クライバー

2017年04月11日


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ジャーナリスト、エンツォ・ビアージとRAIイタリア放送協会のコラボによって制作されたテレビ番組『スカラ座の黄金期』を3巻に分けてリリースしたシリーズ最終巻の舞台は日本に移る。

ミラノ・スカラ座は1981年に東京で引越し公演を行ったが、このDVDは当時上演されたヴェルディの作品3曲、カルロス・クライバーの振った『オテロ』、クラウディオ・アバドの『シモン・ボッカネグラ』及び同じくアバド指揮による『レクイエム』の上演風景と舞台裏での取材やスタッフ達へのインタビューによって構成されている。

今でこそヨーロッパのオペラ劇場を日本に招聘することは珍しくないが、イタリア・オペラに関しては1976年が最後になったイタリア歌劇団来日公演以来のビッグ・イベントだった。

イタリア歌劇団はいわゆる引越し公演ではなく、コーラス、バレエ、オーケストラは総て日本勢が協演していたが、この時ばかりはスタッフ総勢450名がイタリアからジャンボ・ジェット2機を借り切って東京に向かい、スカラ座から海路で運ばれた大道具、小道具その他諸々はコンテナーにして40台が東京湾に上陸することになる。

日本側からの16年に亘る交渉の末実現に漕ぎ着けた公演だけあって、日本人スタッフ達の意気込みもその仕事ぶりを通して強く感じられる。

『オテロ』を指揮したクライバーへのインタビューがないのは少々残念だが、ライナー・ノーツに暗示されているように彼自身が承諾しなかった可能性が強い。

ただクライバーはこの来日を機に日本贔屓になったのは確かで、TOKYOのネーム入りのTシャツを着て稽古をしている風景も映し出されている。

若き日のアバドはドイツ系作品の偉大な指揮者としてフルトヴェングラーを先ず挙げ、またクライバーに対しても称賛を惜しまない。

カラヤンの名が出ないところが興味深いが、また優れたイタリア人指揮者としてはライバル視されていたムーティを始め、ジュリーニやシャイー、シノーポリなどの仕事を評価して、公明正大な見解を披露している。

歌手ではドミンゴがかなり長いインタビューを受けていて、少年時代の家族とのメキシコやイスラエルでの遍歴の演奏旅行や経験談が語られている。

最後にテノール馬鹿という表現について聞かれると、「私は先ず音楽家であり芸術を志す者でその範疇には属さない」ときっぱり言い切っている。

一方カップッチッリは楽屋で化粧をしている最中にビアージの質問に応えて、建築家になるつもりでいたが、進路変更をして6年のキャリアの後に初めてスカラ座の舞台に立ったと話している。

また『ファヴォリータ』で失敗した時の感覚を公衆の面前で裸にされたような気分だったと回想して、彼のような大歌手でも図らずも不成功に終わった公演があったことを告白している。

もう1人がミレッラ・フレーニで、床屋の父とタバコ工場で働く母との貧しかったが幸福だった幼い頃の思い出や、伯父に美声を認められてオペラ歌手を目指すようになったことなど、気さくで庶民的な話しぶりはかつてのプリマドンナのような近付き難い印象は皆無だ。

8ページほどのライナー・ノーツにはインタビュアーのジャーナリスト、エンツォ・ビアージの略歴とこのDVDに収録されている当時の東京公演の指揮者及び歌手達のエピソードが伊、英語で総括されている。

尚3巻に亘ったスカラ座シリーズのDVDをリリースしているダイナミック・レーベルでは更に『ラ・グランデ・スカラ』と題したもう1枚も準備中のようだ。

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2016年11月25日


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《椿姫》ぐらい憂愁、甘美なメロディの数々に彩られたオペラも例がなく、筋もわかりやすいので、ポピュラーになるのは当然だ。

様々なとらえ方のCDがあるが、何と言ってもヒロインの歌手が問題になるので、自分のお気に入りのソプラノがいれば、その人のディスクを選ぶのが一番良く、もちろん録音は新しいに越したことはない。

筆者はクライバー盤を選ぶが、彼のオペラ全曲録音の中でも最も出来が良く、このオペラを近代劇としてとらえ、鋭い個性的な表現を行っていて、クライバーの代表盤と言っても差し支えないだろう。

《椿姫》はこの指揮者の数少ないレパートリーの1つであり、速めのテンポできりりと流しつつ、メリハリが立ち、曲想の抉りが深く、音楽とドラマが直結しており、全3幕、起承転結が実に鮮やかで、生気に富み、魅力的で、息もつかせぬ名演と言えるところであり、本当の舞台人の芸を存分に楽しませる。

クライバーの音楽特性のよく表れた演奏で、彼は、ヴェルディの音楽に現代的な感覚を盛り込み、彼独自の音楽の世界をつくりあげていて、イタリア・オペラにしては、造形が厳しすぎる気もするが、大変精度の高い演奏だ。

クライバーという指揮者の才能が何より際立つ録音で、イタリアの歌手主導の演奏に慣れた人には当初違和感を与えるかもしれないが、それも束の間、その旋律を豊かに歌わせた躍動感に溢れる音楽はオペラ・ハウスの上演を超越した感動をもたらす。

クライバーのヴェルディ演奏としては必ずしも100点満点の出来映えではないかもしれず、《椿姫》の演奏としては異端であるかもしれないが、何と素晴らしい異端だろう。

華麗な大オペラに背を向け、暗い影に息づく異端の《椿姫》で、クライバーの魔術的な音楽づくりの魅惑に思わず呪縛されてしまう。

薄幸の主人公を慈しむように、繊細な響きで始まる音楽は、第1幕の引き締まったものへと急転するが、オーケストラが先行する場面でも、歌が先行する場面でも、常に独特の弾みや絶妙の間合いが音楽を支配している。

スタイリッシュで、なおかつ非常にドラマティック、クライバーの指揮は常に生き生きと躍動し、表情豊かに歌い、ささやきのエロティシズムと切ない悲劇性が際立つ。

これが彼の生命線であって、表現の振幅が広いばかりではなく、それによって抒情性に溺れることを速いテンポと猛烈な推進力によって回避しているし、同時に最高に劇的な表現を実現しているのである。

クライバーならではのまことに生彩溢れる演奏であると同時に彼は、第1幕の前奏曲から、このオペラの悲劇性を精妙極まりない表現によって明らかにし、常に生き生きとした流れと劇的で鮮やかな変化をそなえた演奏によって、音楽の最深部にまで的確な光を当てつくしている。

クライバーが本拠にしていたバイエルン国立歌劇場管弦楽団からこのように精緻で陰翳に富んだ響きと表現を引き出した手腕も、まさに至芸と言うべきだろう。

ここにあるのは、単に流麗で感傷的なメロドラマではなく、切実な感情によって動かされ、生きてゆく人間たちのドラマであり、ヴェルディの真の意図が感じ取れる。

歌手陣は必ずしも最強力とは言えず、コトルバスのヴィオレッタはやや独特の癖があるが、その幾分暗い声と非常に細やかな感情表現によって悲劇のヒロインを繊細に演じていて、役柄にふさわしい見事な存在感を示し、クライバーの敏捷だが小振りな音楽によく合っている。

雄弁この上ないオーケストラに支えられた第1幕の長大な歌で、聴く者をうならせたりしないかわりに、線の細いセンチメンタルな歌唱で、肺を患った若く悲しい娼婦ヴィオレッタが同情され涙を誘い胸を打つ。

本来ならミミなどにぴったりのコトルバスを起用して(実演でも歌ってはいるが)、繊細な声の持ち主に重めの役を歌わせるのは1970年代から80年代にかけてのグラモフォンが、特に好んだキャスティングだった。

またドミンゴのアルフレードが素晴らしく、凛々しい声で一本気な青年を好演、ミルンズのジェルモンはややドスが利き過ぎだが、父親の貫禄充分な歌唱を聴かせ、他の歌手もクライバーの指揮に応えてそれぞれベストの歌唱を聴かせてくれる。

これは、クライバーが正規に完成させた商業録音の数少ないオペラ全曲盤の1つで、そのレパートリーでは《ボエーム》も《オテロ》も結局は完成されなかったから、これが唯一のイタリア・オペラのセッション録音による全曲盤ということになり、その意味でも貴重である。

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2015年09月05日


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1974年と75年、バイロイト音楽祭に於ける、カルロス・クライバー指揮の《トリスタンとイゾルデ》上演の貴重な記録。

バイロイトは1962年からのヴィーラント・ワーグナー演出、カール・ベーム指揮による《トリスタン》が1970年に終了した後、次の《トリスタン》を準備する時期になっていた。

バイロイトの新しい《トリスタン》にふさわしい指揮者といえば、カラヤンではあったのだが、カラヤンは既にザルツブルクで復活祭音楽祭を始めていた。

これに対抗できる当時の指揮者といえば、たったひとり、バーンスタインだったのだが、条件が折り合わず、他の指揮者を探すことになったという。

結果、バイロイトが選んだのが、一部では人気が出ていたが、まだ世界的な名声とは無縁で、この時44歳、いま思えば若い指揮者だったクライバーであった。

新しい《トリスタン》の演出はアウグスト・エヴァーディングで、当時から立派な性格と卓越した話術と抜群の政治力と凡庸な演出力で知られ、めざましい舞台も期待できないと思われたが、事実その通りになった。

イゾルデはカタリーナ・リゲンツァで、これ以外はあり得ないという選択だ。

ニルソンのような輝かしい声や切れ味で勝負するソプラノとは違い、繊細な声と表現力とで、女性的な性格の濃いイゾルデを歌う。

この人としても最高の出来だったのだろう、情熱と優しさが一体となったイゾルデが現れた。

でも問題がトリスタンであった。この頃ワーグナー・テノールは全滅状態で、トリスタンやジークフリートを歌う歌手はいたが、歌える歌手はいなかった。

ヴォルフガング・ヴィントガッセンの時代はもう終わり、ルネ・コロとペーター・ホフマンの時代はまだ始まっていなかった。

結局ヘルゲ・ブリリオートが歌ったが、悲しい人選というほかなく、よく探して、コロに歌わせればよかったのに、と思うのは、後になってから生まれる感想だ。

カラヤンの《神々の黄昏》でジークフリートを歌い、全曲盤で聴けるが、これが精いっぱいだったのか表情はかなしそうで、「かなしみのトリスタン」には合っているとも考えられるのだが、声がかなしいのは困る。

