シューマン

2017年07月22日


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これまでにベルリン・クラシックスから個別にリリースされていたペーター・ダムの演奏集がバジェット・ボックス6枚組にまとめられたことは高く評価したい。

ただし彼のドイツ・シャルプラッテン音源を網羅したものではなく、例えばブロムシュテットとのモーツァルトのホルン協奏曲集やバロック及びロマン派の作品集の少なくともCD3枚分が選曲から漏れている。

当時の担当レコーディング・エンジニアの違いによる結果なのかも知れない。

またダムは主だったレパートリーを複数回録音しているが、ここではその中のひとつに限定して収録されていて、シューマンの4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュックは1961年のコンヴィチュニー&ゲヴァントハウス盤が選ばれている。

ちなみにこの6枚はオリジナル・レコーディングからの新規リマスタード盤で、音質が極めて良好な全曲ステレオ録音になる。

このセットの中でもCD1のR.シュトラウスの2曲とCD6の20世紀の2人の作曲家によるホルン協奏曲は圧巻だ。

前者は作曲家の得意とした歌心に溢れたメロディーを充分に生かしたダムのソロが冴え渡り、レーグナー率いるシュターツカペレ・ドレスデンの堂々たるサポートも聴きどころだ。

後者では鮮やかな超絶技巧を披露するヴィルトゥオジティと共に斬新なオーケストレーションを作曲家クルツ自身の指揮とシュターツカペレ・ドレスデン及びケーゲル&ドレスデン・フィルの高度に洗練された再現で聴くことができる。

ちなみにR.シュトラウスの方はEMIのケンペ盤もホルン愛好家にとっては有力な選択肢になるだろう。

CD2の室内楽作品集も魅力的な1枚で、ベートーヴェンのホルン・ソナタは名手による録音自体が少ない中で、最も優れた演奏に挙げられる。

CD3のコラールを中心としたホルンとオルガンのための音楽では、ダムのホルンは殆んどコルネットのような高音と軽快さを聴かせている。

これはライナー・ノーツ見開きの写真に掲載されているようにディスカント・ホルンを使っているためで、通常のホルンよりかなり小型であることが見て取れる。

名器ジルバーマンを弾くショルツェの華やかなオルガンのサウンドも効果的だ。

一方CD4のフランス物ではペーター・レーゼルとの飛びっきり洒落たセンスと軽妙洒脱な音楽を堪能できる。

旧東独でのレコーディングは1947年以来私企業だったエテルナ社が担当していたが、1955年からはその後の音楽産業を一手に取り仕切る国営ドイツ・シャルプラッテン傘下のクラシック部門ベルリン・クラシックス、エーデル・クルトゥーアに引き継がれ活動を続ける創業70年になる老舗レーベルだ。

現在でも音響効果に優れたドレスデンのルーカス教会やライプツィヒ・ゲヴァントハウスを本拠に録音を行っていて、ユニヴァーサルなどとは一線を画した独自の存在感を示している。

このセットのレコーディングは1961年から1987年にかけて行われているが、演奏内容は勿論、音質的にも西側に決して引けを取らない水準に達していたことが理解できる。

ベルリン・クラシックスは今年になってオーケストラル・ワーク、室内楽、声楽曲などの過去の名演集をまとめた19セットほどのCD及びLPの記念盤をリリースしている。

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2017年06月04日


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2015年に亡くなった指揮者クルト・マズアの追悼盤はこれまでにユニヴァーサル・イタリーからのベートーヴェン交響曲集及びワーナーからのメンデルスゾーン交響曲集のそれぞれ全曲集がリリースされていて、それらの殆んどがベルリンの壁崩壊を前後して録音されたものだ。

一方こちらのオイロディスク音源はいずれもライプツィヒがまだ東ドイツに属していた1970年代の演奏で、メンデルスゾーンは第1回目の全集になる。

ブルックナーに関しては2014年にソニー・クラシカルから廉価盤化された9枚組と同一音源なので、そちらを購入済みの方は注意されたい。

マズア壮年期の堅牢ですっきりしたオーケストラ統率と頑ななまでの正面切った解釈、そしてこの頃のゲヴァントハウス管弦楽団も良い意味でのローカル色、つまり飾り気こそないが深みのある豪快な表現力に魅力がある。

ウィンド、ブラス・セクションの音色は西側のオーケストラより素朴だが、真摯で古風な風格を備えていてバッハ以来の音楽都市ライプツィヒの伝統の重みを感じさせるのも事実だ。

マズアは映画『クラシック音楽と冷戦』の中でインタビューを受けているが、それによれば彼は当局の方針をはぐらかしながら音楽活動をしていたことが理解できる。

だからこそベルリンの壁が崩壊した時、先頭に立って人権の自由と開放の喜びを宣言したのだろう。

こうした1人の芸術家としての頑固な信念も彼の指揮に反映されているのではないだろうか。

その象徴的な演目がベートーヴェンの『フィデリオ』で、当時の彼らの自由への隠された憧憬が強く印象に残る演奏だ。

ブルックナーでの一切の誇張を避けた真っ正直な指揮からは濁りのない純正な音楽のダイナミズムが築かれていて、一過性の熱狂とは異なったより普遍的な感動を呼び起こす。

メンデルスゾーンはかつてのゲヴァントハウス管弦楽団の楽長だったし、またシューマンの交響曲は第3番を除く3曲は同オケが初演を飾った作品なので、彼らの伝家の宝刀とも言うべき貫禄を示した磐石な表現に説得力がある。

ここではまたシューマンの珍しいレパートリー、ゲーテの叙事詩から構想され、フランス国歌『ラ・マルセイェーズ』が使われた序曲『ヘルマンとドロテーア』が思いがけないボーナスだ。

尚バジェット・ボックスということもあり残念ながらライナー・ノーツは省略されているが、音質はリマスタリングの効果もあり鮮明で極めて良好。

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2016年12月30日


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シューマンの交響曲全集で誰のものを選ぶのかときかれると、すごく迷う。

大御所クレンペラーのものは、1960年2月の第4番から1969年2月の第3番までじつに9年間をかけた労作だが、1曲1曲を録音していったら「全集」になったと言ったほうが正しいのかもしれない。

ゆえに、年代を追うに従って指揮者やオケに変化が生じてしまっている。

サヴァリッシュのものは、当時のシュターツカペレ・ドレスデンのあまりのすばらしさ(特にティンパニのゾンダーマン!)に驚嘆するが、この世界最古の由緒ある楽団の魅力が指揮者の魅力を上回っているとも言えなくない…。

そこで今回取り上げるのは、アムステルダム生まれのハイティンクが、自ら四半世紀も統率した名門コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したものだ。

ハイティンクは、作品に真正面から向き合い、まとまりの良い端正な音楽を、柔らかみのある美しい響きでたっぷりと鳴り響かせて、その魅力をストレートに引き出してくる指揮者だ。

こうしたアプローチを「個性がなく」「平凡」と言ってしまうことも可能だろうが、彼において確実に「非凡」なのは、オーケストラの響きを練り上げ、アンサンブルを見事にまとめあげていく能力である。

この非凡さが、「平凡」な解釈を、小手先の細工を弄したり斜に構えてみたりといった幾多の一見「個性的」な解釈よりも、はるかに説得力のあるものに変えるのだ。

シューマン独特の夢見るようなオーケストレーションを流麗に再現しながら、どこをとっても奇を衒わぬストレートな解釈で、それが聴き手に強い説得力をもって迫ってくる。

ハイティンクは全集の多い指揮者の1人だが、それは時代や作曲家にかかわらず、手掛ける作品のすべてにおいて均質で高い水準の演奏を成し得る指揮者だからだろう。

そして長年の経験のもとに1980年代に入って意欲を燃やしたのがシューマンの交響曲であったが、当時のハイティンクの気宇の大きさと音楽的な成熟を反映して、シューマン特有のオーケストレーションから豊麗な音楽を引き出している。

こうして完成された全集は、4曲すべてがハイティンクらしい無理のない妥当な表現の中に濃やかで精密な表情を盛り込み、コンセルトヘボウ管の伝統的な、ほの暗い響きと渋みのある重厚な響きを生かして、それぞれの作品の持ち味を伝えており、一方で軽やかな推進力をもって、新鮮な音楽を聴かせる。

この演奏は全4曲のすべての出来映えにまったくむらがなく、作品の本質に触れており、解釈も誠実この上ない、いずれ劣らぬ名演となっている。

結果的に第1番の若々しいロマン的情緒や、第2番の深々とした叙情の変転、第3番の明るい輝きに満ちた力感の表明、第4番の内向する幻想の広がりと、それぞれの曲の性格が見事に明らかにされていて、現在の最良の全集である。

ピリオド楽器による演奏を聴き慣れた耳には、響きがやや厚くなり過ぎる傾向もあるが、基本的には柔らかく豊かな表現で落ち着いた音楽作りをしており、また、細かい動機まで、明確に聴取できる明晰さも持ち合わせていて、安心して楽しめる内容を持っている。

第1番《春》は、明るく明晰な表現でこの交響曲にある優美な快活さと若々しくフレッシュな感覚をバランス良く的確に表出し、また立体的に構成しながら、その中にシューマンの若々しいロマンティシズムが横溢しており、爽やかでありながらぬくもりのある表情が印象的である。

冒頭から抜けの良い響きで、明るく力強いが、序奏に続く第1楽章主部は速めのきびきびしたテンポで覇気を感じさせる。

一方緩徐楽章にはほの暗く物憂い雰囲気もあり、終楽章は落ち着きのあるテンポをとりながらも、生き生きとしている。

第2番は第4番とともに、最もシューマンの音楽性を鮮明に表出した曲と言えるが、その個性的な楽想と構造をハイティンクは明晰に処理しながら、作品に潜む深沈とした叙情の変転をくまなくあらわしているのが良く、流麗さにおいても際立ち、きわめて洗練された演奏である。

落ち着いて安定感があり、流れが良く、緩徐楽章にも深みのある温かい情感が漂っていて、この指揮者らしい誠実さが、こうした作品では格別の長所になっており、オーケストラの統率についても言うことがない。

第3番《ライン》は、明るく明確、そして流麗な旋律美に溢れた表現で非常に中身の濃い演奏になっていて、相変わらず堅実無比の好演である。

オーケストラを存分に鳴らしながらゆとりある美しい響きを作り出し、起伏に富んだ演奏を聴かせ、個々の部分の造型よりも全体のまとまりある構築を考えたオーソドックスな演奏で充実感がある。

この曲に必要な明るい輝きもあって、作品の特色を明らかにしており、生き生きと表現された第1楽章や壮麗な気分を格調高く歌い上げた第4楽章などに、地味ながらめきめき力をつけていった実力派の巨匠の音楽的成熟が窺われる。

第4番は、豊かな響きと明晰な声部処理でまとめあげるなど、造型的な配慮が行き届いているのが良く、幻想的な趣と劇性の配分も聴き手を納得させるのに充分で、この作品を知るためには最良の演奏である。

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2016年12月26日


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カルロ=マリア・ジュリーニが彼のロンドン時代にセッション録音した3曲を収録したアルバムで、当時全盛期だったフィルハーモニア管弦楽団との協演をハイブリッドSACD化したものである。

3曲ともジュリー二の追悼盤としてリリースされたEMIの『ロンドン時代のジュリーニ』17枚組セットにも組み込まれている。

シューマンの交響曲第3番変ホ長調『ライン』は、マーラーがオーケストレーションに手を加えたスコアを使用しているのが特徴で、作曲家のオリジナリティーを尊重する現在では稀な演奏と言える。

またそれが妥当かどうかは別として、シューマンのオリジナル・スコアの音響との比較が興味深い。

シューマン自身オーケストレーションの困難さは自覚していたようだが、結果的には独自の分厚く籠ったサウンドを生み出し、曲種によってはかえってそれが効果的に機能しているのも事実だ。

例えば第1曲目の序曲『マンフレッド』は暗雲立ち込めるような重苦しい雰囲気が主人公マンフレッドの数奇な運命を暗示しているし、ジュリーニの指揮もそれを意識している。

一方交響曲『ライン』は曲想の示している解放的な雰囲気から、ジュリーニは敢えてマーラー版を採用したと思われる。

ただ彼はマーラーによってシェイプアップされたサウンドが軽佻浮薄になるのを避けるためか、冒頭は荘重なテンポで開始している。

マーラーにはその独特な音響感覚だけでなく尊大とも思える天才意識があったようで、オーケストレーションだけでなく、それに伴う発想記号まで変えているし、シューマンのみならずベートーヴェンの交響曲にさえも容赦なく手を入れている。

しかしながらこうした改竄は今日では到底許されるべきことではないだろう。

尚シューマンの2曲に関してはライナー・ノーツに1958年オリジナル・コロムビア・グラモフォン・カンパニーによるロンドンでの録音と記載されていて、序曲の方は解像度の高い完璧なステレオ録音だが、交響曲『ライン』は何故か擬似ステレオ化されたモノラル録音で、その理由については言及されていない。

音場に奥行きが出ているのはSACD化の効果だろう。

最後のチャイコフスキーの交響曲第2番ハ短調『小ロシア』は他より2年古い1956年のセッションだが、幸い歴としたステレオ録音で音質も3曲の中では最も良く、SACD化でのリイシューは朗報だ。

EMIのステレオ録音盤の正規リリースは1958年からだが、実際には既に試験録音を始めていたことを証明している。

チャイコフスキーの交響曲としては例外的に明朗な作品で、スラヴ民謡を採り入れた国民楽派的な作風から『小ロシア』のニックネームが付けられたようだ。

ジュリー二の卓越した劇場感覚がバレエ組曲を髣髴とさせる色彩感溢れる気の利いた音響を創造していて、飛びっきり軽快なスケルツォや終楽章の変奏曲でのコサック・ダンスのホーパックさながらの盛り上げが聴きどころだ。

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2016年12月25日


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クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集、序曲集はいずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーのシューマンにおけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

緩徐楽章等における情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

全集の中でも交響曲第1番は最も優れた超名演として、これまで多くの音楽評論家によって絶賛されてきたところであり、第1楽章の頭から魂の祭典のようだ。

ハーモニーの物凄い密度、巨大な迫力、リズムは地の底まで抉り抜かれ、じっくりとした風格と重量感に満ち、クレンペラーもよほど体調が良かったのだろう(1966年、80歳の時の録音)、実に生き生きとした新鮮な音を出している。

「春」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では明朗で詩情に満ち溢れた楽曲であるが、クレンペラーは前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。

演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫りの深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲の様々な演奏に冠絶する至高の超名演と評価しても過言ではあるまい。

交響曲第2番は、シューマンの精神的な疾患の影響が反映された楽曲であり、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)や、より激情的でドラマティックなバーンスタイン&ウィーン・フィルによる演奏(1985年)の方がより同曲に相応しい名演のように思えなくもないところだ。

しかしながら、前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、本演奏はシューマンが同曲に込めた絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、前述のシノーポリやバーンスタインによる名演にも肉薄する名演と高く評価したい。

交響曲第3番については、「ライン」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では、第1番「春」に次いで明朗で詩情に満ち溢れた楽曲である。

クレンペラーは、本演奏においても前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。

演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫りの深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲最高の名演とされるシューリヒト&パリ音楽院管弦楽団による名演(1953年)やジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる名演(1980年)にも肉薄する至高の名演と評価しても過言ではあるまい。

交響曲第4番は、まさに文句のつけようがない至高の名演だ。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、意外にも速めのテンポによる演奏であるが、スケールの雄大さは相変わらずであり、重厚さにおいてもいささかの不足はない。

全体に独特の格調の高さが支配しているが、とりわけ、第2楽章は抗し難い美しさに満ち溢れているのが素晴らしい。

第4番は、独墺系の大指揮者(フルトヴェングラーを始め、ベーム、カラヤン、ヴァントなど)がその最晩年に相次いで名演を遺している楽曲である。

特に、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる超名演(1953年)の存在感があまりにも大きいものであるため、他の演奏はどうしても不利な立場にあるのは否めない。

クレンペラーは前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、シューマンが同曲に込めた寂寥感や絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、前述のフルトヴェングラーによる超名演にも肉薄する名演と言えるのではないか。

