ハイドン

2017年02月14日


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2032年がハイドン生誕300周年に当たり、それに向けて現在ふたつのイタリアの古楽グループが世界初のピリオド・アンサンブルによる交響曲107曲の全集の制作に向けて着手している。

既にCD3枚計9曲の録音を終えているのがジョヴァンニ・アントニーニ率いるイル・ジャルディーノ・アルモニコで、この遠大な構想を着実に遂行しつつあるように見える。

一方こちらは同じくイタリア古楽界のベテラン・チェンバリスト、オッターヴィオ・ダントーネがアカデミア・ビザンティーナとの全曲レコーディングを完成させる企画を立ち上げている。

その第1弾として昨年2016年にリリースされたのがこの2枚組4曲で、そのうち第79番及び第81番はピリオド・アンサンブルの録音では初めての試みのようだ。

古楽奏者によるハイドンの交響曲全集は唯一ホグウッド、ブリュッヘン、ダントーネの三者混成ボックスがデッカから出ているが、いくらかご都合主義の寄せ集めの感は否めない。

またロイ・グッドマン&ハノーヴァー・バンドもかなりの曲数を録音しているが、いずれも単独では全曲録音にまで至っていないのが現状で、この機会にダントーネ、アントニーニの両者が最新の録音で全集を完成させることを期待したい。

この膨大な作品群を現代の大編成のオーケストラを使った分厚いサウンドで演奏するのもひとつの解釈だが、彼のように当時の宮廷楽団のアンサンブルをイメージさせるインティメイトな再現も重要な選択肢のひとつだろう。

彼らから引き出される音色は少人数編成ということもあって、古典派特有のジオメトリックなスコアのテクスチュアが見えてくるような精緻さと独特の透明感があり、かえってそれがフレッシュな音響を創造しているのは事実だ。

その意味ではむしろアントニーニの起伏に富んだ情熱的な演奏を凌駕していて、ダントーネのクールとも言える知的な解釈が反映されている。

また今回はメジャーな作品を敢えて避けた、肩透かしを食わせるような4曲を並べたところもユニークだが、ダントーネによる来たるべきハイドン交響曲全集のサンプラー盤として聴く価値があるもので、それぞれが味のある個性を持っていて音楽的にも他の標題付の交響曲に決して劣るものでないことが証明されている。

セッションの会場となったラヴェンナのゴルドーニ劇場は豊かな残響を持っているが、古楽器の音質を忠実に捉えた録音状態も秀逸。

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2017年02月12日


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バーンスタインのニューヨーク・フィル時代のハイドンがまとめられて格安で再発売された。

バーンスタインのハイドンのよさはもっと知られてよく、シンフォニックな厚みのある演奏は、いかにも巨匠風の大芸術だ。

バーンスタインのハイドンは、精緻なアンサンブルや古典主義的な美を求めるよりは、解放的な愉悦感で一貫している。

特に《時計》は作品とぎりぎりのところで、そのバランスが美しく保たれた演奏になっている。

カラヤン盤がオーケストラの威力によって聴かせるならば、この演奏は全体にみなぎる熱気が魅力である。

指揮台の上で飛び跳ねるというバーンスタインのエネルギッシュなスタイルは、なにも激しい曲ばかりではなく、このような作品にまでもあらわれている。

一糸乱れぬ完璧な合奏力でひきあげたカラヤン盤に対し、バーンスタインの表現は、もっと開放的である。

こうしたハイドンの演奏は、バーンスタインの独壇場と言えよう。

《驚愕》は1970年代のものにしては珍しく大編成によっているが、いかにもユーモリストのバーンスタインらしい、明るく健康的なウィットに富んだ演奏で、新鮮な味わいをもったすがすがしい表現だ。

爛僖僉Ε魯ぅ疋鶚瓩噺討个譴燭覆瓦笋なハイドンの音楽がそのままバーンスタインの人柄に乗り移ったように聴こえてきて、気持ちがよい。

《V字》では、子供らしい活気あふれる無邪気さと、慈父のようなあたたかみのある気配りの対話が生き生きと浮かび出て、ハイドンの本質にふれている。

第3楽章でのユーモア感はさまざまな表情を見せ、そのこまやかさとゆたかさは他に例を見ない。

終楽章は遊びまわる子供の疲れを知らぬ活気にあふれている。

人間に対する親愛感に満ちた演奏だ。

第102番では、オラトリオ《天地創造》に通ずる気宇壮大な世界が展開され、清新な空気を胸いっぱいに吸い、心が広々とし、この世に生きるよろこびが感じ取れる。

ミサ曲第9番《ネルソン・ミサ》では、バーンスタインの切れのよいリズムの中に刻まれるハイドンの抒情が、なんとも現代的である。

と同時にハイドンの本質である完成された古典主義の造型が、この特質を明らかにしていく快さも兼ねている。

独唱者ではソプラノのジュディス・ブレゲンが抜群で、テクニックといい音楽性といい、その仕上がりは他の3人を引きはなしている。

ミサ曲第12番《ハルモニー・ミサ》では、古典的均整に行儀よく収まらず、力と行動性を持ったこのバーンスタインのハイドンは、それ故に現代の生存不安に対するヒューマニスティックな訴えを前面に押し出し、作曲者の〈健康さ〉が、病に冒された現代の人々に確かな〈救い〉を与える。

オラトリオ《天地創造》にも真の人間讃歌がみなぎっていて、この上なく感動的で、オケもコーラスもこの熱に押しまくられ素晴らしい力感をみせる。

バーンスタインの古典は、一般に見逃されているようだが、彼のハイドンやモーツァルトは、構成のしっかりした実に立派なもので、ぜひ再認識してほしいと思う。

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2016年10月10日


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プラガ・ディジタルスからのハイブリッドSACDシリーズの1枚で、フルトヴェングラーの演奏集としては既に7枚目のリリースになる。

早期のウィーン楽派と題されていて、ウィーンに本拠地を置いて音楽活動を続けたハイドンとモーツァルトの作品4曲を収録している。

1948年から53年にかけて彼がウィーン・フィル及びベルリン・フィルを振ったもので、総てがモノラル音源だがリマスタリングによる音質の改善という点では、音場が拡がり音色が艶やかでそれぞれのホールの潤沢な残響も煩わしくない程度に再現され、かなり満足のいく仕上がりになっている。

フルトヴェングラーは古典派であろうがロマン派であろうが、その音楽に内包された表現の劇的な部分を実にスケール豊かな演奏に置き換えてしまう。

1曲目の『フィガロの結婚』序曲は一陣の風が吹き抜けるような短い幕開けの音楽だが、フルトヴェングラーはコーダの手前からアッチェレランドして、猛烈な拍車をかけて追い込むように曲を締めくくっている。

イン・テンポを崩さない現在の解釈とは異なった意外性がかえってこのオペラの性急で革新的な本質を暗示していると言えるだろう。

モーツァルトの第40番ト短調はフルトヴェングラーのロマンティシズムが良くマッチしていて、古典派を通り越した迸るような疾走感と不安を掻き立てるような陰鬱さに彼のカリスマ性が発揮されている。

モーツァルトと言えば、ワルターの名がまず思い浮かべられるに違いないし、同曲についても、彼の演奏を1つの理想や規範とする人々がかなり多いに違いない。

しかし、この作品については、ある意味それとは対極的な存在をなすフルトヴェングラーの演奏を忘れることはできないし、1度それに触れると、その体験が心の底に焼きつけられる可能性さえある。

それは、抑えがたいような悲劇的情感がもたらす緊迫感に溢れたもので、時に鬼気迫るものさえ感じさせるが、クラリネットが加わらない第1版の本質は、こうしたところにもあるのかもしれない。

テンポも、単なる速さということよりも、精神的な緊張にすべての音が動かされた結果と言えるところであり、曲の劇的な側面とフルトヴェングラーの波乱の人生経験とがまさに合体したような演奏と言うべきかもしれない。

モーツァルトの音楽の深さ、情感の豊かさ、デモーニッシュな激しさ、あらゆる次元での音楽表現の可能性の広さと言ったものを、このフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルの演奏から感じ取ることができる。

この曲にここまでの悲劇性があったのかと思わせる演奏内容であり、いつの時代にも聴き手の心に強く深くアピールする演奏となっている。

それに続く2曲のハイドンでも均整のとれた整然とした古典派の形式感というよりは、むしろドラマティックな情熱が滾った生気に溢れた表現が印象的で、モチーフの有機的な処理も鮮やかだ。

そこにはモーツァルトやベートーヴェンの先駆者としてのウィーン楽派の威厳を感じさせるものがある。

作品を大きく見せるのはもちろん、演奏を通して作曲家の存在および意志をはっきり実感させてくれるのがフルトヴェングラーだと筆者は思っている1人だが、彼の手に掛かるとハイドンの交響曲も内面的な感動が極めて大きく厚みのあるものになる。

数あるハイドンの交響曲のうち、第88番《V字》に惹かれる人は、かなりのハイドン好きに違いなく、誰もが注目するほど広く知られているわけではないが、優れた演奏で聴いたら、きっと忘れられなくなるだろうし、ウィーン楽派の神髄に触れさせてくれる、そんな作品の1つである。

フルトヴェングラーの指揮で聴くと、ハイドンの世界が一層大きく、一層深く感じられるから不思議である。

聴きようによっては、ハイドンのベートーヴェン化、といった思いがしなくもないが、それだけ奥行きが深い指揮者だったのだろう。

4つの楽章の音楽的性格の的確な描き分け、強い求心力を感じさせる造型性は他に類がない。

第94番《驚愕》も、少しもこせついたところがない悠然たるテンポで、スケール大きく歌い進んでゆく。

ここに流れているのは、音楽としての自然な呼吸、そして作品に対する深い共感で、演奏全体に漂う大人の風格は、この指揮者ならではのものだ。

ここでフルトヴェングラーは彼らしくないほどに古典的な端正さで演奏しており、大きな身振りもないが、それでいて音楽の作りは大きく、古典派交響曲としての佇まいを緻密かつ美しく示して余すところがない。

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2015年12月01日


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シカゴ交響楽団の首席ホルン奏者だったデイル・クレヴェンジャーは1980年代にフランツ・リスト室内管弦楽団と一連のホルン協奏曲集を録音した。

その1枚がこのフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの第1番ニ長調及び第2番ニ長調と彼の弟ミヒャエル・ハイドンのホルンと管弦楽のための小協奏曲ニ長調の3曲を収録したもので、総てヤーノシュ・ローラが指揮している。

同じメンバーがハンガリーのヴァーチで録音したモーツァルトの協奏曲集と並んで、クレヴェンジャーがソロを演奏したそれほど多くないセッション録音のひとつで、このCDはアペックス・レーベルからも廉価盤でリイシューされているが、リーフレットに録音場所はウィーンと書かれている。

録音は1983年6月なので、クレヴェンジャー43歳の壮年期の安定した力強いソロが堪能できる。

筆者はホルンの奏法については全く無知な人間だが、クレヴェンジャーの演奏を聴いていると、小技に拘泥しないごくオーソドックスで正攻法の表現が特徴的で、こうした基本に忠実な奏法がかえって技巧的な難解さを強調することなく、むしろ曲の構造をより堅固にしていることが理解できる。

3曲とも決して易しい曲ではない筈だが、クレヴェンジャーの王道的な解釈がシンプルに伝わって来る堂々とした演奏だ。

しかしその上でかなり自由闊達なカデンツァを挿入して、鮮やかなホルンのテクニックを披露することも忘れていない。

またヴィブラートを掛けない直線的なトーンも彼の基本奏法のようだが、それは伝統的に狩猟で使われたホルンという楽器の持つ特性を踏襲しているとも言えるだろう。

ハイドンの2曲はホーボーケンのジャンル別分類では第3番及び第4番として知られていて、このCDでもそう書かれている。

ただしハイドンの作曲したホルン協奏曲は2曲のみなので第1番、第2番と呼ぶ方が分かり易い。

因みに第2番は偽作の疑いがあるようだ。

一方ミヒャエル・ハイドン(1737-1806)はフランツ・ヨーゼフの弟で、モーツァルトがヒエロニムス大司教から解雇された後のザルツブルクの宮廷オルガニストを勤めた作曲家である。

交響曲や弦楽四重奏曲を中心にかなりの作品を書いているにも拘らず、現在演奏される曲はごく限られているし、また取り上げられる機会も稀だが、そのひとつがこのホルンのための小協奏曲で、終楽章メヌエットとそのヴァリエーションで飾る、平易だが魅力的な曲趣を持っている。