しかし、トリスタンが弱くてもなお、クライバーの《トリスタン》は凄かった。

悲しみの底に沈んでゆくような精緻な美が後のセッションの全曲盤の本領であるのに対し、バイロイトのは激しい情念が渦巻くような演奏だ。

前奏曲から、かろうじて抑制しているが、その抑制が限界に達しているのが感じられる。いつ奔り出てもおかしくない。

異様な緊迫感で始まった演奏は、2人が愛の薬を飲んで、ついに抑制された感情は堰を切ってしまう。その後は手を握りしめ、衝撃に耐えるほかなくなる。

クライバーの激しくも悩ましい指揮の素晴らしさは圧倒的で、この楽劇からかび臭さを剥ぎ取った。それは実に若々しく、また初々しい感情表現に溢れた表現であり、この楽劇の演奏史を塗り替えたと言ってもよいであろう。

クライバーの指揮で聴いているとトリスタンとイゾルデは本当に若い。若者の恋愛劇に聴こえてくるし、2人は媚薬など飲まなくとも、絶対に求め合い、結ばれたはずだとの確信すら持つようになってしまう。

それほどクライバーの演奏に充満している感情は激しく、血は濃く、生命の鼓動が渦巻いている。当然のことに演奏全体に勢いと推進力があり、ドラマは前へ前へと展開、いささかも漫然とすることがない。

しかもワーグナーの本場バイロイトのオーケストラの美質を最大限に生かしたサウンドの素晴らしさも格別であり、聴き手は馥郁たる美音の饗宴に、ドラマとはもう一つ別の陶酔的興奮すら覚えてしまうほどである。

若きクライバーは音楽を瞬時も停滞させることなく、ぐいぐいと引っ張っていくエネルギッシュな演奏は、ワーグナーのヴェズリモを聴くかのようである。この革新性は誰にも真似のできない世界であった。

バイロイト音楽祭にデビューした当時のクライバーはカリスマではなかった。なったのはこの夏だったのだ。

クライバーの《トリスタン》は、確かに圧倒的だった。だが原理は過去のものだったのではないだろうか。溢れる官能、愛と死の勝利。ワーグナーが夢見たワーグナーというべきか。クライバーの強烈な個性は、失われつつある過去の美を呼び起こす。ロマン派の美学は蘇り、現代の美を圧倒してしまう。

クライバーの驚くべき高みに達した《トリスタン》上演は、74・75・76年の3回続き、その間にクライバーは神話的な指揮者になっていた。

《トリスタンとイゾルデ》が、時の美を映すだけの演奏を獲得できる作品で、その最高の例が1970年代半ばの名演に現れたのは確かだ。

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2015年07月16日


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2004年に逝去した伝説のカリスマ指揮者、カルロス・クライバーのドキュメンタリー映像作品で、完璧主義であったがゆえに苦悩した天才カルロス・クライバーの実像が克明に描かれている。

カルロス・クライバーは、取り上げるレパートリーを極端に絞り込み、少ない演奏会、決して多くはない録音ではあったが、ひとたび舞台に上がると聴く者すべてを魅了する演奏をした、生きながらにして伝説の指揮者であった。

このDVDの冒頭で『イゾルデの愛の死』を指揮するクライバーの殆んど神々しいまでの姿が非常に印象的で、それは狂気と紙一重のところで成り立っていた彼の芸術を図らずも暗示しているように思える。

ドキュメンタリーの中では父エーリッヒの姿もしばしば登場する。

カルロスにとって指揮者エーリッヒの存在は、永遠に解き放つことができない呪縛でもあった。

そして父とは異なったやり方を見出さなければならないという、一種の恐怖感が生涯彼を苛んでいたのも事実だろう。

また多くの人がインタビューで証言しているように、完璧主義者ゆえに自分の思い通りにならないと、一切を投げ捨ててしまう性癖があった。

ここでは彼が土壇場になってキャンセルしたオペラ公演やコンサートの逸話も少なからず語られている。

ウィーン・フィルとベートーヴェンの交響曲第4番のリハーサル中に楽員たちと衝突してその場を去ってしまう、いわゆる「テレーズ事件」の時の劇的な音声も幾つかのスナップ写真と共に生々しく記録されている。

「どうしてできないんだ、こんなことで長い時間議論しなければならないなんて!」と強い調子で訴えるクライバー。

しかしウィーン・フィルのような古い伝統を引っさげたオーケストラは唯でさえ指揮者の言いなりにはならない。

まして彼らがプライドを傷つけられれば尚更だ。

両者の気まずい緊張の中でクライバーは「10分間休憩」の指示を出してそのまま帰ってこなかったし、定期演奏会もキャンセルしてしまった。

この作品を制作したゲオルク・ヴュープボルトはクライバーの父エーリッヒ、そして母のルース、更にはカルロス自身の自殺説を仄めかしている。

末期の癌患者だった彼が妻を失った後、単身彼女の故郷スロベニアのコンシチャに向かい、病院ではなく彼らの別荘で扉も窓も閉ざしたまま亡くなっているところを発見されたという証言は確かにどこか謎めいている。

真相は分からないが、彼は明らかに死を待っていたし、またその時期も悟っていた。

そして故意に家族から遠ざかって孤独の死を選んだ。

偉大な指揮者の華やかで劇的な生涯の終焉は意外なほど慎ましく寂しいものだった。

インタビューを受けた人達は演出家オットー・シェンク、指揮者ヴォルフガング・サヴァリッシュ、リッカルド・ムーティ、歌手イレアナ・コトルバス等の他に当時のオーケストラの団員、マネージャー等多岐に亘っているが、全体的にみて作品の演出的要素は控えめで、彼らの証言によって視聴者自身がクライバーのバイオグラフィーをイメージできるように構成されている。

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2015年05月03日


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カルロス・クライバーは、その実力の割にはレパートリーがあまりにも少ない指揮者であったが、ひとたびレパートリーとした楽曲については、それこそより優れた演奏を志向すべく何度も演奏を繰り返した。

ベートーヴェンの交響曲第7番は、そうしたクライバーの数少ないレパートリーの1つであり、来日公演でもとりあげ、日本の聴衆を熱狂の渦に巻き込んだのであるが、ウィーン・フィルとのスタジオ録音(1975年)の他、多数のDVD作品や海賊盤が市場に蔓延っていたところである。

クライバーは本演奏の発売を禁じていたが、没後この演奏が発売されると世界の音楽ファンに衝撃を与え、それまで今一つ親しめる存在ではなかった同曲の魅力を、本演奏を聴くに及んで初めて知ったことが今となっては懐かしく思い出されるところだ。

その後は、別のスタイルの演奏であれば、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによるスタジオ録音(1950年)などが高音質で発売(SACD化)されたことから、本演奏の存在感は若干色褪せてきていたことは否めないところであったが、今般、高音質化されて発売された本演奏に接すると、あらためてその演奏の凄さを思い知った次第である。

天井知らずの熱狂と猛烈なスピード感、切り立つ音響の凄まじさと入念をきわめた細部表現による多彩でデリケートなニュアンスを併せ持ち、緊張と解放を自由自在に繰り返しながら未曾有の燃焼度を達成した稀代の名演である。

全曲を約40分弱という凄まじいスピードで駆け抜けており、繰り返しなどもすべて省略しているが、それでいて、特に緩徐楽章における各旋律の端々に込められた独特のニュアンスの豊かさ、そして、思い切った強弱の変化やテンポの効果的な振幅を駆使して、実に内容豊かな演奏を繰り広げていると言えるだろう。

クライバーの没後、本演奏の発売される運びとなったのは、数多く行ってきた同曲の演奏の中でも、崇敬するベームの追悼コンサートに際しての本演奏を特別視していたからであると思われるが、それも十分に納得することが可能な圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

バイエルン国立管弦楽団も、クライバーの統率の下、渾身の名演奏を繰り広げている。

第1楽章のフルートの入りのミスや、とりわけ終楽章など、あまりのテンポの速さにアンサンブルが乱れる箇所も散見されるが、演奏全体に瑕疵を与えるほどのものではなく、むしろ、実演ならではのスリリングさを味わうことができる点を高く評価すべきであろう。

ウィーン・フィルとのDG盤に比較すると、終楽章で特に顕著であるが、クライバーの華麗な棒さばきに必死の形相で喰らい付いてゆこうとするバイエルン国立管弦楽団の健気さと熱い心がダイレクトに伝わってくるという意味で、筆者としては、本盤に軍配を上げたいと思う。

音質は、従来CD盤でも十分に満足できるものであったが、今般、ハイブリットSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったと言える。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クライバーによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年04月27日


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1983年11月7日、バイエルン国立歌劇場アカデミー・コンサートのライヴ録音(ステレオ)で、入手できる海賊盤もなく、大変貴重な演奏。

桁外れな才能に恵まれながらも、レコーディングにはほとんど関心を示さず、また、ライヴ録音に関してもなかなか承認しないことから、生きながらすでに伝説と化していた感のある天才指揮者、カルロス・クライバーが珍しくも許諾したライヴ音源。

カルロス・クライバーが最後に指揮してから一体何年が経つのだろう。

“指揮台に立つだけで奇跡を巻き起こす超カリスマ指揮者”も1990年代に入るとほとんど活動を停止してしまい、隠遁の身となり、2004年に帰らぬ身となった。

そしてカルロスがまだ生きていた頃、こうしてとうとう30年以上も前のライヴ録音までが発掘されたのは、うれしいような悲しいような、ファンとしては複雑な思いにさせられる。

しかし、このディスクの内容は聴き手の期待感をはるかに上回る、霊感に満ちた、信じ難いほどの個性的な名演である。

ことに響きの密度の濃さはただごとではない。

オーケストラが、「何となく全体で」鳴っているのではなく、「一つひとつの楽器が心を寄せ合って」歌っているのが、第1楽章の冒頭のあの有名なメロディから、すぐにわかる。

異常に速いテンポだが、違和感はまったくない。

第2楽章も、何という音楽的な、凛(りん)としたしなやかなカンタービレなのだろうか!

