マーラー

2014年04月05日


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20世紀を代表する巨匠指揮者ゲオルグ・ショルティの生誕100周年(2012年時)記念盤。

全編に厭世的な気分が流れ諦観や死の予感も漂うために「告別の歌」とも称される、マーラーが完成した最後の交響曲である第9番を収録。

当盤はショルティ第1回目(1967年)のロンドン交響楽団との演奏を録音したディスク。

空前絶後の激しいマーラー「第9」で、ショルティの最高の遺産の一つではないだろうか。

マーラーは基本的に非西欧的要素が無視できない、東欧の音楽ではないかとも思うのだが、ショルティにとってはバルトークと同じく血が近いのであろうか。

決して情感や思い入れを強調する型の演奏ではないけれど、マーラー独特のリズム、フレーズ、突発的な場面転換など、演奏者が真にマーラーに共感できてなければできない、きめ細かな表現で細部が埋められている。

マーラーを特に好きでもない指揮者の演奏では、第4楽章へのただの橋渡しにしか聴こえない中間楽章が、ここまで素晴らしい音楽になっているのは、ショルティのマーラーへの共感の証明であろう。

第4楽章も気品に溢れた素晴らしい音楽で、ショルティの世代のマーラー「第9」としては最上の演奏だと思う。

この時代(1960年代)にここまでマーラーのスコアに斬り込めたのはショルティだけだろう。

以前から思っていたが、ショルティは全て旧録音の方が面白く、マーラー然り、オケコン然りである。

ショルティはやはりオーケストラビルダーの第一人者であり、彼の振るオケはいずれも巧く、このロンドン交響楽団も実に巧い。

多数のマーラー「第9」のディスクが存在する現在ではコレクター向けかもしれないが、時代を考えると凄いものがある。

同じく名盤でほぼ同じ時期の録音のバルビローリ盤(EMI)と一緒に聴き比べてみると、いっそう面白いのではないだろうか。

音質は、1967年のスタジオ録音であるが、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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20世紀を代表する巨匠指揮者ゲオルグ・ショルティの生誕100周年(2012年時)記念盤。

マーラーの交響曲第3番は自然をテーマにした交響曲で、全体を通じてまだ生命のない時代から動植物や人間の誕生を経て、天上の世界に至る発展の過程を段階的に表現している。

作曲当時、毎年夏に静養に訪れていたシュタインバッハの自然が霊感を与えたと言われている。

当盤はショルティ第1回目(1968年)のロンドン交響楽団との演奏を録音したディスク。

ショルティはロンドン交響楽団から鮮やかに冴え渡った響きを導き出して、流動性に富んだ劇的な表現でこの大作を巧みに再現している。

いかにもショルティらしい精緻な表現で、きちっとまとめあげているが、そのなかにも、楽曲のこまやかなニュアンスを巧みに表出している。

ショルティは後年シカゴ交響楽団とも収録しているが、やはり若き日(1960年代)のデッカでの録音がある意味面白く聴けるものだ。

このマーラー交響曲第3番はロンドン響を幾分か強引に鳴らせているが、メリハリを効かせた中に歌わせるところは歌わせ、ロンドン響もよく彼の意図についていっている。

元々ロンドン響は比較的融通性のあるオーケストラで、その辺りの能力は優れたものがあるが、ショルテイの狙ったアゴーギグもきっちり再現して一応の効果を上げてはいるようである。

テンポはやや速いと感じたがトータルでは標準時間で収まっている。

ヘレン・ワッツのアルト独唱をはじめ、声楽陣も万全の歌唱を聴かせている。

ロンドン響との「第1」「第2」「第3」「第9」、コンセルトヘボウ管との「第4」の録音がいずれも完成度が高かったためか、かつてショルティがシカゴ響と全集を再録音する話の時「ショルティが断った」という記事が思い出される。

音質は、1968年のスタジオ録音であるが、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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2014年04月02日


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アバドによるマーラーの交響曲第9番と言えば、いの一番に1999年にベルリン・フィルとライヴ録音した超名演が思い浮かぶ。

アバドは、この演奏のあと大病を患うのであるが、当該演奏には死を予見したかのような凄みがあり、それまでのアバドによる様々な演奏とは一線を画するような至高の高みに達した超名演であった。

同曲の本質は、死への恐怖と闘い、そしてそれと対置する生への妄執や憧憬であると言えるが、アバドは、自らが死と隣り合わせになるという絶望的な境遇に陥ったことによって初めて、その音化に見事に成功したと言えるだろう。

ところが、当該演奏の約12年前の本盤に収められた演奏はどうであろうか。

様々な意見もあろうかとも思うが、筆者としては、聴き手の心の琴線に訴えかけてくるものが今一歩弱いと言わざるを得ないのではないかと考えている。

確かに、美しい演奏ではある。

本演奏において、ウィーン・フィルを起用したのも功を奏しており、このオーケストラの美音が演奏全体に独特の魅力を付加しているというのも否定し得ない事実ではある。

しかしながら、その美しさというのも、例えば、カラヤンのように、余人には及び難い絶対美の世界を構築し得る(1982年盤)のであれば、一つの方向性として説得力があるのだが、本演奏の場合は、美しさのレベルにおいてもとてもカラヤンの域に達しているとは言い難い。

また、第1楽章の死への恐怖と闘いについても、前述のアバドによるベルリン・フィル盤のような凄みには到底及んではおらず、いささか中途半端との誹りは免れないのではないかと考えられる。

もっとも、随所に聴かれる歌謡性の豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには魅力があると言えるところである。

その意味では魅力的な箇所にも事欠かないとも言えるのかもしれない。

第10番については、この後の録音がなされていないことから本演奏が現時点でのアバドによる最新の演奏ということになるが、その演奏内容の評価については第9番と同様のことが言えるのではないか。

美しくはあるが、かと言って他の演奏を圧するような絶対美の世界を構築し得ているわけではない。

楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みはないが、他方、歌謡性豊かな情感には満ち溢れており、その意味では魅力的な箇所も多々存在している。

いずれにしても、第9番、第10番ともに、踏み込み不足の誹りは免れないと言えるが、他方、魅力的な箇所も散見されるところであり、ウィーン・フィルによる美演も相俟って、総体として佳演との評価をするのにいささかの躊躇もするものではない。

なお、初出の時もそうであったが、アバドは、両曲をCD化するに際して、第10番を冒頭に配してその後に第9番をカップリングするという楽曲の配列にしているが、これは何か意味があるのであろうか。

少なくとも、第10番の内容に鑑みれば、第9番の終楽章の次に配するのが至当であると考えるのだが、少なくともアバドによる本演奏を聴いても、かかる特異な配置の説得力を勝ち取るだけの根拠を見出すのは困難であると言わざるを得ない。

録音は、従来盤でも比較的満足できる音質ではあったものの、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは大いに歓迎したい。

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2014年03月30日


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ブルーノ・ワルター最盛期の名演を、仏ターラ社の優れたリマスタリング技術によって復刻。

本作は正規盤初出のため音質が鮮明で、気力充実したワルターの指揮ぶりを堪能できる1枚。

最近では、ワルターのステレオ録音は彼本来の持ち味がかなり失われているという意見が広まっているようである。

豊麗にして端正闊達でありながら熱いエネルギーがあるというワルターならではの不思議な音楽の魅力は、ニューヨーク時代の演奏、とりわけライヴ録音に顕著に出ているのであるが、海賊盤はほとんどが音が悪くてあまり顧みられることはなかった。

この1953年のライヴは音も鮮明で、ワルターの深い音楽性がほぼ完全な形でとらえられた優秀な音質によって、地鳴りのするような迫力に満ち、気力充実したワルターの魅力を満喫できる。

「ハフナー」は、宇野功芳氏も「翌日のスタジオ録音よりもさらに凄まじい。テンポの変動、ホルンの最強奏、これこそアンチ・ロココのモーツァルトだ」と絶賛しているし、ライヴならではの気迫がみなぎるワルターの指揮は圧倒的だ。

マーラーの第4番も、少々のっぺりしたスタジオ録音とは大違いで、これは思っていたのと全然違う、音に生気と喜びが満ち溢れ、天上の音楽を何とも愛おしく聴かせてくれる。

深くまろやかでコクがあり、甘美で高雅な薫りが溢れ、しかも痛ましいほどの狂気が垣間見える。

ワルターの振るマーラーの「第4」といえば、他に1945年のニューヨーク・フィル盤や1960年のウィーン・フィル(告別コンサート)盤などが有名であるが、それらと比較してもこの1953年のニューヨーク・フィル盤が一歩秀でている。

とにかくニューヨーク・フィルの音に厚みがあり、血が通った演奏である。

ゼーフリートの声も清らかな声も素晴らしく、これぞ官能の極みと言えよう。

「ハフナー」はまさに沸騰するかのような活力が、マーラーでは耽美的な朗々たる歌が、それぞれ何と魅力的なことであろうか。

スコアの解析ばかりに執着して温もりのないマーラーや、ピリオド奏法そのものを売りにして中身の伴わないモーツァルトなど「真っ平御免!」という方は必聴。

まさに“本物の音楽”がここにあり、比較的良好な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年03月29日


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ショルティは偉大なマーラー指揮者の一人であると考えているが、ショルティが録音したマーラーの交響曲の中で、4種類もの録音が遺されているのは、現時点では第1番しか存在していない。

これに次ぎ、3種類の録音が遺された第5番は、ラスト・レコーディングも同曲であったこともあり、ショルティにとって特別な曲であったことが理解できるが、第1番に対しても、ショルティは第5番に比肩するような愛着を有していたのでないかと考えられるところだ。

4種類の録音のうち、ケルン放送響とのモノラル録音(1957年)が最初で、本盤がそれに次ぐスタジオ録音(1964年)、そして同年のウィーン・フィルとのライヴ録音(オルフェオレーベル)、そしてシカゴ交響楽団とのスタジオ録音(1983年)がこれに続くことになる。

いずれ劣らぬ名演と思うが、シカゴ交響楽団との演奏は、1964年の2種の演奏とはかなり性格が異なっている。

ショルティの各楽曲に対するアプローチは、マーラーの交響曲だけにとどまらずすべての楽曲に共通しているが、切れ味鋭いリズム感とメリハリのある明瞭さであり、それによってスコアに記されたすべての音符を完璧に音化していくということが根底にあった。

かかるアプローチは終生変わることがなかったとも言えるが、1980年代以降になると、演奏に円熟の成せる業とも言うべき奥行きの深さ、懐の深さが付加され、大指揮者に相応しい風格が漂うことになったところだ。

したがって、1983年の演奏は、本演奏とはかなり様相が異なり、鋭角的な指揮振りは健在であるとは言うものの、聴き手を包み込んでいくような包容力、そして懐の深さのようなものが存在し、聴き手にあまり抵抗感を与えないような演奏に仕上がっていた。

シカゴ交響楽団の光彩陸離たる華麗な演奏ぶりが際立っていることから、このような演奏を内容空虚と批判する音楽評論家も多いようであるが、聴き終えた後の充足感が、例えばワルター&コロンビア交響楽団盤(1961年)やバーンスタイン&コンセルトへボウ管弦楽団盤(1987年)などの名演に必ずしも引けを取っているわけでもない。

これに対して、本演奏は第1楽章冒頭から終楽章の終結部に至るまで、ショルティの個性が全開。

アクセントは鋭く、ブラスセクションは無機的とも言えるほど徹底して鳴らし切るなど、楽想の描き方の明晰さ、切れ味の鋭いシャープさは圧巻の凄味を誇っている。

ショルティは、同年にウィーン・フィルとライヴ録音を行っており、演奏の性格は同様であるとも言えるが、オーケストラの安定性(ウィーン・フィルは、この当時、ショルティにかなりの嫌悪感を抱いていたと言われる)、オルフェオレーベルの今一つ低音が響いてこないもどかしさもあって、本演奏の方をより上位に置きたい。

いずれにしても、1983年の演奏に比して、あくまでも直球勝負の本演奏に抵抗感を覚える人も多いのではないかとも思われるが、筆者としては、マーラーの交響曲の演奏様式の一つとして十分存在意義のあるものと考えており、好き嫌いは別として、ショルティの個性が全開した名演と評価したい。

ロンドン交響楽団も、ショルティのメリハリのある指揮にしっかりと付いていき、持ち得る実力を発揮した見事な演奏を行っていると評価したい。

音質は、1964年のスタジオ録音であるが、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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2014年03月26日


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20世紀最高のマーラー指揮者の一人であったサー・ゲオルグ・ショルティが、1992年に、マーラーゆかりのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演した際のライヴ録音。

まず、かつてのシカゴ交響楽団を指揮してマーラーの交響曲全集を録音した頃のショルティの音楽とは一味違うことを最初に記しておく。

ライヴということで編成も小編成なのかもしれないし、あるいはオーケストラの特色もあるのかもしれないが、繊細で非常に丁寧である。

但し、マーラーの指示を細かく解釈するといった類の丁寧さではない。

歌唱もシカゴ盤に比較すると、内向的というか、しみじみと歌っているし、それに対する伴奏的な立場を堅持しているのかもしれない。

第1楽章、第5楽章などはパワフルではないが、特に老成した雰囲気でもなく、やや健康的にすぎるかもしれない。

それでも終楽章ではテンポをゆっくり取り、非常に儚げなタッチで不思議な浮遊感を保ちながら演奏していく、独特のメルヘンチックな音楽である。

コンセルトヘボウ管のアンサンブルはシカゴ響に優るとも劣らないのだが、ここまでショルティの自由にうねる表現に一糸乱れずついてきているのは大変であっただろう。

しかも、シカゴ響より温かみのあるコンセルトヘボウ管の弦楽器の音色は、まるでこちらまで涅槃の境地に連れて行かれそうになるくらい素晴らしい。

ショルティが一番最初にレコーディングしたという、1961年のコンセルトヘボウ管との交響曲第4番の第3楽章終結部もこんな音だったなぁと思い返した次第である。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ライヴ録音ではあるが、拍手や客席の音は特になく、演奏上の傷もない。

