テンシュテット
2010年02月18日
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「ロマンティック」はテンシュテットによる初のブルックナー/交響曲録音であった。
ハース版使用と記されているが、実際にはノヴァーク版を用いた演奏らしい。
テンシュテットの器量の大きさは、こうした作品を指揮するとよく生かされるようだ。
彼特有のおおらかな開放感と、様式的・内面的な厳しさを共存させた表情だが、それが感興豊かな音楽の原動力となっている。
テンシュテットの演奏には、一歩一歩作品の核心へと分け入るドラマティックな緊張感と気宇壮大なスケールの大きさがあり、実に説得力あふれる世界を形作っている。
ベルリン・フィルを得たことも大きな魅力で、分厚い弦の響き、輝かしいブラス・セクションの充実が著しい。
アンサンブルは克明・精緻で、ベルリン・フィルの優秀な技術を証明している。
「第8」は頑固でスケールが大きく、いくぶん無造作で、活気に富んだブルックナーだ。
よい意味でワイルドな音楽ともいえる。
それだけに押してゆく勢いがあり、構造的には率直にまとめられている。
テンシュテットは恐らく細部にはさほど配慮していないのだろう。
スコアのデュナーミクの指示もかなり自由に処理されており、神経質なところがないのは、ブルックナーの野人的な一面を期せずして表している。
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2009年11月28日
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この録音は、指揮者自身がなかなか出来映えに満足できず、発売が遅れたという録音だ。
しかしたとえ未完成であっても、言おうとしていることは非常にはっきりしている。
多分、この言おうとしたことを言い切るには、もはやロンドン・フィルというオーケストラの力量では不可能だったのだ。
ここでは絶対にベルリン・フィルの超絶的な力が必要だった。
酸鼻きわまる絶叫のような第1楽章を聴いていると、そう思われてくる。
とはいえ、それでもなお、これは名作「大地の歌」の最も説得力のある演奏である。
何と言ってもフィナーレが凄絶だ。
この「告別」と題された長い楽章を聴いていると、自分が本来平和な自宅にいることも忘れてしまう。
だんだんうなだれてくる。時間が止まる。曲が描き出す世界の中に完全に吸い込まれてしまう。
普段は明るい音色のロンドン・フィルが暗鬱な響きに一変している。音符のいちいちに異様な力がこもっている。
一般的に、ロンドンのオーケストラは、かの国の伝統なのかどうか、あまりあからさまに悲しいとか不幸だとか言い募るのは品がないらしく、自然に節度が守られてしまうのだが、テンシュテットが指揮した場合は、その暗黙の領域をはみ出し、あえて泥沼に踏み込んでいくのだ。
最後、曲は神秘的な甘さの中で静かに終わる。そのいわく言い難い感触、謎のような微笑、不思議な後味、これこそ音楽でなければ表現できない何かである。
聴き手は、何か謎の中に放り出されたような気持ちがする。
作曲者は、まさしく「告別」という題名そのまま、聴き手を置いてどこかへ姿を消したのである。
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2009年09月07日
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ロンドン・フィルを指揮したテンシュテット盤は、全体を正確に見渡し、力強い構成力でたくましくまとめあげており、聴き応えのある演奏をつくりあげている。
決して情緒的要素に流されることなく、むしろ、そうした要素からは一定の距離を置いたアプローチだが、中味が希薄になることなく、バランスがよい。
マーラーの交響曲全集を1つ選ぶとすれば、現在の私は迷うことなくテンシュテット盤をとりたい。
彼の毅然たる主張とアプローチが、比類ない説得力をもって各作品の上に反映し、輝かしい音像を結晶させている演奏である。
ドイツ的伝統を基盤に、ロマン主義的にして表現主義指向を十全に打ち出した彼独自の鮮烈なマーラー。
旋律造形を前面に打ち出した主情的傾向を支柱に、マーラー音楽の特性たる抒情性とダイナミズム、屈折とアンンバランス、重厚さとグロテスク等を忌憚なく描出し、しかも交響曲としての質量をずっしりと備えた力演群。
全体の出来映えにムラが少ないのも美点。
中でも第3番、第6番、第8番などは水際立った名演であろう。
ちなみに、これまでに紹介していたテンシュテットのマーラーのライヴ録音もこの新しいボックスには含まれている。
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2008年08月24日
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病気のため現役を退くことを余儀なくされたテンシュテットが、引退直前に残したライヴ。
テンシュテットは1970年代から80年代にかけて録音したマーラーでも、過剰な感情移入を排し、ひたすら作品の本質に迫る卓越したアプローチを見せていたが、病魔のため今度はいつ指揮できるかわからない状況のなか、ここではまるで何かにとり憑かれたような、いっそう圧倒的な演奏を聴かせている。
マーラーがこの曲を作曲したときと同じような心境に追い詰められたテンシュテットの大仰ではない、真に深い苦しみが刻印された第6番、難解な作品の全貌を解き明かし、一貫した論理によってまとめあげた第7番といずれもこの指揮者ならではの名演である。
「悲劇的」では、感情の制御と意識の集中の見事な均衡が両端楽章での演奏を、名優、名脇役が出揃った見事な演出の名舞台を見るような気持ちで聴かせる。
