シューマン

2013年12月28日


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途轍もなく素晴らしい超名演だ。超名演の前に超をいくつかつけてもいいのかもしれない。

河村尚子による2枚目のアルバムということであるが、録音に慎重な彼女であればこその久々のアルバムの登場であり、まさに満を持してと言った言葉が見事に当てはまると言っても過言ではあるまい。

本盤には、ショパンの最高傑作とも称されるピアノ・ソナタ第3番と、シューマンのフモレスケ、そしてシューマン=リストの「献呈」が収められているが、出来不出来に差はなく、いずれ劣らぬ至高の超名演に仕上がっていると言えるところだ。

河村尚子は、既に約2年前にもショパンの夜想曲集を録音しているが、本盤のピアノ・ソナタ第3番の演奏においては、さらにその芸風が深化していると言えるだろう。

何よりも、河村尚子のピアノタッチが実に美しい。

一つ一つの音が宝石のように煌めいているとも言えるところであり、それは女流ピアニストならではの美質とも言えるが、河村尚子の場合には一部の女流ピアニストにありがちな線の細さは微塵も感じさせず、一本の芯が通ったような力強さを感じさせるのが素晴らしい。

もっとも、いわゆる武骨さとは無縁であり、どこをとっても格調の高い優美さを失わないのが河村尚子のピアニズムの偉大さと言えるだろう。

ピアノ・ソナタの演奏に必要不可欠な全体の造型も堅固であり、とかく旋律の美しさに傾斜した焦点の甘い演奏とは一線を画しているのも本演奏の大きな強みである。

また、心の込め方にも尋常ならざるものがあると思うが、陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、どこをとっても前述のような格調の高さを失うことなく、演奏全体が常に高踏的な美しさに貫かれているのが見事であると言えるところだ。

このような素晴らしい超名演を聴いていると、河村尚子にはピアノ・ソナタ第2番や他のショパンのピアノ作品の演奏を聴きたいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

他方、シューマンのフモレスケも素晴らしい名演だ。

シューマンのピアノ曲の演奏はなかなかに難しく、楽曲の持つファンタジーの飛翔のようなものをいかに的確に表現するのかが問われている。

そして、フモレスケの場合は、シューマンの移ろいゆく心情の変化が散りばめられているだけに、さらに演奏のハードルが高い難曲と言えるが、河村尚子は、持ち前の卓越した表現力を駆使して、作品の持つファンタジックな要素を含有するとともに、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを湛えた見事な名演奏を展開していると評価したい。

シューマン=リストの「献呈」は、演奏されること自体が珍しい作品であるが、ここでも河村尚子は、格調の高さを有した見事な名演を成し遂げている。

そして、何と言っても素晴らしいのはSACDによる極上の高音質録音である。

ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を生かした録音は素晴らしいという他はない。

そして、河村尚子のピアノタッチが鮮明に再現されるのはSACDの潜在能力の高さの証左と言えるところであり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2013年10月26日


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クレンペラーは、メンデルスゾーンの楽曲を得意としており、とりわけ交響曲第3番「スコットランド」(1960年)や劇音楽「真夏の夜の夢」(1960年)、序曲「フィンガルの洞窟」の演奏などは、現在でも他の指揮者による数々の名演に冠絶する至高の超名演と言っても過言ではあるまい。

これに対して、交響曲第4番「イタリア」の演奏の評価は必ずしも芳しいとは言い難い。

これには、とある影響力の大きい某音楽評論家が酷評していることも一つの要因とも言えるが、確かに、トスカニーニ&NBC交響楽団による豪演(1954年)などと比較すると、切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力や、イタリア風の歌謡性溢れるカンタービレの美しさなどにおいて、いささか分が悪いと言わざるを得ないところだ。

しかしながら、北ヨーロッパ人が南国イタリアに憧れるという境地を描いた演奏という考え方(ライナー・ノーツにおける解説において、松沢氏が「武骨で不器用な男気に溢れた演奏」と評価されているが、誠に至言である)に立てば、必ずしも否定的に聴かれるべきではないのではないかと考えられるところであり、本演奏の深沈たる味わい深さとスケールの雄大さにおいては、出色のものがあると言えるのではないだろうか。

いずれにしても、筆者としては、クレンペラーの悠揚迫らぬ芸風が顕著にあらわれた素晴らしい名演と高く評価したい。

これに対して、シューマンの交響曲第4番は、まさに文句のつけようがない至高の名演だ。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、意外にも速めのテンポによる演奏であるが、スケールの雄大さは相変わらずであり、重厚さにおいてもいささかの不足はない。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎだされており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせる(とりわけ、第2楽章は抗し難い美しさに満ち溢れている)のもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

第4番は、独墺系の大指揮者(フルトヴェングラーを始め、ベーム、カラヤン、ヴァントなど)がその最晩年に相次いで名演を遺している楽曲である。

特に、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる超名演(1953年)の存在感があまりにも大きいものであるため、他の演奏はどうしても不利な立場にあるが、クレンペラーは前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、シューマンが同曲に込めた寂寥感や絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、前述のフルトヴェングラーによる超名演にも肉薄する名演と言えるのではないか。

音質は、従来CD盤がARTによるリマスタリングによって比較的良好な音質であった(両曲のうちシューマンの交響曲第4番については、昨年、ESOTERICがフランクの交響曲ニ短調とのカップリングで第4番をSACD化したところであり、これによって素晴らしい鮮明な高音質に生まれ変わった)。

しかしながら、今般、ついにEMIによって両曲ともに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった(シューマンの交響曲第4番については、ESOTERIC盤との優劣については議論の分かれるところだ)。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第3番及びゲーテの「ファウスト」らの情景からの序曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたインテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

第3番の緩徐楽章などにおける情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

両曲ともに名演であるが、先ず交響曲第3番については、「ライン」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では、第1番「春」に次いで明朗で詩情に満ち溢れた楽曲である。

クレンペラーは、本演奏においても前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。

演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫りの深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲最高の名演とされるシューリヒト&パリ音楽院管弦楽団による名演(1953年)やジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる名演(1980年)にも肉薄する至高の名演と評価しても過言ではあるまい。

ゲーテの「ファウスト」からの情景からの序曲も極めて優れた名演だ。

同曲にはライバルともなり得る名演が存在していないことから、まさにクレンペラーの独壇場と言っても過言ではあるまい。

クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、他の演奏をいささかも寄せ付けない至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1969年のスタジオ録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第2番及び歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

交響曲第2番の緩徐箇所(特に第3楽章)等における情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

交響曲第2番は、シューマンの精神的な疾患の影響が反映された楽曲であり、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)や、より激情的でドラマティックなバーンスタイン&ウィーン・フィルによる演奏(1985年)の方がより同曲に相応しい名演のように思えなくもないところだ。

しかしながら、前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、本演奏はシューマンが同曲に込めた絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、前述のシノーポリやバーンスタインによる名演にも肉薄する名演と高く評価したい。

一方、歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲も極めて優れた名演だ。

同曲にはライバルともなり得る名演が存在していないことから、まさにクレンペラーの独壇場と言っても過言ではあるまい。

クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、他の演奏をいささかも寄せ付けない至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1968年のスタジオ録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第1番及び「マンフレッド」序曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

交響曲第1番の緩徐楽章等における情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

全集の中でも交響曲第1番は最も優れた超名演として、これまで多くの音楽評論家によって絶賛されてきたところだ。

「春」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では明朗で詩情に満ち溢れた楽曲であるが、クレンペラーは前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。

演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫りの深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲の様々な演奏に冠絶する至高の超名演と評価しても過言ではあるまい。

一方、「マンフレッド」序曲も極めて優れた名演奏だ。

同曲には、フルトヴェングラーがベルリン・フィルとともに録音した超名演(1949年)が存在しており、それはいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな豪演であった。

これに対して、クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、前述のフルトヴェングラーによる超名演にも肉薄し得る素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1960年代半ばの録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年10月15日


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こんなにゆったりとした気持ちでシューマンのピアノ曲を味わうことができたのは初めてだ。

2010年はシューマン生誕200年記念の年であったが、そうした記念の年に相応しい素晴らしい名演CDと高く評価したい。

いずれも名演であるが、特に感動したのは「謝肉祭」。

この「謝肉祭」は、私見では、史上最高の名演と言っても過言ではないのではなかろうか。

前口上の力強い開始。

一転して抒情的な高貴なワルツやオイセビウス、スフィンクスのおどろおどろしい不気味な世界を経て、蝶々やA.S.C.H.−S.C.H.Aのリズミカルな軽快感、ショパンの優美さ、そしてパガニーニの巧みな演出など。変幻自在の表現力の幅の広さには大変感心させられた。

そして、ぺリシテ人と戦うダヴィッド同盟の行進の威風堂々たる演奏には風格を感じるほどで、この名演を最高の形で締めくくっているのである。

「謝肉祭」には、やたら理屈っぽい演奏で、シューマンの豊かなファンタジーをスポイルさせてしまう駄演も散見されるが、これほどまでに音楽それ自体を楽しませてくれる演奏は珍しく、聴いていて思わず微笑んでしまうほどだ。

これぞ「謝肉祭」の理想の演奏であり、史上最高の名演と評価する所以である。

次いで、「トロイメライ」の繊細な演奏を掲げたい。

これはいかにも女流ピアニストだけがなし得る至純の美しさに満ち溢れている。

「クライスレリアーナ」も名演であるが、こちらはシューマンの最高傑作だけに、他にもライバルが多く、高橋の名演が随一というわけにはいかない。

それでも、圧倒的な技量と緩急自在の巧みなテンポ設定など、さすがと思わせる箇所も多い。

録音は、SACDによる極上の高音質であり、全く言うことがない。

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2013年08月10日


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これはシュヴァルツコップによる傑作とも言える名CDである。

