ショパン
2014年03月01日
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同時発売の第1番ほどではないが、本盤に収められたショパンのピアノ協奏曲第2番の演奏も、今後とも長く語り継がれていくべき素晴らしい超名演だ。
世にショパン弾きと称されたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものではないだろうか。
いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。
それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。
フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。
テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。
各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事であると言えるだろう。
また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。
本盤に収められたショパンのピアノ協奏曲第2番の演奏においても、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。
ルイ・フレモーも、二流の存在とも言うべきモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団を巧みに統率するとともに、フランソワの個性的なピアニズムを見事に引き立てるのに成功している点を評価したい。
併録の2台のピアノのためのロンドは、個性的なフランソワのピアノ演奏にピエール・バルビゼが見事な合わせ方をしており、2人のピアニストの息が合った見事な名演奏と高く評価したい。
音質については、1965年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたリマスタリング盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。
しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。
音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。
とりわけ、フランソワの奔放にしてセンス満点のピアノタッチが鮮明に聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。
いずれにしても、フランソワ、ピエール・バルビゼ、そしてルイ・フレモー&モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団による素晴らしい超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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まさに、歴史的な超名演というのは本盤に収められたような演奏のことを言うのであろう。
世にショパン弾きと称されたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものではないだろうか。
いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。
それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。
フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。
テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。
各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。
また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。
本盤に収められたショパンのピアノ協奏曲第1番の演奏においても、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。
ルイ・フレモーも、二流の存在とも言うべきモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団を巧みに統率するとともに、フランソワの個性的なピアニズムを見事に引き立てるのに成功している点を評価したい。
音質については、1965年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたリマスタリング盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。
しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。
音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。
とりわけ、フランソワの奔放にしてセンス満点のピアノタッチが鮮明に聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。
いずれにしても、フランソワ、そしてルイ・フレモー&モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団による素晴らしい歴史的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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2014年02月27日
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ショパンは、ホロヴィッツが特に得意としたレパートリーのひとつだが、ジャンルにまとまった彼のショパン・アルバムは少ない。
このアルバムは、1949年から1957年までの録音から7曲を集めたモノーラル盤であり、ホロヴィッツ全盛期のショパンが味わえる。
彼の弾くショパンはあまりにも雄大で壮大、柔軟な表情付けとバリバリの男らしさを併せ持った独特な演奏は、当時の批評家の耳を翻弄したことは間違いない。
音質を含めて安定感にはやや欠けるが、独特の華麗なタッチと鋭いリズム感に、大胆な語り口を交えて進む彼のショパンは、実にドラマティックに展開する。
特に「ソナタ第2番」での驚くようなテンポ設定も聴きどころ。
「バラード第4番」「スケルツォ第1番」はスリルに満ち、聴き手の感覚に強烈に迫る魅力がある。
ショパンのピアノ音楽から即興的な妙味を引き出し、ホロヴィッツならではの世界を築いている。
注目は貴重な音源として知られている1949年録音の「バラード第4番」。
ホロヴィッツは発売を認めなかったが、何かのミスで市場に出てしまい瞬く間に消え去ったレコード。
その後EMI系からはLP、CD共に一度も復刻された事がなく、おそらくはこれが初復刻。
これのみスクラッチノイズが多いが、その他は実にクリアな音で再生されている。
よくも初期盤LPからこれだけの音を掘り起こすものだといつも感心させられる。
しかしここまでくるとイコライジング等、多少の人工臭…みたいなものも感じるが、そんな勘ぐりを起こさせるほど鮮烈な再生音である。
ファンには良し悪しを超えた価値を持つ1枚。
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2014年02月20日
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様々な意見はあろうかとも思うが、アルゲリッチこそは史上最高の女流ピアニストと言えるのではないだろうか。
かつてのリリー・クラウスやクララ・ハスキル、近年では、ピリスや内田光子、メジューエワ、グリモー、アリスなど、綺羅星のごとく輝く女流ピアニストが数々の名演を遺してはいるが、それでもアルゲリッチの王座を脅かす存在はいまだ存在していないのではないかと考えられる。
昨年5月末に発売されたオリヴィエ・ベラミー著の「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」によると、アルゲリッチは日本、そして日本人を特別に愛してくれているということであり、我が国において数々のコンサートを開催するのみならず、別府音楽祭を創設するなど様々な活動を行っているところだ。
アルゲリッチには、今後も様々な名演を少しでも多く成し遂げて欲しいと思っている聴き手は筆者だけではあるまい。
本盤には、アルゲリッチが1960年代にスタジオ録音したショパンの有名曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演だ。
いずれの演奏においても、ショパン国際コンクールの覇者として、当時めきめきと頭角をあらわしつつあったアルゲリッチによる圧倒的なピアニズムを堪能することが可能である。
アルゲリッチのショパンは、いわゆる「ピアノの詩人」と称されたショパン的な演奏とは言えないのかもしれない。
持ち前の卓越した技量をベースとして、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでの桁外れの表現力の幅広さを駆使しつつ、変幻自在のテンポ設定やアッチェレランドなどを織り交ぜて、自由奔放で即興的とも言うべき豪演を展開している。
ある意味では、ドラマティックな演奏ということができるところであり、他のショパンの演奏とは一味もふた味もその性格を大きく異にしているとも言えるが、それでいて各フレーズの端々からは豊かな情感が溢れ出しているところであり、必ずしも激情一辺倒の演奏に陥っていない点に留意しておく必要がある。
そして、アルゲリッチのピアノ演奏が素晴らしいのは、これだけ自由奔放な演奏を展開しても、いささかも格調の高さを失うことがなく、気高い芸術性を保持しているということであり、とかく感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥りがちなショパン演奏に、ある種の革新的な新風を吹き込んだのではないだろうか。
そのような意味において、本盤の演奏は、今から40年以上も前の録音であるにもかかわらず、現在においてもなお清新さをいささかも失っていないと評価したい。
音質については、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたこともあって、従来盤でも十分に良好な音質であったが、今般発売されたシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでとは次元の異なる圧倒的な高音質に生まれ変わった。
いずれにしても、アルゲリッチによる清新な超名演を、現在望み得る最高の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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2014年02月09日
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夜想曲集の名演を成し遂げたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものではないだろうか。
いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。
それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。
フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。
テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。
各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。
また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。
本盤に収められた夜想曲集も、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。
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2014年01月10日
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かつて発売されていた「ショパンの旅路」からエチュード集を抜粋し、SACD化したものであるが、演奏内容、音質ともに高水準のCDと高く評価したい。
