アーノンクール

2016年10月22日


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第101番冒頭の合唱は、アーノンクールの思い切った表現が効を奏し、緊張に満ちた表現を築いている。第102番では第4曲のバスのアリオーソはよいが、テノールのアリアは劇的になり過ぎている。このカンタータではエスウッドの声の美しさが印象に残る。第103番はまず冒頭の合唱が素晴らしい。音程に甘さはあるが、実にきっちりと揃っているし、リズムの切れもよい。エスウッドのアリアもしみじみした表情を宿している。第104番ではアーノンクールのアクセントの強調が気になるが、独唱者たちがそれを補っている。第105番は全体的にあまりよい演奏ではないが、第106番では独唱者、合唱、合奏団ともに立派な演奏を示しているし、作品そのものも素晴らしい。第107番はボーイ・ソプラノがしっかり歌えており、エグモントのバスも軽やかなリズムを快く歌い出しなかなかの好演。第108番および第109番のテルツ少年合唱団は、歌い込みの行き届いた見事な歌いぶりだし、第109番のエスウッド、エクヴィルツも見事だ。第110番ではアーノンクールらしい現代的なリズム処理をみせ、一気に演奏している。少年達の独唱も印象深く、合唱も生気に溢れていて気持ちがよい。第111番のテルツ少年合唱団は好演。エスウッドの叙唱も冴えている。第112番もエスウッドのアリアが見事だ。第113番のレオンハルトではアーノンクールと別な伸びやかなバッハが聴かれる。第114番はコーラスが充実し、アリアをエクヴィルツが実に美しく歌っており、フラウト・トラヴェルソとの見事な絡み合いを聴かせてくれる。第115番はアーノンクールらしい緊張と弾力に満ちた音楽を作り、第2曲のエスウッドの流麗な歌唱が美しく、第4曲のボーイ・ソプラノも懸命な歌唱ぶりを聴かせる。第116番はコラール合唱の多彩な表現の中に、大きな音楽のうねりを聴く者の心の中に押し寄せてくる。第117番は華麗な色彩に溢れ、レオンハルトらしく伸びやかな表現である。第119番はエスウッドの成熟した歌唱が聴きものだ。第120番はエスウッドが最初から円熟した歌いぶりで見事。テルツ少年合唱団もなかなかしっかりした合唱を聴かせている。第121番はエクヴィルツ、エスウッド、フッテンロッハーともどもよく歌っている。第123番は冒頭の合唱が充実していて、生き生きとした生命を漲らせている。バスのホルは音楽的表出力が豊かだ。第124番はテルツ少年合唱団が健闘し、ソプラノとアルトの二重唱の2少年がよく歌っている。第125番は冒頭のコラール合唱が規模の大きな作り方をみせている。第126番は動きの激しい戦闘を表す音型をアーノンクールが独特の鋭角的表現で劇的に展開する。第127番はレオンハルトが“死と永遠”“受難と復活”を慎み深く描き出し、エグモントの深い歌いぶりも印象的。第128番は冒頭のホルンが、古雅な音色と華麗なテクニックで見事な演奏を聴かせる。第129番はレオンハルトらしい穏健なまとめぶりで、オーボエ・ダモーレとヤーコプスの声の音色がぴったり合って美しい。第130番はアーノンクール好みのティンパニが雄弁だが、弦を消しがちなのが気になる。第131番の導入のシンフォニアと合唱は伸びやかで美しい出だしだ。第132番は第1曲からソプラノの長大なメリスマを含むアリアだが、この難技巧のアリアをボーイ・ソプラノが見事に歌い切っている。第133番はコラール・カンタータの形をとっているが、合唱の占めるウェイトはそれほどでなく、むしろ独唱陣と器楽陣が充実した音楽を展開していて、レオンハルトの腕の見せどころでもある。レオンハルトの中庸をゆく表現はいつも通り。第138番は優れた出来で、第1曲の合唱ではアーノンクールの引きずるような重い運びが、テキストの意味をよく反映している。波打つような癖のある強弱の扱いも、曲の性格のせいか気にならない。また第9曲のアリアでのホルの歌唱が素晴らしく、バッハの書いた旋律を美しく生かしている。作品としても最も充実したもののひとつだ。第139番もよいまとまりを示し、ホルの歌唱も光る。レオンハルトの第143番、第144番の2曲は、美しいバランスのとれたアンサンブルと合唱を展開している。アーノンクールは第146番で素晴らしいエネルギーを噴出させている。開始のシンフォニアでの沸騰する情熱に、オリジナル楽器が巧みにフィルターをかけていく呼吸は見事だし、続く第2曲への対比も鮮やかだ。アーノンクール会心の演奏であり、エスウッドがこれまた最高といってよいほどの名唱。バッハの全カンタータ中、最も人気のある第147番には音楽の生命の自然な営みが示され、アーノンクールの進境と円熟がみられる。第151番での信じがたいほどの美しいボーイ・ソプラノを始め、全曲を通して独唱陣が極めて充実している。第152番はクリスマス後日曜日用のもの。第6曲のソプラノとバスの二重唱が印象深い。第153番は新年後の日曜日用で、第8曲のアルトのアリアが美しい。第154番はM.ヤーンのイエス思慕のコラールによる合唱曲がなんとも優しい気分を描き出す。ハイライトは第7曲のアルトとテノールの二重唱。第155番は第2曲が印象的。第156番の導入部分のシンフォニアは名旋律だ。第157,158,159番でレオンハルトは落ち着いた展開の中にバッハのよさを自然に表しており、テノールのエクヴィルツも安定したテクニックで危なげがなく、バスのエグモントも好演している。なかでも第157番が作品、演奏ともに素晴らしい。第161,162,163番は、アーノンクールの歌詞の内容に則した表現の変化と、劇的な音楽の扱いや音符の扱いなどに細やかな配慮が感じられる。第167番でのアーノンクールの指揮は聴きもので、キビキビした音の運びの中に優しさが加わっているのがいい。歌手も好調。第169番も冒頭のシンフォニアから活気が溢れている。この曲はアルトのソロ・カンタータでもあるが、エスウッドがいい。第170番は各曲の性格をレオンハルトが穏健な表現でよくまとめており、第172番も飾り気のない素朴な表現だが力強い。アーノンクールによる第173番は出色で、エクヴィルツが最初から引き締まった歌いぶりを示し、コンツェントゥス・ムジクスも瑞々しい表現を展開している。第174番もアーノンクールが最初のシンフォニアから積極的な指揮で、生気に満ちた演奏を行っている。第175番には最初のレチタティーヴォと第2曲のアルトのアリアに3本の堅型フルートが付されており、その鄙びた響きがレオンハルトの素朴な表現と合致して快い。第177、178、179番はアーノンクールが前進性に富んだテンポや各楽器の動きの線の明確化を目指しており、第178番冒頭のコラール合唱が力強く劇的な表現だ。第180番はボーイ・ソプラノが力及ばず、発声も柔軟さを欠く。第181番はエグモントのバスがしっかり歌って安心させる。第182番はコーラスもソロも緊張感に満たされ、充実した演奏。第183番はエクヴィルツがしっかり歌っており、どんなパッセージも空白な箇所を残さない。第184番はカウンター・テナーとボーイ・ソプラノがぴったり合っているし、コーラスもよく、リズムのさばきも見事。第185番はアーノンクールが性急なテンポで、いまひとつの余裕がほしいが、ハンプソンのバスは説得力のある歌を聴かせる。第186番は古楽器奏法に合わせた合唱の様式的唱法がやや煩わしいが、ホル、ヴィテクが見事に歌っている。第187番ではレオンハルトがおっとりと暖かいバッハを作り出している。第188番はアーノンクールらしいパワフルな演奏で、エスウッドも素晴らしい歌唱を聴かせる。第192番でアーノンクールは2つの合唱曲を、溌剌としたリズムと明るい響きによって極めて生き生きと再現しており、合唱団・合奏団の音の動きも明快で優れた演奏だ。第194番では舞曲調のリズムを軽やかに生かし、よくまとめあげている。独唱ではハンプソンの整った美しい歌唱が光る。第195番ではレオンハルトが華やかさを抑え、どっしりとしたリズムで滋味溢れた演奏を展開している。アーノンクールは第196番の優美な曲調をよく生かしているし、テルツ少年合唱団もしっかりと歌っており充実した演奏が聴かれる。第197番ではレオンハルトが落ち着きのあるしみじみとした演奏を展開し、ヤーコプスのアリアが心に残る。第198番は感動的な演奏でいぶし銀のような響きと、穏やかな音の中から死を悼む切実な心が伝わってくる。第199番でのボニーは美しい歌唱だが、甘く流れ過ぎている。

