ショパン

2017年02月16日


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ダヴィッド・フレーは成長著しい現在最も注目すべき若手有望株のピアニストの1人である。

フレーはフランス生まれの最もフランス的なピアニストでありながら、これまでフランス物には殆んど目もくれずドイツ系の作曲家の作品ばかりを録音してきたが、どうやら鉾先を転じつつあるようだ。

今回のショパン・アルバムは少なくともセッション録音では初挑戦で、予想はしていたがこのCDでもやはり彼らしい滴るような抒情に包まれたウェットなサウンドを駆使しながら甘美かつスケール感にも不足しない演奏が繰り広げられている。

彼はそれぞれの作品を自分の領域に容赦なく引き込んで敢然と手を加えるが、それほど耽美的に感じられないのはむやみにリズムを崩したり、音価を引き摺るのではなく、あくまでも鍵盤へのタッチと、それによって生み出されるディナーミクの千変万化で聴かせることに注意が払われているからだろう。

その深い瞑想に支配された感性の繊細さには尽きない魅力があり、さながら現代のピアノの詩人といったところだ。

彼はもともと超絶技巧で聴衆を唸らせるタイプの演奏家ではなく、彼自身そのことを誰よりも自覚しているので、通常若手ピアニストが取り組む派手なテクニックを誇示するような曲目には一切手を染めていない。

それとは対照的にピアノという楽器を通して如何に心情の機微を歌い上げるかというところに早くから嬉々として勤しんでいるように見える。

その成果がこれまでにリリースされてきたドイツ系の作品にも着実に応用されていると言えるだろう。

今回のショパンの選曲を見れば自ずと理解できるように、ノクターンやマズルカの詩的な魅力が究極的に追求されている。

通常このような選曲のアルバムは大家の演奏でもない限り売れ筋ではないのだが、洗練された個性的な解釈の美しさだけでなく充分な説得力を持った堂々たる演奏に驚かされる。

2016年9月パリのノートルダム・デュ・リバン教会における録音で、収録曲目に関しては上記のアマゾンのページのイメージ欄にケース・カバー裏面の写真が掲載されているので参照されたい。

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2016年11月15日


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マレイ・ペライアのショパン演奏集を6枚のCDにまとめた廉価盤で、類稀な美音と優れた音楽性で知られ、「ピアノのプリンス」と呼ばれるペライアの魅力を堪能することができるショパンである。

晩年のホロヴィッツとの親交によりヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして新境地をひらき、音楽家としての充実ぶりが伝わってくるペライアの記念碑的アルバムとして人気の名盤。

瑞々しい息吹きをたたえた詩的な感覚は、新世代のショパン表現と高い評価を得て、磨き抜かれたペライアのピアニズムが美しく結晶化している。

彼の40年に亘るキャリアを記念した全集を既に持っている熱心なペライア・ファンは別としても、気軽に親しめる第一級のショパン作品集として入門者にもお薦めできる優れたセットである。

尚ピアノ協奏曲第1番ホ短調の音源に関してはズービン・メータとのニューヨーク・フィル及びイスラエル・フィルの2種類が存在するが、ここでは後者1989年の再録音の方が採用されている。

ペライアのショパンは強烈な個性を放っているわけではないが、オーソドックスな解釈の中にもクリアーなタッチから引き出されるマイルドで美しい音色を一瞬たりとも失うことのない知的なコントロールが貫かれている。

それは決して小ぢんまりとした大人しい奏法ではなく、きめ細かな表情から全力を注ぎ込むスケールの大きな表現までが矛盾をきたさずに自然に統合される音楽設計も見事だ。

ペライアのタッチは美しい響きをもち、特に弱音で旋律を歌わせるときの余韻が実に清楚で、レガートの美しさを十分に生かし、滑らかなフレージングが細かな表情の変化を伴って豊かなニュアンスを生み出している。

ペライアは実に入念に考え抜いた表現を生み出すが、その点では極めて今日的なショパンであり、技術的にも見事である。

変に突出せず十全な形でショパンの作品を聴かせており、端的に言えばその演奏は没個性に向かいかねない兆候ともとられるが、この演奏はそのぎりぎりの瀬戸際で成り立っている。

解釈は極めてオーソドックスで少しの気負いもなく、こまやかな感情の動きを率直に表現しており、こうしたところにも彼の頭脳的プレーと筋の通ったポリシーを窺わせている。

ペライアは、リリカルとかピアノの詩人とか形容されているが、音楽から受ける印象はスポーティで、情緒も音楽も停滞がない。

何より素晴らしいのは、この演奏にはまさしく“華”があることで、表現の起伏は大きく、ドラマは十全に演出されてゆき、しかも細部の語り口も極めて入念、これを聴いていると、しばしの間、至福の状態を味わうことができる。

ペライア28歳の時の『24の前奏曲集』ではショパンの音楽自体が持っている冷徹さや翳りのようなものはそれほど感じられない。

現在の彼と比べると、自らの音楽を迷うことなく確信し、演奏を繰り広げていく感が強く、ショパンの楽譜に向かって真正面から自分をぶつけている。

表現の力強さとテクニックの大きさでぐいぐいと引っ張っていく力は充分に感じられるが、表現のデリカシーや抒情性の点でやや荒さがあるのは、年齢を考えると致し方あるまい。

むしろ、その一貫して真摯な演奏が絶賛されているペライアが21世紀に発表した鮮烈なショパンとして注目を集めた『エチュード』でのより円熟した多彩な表現力が優っているだろう。

また2曲のピアノ協奏曲では溢れんばかりの情熱的な表現とコントラストをなす緩徐楽章の洗練を極めた抒情が例えようもなく美しく、メロディの羅列になりやすいショパンの2曲を細心さをもって弾き切っている。

各主題の美しさはもちろんだが、経過部での表情付けはショパン演奏のひとつの手本となり得るものであり、メータの指揮も自信に満ちて若々しく、充実感満点だ。

更に、有名な「幻想即興曲」を含む4曲の『即興曲』では抜群に冴えわたる指さばきが、エネルギッシュに展開され、『舟歌』のリズムには活気が、『子守歌』には明るさがあり、この後何度かの故障からカムバックして大輪の花を咲かせるペライアの特質が十分に披露されている。

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2016年11月13日


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21世紀のピアノの巨匠として高い評価と人気を誇るエフゲニー・キーシン得意のショパンの人気主要作品をほぼ網羅したアルバム。

キーシンがその名を世界にとどろかせたのは1984年、12歳で弾いたショパンのピアノ協奏曲2曲のソ連メロディアレーベルのレコードであった。

それ以来、ショパン作品はキーシンにとって最重要のレパートリーとして繰り返し演奏し、新しいレパートリーが増える毎に、RCAにその足跡をレコーディングという形で残してきた。

1993年にカーネギー・ホールで行われた「オール・ショパン・リサイタル」のライヴCD2枚を皮切りに、1998年、1999年にスタジオ録音のショパン・アルバムをリリースし、2004年のヴェルビエ音楽祭での伝説的なライヴ演奏も2006年に発売された。

本BOXはピアノ協奏曲を除き、それら5枚を集成し、1994年スタジオ録音と2004年ライヴ録音の2種類の『英雄ポロネーズ』も収録して、ショパン・イヤーに合わせて発売されたものだ。

すなわち、このセットは15歳でサントリー・ホールに登場してから、30代前半までのキーシン青年期のショパン演奏の記録であり、それはまた繰り返し録音をしない彼のポリシーからすれば、貴重なショパンの集大成と言っても良いだろう。

ここでもキーシンは自然に溢れ出るような格調高い音楽性を歌い上げながら、時として突き進むような集中力と華麗なテクニックで圧倒的な表現力の広さを披露している。

爛襦璽咼鵐轡絅織ぅ鵑慮綏兌圻瓩噺討个譴襯ーシンが、鮮やかな技巧と、輝きに満ちた鮮明なタッチ、格調高い音楽性によって、爽やかな情緒を湛えた美しいショパン像を描き出して、楽しませてくれる。

確かに彼の『エチュード』が存在しないのは残念だが、『ノクターン』や『マズルカ』あるいは静謐な『子守唄』で聴かせる洗練された感性とエスプリは、メカニック的な技巧のみに溺れないキーシンの音楽に対するフレキシブルな姿勢を良く示しているし、5枚のうち3枚がライヴ録音であることを考えれば彼の完璧主義が面目躍如たる演奏だ。

特に1997年秋にはサバティカルに身を休め、20代半ばまでの人生をおそらく振り返ったであろうキーシンが、1998年夏に録音した待望の『バラード』全集は、完璧としか言いようのない技術、惚れ惚れとするばかりに美しく、また輝かしい音色を武器に繰り広げられる壮絶なショパンであり、以前にも増して高みへと至ったキーシンの真価を満喫させる。

ショパンへの想い、バラードに対する共感のすべてが音の結晶体となって聴き手に降り注がれる演奏であり、1つ1つの作品の素晴らしさに打ちのめされると同時に、真摯なる演奏家としての道を突き進むキーシンの生き方そのものの足音を聴くかのような感銘を与えられる。

また、成長したキーシンが巨匠への道を歩み始めた証明と言える『プレリュード』は、1音1音のタッチに曲の解釈とその表現(技術的、精神的意味すべてにおいて)への自信が感じられる快心の演奏で、実際、曲によってはこれまでの演奏よりも譜面の読みがいっそう深いと感じさせる部分も多い。

ショパンのピアノ音楽のミクロコスモスであるこの曲集から、キーシンが自らの新たな可能性を切り開いた、唯一無二の至芸と言いたい。

録音年代は1987年から2004年で、ライヴとセッションではいくらか音質にばらつきがあるがいずれも良好だ。

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2016年11月11日


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アレクザンダー・ブライロフスキーと言えば、SP時代からLP、そして1960年代のステレオ初期の頃まで一世を風靡したピアニストだが、彼が引退してその名が聞かれなくなった頃から、彼の残した多くの録音が、特に日本では次々に廃盤になっていった。

そしてブライロフスキーの死から40年近くなった現在、過去の名演奏家の古い録音のCD化が流行しているにもかかわらず、彼の演奏のCDはわずかに数枚を数えるに過ぎない。

これをみると、ブライロフスキーは日本ではあまり評価されず、好まれないピアニストなのかもしれない。

確かにブライロフスキーの演奏には独特の癖とも言える個性があった。

これは若い頃にはもっと前面に出ていたというが、彼が長い間パリとニューヨークという国際都市の檜舞台を中心に活動しているうちに、磨き上げられ、洗練されて、独自の演奏スタイルを作り上げたと言える。

だから現在彼の演奏を聴いても決して古い、時代遅れのスタイルではなく、逆に没個性的で平均化した現代の多くの演奏家の中にあっては、新たな魅力を感じさせるように思う。

ブライロフスキーが爛轡腑僖鷄藾娉鉢瓩噺世錣譴襪茲Δ砲覆辰燭里蓮▲僖蠅離廛譽ぅ┘襦Ε曄璽襪韮尭間にわたるショパン・チクルスを行ない、全172曲の作品を演奏したことがその始まりである。

「当時は第1次大戦前後で、ようやく念願の独立を勝ち得たポーランドに対する関心が、世界的に高まっていた時でした。そこで私もポーランドの偉大なショパンに自分の全精神を投入する企画を立てたのです。」

ブライロフスキーがショパン・チクルスを行なうことを思い立ったのは、もちろんこのような考えからであったことは確かだが、その直接的なきっかけは、師とも言うべきモーリッツ・モシュコフスキーに負うところも大きいように思われる。

モシュコフスキーはポーランド出身の名ピアニストで、作曲家としても知られているが、1897年からパリに住んでいた。

当時既に60歳も半ばの年齢であったが、全盛期はたいへんな技巧家として知られ、またショパン演奏のスペシャリストでもあった。

ブライロフスキーがモシュコフスキーから直接教えを受けたという記録はないが、ことにショパンの演奏に関しては色々と助言を受けたことは充分に考えられる。

それともう一つは、これは筆者の単なる憶測に過ぎないが、当時のパリにはモシュコフスキーをはじめ、アルフレッド・コルトーやラザール・レヴィなど優れた演奏家がたくさん居たから、よほど話題性のある演奏会を行なわないと注目されない、と考えたこともあるのではなかろうか。

そしてこの「ショパン作品連続演奏会」は、その後ブライロフスキーのトレード・マークのようなものになり、1938年にニューヨークでも試みて大成功をおさめている。

また1960年、ショパン生誕150年の記念の年にも、ニューヨークとブリュッセルで連続演奏会を開き、同時に全作品のレコーディングを新たに行なっている。

このようにブライロフスキーは、その生涯に何回となくショパン・チクルスを行ない、また彼の残した録音でもショパンの作品が圧倒的多数を占めているから、ショパンのスペシャリストの一人に数えられている。

生前のブライロフスキーは、アメリカで最も人気のあるピアニストの一人に数えられていたが、特にこのピアニストのショパン弾きとしての名声には目を見張るものがあったと言っても過言ではないだろう。

それではブライロフスキーがなぜ初期の頃から、特別にショパンの作品を選んだのであろうか、その理由については、既に二つの事柄を挙げておいた。

その一つはモシュコフスキーの影響であり、もう一つは彼自身の言葉を引用したように、時代的な要請とそれに対する彼の対応の仕方である。

しかしそれ以外にもう一つ、彼がロシア人で、ポーランドと同じスラヴ系の出身であったことにもよるのではないかと思われる。

なぜそのような点を挙げるかというと、ブライロフスキーはパリで活動するにあたって、自分の演奏するショパンはフランス人の演奏するラテン的な表現とは異なるということを主張したかったように思われるからである。

しかも実はそこにブライロフスキーのショパンの演奏の真の特色があるように思うのである。

最初にも述べたように、ブライロフスキーはパリやニューヨークという国際都市で活動しているうちに、より洗練された感覚を演奏の中に加えていったが、しかし完全にフランス風の洗練さや洒落た感覚の域に達することはできなかった。

その根底にはやや無骨とも言えるスラヴ的なヴァイタリティがあり、それが無意識のうちに表出しているから、彼の演奏を聴いていると、ショパンの音楽の持っているそうした側面も感じることができるように思う。

だからたいへん大胆な言い方をすれば、ブライロフスキーのショパンの演奏はフランス流派とポーランド流派の中間をいくものと言えるかもしれない。

本セットに収められたCDに聴くブライロフスキーのショパンは、この巨匠の芸風の醍醐味を伝える名演集であり、力強くダイナミックで、華やかであると同時にブリリアントでもある。

そして、ある種の爽快感さえも感じさせる彼のショパンでは、明快でメリハリの効いた表現がとても快いものになっており、それは、このピアニストならではの聴かせどころのツボを巧みに心得たショパンの再現を実現させる結果を生んでいたのである。

ブライロフスキーに言わせると、「ショパンの演奏家で他の作曲家の作品が不得意な人というのは考えられない。なぜならば、ショパンの音楽はたいへん豊かなスタイルを持っており、その中には他の作曲家の色々な要素が入っているからだ」という。

稀にみる説得力を生んでいるこれらの演奏では、未だに演奏様式的な古さが感じられないことも、特筆される必要があるだろう。

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2016年11月05日


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ロシア出身の名ピアニスト、ニキタ・マガロフ(1912-1992)によるショパンのピアノ・ソロ作品全集。

