シェーンベルク

2015年10月15日


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カナダの鬼才グレン・グールドは、バッハと並んで新ウィーン楽派、中でもシェーンベルクに傾倒していた。

その熱い傾倒ぶりは本作で聴くことのできる一連の独奏曲のほかにも、グールドはシェーンベルクが書いたピアノを含む作品を、協奏曲、室内楽曲、歌曲にいたるまで録音していたことからも窺えよう。

これについては彼自身の著書で、10回に亘るラジオ放送番組のためにまとめられた『ラ・セリー・シェーンベルク』を読むに越したことはないが、単純に言って彼はある一定の厳密なルールに基いて構成される音楽や、そこから生み出される音響に強い関心を持った演奏家だったと言えないだろうか。

それによって彼の対位法への探求、特にバッハに捧げた無類の情熱も説明できるだろう。

ここに収録されたシェーンベルクのソロ・ピアノのための6曲の作品全集は、作曲家の無調から12音技法に至るセオリーがグールドによって高度に具現化されたアプローチだと思うし、また現代音楽への入門者にもその鮮烈な音響を体験する意味でも是非お薦めしたい1枚だ。

グールドの明晰なタッチは、作品の多層的な響きを解きほぐし、シェーンベルクの音世界を清新に表現している。

『ピアノ組曲』作品25でシェーンベルクはバロック組曲の形態を借りて12音技法で作曲しているが、グールドはこのようなクロスされたセオリーに嬉々として挑戦し、そこに独自の表現と奏法を発見している。

また『5つのピアノ曲』の「ワルツ」でもリズムにその舞踏の片鱗を留めさせながら、人間の感情の発露とは対極にある怜悧な完全主義者の思考回路を巧妙に反映させた演奏が秀逸だ。

1958年から65年にかけてニューヨークのスタジオにおいてステレオ録音された音源で、音質は極めて良好。

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2015年09月14日


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いずれも20世紀に活躍した作曲家の作品をラインナップした世界的ヴィオリスト、今井信子の渾身の意欲作。

しかも、バルトークとヒンデミットのオーケストラ伴奏の傑作とくれば、必聴の1枚と言えよう。

バルトークとヒンデミットによるヴィオラのための協奏曲を前後におき、中間に豊かな情念をたたえた美しいシェーンベルクの『浄夜』を置くというカップリングの妙にも感心させられる。

日本を、そして世界を代表するヴィオラ奏者となった今井信子は、アルバムにも名演が多いが、今回の演奏も秀逸で、聴き慣れない作品ではあるけれど、品格のある演奏で作品の魅力を引き出している。

今井信子は、ヴァイオリンとチェロの間にあって地味な存在に甘んじているヴィオラの魅力を世に広めようと地道に活動しながら、ヴィオラのレパートリー開拓に大きく貢献してきただけに、彼女にとっても本盤の組み合わせは会心の1枚ということになるであろう。

先ず、バルトークのヴィオラ協奏曲であるが、いかにも今井信子らしく、繊細で丁寧な音楽づくりだ。

それでいて、起伏に富んだ同曲の各楽章の描き分けも実に巧みに行っており、彼女の表現力の幅の広さを痛感させられる。

また、これまで使用されてきたシェルイによる補筆完成版ではなく、1995年に出版された新校訂版による初録音であるが、このヴァージョンは、バルトークの残した草稿に立ち返ることで、シェルイ版を見直し、大小いくつかの変更をおこなったというもので、よりバルトーク的な方向を目指したというのも、本演奏の価値をより一層高めることに貢献している。

今井信子がからんでいない『浄夜』は弦楽合奏版であり、本版にはカラヤン&ベルリン・フィルによる超弩級の名演があるだけにどうしても旗色が悪いが、タカーチ=ナジ指揮ジュネーヴ高等音楽学校の学生による弦楽合奏は、メリハリの利いた重厚な音楽づくりを行っており、非常にこなれた演奏で充実していて、実に聴きごたえのある佳演に仕上がっている。

ヒンデミットは、民謡を素材としているだけに、ヒンデミットにしては非常に親しみやすい旋律に満ち溢れた作品であるが、今井信子は、このような作品でも耽溺には陥らず、どこまでも格調の高さを失わない点を高く評価したい。

音質も実に優秀で、これだけ低音を巧みに捉えた録音も、通常CD盤にしては珍しいと思われる。

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2015年09月09日


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本盤は、ラトルがシェーンベルクの『グレの歌』を、音楽監督就任を前にベルリン・フィルと録音したもので、2001年のベルリン芸術週間の目玉となった記念碑的公演のライヴ収録である。

シェーンベルク初期の大作『グレの歌』はロマン派の影響が濃いとされているが、実際、シェーンベルクの作品の中では珍しく存命中に商業的成功を収めた作品であることも納得の、ワーグナーらしさが充満した曲でもある。

演奏は非常にクオリティが高く、ベルリン・フィル初の『グレの歌』にふさわしい強力なサウンドが最大の聴きものとなっている。

このシェーンベルクの大曲には、これまでにも優れた演奏があるが、ラトルのこの演奏は透明度の高さと情感の豊かさが複合的に共存した点で特筆すべきものがある。

この時期は、ラトルが未だベルリン・フィルを掌握し切れていない時期の演奏ではあるが、何よりも、ラトル自身がオペラにおける豊富な指揮の経験により合唱や独唱者の扱いが実に巧みであることも相俟って、素晴らしい名演を成し遂げていると言えるだろう。

指揮者のラトルが打楽器出身で近・現代音楽に造詣が深いということもあってか、特殊奏法への配慮や打楽器パートの強調が実に面白く、「歌曲的な」アプローチとはだいぶ雰囲気の異なるものになっている。

大人数の合唱も凄い迫力で、第3部での幽霊たちの合唱にはまさに鬼気迫るものがある。

5管編成オーバーの巨大オーケストラと十分に渡り合う彼らのパワーは圧倒的であるが、それもラトルの適切な誘導があればこそであろうし、名高い男声12部合唱での仕上がりも完璧だ。

もちろん、静かな部分でのアプローチも優れており、各パートが十分に見通せる透明度の高さは、この作品におけるシェーンベルクのスタンスが、完成までに10年を要したという年月の経過ゆえに微妙に変化していたことさえ窺わせる精妙なもので、さすがはラトルと思わせる。

しかもラトルとベルリン・フィルは、この長大な叙事詩をあたかも室内楽的であると思えるぐらいの透明度の高い精緻さで演奏している。

楽器の数も多く編成も巨大で(この録音では総勢300人以上)、扇情的にド派手にやろうとすると分かり易い曲なのだが、本盤でのラトルの解釈はそういう熱狂からは少し距離を置いて、1音1音緻密にクリアな音を積み上げて音のボリュームを作り出している(勿論、これは演奏者側にも相当な力量が無いと難しい離れ業な訳だが)。

そういった「聴き易さ」も表現しているところに、ラトルの偉大さがあると言えるところであり、その巨大で複雑な管弦楽を見事に再現していくラトルとベルリン・フィルの凄演に感嘆する。

しかも、クールではなく、暖かい情感にみちた音空間を華麗に展開しているのだから、まさに驚きである。

むろん、本演奏においても、ラトルの得意とする合唱曲、そして現代音楽であるということもあって、思い切った表現を随所に聴くことが可能だ。

テンポの効果的な振幅や思い切った強弱の変化などを大胆に駆使するとともに、打楽器の鳴らし方にも効果的な工夫を施すなど、ラトルならではの個性が満載であり、ラトルの個性が演奏の軸足にしっかりとフィットし、指揮芸術の範疇を外れていないのが見事に功を奏している。