2010年は、ショパンの生誕200年ということもあって、数々の新録音が発売されるとともに、既発売CDの再発売も数多く行われた。
その秋には、ポリーニのSHM−CD盤も発売されたようである。
それだけに、ショパンの数々の演奏を聴き比べる環境が整った恵まれた1年であったのではないか。
筆者も、予算とのにらみ合いの中で、できるだけ数多くのCDを拝聴してきたが、本盤の高橋のエチュード集も、それらの数多くのCDの中でも、十分に存在感を発揮しているように思う。
エチュード集は、単なる練習曲ではなく、弾きこなすには相当な技量が必要であるが、高橋の演奏は、技術偏重の演奏ではない。
もちろん、ショパン国際コンクール入賞者ならではの技量はベースにあるのだが、むしろ内容重視。
どの曲をとっても、高橋の同曲にかける愛情と、女流ピアニストならではの繊細さに満ち溢れており、それでいて、一本芯の透った、何者にも揺るがされることにない力強さが漲っている。
いい意味でバランスの取れた名演と言えるのではないだろうか。
SACD化による高音質も、本盤の価値を大いに高めることに貢献している。
ちなみに彼女はかなりのブロガーでもあり、高橋多佳子の「!」な毎日というブログで近況などを綴っている。
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2014年01月03日
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古今東西の数多くのピアニストの中でも、ショパン弾きとして名を馳せた者は数多く存在しているが、その中でも最も安心してその演奏を味わうことができるのは、ルービンシュタインを置いて他にはいないのではないだろうか。
というのも、他のピアニストだと、古くはコルトーにしても、ホロヴィッツにしても、フランソワにしても、演奏自体は素晴らしい名演ではあるが、ショパンの楽曲の魅力よりもピアニストの個性を感じてしまうからである。
もちろん、そのように断言したからと言って、ルービンシュタインが没個性的などと言うつもりは毛頭ない。
ルービンシュタインにも、卓越したテクニックをベースとしつつ、豊かな音楽性や大家としての風格などが備わっており、そのスケールの雄渾さにおいては、他のピアニストの追随を許さないものがあると言えるだろう。
そして、ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、ショパンと同じポーランド人であるということやショパンへの深い愛着に起因すると考えられるが、ルービンシュタイン自身がショパンと同化していると言えるのではないだろうか。
ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているような趣きがあるとさえ言える。
何か特別な個性を発揮したり解釈を施さなくても、ごく自然にピアノを弾くだけで立派なショパンの音楽の名演に繋がると言えるところであり、ここにルービンシュタインの演奏の魅力がある。
本盤に収められたスケルツォについても、そうしたルービンシュタインならではの情感豊かでスケール雄大な名演だ。
ショパンのスケルツォの名演としては、近年ではポゴレリチによる楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みのある超名演(1995年)があるが、本演奏もその奥行きの深さにおいていささかも引けを取っていない。
そして、ショパンのスケルツォという楽曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、本演奏の右に出る演奏は皆無である。
また、演奏全体を貫いている格調の高さは比類がなく、これぞまさしく大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。
なお、本盤で何よりも素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質だ。
本演奏は今から約50年以上も前のスタジオ録音であるが、とてもそうとは思えないような鮮明な高音質を誇っている。
既に発売されているSACDハイブリッド盤よりも、更に高音質と言えるのではないだろうか。
いずれにしても、ルービンシュタインによる至高の超名演を、XRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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ルービンシュタインのショパンは、どの演奏も実に素晴らしい。
本盤に収められたピアノ・ソナタ第2番及び第3番もその例外ではなく、いずれも至高の超名演と高く評価したい。
ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、私見ではあるが、ルービンシュタインがショパンに成り切っている(ショパンの化身と化している)からと言えるのではないだろうか。
同郷の作曲家という側面もあるとは思うが、ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているかのような趣きがある。
例えば、バーンスタインとマーラーの関係と同様であり、バーンスタインのマーラーが何故にあれほどの名演であり、人を惹きつけるのかと言えば、バーンスタインがマーラーの化身と化しているような演奏を行っているからにほかならない。
本演奏におけるルービンシュタインのピアノも、何か特別なことをしているようには思えない。
おそらくは、誠実にショパンの音楽に向き合っているだけであり、楽想を真摯に弾き抜いているに過ぎないのではないかと考えられる。
にもかかわらず、すべての音には奥深い情感がこもっているとともに、ショパンの絶望感に満ちた心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さもごく自然に描出されている。
あたかも、ルービンシュタインがショパンの化身と化してピアノを弾いているかのようであり、これぞ作曲者と演奏家の幸福な出会いと評価すべきである。
ルービンシュタインによるショパンの楽曲の演奏は、他のどのピアニストによる演奏よりも安心して聴けるというのは、このような点に起因していると考えられるところであり、ここには、例えば何某かの個性的な解釈を施している他のピアニストによるショパン演奏などとは大きく次元が異なる大人(たいじん)の至芸があると言えるだろう。
録音は1961年のスタジオ録音であり、今から約50年も前のものであるが、今般のXRCD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。
ルービンシュタインの至高のピアノ演奏を、XRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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2013年12月28日
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途轍もなく素晴らしい超名演だ。超名演の前に超をいくつかつけてもいいのかもしれない。
河村尚子による2枚目のアルバムということであるが、録音に慎重な彼女であればこその久々のアルバムの登場であり、まさに満を持してと言った言葉が見事に当てはまると言っても過言ではあるまい。
本盤には、ショパンの最高傑作とも称されるピアノ・ソナタ第3番と、シューマンのフモレスケ、そしてシューマン=リストの「献呈」が収められているが、出来不出来に差はなく、いずれ劣らぬ至高の超名演に仕上がっていると言えるところだ。
河村尚子は、既に約2年前にもショパンの夜想曲集を録音しているが、本盤のピアノ・ソナタ第3番の演奏においては、さらにその芸風が深化していると言えるだろう。
何よりも、河村尚子のピアノタッチが実に美しい。
一つ一つの音が宝石のように煌めいているとも言えるところであり、それは女流ピアニストならではの美質とも言えるが、河村尚子の場合には一部の女流ピアニストにありがちな線の細さは微塵も感じさせず、一本の芯が通ったような力強さを感じさせるのが素晴らしい。
もっとも、いわゆる武骨さとは無縁であり、どこをとっても格調の高い優美さを失わないのが河村尚子のピアニズムの偉大さと言えるだろう。
ピアノ・ソナタの演奏に必要不可欠な全体の造型も堅固であり、とかく旋律の美しさに傾斜した焦点の甘い演奏とは一線を画しているのも本演奏の大きな強みである。
また、心の込め方にも尋常ならざるものがあると思うが、陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、どこをとっても前述のような格調の高さを失うことなく、演奏全体が常に高踏的な美しさに貫かれているのが見事であると言えるところだ。
このような素晴らしい超名演を聴いていると、河村尚子にはピアノ・ソナタ第2番や他のショパンのピアノ作品の演奏を聴きたいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。
他方、シューマンのフモレスケも素晴らしい名演だ。
シューマンのピアノ曲の演奏はなかなかに難しく、楽曲の持つファンタジーの飛翔のようなものをいかに的確に表現するのかが問われている。
そして、フモレスケの場合は、シューマンの移ろいゆく心情の変化が散りばめられているだけに、さらに演奏のハードルが高い難曲と言えるが、河村尚子は、持ち前の卓越した表現力を駆使して、作品の持つファンタジックな要素を含有するとともに、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを湛えた見事な名演奏を展開していると評価したい。
シューマン=リストの「献呈」は、演奏されること自体が珍しい作品であるが、ここでも河村尚子は、格調の高さを有した見事な名演を成し遂げている。
そして、何と言っても素晴らしいのはSACDによる極上の高音質録音である。
ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を生かした録音は素晴らしいという他はない。
そして、河村尚子のピアノタッチが鮮明に再現されるのはSACDの潜在能力の高さの証左と言えるところであり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
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2013年12月23日
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ユンディ・リ初の協奏曲アルバムが遂に登場した。
2000年第14回ショパン国際ピアノ・コンクールの覇者、ユンディ・リ待望のショパン:ピアノ協奏曲第1番。
カップリングはリストのピアノ協奏曲第1番。
ロマン派ピアノ協奏曲で、最も有名なこれら2曲はまさに黄金の組み合わせ。
ショパン・コンクール優勝以来、着実な歩みを続ける人気・実力共に抜群のユンディ・リの詩情と情熱溢れる演奏は、6年間の実りに満ちている。
まさに録音の機が熟したといえる演奏は期待通りのものだ。
いずれも名演ではあるが、筆者としては特にショパンの方をより高く評価したい。
これまでにもマズルカ集やスケルツォ集などで数々の名演を成し遂げてきたユンディ・リにとっては、ショパンは特別な作曲家であるのではないだろうか。
ショパンならではのロマンティシズムに満ち溢れた名旋律の数々に彩られた同曲を、ユンディ・リは、その持前の卓越した技量をベースとしつつ、変幻自在のテンポ設定や、特に各楽章の頂点に向けての畳み掛けていくような強靭な打鍵、それと対置する繊細な抒情的表現などを駆使して、実に表情豊かに描き出しているのが素晴らしい。
特に、ユンディ・リの特徴でもある詩情に満ち溢れた情感の豊かさは、抗し難い美しさを湛えていると言えるところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっている。
他方、リストについては、さすがにショパンほどの魅力はないが、それでも卓越したテクニックと強靭な打鍵をはじめとした表現力の豊かさは健在であり、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。
アンドリュー・デイヴィス&フィルハーモニア管弦楽団も、ユンディ・リのピアノを下支えする素晴らしい演奏を繰り広げており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。
音質は本盤でも十分に満足し得る高音質録音である。
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2013年12月22日