高原の風のように、これほど胸いっぱいに吸い込みたくなる、澄み切った空気が、音楽によって体験できるとは…。

この楽章最後の、カッコウのような木管の掛け合いの美しさには涙が出る。

疾走する第3楽章は愉悦のきわみで、カルロスの舞踊的なセンスのひらめきは天下一品だ。

第4楽章の雷と嵐は、指揮者によって演奏の良し悪しが非常にはっきりと出る部分で、つまらない演奏で聴くと雨が降ったのかどうかも気がつかないほどだが、カルロスの手にかかると、聴き手の誰しもが全身ずぶぬれになる。

クライマックスの一撃は言葉を失うほど壮絶で、遠のく遠雷のティンパニさえも、雷神の背中のようにたくましい筋肉で盛り上がっている。

この楽章の意味するものが、“自然の偉大な力への畏怖”であるということに、改めて気付かせられる。

第5楽章は、誤解を恐れずに言えば、実に男らしい愛に満ちた演奏である。

これっぽっちもベタベタしたところがなく、強くて線が太い。

そしてこのうえもなく優しくて暖かい。

演奏後の拍手とブラヴォーの盛り上がりの素晴らしさが、生演奏の会場でいかにカルロスならではの“奇跡”が起きていたかを証明している。

やはり、あの指揮ぶりをもう一度この目で見たかった! そんな渇望感を覚えずにはいられない、ファン必聴のディスクである。

ただし、オーケストラに保管されていたオリジナルのマスター・テープは、部分的に劣化していたため、カルロスの息子に渡されていたカセットへのコピーもCD化の際にマスターとして使用したとのことで、ステレオとはいえ音質は冴えない。

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2015年03月08日


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これは、現在CD化されている「トリスタンとイゾルデ」のなかでも、初心者から通まで、存分に唸らせることのできる稀有なセットである。

「トリスタンとイゾルデ」は、筆者もこれまで何度も聴いてきたが、本盤を聴いて、あらためてワーグナーのオペラの最高傑作ではないかとの思いを抱いた。

スケール雄大な「ニーベルングの指環」や深遠な「パルシファル」などもあるが、トリスタン和音の活用により、その後の十二音技法など、後世の音楽に絶大なる影響を与えた点を見過ごしてはならない。

また、登場人物がきわめて少ないというシンプルな台本でありながら、これだけの劇的なオペラに仕立て上げた点も驚異というほかはないと考える。

これだけの傑作オペラだけに、これまでフルトヴェングラーやベーム、カラヤン(オルフェオのライヴ)盤など名盤が目白押しであるが、本盤のクライバー盤も、これら過去の名演に十分に匹敵する不朽の名演と高く評価したい。

クライバーの天才によって100%その実力を引き出されたシュターツカペレ・ドレスデンの驚愕すべき凄絶演奏に圧倒される一組であり、炎のように熱く水のようにしなやか、異常な熱狂と浄化された美感という相反する要素がここでは奇跡的に同居している。

その名演の性格を一言で表現すると、生命力溢れる若武者の快演ということになるのではなかろうか。

あの華麗な指揮ぶりを彷彿させるような力感が随所に漲っており、特に第2幕のトリスタンとイゾルデの愛の二重唱、マルケ王の独白、そしてメロートとトリスタンの決闘に至る変遷の激しい各場面における、ダイナミックレンジの幅が極めて大きいメリハリのある表現には圧倒される。

クライバーの解釈は、必ずしもスコアに忠実ではないが、劇的な場面では、鮮烈な稲妻を思わせる鋭い弦を奏でさせ、他方、叙情的な場面では弱音で滑らかな、また輝くような艶のある音を引き出す。

この強弱のコントラストに加え、レガートとスタッカート、またアゴーギク、低音と高音との対比を自在に駆使して、この大曲を寸分も飽きさせずに一気に聴かせる。

歌手陣も超豪華布陣。

特に、トリスタンのルネ・コロ、マルケ王のクルト・モル、イゾルデのマーガレット・プライス、そしてクルヴェナールのフィッシャー=ディースカウの主役4人はまさに完璧であり、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏もいぶし銀の輝きを放っている。

この音楽は、その誕生当初、「未来の音楽」と呼ばれ、従来の和声法からみても、また歌劇の作法からみても、全く新しい境地を開いたと看做された作品だが、そのような斬新さをいまなお感じさせる演奏・録音と言えよう。

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2015年03月02日


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超完全主義者カルロス・クライバーが50歳の時の録音で、クライバーの数少ないスタジオ録音中、最高の名演だと思う。

ヨハネス・ブラームスがこの曲を作曲した時とほぼ同年齢の時期の録音である。

ブラームスの「第4」は数ある交響曲の中でも最もユニークなものではないだろうか。

古色蒼然とした外観をまといながら、内に秘めた心からのロマンティックな想い、各楽器の特徴を知り尽くした管弦楽法、このような交響曲に名演を残せるのは、ほんの限られた指揮者とオーケストラだけであろう。

このクライバー盤は、絶妙なテンポの間と、巧みなオーケストレーションで、最高の名演奏の1つであることは良く知られている。

ブラームスの「第4」へのクライバーのアプローチは、名人の一筆書きのような、やや速めのテンポ設定の中、内容豊かなニュアンスを随所に感じさせるという味の濃いものであり、過去の名演では、シューリヒトやムラヴィンスキーに近いものである。

確かに、この録音当時50歳であったクライバーに、シューリヒトやムラヴィンスキーのような深みを求めるのは酷であるが、逆説的に言うと、この若さにしてこれだけのブラームスを指揮したという若武者の快挙に拍手喝采を送るべきであろう。

有名な1982年12月にベートーヴェンの交響曲第4番を練習中、意見の相違で楽員と対立し、定期演奏会をキャンセルしてしまったという所謂「テレーズ事件」の少し前であり、妥協を許さないクライバーと職人集団ウィーン・フィルの面々のぶつかりあいがまずきっとあって、徹底したこの曲についての論戦があってその後、録音したとしか思えない。

ブラームス最後の交響曲を演奏するにあたって、クライバーとウィーン・フィルの譲れないものを感じさせ、それが熱となり感動を呼ぶ。

物悲しい一面を強調した演奏も多いのであるが、この演奏は凛とした風格を美しい音色とテンポで表現しており弛緩といったものがない。

聴き始めから直ぐにブラームスの懐かしくもロマンティックな世界に引き込まれ、時間の経つのを忘れて聴き惚れる、そして驚くほど速く全曲を聴ききってしまう、素晴らしい音楽であり演奏である。

音楽の構成をありありと示してくれるよう表現であり、個々の楽器も十分に鳴っている。

この演奏を支えているのは、クライバーの天才的な音楽性は勿論であるが、オーケストラを歌わせる能力、良く考え抜かれたダイナミックスの配分、各楽器の実に巧妙な使い方、最終楽章の各変奏における特徴の把握、曲を分析し尽くした努力であろう。

しかし、音楽を聴いてみれば流れるように自然に良く歌う演奏であり、作為的なところは全く無い。

ややもするとウィーン・フィルは箍の緩んだ演奏をすることのある気まぐれ楽団であるが、クライバーにかかると真の実力を発揮しており、それが、クライバーの指揮するウィーン・フィルの魅力となっている。

ウィーン・フィルが一体化した結合感ある有機体になって哀しさに泣いているような演奏であり、第1楽章などまるで管の音がひらひらと哀しげに墜ちてくるような錯覚すら覚える。

これほどの指揮者はもう現れないだろうとさえ感じさせる神のタクトだ。

円熟期を迎えつつあった天才クライバーの、この曲に対する深い理解と曲に対する畏敬の念を感じられる名盤と言えるだろう。

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2015年02月10日


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カルロス・クライバーという一代の天才が、まさに「天才児現る」と呼ばれた時代の記念碑として、いつまでも語り継がれる1枚。

「クラシック音楽をこれから聴いてみようか?」という初心者に特にお薦めしたい名盤で、凄く感動するのではないかと思う。

クラシックは人によっていろいろ好みが分かれることが多いが、このクライバーのベートーヴェンは素晴らしいと皆が感じることができるアルバムと言えよう。

これまでに作曲されたもっともポピュラーな、もっとも好まれている交響曲である第5番の模範的な演奏と長いことされてきたこの盤、ここには情熱、厳密さ、ドラマ、抒情的な美しさ、そしてまず出だしの音からして人を興奮させる第1楽章のうねるような激情と、すべてがそろっている。

カルロス・クライバーはその際立って優れたキャリアのなかでレコーディングをあまり行っていないが、レコード化されたものはほとんどすべて格別の出来である。

これには第7番の非常にすばらしい演奏もカップリングされていて、こちらは第5番ほどには人を感動させないが、見事な演奏のひとつであることは間違いない。

出だしからして豪快、第4楽章に至るまで力のこもった躍動的な演奏が続き溜め息が出るし、盛り上げ方が素晴らしい。

本盤に収められた両曲の名演中の名演として、世評が著しく高いだけに、これまで数々の高音質化が試みられてきたが、本盤は、究極の高音質CDとして高く評価したい。

これまで発売された高音質CDとしては、SHM−CD盤、SACDハイブリッド盤、そしてDVD−audio盤があり、特に、後者の2つにはマルチチャンネルが付いていることもあって、臨場感溢れる音質が見事であったが、本盤は、それらを凌駕する高音質と言える。

重量感においてはいささか足りない気もしないではないが、各楽器の分離や鮮明さがダントツに増している。

クライバーは、ダイナミックレンジを幅広くとる指揮者であるが、本盤の場合、通常CDでは殆ど聴き取れないような繊細なピアニッシモから、最強奏のトゥッティに至るまで、完璧に再現されている。

マルチチャンネルは付いていないものの、臨場感においても不足はなく、眼前にクライバーの颯爽とした華麗な指揮ぶりが浮かぶかのようだ。

演奏は、トスカニーニやカラヤンの系列に連なる、いわゆる音のドラマに主眼を置いたものであるが、高音質のスタジオ録音という条件を付ければ、現在においてもなお、トップの座に君臨する名演、名盤と言えるだろう。

ライヴ盤にまで裾野を広げれば、カラヤンの名演(第5番は、先般発売された来日時の1977年盤、第7番は同時期のパレクサ盤)にはさすがに劣るが、それでも、この若武者ならではの勢いのある名演は、いささかの存在価値を失うものではないと考える。

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2014年12月05日


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「こうもり」の名演としては、カラヤン&ウィーン・フィルと本盤のクライバー&バイエルン国立管が2大双璧であると言っても過言ではないのでなかろうか。

