ハイドン

2022年08月03日


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このネット配信は元をたどればDENONレーベルの3枚組で、1971年録音のオイロディスク音源になる。

良質なステレオ音源で鮮明な音質が特徴だが、これより以前にリリースされた同音源のRCA盤2枚組に比較するとやや劣っていると思われる。

日本盤では音質向上のために3枚にリカップリングしたようだが、後者の方がすっきりした印象がある。

ただしこれはリマスタリングを行ったエンジニアと鑑賞する側の好みにもよるので聴き比べてみるのが良いだろう。

とはいってもこの2セットはいずれも既に廃盤の憂き目に遭っていて、プレミアム価格で販売されているので、是非復活を望みたいところだ。

クルト・ザンデルリングは録音にはそれほど恵まれなかった。

旧ソヴィエト時代は音質の貧しいモノラル録音が殆どで、ようやく1960年代にドイツに帰国してからインターナショナルな活動が始まった。

このハイドンでもオイロディスクの録音水準の高さが際立っている。

しかし全曲集のオファーには恵まれず、ベートーヴェン及び2種類のブラームスの交響曲全集とベートーヴェンとラフマニノフのピアノ協奏曲全集は存在する。

残念ながら得意にしていたレパートリーのショスタコーヴィチの交響曲は全曲完成には至らなかったし、ブルックナーやマーラーにも造詣が深かったので、その点は残念だ。

その中で彼のハイドンは生き生きした推進力とベルリン交響楽団に決して硬直感を感じさせない巧さが滲み出ていて秀逸だ。

またハイドンが交響曲に表現した形式感の美しさと嬉遊性を余すところなく表現し得た、傑出した演奏だと思う。

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2022年07月31日


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フランスは伝統的に優れたチェリストの宝庫だが、その最若手が現在20歳代半ばのエドガル・モローだ。

彼は既にエラートからリリースされた小品集で豊かな音楽性と溢れんばかりの情熱を示していた。

このアルバムのタイトル『ジョヴィンチェッロ』はイタリア語の若僧を意味する、どちらかというと青二才をからかう意味を含んでいるが、モローは2009年のチャイコフスキー・コンクールでは17歳で堂々第二位を獲得した実力派でもある。

今回のバロック協奏曲集はリッカルド・ミナージ率いるピリオド・アンサンブル、イル・ポモ・ドーロ(金の林檎)との協演になり、彼の初挑戦への意気込みが感じられる1枚だ。

モローは巨匠アンナー・ビルスマにも師事しているので、ここでは早速師匠譲りのピリオド奏法を取り入れて、シンプルな曲想の中にもバロックや疾風怒濤時代特有の劇的な効果を出すことにも成功している。

ボッケリーニで披露する如何にも若々しい、キレの良い高度なヴィルトゥオーシティも爽快だ。

例えばしっかりした構成力で聴かせるハイドンや、毅然とした気品を湛えたヴィヴァルディ、そしてグラツィアーニの緩徐楽章での抒情的な感性を充分に進展させた歌心に彼の音楽性が最も良く表れていると思う。

モローは強い個性よりも音楽そのもので勝負するだけの才能を培っているし、また曲趣にのめり込まない柔軟なバランス感覚も持ち合わせていて、それだけに将来が期待できるチェリストの1人だろう。

彼をサポートするアンサンブル、イル・ポモ・ドーロについての詳しい説明はないが、アントニオ・チェスティの同名のオペラから採られた名称と思われる。

メンバーの殆んどがイタリア人勢で占められていて、今回は管楽器奏者を加えた総勢20名で構成され、バロック・ヴァイオリニストのリッカルド・ミナージ自身が指揮も担当している。

録音は2015年1月にヴェネツィア近郊のロニーゴで行われた。

鮮明な音質でソロとオーケストラが自然な臨場感を創っている。

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2022年07月27日


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今回もオーケストラはバーゼル室内管弦楽団が担当している。

タイトルの『ラメンタツィオーネ』(哀歌)は2曲目の交響曲第26番ニ短調の第2楽章にグレゴリオ聖歌の「エレミアの哀歌」のメロディーが取れ入れられているからだろう。

また一方で最後にカップリングされている第30番ハ長調の第1楽章には同じくグレゴリオ聖歌からの「アレルヤ」が使われているためにニックネームとして『アレルヤ』と名付けられている。

こうした聖歌の交響曲への導入は後のベルリオーズその他の作曲家にも受け継がれていくことになるのも興味深い。

ハイドンはこうした試みでもパイオニアだったと言えるだろう。

バーゼル室内管弦楽団に生気を吹き込むようなアントニーニの指揮ぶりも、いつも通りだ。

交響曲第79番ヘ長調の第1楽章には、後にクレメンティがピアノソナタ変ホ長調Op.24-2のテーマに使っている音型とリズムがあらわれる。

これはモーツァルトが最後のオペラ『魔笛』の序曲で取り入れる主題の原形とも言える溌溂としたもので、意外なところで彼らのつながりが感じられる。

ハイドンの交響曲を聴いていると、そのほかにもカール・フィリップ・エマヌエル・バッハやベートーヴェンなど、彼が影響を受け、また影響を与えた作曲家たちの音楽が至るところにあらわれている。

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ジョヴァンニ・アントニーニによるハイドン交響曲全集の第3集のタイトルは『ひとり、思いにふけり』である。

このディスクにカップリングされたハイドンのイタリア歌曲の題名から採られている。

歌うのはイタリアのソプラノ、フランチェスカ・アスプロモンテで流石にイタリア語の明瞭な発音とリリカルな歌心が心地良い。

勿論彼女もピリオド唱法をマスターしていて、アントニーニの期待に応えている。

イル・ジャルディーノ・アルモニコの伴奏も時に嘆くように、また時には激しくめりはりのきいた演奏でソロをサポートしている。

他の曲もこのいくらか哲学的なタイトルに共通する楽想を持つ選曲になっている。

例えば交響曲第64番イ長調『時の移ろい』で、第2楽章ラルゴの風変わりな曲趣は物思いにふけり、また我に返るような印象を与える。

このディスクにはハイドンのイタリア語のオペラ『無人島』の序曲も収録されている。

このオペラは現在殆ど上演されない1幕ものの作品だが、主人公の女性コスタンツァが孤島に置き去りにされたことを嘆く第一部が今回のタイトルに相応しい内容を持っている。

イル・ジャルディーノ・アルモニコはここでもドラマティックで自由闊達な演奏を繰り広げている。

音質は極めて良好。

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2022年07月25日


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ハイドンの交響曲全集の第7集もオーケストラはバーゼル室内管弦楽団が担当している。

彼らはバロックから現代音楽までの広いレパートリーを持っているが、時代に合わせてピリオド楽器とモダン楽器を使い分ける器用な楽団だ。

これまでに第11集までリリースされたが、そのうち第5集から第7集までの3枚と第11集の都合4枚がバーゼルの演奏になる。

イル・ジャルディーノ・アルモニコの自由奔放な表現力に比較すると、溌溂としているが羽目を外すことのない堅実な演奏がより古典派的かも知れない。

これからどういう比率で2つのオーケストラが交替するのかは分からないが、アントニーニの再現の趣旨は充分に伝わっていると思う。

今回のテーマは『興行主たち』で、作曲家に作品を発注し、劇場運営を采配した劇場感覚に長けた職人たちを採り上げている。

興行主は芸術家ではないが、どのような作品が観衆に受けるかを熟知していなければならない。

また優れた作品の上演を実現するために誰に作曲させるか決定することも重要な仕事だ。

彼らは自身で劇場支配人を兼ねている場合が多いので、商売上手であることも欠かせない。

つまり作品の上演権を獲得すれば、他の劇場に売ることもできるからだ。

このディスクでは5人の興行主から発注された4曲が収録されているが、例えばハイドンの交響曲第67番とモーツァルトの劇付随音楽『エジプトの王タモス』は同じ興行主カール・ヴァールからの依頼であることも興味深い。

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2022年07月22日


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ハイドンの交響曲全集第10集のタイトルは『一日の時間』で、初期の3曲『朝』『昼』『晩』と音楽的に近い内容を持っているモーツァルトの『セレナータ・ノットゥルナ』がカップリングされている。

ハイドンの3曲の様式はヴィヴァルディの複数のソロ楽器のための協奏曲、つまりコンチェルト・グロッソを想起させるものがある。

またバッハも『ブランデンブルク協奏曲集』で試みた様々な楽器のソロが活躍する場を交響曲に与えている。

それだけにトラヴェルソ、オーボエ、ファゴット、ヴァイオリンからコントラバスまでにソロ・パートが書かれている。

この頃はまだ交響曲に絶対音楽としての厳格な位置付けや、ソナタ形式の洗練というよりも、むしろ嬉遊性が溢れている。

こうした曲目においてイル・ジャルディーノ・アルモニコは水を得た魚のようにヴァイタリティ―に溢れた楽しい演奏を繰り広げている。

またそれぞれのソリストの腕前も充分に示されている。

モーツァルトの『セレナータ・ノットゥルノ』の様式はまさにこうした管弦楽用の楽しみのための音楽として徹底したもので、やはり様々な楽器が使われている。

ハイドンには『セレナーデ』と名付けた管弦楽曲は見当たらないが、それは『ノットゥルノ』と同様の曲種になるだろう。

それだけにハイドンの『朝』『昼』『晩』とモーツァルトの『セレナーデ』は共通の根を持つ音楽であることが理解できるし、指揮者アントニーニもこうした共通性を意識した選曲だと思われる。

この交響曲全集はハイドン以外の作曲家の作品も多数収録してあり、それらをピリオド楽器、ピリオド奏法で鑑賞できるのも興味深い。

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ジョヴァンニ・アントニーニとイル・ジャルディーノ・アルモニコによるハイドンの交響曲全集企画の第8集は『ラ・ロクソラーナ』(仏語ラ・ロクスラーヌの伊語訳)と題されている。

これは交響曲第63番ハ長調第2楽章に付けられた名称で、スルタンの妻を題材にしたフランスの劇作品に登場する女性の主人公の名前だ。

つまり東洋趣味を意味している。

この時代異国情緒を自分の作品に取り入れる作曲家が現れてくるが、その異国とは主として東方になる。

しかし古典派ではあくまでも宮廷趣味に従って、リズムの変化やメロディーでそれを仄めかすだけで、直接東方の音楽を取り入れたわけではなかった。

モーツァルトにも『トルコ行進曲』やヴァイオリン協奏曲『トルコ風』があるように音楽に効果的なアクセントを与える手段として使われた。

こうした傾向はブラームスの『ハンガリー舞曲集』、更にはリムスキー=コルサコフの『シェーラザード』、イヴェールの『寄港地』などに発展していく。

しかし学術的に徹底した研究をしてオーケストレーションを施したのはコダーイとバルトークだった。

それゆえこのディスクにバルトークの『ルーマニア民謡舞曲』が併録されているのは、決して突飛なカップリングではないだろう。

それにしてもイル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏するバルトークの、なんと生命力に溢れていることか。まさに辻音楽師の集団たる彼らの面目躍如の表現力だ。

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2022年07月21日


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ハイドン交響曲全集の第5集のタイトルは才気の人、あるいは非凡の人と言った意味になる。

ハイドンと彼とほぼ同時代に活躍したヨーゼフ・マルティン・クラウスの作品の非凡な作品を収録している。

このディスクの交響曲4曲のうちクラウスのハ短調を含めて2曲は短調で書かれている。

古典派の作品では珍しいことで、当時の宮廷では安定した曲想と嬉遊性に富んだ音楽が求められた。

短調の気の滅入るような不安定な曲想は受けなかったからだが、ハイドンやクラウスも時として果敢にも短調を使った。

ハイドンの第80番の終楽章はまたテーマの展開が殆どベートーヴェンを予感させることも印象的だ。

ここにも弦楽四重奏を髣髴とさせるテクニックが使われている。

ヨーゼフ・マーティン・クラウス(1756-1792)はドイツ出身でオーデンヴァルトのモーツァルトと呼ばれた作曲家で、スウェーデン国王グスタフ3世の宮廷に仕えた。

この交響曲ハ短調にも聴かれるような劇的で迸るような才能があふれ出ている。

今回から第7集までオーケストラはバーゼル室内管弦楽団に替わるが、彼らもピリオド楽器、奏法で対応している。

アントニーニのアプローチに従って才気煥発の演奏を繰り広げているが、イル・ジャルディーノ・アルモニコの覇気に比べるとややマイルドなサウンドという印象がある。

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2022年07月17日


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ロッシーニとハイドンの室内歌曲6曲を歌ったもので、特に前者は低い女声のための主役のオペラや歌曲を数多く作曲している。

ロッシーニの愛した名歌手マリア・マリブランの影響も大きかったに違いない。

ここで歌われている殆んどの曲は、ロッシーニがオペラ界から身を引いた後の作品で、晩年の彼が個人的な集いで試みた創意のサンプルでもある。

例えば『アッディーオ・ディ・ロッシーニ』、『カンツォネッタ・スパニョーラ』や『ラ・ダンツァ』は彼の機智に富んだ溌剌とした作品だし『アヴェ・マリア』は僅か2つの音、GとAsのみで歌われる、音楽に対してのいくらか風刺的な趣を持っている。

一方ハイドンの『ナクソスのアリアンナ』は4部分からなる作品で、第1曲目のロッシーニの『ジョヴァンナ・ダルコ』と並んで彼女のような低い声で聴くと、そのドラマティックな性格がくっきりと浮かび上がってくる堂々とした曲想であることが理解できる。

名コントラルトとしてヨーロッパのオペラ劇場の舞台を席巻したルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニは、全盛期の1998年に白血病のため没した。

このアルバムはその2年前に録音されたもので、この年に彼女は白血病の診断を下されている。

その少し前ホセ・カレーラスが復帰を遂げたシアトルのフレッド・ハッチンソン癌リサーチ・センターに入院するが、残念ながら退院を果たすことができなかった。

ここに収められた室内歌曲集は、言ってみれば彼女の最後のメッセージで、決して絶好調だったとは言えない健康状態の下で歌われたものだが、流石に小気味良いアジリタのパッセージはロッシーニ歌いの面目躍如だ。

彼女のファンであれば白鳥の歌としてコレクションの価値は大きいだろう。

1990年代半ばから彼女のキャリアは殆んど停止していたことを思うと、その卓越した才能が惜しまれてならない。

この録音はプライベート的な性格が強く、ピアノの音色が少し人為的な響きで気になるが、深く伸びのある歌声は良く捉えられている。

低い声を活かすことのできる伴奏者はそれほど多くないが、ピアニストのマウリーツィオ・カルネッリはその意味でいまひとつ非力だ。

もう少し切れ味が欲しいし、抑制を効かせて彼女の声を支えるべきだろう。

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2022年06月01日


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2006年11月20日に亡くなった1919年生まれの英国の名ヴァイオリニスト、エマニュエル・ハーウィッツが率いた「エオリアン四重奏団」の代表作。

