シューベルト

2015年04月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1997〜99年、ロンドン、アムステルダム及びフランクフルトでのライヴ録音。

新世紀を迎える年に満70歳になったブレンデルの、初のライヴ録音によるシューベルト・ソナタの2枚組。

丁寧にレパートリーを選び、深い洞察と研究に基づく滋味豊かな名録音を数々残してきたブレンデルが初めてライヴで収録したシューベルトのソナタ集である。

シューベルトのソナタは、ブレンデルにとって特別思い入れのある作品であり、後期のソナタはすでに2回のスタジオ録音を行ったが、第9番は今回が初めての録音となる。

シューベルトの作品に注ぐブレンデルの厳しくも温かい眼差しと、作品の内部に深く立ち入る真摯な態度を感じさせ、1度聴けば忘れがたく耳に残る、決して聴き飽きることのない見事な演奏だ。

1970年代前半、そして80年代後半にブレンデルは同じようなソナタ集を出しており、今回のアルバムの中には3度目の録音(第20番と第21番)となるものさえある。

ソナタとはいえ、ベートーヴェン的な構築性とは異なり、“枠”や“しがらみ”から解放されたような奔放なまでの自適さや闊達さ、そして汲めども尽きぬ歌心に満ちた旋律線などシューベルト固有の世界が広がる。

ブレンデルの演奏はこの“宝の山”の価値を思い知らせてくれており、とりわけ第20番や第21番などは、清冽な音色(タッチ)と熟成した表現が瑞々しい。

聴き手を構えさせることなく、ごく自然に引き込み、深い思索と詩情に浸らせてくれるところなど、ブレンデル自身が到達し得た至高の芸域を痛感する演奏だ。

本盤は、そうしたブレンデルの実力がよくわかるCDで、最後の作品は内田光子の演奏に及ばない部分もあるものの、初期作や「幻想」ではブレンデルの実力が存分に発揮されており、シューベルトの心境がピアノの響きから手にとるようにわかる好演である。

「幻想ソナタ」(D.894)は、出だしの主題フレーズの柔らかい和音の響きを巧妙な色合いの変化で悠長に歌い上げている。

また第21番(D.960)では、全楽章にブレンデルの落ち着いた深い情感が漲っており、特に長大な第4楽章を弾ききる集中力、出だしの旋律の躍動感あるタッチはブレンデルならではの円熟の表情である。

これほど強弱をつけて、シューベルトの美しさを見事に歌い込めるピアニストは、ブレンデルだけであり、理詰めで音楽が分かっている凄い人である。

現役ピアニストのほとんどはテンポを不用意に動かして、例外なく自滅している。

本来シューベルトに強弱をつけることは自殺行為なのであるが、この人ほどシューベルトが分かっていると、このような離れ業が可能なのであろう。

明らかに“シューベルト弾き”は存在すると思うが、ショパンやシューマンを得意にするピアニストから比べると、その数はほんのわずかであり、“誰でも”というわけにはいかぬが、ブレンデルはその中でも筆頭格的存在だ。

あと現役ではカツァリスがいい演奏を聴かせるが、その方法は伝統的な枠をしっかり守ったもので、ブレンデルのシューベルトは常識を突き抜けて素晴らしく、尊敬に値する。

円熟の巨匠、ブレンデルの溢れる歌心がホールの聴衆を温かく包んだコンサートの雰囲気までもが伝わるライヴ・レコーティングである。

ブレンデルの演奏は、シューベルトの音楽を十ニ分に表現した本当に美しいものであるが、体調が良く、シューベルトと対峙する気構えのある時に聴く分はともかく、体力や気力の萎えているときはさすがに厳しくしんどいところがある。

しかし筆者にとって決して手放せないディスクであることだけは確かだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:46コメント(0)トラックバック(0) 

2015年04月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



リリー・クラウスが最も得意にしたのはモーツァルトであるが、最も彼女の個性を羽ばたかすことが出来たのは、シューベルト、それも即興曲においてであった。

モーツァルトを弾くにはある種の抑制が必要であり、クラウス自身、次のように語っている。

「モーツァルトの演奏を湖に例えれば、その湖底は激しく渦巻いていなければなりません。しかし、その表面は僅かに波立つ程度でなければいけないのです」。

しかしシューベルトはロマン派だからもっと自由に感情を吐露できるので、この即興曲において、クラウスは自分のすべてをぶちまけ、何の気がねもなく自分自身のあらゆる感情を出し尽くしている。

彼女は火のような情熱の持ち主であり、極めて多感な芸術家であるが、彼女としては抑制を大いに効かせた筈のモーツァルトでさえ、表情が強すぎる、という人も居るくらいだ。

ましてや、垣根がまったく取り払われたシューベルトでは、クラウスがあまりにも強い感情移入を果たしているため、表情が絶えず大きく、フォルティッシモのキメの粗さを見せる場面も無いではない。

醒めた眼で楽譜を眺め、それを卓越した技術でクールに音化することを良しとする現代の風潮に、クラウスのシューベルトは主観的でありすぎるかも知れない。

しかし、芸術というものは元来が自己主張であり、自分はこう思う、というものが強くあるからこそ人前で演奏するので、要はそれが感動的であるか否かの問題なのであって、自分の感情を殺しては芸術も何もありはしない。

もっとムラのないタッチで滑らかに弾かれた即興曲のディスクは他にもたくさんあるが、こんなに雄弁に語りかける、多彩な人間感情に満ちた演奏は決してあり得ない。

クラウスの表現の幅は実に広く、男性ピアニストをさえ凌ぐフォルティッシモの迫力、低音の充実と高音の燦くような輝き、音色の絶妙な変化、リズムの間の名人芸、痛切なアクセント、大きなクレッシェンドとデクレッシェンド。

そして、それらを駆使して表出されるのは、シューベルトが即興曲に托して歌い上げた人生のすべてである。

悲しい訴え、劇的な凄絶さ、優しい慰め、孤独感、迸る情熱、心からの祈り、それらがスケール雄大な造型と最高の音楽性の中に表われるのだ。

全8曲、すべてが名演の名に恥じないものばかりだが、わけても「作品90の2」はその比を見ない。

冒頭の波を打つような右手の音型からして、他のピアニストとはまるで違っており、何も特別なことをしていないのに音楽が泉のように溢れ、花のように香り、極めて自然に流れてゆく。

コーダの凄まじいアッチェレランドと終結の生きた間もクラウスならではの献身的な姿であり、まさに宝石のような一篇と絶賛したい。

「作品90の1」の壮大なバラードも見事で、大波の揺れるようなメロディの歌と、恐ろしい運命のリズムと、感じ切った心が忘れ難い。

また「作品90の4」の中間部で、左手の冒頭をまったくペダルを使わずに弾き始める大胆な表現にも息を呑む。

こんなに厳しい弾き方は他のピアニストには決してできないし、弱音の美しさを何にたとえよう。

クラウスは体全体、魂全体で嘆いていて、彼女の舞台姿が眼前に浮かぶような名録音と言えよう。

さらに「作品142の3」が絶品で、このヴァリエーションは最も高い意味における愉しみがあり、そこには愉悦の美音が氾濫し、哀しみの極みでさえもわれわれの心を慰めてくれる。

まさに音楽の行き着く至高の境地であろう。

クラウスは変奏の1つ1つを、お伽話のように語りかけ、最後、「お話はこれでお終い」というように全曲を閉じるのである。

「作品142の4」はクラウスの十八番で、多彩な音色と表現力を駆使した名人芸は、ついにこれ以上求め得ないギリギリのコーダとなって、驚くべき緊張の裡に終結する。

それは「作品90の2」のエンディングとともに、命を賭けて音楽と対決する真の芸術家でなければよく成し得ぬものと言えよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:46コメント(0)トラックバック(0) 

2015年03月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトは、歌曲の分野だけではなく、室内楽曲の分野においても数多くの作品を遺した。

かかる室内楽曲の中でも傑作とされるのは、弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」や弦楽五重奏曲などが掲げられると思うが、最も有名で親しみやすいのは、衆目の一致するところ本盤に収められたピアノ五重奏曲「ます」と言えるのではないだろうか。

そうした超有名曲であるだけに、古今東西の弦楽四重奏団が、有名ピアニストと組んでこぞって録音を行ってきているが、その中でも極上の美しさを誇っているのは、本盤に収められたスメタナ弦楽四重奏団による第1回目の録音であると考えられる。

スメタナ弦楽四重奏団にとって記念すべき第1回目の「ます」であるが、往年のファンにとってシューベルトの「ます」といえば、まず思い浮かべるのがこの録音であろう。

とにかく、往年のスメタナ弦楽四重奏団による演奏は、美しさの極みであると言える。

そして、スメタナ弦楽四重奏団の美演に見事に溶け込んでいるパネンカのピアノも負けず劣らず至純の美しさを誇っており、本演奏には、まさにピアノ五重奏曲を聴く真の醍醐味があると評価したい。

本演奏におけるアプローチにおいては、聴き手を驚かせるような特別な個性などはいささかも見られない。

曲想を精緻に丁寧に描き出していくというオーソドックスなものであるが、表面上の美しさを磨くだけにとどまることなく、どこをとってもコクがあり、豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。

「弦の国チェコの至宝」絶頂期のアンサンブルに、美しく溶け合うパネンカのピアノ、とめどなく溢れかえる歌に楽しさいっぱいのシューベルトと言えよう。

ピアノ五重奏曲「ます」の近年に成し遂げられた名演としては、ギレリス&アマデウスSQによる演奏(1975年)、ブレンデル&クリーヴランドSQによる演奏(1977年)、リヒテル&ボロディンSQによる演奏(1980年)、シフ&ハーゲンSQによる演奏(1983年)、田部京子&カルミナSQによる演奏(2008年)など、個性的な名演が目白押しではあるが、本盤のような情感豊かな美しい演奏を聴くと、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

そして、何よりも素晴らしいのは、XRCDによる極上の高音質録音であり、アナログ期の代表的演奏を最上の音質で復刻されている。

本盤は1960年の録音ではあるが、とても50年以上前の録音とは思えないような、そして弦楽器の弓使いまでが聴こえてくるような鮮明な高音質に生まれ変わったのは殆ど驚異的ですらある。

音質最重視で贅沢にも1曲のみの収録であるが、丁寧かつ最新のリマスタリングが、アナログに針を下ろしたときの当時の興奮と喜びをふたたび約束してくれることであろう。

いずれにしても、スメタナ弦楽四重奏団とパネンカによる極上の美演を、望み得る最高の音質で味わうことができる本XRCDの登場を大いに歓迎したい。

さて、問題は価格設定であるが、いくらXRCDの極上の高音質と言っても、9800円というのはいくらなんでも高すぎるのではあるまいか。

しかしながら、アマゾンでは、マーケットプレイスから低廉に購入することができるので、比較的入手しやすいと思う。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:27コメント(0)トラックバック(0) 

2015年03月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1993年6月14日 ベルリン、フィルハーモニーに於けるもので、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音から2週間後に行われたライヴ録音。

北ドイツ放送交響楽団の首席指揮者であったギュンター・ヴァントが`第2の手兵オケ`として鍛え上げたベルリン・ドイツ交響楽団とのライヴ演奏を収録したアルバム。

かつてベルリン・ドイツ響友の会の会員専用CDとして頒布されたことのある伝説的名演盤でもある。

演奏の性格は殆ど同じであり、あとは、オーケストラの音色とコンサートホールの音響だけの違いと言える。

ミュンヘン・フィルは、南ドイツならではのやや温かみのある柔和な音色が持ち味であるが、力量のある指揮者に恵まれた時のベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルに匹敵するような重心の低い深みのある音色を出す。

本盤の名演はその最たるものであり、これほどの次元の高い演奏になると、あとは好みの問題と言えるだろう。

本盤の数年前にヴァントは北ドイツ放送響と同曲をライヴ録音、数年後にベルリン・フィルと同曲をライヴ録音しているが、演奏の内容に(オーケストラの力量も含めて)差は殆ど見られないが、終楽章の充実感・爆発度はこの演奏が一番との声高い。

シューベルトの「第9」は、ベートーヴェンによって確立された交響曲の形式を、その後のブルックナーの交響曲を予見させるまでに昇華させた傑作交響曲であるが、ブルックナーを得意としたヴァントの「第9」は、まさに、ブルックナーの交響曲を思わせるような荘厳さを湛えている。

眼光紙背に徹したスコアリーディングをベースに、全体の厳しい造型を堅持し、重厚にして剛毅な演奏を行っている。

それでいて、第2楽章の中間部などの抒情も高踏的な美しさを保っており、剛柔のバランスのとれた至高の名演と高く評価したい。

熱心なヴァント・ファンからは「心身充実していた1990年代前半〜半ばの演奏こそヴァントの真髄がきける」「ベルリン・ドイツ放送響の力量は北ドイツ放送響以上。ベルリン・フィルはオケのプライド強すぎてヴァントの意図が100%徹底していない。ミュンヘン・フィルはチェリビダッケの影が付きまとう。今回のベルリン・ドイツ放送響が最高」とまで噂されていた垂涎のライヴ演奏である。

厳しく引き締まった造形美に打ち抜かれた崇高にして超弩級の演奏からは、ヴァントの芸風の真髄と「真打ち登場!」の手応えを実感されるに違いない。

録音も1993年のライヴ録音としてはきわめて優秀で、本盤の価値を高めることに大いに貢献している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:39コメント(0)トラックバック(0) 

2015年03月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ピアニストとして唯一“サー”の称号を与えられたクリフォード・カーゾン(1907〜82)は、イギリス出身でシュナーベルに師事、欧米で偉大なピアニストとして尊敬を集めた。

カーゾンはジョージ・セルが敬意を払ったただ1人のピアニストだけあって、技巧の誇張や表現の虚飾の微塵もない格調高い音楽を聴かせた。

磨かれた音の美しさとタッチの絶妙さと相俟って、(先生の)シュナーベルから学びとった造型とロジックが、しっかりとした骨格を与えている。

カーゾンには“シュナーベルのような”重厚で堅固なベートーヴェンやブラームスの演奏を期待させた。

だがカーゾンは、むしろシューベルトをひっそり弾くことに喜びを感じるようなピアニストであった。

こだわりの人ゆえに録音が少ないのだが、その希有なまでに気品あるピアニズムが聴けるのはありがたい。

両曲とも第1ヴァイオリンはボスコフスキーであるが、ウィーン・フィルの面々との相性もぴったりで、古き佳き時代のウィーンを偲ばせる、馥郁たるロマンを湛えた演奏で、優雅で風格ある演奏を聴かせてくれる。

まずは春のきらきらした光に包まれた《ます》が素敵で、清流のごときカーゾンのピアノと感興あふれるウィーンの弦が絡み合い、5月の森の生き物たちが生き生きと喜びを発しているかのようだ。

ともすればシューベルトを優美なリリシズムでロマン的に歌い過ぎる傾向のなくもないボスコフスキーらウィーンの演奏家たちに対して、カーゾンのピアノが、素朴と言っても過言ではないほどストレートに、シューベルト若き日の思いを落ち着いたテンポに乗せて展開する。

真ん中のスケルツォ楽章がきびきびと輝きにあふれたリズムが演奏に活力を加えるのも興味深いアンサンブルとなっている。

それを挟む第2楽章アンダンテ、第4楽章の《ます》の主題による変奏曲はきめ細かく歌い、カーゾンとボスコフスキーの妙技が楽しめる。

さらに両端楽章では華美を抑えぎみに若きシューベルトらしい素朴なリリシズムを浮かび上がらせる。

録音でもピアノを中心に弦が左右に配列されているが、ステレオ感の強調を避けて、全体のまとまりを重視した“渋い”仕上がり。

一方ドヴォルザーク円熟期の力作は、親しみやすい民族色と初々しい感情の輝きがあって、一篇の感傷詩集をひもとくような魅力があり、ドゥムカによる第2楽章など忘れられない美しさだ。

