バーンスタイン

2013年12月25日


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これもまたどうしようもない演奏だ。

一時はカラヤンと覇を争うほどの大指揮者であったバーンスタインが、何故にこのような駄演を行ったのか理解に苦しむ。

かつては筆者もこの濃厚な演奏を「メンゲルベルクの再来を思わせるスーパーロマンティシズムを感じる」などと絶賛したものだったが、それから歳を重ねるにつれて、聴く度ごとに、バーンスタインの表現の大仰さは、本来本質的に寡黙な作曲家であるシベリウスにそぐわないように段々感じられてきたところだ。

第1楽章はそれでもまだましと言える。

大仰で濃厚の極みとも言うべき音楽は、シベリウスの音楽というよりはマーラーの音楽を鑑賞しているような錯覚を起こさせるが、テンポなども含めとりあえずは常識の範囲内におさまっており、少なくとも凡演のレベルには達している。

ところが第2楽章、バーンスタインは何を勘違いしたのであろうか。

にわかには信じ難いような超スローテンポで曲想を進めていくが、ここまでいくともはや音楽ではなく単なる音の羅列ではあるまいか。

バーンスタインが、このような音の羅列で何を表現したかったのかは不明であるが、少なくともこの楽章に関しては、よほどのバーンスタインの熱狂的なファンでないと、全体を聴き通すことすら苦痛であると言えるだろう。

第3楽章は、本演奏の中ではもっともまともな演奏と言える。

中間部の粘ったような音楽はいかにも晩年のバーンスタインであり、その濃厚な体臭に辟易としないでもないが、少なくとも第2楽章の音の羅列を聴いた後では一服の清涼剤のように感じる聴き手は筆者だけではあるまい。

そして終楽章であるが、思わず耳を覆いたくなる。

シベリウスが作曲した旋律の中でも特に勇壮で美しい名旋律を、バーンスタインはチューバを最強奏させることによって品の悪い騒音に変容させてしまった。

このような演奏を聴いていると、聴いていて恥じらいさえ覚えるほどであり、晩年のバーンスタインはあらゆる楽曲をマーラーの音楽であると思っていたのではないかと勘繰りたくもなる。

いずれにしても、本演奏は同曲演奏史上でも最悪の駄演であり、熱狂的なバーンスタインのファンだけに存在意義がある演奏と言えるだろう。

バーンスタインは、1960年代にもニューヨーク・フィルを指揮して同曲を録音しており、それはヤンキー気質丸出しの外面的な演奏とは言えるが、本演奏よりはよほど優れているのではないかと考えられるところだ。

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もう晩年のバーンスタインの演奏に関して、優等生的に評するのは止めにしたい。

バーンスタインの芸風は、1980年代に入ってから大きく変化したように思われる。

テンポが著しく遅くなるとともに、表現は雄弁できわめて大仰なものとなったからである。

こうした変化は、バーンスタインの健康の衰えによるものなのか、それとも晩年になって感情移入の度合いが高くなってきたためなのか定かではないが、いずれにしても、その変化の大きさは、常識をはるかに超えているとさえ言えるだろう。

バーンスタインには、熱烈な愛好者も多く存在しており、そのような人からすれば、かかる演奏を持って、晩年になって新境地を開いたとか、スケールが雄大になったとか、あるいは真の巨匠になったなどと評価するのであろう。

しかしながら、一般の愛好者の中には、とてもついていけないと感じる人も相当数いるのではないだろうか。

かく言う筆者もその一人である。

マーラーや、精神分裂気質がマーラーと似通っているシューマンの楽曲の演奏については、筆者は高く評価している。

それどころか、特にマーラーについては、バーンスタインこそは史上最高のマーラー指揮者として高く評価しているところだ。

しかしながら、その他の作曲家による大半の楽曲の演奏については、雄弁であるが内容は空虚。

スケールはやたら大きいが、いわゆるウドの大木の誹りは免れないのではないかと考えている。

本盤に収められたドヴォルザークの「第9」も、そのようなバーンスタインの欠点が露骨にあらわれた凡演と言えるだろう。

バーンスタインは、最晩年になって、あらゆる楽曲がマーラー作曲の楽曲のように感じるようになったのであろうか。

粘ったような進行や表情過多とも言える大仰さはほとんど場違いな印象を与えるところであり、とりわけ第2楽章のあまりにも前に進んで行かない音楽にはほとほと辟易とさせられた。

バーンスタインは、1962年にニューヨーク・フィルと同曲を録音しているが、そちらの方がよほど優れた演奏であり、いかにもヤンキー気質の力づくの箇所もないわけではなく名演と評価するには躊躇するが、若武者ならではの爽快な演奏であった。

本盤での救いは、併録のスラヴ舞曲集であろう。

これとて、大仰さが気にならないわけではないが、交響曲よりはよほどまともな演奏と言える。

録音は交響曲が1988年、スラヴ舞曲集が1986年のライヴ録音であり、従来盤でも十分に満足し得る高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干鮮明さを増すとともに音場が広がったように感じられる。

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もう晩年のバーンスタインの演奏に関して、優等生的に評するのは止めにしたい。

バーンスタインは、チャイコフスキーの第6番をマーラーの第6番と勘違いしているのであろうか。

確かに、同曲には「悲愴」と言う愛称が付いてはいるがそもそも「悲劇的」とは異なる。

しかも、もっと大事なことは、チャイコフスキーはマーラーではないということである。

最晩年のバーンスタインの演奏には、このような勘違いの演奏が極めて多かったと言わざるを得ない。

かかる勘違いの演奏は、本盤と同時に発売されたドヴォルザークの「第9」、モーツァルトのレクイエム、ショスタコーヴィチの「第7」、シベリウスの「第2」など、枚挙にいとまがないほどである。

同時期に録音されたマーラーの交響曲や歌曲の一連の演奏は、いずれもそれぞれの楽曲の演奏史上最高の超名演であるにもかかわらず、その他の作曲家による大半の楽曲の演奏に際しては、とても同一の指揮者による演奏とは思えないような体たらくぶりである。

バーンスタインは、このような勘違いの演奏を意図して行ったのか、それとも好意的に解釈して、健康悪化によるものなのかはよくわからないが、いずれにしても、これらの演奏の数々は、バーンスタインとしても不名誉以外の何物でもない。

本盤の「悲愴」の演奏も、粘ったようなリズムで少しも先に進んでいかない音楽であるが、その大仰さが例によって場違いな印象を与える。

スケールはやたら肥大化しているが、内容はきわめて空虚にして浅薄で、まさにウドの大木の最たるものと言えるだろう。

とりわけ終楽章の殆ど止まってしまうのではないかと思われるような超スローテンポにはほとほと辟易とさせられてしまった。

もちろん、バーンスタインには熱烈な支持者がいることから、このような演奏をスケールが雄大であるとか、巨匠風の至芸などと褒めたたえたりするのであろうが、一般の愛好者の中には、筆者のようにとてもついていけないと感じる人も多いのではないだろうか。

本盤の救いは併録のイタリア奇想曲であろう。

こちらの方は、例によって大仰な表現ではあるが、「悲愴」のような凡演ではなく、濃厚な味わいのある好演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

録音は、1980年代半ばのライヴ録音であり、もともと十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって、音質がやや鮮明になるとともに音場が広くなったように感じられる。

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2013年12月16日


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本盤には、バーンスタインがツィマーマンと組んでライヴ録音したブラームスのピアノ協奏曲第2番が収められているが、素晴らしい名演と高く評価したい。

バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。

具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。

本盤の演奏とほぼ同時期に、バーンスタインはウィーン・フィルとともにブラームスの交響曲全集をライヴ録音(1981〜1982年)しており、当該演奏もどちらかと言えば疑問符を付けざるを得ない点も散見されるところであるが、ウィーン・フィルの懐の深い音色が演奏を浅薄なものに陥るのを避けるための大きな防波堤になり、少なくとも佳演との評価は可能な演奏に仕上がっている。

一方、本盤の演奏においても、基本的には交響曲全集の場合と同様であり、いかにもバーンスタインの晩年の芸風が色濃く反映された演奏に仕上がっている。

第1楽章冒頭の超スローテンポによる開始には殆ど閉口させられるが、その後も極めて遅いテンポ、ゲネラルパウゼの多用、粘ったような曲想の進行、濃厚さの極みとも言うべき表情過多な表現などが駆使されており、これ以上は考えられないような濃密な音楽が構築されている。

したがって、いわゆるドイツ正統派のブラームス演奏とは百八十度異なる異色の演奏であり、バーンスタインがマーラーの交響曲の演奏で垣間見せるヒューマニティ溢れる熱き心で満たされているとさえ言えるだろう。

まさに、バーンスタインの体臭が芬々としている演奏と言えるところであり、これは好き嫌いが明確に分かれる演奏であるとも言えるところだ。

もっとも、本盤の演奏では、ツィマーマンのピアノが清新さに満ち溢れた名演奏を展開していることから、バーンスタインの体臭芬々たる濃厚な演奏が若干なりとも中和されていると言えるところであり、交響曲全集ほどの違和感を感じさせることがないと言える。

そして、ウィーン・フィルによる懐の深い美演が、演奏全体に独特の潤いを与えているのを忘れてはならないところだ。

いずれにしても、以上の点を総合的に勘案すれば、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、本従来盤でも十分に満足できるものであるが、先般発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

バーンスタイン、そしてツィマーマンによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年11月30日


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バーンスタインは、その晩年にウィーン・フィルとともにモーツァルトの主要な交響曲集のライヴ録音を行ったところであり、本盤に収められた交響曲第40番及び第41番はその抜粋である。

バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。

具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏もかなり行われていたように思われる。

本盤の演奏においても、ゆったりとしたテンポによる熱き情感に満ち溢れた濃厚さは健在であり、例えば、これらの楽曲におけるワルターやベームの名演などと比較すると、いささか表情過多に過ぎるとも言えるところだ。