またひとつのカルテットによる史上初のハイドン弦楽四重奏曲全集として名高いのがこの全集で、当初は35枚のLPとして発売された。

「エオリアン四重奏団」は1927年に創設された英国でも有数の歴史を誇る名門四重奏団である。

歴史の長さゆえ、この全集の録音の頃にはメンバーはすべて入れ替わっている。

実質的にはメロス・アンサンブルやイギリス室内管弦楽団などで活躍していたエマニュエル・ハーウィッツのカルテットといって差し支えない状態になっていた。

ほかのメンバーは、第2ヴァイオリンがレイモンド・キーンリーサイド、ヴィオラがマーガレット・メイジャー、チェロがデレク・シンプソンであった。

良き教育者でもあったハーウィッツの指導のもと、全員がハイドンの頃のリラックスした自由な雰囲気での演奏を目指してレコーディングに臨んだということである。

とはいえ、当全集は、ハイドン研究の権威であったレジナルド・バレット・エイルズの校訂によるクリティカル・エディションを用いたものでもあり、アカデミックな姿勢が決して軽視されていたわけではない。

にも関わらず聴いているとなぜか居心地の良い楽しい気分になってくるのは、やはりハーウィッツのユーモアのセンスがほかのメンバーの演奏に少なからぬ影響を与えていたからであろうか。

ハーウィッツは、1969年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団のコンサートマスターに就任している。

そこでの最晩年のオットー・クレンペラーとの関わりは、ハーウィッツ自身の人とのコミュニケーションに大きな影響を与えたに違いない。

そして翌年には、ハーウィッツは、エオリアン四重奏団のヴァイオリニストで旧友でもあるレイモンド・キーンリーサイドから、この長い歴史を持つカルテットのリーダーを務めてくれるように請われることとなる。

理由として、彼らに持ちかけられた大仕事、ハイドン全集のレコーディング・プロジェクトというものが挙げられたこともある。

ハーウィッツはこれを快諾、クレンペラーが引退した1971年に彼はニュー・フィルハーモニア管を去り、カルテットの活動を本格化することとなる。

そしてそれは1981年にこのカルテットが解散するまで続くのあるが、その活動の充実ぶりを証明するのがこのハイドン全集であることはまず間違いのないところである。 

なお、この全集はハイドンの弦楽四重奏曲全集ということで、ハイドン作曲ではない「偽作」は除かれている。

また、セットの最後には、弦楽四重奏用に編曲された『十字架上のキリストの最後の7つの言葉』が、ピーター・ピアーズの福音書朗読と共に収録されている。

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2022年05月29日


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史上最高の弦楽四重奏団だったフランスのカペー四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1873.01.08-1928.12.18)は医師の誤診による腹膜炎で急逝した。

「ひばり」四重奏曲を初めて録音したのはカペー四重奏団である。

これはプラス面とマイナス面を併せ持つことになった。

つまり、最高の演奏でこの曲を聴けた幸福と、その後どの演奏を聴いてもこれほどの満足を得られなくなった不幸である。

この演奏は、カペー四重奏団がカペーの死(1928年)で解散する直前に録音された。

当時、カペーはパリ高等音楽院の教授であり、ソリストとしても活動し、彼の弦楽四重奏団はヨーロッパで高く評価されていた。

彼らが残した録音の中でも、「ひばり」は作品の性格から最も親しまれていた。

それは音楽の古典的な形式によることもあろうが、カペー四重奏団の一度聴いたら忘れられない魅力も大きく与っている。

やや速めのテンポと軽快なリズムがもたらす流動感もさることながら、明快なフレージングと透明感のある音が結びついて純度の高い演奏を生み出していた。

カペーの音色には、およそ官能的ではない美的感覚があり、それはこの世ならぬ魅力を持っていた。

ハイドンをはじめとするウィーン古典派の音楽にウィーンの演奏様式が一定の魅力を持つことは否定しない。

カペー四重奏団はそのような次元を超えた高貴な様式で演奏している。

筆者は、演奏を評価する時に"品位"をひとつの尺度にしている。

この演奏は、ハイドンの音楽とカペー四重奏団の演奏が期せずして高い品位を共有していることを証明している。

アナログ盤の板起こし復刻シリーズのダイレクト・トランスファーCD-Rは、グッディーズ独自の製法が導入されており、通常のPC製造とは次元の違う生々しい音質を実現している。

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2022年04月30日


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ハイドン交響曲全集第4集は『迂闊者』というタイトルで、第60番ハ長調は当初フランスの喜劇作家が書いた『迂闊者』の劇付随音楽として作曲されたもので、その6曲を交響曲に纏めたものだ。

そのために交響曲の楽章構成からは逸脱しているが、喜劇らしいエスプリがいたるところにちりばめられている。

特に終楽章プレスティッシモではヴァイオリンがポルタメントをかけながら、調律をし直す場面が書かれている。

これは『迂闊者』の失敗を想起させる音楽的な遊びだが、カップリングされたチマローザの『宮廷楽士長』はオーケストラの奏者達が、うっかりしてミスして早く出てしまったり、混乱する演奏を楽士長がなだめすかしながらまとめていくという幕間劇として面白おかしく書かれている。

この作品はより大規模なオペラ・セリアの上演中の舞台の転換時に、観客の気分転換としての役割を果たしたものだ。

しかし既にこの時代には、古典的なオーケストレーションが完成しつつあったことが理解できる。

楽士長がそれぞれ指示していく楽器の組み合わせを聴いていると弦楽と2管編成による管楽器群の対比や音色のバランスも良く考えられた小さな傑作である。

シンプルだが管弦楽というジャンルの基本配置とサウンドを体験させてくれる。

チマローザはイタリアのモーツァルトとも言われたオペラ作曲家だが、こうした小品にもその巧妙な手腕を示している。

交響曲第70番ニ長調の第2楽章ではバッハ以降、宗教曲以外にはそれほど重要視されていなかった対位法を駆使した二重カノンが使われている。

こうした作法はモーツァルトやベートーヴェンにも取り入れられることになる。

また第12番ホ長調はメヌエットを欠いた3楽章形式で書かれていて、後に特にウィーンではメヌエットのない交響曲では通用しないほどのエレメントになっていくことも興味深い。

勿論それはベートーヴェンによって破棄されることになるのだが。

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2022年04月27日


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ジョヴァンニ・アントニーニと2つのピリオド・アンサンブル、イル・ジャルディーノ・アルモニコとバーゼル室内管弦楽団によるハイドンの交響曲全集のリリースがスタートしたのが2014年であった。

この企画が終了するのがハイドン生誕300年にあたる2032年というから、18年をかけた過去に例を見ない遠大な録音作業が続けられるわけだ。

もし首尾よく完成すればピリオド・アンサンブルによる初の快挙になるだろう。

現在までに既に11集がリリースされているが、交響曲第1番から順を追って録音するのではなく、それぞれにタイトルをつけて関連する曲が選択されている。

また交響曲に限らず声楽曲その他の管弦楽曲を含めハイドンに影響を与えた同時代の作曲家、更には逆にハイドンから影響を受けた他の作曲家の作品もカップリングしている。

したがって、完成されれば膨大な量の録音にのぼる筈だ。

この第1集のタイトルは『ラ・パッシオーネ』つまり受難で、交響曲第49番ヘ短調のニックネームから採られている。

ただしハイドンの命名ではなく、また受難曲の一部が再利用されているという証拠はない。

おそらく教会ソナタ的な構成と短調で書かれた作品であるために名付けられたものと思われる。

今回カップリングされたグルックのバレエ音楽『石像の宴、ドン・ジュアン』はハイドンに影響を与えた音楽構想を持っている。

グルックはハイドンより18歳ほど年上で、主に劇場作品で知られているが序曲などに示された充実した音楽はハイドンの交響曲に重要なインスピレーションを与えたことは確実だ。

演奏に関してはかなり時代考証も行われているらしく、例えば交響曲第1番では通奏低音にチェンバロが加わっている。

これまでに録音された交響曲の中では唯一の例で、他の交響曲ではチェンバロは使われていない。

これは最近の研究ではエステルハージ宮廷楽団には専用のチェンバリストがいなかったという事実を反映しているのだろう。

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2022年03月25日


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全曲を通して溌溂とした覇気を伴った演奏が特徴的で、生命誕生の喜びを歓喜の中に描き出したアントニーニの腕が冴え渡っている。

時にユーモアたっぷりに、そして時にはアグレッシブなイル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏は、彼らの本領とするところである。

ごく古典的な『天地創造』とはかなり印象が異なるが不思議な説得力を持っている。

こうした解釈を邪道とする人もいるかもしれないが、個人的には充分納得のいくものだ。

また歌手陣が充実しているのも評価できる。

ソプラノのアンナ・ルツィア・リヒターはリリックな歌い回しも上手いが、コロラトゥーラのテクニックにも優れている。

さらにこの曲にちりばめられた速いアジリタのパッセージも小気味良く歌い切っている。

バスのフロリアン・ベシュはバリトンの快活さを持った声質だが、低声の声域も広く表現力に富んでいる。

テノールのマクシミリアン・シュミットも軽快で無理がない。

彼らの重唱も聴きどころで、コーラスが加わる第26曲及び終曲はオペラの華麗な幕切れのように心地良い。

アルファ・クラシクスのHAYDN2032の企画のひとつとして、ハイドン生誕300周年記念する交響曲全集と並んでリリースされた。

10年以上の歳月を見越した遠大な企画だけに、おそらくこの『天地創造』の他にも『四季』や『十字架上のキリストの最後の七つの言葉』のオラトリオ版などのレコーディングも期待したいところだ。

実際交響曲全集の中にはハイドンの他のジャンルの作品も併録されているので可能性は高いだろう。

このディスクは2019年にミュンヘンのヘラクレスザールで収録されたものだが、潤沢な残響と解像度に優れた音質は極めて良好だ。

尚CDであればライナーノーツにはドイツ語の歌詞に仏、英語の対訳リブレットが掲載されている。

またイル・ジャルディーノ・アルモニコの全メンバーと使用しているピリオド楽器も明記されている。

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2022年03月18日


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ジョヴァンニ・アントニーニとイル・ジャルディーノ・アルモニコによるハイドンの交響曲全集には、このディスクにも示されているように古典的な交響曲の形成に至る時代の作品も多くカップリングされている。

バッハの息子たちの短い期間はいわゆる疾風怒濤の時代で、ここに収録されたフリーデマン・バッハのシンフォニア『不協和音』も良いサンプルだろう。

疾風怒涛の音楽の特徴は目まぐるしい転調、思いがけない展開や不協和音などがあげられるが、この『不協和音』の編成は弦楽器と通奏低音のみであることも、まだ交響曲の黎明期だったと理解できる。

バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハにもそうした傾向がみられるが、末っ子ヨハン・クリスティアンの作品には既にこうした不安定な曲想は消え去って、モーツァルトの出現を予感させるシンプルな安定感が感じられる。

1曲目の交響曲第46番ロ長調の終楽章は弦楽四重奏を髣髴とさせる軽快なパッセージが印象的で、ハイドンはそのジャンルでも重要な仕事を完成させている。

彼の交響曲と弦楽四重奏曲とは相関関係にあると言えるだろう。

また第22番変ホ長調『哲学者』にはイングリッシュホルンが使われている。

こうした試みにもハイドンの試行錯誤と音響的な実験があるようだ。

全曲に亘って激しいアクセントがつけられ、これまでになく鋭い強弱がつけられている。

テンポも速く強い推進力で音楽が生き生きと躍動しているのが感じられる。

明るく晴れやかな第1楽章は当然だが、各曲の第2楽章でも響きが研ぎ澄まされ、線的なメロディが強調されている。

空間の中にポツンと音が存在しているイメージで、密やかな孤独感があった。

そうしたやり方なので第2楽章や第3楽章では深刻な印象が強い。

第4楽章では密やかながら緊張感の高い弱音で始まり、存在感抜群だ。

強いコントラストとメリハリの効いた演奏はすべてがハッキリして気持ちいい。

繰り返しを忠実に実行していて、随所にいろんな仕掛けが見つけられて、アントニーニの遊び心も感じられる演奏である。

1曲だけ入っているフリーデマン・バッハの演奏だけ趣が違っている。

悲劇性が高く深刻な雰囲気が迫ってくる音楽は、陽気なハイドンからは感じられない印象だ。

どちらかと言えばモーツァルトに繋がっていく気がするが、この悲劇性が突き詰められて盛り上がっていくところまでは到達しておらず、それは時代がもっと進まないと得られない感覚なのだろう。

各楽章とも深刻なフレーズと穏やかなフレーズが交互に現れ、感情がの移ろいが感じられる。

終楽章がメヌエットになっていて、穏やかな雰囲気の中で終わる。

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2022年02月22日


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20世紀末のイタリアで、生命感あふれる演奏でバロック音楽解釈に新風を巻き起こした才人古楽器集団イル・ジャルディーノ・アルモニコを率いるリコーダー奏者ジョヴァンニ・アントニーニ。

近年はルネサンス作品を集めた驚くべきアルバムを作ったり、古楽器と現代楽器を使い分けながら多角的な活動を続けるバーゼル室内管弦楽団とも痛快なベートーヴェン交響曲全集をリリースするなど、その活動領域の広がりは目を見張るばかり。

2013年以降はAlphaレーベルを録音パートナーに選び、ハイドン生誕300周年となる2032年までにこの作曲家の100曲以上ある交響曲を全て録音するというプロジェクトも手がけ、アルバムが出るたび大きな話題を呼んできた。

自身のグループであるイル・ジャルディーノ・アルモニコと精鋭集団バーゼル室内管弦楽団という2つの楽団を共演に選び、イタリア古楽界の先端で活躍する名手たちもメンバーとして加えながら、今夏までにリリースされてきた10枚がこのたびボックス化された。

筆者自身いつかはボックス化されると思っていたので、1枚1枚買い揃えるのは控えていたが、意外に早くこれまでにリリースされたので即座に聴いた次第である。

ハイドンの交響曲全集を鑑賞することは、そのまま交響曲の形成される歴史を辿ることになる。

しかし106曲の交響曲を全曲録音することは営業的には賭けをするようなもので、過去には頓挫した企画もある。

それだけにジョヴァンニ・アントニーニ率いるイル・ジャルディーノ・アルモニコの挑戦には是非完遂を期待したい。

彼らの演奏がメルツェンドルファーやドラティの全集と決定的に異なる点は、総てピリオド楽器とピリオド奏法による再現だが、音楽表現に関してはかなりラディカルなところがある。