演奏もこぼれるような歌の心と豊かなリリシズムの息づかいにあふれ、しっとりとした情感と優美な歌が美しい。

カーゾンのピアノは作品の核心に肉薄していく力強さと底光りのする美しさがあり、まさに一家言をもつ大家の至芸と言えよう。

カーゾンの一見控えめだが様式的に隙のない知的なピアニズムを、やはり第1ヴァイオリンのボスコフスキー以下の弦が、ウィーン風のしなやかな奏法と響きで、心から尊重するかのように歌い奏し合う優雅なアンサンブルに、独自の風格を作り出している。

そして表情の移り変わりへの感受性豊かな対応、スケルツォ楽章は魔法のような色彩変化の連続だ。

ウィーン・フィルの首席メンバーのアンサンブルが演奏全体に甘美な憩いを添えた名盤であり、抗し難い吸引力で聴き手を虜にする。

各楽器の分離よりも響きのバランスを整えたロンドン/デッカ方式のこれは典型的録音の1つ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:44コメント(0)トラックバック(0) 

2015年02月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



卓越した構成力と驚異的な集中力、巨匠リヒテル壮年期の名盤。

発売当初から名盤として広く評価されてきたもので、この演奏を聴きながら、本物のリヒテルってどんな演奏なんだろう、と心を躍らせたものだった。

前へ前へと進むダイナミックな推進力にあふれたさすらい人幻想曲、シューベルトの音楽のロマンが美しく歌われてゆくピアノ・ソナタ第13番、いずれもリヒテルのピアノは聴き応えがある。

さすらい人幻想曲の名演についてはもう何も言う必要はなく、仏ACCディスク大賞受賞したもので、この曲の代表的な録音のひとつ。

シューベルトの名作2曲をリヒテルは卓越した構成力と驚異的な集中力で弾き切っている。

ともに緊迫感が漲り、スケール雄大な中にも豊かな情感を漂わせた名演で、録音以来40余年を経た今日でもベストに推される素晴らしい名盤である。

奥深いロマンティシズムに彩られたシューベルトだが、晩年の演奏より強い緊張感がある。

何よりも素晴らしいのは、壮年期のリヒテルの表現力の幅の広さであろう。

強靭な打鍵から、シューベルト特有の寂寥感溢れる繊細な抒情に至るまで、思い切った強弱や、テンポ設定の変化を駆使して、見事な演奏を成し遂げている。

これだけの様々な技巧を駆使しながらも、音楽がいささかも小さくはならず、スケールの雄大さを損なうことがないのは驚異的ですらある。

特に、ピアノソナタ第13番イ長調は、最晩年の傑作ピアノソナタである第20番と比較して、小イ長調と称されているが、リヒテルの第13番は、後年の第20番にも匹敵するようなスケール雄大な名演に仕上げている。

第13番には、内田光子や、古くはリリー・クラウスの名演もあるが、リヒテルの名演は、これらの名演にも十分に匹敵する深い内容を兼ね備えていると高く評価したい。

一番の魅力を感じたのは、ピアノ・ソナタ第13番の第2楽章のゆったりとした美しいメロディーが、リヒテルの澄んだピアノの音に乗って奏でられてゆくところの、どこまでも深く沈んでいく叙情感で、ファンタスティックな夢の風景のようなピアノの調べが、素敵である。

穏やかに微笑む第1楽章もいいし、最終楽章の柔らかなリズムと豪快さがまた素晴らしい。

次に印象に残ったのが、さすらい人幻想曲の終楽章のピアノで、躍動感みなぎる演奏に、リヒテル壮年期の活力があふれていて、聴いていてワクワクしてきた。

本盤の録音は1963年で、西側へ衝撃のデビューを果たし、欧米を席巻していた頃の録音。

つまり、リヒテルが鉄のカーテンの向こうから登場して間もない頃の録音であるが、当時の西側諸国がリヒテルから受けた衝撃の強さが、本盤を聴いているとよくわかる。

録音が古いために、従来盤では、リヒテルの透徹したタッチを鮮明に味わうことがやや困難な面があったが、HQCD化によって、相当程度、音質が鮮明になったのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:36コメント(0)トラックバック(0) 

2015年02月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



いずれも名演だ。

「エロイカ」は死の2年前、「未完成」は1年前の録音であり、モントゥーの最晩年の演奏ということになるが、気力が充実していて、老いを感じさせない。

全体としては音楽のスケールが大きく、懐が深く、やや速めのテンポの中に、絶妙なニュアンスや表現が込められている。

これは、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠だけが成し得る至芸と言うべきであり、その味わい深さは、他のどの演奏にも優るとも劣らない至高・至純の境地に達している。

「エロイカ」は、全体的にテンポが速いし、重々しくなるのを意識的に避けた感じがする。

むしろ、軽快ささえ感じさせるが、それでいて、随所に温かみのあるフレージングが支配しており、演奏全体に潤いを与えていることを忘れてはならない。

自在に変化するスフォルツァンドといい、強弱の妙といい、小気味よいリズムと心地よいテンポの揺らめきといい、モントゥーが指揮する至高の「エロイカ」である。

この演奏には力んだり、人を驚かすところは一切ないが、第1楽章での威風堂々たる風格、葬送行進曲の哀愁とそこはかとなく感じさせる滋味など、曲に合致したイデーも余すところなく表出しており、しかもオーケストラの演奏力、音色の美しさも万全である。

モントゥーのベートーヴェン演奏には、今ではあまり聴けない、旧き佳き時代のあたたかみがある(しかし、決して古臭くない)。

第1楽章の終結部のトランペットも楽譜どおりであるが、それでも弱々しさを感じさせないのは、この演奏が、威容と崇高さを湛えている証左であると考える。

終楽章のホルンの朗々たる吹奏は、他のどの演奏にも負けないぐらいの力強さであり、演奏全体の制度設計の巧さもさすがと言うべきであろう。

コンセルトヘボウ・アムステルダムの芳醇な響きと両翼配置の効果もあってか、重層的に書かれた副旋律が見事に絡み合い、構造が浮き彫りになっている演奏である。

ベートーヴェンが推敲に推敲を重ね、目指したであろう、ドラマと音響構造の両立がここまで昇華された演奏は他では聴けない。

「未完成」は、テンポ設定が緩急自在であり、その絶妙さは他のどの演奏よりも優れている。

第1楽章では、第1主題を速めに、第2主題をややゆったりとしたテンポ設定としているが、その効果は抜群で、いい意味でのメリハリの効いた名演奏に仕上がっている。

第2楽章は、全体としたゆったりとしたテンポで進行させ、白眉の名旋律を徹底して歌い抜いているのが素晴らしい。

これは、あたかも、モントゥーの輝かしい人生の最後のゴールを祝福するような趣きさえ感じさせて、実に感動的だ。

心して傾聴に値する名演、名録音である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:47コメント(0)トラックバック(0) 

2015年01月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ジャニーヌ・ヤンセンは今年で34歳になる若手女流ヴァイオリニストの旗手の1人とされる存在であり、ヴィヴァルディの四季やベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲など、超個性的でありながらも芸術性がしっかりと担保された圧倒的な名演を成し遂げるなど、着実に確固たるキャリアを積み重ねてきた。

そして、今般、ジャニーヌ・ヤンセンの類稀なる芸術性の高さを証明するとともに、おそらくはジャニーヌ・ヤンセンのこれまでのCD中の最高傑作とも評価し得る決定的な名盤が発売される運びとなった。

本盤に収録されているのは、シェーンベルクの浄められた夜とシューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調。

ジャニーヌ・ヤンセンが、「室内楽史上もっとも美しい2作品」と語る傑作だ。

この両曲の組み合わせは、もちろんジャニーヌ・ヤンセンの言うとおりなのであるが、それ以上にセンス抜群の意味深いものと言えるのではないだろうか。

シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調は、音楽史で言えば、前期ロマン派の作曲家に属するシューベルトの最高傑作の1つではあるが、最晩年の作品であるだけに、その後の作曲家の作品に繋がっていくような、当時としてはある種の革新性を有していたと言えるところだ。

そして、それは新ウィーン派の作曲家の旗手として、十二音技法を生み出したシェーンベルクの作品にも繋がっているとも言えるところであり、それ故にこそ、この両曲の組み合わせは意味深長なものと考えられるところである。

シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調の名演の1つとしてアルバン・ベルク弦楽四重奏団(第2チェロはハインリヒ・シフ)によるスタジオ録音(1982年)があるが、当該演奏は、同曲の美しい旋律を情感豊かに描き出す一方で、現代音楽にも繋がっていくようなある種の革新性も有していたが、本盤のジャニーヌ・ヤンセンによる演奏も、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による演奏とは異なったアプローチではあるが、シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調の持つ革新性を希求するとともに、その延長線上において、シェーンベルクの浄められた夜を捉えるという考え方においては通底していると言えるだろう。

それにしても、ジャニーヌ・ヤンセンとその仲間たちのアンサンブルによる演奏は素晴らしい。

ヴィヴァルディの四季の演奏も、同様のアンサンブルによる個性的な超名演であったが、本盤の演奏もそれに優るとも劣らない超個性的、そして芸術性の高い超名演を成し遂げていると言っても過言ではあるまい。

シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調の清澄な美しさを情感豊かに歌い抜くという基本的なアプローチは維持しつつも、随所にジャニーヌ・ヤンセンならではのスパイスの効いた個性的な解釈が施されており、それがいささかもあざとさを感じさせることなく、格調の高い芸術性への奉仕に繋がっているのが見事である。

そして、時として聴かれる切れ味鋭いリズム感は、前述のような現代音楽に繋がる革新性を感じさせるものとして、かのアルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏を彷彿とさせるものとも言えるだろう。

シェーンベルクの浄められた夜も、シューベルトの弦楽五重奏曲と同様のアプローチによる名演であり、単なる美しさのみならず、随所に聴かれる芸術性に裏打ちされた個性的な解釈は、同曲を聴き飽きたというクラシック音楽ファンにも清新さを感じさせるものと言える。

いずれにしても、本盤の両曲の演奏は、ジャニーヌ・ヤンセンの類稀なる芸術性と才能、そして今後の前途洋々たる将来性を感じさせる圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質もSHM−CD盤であることもあって、鮮明で十分に満足し得るものとなっていることも付記しておきたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0) 

2015年01月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトの即興曲集は、名旋律の宝庫である。

透明感溢れる清澄さをいささかも失うことなく、親しみやすい旋律が随所に散りばめられており、数々の傑作を遺したシューベルトの名作群の中でも、上位にランクされる傑作であると考える。

ルプーは、並みいる有名ピアニストの中でも、「千人に1人のリリシスト」とも評される美音家を自認しているだけに、このような即興曲集は、最も得意とする作品であり、ピアノの抒情詩人と言われたルプーの、代表的録音のひとつ。

即興曲は構成が不安定で、展開部が異常に長かったり、また無かったり、曲によっては変奏曲の形式をとるものもあるので、構築感を出すのが難しいと思われるが、ルプーの演奏は全体が1つの曲であるかのような見事な構築力であり、またこれほどまでに弱音をコントロールできるピアニストも珍しい。

正確にコントロールされたきらめくような粒立ちの美音に乗せて丁寧に歌われるシューベルトの調べにただ圧倒される。

弱音の美しさは言うに及ばず、フォルテも力強くしかも美しく響き、しかも決して軽くない。

繊細で濃やかなロマンが、全編を覆い、微細な陰影が、得も言われぬメランコリックな雰囲気とリリシズムを醸し出している。

晩年のシューベルトの曲に聴かれる死の影はここではその姿を潜めて、美しい自然の移り変わりを表現するかのような、さわやかな演奏である。

聴いていてあまりに自然に流れるので、テクニック面などどうでもよくなってくるが、聴き手にそうした思いを抱かせることこそ、最高のテクニックの持ち主であるという証左を示している。

この曲の代表的なCDとしてはリリー・クラウスと内田光子のものがよく知られているが、彼女たちの鮮やかな演奏に比べると、ルプーの演奏は少し系統が違う気がする。

全体に抑えたトーンで派手さでは劣るが、細かいコントラストや全曲を貫く優美さなどでは引けを取らないし、旋律を歌い上げる際の表現も見事。

デリケートさでは内田の方が上だろうが、神経質さが耳につく彼女の演奏と比べるとルプーにはそれが皆無。

我々聴き手が、ゆったりとした気持ちで安心して即興曲集を満喫することができるという意味では、オーソドックスな名演であると高く評価したい。

音質は、従来盤でも、英デッカの録音だけに透明感溢れる十分に満足し得る音質である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:51コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトの最後の3つのピアノ・ソナタは、ブルックナーの交響曲第7〜9番やマーラーの交響曲第9番などにも匹敵する至高の巨峰である。

31歳という若さでこの世と別れなければならなかったシューベルトの内面の深い死との葛藤や、生への妄執や憧憬が表れていると思うからだ(ブルックナーの交響曲については、神への崇高な畏敬などやや異なる面もあると思われるが)。

したがって、これら3曲を演奏する際には、演奏者側にも単なる技量ではなく、楽曲への深い洞察力と理解が求められると言えるだろう。

本盤のポリー二の演奏については、技量という意味においてはほとんど問題はない。

この作品をレコーディングするにあたり、ポリーニは、肉筆原稿(おそらく初版)にまで目を通した上で臨んでいる。

シューマンについてもそうだが、できるだけ作曲家の最初のインスピレーションを重要視していることがうかがえるところであり、単なる繰り返しと思いきや、微細な違いにも気を行き渡らせている。

他の作曲家の諸曲においてもそうであるが、研ぎ澄まされた技量や、透明感溢れる明晰なタッチによって、楽曲を一点の曇りもなくダイレクトに表現することにおいては、他のピアニストに比肩する者はいないのではないかと思う。

シューベルトのピアノ・ソナタはどれも演奏時間が長く、演奏の内容次第では途中で飽きてしまう可能性もあるが、ここに聴かれるポリー二の演奏は、弱〜中〜強音すべてが美しく、速いパッセージでも決して乱れることのないテクニックと相俟って、決して聴く者を飽きさせない。

また、決して中弛みしないいつもながらの集中力もさすがと言うべきで、構成の弱さを指摘されるシューベルトのピアノ・ソナタだが、ポリーニは一点の曇りもなく明晰に描き切っている。

しかし、シューベルトの後期3大ピアノ・ソナタの場合はそれだけでは不十分だ。

例えば第21番に目を向けると、第1楽章の低音のトリル。

ポリーニは楽譜に忠実に描いてはいるが、そこには深みとか凄みが全く感じられない。

例えば、内田光子やリヒテルなどの地底から響いてくるような不気味な弾き方と比較すると、浅薄さがあらわになってしまう。

終楽章の死神のワルツも、内田光子の後ろ髪を引かれるような弾き方に比べると、表層を取り繕っただけの底の浅さが明確だ。

本盤は、ポリーニの欠点が露呈しまった凡演であるが、本盤の録音されたのは今から約25年前。

彼がその後どれだけ成長したのか興味は尽きず、再録音を大いに望みたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:57コメント(2)トラックバック(0) 

2015年01月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



20世紀後半にドイツが生んだ最も美しい声のリリック・テノールとして活躍の絶頂期を迎えながら36歳という若さで事故のため他界したヴンダーリヒが、最も得意としていた作品である本作は、全曲に一貫して流れる叙情を、天性の美声で堪能できる1枚。

「美しき水車小屋の娘」は、「冬の旅」とともに、シューベルトの2大歌曲集であるが、「冬の旅」が、死に際しても安住できないという救われぬ苦悩や絶望を描いた深みのある作品であるのに対して、「美しき水車小屋の娘」は、青年の恋と挫折を描いたみずみずしいロマン溢れる作品であり、「冬の旅」と比較すると相当に親しみやすい作品と言えるだろう。