1974年のスタジオ録音ということで、まさにシュヴァルツコップの晩年の演奏ということが言えるが、いささかも歌唱力が衰えるということはなく、むしろ人生の辛酸を舐め尽くした不世出の大歌手だけに可能な圧巻の名唱を披露していると高く評価したい。

それにしても、シューマンの楽曲の演奏は難しい。

交響曲であればそうではないところもあるが、ピアノ曲や歌曲ともなれば、凡庸な演奏ではとても聴いていられないということになる。

シューマンのピアノ曲や歌曲には、いささか俗な言い方になるが、ある種のファンタジーの飛翔のようなものが存在しており、これをいかに的確に表現し得るかに演奏の成否がかかっていると言っても過言ではあるまい。

ドイツ音楽であるからといって、理詰めで演奏したりしてしまうと、ひどく退屈で面白みのない演奏に成り下がってしまう可能性が高い。

しかしながら、シュヴァルツコップによる本演奏については、そのような危険にはいささかも陥っていない。

例によって、本演奏でもシュヴァルツコップの歌唱は上手い。

いや、あまりにも上手過ぎるとも言えなくもないが、これだけシューマンの歌曲の魅力を満喫させてくれれば文句は言えない。

そして、上手過ぎるとは言っても、技巧臭がいささかもしないのがシュヴァルツコップの凄さと言えるだろう。

随所において豊かな情感が込められているが、それでいてセンチメンタルになることはなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事である。

加えて、前述のように、シューマンの歌曲には、ファンタジーの飛翔のようなものが存在しているが、シュヴァルツコップはそれらを見事に描出するのに成功しており、シュヴァルツコップがいかにシューマンの歌曲の神髄を捉えていたのかが理解できるところだ。

ジェフリー・パーソンズのピアノ演奏も素晴らしいものであり、シュヴァルツコップの名唱にいささかも引けを取っていない。

パーソンズのピアノ演奏は、一聴すると淡々した演奏を展開しているように聴こえるが、よく聴くと、前述のようなシューマンの音楽特有のファンタジーの飛翔を見事に表現し得て妙とも言えるところだ。

したがって、シューマンの歌曲に相応しいピアノ演奏と言えるところであり、前述のようなシュヴァルツコップの名唱とも相俟って、珠玉の名演を成し遂げるに至っているものとして高く評価したい。

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2013年04月08日


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パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルの黄金コンビは、ベートーヴェンの交響曲全集においても、名演の数々を聴かせてくれたが、この新シリーズとなるシューマンの交響曲チクルスも快調だ。

本盤は、その第一弾ということになるが、このコンビの素晴らしさを認識させてくれる名演と高く評価したい。

シューマンを文字通り「愛している」と公言してはばからないパーヴォ・ヤルヴィ。

シューマンの演奏においては、「作品に込められた感情の起伏や途方もないエネルギーを恥ずかしがることなくさらけ出さないと、シューマン本来の魅力が伝わらない」と考えるパーヴォが、シューマンのオーケストレーションの機微を繊細に表現できることのできるドイツ・カンマーフィルと組んで繰り広げるシューマン・ワールドである。

ライナー・ノーツの解説によると、ここでは、ベートーヴェンの時と異なり、ピリオド楽器を用いていないとのこと。

それでも、いわゆる古楽器奏法は健在であり、これまで聴いてきた他のシューマンの交響曲の演奏とは、一味もふた味も異なる新鮮さが持ち味だ。

意表を衝くようなテンポ設定、そして強弱の変化、金管楽器や木管楽器のユニークな響かせ方、粘ったようなレガートの絶妙さなど、息をつく暇がないほどの内容の濃い演奏になっているが、それでいて、やり過ぎの印象をいささかも与えることがないのは、パーヴォのシューマンの交響曲への深い理解と、芸術性の高さの証左であると考える。

残る交響曲第2番及び第4番への期待が大いに高まる内容であるとも言える。

録音も素晴らしい。

マルチチャンネル付きのSACDは、鮮明で臨場感のある極上の高音質であり、このコンビによる名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2013年01月08日


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いかにも近年の内田光子ならではの深みのある名演だ。

シューマンのピアノ曲は、いずれも名作揃いだとは思うが、同時代のショパンなどとは異なり、アプローチの仕方によってはやたら理屈っぽい演奏になりがちである。

いずれも詩情に満ち溢れた作品ではあるのだが、組曲やソナタなど、比較的規模の大きい作品が多いだけに、全体の統一性など、どうしてもそれに捕われて、詩情を失ってしまいがちなことがその要因と言えるのかもしれない。

しかしながら、内田光子にはそのような心配は御無用。

全体として、前述のように曲の本質を深彫していくような深遠な表現を心がけてはいるが、シューマン特有の詩情豊かさにもいささかの不足はない。

特に、「ダヴィッド同盟舞曲集」にような作品集では、各曲の性格を巧みに描き分け、緩急自在のテンポを駆使して、これ以上は求められないような高次元の表現を成し遂げている。

「幻想曲ハ長調」は、まさに内田光子の独壇場。

これほど深みがあって、しかも情感豊かな演奏は、今や大ピアニストとなった内田光子にしかできない至高・至純の境地に達していると言える。

本盤は、内田光子にとっても、15年ぶりのシューマンとのことであるが、他のシューマンのピアノ曲も、内田光子の演奏で是非とも聴きたいものだ。

ここで辛口の一言を言わせてもらいたい。

いつぞやのグラミー賞が発表された時、日本では「ビーズの松本」だけ。

ニューヨークタイムズやロイター通信よく見てみなさい。

どこも「Mitsuko Uchida」ですよ。

日本のマスコミは無教養、大衆も無知下品、芸術とは無縁の人達といえよう。

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2012年12月30日


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1993年に録音された、シューマンのよく知られた作品3つをカップリングした1枚。

「フモレスケ」と「子供の情景」が、ルプーの個性が発揮された名演だと思う。

「千人に一人のリリシスト」と言われるルプーであるが、この2曲でも美音家ルプーの面目躍如たる抒情豊かな演奏を繰り広げている。

シューマンのピアノ曲は、同時代のショパンなどとは異なり、下手なアプローチをすると、やたらと理屈っぽい演奏に陥る危険性を孕んでいるが、ルプーの場合は、そのような心配は皆無。

各曲の性格をよくとらえ、華美にしすぎずに色鮮やかな演奏を聴かせてくれるあたりはルプーならでは。

シューマンのピアノ曲の美しさをいささかの嫌みもなく、安心した気持ちで満喫できる点を高く評価したい。

もちろん、抒情の豊かさだけではなく、「フモレスケ」の第5曲や、「子供の情景」の〈大事件〉、〈竹馬の騎手〉などにおける力強い打鍵による迫力においても、いささかの遜色はない。

他方、「クライスレリアーナ」は、「フモレスケ」や「子供の情景」の名演に比較すると、やや落ちると言わざるを得ない。

同曲の演奏にあたっては、各曲の性格を巧みに弾き分けていくことが必要不可欠であるが、同曲を得意とし、思い切った表現を行ったアルゲリッチの豪演などに比較すると、いささか大人しい感じがしないでもない。

ルプーなら、もう一歩次元の高い演奏を期待したい。

SHM−CD化によって、ほんのわずかではあるが、鮮明さが増したように感じたが、通常CDとの差は、殆ど誤差の範囲と言える。

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2012年12月14日


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シューマンのピアノ協奏曲は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」に対して、ピアノ協奏曲の女王と呼ばれているが、そうした呼び名に相応しいワルターならではの名演だ。

シューマンは、指揮者ワルターにとって唯一の録音であるが、彼もピアノのイストミンも情熱たっぷりに聴かせ、ドラマティックに仕上げている。

さすがにワルター色が濃厚で、新鮮で若々しく、明るく直線的で、きびきびした進行の中に香りと品格を生かそうとしている。

第1楽章は決然とした力強さで開始されるが、主部のヒューマニティ溢れる情感豊かさは、抒情的で実に感動的だ。

第2楽章も、気品の高いロマン的抒情が溢れ出ている。

そして、終楽章は、これまでの楽章とは一転して、重量感溢れる力強い迫力で全曲を締めくくっている。

決して有名とは言えない米国出身のピアニストであるイストミンも、ワルターの巨匠の棒に見事についていっており、コロンビア交響楽団も最高のパフォーマンスを示していると言える。

ショパンのピアノ協奏曲第2番も名演。

こちらは、オーマンディの指揮であるが、ショパンの抒情溢れる詩情を全面に打ち出すというよりは、シンフォニックな重厚さを全面に打ち出した演奏と言える。

若書きで必ずしも成熟した作品とは言い切れない同曲を、スケール雄大な一大交響曲作品のように仕立て上げた点は、まさに巨匠ならではの円熟の至芸と言えよう。

イストミンもオーマンディの指揮に見事に合わせており、フィラデルフィア管弦楽団の明るいサウンドを得て、イストミンは自在に歌いあげている。

DSDリマスタリングは、ややきつめの硬い音質で、全体的にイマイチの音質の感じがした。

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2012年11月11日


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クーベリックは、本盤の約15年後に、バイエルン放送交響楽団とシューマンの交響曲全集を再録音している。

シューマンの交響曲全集を2度録音した指揮者は、クーベリックのほか、バーンスタインくらいしか思い浮かばないが、いずれもマーラーを得意とした指揮者であるという点には注視する必要があると思われる。

