バッハ

2019年07月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



あたかも指揮者カール・リヒターのスピリットが演奏者全員に乗り移ったかのような気迫に満ちた、バッハの最高傑作の名に恥じない《マタイ受難曲》だ。

この曲をより器用に、それらしく表現した演奏は他にも存在するが、キリスト受難のエピソードを単なる絵空事に終わらせず、のっぴきならない生きたドラマとして描き出した例は非常に少ない。

リヒターのバッハ、特に《マタイ》はバネのきいたリズムを特徴としている。

ともすると、懶惰に陥りがちなわたしたちを励起させるリズムだが、決して押し付けがましくはない。

どうしても、そのリズムの勢いに突き動かされ、ついて行きたいと思わずにはいられぬ躍動感に満ちている。

そして、それはあるひとつの目標に向かって、ともに心を合わせて前進してゆくときの一体感を掻き立ててくる。

この目標は、神との出会いを目指しているのは言うまでもなく、神の存在をフィジカルに体得するリズムとでも言おうか。

その時、わたしたちは人間が霊的な存在だと知り、この霊的なリズムに乗ると、誰もが超越的な空気に触れ、物質的な欲望がいかに卑小で、ともに同胞であることが、すべてに優るよろこびだとわかる。

それが神とともにあるという意味だが、その意味が今日忘れられている。

というよりもすでに経済の高度成長期の1970年代に、わたしたちはリヒターが望んだのとは別の生き方に引かれはじめた。

彼はその離反に深く悩み苦しんだのだろう、彼の2度目の《マタイ》の録音は、それを食い止めようとする絶望的な努力と挫折感を響かせている。

株価の変動に一喜一憂し、金勘定に忙しいわたしたちは、リヒターの《マタイ》にもう一度立ち返って、心を問い直す必要があるのではないか。

ソリスト陣にも作品の核心を突くことのできる歌手たちを起用しているのも聴き所だ。

たとえばエヴァンゲリストを演じるエルンスト・へフリガーの迫真の絶唱は他に類を見ない。

それはこの受難を書き記したマタイ自身が直接この物語の中に入り込んで、聴き手に切々と訴えかけてくるような説得力がある。

少年合唱を含むコーラスにおいても洗練された和声的な美しさよりも、むしろ劇的な感情の表出と状況描写に最重点が置かれているのも特徴的だ。

リヒターのバッハはオリジナル楽器や当時の歌唱法を用いたいわゆる古楽としての再現ではないが、あらゆる様式を超越してしかも作品の本質に触れることのできる稀に見る演奏として高く評価したい。

1958年の録音自体かなり質の良いものだが今回のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、より明瞭な音像を体験できるようになった。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:05コメント(0) 

2019年06月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フランスの若手ピアニスト、ダヴィッド・フレーは既にこの時点でバッハとブーレーズ、そしてシューベルトとリストを組み合わせた魅力的なCDを出している。

先般バッハの4曲のキーボードの為の協奏曲を弾き振りしたCDは勿論同時にリリースされた。

そのうちの3曲、BWV1055、1056及び1058のリハーサル風景とインタビュー、そして本番を撮ったものがこのDVDだ。

フレーはグレン・グールドのファンであり、しかもそれにとらわれることなく、あくまで自分の音楽性を打ち出していこうとしていることにも感動させられる。

彼の仕事はブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニーというまだ駆出しのオーケストラを手なづけていくところから始まる。

彼が要求するのはメロディーを巧く歌うこととスウィングするような感性の柔軟さで、オーケストラがどのように彼についていくかが見どころだ。

リハーサルは和気あいあいとしたものだが、時折フレーのうるさい注文に首をかしげたり、また茶化したりする団員の姿も正直に撮影されている。

面白いのは彼のピアノ演奏について多くの人が指摘するように、かつてのグールドを彷彿とさせるような特殊なゼスチュアと顔の表情だ。

鍵盤に顔をかぶせるようにして自己の世界に浸る奏法は確かに独特のアピールがある。

この映画でのフレーは、ある意味でグールドを「演じきって」おり、また最初はこの「グールドまがい」のピアニストにどう対応しようかと手探り状態であったドイツ・カンマーフィルの楽員たちが、次第にフレーのスイングする音楽をどうせなら徹底的に演じてやろうと、役になりきっていく過程も興味深い。

しかし同時に溢れるほどの音楽性もその演奏から滲み出ていて、バッハから殆ど無限ともいえる音楽表現の可能性を引き出してみせる。

特に緩徐楽章に於ける感性豊かで繊細な歌いまわしは感動的だ。

冷静で感性よりも理性が先行するという意味で傾向が全く違うドイツの同世代のピアニスト、マルティン・シュタットフェルトに挑戦するかのような企画も興味深い。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:12コメント(0) 

2019年06月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



バッハは《クリスマス・オラトリオ》でキリストの降誕という一大イベントを、大いなる祝福と歓喜に満ちた曲想で飾った。

4大宗教音楽のひとつに数えられるが、神への畏怖の念の優る他の宗教曲に比べ、これは神との親密感が全体に浸透し、イエスがこの世に生を享けたことがどんな人間にも生きる喜びとなることをメッセージしている。

ガーディナーは1985〜88年にかけて強い意気込みをもって、集中的にバッハの4大宗教音楽を録音したが、彼の演奏の特徴と魅力が端的に示されているのはこの《クリスマス・オラトリオ》だろう。

速めのテンポで運んで、いかにも生き生きとしているし、オリジナル楽器ならではの伸びやかに澄んだ響きがそうした演奏にぴったりで、爽やかである。

彼の演奏スタイルは精神性を重視するドイツ系の指揮者と違い、イギリス人らしいリアルな感覚でアプローチ。

キリストの生誕を祝う喜びは、人々の日々の生活のなか、巷の情景となって浮かび上がってくる。

細部の描写がこまやかで、ユーモアに富み、全体に親しみや優しさ、あたたかみがこもっているのが特徴だ。

これほど作品にふさわしい喜ばしい生命感にあふれ、しかも、きりりと引き締まった様式感を合わせそなえた演奏はなかったと言ってよいだろう。

ガーディナー率いるイングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏は、目の醒めるような晴れやかさと華麗な表現で、どのピリオド楽器使用の合奏団よりも喜びに溢れた雰囲気を湛えている。

また手兵でもあるモンテヴェルディ合唱団の、これぞプロのコーラスと呼ぶに相応しい一糸乱れぬ統率と鮮やかなテクニックで、この曲に欠かすことのできない推進力を担っている。

勿論指揮者自ら創設したこのコーラスの力量はガーディナー自身充分心得ていて、彼らを前面に出した圧倒的な迫力で曲を進めていくアプローチも聴き所だ。

アージェンタ、オッター、ベーアらの7人の独唱者も古楽の専門家らしく、それぞれの歌詞の意味合いを活かした癖のない爽やかな歌唱に好感が持てる。

とりわけ福音史家を演ずるロルフ・ジョンソンはテクストの読みの深さと柔軟な表現力が秀逸で、ガーディナーの指揮に鋭敏に反応して、真摯で溌剌とした歌唱を聴かせてくれる。

1987年の録音であるにもかかわらず、ガーディナーの進めた古楽新鋭の気風は現在いささかも色褪せていない。

また音質の鮮明なことも特筆される。

この曲を初めて聴いてみたいという方にも是非お勧めしたいセットだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:12コメント(0) 

2019年06月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



エイヴィソン・アンサンブル、エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団、フレットワークなどでの活躍で知られる英国出身のベテラン中のベテラン、バロック・チェロ、ヴィオール奏者、リチャード・タニクリフによるバッハ。

ヨーロッパの古楽界では既に長いキャリアを積んだベテラン・チェロ奏者として高い評価を受けているリチャード・タニクリフが、満を持してバッハの『無伴奏チェロ組曲』を録音した。

第一印象は端正な演奏で野心的なところがなく、それでいて聴き手を引き込んでいく静かでひたむきな情熱が感じられる。

技術的にかなり困難な作品であるにも拘らず、その澄み切った音色と流麗さを失うことなく悠々と流れていく音楽には彼一流の品格と誠実さが良く表れている。

作品を深々と表現する安定した技量と堂々とした解釈、教会の残響を大きく拾った美しい録音などが聴きどころだ。

この演奏に使用されたバロック・チェロは1720年製作のオリジナル楽器で、第6番ニ長調のみはアンナー・ビルスマが既に試みたチェロ・ピッコロを使って、その機能性や表現力の幅広さと高音の美しさを改めて世に問うている。

ピッチはいわゆるスタンダード・バロック・ピッチのa'=415で、覇気は充分感じられるが張り詰めた緊張感よりもしみじみとした落ち着いた雰囲気を醸し出している。

リチャード・タニクリフは、女流トラヴェルソ奏者リーザ・ベズノシュークの夫であり、リーザの弟パブロ・ベズノシュークも英国古楽界を代表するバロック・ヴァイオリン奏者である。

彼も先頃バッハの『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』全曲を同じリン・レコーズ・レーベルからリリースしたばかりだ。

どちらもSACDとして鑑賞するに越したことはないが、ハイブリッド仕様なので互換機がなくても再生可能だ。

尚録音は2010年から翌11年にかけて行われ、通常CDでも音質は極めて良好。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:30コメント(0) 

2019年05月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヴェンツの1回目のフルート・ソナタ全曲録音が1991年で、それから18年後、彼が48歳になった2008年にこのソナタ集の再録音が行われた。

前回は偽作を含むソナタ7曲が勢揃いしていたが、今回は真作4曲と無伴奏パルティータ、それにトリオ・ソナタとして知られているBWV1038、1039及び『音楽の捧げ物』を加えてバッハの作品により忠実なプログラムになっている。

前回と異なる点は先ず使用楽器がパランカではなく、ブレッサン、オーバーレンダー、ウェイネの3種類のモデルを使い分けていることだ。

パランカはかなり機能的なトラヴェルソだが、むしろバッハ以降の音楽に適しているので今回の楽器の選択は時代の要求に適ったものと言える。

次にテンポの設定についてはテクニックに任せて吹きまくっていた30代の頃よりやや遅めになって音楽に余裕を持って取り組んでいる姿勢が窺われる。

バッハはいわゆる名人芸が聴衆の心を強く捉えることを充分に心得ていて、それを自分の作品に効果的に取り入れる一方で彼はその弊害も熟知していた。

つまり技巧を優先させると往々にして音楽性が二の次になるという明らかな現象であり、彼はそれを完璧に避けた。

当時カストラートの超絶技巧歌唱が全盛を極めていたイタリア・オペラにバッハが手を染めなかったのは偶然ではない。

トラヴェルソ奏者としてのヴェンツの豊かな音楽性や優れた表現力は、ヘンデルやブラヴェのソナタ集で顕著だが、前回に限って言えば速すぎるテンポ設定のために技巧が前面に出て、バッハ特有の深い音楽的な味わいが薄らいでしまっていた。

これを正当化するために彼は前回のCDの解説書とアメリカのニュースレター誌トラヴェルソに小論文を掲載している。

今回も大曲ロ短調ソナタの終曲ジーグは相変わず誰よりも速く、曲の始めから既に速いテンポを採っていて、殆どアクロバット的な超絶技巧曲のようだ。

つまりヴェンツはバッハが記した拍子記号と当時の習慣的な記譜法から曲の速度を割り出したようなのだ。

またこの時代の作曲家たちが絶対的な速度感ではなく、相対的にテンポを考えていたことを認めながら、メルツェルに先立って1696年に既にエチエンヌ・ルリエがメトロノームを製作していたことも指摘している。

彼はやはりヴィルトゥオジティを通した高い音楽性の実現を試みているのだろう。

彼の師クイケンの演奏をクラシックでアポロン的な表現とするなら、ヴェンツのそれはデュオニュソス的であり、様々な楽器を繰り出して聴かせる音色の変化に加え、アーティキュレーションも自在かつ多彩だ。

尚前回より楽譜には忠実で、リピートも省略していないため無伴奏パルティータ、アルマンドの最後の超高音aも2回吹いているし、サラバンドの反復部分の任意装飾も興味深い。

ピッチはa=415に統一されている。

このCDはブリリアント・レーベルの廉価盤だが勿論オリジナル・リリースで音質は非常に良く、トラヴェルソ特有の暖かみのある陰影を含んだ音色や、ボルフステーデの弾くルッカース・モデルのチェンバロの芯のあるふくよかな音質が良く再現されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:37コメント(0) 

2019年04月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フランスのトラヴェルソ奏者、マルク・アンタイが初めてバッハのフルート・ソナタ集を録音したのが1998年で、こちらの新録音が2016年なので18年ぶりの再録音ということになる。

解釈はごく正統的で、以前とそれほど変わってはいないが、兄弟でチェンバロを弾くピエールと同様余裕をみせた品位のある演奏が繰り広げられている。

このアルバムにはバッハの真作とされている4曲のソナタと無伴奏パルティータイ短調のみが収録されていて、選曲にも彼のこだわりが示されている。

前回と異なるのは通奏低音付のホ短調ソナタBWV1034を加えたことだが、ヴィオラ・ダ・ガンバを省略してチェンバロのみの伴奏にしていることだろう。

これは当時の演奏習慣では充分有り得る演奏形態で、特にバッハはチェンバロの左手と右手にそれぞれの声部を与え、実際にはデュエットの形態を採りながらソロ楽器と三声部の対位法の書法を発展させていくソナタを多く遺している。

ここでは大曲ロ短調ソナタがその典型的なサンプルだし、トラヴェルソの調性と機能を最大限に発揮させた作品だが、アンタイ兄弟が自由闊達な表現の中に息の合った素晴らしいアンサンブルを聴かせている。

バロック時代の無伴奏フルート作品の双璧と言えるのがここに収録された大バッハの無伴奏パルティータと息子カール・フィリップ・エマヌエルの無伴奏ソナタの2曲だが、いずれもテクニック的にもまた高度な音楽性においても難曲とされている。

ここでアンタイは前回同様繰り返しをしていない。

これは最後の最高音aの2度の突出を避けるための解決策だろう。

しかし以前にも増して楽器の音色が充分に活かされているように思える。

勿論これは録音技術の進歩のためかも知れない。

使用楽器は名匠I.H.ロッテンブルク・モデルで、2013年にルドルフ・トゥッツの手になるコピーだ。

この楽器は響きが豊かで、音色に高貴さを感じさせるのが特長だが写真から判断すると材質は柘植材のようだ。

チェンバロはバッハのケーテン時代にベルリンで工房を開いていたミヒャエル・ミートケによる1702年製のオリジナルをウィリアム・ダウド及びブルース・ケネディーが復元したもので、余韻が長くややダークで可憐な響きが魅力的だ。

バッハがミートケのチェンバロをケーテン宮廷楽団用に購入したことは良く知られたエピソードだ。

録音はオランダのハーレムで2016年に行われている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:54コメント(0) 

2019年03月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



例によってこのセットもレギュラー・フォーマットのCD2枚にブルーレイ・オーディオ1枚の抱き合わせ仕様でリリースされている。

CDに関しては、既に廉価盤からSACDに至るまでリイシューを重ねている音源なので必要なかったと思うのだが・・・。

1960年12月の録音で、バッハの無伴奏チェロ組曲としては最初のステレオ録音だが、良い意味でのロマンティックでスタイリッシュな感性をベースに、比較的自由な表現力を駆使した演奏としては、おそらく最後の名演ではないだろうか。

それはフルニエの奏法、ポルタメントの使用や装飾音の扱い方などに顕著に表れている。

少し後に行われたシュタルケルのマーキュリーへの全曲録音と比較すると、この作品に対する再現へのポリシーの違いに驚かされる。

しかしフルニエのスタイルが古いと決めつけてしまうにはあまりにも豊かな音楽性に溢れているし、節度のある表現の高貴さと生気に満ちた演奏で、バッハ演奏の歴史が辿った頂点に聳えるひとつの解釈だと信じる。

フルニエの演奏を特徴づけるのは、若い頃から爛船Д蹐離廛螢鵐広瓩噺討个譴燭茲Δ鉾爐留藾佞砲澆覆る独特の気品ではないだろうか。

このバッハの場合も、運指法や運弓法、フレージングなどの演奏法も長年の演奏を通して独自のものに到達したと語り、バッハに対する基本的な考えは爐い弔皺里Δ箸いΔ海鉢瓩鬟皀奪函爾砲靴討い拭

そうした彼のバッハ演奏が心技ともに最高の状態で残されたのが、この録音ではないかと思う。

ブルーレイで鑑賞すると、中央に良く纏まった音像から力強くしなやかなチェロの音色が鮮やかに再生される。

考え抜かれたボウイングのテクニックだけでなく、左手の指使いやフルニエの呼吸も生々しく捉えられている。

音場自体はそれほど広くなく残響も控えめでややデッドに聞こえる。

近年のピリオド楽器による録音では会場の残響をフルに採り入れるのが通例だが、これはモダン楽器でのバッハの対位法の声部の独立性を保つためと、低音部の豊かな響きを突出させないための技術的配慮だろう。

初期ステレオ録音のソロ楽器のサンプルとしても高度な鑑賞に堪え得る良質の音源だ。

44ページのライナー・ノーツにはレコーディングとフルニエの演奏についてのエピソード及び全曲の解説が英、独、仏語で掲載されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:03コメント(0) 

