バッハ

2015年08月28日


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本作は、イタリア・バロックを中心に録音を行ってきたイル・ジャルディーノ・アルモニコが、バッハの名曲に挑戦したアルバムで、躍動感あふれるバッハ作品が堪能できる1枚。

ジョヴァンニ・アントニーニ率いるイル・ジャルディーノ・アルモニコが手掛けたバッハの『ブランデンブルク協奏曲』全曲集で、ごく最近復活したリイシュー盤になる。

録音は1996年から翌97年にかけてスイスのルガーノで行われ、ソロ楽器のエクストラを含めるとメンバーは総勢24名の大所帯だが、現在ソリストとしての活動が目覚しいバロック・ヴァイオリニストのエンリーコ・オノーフリもヴィオリーノ・ピッコロ、ヴァイオリン、ヴィオラで、また指揮者アントニーニ自身もリコーダーとトラヴェルソを演奏して八面六臂の活躍をしている。

『ブランデンブルク協奏曲』も今やピリオド・アンサンブルによる演奏が主流になってその選択肢も多いが、彼らの解釈は昨年リリースされたカルミニョーラのソロによるバッハのヴァイオリン協奏曲集に通じる開放的でドラマティックなイタリア趣味に支配されている。

ただ筆者自身は彼らの他の演奏から想像されるようなもっとラディカルなものを期待していたためか、いつものような新奇さはそれほど感じられなかった。

確かにバッハの場合、彼らが得意とする自在なテンポ設定や即興的な要素がある程度制限されてしまうのかも知れない。

ピリオド楽器の中でも管楽器はその個性的な音色に魅力がある。

第1番はナチュラル・ホルンの野趣豊かな響きを全面に出した音響を堪能できるし、第2番では以前使われていた小型のトランペットではなく、ヒストリカル楽器が使用されていて、音色もマイルドで他の楽器、例えばリコーダーやヴァイオリンなどを圧倒しない奥ゆかしさがある。

第3番の第2楽章でバッハはふたつの和音しか書き込まなかったが、オノーフリが短い即興的なヴァイオリンのカデンツァを挿入している。

また第5番では第2楽章のヴァイオリン、トラヴェルソとチェンバロの可憐な対話が美しいし、第6番では通奏低音としてチェンバロの他にリュートを加えて一層親密で和やかな雰囲気を醸し出している。

イル・ジャルディーノ・アルモニコは1985年にミラノで結成されたピリオド・アンサンブルで、若手奏者を中心に当時アーノンクール、レオンハルトやピノックの下で研鑽を積んだ経験者が参加している。

指揮者アントニーニ自身もまたレオンハルトと演奏活動を行っていたひとりだ。

テルデックの歴史的古楽レーベル、ダス・アルテ・ヴェルクから代表的なセッションがリリースされているが、最近ではチェチリア・バルトリやレージネヴァなどのアリア集の伴奏でも健在なところを見せているのが興味深い。

メンバーのそれぞれが由緒ある古楽器やそのコピーを使った古色蒼然としたサウンドに現代感覚を活かして解釈する斬新な表現に魅力がある。

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2015年08月27日


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ダヴィッド・フレーのヴァージン・クラシックスへのデビュー・アルバムで、新旧両作曲家の作品を交互に並べたカップリングはこれまでに余り例がないが、何事もないかのように続けられる演奏が彼のこだわりのない広い音楽観を良く表している。

しかもバッハとブーレーズの間にそれほど違和感を感じさせないのは、フレーの一貫した音楽性によって全曲が統一されているからだろう。

本盤におけるフレーの演奏はウェットで軽やかな詩情と洗練された音響に満たされている。 

バッハの作品では明るく開放的なフレーズが、軽やかな詩情に乗せて歌われるが、一面サラバンドのような緩徐楽章ではウェットでいくらか耽美的な雰囲気を醸し出している。

いずれにせよフレーの演奏は総てが彼なりに完璧に料理されていて、その特徴はバッハに関しては最低限バロック的なルールを守りながら、対位法の旋律に溢れんばかりの感性を託して歌っていることだろう。

バッハの鍵盤楽曲の中では最も自由な発想で書かれた『パルティータ第4番』では、そうした可能性が最大限発揮されている。

彼が最近リリースしたCDも2曲の『パルティータ』であり、こうした選曲は決して偶然とは思えない。

一方ブーレーズの2曲は彼が作曲家自身から演奏についての助言を受けたもので、こちらにもフレーの表現上のエッセンスがそれぞれの曲に良く反映され、洗練された透明な音響を作り出している。

それは決して奇をてらった押し付けがましい解釈ではなく、自然に聴き手を自分の方に誘導するすべも知っているようだ。

若手だが既に演奏表現に対するしっかりしたポリシーを持っていて、しかも大らかで無理のない表現力とレパートリーを限定してじっくり取り組む姿勢から、将来を期待できるピアニストの1人であることが窺われる。

同世代のドイツの若手、マーティン・シュタットフェルトとは全く違うタイプのユニークな存在として評価したい。

尚これからこのCDを購入したい方は、バッハのピアノ協奏曲集とセットになってプライス・ダウンされた2枚組の方をお薦めする。

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2015年08月14日


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昨年2014年はカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの生誕300周年に当たり、彼にちなんだコンサートの開催や作品集のリリースも盛んに行われた。

オランダのブリリアント・レーベルからはCD30枚のエディションも刊行されたが、このフルート・ソロと通奏低音のためのソナタ全曲集も同エディションに組み込まれた2枚をピックアップしたもので、2012年及び翌13年に収録されたヴェンツとしては久々のCDになる。

彼の若い頃の演奏はロカテッリのソナタ集に代表されるような、名技主義を前面に出したおよそ古楽とは思えないような疾走するテンポが特徴で、クイケン門下の異端児的な存在だったが、ここ数年超絶技巧は残しながらも様式に則ったよりスタイリッシュな演奏をするようになったと思う。

この曲集も流石に大バッハの次男の作品だけあって、豊かな音楽性の中にかなり高度な演奏上のテクニックが要求される。

ヴェンツを強力に支えているのがチェンバロのミハエル・ボルフステーデで、ムジカ・アド・レーヌムの長い間のパートナーとして絶妙なサポートをしている。

2枚目後半での彼のフォルテ・ピアノのダイナミズムも聴きどころのひとつだ。

今回ヴェンツの使用したトラヴェルソは最後の3曲がタッシ・モデル、それ以外はノーストの4ジョイント・モデルで、どちらもシモン・ポラックの手になるコピーだ。

ピッチはa'=400Hzの低いヴェルサイユ・ピッチを採用している。

これはそれぞれの宮廷や地方によって統一されていなかった当時の、ベルリン宮廷で好まれたピッチで、ムジカ・アド・レーヌムもこの習慣を踏襲している。

またボルフステーデは2枚目のWq131、133及び134の3曲には漸進的クレッシェンドが可能なフォルテピアノを使って、来るべき新しい表現を予感させているが、この試みは既にヒュンテラーの同曲集でも効果を上げている。

尚このソナタ集には無伴奏ソナタイ短調が入っていない。

ヴェンツは大バッハの無伴奏フルート・パルティータは既に録音済みだが、この曲もやはり非常に高い音楽性を要求されるレパートリーだけに将来に期待したい。

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、27年間に亘ってプロイセンのフリードリッヒ大王の宮廷チェンバリストとして奉職したために、大王のフルート教師クヴァンツや大王自身の演奏に常に参加して彼らの影響を少なからず受ける立場にあった。

しかし作曲家としては彼の革新的な試みが不当に評価されていて、俸給はクヴァンツの年2000タラーに対して若かったとは言え彼は300タラーに甘んじなければならなかった。

当時のプロイセンでは2部屋食事付ペンションの家賃が年100タラー、下級兵士の年俸が45タラーだったので決して低い額とは言えないが、クヴァンツが如何に破格の待遇を受けていたか想像に難くない。

カール・フィリップ・エマヌエルが作曲したフルート・ソナタには他にもオブリガート・チェンバロ付のものが10曲ほど残されているが、さまざまな試みが盛り込まれた音楽的に最も充実していて深みのある曲趣を持っているのはここに収められた11曲の通奏低音付ソナタだろう。

ソロと低音の2声部で書かれたオールド・ファッションの書法で、通常チェロとチェンバロの左手が通奏低音を重ねて右手が和声補充と即興的なアレンジを施すことになるが、このCDでも彼らはそのオーソドックスなスタイルを遵守している。

最後の第11番を除いて緩急のふたつの楽章に舞曲を加えた3楽章形式で、終楽章は通常ヴァリエーションで曲を閉じている。

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2015年08月10日


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このDVDは以前レーザー・ディスクでリリースされた1988年の東京カザルス・ホールでのライヴ映像で、バッハの『無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調』、カサドの『無伴奏組曲』そしてコダーイの『無伴奏ソナタ』の3曲を収録している。

シュタルケルはこの時64歳だったが、その演奏はかくしゃくとして剛毅で正確無比、また一方で高度な遊び心をもみせる余裕に驚かされる。

演奏中、目は殆んど半眼に閉じて楽器も指も見ていないし、顔も無表情に近く、あたかも無我の境地にあるかのようだが、そこに燃えるような集中力が宿っていて、一人の芸術家が到達した峻厳の高みを垣間見る思いがする。

これらの作品にはチェロのあらゆるテクニックが使われていて、素人目に見ても弦を左手の親指で押さえたり、複雑な運弓など技術的な完璧さが求められることが理解できるが、総ての曲が無伴奏であるために、音楽の内側へと凝縮していく彼の凄まじいばかりの精神力を感じずにはいられない。

シュタルケルはバッハの『無伴奏チェロ組曲』全曲を生涯に4回ほど録音していて、このライヴの4年後に彼の最後の全曲録音を行っている。

勿論その度ごとに彼の解釈も変化しているので、この曲集に託したシュタルケル自身の研鑽が生涯を通して続けられたと言えるだろう。

バロック音楽にも造詣の深い彼が、それぞれの舞曲に洗練された表現を聴かせてくれるが、決して恣意的にならないところにもバッハへの確固たるポリシーが貫かれている。

3曲目はハンガリー出身の彼が、コダーイ自身から薫陶を受けた秘曲だけに独壇場の凄みと迫力を持っている。

確かにマジャール人としての誇りを持つ真に迫った演奏には違いないが、この作品もカサドの組曲も彼によって民族性を超越した普遍的な価値を持つ音楽に昇華されているところに意義があるのではないだろうか。

このコンサートが催されたカザルス・ホールは1987年にオープンした日本でも本格的な室内楽専用のコンサート・ホールで、ユルゲン・アーレントによって製作されたバロック・オルガンは世界に誇るべき楽器であるにも拘らず、2010年4月以降会場は閉鎖されて宝の持ち腐れになっている。

カザルス夫人の意志を継いだ命名だけに文化大国日本の名誉に賭けてもコンサートの再開に向けての努力が望まれる。

尚DVDはパルナッススからのリイシューになり、ライナー・ノーツもなければ録音データにも乏しいところがアメリカのレーベルらしいが、リージョン・フリーでこのライヴが復活したことは評価したい。

画像に若干の揺れが見られるが概ね良好で音質も鮮明だ。

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2015年08月05日


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当時のFM東京の音源は2002年に初出の際、レギュラー・フォーマットのCD2枚組でリリースされた。

これは本当に凄いバッハで、初めて聴いた時、筆者はシェリングの傑出した表現力とそれを支える万全なテクニック、そしてその鮮烈な音質に驚いたものだが、その後リイシュー盤を出しながらもこれらのCDは既に廃盤の憂き目に遭っている。

今回のSACD化では音場の広がりとそこから醸し出される空気感がより立体的な音像を提供しているのが特徴と言えるだろう。

尚前回余白に収められていたシェリング自身の語りによるバッハ演奏のためのヴァイオリン奏法や解釈についてのコメントは省略されている。

本番に強かったシェリングはスタジオ録音の他にも多くのライヴで名演を残しているが、中でも最も音質に恵まれているのは間違いなくこのSACDだろう。

当日のプログラムは彼の生涯の課題とも言うべきバッハの作品のみを取り上げた興味深いもので、完璧主義者のシェリングらしく演奏は精緻でバッハの音楽構成と様式感を明瞭に再現しながらも、ライヴ特有の高揚感と熱気が間近に感じられる。

実演に接した人の話のよると、シェリングのヴァイオリンの美音が冴え、バッハにしては甘美すぎるのではないかという印象があったらしいが、この録音ではそういう感じはまったくなく、しなやかで明るく、洗練された雰囲気を漂わせた親しみやすいバッハになっている。

スケールも一段と大きく、シェリング得意の美音で、実に厳しく清澄で、豊麗、流麗なバッハを聴かせてくれる。

厳格一点ばりのバッハではなく、厳格さのなかにヒューマンな感情があり、そこが人々が支持するゆえんであろう。

シェリング気迫と円熟の至芸であり、その一点一画もゆるがせにしない音楽の作り方は、一貫した力に満ちた真に辛口の音楽とでも言えるところであり、レコード並みの完璧さでありながらライヴならではの感興の盛り上がりに聴き手は息もつくことができない。

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番も冒頭から終曲まで異常な求心力で演奏される。

中でも終曲シャコンヌは、音楽的に全く隙のない構成力とそれを余すところなく聴かせる表現の巧みさ、そして緊張感の持続が最後の一音まで貫かれていて、最後の一音が消えると、この世ならざる感動に満たされ、演奏が終わった時に聴衆が息を呑む一瞬が印象的だ。

このシャコンヌを聴くと、シェリングが作品のひとつひとつの音のもつ意味というものを、いかに考えているかがよくわかる。

2曲のソナタのピアノ・パートは彼としばしば共演したマイケル・イサドーアで、控えめながら端正で確実な演奏が好ましい。

このようなライヴが、かつて日本で存在したことにも感謝したい。

また、シングルレイヤーによるSACD化により音質も大変良くなり、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

シェリングのヴァイオリンの弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、まるでシェリングが顔前にいるかのようなリアリティさえ感じられ、あらためてSACDの潜在能力を思い知った次第だ。

