クレンペラー

2016年12月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

   

クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集、序曲集はいずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーのシューマンにおけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

緩徐楽章等における情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

全集の中でも交響曲第1番は最も優れた超名演として、これまで多くの音楽評論家によって絶賛されてきたところであり、第1楽章の頭から魂の祭典のようだ。

ハーモニーの物凄い密度、巨大な迫力、リズムは地の底まで抉り抜かれ、じっくりとした風格と重量感に満ち、クレンペラーもよほど体調が良かったのだろう(1966年、80歳の時の録音)、実に生き生きとした新鮮な音を出している。

「春」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では明朗で詩情に満ち溢れた楽曲であるが、クレンペラーは前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。

演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫りの深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲の様々な演奏に冠絶する至高の超名演と評価しても過言ではあるまい。

交響曲第2番は、シューマンの精神的な疾患の影響が反映された楽曲であり、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)や、より激情的でドラマティックなバーンスタイン&ウィーン・フィルによる演奏(1985年)の方がより同曲に相応しい名演のように思えなくもないところだ。

しかしながら、前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、本演奏はシューマンが同曲に込めた絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、前述のシノーポリやバーンスタインによる名演にも肉薄する名演と高く評価したい。

交響曲第3番については、「ライン」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では、第1番「春」に次いで明朗で詩情に満ち溢れた楽曲である。

クレンペラーは、本演奏においても前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。

演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫りの深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲最高の名演とされるシューリヒト&パリ音楽院管弦楽団による名演(1953年)やジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる名演(1980年)にも肉薄する至高の名演と評価しても過言ではあるまい。

交響曲第4番は、まさに文句のつけようがない至高の名演だ。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、意外にも速めのテンポによる演奏であるが、スケールの雄大さは相変わらずであり、重厚さにおいてもいささかの不足はない。

全体に独特の格調の高さが支配しているが、とりわけ、第2楽章は抗し難い美しさに満ち溢れているのが素晴らしい。

第4番は、独墺系の大指揮者(フルトヴェングラーを始め、ベーム、カラヤン、ヴァントなど)がその最晩年に相次いで名演を遺している楽曲である。

特に、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる超名演(1953年)の存在感があまりにも大きいものであるため、他の演奏はどうしても不利な立場にあるのは否めない。

クレンペラーは前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、シューマンが同曲に込めた寂寥感や絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、前述のフルトヴェングラーによる超名演にも肉薄する名演と言えるのではないか。

また、「マンフレッド」序曲、「ゲノヴェーヴァ」序曲、「ファウスト」序曲も極めて優れた名演奏である。

「マンフレッド」序曲には、フルトヴェングラーがベルリン・フィルとともに録音した超名演(1949年)が存在しており、それはいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな豪演であった。

これに対して、クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、前述のフルトヴェングラーによる超名演にも肉薄し得る素晴らしい名演と高く評価したい。

「ゲノヴェーヴァ」序曲、「ファウスト」序曲にはライバルともなり得る名演が存在していないことから、まさにクレンペラーの独壇場と言っても過言ではあるまい。

クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、他の演奏をいささかも寄せ付けない至高の超名演と高く評価したい。

全曲を通して第1、第2ヴァイオリンの両翼配置による掛け合いが効果的であり、どうもクレンペラーは第2ヴァイオリンの数を増やすとか、実力者を揃えるなど、このパートに大きくものを言わせているような気がする。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:44コメント(0)トラックバック(0) 

2016年12月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラーの巨大とも言える音楽を満喫することが可能な圧倒的名演と高く評価したい。

ベートーヴェンは、クレンペラーの個性が、ハイドンやモーツァルト以上に生きるレパートリーである。

ベートーヴェンが志向し続けた、より良きものへ、より高きものへの意志を、クレンペラーは、竹を割ったような率直さの中に確然と表現するすべを知っており、どれもまず、傾聴に値する演奏と言えるだろう。

本演奏において、クレンペラーは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を精緻に、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出して行く。

クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、いささかも無機的な演奏に陥ることがなく、どこをとっても彫りの深い、隙間風が全く吹かない重厚な音楽が紡ぎ出されている。

演奏全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールは極大であり、重厚にして重量感溢れる音楽が構築されている。

テンポの振幅は必要最小限に抑えるなど、小賢しいアプローチとは無縁であるが、木管楽器をやや強めに演奏させるのはいかにもクレンペラーならではのユニークなもので、これによって演奏がウドの大木になることを避ける結果となっており、演奏のどこをとっても彫りの深さが健在である。

巧言令色などとは全く無縁であり、飾り気が全くない微笑まない音楽であるが、これはまさに質実剛健な音楽と言えるのではないだろうか。

実直そのもので、ドラマティックな要素などは薬にしたくもなく、フルトヴェングラーによる人間のドラマ、カラヤンによる音のドラマとは異なるクレンペラー独自の音楽が展開されてゆく。

近年においては、ベートーヴェンの交響曲演奏は、ピリオド楽器やピリオド奏法による演奏が一般化しているが、本演奏は、そうした近年の傾向とは真逆の伝統的な、ドイツ正統派によるものと言えるだろう。

特に交響曲第3番、第5番、第7番、第9番における悠揚迫らぬゆったりとしたテンポによる演奏は、あたりを振り払うかのような威容に満ち溢れており、あたかも巨象が進軍するかのような重量感に満ち溢れている。

それでいて前述のように木管楽器を効果的に活かして、格調の高さを損なわない範囲において随所にスパイスを効かせるなど、クレンペラー独自の解釈が聴かれる。

このような微動だにしないインテンポによる威風堂々たる重厚なベートーヴェンにはただただ頭を垂れるのみである。

また、交響曲第1番、第2番、第4番、第8番のこれまでの様々な指揮者による演奏としては、ベートーヴェンの交響曲の中でも規模の小さい交響曲だけに比較的軽快に演奏されるものが多いが、クレンペラーは、あたかも大交響曲に接するかのようなスケールの雄大な演奏を行っており、おそらくは各曲の演奏史上でも最も構えの大きい演奏ではないだろうか。

それに、ベートーヴェンの交響曲の一般的な演奏スタイルとして、偶数番の交響曲は柔和に行うとの考えも一部にあるが、クレンペラーにはそのような考えは薬にしたくもなく、奇数番などに行うようなアプローチで偶数番の演奏に臨むことによって、スケール雄大な大交響曲に構築していった点を高く評価すべきであろう。

序曲集もクレンペラーのスケール雄大な音楽づくりを味わうことができる素晴らしい名演揃いだ。

したがって、クレンペラーによるベートーヴェンは、フルトヴェングラーやカラヤンによる名演も含め、古今東西の様々な指揮者による名演の中でも、最も峻厳で剛毅な名演と高く評価したい。

クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団もしっかりと付いていき、ドイツ風の重厚な音色を出すなど、最高のパフォーマンスを発揮していることも高く評価すべきものと考える。

いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの巨大な芸術の凄さを十二分に満喫することが可能な素晴らしい名演として永遠に語り継がれるべき遺産であることは疑いの余地がない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:08コメント(0)トラックバック(0) 

2015年09月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなど、綺羅星の如く大巨匠が活躍していた20世紀の前半であったが、これらの大巨匠は1960年代の前半には殆どが鬼籍に入ってしまった。