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狼とともに暮らすことで知られる人気女性ピアニスト、エレーヌ・グリモーの近年の進境は素晴らしい。
このディスクでは、グリモー自身の解説とインタヴューがついており、興味深く読むことができる。
それによると、ショパンとラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番は、「奥深く秘められた教会の、死の祭壇で執り行われる、優しさのミサ」であり、「真実の愛に満たされた魂」を表しているのだという。
そうした詩的な言葉は、聴き手に音楽を捉える新しい霊感を準備してくれるものだ。
誇張やエゴに陥らず、何度聴いても味わい深い、バランス感覚のとれたショパン。
しかも大きさ、豊かさを感じる。
リズムの俊敏さもグリモーらしい。
葬送行進曲も疾風のような第4楽章も、死と隣り合わせの不思議な優しさを湛えた演奏だ。
ラフマニノフはさらに音楽のスケールが大きく濃厚な情感を伝える。
ショパンに挟まれたラフマニノフというのは、ありそうでいてない、効果的な構成だ。
死と愛をテーマにした2つのソナタの後には、ほっとするように静かな2つのショパンの作品が配置される。
午睡にまどろむような「子守歌」は白眉の出来で、「舟歌」も曲に対する慈しむような思いが伝わってくる。
前半の大曲の厳しさとの対照が見事だ。
さらに、グリモーが素晴らしいのは、どこをとっても彼女の美貌を思わせるような気品の高さに貫かれているということであろう。
2004年12月のデジタル録音で、DG独自の4Dオーディオ・レコーディングが素晴らしく、どこまでもクリアな音質だ。
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2013年12月06日
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まさに超個性的な演奏である。
ショパン弾きとして名を馳せたピアニストは多数存在しているが、サンソン・フランソワほど個性的なピアニストは他に殆ど類例を見ないのではないだろうか。
いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。
それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。
フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。
テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。
各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。
また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。
本盤に収められたポロネーズ集なども、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。
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素晴らしい名演だ。
ショパン弾きとして名を馳せたピアニストは多数存在しているが、サンソン・フランソワほど個性的なピアニストは他に殆ど類例を見ないのではないだろうか。
いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。
それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。
フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。
テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。
各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。
また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。
本盤に収められた夜想曲集、前奏曲集も、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。
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2013年12月05日
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全部で21曲収録されていたバレンボイムによるショパンの夜想曲全集から、最も人気のある13曲を抜き出して選集としたもの。
イギリスの作曲家フィールドに影響されて作曲したと伝えられるショパンの夜想曲は、彼の諸作品のなかでもきわめてロマンティックな曲が数多く含まれている。
ショパンは生涯に20数曲の夜想曲を作曲したが、このアルバムでは映画に使用されて有名になった甘美な第2番を始め、人気の高い作品が新たに選曲されている。
指揮者としても縦横無尽の活躍を続けるバレンボイムの、ピアニストとしての活動を如実に示す1枚。
よくいえば清潔で醒めた演奏だが、受け取り方によってはやや魅力の少ないショパンにも聴こえる。
ショパンのロマン的な一面を過度に強調しがちだった古い世代のスタイルに対する反省があるからだろうか。
感情過多な表現を抑制したクールな語り口で、透明で美しいショパンを作り出している。
決して規範を踏み外さないクールなショパンである。
指揮者であることも関係するのだろう、曲をすっかり手の内に入れて、余裕をもって音楽を聴き手に届ける。
決して攻撃的にならず、聴かせどころを外さず、1曲ごとの物語を豊かに紡ぐ。
決して技術が曲想をはみ出すことがなく、夜想曲集はバレンボイムのピアニズムに合っている。
仕事で疲れた頭や耳を静かに巧みに癒してくれる感じで、聴いていると、自然にうっとりさせられる。
唯一の後悔は、輸入盤で手に入る全曲盤を買うべきだったか、ということ。
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2013年11月26日
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いわゆるショパン弾きと称されているピア二ストは数多くいるが、その中でも、フランソワは最も個性的な解釈を披露したピアニストの一人ではないかと思う。
本盤に収められた楽曲においても、実に自由奔放な弾きぶりで、自らの感性のみを頼りにして、即興的とも評されるようなファンタジー溢れる個性的な演奏を行っている。
したがって、このあくの強いアプローチに対しては、弾き手によっては抵抗を感ずる人もいることと思うが、少なくとも、テクニックのみを全面に打ち出した表層的な演奏よりは、よほど味わい深い演奏ではないだろうか。
もちろん、フランソワのテクニックが劣っていたというわけではない。
バラードもスケルツォも、いずれもショパンが作曲した数多くのピアノ曲の中でも難曲の部類に入るものであり、フランソワも、このような難曲を弾きこなす技量は兼ね備えていたというのは当然の前提だ。
ただ、その技量を売りにするのではなく、楽曲の魅力を自らの感性のみを頼りにして、ストレートに表現しようという真摯な姿勢が、我々聴き手の深い感動を誘うのだと考える。
もっとも、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭ないことから、聴き手によっては、前述のようにそのあくの強さに抵抗を覚える人もいると思うが、フランソワの魔術にひとたびはまってしまうと、やみつきになってしまうような独特の魔力を湛えている。
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2013年11月06日
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実に個性的な素晴らしい超名演だ。
いわゆるショパン弾きと称されているピア二ストは数多く存在しているが、その中でも、サンソン・フランソワは最も個性的な解釈を披露したピアニストの一人ではないかと考えられる。
いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。
それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。
フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。
テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。
各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。
また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。
本盤に収められた練習曲集も、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。
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ショパン弾きとして名を馳せたピアニストは多数存在しているが、サンソン・フランソワほど個性的なピアニストは他に殆ど類例を見ないのではないだろうか。
コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、いわゆる崩した弾き方とも言えるものである。
もちろん、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。
フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。
テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。
各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。
また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。
本盤に収められたワルツ集の演奏も、まさにセンスの塊であり、近年では同じくフランス人であるルイサダが素晴らしい超名演(1990年)を成し遂げているが、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏も同格の超名演と高く評価したい。
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2013年10月22日
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筆者は、江崎昌子のマズルカ全集におけるセンス満点の素晴らしい名演に接してから、彼女が発売するショパンのピアノ作品集の演奏に注目してきたところである。
エチュード集にしても、はたまたピアノ・ソナタ全集にしても、江崎昌子の類稀なる音楽性とセンスの良さが如何なく発揮された演奏に仕上がっていると言えるところであり、前述のマズルカ全集にも比肩し得るだけの素晴らしい名演と言えるところだ。
そして、本盤のノクターン全集であるが、前述の既発売のピアノ作品集にも優るとも劣らない、そして、まさに我々聴き手の期待がいささかも裏切られることがない圧倒的な名演と高く評価したい。
江崎昌子による本演奏は、マズルカ全集と同様に、ショパンの各楽曲に対する深い洞察力に裏打ちされた、実に考え抜かれた解釈が光っている。
おそらくは、録音に至るまでに何度も同曲を弾きこなすとともに、スコアに記された音符の表層にとどまらず、各曲の音符の背後にある作曲当時のショパンの精神構造や時代背景に至るまで、徹底した追究が行われたのではないかと考えられるところだ。
江崎昌子は、こうした徹底した自己研鑽とスコアリーディングに基づいて、ノクターン全集を構成する各曲を万感の思いを込めて情感豊かに曲想を描き出している。
このように考え抜かれた演奏を旨としてはいるが、理屈っぽさや生硬さは皆無であり、音楽が滔々と自然体に流れるとともに、ノクターンの美しさや魅力を聴き手にダイレクトに伝えることに成功しているのが素晴らしい。
加えて、ショパンの演奏に時として聴かれる陳腐なロマンティシズムなど薬にしたくもなく、どこをとっても気高い品格と洒落た味わいを兼ね備えているのが素晴らしい。
もちろん、ルービンシュタインやフランソワ、コルトーなどによる歴史的な超名演などと比較すると、いわゆる強烈な個性にはいささか不足していると言えなくもないが、ノクターン全集を安定した気持ちで味わうことができるという意味では、これまでの様々なピアニストによる同曲の名演にも引けを取らないところであり、少なくとも、我が国の女流ピアニストによるショパンの演奏としては、間違いなく最右翼に掲げられるべき圧倒的な名演と評価しても過言ではあるまい。