いずれにしても、1976年の日本での偉大なコンサートがこのような最上の音質で聴けることを大いに喜びたい。

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2015年08月02日


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名匠オスカー・シュムスキー(1917-2000)の本邦初のソロ・アルバム(国内盤は既に廃盤)が本盤に収められたバッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ》であった。

シュムスキーは1917年フィラデルフィア生まれ。8歳のときストコフスキーの招きで、フィラデルフィア管弦楽団とモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番を弾いてデビュー、神童と騒がれた。

その後アウアー、ジンバリストに師事し、NBC交響楽団団員、プリムローズ弦楽四重奏団の第1ヴァイオリンなどを経て、1959年には指揮者としてもデビュー。当録音の行われた1975年からイェール大付属音楽学校で教鞭を執っている。

バッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ》は、作曲されてから約300年が経っているにもかかわらず、今なお世界のヴァイオリニストが弾きこなすのを究極の目標とするというのは殆ど驚異である。

しかも、無伴奏のヴァイオリン曲という分野でも、このバッハの曲を超える作品は未だに存在しておらず、おそらくは、今後とも未来永劫、無伴奏のヴァイオリン曲の最高峰に君臨する至高の作品であり続けるものと思われる。

1つの楽器に可能な限り有効な音を詰め込み、表現の極限に挑戦したバッハの意欲的な創作と、調性による曲の性格の違いを明確に描かなければならない難曲でもある。

そのような超名曲だけに、古今東西の著名なヴァイオリニストによって、これまで数多くの名演が生み出されてきた。

そのような千軍万馬の兵たちの中で、シュムスキー盤はどのような特徴があるのだろうか。

本演奏でシュムスキーが奏でる1715年製のストラディヴァリウス“エクス=ピエール・ロード”の瑞々しい響きは実に豊かだ。

そしてその美しい響きが織り成すバッハの音楽が、いかに若々しく精神的に充実していることか。

シュムスキーの年季の入ったテクニックは見事で、いかなるパッセージも苦もなく弾き進む。

しかも、そこにはいわゆる難曲を克服するといった観はみじんもなく、聴き手のイマジネーションを大きくふくらませてくれる、スケールの大きなバッハだ。

これは言葉のもっともよい意味での「模範演奏」と言えるものとして高く評価されてしかるべきである。

たとえば〈シャコンヌ〉では、ヨーロッパで19世紀以来培われてきた「伝統的」な演奏法のエッセンスがこのなかに結実している。

逆に「古楽器派」の人にはそこが癪にさわるのも、まあわからなくもない。

世評の高いミルシテイン盤と比較してみると、ミルシテインのバッハを大理石の彫像とするなら、シュムスキーの演奏は木彫りのイエス像である。

前者の音はどこまでも磨き抜かれ、ボウイングに一切の淀みはなく、造型は限りなく気高い。

一方、後者は、ノミの一打ち一打ちに「祈り」が深く刻まれた音で、鮮やかな刃跡の何という力強さ、自在さ。

これぞ、名匠中の名匠の技と言えるところであり、瞼を閉じて聴こえてくるは、百万会衆の祈りの歌。

愛称「ケンブリッジの公爵」から紡ぎだされる悠久のフレージングは、遥かな歴史をも語っている。

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2015年08月01日


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このCDではハンガリーの中堅古楽奏者2人、トラヴェルソのチャーログと鍵盤楽器奏者のシュパーニが、バッハの真作と認められている4曲のフルート・ソナタを採り上げている。

また音響の点でも現代の音楽ホールなどの広い空間で行うセッションとは全く異なった、宮廷でのプライベートなコンサートや友人達や音楽仲間の集いで演奏されたであろう、ごくインティメイトで奥ゆかしい音楽が再現されているところに特徴がある。

潤沢な響きに慣れた耳にはその素朴さにもの足りなさを感じるかも知れないが、ピリオド楽器とその奏法で綴ったデリケートな音楽語法と古風な音色は、バッハが作曲していた時代の音響感覚を探るためのサンプルとして興味深いものがある。

このセッションで特に彼らの工夫がみられるのは使用楽器の選択で、現在バッハのフルート・ソナタをピリオド楽器で演奏したCDは枚挙に暇がないが、当時の演奏習慣や可能性を考慮して、この録音では双方が2種類の楽器を使い分けている。

先ずホ長調BWV1035とホ短調BWV1034の2曲には、18世紀初頭の製作者不明のトラヴェルソのコピー及び1770年製のサクソン・モデルのクラヴィコードが用いられピッチはa'=408Hz。

一方イ長調BWV1032と大曲ロ短調BWV1030では、トラヴェルソが1740年製のクヴァンツ・モデルと1749年製のゴットフリート・ジルバーマン・モデルのフォルテピアノが使われていてこちらのピッチはa'=415Hzと微妙に異なっている。

古楽器コレクターとしても知られるシュパーニはこれらの楽器をライナー・ノーツに写真掲載している。

ラメーは古楽専門のドイツの新レーベルで、ここ数年間にレベルの高いユニークな演奏のCDを多くリリースしているが、ジャケットの装丁にも凝っていて、このCDではデジパックの前面に18世紀に使用されたダイヤル式マイクロ・メーターの写真が印刷されている。

3面の折りたたみで綴じ込みのライナー・ノーツには2人の演奏者それぞれによる、楽器とその響きへの考察が書かれていて、彼らがふたつの楽器の間にどのような音響とバランスを考えてこの録音に臨んだかが理解できるが、入門者向けとは言えないだろう。

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2015年07月26日


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ここに収められたCD26枚のバッハの教会カンタータ集は以前アルヒーフから同内容でリリースされ、既に法外なプレミアム価格で扱われているもので、今回のユニヴァーサル・イタリーによる全歌詞付126ページのブックレットを伴ったバジェット盤企画の快挙を評価したい。

尚BWV26及びBWV51でのソプラノは前者がウルズラ・ブッケル(1966年)、後者がマリア・シュターダー(1959年)が歌った旧録音の方が採用されている。

カール・リヒターは1959年からこのカンタータ集の録音に取り組み、その精力的な活動は78年まで続けられたが、彼が54歳の若さで他界しなければ、更に多くのセッションを遺してくれたであろうことが惜しまれる。

このセットには教会歴に従いながら75曲の作品が収録されていて、どの曲を聴いても生命力に漲るリヒターの強い個性が発揮された鮮烈な音楽が蘇ってくる。

それはリヒターの一途でひたむきな宗教観とバッハの音楽への斬新な解釈が、音源の古さを通り越してひとつのドラマとして響き渡るからだろう。

勿論リヒターの名を不動にした『マタイ』、『ヨハネ』の両受難曲や『ロ短調ミサ』などの大曲も彼の最も輝かしい演奏の記録には違いないが、彼はプロテスタントの教会で日常的に歌われるカンタータの研究の積み重ねによって、初めてバッハの宗教曲の本質が理解できるようになると考えていた。

確かにバッハが生涯に250曲もの教会カンタータを作曲したとすれば、それはバッハの全作品中最も高い割合で書かれたジャンルになり、如何に心血が注がれた作品群であるかが納得できる。

リヒターが指揮棒を握る時にはソリストやコーラスだけでなく、オーケストラにも彼の熱いスピリットが乗り移ったような統一感が生まれる。

この時代はまだ古楽の黎明期で、モダン楽器とピリオド楽器を混交させながらの奏法も折衷様式をとっているが、そうした条件を補って余りあるほどリヒターの演奏には不思議な普遍性がある。

リヒターの高い精神性に導かれた隙のない、そして全く弛まない緊張感が時代を超越して聴き手に迫る驚くべき手腕は流石だ。

リヒターはルター派の牧師の父を持ち、最初に音楽教育を受けた学校が宗教色の強い環境だったことも彼のその後の活動に色濃く影を落としている。

当然リヒターの少年時代にとって聖書講読や教会歴に沿った行事での演奏は、切り離すことができない生活の一部だったことは想像に難くないし、後のライプツィヒ聖トマス教会のオルガニストを始めとする教会でのキャリアは、バッハの研究者として彼に課された宿命的な仕事だったに違いない。

このカンタータ集は彼のバッハへの哲学が集約された音楽の森とも言うべき優れた内容を持っていて、将来に聴き継がれるべき演奏である筈だ。

特に新しいリマスタリングの表示はなく、足掛け20年に亘る音源なので、時代によって音質に若干のばらつきがあるのは致し方ないが、幸い全体的に鮮明で良質な音響空間が得られていて鑑賞に全く不都合はない。

ブックレットには詳細な曲目、演奏者及び録音データと、リヒターとバッハのカンタータについての英語解説、そしてオリジナルのドイツ語による全歌詞が掲載されている。

ボックス・サイズは13x13x6,5cmでシンプルなクラムシェル・タイプの装丁だが、品の良いコレクション仕様に好感が持てる。

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2015年07月23日


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LP時代初期、ヴィヴァルディの《四季》と並ぶ大ヒットを記録したバッハの《管弦楽組曲》。

ミュンヒンガーは、後発のレコードメーカーながらいち早くLPレコード製作に着手したデッカに成功をもたらした。

埋もれていた名曲《パッヘルベルのカノン》を世に出したのもミュンヒンガーで、バロック音楽ブームの火つけ役も担い、ローマ教皇やイギリス女王の御前でも演奏した。

ミュンヒンガーにとって3度目の当録音は、前2作よりも遅めのテンポで骨組みのしっかりした純ドイツ風の演奏になっている。

近年のバロック研究の成果として生まれた新たな解釈ではなく、オーソドックスなスタイルを根底においたバッハである。

ミュンヒンガーはバロック音楽作品を小編成のオーケストラで忠実に再現することにより、作品が持つテクスチュアそのものを浮き上がらせることに成功した指揮者だった。

だが、バロック音楽に飽き足らずフルオーケストラを志向し、シュトゥットガルト・クラシック・フィルを結成、そこでモーツァルトやベートーヴェンの交響曲を録音し、また、彼とシュトゥットガルト放送交響楽団との録音もある。

だが、ミュンヒンガーの名盤となるとバロック音楽を取り上げていたシュトゥットガルト室内管弦楽団のものになるだろう。

本盤に収められたバッハ《管弦楽組曲》、それに《ブランデンブルク協奏曲》《パッヘルベルのカノンーバロック音楽の楽しみ》は気品あるバロック音楽のスタンダードである。

ミュンヒンガーのバッハの演奏は、骨組みがドイツ的にがっしりしており、流麗で、しかも色調が渋く、古典的な香りをたたえているのが特色である。

この演奏も解釈そのものは、前2回の録音とほとんど変わりはないのだが、全体にややテンポを遅めにとり、丹念に仕上げており、音楽の内容がいちだんと円熟味と深みを増しているのが素晴らしい。

さらに今回は、今までの2回の録音よりも、響きと表情に丸みが加わり、柔らかくコクのある演奏になっている。

フルートにジャン=ピエール・ランパルではなくウィーン・フィルの首席フルート奏者、ヴォルフガング・シュルツを起用。

第2番のソロ・パートでウィーン風の洒脱な演奏が楽しめ、シュルツのテクニックも大変見事だ。

また、デッカから彼らのバッハの《管弦楽組曲第2番、第3番》と《ブランデンブルク協奏曲第2番、第6番》を1枚に収めたタイトルもリリースされている。

こちらは廉価盤シリーズでの発売なので比較的入手しやすく、ミュンヒンガー入門盤としてはお手ごろである。

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2015年07月22日


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フレーのバッハ演奏は、千変万化のディナーミクと絶妙なバランスが際立った名演である。

バッハの『パルティータ』特有の自由闊達な作曲技法と、それまでの様式に必ずしも囚われないエレメントの挿入をフレーの感性が個性的に捉えた、優美でリリカルな表現が特徴だ。

フレーのバッハは彼のデビュー・アルバムで『パルティータ第4番ニ長調』をすこぶる柔軟な感性で弾いたものが印象に残っているが、ここに収められた2曲でも彼のこの曲集への音楽的構想とアイデアが明瞭に反映されている。

フレーのディナーミクから創り出される音色の変化はチェンバロやオルガンのレジスターの使い分け以上に千変万化で微妙な陰影に富んでいる。

例えばフレーは対位法の各声部を決して対等に扱おうとはしない。

第2番のアルマンドに聴かれるように、左手の声部は影のように従わせ、サラバンドにおいても夢幻的とも言えるリリシズムを醸し出している。

ある声部を霧で包むようなピアニスティックなテクニックは2曲目の『トッカータハ短調』にも充分に活かされているし、それはフーガにも敢然として現れる。

こうした表現方法は大曲になると冗長になって取り留めのないものになりがちだが、第6番のような後の『フーガの技法』に通じるスケールの大きな曲でも、彼はその構成感に絶妙なバランスを保って違和感を与えていないのは流石だ。

この録音は2012年にパリのノートルダム・デュ・リバン教会で行われた。堂内の潤沢な残響に包まれているが、ピアノの音質は極めて明瞭に採られている。

またここに選ばれた3曲は総て短調で書かれているが、フレーの豊かな音楽性が光彩に満たされた幸福感を醸し出していて決して陰気な印象を与えていない。

この方法はリヒテルがクレスハイム城で録音した『平均律』と同様の効果を上げていると言えるだろう。

このあたりにもフレーのバッハを再現するための、より具体的な音響的構想と手段が窺える。

フレーにとってバッハは特に重要なレパートリーで、既にブレーメンドイツ室内管弦楽団との協奏曲集のCD及びDVDもリリースされている。

『パルティータ』に関してはこれで第2、第4、そして第6番の偶数番号が揃ったことになる。

この曲集の内包する殆んど無限とも言える音楽的可能性からして、またフレーの好みから考えても残りの奇数番号3曲に挑戦することが充分予想されるし、またそれに期待したい。

フレーは生粋のフランス人でありながら目下のところ自国の作品にはそれほど興味を示さず、主としてドイツ圏のピアノ作品を集中的に録音している。

自分の感性を全く趣味の異なるドイツ物で磨きをかけながら更に洗練しているのかも知れない。

それは逆説的で風変わりな発想にも見えるが、今までにそれらの作品に与えられていたイメージを拡張し、新たな可能性を示しているという点でも現代の優れた若手ピアニストの1人に数えられるだろう。

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2015年07月21日


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バロック期やウィーン古典派のヴァイオリン音楽の泰斗であるカルミニョーラが、ついにバッハのヴァイオリン協奏曲をリリースしてくれた。