そして、ラトルは、合唱や独唱者の扱い方が実に巧いが、本盤の演奏においてもその実力が如何なく発揮されているとも言えるところであり、ベルリン放送合唱団、ライプツィヒ中部ドイツ放送合唱団、エルンスト・ゼンフ合唱団を見事に統率して、最高のパフォーマンスを発揮させている手腕を高く評価したい。

独唱陣では、山鳩役のアンネ・ゾフィー・フォン・オッターが圧巻で、『グレの歌』の内面的なクライマックスでもある「山鳩の歌」における重みと深みのある歌は過去最高と言いたくなる感動的な内容である。

その他では、クヴァストホフの農夫&語り、ラングリッジの道化が見事な仕上がりだ。

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2015年07月28日


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2013年亡くなったコーラスの権威、エリック・エリクソンへの追悼としてワーナーからリリースされた6枚組のバジェット・ボックスで、まさに合唱の最高峰、エリクソン畢生の名演がここに蘇った。

CD1−3が『5世紀に亘るヨーロッパの合唱音楽』そしてCD4−6が『華麗な合唱音楽』というタイトルが付けられた1968年から75年に録音されたふたつの曲集をまとめてある。

ルネサンスから現代までのナンバーを網羅し、とくに近・現代曲については難曲揃いで実際に音になっているものも少ないだけに、資料的価値のある曲集であるとも言える。

エリクソンは生涯をコーラスに捧げた合唱界の大御所というべき指揮者だけに、いずれも彼のスピリットとテクニックの真髄を感じさせる演奏が圧巻だ。

コーラス・グループはエリクソンによって鍛えられたストックホルム放送合唱団及びストックホルム室内合唱団で、彼らは一流どころの指揮者やオーケストラとも多く協演しているが、実際音楽の精緻さと表現力の多彩さは混声合唱の魅力を満喫させてくれる。

尚、この作品集では殆んどの曲がア・カペラ、つまり器楽伴奏なしで歌われている。

エリクソンはバーゼル・スコラ・カントールムで古楽を修めた指揮者でもあり、バード、ダウランド、タリスなどでも機智と抒情に富んだ豊かなファンタジーが聴き逃せないが、このセットの中でも20世紀の合唱曲は難易度から言えば最高度のアンサンブルの技術を問われる作品ばかりで、シェーンベルク、バルトーク、ピッツェッティ、メシアン、ジョリヴェ、ペンデレツキなどの創造した斬新な音響に耳を奪われる。

透明感を醸し出す和声とその思いがけない進行、微分音やグリッサンド、そして要所要所で響かせる純正調和音の深みなどはコーラスならではの味わいを持っている。

また楽音だけでなく叫び声や呟き、巻き舌や音程のない息の音など、あらゆる歌唱法の試みが駆使されているのも興味深いところだ。

まさしくエリクソンとその手兵によるこれらの演奏は、すべての合唱団の規範となるべきものであろう。

合唱音楽について何か言おうと思うなら、これを聴いていなければ発言も憚られるだろうし、どの1曲を取り上げても、その美しさだけではない、得も言われぬ説得力を強く感じる。

ライナー・ノーツは15ページで演奏曲目と録音データ、独、英語による簡易な解説付で、いくらか古いセッションになるが、リマスタリングの効果もあって音質は極めて良好。

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2015年06月21日


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音楽の偉大な革命家シェーンベルク。

しかし革命以前の彼には、後期ロマン派の手法による名作がある。

1つが《浄められた夜》、もう1つが《グレの歌》。

3部から成る《グレの歌》は、演奏に2時間を要する大作で、後期ロマン派の最大傑作といわれるだけあって、スケールの大きさと濃厚な内容を兼ね備えている。

男声四部合唱三組、混声八部合唱、それに大編成のオーケストラを使ったこの曲は、音楽における1つの時代の終わりを告げているが、同時に、シュプレヒゲザングの手法の導入などにより、新しい世界に向かっての出発点にもなっている。

シェーンベルクは死の翳りにどっぷり浸かったマーラーの《嘆きの歌》の強い影響と、世紀末的な耽美趣味のなかでこの曲を生み落とした。

一方、爛熟し肥大化したロマン主義を脱皮して、知的で新鮮な音楽の創造に向かう道も模索していた。

この曲はまさにダンテの「暗い森」のなかの彷徨をあらわしており、死への惑溺から抜け出し、生への道を模索する願望を濃厚に映している。

演奏はその過程をどうとらえるか、アバドの録音は死への気だるい耽美に浸るよりは、その冷たい感触のなかに生の新鮮な息吹を見出そうとしている。

腐った果実の芯に宿る固く冷たい種から新しい芽が吹くような、そんな「新生」の期待のこもった清々しさがここに聴きとれる。

マーラーの録音が一段落すると、指揮者たちは次の階梯とも言える《グレの歌》に取り組み始めた。

しかも心のロマンをかき立てられるような内容だから、これを見事に振れば指揮者冥利につきるだろう。

やりがいのある作品だけに録音は多く、知的なもの、パワフルなもの、野心的なものなど大指揮者たちのさまざまなアプローチがある。

1980年代後半から2000年代に立て続けにリリースされたインバル、シャイー、メータ、ラトルといった同曲の録音のなかでも、アバドのものは、大編成にもかかわらず、全体のバランスと声部の輻輳を多元的に整理しながら、シェーンベルクの膨大なスコアをくまなくクリアに立ち上げた点で特筆すべきであろう。

アバドは持てる力のすべてを投入して立ち向かい、ロマン的要素を浮かび上がらせて、親しみのもてる豊かな音楽として再現していて見事だ。

複雑なスコアから無類に明快で美しい音の流れを浮かび上がらせるアバドの手腕はここで最高度に発揮され、音々が細部まで息づき、個々に色彩を得、いとも見通しのよい超ロマンティックな織物へと姿を変えている。

埋もれがちな声部を前に出した、わかりやすい演奏なので、さぞかしこまやかなミキシング操作が施されたのだろうと思っていたら、実演でもそれが達成されていて驚いた経験がある。

印象派の洗練を全身に受けた後期ロマン主義といった感さえある《グレの歌》の世界。

この演奏を聴いていると、この曲の中にひそむ「トリスタン」的ないし「パルジファル」的な要素とは別の、さらに実り豊かな美質がみえてくるような気がしてくる。

配役も強力な布陣で、王の苦悩を表現するイェルザレム、王が魅了されたトーヴェを美しく歌うスウィート、人気のある山鳩の曲を深みのある声で歌い上げたリポヴシェク、道化クラウスのきわどい歌を性格表現に長けたラングリッジが雰囲気豊かに表現するなど、その歌唱は高水準な仕上がりとなっている。

ウィーン国立歌劇場合唱団の他、響きの純度の高さでは定評のあるアルノルト・シェーンベルク合唱団とスロヴァキア・フィルハーモニー合唱団を起用した合唱パートも秀逸で、場面に応じた巧みな表現力で演奏の大きな牽引力ともなっている。

《グレの歌》演奏の現在の到達点を示した録音だ。

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2015年06月15日


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初出の時は、新ウィーン楽派の3人の作曲家の弦楽四重奏作品を集成、世界各国のレコード賞を総なめにしたアルバムであったが、本セットは、これらの作曲家の作風の先輩格にあたるツェムリンスキーの作品も併録し、集大成した画期的な全集。

シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン、ツェムリンスキーの楽譜を謙虚に見つめ、その本質を明快なアプローチでクリアーに描き切った、ラサール弦楽四重奏団一世一代の記念碑的名演。