シューマンは晩年、精神病に侵されていたが、マーラーの精神分裂的とも言えるような激情的な音楽と通低するものがあるのかもしれない。

バーンスタインの2度目の録音は、まさにそのような点を強調した演奏であったように思う。

しかしながら、クーベリックは特にそのような点を強調しているとは言えない。

むしろ、シューマンがスコアに記した音楽の魅力をストレートに表現していこうという、オーソドックスなアプローチとも言える。

それは、本盤だけでなく、後年の録音でも同様である。

新旧両演奏を比較すると、世評では後年の録音の方を、円熟の名演として高く評価する声が大きいと思うが、本盤には、後年の録音にはない独特の魅力がある。

それは、若さ故の燃え立つようなパッションの爆発ということになるのではなかろうか。

どの交響曲も、そして併録の両序曲も、切れば血が出るような力強い生命力に満ち溢れており、聴いていて心が湧き立つような感慨を覚えるほどだ。

それでいて、「第2」の第3楽章や「第3」の第4楽章など、抒情的な楽章の歌い方も実に美しく、ここにはみずみずしいロマン派の息吹さえ感じさせる。

ベルリン・フィルの好演も指摘しておく必要があるだろう。

カラヤンが、シューマンの交響曲全集を録音するのは、本盤の約10年後であることからしても、ベルリン・フィルがいかにクーベリックを高く評価していたかがよくわかろうというものである。

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2012年10月26日


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バッハの作品集に続くエデルマンのトリトーンへの録音第2弾はオール・シューマン・プログラムであるが、これまた素晴らしい名演だと思う。

今回はロマン派きっての名曲が壮大なタッチで奏でられ、ピアニズムの真髄に打って出ており、珠玉の「アラベスク」を挟んで、「幻想曲」と「交響的練習曲」を前後に、まさに重量級のアルバムとなっている。

シューマンのピアノ作品は、私見ではあるが、あまり深く考えすぎたりすると、楽曲に含有されている豊かなファンタジーの飛翔が妨げられ、やたら理屈っぽい退屈な演奏になりがちである。

しかし、エデルマンにはそのようなことは杞憂。

もちろん、エデルマンなりのシューマンのピアノ作品に対する考え方には確固たるものがあるのだろうが、決して自我を表面に出すことなく、紡ぎだされる演奏はあくまでも自然体だ。

それでいて、微動だにしない堂々たる重厚なアプローチを何と表現すればいいのだろうか。

さらに、卓越したテクニックが、こうしたアプローチを見事に助長している。

筆者が特に感動したのは「幻想曲」だ。

エデルマンは、持ち前の重厚にして強靭な打鍵で曲想を描いていくが、それでいて、楽曲の随所から漂ってくるロマン的な香り。

これぞまさに「幻想曲」と言うべきであり、このような至芸を50歳に漸く到達しようというピアニストが行うとは。

次いで、「交響的練習曲」が素晴らしい。

ライナーノーツによると完全版を採用しているとのことであるが、各部の楽想の変化を自在に描き分け、それでいて全体をあたかも交響曲のような雄大なスケールで纏め上げた力量は見事という他はない。

エデルマンの今後の発展を大いに期待させられる1枚だ。

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2012年09月16日


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ムーティのシューマン:交響曲全集の再録音で、旧盤に比べムーティの音楽的充実ぶりは著しい。

ムーティは、シューマンをブラームスのように重厚にではなく、軽快で明るいタッチで演奏している。

したがって、このようなアプローチで成功しているのは、「第1」の「春」の方だと思う。

シューマンならではのロマン的な香りに満ち溢れており、正に、人生の春を謳歌するような歓びでいっぱいになるような名演だと思う。

「第2」も実に軽快な演奏で、同じウィーン・フィルを指揮した名演として、シューマンの深層心理への鋭い切り込みを見せるシノーポリ盤や、熱い血がたぎるようなバーンスタイン盤がある。

これらの名盤に比べると、どうしても影が薄くなるが、ウィーン・フィルの美演を最大限に生かしているという意味では、本盤が一番かもしれない。

「第3」も、バーンスタイン盤に比べると、いささか淡泊な印象を受けるが、ウィーン・フィルの演奏の美しさを堪能させてくれる点については、「第2」と同様に評価されるべきであろう。

「第4」は、フルトヴェングラー盤をはじめとする往年の巨匠が重厚な名演を成し遂げてきた楽曲でもあり、ムーティのアプローチでは、いささか軽妙に過ぎる印象を持った。

シューマンのオーケストレーションに多くを求めることは難しいが、それでも、指揮者の力量により大名演を成し遂げた過去の巨匠の域には、未だ達していないということだろう。

全4曲を通じて、ムーティがウィーン・フィルから極上の豊潤な響きを引き出しており、シューマンのロマン的心情を鮮明に浮かびあがらせている。

廉価盤というのも大きな魅力。

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2012年09月08日


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少年時代に、シューマンの友人であったヴァイオリニストのヨアヒムから薫陶を受けたルービンシュタインは、生涯を通じてシューマンの作品に強い共感を抱き、自家薬籠中のものとしていた。

当盤収録の2曲はいずれもルービンシュタイン生涯唯一の録音で、シューマンの作品に内包されたファンタジーとロマンティシズムが、心技とも最も充実していたルービンシュタインが紡ぐ豊かな音色で描き出されてゆく。

ルービンシュタインの芸風は、シューマンのピアノ曲との相性が抜群のようだ。

本盤を聴くとそれがよくわかる。

特に、「幻想曲ハ長調」でそれが顕著であり、この曲の持つ文字通りの幻想的でかつロマン的な香り立つ叙情を、極上のピアニズムで歌いあげている。

テンポ設定もごく自然体であり、恣意的な解釈はどこにも見られない。

もちろん、ルービンシュタインならではの同曲への解釈やアプローチの仕方はあるのだろうが、そうしたピア二ストの個性よりも、「幻想曲ハ長調」の美しさ、素晴らしさだけが伝わってくる。

これは、ルービンシュタインが同曲の本質を捉えきっていること、そして、ルービンシュタインの芸風と楽曲が符合しているからに他ならないと思われる。

まさに、作曲者と演奏者の最高の幸福な出会いがここにある。

他方、「クライスレリアーナ」も名演というべき出来なのだが、こちらの方が、「幻想曲ハ長調」ほどの高みには達しておらず、隋所にルービンシュタインのこう考えるという解釈が滲み出ている。

それが普通ではないかと言われればそれまでであるが、ルービンシュタインほどの巨匠、そしてシューマンとの相性の良さを考慮に入れると、もう一段上の演奏が出来たのではないかと、少々高望みをしたくなる。

Blu-spec-CD化により、音質のグレードが相当にアップし、名演を高音質で味わうことができることになったことを大いに喜びたい。

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2012年06月29日


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本盤には、2001年に惜しくも急逝したシノーポリが遺した唯一のシューマンの交響曲全集が収められている。

精神医学者でもあり、作曲家でもあったシノーポリの演奏は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さを特徴としている。

このような分析的なアプローチに符号した楽曲としては、例えばマーラーの交響曲などが該当するところであり、シノーポリも比類のない名演を成し遂げることに成功した。

したがって、精神分裂的な気質がマーラーに酷似しているシューマンの交響曲においても、シノーポリが名演を成し遂げたというのは、ある意味では当然のことであったと言えるだろう。

シューマンは長年に渡って精神病を患っていたが、シューマンの各交響曲における各旋律の随所に込められている心の慟哭や絶望感を徹底的に追及するとともに抉り出し、持ち味の分析的なアプローチによって完全に音化することを試みており、他のいかなる指揮者による演奏よりも彫りの深さが際立っている。

他方、シノーポリのイタリア人指揮者としての資質に起因すると思われるが、交響曲第1番や第3番(第4楽章を除く)などに顕著な明朗な旋律の数々も豊かな歌謡性を持って歌い抜いており、細部に至るまで彫琢の限りを尽くした表現を行いつつ、音楽の流れもいささかも淀みがなく流麗に流れていくという、ある意味では二律背反する要素を巧みに両立させた見事な名演奏を繰り広げていると言っても過言ではあるまい。

そして、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の重心の低い音色が、演奏全体に独特の潤いと奥行きの深さを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

併録の「序曲、スケルツォとフィナーレ」は、オペラを得意としたシノーポリならではの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さが光った名演と評価したい。

音質は、1990年代のスタジオ録音であり、これまで特段の高音質化は図られていないが、従来CD盤でも十分に満足できる良好なものである。

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2012年06月25日


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シューマンの「第4」の冒頭から重厚かつ引き締まった響きは、もはや今日の演奏では聴かれなくなった類のもの。

きわめて大掛かりな表現による序奏は、その次に来る主部への期待をいやがうえにも高める。

そして、テンポを速めて堂々とした主部へとなだれ込む。

その壮大さは比類なく、しかも隅々まで細やかな情感に満ち溢れている。

緩徐楽章もきわめて味わい深く、巨人の歩みのようなスケルツォへと経て、嵐のようなフィナーレへと至る。

これほど雄大なシューマンは他に例がないだろう。

淡いロマンに彩られたシューマン像に親しんだ今日では、まるで別の作品を聴くような重厚な幻想性がユニークで、高度に音楽的な演奏だ。

その説得力はきわめて大きく、往年の大巨匠ならではの演奏だ。

「マンフレッド」序曲も演奏は唖然とするほどすばらしい名演。

オーケストラの響きが満ち溢れるようであり、すみずみにまでフルトヴェングラーの血が通っている。

感情の波が大きく拡がってゆき、何よりも歌い方の豊かさにまいってしまう。

その意志的な強さと音楽の自在さは例えようもなく、これこそ創造的な名人芸である。

ハイドンの「V字」はきわめて彫りが深く、陰影が濃く、北ドイツ風のハイドンであるが実に味わい深い。

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2012年05月19日


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シューマンのピアノ協奏曲は、フルトヴェングラーとギーゼキングとの唯一の共演盤であり、1942年3月のベルリン・フィルの定期公演における実況録音である。