筆者としてはカラヤン盤が、豪華絢爛にして豪奢な名演であるのに対して、クライバー盤は、生命力溢れる若武者の快演と評価したい。

クラシック音楽のファン、オペラファン、シュトラウスの「こうもり」のファン、クライバーのファンだったら、この一盤の存在意義については言葉は要らないだろう。

クライバーの最高傑作のひとつであり、誰もが絶賛する演奏で、今まで批判的な評価を聞いたことがないし、結局この盤が彼のオペラ録音では最も好きな演奏だ。

クライバーの指揮が最大の魅力であり、集中力のある演奏で一気に聴かせる。

躍動感溢れるリズムと音楽の推進力、即興性や陶酔などその天才的手腕を随所で発揮するとともに、第2幕に「雷鳴と電光」を挟むサービスも楽しいものだ。

冒頭の有名な序曲からして、湧き立つような生命力の迸りにただただ圧倒されるのみである。

随所に見られるセリフのみの箇所も、もたれることは決してなく、終始クライバーの華麗な棒の下、実にテンポ良く筋書きが展開していく。

第2幕のポルカ「雷鳴と電光」など、切れば血が吹き出てくるような熱い演奏を繰り広げており、合唱陣の巧みな扱い方もカラヤンに一歩も引けを取っていない。

曲の様式を考えるとスタイルは表現が鋭く先鋭的でもう少し優美さというかおっとりした品の良さを加えたくもなるが、これはかなりお門違いな考えなのだろう。

弾むような生気溢れるテンポとリズム感こそがこの演奏な最大の美点なのだから。

そして、歌手陣はカラヤン盤に優るとも劣らない豪華さで、声楽的に純度の高い歌唱も聴きもの。

主役のアイゼンシュタイン役のプライ、アルフレート役にルネ・コロ、そしてアデーレ役にルチア・ホップを配しており、ロザリンデ役のヴァラディや、ファルケ役のヴァイクル、そしてオルロフスキー役のレプロフなども、クライバーの卓越した統率の下、最高のパフォーマンスを示していると言えよう。

ただ、オルロフスキ−の裏声は好みが分かれるところであるが、クライバ−の音楽の枠内では破状をきたすようなことはない。

後世に語り継がれるだけではなく、決して色褪せることのない“クライバー伝説”を確立した名盤である。

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2014年09月19日


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カルロス・クライバーは、その実力の割には極端にレパートリーの少ない指揮者として知られているが、本盤に収められているシューベルトの交響曲第8番「未完成」及び第3番については、その数少ないレパートリーの1つとして稀少な存在である。

ひとたびレパートリーとした楽曲については、クライバーは何度も演奏を繰り返したが、ベートーヴェンの交響曲第4番や第7番などと比較すると、シューベルトの交響曲については著しく演奏頻度が低く、その意味でも本盤の演奏は極めて貴重なものと言えるだろう。

それにしても、演奏は素晴らしい。

「未完成」について言えば、同曲のウィーン風の情感に満ち溢れた旋律の数々を歌い抜くワルターなどによる演奏が名演の主流を占めているが、クライバーによる演奏は、それとは異なる性格を有している。

テンポはやや速めであり、旋律も歌い抜くという感じではない。

むしろ、クライバーの颯爽とした華麗な指揮ぶりを彷彿とさせるような、スマートな演奏であるとも言える。

ここはもう少し情感豊かに歌って欲しいと思われる箇所についても、あっさりと通り過ぎてしまう。

したがって、一聴すると物足りなさを感じさせるとも言えなくもない。

しかしながら、よく聴くと、楽曲の細部にわたって驚くほどの細やかなニュアンスが込められていることがわかるところだ。

例えば、「未完成」の第1楽章においては、第1主題と第2主題のテンポを殆ど気づかれない程度に変えているということであり、これによって、第1楽章の明暗の対比を見事に表現するのに成功している。

また、第2楽章も、その様相は決して歌わない演奏ではあるが、各旋律の端々には独特の細やかな表情づけがなされており、書道家に例えて言えば、本演奏こそはまさに名人に一筆書きと言った趣きがあると言えるだろう。

交響曲第3番については、他に強力なライバル盤が存在しないことから、クライバーの独壇場。

クライバーの颯爽とした指揮ぶりも楽曲の性格に符号しているとも言えるところであり、同曲演奏史上最も生命力に満ち溢れた力感の込められた名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質については、数年前にSHM−CD盤が発売されるなど、高音質化への不断の努力が行われてきたが、ついに今般、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びとなった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クライバーによる至高の名演を、現在望みうる最高の高音質シングルレイヤーによるSACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年08月21日


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ドヴォルザークが作曲した協奏曲と言えば、何と言っても米国の音楽院に赴任中に作曲されたチェロ協奏曲が名高い。

また、ボヘミアの民族色溢れた親しみやすい楽想でも知られるヴァイオリン協奏曲も名作である。

しかしながら、ピアノ協奏曲は、正直に言って魅力に乏しい作品と言わざるを得ない。

ドヴォルザークの若き日の作品とは言え、親しみやすい旋律さえ殆ど存在しない凡作であり、演奏されること自体が稀な作品である。

にもかかわらず、レコーディングをあまり行わなかったクライバーと、これまた協奏曲の録音には常に慎重な姿勢で臨んだリヒテルが、よりによって、このような凡作のスタジオ録音を遺しているというのは実に不思議というほかはない。

もっとも、そのことは裏を返せば、両雄が凡作とされている同曲に対して、スタジオ録音の意欲を湧き立たせるような魅力を見出していたということなのであろう。

実際に、演奏は素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

リヒテルのピアノは、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまでの幅に広い表現力を駆使して、構えの大きい骨太の音楽を構築している。

同曲には分不相応な堂々たるピアニズムとも言えるが、このような名演奏によって、同曲の知られざる魅力のベールをはじめて脱ぐことに成功したと言っても過言ではあるまい。

クライバーの指揮も、あたかもベートーヴェンの交響曲に接するかのような真剣勝負で臨んでおり、畳み掛けていくような気迫と緊張感、そして切れば血が噴き出てくるような力強い生命力など、その強靭な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

「鶏を割くに牛刀を用ふ」との諺が存在しているが、本演奏などはその最たるものであり、ドヴォルザークのピアノ協奏曲の演奏としては、リヒテルとクライバーという演奏者の格としてもオーバースペック、そしてその両雄による演奏も前述のようにオーバースペックと言えるだろう。

しかしながら、リヒテルとクライバーが、このような真剣勝負の大熱演を繰り広げることによって、凡作とされてきた同曲が若干なりとも魅力がある作品に生まれ変わったというのも否定し得ない事実であり、その意味では、同曲の知られざる魅力に光を当てるのに成功した稀有の名演との評価もあながち言い過ぎではないと考えられるところだ。

いずれにしても、本演奏は、同曲の唯一無二の名演として高く評価したい。

録音は、従来盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

ドヴォルザークのピアノ協奏曲は、本演奏を持ってしても必ずしも鑑賞をお薦めするほどの魅力的な楽曲であるとは言い難いが、それでも一度聴いてみたいという方には、本演奏、そしてHQCD盤をおすすめしておきたい。

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2014年06月09日


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調性の伸びた耳障りな「サロメ」と、「サロメ」よりその傾向が著しい「エレクトラ」の後で、リヒャルト・シュトラウスは別な方向のオペラを作った。

「Der Rosenkavalier(ばらの騎士)」が壮大な傑作なのは、演奏時間が長い(3時間を越える)からだけではなく、登場人物の複雑な人間模様(誰もが他の誰かに夢中になっている)と、作曲家が生み出した絶え間なく続く美しい旋律のおかげである。

音楽のまぎれもない豪華さは、このオペラを20世紀のオペラの中でもとりわけ胸を打つ最高傑作にしている。

本作はカルロス・クライバーが、陽気なスコアに熱意あふれる解釈を施し、すべての音符を大切に演奏した1994年ウィーン国立歌劇場の舞台を収録している。

主役3人を演じるのは、すばらしいプリマドンナたちで、シュトラウスのもっともロマンティックな登場人物を満点の演技で表現している。

表紙右側のアンネ・ゾフィー・フォン・オッターも美しいが、フェリシティ・ロットの好演が光る。

フェリシティ・ロット(元帥夫人)、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(オクタヴィアン)、バーバラ・ボニー(ソフィー)で、終幕の三重唱も実に見事で、あらゆるオペラの中で最高のシーンといえる。

筆者はオットー・シェンク演出ということで購入した。

1978年初めてミュンヘンでカルロス・クライバー指揮、オットー・シェンク演出の「こうもり」を観て以来、華麗、豪奢な演出にすっかり魅惑された。

この「ばらの騎士」も同じ組み合わせで、ウィーン国立歌劇場の公演ということもあり、奇をてらうことなく、現代風のアレンジもない、古典的ともいえる重厚な演出にシェンクらしさが遺憾なく発揮されている。

同氏のDVD化されている「こうもり」の後に購入したが、前者に比べオペラ自体の魅力が少し欠けるような気が若干する。

独、英、仏語の粗筋が付いている。

カルロス・クライバー、R.シュトラウスの写真は載っているがシェンクの写真がないは残念。

豪華な雰囲気を味わいたい時、一度は大画面で見てみたい作品だ。

ステレオサウンドもビデオから変換した映像も安定している。

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2014年06月05日


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この演奏内容の素晴らしさについては、以前のレビューにも記したところであるが、当盤は何と言ってもオルフェオのセンス抜群の復刻SACD化による高音質によって、従来盤を遥かに凌ぐ奥行きのある素晴らしい音質に蘇ったことが特筆される。

この快挙により、今まで「ばらの騎士」をあまり聴かなかった人も、このSACDで開眼するであろう。

当時43歳のクライバーは、エネルギーたっぷりの鮮やかな音楽で、ただ最高の一言。

それにしてもなんと言う美しい音楽であろうか。

無駄な音など一音もなく、それを完璧に表現したクライバーの指揮もさすがである。

さらには、クライバーの指揮の推進力も相変わらず聴き応え満点だ。

この演奏の素晴らしさは、すでに語り尽くされているので、ここで改めて付け加えることはない。

キャストは、ファスベンダー、ポップ、リッダーブッシュとミュンヘンの「ばらの騎士」の極めつけ3人に加え、クレンペラーとショルティから重用された美声ソプラノ、クレア・ワトソンの元帥夫人と、この上なく強力な布陣。