もっとも、オーケストラがウィーン・フィルであることが、前述のような大仰な演奏に陥ることを救っていると言えるところであり、いささか濃厚に過ぎるとも言えるバーンスタインによる本演奏に、適度の潤いと奥行きを与えている点を忘れてはならない。

近年のモーツァルトの交響曲演奏においては、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した小編成のオーケストラによる演奏が主流となりつつある。

そうした軽妙浮薄な演奏に辟易としている中で本演奏を聴くと、本演奏には血の通った温かい人間味を感じることが可能であり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、近年の血の通っていない浅薄な演奏が目白押しの中にあってその存在意義は極めて大きいものであり、モーツァルトの交響曲の真の魅力を心行くまで堪能させてくれる人間味に溢れた素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが、音質がより鮮明になるとともに、音場がより幅広くなったように思われる。

いずれにしても、バーンスタイン、そしてウィーン・フィルによる名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

そして、バーンスタインがウィーン・フィルとともに晩年に録音した他のモーツァルトの交響曲(第25番、第29番、第35番、第36番、第38番、第39番)やクラリネット協奏曲の演奏についてもSHM−CD化していただくとともに、可能であれば、本盤も含め、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を切にお願いしておきたい。

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これは素晴らしい超名演だ。

このうち、ラプソディ・イン・ブルーについてはバーンスタインによる旧盤(1958年)との優劣を比較することは困難を極めるが、それ以外の諸曲については、それぞれの楽曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、途轍もない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。

具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。

本盤に収められた楽曲はいずれも米国の作曲家によるものであり、それだけにバーンスタインの晩年の芸風がいずれもプラスに作用していると言えるのではないだろうか。

バーンスタインがピアノも受け持つガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルーについては、活気に富みノリの良さが快い超名演であった旧盤(1958年)と比較すると、テンポが遅くなるとともに濃厚な表情づけがなされているが、同曲特有の軽快なリズム感においてはいささかも損なっておらず、いい意味での円熟の名演に仕上がっていると言えるところであり、旧盤との優劣は容易にはつけられないのではないかと考えられる。

「ウェスト・サイド・ストーリー」〜シンフォニック・ダンスについては、バーンスタインとしても自家薬篭中の作品であり、、ジャジィな魅力と場面に応じた巧みな描写が印象的であり、あたかも水を得た魚のような生命力溢れる力強さと濃厚な表情づけがうまくミックスされた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

混声合唱、児童独唱と管弦楽のための「チチェスター詩篇」には合唱陣の記載がないが、思い入れの深い力演である。

その演奏の彫りの深さなどを考慮すれば、今後ともこれ以上の演奏を成し遂げるのは困難を極めると言えるだろう。

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2013年07月04日


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バーンスタインならではの至高の超名演と高く評価したい。

「子供の不思議な角笛」は、マーラーが同名の民謡詩集から選んで作曲した歌曲集であるが、同歌曲集を構成する各歌曲が有する諧謔や皮肉、そしてユーモアに満ち溢れた独特の内容は、交響曲第2番〜第4番のいわゆる角笛交響曲にも通底するものと言えるのかもしれない(「さかなに説教するパトバのアントニオ」や「原光」の旋律については、第2番に活用されている)。

バーンスタインのアプローチは、同歌曲集においても、これら角笛交響曲で行ったアプローチと何ら変わるところはない。

その表現は濃厚さの極みであり、緩急自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、粘ったような進行や猛烈なアッチェレランドの駆使など、考え得るすべての表現を駆使して、曲想を濃密に、そしてドラマティックに描き出していく。

各歌曲毎の描き分けも見事に行っており、あたかも歌曲集全体が一大交響曲のような雄大なスケール感を有しているのが素晴らしい。

バーンスタインがこれだけ自由奔放な指揮を行っているにもかかわらず、歌曲集全体に纏まりがあるというのは驚異的であり、これは、生粋のマーラー指揮者であるバーンスタインだけが成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。

そして、このようなバーンスタインの壮絶な指揮に適度な潤いと奥行きを与えているのが、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による名演奏と言うことになるだろう。

同オーケストラは、シャイーが音楽監督になってからはその音色が随分と変化したとも言われているが、本盤の録音当時は、北ヨーロッパのオーケストラならではのいぶし銀の深みのある音色を誇っており、ここでもそうした同オーケストラの持ち味を生かした好パフォーマンスを発揮しているのが見事である。

独唱のポップとシュミットも最高の歌唱を行っていると言えるところであり、この諧謔と皮肉、そしてユーモアに満ち溢れたマーラーの歌曲の独特の内容を見事に表現し尽くしている点を高く評価したい。

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2013年06月02日


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これは素晴らしい名演だ。

若き日のバーンスタインによる傑作の一つと言っても過言ではあるまい。

バーンスタインは、1980年代に入ると、演奏のテンポが大幅に遅くなるとともに、濃厚でいささか大仰な演奏を行うようになった。

マーラーの交響曲・歌曲集など、極めて優れた円熟の名演もある一方で、かかる晩年の芸風が大きくマイナスに働き、ウドの大木の誹りを免れないような凡演も多かったというのも否めない事実であった。

しかしながら、ニューヨーク・フィルの音楽監督(1958〜1970年)をつとめていた時代の若き日のバーンスタインの演奏は、こうした晩年の芸風とは正反対であり、若武者ならではの爽快で溌剌とした快演を数多く行っていた。

ある意味ではヤンキー気質丸出しの演奏と言えるところであり、オーケストラにも強引とも言うべき最強奏させることも多々あったが、それ故に音楽内容の精神的な深みの追求など薬にしたくもない薄味の演奏も多かったと言えるところだ。

もっとも、自ら作曲も手がけていたという類稀なる音楽性の豊かさは顕著にあらわれており、自らの芸風と符号した楽曲においては、熱のこもったとてつもない名演を成し遂げることも多かった。

例えば、この時代に完成されたバーンスタインによる最初のマーラーの交響曲全集(1960〜1975年)は、後年の3つのオーケストラを振り分けた全集(1966〜1990年)とは違った魅力を有している。

そして、本盤に収められたガーシュウィンの有名な2大名曲についても、当時のバーンスタインの芸風と符号しており、爽快で圧倒的な生命力に満ち溢れたノリノリの指揮ぶりが見事である。

とりわけ、ラプソディ・イン・ブルーにおいては、バーンスタインが指揮のみならずピアノまで受け持っているが、その才気が迸った情感のこもったピアノ演奏は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

円熟という意味では後年の演奏(1982年)を採るべきであるが、圧倒的な熱演という意味においては本演奏もいささかも引けを取っていない。

また、パリのアメリカ人は、あたかもこれからヨーロッパに進出していくバーンスタインの自画像を描いているような趣きがあり、自らに重ね合わせたかのような大熱演は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

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2013年03月03日


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1959年8月16日 ザルツブルク・旧祝祭劇場に於けるモノラル・ライヴ録音。

バーンスタインは、マーラー指揮者としては、おそらくは大巨匠の一人と言えるだろう。

いや、もしかしたら、史上最高のマーラー指揮者と評価しても過言ではないかもしれない。

それに続くのがシューマンであると思うが、筆者は、その他の、特にドイツ系の音楽は、雄弁ではあるものの、深みがないのが大いに問題であると考えている。

これは、ショスタコーヴィチについても言えるところであり、一部の評論家が支持するシカゴ交響楽団との交響曲第7番など、雄弁ではあるが、それだけでは、ショスタコーヴィチの本質を表現することは不可能だ。

ショスタコーヴィチは、ソヴィエト連邦という、例えて言えば、今の北朝鮮のようなとんでもない国で、粛清の恐怖を耐え忍んで、したたかに生きていた。

こうした日常における死への恐怖は、ショスタコーヴィチの楽曲に色濃く反映されており、それをバーンスタインのような外面的で大仰な表現で演奏したのでは、表面をなぞっただけのきわめて浅薄な演奏に陥ってしまう危険性が高い。

例えば、交響曲第5番を初演者として十八番にしてきたムラヴィンスキーの数々の名演などと比較すると、バーンスタインの演奏のあまりの浅薄さにがっかりとさせられてしまうのだ。

雄弁な解釈であることはよくわかるが、うわべだけを繕った演奏では、とても、「第5」の真価を表現することは不可能である。

本盤も、そうしたバーンスタインの欠点がもろに出た演奏だ。

特に、終楽章の力づくの乱暴な荒れ狂った演奏は、ほとんど場違いな印象を与える。

そもそもショスタコーヴィチは、マーラーではないのだ。

録音も、底の浅いバーンスタインの演奏の性格をさらに際立たせることになっており、これまた大いに問題だ。

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2013年02月21日


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1985年8月25日 テルアビブ、マン・オーディトリアムに於けるライヴ録音。

1985年に、バーンスタインがイスラエル・フィルとともに来日した時のこの曲の演奏は、今でも語り草になるほどの名演だったのは有名。

これは、日本公演直前にライヴ録音されたもので、ここでも、バーンスタインは、激しくのめり込むような情熱的な表現で、耽美的な旋律を心ゆくまで歌わせており、この曲のもつ悲哀感と諦観とを、てんめんと表出した、実に感動的な名演奏である。

この曲はマーラーの最高傑作に属するが、複雑な表現を持つだけに、指揮者にとっては非常な難曲である。

一流の技を持つマエストロだけが、レコードに録音しているのも不思議ではない。

そのためか既発売のレコードは名演奏ぞろいであるが、バーンスタインの新盤は、それらを越えてそのユニークな性格を誇り得るものである。

バーンスタインも相応の覚悟がおそらくあったのだろう、ここでの彼は文字通り“マーラーの化身”そのもの。

たとえば、第3楽章のほとんど鬼気迫るようなエンディングはどうだろう。

すべてを大きく収斂する、フィナーレの無限の深さも言語に絶するほど。

辛口の批評で知られる許光俊氏も来日公演を聴いて、「実際、あれ以後、この曲でそれ以上の演奏は聴いていません。期待もしていないほどです。あまりに強烈すぎて、あれ以上のは、バーンスタイン自身が蘇らない限りあり得ないことと思われます。」とコメントしている。