2019年01月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



イングリット・ヘブラーとエドゥアルト・メルクスの指揮するカペラ・アカデミカ・ウィーンによるヨハン・クリスティアン・バッハのピアノ協奏曲集。

録音活動でのヘブラーはモーツァルトの作品の演奏が大半を占めているが、この4枚には少年時代のモーツァルトと交流があり、彼の作品に大きな影響を与えたバッハの末っ子ヨハン・クリスティアンの鍵盤楽器用協奏曲全18曲が収録されている。

ヨハン・クリスティアン・バッハは、モーツァルトの作風に少なからぬ影響を与えたことでモーツァルトの研究者たちの間ではよく知られていた。

またこの録音集で特徴的なのは、ヘブラーがフォルテピアノを演奏していることで、それはピリオド楽器による彼女の唯一のレコーディングでもある。

まだフォルテピアノによる演奏が一般的でなかった時代にヘブラーがフォルテピアノを使って録音した点も、古楽器運動の草創期を知るうえでまたとない資料であろう。

フォルテピアノのメーカーや製作年代は明記されていないが、現代のピアノよりも音量が小さく軽やかで繊細な音色を活かした、これ以上美しい演奏は望めないくらい徹底して洗練されたスタイルがいかにも彼女らしい。

サポートはバロック音楽復興期の草分け、エドゥアルト・メルクス指揮、カペラ・アカデミア・ウィーンでクリスティアン・バッハのシンプルなオーケストレーションを控えめだが効果的にドライブして、ヘブラーのソロを引き立てながらギャラント様式の美学を模範的に再現しているところが秀逸。

ヘブラーはモーツァルトのピアノ音楽を得意とするピアニストだったが、1950年代末から活発化した古楽器運動の旗手の1人だったメルクスと組んでJ.C.バッハの協奏曲集を手掛けたことは、当時としてはモーツァルトの芸風が成立する前提を知るうえで非常に有意義なことであった。

モーツァルトのピアノのための作品の形成を辿る時、幼いモーツァルトがクリスティアン・バッハと彼の作品から受けたサジェスチョンは決定的なものだったことが理解できる。

モーツァルト14歳の時の3曲のピアノ協奏曲K107はクリスティアンのクラヴィーア作品に簡単な弦楽伴奏をつけたアレンジであり、彼が手本として学習していたことも明らかだが、モーツァルトのスペシャリスト、ヘブラーとしてはその源流を探る研究としての全曲録音だったのではないだろうか。

ヘブラーとメルクスの演奏は、アーノンクールらのような鋭角的なアプローチを採らず、典雅さを重視したスタイルで演奏している。

メルクスの刻むリズムは決して重くなることはないのだが、溌剌とした中にもどこか落ち着いた色合いを帯びている点はジャン=フランソワ・パイヤールに近い芸風を示していると言えるだろう。

しかし、ヘブラーのピアノは、モダン・ピアノ奏者にありがちな響きの粗雑さは巧みに避けられ、今日のフォルテピアノの専門家と比べても遜色がない。

この録音は、J.C.バッハのピアノ協奏曲集の解釈の基準として、今後も聴き続けられるであろう。

このシリーズの録音は1969年に開始され8年後の77年に終了した長期間に亘る企画だったので、決して片手間に行ったものではなく、本格的な研究の意図が窺われる。

タワーレコードからのヴィンテージ・コレクションの4枚組限定生産になる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:33コメント(0) 

2019年01月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



リイシューを繰り返しているシェリング2回目のバッハの無伴奏は、2007年にCDのマテリアルを一新したSHM-CDで復活した。

その後2017年にこの音源はSACD化されているので、やはりこのバージョンが最も音質に優れていると言える。

同時期リマスタリング盤でリリースされたユニヴァーサルのシェリング全集からの同曲集を聴き比べると、やはりその違いは明瞭に感知できる。

SACD+SHM-CD盤を聴いた直後にセット物のリマスタリング盤を聴くと、後者の音質がやや籠って聞こえる。

このクリアー感のためにヴァイオリンの音色がより明るく艶やかに響いて、再生される音場にも拡がりが出て音域的なバランスも改善されている。

幸いオリジナル・マスターの保存状態も良く、より原音に近いハイ・レゾリューションへの改善の余地も残されていることは確かだ。

力強さと高潔さを併せ持った独特の音色が最新DSDマスタリングによってより一層の生々しさで聴く者を圧倒する。

ただしシェリングの演奏に関して言えば音質の精緻さや音色の美しさよりも、むしろ彼の音楽観を鑑賞することの方が本筋であることは言うまでもないだろう。

この1967年の録音が3枚組のLP盤で出た時から聴き続けているが、筆者にとっては全く飽きのこない演奏だ。

それはシェリングと同世代のヴァイオリニスト、例えばグリュミオーのスタイリッシュな演奏や、鷹揚で美しいスークの無伴奏とは一線を画した、徹底した緊張感の持続がダイレクトにバッハの普遍性や精神性を伝えているからだろう。

対位法の声部を弾き分けるテクニックは磨き上げられていて、それぞれの曲は彫琢されたような造形美と神々しいばかりの輝きを放っている。

また力強く豊麗に響き渡る重音奏法も特筆される。

1挺のヴァイオリンで3、4声部を完全に保ちながら弾くことは不可能なので、分散和音のように瞬時にずらして演奏しているが、テーマを生かすために上声部から弾く場合と低音部から上に向かう奏法が注意深く使い分けられている。

バロック音楽に造詣の深いシェリングだけあって装飾音も第1回目とは異なった最新の解釈が示されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:42コメント(0) 

2019年01月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



生涯に4回の無伴奏チェロ組曲全曲録音を果たしたシュタルケル2度目の全曲集で、既にマーキュリー・リヴィング・プレゼンス・コレクターズ・エディションに組み込まれていたものが、今回ルビジウム・カッティングのリニューアル盤2枚組で再登場した。

多くのチェリストにとって一生に一回録音することすら夢であるような作品を、これだけ回を重ねて録音したのは空前であるし、また恐らく絶後であるに違いない。

この作品に対するシュタルケルの執着と意気込みが感じられずにはいられないが、このうち筆者が最も優れた出来栄えを示していると思うのが、この2度目のアルバムである。

この頃は彼の技術が最も高度の冴えを見せていた時期で、その寸分の隙もない緊張感に満ちた表現と、それを支える圧倒的な技術が、バッハの音楽に内在する崇高な世界をこの上なく見事に引き出している。

シュタルケルは高度な演奏技術と幅広い表現力を持っていながら、バッハの演奏にあたって尊大になることもなく実直で飾り気のない、しかし一方で骨太で力強く揺るぎない音楽構成を聴かせているのが特徴だ。

またバロック音楽に造詣が深いだけあって、ここでの舞曲や装飾音の解釈も今もって説得力のある普遍的なものだ。

しかもこの録音は1963年から65年にかけて、彼が40歳になった頃のもので独特の覇気が全曲を貫いていて、卓越した技巧と鋭い知性で一分の隙もない演奏を聴かせる。

特にポリフォニックな楽章では、しなやかなアーティキュレーションが自然な流動感をもたらし、緩徐楽章での深い感情表現も印象的で、知的で抑制のきいた解釈が表現意欲と見事なバランスを作っている。

つまり性格において抑制されているけれども、知的な把握力とテクニックの支配力において、カザルスの演奏に比べられるのもそのためで、いわばバッハの無伴奏チェロ組曲の演奏に新しい基準を示したと言えよう(彼はまた、この作品の新しいエディションを出版している)。

尚この2枚組セットには6曲の組曲の他に、2曲のヴィオラ・ダ・ガンバのために書かれたソナタト長調BWV1027及びニ長調BWV1028も収録されていて、ピアノはハンガリー時代からの朋友でしばしば彼と協演して高い評価を受けているジェルジ・シェベックが担当している。

ちなみにバッハのもうひとつのガンバ用ソナタト短調BWV1029は、同ピアニストとの録音で今回このシリーズで復活したバロック・チェロ・ソナタ集の方に収められている。

録音技術と再生音の優秀さで知られたマーキュリー・リヴィング・プレゼンスだけあって音質の素晴らしさと臨場感は半世紀前のセッションとは思えない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:05コメント(0) 

2018年12月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



幸いなことにヘルムート・ヴァルヒャはJ.S.バッハのオルガンのための作品全集を2度に亘って録音し、そのどちらもがかなり良い状態の音質で残されている。

この10枚組の全集はその第1回目、1947年から52年にかけてドイツ、リューベックの聖ヤコブ教会とカッペルの聖ペーター・パウロ教会の歴史的オルガンを使用したもので、前者は62のレジスターを装備した15世紀の大オルガン、後者は1680年に名工シュニットガーが製作した30のレジスターを持つ典型的なバロック・オルガンになる。

モノラル録音だが音質が素晴らしく、低音の響きも豊麗だ。

第2次世界大戦後、アルヒーフ・プロダクションが発足し、ドイツ民族のアイデンティティを再発見するために、バッハのオルガン作品全集を企画した際、演奏者に選ばれたのがヴァルヒャであった。

戦後間もない時期にこれだけの全集を制作したプロデューサーの意欲と、それに応えたヴァルヒャの努力には敬服する。

何故なら当時こうした企画は、決してそれに見合うだけの収入を見込めなかっただろうし、両者共にひたすら芸術的な観点に立って最良の作品を残したいという理想で一致していたと思えるからだ。

当時ヴァルヒャは40代前半で、フランクフルトの三賢人教会のオルガニストであり、また同地の音楽大学の教授として後進の指導にあたっていた。

しかもヴァルヒャは既にこの頃バッハの鍵盤音楽の全作品を、その驚異的な記憶力で暗譜していて磐石の態勢だったことも幸いしている。

彼の演奏はバッハの書法をこれ以上明確にすることができないと断言できるほど、対位法の各声部を明瞭に感知させてくれる。

彼の解釈は、作品を構成する1つ1つの音型、動機、楽句の意義を的確に(本能的といってよいかもしれない)とらえ、それを1つの有機体に再構成して生命を与えている。

戦後ドイツの大都市のめぼしいオルガンは爆撃や戦火によって使用可能な状態ではなかったことが想像されるが、北ドイツのこの2つの都市のオルガンは奇跡的に健在だった。

オルガンの澄んだ明快な響きとヴァルヒャの解釈によって、音楽と楽器の稀にみる一体感を生み出している。

尚4曲のチェンバロのためのデュエットでは、例によってアンマーが使用されている。

ヴァルヒャはバッハの他にブクステフーデを中心とする何人かのドイツ系の作曲家のオルガン作品を、CDにして2枚分ほど録音している。

演奏記録を見ると、他の作曲家のレパートリーもあったようだが、彼の研究の中心は何といってもバッハで、2種類のオルガン音楽全集と唯一のチェンバロ曲集に彼の生涯を捧げた仕事が集約されていると見做すことができるだろう。

このセットはメンブラン・レーベルからのリイシューで、廉価盤のためライナー・ノーツは省略されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:03コメント(0) 

2018年10月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



特に「女性では」のことわりを入れずとも、フランスを代表するだけの経歴と風格を具えたオルガニストの大御所マリー=クレール・アラン(1926-2013)が1959年から67年にかけて行ったバッハ・オルガン作品全曲録音で、まず40歳前後の時期という比較的若い年齢で全曲を演奏したことに注目される。

バッハの「オルガン作品全集」をレコーディングすることは、およそすべてのオルガニストにとって生涯の一つの夢だろう。

だいいちその機会に恵まれること自体が誰にもあるというものではないが、アランはそれを一人で何と三度も繰り返したのだから恐れ入る。

その意味で女史にとってバッハのオルガン曲演奏はまさしくライフワークであったが、最初の全集録音で既にバッハの作品に対する解釈が基本的に確立されていたことに感心させられる。

彼女はその後更に2回の全曲録音も果たしていて、聴き比べると確かに後の2種の方が恰幅の良い名オルガニストの風格を備えている。

しかしこの若き日の全集は何処までもクリアーな奏法と明晰な解釈が特徴で、ことさら作品を尊大に聴かせることもなく誠実な再現に徹していて、スケールの大きな演奏ではないが、肌理の細かい表現とレジスターの多彩な音色の組み合わせなどに如何にもフランス人らしい彼女の趣味と現代的なスタイルを感じさせる。

アランの芸風は余計な自己主張のない典雅に洗練されたもので、その中にベテランならではの滋味、懐の深さを窺わせる。

演奏家自身の個性表出のためにバッハを利用するのではなく、真摯でありながらバッハの音楽に内包されている表現の多様性が示されたサンプルとしても模範的な演奏だと思うし、そこにアランの透徹した哲学があるのだろう。

バッハ演奏家としての総合的な力量では、ヴァルヒャやリヒターやレオンハルトに一歩を譲るというのが実は筆者の率直なアラン観であるが、偉大なる女史の、その長年の業績に敬意を持つ者として、初心者から通までお薦めすることに些かも躊躇しない。

この録音に使われた楽器はジャケットの裏面に記載されているが、デンマーク、スウェーデン、ドイツなどの北ヨーロッパの教会に設置されているマルクーセン&ソン製である。

いわゆる歴史的名器ではなく総て戦後にデンマークの同名の製作者が担当した現代のオルガンになり、確かに圧倒的な風格のあるジルバーマンやシュニットガーよりかなりモダンな響きがする。

録音状態は良好だが教会内の残響がそれほど含まれていないので、音質は鮮明でも僅かにデッドな印象があり、また低音を抑えたリマスタリングがされているように感じられるが、サブ・ウーファーを調節することで低音の補強と空気感を出すことは可能だ。

曲目はバッハのオルガン曲とそれに準ずる鍵盤用作品、例えば4曲のデュエットBWV802-805などが15枚のCDに網羅されている。

デュエットに関しては足鍵盤を欠いた二声の作品なのでヴァルヒャ第1回目の全集ではチェンバロで演奏されているが、アランは全曲オルガンで再現している。

尚43ページのブックレットには収録曲目及び録音データと欧文による解説が掲載されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:24コメント(0) 

2018年09月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



昨年亡くなったチェコの女流チェンバリスト、ズザナ・ルージチコヴァーの追悼盤で、LPに付属したDVDにはゲッツェルズ監督によるドキュメンタリー映画が収録されていて、彼女が晩年のインタビューに応えた過酷な人生が多くのクリップや写真と共に語られていて感動を禁じ得ない。

彼女は一部を除いて殆んど英語で話しているが、日本語の字幕スーパーも付けられている。

この字幕に関してはいくらかやっつけ仕事的なミスも散見されるが、大意は問題なく理解できる。

差別と貧困の中でも彼女が捨てることがなかったのは人間愛と音楽への情熱で、その隠された不屈の闘志とも思われる強さを生涯持ち続けたことは驚異的だ。

彼女はその理由として幸福な家庭に生まれたことを忘れず、そして良き夫に恵まれたことを挙げている。

またルージチコヴァーの薫陶を受けた若い音楽家達がその芸術を受け継いでいるのも頼もしい限りだ。

彼女は同郷の指揮者カレル・アンチェルと同じくアウシュヴィッツから命からがら軌跡的な生還を果たしたが、その幸運も束の間で再びスターリン体制の下で屈辱的な生活を余儀なくされる。

また18歳でのピアノのレッスン再開は、先生からも見捨てられた状態だったと話している。

ユダヤ人差別は決して終わったわけではなく、予定されていたアンチェルとの協演は、ひとつの楽団に2人のユダヤ人は多過ぎると当局に阻止されてしまう事件も象徴的だ。

1968年にはソヴィエト軍のプラハ進行によって再び厳しい統制が敷かれ市民の生活は当局の監視下に置かれ、彼女はまたしても過去の時代の到来を感じずにはいられなかった。

この作品を観ているとアンチェルが亡命を決意した理由も非常に良く理解できる。

こうした状況の中でルージチコヴァーはチェンバリストとしての道を決意し、ミュンヘンのコンクールで優勝して西側からの招聘に応じて演奏活動が始まる頃からようやく音楽家としての運が開けたようだ。

彼女はエラートからの提案でバッハのチェンバロのための全作品の世界初録音を完成させた。

後にスカルラッティのソナタ全曲のオファーも来たが、その大事業に取り掛かるには遅過ぎた、再びチェンバリストに生まれたら是非スカルラッティも全曲録音したいとユーモアを交えて語っている。

時代に翻弄され人生の辛酸を舐め尽くした1人の音楽家として信じられないくらいのバイタリティーと豊かな音楽性、そして何よりも厳しくも温かい人間性を伴った演奏を遺してくれたことを心から感謝したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:27コメント(0) 

2018年07月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



5年前にユニヴァーサル・イタリーからリリースされたカール・リヒター、ミュンヘン・バッハ管弦楽団によるバッハの宗教カンタータ集は彼が録音した全75曲をバジェット価格で纏めた画期的な企画だったが、今回音質をグレードアップさせた2枚のブルーレイ・オーディオに圧縮されて本家からの再発になった。

ディスクの形態では進歩型の優れた音質を誇るメディアにリニューアルされたことを歓迎したい。

こちらも全曲歌詞対訳付だが僅か2枚に75曲を収録したところも魅力で、昨年リリースされた2曲の受難曲、ロ短調ミサ、クリスマス・オラトリオ及びマニフィカトを全曲収録したブルーレイ1枚とDVD4枚を伴ったセットと合わせると、ライヴは別としてリヒターがステレオ録音したバッハの宗教曲が高音質ディスクで網羅されることになる。