また、「マンフレッド」序曲、「ゲノヴェーヴァ」序曲、「ファウスト」序曲も極めて優れた名演奏である。

「マンフレッド」序曲には、フルトヴェングラーがベルリン・フィルとともに録音した超名演(1949年)が存在しており、それはいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな豪演であった。

これに対して、クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、前述のフルトヴェングラーによる超名演にも肉薄し得る素晴らしい名演と高く評価したい。

「ゲノヴェーヴァ」序曲、「ファウスト」序曲にはライバルともなり得る名演が存在していないことから、まさにクレンペラーの独壇場と言っても過言ではあるまい。

クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、他の演奏をいささかも寄せ付けない至高の超名演と高く評価したい。

全曲を通して第1、第2ヴァイオリンの両翼配置による掛け合いが効果的であり、どうもクレンペラーは第2ヴァイオリンの数を増やすとか、実力者を揃えるなど、このパートに大きくものを言わせているような気がする。

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2016年08月12日


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シューマンは『春』の交響曲や『子供の情景』などの曲で親しまれるドイツ初期ロマン派の作曲家であるが、またすぐれた音楽評論家でもあった。

本書はその論文の大半を収めたもので、ショパン、ベルリオーズ、シューベルト、ベートーヴェン、ブラームスなど多数の音楽家を論じ、ドイツ音楽の伝統を理解する上に貴重な読み物である。

1942年の初版本からの抜粋版で、吉田秀和氏の訳業としては処女作品に当たるためか、後年の穏やかさとは異なった独特の覇気を持った訳文が特徴的だ。

しかし口語体で書かれた文章は明快そのもので、シューマンの鋭い洞察と先見の明に驚かざるを得ない。

シューマンはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの信奉者であり、こうした作曲家への音楽的な位置付けは彼らの時代に、まさに彼らによって定着したものなのだろう。

しかしバッハの作品群はまだメンデルスゾーンなどによる復興の時期でもあり、その真価を逸早く世に知らしめた功績は大きいと言える。

一方で彼は同時代の作曲家メンデルスゾーン、ショパン、ベルリオーズ等に文筆活動の面でも惜しみない応援を送っている。

この批評集で彼はフロレスタン、オイゼビウス、そしてラローに託してさまざまな音楽批評を試みているが、それは当時のヨーロッパの楽壇の実情を知り得る貴重な証言でもある。

中でもベルリオーズの『幻想』交響曲についてのアナリーゼは素晴らしく、この曲を広くドイツ国内に紹介し、その真価を賛美したシューマンの面目躍如たるものがある。

そこでは彼が同時代の作曲家の作品に対して実に公正かつ冷静な評価を下していることが理解できるだろう。

一方で伝統的な和声楽や様式に固執し、前衛的な手法を少しも認めようとしなかった当時の批評家達をこき下ろしながら、ベルリオーズの交響曲が実は楽理的にも適った音楽であることを分析し、証明しているところがユニークだ。

これは余談になるが79ページにあるベートーヴェンのロンド『銅貨を失くした憤慨』についてはごく短いながら痛快な批評を寄せている。

筆者はこの曲をCDは兎も角として、ライヴのコンサートではたった1度しか聴いたことがない。

それはダン・タイソンがショパン・コンクールに優勝した翌年に行ったツアーでの2曲の協奏曲の夕べのことだったが、彼はその晩のアンコールにこの曲のみを弾いた。

ショパンの小品ではなく何故このロンドを選んだのかは未だに解らないが、その時の彼の演奏の印象はすこぶる強く記憶に残っている。

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2016年05月09日


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プラガ・ディジタルスSACDシリーズでは既に5枚目になるフルトヴェングラー演奏集で、今回はシューマンの交響曲第1番変ロ長調Op.38『春』、序曲『マンフレッド』Op.115及び交響曲第4番ニ短調Op.120の3曲を収録している。

交響曲第1番は1951年10月29日のミュンヘンに於けるウィーン・フィルとのライヴ、『マンフレッド』は1949年12月18日のベルリン・ライヴ、交響曲第4番は1953年5月14日のベルリンでのセッション録音で後者2曲のオーケストラはベルリン・フィルとクレジットされているので、それぞれがデッカ及びドイツ・グラモフォンからリリースされていたものと同音源になる。

総てがモノラル録音で、音質は交響曲第1番では鑑賞可能といった程度で、彼の音楽的な意図が手に取るように理解できることは確かだが、分離状態も鮮明さもそれほど期待できないことはフルトヴェングラー・ファンであればご承知の通りだ。

SACD化でいくらか音場に立体感が出て高音の伸びが良くなったことは認めるが、この音源からそれ以上の音質向上は望めないだろう。

それに反して他の2曲は時代相応の録音状態だが幸い高度な鑑賞にも堪え得る音質が保たれている。

尚交響曲第4番は音場の拡がりから擬似ステレオ化されているものと思われる。

フルトヴェングラーのシューマンの作品への解釈とその演奏は非常に評価が高く、交響曲第4番に至っては歴史的名演のひとつとされているばかりか、古今のあらゆる録音の中でも最高のセッションという評価を下す人も少なくない。

シューマンの薫り立つようなロマンティシズムや文学的センスが彼の変幻自在に変化するテンポ感やディナーミク、管弦楽法の巧みな処理によって弥が上にも高められ、情念の渦巻くような効果を引き出していく手腕には確かに恐るべきものがある。

現代の演奏では考えられないほど世紀末的で恣意的な趣味を引き摺っているように思われるかも知れないが、批評家達の受け売りをすればそこに不自然な強引さを感じさせないだけのモティーフの有機的な結合と、絶え間ない奔流が知的にコントロールされているのも事実であろう。

フルトヴェングラー独自のこうした手法が現代に生きる私達にかえって新鮮な感覚をもたらして、今もってその演奏に惹きつけて止まない理由ではないだろうか。

ちなみに第2楽章の独奏ヴァイオリンは当時のベルリン・フィルのコンサート・マスター、ジークフリート・ボリスで、控えめだが温もりを感じさせるソロがひと時の安らぎを与えてくれる。

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2015年10月31日


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80歳で挑んだアバド初の録音になる周到無類なシューマン。

これまでにアバドがシューマンの交響曲に手を付けなかった理由は分からないが、このCDに収められた交響曲第2番と2曲の序曲には彼のスコアに対する周到無類の深い読みが実践されている。

試みに手元にあったムーティ&ウィーン・フィルが同じウィーン・ムジークフェラインのグローサー・ザールで1995年に録音したフィリップス盤と聴き比べてみたが、先ずテンポの設定が全体的にムーティの方が速く、ウィーン・フィルの音色自体が鮮烈なこともあって、あたかも明るく解放的な青春の瑞々しさを謳歌しているかのようだ。

一方アバドは表現上のデュナーミクだけでなく、楽器間のバランスのとり方でもムーティより遥かにきめ細かく、あらゆる部分に行き届いた指示を与えている。

モーツァルト管弦楽団も指揮者にぴったり付き添って寸分違わぬ再現に余念がないし、アンサンブルの力量ではウィーン・フィルに逼迫するほど精緻な合奏を聴かせてくれる。

実際ここ数年の彼らの成長振りには目を見張るものがあるし、アバドがこのオーケストラを大切に育ててきた理由も理解できる。

つまり一人歩きをするメジャー・オーケストラではなく、あくまでも自分の音楽性を100パーセント反映できる手作りの楽団のみが、当時のアバドにとっての手兵に成り得たのだろう。

交響曲第2番はアバド自身がその音楽の充実ぶりを賞賛しているが、彼が満を持してこの作曲家の大曲に挑んだのも長期間温めたアイデアを成就させるためだったに違いない。

それだけにやや遅めのテンポをとって、より熟成された内省的な表現があることも聴き逃せない。

金管楽器を巧みに制御して弦楽とのオーケストレーションの絶妙なバランスを保ってシューマン特有の音響を醸し出しているのもその一例だ。

また第3楽章の旋律を歌わせることにかけてはイタリア人指揮者のお家芸だが、ここでは決して晴れやかなカンタービレではなく、どこか憂いに苛まれるような心象を残している。

しかし終楽章のコーダへの集中力は凄まじく、思い切って打ち込ませるティンパニで全曲をカタルシスへと導く手法は感動的だ。

2曲の序曲はその曲趣から言ってもシューマンらしい中世騎士道的なロマンティシズムを湛えていて、荘重で暗雲立ち込めるようなただならぬ雰囲気が特有の渋い響きで表されている。

それはベートーヴェンの『エグモント序曲』にも先例が見られる叙事詩的な音楽への傾倒を更に推し進めたものとも思われる。

シューマンのオーケストレーションについては専門家からも非難の対象になっているのが実状だが、アバドの演奏はシューマンの書法を総て正当化してしまうだけの力量を示している。

つまり作曲家の管弦楽法はその未熟さ故の結果ではなく、ある特定の音響を得るために意識的に行われたものだということを納得させる好例だ。

収録曲は交響曲第2番ハ長調op.61、劇音楽『マンフレッド』序曲op.115及びオペラ『ゲノフェーファ』序曲op.81で、いずれも2012年11月にウィーンで録音された。

尚『マンフレッド』のみがセッションで他の2曲はライヴから採られている。

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2015年10月17日


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ムーティ、ウィーン・フィルのコンビによるシューマンの4曲の交響曲を2枚のCDに収めたフィリップス音源のライセンス・リイシューで、堰を切って迸り出るようなカンタービレが横溢する、それまでにはなかったような晴朗快活な躁状態のシューマンをイメージさせる演奏だ。

ムーティの指揮は曖昧さを残さない決然としたものだが、それに従うウィーン・フィルの瑞々しい響きと潤沢な音響を活かした爽快さが聴きどころだろう。

ここでのウィーン・フィルはさながらイタリアのオーケストラのような軽快で屈託のない響きと幅広いダイナミズムを駆使して鳴り切っている。

ムーティのシューマンは作曲家の精神性やオーケストレーション云々に拘泥することなく、小細工のないダイレクトで平明なアプローチによって、これらの交響曲に奔流のような推進力と雄大なスケールを与えている。

例えば第2番の緩徐楽章での明るく艶やかな弦の響きや終楽章での追い込みの小気味良さは彼ならではのものだし、一方『ライン』では轟くような金管楽器の大胆な効果を試みたドラマティックな自然描写と、第2楽章での民謡風のメロディーを大らかに歌わせるカンタービレがすこぶる心地良い。

録音は1993年及び95年で、ムーティにとっては2度目のシューマン交響曲集になるが、個人的には1970年代にフィルハーモニア管弦楽団を指揮したものより、こちらの方が彼のより徹底したサウンドが実現しているという意味でお薦めしたい。

収録曲目は交響曲第1番『春』、第2番ハ長調、第3番変ホ長調『ライン』及び第4番ニ短調で、もう1曲の2つの楽章のみが存在する未完のト短調『ツヴィッカウ』は含まれていないので厳密に言えば全集ではない。

尚ムーティは第4番で1851年の第2稿のスコアを使用している。

ウィーンのムジークフェライン、グローサー・ザールでのセッションになり音質は極めて良好。

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2015年09月19日


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これほど明るく澄み切った音色でシューマンの精神的な葛藤や苦悩を赤裸々にした演奏も珍しい。

いずれもポリーニ全盛期1980年代の演奏で、盟友アバドとベルリン・フィルとの協演になる『ピアノ協奏曲イ短調』では、第3楽章を除いて比較的ゆったりしたテンポを設定していて、決して情熱に任せて走るような演奏でないところが如何にもこの2人らしい。

あくまでもクリアーなタッチでスコアを辿って曖昧な点を一切残さず、なおかつ名人芸を押し付けない冷徹なまでに鍛えられた奏法がシューマンの思索をピアノの音の中に純化させた、ポリーニの典型的な表現を聴くことができる。

アバドはベルリン・フィルを縦横に歌わせて、第2楽章インテルメッツォの静寂な世界から終楽章の歓喜に到達する漸進的な緊張感の高揚と、最後に訪れる開放感をカンタービレの中に描ききっている。

『交響的練習曲』では曲を追って沈潜したメランコリーや不安と期待、愛らしい抒情が交錯し、それらは終曲で英雄的なシンフォニーに変容する。

それはシューマン自身の心情の起伏を、エチュードの名を借りたそれぞれのヴァリエーションに託して告白しているかのようだ。

彼がバッハの音楽から学んだとされる対位法が曲中に頻繁に用いられ、作品を彫りの深いものにしているのも印象的だ。

ここでもポリーニの楽曲に対する読みは鋭く、個々の曲の性格描写にむやみに囚われることなく、全体の構成を踏まえた堅牢な造形美を感知させている。

この方法によって第9曲と第10曲の間に挿入された5曲の『遺作』がごく自然に統合され、少しも違和感を与えていない。

最後に置かれた『アラベスク』は飾り気のない全くの自然体で演奏されているが、そこにシューマン特有の拭いきれない憂鬱をさりげなく表出するポリーニの手腕が冴えている。

尚ライナー・ノーツは16ページで曲目解説と演奏者紹介が英、独、仏、伊語で掲載されている。

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2015年09月03日


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生粋のフランス人でありながら、ベートーヴェンやシューマンなどドイツ音楽にすこぶる付きの名演を残したイーヴ・ナット。

ナットは1956年8月31日にパリでその生涯を終えていることからもわかるように、その録音はすべてモノーラルであるが、彼ほど強烈な印象を与えられたピアニストも数少ない。

筆者がナットの録音を初めて耳にしたのは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集で、これはフランス人の手になる初めての全集であったが、彼の後にベートーヴェン全集を録音したフランスのピアニストは、ハイドシェックくらいだろう。

ベートーヴェンの音楽と言えばゲルマン的気質の最たるものと言えるところであり、古くはシュナーベルからバックハウス、ケンプ、それにグルダやブレンデルなど、ゲルマン系の演奏家による名演がしのぎを削っている中で、わざわざフランス系の演奏を聴こうとは当初は思ってはいなかった。

だがナットの演奏は、マルセル・プルーストが「彼の演奏は極めて偉大で……彼の姿は視界から消えて、作品への窓に過ぎなくなってしまう」と書いたように、非情なまでに作品に献身的であり、そのベートーヴェンやシューマンはいつまでも人類の宝である。

“ベートーヴェンを読む”ことに生涯をかけて悔いのなかったナットの演奏が、こうして聴けることは誠に喜ばしい。

その非情なほどに私情をまじえない姿勢は、バックハウスにも共通していることである。

明晰な打鍵から生み出される濁りのない音色を駆使して奏でられる透明な音像は、それだけでもゲルマン的なベートーヴェン表現とは一線を画した個性的で新鮮な魅力にあふれているが、それが楽曲の構造の隅々までをも、一切の曖昧さを残さず、実にくっきりと描き出しているのに感心することしきりであった。

特に中期から後期にかけての作品で、ナットの演奏は実に厳しく、フランス的な知性と思弁が捉えたベートーヴェンをはっきりと聴くことができる。

打鍵は明晰であるだけでなく力強く深さを持っているため、中期ベートーヴェンの覇気や推進力も見事に表現されるが、それがやみくもに猪突猛進的となるのではなく、あくまで理性によって強力に統御されているため、崇高な精神の輝きとして感じられるのも印象的であった。

ナットは作曲にも相当の才能があったと伝えられているが、それは当然、彼の説得力に満ちた作品の描き方や核心を突く演奏につながったと思われるが、後期曲集などを聴いていると、彼の解釈が優れていたのは、結局は技術や個性的な解釈に依存するのではなく、心から共鳴する作品に真摯に向き合い、余計な恣意を挟まず、作品そのものに対して自らを捧げようとする精神からきていたように思えてならない。

実に透徹した表情を持つ演奏に仕上がっており、しかも情感の豊かさや懐の深い精神性にも事欠かず、ベートーヴェンの音楽の核心を垣間見せてくれる。

またベートーヴェン全集と並ぶナット畢生の傑作であるシューマンの主だった作品がほぼ収められており、ナットのシューマン解釈の説得力の大きさを知らしめてくれる。

ナットのシューマンはまず見通しのよい構成が的確に押さえられているのが特徴で、それに重くもたれるような表現から解放された明快な表現が、逆にシューマンの微妙で繊細な情感の移ろいを見事に捉え、ロマンティシズムというものに新たな光を当てている。