筆者は当時まだ若過ぎて地方在住ということもあって実演を聴けなかったので、来日公演に接した聴衆に激しい嫉妬の念を禁じ得ない。

この音源はその来日公演のものではなく、テルアビブでのライヴであり、オケの力量、音質ともに同年に録音されたコンセルトヘボウ盤の完成度の高さには及ばないが、マーラー・ファン、バーンスタイン・ファンにとって聴き逃せぬディスクであることは間違いない。

まさにマーラーの演奏史を語るのに欠かせない記念碑的なディスクといえよう。

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2012年01月09日


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後期6大交響曲に続くバーンスタイン&ウィーン・フィルのモーツァルト/交響曲シリーズの第4作である。

意外にも3曲ともにバーンスタインの初録音で、シュミードルのクラリネット協奏曲もこれが初めてである。

バーンスタインとウィーン・フィルによるモーツァルトの交響曲演奏の特徴は、たっぷりとした響きや隈取りされた情緒、堂々とした構成といった点にあるが、このアルバムでもバーンスタインならではのモーツァルトの交響曲の本質を究めた演奏を聴かせている。

バーンスタインの指揮の下、ウィーン・フィルはその真髄を完全に現している。

第25番は洗練された美の極致ともいえる鮮麗なサウンドで、聴き手を魅了してやまない。

彫りの深さ・ゆったりとしたテンポ・運命を予感させる暗い曲想など、今までの、誰の指揮とも違う第25番であるが、その深い情念を聴いてしまうと、これが最高と説得されてしまう。

第29番も極めて音楽的に絶妙な表現で、造形は端正そのものだし、弦のしなやかさ、のびやかさなど初めて聴くような感動を与えてくれる。

木管の自発的で豊かな表現力にはもはや形容する言葉もない。

クラリネット協奏曲も秀演で、実際、シュミードルの演奏はさすがに素晴らしく、クラリネットのふくよかな音色が実に心地よく響きわたる。

シュミードルの独奏は甘く美しく、まさにウィーン独自の音と音楽だ。

ここではバーンスタインもサポートに回って、豊麗なバックグラウンドをシュミードルに提供している。

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2011年12月23日


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《オケ・コン》はバルトークの作品のなかでは、比較的おだやかで洗練されている。

これまでの徹底的に突き詰めてゆく集中力よりは、全体の空間的な広がりとバランスを重視した構想が前面に出ている。

だからバルトークの他の作品に息詰まる思いをさせられる聴き手も、この曲ではほっと一息つけるし、また逆に物足らない思いもさせられる。

バーンスタインはこうした二面性によく気づいているのだろう、この曲に欠けがちな緊張感を最大限に引き出す一方で、エンターテインメントの要素が弛緩を引き起こさぬよう気を配り、いわばサーカスの綱渡りに似たスリルに富んだ緊張と面白さで聴かせる。

それは本来作曲家自身の構想だったと思わせるほどの巧みさだ。

バーンスタインは、例えば第2楽章「対の遊び」を聴けばよくわかるが、この曲のもつコンチェルタンテ風のスタイルを相当意識して曲をまとめている。

表現は、綿密で計算がよく行き届いており、ニューヨーク・フィルの練達の楽員たちを思う存分に振りまわしている。

この演奏を聴くと、彼の魔術がいかに楽員たちに徹底しているかがよくわかる。

バーンスタインの《弦チェレ》にはバイエルン放送響を振った新盤もあり、優劣つけがたい名演だ。

新盤の方がより厳しくより深いが、旧盤の方がより豪華、より濃厚である。

表情という表情をつけられるだけつけた第2楽章など、さながら現代のメンゲルベルクといえようし、終結部のテンポの変化がなんとも物すごい迫力をよぶ。

すごいメリハリの効果、ティンパニの威力、オケの腕の冴え、色彩の燦き、まるで《オケ・コン》を聴いているような愉しさがあり、娯楽音楽となる。

雄弁なアゴーギクも比類がない。

第3楽章も舞踊音楽を思わせるし、フィナーレは後期ロマン派の世界だ。

したがって嫌う人がいても不思議ではない。

第1楽章など、ときにストコフスキー=フィラデルフィア管を彷彿とさせるのだから……。

バーンスタインの表現には抑制がまったくみられない。

個性的な表現で、すべてをぶちまけている。

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2011年09月23日


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バーンスタインが最後の年(1990年)にウィーン・フィルを指揮して残した無二の遺産(ライヴ録音)。

約20年ぶりに取り上げた第9番を圧倒的な感動に満ちた音楽として描き上げている。

バーンスタインは壮大なスケールの音楽を、自己の感性のおもむくままに表出しているが、内面の素朴な共感によってブルックナーの音楽的本質に触れている。

極めて自己主張の強い演奏で、随所に誇張気味の表情も見られるが、それが作為的に行われるのでなく、心からそのように感じとった結果と考えられるため、格別の真実味が感じられる。

第2楽章の克明なディテールと濃密な表情のなかに、バーンスタインの人間的な主張が明らかにされ、第3楽章の悠揚とした流れは常にない起伏を示し、すべてのフレーズに充実した表現力が充満し、強く積極的な神々しさがつくりだされて、味わい深いコーダへと高揚を続ける。

あたたかさと清澄感をそなえたフィナーレは、まさに感動的といわねばなるまい。

オーケストラの最高の実力を引き出した演奏であり、最も洗練された音楽感情が心から歌われている。

とはいえブルックナーの様式からは遠く離れており、第1楽章第2主題や第3楽章の粘着力の強い表現など、まるでマーラーのように聴こえる。

ブルックナーの作品よりバーンスタインの音楽性を感じさせる表現といえよう。

シンフォニストとしてのブルックナーの存在を3つの楽章を通して強くアピールする演奏である。

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2011年05月14日


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バーンスタインの最初のオペラ録音で、彼のオペラ録音は余り多くなく、ヴェルディも当録音のみである。

1966年、ウィーン国立歌劇場での上演はセンセーションを巻き起こしたが、これはそのままのキャストの録音で、理想的な陣容といえる。

一分の隙もないアンサンブルと、清新で溌剌たる音楽表現を持った素晴らしい演奏である。

素晴らしく活力に富んだ明快な表現が、この喜劇の本質を鋭く摘出している。

バーンスタインがここで作り出した《ファルスタッフ》は、驚くべき精緻な技術と感覚によりながら、まさにこのヴェルディの音楽がそうであったように、真に卓越した表現だけがもつ自在無碍な愉悦に到達しえている。

そしてバーンスタインは音の一つ一つを熟考して練磨し、作曲者がその音に託した性格のすべてを、思い切り引き出している。

バーンスタインがウィーン・フィルとの初めての録音にこのオペラを選択したのは、この究極のアンサンブル・オペラを充分に表現できると確信したからだろう。

実際、この演奏でのバーンスタインの指揮とウィーン・フィルの表現能力は素晴らしく、英デッカによる録音もヴェルディがいかにオーケストラで多様な表現を達成しているかを鮮明に聴かせてくれる。

歌手ではタイトルロールのF=ディースカウが、ヴェルディに関する長い間の経験と研究と愛着の蓄積の上に築きあげた見事な性格表現で、歌唱全体の要を形造っている。

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2011年05月13日


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1966年に《ファルスタッフ》でウィーンに乗り込み大成功を収めたバーンスタインがウィーンで次に手がけたのがこの作品。

アメリカ人の指揮する《ばらの騎士》ということで危惧する声も多かったそうだが結果は大成功。

バーンスタインはウィーン・フィルの甘美極まりない美音を自在に操りつつ、我々を陶酔境へと導いてくれる。

大変ロマンティックな雰囲気にあふれた演奏で、独唱陣にはなつかしい顔ぶれが揃えられており、初々しくチャーミングなポップのゾフィー、いかにも好色家といった感じのベリーの男爵の見事な性格表現の中にも品格を失わない音楽的実力は素晴らしい。

ルートヴィヒの元帥夫人も気品があり、シュヴァルツコップのような高貴さにはやや欠けるが、知的で表情も豊かだ。

ポップ、ジョーンズ、ドミンゴも、若々しい声の魅力とフレッシュな歌いぶりで、清々しい印象を与えてくれる。

バーンスタインの指揮もうまい。

バーンスタインは音楽の主導権をウィーン・フィルに委ね、このオーケストラのもつ独特の雄弁な劇的表現力と自発性に満ちた音楽の愉楽をフルに発揮させながら、一見自らその自然な流れにのっかった形で、要所要所の勘どころを引きしめ、あるいはたっぷりと歌わせるといった統率ぶりをみせている。

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2011年03月07日


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ウィーン・フィルという豊麗極まりない音を生み出す名器を手にしたバーンスタインが、シベリウスの音楽の新しい魅力を教えてくれる。

新録音でのバーンスタインは、ウィーン・フィルの自発性に任せて、のびのびとした音楽をつくっている。

バーンスタイン自身がウィーン・フィルの美音を味わい楽しんで指揮しているのが目に浮かぶようだ。

それでいて全編が「バーンスタイン節」で貫かれている。

バーンスタインの指揮は、第5番の牧歌的なホルンと木管の音色が美しく、この曲によく合っており、ホルンと木管による印象的な出だしから素敵だ。

あらゆる音が彼の巨大な音楽性を通過することによって生命を帯びるのだ。

シベリウスの個性的なオーケストレーションが生む神秘的とも言える美しさを見事に表現している。

北欧的な民族色を抜け出した洗練された響きがこの作品の交響曲としての価値を不滅のものしている。

甘美なロマン主義ではなく現代的都会的な感覚に強く訴える。

バーンスタインの第7番は、非常に美しく、作品に対する愛情が悲痛なまでに伝わってくる。

第7番は正直言ってどうも得体の知れない作品だが、バーンスタインの手にかかると見事なまでに有機的な関連が示される。

そして調性を信じながら20世紀を生きたシベリウスとバーンスタインの最後の叫びを聴くようだ。

バーンスタインはこの曲で調性音楽の痛みを甘受しようとしていたと言えるのではないだろうか。

作曲家への強い共感に支えられたシベリウスであり、バーンスタインが鋭く豊かな感受性の持ち主であったことを如実に感じさせる演奏だ。

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2010年03月25日


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このバーンスタインの最後のライヴは、バーンスタインの衰えが目立つ演奏として、一般には不評の録音である。