レギュラー・フォーマット盤と聴き比べてみたが第1曲目からその音質の違いは明らかに感知できる。

先ず低音から高音までのバランスが改善され一部の音域の突出がなくなり、鮮明な音像が得られると共に、全オーケストラとコーラスが総奏の時にひとつの音の塊りになることが避けられている。

これはDSDリマスタリングの精緻さとブルーレイ盤の収容能力の余裕から来るものだろう。

雑味も払拭されてよりクリアーな音質が得られている。

専用機器の普及状況に合わせてのコンビネーションだと思うが、最近ブルーレイ・オーディオ盤と従来のCDを抱き合わせにしてリリースするケースが増えている。

これはコレクションのだぶりとマテリアルの節約のために賛成できないので、今回の企画は評価したい。

ハードカバーのディジタル・パック仕様で厚みは2.8cmほどあり、綴じ込みのブックレットは255ページで、全曲歌詞英語対訳付で前回より見易い上質紙に余裕を持ったスペースで掲載されている。

最後に曲名アルファベット順の索引が付いていて、ディスク・ナンバー、トラック、トラック・リスティング及びテキストのページが明記され鑑賞の便宜が図られている。

イメージ欄の写真の通りややレトロ調でシックなデザインは、スクリーンに映し出されるトラック・リストのバックにも共通しているが装丁自体はしっかりしている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:39コメント(0) 

2018年03月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ハンガリー出身でアメリカに帰化したピアニスト、ジェルジ・シェベック(1922-1999)の名は、グリュミオーやシュタルケルの伴奏者としてのコンサートや録音活動でこそ知られているが、ソリストとしてのレコーディングはこれまで皆無に等しかった。

等しかったという意味は、少なくともマーキュリーやフィリップスなどの大手メーカーからリリースされた演奏は総て彼らの伴奏を受け持った共演でソロ音源が見当たらないということである。

しかしながら戦後のベルリン国際コンクールの覇者であり、また母国ハンガリーからもリスト賞を受けたピアニストとして多くの音楽家達からも絶賛されていたようだ。

単独のコンサートもインディアナ大学でのレッスンの合間を縫って行っていたようで、このディスクに収められたソロ・アルバムは1991年6月16日にフランスのパルセ=メレで催されたグランジュ・ドゥ・メレのスヴャトスラフ・リヒテル・フェスティヴァルの一晩のライヴ録音になる。

伴奏では時としてソロをリードしていく積極的なサポートがシェベックの特徴だったが、当時70歳を迎えようとしていたこのソロ・リサイタルでも、常に濁りのないクリアーで鋭利なピアニズムが披露されている。

プログラム第1曲目の『左手のためのシャコンヌ』ではいくらかミスタッチも聴かれるが、ハイドンのソナタからバッハの『半音階的幻想曲とフーガ』に至っては彼の本領が充分に発揮されて、最もシェベックらしい演奏が繰り広げられる。

最後に置かれたバッハ/ブゾーニ編のトッカータ、アダージョとフーガハ長調は、ホロヴィッツがカーネギー・ホールでの復帰リサイタルで弾いた演奏効果の高い難曲だが、シェベック自身のテンションの高さと共に華麗なテクニックも聴きどころだろう。

尚アンコールとしてヘンデルのシャコンヌト長調及びバッハの平均律第1巻第1番の前奏曲ハ長調が演奏されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:52コメント(0) 

2018年02月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



J.S.バッハの長男として生まれながら、自らの性格破綻的な傾向も手伝って、中年以降を不遇のうちに送ったW.フリーデマン・バッハの6曲のトラヴェルソ・デュエット集という珍しい曲集が、バルトールド・クイケンと彼の直弟子マルク・アンタイのトラヴェルソによって見事に演奏されている。

この曲集はピリオド楽器での演奏がごく僅かしかなく、当盤は1990年の録音だが、現在ではこの他に1999年にリリースされたコンラート・ヒュンテラーとミヒャエル・シュミット=カスドルフのCDくらいしか見出せない。

その理由は技巧的には超絶的に困難なわりに、華やかな効果が出しにくい作品の特質にあると思われる。

通常のトラヴェルソはニ長調で最も安定したスケールと均等な音色が得られるように調律されていて、フラット系の調では運指が複雑になる一方で音質が不均等になりがちなので表現が難しくなる傾向があるが、このデュエット集6曲のうち4曲までがフラットの調で書かれている。

しかも調がトラヴェルソでやりにくいのに加えて、目まぐるしい転調や半音階の動きがあって、演奏者泣かせの曲集でもある。

作曲者があえてこうした調性を取り入れたのも、その一通りでない演奏効果を目論んでいたに違いない。

J.S.バッハとは、まったく作風が違うので、時代の変遷をリアルに感じ取ることができる。

演奏者はどちらも三兄弟揃って古楽奏者という、言ってみれば根っからの古楽研究家の出身で、しかも全員がグスタフ・レオンハルトやフランス・ブリュッヘンともしばしば協演している。

こうした経験が当然彼らの演奏に説得力を与える結果になっていることは事実だ。

収録曲目はヘ長調Falck57、ト長調Falck59、変ホ長調Falck55、ホ短調Falck54、変ホ長調Falck56、ヘ短調Falck58で、彼らの使用楽器はアラン・ヴェーメルス製作のカール・アウグスト・グレンザーのワン・キー・モデルだ。

フラット調に弱いという弱点はあるにしても、高音の軽やかさと明快なメロディー・ラインを出すことに成功している。

ポリフォニーの音楽としても両者が対等に競い合っていて、トラヴェルソによる彼らの水準を凌駕するような演奏は当分期待できないだろう。

当曲集はバロック・ファン向けというより、フルートを学んでいて、難易度の高いデュエット曲をお探しの方にはうってつけのディスクかも知れない。

尚ピッチはa'=415で音質は極めて良好。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:43コメント(0) 

2018年01月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フランス組曲には、ピアノによる演奏にも新旧何種類かの名盤・注目盤があるが、その中でも最も印象に残っているのが、筆者の場合意外なことながらこのヘブラー盤である。

ヘブラーとバッハとは、ちょっと珍しい取り合わせのような気もするが、フランス組曲に関する限りはこれがまさに絶妙。

日本ではもはや死語となってしまった「女性的」なしっとりとしたタッチで、聴き手を優しく包んでくれる明快な魅力に満ちた演奏である。

零れ落ちるようなウェットな美音で綴ったフランス組曲で、ヘブラーらしく奇を衒うことのない曲作りの中に気品に満ちた情緒が湛えられている。

そう書くと彼女の弾くモーツァルトの延長線上にあるバッハのように思われるかも知れないが、実際にはモーツァルトとは異なった次元での表現力が発揮された、高度な幻想性を感じさせる貴重な録音だ。

スタッカートを避けた抑制されたピアニズムでありながら鍵盤への洗練された多彩なタッチが極めて美しい、宮廷風ロココ趣味を先取りしたようなバッハの一面も明らかにしている。

それほどレパートリーの多くないヘブラーにとって大バッハの作品ではフランス組曲が唯一の音源になり、彼女がバッハの鍵盤作品から敢えてこの6曲を選んでいるのもそうしたところに理由がある筈だ。

同時代のもう一人のウィーンの大家、イェルク・デムスが彼女に先立つ1974年にバッハのパルティータ全曲とゴールドベルク変奏曲をベーゼンドルファーを弾いて録音しているが、一脈通じるものがあるかも知れない。

モダン・ピアノによる演奏なのでペダルを少なからず使用していることが感知されるが、それぞれの声部は濁ることなく心地良く響いてチェンバロで弾くのとはまた違ったデリケートな潤いを含んでいる。

装飾音の扱い方はバッハの書き記した奏法に遵ずるもので、彼女のバロック奏法への造詣の深さを示している。

タワーレコードからのヴィンテージ・コレクションとして現在91歳の女流ピアニスト、イングリット・ヘブラーの一連の音源が復活しているが、この2枚もそのシリーズの一組になる。

因みに同コレクション・シリーズで彼女のモーツァルト以外の録音ではシューベルトの即興曲集、シューマンのピアノ協奏曲とフランクの交響的変奏曲その他を1枚に纏めたもの、クリスティアン・バッハのフォルテピアノによる協奏曲全曲集、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番及び第4番、シェリングとのヴァイオリン・ソナタ全集が、また廃盤になってしまったがフィリップスからはハイドンのピアノ・ソナタ集とショパン・ワルツ集の19曲がそれぞれCD化されていた。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:21コメント(0) 

2018年01月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



リチャード・エガーはここ数年でいよいよバッハの大規模な宗教曲に取り組み始めたが、その第一弾が『ヨハネ受難曲』で、彼が温めてきたバッハの宗教音楽への構想を着実に実現したものだった。

それに続いて2014年に録音されたこの『マタイ受難曲』もピリオド・スタイルを踏襲した古楽アンサンブルの中では将来においても優れたサンプルになるべき価値を持った演奏だ。

他のピリオド・アンサンブルと異なっているのはバッハが1727年4月11日の聖金曜日にライプツィヒ・トーマス教会で初演した当時の初稿を再現した演奏で、通常では1736年の最終稿が採用されるが、エガーは「改訂稿などの以降の版からは数々の洞察力と説得力が失われてしまった」と考え、敢えてバッハが初めてこの曲を構想した時のスピリットに立ち返って、改訂によってより壮麗な曲想になる以前の原点を模索したものだ。

これは先行する『ヨハネ受難曲』と同様のコンセプトに基いていると言えるだろう。

パート編成上の目立った違いは第1部冒頭で二重合唱の上に響くユニゾンのソプラノ・リピエーノのパートに少年のコーラスを使っていないことや、バッハが初稿で使ったとされるリュートを取り入れてCD3トラック3で歌われるバスのアリア『来たれ、甘き十字架』の伴奏にはヴィオラ・ダ・ガンバのオブリガートの替わりにリュートとオルガンを当ててソフトだが神秘的な雰囲気を出していることなどだ。

尚コーラスの編成は第1、第2合唱共にソプラノとバスが3名、テノール及びアルトが各2名ずつで、彼らも2007年にエガーによって結成された自前の合唱団だ。

エヴァンゲリスト、マタイを歌うジェイムズ・ジルクライストは個性派のテノールではないが、微妙に移り変わる多彩な表現力で物語を進め、受難のストーリーに沿ってある時はリリカルに、またある時はドラマティックに歌う肌理の細かい歌唱が冴えている。

これ以上ないと思われるほどのソリスト、合唱、そしてアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックの艶やかな響きが織り成す受難の物語は、一見柔らかい表情に見えるが、実は深遠、晦渋であり、クライマックスでは人間の罪深さを鮮やかに抉り出すなど、実に劇的な表現に満ちていることに気がつくのではないだろうか。

演奏時間は3枚のCDを合わせて144'38と速めのテンポを採っているのも特徴だ。

当シリーズはいずれもレギュラー・フォーマット仕様だが音質は鮮明で、古楽器の特性が良く捉えられた臨場感に溢れる音場が得られている。

AAMはそのイニシャルが示すようにエガーとアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックが自ら立ち上げた彼ら専用のレーベルで、ジャケットはブックレット・タイプでドイツ語の歌詞に英語対訳が綴じ込まれている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:41コメント(0) 

2018年01月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



リチャード・エガーとアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックの演奏による最新の『ヨハネ受難曲』である。

1973年に設立されたアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(エンシェント室内管弦楽団)の創立40周年を記念して録音されたこの『ヨハネ受難曲』は、現在望み得る限りの最高のソリストを配し、入念に準備された素晴らしいアルバム。

既に幾つかリリースされているピリオド・アンサンブルの演奏とは音楽的コンセプトをやや異にする解釈が特徴だ。

またテンポ設定もかなり速く、第1部20曲が32分、第2部48曲が73分で、それぞれを1枚ずつのCDに収録して聴き手に弛緩を許さない工夫もみられる。

使用ピッチはエガーが他のバッハの器楽曲で使っているフレンチよりも半音高いa'=415Hzを採用してこの作品の性格でもある緊張感に満ちた響きを創造している。

当時の教会では習慣的に宮廷より高いピッチを使っていたようで、それは設置してある歴史的オルガンの調律からも検証されているが、彼は『マタイ受難曲』においても同様の選択をしている。

一方この『ヨハネ』ではコーラスに重要な役割が与えられているので、エガーは各パート4名で曲の骨格を明確にして、更に群集の性格的な表現を引き出している。

エヴァンゲリスト、ヨハネを歌うテノール、ジェイムズ・ジルクライストを始めとするソリスト達も巧みな歌唱でエガーの要求に応じている。

バッハがライプツィヒのトマス・カントールに就任した翌年の1724年4月7日に『ヨハネ受難曲』の初演がトーマス教会で行われた。

その後演奏の機会に応じてバッハは数回に亘って改訂を試みているが、通常の録音では最終稿とされる彼の死の前年1749年のものが採用されているようだ。

しかしエガーはバッハの改訂の経緯からあえて初稿版を選んで、全曲を通じて常に緊迫した雰囲気を貫いて『マタイ』とのコントラストを鮮明にしている。

より規模の大きい『マタイ』では抒情的なカンタービレとドラマティックな情景を交錯させて物語の進行を起伏に富んだ美しいものにしているが、『ヨハネ』では失われることのない緊張感の持続で足早に終焉に向かう勢いがある。

第1曲から不協和音をぶつけた胸騒ぎのするような不安げな和声と執拗なリズムの反復は、ユダの密告によってイエスに迫り来る危機を象徴している。

第2部第10曲でのエヴァンゲリストの語る「ピラトはイエスを捕縛し鞭打たせた」の部分では、細分化された音形が神経質なほど装飾的に動くのも『マタイ』にはみられないやり方である。

こうしたところどころ耳慣れない部分も出てくるが、この粗削りなヴァージョンにふさわしい直接的なインパクトと、劇的な表現力こそが、作品の真の姿を洗い出すためにふさわしいものとなっていて、聴き手を引き込んでいく心理的な手法もバッハならではのものだ。

そこにはバッハがこの作品に傾けた最初の情熱を直接伝えるような激しさが感じられる文句なしの名演であり、全ての部分に祈りと愛が満ちている。

至高の名曲ゆえ、これまでも多くの演奏が存在しているが、今回のエガー盤は過去の名演ともまた違う独自の祈りの境地へと至った素晴らしいものである。

エガー自身がミュージック・ディレクターを兼ねるAAMレーベルからのリリースで、ブックレット装丁のジャケットにライナー・ノーツが綴じ込まれている。

演奏者全員の使用楽器が明記されているのはいつも通りだが、ここにはソロ歌手達の写真付プロフィールと、更にドイツ語の全歌詞に英語対訳がついているのもエガーの拘りを示した丁寧な配慮だ。

2013年4月にロンドンでの収録でレギュラー・フォーマット仕様だが、音質もここ数年にリリースされたCDの中では最も優れている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:17コメント(0) 

2018年01月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



英国のピリオド・アンサンブル、アカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックの指揮者でチェンバリストのリチャード・エガーはここ数年バッハの作品を集中的にレコーディングしているが、ソロやアンサンブルは別として規模の大きい曲目はAMMレーベルを立ち上げてから精力的に始まった。

このブランデンブルク協奏曲全曲は唯一の例外で、しかも米ハルモニア・ムンディで制作されたSACDになる。

アンサンブルのメンバーとソリストは従来どおりだが、その後にリリースされる管弦楽組曲よりも編成の大きいフル・メンバーで構成されている。

ライナー・ノーツには演奏者全員のネームと使用楽器が明記されていて、それぞれが17世紀から18世紀初頭に製作されたオリジナルあるいはそのコピーを使って当時のサウンドを再現している。

ハイブリッド仕様だがSACDで鑑賞すると音質の鮮明さや音場の奥行きがより明瞭に感知される。

特に古楽器の音色や響きの特性を捉えた高音質録音は高く評価したい。

バッハのブランデンブルク協奏曲の決定盤をひとつ挙げるのは困難だが、このディスクがリリースされるまではアレッサンドリーニ指揮、コンチェルト・イタリアーノの同曲集がレギュラー・フォーマットながら優れた音質で、同じピリオド・アンサンブルでも全く異なった流麗でモダンなセンスに溢れた演奏で筆者の愛聴盤だった。

一方でエガーはより古風な響きを再現している。

例えばアレッサンドリーニは現代よりほぼ半音低いスタンダード・バロック・ピッチを採っているのに対して、エガーは更に半音低いフレンチを採用しているし、また通奏低音にチェンバロの他に大型リュートのテオルボを用いている。

このために前者のような輝かしさはやや後退しているが、ダークで雅やかなサウンドが得られている。

しかしそれぞれの曲に相応しいテンポを設定して、決して生気を失った冗長な演奏に陥っていない。

ヴァイオリン・パートを欠く第6番ではとかく地味な演奏になりがちだが、第1楽章はかなり速くその推進力に特徴がある。

バッハは丁度ヴィヴァルディがやったようにあらゆる楽器をソロにした合奏協奏曲を作曲し、6曲を選んでブランデンブルク辺境伯に献呈したが、そこでは彼の自在な音楽的発想と巧妙な作曲上のテクニックの成果が披露されている。