そうした中で、ステレオ録音の爛熟期まで生き延びた幸運な大巨匠(それは、我々クラシック音楽ファンにとっても幸運であったが)こそは、オットー・クレンペラーであった。

クレンペラーは、EMIに対して膨大な点数のスタジオ録音を行ったが、その大半はこの大巨匠の指揮芸術の素晴らしさを味わうことが可能な名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

そうした押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。

特に、本盤に収められたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。

当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。

本盤には、ワーグナーの有名な管弦楽曲である歌劇「リエンツィ」序曲、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、歌劇「タンホイザー」序曲、歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲、第3幕への前奏曲、楽劇「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲、楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死、そして長大な楽劇「ニーベルングの指環」からの抜粋などが収められている。

このうち楽劇「ニーベルングの指環」については、クレンペラーは若き日より何度も指揮を行ってきたところであるが、残念ながらライヴ録音も含め現時点では全曲録音が遺されていないようである。

本盤の各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるものであり、どれも強い表現意欲に突き動かされたような名演ばかりだ。

どれもクレンペラーの演奏の特徴である、動的というより静的、でも細部の隈取がクリアで、いつも巨大なあざやかな壁画を眺めているようなところが良く現れた演奏となっている。

全体に寸分の揺るぎもない重厚な演奏で、そのリズムは、巨人の足どりのようにずっしりと重いが、これが本当のワーグナーの響きというものだろう。

フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。

テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いと言えるが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有していると言えよう。

これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。

ことに、「ローエングリン」の格調の高さは特筆に値するが、そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。

もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:48コメント(0)トラックバック(0) 

2015年08月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラーはモーツァルトが大好きだったようで、交響曲を筆頭に、オペラから協奏曲、セレナーデなど数多くのレパートリーを演奏していた。

本セットに収められたモーツァルトの後期6大交響曲集の名演としては、ワルター&コロンビア交響楽団、ベーム&ベルリン・フィル、クーベリック&バイエルン放送響などによる名演がいの一番に思い浮かぶ。

これらの名演と比較すると、本盤に収められたクレンペラーによる演奏は、一部の熱心なファンを除き、必ずしもこれらのベストの名演との評価がなされてきたとは言い難いと言っても過言ではあるまい。

確かに本演奏は、前述の名演が基調としていた流麗な優美さなどは薬にしたくなく、むしろ、武骨なまでに剛直とさえ言えるところだ。

クレンペラーは悠揚迫らぬインテンポで、1音1音を蔑ろにせず、各楽器を分厚く鳴らして、いささかも隙間風の吹かない重厚な演奏を展開している。

まさにクレンペラーは、ベートーヴェンの交響曲を指揮する時と同様のアプローチで、モーツァルトの交響曲にも接していると言えるだろう。

しかしながら、一聴すると武骨ささえ感じさせる様々なフレーズの端々から漂ってくる深沈たる情感の豊かさには抗し難い魅力があると言えるところであり、このような演奏の彫りの深さと言った面においては、前述の名演をも凌駕しているとさえ思われるところである。

巧言令色とは程遠い本演奏の特徴を一言で言えば、噛めば噛むほど味が出てくる味わい深い演奏ということになる。

いずれにしても本演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な質実剛健を絵に描いたような剛毅な名演と高く評価したい。

その、武骨な中にも共感に満ちた演奏の数々は、現在聴いても存在感たっぷりで、意外にも快速なテンポで飛ばす『リンツ』から、巨大なスケールで対位法の面白さを印象づける『ジュピター』に至るまで、聴きごたえある演奏が揃っている。

近年では、モーツァルトの交響曲の演奏は、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏が主流となりつつあるが、そのような軽妙な演奏に慣れた耳からすると、クレンペラーによる重厚にしてシンフォニックな本演奏は実に芸術的かつ立派に聴こえるところであり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

音質は今から約50年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。

このような中で、数年前にHQCD化されたことにより、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、先般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして約50年前のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わったと言える。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:48コメント(0)トラックバック(0) 

2015年07月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「第2」は、バーンスタインやテンシュテットなどの激情的な名演、小澤やインバルなどの純音楽的な名演など、数多くの名演が目白押しであるが、そのような中で、マーラーの直弟子であるクレンペラーの名演はどのような位置づけになるのであろうか。

同じくマーラーの直弟子であったワルターが、「第2」に関しては録音のせいも多分にあるとは思うが、名演を遺していないだけに、俄然、クレンペラーの演奏の意義は高いとも言える。

クレンペラーは、ゆったりとしたインテンポによる威風堂々たる演奏だ。

バーンスタインのように、燃え上がるような激情が表に出ることはなく、かと言って、小澤などのように純音楽に徹しているわけでもない。

あくまでも、微動だにしないインテンポで、マーラーがスコアに記したあまたの旋律を荘重に歌いあげていく。

特に感心させられるのは終楽章で、ここの中間部は、名演と称されるものでもいささか冗長さを感じさせる箇所であるが、クレンペラーは、ここを幾分テンポを落として、終結部の復活の合唱への布石のように崇高に心をこめて旋律を歌いあげていく。

第4楽章のシュヴァルツコップの独唱も実に巧く、この「第2」は、楽曲の本質を個性的な見地で捉えるなど奥深い内容をそなえた重厚な名演と高く評価したい。

「第4」は、マーラーの交響曲の中でも最も柔和なニュアンスが漂う楽曲であり、それ故に、同曲には、ワルターやバーンスタインなど、どちらかというと柔らかいロマンの香り漂う名演が多いと言える。

これに対して、クレンペラーは剛毅にして重厚な演奏だ。

同じくマーラーの弟子ではあるが、演奏の性格は正反対で、ワルターの柔に対して、クレンペラーの剛と言えるだろう。

曲が柔和な「第4」だけに、クレンペラーの演奏については世評は必ずしも高いとは言えないが、筆者としては、クレンペラーならではの個性的な名演と評価したい。

前述のように、演奏全体の性格は剛毅にして重厚、冒頭からテンポは実にゆったりとしており、あたかも巨象の行進のように微動だにしないインテンポだ。

それ故に、ワルターなどの名演と比較すると、愉悦性にはいささか欠ける側面もなくはないが、深沈たる深みにおいては、ワルターと言えども一歩譲るだろう。

テンポの遅さ故に、他の演奏では聴くことができないような楽器の音色が聴こえてきたりするが、これを逆説的に言えば、「第4」の知られざる側面に光を当てたということであり、そうした点も高く評価したい。

シュヴァルツコップの歌唱は実に巧く、この異色の名演に華を添えている。

「第7」は、クレンペラーのマーラー演奏の、そして更にはクレンペラーのあらゆる演奏の頂点に君臨する不朽の超名演である。

第1楽章の冒頭から、この世のものとは思えないような重量感溢れる巨大な音塊が迫ってきて、その勢いたるや、誰も押しとどめることはできない。

まさに、巨象の堂々たる進軍であり、ゆったりとしたテンポによる微動だにしない重厚な歩みであるが、それでいて決してもたれるということはない。

それどころか、次はどのように展開していくのだろうかというわくわくした気持ちになるのだから、クレンペラーの芸格がいかに優れた高踏的なものであるのかがわかるというものだろう。

中間部のこの世のものとは思えないような至高・至純の美しさや、終結部のド迫力は、もはや筆舌には尽くしがたい素晴らしさだ。

第2楽章や第4楽章の夜曲も、同様に遅いテンポであるが、実に情感溢れる指揮ぶりで、そのスケールの大きな雄弁さにはただただ舌を巻くのみ。

終楽章は、下手な指揮だと単なるばか騒ぎに陥りかねない危険性をはらんでいるが、クレンペラーは、踏みしめるような重量感溢れるアプローチによって、実に内容のあるコクのある演奏を成し遂げている。