弦楽四重奏といえばドイツ、オーストリアが中心といった通念を壊し、弦楽四重奏演奏に新たな地平を開いたのがアメリカの四重奏団であった。

中でもラサール四重奏団は、メンバーのうち3人がヨーロッパに出自をもちながらジュリアードで学び、その緻密なアンサンブルと幅広い音楽性によって、ヨーロッパの若い弦楽四重奏団にも大きな影響を与えた。

そうしたヨーロッパから持ち込まれた音楽伝統が、アメリカの現代的感覚で磨きをかけられることによって生まれたユニークな音楽性こそ、このクヮルテットの持つ際立った特色である。

豊かで正確な見識と、目を見張るばかりの高度なテクニックに支えられた、音楽に対するあの積極的で誠実な姿勢が生み出されてきたものと想像される。

彼らはベートーヴェンやロマン派の音楽にも大きな成果を挙げたが、最も得意としたのは20世紀音楽であり、新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲全曲を収めたこの集成盤は、彼らの精密な合奏能力や音楽性の高さが集約されたものとして、20世紀弦楽四重奏演奏の金字塔の1つとなっている。

ラサール四重奏団は、これらの作品を謙虚に受け止め、それを余裕のあるテクニックで的確に表現し尽している。

そして、客観的にそれぞれの作品の性格を描くことにより、4人の作曲家の作風の違いを明らかにするとともに、シェーンベルクの場合など作風の変遷も明確に演奏に反映することに成功している。

また、どの曲をとってもきわめて音楽的であるところが素晴らしい。

この演奏を通して、新ウィーン楽派の作品が決して頭で聴くものではなく、耳と身体全体に喜びを与えてくれることを教えられた人も少なくないだろう。

こういう共感ができるのも、このラサール四重奏団の演奏に「血の流れ」が感じられるからかもしれない。

もちろん演奏の密度はきわめて高く、適度の緊張感が聴き手の注意をそらさない。

なんでも、メンバーの各人が楽譜を筆写して演奏に臨んだらしく、なるほど、一聴すると無機的にも見える音の並びを見事に生き生きと、つややかに表現できている。

これらの作品解釈のひとつの規範となる演奏だ。

また、ここでは、マーラーとベルクの狭間に位置し、新ウィーン楽派に大きな影響を与えた作曲家、ツェムリンスキーの弦楽四重奏曲全集について指摘しておかねばならない。

新ウィーン楽派の音楽に傾倒していたラサール四重奏団にとって、その栄光を称えるためには、その楽派の先駆的存在であったツェムリンスキーは、必然的にとりあげなければならない作曲家だったに違いない。

このラサールによってひき起こされたツェムリンスキー再発見運動は、新ウィーン楽派の音楽をより深く理解するうえで極めて意義深い材料を提供してくれたことになる。

演奏は、ツェムリンスキーのもつ表現主義的緊迫感を明晰に表現し、そのルネッサンスに先駆をつけた名録音。

このツェムリンスキーを演じても、ラサール本来の曖昧さのない美意識はますます冴え渡っており、彼らが弦楽四重奏の世界で実践した演奏美学は、1980年代の演奏史に大きな足跡を残すこととなった。

新ウィーン楽派の音楽に心から共鳴し、それに暖かい血を通わせた名演として、演奏史に永遠に輝く記念碑となろう。

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2015年06月08日


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鬼才ケーゲルが解き明かしてみせたシェーンベルクの奥義。

ケーゲルは、現代音楽に造詣が深く、数多くの名演を遺しているが、それらの中でも、シェーンベルクの「モーゼとアロン」は、過去のあらゆる演奏の中でも最高の出来映えを示している。

ケーゲルの演奏は、スコアに記された音符の背後にあるものに徹底してメスを入れ、楽曲の心眼とも言うべき精神的な深みに鋭く切り込んでいくとともに、それらを現代人の持つ感覚を持って、一切の情感を排して冷徹に描き出すという途轍もない凄みを有している。

ひとたびこのCDを再生するや、シェーンベルクの音楽の真剣で凄まじい気迫に圧倒され、溢れ出る豊かな音楽性と計算されつくした見事な構築美、それにこの上なく高潔な魂の存在に胸を打たれ、たちまちその虜になってしまうだろう。

「モーゼとアロン」はそのような途方もない作品であり、その偉大さを曇らせることなくわれわれに伝えてくれるのが、このケーゲルによる演奏なのである。

ケーゲルは、いわば現代音楽のプロとも呼べるような存在であったが、この難しい音の構成物を正確に技術的に処理し、再現する能力の優秀さはもちろんのこと、シェーンベルクの音楽特有の精神の高さ、厳しさ、純正さを演奏の隅々まで浸透させていく音楽家としての資質には、頭の下がるものがある。

この作品は、モーゼは神の声にしたがい、エジプトに囚われているイスラエル人たちを連れ出し、約束の地へ向かわせるというのが話の大筋だが、エジプトを出た一行はシナイ山の麓に駐留し、モーゼはひとりで神の啓示を受けに山に登って行く。

しかし40日経っても戻ってくる気配がないので、不満を抱いた民衆が反乱を起こす。

この場面は、とりわけ作曲に力が込められていて凄い。

第2幕第3場面の「金の仔牛のロンド」は有名だが、第2場の3曲の合唱のほうが、もっと音楽的に上だ。

なかでも2番目の合唱「神々が彼を殺したのだ!」は、音を扱う作曲技術の信じられないほどの巧みさ、凄まじいばかりの表出力、そして研ぎ澄まされた音感覚と比類ない音楽性の高さ、白熱的に高揚した精神状態をケーゲルは余すところなく伝えている。

この後の3番目の合唱「歓声を上げよ、イスラエル!」も力が籠り、しかも少しも俗に堕することがない。

清く、強く、熱く、そして柔軟な変化を思うままに駆使して、灼熱的な盛り上がりを形成して行くさまには、もうただただ恐れ入ってしまうほかない。

ケーゲルは、決して表面の劇的効果を作ろうとせず、対位法の妙味である線と線とが織りなす緊張とその微妙な変化を表現の中心に据え、きわめて質の高い品位ある演奏を行っている。

歌手陣も、集中力の高い歌唱で、何より徹底的にトレーニングされたことがありありとわかる合唱団の迫力たるや、聴いていてゾクゾクする。

同曲の名盤の誉れ高いブーレーズの演奏と聴き比べてみたが、フランス系の音楽家の感覚の洗練という美点を武器に迫ってみても、この大音楽は如何ともしがたいのだ。

その精神の強さ、深さにおいて、どうしても演奏に物足りなさを感じさせてしまう。

この長所あるいは短所は、作曲家としてのブーレーズについても同様であり、見る角度によって魅力ともなり弱点ともなっているのだ。

新ウィーン楽派の音楽は、長らくブーレーズによる録音が高く評価されてきたが、こうしてケーゲルの録音を聴き比べてみると、ひょっとするとブーレーズの演奏は、少なくともシェーンベルクが求めていたものとは違う音で演奏されてきたのではないかと思い始めてくる。

むしろ、ドイツ圏ではケーゲルやロスバウトのような演奏が本流であって、ブーレーズは傍流なのではないかという疑問も持ち始めているところだ。

ケーゲルは冷静時代の東独という目立たない所で活動していたので、生前ついぞ脚光を浴びることはなかったが、これから大いに再評価されて欲しいものだ。

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2015年03月03日


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本盤は、カラヤンにしては異例のレパートリーで、1974年発売の≪新ウィーン楽派管弦楽曲集≫より代表的な作品を集めたアルバムである。