カルミニョーラから迸り出るようなドラマティックな表現が特徴的な協奏曲集だ。

それぞれの曲のテンポも快速で、彼らの演奏は時としてアグレッシヴになりがちだが、それはライナー・ノーツにも書かれているようにこうした協奏曲の持つイタリアン・バロックの曲趣を強調したもののようだ。

協奏曲やソナタの分野でバッハは同時代のヴィヴァルディの様式を好んで取り入れた。

それは当時のイタリアの音楽が簡潔な構成の中に名人芸を取り入れて特有の劇的な効果を上げていることに注目したからにほかならない。

このCDに収められた協奏曲は、いずれもバッハがイタリア趣味に開眼し、その音楽語法を完全に会得したケーテン宮廷楽長時代の作品とされている。

それゆえこの曲集の演奏では、彼の対位法的な手法の巧妙さよりもむしろ音響的な斬新さやスリルに満ちた再現が聴きどころだろう。

バロックの劇的な音楽性を再現したイタリア風バッハであり、バッハの音楽の多様な可能性を試みたひとつの優れたサンプルに違いない。

特に、他の追随を許さない非常に美しい音色と、随所に光る即興の妙は、まさにカルミニョーラの熟練の技のなせる所と言えよう。

カルミニョーラをサポートするのはピリオド・アンサンブル、コンチェルト・ケルンで、楽器編成を見ると第1ヴァイオリンがコンサート・ミストレスの平崎真弓を含めて4名、第2が3名、ヴィオラ及びチェロが各2名ずつに通奏低音のコントラバスとチェンバロが加わる計13名で、a'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチを採用している。

『2挺のヴァイオリンのための協奏曲ニ短調』では平崎がソロの第1ヴァイオリンを担当している。

彼女はライプツィヒ国際バッハ・コンクール2位の受賞者で日本人の若手バロック・ヴァイオリニストとしてはこれからが期待される存在だが、演奏もカルミニョーラに引けをとらないほどの高い音楽性と気迫で互角に競っているところが頼もしい。

毎回カルミニョーラが録音に使うヴァイオリンはそれぞれが名器と言われているものだが、今回も前回のヴィヴァルディ協奏曲集と同様、ボローニャの名匠ヨハネス・フロレーヌス・グィダントゥスの手になる1739年製のオリジナル楽器を使用している。

2013年にケルンで録音されたセッションで、コントラバスの低音からチェンバロの響きに至る高音までがバランス良く採音された臨場感溢れる鮮烈な音質。

カルミニョーラファンのみならずバッハの愛好家を始めとする幅広い層に心からお薦めしたい稀有な録音である。

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2015年07月16日


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バッハの「平均律クラヴィーア曲集」は鍵盤楽器だけではなく、音楽全体にとっての聖典であると言われている。

「平均律」は1オクターブを構成する12音の周波数の差を均等に調律する方法であるが、バッハはその12音それぞれを基音とし、さらに長調と短調の両方を作ることで全24の調性による練習曲を作った。

それが「平均律クラヴィーア曲集」全2巻である。

そんなバッハの「平均律クラヴィーア曲集」は、ピアノ音楽の旧約聖書とも言われているだけに、古今東西の多くのピアニストにとっては、新約聖書たるベートーヴェンのピアノ・ソナタと並んで、弾きこなすのは大いなる目標とされてきた。

かつては、グールドの超個性的な名演もあったが、グールドと並んで「鬼才」と称されるアファナシエフが、同曲に対してどのようなアプローチをしているのか、聴く前は大変興味津々であった。

同じロシアのピアニストであるリヒテルも、同曲に素晴らしい名演を遺しているが、アファナシエフのアプローチは、リヒテルの研ぎ澄まされた鋭利なピアニズムとは対照的で、ゆったりとしたテンポをベースとしたきわめて静的で精緻なものだ。

シューベルトの後期3大ピアノ・ソナタで見せたような、超スローテンポのやり過ぎとも言えるアプローチはここではいささかも見られない。

その分、肩すかしを喰わされたきらいがないわけではないが、バッハがスコアに記した音符を透徹した表現で完璧に描き出したという点においては、さすがは「鬼才」アファナシエフならではの個性的アプローチと言える。

第1巻では、最後のフーガを2バージョン収めているのも、アファナシエフの同曲への深い愛着とこだわりを感じさせる。

第2巻は、第1巻よりもさらに技巧的にも内容においても高度な内容を内包しているが、アファナシエフのアプローチは、第1巻の演奏といささかの変化もない。

シューベルトの後期3大ピアノソナタで見せたような極端なスローテンポによるあくの強いアプローチはとらず、ピアノ曲の旧約聖書とも称される同曲への深い畏敬の念を胸に抱きつつ、構成される全24曲(前奏曲とフーガを別の曲と考えると48曲)を1曲1曲、あたかも骨董品を扱うような丁寧さで、精緻に描き出していく。

全体として静けささえ感じられるほどであり、これぞバッハの音楽とも言うべき底知れぬ深みを湛えた演奏と言うべきである。

「鬼才」とも言われたアファナシエフにしては、少々物足りないとも思われるが、それだけ同曲集に対しての強い愛着とこだわりを感じさせる。

また、全体的に音楽を構成する個々の音が際立っていて、隙間の無いロジックパズルのように理路整然と整っている。

同じロシアの先輩ピアニストであるリヒテルの鋭角的なアプローチとは対照的であると考えるが、演奏から受ける感動においては、いささかの不足もなく、リヒテルの名演とは別次元の名演と高く評価したい。

技巧的にバリバリと弾く人も多い曲集だが、むしろこうやってじっくりと構えてもらった方が、ひとつひとつの音が際立って曲集全体の構造(つまり音楽の最も初歩的な理論)が理解しやすいと思う。

しばしば「鬼才」と評されるアファナシエフだが、ここで彼はその演奏によって、音楽理論の真髄へ迫る手がかりを与えてくれるのであり、音楽を勉強する人なら、聴いてみて損はないはずだ。

また、アファナシエフの透徹したピアノのタッチが鮮明な音質で味わえる点も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2015年07月12日


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この6枚組のセットはソニー・ヴィヴァルテからのリイシュー物で、既に入手困難になっているCDをまとめてプライス・ダウンしているのがセールス・ポイントだ。

最初の1枚はマンハイム楽派を中心とした4曲のフルート協奏曲とグルックの『精霊の踊り』を収めている。

トラヴェルソの持つ木質特有のソフトで温かく、しかも色彩感溢れる音色を活かしたバルトルド・クイケンの名人芸を堪能できる理想的なセッションだ。

使用楽器はカール・シュターミッツの作品のみアウグスト・グレンザーの8キー・モデル、その他は同ワンキー・モデルで、最後のグルックのソロ・パートは彼の弟子でカナダの女流トラヴェルソ奏者クレール・ギモンに替わっている。

オーケストラはカナダのピリオド楽器使用のバロック・アンサンブル、ターフェル・ムジークで、いずれも1991年の録音。ピッチは全曲ともa'=430。

CD2−3はC.Ph.エマヌエル・バッハのオブリガート・チェンバロ付の10曲のフルート・ソナタ集で、このうち変ホ長調及びト短調はBWV番号の付いた、かつては父大バッハの作として考えられていたものになる。

エマヌエル・バッハにはこの他にチェンバロのパートを記していない通奏低音付のソナタを更に11曲残しているが、クイケンはそれらをアクサン・レーベルからリリースしている。

1993年のセッションで使用楽器はクイケンのトラヴェルソがアウグスト・グレンザーのワン・キー・モデル、一方ヴァン・アスペレンの弾くチェンバロは二段鍵盤のミートケ・モデルでピッチはa'=415。

CD4は、18世紀に北ヨーロッパの芸術の都となったベルリン宮廷で演奏された作品集で、当時フリードリヒ大王のもとで活躍した作曲家の7曲のソナタが選ばれている。

奏法の異なるさまざまなトラヴェルソを使い分けるクイケンの巧みなテクニックは言うまでもないが、ここでは1750年製作のクヴァンツ・2キー・モデルを使っている。

通奏低音のチェロは兄のヴィーラント・クイケンで、彼は1570年製のアンドレア・アマーティのオリジナル、そしてヴァン・アスペレンのチェンバロはミートケ・モデルになる。1995年の録音でピッチはa'=415。

CD5−6はJ.S.バッハのソナタ集で、トラヴェルソはフランス・ブリュッヘンに替わる。

ブリュッヘンは横笛の演奏に関しては友人でもあるクイケンの実力を充分に認めていたようで、トラヴェルソ演奏のサンプルはそれほど多くないが1973年及び75年に録音されたこのソナタ集と『無伴奏パルティータイ短調』はその代表的なセッションだ。

改めて聴き直してみるとクイケンほど精緻ではないにしても、なかなか味のある高い音楽性を持ったパフォーマンスとしての魅力がある。

当時ブリュッヘンは古楽の新星と言われただけあって、そのフレッシュな解釈と意欲的な試みは古楽器奏者としてパイオニア的な意義を持っていただけに歴史的にも貴重な演奏だ。

因みにクイケンが第1回目のバッハのフルート・ソナタ全集を録音したのは1988年のことなので、ブリュッヘンの挑戦が如何に画期的なものであったか想像に難くない。

使用楽器は1773年にシェーラーが象牙で製作したオリジナルで、筆者の記憶に間違いがなければ、現在このトラヴェルソは有田正広氏の所蔵になっている筈だ。ピッチはa'=415。

尚その他のいくつかのトラックは『無伴奏パルティータ』を5種類の異なった楽器で演奏した例で、原曲のオールマイティー的な性格を象徴している。

最後はロ短調ソナタの第1楽章をバロック・アンサンブル用に編曲した興味深い演奏だ。

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2015年06月11日


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独自の奏法やその風貌、そして芸術観だけでなく生涯そのものでもオリジナリティを貫いたグレン・グールドが、わずか30年足らずのキャリアの期間にバッハだけでもディスク44枚分の録音及び録画を遺していたというのは驚異的な事実である。

それはまたグールドが如何に対位法の音楽やそのテクニックに傾倒していたかの証明でもあるだろう。

そしてグールドはその迷路のような狭間に分け入って、それぞれの声部をより効果的に感知させる怜悧で不思議なピアノ奏法を編み出した。

グールド自身が意識していたか否かに拘らず、その強烈な個性がともすれば息詰まりになっていたバッハの音楽に新しい生命を吹き込んで、その後の演奏家に幅広い解釈の扉を開いた功績は大きい。

一方で彼は演奏の一回性に疑問を持っていた。

言うならばそれぞれのコンサートごとに変化する、あるいは聴衆を満足させる演奏ではなく、逆に聴衆を介さない自己の最大限の集中力の中での再現を試みようとした。

少なくとも彼は1964年以降公衆の面前から姿を消した。

音楽家の中には録音芸術を虚構として嫌う人達も少なくないが、彼は果敢にも録音を通してのみその本領を発揮しようとした新時代のピアニストであった。

そうした意味ではこの膨大な記録に彼の直截的なメッセージが託されていると言ってもいいだろう。

とにかく現段階で入手可能なグールドのCBC、コロムビアへのバッハ録音が網羅されている。

中心になるのは曲目構成、ジャケットと共に初出時のオリジナルLPを再現した27枚のCDで、このうちにはカップリングの関係でベートーヴェンの2曲の協奏曲も含まれている。

またグールドがセンセーショナルなデビューを飾ったゴルトベルク変奏曲に関しては1954年のCBCラジオ放送盤、1955年のモノラル盤及び同録音の擬似ステレオ盤、1959年のザルツブルク・ライヴ盤と1981年のステレオ・デジタル盤、1982年のティム・ペイジとの対話での抜粋、さらには1955年のスタジオ・アウトテイク録音、そしてとどめにDVD3枚目の1964年テレビ放送用録画及び6枚目の1981年のモンサンジョン監修動画のなんと9種類が収められている。

全44枚のディスクのうち6枚はDVDで、初出のものは2枚目の「Well-Tempered Lisner」と題されたジャーナリスト、カーティス・デイヴィスとの対話が演奏の間を縫ってトラック4、7、9、11に収められている。

またこのDVDではグールドがモダン・チェンバロを弾く映像も興味深い。

それ以外の5枚は既出だが廉価盤で、しかもまとまって手に入るのが嬉しい。

また既に良く知られているブリューノ・モンサンジョン監修による彼自身との対話では、グールドの哲学がどのように実際の演奏に昇華されていくかが見どころだ。

ボックスの装丁は買うほうが気恥ずかしくなるような立派な布張りで、ディスクの枚数の割には随分大きく、ずっしり重いコレクターズ仕様。

ハード・カバー装丁で上質紙の192ページほどある横長のライナー・ノーツの巻頭に、ミヒャエル・シュテーゲマンの「グールド、21世紀のバッハ」と題されたエッセイを英、独、仏語で、全ディスクのデータ、オリジナル解説、グールドのバイオグラフィーは英語で掲載し、随所にカラー及びセピア色の写真が満載されていて殆んど単行本の外観と内容を持っている。

それぞれのジャケットは紙製だが折り返しのある丁寧な作りで、ディスクの配列が背中を向けた横向き収納なので、ボックスを縦に置くと目当ての曲目が容易に取り出せる。

コストパフォーマンス的にもグールド・ファンには見逃せない企画だ。

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2015年04月24日


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グレン・グールド没後20年/生誕70年を記念した3枚組メモリアル・アルバム。

彼の代表作である、1955年と1981年の「ゴルトベルク変奏曲」をカップリングし、さらにレアな音源(1955年の録音時のアウトテイク)を初CD化。

グールドの全く対照的な新旧2つのゴルトベルク変奏曲を1つのセットに収めた好企画盤。

1955年の「ゴルトベルク」は、24ビットリマスターで収録、1981年の「ゴルトベルク」のオリジナル盤はデジタル録音だが、今回は、並行して録音されていたアナログ・テープからのDSDマスタリングによるマスターを初めて使用。

そして、グールドと縁の深いティム・ペイジと「ゴルトベルク」について語った50分におよぶインタビュー・セッション(1982年録音、日本盤のみ完全日本語訳付)を収録。