1974〜78年にかけ5年間で録音されており、2pと4手(ダルベルト)作品も含めて全205曲を収めている。

マガロフ60歳代の脂の乗っていて、精神的に極めて充実していた時代のアルバムである。

マガロフは、近代音楽に造詣が深いが、ロマン派にも傾倒し、自分のレパートリーのすべてに、その持ち味を発揮した演奏を聴かせるピアニストであった。

無論、ショパン弾きとしても定評のある人で、彼が最も多く好んで取り上げてきたレパートリーは、ショパンであったと考えてよいだろう。

そうした彼は、ショパンの作品を完全に自己の芸風の中に同化させ、ここでこのピアニストならではの巨匠的なスタイルの演奏を聴かせているのである。

全体にわたって、表向きはきらびやかではないとしても、自らの信じるピアニズムを究めつくした感のある練達の技巧、そして特に微妙な音彩変化の豊かさをうかがわせる演奏だ。

端麗な虚飾を排した表現をとっているが、だからといって教授タイプのそっけない演奏ではない。

こまやかな気配りがしっかりとしたヴィジョンのもとで、真に生命をもって息づいているのが感じられる。

マガロフはさまざまな理由で時流に乗ることができなかったため、わが国ではポピュラーなピアニストとは言い難い存在だった。

しかしマガロフの演奏は、現在の色々なショパン演奏の流れの中で、しっかりとした本物があったということを教えてくれるのだ。

決して恣意的に自分の領土に引っ張り込むことなく、作品が持つドラマティックな表現の世界を切り開いてみせる、実にバランスのよい演奏だ。

このショパンを聴いて一番強く感じるのは、彼がこの作曲家に対する理解がどのようなものであるかが、聴き手に率直に伝わってくる点だ。

これは当たり前のことのようだが、古典作品の解釈として今日なかなか困難になっていることなのだ。

マガロフの演奏で一番強く共感するのは、ショパンのピアニズムのグランディオーソ的な特色を生かしつつも現代的な知的なアプローチをしており、この作曲家の魅力である、ある種の誘惑に決して引き込まれ過ぎていない点にある。

実にヴィルトゥオーゾ的豊かな響きを持つが、決してテクニックだけで弾き抜くことなく、節度があり、客観的観賞に十分に耐えうる音楽を生み出している。

マガロフは大きなテクニックの持ち主であり、ショパンの音楽をいかようにも料理できる。

しかし彼は伝統的なショパン理解の線をはっきりと継承しつつ、その了解の"枠"の中で彼なりのショパンを聴かせる。

そして聴き手もその"枠"を理解することができるから、そこに共感が成立するのである。

確かな技巧を土台としつつも、メカニック的な面が前面に出ることなく、微妙な表情や変化で味付けを行いながらも、過剰な情熱表現や余分な濃厚さに陥ることはない。

過度の感傷に溺れることなく骨太に、しかも必要な情感を力強く表現していて見事であり、そこからは仄かな詩的味わいが立ち昇ってくる。

生涯を通してショパンを弾き続けながら自らのショパン解釈を究めてきた人ならではの深い含蓄が、ごく自然なニュアンスとなって現れ出たような演奏だ。

滋味深い、マガロフの真価を知るのにまたとないアルバムであり、こうした情趣あるショパンは、最近のピアニストからはほとんど聴けなくなってしまった。

底力に支えられた、まさにその実力を聴かせるショパンといってよく、現在もう一度深く考えて評価すべきは、このようなショパンの演奏ではないかとも思われる。

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2015年08月23日


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ルービンシュタイン(Artur Rubinstein:1887-1982)がRCAに録音したショパンを集大成したアルバムで、こんな素晴らしいセットが破格の値段で手に入れられることは信じがたいことだ。

いずれの楽曲もルービンシュタインならではの素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

ルービンシュタインはバッハからラヴェル、ラフマニノフまで幅広いレパートリーを持つポーランド生まれの大ピアニストで、特にショパンについては戦後世界最高の演奏家として君臨していた。

ルービンシュタインのショパンはスケルツォやポロネーズに見られるようなダイナミックな演奏からノクターン、マズルカに見られるような叙情的な演奏まで、ショパンの多彩な世界を変幻自在に表現し聴き手を楽しませてくれる稀有のピアニストであった。

古今東西の数多くのピアニストの中でも、ショパン弾きとして名を馳せた者は数多く存在しているが、その中でも最も安心してその演奏を味わうことができるのは、ルービンシュタインを置いて他にはいないのではないだろうか。

というのも、他のピアニストだと、古くはコルトーにしても、ホロヴィッツにしても、フランソワにしても、演奏自体は素晴らしい名演ではあるが、ショパンの楽曲の魅力よりもピアニストの個性を感じてしまうからである。

もちろん、そのように断言したからと言って、ルービンシュタインが没個性的などと言うつもりは毛頭ない。

ルービンシュタインにも、卓越したテクニックをベースとしつつ、豊かな音楽性や大家としての風格などが備わっており、そのスケールの雄渾さにおいては、他のピアニストの追随を許さないものがあると言えるだろう。

そして、ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、ショパンと同じポーランド人であるということやショパンへの深い愛着に起因すると考えられるが、ルービンシュタイン自身がショパンと同化していると言えるのではないだろうか。

ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているような趣きがあるとさえ言える。

何か特別な個性を発揮したり解釈を施さなくても、ごく自然にピアノを弾くだけで立派なショパンの音楽の名演に繋がると言えるところであり、ここにルービンシュタインの演奏の魅力がある。

確かに現代に生きる私達にはルービンシュタイン以上にスマートで、目の醒めるような鮮やかな演奏が当たり前になっているが、彼の一種冒し難いまでの風格や情緒と、洗練された中にも彼らの祖国ポーランドの民族的な郷愁を漂わせた特有の佇まいは、代え難い魅力に溢れている。

本盤に収められたいずれの楽曲も、そうしたルービンシュタインならではの情感豊かでスケール雄大な名演で、一見あっさりした表現に隠された筋の通った解釈には真似のできない深みがある。

ここでは聴き手を圧倒するような演奏は見られず、彼の実演やライヴを聴いている人にはやや物足りないかもしれないが、非常に安定した大家の貫禄に満ちた味わい深い演奏と言えるだろう。

もちろん、これらの楽曲には、様々な個性的な名演が多く存在してはいるが、楽曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、本盤の演奏の右に出る演奏は皆無であると言えるのではないだろうか。

また、演奏全体を貫いている格調の高さは比類がなく、これぞまさしく大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。

録音がやや古いとはいうもののショパン・コレクションとしては現在でも最高の演奏ということができよう。

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2015年08月12日


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本盤は、「音譚詩」とも称され深遠な難曲であるショパンのバラードを中心に据えた、河村尚子のショパン作品への強い親和性を継承する作品であるが、途轍もなく素晴らしい超名演だ。

超名演の前に超をいくつかつけてもいいのかもしれない。

さらに成長を重ね、深まりを見せる河村尚子の現在の音楽性を投影した3枚目のアルバムということであるが、録音に慎重な彼女であればこその久々のアルバムの登場であり、まさに満を持してと言った言葉が見事に当てはまると言っても過言ではあるまい。

本盤には、ショパンの傑作であるバラード全集、リストの編曲集が収められているが、出来不出来に差はなく、いずれ劣らぬ至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

河村尚子は、既にデビューアルバムでショパンの夜想曲集を録音しているが、本盤のバラード全集の演奏においては、更にその芸風が深化していると言えるだろう。

何よりも、河村尚子のピアノタッチが実に美しい。

1つ1つの音が宝石のように煌めいているとも言えるところであり、それは女流ピアニストならではの美質とも言えるが、河村尚子の場合には一部の女流ピアニストにありがちな線の細さは微塵も感じさせず、一本の芯が通ったような力強さを感じさせるのが素晴らしい。

もっとも、いわゆる武骨さとは無縁であり、どこをとっても格調の高い優美さを失わないのが河村尚子のピアニズムの偉大さと言えるだろう。

バラードの演奏に必要不可欠な文字通り「音」で物語を「語る」ストーリーテリングの技量も確かであり、とかく旋律の美しさに傾斜した焦点の甘い演奏とは一線を画しているのも本演奏の大きな強みである。

また、心の込め方にも尋常ならざるものがあると思うが、陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、どこをとっても前述のような格調の高さを失うことなく、演奏全体が常に高踏的な美しさに貫かれているのが見事であると言えるところだ。

このような素晴らしい超名演を聴いていると、河村尚子にはバラードや前作のピアノ・ソナタ第3番のみならず、他のショパンのピアノ作品の演奏を聴きたいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

他方、リストが編曲したショパン、シューベルト、ワーグナー諸曲も素晴らしい名演だ。

リストのピアノ曲の演奏はなかなかに難しく、卓越したテクニックと楽曲の持つファンタジーの飛翔のようなものをいかに的確に表現するのかが問われている。

そして、リストが編曲した作品は、更に演奏のハードルが高い難曲と言えるが、河村尚子は、持ち前の卓越した表現力を駆使して、各作品の持つファンタジックな要素を含有するとともに、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを湛えた見事な名演奏を展開していると評価したい。

いずれも演奏されること自体が珍しい作品であるが、ここでも河村尚子は、格調の高さを有した見事な名演を成し遂げている。

そして、何と言っても素晴らしいのはSACDによる極上の高音質録音である。

カラヤン&ベルリン・フィルの録音で馴染み深く、しかもその優れた音響で知られるベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を活かした録音は素晴らしいという他はない。

そして、河村尚子のピアノタッチが鮮明に再現されるのはSACDの潜在能力の高さの証左と言えるところであり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2015年06月07日


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70歳になり、名実ともに現代を代表する巨匠ピアニストとなったポリーニであるが、ポリーニの評価については現在でも二分する状況にある。

これには、とある影響力の大きい某音楽評論家がポリーニの演奏を事あるごとに酷評し続けていることに起因しているものと思われる。

確かに、ポリーニの壮年期の演奏の一部には、某音楽評論家が指摘しているように、いささか技術偏重に堕した内容が伴わない演奏が垣間見られたのは事実である。

しかしながら、他のピアニストの追随を許さないような名演も数多く成し遂げてきたところであり、ポリーニの演奏をすべて否定してしまうという某音楽評論家の偏向的な批評には賛同しかねるところだ。

本盤に収められたショパンの練習曲集は1972年のスタジオ録音であり、今から40年以上も前の、若き日のポリーニによる演奏だ。

先般、ショパン国際コンクール優勝直後の1960年に録音された練習曲集の演奏が発売(テスタメント)されたが、畳み掛けていくような気迫といい、強靭な生命力といい、申し分のない圧倒的な名演に仕上がっていたところだ。

当該演奏と比較すると、本盤の演奏は、スタジオ録音ということも多分にあると思うが、前述の演奏と比較するとやや大人し目の演奏に仕上がっていると言えるだろう。

加えて、これまで従来CD盤で聴いていた際は、卓越した技量が全面に出た、いささか内容が伴わない演奏のように思っていたところだ。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されて大変驚いた。

もちろん、ポリーニの卓越した技量を味わうことができる点においては何ら変わりがないところであるが、SACD化によって、これまで技術偏重とも思われていたポリーニの演奏が、随所に細やかな表情づけやニュアンスが込められるなど、実に内容豊かな演奏を行っていることが理解できるところだ。

本演奏を機械仕掛けの演奏として酷評してきた聴き手にとっても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化された本盤を聴くと、本演奏の評価を改める人も多いのではないだろうか。

筆者としては、本演奏は、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって漸くその真価のベールを脱いだ圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

前述の1960年の演奏のレビューにおいて、本演奏について疑問符を付けたところであるが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を機に、その評価を改めたいと考える。

それにしても、音質によってこれだけ演奏の印象が変わるというのは殆ど驚異的とも言うべきであり、改めてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ポリーニによる圧倒的な超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2015年05月09日


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1958年チュニジア生まれのピアニスト、ジャン=マルク・ルイサダのワルツ集に続くDGへのショパンの第2作であった。

ルイサダの国際コンクールの入賞歴は思いの他少ないのであるが(1985年のショパン国際コンクールで第5位入賞)、個性的な解釈と文学的な表現から多くのファンを持ち、日本でもテレビ番組の講師を務めたことで、大人気となったことは記憶に新しいところだ。

このマズルカは1990年の録音で、ルイサダの評価が一気に高まるきっかけとなった重要な演奏であり、音楽評論家の故吉田秀和氏が褒めちぎった名盤でもある。

マズルカはショパンのポーランドを想う切ないペーソスに溢れた最も魅力ある曲種だと思う。

悲喜こもごも、この曲集の中にはポーランドの古くからの民俗的な音階やリズムが飛び交う。

その演奏内容であるが、非常に個性が強く、かなり極端なルバートがかけられていて、仮に車の運転でこんなにブレーキとアクセルを繰り返したら絶対に酔ってしまうであろうが、この演奏では不思議なことにそれが自然に感じられるのだ。

ルイサダの演奏はとても表情豊かで、ショパンの喜び、悲しみ、郷愁、すすり泣き、時には慟哭も聴こえてきて、まるでショパンの心情をルイサダが代弁しているようにも思える。

ルイサダのピアノはまず何と言っても詩情豊かであり、濁りのないタッチで透き通った美しさを示す。

マズルカのあの憂いある微妙なニュアンスはルイサダの多彩なタッチと同化し、自然な抑揚感の中に溶け込んでいく。

ルイサダはそれぞれの曲の性格をきわめて自在に弾きこなし得る抜群のセンスの良さを持った演奏家であると言える。

かつてショパンが異国の地において遠い祖国を想い綴った、いわば日記帳のように書き留められた彼の切ない情感の揺らぎがこの演奏から聴き取れる。

そんなルイサダの演奏には回顧的な味わいがある一方、大胆な作品への今日的な切り込みもある。

マズルカのリズムがもつ独特の味をきわめてシャープに強調するが、1曲ごとにショパンが書いた表現のニュアンスを発見しており、演奏を新鮮なものとしている。

初期から後期まで作品の解釈が同じレヴェルという点では類型的と言えるが、確固とした世界が築かれている点は立派である。

また、楽譜を改変して弾いているところも何箇所かあるが、それもことごとくしっくりくるので、やはりルイサダにしかできない素晴らしい演奏だと感じてしまう。

特に作品41ー1などは、まるでショパンが郷愁にかられてすすり泣いているように思えるような演奏で、聴いていて思わず胸が熱くなってしまった。

躍動的なリズムと、時折見せる深い慟哭が、マズルカを単なる舞踊音楽ではないものとして品格を高めているのである。

この他にも筆者はいくつものマズルカ集を持っているが、全曲を1度に聴くのはかなりエネルギーが要るので、いつもは好きな曲を抜粋して聴いていた。

しかしながら、ルイサダの演奏は『次はどんなふうに弾くのだろう』とワクワクしてしまい、あっという間に全曲を楽しんでしまったのである。

生き生きしていて熱く深い、でも決して押しつけがましくなく、素直な気持ちで聴ける、とても好感が持てる素晴らしい演奏だと思う。

普通のマズルカに飽きてしまっている人には是非お薦めしたい演奏であるが、スタンダードな演奏を聴きたい人には、ルービンシュタイン盤かステファンスカ盤をお薦めしたい。

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2015年03月28日


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江崎昌子による待望のショパンのピアノ作品集の第5弾の登場だ。

ポーランドを第2の拠点として活躍するピアニスト、江崎昌子は、2004年度日本ショパン協会賞を受賞し、ショパン演奏が高く評価される日本を代表するショパン弾きである。