そして、終結部の圧倒的なド迫力。聴き終えて、完全にノックアウトされてしまったという聴き手は筆者だけではないだろう。

「大地の歌」は、ワルター&ウィーン・フィルの1952年盤と並ぶ2大名演である。

マーラーの直弟子であるワルターとクレンペラーは、マーラーの交響曲をすべて録音したわけではないが、両者が揃って録音し、なおかつ超名演となったのはこの「大地の歌」であると言えるのではないか。

クレンペラーの演奏は、ワルターのように、ウィーン・フィルの独特の美しさや、各楽章毎の描き分けを明確に行い、随所に耽美的とも言うべき色合いを出した演奏ではなく、微動だにしないゆったりとしたインテンポによる演奏だ。

しかし、随所に見られる深沈たる深みは、ワルターと言えども一歩譲ることになるのではなかろうか。

特に、「大地の歌」の白眉である第6楽章の『告別』の彫りの深さは秀逸であり、終結部の「永遠に」のあたりに漂うこの世のものとは思えないような抜け切ったような清澄な抒情は、クレンペラーという大巨匠が、晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地とも言うべき高みに達している。

歌手を比較すると、ワルター盤のフェリアーとクレンペラー盤のルートヴィヒは同格、他方、ワルター盤のパツァークはやや癖があり、ここは、クレンペラー盤のヴンダーリヒの畢生の熱唱の方を高く評価したい。

それにしても、現代においてもなお、この2大名演を凌駕する名演が表れていないのは何とも寂しい気がする。

「第9」は、間違いなくマーラーの最高傑作であるが、それだけに古今東西の様々な大指揮者によって数々の名演がなされてきた。

これらの名演には、それぞれ特徴があるが、どちらかと言えば、楽曲の性格に準じた劇的な演奏が主流のような気がする。

特に、ワルター&ウィーン・フィルや、バーンスタイン&コンセルトヘボウ、テンシュテット&ロンドン・フィルなどが超名演とされているのもその証左と言えるだろう。

そのような数々の名演の中で、クレンペラーの演奏は異色の名演と言える。

これほどの劇的な交響曲なのに、殆ど微動だにしない、ゆったりとしたインテンポで通した演奏は、純音楽的な同曲の名演を成し遂げたカラヤンやバルビローリなどにも見られない特異な性格のものと言える。

それでいて、マーラーが同曲に込めた死との闘いや、生への妄執や憧憬などが、我々聴き手にしっかりと伝わってくるというのは、クレンペラーの至高の指揮芸術を示すものと言えるだろう。

あまりのスローテンポのため、例えば、第3楽章の後半や終楽章の頂点において、アンサンブルに多少の乱れが生じるが、演奏全体から滲み出てくる同曲への深い愛着と情念を考慮すれば、殆ど気にならない演奏上の瑕疵と言える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0) 

2015年06月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなど、綺羅星の如く大巨匠が活躍していた20世紀の前半であったが、これらの大巨匠は1960年代の前半には殆どが鬼籍に入ってしまった。

そうした中で、ステレオ録音の爛熟期まで生き延びた幸運な大巨匠(それは、我々クラシック音楽ファンにとっても幸運であったが)こそは、オットー・クレンペラーであった。

クレンペラーは、EMIに対して膨大な点数のスタジオ録音を行ったが、その大半はこの大巨匠の指揮芸術の素晴らしさを味わうことが可能な名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

そうした押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。

特に、本盤に収められた《ワルキューレ》第1幕(1969年ステレオ録音)については、賛否両論があるものと言えるだろう。

当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。

このうち楽劇「ニーベルングの指環」については、クレンペラーは若き日より何度も指揮を行ってきたところであるが、残念ながらライヴ録音も含め現時点では全曲録音が遺されていないようである。

本盤のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるものであり、強い表現意欲に突き動かされたような演奏内容である。

生き物のように重々しくコントラバスがうごめく冒頭を聴くと、マーラーの「復活」がこの曲からかなり直接的な影響を受けたのではないかとさえ思えてくるが、それもここでのクレンペラーの極端なアプローチがあればこそであり、その異様なまでのグロテスクな迫力には圧倒されてしまう。

本編に入ってからもオーケストラは常に意味深く雄弁に響き渡り、ワーグナーのオーケストレーションの天才をここまで強調するクレンペラーの慧眼にはいちいち頷くほかはない。

クレンペラーの演奏の特徴である、動的というより静的、でも細部の隈取がクリアで、いつも巨大なあざやかな壁画を眺めているようなところが良く現れた演奏となっている。

全体に寸分の揺るぎもない重厚な演奏で、そのリズムは、巨人の足どりのようにずっしりと重いが、これが本当のワーグナーの響きというものだろう。

フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。

テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いと言えるが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有していると言えよう。

これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。

もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

3人の歌手には注文をつけたいところもあるが、ともかく《ワルキューレ》第1幕の凄みを教えてくれる強烈な演奏内容である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:46コメント(0)トラックバック(0) 

2015年05月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラーによって遺されたライヴ録音のうち、これだけまとまった形で、しかも世界最高のオーケストラ、ウィーン・フィルとの競演というスリルを持ったものは他に存在しない。

ここでのクレンペラーの演奏は、ウィーン・フィルの優美な演奏も相俟って、重厚長大というのではなく、音楽のニュアンスが豊穣なのだ。

音質はデッドで、通例我々がムジークフェライン・ザールに期待する残響の美しさはなく、ウィーン・フィル独特の音色もあまり感じられず、くすんだ音である。

それにテスタメント独特の中・低域が張り出したリマスタリングが加わり、録音状態はベストとは言いがたい。

しかし、ステレオ録音ゆえ、雰囲気は豊かであり、楽器の分離はやや悪いが、スケールの大きさと情報量の多さは素晴らしい。

演奏はいずれも巨大なスケールと剛毅な曲想の運びの中にもウィーン・フィルの魅力、そして実演ならではの気迫や緊張感を有している。

収録された演奏はどれも素晴らしいが、分売では買えないブラームスのドイツ・レクイエムが本セットには収められているのが嬉しい限りだ。

こちらはモノラルでありながら、情報量が豊かで鮮明、テンポはむしろ速めであり、ドラマティックな熱演である。

白眉は何と言ってもブルックナーの交響曲第5番だ。

第1楽章の何物にも揺り動かされることのないゆったりとしたテンポによる威容に満ちた曲想の運びを何と表現すればいいのであろうか。

どこをとってもいささかも隙間風の吹かない重厚さと深い呼吸に満ち溢れている。

ブラスセクションの強奏などもややゴツゴツしていて剛毅ささえ感じさせるが、それでいて音楽が停滞することなく滔々と流れていくのが素晴らしい。

第2楽章は、クレンペラーとしては、決して遅すぎないテンポによる演奏であるが、木管楽器の活かし方など実に味わい深いものがあり、厚みのある弦楽合奏の彫りの深さ、格調の高さには出色のものがある。

後半のブラスセクションがやや直線的で武骨さを感じさせるのは好みが分かれると思われるが、いたずらに洗練された無内容な演奏よりはよほど優れていると言えるだろう。

第3楽章は中庸のテンポを基調としているが、ブラスセクションの抉りの凄さや弦楽合奏と木管楽器のいじらしい絡み方など、クレンペラーの個性的かつ崇高な指揮芸術が全開である。

