テンシュテット

2015年09月27日


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テンシュテットによる最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る「第8」の録音の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

それとともに近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、ここにテンシュテットの一連のマーラーのライヴ録音がまとまった形で集成されたことは、ファンには朗報に違いない。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

マーラーの交響曲は非常に懐が深く、演奏者によって非常に個性豊かな様々な表情を見せるが、この集成はその中でも迫力にかけては1、2を争うものではないだろうか。

ことにテンシュテットはマーラーのライヴにおいては、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

非常に熱の入った激情型の演奏ではあるが、バーンスタインのように没入し切ったような感じではなく、構成感もしっかりしている。

テンシュテットのマーラーは抒情性が豊かで、旋律の歌いまわしも美しく、何よりマーラー独特のダークなテンペラメントが顕著に表現されていて、個性的なマーラー演奏になっている。

マーラーの音楽の持つ不安定さ、壊れやすさ、デリカシーが理想的に尊重され丁寧に扱われている。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

また、テンシュテットのマーラーは、ライヴ録音だけ聴くと爆演指揮者のように思われるが、その実テンシュテットの取り組み方はかなり慎重で周到な準備を重ねた手堅い曲作りになっているのは見逃せない。

いずれにしても、本セットに収められた演奏はいずれも圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

オーケストラはいずれも必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

マーラーの交響曲のライヴ録音はあまた存在しており、その中ではバーンスタインによる3つのオーケストラを振り分けた最後の全集が随一の名演奏と言えるが、聴き手に深い感動を与えるという意味において当該バーンスタインの超名演に肉薄し得るのは、本セットに収められたテンシュテットによるライヴ録音の集成であると考える。

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2015年09月15日


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凄い超名演だ。

これほどまでに心を揺さぶられる演奏についてレビューを書くのはなかなかに困難を伴うが、とりあえず思うところを書き連ねることとしたい。

いずれにしても、廃盤になっていたテンシュテット&ロンドン・フィルの1991年におけるマーラーの交響曲第6番のライヴ録音が再発されたのは、まだこの演奏を聴いていないクラシック音楽ファンにとって大朗報とも言えるところだ。

テンシュテットと言えば、何と言ってもマーラーの交響曲の様々な名演が念頭に浮かぶが、マーラーの数ある交響曲の中でもとりわけ第6番を得意としており、複数の録音を遺している。

最初の録音は、交響曲全集の一環としてスタジオ録音された演奏(1983年)、次いでライヴ録音された演奏(1983年)、そしてその8年後にライヴ録音された本盤の演奏(1991年)の3種が存在しており、オーケストラはいずれも手兵ロンドン・フィルである。

いずれ劣らぬ名演ではあるが、随一の名演は1991年の演奏であることは論を待たないところだ。

というのも、テンシュテットは1985年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれたからである。

したがって、1991年の演奏には、死と隣り合わせの壮絶な演奏を展開しており、1つ1つのコンサートに命がけで臨んでいた渾身の大熱演とも言うべき壮絶な迫力に満ち溢れていると言えるからだ。

いささかも妥協を許さない全力投球の極めて燃焼度の高い渾身の演奏を繰り広げていたところであり、もはや涙なしでは聴けないほどの感動を覚える。

そうしたテンシュテットの指揮芸術は、最も得意としたマーラーの交響曲の演奏において如実に反映されていると言えるであろう。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

マーラーがこの曲を作曲したときと同じような心境に追い詰められたテンシュテットの大仰ではない、真に深い苦しみが刻印され、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

オーケストラは必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本演奏を超名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2015年07月05日


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テンシュテットと言えば、近年発掘された様々な壮絶な名演によって、ますますその人気が高まっているが、いわゆるマーラー指揮者のイメージが強いと言えるのではないだろうか。

確かに、これまでに発売されたマーラーの交響曲の圧倒的な超名演の数々を考えてみれば、それは致し方がないことと言えるのかもしれない。

しかしながら、テンシュテットが西側に亡命した頃は、先ずブルックナーで評価されていた指揮者であったことを忘れてはなるまい。

事実テンシュテットは、ブルックナーの交響曲の録音をかなりの点数を遺しており、いずれも注目に値する演奏ばかりである。

すべての交響曲を録音しているわけではないが、第3番、第4番、第7番、第8番については、自らのレパートリーとしてコンサートでもたびたび採り上げていたと言えるところだ。

そうした4曲の交響曲の中でも、テンシュテットが最も採り上げた交響曲は第4番であったと言える。

最初及び2度目の録音はベルリン・フィルとのスタジオ録音及びライヴ録音(1981年)、3度目の録音は、ロンドン・フィルとの来日時のライヴ録音(1984年)、そして4度目の録音が本盤に収められたロンドン・フィルとのライヴ録音(1989年)となっている。

これから新たなライヴ録音が発掘されない限りにおいては、交響曲第4番は、テンシュテットが最も録音したブルックナーの交響曲と言えるであろう。

テンシュテットによる同曲へのアプローチは、朝比奈やヴァントなどによって1990年代にほぼ確立された、いわゆるインテンポを基調とするものではない。

むしろ、テンシュテットのブルックナー解釈は実にはっきりしていて、ブルックナーを後期ロマン派の作曲家の1人として割り切ったものである。

それ故、テンポの振幅や思い切った強弱の変化を施すなどドラマティックな要素にも事欠かないところであり、テンシュテットが得意としたマーラーの交響曲におけるアプローチに比較的近いものと言える。

したがって、こうしたテンシュテットによるアプローチは、交響曲第7番や第8番においては若干そぐわないような気がしないでもないが、第4番の場合は、相性がいいのではないかと思われるところだ。

4つの演奏のいずれも名演であるが、やはり演奏の持つ根源的な迫力という意味においては、第1に本盤(1989年盤)を掲げるべきであろう。

本盤の演奏におけるテンシュテットのアプローチも、比較的ゆったりとした曲想の進行の中に、前述のようなドラマティックな要素(とりわけ第3楽章)を織り交ぜたものとなっている。

他盤よりテンポは若干遅めで、力みがまったく感じられず、どこまでも自然体ながら終楽章に向かってジワジワと高揚するテンシュテットらしい名演。

テンシュテットの指揮は、生命力にあふれ、美しい旋律の歌いまわしも陶酔的で、特に躍動感あふれるスケルツォ、重厚なオケの響きが印象的なフィナーレはベーム、カラヤン、ブロムシュテット等の名盤にも決して劣らない素晴らしい名演と言えるだろう。

もっとも、スケールが小さくなることなど薬にしたくもなく、ブルックナーの本質をいささかも逸脱することがないというのは、テンシュテットの同曲への深い理解と愛着の賜物と言えるところだ。

オーケストラは、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルではあるが、テンシュテットの圧倒的な統率の下、ベルリン・フィルにも比肩し得るような見事な名演奏を展開しているのが素晴らしい。

艶やかな弦、輝かしい金管、テンシュテットのブルックナーの微細な要求まで描き尽くす演奏力が見事である。

いずれにしても、本盤の演奏は、テンシュテットならではの圧倒的な名演と高く評価したいと考える。

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2015年06月21日


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凄い演奏だ。

これほどまでに心を揺さぶられる演奏についてレビューを書くのはなかなかに困難を伴うが、とりあえず思うところを書き連ねることとしたい。

テンシュテットと言えば、何と言ってもマーラーの交響曲の様々な名演が念頭に浮かぶが、交響曲第5番についても複数の録音を遺している。

最初の録音は、交響曲全集の一環としてスタジオ録音された演奏(1978年)、次いで来日時にライヴ録音された演奏(1984年)、そしてその4年後にライヴ録音された演奏(1988年)の3種が存在しており、オーケストラはいずれも手兵ロンドン・フィルである。

これらの中で1978年盤と1984年盤はシングルレイヤーによるSACD化がなされたこともあって、極上の音質に仕上がっているが、それでも随一の名演は本盤に収められた1988年盤であることは論を待たないところだ。

というのも、テンシュテットは1985年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

したがって、1988年の演奏には、1つ1つのコンサートに命がけで臨んでいた渾身の大熱演とも言うべき壮絶な迫力に満ち溢れていると言えるからだ。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)のに対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

本盤の演奏は、壮絶でテンポの思い切った振幅を駆使したドラマティックにして濃厚な表現は大いに健在であり、まさにテンシュテットのマーラー演奏の在り様が見事に具現化された至高の超名演と言っても過言ではあるまい。

溢れんばかりの熱気と雄大なスケールを持った名演が繰り広げられており、生き物のように息づく各フレーズや独特な熱気が、マーラーの体臭を伝え、この曲を語る上で欠かすことのできない録音だ。

音質は、1988年のライヴ録音ではあるが、数年前にリマスタリングがなされたこともあり、比較的良好な音質であると言えるところだ。

もっとも、テンシュテット晩年の渾身の超名演だけに、メーカー側の段階的な高音質化という悪質な金儲け主義を助長するわけではないが、今後はシングルレイヤーによるSACD盤で発売していただくことをこの場を借りて強く要望しておきたい。

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2015年06月11日


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これは凄い演奏だ。

これほどまでに心を揺さぶられる演奏についてレビューを書くのはなかなかに困難を伴うが、とりあえず思うところを書き連ねることとしたい。

いずれにしても、テンシュテット&ロンドン・フィルの1990年におけるマーラーの交響曲第1番のライヴ録音が発売されたのはクラシック音楽ファンにとって大朗報とも言えるところだ。

テンシュテットは1985年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

したがって、それ以前の演奏についても、いささかも妥協を許さない全力投球の極めて燃焼度の高い渾身の演奏を繰り広げていたが、1986年以降の演奏は、死と隣り合わせの壮絶な演奏を展開することになるのである。

そうしたテンシュテットの指揮芸術は、最も得意としたマーラーの交響曲の演奏において如実に反映されていると言えるであろう

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

テンシュテットは、マーラーの交響曲第1番を本盤と同年の1990年にもシカゴ交響楽団とともにライヴ録音しており、当該演奏の方がオーケストラの優秀さも相俟って最高峰に君臨する名演であるというのは自明の理ではあるが、本盤に収められた交響曲第1番の演奏も圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

遅めのテンポで、細部まで抒情的に歌い込んだ美しい演奏で、何時にも増してテンポを細かく揺らし、細部の表現にこだわり音楽に没入していくが、テンシュテットの精妙な表現と一体化するロンドンフィルが見事で、冒頭から緊張感が途切れることなく、音楽はどこまでも自然に流れ高揚する。

喉頭がんの発病による活動休止から明けてのテンシュテットは、以前にもまして独特の凄みが加わったといわれるように、このフィナーレでも異常な緊迫感と熱気をはらんだ演奏内容となっている。

オーケストラは必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本演奏を超名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

カップリングのグリンカはテンシュテット初のレパートリーで、喉頭がんを発病する以前のもの(1981年)であるが、こちらも燃焼度の高い爆演を展開している。

なお、ボーナストラックには、テンシュテットがマーラーについて語る貴重なインタビューも収められている。

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2015年06月02日


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マーラーの交響曲第7番が凄い演奏だ。

これほどまでに心を揺さぶられる演奏についてレビューを書くのはなかなかに困難を伴うが、とりあえず思うところを書き連ねることとしたい。

いずれにしても、テンシュテット&ロンドン・フィルの1980年におけるマーラーの交響曲第7番のライヴ録音が発売されたのはクラシック音楽ファンにとって大朗報とも言えるところだ。

テンシュテットと言えば、何と言ってもマーラーの交響曲の様々な名演が念頭に浮かぶが、交響曲第7番についても複数の録音を遺している。

最初の録音は、交響曲全集の一環としてスタジオ録音された演奏(1980年)、次いで本盤に収められたライヴ録音された演奏(1980年)、そしてその13年後にライヴ録音された演奏(1993年)の3種が存在しており、オーケストラはいずれも手兵ロンドン・フィルである。

いずれ劣らぬ名演ではあるが、随一の名演は1993年の演奏であることは論を待たないところだ。

というのも、テンシュテットは1985年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

したがって、1993年の演奏には、1つ1つのコンサートに命がけで臨んでいた渾身の大熱演とも言うべき壮絶な迫力に満ち溢れていると言えるからだ。

次いで、本盤の1980年にライヴ録音された演奏が続くのではないだろうか。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

本盤の演奏は、さすがに前述のように、1993年の演奏ほどの壮絶さは存在していないが、それでもテンポの思い切った振幅を駆使したドラマティックにして濃厚な表現は大いに健在であり、まさにテンシュテットのマーラー演奏の在り様が見事に具現化された至高の超名演と言っても過言ではあるまい。

テンシュテットは明確なポリシーを持ち、決して妥協をしなかったが、ここでも燃焼度の高い、かなり切迫した表現であり、テンシュテット特有の振幅の大きい見事な演奏である。

