F=ディースカウ

2017年03月24日


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シューベルトは600曲余りの歌曲を生み出し、それらのすべてに接したいと思うのはシューベルティアンの見果てぬ夢だった。

その願いを満たしてくれたのが、フィッシャー=ディースカウという超人的な歌い手によるこの大全集だった。

フィッシャー=ディースカウは古典から現代までにわたり、信じられないような量の声楽曲を歌い、演じ、録音してきたが、その膨大な録音群の中でひときわ高峰を成しているのがこのアルバムである。

勿論ここには男声用の歌曲しか収録されていないが、シューベルトの歌曲を窺う史上空前の最も重要なマイルストーンとなった。

以来別の企画でシューベルトの歌曲全集がリリースされたり、また目下進行中のシリーズもあったりするが、一歌手による一人の作曲家の作品への録音としてはレパートリーの上でも前人未到の驚異的な記録だし、今後も望めないだろう。

1966年から72年にかけての録音の集大成で、この21枚のCDに収められたシューベルトの歌曲は、3大歌曲集57曲とその他の男声用の作品406曲で構成され、その数だけでも実に463曲に及んでいる。

フィッシャー=ディースカウの声も芸術的な表現力も充実しきっていた時期の歌唱を満喫できるのが最大の魅力だが、これらの歌には、いわゆるやっつけ仕事としての歌唱がまったくないということも驚嘆すべきことだ。

ひとつひとつの曲に丹念な想いが込められ、精緻でありながら千変万化の巧みな表現と語り口調の絶妙さは傑出している。

ピアノのジェラルド・ムーアについて言えば、彼は伴奏を芸術の域に高めた功労者として知られているが、また自身の個性よりも常に曲趣と歌手の持ち味を生かすというニュートラルな立場を貫いた、まさに伴奏者の鏡のような存在だった。

彼は1967年に公開のコンサートからは退いたが、その後もこうした録音活動によって円熟期の至芸を鑑賞できるのは幸いだ。

まさにフィッシャー=ディースカウ&ムーアという稀代の名コンビによる共同作業の最高の結晶である。

更にフィッシャー=ディースカウは400曲を超えるこの大全集と前後して、わずか10年と少しの間に、ヴォルフとブラームス、シューマンの大全集の録音も行っている。

ベートーヴェンやメンデルスゾーン、レーヴェらの歌曲と合わせ、実に1000曲を超える録音を残してくれた。

フィッシャー=ディースカウは、どれほどの決意と使命感を持ってこの超人的な難事業にチャレンジしたのであろうか。

楽々と成し遂げられているように見えるが、これらは貴重な人類の宝というべきもので、奇蹟的というしかない偉業だ。

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2016年07月17日


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R.シュトラウスの歌曲は文学的な技巧を凝らした叙事詩を扱ったものより、甘美な抒情詩をテクストにしたものが圧倒的に多いし、曲想にもまた彼らが生きた世紀末特有のデカダンス的な雰囲気が濃厚に感じられるが、かえってそうした傾向の曲で彼の才能が際立っているように思える。

それは同時代の作曲家、フーゴー・ヴォルフの詩作品への近付き難いほどの心理的な鋭い洞察力と言霊への飽くことのない追究には及ばないだろうが、オペラでの愛のモノローグを髣髴とさせるような大らかでメロディックな旋律、官能的な和声進行や絵画的な情景描写は、ヴォルフの歌曲より気軽に鑑賞できる親しみ易さがある。

ここにはフィッシャー=ディースカウのバリトンとジェラルド・ムーアのピアノによる2回目のセッションからのR.シュトラウスの歌曲集29作品、計134曲が6枚のCDに収められている。

フィッシャー=ディースカウもこの録音が行われた1967年から70年は脂の乗り切った全盛期で、声もテクニックもすこぶる充実しているのが特徴だ。

少なくとも彼の20代の頃の録音では声自体の初々しさで優っているが、こちらでは表現がより自由闊達になり、歌唱法も完成された独自の境地を開いている。

例えばCD5枚目の『小商いの鏡』Op.66から「三つの仮面を天に見た」では最高音がBb(変ロ音)に達しているが、彼は全く力みのない艶やかな発声で歌い切っている。

この曲集は風刺に富んだ内容を持っているだけに、詩の皮肉っぽさが品良く、またさりげなく表出されているのが聴きどころだろう。

ムーアのピアノは決して歌と張り合うような奏法ではなく、歌手の歌心を絶妙にくすぐる巧妙なものだ。

常に相手に寄り添いながら、音形や和声の意味するところを鋭敏に演奏に反映させていく老獪さは、もはや伴奏という範疇を遥かに超越している。

録音状態及び音質はこの時代のものとしては極めて良好で印刷されているデータも正確だが、バジェット価格盤の宿命で残念ながら歌詞対訳は一切省略されている。

11ページほどのライナー・ノーツにはR.シュトラウスと彼の歌曲作品についてのごく簡易な考察が掲載されている。

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2016年05月10日


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《美しき水車小屋の娘》などを聴くと、確かにシューベルトはウィーンの抒情作家だが、《冬の旅》は異なり、いっそう詩の内容が重視されており、その内容が暗いために音楽も深くなっている。

失恋した若者が終わりのないさすらいの旅に出る、という筋立てには何の救いもなく、死の深淵を見つめる晩年の作曲家の絶望や寂寥や、わずかに横切る希望の光があるだけだ。

《水車小屋》が青春の一齣なのに対し、《冬の旅》は全人生に匹敵し、作曲当時、シューベルトの肉体はすでにボロボロで、精神の根っこまで蝕まれて、わずか31年の生涯に過ぎなかったのだ。

《冬の旅》には名盤が多いが、それはとりもなおさず、この曲集の芸術的魅力の大きさを物語っており、多くの歌手がこの絶望のドラマに魅了されてきたのだ。

CDは第一にフィッシャー=ディースカウを採りたいが、とはいっても彼にとってこの曲のレコーディングはライフワークの1つといってもよく、なんと7回もスタジオ録音している。

古今東西、名歌手数多しといえども、ドイツ・リートを歌って、F=ディースカウ以上にうまい人を筆者は知らない。

美声のハイ・バリトンで柔軟な技巧も卓越、いかなる表情も自由自在で、感情の豊かさ、知的なアプローチ、発音の明晰さ、美しさ、どれをとってもベストだ。

初めは名伴奏者として知られたジェラルド・ムーアと組んでいたが、次第に有名な独奏ピアニストの伴奏で歌うようになり、デムス、バレンボイム、ブレンデル、ペライアなどが総動員された。

それらはただ単に繰り返しではなく、それぞれにカラーが違い、掘り下げ方とピアノとのかけ合いもそれぞれに違うが、この歌曲集の内奥に最も深く分け入り、持ち前の完璧な技巧と表現で歌いつくしているのは、この第5回目のバレンボイムとの録音である。

後年の録音のように技巧に走ることもなく、また初期の歌唱のように美声に頼り切ることもなく、きわめて知と情のバランスのとれた、絶妙のシューベルトになっている。

ここではバレンボイムの個性溢れるピアノが、歌い手が望んだとおり、歌唱に大きな刺激を与えているようで、ピアノと歌は互いに相手を信頼し、互いに感情をぶつけ合いながら、この暗いドラマにスケールの大きな起伏を作り出している。

また、対等でありながら深く掘り下げていくという点でも、イマジネーション溢れるバレンボイムとのものが一番面白く、F=ディースカウもいつもの文学的偏向を避けてシューベルトの旋律をなめらかに歌っている。

様式感の崩れもなく、語りだけでなくメロディックな要素も雄弁に語り、この盤で、曲の世界がさらに深まった感じがする。

技巧的に聴こえることがあるF=ディースカウだが、ここでは感情の流れがきわめて自然で、声のみずみずしさも保たれている。

恋人に裏切られ真夜中に町を去っていく若者の憤怒が、旅を最後まで持続させるバネになっているが、そこには若者らしい矜持の念も欠けず、怒りを理性で制御しようとする賢明さもうかがえ、その絶妙なバランスに、この演奏の特色がある。

しかも、その歌は厳しく劇的であるとともに、1曲1曲を明快にしなやかなスケールで歌い分け、全曲を大きな流れと起伏をもって構成している。

特に、次第に悲嘆の感情を強めていった23曲の歌が最後に虚無的ともいえる深い絶望に行き着き、無限の彼方へ消えてゆくような〈ライアー回し〉は、聴き手に恐ろしいほどの感動を呼び起こさずにはいないだろう。

そうしたF=ディースカウの歌唱を可能にしたバレンボイムのピアノも万全、まことに素晴らしく、歌唱とピアノが密着した絶妙のアンサンブルは、数あるドイツ・リートの模範のような出来を示している。

バレンボイムのピアノはそれまでのリートの伴奏という域を大きく踏み出し、歌と同等の発言権を得て比類ない世界を構築している。

さまざまな音色、自在なルバートを駆使した伴奏は見事というほかなく、それはときにオペラ風に傾くが、リートにふさわしい美感を損なうことのない、素晴らしい共演の記録だ。

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2015年07月05日


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本作は、ロリン・マゼールがディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとユリア・ヴァラディ夫妻を迎えてベルリン・フィルと録音したアルバムで、アレクサンダー・ツェムリンスキーの代表作、《叙情交響曲》を一躍有名にしたデジタル初期(1981年録音)の名盤。

《叙情交響曲》は、シェーンベルクの師で、マーラーとも親交のあったツェムリンスキーの傑作である。

ツェムリンスキーに対する関心と認識は、かなり最近のことと言ってもよいであろう。

それは、後期ロマン派やシェーンベルクをはじめとする新ウィーン楽派への関心の副産物というのは言い過ぎであろうが、シェーンベルクの師であり義兄であるという認識は大きい。