トリオは一転してやや遅めのテンポで味わい深さを演出しているのも実に巧妙である。

終楽章は、第1楽章と同様に悠揚迫らぬ荘重な曲想の展開が際立っており、低弦やティンパニの強靭さ、そして抉りの効いたブラスセクションの咆哮など、凄まじさの限りである。

そして、こうした演奏を基調としつつ、輻輳するフーガを微動だにしない荘重なテンポで明瞭に紐解いていく峻厳とも言うべき指揮芸術には、ただただ圧倒されるほかはなく、コーダの壮大な迫力にはもはや評価する言葉が追い付かないほどだ。

いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの偉大な指揮芸術の凄さを堪能することができるとともに、クレンペラー&ウィーン・フィルでしか成し得ない至高の超名演と高く評価したいと考える。

次点はマーラーの交響曲第9番。

悠揚迫らぬ曲想の運び方、スケールの雄大さ、木管楽器の巧妙な活かし方など、ウィーン・フィルの濃厚な美演も加わって、これ以上は求め得ないほどの至高の高みに聳えたつ超名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

これほどの劇的な交響曲なのに、殆ど微動だにしない、ゆったりとしたインテンポで通した演奏は、純音楽的な同曲の名演を成し遂げたカラヤンやバルビローリなどにも見られない特異な性格のものと言える。

それでいて、マーラーが同曲に込めた死との戦いや、生への妄執や憧憬などが、我々聴き手にしっかりと伝わってくるというのは、クレンペラーの至高の指揮芸術を示すものと言えるだろう。

あまりのスローテンポのため、例えば、第3楽章の後半や終楽章の頂点において、アンサンブルに多少の乱れが生じるが、演奏全体から滲み出てくる同曲への深い愛着と情念を考慮すれば、殆ど気にならない演奏上の瑕疵と言える。

その他の演奏も名演揃いであり、クラシック音楽愛好家にはぜひ耳を傾けていただきたい宝物のようなボックスである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:46コメント(0)トラックバック(0) 

2015年04月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



まずは、モーツァルトの4大オペラがクレンペラーの名指揮の下で廉価で聴けるのを大いに歓迎したい。

「フィガロの結婚」は、異様なまでにテンポの遅い重厚な演奏だが、クレンペラーの巨大な視野に支えられた独自のバランスが保たれ、見事なまとまりを示している。

ここには愉悦の姿はないし、遅いテンポに適合できない歌唱も見受けられるが、それでも損なわれないだけの風格によって、クレンペラー晩年の芸術特有の味わいが立ち昇ってくるのである。

歌手ではグリストの名唱を筆頭にエヴァンスとバキエが印象的である。

「ドン・ジョヴァンニ」は、徹底的に19世紀ロマン主義の伝統を継承した演奏で、デモーニッシュなドラマとしての側面を強調する。

歌手もクレンペラーの意図を反映して、ギャウロフは豪胆で骨太、暴力的とさえいえるドン・ジョヴァンニを歌い、ベリーのレポレロには重厚さが目立つ。

ルートヴィヒ、クラス、ゲッダも責任を見事に果たしている。

この曲の最もスケール雄大なデモーニッシュな演奏として、独自の存在を主張するものだ。

「コジ・ファン・トゥッテ」は、通常の概念とは大きく離れてはいるものの、モーツァルトの音楽の粋からは決して逸脱していない、クレンペラーの作り出した全くユニークなドラマの世界が、ここに厳然とした姿で存在する。

世紀の巨匠の巨大な音楽的俯瞰力に支えられた縮縮尺に、聴き手の耳が慣れた時から、この演奏は独特の魅力と魔力を放ち始める。

歌手陣もその音楽の枠に見事に呼応しつつも、大いに自己主張することに成功している。

「魔笛」は、台詞をすべて省略した演奏だが、それはクレンペラーが絶対音楽としての純潔を志向していることを物語っている。

この剛直できびしい表現が「魔笛」のすべてではないが、そこに豊かで生き生きとした血と肉を与えたのは、充実したキャストによる見事な歌で、ひとつの完成した世界を生み出している。

クレンペラーの遺したモーツァルト・オペラの全曲盤の中では最も優れた傾聴に値する名演である。

クレンペラーの演奏は、全体的に動的というより静的で、でも細部の隈取がクリアで、いつも巨大なあざやかな壁画を眺めているような印象を受ける(実演は必ずしもそうでなかったようであるが)。

それが、やや色彩的にどぎつい後期ロマン派では、下手な演奏では下品になる所が、テンポの動きはあまりないけれど、全体としてスケールの大きい格調の高い、彫りの深い演奏となって実現する。

この音楽の傾向は、モーツァルトのオペラの中にあっては、「魔笛」「ドン・ジョヴァンニ」で特徴的に見事な表現となって現れる一方、「フィガロの結婚」では、序曲とか、ケルビーノの試着の場とか、何というかもう少し、浮き立つようなエラン(活気)のようなものがあってもいいのではないかと思わないでもない。

ただ同じ傾向の作品である「コジ・ファン・トゥッテ」は、そうでもないところが面白い。

ただ多少の相違はあっても全体としてクレンペラーのスタイルは一貫していて、それを味わうセットと判断すべきであろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0) 

2015年03月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたブルックナーの交響曲第5番(カップリングは、シューベルトの交響曲第8番「未完成」)の演奏は、オットー・クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団とともに、1967年3月、ロンドンのロイヤルフェスティバルホールにて行ったコンサートのライヴ録音。

クレンペラーによる同曲の演奏のレコーディングとしては、あらゆる意味において完成度の高い同年のスタジオ録音の演奏と、巨大なスケールと剛毅な曲想の運びの中にもウィーン・フィルの美演の魅力、そして実演ならではの気迫や緊張感を有した1968年のウィーン・フィルとの演奏(ライヴ録音)が存在している。

加えて、それら両演奏がステレオ録音であることに鑑みれば、モノラル録音である本演奏は不利な条件にあると言わざるを得ないが、そうした不利な条件などものともしない偉大な名演奏に仕上がっていると言えるところだ。

それにしても、第1楽章の何物にも揺り動かされることのないゆったりとしたテンポによる威容に満ちた曲想の運びを何と表現すればいいのであろうか。

どこをとってもいささかも隙間風の吹かない重厚さと深い呼吸に満ち溢れている。

ブラスセクションの強奏などもややゴツゴツしていて剛毅ささえ感じさせるが、それでいて音楽が停滞することなく滔々と流れていくのが素晴らしい。

第2楽章は、クレンペラーとしては、決して遅すぎないテンポによる演奏であるが、木管楽器の活かし方など実に味わい深いものがあり、厚みのある弦楽合奏の彫りの深さ、格調の高さには出色のものがある。

後半のブラスセクションがやや直線的で武骨さを感じさせるのは好みが分かれると思われるが、いたずらに洗練された無内容な演奏よりはよほど優れていると言えるだろう。

第3楽章は中庸のテンポを基調としているが、ブラスセクションの抉りの凄さや弦楽合奏と木管楽器のいじらしい絡み方など、クレンペラーの個性的かつ崇高な指揮芸術が全開である。

トリオは一転してやや遅めのテンポで味わい深さを演出しているのも実に巧妙である。

終楽章は、第1楽章と同様に悠揚迫らぬ荘重な曲想の展開が際立っており、低弦やティンパニの強靭さ、そして抉りの効いたブラスセクションの咆哮など、凄まじさの限りである。