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2015年09月13日


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ジュリアーノ・カルミニョーラは既にモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集を2回ほどリリースしているが、2011年にパリのシャンゼリゼ管弦楽団を弾き振りして初挑戦したのが今回のハイドンの協奏曲集になる。

いずれもハイドン初期の作品で後期バロックの名残を残した形式感と疾風怒濤時代の自由闊達さを、カルミニョーラは生気に満ちたリズムとストラディヴァリウス特有の明るい響きを活かして表現している。

カルミニョーラは既に60代の円熟期だが、その演奏は若々しく颯爽とした覇気が全曲を貫いている。

特に緩徐楽章での抑制の効いたカンタービレの美しさや急速楽章のカデンツァの鮮やかさは、録音状態の良さも相俟って特筆される。

それほど演奏される機会がないこれらの曲に、新たな価値を再発見したセッションとしても一聴に値するCDだ。

カルミニョーラの使用楽器は今回もストラディヴァリウス・バイヨで、この名器は1732年、ストラディヴァリウス最晩年88歳の時に製作されたものだ。

彼の2人の息子が製作を手伝ったと言われているが、その完璧な技量と眼識は衰えておらず、現在まで全く修理の必要が無いということだ。

音色の特徴は輝かしく力強いこと、低音が深くまろやかなことなどで、ニックネームは所持していたヴァイオリニスト、ピエル・バイヨの名前からとられている。

尚このハイドンの協奏曲集ではモーツァルトの時と同様のピッチa'=430に統一されている。

収録曲目はヴァイオリン協奏曲ハ長調Hob.VIIa:1、同イ長調Hob.VIIa:3及び同ト長調Hob.VIIa:4の3曲で、現存するハイドンの協奏曲の中から真作として認められているものだけを取り上げている。

総てハイドンが当時宮廷楽師長だったエステルハージ宮廷楽団のために作曲されたが、特に第1番ハ長調は若きコンサートマスター、ルイジ・トマシーニを念頭において書かれている。

トマシーニはペーザロ出身のイタリア人ヴァイオリニストだが、旅行中だったエステルハージの当主パール・アンタルにその才能を見出され、若干16歳で宮廷楽団に招かれ、その後ヴェネツィアに留学して更にその技を磨いている。

尚サポートを務めるシャンゼリゼ管弦楽団は、通奏低音のチェンバロを弾いているジョルジョ・パロヌッチを含めて、今回21名のピリオド楽器奏者で構成されている。

リーダーは第1ヴァイオリンのアレッサンドロ・モッチャだが、1991年にフィリップ・ヘレヴェッへによって設立されたこのオーケストラは、本拠地をパリのシャンゼリゼ劇場とパレ・デ・ボザールに置いて、古典派からロマン派に至る作品を総てピリオド楽器で演奏するこだわりの楽団だ。

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2015年08月07日


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バーンスタインとウィーン・フィルの共同作業は、売り物のマーラーやベートーヴェンばかりでなく、ハイドンでも見事な成果を上げている。

バーンスタインのハイドンのよさはもっと知られてよい。

ハイドンというと、わが国ではあまり人気がないが、それは杓子定規の堅苦しい演奏が多いせいではないか。

しかし、バーンスタインのハイドンを聴いて、音楽の楽しさを感じない人はおそらくいないだろう。

まず音の響きが感覚的に洗練され、もうそれだけで聴き手の心を奪い、すぐれた作曲家でもあるバーンスタインらしく各部の構成が見事に分析・総合され、しかもそうした構造を描くだけでなく、旋律の流れが実に流麗である。

ここでも、バーンスタインは、ワルターのように、細やかな表情づけにこだわることなく、おおらかにあたたかく表現していて、魅了される。

いかにもユーモリストのバーンスタインらしい、明るく健康的なウィットにとんだ演奏で、新鮮な味わいをもったすがすがしい表現だ。

“パパ・ハイドン”と呼ばれたなごやかなハイドンの音楽が、そのままバーンスタインの人柄に乗り移ったように聴こえてきて、気持ちがよい。

ウィーン・フィルを起用したのも成功で、このオーケストラ独自の典雅な音色を駆使して、生き生きとした音楽を展開している。

しなやかな弦の歌、まろやかな管のアンサンブル、溌剌としたリズムの躍動感、そのいずれもがハイドンの純音楽的な美しさと魅力を際立たせる。

ウィーン・フィルというオーケストラのすばらしさを、これほどわからせてくれる演奏も少ない。

第88番「V字」は立体感に富む弦と管のバランスが実に自然で、それが、ウィーン・フィル特有のいぶし銀の響きとバーンスタイン特有の生命力を端的にあらわしている。

精密さを求めるより、楽しさに重点をおくバーンスタインが、ニューヨーク・フィル時代には成し得なかったオーケストラとの阿吽(あうん)の呼吸を実現し、メヌエット楽章のスフォルツァンドや強弱の対照を面白く聴かせてくれる。

第92番「オックスフォード」もそうだが、ウィーン・フィルの美しい響きをいかしながら、バーンスタインは、ハイドンの音楽のもつ明るく、楽天的な味わいをうまく表現している。

その一方で、底抜けの明るさの中にも時としてかげりが生じ悲しみがよぎるのを豊かな感情をこめて演奏している。

バーンスタインの表現はウィーン・フィルの芳醇な音色をいかしながら溌剌とした自然な歌に満ち溢れて、ハイドンの最もハイドンらしい面を聴かせる。

第94番「驚愕」は、音そのものが形容を絶する美しさで、プルトを減らしたためか透明度も高く、素晴らしく魅惑的な演奏だ。

その豊麗な響きと流麗さは、他のオーケストラからは求められないものだ。

もちろんバーンスタインの表現も音楽に共感した演奏にのみあらわされるような生命力があり、各部がくっきりと表出されていて、ハイドンの真髄が端的に伝わってくる。

第2楽章の驚かしばかりではなく、全曲のあちこちにハイドンらしい機知やウィットがちりばめられ、ライヴの熱気と高揚と力の爆発が加わって、まさに鬼に金棒。

まさにハイドンの豊かな生命力の理想の表現であり、これほど溌剌として率直、歌にみちた古典の演奏は滅多に聴くことができない。

晩年のバーンスタインは、音楽の奥行きをより深めていったけれど、同時にウィーン・フィルを振ると、決まってこのオーケストラの個性を最大限に発揮させていた。

この演奏もそのひとつで、濃厚な隈取りのなかに、優美でしなやかな感性がうまくいかされている。

筆者はハイドンのような音楽が認められないのは、つねづね音楽受容の後進性を表わしているのではないかと考えているが、このような演奏を聴けばハイドンの熱烈な愛好家が激増することになろう。

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2015年04月25日


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本作は、生涯に100曲以上の交響曲を作曲したハイドンの第104番《ロンドン》と第103番《太鼓連打》を収録したアルバム。

若きカラヤンがウィーン・フィルと共に、生命力あふれる実に堂々とした演奏で、ハイドン最後の2曲の交響曲を聴かせてくれる作品。

大編成のモダン・オーケストラを壮麗に響かせた艶やかで優美な演奏で、まさに王者の風格があり、独自の魅力を漂わせている。

ウィーン国立歌劇場音楽監督時代の一連のデッカ録音の中の最高作の1つで、明るいオケの音色を生かして、確固たる古典美をつくりだしている。

カラヤンのハイドン交響曲に初めて接したのはウィーン・フィルを振っての1959年他の英デッカのLP盤《太鼓連打》《ロンドン》だったリスナーも多いと思う。

後年カラヤンはハイドン交響曲を1975年頃ベルリン・フィルとEMIに、そして1980年代初め同じベルリン・フィルとDGに録音しており、ますます豪華で重厚な交響曲へと仕上げられて行き、流麗なレガートの味は堪能できるだろう。

しかし三つ子の魂百までで英デッカ盤のある意味溌剌さは後年盤には求める事は出来ず、既に50年以上前の録音とはいえ、今なお、価値の高い1枚と言えるだろう。

ハイドンの《ロンドン》はカラヤンが好んで指揮した楽曲の1つである。

筆者の手元にも、ベルリン・フィルを指揮した新旧2種のスタジオ録音、ウィーン・フィルを指揮した1979年のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音、そして本盤の合計で4種もある。

これらの中でも、最もバランスのとれた名演は、本盤のウィーン・フィルとのスタジオ録音ではないかと考えている。

演奏者の品位と、曲の力を引き出した演奏で、カラヤンらしいそつのない、颯爽とした演奏になっていて、クレンペラーのような荘厳さとは変わってエレガントなタッチを感じる。

カラヤンならではの颯爽としたテンポによる演奏であるが、よく聴くと、隋所に抑揚の効いた極上のレガートがかかっており、各楽章の描き分けも実に巧みだ。

特に第4楽章、あっけないほどに隙のない展開、小5分で締めくくってしまうが、そこが心憎いほど演出巧者なカラヤンの神髄かも知れない。

ウィーン・フィルも、極上の美演でカラヤンの指揮に応えている。

《太鼓連打》は、後年のベルリン・フィルとのスタジオ録音も名演であり、あとは好みの問題だと思うが、この当時のウィーン・フィルの演奏の美しさには抗しがたい魅力がある。

前述のようにカラヤンはハイドンを晩年ベルリン・フィルとも録音しているが、このウィーン・フィルとの録音では、肩の力を抜いて、まさに「ご当地」の音楽に興じている演奏家たちの気構えが充分に伝わってくる。

両曲で聴かせる品の良さ、快活さ、そして音の密度の濃さには、聴いていて満足感を得られるし、何よりハイドンの音楽の素晴らしさを存分に紹介してくれていると思う。

なお、《ロンドン》等最終楽章で本盤は後年盤で演奏された反復部分は略されておりスッキリしている。

SHM−CD化により、これらの名演がより高音質で聴けることになったことを大いに喜びたい。

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2015年03月18日


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畏れ多くも史上初のハイドン交響曲全集であるが、まずは、この偉業に頭を垂れなければならない。

全104曲、輸入盤CDにして33枚(国内盤は36枚で売られていた)の大プロジェクトである。

初出のLP時代には、なんと46枚の大全集であり、ベームのモーツァルト交響曲全集LP15枚(現行CD10枚)を大きく凌駕する。

この企画を通した英デッカとしても、ショルティによるワーグナー「ニーベルングの指環」以来の大英断だったに違いない。

1969年から72年にかけての録音と言うと、カラヤンやベームの壮年期であり、クラシック・レコードに最も活気のあった頃である。

機械化が進んだため、質的には手作りの1950年代から60年代初頭より劣っていたにせよ、こうした大きな企画が通るには絶好のタイミングだったのかも知れない。

アナログ・レコードの制作は、録音からプレスまで、CDよりも数倍、数十倍のコストがかかるため、セールスの目処の立たない企画は成り立ちにくかったからである。

その意味でも、ドラティのハイドン交響曲全集は意義のある企画だった。

個別の曲で言えば、より優れたものもあるが、この全集のおかげで発見できたことがとても多いのだ。

演奏には中庸の魅力があり、小編成のフィルハーモニア・フンガリカによる溌剌とした演奏が小気味良い。

フィルハーモニア・フンガリカは1956年のハンガリア動乱によって移住した音楽家を集めて1957年に結成されたとのことであるが、その演奏水準の高さはトップランクだ。

ハンガリアン・ファミリーの1人、ドラティとの相性は言うまでもなく抜群で、室内楽的なアンサンブル、透明度の高い音色はハイドンにとても良くマッチしている。

フレージングはいつも新鮮、リズムも躍動しており、史上初の全集としての役割は十二分に果たしている。

ドラティの演奏の精巧さはライナーやセルらに共通するもので、このグループの指揮者の実力には改めて驚かされる。

余分なものも足りないものもない、古典的格調に満ちた演奏で、エディションはランドン版。

古楽器演奏とは一味違う表情の豊かさが魅力で、神経質なところがないので、ハイドンの交響曲の持つ伸びやかさを満喫することができる。

このハイドン全集は、英デッカがハンガリーとの関係が深かったがゆえに実現した企画とのことだが、移住者にとっては経済的にも干天の慈雨であったかも知れない。

強いて欠点を挙げるなら、あまりにも短時間で全曲を録音した結果、「一丁上がり!」的な粗雑な演奏も混在していることである。

普通なら録り直すであろうピッチやアンサンブルの乱れにも無頓着なところがある。

箱や袋からわざわざ盤を取り出すLPと違って、扱いのお手軽なCD時代になり、これまで滅多に聴かなかった初期や中期の作品を耳にするようになって、そうした粗が余計に目立って聴こえるようになったのかも知れない。

とはいえ、かつて国内盤CDで6万円以上していた当セットも、いまは半額くらいで手に入るので、手元に置いて、後悔することはなかろう。

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2015年03月17日


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快活・健康的・素朴などなど、こういった類の言葉でハイドンの音楽は語られるが、まさにこれにぴったりの演奏が当盤である。