オケが指揮者を信頼し、全身全霊をかけて音楽に没入する記録はそれほど多くないが、ロンドン・フィルも、まさに人生がこの演奏にかかっているかのようなのめりこみようだ。

カップリングのモーツァルトの交響曲第41番は名演の範疇には入ると思われるが、テンシュテットとしては普通の出来と言えよう。

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2015年05月15日


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凄い演奏だ。

これほどまでに心を揺さぶられる演奏についてレビューを書くのはなかなかに困難を伴うが、とりあえず思うところを書き連ねることとしたい。

いずれにしても、テンシュテット&ロンドン・フィルの1983年におけるマーラーの交響曲第6番のライヴ録音が発売されたのはクラシック音楽ファンにとって大朗報とも言えるところだ。

テンシュテットと言えば、何と言ってもマーラーの交響曲の様々な名演が念頭に浮かぶが、マーラーの数ある交響曲の中でもとりわけ第6番を得意としており、複数の録音を遺している。

最初の録音は、交響曲全集の一環としてスタジオ録音された演奏(1983年)、次いで本盤のライヴ録音された演奏(1983年)、そしてその8年後にライヴ録音された演奏(1991年)の3種が存在しており、オーケストラはいずれも手兵ロンドン・フィルである。

いずれ劣らぬ名演ではあるが、随一の名演は1991年の演奏であることは論を待たないところだ。

というのも、テンシュテットは1985年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれたからである。

したがって、1991年の演奏には、死と隣り合わせの壮絶な演奏を展開しており、1つ1つのコンサートに命がけで臨んでいた渾身の大熱演とも言うべき壮絶な迫力に満ち溢れていると言えるからだ。

とはいえ、それ以前もいささかも妥協を許さない全力投球の極めて燃焼度の高い渾身の演奏を繰り広げていたところであり、本盤に収められた1983年にライヴ録音された演奏もそうしたことが言えるところだ。

そうしたテンシュテットの指揮芸術は、最も得意としたマーラーの交響曲の演奏において如実に反映されていると言えるであろう。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

前述のように第6番では、1991年のライヴ録音が最高峰に君臨する名演であるのは自明の理ではあるが、本盤に収められた交響曲第6番の演奏も圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

オーケストラは必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本演奏を超名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2015年03月20日


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過激さと冷静さが同居した、最高の名盤である。

テンシュテットが咽頭癌を患った後の演奏は、いずれも命懸けのものだった。

1つ1つのコンサートに臨む姿勢たるや、まさに神がかりのような凄まじく燃焼度の高いものであった。

テンシュテットが最も得意とした作曲家はマーラーであったが、現在発売されているマーラーの数々の名演の中でも、1991年のマーラーの「第6」と1993年の「第7」は、別格の超名演と高く評価したい。

明日の命がわからない中でのテンシュテットの大熱演には、涙なしでは聴けないほどの凄まじい感動を覚える。

本盤の「第7」を、過去に完成した全集中のスタジオ録音と比較すると、演奏の装いが全く異なることがよくわかる。

粘ったようなテンポ、思い切った強弱の変化やテンポ設定、猛烈なアッチェレランドを駆使して、これ以上は求め得ないようなドラマティックな表現を行っている。

そして、テンシュテットの演奏全般に言えることであるが、劇的な表現をしていながら細部をおろそかにせず明晰さを大切にしているので、不思議と見通しが良く、その表現が曲の性格に極めて合致している。

スコアに対するあくまでも客観的なアプローチを基盤としながら、具えられる豊かな音楽性、テンシュテットのマーラーに共通するこの魅力が、一種ユニークな作品とされている「第7」でも十二分に発揮されている。

細部の表現と一貫した音楽的流麗さの見事な両立、近代的な総合性の上に存在する後期ロマン派的音楽の香りに脱帽してしまう。

ふっと忍び寄る底知れぬ暗さと、ガツンと来る高揚、その落差は、まさにテンシュテットでありマーラーではないだろうか。

あまりの指揮の凄まじさに、テンシュテットの手の内をよく理解しているはずのロンドン・フィルでさえ、ある種の戸惑いさえ感じられるほどだ(特に、第1楽章終結部のアンサンブルの乱れなど)。

それでも、必ずしも一流と言えないロンドン・フィルが、ここでは、荒れ狂うかのようなテンシュテットと渾然一体となって、持ち得る最高のパフォーマンスを発揮しており、弦楽器の不気味さなどは、テンシュテットの思惑通りとても良く表現されていると思う。

演奏終了後の聴衆の熱狂も当然のことであると考える。

なお、テンシュテット自身はインタビューで、マーラーの音楽について「交響曲第7番が最も好きであり、特に第1楽章はマーラーの最高傑作」と述べているが、その思い入れがこの演奏からよく伝わってくる。

このCDに対抗できるのは、アプローチが全く逆のクレンペラー&ニュー・フィルハーモニア盤くらいであろう。

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2015年03月13日


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マーラー演奏の遺産ともいうべき最初の交響曲全曲レコーディングの後、テンシュテットが1990年にシカゴ交響楽団への唯一の客演をしたときの、まさに一期一会のライヴ録音。

近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、テンシュテットの最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集であることは論を待たないと言えるのではないだろうか。

テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る交響曲第8番の録音(1986年)の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

したがって、1986年以降の演奏は、死と隣り合わせの壮絶な演奏を展開することになり、いささかも妥協を許さない全力投球の極めて燃焼度の高い渾身の演奏を繰り広げた。

そうしたテンシュテットの指揮芸術は、最も得意としたマーラーの交響曲の演奏において如実に反映されていると言えるであろう。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

テンシュテットは、マーラーの交響曲第1番を1977年にロンドン・フィルとスタジオ録音しているが、このシカゴ交響楽団との演奏の方がオーケストラの優秀さも相俟って最高峰に君臨する名演であるというのは自明の理である。

まさに圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

オーケストラはテンシュテットの指揮ぶりに慣れていないシカゴ交響楽団であるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を最大限に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本演奏を超名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

最晩年のテンシュテットの棒に全霊のパワーで応えるオーケストラが、聴き手の心を大きく揺さぶり、終演後の聴衆の熱狂も当然のことと思われる。

音質は、1990年のライヴ録音ではあるが、数年前にリマスタリングの上でHQCD化がなされたこともあり、比較的良好な音質であると言えるところだ。

もっとも、テンシュテット最晩年の渾身の超名演だけに、メーカー側の段階的な高音質化という悪質な金儲け主義を助長するわけではないが、今後はシングルレイヤーによるSACD盤で発売していただくことをこの場を借りて強く要望しておきたい。

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2015年02月22日


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既に多くのひとに語り尽くされている本盤であるが、それでも誰かに、この演奏の素晴らしさを伝えたくなる稀有の名盤であり、ちょうどテンシュテットが咽頭がんに倒れる直前の録音である。

当初は、全集の中に組み込まれる予定であったが、本演奏の中に、テンシュテットがどうしても取り直しをしたい箇所があったということで、当初発売の全集には組み込まれなかったいう曰くつきの演奏である。

全集の発売後、数年経ってから漸く発売されたが、マーラーの音楽が持つ美しさ、翳り、悲しみ、すべてを徹底的に追求したテンシュテットならではの表現による素晴らしい名演だ。

その深い表現はいつまでも色褪せることなく永遠の光を放っていると言えるところであり、まさにマーラー演奏の1つの規範になりうる、20世紀の偉大な録音と言えるだろう。

テンシュテットが取り直しをしたかどうかは、筆者は承知していないが、そのようなことはいささかも気にならないような見事な出来栄えと言えるところであり、救いのない悲壮感にあふれている。

演奏はこの曲で最も暗く沈鬱で救いのないような演奏で、作曲家がワルターに「この曲を聴いたら自殺者が出るのではないだろうか」と話していたそうだが、まさにこのような演奏が作曲家が考えていたものなのではと考えてしまうくらいテンシュテットの演奏は破滅的で、絶望的な悲愴感が漂った演奏である。

思い切った強弱の変化やテンポ設定、時折垣間見せるアッチェレランドなど、とてもスタジオ録音とは思えないようなドラマティックな表現を行っている。

テンシュテットは、咽頭がんに倒れて以降は、コンサートや録音の機会が著しく減ったが、本盤のような爆演を聴いていると、病に倒れる前であっても、1つ1つの演奏や録音に、いかに命懸けの熱演を行っていたのかがよくわかる。

テンシュテットの語り口も相変わらず素晴らしく、なかでも終楽章の「告別」では、夜の闇がまさに死を思わせるような世界が作り上げられており、ゾッとしてしまう。

特に「告別」後半の長いオーケストラの間奏部分は、前人未到の境地と言ってよいであろう。

ロンドン・フィルも、こうしたテンシュテットの鬼気迫る指揮に、よくついて行っており、独唱のバルツァやケーニッヒともども、望み得る最高のパフォーマンスを示していると言っても過言ではあるまい。

『大地の歌』といえば、クレンペラーやワルターの演奏が有名であるが、これは全く別方向からのアプローチであり、持っていて損はない。

そう何度も聴けるような演奏ではないが、それだけテンシュテットの個性の表れた名演と言えるだろう。

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2015年02月04日


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近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、テンシュテットによる最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る交響曲第8番の録音(1986年)の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

したがって、1986年以降の演奏は、死と隣り合わせの壮絶な演奏を展開することになるのであるが、それ以前の演奏についても、いささかも妥協を許さない全力投球の極めて燃焼度の高い渾身の演奏を繰り広げていた。

そうしたテンシュテットの指揮芸術は、最も得意としたマーラーの交響曲の演奏において如実に反映されていると言えるであろう。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという人もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

テンシュテットは、マーラーの数ある交響曲の中でもとりわけ第6番を得意としており、本盤の1983年のスタジオ録音の他にも、同年のライヴ録音、そして1991年のライヴ録音が存在している。

このうち、1991年のライヴ録音が最高峰に君臨する名演であるのは自明の理ではあるが、本盤に収められた演奏も圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

オーケストラは必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本演奏を超名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、1983年のスタジオ録音ではあるが、リマスタリングなどはなされていないものの、比較的良好な音質であると言えたところだ。

このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、テンシュテットによる圧倒的な超名演を現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年01月26日


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いずれもチョン・キョンファ2度目の録音で、彼女の全盛時代の大胆さと繊細さを兼ね備えた超名演だ。

チョン・キョンファのヴァイオリンは素晴らしく、透明感のある研ぎ澄まされた精緻な響きと、決して粗暴にならない情熱がバランス良くまとまっており、旧盤とは別人の様な完成度の高い演奏だ。

ベートーヴェンは独特の歌いまわしと起伏の大きなつくり、強めのアクセントなど、感情移入の激しいチョン・キョンファならではの演奏。

圧倒的なテクニックをベースとしつつ、女流ヴァイオリニストの常識を覆すような力強い迫力と、繊細な抒情の美しさが、いい意味でバランスがとれており、そうした表現力の幅の広さが、この録音当時のチョン・キョンファの最大の長所であった。

本盤でも、そうしたチョン・キョンファの長所がすべてプラスに出ており、コンドラシンとの共演盤よりはるかにスケールが大きく深い演奏を聴かせる。

旧盤は、指揮者のコンドラシンに譲歩しすぎたのか、はたまたベートーヴェンということで、慎重になりすぎたのか分からないが、チョン・キョンファの持ち味である奔放さが欠けていたように思う。

それに対し新盤は、気迫あふれるのチョン・キョンファのソロを、テンシュテットが力強く雄大なスケールで包み込んだ素晴らしい演奏。

チョン・キョンファの持ち味である激しさと厳しさ、限界ぎりぎりでの、その驚くようなバランスの良さに、思わず引き込まれてしまうこと請け合いである。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ベートーヴェンが作曲した最も美しい曲の1つと言われているが、チョン・キョンファは、同曲に満載の美しい旋律を実に情感豊かに歌い抜いて行く。

起伏の大きい独特の歌いまわしなど、チョン・キョンファ節にあふれている。

それでいて、いささかも感傷に陥ることなく、常に高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

感情移入は激しいが、それでいて透き通るような輝きがあるのがチョン・キョンファならでは魅力だ。

他方、力強さにも不足はなく、特に終楽章の迫力は圧倒的だ。

ブルッフも可憐な雰囲気も漂わせていた旧盤に較べて、濃厚なロマンティシズムに覆われ、スケール感のアップした超名演だ。

ベートーヴェン以上に美しい旋律満載の同曲を、チョン・キョンファは、これ以上は求め得ないような情感豊かさで歌い抜いて行く。

そして、これらのチョン・キョンファのヴァイオリンに優るとも劣らない気迫溢れる指揮をしているのがテンシュテットで、オケの重心が低くスケールも大きな充実した響きも素晴らしい。