そしてそれはまた、とかく演奏者の思い入れだけが先行して形を崩してしまい、果ては真のロマンティシズムも雲散霧消させてしまいがちなシューマンの作品などで、説得力に満ちた優れた成果をもたらす要因となったように思える。

ここには良い意味でのラテン的精神の粋が見られ、演奏家としてではなく、むしろ芸術家としての強い倫理感が感じられる。

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2015年08月25日


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前にも書いたことだが、このプラガ・ディジタルスのSACDシリーズは玉石混交で、リリースされている総てのディスクを手放しでお薦めするわけにはいかない。

勿論リヒテルの演奏自体については溢れるほどの音楽性とヴィルトゥオジティのバランスが絶妙だった1950年代壮年期のライヴでもあり、彼のかけがえのない記録であることに異論を挟むつもりはない。

リヒテル十八番のシューマン3篇で、当時の彼は「鉄のカーテン」で隠され、幻のピアニストとして西側音楽界の伝説となっていたが、この凄さは今日でも驚嘆のレベルにある。

しかし録音自体の質とブロードキャスト・マスターテープの保存状態が悪く、細かい音の揺れやフォルテで演奏する時には再生し切れない音割れが生じている。

それ故、この音源をあえてSACD化する必然性があったかどうかというと首を傾げざるを得ない。

それでもあえてここに採り上げたのは、幸い最後の『ウィーンの謝肉祭の道化』が唯一まともな音質を保っているからで、結局いくら歴史的な名演奏でもオリジナルの音源自体に問題があれば、たとえSACDとしてリニューアルしても、驚くような奇跡の蘇生を期待することはできない。

むしろより安価なレギュラーのリマスターCDで充分という気がする。

『交響的練習曲』は1953年12月12日のプラハ於けるライヴのようで、リヒテルの集中力とダイナミズムの多様さ、そして途切れることのない緊張感の持続が素晴らしい。

この演奏で彼は遺作のヴァリエーション5曲を第4変奏と第5変奏の間に挿入している。

主題の深く沈んだ表情から、あたかも物語を語り紡ぐように各変奏を描いていく様、センチメンタリズムのみじんもない男のロマン、激しい部分での炎のようなエネルギーいずれも巨人な名にふさわしい芸術で、哲学的とも言える抒情の表出も秀逸だ。

ただし何故かエチュード8,9,10番が抜けている。

理由は不明だが、この作品の出版に由来する曲の構成上の問題から、本人が当日演奏しなかったことが予想される。

また1959年11月2日のプラハ・ライヴの『幻想曲ハ長調』は、覇気に貫かれた名人芸が聴きどころだが、音質の劣悪さが惜しまれてならない。

この曲も数種類の異なったソースが残されていて、中でもデッカのザ・マスター・シリーズ第7巻には1979年のフィリップスへの良質なライヴ音源が収録されている。

3曲目の録音データ不詳『ウィーンの謝肉祭の道化』で、リヒテルはこの曲のタイトルからイメージされる諧謔的な表現には目もくれず、むしろピアノのためのソナタとしての構成をしっかりと捉え、シューマン特有の凝縮されたピアノ音楽のエッセンスを抜き出したような普遍的な価値を強調しているように思う。

演奏は冴えに冴え、長い第1楽章も一気に聴かせてしまうだけでなく、第2楽章ロマンツェの情感とピアノの音色は人間業と思えぬ、まさに奇跡、驚異の演奏がリアルに蘇り、リヒテルのシューマンを再認識させてくれる。

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2015年07月24日


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シュターツカペレ・ドレスデンを中心に活躍したペーター・ダムは既に現役を退いて久しいが、現代の名ホルン奏者の中でも最もヒューマンな感覚に溢れた演奏を残してくれた人ではないだろうか。

世界最古の歴史を誇る名門オーケストラ、シュターツカペレ・ドレスデンは、現在でも伝統ある独特の音色において一目置かれる存在であるが、とりわけ東西ドイツが統一される前の1980年代頃までは、いぶし銀の重心の低い独特の潤いのある音色がさらに際立っていた。

そうした、名奏者で構成されていたシュターツカペレ・ドレスデンの中でも、首席ホルン奏者であったペーター・ダムは、かかるシュターツカペレ・ドレスデンの魅力ある独特の音色を醸し出す代表的な存在であったとも言えるだろう。

ペーター・ダムのホルンの音色は、同時代に活躍したジャーマンホルンを体現するベルリン・フィルの首席ホルン奏者であったゲルト・ザイフェルトによる、ドイツ風の重厚さを持ちつつも現代的なシャープさをも兼ね備えたホルンの音色とは違った、独特の潤いと温もりを有していたとも言えるところだ。

本盤には、ペーター・ダムが1966年から90年までにドイツ・シャルプラッテンに蓄積した音源からピックアップされたもので、アンサンブル、ホルンとオーケストラ、そしてピアノ伴奏によるソロ・ピースなどバラエティーに富んだジャンルの曲目が集められている。

歌心に溢れたリリカルな表現では他の追随を許さなかったダムの感性を堪能できるセットとして、ホルン・ファンは勿論クラシックの入門者にもお薦めしたい。

協奏曲以外でもここには日頃それほど鑑賞する機会がないホルンとオーケストラのためのサン=サーンスとシューマンの作品がそれぞれ1曲ずつ、更にロッシーニのホルン四重奏版『狩での出会い』や難曲として知られるシューマンの『アダージョとアレグロ』などでも、ダムのクリヤーでソフトな音色とその名人芸が冴えている。

またウェーバーはホルンの重音奏法を取り入れた最初の作曲家と言われているが、その『小協奏曲ホ短調』のなかで実際に2声部の短いカデンツを聴くことができる。

選曲は既に個別にリリースされていたアルバムからの再編集で、「ロマン派ホルン協奏曲集」をベースに「フランス・ホルン作品集」から4曲、その他にサン=サーンスの『ホルンとオーケストラのための小品へ短調』Op.94、シューマンの『4本のホルンと第オーケストラのためのコンツェルトシュトゥックヘ長調』Op.86、ハイドン『ホルン協奏曲ニ長調』、ハイニヒェン『2本のホルン、2本のフルート、2本のオーボエ、弦楽と通奏低音のための協奏曲ニ長調』、テレマン『2本のホルンと2本のオーボエ、弦楽と通奏低音のための協奏曲ニ長調』、ロッシーニ『狩での出会い』、メンデルスゾーン『男声合唱のための六つのリーダー』から第2番及び第3番のホルン用アレンジ、そしてシューマンの『ホルンとピアノのための『アダージョとアレグロ変イ長調』Op.70、ブラームスの『ホルン三重奏曲変ホ長調』Op.40が収められていて、一応バロックから現代までのホルンの名曲をカバーしているが、ペーター・ダムのソロによるモーツァルトやリヒャルト・シュトラウスの協奏曲集は現行の別のアルバムに譲っている。

ベルリン・クラシックスの企画による器楽のためのグレーテスト・ワーク・シリーズは、ピアノ、チェンバロ、オルガンも含めると既に17セットがリリースされていて、それぞれが2枚組のデジパック入りで簡易なライナー・ノーツも挿入されている。

音源は旧東独のドイツ・シャルプラッテン社の所有であるために、演奏者もドレスデンやゲヴァントハウスのオーケストラの首席クラスの名手達が勢揃いしているのが特徴である。

ネームバリューに拘らなければ実力派のセッションを良質な音質で、しかも廉価盤で鑑賞できるのがメリットだ。

なお、ペーター・ダムの魅力的なホルンの音色は、モーツァルトのホルン協奏曲集や、ホルンが大活躍するブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」においても聴くことが可能であるということを付記しておきたい。

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2015年07月11日


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パーヴォ・ヤルヴィの勢いは今や誰もとどめることができない。

彼は、シンシナティ交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、ドイツ・カンマーフィル、パリ管弦楽団を手中に収めており、これらのオーケストラを作曲家毎に振り分けるという何とも贅沢なことをやってのけている。

そして、そのレパートリーの幅広さたるや、父親であるネーメ・ヤルヴィも顔負けであり、今や、人気面において指揮界のリーダー格とされるラトル、ゲルギエフ、ヤンソンスの3強の一角に喰い込むだけの華々しい活躍をしている。

パーヴォ・ヤルヴィがドイツ・カンマーフィルを起用する際には、当然のことながら、いわゆるピリオド奏法に適した楽曲を演奏しており、既に完成させたベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集に次いで、現在では、シューマンの交響曲全集の録音に取り組んでいるところだ。

シューマンを文字通り「愛している」と公言してはばからないパーヴォ・ヤルヴィは、「作品に込められた感情の起伏や途方もないエネルギーを恥ずかしがることなくさらけ出すべき」と、シューマンのオーケストレーションの機微を繊細に表現しきることのできるドイツ・カンマーフィルと濃密なシューマン・ワールドを繰り広げている。

第1番及び第3番、第2番及び「マンフレッド」序曲が既発売であり、それはピリオド奏法を十分に生かした斬新とも言えるアプローチが特徴の演奏であり、パーヴォ・ヤルヴィの底知れぬ才能と現代的な感覚、センスの鋭さが光る素晴らしい名演であった。

その完結編となる当アルバムには、フルトヴェングラーやワルターなど20世紀前半の巨匠が好んで演奏し、ロマン派の香りが濃厚な交響曲第4番、シューマンのエッセンスが詰まった知られざる傑作「序曲、スケルツォとフィナーレ」、4つのホルンのための協奏曲「コンツェルトシュトックヘ長調」が収められている。

いずれも、既発売のシューマン演奏に優るとも劣らぬ素晴らしい名演であると高く評価したい。

本演奏でも、ピリオド奏法は相変わらずであるが、それを十全に活かし切ったパーヴォ・ヤルヴィの個性的なアプローチが実に芸術的とも言える光彩を放っており、これまで交響曲第4番を様々な指揮者による演奏で聴いてきたコアはクラシック音楽ファンにも、新鮮さを感じさせる演奏に仕上がっている。

ピリオド奏法やピリオド楽器を使用した演奏の中には、学究的には見るべきものがあったとしても、芸術性をどこかに置き忘れたような軽妙浮薄な演奏も散見されるが、パーヴォ・ヤルヴィの個性的なアプローチには、常に芸術性に裏打ちがなされており、そうした軽妙浮薄な演奏とは一線を画しているとさえ言えるだろう。

思い切ったテンポの振幅、アッチェレランドの駆使、ダイナミックレンジの極端な取り方など、その仕掛けの多さは尋常ならざるものがあると言えるが、これだけ同曲の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、本盤の各曲の演奏は、近年のパーヴォ・ヤルヴィの充実ぶりを如実に反映させた素晴らしい名演であり、加えて、いわゆるピリオド奏法による演奏としては、最高峰に掲げてもあながち言い過ぎとは言えない圧倒的な名演と高く評価したいと考える。

音質は、これまた素晴らしい。

特に、最近では珍しくなったマルチチャンネル付のSACDは、臨場感溢れるものであり、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえることによって、ピリオド奏法の面白さが倍加するという効用もあると言えるところだ。

いずれにしても、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルによる素晴らしい名演をマルチチャンネル付のSACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年07月07日


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本作は、ジュリーニが1978年から1984年まで音楽監督を務めたロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団との名演揃いの録音の中から、このオーケストラを見事に統率した密度の濃い演奏を展開するベートーヴェンの「第5」とシューマンの「第3」を収めたアルバム。

ジュリーニの溢れんばかりの歌心とロサンゼルス・フィルの力強さが相俟った、いずれ劣らぬ素晴らしい名演だ。

先ず、ベートーヴェンの「第5」であるが、ジュリーニは、後年にもミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団とともに同曲を再録音しているが、断然、本盤の方が骨太な名演である。

演奏はドラマティックさは、さほどなく、あくまでも正攻法な演奏であり、カンタービレが効き歌心があるのが特色だ。

いかにもジュリーニならではの粘着質とも言うべき重厚さと厳しい造形美を兼ね備えた演奏ではあるが、情感の豊かさにおいてもいささかも不足はない。

その意味では硬軟併せ持つ、いい意味でのバランスのとれた名演に仕上がっている。

極めて密度の濃い、真正な精神性を持ち得る人間のみが到達することのできる素晴らしい演奏だ。

ポピュラーな「第5」をこれ程までに磨き上げられた音楽に造り上げたジュリーニの功績にただただ脱帽するのみある。

他方、シューマンの「第3」も名演で、LPで聴いて以来、ジュリーニの指揮の素晴らしさに、深く感銘を受けた。

シューリヒトの名演もあるが、録音の良さを含めると、本盤のジュリーニによる2度目の録音の方を随一の名演と高く評価したい。

出だしからして重厚壮大で、冒頭から芯があり、高貴なるカンタービレが響きわたり、豊饒にして雄渾な音色に引き込まれる。

そして奇を衒わず、ひたすらに音楽に奉仕するジュリーニの敬謙で清々しい姿が浮き上がる。

メータ時代、よく鳴るがちょっと粗いと感じたロサンゼルス・フィルも、精度の高い密度の濃い演奏を展開している。

明朗で雄大な演奏であり、所々に同曲のマーラー編曲版のアイディアが生かされている。

確かに、本盤以外の演奏を聴くと、楽器全体の響きが聴き取りにくく、どこかにアンバランスが生じているように感じる。

筆者には、ジュリーニの才覚をもって、ようやくシューマンのオーケストラ曲の全体構造が見渡された感がする。

マーラー版の使用により、全体としては、ベートーヴェンの「第5」と同様に重厚で粘着質の演奏とも言えるが、それでいて、ジュリーニ特有の優美なフレージングが随所に効果的に聴かれるなど、いい意味でのバランスのとれた温かみのある演奏に仕上がっている。

美しいライン川周辺の自然が眼前に飛び込んでくるかのような光景を彷彿とさせるような悠然とした趣と優美な抒情や、シューマンの最晩年の絶望感に苛まれた心象風景の描出にもいささかの不足はない。

両曲ともに、ロサンゼルス・フィルは見事な演奏を行っているが、必ずしも一流とは言えない同楽団に、これだけの名演奏をさせたジュリーニの類稀なる統率力にも大いに拍手を送りたい。

この2曲を癖を感じさせず、しかも、ジュリーニの解釈が良い方向に向いており、それぞれの曲の価値を高めているという点で、大いに推薦したいディスクである。

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2015年06月25日


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いささか懐古的になるが、ユニバーサルが2010年より、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の発売を開始したのは、ネット配信が隆盛期を迎えパッケージメディアの権威が揺らいでいる中において、快挙とも言える素晴らしい出来事であった。

ユニバーサルは発売開始以降、月に3〜5枚のペースで当該SACD&SHM−CD盤を発売してきているが、小澤によるブラームスの交響曲第2番とブリテンの戦争レクイエムを除いては、かつて発売されていたSACDハイブリッド盤の焼き直しに過ぎなかったと言わざるを得なかった。

しかしながら、ライバルのEMIがフルトヴェングラーの遺産のSACD化に踏み切り、大変な好評を得ていることに触発された面もあるのではないかとも思われるが、先般、これまで1度もSACDで発売されたことがないフルトヴェングラーの一連の歴史的な録音を、定評のあるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で発売するというのは、素晴らしい壮挙として大いに歓迎したいと考える。

本盤に収められているのはシューマンの交響曲第4番と「マンフレッド」序曲であるが、いずれもそれぞれの楽曲の演奏史上最高の玉座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

フルトヴェングラーが亡くなる1年半前、1953年5月のスタジオ録音によるシューマンの交響曲第4番は、フルトヴェングラーの最も優れたレコーディングとして知られるもので、最新の音楽之友社刊『新編名曲名盤300』でもこの曲のベスト・ワンとして推されている名盤である。

フルトヴェングラーは同曲を、悠揚迫らぬインテンポで荘重に曲想を進めていく。

シューマンの絶望感に苛まれた心の病巣に鋭く切り込んで行くような深沈とした彫りの深さにも際立ったものがある。

演奏全体の造型はきわめて堅固ではあるが、峻厳さを感じさせることはいささかもなく、演奏全体が濃厚なロマンティシズムに満ち溢れているのが素晴らしい。

晩年のスタジオ録音でありながら、ライヴ録音に優るとも劣らぬ鬼気迫る熱演が繰り広げられていると同時に、音楽の流れが自然であり、また細部の処理も入念で、全体として完成度が極めて高い。