シェーンベルクという新ウィーン楽派と称される現代音楽の作品を世に広げた記念すべき録音と高く評価したい。

カラヤン唯一のスタジオ録音で、精緻かつスケール豊かな表現と、それに万全に応えるオーケストラの完璧な合奏力を堪能できる1枚。

カラヤン&ベルリン・フィルの絶頂期の録音で、あの妖艶さが多少の好き嫌いを生むとはいえ、精緻さ、音の輝き、腰の強さなど、すべてにおいて超一級であり、録音もまったく色褪せていない。

カラヤンは、バロック音楽から近現代音楽に至るまで、膨大なレパートリーを誇り、数々の名盤を遺したが、その中でも、最高峰に位置づけられる録音の1つが、この新ウィーン楽派管弦楽曲集ということになるであろう。

新ウィーン楽派と言えば、どうしても取っ付き難いイメージがあるが、カラヤンならではの解り易いアプローチによって、そうしたイメージを覆すことに成功したのが素晴らしい。

「12音階」とか「無調性」とか、未だに多くの音楽ファンから「難曲」だと敬遠されがちな新ウィーン楽派作品を、ここまで極限的なまでに鮮明かつ美しい音楽に仕上げられたのは当時のカラヤン&ベルリン・フィルだけではないだろうか。

カラヤンの入念な解釈が、1970年代楽団史上最高峰の状態にあったベルリン・フィルの機能性を十二分に生かし、贅沢に使い尽くした感のある名演奏である。

カラヤンの圧倒的な統率力とベルリン・フィルの卓越した合奏力、全盛時代の双方がガプリ四つに組んだ本演奏こそ、当該曲集の史上最高の名演と言っても過言ではあるまい。

カラヤン得意の優美なレガートも見事に決まっており、特に、シェーンベルクの「浄夜」など、この世のものとは思えないほどの美しさで、大きな深みと響きの豊かさが楽しめる。

シェーンベルクの全作品中おそらく最も演奏機会の多い「浄夜」であるが、カラヤンはこの作品の入り組んだ声部にまで光をあてつつ官能的な演奏を繰り広げていて、特に、女が告白をする部分の陶酔的高揚は比類がない。

ブーレーズなどによるスコアにX線を当てたような分析的な演奏とは正反対の、この曲が当初から持つ世紀末的文学世界に根ざした名演で、ベルリン・フィルの合奏力も凄い。

このシェーンベルクの代表作、「浄夜」は名曲でコンサートにもとりあげられるが、ひとつだけ落とし穴がある。

この曲は演奏者が美しさを引き出そうとすればするほど、作曲者の意図から離れ、逆に作曲者の心理と指示に従えば従うほど、美しさが失われていくのだ。

その落とし穴をカラヤンは見事に克服し、非常に美しく、かつ、シェーンベルクの意図を汲んだ曲をレコーディングした部分をつなぎあわせ、ミキシングすることにより、両方の条件を満たした完璧な「浄夜」をつくりあげることに成功した。

コンサートでは決してこのようなアンサンブルの名演は聴く事は不可能で、録音技術を駆使してこそ仕上がったというクラシック音楽世界では伝説の音楽録音と言える。

この演奏はそういう意味でこの曲の最高の録音と言えるだろう。

また、シェーンベルクが書いた最も編成の大きなオーケストラのための作品「ペレアスとメリザンド」では豊かでセンシティブなバランスを備えている。

演奏はスタンダードであり、だからこそ、難解と言われる曲の持ち味が素直に解かるので、聴きやすく、現代音楽の入門たる歴史的名盤となっている所以であろう。

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2015年01月25日


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ジャニーヌ・ヤンセンは今年で34歳になる若手女流ヴァイオリニストの旗手の1人とされる存在であり、ヴィヴァルディの四季やベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲など、超個性的でありながらも芸術性がしっかりと担保された圧倒的な名演を成し遂げるなど、着実に確固たるキャリアを積み重ねてきた。

そして、今般、ジャニーヌ・ヤンセンの類稀なる芸術性の高さを証明するとともに、おそらくはジャニーヌ・ヤンセンのこれまでのCD中の最高傑作とも評価し得る決定的な名盤が発売される運びとなった。

本盤に収録されているのは、シェーンベルクの浄められた夜とシューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調。

ジャニーヌ・ヤンセンが、「室内楽史上もっとも美しい2作品」と語る傑作だ。

この両曲の組み合わせは、もちろんジャニーヌ・ヤンセンの言うとおりなのであるが、それ以上にセンス抜群の意味深いものと言えるのではないだろうか。

シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調は、音楽史で言えば、前期ロマン派の作曲家に属するシューベルトの最高傑作の1つではあるが、最晩年の作品であるだけに、その後の作曲家の作品に繋がっていくような、当時としてはある種の革新性を有していたと言えるところだ。

そして、それは新ウィーン派の作曲家の旗手として、十二音技法を生み出したシェーンベルクの作品にも繋がっているとも言えるところであり、それ故にこそ、この両曲の組み合わせは意味深長なものと考えられるところである。

シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調の名演の1つとしてアルバン・ベルク弦楽四重奏団(第2チェロはハインリヒ・シフ)によるスタジオ録音(1982年)があるが、当該演奏は、同曲の美しい旋律を情感豊かに描き出す一方で、現代音楽にも繋がっていくようなある種の革新性も有していたが、本盤のジャニーヌ・ヤンセンによる演奏も、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による演奏とは異なったアプローチではあるが、シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調の持つ革新性を希求するとともに、その延長線上において、シェーンベルクの浄められた夜を捉えるという考え方においては通底していると言えるだろう。

それにしても、ジャニーヌ・ヤンセンとその仲間たちのアンサンブルによる演奏は素晴らしい。

ヴィヴァルディの四季の演奏も、同様のアンサンブルによる個性的な超名演であったが、本盤の演奏もそれに優るとも劣らない超個性的、そして芸術性の高い超名演を成し遂げていると言っても過言ではあるまい。

シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調の清澄な美しさを情感豊かに歌い抜くという基本的なアプローチは維持しつつも、随所にジャニーヌ・ヤンセンならではのスパイスの効いた個性的な解釈が施されており、それがいささかもあざとさを感じさせることなく、格調の高い芸術性への奉仕に繋がっているのが見事である。

そして、時として聴かれる切れ味鋭いリズム感は、前述のような現代音楽に繋がる革新性を感じさせるものとして、かのアルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏を彷彿とさせるものとも言えるだろう。

シェーンベルクの浄められた夜も、シューベルトの弦楽五重奏曲と同様のアプローチによる名演であり、単なる美しさのみならず、随所に聴かれる芸術性に裏打ちされた個性的な解釈は、同曲を聴き飽きたというクラシック音楽ファンにも清新さを感じさせるものと言える。

いずれにしても、本盤の両曲の演奏は、ジャニーヌ・ヤンセンの類稀なる芸術性と才能、そして今後の前途洋々たる将来性を感じさせる圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質もSHM−CD盤であることもあって、鮮明で十分に満足し得るものとなっていることも付記しておきたい。

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2014年10月07日


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本盤には、シェーンベルクとシベリウスのヴァイオリン協奏曲という、20世紀に作曲された名作の演奏が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

まずは、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンの演奏が素晴らしい。

ここでのヒラリー・ハーンのアプローチは、一音一音を蔑ろにすることなく精緻に曲想を描きだしていくというものだ。

聴き手を驚かすような奇手を繰り出すことは薬にしたくもなく、むしろ地味な演奏のようにも感じさせられるほどだ。

超絶的な技量は存分に発揮されてはいるが、無機的な演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても内容にコクがあり豊かな情感を失っていない点を高く評価したい。

