バッハ

2022年08月09日


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ウィーン原典版でのこの曲集が見当たらないので、買ってみたが初心者にはお薦めできない。

バッハの鍵盤音楽を習う人の入門曲集はインヴェンションの15曲だが、一通り弾けるようになったらこの4曲のデュエットに挑戦してみるのも良いだろう。

名前の通り完全な2声部で書かれているが、インヴェンションが見開きの2ページなのに対して、この作品は4ページあり展開部が充実していることと、それに伴う転調が頻繁にあり、両手の指の独立した自由自在な動きが求められている。

この原典版には運指が付いていないので、入門者にとってはかなり指使いに苦労することになる。

最低限の運指番号は必要だ。

楽譜自体は新バッハ全集に準ずる解釈なので、充分信用できる。

ただし自筆譜の写真や詳細な解説は省略されている。

またウィーン原典版やベーレンライターの叢書版に比べるとコストパフォーマンスが高いのが特徴で、ごくわずかにセピア調の紙にプリントされた楽譜は見やすい。

紙質がやや薄く、頻繁にめくったり、折り目を付けると傷みやすいので練習の時にはコピーが不可欠だろう。

この4曲を含めたイタリア協奏曲、フランス風序曲及びゴールトベルク変奏曲を一巻にまとめた運指番号付きのヘンレー版がリリースされている。



これから購入される方にはこちらをお薦めしたい。

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2回に亘ってリリースされたヒラリー・ハーンの無伴奏を纏めたセットで、SHM-CDバージョンになる。

従来盤に比較して若干音色が明るくなり、艶やかさが増している。

ヒラリー・ハーンは1997年18歳の時ににCDデビュー(ソニー)を飾り、そのデビュー盤がバッハの無伴奏作品(ソナタ第3番、パルティータ第2番&第3番)だったが、残された3曲(ソナタ第1番&第2番、パルティータ第1番)はレコーディングを先送りにしていた。

このデッカからリリースされた『ヒラリー・ハーン・プレイズ・バッハ』をもって、実に20年の時を経て『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』全曲が完成することになる。

デビューからの約20年間でヒラリー・ハーンの音楽性は深化の一途を辿った。

レパートリーを広げ、ヴァイオリン協奏曲の王道的な作品を発表しながら、現代作品に至るまで広く取り上げる現代屈指のヴァイオリニストになった。

2003年にドイツ・グラモフォンに移籍した後は、グラミー賞2度受賞(ソニー時代にも1回受賞)を果たすなど、更に磨きの掛かった技術と音楽性で人々を魅了してきた。

今回デッカから発表されるバッハ・アルバムは、これまで歩んできたおよそ20年という歳月を振り返りながら初心に立ち戻り、新たな世界への一歩を力強く踏み出さんとする確かな意思を感じ取れる、研ぎ澄まされた音色に満たされている。

20年ぶりの解釈の変化を知るためにデビュー盤との聴き比べをしてみたが、当時の颯爽としたフレッシュなイメージを残しつつ、更に洗練味を増した、潔癖とも言うべき完全主義的なスタイルを創り上げている。

20年前の長丁場シャコンヌを含むパルティータ第2番や大規模なフーガを持つソナタ第3番とは多少趣味を変えて、ヴァイオリンを流麗に歌わせながら、ポリフォニーの綾を精緻に紡ぎだすことへの接点を追究した奏法を開拓している。

それぞれの作品の解釈はデビュー当時と大差はなく、恣意的な表現はできるだけ避けて、バッハの音楽が直接鑑賞者に伝わる演奏だ。

それゆえごく個性的な無伴奏を期待した人には当て外れかも知れないが、あくまでもオーソドックスの道を踏み外すことなく、その上に自己のスタイルを築いていくのは安易な道を選択しないハーンの矜持だろう。

その意味でもここに完結したバッハの無伴奏全曲は、彼女の到達したひとつの境地を示している。

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2022年08月07日


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合唱の粗さや歌唱法の古めかしさなどはさておいて、ここに聴くシェルヘンの解釈には驚くべきものがある。

「人間はいかにあるべきか」という究極の問いが、シェルヘンを衝き動かす原動力。

カント、ルソーらの啓蒙思想に傾倒したシェルヘンは、ロマン主義より一段上の「真の人間性」の回復を願い、「宇宙の法則」を確信していた。

また、数学も愛したシェルヘンにとって、幾何学を音にしたようなバッハはまさに理想の音楽だった。

だから、聴き手の情に訴える、という安易な道を選ばず、作品の構造を明らかにすることを身上とする。

ただ、それを実現しようとする情熱は、常軌を逸していた。

理想の追求に性急な余り、楽員を度々怒鳴りつけた(唯一、不足するのは「思いやり」「寛容」だろう)。

人類最高の宗教音楽《マタイ受難曲》に臨む、シェルヘンの姿勢はまことに高潔そのものである。

音の古さ、時代がかったコーラスを超えて、シェルヘンの掲げる眩しい理想を受け取りたいものだ。

彼らしいエキセントリックな面こそさほど前面には出ていないが、それでも、突き放したような厳格さから思い入れを込めたロマン的な表情付けや表現主義的な鋭さに至るまで、多様自在なアプローチのうちに全体を構築していく様は全く独自のものだ。

イエス捕縛後の合唱付き二重唱アリアのように急速な切迫感を示すと思えば、悠久さを感じさせるまでの終結合唱のように異常に遅いテンポを取ったりなど、テンポの幅も極端。

雄弁なコラールの意味付けも興味深く、一見時代がかったような歌唱もシェルヘンの意図に沿ってのことなのかもしれない。

テキストの内容を生々しく語るオーケストラ、常にアンサンブルの一員として作品に奉仕する声楽陣の姿勢も爽やかで、まさに音楽の前に謙虚なシェルヘンの生き方の反映と思われる。

しかし、これから《マタイ》を聴く、という人には、時空を超越した決定盤であるリヒターの旧盤が推薦盤であることに変わりはない。

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インスブルック盤は、有名なセッション録音盤と較べ、テンポの緩急や表情の起伏が大きく、トータル・タイムが約19分も短いという、実演ならではのテンションの高いものとなっている。

躍動感にあふれ、曲によってはすごいスピード感でフーガを刻み込む一方、前奏曲ではときに沈潜し、ときには澄明な明るさを見せて、表情豊かで太い流れを生み出し、巨大な連続性を感じさせてくれる演奏は実に感動的だ。

オリジナル楽器による演奏が顕著になってきた20世紀末にあっても、1世紀前のブゾーニ以来変わらず、依然としてピアノで弾く『平均律』の演奏は好まれている。

それがこの曲集の持つ底なしの可能性の一面をのぞかせている。

同じく現代ピアノによるグールドやシフ、ニコラーエワといった名演もあるが、リヒテルのものは全編を徹底したロマン的詩情で貫いており、20世紀最後の巨匠的ピアニストの偉業としても残るものだろう。

ソフト・フォーカス的な録音によって掻き消されてしまう声部の明確な分離も、この圧倒的な詩情の前では些事としか映らない。

バッハが前奏曲とフーガという組み合わせの中に実に多様な表現と感情移入を可能としていたことを、リヒテルは明らかにしている。

それだからこそ、その作品は芸術として大きい。

ここでのリヒテルを、抒情的に流れすぎていると思う向きもあろう。

だが、そのために無味乾燥を避け、聴き手の心に長く残る演奏芸術となった。

リヒテルが生命体とした『平均律』から私達はすばらしい音楽体験が味わえる。

それは20世紀後半に好まれたバッハ演奏の、ひとつの典型を示していると言えよう。

リヒテルはここで、広いコンサートホールや大聖堂ではなく、修道院の付属教会を演奏会場に選んでいる。

当時58歳のリヒテルはコンディションも絶好調だったようで、驚くべき集中力でバッハの長大な作品を音にして行く。

それまでの『平均律』連続演奏会や入念なセッション・レコーディングで、この大作に深く取り組んできた後だけに、ゆるぎない確信に満たされたかのようなアプローチには凄いほどの説得力が備わっている。

考えてみれば大ホールでの演奏のときも極限まで照明を落とすリヒテルのことであるから、演奏の際に周りの環境が及ぼす影響も決して小さくはないだろうし、だからこそここでの演奏にそうした環境面での良い影響が現れたのだとも言えるのではないだろうか。

プロデューサーは指揮者でもあるオトマール・コスタと、ピアニストでもあるテオ・ペーア、エンジニアはクラリネット奏者でもあるハンス・ヒムラーというチームにより、教会でのライヴ録音ながら、すっきり明晰で聴きやすいサウンドに仕上がっているのが嬉しいところ。

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2022年07月20日


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最近では、ベートーヴェンを通り越してロマン派の作曲家にまで広がりつつある古楽器奏法やピリオド楽器による演奏であるが、バッハについては、そうした演奏様式が既に主流となっていることについては論を待たないであろう。

しかしながら、かかる演奏様式が芸術的であるかどうかは別問題であり、聴き手を驚かすような演奏はあっても、芸術的な感動を与えてくれる演奏というのはまだまだ少数派なのではないだろうか。

ブランデンブルク協奏曲は、かつてはフルトヴェングラーやクレンペラー、カラヤンといった大指揮者が、それこそ大編成のオーケストラを使って、重厚な演奏を繰り広げていた。

古楽器奏法やピリオド楽器による演奏様式が主流となった今日において、これらの重厚な演奏を聴くと、影響力のある評論家などは大時代的な演奏などと酷評しておられる。

しかし、昨今の浅薄な演奏の数々に接している耳からすると、故郷に帰った時のような安らいだ気持ちになり、深い感動を覚えることが多い。

むろんバッハの権威、カール・リヒター盤も立派で崇高な名演であり、未だもって評価は高い。

こうしたことからすれば、バッハの演奏様式についても、現代楽器を活用した従来型の演奏を顧みるべき時期に来ているのかもしれない。

そうした機運の更なる起爆剤になりそうな録音こそが、本盤に収められたアバドによる素晴らしい名演であった。

アバドの下で演奏している各独奏者や、モーツァルト管弦楽団のメンバーは、いずれも前途洋々たる将来性がある若き音楽家たちだ。

そうした若き音楽家たちが、現代楽器を使用して、実に楽しげに演奏を行っており、そうした音楽家たちの明るく楽しげな気持ちが音楽を通じて聴き手に伝わってくるのが素晴らしい。

本演奏には、フルトヴェングラーなどによる演奏が有していた重厚さはない。

他方、古楽器奏法やピリオド楽器による演奏が陥りがちな軽佻浮薄な演奏にも堕していない。

いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

アバドは、大病を克服した後は、音楽に深みと鋭さが加わり、皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督を退いた後は、大指揮者という名に相応しい数々の名演を成し遂げてきた。

本演奏では、若くて将来性のある音楽家たちをあたたかく包み込むような滋味溢れる指揮ぶりが見事である。

ブランデンブルク協奏曲を番号順ではなく、ランダムに並べた配列もなかなかにユニークであると評価し得る。

録音も鮮明であり、本名演を素晴らしい音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2022年07月14日


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従来の普及盤と比較試聴してみた印象と音質の差を簡単に記したい。

この3枚組のCDセットにはカール・リヒターの指揮するバッハの『ロ短調ミサ』及びカンタータ第147番『心と口と行いと生活』の2曲が収録されている。

どちらも1961年のセッションで、オリジナル・マスターの質自体が優れているために劇的な変化とは言えないが、今回のリマスタリングのメリットは明瞭に感知できる。

全体的な音場がやや広がりそれぞれの楽器やコーラスの解像度が高まった結果、音像がより立体的になってステレオ録音の効果が従来のCDを上回っている。

初期のステレオ録音ということもあって、これまでのCDではこうした大編成の楽曲の総奏部分になるとコーラスとオーケストラが渾然一体となって、ひとつの音塊のように再生されていたものが、ここでは各楽器間並びにコーラスの各パートの独立性も明確になっているし、定位も保たれている。

高音の伸びも良くなっているが、特定の音域が突出することのない、バランスのとれた非常に音楽的なリマスタリングであるように思える。

リマスタリングに関しては、どういったテクニックを使ったかは明記されていないが、テクニック以上にエンジニアのその演奏に対するポリシーが一貫していることが望ましい。

またこうした歴史的な古い音源には常に音質改善のための試行錯誤が不可欠だろう。

その意味でこのシリーズのリマスタリングは成功していると言える。

いたずらにSACD化して価格を吊り上げるよりも、レギュラーCDフォーマットでの改善の余地を示した努力を評価したい。

リヒターによる『ロ短調ミサ』には、ほかにも1969年5月に東京文化会館で行われた来日公演時の実況録音盤に、その4カ月後の1969年9月、クロスター教会で収録された映像作品など、いくつものすぐれた演奏内容が存在する。

いずれもリヒターのバッハ演奏特有の、そのあまりにも厳しく美しい佇まいに抗いがたい魅力が共通するなか、やはり最終的には、この1961年盤に行き着いてしまう。

まさに半世紀以上の時を経てなお、不滅の遺産として特別の輝きを放ち続けている。

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2022年07月07日


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亡くなって既に10年になるグスタフ・レオンハルトだが、彼が古楽演奏史に遺した貢献は計り知れないものがある。

彼はチェンバロ及びオルガンの演奏家であるだけでなく、また音楽学者でもあり、楽譜の検証や校訂などによって当時まだ確立されていなかったピリオド楽器による奏法を決定的に導き出し、コンサートや数多くのレコーディングで研究の成果を披露した。

教会の中で厳然と歴史に耐えたオルガンに比べ、チェンバロはモーツァルト以降廃れ始め、19世紀には博物館の一角を飾る調度品に成り果て、修復せずに使用できるものは皆無に等しい状態だった。

しかし20世紀に入って楽器職人はおろか修復職人も絶えてしまい、言ってみれば便宜的に作られた金属フレーム製のモダン・チェンバロとは音色に雲泥の差がある。

レオンハルトはこうしたヒストリカル楽器の魅力を充分に引き出した演奏を、当時の演奏習慣や奏法によって再現したパイオニア的存在だったと言えるだろう。

このディスクで実際の演奏に使われている3台のチェンバロはいずれもニュルンベルク、ゲルマン国立博物館所蔵のオリジナル・ヒストリカル・チェンバロである。

最初の四曲がカルロ・グリマルディがイタリア・メッシーナで1697年に製作したものになる。

続く5曲はベルギー・アントワープの名匠アンドレアス・ルッカースの手になる1637年製で、3台の中では最も古い楽器だ。

しかし音色はバロック特有の潤沢な余韻と深い味わいを醸し出している。

そして最後の5曲はカール・アウグスト・グレープナーが1782年にドレスデンで製作したチェンバロになる。

それぞれ音色と音量、ストップや機能が異なることが聴き取れる。

1969年録音のやや古い音源だが、96Hz/24bitリマスタリングによって音質はかなり良い状態で再生される。

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2022年06月30日


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このようなアルバムこそは、人類の至宝とも言うべきなのであろう。