フルトヴェングラーの特徴は第1楽章に顕著だ。

冒頭和音の気迫、つづいて入るピアノとのずれがいかにも彼らしく、木管による第1楽章が始まると、心のこもった情感がいっぱいに漂ってくる。

この楽章で彼が言いたかったのは暗い人間の心なのだ。

中間部初めのクラリネットや再現部の第1テーマはさながらしのび泣きを想わせる。

ギーゼキングも珍しく情緒的な演奏で指揮者に応えている。

第2楽章のフルトヴェングラーはやや歌いすぎてデリカシーを欠き、第3楽章もわりに冴えない。

しかしコーダの加速はおそらく彼にしさであろう、スムーズに決まっている。

同じくシューマンのチェロ協奏曲は、ティボル・デ・マヒュラのソロが美演だ。                                        哀切に心を込め、まず第1に人間的な感情が前面に出ており、しかも繊細さや高貴さを失っていない。

渋い第2楽章が終始意味を持って語りかけてくるのは感情の持続性が優れているからであろう。

フィナーレでもどんなパッセージでも内容を感じさせ、緊迫した前進性は圧倒的でその真剣さに打たれる。

フルトヴェングラーの指揮も全体にテンポの流動がスムーズで音楽が生きており、フィナーレなど、とりとめのない曲をマヒュラとともに聴かせてしまう力がすばらしい。                                     

フルニエとの第3楽章が残されているが、音質が良くない。

フルニエのチェロは小味で優美だが、前記マヒュラのほうがはるかに感動的である。

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2012年05月12日


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フルトヴェングラーの《V字》は、3つの録音が残されているが、この1951年ライヴ盤は、第1楽章の序奏部がほかの2盤よりもものものしく、フルトヴェングラーを満喫できる。

主部はオケの厚みと充実度がすばらしく、内的力感に満ち、3盤中のベストで、録音も1952年盤より良い。

第2楽章は温かい歌と豊かな情感にあふれ、トリノ盤に匹敵するが、音が良いぶん、このほうが上かもしれない。

メヌエット以後はベルリンのスタジオ録音と同じく、大人の風格を感じさせるスタイルの模範的な指揮ぶりだ。

《コリオラン》序曲は、後述するシューマンの《春》とともに、ミュンヘンのドイツ博物館ホールで行われた演奏会の実況録音である。

ここは大変古びた会場だが、残響が多く、かつ響きが暗く柔らかいため、独特のおどろおどろしさが出ており、ウィーンの弦がよくのびる。

《春》は第1楽章の序奏部からして、フルトヴェングラーの表現は雰囲気満点だ。

ことに主部に向かって盛り上がってゆく時の猛烈な気迫は天下一品といえようし、展開部の終わりのクライマックス設定も"ものすごい"の一語に尽きる。

第2楽章のラルゲットは良いテンポで、弦のレガート奏法がきわめて情緒的であり、中間部の頂点における凄絶なリズムや推進力も見事だ。

スケルツォに入ると、演奏旅行中のオーケストラと指揮者は、俄然ぴったりとした意気の投合を見せ始め、ミュンヘンの聴衆を興奮のるつぼに巻き込んでゆく。

この迫力は普通の音力ではない。人間の発揮し得る、ぎりぎりの精神が生んだものだ。

そして最後の第4楽章ではますます脂がのってきて、この楽章のフルトヴェングラーは自由自在である。

シューマンが完全に彼の自家薬籠中のものと化しており、音楽が大揺れに揺らされる。

しかし、地にしっかりと足がついているので、いくらやっても決して嫌味ではなく、むしろ面白い。

そして、ついにコーダの、最高のクライマックス・シーンが現出する。

デモーニッシュな金管の最強奏、アッチェレランドによる嵐の急迫はこの世のものとは思えず、手に汗を握るうちに、やがてフルトヴェングラー独特の、大きく息をつく間を伴った和音によって、さしもの演奏も終わりを告げるのである。

録音がしっかりしているのも実にうれしい。

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2012年01月06日


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ピアノ協奏曲は1992年7月、ヴァイオリン協奏曲は1994年7月、いずれもグラーツでのライヴ録音。

アルゲリッチ、クレーメルともに2度目の録音だが、2人とも最初の録音より説得力の強い演奏を聴かせるのは、当然、アーノンクールの指揮も関係している。

とくにピアノ協奏曲は、冒頭の和音をはじめアーノンクールは鋭いアクセントをつけ、やや速めのテンポで展開する。

テンポや強弱の急激な変化なども従来の演奏より際立つが、それに鋭く反応するアルゲリッチとの緊張をみなぎらせた共演は、これがシューマン本来の意図だったのではないかと思わせるものがある。

第1楽章ではアルゲリッチの天才が作曲者の夢やファンタジーを目いっぱい紡ぎ出してゆく。

ルバートの語り、急激なアッチェレランドの迫力、シューマンの移ろいやすい心の表出、物凄い奔放なアクセント、暴れ馬のような突進など、もうアルゲリッチ節全開だ。

第2楽章はそんなに崩しているわけではないのに、気分のおもむくまま、まるで夢心地で弾いてゆくような趣があり、フィナーレはさながら空中を自由に飛び、はばたくようで、その雄弁さは古今無類と言えよう。

一方、クレーメルとのヴァイオリン協奏曲の場合、ピアノ協奏曲ほどの衝撃や違和感が少ないのは、長い間埋もれていたためにすぐれた演奏が少なかったためかもしれない。

ヴァイオリン協奏曲は他に比較の材料が少ないのだが、テンポの速すぎたクレーメルの旧盤より、もっとしっとりと、音の流れ・フレーズの息遣いなどが感じられる見事な演奏だと思う。

両曲とも長いこと、とび切りの名盤に恵まれなかったが、ようやく理想的とも言うべきCDが登場したと言えよう。

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2011年12月25日


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西側にデビューする以前のリヒテルの凄さが端的に表れている歴史的名演だ。

現代においてはあまりにスッキリとした演奏のように思えるかもしれない。

イン・テンポできっちりと押し通し、表現もむしろ淡白と言っていいくらいに遊びが少ない。

しかしリヒテルの玲瓏としたピアニズムがかえって同作品を赤裸々に描き出し、的確にシューマンのロマン性を引き出し得ているのを痛感させる。

リヒテルのピアノには覇気があり、きわめて力強い。

底力ある打鍵から、堂々とした構えの音楽が生み出されているという感じだ。

それでいて、シューマンのデリケートな魅力をあますところなくカヴァーし得ており、流石である。

余分なものをすべて取り去ったようなスマートな造形、凛とした強い意志に貫かれた解釈、なにかハードボイルドを思わせるクールな演奏である。

しかし的確に曲の本質をついてゆく、強烈な求心力がこの演奏にはある。

最近は、シューマンのピアノ協奏曲を、希望に胸をふくらませ、元気いっぱいに、まるで"青年の主張"のように再現するのが流行しているようだけれど、ここに聴くリヒテルのピアノは、そのような演奏とはまるで性格を異にしている。

ここにおける彼のトーンは、決して明るいものではなく、ほの暗い。

ただひとつ、ほのかに灯ったローソクの炎をじっと見入るように、自らの心の奥深くに分け入っていき、そこにおいてシューマンの協奏曲を把握していこうとしている。

その結果、ここではときに、心の中の嵐が聴こえるようであり、心の中のモノローグが聴こえてくるようだ。

こうしたシューマンを聴くと、これこそが、と思う一瞬が確かにある。

"曲の原点に帰る"意味ではこの演奏をまず挙げたい。

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2011年08月14日


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ベートーヴェンの交響曲と同様に、古楽器による演奏法をモダン楽器に応用して雄弁な効果を発揮。

ここでのヨーロッパ室内管は好演で、すっかりアーノンクールのオーケストラになりきっている。

シューマンの作品がもつ淡いロマン性をすっきりと歌い上げた演奏。

アーノンクールはここでも現代からシューマンの時代を振り返るのではなく、18世紀の視点に立ってシューマンの音楽の革新的な部分を描き出すことに主眼を置いている。

第4番は通常の1851年の改訂版ではなく、1841年の初稿版による演奏で、アーノンクールは、オーケストレーションの薄いこの版によって、従来のこの交響曲の重厚なイメージを見事に払拭している。

アーノンクールはブラームスが高く評価した第1稿の軽やかで古風な魅力をあますところなく表現し、幻想的な味わいをごく自然ににじみ出させる。

しかも、細部の動きや表現にまで明晰な読みを通した演奏は、大変に生き生きとした生命力にあふれ、シューマン特有のロマンや、彼がこの交響曲に託した意欲といったものを、とても鮮やかに示している。

他の3曲も、アーノンクールならではの速めのテンポで生き生きと運んで、強い緊張感としなやかなメリハリにとんだ表現を巧みに織りなした、すぐれてユニークな演奏であり、シューマンの交響曲演奏に新たな一石を投じている。

中では、春の到来を喜ぶ気持ちを率直に表現した第1番がすがすがしい演奏で印象に残った。

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2011年06月19日


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フランスの声楽界からは、第2次世界大戦後、残念ながら多くの人材が登場したとは言い難いようだ。

ドラマティック・ソプラノのクレスパン、バリトンのスゼーとバキエ、ブラン、バスのバスタンといった人物名以外には、これといった名前が浮かんでこない。

近年登場したコントラルトのシュトゥッツマン、そしてコロラトゥーラ・ソプラノのデッセーは、久方ぶりのフランス声楽界の星である。

フランス人で、女声で、しかもコントラルトの歌い手が、単独でシューマン歌曲全集の録音に挑戦するとは!