そして、こうした演奏を基調としつつ、輻輳するフーガを微動だにしない荘重なテンポで明瞭に紐解いていく峻厳とも言うべき指揮芸術には、ただただ圧倒されるほかはなく、コーダの壮大な迫力にはもはや評価する言葉が追い付かないほどだ。

いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの偉大な指揮芸術の凄さを堪能することができるとともに、クレンペラーによる同曲の名演とされている同年のスタジオ録音の演奏や、翌年のウィーン・フィルとの演奏と同格の至高の超名演と高く評価したいと考える。

カップリングのシューベルトの交響曲第8番「未完成」の演奏も、木管楽器が活躍する交響曲であることもあってクレンペラー得意のレパートリーであり、翌年のウィーン・フィルとの演奏(ライヴ録音)や、前年のバイエルン放送交響楽団との演奏(ライヴ録音)など、強力なライバルが目白押しである。

もっとも、本演奏は、ブルックナーの交響曲第5番の演奏よりもより鮮明な音質で捉えられていることもあって、音質面においてもそれら両演奏と殆ど遜色がないところであり、悠揚迫らぬ曲想の運び方、木管楽器の絶妙な活かし方、スケールの雄大さなど、これ以上は求め得ないほどの至高の高みに聳えたつ超名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

前述の両演奏との優劣の比較は困難を極めるが、筆者としては三者同格の超名演としておきたい。

音質は、前述のようにモノラル録音ではあるが、テープヒスさえ気にならなければ、1967年のライヴ録音にしては比較的聴きやすい良好なものと評価したい(ブルックナーの交響曲第5番については、ピッチが不安定な箇所が散見されるように感じたが、鑑賞には特段の支障はないと思われる)。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0) 

2015年03月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「第4」は、クレンペラーとしてはやや速めのインテンポによる演奏であるが、マーラーなどとは異なり、随所に見られる金管のアクセントの強烈さなど、若干の違和感を感じる箇所が散見されることは否めない。

他方、さすがと言えるような感動的な箇所も見られ、その意味で、功罪半ばする演奏ということが言えるかもしれない。

例えば、第3楽章を例にとると、ホルンによる第1主題を明瞭に演奏させているのは大正解であり、演奏によっては、ここを快速テンポで曖昧模糊に吹奏させている例もあり、それでは第3楽章の魅力が台無しになってしまう。

しかし、この第1主題の展開部に向けての盛り上がりがあまりにも大仰、特に、トランペットのアクセントがあまりにも強烈すぎて、朝比奈やヴァントの名演に接してきた者(もちろん、これらの演奏が絶対と言うつもりは毛頭ないが)からすると、どうしても違和感を感じてしまう。

トリオに入ると、テンポを少し落として抒情豊かな至芸を見せるが、ここは実に感動的で、クレンペラーの偉大さを感じる箇所だ。

このように、第3楽章1つをとってみても、評価がなかなか定めにくいのが正直なところである。

しかしながら、1960年代の初めという、ブルックナーがあまり一般に受容されていない時期に、これだけの水準の演奏を成し遂げたのは評価すべきであり、その意味において、本演奏を佳演と評価するには躊躇しない。

クレンペラーのブルックナーは、曲によって相性のいい曲とそうでない曲があるのではないだろうか。

剛毅で微動だにしないインテンポが、例えば、「第4」などの場合、強烈なアクセントなどもあって、若干の違和感を感じさせる演奏であったが、「第5」は、ブルックナーの交響曲の中でも最も男性的な、剛毅な性格の作品であるだけに、クレンペラーの演奏が悪かろうはずがない。

そればかりか、クレンペラーのブルックナーの交響曲の演奏中でも、この「第5」が随一の名演と評価すべきではないだろうか。

どの楽章も重量感溢れる、同曲に相応しい名演であるが、特に高く評価したいのは第3楽章と終楽章。

第3楽章は、まさに巨象の進軍であり、スケールも雄大で、この凄まじい迫力は、同曲に超名演を遺した朝比奈やヴァントと言えども一歩譲るだろう。

終楽章は、第3楽章をさらに上回る巨人の演奏であり、主部の踏みしめるような超スローテンポの演奏は、壮大なスケールであり、これだけのゆったりとしたテンポをとっても、全体的な造型にいささかの揺らぎもないのは、まさに巨匠クレンペラーの晩年の至芸の真骨頂と言えるだろう。

終結部の雄大さには、もはや評価する言葉が追いついてこない。

ブルックナーの「第6」は、壮麗にして剛毅な「第5」と、優美な「第7」に挟まれて、ずいぶんと目立たない存在である。

ブルックナーならではの美しい旋律と重厚さ、つまりは「第5」と「第7」を足して2で割ったような魅力に溢れた交響曲だけに、非常に惜しいことであると思う。

しかし、こうした「第6」の魅力は、ブルックナーを愛する巨匠には十分に伝わっており、ヨッフムや、最近ではヴァントや朝比奈などが、「第6」の素晴らしい名演を遺している。

クレンペラーもそうした「第6」を愛した巨匠の1人と言うことができるだろう。

レッグに、かつて録音を止められたことがあるという、いわくつきの曲でもあるが、それだけクレンペラーが、この「第6」に傾倒していたと言えるのではないだろうか。

演奏の性格は、他の交響曲へのアプローチとほとんど変わりがなく、剛毅にして重厚。

したがって、アクセントなどは相変わらずきついが、それでも、この「第6」の場合は、あまり気にならない。

同時期にヨッフムが「第6」の名演を遺しているが、ヨッフムのロマン派的な演奏とは全く対照的だ。

したがって、第2楽章など、もっと歌ってほしいと思う箇所も散見されるが、この曲の弱点とも言われる第3楽章や終楽章は、重量感溢れる演奏を展開しており、この両楽章については、ヨッフムと言えども太刀打ちできない雄大なスケールを誇っている。

ある意味では、ヴァントの演奏の先触れとも言える側面も有している。

いずれにせよ、本演奏は、クレンペラーの同曲への愛着に満ち溢れた壮麗な名演と評価したい。

剛毅で重厚なクレンペラーのアプローチと、ブルックナーの交響曲中で最も優美な「第7」の取り合わせは、どう見ても、なかなか噛み合わないのではないかと大いに危惧したが、聴き終えてそれは杞憂に終わった。

それどころか、途轍もない名演に仕上がっている。

第1楽章の冒頭からして、深沈たる深みのある演奏であり、随所で聴かれる美しい木管の響かせ方もクレンペラーならではのものだ。

第2楽章も崇高な演奏であり、決して低俗な抒情に流されることなく、格調の高さを失わない点はさすがと言うべきである。

第3楽章は、クレンペラーの剛毅で重厚な芸風に最も符号する楽章であり、テンポといい強弱の付け方といい、文句のつけようのない素晴らしさだ。

終楽章も、踏みしめるようなリズムなど重量感溢れる演奏であり、「第7」の欠点とも言われるスケールの小ささなど微塵も感じられない。

それにしても、クレンペラーが、このような優美な「第7」で名演を成し遂げるというのは実に不思議だ。

メンデルスゾーンの「スコットランド」や「真夏の夜の夢」などで名演を成し遂げたのと同様に、これは指揮界の七不思議と言ってもいいかもしれない。

「第8」は、実に惜しい。

第3楽章までは深みのある超弩級の名演なのに、終楽章に来て大きな問題点が発生する。

クレンペラーは、終楽章に大幅なカットを施しているのだ。

なぜ、このような恣意的な解釈を行うのであろうか。

おそらくは、長過ぎるとか冗長に過ぎると思ったのであろうが、仮にそのように思っていたとすれば、いささかきつい言い方かもしれないが、ブルックナーを指揮する資格はそもそもないとも言えるだろう。