バッハの数あるピアノ曲の中でも聖書とも言うべき平均律クラヴィーア曲集には、これまで古今東西のあまたのピアニストがこぞって録音を行ってきているところだ。

もっとも、あまりにも長大な作品であるだけに、没個性的な演奏では聴き手が退屈してしまうことは必定である。

ピアニストにとっては、自らの持ち得る実力や個性、そして芸術性を最大限に発揮することが求められるという、極めて難しい作品とも言える。

海千山千の競争相手が多いだけに、なおさら存在価値のある演奏を成し遂げることが困難ともいうことができる。

本盤に収められた1970年代初めに録音されたリヒテルによる演奏こそは、諸説はあると思われるものの、筆者としては、バッハの平均律クラヴィーア曲集のあらゆるピアニストによる演奏の中でも、トップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫りの深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開している。

加えて、単調な演奏には陥ることなく、各曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりであり、十分に個性的な表現を駆使している。

それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。

要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、バッハへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。

個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。

したがって、同じロシア人でもアファナシエフのような極端な解釈など薬にしたくもない。

演奏の様相はむしろオーソドックスな表現に聴こえるように徹しているとも言える。

このような至高の高みに達した凄みのある演奏は、もはやどのような言葉を連ねても的確に表現し尽くすことが困難である。

まさに筆舌には尽くし難い優れた超名演ということができるので、未聴の方はネット配信で聴いてみられることをお薦めする。

いずれにしても、本演奏こそは、バッハの平均律クラヴィーア曲集の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

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2022年06月07日


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これはたいそう独自な存在感をもったアルバムだ。

バッハが後世に遺した最も驚くべき金字塔のひとつ、BWV1001〜1006に関しては、ほとんどあらゆるレコードを聴き味わってきたつもりであるが、その中で最も奏者の、ひいては人間の“心の声”を実感させてくれた演奏と言えば、それはシゲティのものにほかならない。

とはいえ、本盤の演奏内容は、たぶん、評価が極端に分かれる結果となるだろう。

音は必ずしも美しくなく、ときにきつくなる要素を含んでいるし、テクニックも今日のレヴェルからすると必ずしも完璧といえるほどのものではなく、加えて録音も硬調でもう少し潤いといったものがほしい。

しかしながら、ここでシゲティがバッハの音楽に対して示す強い求心力は、今もって感動的である。

高い志をもちながら、妥協することなく、ひたすらバッハの音楽の核心に迫ろうとするシゲティのひたむきさ、深く、鋭い表現力は聴き手の心を強くとらえてやまない。

音楽に精神主義というものがあるならば、さしずめシゲティはその代表といえるだろう。

とくに晩年の演奏はその比類のない集中力の強さで、その強靭な演奏は触れれば切れるほど鋭く、率直に作品の本質に迫ろうとする姿勢が、聴き手を説得せずにはおかない。

このバッハはそうしたシゲティ67〜68歳時の傑作と言える。

これらの曲を発掘して、その素晴らしさを現代人に教えた当人の演奏だけに、晩年近づいてからのシゲティの録音のなかでは技巧の衰えも比較的目立たない。

この6曲はあらゆる音に燃える気迫があり、深い意味と心情の表出がある。

たんなる表面的な美感を越えた、内部から語りかける音楽である。

ひたすらバッハの音楽の核へと踏み込んでいこうとするシゲティの気迫には、今日の多くの演奏家らが失ってしまったような、ただならぬ説得力があると言えよう。

つねにすらすらとよどみなく、万人の耳に快い、力強くまろやかな音色で語るのが雄弁術の極意だという。

だが、人間が己れの内奥の真実を世に告げるために、そのような雄弁は果たして必要なのだろうか? 本盤の演奏を聴くたび、改めてそう思う。

自分が信ずる牴山敕真実瓩鯢集修靴茲Δ箸垢襯轡殴謄の弓と指は、表面的な完全さや洗練を目指さない故にこそ貴い。

このことを把握して聴くなら、シゲティの音と表現の意味深い猗しさ瓩呂泙気靴非凡なものだ。

ここでは、1フレーズ、1音が、それこそ魂から出た言葉として響き、その“意味”を伝えるためにこそヴァイオリンは鳴っている。

いったんそのことに気づき、その“言葉”がわかると、シゲティの音を「きたない」などとする批評が、いかに皮相なものにすぎないか、よく理解されよう。

技術的には押しなべて高くなり、録音もよくなったにもかかわらず、聴き手に強い感動を与えるようなバッハと接する機会が著しく少なくなってしまった今日だからこそ、あえて当シゲティ盤に最注目する価値は高まっていると言えよう。

もちろん、技術面の完全さは音楽に必要だが、稀にはそれを超える感動も、たしかに存在する。

もとより、視点や趣味により評価はまちまちであろうが、これほど心を打つ演奏、心の奥底に訴えかけてくる演奏は稀だ。

彼以後に、もうこのようなバッハはない。

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2022年06月06日


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2005年にローマのファルネーゼ宮殿で録音された6曲のブランデンブルグ協奏曲集は過去のどの同曲集よりも音質に優れている。

特に多くのソロ楽器が活躍する1、2、4及び5番の各楽器の独立した定位感が臨場感に溢れる音響空間を提供してくれる。

肝心の演奏についてだが、期待に違わぬ快演で、この曲集のイタリア的性格をもっともよく表した演奏・録音になっている。

ピリオド楽器使用であるにも拘らず指揮者リナルド・アレッサンドリーニの溌剌とした生気に漲った解釈で決して古臭さを感じさせないのが特徴だ。

イタリア人の中でもリズムの闊達と覇気ではピカイチのアレッサンドリーニだけに、聴き慣れたはずのブランデンブルグ協奏曲から、驚くばかりの弾ける喜びを見事に引き出している。

ドイツ風のゴツゴツした演奏とはもちろん別物、作為丸出しでガリガリと弾いた演奏とも違い、生命力の喜びに溢れ、イタリア的美感も極上だ。

ファビオ・ビオンディと一緒にやっていた頃のアレッサンドリーニそのままの、言葉の正しい意味でアレグロな演奏である。

色彩的であり1音1音が輝いて目に見えるようで、速いテンポで快適に運び、ヴィヴァルディの影響をバッハの世界へ導かれたように感じられる。

例えば第1番ヘ長調では2本の狩猟ホルンの音色をを強調した鮮やかで力強い表現が見事だ。

第2番ヘ長調は目の覚めるようなバロック・トランペットと掛け合うヴァイオリン、オーボエそしてブロックフレーテの軽快で明瞭な響きが曲を貫いている。

チェンバロ・パートは通奏低音も含めて総てアレッサンドリーニ自身が担当している。

第5番ニ長調の第1楽章後半部のチェンバロ・ソロによる長大なカデンツァと、別トラックにバッハ初稿の短い方のカデンツァも収録してあり聴き比べができる。

更に第3番ト長調から弦9声に、ホルン、オーボエを加えるなどして15声部の華やかな音楽へと管弦楽用に編曲されたカンタータBWV174のシンフォニアも付け加えられている。

尚、パッケージメディアを選択されるのであれば、ボーナスDVDにはファルネーゼ宮殿における彼らのリハーサルと録音風景及び指揮者へのインタビューがフランス語とイタリア語で収められている。(字幕スーパーは英、独、伊語)

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2022年06月03日


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この2枚のCDはC.Ph.エマヌエル・バッハのオブリガート・チェンバロ付のフルート・ソナタ全曲集で、ここには10曲が収録されている。

そのうちの2曲、変ホ長調及びト短調はBWV番号が付された、かつては大バッハの作として考えられていたものだ。

C.Ph.エマヌエルはこの他にチェンバロのパートを書いていない、いわゆる通奏低音付のフルート・ソナタを11曲ほど残している。

そちらの方もクイケンは2006年にデメイエールと録音しているので、無伴奏ソナタイ短調を含めて彼の真作と考えられる総てのフルートのためのソナタ集が完成したことになる。

クイケンはまた最近インテグラル盤としてバッハの他の息子達の同曲集もリリースしている。

このセットもバッハ・ファミリーに寄せる彼の並々ならぬ愛着と情熱が感じられる演奏だ。

全体の印象としては、通奏低音から解放された軽快さが支配的で、実質3声で書かれていても、事実上ソロ・ソナタの様相が強く出ている。

それはクイケン自身がこれらの作品を古典派のソナタの萌芽として捉えているからだろう。

言ってみれば対位法作品というよりは、むしろギャラント様式の装飾性を強調している。

彼は高音が軽やかなA.グレンザー・モデルを使っているが、こうした楽器の選択もその傾向を助長している。

チェンバロの両手のパートをくまなく書き込むことを始めたのは大バッハであり、彼は特に右手を他の楽器に換えることが殆んど不可能と思えるほど、鍵盤楽器特有の音域とテクニックを大胆に駆使しているのが特徴だ。

彼の息子の時代には左手が単純化される傾向にあり、和音伴奏に近づいている。

仕様楽器はクイケンのトラヴェルソがアウグスト・グレンザーのワン・キー・モデルで、一方ヴァン・アスペレンの弾くチェンバロは二段鍵盤のミートケ・モデルでピッチはa'=415。

全曲とも1996年の録音だが、20bitハイ・デフィニション・サウンドと銘打ってあるだけあって極めて鮮明な音質だ。

ライナー・ノーツは29ページで英、独、仏、伊語のかなり詳細なクイケン自身の解説が掲載されている。

そこではト短調ソナタの作曲者についても言及していて、彼の推測ではこの曲はC.Ph.エマヌエル少年期の習作で、大バッハがそれを手助けした一種の共作ではないかということだ。

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2022年05月11日


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バッハの殉教者フリッツ・レーマンはバッハ音楽録音史に燦然と輝く快挙を成し遂げている。

《マタイ受難曲》のカットなしの史上初の完全録音盤は、レーマン、ベルリン放送交響楽団&合唱団、そして、結果的にこのレコーディングがデビュー作となった当時23歳のディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがイエス役を務めた1949年4月のライヴ盤なのである。

あたかも指揮者レーマンのスピリットが演奏者全員に乗り移ったかのような気迫に満ちた、バッハの最高傑作の名に恥じない《マタイ受難曲》だ。

この曲をより器用に、それらしく表現した演奏は他にも存在するが、キリスト受難のエピソードを単なる絵空事に終わらせず、のっぴきならない生きたドラマとして描き出した例は非常に少ない。

レーマンのバッハ、特に《マタイ》はバネのきいたリズムを特徴としている。

ともすると、懶惰に陥りがちなわたしたちを励起させるリズムだが、決して押し付けがましくはない。

どうしても、そのリズムの勢いに突き動かされ、ついて行きたいと思わずにはいられぬ躍動感に満ちている。

そして、それはあるひとつの目標に向かって、ともに心を合わせて前進してゆくときの一体感を掻き立ててくる。

この目標は、神との出会いを目指しているのは言うまでもなく、神の存在をフィジカルに体得するリズムとでも言おうか。

その時、わたしたちは人間が霊的な存在だと知り、この霊的なリズムに乗ると、誰もが超越的な空気に触れ、物質的な欲望がいかに卑小で、ともに同胞であることが、すべてに優るよろこびだとわかる。

それが神とともにあるという意味だが、その意味が今日忘れられている。

というよりもすでに経済の高度成長期の1970年代に、わたしたちはレーマンが望んだのとは別の生き方に引かれはじめた。

株価の変動に一喜一憂し、金勘定に忙しいわたしたちは、レーマンの《マタイ》にもう一度立ち返って、心を問い直す必要があるのではないか。

ソリスト陣にも作品の核心を突くことのできる歌手たちを起用しているのも聴き所だ。

たとえばエヴァンゲリストを演じるヘルムート・クレプスの迫真の絶唱はこの受難を書き記したマタイ自身が直接この物語の中に入り込んで、聴き手に切々と訴えかけてくるような説得力がある。

コーラスにおいても洗練された和声的な美しさよりも、むしろ劇的な感情の表出と状況描写に最重点が置かれているのも特徴的だ。

レーマンのバッハはオリジナル楽器や当時の歌唱法を用いたいわゆる古楽としての再現ではない。

あらゆる様式を超越してしかも作品の本質に触れることのできる稀に見る演奏として高く評価したい。

1956年3月30日、聖金曜日、レーマンはミュンヘンで《マタイ受難曲》公演の第一部を終え、楽屋で休憩中に急逝した。

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2022年04月15日


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リナルド・アレッサンドリーニはコンチェルト・イタリアーノを率いたピリオド・アンサンブルの指揮者としては、モンテヴェルディのマドリガルの体系的な録音などかなりの枚数のCDをリリースしている。

彼のチェンバリストとしての腕前は既に『ブランデンブルク協奏曲』第5番のソロで披露されている。

チェンバロ・ソロ・アルバムとしては前回のバッハの小プレリュードと小フーガ集を中心とした1枚に続く2枚目になる。

しかも大曲『平均律』ではなく際物を扱ったところに肩透かし的なアイデアが感じられる。

しかし丁寧に弾き込まれた曲集は1曲1曲がバラエティーに富んだ個性を主張している。

このディスクのように幾つかの異なった調性の前奏曲とフーガを注意深く連続させると『平均律』にも劣らない立派なクラヴィーア曲集が出来上がってしまう。

アレッサンドリーニはこうしたところにも着目していると思われる。

今回もいくらか際物的な選曲で、予備知識がないと、取り留めもないアルバムのように見える。

バッハが作曲する際に常に念頭に置いていた調性について研究した1枚であることが理解できる。

当時はそれぞれの調が独自の性格を持っていて、曲想に合った調性が人の感性により強く訴えると考えられていた。

このアルバムではイ短調、ニ短調、ハ短調の3つの調の作品をグループごとに集めているところに特徴がある。

アレッサンドリーニの解釈と演奏は個性的ではないが、普遍的な美しさがある。

ただ調性云々についての考察はいくらか専門的で、どちらかといえば玄人向けのアルバムかも知れない。

今回の使用楽器はJ.D.デュルケンが1745年に製作したオリジナルからコピーしたもので、余韻が長く深みのあるややダークな音色に魅力がある。

バッハは長男フリーデマンを始めとする生徒達のために教育用の作品を少なからず作曲している。

しかしバッハ自身が言った最高の教材は最高の芸術作品でなければならないという言葉を証明するように、こうした小曲にもそれぞれに固有の高い音楽性が備わっていることも確かだ。

a'=400Hz程度の低いピッチを採用しているために豊潤で落ち着いた響きが得られている。

2019年にローマの新アウディトリウムで録音されたもので音質は極めて良好。

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2022年04月08日


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リナルド・アレッサンドリーニのチェンバロ・ソロによるバッハ・アルバムとしては最初の1枚だが、彼は選曲に常に拘っている。