音質は、SACDによる極上の高音質録音であり、江崎昌子のピアノタッチが鮮明に再現されるのは実に見事であると言えるところであり、本名演の価値をより一層高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
いずれにしても、本盤は、江崎昌子による素晴らしい名演と極上の高音質録音が相俟った名SACDと高く評価したい。
マズルカ全集と同様に、ライナーノーツに、江崎昌子によるノクターン全集の各曲の寸評が掲載されているのも、本盤の演奏をより深く理解する意味において大変貴重である。
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2013年10月15日
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かつて発売されたショパン・コンクール入賞ピアニストである高橋多佳子の集大成的録音といえる「ショパンの旅路」からの抜粋であるが、バラードもスケルツォも基本的にはいずれも名演だ。
高橋多佳子は、いかにも女流ピアニストならではの繊細にして精緻なタッチで、ショパンの抒情溢れる名旋律をこれ以上は求めないような優美さで描き出していく。
高橋多佳子のライフワークのひとつである、ショパンの調べであり、どの曲にも、彼女なりに解釈された詩情溢れるショパン像が紡ぎ出され、息づいている。
それでいて、例えばスケルツォ第3番の強靭な打鍵による力強い迫力ある演奏には圧倒される。
テクニックについても卓抜したものがあり、さすがはショパン国際コンクール入賞者の貫録十分である。
惜しいのは有名なスケルツォの第2番。
これは、高橋多佳子にしてはいささか平凡な演奏と言わざるを得ない。
この有名曲には、ポゴレリチやアルゲリッチなどの超ド級の名演が存在しており、それらの横綱級の名演と比較すると分が悪いというのは致し方がないところであろう。
これらの横綱にはかなわないとしても、高橋多佳子ならば、もう少し彫りの深い演奏が出来たのではないだろうか。
SACDによる鮮明な高音質録音も見事であるが、録音場所がトリトーンがいつも使用している富山県の北アルプス文化センターではなく、ワルシャワ・フィルハーモニー大ホールであり、音質にかなりの違いがあるのは大変興味深い。
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2013年09月03日
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仲道郁代は、最近でこそベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集や、パーヴォ・ヤルヴィと組んだベートーヴェンのピアノ協奏曲全集の名演によって、稀代のベートーヴェン弾きとの評価が定着しつつあるが、もともとはショパンを得意としていたピアニストであった。
仲道自身も、「ショパンがいなかったらピアニストにはならなかった」などと発言するなどショパンへの深い愛着を隠そうとはしておらず、特にモダン楽器を使用しての演奏には定評がある。
そのような仲道が、ショパンイヤーを記念して行った録音が、本盤に収められたピアノ協奏曲第1番及び第2番だ。
本演奏の特徴は、オーケストラにピリオド楽器を使用するとともに、何よりもピアノに、ショパンが自分自身を自由に表現できるとして好んで弾いていたプレイエルを使用している点であろう。
しかも、1841年製のプレイエルということで、ショパンが使用していたのと同時代のピアノであるということであり、これは、ショパンのピアノ作品を再現するには最高のアイテムということになるのではないだろうか。
現代のスタンウェイなどのピアノの音に慣れた耳からすると、聴き手によっては違和感を感じることもあろうかとも思うが、現代のピアノでは表現し得ない独特の繊細さが付加されており、筆者としては今般のプレイエルの使用を大いに歓迎したい。
また、前述のようなピリオド楽器の使用や、ピアノ独奏部分においては弦楽器による独奏も聴かれるなど、ショパンの時代における演奏様式を再現しようという徹底ぶりには、指揮者とピアニストのこの演奏にかける熱意とあくなき探究心が大いに感じられるのが素晴らしい。
このような徹底ぶりは、近年の古楽器奏法やピリオド楽器を活用した演奏にも一部みられるように、学術的には貴重であっても芸術的な感動からはほど遠い浅薄な演奏に陥ってしまう危険性もあるが、本演奏に限ってはそのような危険にはいささかも陥っていない。
仲道の馥郁たる情感豊かなピアニズムは、演奏全体が無味乾燥になることを防ぎ、どこをとってもニュアンス豊かなロマンティシズム溢れる演奏に仕立てあげるのに大きく貢献している。
有田正広&クラシカル・プレイヤーズ東京は、もともとバッハなどのバロック音楽の演奏において名を馳せてきた団体であるが、本演奏では、ピリオド楽器の効果的な使用により、仲道が弾くプレイエルのピアノを巧みに引き立てつつ、従来型のショパン演奏に清新さを吹き込んだ点を高く評価したい。
マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を高めるものとして大いに歓迎したい。
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同時発売のワルシャワ・リサイタルと同様に、バレンボイムのDGへの移籍第1弾となったCDの登場だ。
本CDに収められた曲目は、生誕200年を記念したショパンのピアノ協奏曲第1番及び第2番である。
バレンボイムと言えば、ピアニストとしてはベートーヴェン弾きやモーツァルト弾きのイメージが強く、しかも近年では指揮者としての活動(それもドイツ音楽がレパートリーの中心)が目立っていることから、DGへの記念すべき再デビュー盤がショパンの楽曲であるというのは、ショパンイヤーであることに鑑みても、大変意外であるというのが正直なところであった。
確かに、本演奏で聴くショパンは、他のピアニストによる同曲の演奏とは一味もふた味も異なっている。
ある意味では、ベートーヴェン風の重厚なドイツ風のショパンと言えるところであり、一音一音を揺るぎない力強い打鍵で弾き抜いていくピアニズムは、あたかもベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾いているような趣きがあると言っても過言ではあるまい。
それでいて、両曲の緩徐楽章における情感の豊かさは美しさの極みであり、表現力の桁外れの幅の広さは、さすがはバレンボイムである。
いずれにしても、本演奏はショパンのピアノ協奏曲の演奏としては異色の部類に入る演奏ではあるが、立派さにおいては比類がない演奏でもあり、ショパンの音楽を陳腐なサロン音楽と批判する者に対しては、強烈なアンチテーゼとなる演奏であるとも考えられる。
筆者としては、ショパンの音楽をベートーヴェンの音楽の次元にまで高めることに成功した素晴らしい名演と高く評価したい。
そして、バレンボイムの重厚なピアニズムをしっかりと下支えしているのが、気鋭の若手指揮者であるネルソンスと、バレンボイムの手兵でもあるシュターツカペレ・ベルリンによる名演奏だ。
このコンビによる爽快ささえ感じさせる演奏は、とかく重厚で重みのあるバレンボイムのピアノ演奏に、適度なあたたかみを与えていることを忘れてはならない。
録音も非常に鮮明な高音質であり、本演奏の価値を高めるのに大きく貢献している。
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2013年08月21日
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同時発売のショパンのピアノ協奏曲第1番及び第2番と同様に、バレンボイムのDGへの移籍第1弾となるCDの登場だ。
本盤には、ショパンの幻想曲やピアノ・ソナタ第2番を軸として、ポロネーズ「英雄」や子犬のワルツ、舟歌と言った有名な小品が収録されている。
これらの演奏は、いずれも、ショパン生誕200年を記念してワルシャワで行われたコンサートのライヴ録音であり、このコンサートは、バレンボイム自身の演奏活動60年を記念するものでもあったとのことだ。
バレンボイムは、近年では指揮者としての活動が中心であり、ピアニストとしても、ベートーヴェンやモーツァルトなどの独墺系の作品をレパートリーの中心に掲げてきている。
したがって、バレンボイムのショパンというのはピンと来ないというのが正直なところであるが、前述のような記念となるコンサートの曲目としてショパンを選んだところに、バレンボイムのショパンへの深い理解と愛着を感じることが可能だ。
それにしても、バレンボイムのピアニズムは重厚で彫りが深い。
あたかも、ベートーヴェンのピアノ・ソナタに接するのと同様のアプローチで、ショパンに接していると言えるだろう。
したがって、ショパンのピアノ曲に特有の愉悦やユーモアと言った側面にはいささか欠けると言わざるを得ないが、各楽曲の本質に潜んでいる寂寥感や人生への絶望感などに切り込んで行く鋭さには無類のものがあり、いわゆる音楽の内容の根底にある精神的な深みの追求に関しては、他のピアニストの追随を許さないような奥深さがある。
かかる演奏は、ショパンの音楽を陳腐なサロン音楽と見做す考え方に対する強烈なアンチテーゼとさえ言えるだろう。
このような重いショパンは願い下げという聴き手もいるとは思うが、筆者としては、ショパンの音楽を、それこそベートーヴェンの音楽の高踏的な次元にまで引き上げることに成功した素晴らしい名演と高く評価したい。
録音も鮮明な高音質であり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
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2013年03月19日
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2010年はショパン・イヤーだったということで、数々の新録音の発売や、旧録音の発売が相次いだ。
筆者も、かなりの点数のCDを聴き、そして、このブログに相当数の記事をエントリーしてきた。
そうした数あるCDの中で、本盤は、筆者が、これまで聴いた最高の超名演と高く評価したい。
本盤に収められた楽曲のすべてが、それぞれの楽曲の録音の中で、トップの座に君臨する(または争う)名演であると考える。
ピアノ・ソナタ第2番の、心の深淵から浮き上がってくるような開始に先ずはゾクゾクとさせられるが、その後の、思い入れたっぷりのコクのある演奏は凄いの一言。
強靭な打鍵から繊細な詩情に至るまで、あらゆる箇所が深みのある透徹した表現に貫かれているのが素晴らしい。
スケルツォ第2番は、ポゴレリチの名演に並ぶ至高の名演。
ポゴレリチが、切れ味鋭い若武者の快演とすれば、本演奏は、ショパンの心の内面に踏み込んだ深遠な名演と言えようか。
特に、中間部の質感豊かな抒情性は、エデルマンとしても渾身の演奏と言えるのではないか。
2つのノクターンも、これ以上は求め得ないような豊かな詩情に満ち溢れており、ノクターンの他の諸曲の演奏への期待を抱かせるのに十分な出来栄えだ。
ピアノ・ソナタ第3番も凄い。
卓越した技量はもちろんのこと、ダイナミックレンジの思い切った採り方や、楽曲の内面に鋭く切り込んでいく深遠なアプローチ、抒情的な箇所の詩情豊かさなど、評価する言葉が思いつかないような至高・至純の高みに達した超名演と評価したい。
SACDによる極上の超高音質録音も、この至高の超名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している。
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2013年03月13日
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ショパンイヤーのトリを飾るのに相応しい超名演の登場だ。
ルイサダの芸術家としての深みを存分に味わうことができるのが素晴らしい。
バラードの思い入れたっぷりの弾き方のなんという素晴らしさ。
これだけ崩して弾くと、演奏によっては、大仰さだけが目立って、楽曲の表層だけを取り繕った底の浅さを露呈する危険性もあるが、ルイサダの場合は、そのようなことは皆無。
どこをとっても詩情豊かな抒情に満ち溢れており、そのフランス風のエスプリ香る瀟洒な味わいは、現今のピアニストにおいては、ルイサダだけが描出し得る至高・至純の表現と言えよう。
緩急自在のテンポ設定や間の取り方は絶妙であり、それでいて音楽の流れをいささかも損なうことがないのは、ほとんど驚異ですらある。
50代となり円熟の極みにある今のルイサダだからこそ読み取れる、感情の起伏の激しさ、ノスタルジーや絶望感、さらに苦い諦観さえにじませる演奏はまさに絶品の一言。
先人の偉業を行儀よくおさらいするだけの演奏が多い中で、ルイサダはショパンの内側からショパンを崩し、アカデミックな牢獄からショパンを解き放とうとしている。
