆使した演奏としては、おそらく最後の名演ではないだろうか。

それはフルニエの奏法、ポルタメントの使用や装飾音の扱い方などに顕著に表れている。

少し後に行われたシュタルケルのマーキュリーへの全曲録音と比較すると、この作品に対する再現へのポリシーの違いに驚かされる。

しかしフルニエのスタイルが古いと決めつけてしまうにはあまりにも豊かな音楽性に溢れているし、節度のある表現の高貴さと生気に満ちた演奏で、バッハ演奏の歴史が辿った頂点に聳えるひとつの解釈だと信じる。

フルニエの演奏を特徴づけるのは、若い頃から爛船Д蹐離廛螢鵐広瓩噺討个譴燭茲Δ鉾爐留藾佞砲澆覆る独特の気品ではないだろうか。

このバッハの場合も、運指法や運弓法、フレージングなどの演奏法も長年の演奏を通して独自のものに到達したと語り、バッハに対する基本的な考えは爐い弔皺里Δ箸いΔ海鉢瓩鬟皀奪函爾砲靴討い拭

そうした彼のバッハ演奏が心技ともに最高の状態で残されたのが、この録音ではないかと思う。

ブルーレイで鑑賞すると、中央に良く纏まった音像から力強くしなやかなチェロの音色が鮮やかに再生される。

考え抜かれたボウイングのテクニックだけでなく、左手の指使いやフルニエの呼吸も生々しく捉えられている。

音場自体はそれほど広くなく残響も控えめでややデッドに聞こえる。

近年のピリオド楽器による録音では会場の残響をフルに採り入れるのが通例だが、これはモダン楽器でのバッハの対位法の声部の独立性を保つためと、低音部の豊かな響きを突出させないための技術的配慮だろう。

初期ステレオ録音のソロ楽器のサンプルとしても高度な鑑賞に堪え得る良質の音源だ。

44ページのライナー・ノーツにはレコーディングとフルニエの演奏についてのエピソード及び全曲の解説が英、独、仏語で掲載されている。

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2019年01月29日


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イングリット・ヘブラーとエドゥアルト・メルクスの指揮するカペラ・アカデミカ・ウィーンによるヨハン・クリスティアン・バッハのピアノ協奏曲集。

録音活動でのヘブラーはモーツァルトの作品の演奏が大半を占めているが、この4枚には少年時代のモーツァルトと交流があり、彼の作品に大きな影響を与えたバッハの末っ子ヨハン・クリスティアンの鍵盤楽器用協奏曲全18曲が収録されている。

ヨハン・クリスティアン・バッハは、モーツァルトの作風に少なからぬ影響を与えたことでモーツァルトの研究者たちの間ではよく知られていた。

またこの録音集で特徴的なのは、ヘブラーがフォルテピアノを演奏していることで、それはピリオド楽器による彼女の唯一のレコーディングでもある。

まだフォルテピアノによる演奏が一般的でなかった時代にヘブラーがフォルテピアノを使って録音した点も、古楽器運動の草創期を知るうえでまたとない資料であろう。

フォルテピアノのメーカーや製作年代は明記されていないが、現代のピアノよりも音量が小さく軽やかで繊細な音色を活かした、これ以上美しい演奏は望めないくらい徹底して洗練されたスタイルがいかにも彼女らしい。

サポートはバロック音楽復興期の草分け、エドゥアルト・メルクス指揮、カペラ・アカデミア・ウィーンでクリスティアン・バッハのシンプルなオーケストレーションを控えめだが効果的にドライブして、ヘブラーのソロを引き立てながらギャラント様式の美学を模範的に再現しているところが秀逸。

ヘブラーはモーツァルトのピアノ音楽を得意とするピアニストだったが、1950年代末から活発化した古楽器運動の旗手の1人だったメルクスと組んでJ.C.バッハの協奏曲集を手掛けたことは、当時としてはモーツァルトの芸風が成立する前提を知るうえで非常に有意義なことであった。

モーツァルトのピアノのための作品の形成を辿る時、幼いモーツァルトがクリスティアン・バッハと彼の作品から受けたサジェスチョンは決定的なものだったことが理解できる。

モーツァルト14歳の時の3曲のピアノ協奏曲K107はクリスティアンのクラヴィーア作品に簡単な弦楽伴奏をつけたアレンジであり、彼が手本として学習していたことも明らかだが、モーツァルトのスペシャリスト、ヘブラーとしてはその源流を探る研究としての全曲録音だったのではないだろうか。

ヘブラーとメルクスの演奏は、アーノンクールらのような鋭角的なアプローチを採らず、典雅さを重視したスタイルで演奏している。

メルクスの刻むリズムは決して重くなることはないのだが、溌剌とした中にもどこか落ち着いた色合いを帯びている点はジャン=フランソワ・パイヤールに近い芸風を示していると言えるだろう。