スタンダードな曲目を並べるのではなく、このアルバムではバッハがイタリアからどのような影響を受け、それを如何に自身の作品に反映させたかが理解できるように構成されている。

バッハの現存する最初期の作品のひとつが『最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ』で、この曲のタイトルのオリジナルはイタリア語で記されている。

しかし曲想や様式にはそれほどイタリア的な要素はなく、むしろ当時ドイツでも注目されつつあったイタリア音楽への敬意が込められているのかも知れない。

バッハは生涯ドイツから出なかったが、アムステルダムで出版されたイタリアの作曲家の作品を殆ど総て知っていたようだ。

それはその後のヴィヴァルディ風の楽章構成、多くのイタリア作品の編曲などにその熱心さが窺える。

バッハは特に単純明快な楽章構成と効果的な和声進行、そしてヴァイオリン奏法に代表される即興的で自由な歌心を学んだ。

ここに収録されている『イタリア様式によるアリアと変奏』BWV989にその成果が顕著だ。

『半音階的幻想曲とフーガ』の演奏家にある程度解釈の自由を残したアルペッジョなどにも意外にイタリア的傾向がみられる。

使用楽器は古楽器製作者のアンソニー・サイディが1995年にパリでコピーしたものだ。

オリジナルはゴットフリート・ジルパーマン・スクールによる1740年頃のドイツのチェンバロで、5オクターヴずつの2段鍵盤を持ち気品のある音色と潤沢な余韻が特徴。

音質は極めて良好。

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2022年04月02日


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バッハの無伴奏チェロ組曲はあらゆるチェリストにとっての聖典とも言うべき不朽の名作であり、本盤のカザルスによる演奏を嚆矢として、錚々たるチェリストが数々の演奏を遺してきている。

カザルスによる本演奏は1936〜1939年のSP期の録音であり、その後に録音された他のチェリストによる演奏と比較すると音質は極めて劣悪なものである。

そして、単に技量という観点からすれば、その後のチェリストによる演奏の方により優れたものがあるとも言えなくもない。

演奏スタイルとしても、古楽器奏法やオリジナル楽器の使用が主流とされる近年の傾向からすると、時代遅れとの批判があるかもしれない。

しかしながら、本演奏は、そもそもそのような音質面でのハンディや技量、そして演奏スタイルの古さといった面を超越した崇高さを湛えている。

カザルスのまさに全身全霊を傾けた渾身のチェロ演奏が我々聴き手の深い感動を誘うのであり、かかる演奏は技量や演奏スタイルの古さなどとは別次元の魂の音楽であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みがある。

その後、様々なチェリストが本演奏を目標として数々の演奏を行ってはきているが、現在においてもなお、本演奏を超える名演を成し遂げることができないというのは、カザルスのチェロ演奏がいかに余人の及ばない崇高な高峰に聳え立っていたのかの証左である。

ときに気まぐれな天使が頭をもたげ、「もうカザルスは忘れてはいいのでは。フルニエ、シュタルケル、マイスキーがあるじゃないか」と呟く。

だが、それは一時の気の迷いであり、満たされない心、音楽とのほんとうの対話をしたいと願う心は常にカザルスへと帰り着く。

このディスクの価値は、スタイルや技術や世代を越えて存在する音楽の普遍性を教えてくれる点にあり、聴き手と音楽との関係を原点に振り戻し、憩わせ、勇気づけてくれる。

いずれにしても、カザルスによる本演奏は、バッハの無伴奏チェロ組曲を語る時に、その規範となるべき演奏として第一に掲げられる超名演であるとともに、今後とも未来永劫、同曲演奏の代表盤としての地位を他の演奏に譲ることはなく、普遍的価値を持ち続けるのではないかとさえ考えられる。

前述のように、本演奏は音質面のハンディを超越した存在であるが、それでも我々聴き手としては可能な限り良好な音質で聴きたいというのが正直な気持ちである。

新たに行われたリマスタリング盤は、かなり聴きやすい音質に生まれ変わったところである。

いずれにしても、カザルスによる歴史的な超名演を、新リマスタリングによる比較的良好な音質で味わうことができるのを歓迎したい。

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スイスの巨匠エドウィン・フィッシャーはバッハ演奏の先進的存在で、SP30枚を越す録音を遺している。

特に《平均律クラヴィーア曲集》第1巻、第2巻はレコード史上初の全曲録音ながら、名演として今日に語り継がれてきたものだ。

バッハの《平均律クラヴィーア曲集》をハンス・フォン・ビューローはピアノ音楽の旧約聖書と呼んだが、1933年から36年にかけて録音されたフィッシャーによるこの曲集の録音は、正にビューローの呼び名にふさわしい音楽の世界が記録されている。

フィッシャーが47歳から50歳にかけての、ピアニストとして最も脂が乗った時期の演奏で、いまなお「平均律」の数多い全曲盤の中でも光彩を放っている。

古武士の風格というのがフィッシャーが弾く《平均律》を聴いての第一印象であった。

奥ゆかしさをたたえたこうした演奏、今では姿を消してしまい、接したくても接せられない状態が続いている。

かのカザルスより10歳年少で、同世代に属するだけに、音楽に対する姿勢、そしてなによりバッハに対する姿勢が相似ることになったのだと思われる。

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ここでのフィッシャーはバッハの音楽世界にごく自然に没入してゆき、その自然さでバッハをわれわれに近付ける。

すべての音に彼の情愛が注がれており、それが聴き手の心を豊かにするのである。

これこそ彼の《音楽》の真骨頂を示したものだ。

この《平均律》は、聴けば聴くほどフィッシャーの人間性に触れた思いが強くなり、親しみが増してくる。

グレン・グールドやリヒテル、最近ではアファナシエフやキース・ジャレット、シフらの興味深い録音もある。

しかしこのフィッシャーの生み出す深く美しい世界こそが、ドイツ音楽の巨匠バッハの普遍的な価値を代弁している。

人間の魂を思わせる美、絶対的な高みに達した精神世界の美がここにあり、この一組は人類の宝だ。

犒伸瓩砲呂泙辰慎ヽEな演奏が多くなった現在、ハンドメイドの味でもてなしてくれる当盤の価値は高い。

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2022年03月31日


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ピリオド楽器を使った演奏では第一線に位置するグスタフ・レオンハルトのマタイ受難曲は、新バッハ全集によっているが、期待を裏切らぬ名盤である。

レオンハルトのバッハへの永年の傾倒ぶりを如実に感じさせる演奏で、バッハ自身がライプツィヒのトーマス教会で演奏した最終稿をイメージさせるに充分な説得力と、手作りの魅力がある。

表現は常に地に着いており、広い奥行きを感じさせ、穏やかで落ち着きのある運びから「マタイ」の充実した内容がしみじみと伝わってくる。

カール・リヒターのマタイが起こりつつある悲劇的なドラマに深く食い入った表現とするならば、レオンハルトのそれは楽譜から総てを読み取った、バッハその人の宗教観を反映した解釈とでも言うべきだろうか。

それだけに作曲者の書法をガラス張りにして見せた誠実かつ素朴な再現は高く評価したい。

プレガルディエンのエヴァンゲリストは思い入れの無い、淡々とした中に、真摯な語り部としての役割を果たしている。

それは決して無味乾燥な徐唱ではなく、歌詞の意味合いを正確に辿った非常に知的で、しかも完璧なレガート唱法だ。

また2人のソプラノ・ソロをテルツ少年合唱団員から抜擢したことで、この受難曲でのより繊細で崇高な表現を可能にしている。

俗世の欲得から離れた、たおやかなボーイ・ソプラノの歌唱は理屈抜きに新鮮な感動をもたらしてくれる。

更にレオンハルトはコラールにおいてドイツ語のアクセントを強調した波打つような歌唱法を採用している。

これは既に親しまれていた、バッハ以前の古い旋律に新しい歌詞があてがわれる場合のアーティキュレーションを補う手段だが、またこの方法によってバッハが充当した絶妙な和声進行を聴き手に明瞭に感知させる。

クイケン、アンタイ両兄弟がかなめを押さえた器楽を担当するラ・プティット・バンドもこの曲の特質に忠実な再現を心がけたチームワークが秀逸。

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マタイ受難曲はJ.S.バッハの最高傑作、そして磯山雅(いそやま ただし、1946年4月30日 - 2018年2月22日)氏は日本におけるJ.S.バッハ研究の第一人者であった。

その磯山氏がマタイ受難曲と真っ正面から取り組んで、長大な受難曲のテキストを新しく訳出し、ひとつひとつの場面、ことば、フレーズに解説を付した成果が本書になる。

礒山氏のライフワークに相応しい高度な研究書であり、バッハのマタイ受難曲鑑賞の為のガイドブックとしても計り知れない理解と助言を与えてくれる。

文章は難解な術語もなく、一般向けに理解しやすく読みやすいものになっており、理解に難渋することのないのが特徴でもある。

しかも平易そのものの文章に盛り込まれた高度な内容は、愛好家から専門家まで幅広い読者を満足させるものだ。

礒山氏はマタイを構成する全68曲に自らの訳と解説、そして可能な限りの解釈を示し、参照楽譜の断片も多数掲載している。

本書を読み進めていくとバッハが如何に心血を注いでこの曲を作曲していったかという事を思い知らされる。

著者がバッハの最高傑作と言ってはばからない理由がそこにあり、またその説明にも説得力がある。

特に残された自筆譜から読み取る各場面の心理描写における調性の選択、そして形象や表象、数象徴については作曲家の天才的な、あるいは殆ど病的なまでの技巧が凝らされている事実には感動を禁じえない。

何故なら私達が実際の音楽を聴いてそれを総て感知できる為には相当の学習が必要だからだ。

つまりバッハは聴衆はともかくとして自分自身の為にこの曲を書いていたのではないか、という疑問さえ生じてくる。

興味深い逸話としては、当時のパート譜から判断される楽器奏者の持ち替え演奏だ。

経済的にオーケストラの人員を増やすことがままならなかった事情から、彼らもフルに活用されていた。

第1ヴァイオリンの奏者は持ち替えでブロックフレーテも吹いていたのだ。

尚最後に置かれた同曲のCD批評には、彼の正直で忌憚の無い意見が述べられていて、どの演奏を聴くべきか迷っている方には最良の手引きとなるだろう。

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2022年03月23日


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国際的バッハ研究家として著名なヘルムート・リリング自ら校訂に参加したベーレンライター新バッハ・エディションに基づく『バッハ大全集』は、ひたむきで誠実なアプローチと普遍的な演奏内容により、バッハ演奏の王道として高い評価を獲得してきた。

今日、「音楽の父」として、燦然と輝きを放ち続けるJ.S.バッハであるが、器楽作品の録音とは事情が異なる。

何しろ現存する200を超えるカンタータすべてを網羅したお手頃なセットとなると、選択肢が極端に限られてしまうので、このセットは広く重宝されるものと思われる。

バッハは教会カンタータを300曲近く作曲したと見なされているが、現存しているのは200曲ほど。

カンタータはプロテスタント教会での日曜日や祝日の礼拝式のなかに組み込まれ、演奏された。

リリングはバッハの教会カンタータの真作、計194曲を、作曲年代順に収めている。

LPの段階では100枚近い巨大なアルバムだったのが、CD化されたことでスリムになった。

それでもさらに世俗カンタータを加え71枚、手応えは並のものではない。

バッハの第一人者の一人リリングの、前半生の総決算と言えるだろうか(録音は1970〜80年代半ば)。

リリングの、隅々まで暖かさにつつまれた演奏は、15年にわたって録音されたバッハの教会カンタータ全集に代表されよう。

ラディカルでスタイリッシュな古楽器演奏に慣れた耳にとって、従来のリリングには微温的な印象があった。

しかし、あらためて聴いてみると、決して押し付けがましくない、安心して身を委ねることのできる音楽づくりは、彼の確立されたスタイルなのだと気が付いた。

手兵シュトゥットガルト・バッハ合奏団、ゲヒンゲン聖歌隊をはじめ、あまたの演奏家たちが共演しており、歌手のソロ・パートはベテランを主体に実力派ががっちり固めている。

全体に強い個性を発散する演奏ではないが、その分、ムラのない高水準の仕上がり。

現時点(2022年)で現代楽器によるバッハのカンタータ全集としては唯一のもので、今後もう現代楽器による演奏は考えにくいことから、買っておいて損はないだろう。

バッハ・イヤー(2000年)を迎えて22年、さらにぐんと値下げして再発売された。

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2022年03月18日


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ジョヴァンニ・アントニーニとイル・ジャルディーノ・アルモニコによるハイドンの交響曲全集には、このディスクにも示されているように古典的な交響曲の形成に至る時代の作品も多くカップリングされている。

バッハの息子たちの短い期間はいわゆる疾風怒濤の時代で、ここに収録されたフリーデマン・バッハのシンフォニア『不協和音』も良いサンプルだろう。

疾風怒涛の音楽の特徴は目まぐるしい転調、思いがけない展開や不協和音などがあげられるが、この『不協和音』の編成は弦楽器と通奏低音のみであることも、まだ交響曲の黎明期だったと理解できる。

バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハにもそうした傾向がみられるが、末っ子ヨハン・クリスティアンの作品には既にこうした不安定な曲想は消え去って、モーツァルトの出現を予感させるシンプルな安定感が感じられる。