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2016年10月20日


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アーノンクールとレオンハルトというバッハの権威を2つの柱に据え、オリジナル楽器を使って原典に忠実な再現を目指したシリーズ。アーノンクールのリズムを強調した先鋭に加え、現代におけるバッハへのアプローチの新視点に対し、かたやレオンハルトの穏やかな自然体の暖かさの中で、これも新しいバッハ像の確立と、それぞれの受け持ちナンバーから様々なバッハが見えてくるのも楽しい。精密な考証で現代にあるバッハの命をふくよかに伝え、学問的リゴリズムに陥らず、バッハ当時の音楽再現と共にひとつのスタンダードな演奏法を確立しているカンタータ大全集で、10年以上もかけて完成した労作だけに、入念な考証、演奏法、テキスト・クリティックが素晴らしい。目の覚めるような新鮮な演奏で、合唱、独唱、楽器陣、いずれも神への賛美と感謝の心が漲っている。一桁のナンバーでは少年たちが何という美しい声をきかせてくれることだろう!合唱指揮者ギレスベルガーの徹底した指揮もあってのことだろうが、信じがたいほどの充実ぶりで、ソロも素晴らしい。教会の中で聴く場合は別にして、この手の録音には少年たちの受け持つソプラノやアルトの音程が定まらないことや、ヴィブラートのない直線的な声と男声パートの間に隙間が感じられたりするが、ここにはそういう心配がまるでない。第10番は「マニフィカト」のドイツ語版。レオンハルトの演奏は、合唱(テノール、バス)がやや暴走気味なのが惜しい。第11番は、カンタータというよりむしろ“昇天祭オラトリオ”とでも称すべき作品だが、ここでのアーノンクールの指揮はまろやかな音を前面に押し出して堅実な構成を見せている。歌い込みも充分で、各曲の対比感がうまく捉えられている。第12番は細やかな配慮が随所に感じられ、この曲の持っているロマン的性格をエクヴィルツ以下の歌手が恐れずに表出している。第13番は曲が第12番と比べて難しく、バスのアリアも妙なアクセントがついている。第16番は冒頭のコラールを歌う少年合唱の発声がウィーンのものと違ってひどくローカルなのが残念。アーノンクールはできる限りの原典考証を学究的研究で突き詰め、不備な書法を補いながら優れた演奏を刻んでいる。特に第18番の第3曲は難曲だが、ここでの完璧なメリスマ唱法と通奏低音の気魄のこもった応答には頭が下がる。ソプラノ、テノール、合唱共に名演である。第19番の合唱も熱の入ったもので、1音符ともゆるがせにしない。第20番も全篇を通じて楽器の選び方に細心の注意が払われている。第21番は、バッハの青年時代のカンタータの総決算とも言うべき最も壮大な記念碑である。アーノンクールを始め、メンバーの呼吸の合った演奏は見事で、深い敬意を払わずにはいられない。第22,23番は、共に1723年2月7日の聖日のために作曲されたものだが、第23番の方が作品としては強い説得力に溢れ、深い感動を聴く者に呼び起こす。レオンハルトの指揮も熱っぽい演奏で生き生きと描いている。第24番は“三位一体祭”後第4日曜日用のカンタータで、ノイマイスターの台詞によっている。第25番も第14日曜日のためのもので、冒頭第1曲の合唱におけるコラールの扱い方が見事。第16日曜日のための第27番は優れた内容と技法を持っており、充実した演奏でアンサンブルもよい。第28番は第1曲のソプラノのアリアの音楽的表現力の確かさが優れており、第29番では第3曲のテノールのアリアが、エクヴィルツの数多いバッハの中でも特にその音楽性の豊かさで抜きん出ている。第30番でも独唱者がよく歌い、舞曲のリズムや切分音の特徴あるリズムを生き生きと描き出している。第31番は、初演当時の演奏様式の再現として短三度も上の調性で演奏されており、多少無理押しした感じもあるがそう気にならない。第32,33番では、レオンハルトが緊張感に満ちた好演をみせ、エグモント、ヤーコプスがそれぞれ美しい歌唱を聴かせる。第34番でのエスウッドの円熟したアリアも素晴らしい。ここではアーノンクールが目立たないようにテンポを効かせながら、曲にニュアンスを添えている。第35番は、アルトのためのソロ・カンタータとしての性格に多彩な変化を与えており、エスウッドの円熟した歌唱が聴きもの。第36番は2本のオーボエ・ダモーレが雅びた音色の中に美しく演奏され、ウィーン少年合唱団員が清澄な歌唱を聴かせてくれる。第37番では、デル・メールによるアリアが美しい。レオンハルトが指揮した第39、40番では、デビュー当時のルネ・ヤーコプスの若々しいカウンター・テノールが、エスウッドとは一味違った色彩感いっぱいの歌唱を繰り広げる。第43番は第7曲のバスのアリアにおけるC管無弁トランペットの至難なパッセージでも、この超絶技巧を見事に克服し、歌ともども名演の極致を聴かせる。第44番では第3曲のアルトとオーボエのかけ合いが美しく、第4曲のコラールを支えるファゴットの慰めに満ちた音色とエクヴィルツの緊張感が感動的に対照を作っている。第45,46番はヤーコプスがまだ若い故の気負いがあるが、美しい声質だ。第47番から第50番にかけては、アーノンクールの強力な統率力がうかがわれる。ウィーン少年合唱団のイェーロジツがなかなかの名唱で、明るく澄んだ声と正確なパッセージの歌唱はなかなかのもの。第49番の新郎と新婦の対話など微笑ましい。第51番のボーイ・ソプラノのクヴェックジルバーは、なまじ生活感情の入り込まぬ子供の無垢な心で全く見事に歌い切っており、子供というものの可能性の無限への広がりに驚嘆の念を禁じ得ない。レオンハルトは第54番で、このテキストの熱烈なムードがそのまま反映した音楽を生々しく描き出しており、第55番においても非常に緊張力に富んだ演奏を展開している。第57番でアーノンクールは、テキストと音楽を突き詰めてのアゴーギクやフレージング、アーティキュレーションを効果的に用いながら曲を進めている。この第5曲目のアリアの至難なパッセージを、バスのデル・メールが驚くべき正確さと音楽性をもって歌い切っているのも驚嘆させられる。第58番のボーイ・ソプラノも不完全な部分はあるが、健気で一途な歌いぶりには不思議な感動に誘われる。第61番から第64番にかけては喜ばしい気分の曲が並んでおり、古楽器を使いながらも現代的感覚を生かそうと付点音符の扱いをやや鋭くしたり表情を細分化したりして、待降節のふくらむ気持ちを描き出そうと試みているが、テルツ少年合唱団が実力不足で、アーノンクールの意図に沿いきれていない。総じて、緻密な仕上げが感じられず、何とも不満足な出来。第65番はデル・メールの朗々たる歌いぶり、エクヴィルツの音楽的充実が快い興奮を誘う。第66番はエスウッドとエクヴィルツの音色が実によくマッチして名唱。第67番はテンポの変化の難しい曲だが、指揮のレオンハルトが自然な流れの中にこれを捉え、成功している。ハノーヴァー少年合唱団の素直な歌いぶりもよい。第68番はイェーロジツが見事な歌唱を聴かせる。第69番から第72番にかけてはテルツ少年合唱団は引き締まった音色と音楽を作り出している。殊にボーイ・ソプラノのヴィードツが健闘して、感動的な歌を聴かせてくれる。音楽的な成熟が感じられ、大人も及ばないような立派なアリアだ。アーノンクールは全編に漲る劇的な世界をリアルに表現するように心がけている。なかでも第2部のバスのアリアは見事な歌い込みだ。第73番冒頭からレオンハルトはアクセントのはっきりした音色設定を試み、合唱もマルカート唱法で進められ、各フレーズの相関的遠近感覚がくっきり浮かび上がってくる。合唱は、子供ながら感情のこもった表現と言葉に対する鋭敏な反応を示している。第74番第4曲のバスのアリアにおけるエグモントは極めて好調。第75番のクラウスのレチタティーヴォとアリアが技巧的にも余裕があっていい。第76番は、冒頭の合唱からテルツ少年合唱団の声の不透明さとリズムの切れの悪さが気になる。アーノンクールはそれを是正しようとかなり無理なドライヴをしている。第77番のハノーファー少年合唱団は、テルツ少年合唱団に比べると引き締まった演奏を聴かせる。第78番はソプラノもよく歌えていて、音色もリズムもぴったりと合っていて見事。リズムの処理は全体的に鋭い。第80番から第83番は4曲すべてアーノンクールのチームによる演奏で、鮮烈な響きの感覚と躍動感に溢れている。第80番と第82番が名作として知られ、特に前者でのエスウッドとエクヴィルツが充実しており歌唱も美しい。その他の男声はボーイ・ソプラノを含めて少しばらつきがあり、合唱も表情が淡泊だが全集としての安定感には欠けていない。第83番は今となっては表現がいささか古めかしくなった。第84番は冒頭から全曲にわたりオーボエの美しい音色とフレージングの豊かさが強い印象を与える。ヴィードルも立派に歌っていて見事だ。第86番はオーボエ・ダモーレが印象的。第87番はソリスト達が冴え、白眉とも言うべき名演。第88,89番ではエグモントが余裕たっぷりに歌い、第90番は無弁トランペットが強烈な印象を残す。第95番はエクヴィルツが印象深い歌唱を展開する。第96番はフッテンロッハーが名演で、清潔な音楽作りの中にバッハをゆったりと実感させてくれる。第97番は冒頭の合唱に珍しくフランス風序曲の形式がとられ、合唱と器楽の輝かしい協奏が繰り広げられる。それぞれのソリスト達も力演している。第98番はエスウッドのレチタティーヴォが深い表現を聴かせている。第99番は第3曲のテノールのアリアが曲として美しく、第100番は第2曲のテノールとアルトの二重唱が2人がよく和して美しい。

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2015年09月16日


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アーノンクールがレオンハルトと共にピリオド楽器によるバッハの受難曲やカンタータを集中的に録音していた当時の貴重な映像のひとつで、彼特有の鋭利な解釈がバッハの『ヨハネ受難曲』の特徴を浮き彫りにしている。

それは演奏形態も大規模で壮麗な『マタイ』の抒情性に比較してより劇的なエレメントが集約されていることだろう。

福音史家のレチタティーヴォにも細かな音形がしばしば現れ、その感情の高揚をつぶさに伝えている。

アーノンクールのテンポもやや速めの設定で全体を114分でまとめているが、場合によっては間髪を入れずひとつの曲から次の曲に移るという手法が取られていて、それだけに引き締まった緊張感が第40曲の最後のコラールまで失われることがないのは流石だ。