筆者は、マズルカ全集におけるセンス満点の素晴らしい名演に接してから、江崎昌子が発売するショパンのピアノ作品集の演奏に注目してきたところである。

エチュード集にしても、はたまたピアノ・ソナタ全集にしても、ノクターン全集にしても、江崎昌子の類稀なる音楽性とセンスの良さが如何なく発揮された演奏に仕上がっていると言えるところであり、前述のマズルカ全集にも比肩し得るだけの素晴らしい名演と言えるところだ。

そして、本盤のバラード集&即興曲集であるが、前述の既発売のピアノ作品集にも優るとも劣らない、そして、まさに我々聴き手の期待がいささかも裏切られることがない圧倒的な名演と高く評価したいと考える。

江崎昌子による本演奏は、第4弾までの演奏と同様に、ショパンの各楽曲に対する深い洞察力に裏打ちされた、実に考え抜かれた解釈が光っている。

ショパンの怒り・哀しみ・喜び、ショパンが生きていた頃のポーランドの事などピアノの音色から様々な想いが伝わってくる。

おそらくは、録音に至るまでに何度も両曲集を弾きこなすとともに、スコアに記された音符の表層にとどまらず、各曲の音符の背後にある作曲当時のショパンの精神構造や時代背景に至るまで、徹底した追究が行われたのではないかと考えられるところだ。

江崎昌子は、こうした徹底した自己研鑽とスコアリーディングに基づいて、バラード集や即興曲集を構成する各曲を万感の思いを込めて情感豊かに曲想を描き出している。

このように考え抜かれた演奏を旨としてはいるが、理屈っぽさや生硬さは皆無であり、音楽が滔々と自然体に流れるとともに、バラードや即興曲の美しさや魅力を聴き手にダイレクトに伝えることに成功しているのが素晴らしい。

加えて、ショパンの演奏に時として聴かれる陳腐なロマンティシズムなど薬にしたくもなく、どこをとっても気高い品格と洒落た味わいを兼ね備えているのが素晴らしい。

もちろん、ルービンシュタインやフランソワ、コルトーなどによる歴史的な超名演などと比較すると、いわゆる強烈な個性にはいささか不足していると言えなくもない。

しかし、バラードや即興曲を安定した気持ちで味わうことができるという意味では、これまでの様々なピアニストによる同曲の名演にも引けを取っていない。

少なくとも、我が国の女流ピアニストによるショパンの演奏としては、間違いなく最右翼に掲げられるべき圧倒的な名演と評価しても過言ではあるまい。

音質は、SACDによる極上の高音質録音であり、江崎昌子のピアノタッチが鮮明に再現されるのは実に見事であると言えるところであり、本名演の価値をより一層高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤は、江崎昌子による素晴らしい名演と極上の高音質録音が相俟った名SACDと高く評価したいと考える。

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2015年03月25日


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ショパンのピアノ曲に関しては、アシュケナージが素晴らしい全集を録音しているので、各曲についてはおそらくアシュケナージの本セットを求めれば、最上のショパン・コレクションが出来上がると言える。

世にはあまたショパン弾きと言われるピアニストが存在しているが、最もスタンダードな演奏と評せるのはアシュケナージであろう。

アシュケナージは無類の技巧とセンスで、ショパンの作品をきわめてオーソドックスに弾き上げているからである。

小品まで網羅した大規模な全集で、完成に15年以上要したアシュケナージのライフ・ワークのひとつであり、新しいワルシャワのパデレフスキー版による、優れた解釈が聴かれる。

言ってみれば、聴き比べをしようと思わせない見事な名演奏であり、いわゆる基本的なライブラリーには、アシュケナージが最も相応しいと言えよう。

筆者にとってアシュケナージの弾くショパンは、まさに「啓示」であった。

音楽の世界に分け入る里程標であり、1曲1曲を聴き込むごとに、深い情緒が得られた。

ショパンは「ピアノの詩人」と呼ばれるが、技術だけで弾きこなしても、ショパンの音楽は人の心を揺さぶることはない。

演奏家の卓越した感性が必要であり、アシュケナージのピアノは、技術、音色とも見事だが、それ以上に痛切とも思えるショパンへの共感が伝わる。

もちろん、アシュケナージは同時に現代的な感性を持ち合わせているので、共感といってもむせび泣いたり、叫んだりという単純なものではない。

西欧モダニズムの教養を背景とした外的均衡を保ちながらショパンの光と影を描いており、それは、稀有のピアニズムの証左である。

どのような未知の小品にでも、ベストのコンディションで臨むアシュケナージの姿勢には頭が下がる思いである。

アシュケナージの程よい陰翳をたたえた暖かく美しい響きは、ショパンの音楽にきわめて似つかわしい。

テクニックが優れているのはもちろん、音色といいタッチといい文句のない出来を示している。

エキセントリックなところはまったくなく、ショパンに天才的な閃きを求める人には物足りないところがあるかもしれないが、初期の作品やどんな小さな曲にも真正面から取り組み、作品の持ち味を生かしきるところにはまったく敬服させられる。

華麗な曲はそこそこ華麗に、内面的な曲は彫りの深い表現で、実に的確にショパンのプロポーションを余すところなく、再現し尽くしている。

なかでもマズルカ、ポロネーズといった民族的な舞曲に基づく作品の仕上がりは申し分ない。

これほどのレベルで「全集」が聴けるというのは、まさに音楽愛好家にとって、ショパン・ファンにとって福音である。

また、録音時期のためアナログ録音とデジタル録音が混在しているが、英デッカの素晴らしい録音技術のため、これもまったく問題とはならない。

清潔にして立派、そして格調も高く、これらのCDは現代ショパン演奏の最高水準を後世に伝える、20世紀の偉大な遺産であり、現代を代表するピアニストによる一大記念碑と言えるだろう。

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ショパンのワルツ集は名演が少なくないが、SP時代のコルトーと彼の弟子リパッティが、長年にわたって王座を争ってきた。

リパッティ盤はSACD化されてかなり音質が改善されたと言えるが、それでも古いという人には、録音の新しいルイサダの名演が聴けるのは実に幸せなことである。

もう最初の「第1番」から音楽をこの上なく雄弁に語りかけてやまない。

おしゃべりなショパンだが、センスがあってしゃれ切っており、頻出するルバートも古臭くなく、即興性満点、左右10本の指の魔術がいつ果てるともなく続き、この「第1番」だけで、聴く者は完全にルイサダの虜になってしまうだろう。

「第2番」「第3番」「第7番」いずれも最高だが、ことに「第10番」は音楽が100パーセントルイサダ自身のものになり切っており、聴いていて身につまされてしまう。

それにしても、なんという変幻自在な表現だろう!

「第14番」の冒頭も他のピアニストとは全然違う。

いったい何が始まったのか、と唖然とするほど不気味であり、これは本当にすごい演奏である。

ルイサダは他のピアニストに比べルバートをかなり多用しているが、それが薄っぺらな、説得力に欠けるものには決してならず、1つ1つが深い意味を持ち、雄弁に聴こえてくるところがすごい。

サロン的な軽妙洒脱さ、ピアニズムのきらめき、匂やかな繊細典雅さなどのなかで、ルイサダの演奏はショパンの原点に還ったというか、ショパンを発見したシューマンの「花の陰に隠された大砲」という言葉を思い出させる。

1曲1曲が目も綾な色とりどりの花をなし、これはダリヤ、これはスウィートピー、これはヤグルマソウと、花の色が鮮やかに浮かんでくるほどだ。

しかしこれらの花に顔を近づけると、花の香の背後に隠された野性の匂いがツンと鼻を刺してくる。

その勁さこそ彩りゆたかな花を咲かせるエキスをなしている。

花のあでやかさと、その芯にひそむ野性とは切っても切れない関係にある。

その核心にふれた演奏だ。

これだけセンス抜群の演奏も、やはり往年のリパッティ盤にはかなわないが、録音状態等も加味すると、ルイサダ盤を選択するのが妥当ではなかろうか。

そういえば、ルイサダのワルツに対する洞察はきわめて深く、以下、彼の言葉を引用しておこう。

「ショパンのワルツ集の第1曲は嬉しそうに始まるが、第2曲にはすでにノスタルジアの感触がしのびこんでくる。

このノスタルジアあるいはメランコリーは曲が進むにつれて目立ってくるが、いつもワルツというジャンルの表面的な華麗さという仮面をつけている。

しかも第3曲はもはやワルツというよりも秘められた悲しみの純粋な詩であり、第4曲以降はすべての曲に絶望の影を宿している。

第9曲と第14曲では、ショパンは仮面をかなぐり捨てて悲哀の中に突入してゆく。

前者では最初の主題が抑えた絶望の叫びとともに再現されるし、後者ではすべての希望が抹殺されて、奈落の底へまっさかさまに突進してゆくのである」

そんなルイサダの来日公演が間もなく始まるが、期待に胸をふくらませているところだ。

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2015年03月23日


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まさに、歴史的な超名演というのは本セットに収められたような演奏のことを言うのであろう。

世にショパン弾きとして名を馳せたピアニストは多数存在しているが、サンソン・フランソワほど個性的なピアニストは他に殆ど類例を見ないと言えるのではないだろうか。

フランソワの演奏は、自由奔放で躍動する精神が引き出し得た全く独創的なショパン演奏であり、一見、奇矯に見えるピアニズムは、今まで見えなかった形を曲に与えることになり、新鮮な驚きをもたらすのである。

いわゆる崩した弾き方とも言えるものであり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏とも言えるところであり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたと言えるが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

本盤に収められた楽曲においても、実に自由奔放な弾きぶりで、自らの感性のみを頼りにして、即興的とも評されるようなファンタジー溢れる個性的な演奏を行っている。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

したがって、このあくの強いアプローチに対しては、聴き手によっては抵抗を感ずる者もいることと思うが、少なくとも、テクニックのみを全面に打ち出した表層的な演奏よりは、よほど味わい深い演奏と言えるのではないだろうか。

もちろん、フランソワのテクニックが劣っていたというわけではなく、ショパンの難曲を弾きこなす技量は兼ね備えていたというのは当然の前提だ。

ただ、その技量を売りにするのではなく、楽曲の魅力を自らの感性のみを頼りにして、ストレートに表現しようという真摯な姿勢が、我々聴き手の深い感動を誘うのだと考える。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあると言えるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事であると言えるだろう。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れているところだ。

まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭ないことから、聴き手によっては、前述のようにそのあくの強さに抵抗を覚える者もいると思うが、フランソワの魔術にひとたびはまってしまうと、やみつきになってしまうような独特の魔力を湛えている。

それだけに強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

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2015年03月17日


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筆者は、本盤の演奏内容については、既に以下のようなレビューを投稿済みである。

「若き日のピリスによる素晴らしい名演だ。

ピリスは、ショパンのピアノ協奏曲第1番をクリヴィヌ&ヨーロッパ室内管弦楽団とともにスタジオ録音(1997年)、ピアノ協奏曲第2番をプレヴィン&ロイヤル・フィルとともにスタジオ録音(1992年)しており、それらはいずれも見事な名演として高く評価されるべきものであるが、本盤に収められた演奏も、それら後年の演奏にはない初々しさや清新さに満ち溢れた独特の魅力があると言えるのではないだろうか。

ピリスの本演奏におけるアプローチは、後年の演奏のように必ずしも楽曲の心眼に踏み込んでいくような彫りの深い表現を行っているわけではない。

むしろ、若さの成せる業とも言える側面も多分にあると思われるが、両曲の随所に聴かれる詩情に満ち溢れた美しい旋律の数々を、瑞々しささえ感じさせるような透明感溢れるタッチで美しく描き出していくというものである。

その演奏は純真無垢とさえ言えるものであり穢れなどはいささかもなく、あたかも純白のキャンバスに水彩画を描いていくような趣きさえ感じさせると言えるだろう。

もっとも、ピリスのピアノ演奏は、若き日の演奏と言えども、各旋律の表層をなぞっただけの美しさにとどまっているわけではない。

表面上は清澄なまでの繊細な美しさに満ち溢れてはいるが、その各旋律の端々からは、ショパンのピアノ曲において顕著な望郷の思い、人生における寂寥感のようなものが滲み出してきている。

加えて、どのような哀愁に満ちた旋律に差し掛かっても、いわゆるお涙頂戴の哀嘆調には陥ることなく、常に気品と格調の高さをいささかも失わないのが素晴らしい。

指揮者のジョルダンも、こうしたピリスのセンス溢れる見事なピアノ演奏を巧みに引き立てつつ、二流のオーケストラとも言うべきモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団をしっかりと統率して、好パフォーマンスを発揮しているものと評価したいと考える。

いずれにしても、本演奏は、若き日のピリスが、その前途洋々たる将来性を世に知らしめるのに貢献した素晴らしい名演として高く評価したい。」

そして、これだけの素晴らしい名演だけに、これまで高音質化が望まれてきたところであるが、長らくリマスタリングなども行われず、いささか残念な気がしていたところであったが、今般、SACD化がなされたというのは、演奏の素晴らしさからしても極めて意義が大きいと言えるだろう。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであると言えるところであり、とりわけ若き日のピリスによる瑞々しさを感じさせるピアノタッチが鮮明に再現されるとともに、ピアノ演奏とオーケストラ演奏が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的である。

いずれにしても、若き日のピリス、そしてジョルダン&モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団による素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年03月09日


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タイトルの名の通り、様々な曲集からいいとこ取りした、ルービンシュタインによるショパンの超有名曲をギッシリ詰め込んだ作品。

ルービンシュタインのショパンは、実にゆったりとした気持ちで音楽の素晴らしさ、美しさを味わうことができる。

もちろん、ここぞと言う時の打鍵の力強さにいささかも不足することはないが、聴き手に極度の緊張感を強いるような演奏方法ではない。

それでいて、生ぬるさとかとは一切無縁なのは、ルービンシュタインが、ショパンの本質を的確に捉えるとともに、大げさな言い方かもしれないが、血肉に至るまでショパンと同化しているからにほかならないと言えるのではないか。

ルービンシュタインは、あくまでも自然体で演奏しているのだろうが、それでいて、ショパンの魅力が聴き手にダイレクトに伝わってくるのだから、作曲者と演奏者のこれ以上の幸福な出会いというのはないだろう。

現代のハイテクピアニストたちにも真似できない美しく磨かれた音、豊穣に鳴りわたる華麗で充実した響き、不自然さがまったくない情感豊かなルパート、極めてオーソドックスなのに繰り返し聴いても飽きない解釈、目を見張る華やかなヴィルトゥオジティと同国人ならではの素朴な土臭さとの見事な融合、コントロールが行き届いているのに呼吸が大きく楽に広がっていくような開放感……、ルービンシュタインのピアノを聴くと、リラックスしつつも音楽の豊かさに自然とひきこまれる。

充足感と安心感、晴れ晴れとした爽快感、納得感、神経質にならない豊かな感情の機微、わびさびや誠実さ、魂胆を全く感じないエンターテイメント性と心にしみわたる楽しさに浸るばかりだ。

故・吉田秀和氏は「幸福のメッセンジャー」と評していたが、まさしくその通りと言えるだろう。

ショパンとポーランドという同じ故郷を共有するルービンシュタインの郷土愛・愛国心を感じ取れる演奏内容で、かつまた世界の人々が一度は耳にしている名曲が、巧みなタッチで弾かれている。