しかし、ヘブラーのピアノは、モダン・ピアノ奏者にありがちな響きの粗雑さは巧みに避けられ、今日のフォルテピアノの専門家と比べても遜色がない。

この録音は、J.C.バッハのピアノ協奏曲集の解釈の基準として、今後も聴き続けられるであろう。

このシリーズの録音は1969年に開始され8年後の77年に終了した長期間に亘る企画だったので、決して片手間に行ったものではなく、本格的な研究の意図が窺われる。

タワーレコードからのヴィンテージ・コレクションの4枚組限定生産になる。

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2019年01月07日


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リイシューを繰り返しているシェリング2回目のバッハの無伴奏は、2007年にCDのマテリアルを一新したSHM-CDで復活した。

その後2017年にこの音源はSACD化されているので、やはりこのバージョンが最も音質に優れていると言える。

同時期リマスタリング盤でリリースされたユニヴァーサルのシェリング全集からの同曲集を聴き比べると、やはりその違いは明瞭に感知できる。

SACD+SHM-CD盤を聴いた直後にセット物のリマスタリング盤を聴くと、後者の音質がやや籠って聞こえる。

このクリアー感のためにヴァイオリンの音色がより明るく艶やかに響いて、再生される音場にも拡がりが出て音域的なバランスも改善されている。

幸いオリジナル・マスターの保存状態も良く、より原音に近いハイ・レゾリューションへの改善の余地も残されていることは確かだ。

力強さと高潔さを併せ持った独特の音色が最新DSDマスタリングによってより一層の生々しさで聴く者を圧倒する。

ただしシェリングの演奏に関して言えば音質の精緻さや音色の美しさよりも、むしろ彼の音楽観を鑑賞することの方が本筋であることは言うまでもないだろう。

この1967年の録音が3枚組のLP盤で出た時から聴き続けているが、筆者にとっては全く飽きのこない演奏だ。

それはシェリングと同世代のヴァイオリニスト、例えばグリュミオーのスタイリッシュな演奏や、鷹揚で美しいスークの無伴奏とは一線を画した、徹底した緊張感の持続がダイレクトにバッハの普遍性や精神性を伝えているからだろう。

対位法の声部を弾き分けるテクニックは磨き上げられていて、それぞれの曲は彫琢されたような造形美と神々しいばかりの輝きを放っている。

また力強く豊麗に響き渡る重音奏法も特筆される。

1挺のヴァイオリンで3、4声部を完全に保ちながら弾くことは不可能なので、分散和音のように瞬時にずらして演奏しているが、テーマを生かすために上声部から弾く場合と低音部から上に向かう奏法が注意深く使い分けられている。

バロック音楽に造詣の深いシェリングだけあって装飾音も第1回目とは異なった最新の解釈が示されている。

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2019年01月03日


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生涯に4回の無伴奏チェロ組曲全曲録音を果たしたシュタルケル2度目の全曲集で、既にマーキュリー・リヴィング・プレゼンス・コレクターズ・エディションに組み込まれていたものが、今回ルビジウム・カッティングのリニューアル盤2枚組で再登場した。

多くのチェリストにとって一生に一回録音することすら夢であるような作品を、これだけ回を重ねて録音したのは空前であるし、また恐らく絶後であるに違いない。

この作品に対するシュタルケルの執着と意気込みが感じられずにはいられないが、このうち筆者が最も優れた出来栄えを示していると思うのが、この2度目のアルバムである。

この頃は彼の技術が最も高度の冴えを見せていた時期で、その寸分の隙もない緊張感に満ちた表現と、それを支える圧倒的な技術が、バッハの音楽に内在する崇高な世界をこの上なく見事に引き出している。

シュタルケルは高度な演奏技術と幅広い表現力を持っていながら、バッハの演奏にあたって尊大になることもなく実直で飾り気のない、しかし一方で骨太で力強く揺るぎない音楽構成を聴かせているのが特徴だ。

またバロック音楽に造詣が深いだけあって、ここでの舞曲や装飾音の解釈も今もって説得力のある普遍的なものだ。

しかもこの録音は1963年から65年にかけて、彼が40歳になった頃のもので独特の覇気が全曲を貫いていて、卓越した技巧と鋭い知性で一分の隙もない演奏を聴かせる。

特にポリフォニックな楽章では、しなやかなアーティキュレーションが自然な流動感をもたらし、緩徐楽章での深い感情表現も印象的で、知的で抑制のきいた解釈が表現意欲と見事なバランスを作っている。

つまり性格において抑制されているけれども、知的な把握力とテクニックの支配力において、カザルスの演奏に比べられるのもそのためで、いわばバッハの無伴奏チェロ組曲の演奏に新しい基準を示したと言えよう(彼はまた、この作品の新しいエディションを出版している)。