巨匠晩年の感動的な「大地の歌」であり、ショルティを食わず嫌いしている人は一度これを聴いてみてほしい。

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1957年6月17日に収録されたモノラル録音で、若き日のショルティが躍動感に溢れた熱い演奏を繰り広げている。

シカゴ交響楽団との新録音も素晴らしい演奏だが、この旧盤は率直なきびしい表現という意味では捨て難い。

ショルティが客観的で直截な音楽をつくっており、マーラーの作品の重量感が強調された演奏だ。

当時のショルティの棒には極めて率直な若々しさがあり、オーケストラを筋肉質と言えるほど引き締めている。

とにかく楽器を良く鳴らし、オーケストラのダイナミックレンジと機動力を最大限に活かしたような指揮は、(若き日の)ショルティの指揮スタイルのひとつであり、リズムの正確さ、鋭敏さも大きな特徴である。

後年の彼とは異なる新鮮な演奏と言うべきだろうが、そのため音そのものの力感とともに爽やかな抒情やほのかな甘さもある。

第1楽章から作品の劇性を直截的に表現し、とにかく凄いほどの力のこもった演奏で、今さらのようにショルティの統率力の見事さを感じさせる。

第2楽章のダイナミックな活気ある表現には力がみなぎっていて、こうした動きの強い部分にショルティの劇的な判断が生きることがよくわかる。

ショルティが力で押すだけの指揮者ではないことは、第3楽章の柔軟で清澄な表現が物語っているが、全体に誇張や作為がまったくない。

このマーラー若書きの作品をひたむきに演奏した迫力も凄いが、なかでも端正な表情のなかにあたたかい抒情が漂うのは聴き逃せない。

終楽章の高揚感も新盤と異なる説得力があって、激しい意志力に貫かれており、強固な表現は、きわめて劇性が強い。

新盤が発売された後もカタログに残るだけの価値のある演奏だろう。

モノラルながら音質も良好なので、いろいろな意味で(若き日の)ショルティを知ることのできる演奏だ。

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2014年03月25日


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これはいかにもショルティならではの強烈無比な演奏だ。

録音は1966年であり、かの歴史的な超名演であるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」をウィーン・フィルとともにスタジオ録音している最中のもの。

かかる録音も終わりに近づいており、そうしたことに去来するであろう自らの指揮芸術に対する漲るような自信と誇りが演奏自体にもあらわれているかのようである。

ショルティの各楽曲に対するアプローチは、マーラーの交響曲だけにとどまらずすべての楽曲に共通しているが、切れ味鋭いリズム感とメリハリのある明瞭さであり、それによってスコアに記されたすべての音符を完璧に音化していくということが根底にあった。

かかるアプローチは終生変わることがなかったとも言えるが、1980年代以降になると、演奏に円熟の成せる業とも言うべき奥行きの深さ、懐の深さが付加され、大指揮者に相応しい風格が漂うことになったところだ。

したがって、ショルティは、マーラーの交響曲第2番を1980年になって、当時の手兵であるシカゴ交響楽団とともに再録音を行っているが、この1980年の演奏は、本演奏とはかなり様相が異なり、鋭角的な指揮振りは健在であるとは言うものの、聴き手を包み込んでいくような包容力、そして懐の深さのようなものが存在し、聴き手にあまり抵抗感を与えないような演奏に仕上がっていた。

シカゴ交響楽団の光彩陸離たる華麗な演奏ぶりが際立っていることから、このような演奏を内容空虚と批判する音楽評論家も多いようであるが、聴き終えた後の充足感が、例えばバーンスタイン&ニューヨーク・フィル盤(1987年)などの名演に必ずしも引けを取っているわけでもない。

これに対して、本演奏は第1楽章冒頭から終楽章の終結部に至るまで、ショルティの個性が全開。

アクセントは鋭く、ブラスセクションは無機的とも言えるほど徹底して鳴らし切るなど、楽想の描き方の明晰さ、切れ味の鋭いシャープさは、他の指揮者によるいかなる演奏よりも(ブーレーズの旧盤が匹敵する可能性あり)、そしてショルティ自身による1970年のマーラーの交響曲第5番の演奏にも比肩するような凄味を有していると言えるだろう。

したがって、1980年の演奏に抵抗を覚えなかった聴き手の中にさえ、このような血も涙もない演奏に抵抗感を覚える者も多いのではないかと思われるが、筆者としては、マーラーの交響曲の演奏様式の一つとして十分存在意義のあるものと考えており、好き嫌いは別として、ショルティの個性が全開した名演と評価したい。

ロンドン交響楽団も、ショルティのメリハリのある指揮にしっかりと付いていき、持ち得る実力を発揮した見事な演奏を行っているとともに、ソプラノのハーパーやアルトのワッツをはじめとした声楽陣も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

音質は、1966年のスタジオ録音であるが、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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2014年03月15日


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インバルは、今や押しも押されぬ世界最高のマーラー指揮者であると言える偉大な存在であるが、現在におけるそうした地位を築くにあたっての土台となったのは、何と言っても1980年代に、当時の手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)である。

当該全集は、CD時代が到来し、マーラーブームとなっていた当時にあって、最も規範的な全集として識者の間でも極めて高いものであったところだ。

当該全集において、インバルは交響曲第10番を収録していたが、それは全曲ではなく、アダージョのみの録音であった。

インバルは、当該全集におけるスコアを精緻に、そして丁寧に描き出していくという普遍的とも言えるアプローチからしても、第10番については、マーラーが実際に作曲したアダージョにしか関心を示さないのではないかとも考えられたところであるが、当該全集の完成後4年ほどしてから、ついに、第10番の全曲版をスタジオ録音することになった(本盤)。

第10番については、既に様々な版が存在しているが、本演奏では、最も一般的なクック版(ただし第2稿であるが)が採用されている。

その意味では、インバル自身にも、版については特段の拘りがないと言えるのかもしれない。

インバルは、近年では東京都交響楽団やチェコ・フィルなどとともに、マーラーの交響曲の再録音を行っているところであるが、今後、第10番の再録音を行う際には、どのような版を使用するのか大変興味深いところだ。

本演奏のアプローチは、全集と同様に、スコアを忠実に音化していくという、近年のマーラーの交響曲演奏にも繋がっていくものであり、バーンスタインやテンシュテットなどが個性的な名演の数々を成し遂げている時代にあっては、希少な存在であったとも言える。

昨今のインバルのマーラーの交響曲演奏に際してのアプローチは、この当時と比較すると、思い切ったテンポの振幅を施すなど、全体の造型を蔑ろにしない範囲において、より劇的な解釈を施すようになってきているだけに、本演奏における精緻にして正統的とも言えるアプローチは、極めて貴重なものとも言えるだろう。

もちろん、楽譜に忠実と言っても、無味乾燥な演奏には決して陥っていないのがインバルの素晴らしいところであり、どこをとっても、秘められたパッションの燃焼度には尋常ならざるものがある。

まさに、血が通った演奏であり、これは、インバルのマーラーの交響曲に対する深い理解と愛着の賜物に他ならない。

いずれにしても、本演奏は、いまや稀代のマーラー指揮者として君臨するインバルの芸術の出発点とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したい。

なお、前述のように本演奏はクック版第2稿によっているが、今後、インバルがチェコ・フィルまたは東京都響と同曲を録音する際には、クック版第3稿またはその他の稿による演奏を期待したい。

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2014年03月12日


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広範なレパートリーを誇るとともに、余人を寄せ付けないような膨大な録音を遺したカラヤンであったが、マーラーの交響曲については、必ずしも主要なレパートリーとしては位置づけていなかったようだ。

カラヤンが録音したマーラーの交響曲は、第4番、第5番、第6番、第9番、そして「大地の歌」の5曲のみであり、これに少数の歌曲が加わるのみである。

同時代の大作曲家であるブルックナーの交響曲全集を録音した指揮者にしてはあまりにも少ないし、むしろ、クラシック音楽ファンの中には、カラヤンの指揮するマーラーの交響曲全集を聴きたかったと思っている人も多いのではないだろうか。

そうした比較的数少ないカラヤンの録音したマーラーの交響曲の中で、今般、第6番のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われる運びとなった。

筆者としては、第9番の1982年のライヴ録音のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を期待したいところであるが、いずれにしても、カラヤンの芸風が色濃く表れた稀少なマーラーの交響曲演奏の一つがSACD化されたことについて、大いに喜びたいと思う。

マーラーの交響曲第6番の名演としては、バーンスタイン&ウィーン・フィルによるライヴ録音(1988年)やテンシュテット&ロンドン・フィルによるライヴ録音(1991年)などが、ドラマティックな超名演として第一に掲げるべきであろうが、本盤のカラヤンによる演奏は、それらの演奏とは一線を画する性格を有している。

何よりも、当時蜜月の関係にあったカラヤン&ベルリン・フィルが、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な名演奏を展開しているのが素晴らしい。

唸りをあげるような低弦の迫力、雷鳴のように轟きわたるティンパニ、ブリリアントに響き渡るブラスセクションなど、凄まじいまでの迫力を誇っている。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは、もはや人間業とは思えないような凄さであり、加えて、カラヤンならではの流麗なレガートが演奏全体に艶やかとも言うべき独特の美しさを付加させているのを忘れてはならない

もちろん、そうした美しさが、前述のバーンスタインやテンシュテットなどの名演にあった強靭な迫力をいささか弱めてしまっているというきらいもないわけではないが、他方、第3楽章における徹底して磨き抜かれた耽美的とも言うべき極上の美しさには抗し難い魅力が満ち溢れている。

我々聴き手の肺腑を打つ演奏と言えば、前述のバーンスタインやテンシュテットなどの名演を掲げるべきであろうが、聴き終えた後の充足感においては、本演奏もいささかも引けを取っていない。

筆者としては、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルならではの磨き抜かれた美しさの極みとも言うべき素晴らしい名演と高く評価したい。

このような極上の美酒とも言うべき名演が、今般シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりである。

いずれにしても、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年03月05日


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20世紀最後の巨匠、サー・ゲオルグ・ショルティが亡くなる直前の最後のコンサートを収録したもので、曲目はマーラーの交響曲第5番。

これが最後の録音となるそうだが、不思議な運命を感じる。

まず、オーケストラがチューリヒ・トーンハレ管弦楽団であるが、このオーケストラはショルティがデッカと契約して最初の録音を行ったオーケストラ(1947年のこと)だということがまず一つ。

そして、ショルティがシカゴ交響楽団と最初に録音した曲もマーラーの交響曲第5番(1970年のこと)だったことがもう一つ。

さらに言えば、ショルティが世界大戦時を過ごしたスイスで最後の録音となったことにまで運命的なものを感じてしまう。

演奏を聴いての感想だが、この巨匠は最後まで見事に自分のスタイルを貫いたのだな、ということがよくわかる。

チューリヒ・トーンハレ管弦楽団と言えば軽妙・清澄な響きが特長の伝統あるオーケストラであるが、シカゴ交響楽団と比べたとき、その力量では分が悪いのは否めない。

しかし、ショルティはこのオーケストラからも卓越したドライヴで「ショルティ・サウンド」を引き出したと言えよう。

それは枯淡の境地でも老境の熟達でもなく、まさにショルティの純粋な音楽への信念そのものの結晶のように感じられた。

そういった点では、むしろ1990年にシカゴ交響楽団とライヴで録音したものより、この録音の方が若々しい萌芽と明確な方向性を感じるのは、オーケストラとの新鮮な顔合わせからだろうか。

金管の膂力の伝わる張りのある音色はまさにショルティならではで、やや速めのインテンポで聴き手を引っ張る推進力も見事。

衰えを感じさせないどころか、時計が早まるかのような求心力にはなぜか「若さ」を感じてしまう。

そのショルティの力の源は何処から来たのだろうか。

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1990年11月30日 ムジークフェラインザール、ウィーンに於けるライヴ録音。

ショルティ&シカゴ響のヨーロッパ・ツアーの際にムジークフェラインザールで行われた演奏会のライヴ録音。

ショルティは20世紀後半を代表する指揮者の一人であるが、我が国の音楽評論家の間での評価は実力の割に極めて低いと言わざるを得ない。

先般、お亡くなりになった吉田秀和氏などは、数々の著作の中で、公平な観点からむしろ積極的な評価をしておられたと記憶するが、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評しているとある影響力の大きい音楽評論家をはじめ、ショルティを貶すことが一流音楽評論家の証しと言わんばかりに、偏向的な罵詈雑言を書き立てる様相ははっきり言っておぞましいと言うほかはないところだ。

ニキシュは別格として、ライナーやオーマンディ、セル、ケルテスなど、綺羅星の如く登場したハンガリー人指揮者の系譜にあって、ショルティの芸風は、強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。

そうした芸風でシカゴ交響楽団を鍛え抜いた力量は、先輩格のライナー、オーマンディ、セルをも凌駕するほどであったと言えよう。

もちろん、そうした芸風が、前述のような多くの音楽評論家から、無機的で冷たい演奏との酷評を賜ることになっているのはいささか残念と言わざるを得ない。

確かに、ショルティの芸風に合った楽曲とそうでない楽曲があったことについて否定するつもりは毛頭ないが、少なくともショルティの演奏の全てを凡庸で無内容の冷たい演奏として切って捨てる考え方には全く賛同できない。