それがかえってクラシックの疾風怒涛時代にイタリア・オペラの序曲や管弦楽組曲などの影響を受けつつ、ハイドンと同時代の作曲家達によって次第に交響曲という曲種に醸成されていく過程を明らかにしている。

この全集の特徴は、ハイドンだけでなく彼に影響を与えた音楽家の作品、その中にはかなり珍しい曲目も併録していることで、ディスクの枚数は増えるがぺダゴジカルな興味が湧く趣向が面白い。

イル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏は彼らがバロック音楽でやってきた、とびっきり生きのいい演奏と辻芸人的な野趣が生かされた、独自の解釈がここでも面目躍如だ。

初期の交響曲はヴィヴァルディの協奏曲のようだし、驚かされることはあっても決して退屈なパフォーマンスではない。

指揮者アントニーニの即興性の裏に隠されたハイドンへの熱心な研究と深い造詣には感心せざるを得ない。

現在11集目がリリースされたところだが、今後が楽しみな全集になりそうだ。

レギュラーフォーマット盤だが音質は極めて良好。

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2021年07月05日


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4枚のCDのうちの今回初CD化が10曲あり、これまで聴けなかったドラティのレバートリーを楽しむことができるのは嬉しい。

但し初出時のLP盤と聴き比べると音質の鮮明さ、キレ味という点でいくらか分が悪い。

これは新規にリマスタリングしたエロクエンスの方に原因があるのかも知れない。

当時のマーキュリー・リヴィング・プレゼンスのクリアーな音質と臨場感が充分に生かされていないのは残念だ。

これはミネアポリス交響楽団との1953年のモノラル録音、モーツァルトの第40番にも言える。

オーケストラにやや乱れがあるものの、全体的な推進力はドラティらしく好演だが、分離状態が明瞭でない。

ドラティはハンガリー動乱でドイツに亡命したハンガリーの演奏者達とフィルハーモニア・フンガリカを創設して、世界初のハイドンの交響曲全集をレコーディングした。

このセットには第94番『驚愕』と第103番『太鼓連打』の2曲が収録されている。

このオーケストラ自体既に解散してしまったので貴重な記録でもある。

アンタル・ドラティは指揮者、作曲家、ピアニストでもあったがナチスに追われてハンガリーから英国、アメリカと活動拠点を変えた。

オーケストラ・ビルダーとしても優れた腕を持っていて、第1曲目のモーツァルトの交響曲第40番を聴けば、現ミネソタ管弦楽団の黎明期のサウンドをイメージすることができる。

その他にもダラス交響楽団、ナショナル交響楽団、デトロイト交響楽団などを第一級のオーケストラに練り上げた功績は大きい。

英国ではBBC、ロイヤル・フィルハーモニー、ロンドン交響楽団との共演が多かったが、このセットにはロンドン交響楽団とのハイドン、モーツァルトの作品を堪能できる。

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2020年04月21日


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ドイツのチェンバリスト、そして音楽学者として活動を続けているクリスティーネ・ショルンスハイムが2003年から翌2004年にかけて完成させたハイドンのソロ・ピアノ及び連弾のためのコンプリート・ワーク集。

13枚のCDにソナタと題された57曲(作品番号の上では第62番まで)と更にそれ以外のヴァリエーション、ファンタジー、断片を含む14曲を網羅している。

尚最後のCDはこの作品集の制作に当たって彼女へのインタビューという形で、実際に彼女がそれぞれの楽器の響きを聴かせながら解説していく興味深いレクチャーになっている。

この録音に使われたピリオド楽器は総て歴史的なオリジナルか、あるいはその複製で、当然その楽器によって表現方法も異なっている。

比較的短期間に集中して録音されたこともあって、一貫した解釈と彼女の才気煥発で溌剌とした演奏が特徴で、楽器の特性をつぶさに捉えた音質の良さも特筆される。

連弾のための作品では師でもあるアンドレアス・シュタイヤーとの協演になる。

曲の配列は概ねクロノロジカルに並べられている。

このセットのセールス・ポイントはそれぞれの時代にハイドンが実際に使用していたと判断される5種類の鍵盤楽器を選択して弾き分けていることだ。

彼女は学者としてもこのあたりをかなり詳細に研究しているだけでなく、楽器の音色に関しても鋭敏な感性を発揮してその時代の音の再現にも余念がない。

例えばCD1−3では復元された二段鍵盤チェンバロ、CD4ではクラヴィコードの複製、CD5及び7は1777年制作の二段鍵盤を持つヒストリカル・チェンバロ、CD6、8−11は1793年製のハンマーフリューゲル、CD12と13は1804年製のハンマーフリューゲルという凝りようだ。

しかし通して鑑賞してみると、この時代が鍵盤楽器にとっては大きな転換期であり、作曲家たちによって伝統的なチェンバロから強弱が漸進的に表現できる新しいタイプのハンマーフリューゲルにとって替えられていく過程も理解できる。

ライナー・ノーツは79ページで、曲目データ及び作品の歴史的な背景がかなり詳しく解説されている。

また小さいながらも使用楽器の写真が掲載され、撥弦機構の違いを図解入りで説明しているのも親切な配慮だ。

鍵盤楽器の変遷史を耳で実体験できる貴重なサンプルとしての価値も高い。

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2019年12月14日


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グレン・グールドが晩年になって夢中になり、本格的に取り組んだ作曲家にハイドンがいた。

彼が称賛を惜しまなかったピアニスト、リヒテルがしばしばハイドンのピアノ・ソナタをコンサートのプログラムに取り入れていたので、その影響があったのかも知れない。

それまでさほど頻繁に演奏していたわけではないハイドンのソナタを、グールドは1971年の書簡で「全曲録音したいと考えている」と明かして、ドイツ・グラモフォンにソナタ全曲録音を考えたが、実現しなかった。

その後CBSレコードのプロデューサーが新しいデジタル録音装置を使用しての録音プロジェクトに誘ったことからようやく実現した。

この2枚組の後期ソナタ集は彼が1980年から81年にかけてニューヨークのスタジオで録音したもので、グールドの生前にリリースされた最後のアルバムでもある。

グールドの初のデジタル録音で、音質にも恵まれていて彼のポリシーだったレコーディングを媒体にする透徹した演奏をほぼ理想的に鑑賞できる。

またグールドの音楽性とそのテクニックが典型的に示された曲集ということもあってリイシューを繰り返している。

グールドのハイドンは、彼が編み出した独創的で洗練されたタッチによってモチーフは象徴化され、極めて几帳面に構成された曲想が鮮やかに出現し、次にはそれがドラスティックに変化していくカレイドスコープ的な面白みがある。

精密にコントロールされた明晰な指さばきが隠されたポリフォニーを浮かびあがらせ、一種のユーモアさえ湛えた演奏を生み出している。

分厚いサウンドとレガートからハイドンを解放し、例によって、乾いたタッチの多彩なアーティキュレーションで音楽を語らせる。

響きの濁りの少なさ、対位法的な箇所の明快なテクスチャーを含めて、フォルテピアノの演奏に通じるところがあり、即興的な趣やユーモラスな表情もモダンのピアノではなかなか聴くことができない。

緩徐楽章のカンタービレは殆んどバーチャルで驚くほどドライだが、急速楽章と見事に対比させる役割を担わせて、それぞれの曲に明確なカラーと不思議な結束力を与えている。

第59番のメヌエットも舞曲を離れ超然としたピアニズムのエレメントに昇華されていて、グールドの世界に完全に奉仕しているかのようだ。

因みに2012年にリリースされたソニーのグレン・グールド・コレクション第13集、ハイドン・ピアノ・ソナタ集には1958年録音のピアノ・ソナタ第59番変ホ長調が併録されていたが、このリイシューでは除外されている。

曲目自体はこのセットの3曲目と同一曲でモノラル録音だが、彼の若い頃のスピード感溢れる演奏が興味深い。

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2019年08月05日


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20世紀の演奏の世界を大いに刺激したのが、古楽演奏であった。

作品はそれが書かれた時代の楽器、奏法、様式、考え方、スタイルで再現されたとき、初めて真実の姿を現す。

即ちそれこそが作曲者がイメージしていた作品の生きた姿であり、当時の聴衆が味わっていた演奏の醍醐味であるというわけである。

ことに20世紀のオーケストラはリッチなサウンドと分厚い表現法に傾いていただけに、バロック、古典派の作品再現にかけては重大な欠陥あるいは誤解を与えている、そんな反省も含めた新しい動きであった。

兆しは早く、アーノンクールなど1953年に古楽オーケストラ、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを立ち上げ、古楽演奏の意味と大切さとを説いていた。

だがその魅力と大切さが演奏家だけでなく聴き手をも取り込む形で浸透、発展し、うねりにも似た現象となったのは1970年代からと言ってよいだろう。

1934年オランダに生まれたフランス・ブリュッヘンは当初、リコーダーやフラウト・トラヴェルソの名演奏家として脚光を集めたが、1981年に「18世紀オーケストラ」を組織、ハイドン、モーツァルト作品を主な対象とする新たな指揮活動を展開していった。

歴史的脈絡を大切にした作品の解釈、世界の傑出した古楽演奏家たちを結集させたオーケストラによる知的で、斬新で、情熱的な演奏は、たちまち聴き手にセンセーショナルな感動を与え、彼らは古楽オーケストラのニューリーダー的存在感すら見せるようになった。

その勢いはモダン・オーケストラのレパートリーからハイドン、モーツァルトを奪い取る、そんな事態すら招いたのだから、これは驚きであった。

今日では古楽オーケストラが果たした業績は広く認められ、またモダン・オーケストラに吸収される形で浸透している。

その分、過度の期待感もなくなってきたが、1990年に録音されたハイドンの交響曲《軍隊》と《ロンドン》を聴くと、古楽オーケストラが達成した成果の素晴らしさに啞然とさせられる。

混濁しない響きの爽やかさ、各声部の輪郭と存在感が際立ったアンサンブル、弦楽器の優しくも鋭い表現力、対照的に雄弁かつ多彩な管楽器、目も覚めるような打楽器の活躍ぶりなどを得て、ハイドン作品は一気にその情報量を拡大、聴き手に新たな姿を見せるようになった。

しかもこのコンビの素晴らしさは、こうした特質の呈示で終わるのではなく、そこから彼らの演奏の掘り下げが始まる点にあろう。

その結果、交響曲はあたかも作品自らが語り出す姿を顕し、私たちが予想もしていなかった感動の世界へと誘うものになっている。

確かに古楽演奏は主観ではなく、いわば客観主義の成果と言えよう。

しかし、客観主義も徹すれば人間的な幅広さが獲得され、主観も客観も超えたもうひとつ別次元の感動の領域へと分け入っていくことが可能となる、そんな奇跡を見せた演奏と言えようか。

まさに古楽オーケストラが実現してきた成果を結晶にした名演だが、ここまでくると次の課題に挑戦せざるを得なくなる。

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2019年07月04日


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同じ古楽器によるハイドン演奏でも、ブリュッヘンによるものと、その僚友(というより弟子に近い)S・クイケンのものとでは、ハイドンの音楽に対する考え方がそもそも違うようだ。

これだけ異なれば、互いに別のレコード会社にハイドンの交響曲を録音し分けることは意義がある。

どこが違うかというと、まず演奏人数で、このクイケン盤は親切にも、解説書に、曲別に全演奏者名が表記してあり、人数が少ないので、そういうことが可能なのだろう。

基本的には7/7/4/4/2の弦(プルト数ではなく人数)に2本ずつの管、それにチェンバロという編成で、わざわざ数字を書き出したのは「作曲当時の楽器と編成による再現」という誤解を防ぐためだ。

良く知られているように、ハイドンは《パリ交響曲》を、パリの大オーケストラのために作曲した。

そのオーケストラは、ヴァイオリンだけでも20名という現在でも通用する大きさを誇っていた。

もし「作曲当時」を標榜するのであれば、このクイケン盤の人数では明らかに足りない。

ブリュッヘンと18世紀オーケストラが日本でハイドンを演奏した時には、8/8/6/4/3にチェンバロなし、という、もうひと回り大きい数を要していた(それでも当時のパリの楽団には及ばない)。

それで、どういうことになったかというと、このCDに聴く《パリ交響曲》は、恐らくハイドンが意図した響きよりも小ぢんまりしたロココ風のものに変わった。

一概には比較出来ないものの、ブリュッヘンのハイドンから聴くことのできる豪奢な風格や、ユーモアのセンスも影を潜めてしまった。

しかもこれは単に人数の問題ではなく、ブリュッヘンなら、同じオーケストラを指揮してももっと大きな音楽を作るだろう。

ここでは第82番ハ長調〈熊〉の評価が難しい。

これを聴くと、慣用版にあるトランペット・パートを生かしているにもかかわらず、音楽があまり盛り上がらず、まるでマンハイム楽派か何かの出来のいいシンフォニーを聴いている気分になってくる。

《パリ交響曲》には〈熊〉〈牝鶏〉そして第85番〈王妃〉(このニックネームは作曲者のあずかり知らぬことではあるが)という動物三部作(!?)が含まれているのだから、そのようなユーモアもいくらか欲しい。

冗談はさておき、ともかく、この演奏は妥協の産物ではないかと筆者は考えている。

使われている楽譜や繰り返しの省略等は、やや慣用に傾いているのに、オーケストラの人数は作曲者が考えていた以上の緊縮型、どうも少し中途半端だ。

短調をとる〈牝鶏〉交響曲でも、再三の長・短調の交替部分も、あまり色調が変化しない。

尤も美しい部分も少なくなく、〈牝鶏〉の開始部分での奏でるオルガンのような響きや、同じ曲の第1楽章でオーボエがスタッカートで出す〈牝鶏〉主題の面白さは、現代楽器を使ったマリナー、C・デイヴィス盤からは味わえない。

古楽器を使っていることと、名演奏か否かということは当然ながら一致しないが、ただ、ハイドンの交響曲の再現には、古楽器使用が有利なので、このあたりが音楽の難しいところだ。

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2019年05月31日


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2008年に解散したアルバン・ベルク四重奏団の演奏活動が円熟期を迎えていた時期の、ハイドン作品集をまとめた3枚で、颯爽とした美しい響きの中に精緻で緊密なアンサンブルが冴え渡っている。

アルバン・ベルク四重奏団のこれらの曲に対する解釈は緻密で理性的だが、それでいて決して深刻にならないクールな表現と適度な快活さを併せ持っている。

彼ららしいモダンなアプローチだが、それぞれの急速楽章では爽快でアグレッシブなアタックも聞かれ、ハイドンの音楽語法の輪郭を鮮やかに示した演奏と言えるだろう。

20世紀の音楽を得意としたアルバン・ベルク四重奏団だが、彼らは活動当初からハイドンやモーツァルトも演奏しており、例えばハイドンの《騎士》と《皇帝》は、ベルクの《抒情組曲》と同じ年、1973年に早くも録音していた。