また、音色の美しさにも出色のものがあり、その艶やかな響きはヒラリー・ハーンの面目躍如たるものと言えるだろう。

したがって、12音技法で作曲されたシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲においては、晦渋さが相当程度緩和され、いい意味での明朗で、なおかつ滋味溢れる演奏に仕上がっているのが見事である。

他方、シベリウスのヴァイオリン協奏曲においては、北欧の大自然を彷彿とさせるような透明感溢れる清澄な美しさというよりは、むしろ明瞭で艶やかな響きが支配しており、その骨太でコクのある音色はシベリウスの協奏曲をそれこそベートーヴェンやブラームスの協奏曲の領域にまで引き上げるほどの奥行きの深さを湛えていると言っても過言ではあるまい。

このようなヒラリー・ハーンのヴァイオリンを下支えしているサロネン&スウェーデン放送交響楽団による名演奏も、本盤の大きな魅力の一つであると言えるだろう。

北欧フィンランドの出身であるとともに、現代音楽も自己薬籠中にしているサロネンだけに、両曲ともにスウェーデン放送交響楽団を巧みにドライブして、整然とした中にも情感の豊かさをいささかも失うことのない充実した演奏を展開している点を高く評価したい。

録音は、ヒラリー・ハーンの精緻なヴァイオリン演奏を鮮明に捉えており、十分に満足し得る音質である。

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2014年06月30日


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シェーンベルクの歌劇「モーゼとアロン」については、既にブーレーズやケーゲルによる現代感覚溢れる切れ味鋭い名演が存在している。

ブーレーズの演奏(1974年)は、劇的で晦渋とも称される同曲を徹底したスコア・リーディングの下に解析するとともに、細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻な演奏を行っていた。

これに対して、ケーゲルの演奏(1976年)は、スコアに記された音符の背後にあるものに徹底してメスを入れ、楽曲の心眼とも言うべき精神的な深みに鋭く切り込んでいくとともに、それらを現代人の持つ感覚を持って、一切の情感を排して冷徹に描き出すというとてつもない凄みを有していた。

これら両演奏に対して、本盤のショルティによる演奏は、十二音技法を徹底して駆使しているとされる同曲の複雑な曲想を、圧倒的な技量を有したスーパー軍団であるシカゴ交響楽団を巧みに統率して、精緻かつ完璧に描き出すことに成功した演奏ということが言えるのではないだろうか。

おそらくは、シェーンベルクが記した複雑な同曲のスコアを完璧に再現し得たという意味においては、オーケストラの技量を含めて考えると、ブーレーズの演奏以上の出来ではないかとも考えられるところだ。

もっとも、新ウィーン派の傑作オペラと評される歌劇「モーゼとアロン」の含蓄のある内容を徹底して突き詰めていく演奏を希求するクラシック音楽ファンにしてみれば、内容空虚で浅薄な演奏との誹りは十分に想定されるところであるが、少なくとも、傑作と評される割には録音の点数があまりにも少ない同曲の魅力、特に、必ずしも広く親しまれているとは言い難いシェーンベルクの十二音技法による楽曲の素晴らしさを、多くのクラシック音楽ファンに知らしめることに成功した演奏という意味においては、本盤の演奏も相応の評価が必要ではないかと考えられるところだ。

とりわけ、シカゴ交響楽団の合奏能力の凄さは、とても人間業とは思えないようなレベルに達しており、複雑で晦渋とも言われる同曲の曲想を明瞭に紐解くことに大きく貢献していることを忘れてはならない。

歌手陣も、ショルティが選び抜いたキャスティングだけに、なかなかの顔ぶれが揃っており、モーゼ役のフランツ・マツーラ、アロン役のフィリップ・ラングリッジの主役2人の歌唱には目覚ましいものがある。

また、祭司役のオーゲ・ハウグランドや少女役のバーバラ・ポニー、そしてシカゴ・シンフォニー・コーラスやグレン・エリン児童合唱団員なども最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

そして、特筆すべきは、英デッカによる極上の高音質録音であり、同曲のシェーンベルクの精緻なオーケストレーションを精緻かつ完璧に再現するというショルティのアプローチをCDを通して貫徹するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2013年09月12日


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ラトルは若き頃より近現代の作曲家による作品を数多く採り上げてきており、シェーンベルクの管弦楽作品についてもその例外ではない。

本盤に収められたシェーンベルクによる作品(編曲を含む)も、「映画の一場面への伴奏音楽」は初めての録音になるが、その他の2曲(ブラームスのピアノ四重奏曲第1番のオーケストラ編曲バージョン及び室内交響曲第1番)については既に録音等を行った、ラトルにとっても自己薬籠中の作品であると言えるだろう。

冒頭のブラームスのピアノ四重奏曲第1番は、シェーンベルクによって編曲されたオーケストラバージョンによるものであるが、ラトルは1972年にも同曲を既に録音しており、DVD作品を除くと本演奏は2度目の録音に該当するところだ。

本演奏の特徴は、何と言ってもベルリン・フィルによる卓抜した技量を駆使した演奏の素晴らしさ、そして重厚で豊穣たる響きの美しさである。

終結部の強靭さも圧倒的な迫力を誇っており、我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

ラトルも、ベルリン・フィルの芸術監督就任後数年間は、プライドの高い団員の掌握にも相当に苦労し、凡演の山を築いていたが、数年前にマーラーの交響曲第9番を演奏・録音(2007年)して以降は、現代を代表する指揮者の名に相応しい名演の数々を成し遂げるようになった。

アバド時代に、カラヤン時代以前に特徴的であった重厚な音色が影をひそめ、音の重心が軽やかになっていたベルリン・フィルも、ラトルが数年の苦節を経て漸く掌握するようになってからは、再びかつての重厚さを取り戻してきたような印象を受けるところである。

本演奏においてもそれが顕著にあらわれており、まさにベルリン・フィルであるからこそ可能な豊麗な名演に仕上がっているとさえ言っても過言ではあるまい。

「映画の一場面への伴奏音楽」は、前述のようにラトルにとっては初録音となり、不協和音がさく裂する楽曲ではあるが、シェーンベルクを得意としてきたラトルならではの聴かせどころのツボを心得た見事な名演に仕上がっていると高く評価したい。

そして、本盤のトリを飾るシェーンベルクの室内交響曲第1番であるが、ラトルは同曲を原典版(15のソロ楽器による小編成によるもの)により、バーミンガム現代音楽グループとともに録音(1993年)しているが、本演奏では、シェーンベルクが同曲を作曲してから8年後にオーケストラ用に編曲したいわゆる管弦楽版によるものである。

それだけに、本演奏でもベルリン・フィルの重厚で豊穣な響きが見事にプラスに作用しており、おそらくは同曲の演奏史上でも重厚さと美しさの両方を兼ね備えた稀有の名演に仕上がっていると高く評価したい。

こうして、シェーンベルクに関わる3曲を聴いてあらためて感じたのは、ラトルとベルリン・フィルの関係がますます深まり、いよいよこのコンビの黄金時代に入ったということである。

この黄金コンビは、最近ではマーラーの交響曲第2番(2010年)など、圧倒的な名演の数々を生み出しつつあるが、今後ともラトル&ベルリン・フィルの更なる発展・飛躍を大いに期待したいところだ。

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2012年08月22日


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ブーレーズは、「モーゼとアロン」を2度にわたって録音しているが、本盤に収められたのは旧盤で、仏ADFディスク大賞受賞盤。

シェーンベルク演奏のひとつの極致を示す名演である。

最近では好々爺になりつつあるブーレーズが、前衛的な切れ味鋭い演奏を繰り広げていた時代の名演であり、筆者としては、やや角が取れた新盤よりも本旧盤の方をより高く評価したい。