しかし何にもまして嬉しいのは、リッダーブッシュのオックス男爵が聴けること。

その美しく高貴で、かつ性格的な歌唱の素晴らしさはモルやエーデルマンの名唱にも劣らない。

クライバーの2つの映像記録にも残っていないだけに、値千金の価値をこの演奏に与えている。

最高のキャスティングで曲の持つ力を演奏が凌駕してしまっている。

第3幕の3重唱の出だしなど余りの美しさに泣けてくる。

今後100年、これ以上の記録録音は出ないであろう。

次はクライバーの「オテロ」、「ラ・ボエーム」やまだ眠っている音源があるなら、マスターテープが古くなって損傷する前に、ぜひSACDで復刻して発売してほしい。

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1953年のモノーラル録音だが、驚異的に優秀な音質だ。

演奏はいずれもエーリッヒ・クライバーの傑作と言えるもので、「運命」は第1楽章の速いテンポと鋭いリズムが凄いほどの緊張感をつくり出している。

以下の楽章も端正に作品の古典美を表しており、無用に力まない終楽章はスケールの大きさを感じさせる。

「田園も直截で堅固にまとめられ、リズムが画然と刻まれている。

しかも、その中にロマン的な情感があり、時代と指揮者の個性を感じさせる。

特に「田園」は発売当初からこの曲の代表的な名盤と評価されたきたものである。

ロマン的な情感を強調せず、作品の古典的な容姿が見事な平衡感で表出されている。

悠然たるテンポと、たっぷりとしたフレージングで滔々と歌ってゆくところ、いずれものどかな春の情景のようである。

物静かな動きの中に繊細な情緒が微笑んでいる。

この曲は妙に手を加えるより率直にあっさりとやった方がよいのだが、クライバーは誇張なく表情を生かして、節度ある情緒を上品に生かしたところにこの演奏の成功があった。

「運命」にも同じことが言えるが、この曲では形式的な美感がいっそう鮮やかに示されている。

凄絶にして気品あふれる名演で、天才的としか言いようのない名演奏。

すべてが、あるべき位置にあり、しかも内面で絶叫している。

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2014年06月04日


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クライバー親子が、2人揃って「このレベル」の音楽家になったと言うのは、殆ど前例のない、奇跡的な事ではないだろうか?

2人とも残した録音の数は多くない。

エーリッヒは経歴上の最盛期に戦争による中断や早過ぎる突然の死等外的理由だが、カルロスはレパートリーの狭さと比較的早かった自主的な隠棲等自己原因が主だったと思う。

そうした中で「魔弾の射手」では親子共録音を残しているところが面白い。

2人の違いと言えば、カルロスはその天才的な閃きを感じさせる指揮で同時代の同業者から羨望の目で見られる存在だった。

彼が残した幾つかの実演の録音にはその刻印がはっきりと残されている。

一方、エーリッヒには天才的な閃きはなかったかと言えば、筆者はあったと感じる。

違いは、エーリッヒにはその天才的な閃きを実際の音として間違いなく実現するより鍛え上げられた、該博で揺るぎない技があった。

その為、天才的な閃きだけが目立つと言う事がなかったのだと思う。

エーリッヒ・クライバーの「魔弾の射手」は、戦後出来たばかりのケルンの西ドイツ放送局の交響楽団と合唱団と言う新しいアンサンブルを相手に1955年3月15〜20日に行われた放送録音が音源だ。

序曲だけを聴くと俄仕立ての楽団に特有の生硬さ荒さが目立つのだが、オペラが進むに連れ、劇的な起伏に富み、流れの良い音楽運びが醸し出す緊張感、歌の魅力等でオーケストラ、合唱とも巻き込まれて行き、すばらしいアンサンブルになって行くところがエーリッヒの凄さだ。

録音はモノラルだが、この時代の録音としては質が高く、音楽的にはこのオペラの最も成功した録音だと思う。

配役はアガーテ:エリーザベト・グリュンマー/エンヒェン:リタ・シュトライヒ/マックス:ハンス・ホップ/カスパール:マックス・プレープスト/隠者:クルト・ベーメ/オットカール:アルフレート・ペル/クーノ:ハイナー・ホルン/キリアン:クルト・マルシュナー等、当時のドイツを代表的な歌手を主体としたアンサンブルだ。

特にアガーテのグリュンマーとエンヒェンのシュトライヒは役柄に与えられた性格を巧く歌い出しており、ホップの悩めるマックスも悪くない。

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元々非常にレパートリーの狭かったカルロス・クライバーであるが、なぜあえてこの曲を選んだのか。

それは、この曲を気に入っており、すでにキューバとニューヨークで、父親の指揮による演奏を聴いていたからである。

クライバーによる交響曲の演奏は、1972年12月12日、ヴィラ・ベルクにあるシュトゥットガルト放送(SDR)の放送用スタジオで、聴衆を入れずに行われた。

ドイツでは、この交響曲は中心的なレパートリーにあったとは言い難く、そのため残念ながら、この素晴らしいクライバーの録音も、どちらかといえばあまり注目を集めるには至らなかったと言わざるを得ない。

シュトゥットガルトのレーベル、メディアフォンがこの録音を(あまり良い編集とは言えないまでも)初めて商品化するまでは、いくつかの海賊盤に頼らざるを得ない状況が長く続いた。

2004年、南西放送(SWR)とヘンスラー社が共同で発表した新しい盤は、1947年ニューヨークの父親の演奏と、この1972年シュトゥットガルトの息子の演奏を収録した素晴らしいものだった。

ここでのカルロスの演奏に関しては、なにしろ有名な演奏だし、筆者などが今さら何か言うこともないのだが、このヘンスラー盤でエーリッヒ指揮の方のボロディンを初めて聴いた時、それがカルロスのボロディンに随分と似ていることに軽く驚いた覚えがある。

もちろん、これは正確には「カルロスのボロディンがエーリッヒのそれに似ている」と言うべきであろうが。

いずれにしても、このヘンスラー盤というのは、カルロスのエネルギッシュなボロディン演奏のコンセプトが、父エーリッヒのそれに由来していることが、おそらく誰の耳にも明白に判るようなCDだったのであり、特にテンポ感が父エーリッヒにそっくりであることが明白に聴き取れる。

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2014年06月03日


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マーラーは基本的にクライバーのレパートリー外の作曲家であるし、この「大地の歌」をクライバーが振った経緯なども、これまでよく知られていなかったところであり、少なくともクライバーの方から進んで提案した曲目ではなかったらしい。

しかしクライバーは「大地の歌」の提案を承諾し、この曲を探究するために「ある指揮者」に直接教えを乞いに行った。

その指揮者はだれよりも「大地の歌」に通じていて、ベルリン時代まで遡ってカルロスの父の同僚でライヴァルのオットー・クレンペラーだった。

カルロスはチューリヒのクレンペラーを訪れ、「大地の歌」の楽譜をもとに検討することを求め、そして数時間ともに勉強した。

実に興味深い話であり、あのクライバーの「大地の歌」に、まさかクレンペラーの影響が紛れ込んでいるとは思いもしなかった。

演奏は、ありていに言ってしまえば、クライバー色に染まった「大地の歌」である。

その特徴は、まずテンポが速い。

第1楽章ではワルターのものと単純にタイムで比較すると1分も違うところからその速さが想像できるかもしれない。

特にせかせかした印象は無いのだが、例によってフレーズを過剰に動かすので生命力が感じられる仕上がりとなっている。

おそらく、その副作用で速くなってしまっているのだろう。

ルードヴィヒの歌唱は透明度が高いもので美しいと思う。

クメントはズートハウスに近い声質の持ち主で、表情付けに関してはうまいなと思った。

あまり親しみのない時期のライヴ録音であるのだが、戦前の録音と言われても納得してしまうレベルの音質である。

ヒスノイズは無いが、こもった音質で、全般にわたって像がぼやけた印象がぬぐえない。

客席録音の可能性が高いベルリン・ライヴの方が音質が良い。

しかしながら、歴史的音源の音質に慣れた方なら問題なく視聴できるレベルである。

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2014年04月27日


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1955年度フランス・ディスク大賞受賞盤である。

その名誉にそむかず、驚くべき名演で、1954年という年代的な古さだけで敬遠してはならない名演。

モノーラル末期の録音だが、CDに聴く《ばらの騎士》のなかでの最高の名盤であろう。

カルロス・クライバーの父エーリヒの指揮は、ウィーン情緒豊かだが、決して伝統の上にあぐらをかいたものではなかった。

チャーミングなソロ楽器の競演、劇中の各ワルツの悩ましいばかりの艶やかさはまさに最高と言えよう。

特にワルツのリズム扱いひとつを取り上げてみても、余人の追従を許さない個性的な生気と閃きがあり、しかも一方では、思い入れの度が過ぎたり、センチメンタルにもなり過ぎない冷静さがあった。

主な役どころを生粋のウィーンの歌手で固め、伝説的なライニングの元帥夫人といかにも育ちのいいオクタヴィアンを演じた当時新進気鋭のユリナッチの取り合わせといった女声が目立っている。

大体、この楽劇は男声が難しいが、ウェーバーのうまさは唖然たるもので、人間味豊かなオックス男爵など、配役もすこぶる強力である。

また、重唱の美しさと管弦楽のニュアンスが細かく、響きの美しいことが、このディスクの成功の原因である。

E.クライバーの指揮、ウィーン・フィルの演奏、歌手たちの歌いぶり、その全てが最高の境地で一体化しながら、この作品の素晴らしさを万全に伝えている。

筆者は根っからのオペラ好きではないかもしれないが、個人的にはオペラの場合でもオーケストラの比重は大きく考えている。

つまり、歌手がいかに豪華であっても、オーケストラが添え物的では満足できない(むろん、逆にオケが良くて歌手がB級でも困るが)。

その点、この録音はオーケストラがびっくりするほどきれいで、ウィーン・フィルの美点を最も顕著に捉えた名録音の一つだろう。

このオペラではカルロスよりも父エーリヒの方がずっと上だ。

また第3幕の最後、若い恋人同士が去った後、黒人の少年がゾフィーの落としたハンカチを拾い、舞台から姿を消して幕となるが、この洒落切った幕切れの音楽もエーリヒの瀟洒さが抜群だ。

ここにはR.シュトラウスとウィーンの輝きがある。

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2014年04月26日


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エーリヒ・クライバーの存在を、カルロスの父親というかたちで認識している若い人々は気の毒と言えなくもない。

彼をいわゆるスターの座に置かず、人気の的としなかったとしても、彼が20世紀の偉大な指揮者のひとりであったことは間違いない。

1955年録音のこの《フィガロの結婚》は、モーツァルト生誕200年を前にして、初の完全全曲盤として制作されたものであり、シエピやギューデンをはじめとする歌手たちのバランスもよく、端役に至るまで非常によく揃い、しかもバランスもとれて、アンサンブルも充分に楽しむことができる。

クライバーは、徹底してウィーン・スタイルの表現を一貫し、歌やオーケストラをはじめ、全てをそこに統一して、モーツァルトの最もスタンダードでオーソドックスな演奏を明示している。