このように、青年を主人公とした楽曲や、親しみやすさと言った作品の性格を考慮すれば、音声についてはテノールで歌うのが最も適しているのではないかと考える。

「美しき水車小屋の娘」には、本盤の数年後の1971年に録音されたフィッシャー=ディースカウ&ムーアによる定評ある名盤もあるが、バリトンということがネックであるのとともに、フィッシャー=ディースカウのあまりの巧さ故の技巧臭が、いささかこの曲のみずみずしさを失ってしまっているのではないだろうか。

その意味では、本盤の録音後、36歳という若さでこの世を去った不世出のテノール歌手、ヴンダーリヒによる演奏こそ、歴史的な名演と評価するのに相応しいものと言えるだろう。

筆者としてはこの曲集をフリッツ・ヴンダーリヒのための曲だったと考えているが、それほどに曲と声との相性のよさを感じている。

テノールと言えば、イタリア・オペラで主役を張るような歌手の、輝かしく華やかな声を思い浮かべる人も多いかもしれない。

しかしドイツ生まれのヴンダーリヒの声はそうしたものとは違い、美しく伸びやかではありながら繊細でどこか危ういニュアンスを含んだリリカルなテノールであった。

この歌曲集の主人公はさすらいに出た若者が恋に落ち、恋破れて自殺する物語を語り過ぎないで、でも美声だけでなく物語りの流れも感じさせ見事に聴かせている。

そうした物悲しくも線の細い青年の姿が、ヴンダーリヒの歌唱を聴くと素直に脳裏に浮かんでくる。

どのナンバーをとっても決してムラがなく、みずみずしい抒情に満ち溢れており、この曲の魅力を存分に味わうことができるのが素晴らしい。

「美しき水車屋の娘」は多くの歌手が録音しているが、歌の美しさは未だにこの録音が最高で、こんな素晴らしいテノールは、残念なことにその後現れていない。

ピアノのギーゼンも、ヴンダーリヒの歌唱を見事に支えている。

併録の3つの歌曲も名演であり、こうした名演を聴くと、ヴンダーリヒの早すぎる死が大変残念でならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:52コメント(0)トラックバック(0) 

2015年01月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブレンデル絡みの室内楽曲2曲をカップリングしたディスクであるが、特にシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」は、録音当時新鋭のクリーヴランド四重奏団員とブレンデルの息が合った見事な名演である。

けれん味のない颯爽とした演奏が心地良く、シューベルトの清々しいロマンティシズムを余すことなく表出した演奏として高い評価を得たもので、「ます」の様々な演奏の中でも、トップの座を争う名演と高く評価したい。

成功の要因は、ブレンデルのピアノということになるであろう。

既に引退を表明したブレンデルは、シューベルトのピアノ曲を好んで採り上げたピアニストであったが、必ずしも常に名演を成し遂げてきたわけではない。

例えば、最後のピアノソナタ第21番など、他のライバル、例えば、内田光子やリヒテルなどの綺羅星のように輝く深みのある名演などに比べると、踏み込みの甘さが目立つ。

いつものように、いろいろと深く考えて演奏をしてはいるのであろうが、その深い思索が空回りしてしまっている。

やはり、シューベルトの天才性は理屈では推し量れないものがあるということなのではないだろうか。

しかし、本盤のブレンデルについては、そのような欠点をいささかも感じさせない。

それは、ブレンデルが、クリーヴランド四重奏団員の手前もあると思うが、いたずらにいろいろと考えすぎたりせず、楽しんで演奏しているからにほかならない。

シューベルトの室内楽曲の中でも、随一の明るさを持つ同曲だけに、このような楽天的なアプローチは大正解と言えるところであり、それ故に、本演奏が名演となるに至ったのだと思われる。

ウィーン人はシューベルトに対して独特の感覚(自分たちの音楽)を持つと言われているが、まさにこの演奏のブレンデルがそのことを証明しているようだ。

クリーヴランド四重奏団員も、ブレンデルのピアノと同様に、この極上のアンサンブルを心から楽しんでいる様子が窺えるのが素晴らしく、弦の響きが締まっていて、渋めだが、密度が高くて清潔感のある演奏だ。

ブレンデルのピアノと弦楽器が見事に調和した馥郁とした演奏に心を奪われる。

スケールが大きく、ダイナミズムと叙情のバランスがポイントで、息の長いブレンデルの歌い込みをクリーヴランドのメンバーがフレッシュな表情で支えている。

ノリに乗って、美しい音で爽快に進んでいき、聴き終えた後の感じも、まさに爽快そのものである。

一方モーツァルトは、ふんわりと包み込むように暖かい管楽器の響きが印象的で、特にゆったりとした第2楽章が美しい。

20世紀後半に活躍した名ピアニストの1人ブレンデルの風雪に耐えた名演として、また名曲「ます」のオーソドックスだがモダンで生き生きとした代表的名演として、お薦めする1枚である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:49コメント(3)トラックバック(0) 

2014年12月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたシューベルトの交響曲全集は、ベームのいくつか存在している様々な作曲家による交響曲全集の中でも、モーツァルトの交響曲全集と並ぶ最高傑作と言ってもいいのではないだろうか。

そして、シューベルトの交響曲全集については、現在に至るまで様々な指揮者が録音を行ってきたが、ベームによる本全集こそはそれらの中でトップの座に君臨する至高の名全集と高く評価したい。

ベームは、交響曲第8番「未完成」及び第9番「ザ・グレート」については、本盤の演奏以外にも複数の録音を遺しており、交響曲第8番「未完成」についてはウィーン・フィルとの演奏(1977年)、第9番「ザ・グレート」についてはウィーン・フィルとの演奏(1975年東京ライヴ録音)やシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏(1979年ライヴ録音)の方をより上位の名演に掲げたいが、本盤の演奏もそれらに肉薄する名演であり、本全集の価値を減ずることにはいささかもならないと考える。

なお、LPの全集では収録されていた劇音楽「ロザムンデ」からの抜粋が収められていないのはいささか残念であるという点は敢えて指摘しておきたい。

本盤の演奏におけるベームのアプローチは、例によって重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、その中で、ベームはオーケストラを存分に鳴らして濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

もっとも、ベームの演奏は必ずしも剛毅さ一辺倒ではなく、むしろ堅固な造型の中にも豊かな情感が満ち溢れており、いい意味での剛柔併せ持つバランスのとれた演奏と言えるだろう。

私見ではあるが、ベームによるシューベルトの演奏は、ウィーン風の抒情に満ち溢れた名演の数々を成し遂げたワルターによる演奏と、剛毅で古武士のような風格のあるクレンペラーの演奏を足して2で割ったような演奏様式と言えるのかもしれない。

そして、ベームのしっかりとした統率の下、素晴らしい名演奏を披露しているベルリン・フィルについても言及しておかないといけないだろう。

本演奏は、1963〜1971年のスタジオ録音であるが、この当時のベルリン・フィルは、終身の芸術監督カラヤンの下で、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れた重厚でなおかつ華麗な名演奏の数々を成し遂げるなど、徐々にカラヤン色に染まりつつあったところだ。

しかしながら、本演奏では、いささかもカラヤン色を感じさせることなく、ベームならではのドイツ風の重厚な音色で満たされている。

かかる点に、ベルリン・フィルの卓越した技量と柔軟性を大いに感じることが可能であり、本名全集に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、1960年代後半から1970年代初めのかけてのスタジオ録音であるが、従来盤でも十分に満足できるものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:55コメント(0)トラックバック(0) 

2014年10月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヴァントが、その最晩年にベルリン・フィルとともに成し遂げたブルックナーの一連の交響曲の演奏は、歴史的とも言うべき至高の超名演であった。

この黄金コンビによるブルックナー以外の作曲家による楽曲の演奏で、唯一録音が遺されているのが、本盤に収められたシューベルトの「未完成」と「ザ・グレイト」である。

いずれも、ブルックナーの各交響曲と同様に、素晴らしい至高の名演と高く評価したい。

なお、ヴァントは、ミュンヘン・フィルとともに、これら両曲の演奏を同時期に行っているが、オーケストラの音色に若干の違いがある以外は同格の名演と言えるところであり、両演奏の比較は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。

シューベルトの交響曲、とりわけ「未完成」と「ザ・グレイト」は演奏が難しい交響曲である。

その理由はいくつか考えられるが、シューベルトの音楽をどう捉えるのかについて未だに正解がない、確立した見解が存在しないということに起因しているのではないだろうか。

いずれにしても、シューベルトの「未完成」と「ザ・グレイト」は懐が深い交響曲と言えるのは間違いがないところだ。

私見であるが、これまでの様々な演奏に鑑みて、シューベルトをどう捉えるのかについての見解をおおざっぱに分けると、.Εーンの抒情的作曲家、↓,鵬辰─⊃誉犬亮簽豐兇篝篷彰兇鯢曾个靴紳膾邏焚函↓ベートーヴェンの後継者、ぅ屮襯奪ナーの先駆者の4つに分類できるのではないかと考えている(いくつかの要素を兼ね備えた演奏が存在しているということは言うまでもない)。

「未完成」や「ザ・グレイト」の演奏に限ってみると、,梁緝修魯錺襯拭次コロンビア交響楽団盤(1958年)、△梁緝修蓮◆嵬ご粟」しか録音がないが、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル盤(1978年(あるいは来日時の1977年盤))、の代表は、「ザ・グレイト」において顕著であるがフルトヴェングラー&ベルリン・フィル盤(1942年)であると考えており、い乏催するのが、まさしく本盤に収められたヴァント&ベルリン・フィル盤であると考える。

ヴァントのこれら両曲へのアプローチは、ブルックナーの交響曲に対して行ったのと基本的に同様のものだ。

眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングに基づく緻密で凝縮化された表現には凄みがあり、全体の造型はきわめて堅固なものだ。

したがって、ウィーン風の抒情的な表現にはいささか欠けるきらいがあり、前述のワルター盤の持つ美しさは望むべくもないが、シューベルトの音楽の心底にある人生の寂寥感や絶望感の描出にはいささかの不足はないと言えるのではないか。

特に、「未完成」の第1主題は、ワインガルトナーが地下の底からのようにと評したが、ヴァントの演奏は、特に中間部においてこの主題を低弦を軋むように演奏させ、シューベルトの心底にある寂寥感や絶望感をより一層強調させるかのような凄みのある表現をしているのが素晴らしい。

ヴァントは、2000年の来日時のコンサートにおいて「未完成」を演奏しており、とりわけ当該箇所の表現には心胆寒からしめるものが感じられたが、本盤においても、それとほぼ同等の表現を聴くことができるのはうれしい限りだ。

録音は、ブルックナーの一連の演奏とは異なり、いまだSACD化されていないが、音質はなかなかに鮮明であり、更にSHM−CD化によって若干の音質の向上効果が見られるのも大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



不世出の大歌手であったシュヴァルツコップは、様々な楽曲において持ち前の名唱を余すことなく披露したが、本盤に収められたシューベルトの歌曲集においても、見事な名唱を披露している。

それにしても、シュヴァルツコップは上手い。

いや、あまりにも上手過ぎるとも言えなくもないが、これだけシューベルトの歌曲の魅力を満喫させてくれれば文句は言えない。

そして、上手過ぎるとは言っても、技巧臭がいささかもしないのがシュヴァルツコップの凄さと言えるだろう。

随所において豊かな情感が込められているが、それでいてセンチメンタルになることはなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事である。

加えて、シューベルトの歌曲には、常に寂寥感のようなある種の独特の抒情に満ち溢れているのであるが、シュヴァルツコップはそれらの寂寥感溢れる抒情的な旋律における表情づけの巧さも特筆すべきものであり、シュヴァルツコップがいかにシューベルトの歌曲の神髄を捉えていたのかが理解できるところだ。

エドヴィン・フィッシャーのピアノ演奏も素晴らしいものであり、シュヴァルツコップの名唱にいささかも引けを取っていない。

当時、一世を風靡する存在であったエドヴィン・フィッシャーのピアノ演奏は、一聴すると淡々した演奏を展開しているように聴こえるが、よく聴くと、前述のようなシューベルトの音楽特有の寂寥感を有した旋律の数々を絶妙なニュアンスを持って弾いていると言えるところであり、噛めば噛むほどに味わいが出てくるスルメのような内容豊かな演奏と言えるだろう。

したがって、シューベルトの歌曲に相応しいピアノ演奏と言えるところであり、前述のようなシュヴァルツコップの名唱とも相俟って、珠玉の名演を成し遂げるに至っているものとして高く評価したい。

なお、当たり前のことではあるが、某レコード会社のフィッシャー=ディースカウのCDとは異なり、歌詞の対訳が付されているのも、最低限の上限を兼ね備えているものと評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:42コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトが作曲した数多くの室内楽曲の中での最高傑作としては、いろいろな考え方はあろうかとも思うが、一般的には、弦楽五重奏曲と本盤に収められた弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」が双璧と言うことになるのではないだろうか。

シューベルトには、ウィーンの抒情的作曲家としての側面があるのが事実ではあるが、一聴すると美しい旋律の中に人生への寂寥感や絶望感が込められている。

特に、晩年の作品において顕著であり、前述の両傑作も、表面的には美しい旋律に満ち溢れた楽曲ではあるが、その実は底知れぬ深みを感じさせる作品であるとも言えるだろう。

ただ、かつては、シューベルトを前述のようなウィーンの抒情的作曲家と捉えるという考え方が主流であったことから、「死と乙女」にしても、あまり深刻には陥らず、旋律の美しさに重点を置いた情感豊かな演奏が多かったと言える。

もちろん、「死と乙女」はそもそもかなり悲劇的な様相が強い楽曲だけに、従来型の演奏であっても、その悲劇的な魅力を聴き手に伝えることは十分に可能である。

本盤に収められた、ウィーン・フィルのトップ奏者によって構成されたウィーン弦楽四重奏団による演奏も、そうした従来型の演奏様式に則ったものであり、曲想を精緻に丁寧に描き出して行くというオーソドックスなアプローチを行っている。

したがって、後年に、同じくウィーン出身の奏者によって構成されたアルバン・ベルク弦楽四重奏団が同曲の名演を成し遂げているが、当該名演のように、楽曲の心眼に切り込んでいくような鋭さや凄みはいささかも感じられない。

それ故に、こうしたアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる凄みのある演奏に慣れた聴き手からすると、本演奏では物足りないと感じる聴き手もいるとは思われるが、「死と乙女」という傑作をゆったりとした気持ちで味わうことができるという意味においては、本演奏も素晴らしい名演と評価したい。

そして、本盤でさらに素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質録音だ。

各奏者の弓使いまで聴こえる鮮明さは、とても1973年の録音とは思えないほどであり、このような名演を望み得る最高の音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カルロス・クライバーは、その実力の割には極端にレパートリーの少ない指揮者として知られているが、本盤に収められているシューベルトの交響曲第8番「未完成」及び第3番については、その数少ないレパートリーの1つとして稀少な存在である。

ひとたびレパートリーとした楽曲については、クライバーは何度も演奏を繰り返したが、ベートーヴェンの交響曲第4番や第7番などと比較すると、シューベルトの交響曲については著しく演奏頻度が低く、その意味でも本盤の演奏は極めて貴重なものと言えるだろう。

それにしても、演奏は素晴らしい。

「未完成」について言えば、同曲のウィーン風の情感に満ち溢れた旋律の数々を歌い抜くワルターなどによる演奏が名演の主流を占めているが、クライバーによる演奏は、それとは異なる性格を有している。

テンポはやや速めであり、旋律も歌い抜くという感じではない。

むしろ、クライバーの颯爽とした華麗な指揮ぶりを彷彿とさせるような、スマートな演奏であるとも言える。

ここはもう少し情感豊かに歌って欲しいと思われる箇所についても、あっさりと通り過ぎてしまう。

したがって、一聴すると物足りなさを感じさせるとも言えなくもない。

しかしながら、よく聴くと、楽曲の細部にわたって驚くほどの細やかなニュアンスが込められていることがわかるところだ。

例えば、「未完成」の第1楽章においては、第1主題と第2主題のテンポを殆ど気づかれない程度に変えているということであり、これによって、第1楽章の明暗の対比を見事に表現するのに成功している。