そのツェムリンスキーの1923年の《叙情交響曲》は、その代表作でもあり、最近はいくつかの録音もあるが、これは世界初録音であった。

インドの詩人タゴールの独語訳テキストに、男女2名の独唱、大編成のオーケストラ。

明らかにマーラーの《大地の歌》を意識した内容であるが、生と死をモチーフとした《大地の歌》に比べ、こちらは男女の愛欲を濃厚に歌い上げている。

このツェムリンスキーの《叙情交響曲》は、1922年から23年という「新音楽」の誕生の時期にあえて《大地の歌》へのオマージュとして書かれたわけで、明らかに時代の潮流に逆らっていた。

官能を主題とした点では、スクリャービンの《法悦の詩》に通じるところがあり、全般に暗く濃厚なロマン派の音楽で、時には甘美に、または激しく愛を歌っている。

しかし、エロティシズムと神秘主義の間を揺れ動くその官能的な内容と壮大な交響楽的構成には、耽美的な後期ロマン派の遅れた成果という以上の魅力が備わっている。

特に調性語法の幅や、アリオーゾからシュプレッヒゲザングまでの声楽様式の幅など、実にドラマティックだ。

マゼールとベルリン・フィル、ヴァラディとフィッシャー=ディースカウという最上の顔合わせが得られた結果、その登場はツェムリンスキーへの理解を急速に強めたとさえ言える。

マゼールは決して音楽に溺れることなく、この大曲をまとめあげ、フィッシャー=ディースカウ、ヴァラディの独唱陣とベルリン・フィルもマゼールと息の合ったところを見せている。

豪奢で官能的な前奏曲の響きは、まごうことないベルリン・フィルの響きであり、この冒頭の歴史絵巻を思わせるような雰囲気が見事に全体に一貫しており、この雰囲気の持続はツェムリンスキーの要求通りと言えよう。

流麗なマゼールの解釈もすぐれているが、特に生と死を幻想的に気品をもって歌い上げた王子役のフィッシャー=ディースカウの歌唱は、タゴールの原詩の精神をよく伝えていて、バリトンの「英雄」的力感、ドラマティックな表現力と知的解釈の深さも印象的だ。

フィッシャー=ディースカウの薫陶を受けたであろうユリア・ヴァラディの旨さも特筆できるものである。

《大地の歌》との関連はともかくとしても、このロマン的な美しく魅惑的な世界は一聴に値しよう。

ウイーンの楽壇で指揮者、作曲家として高く評価されていましたツェムリンスキーは、ユダヤ系の出自のためにナチスの台頭後、シェーンベルクとともにアメリカに逃れた。

しかし、シェーンベルクが富と名声に包まれてロスで暮らしたのに対し、ツェムリンスキーは注目されることなく病気と貧苦に苦しんだ挙句、ニューヨークで斃死してしまった。

1980年代にようやく注目され、これはその一環として録音されたもので、時代の波に巻き込まれ、不当に評価された音楽家を発掘した意味でも貴重な1枚である。

この演奏を通して、いよいよツェムリンスキーの夢と現実の世界に魅せられていく人も多いはずだ。

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2015年06月29日


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フィッシャー=ディースカウが1951年にEMIとレコーディング契約をして以来の伴奏者だったピアニスト、ジェラルド・ムーアとのコラボレーションによるシューベルトの歌曲集。

先般のEMIによる過去の名盤のSACD化シリーズにおいては、若き日のフィッシャー=ディースカウによる一連のシューベルトの歌曲集も採り上げられることになった。

フィッシャー=ディースカウは、紛れもなく独墺系歌曲の最高の歌い手の1人であると言えるが、その最高の名唱とされているのは、何と言っても1970年代にジェラルド・ムーアと組んでスタジオ録音(DG)したシューベルトの3大歌曲集と言えるのではないだろうか。

本盤に収められたシューベルトの歌曲の演奏は、それよりも約20年ほど前の若き日の歌唱ということになるが、モノラル録音という音質面でのハンディはあるものの、1970年代の名唱とは違った意味で、素晴らしい名唱と評価したいと考える。

というのも、フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、後年の歌唱においては、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、若さ故の気迫や熱き生命力が全体に漲っており、いささかも技巧臭を感じさせないのが素晴らしいと言えるからだ。

そして、勢い一辺倒の内容のない歌唱には陥っておらず、どこをとっても、シューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが見事である。

巧緻な歌唱を支える若き日のフィッシャー=ディースカウの声は、言葉のニュアンスを深く、美しく伝えて、各曲の伝える世界を克明に描き出している。

本盤に収められた歌曲は、『魔王』や『セレナード』などのシューベルトの歌曲の中でも比較的有名なものを収めているところであるが、これら各歌曲の聴かせどころのツボを心得たいい意味での演出巧者ぶりは、本演奏当時の若き日より健在であると言えるところであり、まさに非の打ちどころのない名唱に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

本盤のピアノ演奏は、いつものジェラルド・ムーアがつとめているが、例によってジェラルド・ムーアによるピアノ演奏は、シューベルトの楽曲に特有の寂寥感に満ち溢れた美しい旋律の数々を情感豊かに描き出しており、フィッシャー=ディースカウによる名唱をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、モノラル録音というハンディもあって、従来CD盤の音質は、いささか鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わったと言える。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ、そしてジェラルド・ムーアによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

なお、当たり前のことではあるが、前述の3大歌曲集のSACD化に際して、扱いにくい紙パッケージに封入したことや対訳を省略したユニバーサルに対して、本盤では通常パッケージで、なおかつ対訳が付いていることについても、この場を借りて評価をしておきたい。

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2015年06月27日


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フィッシャー=ディースカウが、ピアニスト、カール・エンゲルとのコラボレーションによるシューベルトの歌曲集。

先般のEMIによる過去の名盤のSACD化シリーズにおいては、若き日のフィッシャー=ディースカウによる一連のシューベルトの歌曲集も採り上げられることになった。

伴奏をムーアからエンゲルに代えてのシューベルト歌曲集第3巻は、シラーの詩による大作『水に潜る者』をはじめ、耳にする機会の少ない力作バラードを収めており、シューベルト・アルバムとしても珍しい企画と言えよう。

フィッシャー=ディースカウは、紛れもなく独墺系歌曲の最高の歌い手の1人であると言えるが、その最高の名唱とされているのは、何と言っても1970年代にジェラルド・ムーアと組んでスタジオ録音(DG)したシューベルトの3大歌曲集と言えるのではないだろうか。

本盤に収められたシューベルトの歌曲の演奏は、それよりも約20年ほど前の若き日の歌唱ということになるが、モノラル録音という音質面でのハンディはあるものの、1970年代の名唱とは違った意味で、素晴らしい名唱と評価したいと考える。

というのも、フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、後年の歌唱においては、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、若さ故の気迫や熱き生命力が全体に漲っており、いささかも技巧臭を感じさせないのが素晴らしいと言えるからだ。

そして、勢い一辺倒の内容のない歌唱には陥っておらず、どこをとっても、シューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが見事である。

本盤に収められた歌曲は、いずれもシューベルトの歌曲の中では必ずしも有名なものとは言い難いものであると言えるが、それでも各歌曲の聴かせどころのツボを心得たいい意味での演出巧者ぶりは、本演奏当時の若き日より健在であると言えるところであり、まさに非の打ちどころのない名唱に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

本盤のピアノ演奏は、いつものジェラルド・ムーアではなくカール・エンゲルがつとめているが、カール・エンゲルによるピアノ演奏も、シューベルトの楽曲に特有の寂寥感に満ち溢れた美しい旋律の数々を情感豊かに描き出しており、フィッシャー=ディースカウによる名唱をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、モノラル録音というハンディもあって、従来CD盤の音質は、いささか鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わったと言える。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやカール・エンゲルのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ、そしてカール・エンゲルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

なお、当たり前のことではあるが、前述の3大歌曲集のSACD化に際して、扱いにくい紙パッケージに封入したことや対訳を省略したユニバーサルに対して、本盤では通常パッケージで、なおかつ対訳が付いていることについても、この場を借りて評価をしておきたい。

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2015年06月19日


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フィッシャー=ディースカウが1951年にEMIとレコーディング契約をして以来の伴奏者だったピアニスト、ジェラルド・ムーアとのコラボレーションによるシューベルトの歌曲集。

先般のEMIによる過去の名盤のSACD化シリーズにおいては、若き日のフィッシャー=ディースカウによる一連のシューベルトの歌曲集も採り上げられることになった。

フィッシャー=ディースカウは、紛れもなく独墺系歌曲の最高の歌い手の1人であると言えるが、その最高の名唱とされているのは、何と言っても1970年代にジェラルド・ムーアと組んでスタジオ録音(DG)したシューベルトの3大歌曲集と言えるのではないだろうか。

本盤に収められたシューベルトの歌曲の演奏は、それよりも約20年ほど前の若き日の歌唱ということになるが、モノラル録音という音質面でのハンディはあるものの、1970年代の名唱とは違った意味で、素晴らしい名唱と評価したいと考える。

というのも、フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、後年の歌唱においては、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、若さ故の気迫や熱き生命力が全体に漲っており、いささかも技巧臭を感じさせないのが素晴らしいと言えるからだ。

そして、勢い一辺倒の内容のない歌唱には陥っておらず、どこをとっても、シューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが見事である。

解釈の完成度において後年の諸録音に引けをとらず、かつ若き日のフィッシャー=ディースカウの美声を堪能できる点が嬉しい。

本盤に収められた歌曲は、いずれもシューベルトの歌曲の中では必ずしも有名なものとは言い難いものであると言えるが、それでも各歌曲の聴かせどころのツボを心得たいい意味での演出巧者ぶりは、本演奏当時の若き日より健在であると言えるところであり、まさに非の打ちどころのない名唱に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

