シューマン
2008年04月25日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
みごとな出来ばえである。
さりげない弾き出しながらツボを押さえた「ダヴィッド同盟舞曲集」から、「暁の歌」までが全体として充足しきった情景をつくり出している。
ポリーニらしい完璧な演奏だ。
音の陰にある音までが鮮やかに浮かび上がり、リズミカルな躍動感を失うことなく爽やかに歌っている。
ポリーニの演奏の特色は表現の抒情性にある。
この抒情は透明で純粋、そして新鮮さにあふれたもので、このユニークな抒情によって19世紀のこれらの作品が新しい生命を得るのだ。
ほとんど演奏されることのなかったソナタ第3番ヘ短調(1836年初版)も、この抒情の徹底した表現でひきつける。
「クライスレリアーナ」でも、基本的には抒情性を重視する一方、シューマンのパッションを、リズミカルな動きと幅広いたっぷりとした響きによって鮮やかに映し出している。
シューマンの音楽と、ポリーニのラテン的で観照的な感性との絶妙な会話が演奏に独特の味わいを添えている。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
2008年03月14日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
「グランド・ソナタ」が表現の幅の広い実にスケールの大きな演奏であり、ホロヴィッツの持ち味が存分に発揮されている。
「フモレスケ」は止まることを知らずにうつろいゆくテンペラメントの表情も豊かで、即興的な趣を感じさせる。
そうした自在感はほかの曲においても強く支配しており、いずれをとってもまさしくホロヴィッツからしか聴けないシューマンだ。
「子供の情景」は自由奔放、即興的に多彩な表現を繰り広げ、各曲の性格を浮き彫りにして楽しませてくれる。
「クライスレリアーナ」は磨かれた響きでシューマンのロマンの世界、耽美な世界を鮮烈に再現してみせてくれる。
「トッカータ」など珍しい作品も入っているが、どの曲もホロヴィッツがシューマンの曲をごく身近なものとして所有し、その世界で自在にシュピレーン(演奏・遊び)している。
そこに聴き手は思わず引き込まれてしまう。
そうした自然な語り口こそホロヴィッツ一流のものであり、曲の流れの読みもさすがで、シューマンの内へと向かう炎が見事に外側に反射・投影されている。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
2008年03月04日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
シノーポリは指揮者というだけでなく作曲家でもあったが、大学では精神医学も修めたことからも分かるように、音楽家としては異例の多彩な背景を持っていた。
作品をただ美しく、あるいは劇的に再現して終わるのではなく、作曲家の深層心理にまでメスを入れ、なぜこの作品は書かれなくてはなかったか、そこに秘められたメッセージの真意は何だったのかといった次元にまで分け入り、その疑問と回答に至る過程を演奏という再現行為でみせてきた指揮者と言ってよいであろう。
この演奏はシューマンの情熱を激しく感じさせる。
苦悩にみちた作曲家の筆を背後に秘めながら、精密極まる演奏が、シューマンの心の中を恐ろしいようにあばいてみせる。
ふくよかな金管の響きと、小刻みに動き廻る弦楽器のパッセージが特に印象的。
ここにはピアノ書式オーケストラに移したシューマン独特の面白さが実によく出ている。
ウィーン・フィルの超絶技巧なくしてはこうした絶妙な演奏はありえない。
深みにはまると動けなくなるが、シューマンの毒と罠が聴き手を羽交い締めにし、動けなくしてしまう怖い名演である。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
2008年02月09日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
手の故障から奇跡的な復帰をはたしたパネンカとスメタナSQの共演は1960年のシューベルト/「ます」以来。
同SQにとってはドヴォルザークは4回目、シューマンは2回目の録音で、その演奏は練りに練られている。
ちなみにドヴォルザークの第1回モノ録音のピアノがパネンカだった。