つまり、弦楽四重奏曲の本源に対する思いは、深くて熱かったのである。

彼らのハイドンは、以前のウィーンの弦楽四重奏団に比べると、はるかに強靭になっていた。

ひ弱さは全く感じられず、現代的というのか、きびきびしている上、技術的にも隙がなかった。

またウィーンの音楽家らしく作曲家の古典的な価値をウィットに溢れる独自のオリジナリティーで再現しているのも聴きどころだ。

結成から20年の年輪から、表情は一層深く、より熟し、表現はさらに厚みを加えたと言えるだろう。

特にCD1−2の『エルデーディ四重奏曲』全6曲は現在入手困難になっていた演奏なので、バジェット価格でのリイシュー盤を歓迎したい。

尚このセットでのヴィオラ・パートは総てトマス・カクシュカの演奏になる。

ハイドンは当時娯楽目的が支配的だった複数の弦楽器を組み合わせたジャンルの音楽を、よりシンプルかつ堅固な4つの楽器編成に定着させた。

その可能性や高度な音楽性の追究によって殆んど小宇宙的な音楽形態の次元にまでその価値を高め、彼に続いたモーツァルトやベートーヴェンの創作活動に道を拓いた貢献者だ。

これらの曲集でも円熟期のハイドンならではの職人技とも言うべき手馴れた楽器法と、対位法による巧みな曲想の処理や随所で天才的な閃きをみせる機知に富んだ楽想の豊かさが魅力的だ。

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2019年05月28日


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独プロフィールの発掘音源シリーズにアンドレ・ナヴァラ(1911-88)が加わった。

フランスの往年のチェリストの中でもとりわけそのパッショネイトな演奏が魅力的なアンドレ・ナヴァラのオーケストラとの協演を中心に選曲されていて、どの曲も芯のある力強い奏法から大胆不敵で豪快なメッセージが伝わってくる。

1941年から84年までのかなり広範囲に亘る時代のの録音で、彼のパッショネイトで力強い演奏が堪能できる10枚だが、CD7-9のエリカ・キルヒャー伴奏による小品集以外は総てモノラル音源で音質も時代相応といったところだ。

せめてバッハの無伴奏を入れて欲しかったが、版権の関係からか収録されていない。

アンドレ・ナヴァラは、フルニエ、ジャンドロンと並び、フランス3大チェリストと称されている。

若い頃、カール・フレッシュにヴァイオリンを師事したこともあるというナヴァラは、一方でミドル級のボクサー、水泳選手としても活躍したことのある本格的なスポーツマンでもあり、その豊かな経験からくる抜群の運動性を備えた情熱的で深い味わいを持つ演奏は、独特の魅力を放っている。

ロマンティックで詩的な表現力を持ちながらも、スケール大きなボウイングで豊かな音楽をたっぷりと聴かせるその演奏はまさに巨匠芸の極み。

そんなフランス風の洗練にあふれながらも骨太で力強い芸風に、日本でも人気が衰えることのない巨匠だ。

ナヴァラの十八番だったハイドンやドヴォルザークの協奏曲はもちろん見事ながら、バルビローリ&ハレ管と共演したエルガーの情念はデュ・プレに匹敵する。

またシューマンはクリュイタンス、ハチャトゥリヤンとブルッフはデルヴォー、ラロはフルネという往年のフランスの大指揮者がバックを務めているのも魅力だ。

最後の小品集が白眉で、満身の感情を込めて歌い、心打たれるし、名ピアニスト、ジャン・ユボーとの味わい深い演奏を楽しめる。

このように2019年現在流通されていない音源が目白押しだが、入門者には先ずフォンダメンタからのオフィシャル盤6枚組かスプラフォンの5枚組をお薦めしたい。

 

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2019年04月06日


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この2枚は2007年にコリン・デイヴィスが手兵ロンドン交響楽団を指揮したハイドンのオラトリオ『天地創造』全曲盤で、彼らの本拠地バービカン・ホールでの一連のライヴ演奏からの音源を自主制作でハイブリッドSACDシリーズとしてリリースしているアルバムのひとつになる。

次々に刊行されているこれらのディスクの総てが名演というわけにはいかないが、いずれも一定の高い水準を保ったコンサートでの彼らの力量が示されている。

録音状態はライヴながら客席からの雑音は全く聞こえない理想的な環境が保たれている。

特にSACDバージョンで聴くと明瞭な音質と抜けるような音の開放感が従来のCDと異なっていることが感知される。

この作品のようにオーケストラに3人のソリスト及び混声合唱が加わる大編成のオラトリオでは、総奏の時にレギュラー・フォーマットのCDでは音響が濁りがちになる傾向があるが、音像の独立性でもSACDの効果が表れているし、レチタティーヴォ・セッコのチェンバロ伴奏も繊細に響いている。

ハイドン円熟期のオーケストレーションが駆使された『天地創造』は、神の祝福に溢れた世界の創造と言う構想によって作曲されている。

直截的にキリスト教的世界観で彩られた内容と、絵画的ともいうべき巧みな手法でわかりやすく活写される動物たちの魅力や、大合唱が動員されて聴き映えすることなどから、欧米ではとりわけ人気も高く特別な作品として迎えられている。

こうした作品だけに『天地創造』は、優れた腕前で声楽作品を意欲的に取り上げてきたデイヴィスに相応しいものと思われる。

この演奏の特色としてデイヴィスはヴァイオリン両翼型配置(舞台下手から第1ヴァイオリン、チェロ、指揮者のすぐ正面に通奏低音、ヴィオラ、第2ヴァイオリン、上手奥にコントラバス)を選択し、ヴィブラートを控えめに、明らかにピリオド・アプローチを意識したアプローチを行っている点が注目される。

それだけにデイヴィスの表現は全体的に明るく、スケールの大きさよりもスコアの読みのきめ細かさに特徴のある演奏だ。

中でも第29番の混声合唱による二重フーガ『アレルヤ』では、精緻でありながら力強く歓喜に満ちた表現でこの作品のクライマックスを形成している。

ソリストにも実力派の歌手が揃っていて、中でも天使ウリエル役のイアン・ボストリッジは当時全盛期だったこともあって、流石に文学的にも巧みな歌唱と爽やかな声でこのオラトリオの価値を高めている。

彼はオペラ向きの歌手ではないにしても、宗教曲や歌曲のジャンルでは独自の才能を発揮しているテノールか主としては稀な存在だ。

尚ライナー・ノーツには全曲の英語歌詞対訳が掲載されている。

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2018年12月18日


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2012年2月に鬼籍に入ったモーリス・アンドレのEMIへのセッションをまとめた13枚組のボックス・セット。

彼の没後ユニヴァーサルからも6枚組の追悼盤が逸早くリリースされたが、そちらのほうは曲目の殆んどがバロック音楽に絞られている。

それに対してこのEMI盤の中心となるのはテレマン、タルティーニ、ハイドン、フンメルに代表されるバロックから古典派にかけての42曲の協奏曲(協演者の異なる同一曲や編曲物を含む)が収録されている。

CD1はカラヤン、ベルリン・フィル、CD3はへスス・ロペス=コボス、ロンドン・フィル、CD4はネヴィル・マリナ−、アカデミー室内、そしてCD5はムーティ、フィルハーモニアと錚錚たる協演者が揃っている。

その他にビーバーのソナタからオペラ・アリアの編曲物、映画音楽からポピュラー・ナンバー、ジャズからムード・ミュージックまでおよそありとあらゆる小品を吹きまくった、気さくで最も彼らしいアルバムになっているのが特徴だ。

勿論彼の膨大なレパートリーを一通りカバーするセット物が欲しい方はエラートから刊行された全4巻計24枚の全集も選択肢のひとつだが、コスト・パフォーマンスとバラエティーに富んだ選曲の面白さから考えると、このセットが理想的で入門者にもお勧めできる。

彼は筆者の少年時代から既にトランペット界のスターだったし、持っていた音楽性の違いを別にすればホルンのデニス・ブレインのような絶対的な存在だった。

ブレインの生演奏に接することは全く不可能だったが、モーリス・アンドレは幸いコンサートを聴くことができた演奏家の一人で、初めて聴いた演奏会ではその名人芸と聴衆の熱狂に圧倒されたものだ。

彼のトランペットについてはもはや多くの言葉を必要としないと思う。

柔らかく、しかも明るく輝かしい音色とどこまでも軽快で天衣無縫な幅広い表現力、そして目の醒めるような超絶技巧であらゆるジャンルの音楽をオールマイティーにこなした天才というイメージが、彼の体格の良さと人懐っこい顔立ちと共に強く印象に残っている。

アマゾンのページの写真ではボックスが正立方体のように見えるが、実際には13X13X厚み5,5cmの大きさで、先にリリースされたデュ・プレの全集と同様に横に引き出すタイプのしっかりした装丁。

ブックレットは43ページで、モノクロ写真がほぼ12ページ分、そして18ページ目以降に曲目と録音データが掲載されている。

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2018年03月20日


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ハンガリー出身でアメリカに帰化したピアニスト、ジェルジ・シェベック(1922-1999)の名は、グリュミオーやシュタルケルの伴奏者としてのコンサートや録音活動でこそ知られているが、ソリストとしてのレコーディングはこれまで皆無に等しかった。

等しかったという意味は、少なくともマーキュリーやフィリップスなどの大手メーカーからリリースされた演奏は総て彼らの伴奏を受け持った共演でソロ音源が見当たらないということである。

しかしながら戦後のベルリン国際コンクールの覇者であり、また母国ハンガリーからもリスト賞を受けたピアニストとして多くの音楽家達からも絶賛されていたようだ。

単独のコンサートもインディアナ大学でのレッスンの合間を縫って行っていたようで、このディスクに収められたソロ・アルバムは1991年6月16日にフランスのパルセ=メレで催されたグランジュ・ドゥ・メレのスヴャトスラフ・リヒテル・フェスティヴァルの一晩のライヴ録音になる。

伴奏では時としてソロをリードしていく積極的なサポートがシェベックの特徴だったが、当時70歳を迎えようとしていたこのソロ・リサイタルでも、常に濁りのないクリアーで鋭利なピアニズムが披露されている。

プログラム第1曲目の『左手のためのシャコンヌ』ではいくらかミスタッチも聴かれるが、ハイドンのソナタからバッハの『半音階的幻想曲とフーガ』に至っては彼の本領が充分に発揮されて、最もシェベックらしい演奏が繰り広げられる。

最後に置かれたバッハ/ブゾーニ編のトッカータ、アダージョとフーガハ長調は、ホロヴィッツがカーネギー・ホールでの復帰リサイタルで弾いた演奏効果の高い難曲だが、シェベック自身のテンションの高さと共に華麗なテクニックも聴きどころだろう。

尚アンコールとしてヘンデルのシャコンヌト長調及びバッハの平均律第1巻第1番の前奏曲ハ長調が演奏されている。

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2018年01月01日


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リチャード・エガーとアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックは彼ら専用の新レーベルAAMを設立して益々盛んなレコーディングを行っている。

その第一弾としてリリースされたのが交響曲の誕生と題された意欲的なアルバムで、ホグウッド以来の英国のピリオド・アンサンブルらしい軽快ですっきりしたサウンドと明快な解釈に好感が持てる演奏集だ。

内容は交響曲黎明期の作品5曲をクロノロジカルに配列して、そのルーツと発展を1枚のCDで鑑賞できる趣向になっている。

新しいレーベルに相応しい鮮明な音質で臨場感にも不足していない。

簡易なデジパック入りだが、録音中のスナップ写真も掲載した丁寧なライナー・ノーツが挿入されている。

尚演奏ピッチはa'=430Hz。

私達が一般的に交響曲として認識している管弦楽のための作品は、ハイドンやモーツァルトによってその典型的な形式が形成され、充実したオーケストラル・ワークに洗練されていく。

当時イタリアでは単に管弦楽で演奏される部分をシンフォニアと呼んで、独立した曲種というより作品の一部に組み込まれるエレメントとして普及していて、実際バッハの作品にも既に例がみられる。

しかしながらライナー・ノーツによればその源泉は決して単純なものではなく、宮廷でのBGMであったりカトリックのミサの開始を告げる役割を果たしたり、またイタリア・オペラの序曲からの影響も大きいようだ。

最初に収録されたヘンデルのようにオラトリオからまとめられたものなど多彩な要素を持っていたようだ。

ヘンデルの作品の第3楽章はさながらオーボエ協奏曲のように聞こえる。

彼は自分の作曲したオラトリオから4曲をピックアップして教会ソナタの体裁に整えてシンフォニアと名付けている。

交響曲の形成に多大な貢献をしたマンハイム楽派からはリヒターとアントン・シュターミッツの作品がそれぞれ1曲ずつ収録されている。

この時代にはオーケストラの幅広いダイナミズムによる表現力や合奏のテクニックが彼らによって飛躍的に向上したことが理解できる。

モーツァルトが8歳のときにロンドンで作曲した交響曲第1番変ホ長調はイタリア式序曲の典型だろう。

この頃ヨハン・クリスティアン・バッハはロンドンで予約制定期演奏会を初めて試みたが、コンサートを宮廷から離れた一般市民の鑑賞の場に定着させて市民達の嗜好が反映されることになるのも当然の結果であった筈だ。

ハイドンではいわゆる2管編成が定着し、彼の交響曲には欠かすことのできない第3楽章のメヌエットは当時のウィーンの人々の趣味と切り離せないものになり、むしろメヌエットを欠いた交響曲は通用しなかったが、やがてベートーヴェンによってスケルツォに取って替えられることになる。

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2017年12月15日


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イタリア弦楽四重奏団のしなやかで明るい音色と流麗な表現が面目躍如たる名演奏。

ハイドンが弦楽四重奏曲で試みた嬉遊性と芸術性の統合が、彼らの演奏によって理想的に実現されている。

取り組む曲に対する真摯かつ柔軟なアプローチと鍛え上げられたアンサンブル、そして開放感と歌心に溢れた表現が彼らの身上だろう。

まさに豊麗かつ甘美に歌い上げられたハイドンで、いかにもイタリア人好みの演奏になっている。

特に『五度』と『皇帝』の第2楽章はその最たるもので、音楽とは歌うことであると言わんばかりに、一心不乱に演奏している4人の姿が彷彿とさせられるほどだ。

端的に言えば作曲家がこれらの作品に織り込んだ高度な音楽性やテクニックを親しみ易く、しかも飛びっきり美しく聴かせることで、例えば『五度』のような短調で書かれた曲でも、彼らの表現の明るさは際立っているし、常に自然体で屈託のないカンタービレが独特の軽やかさで聴き手に幸福感をもたらしてくれる。