ジェラルド・ムーアのピアノ演奏も、シューベルトの楽曲に特有の寂寥感に満ち溢れた美しい旋律の数々を情感豊かに描き出しており、フィッシャー=ディースカウによる名唱をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、モノラル録音というハンディもあって、従来CD盤の音質は、いささか鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1957年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わったと言える。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ、そしてジェラルド・ムーアによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年05月01日


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フィッシャー=ディースカウが1951年にEMIとレコーディング契約をして以来の伴奏者だったピアニスト、ジェラルド・ムーアとのコラボレーションによるシューベルトの歌曲集。

溌剌とした時代の若きディースカウの歌声が響き、当時から卓越した美声と表現力をもっていたことが、今回オリジナルの形そのままに復活したシューベルト歌曲集で十分に示されている。

先般のEMIによる過去の名盤のSACD化シリーズにおいては、若き日のフィッシャー=ディースカウによる一連のシューベルトの歌曲集も採り上げられることになった。

フィッシャー=ディースカウは、紛れもなく独墺系歌曲の最高の歌い手の1人であると言えるが、その最高の名唱とされているのは、何と言っても1970年代にジェラルド・ムーアと組んでスタジオ録音(DG)したシューベルトの3大歌曲集と言えるのではないだろうか。

本盤に収められたシューベルトの歌曲の演奏は、それよりも約20年ほど前の若き日の歌唱ということになるが、モノラル録音という音質面でのハンディはあるものの、1970年代の名唱とは違った意味で、素晴らしい名唱と評価したいと考える。

というのも、フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、後年の歌唱においては、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、若さ故の気迫や熱き生命力が全体に漲っており、いささかも技巧臭を感じさせないのが素晴らしいと言えるからだ。

そして、勢い一辺倒の内容のない歌唱には陥っておらず、どこをとっても、シューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが見事である。

本盤に収められた歌曲は、いずれもシューベルトの歌曲の中では必ずしも有名なものとは言い難いものであると言えるが、それでも各歌曲の聴かせどころのツボを心得たいい意味での演出巧者ぶりは、本演奏当時の若き日より健在であると言えるところであり、まさに非の打ちどころのない名唱に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

ジェラルド・ムーアのピアノ演奏も、シューベルトの楽曲に特有の寂寥感に満ち溢れた美しい旋律の数々を情感豊かに描き出しており、フィッシャー=ディースカウによる名唱をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、モノラル録音というハンディもあって、従来CD盤の音質は、いささか鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1955年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わったと言える。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ、そしてジェラルド・ムーアによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

なお、当たり前のことではあるが、前述の3大歌曲集のSACD化に際して、扱いにくい紙パッケージに封入したことや対訳を省略したユニバーサルに対して、本盤では通常パッケージで、なおかつ対訳が付いていることについても、この場を借りて評価をしておきたい。

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2015年04月01日


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フィッシャー=ディースカウが、ポリーニという絶好の共演者を得て、1978年にザルツブルク音楽祭に於いて、十八番にしていた《冬の旅》を演唱した貴重な記録である。

彼自身、1970年代初めの頃のあのムーアとの録音を最高とは考えていなかった証拠と言えないだろうか。

ムーアには、伴奏者が持つ限界が見えている。

同じリートをいろいろな歌手達と何度も何度も演奏し、録音する生活の中では、自ずから自分のスタイルを失っていくことになるのではなかろうか。

それに反して、エンゲルとか、デムスとか、ブレンデルとか、一流のピアニストには、1つのリートに一回性を求める立場が保留されている。

それだからこそ、個性的な伴奏が、新鮮な解釈と共に可能になるのだ。

そうした中で、稀代のピアニストとして大成したマウリツィオ・ポリーニは、傑出した伴奏者として特筆に値する音楽家である。

ポリーニの豊かな音楽体験と、厳しい人生経験から、この名伴奏が産まれたことは明らかである。

フィッシャー=ディースカウはこの人を伴奏者に得て、ムーア盤で示した独特の《冬の旅》解釈を極限まで洗練させ、完成した名演としてレコードに残すことに成功したのである。

演出を越え、解釈を克服したところに、無類の《冬の旅》の出現がありえたわけで、これは奇蹟でも、偶発的産物でもない、至芸というものなのである。

細かいことを言えば、第6曲「あふれる涙」での三連音符と付点音符の組み合わせだが、ポリーニの解釈こそ彼の豊かな音楽体験の産物なのであって、ショパンの《24の前奏曲》とか、バッハの《平均律》などを深く研究したピアニストなら、疑いもなく、ポリーニの解釈を正統と評価するに違いない。

伴奏の専門家たちの手から、こうした解釈が決して産まれなかったのは、それなりの理由がある。

つまり、記譜上の書式通りに弾こうとするから問題が起こるのであって、書式と実際の演奏法の間の関係について、時代様式の心得がないと、シューベルトでもシューマンでも、問題が起こるのだ。

続く「河の上で」も素晴らしい演奏で、こうした名演は、ピアノのパートの干渉度が大きい曲では、声楽家の努力と才能だけでは産まれえぬものなのである。

「鬼火」や「春の夢」などにも同じことが言えるところであり、特に一見幸福そうな後者から、これだけ深い悲しみが表現できようとは、驚異としか言いようがない。

ここまで行くと、この意外というほかないフィッシャー=ディースカウとポリーニという組み合わせが、結果として最高の名コンビということになった。

後半12曲に入っても、緊張感は衰えることなく、最後の5曲に凝集されていく《冬の旅》のエッセンスは、ますます純度を増していく。

曲尾にそれまで示されていた歌唱の唐突なクレッシェンドは、ここでは姿を消し、歌のパートに代わってピアノが不気味な盛り上がりを聴かせている。

「決して静まることがない」ライアーマンの楽器がそこでは前面に出るのである。

そして、ポリーニはフィッシャー=ディースカウの期待に応えて、ピアノの右手の奇妙な旋律を絶妙に歌い上げている。

それは歌唱の弱まって終わる効果と見事な対比を形成してわれわれの心の中に未聞の深い印象を残すのだ。

《冬の旅》ここに窮まる。

この名演があっては、プライもホッターも出る幕がなさそうである。

そして、大半の責任は歌手にあるのではなく、伴奏者の選択にあることを、この名録音が教えてくれているのではなかろうか。

フィッシャー=ディースカウは、53歳に達してとうとう最高の伴侶を得たのである。

音質もフィッシャー=ディースカウの息づかいとポリーニのピアノタッチが明瞭に聴こえるなど、1978年のライヴ録音としては極めて優れたものと評価したい。

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2014年12月26日


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《詩人の恋》は、青春の初々しい愛の喜びと失恋の悲しみという表面上のコンセプトから言えば、感傷的な色合いの強い歌曲集。

事実そのように演奏され、聴かれることが多い。

そういう繊細な感受性というイメージには、例えばベーアの演唱がぴったりだし、青年らしい傷つきやすい心が的確に歌い出されている。

この表層の抒情性に対し、ハイネの詩のテキストは鋭いアイロニーに満ちており、それは作曲者によって近代的な深層心理に読みかえられている。

そしてそれは表層の意識に対し、無意識の反対感情をひびかせ、複雑多感な心理の世界を築き上げている。

この相互照射に鋭敏かつ繊細に触れぬき、生き生きと再現しているという点でF=ディースカウ&ブレンデルに優る演奏はない。

また《リーダークライス》はロマン的な神秘感と近代的な自意識とがひとつに解け合う不思議な世界を生み出しているが、この両極のエレメントを結びつけるキーワードは「孤独」である。

孤独は辛いが、自己認識の新しい世界を開いてくれるし、また人間関係の煩わしさを逃れ、独りになる喜びも教えてくれる。

曲集はこの孤独な魂の新しい冒険の多彩さと物語的な面白さにかけてはF=ディースカウ&ブレンデルの右に出るものはない。

しかも曲のこの二面的構造を知りつくし、完璧に再現している点も他の追随を許さない。

いずれの曲集も充実した表現で、F=ディースカウの年輪の豊かさをしみじみと感じさせる演奏だ。

ただ、この時期(1985年)の彼は喉の状態がベストとは言えず、声の粗さが目立っている。

ブレンデルの伴奏はさすがと言うべきもので、彼特有のタッチによるシューマネスクな世界が、細やかな遠近法の中に描かれている。

《詩人の恋》第6曲を例にとれば、ラインの流れの描写、タッチの微妙な色合いなど聴くべきものは多い。

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2014年09月18日


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本盤には、シューベルトの最晩年の傑作である歌曲集「冬の旅」が収められている。

歌曲集「冬の旅」は、恋に破れ、さすらいの旅に出た若者を歌った救いようもない絶望的な暗いストーリーを、シューベルトならではの寂寥感溢れる美しい旋律が散りばめられた24曲にも及ぶ歌曲で描き出した傑作である。

その内容の深さには尋常ならざるものがあると言えるところであり、シューベルトの他の作品で言えば、最後の3つのピアノ・ソナタ(第19番〜第21番)や弦楽五重奏曲ハ長調、交響曲第9番「ザ・グレート」などにも比肩する崇高さを湛えていると言えるだろう。

いずれにしても、同歌曲集は、歌曲の王と言われたシューベルトの膨大な数に及ぶ歌曲の中でも最高傑作であるだけでなく、あらゆる作曲家による歌曲の中でもトップの座に君臨する不朽の名作と言っても過言ではあるまい。

これだけの名作だけに、フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集をスタジオ録音だけでも7度という途轍もない数の録音を行っているところだ。