歌に満ちたフレーズ、オーケストラの充実した響き、楽器間の絶妙な音量バランス、音楽に寄り添ったテンポのうねりなど、本当に見事だ。

また、通常、フルトヴェングラーの演奏では、「フルトヴェングラーを聴く」という意味合いが強くなるが、この演奏では、シューマンの楽曲自体の素晴らしさを堪能することができるという点でも、楽曲の魅力を最大限に引き出した演奏だと思う。

これほどの深みのあるシューマンの交響曲第4番の演奏は他にも例がなく、その後は、ベーム&ウィーン・フィル(1979年)、バーンスタイン&ウィーン・フィル(1984年)、カラヤン&ウィーン・フィル(1987年)などの名演も生まれてはいるが、本フルトヴェングラーによる超名演には到底足元にも及ばないと考える。

「マンフレッド」序曲も、フルトヴェングラーならではの濃厚で奥行きの深さと実演ならではのドラマティックな圧倒的生命力を感じさせる至高の超名演であり、ウィーン・フィルを指揮した名演(1951年、既にEMIよりSACD化)よりも更に上位に置きたいと考える。

音質は、1953年のスタジオ録音(「マンフレッド」序曲は1949年のライヴ録音であり、若干音質は落ちる)ということもあって従来盤でもフルトヴェングラーのCDとしては良好な方であったが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、にわかには信じ難いような鮮明な音質に生まれ変わった。

フルトヴェングラーによる至高の超名演をこのような極上の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2015年06月09日


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フルトヴェングラーが録音したシューマンの交響曲は2曲だけであり、この「第1」はハイドンの「V字」やベートーヴェンの「コリオラン」序曲とともにミュンヘンのドイツ博物館ホールで行われた演奏会の実況である。

シューマンの「第1」にはクレンペラーの素晴らしいCDがあり、初めの2つの楽章はさすがのフルトヴェングラーといえども一籌を輸するが、スケルツォ以後は両雄相譲らぬ名演と言えるところであり、しかも演奏スタイルはまったく違うのである。

第1楽章の序奏部からして、フルトヴェングラーの表現は雰囲気満点だ。

ことに主部に向かって盛り上がってゆく時の猛烈な気迫は天下一品といえようし、展開部終わりのクライマックス設定も物凄いの一語に尽きるが、楽章全体として考えると、フルトヴェングラーの気持ちは、まだ充分に燃えきっていない。

したがって、コーダの収め具合など、彼の実演としては堪能しきれないものがあり、この結尾部の途中に現れる〈名残の感情〉もクレンペラーのほうがずっと美しいし、リズムの抉りや金管、木管のクリアーな表出においても、かなり緻密さを欠くようだ。

第2楽章のラルゲットは良いテンポで、弦のレガート奏法がきわめて情緒的であり、中間部の頂点における凄絶なリズムや推進力も見事であるが、前楽章同様、やや彫りの浅い部分があって、フルトヴェングラーとしては多少の物足りなさを感じさせる。

ところが、スケルツォに入るや、演奏旅行中のオーケストラと指揮者は、俄然ぴったりとした意気の投合を見せ始め、ミュンヘンの聴衆を興奮のるつぼに巻き込んでゆく。

この迫力は普通の音力ではなく、人間の発揮し得る、ぎりぎりの精神が生んだものだ。

スタッカートの音型が低弦から起こって、ヴィオラやファイオリン・パートへと進む第2トリオの、驚くべきクレッシェンドはどうだろう。

この部分の神技を聴くだけでも価値のあるCDといえないだろうか。

その後の委細構わぬ進行も痛烈で、フルトヴェングラーが先かウィーン・フィルが先か、ともかく両者の気概はこの瞬間、まったく1つになって、スコアの上を吹きすさぶのである。

第1トリオの豊かな雰囲気も最高で、途中に出現するフェルマータの後、チェロとコントラバスの弱音を思い切ったフォルテで響かせるなど、ことによったら舞台の上のインスピレーションによって行われた即興ではあるまいか。

そして最後の第4楽章ではますます脂がのってくる。

短い序奏を区切る休符をうんと長く取って、次の第1主題のアウフ・タクトをこの上なくゆっくりと始める。

考えようによっては、思わせぶりたっぷりな仕掛け芝居といえよう。

フルトヴェングラーはしばしば意識して芝居をし、聴衆もそれを喜び、かつ期待していたのだと思うが、実演だからこそ許されるというべきか。

したがって、CDを聴くわれわれも、フルトヴェングラーの呪縛の中に自らのめり込んでゆかなければならない。

提示部を反復する際の一番カッコにおける、音楽が停止してしまうようなリタルダンドは、いっそう鮮やかな大芝居であろう。

ピチカートを合の手として、2本ずつのオーボエとファゴットがスタッカートで上昇下降する第2主題は、たいていの指揮者がテンポを速めるが(クレンペラーのような、イン・テンポ主義者でさえも)、フルトヴェングラーは同じ速度で進める。

彼の流動の多い表現からして、ここで第2主題を速めることは造型の破壊につながるからだ。

それにしても、この楽章のフルトヴェングラーは自由自在であり、ネコがネズミをもてあそうぶように、シューマンが完全に彼の自家薬籠中のものと化して、音楽が大揺れに揺らされる。

しかし、地にしっかりと足がついているので、いくらやっても決して嫌味ではなく、むしろ面白い。

そして、ついにコーダの、最高のクライマックス・シーンが現出する。

デモーニッシュな金管の最強奏、アッチェレランドによる嵐の気迫はこの世のものとも思えず、手に汗握るうちに、やがてフルトヴェングラー独特の、大きく息をつく間を伴った和音によって、さしもの演奏も終わりを告げるのである。

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2015年04月12日


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本盤には、2001年に惜しくも急逝したシノーポリが遺した唯一のシューマンの交響曲全集が収められている。

シノーポリによるシューマンの交響曲の名演としては、何と言ってもウィーン・フィルとスタジオ録音した交響曲第2番の演奏(1983年)が思い浮かぶ。

当該演奏は、カップリングされていた「マンフレッド」序曲ともども、細部に至るまで彫琢の限りを尽くした緻密な表現と豊かな歌謡性を併せ持つ稀有の名演に仕上がっており、とりわけ交響曲第2番については、現在においてもなお、同曲演奏史上トップの座を争う至高の超名演と評価してもいいのではないかと考えているところだ。

本全集は、1992〜1993年にかけての演奏であり、ウィーン・フィルとの交響曲第2番の演奏から約10年ぶりのものである。

アプローチ自体は、基本的には変わりがないと言えるところであり、オーケストラがウィーン・フィルからシュターツカペレ・ドレスデンに変わったのが最も大きな違いであると考えられる。

精神医学者でもあり、作曲家でもあったシノーポリの演奏は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さを特徴としている。

このような分析的なアプローチに符号した楽曲としては、例えばマーラーの交響曲などが該当すると言えるところであり、シノーポリも比類のない名演を成し遂げることに成功したところだ。

したがって、精神分裂的な気質がマーラーに酷似しているシューマンの交響曲においても、シノーポリが名演を成し遂げたというのは、ある意味では当然のことであったと言えるだろう。

シューマンは長年に渡って精神病を患っていたが、シューマンの各交響曲における各旋律の随所に込められている心の慟哭や絶望感を徹底的に追求するとともに抉り出し、持ち味の分析的なアプローチによって完全に音化することを試みており、他のいかなる指揮者による演奏よりも彫りの深さが際立っている。

他方、シノーポリのイタリア人指揮者としての資質に起因すると思われるが、交響曲第1番や第3番(第4楽章を除く)などに顕著な明朗な旋律の数々も豊かな歌謡性を持って歌い抜いており、細部に至るまで彫琢の限りを尽くした表現を行いつつ、音楽の流れもいささかも淀みがなく流麗に流れていくという、ある意味では二律背反する要素を巧みに両立させた見事な名演奏を繰り広げていると言っても過言ではあるまい。

そして、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の重心の低い音色が、演奏全体に独特の潤いと奥行きの深さを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

もっとも、第2番については、ウィーン・フィルによる極上の美演の魅力と、若き日のシノーポリならではの畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っていたこともあり、本全集の演奏は1983年の超名演ほどの魅力は有していないと考えられるが、他の交響曲の演奏も含め全集総体としては、シノーポリならでは素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

併録の序曲、スケルツォとフィナーレは、オペラを得意としたシノーポリならではの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さが光った名演と評価したい。

音質は、1990年代のスタジオ録音であり、これまで特段の高音質化は図られていないが、従来CD盤でも十分に満足できる良好なものである。

しかしながら、本全集は、シノーポリの遺産とも言うべき素晴らしい名演でもあり、今後は最低でもSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2015年04月06日


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ポリーニとシューマンの相性は非常に良いように思われる。

本盤も、そうした相性の良さがプラスに働いた素晴らしい名演と高く評価したい。

シューマンのピアノ曲の本質は、内面における豊かなファンタジーの飛翔ということになるが、ショパンやリストのような自由奔放とも言える作曲形態をとらず、ドイツ音楽としての一定の形式を重んじていることから、演奏によっては、ファンタジーが一向に飛翔せず、やたら理屈だけが先に立つ、重々しい演奏に陥ってしまう危険性がある。

ポリーニのピアニズムは、必ずしもシューマンの精神的な内面を覗き込んでいくような深みのあるものではないが、卓越した技量をベースとした透徹したタッチが、むしろ理屈っぽくなることを避け、シューマンのピアノ曲の魅力を何物にも邪魔されることなく、聴き手がそのままに味わうことができるのが素晴らしい。

いささか悪い表現を使えば、けがの功名と言った側面がないわけではないが、演奏は結果がすべてであり、聴き手が感動すれば、文句は言えないのである。

また、シューマンの作品は、どのような分野のものであれ、病的な部分というか、翳のような部分を抱え込んでしまっているケースが少なくない。

だが、ポリーニのアプローチは、そのようないわば負の部分にはあまり拘泥することなく、ピアノの音自体の強靭な存在感でもって、ほとんど直線的になされていく。

それでいて、出来上がった演奏は多面的な魅力をおび、シューマンの本質を鮮やかに掬いあげえているところに、ポリーニのすごさがあると言えよう。

ピアノ協奏曲は輝かしい情熱と豊かな詩情を兼ね備えた、最も条件のそろった名演である。

ポリーニは、鮮明なタッチと曇りのない歌心の中から誠に美しい詩情と振幅の大きな表現を浮かび上がらせている。

完璧なテクニックをうならせた彼の演奏は、揺るぎない造型的美観の把握や緊迫した集中力の持続が見事なだけでなく、美しいカンティレーナの魅力にも溢れており、そこではほとんど文句のつけようがない成果が実現されている。

アバド&ベルリン・フィルのバック・アップも十全であり、ポリーニのピアノとの間に呼吸の乱れは少しもなく、とにかく中身の濃い演奏内容である。

交響的練習曲は、シャープで躍動感に満ちた魅力をもっていて、ダイナミックかつブリリアント、壮大この上ない建造物を作りあげている。

もちろん細部まで克明に彫琢されているが、ラテン的で明るい歌謡性もが光っている。

アラベスクもポリーニはうまく、響きをたっぷりと採って、感傷に溺れないで健康的な明快な音楽に仕上げる。

ポリーニの清澄にしてきらめきのある音質を生かした演奏は、端正ななかにも、華やかな輝きをもっている。

そして、なめらかな躍動感も、その演奏に生き生きとした流動感を与えており、全体として快い流れでまとめられている。

ちょっと澄ました軽やかさで、音楽の襞を明晰に追って、あっさりともたれないところがいい。

ピアノ協奏曲、交響的練習曲、アラベスク、いずれ劣らぬ名演であり、ピアニストの個性ではなく、楽曲の素晴らしさだけが聴き手にダイレクトに伝わってくるという意味では、3曲のベストを争う名演と言っても過言ではないと思われる。

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2015年04月04日


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20世紀前半にオペラ界、演劇界に君臨したロッテ・レーマンの遺産であるとともに、ブルーノ・ワルターのピアノ伴奏が聴けるはなはだ貴重なディスクである。

何と言ってもピアノはその人の人間味が直接肌にふれてくるだけにワルターを愛する者には懐かしく、指揮以上の魅力があるとも言えるだろう。

指揮の方がずっと巧いのは言うまでもないが、果たしてどちらが彼の個性をより多く映し出しているかという点になると問題がある。

可憐なシューマンに対し、レーマンは馥郁たる成熟した声と、比類無きドラマ作りをトレードマークとした。

単曲のリートにおいては凝縮された物語を、連作においては小宇宙を形成するかのような、構成力と集中力を発揮。

レーマンの秀でたそれら能力がもっとも現れたのが、オバート=ソーンの見事な手腕によって復刻された「女の愛と生涯」と「詩人の恋」。

彼女の息づかいまで再現されたこの盤は、シューマンの精神世界をもっとも情緒豊かに表現した歌唱として、録音史上語りつがれること間違いなしの傑作である。

「女の愛と生涯」のワルターのピアノはごく素朴だ。

タッチも弱いし、テクニックも冴えないが、これを聴くかぎりにおいて、彼のリズムやダイナミックスがモーツァルトを基盤としていることがいっそうよくわかるのである。

レーマンの重いリズムとは対照的な軽さ、ロマン派のシューマンを弾きながら、はめをはずさぬところ、それはワルターの技巧不足から生ずる弱さとはまた別な、何か根本的なものとしてわれわれに映るのである。

もちろん彼ならではの間はあるが、ワルターならば、もっとロマンティックなピアノを弾いてもよさそうなものなのに、と思う人も多いことだろう。

そのくらい控えめなのだ。

レーマンの独唱はテクニックや声の点で最高とは言えないが、ここに表出されるむせるような女くささは見事である。

前半の曲に少女らしい恥じらいや慎みのない点は、人によって抵抗もあろうが、これほど感情的な歌唱は他に決してない。

レーマンには1928年、ワイスマン指揮による「女の愛と生涯」の録音もあり、彼女の全盛期だっただけに、その歌唱は主情的・情熱的なものだったが、それに比べるとここでの歌唱は、より客観性を重視した優しいものとなっている。

これは伴奏のワルターのリードによるところもあるだろう。

「詩人の恋」は、「女の愛と生涯」と同様、ワルターのピアノはレーマンの歌唱に比して素朴すぎ、音量的にも弱いのが残念だが、彼の天性は本来情緒的であるから、粘りすぎたり大げさにならない程度の人間味はある。

それが最高に表われているのが終曲の後奏で、このデリケートで女性的なタッチ、嫋々たるピアニッシモ、ルバートを多用し、和音をずらして気分的に弾いてゆく表情は美しさのかぎりと言えよう。

意外に主張の乏しいワルターのピアノであるが、この後奏を聴くだけでも価値はある。

どうしてこれを「女の愛と生涯」も含めて、全曲に及ぼさなかったかと、つくづく惜しまれる。

おそらく彼のピアノには根源的な性格が指揮以上に出ているのではないだろうか。

しかし演奏家として当然持つべき表現力は指揮の方が数段上であると思わざるを得ない。

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2015年02月19日


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これはシノーポリの傑作だ。

シノーポリの遺した数々の録音の中でもトップの座を争う名演であるだけでなく、シューマンの交響曲第2番の様々な指揮者による演奏に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

精神医学者でもあり、作曲家でもあったシノーポリの演奏は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さを特徴としている。

このような分析的なアプローチに符号した楽曲では、例えばマーラーの交響曲などが該当するが、比類のない名演を成し遂げることになった。

他方、分析的なアプローチにそぐわない楽曲においては、極端なスローテンポに陥ったり、はたまた音楽の自然な流れを損なったりするなど、今一つの演奏の陥ってしまうこともあったと言える。

ところが、本盤に収められたシューマンの交響曲第2番においては、かかる分析的なアプローチが見事なまでに功を奏していると言えるのではないか。

シューマンは長年に渡って精神病を患っていたが、とりわけこの第2番を作曲していた時は、死と隣り合わせにいたとさえ言われている。

シノーポリは本演奏において、かかるシューマンの心の慟哭や絶望感を徹底的に追求するとともに抉り出し、持ち味の分析的なアプローチによって完全に音化することを試みており、他のいかなる指揮者による演奏よりも彫りの深さが際立っている。