明快で現代性を帯び、しかもイタリアの団体らしく歌の精神に満ちていて、良い出来栄えだ。

また『ひばり』では澄み切った青空をイメージさせる清々しい清涼感が印象的だ。

そうしたことは第1楽章によく表れているが、ここでは遅めのテンポをとりのびのびと歌わせているのである。

しかしそれと同時にがっちりした構成感もあって、歌い崩しているのではなく、あくまでも古典派の様式に則った抑制を効かせた巧みなアンサンブルで曲の纏め方も文句なく上手い。

彼らは1945年結成以来1980年の解散までにモーツァルト、ベートーヴェンそしてブラームスの弦楽四重奏曲全曲録音を中心に数多くの名演奏を遺したが、ハイドンに関してはそれほど録音が多くないのでこの1枚は貴重なコレクションにもなる。

どの曲もお手のものといった感じで、流麗な仕上がりのものになっている。

この曲集では第2楽章でことのほか美しいヴァリエーションが繰り広げられる『皇帝』と更にホフシュテッター作曲の『セレナード』を含めた4曲が収録されているが、『皇帝』のみが1976年でその他の3曲が1965年の録音になる。

ハイドン演奏としての好き嫌いは別として、演奏というものの典型がここに示されているのは、何人も認めざるを得ないだろう。

かつてのフィリップス音源の音質は極めて良好で、弦楽の瑞々しさや切れの良さが明瞭に捉えられている。

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2017年05月29日


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独ヘンスラーのプロフィール・レーベルはカルロ・マリア・ジュリーニが壮年期に手掛けた演奏を独自のリマスタリングで次々と復活させている。

中でも彼がドイツで客演した放送用ライヴ音源はマスター・テープの保存状態も良く、1960年代以降の音源は総てがステレオ録音であるために音質にも恵まれ、また聴衆からの雑音も一切混入していない。

このディスクに収録された2曲はどちらも1979年1月26日というデータの記載があり、録音会場全体の残響が程好く入ったオフ・マイク気味の採音なので、臨場感に溢れるような音場とは言い難い。

しかしながらオーケストラのバランスは非常に良く、ホールで聴いているような明瞭で自然な奥行きのある音響が得られていて、また繊細な弱音から総奏の時の迫力にも不足していない。

既に定評のあるヘンスラーのリマスタリングも納得できる仕上がりになっている。

ハイドンの『驚愕』でジュリーニは作曲家円熟期のジオメトリックで巧妙なオーケストレーションを整然とした古典的な造形美で聴かせていて、模範的とも言える均衡を保った第1楽章では一切の誇張も感じられないが彼ならではの音楽性の豊かさと情熱が滲み出ている。

また厳格な中に愉悦と愛嬌を示した第2楽章、いくらか鄙びたレントラー風の速めで力強いメヌエットや終楽章のスケールの大きい躍動感までが古典派の交響曲の美学から全く逸脱することなく統合されている。

一方ラヴェルの『マ・メール・ロワ』はジュリーニ一流のデリカシーが反映された、超自然的でメルヘンチックな美しい幻想が描き出されている。

敢えて言えばラテン的な温もりは感じられず、遊び心を抑えたクールな雰囲気を漂わせているが、これはオーケストラがバイエルン放送交響楽団だからかも知れないし、そこには情に溺れないジュリー二の厳しい一面も表れている。

5つの個性的な小品はそれぞれが磨き上げられた小さな宝石のような輝きを放っていて、それらの変化と対比が興味深く、特に終曲のクライマックスに導かれる絢爛たるフィナーレが印象的だ。

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2017年02月14日


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2032年がハイドン生誕300周年に当たり、それに向けて現在ふたつのイタリアの古楽グループが世界初のピリオド・アンサンブルによる交響曲107曲の全集の制作に向けて着手している。

既にCD3枚計9曲の録音を終えているのがジョヴァンニ・アントニーニ率いるイル・ジャルディーノ・アルモニコで、この遠大な構想を着実に遂行しつつあるように見える。

一方こちらは同じくイタリア古楽界のベテラン・チェンバリスト、オッターヴィオ・ダントーネがアカデミア・ビザンティーナとの全曲レコーディングを完成させる企画を立ち上げている。

その第1弾として昨年2016年にリリースされたのがこの2枚組4曲で、そのうち第79番及び第81番はピリオド・アンサンブルの録音では初めての試みのようだ。

古楽奏者によるハイドンの交響曲全集は唯一ホグウッド、ブリュッヘン、ダントーネの三者混成ボックスがデッカから出ているが、いくらかご都合主義の寄せ集めの感は否めない。

またロイ・グッドマン&ハノーヴァー・バンドもかなりの曲数を録音しているが、いずれも単独では全曲録音にまで至っていないのが現状で、この機会にダントーネ、アントニーニの両者が最新の録音で全集を完成させることを期待したい。

この膨大な作品群を現代の大編成のオーケストラを使った分厚いサウンドで演奏するのもひとつの解釈だが、彼のように当時の宮廷楽団のアンサンブルをイメージさせるインティメイトな再現も重要な選択肢のひとつだろう。

彼らから引き出される音色は少人数編成ということもあって、古典派特有のジオメトリックなスコアのテクスチュアが見えてくるような精緻さと独特の透明感があり、かえってそれがフレッシュな音響を創造しているのは事実だ。

その意味ではむしろアントニーニの起伏に富んだ情熱的な演奏を凌駕していて、ダントーネのクールとも言える知的な解釈が反映されている。

また今回はメジャーな作品を敢えて避けた、肩透かしを食わせるような4曲を並べたところもユニークだが、ダントーネによる来たるべきハイドン交響曲全集のサンプラー盤として聴く価値があるもので、それぞれが味のある個性を持っていて音楽的にも他の標題付の交響曲に決して劣るものでないことが証明されている。

セッションの会場となったラヴェンナのゴルドーニ劇場は豊かな残響を持っているが、古楽器の音質を忠実に捉えた録音状態も秀逸。

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2017年02月12日


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バーンスタインのニューヨーク・フィル時代のハイドンがまとめられて格安で再発売された。

バーンスタインのハイドンのよさはもっと知られてよく、シンフォニックな厚みのある演奏は、いかにも巨匠風の大芸術だ。

バーンスタインのハイドンは、精緻なアンサンブルや古典主義的な美を求めるよりは、解放的な愉悦感で一貫している。

特に《時計》は作品とぎりぎりのところで、そのバランスが美しく保たれた演奏になっている。

カラヤン盤がオーケストラの威力によって聴かせるならば、この演奏は全体にみなぎる熱気が魅力である。

指揮台の上で飛び跳ねるというバーンスタインのエネルギッシュなスタイルは、なにも激しい曲ばかりではなく、このような作品にまでもあらわれている。

一糸乱れぬ完璧な合奏力でひきあげたカラヤン盤に対し、バーンスタインの表現は、もっと開放的である。

こうしたハイドンの演奏は、バーンスタインの独壇場と言えよう。

《驚愕》は1970年代のものにしては珍しく大編成によっているが、いかにもユーモリストのバーンスタインらしい、明るく健康的なウィットに富んだ演奏で、新鮮な味わいをもったすがすがしい表現だ。

爛僖僉Ε魯ぅ疋鶚瓩噺討个譴燭覆瓦笋なハイドンの音楽がそのままバーンスタインの人柄に乗り移ったように聴こえてきて、気持ちがよい。

《V字》では、子供らしい活気あふれる無邪気さと、慈父のようなあたたかみのある気配りの対話が生き生きと浮かび出て、ハイドンの本質にふれている。

第3楽章でのユーモア感はさまざまな表情を見せ、そのこまやかさとゆたかさは他に例を見ない。

終楽章は遊びまわる子供の疲れを知らぬ活気にあふれている。

人間に対する親愛感に満ちた演奏だ。

第102番では、オラトリオ《天地創造》に通ずる気宇壮大な世界が展開され、清新な空気を胸いっぱいに吸い、心が広々とし、この世に生きるよろこびが感じ取れる。

ミサ曲第9番《ネルソン・ミサ》では、バーンスタインの切れのよいリズムの中に刻まれるハイドンの抒情が、なんとも現代的である。

と同時にハイドンの本質である完成された古典主義の造型が、この特質を明らかにしていく快さも兼ねている。

独唱者ではソプラノのジュディス・ブレゲンが抜群で、テクニックといい音楽性といい、その仕上がりは他の3人を引きはなしている。

ミサ曲第12番《ハルモニー・ミサ》では、古典的均整に行儀よく収まらず、力と行動性を持ったこのバーンスタインのハイドンは、それ故に現代の生存不安に対するヒューマニスティックな訴えを前面に押し出し、作曲者の〈健康さ〉が、病に冒された現代の人々に確かな〈救い〉を与える。

オラトリオ《天地創造》にも真の人間讃歌がみなぎっていて、この上なく感動的で、オケもコーラスもこの熱に押しまくられ素晴らしい力感をみせる。

バーンスタインの古典は、一般に見逃されているようだが、彼のハイドンやモーツァルトは、構成のしっかりした実に立派なもので、ぜひ再認識してほしいと思う。

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2016年10月10日


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プラガ・ディジタルスからのハイブリッドSACDシリーズの1枚で、フルトヴェングラーの演奏集としては既に7枚目のリリースになる。

早期のウィーン楽派と題されていて、ウィーンに本拠地を置いて音楽活動を続けたハイドンとモーツァルトの作品4曲を収録している。

1948年から53年にかけて彼がウィーン・フィル及びベルリン・フィルを振ったもので、総てがモノラル音源だがリマスタリングによる音質の改善という点では、音場が拡がり音色が艶やかでそれぞれのホールの潤沢な残響も煩わしくない程度に再現され、かなり満足のいく仕上がりになっている。

フルトヴェングラーは古典派であろうがロマン派であろうが、その音楽に内包された表現の劇的な部分を実にスケール豊かな演奏に置き換えてしまう。

1曲目の『フィガロの結婚』序曲は一陣の風が吹き抜けるような短い幕開けの音楽だが、フルトヴェングラーはコーダの手前からアッチェレランドして、猛烈な拍車をかけて追い込むように曲を締めくくっている。

イン・テンポを崩さない現在の解釈とは異なった意外性がかえってこのオペラの性急で革新的な本質を暗示していると言えるだろう。

モーツァルトの第40番ト短調はフルトヴェングラーのロマンティシズムが良くマッチしていて、古典派を通り越した迸るような疾走感と不安を掻き立てるような陰鬱さに彼のカリスマ性が発揮されている。

モーツァルトと言えば、ワルターの名がまず思い浮かべられるに違いないし、同曲についても、彼の演奏を1つの理想や規範とする人々がかなり多いに違いない。

しかし、この作品については、ある意味それとは対極的な存在をなすフルトヴェングラーの演奏を忘れることはできないし、1度それに触れると、その体験が心の底に焼きつけられる可能性さえある。

それは、抑えがたいような悲劇的情感がもたらす緊迫感に溢れたもので、時に鬼気迫るものさえ感じさせるが、クラリネットが加わらない第1版の本質は、こうしたところにもあるのかもしれない。

テンポも、単なる速さということよりも、精神的な緊張にすべての音が動かされた結果と言えるところであり、曲の劇的な側面とフルトヴェングラーの波乱の人生経験とがまさに合体したような演奏と言うべきかもしれない。

モーツァルトの音楽の深さ、情感の豊かさ、デモーニッシュな激しさ、あらゆる次元での音楽表現の可能性の広さと言ったものを、このフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルの演奏から感じ取ることができる。

この曲にここまでの悲劇性があったのかと思わせる演奏内容であり、いつの時代にも聴き手の心に強く深くアピールする演奏となっている。

それに続く2曲のハイドンでも均整のとれた整然とした古典派の形式感というよりは、むしろドラマティックな情熱が滾った生気に溢れた表現が印象的で、モチーフの有機的な処理も鮮やかだ。

そこにはモーツァルトやベートーヴェンの先駆者としてのウィーン楽派の威厳を感じさせるものがある。

作品を大きく見せるのはもちろん、演奏を通して作曲家の存在および意志をはっきり実感させてくれるのがフルトヴェングラーだと筆者は思っている1人だが、彼の手に掛かるとハイドンの交響曲も内面的な感動が極めて大きく厚みのあるものになる。

数あるハイドンの交響曲のうち、第88番《V字》に惹かれる人は、かなりのハイドン好きに違いなく、誰もが注目するほど広く知られているわけではないが、優れた演奏で聴いたら、きっと忘れられなくなるだろうし、ウィーン楽派の神髄に触れさせてくれる、そんな作品の1つである。

フルトヴェングラーの指揮で聴くと、ハイドンの世界が一層大きく、一層深く感じられるから不思議である。

聴きようによっては、ハイドンのベートーヴェン化、といった思いがしなくもないが、それだけ奥行きが深い指揮者だったのだろう。

4つの楽章の音楽的性格の的確な描き分け、強い求心力を感じさせる造型性は他に類がない。

第94番《驚愕》も、少しもこせついたところがない悠然たるテンポで、スケール大きく歌い進んでゆく。

ここに流れているのは、音楽としての自然な呼吸、そして作品に対する深い共感で、演奏全体に漂う大人の風格は、この指揮者ならではのものだ。

ここでフルトヴェングラーは彼らしくないほどに古典的な端正さで演奏しており、大きな身振りもないが、それでいて音楽の作りは大きく、古典派交響曲としての佇まいを緻密かつ美しく示して余すところがない。

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2015年12月01日


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シカゴ交響楽団の首席ホルン奏者だったデイル・クレヴェンジャーは1980年代にフランツ・リスト室内管弦楽団と一連のホルン協奏曲集を録音した。

その1枚がこのフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの第1番ニ長調及び第2番ニ長調と彼の弟ミヒャエル・ハイドンのホルンと管弦楽のための小協奏曲ニ長調の3曲を収録したもので、総てヤーノシュ・ローラが指揮している。

同じメンバーがハンガリーのヴァーチで録音したモーツァルトの協奏曲集と並んで、クレヴェンジャーがソロを演奏したそれほど多くないセッション録音のひとつで、このCDはアペックス・レーベルからも廉価盤でリイシューされているが、リーフレットに録音場所はウィーンと書かれている。

録音は1983年6月なので、クレヴェンジャー43歳の壮年期の安定した力強いソロが堪能できる。

筆者はホルンの奏法については全く無知な人間だが、クレヴェンジャーの演奏を聴いていると、小技に拘泥しないごくオーソドックスで正攻法の表現が特徴的で、こうした基本に忠実な奏法がかえって技巧的な難解さを強調することなく、むしろ曲の構造をより堅固にしていることが理解できる。