しかし、バーンスタイン生涯最後のコンサートは、通常の演奏とは対極的な静寂と思索を感じさせる、ある意味別格扱いの録音としてここに挙げる。

1990年夏のタングルウッド音楽祭でのこのライヴ録音は、指揮者バーンスタインの最後の演奏会であった。

これはバーンスタインの音楽づくりをよく知っている者にとって、大変に驚くべき演奏であったと同時に、"リズムのアポテオーゼ"とか"舞踏の神化"といった評言で親しまれてきたベートーヴェンの交響曲第7番を知っている者にとっても、ショックの大きな演奏解釈であった。

ここに聴かれるような静寂さと思索に満ちた演奏は皆無であったと言っても過言ではないだろう。

もちろん、これがこの作品に最適の解釈であるかどうかは別問題。

もしかしたら、仮にベートーヴェン自身がこの演奏を聴いたとすれば予想だにしなかった感動で涙するかもしれない。

エネルギッシュで激情的、かつ生命力の漲る表情というのがこの作品に対する従来の一般的な認識であったとすれば、それはここにはない。

肉体的躍動の対極ともいうべき精神的深化の極みを聴くことができよう。

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2010年01月25日


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これまでレコードを通してバーンスタインの演奏に接してきたが、晩年の録音に聴く演奏はどれもマーラー演奏に代表されるように重々しく、極端に拡大された表現と、独特の宗教観のようなものが目立った。

ヨーロッパに移ってからのバーンスタインの録音で本当に楽しめたのは声楽入りの自作曲が多かった。

「キャンディード」は、若い頃のバーンスタインが実験的な要素を取り入れて書いた意欲作だが、ここでは改訂版を使い、「ウェストサイドストーリー」と同様に有名なオペラ歌手を含むオールスターキャストで録音されている。

今までに出ていたオリジナルキャスト録音の、軽いタッチでよくまとまった演奏もそれなりに楽しめるが、バーンスタインの圧倒的な演奏は、この曲がミュージカルの枠を越えた特異な作品であることを鮮明に示し、多様な表現を含んだ曲の可能性が極限まで引き出されている。

このようにバーンスタインの曲は結局彼が自分で指揮して初めてその全容が姿を現すことがよくあるが、特にイタリアオペラを思わせる大げさで古風な歌が途中から、序曲に出て来る軽快なリズムのメロディーに変わる時のスリリングな感覚はバーンスタインの表現の特徴的な一面だ。

彼は古い様式の殻に隔てられた本質的なものが、実はそれほど遠く離れた理解し難い感覚や感情に基づくものではないことを、現代の我々に伝えようと努力した音楽家だ。

そうした彼の姿勢がよく表れている演奏はニューヨークフィル時代の録音に数多くあり、それは今聴くと一層強く感じられる。

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2009年10月11日


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日々の生活のなかで聞こえるさまざまな音を、はじめて音楽に取り入れたのはマーラーだったが、それを徹底的に利用したのがアイヴズだ。

以前のアメリカ人は敬虔で、日曜日には教会で聴くオルガンのひびきは彼らの皮膚感覚となっていた。

一方お祭り騒ぎの好きな彼らにとって、陽気な祝賀パレードは欠かせない。

こうして彼らの日常はつねにひびきと結びついていた。

彼ら自らは意識しないこれらひびきの感覚を統合し、ひとつのパッチワークに仕上げたのがアイヴズだ。

これはサティとは別の意味での環境音楽であり、アメリカそのものの表現になっている。

バーンスタインはユダヤ人ながら、このピューリタンらしさを肌で感じているのは言うまでもない。

アイヴズの第2番の演奏はきわめて若々しく、清新の気に満ちあふれている。

明快で率直、作品に対する愛情が聴き手に迫ってくる。

複雑な構成や楽想もよく整理され、アイヴズ入門にはふさわしい曲であり演奏だ。

第3番も同様だが、細部にこだわらず全体を大きく把握したような表現である。

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2009年10月07日


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1986年、ミュンヘンのヘルクレスザールでのライヴ録音である。

ヘンデル《メサイア》への共感に発する壮麗なつくり、ハイドンの声楽曲特有の崇高さと素朴さとの融合、色彩豊かな自然描写…。こういったあたりが《天地創造》の魅力であろう。

序奏から最後の合唱まで、そのすべてを味わわせてくれるのがバーンスタインである。

まさに"熱い"演奏だ。

序奏の「混沌」からすでに並々ならぬオーケストラの描写力を感じさせる。

バーンスタインの表現は全曲にわたって、実に自然で大きく、また少しも気負うところなくハイドンの総譜から豊かな内容を引き出している。

晩年の彼らしい、ひとフレーズごとにじっくり歌い込む音の運び、そして要所要所でのパワーの炸裂。

全篇にわたってバーンスタインの体質が、強烈にあらわれた演奏で、実演のときにすこぶる燃える指揮をするこの人ならではの、熱っぽい音楽をつくりあげている。

全体に粘っこい表現だが、この曲の神秘的で重厚な性格をよく表出しているのが特徴だ。

オーケストラと合唱はともに熱演で、バーンスタインと見事に協調しており、全身で歌い奏している。

独唱陣にややむらのあるのが惜しいが、モルが最も立派。

これは、まさに、バーンスタインの個性を聴くべきディスクである。

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2009年09月28日


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バーンスタインのライフ・ワークともいえる2度目のマーラー/交響曲全集で、晩年の雄渾な芸術の記録である。

1960年代にニューヨーク・フィルほかと完成した最初の全集も、バーンスタインのマーラーに対する共感と情熱がストレートに刻まれた画期的な仕事であったが、晩年の巨匠がその心血を注いだこの全集の表現は、いっそう深く充実し、豊かなスケールをもっている。

第1,4,9番がコンセルトヘボウ、第2,3,7番がニューヨーク・フィル、第5,6,8,10番がウィーン・フィルと3つの名門オーケストラを振り分けているが、オーケストラの性格を見極めた上での選曲もさすがに的確であり、バーンスタインも各団体の特質を最高度に生かして、円熟の極みにある圧倒的な演奏を築いている。

全体的に作品の本質に迫った主情的かつ個性的な表現で、必然的にとられた遅めのテンポが劇的な起伏の大きさと豪快さを生み、聴き手を圧倒せずにはおかない。

晩年のバーンスタインの特徴でもあった幾分遅めのテンポによる演奏は、マーラーへの熱い思いと自信をそのまま音にしたように、きわめて大きなうねりと劇的な起伏に富み、しかも、強くしなやかな集中力をもった表現は、細部まできわめてデリケートに磨かれ、深く彫りなされている。

いずれもその曲のベストに位置する演奏ばかりだが、中でもニューヨーク・フィルとの第3番やウィーン・フィルとの第5番などは、畢生の名演といってよいだろう。

その突然の死のために全曲を録音することができず、第8番と第10番のアダージョは1970年代にウィーン・フィルと収録したビデオ用の音源が使われているが、その熱い演奏も圧倒的な感銘を呼ぶ。

この巨匠のマーラーへの情熱とともに、その芸術と人間性のすべてが注ぎ込まれた記念碑的な全集である。

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2009年09月22日


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バーンスタインは友人であったコープランドの作品を数多く録音しており、これは彼の遺作のひとつとなったディスク。

非の打ちどころのない極上の演奏で、生命力にあふれた色彩豊かな表現には強く心をひかれる。

バーンスタインはこれらの曲を自家薬籠中のものとしているだけに、オーケストラを自由自在に操りながら、乗りに乗った演奏をしている。

どの曲もバーンスタインならではのアメリカ人独特の呼吸とリズム感が息づいている。

特に「エル・サロン・メヒコ」とクラリネット協奏曲を聴くと、バーンスタインがコープランドのよき理解者であったことがよくわかる。

メキシコ民謡を素材とした旋律を明快に生き生きと歌わせた「エル・サロン・メヒコ」は、リズムの明確な生き生きとした表情の演奏で、音楽の勢いとエキゾチックな雰囲気が何ともいえず、楽しい。

また協奏曲ではドラッカーのクラリネットを引き立てた見事なもので、ベニー・グッドマンの演奏に匹敵する名演である。

あまり知られていない「劇場のための音楽」や「コノテーションズ」も文句のつけようがない素晴らしさだ。

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2009年09月06日


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バーンスタインの最初のマーラー全集が廉価で再発売されたことは喜ばしい。マーラーの交響曲入門に最適のセットである。

レコード史上初のマーラー:交響曲全集であり、1960年代のバーンスタインの芸術の記録としても重要だ。

後年のコンセルトヘボウ管、ニューヨーク・フィル、ウィーン・フィルを振り分けたCD全集、ウィーン・フィル中心のDVD全集(どちらもドイツ・グラモフォン)も深い味わいをもつが、"バーンスタインのマーラー"を聴き手に決定的に印象づけたのは、やはりこの最初のニューヨーク・フィル中心の演奏である。

バーンスタイン以降の若い世代の指揮者たちが、マーラーの音楽の時代と個性との間に一定の距離を計って、一種の定型化した美を目指したのに対して、バーンスタインはマーラーとその音楽の中に身をもって飛び込んで、激しい慟哭から深い沈思までの感情の変化を生々しく共感を露に聴かせてくれる。