1曲目の交響曲第46番ロ長調の終楽章は弦楽四重奏を髣髴とさせる軽快なパッセージが印象的で、ハイドンはそのジャンルでも重要な仕事を完成させている。

彼の交響曲と弦楽四重奏曲とは相関関係にあると言えるだろう。

また第22番変ホ長調『哲学者』にはイングリッシュホルンが使われている。

こうした試みにもハイドンの試行錯誤と音響的な実験があるようだ。

全曲に亘って激しいアクセントがつけられ、これまでになく鋭い強弱がつけられている。

テンポも速く強い推進力で音楽が生き生きと躍動しているのが感じられる。

明るく晴れやかな第1楽章は当然だが、各曲の第2楽章でも響きが研ぎ澄まされ、線的なメロディが強調されている。

空間の中にポツンと音が存在しているイメージで、密やかな孤独感があった。

そうしたやり方なので第2楽章や第3楽章では深刻な印象が強い。

第4楽章では密やかながら緊張感の高い弱音で始まり、存在感抜群だ。

強いコントラストとメリハリの効いた演奏はすべてがハッキリして気持ちいい。

繰り返しを忠実に実行していて、随所にいろんな仕掛けが見つけられて、アントニーニの遊び心も感じられる演奏である。

1曲だけ入っているフリーデマン・バッハの演奏だけ趣が違っている。

悲劇性が高く深刻な雰囲気が迫ってくる音楽は、陽気なハイドンからは感じられない印象だ。

どちらかと言えばモーツァルトに繋がっていく気がするが、この悲劇性が突き詰められて盛り上がっていくところまでは到達しておらず、それは時代がもっと進まないと得られない感覚なのだろう。

各楽章とも深刻なフレーズと穏やかなフレーズが交互に現れ、感情がの移ろいが感じられる。

終楽章がメヌエットになっていて、穏やかな雰囲気の中で終わる。

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2022年03月15日


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バッハの最高傑作と言えば、やはりその劇的で雄大なスケールから「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」を掲げるかも知れない。

また謎の多さが、イマジネーションを掻き立てるという意味から、「フーガの技法」こそ至上であると主張する人もいるだろう。

筆者もかつては、そのような1人だったかも知れないが、最近、エネスコ指揮による本盤を聴くに及んで、そんな主張は吹っ飛んだ。

本来演奏こそが、作品への評価を決定するのだという思いを改めて強くしたからである。

全4部から構成された長大なこのミサ曲が全曲通して演奏される必然性を意識したことなど、それまで決してなかった。

むしろ「クリスマス・オラトリオ」のように、ミサに応じて各部が演奏される、言わばミサ曲を集成した作品として、これまで聴いてきたように思う。

だが、エネスコの演奏は、作品各部の完成度の高さと、各部が築き上げる全体の普遍性によって、あたかも、ファン・アイクによるあのゲントの祭壇画を仰ぎ見るような作品の多様性と全体の統一、そして何よりも絶対的な偉大さをもって聴かせているようにも思う。

さて、その秘密とは一体どこにあるのか、まず第1は、そのテンポではないだろうか。

エネスコ自身、最晩年のフランス・デッカに録音した一連のバッハのピアノ協奏曲集のライナー・ノートで、テンポについての秘密を解き明かしている。

「できうる限り、不動のテンポを維持すること、和音の継起に付き従えるように急ぎ過ぎないこと、そして、曲の進行に応じて、曲と曲の間に常に確固たる均衡をできる限り維持することが肝要であろう」というのである。

そして第2の点、それは「バッハの旋律を演奏する場合、できるだけ明晰で論理的な表現法を探すこと、つまり旋律が対位法にあてはまる複雑な箇所を参照すること、そうすれば、対位法が道を開いてくれる」(エネスコ『回想録』 白水社刊)とエネスコ自身述べている。

そこには17歳の誕生日に、ルーマニア王妃カルメン・シルヴァから「バッハ全集」をプレゼントされ、「私は休暇を利用して没頭しました。それでもなおわずか150曲のカンタータしか読み終わることができませんでした」と、あまりにも控えめな回顧をしてエネスコが、独学の末にたどり着いたバッハの演奏法こそ、確固たるバックボーンとして存在したのである。

エネスコは、自身天職と考えた作曲家と、生活の自立のためのヴァイオリニストとの二重生活を送ったが、音楽の神の求めのためなら、指揮台にも上がり、ピアニストとしても活躍している。

幅広い活動で音楽に捧げ尽くしたその人生こそ、オルガニストであり、楽師長も務め、カントールに就いたバッハと、普遍的な活動において完璧な一致をみてとれないだろうか。

エネスコこそ20世紀最高のヴァイオリニストであることに、今日異議を唱える者はあるまい。

「ベネディクトス」のアリアでのヴァイオリン・ソロに、エネスコのヴァイオリンを聴くのは筆者だけだろうか。

「ミサ曲ロ短調」は、今日バッハの最後の作品であることが確認されている。

「かくしてバッハはひとつの終焉であり、バッハからは何も生ずることがなく、すべてがひとりバッハへと導かれていくのだった」と述べたのはシュヴァイツァーだったが、この曲こそ、すべてが導かれていくその終焉にあたる作品であり、演奏によって合点がいくのは、エネスコの演奏をおいて他にはない。

今後もこのような演奏が生まれることは決してないだろう。

古楽器によるバッハ以外バッハではなく、音楽史の成果のみ最優先では、音楽家がじっくりと作品に取り組むことなどできようはずもない。

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2022年03月14日


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ヘルムート・ヴァルヒャは生涯にバッハのオルガン音楽全曲録音を2度行った。

その第1回目のモノラル盤も10枚組のCDでメンブランからリリースされている。

こちらのセットは1956年から1971年にかけてオランダ、アルクマールの聖ラウレンス教会シュニットガーとフランス、ストラスブールのサン・ピエール・ル・ジューヌ教会のジルパーマンというバロックを代表する名匠が制作した歴史的な大オルガンを使用したステレオ録音になる。

この全集には楽器指定のないバッハ未完の遺作『フーガの技法』全曲も含まれている。

歴史的な名器を弾いてはいるが、その鋭くて明るい音色は20世紀中頃のオルガン復興運動の美意識を反映したものだ。

20世紀初頭の新即物主義の風潮を反映した演奏は、安定したテンポとリズム感、各声部の明晰な描き分けや力強いサウンドを特徴とする。

ヴァルヒャの演奏の特徴と言えば、バッハの対位法の音楽的構造を手に取るように聴かせることだろう。

そのために雰囲気に流されような感情移入は避け、どこまでも楽譜を忠実に再現するという地道な表現手段に腐心している。

しかしそこから浮かび上がる音楽の透明性と、あらゆる楽器の王者たるオルガンを扱う情熱が強く感じられる。

また楽曲に対するバッハ特有の構築性の再現は他のどのオルガニストよりも優れている。

大曲になればなるほど、彼の演奏は聴く者の前に忽然と大伽藍が現れるような超自然的な感動を呼び起こす。

そこにバッハの音楽の深遠さとヴァルヒャ自身が到達し得た境地を垣間見る思いがする。

ヴァルヒャ(1907-1991)はバッハ縁のライプツィヒ生まれ。

同地の音楽院で伝説的な名カントル、ラミーンの指導を受けるが16歳で失明。

しかし、その翌年オルガニストとしてデビュー、聖トーマス教会のオルガニストを経て、(旧)西ドイツで教会オルガニストとして活躍。

とりわけバッハ演奏の優れた解釈者として名声を博した。

これはそんなヴァルヒャの芸術を知る好個なアルバムである。

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2022年03月12日


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ダヴィッド・フレーはデビュー当時からバッハの鍵盤楽器のための作品を手掛けていて、協奏曲集はこのディスクで2枚目になる。

第1集では独奏用の協奏曲でDVDで映像化もされているが、今回は複数のチェンバロのために書かれたものを収録している。

これらは総て編曲作品で、それぞれバッハ自身かヴィヴァルディの作曲した他の楽器のための協奏曲のソロ部分を2台から4台のチェンバロに移し替えている。

勿論彼らが現代のピアノで演奏したモダンな解釈が特徴だが、フレーや彼の師でもあるジャック・ルヴィエの歌心はバッハに新鮮でありながら特有のロマンティックな感性を見出していて美しい。

特にどの作品でも緩徐楽章におけるカンタービレは、フレーがここ10年ほどの間にさまざまなドイツ系の作品で実践してきた、明らかにラテン系の歌い口だが意外にも強い説得力を持っている。

今まで知られていなかったバッハのプロフィールを垣間見るようで興味深い。

難点があるとすればそれは演奏内容ではなく、伴奏のオーケストラが貧弱に聞こえることだ。

ライナー・ノーツの写真で見る限りは、本格的なバロック・オーケストラだが、録音の状態があとからシンセサイザーでミキシングしたような音質で臨場感に乏しい。

第1集の時にはソロと弦楽合奏がほぼ対等に収録されていただけに惜しまれる。

確かに主役は4人のソリストに違いないのだが、ピアノのような豊かな音量の楽器が2台以上で競う協奏曲では、かえって残響が小編成の弦楽部を覆ってしまう。

バッハの巧妙なアレンジのテクニックはオーケストラにも顕著なので、もう少し前面に出して聞かせても良いと思う。

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2022年03月11日


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旧盤から21年ぶりの再録音で、バッハ演奏においてかけがえのない存在であったリヒターのさまざまな変貌が示されている。

峻厳なバッハ演奏の頂点として威厳に満ちて聳え立つ旧盤に比して、この演奏では人間リヒターとしての心情を吐露している。

テンポも大幅に遅くなり、その中で登場人物の心情やドラマの劇的展開を、振幅の大きな表現で重厚に描いている。

リヒターのバッハ、とくに《マタイ受難曲》はバネのきいたリズムを特徴としている。

ともすると、懶惰に陥りがちなわたしたちを励起させるリズムだ。

だが、けっして押しつけがましくなくはない。

どうしても、そのリズムの勢いに突き動かされ、ついて行きたいと思わずにはいられぬ躍動感に満ちている。

そして、それはあるひとつの目標に向かって、ともに心を合わせて前進してゆくときの一体感をかき立ててくる。

この目標は、神との出会いを目指しているのは言うまでもない。

神の存在をフィジカルに体得するリズムとでも言おうか。

そのとき、わたしたちは人間が霊的な存在だと知る。

この霊的なリズムに乗ると、わたしたちは誰も超越的な空気にふれ、物質的な欲望がいかに卑小で、ともに同胞であることが、すべてに優るよろこびだとわかる。

それが神とともにあるという意味だ。

その意味が今日忘れられている、というよりもすでに経済の高度成長期の1970年代に、わたしたちはリヒターの望んだのとは別の生き方に引かれはじめた。

彼はその離反に深く悩み苦しんだのだろう、彼の2度目の《マタイ受難曲》の録音は、それを食い止めようとする絶望的な努力と挫折感をひびかせている。

株価の変動に一喜一憂し、金勘定に忙しいわたしたちは、リヒターの《マタイ》にもう一度立ち返って、心を問い直す必要があるのではないか。

リヒターは1979年に本演奏を録音、その1年後に急逝した。

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2022年03月10日


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クラシック音楽の愛好家で、もし《マタイ》を聴かずに一生を過ごすとしたら、これほどもったいないことはない。

しかし《マタイ》はとっつきにくいことも事実なので、このメンゲルベルク盤とリヒター盤を両方備え、まず第1曲だけを繰り返し比較試聴し、バッハのスタイルに馴染んだら、今度はアリアをすべてカットして第1部だけを何度も聴くとか、それなりの努力を惜しむべきではない。

メンゲルベルクはバッハのスタイルを完全に無視、ロマンティックなスタイルで劇的に演奏しているので、かえってわかりやすいかもしれない。

本盤は1939年4月2日に行われた演奏会の実況録音だが、当時のアムステルダムでは毎年復活祭の前の日曜日にメンゲルベルクが《マタイ》を振るのが常で、世界中からファンが集まったという。

SP時代の実況録音(もちろんモノーラル)ということで音は古いが、音響の良いコンセルトヘボウ・ホール、更にオーパス蔵による名復刻のため、聴きずらくはなく、演奏自体は最も感動的である。

スタイルは19世紀のコンサート風で、すなわち大人数のオケ、大人数のコーラスによる極めてドラマティックな表情たっぷりの演奏であり、大会場で多数の聴衆を前に指揮棒を振るメンゲルベルクの姿が眼に浮かぶ。

メンゲルベルクは主情的で、よくもここまで、と驚嘆するほど音楽を自分自身に引き寄せている。

その“自分自身”とは19世紀風、後期ロマン派のドラマの世界であるが、こんなことを《ロ短調ミサ》でやったら、音楽は完全に破壊してしまうだろう。

そこに《マタイ》の特殊性があり、懐が深いので、どのようなスタイルをも受け入れてしまう。

しかし同じ旧スタイルでもワルターやフルトヴェングラーは中途半端で煮え切らない。

メンゲルベルクは振る舞い切って成功したわけだが、こんなことが可能なのは彼一人だけだ。

メンゲルベルクの《マタイ》を大時代的なバッハとして嫌う人は少なくないことは、古楽演奏によるバッハが主流の現代にあっては仕方のないことかもしれない。

オリジナル楽器全盛の現在、最も時代錯誤的バッハという声も聴こえてきそうだ。

しかしメンゲルベルクの《マタイ》にはそういう古臭いスタイルを越えて人間の根源的な祈りや叫びが絞り出されているではないか。

音楽芸術は学問ではなく、現代の古楽演奏を裏打ちする音楽学の研究結果はあくまで表現の手段に過ぎないはずだ。

だとすれば古楽とモダンの違いは形ばかり、音楽家の表現すべきは心の底からの祈りの他に一体何があると言うのだろうか。

その響きがバロックであれ、ロマンであれ、現代であれ、大切なことは「バッハの心」だ。

メンゲルベルクの表現の、例えば各アリアに頻出する強烈なルバートなどは私たちの感覚からはあまりにも遠く離れてしまったことも厳然たる事実だが、血の涙を流さんばかりの魂の叫びと祈りが満ちているのだ。

この演奏が表情過多であるとか、バッハのスタイルにそぐわない、などと思っている人も、聴き終えた後には、そんな疑問が極めて些細な、芸術というものの本質に少しも関係のないことと気づき、音のドラマの奔流に身も心も押し流される自分を発見するはずである。