シェーンベルクの未完の大作、しかも、十二音技法によって作曲された決して耳当たりのいいとは言えないこのオペラは、現在でこそ輸入盤を含めると何点かの録音が存在しているが、本盤が録音された1970年代半ばでは、きわめて珍しいものであり、本盤登場時の衝撃は想像に難くはない。

ロスバウト盤に続く国内2組目の同オペラ全曲盤であった。

ブーレーズの指揮は精妙きわまりない表現と透徹した把握が素晴らしい。

音色の鮮明さ、リズム感の鋭利さ、それらを劇的な効果と寸分の隙もなく直結させる表現力の確かさ、それはほとんど透明で官能的な明るさを湛えている。

それほどまでに、本演奏の切れ味鋭い精緻なアプローチは、シェーンベルクがその複雑なスコアに記した音符の数々を明瞭に浮かび上がらせ、複雑怪奇な本オペラの魅力を余すことなく我々聴き手に提示してくれたのが素晴らしい。

歌手陣も優秀であり、特に主役の2人、モーゼ役のギュンター・ライヒとアロン役のリチャード・キャッシーの重厚にして卓抜した歌唱が、本演奏の価値を高めることに大いに貢献している。

BBC交響楽団や合唱陣の好演も見過ごすことはできない。

併録の室内交響曲第2番も、この時期のブーレーズならではの透徹した尖鋭的アプローチが見事な名演だ。

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2011年01月20日


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冒頭から、切り込みの鋭さ、果敢な音楽への取り組みが耳をとらえて放さない、若々しくユニークで鮮烈な演奏である。

代表作ゆえ名演も多いが、シェーンベルク自身があまり明瞭にしなかったシュプレヒシュティンメの実際のとらえ方は、歌手(指揮者)によってまちまちである。

プスールは暗めの声で、作品のグロテスクな陰の部分を克明に描いているが、それはシェーンベルクが指示した音程をある程度自由に解釈することによっても助長されている。

ブーレーズ2度目の録音で、ミントンがシュプレヒシュティンメの音程をかなり忠実に守った、ある意味模範的なものと聴き比べると、その違いがよく分かる。

もちろん、まったく自由というわけではないが、きわめて強い表出が要求される箇所では、大幅に逸脱することもいとわない。

第7曲「病める月」でのささやくようなアプローチも、そして同曲最後の震えるような声の扱いも、背筋が寒くなるような世界を描出するのに成功している。

バロック音楽の清新な指揮で登場したヘレヴェッヘであるが、この録音で20世紀音楽での力量もなみなみならぬものであることを証明した。

淀みながらも決して濁ることなく、冷たく、かつ青白く燃える炎のような音響を録音が見事にとらえている。

作品が再び成立時の緊張を取り戻したかのような感触には独特のものがある。

ヘレヴェッヘとは正反対のアプローチとして、繊細で美観に溢れたシェーンベルクが聴きたくなったら、ブーレーズ盤を手にしてみるのも悪くない。

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2008年10月29日


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この作品にはそもそも、弦楽六重奏版と作曲者自身の改訂による弦楽合奏版があって、どちらかといえば、こまやかな内声の動きやモチーフの掛け合いがくっきりと浮かび上がる六重奏版の方がおもしろい。

この曲本来の音楽を最も精緻に美しく明らかにしているのは、オリジナルの弦楽六重奏版によるラサールSQ他の演奏というべきだろう。

濃密な陰影に満たされた「浄夜」だ。この作品のもつ後期ロマン主義の色濃い性格を見事に表出している。

ここには後期ロマン主義にふさわしい絶妙な色彩効果と蠱惑的な官能がある。その表現力は6人のアンサンブルとは思えないほどだ。

すみずみまで、まことにデリケートに透徹した表現を行き渡らせており、デーメルの詩がシェーンベルクの心にかき立てた世界を明晰に再構成して、しかもその雰囲気を見失っていない。

息苦しいほどの緊迫感から、この上なく慈愛に満ちた響きへ、そして陶酔感あふれる美しい瞬間の数々……、ラサールSQ他の弦楽六重奏の演奏は、濃厚なロマンティシズムに彩られた、このシェーンベルク初期の傑作を、実にドラマティックに聴かせてくれる。

テンポの自在な伸縮とやや強調されたニュアンス、そして艶のある響きがいい。

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2008年09月07日


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両曲とも傑作で、現代音楽を敬遠している向きにも広く薦めたい名演奏である。

ミトロプーロス(1896-1960)は近代・現代作品を得意にし、シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲は同じクラスナーのソロでNYPと録音していた。

シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲のクラスナーは1940年にストコフスキー&フィラデルフィアo.と同曲の初演を行っている。

まず、プロコフィエフの交響曲第5番が素晴らしい。

ミトロプーロスの音楽からは豊かな人間性が感じられ、明晰な知性と豊かな広がりを兼ね備えたスケールの大きい演奏となっている。

同時にシャープな切れ味もいたる所に見られ、強い緊張感と相まって目が覚めるようだ。

シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲ではクラスナーの音色が美しく、集中力のあるすっきりとした演奏を聴かせる。

ミトロプーロスの指揮はスケールが大きく、今日の指揮者では太刀打ちできないものがある。

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2008年07月03日


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1979年に行われたボストンでのライヴ録音だが、小澤の成熟ぶりが感じられるすぐれた演奏である。

小澤の「グレの歌」は、ブーレーズに比べるといくぶん速めのテンポ設定で、トリスタン的世界から離れて爽やかな情感の世界を描き出す。

世紀末的な耽美主義に的を絞った演奏で、重厚かつ色彩的だが、むしろ醒めているところがヤコブセンの詩の世界に近づいている。

ブーレーズが、鋭く楽曲を分析しているのに対して、小澤はより自由にこの作品をとらえ、生き生きと表現しているところがよい。

全体に若々しい気分にあふれ、詩情も豊かである。

彼の良さは音楽を分析的に見ることなく全身で受け止めている点にある。全身的共感が健やかなかたちで聴き手の心を開かせている。

こまやかな明るいきらめきにも欠けず、そこから漂い出るロマンティシズムのほのかな香りも聴きものだ。

ことに、後半にかけて熱っぽく盛り上げていくその設計は、小澤のこの作品に対する深い共感を物語っている。

独唱者もヴァルデマルのマクラッケンが特に良い。

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2008年07月02日


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インバルのフランクフルト放送響常任指揮者退任コンサートと並行して録音されたもの。

これを聴くとブーレーズもロマンティック。ブーレーズの新ウィーン楽派演奏は表現主義がロマン主義を内包しつつそれを論理で分節したものであったことを明らかにしたが、この演奏は、そんな同時代的問題意識からも解放されて客観的な世界をつくる。

だが劇性も豊か。数ある録音の中でも、最も熱さを感じさせるインバルの「グレの歌」だ。

インバルは、この作品のあるべき姿を赤裸々に描き出す。巨大な容量と繊細なディティールを同時に満たしてしまうような貪欲な演奏を実現させている。

「山鳩の歌」の前の間奏曲や、第3部の「荒々しき狩り」の白熱的燃焼などでは、オーケストラ全員がひとつのうねりに向かって突き進み、昇華していくさまが手にとるように熱く伝わってくる。

独唱陣には多少の難点はあるものの、合唱の絢爛とした充実には、それを吹き飛ばしてしまうだけの凄さがある。

マーラーとブルックナー演奏で一時代を築き上げたインバル&フランクフルト放送交響楽団の最後のコンサートがまさに同作品だったが、本盤は彼らの集大成的な録音としても凄味がある。