F=ディースカウでさえ男声用リートに限ったのに、シュトゥッツマンは男声用の《詩人の恋》や〈二人の擲弾兵〉なども怯まずに歌いこなしている。

男声に近い重いコントラルトを武器としているものの、感覚の鋭敏な反応を必要とするシューマンの歌曲では、それが足を引っ張りかねない。

しかしシュトゥッツマンは黒光りする声を逆用し、強い意志力と透徹した解釈力で、とくにシューマンの男性的な向こう気に焦点を当てて歌いついでいる。

まさに男勝り。だがけっして荒っぽくなることなく、つねに繊細な感受性とうるおいのある情感を失わず、情念の深さは胸を打ち感動的だ。

ピアノはいささか問題ありだが、それでもシュトゥッツマンの声の比類のない艶を、ちょっと素っ気ないところがあるピアノが、むしろ支えているという面さえあるのかもしれない。

シュトゥッツマンの声は何しろ深々としたコントラルトで、喜怒哀楽の変化をくっきりと、というわけじゃない。

詩の一語一語というより、詩の世界そのものを深め、ひとつの世界をかたちづくる。

微かに暗く、微かに悲しく、微かに陽気。

シュトゥッツマンが描く"微か"が、詩と音楽の美しい響きを彩る。

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2011年06月03日


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ドホナーニは楽譜に手を加えるより、むしろ注意深い解釈で、シューマンのスコアをまるで霧が晴れたように明快に表現している。

確かなフレージングを一つ一つ積み重ね、隅々にまで力のみなぎった迫力のある音楽を生み出している。

ドホナーニは作品に真正面から向い合い、その魅力をストレートに引き出してくれる指揮者だ。

こうしたアプローチを「個性がなく」「平凡」と言ってしまうことも可能だろうが、彼らにおいて確実に「非凡」なのは、オーケストラの響きを練り上げ、アンサンブルを見事にまとめあげていく能力である。

この非凡さが、「平凡」な解釈を、小手先の細工を弄したり斜に構えてみたりといった幾多の一見「個性的」な解釈よりも、はるかに説得力のあるものへと変えるのだ。

特に第1番「春」は、ドホナーニとクリーヴランド管の透明感のあるさわやかな響きがこの曲にふさわしく魅力的。

リズムの粒立ちがよく、全体の構成も明快ですっきりとよくまとまっている。

第3番「ライン」はシューマンの意図した各楽章の性格を十全に表出することに成功している。

とくに「生き生きと」という指定のある両端楽章はリズム感の良さが光り、音楽が躍動し、生命感にあふれている。

個々の部分の造形が明快なのもよい。

中間の各楽章も明快で音楽がきびきびとしている。

第2番と第4番の新鮮な表現も、そうしたドホナーニの演奏様式から作り出されている。

その克明なアンサンブルは、楽譜に記された音のすべてが聴こえるような印象を与える。

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2011年05月03日


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筆者は、物心がついたときから、コルトーのシューマンに魅せられ、ほかのどんな名演奏を聴いたあとにも、必ずここに帰ってきたくなる素敵な演奏である。

同じくコルトーがピアノを弾いて、パンゼラが歌った《詩人の恋》でも明らかなように、コルトーのフランス人としての洒脱な感覚がドイツのロマンティシズムと結んだ格別の味わいが、彼のシューマン演奏にはある。

それに加えて当時の音楽家の多くがそうだったように、作品を完全に自分の体内に消化吸収したのちに、借り物ではない"自分自身の感興をほとばらせた音楽"をして出してくるので、多少あるミスなどは何の邪魔にもならず、音楽が自分にふさわしい奏者を得て自分から鳴りだしたような自然さで魅了する。

20世紀前半を代表する名ピアニストの1人であるコルトーの名を聞いたら、人はまずそのショパンの演奏に思いを馳せられるかもしれない。

たしかに彼のショパンは一世を風靡した優れたものであったが、筆者にとって、より忘れ難いのが、実はシューマンの演奏である。

もともとドイツ・ロマン派の権化のような音楽に、どうしてフランスのピアニストが惹かれ、また優れた演奏を展開するのかは謎であるが、とにかくその豊かなロマン性を湛えた音楽は、コルトーの明晰なタッチから生み出されるクリアーな音質によって一層引立てられているように思えるから不思議なものだ。

シューマンのファンタジーを表現する点で、コルトーに匹敵するピアニストはいない。

細かく揺れ動くテンポに乗って、繊細な感情も若々しい情熱も運ばれ、これほど生き生きと表現した演奏はほかにない。

シューマンが詩人であったように、コルトーもまた詩人であったことを実感させてくれるディスクである。

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2011年01月23日


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ケンプはバッハや、さらにはモーツァルトやベートーヴェンといった作曲家に対して素晴らしい解釈を繰り広げたピアニストであったが、それと並んで忘れられないのがシューベルトやシューマンといったドイツ・ロマン派の作品に対する解釈である。

ケンプはシューマンでも数々のすぐれた演奏を聴かせた。

いずれも作品に秘められた夢と幻想を、日常的な親しみの感情をもってあらわしている。

ケンプのシューマンは、どの曲を採っても作品の内奥に迫っている。

これらの演奏は、楽想への強い共感をあらわにしながら、テンポや解釈の無理を絶対にしないところが特色といえる。

至難な技巧をもって知られる曲も、表面的に空虚な音楽となることがまったくない。

彼の音楽性にはもともと夢見るような豊かなファンタジーの発露があるのだが、その特質が最高に生きたのが、シューマンのピアノ作品ではなかったろうか。

この4枚組のアルバムに含まれるどの作品を聴いていても、ケンプが心から作品に共感し、感じた歌を自由奔放に奏でているのが良く分かる。

そしてそれがまたどこまでもシューマネスクであり、同じドイツ人としての感性の共通性を感じずにはいられない。

真にロマン的な作曲家であったシューマンに対する深い理解と愛情が示された内容である。

シューマンの真髄を率直にあらわした巨匠ならではの音楽である。

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2011年01月18日


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シューマンとリストというロマン派の2人の作曲家の代表作が収められている。

録音は1995年8月。

初めてこのディスクを聴いた時、天才少年から成熟した青年音楽家への成長に目を見張った覚えがある。

演奏は自立心と気概に満ち、逞しさを増したキーシンの姿がとらえられている。

キーシンの演奏は技巧的にも音楽的にも非の打ちどころがなく、確信にみちた、スケールの大きな快演が聴かれる。

完璧な技巧と音楽性豊かな楽曲把握に支えられた安定度抜群のキーシンの演奏は、もともと年齢よりはるかに越えた成熟度を誇るものだったが、このリストとシューマンでは、それに人間的成熟が加わって、早くも或る種の円熟味さえ感じさせる。

楽器をたっぷりと美しく鳴らし切ったシューマンの《幻想曲ハ長調》では、つきることのないファンタジーを描き出す。

高度な技巧と音楽の内容が拮抗したリストの《超絶技巧練習曲》からの5曲でも、これら演奏至難な曲をしなやかな感性と非凡な名技性、豊かなスケール感をもって弾き分けている。

シューマンもリストも、キーシンの透明なタッチと卓越した音楽性が一つ一つのフレーズを明快に浮かびあがらせて、見事な名演を生み出している。

聴き終えるころには、キーシンが録音当時すでにグランドマナーを身につけた名ピアニストであったことを実感させる。

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2010年12月14日


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シュライアーがシューベルトの「水車小屋」を十八番としているように、フィッシャー=ディースカウの十八番は、この「詩人の恋」といってよいだろう。

彼は6種類のディスクを残しており、そのいずれもが名演で、それらを凌駕する他の演奏は見当たらないといっても過言ではない。

その中で、成熟度やバランスの点でエッシェンバッハとの共演盤が一地頭抜きん出ている。

この歌曲集では、シューベルトの場合と違い、メロディに代わって短いモティーフが主導する。

それらは若者の初々しい情感と男性的な気概、心理の微妙な変化、ユーモアと身を切る自虐、夢と現実のもつれなどを隈取っている。

フィッシャー=ディースカウは、そのモティーフの変化の振幅に鋭敏に反応し、微妙な陰影を連続技で浮き彫りにしてくる。

その情報量の多さは驚異的で、その点、フィッシャー=ディースカウに勝る歌い手はいない。

エッシェンバッハも、それに劣らぬ鋭敏さで対応している。

ロマン性と近代性の融合という歌曲集「リーダークライス」の主眼に最も鋭く迫っているのが、フィッシャー=ディースカウ&エッシェンバッハ盤だ。

この歌曲集の前半は主に夜と森の神秘感が、後半は近代的な自我意識の探究が主導する。

演奏者は、まず第1曲で夕暮れの森の中での孤独感を内面の自我意識の認識に結びつけられるかどうか、そこにこの歌曲集の演奏のいちばんのポイントがある。

フィッシャー=ディースカウは、孤独感が自我意識を誘い出す心理的な過程を見事に浮き上がらせ、エッシェンバッハのピアノはその内的構造を手にとるようにわからせてくれる。

そうした演奏は曲の説明に陥り、散文化しやすいが、このコンビは決してポエジーを失うことなく、1曲1曲を同じ的確な解釈と説得力で展開していく。

その語りと歌とのバランスは精妙この上ない。

多くの演奏が森と深層心理の深みに足をとられ、晦渋さに陥りやすいなかで、わかりやすい展開とまとまりの良さという点も特筆に値する。

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2010年06月24日


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"ピアノの女王"の貴重なシューマン作品録音。ヴェテランらしい華やいだ雰囲気と、巨匠的なスケールの大きさで圧倒する。