尚この2枚組セットには6曲の組曲の他に、2曲のヴィオラ・ダ・ガンバのために書かれたソナタト長調BWV1027及びニ長調BWV1028も収録されていて、ピアノはハンガリー時代からの朋友でしばしば彼と協演して高い評価を受けているジェルジ・シェベックが担当している。

ちなみにバッハのもうひとつのガンバ用ソナタト短調BWV1029は、同ピアニストとの録音で今回このシリーズで復活したバロック・チェロ・ソナタ集の方に収められている。

録音技術と再生音の優秀さで知られたマーキュリー・リヴィング・プレゼンスだけあって音質の素晴らしさと臨場感は半世紀前のセッションとは思えない。

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2018年12月28日


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幸いなことにヘルムート・ヴァルヒャはJ.S.バッハのオルガンのための作品全集を2度に亘って録音し、そのどちらもがかなり良い状態の音質で残されている。

この10枚組の全集はその第1回目、1947年から52年にかけてドイツ、リューベックの聖ヤコブ教会とカッペルの聖ペーター・パウロ教会の歴史的オルガンを使用したもので、前者は62のレジスターを装備した15世紀の大オルガン、後者は1680年に名工シュニットガーが製作した30のレジスターを持つ典型的なバロック・オルガンになる。

モノラル録音だが音質が素晴らしく、低音の響きも豊麗だ。

第2次世界大戦後、アルヒーフ・プロダクションが発足し、ドイツ民族のアイデンティティを再発見するために、バッハのオルガン作品全集を企画した際、演奏者に選ばれたのがヴァルヒャであった。

戦後間もない時期にこれだけの全集を制作したプロデューサーの意欲と、それに応えたヴァルヒャの努力には敬服する。

何故なら当時こうした企画は、決してそれに見合うだけの収入を見込めなかっただろうし、両者共にひたすら芸術的な観点に立って最良の作品を残したいという理想で一致していたと思えるからだ。

当時ヴァルヒャは40代前半で、フランクフルトの三賢人教会のオルガニストであり、また同地の音楽大学の教授として後進の指導にあたっていた。

しかもヴァルヒャは既にこの頃バッハの鍵盤音楽の全作品を、その驚異的な記憶力で暗譜していて磐石の態勢だったことも幸いしている。

彼の演奏はバッハの書法をこれ以上明確にすることができないと断言できるほど、対位法の各声部を明瞭に感知させてくれる。

彼の解釈は、作品を構成する1つ1つの音型、動機、楽句の意義を的確に(本能的といってよいかもしれない)とらえ、それを1つの有機体に再構成して生命を与えている。

戦後ドイツの大都市のめぼしいオルガンは爆撃や戦火によって使用可能な状態ではなかったことが想像されるが、北ドイツのこの2つの都市のオルガンは奇跡的に健在だった。

オルガンの澄んだ明快な響きとヴァルヒャの解釈によって、音楽と楽器の稀にみる一体感を生み出している。

尚4曲のチェンバロのためのデュエットでは、例によってアンマーが使用されている。

ヴァルヒャはバッハの他にブクステフーデを中心とする何人かのドイツ系の作曲家のオルガン作品を、CDにして2枚分ほど録音している。

演奏記録を見ると、他の作曲家のレパートリーもあったようだが、彼の研究の中心は何といってもバッハで、2種類のオルガン音楽全集と唯一のチェンバロ曲集に彼の生涯を捧げた仕事が集約されていると見做すことができるだろう。

このセットはメンブラン・レーベルからのリイシューで、廉価盤のためライナー・ノーツは省略されている。

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2018年10月07日


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特に「女性では」のことわりを入れずとも、フランスを代表するだけの経歴と風格を具えたオルガニストの大御所マリー=クレール・アラン(1926-2013)が1959年から67年にかけて行ったバッハ・オルガン作品全曲録音で、まず40歳前後の時期という比較的若い年齢で全曲を演奏したことに注目される。

バッハの「オルガン作品全集」をレコーディングすることは、およそすべてのオルガニストにとって生涯の一つの夢だろう。

だいいちその機会に恵まれること自体が誰にもあるというものではないが、アランはそれを一人で何と三度も繰り返したのだから恐れ入る。

その意味で女史にとってバッハのオルガン曲演奏はまさしくライフワークであったが、最初の全集録音で既にバッハの作品に対する解釈が基本的に確立されていたことに感心させられる。