男らしい男のマーラー演奏だ。

このマーラーはわかりやすく、親しみやすい。

しかもバーンスタインの演奏には、この当時からマーラーへの深い愛情、あたたかい共感、ロマンと情熱などが存分に表されており、それらが音楽に生き生きとした生命力を与えている。

なかでも第1,4,5,6,9番は秀演だ。

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2009年06月12日


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フィッシャー=ディースカウの厖大なリート録音のハレーションのなかにかき消され、意外に見落とされているすぐれた演奏が、このバーンスタインとの〈若き日の歌〉と〈リュッケルト歌曲集〉抜粋だ。

これほどマーラーの音楽の神髄に迫った演奏も珍しい。

当時のフィッシャー=ディースカウは心技一体化し、体のすみずみにまで歌うよろこびが行き渡り、声に出すひびきはすべての霊感をおびていた。

特にこの〈リュッケルト〉と〈若き日の歌〉では、バーンスタインのピアノと驚くほどよく合い、空前絶後といえるほどのひびきの空間を作り上げている。

バーンスタインはピアノのパラフレーズの仕方が独特で、マーラーの内面の生と死との間に揺れる焦燥と不安、その分裂の風景を目に見える形で映し出している。

ディースカウの声はそれに的確に反応し、マーラーの内面の分裂の隙間へとどこまでも深く分け入ってゆく。

そして、その奥にマーラーの原点を支える絶対的な精神の基盤、つまり神なき世の芸術家の任務に目覚め、救済を模索する生き方を突き当てている。

声とピアノだけで、ベートーヴェンの〈第9〉に匹敵する深遠広大な精神的空間を表現しえたリート演奏は、このディスクをおいて他にはない。

これはドイツ・リート録音史上、金字塔的演奏と呼ぶに値する。

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2009年04月26日


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1978年、バーンスタインがちょうど60歳のときに録音されたもので、いかにも彼らしい、大変表情豊かな語り口のうまい演奏である。

ベートーヴェンの理念をあたかもそのまま自分の理念として生き抜いたかのようなバーンスタインの「フィデリオ」は、事実作品への深い共感に根ざした白熱の名演である。

造形的にはいくぶん厳しさの欠けるところもあるが、聴かせどころはピタリと押さえた巧みな演出は、この人ならではの味だ。

バーンスタインはウィーン・フィルを縦横に駆使して、このオペラから実に雄弁なドラマを引き出しており、ベートーヴェンが真に語りたかった理念と理想主義を高らかに謳歌している。

ウィーン・フィルも凄い。決して粗くなったり重くなったりせず、美しい響きで精緻で純度高い演奏を繰り広げる。

そうしたきわめて音楽的なアプローチをとりながら、歌手、オケともに、じわじわと熱しつつ、大詰めの理念の実現に向かって昇りつめてゆく。

第2幕フィナーレの前に挿入された「レオノーレ」序曲第3番はまさにクライマックスとして、素晴らしい高揚をみせる。

ひたむきで芯の強いヤノヴィッツのレオノーレをはじめ、キャストも大変強力で充実していて文句のつけようがなく、おそらく歌唱の点でも最もすぐれた1つにあげられよう。

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2009年03月29日


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「ミサ・ソレムニス」がベートーヴェンの最高傑作であることを実感させてくれる稀有の名演である。

何の理屈もなく、ただひたすら聴き込まされてしまうような熱演を行なっているのがバーンスタインである。

演奏会の雰囲気をそのまま収めているだけに、その緊張感には独特のものがあり、バーンスタインの率直でひたむきな情熱といったものが、聴き手にひしひしと伝わってくる。

いかにもバーンスタインらしい作品への共感度が、ライヴ録音によって一段と強く表出され、きわめて劇的で集中力の高い演奏となっている。

まさに合唱、オーケストラ、独唱が、聴衆を含めて一体となって、ベートーヴェンの音楽に没入しているかのような感じを受ける。

無心なバーンスタインの心から投影されてくるベートーヴェンの音楽は、民族国境をこえて、まさしく世界をひとつに結ぶ力をもっている。

この求心力、緊張力の持続はライヴ独特の強味でもある。

カラヤンのよく計算された、完璧ともいえる演出の巧みさこそないが、ここには素晴らしい集中力と、爆発的な熱狂がある。

独唱はベテラン揃いで、なかでもモーザーのスケールの大きな歌いぶりや、シュヴァルツの端正な歌唱は見事だ。

声楽陣も、この指揮者の真摯な姿勢に感化されたような、スケールの大きい充実した歌唱を展開しており、すべての演奏家が最大の力を出しきった、全く自然に音楽を作っていく様は感動的である。

録音もコンセルトヘボウ独特の豊麗でコクのある非常に好ましいものだ。

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2009年03月14日


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クレーメルの演奏は、ヴァイオリン協奏曲のロマンティックな面ではなく、この曲のもつ、きわめてドイツ的なしっかりとした造型に力点をおいている。

クレーメルのヴァイオリンには一分の隙もなく、研ぎ澄まされており、その響きはやや冷たさを感じさせるほど精巧である。

クレーメルは細かい装飾楽句にまで強い集中力を保って演奏する。

それは実に緻密で厳しい造形感覚に貫かれており、エッチングの線のように鋭くオーケストラの中に彫り込まれた辛口の演奏だ。

それが、バーンスタインの柔らかいニュアンスの指揮と際立った対照を示している。

つまり精神の厳しさではクレーメルが、感情の豊かさではバーンスタインが抜きん出ており、2人が協力することによって演奏のスケールがいっそう大きくなっている。

カデンツァもユニークで、レーガーの「前奏曲」を転用している。

ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲は、バーンスタインが主導権を握ったブラームスである。

そうかといってクレーメルとマイスキーも主体性を放棄していない。

独奏のふたりと、バーンスタインの指揮が、物凄い火花を散らしているかのような、白熱した演奏だ。

ことに、クレーメルの研ぎ澄まされた音色と、マイスキーの緊迫感にみちた表現は、この曲のもつ孤高の境地を、深ぶかと描き出していて、凄い。

特にマイスキーは、以前の録音と比べると別人のようで、音に艶があり、表情も豊かで、緊張感がある。

クレーメルも例によって孤高と呼びたいほどの潔癖さで演奏している。

バーンスタインの指揮は1つ1つの音を確かめながら演奏している感じで、音楽に思いがけない広がりをもたらしている。

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2009年03月02日


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「春の祭典」は過去2度の演奏を上まわるだけでなく、近年のこの曲の演奏の中でも傑出したものの一つといえよう。

それはバーンスタインがこの作品を自家薬籠中のものとし、すべてを自己の内側に同化しつくして自然のうちに表現に結びつけているからで、ここでユニークなリズムやテンポの変化もほとんど特異性や難しさを感じさせないほど自然で柔軟に処理されている。

「ペトルーシュカ」は第1幕の冒頭をやや速めに生き生きとしたテンポで始め、一見オーケストラルなレパートリーのように進めていくが、バーンスタインのステージに対する理解の深さが随所に表れている。

個々の素材のもつ表情、テンポの設定や変化、リズムのとらえ方などがそうで、スコアに客観的でありながら、自らの感性も十分に発揮している。

「火の鳥」はバレエのステージを意識するよりも、むしろストラヴィンスキーの当初の意図である純粋に聴覚的な面からアプローチ。

しかも組曲全体を"序曲"から"カスチェイ王の魔の踊り"までと、"子守歌"と"終曲"という二つのグループに分けている。

「バレエの情景」も鮮やかにまとめた名演だ。

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バーンスタインのDGへのストラヴィンスキー・シリーズの第1作だった。

「結婚」はオリジナルのロシア語による演奏。

特に「結婚」はモーリー、パーカー、ミッチンソン、ハドソンらの声楽陣とアルゲリッチ、ツィマーマン、カツァリス、フランセシュといった名ピアニストをそろえた豪華なキャスティングが成果をあげていて面白い。

「結婚」では4人の独唱者もさることながら、アルゲリッチ、ツィマーマン、、カツァリス、フランセシュの4人のピアニストがすごい。

ノリにノッて丁々発止、バーンスタインの巧みな棒さばきに、まるで自分たちが主人公のように楽しんでいる。

「ミサ曲」はストラヴィンスキーの新古典時代の最後を飾る作品として一聴しておきたい。

「ミサ曲」では音の均整感、各声部の力学的バランスをモットーとする作曲家の"新古典派"的作風に対して、情念への傾斜をちらりとのぞかせる指揮者のかけひきがスリリングだ。

バーンスタインは、この作品のもつ均整のとれた、端正な性格と、彼独特の粘っこい感覚とをうまくあわせた演奏を行っている。

合唱団も、彼の卓抜な棒によく応えていて熱演だ。

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2009年02月22日


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この曲の初演は、バーンスタインが弱冠25歳の時(1943年)、しかも作曲者自身の棒によってである。

巨匠ワルターの急病の代役として、リハーサルなしのぶっつけ本番でニューヨーク・フィルを振り劇的なデビューを飾った、そのセンセーショナルな舞台から2か月後だ。

題名のエレミヤは、終楽章でメゾ・ソプラノが歌いあげる旧約聖書の「エレミヤ哀歌」をさす。

ユダヤの予言者エレミヤがバビロンに捕えられた時、故国エルサレムが侵入者によって荒廃させられたことを嘆き悲しみ、エホバよ、ねがわくば我らをして汝にかえしたまえ、と歌うのである。

今では、ミュージカル「ウエスト・サイド物語」やバレエ音楽「ファンシー・フリー」、交響曲「不安の時代」などの傑作によって押しも押されもしない大作曲家兼大指揮者として歴史に名を刻んでいるが、この曲もまた傑作であると共に出世作として名を残す。