第1番を除いてヴィヴァルディ式の簡潔な楽章構成だが、徹底した省略の美学を実践したヴィヴァルディとは異なったポリフォニーの精妙な綾が織り込まれているのが聴きどころのひとつだろう。

第5番ではバッハが宮廷楽長だったケーテン時代にベルリンから買い入れた新しいチェンバロのために、第1楽章の後半にチェンバリストの独壇場ともいえる65小節のカデンツァを書き足している。

ここではエガーのテクニックと情緒豊かなソロが冴え渡っている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:12コメント(0) 

2017年12月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヨゼフ・スークが1970年に録音したバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全6曲を収録した2枚組のUHQCDになり、長い間製造中止になっていた音源が日本のリマスタード盤として復活したことを評価したい。

ヴァイオリニストにとってバッハの無伴奏は避けて通れないレパートリーのひとつだが、スークは全曲演奏を一度しかレコーディングしなかったので、彼の唯一のしかも最も充実した壮年期の記録としても貴重なサンプルだ。

この時代のEMIの録音としては比較的ボリュームのあるしっかりした音質で、程好い残響の中に臨場感に富んだ濁りのない清澄なヴァイオリンの音色が収録されている。

これは新規のリマスタリング及びUHQCD化との相乗効果かもしれない。

確かに古いアート・リマスター盤と聴き比べるとかなりの音質の向上が感知される。

スークの解釈は、バッハ演奏の伝統と言える作品の精神性をしっかりとふまえたものだ。

アッカルドのようにことさらヴァイオリンのカンタービレを屈託なく謳歌するようなものではなく、ましてやシェリングのようにバッハの音楽の崇高さを世に知らしめんという高邁な使命感に衝き動かされたものでもない。

しかし彼の演奏には持ち前の美しい音色を犠牲にすることなく、ごく自然体で中庸をわきまえたシンプルさと、ポリフォニーの音楽を一挺のヴァイオリンで精緻に再現するための普遍的な方向性を示したところに特徴がある。

それゆえスケールは決して大きくないが、バロック音楽に造詣の深い彼だけあってヴィブラートの多用や恣意的な感情移入を避けてバッハの対位法をひときわクリアーに再現しようと試みていることが注目される。

それぞれの楽章の性格をしっかりとらえ、格調高いスタイルでバッハの隠されたポリフォニーを紡ぎあげていくスークの演奏には、自由な息吹きと内面的な世界の深さとが表裏一体となって息づいている。

しかも落ち着きのある輝きをもった響きが、バッハの作品の偉大さをいやがうえにも印象づけるのだ。

尚使用楽器についてライナー・ノーツでは言及されていないが、この頃のスークの使用していたヴァイオリンは1710年製のストラディヴァリウス『レスリー・テイト』なので、この録音でも彼がこの名器を弾いていることが想像される。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:02コメント(0) 

2017年12月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



先ず、バッハが作曲した規模の大きい宗教曲を集大成したこの16枚と2013年にユニヴァーサル・イタリーからリリースされたバッハ宗教カンタータ集26枚で、カール・リヒターがアルヒーフ・レーベルに遺したバッハの宗教作品の殆んどが一気に揃うことになるので、入門者には最短コースのコレクションに成り得る筈だ。

勿論古い音源はどうしても新規のリマスタリングが欠かせないのでオールド・ファンにとっても再購入の時の有力な選択肢だろう。

ミュンヘン・バッハ管弦楽団は、バイエルン放送響、ミュンヘン・フィル、バイエルン国立管の団員などの精鋭から編成され、なによりも当代のバッハの使徒とでもいうべきリヒターに対する尊敬の念と忠誠心をもっていたと言われている。

リヒターは当時にあって、バッハについて深い学識ある研究者であるとともに、最高のチェンバロ奏者、オルガニストであり指揮者であった。

チェンバロ、オルガンなどの独奏の高次性も並外れており、しかもすぐれた即興性も聴衆を魅了した。

こうした実力ゆえのミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団の結成であった。

多くのバッハ作品中、その精華が本集で、厳しくも神々しいバッハ解釈である。

1969年、日本でのこのメンバーによる公演があったが、マタイもヨハネもロ短調ミサも集中的に演奏された一大ページェントだった。

この公演自体がいまだに語り草になっているが、リヒターの厳しくも神々しいバッハ解釈を日本に知らしめた衝撃は大きかった。

一致団結しストイックとしか言いようのない敬虔、厳格な音楽づくりは、その後同様な演奏を聴くことを至難としている。

その演奏の均一性、精神的な統一感はいま聴いても非常な驚きがあるだろう。

尚最後のCD11はボーナス盤としてクリスマス・オラトリオのリハーサル及び録音状況が記録されていて、22日間に及んだ録音作業の日々を追って、次第に全曲が出来上がっていく過程を追体験できる興味深いものだ。

他に全収録曲をブルーレイ・オーディオ・ディスク1枚にハイレゾリューション・コピーしたものと、更にDVD4枚が加わっていて、カール・リヒターのバッハに対する殆んど宿命的とも言える演奏活動と共に、在りし日の彼の映像を鑑賞できる、よりコンプリートなセットになっている。

カートン・ボックスは13X14X6cmの存在感のあるしっかりしたコレクション仕様の装丁で、ディスクは作品ごとに独立した白を基調にしたジャケットに収納されている。

ライナー・ノーツではカール・シューマンによるリヒターのキャリアについてのエッセイを皮切りにマタイ受難曲、ヨハネ受難曲、クリスマス・オラトリオ、マニフィカト、ロ短調ミサのそれぞれの始めのページに異なったライターの解説を付け、それに続くドイツ語及びラテン語歌詞に英語対訳が掲載されている。

またCD、DVD、ブルーレイ・オーディオ・ディスクのトラック・リストを対応させた見出しを付けた150ページのブックレットの充実ぶりは特筆される。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:48コメント(0) 

2017年11月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



昨年ワーナー・コリアから同様の全集がリリースされたが、一般的にコリア盤は価格がミドル・プライス止まりでボックスになるとかなり高く、手を出しにくいのが欠点なので、今回の本家からのリイシュー廉価盤化は大いに歓迎したい。

収録曲はヘルムート・ヴァルヒャがEMIに録音したバッハのチェンバロ・ソロ用の作品集13枚で、彼がアルヒーフに入れた第2回目の『平均律クラヴィーア曲集』全曲と4曲の『デュエット』は含まれていない。

バッハの総てのチェンバロ曲を網羅したものではないが、選曲は極めて正統的でヴィヴァルディからの編曲物や初期の習作類は除外して、その核になる作品を全部揃えている。

これはヴァルヒャによる第2回目のバッハ・オルガン音楽全集の制作と同時進行していた時期の演奏で、彼がこの頃公開演奏や後進の指導と並んで如何に精力的なレコーディングを行っていたかが理解できる。

ヴァルヒャは音楽の基礎をバッハのオルガン音楽に置いた巨匠であることは言うまでもないが、それぞれの声部が織り成す対位法を少しの濁りもなく、明瞭に聴かせる彼のテクニックはチェンバロ演奏においても全く揺るぎない。

必要以上の感情移入や表現上の誇張、レジスターの濫用やテンポの恣意的な変化などが一切ないごくシンプルな奏法が貫かれているために、彼の演奏を聴いているとバッハが書き記した自筆譜の1ページ1ページが次々と目の前に現れてくるような印象がある。

ただし音楽の内側に向けられる情熱とその集中力には尋常でないものがあり、それが特に『平均律』全曲や『ゴールドベルク』などの長丁場の曲目に発揮されていて作品の長さを感じさせないばかりか、大伽藍を築くような曲の構成美を感知させて聴く者を圧倒してしまう。

ヴァルヒャは19歳の時にバッハの総ての鍵盤音楽の暗譜を決意し、40歳の誕生日には早くもこの遠大な計画を成し遂げた恐るべき記憶力の持ち主でもある。

まだ点字楽譜がなかった時代に母親や夫人の弾く一声部ずつを記憶して、それらを頭の中で再構成して覚えるという信じられないような離れ技をやってのけた。

彼の弾く声部の明晰さと結晶のように純粋で堅牢な音楽はこうした努力から生まれたものに違いない。

このセットに収録された第1回目の『平均律』は壮年期の覇気に満ちていて、再録音に比較して速めのテンポ設定になっている。

また『イタリア協奏曲』『半音階的幻想曲とフーガ』『フランス風序曲』を収めた1枚ではその豪快な奏法も堪能できる。

これら一連の演奏にヴァルヒャが使用した楽器は例外なくアンマー製のモダン・チェンバロで、最も新しい録音でも1962年なので、古楽黎明期をこれから迎えようとしていた時代であることを考慮すれば無理もないが、楽器の選択は妥当と言える。

アンマーは当時のモダン・チェンバロの中では柔らかく潤沢な響きを持っていて、表現力も豊かで声部の保持にも優れている。

ヴァルヒャは決してレジスターを濫用しなかったが、ここぞという時に効果的な音色の変化を聴かせているのも名人芸のひとつだ。

彼はより複雑なオルガン曲でのレジスターの組み合わせは生涯明かさなかったらしいが、こうしたところにも彼の演奏への秘訣があるのだろう。

晩年になってヴァルヒャはバッハの6曲のチェンバロ・オブリガート付ヴァイオリン・ソナタと2度目の『平均律』全曲録音にヒストリカル・チェンバロを使っている。

その気品に満ちたオリジナルの響きはモダン楽器とは比べるべくもないが、いずれにせよ彼がこれだけのチェンバロ用作品の録音を遺してくれたことに感謝したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:44コメント(0) 

2017年11月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



リチャード・エガーの演奏を初めて聴いたのは手兵アカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックを指揮したヘンデルの作品集で、その明瞭で平易な解釈とピリオド・アンサンブルの響きの美しさを満喫させてくれた。

彼はここ数年バッハの作品の集中的な録音活動に取り組んでいてチェンバロ用ソロ作品と並んで、いよいよ2曲の受難曲などの大曲の企画も次々と実現化している。

その中のひとつが4曲の管弦楽組曲で、レギュラー・メンバーの弦楽部は第1ヴァイオリンのパヴロ・べズノシュークをリーダーに第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ及びコントラバスが各1名の少数精鋭編成で、彼らにソロの管楽器やティンパニが加わり、指揮とチェンバロはエガー自身が担当している。

また組曲第2番ロ短調ではベテラン女流トラヴェルソ奏者のレイチェル・ブラウンが参加している。

彼女にとってこの曲は2度目の録音で、ちなみに1992年のロイ・グッドマン、ブランデンブルグ・コンソートとの協演が1回目のセッションになる。

この管弦楽組曲の演奏の特徴はフランス宮廷で採用されていたa'=392Hzの低いピッチに設定して、落ち着きのある雅やかなサウンドを創造していることで、トランペットやティンパニが加わる第3、第4組曲では華やかさでやや引けを取るにしても神経質にならない堂々たる音楽を聴かせている。

当時ドイツの多くの宮廷ではフランス風の低いピッチが使われていたようで、それはバッハの次男カール・フィリップ・エマヌエルが奉公していたフリードリッヒ大王のトラヴェルソの師クヴァンツの製作していた楽器のピッチからも証明されている。

これらの作品はいずれも冒頭に規模の大きいフランス風序曲が置かれ、多彩な舞曲が続くことからもエガーの解釈は妥当だろう。

また彼はリピートを省略せずに楽譜通りに繰り返していて、クイケン、ラ・プティット・バンドの2度目の録音とは対照的だ。

言ってみればエガーの演奏はよりバロック的な荘重なサウンドの再現と言えるだろう。

第2番ロ短調では名高いトラヴェルソ・ソロのポロネーズが聴きどころで、低いピッチでは沈みがちな横笛の音色を、速めのテンポを設定することによってエガーはブラウンの名人芸を際立たせている。

また後にヴィルヘルミによって『G線上のアリア』に編曲された第3番ニ長調の『アリア』は、ピリオド・アンサンブルで鑑賞できる最もオリジナリティーに富んだサンプルだろう。

基本的に各パート1人の小編成だが終曲ジーグは迫力充分だ。

エガーが自ら立ち上げたレーベルAAM(Academy of Ancient Music)のジャケットの装丁は黒を基調としてピリオド楽器の写真をあしらったシックなデザインのパックに統一されていて、ライナー・ノーツにはメンバーそれぞれの使用楽器も明記されている。

レギュラー・フォーマットながら臨場感に溢れた鮮烈な音色が特徴だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:42コメント(0) 

2017年08月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ギーゼキングの演奏の価値はバッハの鍵盤楽器用作品をピアノで演奏するための普遍的な奏法を開拓していることである。

当時のピアニストがバッハのチェンバロ曲を体系的にレパートリーにすることは少なく、コンサートやレコーディングでも積極的にバッハを採り上げることが一般的でなかった時代に、彼がこれだけの充実した演奏集を遺してくれたことは驚異的でさえある。

ちなみに彼と同時代にはエトヴィン・フィッシャー、バックハウス、ケンプ、アラウ、ホロヴィッツやルービンシュタイン等が活躍していた。

しかしながらフィッシャー以外はごく単発的にバッハを演奏するか、あるいは全く無視するという程度で、バッハの作品に造詣が深く、またコラールの編曲でも知られたケンプでさえ、それらはあくまで演奏会のアンコール用に用意されたものでプログラムのメインになることはなかった。

バッハの音楽はあらゆるタイプのアレンジが可能だが、ライナー・ノーツでもギーゼキングは同時代の著名なピアニスト達がバッハのオリジナル・ピースよりも、リストやブゾーニによって大幅に手が加えられた編曲物を好んで演奏していたことに批判的だ。

彼は既にそれらが本筋から逸れた際物でしかないことを見抜いている。

そこではバッハをピアノで弾くための秘訣が語られているが、それが現在バッハ演奏の基本的な奏法として定着していることをみても、彼が如何にバッハの作品の再現に先見の明を持っていたかが理解できる。

当時はその後に校訂される正規の原典版がまだなかった時代なので、細部での音符や装飾音の相違が聴かれるが、それらは当然許容範囲とすべきだろう。

彼は表現上の感情移入についてもかなりの抑制を要求しているし、チェンバロには存在しない保音ペダル使用についても極めて限定的に考えていて、声部を保つためには指で鍵盤を押さえ続けることが基本であることを説いている。

このセットに収録された作品集の総てが1950年の放送用音源だが、こうした演奏活動がその直後の1952年のロザリン・テューレックの平均律全曲録音にも繋がっていくし、グレン・グールドの登場によってバッハのチェンバロ用作品のピアノ演奏は不動の地位を獲得したと言えるだろう。

グールドはテューレックから影響を受けたとされるが、これら一連のギーゼキングの録音を聴いていたことが想像されるし、実際多くの部分でそう思える箇所が指摘し得る。

ギーゼキングの演奏はそうしたパイオニア的な意味を持つだけでなく、現在の私達が鑑賞しても全く古臭さを感じさせない現代的センスが示されている。

イギリス組曲及びフランス組曲の12曲を含んでいないのが残念だが、それらに関しては音源が残されていないのだろう。

音質は時代相応といったところで格別優れたものでないことは断わっておく必要があるが、破綻はなくリマスタリング効果もあって鑑賞に不都合はない。

36ページのライナー・ノーツには既に紹介したギーゼキング自身が1949年に書いた『コンサート・グランドによるバッハの表現』と題された興味深いエッセイが掲載されている。

尚最後にボーナス・トラックとしてフルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルとの協演になる1942年のライヴでシューマンのピアノ協奏曲が収録されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:50コメント(0) 

2017年08月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



巨匠リヒテルの弾くバッハはどの作品も骨太で安定感のあるしっかりした音楽構成を聴かせてくれる。

また彼特有の変化に富んだ多彩なピアニズムが美しいだけでなく、常にオリジナリティーに富んだアイデアを提示している。

中でも彼の奏法の頂点を示しているのが『平均律』だろうが、その後も次々と新しいレパートリーを開拓して晩年のコンサートでも彼はしばしばバッハをプログラムに組み込んだ。

この曲集でもレガート、スタッカートの使い分けやその組み合わせが巧みで、広いダイナミクスと共に舞曲ごとに新鮮な響きを試みている。

例えば『フランス組曲』第4番変ホ長調で、彼はプレリュード付のBWV815aを演奏しているが、短いプレリュードの流れるような静謐さとそれを打ち破るフーガの対比が極めて美しく、一貫するアーティキュレーションの安定感は、比類のないものだ。

また最後に於かれた『ファンタジアト短調』では、その疾風怒濤的な曲想から往々にして激情的に表現されがちな曲に、敢えて誇張を避けた意外にも格調高い音楽性を引き出してみせたところが如何にも彼らしい。

全曲を通じ、リヒテルの演奏ぶりにはポリフォニー音楽に対する高いセンスが示され、気負いのない穏やかさの中に、言い知れぬ精神の明るさと豊かさを実感させるが、これほど深い充足感をもたらす、完璧に美しいバッハ演奏は世に稀だろう。