また、第2楽章も、その様相は決して歌わない演奏ではあるが、各旋律の端々には独特の細やかな表情づけがなされており、書道家に例えて言えば、本演奏こそはまさに名人に一筆書きと言った趣きがあると言えるだろう。

交響曲第3番については、他に強力なライバル盤が存在しないことから、クライバーの独壇場。

クライバーの颯爽とした指揮ぶりも楽曲の性格に符号しているとも言えるところであり、同曲演奏史上最も生命力に満ち溢れた力感の込められた名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質については、数年前にSHM−CD盤が発売されるなど、高音質化への不断の努力が行われてきたが、ついに今般、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びとなった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クライバーによる至高の名演を、現在望みうる最高の高音質シングルレイヤーによるSACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:34コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



F=ディースカウが、自らの歌唱芸術の歩みを確かめる里程標として幾度となく<冬の旅>を採りあげ、また録音してきたことは周知の事実であろう。

かつて筆者が耳にしてきた9種の録音の中でも、名唱とされるのは、ステレオ初期のEMI盤、デムスとのグラモフォン盤、ムーアとの1970年代の録音(一般にはこれが決定盤とされる)、バレンボイムとの録音、と並ぶが、いずれもこの名歌手のそれぞれの時期の会心の歌唱が記録されているものとして評価が高い。

それが、つい先日購入した1955年プラド音楽祭でのライヴ盤を聴いて、この曲集からかつてなかったほどの深い感銘を受けたことをここに記しておきたい。

この名歌手がステレオ期に入ってから聴かせる洗練された完成度の高い表現とはだいぶ趣を異にする、ある種“生々しい”歌唱が当盤では聴けるのである。

第1曲「おやすみ」からすでに感じられることなのだが、この録音での歌唱は主情的というか、かなり詩の意味を劇的かつ直截に表現しているような感がある。

第7曲「川で」や第18曲「嵐の朝」、あるいは第22曲「勇気」といったあたりで聴かれるその雄弁な表現は、ほとんどオペラ的とさえ称していいようなレベルにまで達している。

これがステレオ期に入ってからは、より知的な客観性みたいなものがはっきりと出てきて、いかにもF=ディースカウらしい歌唱に変わってくるわけだが、その知的客観性なるものに筆者の場合はある種の“分別臭さ”みたいなものを感じてしまって純粋に感動できないのではないか、という気がするのである。

一方、第2曲「風見」や第8曲「かえりみ」のように、いくぶん肩に力が入りすぎているような印象を受けるものもあるし、若さの部分が逆に若気の至りに感じられてしまう曲もまたなきにしもあらずなのだが、筆者は当盤の歌唱を最も好む。

ここでは、まさに今赤い口を開いて疼いている“青春の生傷”が歌われていて、それが他の録音以上に深い感銘を筆者の胸に残すからである。

とある雑誌で「この歌手の<冬の旅>はステレオ時代からが聴きものだ」というような事を評論家たちが異口同音に述べているのを読んだことがあるが、筆者の意見はむしろ逆である。

確かに、上述のように表現の未熟さ等を指摘できる箇所がないわけではない。

しかしこれほどに熱いものが強く胸に残る<冬の旅>を、少なくとも筆者は他で経験した記憶がないのである。

フルトヴェングラー&フィルハーモニア管とのマーラーの<さすらう若者の歌>と同様に、この大歌手は若くしてすでに余人の及ばぬ世界を創造し始めていたということなのだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



メロス弦楽四重奏団は、1965年にシュトゥットガルト室内管弦楽団の首席奏者などによって結成されたドイツの団体である。

中心的なメンバーであった第1ヴァイオリンのヴィルヘルム・メルヒャーの死によって、2005年に惜しくも解散したが、ドイツの団体らしく重心の低い重厚な音色には定評があり、シューベルトの楽曲についても、弦楽四重奏曲も全集を完成させるなど得意のレパートリーとしていた。

もっとも、アルバン・ベルク弦楽四重奏団とは異なり、現代音楽は一切演奏しなかったことから、いかなる流行にも右顧左眄されることなく、ドイツ音楽の伝統に根差したオーソドックスな演奏を貫き通したという意味において、質実剛健な職人肌の名弦楽四重奏団であったとも言えるだろう。

本盤の演奏も、メロス弦楽四重奏団の面目躍如たる重厚なドイツ正統派の名演。

シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」を「天国的な長さ」と称して高く評価したのはシューマンであるが、本盤の演奏は、同曲の様々な団体による演奏の中でも、最も「天国的な長さ」を感じさせる名演奏と言えるだろう。

シューベルトが指定した反復のすべてを実行するなど、かのアルバン・ベルク弦楽四重奏団が47分程度をかけて同曲を演奏しているのに対して、57分程度もかけて演奏しており、演奏時間からしても天国的な長さを大いに感じさせてくれると言えるところだ。

前述のように、現代音楽は一切演奏しない団体であるだけあって、演奏は、前期ロマン派の作曲家であるシューベルトによる楽曲の範疇を逸脱しないオーソドックスなもの。

曲想を精緻かつ重厚に描き出していく演奏は、清澄な美しさに満ち溢れた同曲の魅力を最大限に引き出すのに大きく貢献していると言えるだろう。

同曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、最もお薦めできる名演と言えるところであり、アルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏の持つある種の現代的な革新性に抵抗感を覚えるクラシック音楽ファンには、最も受け容れられる演奏と思われるところだ。

ロストロポーヴィチのチェロ演奏は、後年のエマーソン弦楽四重奏団との演奏と同様に、いささか雄弁に過ぎるというきらいもないわけではないが、心を込め抜いた情感豊かな演奏には抗し難い魅力が満ち溢れていると言えるところであり、これだけ堪能させてくれれば文句は言えないのではないだろうか。

エマーソン弦楽四重奏団との演奏との優劣については高い次元での比較の問題であり、クラシック音楽ファンの好みの問題に帰するものと考えられる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:39コメント(0)トラックバック(0) 

2014年08月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」は、セル&クリーヴランド管弦楽団による2度目のスタジオ録音に相当する。

最初の録音は1957年のものであり、本演奏よりも13年前であることもあり、全体の引き締まった堅固な造型が印象的な硬派の演奏であった。

セルは、先輩格のライナーや、ほぼ同時期に活躍したオーマンディなどと同様に徹底したオーケストラトレーナーとして知られており、そうして鍛え抜いた全盛期のクリーヴランド管弦楽団は、「セルの楽器」とも称されるほどの鉄壁のアンサンブルを誇っていたところだ。

あらゆる楽器セクションがあたかも一つの楽器のように聴こえるという驚異的なアンサンブルは、聴き手に衝撃を与えるほどの精緻さを誇るという反面で、メカニックとも言うべき冷たさを感じさせることも否めない事実であった。

したがって、演奏としては名演の名に値する凄さを感じるものの、感動的かというとややコメントに窮するという演奏が多いというのも、セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏に共通する特色と言えなくもないところである。

もっとも、セルも1960年代後半になると、クリーヴランド管弦楽団の各団員に自由を与え、より柔軟性に富んだ味わい深い演奏を行うようになってきたところだ。

とりわけ、死の年である1970年代に録音されたドヴォルザークの交響曲第8番と本盤に収められたシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」には、そうした円熟のセルの味わい深い至芸を堪能することが可能な、素晴らしい名演に仕上がっていると言えるだろう。

本演奏においても、クリーヴランド管弦楽団の「セルの楽器」とも称される鉄壁のアンサンブルは健在であるが、1957年の旧盤の演奏とは異なり、各フレーズの端々からは豊かな情感に満ち溢れた独特の味わい深さが滲み出している。

これは、人生の辛酸を舐め尽くしてきた老巨匠だけが描出することが可能な崇高な至芸と言えるところであり、同曲において時折聴くことが可能な寂寥感に満ちた旋律の数々の清澄な美しさは、セルも最晩年に至って漸く到達した至高・至純の境地と言っても過言ではあるまい。

シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」の演奏は、どの指揮者にとっても難しいものと言えるが、セルによる本演奏は、演奏全体の造型の堅固さ、鉄壁のアンサンブル、そして演奏全体に漲っている情感の籠った味わい深さを兼ね備えた、同曲演奏の一つの理想像の具現化として、普遍的な価値を有する名演と評価してもいいのではないかとも考えられるところだ。

音質は、従来盤が今一つ冴えない音質で問題があり、リマスタリングを施してもさほどの改善が図られているとは言い難かった。

同時期の名演であるドヴォルザークの交響曲第8番については既にHQCD化が行われ、かなり満足できる音質に蘇ったのにもかかわらず、本演奏についてはHQCD化すら図られないのは実に不思議な気がしていたところだ。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、これまでの既発CDとは段違いの素晴らしさであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、セルによる至高の超名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わえることを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:41コメント(0)トラックバック(0) 

2014年07月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ワルターの十八番ウィーン・フィルとのハイドン、モーツァルト、シューベルトで、甘美でエレガントな味わいが力強く美しく再現(復刻)されていて、選曲も最高と言えよう。

「未完成」は、第1楽章の終結、最後の3つの和音がスタッカートで、終わりのさざ波がいかにも短く、ため息のように消えてゆく。

この部分にワルターの「未完成」の美しさは集約されているようだ。

はかない哀感、この一言に尽きる。

ワルターはかなりオーケストラの奏者に任せつつ全体を見透し、愁いにみちた甘美さでこの曲を描き上げた。

ウィーン・フィルの貴族的なニュアンスとともに、ここにはわれわれが心の中で典型とする「未完成」の姿がある。

「プラハ」は、ワルターの若々しさとウィーン・フィルの個性がミックスして、独特の魅力を生んだ録音だ。

特に、第1楽章の主部をこれほど速いテンポで指揮したのは他にはシューリヒトだけである。

第2楽章の身も世もなく歌う恍惚美と高貴な艶は、一種の虚無感と相俟って全曲の頂点となる。

天国的なモーツァルトの音楽とその演奏にふと浮かび上がる虚無の影や不安感、これこそワルターの「プラハ」の秘密と言えよう。

「奇蹟」は、魅力的な部分が多々あるにもかかわらず、全体として小味にすぎ、即興演奏風にすぎて、古典の格調を失ったハイドンである。

美しいのはメヌエットのトリオにおけるオーボエで、これほど間の良い、音色にも吹き方にもセンスのあふれた演奏は滅多に聴けないだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:04コメント(0)トラックバック(0) 

2014年07月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1990年10月18日に75歳で亡くなったボレットの唯一のシューベルト/ソナタ録音である。

世の中には不遇の扱いを受けて、廃盤となってしまう名盤も多いが、このボレットのシューベルトもそんな1枚であった。

それが、英デッカの廉価シリーズからあっさり復活してしまい、突然、安価で簡単に入手できるようにになった。

時々不思議さを感じてしまう。

この復刻する、しない、という線引きは、一体どのような経緯で決まるものなのだろうか?

とはいえ、本当に素晴らしいこのディスクが市場に再登場したことを心から歓迎したい。

ホルヘ・ボレット(Jorge Bolet 1914-1990)は1978年、64歳になって英デッカと契約し、その後の録音活動を通じてやっとファンに知られるようになった。

それ以前の経歴は少し変わっていて、生まれはキューバであるが、米陸軍に所属し、進駐軍の一員として日本に来ている。

ピアニストとしてのボレットは、リストの弟子であるモーリツ・ローゼンタール(Moriz Rosenthal 1862-1946)に師事しており、ボレットは「リストの直系の弟子」ということになる。

ボレットのピアニストとしての主だった活躍が晩年となった理由について、筆者が読んだ資料では「米国内で、批評家から芳しい評価を受けることがなかったため」とあった。

それが本当かどうか知らないが、この素晴らしいシューベルトを聴くと「批評家受けしない」ことなど、本当にどうでもいいことなのだと思う。

それでも、彼を発掘して録音活動にこぎつけた英デッカのスタッフには感謝したい。

ここに聴くボレットは、老練にして孤高の境地を示すかのような演奏であり、純粋無比の美しさが実に印象深いシューベルトである。

彼の演奏は率直そのもので、その痛切な響きは、表現が率直であればあるほど胸を打つ。

第20番はまず、冒頭の和音の素晴らしい響きでたちまち心を奪われる。

続いて、的確な間合い、風合いを保ちながら、呼吸するように和音を鳴らし、細やかな音階が輝く。

なんと結晶化した美麗な響きであろうか。

シューベルトの晩年のソナタに呼応するような、歌と哲学の邂逅を感じてしまう。

特にこの第1楽章は本当に素敵だ。

第2楽章は雪に凍った大地をゆっくりと踏みしめて歩くようであり、ややゆったりしたテンポだが、弛緩がなく、一つ一つの音が十分過ぎるほどの情感を湛えて響く。

本当に心の深いところから湧き出た音楽性が、鍵盤の上に表出しているのだと実感する。

この第1、2楽章が白眉だろう。

繊細なタッチにより、誇張のない表現でありながら、滋味豊かで心のこもったその演奏には、心を打たれる。

第14番も同様の見事な名演だ。

厳かな雰囲気を引き出した演奏内容で、全ての音に魂があるように聴こえてくる。

終楽章はスピーディーではないけれど、内省的なパワーを感じさせて、凛々しいサウンドで内容の濃い音楽になっている。

ボレットのシューベルトは決して入念に1音1音紡いでゆくというものではないが、楽譜の読み込みそのものは実に深い。

リストからは想像もできないほど浅く軽いタッチで、誇張のないデリケートなアゴーギクが表現に深いひだを印す。

感傷性を排したスケールの大きな演奏は前時代的にして壮大な「ロマン性」を伝えている。

ボレット亡き今となってはかなわぬことだが、ボレットの弾くシューベルトをもっと聴きたかったものだ。

あらためてこの不滅の名盤の復刻を大いに祝福したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0) 

2014年07月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



先般発売されたベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番「田園」(1947年及び1954年)に続く、RIAS音源のシングルレイヤーによるSACD化の第2弾の発売である。

今般は、シューベルトの交響曲第8番「未完成」及び第9番「ザ・グレイト」、そして、ブルックナーの交響曲第8番だ。

フルトヴェングラーによるシューベルトの交響曲第8番「未完成」の名演としてはウィーン・フィルとのスタジオ録音(1950年)が有名であり、EMIよりSACD盤が発売されたことから、現在までのところ随一の名演との地位を獲得していた。

他方、交響曲第9番「ザ・グレイト」の名演としては、戦前のベルリン・フィルとのライヴ録音(1942年)、そして戦後のベルリン・フィルとのスタジオ録音(1951年)がタイプが全く異なる名演の双璧とされ、とりわけ、後者については、ベルリン・フィルの団員がフルトヴェングラーと成し得た最高の名演との高評価をするほどの名演であった。

それ故に、本盤に収められた両曲のライヴ録音は、数年前にRIAS音源によるCD化が行われるまでは、音質の劣悪さもあって、一部の熱心なフルトヴェングラー愛好者以外には殆ど無視された存在であったが、RIAS音源によるCDが素晴らしい音質であったことから、俄然注目を浴びる存在となったことは記憶に新しい。

そして、今般のシングルレイヤーによるSACD化は、フルトヴェングラーによる両曲演奏の代表盤の一つとしての地位を獲得するのに大きく貢献することに繋がったと言っても過言ではあるまい。

交響曲第8番「未完成」については、1950年盤と同様に、濃密でロマンティシズムに満ち溢れた彫りの深い演奏であるが、ライヴ録音ということもあって、とりわけ第1楽章においては、ドラマティックな表現が聴かれるのがフルトヴェングラーらしい。

もちろん、そうした表現が、いわゆる「未完成」らしさをいささかも損なっておらず、むしろ、表現の濃密さは1950年盤以上であり、実演でこそ真価を発揮するフルトヴェングラーの指揮芸術の真骨頂が本演奏には存在していると言えるだろう。