その中で、随一の名演を1つ選ぶということであれば、筆者としては、本盤に収められたマレイ・ペライアとともに演奏を行ったスタジオ録音(1990年)を掲げたい。

1990年といえば、フィッシャー=ディースカウにとって晩年の時期に相当し、声の衰えはいかんともしがたいものがあるが、それだけに以前の録音よりも本歌曲集の本質に鋭く切り込んでいくという気概漲る圧倒的な名唱を披露している。

フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルト晩年の音楽の寂寥感や深みを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしい。

あたかも、フィッシャー=ディースカウが主人公である若者の化身となったような趣きさえ感じられるところであり、これだけ同歌曲集の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

もっとも、かかるフィッシャー=ディースカウによる歌唱は、同曲異演盤でも他の演奏の追随を許さない名演に仕上がっていたが、歌曲集「冬の旅」の場合は、その内容の奥行きのある深遠さに鑑みて、より楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みといった点で本盤を掲げたところだ。

マレイ・ペライアのピアノ演奏についても同様のことが言えるところであり、シューベルトによる美しい旋律の数々を情感豊かに描き出しており、その表現には、凄みと彫りの深さがあり、フィッシャー=ディースカウによる名唱の引き立て役としても十分にその任を果たしていると言えるだろう。

したがって、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではないが、フィッシャー=ディースカウの声の衰えを考慮すれば、唯一無二の名演と評価するのは困難であることを指摘しておきたい。

音質については、1990年のデジタル録音であり、フィッシャー=ディースカウの息遣いやマレイ・ペライアのピアノタッチが鮮明に再現されている。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&マレイ・ペライアによる名演を、高音質録音で味わうことができるのを歓迎したい。

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2014年09月09日


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F=ディースカウが、自らの歌唱芸術の歩みを確かめる里程標として幾度となく<冬の旅>を採りあげ、また録音してきたことは周知の事実であろう。

かつて筆者が耳にしてきた9種の録音の中でも、名唱とされるのは、ステレオ初期のEMI盤、デムスとのグラモフォン盤、ムーアとの1970年代の録音(一般にはこれが決定盤とされる)、バレンボイムとの録音、と並ぶが、いずれもこの名歌手のそれぞれの時期の会心の歌唱が記録されているものとして評価が高い。

それが、つい先日購入した1955年プラド音楽祭でのライヴ盤を聴いて、この曲集からかつてなかったほどの深い感銘を受けたことをここに記しておきたい。

この名歌手がステレオ期に入ってから聴かせる洗練された完成度の高い表現とはだいぶ趣を異にする、ある種“生々しい”歌唱が当盤では聴けるのである。

第1曲「おやすみ」からすでに感じられることなのだが、この録音での歌唱は主情的というか、かなり詩の意味を劇的かつ直截に表現しているような感がある。

第7曲「川で」や第18曲「嵐の朝」、あるいは第22曲「勇気」といったあたりで聴かれるその雄弁な表現は、ほとんどオペラ的とさえ称していいようなレベルにまで達している。

これがステレオ期に入ってからは、より知的な客観性みたいなものがはっきりと出てきて、いかにもF=ディースカウらしい歌唱に変わってくるわけだが、その知的客観性なるものに筆者の場合はある種の“分別臭さ”みたいなものを感じてしまって純粋に感動できないのではないか、という気がするのである。

一方、第2曲「風見」や第8曲「かえりみ」のように、いくぶん肩に力が入りすぎているような印象を受けるものもあるし、若さの部分が逆に若気の至りに感じられてしまう曲もまたなきにしもあらずなのだが、筆者は当盤の歌唱を最も好む。

ここでは、まさに今赤い口を開いて疼いている“青春の生傷”が歌われていて、それが他の録音以上に深い感銘を筆者の胸に残すからである。

とある雑誌で「この歌手の<冬の旅>はステレオ時代からが聴きものだ」というような事を評論家たちが異口同音に述べているのを読んだことがあるが、筆者の意見はむしろ逆である。

確かに、上述のように表現の未熟さ等を指摘できる箇所がないわけではない。

しかしこれほどに熱いものが強く胸に残る<冬の旅>を、少なくとも筆者は他で経験した記憶がないのである。

フルトヴェングラー&フィルハーモニア管とのマーラーの<さすらう若者の歌>と同様に、この大歌手は若くしてすでに余人の及ばぬ世界を創造し始めていたということなのだろう。

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2014年09月08日


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本盤には、フルトヴェングラーのレパートリーとしてはきわめて珍しい歌曲集が収められている。

マーラーの「さすらう若人の歌」と、マーラーと同年生まれで、歌曲に劇的で深い要素を導入したことで知られる後期ロマン派の作曲家、ヴォルフの歌曲集の組み合わせだ。

このように、フルトヴェングラーにとって馴染みが薄い楽曲においても、そのスケールの大きい芸術はいささかも揺るぐことはない。

「さすらう若人の歌」はスタジオ録音、ヴォルフの歌曲集はライヴ録音(拍手入り)であるが、荘重なインテンポでいささかも急ぐことなく音楽の歩みを進めていっており、楽曲の心眼を抉り出していくような彫りの深さは、深沈とした情感を湛えていて実に感動的だ。

マーラーの「さすらう若人の歌」については、ワルターやバーンスタインによる名演が、本録音の後に登場してくることになり、本演奏のような演奏様式は時代の波に取り残されていくことになったが、それでもこのような深みのある人間のドラマとも評すべき奥行きのある名演は、人間関係やその絆が希薄になりつつある現代においてこそ、なおその存在意義は高いものと言わざるを得ないだろう。

フィッシャー=ディースカウは、その後も同曲を何度も録音しているが、本盤が随一の名唱と言えるのではないだろうか。

というのも、後年の歌唱では巧さが全面に出てしまいがちであると言えるからである(それでも、十分に堪能させてくれるので、文句がつけようがないのだが)が、本演奏では、巧さよりも人間味や情感の豊かさが全面に出てきており、フルトヴェングラーの人間のドラマの構築に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

ヴォルフも素晴らしい名演だ。

ここでのフルトヴェングラーのピアノは、「さすらう若人の歌」における指揮ぶりと何ら変わりがないと言えるところであり、深沈とした奥行きのある演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある音楽の醸成に成功している。

シュヴァルツコップの歌唱も、フルトヴェングラーの凄みのあるピアノ演奏に一歩も引けを取っておらず、このような至高・至純の名演に大きく貢献していると言っても過言ではあるまい。

音質は、今般のSACD化によって、既発CDとは次元が異なる良好な音質に生まれ変わった。

特に、フィッシャー=ディースカウやシュヴァルツコップの息遣いまで聴こえるような声楽の鮮明さには大変驚かされた。

いずれにしても、このような歴史的な名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができることを大いに歓迎したい。

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2014年04月21日


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歌曲集「白鳥の歌」は、同じく3大歌曲集の一角を占める歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」とは異なり、一連のストーリーが存在しているわけではない。

様々な内容の歌曲を、シューベルトの没後に一つの歌曲集に纏めたに過ぎないところであり、その意味では同歌曲集を構成する各歌曲の内容には脈略がないとも言えるだろう。

それ故に、歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」の演奏のように、演奏全体の構成力や表現力が問われるのではなく、むしろ個々の歌曲一つ一つをいかに的確に歌い上げていくのかが問われると言えるだろう。

したがって、このような同歌曲集の場合、力量のある歌手にとってはその実力を如何なく発揮し得るものと言えるところであり、フィッシャー=ディースカウはまさに水を得た魚のようにその実力を十二分に発揮することが可能と言えるところだ。

フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集を何度も繰り返し録音しているが、心身ともに最も充実していた1972年にジェラルド・ムーアとともに組んでスタジオ録音した本盤の演奏こそが、随一の名演と高く評価したい。

それどころか、同歌曲集の様々な歌手による演奏の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

それにしても、本演奏におけるフィッシャー=ディースカウの歌唱は、巧いという他はない。

フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしい。

これは、歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」において圧倒的な名演を成し遂げるとともに、シューベルトの歌曲を知り尽くしているからこそ可能であった名唱とも言えるところであり、まさに他の歌手を寄せ付けないような圧倒的な名唱と言っても過言ではあるまい。

ジェラルド・ムーアのピアノ演奏も、シューベルトによる寂寥感に満ち溢れた美しい旋律の数々を情感豊かに描き出しており、フィッシャー=ディースカウによる名唱をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質については、リマスタリングがなされるなど高音質化への不断の取組が行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現される極上の高音質や音場の幅広い臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年04月20日


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本盤には、シューベルトの最晩年の傑作である歌曲集「冬の旅」が収められている。

歌曲集「冬の旅」は、恋に破れ、さすらいの旅に出た若者を歌った救いようもない絶望的な暗いストーリーを、シューベルトならではの寂寥感溢れる美しい旋律が散りばめられた24曲にも及ぶ歌曲で描き出した傑作である。

その内容の深さには尋常ならざるものがあると言えるところであり、シューベルトの他の作品で言えば、最後の3つのピアノ・ソナタ(第19番〜第21番)や弦楽五重奏曲ハ長調、交響曲第9番「ザ・グレート」などにも比肩する崇高さを湛えていると言えるだろう。

いずれにしても、同歌曲集は、歌曲の王と言われたシューベルトの膨大な数に及ぶ歌曲の中でも最高傑作であるだけでなく、あらゆる作曲家による歌曲の中でもトップの座に君臨する不朽の名作と言っても過言ではあるまい。

これだけの名作だけに、フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集を7度という途轍もない数の録音を行っているところだ。

その中で、随一の名演を1つ選ぶということであれば、筆者は躊躇なく、本盤に収められたジェラルド・ムーアとともに演奏を行ったスタジオ録音(1971年)を掲げたいと考える。