グレン・グールドのレコーディング・デビュー作となる1955年の「ゴルトベルク変奏曲」は世界に旋風を巻きおこした。

確固たる現実的な音楽観、完璧な演奏技術、驚くべき透明感、的を得たリズムの変化、それに加え、ハミングしたりときには乱暴なまでにテンポを速める不思議な癖。

それらがグールドをたちまち伝説のピアニスト、まったく新しい手法によるバッハの音楽の解明者の地位に祭りあげた。

そして、それから26年後のグールドの最後のレコーディング作品もまた「ゴルトベルク変奏曲」だった。

こちらでは、さらにリラックスし、ときおり遅すぎるほどにテンポを落とし、より内面的に音楽を読みとり(けれども彼ならではの激しいアタックやアクセントは変わっていない)、変奏曲のうち15曲で前半部を反復している。

1955年作品と1981年作品はそれぞれ独自の手法をとっているが、どちらも素晴らしく、これら2つの演奏はどちらもクラシック音楽全体の中でも比類を絶して素晴らしいもののひとつに入る。

旧盤の繰り返しをすべて省いた一直線の快速の演奏、新盤のゆったりとしたテンポで、自らの人生を顧みるかのような味わいのある演奏。

いずれも優劣の付け難い永遠の超名演と言うべきであるが、それを1つのセットにまとめることによって両者の違いをより明確に聴き分けることが可能となったのも大いに評価に値する。

新盤では、繰り返しの実施の有無が各変奏曲によってバラバラで一貫性がないとの批判が一部にあるが、これは、グールドのバッハ解釈の究極の到達点を示すものとして、むしろ肯定的に解釈すべきではなかろうか。

このCD3枚組の新たな豪華ボックスセットは楽しく、聴く喜びにあふれ、音楽の真理があり、音楽を愛する者なら誰でもコレクションに加えるだろう。

ディスク3にはレコーディング・セッションのアウトテイクとおしゃべりが収録されている。

そのなかでグールドは即興で「God Save the King」を弾き、さらにそれを「The Star-Spangled Banner」へつないでいる。

また、評論家ティム・ペイジによるロング・インタビューはグールドの風変わりなユーモアと独特の音楽観に深い洞察を与えてくれる。

本作はまさに必携のコレクションである。

もちろん、グールドのバッハだけが、バッハ演奏の正当な解釈であると言うつもりは毛頭ないが、従来の古色蒼然たるバッハ解釈に新風を吹き込み、芸術性を損なうことなく、バッハの知られざる魅力を堪能させてくれたという意味では、グールドの功績は大と言わざるを得ないだろう。

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2015年03月15日


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バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、作曲されてから約300年が経っているにもかかわらず、今なお世界のヴァイオリニストが弾きこなすのを究極の目標とするというのは殆ど驚異である。

しかも、無伴奏のヴァイオリン曲という分野でも、このバッハの曲を超える作品は未だに存在しておらず、おそらくは、今後とも未来永劫、無伴奏のヴァイオリン曲の最高峰に君臨する至高の作品であり続けるものと思われる。

1つの楽器に可能な限り有効な音を詰め込み、表現の極限に挑戦したバッハの意欲的な創作と、調性による曲の性格の違いを明確に描かなければならない難曲でもある。

そのような超名曲だけに、古今東西の著名なヴァイオリニストによって、これまで数多くの名演が生み出されてきた。

そのような千軍万馬の兵たちの中で、ミルシテイン盤はどのような特徴があるのだろうか。

本盤は、ミルシテインにとって最初の録音であるが、先ず特筆すべきは、超人的な名人芸ということになるだろう。

圧倒的な技巧と表現力で演奏された無伴奏で、実に鮮やかとも言うべき抜群のテクニックである。

肉付きの良い音色が、完全に削ぎ落とされ、ソリッドな表現となって聴き手を突き刺す。

もちろん、卓越した技量を全面に打ち出した演奏としてはハイフェッツ盤が掲げられるが、ミルシテインは、技量だけを追求するのではなく、ロマン的とも言うべき独特の詩情に溢れているのが素晴らしい。

非常に快速なテンポで弾き進められて行くが、卓越した技巧に支えられた音色は美しく格調高い。

非人間的な音は1音たりとも発することはなく、どの箇所をとっても、ニュアンス豊かで、詩情豊かな表情づけがなされているのが見事である。

美音と歌心を主体とする優美な演奏のようにも聴こえるが、現代楽器を使用したシャコンヌの変奏の極めつけ。

現代楽器で30の変奏を完璧に描きわけ、かつ主題、動機の変形、装飾音、バスを見事に弾き分けている。

流麗な和声に溺れる「安いバッハ」とは次元が全く違い、「この部分は精神的に」などと戯けたことを発想するレベルでは全く理解不能な音楽で全く見事。

「美しい」という言葉が見当違いと思えるほどあらゆる要素を厳しく追い込んでおり、音の揺れ1つにすら意味がある。

思い入れたっぷりに弾かれた無伴奏より数段楽しめるし、ケーテン時代の作風やそれまでの無伴奏の伝統を考えればミルシテインの方が本来ではないかと思えるのである。

最近話題になったクレーメルによる先鋭的な名演などに比較すると、いかにも旧スタイルの演奏とも言えるが、このような人間的なぬくもりに満ち溢れた名演は、現代においても、そして現代にこそ十分に存在価値があるものと考える。

比類なき技巧と音色美、精神的な深さが見事に同居した稀有のアルバムと言えよう。

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2015年03月09日


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グールドの類稀なる才能を感じさせる圧倒的な名演集だ。

グールドと言えばその代名詞はバッハの鍵盤楽曲、そしてバッハの鍵盤楽曲と言えば、グールドの演奏がいの一番に念頭に浮かぶクラシック音楽ファンが多いと思われるが、今般、改めてグールドによる一連のバッハの鍵盤楽曲の演奏を聴くと、グールドとバッハの鍵盤楽曲との強固な結びつきを感じることが可能だ。

それにしても、本盤に収められたグールドのバッハは超個性的だ。

バッハは、難解な楽曲もあれば長大な楽曲もあるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、難解さや長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハの鍵盤楽曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハの鍵盤楽曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハの鍵盤楽曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハの鍵盤楽曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、前述のように多くのクラシック音楽ファンが、バッハの鍵盤楽曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハの鍵盤楽曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハの鍵盤楽曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤に収められたバッハの鍵盤楽曲の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演集と高く評価したいと考える。

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2015年02月06日


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世界を股に活躍する現代を代表するヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンの衝撃のデビュー・アルバム。

17歳のデビュー・アルバムでいきなりバッハの『無伴奏』などというと、『ゴルトベルク』でデビューしたあのグールドを想起させるが、このヒラリー・ハーンの演奏は、デビュー盤とか年齢といったことを抜きにして、古今の『無伴奏』の録音のなかでもトップクラスにランクされるべき1枚である。

「そんなに若いと、勢いだけの単調な演奏になっているのではないか」と思う人もいるかもしれないから、有名な「シャコンヌ」を聴いてみることにしよう。

手元にあるCDで確認すると、シェリングは約14分30秒、古楽器演奏を代表するレイチェル・ポッジャーは約13分30秒で弾いているが、ハーンはなんと17分52秒もかけている。

しかしながら、遅いという印象はまったくない。

まず、リズム感が非常に正確であること、そして、精緻に丁寧に表情を描くことにより、遅さではなく密度と強度の高さを感じさせるのである。

ここまで雄弁な「シャコンヌ」というのも、なかなか聴けるものではなく、また若さゆえの美しさ、悩み、想い等が渾然となり伝わる名演奏だと思う。

さらに特筆すべきは、ヴァイオリンの音がとにかく美しいことで、奏者によっては音がきつくなったり汚れてしまうことも少なくない『無伴奏』であるが、ハーンの演奏にはそのような部分がまったくなく、恐るべきコントロール力である。

姿勢を正して背筋を伸ばしたようなピーンと張った音、透明感と切れのよさ、そして若々しさ、素晴らしい。

ハーンはヴァイオリンを習う前からバッハには慣れ親しんでいたそうで、なにしろ両親がバッハのロ短調ミサ曲やらカンタータやらの歌い手だったと本人自ら手記している。

この彼女のデビュー録音はナタン・ミルシテイン、イツァーク・パールマン、シュロモ・ミンツらの諸先輩に伍して堂々一歩もヒケをとらない、驚くべき才能を示している。

この演奏が心を打つのは、音楽に対する真摯さと若い人特有の、自分の人生に対する信頼がストレートに現れているからで、ハーンを以ってして、まさにこの時だから残すことができた録音だと思う。

将来これらの曲の再録音があるかもしれないが、その時は別のものになるだろうし、年の行った他の演奏家と比べた評論もあるが、それらは殆ど意味をなさない。

聴いていて、若い時の瑞々しい気持ちが蘇る名演と言えよう。

唯一の欠点は、デビュー盤だったからなのかもしれないが、全曲録音ではないということで、何年かしたら、ぜひとも全曲録音に取り組んでほしいと強く願っているところだ。

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2015年02月02日


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ポリーニはこれまで、古典派から現代音楽まで、手広く手掛けて優れた録音を残しているのは言うまでもないが、それにしてもまさに満を持してのポリーニのバッハである。

ポリーニが無敵のテクニックを誇っていた時代ではなく、キャリアの殆んど終盤近い時期に平均律を録音したことに、彼が長年に渡って温めていた遠大な構想を垣間見る思いがする。

おそらく無限の可能性を持っているために、演奏上の限りない試行錯誤が要求されるこの曲集は、演奏家として、そして何よりも人間として豊富な経験を積んだ今の彼でなければ録音できないことを彼自身が自覚していたに違いない。

それだけに決して野心的な演奏ではなく、むしろ自然体の境地にあるような誇張のない、心を込めた表現が生きている。

ポリーニという芸術家には完璧ともいえるピアノ演奏の技巧を身につけた上で、これまた確かな教養を裏づけとして、レパートリーを決めうち気味に制覇する完全主義的な雰囲気があったので、近年の録音活動の活発化は、まさにファンには歓迎の至りだろう。

ポリーニは、リサイタルではこの平均律クラヴィーア曲集を取り上げてきたが、いつものように研鑽に研鑽を重ねてついに自身納得の行くものと成り得たのがこのアルバムということになる。

これは素晴らしい名演であり、ポリーニとしても会心の名演と言えるだろう。

ポリーニのことなので、冷徹とも言えるようなクリスタルなタッチで、バッハが記したスコアを完璧に再現することに腐心しているのかと思ったが、冒頭の第1曲の、温かみさえ感じさせる柔和なタッチに驚かされた。

24の調で書かれたプレリュードでは音楽の内部から迸り出る個性以外の個性付けは避けているが、曲ごとの特徴を心憎いほど的確に捉えているのも事実だ。

それに続くフーガの各声部は独立しているという以上に自由に解き放たれ、老獪とも言えるペダリングによってまろやかに潤っているが、それでいて全く混濁のない響きと、隙のない緊張感の持続が特徴的だ。

またそれぞれの曲に対する造形美と、曲集全体に与える統一感は彼本来の手法でもある。

リヒテルの平均律が、彼の非凡な創造性とピアノの機能を駆使したデュオニュソス的表現とするなら、ポリーニのそれは総てを秩序のもとに明瞭に奏でたアポロン的な平均律と言えるだろう。

もちろん、スコアリーディングの鋭さについては、いささかの抜かりもないが、近年のポリーニには珍しいくらい、情感溢れる豊かな歌心に満ち溢れている。

そうした歌心の豊かさは、時折聴かれるポリーニの肉声にもあらわれている。

バッハの演奏におけるスタジオ録音で、ピアノとともに、ピアニストの肉声が聴かれる例として、グールドが有名であるが、ポリーニの場合、グールドのような個性的な解釈を売りにしているわけでなく、そのアプローチはあくまでもオーソドックスなもの。

バッハの宇宙をひとつひとつ丁寧に奏しており、作品の構造が手に取るようにわかる。

それでいて、四角四面に陥っていないのは、前述のようなポリーニの豊かな歌心と、この曲に対する深い理解・愛着の賜物であると考える。

楚な佇まいながら細やかな歌心があり、バッハの直裁な音楽がややまろやかに響く。

起伏もあくまでも小さなニュアンスを含んだ歌にとどまっていて、この辺がポリーニというピアニストが天性として持っている芸術性による表現方法なのだろうと思う。

チェンバロに比較し、残響が豊かなピアノの特性を十分に生かしきった心地良いフレーズの数々は生命力に満ち溢れ、ポリーニの確かな洞察力が要所に滲み出ている。

グールド、リヒテル、アファナシエフなどの超個性的な演奏を聴いた後、本盤を聴くと、あたかも故郷に久々に戻ったようなゆったりとした気持ちになるような趣きがあるとも言えるだろう。

グールド以後、一番聴きたくないのは、グールドの亜流である。

仮にグールドの時代なるものがあったとしたら(そんなものはそもそもないのであるが)、それ以後に演奏としてあるのは、もはや、ポリーニのようなスタイルしかないのであろう。

部分的にもう少しなんらかの色があった方がよいと思う箇所もあるとはいえ、これはこれで確かに「ポリーニならでは」の厳しさと音楽の神秘や切なさ、愁いといった情緒も備わったバッハなのだと思う。

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2014年12月16日


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これは素晴らしい超名演だ。

いや、超の前にいくつもの超を並べてもいいのかもしれない。

近年では、雨後の竹の子のように綺羅星のごとく輝く若手ピアニストが登場してきている。

それぞれに優れた名演を成し遂げてはいるものの、これから10年先、20年先と、果たして順調に大ピアニストに成長していけるのかどうかは未知数である。

これに対して、ルイサダは、まさに大ピアニストへの道を着実に歩んでいると言っても過言ではあるまい。

フランス人のピアニストとして、その独特の洒落たセンスに満ち溢れた瀟洒な味わいの名演奏の数々を成し遂げてきたルイサダであり、とりわけショパンの演奏に関しては、他のピアニストの追随を許さないものがあるとさえ考えている。

そのようなルイサダが、久しぶりに、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの楽曲を軸としたアルバムを発売した。