このシリーズにしては珍しくライナー・ノーツの最後に信憑性のある録音データが記されている。

正確を期すために個人的に調べてみたが、いずれもフィリップス音源の1991年のドイツでのライヴ録音で、3曲の『イギリス組曲』が3月5日ローランドゼックにて、3曲の『フランス組曲』が3月7日及び10日にボンで開かれたコンサートから、そして2曲の『トッカータ』と『ファンタジア』が11月8日にノイマークトで収録されている。

拍手や客席の雑音が若干入っているが全体的に音質は良好なデジタル録音だ。

リヒテルの没後10周年記念として2007年にデッカからリリースされたザ・マスター・シリーズの中でバッハの作品集は、この第8巻の2枚と、第9巻のショパンの作品集とカップリングされた1枚の計3枚分が当てられている。

総てがライヴ録音で、ライヴに賭けた彼の情熱とその真摯な姿勢が良く表れているが、このシリーズもリミテッド・エディションで既に製造中止になっているため、ナンバーによっては入手困難な状態であるのが残念だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:27コメント(0) 

2017年05月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



チェコを代表するチェンバリスト、ズザナ・ルージィチコヴァの自由闊達で鮮烈な奏法がバッハの協奏曲に華やかな精彩を加えている魅力的なアルバムだ。

本盤に収録されているのはチェンバロ協奏曲第1番から第7番までの7曲、つまりソロ・チェンバロ用及びブランデンブルク協奏曲第4番から編曲されたチェンバロと2本のリコーダーのための協奏曲で、断片のみが残された第8番及び2台から4台用の6曲は含まれていない。

またブランデンブルク協奏曲第5番と三重協奏曲イ短調の2曲に関しては、ルージィチコヴァがエラートに録音した音源が昨年彼女のバッハのソロのための作品を集大成した20枚のボックス・セットの方に組み込まれて復活しているが、幸いこの2枚との曲目のだぶりはない。

ルージィチコヴァのソロは、デリケートな爽やかさには欠けるが多彩を極め、強靭かつ雄弁なバッハだ。

第3番から第7番にかけての鮮明な華やかさは彼女の独壇場だし、第1番の真摯さ、第2番のリュート奏法の愉悦的なリズムの弾みなど、その美点を挙げ出したら切りがない。

冗舌な感もある第3番は好き嫌いの分かれるところだろうが、ここに見られるロマンへの傾斜と内容に重きを置こうとする意志は特筆しておきたい。

ヴァーツラフ・ノイマン&プラハ室内合奏団の凝り過ぎない明快なサポートにも好感が持てる。

全曲プラハ・ルドルフィヌムに於けるステレオ録音で、スプラフォン音源によるが、新規リマスタリングの成果で時代相応以上の音質が再現されている。

確かに楽器編成は現在では考えられないモダン・チェンバロとモダン・オーケストラとの組み合わせによるa'=440Hzの現代ピッチを採用したセッションで、そこから響いてくる音響には如何にも隔世の感がある。

この頃はバロック音楽再興の黎明期に当たり、博物館の調度品に成り下がって使用不可能な状態だったヒストリカル・チェンバロの代用として、著名な古楽演奏家でも便宜的にモダン・チェンバロを使用していた。

それは巨匠ヴァルヒャやリヒター、初期のレオンハルトも例外ではない。

しかしそこには当時のバロック音楽の発掘と再現に賭けた演奏家達の意気込みと情熱を伝えた捨て難い魅力がある。

彼らがその後のいわゆるピリオド楽器による演奏形態の誕生を促したことは疑いのない事実だろう。

そうした過渡的な時代のサンプルとしても無視することができない興味深い演奏に違いない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:51コメント(0)トラックバック(0) 

2017年03月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



マレイ・ペライアは円熟期に入ってからバッハの作品を集中的に録音し始めたが、このセットに収められた8枚は1997年から2009年にかけてソニーに録音したバッハ・アルバムを纏めたもの。

それらは今月末にリリース予定のアワーズ・コレクション15枚組にも加わる予定なのでバッハ以外の作品も鑑賞したい向きには後者の選択肢があるが、フランス組曲全6曲に関してはグラモフォン音源なので残念ながら組み込まれてはいない。

協奏曲集でのオーケストラは総てピリオド・アンサンブルの草分け、アカデミー・オヴ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズでペライア自身の弾き振りになる。

また三重協奏曲やブランデンブルク協奏曲第5番ではベーム式モダン・フルートとの協演になるが、勿論その場合のソロ・ピアノ、フルート及びバロック・オーケストラとの音量的な問題も巧みにクリアーされていて不自然さは感じられない。

ペライアのバッハはすっきりとした解釈の中に特有の優美さを湛えていて、近年リリースされたさまざまな演奏家のピアノを使ったバッハ録音集では最もエレガントな演奏ではないだろうか。

バッハの鍵盤楽器作品をオリジナル楽器で演奏するのは、今やごく普通のことだが、ピアノならではの魅力を十分に生かしたペライアの演奏を聴くと、この時代にあえて現代のピアノを使ってバッハを弾くことの意味を改めて納得させられる。

ここでのペライアは、独自の自由で歌心に満ちた繊細な演奏をしているが、そこに奇を衒ったところやケレン味はまったく感じられず、まさに自然体のバッハであり、創意工夫に富んだ装飾法も見事で、強いインパクトを与える。

洗練された精緻なテクニックに託されたきめ細かな表現が秀逸で、全く惑いのない安定感も特筆される。

それは彼が長年に亘って温めたバッハの音楽への構想の実現に他ならず、50歳を過ぎて一皮むけたペライアが、新しいバッハ表現の可能性をリスナーに示した名演と言えるだろう。

最近ポーランドの若手ブレハッチのバッハ・アルバムが出たが、聴き比べるとやはり曲想の掴み方や表現の巧みさではペライアに水をあけられていることは否めない。

例えば『イタリア協奏曲』ではレジェロのタッチを巧妙に使いながら声部を明瞭に感知させ、第2楽章での感性豊かな歌心の表出や終楽章の歓喜が高い品位の中に表されているし、『ゴールドベルク変奏曲』では整然とした秩序の中に真似のできない個性的なアイデアが満たされている。

また『イギリス組曲』や『パルティータ』ではバッハによって鍵盤音楽に集約された総合的な音楽性と作曲上のテクニックをペライアが丁寧に聴かせて鑑賞者を飽きさせることがない。

音楽の原点に〈歌〉を置くこの人の哲学が年とともに透明度を増し、同時に深みを加えつつあるのを確認できたことは嬉しい。

今や死語となりつつある「気品」という言葉の真意は、ペライアの演奏するバッハに接すれば、一聴理解されるのではないだろうか。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:51コメント(0) 

2017年01月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



モンテヴェルディのマドリガルの体系的な録音やピリオド・アンサンブル、コンチェルト・イタリアーノの指揮者として活躍するリナルド・アレッサンドリーニが、普段はそれほど熱心に録音されないバッハの小前奏曲とフーガを1組にした15曲を収録したアルバム。

彼のチェンバリストとしての腕前は既に『ブランデンブルク協奏曲』第5番のソロで披露されているが、今回のようなバッハのソロ・アルバムは初めてのようだ。

しかも大曲『平均律』ではなく際物を扱ったところに肩透かし的なアイデアが感じられる。

しかし丁寧に弾き込まれた曲集は1曲1曲がバラエティーに富んだ個性を主張していて、このCDのように幾つかの異なった調性の前奏曲とフーガを注意深く連続させると『平均律』にも劣らない立派なクラヴィーア曲集が出来上がってしまう。

アレッサンドリーニはこうしたところにも着目していると思われる。

殆んどが個別に作曲された同じ調性による小規模の前奏曲とフーガを任意に連結して全部で15曲に仕上げたものだが、主として前奏曲はBWV924-932の9曲、BWV933-938の6曲、そしてBWV939-943の5曲に纏められて出版された小前奏曲集からピックアップされている。

一方フーガにはBWV948ニ短調のように足鍵盤付チェンバロ用、あるいはアルビノーニのテーマをもとにしたBWV946ハ長調やBWV951ロ短調も含まれていて、特に後者は半音階的な大規模な作品になっている。

バッハは長男フリーデマンを始めとする生徒達のために教育用の作品を少なからず作曲している。

しかしバッハ自身が言った最高の教材は最高の芸術作品でなければならないという言葉を証明するように、こうした小曲にもそれぞれに固有の高い音楽性が備わっていることも確かだ。

ライナー・ノーツには使用楽器もピッチもクレジットされていないが、ヒストリカル・チェンバロのコピーであることは明らかで、a'=400Hz程度の低いピッチを採用しているために豊潤で落ち着いた響きが得られている。

全曲2015年12月2日から5日の間に集中的に録音された音源で音質は鮮明。

詳しい演奏曲目については、上のアマゾンのページのイメージ欄にデジパックの裏面の写真が掲載されているので参照されたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:31コメント(0)トラックバック(0) 

2017年01月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



バッハの最高傑作と言えば、やはりその劇的で雄大なスケールから「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」を掲げるかも知れない。

また謎の多さが、イマジネーションを掻き立てるという意味から、「フーガの技法」こそ至上であると主張する人もいるだろう。

筆者もかつては、そのような1人だったかも知れないが、最近、エネスコ指揮による本盤を聴くに及んで、そんな主張は吹っ飛んだ。

本来演奏こそが、作品への評価を決定するのだという思いを改めて強くしたからである。

全4部から構成された長大なこのミサ曲が全曲通して演奏される必然性を意識したことなど、それまで決してなかった。

むしろ「クリスマス・オラトリオ」のように、ミサに応じて各部が演奏される、言わばミサ曲を集成した作品として、これまで聴いてきたように思う。

だが、エネスコの演奏は、作品各部の完成度の高さと、各部が築き上げる全体の普遍性によって、あたかも、ファン・アイクによるあのゲントの祭壇画を仰ぎ見るような作品の多様性と全体の統一、そして何よりも絶対的な偉大さをもって聴かせているようにも思う。

さて、その秘密とは一体どこにあるのか、まず第1は、そのテンポではないだろうか。

エネスコ自身、最晩年のフランス・デッカに録音した一連のバッハのピアノ協奏曲集のライナー・ノートで、テンポについての秘密を解き明かしている。

「できうる限り、不動のテンポを維持すること、和音の継起に付き従えるように急ぎ過ぎないこと、そして、曲の進行に応じて、曲と曲の間に常に確固たる均衡をできる限り維持することが肝要であろう」というのである。

そして第2の点、それは「バッハの旋律を演奏する場合、できるだけ明晰で論理的な表現法を探すこと、つまり旋律が対位法にあてはまる複雑な箇所を参照すること、そうすれば、対位法が道を開いてくれる」(エネスコ『回想録』 白水社刊)とエネスコ自身述べている。

そこには17歳の誕生日に、ルーマニア王妃カルメン・シルヴァから「バッハ全集」をプレゼントされ、「私は休暇を利用して没頭しました。それでもなおわずか150曲のカンタータしか読み終わることができませんでした」と、あまりにも控えめな回顧をしてエネスコが、独学の末にたどり着いたバッハの演奏法こそ、確固たるバックボーンとして存在したのである。

エネスコは、自身天職と考えた作曲家と、生活の自立のためのヴァイオリニストとの二重生活を送ったが、音楽の神の求めのためなら、指揮台にも上がり、ピアニストとしても活躍している。

幅広い活動で音楽に捧げ尽くしたその人生こそ、オルガニストであり、楽師長も務め、カントールに就いたバッハと、普遍的な活動において完璧な一致をみてとれないだろうか。

エネスコこそ20世紀最高のヴァイオリニストであることに、今日異議を唱える者はあるまい。

「ベネディクトス」のアリアでのヴァイオリン・ソロに、エネスコのヴァイオリンを聴くのは筆者だけだろうか。

「ミサ曲ロ短調」は、今日バッハの最後の作品であることが確認されている。

「かくしてバッハはひとつの終焉であり、バッハからは何も生ずることがなく、すべてがひとりバッハへと導かれていくのだった」と述べたのはシュヴァイツァーだったが、この曲こそ、すべてが導かれていくその終焉にあたる作品であり、演奏によって合点がいくのは、エネスコの演奏をおいて他にはない。

今後もこのような演奏が生まれることは決してないだろう。

古楽器によるバッハ以外バッハではなく、音楽史の成果のみ最優先では、音楽家がじっくりと作品に取り組むことなどできようはずもない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:51コメント(0)トラックバック(0) 

2016年12月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



前回はバッハの『平均律クラヴィーア曲集』全2巻で柔軟な解釈とピリオド楽器の響きを大切にした趣味の良い感性を披露したショルンスハイムだが、今回彼女はバッハの『ゴールドベルク変奏曲』の2度目の録音を果たした。

聴き比べてみると解釈自体にそれほど大きな変化はなく、全体的に更に自由闊達な演奏になり、また装飾音などに繊細なセンスが表れているし、バッハが称賛したチェンバロ、ミートケ・モデルの美しい音響が活かされたゴージャスな雰囲気が醸し出されている。

ただ筆者にはむしろカップリングされているブクステフーデの創作主題による32の変奏曲『ラ・カプリッチョーザ』が意外な副産物だった。

彼女がこのふたつの作品を収録したのは決して偶然ではなく、バッハがおそらくこのリュベックの巨匠の作品を熟知していて、『ゴールドベルク』にも少なからず影響を与えているという事実だ。

彼がブクステフーデのオルガン演奏を聴くためにアルンシュタットから400キロメートルの徒歩の旅を敢行し、3カ月ほどリュベックに滞在したことは良く知られたエピソードだ。

変奏曲『ラ・カプリッチョーザ』は全曲ト長調で書かれているが、およそ思いつく限りのさまざまなヴァリエーションが滾々と湧き出る泉のように現れる、ブクステフーデのファンタジーが縦横に発揮された華麗な作品である。

今回の彼女の使用楽器だが、ミヒャエル・ミートケが1710年頃に製作したチェンバロをクリストフ・ケルンが2013年にコピーしたもので、オリジナルはスウェーデンのフディクスヴァルに保管されている一段鍵盤の楽器のようだ。

製作者ミートケは当時ベルリンに工房を構えていて、大バッハがケーテンの宮廷のために二段鍵盤のチェンバロを購入した記録も残されているために、このモデルはバッハの演奏にしばしば使われている。

ルッカースの流れを汲むダークで澄んだ音色と長い余韻が特徴で、ピッチは2曲とも現代よりほぼ半音ほど低いa'=415Hzだが、調律はブクステフーデにはミーントーン、バッハにはキルンベルガー第3法が採用されている。

ミーントーンは完全五度をごく僅か狭めることによって長三度の和音を純正に保つための調律なので、ごく単純な単一の調性での範囲内で書かれた曲では力強く美しい響きが特徴だが、転調したり変位記号が付くとスケールを形成する音の間隔がずれてしまうので調子外れに聞こえる欠点がある。

この録音でもトラック3の第12変奏でその風変わりな音程が感知されるだろう。

一方キルンベルガーは一箇所の五度を犠牲にすることによってあらゆる転調にも対応できるオールマイティーな調律法を考案している。

彼はバッハの弟子であったことから師の調律法に近いものであることが想像される。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:42コメント(0)トラックバック(0) 

2016年11月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



筆者が最初にルージィチコヴァの録音を聴いたのはブランデンブルク協奏曲第5番と三重協奏曲のカップリングでエラートから高品質LP盤としてリリースされたランパル、スーク、プラハ合奏団のものだった。

その典雅な美しさは現在でもモダン楽器によるアンサンブルでは最も魅力的な演奏だと思う。

その後同シリーズから彼女のゴールトベルク変奏曲が出て、その才気煥発な表現にバッハへの新しい解釈を感じ取ることができた思い出がある。

古楽復興の黎明期にあって、彼女の演奏はネーデルランド派の楽理的な研究やドイツの伝統的なオルガン音楽に基礎を置く演奏家達とも一線を画した、聴いて心地よく溌剌とした演奏がバッハの音楽を理屈抜きに楽しませてくれた。

この20枚には平均律クラヴィーア曲集全2巻、パルティータ、イギリス、フランス組曲それぞれの全曲、ゴールトベルク変奏曲、イタリア協奏曲、半音階的幻想曲とフーガ、フランス風序曲などをメインに、普段聴くことができないヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲からのアレンジになるチェンバロ独奏用協奏曲集などバッハのチェンバロ用主要作品が網羅されている。

ソロ以外では上記した2曲の協奏曲の他にフルニエとの3曲のチェロ・ソナタ及びスークとのヴァイオリン・ソナタ6曲を収録している。

ピリオド楽器が主流の現在のバロック音楽演奏では、モダン・チェンバロはもはやソロだけでなくアンサンブルからも追いやられてしまったが、選択肢に乏しかった1970年代初期までは一流どころのチェンバリストも便宜上モダン楽器を使っていた。

しかしノイペルトに代表されるように鋳鉄の大型フレームから響く音量は厚かましいほど大きく、人工的でキンキンした音色はいかにも代用品といった代物だった。

一方ヒストリカル・チェンバロは言うまでもなく大量生産された規格品ではないので、それぞれに個性があり響きも奥ゆかしく繊細で美しいが、製作台数が少ないだけでなく専門職人による修復が必須で、それに伴う特注部品による楽器のメンテナンスや所有者との貸借交渉などを考慮すればモダン・チェンバロ一台を購入するより遥かに高いコストがかかってしまっただろう。