ピリオド楽器派による時代考証とは一線を画した録音で、古楽器台頭以前の大編成オーケストラによる最もオーソドックスな演奏として、身も心も安心して委ねることのできるセットである。

この“時代”の演奏には心から身を委ねることができるのは、聴き慣れているせいだけではないと思う。

ピリオド・スタイルの隆盛によって、このように低音域を分厚く鳴らすやり方は過去の遺物と化しつつあるが、この演奏の造型の確かさと端正さは時代の嗜好を超えて傾聴に値する。

ゆったりと大きく構えた演奏で、迫力も十分、音楽の愉悦にあふれていて、現代のタイトな演奏に慣れた耳には大いに新鮮に響く。

昨今あまり耳にしなくなった量感豊かなハイドンであり、垣間見えるバロック的な音の仕掛けに対し、ことさらな身振りを作らず、揺るぎないバランスで響きを整え緩急をキメていき、その音の姿から、次世代作曲家との同時代性が浮かび上がる、伝統視点の熟演。

初演地に因んでロンドン・フィルを起用しているなど実に気が利いている。

これはベームの「ドン・ジョヴァンニ」の録音にプラハのオーケストラを起用するなど、ドイツ・グラモフォンが時々使う手法だ。

しかし、これが企画のための企画に終わっていないのは演奏を一聴すれば明らかである。

ドイツのオーケストラのように重厚すぎないロンドン・フィルの上品で節度ある響きが、この演奏に独特の気品を与えているからである。

あまりにオーソドックスなため、どの演奏がどうである、という解説は困難を極める。

そこで、このセットに共通する特徴をいくつか挙げるに留めたい。

まず第一には、演奏する歓びに溢れていることであるが、とは言っても、少し説明不足かも知れない。

アンサンブルをする歓び、職人的に書かれたハイドンのスコアを、音にする歓びに溢れている、とでも言えば本質に大分近づいてくる。

つまり、精神的にどうのこうの言う前に、単純に縦の線を合わせるとか、三度の響きを正確にとか、アクセントをどう置くだとか、合いの手を入れるニュアンスなど、「合奏」することの純粋な面白さをヨッフムと団員たちが追求しており、その愉しさが聴き手の心をウキウキさせるのだ。

そして、もうひとつ挙げるなら、ヨッフムが熟練した統率能力と背中合わせに併せ持つヨッフムの「子供のような純粋さ」である。

たとえば、《軍隊》における鳴り物を賑やかに鳴らす様など、子供がおもちゃを叩いて大喜びしているのを思い出させるのだ。

ハイドンのもうひとつの面白さに気づかせてくれる演奏と言えるところであり、ヨッフムの素晴らしいブルックナーを彷彿とさせる。

こういうハイドンを聴くと、本当に心が和み、小編成では味わうことのできない大らかさにホッとするのだ。

クナッパーツブッシュのように無限の宇宙を感じるとか、シューリヒトのように魂が天を駆けるという特別な演奏ではない。

それでいて、大衆に媚びた低級な演奏でもなく、現在ではなかなか聴けないスタイルの演奏だ。

特別な仕掛けや細かな計算が表に出るような指揮ではなく、大らかで素朴ながら、ハイドンの音楽の面白さがストレートに伝わってくる。

真面目さとユーモア、高尚と親しみやすさ、そんなものが同居した、バランスの取れた名演集である。

こうしたがっちりとした造型と、大柄な表現は、今やほとんど誰もできなくなってしまった。

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2015年03月13日


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ノリントンならではの個性的な名演だ。

手兵のシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮しているが、ハイドンが作曲時に想定した40名程度という、かなり人数を絞った編成で演奏しており、いわゆる古楽器奏法を旨としている。

しかしながら、そこはさすがはノリントン。

四角四面の学術的な演奏には陥らず、緩急自在のテンポを駆使して、奔放とも言うべき変幻自在の演奏を行っている。

そこには、いささかのあざとさは感じられず、高踏的な芸術性を失うことがない点を高く評価したい。

持ち前の「ピュア・トーン」を武器につぎつぎと作品のイメージを一新し、とりわけベートーヴェンやモーツァルトといった古典派の作品で最高の成果を収めてきた当コンビによるハイドンとくれば、そもそも相性は悪かろうはずがない。

全て拍手入りのライヴ録音とは思えぬ程、精緻で活力溢れるパフォーマンスが展開されている。

痩せて鋭くどこまでも真っ直ぐな気持ちの良い弦楽、カラフルでモダンな木管、派手に爆発する金管と、ハイドンのオーケストレーションの豊かさ美しさが明快な録音で存分に味わえる。

フレージングはより徹底され、音を割ったブラスやケトル・ドラムも意表を突くというよりむしろ必然とさえ思えるほど自然で効果満点、フレッシュでエレガント、あたたかなぬくもりと、何より音楽の喜びと楽しさを授けてくれる。

いずれも名演であるが、印象的な楽曲をいくつか掲げると、先ずは第94番の第2楽章の超快速テンポ。

本来は打楽器による最強奏が驚愕であるが、ノリントンの演奏ではこの超快速テンポが驚愕だ。

第101番の第2楽章のいわゆる時計の超快速テンポ。

これは、クラシカルなぼんぼん時計ではなく、現代のアラーム時計とも言える面白さ。

第103番の冒頭のいわゆる太鼓連打のド迫力は、我々の度肝を抜くのに十分だ。

そして、何よりも名演は第104番。

特に、第1楽章の威風堂々たる楽曲の進め方は、ハイドンの最高傑作にふさわしい威容を兼ね備えている。

第2楽章の快速テンポや思い切ったゲネラルパウゼの活用は、第1楽章との見事な対比もあって最高の面白さであるし、終楽章の中庸のテンポによる確かな歩みも、全曲を締めくくるのに相応しい素晴らしさだ。

特に、フィナーレの最後、弦が主題を強奏する上で鳴り響くトランペットのファンファーレ(ブルックナー的とも言える)を、ノリントンほど目立たせて鳴らした例はCDではほとんどないのではないか。

盛り上げるところは盛り上げ、流すところはあっさり流す、その自在さは聴いていて癖になってしまう。

ピリオド奏法を取り入れたモダン・オケでのハイドン演奏として1つの完成形を示している。

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2015年03月01日


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1981年、グールド初のデジタル録音による、傑作中の傑作で、いかにもグールドらしい超個性的な名演だ。

ハイドンは偽作・真偽未確定作・一部分消失作を含んで58曲のソナタを残したと言われているが、このアルバムはその最後の6曲を取り上げている。

第56番や第58番の第1楽章の極端なスローテンポと、それに続く終楽章の快速テンポの見事な対比、偉大な傑作である第59番の水を得た魚のような生命力溢れる打鍵の嵐、3大ピアノ・ソナタの緩急自在のテンポを駆使した自由闊達な表現の巧みさ。

モーツァルトのピアノ・ソナタでは、ごつごつしたいささか不自然な表現も見られたが、本盤に収められたハイドンのピアノ・ソナタでは、そうした不自然さを感じさせるような表現はほとんど見られない。

作曲者が誰とか、曲がどうとか、そういう説明を一切必要としない名演で、最初の音が鳴り響いた時から、グールド・ワールドが展開する。

世界一級品の美術品の本物を目にした時のような直接性で、リスナーを瞬間的に虜にする。

シャープな音の切れと録音の良さが相俟った、冒頭から玉を転がすようなピアノの1音、1音から魅惑される。

その1音1音が明瞭でクッキリしている演奏は他の作品にも通じるグールドらしさで、勿論それは素晴らしい。

それに加え、そもそもロマン派以降の楽曲と較べると、情緒性や起伏という点では、「型」はあっても「体温」がないように筆者には感じられるハイドンの曲を、強弱とテンポを極端に使い分けることでここまで蘇生させるというのは、腕も勿論だが、やはり発想がまず天才的だと思う。

1980年代(つまり最晩年)のグールドの演奏では、あの2度目のゴールドベルク変奏曲の演奏に匹敵する、いや個人的にはそれをも凌駕するのではないかと考える稀代の名演だ。

才能とはやはり恐ろしいもので、彼の弾くバッハと同様の、抜群の面白さ溢れる演奏であり、音やリズムが水を得た魚の様に飛び跳ねてキラキラと空中に舞っている。

あまり採り上げられることがないハイドンのピアノ・ソナタでここまで美しい音世界を構築するグールドの力量には驚くばかり。

これだけ真剣に歌い上げて、リズムから構成全てきっちりとしているにも関わらず愉快さを感じさせ、気迫のこもった演奏であるにも関わらずあくまで軽く、洒落ているといった趣きの不思議な演奏。

ハイドンのピアノ曲を、「演奏」という創造行為で満たした奇跡のようなパフォーマンスと言えるところであり、「楽曲」と「演奏」の関係を再考するきっかけともなるであろう。

グールドは聴く者に類推させてくれるピアニストであり、グールドならあのソナタをこう弾くのではないか、というところが楽しいのである。

グールドの死は、本盤の収録後まもなく訪れることになるが、まさに、グールド畢生の名演と言っても過言ではないと思われる。

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2015年02月13日


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最晩年のワルターの代表的な名盤。

ハイドンの交響曲のうち、パリ交響曲以降の傑作群は、大編成のオーケストラが演奏しても十分に聴きごたえのある大交響曲であると考えている。

にもかかわらず、最近では、編成の小さい古楽器演奏だとか、古楽器奏法なるものが一般化しつつあり、ハイドンの交響曲が、コンサートの曲目にのぼることすらほとんど稀になったのはまことに嘆かわしい限りである。

そうした中で、本盤のワルターの演奏を聴くと、実に懐かしく、そして生き返ったような安心した気持ちになる。

ワルターのハイドンは、この指揮者の絶妙なバランス感覚と、形式に対する確かな理解が率直にあらわれたものと言えよう。

「軍隊」は、かつてモノーラルによるウィーン・フィルとの録音が有名であるが、ここでのコロンビア交響楽団との演奏では、この巨匠指揮者が、彼の唯一の録音となった「V字」とともに、遅めのテンポで堂々たる足取りで進めてゆく。

演奏のあちらこちらから、木の温もり、土の香りがするようで、大編成のオーケストラ(と言っても、コロンビア交響楽団なので限度はあるが)を指揮しながらも、ここには機械的だとか、メカニックなどという要素はいささかも感じられない。

ハイドンのオーケストレーションや音楽構成が良く聴こえ、隅々にまで目の届いた、ワルターのハイドンに対する思いやりみたいなものが聴ける。

ワルターは、オーケストラの響きにふくらみをもたせ、歌うような演奏を心がけた指揮者として、ファンの間で根強い人気がある。

第88番の第2楽章だとか、第100番など、あまりのスローテンポに、スコア絶対の原理主義者や音楽学者などからすれば時代遅れだとか誇大妄想とかいう批判もあり得ると思うが、音楽芸術の感動の前には、筆者としては意味のない批判だと思う。

若い頃は比較的地味なハイドン交響曲にそれほど深くレコードで馴染む対象ではなかったのが、このワルター&コロンビア交響楽団の「V字」「軍隊」はハイドン交響曲の「良さ」を感じ取ったものである。

おそらく他の指揮者の演奏に最初に接していたならその良さに気がつくのはもっと遅れていたであろう。

それ位ワルターの演奏はハイドン以上の何かふくよかさが込められたように思え人生の余裕時間を過ごせるようにも感じたところである。

コロンビア交響楽団も、ワルターの指示通りのアンサンブルを聴かせ、余裕から生まれる、豊かな音楽を響かせている。

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2015年02月11日


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ハンガリーに生まれ、中堅クラスだったクリーヴランド管弦楽団を世界的なオーケストラに育て上げた稀代の名指揮者ジョージ・セル。

そのアンサンブルはまさに「精緻」という言葉が相応しいものであるが、ここで聴くハイドンの交響曲は、そうしたセル&クリーヴランド管弦楽団の特質―引き締まったリズムとスリムな響き―にぴったりであり、今でもこれらの曲の決定的な演奏として聴き継がれるに相応しい内容となっている。

セルの完璧なまでのオーケストラ操舵―透明度の高い完全なアンサンブル、管弦の均衡ある展開、基本的に一定かつ軽快なスピード感―は、デジタル化の時代にあっても違和感なき心地よさで、古さを全く感じさせない。

セルがクリーヴランド管弦楽団を指揮した演奏の数々は、セルの楽器と称されるほどの精緻なアンサンブルを誇るものであったが、演奏によってはやや鋭角的な印象を与えるものもあった。