交響曲第9番「ザ・グレイト」については、1951年盤の深遠な表現に、1942年盤が有していたドラマティックな表現を若干盛り込んだ、いい意味での剛柔のバランスがとれた名演と言えるのではないだろうか。

同曲の演奏は、筆者も常々論評しているように極めて難しいものがあるが、1942年盤のようにベートーヴェンの交響曲に続くものとして演奏するタイプ、1951年盤のようにブルックナーの交響曲の先達として演奏するタイプが両端にあると思われるが、本盤の演奏はその中間点を模索したものとして十分に説得力のある名演に仕上がっていると評価したい。

それにしても、本盤の音質はフルトヴェングラーのCDとしては極上の高音質と言ってもいいのではないだろうか。

とりわけ低弦の生々しいまでの重量感溢れる響きや、高弦の艶やかな響きは、既にSACD化されている音源を除いて、これまでのフルトヴェングラーのCDではなかなか聴くことが出来ないものであり、かかる高音質が本盤の価値を更に高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:59コメント(0)トラックバック(0) 

2014年06月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ユニバーサルが一昨年夏ごろからシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の発売を開始したが、それから約1年が経過して、日本コロムビアも同様にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤に踏み切った。

この価格が適正かどうかはともかくとして、EMIなども含め、昨年来の大手レコード会社によるSACD化への積極的な取組については大いに歓迎したい。

本盤に収められたシューベルトとシューマンのピアノ五重奏曲は、今をときめく弦楽四重奏団であるカルミナ弦楽四重奏団が田部京子を迎えてスイスにてスタジオ録音を行ったものであるが、両曲ともに素晴らしい名演と高く評価したい。

何よりも田部京子の気品溢れるピアノ演奏が素晴らしい。

ロマン派を代表するピアノ五重奏曲だけに、ロマンティシズム溢れる名旋律の宝庫でもある両曲であるが、田部京子は一音一音を蔑ろにせずに精緻に、そして情感豊かに曲想を描き出しているところだ。

ある意味ではオードドックスとも言えるアプローチであるが、田部京子の場合は、どこをとっても気品と優美さを失っていないのが見事である。

情感を込めるあまり全体の造型が弛緩したり、はたまた陳腐なロマンティシズムに拘泥するようなことは薬にしたくもなく、どこをとっても格調の高さを失っていないのが田部京子のピアノ演奏の最大の美質である。

カルミナ弦楽四重奏団は、現代を代表する弦楽四重奏団として、現代的でシャープな演奏を特徴としているが、本盤の演奏においては、そうした片鱗を感じさせはするものの、共演に田部京子も得て、この団体としてはオーソドックスなアプローチに徹しており、奥行きのある豊かな情感に満ち溢れた名演奏を展開しているとも言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤の演奏は、田部京子とカルミナ弦楽四重奏団の抜群の相性の良さが功を奏した素晴らしい名演として高く評価したい。

音質は、数年前にマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD盤が発売され、それは極上の高音質であった。

それに対して、本盤はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤であり、その比較は困難を極めるとも言える。

これほどのハイレベルの高音質になると、後は好みの問題とも言えるが、筆者としては、音質が若干シャープかつより鮮明になったという意味において、本盤のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の方をより上位に掲げたい。

いずれにしても、田部京子&カルミナ弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:54コメント(0)トラックバック(0) 

2014年06月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



素晴らしい名演だ。

ベートーヴェンやブラームス、ブルックナー、R・シュトラウスなどのドイツ音楽において、正統派とも言うべき名演の数々を遺しているケンペであるが、本盤に収められたシューベルトの交響曲第8番「未完成」やモーツァルトのセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、そしてビゼーの「アルルの女」組曲の演奏も素晴らしい。

シューベルトの交響曲第8番「未完成」のケンペによる本演奏は、かつてのワルターによる演奏のようなウィーン風の抒情に満ち溢れたものではない。

演奏全体の造型は堅固であるなど、重厚にして剛毅であり、まさにベートーヴェンの交響曲に接するようなアプローチで演奏を行っていると言えるだろう。

それでいて、第2楽章における美しい旋律の数々も情感を込めて歌い抜いており、必ずしも重厚さ一辺倒の演奏に陥っているわけではない。

このように懐の深さを兼ね備えた質実剛健さが持ち味の名演とも言えるところだ。

近年では、シューベルトの交響曲の演奏にも、徐々に古楽器奏法やピリオド楽器を使用した軽妙な演奏が浸透しつつあるが、本演奏を聴いて故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

モーツァルトのセレナードも素晴らしい。

モーツァルトに私淑し、その楽曲を生涯にわたってレパートリーの基軸に位置づけていたワルターやベームの演奏のような独特の魅力があるわけではない。

セレナードの演奏に必要不可欠とも思われる愉悦性においても必ずしも十分とは言い難いが、一聴すると無骨とも思われる各旋律の端々には豊かな情感が込められており、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏ではないだろうか。

そして、演奏全体の格調の高さには比類のないものがあると言えるところであり、まさに古武士のような風格に満ち溢れた名演と言っても過言ではあるまい。

ビゼーの「アルルの女」組曲は、ケンペとしては珍しいレパートリーの楽曲であるが、フランス系の指揮者の演奏に聴かれるようなフランス風のエスプリに満ち溢れた洒落た味わいなど薬にしたくもなく、むしろドイツ風の重厚さが際立ったシンフォニックな演奏である。

しかしながら、レーグナーによる演奏などと共通するものがあるが、演奏自体の充実度や密度の濃さにおいては出色のものがあり、聴き終えた後の充足感においては、フランス系の指揮者による数々の名演と比較してもいささかも遜色がないと言えるところだ。

いずれにしても、本演奏は、ケンペのレパートリーの広さと、その懐の深い芸風を感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、何と言ってもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化による極上の高音質である。

本演奏は、いずれも今から約50年も前の1960年代のものであるが、ほぼ最新録音に匹敵するような鮮明な高音質に生まれ変わった。

あらためて、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ケンぺ&バンベルク交響楽団による名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0) 

2014年06月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このCDの録音は、カーネギーホールでそれぞれ行われた、トスカニーニの最晩年の83歳と86歳の時の録音である。

いずれも80歳を超えた人の指揮ぶりとは全く思えないくらい、気迫に富んだ、乾坤一擲の力演を聴かせる。

「未完成」の方は、いつものトスカニーニ節が幾分なりを潜め、ナイーブで温かみのある印象がして、聴いていて何か救われる気がして、トスカニーニにもこういう一面もあるのだということが分かる。

しかし、その核心はトスカニーニらしい一本筋が入っており、結果としてトスカニーニしか成しえない「未完成」が形づくられる。

この演奏は数ある「未完成」の録音の中でも傑出した1枚には違いあるまい。

一方、「ザ・グレイト」はいつものトスカニーニ節炸裂といった感じで、全曲緊張感に包まれ、一分の隙もないような演奏を聴かせる。

これが86歳のときの指揮とは恐れ入るとしか言いようがない。

トスカニーニの指揮ぶりは、フルトヴェングラーとは正反対に、あらゆる場面を明確に、メリハリを効かせて演奏するのが特質だ。

そのためオーケストラに対しては、常に最高の技術力を求め、妥協は一切しなかったようだ。

この「ザ・グレイト」の録音は、そんなトスカニーニの指揮の特徴が集約されている。

このときまでにトスカニーニは何回も「ザ・グレイト」の指揮をしてきたはずだが、このCDの録音が凄いのは、初めてこの曲を指揮をするような緊張感が漂っていることだ。

トスカニーニが素晴らしいのは、現在の指揮者にも営々とその影響が引き継がれていることだ。

フルトヴェングラーは“神様”であっても、結果として一代で完結してしまった。

誰も“神様”の真似などはしないし、しようとしても出来ないのだ。

これに対しトスカニーニに指揮には、現代人の我々にも通じる何かが残されている。

例えば、フリッツ・ライナー、シャルル・ミュンシュ、ジョージ・セル、ゲオルク・ショルティなどにトスカニーニの遺産は引き継がれ、さらに、カラヤン、バーンスタインそして我らがマエストロ小澤征爾などにバトンタッチされている。

また、現在第一線で活躍するノリントン、ラトルらにも多かれ少なかれ影響を与えているのである。

ただ、残念なことにトスカニーニのCDは録音の質が良くないことだ。

オーケストラの音の響きの豊かさがまったくといっていいほど伝わってこないのだ。

だから、トスカニーニのCDは、トスカニーニに興味がある人か、指揮の特徴に興味がある人しか推薦できない。

フルトヴェングラーさえ豊かな音響をとらえた録音が残されているのにだ。

筆者は、トスカニーニに質のよい録音が残されていたら、現在においてもフルトヴェングラーの人気を凌駕していたのではとさえ思う。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:55コメント(0)トラックバック(0) 

2014年05月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたシューベルトの交響曲第9番「グレート」は、セル&クリーヴランド管弦楽団による2度にわたる同曲のスタジオ録音のうちの最初のものである。

全盛期のセル&クリーヴランド管弦楽団の演奏はそれは凄いものであった。

セルは、同じくハンガリー出身の先輩であるライナーや、ほぼ同世代のオーマンディなどとともに、自らのオーケストラを徹底して鍛え抜いた。

その結果、オーケストラ史上でも稀にみるような、あらゆる楽器セクションの音色が一つの楽器が奏でるように聴こえるという「セルの楽器」とも称される鉄壁のアンサンブルの構築に成功したところであり、セルは、まさに自らの楽器を用いて数々の演奏を行っていたのである。

そのアンサンブルの精緻さは、聴き手の度肝を抜くのに十分ではあったが、あまりの演奏の緻密さ故に、メカニックとも言うべきある種の冷たさを感じさせたのも否めない事実であり、名演の名には値するものの、感動という点からするといささかコメントに窮する演奏も多々存在したとも言えるところだ。

本盤の演奏も、全体の造型の堅固さ、そして一糸乱れぬアンサンブルを駆使した演奏の緻密さにおいては、同曲の他のいかなる演奏にも引けを取らないハイレベルに達しており、その意味では名演の名に十分に値するが、最晩年の1970年の演奏と比較すると、ゆとりというか、味わい深さにいささか欠けているのではないかとも思われるところである。

したがって、セルによる同曲の代表盤ということになれば、最晩年の1970年盤を掲げることにならざるを得ないが、いわゆるセルの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、本演奏を掲げるのにいささかも躊躇するものではない。

いずれにしても、本演奏は、今一つゆとりというか、鷹揚なところがあってもいいのではないかと思われるところもあるが、セル&クリーヴランド管弦楽団の全盛時代を代表する名演として高く評価したい。

他方、併録の劇音楽「ロザムンデ」からの抜粋については、1967年というセルの死の3年前の演奏ということもあり、交響曲第9番「グレート」よりも懐の深い演奏に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

セルも1960年代後半になると、クリーヴランド管弦楽団の各団員に自由を与え、より柔軟性に富んだ味わい深い演奏を行うようになってきたところであり、本演奏においてもそうしたセルの円熟の至芸を存分に味わうことが可能である。

各旋律の端々からは豊かな情感に満ち溢れた独特の味わい深さが滲み出していると言えるところであり、おそらくは同曲の演奏史上でも、ベーム&ベルリン・フィルによる名演とともにトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、録音年代が古いこともあって、従来盤は今一つ冴えないものであったが、Blu-spec-CD盤が発売され、これまでの従来盤のいささか劣悪な音質を一新するような十分に良好な音質に生まれ変わったところである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:57コメント(0)トラックバック(0) 

2014年04月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ハンス・ホッターの第1回目の『冬の旅』の伴奏でもよく知られるピアニスト、ミヒャエル・ラウハイゼン(1889-1984)は、戦前戦中のドイツでリート伴奏の名手としてたいへん大きな尊敬を集めていたピアニストである。

ドイツ国営放送の室内楽・声楽部門の責任者として辣腕をふるい、1940年からはヨーロッパのすべての歌曲を録音・放送するという大プロジェクトを計画、実行し始める。

ドイツの敗戦によって計画は頓挫したとはいえ、このプロジェクトの伴奏をほとんどひとりで担っていたのがラウハイゼンである。

まさに「ドイツのジェラルド・ムーア」とでもいうべき活躍をみせていたラウハイゼンであるが、その「唐草模様のように繊細かつ多彩」と賞されたその凝った表現は、明快さを主眼としたムーアとは異なり、これこそドイツ・リートの真髄とまで讃える声もあったほど。

当盤のピアノを受け持ったラウハイゼンはホッターにとっても特別なピアノ奏者だったようである(ラウハイゼンの芸術というかたちで録音集もあった)。

ハンス・ホッター(1909−2003年)による『冬の旅』の録音は以下の4種類が知られている。

ラウハイゼンとの当盤、ムーアと共演したEMI盤、ヴェルバとのDG盤、ドコウピルとの来日公演盤。

これらの中で個人的に、1990年代後半には1954年のムーアとの共演が特に気に入っていた。

そのCDはトラックタイムの合計が約75分4秒と表記されていた。

一方、当盤の初回録音は77分32秒との表記があった。

空白部分の違いや、SPからの復刻なので単純に比較はできないが、昔初めてこの音源を聴いた時は淀んだような流れに思えて、あまり感心しなかった。

今聴くとホッターの声が若々しいので幾分明るさを感じて救われる気がするが、それでも特に後半の曲は沈痛な空気に圧倒される。

同じく戦前の録音だったゲルハルト・ヒュッシュ盤とはテンポからしてかなり違う(声種も違うので演奏が違って当然)。

そうした違い云々より、約70年前の演奏、録音なので現代の演奏とは比べてもあまり意味が無く、戦時下にこれを歌い、録音されたこと自体が意義のあることだと思う。

同じ演奏者でもニューヨークやロスではこうした演奏にはならなかったのかもしれない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

不世出のワーグナー歌手ハンス・ホッターの《冬の旅》の録音は、1942年に始まって計4種あるが、レコードとして一番まとまっているのは2度目のこのムーアとのものかもしれない。

《冬の旅》こそ声楽家の到達点であるかのように、世に名演が溢れている。

ヒュッシュの全曲盤(1933年録音)は今なお現役盤であり、特にバリトン系の歌手には名演が多いというのも曲の性格だろう。

声域はテノールのために書かれ、中には第1稿は高すぎてあとで少し下げたりし、ハイ・バリトンが多い。

《冬の旅》に、人生を絶望し、孤絶の歌を聴こうとする人には、同じホッターでも1969年、東京文化会館小ホールでのライヴが薦められよう。

この演奏にはホッターの歩んできた人生が見えてくるような感動がある。

《冬の旅》の主人公は《美しき水車小屋の娘》の失恋の傷みに続く世界である。

まだ青年なのである。

しかしわれわれは《冬の旅》というと、何か老成した者の歌のような受け取り方をしがちであるが、この主人公は「霜置く頭」で、霜のために白髪になったと錯覚してよろこんだのも束の間、また元の黒い髪にかえったのを悲しむほどに若いのである。

ホッターの最後の録音は人生の諦観の中にあるが、1954年の録音はまだ青年の失意の中にある。

最初の録音での果てしないカンタービレには、晩年のホッターからは想像できないほどの甘い夢があるが、このムーアとの録音ではそれが是正され、シューベルトの端正な形が示されている。

1曲1曲、何と味わいが深いことか。

ロッテ・レーマンも女声ながら突きつめた劇的《冬の旅》を聴かせ、フィッシャー=ディースカウは解剖学的なまでに細分化したシューベルトを聴かせる。

それぞれの歌手がそれぞれの《冬の旅》を聴かせるが、この盤はその意味で最も普遍的なシューベルトを聴かせる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:53コメント(0)トラックバック(0) 

2014年04月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



歌曲集「白鳥の歌」は、同じく3大歌曲集の一角を占める歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」とは異なり、一連のストーリーが存在しているわけではない。