ラローチャの安定したテクニックによって整然と彫琢されたシューマンである。

シューマンはおそらく、ラローチャが主要レパートリーの一画として育んでいたロマン派ものの中でも、最もよく気質に合ったものではなかったろうか。

協奏曲、五重奏曲のほか、独奏曲の幾つかにも名演を刻んでいる。

ラローチャのシューマン演奏の特色は、決して奔放さ、激越さには走らない"たしなみ"の中で、充分に表情的であり、しばしば機微に触れたデリカシーを伝えるところにある。

《謝肉祭》はそのような美質がよく発揮されたもので、たとえば「告白」のこまやかさなど、「この人ならでは」の思いを抱かせる。

《謝肉祭》では21曲の小曲が続くが、それらは副題の"4つの音符上の小さな情景たち"が示すように、ファンタジーに満ちた寸劇の連鎖を形成している。

ラテン的な明るさと快い切れ味の中で展開されてゆく21の小品を、ラローチャは思い入れをたっぷり込めながら、シューマンの音楽のサイズぴったりに演じていく。

ラローチャの音楽のすぐれた面と、シューマンの作品がもっている内面的な深みと表面的な華やかさをバランスよく表現する資質が見事に発揮されている演奏だ。

取り立てて大胆でも鋭くもない演奏かもしれないが、格調ある暖かさの内の奥行きに富む表現は人を飽かせない。

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2010年05月26日


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クーベリックの音楽的成熟度を感じさせる演奏である。

緻密な音楽設計が行われているにもかかわらず、クーベリックの音楽的な個性があまり強く出ず、全体にリズムは軽く、その表情は爽やかだ。

クーベリックの棒がバイエルン放送響から引き出した落ち着いた色調と柔らかい音は、個性の強いシューマンの交響曲にふさわしいものといえる。

クーベリックの柔軟な音楽性とオケの明るい響きが、重苦しくなりやすいシューマンの交響曲を晴朗で耳に快いものとしている。

格調高くロマン性に満ちたシューマン演奏の筆頭といっても過言ではないだろう。

曲のおもむくまま、筆の勢いに任せて一気呵成に書き上げていったような演奏である。

この演奏には、オーケストラの質感といい、歌いまわしの柔軟さといい、シューマンのイマジネーションと感性をそのまま換言している手応えがある。

ヨッフムの後任として就任(1961年)以来、同オケを一流にまで押し上げたクーベリックのいわば総決算的なアルバムとしての位置付けが可能だ。

シューマンのオーケストレーションの効果については議論もあるが、理屈云々よりもまずこの演奏を聴け、といえるだけの曲本来の持ち味と魅力が存分に伝わってくるのが何よりの醍醐味。

バイエルン放送響の、きわめてドイツ的な、いぶし銀のような響きが前面にあらわれた演奏で、表現は全体にすっきりと明るく爽快である。

「春」は抑制のきいた表現で、声部間のバランスなど絶妙な手腕をみせ、この曲の演奏では群を抜いて緻密なものだ。

第2番はクーベリックの緻密な解釈と流動感豊かな表現が評価される。

「ライン」はテンポの工夫で形式観をしっくりさせるなど、概してすっきりと明るくまとめられ、曲の性格をはっきり打ち出している。

クーベリックは、昔からこの作品を得意にしていたが、ここでも、そうした自信が音楽の隅々にまであらわれていて、素敵だ。

緻密な音楽設計がおこなわれているにもかかわらず、自己の主張をおさえ、楽譜を忠実に再現しているところがこの演奏の魅力で、そこには、クーベリックの音楽的な成熟が感じられる。

第4番も作品の独自の様式を見事に把握して、ロマン的な情緒を濃厚に示した優れた演奏である。

小細工を弄することなく、実に素直に取り組んだ演奏で、このオーケストラ独特のどっしりとした力強い響きを生かしながら、明朗なシューマンをつくりあげている。

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2010年05月23日


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1970年代のシュライアーのリートは、まことに初々しく、余分の思い入れや作為的なテンポの緩急も見られず、清潔な歌を聴かせてくれる。

絶頂期のシュライアーの透明な声はまるで重力を持たないかのように、シューマンの歌の深い想いや強い孤独感をも宙に漂わせる。

確かな技巧が支えているのは確かだけれど、うまさに気づかされることがないくらいのうまさのおかげで、歌はまるで何の手も加えられないまま漂い出た、自然な詩のように響く。

「リーダークライス」が素晴らしい。シュライアーはなめらかな美しい声で一音一語をおろそかにすることなく丁寧に歌い、シューマンの繊細な抒情を鮮やかに浮き立たせている。

多感な青年の心情が細やかに映し出され、バリトンで聴くことの多いこの歌曲集だけに新鮮な驚きがこの歌唱から湧きおこる。

また常に歌い過ぎることがなく、旋律に言葉を美しく乗せているのも聴いていて清々しい。

後のシュライアーとだいぶ違ってだいぶ違って、素直に聴けるのがよい。

バッハだってシューベルトだって、この頃のシュライアーは一点の曇りもないほど完璧に歌ったのだけれど、これを聴けばシュライアーの歌が最もふさわしいのはシューマンだと思えてくる。

自然としか思えない人工美で、ナイーヴとしか思えない凝った情感が歌われるシューマンの、稀有な世界がある。

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2010年02月25日


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不世出の大リート歌手フィッシャー=ディースカウは、主要な作曲家の男声用リートをほとんど録音しつくすという偉業を成し遂げたが、そのなかで最も成功しているのがこの『シューマン歌曲大全集』だ。

それまでシューマンのリートはロマンティックな抒情一本槍と思われがちで、ほとんどの歌い手は愛のよろこびと苦しみの表情づけに余念がなかった。

しかしフィッシャー=ディースカウはシューマンのリートのなかに、たんに愛の表面的な一喜一憂だけでなく、それによって来たる内面の心理を深く掘り下げ、本来シューマンが目指していた深層心理の世界をこれまでにない斬新さで開いて見せたのである。

当時は地理的な世界発見の時代で、地図の空白を埋めようとする冒険が盛んに行なわれたが、その一方で心の未知の世界を覗き見ようとする内面の冒険も試みられつつあった。

シューマンはその先駆者となり、狂気の危険を冒してまでも心の謎の部分に踏み込もうとしていた。

とくにリートの場合、声は意識やたてまえを歌い出すのに対し、ピアノは無意識と本音をひびかせる。

その複雑な心理構造をはじめて明快に解き明かし、しかもポエジーを失うことなく、総合的にシューマンのリートの世界をとらえ得たのがこの演奏だ。

そのためにはピアノとの完全な釣合いが必要だが、エッシェンバッハはそれにぴったり。

2人でスケールの大きな、同時に心理の襞にこまやかにふれる演奏を実現している。

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2010年01月02日


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シューマンはすこぶる若々しく清新な気分にみちあふれた演奏である。

録音当時80歳だったルービンシュタインだが、ここにはそうした老いのかげりは少しもみられず、実にのびやかでロマンティックだ。

小細工を弄することなく正攻法で堂々と挑んでいるところが凄い。

バックもよい。

あえて苦言を呈するならは、巨大なスケールの演奏なのだが、タッチのニュアンスやデリカシーを欠きがちで、作品の夢を伝えるにはいささか不十分だ。

グリーグは肉のりの厚い音色と粘着力の強い表現に特徴があり、いかにも巨匠らしい演奏。

この曲の北欧的なリリシズムとヴィルトゥオーゾ的な性格とを、適度なバランスで表出した演奏である。

第1楽章冒頭から、ルービンシュタインの演奏は力強く華やかで、第1楽章導入部でもひとつひとつの和音に美しい余韻を響かせ、グリーグの抒情性を十分に生かす。

どんな時でも明快なタッチで、音に熱があり、豊かな表情を伴っている。

「ルービンシュタインの音楽は、その人そのものである」とショーンバーグは言っているが、この巨匠ならではの貴族的で、柔和で、かつまた情熱的な性格は、ここでも鮮明にあらわれており、ごく自然な流れを生かしながら雄大に表現している。

これに北欧らしい香りがもっと加わればと惜しまれる。

ただしバックはいまひとつ。

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2009年12月29日


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「謝肉祭」は、シューマンの想像力が奔放に飛翔したユニークな21曲のそれぞれから豊かなファンタジーをひき出し、かつそれらをひとつの大きな作品としてまとめあげることは至難なことのようで、ピアニスティックな魅力と幻想を併せ備えた演奏は、なかなか見つからない。

ミケランジェリの古い録音を選んだのもそのためで、1957年のBBCの放送録音を疑似ステレオ化した音は、必ずしも良好とはいえないが、この気難しい完璧主義者が四半世紀も後にレコード化を許した演奏だけに、ミケランジェリならではの鋭利に磨き抜かれたピアニズムとロマンティックな詩情と幻想が見事に一つになっている。

活力がみなぎっており、リズムの刻みが鋭角的で動意をはらんでいて、演奏の全体に大きなうねりが感じられ、それが聴き手を刺激し、緊張させる。

30代後半のミケランジェリの"熱気"が感じられる。

ミケランジェリには1975年のステレオ録音もあり、音の面ではむろん新盤の方がすぐれているが、冴えた表現と鋭敏に引き締まった活力といった点では、この旧盤の方が魅力があるし、その演奏には見事にコントロールされた一音一音にまで表現への透徹した読みが通っている。

鋭利なピアニズムとロマン的詩情を合一させた名演だ。

「ウィーンの謝肉祭の道化」はシューマンの楽想が織りなす幻想の世界が余すところなく表出されている。

特に躍動するようなリズム感が素晴らしい。

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2009年12月08日


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シューベルト、シューマン、マーラー、ヴォルフは、フィッシャー=ディースカウが何度も録音を繰り返したレパートリーだ。

シューマンのハイネ歌曲集を代表する《詩人の恋》もまた、何種類かの録音が残されているが、その中でも壮年期のF=ディースカウがデムスの伴奏で録音したこの1枚は、最も魅力的な歌唱が楽しめる。