1971年と言えば、フィッシャー=ディースカウにとって心身ともに最も充実していた時期に相当するが、それだけに、本演奏においても圧倒的な名唱を披露している。

フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしい。

あたかも、フィッシャー=ディースカウが主人公である若者の化身となったような趣きさえ感じられるところであり、これだけ同歌曲集の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

もっとも、かかるフィッシャー=ディースカウによる歌唱は、歌曲集「美しき水車小屋の娘」では他の演奏の追随を許さない名演に仕上がっていたが、歌曲集「冬の旅」の場合は、その内容の奥行きのある深遠さに鑑みて、より楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みが欲しいとも言えるところだ。

したがって、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではないが、歌曲集「美しき水車小屋の娘」の場合のように、唯一無二の名演と評価するのは困難であることを指摘しておきたいと考える。

ジェラルド・ムーアのピアノ演奏についても同様のことが言えるところであり、シューベルトによる美しい旋律の数々を情感豊かに描き出してはいるが、今一歩表現に凄みというか彫りの深さが欲しいという気がしないでもないところだ。

もっとも、フィッシャー=ディースカウによる名唱の引き立て役としては十分にその任を果たしていると言えるだろう。

音質については、リマスタリングがなされるなど高音質化への不断の取り組みが行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤を遥かに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現される極上の高音質や音場の幅広い臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによる名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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本盤には、シューベルトの若き日の傑作(シューベルトは31歳でこの世を去ったことから、若き日というのは生涯のことではなく創作期のことを指すことを指摘しておきたい)である歌曲集「美しき水車小屋の娘」が収められている。

同歌曲集は、主人公の青年が水車小屋の若き乙女に恋をするが、恋敵が登場するに及んで乙女の心が恋敵に移り、絶望のうちに小川に身投げをするという一連のストーリーを、シューベルトならではの瑞々しさを感じさせる美しい旋律が散りばめられた20曲にも及ぶ歌曲で描き出した傑作である。

シューベルトの若き日の感性が全体に漲った楽曲だけに、同歌曲集については、演奏の時期を選ぶと言えるのではないだろうか。

フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集を何度も繰り返し録音しているが、心身ともに最も充実していた1971年にジェラルド・ムーアとともに組んでスタジオ録音した本盤の演奏こそが、随一の名演と高く評価したい。

それどころか、同歌曲集の様々な歌手による演奏の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしい。

あたかも、フィッシャー=ディースカウが主人公である青年の化身となったような趣きさえ感じられるところであり、これだけ同歌曲集の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

ジェラルド・ムーアのピアノ演奏も、シューベルトの当歌曲集に特有の初々しく瑞々しい情感に満ち溢れた美しい旋律の数々を表現力豊かに描き出しており、フィッシャー=ディースカウによる名唱をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質については、リマスタリングがなされるなど高音質化への不断の取組が行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現される極上の高音質や音場の幅広い臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年04月01日


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残した業績の数でも、それを行ってきた歳月の点でも比類のないその経歴の中で、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウは、シューベルトの《冬の旅》をあらゆる主要なコンサート会場で歌い、また録音も7回を数えた。

この録音は、彼の声が「美しさと表現力のピークにあった」と言われた1965年に行われた3度目のものである。

今回がCDとして初めての発売になる当演奏は39歳の時にベルリンのUfaスタジオで録音された(フィッシャー=ディースカウが日本を初めて訪れたのはこの2年前である)。

ここでフィッシャー=ディースカウは言葉を大切に、曲ごとの内容に即した表情付けをその豊かな声を駆使しつつ、かつ十二分に縦横にコントロールした、ごく自然な流れの中で望みを失った若者の孤独で寒々とした姿が歌われている。

彼は幅広い声域と豊麗な声、完璧なまでのテクニックをもち、独自の至高の世界を創り上げている。

時折厳しい表情も見せるが、全24曲聴き終わった後、私たちは何よりもこの若者の心を包み込むような暖かさに心満たされるのである。

と同時にこの24曲から成る歌曲集が秘める汲めども汲めども尽きることのない魅力を私たちは改めて知るのである。

イェルク・デムスの淡々とした上品な味わいと詩的な感性に溢れる伴奏に支えられたこの演奏を、数ある《冬の旅》の録音の中でも最高のものと考える人々も多い。

デムスとフィッシャー=ディースカウは互いを研鑽し合う仲だったようで、デムスの品の良い解釈が、頭脳プレイに陥りがちなフィッシャー=ディースカウをも納得させたのであろう。

筆者としては、フィッシャー=ディースカウの7つの当歌曲集の録音を所有しているが、録音した年、伴奏ピアニストを考慮に入れて、あとは聴く時の気分や好みに合わせて選ぶことにしている。

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2012年05月13日


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1951年8月19日、ザルツブルク音楽祭での実況録音。

フィッシャー=ディースカウはシューマンのリートの卓越した歌い手だが、マーラーにかけても他の追随を許さない。

それは1951年に弱冠26歳の彼が、ザルツブルク音楽祭でフルトヴェングラーと共演した「さすらう若人の歌」の録音を一聴すれば瞭然。

当時26歳だったフィッシャー=ディースカウの若々しく瑞々しい歌唱が大変に見事。

フルトヴェングラーもオケを意のままに動かしながら、この曲の持ち味を余すところなく表出している。

ウィーン・フィルも実にうまい。

フィッシャー=ディースカウの迫真の歌いぶりに、フルトヴェングラーをして、これまであまり関心のなかったマーラーの音楽を再認識させ、もっと彼の作品を演奏してみたいと思わせた、いわくつきの演奏だ。

フィッシャー=ディースカウの声は技術や声の深さ、表情の豊かさなどが完璧で、フルトヴェングラーの伴奏も威厳と風格と偉大なる愛情にあふれ、ただ聴き惚れるのみである。

フィッシャー=ディースカウのテキストとスコアの読みは、26歳の若者とは思えないほど深くこまやかだ。

心の傷つきやすい若者が、美しい自然に懸命に自分を合わせ、すがる思いを吐露するが、その繊細で鋭敏な心の働きが痛いほど伝わる。

そして、ついに抑えられなくなった想いは、天にも達する激しい慟哭で歌い上げられ、その心の苦しみは狂気と紙一重となる。

そのフィッシャー=ディースカウの捨て身の白熱的燃焼力、心情の吐露には圧倒される思いがする。

このコンビによるスタジオ録音のほうが繊細でまとまりはよいが、このライヴでは天をも衝くような激しい慟哭が主導し、生と死の境をさまよう若者の破れかぶれの心理を鋭く追求している。

内面のこの破綻の風景こそ、この歌曲集の核心をなしていることがわかる。

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2011年02月07日


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豊かな知性と感性、超人的なレパートリーを持ち、声楽の世界を広げたF=ディースカウだが、本領はドイツ・リートではないだろうか。

そこにはこれまで耳にしたことのない柔らかな快いバリトンの響きがあり、しなやかな歌いぶりには極めて繊細な陰影が刻まれていた。

またドイツ語も美しく、このように素晴らしいリート歌手に出会えたのは初めてのことのように思えた。

ところでF=ディースカウの最も古い録音は、ビリングのピアノによる1948年1月に収録されたベルリンRIASの放送録音《冬の旅》全曲である。

F=ディースカウ22歳の時の演奏ではあるが、既に完成された技巧を備えており、みずみずしい声で率直に心情を吐露している。

後の7度に及ぶ《冬の旅》に較べてもさして遜色がない。

この録音は当時しばしば放送され、彼の名が次第に知れ渡って行った。

日本では最初ANFからCDとして発売され、その後キングから再発されたが残念なことに廃盤となったようである。

幸いなことに現在では輸入盤で入手でき、観賞に耐えうる音質である。

演奏時間は76分に及び、その後の録音のどれよりも遅いテンポが採られているのも興味深いところだ。

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2010年12月14日


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シュライアーがシューベルトの「水車小屋」を十八番としているように、フィッシャー=ディースカウの十八番は、この「詩人の恋」といってよいだろう。

彼は6種類のディスクを残しており、そのいずれもが名演で、それらを凌駕する他の演奏は見当たらないといっても過言ではない。

その中で、成熟度やバランスの点でエッシェンバッハとの共演盤が一地頭抜きん出ている。

この歌曲集では、シューベルトの場合と違い、メロディに代わって短いモティーフが主導する。

それらは若者の初々しい情感と男性的な気概、心理の微妙な変化、ユーモアと身を切る自虐、夢と現実のもつれなどを隈取っている。

フィッシャー=ディースカウは、そのモティーフの変化の振幅に鋭敏に反応し、微妙な陰影を連続技で浮き彫りにしてくる。

その情報量の多さは驚異的で、その点、フィッシャー=ディースカウに勝る歌い手はいない。

エッシェンバッハも、それに劣らぬ鋭敏さで対応している。

ロマン性と近代性の融合という歌曲集「リーダークライス」の主眼に最も鋭く迫っているのが、フィッシャー=ディースカウ&エッシェンバッハ盤だ。

この歌曲集の前半は主に夜と森の神秘感が、後半は近代的な自我意識の探究が主導する。

演奏者は、まず第1曲で夕暮れの森の中での孤独感を内面の自我意識の認識に結びつけられるかどうか、そこにこの歌曲集の演奏のいちばんのポイントがある。

フィッシャー=ディースカウは、孤独感が自我意識を誘い出す心理的な過程を見事に浮き上がらせ、エッシェンバッハのピアノはその内的構造を手にとるようにわからせてくれる。