ショルティの芸風に合った楽曲は多いと思うが、その中でも最右翼に掲げるべきなのは何と言ってもマーラーの交響曲と言えるのではないだろうか。

当盤はマーラーを愛し続けてきた偉大な指揮者による、記念碑的名演だ。

第1楽章から張り詰めた力感で聴き手を説得させ、第2楽章はよい意味での中庸を得ており、スケルツォ楽章のアンサンブルと密度の高い表情も特筆したい。

第4楽章も豊かな共感が波打つように示され、フィナーレはまさに誠実そのものの表現だが極めて説得力が強く、最後の高潮も壮大きわまりない。

加えて、本演奏の素晴らしさはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

いかにショルティが凄いと言っても、その強烈無比な指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年02月25日


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ヤンソンス&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によるマーラーの交響曲チクルスの第5弾の登場だ。

前作の「第2」も名演であったが、今般の「第3」も素晴らしい名演と高く評価したい。

「第2」もそうであったが、先ずは、録音の素晴らしさについて言及しておきたい。

本盤も、これまでと同様のマルチチャンネル付きのSACDであるが、世界でも屈指の音響を誇るコンサートホールとされるコンセルトヘボウの豊かな残響を生かした鮮明な音質は、これ以上は求め得ないような圧倒的な臨場感を誇っている。

特に、マーラーの合唱付きの大編成の交響曲の録音において、オーケストラの各セクション、独唱、合唱が明瞭に分離して聴こえるというのは殆ど驚異的な高音質であり、それぞれの楽器や合唱等の位置関係までがわかるほどの鮮明さを誇っている。

かつて、マーラーの「第3」では、マーツァル&チェコ・フィルによる超優秀録音(本盤と同様にマルチチャンネル付きのSACD録音)にして素晴らしい名演(2005年)があったが、本盤も当該盤に比肩し得る極上の高音質であり、なおかつ素晴らしい名演であると言えるだろう。

「第3」は、重厚長大な交響曲を数多く作曲したマーラーの手による交響曲の中でも最大規模を誇る壮大な交響曲である。

したがって、全体をうまく纏めるのが難しい交響曲であるが、ヤンソンスは、全体の造型をいささかも弛緩させることなく的確に纏め上げるとともに、スケールの大きさを損なっていない点を高く評価したい。

そして、そのアプローチは、曲想を精緻に描き出して行くというきわめてオーソドックスで純音楽的なものであり、マーラーの光彩陸離たる音楽の魅力をゆったりとした気持ちで満喫することができるという意味においては、前述のマーツァルによる名演にも匹敵する名演と言える。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、前任のシャイー時代にその独特のくすんだようないぶし銀の音色が失われたと言われているが、本演奏においては、そうした北ヨーロッパならではの深みのある音色を随所に聴くことが可能であり、演奏に奥行きと潤いを与えている点を忘れてはならない。

ベルナルダ・フィンクも素晴らしい歌唱を披露しており、オランダ放送合唱団やブレダ・サクラメント合唱団、ラインモンド少年合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

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2014年02月21日


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この交響曲の演奏はむずかしい。

オーヴァーヒートしがちで、マクベスの科白ではないが、「無意味な叫喚と怒号」に終わりかねない。

この曲は時間の冷酷な進行への強迫観念を基本に、強気と不安、期待と絶望に揺れ、限られた時間のなかで人間はいかに生くべきかを問うている。

バルビローリはその核心に突き入っており、死の予感があってこそ、生の尊さに思い当る。

死の恐怖に負けるか、それとも生を慈しむよろこびを知るかという二者択一を前にして、つかの間でも生きる幸せ(第2楽章)を味わったものは、死を大らかな気持ちで受け入れられる。

だから終楽章の最後のとどめの一撃も、けっして無残な挫折ではなく、自己納得のひびきが聴きとれる。

なお、この演奏では、初演にしたがって、第2楽章と第3楽章が通常とは逆に配置されている。

シュトラウスはナチスの罪について恐ろしく無自覚だったそうだが、そういう事情を知ってしまうと、《メタモルフォーゼン》にこめられたという「祖国ドイツから失われゆく美への惜別」なる解釈が嘘くさくなってくる。

単なる"音の美食"ではないのか?

しかしバルビローリの演奏で聴く時だけは作曲家その人への疑念を超える普遍的な、魂の痛切な思いが突き刺さってくる。

バルビローリがこの録音を残しておいてくれたことに感謝したいと思う。

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2014年02月19日


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濃厚な情念が大爆発した第6番の凄まじい演奏をはじめ興味深い演奏が揃った全集である。

マーラーならではのオーヴァー・アクション的要素が、スヴェトラーノフの場合、まさにツボにはまった状態でサウンドに結実しており、そのブラス・セクションと打楽器セクションの織り成す嵐のような轟然とした大音響には誰もが圧倒されること請け合いだ。

特に前述の第6番は強烈で、個性的な演奏の揃ったスヴェトラーノフのディスクの中でも随一と言ってよいその思い切ったド迫力ぶりは、極端な演奏の多いこの巨匠のディスコグラフィの中にあっても最高峰と言いたくなる激しさにあふれかえっており、作品の志向するカタストローフの表現という点でも文句なしの暴れ放題。

その音の凶暴さには、スヴェトラーノフがロシア国立交響楽団を指揮したときにのみ立ちあらわれるアウラのようなものすら感じられ、改めてこのコンビのグレートな力技に感謝したくなる。

その他の作品も、すべてスヴェトラーノフ流儀に解釈されたユニークなアプローチが面白く、気品やバランスといった西側的な価値観など一顧だにしない潔さがファンには堪らない。

このように爆演の印象が強いスヴェトラーノフであるが、そればかりをこの全集に求めている人は肩透かしを喰うだろう。

テンポもそれぞれの楽器の音の出し方も最高であり、とりわけ土臭いこのオケがいい味を出している(特に管の荒々しさや粘り)。

しんみりと聴かせるところも完璧にスヴェトラーノフ流で、ラフマニノフの交響曲に通じるものがあり、面白い。

ありきたりでなく非凡で完成度の高い演奏で、理論的よりも直感的マーラーの一篇と言えよう。

マーラーの演奏は色々な演奏者によるものを聴いてきたが、ロシアの指揮者のマーラーでは、コンドラシンよりも円熟味があると言えるところであり、さらに素晴らしい出来だと思う。

そしてこのマーラー・シリーズの白眉は何と言っても第10番のアダージョ。

これこそ真実のマーラーの音楽であり、かつスヴェトラーノフ以外の何物でもない。

しっとりした弦楽器が美しく、その32分に及ぶ感動はほかに類を知らない。

これまでの演奏でマーラーに何かが足りないと感じていた人は一聴の価値ありで、こんな表現方法もあったのかと思わず驚くマーラーの交響曲全集である。

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2014年02月06日


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インバルのマーラーと言えば、20年以上前に完成したフランクフルト放送交響楽団との全集の印象が非常に強い。

マーラーを「最も偉大な交響曲作曲家」と表現するインバルなだけに、おそらくは人一倍、マーラーへの深い愛着からくる心の中の力強いパッションの爆発があると思うのだが、指揮をする際には、それを出来るだけ抑制しようとしているように思われる。

したがって、同じくマーラー指揮者と言われたバーンスタインやテンシュテットなどに比べると、どこか冷めたような演奏のように聴こえてしまうのは大変残念な気がする。

本盤の「第4」は、かつての全集から20年以上経った演奏ではあるが、その抑制的な演奏傾向は殆ど変わりがないと言える。

同じく東京都交響楽団を指揮したチャイコフスキーの「第5」など、実にドラマティックな名演を成し遂げていたのに、なぜかマーラーの交響曲ではこうも大人しめのアプローチに変わってしまうというのは、実に不思議な気がする。

特に、本演奏で不出来なのは終楽章。

半田の独唱など、あまりの弱々しさに大変がっかりさせられた。

もちろん、インバルだけに、抑制的な表現であるからと言って内容が希薄ということはない。

繊細なテクスチュアのなかに和声の美しさを最大限に際立たせた演奏で、明るい印象の中にも憂愁を含んだ天上の響きを見事な手腕で作り出している。

特に第2楽章の楽器の独特の響かせ方や第3楽章のコクのある表現は、さすがと言わせる説得力もある。

オーケストラはインバルに全信頼を置き、特に弦楽器アンサンブルの艶やかさと豊潤な響きは目を見張るものがある。

SACDによる超高音質が本盤の価値を高めるのに大きく貢献していることは、忘れてはならない。

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2014年01月28日


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2001年4月28日(第4番)、1985年12月5日(第5番)/NHKホールに於けるライヴ録音。

ブロムシュテットのマーラーは世紀末的な情感よりも、古典的なスタイルと構成感に特徴がある。

それが清明な第4番にはうってつけで、精緻な演奏を聴かせてくれている。

第4番は、2001年とごく最近の録音だけに、音の状態も良く、N響の響きも艶やかで、技術的にも高水準だ。

清澄ななかにリリコの魅力を込めた中嶋彰子の歌唱も絶品。

ブロムシュテットのマーラーは、サンフランシスコ響との第2番があって評価が高いが、これも良いと思う。

ヴァイオリンは対向配置にしているようだ。

第5番はさらに15年をさかのぼる1985年の録音で、良くも悪くも当時のN響である。

金管、とりわけトランペットが相当に情けなく、最初の2楽章を聴いている途中で、これでプロを名乗れるのかと心配になってきたが、ブロムシュテットは燃えており、厚みと力感を伴った弦の彫りの深い表現が聴けるし、トランペットも途中から持ち直してくる。

第3楽章のスケルツォはかなり速いテンポ設定で、音楽が良く流れている。

一転、アダージェットは意外にも遅いテンポでじっくり歌う(13分もかけている)。

その流麗な美しさは素晴らしく、ブロムシュテットならではの演奏である。

ロンド・フィナーレも、かなり細部にまで神経が行き届き、N響も良く応えている。

ホルンが好調、木管もまずまず健闘、音楽がよく弾んでいる。

大円団のコーダにいまひとつの高揚感とスケール感が欲しいところだが、贅沢を言えばキリがないところだ。

ブロムシュテットはN響と素晴らしいマーラーの第9番を演奏した記録があるのだが、発売にこぎつけてはくれまいか。

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2014年01月12日


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ホーネック&ピッツバーク交響楽団によるマーラーの交響曲チクルスの第4弾の登場だ。

既発売は第1番、第3番及び第4番という初期の交響曲であったが、今回は中期の第5番。

これまで好評を博してきたこのコンビによるマーラーの交響曲チクルスの真価が問われる曲目と言うことができるだろう。

ホーネックのアプローチは、バーンスタインやテンシュテットなどのように思い切ったテンポや強弱の変化、そしてアッチェレランドを駆使するなどによるドラマティックな演奏ではなく、むしろ近年のマーラー演奏に一般的な、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという演奏を基調としている。

そして、このような近年の一般的な演奏の中でも、特にホーネックの場合は、オーケストラの中でヴァイオリンを長年にわたって演奏してきただけあって、各楽器セクションの精緻な響かせ方には際立ったものがあり、各楽器セクションの細やかな動きをおそらくはこれ以上は求め得ないほど完璧に音化しているのが素晴らしい。

マーラーの交響曲の演奏において必要不可欠な剛柔のバランスも見事に取られるとともに、前述のような際立った精緻さによって他の演奏ではなかなか聴くことが困難な音型も聴くことが可能となっており、単にスコアに記された音符の表層だけを取り繕っただけの内容の希薄な面白みのない演奏にはいささかも陥っていない点を評価したい。

また、とりわけ、第3楽章におけるテンポの思い切った振幅や、第4楽章における効果的なゲネラルパウゼの活用など、精緻かつ丁寧なアプローチの中にも個性的な解釈を的確に散りばめてくれているのも素晴らしい。

ピッツバーク交響楽団は必ずしも一流のオーケストラとは言い難いが、それでもホーネックの薫陶の下、他の一流オーケストラと遜色がないほどの名演奏を繰り広げているのも見事である。

マーラーの心情の吐露が顕著に表れてきた中期の交響曲第5番だけに、我々聴き手の肺腑を打つのは、バーンスタインやテンシュテットなどによるドラマティックな演奏であるが、ホーネックによる本演奏のような精緻なアプローチもまた、同曲の魅力の一面を表現したものとして高く評価をするのにいささかも躊躇するものではない。

そして、本盤の魅力は、こうしたホーネックの精緻なアプローチを完璧に捉えきった極上の高音質録音である。

ピッツバーク、ハインツ・ホールの豊かな残響を活かしたSACDによる現在望み得る最高の音質は、マルチチャンネルが付加されていないにもかかわらず臨場感においても申し分がないところであり、ホーネックの精緻なアプローチをより一層際立たせるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。

いずれにしても本盤は、演奏、録音の両面において極めて水準の高い素晴らしい名SACDと高く評価したい。

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2014年01月01日


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アバドはマーラーの交響曲第7番を2001年にベルリン・フィルとライヴ録音していることから、本盤に収められた演奏は、その17年も前のアバドによる最初の録音(スタジオ録音)ということになる。

ベルリン・フィル盤は、ベルリン・フィルの卓越した名技を生かしつつ、胃がんを発表した後の明鏡止水にも似たような境地が漂う何とも言えない深い味わいがあり、至高の名演に仕上がっている。

これに対して、本演奏もベルリン・フィル盤とは違った魅力のある名演と高く評価したい。

当時のアバドは、ある意味では全盛時代にあったと言えるのではないだろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任してからは借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになるのだが(前述の胃がん克服後は、彫りの深い名演を成し遂げるようになったことは忘れてはならない)、この時期のアバドには楽曲の核心に向けてぐいぐいと喰い込んでいくような力強い推進力があった。