本盤には、ショパンの楽曲の中でも特に有名なものを収めているが、ワルツ第7番や夜想曲第8番のセンス満点の弾きぶりなど、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠の諦観の境地といった趣きである。

曲順に配慮が行き届いているため、ショパンの各カテゴリーの傑作を気楽に、バランス良く楽しめるし、ルービンシュタインの演奏特性からコンサートを聴いてるような華やいだ気分にもなれる。

まずは試しにルービンシュタインのショパンを聴いてみたい場合にはもってこいのCDであろう。

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2015年02月12日


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甘美で夢見るようなサロン風の趣を湛えた、映画に用いられて多くの人々の心を捉えた第2番、独特の旋律の美しさと、流麗でしっとりした深い情感を湛えた第5番、イギリスの作曲家ジョン・フィールドに影響されて作曲されたといわれる、旋律の美しさと深い情感を湛えた甘美で夢見るようなショパンの夜想曲集。

豊かな情緒性や詩的な趣が横溢する優美で詩的な作品を理想的に再現し、新たな息吹を注ぎ込んだマウリツィオ・ポリーニの演奏で楽しめる1枚。

1つ1つ熟考を重ねながら、その録音レパートリーを増やしているマウリツィオ・ポリーニが、ついにショパンの夜想曲を録音した。

そもそもショパンコンクールのときから彼は夜想曲を弾いているし、その後のライヴでも何度となく夜想曲から取り上げてきたので、そのこと自体はさほど驚くことではないかもしれない。

しかし、デビュー当時のポリーニの録音と比べると、さすがに大きな違いを感じる。

なんといっても多彩なアゴーギクを使い、色鮮やかに旋律を歌わせているという点は、ポリーニというピアニストにして、やはり新鮮に聴こえるのだ。

これは、もちろん夜想曲というショパンのハートの最も抒情的な面をあらわした作品群にアプローチするとき、決して避ける事ができないということもあるが、それ以上にポリーニ自身が歌っているという実感のあるアルバムであり、近年の録音の中でもまた少し違う感興を聴き手に与えるに違いない。

ショパンは甘いというのは、夜想曲を聴いてからのイメージだが、ポリーニは甘美なものに流されない、クールな感覚で演奏しており、甘く感傷的なショパンが苦手な方は必聴のアルバムである。

この演奏は、かつて従来CD(輸入盤)で聴いた際には、大した演奏ではないとの感想を持ち、長い間、CD棚の中で休眠状態に入っていたが、今般、SHM−CD盤が発売されるに当たり、あらためてもう一度聴き直すことにした。

SHM−CDとピアノ曲との抜群の相性もあり、従来CDでは、無機的にさえ感じられた、ポリーニの透明感溢れる切れ味鋭いタッチが、いい意味で柔らかい音質に変容した。

かつて、フルトヴェングラーは、トスカニーニのベートーヴェンを指して、「無慈悲までの透明さ」と言ったが、ポリーニの演奏するピアノ曲にも、同じような演奏傾向があると言えよう。

しかしながら、本盤の高音質化CDを聴いていると、それは録音のせいもあるのではないかと思えてくる。

それくらい、本SHM−CD盤に聴くポリーニのピアノには、血も涙もある情感の豊かさに満ち溢れている。

スタジオ録音でありながら、時折、ポリーニの歌声も聴こえるなど、ポリーニのショパンの夜想曲に対する深い理解と愛情をも感じさせられ、実に感動的だ。

ここには、かつて前奏曲やエチュードの録音において垣間見せられた機械じかけとも評すべき技術偏重の無機的なアプローチは微塵も感じられない。

その『硬質』の音でできた構築物の見事さに驚くばかりで、ポリーニもいよいよ円熟の境地に達したと言えるだろう。

やはりショパン演奏において、このピアニストの録音は目が離せないものであると納得させられたところであり、全てにおいてレベルが高いポリーニの演奏の中でも筆者としては3指に入る名演だと思う。

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2015年02月08日


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ショパン弾きとして第一線の活躍を続け、完成された技術はそのままに、ますます熟成を究める現代最高のピアニスト、マウリツィオ・ポリーニの再録音アルバム。

奇しくも、ショパン27〜29歳にかけて…つまりマリアとの恋愛に敗れた後、ジョルジュ・サンドらとマジョルカ島への旅行中に作曲された作品でまとめられている。

ポリーニの円熟を感じさせる素晴らしい名演で、若い頃からショパン弾きとして知られるポリーニの演奏に、若い頃の荒々しさがなくなり、ますます巨匠と呼ばれるにふさわしい円熟味を帯びてきた。

透徹したピアニズムはますます磨かれ、自然な呼吸のようにフレーズを自在に操り、作為を感じさせずに音楽の本質そのものが雄弁に語りかける近年の至芸は何人も到達しえない孤高の境地とも言えるだろう。

清冽な水に光がきらめき水底の小石が見えるように、澄みきった美しい音は曲の奥深くへと聴く者を誘う。

絶対音楽として昇華されたショパンの作品をそのままに演奏し、そこから熱い感情と豊かな詩情を引き出している。

共感と敬愛を込めて曲に向かうポリーニの音楽には、今、深みと広がりとともに自然な温もりが感じられる。

やはりポリーニにとって、ショパンは特別な作曲家なのだと思う。

というのも、ポリーニは、ショパン国際コンクールでの優勝後の一時的な充電期間を経て、楽壇復帰後、一度にではなく、それこそ少しずつショパンの様々なジャンルの作品を録音(演奏)し続けてきているからである。

本盤は、その中でも最新の録音であるが、特に、ピアノ・ソナタ第2番とバラード第2番の2曲の再録音を含んでいるのが特徴だ。

そして、この2曲の、過去の録音との演奏内容の差は著しい。

例えば、バラード第2番など、演奏時間においては特に顕著な差が見られないが、本盤の方が、よりゆったりとしたテンポで実にコクのある情感豊かな演奏を繰り広げている。

ピアノ・ソナタ第2番も、壮年期の勢いといった点では旧盤に一歩譲るものの、本盤においては、内容の掘り下げへの追求が一層深まったかのような意味のある音が支配的であるとともに、とても細やかなルバートも随所に聴かれ、これがとても効果的である。

1984年収録盤に比較すると“凄味”が影を潜めたものの、1音1音しっかりとかみしめながらのピアノの音色自体には、ますますの深みと輝きが加わっており、どっしりとした印象を受ける。

それ以外のカップリング曲では3つのワルツが名演。

近年のポリーニの演奏から予想されたとおり、しっかりとしたテクニックに裏打ちされた温かくも奥深い演奏に仕上がっており、“ショパンの練習曲集”や“ペトルーシュカ”など、ポリーニをデビュー以来追い続けてきたファンの期待を裏切らないしっかりと地に足が着いたお洒落で知的な“大人のワルツ”が堪能できる。

例えば、ルイサダのような瀟洒な味わいは薬にもしたくないが、ここでは、ポリーニ特有の研ぎ澄まされた透明感のあるタッチが、ショパンの寂寥感を一層際立たせることに成功している。

スマートな演奏のため何度聴いても飽きることが無く、是非ともワルツ全集を録音してほしいと期待してしまう。

稀代のヴィルトゥオーゾが近年、どんな『気持ち』なのかを感じられる素晴らしいアルバムで、“人間ポリーニ”の最近の健在ぶりを改めて知ることができる1枚である。

SHM−CD化によって、ポリーニの透徹したタッチがより鮮明に味わうことができる点も大いに喜びたい。

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2015年02月07日


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ポリーニにはショパンへのこだわりがある。

1960年、弱冠18歳にして第6回ショパンコンクールを満場一致で完全制覇し その時、審査委員長を務めていたアルトゥール・ルービンシュタインが彼を評して、「技術的には 私たちの誰よりも上手い」と絶賛したのは有名な逸話だ。

そして彼の全レパートリーを見ても自ら価値のあるものと認めたものしか演奏していない。

この24の前奏曲でも、1曲1曲がミニアチュール的捨てがたい美しさを持ち、全体でショパン音楽のパノラマともなっているこの愛すべきこの曲集を、ポリーニは実に鮮やかに弾いている。

本演奏を評価するか、それとも評価しないのかで、ポリーニに対する見方が大きく変わってくることになると思われる。

確かに、本演奏で顕著な超絶的な技量は素晴らしく、まことに繊細華麗、そして多様な気分を的確につかんでいる。

おそらくは、古今東西のピアニストの中でも、前奏曲を最高に巧く弾いたピアニストということになるとも言える。

あくまでも緻密、どこまでも繊細なショパンを聴かせており、速いパッセージでも崩れることなく1音1音の輪郭をちゃんと見せてくれるのは流石としかいいようがない。

しかしながら、本盤のようなSHM−CD盤ではなく、従来CDで聴くと、ピアノの硬質な音と相俟って、実に機械的な演奏に聴こえてしまうのだ。

まるで、機械仕掛けのオルゴールのようなイメージだ。

ところが、ピアノ曲との相性が抜群の本SHM−CD盤で聴くと、印象がかなり異なってくる。

音質が、いい意味で柔らかくなったことにより、少なくとも、無機的な音が皆無になったのが素晴らしい。

必ずしも、楽曲の内面を追求した深みのある演奏とは言い難いが、それでも、随所に細やかな表情づけを行っていることがよく理解できるところであり、名演との評価は難しいものの、個性があまりないという意味では、同曲への入門用のCDとして最適の演奏には仕上がっていると言えるのではないか。

もっとも、このような評価は、プロのピアニストにとって、芳しいものではないことは自明の理である。

本盤は、今から35年以上も前の録音であり、近年、夜想曲集などで名演を成し遂げているポリーニのこと、既に、24の前奏曲の再録音を果たし、本盤とは次元の異なる名演を成し遂げた。

ポリーニのショパン:24の前奏曲(新盤)

それは、1音1音磨きぬかれた美しい音、感情のみに流されること無く、それをきちんとコントロールする理性、24曲を通しての構築力などを兼ね備えた、ポリーニというピアニストが持つ美点が、最大限に発揮されたアルバムが誕生したのである。

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2015年01月24日


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〈葬送行進曲〉を第3楽章に据えた詩情溢れる第2番、豊かな情感と幻想に満ちた第3番。

いずれもショパン芸術の頂点を築くこの2曲のソナタは、ピアノ曲に革命的ともいえる新しい表現をもたらした天才ショパンが円熟期に書いた傑作。

ポリーニの演奏はこの革新的な作品に新たな息吹を注ぎ込んだもので、完璧な打鍵による磨き抜かれた音によって優美で詩的な作品を理想的に表現している。

ポリーニにとってショパンは特別な作曲家と言えるだろう。

ショパン国際コンクールでの優勝の後、一時表舞台から離れた後、ショパンの様々なジャンルの楽曲を、今日に至るまで、それこそ少しずつ録音をし続けてきているからである。

ポリーニのショパンは定評があるが、なかでもこのソナタ集では、落ち着きのある中にも、内に情熱を秘めた熱い演奏を聴かせてくれる。

極めてシャープで大きな表現をもつ演奏だが、磨きぬかれた技巧と、芳醇にして繊細なタッチが生みだす響きは限りなく魅力的である。

本盤は、1984年の録音で、今から30年近く前の録音だ。

特に、本盤に収められたピアノ・ソナタ第2番は、本盤から20年以上も経った2008年にも再録音しており、本盤のポリーニのアプローチは、現在の円熟のポリーニとはかなり異なるものである。

エチュードや前奏曲などにおいて、技術偏重の無機的なピアノタッチをかなり厳しく批判する声もあったが、本盤でのポリーニにおいては、少なくともそうした無機的な音は皆無であるように思う。

楽曲の内面への踏み込みといった点からすれば、特に、ピアノ・ソナタ第2番の後年の録音に比べると、いささか弱い点もあろうかとも思うが、それでも、ポリーニの、ショパンの両傑作への深い愛着と理解が十分に伝わってくる血も涙もある名演に仕上がっている。

ポリーニ特有の硬質な音は、勿論フォルテッシモの部分で非常に味わいやすいのだが、一方、弱音部でも鋼のような音の「芯」を感じることができる。

そういう「芯」がしっかりしているが故に本当に明晰な印象の演奏なのだけれど、一方でイタリア人的なノリの良さがフォルティッシモの打鍵から零れ落ちるようなところも感じられる点が、本演奏の面白さだと思う。

正確な技巧の裏返しとして「機械的」という表現で評されることが多い人が、敢えてこの表現を「人間技を越えた」という意味で肯定的に捉えて本作品を評するなら、同じ「機械」でも情緒表現を完璧に兼ね備えた「究極のサイボーグ」による演奏のような印象を受けるのである(後年になると、流石のポリーニも柔らかくなっていく訳なのだが)。

SHM−CD化によって、音質は相当に鮮明になっており、壮年期のポリーニの名演を高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年01月22日


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聴き終えた後の爽快感はポリーニが一番と言えるものの、ポリーニのショパンは評価が難しい。

確かに、初期の録音のような機械じかけの演奏はそもそも論外であるが、それ以外のいかなるCDにおいても、その技量は完璧であり、楽曲の内面への掘り下げはイマイチなものの、随所に巧みな表情づけを行っていることもあって、聴き終えた直後は、爽快な気分になり、これは名演ではないのかと思ってしまうのだ。

ところが、残念なことであるが、一部のCDを除いては、すぐにどういう演奏であったのか忘れてしまうのが事実なのだ。

例えば、同じスケルツォの全集を録音したポゴレリチなどと比較するとよくわかる。

ポゴレリチ盤は、聴く際にも凄い集中力を要求されるだけに、聴き終えた直後は、もう一度聴きたいとは思わないし、一度聴いただけで満腹になってしまうのである。

しかしながら、しばらく時間が経つと、もう一度聴きたくなり、そして、その強烈な個性が頭にこびりついて離れない。

ところが、ポリーニのスケルツォは、聴き終えた後の疲れはないが、しばらく経つと、どういう演奏だったのかすぐに忘れてしまう。

それ故に、もう一度聴きたいとは思わないから、CD棚の埃の中に埋もれていく。

要するに、確かな個性がないということであり、ポリーニは、卓越した技量をベースにして、透明感溢れる切れ味鋭いタッチが持ち味であるが、どうしても技術偏重の蒸留水のような没個性的な演奏に陥ってしまいがちである。

さすがに、2000年代に入って、ショパンであれば夜想曲や、バッハの平均律クラヴィーア曲集など、深みのある名演も出てきたが、それ以前の演奏では、そうした欠点が諸に出てしまう演奏が散見された。

バラードも、1999年の録音ではあるが、やはり、そうした欠点が出てしまった演奏と言える。

ただ、ピアノ曲との相性が良いSHM−CD化によって、ピアノの音質に硬さがなくなったのはプラスに働いているが、それでも、演奏全体の欠陥を補うには至らなかったのは大変残念だ。

もちろん、悪い演奏ではない。

例えば、バラードという曲は、こういう曲ですというのを、初心者に聴かせるには最適のCDと言えるが、クラシック音楽を聴き込んでいる人が、繰り返して聴くに耐える演奏とは到底言い難い。

これらの楽曲を初めて聴くには最適のCDと言えるが、スケルツォやバラードの本質を味わおうとするのであれば、やはり、他の個性的な内容のある演奏を聴くべきである。

こうした演奏評価は、一流のピアニストにとってははなはだ不本意なことであるが、本盤は、今から10年以上も前の録音。

最近では、ポリーニも円熟の境地に達していて、例えば、ショパンで言うと、前奏曲集などの名演も成し遂げてきており、仮に、本盤の各楽曲を再録音すれば、次元の異なる名演を成し遂げることができるのではないか。