またヒストリカルには独自の奏法が求められるので、チェンバリストにもテクニックのさらい直しという負担が生じた筈だ。

ルージィチコヴァの全盛期には、メカニズムとマテリアルは合理的に改変されているが、音色の欠点をカバーした改良型も登場している。

彼女がこの録音で弾いているヒストリカルはエムシュのみで他はアンマー、シュペルハーケ、ノイペルトのモダン楽器になる。

ヒストリカルの忠実なコピーの製作が一般的になるのは更に数年を待たなければならなかった。

しっかりした装丁の引き出し式ボックスにデザインなしのカラフルなジャケットで収納され、22ページほどのライナー・ノーツには演奏曲目一覧と英、仏、独語による簡易なコメントが掲載されているが、録音データ及び使用楽器はそれぞれのジャケットのみに記載している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:06コメント(0)トラックバック(0) 

2016年10月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



リナルド・アレッサンドリーニ指揮によるコンチェルト・イタリアーノがこれまでにリリースしたCDから主にJ.Sバッハとヴィヴァルディの作品を中心に選択した6枚組セットで、CD1では最もポピュラーな『四季』を取り上げている。

この曲にはファビオ・ビオンディとエウローパ・ガランテの絵画的アプローチによる演奏があるが、それとは異なった目の覚めるようなドラマティックな表現が特徴だ。

CD2−3はバッハのブランデンブルグ協奏曲(全曲)で、このセットの中でも出色の出来と言える。

廉価盤化で初出時の録音風景とインタビューを収めたボーナスDVDは付いていないが、数多い古楽アンサンブルの中でも演奏内容、録音状態共にトップクラスのひとつとしてお薦めしたい。

CD4はアレッサンドリーニ自身のチェンバロ独奏によるバッハの作品集で、鮮やかなテクニックを披露する『半音階的幻想曲とフーガ』はもとより、演奏される機会が少ない初期の作品『最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ』も心暖まるような美しい表現で聴かせている。

ちなみに彼の使用しているチェンバロは1740年にドイツで製作された作者不詳の楽器をアントニー・シドニーがコピーしたもので素晴らしい音色と表現力を持っている。

CD5ではヴィヴァルディのトラヴェルソと弦楽及び通奏低音のための協奏曲『夜』やA.マルチェッロのオーボエ協奏曲ニ短調が秀演だが、バッハの『イタリア協奏曲』の復元ヴァイオリン協奏曲版も良くできていて興味深いところだ。

尚CD6にはヴィヴァルディが珍しく対位法を使った弦楽のための協奏曲が12曲収録されている。

イタリアのピリオド楽器使用の古楽アンサンブルというと、このセットのアレッサンドリーニ率いるコンチェルト・イタリアーノより、むしろジョヴァンニ・アントニーニのイル・ジャルディーノ・アルモニコのほうがそのポピュラー性と演奏の奇抜さから知名度が高いかも知れない。

またその他にもソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ、アンドレア・マルコンのヴェニス・バロック・オーケストラやファビオ・ビオンディのエウローパ・ガランテなどが、かなり自由奔放で個性的な解釈を試みているが、お互いに盛んな交流があることも事実である。

例えば、アレッサンドリーニはエウローパ・ガランテと、ヴェニス・バロックのカルミニョーラはジョヴァンニ・アントニーニと、そしてビオンディはコンチェルト・イタリアーノとしばしば協演している。

こうした合奏団の中でもメロディックな表現に優れ、和声の変化の面白さを明瞭に聴かせてくれるのがコンチェルト・イタリアーノで、それはバッハは勿論フレスコバルディやモンテヴェルディにも造詣が深いアレッサンドリーニならではのスコアへの読みがあるからだろう。

彼らのCDはシングルで既に50枚ほどにもなるが、今回の廉価盤化はバロック音楽ファンにとっては朗報に違いない。

5つの曲集がそれぞれ独立したジュエル・ケースに入っているので外側のボックス・サイズは14,5X13,5X5cmで枚数の割には多少かさばるのが弱点だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0) 

2016年10月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



近年来日も多く、ピアノ界の新たな巨匠として特別な存在感を発揮するアブデル=ラーマン・エル=バシャのバッハ『平均律クラヴィーア曲集 第2巻』(2014年、神奈川・相模湖交流センターにて収録)の登場だ。

大絶賛を受けた第1巻に続き、本作でもエル=バシャの繊細なタッチにより生み出される作品の美観と構築性は健在で、先ず、何よりもエル=バシャの奏でるピアノの音が実に美しい。

第1巻と同様に、エル=バシャの強い希望によりべヒシュタインD−280を使用したとのことであるが、その効果は抜群であり、他の数々の名演とは一線を画するような、実に美しくも深みのある音色が演奏全体を支配している。

卓越した技術をもとに奏でられるその音は、まったく混濁がないが、絶妙なペダリングにより暖かな響きを導き出し、シンプルで飾り気のない美しい音色、ピュアなサウンドはエル=バシャの魅力のひとつであろう。

エル=バシャのアプローチはあくまでも正攻法であり、いささかも奇を衒うことなく、曲想を丁寧に精緻に描き出していくというものだ。

かかるアプローチは、前述のようなピアノの音との相性が抜群であり、このような点に、エル=バシャの同曲への深い拘りと理解を感じるのである。

また、エル=バシャのアプローチは正攻法で、精緻でもあるのだが、決して没個性的というわけではなく、徹頭徹尾エル=バシャのアナリーゼが展開される。

1曲目のプレリュードから即バッハの世界に引き込み、隙のない緊張感と豊かな響きのなかで「無限の調和」の旅をしているかのようである。

より自由に奏でられるプレリュード、完全に構築されてゆくフーガ、この「静」と「動」で展開される偉大なるバッハの作品を完全に創造している。

もちろん、平均律クラヴィーア曲集の綺羅星の如く輝く過去の演奏、例えば、グールドやリヒテル、アファナシエフなどのような聴き手の度肝を抜くような特異な個性があるわけではないが、表現力は非常に幅広く、卓抜したテクニックをベースに、テンポの緩急を自在に操りつつ、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、実に内容豊かな音楽を構築している点を高く評価したい。

これまでの平均律クラヴィーア曲集の名演では、構成されたプレリュード、フーガの各曲すべてが優れた演奏ということは殆どなく、曲によっては特に優れた演奏がある一方で、いささか不満が残る演奏も混在するというのが通例であった。

しかし、エル=パシャによる本演奏では、特に優れた特記すべき演奏があるわけではないが、いずれの曲も水準以上の演奏であり、不出来な演奏がないというのが素晴らしい。

こうした演奏の特徴は、長大な同作品を、聴き手の緊張感をいささかも弛緩させることなく、一気呵成に聴かせてしまうという至芸に大きく貢献しており、ここに、エル=バシャの類稀なる音楽性と才能を大いに感じるのである。

名器ベヒシュタインによる深みのある音色が、エル=バシャの音楽を支え、徹頭徹尾表現される調和と秩序の美しいピアニズムが堪能できるもので、期待を裏切らぬ高水準の名演と高く評価したい。

録音は、SACDによる極上の高音質録音であり、エル=バシャの美しいピアノを鮮明な音質で味わうことができる点も評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 04:08コメント(0)トラックバック(0) 

2016年09月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



今や押しも押されぬ一級の演奏家の仲間入りをしているシフが1981年から92年にかけてDECCAレーベルに録音したアルバムで、シフの洗練された音楽性と初々しいピアニズムの結晶を聴く名演集。

ピアノによるバッハ演奏の、最も現代人の感覚にぴったりくるのがシフの演奏で、淀みない流れと触発する美しさに溢れたシフの演奏に耳を傾けていると、バッハの鍵盤楽器作品が尽きせぬ心の泉であることが再確認される。

シフが弾くバッハの魅力は現代ピアノがもつ限りない機能性と美的表現力とに全幅の信頼をおき、そこからバッハの鍵盤曲の魅力を縦横無尽に引き出していく点にある。

しかもその背景にはシフならではの知的にコントロールされた音楽の心があり、技巧や感覚美の次元をこえたもうひとつ向こうの世界へと聴き手を誘う吸引力がある。

ロマンティックすぎる解釈かもしれないが、軽やかな弾みと自然な流れが小気味よいうえ、解釈上のツボも押さえられていて、この美しさには抗し難い魅力があり、聴き込むほどに味わいの増す演奏だ。

ここに聴くシフのピアノは、とにかく音色に磨き抜かれたような美しさがあり、1音聴いただけで、その魅力にひきこまれてしまう。

しかもここでのシフは無心かつ無垢であり、バッハの世界で戯れるかのような姿すら見せている。

シフの磨き抜かれたピアノの音色、洗練されたリズムの冴えなどを耳にすれば、ピアノという楽器に興味と関心とをもっているほとんどすべてのひとは、おそらく脱帽状態となってしまうことだろう。

そのうえ、ここにおけるシフは、バッハ演奏における様式観に関しても、ノンシャランにはならず、きちんとした筋をとおしており、説得力が強い。

磨かれ、粒をきれいに揃えた音と、軽やかな運びで、シフはバッハの鍵盤楽器作品を、自然な姿に整える。

リズムの良さにも水際立ったものがあり、テクニックもスムースで、バッハの音楽に対する各種様式観にもバランスのとれた配慮が行き届いており、間然としたところがない。

粒立ちのよい音で、色彩豊かに展開されるバッハは、実に新鮮な感覚に満ち溢れており、今日のバッハ演奏を代表するものの1つと言っても、決して過言ではないだろう。

チェンバロによる、オリジナルを重視する演奏とは実に大きく隔たっているが、それでも、聴いて正しくないなんて言う気には決してならないはず。

もしバッハがピアノとすぐれたピアニストを知っていたら、強くそれを希望したに違いないと思えるくらい、バッハの本質はここにあると感じられる。

20世紀末の人間の感覚とバロックの巨人が求めた技の、重なり合うところに、シフの演奏が成立していて、技術がただひたすらに作品のためにあることを実感させる至芸である。

筆者が、シフを聴いて初めて驚きを覚えたのは、これらの録音以前に、放送を通じてドメニコ・スカルラッティやバッハの作品を聴いたときだが、その切れ味のよいリズム感と、美しいタッチから生み出される透明感に満ちた音色で奏されるバッハやスカルラッティの音楽の、なんと躍動と愉悦に満ちていたことか。

軽やかなタッチが作り出す滑らかな調べはあくまでも磨き抜かれたタッチの美しさを誇るが、いささかも人工的、メカニカルな印象を与えず、音楽そのものに浸らせ、その新鮮な表情は彼らの作品に新しい光を当てるものだった。

粒立ちの良い音の佇まい、演奏に漂う清潔感と凛々しい気品も抜きん出ており、リズム処理のスムースさにも他の演奏家にはない快い切れがある。

このアルバムではそうした彼の美質を十分に保ちつつ、音色にはまろやかさと暖かさが、表現には余裕と落ち着きが増し、音楽全体に懐の深さや味わい深さが加わっている。

バッハの鍵盤楽器作品は今日では、チェンバロによる演奏が広く聴かれるようになっているが、ピアニストにとってバッハの音楽は不可欠のレパートリーである。

演奏会で取り上げることは少ないにせよ、名ピアニストほどバッハ作品を見事に弾いている。

しかし、多くのピアニストが19世紀の解釈でバッハを弾いて疑問を抱かないのに対し、シフのバッハ解釈は意識的にロマン主義的解釈を避けた次元でバッハ音楽の普遍性をピアノという、言わばモダン楽器で見事に彫琢している。

オリジナル楽譜にはあるべくもない強弱記号であるが、シフはこれを19世紀の解釈ではなく、バッハ音楽のテクスチャーから読み取れる自然かつ音楽的な変化として表現している。

それに、実を言えばグールドじゃないところも大きな魅力で、ある意味でもっともシフらしい、飾らないシフと出会えるアルバムと言えるかもしれない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 04:53コメント(0)トラックバック(0) 

2016年07月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラ・プティット・バンドの新録音によるJ.S.バッハの『管弦楽組曲』全曲を1枚のCDに収めたもの。

最近の彼らの演奏で顕著なことは、演奏者数を当時の宮廷楽団の慣習に則り、各パートの奏者をぎりぎりまで絞り込んで、従来の管弦楽というイメージよりもむしろアンサンブルに近い形態をとり、曲の解釈の面でもあらゆる面で誇張のない、よりインティメイトな雰囲気でのバッハの再現を試みていることであるが、その基本姿勢はこの曲集でも全く変わっていない。

リーダーだったグスタフ・レオンハルト亡き後も彼らはシギスヴァルト・クイケンを中心に衰えをみせない活動を続けているが、こうした演奏にレオンハルト譲りの厳格さと共に、彼ら自身が古楽を楽しむ洗練された究極の姿を観るような気がする。

それはまた彼らがこれまでに辿り着いた研究の成果を実践に移したものとしても興味深い。

オーケストラのそれぞれのパートを見ると、第1、第2ヴァイオリンが2名ずつ、ヴィオラ1名、通奏低音としてはバス・ドゥ・ヴィオロン2名とチェンバロのみである。

基本的にこの8人の他に曲によってバッハが指示したトランペット、ティンパニ、オーボエ、ファゴット、トラヴェルソが順次加わるが、習慣的に任意で加えることができるリュートやテオルボなどは一切省いた簡素な編成が特徴的である。

またそれほど重要でないと判断された序曲での繰り返しを避け、無駄と思われる装飾や表現も思い切って削ぎ落としたシンプルそのものの解釈で、足早のテンポ設定と相俟って現在の彼らの虚心坦懐の境地を窺わせている。

しかし響きは素朴であっても素っ気ない演奏とは違い、対位法の各声部を明瞭にしてしっかりした音楽構成を感知させている。

それだけに当時バッハがイメージしていた音像がダイレクトに伝わってくるような気がする。

組曲第2番ロ短調の「ロンド」ではフランス風のイネガルを取り入れてこの珠玉の小品に精彩を加え、終曲「バディヌリー」では逆にテンポを落としてソロの名人芸を聴かせるよりもアンサンブルとしての調和を図っているようだ。

2012年のセッションで、会場になった教会の豊かな残響をある程度取り入れているため、ごく臨場感に溢れた録音ではないが音質には透明感が感じられ極めて良好。

ピッチはa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチを採用している。

アクサン・レーベルの新譜はデジパックで統一されていて、差し込まれたライナー・ノーツにはシギスヴァルト・クイケンによるバッハの『管弦楽組曲』についての歴史的な考察が掲載されている。

そこには第2番が当初トラヴェルソ用ではなく、ヴァイオリン・ソロが加わったイ短調の組曲だったことも述べられている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:22コメント(0)トラックバック(0) 

2016年06月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ウィーンの大家イェルク・デムス(1928-)のピアノ演奏によるバッハ作品集の3枚組で、パルティータ全6曲BWV825-830と『ゴールドベルク変奏曲』BWV988を収録している。

デムスはフリードリッヒ・グルダ亡き後もイングリット・ヘブラー、パウル・バドゥラ=スコダと共に健在で、実際の演奏活動からは引退しているものの伝統的なウィーン流派のピアノを教授している頼もしい存在である。

彼が生涯に亘って研究している作曲家の1人がバッハで、この曲集の他にも『平均律』全曲を始めとする何種類かの録音があるが、いずれも彼の溢れんばかりの音楽性を変化に富んだ自在なタッチと奥ゆかしい情緒に託した独特の美学が聴きどころだろう。

例えばパルティータ第1番変ロ長調の瑞々しさとダイナミズムはバッハが既にピアノを意識して作曲したかのような印象を与えるし、第3番イ短調での毅然としたスケルツォの主張と、間髪を入れず終曲ジークに入るアイデアが秀逸だ。

また第5番ト長調のテンポ・ディ・ミヌエットは弱音を駆使して殆んどメヌエットの原型を留めないくらい速いが、次に来るパスピエが逆にメヌエットを想起させる自由な発想もデムスらしい。

一方で『ゴールドベルク変奏曲』のテーマの歌わせ方は天上的な美しさを持っている。

アルペッジョを高音から低音に向かって弾く奏法もメロディーに一層可憐な効果を出しているし、最終変奏のクオドリベットも通常は歓喜に満ちた表現が多いが、彼は名残を惜しむかのように静かに奏でて、その抒情性の表出とピアニスティックなテクニックにおいて最高度に洗練された流麗な変奏曲に仕上げている。

70分を超える大曲だが、彼は丁寧な音楽作りと構成力によって冗長になることを完璧に避けている。

デムスはしばしば修復されたフォルテピアノを使ってモーツァルトから初期ロマン派の作曲家の作品をコンサートに採り入れていて、筆者自身彼のピリオド楽器によるシューベルトの夕べを聴いたことがある。

それだけ彼は歴史的な楽器の機能や奏法にも造詣が深く、またその音色にもこだわっていたことが理解できる。

このバッハ作品集でのセッションはピアノ演奏で、使用楽器が明記されていないので断言はできないが、音色から判断するとベーゼンドルファーと思われる。

透明感やきらびやかさではスタインウェイに譲るとしても、その温かみのあるまろやかな音色とソフトな弱音は典型的なウィンナー・トーンで、バッハの作品に特有の味わいを与えている。