パネンカのピアノは、以前にも増して深い味わいがある。
スメタナSQも一段と円熟味を加えているが、この演奏の成功は、パネンカの力による部分が大きいといえる。
彼は、表面はすこぶるノーブルな音ながら、針のように鋭く光るものを内に秘めており、そこに室内楽の極意を見る思いがする。
ドヴォルザークでは、ボヘミア色を強く打ち出しつつも緊密なアンサンブルを保ち、シューマンでは、パネンカのピアノが一層の冴えをみせている。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
2008年02月04日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
このブレンデルのシューマンは実に新鮮である。
つまり、いままでに、シューマンの作品がロマン主義の時代からそれこそ1世紀半の時間をかけて身につけてきたもの、あるいは作品にしみこんでしまっていたものが一切洗い流され、この瞬間に新しく生まれ出てくるような新鮮さをもっている。
細部に至るまで完全に読み返され、1つ1つの音が再度意味づけされているといっても過言ではあるまい。
ブレンデルは情に流されない。
常に全体のデッサンを頭に入れつつ演奏を進めてゆくが、窮屈でわざとらしいところは少しもなく、濃厚すぎない感情表出が、清新な感受性に支えられて繰り広げられてゆく。
「クライスレリアーナ」でさえ、彼の手にかかると見間違えるほど爽やかな音楽となってしまう。
「子供の情景」の各曲でも、きめの細かい表現をみせている。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
バーンスタインのシューマンに寄せる感興の強さが感じられる全集。
第4番では幻想的な趣を深刻に表出したかつてない素晴らしい表現で、全集中の最高傑作だ。
バーンスタインは、切れ目なく続く4つの楽章の互いに関連しあう循環主題を、曲の構成に従い、意味や感情を様々に変えて表現する。
「春」の冒頭などもバーンスタインの面目躍如たるもの。
ライヴのためか気持ちの動きが次第に高揚し、音楽を加熱していくのも極めて自然。
第2番は前半の2楽章にバーンスタインらしい活気が見られる。
第1楽章は素晴らしく表情が豊かで、リズムの弾力性や入念さが個性的だ。
第2楽章はウィーン・フィルの弦合奏が見事。
「ライン」は冒頭から力がこもっていて、非常に情熱的な演奏である。
祝典的な壮麗さより、その圏外に身をおく作曲者の憂愁を表しているようだ。
これは全篇をおおっていて、憂鬱な印象をぬぐい去ることができないが、これが本当のシューマン像ともいえる。
どの曲もウィーン・フィルのアンサンブルは驚くほど精妙で、テンポやリズムにも独特の主張が感じられる。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
2008年01月07日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
ディヌ・リパッティは純粋に選ばれた音楽家であり、天成の詩人だとつくづく思う。
いずれも1950年に33歳で夭逝したリパッティの高い音楽性、その解釈にみられる知性と情熱のバランスのよさ、磨き抜かれた技巧を伝える貴重な記録だ。
ペダルを控え目に使った澄んだ響きは、他のピアニストの追随を許さない独特な雰囲気をもっている。
グリーグは特に形容する言葉もないほど。
録音こそ古いが、毅然たる端正な造形の中に立ちこめるデリケートなニュアンスと憩いの感情はまことに素晴らしい。
とりわけリパッティならではの清らかなタッチの冴えが、高雅で純潔な北欧の香気をまき散らすのである。
シューマンも同曲異演盤中最高の名演だ。
グリーグの翌年のレコーディングだが音が崩れて鈍く、今ひとつ彼の良さが伝わって来ない。
しかし演奏は、厳しい迫力とシューマンの夢を表出しており、さすがといえよう。
死の10ヶ月前に開いた最後のコンサートのライヴは、音は悪いが素晴らしく感動的だ。
表現は異常に痛烈で、悲劇的な訴えを持ち、厳しい気迫にあふれながら清らかな香りを失わず、感受性が音色に匂い出ている。
まさに魂の叫び声というにふさわしい。
ちなみにハスキルのベートーヴェンも音は悪いが、デリケートであるとともに人間的な温かさにみちている。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