彼女はその後更に2回の全曲録音も果たしていて、聴き比べると確かに後の2種の方が恰幅の良い名オルガニストの風格を備えている。

しかしこの若き日の全集は何処までもクリアーな奏法と明晰な解釈が特徴で、ことさら作品を尊大に聴かせることもなく誠実な再現に徹していて、スケールの大きな演奏ではないが、肌理の細かい表現とレジスターの多彩な音色の組み合わせなどに如何にもフランス人らしい彼女の趣味と現代的なスタイルを感じさせる。

アランの芸風は余計な自己主張のない典雅に洗練されたもので、その中にベテランならではの滋味、懐の深さを窺わせる。

演奏家自身の個性表出のためにバッハを利用するのではなく、真摯でありながらバッハの音楽に内包されている表現の多様性が示されたサンプルとしても模範的な演奏だと思うし、そこにアランの透徹した哲学があるのだろう。

バッハ演奏家としての総合的な力量では、ヴァルヒャやリヒターやレオンハルトに一歩を譲るというのが実は筆者の率直なアラン観であるが、偉大なる女史の、その長年の業績に敬意を持つ者として、初心者から通までお薦めすることに些かも躊躇しない。

この録音に使われた楽器はジャケットの裏面に記載されているが、デンマーク、スウェーデン、ドイツなどの北ヨーロッパの教会に設置されているマルクーセン&ソン製である。

いわゆる歴史的名器ではなく総て戦後にデンマークの同名の製作者が担当した現代のオルガンになり、確かに圧倒的な風格のあるジルバーマンやシュニットガーよりかなりモダンな響きがする。

録音状態は良好だが教会内の残響がそれほど含まれていないので、音質は鮮明でも僅かにデッドな印象があり、また低音を抑えたリマスタリングがされているように感じられるが、サブ・ウーファーを調節することで低音の補強と空気感を出すことは可能だ。

曲目はバッハのオルガン曲とそれに準ずる鍵盤用作品、例えば4曲のデュエットBWV802-805などが15枚のCDに網羅されている。

デュエットに関しては足鍵盤を欠いた二声の作品なのでヴァルヒャ第1回目の全集ではチェンバロで演奏されているが、アランは全曲オルガンで再現している。

尚43ページのブックレットには収録曲目及び録音データと欧文による解説が掲載されている。

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2018年09月02日


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昨年亡くなったチェコの女流チェンバリスト、ズザナ・ルージチコヴァーの追悼盤で、LPに付属したDVDにはゲッツェルズ監督によるドキュメンタリー映画が収録されていて、彼女が晩年のインタビューに応えた過酷な人生が多くのクリップや写真と共に語られていて感動を禁じ得ない。

彼女は一部を除いて殆んど英語で話しているが、日本語の字幕スーパーも付けられている。

この字幕に関してはいくらかやっつけ仕事的なミスも散見されるが、大意は問題なく理解できる。

差別と貧困の中でも彼女が捨てることがなかったのは人間愛と音楽への情熱で、その隠された不屈の闘志とも思われる強さを生涯持ち続けたことは驚異的だ。

彼女はその理由として幸福な家庭に生まれたことを忘れず、そして良き夫に恵まれたことを挙げている。

またルージチコヴァーの薫陶を受けた若い音楽家達がその芸術を受け継いでいるのも頼もしい限りだ。

彼女は同郷の指揮者カレル・アンチェルと同じくアウシュヴィッツから命からがら軌跡的な生還を果たしたが、その幸運も束の間で再びスターリン体制の下で屈辱的な生活を余儀なくされる。

また18歳でのピアノのレッスン再開は、先生からも見捨てられた状態だったと話している。

ユダヤ人差別は決して終わったわけではなく、予定されていたアンチェルとの協演は、ひとつの楽団に2人のユダヤ人は多過ぎると当局に阻止されてしまう事件も象徴的だ。

1968年にはソヴィエト軍のプラハ進行によって再び厳しい統制が敷かれ市民の生活は当局の監視下に置かれ、彼女はまたしても過去の時代の到来を感じずにはいられなかった。

この作品を観ているとアンチェルが亡命を決意した理由も非常に良く理解できる。

こうした状況の中でルージチコヴァーはチェンバリストとしての道を決意し、ミュンヘンのコンクールで優勝して西側からの招聘に応じて演奏活動が始まる頃からようやく音楽家としての運が開けたようだ。

彼女はエラートからの提案でバッハのチェンバロのための全作品の世界初録音を完成させた。

後にスカルラッティのソナタ全曲のオファーも来たが、その大事業に取り掛かるには遅過ぎた、再びチェンバリストに生まれたら是非スカルラッティも全曲録音したいとユーモアを交えて語っている。

時代に翻弄され人生の辛酸を舐め尽くした1人の音楽家として信じられないくらいのバイタリティーと豊かな音楽性、そして何よりも厳しくも温かい人間性を伴った演奏を遺してくれたことを心から感謝したい。