とりわけ第3楽章の思い入れたっぷりの濃厚な表現は、心胆寒からしめるほどの凄みがあると言えるところであり、その奥深い情感は我々聴き手の肺腑を打つのに十分であるとさえ言えるだろう。

また、これだけ細部に至るまで彫琢の限りを尽くした表現を行っているにもかかわらず、むしろ音楽がいささかも淀みなく流麗に流れていくというのは、ウィーン・フィルによる美演によるところが大きいと言えるのではないだろうか。

さすがのシノーポリも、これだけの高みに達した演奏を再度行うことは至難を極めたと考えられる。

というのも、シノーポリは、その後、シュターツカペレ・ドレスデンとともにシューマンの交響曲全集を録音することになるのであるが、当該全集に含まれる第2番の演奏には、とても本演奏のような魅力は備わっているとは言えないからである。

なお、カップリングの「マンフレッド」序曲は、交響曲第2番のように随一の名演との評価は困難であるが、それでも名演との評価をするのにいささかも躊躇をするものではない。

音質は従来CD盤でも比較的満足できる音質であるが、これだけの名演であるにもかかわらず、これまでSHM−CD化すらされていないというのは実に不思議な気がする。

シノーポリによる至高の超名演でもあり、今後はSHM−CD化、さらにはSACD化を図るなど、高音質化への取組を大いに望んでおきたいと考える。

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2015年01月23日


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数曲において初版を使用し、ペダルの忠実な使用も含めて、シューマン演奏の究極を突き詰めた非凡な演奏を収録。

近年とみに深みを増しているポリーニの円熟を如実に伝える素晴らしい名演だ。

ポリーニの多くのアルバムの中でも最上位にランクされるCDとして高く評価したい。

心・技・体すべてが充実し、一部で囁かれ始めていたテクニックの衰えをまったく感じさせない、ポリーニ58歳時の会心の録音。

極限まで磨き上げられた完全な技巧と知的な解釈で聴かせてきたポリーニ、近年ではさらに深化を遂げた表現力によって、シューマンの作品に込められた心情の推移、詩的な世界を見事に表現し、作品の裏側にある深い情緒を見事に描き切って間然とするところがない。

響きが切り立ってピアニスティックに情動を沸き立たせる形ではなく、音色のきらめきを抑え、キメを、ふ、と抜いて音との距離を作ることで想いの行方を聴き手に預け、浪漫世界にじっくり誘い込む、語り部ポリーニを印象づける練達の熟演。

それにしても、真の理由は定かではないが、ポリーニとシューマンの相性は抜群のものがある。

本盤の前に録音されたピアノソナタ第1番も、交響的練習曲&アラベスク、そして、ピアノ協奏曲もいずれも名演であった。

ポリーニの透徹した切れ味鋭いタッチと、詩情溢れるシューマンのピアノ曲とは、基本的には水と油のような関係のように思うが、何故か、本盤を含め、録音されたいずれの楽曲も名演であり、聴いていて深い感動を覚える。

要は、ポリーニの(本人が意識しているかどうかは別として)感情移入をできるだけ避けようとするかのような客観的なアプローチが、大仰で理屈っぽい表現を避けることに繋がり、結果として、シューマンの楽曲の魅力をなにものにも邪魔されることなく、ダイレクトに満喫することができるのが功を奏していると言えるのかもしれない。

加えて、ポリーニのシューマンへの深い愛着と拘りもあると考えられ、それは、本盤において、ダヴィッド同盟舞曲集、ピアノ・ソナタ第3番、そしてクライスレリアーナの3曲で、初版を使用している点にもあらわれているのではないかと思われる。

前述のように、ポリーニは極限まで磨き上げられた完全な技巧と、近年さらに深化を遂げた表現力によって、シューマンの作品に込められた心情の推移を見事に描き切っている。

このCDを購入されたポリーニ・ファンはすでに彼が録音してきたシューマンの全作品を聴いてこられたと想像するが、ポリーニの健在ぶりに感激するに違いないであろう。

さすがとしか言いようがない素晴らしい演奏で、歴史に残る名盤がまた1枚、ポリーニによってここに誕生した。

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2015年01月05日


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これまで、ショパンの数々の名演を成し遂げたメジューエワであるが、本盤は、それらとほぼ同時期にスタジオ録音されたシューマンの主要作品が収められている。

いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

シューマンのピアノ曲の演奏に際しては、スコアに記された音符を追うだけでは不十分であり、その背後にある心象風景やファンタジーの世界を巧く表現しないと、ひどく退屈で理屈っぽい演奏に陥る危険性が高く、とても一筋縄ではいかない。

メジューエワは、ショパンの名演で行ったアプローチと同様に、1音1音を蔑ろにせず、旋律線を明瞭にくっきりと描き出すことにつとめている。

それ故に、音楽全体の造型は、女流ピアニスト離れした堅固なものとなっている。

一般的に扱いにくいと言われるシューマンの音楽であるが、メジューエワの手にかかると、すべてが過不足なく自然に表現されるのが素晴らしいところである。

シューマン独特の幻想や憧憬、苦悩、恍惚、狂気といった複雑に錯綜した要素を、かくあるべきものとして再創造してゆくさまは圧巻だ。

メジューエワはいくつもの語り口を使いわけながら、シューマンが愛したドイツ・ロマン派の作家さながらにメルヘンを繰り広げていく。

ニュアンスに富んだ細部の表現ひとつひとつが鮮やかな情景を喚起しながら、全体として大きなストーリーを感じさせる点で比類がない。

また、子供の情景の第6曲「一大事」やクライレスリアーナの冒頭、ノヴェレッテヘ長調などにおける強靭な打鍵は圧巻の迫力を誇っている。

それでいて、音楽は淀みなく流れるとともに、細部に至るまでニュアンスが豊か、総体として、気品の高い馥郁たる演奏に仕上がっているのが素晴らしい。

シューマンの音楽の命であるファンタジーの飛翔や憧憬、苦悩なども巧みに演出しており、演奏内容の彫りの深さにおいてもいささかの不足はない。

とりわけ、最晩年の傑作である暁の歌における、シューマンの絶望感に苛まれた心の病巣を鋭く抉り出した奥行きのある演奏には凄みさえ感じさせる。

ライナー・ノーツにおいて、國重氏が、本盤のメジューエワの演奏を指して、「このシューマンの世界はもはや『文学的』ではない。まさに『詩』である。」と記されておられるが、これは誠に当を得た至言と言えるだろう。

録音も、メジューエワのピアノタッチが鮮明に再現されており、申し分のない音質となっている。

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2014年12月26日


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本盤には、1966年9月17日、ヴンダーリヒが天に召される9日前のエジンバラでのラスト・リサイタルが収められている。

全体に自信に溢れた歌唱で、それは黄泉の国に響くような悲しい美を湛えているが、なかでも感動的なのは、シューマンの歌曲集《詩人の恋》である。

わずか36歳の若さで事故死したこの不世出のテノールの歌唱は、この曲集の「永遠のスタンダード」として、今日の我々をも魅了してやまない。

前項に述べたように、《詩人の恋》は、恋の始まりから、思い出のすべてを海の底に葬るまでを描いた、ハイネの詩による美しい16曲の連作歌曲である。

シューベルトの《水車屋》の詩人ミューラーがひたすら出来事と心の表層を歌うのに対し、ハイネは若者の内面を描かずにはおれない。

まさに、ロマン気質のシューマン好みではないか。

名曲中の名曲であるだけに、《詩人の恋》は名盤があまた残されているが、最も美しいドイツ語発音と、最も美しいドイツ的唱法を示した名唱は、「忘れ得ぬテノール」とドイツで呼ばれている往年のリリック・テノール、ヴンダーリヒによるもの。

ヴンダーリヒには数種の録音があるが、ピッチの不安や緊張感を残しながら、音楽的感興の豊かさで本盤のライヴ録音を採りたい。

恋の甘い陶酔や憂い、失恋の予感の焦燥から、魂の慟哭までを難なく歌う、こんなに幅広い表現力の声があったろうか。

若い詩人の心の痛み、うずき、甘美な陶酔とほとばしる憧れのすべてを、天与の美声で難なく歌っており、F=ディースカウのスタイルと対極にある理想の《詩人の恋》と言って差し支えあるまい。

ただ天の命ずるままに歌い、声の赴くままに表現し、声が自然に詩人の傷ついた魂を語り出すのだ。

ここでのみずみずしいロマンティシズムと輝かしい声の美しさは、青春のナイーヴな想いを雄弁に語りかけており、その切なくも甘美な世界の魅力の虜となってしまう。

ただし、音質はあまり良くないので、うるさいことを言わなければDG盤のスタジオ録音でも十二分に満足し得る名唱だが、こだわる人はぜひとも本盤を手に入れるべきだと思う。

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2014年10月06日


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セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、「セルの楽器」との称されるように、オーケストラの各セクションが一つの楽器のように響くという精緻なアンサンブルを誇っていた。

したがって、その演奏の精密な完璧さという意味では比類のないものであったが、その反面、1980年代半ば以前のショルティの多くの演奏のように呼吸の浅い浅薄さには陥っていないものの、いささか血の通っていないメカニックな響きや、凝縮化の度合いが過ぎることに起因するスケールの小ささなど、様々な欠点が散見されることは否めないところだ。

もっとも、1960年代後半になりセルも晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各団員にもある種の自由を与えるなど、より柔軟性のある演奏を心掛けるようになり、前述のような欠点が解消された味わい深い名演を成し遂げるようになるのであるが、本演奏が行われた当時は、一般的には晩年の円熟とは程遠い演奏を繰り広げていた。

ただ、そのようなセルも、シューマンとドヴォルザークの交響曲に関しては、これらの楽曲への深い愛着にも起因すると思われるが、晩年の円熟の芸風に連なるような比較的柔軟性のある演奏を行っていたと言えるのではないだろうか。

本盤に収められたシューマンの交響曲第2番や第4番、そしてウェーバーの「オベロン」序曲においても、いわゆる「セルの楽器」の面目躍如とも言うべき精緻なアンサンブルを駆使して極めて引き締まった演奏を展開しているが、いささかもメカニックな血も涙もない演奏には陥っておらず、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、格調の高さにおいても比類のないものがあり、いい意味での知情バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

セル独自の改訂もいささかの違和感を感じさせない見事なものである。

もっとも、第2番はシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)、第4番はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1953年)がベストの名演であり、「オベロン」序曲は、セルの死の年の来日時のコンサートライヴ(1970年)の方がより優れた名演であることから、本演奏は名演ではあるもののそれぞれの楽曲演奏史上最高の名演とは言い難いが、シューマンの交響曲全集として見た場合においては、サヴァリッシュ&ドレスデン国立管(1972年)やバーンスタイン&ウィーン・フィル(1984、1985年)による全集と同様に、最大公約数的には極めて優れた名全集と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

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2014年10月05日


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セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、「セルの楽器」との称されるように、オーケストラの各楽器セクションが一つの楽器のように響くという精緻なアンサンブルを誇っていた。

したがって、その演奏の精密な完璧さという意味では比類のないものであったが、その反面、1980年代半ば以前のショルティの多くの演奏のように呼吸の浅い浅薄さには陥っていないものの、いささか血の通っていないメカニックな響きや、凝縮化の度合いが過ぎることに起因するスケールの小ささなど、様々な欠点が散見されることは否めないところだ。

もっとも、1960年代後半になりセルも晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各団員にもある種の自由を与えるなど、より柔軟性のある演奏を心掛けるようになり、前述のような欠点が解消された味わい深い名演を成し遂げるようになるのであるが、本演奏が行われた当時は、一般的には晩年の円熟とは程遠い演奏を繰り広げていた。

ただ、そのようなセルも、シューマンとドヴォルザークの交響曲に関しては、これらの楽曲への深い愛着にも起因すると思われるが、晩年の円熟の芸風に連なるような比較的柔軟性のある演奏を行っていたと言えるのではないだろうか。

本盤に収められたシューマンの交響曲第1番や第3番、「マンフレッド」序曲においても、いわゆる「セルの楽器」の面目躍如とも言うべき精緻なアンサンブルを駆使して極めて引き締まった演奏を展開しているが、いささかもメカニックな血も涙もない演奏には陥っておらず、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、格調の高さにおいても比類のないものがあり、いい意味での知情バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

セル独自の改訂もいささかの違和感を感じさせない見事なものである。

もっとも、第1番はクレンペラー&フィルハーモニア管による演奏(1966年)、第3番はシューリヒト&パリ音楽院管による演奏(1953年)又はジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる演奏(1980年)、「マンフレッド」序曲はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1949年)がそれぞれベストの名演であり、本演奏は名演ではあるもののそれぞれの楽曲演奏史上最高の名演とは言い難いが、シューマンの交響曲全集として見た場合においては、サヴァリッシュ&ドレスデン国立管(1972年)やバーンスタイン&ウィーン・フィル(1984、1985年)による全集と同様に、最大公約数的には極めて優れた名全集と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

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2014年09月27日


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これは、サヴァリッシュによる最高のスタジオ録音と言えるのではないだろうか。

シューマンの交響曲全集の他の指揮者による様々な名演などと比較しても、上位にランキングされる素晴らしい名全集と高く評価したい。

大抵の全集の場合、4曲の交響曲の演奏の中には、どうしても出来不出来が出てきてしまうものであるが、本全集の場合は、各交響曲の演奏の出来にムラがなく、すべて高水準の名演に仕上がっているのが見事である。

もちろん、各交響曲の演奏それぞれについて見ると、それぞれにより優れた名演が存在しているのは否めない事実であるが、最大公約数的に見れば、本全集ほどに高水準の名演で構成されているものは、他にも殆ど類例を見ないと言っても過言ではあるまい。

このような名全集に仕上がった理由はいろいろとあると思われるが、第一に掲げるべきは、サヴァリッシュとシューマンの楽曲の抜群の相性の良さということになるのではないだろうか。

シューマンの交響曲は、必ずしも華麗なオーケストレーションを全面に打ち出したものではない。

むしろ、質実剛健とも言うべき、ある種の渋さを持った作品とも言えるところであるが、こうした楽曲の性格が、サヴァリッシュのこれまた派手さを一切排した渋みのある芸風と見事に符号するということではないだろうか。

サヴァリッシュは、交響曲全集の他にも、ミサ曲などにおいても名演を成し遂げていることに鑑みれば、こうしたシューマンの楽曲の相性の良さは本物のような気がしてならないところだ。

次いで、オーケストラがシュターツカペレ・ドレスデンであるということだろう。

東西ドイツが統一された後、東独にあった各オーケストラの音色もよりインターナショナルなものに変貌しつつあるが、本盤の演奏当時の1972年頃は、東独のオーケストラには、独特の個性的で重心の低い独特の音色を有していた。

こうした、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの独特の音色が、シューマンの楽曲に見事に適合していると言えるところであり、ただでさえ素晴らしいサヴァリッシュによる演奏を、更に魅力的なものに仕立て上げるのに大きく貢献していると言えるところだ。

いずれにしても、本全集は、併録の「マンフレッド」序曲も含め、サヴァリッシュ&シュターツカペレ・ドレスデンによる最高の名演奏、最高のパフォーマンスがなされていると言えるところであり、前述のように、これまで多くの指揮者によって成し遂げられてきたシューマンの交響曲全集の中でも、上位にランキングされる素晴らしい名全集として高く評価したい。

音質は、1972年のスタジオ録音であるが、EMIにしては従来CD盤でも十分に合格点を与えることが可能な良好な音質であった。

また、数年前にはリマスタリングが施されるとともに、HQCD化がなされるに及んで、より一層良好な音質に生まれ変わったと聴感されるところであり、筆者としては当該HQCD盤を愛聴している。

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2014年09月12日


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ドイツ・ロマン派の権威でもあるサヴァリッシュが、シューマンの演奏機会の少ない作品で見事な演奏を聴かせる。

最近までほとんど聴かれることのなかったシューマンの「レクイエム」だが、40歳を超えたころに作曲された美しい曲であり、こうした曲に光を当てるあたりは、さすがにサヴァリッシュの見識と言えそうだ。

モーツァルトやフォーレの同名作品と比べても見劣りするどころか、こちらのほうが魅力を湛えているように感じられる部分がたくさんあって、仰々しい音で飾り立てるのでなく、情熱の限りをぶつけるわけでもない。