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2008年06月28日


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シェーンベルクの音楽を愛する人にとっては待望のディスクといえよう。

無調時代の作品19でグールドは鋭いが温かみをもった響きを聴かせる。

12音技法に移行しはじめた作品23では、彼の音色への感度はさらにソフィスティケートされた感触を加え、厳しい表情に変貌する。

12音技法が完全な姿で表れた作品25では音が一層磨き抜かれ、1音1音が存在を主張しているかのようだ。

作曲家最後のピアノ独奏曲作品33は、グールドの劇的表現により幻想の色を濃密に放っている。

作品47がとりわけ名演だ。凝縮されつくした音楽の凝縮しつくした演奏とでもいうべきか。

作品41も見事で、グールドとジュリアード弦楽四重奏団の卓越した技術と感覚美はまさに研ぎ澄まされており、ホートンの語り口もうまい。

作品42はグールドの透明なソロがこの曲にぴったりの味わいだ。

シェーンベルクの歌曲も、現代ではロマン的心情の告白として受けとめられるのではあるまいか。現代音楽を敬遠気味の人にとっても、このアルバムでのグールドの表現の噴出力の前に、これらの歌曲が気に入ってしまうだろう。

作品1はグラムがロマン的な感情を秘めながら格調高く歌いあげ、作品2はフォールが情熱的でドラマティックな歌を聴かせる。

作品15はシェーンベルクが長年考え続けた表現と美学の結晶ともいえる作品だが、ヴァニーは確かな技巧と表現力でニュアンスのこまやかさと深さを表出している。

グールドも声とのバランスを適度に保ちながら、ピアノの美しい音色を広く歌の中に浸透させる見事な演奏だ。

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2008年06月26日


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シェーンベルクは、12音技法を完成させるためのさまざまな実験を、特にピアノ曲を使って行っている。したがって、彼のピアノ曲を通してみていっただけでも、彼の作風の多彩な変化を知ることができて面白い。

このディスクはポリーニ初のシェーンベルクで、シェーンベルク生誕百周年を記念して録音されたものである。

若々しい迫力と、カチッとした緊迫感をもったもので、全体にきりりと引き締まった、まことに切れ味のよい表現である。

無調性の世界に入ったシェーンベルクの妥協のない造形と、それが生み出す厳粛な緊迫感を、ポリーニが見事に再現している。

シェーンベルクの造形は、音量・音色・リズム・動機・声部進行などの点で、およそ考えうる限り緻密で論理的だ。

そこには一瞬のうちに燃えつき消え去る花火のような美しさがあり、ポリーニはそういう造形を情熱をもって再現している。

作品のもつ熱っぽい高まりと厳粛さを見事に表現した演奏だ。

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2008年06月19日


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シェーンベルクの名前を一躍天下にとどろかせたこの「グレの歌」は、頽廃と官能にみたされた後期ロマン主義音楽の残照ともいうべき大作である。

ちなみに、シェーンベルクは、この作品を作曲するために、普通の楽譜の約2倍の48段の五線紙を特別にあつらえたという。

そういったこの曲の難解なスコアをすみずみまで徹底して分析したブーレーズの手腕が、最高度に発揮された演奏だ。

「グレの歌」には名演が多いが、ブーレーズは未来に向けての“ネオ・ロマンティシズム”の旗手たるべき、新鮮な演奏を繰り広げる。

全体に音楽の設計の明晰さが際立っており、音色は磨き抜かれて宝石のように美しく、しっとりとした味わいがある。

ブーレーズは、華麗で豊穣な音に包まれ、北欧の神秘的抒情を彩るこの作品から贅肉をそぎ落とし、現代的な照明を与えることによって、後期ロマン派のよどみから「グレ」を救い出したのだ。

やはり、これは稀代の名演のひとつだろう。

ただ、ブーレーズの特性は、シェーンベルクの音楽にある「表現主義」の残滓を徹底的に排除しようとしており、問題があるとすれば、この点であろう。

独唱陣は、いずれも立派だが、特に語り手のライヒが光っている。

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2008年04月26日


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シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンといった、新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を収録したラサール四重奏団の画期的な全集。世界各国の芸術大賞を総なめにした録音であることでも有名。

これらの作曲家のすこぶる特異な内容をもつ芸術の奥行きをとらえた稀有の名演である。

どの曲も緊張感を持ち、しかも作品が要求する多様な技巧を尖鋭をきわめた正確さで音にしながら、たんに精密な表現ということでなく、音楽を全身で受けとめ、演奏する楽しみや喜びさえも生々しく伝えてくる見事な演奏だ。

つまり、作品のもつ精緻な表現を前面に押し出した演奏ではなく、人間的な感情の温かさ、豊かさを感じさせる演奏となっているところに魅力を感じる。

この演奏により、新ウィーン楽派の音楽が頭デッカチの曲なのではなく、身体と心で聴くものだと認識させられた。

そしてこの3人の作曲家の相互の差異や、作曲家個人の内部での様式の変化といったものを、この優れた演奏を通じて具体的に知らせてくれる。

おそらくは作曲者も予期しなかったようなスコアの再現ぶりで、聴く者を魅惑する。

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2008年02月08日


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いずれもカラヤン唯一の録音で、彼の数多くの録音の中でも屈指の名盤とされている。

いずれもカラヤン一流の綿密な設計と巧緻な演出が光る卓出したもので、こうした《新ウィーン楽派》の作品演奏にも優れた手腕を発揮するあたり、さすがカラヤンである。

なかでも特に傑出しているのはベルク「抒情組曲」からの3章で、ベルクの音楽特性を的確につかみ、巧みな語り口で曲の持ち味をあますところなく表出している。ことにみずみずしくしなやかな第1楽章は絶品。

またウェーベルンの4曲も極めて質が高い。どの曲も造形のしっかりとした実に精緻な表現で、音の響きが大変美しい。

特に「管弦楽のためのパッサカリア」が素晴らしく、カラヤンは精妙な指揮で、この曲の持ち味をくっきりと浮き彫りにしている。

また「6つの管弦楽曲」は音色の変化が絶妙で、交響曲も一分の隙もなく緊密に仕上げられている。ベルリン・フィルも見事な演奏ぶりだ。

シェーンベルクではまず「ペレアスとメリザンド」の演出のうまさに魅せられる。造形のしっかりとした名演で、ベルリン・フィルもカラヤンの意図に十全にこたえている。

好き嫌いの差があろうが「浄夜」がすごい。きわめてシンフォニックなアプローチで、オーケストラは精密。しかも、むせ返るような情感に満ち、この曲を後の12音主義者シェーンベルクの最初期の作品というよりも、ワーグナー以降の後期ロマン派の残光を示す曲としてとらえている。後期ロマン派的な官能と陶酔を、実にしなやかに表現している。

そして、きわめて精緻に各部を描きつくしながら、全体に豊かな流れが少しも損なわれてないのはカラヤンのうまさであり、凄さだろう。

「変奏曲」もきわめて洗練された演奏で、微細だが適度に鋭くなりすぎることのない筆致で各声部を美しく解きほぐし、かつ織りなした色彩の変化が素晴らしい。9つの変奏を非常に精緻に比類なく描き分けている。

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2008年01月04日


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投稿数300件を記念してディミトリ・ミトロプーロス(1896-1960)について書きたい。

私にとってミトロプーロスはとても不思議な指揮者だ。

有名な指揮者でありながら、彼の私生活を知る人は非常に少ないこと。彼の演奏は死後20年余りたって初めて録音で世界に知られるようになったなど、指揮していた事実を除けば、ほとんど隠遁っぽい生活を送っていた現代最高の指揮者である。