もちろん、ドイツ風の重厚な演奏を展開しているわけではなく、そこは、ルイサダもフランス人、そのような土俵では勝負を繰り広げていない。

しかしながら、それぞれの各演奏に込められた何というセンスの良さ。

前述のように、ルイサダならではのフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいは、そこかしこに聴くことが可能ではあるが、テンポの効果的な振幅や思い切った強弱を施して、実に個性的なアプローチを行っている。

それでいて、あざとさなどはいささかも感じさせず、格調の高さを失うことがないというのは、大ピアニストたるルイサダだけに可能な圧巻の至芸であると言えるだろう。

当然のことながらドイツ風の演奏などではないが、重厚さなどにも不足することはない。

ルイサダならではの個性的な演奏ではあるが、いわゆるバッハらしさ、モーツァルトらしさ、そしてベートーヴェンらしさを失わないというのは、現今のピアニストの中では、ルイサダだけに可能な演奏と言えるのではないだろうか。

ドビュッシーの月の光は、まさに水を得た魚の如くであり、フランス音楽の魅力のすべてが描出された至高の名演奏が繰り広げられている。

ワーグナーのエレジーは、前述のバッハやモーツァルト、ベートーヴェンの演奏などとは異なり、楽曲の性格のせいか憂いのある色調が支配しているが、それでいて感傷的にいささかも陥らず、高踏的な美しさを失っていないのが素晴らしいと言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、ルイサダが、更なる大ピアニストに上り詰めていく確かな道程にあることを感じさせるとともに、その表現力の桁外れの幅広さなどを大いに感じさせる至高の超名演であると高く評価したい。

ルイサダの次なるアルバムを期待したい。

また、本盤で素晴らしいのは、SACDによる高音質録音である。

ルイサダの幅広い表現力を誇るピアノタッチが鮮明に表現されるのは、やはりSACDによる高音質録音に負うところが大きいのではないだろうか。

いずれにしても、ルイサダによる至高の超名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年12月14日


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巨匠クレンペラーにしか成し得ないスケール雄大な超名演だ。

どっしりとそびえる大木のような安定感と風格を漂わせるクレンペラーのバッハは、昨今の古楽ブームで耳慣れたヴィヴィッドな演奏と比べるとなんともおおらか。

どこか懐かしさにも似た暖かさを湛えたその響きに時代を超越する個性を見る思いがする。

偉大な指揮者が謙虚にバッハと向き合った演奏であり、近代のオーケストラで演奏したブランデンブルク協奏曲の中では間違いなく突出した1枚である。

このような大オーケストラを用いた重量級の演奏様式は、古楽器奏法やピリオド楽器を用いた小編成のオーケストラによる演奏が一般化した今日においては、殆ど顧みられないものであるが、これだけの芸術性豊かな名演を聴かされると、今日一般に行われている小編成による演奏が、いかにスケールの小さい軽妙浮薄なもののように思われてくる。

かつては、フルトヴェングラーやカラヤンなどが、大オーケストラを豪快に鳴らして、今日のマーラーやブルックナーの演奏様式に匹敵する重量級の演奏を繰り広げていたのだ。

もちろん、バッハが生きていた時代の演奏様式を検証することの意義を否定するものではないが、芸術の感動という点において、それがどれほどの意味を持つのかは大いに疑問があると言わざるを得ない。

バッハは、当時許されていた楽器性能の最大限を発揮させて、各楽曲を作曲しているのであり、時代考証的には問題があっても、クレンペラーの演奏に、バッハが感動した可能性だって否定できないのである。

特に木管楽器の素朴で温かい音色が印象的で、今日のオリジナル楽器による演奏にも一脈通じる新鮮さが感じられるところであり、幼少の頃からバッハの音楽に親しみ、特別な愛着を育んだクレンペラーが、大らかな響きで包み込んだブランデンブルク協奏曲と言えよう。

いずれにしても、これだけ重厚で力強いブランデンブルク協奏曲は、他にも類例はなく、このような演奏様式による、いわゆる旧スタイルの演奏の中では、随一の名演と高く評価したい。

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2014年11月13日


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クレンペラーの死の4年前、最晩年の演奏であるが、いかにも巨匠ならではの重厚な名演である。

幼少期の頃からバッハの音楽に親しんできたクレンペラーの最晩年の指揮、そしてそれを演奏するのはイギリスを代表する一流オケであり、クレンペラーとの信頼が厚いニュー・フィルハーモニア管弦楽団。

勿論悪いはずがなく、これを聴かない人はバッハの音楽を聴かないも同然であり、聴いて損はない。

ヒストリカルな見地からはとんでもない演奏なのだろうが、その悠然たる風格には圧倒される。

グッと抑えた表現からにじみ出る詩情はまさにドイツのバッハであり、スケールの大きさや重量感を持ちながら透明感も十分な実にユニークな演奏だ。

バッハの演奏様式については、近年ではピリオド楽器による古楽器奏法や、現代楽器による古楽器奏法などによる小編成のオーケストラ演奏が主流となっている。

本盤に聴かれるような大編成のオーケストラによる重厚な演奏は、かつては主流であったが、近年ではすっかりと聴かれなくなってしまった。

そうした旧スタイルの演奏様式を古色蒼然と批判する向きもあるくらいである。

しかしながら、近年の演奏の何と言う味気ないことか。

芸術性の高い演奏も、稀には存在しているが、殆どは軽妙浮薄の最たるものであり、学者は喜ぶかもしれないが、音楽芸術の感動という点からは著しくかけ離れているのではないかと筆者としては考えている。

このような軽妙浮薄な演奏が流布している中で、本盤のクレンペラーの演奏は何と感動的に響くことか。

かつてはこうした交響楽指揮者がバッハを堂々と演奏していたものである。

ここには、ベートーヴェン以降の交響曲にも匹敵する厚みのある内容がぎっしり詰まっている。

いずれも雄大なフランス風序曲で始まるバッハの管弦楽組曲に、クレンペラーは晴れやかな響きを行き渡らせている。

これはベートーヴェンで見せるような、厳然とした面もちとはまた違ったクレンペラーの魅力であり、巨匠の本質にさまざまな角度から接することができる。

テンポも微動だにしない堂々たるインテンポであり、例えば、第2番のバディネリのように、かつての大編成のオーケストラによる旧スタイルの演奏の際にも、速めのテンポで駆け抜けるのが主流の楽曲でも、深沈たるテンポで実に味わい深い演奏を行っている。

金管の鋭い響きや、巨象が踏みしめるような堂々たる音楽の進め方など、スケールは極大であり、この旧スタイルの演奏としては、トップの座を争う名演と高く評価したい。

この演奏を聴くと、これほど悠揚とした演奏はもう今後耳にすることはできないのではないかとすら思えてくる。

そしてクレンペラーこそ、まさに偉大で風格のあるアポロン的演奏家ではなかろうか。

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2014年11月12日


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驚天動地の極上の超高音質CDの登場だ。

ユニバーサルによる数々のSACD&SHM−CD化のの中で、最も音質がいいのは本盤ではないかと考える。

本演奏については、既にマルチチャンネル付きのSACDが発売されているが、あまり問題にならない。

むしろ、マルチチャンネルが付いていないのに、本盤が、これほどまでの臨場感を感じさせることに殆ど驚異を覚える。

レーベル面をグリーンにコーティングしたり、SHM−CD化を図っただけで、これほどまでに音質が激変するというのは、正直信じられない思いがする。

バッハのヴァイオリン協奏曲は、後年のモーツァルトやベートーヴェン以降の作曲家の手によるヴァイオリン協奏曲とは異なり、ヴァイオリンの技巧を披露する箇所は少なく、むしろ、独奏楽器とオーケストラ(と言っても、室内楽的な編成であるが)の調和を旨とした楽曲である。

それだけに、本盤のような高音質SACDは、相当のアドバンテージがあると言える。

というのも、高音質SACD化によって、ヴァイオリン等の独奏楽器とオーケストラの分離が鮮明に表現できるからであり、特に、本盤の場合は、それが目覚ましい効果をあげているのである。

このような調和型のヴァイオリン協奏曲でありながら、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンの弓使いさえ聴こえてくるのは驚異的で、まるで彼女が目の前で弾いてくれているような凄い臨場感がある。

演奏は、ヒラリー・ハーンならではの繊細にして、気迫溢れる名演で、バッハ演奏に新たな魅力を付け加えてくれた。

バッハは彼女にとってもっとも共感を持つ作曲家のひとりで、ソニーでのデビュー・アルバムもバッハのソロ作品を集めたものであった。

彼女自身「バッハは私にとって特別なもので、ちゃんとした演奏を続けていくための試金石のような存在です」と語っており、ドイツ・グラモフォン・レーベルでのデビュー盤となったこのアルバムでもバッハを取り上げることとなった。

2台のヴァイオリンのための協奏曲で共演しているヴァイオリニスト、マーガレット・バトヤーはロサンジェルス室内管弦楽団のコンサート・ミストレスで、ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲で共演しているアラン・フォーゲルはロサンジェルス室内管弦楽団の首席オーボエ奏者である。

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2014年11月05日


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本盤には、鬼才グールドがドロップ・アウトする以前にスタジオ録音したバッハのイタリア協奏曲とパルティータ第1番、第2番が収められているが、いかにもグールドならではの個性的な名演と高く評価したい。

これらの楽曲には名演が目白押しであるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、退屈さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤イタリア協奏曲やパルティータの演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

音質については、リマスタリングが施される以上の高音質化がなされていなかったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることにより、見違えるような良好な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、録音年代を考えると殆ど驚異的であるとさえ言える。

いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年10月10日


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グールドによるバッハのピアノ曲演奏の一連の録音は、いずれも歴史的な名演と言えるところであるが、本盤に収められたトッカータ集も素晴らしい名演だ。

それにしても、本演奏は個性的だ。

トッカータは、バッハの作品の中では比較的マイナーな存在で、しかも全7曲でCD2枚分を要する比較的長い楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくる。

しかしグールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤のトッカータ集の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年09月15日


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本盤には、バッハの長大なピアノ曲集である平均律クラヴィーア曲集第1巻、第2巻が収められている。

全曲はCD4枚を要する長大な曲集だけに、グールドも1962年〜1971年という、ほぼ10年近くを要して録音を成し遂げている。

よほど慎重を期して録音を行ったと言えるが、演奏全体に録音年代による大きな違いは存在していない。

バッハの平均律クラヴィーア曲集は、ピアノ音楽の旧約聖書とも称される楽曲であるだけに、海千山千の大ピアニストによる名演が目白押しである。

リヒテルによるオーソドックスな名演もあるが、グールドによる本演奏は、例えばアファナシエフによる演奏などと同様に、ピアニストの個性が全面に出た超個性的なアプローチによる演奏と言えるだろう。

長大な楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤の平均律クラヴィーア曲集の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年09月09日


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バッハの無伴奏チェロ組曲はあらゆるチェリストにとっての聖典とも言うべき不朽の名作であり、本盤のカザルスによる演奏を嚆矢として、錚々たるチェリストが数々の演奏を遺してきている。

カザルスによる本演奏は1936〜1939年のSP期の録音であり、その後に録音された他のチェリストによる演奏と比較すると音質は極めて劣悪なものである。

そして、単に技量という観点からすれば、その後のチェリストによる演奏の方により優れたものがあるとも言えなくもない。

演奏スタイルとしても、古楽器奏法やオリジナル楽器の使用が主流とされる近年の傾向からすると、時代遅れとの批判があるかもしれない。

しかしながら、本演奏は、そもそもそのような音質面でのハンディや技量、そして演奏スタイルの古さといった面を超越した崇高さを湛えている。

カザルスのまさに全身全霊を傾けた渾身のチェロ演奏が我々聴き手の深い感動を誘うのであり、かかる演奏は技量や演奏スタイルの古さなどとは別次元の魂の音楽であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みがある。

その後、様々なチェリストが本演奏を目標として数々の演奏を行ってはきているが、現在においてもなお、本演奏を超える名演を成し遂げることができないというのは、カザルスのチェロ演奏がいかに余人の及ばない崇高な高峰に聳え立っていたのかの証左である。

いずれにしても、カザルスによる本演奏は、バッハの無伴奏チェロ組曲を語る時に、その規範となるべき演奏として第一に掲げられる超名演であるとともに、今後とも未来永劫、同曲演奏の代表盤としての地位を他の演奏に譲ることはなく、普遍的価値を持ち続けるのではないかとさえ考えられる。

前述のように、本演奏は音質面のハンディを超越した存在であるが、それでも我々聴き手としては可能な限り良好な音質で聴きたいというのが正直な気持ちである。

筆者としても、これまで輸入CD盤やリマスタリングされた国内CD盤(EMI)、さらにはナクソスやオーパスなどによる復刻など、様々な盤で本演奏を聴いてきており、最も優れた復刻はオーパス盤であったが、現在では入手難である。

先般発売されたSACD盤(これが決定盤になると考えられる)は未聴であるが、それでも2010年に行われた新たなリマスタリング盤は、かなり聴きやすい音質に生まれ変わったところである。

いずれにしても、カザルスによる歴史的な超名演を、新リマスタリングによる比較的良好な音質で味わうことができるのを歓迎したい。

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2014年09月04日


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グールドによるバッハのピアノ曲演奏の一連の録音は、いずれも歴史的な名演と言えるところであるが、本盤に収められた「イギリス組曲」も素晴らしい名演だ。

1971年から1976年の6年もの歳月をかけて録音を行っているが、グールドは、実演をやめ、スタジオ録音のみに活路を見出していたところであり、それだけにグールドの「イギリス組曲」への並々ならない拘りが感じられる。

それにしても、本演奏は超個性的だ。

「イギリス組曲」は、全体としては比較的長い楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、「ゴルトベルク変奏曲」をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないだろうか。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤の「イギリス組曲」の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年09月03日


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グールドの類稀なる才能を感じさせる圧倒的な名演だ。

グールドと言えばその代名詞はバッハのピアノ曲、そしてバッハのピアノ曲と言えば、グールドの演奏がいの一番に念頭に浮かぶクラシック音楽ファンが多いと思われるが、今般、リマスタリングされたCDを聴くと、改めてグールドとバッハのピアノ曲との強固な結びつきを感じることが可能だ。

それにしても、本盤に収められたパルティータの演奏は超個性的だ。

パルティータは、長大な楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、前述のように多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤のパルティータの演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年08月30日