ユダヤ系ロシア移民の血をひく彼にとって、生まれるべくして生まれた曲といえよう。

第1楽章で現れるホルンによる、ユダヤの典礼風色彩、第2楽章での、どこか東洋風な旋律に加え、ジャズのリズムを導入しての表現技巧は、バーンスタインならではのもの。

傾聴に値する1枚だろう。

独唱のジェニー・トゥーレルはトスカニーニに見い出されて有名になった。

なおバーンスタインは、1961年に来日して同じメンバーで日本初演を行っている。

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2009年02月05日


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バーンスタインの「新世界より」はやはり、やる気満々のNYP時代が魅力で、劇的でメリハリが強く、活気に富んだ演奏である。

かのストコフスキーを思わせる、ダイナミズムの落差の大きさ、そして綿々と歌わせる旋律の美しさなど、若さ溢れる熱気が今も存分に伝わってくる。

テンポも内在する緊張感をよく表し、両端楽章では推進力が強く、第2楽章の有名な旋律を大きな息づかいで歌わせているのもこの指揮者の作品への共感を示している。

終楽章の精力的な表情と確信に満ちたアゴーギクはバーンスタインならではだ。

演奏全体にみなぎる開放感に溢れる演奏の魅力があり、これだけ血沸き肉躍る「新世界より」というのは、現役盤では絶無だろう。

確かに「新世界より」には名盤が多いが、バーンスタインのこの録音は作品との絆が熱く、演奏が清々しくそして逞しく、今なお初々しい。

こんなにも健康的で明るく、ほれぼれとする若さをたたえた演奏は、今後もなかなか生まれない。

新盤はきわめてユニークで個性的な演奏だ。

冒頭、第1楽章の序奏から遅いテンポで始まり、有名な第2楽章は空前ともいうべき解釈でとにかくテンポが遅く、旋律は粘り、ルバートが多用される。

たとえばノイマンとチェコ・フィルがこの第2楽章を11分31秒で演奏しているのに対し、このバーンスタインの新盤は何と18分22秒を要している。

終楽章も雄大、重量物が押してくるような印象で、それらが渾然一体となって見事な音楽を作っている。

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2009年01月27日


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新盤はウィーンのムジーク・フェラインザールでのライヴ録音で、きわめて劇的な熱演だ。

いかにもユダヤ人のバーンスタインらしく、テンポを遅めにとり、じっくりとうたわせながら豪快に表現していて、その大胆な演出力には圧倒されてしまう。

堂々とした巨匠的風格を、実に彫りの深い表現のなかに示している。

間もたっぷりととられており、表情が濃密だ。

第1楽章の冒頭から牧歌的な明るさと清澄な感覚美、第2楽章の悠然とした歩み、第3楽章の各部の対照の鮮烈さ、そして、終楽章における孤独に連なる哀愁感。

これはバーンスタインの演奏のなかでも、最も創造的な名演といえる。

ことに北欧の重く暗い気分を情緒纏綿と表出した、第2楽章は絶妙だ。また終楽章の雄渾な盛り上げ方も見事で、あたかもストーリーのある、一大交響詩でも聴くかのような気がする。

メンゲルベルクの再来を思わせるような、スーパー・ロマンティシズムを感じる。

旧盤ではバーンスタインが、まさに自己の感じたシベリウスを率直に表現したといえる。

やや陰影に乏しいものの、終楽章は骨組が太くてたくましく、どの部分をとっても明快な表現で個性的な音楽になっている。

「フィンランディア」はニューヨーク・フィルの響きの特徴がよく示され、大柄で力に満ちた音楽を聴かせる。

「トゥオネラの白鳥」も音そのものの明確な効果が印象に残る。

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2008年12月19日


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演奏は、ウィーン・フィルの伝統を生かすことを心がけているようで、楽員の自発性も尊重されているが、結局はバーンスタインの音楽を強く感じさせるのはさすがだ。

「ハフナー」はウィーン・フィルの柔軟な響きと均質なハーモニーが美しく、それがバーンスタイン特有の開放感に満ちた表情と溶け合っている。

特に第2楽章のおおらかで優美な表情は、バーンスタインとウィーン・フィルの相性のよさを伝えている。

しかし「リンツ」はいささか緊張に乏しい。

第39番が素晴らしく、随所にバーンスタインのスケール大きな表現と人間的なあたたかさを伝えてくれる。

「プラハ」も美しく、造形的にも堅実。

第40番はバーンスタインの豊かな音楽性とウィーン・フィルの伝統的な音楽様式が融合して、実に抒情的に歌う表現を展開している。

しっとりとうるおう弦の美しさが、哀調をおびた旋律を味わい深く独自の透明感をもって表現している。そして徹底的に歌ってもいる。

「ジュピター」は溌剌とした活力を評価したいが、わずかながら表現的な弱さを感じさせる。

とはいえ、これらが偉大な指揮者の雄大な音楽であることは改めて付け加えるまでもないと思う。

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2008年12月17日


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レクイエムの名曲中の名曲とあって、極論すればどんな演奏でも聴き手を感動させてしまう見事な作りになっている。

あるいは作品の深い音楽性が演奏者の敬虔な心を著しく揺さぶるので異常な名演が生まれるのかもしれない。

ベームにはベームの方法論があり、ジュリーニにはジュリーニの方法論があるはずだが、不思議なことにこの曲に関しては、判断基準はいつも指揮者の"精神性"になってしまうのだ。

バーンスタインの場合も例外ではない。

ゆっくりとしたテンポで始められる冒頭から、深く曲の中に没入したバーンスタインの姿を見る思いがする。

オーケストラと合唱団も指揮者の表現をよく受けとめ、とうとうとした流れの中に深々とした思いを漲らせている。

「キリエ」のフーガでは力強い堂々とした構築が聴かれるし、それに続く「ディエス・イレ」も気迫に満ちた激しい表現で、演奏者のすべてが一体化している。

慟哭を思わせるような生々しい感情を演奏に重ね、「ラクリモーザ」などは形を逸脱しそうにもなっているが、指揮者はモーツァルトの力を借りて精神の均衡をとりもどす。

こういう壮絶な音楽はそうしばしば聴けるものではない。

楽譜や形式などになんの価値があるものか。媒体は消え失せ、精神だけが偉大なるものの慰めを求めてさまよっているような演奏に、音楽というものの不思議な力を否応なく実感させられる。

なお、当録音はバーンスタインの妻で女優フェリシア・モンテアレグレに捧げられている。

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2008年10月14日


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シューマンの方を一層高く評価したい。ウィーンのムジークフェライン・ザールでのライヴ録音で、すこぶる気迫と熱気にみちた演奏だ。

この曲は、シューマンが精神病で亡くなる3年前の作品だけに、暗く絶望的なかげりをもっているが、そうした内容を実に見事に引き出した演奏である。

マイスキーは作品を完全に集中に収め、自由な流れをもって息づくように歌わせており、晩年のシューマンの心情をよく描き出している。

また、剛直でシンフォニックな力感にあふれているのが特徴となっている。

バーンスタインも、華やかな音楽のなかにひそむ、一抹の憂愁を、絶妙な棒で表出している。

ドヴォルザークは冒頭からテンポが異常に遅い。バーンスタインの感情移入の激しさは表情を濃厚にし、スケールが大きく重量感のある演奏に結実した。

マイスキーもバーンスタインに触発されてか、いつもより感情移入が激しいがナーヴァスにはならず、むしろ感情を深く沈潜させており、濃厚な陰影を宿している。

マイスキーはヴィブラートの充分かかった艶のある音と豊かな表現で演奏しており、音色と表情の変化も説得力に富んでいる。

その語り口は粘液質だが、表現しているところは充分に深い。

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2008年10月06日


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1966年に当時まだニューヨークを本拠に活躍していたバーンスタインがウィーン・フィルを指揮したディスク。

ウィーン・フィルのマーラーの演奏の伝統が途切れそうになったとき、アメリカで精力的にマーラーを取り上げ、再評価に大きな働きをしたバーンスタインがウィーンに乗り込んで、この曲を取り上げた。

ダイナミックな振幅の大きな演奏だが、決して大味に陥ることがなく、全曲には作曲者に対する共感が満ちあふれている。

マーラーの色彩的なスコアが実にみずみずしく表現されている。

オーケストラの響き、木管のソロ、どれをとってもこの曲の雰囲気にふさわしい。

本来のテノールとアルトにかえて、独唱者にテノールとバリトンを起用しているところもこの盤の大きな特徴。

キング、フィッシャー=ディースカウの歌唱も陰影に富み、特に後者は言葉のひとつひとつに深い意味を持たせている。

フィッシャー=ディースカウの名唱によって、マーラーの音楽がより沈んだ深々とした趣のあるものに変化している。

アルトで歌われることの多い「告別」もここでは絶品である。

バーンスタインの解釈も6つの楽章全ての有機的なつながりを明らかにしている。

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2008年09月19日


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バーンスタインのドイツ・グラモフォンへの正式なレコーディングの第1作であった。

バーンスタインがボストン響を指揮しているのは珍しいが、演奏・録音ともにやや乾いた鮮明さが感じられ、それがひとつひとつの楽想の性格を明瞭に印象づける。

ファウスト、グレートヒェン、メフィストフェレスの3楽章のそれぞれの個性的特徴を見事に描き出して、この大曲を非常に聴きやすいものにしている。

細部まで克明に分析して、まるで曲をコンピューターを通して説明しているように演奏する。

しかも力強い構成力を発揮して、熱情と抒情の対照を実に美しく表した。

メリハリの強い個性的な解釈ではあるが、第2楽章を始めとして、リストの音楽にはさらにロマン的なうるおいが欲しい。

きわめて精力的で豊かな感興をもちながら、いま一歩、表面的なところで止まっていると感じられるのだ。

とはいえ、今までなかなか正当な評価を受けることがなかったこの名曲の優れた内容を再認識させる演奏だ。

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2008年08月13日


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「さすらう若人の歌」はバーンスタインの優しさにあふれた解釈が印象に残る。1音1音をいつくしむかのようなバーンスタインの表現が素晴らしいし、ハンプソンもそれにしなやかに寄り添い、優れた歌唱を行っている。