大ポロネーズは、一転して堂々たる巨匠のピアニズムであり、その力強い打鍵と卓越した技量は、ルイサダの表現力の幅の広さを感じさせるのに十分である。
夜想曲の2曲は、バラードと同様の表現であるが、感傷に陥ることはなく、高踏的な美しさを保っているのはさすがである。
録音も素晴らしい。
マルチチャンネル付きのSACDは、ルイサダの至高のピアノを鮮明、かつ臨場感溢れる音質で再現しており、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。
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2013年02月16日
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ブルガリア出身のフランスのピアニスト、ワイセンベルク40歳の頃の録音。
LPのときは独自の曲順となっていたが、ここでは21曲の夜想曲から、13曲を抜きだして作品番号順に収めている。
若き日のワイセンベルクによるショパンのノクターン集であるが、いかにもワイセンベルクらしい明晰でなおかつ耽美的なアプローチを示している。
正確で極めてオーソドックスな解釈であり、過剰な表情づけを排した端正な演奏と言える。
もちろん、例えば第7番など、力強い打鍵も時折垣間見せはするが、全体的に見れば、重厚さとは殆ど無縁の柔和で繊細なイメージが支配していると言える。
したがって、一部の音楽評論家によっては、女々しいとか不健康な官能美などと言った、ピアニストとしては決して有り難くない酷評をされているのも、あながち言い過ぎではないものと思われる。
確かに、ノクターンは、ショパンのあまたのピアノ曲の中でも優美かつロマンティックな要素を持った楽曲ではあるが、それをそのまま等身大に演奏してしまうと、単なる陳腐なサロン音楽と化してしまう危険性がある。
ショパンの音楽に、こうしたサロン的な要素があることを否定するものでは全くないが、むしろ、ショパンは、仮にノクターンのような小曲であったとしても、より高踏的な芸術作品を志向して作曲されたものと考えるべきではなかろうか。
そのような観点からすれば、やはりワイセンベルクのような軟弱とも言えるアプローチにはいささか疑問を感じざるを得ない。
いずれにしても、ノクターンというショパンの芸術作品に内包するエッセンスである詩的な情緒や情感を我々聴き手に伝えるには到底至っておらず、うわべだけを取り繕ったなよなよとした浅薄な演奏に陥ってしまっているのは、はなはだ残念な限りだ。
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2013年01月03日
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凄いCDが現れたものだ。
アルゲリッチがショパン国際コンクールで優勝したのは1965年のことであるが、本盤は、それより6年前の17歳の時に演奏されたバラード第1番や、優勝の2年後に演奏した諸曲を収めている。
いずれも、アルゲリッチの個性全開の超名演と評価したい。
アルゲリッチは、最近ではピアノ独奏曲の演奏を殆どしなくなっているが、彼女には円熟という言葉は薬にしたくもなく、現在においてもなお、協奏曲であれ、室内楽曲であり、自由奔放と評すべき個性的な演奏を繰り広げている。
そして、本盤の若き時代の演奏にも、その萌芽が現れていると言えよう。
バラード第1番は、緩急自在のテンポ設定と強弱の大胆な付け方が見事であり、とても17歳のピアニストによる演奏とは思えないくらいの感動的な名演だ。
練習曲の疾走は、唖然とするような抜群のテクニックであり、それでいて、芸術性をいささかも損なうことがないのはアルゲリッチの類稀なる才能の証左と言えるだろう。
マズルカは、合計で8曲収められているが、テンポ設定といい、強弱の付け方といい、そして強靭な打鍵といい、文句のつけようのない高みに達している。
夜想曲は一転して抒情豊かな演奏を行っており、実に感動的だ。
ピアノソナタ第3番は本盤の白眉と言うべき空前絶後の超名演だ。
後年にスタジオ録音しているが全く問題にならない。
第1楽章や第2楽章の抒情豊かな歌い方の絶妙さ。
第2楽章の抜群のテクニックに裏打ちされた俊敏な前進性。
終楽章の力強い打鍵と切れば血が出るようなパッションの爆発。
録音は、モノラル録音だけにやや籠った音質が残念ではあるが、演奏が極上だけに、聴いているうちに殆ど気にならなくなった。
ジャケット裏やブックレット内には、ショパン作品を演奏中のアルゲリッチの手元を写した珍しいショットや10代のアルゲリッチの写真が載せられているのも魅力的だ。
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2012年12月24日
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吉田秀和氏に絶賛されたDG盤以来約20年ぶりの再録音。
ポーランド周辺各地方の民俗舞踊を昇華して作曲されたマズルカのうち、生前に出版された41曲を収録。
ショパンは、スケルツォ、バラード、ポロネーズ、夜想曲、エチュード、前奏曲、ワルツなど、様々な曲集を作曲した。
しかしながら、若い時代から最晩年に至るまで一環して作曲し続けてきた曲集はマズルカであり、それ故に、マズルカ集はショパンの心や魂の軌跡、変遷などと言った評され方をするのだと考える。
そんなショパンの心底に踏み込んでいく深みのある作品集だけに、ナンバーによっては初心者でも弾くことができるようなテクニック的に難しくない曲も含まれているにもかかわらず、並みのピアニストの手には負えない難しさを秘めた曲であると言えるだろう。
本盤は、ルイサダの2度目の録音とのことであるが、古今の様々なマズルカ全集の名演中、最高峰に位置づけられる超名演と評価したい。
演奏の特徴は、何と言ってもセンス満点の詩情豊かなアプローチと言える。
もちろん、旋律を抒情豊かに描いていくアプローチは他でも見られるが、ルイサダの場合は、うわべだけを取り繕ったなよなよさは皆無であり、どの曲にも一本芯の通った力強さを秘めていると言える。
第1番から第41番に向けて、ショパンが若き時代から最晩年の高みに達していくことになるが、ルイサダは各楽曲を巧みに描き分けながら、晩年の至高・至純の高峰に登りつめていく。
その変幻自在な絶妙の演奏は、前述のように詩情豊かさも相まって、もはや評価する言葉が追いつかないような高みに達していると言える。
録音も、SACDマルチチャンネルによる望み得る最高の高音質であり、ルイサダの超名演に華を添える結果となっている。
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2012年12月15日
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巨匠リヒテルの残したディスクのなかで、ショパン・アルバムは数少なく、ショパンを好まなかったと思えるほどだ。
しかも、ひとつのジャンルをまとめて全曲録音しているものは珍しい。
そうした点からこのスケルツォ全曲盤は、貴重な1枚である。
リヒテルのショパンは、非常にクールで理知的であり、サロン的な甘いムードや華やかさを廃した厳格ともいえる端正さが特徴である。
4曲のスケルツォに対して、ロマンティックな華やかさよりも、端正な構築美を強調したような演奏であり、そこには、リヒテルのスケールの大きさと、堅固な構成力が生かされている。
リヒテルはショパンの表現の、刹那的な部分や過度の感情の発動を許す部分を、古典主義的な精神で極力コントロールしているが、音楽は流麗さを失うことなく、実に澄み切ったたたずまいをみせている。
彼の強い構成力と音をコントロールするテクニックなくして、このような演奏は生まれ得ないだろう。
自然体の語り口で、一見したところ淡々とメロディを紡いでいるように思えるが、実は、内面から滲み出るような、奥の深いドラマが隠されている。
この4曲のスケルツォは、ショパンの心の奥底を表現しているかのような孤高の厳しさが感じられ、まさに純度の高い芸術作品へと昇華している。
ショパンのスケルツォの持つ躍動美と深刻さという、相反する特色を、見事に融合させた演奏とも言えよう。
リヒテルの知的存在感にあふれた演奏である。
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2012年12月14日
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シューマンのピアノ協奏曲は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」に対して、ピアノ協奏曲の女王と呼ばれているが、そうした呼び名に相応しいワルターならではの名演だ。
シューマンは、指揮者ワルターにとって唯一の録音であるが、彼もピアノのイストミンも情熱たっぷりに聴かせ、ドラマティックに仕上げている。
さすがにワルター色が濃厚で、新鮮で若々しく、明るく直線的で、きびきびした進行の中に香りと品格を生かそうとしている。
第1楽章は決然とした力強さで開始されるが、主部のヒューマニティ溢れる情感豊かさは、抒情的で実に感動的だ。
第2楽章も、気品の高いロマン的抒情が溢れ出ている。
そして、終楽章は、これまでの楽章とは一転して、重量感溢れる力強い迫力で全曲を締めくくっている。
決して有名とは言えない米国出身のピアニストであるイストミンも、ワルターの巨匠の棒に見事についていっており、コロンビア交響楽団も最高のパフォーマンスを示していると言える。
ショパンのピアノ協奏曲第2番も名演。
こちらは、オーマンディの指揮であるが、ショパンの抒情溢れる詩情を全面に打ち出すというよりは、シンフォニックな重厚さを全面に打ち出した演奏と言える。
若書きで必ずしも成熟した作品とは言い切れない同曲を、スケール雄大な一大交響曲作品のように仕立て上げた点は、まさに巨匠ならではの円熟の至芸と言えよう。
イストミンもオーマンディの指揮に見事に合わせており、フィラデルフィア管弦楽団の明るいサウンドを得て、イストミンは自在に歌いあげている。
DSDリマスタリングは、ややきつめの硬い音質で、全体的にイマイチの音質の感じがした。
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2012年12月09日
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アリスが、デビュー盤であるリストの超絶技巧練習曲集の次に選んだのは、それとは全く対照的なショパンのワルツ集であったのは少々意外であったが、これは実にすばらしい名演であり、あらためて、アリスの幅の広い豊かな表現力を思い知らされる結果となった。
ショパンのワルツ集は、うわべだけの美しさだけを追求した演奏だと、陳腐なサロン音楽と化してしまう危険性があるが、アリスの手にかかると、実に高踏的な大芸術作品に変貌する。
第1曲である「華麗なる大円舞曲」からして、他のピアニストの演奏とは全く次元が異なる個性的な解釈を見せる。
中間部の魔法のようなテンポのめまぐるしい変化は、聴いていてワクワクするほどで、あざとさなどいささかも感じさせない。
それどころか、どんなに奔放とも言える弾き方をしても、常に気品に満ち溢れているのが、アリスの最大の長所と言えるだろう。
「子犬のワルツ」の愛称で有名な作品64の1も、他のピアニストなら軽快なテンポであっという間に駆け抜けてしまうところを、アリスはややゆっくりめのテンポで優雅に演奏している。
そこに漂う高貴な優美さには頭を垂れざるを得ない。
「別れのワルツ」で有名な作品69の1も、決して感傷的には陥らず、決して気品を失わないエレガントな抒情を湛えている。
このようにアリスは、ショパンの華やかで宮廷的なワルツと 内省的な、瞑想的なワルツとの弾き分けが実に見事で、それだけでも物凄い才能を感じる。
ボーナストラックのノクターン嬰ハ短調も、深沈とした憂いのある、それでいて気品溢れる美しい抒情を湛えており、アリスの将来性豊かな才能が全開である。
本盤のような名演に接すると、他のショパンの諸曲もアリスの演奏で聴いてみたいと思ったのは筆者だけではあるまい。
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2012年11月24日
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ポゴレリチが、ショパン国際コンクールにセンセーショナルな落選をしたのが1980年秋。
皮肉にも、ポゴレリチは落選によって一躍時の人となったが、その翌年にDGにデビューした際の録音が本盤で、ポゴレリチがまことに大胆な自己主張を聴かせる。
保守的な当時の審査員が拒否反応を示しただけあって、実に個性的なショパンであるが、素晴らしい名演と高く評価したい。
ポゴレリチの特徴を一言で言えば、表現の振幅の極端なまでの幅広さであると言える。