様々な内容の歌曲を、シューベルトの没後に一つの歌曲集に纏めたに過ぎないところであり、その意味では同歌曲集を構成する各歌曲の内容には脈略がないとも言えるだろう。

それ故に、歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」の演奏のように、演奏全体の構成力や表現力が問われるのではなく、むしろ個々の歌曲一つ一つをいかに的確に歌い上げていくのかが問われると言えるだろう。

したがって、このような同歌曲集の場合、力量のある歌手にとってはその実力を如何なく発揮し得るものと言えるところであり、フィッシャー=ディースカウはまさに水を得た魚のようにその実力を十二分に発揮することが可能と言えるところだ。

フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集を何度も繰り返し録音しているが、心身ともに最も充実していた1972年にジェラルド・ムーアとともに組んでスタジオ録音した本盤の演奏こそが、随一の名演と高く評価したい。

それどころか、同歌曲集の様々な歌手による演奏の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

それにしても、本演奏におけるフィッシャー=ディースカウの歌唱は、巧いという他はない。

フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしい。

これは、歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」において圧倒的な名演を成し遂げるとともに、シューベルトの歌曲を知り尽くしているからこそ可能であった名唱とも言えるところであり、まさに他の歌手を寄せ付けないような圧倒的な名唱と言っても過言ではあるまい。

ジェラルド・ムーアのピアノ演奏も、シューベルトによる寂寥感に満ち溢れた美しい旋律の数々を情感豊かに描き出しており、フィッシャー=ディースカウによる名唱をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質については、リマスタリングがなされるなど高音質化への不断の取組が行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現される極上の高音質や音場の幅広い臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0) 

2014年04月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、シューベルトの最晩年の傑作である歌曲集「冬の旅」が収められている。

歌曲集「冬の旅」は、恋に破れ、さすらいの旅に出た若者を歌った救いようもない絶望的な暗いストーリーを、シューベルトならではの寂寥感溢れる美しい旋律が散りばめられた24曲にも及ぶ歌曲で描き出した傑作である。

その内容の深さには尋常ならざるものがあると言えるところであり、シューベルトの他の作品で言えば、最後の3つのピアノ・ソナタ(第19番〜第21番)や弦楽五重奏曲ハ長調、交響曲第9番「ザ・グレート」などにも比肩する崇高さを湛えていると言えるだろう。

いずれにしても、同歌曲集は、歌曲の王と言われたシューベルトの膨大な数に及ぶ歌曲の中でも最高傑作であるだけでなく、あらゆる作曲家による歌曲の中でもトップの座に君臨する不朽の名作と言っても過言ではあるまい。

これだけの名作だけに、フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集を7度という途轍もない数の録音を行っているところだ。

その中で、随一の名演を1つ選ぶということであれば、筆者は躊躇なく、本盤に収められたジェラルド・ムーアとともに演奏を行ったスタジオ録音(1971年)を掲げたいと考える。

1971年と言えば、フィッシャー=ディースカウにとって心身ともに最も充実していた時期に相当するが、それだけに、本演奏においても圧倒的な名唱を披露している。

フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしい。

あたかも、フィッシャー=ディースカウが主人公である若者の化身となったような趣きさえ感じられるところであり、これだけ同歌曲集の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

もっとも、かかるフィッシャー=ディースカウによる歌唱は、歌曲集「美しき水車小屋の娘」では他の演奏の追随を許さない名演に仕上がっていたが、歌曲集「冬の旅」の場合は、その内容の奥行きのある深遠さに鑑みて、より楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みが欲しいとも言えるところだ。

したがって、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではないが、歌曲集「美しき水車小屋の娘」の場合のように、唯一無二の名演と評価するのは困難であることを指摘しておきたいと考える。

ジェラルド・ムーアのピアノ演奏についても同様のことが言えるところであり、シューベルトによる美しい旋律の数々を情感豊かに描き出してはいるが、今一歩表現に凄みというか彫りの深さが欲しいという気がしないでもないところだ。

もっとも、フィッシャー=ディースカウによる名唱の引き立て役としては十分にその任を果たしていると言えるだろう。

音質については、リマスタリングがなされるなど高音質化への不断の取り組みが行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤を遥かに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現される極上の高音質や音場の幅広い臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによる名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:57コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、シューベルトの若き日の傑作(シューベルトは31歳でこの世を去ったことから、若き日というのは生涯のことではなく創作期のことを指すことを指摘しておきたい)である歌曲集「美しき水車小屋の娘」が収められている。

同歌曲集は、主人公の青年が水車小屋の若き乙女に恋をするが、恋敵が登場するに及んで乙女の心が恋敵に移り、絶望のうちに小川に身投げをするという一連のストーリーを、シューベルトならではの瑞々しさを感じさせる美しい旋律が散りばめられた20曲にも及ぶ歌曲で描き出した傑作である。

シューベルトの若き日の感性が全体に漲った楽曲だけに、同歌曲集については、演奏の時期を選ぶと言えるのではないだろうか。

フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集を何度も繰り返し録音しているが、心身ともに最も充実していた1971年にジェラルド・ムーアとともに組んでスタジオ録音した本盤の演奏こそが、随一の名演と高く評価したい。

それどころか、同歌曲集の様々な歌手による演奏の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしい。

あたかも、フィッシャー=ディースカウが主人公である青年の化身となったような趣きさえ感じられるところであり、これだけ同歌曲集の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

ジェラルド・ムーアのピアノ演奏も、シューベルトの当歌曲集に特有の初々しく瑞々しい情感に満ち溢れた美しい旋律の数々を表現力豊かに描き出しており、フィッシャー=ディースカウによる名唱をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質については、リマスタリングがなされるなど高音質化への不断の取組が行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現される極上の高音質や音場の幅広い臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:23コメント(0)トラックバック(0) 

2014年04月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ショパンのピアノ名曲集やベートーヴェンのピアノ・ソナタ集、ラヴェルのピアノ曲全集、そして何よりも忘れ難いバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻の名演で名高いピアニスト、エル=バシャによる待望の新譜の登場だ。

曲目はシューベルトの即興曲集であるが、コンサートではたびたび採り上げてきた得意のレパートリーであるだけに、満を持してのスタジオ録音ということが言えるだろう。

同曲には、様々なピアニストによる多種多彩な名演が目白押しであるが、本盤のエル=バシャによる演奏は、その中でも最も美しい名演と言えるのではないだろうか。

「ベヒシュタインD−280」という使用しているピアノによるところも大きいとは思うが、それ以上に、エル=バシャによるアプローチが素晴らしい。

スコアに記された音符を一音たりとも蔑ろにしない精緻な演奏を基軸としているが、いわゆる人工的な技巧臭とはおよそ無縁の演奏であり、どこをとっても楽曲の美しさだけが描出されているのが見事である。

もちろん、エル=バシャによる演奏が、表面上の美しさだけを追求したものでないことは言うまでもない。

シューベルトのピアノ曲は、親しみやすい旋律には満たされているものの、どこをとっても独特の寂寥感が満ち満ちている。

したがって、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの演奏では、楽曲の美しさを表現することができても、シューベルトが同曲に込めた意味合いや楽曲の真の魅力を描出することは不可能であると思われるところだ。

スコアに記された音符の行間に込められた楽曲の心眼にまで徹底して目を行き届かせた演奏をすることが必要不可欠となってくるが、エル=バシャによる本演奏は、かかる点においても何ら問題はなく、各旋律における表現の彫りの深さにおいてもいささかも不足はないと言えるだろう。

その意味においては、エル=バシャによる本演奏は、美しい中にも内実をともなったものと言えるところであり、まさにシューベルトのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも評価し得るものと言える。

前述のように、同曲には海千山千のピアニストによって多種多彩な名演が成し遂げられているが、エル=バシャによる本演奏は、それらの名演と比較しても十分に存在価値のある偉大な名演と言えるのではないかと考えられるところだ。

いずれにしても、本演奏は、エル=バシャが、その実力を余すことなく発揮した素晴らしい名演と高く評価したい。

音質も素晴らしいの一言。

エル=バシャによる美しさの極みとも言うべきピアノタッチが鮮明に再現されるのはSACDならではのものであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

このようなエル=バシャによる素晴らしい名演をSACDによる超高音質で堪能できることを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:13コメント(0)トラックバック(0) 

2014年04月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これまでの既発CDとは一線を画する素晴らしい高音質SACDの登場だ。

本盤に収められた楽曲は、いずれも1950年代の録音であり、マスターテープの状態にもかなり恵まれていると言えるのかもしれない。

冒頭の「ロザムンデ」は、従来のCDだと、音が団子状態になったり、音場が狭いことともあり、それほどの名演とは思っていなかったが、今般のSACD化によって、フルトヴェングラーの濃密でロマンティシズムに満ち溢れた彫りの深い音楽を構築していることが鮮明に再現され、情感豊かかつ雄渾な超名演であることがよくわかった。

ホルンは残念ながら古めかしい音がするものの、木管楽器や高弦のつややかな響きや低弦の厚みのある響きなどは、この当時の録音としては驚異的な高音質だ。

「未完成」は、冒頭をはじめ、中間部や終結部において提示される低弦による第1主題が、最新録音のようにはいかないものの、相当程度深みのある音質に蘇っており、これまでのCDとは次元の異なる素晴らしい高音質である。

ワインガルトナーは、この主題を指して、地下の底からのようにと評したが、本盤のフルトヴェングラーの演奏を聴いていると、あたかも地下の底から響いてくるような、底知れぬ不気味さを感じさせる。

高弦や木管楽器の響きは美しさの極みであり、ホルンも「ロザムンデ」ほどの古めかしさは感じさせず、フルトヴェングラーの深みのある情感豊かな名演を心行くまで満喫させてくれるのが素晴らしい。

シューマンの「マンフレッド」序曲は、1949年のライヴ録音(DG)の方が世評は高いが、今般の高音質化によって、フルトヴェングラーの濃厚にして彫りの深い表現を鮮明な音質で味わうことが可能となったことにより、筆者としては、ドラマティックさにおいては1949年盤には一歩譲るものの、両者同格の雄渾な名演と評価してもいいのではないかと考える。

リストの「前奏曲」は、おそらくは同曲史上最高の名演。

後年には、カラヤンも、本盤に唯一匹敵する素晴らしい名演を成し遂げているが、カラヤンが圧倒的な音のドラマを構築したのに対して、フルトヴェングラーは徹底した内容重視。

同曲の全ての音符が、あたかも生き物のように躍動しているかのようなコクのある音楽は、作曲者リストが同曲に込めた内容以上のものを紡ぎだした、至高・至純の高みに達している。

このような超名演を、現在望む得る最高の鮮明な高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:01コメント(0)トラックバック(0) 

2014年04月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



残した業績の数でも、それを行ってきた歳月の点でも比類のないその経歴の中で、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウは、シューベルトの《冬の旅》をあらゆる主要なコンサート会場で歌い、また録音も7回を数えた。

この録音は、彼の声が「美しさと表現力のピークにあった」と言われた1965年に行われた3度目のものである。

今回がCDとして初めての発売になる当演奏は39歳の時にベルリンのUfaスタジオで録音された(フィッシャー=ディースカウが日本を初めて訪れたのはこの2年前である)。

ここでフィッシャー=ディースカウは言葉を大切に、曲ごとの内容に即した表情付けをその豊かな声を駆使しつつ、かつ十二分に縦横にコントロールした、ごく自然な流れの中で望みを失った若者の孤独で寒々とした姿が歌われている。

彼は幅広い声域と豊麗な声、完璧なまでのテクニックをもち、独自の至高の世界を創り上げている。

時折厳しい表情も見せるが、全24曲聴き終わった後、私たちは何よりもこの若者の心を包み込むような暖かさに心満たされるのである。

と同時にこの24曲から成る歌曲集が秘める汲めども汲めども尽きることのない魅力を私たちは改めて知るのである。

イェルク・デムスの淡々とした上品な味わいと詩的な感性に溢れる伴奏に支えられたこの演奏を、数ある《冬の旅》の録音の中でも最高のものと考える人々も多い。

デムスとフィッシャー=ディースカウは互いを研鑽し合う仲だったようで、デムスの品の良い解釈が、頭脳プレイに陥りがちなフィッシャー=ディースカウをも納得させたのであろう。

筆者としては、フィッシャー=ディースカウの7つの当歌曲集の録音を所有しているが、録音した年、伴奏ピアニストを考慮に入れて、あとは聴く時の気分や好みに合わせて選ぶことにしている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:05コメント(0)トラックバック(0) 

2014年03月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ザンデルリンクのディスコグラフィは、実演でのレパートリーに較べるとだいぶ少なめなものとなっており、シューベルトの「ザ・グレート」とハイドンの交響曲第39番という2つの作品もレコーディングがおこなわれていないため、今回、ライヴ音源がリリースされたのは非常に歓迎されるところである。

巨匠ザンデルリンクに「ザ・グレート」のディスクがなかったこと自体驚きだったが、ついに名人集団スウェーデン放送響との名演が発見された。

とても初出レパートリーとは思えぬほど、どこまでも自然体で、柔らかな響きを保ち、ホルンを朗々と吹かすところなど、こうでなくては! と感じさせる。

全体の運びはザンデルリンクならではの重厚長大スタイルながら、情感が非常に豊かでニュアンスに富んでいる。

また、エネルギッシュにオーケストラをドライヴする姿が目に浮かぶようであり、これぞスケール極大の大演奏で、「ビッグではなく、グレートなのだ」と主張しているかのようだ。

スウェーデン放送響の「ザ・グレート」としては、1994年収録の当ザンデルリンク盤と、1990年に同じベルワルド・ホールで収録されたスヴェトラーノフによる「ザ・グレート」があり、両者の比較も興味の尽きないところだ。

ハイドンの交響曲第39番は曲も演奏も気に入った。

正直言って初めてこの曲をまともに聴いたのだが、ザンデルリンクがかつてハイドンの交響曲に集中していた時代にLPでその何枚かを聴いて、この指揮者のハイドンへの並々ならぬ腕前に感心していた事もあって、それを懐かしく思い出した。

ザンデルリンクはしばしばハイドンをコンサートの前プロに置くことが多かったのだが、この第39番は特に彼が愛奏した素晴らしい作品である。

オーケストラの合奏能力は超一流というわけではなくライヴ故に余計アンサンブルも怪しい処もあるのだが、通奏低音としてのハープシコードがとても効果的である。

ハイドンの「短調疾風怒濤期」からの交響曲である第39番の第1楽章からの「処理」は中々聴かせるものがあり、第3楽章のメヌエット等も魅力的で、流石「交響曲の父」と呼ばれるだけの名演を繰り広げている。

音質は1990年代のライヴ録音だけに、鮮明で素晴らしいものであると高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:48コメント(0)トラックバック(0) 

2014年03月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2007年のヴッパータール響の初日本公演時にモーツァルトのピアノ協奏曲を弾き振りし、そのあまりに表情豊かな演奏で観客を驚かせた上岡が、満を持して発表するピアノ・ソロ・アルバム。

ヴッパータール交響楽団との数々の名演で、今や時の指揮者となっている上岡であるが、何と、ピアノ独奏曲を録音したのは大変な驚きである。

しかも、曲目が、内容の深さで知られるシューベルトのピアノソナタ第21番とはさらに驚いた。

このような深みのある楽曲を、自らのピアニストとしてのデビュー曲に選ぶとは、上岡としてもよほど自信があるのだろう。

同曲は、その内容の深さとともに、その後のブルックナーや、さらには新ウィーン楽派に繋がっていくような斬新な響きに満ち溢れているが、カップリング曲として、アルバン・ベルクのピアノ・ソナタを選択した点にも、上岡の同曲への深い理解を感じさせる。

演奏は、ゆったりとしたテンポによる思い入れたっぷりのものであり、これは、上岡が、ヴッパータール交響楽団とともに演奏した数々の交響曲などと共通するアプローチと言える。