しかし、晩年には、そうしたいささか欠点といも言うべき角がとれ、精緻な中にも柔軟さを感じさせる名演が繰り広げられる傾向にあった。

EMIに録音したドヴォルザークの「第8」やシューベルトの「第9」などは、そうした傾向にある晩年のセルならではの味わいのある名演であったように思う。

本盤に収められたハイドンの初期ロンドン交響曲集も、セルの死の数年前の晩年の演奏ということもあり、前述した傾向が顕著なセル晩年ならではの至高の名演ということができよう。

セルのような指揮者でハイドンを聴くと、また一段と曲の素晴らしさを認識させられたところであり、久し振りに聴いて懐かしむどころか新しい発見と感動を与えられた。

とにかく、ハイドンは、同じ繰り返しが多い、退屈、単調、保守的、曲が中途半端などの見方があるが、演奏の仕方にも問題がある。

セルは、考え抜かいた演奏を行い、オケのコントロールも当然ながら抜群で、全く退屈しない演奏だ。

フリッツ・ライナー、ジョージ・セル、ユージン・オーマンディ、アンタル・ドラティ、ゲオルグ・ショルティ、クリストフ・フォン・ドホナーニ―彼らはいずれもハンガリーで生まれ(あるいは血縁があり)アメリカのメジャーオケで活躍した大家である。

このハンガリアン・ファミリーは、いずれもハイドンを得意とし名演を残している。

特に交響曲全曲録音を制覇したドラティの偉業が光るが、後期曲に関してセルの高純度の演奏はその双璧にある。

精密機械のように楽曲の輪郭をクリアにしつつ、そこで繰り広げられる超人的な精緻なアンサンブル。

それでいて、決して機械的にはならず、セルの人生を俯瞰させるような何とも言えないぬくもりのある味わいに満ち溢れている。

まさに、セル畢生の名演と評価すべき出来栄えであると言えるだろう。

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2014年12月03日


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本盤の演奏は、ラトルがベルリン・フィルの芸術監督に就任後、2008年のマーラーの交響曲第9番の登場までの間、鳴かず飛ばずの状態にあった中では、最高峰の名演と言えるのではないだろうか。

ラトルも、世界最高峰のオーケストラを手中におさめた後は、当然、クラシック音楽ファンの厳しい視線にさらされたこともあって、それを過剰に意識したせいか、演奏に気負いが見られたところである。

その気負いが、自らの指揮芸術の軸足にフィットしたもの(最近のラトルはそうである)であれば、いわゆるラトルの個性が全面的に発揮した名演ということになるのであろうが、そうでない場合には、奇を衒ったわざとらしさ、あざとさだけを感じさせる凡庸な演奏に陥ってしまうことになる。

ラトルの当時の演奏は、まさにそれに該当するところであって、芸術監督就任お披露目公演のマーラーの交響曲第5番、ブルックナーの交響曲第4番、シューベルトの交響曲第9番など、死屍累々の山。

どうなることかと心配していたところ、前述のマーラーの交響曲第9番で奇跡的な逆転満塁ホームランを放つのであるが、本盤のハイドンの交響曲集は、不調をかこっていた時代にまぐれであたったクリーンヒットのような趣きがある。

そうなった理由は、楽曲がハイドンの交響曲であったということにあると思われる。

ハイドンの交響曲は極めてシンプルに書かれているが、それだけに様々な演奏スタイルに堪え得るだけの懐の深さを湛えている。

モーツァルトの交響曲との違いは、まさにその点にあるのであって、仮に、ラトルがモーツァルトの交響曲集の録音を行っていたとすれば、間違いなく凡打をもう1本打ったことになったであろう。

それにしても、これほどまでにハイドンの交響曲を面白く、そして楽しく聴かせてくれる演奏は他にあったであろうか。

もちろん、ピリオドオーケストラを起用しての演奏には、インマゼールやノリントン、ブリュッヘンなどの名演が存在しているが、大オーケストラを起用しての演奏としては、他にあまり類例を見ないものと思われる。

そして、本演奏の場合は、ラトルの思い切った解釈がいささかもあざとさを感じさせず、気高い芸術性に裏打ちされているというのが素晴らしい。

ベルリン・フィルの首席奏者とともに演奏した協奏交響曲も見事であり、いずれにしても、本演奏は、ハイドンの交響曲を得意としてきたラトルならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年07月30日


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カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代及び1970年代というのが大方の見方だ。

1982年になって、いわゆるザビーネ・マイヤー事件が勃発すると、両者の関係は修復不可能にまで悪化し、カラヤン自身の健康悪化も多分にはあると思うが、この両者による演奏に全盛時代の輝きが失われるようになったというのは否めない事実である(中には優れた味わい深い演奏も存在している)。

本盤に収められたハイドンのパリ交響曲集とロンドン交響曲集は、1980年代に入ってからの演奏ではあるが、ザビーネ・マイヤー事件勃発前のものであり、いまだ両者の関係に亀裂が走っていない時期の録音である。

したがって、全盛期に比肩し得るような両者による素晴らしい演奏を堪能することが可能である。

一時期のカラヤンは作為的な表現も多々あったが、このハイドンでは、彼のアクの強さは影をひそめ、そのかわりにベルリン・フィルの自発性が目立っている。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、木管楽器やホルンなどの卓越した桁外れの技量を駆使しつつ、カラヤン一流の優雅なレガートが施された演奏は、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべきものであり、ハイドンの交響曲演奏としてもこれ以上の絢爛豪華な演奏は空前にして絶後であるとも言えるだろう。

ハイドンは、カラヤンが昔から得意としていたレパートリーのひとつであり、カラヤンがとりわけ深く愛した交響曲第104番「ロンドン」については、ウィーン・フィルとのスタジオ録音(1959年)の方が、第103番も含めて、より颯爽とした爽快な演奏に仕上がっており、ハイドンの交響曲に相応しい名演とも言える。

また、第104番に、第83番、第101番をカップリングしたベルリン・フィルとのスタジオ録音(1975年)も優れた名演であった。

しかしながら、本盤に収められた演奏は、ベルリン・フィルの合奏力が、遺憾なく発揮された演奏であり、いわゆる音のドラマとしては最高峰の水準に達していると言えるところであり、聴き終えた後の充足感においては、前述の過去の名演にもいささかも引けを取っていないと考える。

細部にまで磨き上げられたアンサンブルが特徴で、旋律を心から歌わせ、音楽をここまで彫琢して聴かせる指揮者というのも、カラヤンをおいては他になかろう。

晩年のカラヤンは、ぎりぎりまでテンポを落として、風格のある演奏を行っていたが、ここでもそれが見事に功を奏し、巨匠的な仕上がりとなっている。

近年多くなった、端正な演奏とはかけ離れているが、スケールの大きさといい、完成度の高さといい、カラヤンならではの世界だ。

このような重厚でシンフォニックな本演奏に接すると、近年主流となっている古楽器奏法や、ピリオド楽器を使用した演奏が何と小賢しく聴こえることであろうか。

録音は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤は、音質の鮮明さといい、音場の広がりといい、素晴らしい水準の音質である。

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2014年03月25日


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1998年12月17日(ハイドン)、1997年10月4日(ブラームス)、ウィーン・コンツェルトハウス・大ホールに於けるデジタル・ライヴ録音。

巨匠ザンデルリンクは、2002年に演奏活動から引退する直前までヨーロッパ各地の名門オケに客演を繰り返し、どのオーケストラからも驚異的高水準の演奏を引き出すことで尊敬を集めた。

ほぼ毎年客演したウィーン交響楽団との相性も抜群で、機能的でストレートな反応にザンデルリンクの豪快なドライヴが見事に決まっている。

いずれもザンデルリンクからリリース快諾を得たとのことで、ファンにはうれしいアルバムの登場である。

巨匠お得意のブラームスの交響曲第3番では、どっしり落ち着いた風格にウィーン響の華やかさが加味されて絶妙の味わいがある。

どの楽章も隅々まで心配りが行き届き、渋みのあるロマンはたっぷり濃厚。

最近の小編成オケによる演奏とは土台も次元も違う演奏で、改めてブラームスの魅力を思い知らされる。

ブラームスの交響曲第3番の新たな名演の登場と言えるだろう。

また、カップリングの「驚愕」は、ありそうでなかったディスク初登場レパートリー。

ハイドンを面白く聴かせる第一人者の巨匠ゆえに、堅苦しさや優等生的な融通の利かなさはまるでなく、愉悦と大胆な遊び心に満ちた快演。

お馴染みのメロディーがこれほど格調高く、しかも伸び伸びと歌われた演奏はそうあるものではない。

どこか古風な落ち着いた響きをもったスケール豊かな演奏は、ピリオド楽器による演奏から得られない魅力に満ちている。

ザンデルリンクは既に10年前に引退して、昨年逝去してしまったのだなぁ…、という感慨の深い1枚とも言えよう。

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2014年03月07日


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クリップスが得意としたハイドンを中心に、シューベルト、メンデルスゾーンをカップリングした2枚組。

ウィーン・フィルとの『驚愕』&第99番は昔から名盤として親しまれてきたもので、シューベルトの第6番は繊細な歌い回しが、メンデルスゾーンの『イタリア』は上品な明るさが絶品。

しかし、このディスクの最大の聴きものはやはりウィーン・フィルを指揮したハイドンであろう。

ウィーンに生まれ、ウィーンに学び研鑽を積んだ生粋のウィーン子であるクリップスの代表作のひとつとして、評価の確立している名演である。

懐古趣味に浸るのもどうかと思うが、今後、このような魅惑いっぱいのウィーン・フィルを聴くことは考えられない。

典雅に振れる指揮者もいないし、ウィーン・フィル自体もこのような芳醇な香りを失ってしまった。

どの瞬間もあまりに美しく、解説するのは野暮だし、批評する気にもなれない。

そこで、この場では音楽における「ウィーン訛り」ということを考えてみたいと思う。

何をもってウィーン風の「粋」というのか? クリップス盤と他の演奏を最も隔てるものは何かと言うと、演奏する際のイントネーションではないかと思われる。

弦楽器奏者の弓が弦に触れ、発音する際、まるで喋るようなニュアンスがあるのだ。

もちろんオーケストラは器楽合奏であるけれど、まるで声楽家がリートを歌うように、フレーズのそこここにウィーン流に訛った「子音」があるのである。

そして、よく聴くと、子音ばかりでなく「母音」もウィーン訛りなのだ。

フレーズの流れやアクセントも独特で、それは弦楽器ばかりでなく、管楽器にまで及んでいるのが分かってくる。

ことにハイドンの典雅な楽想やチャーミングな音色美を、クリップス以上に生かし得た指揮者は一人もいない。

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2014年02月19日


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いつも当ブログに記していることであるが、ハイドンの交響曲演奏の主流がピリオド楽器による古楽器奏法などになりつつあることもあって、最近ではハイドンの交響曲がコンサートの演目になかなかあがりづらい状況になりつつあるのは、作品の質の高さからしても大変残念なことである。

そのような中で、今をときめくヤンソンスが、バイエルン放送交響楽団を指揮して、ハイドンの「ロンドン」と「軍隊」という、交響曲の2大傑作をライヴ収録したのはそれ自体歓迎すべきことである。

当然のことながら、重厚でシンフォニックな演奏を期待したが、いささかその期待を裏切られることになった。

意外にも、演奏が軽快にすぎるのである。

「ロンドン」の序奏部からして、音の重心がいかにも軽い。

要するに、心にずしっと響いてくるものが少ない。

主部に入ってからも、軽やかさは持続しており、もしかしたら、ヤンソンスは、最近のハイドン演奏の風潮を意識しているのかもしれないとの思いがよぎった。

大オーケストラを指揮しているのに、それはかえすがえすも残念なことである。

ヤンソンスは、すべての繰り返しを実行しているが、それならば、演奏においても、もっと大編成のオーケストラを生かした重厚な演奏を期待したかった。

「軍隊」は、「ロンドン」と比較すると、曲自体の性格もあって、このような軽快な演奏でも比較的心地よく耳に入れることができた。

いずれも決して悪い演奏ではないのだが、期待が大きかった分、いささか残念なCDであったと言わざるを得ない。

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2014年01月28日


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マイスキーは、ロストロポーヴィチ亡き現在においては、最高の力量を持ったチェリストと言えるのではないか。

本盤は、今から25年以上も前の若き日のマイスキーによる弾き振りによる録音であるが、今日における偉大なマイスキーを予見させるのに十分な素晴らしい名演だ。

自ら指揮も務めるマイスキーは美しいチェロの音色を駆使しながら、豊かな感性と情熱を存分に発揮した瑞々しい演奏を繰り広げている。

ハイドンのチェロ協奏曲は、例えば、ドヴォルザークやエルガー、シューマンのそれとは異なり、超絶的な技巧を要するものではないが、その分、情感豊かな音楽性がないと、ひどく退屈で、つまらない演奏に成り下がってしまう危険性がある。