本盤の各楽曲は、いずれも有名曲だけに、大いに期待したい。

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2015年01月09日


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これは1980年のショパン・コンクールで前代未聞の大胆な解釈で物議を醸し、衝撃的なデビューを飾ったイーヴォ・ポゴレリチの途轍もない超名演だ。

ショパンの前奏曲には、本盤の前には、オーソドックスなルービンシュタインの名演や、フランス風のエスプリを織り交ぜた個性的なフランソワなど、名演が目白押しであり、そうした並みいる名演の中で、存在感を示すのは、並大抵の演奏では困難であった。

ところが、このポゴレリチ盤は、海千山千の難敵を見事に打ち破ってくれた。

ポゴレリチのショパンは、見事にショパンの情念をピアノ音楽として徹底的に生み出すことに成功している。

それは、彼の激しいエモーションが原動力となって可能となっているのである。

それにしても、何という個性的で独特な解釈なのだろう。

唖然とするようなテクニックにも圧倒されるが、一部の人が高く評価するポリーニのように、機械じかけとも評すべき無機的な演奏には決して陥っていない。

深い瞑想から何かを得て紡がれたような音楽が奏でられていて、どの曲をとっても、切れば血が吹き出てくるような力強い生命力に満ち溢れている。

24の前奏曲は、サロン的な優雅で心地よいショパンとは根本的に違うのだと改めて感じさせられる。

また、各楽曲の弾き分けは極端とも言えるぐらいの緩急自在の表現を示しており、例えば、「雨だれ」として有名な第15番と、強靭な打鍵で疾走する第16番の強烈な対比。

それが終わると、今度は第17番で、再び深沈たる味わい深さを表現するといったようなところだ。

ポゴレリチの凄さは、これだけ自由奔放とも言える解釈を示しながら、決してあざとさを感じさせないということだろう。

それは、ポゴレリチが、ショパンの前奏曲の本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

鮮烈な解釈といい、肺腑を抉るような痛切な抒情といい、このピアニストは尋常ではない。

楽譜を片手に細かいところに目を通せば、異端と言われるようなところもあるかもしれないが、異端児というよりは、真摯に作曲家とその作品に向き合った1人の芸術家なのではないだろうか。

天才の色褪せぬ名盤であり、今後、このポゴレリチ盤を超える名演は果たして現れるのだろうか。

彼の後に続くピアニストにとっても、本盤は相当な難問を提示したと言えるだろう。

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2015年01月05日


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ショパンの超有名曲を中心にカップリングされた好企画CDであるが、いずれもメジューエワの特徴が表れた素晴らしい名演だ。

メジューエワは、本盤に収められた諸曲の大半を、既に録音しているが、本盤は、そうした既録音を抜粋したものではない。

いずれも、本CDのために新たに録音したものであるのがミソなのである。

既CDとの違いは、ボーナストラックとして収められた3曲を除いて、表面上はさほど感じられないが、ショパンの名だたる楽曲を録音した上での録音だけに、ここには、いつものメジューエワ以上に、自信と風格に満ち溢れた音楽である。

それにしても、メジューエワのショパンには、どうして、このように堂々たる風格が備わっているのであろうか。

メジューエワの、1音たりとも揺るがせにしない丁寧とも言えるピアニズムがそうさせているとも言えるが、筆者としては、それだけではなく、ショパンへの深い愛着と理解があるのではないかと考えている。

本盤の大半は、いわゆる有名曲であるが、こうした風格があり、なおかつ深みのある音楽は、通俗名曲集などといった次元をはるかに超えた高みに達している。

きわめて自然な息遣いをもってショパンならではの「詩情」と「憂愁」を情感豊かに表出する、しなやかで強靭なピアニズム、ここに「ショパンの魂を語り継ぐ真のショパン弾き」メジューエワの真価がある。

作品に込められた内的葛藤と、日々の心象風景を見事に描き切り、ショパンにとって極めて大切な各々特有のリズムを、闊達な躍動感と万感胸に迫るような哀感を携えて織り上げるのである。

それは作品が誕生してから経過した200年近くの時空を打ち消し、その作品が今生まれたばかりのような新鮮さと情熱、そして生き生きとした生命力をもって我々の前に示してくれるのである。

イリーナ・メジューエワこそ、ショパンの魂を後世に語り継ぐ真のショパン弾きである。

筆者が特に感動したのは「幻想即興曲」。

これほど崩して弾いているのに、全体の造型がいささかも崩れることがないのは、殆ど驚異ですらある。

ボーナストラックの3曲は、メジューエワのライヴ録音を記録した貴重なもので、特に、「黒鍵」の千変万化のピアニズムには大いに酔いしれた。

24bit+96kHz Digital録音も、鮮明で素晴らしい。

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素晴らしい名演だ。

2006年のスケルツォ全集を皮切りとして、ショパンの様々な楽曲の録音に取り組んできたメジューエワが、ピアノ・ソナタ第3番に引き続いて、ピアノ・ソナタ第2番を録音することになった。

これは、絶えざる深化を遂げ続ける俊英ピアニストが真摯に作品と向き合い、作品の深奥にひそむ作曲家の声にひたすら耳を傾けることによってのみ可能となった迫真の芸術表現であり、まさに気宇壮大といった表現が相応しいスケール雄大な名演だ。

それにしても何という堂々たる風格溢れるピアニズムであろうか。

メジューエワのピアニズムの特徴として、ショパンがスコアに記した音符を1音たりとも蔑ろにしない丁寧さがあるが、このピアノ・ソナタでも、決して音楽の流れが停滞することはない。

実に優美に、なおかつ自然に流れるのだが、その仰ぎ見るような威容は、威風堂々と言った表現が符合する。

第3楽章のショパンの精神の深淵を覗き込むような深みのある表現も凄いの一言であるし、終楽章の、他のピアニストならば、曖昧模糊な表現になってしまいがちの音楽も、メジューエワならではのアプローチで、旋律線を極力くっきりと描き出しているのが素晴らしい。

併録の小品もいずれ劣らぬ名演であるが、とりわけ、冒頭の華麗なる大円舞曲が超名演。

ここには、ピアノ・ソナタと同様の壮大なスケール感とともに、女流ピアニストならではの繊細な詩情、そして、大輪のひまわりのような華麗さが備わっている。

ワルツや即興曲での得も言われぬ優美な情感と、ポロネーズやソナタでの強靭なタッチの驚くべきコントラスト。

その香り立つ気品、限りない郷愁と憧憬は、まさに恐るべき音楽的感興を湛えたショパンと言えよう。

一層の深みとスケールを獲得したその演奏は、もはや堂々たる風格すら漂わせていると言っても過言ではあるまい。

2010年3月、4月、新川文化ホール(富山県魚津市)に於ける録音も鮮明であり、素晴らしいの一言。

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2015年01月02日


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メジューエワが満を持して臨んだショパンのピアノ・ソナタである。

メジューエワは、数年前からショパンに集中的に取り組んできたが、これまでの録音はいずれも小品。

そのいずれもが驚くべき名演であったが、それ故に、ピアノ・ソナタの録音への期待が大いに高まっていた。

本盤は、そうした期待を裏切ることがない素晴らしい名演である。

この後に録音されたピアノ・ソナタ第2番ともども、メジューエワが、ショパンの大作にも見事な名演を成し遂げることを立派に証明することになった。

それにしても、何という風格のある音楽であろうか。

ショパンのピアノ・ソナタ第3番は、もともとスケールの大きい音楽であるが、メジューエワも、そうした楽曲の特色を十分に踏まえた実に気宇壮大な名演を成し遂げたと言える。

1音たりとも揺るがせにしないアプローチはいつもながらであり、その強靭な打鍵と、繊細な詩情のマッチングも見事である。

同じロシアのピアニスト、エデルマンの名演が先般発売され、筆者も、当該演奏を最高の名演と評価したが、メジューエワの演奏も、エデルマンの名演に肉薄する至高の名演と評価しても良いのではないかと考える。

併録の小品もいずれも名演であるが、特に、幻想曲が、いかにもメジューエワならではのスケール雄大な超名演。

このディスクには、ショパンの真実が詰まっているのみならず、イリーナ・メジューエワという稀代のピアニストによる、ひとつの芸術の極致が示されている。

まさに「全身全霊を込めた」という表現が相応しい、風格さえ漂わせるスケールの大きな演奏は、ロシア最高のショパン弾きでもあったゲンリヒ・ネイガウスの教えがその弟子たち(T. グートマン→V. トロップ)を経てメジューエワに脈々と受け継がれていることを見事に証明している。

ロシア・ピアニズムの伝統の重みを感じさせる1枚、「ショパン弾き」としてのメジューエワの面目躍如たるアルバムである。

2010年3月、4月、新川文化ホール(富山県魚津市)の於ける録音であるが、音質も鮮明で素晴らしい。

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メジューエワのショパンは、いずれも素晴らしい名演揃いであるが、このプレリュード集も素晴らしい。

何よりも、このプレリュード集では、その表現力の幅広さを思い知らされた。

メジューエワのアプローチは、ゆったりとしたテンポにより、旋律線を明晰に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなもの。

ただ、メジューエワの場合は、抒情にかまけた曖昧さはいささかもなく、ショパンがスコアに記した音符の1つ1つをいささかも蔑ろにすることがない。

それ故に、メジューエワのショパンには、威風堂々たる立派な風格が備わることになる。

それでいて、音楽は実に優美に流れ、ショパン演奏に不可欠の繊細な詩情にもいささかの不足もない。

これは、ショパン演奏に必要な要素をすべて兼ね備えているということであるが、そうした上で、曲想がめまぐるしく変化するプレリュード集を、巧みに弾き分けているのだ。

演奏が悪かろうはすがないではないか。

卓越した技量も素晴らしいが、メジューエワの場合は、あくまでもショパンの楽曲の魅力を表現することが大事であるという基本姿勢であり、卓越した技量だけが目立つなどということがないのはさすがである。

有名な第15番などにおいて、とても若手のピアニストとは思えないような深みのある表現を行うなど、メジューエワのスコアリーディングの鋭さ、ショパンへの深い理解も大いに感じさせられるのも素晴らしい。

磨き抜かれたタッチの美しさや繊細極まりない感受性、躍動に満ちた生命力は言うに及ばず、エモーショナルな激情と深々とした沈潜は限りないコントラストを生み出しながらショパン特有のイマジネーションを膨らませてくれる。

どちらかというと淡々とした歩みの中に、計り知れないロマンティシズムとファンタジーが余すところなく語り尽くされており、ときには濃密な詩情やしなやかな官能にむせ返るほどでもある。

そして何よりメジューエワは弁証法的唯物論のごとく、ショパン音楽の核心を見事なまでに描いて比類ない。

19世紀から続くショパン演奏の伝統の重みを感じさせながらも、新鮮な感性が随所に光る秀演で、「ショパン弾き」としてのメジューエワの面目躍如たるアルバムとも言えよう。

2009年10月14〜15日、新川文化ホール(富山県魚津市)に於ける録音も鮮明で文句なし。

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2015年01月01日


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メジューエワのショパンは実に素晴らしい。

2006年のスケルツォ以降、ショパンを集中的に録音しているが、いずれ劣らぬ名演と高く評価したい。

そんな「ショパン弾き」としての実力が高く評価されているメジューエワが、いよいよ満を持して「エチュード集」に挑戦した。

優れたテクニックと豊かな音色のパレットを駆使したその演奏は、現代的なセンスに溢れると同時に何かしら古雅な味わいも併せ持つという極めてユニークなもので、ショパン演奏の伝統に新たなページが開かれたことを予感させるアルバムの誕生とも言えよう。

メジューエワのタッチは実に堂々としてしかも宝石にように輝いている。

ショパンが記したスコアのすべての音符を1音たりとも蔑にしないアプローチは、メジューエワのショパンに威風堂々たる風格を与えているが、それでいて、音楽の流れはごく自然に流れ、女流ピアニストならではの繊細な詩情にいささかの不足もない。

要は、我々聴き手がショパン演奏に望むすべての要素を兼ね備えているということであり、彼女の年齢を考える時、これはまさに驚異的と言えるだろう。

本盤のエチュード、冒頭の第1曲からして、大輪のひまわりのような華のある珠玉の音楽が展開される。

第3曲の別れの曲の、後ろ髪を引かれるような絶妙な弾き方も見事であるし、第5曲の黒鍵の、1音1音が生き物のように息づいている生命力溢れる演奏は圧巻の迫力。

第12曲の革命の超絶的な技巧には完全にノックアウトされるし、作品25の第10番以降の諸曲の幾分陰影の濃い、それでいて詩情溢れる美演は、筆舌には尽くしがたい素晴らしさだ。

メジューエワの弾く芳醇な抒情と切ないほどの哀しみが神韻縹渺たるショパンの真実を伝えている。

メジューエワは、エチュードそれぞれの課題を充分に把握し、その上で計り知れない情感を湧き上がらせている。

滑舌の良いひとつひとつの音はそれ自体で生命力を有し、自然なフレージングや淀みない音楽的流れは作品の持つ濃密な小宇宙を最大限に引き出しているのだ。

メジューエワは、まだまだ若いが、今後の前途洋々たる豊かな将来性を感じさせる1枚と言える。

2009年7月&9月、新川文化ホール(富山県魚津市)に於ける96kHzハイ・サンプリング+ワンポイント録音も鮮明かつナチュラルなサウンドで実に素晴らしい。

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2014年12月31日


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究極の高音質SACDの登場だ。

70歳になり、名実ともに現代を代表する巨匠ピアニストとなったポリーニであるが、ポリーニの評価については現在でも二分する状況にある。

これには、とある影響力の大きい某音楽評論家がポリーニの演奏を事あるごとに酷評し続けていることに起因しているものと思われる。

確かに、ポリーニの壮年期の演奏の一部には、某音楽評論家が指摘しているように、いささか技術偏重に堕した内容が伴わない演奏が垣間見られたのは事実である。

しかしながら、他のピアニストの追随を許さないような名演も数多く成し遂げてきたところであり、ポリーニの演奏をすべて否定してしまうという某音楽評論家の偏向的な批評には賛同しかねるところだ。

そして本演奏は、世評があまりにも高いせいか、数々の高音質化への取組がなされてきた。

SHM−CD盤、ルビジウムカッティング盤、そしてマルチチャンネル付きのSACD盤など、様々な種類の高音質化CDがあるが、今般のSHM−CD仕様のシングルレイヤーSACDは、これまでの高音質化CDとは一線を画する次元が異なる究極の高音質CDと高く評価したい。

ピアノの音が、硬質ではなく、どこまでもソフトに響くのが見事であり、これだけ音質がいいと、演奏自体の評価も随分と違ったものにならざるを得ない。

本演奏は、世評は非常に高いのであるが、筆者としては、感情移入が全く見られない機械じかけの無機的な音質が、ショパンの詩情をスポイルしてしまっているのでないかと思っており、あまり高い評価をしていなかったというのが正直なところである。

しかしながら、今般の高音質CDを聴くと、ポリーニのピアノタッチが決して機械仕掛けの無機的なものではなく、非常にコクのある内容豊かな印象を受けた。

力強い打鍵から、繊細な抒情に至るまで、表現の起伏の激しい、血も涙もある演奏を行っており、本演奏に対して、筆者がこれまで抱いていた悪感情は完全に吹き飛んでしまったのである。