いずれにせよ《マタイ》を語る上に絶対に欠かせぬ歴史的大演奏であり、様式を超えたこの《マタイ》は人間の精神の営みの豊穣を語り続けよう。

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2022年03月06日


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バッハを「雲上に君臨する聖者」と称え、「神の子の苦しみ、キリストの救済史を自己の魂において深く体験し、最後の、最大の受難曲《マタイ受難曲》において一つの巨大な創造的事業を成し遂げた人物」と語ったのは、一世を風靡した巨匠ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)である。

フルトヴェングラーは時代的には後期ロマン派の出であると共に、すぐれた学者・教育者の家系に生まれ、音楽好きでブラームスやシューベルトを尊敬していた父の専門の考古学を始め、さまざまな学問分野に関心を寄せた、近代ドイツの典型的な知識人であった。

そうした幅広い教養を土台としたフルトヴェングラーの芸術家としての生い立ちには、少年時代にバッハのマタイ受難曲を聴いたことと、16歳の時にフィレンツェに滞在してミケランジェロの彫刻に出会ったことが、その成長に本質的な影響力を及ぼした二つの原体験であったといわれる。

カーライルの『英雄と英雄崇拝』やロマン・ロランの『ミケランジェロ』などから知られるように、それは彼の世代の中で心ある人々が共通の体験としてもっていた、あの創造する英雄的人間への強い憧れの目覚めであり、そしてまたその英雄的悲劇性への開眼であった、といえるのではなかろうか。

少なくともバッハの受難曲の解釈に関しては、19世紀後半から第一次世界大戦までのこの時期では、偉大な「神人イエス」を主人公とする受難の悲劇という視点が主流を占めていたから、こうした視点での演奏によるマタイ体験が、あのダビデ像やピエタに象徴されるように偉大な人間の悲劇性とそれをめぐる悲壮美と悲哀感の無比な表現を「冷たく客観的な」石材から呼び起こしたミケランジェロ芸術への共感へとつながって行った必然性が、筆者にはよくうなずけるように思われる。

後年フルトヴェングラー自身がバッハのこの大作について語った次のことばも、そのことを裏付ける。

「神の子の苦しみ、キリストの救済史(のドラマ)を自己の魂において深く体験し、最後の、最大の受難曲においてあの巨大な作品を創造することのできた人間、これがバッハなのだ。この大曲は、少なくとも第一音から最終音に至るまで作品に一貫するあの印象深く巨大な情念の統一性に関する限り、ロマン派時代の記念碑的作品であるヴァーグナーのトリスタンにのみ比せられるべきものであろう」(1948年、『音と言葉』芦津丈夫邦訳により一部改訂)。

そして彼の哲学的音楽観は、そのマタイの音楽の中に客観的、叙事的平静さと主観的、激情の両素が「模倣しがたい独自な仕方で結合している」ことを認識した。

その認識に立脚しつつ、神人イエスの受難と死の救済史に一貫するオラトリオ的・ドラマ的情念の統一性(いまかりにこれを「神的英雄の受難と死をめぐる悲劇性のパトス」と呼んでおく)を表出しようとした真摯な試みが、教会外の場で上演されたフルトヴェングラーのこのマタイ受難曲のユニークな特色ではなかろうか。

バッハ自身はすべて赤インクで記入した福音書聖句の一部省略を始め、アリア、コラールなどの省略も、単に時間上の制約というよりは、そうした悲劇的パトスの一貫性をより明確に打ち出そうとするこの指揮者の天才的直覚と曲全体のドラマ的把握から必然的に生じた行為だったといえよう。

しかし時代は二つの大戦の惨禍を経て、福音書をイエスという一人の宗教的天才の言行録と見る後期ロマン派的自由主義的神学(そこでは聖書の抜萃とその宗教史的、哲学的釈義が重視された!)が、神の主導権とキリストにおける福音の啓示の絶対性を主張する弁証法神学に、そしてまた様式史的、編集史的聖書教義の登場に席を譲らざるをえない情況となった。

そこからバッハを見直すとき、「原始キリスト教の信仰の本質こそが、バッハ自身にとって、未だに完全に自覚された生の基盤であり、魂の糧であった。そこでもし神学の語が、真のキリスト教信仰が自己自身によって立つ実質への自覚と反省への営みを意味するとすれば、バッハは神学の人であったといわねばならない。彼はベートーヴェンのような宗教性の音楽家たるにとどまらず、またブルックナーのようにナイーヴな教会的信仰の人でもなかった。バッハの神学的思考と洞察の枠外れのエネルギーは(カントやヘーゲルなどの思想よりももっと深く人の心を震撼し(シュヴァイツァーの言)、彼の音楽活動の全領域に充溢していて、そのどんな片隅に触れても純粋な生命力として吹き出して来るのである(ハンス・ベッシュ「バッハと終末論」1950年より)。

ルターの説いた十字架の神学をその神学的思考の核心に据えたバッハ音楽。

かくしていぜん大きな未開拓の世界を内蔵したマタイ受難曲は、その後の歴史的主義的復古演奏の試行錯誤を経て、たぶんその基盤の再発掘を含めて、また作品全体の新たな統一的構造の把握に(例えば礒山雅氏はこれを「慈愛の構造」として把えようとする(『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』173項以下)到達するように、現代の私たちに呼びかけ、さし招いているのである。

そして巨匠フルトヴェングラーは、その生涯の最後に、この人独自の全体的統一性の把握に基づくマタイ受難曲のライヴ録音(1954年4月14/17日。同年11月30日に68歳で逝去)を後世へのよき励ましとして、また時には反面教師の意味でも何よりも貴重な精神的教訓として残していってくれたのである。

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2022年03月01日


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20世紀のバッハ表現を象徴したカール・リヒターの最高傑作で、真摯この上ない演奏だ。

来日時のライヴを含め、我々はほぼ10年の間隔で録音された3種類のリヒター指揮による《マタイ受難曲》演奏を持っている。

しかし初回のこの演奏はあらゆる録音の中の金字塔をなすもので、多くの人にとって、他の2つの録音はこの最初の録音からの変化か展開でしかない。

そればかりか他の指揮者による演奏も、「リヒターとくらべ云々」というように比較の基準としてきた。

それほどまでにこの演奏は、ある年代以上のファンにとって「マタイ体験」の原点にある。

1958年、ナチの悪夢が覚めやらないのにハンガリー動乱、東西冷戦と、明日の命がどうなるかわからない状況のなかに演奏家たちはいた。

リヒターが学んだドレスデンやライプツィヒは戦禍から回復する状況ではなかった。

牧師を父にもつ彼が、時代に対して語る言葉は説教ではなく演奏である。

キリストの受難に対するリヒターの自己投入のはげしさは、彼自身がキリストになったかとみまがうほど。

その底には信仰を失った現世への深い絶望がひそんでいる。

この世の不条理にいかに打ち克ち、それを乗り越え、神のもとに達するかがテーマとなっている。

ユダの裏切り、ピラトの心の動揺、ペテロの弱さ、それらが人間の生き方のアポリアとして聴き手に突きつけられる。

すべては霊的な生き方のための総力に還元され、キリストの生涯そのものへの同化として意識される。

鋭い劇的な造形はもちろんリヒターの解釈であるが、それとともに演奏全体の異様な昂揚は、たとえば曲中で「イエスを十字架に」と唱和する民衆に、ひと昔まえに狂信的独裁者を賛美した人々を重ねあわせられる状況があってこそもたらされたのではないか。

その熱さが、人の罪とか愛の根元的な思いが、聴く者の心を貫通する。

その意味でまさに希有な、再びは登場し得ない種類の演奏である。

リヒターは1979年に再録音、その1年後に急逝した。

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2022年02月28日


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2017年亡くなったチェコの女流チェンバリスト、ズザナ・ルージチコヴァーの追悼盤である。

LPに付属したDVDにはゲッツェルズ監督によるドキュメンタリー映画が収録されている。

彼女が晩年のインタビューに応えた過酷な人生が多くのクリップや写真と共に語られていて感動を禁じ得ない。

彼女は一部を除いて殆んど英語で話しているが、日本語の字幕スーパーも付けられている。

この字幕に関してはいくらかやっつけ仕事的なミスも散見されるが、大意は問題なく理解できる。

差別と貧困の中でも彼女が捨てることがなかったのは人間愛と音楽への情熱で、その隠された不屈の闘志とも思われる強さを生涯持ち続けたことは驚異的だ。

彼女はその理由として幸福な家庭に生まれたことを忘れず、そして良き夫に恵まれたことを挙げている。

またルージチコヴァーの薫陶を受けた若い音楽家達がその芸術を受け継いでいるのも頼もしい限りだ。

彼女は同郷の指揮者カレル・アンチェルと同じくアウシュヴィッツから命からがら軌跡的な生還を果たしたが、その幸運も束の間で再びスターリン体制の下で屈辱的な生活を余儀なくされる。

また18歳でのピアノのレッスン再開は、先生からも見捨てられた状態だったと話している。

ユダヤ人差別は決して終わったわけではなく、予定されていたアンチェルとの協演は、ひとつの楽団に2人のユダヤ人は多過ぎると当局に阻止されてしまう事件も象徴的だ。

1968年にはソヴィエト軍のプラハ進行によって再び厳しい統制が敷かれ市民の生活は当局の監視下に置かれ、彼女はまたしても過去の時代の到来を感じずにはいられなかった。

この作品を観ているとアンチェルが亡命を決意した理由も非常に良く理解できる。

こうした状況の中でルージチコヴァーはチェンバリストとしての道を決意し、ミュンヘンのコンクールで優勝して西側からの招聘に応じて演奏活動が始まる頃からようやく音楽家としての運が開けたようだ。

彼女はエラートからの提案でバッハのチェンバロのための全作品の世界初録音を完成させた。

後にスカルラッティのソナタ全曲のオファーも来たが、その大事業に取り掛かるには遅過ぎた、再びチェンバリストに生まれたら是非スカルラッティも全曲録音したいとユーモアを交えて語っている。

時代に翻弄され人生の辛酸を舐め尽くした1人の音楽家として信じられないくらいのバイタリティーと豊かな音楽性、そして何よりも厳しくも温かい人間性を伴った演奏を遺してくれたことを心から感謝したい。

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2022年02月16日


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以前はバッハの楽譜を選択する際、ウィーン原典版の赤表紙が最も信頼のおける楽譜だった。

勿論その価値は現在でも変わっていないが、ベーレンライターから新バッハ全集の叢書楽譜が刊行されてからは、ヘンレーも原典版を出版するようになった。

したがってこれら3社のものはいずれもほぼ共通した校訂版になる。

ただしベーレンライターの叢書版は、大部の研究書なので演奏にはコピーが必要になるし、価格的にもかなり高くつく。

ヘンレー版は曲集として何曲かをまとめたアルバムで、比較的廉価で購入できるが、紙質がやや劣る。

一方このウィーン原典版Urtextは『平均律』のような一連の曲集や『パルティータ』などの組曲物を除いて基本的に単独の曲目で個別売りしている。

価格そこ多少高めだが解説が充実している。

『半音階的幻想曲とフーガ』には異稿譜も存在するので、それらも一応目を通しておいた方が良い。

このウィーン原典版にはこうした異稿譜もサンプルの楽譜を挙げて言及している。

1ページのみだが1735年の写本の写真も掲載している。

原典にないものとしては運指番号が記されていることだが、これは学習者の助けになる。

また巻末に装飾音、アルペッジョなどの妥当な奏法を纏めて練習者の便宜を図っている。

プロの演奏家でなくてもバッハの音楽とその当時の奏法を知るには最低限ウィーン原典版での学習は必須と思える。

いずれにしてもバッハは最高の教材は最高の芸術作品でなければならないと言っていた。

この楽譜からは単に基礎的な演奏技術だけでなく、対位法と楽曲の展開の基礎を学ぶことができる。

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2022年01月14日


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このディスクのレコーディングは1965年のステレオ録音だが、彼は異なったソリストと共にその10年前にも『クリスマス・オラトリオ』のモノラル録音を遺している。

しかしこの作品の喜びに満ちた華やかな性格は、勿論こちらの新録音が断然優っているし、またソリストもグレードアップされているのが特徴だろう。

音質的にもSHM-CD化によって、雑味の払拭された明瞭なサウンドが特徴だ。

ただしその後にリリースされたリヒターのバッハ宗教音楽選集でブルーレイ・オーディオ化がされたので、現在最も優れた音質で鑑賞したい方にはそちらをお薦めしたい。

細部にいたるまで妥協を許さないリヒターの緻密な設計と、強力な統率力が全曲を支配している。

バッハを真正面からとらえた演奏で、厳しいまでの表情は他の演奏にはみられない威容を示す。

4人の独唱者、オーケストラ、合唱団の集中力の高い、真摯な演奏も申し分なく、その重厚な響きと清澄な音色は一度聴いた者の耳を離そうとしない。

現代楽器を用いた演奏だが、時代や様式を超えたバッハ像がある。

この演奏に抜擢された歌手陣は、現代でも得難いほどのメンバーが揃っている。

清楚で宗教曲にも精緻な歌唱を披露したソプラノのヤノヴィッツとメゾのルートヴィヒ、癖がなく真摯で若々しテノール、ヴンダーリヒと説得力のあるバスのクラスがそれぞれ宗教曲としての抑制を加えながら全体のバランスを絶妙にとって歌っている。

そこにはリヒターの哲学が感知される。

彼の解釈に迷いはなく、非常にすっきりした簡潔な構築力を見せているし、またその中に彼の強い情熱が迸るように感じられる。

当時まだ古楽としての奏法も楽器も確立されていなかったので、例えばフルートは木製のいわゆるトラヴェルソではなく、ベーム式のフルートで、トランペットはバロック時代には存在しなかったピッコロ・トランペットを使用している。

言ってみれば折衷様式による再現だが、そうした制限を乗り越えてリヒターの演奏は燦然と輝いている。

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2022年01月01日


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ダヴィッド・フレーの新譜は、バッハの『ゴールドベルク変奏曲』で、彼がデビューした頃から課題にしてきたバッハの作品へのひとつの到着点を示した演奏と思える。