ヌォーヴァ・エーラのロゴをつけているが、実際にはメンブランからのリイシュー盤で、ライナー・ノーツに英、伊語による曲目解説があり、録音データは1974年とクレジットされている。

尚トラックを表示した収録曲目一覧には若干のミス・プリントが見られる。

オーソドックスなジュエルケース入りで、欲を言えばジャケット・デザインに洒落っ気がないのが惜しまれるが、これがオリジナル・ジャケットのようだ。

音質は破綻のない時代相応の良好な状態と言えるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:33コメント(0)トラックバック(0) 

2016年06月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



英国のベテラン女流トラヴェルソ奏者レイチェル・ブラウンが初めてリリースしたバッハのフルート・ソナタ集。

これまで彼女のレパートリーはくまなく聴いてきたが、バッハの無伴奏フルート・パルティータイ短調を含むフルート・ソナタ・アルバムは初めての企画で、円熟期を迎え満を持しての演奏ということになる。

収録曲目は、真作4曲のフルート・ソナタ、無伴奏フルート・パルティータ、声楽作品からオブリガート・フルート付部分のピックアップが6曲、そしてブラウン自身がトラヴェルソ用にアレンジした協奏曲を含む編曲物2曲という内訳になる。

ブラウンの若い頃は男性顔負けの大胆でエネルギッシュな吹込みによる輪郭が明瞭で個性的な表現が魅力だったが、前回のテレマンの『無伴奏ファンタジー』でも明らかなように、ここ数年ではよりデリケートでインティメイトな芸風に変わってきた。

ここではまたバッハの意図する音楽にかなり忠実な再現が行われていて、この曲集では偽作とされる作品に関しては除外している。

無伴奏パルティータでは第1楽章アルマンドの最後の音がトラヴェルソの最高音a'''で、通常多くの奏者はこの音の突出を避けるためにリピート後に1回だけ演奏するが、ブラウンは1回目はメゾ・フォルテ、2回目はフォルテという具合にダイナミクスに変化をつけて楽譜通り繰り返している。

またサラバンドに代表される各楽章のリピート部分は当時の演奏習慣に従って、細やかな装飾音で飾った華麗なヴァリエーションに仕上げているのが特徴だ。

4曲のソナタの中でも最も充実した演奏がロ短調BWV1030で、バッハがチェンバロの右手パートも総て書き入れた実質3声部が織り成す精妙な対位法作品だが、ブラウンは気負いのない演奏の中にもトラヴェルソで表現し得る高い音楽性を感知させている。

楽章ごとの性格の違いもくっきり描かれていて、終楽章のフーガからジーグに至る部分ではテンポを速めて緊張感を高めながら曲を締めくくっている。

設定されたピッチは低いが、チェンバロとの音色のバランスも良く取れている。

今回の録音に使われたトラヴェルソは1725年製のシェーラー・モデル及び1720年製のI.H.ロッテンブルグ・モデルのそれぞれワン・キー・タイプで、ピッチはどちらも現代よりほぼ長二度低いa'=392Hz。

尚34ページほどのライナー・ノーツにはそれぞれの曲目に関するブラウンのトラヴェルソ奏者としての興味深いコメントと、カンタータで歌われるアリアの英語対訳及び演奏者全員の写真入略歴が掲載されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:02コメント(0)トラックバック(0) 

2016年05月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2012年に他界したグスタフ・レオンハルトが1984年から1996年にかけてフィリップスに遺した音源を15枚のCDにまとめたバジェット・ボックスで、この中の何枚かは現在既に入手困難になっているだけに今回の復活を歓迎したい。

チェンバリストとしては勿論、オルガニスト、ピリオド・アンサンブルの指導者、また指揮者として古楽復興の黎明期を支え、生涯古楽への情熱を傾けたパイオニア的存在感と、彼に続いた後継者達に与えた影響は計り知れない。

このアンソロジーではバッハは言うまでもなくクープランやラモーではフランス趣味を、またフレスコバルディやスカルラッティではイタリア様式を、更にブルやパーセルでは典型的なイギリス風の奏法を聴かせる多才さも聴きどころだ。

バッハの鍵盤楽器用の作品については他のレーベルからよりインテグラルなセットが入手可能なので、ここではむしろレオンハルトの幅広いジャンルに亘る古楽研究とその豊富なレパートリーを集成しているところに価値がある。

ピリオド楽器を使った古楽演奏の録音が試みられたのはそう古いことではない。

レオンハルト、アーノンクール、ビルスマやブリュッヘンなどによって博物館の調度品に成り下がっていたヒストリカル楽器が再び日の目を見るのは1960年代だが、それらの楽器を演奏可能なまでに修復して、その奏法を復元する作業は一朝一夕のことではなかった筈だ。

古楽を教える教師さえ稀だった時代にあって、おそらくそれは試行錯誤による古い奏法の再構築と演奏への全く新しい発想があったことが想像される。

チェンバロに関してはまだモダン楽器が主流だった頃に、初めてオリジナルの響きを堪能させてくれたのもレオンハルトだったと記憶している。

確かにこの頃既にヘルムート・ヴァルヒャがバッハの鍵盤楽器のための主要な作品を体系的に録音していたが、最大限の敬意を払って言わせて貰えば、彼はバッハの権威としてその作品を、チェンバロという楽器を媒体として表現したに過ぎない。

言い換えればバッハの音楽が楽器を超越したところにあることを教えている。

だからヴァルヒャはバッハ以外の作曲家の作品をチェンバロで弾くことはなかった。

彼とは対照的に楽器の音色や機能、あるいはその特性に沿って作曲された曲目の価値を蘇生させたのがレオンハルトではないだろうか。

彼はまた古楽器のコレクターでもあり、このセットでも何種類かの異なったチェンバロとクラヴィコードの個性的な音色を楽しむことができるが、幸いフィリップス音源も共鳴胴の中で直接採音したような鮮烈な音質で、繊細かつヒューマンな響きとスタイリッシュなレオンハルトの至芸を良く捉えている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:02コメント(0)トラックバック(0) 

2016年04月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ル・コンセール・デ・ナシオンの8名のメンバーによる『音楽の捧げもの』が録音されたのは10年以上も前のことになるが、ピリオド楽器を使用した演奏として音楽的な水準の高さにおいても、またその再現の美しさでも未だ第一級の価値を失っていない。

ジョルディ・サヴァルの演奏にはスピリチュアルな高揚からの特有の気迫のようなものが常に感じられ、それが弛まずにこの演奏全体を牽引していることは確かだ。

それだけに隙のない声部の織り成す対位法の綾が聴きどころだが、バッハが献呈文に綴ったラテン語のイニシャルがリチェルカーレを暗示しているように、ここでもサヴァル自ら弾くヴィオールが加わる古風な楽器編成が、その謎めいた美学を象徴しているように思われる。

バッハは「ふたつのヴァイオリンのための同度のカノン」及び「トリオ・ソナタ」以外の楽器編成を指定していないので、アンサンブルの編成はサヴァル自身のアレンジと思われる。

大王のテーマはマルク・アンタイのトラヴェルソによって提示される。

これはバッハがポツダムの宮廷を訪れた時に、フリードリヒ大王が自らトラヴェルソを吹いてこのテーマを与えたという言い伝えに基くものだ。

その事実関係はともかくとして、アンタイはテーマの高貴さと神秘性をシンプルに奏して、曲の開始に相応しい期待感を高める効果を上げている。

また後半の始めに置かれた「トリオ・ソナタ」では、彼の自由闊達な音楽性とオーソドックスなテクニックの手堅さが示されている。

3声と6声のリチェルカーレはどちらもピエール・アンタイの柔軟で色彩感豊かなチェンバロ・ソロで演奏されているが、6声の方は最後に通奏低音付の弦楽合奏版でも収録されている。

特に後者を聴くと『フーガの技法』と並んで対位法音楽の頂点とも言われているこの曲集が、決して紙に書かれただけの理論の集大成ではなく、実際に音楽として鳴り響いた時の美しさを表現し得ていることに改めて気付かせてくれる。

これもサヴァルのポリシーだろうが音質の良さでも高く評価できるCDで、それぞれの古楽器の繊細な音色を捉え、音響のバランスにも優れている。

尚ピッチは現代より半音ほど低いa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチを採用している。

三面折のデジパック入りで、35ページほどの綴じ込みのライナー・ノーツには仏、英、西、カタルーニャ、独、伊語による簡易な解説が掲載されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:45コメント(0)トラックバック(0) 

2016年04月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



レオンハルトはひとつひとつの短い曲に豊かなアーティキュレーションと控えめだが自在なフレージングで個性を与え、全体的にも精彩と変化に富んだ曲集に仕上げている。

また良く聴いているとレジスターの使い分けも多彩で、チェンバロの機能と音色の魅力を巧みに引き出しているところにも斬新さがある。

鍵盤楽器の学習者にとってバッハのインヴェンションとシンフォニアは避けて通れない、言わば必須の練習曲だが、レオンハルトの演奏はそうした教則本をイメージさせるような陳腐さや退屈さから一切解放された、音楽としての価値を改めて問い直し、最高の教材は同時に最高の芸術作品でなければならないというバッハ自身の哲学を実践した演奏と言えるだろう。

特にシンフォニアになると各声部を注意深く感知させるだけでなく、装飾音の扱いにもさまざまな工夫が聴かれるし、時には大胆とも思える拍内でのリズムのずらしやハーモニーを崩して弾く方法を試みて、チェンバロ特有の表現力の可能性を追究すると共に、この曲集の持つ音楽的な高みを明らかにしている。

彼らによって復元されたこうした奏法は、ヒストリカル楽器の持つ構造的な機能を熟知して初めて可能になるもので、それ以前のモダン・チェンバロによる演奏では聴くことができない。

楽譜に対する深い洞察により作品の本質に鋭く迫った演奏で、厳格なバランス感覚に裏打ちされた知的な自由さが大きな魅力となっている。

気品あるチェンバロの音色も一聴に値するものであるが、1974年にアムステルダムで録音されたいくらか古い音源なので、音質がやや硬く聞こえるのが惜しまれる。

ここでの使用楽器はアントワープの名匠J.D.ドゥルケンが1745年に製作した二段鍵盤のチェンバロを、1962年にマルティン・スコヴロネックがレオンハルトのためにコピーしたもので、典型的なルッカース系の暗めだが品のある豊かな余韻を持った響きが特徴だろう。

レオンハルトはピリオド楽器による演奏の先駆者として楽器の選択にもかなりの拘りを持っていた演奏家の1人だ。

尚ピッチは現代よりほぼ半音ほど低いa'=415Hzに調律されている。

このふたつの曲集ではバッハの明確な意図に基く全く無駄のない学習方法が考案されている。

これから鍵盤楽器を学ぼうとする人のために、始めは指の独立と2声部を巧く弾けるように、そして上達するに従って3声の曲に移り、とりわけカンタービレ、つまりそれぞれの旋律を歌わせる基本的なテクニックを学びながら、更にはテーマを展開して曲を構成するための作曲技法習得の手本としても役立てるようにと添え書きしている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:58コメント(0)トラックバック(0) 

2016年02月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これはたいそう独自な存在感をもったアルバムだ。

バッハが後世に遺した最も驚くべき金字塔のひとつ、BWV1001〜1006に関しては、ほとんどあらゆるレコードを聴き味わってきたつもりであるが、その中で最も奏者の、ひいては人間の“心の声”を実感させてくれた演奏と言えば、それはシゲティのものにほかならない。

とはいえ、本盤の演奏内容は、たぶん、評価が極端に分かれる結果となるだろう。

音は必ずしも美しくなく、ときにきつくなる要素を含んでいるし、テクニックも今日のレヴェルからすると必ずしも完璧といえるほどのものではなく、加えて録音も硬調でもう少し潤いといったものがほしい。

しかしながら、ここでシゲティがバッハの音楽に対して示す強い求心力は、今もって感動的である。

高い志をもちながら、妥協することなく、ひたすらバッハの音楽の核心に迫ろうとするシゲティのひたむきさ、深く、鋭い表現力は聴き手の心を強くとらえてやまない。

音楽に精神主義というものがあるならば、さしずめシゲティはその代表といえるだろう。

とくに晩年の演奏はその比類のない集中力の強さで、その強靭な演奏は触れれば切れるほど鋭く、率直に作品の本質に迫ろうとする姿勢が、聴き手を説得せずにはおかない。

このバッハはそうしたシゲティ67〜68歳時の傑作と言える。

これらの曲を発掘して、その素晴らしさを現代人に教えた当人の演奏だけに、晩年近づいてからのシゲティの録音のなかでは技巧の衰えも比較的目立たない。

この6曲はあらゆる音に燃える気迫があり、深い意味と心情の表出がある。

たんなる表面的な美感を越えた、内部から語りかける音楽である。

ひたすらバッハの音楽の核へと踏み込んでいこうとするシゲティの気迫には、今日の多くの演奏家らが失ってしまったような、ただならぬ説得力があると言えよう。

つねにすらすらとよどみなく、万人の耳に快い、力強くまろやかな音色で語るのが雄弁術の極意だという。

だが、人間が己れの内奥の真実を世に告げるために、そのような雄弁は果たして必要なのだろうか? 本盤の演奏を聴くたび、改めてそう思う。

自分が信ずる牴山敕真実瓩鯢集修靴茲Δ箸垢襯轡殴謄の弓と指は、表面的な完全さや洗練を目指さない故にこそ貴い。

このことを把握して聴くなら、シゲティの音と表現の意味深い猗しさ瓩呂泙気靴非凡なものだ。

ここでは、1フレーズ、1音が、それこそ魂から出た言葉として響き、その“意味”を伝えるためにこそヴァイオリンは鳴っている。

いったんそのことに気づき、その“言葉”がわかると、シゲティの音を「きたない」などとする批評が、いかに皮相なものにすぎないか、よく理解されよう。

技術的には押しなべて高くなり、録音もよくなったにもかかわらず、聴き手に強い感動を与えるようなバッハと接する機会が著しく少なくなってしまった今日だからこそ、あえて当シゲティ盤に最注目する価値は高まっていると言えよう。

もちろん、技術面の完全さは音楽に必要だが、稀にはそれを超える感動も、たしかに存在する。

もとより、視点や趣味により評価はまちまちであろうが、これほど心を打つ演奏、心の奥底に訴えかけてくる演奏は稀だ。

彼以後に、もうこのようなバッハはない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:12コメント(0)トラックバック(0) 

2015年12月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このリヒターの崇高なバッハの成果は未だに独自の光彩を放ち、独創的で強い主張を持っている。

中でも彼のブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲などの息づくようなバイタリティーに溢れた表現は強く惹かれるものがあったが、当初アルヒーフのセット物は布張りカートン・ボックス入りのコレクション仕様で値段も高く、気軽に手が出せるような代物ではなかった。

そうした懐かしさも手伝ってかつての欲求を満たしてくれるのがこのセットで、同じくユニヴァーサル・イタリーから先発でリリースされたバッハのカンタータ集に続いて、今回はチェンバロ及びオルガン・ソロ、室内楽、オーケストラル・ワークに『ロ短調ミサ』を加えた18枚で構成されている。

この中には現在入手困難な1966年収録のシュナイダーハンとのヴァイオリン・ソナタ集も含まれている。

リヒターは1972年にレオニード・コーガンとも同曲集の再録音をオイロディスクに遺しているが、バッハへのアプローチも、また音楽的な趣味や個性も全く異なった2人のヴァイオリニストと組んだアンサンブルの記録としても貴重な音源だ。

この演奏ではシュナイダーハンのウィーン流のしなやかで自由闊達なソロが美しい。

尚ブランデンブルク協奏曲集は1967年の再録音の方が採用されている。

ちなみに第1回目の1956−57年の音源はドイツ・ヘンスラーから独自のリマスタリングで復活している。

ミュンヘン・バッハ管弦楽団は、バイエルン放送響、ミュンヘン・フィル、バイエルン国立管の団員などの精鋭から編成され、何よりも当代のバッハの使徒とでもいうべきリヒターに対する尊敬の念と忠誠心を持っていたと言われる。

その演奏の均一性、精神的な統一感はいま聴いても新鮮な驚きがあるだろう。

リヒター指揮による同管弦楽団、同合唱団による一致団結した統一感とストイックとしか言いようのない敬虔、厳格な音楽づくりは、その後同様な演奏を聴くことを至難としている。

一方、リヒターは当時にあって、バッハについて深い学識ある研究者であるとともに、最高のチェンバロ奏者&オルガニストであり指揮者であった。

チェンバロ、オルガンなどの独奏の高次性も並外れており、しかもすぐれた即興性に魅力がある。

彼が使用しているチェンバロは総てノイペルト製のモダン・チェンバロで、ピリオド楽器が主流の現在では金属的で大きな音がやや厚かましく聞こえるが、奇しくも当時のリヒターのラディカルとも言える解釈にそぐわないものでなかったことは確かだ。

またニコレとのフルート・ソナタ集では常にレジスターを使って音量と音色を注意深くコントロールしている。

ライナー・ノーツは46ページほどで、曲目一覧、英、伊、独語によるリヒターのキャリア及びこのセットに収められた18枚の全録音データが掲載されている。

新しいリマスタリングの表示はないが音質は極めて良好で、サイズ13X13X5cmのシンプルなクラムシェル・ボックス仕様。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:41コメント(0)トラックバック(0) 