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2018年07月12日


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5年前にユニヴァーサル・イタリーからリリースされたカール・リヒター、ミュンヘン・バッハ管弦楽団によるバッハの宗教カンタータ集は彼が録音した全75曲をバジェット価格で纏めた画期的な企画だったが、今回音質をグレードアップさせた2枚のブルーレイ・オーディオに圧縮されて本家からの再発になった。

ディスクの形態では進歩型の優れた音質を誇るメディアにリニューアルされたことを歓迎したい。

こちらも全曲歌詞対訳付だが僅か2枚に75曲を収録したところも魅力で、昨年リリースされた2曲の受難曲、ロ短調ミサ、クリスマス・オラトリオ及びマニフィカトを全曲収録したブルーレイ1枚とDVD4枚を伴ったセットと合わせると、ライヴは別としてリヒターがステレオ録音したバッハの宗教曲が高音質ディスクで網羅されることになる。

レギュラー・フォーマット盤と聴き比べてみたが第1曲目からその音質の違いは明らかに感知できる。

先ず低音から高音までのバランスが改善され一部の音域の突出がなくなり、鮮明な音像が得られると共に、全オーケストラとコーラスが総奏の時にひとつの音の塊りになることが避けられている。

これはDSDリマスタリングの精緻さとブルーレイ盤の収容能力の余裕から来るものだろう。

雑味も払拭されてよりクリアーな音質が得られている。

専用機器の普及状況に合わせてのコンビネーションだと思うが、最近ブルーレイ・オーディオ盤と従来のCDを抱き合わせにしてリリースするケースが増えている。

これはコレクションのだぶりとマテリアルの節約のために賛成できないので、今回の企画は評価したい。

ハードカバーのディジタル・パック仕様で厚みは2.8cmほどあり、綴じ込みのブックレットは255ページで、全曲歌詞英語対訳付で前回より見易い上質紙に余裕を持ったスペースで掲載されている。

最後に曲名アルファベット順の索引が付いていて、ディスク・ナンバー、トラック、トラック・リスティング及びテキストのページが明記され鑑賞の便宜が図られている。

イメージ欄の写真の通りややレトロ調でシックなデザインは、スクリーンに映し出されるトラック・リストのバックにも共通しているが装丁自体はしっかりしている。

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2018年03月20日


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ハンガリー出身でアメリカに帰化したピアニスト、ジェルジ・シェベック(1922-1999)の名は、グリュミオーやシュタルケルの伴奏者としてのコンサートや録音活動でこそ知られているが、ソリストとしてのレコーディングはこれまで皆無に等しかった。

等しかったという意味は、少なくともマーキュリーやフィリップスなどの大手メーカーからリリースされた演奏は総て彼らの伴奏を受け持った共演でソロ音源が見当たらないということである。

しかしながら戦後のベルリン国際コンクールの覇者であり、また母国ハンガリーからもリスト賞を受けたピアニストとして多くの音楽家達からも絶賛されていたようだ。

単独のコンサートもインディアナ大学でのレッスンの合間を縫って行っていたようで、このディスクに収められたソロ・アルバムは1991年6月16日にフランスのパルセ=メレで催されたグランジュ・ドゥ・メレのスヴャトスラフ・リヒテル・フェスティヴァルの一晩のライヴ録音になる。

伴奏では時としてソロをリードしていく積極的なサポートがシェベックの特徴だったが、当時70歳を迎えようとしていたこのソロ・リサイタルでも、常に濁りのないクリアーで鋭利なピアニズムが披露されている。

プログラム第1曲目の『左手のためのシャコンヌ』ではいくらかミスタッチも聴かれるが、ハイドンのソナタからバッハの『半音階的幻想曲とフーガ』に至っては彼の本領が充分に発揮されて、最もシェベックらしい演奏が繰り広げられる。

最後に置かれたバッハ/ブゾーニ編のトッカータ、アダージョとフーガハ長調は、ホロヴィッツがカーネギー・ホールでの復帰リサイタルで弾いた演奏効果の高い難曲だが、シェベック自身のテンションの高さと共に華麗なテクニックも聴きどころだろう。

尚アンコールとしてヘンデルのシャコンヌト長調及びバッハの平均律第1巻第1番の前奏曲ハ長調が演奏されている。

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2018年02月08日


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J.S.バッハの長男として生まれながら、自らの性格破綻的な傾向も手伝って、中年以降を不遇のうちに送ったW.フリーデマン・バッハの6曲のトラヴェルソ・デュエット集という珍しい曲集が、バルトールド・クイケンと彼の直弟子マルク・アンタイのトラヴェルソによって見事に演奏されている。

この曲集はピリオド楽器での演奏がごく僅かしかなく、当盤は1990年の録音だが、現在ではこの他に1999年にリリースされたコンラート・ヒュンテラーとミヒャエル・シュミット=カスドルフのCDくらいしか見出せない。