彼のドイツ音楽への執着は、これまでにリリースしてきたアルバムを見れば明らかだ。

そこにはドイツのピアニストが誰も弾かなかったようなラテン的リリシズムに溢れた解釈が示されていて、陰翳と抒情の世界があいまったサウンドに不思議な魅力がある。

勿論メリハリを利かせたダイナミズムも生き生きと表現されている。

この作品は主題になるテーマに30の変奏が従い、最後に再び静かなアリアが戻ってくるという壮大な構成である。

三変奏ごとにテーマを一音ごと上げて追いかけるカノンを配置し、テーマも順行、逆行が駆使され、最後には二つのリートを組み合わせるという、バッハの対位法のエッセンスが面目躍如の作品だ。

また当時の二段鍵盤のチェンバロの機能とテクニックがフルに活用されているので、現代のピアノで弾く場合はテクニカルな問題を少なからず解決しなければならない。

フレーは独自のリリカルな歌心を充分に披露しつつ、全く不自然な印象を与えていないのは流石だ。

それぞれの変奏は二つの部分から成り、更にそれぞれに繰り返しの指定がされている。

ピアニストによってはリピートを省略した録音もあるが、フレーは一回目と二回目を巧みに変化をつけてリピートに必然性を与えている。

例えば最後の第30変奏『クオドリベット』では弱音で弾き始め、クレッシェンドを加えながらフォルテで繰り返すという手法を取っている。

それはあたかもバッハ家のささやかな団欒が、次第に音楽的な充実感に満たされていくようにも聴くことができる。

録音での残響はやや多めだが、音質は良好。

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2021年12月24日


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英国の女流トランペッター、アリソン・バルサムはバルブ機能のないナチュラル・トランペットの奏法をマスターして、2012年に彼女としては最初のピリオド楽器によるバロック作品集をトレヴァー・ピノックと制作している。

今回はパヴロ・べズノシューク率いるアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックとオルガニスト、スティーヴン・クレオバリーのサポートでナチュラル、モダンの2種類の楽器を巧みに使い分けた演奏を披露している。

尚トラック11のバッハのカンタータ『主よ、人の望みの喜びよ』のコラールではケンブリッジ・キングスカレッジ合唱団とオルガンのトム・エザリッジがゲスト出演して、このアルバムに花を添えている。

2015年から2016年にかけて録音された新譜で、バルサムの軽快なトランペットやオルガンの分厚い中低音を忠実に再現した音質は極めて良好。

アルバムのタイトルはラテン語のユービロ(歓喜を叫ぶ)から取ったものだろう。

全体的な印象ではクリスマス向けの家族で気軽に楽しめる娯楽的な側面が強いが、一流どころのピリオド・アンサンブルによる本格的な演奏集というのがセールス・ポイントだろう。

彼女のソフトでふくよかなトランペットの音色が活かされた音楽性豊かな表現と鮮やかなテクニックを堪能できるのが魅力だ。

ただアレンジ物ではコレッリの『クリスマス協奏曲』からのサイモン・ライトのトランペット用編曲版が全曲入っているが、果たしてこの曲がトランペット・ソロ用に最適かというと首を傾げざるを得ない。

確かにクリスマスには相応しい作品には違いないが、合奏協奏曲でひとつの声部をソロ楽器で強調すれば、全体的な対位法としての響きのバランスが崩れてしまうのは明らかだ。

それよりオリジナルのバロック・トランペット協奏曲を入れて欲しかったというのが正直な感想だ。

トランペットの輝かしく英雄的な演奏効果はこれまでに多くの作曲家によって、例外なくそうした表現のために用いられてきた。

バルサムはその洗練されたテクニックと歌心に溢れた柔軟な感性で、バロック時代のトランペットが私達が考えているほど甲高く野放図な音を出す楽器ではなかったことを証明して、従来のトランペットのイメージを少なからず再認識させてくれる。

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2021年12月17日


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マリヤ・ユージナ[1899-1970]はタチアナ・ニコラーエワ、マリヤ・グリンベルク、ローザ・タマルキナなど個性派揃いのロシアの女流ピアニストの中でも突出した人物として知られている。

哲学や文学・美術に通じ、ドイツ語、フランス語、ラテン語にも堪能で、しばしばエキセントリックとも言われたユージナは、バッハやベートーヴェン、ブラームス、シューベルト、モーツァルトなどドイツ・オーストリア音楽を得意とする一方、20世紀作品もよくとりあげていた。

イギリスのスクリベンダムから登場したセットは、26枚組という大規模なもので、ユージナの個性的な演奏を一気に手軽に楽しめるのが朗報だ。

録音年代は1947年から1970年の23年間、初期のものには音質の良くないものも多く含まれているが、演奏の個性は十分に伝わってくる。

ユージナの若い頃は、ソ連政府はモダニズムやアヴァンギャルドにも協力的で、音楽、演劇、美術、文学などさまざまな作品が登場していた。

中でも音楽は、プロパガンダ活動の一環として、国外からもさまざまな音楽家を招聘、ヒンデミットやバルトーク、ストラヴィンスキー、シェーンベルク等々、のちに禁止されることになる作曲家の作品を多数とりあげていた。

特にユージナの暮らしていたレニングラードでは、その規模もかなり大きなものとなっていた。

ソ連建国の1922年からヒトラー内閣誕生直前の1932年にかけて、レニングラードには、ドイツを中心に国外から数多くの指揮者が客演。

レーニン/スターリンの社会主義プロパガンダの一環ということもあってか、その人選は非常に豪華であった。

フリート、クレンペラー、アーベントロート、シュレーカー、モントゥー、ワインガルトナー、ミヨー、ワルター、クライバー、カゼッラ、アンセルメ、クレメンス・クラウス、オネゲル、ツェムリンスキー、クナッパーツブッシュ、ブッシュ、ターリヒなどすごい顔ぶれ。

さらにソ連の指揮者・演奏家も活躍し、20代なかばだったユージナの弾くバッハを聴いたクレンペラーは深い感銘を受けたと語ってもいた。

「私の人生において、太陽のように崇めるピアニストは3人いた。ソフロニツキー、ネイガウス、そしてユージナだ!」と語るリヒテル[1915-1997]は、ユージナについて「常識を逸脱し尋常ならぬ芸術家」と評した。

宗教弾圧下でありながら、演奏会で十字を切るという振る舞いに呆れながらも、彼女のバッハやベートーヴェン、ブラームス、ムソルグスキー、シューベルトなどの演奏を称える一方、表現された音楽は作曲家のものではなく、まさにユージナそのものであるとも述べていた。

ユージナの葬儀では、リヒテルがユージナから褒められていたというラフマニノフを演奏するなどしていた。

以下、リヒテルがユージナの演奏について語った言葉である。

■バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第22番 →「グールドもユージナに較べればかわいいものだ。」

■モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番、シューベルト:即興曲変ロ長調、ブラームス:間奏曲イ長調(Op.118-2) →「彼女のあとに弾く気にはなれない。弾いたらみっともないことになる。」

■リスト:バッハのカンタータ『泣き、歎き、憂い、怯え』の主題による変奏曲 →「天才的な演奏だった。とどろきわたるのではなく、心に染みいるような演奏で、ピアノ曲というよりは、ミサ曲を聴いているようだった。ユージナはまるで儀式を執り行っているようにピアノを弾いた。祝福するように作品を弾くのだ。」

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2021年11月27日


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古楽界の大御所でありトラヴェルソの名手、バルトールド・クイケンにはバッハ・ファミリーの作曲した総てのフルート・ソロの加わる室内楽の録音をカバーしたいという願望がある。

これまで既に大バッハと次男C.Ph.エマヌエルのソナタ全曲集は文字通り完成させた。

その補遺に当たるのがこのCDで、ここにはW.フリーデマンのホ短調及びヘ長調のソナタ、J.クリスティアンのニ長調、J.クリストフ・フリードリッヒのニ短調のそれぞれのソナタに加えてJ.クリスティアン伝のヘ長調のソナタと作者不詳のヘ短調ソナタの計6曲が収録されている。

ただ末っ子のJ.クリスティアンには2楽章形式のソナタ6曲の他にフルートが加わるアンサンブル用の曲が少なからず存在するので、決してこのCDで完結したわけではない。

この曲集ではいわゆる通奏低音付のソナタでもクイケンは、習慣的に加わるガンバやチェロ、あるいはリュートなどを一切省きデメイエールの弾くチェンバロのみを従えている。

このために演奏スタイルがより親密かつ軽妙になり、ソロ・パートを引き立てる結果になっている。

但し、こうした比較的マイナーな曲集では彼の名人芸はともかくとしていくらか単調になってしまう嫌いが無きにしも非ずといったところだ。

例えば伴奏にチェンバロとフォルテピアノを交替させるなどの配慮があれば、より興味深く変化に富んだ演奏になっただろう。

しかし一方で余計な通奏低音を省いて総ての音符を書き記し、即興の余地を制限したソロ・ソナタの様式を試みたのは他ならぬ大バッハ自身であり、それがその後の古典様式のソナタに受け継がれていくことを考えれば、妥当な選択なのかも知れない。

使用楽器はクイケンがアウグスト・グレンザーのワン・キー・モデル、デメイエールのチェンバロがアンリ・エムシュのコピーになる。

ピッチはa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチ。

2008年録音の音質は鮮明で極めて良好。

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2021年11月14日


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1969年5月9日、リヒターとミュンヘン・バッハ管弦楽団の来日公演のときの貴重なライヴ録音である。

あふれるようにみずみずしい演奏だ。

リヒターには1961年のスタジオ録音もあり、それはきわめて峻厳な名演奏だった。

これはそのスタジオ録音ほどの芯の強さはあまり感じられないが、全篇にわたって、表情がゆたかであたたかな、人間愛にみちた音楽がつくられている。

このライヴにおけるリヒターの演奏は旧盤に聴かれる、魂を引き裂くような痛切な叫びはない。

構えのとれた、自在なバッハで、まるでリヒターの新しい面を発見したかのように感じられる。

演奏自体の密度の高さは旧盤に求められるだろうが、東京での緊張のひとときとしての、異常なまでの空間がひしひしと伝わってくる名演である。

その日本公演でまったく精力的にリハーサルと多くの本番をこなしたリヒターは、疑いなくこの時期が生涯の頂点だったといえる。

リヒターの棒は厳格をきわめたものだと思いがちだが、むしろ次に何が始まるのかわからないといった、まことにスリリングな緊張を、演奏者にも聴衆にも呼び起こした。

リヒターはここでは学究の徒であることを放棄し、まさしく神に仕える一個の真摯な人間にかえったのである。

時として考証的なバッハを、冷徹なバッハを演奏するリヒターであったが、それはこの夜だけに許された「即興の時」であったのだろうか。

といってもテンポの揺れは実際にみられなかったことも指摘しておく必要がある。

リヒターの中にある自由な飛翔は、厳格主義によって身動きが出来なくなっている日本のバッハ演奏家に対して大きな啓示となったのである。

リヒターの張り詰めて峻厳な音楽作り、彼を信奉する合唱団員たち、与えられた機会に最上の歌唱や演奏で応えようと全力を尽くす独唱者たち、オーケストラの尋常ではない協調ぶりは強く心に残る。

オーケストラは驚嘆すべき音色と技術に加え、音楽性の息づきの中で見事にリヒターにこたえた。

フルートのまろやかさ、D管トランペットの強靭で卓越した技巧は、それが音楽の必然的帰結であることを納得させたし、合唱における「自発性」は日本の合唱団に大きな影響を与えた。

独唱陣は最高の布陣で、これ以上の歌手を誰が望めるだろう。

その中でもヘフゲンのアルトは特筆せねばなるまいし、ヘフリガーの<ベネディクトス>も絶唱というべきだろう。

バッハが亡くなる前年の1749年に、過去のさまざまな作品からの転用を含めてまとめあげた宗教音楽の一大大作がこの《ミサ曲ロ短調》である。

当時としてはたいへん規模の大きな作品で、全曲の演奏に約2時間を要するが、バッハの声楽曲の集大成としても重要な意味を持つので、是非耳にしておくべきだろう。

全編に崇高な宗教的感情があふれていて、この曲にバッハのすべてがあるといっても過言ではないほどだ。

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2021年11月12日


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リヒターが手兵のミュンヘン・バッハ管弦楽団、合唱団を率いて1969年に初来日したおりの東京での実況録音。

初めてこのマタイ受難曲とロ短調ミサ曲と併せて聴いた時には、自分の音楽観や人生観をさえ揺さ振られるほどの大きな感動を受けた。

指揮台の前にチェンバロを置き、まったくの暗譜で指揮はもちろんレチタティーヴォでの通奏低音まで弾いてしまう姿勢には、バッハ自身が現れたのではないかという錯覚さえ覚えたものだ。

その時の音楽から放射されてきた意味の大きさ深さは未だに比べるものがないほどだが、この実況録音盤で聴いてもその時の印象は鮮明に蘇ってくる。

1958年のスタジオ録音も良いが、日本人にとってはこの演奏があくまで原点である。

ところで1970年前後といえば、オリジナル楽器によるバロック演奏が一般化していった時期であるが、表面的にはリヒターは、こうした新しいバッハ演奏の影響をまったく受けなかったように見える。

しかし、60年代後半から70年代にかけての繁栄の時代に人々の意識は徐々に変化していった。

そうした変化とリヒター自身が年齢を加えていったことが、この時期、リヒターの眼をより大らかなバッハへの音楽へと向けたのではないだろうか。

しかし、こうしたリヒターのよりロマンティックといえるようなバッハへの回帰は、ある意味ではその裏返しでもあったのではないだろうか。

リヒターがバッハ演奏家の第一人者となった50年代から60年代のドイツは、敗戦から立ち直って、奇跡ともいわれる戦後の復興を着々と成し遂げようとしていた時期であり、厳しく凝縮し、強い劇性と生命力にみちたリヒターのバッハ演奏は、いかにもそうした時代にふさわしかったといえるだろう。

しかし、そこにはより自然で力みのない人間的な表現があり、旧盤のように鮮烈に聴き手の胸を打つことはないが、バッハの音楽の大きさやゆたかさをより素直に味合わせてくれる良さもある。

そして、年齢的にも真の円熟期を迎えようとしていたリヒターが、新たに目指したバッハ演奏は、そうした肩張らぬ素直な人間的表現だったのではないだろうか。

しかし、79年に単独で来日したものの、リヒターには、その時間が残されていなかった。

81年4月には再び手兵のミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団を率いて来日することが決まっていたが、その直前の2月15日に、滞在中のミュンヘンのホテルで心臓麻痺のために、54歳という働き盛りに急逝してしまい、多くの音楽ファンを驚き、悲しませることになった。