またコーラスの占める比重が重く、バッハがこの曲でコーラスを優位に立たせ、その表現力を自在に使いこなして物語を進めるテクニックを駆使していたことも興味深い。

ここではテルツ少年合唱団と彼らのOBに当たる男声合唱団総勢30名余りの良く統制された、しかし情熱的な歌唱が聴きどころだ。

ソリストでは福音史家のクルト・エクヴィルツの歌詞を掘り下げた明確なレチタティーヴォに強い説得力があるし、またバスのアントン・シャリンガーの温かみのある声と真摯な歌唱にも好感が持てる。

アーノンクールはソプラノとコントラルトのソロにテルツ少年合唱団のピックアップ・メンバーを採用しているが、2人のボーイ・コントラルト、クリスティアン・インムラーとパナヨティス・イコノムーはいずれも秀逸。

特にイコノムーはこの録音当時まだ14歳だった筈だが、声の陰翳の付け方から感情の表出までとても子供とは思えない高い音楽性を持っていて驚かされる。

現在ではどちらもバス・バリトン歌手としてオペラの舞台や宗教曲の演奏に活躍しているというのも当然だろうが、またこうした歌手を輩出するテルツの持つ実力にも頷ける。

リージョン・フリーで画像の質は良好だ。

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2015年07月05日


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アーノンクールは1953年、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを組織し、今日のオリジナル楽器による演奏のブームの火付け役となった。

しかし、アーノンクールはさまざまな顔をもち、それらが彼の中で統一した1つの世界を作っているところに、ほかの音楽家とは異なった側面をもっている。

つまり、アーノンクールは一時、ブレンデルと組んで話題を呼んだこともあるが、むしろ重要なのはヨーロッパ室内管弦楽団とロイヤル・コンセルトヘボウとの共演である。

それぞれアンサンブルの個性が異なることもあり、そこから生まれてくる音楽が全く異なるのには驚かずにはいられない。

アーノンクールはこの老練なコンセルトヘボウとの共演によって、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのそれとは別の世界を切り開いてきたように思う。

このモダン楽器の、しかもシューベルトはこれまで幾度となくさまざまな指揮者のもとで演奏してきた楽団では、オリジナル楽器の演奏がアーノンクールが求めた奏法、とくに語りかけるようなフレージングやアーティキュレーション、そこから作りだされる非常に弾力感のあるアンサンブルをそのまま求めることはしないかもしれない。

事実、この録音はかなりストレートで、全体に張り詰めたような力動感が漲っている。

演奏でとくに印象的なのはやはり第8番である。

アーノンクールの手にかかるとすべての音が柔和な相貌を得、とくに楽器1つ1つがそれぞれの表情をもちだす。

アーノンクールはさまざまな解釈によって作品の表面に蓄積した分厚い化粧を削ぎ落として、作品の地膚の美しさを引き出そうとしているかのようでもある。

しかし、同時にアーノンクールはモダン楽器を用いたときの演奏の利点と楽しさと魅力も同時に引き出そうとしているようだ。

同様のフレーズで、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスなら行なわないだろうと思われる解釈を、むしろ楽しみながら実践している。

ダイナミックなクレッシェンドや、たたみ掛けるようなクライマックス効果などはそうした一例である。

アーノンクールの指揮では常にそうであるが、さまざまな、これまで聞こえなかった、あるいは聞き落していた旋律や動機がくっきりと聞こえてくるが、この演奏でもそうである。

演奏の透明度が非常に高く、対旋律や背後に隠れている旋律が、それぞれきれいに聞こえてくるが、この大編成の近代的なオーケストラでも同様である。

メリハリのある音の運びと爽快なテンポ感と独特なフレーズの構成は、これが大管弦楽団であることを忘れさせるほどにしなやかな音楽を作り上げている。

それに第5番も忘れ難い。

これは作品の編成そのものが小さいこともあり、より駆動性のある演奏が実現されている。

柔和に語りかけるようなフレーズと、独特ないわば語尾の表現はこの第5番でよく発揮されている。

アーノンクールはどうして聴く者をこれほどまでに期待感を抱かせ、引っ張っていくのであろうか。

アーノンクールの演奏を聴くとどうしてもその先が聴きたくてたまらなくなるのである。

その劇的なダイナミックスや駆動性は、この楽団との共演で見事に醸し出されている。

そして第7番《未完成》も感動的である。

語りかけるようなその演奏は、それぞれの旋律をまさしくディアローグのように仕上げている。

全体がドラマ仕立てになっているということも可能であろう。

アーノンクールとロイヤル・コンセルトヘボウによるシューベルトの交響曲全集は、これまでのシューベルト解釈に一石を投じ、全く新しい世界を開いたものとして画期的なものとなろう。

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2015年02月15日


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これはユニークなCDで、全て{原典版}の楽譜を使用した演奏。

随所から通常の楽譜を使用したのとは全く違った響きが耳に入ってくるのも面白いし、いつもと打って変って静かな表現を見せる指揮者にも惹かれる。

2001年の元旦、アーノンクールはニュー・イヤー・コンサートを指揮したのであるが、考えてみると存命している指揮者でシュトラウスの作品を計画的に録音しているのは世界的に見ても彼だけであって、いわば当然の人選だったのである。

アーノンクールは、シュトラウスを、ウィーン古典派から初期ロマン派を経てブラームスに到る管弦楽曲の作家の系譜に連なる一級の作曲家であると述べている。

そして彼は各曲を「一級の管弦楽作品」として最大限の敬意をもって扱っており、その意味で彼の<言説>と演奏という<実践>は、全く矛盾なく一致している。

オーケストラはベルリン・フィルであるが、当時のアーノンクールであれば古巣のウィーン交響楽団も選択肢であったはずだが、意図的に避けたようである。

ベルリン・フィルは、ウィーンのオケよりシュトラウスの演奏経験が相対的に少ない(=先入観が少ない)ので、彼の主張「ブラームスに連なる一級の管弦楽作品」にふさわしい真摯な演奏態度を、より容易に実現できると考えたようだ。

もっともアーノンクール流の徹底的なアナリーゼと再構築を経て実現されるテクスチュアの明晰さを、過不足なく実現できたのは当時ベルリン・フィルだけだったという現実問題もあるだろう。

異常に統制されたフレージングといい、徹底的にアーノンクール流で歌われる旋律といい、ベルリン・フィルの強靭な低弦といい、これはまさに立派な交響詩である。

驚くべ高貴さと透明感に満ちた演奏であり、「クリスタルガラスの輝き」を持つシュトラウスとでも表現できよう。

明晰なテクスチュアが浮かび上がらせたのは、シュトラウスの才能の豊かさ、作品の作り込みの精緻さ、作曲家としての真摯さ、まさにブラームスに匹敵するのだと言わんばかりの前代未聞のシュトラウス像である。

観光都市ウィーンのシュトラウスのプロたちのする観光客向けの甘口の演奏に比較し、キリリと辛口に徹している。

このCDに聴かれるシュトラウスは、ウィーンの伝統の中に生まれてきた作曲家である。

シュトラウスの音楽は「ハプスブルグ王朝の連綿たる芸術音楽の系譜の中にあり、19世紀後半の精神を受け入れ、少しだけポピュラリティーに流れているが、その根っこは完全にして完璧な芸術音楽である」と理解した演奏である。

ブラームスがシュトラウスの作品を愛していたという事実が、極東の音楽ファンにすぎない筆者にもなんとなく体感できる。

極彩色で薄ぼやけたウィーンの夜会みたいな風景に背を向けたアーノンクールが何もない黒ベタを向いて瞑想にふけっている構図のジャケット・デザインも考え抜かれたものだ。

なおこの演奏が気に入ったら、コンセルトヘボウとのCD、ニュー・イヤー・コンサートのCDも買って損はない。

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2014年09月02日


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本盤にはモーツァルトのピアノ協奏曲第23番及び第26番「戴冠式」が収められているが、いずれも素晴らしい名演だ。

それどころか、様々なピアニストと指揮者による両曲の演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

グルダとアーノンクールという、いずれも個性的な演奏を繰り広げる鬼才ピアニストと鬼才指揮者の組み合わせであり、聴き手を驚かすような特異な演奏を展開するのと思ったが、意外にも基本的にはいささかも奇を衒うことがない真摯な演奏を繰り広げている。

鬼才同士が本気を出すとどのように凄い演奏をするのかの最たる例とも言えるところであり、自己の録音には厳しい評価をしてきたグルダでさえもがこの演奏に満足し、このコンビによる演奏のシリーズ化を切望するほどの名演奏に仕上がったと言えるほどだ。

グルダは、モーツァルトのピアノ協奏曲では本演奏と、アバド&ウィーン・フィルと組んだ第20番及び第21番(DG)にも満足していたとのことである(当該DG盤については既にレビューに記したのでそちらを参照されたい)。

グルダのピアノは、ゆったりとしたテンポによって演奏を進めていくが、その表現はむしろ即興的とも言うべき自由奔放なもので躍動感に満ち溢れた演奏とも言える。

それでいて、両曲の緩徐楽章における繊細な抒情の歌い方は静謐ささえ感じさせるほどの美しさを誇っており、グルダの桁外れの表現力の幅の広さを感じることが可能だ。

両曲の終楽章においては、強靭な打鍵から繊細なピアニッシモに至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さが際立っているが、愉悦性や情感の豊かさ、そして流麗な美しさをいささかも失うことがないのが素晴らしい。

グルダは、このように真摯な姿勢で演奏に臨むとともに、アーノンクールともども心から楽しんで演奏しているような趣きもあり、あまりの感情移入のためにグルダが歌っている声さえ聴こえるほどだ。

アーノンクールの指揮も、全体としては前述のように奇を衒わない真摯な指揮ぶりと言えるが、各楽器の響かせ方などにおいてはこの指揮者ならではの個性的な表現が聴かれるなど、必ずしも一筋縄ではいかない側面もある。