ノヴァーク版が一般化しても、ブルックナーのスコアに記した音符をできるだけ忠実に再現したハース版を変わらずに信奉し続けたヴァントや朝比奈の演奏が高く評価される今日においては、きわめて奇異な解釈と言わざるを得ないだろう。

終楽章冒頭のテンポの入り方も深沈として実に味わい深いのに、大変惜しいことである。

これぞ諺に言う、「百日の説法屁一発」というものではないか。

第3楽章まで聴き終えて、超名演との評価は確実と思っていたのに、愕然とした次第である。

この終楽章のカットは、ブルックナーファンとしては、クレンペラーの偉大さを評価する者としても許しがたいという思いが強い。

クレンペラーのブルックナーでは、「第5」が最も優れた名演だと考えているが、それに次ぐのがこの「第9」だと思う。

というのも、クレンペラーの峻厳にして剛毅な芸風が、ブルックナーの「第5」や「第9」という硬派の交響曲の性格と合致するからだと考えられる。

この「第9」の録音はクレンペラーの死の3年前のものであるが、それだけに、ここにはクレンペラーが到達した至高・至純の境地が示されているとも言えるだろう。

第1楽章は、実に堂々たるインテンポであるが、剛毅にして重厚なアプローチが、これぞブルックナーという深みのある音楽を紐解いていき、時折見られる金管の強奏も、決して無機的には陥っていない。

第2楽章は、重量級の進軍を開始するが、特に、クレンペラーの特徴が表れているのは中間部のトリオの箇所。

ここの木管楽器の活かし方は実に美しく、これは、他の指揮者でもあまり聴かれないだけに貴重な解釈と言えるだろう。

終楽章は、第1楽章と同様のことが言えるが、展開部から、それまでのインテンポから一転して、ドラマティックな演出を試みている。

木管楽器の強調などやり過ぎの感は否めないが、それでも違和感を感じるほどではないのは、クレンペラーの同曲への深い愛着と理解の賜物と言うべきだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0) 

2015年03月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1960年、ウィーンでのライヴ録音であるが、本全集より少し以前のスタジオ録音による全集に優るとも劣らぬクレンペラーならではのスケール雄大な名演と高く評価したい。

本全集は、クレンペラーの芸術が完成期を迎える時期の録音であるが、ここでは、晩年のクレンペラーの堂々たる至芸を味わうことが可能である。

クレンペラーのスケール雄大な演奏スタイルが確立したのは1960年代に入ってからというのが一般的な見方であるが、本全集は、そのような演奏スタイルを見せるようになってきたと言えるものがある。

「第1」など、誰よりもテンポが遅いが、何にも邪魔をされることがない悠々たる進行は、まさに巨象が大地を踏みしめるが如き重量感に満ち溢れているが、それでいて、ウドの大木に陥ることなく、随所に聴かれる情感の豊かさも聴きものだ。

「第2」も、テンポも非常にゆったりとしたものであるが、それ故に、ベートーヴェンがスコアに記した音符の1つ1つを徹底的に鳴らし切り、あたかも重戦車の進軍のような重量感溢れる力強い演奏に仕立て上げたのは、さすがの至芸という他はない。

ベートーヴェンの交響曲の演奏スタイルとして、偶数番の交響曲は柔和に行うとの考えも一部にあるが、クレンペラーにはそのような考えは薬にしたくもなく、「エロイカ」や「第5」に行うようなアプローチで「第2」に臨むことによって、同曲をスケール雄大な大交響曲に構築していった点を高く評価すべきであろう。

「エロイカ」には、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによる1944年盤(ウラニア)及び1952年盤(EMI)という至高の超名演が存在しており、この2強を超える演奏を成し遂げることは困難を極める(私見ではあるが、この2強を脅かすには、カラヤンのように徹底した音のドラマの構築という、音楽内容の精神的な深みを追求したフルトヴェングラーとは別の土俵で勝負する以外にはないのではないかと考えている)が、クレンペラーによる本演奏は、そのスケールの雄大さや仰ぎ見るような威容、演奏の充実度や重厚さにおいて、前述の2強に肉薄する素晴らしい名演と高く評価したい。

冒頭の2つの和音からして胸にずしりと響いてくるものがある。

その後は微動だにしないゆったりとしたインテンポで曲想を精緻に、そして格調の高さを失うことなく描き出して行く。

クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽が紡ぎ出されている。

木管楽器をやや強めに演奏させるのは、いかにもクレンペラーならではのものであるが無機的になることはなく、どこをとっても彫りの深さが健在である。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールは極大であり、悠揚迫らぬ重量感溢れる音楽が構築されている。

「第4」も、「第2」と同様のアプローチで、スケール雄大な演奏を繰り広げており、特に終楽章は、巨象がのっしのっしと歩くような重厚なド迫力に圧倒される、雄渾の極みとも言うべき至高の超名演だ。

クレンペラーは格調の高さをいささかも損なうことなく、悠揚迫らぬテンポで精緻に楽想を描き出している。

木管楽器を強調するのはクレンペラーならではのユニークなものではあるが、各楽器を力強く演奏させて、いささかも隙間風が吹かない重量感溢れる重厚な音楽が紡ぎだされていく。

ドラマティックな要素などは薬にしたくもなく、微動だにしないインテンポが基調であり、造型は極めて堅固である。

「第5」については、かのフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる至高の超名演(1947年)とは対照的な演奏であるが、そのスケールの雄大さや巨木のような威容、崇高さにおいては、フルトヴェングラーによる超名演にもいささかも引けを取っていないと高く評価したい。

ゆったりとした微動だにしないインテンポは、沈み込んでいくような趣きがあるが、それでいて、いわゆる「田園」ならではの明瞭さにいささかの不足もない。

むしろ、こうした深みのアプローチが、演奏に潤いとコクを与えている点を見過ごしてはならないであろう。

ワルターやベームの「田園」のような独特の愉悦感や優美さには欠けているかもしれないが、演奏の有する深みにおいては、ワルターやベームといえども一歩譲るだろう。

「第7」も素晴らしい超名演だ。

筆者としては、1968年盤の方をさらに上位に置きたいが、本盤の方もほぼ同格の名演と高く評価したい。

楽曲の進行は殆ど鈍行列車だ。

しかしながら、鈍行列車であるが故に、他の演奏では聴かれないような旋律やニュアンスが完璧に表現されており、踏みしめるような重量感溢れるリズムなど、殆ど人間業とは思えないような圧巻のド迫力だ。

「第8」については、テンポの面だけをとれば、クナッパーツブッシュによる各種の演奏と似通っているとも言えるが、決定的な違いは、本演奏にはクナッパーツブッシュの演奏には存在した遊びの要素が全くないということであろう。

したがって、どこをとってもにこりともしない峻厳な音楽が構築されていくが、その仰ぎ見るような威容や演奏の充実度、立派さにおいては、クレンペラーによる本演奏の方をより上位に置きたいと考える。