もちろん、ポリーニの卓越した技量を味わうことができる点においては何ら変わりがないところであるが、SACD化によって、これまで技術偏重とも思われていたポリーニの演奏が、随所に細やかな表情づけやニュアンスが込められるなど、実に内容豊かな演奏を行っていることが理解できるところだ。

本演奏を機械仕掛けの演奏として酷評してきた聴き手にとっても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化された本盤を聴くと、本演奏の評価を改める人も多いと言えるのではないだろうか。

それにしても、音質によってこれだけ演奏の印象が変わるというのは殆ど驚異的とも言うべきであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

筆者としては、本演奏は、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって漸くその真価のベールを脱いだ圧倒的な超名演と高く評価したい。

それだけ、本CDの音質は素晴らしいものであり、ポリーニの他のCDも、同様の仕様で高音質化すれば、随分と評価が変わってくるのではないかと思った次第だ。

いずれにしても、ポリーニによる圧倒的な超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月29日


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メジューエワのショパン・アルバムとしては通算4枚目となる今作は、《幻想ポロネーズ》と《英雄ポロネーズ》をメインに晩年の傑作マズルカ(作品59)や初期の隠れた名曲「ロンド(作品16)」などを配した好プログラムである。

伝統に裏打ちされた深い読みと共感がかくも深遠なるショパンを生み出した凄い名演だ。

そもそも本CDに収録された楽曲の組み合わせが素晴らしい。

ポロネーズ、マズルカ、ワルツ、前奏曲、エチュードといった、ショパンの主要な作品からの抜粋を中心としたカップリングであるが、必ずしも有名曲だけを組み合わせているわけではない。

単なる人気取りの有名曲集に陥っていない点は、メジューエワのショパンへの深い拘りと理解の賜物であると考える。

メジューエワらしい繊細かつ大胆なタッチ、薫り高い詩情、堅牢な造型、堂々たるスケール感などの魅力に溢れた秀演。

五感を研ぎ澄ませてこのアルバムに収められた音楽を聴いて欲しい。

ショパン→ミクリ→ミハウォスキ→ゲンリヒ・ネイガウス→テオドール・グートマン→トロップ→メジューエワ。

ショパンから数えて7代目の弟子となるメジューエワの元で今、ショパンの血統が脈々と息づいていることにきっと気付かれるに違いない。

ライナーノーツの解説には、メジューエワを「思考するピアニスト」と評していたが、これはなかなかの至言である。

メジューエワは、ショパンがスコアに記した音符の1つ1つを丁寧に、そして風格豊かに弾き抜いて行く。

この1音たりとも蔑にしないアプローチは、ショパンの各曲の旋律線を実にくっきりと明瞭に描き出すことに大きく貢献する。

こうした堂々たるピアニズムについては、ある意味では、「思考するピアニスト」との見方もあり得るのではないかと思うからである。

ただ、重要なのは、メジューエワは、理屈が先に立つピアニストではないという点だ。

音楽は実に優美に流れるし、女流ピアニストならではの繊細な詩情においてもいささかの不足もない。

要は、非常に幅の広い表現力を身につけているということである。

このような素晴らしい大芸術家が、我が国を拠点に活動しているというのは何という幸せであろうか。

明晰な論理と深い情感を持って献身的に作品と対峙するその姿は、新しい時代のショパン弾きとして、そしてロシア・ピアニズムの名門ネイガウス流派の継承者の1人として面目躍如たるものがあると言えよう。

2008年5月14〜16日、新川文化ホール(富山県魚津市)に於ける録音も鮮明で文句なし。

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ここ数年の充実した演奏・録音活動が着実な評価を得ているロシアのピアニスト、イリーナ・メジューエワの威風堂々たる素晴らしい名演だ。

ゲンリヒ・ネイガウス→テオドール・グートマン→ウラジーミル・トロップ→そしてメジューエワと受け継がれてきたロシア・ピアニズムならではの繊細霊妙なタッチが生み出す馥郁たる詩情。

虚飾を排し、ひたすら作品の本質に迫る真摯な精神性に貫かれた強靭なピアニズムは、作品そのものの魅力を存分に引き出すことに成功している。

スケルツォ全集のレビューにも記したが、メジューエワは、ショパンがスコアに記した音符のすべてを、1音たりとも蔑にせず、完璧に弾き抜いている。

要は、メジューエワのショパンには曖昧模糊なところが全くない。

それ故に、旋律線が実にくっきりと明瞭に描き出されることになる。

だからと言って、音楽の流れが損なわれることはなく、陰影の乏しい演奏ということにもなっていない。

それどころか、メジューエワの卓越した表現力が、こうしたピアニズムを見事にカバーし、女流ピアニストならではの繊細な詩情も相俟って、珠玉の芸術に仕立て上げるという途轍もない、離れ業とも言うべき至芸を示している。

このような風格のある堂々たるショパンは、他にもあまり類例を見ないものであるが、メジューエワは、まさに、21世紀の新しいショパン像を確立したとさえ言えるだろう。

メジューエワは間の取り方とその空間への音のしのばせ方が本当に絶妙で、特にバラードに対しては最高の効果を発揮している。

この巧さは現役ピアニストでは随一と言えるところであり、彼女は技巧を前面に出すタイプではないのだが、これらは寸分の狂いもないタッチと完璧なペダルコントロールがあって初めてなせる業であり、圧倒的な表現の深さを支えているのは、こうした超高等テクニックなのだと改めて感心した次第である。

このような素晴らしいピアニストが、我が国を拠点として活動していることに感慨を覚える。

収められた楽曲はいずれ劣らぬ名演揃いであるが、特に、感動したのは舟歌で、メジューエワは、この曲の切ないほどの哀しみ、希望と不安、絶望と憧憬を歌っている。

この陰影のはっきりした楽曲は、前述のようなメジューエワのアプローチに見事に符合する作品であり、おそらくは、同曲の過去の様々な名演の中でもトップの座を争う名演と高く評価したい。

録音は、2006年6月22〜23日、新川文化ホール(富山県魚津市)に於けるもので、音質も鮮明で実に素晴らしい。

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本盤は、メジューエワ一連のショパンの録音の中では最も古い録音であるが、メジューエワのショパンへのアプローチは基本的に後の録音と変わることはなく、深みとスケールのある、聴けば聴く程に凄い、実に聴き応えのする素晴らしい名演だ。

このアルバムは、ショパンのスケルツォがどんなにスケールの大きい作品であるかを改めて教えてくれる。

メジューエワは、ショパンがスコアに記したすべての音符を1音たりとも蔑にせず、1音1音を丁寧に、そして確信を持って弾き抜いている。

メジューエワは、その鮮やかな音色と大胆なアゴーギクによってリズムやフレーズを屹立させ、作品の細部に至るまで性格を明確にしていくのだ。

それ故に、旋律線が実にくっきりと明瞭に描き出されることになる。

こうしたアプローチは、音楽の流れを損なってしまう危険性もあるのだが、メジューエワの場合、そのようなことは全くなく、音楽も実に美しく自然に流れるのである。

まさに、風格のある堂々たるピアニズムであるが、それでいて、女流ピアニストならではの繊細な詩情にもいささかの不足がない。

要は、我々聴き手がショパン演奏に望むすべての要素を兼ね備えた驚くべき名演ということができよう。

聴き手の魂を揺さぶり、完全燃焼するメジューエワ渾身の演奏は、聴き手を強く作品世界に巻き込んでいくに違いない。

本盤に収められたスケルツォ、そして即興曲や夜想曲のいずれも名演であるが、スケルツォの収録順を番号順にせず、有名な第2番を冒頭においた点においても、メジューエワの同曲への拘りと深い理解を感じさせる。

巧みに配された即興曲と夜想曲はくつろぎのひとときだ。

やはりメジューエワは、「21世紀最高の女流ピアニスト」との呼び声も高いだけあって、そんじょそこらのピアニストとは一線を画す桁違いの実力を持っていると言わざるを得ない。

打鍵の正確さ、自然なルバート、歌い回しの巧さも、どれをとっても超一級品で、特に歌い回しに関しては、決してわざとらしくなく人の感情を大いに揺さぶりかけてくるものがあり、その巧さはルービンシュタインすら上回っていると言えるかもしれない。

2002年11月26〜27日、富山県魚津市新川文化ホールに於ける録音であるが、音質も申し分のない鮮明さだ。

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2014年12月28日


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メジューエワの演奏を今回初めて聴いたが、これは実に素晴らしい名演だ。

何が素晴らしいかというと、様々な点を掲げることができるが、いい意味で女流ピアニスト離れした堂々たるピアニズムを披露している点を先ずは掲げたい。

冒頭の嬰ハ短調からして、他のピアニストとはまるで異なる。

とにかく、旋律線が実に明瞭でくっきりとしている。

この遺作となる同曲には、抒情的、内省的な演奏を心がけるあまり、曖昧模糊とした演奏が多い中で、メジューエワの確固たる造型の構築力が際立つ。

要は、メジューエワは、ショパンのノクターンに対して、ベートーヴェンのピアノ・ソナタなどと同様のアプローチを心がけているのだ。

これは、作品9以下のすべての楽曲にも言えるところであり、いずれの楽曲も、堂々たるピアニズム、1音1音をゆるがせにしない確固たる造型美によって、風格のある偉大な芸術作品の構築に成功したと言える。

ノクターンを陳腐なサロン音楽などと蔑視する一部の見解をあざ笑うかのような快挙と言える。

前述のように、これは女流ピアニスト離れした至芸とも言えるが、それでいて、ショパン特有の繊細な抒情においてもいささかも不足はなく、こうした点は、まさに女流ピアニストならではのアドバンテージと言えるだろう。

ショパン作品の演奏に相応しい繊細さと優美さ、そして強靭さとスケールの大きさを兼ね備えつつ、作品55-2や作品62など後期作品におけるむせ返るような濃密なロマン性と得も言われぬ儚さの表出も聴きどころのひとつ。

磨き抜かれた精妙なタッチと移ろいゆく色彩、確固たる造型と芳醇な情熱が、「この世のものならぬ絶美のショパン」を生み出している。

冒頭と最後に、遺作となる嬰ハ短調とハ短調のノクターンを配しているのも、メジューエワのノクターンへの深い拘りと愛着を感じさせる。

いずれにしても、本盤のノクターンは、堂々たる風格溢れるピアニズム、卓越した技量に裏打ちされた力強い打鍵、厳しく構築された造型、そして、ショパンの心の深淵を追求するかの如き深みのある繊細な抒情など、我々聴き手が望むすべての要素を兼ね備えた驚くべき名演と高く評価したい。

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2014年12月23日


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本盤には即興曲全曲を軸として、舟歌や子守歌、ボレロ、新練習曲、タランテラ、そしてアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズなどが収められているが、いずれもルービンシュタインならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

古今東西の数多くのピアニストの中でも、ショパン弾きとして名を馳せた者は数多く存在しているが、その中でも最も安心してその演奏を味わうことができるのは、ルービンシュタインを置いて他にはいないのではないだろうか。

というのも、他のピアニストだと、古くはコルトーにしても、ホロヴィッツにしても、フランソワにしても、演奏自体は素晴らしい名演ではあるが、ショパンの楽曲の魅力よりもピアニストの個性を感じてしまうからである。

もちろん、そのように断言したからと言って、ルービンシュタインが没個性的などと言うつもりは毛頭ない。

ルービンシュタインにも、卓越したテクニックをベースとしつつ、豊かな音楽性や大家としての風格などが備わっており、そのスケールの雄渾さにおいては、他のピアニストの追随を許さないものがあると言えるだろう。

そして、ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、ショパンと同じポーランド人であるということやショパンへの深い愛着に起因すると考えられるが、ルービンシュタイン自身がショパンと同化していると言えるのではないだろうか。

ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているような趣きがあるとさえ言える。

何か特別な個性を発揮したり解釈を施さなくても、ごく自然にピアノを弾くだけで立派なショパンの音楽の名演に繋がると言えるところであり、ここにルービンシュタインの演奏の魅力がある。

本盤に収められた即興曲全曲や舟歌、子守歌、ボレロ、新練習曲、タランテラ、そしてアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズなどについても、そうしたルービンシュタインならではの情感豊かでスケール雄大な名演だ。

もちろん、これらの楽曲には、様々な個性的な名演が多く存在してはいるが、楽曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、本盤の演奏の右に出る演奏は皆無であると言えるのではないだろうか。

また、演奏全体を貫いている格調の高さは比類がなく、これぞまさしく大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。

これだけの素晴らしい名演であるだけに、高音質化への不断の取組が行われてきたところであるが、今般発売されたBlu-spec-CD2盤は、これまでで最も良好な音質である。

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2014年12月09日


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本盤には、稀代のショパン弾きでもあったルービンシュタインによるショパンのワルツ集が収められているが、素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

古今東西の数多くのピアニストの中でも、ショパン弾きとして名を馳せた奏者は数多く存在しているが、その中でも最も安心してその演奏を味わうことができるのは、ルービンシュタインを置いて他にはいないのではないだろうか。

というのも、他のピアニストだと、古くはコルトーにしても、ホロヴィッツにしても、フランソワにしても、演奏自体は素晴らしい名演ではあるが、ショパンの楽曲の魅力よりもピアニストの個性を感じてしまうからである。

もちろん、そのように断言したからと言って、ルービンシュタインが没個性的などと言うつもりは毛頭ない。

ルービンシュタインにも、卓越したテクニックをベースとしつつ、豊かな音楽性や大家としての風格などが備わっており、そのスケールの雄渾さにおいては、他のピアニストの追随を許さないものがあると言えるだろう。

そして、ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、ショパンと同じポーランド人であるということやショパンへの深い愛着に起因すると考えられるが、ルービンシュタイン自身がショパンと同化していると言えるのではないだろうか。

ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているような趣きがあるとさえ言える。

何か特別な個性を発揮したり解釈を施さなくても、ごく自然にピアノを弾くだけで立派なショパンの音楽の名演に繋がると言えるところであり、ここにルービンシュタインの演奏の魅力がある。

本盤に収められたワルツ集についても、そうしたルービンシュタインならではの情感豊かでスケール雄大な名演だ。

ショパンのワルツ集については、古くはコルトーによる超個性的な演奏(1934年スタジオ録音)、薄幸のピアニストであるリパッティの生涯最後の壮絶な演奏(1950年スタジオ録音)、フランス風の瀟洒な味わいに満ち溢れたルイサダによる演奏(1990年スタジオ録音)など、多種多様な名演が目白押しであるが、ショパンのワルツ集という楽曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、本演奏の右に出る演奏は皆無であると言えるのではないだろうか。

また、演奏全体を貫いている格調の高さは比類がなく、これぞまさしく大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。

これだけの名演であるだけに、高音質化への不断の取組が行われてきたところであるが、今般発売されたBlu-spec-CD盤は、これまでで最も良好な音質である。

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2014年09月03日


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若くして不治の病でこの世を去らなければならなかった悲劇のピアニストであるディヌ・リパッティであるが、その最大の遺産とも言うべき至高の名演こそは、本盤に収められたショパンのワルツ集であると考えられるところだ。

モノラル録音という音質面でのハンディがあることから、近年ではルイサダなどによる名演の方にどうしても惹かれてしまうところであるが、それでもたまに本盤の演奏を耳にすると、途轍もない感動を覚えるところだ。