その理由は技巧的には超絶的に困難なわりに、華やかな効果が出しにくい作品の特質にあると思われる。

通常のトラヴェルソはニ長調で最も安定したスケールと均等な音色が得られるように調律されていて、フラット系の調では運指が複雑になる一方で音質が不均等になりがちなので表現が難しくなる傾向があるが、このデュエット集6曲のうち4曲までがフラットの調で書かれている。

しかも調がトラヴェルソでやりにくいのに加えて、目まぐるしい転調や半音階の動きがあって、演奏者泣かせの曲集でもある。

作曲者があえてこうした調性を取り入れたのも、その一通りでない演奏効果を目論んでいたに違いない。

J.S.バッハとは、まったく作風が違うので、時代の変遷をリアルに感じ取ることができる。

演奏者はどちらも三兄弟揃って古楽奏者という、言ってみれば根っからの古楽研究家の出身で、しかも全員がグスタフ・レオンハルトやフランス・ブリュッヘンともしばしば協演している。

こうした経験が当然彼らの演奏に説得力を与える結果になっていることは事実だ。

収録曲目はヘ長調Falck57、ト長調Falck59、変ホ長調Falck55、ホ短調Falck54、変ホ長調Falck56、ヘ短調Falck58で、彼らの使用楽器はアラン・ヴェーメルス製作のカール・アウグスト・グレンザーのワン・キー・モデルだ。

フラット調に弱いという弱点はあるにしても、高音の軽やかさと明快なメロディー・ラインを出すことに成功している。

ポリフォニーの音楽としても両者が対等に競い合っていて、トラヴェルソによる彼らの水準を凌駕するような演奏は当分期待できないだろう。

当曲集はバロック・ファン向けというより、フルートを学んでいて、難易度の高いデュエット曲をお探しの方にはうってつけのディスクかも知れない。

尚ピッチはa'=415で音質は極めて良好。

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2018年01月18日


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フランス組曲には、ピアノによる演奏にも新旧何種類かの名盤・注目盤があるが、その中でも最も印象に残っているのが、筆者の場合意外なことながらこのヘブラー盤である。

ヘブラーとバッハとは、ちょっと珍しい取り合わせのような気もするが、フランス組曲に関する限りはこれがまさに絶妙。

日本ではもはや死語となってしまった「女性的」なしっとりとしたタッチで、聴き手を優しく包んでくれる明快な魅力に満ちた演奏である。

零れ落ちるようなウェットな美音で綴ったフランス組曲で、ヘブラーらしく奇を衒うことのない曲作りの中に気品に満ちた情緒が湛えられている。

そう書くと彼女の弾くモーツァルトの延長線上にあるバッハのように思われるかも知れないが、実際にはモーツァルトとは異なった次元での表現力が発揮された、高度な幻想性を感じさせる貴重な録音だ。

スタッカートを避けた抑制されたピアニズムでありながら鍵盤への洗練された多彩なタッチが極めて美しい、宮廷風ロココ趣味を先取りしたようなバッハの一面も明らかにしている。

それほどレパートリーの多くないヘブラーにとって大バッハの作品ではフランス組曲が唯一の音源になり、彼女がバッハの鍵盤作品から敢えてこの6曲を選んでいるのもそうしたところに理由がある筈だ。

同時代のもう一人のウィーンの大家、イェルク・デムスが彼女に先立つ1974年にバッハのパルティータ全曲とゴールドベルク変奏曲をベーゼンドルファーを弾いて録音しているが、一脈通じるものがあるかも知れない。

モダン・ピアノによる演奏なのでペダルを少なからず使用していることが感知されるが、それぞれの声部は濁ることなく心地良く響いてチェンバロで弾くのとはまた違ったデリケートな潤いを含んでいる。

装飾音の扱い方はバッハの書き記した奏法に遵ずるもので、彼女のバロック奏法への造詣の深さを示している。

タワーレコードからのヴィンテージ・コレクションとして現在91歳の女流ピアニスト、イングリット・ヘブラーの一連の音源が復活しているが、この2枚もそのシリーズの一組になる。

因みに同コレクション・シリーズで彼女のモーツァルト以外の録音ではシューベルトの即興曲集、シューマンのピアノ協奏曲とフランクの交響的変奏曲その他を1枚に纏めたもの、クリスティアン・バッハのフォルテピアノによる協奏曲全曲集、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番及び第4番、シェリングとのヴァイオリン・ソナタ全集が、また廃盤になってしまったがフィリップスからはハイドンのピアノ・ソナタ集とショパン・ワルツ集の19曲がそれぞれCD化されていた。