本演奏においても、アバドのエネルギッシュな生命力は健在であり、とりわけ第1楽章や終楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さは圧巻の迫力を誇っている。

第3楽章もアバドには珍しいような変幻自在のテンポや粘ったようなリズムなどを効果的に駆使して、実に魅力的な演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

それでいて、とりわけ第2楽章や第4楽章のいわゆる「夜の歌」において顕著であるが、豊かな情感に満ち溢れた歌謡性はアバドならではのもので、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

まさに、本演奏は、この時期のアバドならではの剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

また、アバドの統率の下、当時、ベルリン・フィルと並んで世界最高水準の技量を誇っていたシカゴ交響楽団も、その持ち前の超絶的な技量を駆使して、望み得る最高の演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献している点を忘れてはならない。

録音については従来盤でも比較的満足できる音質であったが、前述のベルリン・フィル盤が存在することもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言える。

もっとも、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の再評価に繋がるものと言えるところであり、大いに歓迎したい。

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1951年7月のオランダ音楽祭でのライヴ録音。

乳癌のために早世したキャスリーン・フェリアーは、ブルーノ・ワルターの指揮でDeccaにスタジオ録音した《大地の歌》の独唱者として、不滅の評価を得ている。

この名アルト歌手が、ワルターとならんでマーラーの弟子として知られるクレンペラーと共演したのが、ここに聴ける「復活」交響曲のライヴ録音である。

現今では、マーラーの「復活」は、バーンスタインやテンシュテットなどの激情的な名演、小澤やインバルなどの純音楽的な名演など、数多くの名演が目白押しである。

そのような中で、マーラーの直弟子であるクレンペラーの名演はどのような位置づけになるのであろうか。

同じくマーラーの直弟子であったワルターが、「復活」に関しては録音のせいも多分にあるとは思うが、これぞ!という名演を遺していないだけに、俄然、クレンペラーの演奏の意義は高いとも言える。

この演奏は「復活」のあらゆる録音のなかでも最速のものとして知られているが、ただ速いだけでなく、凄まじい推進力に満ちており、峻厳・激烈でさながら青白い炎の様だ。

没後40周年を迎えた恩師の音楽を、なかなか認めようとしない世間へのクレンペラーの怒りが込められているかのような、怒髪天を突く「復活」だ。

特に、感心させられるのは、終楽章。

ここの中間部は、名演と称されるものでもいささか冗長さを感じさせる箇所であるが、クレンペラーは、ここを幾分テンポを落として、終結部の復活の合唱への布石のように崇高に心をこめて旋律を歌いあげていく。

この「復活」は、楽曲の本質を個性的な見地で捉えるなど奥深い内容をそなえた重厚な名演と高く評価したい。

マーラーの作品が一般に浸透するには、これからなお10年以上の歳月を必要としたのである。

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2013年12月31日


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クレンペラーは22歳という若さでマーラーの推挙もあってプラハのドイツ歌劇場の指揮者としてキャリアをスタートさせている。

マーラーの弟子という点でワルターとよく比較されるが、確かに頻繁に取り上げていたワルターに比べ、クレンペラーのマーラー演奏評はその出来に比べ低く評価されている気がしないではない。

しかし、残された演奏を聴く限り安定感があり、しっかりとした地に足が着いた演奏は、さすが巨匠の芸術というべきものであろう。

第4交響曲に関して言えば、今回のケルンを筆頭に、コンセルトヘボウ、ベルリンRIAS響、ウィーン響、バイエルン放送響、フィルハーモニア管などとの録音も残されているので、それぞれ聴き比べしてみるのも面白いだろう。

他の演奏に比べて速めのテンポで進めるが、決して雑ではなく逆に力強い推進力を感じるほどだ。

とても70歳に近い人物が指揮をしているなど音だけでは絶対にわからないだろう。

それだけ、この演奏にかけるクレンペラーの集中力は凄まじく、第3楽章にはクレンペラーと思える唸り声が聞こえる箇所がある。

モントリオール空港でのタラップ転落事故による怪我も癒え、絶好調だったクレンペラーのエネルギーが迸るマーラー演奏である。

トータル・タイム49分9秒は、全ての第4交響曲のディスクの中でも最速となるものだが、時間の短さは主に第3楽章の16分52秒というタイムに起因しているので、ほかの楽章がそれほど極端に速いというわけではない。

とはいえスタジオ録音のEMI盤に較べると、トータルで5分違うので印象はやはり大きく異なる。

この演奏の特徴は、作品のイメージそのままに推進力に満ちたテンポ設定がおこなわれている点と、飛び交う数々のフレーズにより、魅惑的な場面が連続的に形成されているということになるであろうか。

ここにはEMI盤のように足を止めて景色をじっくり眺めるといった雰囲気はないが、快適なテンポで闊歩し、それぞれの景色を積極的に楽しむといった趣がある。

曲が柔和な「第4」だけに、クレンペラーの演奏については世評は必ずしも高いとは言えないが、筆者としては、クレンペラーならではの個性的な名演と評価したい。

ソプラノのトレッチェルも明るく屈託の無い歌唱で曲にふさわしく、2年後のバイエルン放送響との演奏で起用されていたことにも納得の仕上がりである。

相性の良かったケルン放送響を元気なクレンペラーが指揮した見事な演奏と言えるだろう。

1954年2月21日のライヴ録音だが、音質もモノラルとしてはかなり上質で聴きやすい水準に達している。

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アバドはレパートリーがきわめて広範であるために、一般的にはそのような認識がなされているとは必ずしも言い難いが、いわゆるマーラー指揮者と評しても過言ではないのではないだろうか。

マーラーの交響曲全集を一度、オーケストラや録音時期が異なるなど不完全な形ではあるが完成させているし、その後も継続して様々な交響曲の録音を繰り返しているからだ。

ライバルのムーティが第1番しか録音していないのと比べると、その録音の多さには際立ったものがあり、こうした点にもアバドのマーラーに対する深い愛着と理解のほどが感じられるところである。

アバドのマーラー演奏の特徴を一言で言えば、持ち味の豊かな歌謡性ということになるのではないか。

マーラーの長大な交響曲を演奏するに当たって、アバドの演奏はどこをとっても豊かな歌心に満ち溢れている。

したがって、マーラー特有の随所に炸裂する不協和音や劇的な箇所においても歌謡性を失うことがいささかもなく、踏み外しを行ったりするなど極端な表現を避けているように思われるところである。

もっとも、アバドもベルリン・フィルの芸術監督に就任するまでの間にシカゴ交響楽団などと録音された演奏では、持ち前の豊かな歌謡性に加えて、生命力溢れる力感と気迫に満ち溢れた名演の数々を成し遂げていた。

しかしながら、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は借りてきた猫のように大人しい演奏が多くなり、とりわけ大病を克服するまでの間に演奏された第5番は、物足りなさ、踏み込み不足を感じさせる演奏であったとも言える。

しかしながら、大病にかかる直前、そして大病克服後の演奏では、豊かな歌謡性に加えて、楽曲の心眼に鋭く踏み込んでいくような彫りの深さが加わったと言えるところであり、特に、ベルリン・フィルとの第3番、第4番、第6番、第7番及び第9番、ルツェルン祝祭管との第2番は圧倒的な名演に仕上がっている。

本盤に収められた第1番は、ベルリン・フィルの芸術監督就任直前のアバドによる演奏だ。

彫りの深さといった側面ではいささか物足りないという気がしないでもないが、楽曲がマーラーの青雲の志を描いた初期の第1番であるだけに、かかる欠点は殆ど目立つことなく、持ち前の豊かな歌謡性が十分に活かされた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

これほどまでに、歌心に満ち溢れるとともに情感の豊かさを湛えている同曲の演奏は類例を見ないところであり、バーンスタインやテンシュテットなどの劇的な演奏に食傷気味の聴き手には、清新な印象を与える名演であると言っても過言ではあるまい。

新しい芸術監督に対して最高の演奏で応えたベルリン・フィルに対しても大いに拍手を送りたい。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によってさらに鮮明な音質に生まれ変わった。

アバドによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤に収められたマーラーの交響曲第8番は、現在のところアバドによる同曲の唯一の録音ということになる。

したがって、他の交響曲のように新旧両盤の比較をすることはできないが、いずれにしても本演奏は素晴らしい名演と高く評価したい。

筆者は、アバドの全盛時代はベルリン・フィルの芸術監督就任前であると考えている。

そして、ベルリン・フィルの芸術監督就任以降は借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになり、胃がんによって病に伏すまでの間は、大半の演奏が今一歩の凡庸な演奏に陥っていると考えている。

もちろん、かかる大病を克服した後はアバドの指揮にも凄みと深みが加わり、円熟の名演の数々を繰り広げるようになるのだが、ベルリン・フィルの芸術監督時代の大半は、かかる円熟に至る道程にあったと言わざるを得ないのではないか。

しかしながら、そのようなアバドも、自らの芸風に符号した楽曲においては奇跡的な名演を成し遂げることがあった。

本演奏は、まさにそれに該当するのではないかと考えられる。

アバドの本演奏におけるアプローチは徹底したバランス重視であり、例えばバーンスタインやテンシュテットなどの演奏のようにドラマティックな要素など薬にしたくもなく、楽想をいかに美しく響かせるのかに腐心しているようにさえ思われる。

そして、アバドならではの歌謡性豊かな表現は健在であり、どこをとっても汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある。

決して喚いたり叫んだりしない大人し目のマーラーと言えるが、楽曲が第5番や第9番などではないために、いささかの物足りなさを感じさせることはない。

それでいて、第2部の終結部の壮麗な迫力は圧倒的であり、アバドの豊かな歌謡性と大編成のオーケストラによる熱演や合唱団などによる熱唱が見事にマッチングした稀有の素晴らしいエンディングであると評価したい。

アバド時代になって、ベルリン・フィルにも世代交代の波が押し寄せ、この当時のベルリン・フィルはやや低迷期にあるとの評価もなされていたが、本演奏では、アバドの統率の下、持ち前の底力を発揮した素晴らしい演奏を展開している。

アンネ・ゾフィー・フォン・オッターやペーター・ザイフェルト、ブリン・ターフェルなどの豪華歌手を揃えた独唱陣も最高の歌唱を披露しており、ベルリン放送合唱団、プラハ・フィルハーモニー合唱団、そしてテルツ少年合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

録音については従来盤でも比較的満足できる音質であったが、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の素晴らしさに鑑みても大いに歓迎したい。

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2013年12月24日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第2番は、ブーレーズによるマーラーチクルスが第6番の録音(1995年)を皮切りに開始されてからちょうど10年目の録音である。

このように10年が経過しているにもかかわらず、ブーレーズのアプローチは殆ど変っていないように思われる。

かつては、作曲家も兼ねる前衛的な指揮者として、聴き手を驚かすような怪演・豪演の数々を成し遂げていたブーレーズであるが、1990年代に入ってDGに録音を開始するとすっかりと好々爺になり、オーソドックスな演奏を行うようになった。

もっとも、これは表面上のことであり、楽曲のスコアに対する追求の度合いは以前よりも一層鋭さを増しているようにも感じられるところであり、マーラーの交響曲の一連の録音においても、その鋭いスコアリーディングは健在である。

本演奏においても、そうした鋭いスコアリーディングの下、曲想を細部に至るまで徹底して精緻に描き出しており、他の演奏では殆ど聴き取ることができないような旋律や音型を聴き取ることが可能なのも、ブーレーズによるマーラー演奏の魅力の一つと言えるだろう。

もっとも、あたかもレントゲンでマーラーの交響曲を撮影するような趣きも感じられるところであり、マーラーの音楽特有のパッションの爆発などは極力抑制するなど、きわめて知的な演奏との印象も受ける。

したがって、「第2」で言えば、ドラマティックなバーンスタイン&ニューヨーク・フィル(1987年ライヴ)やテンシュテット&ロンドン・フィル(1989年ライヴ)の名演などとはあらゆる意味で対照的な演奏と言えるところである。

もっとも、徹底して精緻な演奏であっても、例えばショルティのような無慈悲な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても音楽性の豊かさ、情感の豊かさを失っていないのも、ブーレーズによるマーラー演奏の素晴らしさである。

さらに、ウィーン・フィルの優美な演奏が、本演奏に適度の潤いと温もりを付加させていることも忘れてはならない。

クリスティーネ・シェーファーやミシェル・デ・ヤングによる独唱やウィーン楽友協会合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

なお、このような細部への拘りを徹底した精緻な演奏としては、最近ではホーネック&ピッツバーク交響楽団が第1番や第4番で見事な名演を成し遂げているが、ホーネックが今後第2番を手掛けた時に、本演奏を超える演奏を成し遂げることが可能かどうか興味は尽きないところである。

録音は、今般のSHM−CD化によって従来盤よりも音質はやや鮮明になるとともに音場が広がることになった。

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2013年12月03日


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1984年4月13日 大阪フェスティバル・ホールに於けるライヴ録音。

1984年、テンシュテットとロンドン・フィルが日本で行ったライヴがついに陽の目を見た。

テンシュテットといえばマーラー。しかも5番という、きわめつけのレパートリー。

すでにロンドン・フィルとの2種の録音(78年スタジオ・88年ライヴ/EMI)が広く知られているが、これもそれらに優るとも劣らない仰天演奏。

1楽章葬送マーチからして恐るべき粘っこさで、歩みを重く引きずるような、この途方も無い暗さはいったいどこから来るのか。

濃厚な葬送行進曲からつながる嵐の2楽章、ホルンも弦もすべてがパワー全開の豪放なスケルツォ、アダージェットでのこの上ない陶酔、そしてフィナーレの爆発的な絶頂。

どの瞬間でもオケの異常な集中力と緊張感とが途切れることがない。

この指揮者ならでは音楽に全身全霊を傾ける独特のやり方を、ここまで端的にあらわした例も数少なく、いまだに実演を目の当たりにした人々が口々に語り継ぐのも当然の演奏内容と言えよう。