快楽を忌み嫌う、生活が質素である、芸術に厳しい、生涯独身である、純粋に音楽的に冷静で完璧な演奏といった点で、彼に太刀打ちできるのは、グレン・グールドぐらいだろう。

「私はギリシャ人なので、何でも参考になる」という謙虚さなど、ギリシャ正教が音楽に対してもっと寛容であったなら聖職者になっていたに違いない。

彼はベルクの「ヴォツェック」を全幕暗譜で演奏し、その恐るべき記憶力で語り草になっている。

正規の録音では上にあげたCDが精緻を極めた名演だ。

特に「浄夜」がよい出来栄えで、ミトロプーロスはニューヨーク・フィルの優れた弦の技量を生かしながら、全体をすこぶる緊密に仕上げている。

冷たいばかりの透明な弦の美しさなど、たまらない魅力だ。

当時の録音(58年)にしては音もよく、ミトロプーロスの卓抜した芸術を知るという意味で貴重なディスクといえよう。

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2007年11月15日


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シェーンベルクの登場した背景が19世紀末ウィーンであることは言うまでもないが、もっと広い視野で後期ロマン派の終焉を彼に見る方が適当だ。「グレの歌」の成立にはワーグナーの存在を考えないわけにはいかない。

彼の直接の先輩や同僚、つまりマーラーやツェムリンスキーとの関連も当然大きい。特にマーラーは終始シェーンベルクの強力な支持者であった。彼の助力なくして、ほとんど独学のシェーンベルクがあのような軌跡をたどることはできなかったのではなかろうか。

シェーンベルクは表現主義の時期以後多数の生徒を持った。中でも単に生徒にとどまらずアルバン・ベルクとアントン・ウェーベルンの存在は非常に大きい。最後のドイツロマン派作曲家としてのベルクの作品は、2つのオペラ「ヴォツェック」「ルル」や遺作の「ヴァイオリン協奏曲」等がよく知られている。

またシェーンベルクをなかばリードしていた先駆的な生徒、ウェーベルンの作品は、初期、中期の表現主義から後期の徹底してシンプルな12音の作品まで、筆舌に尽くせない鋭い感性に貫かれており、更に第二次大戦後の現代音楽の出発点になっていた。

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そして特定の調性によらずに全曲を構成統一するために12の半音を1回ずつ使って音列を作り、その順序に従って作曲していく方法に行きついたわけなのだ。

それは決して前もって音列を機械的に定めておく、といったものではなく、音楽表現の原形質の中から少しずつ抽出されてきた素材全体からひとつの音列が結果的に帰納されて来るのであって、その、生の素材の必要性から生まれた音列というシステムで楽曲を構成することで、初めて個々の無機的、表現的な音楽要素が相互に有機的に関連し合って、高次元の音楽構造体、ソナタとかフーガに比肩すべき全体となるのである。

だからこそシェーンベルクは

「12音列の発見により今後300年のドイツ音楽の優位は保証された」

と高らかに宣言したのである。

その実12音によるドイツ音楽の優位など何もなかった。ただ、個々の優れた作品が残っただけだ。

「ワルソーの生き残り」のような驚異的な作品はそれ一つとして存在するものだ。アウシュヴィッツの惨劇を前にして、一ユダヤ人シェーンベルクの遺した凄まじい人間の肉声の前には、「数理的操作」といった言辞は消え飛んでしまうだろう。

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「月に憑かれたピエロ」をひとつの頂点としてシェーンベルクの表現主義期は収束しはじめ、1910年代後半、彼は沈黙の時期に入ることになる。

自由な半音階的音楽で、鮮烈な表現的効果をあげることを彼は考えていたが、一方で、そうした表現がヒステリックでその場限りにならないようにするにはどうしたらよいか、構成的統一感といったものはどのようにすれば得られるのか、等を苦慮していた。

この時期の多くの作曲家の作品、マーラー、レーガーからドビュッシー、スクリャービン、といった人々の曲が、ひとつの音程を強調するよりその周りを迂回したり縫うように動いて、調感がぼやけていたり、部分的には調性が消失していたりするのは、聴いてみればすぐに明らかなことだろう。

シェーンベルクもまた、人間感情の表現とか音楽を通しての自己実現といった目的を押し進めていくうち、いつしか「ピエロ」の無調の域にまで達したのであった。

しかし調性こそ音楽の構造や形式を支える土台だったのだから、何とかしてこの「無調」の中から積極的に楽曲を構成する原理、仕組みを見出さなければならない。

シェーンベルクは数年間の沈黙を通じて、ウェーベルンらと共にこの原理を求めていた。

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シェーンベルクの12音列は、無機的なパズルだけで済ましてしまえるものではない。具体的にひとつ「音列」を考えてみよう。

『ドレミファソ』。

これも確かに音列である。

この逆行形は『ソファミレド』、反行形は(移調して)『ミレドシラ』、反行逆行形『ラシドレミ』。

つまり長調の音階を行って帰って逆行形、反行すれば5度ずれた短調の音階になる。

何のことはない、バッハ以来ほとんどすべての西洋音楽は「音列的」な性格を持っているのだ。

実際シェーンベルクらはそうした思考で多くの古典作品を分析している。

そもそもシェーンベルクは音楽の革命を目指したことは一度もない。

常に伝統主義者をもって、自認していたのである。

12音音楽を非人間的な操作による音楽だと決めつけるのがおかしいと思うのが自然だろう。

よく、現代音楽はわからない、などと言われるが、先入観にとらわれていては何も聴こえないのは当然だ。

少なくとも日本の古典文法の知識で現代英文に挑戦しても仕方がないのと同じだ、とは言えるだろう。

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アーノルド・シェーンベルクの名前は、「12音技法の創始者」として知ってる人も多いと思う。しかし、12音技法とは何なのだろう。バッハやベートーヴェンも1オクターヴの中にある12の半音を使ってるではないか、何が特別なのだろうか・・・?

よくある解説には12音列という言葉が使われている。

「1オクターヴの中にある12の半音を並べかえて1つの音列(セリー)を作り、その音列をさかさまにしたり、逆から読んだりしたものを組み合わせる作業、何か数理的なパズルのようなもので、どちらかといえば、非人間的な音楽である。」

などといまだに恥かし気もなく書いてあるものが無くもない。

しかし、J・S・バッハをはじめ、モーツァルトやベートーヴェンにさえそうした素材の「遊び」の要素は確かに存在している。

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「クラシック名盤 この1枚」(光文社)の佐藤眞氏によるシェーンベルクの「モーゼとアロン」の項を読んだ時は衝撃的だった。氏の傾倒ぶりは以下の文に要約されている。

「私がこのレコードを最高のものとするわけは、シェーンベルクのオペラ『モーゼとアロン』がおよそこの世でもっともすぐれた作品であり、またロスバウトが指揮したこの演奏が、そのことを余すことなく伝えてくれるからに他ならない。」

私は前に西洋音楽史上最も優れた傑作としてマーラーの交響曲第9番第1楽章をあげたが、まさかシェーンベルクを筆頭にあげてくる人がいるとは想像つかなかった。

私は自らの耳で確かめようとロスバウト盤を求めたが入手できなかった。仕方がないので、佐藤氏が批判するブーレーズ(旧盤)とケーゲルを買って、じっくり聴き込んだ。

しかし、私の耳には「およそこの世でもっともすぐれた作品」とまでは聴こえなかった。12音技法に慣れないせいもあるのだろうと思って、何度も繰り返し聴いたが、さすがに佐藤氏の傾倒ぶりを理解するには至らなかった。

次回からはその「12音技法」について私なりに考察してみたい。

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