ハイネの詩にシューマンの音楽がこの上もないほど敏感に反応している様をF=ディースカウは実に鮮やかに歌いあげており、間然としたところがない。

エッシェンバッハとの録音もすばらしいが、若き日のデムスとの録音も、負けず劣らず魅力的だ。

なによりも、その表現意欲の強さが前面に押し出された歌唱姿勢が、何のケレン味も感じさせない点がすばらしい。

若々しい情熱と表現意欲、そして声の成熟と若さの絶妙なバランスを示すF=ディースカウは、シューマンの“青春の歌”を歌うに当たって、その“青春のときめき”を十全に歌い出すと同時に、シューマンの音楽の中の多くの"チェック・ポイント"を見事にクリアしている。

内的必然との強い結びつきがあって初めて生まれる歌唱である。

大胆でありながら、少しのあざとさもない稀有の名唱と言えよう。

そうか、シューマンの当歌曲集はこれほど素晴らしいものだったのか、F=ディースカウという歌手はこれほど傑出した存在であったのか、と改めて再認識せざるを得ないような演奏の出来映えである。

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2009年11月30日


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ヴンダーリヒのリート録音で、《水車小屋の娘》とともに聴く者を魅了してやまないのが、この《詩人の恋》だ。

この《詩人の恋》にも、ヴンダーリヒの美声とみずみずしく気品ある歌の魅力が最高度に発揮されている。

張りのある清冽な美声は他の追随を許さず、端正で格調高く、どこまでもみずみずしい歌いぶりはまさに模範的な高みに達している。

艶のある美声、明瞭ですがすがしいディクション、情熱的でしかも抑制のきいた感情表現など、どれをとっても理想的と言っていい名唱。

情熱あふれる歌でありながら、表現にはつねに節度あるコントロールがほどこされており、激情の野放図な表出に走ることがない。

とりわけ全体にただよう凛とした気品は他の追随を許さないものがある。

ドイツ・ロマン主義芸術の最良の成果がここにあると言っていいだろう。

フーベルト・ギーゼンのピアノも、すこぶる表情豊かでヴンダーリヒの繊細な歌唱にぴったりと寄り添っている。

それでも、ギーゼンのピアノが少々味わいに乏しいのが残念だが、これぞドイツのテノールと言うべきヴンダーリヒの美しく輝かしい声と、情熱的で、しかも繊細なコントロールにも不足のない歌は、それを補ってあまりある。

追加収録されているベートーヴェンの歌曲も見事。

ドイツリートの最良のアルバムのひとつだ。

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2009年11月11日


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シューマンの作品は、どのような分野のものであれ、病的な部分というか、影のような部分をかかえ込んでしまっているケースが少なくない。

だが、ポリーニのアプローチはそのようないわば負の部分にはあまり拘泥することなく、ピアノの音自体の強靭な存在感でもって、ほとんど直線的になされていく。

それでいて、出来上がった演奏は多面的な魅力を帯び、シューマンの《交響的練習曲》の本質を鮮やかに掬いあげているところに、ポリーニの凄さがあるといえよう。

シャープで躍動感に満ちた魅力があり、もちろん細部まで克明に彫琢されているが、ラテン的で明るい歌謡性もが光っている。

ポリーニは5曲の変奏曲を第5曲と第6曲の間に纏めて組み込んで、ダイナミックかつブリリアント、壮大この上ない建造物を作り上げている。

《アラベスク》もさすがにポリーニはうまい。

響きをたっぷりととって、感傷に溺れないで健康的な明快な音楽に仕上げる。

ちょっと澄ました軽やかさで、音楽の襞を明晰に追って、あっさりともたれないところがいい。

ポリーニの、清澄にしてきらめきのある音質を生かした演奏は、端正ななかにも、華やかな輝きをもっている。

そして、なめらかな躍動感も、その演奏に生き生きとした流動感を与えており、全体として快い流れでまとめられている。

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2009年10月18日


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クレンペラーはシューマンの書いたスコアを補正しながら、美しさをより美しくしようとしている。

いったい、厳しくいかめしいはずのクレンペラーがシューマンになると(メンデルスゾーンも同様)、どうしてこのように、ロマンティックな情緒にあふれた演奏をするのだろう。

第1番第1楽章と第3楽章の快い音の流れとその情緒とは、そのクレンペラーの共感の賜といってよい。

第4番はさらに情緒の起伏が大きい。

深く沈むような演奏の後に、激しく波打ちながら、息づまるような最後のプレストに盛り上げてゆく演奏には、堂々としたクレンペラーの音楽がある。

「ライン」はゆっくりと歌ってゆくのびやかな表現で、繊細に愛情をもって語っているような親しみを覚える。

第2楽章のスケルツォはいかにもライン湖畔に遊ぶ思いである。

作曲当初「ラインの河の朝」と題したいわれがわかるようだし、ゴシック風の構成を思わせる第4楽章ものどかで、ドイツ人の信仰というよりは、まじめな生活の喜びを感じさせる雰囲気をもった演奏である。

造形感に冴えをみせた第2番も悪くない。

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2009年10月11日


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シューマンの合唱曲は、1847年(37歳)を中心にまとめて作曲されている。

シューマンの合唱曲は意外と知られていない。ここにも収録されている 《流浪の民》以外は聴いたことがない人が多いのではないだろうか。

特に有名な《流浪の民》は、ジプシーたちが過ごす一夜の様子を描いたものである。

原曲は女声合唱用に書かれているが、こんにちでは、混成合唱でも歌われる。

このCDは《流浪の民》のほか、《おぼろな光》《鍛冶屋》など、シューマンの合唱曲を13曲集めたもので、選曲がよい。

ここでの全13曲はそれぞれ個性的な表出力をもってわれわれを愉しませてくれる。

ライプツィヒ放送合唱団が、すぐれたアンサンブルとリズム感の見事な合唱で、メリハリのきいた演奏を行っているところが素晴らしい。

合唱、四重唱ともに、アンサンブルは緻密で全く危なげがない。

ホルスト・ノイマンの指揮も老巧で、合唱音楽の醍醐味を存分に味わわせてくれる。

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2009年08月27日


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カツァリスの初のシューマン・アルバムであった。

カツァリスはこのシューマンで、これまでのような意表を衝く表現や新しい解釈ではなく、精神を安定させるような伝統的なスタイルを目指しており、詩情豊かにシューマンのやさしい小品集を歌い上げている。

「子供の情景」はカツァリスのストレートな解釈が、曲想を生かしたメルヘン的な雰囲気をよく出している。

あり余るテクニックをセーヴして、優しく子供の世界へいざなう、カツァリス的な表現はまったく新しいアプローチといえよう。

音色が透明で美しいのも、いかにもメルヘンチックである。

標題性をあまり強調していないのだが、カツァリスは音色の変化で、各小品の性格を見事に描き分けている。

端倪すべからぬ名人芸といえよう。

「森の情景」はかなり濃厚なロマンティシズムを感じさせるが、ロマン的な情趣に溺れず、印象としては爽やかさが残る。

特に「音楽帳」ではその思いが強い。

マーク・アレン製のピアノを使用している。

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2009年06月19日


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まず、その声の清らかさにひかれる。

ノーマンはメゾ・ソプラノからソプラノに転向した人で、この録音は1975年、ソプラノになってからの歌唱である。

メゾ・ソプラノ時代に身につけた、暗い豊かな情感のあらわしかたと、ソプラノになってからのロマンティックな表現の、双方のよさを兼ね備えた名唱だ。

ノーマンの歌唱は、あくまでもこの歌曲集をひとりの女性のドラマとして捉え、この上なく劇的にスケール大きく情感豊かに歌い上げている。

すこぶる歌いまわしのうまい歌手だけに、ここでも各曲の特徴を的確につかみ、深々と表現している。

やや大袈裟で、オペラ的ともいえる表現だが、ありあまる声をセーヴした、じっくりと語りかける手腕は、やはり世界のプリマドンナにふさわしい。

安定度という点では、現役ではノーマンに勝る歌手は、そう多くはいないだろう。

歌手という存在を超えてしまったノーマンの歌の包容力は、あらゆる限界を突き破り無限へと広がる。

ただシューマンという作曲家は、彼女のその"大きさ"を必ずしも必要としないため、作品の微細な感情世界からこぼれてしまったものも少なくない。

しかし、ノーマンのヒューマンなメッセージは素晴らしいものだし、これまでになかったシューマンの姿がここにあるとも言えるだろう。

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2009年02月19日


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シューマンは、狂気の闇に閉ざされてしまう直前のデュッセルドルフ時代にも数多くの曲を作曲した。

それも、例えば、ヴァイオリン・ソナタの第1番は4日間、第2番は6日間、このチェロ協奏曲は10日間という短期間に完成した。

つまり彼は、ほとばしる創造力をただひたすら楽譜に書き写していたのである。

そのようなシューマンと同じような気質を持った人物はフルトヴェングラーである。

あのぶるぶると震え、痙攣するような指揮ぶりを見たことのある人なら、その棒からほとばしるように生み出される音楽が、ある時は極めて陶酔的で、またある時はむら気のあるものとなっているのを思い起こして頂きたい。

この演奏では、シューマンの内面深くにある暗い炎を燃え立たせ、運命の呼び声のような金管を強調し、情念が噴出するように、オーケストラを爆発させている。

シューマンの内面をえぐり出すようなフルトヴェングラーの演奏は一聴に値する。

フルトヴェングラーのシューマンはいずれも素晴らしいが、第4交響曲やマンフレッド序曲と並ぶ比類なき名演である。

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2009年02月03日


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サヴァリッシュ盤は、録音の物理的な条件にもう少しクリアーさを求めたい部分があるが、全体としては最もバランスの良い名演と言える。