このような微動だにしないインテンポによる威風堂々たる重厚なベートーヴェンにはただただ頭を垂れるのみである。

ベートーヴェンの「第9」の名演としては、フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管弦楽団によるドラマティックな超名演(1951年)の印象があまりにも強烈であるが、当該名演とは対照的に、微動だにしないゆったりとしたインテンポによって曲想を精緻に、そして格調高く描き出しているクレンペラーによる重厚な名演もまた、格別な味わいに満ち溢れている。

クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、とりわけ木管楽器をやや強めにするのはユニークであるが、いささかも無機的な演奏に陥ることがなく、どこをとっても彫りの深い音楽が紡ぎ出されていく。

巧言令色などとは全く無縁であり、飾り気が全くない微笑まない音楽であるが、これはまさに質実剛健な音楽と言えるのではないだろうか。

全体の造型はきわめて堅固であるがスケールは極大であり、いずれにしても、本演奏は、前述のフルトヴェングラーによる名演も含め、古今東西の様々な指揮者による名演の中でも、最も峻厳で剛毅な名演と高く評価したい。

最近では、ベートーヴェンの演奏にも、古楽器奏法やピリオド楽器による小編成のオーケストラによる演奏など、軽妙浮薄な演奏が流行であるが、本全集を聴いていると、現代の演奏など、まるで子どものお遊びのように感じてしまう。

それくらい、本全集は、巨木のような大芸術作品と言うことができるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0) 

2015年01月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



晩年のクレンペラーならではの豊かな音楽性に裏打ちされたスケール雄大な至高の名演である。

フランクの交響曲は、瞑想的ともいえる響きの中に深い情熱を宿した傑作であるが、クレンペラーは卓越した造形力で、重厚な響きの中にも生命にみちた音楽を表出していて素晴らしい。

クレンペラーは、フランクの交響曲においても、例によって、ゆったりとしたインテンポで楽曲を進めていくが、よく聴くと、インテンポというように単純に割り切れるものではなく、実にニュアンス豊かなコクのある演奏を行っているのがわかる。

トゥッティの箇所においては、テンポを自在に動かして、各管楽器の強弱に微妙な変化を付けさせている。

巨大な音空間が眼前に現れ、あたりは冷たい静寂に支配されている。

遅いテンポと重厚な響き、冷めた視線に孕む狂気、いかにもこれはクレンペラーの音楽である。

前半の2つの楽章が立派なのは言うまでもないが、第3楽章も異様に重厚でスケールが大きく、圧巻。

どっしりした構えには風格があり、ゴツゴツした風合いも苔むし寄生植物に覆われた巨木の太い幹のようで、凄まじいパトスを放っている。

特に、木管楽器の響かせ方は、他の演奏では決して聴くことができない味わい深さがあると言えるところであり、いかにも巨匠クレンペラーの奥の深い芸術性を感じさせる。

低弦の響きも実に分厚いものがあり、フランクの交響曲の、いわゆるドイツ的な要素を全面に打ち出した至高の名演と高く評価したい。

飄々と進められるアポロ的なモントゥー盤のまさに対極にあるデュオニソス的名演とも言えるところであり、その重厚な音の運びによりフランクらしい憧れの感情が熱く伝わってくる超名演である。

巷間では重厚すぎてフランクらしくないといわれ、定評の高くなかった演奏であるが、堂々たる個性と存在感、そして厳然たる美しさを兼ね備えた演奏であることは否定できまい。

本盤は、名演のわりには、長らく輸入盤でしか入手できなかったが、久々に、しかもHQCD化されて登場したのは大変歓迎すべきことであると考える。

音質は、旧来の輸入盤と比較して、若干鮮明になるとともに、音場がより広くなったのも素晴らしい。

しかしながら、先日、ついに、究極の高音質シングルレイヤーのSACD盤が発売された。

これは、HQCD盤を含め、これまでの従来盤の音質とは次元の異なる超高音質だ。

マスター音源まで遡ったこともあるとは思うが、各楽器の鮮明な分離や厚み、そして音場の広がりの雄大さなど、我々が望む最高の音質がここにある。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:33コメント(0)トラックバック(0) 

2015年01月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラーの遺産の中でも特に美しいのがこの録音であり、風格のある実に素晴らしい超名演で、雄渾なスケール感に圧倒される。

トスカニーニ、フルトヴェングラーらとほぼ同世代のクレンペラーの優位は、晩年の芸術をステレオ録音で残してくれたこと。

特にメンデルスゾーンの「スコットランド」とこの「真夏の夜の夢」は彼の十八番であり、格調の高さに透明感のある響きが特徴である。

クレンペラーのメンデルスゾーンは他の作曲家の作品に対する解釈同様、実に個性的で、強靱な芸術性を持った内容に仕上がっている。

彼ならではの構築性に富んだ世界観に基づく演奏は、音楽そのものを根本的に変えてしまうような印象を与えてくれる。

ゆったりとしたインテンポによる演奏で、特に、何かをしているわけではないが、その深沈たる内容の濃さは、他のいかなる名演を凌駕する至高のレベルに達している。

「真夏の夜の夢」には、同じく名演としてプレヴィン盤があるが、プレヴィン盤は、聴かせどころのツボを心得た演出の巧さが光った名演であった。

ところが、クレンペラーには、そのような聴き手へのサービス精神など薬にしたくもない。

堂々たるインテンポで、自らの解釈を披露するのみであるが、その演奏の味の濃さと言ったら、筆舌には尽くしがたいものがある。

テンポも実にゆったりとしたものであるが、それだけに、メンデルスゾーンがスコアに記した音符のすべてが音化され、音楽に内在する魅力が前面に打ち出されてくるのが素晴らしい。

木管楽器の活かし方など、出色のものがあり、クレンペラーの数ある名演の中でも、トップの座を争う出来と言えるのではないか。

森の奥深いところへ誘ってくれる趣があって素晴らしく、これに比べると他のものは手入れの行き届いた公園の散歩みたいなもの。

ちなみに、この「真夏の夜の夢」は、アバド指揮ベルリン・フィル盤も評論家諸氏の評価が高いのだが、こちらの方は、ほぼ全曲にわたって語りが入っているのが特徴だ。

しかし、この語りが問題で、たとえば、オネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」のようなシリアスな曲なら、語りが、音楽全体の中で、なくてはならない必要不可欠なものと納得できるのだが、この「真夏の夜の夢」のような曲では、語りが、美しい音楽の流れを切断してしまっており、音楽的には、かえって逆効果になっているのだ。

演奏も、メリハリ豊かで恰幅の良いクレンペラー盤の方が、アバド盤より1枚上だと思う。 

音質は、従来CD盤やHQCD盤では音質の改善はピンとこなかったが、今回のSACD盤は高音も伸び、音の分離もよく指揮者やオーケストラの気配や各奏者の間の空気感まで伝わるような、はっきりわかる音質の改善を感じたところであり、夢のような演奏がさらにリアルで澄んだ夢のようになったと言えるところである。

SACDだとCDに比べ音量を上げなくても演奏の1音1音が耳にスーッと入ってきて、音ががさつな空気のかたまりになることもなく素直に音楽そのものを楽しめるようになった。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の超名演をSACDによる超高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0) 

2015年01月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ドイツ・レクイエムはブラームスの作曲した声楽作品の最高峰であるだけでなく、ブラームスの最高傑作と評価する識者もいるほどの偉大な作品である。

それだけに、これまで様々な指揮者によって数多くの演奏・録音が行われてきているが、本盤に収められたクレンペラーによる演奏は、録音から既に50年が経過しているにもかかわらず、現在でもなおトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