コンセルトヘボウ・アムステルダムのいぶし銀の音色も、本名演に適度の潤いと温もりを与えている点も忘れてはならない。

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2014年08月13日


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モーツァルトのホルン協奏曲の名演としては、デニス・ブレイン、ゲルト・ザイフェルト、ペーター・ダム、ズデニック・ティルシャルなど、名うてのホルン奏者による演奏が掲げられるが、いずれもバルブによって音を出す現代楽器(ヴァイヴ・ホルン)によって演奏がなされている。

ホルンという楽器はバルブが付いていても、音を外しやすい難しい楽器であるが、現代楽器(ヴァイヴ・ホルン)ですら難しいところ、本盤のヘルマン・バウマンは、バルブがない、いわゆるナチュラル・ホルンというオリジナル楽器を用いて演奏している。

この楽器は、バルブが付いていないだけに、さらに演奏するのが難しいことは容易に予想できるところだ。

もっとも、バルブが付いていない分だけ管は長く、うまく演奏できた時の深みのある音は、現代楽器には及びもつかないものがあるとも言えるだろう。

そうした、かつてのナチュラル・ホルンによる演奏の魅力を十二分に満喫させてくれる演奏こそは、本盤のバウマン、そしてアーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによる演奏であると考えられる。

本演奏を聴いて思うのは、いわゆる学術的な臭いが全くしないということである。

いわゆるオリジナル楽器やピリオド奏法といった、かつてのモーツァルトなどが生きていた時代の演奏を再現した近年流行の古楽器系の演奏は、名演もあるが、クラシック音楽ファンのよい演奏、感動を与えるという演奏を行うという本来あるべき姿勢をどこかに置き忘れ、学者の学究意欲を掻き立てることのみに照準を合わせた演奏が跋扈しているという嘆かわしい現状にある。

そのような中で、本演奏は、オリジナル楽器やピリオド奏法を行いつつも、同曲の魅力をクラシック音楽ファンに伝えるという姿勢を決して蔑ろにしていないのが見事であり、これぞ、現代における古楽器系の演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

若きバウマンのホルン演奏は、ナチュラル・ホルンの特性を十二分に活かした深みのある透明感溢れるものであり、おそらくは、ナチュラル・ホルンによる同曲の演奏としては、現代においても最高峰に君臨する名演奏と評価したい。

アーノンクールは、古楽器系の演奏の指揮者の旗手として、様々なピリオド奏法を駆使した演奏を行ってきているが、本盤の演奏においては、バウマンのホルン演奏とともに、音楽の自然な流れを重視した歌謡性豊かな演奏を心がけており、これまた同曲の古楽器系の演奏の中でも最右翼に掲げるべき名演奏と言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、録音から約40年が経った今日においても、モーツァルトのホルン協奏曲のオリジナル楽器やピリオド奏法による演奏の中でもトップの座に君臨する素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年05月11日


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ウィーン・フィルによる2003年のニュー・イヤー・コンサートはニコラウス・アーノンクールの指揮で行われた。

2002年は小澤であったが、アーノンクールは、2001年のニュー・イヤー・コンサートに続いて2回目の登場となる。

指揮者を選ぶ権限は楽員にあるということを考えると、アーノンクールはウィーン・フィルの楽員に人気があるということになる。

コンサートの雰囲気は小澤のときとは、かなり異なっていたと感じた。

会場に飾られた花にしても、小澤のときは赤が目立っていたのに今年は白一色と様相が一変していたのだ。

さて、注目すべきは曲目。

このニュー・イヤー・コンサートではヨハン・シュトラウス一家の作品を取り上げるのが基本原則なのだが、今回はウェーバーとブラームスの次の作品が取り上げられている。

これはかなり珍しいことである。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ウェーバー作曲、「舞踏への勧誘」作品65
 ブラームス作曲、「ハンガリー舞曲集」より第5番嬰ヘ短調
            「ハンガリー舞曲集」より第6番変ニ長調
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ウェーバーのこの曲は、ワルツのお手本ともいうべき曲でありヨハン・シュトラウスはこの曲をベースにワルツを作曲したといわれていること、それにブラームスはヨハン・シュトラウスと親交が深く、ブラームスは彼の音楽を高く評価していたということ――これがアーノンクールが取り上げた理由なのだ。

こういうウィーン音楽に精通しているアーノンクールをウィーン・フィルの楽員たちは尊敬しているのである。

しかし、残念なことに、アーノンクールはコンサートの冒頭に「舞踏への勧誘」を持ってきたのだが、曲が終わる前に大拍手が入ってしまったのだ。

この曲は、もともとはピアノ曲なのだが、ベルリオーズが管弦楽用に編曲してオーケストラで演奏されることが多い。

最初に紳士が若い婦人に舞踏の相手を申し込む部分があり、オケではチェロがその部分を担当する。

そして、華やかに踊りがはじまり、終了するのだが、そのあと紳士の感謝の言葉を表す部分があり、ここもチェロで演奏される。

ところが、踊りが終わったところで大拍手が入ってしまったのだ。

アーノンクールはまずチェロに停止を命じ、観客に手で拍手を制してから、チェロに演奏を指示していた。

よく知られた曲であることに加え、由緒あるウィーンのニュー・イヤー・コンサートでの出来事であり、また、あとでCDやDVDとして商品化されたことも考えると、大変残念なことだと思う。

しかし、その後の演奏は立派なものであり、小澤のときよりも、ウィーン・フィルの楽員たちが大変楽しく演奏しているのが印象に残った。

アーノンクールといえば、ベルリン生れで、オーストリアを中心に活躍している指揮者であり、今やウィーンでは飛ぶ鳥を落とすほどの人気指揮者なのだ。

また、アーノンクールはエキストラとしてだが、ウィーン・フィルでチェロ奏者をしていたこともあり、楽員にとってはいわばかつての仲間なのである。

アーノンクールのように、ウィーン・フィルの内部で演奏をしたことのある音楽家が、ニュー・イヤー・コンサートを指揮するのはボスコフスキー以来のことであった。

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2013年06月24日


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アーノンクールの最円熟期を飾るに相応しい超名演であると高く評価したい。

アーノンクールといえば、ベートーヴェンやブラームス、シューベルト、ドヴォルザークの交響曲などに、数々の録音を遺してきているが、その際のアプローチは、古楽器奏法をイメージとした革新的とも言えるもの。

従来の伝統的、正統的なアプローチには背を向け、只管斬新な解釈を示すべく研鑽を積んできた。

ところが、本盤のドイツ・レクイエムにおいては、そのような革新性は皆無であり、むしろ、同曲に名演を遺してきた独墺系の指揮者、例えば、クレンペラーやカラヤンなどの、いわゆるドイツ正統派の解釈に列に連なる演奏を繰り広げていると言える。

アーノンクールも、かなりの回り道をしたが、ついに、ドイツ音楽の正統的な解釈の原点に立ち返ってきたと言える。

本演奏における、ゆったりとしたテンポによる威風堂々たるたたずまいは、まさに巨匠のなせる業と言えよう。

この曲に顕著な清澄さや、ここぞという時の壮麗な迫力、そして、絶妙なゲネラルパウゼなど、どこをとっても見事な表現を行っており、過去のいかなる同曲の名演も及ばない、至高・至純の境地に達していると言える。

アーノンクールの独特のアーティキュレーションも聴こえるが、ウィーン・フィルの献身的で非凡な音楽性と心を通わせているアーノルト・シェーンベルク合唱団の見事な歌唱力が、それらを実に自然に聴かせて、豊潤で柔らかで重厚な演奏に仕上がっている。

アーノンクールにとっては手兵とも言ってもいいアルノルト・シェーンベルク合唱団や、独唱陣、更には、ウィーン・フィルも最高のパフォーマンスを示していると言える。

録音も、ホールの残響を生かした名録音であり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2012年12月22日


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2009年 シュティリアルテ音楽祭での演奏会形式上演のライヴ・レコーディング。

ピリオド楽器による古楽器奏法などで名を馳せた老匠アーノンクールが、近現代のアメリカ音楽の旗手であるガーシュウィンのオペラを指揮するというのは、いかにもアンバランスな組み合わせのような印象を受けたが、ライナーノーツのアーノンクールによる解説の中で、ベルクの『ヴォツェック』との親近性や自筆譜や演奏資料などを参照した上でのオリジナルへのこだわりが触れられており、それを読んで、漸く、アーノンクールがこのオペラに挑戦した意味を理解した。

そして、実際に聴いてみたところ、大変感動したと言わざるを得ない。

『ポーギーとべス』には、マゼール&クリーヴランド管弦楽団という今や古典的とも言える超名演があるが、それとは一味もふた味も違った名演に仕上がっていると言える。

リズムやテンポ切れ味の鋭さはアーノンクールならではのものであるが、このオペラ特有の、場面毎の音楽が、ジャズ風になったかと思うと、繊細な音楽になったりという、その変遷の尋常ではない激しさを、アーノンクールは、見事に描き分け、全体の造型をいささかも損なうことなく、しっかりと纏め上げた手腕はさすがという他はない。

評論家の中には、この作品を「ミュージカル」と揶揄した人もいたが、『ポーギーとべス』がすばらしいオペラの名作であることを改めて確認させてくれた名演である。

最初に聴くべき全曲版ではないかもしれないが、現行版を良く知る人には大変興味深い演奏内容であることは確かだ。

歌手陣には、すべて黒人歌手を起用したとのことであるが、これまたいずれ劣らぬ名唱を披露していると言える。

アルノルト・シェーンベルク合唱団による合唱も見事であり、本名演に大いなる華を添える結果となっていることを見過ごしてはならない。

録音も、ライヴとは思えない程に鮮明で、総じて素晴らしい出来栄えであると言えよう。

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2012年01月06日


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ピアノ協奏曲は1992年7月、ヴァイオリン協奏曲は1994年7月、いずれもグラーツでのライヴ録音。