第3楽章などでは若干の明るさ、軽快さも感じさせるが、全体としては、暗い音調が支配しており、同曲をここまで深刻に演奏した例は、これまでもなかったのではあるまいか。

したがって、同曲に、ウィーン風の典雅さを期待する聴き手には、相当な批判もされようが、シューベルトの最晩年の心の深層を抉り出すという厳しいアプローチは、同曲の真の魅力を引き出そうという真摯な姿勢として、高く評価すべきものと考える。

録音は、マルチチャンネル付きのSACDであるが、上岡による暗い音調もあって、イマイチ効果を発揮していないと感じた。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:48コメント(0)トラックバック(0) 

2014年02月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ベートーヴェン、シューマン、マーラーなどの交響曲全集で好評を博しているジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が、ついにシューベルトの交響曲全集の録音を開始した。

先日発売されたブラームスの交響曲全集については、短期間で、しかもライヴ録音で完成させたのに対して、今般のシューベルトの交響曲全集は、2年の歳月をかけてスタジオ録音されるとのことであり、これはジンマンがいかにシューベルトを特別視するとともに、深く愛着を抱いているかの証左であると言えるだろう。

いずれにしても、全集の完成が無事に終了することをこの場を借りて心から祈念しておきたい。

本盤は、当該全集の第1弾であり、交響曲第7(8)番「未完成」を軸として、ヴァイオリンと管弦楽のための作品集という組み合わせ。

ジンマンは、シューベルトを心から愛するとともに、初めて購入したスコアが「未完成」であったとのことであり、本演奏のスタジオ録音に際しては、並々ならない覚悟で臨んだものと拝察されるところだ。

ジンマンのことであり、「未完成」については第3楽章以降の補筆版、あるいはシューベルト自身が書き残した冒頭の数小節だけでも録音するのではないかとの期待もしていたところであるが、見事に肩透かしを喰わされたところである。

しかしながら、演奏自体はジンマンの個性が全開の強烈無比な演奏だ。

これまでのシューベルトの演奏とは一味もふた味も異なるため、好き嫌いが大きく分かれる演奏と言えるのかもしれない。

特に、第1楽章の無慈悲なまでの峻烈な演奏は凄まじさの限りであり、同曲の流れるような美しい旋律の数々をことごとく歌わせないなど、その徹底ぶりには戦慄を覚えるほどである。

これに対して、第2楽章は、テンポこそやや速めであるが、第1楽章とは対照的に、シューベルトならではの名旋律の数々を情感豊かに歌わせているのが特徴である。

時として、第1楽章と同様の無慈悲な表現も垣間見られるが、それだけに、旋律を情感豊かに歌わせている箇所が際立つとともに、その美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ジンマンの演奏は、いわゆる現代楽器を使用した古楽器奏法、ピリオド演奏を旨としており、「未完成」においては、果たしてうまくフィットするのか若干の不安を抱いていたところである。

しかしながら、ジンマンの前述のようなアプローチの巧みさも相俟って、聴き手によっては拒否反応を示す人がいても何らの不思議はないが、筆者としては、同曲の新たな魅力を十分に堪能することが可能であった。

ジンマンのピリオド演奏によるアプローチが、多くの指揮者によって演奏されてきた「未完成」にある種の清新さを加えるのに成功しているとさえ言えるだろう。

とりわけ、第2楽章における前述のような情感の豊かさは、ピリオド演奏にありがちな無味乾燥な演奏に陥ることを避けるのに大きく貢献している。

いずれにしても、本演奏は、手垢に汚れていた「未完成」を洗い流したような清新さを持った素晴らしい名演と高く評価したい。

併録のヴァイオリンと管弦楽のための作品集も、「未完成」と同様のピリオド演奏であるが、旋律の歌わせ方の情感の豊かさにも出色のものがあり、ジンマンと、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の第1コンサートマスターであるアンドレアス・ヤンケの抜群の相性の良さが生み出した珠玉の名演奏に仕上がっていると評価したい。

今後、本全集は第4弾まで続くことが決定しているが、今後の続編にも大いに期待したい。

音質は、2011年のスタジオ録音だけに、本従来CD盤でも十分に満足できるものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:10コメント(0)トラックバック(0) 

2014年01月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトは、交響曲などのオーケストラ曲のジャンルにも傑作を遺しているが、どちらかと言えば、歌曲やピアノ曲、室内楽曲の方により傑作が多いと言えるのではないか。

このうち、歌曲についてはここで言及するまでもないが、ピアノ曲についても、ピアノ・ソナタを軸として即興曲や楽興の時など膨大な作品を遺している。

ピアノ・ソナタについては、ベートーヴェンの32曲にもわたるピアノ・ソナタがあまりにも偉大であるため、それに続く独墺系の作曲家はかかるベートーヴェンの作品を意識したせいか、シューマンやブラームスなど、ピアノ・ソナタについてはわずかの作品しか遺していない。

その例外がシューベルトであるが、シューベルトのピアノ・ソナタは、ベートーヴェンのそれとはまるで異なった独特の性格を有している。

シューベルトのピアノ・ソナタには、ベートーヴェンのピアノ・ソナタのいくつかの諸曲において顕著な苦悩から歓喜へと言った人生の闘争のようなドラマティックな要素など全くない。

それどころか、各楽曲における旋律は、ウィーン風の抒情に満ち溢れた美しさが支配している。

もっとも、一聴するとそうしたウィーン風の抒情に彩られた各旋律の端々には、人生への寂寥感や絶望感などが込められている。

とりわけ、最晩年の3曲のピアノ・ソナタ(第19〜21番)については、そうした人生への寂寥感や絶望感がさらに深く刻み込まれており、その内容の奥行きの深さ、深遠さにおいては、ベートーヴェンの最晩年の3つのソナタ(第30〜31番)やブルックナーの後期の交響曲(第7〜9番)にも比肩し得る崇高さを湛えている。

もちろん、これらの3曲のピアノ・ソナタにおいても、その表層は前述のようなウィーン風の抒情に彩られた美しい旋律が満ち溢れており、スコアの音符を精緻に音化しただけでもそれなりに美しい演奏になるが、そのような演奏では、これらの楽曲に込められた奥深い内容を描出することは不可能である。

その意味では、内田光子による楽曲の内容の精神的な深みを徹底して追求するというアプローチは本演奏でも見事に功を奏しており、本盤に収められたシューベルトのピアノ・ソナタのうち第15番以降の諸曲や、2つの即興曲集、そして3つの小品については、これらの各楽曲の様々なピアニストによる演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

とりわけ、最晩年の3曲のソナタの深みは尋常ならざるものがあり、本演奏を聴く際には相当の心構えがないと聴き通すこと自体が困難な峻厳さを湛えている。

他方、ピアノ・ソナタの中でも第14番以前の諸曲、そして楽興の時や6つのドイツ舞曲については、もちろん名演の名には値する立派な演奏であるが、いささか演奏自体が若干重々しくなってしまったきらいがあり、内田光子のアプローチには必ずしも符号しているとは言い難い作品なのかもしれない。

いずれにしても、本作品集全体としては、極めて優れた名演集と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:04コメント(0)トラックバック(0) 

2014年01月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「『ザ・グレイト』は音楽の頂点を極めた楽曲の1つです」ラトル自身がそう語り、この曲との長い歴史を持つベルリン・フィルとともに取り組んだ、ラトル初のシューベルト録音。

ここでのラトルのアプローチには、かのフルトヴェングラーと相通ずるものを感じる。

とはいえ、音楽作品あるいは音楽演奏もまた文化であり、文化とは時代の空気を敏感に読み取って文化それ自体のなかに投影する性質を有するものであるからには、演奏スタイルにかつての巨匠の面影を求めることなど不可能なことは、歴史の証明するように、自明の理であろう。

ラトルとフルトヴェングラーに通ずるのは「アプローチの方法論」に過ぎないのだから。

そもそもシューベルトその人もまた世代が異なるとはいえ、ベートーヴェンと同じ時代に同じ街の空のもとで音楽活動をしていながら、世代が異なるがゆえにシューベルトの作品内容の核心にはベートーヴェンとは相容れない要素があることこそ、文化と時代の空気感との関係をよく物語っているのではあるまいか。

それらに思いを致してみると、この演奏に対する多くの酷評を読む限り、あまりにも表面的にしか聴いていない聴き手が多いことに危惧の念を抱いてしまう。

かつての巨匠がそうであったように、ラトルもまた時代の「新しい」空気を、鋭敏な感覚と指揮者としての類い稀なる手腕によって「新しい」シューベルト像として結実させることに成功していると言えよう。

確かにここではスケール感も重厚さも聴けはしない。

しかしシューベルトの音楽が、ピリオド楽器やピリオド・アプローチなど珍しくもなくなった今日にあって、果たしてスケールの大きい重厚な音楽であったのだろうか。

筆者に限らずそこに疑問を抱く聴き手は少なくないはずだ。

ここでのラトルとベルリン・フィルの演奏の真の価値は、テンポだのリズムの刻みだのといった極々表面の部分ではなくて、「大ハ長調」という呼称に代表されるような既成の概念にとらわれず、アグレッシヴなまでにこの音楽が本来持っている新たな生命を引き出したところにあるのではないだろうか。

音質もHQCD化により極めて鮮明となり、本名演の特徴を一層くっきりと際立たせているように感じられるところだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:02コメント(0)トラックバック(0) 

2013年12月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シフは、シューベルトのピアノ・ソナタ全集を録音するなど、シューベルトを得意としているが、本盤は、シューベルトのピアノ曲の小品のほとんどを収録した好企画CDである。

シフは、コチシュなどとともに、ハンガリー出身の若手ピアニストとして、その将来を嘱望されていたが、当初は、コチシュなどとは異なり決して目立つ存在ではなかった。

しかしながら、コチシュが、バルトークなどのハンガリー音楽のスペシャリストとして成長していく一方で、シフは、本盤のシューベルトやスカルラッティ、ブラームスなどにレパートリーを拡げることに伴って、その才能をますます開花することになり、その名声においては、現在ではコチシュにも匹敵する存在となっているのは論を待たないところである。

シフには、コチシュのような強烈な個性はないが、作品に内在する音楽の魅力を最大限に発揮させるという真摯な姿勢が、演奏に潤いと情感の豊かさを与えている点を高く評価したい。

本盤は、そうしたシフの長所がプラスに働いた名演と言える。

シフはベーゼンドルファーを用いてシューベルトの抒情的な特質を最も純粋な形で表現し、新鮮な演奏を展開している。

ここには、例えば内田光子などの精神的な深さや、リリー・クラウスのようなチャーミングな魅力はないが、作品の持つ抒情性や清澄な詩情を存分に味わわせてくれるという意味においては、他の名演にもいささかも劣らない高次元の演奏に仕上がっていると言える。

本盤は、今から約20年も前の録音であるが、仮に、現時点で再録音すれば、さらに深みのある演奏が出来るのではないか。

その意味でも、再録音を大いに期待したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:29コメント(0)トラックバック(0) 

2013年12月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



大器晩成の巨匠・テンシュテットがEMIにレコーディングを開始し、その圧倒的な実力が認められ始めたのは1970年代後半から1980年代にかけて。

手兵ロンドン・フィルとのマーラー全集をはじめ、ベルリン・フィルを指揮したシューマンやメンデルスゾーン、そして当盤のシューベルトで見せたしなやかな感性、構えの大きさで瞬く間に人気が爆発した。

この「ザ・グレート」は推進力に満ち、濃厚な表情もたっぷりで聴き応え充分。

がっちりとした構成感をおきながら雄渾に起伏させて、ベルリン・フィルの豊潤な音を十分に響かせた希有の名演。

細部にまでテンシュテットの個性が表れた素晴らしい演奏だ。

適度の客観的な平衡感が4つの楽章を整然と造形しており、その中に創意にみちた自発的な表情が生まれている。

加えて第1楽章のコーダでは、テンシュテットのスケールの大きさが十二分に示される。

第2楽章の清澄な響きとのびやかな歌、第3楽章の表情の対比の見事さ、終楽章の堂々とした恰幅のよさなど、すべてに好感と説得力がある。

テンシュテットの人間臭さ、そして不思議な没我・集中型の指揮が、この作品をどれほど純粋な、高揚されたものに高めているかが、聴き手の一人一人の感銘の中に深く銘記されれば幸いである。

テンシュテットがベルリン・フィルの最も有力な次期音楽監督と評判になった頃の録音でもあり、フルトヴェングラー以後「音楽に最も真摯に取り組んだ指揮者」といわれたテンシュテットの芸術を知る上でも、マーラーとともに絶対に忘れることのできないものである。

音質もデジタル録音で申し分ない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:47コメント(0)トラックバック(0) 

2013年10月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトが作曲した数多くの室内楽曲の中での最高傑作としては、いろいろな考え方はあろうかとも思うが、一般的には、弦楽五重奏曲と本盤に収められた弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」が双璧と言うことになるのではないだろうか。

シューベルトには、ウィーンの抒情的作曲家としての側面があるのが事実ではあるが、一聴すると美しい旋律の中に人生への寂寥感や絶望感が込められていると言える。

特に、晩年の作品において顕著であり、前述の両傑作も、表面的には美しい旋律に満ち溢れた楽曲ではあるが、その実は底知れぬ深みを感じさせる作品であるとも言えるだろう。

ただ、かつては、シューベルトを前述のようなウィーンの抒情的作曲家と捉えるという考え方が主流であったことから、「死と乙女」にしても、あまり深刻には陥らず、旋律の美しさに重点を置いた情感豊かな演奏が多かった。

もちろん、「死と乙女」はそもそもかなり悲劇的な様相が強い楽曲だけに、従来型の演奏であっても、その悲劇的な魅力を聴き手に伝えることは十分に可能であった。

本盤に収められた、ウィーン・フィルのトップ奏者によって構成されたウィーン弦楽四重奏団による演奏も、そうした従来型の演奏様式に則ったものであり、曲想を精緻に丁寧に描き出して行くというオーソドックスなアプローチを行っている。

したがって、後年に、同じくウィーン出身の奏者によって構成されたアルバン・ベルク弦楽四重奏団が同曲の名演を成し遂げているが、当該名演のように、楽曲の心眼に切り込んでいくような鋭さや凄みはいささかも感じられない。

それ故に、こうしたアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる凄みのある演奏に慣れた聴き手からすると、本演奏では物足りないと感じる人もいるとは思われるが、「死と乙女」という傑作をゆったりとした気持ちで味わうことができるという意味においては、本演奏も素晴らしい名演と評価したい。

そして、本盤でさらに素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質録音だ。

各奏者の弓使いまで聴こえる鮮明さは、とても1973年の録音とは思えないほどであり、このような名演を望み得る最高の音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:48コメント(0)トラックバック(0) 

2013年10月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



広範なレパートリーを誇ったカラヤンであるが、カラヤンは必ずしもシューベルトを得意とはしていなかった。

カラヤン自身は、シューベルトをむしろ好んでおり、若き頃より理想の演奏を行うべく尽力したようであるが、難渋を繰り返し、特に、交響曲第9番「ザ・グレイト」に関してはフルトヴェングラーに任せるなどとの発言を行ったということもまことしやかに伝えられている。

しかしながら、それほどまでにカラヤンのシューベルトの演奏は出来が悪いのであろうか。

本盤に収められた交響曲第9番「ザ・グレイト」は、カラヤンによる唯一のシューベルトの交響曲全集からの抜粋である。

そして、カラヤンは同曲をその後一度も録音しなかった。

したがって、本演奏は、カラヤンによる同曲の究極の演奏と言っても過言ではあるまい。

そしてその演奏内容は、他の指揮者による名演とは一味もふた味も異なる演奏に仕上がっている。

本演奏に存在しているのは、徹頭徹尾、流麗なレガートが施されたいわゆるカラヤンサウンドに彩られた絶対美の世界であると言えるだろう。

シューベルトの交響曲は、音符の数が極めて少ないだけに、特にこのようないわゆるカラヤンサウンドが際立つことになると言えるのかもしれない。

したがって、シューベルトらしさと言った観点からすれば、その範疇からは大きく外れた演奏とは言えるが、同曲が持つ音楽の美しさを極限にまで表現し得たという意味においては、全盛期のカラヤンだけに可能な名演と言えるのではないかと考えられる。