しかし、酷な想像かもしれないが、もしリヒターが60代、70代と活動を積み重ねていったとしても、古楽器演奏がますます隆盛なこの時代に、かつてのような誰をも心服させるような新たなバッハ像を構築し得たかどうかは、やはり疑問ではないだろうか。

その意味では、54歳というあまりに早い死は、30代にして現代最高のバッハ解釈家としての名声を獲得したに対する天の配剤であったようにも思える。

つまり、リヒターが50年代末から60年代にかけて残した数々の名演は、今もそれほど強い輝きを放っているといってもよいだろう。

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2021年10月24日


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バッハの鍵盤音楽のための楽譜を完璧に揃えたいのであれば、ベーレンライターのハードカバーのシリーズか、ウィーン原典版を一冊ずつ購入するかだが、前者はコレクション仕様だし後者を揃えるのは高くつく。

このヘンレー版に関しては、自筆譜の写真や詳細な解説は割愛されているが、楽譜自体は新バッハ全集に準ずる内容なのでベーレンライターやウィーン原典版と同様の信頼のおける校訂がなされている。

しかもここにはバッハの代表的なチェンバロ・ソロのための作品『イタリア協奏曲』『フランス風序曲』『ゴールドベルク変奏曲』に加えて『4曲のデュエット』が組み込まれている。

欲を言えば『半音階的幻想曲とフーガ』を入れて欲しかったが、コストパフォーマンス的にもお奨めできる。

バッハの自筆譜と異なる点は指使いの番号が振ってあることで、これはむしろ学習者にとっては有り難い。

これらの作品は基本的に二段鍵盤のチェンバロを想定して書かれているので、ピアノやシングル・マニュアルのチェンバロで弾く時には指の交通整理が必要になってくる。

例えば同じ鍵盤を両手の指で打鍵する場合はどちらか一方を省くか、あるいは叩く位置をずらせて両手で弾くことも考えられる。

これはその状況に応じて工夫しなければならないが、指使いの番号はそのヒントを与えてくれる。

装飾音はバッハのクラヴィーア・ビューヒラインから、記号に対応する奏法が掲載されているので、それをそのまま使うことによってバッハの求めていた装飾音を再現することができるだろう。

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2021年10月15日


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バッハの鍵盤音楽の入門曲と言えば、15曲ずつのインヴェンションとシンフォニアだが、既に異なる版の楽譜を持っている方にもお勧めしたいのが、ウィーン原典版の赤表紙だ。

バッハの自筆譜に忠実で、楽譜として最も信頼がおけるし、運指も妥当な表示でチェンバロ演奏にもそのまま応用できる。

最近はあまり見かけなくなったが、版によってはテンポの指示があったり、スラーがいたるところにつけられていたり、およそバッハの書いたものとは思えない楽譜が横行していた。

初めてこの曲集にトライするのであれば、この版以外には考えられない。

装飾音に関してはどの版もクラヴィーア・ビューヒラインのバッハ自身の奏法を掲載するようになったが、ピアノ教師の中にはいまだに古典派以降の装飾法を教えている先生も少なくない。

この楽譜の運指の表記に従って練習を進めていくのが理想的で、古楽の奏法にも馴染むことができる。

ただしシンフォニアの第3番、第7番、第14番などでは、バッハの書いた通りに弾くにはそれなりの工夫がいる。

勿論参考として巻末に解決策も掲載されているが、演奏者の手の大きさの個人差などで、自分で指使いを開拓しなければならない曲もある筈だ。

そうした経験は更に高度なテクニックを要する平均律や組曲などに必ず役立つ。

いずれにしてもバッハは最高の教材は最高の芸術作品でなければならないと言ったが、この楽譜からは単に基礎的な演奏技術だけでなく、対位法と楽曲の展開の基礎を学ぶことができる。

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2021年09月24日


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20世紀最高のトランペット奏者のひとりモーリス・アンドレは、1933年5月21日、南仏アレスに誕生した。

父の友人でパリ音楽院出身のバルテルミーにトランペットを学び、その後、パリ音楽院に進んでからはサバリクに師事して腕を磨き、卒業後、フランス国立放送管弦楽団に入団。

1955年、ジュネーヴ国際コンクールで優勝すると、ラムルー管弦楽団のソロを務める一方で、バロック・トランペットやジャズにまで活動領域を拡大した。

1963年にミュンヘン国際コンクールで優勝すると、国際的な演奏活動やレコーディングをおこなうようになるが、恩師サバリクの後を継いだパリ音楽院主任教授の活動は継続した。

アンドレは複数のレーベルにわたって膨大な数のレコーディングをおこなっているが、メインとなるのはやはり地元フランスのレーベル、エラートによる大量のレコーディングだろう。

網羅的に演奏されたトランペット・レパートリーの数々は、どれも高水準な演奏で一貫しており、アンドレならではの柔らかく美しいサウンドを満喫することができる。

炭鉱夫の父を持ち、自らも少年炭鉱夫として働いたモーリス・アンドレが、ヨーロッパの名立たるコンクールを次々と制覇して行く出世物語は、高校生だった筆者をいたく感動させたものだった。

彼の実際の演奏に接した時の驚きと興奮は今でも忘れることができない。

明るく艶やかで柔軟な歌心と驚くほど軽快かつパワフルな表現は、まさに天与の才という言葉が相応しいトランペッターだった。

しかし時代やジャンルを問わない彼の膨大なレパートリーが決して安っぽい芸に堕しなかったのは、常に音楽的な基礎とその洗練に努力を惜しまなかったからだろう。

このセットの中でもコンクール凱旋の曲でもあるジョリヴェの協奏曲を始めとする、現代作曲家による一連の協奏曲や、アンサンブルのための作品は録音こそ幾分古い。

しかし彼の死後リリースされた幾つかの追悼盤には全く含まれていない初期の意欲的なセッションで聴き逃すことができない。

音程やリズムの正確さに加えて切れの良さなど、現代音楽には欠かせないセンスが縦横に駆使された模範的な演奏として高く評価したい。

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2021年04月05日


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既に廃盤になっているアルバムだが、エラートからリリースされたルージチコヴァーのバッハ・コンプリート・レコーディング集に組み込まれて復活した演奏集になる。

1973年にパリで録音された音源で、音質は極めて良好。

演奏に関しては、まろやかで大らかなフルニエのアプローチと緩みのない音楽を奏でたいルージチコヴァーの芸風のそりが今一つ合っていないように感じられる。

フルニエのチェロは、ロマン派の名残が感じられるような表現が特徴的で、緩徐楽章でのカンタービレや要所要所に入れるポルタメントがいくらかバッハらしくない。

しかし音楽作りはシンプルで耽美的なところはないし、急速楽章でのメリハリを利かせたフレーズも心地良い。

一方ルージチコヴァーは、よりモダンな解釈で、バロックの演奏習慣に従ってはいるが、華美になり過ぎないすっきりした伴奏になっている。

2人の演奏スタイルの相違は明らかに感知されるが、アンサンブルとしてはバランスもとれた美しいバッハに仕上がっている。

個人的には先程ご紹介した彼女とシュタルケルのデュエットの方がお薦めできる。

ルージチコヴァーの使用楽器は、シュペルハーケのモダン・チェンバロでモダン楽器にありがちな刺激的な音質ではないが、高音が勝っていて余韻は少なめに聞こえる。

ピリオド楽器であれば、音量は小さいが中低音に深みのある響きが得られるのだが、まだ彼女の全盛期には一般的ではなかった。

コピー職人が希少だったし、博物館のオリジナル楽器は、総て修復が必要だった。

ヴァルヒャが晩年にかろうじてシェリングとのヴァイオリン・ソナタ集と平均律全曲の2回目にヒストリカル楽器を使用したのは画期的な出来事だった。

ルージチコヴァーはピリオド楽器でセッション録音を残しておらず、総てが鉄製フレームのアンマー、シュペルハーケ及びノイペルトのモダン・チェンバロだ。

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2021年03月01日


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バッハはチェロのために無伴奏ソナタと組曲を遺しているが、オブリガート・チェンバロ付きのソナタはヴィオラ・ダ・ガンバのための作品で、ドラマティックな表現よりデリケートな音色を生かす奏法が想定されていることは確かだ。

シュタルケルは元来バロック音楽には造詣の深いチェリストだけにこのソナタ全集でも、ガンバをある程度意識した、抑制を効かせた中庸の美が聴きどころだろう。

この録音は1977年にプラハで行われたセッションだが、チェンバリスト、ルージチコヴァーとは6年遡る1971年にドイツ、シュヴェツィンゲンの音楽祭でも同曲集で共演している。

それだけにこのデュエットが彼らにとって手慣れたレバートリーだったことも、余裕を感じさせる演奏に表れている。

シュタルケルは完璧な技巧に持って初めて優れた音楽が成立するという考えのもとに、自然この上ない右手のボウイングと強靭な左指の独立性により、チェロ演奏技術の頂点に立ったチェリストのうちの一人である。

そのため、演奏にあたって技術的問題は皆無でバッハの音楽を表現することのみに重点を置いている。

トリオ・ソナタ様式の曲であるので、強い表情付けを行えないハープシコードの右手とチェロのバランスに配慮し対位法的絡み合いを重視しダイナミクスを抑えて比較的穏やかな表現で演奏をしている。

従って、コダーイの無伴奏ソナタやバッハの無伴奏組曲で見せる豪放さは聴かれない。

力みがなく自然で控えめな表情を付け強い自己主張を避けた演奏であり、伸び伸びとしていてバッハの声が生で聴こえるようである。

ちなみにシュタルケルは更にその前のマーキュリー時代、ハンガリーの盟友ジェルジ・シェベックとのピアノ伴奏盤もセッション録音している。

一方ルージチコヴァーは同曲集をフッフロやフルニエとも録音しているし、その後もスークの弾くヴィオラ版でも共演しているので、彼女にとっても繰り返し演奏した百戦錬磨で鍛えた曲集だ。

彼女の弾くチェンバロはノイぺルト製のモダン・チェンバロなので、下手をするとやや金属的な音色が耳障りになるが、高音を巧みに抑えながら意外にも大胆なレジスター処理でシュタルケルのチェロに拮抗する斬新な効果を上げている。

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2021年01月19日


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パッサカイユ・レーベルからのピリオド楽器によるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハのトラヴェルソのためのソナタ2曲とカルテット3曲を収録したディスクで、演奏、音質ともに優れた1枚として古楽ファンにお薦めしたい。

トラヴェルソはベルギーの古楽器製作者でもあるヤン・デ・ウィンネで、ここでは彼自身がコピーしたアウグスト・グレンザー・モデルを演奏している。

この楽器はワン・キー・タイプだが古典期、例えばモーツァルトの作品にも盛んに使われた名器で、バロック期のモデルより軽快で、特に高音域の華やかな音色に特徴がある。

エマヌエル・バッハの音楽には漸次変化するクレッシェンドやデクレッシェンドが多用されていて、装飾的にも軽やかなギャラント・スタイルが大バッハとは既に一線を画しているのが興味深い。

ここには幸い無伴奏トラヴェルソのためのソナタイ短調が加わっている。

大バッハも同じくイ短調の無伴奏パルティータを作曲しているので、両者の作品を聴き比べるとそのコンセプトが明らかに異なっていることに気づかされる。

曲趣の新規さからも注目すべきソナタで、献呈されたフリートリッヒ大王が生涯演奏しなかったというエピソードにも真実味がある。

ピリオド楽器による録音がそれほど多くないので、デ・ウィンネの素晴らしい演奏を鑑賞できるのは貴重だ。

大バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエルは青年期にプロイセンのフリートリッヒ大王の宮廷チェンバリストだった。

大王はトラヴェルソの名手クヴァンツにエマヌエル・バッハの7倍もの俸給を与えて師事していたために、玄人裸足のトラヴェルソ奏者兼作曲家でもあった。

そうした事情もあってエマヌエルもトラヴェルソのための作品を数多く遺している。

初期のソナタはバロック様式に則った通奏低音付だが、彼がベルリンを去った後のハンブルク・ソナタはオブリガートの鍵盤楽器パートが総て書き込まれている。

一方大王は当時まだ一般的でなかったフォルテピアノを複数台所有していたらしく、エマヌエルも日常的にそれらを弾いていたことが想像される。

彼が大王に献呈した『正しいクラヴィーア奏法』は、その後のピアノ教則本の元祖的な存在だ。

ここに再現された演奏では、往時を髣髴とさせるサウンドを楽しむことができる。

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2020年12月05日


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CD97枚+ブルーレイ・オーディオ3枚で構成されたカール・リヒターのアルヒーフ及びグラモフォンへのコンプリート・レコーディング集は、入手困難になっていた音源や初CD化のディスク2枚も組み込まれている。

確かにコレクション仕様の記念碑的企画には違いないが、前回アルヒーフから出たバッハ宗教音楽集に入っていたマタイ、ヨハネ両受難曲とロ短調ミサを収録した4枚のDVDが含まれていない。

リヒターをはじめ声楽、器楽のソリスト陣がアップで撮影された貴重な映像を鑑賞できるDVDが何故割愛されてのか理解できない。

そのアルヒーフ盤には今回と同一内容のブルーレイ・オーディオ1枚がついていた。

もう一つの既出盤、75曲のバッハ宗教カンタータ集は、やはりブルーレイ2枚組だったので、音質の向上は称賛に値する。

このコンプリート・セットのために新規に制作されたものではなく、その意味でも目新しさにはやや乏しい。

いずれにしても、バッハの演奏に関しては既に複数のバジェット価格の箱物がリリースされているので筆者も含めてそれらを購入済みのファンも少なくない筈だ。

できればバッハ以外の作曲家の作品の音源だけに纏めて欲しかったというのが正直な感想だ。

個人的にはリヒターの宗教曲に限れば前述のアルヒーフ盤CD11枚+DVD4枚+ブルーレイ1枚組とカンタータ集ブルーレイ2枚組の方をお薦めしたい。

尚初CD化の2枚はCD89のヘンデルの6曲のフルート・ソナタ集が、ハンス=マルティン・リンデとの1969年の共演、CD96のフランツ・リストの『バッハの名によるプレリュードとフーガ』が1954年の収録である。