特に『怒りの日』における、モーツァルトやヴェルディのような性急なテンポで荒々しい表現をとるのではなく、じわじわと運命の日が歩み寄ってくるかのような神秘的な表現としたのは素晴らしいの一言。

シューマンのこの分野の作品に急速に光が当てられるようになってきたのは、現代というあらゆる分野での感覚の解放が進み、先入観やタブーが取り払われ、狂気や彼岸など未知の領域に新しい感覚の冒険を敢行したシューマンの音楽の革新性が理解される条件がようやく整ってきたからであろう。

このCDでもサヴァリッシュの演奏は、これら2曲のもつ異空間感覚の魅力を、透徹した感覚の冴えと緻密な分析力で驚くほど明晰かつ色彩的に浮かび上がらせている。

サヴァリッシュは、合唱の各声部を巧みにコントロールし、声の色合いを微妙に変えながら、ふと現れる深い淵のような静かな響きも交え、うねりのような名演を展開する。

歌手陣も一貫して充実したかがやきのあるひびきを示している。

特にクレー指揮の〈レクイエム〉以来2度目の挑戦であるヘレン・ドナートは、シューマンの演奏に必要な熱っぽさと高貴さとを失わず、見事に歌い上げている。

彼女にとって初めての〈ミニョン〉も期待にそむかぬ歌いぶりで、彼岸との触れ合いに戦慄する魂の高揚を聴き手に伝えてくる。

バイエルン放送交響楽団、合唱、独唱のメンバーは一体となってサヴァリッシュ指揮のもと、全体に風格のあるスケールの大きな演奏を実現している。

そして、シューマンのこれら晩年の作品が、一部の通好みだった秘曲としてのヴェールをぬいで、現代に呼吸する作品となったのである。

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2014年08月08日


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本盤にはシューマンのピアノ曲の中でも特に有名な「子供の情景」と「クライスレリアーナ」が収められているが、いずれも素晴らしい超名演と高く評価したい。

常々のレビューにおいて記していることであるが、シューマンのピアノ曲の演奏は非常に難しいと言える。

弾きこなすのに卓越した技量が必要なことは当然のことであるが、それ以上に詩情の豊かさやファンタジーの飛翔を的確に表現することができないと、ひどく退屈で理屈っぽい演奏に陥ってしまう危険性がある。

アルゲリッチは、超絶的な技量と圧倒的な表現力において、現代最高の女流ピアニストと言える偉大な存在であるが、本演奏においてもそれは健在だ。

「子供の情景」を構成する各曲については、その桁外れに幅広い表現力を効果的に駆使して見事な描き分けを行っており、その卓越した思い入れたっぷりの表現によってあたかも子供が遊ぶ風景が眼前に浮かんでくるかのようであり、抗し難い魅力に満ち溢れている。

「クライスレリアーナ」は、まさにアルゲリッチの独壇場であり、変幻自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、スタジオ録音とは到底思えないような猛烈なアッチェレランドなどを大胆に駆使して、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしており、迸るような情熱の炎といい、情感の豊かさといい、まさに完全無欠の演奏に仕上がっている。

いささか極論ではあるが、ラヴェルの「夜のガスパール」と同様に、あたかもアルゲリッチのために作曲された楽曲であるかのように聴こえるところであり、おそらくは、本演奏は同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

録音は、従来盤でも十分に満足し得る高音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質はきわめて鮮明になるとともに、音場が非常に幅広くなった。

ピアノ曲との相性抜群のSHM−CDだけに今般のSHM−CD化は大いに歓迎すべきであり、アルゲリッチによる至高の名演をこのような高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年08月06日


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カラヤンとツィマーマンが組んで行った唯一の協奏曲録音である。

そもそもカラヤンが、協奏曲の指揮者として果たして模範的であったかどうかは議論の余地があるところだ。

カラヤンは、才能ある気鋭の若手奏者にいち早く着目して、何某かの協奏曲を録音するという試みを何度も行っているが、ピアニストで言えばワイセンベルク、ヴァイオリニストで言えばフェラスやムター以外には、その関係が長続きしたことは殆どなかったと言えるのではないだろうか。

ソリストを引き立てるというよりは、ソリストを自分流に教育しようという姿勢があったとも考えられるところであり、遺された協奏曲録音の殆どは、ソリストが目立つのではなく、全体にカラヤン色の濃い演奏になっているとさえ感じられる。

そのような帝王に敢えて逆らおうとしたポゴレリチが練習の際に衝突し、コンサートを前にキャンセルされたのは有名な話である。

本盤に収められた演奏も、どちらかと言えばカラヤン主導による演奏と言える。

カラヤンにとっては、シューマン、グリーグのいずれのピアノ協奏曲も既に録音したことがある楽曲でもあり、当時期待の若手ピアニストであったツィマーマンをあたたかく包み込むような姿勢で演奏に望んだのかもしれない。

特に、オーケストラのみの箇所においては、例によってカラヤンサウンドが満載。

鉄壁のアンサンブルを駆使しつつ、朗々と響きわたる金管楽器の咆哮や分厚い弦楽合奏、そしてティンパニの重量感溢れる轟きなど、これら両曲にはいささか重厚に過ぎるきらいもないわけではないが、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功している。

カラヤンの代名詞でもある流麗なレガートも好調であり、音楽が自然体で滔々と流れていくのも素晴らしい。

ツィマーマンのピアノも明朗で透明感溢れる美しい音色を出しており、詩情の豊かさにおいてもいささかの不足はなく、とりわけ両曲のカデンツァは秀逸な出来映えであるが、オーケストラが鳴る箇所においては、どうしてもカラヤンペースになっているのは、若さ故に致し方がないと言えるところである。

もっとも、これら両曲の様々な演奏の中でも、重厚さやスケールの雄渾さにおいては本演奏は際立った存在と言えるところであり、本演奏を両曲のあらゆる演奏の中でも最も壮麗な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

本盤は1981〜1982年のデジタル録音であり、十分に満足し得る音質である。

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2014年07月28日


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セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、「セルの楽器」との称されるように、オーケストラの各楽器セクションが一つの楽器のように響くという精緻なアンサンブルを誇っていた。

したがって、その演奏の精密な完璧さという意味では比類のないものであったが、その反面、1980年代半ば以前のショルティの多くの演奏のように呼吸の浅い浅薄さには陥っていないものの、いささか血の通っていないメカニックな響きや、凝縮化の度合いが過ぎることに起因するスケールの小ささなど、様々な欠点が散見されることは否めないところだ。

もっとも、1960年代後半になりセルも晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各団員にもある種の自由を与えるなど、より柔軟性のある演奏を心掛けるようになり、前述のような欠点が解消された味わい深い名演を成し遂げるようになるのであるが、本演奏が行われた当時は、一般的には晩年の円熟とは程遠い演奏を繰り広げていた。

ただ、そのようなセルも、シューマンとドヴォルザークの交響曲に関しては、これらの楽曲への深い愛着にも起因すると思われるが、晩年の円熟の芸風に連なるような比較的柔軟性のある演奏を行っていたと言えるのではないだろうか。

本シューマンの交響曲全集における各交響曲や「マンフレッド」序曲の演奏においても、いわゆる「セルの楽器」の面目躍如とも言うべき精緻なアンサンブルを駆使して極めて引き締まった演奏を展開しているが、いささかもメカニックな血も涙もない演奏には陥っておらず、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、格調の高さにおいても比類のないものがあり、いい意味での知情バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

セル独自の改訂もいささかの違和感を感じさせない見事なものである。

もっとも、第1番はクレンペラー&フィルハーモニア管による演奏(1966年)、第2番はシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)、第3番はシューリヒト&パリ音楽院管による演奏(1953年)又はジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる演奏(1980年)、第4番はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1953年)、「マンフレッド」序曲はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1949年)がそれぞれベストの名演と言えるところであり、本演奏は名演ではあるもののそれぞれの楽曲演奏史上最高の名演とは言い難い。

とはいえ、シューマンの交響曲全集として見た場合においては、サヴァリッシュ&シュターツカペレ・ドレスデン(1972年)やバーンスタイン&ウィーン・フィル(1984、1985年)による全集と同様に、最大公約数的には極めて優れた名全集と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

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2014年07月27日


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至高の名演として名高い「セル、ルガノ・ライヴ」の歴史的な録音がここに復活した。

このCDに収められた演奏は、アメリカでメジャーになったセル&クリーヴランド管弦楽団のコンビ初の欧州公演ということもあって、力の入りようがよく分かる内容になっている。

特にシューマンの第2番がライヴならではの強烈な名演奏で、セル&クリーヴランド管は、まったく一糸乱れぬ演奏を繰り広げるのだが、スタジオ収録と違い、演奏の熱気が次第にあがっていくのがよく分かる。

響きが分厚すぎるとかオーケストレーションに問題があると指摘を受けがちなシューマンの交響曲も、セルに手にかかれば響きはスッキリ整えられ、古典的な構成感も揺るぎがない。

このライヴではよほど興がのったのか、クールと言われがちなセルの指揮も非常に瑞々しく、即興的で驚異的なテンポと物凄い精度の高さの両立が成し遂げられている。

この翌年のステレオによる正規録音があるが、白熱した緊張感を孕むこの演奏は聴き逃せない。

古典的に引き締まったフォルムで磨き上げられた筋肉美を見るような演奏はステレオ盤と変わらないが、ここでは冷たい熱を帯びている。

第1楽章は絶妙なバランスとアンサンブルでスタイリッシュに仕上げている。

第2楽章のスケルツォは躍動感が素晴らしく、終結に至る弦の刻みの正確な動きはサーカスのようだ。

カーブでも一切減速なしに突っ走るから遠心力で吹き飛ばされそうな緊張が走る。

第3楽章は一転落ち着いた抒情が歌われ、ここでもロマン的に拡大するのでなく音は凝縮している。

終楽章もアクセル全開で燃えまくっているが、それでもセルの鍛えあげたクリーヴランド管はアンサンブルが乱れず、バランスの良い端正な演奏ぶりは大したものであり、均整のとれた後半ではトランペットが輝かしく咆哮する。

ドビュッシーの「海」も見通しの良いクリアーな響きが見事で、セルにしては緩急自在にテンポを動かしており、やはりスタジオ録音のクールな印象とは異なる血の通った熱い演奏だ。

ライヴならではの勢いで押し切ったような演奏とも言えるところであり、細部には全く拘らない、厳しく躍動的なセルの芸術を心行くまで堪能できる。

なお、このCDには同日のアンコールのベルリオーズの「ラコッツィ行進曲」が収められている。

これも速めのテンポで折り目正しく演奏されているようだなと聴いていたら、最後の1分ではものすごい加速が始まりオケが歯を食いしばり必死に棒についていく壮絶な展開になり、当然聴衆は興奮状態になってしまう。

音質は海賊盤と聴き比べてみると、当盤では付加されたエコーを取り除いており、クリアそのもので、真性モノラルながらステレオではないかと思うほど、音場の拡がりなどの録音状態が良好である。

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2014年07月19日


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本盤には、カラヤンがスタジオ録音を行った唯一のシューマンの交響曲全集が収められている。

カラヤンは、第4番については、ベルリン・フィルの芸術監督に就任して間もない頃(1957年)と最晩年(1987年)にスタジオ録音を行っていることから、本盤に収められた演奏は、3度にわたる同曲の録音中2度目のものに相当する。

また、第2番については、ローマ・イタリア放送管弦楽団とのライヴ録音(1954年)が存在することから、本盤に収められた演奏は、2度目の録音ということになる。

第1番と第3番については、現在のところ他の録音は遺されていないことから、本盤に収められた演奏がカラヤンによる唯一の録音ということになる。

このようなカラヤンによる他の録音の有無はさておき、本盤の演奏も全盛期のカラヤンならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

本盤の演奏は1971年であり、これはカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが最も輝いていた時期である。

カラヤンが芸術監督に就任して以降に入団した名うてのスタープレイヤーがその実力を如何なく発揮し始めた頃でもあり、鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックによって極上の美音を振り撒く木管楽器群、そして本演奏の前年に入団したフォーグラーによる雷鳴のように轟きわたるティンパニの強靭な迫力。

これらが一体となった当時のベルリン・フィルは驚異的な合奏能力を有していたと言えるところであり、カラヤンはこれに流麗なレガートを施して、オーケストラ演奏の極致とも言うべき極上の名演奏(いわゆるカラヤン・サウンド)を行っていた。

このような演奏に対しては、とある影響力の大きい某音楽評論家などが精神的な深みの欠如を云々しているが、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏は、そうした酷評を一喝するだけの圧倒的な音のドラマの構築に成功していた。

本盤の演奏においても、このような音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆる美しさの極みとも言うべきカラヤン・サウンドに満たされている。

もっとも、第1番であればクレンペラー&ニューフィルハーモニア管(1965年)、第2番であればシノーポリ&ウィーン・フィル(1983年)、第3番であればシューリヒト&パリ音楽院管(1953年)またはジュリーニ&ロサンゼルス・フィル(1980年)、そして第4番であればフルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1953年)などといった、音楽内容の精神的な深みを徹底して追求した名演があり、我々聴き手の心を揺さぶるのもこれらの名演であると考えるが、本盤の演奏のように極上の美しさを誇る圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンによる名演との優劣を比較することは、演奏のベクトル自体が異なるものであり、そもそもナンセンスであると考えられる。

もっとも、第4番については、最晩年の枯淡の境地が表れた味わい深い1987年盤の方がより素晴らしい名演であると言えるところであり、本盤の演奏も名演ではあるが、第4番に限っては1987年盤の方を採りたい。

音質は従来CD盤でも十分に満足できるものであるが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤がベストの音質である。

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2014年06月26日


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ユニバーサルが一昨年夏ごろからシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の発売を開始したが、それから約1年が経過して、日本コロムビアも同様にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤に踏み切った。

この価格が適正かどうかはともかくとして、EMIなども含め、昨年来の大手レコード会社によるSACD化への積極的な取組については大いに歓迎したい。

本盤に収められたシューベルトとシューマンのピアノ五重奏曲は、今をときめく弦楽四重奏団であるカルミナ弦楽四重奏団が田部京子を迎えてスイスにてスタジオ録音を行ったものであるが、両曲ともに素晴らしい名演と高く評価したい。

何よりも田部京子の気品溢れるピアノ演奏が素晴らしい。

ロマン派を代表するピアノ五重奏曲だけに、ロマンティシズム溢れる名旋律の宝庫でもある両曲であるが、田部京子は一音一音を蔑ろにせずに精緻に、そして情感豊かに曲想を描き出しているところだ。

ある意味ではオードドックスとも言えるアプローチであるが、田部京子の場合は、どこをとっても気品と優美さを失っていないのが見事である。

情感を込めるあまり全体の造型が弛緩したり、はたまた陳腐なロマンティシズムに拘泥するようなことは薬にしたくもなく、どこをとっても格調の高さを失っていないのが田部京子のピアノ演奏の最大の美質である。

カルミナ弦楽四重奏団は、現代を代表する弦楽四重奏団として、現代的でシャープな演奏を特徴としているが、本盤の演奏においては、そうした片鱗を感じさせはするものの、共演に田部京子も得て、この団体としてはオーソドックスなアプローチに徹しており、奥行きのある豊かな情感に満ち溢れた名演奏を展開しているとも言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤の演奏は、田部京子とカルミナ弦楽四重奏団の抜群の相性の良さが功を奏した素晴らしい名演として高く評価したい。

音質は、数年前にマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD盤が発売され、それは極上の高音質であった。

それに対して、本盤はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤であり、その比較は困難を極めるとも言える。

これほどのハイレベルの高音質になると、後は好みの問題とも言えるが、筆者としては、音質が若干シャープかつより鮮明になったという意味において、本盤のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の方をより上位に掲げたい。

いずれにしても、田部京子&カルミナ弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年06月09日


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グリーグとシューマンのピアノ協奏曲をカップリングしたCDはあまた存在しているが、本盤のルプー、そしてプレヴィン&ロンドン交響楽団による演奏は、おそらくは最も透明感溢れる美しさを誇るものと言えるのではないだろうか。

何と言っても「千人に一人のリリシスト」と称されるだけあって、ルプーのピアノ演奏はただただ美しい。

グリーグのピアノ協奏曲は、どこをとっても北欧の大自然を彷彿とさせるような抒情豊かな美しい旋律に彩られた楽曲であるが、ルプーは、透明感溢れるピアノタッチで曲想を描き出しており、その清澄な美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