3曲とも決して易しい曲ではない筈だが、クレヴェンジャーの王道的な解釈がシンプルに伝わって来る堂々とした演奏だ。

しかしその上でかなり自由闊達なカデンツァを挿入して、鮮やかなホルンのテクニックを披露することも忘れていない。

またヴィブラートを掛けない直線的なトーンも彼の基本奏法のようだが、それは伝統的に狩猟で使われたホルンという楽器の持つ特性を踏襲しているとも言えるだろう。

ハイドンの2曲はホーボーケンのジャンル別分類では第3番及び第4番として知られていて、このCDでもそう書かれている。

ただしハイドンの作曲したホルン協奏曲は2曲のみなので第1番、第2番と呼ぶ方が分かり易い。

因みに第2番は偽作の疑いがあるようだ。

一方ミヒャエル・ハイドン(1737-1806)はフランツ・ヨーゼフの弟で、モーツァルトがヒエロニムス大司教から解雇された後のザルツブルクの宮廷オルガニストを勤めた作曲家である。

交響曲や弦楽四重奏曲を中心にかなりの作品を書いているにも拘らず、現在演奏される曲はごく限られているし、また取り上げられる機会も稀だが、そのひとつがこのホルンのための小協奏曲で、終楽章メヌエットとそのヴァリエーションで飾る、平易だが魅力的な曲趣を持っている。

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2015年09月13日


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ジュリアーノ・カルミニョーラは既にモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集を2回ほどリリースしているが、2011年にパリのシャンゼリゼ管弦楽団を弾き振りして初挑戦したのが今回のハイドンの協奏曲集になる。

いずれもハイドン初期の作品で後期バロックの名残を残した形式感と疾風怒濤時代の自由闊達さを、カルミニョーラは生気に満ちたリズムとストラディヴァリウス特有の明るい響きを活かして表現している。

カルミニョーラは既に60代の円熟期だが、その演奏は若々しく颯爽とした覇気が全曲を貫いている。

特に緩徐楽章での抑制の効いたカンタービレの美しさや急速楽章のカデンツァの鮮やかさは、録音状態の良さも相俟って特筆される。

それほど演奏される機会がないこれらの曲に、新たな価値を再発見したセッションとしても一聴に値するCDだ。

カルミニョーラの使用楽器は今回もストラディヴァリウス・バイヨで、この名器は1732年、ストラディヴァリウス最晩年88歳の時に製作されたものだ。

彼の2人の息子が製作を手伝ったと言われているが、その完璧な技量と眼識は衰えておらず、現在まで全く修理の必要が無いということだ。

音色の特徴は輝かしく力強いこと、低音が深くまろやかなことなどで、ニックネームは所持していたヴァイオリニスト、ピエル・バイヨの名前からとられている。

尚このハイドンの協奏曲集ではモーツァルトの時と同様のピッチa'=430に統一されている。

収録曲目はヴァイオリン協奏曲ハ長調Hob.VIIa:1、同イ長調Hob.VIIa:3及び同ト長調Hob.VIIa:4の3曲で、現存するハイドンの協奏曲の中から真作として認められているものだけを取り上げている。

総てハイドンが当時宮廷楽師長だったエステルハージ宮廷楽団のために作曲されたが、特に第1番ハ長調は若きコンサートマスター、ルイジ・トマシーニを念頭において書かれている。

トマシーニはペーザロ出身のイタリア人ヴァイオリニストだが、旅行中だったエステルハージの当主パール・アンタルにその才能を見出され、若干16歳で宮廷楽団に招かれ、その後ヴェネツィアに留学して更にその技を磨いている。

尚サポートを務めるシャンゼリゼ管弦楽団は、通奏低音のチェンバロを弾いているジョルジョ・パロヌッチを含めて、今回21名のピリオド楽器奏者で構成されている。

リーダーは第1ヴァイオリンのアレッサンドロ・モッチャだが、1991年にフィリップ・ヘレヴェッへによって設立されたこのオーケストラは、本拠地をパリのシャンゼリゼ劇場とパレ・デ・ボザールに置いて、古典派からロマン派に至る作品を総てピリオド楽器で演奏するこだわりの楽団だ。

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2015年08月07日


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バーンスタインとウィーン・フィルの共同作業は、売り物のマーラーやベートーヴェンばかりでなく、ハイドンでも見事な成果を上げている。

バーンスタインのハイドンのよさはもっと知られてよい。

ハイドンというと、わが国ではあまり人気がないが、それは杓子定規の堅苦しい演奏が多いせいではないか。

しかし、バーンスタインのハイドンを聴いて、音楽の楽しさを感じない人はおそらくいないだろう。

まず音の響きが感覚的に洗練され、もうそれだけで聴き手の心を奪い、すぐれた作曲家でもあるバーンスタインらしく各部の構成が見事に分析・総合され、しかもそうした構造を描くだけでなく、旋律の流れが実に流麗である。

ここでも、バーンスタインは、ワルターのように、細やかな表情づけにこだわることなく、おおらかにあたたかく表現していて、魅了される。

いかにもユーモリストのバーンスタインらしい、明るく健康的なウィットにとんだ演奏で、新鮮な味わいをもったすがすがしい表現だ。

“パパ・ハイドン”と呼ばれたなごやかなハイドンの音楽が、そのままバーンスタインの人柄に乗り移ったように聴こえてきて、気持ちがよい。

ウィーン・フィルを起用したのも成功で、このオーケストラ独自の典雅な音色を駆使して、生き生きとした音楽を展開している。

しなやかな弦の歌、まろやかな管のアンサンブル、溌剌としたリズムの躍動感、そのいずれもがハイドンの純音楽的な美しさと魅力を際立たせる。

ウィーン・フィルというオーケストラのすばらしさを、これほどわからせてくれる演奏も少ない。

第88番「V字」は立体感に富む弦と管のバランスが実に自然で、それが、ウィーン・フィル特有のいぶし銀の響きとバーンスタイン特有の生命力を端的にあらわしている。

精密さを求めるより、楽しさに重点をおくバーンスタインが、ニューヨーク・フィル時代には成し得なかったオーケストラとの阿吽(あうん)の呼吸を実現し、メヌエット楽章のスフォルツァンドや強弱の対照を面白く聴かせてくれる。

第92番「オックスフォード」もそうだが、ウィーン・フィルの美しい響きをいかしながら、バーンスタインは、ハイドンの音楽のもつ明るく、楽天的な味わいをうまく表現している。

その一方で、底抜けの明るさの中にも時としてかげりが生じ悲しみがよぎるのを豊かな感情をこめて演奏している。

バーンスタインの表現はウィーン・フィルの芳醇な音色をいかしながら溌剌とした自然な歌に満ち溢れて、ハイドンの最もハイドンらしい面を聴かせる。

第94番「驚愕」は、音そのものが形容を絶する美しさで、プルトを減らしたためか透明度も高く、素晴らしく魅惑的な演奏だ。

その豊麗な響きと流麗さは、他のオーケストラからは求められないものだ。

もちろんバーンスタインの表現も音楽に共感した演奏にのみあらわされるような生命力があり、各部がくっきりと表出されていて、ハイドンの真髄が端的に伝わってくる。

第2楽章の驚かしばかりではなく、全曲のあちこちにハイドンらしい機知やウィットがちりばめられ、ライヴの熱気と高揚と力の爆発が加わって、まさに鬼に金棒。

まさにハイドンの豊かな生命力の理想の表現であり、これほど溌剌として率直、歌にみちた古典の演奏は滅多に聴くことができない。

晩年のバーンスタインは、音楽の奥行きをより深めていったけれど、同時にウィーン・フィルを振ると、決まってこのオーケストラの個性を最大限に発揮させていた。

この演奏もそのひとつで、濃厚な隈取りのなかに、優美でしなやかな感性がうまくいかされている。

筆者はハイドンのような音楽が認められないのは、つねづね音楽受容の後進性を表わしているのではないかと考えているが、このような演奏を聴けばハイドンの熱烈な愛好家が激増することになろう。

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2015年04月25日


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本作は、生涯に100曲以上の交響曲を作曲したハイドンの第104番《ロンドン》と第103番《太鼓連打》を収録したアルバム。

若きカラヤンがウィーン・フィルと共に、生命力あふれる実に堂々とした演奏で、ハイドン最後の2曲の交響曲を聴かせてくれる作品。

大編成のモダン・オーケストラを壮麗に響かせた艶やかで優美な演奏で、まさに王者の風格があり、独自の魅力を漂わせている。

ウィーン国立歌劇場音楽監督時代の一連のデッカ録音の中の最高作の1つで、明るいオケの音色を生かして、確固たる古典美をつくりだしている。

カラヤンのハイドン交響曲に初めて接したのはウィーン・フィルを振っての1959年他の英デッカのLP盤《太鼓連打》《ロンドン》だったリスナーも多いと思う。

後年カラヤンはハイドン交響曲を1975年頃ベルリン・フィルとEMIに、そして1980年代初め同じベルリン・フィルとDGに録音しており、ますます豪華で重厚な交響曲へと仕上げられて行き、流麗なレガートの味は堪能できるだろう。

しかし三つ子の魂百までで英デッカ盤のある意味溌剌さは後年盤には求める事は出来ず、既に50年以上前の録音とはいえ、今なお、価値の高い1枚と言えるだろう。

ハイドンの《ロンドン》はカラヤンが好んで指揮した楽曲の1つである。

筆者の手元にも、ベルリン・フィルを指揮した新旧2種のスタジオ録音、ウィーン・フィルを指揮した1979年のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音、そして本盤の合計で4種もある。

これらの中でも、最もバランスのとれた名演は、本盤のウィーン・フィルとのスタジオ録音ではないかと考えている。

演奏者の品位と、曲の力を引き出した演奏で、カラヤンらしいそつのない、颯爽とした演奏になっていて、クレンペラーのような荘厳さとは変わってエレガントなタッチを感じる。

カラヤンならではの颯爽としたテンポによる演奏であるが、よく聴くと、隋所に抑揚の効いた極上のレガートがかかっており、各楽章の描き分けも実に巧みだ。

特に第4楽章、あっけないほどに隙のない展開、小5分で締めくくってしまうが、そこが心憎いほど演出巧者なカラヤンの神髄かも知れない。

ウィーン・フィルも、極上の美演でカラヤンの指揮に応えている。

《太鼓連打》は、後年のベルリン・フィルとのスタジオ録音も名演であり、あとは好みの問題だと思うが、この当時のウィーン・フィルの演奏の美しさには抗しがたい魅力がある。

前述のようにカラヤンはハイドンを晩年ベルリン・フィルとも録音しているが、このウィーン・フィルとの録音では、肩の力を抜いて、まさに「ご当地」の音楽に興じている演奏家たちの気構えが充分に伝わってくる。

両曲で聴かせる品の良さ、快活さ、そして音の密度の濃さには、聴いていて満足感を得られるし、何よりハイドンの音楽の素晴らしさを存分に紹介してくれていると思う。

なお、《ロンドン》等最終楽章で本盤は後年盤で演奏された反復部分は略されておりスッキリしている。

SHM−CD化により、これらの名演がより高音質で聴けることになったことを大いに喜びたい。

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2015年03月18日


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畏れ多くも史上初のハイドン交響曲全集であるが、まずは、この偉業に頭を垂れなければならない。

全104曲、輸入盤CDにして33枚(国内盤は36枚で売られていた)の大プロジェクトである。

初出のLP時代には、なんと46枚の大全集であり、ベームのモーツァルト交響曲全集LP15枚(現行CD10枚)を大きく凌駕する。

この企画を通した英デッカとしても、ショルティによるワーグナー「ニーベルングの指環」以来の大英断だったに違いない。

1969年から72年にかけての録音と言うと、カラヤンやベームの壮年期であり、クラシック・レコードに最も活気のあった頃である。

機械化が進んだため、質的には手作りの1950年代から60年代初頭より劣っていたにせよ、こうした大きな企画が通るには絶好のタイミングだったのかも知れない。

アナログ・レコードの制作は、録音からプレスまで、CDよりも数倍、数十倍のコストがかかるため、セールスの目処の立たない企画は成り立ちにくかったからである。

その意味でも、ドラティのハイドン交響曲全集は意義のある企画だった。

個別の曲で言えば、より優れたものもあるが、この全集のおかげで発見できたことがとても多いのだ。

演奏には中庸の魅力があり、小編成のフィルハーモニア・フンガリカによる溌剌とした演奏が小気味良い。

フィルハーモニア・フンガリカは1956年のハンガリア動乱によって移住した音楽家を集めて1957年に結成されたとのことであるが、その演奏水準の高さはトップランクだ。

ハンガリアン・ファミリーの1人、ドラティとの相性は言うまでもなく抜群で、室内楽的なアンサンブル、透明度の高い音色はハイドンにとても良くマッチしている。

フレージングはいつも新鮮、リズムも躍動しており、史上初の全集としての役割は十二分に果たしている。

ドラティの演奏の精巧さはライナーやセルらに共通するもので、このグループの指揮者の実力には改めて驚かされる。

余分なものも足りないものもない、古典的格調に満ちた演奏で、エディションはランドン版。

古楽器演奏とは一味違う表情の豊かさが魅力で、神経質なところがないので、ハイドンの交響曲の持つ伸びやかさを満喫することができる。

このハイドン全集は、英デッカがハンガリーとの関係が深かったがゆえに実現した企画とのことだが、移住者にとっては経済的にも干天の慈雨であったかも知れない。

強いて欠点を挙げるなら、あまりにも短時間で全曲を録音した結果、「一丁上がり!」的な粗雑な演奏も混在していることである。

普通なら録り直すであろうピッチやアンサンブルの乱れにも無頓着なところがある。

箱や袋からわざわざ盤を取り出すLPと違って、扱いのお手軽なCD時代になり、これまで滅多に聴かなかった初期や中期の作品を耳にするようになって、そうした粗が余計に目立って聴こえるようになったのかも知れない。

とはいえ、かつて国内盤CDで6万円以上していた当セットも、いまは半額くらいで手に入るので、手元に置いて、後悔することはなかろう。

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2015年03月17日


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快活・健康的・素朴などなど、こういった類の言葉でハイドンの音楽は語られるが、まさにこれにぴったりの演奏が当盤である。

ピリオド楽器派による時代考証とは一線を画した録音で、古楽器台頭以前の大編成オーケストラによる最もオーソドックスな演奏として、身も心も安心して委ねることのできるセットである。

この“時代”の演奏には心から身を委ねることができるのは、聴き慣れているせいだけではないと思う。

ピリオド・スタイルの隆盛によって、このように低音域を分厚く鳴らすやり方は過去の遺物と化しつつあるが、この演奏の造型の確かさと端正さは時代の嗜好を超えて傾聴に値する。