咽頭癌を発病した後、病と闘いながら指揮をしていたが、本盤でも、まさに命がけの指揮を行っており、その気迫と力強さには、涙なしでは聴けないような深い感動を覚える。

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2015年01月04日


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テンシュテットの最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集であることは論を待たないと言えるのではないだろうか。

テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る交響曲第8番の録音(1986年)の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調が良い時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

したがって、1986年以降の演奏は、死と隣り合わせの壮絶な演奏を展開することになるのであるが、それ以前の演奏についても、いささかも妥協を許さない全力投球の極めて燃焼度の高い渾身の演奏を繰り広げていた。

そうしたテンシュテットの指揮芸術は、最も得意としたマーラーの交響曲の演奏において如実に反映されていると言えるであろう。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)のに対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

テンシュテットは、マーラーの交響曲第1番を1990年にもシカゴ交響楽団とともにライヴ録音しており、当該演奏の方がオーケストラの優秀さも相俟って最高峰に君臨する名演であるというのは自明の理ではあるが、本盤に収められた交響曲第1番の演奏も圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

オーケストラは必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本演奏を超名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、1977年のスタジオ録音ではあるが、数年前にリマスタリングの上でHQCD化がなされたこともあり、比較的良好な音質であると言えたところだ。

このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、テンシュテットによる圧倒的な超名演を現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年12月11日


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本盤には、テンシュテットがEMIに遺した録音のうち、ロンドン・フィルとの一連のマーラーの交響曲の演奏や、チョン・キョンファやケネディなどとの各種協奏曲の演奏を除いたほぼすべての演奏が収められている。

本全集の中には、シューマンの交響曲第3番及び第4番、4本のホルンのためのコンチェルトシュトゥック、メンデルスゾーンの交響曲第4番、そしてドヴォルザークの第9番など、最近では入手困難な音源も含まれており、仮にその他の楽曲のCDを何枚か所有していたとしても、価格が超廉価であることに鑑みれば、購入する価値が十分にある充実したラインナップである。

テンシュテットと言えば、何と言ってもマーラーの一連の交響曲の豪演が思い浮かぶが、本ボックスを聴くと、それ以外の楽曲でも数多くの名演を遺した大指揮者であったことがあらためてよく理解できるところだ。

テンシュテットは、1985年に咽頭がんを患い、その復帰後はがんの進行との壮絶な闘いであった。

健康がいい時だけに指揮を許されるという絶望的な状況に追い込まれたが、それでもテンシュテットは1つ1つのコンサートをそれこそ命がけで行っていったのである。

したがって、1986年以降の録音は、それこそ死と隣り合わせの狂気のオーラさえ感じさせる渾身の豪演揃いであるが、それ以前の録音においても、テンシュテットはオーケストラを徹底的に追い立て、それこそドラマティックの極みとも言うべき劇的な名演奏を繰り広げていた。

本ボックスはその壮絶な記録であり、どの演奏もテンシュテットならではの途轍もない凄みのある超名演である。

先ずは、何と言っても十八番のマーラーの交響曲第1番(CD7)が素晴らしい。

シカゴ交響楽団を指揮したためか、別売のロンドン・フィルとの一連のマーラーの交響曲集に含まれず、本ボックスの方に収録されているが、これは壮絶の極みとも言うべき爆演だ。

1990年というテンシュテットとしても健康状態が最悪の時期であったが、本演奏のような渾身の命がけの演奏は、我々の肺腑を打つのに十分な圧倒的な迫力を誇っている。

とりわけ終楽章などは、ほとんど狂っているとしか言いようがないような爆発的な昂揚感を垣間見せるが、これぞマーラーの交響曲を鑑賞する醍醐味があると言えるだろう。

同曲にはワルター&コロンビア響盤(1961年)やバーンスタイン&コンセルトヘボウ盤(1987年)という超名演があるが、本演奏はそれらに比肩し得る至高の超名演と高く評価したい。

次いで、ワーグナーの管弦楽曲集を集めた2枚(CD10、11)を掲げたい。

録音は1980年〜1983年という、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の末期からザビーネ・マイヤー事件が勃発して両者の関係に大きな亀裂が生じ始めた頃の録音である。

本演奏では、最晩年の病魔と闘うという鬼気迫るような凄まじい気迫はいまだ感じられないが、それでも、オーケストラを全力で追い立てて行く生命力溢れる爆演ぶりは、テンシュテットだけに可能な至芸と言えるだろう。

テンシュテットは必ずしもインテンポに固執せず、楽劇「ニーベルング」の指環からの抜粋(CD10)においてはテンポを相当に動かしているが、それでいて音楽が矮小化せずスケールの雄大さをいささかも失っていないのは、テンシュテットならではの圧巻の至芸である。

これらの演奏の録音当時はカラヤン自身の健康悪化もあり、ポストカラヤンが大きくクローズアップされていた。

そのような中で、いまだ病魔の影さえ感じられなかった当時のテンシュテットは、カラヤン自身の高い評価もあって後継者の第一人者との評価も得ていたのである。

ベルリン・フィルも、関係が悪化しつつあるカラヤンへの対抗意識も多分にあったと思うが、ポストカラヤンと目される指揮者とは圧倒的な名演を繰り広げていた時期に相当し、本演奏においても、テンシュテットの圧倒的な統率の下、うなりあげるような低弦の重量感溢れる迫力やティンパニの雷鳴の如き轟き、天国的な美しさを誇る高弦の囁き、悪魔的な金管の最強奏など、カラヤンによる同曲の演奏とは一味もふた味も違う圧巻の名演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

他の楽曲もいずれも超名演であるが、とりわけシューマンの4本のホルンのためのコンチェルトシュトゥック(CD14)に注目したい。

同曲はカラヤンが1度も演奏・録音しなかった楽曲であるだけに、何よりも全盛期のベルリン・フィルのホルンセクションの圧倒的な実力を知る上では格好の演奏と言えるのではないだろうか。

ゲルト・ザイフェルトとノルベルト・ハウプトマンという両首席に、下吹きの名人と言われたマンフレート・クリアなど、当時ベストフォームにあったベルリン・フィルのホルンセクションによる卓越した技量と極上の美しい響きを味わえるのが素晴らしい。

いずれにしても、本ボックスは、同時発売のマーラーの交響曲集と並んで、テンシュテットの桁外れの実力を広く知らしめる意味において、極めて意義が大きいものである。

価格も破格の廉価であり、クラシック音楽の初心者にも、そして本演奏をいまだ聴いていない熟達した愛好者にも自信を持ってお薦めできる名ボックスと高く評価したい。

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2014年08月01日


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近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、テンシュテットによる最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る「第8」の録音の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)のに対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

いずれにしても、本盤に収められた演奏はいずれも圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

オーケストラはいずれも必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

マーラーの交響曲全集はあまた存在しており、その中ではバーンスタインによる3つのオーケストラを振り分けた最後の全集(1966〜1990年)が随一の名全集と言えるが、聴き手に深い感動を与えるという意味において当該バーンスタインの全集に肉薄し得るのは、本盤のテンシュテットによる全集であると考える。

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2014年07月26日


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マーラーの交響曲第5番が凄い演奏だ。

これほどまでに心を揺さぶられる演奏についてレビューを書くのはなかなかに困難を伴うが、とりあえず思うところを書き連ねることとしたい。

いずれにしても、テンシュテット&ロンドン・フィルの1984年来日時におけるマーラーの交響曲第5番のライヴ録音が、ついに発売されることになったのは、クラシック音楽ファンにとって大朗報とも言えるところだ。

テンシュテットと言えば、何と言ってもマーラーの交響曲の様々な名演が念頭に浮かぶが、交響曲第5番についても複数の録音を遺している。

最初の録音は、交響曲全集の一環としてスタジオ録音された演奏(1978年)、次いで本盤の来日時にライヴ録音された演奏(1984年)、そしてその4年後にライヴ録音された演奏(1988年)の3種が存在しており、オーケストラはいずれも手兵ロンドン・フィルである。

いずれ劣らぬ名演ではあるが、随一の名演は1988年の演奏であることは論を待たないところだ。

というのも、テンシュテットは1985年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

したがって、1988年の演奏には、一つ一つのコンサートに命がけで臨んでいた渾身の大熱演とも言うべき壮絶な迫力に満ち溢れていると言えるからだ。

次いで、本盤に収められた1984年の演奏が続くのではないだろうか。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという人もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

本盤の演奏は、さすがに前述のように、1988年の演奏ほどの壮絶さは存在していないが、それでもテンポの思い切った振幅を駆使したドラマティックにして濃厚な表現は大いに健在であり、まさにテンシュテットのマーラー演奏の在り様が見事に具現化された至高の超名演と言っても過言ではあるまい。

カップリングのモーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」は名演の範疇には入ると思われるが、テンシュテットとしては普通の出来と言える。

音質については、FM東京の音源だけに従来CD盤でも比較的良好な音質である。

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2014年07月01日


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本盤にはブラームスの交響曲第1番と第3番が収められているが、このうち第3番についてはかつてBBCレジェンドレーベルから発売されていた音源の再発売であり、本稿においては、第1番を中心にレビューを書かせていただきたい。

さて、その交響曲第1番であるが、テンシュテットは、本演奏以前に3度に渡って同曲の録音を行っている。

最初の演奏は1976年のシュトゥットガルト放送交響楽団とのライヴ録音。

次いで、ロンドン・フィルとの1983年のスタジオ録音。

そして、3度目の演奏はロンドン・フィルとの1990年のライヴ録音。

特に、手兵ロンドン・フィルとの演奏はいずれも名演であり、とりわけ3度目の演奏については、圧倒的な超名演と言えるものであった。

本盤の演奏は、更にその2年後のライヴ録音。

演奏は、1990年の演奏よりもさらに壮絶とも言うべき豪演と言えるだろう。

テンシュテットは、1985年頃に咽頭がんを発症した後は、体調がいい時だけに指揮活動が制限されるという厳しい状況に追い込まれた。

それだけに、一つ一つの演奏がそれこそ命がけのものとなったことは必定であり、テンシュテットはそれこそ持ち得る力を全力で出し切るという渾身の演奏を行っていたところだ。

1993年の終わり頃には、ついに指揮活動を停止せざるを得なくなるのであるが、それまでの間の演奏は、いずれも壮絶の極みとも言うべき圧倒的な演奏を展開していた。

特に、マーラーの交響曲については、そうしたテンシュテットの鬼気迫る芸風が、他の指揮者の追随を許さないような超名演を生み出すことに繋がっていたが、他の作曲家による楽曲についても、我々聴き手の心を揺さぶるような凄みのある演奏を成し遂げていたとも言えるところだ。

ブラームスの交響曲第1番についても、1990年の演奏もそうであったが、本盤の1992年の演奏は更に凄まじいまでの気迫と生命力に満ち溢れており、どこをとっても切れば血が噴き出てくるような熱き情感が込められているとも言えるだろう。

テンシュテットは、おそらくは間近に迫る死を覚悟はしていたとも言えるが、本演奏には、自らの命のすべてをかけるような凄みがあると言えるところであり、そうした命がけの大熱演が我々聴き手の肺腑を打つのである。

病状はかなり進行していたと思われるが、そうした中で、ここまでの渾身の演奏を成し遂げたテンシュテットの指揮者としての凄さ、偉大さにはただただ首を垂れるほかはないところだ。

このような超名演を聴いていると、テンシュテットのあまりにも早すぎる死がクラシック音楽界にとって大きな損失であったことを、あらためて認識させられるところだ。

カップリングのブラームスの交響曲第3番については、咽頭がん発症前の1983年の演奏であり、交響曲第1番ほどの迫力はないが、それでも実演ならではのテンシュテットの熱のこもった名演と高く評価したい。

音質も、1992年及び1983年のライヴ録音ではあるが、両者の音質にはあまり大差がなく、いずれも最新録音とさほど遜色がないような十分に満足できる良好なものと評価したい。

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2014年06月09日


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テンシュテットといえば、近年発掘された様々な壮絶な名演によって、ますますその人気が高まっているが、いわゆるマーラー指揮者のイメージが強いと言えるのではないだろうか。

確かに、これまでに発売されたマーラーの交響曲の圧倒的な超名演の数々を考えてみれば、それは致し方がないことと言えるのかもしれない。

しかしながら、テンシュテットは、ブルックナーの交響曲の録音もかなりの点数を遺している。

すべての交響曲を録音しているわけではないが、第3番、第4番、第7番、第8番については、自らのレパートリーとしてコンサートでもたびたび採り上げていたと言えるところだ。