そうした演奏は曲の説明に陥り、散文化しやすいが、このコンビは決してポエジーを失うことなく、1曲1曲を同じ的確な解釈と説得力で展開していく。

その語りと歌とのバランスは精妙この上ない。

多くの演奏が森と深層心理の深みに足をとられ、晦渋さに陥りやすいなかで、わかりやすい展開とまとまりの良さという点も特筆に値する。

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2010年03月24日


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F=ディースカウ若き日の「冬の旅」だ。

F=ディースカウの王座はまだ揺るがない。ただし40年以上の長い演奏生活で多くの録音があり、ベストを決めるのは容易ではない。

ここでは厳しい様式感と気力の充実とで1962年の最初のステレオ録音を挙げておく。

数えきれぬほどの演奏があり、それぞれに特色がある。しかし私の心をとらえるものは2つ。

1つは凛然たること古武士のごときゲルハルト・ヒュッシュ。いま1つは、そのヒュッシュの呪縛を解き、声楽曲として豊かな世界を展開したフィッシャー=ディースカウ、それもこのムーアとの若々しい1枚だ。

この不世出のバリトンは飛び抜けた美声のうえに、声のコントロールも完璧、さらに曲に対する、客観的とも言える精緻な研究によって、この曲集の持つ悲しさ、憧れと絶望を美しく歌い出している。

ひたむきな心象風景のひとこまひとこまが彫りの深い表情で歌われている。

ことに、余りにポピュラーなため、かえって多くの歌手がつまづきやすい〈菩提樹〉など、曲全体も全体とのバランスの上でも、やはり傑出している。

まだ年輪の大きさ、人生への諦念への歩みには遠いにしても、この曲は老人の歌ではなく、死と向き合った青春の歌である。

F=ディースカウの若さと"死"の世界の息詰まるような対峙がここにはある。

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2010年03月19日


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R.シュトラウスの歌曲は今でこそ多くの歌手たちが歌い、CDもたくさんあるが、この録音が行なわれた40年前はそうではなかった。

シュトラウスの200近くにものぼる歌曲のうち、レコードで聴けるものはせいぜい20曲くらいの人気曲だけだった。

1人で130曲以上を歌って録音するというのは、まさにフィッシャー=ディースカウだからこそできたことである。

F=ディースカウの1967年から70年にかけての若々しい、そして自由自在のテクニックを駆使した完璧とさえいえるこの歌唱は、今後凌駕する歌手が現れるとは思えない。

さまざまに異なる性格の曲を自由自在に歌い分けるディースカウの力量はここでも感嘆の他はない。

こぼれ落ちんばかりの"歌の輝き"がどの曲にもあふれかえる、眩しいばかりの究極のR.シュトラウス歌曲だ。

また伴奏のムーアの燻し銀のような名人芸による表現も、最高の解釈の規範をこれらの曲で示している。

F=ディースカウも、伴奏のムーアも、R.シュトラウスの音楽に対する造詣が深いだけに、彼らの織りなす精妙な表現は格別だ。

LPが廃盤になったあと、長らく入手困難だったが、CDで入手・観賞できるようになって本当にありがたい。

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2010年02月25日


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不世出の大リート歌手フィッシャー=ディースカウは、主要な作曲家の男声用リートをほとんど録音しつくすという偉業を成し遂げたが、そのなかで最も成功しているのがこの『シューマン歌曲大全集』だ。

それまでシューマンのリートはロマンティックな抒情一本槍と思われがちで、ほとんどの歌い手は愛のよろこびと苦しみの表情づけに余念がなかった。

しかしフィッシャー=ディースカウはシューマンのリートのなかに、たんに愛の表面的な一喜一憂だけでなく、それによって来たる内面の心理を深く掘り下げ、本来シューマンが目指していた深層心理の世界をこれまでにない斬新さで開いて見せたのである。

当時は地理的な世界発見の時代で、地図の空白を埋めようとする冒険が盛んに行なわれたが、その一方で心の未知の世界を覗き見ようとする内面の冒険も試みられつつあった。

シューマンはその先駆者となり、狂気の危険を冒してまでも心の謎の部分に踏み込もうとしていた。

とくにリートの場合、声は意識やたてまえを歌い出すのに対し、ピアノは無意識と本音をひびかせる。

その複雑な心理構造をはじめて明快に解き明かし、しかもポエジーを失うことなく、総合的にシューマンのリートの世界をとらえ得たのがこの演奏だ。

そのためにはピアノとの完全な釣合いが必要だが、エッシェンバッハはそれにぴったり。

2人でスケールの大きな、同時に心理の襞にこまやかにふれる演奏を実現している。

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2009年12月18日


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シューベルトやシューマンはたとえば《冬の旅》や《詩人の恋》などの連作歌曲集で、リートを物語的に展開する手法を編み出した。

それに対してヴォルフは《メーリケ歌曲集》や《アイヒェンドルフ歌曲集》《ゲーテ歌曲集》など、詩人別の歌曲集を編んだ。

彼がこれらの歌曲集で目指したのは、物語的な展開ではなく、これらの詩人たちの世界をプリズム的に分解し、そうすることでその全体像を万華鏡的に再構築することだった。

こうしてこれまで抒情に偏していたドイツ・リートは、彼に到って初めて人間の感情や心理を総合的にとらえる芸術となったのである。

そのためには詩人の世界のあらゆる側面に通じ、それをひびきで表現できなければならない。

ヴォルフはその総体性をくまなくとらえるために渾身の力を傾けた。

たいていのリート歌手は、ヴォルフのそうした多彩な総合性のうち、一、二のベクトルを拾い上げるのが精いっぱいというのが実情だ。

しかしF=ディースカウの『ヴォルフ歌曲全集』が姿をあらわしたとき、わたしたちは初めてその全体像を目のあたりにすることができるようになった。

とくに風刺やユーモアに満ちたリートの斬新な解釈と歌いぶりにかけては彼の右に出る者はいない。

バレンボイムの伴奏もそれに劣らず自由闊達で、ヴォルフの世界のあらゆるひだに敏捷にふれ、またF=ディースカウとの丁々発止のやりとりが実にスリリングで興奮させられる。

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2009年12月09日


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ジェラルド・ムーア。少しでもリートに関心のある人なら誰でも知っている名伴奏ピアニストだが、このディスクは、つねに脇役にまわって名歌手たちを支え続けてきたムーアが、ただ一度主役にまわったコンサートの記録。

1967年2月20日、長年名歌手たちの伴奏をつとめ、レコード録音も多く、まさに20世紀最大の伴奏ピアニストと言うべきムーアの引退に際してロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールで行われた演奏会のライヴである。

イギリスEMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグの企画により、これまでムーアとともに数々のコンサート出演やレコーディングを行ってきた3人の大歌手、ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘルス、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、エリザベート・シュワルツコップの3人が同時に集い、ムーアへの感謝を捧げるというのが、この演奏会の主旨だった。

なにしろこの3人の世紀の大歌手が一堂に会して独唱ばかりか重唱も繰り広げたのであるから、そのライヴとしてこのレコードが発売された当時は、それなりに話題になったそうである。

しかし、この種の特別な機会に制作されたレコードのつねとして、時間が経つとともに忘れられ、再発のチャンスもなかなかやってこない。

これは残念なことである。

記念盤は記念盤として一回限りのリリースのほうが、まさに記念としての意義があるのかもしれないが。

幸いなことにCD化されたディスクは、むろん演奏は素晴らしいし、雰囲気も豊かである。

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2009年12月08日


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シューベルト、シューマン、マーラー、ヴォルフは、フィッシャー=ディースカウが何度も録音を繰り返したレパートリーだ。

シューマンのハイネ歌曲集を代表する《詩人の恋》もまた、何種類かの録音が残されているが、その中でも壮年期のF=ディースカウがデムスの伴奏で録音したこの1枚は、最も魅力的な歌唱が楽しめる。

ハイネの詩にシューマンの音楽がこの上もないほど敏感に反応している様をF=ディースカウは実に鮮やかに歌いあげており、間然としたところがない。

エッシェンバッハとの録音もすばらしいが、若き日のデムスとの録音も、負けず劣らず魅力的だ。

なによりも、その表現意欲の強さが前面に押し出された歌唱姿勢が、何のケレン味も感じさせない点がすばらしい。

若々しい情熱と表現意欲、そして声の成熟と若さの絶妙なバランスを示すF=ディースカウは、シューマンの“青春の歌”を歌うに当たって、その“青春のときめき”を十全に歌い出すと同時に、シューマンの音楽の中の多くの"チェック・ポイント"を見事にクリアしている。

内的必然との強い結びつきがあって初めて生まれる歌唱である。

大胆でありながら、少しのあざとさもない稀有の名唱と言えよう。

そうか、シューマンの当歌曲集はこれほど素晴らしいものだったのか、F=ディースカウという歌手はこれほど傑出した存在であったのか、と改めて再認識せざるを得ないような演奏の出来映えである。

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2009年11月09日


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リストは、オーケストラ曲やピアノ曲などのジャンルで華麗な色彩感にあふれる作品を多く書いているが、歌曲の分野でも、抒情的で、多彩な情感にみちた、魅力ある作品を残している。

これは、フィッシャー=ディースカウの2度目のリスト歌曲集で、リストの最も完備した歌曲集である。

3枚のCDにはリストが書き残した70曲余りの歌曲の中から44曲が収められている。

ここでのF=ディースカウの声にはやや年齢的な陰りが感じられるが、表現力の幅は増大しており、甘美な旋律による抒情的な歌も、劇的な内容に彩られたバラードも、深い思考を宿した歌も、すべて万全に表現されている。