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2018年01月12日


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リチャード・エガーはここ数年でいよいよバッハの大規模な宗教曲に取り組み始めたが、その第一弾が『ヨハネ受難曲』で、彼が温めてきたバッハの宗教音楽への構想を着実に実現したものだった。

それに続いて2014年に録音されたこの『マタイ受難曲』もピリオド・スタイルを踏襲した古楽アンサンブルの中では将来においても優れたサンプルになるべき価値を持った演奏だ。

他のピリオド・アンサンブルと異なっているのはバッハが1727年4月11日の聖金曜日にライプツィヒ・トーマス教会で初演した当時の初稿を再現した演奏で、通常では1736年の最終稿が採用されるが、エガーは「改訂稿などの以降の版からは数々の洞察力と説得力が失われてしまった」と考え、敢えてバッハが初めてこの曲を構想した時のスピリットに立ち返って、改訂によってより壮麗な曲想になる以前の原点を模索したものだ。

これは先行する『ヨハネ受難曲』と同様のコンセプトに基いていると言えるだろう。

パート編成上の目立った違いは第1部冒頭で二重合唱の上に響くユニゾンのソプラノ・リピエーノのパートに少年のコーラスを使っていないことや、バッハが初稿で使ったとされるリュートを取り入れてCD3トラック3で歌われるバスのアリア『来たれ、甘き十字架』の伴奏にはヴィオラ・ダ・ガンバのオブリガートの替わりにリュートとオルガンを当ててソフトだが神秘的な雰囲気を出していることなどだ。

尚コーラスの編成は第1、第2合唱共にソプラノとバスが3名、テノール及びアルトが各2名ずつで、彼らも2007年にエガーによって結成された自前の合唱団だ。

エヴァンゲリスト、マタイを歌うジェイムズ・ジルクライストは個性派のテノールではないが、微妙に移り変わる多彩な表現力で物語を進め、受難のストーリーに沿ってある時はリリカルに、またある時はドラマティックに歌う肌理の細かい歌唱が冴えている。

これ以上ないと思われるほどのソリスト、合唱、そしてアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックの艶やかな響きが織り成す受難の物語は、一見柔らかい表情に見えるが、実は深遠、晦渋であり、クライマックスでは人間の罪深さを鮮やかに抉り出すなど、実に劇的な表現に満ちていることに気がつくのではないだろうか。

演奏時間は3枚のCDを合わせて144'38と速めのテンポを採っているのも特徴だ。

当シリーズはいずれもレギュラー・フォーマット仕様だが音質は鮮明で、古楽器の特性が良く捉えられた臨場感に溢れる音場が得られている。

AAMはそのイニシャルが示すようにエガーとアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックが自ら立ち上げた彼ら専用のレーベルで、ジャケットはブックレット・タイプでドイツ語の歌詞に英語対訳が綴じ込まれている。

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2018年01月11日


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リチャード・エガーとアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックの演奏による最新の『ヨハネ受難曲』である。

1973年に設立されたアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(エンシェント室内管弦楽団)の創立40周年を記念して録音されたこの『ヨハネ受難曲』は、現在望み得る限りの最高のソリストを配し、入念に準備された素晴らしいアルバム。

既に幾つかリリースされているピリオド・アンサンブルの演奏とは音楽的コンセプトをやや異にする解釈が特徴だ。

またテンポ設定もかなり速く、第1部20曲が32分、第2部48曲が73分で、それぞれを1枚ずつのCDに収録して聴き手に弛緩を許さない工夫もみられる。

使用ピッチはエガーが他のバッハの器楽曲で使っているフレンチよりも半音高いa'=415Hzを採用してこの作品の性格でもある緊張感に満ちた響きを創造している。

当時の教会では習慣的に宮廷より高いピッチを使っていたようで、それは設置してある歴史的オルガンの調律からも検証されているが、彼は『マタイ受難曲』においても同様の選択をしている。

一方この『ヨハネ』ではコーラスに重要な役割が与えられているので、エガーは各パート4名で曲の骨格を明確にして、更に群集の性格的な表現を引き出している。

エヴァンゲリスト、ヨハネを歌うテノール、ジェイムズ・ジルクライストを始めとするソリスト達も巧みな歌唱でエガーの要求に応じている。

バッハがライプツィヒのトマス・カントールに就任した翌年の1724年4月7日に『ヨハネ受難曲』の初演がトーマス教会で行われた。

その後演奏の機会に応じてバッハは数回に亘って改訂を試みているが、通常の録音では最終稿とされる彼の死の前年1749年のものが採用されているようだ。

しかしエガーはバッハの改訂の経緯からあえて初稿版を選んで、全曲を通じて常に緊迫した雰囲気を貫いて『マタイ』とのコントラストを鮮明にしている。

より規模の大きい『マタイ』では抒情的なカンタービレとドラマティックな情景を交錯させて物語の進行を起伏に富んだ美しいものにしているが、『ヨハネ』では失われることのない緊張感の持続で足早に終焉に向かう勢いがある。