しかも、ウィーン・フィルがそこに展開しているモーツァルト演奏における真のウィーン様式が、実に新鮮で衰えのない生命感を思わせている。

クライバーのモーツァルトはよく歌い、よく弾む。

音楽の流れには一分の淀みもない。

若さに満ち溢れたストレートな音作りに徹している。

オーケストラもまた、ウィーン風のしなやかな弦と柔らかな管の音色が、表情豊かな歌を歌い続ける。

指揮者もオーケストラも歌手たちも全員が同じモーツァルトの歌心をもっているからだろう。

実に見事なアンサンブルで、これがウィーンのモーツァルトあり、歌うところは十分に歌い、劇的に盛り上がるところは適度のアクセントをつけ、軽く弾むリズムで快適なテンポ感を保つ。

確かに、今となっては、録音にはいささか古さを感じなくもない。

しかし、ここで聴ける、ウィーンの国立歌劇場でまだアンサンブルの理念が機能していた時代の演奏ならではの生き生きとした表情と小粋な表情はなにものにもかえがたい。

若さを感じさせる、素晴らしい名盤であり、クライバーの光輝あるある偉業として記念すべき録音だ。

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2014年04月06日


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クライバーは、その実力の割にはレパートリーがあまりにも少ない指揮者であったが、ひとたびレパートリーとした楽曲については、それこそより優れた演奏を志向すべく何度も演奏を繰り返した。

ベートーヴェンの交響曲第4番は、そうしたクライバーの数少ないレパートリーの一つであったが、DVD作品や海賊盤を除けば、本盤に収められた演奏は、その唯一の録音となったものである。

筆者が、本盤の演奏を聴いたのは中学生の時だったが、それまで今一つ親しめる存在ではなかった同曲の魅力を、本演奏を聴くに及んで初めて知ったことが今となっては懐かしく思い出される。

その後は、同じスタイルの演奏であれば、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる来日時のライヴ録音(1973年)などが高音質で発売(昨年、ついにシングルレイヤーによるSACD化)されたことから、本演奏の存在感は若干色褪せてきていたことは否めないところであったが、今般、高音質化されて発売された本演奏に接すると、あらためてその演奏の凄さを思い知った次第である。

全曲を約30分という凄まじいスピードで駆け抜けており、繰り返しなどもすべて省略しているが、それでいて、各旋律の端々に込められた独特のニュアンスの豊かさ、そして、思い切った強弱の変化やテンポの効果的な振幅を駆使して、実に内容豊かな演奏を繰り広げていると言えるだろう。

クライバーが本演奏の発売を許可したのは、数多く行ってきた同曲の演奏の中でも、崇敬するベームの追悼コンサートに際しての本演奏を特別視していたからであると思われるが、それも十分に納得することが可能な圧倒的な超名演と高く評価したい。

バイエルン国立管弦楽団も、クライバーの統率の下、渾身の名演奏を繰り広げている。

第1楽章のヴァイオリン演奏のミスや、とりわけ終楽章など、あまりのテンポの速さにアンサンブルが乱れる箇所も散見されるが、演奏全体に瑕疵を与えるほどのものではなく、むしろ、実演ならではのスリリングさを味わうことができる点を高く評価すべきであろう。

音質は、従来CD盤でも十分に満足できるものであったが、今般、シングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クライバーによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと。

なお、本盤の価格について一言コメントをしておきたい。

前述のように、演奏内容や音質においては超一流である本盤であるが、約30分程度のベートーヴェンの交響曲第4番の演奏を収録したのみのSACDの価格として、3780円という価格がはたして適正と言えるだろうか。

同じくシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤を発売しているユニバーサルや日本コロムビアが4500円で発売していることを視野に入れたのであろうが、それでも収録されている楽曲の密度からすれば、そもそも比較の対象にならない。

いずれにしても、SACD化に果敢に取り組む姿勢には敬意を表するが、その価格設定については、この場を借りて再考を促しておきたい。

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2011年06月24日


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クライバー66歳の時の録音だが、これはもう圧倒的で、燃え盛る炎のような激しい演奏だ。

最初に聴くときは、誰だって自分が何を感じているのか確かめる間もなく最後までいってしまうだろう。

クライバーは、よく考え、綿密に計算し、細かいところまで決め、解釈を決定しているに違いないが、それは棒を振り下ろす前の話だろう。

始まるや否や、そうした解釈は、進行する演奏の後についてくる。

周知のように数少ない録音しかないのにもかかわらず、クライバーの人気と実力は"大指揮者"並みの評価が与えられている。

主流であるはずのベートーヴェンやブラームスでさえ残された録音は数曲に限定される。

このブラームスの交響曲第4番はその稀少な演奏の一つだが、何という壮大さと壮麗さなのだろう。

聴き手はその懐の深さと雄々しいダイナミックさにたちまち引き込まれていくに違いない。

そういう意味でクライバーのブラームスは、誰にも追いつけないくらい速い。

どこかに聴き惚れていると、既に次の主題が現れていて……という具合。

今、まさに音楽が生まれ出てくるように、というのは陳腐な言い方なのだけれど、それがクライバーのブラームスには、ちっとも陳腐じゃなくなる。

バイエルン国立管弦楽団のいささか過熱気味の表現とソノリティにも興奮させられる。

厚みのあるブラス、十全に弾き切った弦、そして要である引き締まった打楽器など、これを凌駕しうる演奏など今後も現れそうにない。

しかもひとつのフレーズや響きまでスコアの読み深さをうかがわせるクライバーの表現は、精妙さの極致と言えるのだが、音楽の流れと表情はあくまでも自然であり、もし完璧な演奏があるとすればこれはその典型だろう。

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2011年05月12日


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父エーリヒ・クライバーの古典的名盤に優るとも劣らない出来映えだ。

1968年のバイエルン国立歌劇場でのR.シュトラウス《ばらの騎士》の大成功でクライバーは指揮者として世に出た。

しかし、自らレパートリーを選べるようになった1970年以降、クライバーは限られた作品しか演奏しなくなった。

そして、1982年のワーグナー《トリスタンとイゾルデ》を最後にスタジオ録音も行わなくなってしまった。

この《ばらの騎士》がライヴ録音されたのは1973年、指揮者は録音当時40過ぎということになる。

もうこの段階で、クライバーの音楽は個人の演奏様式として完成されてしまっていたのだ。

それが逆にクライバーの悲劇だったのかもしれない。

クライバーには、この後にも《ばらの騎士》のライヴ録音があるが、彼の音楽はこの1973年盤よりも先へ進めなかった。

だから、このライヴ録音はクライバーの出発点でありつつ最終地点でもあるのだ。

こんな指揮者はおそらく他にいまい。

クライバーが徐々に演奏回数を減らし、ついにはほとんど振らなくなったのは、本人が自分の限界を知っていたからではないか。

歌手陣は総じてすぐれており、クライバーチームとしてよくまとまっている。

一般論として、クライバーがスタジオ録音した演奏は慎重になりすぎていて、残念ながら本当の彼らしさに欠けることが多い。

それゆえ、市場には海賊盤が溢れているが、本人も生前時々秘密裡に来日しては、そうした海賊盤を買って行ったというから面白い。

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2011年02月24日


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クライバーの自信に満ちた明快な演奏が燦然と輝く《オテロ》を生んだ。

ヴェルディが考えたのはこんな音色ではないか。

このディスクは、デル・モナコの次の世代の名オテロ歌いドミンゴがキャリアの比較的初期にライヴ録音されたもの。

オテロはテノールなら誰でもというのではなく本当に適性をもった人しか歌えない。

戦後はドラマティック・テノールのデル・モナコがひとつの世界を作ったが、次世代のドミンゴはもっとリリックな歌い方で、嫉妬に苦しむ若者を表現することに成功した。

デビュー間もないドミンゴの若々しく艶やかな声とすでに備わった表現の巧さに魅了されるし、心理描写が実にうまい。

ドミンゴは数々のオテロを録音したが、初期のこの録音は光り輝く若々しさで際立っている。

後年のより円熟を深めた歌唱も見事だが、オテロの実年齢に近いころで収録されたこのディスクにおける情熱をストレートにぶつけた役づくりはより説得力が大きい。

のちに彼の心理表現はさらに繊細に、もっと明確になるけれど、情熱を秘めてきらきら光るテノールの響きと、エネルギーとダイナミズムに満ちたクライバーの指揮との相性が素晴らしい。

共演するフレーニのデズデモナの表現力も確かで、これも明るい声と、表現力に富んだ歌唱は特筆すべき出来。

そしてカプッチッリのイアーゴがこの人らしい老練な味を出している。

当時のクライバーの若々しい音楽も作品に似つかわしい。

イタリア・オペラの最高峰を実感させる名演。

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2010年11月06日


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エーリッヒ・クライバーはこうした新古典主義的な、端正な音楽をつくることのできる指揮者である。

これは、その好例で、やや速めのテンポで引き締まった表現を聴かせる。

これを聴くとつくづくカルロスに似ていると思う。いやカルロスがエーリッヒに似ているのだ(優美さにおいては2世が、音楽のスケールの大きさにおいては父の方が優っているように思う)。

弦の歌わせ方のしなやかさ、そこから立ち上る香気は天下一品。

メラメラと燃えさかる情熱を、きりりと引き締まった形に封じ込めたもので、実に颯爽、精悍である。

全楽章を通して演奏に漲る強烈なエネルギーと張り詰めた緊張感が凄まじく、あらゆる表現が実に明快に示されている。

全楽章を通しての劇的な構成も見事で、第一級の職人芸であると同時に優れた知性を感じさせる指揮ぶり。

バランスのとれた健全な精神がもたらす人肌の温もりとヒューマンな魅力に溢れた《英雄》だ。

1955年の録音なのにスタイルの古さをまったく感じさせないのも注目に値する。

ウィーン・フィルの冴えたアンサンブルの美しさも、この演奏の様式的な特色にふさわしい。

エーリッヒには1950年盤(コンセルトヘボウ)もあるが、演奏の質はこの盤と全く同等。

世間の評価が低いので、早めに廃盤になる恐れあり。

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2010年06月29日


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当然のことながら、演奏家の実力、人気のほどは、彼(彼女)のレコードの数と正比例する。