「亡き児をしのぶ歌」のバーンスタインは内的な充実のある表現で新鮮な感銘を受ける。ハンプソンも共感にあふれた歌いぶりだ。

「リュッケルトによる5つの詩」もハンプソンなりのスタイルで曲の深さを充分につかみ出している。

ハンプソンの歌は、一時代前のフィッシャー=ディースカウ型のマーラーを過去のものにしてしまった。

こまかい心理表現が、これを聴いたあとでは泥沼であったようにさえ感じられる。

その若々しい声を存分に生かし、ハンプソンは清潔に、まっすぐに歌う。

それが最も生きるのは、やっぱり「さすらう若人の歌」か。バーンスタインとウィーン・フィルが、その清潔でまっすぐな歌をいとおしむかのような軽やかさを維持して、さわやかな演奏をしている。

ここでマーラーは入り組んだ情緒の海に転落せず、かすかな悲しみをたたえながらも、素直で美しい航路をたどって進む。

「リュッケルトの詩による歌」も、実にまっすぐだ。

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2008年06月23日


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ミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」初の完全全曲盤。数多くのミュージカルを手がけてきたバーンスタインが1984年に、満を持して自作の録音をしたものである。

オリジナル・キャスト盤でも省略されていた台詞を全て収録しており、マリアの台詞はニーナ・バーンスタイン、トニーはアレキサンダー・バーンスタインが担当している。

この作品は、商業的な娯楽ミュージカルなのか、広義のオペラなのかという論争が以前からあるが、ここでは後者の立場によって、カレーラス以下一流オペラ歌手によって演奏している。

つまりバーンスタインは、この作品を単なるブロードウェイのヒット作の舞台の再現としてではなく、広い意味でのオペラ作品として取り組んでいる。

それは、主役のマリアとトニーに、テ・カナワとカレーラスを、脇役にも、トロヤノスやホーンらオペラ畑の歌手たちを起用していることからもよくわかるだろう。

主役のふたりは、こうしたミュージカルを歌うにはやや品が良すぎるきらいもあるが、バーンスタインの期待に十分に応える歌唱を行っている。

全体に、ミュージカルの舞台のあの独特の熱気といったものは希薄なものの、すこぶるノリがよい仕上がりで、ポピュラー音楽とか、クラシック音楽といった狭い枠にとらわれない、新鮮で美しい音楽を楽しむことのできるディスクとなっているところは、バーンスタインならではだ。

そのため、視覚を伴った映画から受けた印象とはかなり異なった感じを与えることは事実だし、主役にはもっとパンチの利いた歌を歌ってほしい気もするが、「アメリカ!」などは最高に愉しく、オペラ的再現としては成功している。

ことに、この録音のためにわざわざ集められたブロードウェイ内外の一流ミュージシャンたちによるオーケストラと合唱は、さすがに達者な演奏を聴かせてくれる。

作曲者自身の演奏だけに、貴重な録音といえよう。

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2008年06月16日


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バーンスタインの新しいマーラー/交響曲全集の完結篇。但しアナログ録音で、第8番は先に発売されていたLDと同一音源である。

マーラー自身、友人の大指揮者メンゲルベルクに宛てた手紙のなかで、「大宇宙が鳴り響きはじめるとお考えください」と述べているように、交響曲第8番は、形式的にも、内容的にも、それまでのマーラーの音楽の集大成とでもいうべき超大作となっている。

バーンスタインは、この大曲を、実にスケールの大きな表現で描き上げており、フィナーレに向かって突き進む迫力は類をみない。楽器と声部とのバランスも素晴らしい。

第1部から驚くほど豊かな生命力にあふれている。

声楽部の力量も素晴らしく、合唱のアンサンブルや情熱に満ちた表情は感動的で、白熱の輝きを放つコーダまで聴く者を圧倒する。

第2部も豊かな感興に満ちたバーンスタインならではの世界であり、雄渾・壮大をきわめたこの演奏は凄絶な力を放射している。

堂々とした風格と共に高まる終結部の「神秘の合唱」は、聴く者を恐るべき感動の渦に巻き込むに違いない。

交響曲第10番〜アダージョは作品の内面を深く味わわせる名演だ。

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2008年06月14日


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新盤はこれ以上は考えられないような秀演である。バーンスタインはマーラーの楽譜を読み尽くしている。

そしてデュナーミクの細かな指示よりも旋律の自然さを尊重し、古き良き時代の暖かさと大らかさを存分に表現している。

これこそバーンスタインによって再創造されたマーラーだ。

同じニューヨーク・フィルを指揮した旧盤に比べると、華やかな表現をいくぶん抑えた演奏となっており、バーンスタインがじっくりとこの作品に取り組んでいるのがよくわかる。

ここでは、マーラーが指示したテンポの揺れ動きや強弱の激しい交代、立体的な対位主題の大胆な併置、管弦楽の強烈な色彩が、ここまでやれるのかと思えるほどに激しくデフォルメされているが、それでいてこの表現主義的な身振りが、一個の「自然」に達していると思えるほどに演奏者の血肉と化したような自在さを伴っている。

ユダヤ的というべきアクの強いアーティキュレーションやスフォルツァンドの感覚など、見事の一語に尽きる。

ニューヨーク・フィル起用の選択の成功も大きい。ことに、オーケストラの力強い合奏力を生かした終楽章の盛り上げ方は秀逸だ。

特にフィナーレの爆発的高揚にはこのオーケストラの底力が不可欠のものなのだ。

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2008年06月13日


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1991年9月にニューヨーク・フィルと再録予定の第8番を残してバーンスタインは世を去ったため、マーラーに関しては、この第6番が遺作となってしまった。

バーンスタインにとっての21年ぶりの第6番は、冒頭から凄いほどの推進力で突き進む嵐のような表現だ。

バーンスタインは、この作品のもつ構成的な強さを明確に打ち出した演奏を行っており、ことにオーケストラの対位法的処理が見事である。

暗い情感をよくあらわれた表情も迫力があり、その気迫には打たれる。

音楽が自然で響きに重量感があり、ディティールまで表情が鮮明な上に、マーラー独自の音構造やモチーフを的確に表現しながら、一瞬の渋滞もない劇的迫力で聴き手を圧倒する。

特に第1楽章のメイン・テンポが非常に快調なので、晩年のバーンスタインを敬遠していた向きにも薦められよう。

アルマの主題を、指定通り粘らないで歌い出す等、随所で楽譜の読みの深さが示されているが、それでいて、細部に足枷を嵌められたような窮屈さはない。

第1楽章などは、バーンスタインの再録のチクルス中、最も前進エネルギーの強い、剛毅な表現といえよう。リズミックに進む第2楽章も同様だ。

アンダンテは、たっぷりと旋律を歌わせているものの、一人よがりな微速前進というほどには粘らないので、第1楽章の中間部や、第2楽章のトリオ同様、バーンスタインのナイーヴな感性と、祈りの感情が程よくミックスされ、アット・ホームな音楽に仕上がっている。

しかし、この演奏の聴き所は、何といっても第4楽章にある。曲が盛り上がってきて、様々な要素が輻輳してくるほど、スケールが広がり、表現の重みが増してくるのがレニーの真骨頂。

展開部あたりからの、白兵戦さながらの凄絶なモティーフのぶつかりあい、394小節の大見栄等、山場の連続となる。

「亡き児」のハンプソンは表現的・文学的な歌を聴かせ、オケとの対照と融合が絶妙だ。

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2008年06月11日


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旧盤はバーンスタインの名声を高めたディスクであり、極めて啓蒙的解釈といえるが、そこにこの指揮者の激しい共感が示されている。

率直に感情を表面化した身ぶりの大きな音楽で、テンポもかなり動く。

現在聴いてみるとやや古めかしい解釈とも思えるが、それが作品への強い共感から生み出されているので不自然な印象は受けない。

新盤は1987年、新しいマーラーシリーズで初めてウィーン・フィルを起用したフランクフルトでのライヴ録音。

バーンスタインは、この曲のもつさまざまな情感を、スケールの大きな表現で描き出していて、一種異様な熱気をはらんだ演奏となっている。

第1楽章と第2楽章から形成される第1部で、バーンスタインが表現したものは未聞の沸騰である。感情のあらゆる動きがマーラーとの同化を相克を経て直接音化されて具現化されるさまは、筆舌に表し難い激しさをもっている。

第3部の終わりの2楽章だが、名高い第4楽章の耽美的表情や、フィナーレにかけての盛り上げ方は、凄まじい迫力だ。

ことに有名なアダージェットから生の希望に燃えたロンド・フィナーレに入っていくあたり、壮絶なまでに、死を乗り越えた人間の喜びがあふれている。

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2008年06月10日


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旧盤はバーンスタインのマーラー・シリーズの中でも特に印象的だ。

演奏は19世紀的な名残りをとどめるといってよい。旋律を息長く、たっぷりと歌わせ、テンポも自在に伸縮しており、非常に温かい響きをもっている。

しかし、ディティールは詳細に描かれ、音楽の流れは合法則的といってよく、その中にバーンスタインの感興が明滅するのが面白い。

第1楽章はリズミカルで安定した進行を示し、第3楽章は繊細に歌う弦がことのほか美しく、その悠揚とした歩みは、さすがにこの指揮者のスケールの大きさを示している。

終楽章のグリストの独唱は素朴だが、快活で晴れやかな気分がある。

新盤はコンセルトヘボウの威力を最大限に発揮させながら、マーラーの精緻なオーケストレーションを、卓越した表現力で再現した力演である。

ディティールをすみずみまで考えぬき、自由自在に表情づけを行うなど、独自の感性が示されているが、すべての音が解放感をもって鳴り響いて素晴らしい。

第1楽章第1主題など実に爽やかなリズムをもって生き生きと歌われているし、第2楽章は一層主観的だがデュナーミクは正確で的確、木管やヴァイオリンの色彩感覚なども特筆に値する。