アルゲリッチ、クレーメルともに2度目の録音だが、2人とも最初の録音より説得力の強い演奏を聴かせるのは、当然、アーノンクールの指揮も関係している。

とくにピアノ協奏曲は、冒頭の和音をはじめアーノンクールは鋭いアクセントをつけ、やや速めのテンポで展開する。

テンポや強弱の急激な変化なども従来の演奏より際立つが、それに鋭く反応するアルゲリッチとの緊張をみなぎらせた共演は、これがシューマン本来の意図だったのではないかと思わせるものがある。

第1楽章ではアルゲリッチの天才が作曲者の夢やファンタジーを目いっぱい紡ぎ出してゆく。

ルバートの語り、急激なアッチェレランドの迫力、シューマンの移ろいやすい心の表出、物凄い奔放なアクセント、暴れ馬のような突進など、もうアルゲリッチ節全開だ。

第2楽章はそんなに崩しているわけではないのに、気分のおもむくまま、まるで夢心地で弾いてゆくような趣があり、フィナーレはさながら空中を自由に飛び、はばたくようで、その雄弁さは古今無類と言えよう。

一方、クレーメルとのヴァイオリン協奏曲の場合、ピアノ協奏曲ほどの衝撃や違和感が少ないのは、長い間埋もれていたためにすぐれた演奏が少なかったためかもしれない。

ヴァイオリン協奏曲は他に比較の材料が少ないのだが、テンポの速すぎたクレーメルの旧盤より、もっとしっとりと、音の流れ・フレーズの息遣いなどが感じられる見事な演奏だと思う。

両曲とも長いこと、とび切りの名盤に恵まれなかったが、ようやく理想的とも言うべきCDが登場したと言えよう。

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2011年12月14日


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本CDは、アーノンクールのRCAへの移籍第1弾である。

アーノンクールは語る。

これまでの定説に反し、ブルックナーはこのフィナーレの大部分を書き終えており、少なくともモーツァルトの「レクイエム」以上に、真作の割合が大きい。

しかし、心ない弟子たちによって、ブルックナーの遺産がちりぢりとなり、フィナーレのスコアに関しても「ある」はずのページのいくつかも失われている、と。

シャルク兄弟やレーヴェたちは、杜撰で悪趣味な編曲だけに止まらず、師の遺品さえ私欲と虚栄心の道具にする、罰当たりな連中である。

彼らは本当のブルックナーの偉大さに気付いていなかったのだろう。

さて、このCDには、ブルックナーの遺したフィナーレの「真筆」のうち現存する部分だけが収録されている。

しかも、アーノンクールの詳細なレクチャー付きで。

ブルックナー・ファンを自認する者なら聴かない手はない。

完成された最初の3つの楽章も、アーノンクールならではの、清新の気漲る名演であることは、言うまでもない。

「フィナーレが細切れでは欲求不満」という方には、欠落部の補完されたアイヒホルン盤を併せて聴くことをお薦めする。

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2011年08月14日


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ベートーヴェンの交響曲と同様に、古楽器による演奏法をモダン楽器に応用して雄弁な効果を発揮。

ここでのヨーロッパ室内管は好演で、すっかりアーノンクールのオーケストラになりきっている。

シューマンの作品がもつ淡いロマン性をすっきりと歌い上げた演奏。

アーノンクールはここでも現代からシューマンの時代を振り返るのではなく、18世紀の視点に立ってシューマンの音楽の革新的な部分を描き出すことに主眼を置いている。

第4番は通常の1851年の改訂版ではなく、1841年の初稿版による演奏で、アーノンクールは、オーケストレーションの薄いこの版によって、従来のこの交響曲の重厚なイメージを見事に払拭している。

アーノンクールはブラームスが高く評価した第1稿の軽やかで古風な魅力をあますところなく表現し、幻想的な味わいをごく自然ににじみ出させる。

しかも、細部の動きや表現にまで明晰な読みを通した演奏は、大変に生き生きとした生命力にあふれ、シューマン特有のロマンや、彼がこの交響曲に託した意欲といったものを、とても鮮やかに示している。

他の3曲も、アーノンクールならではの速めのテンポで生き生きと運んで、強い緊張感としなやかなメリハリにとんだ表現を巧みに織りなした、すぐれてユニークな演奏であり、シューマンの交響曲演奏に新たな一石を投じている。

中では、春の到来を喜ぶ気持ちを率直に表現した第1番がすがすがしい演奏で印象に残った。

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2011年08月13日


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ブルックナーがロマン派と隔絶した音楽であることを、最初に示してくれた記念碑的演奏である。

トロンボーンなどに旧式の楽器を使用し、現代的な意味での重厚感とは無縁なので、肉体的な物足りなさを覚える人がいても不思議ではない。

しかし、ブルックナーの音楽が、パレストリーナ以来のポリフォニー音楽からの伝統を受け継いでいることを知るのも、もうひとつの魂の愉悦である。

バロック音楽に精進していたアーノンクールがブルックナーに心惹かれるのは自然なことだ。

響きは湧き出る泉のように清廉であり、同時進行するエピソードのすべてが多層的に鳴り響く。

これぞ、ポリフォニーの神髄。

そこに木霊するのは、天上の木々のさざめき、花々のそよぎ、宇宙の鼓動そのものだ。

どうか、アーノンクールの瑞々しさを味わって頂きたい。

アーノンクールはブル4に、コンセルトヘボウ管を選んだのは正解だった。

ここでのアーノンクールはオーケストラに厳格なまでにスコアに従うように要求する。

デュナーミク、アーティキュレーション、クレッシェンド、ディミヌエンド…。そのこだわりは神経症的といえなくもない。

しかしそれは同時に、驚くほど豊かな情感に満ちた演奏でもある。

細部にこだわればこだわるほど、より一層緻密で多彩な情感が得られるものなのかもしれない。

金管の鳴らし方が独自だが、アゴーギクなどは伝統的な解釈を見せている。

重くならないフレージング、弱音で弦のヴォリュームを絞ることによって得られる音響バランスによって、テクスチュアを明晰にしていることもすばらしい。

長いフレーズ感と壮麗かつ重厚な響きをもった、そして次第に形成されていった"伝統的"な解釈からの開放を試みた、アーノンクールならではのブルックナーだ。

この新しいブルックナー像を心より歓迎したい。

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2011年07月26日


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グルベローヴァとアーノンクールのリサイタル初共演盤。

グルベローヴァの代表的なソロ・アルバムで、コロラトゥーラの超絶技巧の極致ともいえるモーツァルトのコンサート・アリア集。

モーツァルトの音楽の、清楚で可憐な性格よりも、かなり劇的な性格を引き出した歌唱である。

グルベローヴァの歌唱はライヴでありながらも終始安定しており、いささかの乱れもない。

その声は広い音域にわたって一粒一粒輝いているし、超絶的なコロラトゥーラも余裕をもって鮮やかに歌い切り、特に高音のピアニッシモが美しい。

グルベローヴァの高音には、ほかのどのソプラノにもない独特の魅力がある。

それがとりわけモーツァルトでものすごい威力を発揮することを教えてくれたのがこのディスクだった。

ここにはアロイジアのために書かれた4曲をメインに8曲もコンサート・アリアが収録されている。

一般によく知られている曲たちではないが(しかしこの演奏によって真価が明らかになったものもあるのでは)、どの曲も聴き手の心をとらえて放さない。

コロラトゥーラにも感心するけれど、むしろその音色に現われた目のくらむような「魔性」に魅力を感じる。

グルベローヴァのツェルビネッタにもそんな「魔性」があった。

曲そのものに加え、グルベローヴァ自身の価値をも伝える傑作ディスクである。

アーノンクールの指揮はテキストと音楽の内容を的確に示している。

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2011年06月13日


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アーノンクール盤は、《アイーダ》のイメージを、そしてイタリア・オペラのイメージを覆すような画期的演奏である。

実はこのオペラで大事なのは神官ランフィス。

アーノンクールのCDでは、このランフィスをマッティ・サルミネンが歌っている。《神々の黄昏》のハーゲンを得意とする悪者声のバスだ。

《アイーダ》はまさにそのランフィスの声によって幕を開ける。

演じるのがサルミネンとあれば、否が応でも彼の存在に注目せざるをえない。

恋愛悲劇という表面の裏に冷徹なリアル・ポリティクスが存在していることをアーノンクール盤は鋭く指摘しているのだ。

この意義に比べれば、誰某がラダメスを歌った、誰のレガートがきれい、なんていう一般的オペラ談義はどうでもよい。

オーケストラの演奏もたいへん独特。弱音部分をジクジクと演奏しており、暗さや悩みを強調する。音楽が勢いに乗って軽快に離陸してしまうことを厳しく戒めている。

よって、このオペラの心理劇的側面が明瞭になる反面、イタリア・オペラならではの開放感には乏しい。

のろくて陰鬱なバレエ音楽、ラダメスが指揮官に指名される場面におけるグズグズした音楽、ちっとも嬉しそうではない合唱、盛り上がらない凱旋の場、湿気たトランペット……いくらなんでもやりすぎだと筆者ですら思う。

音楽がこれほどまでに特異になってしまった理由は、アーノンクールがすべてを音楽で表現しようとしているからだ。演出や演技なしでもわからせようとしているのだ。

そういう意味ではまさに録音向けの音楽だ。舞台でなら音楽がすべての表現を担わなくてもよいのである。

ただ、オーケストラはだいぶ欲求不満の様子だ。歌うことも騒ぐこともできないのだから。

ウィーン・フィルがこれほどウィーン・フィルらしく聞こえない録音も他にはないのではないか。

ともかく、これほどまでに実験精神のある《アイーダ》盤が他にないのは確か。一聴の価値は充分ある。

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2010年11月10日


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アーノンクール最新のブルックナー録音であるが、アーノンクールの円熟は疑いない。

第1楽章から、ヴィブラートを抑制したウィーン・フィルの清廉な響きの何という美しさ!