それは、リパッティの演奏に、ショパンのピアノ曲演奏に必要不可欠の豊かな詩情や独特の洒落た味わいが満ち溢れているからであると言えるところであるが、それだけでなく、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているからである。

いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる本演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。

いずれにしても、リパッティによるかかる命がけの渾身の名演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な底知れぬ迫力を有していると言えるところだ。

ワルツ集を番号順に並べて演奏するのではなく、独自の視点に立ってその順番を入れ変えて演奏している点にも、リパッティのショパンのワルツ集に対する深い拘りと愛着を感じることが可能だ。

いずれにしても、リパッティによる本ワルツ集の演奏は、あまた存在している様々なピアニストによるショパンのワルツ集の演奏の中でも、別格の深みを湛えた至高の超名演と高く評価したい。

もっとも、リパッティによるショパンのワルツ集の演奏は、演奏自体は圧倒的に素晴らしいと言えるが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、前述のように鮮明さにいささか欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

リパッティのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、リパッティによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年08月29日


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若くして不治の病でこの世を去らなければならなかった悲劇のピアニストであるディヌ・リパッティであるが、本盤に収められた演奏は、死の2か月前にブザンソンにおいて重い病をおして敢行した歴史的なコンサートの貴重な記録である。

演奏はまさに凄いという他はない。

本演奏は、リパッティによる遺言とも言うべき精神の音楽と言っても過言ではあるまい。

どの曲もリパッティが得意とした楽曲で占められているだけに、至高の超名演と評価すべきであるが、特に、メインであるショパンのワルツ集に注目したい。

リパッティの不朽の名演との評価がなされているのは、同じく1950年にスタジオ録音したワルツ集であるというのは論を待たないところだ。

当該演奏は、モノラル録音という音質面でのハンディがあることから、近年ではルイサダなどによる名演の方にどうしても惹かれてしまうところであるが、それでもたまに当該演奏を耳にすると、途轍もない感動を覚えるところだ。

それは、リパッティの演奏に、ショパンのピアノ曲演奏に必要不可欠の豊かな詩情や独特の洒落た味わいが満ち溢れているからであると言えるところであるが、それだけでなく、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているからである。

いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる当該演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。

これに対して、本盤の演奏は、基本的なアプローチ自体は変わりがないものの、当該演奏よりも更に底知れぬ深みを湛えていると言えるところであり、加えて演奏にかける命がけの渾身の情熱の凄さは、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言えるだろう。

コンサートの最後に予定されていたワルツ第2番の演奏を果たすことが出来なかったのは大変残念ではあるが、それだけに、それ以外の楽曲に対してすべての体力や精神力を使い果たしたとも言えるところであり、そうしたリパッティのピアニストとしての、芸術家としての真摯な姿勢には、ただただ首を垂れるのみである。

いずれにしても、本盤の演奏は、薄幸の天才ピアニストであるリパッティが、その短い人生の最後に到達し得た至高至純の清澄な境地を大いに感じさせる超名演と高く評価したい。

もっとも、リパッティによる本演奏は、演奏自体は圧倒的に素晴らしいのだが、モノラル録音というハンディもあって、従来CD盤の音質は、いささか鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

リパッティのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、リパッティによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年07月21日


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若き日のピリスによる素晴らしい名演だ。

ピリスは、ショパンのピアノ協奏曲第1番をクリヴィヌ&ヨーロッパ室内管弦楽団とともにスタジオ録音(1997年)、ピアノ協奏曲第2番をプレヴィン&ロイヤル・フィルとともにスタジオ録音(1992年)しており、それらはいずれも見事な名演として高く評価されるべきものであるが、本盤に収められた演奏も、それら後年の演奏にはない初々しさや清新さに満ち溢れた独特の魅力があると言えるのではないだろうか。

ピリスの本演奏におけるアプローチは、後年の演奏のように必ずしも楽曲の心眼に踏み込んでいくような彫りの深い表現を行っているわけではない。

むしろ、若さの成せる業とも言える側面も多分にあると思われるが、両曲の随所に聴かれる詩情に満ち溢れた美しい旋律の数々を、瑞々しささえ感じさせるような透明感溢れるタッチで美しく描き出していくというものである。

その演奏は純真無垢とさえ言えるものであり穢れなどはいささかもなく、あたかも純白のキャンバスに水彩画を描いていくような趣きさえ感じさせると言えるだろう。

もっとも、ピリスのピアノ演奏は、若き日の演奏と言えども、各旋律の表層をなぞっただけの美しさにとどまっているわけではない。

表面上は清澄なまでの繊細な美しさに満ち溢れてはいるが、その各旋律の端々からは、ショパンのピアノ曲において顕著な望郷の思い、人生における寂寥感のようなものが滲み出してきている。

加えて、どのような哀愁に満ちた旋律に差し掛かっても、いわゆるお涙頂戴の哀嘆調には陥ることなく、常に気品と格調の高さをいささかも失わないのが素晴らしい。

指揮者のジョルダンも、こうしたピリスのセンス溢れる見事なピアノ演奏を巧みに引き立てつつ、二流のオーケストラとも言うべきモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団をしっかりと統率して、好パフォーマンスを発揮しているものと評価したい。

なお、当盤は、先般SACD化されて好評のようであるが、この従来盤でも十分鑑賞に耐え得る音質と言えるところである。

いずれにしても、本演奏は、若き日のピリスが、その前途洋々たる将来性を世に知らしめるのに貢献した素晴らしい名演として高く評価したい。

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2014年07月10日


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ルービンシュタインというピアニストはレパートリーが比較的広く、必ずしもショパンのスペシャリストを志していたのではなかった。

ただ筆者個人にとっては、ルービンシュタインを聴くということは、まずもって彼のショパンを聴くということであった。

非常に長い演奏活動をやってのけたルービンシュタインは、録音でもさまざまなショパンを残したが、そのうち筆者が最も惹かれるのは、1930年代のそれである。

現在から離れて仰ぎ見るから一層偉大に見え、憧れがより強くなるのかも知れないが、それはそれとして筆者が1930年代のルービンシュタインのショパンにこだわるのは、この時代の緊張した雰囲気(1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻により第2次世界大戦が勃発。ルービンシュタインの祖国、そしてショパンの祖国でもあるポーランドは、ドイツとソ連に分割され、再び地図上から消えてしまった)を、ルービンシュタインが大なり小なり受け止め、それを演奏に反映させていたと考えるからに他ならない。

このように1930年代のショパンの録音は、ポーランド出身のユダヤ人の当時の心境をよく表しているのではないか。

祖国を離れて外国で演奏するというのは、ショパンが置かれていたシチュエーションに非常によく似ている。

つまりルービンシュタインがその一員であったユダヤ系ポーランド人、及びポーランド共和国を取り巻いていた険悪な政治状況が、1930年代に壮年期であったルービンシュタインの演奏・録音に、心理的に投影されていると考えるのである。

この時期の演奏・録音からうかがえるように、ルービンシュタインはショパンを晩年のそれよりも、はるかに躍動的に表現していた。

洗練された都会的な手法でショパンが自作の中に封じ込めておいた激情や憂愁が、いかにも即興的に、といっても巧妙なる計算がなされているに違いないのだが、そうした計算を聴き手に少しも気付かせることなく再現される。

テンポ・ルバートを活用して、ロマンティックというのか、それともポーランド風というのか、そんなショパンの世界が微に入り細に分け入って表出される。

それは、まことにニュアンスに富んだショパンであり、かつ動的なショパンであった。

ショパンの感情の揺れが手に取るように再現されており、ショパン弾きとしてのルービンシュタインの才能に脱帽せざるを得ない。

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2014年07月05日


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キューバ生まれのピアニスト、ホルヘ・ボレットは、その独特な雰囲気のある演奏で、現在でも、特に玄人筋に人気の高いピアニストの1人である。

フィラデルフィアのカーティス音楽院でゴドフスキーとサパートンに師事し、驚異的な技術を身につけた。

当時から超絶技巧ピアニストとして知られ、とりわけ師であるゴドフスキーの「こうもりパラフレーズ」では高い評価を受けている。

また、指揮者としても活躍し、ギルバート&サリヴァンの「ミカド」の日本初演で指揮をしていることでも知られている。

そんなボレットの真骨頂がリストと、このショパンの演奏であろう。

このピアノ協奏曲におけるデュトワとの共演盤は超名演として知られるもので、19世紀から連なるロマンティックなボレットの解釈と、それを包み込むデュトワ&モントリオール響のふくよかな響きを堪能できる。

ピアノ協奏曲第1番でボレットは冒頭から少しも構えず、力まず、速いテンポで飄々と弾き始める。

彼の手にかかると同じ主題でも表情が微妙に変化し、そのロマンティシズムが心を打つ。

フィナーレの即興性も比類ない。

ピアノ協奏曲第2番も同様だがいっそう個性的だ。

第2楽章は完熟の音楽であり、第3楽章の力みのない名人芸は筆舌に尽くし難い。

注目すべきはデュトワの協奏曲指揮者としての才能で、並みでない手腕だ。

そんなボレット、2枚目のバラードを中心とした小品集では、さらに個性的な演奏を披露している。

リスト弾きとして本領を発揮してきたボレットによるショパンには、実に不思議な魅力がある。

これほど人間臭さのない美しく清浄なショパンも珍しい。

それは決して非人間的ということではなく、彼の演奏は4曲のバラードにしても舟歌や幻想曲にしても、実に豊かでこまやかな表現に満ちている。

6曲を通じて淡々とした、しかも覚めた孤独感が一貫して流れ、ボレットはその中で緩急自在だ。

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「24の前奏曲」は実に素晴らしい名演で、ボレット特有の煌びやかな音色がショパンのプレリュードと完全に融合している。

洗練されたピアノ技法と多彩な曲想で評価の高いこの作品を、ボレットは、ヴェテランらしいゆとりに満ちた表情と美しいタッチで、詩情豊かに曲の本質を再現している。

「24の前奏曲」をボレットは、いわば八分の力で弾き進める。

それはこの小曲集をいかに弾くかを心底心得た演奏であり、格段大きな身ぶりはないが、1曲1曲の演奏からは詩情がにじみ出る。

その響きはあくまでもクリアーだが、それぞれの音が呼吸しているのが感じられる、そんな演奏である。

それぞれの曲は心憎いほどの間で次々と受け渡されていき、聴き手は1巻の絵巻物を見てるような境地へ誘われる。

悲しみを秘めた曲では、その悲しみをより深く心に響かせる。

もちろん、明るい曲では、その明るさをより強く輝かしく聴かせてくれる。

そして全体をひとつの大きな流れとして捉え、その中で各曲のキャラクターを鮮明に描き出した、語り巧者なものと言えよう。

ボレットはピアノという楽器を信頼して、その機能を最大限に発揮させようとする、ピアノ音楽好きを満足させるスタイルである。

1974年のライヴよりも数段円熟した味わいになっていて、ボレットが残した最良のディスクの1つと言えるものである。

前進するだけでなく、一歩一歩踏みしめながら、かつ流麗でロマンティックな表現に事欠かない演奏を聴かせるボレットの晩年に到達した境地が味わえる。

フランソワとは全然別の意味で粋な演奏と言えるのではないだろうか。

大家らしいスケール大きな表現で、名人気質を存分に発揮した華麗な演奏と言うべきである。

このディスクには、「24の前奏曲」のほかにノクターンが4曲収録されているが、このノクターンも上品で、限りなく美しい。

ひとつひとつの音が心に響いてきて、深い感動を与えてくれる。

特に、高度なテクニックを備えてなければ弾きこなすことが出来ないと言われている第8番が素晴らしい。

美しい音色を追求し続けたボレットにしか表現できない世界が堪能できる1枚だ。

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2014年06月21日


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LP発売当時「これ以上何をお望みですか」と、かの吉田秀和氏に言わしめた1枚。

完璧!! その一言に尽きる演奏で、こんな凄いエチュードがあるのかと思った。

とある影響力の大きい某音楽評論家とその周辺の者たちによってポリーニの演奏を冷たいとか無内容などと評されているが、その批判は見当違いである。

全くケチの付け所のない最高の演奏であり、単にミスもない、完璧な表現に対し嫌悪しているだけだと勘繰りたくなる。

ポリーニ(1972年収録当時30歳で彼の収録活動初期にあたる)は実に確かなテクニックで客観的にさりとて機械的でなく各曲のタッチにメリハリをつけて弾き進めている。

ポーランドの資質とはニュアンスは当然異なるが、ショパンの情熱を些か鋭く冷たくたぎらせた最高の名演だと評したい。

確かなテクニックをベースに、センチメンタリズムを排し和声の構造を明快に解きほぐす知的なスタイルは、ショパン演奏史にも一石を投じたものだ。

内声部を浮き彫りにした情報量の多いきらびやかな響きとなって聴こえてくるが、圧倒的な輝きだ。

1960年にショパンコンクールに優勝したときのライヴやEMI録音の協奏曲第1番を聴くと、すでにスタイルは完成しているが、ここまで透徹した理性は貫かれていない。

だが、1970年代初めDGに移籍してからは、こうしたクールなスタイルを武器にこのエチュードをはじめ、「ペトルーシュカの3楽章」やシューマンの幻想曲やソナタ、シューベルトの「さすらい人幻想曲」と数々のヒットを飛ばし、独自の世界を築いている。

ポリフォニックな面白さはポリーニには全くないが、この測ったようにキッチリと並べられた音符の洪水の前には、ただただ唖然とするしかない。

客観的・クールなショパンエチュードの金字塔的作品。

ロルティやジュジアーノによる名盤が登場して本CDが若干過去のものになりつつあるかもしれないが、所持しておいてまず損はしないCDだ。

1960年から68年のブランクには、ポリーニは演奏活動を縮小し、ミラノ大学に進学し物理学を学んでいた。

一度音楽から離れ数理の世界を探求したことがプラスに作用したのだろう。

だが、今の若い演奏家はそうした充電が許されなくなっているのだろうか、テクニックはポリーニを超えても、30代〜40代で独自の透徹した境地を貫くところまで育っていけるのか心配なところである。

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2014年03月23日


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ポリーニの円熟を感じさせる素晴らしい名演だ。

本盤に収められているショパンのピアノ曲は、筆者の記憶が正しければ、4つのマズルカを除けば、ポリーニにとって2度目の録音ということになる。

メインの前奏曲集については、ポリーニの名声を確固たるものとした1974年のスタジオ録音以来、約35年ぶりの再録音。

2つの夜想曲は、2005年の全曲録音以来6年ぶりの再録音。

スケルツォ第2番は、1990年の全集の録音以来、約20年ぶりの再録音。

マズルカ集については、本盤に収められた諸曲は初録音であるが、第22〜25番を2年前に録音しており、マズルカ集の録音としてはそれ以来となる。

とりわけ、録音の間隔が空いたメインの前奏曲集については演奏内容の差が歴然としており、本盤の演奏内容の素晴らしさ、見事さは圧倒的であると言えるだろう。

前回の1974年の演奏は、少なくとも技量においては凄まじいものがあった。

研ぎ澄まされた透明感溢れるピアノタッチという表現が当てはまるほどであり、古今東西のピアニストによる前奏曲集の演奏の中でも巧さにおいては群を抜いた存在であるとも言えた。

ただ、音質がやや硬質でもあったリマスタリングやSHM−CD化がなされていない従来CD盤で聴くと、ピアノの硬質な音と相俟って、機械的な演奏に聴こえてしまうきらいがあり、聴きようによっては、あたかも機械仕掛けのオルゴールのようなイメージもしたところである。