また、同曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥の深さとは無縁の演奏ではあるが、これだけの究極の美を表現してくれたカラヤンの演奏に対しては文句は言えまい。

なお、カラヤンはベルリン・フィルとともに、同曲を1968年に録音しているが、本演奏のような美の世界への追及の徹底度がやや弱いきらいがあり、筆者としては本演奏の方をより上位に掲げたい(カラヤンを好まない聴き手には、これらの旧盤の方がより好ましい演奏に聴こえることも十分に考えられるところである)。

いずれにしても、本演奏は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルが醸成した究極の美の世界、そしてカラヤン流の美学が具現化された究極の絶対美の世界を堪能することが可能な極上の美を誇る名演と高く評価したい。

併録の劇音楽『ロザムンデ』からの抜粋であるバレエ音楽第1番及び第2番も、カラヤンの美学に貫かれた素晴らしい名演だ。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であり、数年前にリマスタリングも施されたことによって、音質はさらに鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やリマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、カラヤン、そしてベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:07コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、シューベルトの交響曲第8番「未完成」とハイドンの交響曲第104番「ロンドン」が収められている。

先ずは、シューベルトの交響曲第8番「未完成」であるが、広範なレパートリーを誇ったカラヤンとしても、シューベルトは必ずしも得意とはしていなかった。

カラヤン自身は、シューベルトをむしろ好んでおり、若き頃より理想の演奏を行うべく尽力したようであるが、難渋を繰り返し、特に、交響曲第9番「ザ・グレイト」に関してはフルトヴェングラーに任せるなどとの発言を行ったということもまことしやかに伝えられている。

しかしながら、それほどまでにカラヤンのシューベルトの演奏は出来が悪いのであろうか。

本盤に収められたシューベルトの交響曲第8番「未完成」は、カラヤンによる唯一のシューベルトの交響曲全集からの抜粋である。

そして、カラヤンは同曲をその後一度も録音しなかった。

実際には、カラヤンによる最後の録音となったブルックナーの交響曲第7番(1989年)に併せて同曲も録音する予定であったとのことであるが、それを果たすことなく鬼籍に入ってしまった。

したがって、本演奏は、カラヤンによる同曲の究極の演奏と言っても過言ではあるまい。

そして、その演奏内容は、他の指揮者による名演とは一味もふた味も異なる演奏に仕上がっている。

本演奏に存在しているのは、徹頭徹尾、流麗なレガートが施されたいわゆるカラヤンサウンドに彩られた絶対美の世界であると言えるだろう。

シューベルトの交響曲は、音符の数が極めて少ないだけに、特にこのようないわゆるカラヤンサウンドが際立つことになるのかもしれない。

したがって、シューベルトらしさと言った観点からすれば、その範疇からは大きく外れた演奏とは言えるが、同曲が持つ音楽の美しさを極限にまで表現し得たという意味においては、全盛期のカラヤンだけに可能な名演と言えるのではないかと考えられる。

また、同曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥の深さとは無縁の演奏ではあるが、これだけの究極の美を表現してくれたカラヤンの演奏に対しては文句を言えまい。

なお、カラヤンはベルリン・フィルとともに、同曲を1964年に録音しているが、本演奏のような美の世界への追及の徹底度がやや弱いきらいがあり、筆者としては本演奏の方をより上位に掲げたい(カラヤンを好まない聴き手には、これらの旧盤の方がより好ましい演奏に聴こえることも十分に考えられるところである)。

いずれにしても、本演奏は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルが醸成した究極の美の世界、そしてカラヤン流の美学が具現化された究極の絶対美の世界を堪能することが可能な極上の美を誇る名演と高く評価したい。

一方、ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」は、カラヤンが得意中の得意としていた楽曲だ。

スタジオ録音だけでも、ウィーン・フィルとの演奏(1959年)、そして本盤のベルリン・フィルとの演奏(1975年)、さらには、ベルリン・フィルとの「ロンドンセット」の一環として録音だれた演奏(1980年)の3種を数えるところだ。

これにザルツブルク音楽祭でのウィーン・フィルとの演奏(アンダンテ)なども含めると、現時点で4種もの録音が存在している。

いずれ劣らぬ演奏であるが、筆者としては、オーケストラの音色からしてウィーン・フィルとのスタジオ録音を随一の名演として掲げたいと考えている。

もっとも、本盤の演奏も、全盛時代のカラヤン&ベルリン・フィルの凄さを感じさせるものとしては、ウィーン・フィルとの演奏に肉薄する極めて優れた名演と高く評価したい。

近年流行の古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏とは大きく異なり、重厚でシンフォニックな演奏ではあるが、同曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、現代においても十二分に通用する名演奏と言えるのではないだろうか。

このような名演を聴いていると、近年において、ハイドンの交響曲の人気が今一つであるというのも、演奏のせいではないかと思われてならないところだ。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であり、数年前にリマスタリングも施されるとともに、HQCD化もなされたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤やHQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、カラヤン、そしてベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:31コメント(0)トラックバック(0) 

2013年09月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、2001年に惜しくも急逝したシノーポリによるシューベルトの「未完成」と「ザ・グレイト」が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

本名演の性格を簡潔に表現すれば、シノーポリによる楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精神分析的なアプローチといぶし銀の音色が魅力のシュターツカペレ・ドレスデンによる絶妙のコラボレーションということではないだろうか。

シューベルトは、かつてはウィーンの抒情的な作曲家として捉えられており、ワルターなどそうした捉え方に沿った名演が数多く生み出されてきたが、近年では、美しい旋律の中に時として垣間見られる人生の寂寥感や絶望感などに焦点を当てた演奏も数多く行われるようになってきたように思われる。

医者出身という異色の経歴を持つシノーポリだけに、本演奏においても、まさに両曲の心眼を鋭く抉り出していくようなアプローチが展開されている。

テンポ自体はシノーポリとしては全体として若干速めであるが、表面上の旋律の美しさに惑わされることはなく、どこをとってもシューベルトの心底にあった寂寥感や絶望感にメスを入れていこうという凄みや鋭さが感じられるのが素晴らしい。

こうしたシノーポリによる楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精神分析的な鋭いアプローチに適度の潤いと温かみを与えているのが、シュターツカペレ・ドレスデンによる美しさの極みとも言うべき名演奏である。

シュターツカペレ・ドレスデンが醸し出すいぶし銀の音色は、本演奏をより優美にして重厚な至高の名演に高めることに大きく貢献していることを忘れてはならない。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によってさらに音質が鮮明になるとともに、音場が広くなったと思われる。

いずれにしても、シノーポリ&シュターツカペレ・ドレスデンという絶妙のコンビが生み出した至高の名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:50コメント(0)トラックバック(0) 

2013年06月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



同時発売のドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」が、あまりにもスヴェトラーノフ節全開の超個性的な演奏であったことから、本盤に収められたシューベルトの交響曲第8番「未完成」、そして、第9番「ザ・グレート」の演奏についても、鑑賞する前は相当に身構えて臨んだところであるが、これが意外にもまともな演奏なのだ。

そのように評しては、大指揮者であるスヴェトラーノフに対していささか失礼と言えるのかもしれないが、本演奏を、指揮者の名を伏して聴いたとしても、スヴェトラーノフの指揮と当てる人は殆どいないのではないだろうか。

もちろん、第9番「ザ・グレート」の第1楽章終結部などに、スヴェトラーノフならではの個性を感じることも可能ではあるが、それも許容されるレベルでの解釈であり、両曲ともに、大家の指揮による名演奏と言えるだろう。

まさに、一昔前の独墺系の大指揮者による演奏に限りなく近い性格を有していると言っても過言ではあるまい。

これだけの立派な演奏をすることができる指揮者であるからこそ、スヴェトラーノフは真に偉大な存在であり、多くの音楽ファンの崇敬を集められる存在なのであると考えられるところだ。

シューベルトの交響曲第8番「未完成」は、LP時代にも録音を遺しているようであるが、筆者は未聴。

したがって、筆者としては、初めて聴くスヴェトラーノフのシューベルトであるが、深沈とした味わいの中にも、シューベルトの楽曲の生命線とも言うべき寂寥感溢れる抒情に満ち溢れており、いい意味で剛柔のバランスのとれた見事な名演であると高く評価したい。

他方、交響曲第9番「ザ・グレート」は、スヴェトラーノフによる唯一の録音ということになるが、ゆったりとしたテンポによるスケールの雄大な音楽の構えの中で、同曲特有の美しい旋律の数々を格調高く歌い上げ、これ以上は求め得ないような気宇壮大な超名演を成し遂げるのに成功している。

同曲は、演奏自体がなかなかに困難な楽曲であると言えるが、スヴェトラーノフによる名演奏は十分に説得力があるものと言えるところであり、スヴェトラーノフが、ロシア系の音楽のみのスペシャリストにとどまらず、クラシック音楽の王道とも言うべき独墺系の音楽にも見事な名演奏を聴かせることができる大指揮者であったことがよく理解できるところだ。

大指揮者スヴェトラーノフの統率の下、スウェーデン放送交響楽団も最高のパフォーマンスを発揮していると言えるところであり、交響曲第9番「ザ・グレート」の演奏終了後、指揮者を讃えるファンファーレが鳴り響くという点にも、スヴェトラーノフとスウェーデン放送交響楽団の抜群の相性の良さを感じることが可能だ。

音質も素晴らしく、今から約20年以上前のライヴ録音ではあるが、現在でも十分に通用する素晴らしい音質であり、スヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団による素晴らしい名演が鮮明に再現されるのが見事である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:43コメント(0)トラックバック(0) 

2013年06月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトの室内楽曲の最高峰、それどころかシューベルトによるあらゆる楽曲の最高傑作の一つでもある弦楽五重奏曲ハ長調は、シューベルトの最晩年の心底に潜む寂寥感が随所に滲み出てくるような旋律の清澄な美しさが魅力の珠玉の名品である。

これだけの傑作であるにもかかわらず、同曲のSACD盤は現在においても存在していない。

特に、第2楽章のこの世のものとは思えないような繊細な美しさは、SACDによる高音質によってはじめてその真の魅力を味わうことが可能と言っても過言ではあるまい。

そのような長年の渇きを癒してくれる素晴らしいSACD盤が登場したのは何という素晴らしいことであろうか。

しかも、マルチチャンネルが付いていることもあって、臨場感溢れる音場の幅広さには出色のものがあり、同曲の美しさ、素晴らしさを望み得る最高の音質で味わうことができるという本盤の意義は極めて大きいと言わざるを得ないだろう。

そして、演奏内容も実に素晴らしい。

東京弦楽四重奏団に、ベテランのチェロ奏者であるデイヴィッド・ワトキンを加えたアンサンブルは絶妙であり、その息の合った名コンビぶりは、本名演に大きく貢献していると言ってもいいのではないだろうか。

また、東京弦楽四重奏団とデイヴィッド・ワトキンによる本演奏におけるアプローチは、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出していくというオーソドックスとも言えるものだ。

したがって、聴き手を驚かすような特別な個性などは薬にしたくもないが、それでも淡々と流れていく各旋律の端々からは、独特の豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、シューベルトの最晩年の心底にある寂寥感や絶望感をほのかに感じさせてくれるのが見事である。

また、東京弦楽四重奏団の各奏者は、世界に6セットしかないと言われているパガニーニ選定のストラディヴァリウスを使用しており、それによって醸し出される独特の美しい音色は、本演奏に独特の潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

併録の、弦楽四重奏曲第12番ハ短調「四重奏断章」も、東京弦楽四重奏団のかかる美質があらわれた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、前述のようにマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さ、臨場感など、どれも一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、シューベルトの最晩年の最高傑作である弦楽五重奏曲の東京弦楽四重奏団とデイヴィッド・ワトキンによる素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0) 

2013年05月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」とR・シュトラウスのメタモルフォーゼンは、ケンペによる最晩年の演奏である。

ケンペの演奏の特徴を一言で言えば、質実剛健ということになるのではないだろうか。

ケンペの演奏には楽曲を華麗に描き出したり、はたまた艶やかに磨き抜いたりするということはいささかもなく、全体の造型をいささかも弛緩させることなく、楽想を剛毅かつ重厚に描き出していくというものである。

したがって、演奏にはおよそエンターテインメント的な要素など薬にもしたくもなく、華やかさなどとも無縁であるが、一聴すると武骨にさえ感じさせる各フレーズには奥深い情感が込められており、ある意味では噛めば噛むほどに味が出てくるような含蓄のある演奏とも言えるのではないかと考えられる。

とりわけ、晩年にミュンヘン・フィルとともに行った演奏において、かかる奥行きの深さが顕著にあらわれているところである。

そのようなケンペも、まだまだこれからという1976年に鬼籍に入ってしまったというのは極めて残念ではあるが、それだけに本盤の演奏を含め、ミュンヘン・フィルと行った数々の晩年の演奏は、今後とも決してその存在価値を失うことがない素晴らしい名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」の演奏はきわめて難しいと言えるが、ケンペは造型の堅固さと、彫りの深さによって、ベートーヴェンの偉大な交響曲にも比肩し得るような立派な大交響曲に仕立て上げている。

それでいて、テンポは若干速めであるとともに、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫、そしてトゥッティにおける豪快さなど、強靱な迫力においてもいささかも不足はない。

まさに本演奏は、ケンペの質実剛健とも言うべき芸風が最大限に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

他方、R・シュトラウスのメタモルフォーゼンは、シューベルトとは異なり、豊かな歌心に満ち溢れた美しい響きが支配しており、ケンペとしては珍しいタイプの演奏とも言えるだろう。

しかしながら、豊穣な弦楽合奏の端々から漂ってくる奥深い情感には人生の諦観を感じさせるような枯れた味わいがあると言えるところであり、これは、ケンペとしても最晩年になって漸く到達し得た清澄な境地と言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本演奏は最晩年のケンペだけが描出し得た至高・至純の高みに聳え立つ超名演と評価したい。

音質は従来盤でも十分に満足し得る高音質であったが、数年前に発売されたこのBlu-spec-CD盤の方がよりベターな音質である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:59コメント(0)トラックバック(0) 

2013年05月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤にはシューベルトの室内楽曲の中でもとりわけ有名なピアノ五重奏曲「ます」と弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」が収められており、いずれも素晴らしい名演と評価し得るところであるが、とりわけユニークなのは、ピアノ五重奏曲「ます」と言えるのではないだろうか。

というのも、同曲の演奏に際しては、既存の弦楽四重奏団が名のあるピアニストを招聘して行うのが主流であるからである。

本演奏の場合は、ウィーン・フィルやベルリン・フィルのトップ奏者に、専業指揮者であるレヴァインによるピアノが加わるという、ある意味では極めて珍しい組み合わせと言えるであろう。

本演奏においては、ヘッツェルやクリストなどの弦楽合奏の美しさは言うまでもないところであるが、何と言ってもレヴァインのピアノが素晴らしい。

筆者も、聴く前はその体躯を活かした大味な演奏をするのかと思っていたがさにあらず、繊細にして清澄な美しさに満ち溢れた情感豊かな演奏を披露してくれている。

前述の弦楽奏者との相性も抜群であり、ピアニストも含めた各奏者の息の合った絶妙のハーモニーの美しさにおいては、同曲の他の名演にもいささかも引けを取っていない素晴らしい名演と高く評価したい。

弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」は、いかにもハーゲン弦楽四重奏団ならではの情感豊かな演奏であるが、同曲特有の劇的でドラマティックな表現においてもいささかの不足はない。

音質は、従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質はピアノのタッチや弦楽の弓使いまでがさらに鮮明に再現されるようになったところであり、音場も若干ではあるが幅広くなったように思われる。

いずれにしても、このようなシューベルトによる室内楽曲の名演を、SHM−CDによる高音質で(しかも81分も!)、味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:45コメント(0)トラックバック(0) 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