そうした4曲の交響曲の中でも、テンシュテットが最も採り上げた交響曲は第4番であった。

最初及び2度目の録音はベルリン・フィルとのスタジオ録音及びライヴ録音(1981年)、3度目の録音は、本盤に収められたロンドン・フィルとの来日時のライヴ録音(1984年)、そして4度目の録音がロンドン・フィルとのライヴ録音(1989年)となっている。

これから新たなライヴ録音が発掘されない限りにおいては、交響曲第4番は、テンシュテットが最も録音したブルックナーの交響曲と言えるであろう。

テンシュテットによる同曲へのアプローチは、朝比奈やヴァントなどによって1990年代にほぼ確立された、いわゆるインテンポを基調とするものではない。

テンポの振幅や思い切った強弱の変化を施すなどドラマティックな要素にも事欠かないところであり、テンシュテットが得意としたマーラーの交響曲におけるアプローチに比較的近いものと言える。

したがって、こうしたテンシュテットによるアプローチは、交響曲第7番や第8番においては若干そぐわないような気がしないでもないが、第4番の場合は、相性がいいのではないかと思われるところだ。

4つの演奏のいずれも名演であるが、やはり演奏の持つ根源的な迫力という意味においては、第1に1989年盤、そして第2に本盤の演奏を掲げるべきであろう。

本盤の演奏におけるテンシュテットのアプローチも、比較的ゆったりとした曲想の進行の中に、前述のようなドラマティックな要素(とりわけ第3楽章)を織り交ぜたものとなっている。

もっとも、スケールが小さくなることなど薬にしたくもなく、ブルックナーの本質をいささかも逸脱することがないというのは、テンシュテットの同曲への深い理解と愛着の賜物と言えるところだ。

オーケストラは、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルではあるが、テンシュテットの圧倒的な統率の下、ベルリン・フィルにも比肩し得るような見事な名演奏を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本盤の演奏は、テンシュテットならではの圧倒的な名演と高く評価したい。

カップリングのシューベルトの交響曲第8番「未完成」は、ブルックナーの交響曲第4番とは一転して、いかにもドイツ風のオーソドックスな名演だ。

音質については、FM東京の音源だけに従来CD盤でも比較的良好な音質であったと言えるが、今般のシングルレイヤーによるSACD盤を聴いて大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、テンシュテットによる圧倒的な名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年05月13日


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『巨人』は1985年2月12日、『さすらう若人の歌』は1991年9月26日、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールに於けるライヴ録音。

テンシュテットがいかにライヴの人だったか、20世紀を代表するマーラー指揮者の1人だったか、そしてさらにテンシュテットの棒にロンドン・フィルが必死でついていっている様子が手に取るように分かる録音。

テンシュテット指揮によるマーラー『巨人』は、なんといってもこの指揮者の十八番であり、この演奏はテンシュテットにしては加速度が加わり、オケの高揚をテンシュテットが抑えている感じがして最も熱狂的。

大盛り上がりの金管楽器もさることながら、そこに絡み付いてくるうねるような粘着質な弦楽器。

木管もこれでもかと鋭い音を響かせる。

ライヴならではの臨場感もさることながら、生々しい音がスピーカーを通して体にまとわりついてくるような非常に濃厚で粘着質な演奏とでも言おうか。

EMIの録音が1977年10月、この間にどんな心境の変化があったか窺い知れないし、癌告知前、テンシュテットがまだまだ元気だった頃のライヴなのだが、とにかく、この粘り強くハイテンションな演奏にノックアウトされた次第。

過去に発売されたものも素晴らしかったが、この熱さ、情熱のほとばしりはテンシュテット最盛期の仕事の結果であろう。

しかし、演奏は文句無く「最高」なのだけれど、録音がよくないので最高の評価はできない。

カップリングは、『巨人』と使用動機などで密接に関連する歌曲集『さすらう若者の歌』。

バリトン独唱は、前年の1990年2月にバーンスタイン&ウィーン・フィルと共演してこの歌曲集を歌っていたトーマス・ハンプソン。

2年連続での強烈なマーラー指揮者との共演ということになった。

なお、テンシュテットはこの作品のセッション録音を残していないため、今回のリリースは、大変に有意義なものと言えるだろう。

ハンプソンは、いたるところで印象的に長いラインを引き伸ばし、多彩な色彩感を歌の間や中から紡ぎ出している。

オーケストラは、美しい集中力を発揮して、ハンプソンを伴奏している。

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2014年05月12日


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1984年4月13日 大阪フェスティバル・ホールに於けるライヴ録音。

今回リリースされる音源は、テンシュテット&ロンドン・フィルの初来日時、大阪で行われた演奏会をFM大阪のスタッフが収録したもので、いくつか残されているこの指揮者のライヴ音源の中でも、まずは屈指のハイ・クオリティと言っていい高音質が嬉しいところ。

マーラーの第5番など、冒頭のトランペット・ソロのリアルさ、ゴングやバス・ドラムのなんとも沈痛な響き、そして驚くほど生々しい弦楽セクションと、このレンジの広い作品が高域から低域まで見事なバランスで収められている。

暗く濃厚な音のインパクトはそのままに、より音が広大に広がった印象で、さらに緻密さが増した音質に仕上がっているのは、シングルレイヤーによるSACD高音質録音の威力によるものであろう。

マーラーの第5番はテンシュテット得意の演目で、「テンシュテットのマーラーのライヴ」として想像される演奏像を裏切らない、まさに熱演。

他にも1978年のスタジオ録音と、1988年のロンドンにおけるライヴ録音の2つのEMI盤が、同じロンドン・フィルとの演奏で残されているが、今回の1984年ライヴは、緩急のメリハリが3つの中でもっとも顕著に示され、情念傾注の強さと深さにおいて他盤より一歩抜きん出ているように思われる。

ライヴ録音につきもののアンサンブルの乱れなどもほとんど無く、内容の濃さは1978年のEMIのスタジオ録音盤に引けを取らないが、音楽的な流れの良さもこのライヴの方が上で、散漫になりがちなEMI盤より凝縮されている。

テンシュテット自身の言葉を借りれば、「マーラーは、私の人生」なのだが、まだ健康だった頃の1984年の当録音は、どちらかと言えば健康的な、深刻ぶらない演奏と言える。

カップリングとしてモーツァルトの「ハフナー」が入ってるが、この手の演奏の凄さを言葉で表現するのは難しく、マーラー的な分厚い音響の演奏とでも言うべきか。

ちなみにこの演奏会が行われた1984年は、テンシュテットがロンドン・フィル音楽監督に就いて1年目。

翌85年には癌を発病したことを考えれば、これはテンシュテットがまだ健康に恵まれていた時期の記録としても貴重なライヴ録音だ。

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2014年03月16日


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本盤には、テンシュテットがEMIに遺した録音のうち、ロンドン・フィルとの一連のマーラーの交響曲の演奏や、チョン・キョンファやケネディなどとの各種協奏曲の演奏を除いたほぼすべての演奏が収められている。

本全集の中には、シューマンの交響曲第3番及び第4番、4本のホルンのためのコンチェルトシュトゥック、メンデルスゾーンの交響曲第4番、そしてドヴォルザークの第9番など、最近では入手困難な音源も含まれており、仮にその他の楽曲のCDを何枚か所有していたとしても、価格が極めて廉価であることに鑑みれば、購入する価値が十分にある充実したラインナップである。

テンシュテットと言えば、何と言ってもマーラーの一連の交響曲の豪演が思い浮かぶが、本BOXを聴くと、それ以外の楽曲でも数多くの名演を遺した大指揮者であったことがあらためてよく理解できるところだ。

テンシュテットは、1985年に咽頭がんを患い、その復帰後はがんの進行との壮絶な闘いであった。

健康がいい時だけに指揮を許されるという絶望的な状況に追い込まれたが、それでもテンシュテットは一つ一つのコンサートをそれこそ命がけで行っていったのである。

したがって、1986年以降の録音は、それこそ死と隣り合わせの狂気のオーラさえ感じさせる渾身の豪演揃いであるが、それ以前の録音においても、テンシュテットはオーケストラを徹底的に追い立て、それこそドラマティックの極みとも言うべき劇的な名演奏を繰り広げていた。

本BOXはその壮絶な記録であり、どの演奏もテンシュテットならではの途轍もない凄みのある超名演である。

先ずは、何と言っても十八番のマーラーの交響曲第1番(CD7)が素晴らしい。

シカゴ交響楽団を指揮したためか、別売のロンドン・フィルとの一連のマーラーの交響曲集に含まれず、本BOXの方に収録されているが、これは壮絶の極みとも言うべき爆演だ。

1990年というテンシュテットとしても健康状態が最悪の時期であったが、本演奏のような渾身の命がけの演奏は、我々の肺腑を打つのに十分な圧倒的な迫力を誇っている。

とりわけ終楽章などは、ほとんど狂っているとしか言いようがないような爆発的な昂揚感を垣間見せるが、これぞマーラーの交響曲を鑑賞する醍醐味があると言えるだろう。

同曲にはワルター&コロンビア響盤(1961年)やバーンスタイン&COA盤(1987年)という超名演があるが、本演奏はそれらに比肩し得る至高の超名演と高く評価したい。

次いで、ワーグナーの管弦楽曲集を集めた2枚(CD10、11)を掲げたい。

録音は1980年〜1983年という、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の末期からザビーネ・マイヤー事件が勃発して両者の関係に大きな亀裂が生じ始めた頃の録音である。

本演奏では、最晩年の病魔と闘うという鬼気迫るような凄まじい気迫はいまだ感じられないが、それでも、オーケストラを全力で追い立てて行く生命力溢れる爆演ぶりは、テンシュテットだけに可能な至芸と言えるだろう。

テンシュテットは必ずしもインテンポに固執せず、楽劇「ニーベルング」の指環からの抜粋(CD10)においてはテンポを相当に動かしているが、それでいて音楽が矮小化せずスケールの雄大さをいささかも失っていないのは、テンシュテットならではの圧巻の至芸である。

これらの演奏の録音当時はカラヤン自身の健康悪化もあり、ポストカラヤンが大きくクローズアップされていた。

そのような中で、いまだ病魔の影さえ感じられなかった当時のテンシュテットは、カラヤン自身の高い評価もあって後継者の第一人者との評価も得ていたのである。

ベルリン・フィルも、関係が悪化しつつあるカラヤンへの対抗意識も多分にあったと思うが、ポストカラヤンと目される指揮者とは圧倒的な名演を繰り広げていた時期に相当し、本演奏においても、テンシュテットの圧倒的な統率の下、うなりあげるような低弦の重量感溢れる迫力やティンパニの雷鳴の如き轟き、天国的な美しさを誇る高弦の囁き、悪魔的な金管の最強奏など、カラヤンによる同曲の演奏とは一味もふた味も違う圧巻の名演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

他の楽曲もいずれも超名演であるが、とりわけシューマンの4本のホルンのためのコンチェルトシュトゥック(CD14)に注目したい。

同曲はカラヤンが一度も演奏・録音しなかった楽曲であるだけに、何よりも全盛期のベルリン・フィルのホルンセクションの圧倒的な実力を知る上では格好の演奏と言えるのではないだろうか。

ゲルト・ザイフェルトとノルベルト・ハウプトマンという両首席に、下吹きの名人と言われたマンフレート・クリアなど、当時ベストフォームにあったベルリン・フィルのホルンセクションによる卓越した技量と極上の美しい響きを味わえるのが素晴らしい。

いずれにしても、本BOXは、同時発売のマーラーの交響曲集と並んで、テンシュテットの桁外れの実力を広く知らしめる意味において、極めて意義が大きいものである。

価格も破格の廉価であり、クラシック音楽の初心者にも、そして本演奏をいまだ聴いていない熟達した愛好者にも自信を持ってお薦めできる名BOXと高く評価したい。

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2013年12月04日


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大器晩成の巨匠・テンシュテットがEMIにレコーディングを開始し、その圧倒的な実力が認められ始めたのは1970年代後半から1980年代にかけて。

手兵ロンドン・フィルとのマーラー全集をはじめ、ベルリン・フィルを指揮したシューマンやメンデルスゾーン、そして当盤のシューベルトで見せたしなやかな感性、構えの大きさで瞬く間に人気が爆発した。

この「ザ・グレート」は推進力に満ち、濃厚な表情もたっぷりで聴き応え充分。

がっちりとした構成感をおきながら雄渾に起伏させて、ベルリン・フィルの豊潤な音を十分に響かせた希有の名演。

細部にまでテンシュテットの個性が表れた素晴らしい演奏だ。

適度の客観的な平衡感が4つの楽章を整然と造形しており、その中に創意にみちた自発的な表情が生まれている。

加えて第1楽章のコーダでは、テンシュテットのスケールの大きさが十二分に示される。

第2楽章の清澄な響きとのびやかな歌、第3楽章の表情の対比の見事さ、終楽章の堂々とした恰幅のよさなど、すべてに好感と説得力がある。

テンシュテットの人間臭さ、そして不思議な没我・集中型の指揮が、この作品をどれほど純粋な、高揚されたものに高めているかが、聴き手の一人一人の感銘の中に深く銘記されれば幸いである。