スケルツォでのグロテスクなものと愛らしいものとの頻繁な転換に対応した見事な表情変化は、テンシュテットならではの至芸だ。
情熱的燃焼が、マーラーの感情と形式に見事に重なり合いながら、スコアの指示から逸脱しないところに彼の近代性がある。
「夜の歌」は、この作品がこれほど甘美な旋律に満ちた作品であることを、改めて発見させてくれるような演奏である。
テンシュテットのマーラー像は、人間臭く、あたたかく、耳に快い。
ここには心にしみ入るような情緒が素直に表されており、それが聴き手を魅惑せずにはおかない。
マーラーの中にある感傷が、これほど純粋に表現された演奏は珍しい。
ロンドン・フィルの響きは実にまろやか。
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2008年01月15日
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選曲がすぐれていて、これがなかなか魅力的。
テンシュテットは一時、カラヤンの後継者とうわさされただけあって、ドイツ音楽、特にワーグナーの解釈には一家言持っている。
テンシュテットのワーグナーは全体に遅めのテンポでじっくり堂々と歌いあげたもので、そのねっとりとした情感の描き方や、腰を割って音楽をつくりあげてゆくところなど、古いドイツの演奏スタイルを守っている。
重厚な響きのなかに繊細な表情や立体的な広がりをつくり、造型的でスケールが大きいと同時に細やかで絶妙な味わいを聴かせる。
第1集の《指環》からのハイライトは全体に遅めのテンポで悠然と進められている。
いかにも重厚でスケール雄大な表現の「ワルキューレの騎行」、ゆったりとしたテンポで劇的に展開される「ジークフリートの死と葬送行進曲」、独特の厚みと輝きをもったブラスの合奏で開始される「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」など、いずれも感動的な演奏。
第2集の序曲・前奏曲集も悠然としたテンポで、情感豊かに音楽をつくりあげていくそのやり方は、いかにも伝統的なドイツの音づくりといったものを感じさせる。
特に彼の長所と特性が発揮されているのは「タンホイザー」序曲と「ローエングリン」第1幕前奏曲で、見事な計算と緻密な演出の光る、彫りの深い演奏を聴かせる。
全曲を通じて、ベルリン・フィルのもつ機能美が十全に発揮されている。
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2007年12月04日
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テンシュテットはロンドン・フィルとともに1977年から86年にかけてマーラーの交響曲全曲録音を完成しているが、これは1988年12月にロイヤル・フェスティヴァルホールでライヴ収録された別録音。
すでにガンに冒され、再起が危ぶまれたテンシュテットが一時復帰した際の記録で、生演奏特有の次第に音楽が高揚していく様子が生々しく収められている。
テンシュテットの再録音は、作品の内面にひそむ抒情のことごとくを引き出した演奏である。
冒頭から悠揚としたテンポと大きな息づかいでメロディを濃厚に歌わせ、あらゆる部分に多感な表情が与えられている。
それは感傷におちいる一歩手前まで接近するのだが、不思議なことに造形が歪曲された感じはまったくない。
有名なアダージェットも誇張せず、高ぶらず、ひたすら内面に迫っている。
これほど思いのままに見事な演奏を作れるのは、天与の才能といえるだろう。
スタジオ録音より音楽が著しく主情的かつ個性的になり、ガンを克服して再起したテンシュテットが音楽的に大きく変化したと感じられる。
何よりも表情の彫りが深くなり、マーラーの内面にある寂寥と孤高の哀愁が切実に表出されている。
弦の響きも以前の艶やかな輝きより透明感が目立ち、柔軟な流動性のしなやかさがさらに強まり洗練され、感情を具体的に表すようになっている。
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1977年から実に10年あまりの歳月をかけて、マーラーの交響曲全集の録音に取り組んでいたテンシュテットは、85年にガンで倒れ、療養につとめていた。
このディスクは、その後やや健康を取り戻し、交響曲全集を完結した後に残したライヴ録音で、テンシュテットの執念のようなものを感じさせる、感動的な名演である。
「巨人」は遅めのテンポが大きな緩急で揺れ動き、光と影を交錯させた絶妙な表現による感動的な名演だ。
第1楽章は冒頭から非常な緊張に満たされ、しかも各部の起伏と表情の的確さと多様さが魅惑的だ。
第3楽章の淡々とした進行と伸びやかな美感も、この上なく純粋なかたちで示され、終楽章は比肩するものがないほどスケールが大きい。
夢見るような第2主題も、テンシュテットだからできるといえるほど思い切って歌う。
「千人の交響曲」はテンシュテットの全身全霊を注ぎ込んだような演奏だ。
しかも人間的スケールの大きさをもって堂々と劇的に全曲を構築しているのが凄い。
いかにもドイツ風のオーソドックスな表現だが、この作品のもつ宇宙的な広がりと美しさを、万全にとらえており、テンシュテットのすぐれた技量がうかがえる。
第1部のフーガでの線の明快さと躍動感、コーダでの輝くばかりの美しさ、そして第2部の管弦楽の温雅な響きと、後半での悠揚と昇華する感動的な音楽など、見事というほかない。
まさにこれは、構造美と劇的迫力の合致した稀有の名演といえるだろう。
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