ミケランジェリの「謝肉祭」は活力がみなぎっており、リズムの刻みが鋭角的で動意をはらんでいて、演奏全体に大きなうねりが感じられ、それが聴き手を刺激し、緊張させる。
ミケランジェリの《熱気》が感じられる。
ミケランジェリが音色に関して特異な感覚をもち、その美を追求するピアニストであるのは周知のことだが、その音色美の実現が「謝肉祭」では至上目的になっているようで、その結果、たとえば音楽の流れ、演奏の勢いといったものが犠牲に供されているような感じを受ける。
細部は見事。各曲にすこぶる繊細な表情をつけながら弾きあげているのは魅力。
しかし、演奏全体の仕上げとなると弛緩気味。ミケランジェリ・ファン以外は興味をそそられる出来とはいえない。
とはいえ「休憩」から「フィリスティンたちを討つダヴィッド同盟の行進」にかけての設計は、唖然とするほどうまい。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
2008年01月03日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
今日シューマン的な魅力を発揮するピアニストといえば、誰でもまずアルゲリッチを考えるだろう。
彼女の演奏はシューマンの作品に対する内省的な洞察があるとともに、この作曲家の外へ燃え出る強烈な表出力と深く沈下する情熱が見事に調和しているのである。
それはまたCDでありながら演奏の一回性を強く実感させる。
実に素晴らしい独自のシューマンの主張として、強い説得力を持つ音楽だ。
アルゲリッチの特色が最大限に発揮されており、それゆえに息もつかせぬ面白さを満喫できるのは「クライスレリアーナ」である。
これ以上ロマン的な表出は不可能を思われるほど自由奔放であり、アルゲリッチのインスピレーションと歌が強く押し出され、独自の世界を繰り広げてゆく。
それに比べれば「子供の情景」は抑制が効いているが、ここでも各曲をファンタスティックに精妙に弾きこんでいる。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
2007年11月25日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
イギリスの評論家、ピーター・ピリスが
「フルトヴェングラーが、シューマン交響曲第4番のレコーディングで特筆に値する勝利を収め、後に対して最も偏見を抱いている人間たちからさえ賞賛を勝ち得たことは、他の作品にみられる彼の有名なテンポの変動が、気まぐれの産物ではなく、その作品自体に対する深い研究の成果であったことを証明している。」
といった通りである。
録音されたのは、1953年5月で、フルトヴェングラーが亡くなる一年半前、後の最期期のレコーディングである。
いわば完成期の表現であるが、彼が晩年に目指した演奏様式の理想像である前述の
「形式は明確でなくてはならないが炎の核があって、この形式を隈なく照らし出さなければならない。」という言葉の真意がこのシューマンで実証されている。
私はフルトヴェングラーの正規の録音で入手可能なディスクはほぼ全て聴いたが、これこそフルトヴェングラーの全録音を通じて最高位にランクされる不朽の名演としたい。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
フルトヴェングラーは指揮者としては珍しい論客であり、少なからぬ著作があり、ロマン音楽についての彼の見解・論考が発表されているが、シューマンについての発言はみられない。
広く容認されているように、シューマンの交響曲はその構成の晦渋さとオーケストレーションの弱体が容認できなかったのではあるまいか。
しかし、そのシューマンのレパートリーの中で「第4」を取り上げた回数が最も多く、特にレコーディングセッションまで行って演奏記録を残したということは、四つの楽章が切れ目なしに演奏され、あたかも全体が一つの楽章の作品であるかのような大きな「うねり」をもって構成された、ロマンティックな感情の起伏をフルトヴェングラーが好んだためであると考えられる。
その天性の即興性が生み出す自在な音楽の揺れ動きと感情の高まりは、曲の構成と一体となって聴く者をつかんで離さない。シューマン自身が「大管弦楽のための交響的幻想曲と呼んだ、大きく曲折したエモーションの起伏の幻想的な表現が、見事に達成されているのである。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