テンシュテットがベルリン・フィルの最も有力な次期音楽監督と評判になった頃の録音でもあり、フルトヴェングラー以後「音楽に最も真摯に取り組んだ指揮者」といわれたテンシュテットの芸術を知る上でも、マーラーとともに絶対に忘れることのできないものである。

音質もデジタル録音で申し分ない。

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1984年8月26日、ロンドン、ロイヤル・アルバートホールでのライヴ録音。

テンシュテットらしく気宇壮大なドイツ・レクイエムである。

テンシュテットはこのライヴの直前に、EMIにこの曲をスタジオ録音している。

それと比べると、ここでの演奏は重々しさと彫りの深さが大きな魅力になっている。

大変な重量感を持って迫ってくる演奏で、並外れた集中力と表現意欲の賜物と言える。

この作品の構成的な美しさを、よくひき出した演奏で、小細工を弄することなく、正攻法で挑んでいるところに惹かれる。

全体をゆっくりとしたテンポで流しながら、たっぷりと旋律を歌わせているあたり、いかにもテンシュテットらしい。

静謐な演奏で、ここには真摯な祈りがあり、聴き進む程に心に浸み入ってくる名演だと思う。

底知れぬ暗さと、ふっと訪れる美しく優しい響きの対比は極端なほどで、まさにテンシュテットならではの鎮魂歌。

スタジオ盤のジェシー・ノーマンも素晴らしいが、ここでのルチア・ポップの可憐な歌声もとても魅力的。

ただし、曲によっては合唱がやや物足りないところもあるが、オーケストラは見事だ。

そして他の演奏家、たとえばカラヤンのような豊かな響き、もしくはヘレヴェッヘのような、ひたすら洗練された美しい演奏と比べると、非常に重く暗い演奏なので、集中力と根気が要る。

しかし、覚悟を決めて聴き通すと、そこには素晴らしい感動が待っている。

BBCレジェンドとしては音質も充分満足いくものだ。

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故テンシュテットとロンドン・フィルのコンビは多くの名盤・名演を残したが、BBC放送音源をCD化したこのブラームス「第1」のライヴ演奏は極めつけに凄い。

1990年の録音で、テンシュテットが癌のためロンドン・フィルの音楽監督を退き、桂冠指揮者となって闘病生活を送りつつ演奏活動を行っていた時期の演奏。

テンシュテットの命の炎をふりしぼるような指揮にロンドン・フィルが感応し、冒頭から熱気溢れる演奏で、感動の第4楽章まで一気に走り抜ける。

壮絶きわまりない演奏で、とても闘病生活中の指揮とは思えない。

作品にふさわしい、堂々と力強く、気宇の大きいブラームスだが、テンシュテットの特色は、強壮な中にも意外なほど繊細な感性をもっていることにある。

終楽章で息の長いフレージングが、悠揚と高潮してゆく劇性も素晴らしい。

ロンドン・フィルの響きが艶やかに磨かれ、旋律のなめらかさがブラームスの晦渋さを救っているのもこの演奏の魅力である。

この曲の名演・名盤は数多くあるが、ライヴ演奏では真っ先に本作を筆者は推薦したい。

テンシュテットはここでも全身全霊を音楽に傾ける姿勢が顕著な演奏内容となっている。

ボレットはシューマンのピアノ協奏曲をシャイーとスタジオ・セッション録音(1985年)をしており、その堅実な演奏内容は素晴らしく充実していたが、ボレットもまた、スタジオ録音よりはライヴで真価を発揮する名うてのヴィルトゥオーゾ。

シューマンの狂気は、テンシュテットとの顔合わせであるこちらのほうがはるかに色濃いといえるだろう。

そしてボレットとテンシュテットのライヴならではのスリリングな競演が、これまた素晴らしい。

いずれも音質良好で、ファンを釘付けにするのは必至と思われる。

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2013年12月03日


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テンシュテットがロンドン・フィルを1992年10月8日に指揮したベートーヴェン「第9」のデジタル・ライヴ録音。

録音時期を考えると、この演奏はテンシュテットの活動における最期の時期のもので、良く知られる1985年盤に目立つ激しさよりも、穏やかで諦念に満ちた歌心が随所に見られる魅力的な演奏となっている。

「これがテンシュテットとの最後の共演になるかもしれない」というロンドン・フィル側の思いが演奏に反映されているのかもしれない。

それでも演奏は空恐ろしいほどの集中力に満ちている。

第1楽章では深く深く抉るように音楽の底へ沈降していくオーケストラに圧倒される。

第2楽章では、ティンパニがいつもの3倍ぐらいの力で叩いているようにも聴こえる。

第3楽章の諦感に充ちた粛々と過ぎ去ってゆく時を慈しむかのようなアダージョの美しさと、終楽章の宗教曲的な神々しい緊張感は、最晩年のテンシュテットならではである。

もちろんテンシュテットらしく終楽章などは爆裂しているが、オーケストラも当時最高の名歌手たちも、その指揮に全身全霊で応え、ホール全てが信じられないような白熱した空気に包まれている。

ただし、全体として少々力みすぎている節があり、それが音楽の流れを阻害している部分も散見される。

その意味では同じ組み合わせによる1985年9月13日のライヴ録音(既にエントリー済)の方が完成度は高いし、割りと誰にも解りやすいと思われる。

しかし、テンシュテットとロンドン・フィルが最後まで相思相愛であったことが痛いほどわかる演奏であり、その一つの記録ということができよう。

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1984年4月13日 大阪フェスティバル・ホールに於けるライヴ録音。

1984年、テンシュテットとロンドン・フィルが日本で行ったライヴがついに陽の目を見た。

テンシュテットといえばマーラー。しかも5番という、きわめつけのレパートリー。

すでにロンドン・フィルとの2種の録音(78年スタジオ・88年ライヴ/EMI)が広く知られているが、これもそれらに優るとも劣らない仰天演奏。

1楽章葬送マーチからして恐るべき粘っこさで、歩みを重く引きずるような、この途方も無い暗さはいったいどこから来るのか。

濃厚な葬送行進曲からつながる嵐の2楽章、ホルンも弦もすべてがパワー全開の豪放なスケルツォ、アダージェットでのこの上ない陶酔、そしてフィナーレの爆発的な絶頂。

どの瞬間でもオケの異常な集中力と緊張感とが途切れることがない。

この指揮者ならでは音楽に全身全霊を傾ける独特のやり方を、ここまで端的にあらわした例も数少なく、いまだに実演を目の当たりにした人々が口々に語り継ぐのも当然の演奏内容と言えよう。

一方、カタログ初の「ハフナー」はあくまで端正優美で、このあたり、マーラーとはまったく対照的なのがたいへん興味深いところで、それもこれも当アルバムが一夜のプログラムをすべて収めているからこその醍醐味だ。

さらにテンシュテットの肉声が聴けるインタビューが収められているのも嬉しいポイント。

録音については、幸いなことにマスターの状態も良く、Altusによる鮮烈かつ重厚なリマスタリングが素晴らしい出来栄えで、世紀の名演を今日に蘇らせてくれた。

「ここではテンシュテットの芸術の魅惑が最善の状況で記録されている(音楽評論家小石忠男氏によるライナーノートより)」。

まさにこれはテンシュテットのマーラー・音楽・生きざまが刻み込まれた畢生のドキュメント。

彼の心からのファンはもちろん、魂を揺さぶる音楽を求めている人に熱い感動を約束してくれる1枚である。

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ドイツ音楽を得意としたテンシュテットと、彼とは最も縁が深く相性の良かったロンドン・フィルによるブルックナー。

かつて従来CDで聴いた際は、それほどいい演奏のようには思えなかったが、今般のHQCD化によって驚いた。

これほどまでに素晴らしい演奏だったとは。

スケールの大きな第8番を雄大に、そして緻密に聴かせるテンシュテットならではの至芸がここに展開されている。

テンシュテットは、本来的にはマーラー指揮者だと思う。

マーラーを指揮する時、テンシュテットはまるで別人のように燃え尽くす。

その劇的な演奏は、かのバーンスタインにも匹敵するほどで、特に、ライヴ録音における命懸けの爆演は、身も体も吹っ飛ばされるような圧巻の迫力を誇っている。

他方、テンシュテットは、ブルックナーのすべての交響曲を録音しているわけではない。

しかも、録音した交響曲(特に、本盤の「第8」や「第4」が中心となるが)に対するアプローチは、マーラーに接する際と同様だ。

ブルックナー演奏の王道とも言えるインテンポなど薬にしたくもなく、激しく変転するテンポ設定や思い切った表情づけ、強弱の変化、アッチェレランドの駆使など、ある意味では禁じ手とも言えるような指揮ぶりだ。

それでも、聴いた後の感銘はなかなかのものなのだ。

最近発売されたベルリン・フィルとのライヴ録音も聴き応えのある名演だったが、高音質化された本盤の手兵ロンドン・フィルとの演奏もテンシュテットならではの味わい深いブルックナーであり、名演と評価するのに些かの躊躇をするものではない。

ヴァントや朝比奈の超名演と比較して云々することは容易であるが、彼らの演奏だけが正解ということはない。

必ずしも正統的な演奏とは言い難いが、テンシュテットの個性があらわれた異色の名演と評価してもいいのではないだろうか。

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2013年11月17日


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1992年8月20日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ録音。

演奏、録音ともに揃った素晴らしいディスクで、テンシュテットの真価を味わうことができる超名演である。

かつてNHKで放映された同年のワーグナー・ライヴも超弩級の破格の名演だったが、今回ディスク化された音源も素晴らしい出来映えである。

ここには、テンシュテット最晩年の病魔と闘うという鬼気迫るような凄まじい緊迫感が感じられる。

テンシュテットは例によって異常なハイ・テンションであり、ロンドン・フィルがドイツのオケ顔負けの渾身の力を出して応えている。

テンシュテットの圧倒的な統率の下、うなりあげるような低弦の重量感溢れる迫力やティンパニの雷鳴、天国的な美しさを誇る高弦の囁き、悪魔的な金管の最強奏など、いずれも素晴らしい。

ワーグナーを聴く醍醐味がここにあり、殊にクライマックスでのテンシュテット節炸裂は凄絶。

ワーグナー芸術の持つ祝祭性と官能、陶酔の輪舞がテンシュテットの桁外れの表現力により余すところなく描きつくされている。

インテンポではなく、楽劇(歌劇)全体を意識した緩急自在のテンポ設定や、思い切ったダイナミックレンジの幅の広さが特徴ではあるが、音楽がそうした指揮によって矮小化することなく、スケールの大きさをいささかも損なうことがないのが素晴らしい。

爆演系とのレッテルが貼られがちなテンシュテットだが、大変に実力のある指揮者だからこそここまで演奏ができる、という点が見落とされがちであり、オケのコントロールといい、スコアの読みといい、素晴らしい演奏内容である。

音質も今まで出た正規ライヴ盤の中でも最高級で、音抜け、ティンパニの轟音、シンバルの立体的な響き、そして会場の雰囲気等々CDでもかなり再現できている部類に入るのではないだろうか。

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2013年06月14日


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近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、テンシュテットによる最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る交響曲第8番の録音の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという人もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

本盤に収められたマーラーの交響曲第5番及び第10番は、前述の交響曲全集に収められたものからの抜粋である。

テンシュテットのマーラーの交響曲第5番と言えば、同じく手兵ロンドン・フィルとの演奏であるが、来日時のライヴ録音(1984年)や壮絶の極みとも言うべき豪演(1988年)が有名であり、他方、交響曲第10番については、ウィーン・フィルとの一期一会の名演(1982年)が名高いところだ。

それだけに、本盤に収められた演奏は、長らく陰に隠れた存在とも言えるところであったが、今般、久々に単独での発売がなされたことによって、その演奏の素晴らしさがあらためてクローズアップされた意義は極めて大きいものと言わざるを得ない。

確かに本演奏は、咽頭がん発病後、一つ一つのコンサートに命がけで臨んでいた1988年の演奏ほどの壮絶さは存在していないが、それでも前述のようなテンポの思い切った振幅を駆使したドラマティックにして濃厚な表現は大いに健在であり、スタジオ録音ならではのオーケストラの安定性も相俟って、第10番ともども、まさにテンシュテットのマーラー演奏の在り様が見事に具現化された至高の超名演と言っても過言ではあるまい。