すべてのパートが透けて見えるようでいながら、ズシリとした響きの充実感も失わず、さらには、ワクワクするような愉悦感さえある。

そう、ヴァントのブルックナーになかったのは、この愉悦感かも知れない。

「第7」と違いイン・テンポで乗り切るコーダの雄大さも良い。

第2楽章、これほどベッタリと歌わない演奏も珍しい。

ことに弦で最初に奏される第2主題の斬新さは驚きだ。

まるで異次元からバロック・アンサンブルが紛れ込んだような錯覚にさえ陥る。

点描画のように重ねられていく音の断片が、ひとつの宇宙となる見事さに唖然となる。

スケルツォの愉しさが格別なのは、アーノンクールが舞曲の本質を捉えているが故であり、響きの法悦を無邪気に愉しむ心があるからだ。

フィナーレの揺るぎない構築美も、ポリフォニー音楽を知り尽くしたアーノンクールならでは。

コーダの大団円の迫力は、かつてのアーノンクールにはなかった力強さである。

「第8」での感嘆が、さらに大きなものとなった。

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2010年09月27日


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ベートーヴェンの交響曲全集に続いて、1992年に集中して収録されたもの。

オリジナル楽器による演奏の旗手として名高いアーノンクールは、モダン楽器による演奏でも常に注目を浴びる指揮者である。

アーノンクールの演奏はモダン楽器に代わっても、オリジナル楽器で究明を続ける表現手法をそのまま移植するかのように先鋭的な解釈で迫るのが特徴。

これは彼が最も多く共演しているコンセルトヘボウ管弦楽団と完成させたシューベルトの交響曲全集からの有名曲の抜粋である。

モダン楽器を使用してオリジナル楽器風の味わいを出すアーノンクールのやり方は、ここでもきわめて雄弁な効果を発揮している。

緻密に焼き直されるフレージングや大胆とも思えるデュナーミク、そしてあらゆる声部を徹底的に解釈し、それを再構築していくかのような分析的視点とその実践など、普段聴き慣れたシューベルトでも、随所に新たな発見や驚きを覚えさせる表現が溢れている。

ただここで起用したオーケストラがヨーロッパ室内管弦楽団ではなく、コンセルトヘボウ管弦楽団であるところがミソ。

アーノンクールはこのオーケストラがもつしっとりとした味わいがよりシューベルトに似合うと思ったのだろう。

さらにこの作曲家のもつオーストリア的な側面もあわせてくっきりと描出しているところも注目されよう。

自筆譜を参照し、可能なかぎりシューベルトのオリジナルの形を追求しているところもこの指揮者らしいところだ。

刮目すべき演奏である。

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2010年09月19日


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アーノンクールとシュターツカペレ・ドレスデンの初共演録音だった。

オリジナル楽器演奏の最高峰に位置するアーノンクールは、今ではモダン楽器によるオーケストラでも優れた演奏を聴かせる指揮者として斬新さを発揮している。

これはその種の最初期の録音のひとつで、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮して、バロック期からの投影を見せる独特のモーツァルト像を描いている。

シュターツカペレ・ドレスデンの落ち着いた響きがアーノンクールの古楽スタイルの溌剌とした解釈に絶妙にマッチし、新しい驚きにみちあふれた名演を生んでいる。

このオケの古雅な美しい響きを生かしつつ、オリジナル楽器演奏の解釈も取り入れて実に明快で歯切れの良い、その上に優美さを陰影の深さも伴った名演を展開している。

アーノンクールの指揮は、陰影が濃く、メリハリの強い表情で、バロック的な要素の強い音楽となっている。

鋭く強調された付点音符、対照的に優美といってよいほどのレガート奏法、そして第6楽章では手稿の空白部分のパートを満たしたりもする。

また、ポストホルンには名手ペーター・ダムを起用していて、見事な演奏を聴かせてくれる。

オケと指揮者の呼吸も実によく合っている。

ザルツブルグ大学のフィナールムジークとして作曲されたこの曲の前後には、本来学生達の入退場時に演奏されたと思われる行進曲(K335の第1番と第2番)も収録されており、そのあたりもいかにもアーノンクールらしいところ。

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2010年04月09日


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「3番」「4番」とコンセルトヘボウ管と共演してきたアーノンクールが、いよいよウィーン・フィルと組んで成し遂げた飛びきりの名演である。

ウィーン・フィルの魅惑の音色とブルックナーには格別の良さがあるが、それにしても、これほど大言壮語しないブルックナーは珍しい。

風が吹けばかき消されてしまうほどの儚さである。

徒らなヴィブラートを戒める弦の奏法により、響きは至純を極め、ブルックナーの無垢な魂を伝えてくれる。

ここに圧倒的な音圧はない。繊細なニュアンスやバランス感覚がこの演奏の命であり、それ故に再生の環境によって評価が左右される可能性もある。

弦の音圧がことさらに高いわけでないので、この魅力は聴き取りにくいかも知れない。

全曲のどこをとっても美しいが、第1楽章のしみじみと懐かしい歌、絶えず意味深い低音の進行など堪えられない。

第2楽章のテンポ設定の巧みさには目が開かれるが、天に登りつめたような壮大なクライマックスで、シンバルとトライアングルのない意味が、これほど分かる演奏も珍しい。

ワーグナーの死を予感して書かれたコーダの「葬送行進曲」におけるワーグナー・チューバの響きは痛切であり、巨匠の死を悼むブルックナーの魂の叫びが聴こえてくるようだ。

スケルツォもリズムそのものが生き物のようであり、シューリヒト以来の名スケルツォとなった。

ここでもバスの音型が生きている。

唯一気になるのは、第1楽章の終結でテンポを速めてしまうことだが、このまま堂々たるテンポで終えることができたら、感銘はさらに深まっていただろう。

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2010年03月26日


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2001年11月3〜7日、ムジークフェラインザール、ウィーンで行なわれたアーノンクールによる当曲の初ライヴ録音。

ウィーン・フィルにとって、レヴァイン盤以来約15年ぶりとなる全曲録音となる。

《わが祖国》に新しい光を当てた素晴らしい名演である。

モダン・オーケストラを振り始めた頃のアーノンクールのイメージは"過激"の一語に尽きたものだが、当盤では、そうした姿勢が意識的に排されている点が興味深い。

いずれも遅めのテンポ設定をとり、民族色の表出や目先の描写にはこだわらずに、スコアをしっかりと見据えた演奏が行なわれており、同曲を純粋な交響詩として、もっぱら純音楽的なアプローチを心掛けている。

スメタナをチェコの作曲家という範疇におさめず、リストと親交が深く、ワーグナーにも多大な影響を受けたインターナショナルな大作曲家として捉えているとも言える。

ウィーン・フィルのふくよかな響きもプラスに働いて、全体を美しい音楽で包み込むことに成功し、まさに、純音楽的な美しさを誇る異色の名演を成し遂げることに成功したと言えよう。

また、「シャールカ」では、慣習的な改訂を排除するなど、アーノンクールらしいこだわりも投影されている。

ヴァイオリンを両翼配置にして、伴奏音型やオスティナートをきめ細かく演奏させつつ、各声部を立体的に処理していくことを通じて、新たな《わが祖国》像を形づくることに成功している。

このような名演は、最近話題となったチェコの若手指揮者であるフルシャなどの名演にも少なからず影響を与えているのは明らかであるとも言えるところであり、本盤は、《わが祖国》の演奏史に少なからぬ影響を与えた稀有の名演であると言っても過言ではない。

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2009年11月24日


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歴史的快挙とも呼ぶべき素晴らしい演奏だ。と私が声を大にしたところで、アーノンクールのブルックナー演奏は、未だ異端視されがちである。

この画期的な演奏が評価されていない、という現実は、ブルックナーの生前と同じ状況なのではないか、と私には思えてならない。

アーノンクールは「ブルックナーは月から降ってきた石のようだ」と語る。「メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスの後継者」ではなく、「唐突に登場」したと。だから、生前理解されず、拒否されたのも当然である、と。

アーノンクールのブルックナーもまた、「月から降ってきた石」のひとつなのではないか。

アーノンクールはブルックナーを遡ればルネサンス音楽のポリフォニー、身近には酒場のダンス、そして、来るべき新ウィーン楽派の前衛との結びつきの上で捉えている。

私が「歴史的快挙」と言いたいのはここだ。

ブルックナーのスコアは「慣習」から解き放たれ、はじめて、ウィーン国立図書館に保管されたままの無垢な姿で音となったのである。

ゆえにこれまでの伝統的な価値観でしかブルックナーを語れない人々には拒絶されるしかないのだ。

アーノンクールの円熟ぶりには凄まじいものがある。刺激的ではあったが腰の軽かった「第3」の頃とは別人の堂々たる貫録が現れた。

至純な響きや精緻を極めたスコアの再現はそのままに、これまで聴かれなかった圧倒的な「力」に貫かれている。

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2009年10月14日


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国内盤が途絶えているが、アーノンクールは、ピノックやクイケン、ガーディナーらに比べてさらに劇的な演奏を聴かせて、聴き手を鮮烈な感動に誘う。

生きている音楽。生きて弾み、躍動し、喜びの歌をうたい、時に立ち止まっては夢に誘う、そんな世界を体験させるのがバッハの《管弦楽組曲》であり、アーノンクールの演奏である。