ゆったりとしたテンポの箇所は、他のピアニストよりも更にゆったりと演奏するし、音の強弱も、他に比肩する者がいないようなダイナミックレンジの広さを示している。
アッチェレランドの強調なども凄まじさの限りだし、テクニックにおいても人後に落ちない抜群のものがある。
極端なダイナミクスの対比、大きなテンポの揺さぶりなど、なるほど伝統墨守の立場からいえばとんでもない演奏だが、表現は強固な技術的メカニズムに支えられ、豊かにはばたいている。
このように、超個性的な演奏を行うが、それでいて、あざとさが全く感じられないのが、ポゴレリチの類稀なる才能と至芸と言うことができるだろう。
意気に満ちた表現はそれだけでも気持ちの良いものだが、なによりも説得力のある演奏だ。
選曲も実に個性的。
ピアノソナタ第2番、前奏曲嬰ハ短調、スケルツォ第3番、夜想曲というように、緩急をつけた並べ方をしている点にも、ポゴレリチのこだわりと独特のセンスの良さを感じさせる。
アルゲリッチは、前述のショパン国際コンクールの審査の際(そしてポーランドを去るが)に、「彼こそは天才!」との評価を行ったとのことであるが、さすがは一流は一流を知るということだと思う。
現在ポゴレリチは50歳を越え、自らの芸術を求め、ピアノ界の異端児として大胆且つ奔放な演奏で常に音楽界の話題をさらうアーティストである。
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2012年11月12日
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ユンディ・リがショパン国際コンクールで優勝したのは今から12年前の2000年。
本盤は、ユンディ・リがEMIに移籍して初録音のアルバムであるが、これはまさに満を持して臨んだノクターン全集と言えるだろう。
ショパンのノクターンは、スケルツォなどの激しさは薬にしたくもなく、どこまでも優美なロマンティシズムを湛えた楽曲集である。
それ故に、技量だけで勝負すると、うわべだけを取り繕った浅薄な演奏に陥ってしまうし、かと言って心を込め過ぎると、チープなムード音楽と化してしまう危険性がある。
それだけにアプローチが大変に難しい楽曲と言えるところであり、こうしたノクターンを節目の年の初録音に選択したところに、ユンディ・リの並々ならぬ決意と自信のほどが伺えると言える。
そしてその結果は、そのような自信が決して空回りしない名演に仕上がっていると評価したい。
ユンディ・リは、ショパン・コンクールに優勝するだけの抜群のテクニックを有してはいるが、それよりは、東洋人ならではの繊細なリリシズムを特徴とした優美な芸術性を売りにしたピアニストである。
それだけに、ノクターンのような楽曲には、その芸風が見事に符合し、芸術性において、他のピアニストの追随を許さないような高水準の演奏を行っていると言える。
曲によって出来にムラがないのも見事であり、どの曲にも、ユンディ・リのこの曲はこう解釈するという確信に満ち溢れているのが素晴らしい。
ショパンの、いやユンディ・リの若い感性が見事に発揮された名演となっている。
もちろん美しいだけだなく、聴き手を飽きさせない芯の通った表現、演奏であることは間違いない。
HQCDによる高音質録音も、ユンディ・リの繊細なタッチを見事に再現することに貢献している。
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2012年11月10日
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数多く存在するショパンのスケルツォ全集の中でも、トップの座に君臨する超名演である。
ポゴレリチは、ショパンコンクールの予選で落選し、アルゲリッチがポゴレリチを天才と称して抗議し、その後の審査をボイコットした話は有名であるが、本盤のような超弩級の名演を耳にすると、ポゴレリチがいかに抜群の才能を持った卓越した芸術家であるかということがわかろうというものだ。
第1番の冒頭の力強い一撃からして、他のピア二ストの演奏とはそもそも物が違う。
冒頭の一撃の後、一瞬の間をおいて、胸のすくような快速テンポによる疾風怒濤の快進撃が開始される。
それでいて上滑りする箇所は皆無であり、抒情的な箇所の歌い方も実に感動的だ。
それにしてもなんと劇的で、硬質で、深刻で、繊細で、そして柔らかなピアノであろうか。
有名な第2番も他のピアニストの演奏とはそもそも次元が異なる高みに達している。
強弱のダイナミックレンジの幅広さや緩急自在のテンポ設定も凄いの一言であるが、特に中間部の深沈とした抒情と急進的なスケルツォの対比は、ポゴレリチの真骨頂とも言うべき魔法のような魅力に満ち溢れている。
第3番や第4番も、極端と言ってもいいほどのテンポの緩急と、精妙で抒情的な演奏の美しさによって、ポゴレリチならではの個性的なショパン像を構築しており、その切れば血が出るような生命力溢れる激情的なパッションの爆発が、我々聴き手に深い感動を与えている。
短いアルバム(41分50秒)ではあるが、二度と現れることのないであろうショパンのスケルツォの超名演をたっぷりと堪能できる。
録音も実に鮮明であり、ポゴレリチの超絶的技巧に裏打ちされた芸術的な打鍵を余すことなく味わうことが可能だ。
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2012年11月03日
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ブーニンがショパンコンクールで優勝したのは1986年。
その模様がNHKで放映されたこともあって、その後に日本のみで起こったブーニンブーム(筆者もブーニンのライヴに接した)には凄まじいものがあった。
あれから25年。
最近では、ブーニンの名すら知らない日本人も多いのではなかろうか。
同じコンクールで第5位だったルイサダや第4位の小山実稚恵に名実ともに先行を許し、後輩のキーシンにも大きく水をあけられている現状に鑑みれば、今となれば一過性に過ぎなかったブーニンブームは一体何だったのだろうかと思う。
本盤は、そんなブーニンブームが起きて約10年後の録音であるが、ここには先行しようというルイサダらの同輩や後輩であるキーシンを意識するあまり、何とか新機軸を打ち出そうとするブーニンの痛々しいまでの焦りが刻印されていると言える。
「ノクターン」と「スケルツォ」を交互に配置している点においても、ブーニンの並々ならない意欲が感じられるが、演奏を聴く限りにおいては、そうした意欲がいささか空回りしていると言わざるを得ない。
もともと、ブーニンのショパンは、コンクール優勝時から異色の解釈として物議をかもしていたが、デビュー当時は、テクニックさえあればいかなる演奏でも許された面がある。
しかしながら、デビューから10年も経てばそうはいかない。
テクニックだけが目立ち、個性的と言うよりはあざとさだけが目立つような演奏では、心ある聴き手からは見放されるのは当然のことと言えるだろう。
例えば超有名曲の「スケルツォ」第2番。
ここの中間部など、ポゴレリチなどの手にかかれば、実に憂愁な雰囲気が漂うのに、ブーニンは、何とか表情づけをしようと懸命にふるまってはいるものの、空回りしてしまい、単に明るい能天気な音楽だけが紡ぎだされていく。
これでは、いくら卓越した技量を有していたとしても、浅薄の誹りは免れないと言うべきである。
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2012年11月02日
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グルダのショパンというのはきわめて珍しい。
それもそのはず、本盤におさめられた楽曲の大半が、1950年代前半という若き日に録音されたものの、お蔵入りになっていたものだからである。
いやはや驚くべき演奏だ。
ピアノの音そのものは決していい状態ではないが、グルダがショパンを自在に扱っており、かつ音楽が自然に呼吸している。
どの曲も、いわゆる通説となっているショパンらしい優美な演奏とは言えない。
いかにもドイツ人らしいゴツゴツした武骨さを感じさせるものものしい演奏だ。
この野暮ったいほどの重々しい演奏は、はっきり言って、ショパンのファンからすれば許しがたい演奏かもしれない。
しかしながら、例えば有名な《24の前奏曲》の「雨だれ」。
このショパンの心臓の鼓動とも言われる苦悩に満ちた楽曲を、これほどまでにシンフォニックに演奏した例はあるだろうか。
「舟歌」も、華やかな表情の下にあるショパンの心の闇を見事に描出している。
したがって、ショパンを聴くというよりは、ベートーヴェンを聴くような崇高さを感じさせる演奏ということができるだろう。
グルダは超一級の演奏家であるにもかかわらず、演奏そのものより他のことばかりクローズアップする音楽ジャーナリズムの在り方に問題があると思った。
ちなみに《24の前奏曲》は、チューリッヒとグラーツのライヴ録音から息子のパウルがそれぞれ13曲と11曲を選んで再構成したもの。
どちらも全曲録音が残っているのに、それを素材として新たに全曲盤としたのは、いかにもグルダの息子らしい試みと言うべきであろう。
惜しいのは録音がいささか古い点で、グルダの透徹したタッチがややぼやけて聴こえるのは残念だ。
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2012年11月01日
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大型実力派ピアニスト、セルゲイ・エデルマンが録音を再開して3枚目のCDであるが、まさに満を持しての得意のショパンの作品集ということが出来るだろう。
その真価はとてつもなく大きく、さらに実力の精緻ともいえる、重量級のショパン・アルバムが完成。
そして、その演奏内容は、我々の期待を決して裏切ることがない、堂々たる名演であった。
エデルマンは、50歳に到達しようかという、漸く中堅に差し掛かろうという年齢であるが、とてもそうとは思えないような円熟の至芸を聴かせてくれる。
ここでもエデルマンは、ピアニストとしての実力は勿論、巨匠の音楽家として、容赦ない怒涛の演奏を繰り広げ、さらに頂点を極めると言って過言ではない、真の完成度に到達している。
精緻のピアニズムから紡ぎだされる音には、前出のバッハ、シューマンでも同様だった聴く者を捉えて離さない独特の魅力はそのままに、今回はさらに、熟年にさしかかった音楽家としての更なる包容力によって、これら大曲群を、さらに大きく創り上げている。
打鍵も力強く、テクニックも卓越したものがあるが、それでいて、抒情的な箇所の歌い方も決して甘くはならず、高踏的な気品を湛えており、これほどまでに格調の高いショパンは、最近ではほとんど珍しいと言えるのではないだろうか。
いずれの曲も名演であるが、特に「舟歌」、「幻想曲」、そして「幻想ポロネーズ」の3曲は、これら各曲のベストを争う名演と高く評価したい。
殊に「幻想曲」は数多いの同曲の録音の中でも、歴史的な名演を繰り広げていると言っても過言ではない。
エデルマンのショパンについて、本盤以外の曲もいろいろと聴きたくなったという聴き手は、筆者だけではないはずである。
エクストンのSACDはいつもながら極上の音質である。
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2012年10月25日
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2009年5月の録音で、小山実稚恵の進境の著しさを感じさせる1枚だ。
両曲とも素晴らしい名演だと思う。
ショパンの「バラード集」やシューベルトの「さすらい人幻想曲」など、最近の小山実稚恵の行う録音は、どれも注目だ。
ピアノ協奏曲第1番は、長い序奏を経た後のピアノの開始からして、尋常ではない心の込め方だ。
これは、決して自信なげなものではなく、小山実稚恵の確信に満ち溢れたアプローチなのだ。
主部に入ってからの堂々たるピアニズムの素晴らしさを何と表現すればいいのだろうか。
第2楽章も抒情のかたまりであり、終楽章への圧倒的な盛り上がりも見事の一言である。
第2番のアプローチも、第1番と同様であり、自信に満ち溢れたアプローチが、第1番と比べると格段に内容において劣る同曲を、実に魅力的な曲に再現していくのは、小山実稚恵の同曲への深い愛着の証左とも言える。
何よりも両曲に共通して言えるのは、小山実稚恵は、決してテクニックをひけらかさないこと。
あくまでも、内容の掘り下げに重点を置いており、その点を高く評価したいと考える。
筆者はショパンの協奏曲はツィマーマンの新盤、そして第1番はアルゲリッチ、第2番はフランソワのCDがあれば十分と思っていたが、このCDはそれらと同等に張り合う内容となっている。
音が極めて美しい上ニュアンスが豊かで細かいところまで綺麗に演奏していて、大切なものを慈しむような優しさに溢れた演奏である。
小山実稚恵は、ブーニンが優勝した時のショパン・コンクールで第4位。
ちなみに第5位は、ルイサダだが、その年のショパン・コンクールの稀に見るレヴェルの高さが伺い知れる。