もちろん、マイスキーには、ロストロポーヴィチにも匹敵するくらいの圧倒的な技量と強靭さを有しているのであるが、本盤でのハイドンでは、それを極力封印し、これ以上は求め得ないような情感豊かな演奏を心掛けている。

マイスキーのチェロは、どの曲でも音色に艶があり、張りのある響きと柔らかい響きがしなやかに交錯し、特に高音が輝かしい。

解釈は力強く、感情の振幅が大きく、のびのびしていて古典にふさわしい豊かな雰囲気をもたらしているのは見逃せない。

本演奏に聴かれるマイスキーのチェロの音色は、まさに美しさの極みとも言うべきであり、その瑞々しいとさえ表現できるような豊かな音楽性は、マイスキーのチェロに見事に合わせているヨーロッパ室内管弦楽団の好演とともに、音楽をする喜びに満ち溢れているとさえ言える。

オケの弦のアーティキュレーションが一段とのびのびしているように感じられる。

本演奏は、間違いなく、ハイドンのチェロ協奏曲の様々な名演の中でもトップの座を争う名演と高く評価したい。

録音も、マイスキーのチェロの弓使いが鮮明に聴こえるなど、実に素晴らしい。

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2013年10月14日


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100曲を超えるハイドンの交響曲の中でも高い人気を誇る3曲で構成された、魅力的な選曲のディスク。

いずれも、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の名演であるが、特に、第104番がダントツの名演である。

カラヤンの数々の伝記を紐解くと、カラヤンは、ハイドンの交響曲の中でも、この第104番に特に愛着を抱いていたとのことであるが、それだけに、ウィーン・フィルと1種、ベルリン・フィルとは、本盤を含め3種の録音が遺されている。

いずれ劣らぬ名演ではあるが、世評が高いのは、ウィーン・フィルとの録音ということになるであろう。

そして、ベルリン・フィルとの3種の録音の中では、ザルツブルク音楽祭での燃焼度の高いライヴ録音(1979年)にも後ろ髪を引かれる思いがするが、オーケストラの安定性という意味では、本盤の演奏を第一に採りたい。

カラヤン得意のレガートが程良い品の良さをたたえて全曲を支配しており、そのエレガントな優美さは、他のどの演奏よりも優れている。

ここでは、ベルリン・フィルの威力を見せつけようという押しつけがましさが微塵もなく、団員全員が、カラヤンの統率の下、音楽をする喜びを噛みしめているかのように楽しげだ。

他の2曲も、この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの絶頂期を窺い知ることができる名演。

カラヤンはベルリン・フィルの磨き抜かれた響きを生かして、それぞれの作品の個性と魅力をニュアンス美しく再現し、流麗で格調高い演奏を行っている。

ハイドンは、第101番や第104番の緩徐楽章で、弦楽器とフルートを同時に演奏させているが、フルートの音が鮮明に分離して聴こえるのは、カラヤン&ベルリン・フィルの素晴らしい功績と考える。

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2013年06月16日


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ケルテスは才能のある偉大な指揮者であった。

1973年のイスラエルでの海水浴中の悲劇の事故がなければ、当時43歳の若さであっただけに、その後の指揮者地図が大きく変わったであろうことは否定し得ない事実である。

本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第2番の演奏は1960年頃のスタジオ録音であり、ケルテスが未だ31歳という若き日の演奏だ。

それだけに、演奏に奥行きのある彫りの深さを求めることは困難ではあるが、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っており、まさに若武者ならではの爽快な演奏に仕上がっている。

そして、ケルテスが素晴らしいのは、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏には陥っておらず、どこをとっても瑞々しささえ感じさせるような豊かな情感が込められている点である。

これが、本演奏が気鋭の若手指揮者による演奏らしからぬ内容の濃さを有している所以であると言えるところであり、ケルテスが死の直前にバンベルク交響楽団の首席指揮者への就任が決定していたことも十分に理解できるところだ。

併録のハイドンの交響曲第45番も素晴らしい名演だ。

ハイドンの交響曲の演奏様式については、近年では現代楽器を使用した古楽器奏法や、ピリオド楽器を使用した、いわゆる小編成のオーケストラによる軽妙な演奏が主流となっている。

そのような中で、本演奏のような重厚にしてシンフォニックな演奏は稀少なものと言えるが、演奏の持つ力感や内容の濃さには尋常ならざるものがあり、その充実度は近年の演奏など本演奏の足元にも及ばないと言えるだろう。

何よりも凄いのは、このような偉大な演奏を1960年というケルテスが指揮者デビューした若干31歳という若き日に成し遂げたということであり、いかにケルテスが類稀なる才能を有した指揮者であったのかがわかろうというものである。

いずれにしても、本演奏は、若き日のケルテスによる素晴らしい名演であるとともに、軽妙浮薄な演奏が流布している現代においてこそその存在価値が大きい至高の名演と高く評価したい。

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2013年01月24日


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「古典派」に慎重な態度で取り組み始めたラトルの姿を伝える1枚。

ラトルとハイドンの交響曲との相性は抜群だ。

現在でもモーツァルトよりもハイドンのほうに適性を示すラトルだが、この録音からもその資質は如実にうかがえる。

数年前に発売された、ベルリン・フィルと組んで録音した第88〜92番のCDも名演であったが、本盤も素晴らしい名演である。

ラトルは、ベルリン・フィルとの名演でもそうであったが、現代楽器に古楽器的な奏法をさせている。

そうすることによって、全体として非常にきびきびした軽快な装いを示すことになる。

その上で、ラトルは、極端とも言えるようなテンポの変化や音の強弱を付すことによって、かつてのハイドンの交響曲でも主流であった重厚な演奏とは一線を画し、非常にリズミカルな21世紀の新しいハイドン像を創造した点が素晴らしい。

古楽器奏法やピリオド楽器を活用したハイドンの交響曲の演奏ならば、近年ではいくらでもあるが、ラトルの演奏は、前述のように、テンポや強弱の変化に極端とも言えるような濃厚な味付けを施すことによって、学者の研究素材のレベルではなく、一流の芸術作品に高めている点が、他の指揮者とは大きく異なる長所だと考える。

本盤は、カップリングのセンスも見事。

途中にチューニングをし直す場面が入ったり(第60番)、終わったと見せかけては次に続いたり(第90番)、そんな突拍子もないユーモアを含む曲を取り上げているのがラトルらしいところ。

それぞれにユーモアの仕掛けのある交響曲を、演出豊かに描き出していく点は、若き日にも既に才能が全開であったラトルの前途洋々たる将来性を感じさせる。

HQCD化によって、音場がより豊かになった点も高く評価できる。

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2012年11月19日


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こんな録音が残っていたとは驚きだ。

朝比奈60代、若々しさがあり、それを、ドイツのオーケストラで表現していて、素晴らしいものがある。

朝比奈のハイドンは実に珍しく、筆者としても、これまで第1番と第104番しか聴いたことがなかった。

朝比奈は、ドイツの交響曲の3大B(ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー)について数多くの演奏を行い、そして数々の名演を遺してきたことを考えれば、大変惜しい気もしていたが、そのような中、ついに長年の渇きを癒す本CDが発売された。

第92番も第99番も、いずれも朝比奈ならではの剛毅にして重厚な名演だと高く評価したい。

ハイドンの交響曲の演奏様式は、最近ではピリオド楽器や、いわゆる現代オーケストラに古楽器的な奏法をさせるというものが主流を占めつつある。

そのようなアプローチは、歴史考証学的には正しいのかもしれないが、それが果たして芸術の感動に繋がるのかと言えば、筆者としては大いに疑問を感じている。

朝比奈の演奏は、こうした現在の軽妙浮薄とも言えるゆゆしき潮流とは全く正反対の重厚長大なアプローチ。

あたかも、ブルックナーを演奏する時のように、ゆったりとしたインテンポで、スコアに記された音符のすべてを愚直に、そして隙間風を吹かすことなく重厚に演奏していく。

そのスケールの雄大さは、ハイドンの交響曲の演奏としては空前絶後とも言える巨大さであり、演奏当時は、朝比奈もまだ60代の壮年期であるが、既に巨匠の風格が十分に漂っていると言える。

こうした朝比奈の指揮に、本場ドイツのオーケストラがしっかりと応えているのも、実に素晴らしいことではないだろうか。

本盤の名演に接して、無いものねだりながら、朝比奈のハイドンを、他の交響曲でももっと聴いてみたいと心底思った次第だ。

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2012年09月18日


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ハイドンの膨大な数の交響曲をすべて聴くのは、ハイドンのファンとしてもなかなか骨の折れることであるが、雇用主であったモルツィン伯爵や、エステルハージ侯爵の求めのままに作曲したと思われる、いわゆる小交響曲と言われる一部の宴会用の作品を除いては、いずれの交響曲も、細部にまで目を光らせた労作揃いであると言える。

パリ交響曲以降の傑作群にどうしても目が行きがちであるが、初期の作品でも、たとえば第25番など、後年の傑作を彷彿とさせる才能の輝きが見られる。

ハイドンの交響曲全集としては、これまではドラティによる初の全集や、最近ではフィッシャーによる全集が世評の高いものであったが、ハイドン・イヤーに併せて全集を完成させたデニス・ラッセル・デイヴィス盤は、これら過去の全集にも十分に匹敵する内容の名演ということができる。

何よりも、素晴らしいのはすべてがライヴ録音で、しかも各交響曲の演奏の出来にムラのないことだ。

ライヴ録音で出すのも、この録音にかける意義、或いはハイドンの交響曲に対する共感、愛情を感じる。

可能な限り作曲された順番に並べたり、初期の交響曲や疾風怒濤期、娯楽用など、ジャンル別に交響曲群を纏めたのも、なかなかの好企画だ。

室内管弦楽団ということで、編成はやや小さめであるが、それだけにアンサンブルの緻密さは際立っている。

録音も素晴らしいし、演奏の質の高さと優れたコストパフォーマンスはを考慮すれば、現在入手できるハイドンの交響曲全集として、第一に推薦されるべきものと評価したい。

輸入盤であるが故に日本語解説書はないが、前項で紹介した井上太郎氏が執筆された『ハイドン 106の交響曲を聴く』を参照しながら聴くと、各交響曲の性格などがよくわかる。

筆者はデニス・ラッセル・デイヴィス&二期会の『フィガロの結婚』全曲のゲネプロに招待されたことがあるが、独創的で大変良い出来映えだったことを付記しておきたい。

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2012年09月17日


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ハイドン・イヤーの2009年、単行本の発行は確かこの1冊だけで、期待は高かった。

モーツァルトと同時代(少し上の世代)の作曲家として、どうしても影の薄い地味な存在と見られがちなハイドン(1732〜1809年)。

しかしその音楽はウィットとユーモア、独創的なアイデアにあふれ、隠れファンも多い。

本書は、「ハイドンの名前は知っているがあまり聴いたことがない」という人向けに、クラシック音楽のこの「未開の宝庫」をぜひ再発見してもらいたいという願いから執筆されたと見られる。

長大な交響曲全曲の解説という視点、いろいろな資料にあたった準備、おそらくCDで全曲通聴し、各交響曲を譜例をつけてわかりやすく解説してくれている点、独自の視点で各曲の特徴を描き出した点には、敬意を表する。

ハイドンの交響曲全集を、例えばドラティ盤など、国内盤で購入すると相当な出費が必要になる。

しかし、輸入盤だと、例えば、最近発売されたデニス・ラッセル・ディヴィス盤など1万円以下で入手可能であるが、日本語解説書がない。

そのような時に、本書籍は、鑑賞のよき羅針盤になってくれる。

残念なのは、コラムなどをもう少し充実させてくれると嬉しいと思うのだが、それでも、特に、一般には殆ど知られていない初期の交響曲(有名な音楽の友社発売の名曲解説ライブラリーにも載っていない。)について、一曲毎に丁寧にわかりやすく解説してくれていることを考えれば、贅沢は言えないだろう。

ただし、肝心のハイドンの音楽の楽しさ、愉快さ、その魅力がなかなか伝わってこない。

その魅力でもあるユーモア、機知についての情報をもっと盛り込むべきではないだろうか。

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2012年09月11日


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古楽器奏法や演奏が一般的になりつつあるハイドンの諸曲であるが、本盤は、大オーケストラを指揮したシンフォニックな旧来型のハイドンであり、残響の豊かな録音と相まって、重厚な名演に仕上がっている。