《3人のジプシー》《ペトラルカの3つのソネット》などでは以前よりも表現が大胆で、スケールが大きくなっているように思う。

バレンボイムも美しい音色と雄弁な弾きぶりで、リストが書き残したピアノ・パートを伸びやかに生かしており、リストの歌曲の素晴らしさを改めて実感する。

リストの最も甘美な抒情的世界をストレートに表出したF=ディースカウのこまやかな表情を、バレンボイムが何と巧妙に迫っていることだろう。

ここにはこけおどしの絢爛たるピアニズムもなければ、意表を衝く前衛的和声進行も見られない。

バレンボイムの名演中の名演を得て、ここでF=ディースカウが理想的な歌唱を聴かせている。

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2009年06月12日


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フィッシャー=ディースカウの厖大なリート録音のハレーションのなかにかき消され、意外に見落とされているすぐれた演奏が、このバーンスタインとの〈若き日の歌〉と〈リュッケルト歌曲集〉抜粋だ。

これほどマーラーの音楽の神髄に迫った演奏も珍しい。

当時のフィッシャー=ディースカウは心技一体化し、体のすみずみにまで歌うよろこびが行き渡り、声に出すひびきはすべての霊感をおびていた。

特にこの〈リュッケルト〉と〈若き日の歌〉では、バーンスタインのピアノと驚くほどよく合い、空前絶後といえるほどのひびきの空間を作り上げている。

バーンスタインはピアノのパラフレーズの仕方が独特で、マーラーの内面の生と死との間に揺れる焦燥と不安、その分裂の風景を目に見える形で映し出している。

ディースカウの声はそれに的確に反応し、マーラーの内面の分裂の隙間へとどこまでも深く分け入ってゆく。

そして、その奥にマーラーの原点を支える絶対的な精神の基盤、つまり神なき世の芸術家の任務に目覚め、救済を模索する生き方を突き当てている。

声とピアノだけで、ベートーヴェンの〈第9〉に匹敵する深遠広大な精神的空間を表現しえたリート演奏は、このディスクをおいて他にはない。

これはドイツ・リート録音史上、金字塔的演奏と呼ぶに値する。

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2009年03月15日


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F=ディースカウは古典から現代までにわたり、信じられないような量の声楽曲を歌い、演じ、録音してきた。

その膨大な録音群の中でひときわ高峰をなしているのがこのアルバムである。

F=ディースカウによる「大全集」は、まさに偉業というべきもので、好きとか嫌いとかいう次元を超えている。

将来1人の歌手がシューベルト歌曲全集を果たして録音できるかの疑問を越えて、F=ディースカウとムーアの全集はドイツ・リートの楽しさを徹底して教えてくれる。

これをもって毎日少しずつ聴いてゆく醍醐味!

シューベルトの歌曲のうち女声用を除いてほとんどここに歌い切ってしまった彼のこれらの歌には、いわゆるやっつけ仕事としての歌唱がまったくないということも驚嘆すべきことだ。

あらためてこの20世紀最高のリート歌手の存在の大きさを思わずにはいられない。

ムーアとのコンビによる共同作業の最高の結晶である。

むろん、F=ディースカウがいればあとはいらないなどというわけでは全くないし、私も彼のレコードを日頃愛聴しているかというと、必ずしもそうではないことに気づく。

しかし思えば、F=ディースカウの規範的な歌唱があればこそ、もう少しクセのある歌手や独特の味わいを持った歌手たちの演奏を安心して楽しめるのかもしれないのだ。

ドイツ・リートのレパートリーをそれこそ網羅的に歌っているF=ディースカウだが、この『シューベルト歌曲大全集』は、最も驚嘆すべき業績の一つと言うことができるだろう。

ムーアのピアノ伴奏で400曲以上のシューベルト歌曲を録音したこの大全集には、日頃滅多に歌われない、しかしまさに珠玉のような歌がたくさん収められている。

とくにゲーテの詩への反応がよく、シューベルトの健康で男性的な一面への共感が際立っている。

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2008年08月19日


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1959年、ザルツブルグでのライヴ録音なので、音質はあまりよくないが、若いF=ディースカウの張りのある、美しい声が素晴らしい。

F=ディースカウは、言葉のもつイメージ機能の伝達にすぐれた歌手だけに、シューベルトやヴォルフの歌曲のように、遠心力の拡大に目を向けられる作曲家の作品の方が資質に合っている。

F=ディースカウのテクストに対する分析力の細かさは他の歌手の及ぶところでなく、言葉に対するリアクションの速さ、深さ、多様さなどは聴き手に無限の想像力を喚起する。

特に「ケルナー歌曲集」での重層的な感情の動きは、深く聴く者の心を捉えるはずだ。

「ひそかな涙」では、たっぷりとしたフレーズを心をこめて歌い上げ、終わりの2曲も、心を打つ名唱を聴かせてくれる。

「リーダークライス」には、エッシェンバッハやブレンデルの伴奏による録音もあるが、この作品のもつ若々しさをよく表現していることや、若い頃のF=ディースカウのみずみずしい歌唱を味わえるという点で、このディスクをとった。

ムーアのピアノも見事だ。

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2008年07月27日


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ロック・ファンにも愛好者の多い「カルミナ・ブラーナ」は、大オーケストラとコーラスが生み出すシンプルで圧倒的なビートの洪水が魅力の現代曲屈指の名曲。

若手指揮者が新しいオーケストラとやった新録音の方が分がよさそうに思えるが、意外にも硬派の古典指揮者ヨッフムが名門ベルリン・ドイツ・オペラを率いてのこの1枚が最高の出来だ。

ヨッフム盤は従来のスタイルだが、オルフは案外この当たりの線を描いて作曲したのではないかと思える要所を心得た表現を聴くことができ、スタンダードというに相応しい内容を持っている。

また、ソリストも非常に質が高い。

ヤノヴィッツ、シュトルツェ、フィッシャー=ディースカウという名歌手をソリストに迎えて、独唱曲の部分が絶品なのも勝因だが、オーケストラの豪快かつ重厚な鳴り具合もさすが本場の威力。

1967年録音とはいえ、本場のオルフという感じはまだ薄れていない。

今回のオリジナルスのCD化によって音質も向上し、ヨッフムの一徹な心情が青春の回顧とともに生々しく再生されていく。

この曲には、より華麗で圧倒的な、興奮を誘う演奏が他にもあるが、その中でこのヨッフム盤はいつまでも"なつかしさ"を失わない。

官能性の上で多少物足りない所があるとしても、正統派の強味は不変である。

ちなみにオルフはこの曲の成功の勢いで「カトゥリ・カルミナ」という続編も書いているが、こちらは今いちの出来。

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2008年07月01日


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同曲の初演翌年(1963年)に録音されたもので、ブリテンの代表作の、作曲者自身の指揮による歴史的演奏である。

名曲ゆえに世界各地で演奏され録音も少なくないが、初演当時の熱気を収めた作曲者指揮の録音は、ドキュメンタリーとして貴重なだけにどんな名演奏が現れても存在価値を失わない。

文字通り渾身の力をこめた凄まじい迫力をもった演奏で、ブリテンがこの作品にこめた死者への鎮魂と平和への祈念の深さは、聴く者の心を打たずにはおかない。

ブリテンが作曲にあたって想定したが、初演の時には揃わなかった、英・独・ソの3人のソリスト(ピアーズ、フィッシャー=ディースカウ、ヴィシネフスカヤ)の、緊張とドラマにあふれた熱い歌が感動をよぶ。

誠実さを絵に描いたようなブリテンの指揮も音楽の訴えかけるメッセージを聴き手に伝えてくれる。

敵同士の魂が「さぁ、みんな眠ろう」と静かに歌い出す最後のくだりは、天使の声を象徴するような児童合唱の歌声とともに、胸を締めつけられながらも自らの魂が救済されるかのようで、最も感動的な部分だ。

歴史に残る名盤のCDとしての復活には大きな意義がある。

ちなみに根っからの人道主義者のブリテンは、第2次世界大戦の際にも兵役を自ら拒否した反戦主義者でもあった。

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2008年06月12日


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1968年、シュヴァルツコップとF=ディースカウという2人の名歌手の最盛期の録音である。

数々の名盤が多いこの曲だが、この1枚にかなうものはない。

いくぶん2人の表情のつけ方が濃厚すぎるきらいもあるが、実に絶妙な歌いまわしで、聴いていると思わずひきこまれてしまう。

その熟達した歌唱は比類がない。

マーラーの長大なフレーズ、民謡風の色合い、そして少年時代の記憶の反芻から生まれる音たちの断片を集合し、これらを通して2人のリートの大家の歌い口は、本当に鮮やかに、生き物のように耳にとびこんでくる。

マーラーのエッセンスがすべてぶちこまれたようなこの歌曲集の、マーラーの悲しみ、憧れ、素朴な喜び、皮肉、人間存在への激しい慟哭や冷笑、運命への屈従と反抗、それらあらゆる全ての要素が恐るべき同化力をもって表現されるという結実に至っている。

セルも、あたたかい伴奏をつけており、そのうまさとあいまって圧倒的な名演となっている。

そして、マーラーの中からセンチメンタルな部分を濾過したセルの指揮が全体を引き締めている。

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2008年05月15日


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F=ディースカウはごく初期からブラームスを繰り返し録音しており、エンゲル、デムス、ムーア、バレンボイム、そしてリヒテルと、多くのピアニストとアルバムを録音していた。

また1970〜73年にかけてはムーア、サヴァリッシュ、バレンボイムとEMIに全集を録音、次いで1972〜81年にはバレンボイムとDGのブラームス全集のための録音を行っていた。

このディスクは1958年、モーツァルテウム、ザルツブルグにおけるライヴ録音で、18曲収録されており、ほんの数曲聴いただけでも、この人の精神的な燃焼度の凄さに圧倒される。

F=ディースカウのブラームスは、思念の奥深い所から誰の耳にも優しく、また烈しいメッセージを届けてくれる。

言葉への傾斜を強めていた彼だけに、多分にシューマネスクなブラームスだが、そこから"内に向けられた"ロマン性"を解放し、情感の襞の中から、ブラームスをつかみ出してくるのだ。