第1曲から不協和音をぶつけた胸騒ぎのするような不安げな和声と執拗なリズムの反復は、ユダの密告によってイエスに迫り来る危機を象徴している。

第2部第10曲でのエヴァンゲリストの語る「ピラトはイエスを捕縛し鞭打たせた」の部分では、細分化された音形が神経質なほど装飾的に動くのも『マタイ』にはみられないやり方である。

こうしたところどころ耳慣れない部分も出てくるが、この粗削りなヴァージョンにふさわしい直接的なインパクトと、劇的な表現力こそが、作品の真の姿を洗い出すためにふさわしいものとなっていて、聴き手を引き込んでいく心理的な手法もバッハならではのものだ。

そこにはバッハがこの作品に傾けた最初の情熱を直接伝えるような激しさが感じられる文句なしの名演であり、全ての部分に祈りと愛が満ちている。

至高の名曲ゆえ、これまでも多くの演奏が存在しているが、今回のエガー盤は過去の名演ともまた違う独自の祈りの境地へと至った素晴らしいものである。

エガー自身がミュージック・ディレクターを兼ねるAAMレーベルからのリリースで、ブックレット装丁のジャケットにライナー・ノーツが綴じ込まれている。

演奏者全員の使用楽器が明記されているのはいつも通りだが、ここにはソロ歌手達の写真付プロフィールと、更にドイツ語の全歌詞に英語対訳がついているのもエガーの拘りを示した丁寧な配慮だ。

2013年4月にロンドンでの収録でレギュラー・フォーマット仕様だが、音質もここ数年にリリースされたCDの中では最も優れている。

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2018年01月09日


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英国のピリオド・アンサンブル、アカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックの指揮者でチェンバリストのリチャード・エガーはここ数年バッハの作品を集中的にレコーディングしているが、ソロやアンサンブルは別として規模の大きい曲目はAMMレーベルを立ち上げてから精力的に始まった。

このブランデンブルク協奏曲全曲は唯一の例外で、しかも米ハルモニア・ムンディで制作されたSACDになる。

アンサンブルのメンバーとソリストは従来どおりだが、その後にリリースされる管弦楽組曲よりも編成の大きいフル・メンバーで構成されている。

ライナー・ノーツには演奏者全員のネームと使用楽器が明記されていて、それぞれが17世紀から18世紀初頭に製作されたオリジナルあるいはそのコピーを使って当時のサウンドを再現している。

ハイブリッド仕様だがSACDで鑑賞すると音質の鮮明さや音場の奥行きがより明瞭に感知される。

特に古楽器の音色や響きの特性を捉えた高音質録音は高く評価したい。

バッハのブランデンブルク協奏曲の決定盤をひとつ挙げるのは困難だが、このディスクがリリースされるまではアレッサンドリーニ指揮、コンチェルト・イタリアーノの同曲集がレギュラー・フォーマットながら優れた音質で、同じピリオド・アンサンブルでも全く異なった流麗でモダンなセンスに溢れた演奏で筆者の愛聴盤だった。

一方でエガーはより古風な響きを再現している。

例えばアレッサンドリーニは現代よりほぼ半音低いスタンダード・バロック・ピッチを採っているのに対して、エガーは更に半音低いフレンチを採用しているし、また通奏低音にチェンバロの他に大型リュートのテオルボを用いている。

このために前者のような輝かしさはやや後退しているが、ダークで雅やかなサウンドが得られている。

しかしそれぞれの曲に相応しいテンポを設定して、決して生気を失った冗長な演奏に陥っていない。

ヴァイオリン・パートを欠く第6番ではとかく地味な演奏になりがちだが、第1楽章はかなり速くその推進力に特徴がある。

バッハは丁度ヴィヴァルディがやったようにあらゆる楽器をソロにした合奏協奏曲を作曲し、6曲を選んでブランデンブルク辺境伯に献呈したが、そこでは彼の自在な音楽的発想と巧妙な作曲上のテクニックの成果が披露されている。

第1番を除いてヴィヴァルディ式の簡潔な楽章構成だが、徹底した省略の美学を実践したヴィヴァルディとは異なったポリフォニーの精妙な綾が織り込まれているのが聴きどころのひとつだろう。

第5番ではバッハが宮廷楽長だったケーテン時代にベルリンから買い入れた新しいチェンバロのために、第1楽章の後半にチェンバリストの独壇場ともいえる65小節のカデンツァを書き足している。

ここではエガーのテクニックと情緒豊かなソロが冴え渡っている。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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