「シンフォニア」の明るく軽快な演奏を経て、交響曲第88番に入るが、これが実に見事な超名演だ。

全体としてはややゆったりとしたイン・テンポで進むが、隋所に見せるセンス豊かなニュアンスの筆舌には尽くし難い繊細な魅力。

バイエルン放送交響楽団が醸し出す南ドイツならではの温かい音色が曲想に見事にマッチしており、それでいて、決して田舎くさくはならず、あたかもモーツァルトの交響曲を聴くような高貴な典雅さに満ち溢れている。

メインの『ハルモニー・ミサ』も壮麗な名演であり、独唱陣も合唱も実に巧く、残響豊かな録音の見事さも相まって、至福の時間を味わうことが出来る。

ヴァルトザッセン教会で行われたこのハイドン・プログラムの目玉は何と言っても『ハルモニー・ミサ』だろう。

ハイドンの12曲あるミサ曲の最後を飾るこの作品の息を飲むような演奏が堪能できる。

バイエルン放送響と放送合唱団という2つの団体から発せられる妙なる調べ。

この作品の表題にもなっている管楽器の輝かしい響き(ハルモニーとは木管楽器の合奏の意味)、表現力豊かな独唱者たち。

あまりにも荘厳で力強い響きは全ての聴衆を圧倒する。

それにしても、SACDマルチチャンネルは素晴らしい。

部屋にいながらにして、演奏会場の雰囲気を鮮明に味わうことができる。

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2012年04月28日


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フルトヴェングラーが指揮したハイドンの交響曲で最も印象深いのは、第88番《V字》(オーケストラはベルリン・フィル)だと筆者は考えている。

ハイドンの円熟期の交響曲を支えている造形力と音楽的魅力を、これほど端的に再現した演奏は、ほかにはない。

これに次ぐ出来ばえを見せているのが、この第94番《驚愕》である。

ただ人によっては当盤の演奏はハイドン風というより、むしろベートーヴェン風なものに傾いているではないか、と疑問をいだく向きもあろう。

確かに、ここにはハイドン的素朴さより、ベートーヴェン的威容が前面に出てきている感じがする。

なにやら抵抗しがたい大きな力が、聴き手をぐいぐい押してくる。これがフルトヴェングラーのハイドンの真骨頂なのだ。

もともとフルトヴェングラーは、表情が豊かな上、テンポが伸縮性に富んでいるため、19世紀の演奏の伝統に根ざしている、と目されてきた。

けれども、彼がやる"誇張"には、作品が秘めている内的感情を、そうすることによって聴き手にはっきり伝える、という一大特色があった。

その結果、聴き手はフルトヴェングラーのやり方こそが他のものより自然なのだ、と思い込まされてしまう。

第94番《驚愕》は、まさしくそうした演奏にほかならず、フルトヴェングラーならではのハイドンである。

記憶に長く残る演奏とは、こういうものを指すのであろう。

1950年のベートーヴェン「第4」は、超入手難のSP盤から完全な形で復刻したもので、解釈としては、1943年盤と52年盤の中間に位し、特徴としては両者をミックスした良さがある。

ベルリン盤に比べると、さすがにウィーンの柔らかい、魅力的な音色感が光り、ティンパニも弱い。

第1楽章展開部の、スコアにないティンパニ追加をやめたのは賛成だが、これは52年盤、53年盤も同様である。

この楽章には、何かしら晩年の静の境地、言葉を換えれば"禅"に通じるものが感じられるのは興味深く、ほかの録音には見られないだけに、50年盤のいちばんの特徴に数えてよいだろう。

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2011年01月06日


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コープマン&アムステルダム・バロック管弦楽団のコンビによる初のハイドン:疾風怒濤期の交響曲集である。自身のチェンバロを含めて16人編成となっている。

演奏は小編成だが弦のアンサンブルは非常に密度が高く、音色の変化と表情が緊密に結びついた多彩な音楽を聴かせる。

しかも感興が明快に示されているのも素晴らしい。

したがって「哀悼」の第1楽章は魅力的だし、「告別」もテンポと表情が妥当で音楽が力強い。

第49番第1楽章には伸びやかさと素朴さがあり、第2楽章の歯切れのよい表情や、終曲の推進力の強いアンサンブルも見事だ。

コープマンのつくり出す音楽はすべて外向的で生き生きとした躍動感に満ちあふれている。

スコアに書かれた音符、デュナーミク、アーティキュレーション、すべてが一体化して最高のエネルギーが発散するよう、彼の棒は常にヴィヴィッドに動く。

ハイドンの音楽の底流に流れるウィットやアイロニーといったものが、コープマンの棒と密接にシンクロすることは想像に難くないだろう。

実際、彼のハイドン演奏は古典的な枠組みを一つの踏み台として、その中に隠されたハイドンの様々な音楽的アイデアを顕在化させていく。

《告別》等はその意味でコープマンの腕の見せ所で、ハイドンのアイデアにさらに演出を施すかの如く冴えた棒で聴かせてくれる。

思えば、当時のコンマスはモニカ・ハジェットだった。

何かに憑かれたように、激しい情熱を包み隠さないハジェットは、コープマンが中期のハイドンの短調交響曲を表現するにあたって必要な存在だったに違いない。

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2011年01月03日


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異論の向きもあると思われるが、ここではショルティ盤を第一に推したい。

子供が手近かなものを叩いて音を出すことに純なよろこびを感ずる。そこにひびきの原点がある。

ショルティはこの子供らしい無邪気なよろこびを片時も失っていない音楽家だ。

ハイドンは一見謹厳実直だが、生涯無邪気な子供の目を失わず、その一方で賢者のバランスのとれた老練な省察も見せる。

このふたつのファクターがうまく噛み合って生まれたのがこのオラトリオだ。

曲は天地創造の現場に居合わせるわくわくするよろこびに満ち、大きなスケールで広がってゆく構成力にも欠けず、リアルな神秘感をたたえ、実に感動的だ。

ハイドンが途方もないゆたかな想像力と音楽的な才能に恵まれていたことを実感させる音楽だ。

その無邪気なよろこびと、スケールの大きな構成が見事に浸透し合っている点で、ショルティの演奏をしのぐものはない。

まるでハイドンから直接棒の振り方を教わったと思わせるほどの憑依を示している。

この「天地創造」の演奏でなによりも必要なのは、天地がはじめて開けてゆく光景に目を見張る初心の感動である。

その感動がひびきとなって聴き手に伝わって来なければ万全とはいえない。

ショルティにはその生き生きした無邪気な感動があり、その無邪気さはまたハイドン自身のいちばんの持ち味でもあった。

しかしだからといって粗雑であってよいわけではない。

ここではシカゴ交響楽団の精緻な合奏能力によって、無邪気であると同時に精妙で晴朗な演奏が実現している。

独唱陣ではラファエルのモリスが進行役にうってつけ、アダムのニムスゲルンははじめて人間に目覚めたよろこびと不安をよく出している。

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2010年11月23日


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これはあらゆるハイドンの演奏でもトップクラスの名演だ。

第93番でアバドは、細部に精確さとともに個性的かつデリケートな表情を与えており、躍動的な演奏を聴かせる。

それは明朗・率直・開放的で、まさに現代感覚によるハイドン演奏の典型と感じられる。

「奇跡」は冒頭から得もいわれぬ気品があり、すみずみまで行き届いたアンサンブルが素晴らしい。

若々しく明晰で、清澄・端正、古典の真髄をきわめた表現ともいえる。

「時計」も名演で、旋律線の流動が印象的。トゥッティも力強い効果があり、しかもアンサンブルの美しさは絶品だ。

ヨーロッパ室内管弦楽団は、アバドの提唱によってECユース・オーケストラ在籍者から選抜して作られた室内管弦楽団。

創設は1981年。第96番が収録された86年はその5年後ということになる。

旧来の大編成オーケストラによるハイドンに見直しを加え、個々の奏者の自発性をいかした溌剌とした演奏を展開している。

ヴィブラートは控え目ではあるが、アーティキュレーションについてはピリオド・スタイルを踏襲するまでには至っていない。

若々しい情熱の発露は実にすがすがしい。

第101番ではより表現に奥行きが生まれ、ハイドンの音楽が持つ多様性が描き出されている。

オーケストラの成長を4枚のディスクで追うことが出来るのも興味深い。

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2010年09月07日


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以前は全曲盤から聴きどころを17曲抜粋したハイライト盤しか入手できなかったが、これは完全全曲盤。

オラトリオとはいえ宗教的な内容ではなく、むしろ自然や生活の賛美を主体にしているため、世俗オラトリオと呼んで区別されているのが当作品。

カラヤンの演奏は肩肘張らずに、爽やかで情味豊かに表現する。

アリア、レチタティーヴォ、合唱の入った楽曲を網羅した全曲盤で、トムソンの原詩のイメージを鮮やかに描き出した表現の妙や、要所に現われる対位法的な楽曲の造形の巧みさなど、カラヤンの技量が遺憾なく発揮されているところは聴きもの。

カラヤン一流の巧みな演出にひきつけられる演奏で、ことに、後半のもりあげ方のうまさは圧倒的だ。

音楽がすすむにつれて、カラヤンの棒の魔術に完全に酔わされてしまう。

3人の独唱者たちもよく歌っており、合唱、オーケストラとともに生気にとんだ演奏を繰り広げている。

それにしても、後のベートーヴェンやウェーバーを予感させる管弦楽法や楽想表現などが見て取れるのは何とも興味深い。

カラヤンの演奏にはそうした視点をも刺激するだけの洞察力の裏付けがある。

ハイドンの音楽はとてもわかりやすく、ヒューマンな感動に満ちている。

再確認したのは、何をヒューマンと感じるかは時代によって違うということだ。

エコロジー的な考えの強い現代の感覚は、おそらくカラヤンの時代よりハイドンの時代に近い。

でもこれがハイドンでないというのではない。

この巧緻な演奏は20世紀の人類の感性を鏡のように映し出す、演奏史に残る金字塔であることにかわりはない。

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2010年08月21日


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最近のオリジナル楽器の演奏とは異なる伝統的な様式を継承した演奏だ。

古楽器台頭以前の大編成オーケストラによるもっともオーソドックスな演奏として、身も心も安心して委ねることのできるセットである。

アンサンブルをする歓び、職人的に精巧に書かれたハイドンのスコアを、音にする歓びが溢れている。

晴朗な音色と軽やかなリズムで、親しみに溢れた暖かい音楽を聴かせるが、造形は実に堅固で表情は格調が高い。

時に自己主張が強まるもののテンポやアーティキュレーションは妥当で、それでいながら巨匠的風格を持っているのだ。

ドイツのオーケストラのように重厚すぎないロンドン・フィルの上品で節度ある響きが、この演奏に独特の気品を与えている。

こういうハイドンを聴くと、本当に心が和む。

小編成では味わうことのできない大らかさにホッとするのだ。

クナのように無限の宇宙を感じるとか、シューリヒトのように魂が天を駆けるという特別な演奏ではない。

それでいて大衆に媚びた低級の演奏でもない。

真面目さとユーモア、高尚と親しみやすさ、そんなものが同居した、バランスの取れた名演集である。

これらのCDはヨッフムの最も優れた遺産のひとつといえる。

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2010年07月18日


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マンフレート・フスとウィーンのハイドン・シンフォニエッタは、ヨーゼフ・ハイドンの珍しい器楽曲を体系的に録音しているが、この序曲集も非常にありがたいものである。

第1巻は、1762年の《アチデ》から1777年の《月の世界》まで、オペラやオラトリオの序曲10曲を収めている。

交響曲での創作で培った多様な様式は、当然ながらこれらの序曲にも反映されており(当時の感覚では序曲も交響曲の一種)、交響曲に比べて序曲があまり演奏されていない状況が非常に不当極まりないことだという認識を与えてくれるのである。

ウィーンの古楽オーケストラとは言っても、若い世代を中心としたメンバーのため、その感覚は新しさに満ちている。

第2巻でも、1777年のニ長調序曲(交響曲第53版の代替用フィナーレ)から、オラトリオ《十字架上の7つの言葉》、《天地創造》《四季》の導入音楽も収録している点はコンセプトが徹底している。

この巻に含まれる序曲は、《哲学者の魂》など全曲盤が存在する曲では、ファースト・チョイスとは言えない演奏であり、選択の余地なくファースト・チョイスとなる第1巻とは事情が違う。

そうは言っても、序曲だけをまとめたこのディスクの存在は、ハイドンの交響曲を愛する聴き手にはやはり貴重なものなのである。

しかし、これだけの水準で序曲を聴かされると、本編のオペラやオラトリオを聴きたくなってしまうのが辛い。

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2010年07月14日


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ハイドンは50曲あまりの歌曲のほかに、スコットランド民謡をもとにした歌曲を作曲している。