SACDマルチチャンネルによる高音質録音も素晴らしいの一言であり、 はじけるようにキラキラ光る、それでいて柔らかいピアノの音は今まで聴いたことがなかったように思う。
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2012年08月08日
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本盤は、ポリーニがショパン国際コンクール優勝後、表舞台から一時的に姿を消し、自己研鑽を積んでいた時期の録音である。
したがって、ポリーニの若き日の記録ということになるが、既にここには、ポリーニの特徴である研ぎ澄まされた卓越したテクニックや、透明感溢れる強靭なタッチが見られる。
ポリーニの演奏のこうした非の打ちどころのない卓越したテクニックについては、絶賛する者もいる半面、非人間的であたたかみがないとか、あるいは表層的で浅薄という批判が一部に根強くあるのは否めない事実である。
しかしながら、本盤の演奏には、そうした一部にある批判をも吹き飛ばしてしまうような圧倒的な集中力や勢いがある。
ここでは、溌剌とした情感と冴えたテクニック、そして熟考された選曲の隅々までに神経が行き届いた、見事に音楽的な若いポリーニのショパンが聴かれる。
卓越技巧は言うに及ばず、理詰めと誤解されがちな完璧な演奏の合間に際立つ彼の音楽性は、正しく彼の歌い方であり、そこに彼の情緒豊かな感性を見る。
いずれも、後年にスタジオ録音を行うことになる諸曲を収めているが、後年の演奏とは異なり、どの演奏にも、切れば血が出るような生命力に満ち溢れている。
卓越した切れ味鋭いテクニックや、力強い、そして透明感溢れる力強い打鍵は、既にこの演奏の随所に伺えるものの、若さ故の生命力溢れる激しい燃焼度が、決してきれいごとではない、ポリーニの、引いてはこれらの諸曲を作曲したショパンの荒ぶる魂を伝えることになり、我々聴き手に深い感動を与えることになるのだろう。
ポリーニは、前述のように、本盤の後、数々のショパンの楽曲を録音することになるが、本盤こそ、ポリーニのショパンの屈指の名演と評価したい。
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2012年06月27日
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ポリーニによるショパンの練習曲集として有名なのは1972年のスタジオ録音(DG)であるというのは論を待たないところだ。
もっとも、有名ではあるが、当該演奏については評価が大きく分かれると言える。
確かに、技量という意味においては卓越したものがあると言えるところであり、おそらくはあらゆるピアニストの中でも最も完璧にショパンの練習曲集を音化するのに成功した演奏とさえ言えるのではないだろうか。
もっとも、聴きようによってはメカニックな機械じかけの演奏のようにも感じられるところであり、同練習曲集に込められた詩情や豊かな情感が犠牲になっているという批判も、あながち根拠がないものとは言えないところである。
ポリーニによるショパンの楽曲の演奏については、その後に登場したバラード集やスケルツォ集、前奏曲集、ノクターン集などにおいても同様のことが言えるところであり、技量においては完璧、しかしながら、その内容においてはいささか疑問符を付ける者も多く存在していると言わざるを得ないところだ。
このように、ポリーニのショパン演奏については、賛否両論が渦巻いているとも言えるところであるが、ショパン国際コンクール優勝直後にスタジオ録音された本演奏は素晴らしい。
もちろん、卓越した技量を披露している点においては、後年の演奏と変わりがないところであり、その抜群のテクニックの凄さには唖然とさせられるほどである。
しかしながら、本演奏はそれだけにはとどまっていない。
本演奏には、各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が全体に漲っているところであり、音楽をひたすら前進させていこうという鬼気迫るような強靭な生命力に満ち溢れている。
かかる強靭な迫力は聴いていて手に汗を握るほどであり、ショパン国際コンクールにおいて満場一致で優勝したのは当然のことであると思われるところだ。
さすがのポリーニも、本演奏のような気迫や生命力を、その後の演奏においても引き続き持ち続けるのは困難であったとも言えるところであり、その後は約10年にわたって対外的な演奏活動を休止したのは周知のとおりである。
音質は、1960年のスタジオ録音であるが、ステレオ収録ということもあって、十分に満足できる水準である。
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2012年04月08日
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グリゴリー・ソコロフは1950年生まれで、何度か来日しているが、ディスク録音の上ではようやく1994年から日本にお目見えしたといえる。
ソコロフは、1966年、16歳という若さでチャイコフスキーコンクールに優勝、世間にその名を轟かせた。
輝かしい経歴を持つにも関わらず彼の録音は極めて少なく、コンサート活動もあまり積極的には行っていない。
それにもかかわらず、これまで耳にした数点のCDは、いずれも驚嘆に値する出来ばえで、ロシアという土地が本物のピアニスト、本物の芸術家を生み出す力に、つい畏敬の念すらおぼえてしまう。
ソコロフの疑いなく巨きな姿は日本のディスク・ファンの前にまだ半分も見えていまいが、このショパンの《24の前奏曲》も実に素晴らしい。
《24の前奏曲》には、かねて名演も多いのだが、数年前にこのディスクを聴き終えたとき、筆者には、かつてこれ以上の演奏はなかったという実感があった。
したがって、正直にこの1枚を推すことにする。
完璧無比のテクニックと、聴くものの心をわしづかみにする驚異的な集中力で、根強いファンを持つソコロフのショパンの名演奏だ。
ソコロフの演奏は、どの曲でもフレーズのはしばしにまで深い思念をこめ、まさしく人間の手わざとしてピアノを響かせるもので、音符の間(ま)に得も言われぬ詩情の香りが漂う。
曲によっては緩いテンポをとるが、内面からの息吹が豊かであるため、少しもだれない。
1フレーズ、1音符のかげに濃い感動を滲ませ、切れば血を吹くような音楽を奏でるピアニストはいま、貴重である。
いま最も注目すべきピアニストの1人だ。
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2011年06月23日
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このショパン・アルバムは、アルゲリッチが1965年ショパン・コンクールの優勝直後に録音していながら、契約の関係で発売中止となり、ショパン没後150年にも当たる1999年に、ようやく世に出た演奏である。
こうした事情もあって新鮮な印象が強いが、当時24歳の彼女の力強いタッチや、凄まじい前進エネルギーには、改めて驚かされる。
音楽的には、鋭い閃きと豊かな感性を存分に発揮して自在に歌いあげる場面が、特に印象深い。
その自発的で瞬発力のある、アルゲリッチならではの演奏の作りは、たまらなく魅力的であり、「ソナタ第3番」に始まって最後の《英雄ポロネーズ》まで、聴き手を強くつかんで離さないほどのパワーがみなぎっている。
録音はいささか古いが、ここで奔出している驚くべき魅力は、いまなお特別の光を放っている。
抒情的な演奏、様式感のある演奏、ロマン的な演奏といった枠なんてここではもう何も関係がない。
ショパンのソナタという稀有な曲があって、アルゲリッチという稀有なピアニストが現れたというだけ。
これを冷静に聴けというのは無理というもの。
ショパン演奏の19世紀からの系譜や、現代の演奏スタイルなどとも関係がない。
まさにアルゲリッチ流の演奏で、聴く者はその中に引き入れられ、翻弄されるほかない。
それが正しいかどうかなんてわかるはずはないが、判断の対象ではない音楽そのものがここにある。
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2011年05月21日
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ポゴレリチの演奏は、ショパンの作品が可能性としてもっていながら、まだ誰も引き出して明らかにすることができなかった世界を、まざまざと開示しているといっても過言ではない。
単に深い味わいがあるというにとどまらず、その世界の雄大さを伝える見事な演奏だ。
しかも作品に真正面から正攻法で取り組み、各曲にミクロコスモスというよりもマクロコスモス的な存在感を主張させるのも立派だ。
ポゴレリチ最大の業績は、第7曲や第24曲などの新しい演奏解釈にある。
そこで、彼は従来のショパン演奏には決して見られなかったような荘厳さを獲得している。
また第13番では、元来のショパンらしい甘い響きも上手に再現している。
第15番(俗に言う「雨だれ」)の中間部には、変わっていて驚くというよりはむしろハッとさせるような厳粛さがある。
正直言って、この作品はポゴレリチに敵う演奏はない。
ありきたりの選択になるが、この人の弾く暗さとドラマトゥルギーにはもう頭が下がるし、音色の豊かさに圧倒される。
短調の曲でのゆっくりした部分では完全に出口のない絶望や孤独の音楽が聴ける。
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2011年01月12日
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これはポリーニが18歳で1960年のショパン・コンクールに優勝した直後のデビュー録音盤。
ポリーニならではの流麗なテクニックと卓越した音楽性を基盤にしたショパンである。
特別な解釈は施さず、終始しっとりとデリケートに運んでおり、力みは一切みられないが、協奏曲ともなればもうひとつの輝かしさが欲しい気もする。
クレツキの指揮は素晴らしい。
ロマンティックな情感を前面に出しており、スムーズな緩急と有機的な響きが見事だ。
特に第2楽章冒頭の雰囲気の豊かさは類例がない。
1980年代から今日に至るまでののポリーニは、すごいピアニストだとは思うけれど、いくぶん"悩める巨人"という趣がないでもない。
もちろん、芸術家によっては大いに悩むことによって生産性を増すというタイプもいるわけだけれど、ことポリーニに関しては、あまり悩みとかかわりあっていない頃のほうがよい。
少なくとも、私にとってはデビューした当時の彼の音楽性に、より魅力を感じる。
ここに聴くフレッシュな発想、直截で、屈託のないひびき、ストレートな表現力は、いま聴いても若々しい矜持があふれている。
この録音は若いポリーニがいかに完成されていたかを実証する記念碑的な演奏である。
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2010年07月06日
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ショパンが初期から後期に至るまで書き続けた「夜想曲」は全21曲が残されているが、ショパンの作品の中でも夜想曲を演奏することは特に至難の業である。
曲の表面に流されて、ともすれば、過剰にセンチメンタルになったり、曲の内部まで掘り下げずに終わってしまうからだ。
その点、このピリスの演奏はきわめて完成度が高い。
ショパンはもともとピリスの得意とするレパートリーだが、このアルバムでは特に円熟味を増した彼女の良さが生きている。
ピリスのレパートリーの中にはロマン派の作品も多く含まれ、中でもショパンは重要な位置を占めているのだが、そのわりに録音が少ないために一般的にはそれほど知られていないように思われる。
彼女の最も新しいこの《夜想曲全集》は、ピリスの演奏するショパンがいかに美しいかを改めて実感させてくれる。
ピリスは自然体でありながら、情感豊かに、さまざまな形式で書かれた1曲1曲の特質を適確にとらえ、多彩な内容を格調高く描き出している。
モーツァルトと同様に、美しい音色を基底として、その上に各曲の性格を巧みに弾き分けている知的な読みの深さが感じられる。
ピリスが当代一流の"モーツァルト弾き"であるのみか、ある意味で比類ないほどの"ショパン弾き"でもある事実を、如実に示したのがこの《夜想曲全集》だった。
ノクターンは決して、ショパンがこまやかな詩情のみを注ぎ込んだ音楽ではない。
これら21曲のうちに、ショパンはその情熱、意志の力、劇的な昂揚感のすべてをも托したのである。
このことを深く感じ取り、すべてをふさわしく表現できるピアニストを、あるいはショパンは待ち望んでいたのかもしれない。
そして、ここに、このポルトガル女性が現われた、とまで、聴きながら思ったものである。
すべてのノクターンが、1曲の例外もなく、それぞれの「いのち」を息づいている!