いわゆる原典版による全集だが、全体にいかにもシュターツカペレ・ドレスデンらしい、渋くて重厚なシューマン演奏になっている。

このオケ特有の木の温もりにも譬えられる響きの特質を生かした爽やかさと自然な流れがあり素晴らしい。

細かなことだが、ティンパニの皮が決してビニールではなく、本物の皮革だというのが、聴いているとたちどころに分かる。

その音の響きの深いこと、全体の構成の見事なこと、サヴァリッシュの数ある録音の中で、1、2を争う名盤といっていいだろう。

特に第1番「春」の軽快なフットワーク、第3番「ライン」の重厚な響きなど、現在に至るもまだこれに優る演奏にはお目にかかったことがない。

シュターツカペレ・ドレスデンの魅力を天下に知らしめる恰好の交響曲全集といえるだろう。

本当は、とりあえずシューマンの交響曲を聴こうというのなら、サヴァリッシュの全集があれば事足りる。

知的造形感とパッションが一体となったときのサヴァリッシュには、ほとほと感服させられるし、オーケストラの底力にも恐れ入る。

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2009年01月07日


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アシュケナージの円熟を示す名演集だ。どの曲も磨き抜かれた音色で、ロマンティックに仕上げた演奏であり、人肌の温もりとしっとりとした叙情をたたえた秀演である。

アシュケナージの演奏は、これまでと変わらぬ純音楽的表現の高さと円熟味を示しており、今日のシューマン演奏のきわめてすぐれたスタンダードを示す。

隅々にまで、神経のよく行き届いた演奏で、すこぶる繊細な音楽をつくりあげながら、シューマンのロマン的表現を過不足なく、率直に具現している。

ここでのアシュケナージはシューマンの音色の限りなくよき理解者であって、およそ作品として書かれたものの何ものをも見過ごさず、また何ものをも付け加えようとはしない。

表現様式における装飾性は完全に切り捨てられており、シューマンの音楽の本質に迫っている。

彼のシューマンからは気負いや熱中は感じられず、むしろ淡々としているが、それでいて味わい深い。

曲それぞれ、楽想それぞれの性格や気分を充分に生かしきった演奏で、タッチの質、強弱、アーティキュレーションの細やかさが、各曲の各部分にくっきりとしたプロフィールを与え、全体の設計も見通しもよく行き届いている。

ピアニストとして最も脂の乗ったころの演奏で、聴き手に誠実で清潔感の溢れた音楽性と、さらにはるかなるものへの憧れの気持ちを感じさせる。

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2008年12月05日


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ライヴならではのことだが、冒頭この巨匠が聴衆を演奏に引き込む様子が手にとるようで興味深い。

英国国歌から「幻想ポロネーズ」へと流れ込むその瞬間、まさに会場は日常的な集まりの場から、ある特別の場へと変質し、あとにはホロヴィッツが自在に音楽をするパーフェクトな空間が出現する。

その呼吸の見事なこと。ショパンでは音楽にはばたく翼を与え、シューマンでは情感の細やかにすくい上げている。

ことにホロヴィッツは「子供の情景」を何度も録音しているが、この1982年にロンドンで行なったライヴが絶品である。

このホロヴィッツの演奏には、普段、柄の大きい演奏をおこなっているピアニストが故意に背中をまるめてひいたようなところがなく、素直に音楽に反応した好ましさが感じられる。

老爺の、高雅にして深遠、フモールの混在した妙なる語りに耳を傾けているような思いがする。

ホロヴィッツの演奏には、彼の感性の閃きが個性的に表れている。

彼自身のとくに好んだ作品のひとつということで、慈しむような表情もみられるが、それよりも、技巧的な冴えの際立つ端正な美しさが印象深い。

磨き上げられた極上の音で綴られた「子供の情景」というべきか。

ラストは十八番のスクリャービンで、疾風怒濤のごとく締めくくられる。

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2008年11月14日


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アシュケナージの作品に寄せる心の優しさが滲み出ている演奏だ。

これらの作品からアシュケナージがひき出すロマンティシズムは、実にしっとりとした手ざわりを持っており、また無垢の新しさを示している。

アシュケナージの、知情意のバランスのとれた演奏は、隙のない美しさを印象づけると同時に、爽やかな後味を残す。

「子供の情景」では譜面に忠実で、心がこもっており、作品を構成する1曲1曲が、きめ細かく構築されている。

そして、表情は変化に富んでいるが、過度に飾らずに、この作品の本質にみあった、清らかで爽やかな表現が、演奏者の意図として伝わってくる。

「アラベスク」はピアニストの人間的な温もりとしっとりとした詩情に湛えられた秀演で、所々、揺り籠のようにリズムを揺らす。

表現の幅を広く大きくとり、ロマンティシズムにあふれた演奏を聴かせている。

音色は相変わらず美しく、清潔感が漂っているが、その調和を保つことから一歩はみ出して、自身の感じたままに思いきりよく表現する姿勢も、ここにはみえている。

シューマンのたゆとうようなロマンティシズムを詩情豊かに、しかも円熟した味わいを伴って表した演奏といえよう。

その他の曲でも表面的なアプローチではなく、シューマンの作品の中に深く沈潜し、そこからあたかも時が満ちて花が開くように立ち現れる表現は、この上ない喜びを与えてくれる。

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2008年11月13日


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ピアノ協奏曲では、巨匠の道を歩むブレンデルとザンデルリンクの2人の個性がよく結びつき、演奏に大きな風格を与えている。

ブレンデルは十分ロマン的でありながら、その表情は決して大げさに崩れることがない、制御の利いたブレンデルらしいアプローチが、シューマンの音楽の美しさをつぎつぎに明らかにしていく。

彫琢された音色で、繊細に表情をつけながら、この作品のうちにひそむ、一抹の不安感や悲哀の色を見事に引き出した演奏である。

きわめて裾野の広い音楽作りを通して、繊細さから強靭さ、柔和さから鋭い緊迫感までを巨大なスケールで打ち出してくる。

ザンデルリンクとのコンビネーションも素晴らしく、競演の醍醐味を堪能することができる。

ここでブレンデルが聴かせてくれるのは、青春のロマンティシズムではなく、いわば熟年のそれ。

しかし「幻想曲」など雄渾たるべきところは充分に雄渾であり、決して迫力不足になっていない。

ただ演奏全体の傾向や流れからみれば、このブレンデル盤は若い聴き手よりも熟年の聴き手に好まれ、理解されるのではあるまいか。

聴き手も演奏を選ぶが、演奏だって聴き手を選ぶのだ。

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2008年11月07日


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シューマンは躁と鬱の気分の交錯する人だった。

躁ははつらつとして高揚する一方、破壊的、破滅的な衝動に突き進む気質であるが、鬱はやさしい夢想に耽る一方で、虚無と絶望に沈みやすい気質である。

「幻想曲ハ長調」はどちらかというと躁気質がまさっているが、鬱の翳りもきざし、そのモザイク状の気分のめくるめく交錯に響きの魅力がある。

それを踏まえた上で、曲全体のロマン的香りという点では、ペライアだろう。全体の流れが夢見るように美しく、全体にソツがなく過不足なくまとまっている。

ペライアの演奏はいつもながら、きわめてバランス感覚に優れている。

作品を客観的にながめる眼差しを持ちながら、ぴったりと作品に寄り添っている。

そして清潔な抒情性、これは彼のピアノの音の美しさも大いにかかわっている。

まったく隙のない構成を作りながら、豊かな息づきを持ち、決して押し付けがましくない自然な音楽の流れを生み出している。

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2008年11月06日


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カラヤンが残した唯一のシューマン/交響曲全集。

いずれもかなり外面的、機能主義的なコンセプトに基づいた演奏で、第1番はシューマン独自の陰影の濃い楽想がやや明快に整理されすぎた感がある。

第2番は4曲中最も優れた表現で、カラヤン風ではあるが作品の晦渋な内容を解きほぐしている。ことに第3楽章はカラヤン美学の極致だろう。

カラヤンは第1番、第2番などではかなり無理してまとめ挙げている部分があるように感じられるが、さすがに「ライン」交響曲あたりになると、カラヤンとベルリン・フィルのスケールと作品のスケールが合ってきて、立体感と風格のある優れた演奏になっている。

第3番は聴かせ上手という意味では申し分なく、第4番も個性的で徹底したカラヤン調でヴァイオリンの独奏も流麗この上ない。

第4楽章では独自のルバートを駆使しているが、耽美的といえるほど美しく、音楽的にも自然だ。

全体に真摯で重厚、最もシンフォニックな魅力に満ちた劇的な演奏で、一本筋の通ったドラマの確かな手応えがある。

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2008年10月28日


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ここにおけるリヒテルの演奏は、彼がまさに巨匠ピアニストであることを知らしめる名演のひとつである。

シューマンの音楽が内在する躁と鬱の調和的融合を目指して成功しており、男性的な力動感にあふれ緊張の糸が途切れることがない一方、柔軟さとやさしさを失わず、シューマンの複雑なコンプレックスを見事に描き出している。

特に「幻想曲」では、聴き手を身ぶるいさせるような緊張感が持続するなかで、ドラマティックでスケールの大きな音楽が繰り広げられる。

骨太な作りと深々とした響きをもって進んでゆくその演奏は、表情に多彩な変化をみせ、ファンタジーにあふれている。

いかにもリヒテルらしい骨太のしっかりした音楽だが、そうした枠組の中でシューマンらしいファンタジーが沸き立つ。

その構成感とファンタジーの兼ね合いのバランスが実に見事で、表現を底から支える意志の存在が力強く感じられる演奏だ。

その手綱さばきは当然したたかな読みがあるのだが、それを全く感じさせない、いかにも男性的なシューマンである。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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