彼の歌曲はベートーヴェンとともに演奏される機会はあまり多くない。

器楽的な書法が優っているためだが、それでも快活で優雅なスタイルを示し、当時のウィーン風の粋な味わいを失っていない。

これらの歌曲をまとまった形で聴けるのは今なおこのアメリング盤しかない。

ハイドンの歌曲には単純なものも含まれているが、イギリス旅行後に作曲された《英国の詩による12の歌曲》が作品・演奏ともに目覚ましく、シューベルト以前にこんな歌曲があったのかと思わせる。

アメリングは、飾り気のない、素直な歌唱で、ハイドンの歌曲のすぐれた一面をよく表現している。

優雅で、おだやかな歌いぶりのなかにも、デリケートなニュアンスを伝えていて、素晴らしい。

彼女の澄んだ美しい声、テキストの的確な読み、情景の鮮明な描写は、ハイドンの晴朗な作風にぴったり。

ひとつひとつの風景をスナップ写真のようにトリミングよく切りとっている。

心をときめかせながらアルバムをめくるように親しみ深く曲に接するよろこびは、アメリングならではのもの。

デムスのピアノも美しいタッチで歌に精彩を与え、息のあったところをみせている。

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2010年05月30日


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ヨーヨー・マの上品・柔軟な音楽性が十二分に発揮された美演である。

ハイドンの第1番は彼の小味な繊細さがひときわ目立ち、その豊かな高貴さは比類がない。

あまりとさらりと表現しているので、チェロというよりも、むしろヴァイオリンの演奏でも聴いているかのような感じだ。

フィナーレのリズム感とテクニックの卓越も驚嘆に値する。

チェロならではの力強さを求めようとする人には向かないかもしれないが、特に、この第1番のような曲は、テクニシャンのヨーヨー・マにはまさにぴったりの演奏といえる。

第2番もきわめてすっきりと、鮮やかな技巧で弾きあげた演奏で、速めのテンポから実に伸びやかな音楽が流れてゆく。

音色も美しく磨きぬかれていて、とくに第1楽章の流麗な運びかたはすばらしい。

そしてなによりも、その天真爛漫なおおらかな演奏に魅せられてしまう。

ガルシア指揮のオーケストラもマのソロにぴったりだ。

ボッケリーニも卓越した演奏で、マはすばらしいテクニックで、この曲を鮮やかに弾きあげている。

この曲もチェロらしい力強い響きを求める人には、多少不満が残るかもしれないが、その磨きあげられた美しい音色で、しなやかに、しかもデリケートに表現しており、全体に音楽の流れがすっきりとしているところがよい。

聴いたあとに、さわやかさの残る演奏だ。

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2010年05月29日


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ハイドンの交響曲全集はこれが初めてで、ドラティの代表的業績に数えられる素晴らしい名演だ。

1969年から72年の短期間にこの偉業を達成したのは驚くべきことである。

古楽演奏のスペシャリストたちが次々とハイドンの交響曲を録音しているが、レコード史上初の画期的な大企画として、またドラティ畢生の仕事として、この全集は忘れることはできないだろう。

ピリオド・アプローチが幅を利かせつつある今日のハイドンの演奏様式と比べると隔世の感があるのは否めないものの、交響曲の分野におけるハイドンの作風の変遷を的確に描き分けたドラティの手腕は高く評価すべきであり、実際の音でハイドンの交響曲の世界を概観できるようになった意義はきわめて大きかった。

ほとんど顧みられないオペラにも取り組むなど、ハイドンに傾倒していたドラティの演奏は、作品への愛着と自信を示すとともに客観性を失うことなく、ひき締まった表現の中にハイドンならではの機知とユーモア、また大らかな楽しみを格調高く表現している。

これほどムラなく、優れた客観性をもって演奏された全集は、今後も長く望めないだろう。

個々の曲にはよりすぐれた個性的な演奏もあるが、ムラのない演奏はいかにも全集にふさわしいし、R・ランドンの校訂譜による演奏である点も信頼される。

無用な誇張や思い入れを厳しく排し、ハイドンの古典的な楽想を明快に表現しきった老匠ならではの偉業といえるだろう。

フィルハーモニア・フンガリカはハンガリーからの亡命者によってドイツのマールで結成されたユニークな団体。

この大部のアルバムは2001年に解散を余儀なくされたこのオーケストラの最大、かつ最良の遺産である。

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2010年03月20日


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1934年オランダに生まれたブリュッヘンは当初、リコーダーやフラウト・トラヴェルソの名演奏家として脚光を集めたが、1981年に「18世紀オーケストラ」を組織、ハイドン、モーツァルト作品を主な対象とする新たな指揮活動を展開していった。

歴史的脈絡を大切にした作品の解釈、世界の傑出した古楽演奏家たちを結集させたオーケストラによる知的で、斬新で、情熱的な演奏は、たちまち聴き手にセンセーショナルな感動を与え、彼らは古楽オーケストラのニュー・リーダー的存在感すら見せるようになった。

その勢いはモダン・オーケストラのレパートリーからハイドン、モーツァルトを奪い取る、そんな事態すら招いたのだから、これは驚きであった。

今日では古楽オーケストラが果たした業績は広く認められ、またモダン・オーケストラに吸収される形で浸透している。

その分、過度の期待感もなくなってきたが、このハイドンのパリ交響曲集を聴くと、古楽オーケストラが達成した成果の素晴らしさに唖然とさせられる。

混濁しない響きのさわやかさ、各声部の輪郭と存在感が際立ったアンサンブル、弦楽器の優しくも鋭い表現力、対照的に雄弁かつ多彩な管楽器、目も覚めるような打楽器の活躍ぶりなどを得て、ハイドン作品は一気に情報量を拡大、聴き手に新たな姿を見せるようになった。

しかもこのコンビの素晴らしさは、こうした特質の呈示で終わるのではなく、そこから彼らの演奏の掘り下げが始まる点であろう。

その結果、交響曲はあたかも作品自らが語り出す姿を顕し、私たちが予想もしていなかった感動の世界へと誘うものとなっている。

確かに古楽演奏は主観ではなく、いわば客観主義の成果といえよう。

しかし、客観主義も徹すれば人間的な幅広さが獲得され、主観も客観も超えたもうひとつ別次元の感動の領域へと分け入っていくことが可能となる、そんな奇跡を見せた演奏と言えようか。

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2009年10月07日


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1986年、ミュンヘンのヘルクレスザールでのライヴ録音である。

ヘンデル《メサイア》への共感に発する壮麗なつくり、ハイドンの声楽曲特有の崇高さと素朴さとの融合、色彩豊かな自然描写…。こういったあたりが《天地創造》の魅力であろう。

序奏から最後の合唱まで、そのすべてを味わわせてくれるのがバーンスタインである。

まさに"熱い"演奏だ。

序奏の「混沌」からすでに並々ならぬオーケストラの描写力を感じさせる。

バーンスタインの表現は全曲にわたって、実に自然で大きく、また少しも気負うところなくハイドンの総譜から豊かな内容を引き出している。

晩年の彼らしい、ひとフレーズごとにじっくり歌い込む音の運び、そして要所要所でのパワーの炸裂。

全篇にわたってバーンスタインの体質が、強烈にあらわれた演奏で、実演のときにすこぶる燃える指揮をするこの人ならではの、熱っぽい音楽をつくりあげている。

全体に粘っこい表現だが、この曲の神秘的で重厚な性格をよく表出しているのが特徴だ。

オーケストラと合唱はともに熱演で、バーンスタインと見事に協調しており、全身で歌い奏している。

独唱陣にややむらのあるのが惜しいが、モルが最も立派。

これは、まさに、バーンスタインの個性を聴くべきディスクである。

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2009年08月09日


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学問と実際の融合に常に心を砕いてきたアーノンクールの芸術的成果が示された演奏。

アーノンクールのハイドン解釈は、彼自身の中でも明確になってきたようで、確信に満ちた表情には感心させられる。

アーノンクールはモダン楽器によるコンセルトヘボウ管を振っているのだが、演奏のスタイルそのものは、きわめてオリジナル楽器的で、まず漸弱・漸強を使わず、強弱をはっきりと付けて、まるでバロック音楽のように扱っている。

アーノンクールはこれらハイドンの後期の作品を、ベートーヴェンを経て現代へと連なる響きの世界で考える。

しかしこの刺激的な解釈には、彼が長年にわたりオリジナル楽器を用いて、バロック音楽の新しい方向を模索し続けてきた経験が生きている。

なかでも「時計」が秀演。まず第1楽章序奏部の柔軟な感触が良い。第2楽章では、弦がオリジナル楽器を用いているような効果を表していることに注目したい。

第3楽章はかなり速めのテンポと歯切れの良いリズムが爽快であり、終楽章の主題の表情や各部分の克明な処理も独自のもの。

「驚愕」では、期待通りの対比と変化に富んだ演奏を聴かせており、第2主題など軽妙で、アーノンクールの音楽的語彙の豊富さにも感心する。

「軍隊」での楽器の用法もきわめて挑戦的で、突然盛大に鳴らして意表を衝く。普通の演奏で聴き馴れていた耳には、別の曲のように響くのではなかろうか。

問題提起を怠らないアーノンクールらしい演奏だが、新鮮な感動を与える素晴らしい出来だと思う。

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2009年07月29日


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ハイドンの美しい旋律と弦楽器のもつ魅力を存分に味わうことのできる演奏である。

イタリアSQの演奏は、明るく闊達な表現がハイドンにはふさわしく、特に旋律の歌わせ方は実にうまい。

第1ヴァイオリンが技術的に優れていることと、南国のグループらしく明晰な解釈がハイドンの魅力を存分に味わわせる。

第1ヴァイオリンと旋律が優先する、ハイドンの弦楽四重奏曲の場合は、変に重厚なアンサンブルだと、せっかくの美しい旋律と第1ヴァイオリンの名人芸がテクチュア(旋律と和声の綾)に埋没してしまう。

その点イタリアSQは、そうした要素に最もぴったりとしたグループといえるだろう。

豊麗かつ甘美に歌い上げられたハイドンで、いかにもイタリア人好みの演奏になっている。

特に「五度」と「皇帝」の第2楽章はその最たるもので、音楽とは歌うことであると言わんばかりに、一心不乱に演奏している4人の姿が彷彿とさせられるほどだ。

明快で現代性を帯び、しかもイタリアの団体らしく歌の精神に満ちている。

そうしたことは「ひばり」の第1楽章によく表れている。ここではやや遅めのテンポをとり、旋律をのびのびと歌わせた美麗な表現には魅了される。

第1ヴァイオリンによるひばりの鳴き声を思わせる旋律を、これほどきれいに演奏できる四重奏団というのも少ない。

しかし、それと同時にがっちりとした構成感もある。「五度」の第1楽章も良い出来映えだ。

どの曲もお手のものといった感じで、流麗な仕上がりのものになっている。

ハイドン演奏としての好き嫌いは別として、演奏というものの典型がここに示されているのは、何人も認めざるを得ないだろう。

組み合わせもよいので、ハイドンの弦楽四重奏曲の入門にも格好のディスクだ。

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2009年06月15日


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アンサンブルがきわめて緻密で、きびきびとした演奏である。

メリハリが実にはっきりとしていて、少しの曖昧さもない。

4人の奏者がそれぞれ溌剌と弾いているが、その造形はいささかの狂いもない。

内容の充実した、まさに現代風のハイドンとモーツァルトの演奏である。

「皇帝」の第1楽章では、いくぶんテンポを動かしているが、アンサンブルの乱れはまったくない。

まるで精密機械のような演奏のなかにも、巧みな盛り上がりと精妙な旋律の歌わせ方にウィーン的な香りを感じる。

第2楽章の「皇帝賛歌」を主題とした変奏曲の演奏などその好例である。

「狩り」は、精緻なアンサンブルのなかにも、ウィーン風の甘美な音色をもったこの団体の個性を聴くことができる。

メンバーの第2ヴァイオリンが、メッツルからシュルツに変わっているが、以前にも増して切れ味のよいアンサンブルだ。

造形的にもきちんとまとめあげており、弦の響きも澄明でみずみずしい。

特に第2楽章メヌエットのきめのこまかい端正な表現は比類がない。

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2009年06月09日


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晩年のモントゥーがウィーン・フィルと残した録音はどれも素晴らしい。練習嫌いのウィーン・フィルのメンバーは、ときにモントゥーの長く、執拗な稽古にブツブツ不平を言いながらも、自分たちより遥かに年長の指揮者への敬愛を最上のパフォーマンスで表現した。