ところが、本演奏は、そのような問題はいささかも感じられない。

超絶的な技量においては、老いても綻んでいるとことは殆どないと言えるが、何よりも、演奏全体にある種の懐の深さを感じさせるのが素晴らしい。

スコア・リーディングの深みも大いに増しているとも思われるところであり、細部におけるニュアンスの豊かさ、心の込め方には、尋常ならざるものがある。

このような含蓄のある演奏を聴いていると、今やポリーニは真に偉大なピアニストになったと評しても過言ではあるまい。

次いで、スケルツォ第2番が素晴らしい。

前回の演奏では、ほぼ同時期に録音されたポゴレリチの演奏が衝撃的であったせいか、今一つ喰い足りないものを感じさせたが、今般の演奏は、それを補って余りあるほどの偉大な演奏に仕上がっている。

卓越した技量を披露しつつも、彫りの深さ、内容の濃さにおいては近年のピアニストを寄せ付けないだけの高み達しており、おそらくは現代のピアニストによる同曲の演奏の中でも最高峰の名演と評しても過言ではあるまい。

他の併録曲もいずれも素晴らしい名演であり、本盤こそは、ポリーニの円熟と充実ぶりを大いに感じさせる名アルバムと高く評価したい。

音質は、ピアノ曲との相性が抜群のSHM−CDであり、本盤の価値をより一層高めることに大きく貢献していることも忘れてはならない。

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2014年03月01日


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同時発売の第1番ほどではないが、本盤に収められたショパンのピアノ協奏曲第2番の演奏も、今後とも長く語り継がれていくべき素晴らしい超名演だ。

世にショパン弾きと称されたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものではないだろうか。

いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事であると言えるだろう。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

本盤に収められたショパンのピアノ協奏曲第2番の演奏においても、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

ルイ・フレモーも、二流の存在とも言うべきモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団を巧みに統率するとともに、フランソワの個性的なピアニズムを見事に引き立てるのに成功している点を評価したい。

併録の2台のピアノのためのロンドは、個性的なフランソワのピアノ演奏にピエール・バルビゼが見事な合わせ方をしており、2人のピアニストの息が合った見事な名演奏と高く評価したい。

音質については、1965年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたリマスタリング盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、フランソワの奔放にしてセンス満点のピアノタッチが鮮明に聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、フランソワ、ピエール・バルビゼ、そしてルイ・フレモー&モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団による素晴らしい超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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まさに、歴史的な超名演というのは本盤に収められたような演奏のことを言うのであろう。

世にショパン弾きと称されたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものではないだろうか。

いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

本盤に収められたショパンのピアノ協奏曲第1番の演奏においても、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

ルイ・フレモーも、二流の存在とも言うべきモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団を巧みに統率するとともに、フランソワの個性的なピアニズムを見事に引き立てるのに成功している点を評価したい。

音質については、1965年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたリマスタリング盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、フランソワの奔放にしてセンス満点のピアノタッチが鮮明に聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、フランソワ、そしてルイ・フレモー&モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団による素晴らしい歴史的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年02月27日


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ショパンは、ホロヴィッツが特に得意としたレパートリーのひとつだが、ジャンルにまとまった彼のショパン・アルバムは少ない。

このアルバムは、1949年から1957年までの録音から7曲を集めたモノーラル盤であり、ホロヴィッツ全盛期のショパンが味わえる。

彼の弾くショパンはあまりにも雄大で壮大、柔軟な表情付けとバリバリの男らしさを併せ持った独特な演奏は、当時の批評家の耳を翻弄したことは間違いない。

音質を含めて安定感にはやや欠けるが、独特の華麗なタッチと鋭いリズム感に、大胆な語り口を交えて進む彼のショパンは、実にドラマティックに展開する。

特に「ソナタ第2番」での驚くようなテンポ設定も聴きどころ。

「バラード第4番」「スケルツォ第1番」はスリルに満ち、聴き手の感覚に強烈に迫る魅力がある。

ショパンのピアノ音楽から即興的な妙味を引き出し、ホロヴィッツならではの世界を築いている。

注目は貴重な音源として知られている1949年録音の「バラード第4番」。

ホロヴィッツは発売を認めなかったが、何かのミスで市場に出てしまい瞬く間に消え去ったレコード。

その後EMI系からはLP、CD共に一度も復刻された事がなく、おそらくはこれが初復刻。

これのみスクラッチノイズが多いが、その他は実にクリアな音で再生されている。

よくも初期盤LPからこれだけの音を掘り起こすものだといつも感心させられる。

しかしここまでくるとイコライジング等、多少の人工臭…みたいなものも感じるが、そんな勘ぐりを起こさせるほど鮮烈な再生音である。

ファンには良し悪しを超えた価値を持つ1枚。

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2014年02月20日


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様々な意見はあろうかとも思うが、アルゲリッチこそは史上最高の女流ピアニストと言えるのではないだろうか。

かつてのリリー・クラウスやクララ・ハスキル、近年では、ピリスや内田光子、メジューエワ、グリモー、アリスなど、綺羅星のごとく輝く女流ピアニストが数々の名演を遺してはいるが、それでもアルゲリッチの王座を脅かす存在はいまだ存在していないのではないかと考えられる。

昨年5月末に発売されたオリヴィエ・ベラミー著の「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」によると、アルゲリッチは日本、そして日本人を特別に愛してくれているということであり、我が国において数々のコンサートを開催するのみならず、別府音楽祭を創設するなど様々な活動を行っているところだ。

アルゲリッチには、今後も様々な名演を少しでも多く成し遂げて欲しいと思っている聴き手は筆者だけではあるまい。

本盤には、アルゲリッチが1960年代にスタジオ録音したショパンの有名曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演だ。

いずれの演奏においても、ショパン国際コンクールの覇者として、当時めきめきと頭角をあらわしつつあったアルゲリッチによる圧倒的なピアニズムを堪能することが可能である。

アルゲリッチのショパンは、いわゆる「ピアノの詩人」と称されたショパン的な演奏とは言えないのかもしれない。

持ち前の卓越した技量をベースとして、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでの桁外れの表現力の幅広さを駆使しつつ、変幻自在のテンポ設定やアッチェレランドなどを織り交ぜて、自由奔放で即興的とも言うべき豪演を展開している。

ある意味では、ドラマティックな演奏ということができるところであり、他のショパンの演奏とは一味もふた味もその性格を大きく異にしているとも言えるが、それでいて各フレーズの端々からは豊かな情感が溢れ出しているところであり、必ずしも激情一辺倒の演奏に陥っていない点に留意しておく必要がある。

そして、アルゲリッチのピアノ演奏が素晴らしいのは、これだけ自由奔放な演奏を展開しても、いささかも格調の高さを失うことがなく、気高い芸術性を保持しているということであり、とかく感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥りがちなショパン演奏に、ある種の革新的な新風を吹き込んだのではないだろうか。

そのような意味において、本盤の演奏は、今から40年以上も前の録音であるにもかかわらず、現在においてもなお清新さをいささかも失っていないと評価したい。

音質については、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたこともあって、従来盤でも十分に良好な音質であったが、今般発売されたシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでとは次元の異なる圧倒的な高音質に生まれ変わった。

いずれにしても、アルゲリッチによる清新な超名演を、現在望み得る最高の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年02月09日


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夜想曲集の名演を成し遂げたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものではないだろうか。

いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

本盤に収められた夜想曲集も、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

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2014年01月10日


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かつて発売されていた「ショパンの旅路」からエチュード集を抜粋し、SACD化したものであるが、演奏内容、音質ともに高水準のCDと高く評価したい。

2010年は、ショパンの生誕200年ということもあって、数々の新録音が発売されるとともに、既発売CDの再発売も数多く行われた。

その秋には、ポリーニのSHM−CD盤も発売されたようである。

それだけに、ショパンの数々の演奏を聴き比べる環境が整った恵まれた1年であったのではないか。

筆者も、予算とのにらみ合いの中で、できるだけ数多くのCDを拝聴してきたが、本盤の高橋のエチュード集も、それらの数多くのCDの中でも、十分に存在感を発揮しているように思う。

エチュード集は、単なる練習曲ではなく、弾きこなすには相当な技量が必要であるが、高橋の演奏は、技術偏重の演奏ではない。

もちろん、ショパン国際コンクール入賞者ならではの技量はベースにあるのだが、むしろ内容重視。

どの曲をとっても、高橋の同曲にかける愛情と、女流ピアニストならではの繊細さに満ち溢れており、それでいて、一本芯の透った、何者にも揺るがされることにない力強さが漲っている。

いい意味でバランスの取れた名演と言えるのではないだろうか。

SACD化による高音質も、本盤の価値を大いに高めることに貢献している。

ちなみに彼女はかなりのブロガーでもあり、高橋多佳子の「!」な毎日というブログで近況などを綴っている。

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2014年01月03日


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古今東西の数多くのピアニストの中でも、ショパン弾きとして名を馳せた者は数多く存在しているが、その中でも最も安心してその演奏を味わうことができるのは、ルービンシュタインを置いて他にはいないのではないだろうか。

というのも、他のピアニストだと、古くはコルトーにしても、ホロヴィッツにしても、フランソワにしても、演奏自体は素晴らしい名演ではあるが、ショパンの楽曲の魅力よりもピアニストの個性を感じてしまうからである。

もちろん、そのように断言したからと言って、ルービンシュタインが没個性的などと言うつもりは毛頭ない。

ルービンシュタインにも、卓越したテクニックをベースとしつつ、豊かな音楽性や大家としての風格などが備わっており、そのスケールの雄渾さにおいては、他のピアニストの追随を許さないものがあると言えるだろう。

そして、ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、ショパンと同じポーランド人であるということやショパンへの深い愛着に起因すると考えられるが、ルービンシュタイン自身がショパンと同化していると言えるのではないだろうか。

ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているような趣きがあるとさえ言える。

何か特別な個性を発揮したり解釈を施さなくても、ごく自然にピアノを弾くだけで立派なショパンの音楽の名演に繋がると言えるところであり、ここにルービンシュタインの演奏の魅力がある。

本盤に収められたスケルツォについても、そうしたルービンシュタインならではの情感豊かでスケール雄大な名演だ。

ショパンのスケルツォの名演としては、近年ではポゴレリチによる楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みのある超名演(1995年)があるが、本演奏もその奥行きの深さにおいていささかも引けを取っていない。

そして、ショパンのスケルツォという楽曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、本演奏の右に出る演奏は皆無である。

また、演奏全体を貫いている格調の高さは比類がなく、これぞまさしく大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。

なお、本盤で何よりも素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質だ。

本演奏は今から約50年以上も前のスタジオ録音であるが、とてもそうとは思えないような鮮明な高音質を誇っている。

既に発売されているSACDハイブリッド盤よりも、更に高音質と言えるのではないだろうか。

いずれにしても、ルービンシュタインによる至高の超名演を、XRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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ルービンシュタインのショパンは、どの演奏も実に素晴らしい。

本盤に収められたピアノ・ソナタ第2番及び第3番もその例外ではなく、いずれも至高の超名演と高く評価したい。

ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、私見ではあるが、ルービンシュタインがショパンに成り切っている(ショパンの化身と化している)からと言えるのではないだろうか。

同郷の作曲家という側面もあるとは思うが、ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているかのような趣きがある。

例えば、バーンスタインとマーラーの関係と同様であり、バーンスタインのマーラーが何故にあれほどの名演であり、人を惹きつけるのかと言えば、バーンスタインがマーラーの化身と化しているような演奏を行っているからにほかならない。

本演奏におけるルービンシュタインのピアノも、何か特別なことをしているようには思えない。

おそらくは、誠実にショパンの音楽に向き合っているだけであり、楽想を真摯に弾き抜いているに過ぎないのではないかと考えられる。

にもかかわらず、すべての音には奥深い情感がこもっているとともに、ショパンの絶望感に満ちた心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さもごく自然に描出されている。

あたかも、ルービンシュタインがショパンの化身と化してピアノを弾いているかのようであり、これぞ作曲者と演奏家の幸福な出会いと評価すべきである。

ルービンシュタインによるショパンの楽曲の演奏は、他のどのピアニストによる演奏よりも安心して聴けるというのは、このような点に起因していると考えられるところであり、ここには、例えば何某かの個性的な解釈を施している他のピアニストによるショパン演奏などとは大きく次元が異なる大人(たいじん)の至芸があると言えるだろう。

録音は1961年のスタジオ録音であり、今から約50年も前のものであるが、今般のXRCD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

ルービンシュタインの至高のピアノ演奏を、XRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年12月28日


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途轍もなく素晴らしい超名演だ。超名演の前に超をいくつかつけてもいいのかもしれない。

河村尚子による2枚目のアルバムということであるが、録音に慎重な彼女であればこその久々のアルバムの登場であり、まさに満を持してと言った言葉が見事に当てはまると言っても過言ではあるまい。

本盤には、ショパンの最高傑作とも称されるピアノ・ソナタ第3番と、シューマンのフモレスケ、そしてシューマン=リストの「献呈」が収められているが、出来不出来に差はなく、いずれ劣らぬ至高の超名演に仕上がっていると言えるところだ。

河村尚子は、既に約2年前にもショパンの夜想曲集を録音しているが、本盤のピアノ・ソナタ第3番の演奏においては、さらにその芸風が深化していると言えるだろう。

何よりも、河村尚子のピアノタッチが実に美しい。

一つ一つの音が宝石のように煌めいているとも言えるところであり、それは女流ピアニストならではの美質とも言えるが、河村尚子の場合には一部の女流ピアニストにありがちな線の細さは微塵も感じさせず、一本の芯が通ったような力強さを感じさせるのが素晴らしい。

もっとも、いわゆる武骨さとは無縁であり、どこをとっても格調の高い優美さを失わないのが河村尚子のピアニズムの偉大さと言えるだろう。

ピアノ・ソナタの演奏に必要不可欠な全体の造型も堅固であり、とかく旋律の美しさに傾斜した焦点の甘い演奏とは一線を画しているのも本演奏の大きな強みである。

また、心の込め方にも尋常ならざるものがあると思うが、陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、どこをとっても前述のような格調の高さを失うことなく、演奏全体が常に高踏的な美しさに貫かれているのが見事であると言えるところだ。

このような素晴らしい超名演を聴いていると、河村尚子にはピアノ・ソナタ第2番や他のショパンのピアノ作品の演奏を聴きたいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

他方、シューマンのフモレスケも素晴らしい名演だ。

シューマンのピアノ曲の演奏はなかなかに難しく、楽曲の持つファンタジーの飛翔のようなものをいかに的確に表現するのかが問われている。

そして、フモレスケの場合は、シューマンの移ろいゆく心情の変化が散りばめられているだけに、さらに演奏のハードルが高い難曲と言えるが、河村尚子は、持ち前の卓越した表現力を駆使して、作品の持つファンタジックな要素を含有するとともに、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを湛えた見事な名演奏を展開していると評価したい。

シューマン=リストの「献呈」は、演奏されること自体が珍しい作品であるが、ここでも河村尚子は、格調の高さを有した見事な名演を成し遂げている。

そして、何と言っても素晴らしいのはSACDによる極上の高音質録音である。

ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を生かした録音は素晴らしいという他はない。

そして、河村尚子のピアノタッチが鮮明に再現されるのはSACDの潜在能力の高さの証左と言えるところであり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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