およそ3世紀も前の営みながらアーノンクールが楽譜からすくい上げる音楽は、現代の歌としての生命力と力強さを誇っており、いささかも遠慮がちではない。

溌剌としたリズム、鋭くもあれば甘美でもある冴えわたる音色、指揮者と楽員とが心をひとつにして作り出すアンサンブルだけがもつ求心力と開放感、そしてソロをとる名手たちが聴かせてくれる卓越した技術の味わい、それらが渾然一体となった管弦楽組曲の世界は尽きせぬ喜びの泉であり、どこをとっても、どこから聴いても聴き手を幸福感に浸らせる。

第1番は輝かしい祭典の席に居合わせるかのような高揚した気分を約束するし、典雅さと詩人のため息をブレンドしたかのような第2番はシュタストニーの名演もあって聴く喜びの深度をさらに掘り下げた境地に旅させる。

第3番は音に聴く大伽藍であり、バロック音楽の気迫に圧倒される思いだし、第4番は晴れやかな祝典に有頂天となるような興奮がある。

アーノンクールには1967年に録音した名盤もあり、それも今なお聴くたびに新しい感動に誘うが、この再録音盤はさらに視野が豊かになった演奏の大らかさが感じられ、どこをとっても熟成した名演といわせる説得力がある。

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2009年09月21日


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アーノンクールの初のベートーヴェン/交響曲録音で、ヨーロッパ室内管(無論モダン楽器)との1990年〜91年にかけての5回にわたる演奏会でのライヴ録音をまとめたものである。

アーノンクールとヨーロッパ室内管の録音もこれが初めてであった。

オリジナル楽器演奏法を駆使したモダン楽器による演奏。

勁さとしなやかさを兼ね備えた9曲の演奏である。

アーノンクールのこれまでのバロックや古典派におけるすぐれた仕事の蓄積のすべてが基礎になって、輝かしいベートーヴェンの解釈を生んでおり、全9曲が一貫してベートーヴェンの本質である意志的な強靭さを端的に表出している。

ベートーヴェンの交響曲を、ロマン派以降に形成された解釈の伝統を通してではなく、それ以前の音楽の演奏法に照らし合わせて解釈し直したアーノンクールならではの演奏。

それによって、ベートーヴェンが先人から学んだことが明らかになるとともに、どこに彼の独創性があるかということも明確になる。

そして、すべての演奏を貫くのは音楽することへの素直な喜びであり、その豊かな生命力もこの全集の大きな特徴といえよう。

そこではヨーロッパ室内管の若く能力の高い奏者たちが、アーノンクールの音楽に心酔しながらもてる力を存分に発揮している。

管楽器をダブらせない中間的なサイズの編成と、鋭敏な若いオーケストラのライヴでの熱意が、どの曲にも今ペンから生まれたばかりのような張り切った演奏を可能にした。

一方でアーノンクールは、トランペットにだけは古いナチュラル楽器を使うこだわりも見せている。

最も主張に満ちたインパクトの大きいベートーヴェン全集ではなかろうか。

ベートーヴェン解釈の新しい可能性を提示した記念碑的な録音である。

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2009年09月14日


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新手の必殺技で常に新風を送り込むクレーメルだが、異彩を放つ"裏技"を使ったのがこの演奏だ。

なんと言ってもカデンツァが目玉で、作曲者自身がピアノ協奏曲に編曲した版のカデンツァをそのまま下地に使ってしまうという"暴挙(快挙?)"に出た。

ピアノに加えティンパニまで登場する無類の面白さ!

しかしこれを取り込めるだけの進取の気性にとんだ表現解釈があってこその物種。

クレーメルはやはり奇才である。

クレーメルの3度目の録音で、その演奏は前2作以上に個性的であるとともに、表現の細部まで厳しく磨き抜かれており、リズムや強弱の変化が鮮やかなアーノンクールの指揮も、シャープに研ぎ澄まされたクレーメルのソロにふさわしい。

恰幅の良さや偉容を誇る演奏ではないが、緻密な音と引き締まった感覚で鋭利な表現を自在に織りなした演奏は、まことに彫り深く充実している。

クレーメルのソロはいっそう研ぎ澄まされ、変幻自在にベートーヴェンの音楽を歌い続けていく。

特に、ピアニッシモでの表現の冴えた美しさはクレーメルならではのもので、この演奏の印象をいっそう鮮烈にしている。

そうしたソロをしっかりと支えるとともに、時にはソロに挑発をしかけるのがアーノンクールの指揮である。

彼はここでもベートーヴェンを博物館的な古典ではなく、今日の聴き手に積極的なメッセージを発するアクチュアリティを持つ作品として扱っている。

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2009年08月09日


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学問と実際の融合に常に心を砕いてきたアーノンクールの芸術的成果が示された演奏。

アーノンクールのハイドン解釈は、彼自身の中でも明確になってきたようで、確信に満ちた表情には感心させられる。

アーノンクールはモダン楽器によるコンセルトヘボウ管を振っているのだが、演奏のスタイルそのものは、きわめてオリジナル楽器的で、まず漸弱・漸強を使わず、強弱をはっきりと付けて、まるでバロック音楽のように扱っている。

アーノンクールはこれらハイドンの後期の作品を、ベートーヴェンを経て現代へと連なる響きの世界で考える。

しかしこの刺激的な解釈には、彼が長年にわたりオリジナル楽器を用いて、バロック音楽の新しい方向を模索し続けてきた経験が生きている。

なかでも「時計」が秀演。まず第1楽章序奏部の柔軟な感触が良い。第2楽章では、弦がオリジナル楽器を用いているような効果を表していることに注目したい。

第3楽章はかなり速めのテンポと歯切れの良いリズムが爽快であり、終楽章の主題の表情や各部分の克明な処理も独自のもの。

「驚愕」では、期待通りの対比と変化に富んだ演奏を聴かせており、第2主題など軽妙で、アーノンクールの音楽的語彙の豊富さにも感心する。

「軍隊」での楽器の用法もきわめて挑戦的で、突然盛大に鳴らして意表を衝く。普通の演奏で聴き馴れていた耳には、別の曲のように響くのではなかろうか。

問題提起を怠らないアーノンクールらしい演奏だが、新鮮な感動を与える素晴らしい出来だと思う。

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2009年01月28日


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衝撃的なモーツァルト演奏。

一般的なジュスマイアー版を使用せず、バイヤー版を用いたのが特徴で、モーツァルト時代の古楽器を使いながら、ワルターとは対照的な、すこぶるドラマティックで個性的な音楽をつくりあげている。

アーノンクールの演奏のインパクトは強烈で、激しい劇的緊張とコントラストの強い造型を全曲にわたって維持し、聴き手を引っぱってゆく。

それでいて外から味付けされた厚化粧的表現ではまったくない。

ことに金管楽器やティンパニの扱い方が独特で、冒頭から、そのすさまじさに驚かされる。

既に第1曲の「入祭文」から強烈で、ジュスマイアー版にはない金管に続くティンパニの強打は死者の眠りをさまさんばかりの異常な緊張力を漂わせる。

オリジナル楽器を使用しながらアーノンクールのつくり出す音楽は大変尖鋭なもので、この「レクイエム」も、ワルターのやさしさに充ちたものとは全く対照的な、現代の「レクイエム」として投げかける問題は大きい。

独唱、合唱とも力強い歌唱で立派だ。

アーノンクールの独特の解釈は、曲によって強い説得力をもつ場合と、戸惑いを感じさせる場合がある。

この「レクイエム」の演奏は、もちろん前者であり、こうしたユニークな表現も面白い。

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2008年10月23日


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アーノンクールによる当曲集の初録音。録音途中でシェフトラインが亡くなったため完成が遅れていたものである。他にも一部メンバーの移動はあるが、イギリスを含めオリジナル楽器の名演奏家が集められている。

生き生きとしたリズムに支えられ、新鮮な感動と喜びにあふれたテレマンを作り出している。

テンポも妥当であり、ひとつひとつの音がそれぞれの意味あいをもって流れてゆく。

一時代のアーノンクールの演奏につきまといがちであった、あの粗くて不自然なアクセントはすっかり影をひそめ、すべては自然に自由に、そして自在に営まれている。

アーノンクールとしては案外普通の演奏に落ち着いているのはむしろ曲のせいもあろう。

強烈なインパクトを与える種の音楽ではないにしても、拍子抜けの感もある。

ほとんどメンバーにまかせたような、自然で豊かな音楽の流れになっている。

もちろん各楽器の奏者たちの独奏には出色のものがある。

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2008年10月17日


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実に個性的で劇的な起伏にとんだアーノンクール盤は、最初の1曲を聴き始めたら、予期できない表現の多様、多彩さへの興味に引きづられて作品6の全12曲を立て続けに聴き通したくなる活力にとんでいる。

第10番や第12番の第1楽章のスタッカートなど凄まじいばかりだ。

その意志的な解釈は多少強引に聴き手を引き回す面もあり、よく言われる「大らかでのびやかなヘンデル像」とは異なったものだが、強靭な説得力には抵抗できない魅力がある。

コンチェルティーノ(独奏群)をややエコー気味に扱ってリピエーノと対照させた効果も興味深い。

バロック芸術の本質にある絶えざる変化、力動性、対照、遠近感、といった要素を、アーノンクールが現代化してみせる。

この演奏にみられる演技性を、正面からとらえてみなければ、バロック理解は表層的なものになるであろう。

作品3でも、かなり大胆な発想が随所に見られ、大らかで楽天的なヘンデル像とは一歩違った別の顔を見せてくれる。

バッハが多種多様の演奏形態に耐え得るように、ヘンデルもまた、こうした演奏を許容する大きさをもっているのだ。

アーノンクールの個性とアクの強さは、ここでは好ましい方向に出ていよう。

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2008年10月13日


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きわめて異質と思われるクレーメルとアーノンクールだが、解釈については意外なほど多くの接点を持っている。