「驚愕」は、第1楽章序奏から、雅な木管の調べが美しい。長い稽古の甲斐もあって、アンサンブルは当時のウィーン・フィルとしてはもっとも整然としており、テンポやリズムも颯爽としていて気持ち良い。それでいて、機械的に鳴らされる音符はただのひとつもなく、つねに音楽的感興に溢れている。

第2楽章も実に丁寧な仕上げであるが、「驚愕」の渾名の由来となったトゥッティの強奏&強打でのユーモア感覚も極上である。

相変わらず典雅なメヌエットを経て、フィナーレにおけるただならぬ精神的高揚感はいったい何なのか。

聴衆のいないスタジオに、突如、指揮者とオーケストラに何か不可思議な力が舞い降りたのような奇跡の瞬間がマイクに納められたことを天に感謝したい。

一方、弦のしとやかな美しさという点では、「時計」も負けていない。第2楽章に滲み出る哀感にモントゥーの偉大な人生の年輪を感ぜずにはおれないのである。

メヌエットにおけるフルートの風に吹かれたような詩情もウィーン・フィルの美点をとことん導き出した好例だろう。

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2009年04月20日


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この清澄な響きとすみずみまで彫琢され尽くした音楽美は他に比べるものがない。

そのはつらつとした歯切れの良いリズム処理は独自のもので、響きの透明度の高さ、デュナーミクの効果も見事というほかない。

セルの音楽性の根底がここにあるといえるほどだ。

ランドン版等を用いた最近の演奏とは異なるが、ハイドンの古典的な真髄をよく味わうことができる。

ここにおける指揮者セルとクリーヴランド管弦楽団は、一方では通俗性に流されぬように慎重にふるまいながらも、全体としては神経質になることなく、堂々とした対処の仕方で自分たちの音楽をつくりあげている。

どの交響曲も各楽章を通してのバランスはよく整い、危うさなど見つけようとしても見つからない。

それぞれの表情は充分に練り上げられており、強い存在感を示すものばかり。

洗練されたきりりとした感覚で、全体を隙なく仕上げていく手腕は実に鮮やかである。

ハイドンの交響曲がもつ古典的様式観とでもいうべきものが、水ももらさぬ鉄壁さで具現化された演奏内容であろう。

セルの指揮は、彼の求める音、バランスなどの表現が、ハイドンの交響曲の場合に最も的確に実行できる。

アレグロとアレグロ・モデラートとのテンポの相違をセルほど明確にハイドンの表現に表した指揮者はきわめて稀である。

おそるべき正確な演奏で、20世紀の指揮法の最も高い展示でもある。

セルとクリーヴランド管弦楽団の到達点の高さが、改めてよく納得できる。

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2009年04月06日


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「ひばり」四重奏曲を初めて録音したのはカペー四重奏団である。これはプラス面とマイナス面を併せ持つことになった。つまり、最高の演奏でこの曲を聴けた幸福と、その後どの演奏を聴いてもこれほどの満足を得られなくなった不幸である。

この演奏は、カペー四重奏団がカペーの死(1928年)で解散する直前に録音された。当時、カペーはパリ高等音楽院の教授であり、ソリストとしても活動し、彼の弦楽四重奏団はヨーロッパで高く評価されていた。

彼らが残した録音の中でも、「ひばり」は作品の性格から最も親しまれていた。それは音楽の古典的な形式によることもあろうが、カペー四重奏団の一度聴いたら忘れられない魅力も大きく与っている。

やや速めのテンポと軽快なリズムがもたらす流動感もさることながら、明快なフレージングと透明感のある音が結びついて純度の高い演奏を生み出していた。カペーの音色には、およそ官能的ではない美的感覚があり、それはこの世ならぬ魅力を持っていた。

ハイドンをはじめとするウィーン古典派の音楽にウィーンの演奏様式が一定の魅力を持つことは否定しないが、カペー四重奏団はそのような次元を超えた高貴な様式で演奏している。

私は、演奏を評価する時に"品位"をひとつの尺度にしているが、この演奏は、ハイドンの音楽とカペー四重奏団の演奏が期せずして高い品位を共有していることを証明している。

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2009年03月15日


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作曲者をして「この曲が生涯で最も大きな成功を収めた自作のひとつである」といわしめた名作の弦楽四重奏版による最高の名演奏である。

ズスケが加わった新編成のメンバーによるゲヴァントハウスSQの初のレコードだった。

この曲はオラトリオとして書かれただけに、弦の動きは弦楽四重奏曲風でなく弦楽合奏風。

つまりきめの細かい動き、軽快な素早い動きといったものはない。

ドイツ古典、ロマン派に優れた演奏を聴かせるゲヴァントハウス管弦楽団を母体とするこのカルテットは、ここでも伝統に基づいた穏健な解釈と地味ではあるが落ち着いた運びで、じっくりとこの作品を再現しながら、熱のこもった演奏が展開される。

ただ熱気だけで押しきったものではなく、いかにもゲヴァントハウス管弦楽団のがっちりとしたまとまりを思わせるような整然としたアンサンブルの中で、表現への意欲を積極的にみせている。

こうした意欲があるだけに、全体がロマン的な傾向をおびてくるのも当然のことだが、それでいて、そこに作品に適した様式と節度があるために、古典的な格調が維持されている。

オラトリオ版ではなかなかこれほどの劇的求心力の強い演奏は生まれなかっただろう。

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2009年03月13日


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アーベントロートという、文字通り"夕映え"のように美しい名前を持ち、一説によると西ドイツのブラント元首相の実父といわれるこの往年の名指揮者は、第2次大戦後東ドイツに住んだため、存命中は日本に知られることはなかったが、幸い、ドイツ・シャルプラッテン・レーベルの数多くの録音が紹介されてからは、その人間味あふれる名演を聴けるようになった。

彼は晩年、ワイマール音楽院の院長をつとめ、同市の名誉市民でもあったが、豪奢な車などには乗らず、いつも愛用の自転車で町を走りまわっていたので、子供から老人にいたるまで市民の人気を一身に集めていたという。

ハイドンの「第88番」は彼の数多いシンフォニーの最高傑作の一つであり、フルトヴェングラー、ワルター、クレンペラー、クナッパーツブッシュなどの名指揮者が競って録音しているが、いずれもアーベントロートの敵ではない。どうか聴き比べてみてほしい。

とりわけ両端楽章の、速いテンポでたたみかけるように進めてゆく緊張感が抜群であり、音楽が生きていることは比肩するものがない。

しかも、現今の若い指揮者の皮相なスピード感とは異なり、音楽の内容が次々と掘り起こされ、抉り出されてくるさまは圧巻といえよう。

「悲愴」はもっとも、第1、4の両楽章はあまりにも遅いテンポによる主観的な演奏ゆえ、抵抗をおぼえる人もいるだろうが、第1楽章のクライマックスの迫力、第4楽章の悲しみの歌など、他のCDからは絶対に聴くことのできないものだ。

文句なしにすばらしいのはスケルツォである。これ以上彫りの深い、緊密な、細部まで生きた表現は例があるまい。ティンパニの阿修羅のような轟きや、驚嘆すべきテンポの動かし方なども言語に絶する。  

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2009年01月20日


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ヘルムート・コッホ(1908-75)の晩年の録音のひとつ。コッホの実に3度目の録音。

コッホには1960年の旧録音もあるが、独唱の質がより高い新録音を選びたい。

コッホが亡くなって既に30年以上になるが、この「天地創造」は、彼の残した多くの録音の中でも断然光っている。

これは素朴な中に古典的格調の高さを見事に示した会心の演奏といって良い。

ハイドンの音楽の古典的な格調の高さを、ごく自然にひき出した演奏である。

実直なハイドンだ。昔ながらのドイツのオラトリオといった気概が全曲にわたって流れている。

とくに演出的工夫を凝らしてあるわけではなく、コッホは何の飾り気もなく、創造の日々としてここに描き出す。

それだけに天地創造の敬虔な驚きと喜びが素朴に聴き手の心に伝わってくる。

ドラマだからといって、決して過度にドラマティックにならず、また派手さもねらわず、ただ淡々とすすめながら、深々とした呼吸で、内面的に深みのある音楽をつくりあげている。

全体を室内楽的にまとめており、独唱陣ではソプラノのヴェルナー、テノールのシュライアー、バスのアダムなど、いずれも充実したハイドンを聴かせてくれる。

シュライアー、アダムのソロは、カラヤン盤の独唱たちに比べると、一歩引いた客観的ともいえる歌唱をしているが、コッホの端正な表現にはむしろ適合しておりバランスが良い。

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2008年12月26日


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ブレンデルが1979年から85年にかけて取り組んだディスクである。

ハイドンのピアノ・ソナタは、曲の内容にそうとうムラがあるので、ブレンデルは、50曲あまりのなかから、音楽的に充実した11曲を選んで録音している。

ハイドンのピアノ・ソナタというと、ハイドン当時の古い楽器を用いて演奏するやり方や、グールドのようにハープシコードのようにピアノを弾くような演奏方法もある。

だが、ブレンデルは、あくまでもピアノ本来の弾き方をしており、すこぶるダイナミックで現代的な表現となっている。

ブレンデルは、極めて表現力の豊かな現代のピアノを用いて、ハイドンの音楽を、その様式内でコントロールする方法を完全に手中に収めている。

彼の手にかかると、なまじハンマーフリューゲルを用いた歴史的解釈による演奏よりも、ハイドンの"実像"に迫っていく。

すべての反復を演奏しても、決して冗長ではないのもその様式観のせいだ。

感心するのは、明快なリズム処理で、いずれの曲もハイドンの音楽が生き生きと息づいていることだ。

このニュアンス豊かな表現は、ハンマーフリューゲルでは決して達成できない類のもので、ブレンデルのピアノによって初めて聴くことのできる表現である。

ハイドン自身がピアノの名手ではなかったため、曲の内容が比較的地味なものが多いが、こうしたブレンデルの演奏を聴くと、ことに晩年につくられた曲での音楽的な充実ぶりには目をみはらされる。

いま現代ピアノで聴く最も魅力的なハイドンがここにある。

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2008年12月02日


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ハイドンと同時代の、フランスのある批評家はこう言った。

「ハイドン氏の宗教音楽はたとえそれから言葉を除いたとしても、見事な音楽だろう」と。

ハイドンの合唱音楽は、音処理の点で特徴がある。

当時隆盛をきわめていたヘンデルのオラトリオの声楽部分の作風が、あくまでも声楽的であるのに対し、ハイドンの手法は徹底して器楽的だった。

それだけに言葉をのぞいたとしても、立派な管弦楽作品でもあるのである。

マリナーの演奏は、まさに、そうした点に重きをおいたもので、この曲の標題音楽的な性格をあまり強調せず、楽曲の構成的な美しさを存分にひき出している。

特に劇的表出、スペクタキュラーな効果を狙わず、極めて穏当な中庸を得た演奏である。

各曲の対比は均質化され、流麗な音の流れの中にハイドンが描かれていく。

オーケストラは終始一貫して古典的な格調の高さを保ち、合唱団も充実しており、決して過度な表現におちいらず、均斉のとれた歌唱をおこなっている。

独唱者も、そうしたマリナーの意図を忠実に把握しており、ことにマティスの端正なうたいかたが光っている。

通奏低音にハープシコードではなく、ピアノの前身の楽器ハンマーフリューゲルを用いているのも、当時の雰囲気を伝えていてこころよい。

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2008年10月17日


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1987年、多発性硬化症という難病のため、42歳の若さで亡くなった不世出の女性チェリスト、デュ・プレの貴重な遺産である。

彼女が演奏活動していた時期というのは、10代の半ばからわずか10年ほどの間にすぎなかったが、その間に多くの曲をレコーディングしている。

それは、あたかも自らの病を予期したかのような精力的なもので、なにか痛ましい感じがする。

このボッケリーニの演奏は、そうした彼女のベストともいえるディスクで、すこぶるスケールが大きく、のびやかな演奏となっている。

女流らしい繊細さと、"歌心"にあふれた旋律の美しさ、そして、緩急の起伏を大きくとったダイナミックな表情づけ、これほどこの作品の魅力を最大限に引き出した人というのも、少ない。

また、このレコーディングのあとすぐ結婚するバレンポイムの伴奏ものびのびとして豊か。

ハイドンは、優美、繊細さの中の表情の多彩さがさすが。ハイドンの古典的品格をとらえた、スケールの大きな演奏だ。

1音ごとにニュアンスを変え、機械的なスケールさえ魅惑の限りを尽くし、音楽をあらゆる部分が歌っている。

バルビローリのバックも、デュ・プレを支えて好演。

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