F=ディースカウは、最晩年のブラームスの境地がしみじみと語られた「4つの厳粛な歌」を劇的求心力の強い、彫りの深い歌唱で展開している。

また、作品32から4曲が歌われているが、内容のいっぱいつまったこれらの名歌曲を、ステージにちりばめながら素晴らしいブラームス・アーベントを組み立てている。

ともすると晦渋の色濃いブラームスの歌曲を、聴き手がどうしたら楽しんでくれるかという、彼の優しい心がそのまま伝わってくるような1枚だ。

ムーアのピアノも配慮がいきとどき、しなやかに和している。

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F=ディースカウとムーアのによる1961年、モーツァルテウム、ザルツブルグにおけるライヴ録音。

声とピアノが、まさに対等の立場で競い合うようなスリリングな演奏だ。

曲の細分化に関してF=ディースカウの右に出る歌手はいない。ディクションの細やかなニュアンスが最大に力を発揮して、ヴォルフの変幻自在な歌の命を燃焼させている。

F=ディースカウほどヴォルフを楽しませてくれる歌手はいない。

言葉のもつイメージの多彩な働きが、素晴らしい力をもって、ドイツ語を解さない聴き手をも無条件に呪縛してしまうのだ。

それにムーアのピアノによる、ヴォルフ・エネルギーの凄まじいまでの噴出が相乗作用し、理想的なメーリケ歌曲集を生んでいる。

F=ディースカウというと、リヒテルやバレンボイムと組んだ演奏も名演だったが、それらの演奏よりも、さらに情熱を外に向けて発散させているような歌唱で光っている。

F=ディースカウは絶妙な語り口と心理的な表現で、時には数分の短い歌にオペラの1幕を思わせるようなドラマを織り込んで歌っている。

「癒えたものが希望に寄する歌」での深い表情、「明け方に」での激情、「出会い」「あばよ」での達者さ、「いましめ」での芝居気なども驚くほど。

プログラミングの周到さも名歌手ならではだ。

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2008年03月21日


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青年F=ディースカウと巨匠フルトヴェングラーの歴史的名盤「さすらう若人の歌」は、幾度となく装いを新しくしては発売され、不朽の声価を保ち続けている。

フルトヴェングラーは、1950年のザルツブルグ音楽祭で、F=ディースカウを独唱者としてこの曲を演奏し、聴衆に多大な感銘を与えた。

そのとき彼は、F=ディースカウにこう言ったという。
「私はいままで、マーラーの音楽を好きになれなかったが、あなたのおかげでそのよさがわかった」と。

このディスクは2人のマーラーに対する深い共感によって貫かれた感動的な名演奏で、フルトヴェングラーのロマンティックな解釈に支えられた、F=ディースカウの、沈潜した歌唱のうまさは比類がない。

こまやかな情感を引き出す語り口の見事さ、美しさ、それによる旋律線に弱体化のないことが、唯一無二の名演たらしめている。

モノーラルなので音の劣るのが残念だが、この密度の高い演奏は、マーラー歌曲史上の偉大な金字塔のひとつといえよう。

「亡き児をしのぶ歌」も細心の配慮をもって歌い上げた名唱。

ただこちらのほうは、いまひとつ暗い情念の沈潜が欲しい。

「さすらう若人の歌」には、この若きF=ディースカウと晩年のフルトヴェングラーによる伝説的な名演があり、さすがのF=ディースカウも28歳の時のこの奇蹟的な演奏以上の録音をその後行っていない。

クーベリックとのものも、もちろんそれ自体は大変な名唱だが、かつてのデモーニッシュさはない。

とはいえ、他のどの歌手をも遥かに凌駕している。

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2008年02月18日


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戦後最大の歌手といえば、恐らく、ほとんどのひとが彼、フィッシャー=ディースカウの名前をあげるだろう。

それほどまでに、彼は幅広い分野(リート、オペラ、宗教曲など、声楽すべての分野に及んでいる)で獅子奮迅の大活躍をし、また膨大な数にのぼるレコーディングをおこなっているのである。

このような歌手は、これまでに存在しなかったし、今後も容易にはあらわれないであろう。

彼は1925年ベルリンで生まれている。父親は高名な教育家で、家庭はゆたかな芸術的雰囲気に満ちていたという。彼自身、芸術一般に対して強い関心をもつ少年であった(彼は画家としても玄人はだしであり、文筆もよくすることは、広く知られているところだ)。

早くから声楽家としての才能を開花させ、戦後、本格的に歌手として活動するようになる。

フルトヴェングラーをはじめとする多くの音楽家、その他文化人などと出会うことで、彼はいっそう大きく成長。大歌手への道を邁進することになる。

彼の数々のディスクは、いずれも比類ない名盤の誉れ高いものばかりだし、各種の舞台においても、今では語り種となっているような名舞台の数も限りない。

まさに、彼の栄光は、歌うことの栄光そのものといっても、決して過言ではないだろう。

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2008年02月06日


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EMI盤はF=ディースカウの最絶頂期の録音で、いかにも若々しくみずみずしい歌いぶりが聴かれる。

特の「白鳥の歌」は、声のパワーとしては最高の状態にあるといってよく、1語1語その意味するところをつきとめようとする意欲がひしひしと伝わってくる。

円熟という点ではまだ距離があるにせよ、F=ディースカウは若い頃から完成度の高い歌を歌ってきた声楽家であり、その時々の録音を比べるのも楽しみというものだろう。

グラモフォン盤の「白鳥の歌」はF=ディースカウにとっては3度目の録音。

この後ブレンデルのピアノで4度目の録音を行っているが、声の状態はこの3度目のほうがはるかにいい。

特に後半のハイネの詩による6曲に示す理解の深さは驚嘆すべきものがある。

しかも、以前のものに見うけた過度の文学的傾斜は是正されている。

「別離」での言葉の誤り(62年のエンジェル盤のみ)ももとに戻っている。

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EMI盤はF=ディースカウが37歳の時の録音で、その声の最も充実した美しさが聴かれ、歌自体の表現にも若さがあふれている。

特にこの「水車小屋の娘」は、若者の青春の挫折をストレートに歌っているだけに、声の若さが必要なのだ。

ただ初回発売で収録されていた、彼自身の朗読によるプロローグとエピローグが入っていないのが残念だ。

F=ディースカウの「美しき水車小屋の娘」は、グラモフォン盤以前の彼の録音では後半が散漫だったのが、この録音ではぐんとしまり、最も正統的で安心して聴けるものになっている。

デュナーミクの対比も旧盤ほどではなく、表現が極めて自然でナイーヴになってきた。

声楽的見地からいっても洗練の極みに達しているのである。

何種かある彼の「水車小屋の娘」のベストといってもよい。

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2007年12月25日


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数多いF=ディースカウの「冬の旅」の中で、4回目のムーアとのグラモフォン盤が最も完成度が高い演奏だ。

これ以前のものは詩を意識的に分析したり、言葉の表現に声の技巧が偏ったりしがちなところがあり、どれもが精緻な演奏でありながら、どこかに計算された表出のパターンが感じられた。

だが、ここではそれまでの枠から解き放たれた、F=ディースカウそのものの心の歌を聴くことができる。

5回目の録音はバレンボイムの描き出す陰影の深さ、絵画的描写力、色彩的表現は、ともすればモノトナスな心象風景として捉えられがちな「冬の旅」を、挫折し絶望のどん底へ落とされた青年の心理劇としてリアリスティックに構成している。

その心理的描写力の鋭さは、4回目録音のムーアの淡々としたピアノとよい対照だ。

F=ディースカウはピアニストを代えるごとに新しい境地をひらいている。

6回目の録音はブレンデルのピアノが凄い。

どんなフレーズにもシューベルトの魂がこもっているかのようで、鬼気迫る一瞬が訪れる。

F=ディースカウもピアノにふさわしい骨太の声でブレンデルと拮抗する。

F=ディースカウの状態は彼のベストとはいえないが、新しい「冬の旅」を創り出そうとするその意志が、ストレートに伝わってきて感動的である。

7回目の録音はF=ディースカウの結論である。

本人は、

「シューベルトこそ何回歌っても、何回録音しても、満足できた試しがない。機会あるたびに何度も録音を重ねていきたい。」

と語っていたという。

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2007年11月15日


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1840年頃には、シューマンは独唱歌曲(リート)を書くようになる。彼が文学に造詣の深かったことを考えれば、これは当然のことと思われるが、それだけで説明がつくものではない。いくら文学的素養があろうとも、音楽的な才能がなければすぐれた歌曲は書けないからである。

代表作「詩人の恋」は、シューベルトの「冬の旅」とともに歌曲集の傑作となっているが、ここではピアノが単なる伴奏ではなく、いわば「歌とピアノのデュエット」となっている。

第1曲「美しい5月に」の音楽は長調の明と短調の暗が微妙に交錯し、さりげなく明朗に歌っているようでいて、その陰にはいいようのない寂しさが鋭い感受性で表現されている。

ダントツの特選盤がフィッシャー=ディースカウとエッシェンバッハのグラモフォン盤。

F=ディースカウは、素晴らしい声のコントロールと、詩の内奥に斬り込んだ鋭い心理描写で聴く者の胸を打つが、それと同程度かそれ以上に素晴らしいのがエッシェンバッハのピアノである。

このふたりによって、シューマンの歌曲は幾重にも屈折したところで自閉的な世界をあやしく光らせる。この歌曲集に秘められた「にがい苦しみ」をこれほど噴き出させた歌手、ピアニストは例がない。

この他、2つの「リーダークライス(連鎖歌曲集)」、「女の愛と生涯」もすぐれた歌曲集である。

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