一方、カタログ初の「ハフナー」はあくまで端正優美で、このあたり、マーラーとはまったく対照的なのがたいへん興味深いところで、それもこれも当アルバムが一夜のプログラムをすべて収めているからこその醍醐味だ。

さらにテンシュテットの肉声が聴けるインタビューが収められているのも嬉しいポイント。

録音については、幸いなことにマスターの状態も良く、Altusによる鮮烈かつ重厚なリマスタリングが素晴らしい出来栄えで、世紀の名演を今日に蘇らせてくれた。

「ここではテンシュテットの芸術の魅惑が最善の状況で記録されている(音楽評論家小石忠男氏によるライナーノートより)」。

まさにこれはテンシュテットのマーラー・音楽・生きざまが刻み込まれた畢生のドキュメント。

彼の心からのファンはもちろん、魂を揺さぶる音楽を求めている人に熱い感動を約束してくれる1枚である。

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2013年10月30日


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インバルは、東京都交響楽団との間でマーラーチクルスを続行しているが、前作の第3番に続いて本盤も、この黄金コンビの好調さを表す素晴らしい名演だ。

インバルは、かつてフランクフルト放送交響楽団と素晴らしい全集を作り上げた。

当該全集では、インバルは劇的な要素をできるだけ抑制し、客観的な視点でマーラーがスコアに記した音符の数々を無理なく鳴らすというアプローチであった。

インバル自身には、マーラーへの深い愛着に去来する有り余るパッションがあるのだが、インバルは演奏の際には、それをできるだけ抑制しようとする。

それ故に、客観的なアプローチを取りつつも、いささかも無味乾燥な演奏に陥ることなく、内容の濃さにおいては人後に落ちることはない。

しかも、抑制し切れずに零れ落ちてくるパッションの爆発が随所に聴かれ、それが聴き手の感動をより深いものにするのだ。

ここに、インバルによるマーラーの魅力の秘密がある。

東京都交響楽団との新チクルスにおけるアプローチも、基本的には旧全集と同様であるが、旧全集と比較すると、パッションの爆発の抑制を相当程度緩和しており(ライヴ録音とスタジオ録音の違いもあるとは思うが)、これが新チクルスをして、旧全集よりもより一層感動的な名演に仕立てあげているのだと考える。

かかる点は、近年のインバルの円熟ぶりを示す証左として高く評価したい。

第1楽章は、冒頭のゆったりとしたテンポによる低弦による合奏の間の取り方が実に効果的。

トゥッティに至る高揚は雄渾なスケールで、その後の高弦による旋律の歌い方は、思い入れたっぷりの情感に満ち溢れていて美しい。

続く主部は、緩急自在の思い切ったテンポ設定、幅の広いダイナミックレンジを駆使して、実にドラマティックに曲想を抉り出していく。

随所に聴かれる金管楽器の最強奏や雷鳴のようなティンパニは、圧巻の凄まじいド迫力だ。

かつての自己抑制的なインバルとは段違いの円熟のインバルならではの成せる業だ。

第2楽章は、オーソドックスな解釈であるが、弦楽器も木管楽器もこれ以上は求め得ないような情感の籠った流麗な音楽を紡ぎ出している。

第3楽章は、冒頭のティンパニによる強打の効果的な間の取り方が、第1楽章冒頭の低弦と同様で実に巧み。

その後も、ティンパニを始めとした打楽器群の生かした方は素晴らしく、打楽器を重要視したマーラーの本質を見事に衝いている。

中間部の金管楽器のファンファーレにおける猛烈なアッチェレランドは凄まじい迫力であるし、その後に続く弱音のトランペットのパッセージのゆったりしたテンポによる歌わせ方は、まさに天国的な至高・至純の美しさ。

終結部のトゥッティのド迫力は、もはや言葉を失ってしまうほど圧倒的だ。

第4楽章は、メゾソプラノのフェルミリオンの歌唱が実に美しい。

それに合わせるかのように、東京都交響楽団も雰囲気満点の実に美しい音楽を奏でている。

終楽章は、冒頭圧巻の迫力で開始される。

その後は、ゲネラルパウゼや思い切った強弱の変化等を効果的に駆使しつつ主部に繋いでいく。

主部への導入部のティンパニは凄まじい迫力、主部は風格豊かな堂々たる進軍だ。

この部分は、下手な指揮者にかかると冗長さを感じさせてしまうのだが、インバルの場合は、緩急自在のテンポ設定、アッチェレランドの効果的活用、強弱の変化など、あらゆる至芸を駆使して実に濃密でドラマティックな音楽を構築しているのが素晴らしい。

合唱が導入されて以降は、スケール雄大な壮麗さが支配しており、圧倒的な高揚と迫力のうちに、全曲を締めくくっている。

独唱陣は、終楽章においても見事な歌唱を披露しており、二期会合唱団も大健闘と言える。

何よりも素晴らしいのは東京都交響楽団であり、インバルの見事な統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

SACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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近年のインバルの充実ぶりを認識させられる素晴らしい名演だ。

インバルは、当時の手兵のフランクフルト放送交響楽団とともに、マーラーの交響曲全集を録音している。

それは、有り余るパッションをできるだけ封じ込めて、作品から一歩引いた客観的とも言えるアプローチによる演奏であり、全集全体の水準としては満足できる出来と言えるものの、楽曲によっては物足りないものもあった。

第7番など超名演であったのだが、他方、第9番や第6番、そして、第3番もどこか物足りなさが残る演奏であったと記憶する。

ところが、本盤の演奏ではそのような物足りなさは微塵も感じられない。

インバルも、ライヴ録音ということもあるのだと思うが、ここでは、有り余るパッションをいささかも抑制していない。

それどころか、猛烈なアッチェレランドやダイナミックレンジの幅の広さなど、思い切った表現が際立つ。

それでいて、全体としての造型がいささかも弛緩しないというのは、インバルの類稀なる音楽性の勝利と言えるだろう。

こうしたインバルの圧巻の指揮に、しっかりとついていった東京都交響楽団も、金管楽器、木管楽器ともに抜群の巧さ、そして弦楽器や打楽器も含めた見事なアンサンブルを誇っており、独唱陣や合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

SACDによる高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2013年10月23日


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セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏がいかに凄まじいものであったのかということを理解できる一枚だ。

このコンビによる全盛時代の演奏は、オーケストラの各楽器セクションが一つの楽器が奏でるように聴こえるという、「セルの楽器」との呼称をされるほどの鉄壁のアンサンブルを誇っていた。

米国においては、先輩格であるライナーを筆頭に、オーマンディやセル、そして後輩のショルティなど、オーケストラを徹底して鍛え抜いたハンガリー人指揮者が活躍しているが、オーケストラの精緻な響きという意味においては、セルは群を抜いた存在であったと言っても過言ではあるまい。

マーラーの第6番は、筆者がある時期嵌り込んだ作品でもあるので、随分と多くの録音を聴いたのを思い出す。

その中でいまだに素晴らしいと思うのはバルビローリ盤、次いでこのセル盤の解晰的演奏の精気である。

これらかつての愛聴二盤は、後にテンシュテットの驚異的なアプローチが現れるまで続いたが、それでも当セル盤は今なお啓発的であり続けている。

ともかく、ここまで冷静沈着にマーラーの音の群れを把握し、客観的視座から交響形態へと組み直している例は稀であろう。

確かに当世風の演奏指向とはいささか異質だろう。

けれども尚且つマーラーの音楽の複雑な本質を正面から解き明かしている重要な演奏のひとつのように感じてならない。

第10番については、定番のクック版ではなく、現在では殆ど採り上げられることがないクレネク版が採用されているところである。

アダージョのみならず第3楽章に相当するプルガトリオを収録しているのも貴重であり、加えて演奏が精緻にして緻密な名演であることに鑑みれば、セルは、録音の数は少なくとも、マーラーに対して一定の理解と愛着を抱いていたと言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤に収められた演奏は、全盛期にあったセル&クリーヴランド管弦楽団による完全無欠の圧倒的な名演と高く評価したい。

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2013年10月16日


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当日演奏会は、同曲を引っさげた欧州演奏旅行からの凱旋公演であった。

22年前の録音であるが、小林の数少ないレパートリーの中でも得意の曲だけに、既に小林の個性が全開の名演と言うことができよう。

小林のマーラーの「第5」の名演として第一に掲げるべきは、本盤の数年後にチェコ・フィルと録音された名演であると考えるが、当該名演と比較しても、本盤は決して優るとも劣らぬ名演と高く評価したい。

どこをとっても切れば血が出るような熱気が漲っており、テンポもめまぐるしく変化するが、いささかのあざとさも感じさせないのは、小林が、マーラーの「第5」を深く理解しているとともに、同曲への深い愛着にほかならないと言える。

特に、最後のコラールからコーダにかけてのテンポ設定は、実によく計算されていると思う。

当時の小林は、全集を作る人間ではなく、惚れた曲だけを指揮する指揮者であったが、振る曲は本当にこだわりの逸品だった。

22年前の録音を一昨年になって再発売したのは、小林の生誕記念の年ということもあるが、かつての名演をSACD(高音質)化するという点でそれなりに意義のあることと考える。

そして、その音質であるが、見事というほかはない。

金管楽器は朗々と鳴り響き、低弦の厚みも重厚さの極み。

各楽器の分離も、さすがはSACDならでは鮮明さであり、ダイナミックレンジの幅広さも、従来CDとは比較にはならない素晴らしさだ。

音質が鮮明になった分、日本フィルの奏者のミスや小林のうなり声が目立つようにはなったが、本名演の評価を貶めるような結果にはいささかも陥っていない。

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2013年10月09日


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ゲルギエフ&ロンドン響によるマーラーチクルスが終盤に差し掛かった頃のライヴ録音である。

これまでの各交響曲の演奏を顧みると、名演とイマイチの演奏が混在しており、玉石混交といった状況にある。

これまで発売されたいずれの交響曲も、聴く前は、名演、駄演のどちらに転ぶかわからないといった予測が付かない不安があったが、本盤は、幸いにもいい方に転んでくれた。

これまでの演奏の中でもかなり上位にランキングできる素晴らしい名演と評価してもいいのではないか。

ゲルギエフは、ここでは、チャイコフスキーやショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキーなどで垣間見せた野性味溢れるドラマティックなアプローチは薬にしたくもない。

むしろ、自我を極力抑えて、マーラーの音楽を精緻に美しく描き出していくことに専念しているように思われる。

もちろん、演奏に強弱の起伏がないわけではなく、トゥッティにおける金管楽器やティンパニなどの最強奏は圧巻の迫力を誇っているのだが、いわゆる踏み外しがいささかも感じられないのである。

これは、ゲルギエフが、テンポの変化を最小限に抑えているのに起因しているのかもしれない。

したがって、この演奏の場合、ドラマティックな要素は極めて少なく、むしろ、スケールの壮大さで勝負した感がある。

このようなアプローチは、本来的には「第5」のような劇的な要素が支配的な交響曲の場合には相応しいとは言えないが、前述のような壮大なスケール感と精緻な美しさによって、マーラーの「第5」に新鮮な魅力を見出すことに成功した点は評価せざるを得ないのではないだろうか。

マーラーの「第5」に、ドラマティックな演奏を期待する聴き手、バーンスタインやテンシュテット、プレートルなどの劇的な名演を好む聴き手からは、物足りないとの批判が寄せられることは十分に予測されるが、筆者としては、マーラーの「第5」に新しい光を当てた異色の名演として、高く評価したい。

SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音も、ゲルギエフの精緻なアプローチを鮮明に再現し得るものとして、大いに歓迎したい。

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2013年09月26日


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アバドによるマーラーの交響曲第2番と言えば、いの一番にルツェルン祝祭管弦楽団との超名演(2003年ライヴ)が思い浮かぶ。

当該演奏は、大病を克服したアバドならではの深みと凄みを増した指揮とアバドと深い関係にあるルツェルン祝祭管弦楽団が、ともに音楽を創造していくことの楽しみを共有し合いつつ渾身の力を発揮した稀有の超名演に仕上がっていた。

したがって、このルツェルン盤の存在があまりにも大きいために、そしてウィーン・フィルとのライヴ録音(1992年)も存在しているため、更に約20年も前のスタジオ録音である本盤の演奏の影はいささか薄いと言わざるを得ないが、筆者としては、若き日のアバドならではの独特の魅力がある素晴らしい名演と高く評価したい。

本演奏におけるアバドのエネルギッシュな指揮ぶりは実に凄まじい。

とりわけ第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力感は、圧倒的な迫力を誇っていると言えるところであり、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後、借りてきた猫のように大人しくなってしまったアバドとは別人のような力強い生命力に満ち溢れた熱い指揮ぶりである(アバドは芸術監督退任間近に胃がんにかかるが、胃がん克服後は、彫りの深い名演を成し遂げるようになったことを忘れてはならない)。

それでいて、とりわけ第2楽章や第3楽章などにおいて顕著であるが、アバドならではの歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある。

終楽章の終結部の壮麗さも、雄渾なスケールと圧巻の迫力に満ち溢れており、圧倒的な感動のうちに全曲を締めくくっている。

シカゴ交響楽団も持ち前の超絶的な技量を如何なく発揮しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、キャロル・ネブレットとマリリン・ホーンによる独唱、そしてシカゴ交響合唱団による壮麗な合唱も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