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天才・鬼才・奇才…。

若くしてステージでの演奏活動に見切りを付け、スタジオ録音に異常なまでに執着した、異色のピアニスト「グレン・グールド」。

彼の才能が最も強く発揮されたのがバッハのピアノ曲であった。

グールドは音楽家としてのスタイルのみならず、音楽解釈においても異色であり、バッハの伝統的な音楽に対して新しい解釈を次々と打ち立てた。

スタジオ録音における全てのテイクは新しい解釈の実験であり、1つの前奏曲やフーガについて10を超えるテイクを録ったと言われている。

そしてあろうことか、複数のテイクを組み合わせ、つなぎ合わせることによって最終テイクを作り上げるという荒技をやってのけたのだ。

彼にとって、演奏は「完璧」な解釈を提供することこそが全てであり、その表現方法としてスタジオ録音を選んだのである。

こうして作成された彼の演奏は、それまでの伝統的な解釈を大きく揺るがす、全く新しいバッハの音楽であった。

グールドは、多様な音楽解釈の可能性とその必要性を、自らの創造的解釈の成功を通して我々に示したのである。

しかし、グールドの最大の誤算は、彼の奇抜ともいえるバッハの新解釈があまりにも一般の人々に受け入れられ過ぎたことであった。

「伝統とは起源の忘却だ」(フッサール)の言葉の通り、バッハの音楽の原点が時とともに忘れ去られようとしていた中、過去の解釈にとらわれない自らの新解釈を提示したグールドの演奏は、本来のバッハの音楽のあるべき姿を見事に浮き彫りにした。

そしてその演奏は、バッハ演奏の原点として位置づけられるようになったのである。

これ以降、バッハのピアノ曲はグールドの演奏を「絶対基準」として演奏・鑑賞・評論されることとなった。

特に「ゴルトベルク変奏曲」に関しては、グールド以外のピアニストによる全ての演奏は、グールドの演奏と比較されるためだけに存在しているといっても過言ではないだろう。

あらゆる演奏の行き着く先はグールドであり、あらゆる解釈はグールドの世界から逃れることができないのだ。

音楽解釈の多様性を追求し、その必要性を訴えてきたグールドは、自らの音楽が「絶対的」なものとなることによって、むしろ多様性を失わせる結果を生んでしまったのである。

もう一度バッハのピアノ曲に多様性を与えるためには、(現在のクラシック界にグールドを超えるピアニストがいるとはとても思えないが)、いずれまた現れるであろう新しい天才に音楽解釈多様性の可能性を託すよりほかないのであろう。

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2014年08月29日


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バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティ―タは、すべてのヴァイオリニストにとっての聖典とも言うべき不朽の名作である。

それ故に、これまで数多くのヴァイオリニストによって多種多様な演奏が繰り広げられてきた。

これまでの各種の演奏の中には、名演と評されるものもあまた存在しているが、それらすべての名演に冠絶する至高の超名演こそは、本盤に収められたシェリングによる2度目の録音であると考える。

録音年が1967年であり、40年以上も前の録音であるにもかかわらず、現在においてもなお、本名演に比肩し得る名演があらわれていないのは殆ど驚異的ですらある。

クレーメル(2001〜2002年)による2度目の録音なども素晴らしい名演ではあるが、それでも本シェリング盤の地位がいささかも揺らぐものではない。

シェリングの演奏が素晴らしいのは、月並みな言い方にはなるが基本に忠実であるということである。

同曲は前述のように聖典とも言うべき特別な作品ではあるが、だからと言って何か特別な演奏をしてやろうという気負いや邪心がないのである。

あくまでも、徹底したスコアリーディングによって真摯に同曲に接するという姿勢が素晴らしい。

これは至極当然のことではあるが、なかなか出来ることではないのだ。その上で、シェリングは、卓越したテクニックをベースとして、格調高く、そして情感豊かに演奏を進めていく。

長大な作品ではあるが全体の造型はきわめて堅固であり、フレージングがいささかも崩れることがなく、あらゆる音階が美しさを失うことなく鳴り切っているのは圧巻の至芸と言える。

まさに、いい意味での非の打ちどころがない演奏であり、その演奏が醸し出す至高・至純の美しさには神々しささえ感じさせるほどだ。

これほどの崇高な超名演を超える演奏は、今後ともおそらくは半永久的にあらわれることはないのではないかとさえ考えられる。

録音は、40年以上も前のスタジオ録音ではあるが、リマスタリングを繰り返してきたこともあって、十分に満足し得る音質である。

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2014年08月14日


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本盤には、鬼才グールドが1970年代初めにスタジオ録音したバッハのフランス組曲が収められているが、いかにもグールドならではの個性的な名演と高く評価したい。

フランス組曲は、比較的長い楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤のフランス組曲の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年07月17日


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数ある同曲の録音の中でもひときわ輝く1枚で、両手の声部が生き生きと対話し、変奏ごとの雰囲気の変化も楽しいゴルトベルク。

それでいて、1955年盤のグールドのような快活さと違い、落ち着いた深い精神性を感じさせる演奏だ。

また、こんなに優しく愛らしく、かつ自然で穏やかなバッハの演奏は、初めて聴いた。

この1枚にケンプという名ピアニストがどういう演奏を目指していたのかが凝縮されている。

現代では前提として完璧なテクニックが要求されるが、それが「一番大切な事ではない」ということを解らせてくれる良い例である。

現代のピアノでバッハを弾くとき、その機能を全く使おうとしないか、使い方を間違えている演奏が存在するが、ケンプのバッハ演奏は「なぜ現代のピアノでバッハを弾くのか? それにはどんな利点があるのか?」が良く解る。

有名なグールドの演奏も実はその辺りが良く考慮されているのだが、ケンプの方が解りやすいであろう。

この演奏を聴いた人がまず驚くのは、アリアでの装飾音の少なさのようだ。

装飾音がほとんど無いのでパサパサした演奏との評価も見たことがあるが、実際部屋に流してみると極上の空間が生まれる。

それに現代ピアノの特性を考えた場合、装飾音の問題はないし、アリアの骨格が浮き彫りになることでその後の変奏が分かりやすくなっていて、変奏曲として非常に高度な演奏である。

完成度という点では後の超絶技巧演奏に譲るが、グールド以後の、大多数の表層をいじっただけの演奏よりも遥かに独自性を出していて、素晴らしい演奏の1つである。

過去にCD化された他のゴルトベルク変奏曲とは聴き終えた後の重量感が違う。

時代、演奏家を超えた何かが記録されている気がする。

グールド・ショックも古楽運動も一段落した今だからこそ、この演奏の価値はますます高くなっているようだ。

現代が忘れてしまった数多くのことが詰まっており、本当に大切なことを語りかけてくれる。

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2014年07月13日


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旧東独の鬼才、ヘルベルト・ケーゲルが、ライプツィヒ放送響のメンバーを駆使して行ったスタジオ録音、バッハ「音楽の捧げ物」が初のソフト化。

ケーゲルのバッハ演奏そのものが極めて珍しく、ほぼ10日を費やしてなされた当録音は、ヘルマン・ベルナーによる新版であり、自由に曲順が変更されている上に、パウル・デッサウ編曲のカノンが5曲も含まれ、最後はウェーベルン編曲による大オーケストラのための壮麗な6声のリチェルカーレで締めくくられる。

亡くなってかなり経つというのに次々と未発表録音が現れるケーゲルであるが、「音楽の捧げ物」をオーケストラで録音している演奏というとどうしても興味が引かれる。

多彩な楽器編成で、この曲の最も面白い表現の一つだろうが、それ以上に内容も豊かな演奏。

おそらく「音楽の捧げ物」の演奏史上、最も凝ったものの一つであるこの企画が、アイディアのごった煮にならずに、説得力を獲得できたのは、硬派の雄ケーゲルならではの筋金入りの音楽作りがあったればこそ。

どんな衣装を着せても揺らぐことのないバッハの凄さと、ケーゲルの底力を思い知らされた。

これは、まぁ何とも深くて楽しいJ.S.バッハで、このバッハを聴き始めたときに、機械が壊れたのかと思った。

主題をフリューゲル・ピアノフォルテで演奏されていたのだ!

このフリューゲル・ピアノフォルテは、ポツダムのサンスーシ宮殿にある楽器が使われているそうで、初めて耳にしたピアノともチェンバロともつかないとても心持良い美しい音色である。

しかし再生装置の質によって、壊れたピアノの音に聴える可能性も否定できないと思った。

筆者の装置では、透明感を伴った美しい音が出てきて、その後の展開も聴かせる。

その後、室内楽編成(1曲オルガンもある)による王の主題によるカノン、無限ソナタなどがが続き、フルート、ヴァイオリン、チェロ、チェンバロという普通の編成のトリオ・ソナタが中心に奏される。

ここまでもなかなか緊張感に富んだ演奏なのだが、圧巻はオーケストラによる後半で、デッサウ編曲の王の主題によるカノンが5曲収録されている。

管楽器のソロを中心とした編曲であり、通常聴くバッハの響きからはほど遠いが、各声部の動きは手に取るように分かり、あらためて内容の豊かさに驚かされる。

最後を飾る6声のリチェルカーレはウェーベルン編曲版で、これが物凄い演奏になっている。

このコンビならではの淡々と音を置いているだけのようでありながら、何故か熱くなっていく演奏で、美しく感動的に終える。

特にこのウェーベルン編曲の6声のリチェルカーレの感動的な演奏は是非聴いていただきたい。

現在はピリオド奏法の演奏が多いわけだが、現代の楽器で演奏するバッハとしては、非常に面白い試みを数多く行っている演奏である。

編曲も面白いし、デッサウ、ウェーベルンの曲も自然に繋がっていく非常に面白い演奏
だ。

全身の力が抜け、喜びとも感謝とも悲しさともつかない感情が湧き上ってくる。

それにしてもケーゲルという指揮者は、果敢に新しい表現にチャレンジしていたのだなぁと思わせる録音だ。

これは立派なことには違いないし、彼の活躍した時代背景とキャリアを考えると深い感慨を覚えずにはいられない。

フィギュアスケートのカテリーナ・ビットもそうだったらしいが、ケーゲルもベルリンの壁の崩壊後であっても「社会主義者」であることを誇りにしていたという。

彼の考える社会主義の中身が問題になろうが、非常に倫理的な人間であったことは想像できる。

そんな音楽の周辺をも再考させる、ある意味「際物」寸前、しかし大変真摯なバッハである。

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2014年07月09日


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素晴らしい演奏だ。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、いずれ劣らぬ名演揃いであるが、本盤に収められた「インヴェンションとシンフォニア」も実に素晴らしい。

収録順も、他の大方のピアニストのように第1番からの順番ではなく、グールドなりに考え抜かれた順番に並び替えられており、こうした点においても、グールドの同曲への並々ならない拘りが感じられるところだ。

同曲は、もともとはバッハによる教育用の音楽と考えられていたところであるが、グールドによる個性的な演奏によって、他のピアノ曲と同様の一流の芸術作品として見られるようになったとも言えるだろう。

それにしても、演奏は超個性的。

グールドの演奏の場合は、次の楽曲においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、聴き手を片時も退屈させないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、「ゴルトベルク変奏曲」をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないだろうか。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤の「インヴェンションとシンフォニア」の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

音質については、数年前にBlu-spec-CD化がなされ、これによってピアノの音に比較的柔らかさが宿ったとも言えたが、先般、ついにSACD化が行われることにより、さらに見違えるような良好な音質に生まれ変わった。

残念ながらシングルレイヤーではないが、音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1964年という録音年代を考えると殆ど驚異的であるとさえ言える。

いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年06月14日


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バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」は、作曲されてから約300年が経っているにもかかわらず、今なお世界のヴァイオリニストが弾きこなすのを究極の目標とするというのは殆ど驚異であると言える。

しかも、無伴奏のヴァイオリン曲という分野でも、このバッハの曲を超える作品は未だに存在しておらず、おそらくは、今後とも未来永劫、無伴奏のヴァイオリン曲の最高峰に君臨する至高の作品であり続けるものと思われる。

そのような超名曲だけに、古今東西の著名なヴァイオリニストによって、これまで数多くの名演が生み出されてきた。

そのような千軍万馬の兵たちの中で、ミルシテイン盤はどのような特徴があるのだろうか。

本盤は、ミルシテインの1957年ザルツブルク音楽祭に於けるライヴ録音であるが、先ず特筆すべきは、超人的な名人芸ということになるだろう。

実に鮮やかとも言うべき抜群のテクニックであると言える。

もちろん、卓越した技量を全面に打ち出した演奏としてはハイフェッツ盤が掲げられるが、ミルシテインは、技量だけを追求するのではなく、ロマン的とも言うべき独特の詩情に溢れているのが素晴らしい。

非人間的な音は一音たりとも発することはなく、どの箇所をとっても、ニュアンス豊かで、詩情豊かな表情づけがなされているのが見事である。

特に「シャコンヌ」は全ての演奏の中でも頂点を極めていると言えるところであり、聴いていただければお分かりになると思うが、この演奏は信じられない程の緊張感に満ちている。

ミルシテインが如何にライヴで力を発揮するタイプだったのかということを理解できると思う。

最近話題になったクレーメルによる先鋭的な名演などに比較すると、いかにも旧スタイルの演奏とも言えるが、このような人間的なぬくもりに満ち溢れた名演は、現代においても、そして現代にこそ十分に存在価値があるものと考える。

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2014年06月13日


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驚くべき超高音質SACDの登場だ。

本盤に収められた演奏は、歴史的な名演だけに、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたほか、SHM−CD盤、SACDハイブリッド盤などが発売されてきたが、本盤の前には、いずれも太陽の前の星にようにその存在感がすっかりと霞んでしまった。

それくらい、本盤の高音質の度合は突出している。

あらためて、シングルレイヤーSACD&SHM−CD仕様の威力を思い知った次第だ。

高弦は艶やかに響くし、弦楽器や管楽器のそれぞれが鮮明に分離して聴こえるのは素晴らしいの一言。

音場の豊かな広がりや深い奥行きは、とても1967年の録音とは思えないほどだ。

特に、第2番の第1楽章及び第3楽章のトランペットのブリリアントや響きや、第3番の第2楽章のチェンバロの重心の低いずっしりとした響きには、完全にノックアウトされてしまった。