実力や人気があれば、レコードの数は多くなるだろうし、なければレコードだって増えるわけがないだろう。

しかしながら、この「当然のこと」にも、わずかながら例外的なケースがある。

たとえば、その典型的な例が指揮者C・クライバーのケースだ。

彼は指揮者として人気も並はずれたものをもっており、実力的にも今さらなにもいうことないほど傑出したものをもっていた。

現代を代表する指揮者を3人指折れといわれれば、だれもが彼の名前を無視することなどできないだろう。

にもかかわらず、彼の公式に認められたレコードは必ずしも多くない。10指で足りてしまうほどだ。

最近では、ちょっとした駆け出しの指揮者でも10枚のレコードくらい出しているのに、これはなんという少なさだろう。

また、彼は演奏会自体もあまりおこなわなかった。

そして、その数少ないレコード、あまりおこなわない演奏会などは、どれもが掛け値なしの超一級のものばかりであった。

そうした状況が、彼の存在感をことさら際立ったものとしていたといえよう。

彼は1930年ドイツに生まれた。父親は名指揮者エーリヒ・クライバー。

少年期は南米で過ごしたが、1950年代半ばにヨーロッパで指揮者としてデビュー。

以降は、他のだれとも比較できないような独特の歩みかたで地位を築きあげ、「指揮界にC・クライバーあり!」と名を高めた。

2004年、スロべニア中部・リティアにて没。

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2009年09月27日


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ヨハン・シュトラウス鏡い離錺襯弔筌櫂襯を演奏して、ウィーン・フィルの右に出るオーケストラがないことは誰もが認めるところだろうが、ウィンナ・ワルツに絶対の自信をもつこの名門オーケストラを指揮して、カルロス・クライバーのように音楽的な喜びと躍動感にあふれた演奏を引き出すことができる指揮者もまた、いないだろう。

クライバーがウィーン・フィル恒例のニュー・イヤー・コンサートに登場したのは、1989年と92年の2回だが、その演奏はともに数あるニュー・イヤー・コンサートのライヴ録音の中でも出色の聴きものになっている。

特に初登場の1989年のコンサートは、その興奮を見事に伝えている。

恒例の《美しく青きドナウ》や《ラデツキー行進曲》などはあるとしても、その曲目の選び方にもいかにもクライバーらしいところがみられる。

開始曲が《加速度ワルツ》というのもクライバーらしい選曲で、生き生きと流麗な指揮がいやが上にも期待を高めてくれる。

はじめは、さすがのクライバーも少し緊張している感じだが、曲が進むにつれて持ち前の個性と即興性が加わって、いかにもしなやかに音楽を湧き立たせてゆく。

この曲に限らず、新鮮な喜びにあふれた演奏の生命感がなんとも素晴らしい。

快く弾み、切れ味美しいポルカも見事だが、ワルツにおけるしなやかな歌や絶妙な間も、クライバーとウィーン・フィルならではの魅力だろう。

その音楽にみられるあふれるような躍動感は、まれにみるものといえるし、また久しぶりにウィーン音楽の伝統的な大スタイルが再現されたといった思いもある。

そして、再登場の1992年では、いっそう自在な指揮でオーケストラをしなやかにドライヴしており、ウィーン・フィルの自発性に富んだ演奏も絶品である。

クライバーの指揮は明確ですこぶる切れがよく、しかもラテン的な明るさと情熱がある。

《田園のポルカ》《とんぼ》《ハンガリー万歳》《おしゃべりなかわいい口》といった、弾むような活気に満ちたポルカは、まさに胸のすくような快演だ。

ワルツでは《芸術家の生涯》《春の声》など、旋律を巧みに歌わせて聴かせる。

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2009年09月10日


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1982年5月3日、ミュンヘンでのベーム追悼コンサートライヴ。

そのため通常とは違う雰囲気をもった演奏で、終始張り詰めた緊張と噴き上がるような生命力に満ち、驚くほど明晰な、そして生き生きとした音楽をつくっている。

溌剌とした生命力あふれる内容で、勢いのある流動感のなかに、ベートーヴェンの音楽ならではの力強さが見事に生きている。

オーケストラも驚異的な精度とアンサンブルをもち、クライバーの解釈もユニークだ。

無修正のライヴ録音のため、音そのものが灼熱している。

両曲のフィナーレなど恐るべきテンポだ。

ことに第4番は力感に満ち、「ギリシャの乙女」を見るつもりで聴くと、度肝を抜かれるような激しさをもっているので、誰しもが驚くだろう。

それまで優美な曲といわれていたこの作品を、根本からくつがえすような、圧倒的な迫力のライヴ録音である。

ただ残念なのは、ライヴとはいえオーケストラが躓いている箇所(第4楽章)があり悔やまれること。

第7番も、推進力が素晴らしく、リズムを強調し、切れ味よく、細部にまで神経と血が通い、しかも流麗かつ雄渾で、洒脱さにも欠けない。

聴いていて血わき肉おどり、その華麗さにまばゆい思いすらするし、まさに聴く者を音の渦巻きの中に引き込んでゆく名演といえよう。

ただ劇場的、演劇的効果を狙い過ぎているのがやや難か。

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2009年07月20日


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ドヴォルザークには、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのそれぞれに1曲ずつ傑作協奏曲がある。

この作品はピアノ協奏曲とはいっても、ソロとオーケストラのパートを同等に扱ったもので、いわば交響的な協奏曲となっている。

1997年に82歳の生涯を閉じたリヒテルは、強烈な個性と膨大なレパートリーを持つ巨人ピアニストだったが、これは、この彼に勝るとも劣らぬ個性の持ち主クライバーとが、がっぷり四つに組んだ録音。

2人の演奏家の丁々発止と火花を散らす掛け合いの面白さは比類がない。

強烈な個性をもったふたりの演奏家のかけあいのおもしろさに惹かれる演奏である。

激しく燃えるクライバーの棒と、あくまでも冷静に構えたリヒテルのソロは、一見異質で対照的だが、その豪快な音楽の運び方は見事のひとことに尽きる。

ただここでのリヒテルはピアニズムよりは内容を生かそうとしており、スケールの大きい描きぶりだが、全体として今ひとつ吹っ切れない。

ここでの聴きものはクライバーの指揮で、生命力と緊張感に満ちた響きやリズムのよさ、カンタービレの豊かさ、音色の魅惑など、どの一部でも天才的だ。

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2009年07月18日


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クライバーによる劇的表現と精妙な音楽づくりを堪能できる。

クライバーの音楽特性のよくあらわれた演奏で、彼は、ヴェルディの音楽に現代的な感覚を盛り込み、彼独自の音楽の世界をつくりあげている。

イタリア・オペラにしては、造形が厳しすぎる気もするが、大変精度の高い演奏だ。

ここにあるのは、単に流麗で感傷的なメロドラマではなく、切実な感情によって動かされ、生きていく人間たちのドラマであり、ヴェルディの真の意図が感じとれる。

クライバーならではのまことに生彩あふれる演奏である。

と同時にクライバーは、第1幕の前奏曲から、このオペラの悲劇性を精妙きわまりない表現によって明らかにし、常に生き生きとした流れと劇的で鮮やかに変化をそなえた演奏によって、音楽の最深部にまで的確な光を当てつくしている。

バイエルン国立歌劇場管からこのように精緻な陰翳に富んだ響きと表現を引き出した手腕も、まさに至芸というべきだろう。

歌手陣は必ずしも最強力とはいえないが、コトルバスのヴィオレッタは、そのいく分暗い声とこまやかな表現によって、悲劇のヒロインを繊細に演じていて、非常に細かい感情表現とセンチメンタルな歌唱で胸を打つ。

他の歌手もクライバーの指揮に応えてそれぞれベストの歌唱を聴かせてくれる。

LP4枚を機械的にCD2枚にするのではなく、幕や場の設定を考えた制作にも拍手を送りたい。

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2009年07月17日


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カルロス・クライバーのデビュー盤で、1973年に録音されたものである。

クライバーはこのとき43歳。彼の表現は、実に若々しい情熱と活気にあふれている。

クライバーの精妙な音作りと繊細な感覚がいたるところに示されていて、単にドイツの森の神秘と郷愁だけでなく、その深い森の中にきわめく陽光のたゆたいまでも、身妙に描き出す手腕はさすが。

音楽が生き生きとした活気に満ち、豊かな劇的イメージと劇場的な広がりを持っている。

序曲が鳴って《魔弾の射手》が生まれ、ドイツ・ロマン派の音楽が生まれる。まさにその瞬間に立ち会う思いがする。

なんという勢いだろう。

音楽は若々しく、溌剌として生気いっぱい。演奏の若さと溌剌と生気とをこちらにぶつけてくる。

カルロス・クライバーの名を世界的にした演奏は、いまもその勢いを失っていない。

緊張感がまったくゆるがず、最後まで突っ走る。

指揮者に引っ張られている観もあるけれど、ペーター・シュライヤーやグンドゥラ・ヤノヴィッツの歌も実に清々しく、正調なドイツ・ロマン派の息吹きに溢れている。

ほかの歌手たちも、録音した時の最上の歌手たちというだけでなく、見事に決まったメンバーだ。

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2009年07月16日


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これはクライバー本人がなかなか満足できず、発売が遅れた録音だ。いっそう燃え上がった有無を言わさぬ演奏が可能であったとは思えるものの、十分に素晴らしい。

クライバーの果敢な意欲と完全主義が、この演奏全体に躍動し、鮮烈な光彩を与えている。

言葉で言い表せぬほどしなやかで、精妙この上ない妖しいまでの官能美を湛えており、テンポの大きな伸縮やデュナーミクの変容と緊密に関連しながら、この比類のない愛のドラマを雄弁に表現している。

クライバーの《トリスタン》は、内側へ、下方へと沈んでゆく。激しく情念や官能性を噴出させるのとはまったく逆の方向を持っている。

エネルギーは凝縮されてゆくことによって高まる。この驚異的な作品の、ドラマと音楽との基本構造にかなっていると言うべきかもしれない。

凝縮されていくエネルギーは、解放以上に聴く者をとらえる。空前の《トリスタン》がここにある。

前奏曲は、上等のなめし革のような触感で、静けさと熱っぽさ、爽快感と粘り気が不思議なバランスで同居している。

第2幕の静かな愛のシーンでは清冽な美しさが繰り広げられる。オーケストラは透き通っていて明るく、この響きによって、音楽は常に柔らかな光りに包まれる。

実に新鮮な感銘を与えるプライスのイゾルデ、積極性のある好演が光るコロのトリスタンなど、歌手たちの歌は優れているだけでなく、指揮者の音楽に見事に合致しており、オーケストラと相まって、他に類がない細やかな味わいのある演奏になっている。