ゆったりと大きく構えた演奏で、迫力も十分、音楽の愉悦にあふれていて、現代のタイトな演奏に慣れた耳には大いに新鮮に響く。

昨今あまり耳にしなくなった量感豊かなハイドンであり、垣間見えるバロック的な音の仕掛けに対し、ことさらな身振りを作らず、揺るぎないバランスで響きを整え緩急をキメていき、その音の姿から、次世代作曲家との同時代性が浮かび上がる、伝統視点の熟演。

初演地に因んでロンドン・フィルを起用しているなど実に気が利いている。

これはベームの「ドン・ジョヴァンニ」の録音にプラハのオーケストラを起用するなど、ドイツ・グラモフォンが時々使う手法だ。

しかし、これが企画のための企画に終わっていないのは演奏を一聴すれば明らかである。

ドイツのオーケストラのように重厚すぎないロンドン・フィルの上品で節度ある響きが、この演奏に独特の気品を与えているからである。

あまりにオーソドックスなため、どの演奏がどうである、という解説は困難を極める。

そこで、このセットに共通する特徴をいくつか挙げるに留めたい。

まず第一には、演奏する歓びに溢れていることであるが、とは言っても、少し説明不足かも知れない。

アンサンブルをする歓び、職人的に書かれたハイドンのスコアを、音にする歓びに溢れている、とでも言えば本質に大分近づいてくる。

つまり、精神的にどうのこうの言う前に、単純に縦の線を合わせるとか、三度の響きを正確にとか、アクセントをどう置くだとか、合いの手を入れるニュアンスなど、「合奏」することの純粋な面白さをヨッフムと団員たちが追求しており、その愉しさが聴き手の心をウキウキさせるのだ。

そして、もうひとつ挙げるなら、ヨッフムが熟練した統率能力と背中合わせに併せ持つヨッフムの「子供のような純粋さ」である。

たとえば、《軍隊》における鳴り物を賑やかに鳴らす様など、子供がおもちゃを叩いて大喜びしているのを思い出させるのだ。

ハイドンのもうひとつの面白さに気づかせてくれる演奏と言えるところであり、ヨッフムの素晴らしいブルックナーを彷彿とさせる。

こういうハイドンを聴くと、本当に心が和み、小編成では味わうことのできない大らかさにホッとするのだ。

クナッパーツブッシュのように無限の宇宙を感じるとか、シューリヒトのように魂が天を駆けるという特別な演奏ではない。

それでいて、大衆に媚びた低級な演奏でもなく、現在ではなかなか聴けないスタイルの演奏だ。

特別な仕掛けや細かな計算が表に出るような指揮ではなく、大らかで素朴ながら、ハイドンの音楽の面白さがストレートに伝わってくる。

真面目さとユーモア、高尚と親しみやすさ、そんなものが同居した、バランスの取れた名演集である。

こうしたがっちりとした造型と、大柄な表現は、今やほとんど誰もできなくなってしまった。

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2015年03月13日


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ノリントンならではの個性的な名演だ。

手兵のシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮しているが、ハイドンが作曲時に想定した40名程度という、かなり人数を絞った編成で演奏しており、いわゆる古楽器奏法を旨としている。

しかしながら、そこはさすがはノリントン。

四角四面の学術的な演奏には陥らず、緩急自在のテンポを駆使して、奔放とも言うべき変幻自在の演奏を行っている。

そこには、いささかのあざとさは感じられず、高踏的な芸術性を失うことがない点を高く評価したい。

持ち前の「ピュア・トーン」を武器につぎつぎと作品のイメージを一新し、とりわけベートーヴェンやモーツァルトといった古典派の作品で最高の成果を収めてきた当コンビによるハイドンとくれば、そもそも相性は悪かろうはずがない。

全て拍手入りのライヴ録音とは思えぬ程、精緻で活力溢れるパフォーマンスが展開されている。

痩せて鋭くどこまでも真っ直ぐな気持ちの良い弦楽、カラフルでモダンな木管、派手に爆発する金管と、ハイドンのオーケストレーションの豊かさ美しさが明快な録音で存分に味わえる。

フレージングはより徹底され、音を割ったブラスやケトル・ドラムも意表を突くというよりむしろ必然とさえ思えるほど自然で効果満点、フレッシュでエレガント、あたたかなぬくもりと、何より音楽の喜びと楽しさを授けてくれる。

いずれも名演であるが、印象的な楽曲をいくつか掲げると、先ずは第94番の第2楽章の超快速テンポ。

本来は打楽器による最強奏が驚愕であるが、ノリントンの演奏ではこの超快速テンポが驚愕だ。

第101番の第2楽章のいわゆる時計の超快速テンポ。

これは、クラシカルなぼんぼん時計ではなく、現代のアラーム時計とも言える面白さ。

第103番の冒頭のいわゆる太鼓連打のド迫力は、我々の度肝を抜くのに十分だ。

そして、何よりも名演は第104番。

特に、第1楽章の威風堂々たる楽曲の進め方は、ハイドンの最高傑作にふさわしい威容を兼ね備えている。

第2楽章の快速テンポや思い切ったゲネラルパウゼの活用は、第1楽章との見事な対比もあって最高の面白さであるし、終楽章の中庸のテンポによる確かな歩みも、全曲を締めくくるのに相応しい素晴らしさだ。

特に、フィナーレの最後、弦が主題を強奏する上で鳴り響くトランペットのファンファーレ(ブルックナー的とも言える)を、ノリントンほど目立たせて鳴らした例はCDではほとんどないのではないか。

盛り上げるところは盛り上げ、流すところはあっさり流す、その自在さは聴いていて癖になってしまう。

ピリオド奏法を取り入れたモダン・オケでのハイドン演奏として1つの完成形を示している。

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2015年03月01日


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1981年、グールド初のデジタル録音による、傑作中の傑作で、いかにもグールドらしい超個性的な名演だ。

ハイドンは偽作・真偽未確定作・一部分消失作を含んで58曲のソナタを残したと言われているが、このアルバムはその最後の6曲を取り上げている。

第56番や第58番の第1楽章の極端なスローテンポと、それに続く終楽章の快速テンポの見事な対比、偉大な傑作である第59番の水を得た魚のような生命力溢れる打鍵の嵐、3大ピアノ・ソナタの緩急自在のテンポを駆使した自由闊達な表現の巧みさ。

モーツァルトのピアノ・ソナタでは、ごつごつしたいささか不自然な表現も見られたが、本盤に収められたハイドンのピアノ・ソナタでは、そうした不自然さを感じさせるような表現はほとんど見られない。

作曲者が誰とか、曲がどうとか、そういう説明を一切必要としない名演で、最初の音が鳴り響いた時から、グールド・ワールドが展開する。

世界一級品の美術品の本物を目にした時のような直接性で、リスナーを瞬間的に虜にする。

シャープな音の切れと録音の良さが相俟った、冒頭から玉を転がすようなピアノの1音、1音から魅惑される。

その1音1音が明瞭でクッキリしている演奏は他の作品にも通じるグールドらしさで、勿論それは素晴らしい。

それに加え、そもそもロマン派以降の楽曲と較べると、情緒性や起伏という点では、「型」はあっても「体温」がないように筆者には感じられるハイドンの曲を、強弱とテンポを極端に使い分けることでここまで蘇生させるというのは、腕も勿論だが、やはり発想がまず天才的だと思う。

1980年代(つまり最晩年)のグールドの演奏では、あの2度目のゴールドベルク変奏曲の演奏に匹敵する、いや個人的にはそれをも凌駕するのではないかと考える稀代の名演だ。

才能とはやはり恐ろしいもので、彼の弾くバッハと同様の、抜群の面白さ溢れる演奏であり、音やリズムが水を得た魚の様に飛び跳ねてキラキラと空中に舞っている。

あまり採り上げられることがないハイドンのピアノ・ソナタでここまで美しい音世界を構築するグールドの力量には驚くばかり。

これだけ真剣に歌い上げて、リズムから構成全てきっちりとしているにも関わらず愉快さを感じさせ、気迫のこもった演奏であるにも関わらずあくまで軽く、洒落ているといった趣きの不思議な演奏。

ハイドンのピアノ曲を、「演奏」という創造行為で満たした奇跡のようなパフォーマンスと言えるところであり、「楽曲」と「演奏」の関係を再考するきっかけともなるであろう。

グールドは聴く者に類推させてくれるピアニストであり、グールドならあのソナタをこう弾くのではないか、というところが楽しいのである。

グールドの死は、本盤の収録後まもなく訪れることになるが、まさに、グールド畢生の名演と言っても過言ではないと思われる。

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2015年02月13日


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最晩年のワルターの代表的な名盤。

ハイドンの交響曲のうち、パリ交響曲以降の傑作群は、大編成のオーケストラが演奏しても十分に聴きごたえのある大交響曲であると考えている。

にもかかわらず、最近では、編成の小さい古楽器演奏だとか、古楽器奏法なるものが一般化しつつあり、ハイドンの交響曲が、コンサートの曲目にのぼることすらほとんど稀になったのはまことに嘆かわしい限りである。

そうした中で、本盤のワルターの演奏を聴くと、実に懐かしく、そして生き返ったような安心した気持ちになる。

ワルターのハイドンは、この指揮者の絶妙なバランス感覚と、形式に対する確かな理解が率直にあらわれたものと言えよう。

「軍隊」は、かつてモノーラルによるウィーン・フィルとの録音が有名であるが、ここでのコロンビア交響楽団との演奏では、この巨匠指揮者が、彼の唯一の録音となった「V字」とともに、遅めのテンポで堂々たる足取りで進めてゆく。

演奏のあちらこちらから、木の温もり、土の香りがするようで、大編成のオーケストラ(と言っても、コロンビア交響楽団なので限度はあるが)を指揮しながらも、ここには機械的だとか、メカニックなどという要素はいささかも感じられない。

ハイドンのオーケストレーションや音楽構成が良く聴こえ、隅々にまで目の届いた、ワルターのハイドンに対する思いやりみたいなものが聴ける。

ワルターは、オーケストラの響きにふくらみをもたせ、歌うような演奏を心がけた指揮者として、ファンの間で根強い人気がある。

第88番の第2楽章だとか、第100番など、あまりのスローテンポに、スコア絶対の原理主義者や音楽学者などからすれば時代遅れだとか誇大妄想とかいう批判もあり得ると思うが、音楽芸術の感動の前には、筆者としては意味のない批判だと思う。

若い頃は比較的地味なハイドン交響曲にそれほど深くレコードで馴染む対象ではなかったのが、このワルター&コロンビア交響楽団の「V字」「軍隊」はハイドン交響曲の「良さ」を感じ取ったものである。

おそらく他の指揮者の演奏に最初に接していたならその良さに気がつくのはもっと遅れていたであろう。

それ位ワルターの演奏はハイドン以上の何かふくよかさが込められたように思え人生の余裕時間を過ごせるようにも感じたところである。

コロンビア交響楽団も、ワルターの指示通りのアンサンブルを聴かせ、余裕から生まれる、豊かな音楽を響かせている。

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2015年02月11日


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ハンガリーに生まれ、中堅クラスだったクリーヴランド管弦楽団を世界的なオーケストラに育て上げた稀代の名指揮者ジョージ・セル。

そのアンサンブルはまさに「精緻」という言葉が相応しいものであるが、ここで聴くハイドンの交響曲は、そうしたセル&クリーヴランド管弦楽団の特質―引き締まったリズムとスリムな響き―にぴったりであり、今でもこれらの曲の決定的な演奏として聴き継がれるに相応しい内容となっている。

セルの完璧なまでのオーケストラ操舵―透明度の高い完全なアンサンブル、管弦の均衡ある展開、基本的に一定かつ軽快なスピード感―は、デジタル化の時代にあっても違和感なき心地よさで、古さを全く感じさせない。

セルがクリーヴランド管弦楽団を指揮した演奏の数々は、セルの楽器と称されるほどの精緻なアンサンブルを誇るものであったが、演奏によってはやや鋭角的な印象を与えるものもあった。

しかし、晩年には、そうしたいささか欠点といも言うべき角がとれ、精緻な中にも柔軟さを感じさせる名演が繰り広げられる傾向にあった。

EMIに録音したドヴォルザークの「第8」やシューベルトの「第9」などは、そうした傾向にある晩年のセルならではの味わいのある名演であったように思う。

本盤に収められたハイドンの初期ロンドン交響曲集も、セルの死の数年前の晩年の演奏ということもあり、前述した傾向が顕著なセル晩年ならではの至高の名演ということができよう。

セルのような指揮者でハイドンを聴くと、また一段と曲の素晴らしさを認識させられたところであり、久し振りに聴いて懐かしむどころか新しい発見と感動を与えられた。

とにかく、ハイドンは、同じ繰り返しが多い、退屈、単調、保守的、曲が中途半端などの見方があるが、演奏の仕方にも問題がある。

セルは、考え抜かいた演奏を行い、オケのコントロールも当然ながら抜群で、全く退屈しない演奏だ。

フリッツ・ライナー、ジョージ・セル、ユージン・オーマンディ、アンタル・ドラティ、ゲオルグ・ショルティ、クリストフ・フォン・ドホナーニ―彼らはいずれもハンガリーで生まれ(あるいは血縁があり)アメリカのメジャーオケで活躍した大家である。

このハンガリアン・ファミリーは、いずれもハイドンを得意とし名演を残している。

特に交響曲全曲録音を制覇したドラティの偉業が光るが、後期曲に関してセルの高純度の演奏はその双璧にある。

精密機械のように楽曲の輪郭をクリアにしつつ、そこで繰り広げられる超人的な精緻なアンサンブル。

それでいて、決して機械的にはならず、セルの人生を俯瞰させるような何とも言えないぬくもりのある味わいに満ち溢れている。

まさに、セル畢生の名演と評価すべき出来栄えであると言えるだろう。

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2014年12月03日


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本盤の演奏は、ラトルがベルリン・フィルの芸術監督に就任後、2008年のマーラーの交響曲第9番の登場までの間、鳴かず飛ばずの状態にあった中では、最高峰の名演と言えるのではないだろうか。

ラトルも、世界最高峰のオーケストラを手中におさめた後は、当然、クラシック音楽ファンの厳しい視線にさらされたこともあって、それを過剰に意識したせいか、演奏に気負いが見られたところである。

その気負いが、自らの指揮芸術の軸足にフィットしたもの(最近のラトルはそうである)であれば、いわゆるラトルの個性が全面的に発揮した名演ということになるのであろうが、そうでない場合には、奇を衒ったわざとらしさ、あざとさだけを感じさせる凡庸な演奏に陥ってしまうことになる。

ラトルの当時の演奏は、まさにそれに該当するところであって、芸術監督就任お披露目公演のマーラーの交響曲第5番、ブルックナーの交響曲第4番、シューベルトの交響曲第9番など、死屍累々の山。