いかなるトゥッティに差し掛かっても、かかる美しさを失わないというのは、美音家ルプーの面目躍如たるものがあると言えるだろう。

もちろん、ルプーのピアノ演奏には、特別な個性を発揮するなど奇を衒ったところはなく、あくまでもオーソドックスな演奏に徹していることから、聴き手によってはいささか物足りないと感じる人も少なくないと思われるが、同曲の持つ根源的な美しさを徹底して追求するとともに、その魅力をピアニストの個性に邪魔されることなくダイレクトに聴き手に伝えることに成功した演奏とも言えるところだ。

その意味においては、ルプーは音楽そのものを語らせる演奏に徹しているとも言えるところであり、徹底した美への追求も相俟って、聴き手が安定した気持ちで同曲の魅力を満喫することが可能であることに鑑みれば、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

他方、シューマンのピアノ協奏曲については、その旋律の美しさのみならず、同曲の本質でもあるいわゆる「ファンタジーの飛翔」をいかに的確に表現することができるのかが鍵となる。

ルプーは、例によって、曲想を透明感溢れるピアノタッチで美しく描き出して行くが、そこには巧そうに弾いてやろうという邪心は微塵もなく、ただただ音楽の根源的な美しさを聴き手に伝えることに腐心しているようにさえ思われるところだ。

したがって、ルプーの表現に何か特別な個性のようなものを感じることは困難ではあるが、そうした虚心坦懐な真摯な姿勢が、同曲の本質でもあるいわゆる「ファンタジーの飛翔」が演奏の随所から滲み出してくることに繋がり、結果として同曲の魅力を聴き手に十二分に伝えることに成功したと言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本演奏は、同曲の数ある名演の中でも、徹底してその美しさを追求した素晴らしい名演と評価したい。

両曲のルプーのピアノ演奏のサポートをつとめたのはプレヴィン&ロンドン交響楽団であるが、ルプーの美しさの極みとも言うべきピアノ演奏を際立たせるとともに、聴かせどころのツボを心得た見事な名演奏を展開しているのを高く評価したい。

音質は、英デッカによる優秀録音であるのに加えて、リマスタリングが行われたこと、更にSHM−CD化(現在では入手難)が図られたこともあって、十分に満足できるものであった。

しかし、今般待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われる運びとなった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ルプーやプレヴィン&ロンドン交響楽団による素晴らしい超名演を、望み得る最高の音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年05月03日


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シューマンの「第4」は、1971年盤より冒頭から真摯で重厚、最もシンフォニックな魅力に満ちた劇的な演奏で、一本筋の通ったドラマの確かな手応えがある。

第1楽章から独自のルバートを駆使しているが、耽美的と言えるほど美しく、音楽的にも自然だ。

第2楽章は極めて内面的・情緒的な表現で、ヴァイオリン独奏も流麗このうえない。

第4楽章では流麗さの内部にあふれんばかりの気迫がみなぎり、爆発し、凄絶極まりない。

これはカラヤン美学の極致だろう。

ブルックナーの「第8」は3回目の録音で、既にあらゆる讃辞が寄せられている有名な録音。

カラヤンの楽譜の読みは細かく、深く、ディテールまで徹底した表情に、味わいと意味深さが感じられる。

特に第3楽章は見事な表現であり、ウィーン・フィルの管弦の美しさには形容の言葉もない。

第4楽章は実に克明に3つの主題の性格が表出されている。

コーダの壮麗さは比肩するものがない。

カラヤンが最後に到達した晴朗な境地が、ここに示されている。

いずれもカラヤン最晩年の研ぎ澄まされた無心の境地と言うべき演奏で、ウィーン・フィルのサウンドをひたすら磨き上げ、完璧なアンサンブルを実現させている。

人間の力でここまで美しい音楽を奏でられるというのは、何と凄いことなのかと改めて驚嘆させられる。

輝かしい音の美に満ちた演奏で、最後のカーテンも幕引きしたのは、如何にもカラヤンらしい終わり方だった。

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2014年04月30日


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ベートーヴェンの交響曲全集やブルックナーの交響曲集など、それぞれの楽曲の演奏史上でも上位に掲げられる名演奏を残しているスウィトナー&シュターツカペレ・ベルリンの黄金コンビであるが、本盤に収められたシューマンの交響曲第2番&第4番についても、このコンビならではの素晴らしい名演であると評価したい。

昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。

奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。

そのような中で、スウィトナーが指揮をしていた当時のシュターツカペレ・ベルリンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特の音色、まさに独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。

スウィトナー自身は、必ずしも楽曲を演奏するに際して個性的な解釈を施す指揮者ではなかっただけに、その演奏の魅力は、シュターツカペレ・ベルリンの重厚なジャーマン・サウンドとそれを体現する力量によるところも大きかったのではないかとも考えられるところである。

シューマンの交響曲は、後輩にあたるブラームスの交響曲と比較すると、特にオーケストレーションの華麗さには大きく譲るところがあり、どちらかと言えば、幾分くすんだような渋味のあるサウンドに支配されているとも言える。

したがって、このような楽曲には、シュターツカペレ・ベルリンの当時の音色は最適のものであると言えるところであり、筆舌には尽くし難いような味わい深さを有していると言っても過言ではあるまい。

この黄金コンビにかかると、シューマンの質実剛健ともいうべきオーケストレーションの魅力が、聴き手にダイレクトに伝わってくるとさえ言える。

もちろん、第2番には、シノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)、第4番には、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1953年)といった歴史的な超弩級の名演が存在しており、それらの超名演と比較して云々することは容易ではあるが、そのような超名演との比較を度外視すれば、十分に魅力的な優れた名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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2014年04月29日


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NHK交響楽団の名誉指揮者として、かつてたびたび来日して名演奏の数々を聴かせてくれたスウィトナーであるが、スウィトナーの遺した名演の数々の大半は、何と言っても手兵であるシュターツカペレ・ベルリンとの演奏であるというのが衆目の一致するところではないだろうか。

スウィトナー&シュターツカペレ・ベルリンは、現在ではすっかりと失われてしまったジャーマンサウンドを奏でている。

国際的にも奏者の技量が最重要視され、各オーケストラの音色が均質化されている今日からすれば、まさに隔世の感がある。

スウィトナーは、それほど個性的なアプローチをする指揮者ではなかったので、これは、シュターツカペレ・ベルリンの力量によるところも大きいのではないかと考える。

このような重厚なジャーマンサウンドをベースとしたシューマンの交響曲は何と言う味わい深いものであることか。

特に、第1番は、1841年の自筆譜をベースとしているだけに、シューマンの素朴とも言うべきオーケストレーションの魅力が、聴き手にダイレクトに伝わってくる。

自筆譜独自の暗鬱さや内向的性格を的確に捉え、しかも音楽的な統一感と説得力の強さはスウィトナーの巨匠性を示している。

冒頭のホルンとトランペットが現行譜より3度下で始まるほか、驚くような違いがいくつも見られるが、スウィトナーは現行譜との異同を明確に示しつつ、シューマンの音楽的本質をかつてないほど明らかにした演奏を聴かせている。

全体に静けささえ漂っているようで、シューマンはオーケストレーションが下手だったとの定説を覆すのに十分な魅力を湛えていると言える。

第3番も、外面的な華々しさとは皆無。

華麗な効果に傾斜しない陰影の濃い表現だが、旋律は幻想的に歌い、シューマンの独創性を端的に示している。

シューマンの幾分くすんだいぶし銀のオーケストレーションを、奇を衒うことなく自然体で表現することによって、楽曲本来の根源的な魅力を見事に引き出している点を高く評価したい。

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2014年03月03日


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バーンスタインによる晩年の演奏はその殆どが濃厚さの極みであり、時として異様に遅いテンポをとるなど大仰な表現が数多く散見されるところだ。

かつてのニューヨーク・フィル時代のヤンキー気質丸出しの爽快な演奏からすると、まるで人が変わったような変容ぶりである。

したがって、バーンスタインの晩年の演奏ほど賛否両論がある演奏はないのではないだろうか。

私見を申し上げれば、このようなバーンスタインによる晩年の演奏には苦手なものが多く、例えばドヴォルザークの交響曲第9番、チャイコフスキーの交響曲第6番、シベリウスの交響曲第2番など、とても聴くに堪えない場違いな凡演に成り下がっているとも考えている。

しかしながら、そのような晩年のバーンスタインが素晴らしい名演を成し遂げた楽曲がある。

それがマーラーの交響曲・歌曲であり、そしてもう一つが本盤に収められたシューマンの交響曲・協奏曲である。

このうちマーラーについては、もはや論ずる必要はないだろう。

変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使してドラマティックの極みとも言うべき演奏を展開しており、あたかもバーンスタインがマーラーの化身と化したような、他の追随を許さない超名演の数々を成し遂げていた。

そして、シューマンについてであるが、バーンスタインの指揮するドイツ音楽は雄弁ではあるが薄味のものが少なくない。

名演と評価し得るものもないことはないが、それはウィーン・フィルの魅力的な美演に起因するものであると言えなくもない。

しかしながら、シューマンに関しては、ウィーン・フィルによる魅力的な美演に関わらず、交響曲にしても協奏曲にしても素晴らしい名演に仕上がっていると言えるだろう。

その理由はよくわからないが、バーンスタインがシューマンの楽曲の根底に潜む心の病巣や絶望感のようなものに、マーラーの交響曲と通底するものを感じ取っていたのかもしれない。

このように、本盤に収められた演奏はいずれもバーンスタインならではのドラマティックとも言うべき名演なのであるが、マーラーの場合とは異なり、各曲の演奏史上最高の名演とは言えないということに留意する必要がある。

交響曲第1番であればクレンペラー&フィルハーモニア管(1965年)、第2番であればシノーポリ&ウィーン・フィル(1983年)、第3番はシューリヒト&パリ音楽院管(1953年)又はジュリーニ&ロサンゼルス・フィル(1980年)、第4番はフルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1953年)が随一の名演であり、マイスキーが渾身のチェロ演奏を披露するチェロ協奏曲を除いてベストワンの名演とは言い難いが、最大公約数的には優れた名演集と高く評価したい。

録音は、従来CD盤でも十分に満足できる音質と言えるが、数年前に発売されたSHM−CD盤が現時点ではベストの音質である。

SHM−CD盤は現在でも入手可能であり、今後購入される方には是非ともSHM−CD盤をお薦めしたい。

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2014年02月21日


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フルトヴェングラーにとって音楽とは、古典主義とその末裔たるロマン主義こそ唯一絶対の頂点で、この絶対主義に同調できない友人には、絶交をその場で申し出たことも、若いころにはたびたびあったそうである。

この絶対主義の理念こそが、フルトヴェングラーのシューマン演奏を、他の演奏家による演奏が及ぶべくもない、比類なきものにしたといえないだろうか。

シューマンは、同時期に3つの「弦楽四重奏曲」も完成させている。

どちらの分野にしろ、これらの作品のチャンピオンはベートーヴェンで、当然シューマン自身、ベートーヴェンを意識して作曲したのであろう。

フルトヴェングラーのベートーヴェン絶対主義こそ、シューマンの演奏を、ベートーヴェンが築き上げた交響曲の高みへと少しでも近づけようとした営みだったといえないだろうか。

この演奏に耳を傾ければ、誰しもすぐそこにベートーヴェンの音楽があると合点するだろう。

ベートーヴェンとの距離の遠近をそれほど意識させずに、ベートーヴェンの後期の作品を聴いているような高みへと誘う演奏こそ、フルトヴェングラーとルシアン・カペーにしかできなかったのではなかろうか。

この2人の芸術家ほど、そのベートーヴェン信仰を生涯貫いた人物はいない。

この録音は第4番がベルリン・フィル、第1番がウィーン・フィルとの演奏であるが、フルトヴェングラーは「僕の結婚相手はベルリン・フィルだよ。でも、ウィーン・フィルは僕の恋人なんだ。だから離れるわけにはいかんのさ」と述べている。

カラヤンもそうだったが、この世界を代表する2大オーケストラを曲によって使い分けられることは指揮者にとってなんと幸せで恵まれていることだろう。

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2014年02月17日


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フランツ・コンヴィチュニー晩年の録音で、「スコットランド」はコンヴィチュニー(1962年7月没)とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による最後の演奏記録のひとつ。

数ある「スコットランド」の中でも古いマニアには知られた渋い名演。

隠れた名演のひとつであり、その演奏はひたすらに骨太でスケールが大きく造形美に溢れ格調が高い。

遅めのテンポ設定をとり、構築的にも隙がなく、響きの密度が高い。

指揮者の腰の座った情念と楽曲の様式美が微妙に織り重なった演奏で、最後まで飽きさせない。

冒頭や第3楽章の古色蒼然とした渋い響きには滅多に聴けない風格があり、楽曲の真髄を極めている。

虚飾の全くない噛んで含めるような実直そのものの演奏は、効果ばかり狙う音楽家からは得られない熟成された味わいがある。

そして、この指揮者としては、珍しく豊麗に歌う演奏である。

持ち前の丹念さがあるのは言うまでもないが、それがまた悠揚と歌う表情をつくるのに一役買っていると言える。

こうした演奏を聴くと、この指揮者の本質はロマン的であったと言うことができる。

さすがにメンデルスゾーンにゆかりのあるゲヴァントハウス管だけのことがあると思わせる味わいの深さがある。

特に弦楽の陰影のある響きと艶は幻想的な雰囲気を醸し出し、スコットランドの自然、厳しさを見事に表現している。

このコンビの録音としては、「ブル5」と双璧を成す名演と高く評価したい。

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2014年02月03日


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アルゲリッチの面白さを堪能できるディスクだ。

最も好きな作曲家はシューマンと語るアルゲリッチであるが、これまでのところ、幻想曲ハ長調 Op.17と、幻想小曲集 Op.12に関してはセッション録音はほかに無いようなので、この若き日の録音を収めたアルバムの存在は貴重である。

古今東西、シューマン的な魅力を発揮するピアニストといえば、誰でもまずアルゲリッチを考えるだろう。

ここでのアルゲリッチの演奏は、シューマン若き日の楽想の変化の激しさを見事に表したもので、激したり沈んだりする多彩な表情と音色の変化の目まぐるしさは、名手アルゲリッチとしてもこの時期(1976年)だけのものかもしれない。

彼女の演奏はシューマンの作品に対する内省的な洞察があるとともに、この作曲家の外へ燃え出る強烈な表出力と深く沈下する情熱が見事に調和しているのである。

それはまたCDでありながら演奏の一回性を強く実感させる。

実に素晴らしい独自のシューマンの主張として、強い説得力を持つ音楽だ。

アルゲリッチの特色が最大限に発揮されており、それゆえに息もつかせぬ面白さを満喫できるのは《幻想小曲集》である。

これ以上ロマン的な表出は不可能を思われるほど自由奔放であり、アルゲリッチのインスピレーションと歌が強く押し出され、独自の世界を繰り広げてゆく。

感興のおもむくまま、奔放に弾きあげた演奏で、しかもロマン的な情感が濃厚に漂っている。

それに比べれば《幻想曲》は抑制が効いているが、ここでも各曲をファンタスティックに精妙に弾きこんでいる。

ホロヴィッツがパステルカラーの絵ならば、アルゲリッチは油絵といった感じで、静と動、明と暗の対比をくっきりとつけながら、感興のおもむくまま、各曲を即興的に弾いているのが特徴だ。

ピアノの小品集と思って聴くと驚かされるような、力の入った熱っぽい演奏である。

1976年、アナログ後期におこなわれたセッションでのステレオ録音のため、そうしたアルゲリッチの切れ味鋭い音から繊細な音まできちんとしたクオリティで収録されているのもポイントである。

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パーヴォ・ヤルヴィの勢いは今や誰もとどめることができない。

彼は、シンシナティ交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、ドイツ・カンマーフィル、パリ管弦楽団を手中におさめており、これらのオーケストラを作曲家毎に振り分けるという何とも贅沢なことをやってのけている。

そして、そのレパートリーの幅広さたるや、父親であるネーメ・ヤルヴィも顔負けであり、今や、人気面において指揮界のリーダー格とされるラトル、ゲルギエフ、ヤンソンスの3強の一角に喰い込むだけの華々しい活躍をしている。