石の建築ではなく、金属とガラスのそれにも喩えられようか。

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2009年07月15日


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いわゆるこの曲のノスタルジックな面を強調せず、素晴らしいプロポーションで、古典的に再造形してみせたのが、C・クライバー指揮ウィーン・フィルの演奏だろう。

緩急起伏を大きくとった、リズム処理のうまい演奏で、この曲の古典的な様式を見事に洗い出し、すっきりとしたフレッシュな表現を行っている。

この点を詳しく述べれば、この演奏で特に目立つのは、独特のリズム処理である。

そこでは、日頃聴きなれた楽想がまるで見違えるような表情を刻みこむ。

特に終楽章などは、西洋音楽のほとんどすべての手法が、さながら大博物館的に集約されている。

全体にコンサート・ライヴのような即興性と熱気を帯びているが、クライバーはブラームスの音楽が本質的に内包している核博な知識や技術を徹底的に見直して独自の形に再建しつくしている。

クライバーはウィーン・フィルを思い切り良くドライブし強靭な歌を歌って行く。この交響曲からこれだけ激しく凄まじい表現を聴けるのは珍しい。

伝統的な解釈を捨て去って、フレッシュな感覚で楽譜を読み、その裏にあるものを描き出そうとしたようなクライバーの演奏は、いささかユニークと言えるかも知れないが、その表情の精緻なこと、そして起伏の大きいこと、しかもしなやかな美しさに満ちていることなどから、一番に挙げたいものである。

ウィーン・フィルをここまで自分に引き寄せている点も見事と言えよう。

テンポは快速で渋滞がなく、むしろスポーティなほど流麗である。

だが子細に聴くと、その中にも無限の音楽的なニュアンスが込められて、明滅するように息づいているのである。

クライバーならではの天才的な表現で、余人のなすところではないだろう。

ウィーン・フィルの演奏も実に素晴らしく、ブラームス晩年の渋みの勝った、いぶし銀のようなサウンドは文句なしである。

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2009年07月14日


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1978年の録音ではあるけれど、カルロス・クライバーがウィーン・フィルを指揮した演奏内容は、音楽の流動感に洗練された勢いの良さがあり、リズムも鋭利、曖昧な要素は少しもなく、しかも柔軟性ある表情豊かなもの。

今日の感覚でつぶさにみても、不足するところは何ひとつとしてない。

第3番は素晴らしく瑞々しい表現である。

この曲はシューベルトのいわば"若書き"だが、クライバーはここに軽やかな運動性と明晰な表情を盛り込むことに成功している。

特に第2楽章は従来の演奏と大きく異なっているが、これは2拍子で書かれた楽譜に忠実なためである。

「未完成」も、ロマン性に溺れない厳しい演奏で、しかも強い孤独感に満ちている。

既成概念を取り去った純粋な表現というべきだろう。

ここでのクライバーは、ワルターやベームとは、ひと味違った指揮をしている。

つまり、柔らかな表情を前面に打ち出した演奏ではない。

強いアクセントと、ダイナミックな音の強弱と色彩感を駆使した演奏で、クライバーのシューベルトの音楽に対する、厳しい姿勢がうかがえ、聴く者をぐっとひきつける。

これは「未完成」の新しいタイプの演奏といえよう。

オーケストラも熱演で、従来のウィーン・フィルとは思えないような力強い響きだ。

この交響曲の魅力を、強いインパクトをもって告げてくれるような効内容といえよう。

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2009年07月13日


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いかに天才ヨハン・シュトラウスといえどもこの《こうもり》を凌ぐオペレッタを残すことはできなかった。

というより、《こうもり》はオペレッタとかオペラという枠を越えた極上の音楽劇であり、そして、そのことを初めてはっきりと証明したのが、このカルロス・クライバーの演奏であったといってもよいだろう。

このウィーン生まれのオペレッタにあふれる独特のウィーン情緒や粋な味わいなら、1950年代のクレメンス・クラウスやカラヤン指揮によるウィーンの名歌手たちの録音の方が楽しめる。

そして、それはそれでまたなかなか捨て難いのだが、クライバーの演奏は、最初の序曲から最後まで、一瞬といえども隙がなく、この作品にみなぎる愉悦感とはじけるような生命力を完璧なまでに表現しているので、クライバーの天才的な指揮もさることながら、ヨハン・シュトラウスの音楽の素晴らしさも再認識することになる。

もちろん指揮だけでなく、キャストも非常に充実していて、ヴァラディ、ポップ、プライ、コロ、ヴァイクルなどの芸達者な名歌手たちの歌が見事であり、ロシア民謡歌手レブロフがファルセットで歌うオルロフスキーも絶妙である。

そのためにこのクライバーの《こうもり》は、聴く者に極上のシャンパンのような素敵な酔心地と陶酔感を満喫させる。

その輝かしい音楽の魅力が、普遍的なものであることを初めて明らかにした名演として忘れることができない。

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2009年07月12日


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いま、まさにこの交響曲第5番が作られつつあるのだ、という不思議な、そして間違った感覚を持ってしまうのはどうしてなのだろう?

音楽の持つ即興性を再現させるという不可能事がクライバーによって、しかもこの極度の論理性・構築性によって出来上がっている交響曲で実現されている。

この曲の演奏の、20世紀の型を作り上げたとも言うべきフルトヴェングラーとトスカニーニの両極がここで結びついてしまったよう。

よく聴けば、テンポを大きく動かしたり、効果を高める工夫をしたりする恣意的なところはとても少ないのだが、それでいて人間の肉体的感覚を離れた、機能としての音楽からはかけ離れている。

主題の提示からして、この演奏はすでに劇的なのだ。

機能性がそのまま劇的感覚と結びついているという点では、交響曲第7番こそその極致であるかも知れない。

確かにコンサート会場を熱狂させる最高の武器である第7番なのだけれど、実際には熱狂をあおるのがそのまま弱点になりがち。

ところがこの演奏は、恐るべき劇的感覚によって支配されていながら、その劇的感覚が曲そのものからくる素直な表現でもある。

第1楽章が踊り出すときのめくるめく思いや、まるで一切の感傷を許さないとばかりに疾走するアレグレットの息を飲む感覚も特別だけれど、やっぱり終楽章が誘う錯乱は永遠に死なないだろう。

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2007年12月02日


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エーリッヒ・クライバー(1890年8月5日〜1956年1月27日)はオーストリアのウィーン出身で20世紀前半を代表する指揮者の一人。指揮者のカルロス・クライバーは息子。古典派から新ウィーン楽派までの作品で、引き締まった演奏を聴かせた名指揮者であった。

親子で指揮者として名声を博した例も珍しい。上にあげたボロディンで親子の芸風を聴き比べるのも一興であろう。

エーリッヒの名盤で入手しやすいものは上にあげたが、中でもモーツァルトの「フィガロの結婚」とリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」が出色だ。

「フィガロ」でのエーリッヒ・クライバーの音楽は優美で柔らかく流麗だが、それはいわゆるウィーン・スタイルといった概念で規定されるような、ある固定した既存の様式の継承ではなく、あくまでもエーリッヒ・クライバー自身の個性的な劇的表現の結果としてのものである。歌手ではシエピのフィガロが最高のイタリア式モーツァルトを聴かせており、これを聴くだけでもこの録音の存在価値は不滅である。

「ばらの騎士」は1956年のカラヤン盤と並ぶ古典的名盤だ。推進力と優雅な呼吸に満ちた音楽運びのエーリッヒ・クライバーの指揮の下、黄昏の美しさを秘めたライニングの元帥夫人、理想的なオックス男爵役のヴェーバー、可憐なギューデンのゾフィー、そしてユリナッチのあまりにも美しいオクタヴィアンなど、数々の名唱は今日でもその輝きを失っていない。

これらはエーリッヒ・クライバーと名歌手たちの偉大な芸術的遺産であると共に、1950年代のウィーン・オペラ界の貴重な記録でもある。

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そんな指揮者がなぜ愛されるのか?

それはクライバーの音楽があまりにもドラマティックにして陶酔的だからだ。クライバーが指揮すると、他の指揮者とは全く違う次元でドラマティックなのだ。同世代の指揮者と似て非なるものは同じようにスマートでも表現の天才性である。感動の質が全く異なるのだ。

リズムは恐ろしいばかりの生命力で飛び跳ねる。きっぱりとしたフレージングとともに、メロディは実に美しく官能的に歌われ、聴き手はすっかり別次元に誘い込まれてしまう。高揚は聴き手をオルガスムまで導く。

指揮姿にも魅せられる。あのスマートでしなやかな棒さばき。音楽の化身のような身のこなし。舞台姿自体がすでに芸術になっているのだ。

レコーディングはこれだけの名指揮者にしては極端に少ない。しかしクライバーの残した数少ない録音はどれもが屈指の名盤である。人気の高い指揮者ゆえに海賊盤も多い。

クライバーは生前、秘密裡にこっそり来日しては、自らの海賊盤を買いためていったという。何ともほほえましい。

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1930年、名指揮者エーリッヒ・クライバーを父としてベルリンで生まれたカルロス・クライバーは、アルゼンチンで少年時代を過ごした後、父親の反対を押し切って、スイス、ドイツで音楽修業を行った。

1973年、ウィーン国立歌劇場に「トリスタンとイゾルデ」でデビューした後、おそらく世界で最も人気があった指揮者である。

しかし、1999年1月から2月にかけてバイエルン放送交響楽団を指揮したのを最後に公の場からほぼ姿を消した。

そして2004年7月13日、バレーダンサーの夫人 Stanka Brezovar の故郷スロヴェニアにて闘病生活(肝臓癌)の果てに死去。生前のクライバーを知る人の間には自殺説も流れた。

クライバーは、指揮者としてはなはだ特異な性格だった。彼には、コンスタントに仕事をしようという欲がない。名オーケストラの監督になろうという欲もない。ギャラは桁外れに高かったが、かといってお金のために仕事をするという風でもなかった。

マルタ・アルゲリッチが最近ソロ活動をなぜやらないんだというファンの疑問とどこか通じるものを感じる。

それでもまだ1980年代までは、バイエルン国立歌劇場を中心に定期的な出演が見られたのだが、1990年代以降は極端に出演が減り、年に一度も指揮しないという様相を呈するに至った。

病気ならともかく、音楽史上これほど指揮しない一流指揮者はかつて存在しなかった。

私がローマに語学留学した際に、テキストのあるページに、クライバーがサルディニア島で演奏した新聞記事が載っていたが、それは誰にも予想できないリゾート地だったからではないだろうか。なぜならクライバーはローマとかナポリといった大都市の演奏会はことごとくキャンセルしていたからだ。

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