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2010年06月05日
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《バラード第1番》や《スケルツォ第2番》、《マズルカ》10曲などを収録したショパン・アルバム。
実にふくよかなショパンである。
単に音の美しさということではなく、ミケランジェリの表現そのものに惚れ惚れとしてしまう。
音と音が戯れあいながら自在に息づき、しかも作品の枠内に止まってその役割を演じきっているが、ひとつひとつの響きの情報量は極めて大きいのだ。
ここに聴くショパンは決して情緒的な性格ではないけれど、磨き抜かれた美しい音のつらなりはすばらしいもので実に気品豊か。
1音1音が珠玉のようだ。
ここでミケランジェリは彼の論理に貫かれた完璧な音の世界を構築している。
10曲のマズルカは土俗的な舞曲からは程遠く、ショパンがそこに盛り込んだ豊かな幻想性、ディテイルの面白さを突き詰めることによって精妙なガラス細工のような演奏を実現。
バラード第1番でみせる音の美しさも感嘆するばかりだ。
すべての音は完全にコントロールされながら、互いに生命を持っているかのように戯れあう。
しかもしっかりと全体を見通した設計も万全で、音楽は劇的な大きな流れを作り出していく。
そして、最後のスケルツォ第2番ではミケランジェリはダイナミックな表現も披露する。
いずれも名演だが、とりわけマズルカに聴くニュアンスが絶妙である。
音の理論に沿い、そして超える、希代の音の操り師の至芸である。
ピアノがもつ表現能力のひとつの頂点を極めた演奏といえよう。
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2010年03月29日
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ペルルミュテル盤は、高齢になってからの録音であるだけに、テクニックの衰えが気になるが、作品を知り尽くした者だけに可能な表現の旨みが際立っている熱演である。
音楽が単に鳴り響く音響効果物ではないことを、まさに鳴り響きながら、教えてくれる演奏だ。
根底には中庸を得たフランス的知性があるが、その中庸のなかに、ペルルミュテルは実に豊かな表現と表情のグラデーションを生み出してゆく。
楽譜からは直接読み取れないものをたっぷりと聴かせてくれるショパンである。
ペルルミュテルといえばラヴェルの演奏が印象的だが、このショパンもきわめて味わい深い。
演奏の特徴を一言で述べるならば、知的雰囲気をもった演奏とでもいえるだろうか。
つまり、音の背後にこの芸術を育てた土壌の豊かさ、もしくは精神的背景が実感される演奏なのだ。
そしてこれこそ今日の演奏から次第に失われつつあるものではなかろうか。
ペルルミュテルがショパンの世界に伸び伸びと飛翔する姿は、うらやましいの一語に尽きる。
無駄がなく、落ち着きがあってしかも自然な演奏。
良き伝統、正しい訓練、恵まれた才能の3つが結びつかなければ、とうてい生み出し得ないおおらかな趣がある。
これは何事にもかえがたい貴重な財産だ。
ペルルミュテルのショパンは、悠然たる風情を通り越してじつにゆったりと弾き進まれる。
したがって華麗な演奏効果を期待する聴き手には向いていないが、ペルルミュテルはひたすら作品の本質に迫り、それに自分自身を重ね合わせ、彼以外の誰にもできない語り口でショパンを再現している。
円熟とはどういうことであるかを改めて実感させてくれる演奏で、録音当時の大家の健在を強く印象づけられる。
いわゆる面白味には乏しいが、ショパンの作品の解釈に於ける一つの重要な規範として、今後も不変の価値を保ち続けるであろうに違いない。
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2009年05月19日
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内田光子がこの2曲をきわめて集中度の高い演奏で、素晴らしい録音を残している。
モーツァルトのピアノ・ソナタや協奏曲に取り組んでいた内田が、新たにショパンに取り組んだ最初の録音である。
内田はモーツァルトの演奏で世界的な定評をもつが、ショパンでも非凡な名手であるのが確認された。
ロマンティックな情緒は充分だが、ムードに流されない意志の強さがあり、ソナタとしての構成感をはっきりと打ち出しているのは、彼女が並のピアニストでない証拠である。
実に入念にひきこんだ演奏で、その落ち着きと、楽譜の読みの深さには心をひかれる。
音色的にも洗練を極め、和音においても決して汚い音を発しない。そして様式的な描き分けも充分で、きわめて知的な解析を得たショパンである。
内田はモーツァルト演奏でも示したように、独自の新鮮なショパン解釈をはっきりと提示している。
作品、あるいは楽章をまとめて全体としてのドラマを作るというより、それぞれの箇所に秘められた音楽的情報を綿密に解明していくという基本的な方法論は、このショパンでも明らかである。
これは、いわば伝統的ショパンにおいてつきまとう、一種のムードとでもいうべきものを払拭し、的確に今日の眼と耳でとらえたショパンだ。
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2009年05月17日
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ポリーニの演奏スタイルが多少変わってきたころのものである。
どの曲も非常にダイナミックで劇的な表現になっているが、以前のような澄んだ明快さよりも、どこかドイツ的な粘りをもった情緒表現が加わったように感じられる。
だからロマン的な性格をより強く押し出している。
とはいえアルゲリッチよりはもっと張りつめたような鋭利な表現力と、意志的な力で構成された演奏である。
ポリーニのシャープで歯切れの良い音と磨き抜かれたテクニックで作りあげられていくショパンは、情緒的、装飾的といった風ではなく、深い構造性を感じさせる大変聴き応えのある演奏である。
ここでも彼は決して走ることなく確実な慎重さで落ち着いた好演を聴かせてくれる。
しかし、この淡々とした静かな語り口がかえって聴き手に訴えかける効果となっているのではないだろうか。
ことにピアノ・ソナタ第2番では、内面的な深さを感じさせる第1楽章、一点も滞ることのない第4楽章、とにかくポリーニの音楽家としての奥行きの深さを確かめることのできる名演である。
そこには、安易な気構えで近づくならはじき飛ばされてしまいかねないような強靭な存在感がたちこめている。
いうなれば、ショパンの音楽における「ますらお」ぶりを代表するような演奏といえよう。
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2009年04月23日
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ポリーニの演奏はこの「夜想曲」においても、人の感情をかきたてるというより、むしろ覚まさせる。
音は例の硬質で美しい響きだし、充分になめらか、充分に変化に富んでいる。
でも、どこか反ロマン的で、美しさに感動させても、人を酔わせるというよりは覚めさせる。
それがすばらしいのだけれど、嫌がる人がいたって当然だ。
人を酩酊させる覚醒剤。人を覚醒させる酒。なんとも不思議だ。
でも基本ははっきりしている。ポリーニの演奏は一瞬たりともまどろまず、覚醒を徹底的に追求している。
なんとなく、とか、気分のままに、なんて弾き方はポリーニにはかけらもない。
ショパンに軽く酔って気持ちいい、なんてわけにはいかないし、うっとりしながら付き合うのも難しい。
19世紀からこんなに遠くまでやってきてしまった現代人が、そうあっさりと"ロマンティック"になんてなれない。
そう思ったとき、ポリーニの弾くショパンがある。
味わうためにどこかを休ませる必要はない。眠らせる必要はない。それどころか、覚めてゆこうとするのをますます加速させればいい。
ピアニストは技と意志を確保しながらだから大変だけれど、それで人の感情を動かす人はいる。
でも、覚醒を徹底し、先の先まで到達して、別のかたちのロマン派音楽を聴かせるピアニストが、ポリーニのほかにいるだろうか。
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2009年04月01日
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フランソワは46年という短い生涯のなかで(1924-70)、ショパンを愛し、お酒を愛した名ピアニストで、演奏も生活も奔放とも言える天才肌だった。
特別な人を選んで溢れんばかりの才能を与えるのも神なら、その当人を46歳で早世させるのも神なのだ。
6歳ですでにヨーロッパ各地で演奏会を催し、パリ音楽院を一等賞を得て卒業し、ロン=ティボー国際コンクールの第1回で大賞を受賞という経歴から想像する「筋のよさ」や「よく構成された」種類の演奏と、実際の彼の演奏は大分異なる。
私がフランソワに魅せられるのは、彼のピアノがもたらす確信に満ちた風情である。
「ショパンの音楽はこんなに強く激しく自分を主張していたのか!」と耳が驚く。
フランソワの確信は彼が「作曲家としてもモダンで詩的な作風で知られる卓越した一人である」ことから来ているのだ。
それだけに同じショパンを弾いても、いわば無碍の自在さがあり、知りぬいた曲を、常に新しい感動を以て接する気配があった。
つまり即興の持つ気力の充実が、彼の演奏に新鮮さをもたらしていたわけだ。
どの演奏を聴いてもフランソワらしからぬものはないといってよく、ショパンを愛したユニークなピアニストの音楽を堪能することができる。
とにかくショパンの作品の隅々から、思いもかけないたっぷりと充実した表現を引き出してくる業は、実にスポンテイニアスだ。
努力や学習によって身に付くものでないだけに、今日ますます貴重なものに思えてならない。
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