2015年12月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このCDには大バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710-1784)の3曲のトラヴェルソのためのソロ・ソナタ及び3曲の2本のトラヴェルソと鍵盤楽器のためのトリオが収録されている。

セカンド・トラヴェルソにはマリオン・モーネン、そしてチェンバロとフォルテピアノがジャック・オッグ、通奏低音のチェロにはヤープ・テル・リンデンのそれぞれベテラン奏者を配した手堅い巧みなアンサンブルが聴きどころだ。

ソロと通奏低音で書かれたものと鍵盤楽器のオブリガートが付くものとがあり、前者には基本的にチェロが加わっている。

フリーデマン・バッハの作品には既に漸進的な強弱やアクセントなどが求められ、父親とは明らかに異なった音楽語法を追究していたことが理解できる。

このためにオッグは曲によってフォルテピアノを使って、それまでのチェンバロでは表現し得なかったモダンな音楽のあり方を実践している。

特にソナタヘ長調Fk51はトラヴェルソのテクニックが駆使された難曲で、ハーゼルゼットとオッグの老練なアンサンブルが醍醐味だ。

今回彼らが使用した楽器は、ハーゼルゼットがアウグスト・グレンザー、モーネンがパランカのワン・キー・タイプ、テル・リンデンのチェロがグランチーノ、オッグのチェンバロはクシェ・モデル、ピアノはゴットフリート・ジルバーマン・モデルでピッチはa'=415Hz。

2005年にオランダで録音された曲集で音質は極めて良好。

フリーデマン・バッハの音楽はかなり個性的で、時折衝動に駆られて急くような音形の繰り返しや不意とも言えるモジュレーションの変化があり、彼の鋭利だが移ろい易い刹那的な音楽美学を反映している。

そうした音楽のあり方はほぼ同時代のミューテルやクラインクネヒトのトラヴェルソのための作品にも共通していて、いわゆる多感様式時代の過渡的な趣味の傾向だったに違いない。

大バッハが最も期待をかけて教育した息子だったが、その非凡な才能は当時の社会には受け入れられなかった。

それは彼の個人的な性癖が禍したとされているが、遺された作品には優れたものが少なくない。

例えばトラヴェルソ用の6曲のデュエットにもその目まぐるしい転調や半音階の中に迸り出るような斬新な楽想が満たされている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:10コメント(0)トラックバック(0) 

2015年12月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヘルムート・ヴァルヒャが1957年にEMIに録音したJ.S.バッハの『パルティータ』BWV825-830全曲が、過去のライヴやセッションの名演を掘り出してCD化しているカナダのドレミ・レーベルからレジェンダリー・トレジャース・シリーズとして復活した。

ヴァルヒャが遺した総てのオルガン用の作品は既にリイシューされているし、またチェンバロ曲集はこの6曲のパルティータを除いては比較的手に入れることが容易だが、この音源に関しては何故か再発されていなかった。

おそらく録音状態の劣悪さが原因かも知れないが、この2枚組セットにはDLC24-bitリストレーションの表示があり、雑味のとれたかなり鮮明な音質が得られている。

曲目は他に1960年の録音になる『フランス風序曲ロ短調』BWV831、『イタリア協奏曲ヘ長調』BWV971及び『半音階的幻想曲とフーガニ長調』BWV903で、この3曲に関しては製造中止になっているとは言え、ARTリマスターのEMI盤がかろうじて入手できる。

見開き1枚の曲目紹介とオリジナルLPの写真のみでライナー・ノーツは付いていない。

ヴァルヒャがJ.S.バッハの鍵盤楽器用の総ての楽曲の暗譜を決意したのは彼が完全に失明した後、19歳の時だったと言われる。

そして40歳の誕生日にはその課題を達成していた。

点字楽譜もまだ存在しなかった時代に、母や夫人の弾く一声部一声部を暗譜して、頭の中で音楽全体を再構成するという驚異的な方法で身につけた曲は、どれを聴いても整然として明確な秩序を保っているだけでなく、彼特有の覇気に貫かれている。

ヴァルヒャが日頃使用していた楽器はユルゲン・アンマー社のモダン・チェンバロで、それには止むを得ない事情があったと考えられる。

戦後から1960年代にかけてオリジナル・チェンバロは博物館を飾る調度品に成り下がっていた。

それは教会の中で厳然とその生命を保っていたオルガンに比べると、時代に取り残された楽器としかみられていなかったのが実情だ。

それが演奏可能なまでに修復され始めるのはいくらか後の時代であり、ヴァルヒャはようやっとその晩年に古楽復興の黎明期に巡り会えた演奏家である。

この楽器の音色が見直されるようになってから、当世流の便宜的改造が加えられたのがノイペルトやアンマーのモダン・チェンバロである。

当時内部のフレームは金属製でa'=440の現代ピッチに調律されていた。

ピリオド楽器に比べるとさすがにどこか人工的な響きだが、それでもアンマーの音は潤沢で幅広い表現力を持っていることからヴァルヒャは多くの録音にこの楽器を用いた。

しかしヴァルヒャも晩年修復されたオリジナル楽器を使って『平均律』を録音しなおしたし、シェリングと協演したバッハの『ヴァイオリン・ソナタ』全曲のセッションでもオリジナルを演奏している。

J.S.バッハの数多い組曲の中でも『パルティータ』にはそれまでの舞曲の組み合わせという様式に囚われないシンフォニア、ファンタジア、カプリッチョあるいはブルレスカ、スケルツォなどの新しいエレメントが入り込んでいて、それだけにバッハの自由闊達で手馴れた作曲技法が駆使されている。

ヴァルヒャの演奏は一見淡々としているようで、突き進むような情熱が隠されている。

それは彼の哲学でもある、バッハが書き記した音符をくまなく明瞭に伝えるという使命感に支配されているからで、書法を曖昧にするような表現、例えばテンポ・ルバートや過度な装飾は一切避けている。

こうした妥協を許さない理路整然とした演奏を聴いていると、あたかもバッハの手稿譜が目の前に現れるような感覚に襲われる。

ヴァルヒャの奏法はオルガンを弾く時と基本的に同様で、楽器の特徴を聴かせるというよりは、むしろバッハの音楽の再現に自己と楽器を奉仕させるということが大前提になっているような気がする。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:02コメント(0)トラックバック(0) 

2015年11月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



この演奏で最も注目すべき点は、ソロを弾くラインホルト・バルヒェットが飾り気のない、すこぶる流麗でシンプルな解釈を示していることで、これによってバッハの書法が真摯に再現されている。

モダン奏法によるバルヒェットのヴァイオリンとチェンバロによるセッションだが、聴き込んでいくと装飾音の扱いなどからバルヒェットがいかに古楽を良く研究していたかが理解できる。

当時まだ古楽の黎明期にあって、本来のバッハの音楽表現に相応しい演奏を試みている稀なヴァイオリン・ソナタ集だ。

ヴァイオリンの大家が弾く、風格はあるがバロックの室内楽としての魅力からはいくらか乖離した演奏とは異なり、モダン奏法によるバッハの音楽に対する無理のない再現と、その両立にも成功している例ではないだろうか。

それは良い意味での中庸の美で、古楽がピリオド楽器及びピリオド奏法によって演奏されることが当然になった現在では、得難いサンプルとしての価値を持っている。

バルヒェットのソロに花を添えているのがヴェイロン=ラクロワのチェンバロで、その軽妙洒脱な奏法がこの曲集をより親しみ易いものにしている。

このセッションで彼が使用しているのはクルト・ヴィットマイヤー製作のモダン・チェンバロで、確かにピリオド楽器に慣れた耳には時折音色が厚かましく感じられることがあるにせよ、彼はレジスターを巧みに操作して楽器の弱点をカバーしている。

個人的に話になるが、筆者がクラシック音楽に親しみ始めた少年の頃、毎週日曜日の朝NHK.FMから放送されていた角倉一郎氏の解説による『バッハ連続演奏』というラジオ番組があって、ある時彼がこの演奏を採り上げていた。

それがこの録音を知った最初の体験で、今でも印象深く記憶に残っている。

エラート音源の3枚組のLPは、その後長い間廃盤の憂き目に遭っていたが、一度日本でCD化され更に2009年にワーナー・ミュージックとタワー・レコードのコラボによってデトゥール・コレクションのひとつとして2枚組の廉価盤で復活したものがこのセットだ。

なお偽作を含む通奏低音付のBWV1021から1024の4曲のソナタではチェロのヤコバ・ムッケルが参加している。

録音は1960年頃という表示があり、現代ピッチのa'=440Hzを採用している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:00コメント(0)トラックバック(0) 

2015年10月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ジュリアーノ・カルミニョーラが1999年から2002年にかけてソニーに録音したCD7枚をまとめたセットで、バジェット価格でのリイシュー化を評価したい。

中でも彼の音楽性が最も高次元で表出されているのは、やはりヴィヴァルディの協奏曲集だ。

尽きることのない作曲家のファンタジーが、カルミニョーラの比較的シンプルなカンタービレやあらゆるヴァイオリンのテクニックを駆使した激情的な表現手段によって効果的に示されているが、それらが彼の情熱のごく自然な発露として噴出しているのが秀逸だ。

それに続くロカテッリの『ヴァイオリンの技法』はそれぞれの協奏曲に長大な超絶技巧のカデンツァを挿入した協奏曲集で、言ってみれば当時の最高峰の秘伝的奏法をカルミニョーラの美しい音色と理想的な演奏で聴けるのは幸いだが、そこには後のパガニーニが『24のカプリース』で試みた、殆んど技巧のための技巧の曲集といった、時としてくどい印象が残るのも事実だろう。

アンドレア・マルコン指揮、ヴェニス・バロック・オーケストラのスリリングで気の利いたサポートも特筆される。

意外だったのがバッハのヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのための6曲のソナタで、カルミニョーラは抑制を効かせながらも流麗に、しかも誠実に弾いている。

チェンバリストのアンドレア・マルコンもレジスターを使った音色の変化を控えめにして、ソナタの曲想や対位法の忠実な再現に心掛けているように思える。

この曲集はいずれのパートにも一切ごまかしのきかない厳格なアンサンブルが要求され、また彼らが得意とする即興演奏の余地もないが、2人のイタリア人がピリオド楽器で演奏するバッハとして非常に高い水準であることは確かだ。

尚最後の1枚はリュート奏者のルッツ・キルヒホフを迎えた4曲のトリオ・ソナタ集で、ヴァイオリンと相性の良いリュートの響きが耳に心地良く、キルヒホフの堂に入った奏法も聴きどころだ。

全体的に音質は極めて良好。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:02コメント(0)トラックバック(0) 

2015年09月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたバッハのゴルトベルク変奏曲は、鬼才とも称されたグールドによる最後のスタジオ録音である。

グールドは、かなり以前から公の場での一切のコンサートを拒否してきたことから、本演奏はグールドによる生涯における最後の演奏ということにもなるのかもしれない。

グールドは1955年に、ゴルトベルク変奏曲のスタジオ録音によって衝撃的なデビューを遂げたことから、偶然であったのか、それとも意図してのことであったのかは不明であるが、デビュー時と同じ曲の演奏によってその生涯を閉じたと言えるところであり、これはいかにも鬼才グールドならではの宿命のようなものを感じさせるとも言える。

実際に新旧両盤を聴き比べてみるとかなりの点で違いがあり、この間の26年間の年月はグールドにとっても非常に長い道のりであったことがよくわかる。

そもそも本演奏は、1955年盤と比較すると相当にゆったりとしたテンポになっており、演奏全体に込められた情感の豊かさや彫りの深さにおいてもはるかに凌駕している。

斬新な解釈が売りであった1955年盤に対して、本演奏は、もちろん十分に個性的ではあるが、むしろかかる斬新さや個性を超越した普遍的な価値を有する演奏との評価が可能ではないかと考えられる。

いずれにしても本演奏は、バッハの演奏に心血を注いできたグールドが人生の終わりに際して漸く達成し得た至高・至純の境地にあると言えるところであり、本演奏の持つ深遠さは神々しいとさえ言えるほどだ。

まさに、本演奏こそはグールドのバッハ演奏の集大成とも言うべき高峰の高みに聳える至高の超名演と高く評価したい。

これほどの歴史的な超名演だけに、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきているが、ベストの音質はシングルレイヤーによるSACD盤である。

音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、殆ど驚異的であるとさえ言える。

グールドの鼻歌までが鮮明に再現される本SACD盤こそ、グールドの至高の芸術を最も鮮明に再現しているものとして大いに歓迎したい。

いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をシングルレイヤーのSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:49コメント(0)トラックバック(0) 

2015年09月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アーノンクールがレオンハルトと共にピリオド楽器によるバッハの受難曲やカンタータを集中的に録音していた当時の貴重な映像のひとつで、彼特有の鋭利な解釈がバッハの『ヨハネ受難曲』の特徴を浮き彫りにしている。

それは演奏形態も大規模で壮麗な『マタイ』の抒情性に比較してより劇的なエレメントが集約されていることだろう。

福音史家のレチタティーヴォにも細かな音形がしばしば現れ、その感情の高揚をつぶさに伝えている。

アーノンクールのテンポもやや速めの設定で全体を114分でまとめているが、場合によっては間髪を入れずひとつの曲から次の曲に移るという手法が取られていて、それだけに引き締まった緊張感が第40曲の最後のコラールまで失われることがないのは流石だ。

またコーラスの占める比重が重く、バッハがこの曲でコーラスを優位に立たせ、その表現力を自在に使いこなして物語を進めるテクニックを駆使していたことも興味深い。

ここではテルツ少年合唱団と彼らのOBに当たる男声合唱団総勢30名余りの良く統制された、しかし情熱的な歌唱が聴きどころだ。

ソリストでは福音史家のクルト・エクヴィルツの歌詞を掘り下げた明確なレチタティーヴォに強い説得力があるし、またバスのアントン・シャリンガーの温かみのある声と真摯な歌唱にも好感が持てる。

アーノンクールはソプラノとコントラルトのソロにテルツ少年合唱団のピックアップ・メンバーを採用しているが、2人のボーイ・コントラルト、クリスティアン・インムラーとパナヨティス・イコノムーはいずれも秀逸。

特にイコノムーはこの録音当時まだ14歳だった筈だが、声の陰翳の付け方から感情の表出までとても子供とは思えない高い音楽性を持っていて驚かされる。

現在ではどちらもバス・バリトン歌手としてオペラの舞台や宗教曲の演奏に活躍しているというのも当然だろうが、またこうした歌手を輩出するテルツの持つ実力にも頷ける。

リージョン・フリーで画像の質は良好だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:45コメント(0)トラックバック(0) 

2015年09月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ベルギーのトラヴェルソ奏者で、ヨーロッパ古楽界を担うクイケン3兄弟の1人バルトールド・クイケンがカナダのピリオド・アンサンブル、アリオンを指揮したバロック組曲集で、2001年にケベックで録音されている。

演奏曲目はいずれもバロック盛期の作曲家4人の管弦楽のための組曲で、このうちヨハン・ベルンハルト・バッハ(1676-1749)の組曲ト短調はヴァイオリン・ソロ、そして大バッハの管弦楽組曲第2番ロ短調はトラヴェルソ・ソロが加わるが、バロック・ヴァイオリンはコンサート・マスター、シャンタル・レミヤール、トラヴェルソはクイケン門下のクレール・ギモンが受け持っている。

この曲集の選曲の面白いところは、17世紀末にルイ王朝の宮廷でリュリを中心とする作曲家達によって形成されたオペラやバレエ用序曲付管弦楽組曲が、ドイツでどのように発展したか俯瞰できることで、勿論ここに収録された4曲は総てがドイツ人の作品になる。

もうひとつ興味深い点はバッハ・ファミリーから大バッハと彼の又従兄ヨハン・ベルンハルトの曲を採り上げたことで、同時代の作曲家としてお互いに影響しあった彼らの作風と、その違いも明瞭に表れている。

近年の研究では大バッハのロ短調組曲は、当初トラヴェルソではなくヴァイオリン・ソロで構想されたという説もあり、その意味でも比較の対象に相応しい選曲だろう。

全曲とも符点音符でアクセントを強調した序奏と速いフガートが交替する、いわゆるフランス風序曲に続く舞曲を中心とする個性的ないくつかの小曲によって構成されている。

バルトールド・クイケンが自ら指揮をした曲はそれほど多くない筈だが、流石に若い頃からグスタフ・レオンハルトの下で豊富なアンサンブルの経験を積んだだけあって、解釈が手堅くやはりネーデルランド派の古楽様式を引き継いでいるが、それぞれの曲の個性も充分に引き出している。

J.S.バッハの管弦楽組曲第2番でのクレール・ギモンの飾り気のない清楚なトラヴェルソにも好感が持てる。

クイケン兄弟が要になるラ・プティット・バンドは2012年に大バッハの管弦楽組曲全集の2回目の録音を果たし、そちらではクイケン自身がトラヴェルソを吹いているが、速めのテンポでシンプルな解釈はこのCDの演奏に近いものになっている。

アトマ・レーベルのCDの音質は極めて良好で、録音会場になったサントギュスタン教会の豊かな残響の中にも古楽器の鮮明な響きを捉えている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:53コメント(0)トラックバック(0) 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