録音については、従来盤でも十分に満足し得る音質であったが、今般、オリジナル・マスターからのハイビット・ハイサンプリング音源を使用するとともに、SHM−CD化による更なる高音質化が図られたというのは、本演奏の素晴らしさから言っても大いに歓迎したい。

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2013年09月16日


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本盤に収められたマーラーの交響曲全集は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集である。

それどころか、録音から25年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。

インバルのマーラ―に対する評価については百家争鳴の感がある。

それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。

インバルのマーラーは、近年の都響やチェコ・フィルとのライヴでは随分と変容しつつあるが、本盤の各演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。

したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。

しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。

ただ、本盤のようなスタジオ録音による全集を完成させるに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。

マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本盤におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。

しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。

それが各演奏を四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる各演奏を感動的なものにしているところだ。

前述のように、本全集におけるインバルによる演奏に対する見方は様々であると思われるが、筆者としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本全集が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。

1985年から1988年という極めて短期間に(1992年のスタジオ録音である第10番のクック全曲版については、もともとの全集とは別個に録音されたものであり、ここでは全集と区別して考えたい)録音されたということも、各交響曲毎の演奏のムラをなくす結果に繋がっている。

そして、本全集でさらに素晴らしいのは、マーラーのような大編成のオーケストラ曲においては画期的とも言えるワンポイント録音による極上の鮮明な超高音質である。

様々な楽器セクションがこれほど鮮明に、そしてナチュラルに分離して聴こえるというのは、他の録音でも極めて少ないと言えるところであり、本全集の普遍性に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2013年08月31日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第6番は、DVD作品を除けば、アバドによる3度目の録音ということになる。

最初のものは、ウィーン交響楽団とのライヴ録音(1967年)であり、デビューしたばかりの若きアバドならではの渾身の大熱演であった。

これに対して、2度目のものはシカゴ交響楽団とのスタジオ録音(1979〜1980年)であり、これはある意味ではアバドが最も輝いていた時期の演奏。

持ち味である歌心溢れる豊かな歌謡性と強靭な気迫や生命力が融合した稀有の名演に仕上がっていた。

これに対して、本演奏は2004年のライヴ録音。

これまでの2度にわたる演奏とは一線を画する円熟の名演に仕上がっている。

本演奏の最大の優位点は、演奏全体を支配する奥行きの深さである。

アバドはベルリン・フィルの芸術監督を退任する少し前の2000年に大病を患うことになった。

そして、アバドはその大病を見事に克服するのであるが、死と隣り合わせの苛烈な体験を経たことによって、アバドの芸風には、それまでの演奏にはなかった凄みと底知れぬ彫りの深さが加わったと言えるのではないだろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任して以降は、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始していただけに、その変貌ぶりには驚くべきものがあったとも言える。

したがって、本演奏には、これまでの2度にわたる演奏には存在しなかった楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さが存在しているというのはある意味では当然であり、まさにアバドによる円熟の名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

もっとも、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な迫力という意味においては、シカゴ交響楽団との2度目の録音と比較するといささか見劣りするとも言えなくもないが、むしろ、このように決して喚いたり叫んだりしない、そして奥行きの深い演奏の中にも持ち前の豊かな歌謡性をより一層際立たせたいい意味での剛柔バランスのとれた演奏こそが、アバドが目指す究極のマーラー演奏の理想像とも言えるのかもしれない。

なお、アバドは、これまでの2度にわたる録音とは異なり、国際マーラー協会の見解に従って、第2楽章と第3楽章を入れ替えるバージョンで演奏しているが、これはいかにも新しいもの好きのアバドならではの解釈である。

ベルリン・フィルも、このような深みと凄みを増したアバドによる確かな統率の下、持ち得る実力を十二分に発揮した最高のパフォーマンスを示していると評価したい。

録音については、数年前に発売されたこのマルチチャンネル付きのSACDがベストの高音質である。

当該SACD盤は現在でも入手可であり、可能であれば、当該SACD盤の入手をおすすめしたい。

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2013年08月13日


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本盤には、レヴァインが主として1970年代(第7番のみ1980年)に演奏したマーラーの交響曲のスタジオ録音が収められている。

全集ではなく、第2番及び第8番、そして「大地の歌」が存在していないのは残念な気がするが、他方、第10番についてはアダージョではなく、デリック・クック第3稿第1版による全曲版を収めており、収録曲については一長一短と言えるのかもしれない。

演奏は素晴らしく、いずれも極めて優れた名演と高く評価したい。

レヴァインのアプローチは、その大柄な体躯を思わせるような骨太で迫力満点のエネルギッシュなものだ。

奇を衒ったりすることはいささかもなく、あくまでも直球勝負。

シカゴ交響楽団やフィラデルフィア管弦楽団、そしてロンドン交響楽団などといった一流のオーケストラを巧みにドライブして、曲想を精緻かつ丁寧に、そしてダイナミックに描き出していくものである。

したがって、マーラーの交響曲の魅力をそのままの形で満喫させてくれるのが素晴らしい。

このようなオーソドックスとも言えるような純音楽的なアプローチは、近年ではジンマン、ティルソン・トーマス、マーツァルなど現代におけるマーラーの演奏様式の主流となりつつあるが、本盤の演奏当時の1970年代においては、むしろ少数派であったと言えるのではないか。

マーラーの直弟子でもあったワルターやクレンペラーによる演奏は別格として、バーンスタインによるドラマティックで劇的な演奏や、ショルティによる無慈悲なまでの強烈無比な演奏、クーベリックによるボヘミア風の素朴な味わいの演奏、カラヤンによる耽美的な絶対美を誇る演奏など、海千山千の指揮者による個性的な名演が跋扈し、アバドやマゼール、テンシュテット、インバルなどによる演奏の登場もこれからが本番という時期でもあった。

そのような個性的な演奏があまた存在している中で、敢えて純音楽的に徹した演奏を行ったレヴァインのアプローチには、ある種の新鮮さを感じるとともに、現代におけるマーラー演奏の先駆けとも言える存在ではないかとさえ考えられるところだ。

もちろん、レヴァインによるマーラーの演奏には、バーンスタインやテンシュテットなどによるドラマティックで劇的な演奏にように、我々聴き手の肺腑を打つような奥行きの深さなどは薬にもしたくないが、マーラーの交響曲の美しさ、素晴らしさを安定した気持ちで心ゆくまで満喫させてくれるという意味においては、1970年代以前に録音された演奏の中では、本盤の演奏の右に出るものはないのではないかと考えられる。

いずれにしても、本盤のマーラーの交響曲選集は、若きレヴァインによる爽快な名演であり、超廉価であることに鑑みても、安心してお薦めできる名選集であると高く評価したい。

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2013年08月11日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第5番は、アバドによる2度にわたる同曲の録音のうち最初のものに該当するが、ベルリン・フィルとの新盤(1993年)よりもはるかに優れた素晴らしい名演と高く評価したい。

筆者は、アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督の就任前、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などとともに数々の演奏を行っていた時期(とりわけ1970年代後半から1980年代にかけて)であると考えている。

ベルリン・フィルの芸術監督就任以降は借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになり、胃がんによって病に伏すまでの間は、大半の演奏が今一歩の凡庸な演奏に陥っていたと言えるのではないだろうか。

前述のベルリン・フィル盤もその最たる例であると言えるところであり、筆者もマルチチャンネル付きのSACD盤を所有しているが、演奏全体に覇気が感じられないのが大いに気になった次第だ。

それに対して、本演奏におけるアバドの力強い生命力が漲った力感溢れる指揮ぶりは実に凄まじい。

第1楽章からして、ベルリン・フィル盤には感じられないような気迫溢れる推進力が漲っており、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような力強さは圧倒的な迫力を誇っている。

それでいて、第4楽章や各楽章の緩徐部分における歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある。

その意味では、本演奏はいい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるのかもしれない。

また、当時のシカゴ交響楽団は、音楽監督であったショルティの下、スーパー軍団の異名をとるほどの力量を誇っていたが、本演奏でも持ち前の超絶的な技量を惜しげもなく披露し、望み得る最高の演奏を繰り広げていることも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

録音は、従来盤が今一つの音質であり、前述のベルリン・フィル盤がSACD化されていることもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言えるが、本演奏こそがアバドによるマーラーの交響曲第5番の代表盤であることを考慮すれば、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたのを大いに歓迎したい。

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2013年08月09日


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ゲルギエフ&ロンドン交響楽団によるマーラーチクルスもついに大詰めを迎えることになり、ついにマーラーの最高傑作である第9番が登場することになった。

本盤に収められたマーラーの交響曲第9番の演奏は、昨年3月のライヴ録音とのことであるが、それに先立って一昨年末での東京での演奏会などでも同曲を採り上げており、ゲルギエフとしても満を持してこの最高傑作の録音に臨んだということなのであろう。

それだけに、本演奏も、ゲルギエフによる並々ならぬ意欲を感じさせる圧倒的な名演に仕上がっている。

第1楽章からして、ゲルギエフのテンションは全開であり、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫、そしてトゥッティにおける強靭な迫力など、前のめりになって演奏するゲルギエフによる、切れば血が噴き出てくるような圧倒的な熱き生命力を感じることが可能だ。

テンポの緩急や思い切った強弱の変化、そしてアッチェレランドの駆使など、ありとあらゆる表現を用いることによって、マーラーが同曲に込めた死への恐怖や闘いを的確に描出し、ドラマティックの極みとも言うべき豪演を展開しているのが素晴らしい。

第2楽章もゲルギエフならではの躍動感溢れる演奏が光っており、テンポといい、リズム感といい、これ以上は求め得ないようないい意味での緻密な演奏を展開している。

第3楽章は、緻密さの中にも荒々しさを感じさせるような強靭さが際立っており、終結部に向けての猛烈なアッチェレランドは我々の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

そして、終楽章は、中庸のテンポで滔々と美しい音楽が醸成されていくが、各フレーズに対する心の込め方には尋常ならざるものがあり、マーラーが同曲に込めた生への妄執と憧憬を情感豊かに濃密に描き出していると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団によるこれまでのマーラーチクルスの中でも飛び抜けた内容を誇る名演と高く評価したい。

音質は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、その臨場感溢れる鮮明な高音質は、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2013年07月28日


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素晴らしい名演だ。

これだけ感動的なマーラーを聴いたのは久しぶりだ。

小澤は、かつての手兵のボストン交響楽団とともにマーラーの交響曲全集を録音しているが問題にならない。

小澤のマーラーの最高の演奏は、サイトウ・キネン・オーケストラとの「第2」及びこの「第9」であり、これら両曲については、古今東西の様々な名演の中でも十分に存在価値のある名演と高く評価したい。

小澤の「第9」へのアプローチはいわゆる純音楽的なもので、彼の美質である率直な解釈、音と表情の美しさに加えて、白熱した感興が漲っている。

冒頭からしなやかな表情で、作品の多様に変化する情緒を表出するが、意力の強さが流れに強靭な力を与えている。

バーンスタインやテンシュテットの劇的で主観的なアプローチとはあらゆる意味において対照的であるが、だからと言って物足りなさは皆無。

小澤の、楽曲の深みに切り込んでいこうとする鋭角的な指揮ぶりが、演奏に緊張感といい意味でのメリハリを加味することに繋がり、切れば血が出るような熱き魂が込められた入魂の仕上がりとなっている。

ボストン響との旧盤はダイナミックなものの少しばかり軽いかなと感じていたが、今回の録音では、ダイナミックさと重厚さが見事に両立している。

さらに、終楽章コーダの消えゆくような細やかな音も、Blu-spec CD による高音質のおかげでとてもよく聴き取れて、耳を澄ましていると音の向こう側へ吸い込まれてしまいそうな感じを受ける。

筆者としてはバーンスタインの新盤以来の愛聴盤となりそうだ。

サイトウ・キネン・オーケストラも、小澤の確かな統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

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2013年07月18日


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ブルックナーの権威として、3度にわたって全集を完成させるなど、朝比奈は、ブルックナーの交響曲を数多く演奏した。

したがって、朝比奈には、ブルックナー指揮者というイメージが強く、マーラー指揮者というイメージは殆どない。

それでも、同じ年齢のカラヤンと比較すると、「第1」以外の交響曲はすべて演奏を行った記録が遺されているなど、意外にもマーラーをよく指揮しているのである。

特に、「第5」はマスターテープの損傷が激しくてCD化が困難ということであるが、「第2」、「第6」、「第9」、そして「大地の歌」には複数の録音が遺されている点も見過ごすことはできないだろう。

朝比奈のマーラーへのアプローチは、ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーに対するアプローチと同じだ。

荘重たるインテンポで、曲想を愚直に描き出していくというものだ。

そのようなアプローチは、劇的な要素が支配的なマーラーの交響曲にはいささか符号しない点も多々見られるが、雄渾なスケールの大きさにおいては、他のどの演奏にも互角に渡り合えると思われる。

朝比奈のアプローチが最も適合する交響曲は、本盤の「大地の歌」と言えるのではないだろうか。

同様のアプローチによる名演の先例として、クレンペラー盤があるからである。

もちろん、オーケストラや歌手陣は、クレンペラー盤と比較して相当程度劣ると言えるが、演奏内容の彫りの深さと言った点では、クレンペラー盤にかなり肉薄しているのではないかと考える。

最大公約数的には、後年の演奏(ポニーキャニオン)を上位に掲げるべきであろうが、朝比奈が最円熟期を迎える直前の本盤も、十分に魅力的な名演と高く評価したい。

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2013年07月16日


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ブーレーズは、15年もの長きにわたってマーラーの交響曲全集の録音に取り組んできたが、本盤は、その最後を飾るものである。