本盤に収められた演奏については、前述のように個別には手に入らず、全集でしか手に入らなかったことから、HQCD化などの高音質化がこれまで施されていなかったが、そのような中での、今般のSACD化は長年の渇きを癒すものとして大いに歓迎したい。

いずれにしても、本SACD盤を聴いて大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、テンシュテットによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

そして、可能であれば、全集の他の交響曲の演奏についても、SACD化して欲しいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

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2013年06月08日


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凄い超名演だ。

これほどまでに心が揺さぶられる演奏は、他にもほとんど例がないと言っても過言ではあるまい。

テンシュテットは、1985年に咽頭がんを患った後は、健康状態を確認しながら一つ一つのコンサートにそれこそ命がけで臨んでいた。

もっとも、本演奏が行われた1986年は、いまだ病状が深刻化しておらず、コンサートの数も比較的多かったとのことであるが、それでも演奏にかける渾身の情熱には尋常ならざるものがあったと言えるのではないか。

本盤の演奏についても、楽曲の性格からして第2番や第5番、第6番の豪演ほどの壮絶さはないものの、それでも凄まじいまでの迫力を誇っているというのは、まさにそれをあらわしていると言えるだろう。

第1楽章冒頭の8本のホルンによる壮麗な咆哮からして、とてつもないエネルギーが充満している。

その後は、第1楽章及び第2楽章ともに、迫りくる死に追い立てられているような焦燥感さえ感じさせるやや速めのテンポを基調としつつ、変幻自在のテンポの振幅、そして思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドやディミヌエンド、そしてゲネラルパウゼなどを大胆に駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき劇的な豪演を展開している。

そして、演奏のどこをとっても切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力と強靭な気迫に満ち溢れており、加えて、すべての音に尋常ならざる熱き情感が込められるなど、その凄みのある表現は我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っている。

第3楽章や第4楽章において、中庸のテンポによって楽想を徹底して心を込めて歌い上げていくのも感動的であると言えるし、第5楽章の合唱も清澄にして崇高な美しさを誇っている。

また、終楽章の奥行きの深い表現は出色のものがあり、まさにマーラーの全交響曲を貫くテーマの一つである生への憧憬と妄執を見事に音化し尽くしたものとも言えるだろう。

テンシュテットは、交響曲第3番を本演奏の7年前の1979年にもスタジオ録音しており、それも素晴らしい名演であったが、強靭な気迫や渾身の生命力、そして、迫りくる自らの死を予見していたが故に演奏全体に漲っているとも言える心を込め抜いた熱き情感において、本演奏には到底及ばないものと考える。

また、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルも、テンシュテットの命がけの渾身の指揮に必死になって喰らいつき、おそらくは持ち得る実力以上のものを発揮した大熱演を繰り広げたことも、本超名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

第4楽章のメゾ・ソプラノのヴァルトラウト・マイアーによる独唱や、第5楽章のイートン・カレッジ少年合唱団やロンドン・フィルハーモニー合唱団による合唱も、その実力を十二分に発揮した最高のパフォーマンスを発揮していると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、マーラーの交響曲第3番の名演としては、同じくライヴ録音でもあるバーンスタイン&ニューヨーク・フィルによる至高の超名演(1988年)が存在しているが、本演奏もそれに肉薄する圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質も、1986年のライヴ録音としては、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールの残響を生かした十分に満足できるものであり、テンシュテットによる超名演を良好な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2013年04月25日


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壮絶な超名演だ。

テンシュテットは、1970年代の後半から1980年代の中頃にかけて、手兵のロンドン・フィルとともにマーラーの交響曲全集(スタジオ録音)を完成させた。

その中でも、「第8」(1986年録音)は全集の有終の美を飾る名演として特に高い評価を得てきたが、本盤は、それを更に上回る感動的な超名演だ。

ライヴ録音特有のオーケストラ演奏の瑕疵も一部に聴かれるなど、演奏全体の安定性といった観点からは1986年盤の方を採るべきであろうが、本盤の超名演を聴き終えた後の深い感動からすれば、そのような瑕疵など全く問題にならない。

テンシュテットは、前述の全集の完成直後に咽頭がんを患い、闘病生活を経て奇跡的な復帰を遂げたが、その後は健康状態がいい時に限ってコンサートが行われた。

したがって、コンサートの数は限られたが、それだけにそのコンサートの一つ一つが命がけのものであった。

その命がけのコンサートの記録の一部が既に発売されており、こうして発売された「第1」、「第2」、「第5」、「第6」、「第7」のライヴ録音(EMI、LPO自主レーベル)は、いずれ劣らぬ壮絶な超名演であった。

マーラーは、愛娘の死などの経験から死を異様なまでに恐れたが、その一方で、人一倍楽天家でもあった。

そうしたマーラーの特異な性格は楽曲にも反映されることになり、その交響曲の本質は、他にもいろいろと考えられるが、基本的には、死との闘いと生への憧憬や妄執にあったと言える。

テンシュテットの晩年の心境は、マーラーの交響曲の本質と見事に合致するところがあり、このような指揮者と作曲者の心身の一体化が、かかる超名演を生み出す原動力になったものと考える。

本盤も、そうした一連の超名演に連なるものだと言える。

思い切ったテンポ設定の変化といい、幅の広いダイナミックレンジといい、テンシュテットのドラマティックな指揮ぶりは際立っているが、その壮絶な命がけの演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力に満ち溢れている。

テンシュテットの壮絶な指揮の下、ロンドン・フィルも、そして合唱団や独唱陣も最高のパフォーマンスを示しているのも素晴らしい。

録音も鮮明であり、申し分のないレベルに達していると言える。

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2013年03月21日


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テンシュテットの真価を味わうことのできる超絶的名演だ。

本盤の録音は、1980〜1983年であり、これはテンシュテットが咽頭癌で倒れる直前であるが、ここでは、既に、晩年の鬼気迫るような気迫溢れる大熱演が聴かれる。

したがって、ここには、最晩年の病魔と闘うというような凄まじい緊迫感はいまだ感じられないが、それでも、オーケストラを全力で追い立て行く生命力溢れる爆演ぶりは、テンシュテットだけに可能な至芸と言えるだろう。

スタジオ録音でありながら、あたかもライヴ録音であるかのような豪演だ。

こうしたテンシュテットの、オーケストラを追い立てていくような大熱演は、よほどのオーケストラでないと付いて行くのが困難であると思われるが、さすがは天下のベルリン・フィル。

本盤の録音当時は、カラヤンとの関係が最悪の状態にあった時期であり、カラヤンの後継者と目されていたテンシュテットと至高の名演を成し遂げることによって、カラヤンを見返してやろうとの強い意識も働いていたものと思われる。

それ故にかここではベルリン・フィルも、世界一のオーケストラの名に恥じない望み得る最高のパフォーマンスを示している。

テンシュテットは、楽劇全体を意識した緩急自在のテンポ設定や、思い切ったダイナミックレンジの幅の広さが特徴ではあるが、音楽がそうした指揮によって矮小化することなく、スケールの大きさをいささかも損なうことがないのが素晴らしい。

マーラーの演奏で垣間見せるようなテンポの変化は殆どなく、ゆったりとしたインテンポによるスケール雄大なアプローチであり、それでいて、劇的な迫力にもいささかも不足もない。

テンシュテットの圧倒的な統率の下、ベルリン・フィルのうなりあげるような低弦の重量感溢れる迫力やティンパニの雷鳴、天国的な美しさを誇る高弦の囁き、悪魔的な金管の最強奏など、いずれも素晴らしい。

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2013年02月25日


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いずれも素晴らしい名演だ。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番はスタジオ録音もなされていない演目であるが、テンシュテットは、マーラーを指揮する時に垣間見せるような劇的な指揮ではなく、ドイツ正統派の正攻法のアプローチで、堂々たる名演を成し遂げている。

ゲルバーの巨匠風のピアニズムによるところも大きいとは思うが、こうしたゲルバーのピアノを包み込むようにサポートしたテンシュテットの指揮もまた見事であったと言える。

他方、ブルックナーの交響曲第4番は、既にスタジオ録音を行うとともに、来日時のライヴ録音も発売されている、テンシュテット得意のレパートリーの一つだ。

テンシュテットと言えば、どうしてもマーラー指揮者のイメージをぬぐい去ることは出来ないが、ブルックナーの第4番に関しては、テンシュテットのアプローチと同曲の相性が抜群に良いこともあって、これまで発売されたCDはいずれも名演だ。

しかしながら、本盤の登場によって、既発売のCDは、太陽の前の星のように存在感を殆ど失ってしまった。

それくらい、本盤の出来は群を抜いている。

テンシュテットは、マーラーを指揮する時とは異なり、ゆったりとしたテンポで曲を進めている。

それでいて、いささかも冗長には陥ることなく、随所で独特のスパイスを効かせた解釈を示しているが、それがいわゆるブルックナーの本質から逸脱することがないのは、テンシュテットの同曲への深い理解と愛着の賜物と言える。

金管の最強奏も、ベルリン・フィルの卓越した技量もあって、圧倒的な迫力を示すが、無機的に陥ることがないのは、さすがの力量と言えるだろう。

録音も非常に鮮明で素晴らしい。

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まず、コンサートの演目に驚かされた。

ブルックナーの「第8」に、他の曲目を組み合わせることは、基本的には考えられないところであるが、ライナーノーツによると、カラヤンのキャンセルによるとのことであり、漸く納得がいった。

カラヤンのプログラムでは、ブルックナーの「第9」を予定していたようであるが、テンシュテットは、「第9」の代わりに「第8」に切り替えたのであろう。

テンシュテットは、マーラーとは異なり、ブルックナーについては、特定の曲だけを指揮してきた。

ライヴ録音を含めると、録音されたのは「第3」、「第4」、「第7」、「第8」のみであり、特に、「第4」と「第8」は、スタジオ録音も行うなど、得意のレパートリーとしていたようだ。

要は、自信のある曲しか指揮しないという、テンシュテットの芸術家としてのプライドが感じられる事実と言える。

ただ、「第4」はともかく、「第8」については、スタジオ録音も含め、既発売のCDはどこか食い足りない点が多々あるように考えてきたところだ。

やや、テンポをめまぐるしく変化させるなど、ブルックナーを聴くよりは、マーラーを聴くような印象を与えがちな点に違和感が感じられたのだ。

しかしながら、本盤の「第8」は素晴らしい名演だ。

テンポは速めであるが、いつものテンシュテットにように、テンポを激変させるのではなく、できるだけインテンポを維持することによって、ブルックナーの本質をいささかも損なうことのない演奏に仕上げることに成功している。

ベルリン・フィルの管楽器群の優秀さや、弦楽器の重量感溢れる合奏の力強さによる点も大きいとは思うが、ベルリン・フィルを統率して、ここまでの演奏を成し遂げた点は、テンシュテットの力量によるところも大きいと考える。

バッハは、ブランディスをしっかりとサポートする点に力点を置いているように思うが、こちらも素晴らしい名演だ。

音質も非常に鮮明で、見事なものだ。

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両曲ともに素晴らしい名演だ。

ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲は、テンシュテットとしては、スタジオ録音もなく、極めて珍しいレパートリーと言えるが、交響曲第8番や第9番の名演を遺していることを考えると、必ずしも意外な演目とは言えないのかもしれない。

新進のヴァイオリニストのザゾフスキーをしっかりとサポートするという点に重点を置いているような気もするが、ベルリン・フィルを巧みに統率して、シンフォニックで重厚な名演を成し遂げている点を高く評価したい。

このような名演を耳にすると、テンシュテットの指揮で、ドヴォルザークのチェロ協奏曲を聴いてみたいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

シューベルトは、テンシュテットとしても、スタジオ録音を遺しているし、ライヴ録音も存在する得意のレパートリーと言える。

本盤で見られるアプローチも、そうした他の演奏におけるアプローチと殆ど変化はない。

ただ、ベルリン・フィルとのライヴ録音ということもあり、本演奏には凄まじい気迫と生命力を感じさせる。

随所で「晩年のフルトヴェングラーか」と思わせるような畳み掛けがあり、切れば血が出るような勢いがほとばしる。

速めのテンポで一気呵成に突き進んでいくような演奏であるが、随所に盛り込まれた最晩年のシューベルトならではの暗い抒情の歌い方も素晴らしく、知情兼備の爆演と高く評価したい。

とにかく凡庸な音は皆無であり、冗長にもなりかねないこの曲をこのように捌くとは…、テンシュテット恐るべし、と言ったところだ。

録音も、非常に鮮明で素晴らしい。

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2013年02月22日


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筆者が知る限り、唯一テンシュテットとロンドン・フィルのライヴ盤だけが、作曲者の妄執や狂気にふさわしい異常性を持っていると思う。