どうなることかと心配していたところ、前述のマーラーの交響曲第9番で奇跡的な逆転満塁ホームランを放つのであるが、本盤のハイドンの交響曲集は、不調をかこっていた時代にまぐれであたったクリーンヒットのような趣きがある。

そうなった理由は、楽曲がハイドンの交響曲であったということにあると思われる。

ハイドンの交響曲は極めてシンプルに書かれているが、それだけに様々な演奏スタイルに堪え得るだけの懐の深さを湛えている。

モーツァルトの交響曲との違いは、まさにその点にあるのであって、仮に、ラトルがモーツァルトの交響曲集の録音を行っていたとすれば、間違いなく凡打をもう1本打ったことになったであろう。

それにしても、これほどまでにハイドンの交響曲を面白く、そして楽しく聴かせてくれる演奏は他にあったであろうか。

もちろん、ピリオドオーケストラを起用しての演奏には、インマゼールやノリントン、ブリュッヘンなどの名演が存在しているが、大オーケストラを起用しての演奏としては、他にあまり類例を見ないものと思われる。

そして、本演奏の場合は、ラトルの思い切った解釈がいささかもあざとさを感じさせず、気高い芸術性に裏打ちされているというのが素晴らしい。

ベルリン・フィルの首席奏者とともに演奏した協奏交響曲も見事であり、いずれにしても、本演奏は、ハイドンの交響曲を得意としてきたラトルならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年07月30日


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カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代及び1970年代というのが大方の見方だ。

1982年になって、いわゆるザビーネ・マイヤー事件が勃発すると、両者の関係は修復不可能にまで悪化し、カラヤン自身の健康悪化も多分にはあると思うが、この両者による演奏に全盛時代の輝きが失われるようになったというのは否めない事実である(中には優れた味わい深い演奏も存在している)。

本盤に収められたハイドンのパリ交響曲集とロンドン交響曲集は、1980年代に入ってからの演奏ではあるが、ザビーネ・マイヤー事件勃発前のものであり、いまだ両者の関係に亀裂が走っていない時期の録音である。

したがって、全盛期に比肩し得るような両者による素晴らしい演奏を堪能することが可能である。

一時期のカラヤンは作為的な表現も多々あったが、このハイドンでは、彼のアクの強さは影をひそめ、そのかわりにベルリン・フィルの自発性が目立っている。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、木管楽器やホルンなどの卓越した桁外れの技量を駆使しつつ、カラヤン一流の優雅なレガートが施された演奏は、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべきものであり、ハイドンの交響曲演奏としてもこれ以上の絢爛豪華な演奏は空前にして絶後であるとも言えるだろう。

ハイドンは、カラヤンが昔から得意としていたレパートリーのひとつであり、カラヤンがとりわけ深く愛した交響曲第104番「ロンドン」については、ウィーン・フィルとのスタジオ録音(1959年)の方が、第103番も含めて、より颯爽とした爽快な演奏に仕上がっており、ハイドンの交響曲に相応しい名演とも言える。

また、第104番に、第83番、第101番をカップリングしたベルリン・フィルとのスタジオ録音(1975年)も優れた名演であった。

しかしながら、本盤に収められた演奏は、ベルリン・フィルの合奏力が、遺憾なく発揮された演奏であり、いわゆる音のドラマとしては最高峰の水準に達していると言えるところであり、聴き終えた後の充足感においては、前述の過去の名演にもいささかも引けを取っていないと考える。

細部にまで磨き上げられたアンサンブルが特徴で、旋律を心から歌わせ、音楽をここまで彫琢して聴かせる指揮者というのも、カラヤンをおいては他になかろう。

晩年のカラヤンは、ぎりぎりまでテンポを落として、風格のある演奏を行っていたが、ここでもそれが見事に功を奏し、巨匠的な仕上がりとなっている。

近年多くなった、端正な演奏とはかけ離れているが、スケールの大きさといい、完成度の高さといい、カラヤンならではの世界だ。

このような重厚でシンフォニックな本演奏に接すると、近年主流となっている古楽器奏法や、ピリオド楽器を使用した演奏が何と小賢しく聴こえることであろうか。

録音は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤は、音質の鮮明さといい、音場の広がりといい、素晴らしい水準の音質である。

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2014年03月25日


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1998年12月17日(ハイドン)、1997年10月4日(ブラームス)、ウィーン・コンツェルトハウス・大ホールに於けるデジタル・ライヴ録音。

巨匠ザンデルリンクは、2002年に演奏活動から引退する直前までヨーロッパ各地の名門オケに客演を繰り返し、どのオーケストラからも驚異的高水準の演奏を引き出すことで尊敬を集めた。

ほぼ毎年客演したウィーン交響楽団との相性も抜群で、機能的でストレートな反応にザンデルリンクの豪快なドライヴが見事に決まっている。

いずれもザンデルリンクからリリース快諾を得たとのことで、ファンにはうれしいアルバムの登場である。

巨匠お得意のブラームスの交響曲第3番では、どっしり落ち着いた風格にウィーン響の華やかさが加味されて絶妙の味わいがある。

どの楽章も隅々まで心配りが行き届き、渋みのあるロマンはたっぷり濃厚。

最近の小編成オケによる演奏とは土台も次元も違う演奏で、改めてブラームスの魅力を思い知らされる。

ブラームスの交響曲第3番の新たな名演の登場と言えるだろう。

また、カップリングの「驚愕」は、ありそうでなかったディスク初登場レパートリー。

ハイドンを面白く聴かせる第一人者の巨匠ゆえに、堅苦しさや優等生的な融通の利かなさはまるでなく、愉悦と大胆な遊び心に満ちた快演。

お馴染みのメロディーがこれほど格調高く、しかも伸び伸びと歌われた演奏はそうあるものではない。

どこか古風な落ち着いた響きをもったスケール豊かな演奏は、ピリオド楽器による演奏から得られない魅力に満ちている。

ザンデルリンクは既に10年前に引退して、昨年逝去してしまったのだなぁ…、という感慨の深い1枚とも言えよう。

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2014年02月19日


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いつも当ブログに記していることであるが、ハイドンの交響曲演奏の主流がピリオド楽器による古楽器奏法などになりつつあることもあって、最近ではハイドンの交響曲がコンサートの演目になかなかあがりづらい状況になりつつあるのは、作品の質の高さからしても大変残念なことである。

そのような中で、今をときめくヤンソンスが、バイエルン放送交響楽団を指揮して、ハイドンの「ロンドン」と「軍隊」という、交響曲の2大傑作をライヴ収録したのはそれ自体歓迎すべきことである。

当然のことながら、重厚でシンフォニックな演奏を期待したが、いささかその期待を裏切られることになった。

意外にも、演奏が軽快にすぎるのである。

「ロンドン」の序奏部からして、音の重心がいかにも軽い。

要するに、心にずしっと響いてくるものが少ない。

主部に入ってからも、軽やかさは持続しており、もしかしたら、ヤンソンスは、最近のハイドン演奏の風潮を意識しているのかもしれないとの思いがよぎった。

大オーケストラを指揮しているのに、それはかえすがえすも残念なことである。

ヤンソンスは、すべての繰り返しを実行しているが、それならば、演奏においても、もっと大編成のオーケストラを生かした重厚な演奏を期待したかった。

「軍隊」は、「ロンドン」と比較すると、曲自体の性格もあって、このような軽快な演奏でも比較的心地よく耳に入れることができた。

いずれも決して悪い演奏ではないのだが、期待が大きかった分、いささか残念なCDであったと言わざるを得ない。

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2014年01月28日


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マイスキーは、ロストロポーヴィチ亡き現在においては、最高の力量を持ったチェリストと言えるのではないか。

本盤は、今から25年以上も前の若き日のマイスキーによる弾き振りによる録音であるが、今日における偉大なマイスキーを予見させるのに十分な素晴らしい名演だ。

自ら指揮も務めるマイスキーは美しいチェロの音色を駆使しながら、豊かな感性と情熱を存分に発揮した瑞々しい演奏を繰り広げている。

ハイドンのチェロ協奏曲は、例えば、ドヴォルザークやエルガー、シューマンのそれとは異なり、超絶的な技巧を要するものではないが、その分、情感豊かな音楽性がないと、ひどく退屈で、つまらない演奏に成り下がってしまう危険性がある。

もちろん、マイスキーには、ロストロポーヴィチにも匹敵するくらいの圧倒的な技量と強靭さを有しているのであるが、本盤でのハイドンでは、それを極力封印し、これ以上は求め得ないような情感豊かな演奏を心掛けている。

マイスキーのチェロは、どの曲でも音色に艶があり、張りのある響きと柔らかい響きがしなやかに交錯し、特に高音が輝かしい。

解釈は力強く、感情の振幅が大きく、のびのびしていて古典にふさわしい豊かな雰囲気をもたらしているのは見逃せない。

本演奏に聴かれるマイスキーのチェロの音色は、まさに美しさの極みとも言うべきであり、その瑞々しいとさえ表現できるような豊かな音楽性は、マイスキーのチェロに見事に合わせているヨーロッパ室内管弦楽団の好演とともに、音楽をする喜びに満ち溢れているとさえ言える。

オケの弦のアーティキュレーションが一段とのびのびしているように感じられる。

本演奏は、間違いなく、ハイドンのチェロ協奏曲の様々な名演の中でもトップの座を争う名演と高く評価したい。

録音も、マイスキーのチェロの弓使いが鮮明に聴こえるなど、実に素晴らしい。

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2013年10月14日


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100曲を超えるハイドンの交響曲の中でも高い人気を誇る3曲で構成された、魅力的な選曲のディスク。

いずれも、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の名演であるが、特に、第104番がダントツの名演である。

カラヤンの数々の伝記を紐解くと、カラヤンは、ハイドンの交響曲の中でも、この第104番に特に愛着を抱いていたとのことであるが、それだけに、ウィーン・フィルと1種、ベルリン・フィルとは、本盤を含め3種の録音が遺されている。

いずれ劣らぬ名演ではあるが、世評が高いのは、ウィーン・フィルとの録音ということになるであろう。

そして、ベルリン・フィルとの3種の録音の中では、ザルツブルク音楽祭での燃焼度の高いライヴ録音(1979年)にも後ろ髪を引かれる思いがするが、オーケストラの安定性という意味では、本盤の演奏を第一に採りたい。

カラヤン得意のレガートが程良い品の良さをたたえて全曲を支配しており、そのエレガントな優美さは、他のどの演奏よりも優れている。

ここでは、ベルリン・フィルの威力を見せつけようという押しつけがましさが微塵もなく、団員全員が、カラヤンの統率の下、音楽をする喜びを噛みしめているかのように楽しげだ。

他の2曲も、この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの絶頂期を窺い知ることができる名演。

カラヤンはベルリン・フィルの磨き抜かれた響きを生かして、それぞれの作品の個性と魅力をニュアンス美しく再現し、流麗で格調高い演奏を行っている。

ハイドンは、第101番や第104番の緩徐楽章で、弦楽器とフルートを同時に演奏させているが、フルートの音が鮮明に分離して聴こえるのは、カラヤン&ベルリン・フィルの素晴らしい功績と考える。

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2013年06月16日


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ケルテスは才能のある偉大な指揮者であった。

1973年のイスラエルでの海水浴中の悲劇の事故がなければ、当時43歳の若さであっただけに、その後の指揮者地図が大きく変わったであろうことは否定し得ない事実である。

本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第2番の演奏は1960年頃のスタジオ録音であり、ケルテスが未だ31歳という若き日の演奏だ。

それだけに、演奏に奥行きのある彫りの深さを求めることは困難ではあるが、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っており、まさに若武者ならではの爽快な演奏に仕上がっている。

そして、ケルテスが素晴らしいのは、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏には陥っておらず、どこをとっても瑞々しささえ感じさせるような豊かな情感が込められている点である。

これが、本演奏が気鋭の若手指揮者による演奏らしからぬ内容の濃さを有している所以であると言えるところであり、ケルテスが死の直前にバンベルク交響楽団の首席指揮者への就任が決定していたことも十分に理解できるところだ。

併録のハイドンの交響曲第45番も素晴らしい名演だ。

ハイドンの交響曲の演奏様式については、近年では現代楽器を使用した古楽器奏法や、ピリオド楽器を使用した、いわゆる小編成のオーケストラによる軽妙な演奏が主流となっている。

そのような中で、本演奏のような重厚にしてシンフォニックな演奏は稀少なものと言えるが、演奏の持つ力感や内容の濃さには尋常ならざるものがあり、その充実度は近年の演奏など本演奏の足元にも及ばないと言えるだろう。

何よりも凄いのは、このような偉大な演奏を1960年というケルテスが指揮者デビューした若干31歳という若き日に成し遂げたということであり、いかにケルテスが類稀なる才能を有した指揮者であったのかがわかろうというものである。

いずれにしても、本演奏は、若き日のケルテスによる素晴らしい名演であるとともに、軽佻浮薄な演奏が流布している現代においてこそその存在価値が大きい至高の名演と高く評価したい。

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2013年01月24日


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「古典派」に慎重な態度で取り組み始めたラトルの姿を伝える1枚。

ラトルとハイドンの交響曲との相性は抜群だ。

現在でもモーツァルトよりもハイドンのほうに適性を示すラトルだが、この録音からもその資質は如実にうかがえる。

数年前に発売された、ベルリン・フィルと組んで録音した第88〜92番も名演であったが、本盤も素晴らしい名演である。

ラトルは、ベルリン・フィルとの名演でもそうであったが、現代楽器に古楽器的な奏法をさせている。

そうすることによって、全体として非常にきびきびした軽快な装いを示すことになる。

その上で、ラトルは、極端とも言えるようなテンポの変化や音の強弱を付すことによって、かつてのハイドンの交響曲でも主流であった重厚な演奏とは一線を画し、非常にリズミカルな21世紀の新しいハイドン像を創造した点が素晴らしい。

古楽器奏法やピリオド楽器を活用したハイドンの交響曲の演奏ならば、近年ではいくらでもあるが、ラトルの演奏は、前述のように、テンポや強弱の変化に極端とも言えるような濃厚な味付けを施すことによって、学者の研究素材のレベルではなく、一流の芸術作品に高めている点が、他の指揮者とは大きく異なる長所だと考える。

本盤は、カップリングのセンスも見事。

途中にチューニングをし直す場面が入ったり(第60番)、終わったと見せかけては次に続いたり(第90番)、そんな突拍子もないユーモアを含む曲を取り上げているのがラトルらしいところ。

それぞれにユーモアの仕掛けのある交響曲を、演出豊かに描き出していく点は、若き日にも既に才能が全開であったラトルの前途洋々たる将来性を感じさせる。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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