マックス・レーガーの『バッハの名によるファンタジアとフーガ』が1957年のライヴから採られていて、この2曲はリヒターのオルガン・ソロになる。

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2020年10月13日


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クリスティーネ・ショルンスハイムの楽器の響きに対する感性をバッハの平均律に最大限活かした秀演。

彼女の音楽学者としての学理的な研究はともかくとして、いや実際良い意味でおよそ学者らしくない演奏なのだが、何よりも先ず響きとして美しい平均律だ。

彼女はレジスターを巧みに替えてさまざまな音響効果の可能性を試みて、この長大な曲集に華やかな彩りを添えている。

また和音をアルペッジョにしたり、テンポを若干揺らして遊び心も感じられるフレキシブルな表現が随所に聴かれる。

しかしそれは弾き崩しやレジスターの乱用ではなく、あくまでもバロックの様式に則った再現と言えるだろう。

むしろ対位法の究極の姿という、しかつめらしい作曲技法を最後まで退屈させることなく、心地良く聴かせてくれる演奏だ。

既に彼女はハイドンのピアノ・ソナタ全曲集でも明らかにしているように、使用楽器の選択には細心の注意を払っている。

それは当時の作曲家がイメージした音の再現に他ならないが、今回この録音のために使われたチェンバロはヨハネス(ヤン)・ルッカースが1624年に製作した二段鍵盤を持つオリジナル楽器で、現在ではフランス、コルマール市のウンターリンデン博物館所蔵になる。

このセットのジャケットの内側とCDにも写真が印刷されているので参考にされたい。

ライナー・ノーツにはこのチェンバロを修復したクリストファー・クラーク氏のコメントも掲載されている。

それによるとこの楽器は過去数回手が加えられているが、ルッカース特有の暗めで気品があり、立ち上がりの良い響きは健在でバッハの対位法作品の演奏には非常に適している。

尚ピッチはa'=392。

演奏内容、録音状態から言っても破格の値段で、初めてバッハの平均律を聴いてみたい方のファースト・チョイスとしてもお勧めしたい。

録音は2010年及び2011年。

4枚のCDが内側のみプラスティックの折りたたみ式のジャケットに収納されていて綴じ込みの英、独語ライナー・ノーツ付。

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2020年09月29日


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ピエール・アンタイの奏法はドイツ・オランダ系のチェンバリストの重厚さにはやや欠けるかも知れない。

しかし特有の軽妙洒脱さと歯切れの良いリズム感があり、柔軟で明快な解釈は聴いていてすこぶる心地良いものがある。

アンタイの演奏は彼の師グスタフ・レオンハルトの真摯で厳格な対位法の再現を踏襲しているものの、テンポは速く、より自由闊達でモダンな表現が特徴的だ。

勿論バッハの対位法を曖昧に弾き崩すことは無く、理論と感性、そして技巧のバランス感覚の調和が取れているということにおいても優れた演奏家だ。

その典型的な例を『半音階的幻想曲とフーガニ短調』に聴くことができる。

この作品集の録音に使われた楽器の音色の美しさも特筆される。

アンタイが使用しているのは1997年製のルッカース・モデルで、はじけるような音の立ち上がりの良さと、素朴で直線的な音色が魅力だ。

特に対位法の各声部を明瞭に弾き分けることが必要になるバッハの演奏にとっては、華美な傾向になりがちなフランス系のチェンバロよりルッカースのほうが適しているだろう。

ピッチはa=415に調律されている。

この2枚組のCDは既に2005年にヴァージン・クラシックスからリリースされていたものの廉価盤化で、ヴェリタスX2シリーズのひとつになる。

ここに収められたバッハの作品集の中で、いわゆるスタンダード・ナンバーは『半音階的幻想曲とフーガニ短調』のみだ。

例えばCD1枚目の『組曲ホ短調』BWV996は元来リュートの為の作品であり、また7曲目の『ソナタニ短調』BWV964は『無伴奏ヴァイオリンの為のソナタ第2番ニ短調』のチェンバロ版で、アレンジを得意としたバッハの興味深い作品でもある。

尚録音は総て1997年に行われ、音質はチェンバロ特有の高音部の繊細さを鮮明に再現していて極めて良好。

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2020年07月26日


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ラ・プティット・バンドを統率するシギスヴァルト・クイケンも70歳を越えた現在、以前と比べれば録音活動はめっきり少なくなったが、新録音には常に解釈を着実に更新した新鮮さが感じられる。

バッハの『クリスマス・オラトリオ』は彼の2回目の録音で、2013年のセッションをSACD化したもののリイシュー廉価盤になる。

ハイブリッド仕様ながらサラウンドの立体的な音像と臨場感に説得力がある。

レオンハルト亡き後シギスヴァルト・クイケンはオ−ケストラ及びコ−ラスのパ−トを原則1名と設定している。

ここでも彼の構想はあくまでもピリオド・スタイルによるバッハ時代の音響の再現に徹している。

同シリーズ盤になる『ロ短調ミサ』を聴いた時にはコ−ラスに申すし迫力があっても良いと思った。

こちらの方を聴いていると確かに各声部が明瞭で、音量自体はこじんまりしているがアンサンブルの鮮烈な音色や歌手達の生き生きした表現力を感じ取ることができる。

バッハはこの作品で多くの種類の管楽器とティンパニをを取り入れて特有の壮麗なサウンドと牧歌的な雰囲気を醸し出している。

ライナーノーツを見るとオ−ボエ、オ−ボエ・ダモ−レ、オ−ボエ・ダ・カッチャは第1及び第2奏者がそれぞれ持ち替え、ホルン奏者はトランペットを持ち替えで演奏している。

こうした割り振りも当時の演奏習慣に則った編成で、経済的にも教会の雇い入れる音楽家の人数もかなり制限された事情が窺われる。

同様に4人のソリストがコ−ラスの各声部を一人ずつ担当しているが、彼らは豊かな音楽性と真摯な表現でイエス降誕への祝福を幸福感の中に伝えている。

ベルギー、ル−ヴェンのプレディクヘ−レン教会での録音は潤沢な残響を採り入れながら鮮明な音像を捉えていて秀逸。

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2020年07月20日


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リチャード・エガー率いるアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックによる2013年録音で、レギュラー・フォーマットながら音質の良さが印象に残る。

その前年にはやはりピリオド・アンサンブルのクイケン兄弟とラ・プティツト・バンドが二度目のバッハの管弦楽組曲全曲を収録していたので聴き比べてみたが、音質ではエガー盤が優っている。

それぞれの楽器の分離状態が鮮明で、音色も瑞々しい。

またエガーの使用ピッチがa'=392Hzのいわゆるヴェルサイユ・ピッチであるために、それほどテンポ感は変わらないのに、より風格のある典雅な趣が醸し出されている。

クイケンの方はほぼ半音高いa'=415で、更にリピートや特に必要ないと思われる装飾音をかなり省略してスマートさを出しているが、この点ではエガーはバッハの原典を遵守しているようだ。

そのためにクイケン盤では4曲の演奏時間を合わせても79分余りで1枚のCDに収めているが、エガー盤は94分ほどで2枚組になっている。

一般にバッハの時代のピッチは多様を極めていて、教会における宗教曲の演奏ではオルガンのピッチに合わせることが要求されたし、宮廷での室内楽では合わせる管楽器の調律や音色を生かすために、かなり自由な選択肢があったらしい。

特にヴェルサイユやバッハが晩年に訪れたプロイセンの宮廷では低いピッチが好まれたらしく、エガーもこうした点に着目しているようだ。

尚オーケストラのメンバーはライナーノーツに明記されているが、弦楽は1パート1人で通奏低音にコントラバスとエガー自身のチェンバロが加わる6名が基本で、曲に応じてトラヴェルソ、ファゴット各1名、オーボエ及びトランペットが3名ずつ、ティンパニ1人という編成になる。

コンサート・マスターで第1ヴァイオリンはパヴロ・ベズノシュークで、使用楽器はアントワープの製作者マトゥイス・ホフマンスの手になる1676年のオリジナル、第二番ロ短調で華麗なトラヴェルソ・ソロを演奏するベテラン女流レイチェル・ブラウンは1725年のシェーラー・モデルを使っている。

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2020年03月25日


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現在ではバロック・ヴァイオリンの大御所的存在のジュリアーノ・カルミニョーラがチェンバリスト、アンドレア・マルコンと組んだ最新盤で、先ず両者の音質の美しさに惚れ惚れとさせられる。

ネット配信の音源でもこれだけの音質を再生できる優秀な録音がこのディスクのセールス・ポイントのひとつだろう。

ヨーロッパの総てのヴァイオリン楽派はアルカンジェロ・コレッリにその源を辿ると言われているように、彼のDNAとその奏法は現代のイタリア人演奏家にも受け継がれていることを証明するような1枚だ。

バッハの織り成す対位法は勿論忠実に再現されているが、その中に節度のあるカンタービレと効果的な即興性などがちりばめられている。

また第6番の第3楽章では、マルコンが生き生きとしたチェンバロ・ソロでその腕前を披露している。

バッハが何故チェンバロだけの楽章を挿入したのかは知る由もないが、彼が興に乗じて弾いたであろう即興演奏を髣髴とさせる部分だ。

オブリガート・チェンバロ付の6曲のヴァイオリン・ソナタは、現在に至るまでさまざまな形態で演奏されてきた。

例えばカルミニョーラの師でもあったシェリングのモダン奏法にヴァルヒャがヒストリカル・チェンバロで伴奏した録音や、モダン・チェンバロで対応したコーガン、リヒター盤、あるいはピリオドには一切拘らずにピアノを使用したカピュソン、フレー盤などだ。

純粋な古楽のスタイル、つまりピリオド楽器にピリオド奏法での演奏というと、シギスヴァルト・クイケン、レオンハルト盤があり、通奏低音にヴィオラ・ダ・ガンバを加えたトリオ・ソナタ式のマンゼ盤もリリースされている。

これらはバッハの音楽の懐の深さと変幻自在の融通性を示していて興味深いが、このディスクはピリオド・スタイルの最新録音でもあり、古楽ファンには是非お薦めしたい。

使用楽器はライナー・ノーツによればヴァイオリンは作者不詳の17世紀のオリジナル、チェンバロはウィリアム・ホーンがコピーしたミートケ・モデルで、ミートケはケーテン時代のバッハがベルリンに赴いて宮廷のために購入した二段鍵盤を持つ大型チェンバロだ。

尚ピッチは現代より半音ほど低いa'=415Hzに調律されている。

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2020年03月23日


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ヴァルヒャの演奏は一切の饒舌を避けた、バッハ音楽の真髄だけが光を放っているようなシンプルなもので、あたかも平均律の原典譜を目の前に提示されたかの感さえある。

それだけに解釈は断固として明瞭で一点の翳りも戸惑いもない。

それはあの伝説的な暗譜方法、つまり各声部を別々に暗記してそれらを頭の中で再構成するという驚異的な暗譜法に由来しているのかも知れない。

理知的でありながら冷淡でなく、彼特有の突き進むような情熱で満たされていて聴く者に幸福感を与える稀有な演奏だ。

彼がバッハオルガン音楽の権威であることは無視できないし、チェンバロの演奏表現にもそれが反映しているのは事実だ。

ただ彼の演奏はバッハの音楽の媒介者としてひたすら奉仕するという目的で、楽器の持つ特性や能力を超越したところで成り立っているように思う。

そうした意味では1回目の録音時と基本的な姿勢は変わっていない。

勿論彼がこの2回目の録音の為にオリジナル楽器を選んでくれたのは幸いではあるが。

ちなみにこのセッションに使われたチェンバロだが、第1巻ではヤン・ルッカースが1640年にアントワープで製作したものでピッチはa'=415Hz、フレミッシュ特有のシンプルで立ち上がりの良い、しかも輪郭の明瞭な音色が対位法の音楽に適している。

第2巻はジャン=アンリ・エムシュが1755年から56年にかけてパリで製作し、1970年にクロード・メルシエ=イティエによって修復された楽器でピッチはa'=440Hz。

こちらはバロック盛期の華麗な響きを持っている。

ヴァルヒャがヒストリカル・チェンバロを使用したのはこの『平均律』を含めてわずか2例で、もうひとつがシェリングと組んだバッハのヴァイオリン・ソナタ集になる。

それは当時博物館に収容されていた古楽器の大掛かりな修復が余儀なくされていた事情によるものと思われる。

音源は1974年9月に行われたアナログ録音だが、音質はそれぞれのチェンバロの音質の特色を良く捉えた優れたものだ。

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classicalmusic at 23:09コメント(0) 

2020年02月27日


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本書は吉田秀和氏が書き下ろしたものではなく、機会あるごとに書いたバッハの作品への分析や演奏批評、レコード解説などを一冊に纏めたものである。

取り上げているサンプルは20年以上前の録音だが、現在私達がバッハを鑑賞する時の明快な手引きとして活用できる点が優れている。

これを読んでいると彼が如何に音楽の本質を捉えて語っているかが理解できる。

また決して対位法や和声の楽理に固執した偏狭な聴き方ではなく、バッハの書いたスコアが実際の音として再現されることへのほとんど無限の可能性と聴くことへの感動を伝えている。

それだけにカール・リヒターの『ブランデンブルク協奏曲』をまず解説して、それとは対照的なネヴィル・マリナーの同曲集も挙げている。

また『ゴ−ルドベルク変奏曲』に関してはグレン・グ−ルドとトレヴァ−・ピノックを推薦し、同様に『平均律』にはリヒテルとグルダの演奏が比較されている。

吉田氏のバッハ鑑賞への指標は明確で、19世紀の恣意的な表現の流れを汲む演奏はバッハには相応しくないとしている。

その中にハイフェッツの無伴奏も含まれているのは手厳しい。

しかし正確なリズムと的確なダイナミズムによる、生き生きとしたポリフォニーの再現が示される演奏には視野を大きく拡げている。

以下彼の書いた本文の一部を紹介しておく。

『私は、いつも「最高」のバッハのものばっかり好んで聴く趣味はないし、それを特に探そうと考えているものでもない。バッハには、まだ、別のバッハがいくつもある。そういう中で、リヒターのバッハと著しく違っていて、しかも、私を魅惑してやまないのは、グレン・グ−ルドのバッハである。リヒターとグ−ルドと、私は、そのどちらも捨てたくはないし、捨てる必要を少しも感じない。音楽は、それを許すのである。Gott sei Dank.(神が感謝されんことを)』

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classicalmusic at 10:52コメント(0) 
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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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