まさに、有終の美を飾る名演として高く評価したい。

全集の最後を、未完の交響曲第10番で終えるというのも、いかにもブーレーズらしい。

ブーレーズのマーラーは、若き日の前衛時代ではなく、むしろ角の取れたソフト路線が顕著となった時期の録音だけに、純音楽的なアプローチでありながら、比較的常識的な演奏に仕上がっていることが多いように思う。

そのような中で、今回の第10番は、もちろん、若き日のブーレーズのような切れ味鋭い前衛的な解釈が全体を支配しているわけではないが、近年のブーレーズに顕著な好々爺のような穏健的な解釈ではなく、むしろ、曲想を抉り出していくような冷徹とも言えるアプローチをとっている。

それ故に、甘さを一切配した、若き日のブーレーズを彷彿とさせるような名演に仕上がっている。

テンポがやや速めなのも、こうした傾向に拍車をかけており、私見ではあるが、ブーレーズが、マーラーの交響曲へのアプローチの仕方を、この第10番において漸く見出すことができたのではないかと思うほどだ。

併録の「子供の不思議な角笛」は、第10番とは異なり、いかにも近年のブーレーズらしい穏健な解釈であるが、コジェナーやゲアハーヘルの独唱と相俟って、ゆったりとした気持ちで音楽を味わうことができるのが素晴らしい。

2人の歌手が6曲ずつを分担、「死んだ鼓手」を前半最後の6曲目に入れた以外は珍しく出版譜通りの曲順で演奏されている。

録音も極上で文句なし。

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2013年07月10日


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インバルが東京都交響楽団を指揮して演奏したマーラーの「第2」や「第3」は素晴らしい名演であったが、本盤に収められたチェコ・フィルとの「第5」も素晴らしい名演と高く評価したい。

インバルは、マーラーの「第5」をかつての手兵フランクフルト放送交響楽団とスタジオ録音(1986年)するとともに、東京都交響楽団とのライヴ録音(1995年)もあるが、本演奏は、それら両演奏をはるかに凌駕する名演と言える。

かつてのインバルは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションをできるだけ抑制して、できるだけ音楽に踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。

したがって、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な演奏ではあるが、ライバルとも目されたベルティーニの歌心溢れる流麗さを誇るマーラー演奏などと比較すると、今一つ個性がないというか、面白みに欠ける演奏であったことは否めない事実である。

前述の1986年盤など、その最たる例と言えるところであり、聴いた瞬間は名演と評価するのだが、しばらく時間が経つとどんな演奏だったのか忘却してしまうというのが正直なところ。

ワンポイント録音による画期的な高音質だけが印象に残る演奏というのが関の山と言ったところであった。

1995年盤になると、ライヴ録音ということもあり、インバルにもパッションを抑えきれず、踏み外しが随所にみられるなど、本盤に至る道程にある名演と言うことができるだろう。

そして、本盤であるが、ここにはかつての自己抑制的なインバルはいない。

インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、ドラマティックな表現を施しているのが素晴らしい。

それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的な表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。

いずれにしても、前述の「第2」及び「第3」と同様に、本盤のようなドラマティックな表現を駆使するようになったインバルを聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニが鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられない。

オーケストラにチェコ・フィルを起用したのも功を奏しており、金管楽器、特にトランペットやホルンの卓抜した技量は、本名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。

SACDによる極上の高音質録音も、本名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したい。

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2013年07月06日


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ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団によるマーラーの交響曲全集は、2001年9月の交響曲第6番を皮切りとして、2009年のさすらう若人の歌に至るまで、約10年の歳月をかけて成し遂げられたものである。

本全集のメリットはいくつかあるが、先ずは何よりも全曲がマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であるという点である。

マーラーの交響曲のような大編成のオーケストラ曲には、臨場感溢れるSACDが相応しいと思われるが、これまでのところSACDによる全集は、本全集のほかはバーンスタイン&ニューヨーク・フィル等による最初の全集(1960〜1975年)、ジンマン&トーンハレ管による全集(2006〜2010年)しか存在していないところだ(現在、マーツァルやゲルギエフ、ヤンソンスなどによる全集が進行中であるが完成までにはまだまだ時間を要すると思われる)。

これはきわめて嘆かわしい状況にあるが、その分、本全集の価値がより一層高まることになると言えるだろう。

次いで、本全集にはカンタータ「嘆きの歌」が含まれているということである。

カンタータ「嘆きの歌」は、その後の交響曲の萌芽を聴くことが可能なマーラーの最初期の意欲作であるが、同曲の録音は著しく少ない状況にあり、バーンスタインやジンマンも同曲を録音していない。

その意味では、本全集はマーラーのほぼ完全な全集であるという意味においてその価値は極めて高いものである(歌曲集「子供の魔法の角笛」が全曲ではなく、抜粋であることだけが唯一惜しい点である。また、第10番についてはクック版などの輔弼版には目もくれず、アダージョのみとしたのも大変興味深い)。

そして、何よりも演奏が素晴らしいということである。

ティルソン・トーマスは、バーンスタインやテンシュテットのようにドラマティックな演奏を行っているわけではない。

むしろ、直球勝負であり、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものだ。

加えて、オーケストラを無理なくバランス良く鳴らし、マーラーの作曲した数々の旋律を実に明瞭に美しく響かせるべく腐心しているように思われる。

それでいて、スコアに記された音符のうわべだけをなぞっただけの浅薄な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても豊かな情感とコクに満ち溢れているのが素晴らしい。

まさに、純音楽的な演奏と言えるところであり、マーラーの交響曲の魅力を安定した気持ちで満喫できるという意味においてはきわめて優れた名演である。

かかるアプローチは、同じくSACDによる全集完成に向けて進行中のマーツァル&チェコ・フィルによる演奏と似通っている面が無きにしも非ずであるが、マーツァル盤は、マーラーがボヘミア出身であることに着目した独特の味わい深さが演奏の底流にあるのに対して、本ティルソン・トーマス盤は、マーラーをその後の新ウィーン派に道を開いた20世紀の音楽家として捉えているという点に違いがあると言えるのかもしれない。

また、完成に約10年の歳月を費やした全集であるにもかかわらず、本全集では各交響曲や歌曲毎の演奏の出来にムラが殆どないというのも見事である。

サンフランシスコ交響楽団も、ティルソン・トーマスの確かな統率の下、ライヴ録音とは思えないような安定した技量を発揮して、望み得る最高の演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本全集は、マーラーの交響曲の魅力を、望み得る最高の臨場感溢れる高音質により安定した気持ちで満喫できるという意味において、自信を持ってお薦めできる名全集と高く評価したい。

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2013年07月04日


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バーンスタインならではの至高の超名演と高く評価したい。

「子供の不思議な角笛」は、マーラーが同名の民謡詩集から選んで作曲した歌曲集であるが、同歌曲集を構成する各歌曲が有する諧謔や皮肉、そしてユーモアに満ち溢れた独特の内容は、交響曲第2番〜第4番のいわゆる角笛交響曲にも通底するものと言えるのかもしれない(「さかなに説教するパトバのアントニオ」や「原光」の旋律については、第2番に活用されている)。

バーンスタインのアプローチは、同歌曲集においても、これら角笛交響曲で行ったアプローチと何ら変わるところはない。

その表現は濃厚さの極みであり、緩急自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、粘ったような進行や猛烈なアッチェレランドの駆使など、考え得るすべての表現を駆使して、曲想を濃密に、そしてドラマティックに描き出していく。

各歌曲毎の描き分けも見事に行っており、あたかも歌曲集全体が一大交響曲のような雄大なスケール感を有しているのが素晴らしい。

バーンスタインがこれだけ自由奔放な指揮を行っているにもかかわらず、歌曲集全体に纏まりがあるというのは驚異的であり、これは、生粋のマーラー指揮者であるバーンスタインだけが成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。

そして、このようなバーンスタインの壮絶な指揮に適度な潤いと奥行きを与えているのが、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による名演奏と言うことになるだろう。

同オーケストラは、シャイーが音楽監督になってからはその音色が随分と変化したとも言われているが、本盤の録音当時は、北ヨーロッパのオーケストラならではのいぶし銀の深みのある音色を誇っており、ここでもそうした同オーケストラの持ち味を生かした好パフォーマンスを発揮しているのが見事である。

独唱のポップとシュミットも最高の歌唱を行っていると言えるところであり、この諧謔と皮肉、そしてユーモアに満ち溢れたマーラーの歌曲の独特の内容を見事に表現し尽くしている点を高く評価したい。

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2013年06月26日


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凄い演奏だ。

いまや世界最高のマーラー指揮者として君臨しているインバルの勢いを、もはや誰もとどめることが出来ない。

インバルによるマーラーの交響曲演奏といえば、かつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団との全集(1985年〜1988年)が名高いが、ここ数年にわたって、東京都交響楽団やチェコ・フィルとの演奏は、段違いの素晴らしさと言えるのではないだろうか。

本盤に収められたチェコ・フィルとのマーラーの交響曲第1番の演奏は、チェコ・フィルとの演奏としては第5番、第7番に次ぐ第3弾ということになるが、インバルとしては、前述の全集中に含まれた同曲の演奏(1985年)以来、約30年ぶりのものである。

同曲は、マーラーの青雲の志を描いた交響曲であるだけに、前回の全集の中でも非常に優れた演奏の一つであったが、本盤の演奏は更に優れた名演に仕上がっており、まさに、近年のインバルの充実ぶりが窺える圧倒的な超名演と言っても過言ではあるまい。

かつてのインバルによるマーラーへの交響曲演奏の際のアプローチは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションを抑制して、可能な限り踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。

全集の中でも優れた名演の一つであった第1番についても例外ではなく、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な名演奏ではあるが、今一つの踏み外しというか、胸襟を開いた思い切った表現が欲しいと思われることも否めない事実である。

ところが、本演奏においては、かつての自己抑制的なインバルはどこにも存在していない。

インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、どこをとっても気迫と情熱、そして心を込め抜いた濃密な表現を施しているのが素晴らしい。

それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的かつロマンティックな表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。

いずれにしても、テンポの効果的な振幅を大胆に駆使した本演奏のような密度の濃い表現を行うようになったインバルによる超名演を聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニなどの累代のマーラー指揮者が鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられないところだ。

オーケストラにチェコ・フィルを起用したのも功を奏しており、金管楽器、特にトランペットやホルンなどのブラスセクションの卓抜した技量は、本超名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。

そして、SACDによる極上の高音質録音も、本超名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したい。

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2013年06月14日


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近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、テンシュテットによる最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る交響曲第8番の録音の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという人もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

本盤に収められたマーラーの交響曲第5番及び第10番は、前述の交響曲全集に収められたものからの抜粋である。

テンシュテットのマーラーの交響曲第5番と言えば、同じく手兵ロンドン・フィルとの演奏であるが、来日時のライヴ録音(1984年)や壮絶の極みとも言うべき豪演(1988年)が有名であり、他方、交響曲第10番については、ウィーン・フィルとの一期一会の名演(1982年)が名高いところだ。

それだけに、本盤に収められた演奏は、長らく陰に隠れた存在とも言えるところであったが、今般、久々に単独での発売がなされたことによって、その演奏の素晴らしさがあらためてクローズアップされた意義は極めて大きいものと言わざるを得ない。

確かに本演奏は、咽頭がん発病後、一つ一つのコンサートに命がけで臨んでいた1988年の演奏ほどの壮絶さは存在していないが、それでも前述のようなテンポの思い切った振幅を駆使したドラマティックにして濃厚な表現は大いに健在であり、スタジオ録音ならではのオーケストラの安定性も相俟って、第10番ともども、まさにテンシュテットのマーラー演奏の在り様が見事に具現化された至高の超名演と言っても過言ではあるまい。

本盤に収められた演奏については、前述のように個別には手に入らず、全集でしか手に入らなかったことから、HQCD化などの高音質化がこれまで施されていなかったが、そのような中での、今般のSACD化は長年の渇きを癒すものとして大いに歓迎したい。

いずれにしても、本SACD盤を聴いて大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、テンシュテットによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

そして、可能であれば、全集の他の交響曲の演奏についても、SACD化して欲しいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

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2013年06月10日


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本盤の売りは、同じくエクストンレーベル(オクタヴィア)から発売されたアシュケナージ&チェコ・フィルによるR・シュトラウスの管弦楽曲集の名演盤(1998年)と同様に、何と言ってもシングルレイヤーによるマルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる極上の音質のあまりの素晴らしさであろう。

数年前には殆ど絶滅の危機に瀕していたSACDであるが、2010年よりユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化シリーズ開始したことや、EMIが2011年よりSACDに参入したことによって、急速に息を吹き返しつつある。

ネット配信が隆盛を極める中で、パッケージメディアの最後の砦はSACDと考えるところであり、今後とも、大手メーカーが引き続きSACDの発売を積極的に行っていただくことを強く要望しておきたい。

ところで、ユニバーサルやEMIによるSACD盤は、その殆どはマルチチャンネルが付いていない2チャンネル方式となっている。

SACDが発売された当初はマルチチャンネルが売りであっただけに、SACDの復活は嬉しい反面で、いささか複雑な思いがしているところでもある。

オクタヴィアも数年前からマルチチャンネル付きのSACDの発売を取りやめてはいるが、本盤のような圧倒的な高音質SACDを聴くと、このままマルチチャンネル付きのSACDが衰退していくのは大変惜しい気がするところだ。