第1楽章の疾風怒涛の荒れ狂い方からして常軌を逸している。

技ではなく力づくで敵をなぎ倒しながら一直線に進んでいくような殺気には度肝を抜かれよう。

弛緩した演奏だと永遠に続くかのように感じられる第1楽章が、あっという間に終わってしまう。

けっして物理的な時間が短いわけではなく、心理的な時間が短いのである。

第2楽章も最初から合奏の足並みが乱れるほどの突っ込み方で、2度目はないと言わんばかりだ。

これを聴くと、テンシュテットがフルトヴェングラーの再来と呼ばれたのも当然と思えてくる。

テンポを上げていくときの追い込みも凄く、実際のテンポの変化はわずかでも、気味が悪いほどの緊迫感があるのだ。

一転、第3楽章ではこれがロンドンのオーケストラかというほどに丁寧に心を込めて歌っておいて、再び嵐のフィナーレへと突入する。

独唱陣、合唱ひっくるめて火がついたような猛烈な熱演だ。

大編成の合唱は空気を揺るがせたかと思うと、静かなところでは祈るかのように歌う。

曲のいちばん最後、他の指揮者たちよりも速いくらいのテンポから止まらんばかりに一気に速度を落とし、最後の「喜びよ、神々の美しい火花よ」を歌いあげ、そこからぐんぐんと加速していく決めの大胆さにも唖然とさせられる。

これを聴くと結局「第9」はこのように作品のまっただ中を生きるように演奏するほかはないと思われてくる。

音質は充分に良く、お持ちでない方は迷わず買うことだ。

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テンシュテットは、ベルリン・フィルとの相性は抜群であったが、他方、ウィーン・フィルとの関係は最悪だったと言われる。

同じマーラー指揮者であるバーンスタインが、ウィーン・フィルとの相性が良く、ベルリン・フィルとは良くなかったというのと対照的である。

バーンスタインは、ベルリン・フィルとマーラーの「第9」の一期一会の熱演(名演と言うには躊躇している)を遺したが、同じように、テンシュテットが、マーラーの「第10」の一期一会の熱演(こちらは超名演)を遺したというのは大変興味深い。

本盤を聴いて思うのは、やはりテンシュテットは生粋のマーラー指揮者だということ。

ウィーン・フィルも、おそらくはその点はテンシュテットに一目置いていて、マーラーの「第10」では、テンシュテットに必死についていっているのがよくわかる。

アダージョだけで29分というのは、かのシノーポリの怪演と同様のテンポの遅さであるが、演奏の性格は正反対。

テンシュテットの内なるパッションの爆発は凄まじく、ウィーン・フィルの鉄壁のアンサンブルにも乱れが生じているほどの劇的な爆演だ。

これは、指揮者とオーケストラの極度の緊張感が生み出した奇跡的な超名演であり、おそらくは、マーラーの「第10」の中でも最高レベルの超名演と高く評価したい。

これに対して、ベートーヴェンの「エロイカ」。

これは、ウィーン・フィルのテンシュテットへの不満がありありで「マーラーでは譲歩しても、ベートーヴェンは俺たちの音楽。お前の言いなりにはならないよ」とばかり、テンシュテットの熱い指揮に対して、ウィーン・フィルの冷めた演奏が際立つ。

第2楽章など、ベートーヴェンと言うよりはマーラーの葬送行進曲のようであるが、ウィーン・フィルの嫌々ながらの演奏が、余計にそうした演奏の性格を際立たせている。

これは、マーラーの「第10」とは異なり、一期一会の出会いがマイナスの方に出た演奏と言えるだろう。

もちろん、一期一会の記録としての価値は高いとは思うが。

録音はいずれも超優秀だ。

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驚天動地の超名演だ。

テンシュテットが咽頭癌に倒れる直前の演奏会の記録であるが、まさに命がけの鬼気迫るような凄まじい豪演とも言える。

ムソルグスキーの「はげ山の一夜」は、スタジオ録音も遺されているが、大きく違うのは本盤ではオリジナル版を採用している点。

オリジナル版に拘った指揮者としてはアバドがあり、同じくベルリン・フィルとの録音を遺してはいるが、本盤と比べると、演奏にかける気迫、力強い生命力や表現力において、雲泥の差があると言えよう。

冒頭から、何事が始まったかと思われるような、大地が鳴動するが如きド迫力であり、演奏終了後は、あまりの凄さに聴衆が拍手を一瞬ためらっているような様子も記録されている。

プロコフィエフも凄い。

グティエレスのピアノも、圧倒的な技量の下、最高のパフォーマンスを示しているとは言えるが、ここでの主役はやはりテンシュテットだ。

緩急自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化をつけて、プロコフィエフのピアノ協奏曲の中でも難解と言われる同曲を見事に解析してくれている。

そして、メインの「新世界より」。

同曲にはスタジオ録音があるが全く問題にならない。

これほどまでにオーケストラを追い立てていく圧巻の指揮ぶりは、殆ど狂気ですらある。

いわゆるチェコの民俗色など薬にもしたくはなく、テンシュテットの手にかかると、同曲は、ベートーヴェンの交響曲にも匹敵するような大芸術作品のように聴こえる。

終楽章など、主部は阿修羅のような勢いで突進していくが、それでいて、中間部の抒情も実に美しくて感動的だ。

演奏終了後の熱狂も当然のことのように思われる。

録音も非常に鮮明で素晴らしい。

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壮絶な超名演だ。

テンシュテットは、もし現在も存命であれば、今年は86歳(これは、スクロヴァチェフスキよりも若い)になったはずで、咽頭癌で若くして死去したのは、音楽界にとって大きな損失であったが、本盤のような燃焼度の高い演奏を繰り返していた点にかんがみれば、心身ともに相当に負担がきていたのではないかと思われるほどだ。

それほどまでに、本盤の演奏は豪演だ。

メインのドヴォルザークの第8番は、スタジオ録音がなく、数年前にBBCからライヴ音源が発売されたが、演奏の質は本盤の方がはるかに上。

このように劇的な名演は、他には類例を見ないものと思われる。

第1楽章は、うねるようなテンポ設定と、随所に噴き出てくるようなパッションの爆発が圧巻だ。

第2楽章も、緩急自在のテンポ設定を駆使した一大叙事詩のようなスケールの雄大さが素晴らしい。

第3楽章は、感傷には陥らない高踏的な美しさが見事である。

そして、終楽章は、おそらくは史上最速とも言えるハイテンポで全曲を駆け抜ける。

ベルリン・フィルの重量感溢れる演奏も相俟って、圧倒的な迫力の下、全曲を締めくくるのである。

次いで、プフィッツナーの序曲が素晴らしい。

この生命力に満ち溢れた劇的な名演は、テンシュテットだからこそ可能な至芸と言える。

モーツァルトのピアノ協奏曲第23番は、ピアニストのヒアーホルツァーのサポートを最優先させた感もあるが、それでも第2楽章の悲劇的な表現などにテンシュテットならではの個性も散見され、名演と評価するのにやぶさかではない。

録音も、非常に鮮明であり、十分に満足できる。

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2012年07月30日


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マーラーは、1990年1月28日 ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールに於けるステレオ(ライヴ)録音。

テンシュテットは、癌を発症して復帰した後は、一回一回の演奏会で命がけの鬼気迫る演奏を行った。

本盤のマーラーも、1990年の録音であり、そうした鬼気迫る演奏の一つであるが、同じ時期のシカゴ交響楽団との演奏と比較しても、オーケストラの技量はやや劣るものの、気心の知れた手兵であるだけに、演奏自体はこちらの方が数段上の出来ではないだろうか。

ロンドン・フィルとのライヴでは1985年に次いで2種目の「巨人」となるが、遅めのテンポで、細部まで抒情的に歌い込んだ美しい演奏。

何時にも増してテンポを細かく揺らし、細部の表現にこだわり音楽に没入していくが、テンシュテットの精妙な表現と一体化するロンドン・フィルが見事で、冒頭から緊張感が途切れることなく、音楽はどこまでも自然に流れ高揚する。

テンポは激しく揺れ動くとともに、粘ったリズムや雷鳴のようなティンパニ、耳をつんざくような鋭い金管の音色、生への妄執とも言うべき憧れの調べなど、我々がマーラーの交響曲第1番に望むすべての要素を兼ね備えていると言えるだろう。

これに比べるとシカゴ響とのライヴは、若干表現が硬く感じられるほど。

正直、また「巨人」かという感じもあったが、このCDはテンシュテットの「巨人」の中ではもっとも内容の充実した演奏だと思った。

テンシュテットのマーラーの「第1」の中で、のみならず過去の様々なマーラーの「第1」の名演の中でも、トップの座を争う超名演であると評価したい。

「ルスランとリュドミラ」序曲は、ムラヴィンスキーの超絶的名演がある以上、どの演奏を持ってしても物足りないが、ムラヴィンスキーの超名演を度外視すれば、これもなかなかの名演だと思う。

本盤の惜しい点は録音が、残響が多すぎたり楽器のバランスが悪かったりするなど、いささか焦点がぼけている点。

しかし、それも高い次元での話であり、ぜいたくを言わなければ十分に満足出来よう。

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テンシュテットは明確なポリシーを持ち、決して妥協をしなかったそうだ。

だから特にウィーン・フィルや北ドイツ放送響に嫌われた。

世界中のオケや関係者から警戒された。

悲しいことだ。

ただ世界中でロンドン・フィルとベルリン・フィルだけが、テンシュテットのポリシーと情熱を受け入れた。

オケが指揮者を信頼し、全身全霊をかけて音楽に没入する記録はそれほど多くない。

テンシュテットとロンドン・フィルにはそれがある。

両者の音楽は技術的なものを超えて圧倒的な説得力持つものが多い。

マーラーはスタジオ録音にはない燃焼度の高さがこの演奏の売りである。

かなり切迫した表現であり、テンシュテット特有の振幅の大きい見事な演奏である。

ロンドン・フィルも、まさに人生がこの演奏にかかっているかのようなのめりこみよう。

アンダンテも非常に艶めかしい。

リュートの音が明瞭に聴こえるなど、総じて打楽器系統は非常にクリアに録られており、かなり近接マイクのようである。

ロイヤルアルバートホールとかロイヤルフェスティバルホールとかだとこういう風には響かないはずである。

つまり、間接音控えめの、インパクトのある録音で、1980年のライヴということを考えれば、相当の高水準と考えて良いと思う。

「ジュピター」は北ドイツ放送響との好演もあったが、こちらも良い。

こちらは、会場がロイヤルアルバートホールでマスの響きで、間接音が豊かである。

やはり、テンシュテットはマーラー指揮者だ。

バーンスタインとはまた異なる燃焼系である。

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2012年01月18日


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1998年1月11日に惜しまれつつ亡くなった巨匠テンシュテットの真髄。

テンシュテットは生前マーラー指揮者として知られ、ロンドン・フィルと全交響曲を録音した。

しかし、この演奏は1990年にシカゴ交響楽団定期演奏会に唯一客演したときのライヴである。

巨匠テンシュテットが世界最強のオケ、シカゴ響と残した最高の「巨人」であり、音による巨大な建造物である。

テンシュテットは多くの指揮者と同様、スタジオ録音よりも実演で本領を発揮したが、これもその例外ではない。

しかも、演奏はスタジオ録音とは異なり、雄大なスケールのうちにも全編に緊張感を漲らせたもので、遅めのテンポが大きく揺れ動いてマーラーの光と影を交錯させる。

第1楽章は冒頭から非常な緊張感をもつが、各部の起伏と表情の的確な多彩さが魅力的である。

第2楽章の内面性の豊かさ、第3楽章の純粋な表情もすばらしい。

終楽章のスケールの大きさは比べるものがなく、堂々とした造形の叙事詩的音楽である。

シカゴ響の名技も特筆されるもので、高度な技術とアンサンブルもテンシュテットの解釈にみごと呼応しており、この指揮者特有の官能的で豊麗な響きを、滔々とした流動感をもって表出している。

一世一代の名演とはまさにこのことであろう。

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2011年10月06日


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1984年5月10日、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールに於けるライヴ録音。

雄大で雄渾な演奏が素晴らしいブルックナーで、ライヴの熱気がひしひしと伝わる秀演。

あまり力こぶを入れなくても、壮絶な音が出てくるがのが本当に凄く、実演を聴いたらさぞ感動したと思われる。

音楽の流れは決して滞ることなく自然で、迫力にも事欠かず、一気に全曲を聴かせる。

予想よりも遅いテンポの出だしから自在な揺らぎと大きな息づかいでどんどん引き込まれる。

対旋律を十分に聴かせることや静止に重みを持たせることによって第2楽章は単なる葬送の音楽を越えて曲の構造が際だってくる(第8のアダージョのように)。

テンシュテットとLPOとの「ブル7」はこの音源しか知らないが、この指揮者らしい、剛気な響きに感心していると、思わず溢れ出る歌にゾクッとしてしまう。

テンシュテットのブルックナーではこれが最高だと思う(9番が出てくれば状況は変わると思うが)。

誰とも異なる全く独自のブルックナーで、テンシュテットらしい濃厚な表情をもった演奏だ。

表現者として、この指揮者は本当に凄かったんだなとつくづく思う。

ロンドン・フィルは大健闘!素晴らしいバランスと持続力!