2007年11月15日
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
シューマンが独善的な、あるいは神がかりの作曲家ではなかったことを述べておかなければならない。
評論家としてのシューマンは、広い知識とすぐれた鑑識眼を持ち、公正で適切な判断を下した。
ショパンの才能を即座に見抜き、「天才」と評してドイツに紹介したのは他ならぬシューマンだったし、ブラームスの才能を認めたのもシューマンだった。
そしてメンデルスゾーンを尊敬し、自分とは行き方の違うリストをも偏見なしに評価している。
過去の作曲家については、バッハを再評価したし、ベートーヴェンについて精力的に論じ、忘れられそうになっていたシューベルトを正当に評価している。
シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」を「天国的な長さ」と評したことは有名だが、このあたり、いかにもシューマンならではの文学者の感性と鑑識眼がうかがえて興味深い。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
1840年頃には、シューマンは独唱歌曲(リート)を書くようになる。彼が文学に造詣の深かったことを考えれば、これは当然のことと思われるが、それだけで説明がつくものではない。いくら文学的素養があろうとも、音楽的な才能がなければすぐれた歌曲は書けないからである。
代表作「詩人の恋」は、シューベルトの「冬の旅」とともに歌曲集の傑作となっているが、ここではピアノが単なる伴奏ではなく、いわば「歌とピアノのデュエット」となっている。
第1曲「美しい5月に」の音楽は長調の明と短調の暗が微妙に交錯し、さりげなく明朗に歌っているようでいて、その陰にはいいようのない寂しさが鋭い感受性で表現されている。
ダントツの特選盤がフィッシャー=ディースカウとエッシェンバッハのグラモフォン盤。
F=ディースカウは、素晴らしい声のコントロールと、詩の内奥に斬り込んだ鋭い心理描写で聴く者の胸を打つが、それと同程度かそれ以上に素晴らしいのがエッシェンバッハのピアノである。
このふたりによって、シューマンの歌曲は幾重にも屈折したところで自閉的な世界をあやしく光らせる。この歌曲集に秘められた「にがい苦しみ」をこれほど噴き出させた歌手、ピアニストは例がない。
この他、2つの「リーダークライス(連鎖歌曲集)」、「女の愛と生涯」もすぐれた歌曲集である。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。
シューマンほど文学に鋭い感覚を示した作曲家はいなかった。彼の最高傑作の一つである「詩人の恋」にどっぷりと浸った経験のある人なら疑う余地はないだろう。私もその一人であった(カテゴリのプロフィールをご参照下さい)。
彼の父アウグストは書籍商で出版も手掛け、自ら小説も書く人物だった。このような家庭環境に育ったシューマンはゲーテ、シェークスピア、バイロンを好んで読んだ。
シューマンの性格もまた文学的だった。彼は感受性の鋭い若者であった。いや、感受性が鋭い、などという生ぬるい表現は不適切かもしれない。
父は晩年に精神の異常をきたし、姉も同じく精神に異常をきたして自殺した。後にシューマンも自殺を計って、精神病の治療を受けることになる。現在では、統合失調症あるいは躁鬱病であったろうと推測されている。
演奏家にせよ、作曲家にせよ、音楽家は日常生活において概して現実的かつ常識的であり、本当に夢想癖や空想癖のある人物は一般に考えられているよりはるかに少なく、精神に異常をきたすことも稀である。
これに対して、画家や小説家には精神的にアブノーマルな人物がしばしば見られる。
このような観点からすれば、シューマンは音楽家である以上に小説家の感性の持ち主であった、といえるかもしれない。事実、シューマンは音楽を独学で学んでおり、どちらかといえばアマチュアで、本格的な音楽教育を受けたのは18歳になってからのことだった。
ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング
クラシック音楽ファンなら
泣いて喜ぶ秘密の名盤集
初心者むけに3枚。そして玄人のためにあの有名音楽評論家すら知らないかもしれない渾身の2枚を紹介しています。