クレーメルが「アーノンクールによって、正統的な解釈の面白さや大切さに開眼させられた」と語っているように、現代楽器によりながら、モーツァルトのユニークな劇的起伏を見事に再現した聴きものである。

一から十までアーノンクール色の強いモーツァルトだが、曲想とマッチしているせいか違和感を与えない。

第1番は、弦の音色が何とも鮮やかでフレッシュ、それにバロック風のホルンが加わり、音楽は驚くほど生き生きとモーツァルトの呼吸を刻み、切れ味鋭く進行する。

第2番の冒頭から、アーノンクールのリズムとアーティキュレーションは、意識してレガートを避け、あらゆる点で明確な表現を意図している。

クレーメルの演奏も、モーツァルトの演奏から純粋な音以外の一切を拒否しようとするかのような厳しい姿勢を見せる。

第3番はさながら新ウィーン楽派のモーツァルトで、クレーメルの神経が透けて見えるようだ。

第4番はさらに見事で、単に面白いだけに終わらず、立派な芸術の高みに達している。

第5番がことのほか素晴らしい。これほど抽象的な演奏も珍しいが、そのままの形でモーツァルトを伝えてくれる。

協奏交響曲はアーノンクールが主導権を握り、2人のソリストもチームの一員として組み入れられ、そのまとまりも見事だし、モーツァルトの魅力のすべてが示されている。

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2008年09月26日


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この中の第1〜4番「四季」は発売当初から大変な話題を呼んだ。

ルバートが多く、ラプソディックで、時には荒々しく思える演奏で、意外性という点で人々の注意をひきつけたかのようだった。アーノンクール独自の解釈とテキストの読みにより、独特の骨っぽい響きの世界を作り上げている。

バロック期の音楽でこの曲くらい有名なものもないだろう。戦後の室内合奏団隆盛の時代以後、無数の録音が生まれた。

そして、アーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによる録音は、名曲に付されたソネットのテキストを当時の音型論的脈絡において戯画的に強調してみせるという斬新な解釈で、後に続く古楽の演奏家たちに多大な影響を与えた。

そうした、いわば表現主義的な「四季」は、1980年代後半になって登場して脚光を集めている、オイローバ・ガランテやイル・ジャルディーノ・アルモニコなど若いイタリアの古楽の演奏家たちによりずっと洗練された形で継承されているように思える。

劇的なドラマに満ち満ちたバロック音楽の出発点である。

この演奏が、いわゆるオリジナル楽器による正統的なバロック演奏であり、ヴィヴァルディの曲の真の姿を伝える唯一の演奏だと断定されては困る。

この「四季」に感動したファンには、「和声と創意への試み」の後半の6曲も是非薦めたい。しかしアレルギーをおこされた方は、それ以上症状を悪化しないように、といっておこう。

ただ、この演奏こそ「好奇な恣意の試み」とはいえる。

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2008年09月22日


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モーツァルト没後200年記念特別演奏会でのライヴ録音。

なんとも個性的でスリリングな異色の演奏。

演奏のコンセプトは、バロックの後継者としてのモーツァルト像を19世紀的解釈を斥ける形で直接的に示そうとしたもので、楽譜も新モーツァルト全集によっている。

どの曲もアクセントのとり方、フレーズの表情など、オリジナル楽器的な奏法と音色で一貫させている。

アウフタクトを起点としたフレージングを確実に実行しながら、レガート、ノン・レガート、スタッカートなどの効果を自在に駆使する、当時最も先鋭的なバロック音楽の解釈がモーツァルトに適用されている。

テンポの設定やリズム処理も極めて独特のもので、すべてがアーノンクール調で一貫している。

彼の創意と着眼点の変更による問題提起は新鮮で、傾聴に値する。

アーノンクールのモーツァルト解釈は常に刺激的だが、この演奏は腕利き揃いの若い音楽家集団のヨーロッパ室内管との共同作業なので、さらにフレッシュな魅力が付け加えられている。

洗練された表現と快適な運動性が魅力的な「プラハ」と第39番、いたずらに悲愴美を強調しない古典的節度をもった第40番、堂に入った風格さえ感じさせる「ジュピター」など、いずれも個性的解釈に貫かれた秀演である。

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2008年09月15日


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オリジナル楽器でなければ得られない響きを生かし、当時の演奏様式を採り入れながらも現代にアピールする魅力に満ちた演奏だ。

フレージングに独特のアクセントがあるが極めて自然で、オリジナル楽器による演奏にしばしば見られる音のふくらみを不自然に強調した解釈とは一線を画している。

弦の音色も明るく艶があって美しく、同時に響きが柔らかく豊かだ。

演奏者1人1人の技術が優れているためか、各パートの動きが明快で表情が生き生きとしているのも特徴。

アーノンクールの解釈で最も特徴があるのは第6番で、ここではテンポががかなり変化し、メロディアスな楽句では旋律をゆったり歌わせ、リズミックな楽句ではテンポを速める。

いいかえればこの曲のロマンティシズムとモダニズムを強調した解釈だ。

アーノンクールはここで、古楽器でなければできない演奏を聴かせてくれる。

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2008年09月14日


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カンタータには、本来の教会の行事のための「教会カンタータ」の他に、領主や貴族、知人などの慶事の際に演奏される「世俗カンタータ」というものがある。

バッハは、こういったカンタータを20曲あまり残しているが、この2曲はそれらのうちでも特に有名なものとなっている。

アーノンクールはレオンハルトと協同してカンタータ大全集を録音するという偉業をやってのけたが、これはその完成を記念した録音である。

世俗カンタータにおけるアーノンクールは生き生きとした躍動感に満ち、聴く者の心を解放してくれる。

2曲とも底抜けに明るく、バロック・オペラとしても納得できる楽しさいっぱいの演奏だ。

あの謹厳なバッハにもこうしたおどけた一面があったのかと思うと、実に愉快になる。

第208番は4人のソリストがよく歌い、オケも明快な音の動きと調和していて実に美しい。

第212番も農民たちの生活が躍如とした演奏。

バッハの音楽の楽しい一面を知るのに極めて好適の1枚だ。

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2008年04月10日


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「グラン・パルティータ」はアーノンクールが特にこの録音のために結成した団体のデビュー録音で、並々ならぬ意欲が直截に伝わってくる。

ウィーンの管楽器の名手たちの中から、シェフトライン(オーボエ)、ブランドホーファー(クラリネット)、トゥルコヴィチ(ファゴット)、アルトマン(ホルン)などを中心に、モーツァルトが好きでたまらない人たちを集めて作ったアンサンブルによる演奏ということもあって、ここにはモーツァルトに対する深い共感、そして情熱が感じられる。

各奏者の技量も見事で、おのおのが即興的な名人芸を発揮しながら、彫りの深い音楽をつくっている。

全員の息がピッタリと合い、音色もまろやかで美しい。

この「グラン・パルティータ」はかなりユニークなスタイルをもった個性派モーツァルトである。

実に鋭い切り込みでリズムを強調しながら、力強く表現しているので、モーツァルトの音楽から優雅さを求めようとする人には向かないかもしれないが、のちのベートーヴェンに通ずる劇的な性格を打ち出している点が面白い。

アーノンクールの解釈はダイナミクスやアーティキュレーションに予想以上に強調された彼の意志を投影しているし、装飾音にも変更を加えている。

テンポは概して速めで、強調されたリズムと躍動感が、社交目的の音楽としての性格をいっそう強めている。

「ナハトムジーク」は一転してアーノンクールの指揮は自然体で、優雅さや活力をうまく引き出している。

ウィーンの雰囲気にたっぷりと浸ることができるCDだ。

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2007年12月20日


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非常に斬新で個性的な「水上の音楽」だ。

古楽器を使い、古楽奏法によりながら、そこに現代風の鋭さを加えたアーノンクール流のヘンデルである。

しかし決して音楽のスタイルを破壊したものではない。

バロック期の作品に対する充分な研究を基にして当時の自由さを最大限に発揮させただけなのである。

弦は弓を押しつけ、ヴィブラートを取り、1つ1つの音をクレッシェンドするような奏法が頻出する。

「序曲」後半のすごいダイナミックの効果や、第3曲「アレグロ」でのホルンのフラッター奏法もすごい。

合奏協奏曲もテンポが速く、極めてリズミックであり、アクセントがきつく、表情の変化が激しい。

ヘンデルの音楽がもつ純潔美、古代の哀しさ、崇高さといったものはここにはない。

そのかわり、胸のすくような意志的な音が鳴り響く。

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2007年11月12日


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当時の楽器を使っているのだから、現代楽器を使った場合よりも音が良くないだろう、などと思うのは大間違いで、現代楽器よりもオリジナル楽器で演奏したバロック音楽の方が、ずっと美しい響きで聴こえてくるのから不思議である。

オリジナル楽器を使ったオーケストラで、かなり前から活動し続けているのは、ニコラウス・アーノンクールの指揮するウィーン・コンツェントゥス・ムジクスというオーストリアの室内合奏団で、今でも、実に新鮮な解釈で優れた演奏をし続けているが、多少クセの強いところもあり、好き嫌いが分かれるところであろう(代表盤を上にあげておく)。

アーノンクールは今や押しも押されぬ現代の指揮界の巨匠的存在となり、モダン・オーケストラも指揮する巨匠となっている。当たり前のようにニューイヤーコンサートにも呼ばれた。

オリジナル楽器で何といっても面白いのは、イギリスの人たちであろう。

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