パーヴォ・ヤルヴィがドイツ・カンマーフィルを起用する際には、当然のことながら、いわゆるピリオド奏法に適した楽曲を演奏しており、既に完成させたベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集に次いで、現在では、シューマンの交響曲全集の録音に取り組んでいるところだ。

第1番及び第3番が既発売であり、それはピリオド奏法を十分に生かした斬新とも言えるアプローチが特徴の演奏であり、パーヴォ・ヤルヴィの底知れぬ才能と現代的な感覚、センスの鋭さが光る素晴らしい名演であった。

本盤は、その続編として久しぶりに登場したものであるが、収録曲は交響曲第2番を軸として、「マンフレッド」序曲などの有名な序曲である。いずれも、第1番&第3番に勝るとも劣らぬ素晴らしい名演であると高く評価したい。

本演奏でも、ピリオド奏法は相変わらずであるが、それを十全に活かし切ったパーヴォ・ヤルヴィの個性的なアプローチが実に芸術的とも言える光彩を放っており、これまで同曲を様々な指揮者による演奏で聴いてきたコアはクラシック音楽ファンにも、新鮮さを感じさせる演奏に仕上がっている。

ピリオド奏法やピリオド楽器を使用した演奏の中には、学究的には見るべきものがあったとしても、芸術性をどこかに置き忘れたような軽妙浮薄な演奏も散見されるが、パーヴォ・ヤルヴィの個性的なアプローチには、常に芸術性に裏打ちがなされており、そうした軽妙浮薄な演奏とは一線を画しているとさえ言えるだろう。

思い切ったテンポの振幅、アッチェレランドの駆使、ダイナミックレンジの極端な取り方など、その仕掛けの多さは尋常ならざるものがあるが、これだけ同曲の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、本盤の各曲の演奏は、近年のパーヴォ・ヤルヴィの充実ぶりを如実に反映させた素晴らしい名演であり、加えて、いわゆるピリオド奏法による演奏としては、最高峰に掲げてもあながち言い過ぎとは言えない圧倒的な名演と高く評価したい。

そして、残る第4番の録音を期待する聴き手は筆者だけではあるまい。

音質は、これまた素晴らしい。

特に、最近では珍しくなったマルチチャンネル付のSACDは、臨場感溢れるものであり、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえることによって、ピリオド奏法の面白さが倍加するという効用もあると言えるところだ。

いずれにしても、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルによる素晴らしい名演をマルチチャンネル付のSACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年01月30日


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ロンドンを拠点に活動しているピアニスト、内田光子2枚目のシューマン・アルバムの登場だ。

曲目は『ダヴィッド同盟舞曲集』と『幻想曲』というシューマン・ファンに人気のプログラムで、近年、いっそうの深化を遂げた内田光子ならではの高度な演奏を聴くことができる。

いかにも近年の内田光子ならではの深みのある名演だ。

シューマンのピアノ曲は、いずれも名作揃いだとは思うが、同時代のショパンなどとは異なり、アプローチの仕方によってはやたら理屈っぽい演奏になりがちである。

いずれも詩情に満ち溢れた作品ではあるのだが、組曲やソナタなど、比較的規模の大きい作品が多いだけに、全体の統一性など、どうしてもそれに捕われて、詩情を失ってしまいがちなことがその要因と言えるのかもしれない。

しかしながら、内田光子にはそのような心配は御無用。

全体として、前述のように曲の本質を深彫していくような深遠な表現を心がけてはいるが、シューマン特有の詩情豊かさにもいささかの不足はない。

特に、『ダヴィッド同盟舞曲集』にような作品集では、各曲の性格を巧みに描き分け、緩急自在のテンポを駆使して、これ以上は求められないような高次元の表現を成し遂げている。

『幻想曲ハ長調』は、まさに内田光子の独壇場。

これほど深みがあって、しかも情感豊かな演奏は、今や大ピアニストとなった内田光子にしかできない至高・至純の境地に達している。

本盤は、内田光子にとっても、15年ぶりのシューマンとのことであるが、他のシューマンのピアノ曲も、内田光子の演奏で是非とも聴きたいものだ。

シューマンの『ダヴィッド同盟舞曲集』、『幻想曲』と英グラモフォン誌の記者ジェイムス・ジョリーとの対談という形で、時折ピアノを弾きながらシューマンについて約29分にわたって熱く語ったインタビューも収録している。

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2014年01月27日


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33歳という若き日に不治の病でこの世を去らなければならなかった悲劇のピアニストであるディヌ・リパッティであるが、本盤に収められた演奏は、死の数年前にスタジオ録音されたグリーグとシューマンのピアノ協奏曲の演奏である。

リパッティの録音自体が数少ないだけに貴重な存在であるが、いずれもリパッティならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

両演奏ともに、これまでリマスタリングなどが施されてきたが、1940年代後半のモノラル録音だけに、音質向上効果は必ずしも万全とは言い難かったところだ。

ところが、今般、SACD盤が登場するに及んで、もちろん最新録音のようにはいかないが、これまでの既発CDとは次元が異なる音質の向上が図られたことは、演奏自体が優れているだけに実に意義が大きいことと思われる。

音質が劣悪であるが故に鑑賞を避けてきた音楽ファンも存在していたとも考えられるだけに、今般のSACD盤を機会に、本演奏にできるだけ多くの方に親しんでいただき、悲劇のピアニストであるリパッティの真の実力が再びクローズアップされることを願ってやまないところだ。

両曲の演奏ともに大変優れているが、特に素晴らしいのはシューマンのピアノ協奏曲である。

同曲の演奏は、いささか俗な言い方になるが、同曲に込められたファンタジーの飛翔のようなものをセンス豊かに表現し得ないと、ひどく理屈っぽいつまらない演奏に陥ってしまう危険性がある。

ところが、リパッティにはそのような心配は全くご無用。

リパッティによる本演奏には、シューマンのピアノ曲演奏に必要不可欠のファンタジーの飛翔のようなものや、加えて豊かな詩情、そしてこのピアニスト一流の独特の洒落た味わいが満ち溢れている。

いや、それだけではない。

同曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているとさえ言える。

いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる当該演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏は、シューマンのピアノ協奏曲の演奏という次元を超えた底知れぬ深みを湛えている。

そして、本演奏にかける命がけの渾身の情熱の凄さは、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っている。

こうしたリパッティの凄みのあるピアノ演奏を下支えしているのが、若き日のカラヤン率いるフィルハーモニア管弦楽団であるが、これまた実に優れた演奏を聴かせてくれている。

この当時のカラヤンは、後年の演奏とは異なり、溌剌とした躍動感溢れる指揮の中にも、自我を抑制し、楽曲そのものを語らせようと言う姿勢が見られるところであり、リパッティのピアノ演奏を際立たせる意味においても、まさに理想的な演奏を展開していると評価したい。

他方、グリーグのピアノ協奏曲については、さすがにシューマンのピアノ協奏曲の演奏ほどの深みを感じることは困難であるが、洒落たセンスに満ち溢れたピアノ演奏ぶりは健在であり、ガリエラ指揮のフィルハーモニア管弦楽団の演奏ともども、素晴らしい名演奏を展開していると評価したい。

音質は、前述のとおり、必ずしも最新録音のようにはいかないが、これまでの既発CDとは次元が異なる、ピアノの凄みが感じられる復刻によって、見事な音質に生まれ変わった。

とりわけ、リパッティのピアノタッチが1940年代後半の録音としては、かなり鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、リパッティによる素晴らしい名演を、SACD盤による高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年01月09日


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江崎昌子の奏でるシューマンの美しい小品集、ユーゲントアルバム。

シューマンが愛娘への贈り物として捧げたこの「子供のためのアルバム」は、親から娘に対する優しさ、温かさが満ち溢れる美しい小品集で、数々のピアノ作品を遺したシューマンの作品の中でもとりわけ異彩を放つものである。

自分の愛娘のピアノ練習のために作曲しただけあって、第1部、第2部のそれぞれを構成する楽曲に、具体的な表題が付されているのが特徴であり、旋律も愛らしくて実に親しみやすい。

第1部と第2部の間に、幼い子供と年上の子供というように、年齢に応じた差をつけている点も、いかにも自らの愛娘姉妹のためのアルバムといった趣きである。

ここでは 江崎昌子ならではの歌心と表現豊かな叙情美によって子供から大人まで楽しめる内容に仕上がっている。

江崎昌子は、前作のブルグミュラーの練習曲もそうであったが、このような練習用の曲に大いなる価値を見出しているようだ。

本盤のライナーノーツには、江崎昌子による各曲の説明が載っているが、大変興味深い内容であり、これらを見ながら聴くと、江崎昌子の本作品への深い愛着や理解がよくわかる。

要するに、江崎昌子は、例えばショパンのマズルカ集などの一流の芸術作品に接するのと同じような真摯な姿勢で、シューマンの子供用の練習曲にも接しているのである。

またフレーズ表現の練習曲としての重要なレパートリーであり、練習用の曲を決して蔑にせずに取り組んでいくその真摯な姿勢は、大いに評価してもいいのではなかろうか。

演奏も、シューマンの愛娘に対する深い愛情が伝わってくるような温かいぬくもりのある名演と評価したい。

SACDによる高音質録音も実に鮮明で素晴らしい。

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2013年12月28日


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途轍もなく素晴らしい超名演だ。超名演の前に超をいくつかつけてもいいのかもしれない。

河村尚子による2枚目のアルバムということであるが、録音に慎重な彼女であればこその久々のアルバムの登場であり、まさに満を持してと言った言葉が見事に当てはまると言っても過言ではあるまい。

本盤には、ショパンの最高傑作とも称されるピアノ・ソナタ第3番と、シューマンのフモレスケ、そしてシューマン=リストの「献呈」が収められているが、出来不出来に差はなく、いずれ劣らぬ至高の超名演に仕上がっていると言えるところだ。

河村尚子は、既に約2年前にもショパンの夜想曲集を録音しているが、本盤のピアノ・ソナタ第3番の演奏においては、さらにその芸風が深化していると言えるだろう。

何よりも、河村尚子のピアノタッチが実に美しい。

一つ一つの音が宝石のように煌めいているとも言えるところであり、それは女流ピアニストならではの美質とも言えるが、河村尚子の場合には一部の女流ピアニストにありがちな線の細さは微塵も感じさせず、一本の芯が通ったような力強さを感じさせるのが素晴らしい。

もっとも、いわゆる武骨さとは無縁であり、どこをとっても格調の高い優美さを失わないのが河村尚子のピアニズムの偉大さと言えるだろう。

ピアノ・ソナタの演奏に必要不可欠な全体の造型も堅固であり、とかく旋律の美しさに傾斜した焦点の甘い演奏とは一線を画しているのも本演奏の大きな強みである。

また、心の込め方にも尋常ならざるものがあると思うが、陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、どこをとっても前述のような格調の高さを失うことなく、演奏全体が常に高踏的な美しさに貫かれているのが見事であると言えるところだ。

このような素晴らしい超名演を聴いていると、河村尚子にはピアノ・ソナタ第2番や他のショパンのピアノ作品の演奏を聴きたいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

他方、シューマンのフモレスケも素晴らしい名演だ。

シューマンのピアノ曲の演奏はなかなかに難しく、楽曲の持つファンタジーの飛翔のようなものをいかに的確に表現するのかが問われている。

そして、フモレスケの場合は、シューマンの移ろいゆく心情の変化が散りばめられているだけに、さらに演奏のハードルが高い難曲と言えるが、河村尚子は、持ち前の卓越した表現力を駆使して、作品の持つファンタジックな要素を含有するとともに、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを湛えた見事な名演奏を展開していると評価したい。

シューマン=リストの「献呈」は、演奏されること自体が珍しい作品であるが、ここでも河村尚子は、格調の高さを有した見事な名演を成し遂げている。

そして、何と言っても素晴らしいのはSACDによる極上の高音質録音である。

ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を生かした録音は素晴らしいという他はない。

そして、河村尚子のピアノタッチが鮮明に再現されるのはSACDの潜在能力の高さの証左と言えるところであり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2013年10月26日


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クレンペラーは、メンデルスゾーンの楽曲を得意としており、とりわけ交響曲第3番「スコットランド」(1960年)や劇音楽「真夏の夜の夢」(1960年)、序曲「フィンガルの洞窟」の演奏などは、現在でも他の指揮者による数々の名演に冠絶する至高の超名演と言っても過言ではあるまい。

これに対して、交響曲第4番「イタリア」の演奏の評価は必ずしも芳しいとは言い難い。

これには、とある影響力の大きい某音楽評論家が酷評していることも一つの要因とも言えるが、確かに、トスカニーニ&NBC交響楽団による豪演(1954年)などと比較すると、切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力や、イタリア風の歌謡性溢れるカンタービレの美しさなどにおいて、いささか分が悪いと言わざるを得ないところだ。

しかしながら、北ヨーロッパ人が南国イタリアに憧れるという境地を描いた演奏という考え方(ライナー・ノーツにおける解説において、松沢氏が「武骨で不器用な男気に溢れた演奏」と評価されているが、誠に至言である)に立てば、必ずしも否定的に聴かれるべきではないのではないかと考えられるところであり、本演奏の深沈たる味わい深さとスケールの雄大さにおいては、出色のものがあると言えるのではないだろうか。

いずれにしても、筆者としては、クレンペラーの悠揚迫らぬ芸風が顕著にあらわれた素晴らしい名演と高く評価したい。

これに対して、シューマンの交響曲第4番は、まさに文句のつけようがない至高の名演だ。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、意外にも速めのテンポによる演奏であるが、スケールの雄大さは相変わらずであり、重厚さにおいてもいささかの不足はない。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎだされており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせる(とりわけ、第2楽章は抗し難い美しさに満ち溢れている)のもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

第4番は、独墺系の大指揮者(フルトヴェングラーを始め、ベーム、カラヤン、ヴァントなど)がその最晩年に相次いで名演を遺している楽曲である。

特に、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる超名演(1953年)の存在感があまりにも大きいものであるため、他の演奏はどうしても不利な立場にあるが、クレンペラーは前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、シューマンが同曲に込めた寂寥感や絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、前述のフルトヴェングラーによる超名演にも肉薄する名演と言えるのではないか。

音質は、従来CD盤がARTによるリマスタリングによって比較的良好な音質であった(両曲のうちシューマンの交響曲第4番については、昨年、ESOTERICがフランクの交響曲ニ短調とのカップリングで第4番をSACD化したところであり、これによって素晴らしい鮮明な高音質に生まれ変わった)。

しかしながら、今般、ついにEMIによって両曲ともに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった(シューマンの交響曲第4番については、ESOTERIC盤との優劣については議論の分かれるところだ)。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第3番及びゲーテの「ファウスト」らの情景からの序曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたインテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

第3番の緩徐楽章などにおける情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

両曲ともに名演であるが、先ず交響曲第3番については、「ライン」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では、第1番「春」に次いで明朗で詩情に満ち溢れた楽曲である。

クレンペラーは、本演奏においても前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。

演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫りの深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲最高の名演とされるシューリヒト&パリ音楽院管弦楽団による名演(1953年)やジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる名演(1980年)にも肉薄する至高の名演と評価しても過言ではあるまい。

ゲーテの「ファウスト」からの情景からの序曲も極めて優れた名演だ。

同曲にはライバルともなり得る名演が存在していないことから、まさにクレンペラーの独壇場と言っても過言ではあるまい。

クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、他の演奏をいささかも寄せ付けない至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1969年のスタジオ録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第2番及び歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

交響曲第2番の緩徐箇所(特に第3楽章)等における情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

交響曲第2番は、シューマンの精神的な疾患の影響が反映された楽曲であり、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)や、より激情的でドラマティックなバーンスタイン&ウィーン・フィルによる演奏(1985年)の方がより同曲に相応しい名演のように思えなくもないところだ。

しかしながら、前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、本演奏はシューマンが同曲に込めた絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、前述のシノーポリやバーンスタインによる名演にも肉薄する名演と高く評価したい。

一方、歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲も極めて優れた名演だ。

同曲にはライバルともなり得る名演が存在していないことから、まさにクレンペラーの独壇場と言っても過言ではあるまい。

クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、他の演奏をいささかも寄せ付けない至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1968年のスタジオ録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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