演奏も、まさに歴史的な名演。

リヒターならではの重量感溢れる低音をベースとした、独特の緊張感を伴った切れ味鋭いリズム感や各楽器の躍動感は、ブランデンブルク協奏曲を、本盤の録音当時に主流であったいわゆる大指揮者による重厚かつ壮麗な演奏様式(それも名演ではあるが)から解き放ち、新鮮な息吹を吹き込むことに成功したことを高く評価したい。

もっとも、現代においては、ピリオド楽器を使用した古楽器奏法が主流の同曲であり、本盤も既に演奏様式としては古い部類に入るが、軽妙浮薄な演奏が流行する中においては、現代においてもなお十分に存在感を発揮している至高の名演であると考える。

第4番〜第6番についてもかかるシングルレイヤーSACD&SHM−CD仕様のディスクを出していただくことを望みたい。

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2014年05月09日


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このようなアルバムこそは、人類の至宝とも言うべきなのであろう。

バッハの数あるピアノ曲の中でも聖書とも言うべき平均律クラヴィーア曲集には、これまで古今東西のあまたのピアニストがこぞって録音を行ってきているところだ。

もっとも、あまりにも長大な作品であるだけに、没個性的な演奏では聴き手が退屈してしまうことは必定であり、ピアニストにとっては、自らの持ち得る実力や個性、そして芸術性を最大限に発揮することが求められるという、極めて難しい作品とも言える。

海千山千の競争相手が多いだけに、なおさら存在価値のある演奏を成し遂げることが困難ともいうことができるが、本盤に収められた1970年代初めに録音されたリヒテルによる演奏こそは、諸説はあると思われるものの、筆者としては、バッハの平均律クラヴィーア曲集のあらゆるピアニストによる演奏の中でも、トップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫りの深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開している。

加えて、単調な演奏には陥ることなく、各曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりであり、十分に個性的な表現を駆使しているが、それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。

要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、バッハへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。

個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。

したがって、同じロシア人でもアファナシエフのような極端な解釈など薬にしたくもなく、演奏の様相はむしろオーソドックスな表現に聴こえるように徹しているとも言える。

このような至高の高みに達した凄みのある演奏は、もはやどのような言葉を連ねても的確に表現し尽くすことが困難である。

まさに筆舌には尽くし難い優れた超名演ということができるが、いずれにしても、本演奏こそは、バッハの平均律クラヴィーア曲集の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

このような超名演が、今般、ついにSACD化されたというのは何と言う素晴らしいことであろうか。

本演奏は、前述のように人類の至宝とも言うべき歴史的な超名演だけに、既に数年前にSHM−CD化がなされ、高音質化に向けた努力がなされてきたが、当該SHM−CD盤においては、随所において音質に若干の歪みが聴かれるなど、必ずしも良好な音質とは言い難いものがあった。

ところが、今般のSACD化によって、オリジナル・マスター使用ということも多分にあるとは思うが、そうした音質の歪みが解消され、圧倒的な超高音質に生まれ変わった。

音質の圧倒的な鮮明さ、そして何よりもリヒテルの透徹したピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1970年代初め頃の録音ということを考慮に入れると、殆ど驚異的とさえ言えるだろう。

いずれにしても、リヒテルによる歴史的な超名演をSACDによる超高音質で味わうことができるようになったことを心より大いに喜びたい。

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2014年04月17日


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ミュンヒンガーのバッハ演奏はドイツ的でがっしりと構築されており、色調が渋く、古典的な香りを湛えているのが大きな特色である。

この演奏もそうで、ドイツ音楽の伝統をふまえ、バッハの音楽の本質を真摯に追求するミュンヒンガーならではの演奏と言えるだろう。

管弦楽組曲第2、3番は骨格のしっかりとした表現に貫かれ、ブランデンブルク協奏曲第2、6番も素晴らしい出来栄えだ。

いずれも古典的な美しさを十全に追求した名演奏で、驚くべき鮮明な音色と、一糸乱れぬアンサンブルで一貫している。

遅めのテンポで細部に至るまで入念に練り上げ、極めて精緻に仕上げた典雅で格調高い表現には強く心を打たれる。

ミュンヒンガーの客観的なアプローチとシュトゥットガルト室内管弦楽団の華やかな響きは、古典と現代の結合を目指しているようだ。

その意味で、同じドイツのオケでもカラヤン&ベルリン・フィルの演奏とミュンヒンガー&シュトゥットガルト室内管の演奏で聴き比べたら、かなり違うことに驚く。

教会音楽と同じイメージで慈悲深さのようなものを求めるなら、ミュンヒンガーのこのアプローチによる演奏は、ちょっと違う。

もっと、器楽合奏の楽しみ、躍動美、そんな雰囲気をミュンヒンガーの演奏からは感じられるのだ。
 
特に管弦楽組曲第2番では、ミュンヒンガーは第1ヴァイオリンとフルートを重ねて書いてある部分を、協奏曲仕立てでフルートを際立たせたり合奏で盛り上げたりと工夫しているようで、それをバックにしたジャン=ピエール・ランパルの名人芸を十分に堪能できる。

初めて聴く人は、淡白過ぎて拍子抜けするかも知れないが、そこに溢れ出る器楽合奏の躍動は、何度も聴くうちに楽しみと快感に変わってくる。

まさにバッハの音楽がミュンヒンガーの血となり肉となっている感じがする。

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2014年04月11日


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ルガーノ、RISI放送局アウディトリオにて2011年8月11-14日に録音。

昨年2月の来日公演でもこの作品を披露、3時間近い大作を全曲暗譜で弾き、日本の聴衆を魅了している。

期待するな、と言う方がムリなアルバムである。

初期のシフは、単音の音楽を軽快に情緒豊かに演奏するタイプだった。

そのため、スカルラッティ、モーツアルト、ハイドン等の曲は非常に特徴的な演奏ができた。

この頃は、和音の作り方はあまりうまくなかったように思う。

しかし、ベートーヴェンの重層和音を扱う音楽に取り組み始めた頃から、和音の演奏方法の研究を行い、タッチ(音色)が変化し出し、そのタッチでもって各種のバッハの再録音をも行った。

今回の録音も情緒感が薄れ、重厚感が増した演奏になっている。

平均律の録音に限って言えば、前回の録音は、ペダルをふんだんに使い、主旋律以外は淡くぼかすような演奏だったが、今回の録音は、ノンペダルを徹底している。

そのため、和音のフレージングの切断が各所に見られる。

また、一部曲中でテンポが一定していないところがある。

全体的な曲の構想についても、前回の録音とは全て異なっている。

音質や指の置き方については、指を横からなでるような演奏ではなく、指を鍵盤の真上からまっすぐに落としたような演奏になっており、音質は、張りと深みのある音質となっている。

過去の録音と今の録音でシフほど完成度が違う演奏家も少ないのではないかと思える。

そしてこのアルバムもECMでリリースしているゴルトベルク変奏曲やパルティータの完成度に優るとも劣らない完成度だ。

そして、聴き直すたびに発見も多く、これは良いアルバムの特徴だろう。

おそらくは多くのクラシック愛好家、そして演奏家の模範となる演奏だと思う。

自信を持ってお薦めできるアルバムである。

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2014年04月07日


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合唱の粗さや歌唱法の古めかしさなどはさておいて、ここに聴くシェルヘンの解釈には驚くべきものがある。

「人間はいかにあるべきか」という究極の問いが、シェルヘンを衝き動かす原動力。

カント、ルソーらの啓蒙思想に傾倒したシェルヘンは、ロマン主義より一段上の「真の人間性」の回復を願い、「宇宙の法則」を確信していた。

また、数学も愛したシェルヘンにとって、幾何学を音にしたようなバッハはまさに理想の音楽だった。

だから、聴き手の情に訴える、という安易な道を選ばず、作品の構造を明らかにすることを身上とする。

ただ、それを実現しようとする情熱は、常軌を逸していた。

理想の追求に性急な余り、楽員を度々怒鳴りつけた(唯一、不足するのは「思いやり」「寛容」だろう)。

人類最高の宗教音楽《マタイ受難曲》に臨む、シェルヘンの姿勢はまことに高潔そのものである。

音の古さ、時代がかったコーラスを超えて、シェルヘンの掲げる眩しい理想を受け取りたいものだ。

彼らしいエキセントリックな面こそさほど前面には出ていないが、それでも、突き放したような厳格さから思い入れを込めたロマン的な表情付けや表現主義的な鋭さに至るまで、多様自在なアプローチのうちに全体を構築していく様は全く独自のものだ。

イエス捕縛後の合唱付き二重唱アリアのように急速な切迫感を示すと思えば、悠久さを感じさせるまでの終結合唱のように異常に遅いテンポを取ったりなど、テンポの幅も極端。

雄弁なコラールの意味付けも興味深く、一見時代がかったような歌唱もシェルヘンの意図に沿ってのことなのかもしれない。

テキストの内容を生々しく語るオーケストラ、常にアンサンブルの一員として作品に奉仕する声楽陣の姿勢も爽やかで、まさに音楽の前に謙虚なシェルヘンの生き方の反映と思われる。

しかし、これから《マタイ》を聴く、という人には、もっと良い録音や上手なコーラスも必要かもしれない。

そこで、時空を超越した決定盤であるリヒターの旧盤を挙げておく。

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2014年02月28日


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(注)以下のレビューは、下書きしたまま忘れて放置していたページをエントリーしたものである。

ガラスCDは別として、コストパフォーマンスを考慮すれば、おそらくは現在望み得る最高の音質のCDであると高く評価したい。

ネット配信が普及し、少なくとも従来CDは廃れていく傾向にある中で、ネット配信に対抗し得るのはSACD以外にはないと考えていたが、ユニバーサルをはじめ、ほとんどのレコード会社がSACDから撤退している状況は、大変嘆かわしいものと考えていた。

そうした厳しい中で、ユニバーサルが数年前から再びSACDの発売を再開したのは何という素晴らしいことであろうか。

しかも、ユニバーサルが推奨してきたSHM−CDとの組み合わせ、SACDの能力を最大限に発揮させるシングルレイヤーであることも、快挙であるということができよう。

本盤を、かつて発売されたSACDハイブリッド盤やSHM−CD盤などと比較して聴いてみたが、その音質の違いは明らか。

ニコレの息遣いまでが聴こえてくるようなフルートの美音や、分離が見事なオーケストラの極上の高音質。

重低音のずしんとした重厚な響きも迫力満点であり、まるで別次元の演奏を聴いているような錯覚を覚えた。

ユニバーサルには、今後ともこのシリーズを続けていただくとともに、可能ならば、第3番、第4番のSACD&SHM−CD化もお願いしたい。

演奏は、既に定評のある超名演。

ピリオド・スタイル全盛の現在においても、その精神性の深さで普遍的な支持を受ける名指揮者カール・リヒターのバッハ演奏である。

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2014年02月12日


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最近では、ベートーヴェンを通り越してロマン派の作曲家にまで広がりつつある古楽器奏法やピリオド楽器による演奏であるが、バッハについては、そうした演奏様式が既に主流となっていることについては論を待たないであろう。

しかしながら、かかる演奏様式が芸術的であるかどうかは別問題であり、聴き手を驚かすような演奏はあっても、芸術的な感動を与えてくれる演奏というのはまだまだ少数派なのではないだろうか。

ブランデンブルク協奏曲は、かつてはフルトヴェングラーやクレンペラー、カラヤンといった大指揮者が、それこそ大編成のオーケストラを使って、重厚な演奏を繰り広げていた。

古楽器奏法やピリオド楽器による演奏様式が主流となった今日において、これらの重厚な演奏を聴くと、とある影響力のある評論家などは大時代的な演奏などと酷評しておられるが、昨今の浅薄な演奏の数々に接している耳からすると、故郷に帰った時のような安らいだ気持ちになり、深い感動を覚えることが多い。

最近、SACD&SHM−CD化されて発売されたリヒターの演奏(現時点では第1〜3番のみしか発売されていない)も立派で崇高な名演であり、未だもって評価は高い。

こうしたことからすれば、バッハの演奏様式についても、現代楽器を活用した従来型の演奏を顧みるべき時期に来ているのかもしれない。

そうした機運の更なる起爆剤になりそうなCDこそが、本盤に収められたアバドによる素晴らしい名演である。

アバドの下で演奏している各独奏者や、モーツァルト管弦楽団のメンバーは、いずれも前途洋々たる将来性がある若き音楽家たちだ。

そうした若き音楽家たちが、現代楽器を使用して、実に楽しげに演奏を行っており、そうした音楽家たちの明るく楽しげな気持ちが音楽を通じて聴き手に伝わってくるのが素晴らしい。

本演奏には、フルトヴェングラーなどによる演奏が有していた重厚さはないが、他方、古楽器奏法やピリオド楽器による演奏が陥りがちな軽妙浮薄な演奏にも堕しておらず、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

アバドは、大病を克服した後は、音楽に深みと鋭さが加わり、皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督を退いた後は、大指揮者という名に相応しい数々の名演を成し遂げているが、本演奏では、若くて将来性のある音楽家たちをあたたかく包み込むような滋味溢れる指揮ぶりが見事である。

ブランデンブルク協奏曲を番号順ではなく、ランダムに並べた配列もなかなかにユニークであると評価し得る。

録音も鮮明であり、本名演を素晴らしい音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年01月03日


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アファナシエフは若くしてライプツィヒの国際バッハ・コンクールに優勝するなど、ロシアを代表するバッハ弾きであったが、この録音までまとまったバッハ作品の録音は行っていなかった。

満を持しての《平均律クラヴィーア曲集》は、グールド、リヒテルなどと並んで、20世紀バッハ演奏の一つの極点をなす演奏となった。

話題性のある新録音を次々と発表し、さらには文学的な才も発揮する異色のピアニスト、アファナシエフであるが、この《平均律クラヴィーア曲集》では意外と正攻法で立ち向かっている。