音質がいまひとつとの意見もあるようだが、演奏そのものが素晴らしいのでそれほど気にならない。

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2011年10月03日


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1981年10月29日、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールに於けるライヴ録音。

ほぼ同時期のスタジオ録音とは比較にならない名演奏。

ほぼ似たアプローチなのだけれど、スタジオ録音はどこかよそよそしく、没入できていない感じ。

ところがこれはライヴのせいで感興にあふれて音楽が生きている。

ライヴで豹変する、この指揮者の未来を暗示するような演奏。

ブルックナー「第8」の演奏に何を求めるか、何が必須か、色々な価値観があろうと思う。

しかしこの演奏は、聴き手の理解とは別な、テンシュテットのブルックナー「第8」観が、強く、明確に、表わされていると思う。

賛否両論あろうが、ブルックナー信者必聴の1枚と信じる。

テンシュテットの指揮のもと、奏者は各自の能力を最大限に引き出さざるを得ないまでに駆り立てられ、大変だったろうが、テンシュテットはこれでも満足していなかったのかもしれない。

しかし、総じて、充実の限り!大いに感動した。

音楽に熱中する指揮者と楽団員の様子が脳裏に浮かぶ。

“ブルックナー”や“テンシュテット”どうこうでなく、“凄い音楽”の片鱗がこのCDから聴ける。

このような凄い音楽を、スタジオでは作れなかっただろうと納得。

素晴らしい演奏の、鑑賞に十分な録音だった。

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2011年10月02日


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1989年12月14日、ロンドンのロイヤル・フェスティヴァルホールに於けるライヴ録音。

テンシュテット得意の4番にまた名盤が加わって嬉しい。

他盤よりテンポは若干遅めで、力みがまったく感じられず、どこまでも自然体ながら終楽章に向かってジワジワと高揚するテンシュテットらしい名演。

晩年のテンシュテットの素晴らしさを堪能できる、自然な息遣いの雄大な演奏であった。

ベルリン・フィルとのスタジオ録音よりもテンシュテット節を満喫できる。

第3楽章まではオケが指揮者の要求に応えきれず、大きなうねりを作り上げられずに取り残される印象を与えられる瞬間が結構あった(2楽章は繊細で美しかったけれど)。

しかし、彼らは諦めていなかった。4楽章における熱意の結実ぶりには、文句なしに圧倒された。

芸術家がもがいてもがいて遂に美を掴み取る、恐ろしくも崇高な経験が目の前で展開されていた。

ライヴ録りとしてはバランスも気にならず、大きな破綻もなく、十分に鑑賞に堪え得る水準だと思う。

【演奏会評】
テンシュテットは、今や最高の巨匠の一人である。今回の演奏会でも、極度に高揚し、聴衆を虜にする音楽づくりで、改めて巨匠性を証明してみせた。偉大なクライマックスが訪れる瞬間では、ロンドン・フィルが素晴らしく壮麗な演奏を達成しており、特に金管楽器は白眉である。この演奏の恐るべき迫力は圧倒的なものである。

(1989年12月、英ファイナンシャル・タイムズ)

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2011年07月04日


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凄い超名演があらわれたものだ。

テンシュテットは、マーラーを得意とした指揮者であり、1970年代後半から80年代前半にかけて全集を録音した。

その全集におさめられた録音はいずれも劇的な性格の名演揃いであった。

テンシュテットは当時、ベルリン・フィルにも頻繁に客演して、マーラー以外の作品についても数々の名演を行っており、順風満帆に思われた矢先の1985年に癌が発見され、活動休止に追い込まれた。

その後、闘病の末に何とか復帰するが、1993年に完全に指揮活動を停止してしまうまでの間は、癌との戦いの中での正に命がけの演奏が繰り広げられることになった。

癌が発見されるまでのマーラー演奏すら劇的な性格のものであったのであり、復帰後の演奏は、更に輪をかけて、命を賭けたとてつもない強烈な名演を行うようになった。

特に、EMIが発売した第5〜第7のライヴ録音は、我々聴き手の肺腑を打つ凄まじい超名演であった。

本盤の第2番「復活」は1989年の演奏であるが、これも凄い。

そもそもテンポが全集におさめられたスタジオ録音と比較して段違いに遅い。

全体を約93分というのは、他の指揮者の演奏と比較してもかなり遅い部類のテンポ設定と言えるが、決してもたれるということはなく、全体的に緊張感漂う不思議な静謐さに覆われている。

それはあたかも、迫りくる死に対する諦観の境地のようだ。

それでいて、ここぞという時の悪魔的なフォルティッシモは大地を揺るがすほどの迫力があり、時折見られる猛烈なアッチェレランドはもはやこの世のものとは言えない狂気に満ち溢れている。

終楽章の合唱も圧倒的であり、演奏終了後の熱狂も当然のことであると思われる。

マーラーの「復活」は、筆者としては、これまでバーンスタイン&ニューヨーク・フィルの新盤を最高の名演と考えてきたが、今後は、テンシュテット渾身の命がけの超名演である本盤の方を、更に上位に置きたいと考える。

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2011年04月20日


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ベートーヴェンは非常に遅いテンポだが、チョン・キョンファのソロには緊張感が保たれている。

音色には艶があり、響きはしなやかで、以前のような気迫は感じられないが、そのかわり一層の柔軟性が加わり、演奏が伸びやかになっている。

今ならチョン・キョンファの新盤がいちばん好きだ。それはヴァイオリンが自由闊達に弾いているのに、なおかつ自然さも獲得しているからである。

やりすぎも、踏みはずしもないのに、ひたすら聴き手の心をつかんで離さない。

第1楽章展開部後半の短調のメロディーなど、特別なことは何もせず、心をこめて弾いているだけなのに、澄みきった悲しみが切々と迫ってくる。

テンシュテットのオケも有機的だ。

まず、冒頭の静けさと第2主題の暗さ、それがおずおずと明るく変化していく提示部の美しさを聴いただけで、このオケ部分がすごいことがわかるし、ソロと絡むとき同じ気分で反応していくのには感動してしまう。

この演奏でもっともすごいと感じるのは、第2楽章かもしれない。

静謐な美しさというのはこういうものであろうか。とにかく静かなのだ。心地よい緊張感とともに、音楽がすっと心に入ってくるのである。

オケのデリカシーに満ちた伴奏も特筆ものだ。

第3楽章は、ソロ・オケともども心が弾んでいるのがよくわかる。音楽が前へ前へと流れるので、曲が短く感じられるほどだ。

でもこの楽章でも、例の「静けさ」が時折顔を出す。オーボエとソロヴァイオリンの対話もそれであり、だからこそ終結へなだれ込んでいくクレッシェンドが、こんなにも感動的なのだと思う。

ブルッフでは落ち着いた情感と強い集中力が結びついており、息の長いフレージングで丹念に演奏している。

テンシュテットも息の合った共演ぶりだ。

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2011年03月17日


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1983年、テンシュテットのもっとも愛する第6番がレコーディングされたが、このライヴ録音はそれからしばらくたって収録されたもの。

マーラーでも屈指の暗い曲想を持つこのシンフォニーで、まず筆者が重視するのは、終楽章の導入部である。

運命の動機が冒頭からフル・オーケストラで現れ、金管による鬱々としたコラールに引き継がれる。

不安定な気分をかき立てながら曲は加速し、第1主題のごうごうたるトゥッティへと突き進む。

ドロドロと渦巻く、どす黒い情念が奥底から噴き出し、鬱積した苦悩や不安が赤裸々に姿を現すさまを、これほど強烈な音楽として定着させた例は、古今でも数少ないのではないか。

だからこそ演奏は、諦念のなかにもふつふつとたぎる暗い情念を十全に描き出し、かつスリリングな展開を強烈な曲想のままに示さなければ、ウソだろう。

テンシュテット&ロンドン・フィルの聴きどころは、まさにここにある。

マーラー的な語法を自家薬籠中のものとした上で、存分のドライブ感と彫りの深い演出を聴かせ、曲をきれいごとで終わらせない。

散発的に飛びだす管の突飛なフレーズの扱いや音色、着実なテンポ設定など、彼の棒から自然と生成するリードは、そのまま巧みな設計へとつながり、最終的には強大なカタストロフィーと陶酔へ導いてくれる。

もちろん他の楽章の出来も素晴らしい。

いわゆる「マーラーの毒」をたっぷり含んだ第3楽章の底知れぬ深みは驚異的。

ロンドン・フィルも良くテンシュテットの棒に応えている。

1980年代以降、マーラー・ブームに合わせ、第6番のCDも増えた。だが、生真面目なだけでインパクトに欠ける盤や、分析的なあざとさばかりが目立つ盤などは、やっぱりペケだ。

テンシュテットの第6番には、1991年に行ったライヴ録音もあるが、演奏にほとばしる生命力の強さや端正な造形の点で、筆者は1983年のライヴ録音盤を採る。

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2010年09月08日


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「ツァラトゥストラ」は冒頭の部分からしてひきつけられる。

ゆったりとしたテンポ、幅広く奥行きのある音づくり、そして堂々とした骨太の押し出しなどは、いかにもテンシュテットらしい表現だ。

各フレーズの意味をじっくりとかみしめながら指揮しているといった感じで、その慎重ぶりがよくうかがえる。

有名な冒頭部分のあと、弦楽器が重層的に折り重なる部分は、適度なねっとり感もあって、特に印象的だ。

今日、R.シュトラウスのこうした作品はオーケストラの技量をデモンストレーションする場と化している。

やたらに多くの楽器を使い、音色はいろいろ出るし、音量は大きいし、高度なテクニックを要求するので、腕自慢にはもってこいだからだ。

でも、メタリックな演奏ばかりが幅を利かせているのは困る。

近年はアメリカだけでなく、ドイツのオーケストラまでそう演奏するようになってしまった。

だが、テンシュテットの演奏で聴くと、「ツァラトゥストラ」もドイツ・ロマン派の嫡子であり、ベートーヴェンからあと、ブラームスとかシューマンとかを経過してできあがった音楽なのだなとよくわかる。

この演奏は終始開放的、楽観的である。欲を言えば、健康的にすぎ、例えばケンペがR.シュトラウスを指揮した時のような、陰影の変化に乏しい。

とはいえ、オーケストラの力をめいっぱいに引き出し、聴き手を音響の大海原で遊ばせながらも、単なる娯楽に終わらない点、この曲でも特に注目してよい録音だと思う。

「ドン・ファン」についても同様のことがいえるが、この曲の場合はさらに若さと情熱のたぎりを聴くことができる。

少しばかり健康にすぎるかもしれないけれど、ポップの「4つの最後の歌」も聴き応えのある出来ばえだ。

彼女の「R・シュトラウス歌い」としての豊富なキャリアが、あますところなく示されている。

艶のある、のびやかな歌声が印象的だ。

テンシュテット指揮ロンドン・フィルのサポートも骨のあるところを示している。

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2010年02月18日


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「ロマンティック」はテンシュテットによる初のブルックナー/交響曲録音であった。

ハース版使用と記されているが、実際にはノヴァーク版を用いた演奏らしい。

テンシュテットの器量の大きさは、こうした作品を指揮するとよく生かされるようだ。

彼特有のおおらかな開放感と、様式的・内面的な厳しさを共存させた表情だが、それが感興豊かな音楽の原動力となっている。

テンシュテットの演奏には、一歩一歩作品の核心へと分け入るドラマティックな緊張感と気宇壮大なスケールの大きさがあり、実に説得力あふれる世界を形作っている。

ベルリン・フィルを得たことも大きな魅力で、分厚い弦の響き、輝かしいブラス・セクションの充実が著しい。

アンサンブルは克明・精緻で、ベルリン・フィルの優秀な技術を証明している。

「第8」は頑固でスケールが大きく、いくぶん無造作で、活気に富んだブルックナーだ。

よい意味でワイルドな音楽ともいえる。

それだけに押してゆく勢いがあり、構造的には率直にまとめられている。

テンシュテットは恐らく細部にはさほど配慮していないのだろう。

スコアのデュナーミクの指示もかなり自由に処理されており、神経質なところがないのは、ブルックナーの野人的な一面を期せずして表している。

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