ただ第4楽章のボーイ・ソプラノの起用は、興味深い解釈とはいえ、やはり疑問が残る。

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2008年06月08日


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旧盤は、この曲のもつ田園風で天国的な憧れの気分を入念に表現しつくしている。第1楽章は明るい響きで抒情を描き、第3,6楽章は柔らかな表情のなかに緊張感がみなぎっている。ソロも美しい。

新盤でのバーンスタインは、持ち前の劇的な自我の表出を抑え、枯淡に近づくような抑制力を感じさせる。

第1楽章などそれでも線が太く、逞しく、自在な表情を駆使している。

マーラー固有の悲劇的色彩の濃い第1楽章の深々とした呼吸もさることながら、天国的ななごやかな美しさと、あどけなさをもった第2楽章以下は絶妙なうまさで、感動的だ。

バーンスタインと組んで、数々のマーラー作品を歌ってきたルートヴィヒの、キャリアの深さを感じさせる卓越した歌唱も素晴らしい。第4楽章では、ルートヴィヒが年齢を感じさせぬ美声で深沈した表情の歌を繰り広げる。

また、第5楽章の少年と女声の合唱団の、透明で、表情豊かな歌声もすぐれ、すべてが高度の熟達をもってスムーズに進行していく。

圧巻は終楽章で、従来の演奏とは異なった、清楚な悲哀の感情をたたえた歌が大きくふくらんでゆく。バーンスタインの人間的一面を見るような驚くべき演奏である。

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2008年06月03日


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グローフェの「グランド・キャニオン」はバーンスタイン唯一の録音であるが、いかにもバーンスタインらしい、シンフォニックな表現で、この作品から、壮大なスケールを引き出している。

これは、バーンスタインが、ニューヨーク・フィルの音楽監督として最も脂の乗っていた頃に録音されたものだけに、大変骨格の立派な音楽となっているが、幾分彼特有の粘りが強く、そこに抵抗を覚える人もいよう。

「ウェスト・サイド・ストーリー」からの「シンフォニック・ダンス」はバーンスタインの実力が最高に発揮された快演で、どんな部分を聴いても音楽が豊かに息づいており、その湧き立つようなリズムと熱っぽい表現には強く惹かれる。

またバーンスタインの弾き振りによる「ラプソディー・イン・ブルー」もジャズ的なフィーリングを生かした実に鮮やかな演奏だ。

バーンスタインは「ラプソディー・イン・ブルー」をこの録音の20年後にもロスアンジェルス・フィルと、やはり弾き振りで録音していて、音質も良くうまい演奏ではあるのだが、この録音ほど積極性というかインプロヴィゼーションは感じられない。

ジャジーなセンスやブルーなムードなどをとてもうまく表出しているし、「ウェスト・サイド・ストーリー」で大成功を収め、ニューヨーク・フィルの音楽監督になって間もない若いバーンスタインの颯爽とした弾き振りの姿が目に浮かぶような演奏である。

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2008年05月22日


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ウィーン・フィルが持つ伝統的様式に、バーンスタインの燃え上がるような生命力を加えた演奏で、今もベートーヴェンの交響曲全集を選ぶ場合に真先にあげなければならないものだ。

どの曲もフレッシュそのもので、ベートーヴェンなど聴き飽きた、という人にも強くアピールする表現。どの曲をとっても造形は端正を極め、ベートーヴェン演奏の定石がきちんと守られている。

バーンスタインのライヴに特有の、激しさと優しさの交錯も魅惑的だ。

第1番は冒頭から中期のベートーヴェンを予感させる、厳しい構成意志が表出された演奏だ。4つの楽章の均衡感、古典的ともいえる造形や弾力的なリズムも、作品の性格とそのまま合致している。

第2番は実に表情が豊かで多彩、わずかなアゴーギグや部分的なメリハリが驚くほどの効果を挙げている。そして第2楽章の歌が何と広々と広がることか。

「エロイカ」は光彩あふれる名演である。冒頭から一瞬の沈滞もなくいきいきとした動感と流れるような歌が晴朗な音楽を織り上げ、そこには観念的あるいは文学的なものの影はない。第2楽章の葬送行進曲が実に抒情的に表現され、両端楽章の構築性と見事な対照をつくるのも作品をよく理解した見事な解釈である。

第4番は健康な青春の光彩にあふれた演奏だ。

第5番は求心的で古典主義的、とはいえ音楽構造の主体と背景が綿密に整理され、鮮やかなコントラストを保っている。

「田園」は実に爽やかな、明るい陽光に映える緑と吹き抜けるような風を思わせる音楽である。第1楽章提示部を反復しているが、音楽の瑞々しさを少しも弱めない。ウィーン・フィルの自発性に富むアンサンブルもこの曲の場合大きな魅力となる。これはバーンスタイン自身が言っているように、ウィーン以外の場所では表出不可能な味わいをもった演奏である。

第7番はディティールの明細が見事で、リズムが軽く、どの楽章も的確に決まったテンポで進み、どこから眺めても妥当である。

第8番は特筆すべき名演で、この作品のきりりと引き締まった様相を優美・典雅に描きながら、その内部が堅固に固められているのが素晴らしい。作品の真髄を衝いた演奏である。

第9番は室内楽的とさえいえる透徹した演奏で、ニュアンスも豊富だ。それでも音楽は生きて動き、古典主義の帰結として作品を捉えている。合唱は少人数だがプロフェッショナルな発声と確実さで、バーンスタインの意図によく応えている。しかし4人の独唱者は重唱のアンサンブルはよいのだが、それぞれの声や表現力が十全とはいえない。

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2008年05月21日


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この全集はバーンスタインの録音の中でも傑出した1組であり、指揮者とオーケストラがそれぞれの持ち味を発揮しながら、素晴らしく充実した音楽をつくっている。

第1番の熱気を秘めた気宇の大きい構成、第2番のみずみずしい美感、第3番のゆとりを持った音楽性、第4番のあふれるようなロマンティシズムの中に古典的格調をもった明澄な表現、とそれぞれが見事な演奏だ。

第1番の熱気に満ちた雄渾な表現はバーンスタインならではの生命力を感じさせ、ウィーン・フィルの魅惑的な音の美しさは例えようもない。

バーンスタインは、ウィーン・フィルのもつ伝統的な様式感覚を全面的に信頼しているのだろう。ディティールの表情は一層陰影と繊細さを増し、透明な弦の響きにも各パートの自発性を伴い、第2番では春風のような温かさと瑞々しさを印象づけている。

第2番は明朗さのなかにも、一抹の不安や哀愁をこまやかに表現した第1楽章が抜きん出ている。

最も個性的な表現は終楽章で、乗りに乗った演奏ながら、細部を克明に、デリケートに描いていて格調高く、色濃く表れてくるロマン性のため、ひとつのドラマを聴く思いだ。

第3番でのバーンスタインは、流麗さと克明さを自然に共存させており、彼の静から動への志向を表していて興味深い。

第1楽章では、独自のルバートや細かいアゴーギグが駆使されテンポも遅いが、第2主題など実に味わい深く、歌の明滅が美しい。

第2楽章のかなり自由なアゴーギグも合法則的で、第3楽章ではウィーン・フィルの弦の美しさを満喫させる。

第4番も熱気に満ちた演奏で、しかもしなやかさも柔らかさもある。ウィーン・フィルも実にいい音で、弦は艶やかで張りを持っているし、管は自発性に満ちている。

ブラームスに対する伝統的な自信が、オーケストラの中にしみこんでいるといった感じだ。細かいところでは、バーンスタインがウィーン・フィルの自発性に任せている所もかなりあり、それが成功している。

4曲すべてがこれほどの高水準でまとめられた全集はあまり例がない。

管弦楽曲も交響曲にまさるとも劣らない秀演である。

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2008年05月05日


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青少年向きの作品を集めたディスク。

ひとりでも多くの人に音楽の魅力を伝えたい、という気持ちから、バーンスタインは、1959年に「音楽のよろこび」という著書を出版した。

誰にでもよくわかるように楽しい工夫をこらした、さまざまな曲の解説をあつかったこの一冊で、彼は著作の面でも人気者になった。

3曲ともバーンスタインのあたたかな人柄のよくにじみ出た演奏で、特に「動物の謝肉祭」が楽しめる。

1曲1曲を絵画風に描きながら、それぞれの曲の面白さを十全に表出しており、そのしゃれたセンスはなんとも好ましい。

バーンスタイン自身が語りを入れた「ピーターと狼」も情景描写が巧みで後半の変化にとんだ表現のうまさは格別だし、「青少年のための管弦楽入門」も綿密に仕上げられていてよい。

それは、楽員たちの個性や自発性を巧みに生かしたバーンスタインの配慮の成果と考えられる。

とにかく聴き手を楽しませてくれる演奏であり、バーンスタインの名エンターテイナーぶりを偲ばせてくれる。

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2008年04月03日


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旧盤は部分的に荒っぽい箇所があるものの、マーラーの若き日の詩と情熱に率直に共感したような、魅力的な表現だ。

バーンスタインは、この曲の中に自らの肌で感じたマーラーへの熱い愛情を注ぎ込み、あらゆる部分をデリケートに、そして時には奔放に表現している。

そのため音楽が力強く起伏し、スケールも極めて大きい。

特に終楽章はバーンスタインの性格を反映して、ダイナミックで劇的な効果を最大限に発揮している。

それはバーンスタインがこの作品を知りつくしているだけでなく、本質的にマーラーと共通したものをもっているからだろう。

新盤を聴いて、バーンスタインは本当にマーラーが好きなのだとつくづく感じた。

第1楽章の序奏部から、それこそいとおしむように音を大切に扱い、主部はひとつひとつのの楽句を吟味するように歌わせている。

そして長大な終曲が、また一段とすごい。

強い緊張感と息の長い起伏が交錯し、その情緒の豊かさ、感興の激しさは形容の言葉もない。

あらゆる「巨人」の中で最も個性的でありながら、構築的であり彫りの深い表現で、稀有の名演である。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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