バッハの鍵盤音楽の金字塔が、この鬼才の手にかかるとどうなるか。

アファナシエフの自由な精神が逍遥し、看てとったバッハの世界は、その晦渋な印象とは遠いところにある、ある種の平明さを備えたものだった。

それでいて、バッハ以前の様々な流れを懐に収めているバッハの音楽そのものがそうであるように、底知れぬ深みを湛えている。

むろんこれまでのアファナシエフの個性もここでは確認はできるが、音楽の本質に影響を与えるものではなく、むしろバッハの純粋器楽スタイルの対位法音楽の抽象性をさらに構築的に組み立て、オルガン曲のような重厚さを兼ね備えた見事な演奏を行っている。

第1巻、第4番嬰ハ短調の5声の3重フーガなどは交響的な立体性を持たせて、まさに感動的な仕上がりである。

アファナシエフならではの表現の奥深さで、バッハの対位法の精髄に哲学的な重さを加えた演奏と言えよう。

アファナシエフが、現代を代表するバッハ演奏家とされる所以である。

Blu-spec CD仕様により、高音質化が図られたのは、本名演の独特の個性を際立たせるのに大きく貢献している。

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2013年12月14日


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バッハのマタイ受難曲は、数多くの作品の中でもひときわ大きく聳え立つ傑作であり、人類最大の遺産のひとつに数えられる畢生の名作。

本盤は、その中から聴き所を抜粋した作品集。

バッハのマタイ受難曲をクラシック音楽史上最高傑作と評価するクラシック音楽ファンも多い。

こうした考え方が正しいのかどうかは別として、少なくとも大傑作の名に値する作品であることについては異論の余地がないところであろう。

これだけの大傑作だけに、かつてはメンゲルベルクやクレンペラー、そしてカラヤンなどの大指揮者によって、大編成のオーケストラと合唱団を使用した重厚な名演が繰り広げられていた。

ところが近年では、オーケストラにピリオド楽器を使用した演奏、古楽器奏法を駆使した演奏、さらには、各パートを一人ずつとするなど極めて小編成のオーケストラによる演奏等が現れてきており、加えて合唱団も少人数にするなど、かつてと比較すると軽妙な演奏が増えつつあるように思われる。

このように、マタイ受難曲の演奏様式は刻々と変化してきていると思われるが、録音から既に50年以上が経過しているにもかかわらず、現在でもその価値がいささかも色褪せない永遠の名演こそが、本盤に収められたリヒターによる1958年のスタジオ録音である。

ミュンヘン・バッハ管弦楽団は比較的小編成のオーケストラではあるが、いわゆるシンフォニックな重厚さにおいてもいささかも申し分ない。

演奏は、悠揚迫らぬテンポによる荘重さ、壮麗さが支配しており、常に気迫溢れる力強さと峻厳さを失っていないのが素晴らしい。

このようなリヒターの本演奏にかける凄まじいまでの集中力には殆ど驚異を覚えるほどだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールは雄大の極み。

また、イエスの逮捕のシーンの劇的な迫力などにも凄まじいものがあり、ドラマティックな要素にも欠けるところがない。

まさに、同曲に込められた内容を音化し尽くした稀有の名演と言えるところであり、今後とも本名演を超える演奏を行うのは容易ではないと言っても過言ではあるまい。

独唱陣も極めて優秀であり、特に福音史家のエルンスト・ヘフリガーの入魂の名唱は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分だ。

若きフィッシャー=ディースカウによるアリアにおける名唱も、演奏全体の緊張感の持続に少なからず貢献している。

ミュンヘン・バッハ合唱団やミュンヘン少年合唱団の歌唱も壮麗かつ清澄な美しさの極みであり、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

この名演を初めて聴く人は、ハイライト盤ですまそうとは夢にも思わないで欲しい。

あくまでこの偉大な作品・演奏の全曲を聴く足掛かりだということを肝に銘じていただきたい。

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カール・リヒターのバッハ宗教音楽集をセットにまとめたお徳用盤。

「マタイ受難曲」は不朽の名盤中の名盤。この峻厳そのもののバッハを超える演奏は、今後もなかなか現れないだろう。時代も変わっているから、あるいはこのリヒターの妥協のなさに息苦しく感じられるところがあるかもしれない。しかし、20世紀が遺したバッハ演奏の頂点を示すものとしての評価は変わらないだろう。

バッハの「マタイ」を聴こうとする人にとって、この曲の投げかける真摯な問いかけをいい加減に受け止めることはできまい。リヒターの「マタイ」の厳しさは他に類のない高さにあり、未だにその鮮烈さを失うことなく我々の前に屹立している。最初からじっくりと対訳とにらみ合わせながら、急がず聴き込んで欲しい。

「ヨハネ受難曲」も厳しいまでの威厳にみちたバッハ演奏で、リヒターの峻厳な指揮に支えられて、全曲を極めて高い緊張感が支配している。過度の感情移入は厳しく抑制され、ヘフリガーの福音史家も静かな語り口の中に驚くほどの説得力をもって、この受難のドラマの劇性を表出する。リヒターのバッハ演奏の中でも最高峰のひとつに数えられる名演である。

「クリスマス・オラトリオ」は細部にいたるまで妥協を許さないリヒターの緻密な設計と、強力な統率力が全曲を支配している。バッハを真正面からとらえた演奏で、厳しいまでの表情は他の演奏にはみられない威容を示す。4人の独唱者、オーケストラ、合唱団の集中力の高い、真摯な演奏も申し分なく、その重厚な響きと清澄な音色は一度聴いた者の耳を離そうとしない。現代楽器を用いた演奏だが、時代や様式を超えたバッハ像がある。

「ミサ曲ロ短調」も古い録音だが未だに鮮烈な内容を保ち続けているのは、リヒターの決して消えることのない精神力のためだろう。彼ほどの凝集力、音楽の持続力を保ち続けた指揮者はいなかった。そして独唱陣の何と水準の高いことだろう。不確かな個所は1小節たりともない。その精神の高さでは、リヒターを超えるバッハの演奏家は当分現れまい。まさに不朽の名盤といってよいだろう。

「マニフィカト」は、この作品の壮麗さ、優しさ、美しさをこれほど格調高く、堂々と歌い上げた演奏というのは、ほかにはない。独唱陣に、録音当時最高の顔ぶれを揃えていて、崇高な雰囲気を見事に表出している。

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2013年12月05日


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先の来日で十数年振りにピアニストとしての公演を行い、平均律クラヴィーア曲集の全曲演奏という珍しいプログラムを敢行、大変な高評価を得たダニエル・バレンボイム。

2004年にリリースした第1巻と2005年の第2巻が、セットで発売されることになった。

バレンボイムは、規模が大きく並外れた深みが必要とされる作品で、特に真価を発揮するアーティストであり、この『平均律』でも驚異的な名演を聴かせている。
 
ここでバレンボイムがとったアプローチは、チェンバロ演奏とは大きく異なる、ピアノならではの特性を徹底的に生かした見事なもので、ペダルを駆使し、千変万化するタッチによって、たっぷりとしたスケールの中に深く美しく思索的に再現されるバッハの音楽には圧倒されるほかはない。

これほどまでにピアニスティックにこの作品を演奏したものもなかなかないと思う。

ただ、個人的にはこういう演奏も愉しめるが、これはバッハじゃないという意見も聞こえてきそうだ。

それ故、この演奏、かなり聴く人の好みが問われる演奏だろうと思う。

教科書的な演奏が好きな人には耐えられまいが、筆者は好きだ。

何よりもピアノというある意味単調な楽器から、バレンボイムが持てる技術を尽くして、多彩な表情、音色を引き出している点。

フーガが流れているという批判があったが、対位法を十分引き出しつつ、流れるように歌うこの演奏のどこが問題だというのだろうか。

ごつごつと弾かれるフーガよりも筆者にはよほど魅力的だ。

『平均律』にありがちなどれを聴いても単調に聴こえる感じではなくて押し寄せてくるような強弱の波がくる演奏が魅力的。

そんな中でも呼吸と同調するような心地良いリズムが飽きない良さであろうか。

まるでオーケストラが弾いているような多彩な表情を見せてくれるバッハだ。

バレンボイムの作品への深い尊敬と共感に満ちた素晴らしい演奏と言えるだろう。

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2013年09月28日


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本盤には、パイヤールが得意とするバロック音楽の小品が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

現在は、ピリオド楽器の使用や現代楽器を使用した古楽器奏法などが一般化している時代である。

バッハやヘンデルなどのバロック音楽の演奏はもとより、そうした演奏様式の波は、ハイドン、モーツァルト、そしてベートーヴェンなどの古典派音楽にまで及び、ついにはシューベルトやシューマンなどのロマン派音楽にまで広がって来ている。

しかしながら、そうした古楽器奏法やピリオド楽器による演奏は広範に普及しつつあるものの、芸術的な感動を覚える演奏というのはまだまだ少数派だと言えるのではないか。

要は、内容が伴っていないということであり、音楽学者にとっては歓迎すべきことであるのかもしれないが、真に芸術的な感動を求める我々聴き手からすれば、嘆かわしい事態に陥っていると言わざるを得ない。

アルビノーニやバッハ、ヘンデルなどによる楽曲は、かつてはクレンペラーやフルトヴェングラー、カラヤンなどの大指揮者が、それこそ大編成のオーケストラを活用して、重厚な演奏を繰り広げていたのだ。

そうしたかつての重厚長大な演奏を、大時代的であるなどと批判する者が高名な音楽評論家の中にもおられるようであるが、仮に時代考証学的には問題があっても、芸術的な感動を覚えることができるのであれば、そのような問題は実に些末なことと言えるのではないだろうか。

筆者としては、音楽を聴くということは、芸術的な感動を得たいがためであり、音楽を研究することが目的ではないことをあらためて銘記しておく必要があるのではないかと考えている。

パイヤールが指揮するバロック音楽は、まさに、かつての錚々たる大指揮者による演奏に連なるシンフォニックな演奏ということが可能だ。

そして、パイヤールはフランス人であるだけに、重厚さ一辺倒ではなく、音楽に独特の洒落たセンスが満ち溢れており、いい意味での硬軟バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

また、本盤で素晴らしいのは、XRCDによる極上の超高音質録音である。

本盤の録音は1975年であるが、今から約35年以上のものとは思えないような鮮明な音質に生まれ変わっているのは殆ど驚異的であるとさえ言える。

パイヤールによるシンフォニックでセンス満点の名演を、現在望み得る最高の音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2013年09月22日


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サットマリーによるバッハのオルガン名曲集であるが、堂々たるドイツ正統派のオルガン演奏であり、いずれの楽曲も素晴らしい名演と高く評価したい。

まず、何よりもXRCDによる超高音質録音について言及しておきたい。

オルガンの録音は非常に難しい。

オルガンの音色は、教会の豊かな残響があってこそ生きてくるものであるが、残響を最大限に収録してしまうと、オルガンの旋律線が極めてぼやけた不明瞭な録音に陥ってしまう危険性がある。

他方、その危険性を避けるために残響をあまりに絞り過ぎると、演奏全体の荘重な雰囲気をぶち壊してしまうことにもなりかねない。

また、オルガンの重低音の再現が必要不可欠であるが、ダイナミックレンジの加減によっては音の歪みが生じることもあり、さりとて、低音を抑制して収録してしまうと、迫力のない干物のような音質になり下がってしまう可能性が大である。

これほどまでにオルガンの録音は難しいと言えるが、本演奏の録音は前述のような問題は皆無であり、聴き手の耳にずしりと響いてくるような重厚にして迫力満点のオルガン演奏を聴くことが可能であり、オルガンの録音としては最高の出来栄えと言える。

そして、演奏内容についても、前述のように素晴らしい。

サットマリーは、各楽曲を誠実に弾きこなしていくことを通じて、その魅力を聴き手にできるだけわかりやすく伝えていこうという真摯で丁寧な知的アプローチが功を奏している。

確かに、本盤における演奏には、ヴァルヒャやリヒターの演奏に聴かれるような、聴き手を容易には近づけない峻厳さにおいてはいささか後塵を拝しているが、バッハのオルガン曲をゆったりとした気持ちで満喫することができるという意味においては、本演奏も過去の個性的な名演の中でも、十分にその存在感を発揮している。

また、ヨーロッパ最大規模を誇るとされるズウォレ聖ミヒャエル教会のシュニットガー・オルガンの壮麗な音色を堪能できるのも、本演奏の大きな魅力であると高く評価したい。

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2013年09月04日


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先ず、何よりもエル=バシャの奏でるピアノの音が実に美しい。

帯の解説によると、エル=バシャの強い希望によりべヒシュタインD−280を使用したとのことであるが、その効果は抜群であり、他の数々の名演とは一線を画するような、実に美しくも深みのある音色が演奏全体を支配している。

エル=バシャのアプローチはあくまでも正攻法であり、いささかも奇を衒うことなく、曲想を丁寧に精緻に描き出していくというものだ。

かかるアプローチは、前述のようなピアノの音との相性が抜群であり、このような点に、エル=バシャの同曲への深い拘りと理解を感じるのである。

また、エル=バシャのアプローチは正攻法で、精緻でもあるのだが、決して没個性的というわけではない。

もちろん、平均律クラヴィーア曲集の綺羅星の如く輝く過去の演奏、例えば、グールドやリヒテル、アファナシエフなどのような聴き手の度肝を抜くような特異な個性があるわけではないが、表現力は非常に幅広く、卓抜したテクニックをベースに、テンポの緩急を自在に操りつつ、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、実に内容豊かな音楽を構築している点を高く評価したい。

これまでの平均律クラヴィーア曲集の名演では、構成されたプレリュード、フーガの各曲すべてが優れた演奏ということは殆どなく、曲によっては特に優れた演奏がある一方で、いささか不満が残る演奏も混在するというのが通例であったが、エル=パシャによる本演奏では、特に優れた特記すべき演奏があるわけではないが、いずれの曲も水準以上の演奏であり、不出来な演奏がないというのが素晴らしい。

こうした演奏の特徴は、長大な同作品を、聴き手の緊張感をいささかも弛緩させることなく、一気呵成に聴かせてしまうという至芸に大きく貢献しており、ここに、エル=バシャの類稀なる音楽性と才能を大いに感じるのである。

第2巻への期待を大きく抱かせる高水準の名演と高く評価したい。

録音は、SACDによる極上の高音質録音であり、エル=バシャの美しいピアノを鮮明な音質で味わうことができる点も評価したい。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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