マーラーの交響曲のような立体的とも言うべき豪壮華麗なオーケストレーションの魅力を満喫するためには、何と言ってもマルチチャンネル付きのSACDは必要不可欠とも言えるところであり、マーラーの交響曲第9番のマルチチャンネル付きのSACD盤が、他にはシャイーなどの一部の演奏に限られていることに鑑みても(バーンスタインの旧盤は3チャンネル)、本盤の価値は極めて高いと言わざるを得ないのではないかと考えられる。

演奏内容については、マーラーの交響曲の中でも最も奥深い内容を湛えた第9番だけに、必ずしも名演との評価をすることは困難と言えるかもしれない。

もっとも、並み居るスタープレイヤーが揃ったチェコ・フィルによる名演奏も相俟って、後述のようなアシュケナージによる音楽そのものを語らせる指揮ぶりが、マーラーの交響曲第9番の魅力を浮かび上がらせることに成功しているとも言えるところであり、少なくとも佳演の評価は可能であると言えるのではないだろうか。

本演奏の特徴を一言で言えば、楽曲の魅力をダイレクトに表現した自然体の演奏ということになるのではないかと考えられる。

本演奏においては、特別な個性などは全く存在していない。

奇を衒うことなど一切排して、ただただ音楽そのものを語らせる演奏に徹しているとさえ言える。

楽曲の聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さも見事に功を奏しており、表情づけの巧みさや各楽器セクションのバランスの良い鳴らし方なども相俟って、マーラーの交響曲第9番の美しさ、魅力を、安定した気持ちで心ゆくまで満喫することが可能な演奏に仕上がっているとも言えるだろう。

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2013年06月08日


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凄い超名演だ。

これほどまでに心が揺さぶられる演奏は、他にもほとんど例がないと言っても過言ではあるまい。

テンシュテットは、1985年に咽頭がんを患った後は、健康状態を確認しながら一つ一つのコンサートにそれこそ命がけで臨んでいた。

もっとも、本演奏が行われた1986年は、いまだ病状が深刻化しておらず、コンサートの数も比較的多かったとのことであるが、それでも演奏にかける渾身の情熱には尋常ならざるものがあったと言えるのではないか。

本盤の演奏についても、楽曲の性格からして第2番や第5番、第6番の豪演ほどの壮絶さはないものの、それでも凄まじいまでの迫力を誇っているというのは、まさにそれをあらわしていると言えるだろう。

第1楽章冒頭の8本のホルンによる壮麗な咆哮からして、とてつもないエネルギーが充満している。

その後は、第1楽章及び第2楽章ともに、迫りくる死に追い立てられているような焦燥感さえ感じさせるやや速めのテンポを基調としつつ、変幻自在のテンポの振幅、そして思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドやディミヌエンド、そしてゲネラルパウゼなどを大胆に駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき劇的な豪演を展開している。

そして、演奏のどこをとっても切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力と強靭な気迫に満ち溢れており、加えて、すべての音に尋常ならざる熱き情感が込められるなど、その凄みのある表現は我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っている。

第3楽章や第4楽章において、中庸のテンポによって楽想を徹底して心を込めて歌い上げていくのも感動的であると言えるし、第5楽章の合唱も清澄にして崇高な美しさを誇っている。

また、終楽章の奥行きの深い表現は出色のものがあり、まさにマーラーの全交響曲を貫くテーマの一つである生への憧憬と妄執を見事に音化し尽くしたものとも言えるだろう。

テンシュテットは、交響曲第3番を本演奏の7年前の1979年にもスタジオ録音しており、それも素晴らしい名演であったが、強靭な気迫や渾身の生命力、そして、迫りくる自らの死を予見していたが故に演奏全体に漲っているとも言える心を込め抜いた熱き情感において、本演奏には到底及ばないものと考える。

また、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルも、テンシュテットの命がけの渾身の指揮に必死になって喰らいつき、おそらくは持ち得る実力以上のものを発揮した大熱演を繰り広げたことも、本超名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

第4楽章のメゾ・ソプラノのヴァルトラウト・マイアーによる独唱や、第5楽章のイートン・カレッジ少年合唱団やロンドン・フィルハーモニー合唱団による合唱も、その実力を十二分に発揮した最高のパフォーマンスを発揮していると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、マーラーの交響曲第3番の名演としては、同じくライヴ録音でもあるバーンスタイン&ニューヨーク・フィルによる至高の超名演(1988年)が存在しているが、本演奏もそれに肉薄する圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質も、1986年のライヴ録音としては、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールの残響を生かした十分に満足できるものであり、テンシュテットによる超名演を良好な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2013年06月06日


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EMIがフルトヴェングラーの一連の歴史的な名演やアルゲリッチの名演のSACD化を相次いで行っているのは、今年のクラシック音楽界における大きな快挙の一つであると言えるが、EMIはついにラトルの一連の録音のSACD化を開始することになったのは実に素晴らしいことである。

SACD化を行うにあたって選ばれた演奏については首をかしげざるを得ないものも含まれてはいるが、ネット配信によってパッケージメディアの権威が大きく揺らいでいる中でのEMIのこのような果敢なSACD化への取組は、SACDの生みの親でありながら近年では消極的な姿勢に終始しているソニー・クラシカルの体たらくを考えると、高く評価したいと考える。

本盤に収められたマーラーの交響曲第5番は、ラトルがベルリン・フィルの芸術監督就任を記念して行ったコンサートのライヴ録音である。

筆者は、本演奏について、ラトルの他の演奏のレビューを投稿する際に芳しくない評価を記し続けてきたが、今般のSACD盤を聴いてもその印象はさほど変わらなかったと言わざるを得ない。

そうなった理由はいくつかあるが、やはりラトルの気負いによるところが大きいのではないだろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督という、フルトヴェングラーやカラヤンと言った歴史的な大指揮者が累代に渡ってつとめてきた最高峰の地位についたラトルにしてみれば、肩に力が入るのは当然であるが、それにしてはラトルの意欲だけが空回りしているような気がしてならないのだ。

ベルリン・フィルの猛者たちも、新芸術監督である若きラトルの指揮に必死でついていこうとしているようにも思われるが、ラトルとの息が今一つ合っていないように思われる。

そうした指揮者とオーケストラとの微妙なズレが、本演奏にいささか根源的な力強さを欠いていたり、はたまた内容の濃さを欠いていたりすることに繋がっているのだと考えられるところだ。

もちろん、ベルリン・フィルの芸術監督に就任したばかりの若きラトルに過大なものを要求すること自体が酷であるとも言える。

ラトルは現在、マーラーイヤーを記念してマーラーチクルスを開始しており、昨年2月に発売された交響曲第2番など圧倒的な名演を成し遂げているところである。

したがって、現在の円熟のラトルが、ベルリン・フィルを指揮して交響曲第5番を再録音すれば、おそらくは本演奏を凌駕する圧倒的な名演を期待できるのではないかと考えられるところであり、今後はそれを大いに期待したいと考える。

それにしても、本SACD盤の音質はとてつもなく鮮明なものだ。

本盤については、既にHQCD盤が発売されているが全く問題にならない。

あらためて、SACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

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2013年05月24日


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ライナー&シカゴ交響楽団によるマーラーの交響曲の録音は、本盤に収められた「第4」と「大地の歌」の2曲しか遺されていない。

しかしながら、遺された演奏は、いずれも一聴に値する名演であると評価したい。

シカゴ交響楽団によるマーラーの演奏としては、後年のショルティによる全集が有名である。

同じハンガリー人であることもあり、表向きは類似しているとも言えるところだ。

両者ともに、全体を引き締まった造型で纏め上げるとともに、シカゴ交響楽団の卓越した技量を存分に駆使して、壮麗にオーケストラを鳴らしていくというアプローチを行っている。

もっとも、ショルティの演奏と大きく異なるのは、ライナーの演奏は、オーケストラの技量臭をいささかも感じさせないということであろう。

ライナー時代のシカゴ交響楽団には、特に高弦において顕著であるが艶やかな美しさに満ち溢れていた。

したがって、本演奏においても、シカゴ交響楽団の持つ艶やかな音色が、ライナーの引き締まった剛直とも言える演奏に、適度の潤いと温かみを付加することに成功し、いささかも無機的には陥らない情感豊かな演奏に仕立て上げるのに大きく貢献している。

第4楽章におけるソプラノのリーザ・デラ・カーザも、最高の歌唱を披露していると高く評価したい。

そして、何よりも素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質である。

本演奏は1958年のスタジオ録音であるが、今から50年以上も前の録音とは思えないような鮮度の高い音質に生まれ変わっており、当時のシカゴ交響楽団の艶やかな音色が鮮明に再現されるというのはほとんど驚異的ですらある。

あらためてXRCDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ライナーによる希少なマーラーの名演を、現在望み得る最高の高音質XRCDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年05月21日


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イタリア人指揮者ではアバドやシノーポリとともにマーラーの交響曲を積極的に採り上げてきたシャイーであるが、本盤に収められたマーラーの交響曲全集は、1986年から2004年というほぼ20年という長い歳月をかけて完成されたものである。

これだけの歳月をかけているだけに、第1弾の第10番と掉尾を飾る第9番では、シャイーの芸風も相当に変容していると言えなくもないが、基本的なアプローチ自体はさしたる変更がないのではないかとも考えられる。

シャイーのマーラーは、例えばバーンスタインやテンシュテットのようなドラマティックの極みとも言うべき激情型の演奏を行うというものではない。

さりとて、シノーポリのように楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰な演奏を行っているわけでもない。

また、ブーレーズのように徹底した精緻さに拘った演奏を行っているわけでもない。

では、どの指揮者のマーラーに近いかというと、これには様々な意見があるようであるが、基本的なアプローチとしては、ティルソン・トーマスやマーツァルのように、オーケストラを無理なくバランス良く鳴らし、マーラーの作曲した数々の旋律を実に明瞭に美しく響かせるべく腐心していると言えるのではないだろうか。

これに、ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前のアバドのマーラーの特徴でもあった、豊かな歌謡性と気迫溢れる圧倒的な生命力が付加され、まさに豊かな色彩感と歌謡性、そして力感が漲った生命力を兼ね備えた明瞭で光彩陸離たるマーラー演奏の構築に成功したと言っても過言ではあるまい。

加えて、シャイーの演奏は、ベルリン放送交響楽団と録音した第10番を除いては、すべての交響曲がロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団との録音であり、しかも録音会場は、豊麗な響きで誉れ高いコンセルトヘボウ・ホールである。

そして、英デッカによる極上の高音質録音も相俟って、各楽器セクションが鮮明に分離するとともに、他の指揮者による演奏では殆ど聴き取れないような音型を聴き取ることができるのも、本全集の大きなメリットであると考えられる。

本全集には交響曲「大地の歌」や主要な歌曲集が含まれていないのは残念ではあるが、他方、交響曲第10番はアダージョだけでなく、最新のクック版使用による全曲版を使用しており、収録曲については一長一短があると言えるのかもしれない。

いずれにしても、本全集は、マーラーの交響曲の華麗なるオーケストレーションの醍醐味を、SACDによらない通常盤(とは言っても、「第3」及び「第9」はマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD化がなされている)によって現在望み得る最高の鮮明な音質で味わうことができるという意味においては素晴らしい名全集と高く評価したい。

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2013年05月15日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第3番の演奏は、ホーネック&ピッツバーク交響楽団によるマーラーチクルス第3弾である。

このコンビは、既に交響曲第1番と第4番を録音しており、今後は残る大規模長大な交響曲の中でどれを一番最初に採り上げるのか興味深々であったが、第3番というマーラーの交響曲の中でも最も規模が大きい交響曲を手掛けたところに、このコンビの自信のほどを窺い知ることが可能だ。

これまで録音された第1番や第4番においてホーネックが行ったアプローチは、マーラーが記した複雑なスコアを細部に至るまで精緻に描き出すというものであった。

これはいかにもヴァイオリン奏者出身の指揮者ならではのものと言えるが、そうした精密とも言える演奏をエクストンによる極上の高音質録音が下支えし、第1番や第4番の演奏史上、最も精緻な美しさを誇る名演として高い評価を受けたのは記憶に新しい。

今般は、第3番という長大な交響曲であり、果たしてこれまでと同様のアプローチを徹底させるのは困難ではないかと思ったところであるが、ホーネックはその困難を見事に克服してしまった。

本演奏は、その精緻さといい、細部への拘りといい、おそらくはマーラーのスコアをこれほど精密に音化した例は同曲演奏史上初めてと言えるのではないだろうか。

もちろん、無機的でメカニックな演奏に陥っていないのは、第1番や第4番の場合と同様であり、どこをとっても情感の豊かさを失っていないのが素晴らしい。

そして、随所において聴かれる優雅なレガートにも格調の高さをいささかも損なっていないのも見事である。

このような精緻なアプローチを徹底させるにはオーケストラの卓越した技量が必要となるが、必ずしも一流とは言い難いピッツバーク交響楽団が、本演奏では精度の高い圧巻の名演奏を繰り広げている。

これは、紛れもなくホーネックによる薫陶の賜物と言えるだろう。

とりわけ、第1楽章におけるサリヴァンによるトロンボーンソロや、第3楽章のハーセスの直弟子であるヴォスバーグによるポストホルンは秀逸であり、抗し難い美しさを誇っている。

第4楽章におけるミシェル・デ・ヤングの歌唱も美しさの極みであるし、第5楽章におけるメンデルスゾーン合唱団やチルドレンズ・フェスティバル合唱団も最高のパフォーマンスと誇っている。

そして、第1番及び第4番でも話題となった名録音は、本盤においても健在である。

若干、残響が多すぎるきらいがないわけではない(とりわけ第1楽章冒頭)が、エクストンが手掛けたSACDによる優秀録音は、圧巻の高音質を誇っており、ホーネックによる精緻な名演のグレードを更にアップさせるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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