本演奏において、クレンペラーは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。

奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏とも言える。

それ故に、同曲の厳粛かつ壮麗さが見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた比類のない演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。

木管楽器を時として強調させているのもクレンペラーならではの表現と言えるが、それが演奏全体に独特の味わい深さを付加させている点も忘れてはならない。

独唱陣もフィッシャー=ディースカウ&シュヴァルツコップという超豪華な布陣であり、その歌唱の素晴らしさは言うまでもないところだ。

フィッシャー=ディースカウは、クレンペラーに嫌われ、数々の悪質ないじめを受けていたことで有名ではあるが、本演奏ではそのようなことを微塵も感じさせないほどの文句の付けようのない名唱を披露している。

クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団や同合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、これだけの名演だけに、これまで本盤のようなARTによるリマスタリングなどが繰り返し行われてきたことや、数年前にはHQCD化もなされたこともあって、比較的満足できる音質であった。

しかしながら、先般、ついに待望のSACD化が行われたことによって大変驚いた。

本リマスタリング盤やHQCD盤などとは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

オーケストラと合唱の見事に分離して聴こえることや、フィッシャー=ディースカウやシュヴァルツコップの息遣いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、1961年のスタジオ録音であるとはにわかに信じがたいほどだ。

あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&シュヴァルツコップ、そしてクレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団及び同合唱団による至高の超名演であり、多少高額でも、SACD盤の購入を是非ともおすすめしておきたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



凄い演奏だ。

幻想交響曲の名演と言えば、どちらかと言えば、フランス人指揮者によるフランス風のエスプリ漂う演奏が多い。

もちろん、ミュンシュ(特に、パリ管弦楽団発足ライヴ録音)やクリュイタンス(特に、来日時のライヴ録音)のようなドラマティックな豪演もあるが、それらの演奏にも、フランス風の瀟洒な味わいが内包されていた。

ところが、クレンペラーの演奏には、そのようなフランス風のエスプリなど、どこにも見当たらない。

ゆったりとしたインテンポによるドイツ風の重心の低い演奏だ。

同じく独墺系の指揮者による名演としてカラヤン盤が掲げられる(特に1974年盤)が、カラヤンの場合も、演奏全体としてはドイツ風の重厚なものであるものの、カラヤンが鍛え抜いたベルリン・フィルの色彩豊かな音のパレットを用いて、可能な限り、フランス風の音を作り出していた。

その結果として、重厚さに加えて華麗という表現が相応しい名演に仕上がっていたと言える。

しかしながら、クレンペラーの場合は華麗ささえないと言える。

強いて言えば、野暮ったささえ感じさせるほどなのだ。

しかしながら、その重心の低いスローテンポの音楽から浮かび上がってくる内容の深さは、同曲のいかなる名演をも凌駕すると言える。

クレンペラーは、そもそも幻想交響曲を標題音楽としてではなく、純粋な交響曲として演奏しているのだろう。

前述のように、ゆったりとしたインテンポによる決して前に進んでいかない音楽ではあるが、それによって、ベルリオーズの音楽の魅力が、その根源からすべて浮かび上がってくるかのような趣きがある。

木管楽器の生かし方も新鮮さの極みであり、この音楽を初めて聴くような印象を受ける箇所が多く散見される。

そして、演奏全体としてのスケールの雄大さは、他にも比肩するものはない。

あまりの凄まじい指揮ぶりに、必死でついて行ったフィルハーモニア管弦楽団も、アンサンブルが微妙に乱れる箇所(特に、終結部)もあり、スタジオ録音ではありながら、実にスリリングな印象を受ける箇所さえもある。

HQCD化によって、音場が拡がるとともに、音質に鮮明さを増した点も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:34コメント(0)トラックバック(0) 

2014年12月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ミサ・ソレムニスは交響曲第9番と並ぶベートーヴェンの最高傑作であるが、交響曲第9番には若干の親しみやすさがあるのに対して、晦渋な箇所も多く、容易には聴き手を寄せ付けないような峻厳さがあると言えるだろう。

したがって、生半可な指揮では、名演など到底望むべくもないと考えられる。

同曲には、クレンペラーのほか、ワルターやトスカニーニ、そしてカラヤンやバーンスタインなどの名演も存在しているが、クレンペラーによる本演奏こそは、同曲のあらゆる名演に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

なお、クレンペラーは、その芸風が同曲と符号しているせいか、同曲の録音を本演奏のほか、ウィーン響(1951年)、ケルン放送響(1955年ライヴ)及びフィルハーモニア管(1963年ライヴ)との演奏の4種類遺しているが、音質面などを総合的に考慮すれば、本演奏の優位は動かないものと考える。

クレンペラーは悠揚迫らぬテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。

そして、ここぞというときの強靭な迫力は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っている。

演奏全体の様相としては、奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏と言っても過言ではあるまい。

もっとも、同曲の壮麗さは見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた彫りの深い演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。

例によって、木管楽器の生かし方もクレンペラーならではのものであるが、それが演奏に独特の豊かなニュアンスを付加するのに大きく貢献している点も忘れてはならない。

独唱陣も素晴らしい歌唱を披露しており、クレンペラーの確かな統率の下、最高のパフォーマンスを行っているニュー・フィルハーモニア管弦楽団及び同合唱団に対しても大きな拍手を送りたい。

音質は、従来CD盤では高音域が若干歪むのが大いに問題であり、これは同時期のEMIの大編成の合唱曲の録音に多く見られる由々しき傾向であると言えるところだ(例えば、ジュリーニがフィルハーモニア管弦楽団ほかを指揮してスタジオ録音を行ったヴェルディのレクイエムなど)。

したがって、その後リマスタリングされた従来CD盤を聴いても、その不満が解消されることは殆どなかったが、先般、待望のハイブリッドSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところである。

そして、今般のシングルレイヤーによるSACD盤は、当該ハイブリッドSACD盤を遥かに凌駕していると評しても過言ではあるまい。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の超名演を、超高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:02コメント(0)トラックバック(0) 

2014年12月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



巨匠クレンペラーにしか成し得ないスケール雄大な超名演だ。

どっしりとそびえる大木のような安定感と風格を漂わせるクレンペラーのバッハは、昨今の古楽ブームで耳慣れたヴィヴィッドな演奏と比べるとなんともおおらか。

どこか懐かしさにも似た暖かさを湛えたその響きに時代を超越する個性を見る思いがする。

偉大な指揮者が謙虚にバッハと向き合った演奏であり、近代のオーケストラで演奏したブランデンブルク協奏曲の中では間違いなく突出した1枚である。

このような大オーケストラを用いた重量級の演奏様式は、古楽器奏法やピリオド楽器を用いた小編成のオーケストラによる演奏が一般化した今日においては、殆ど顧みられないものであるが、これだけの芸術性豊かな名演を聴かされると、今日一般に行われている小編成による演奏が、いかにスケールの小さい軽妙浮薄なもののように思われてくる。

かつては、フルトヴェングラーやカラヤンなどが、大オーケストラを豪快に鳴らして、今日のマーラーやブルックナーの演奏様式に匹敵する重量級の演奏を繰り広げていたのだ。

もちろん、バッハが生きていた時代の演奏様式を検証することの意義を否定するものではないが、芸術の感動という点において、それがどれほどの意味を持つのかは大いに疑問があると言わざるを得ない。

バッハは、当時許されていた楽器性能の最大限を発揮させて、各楽曲を作曲しているのであり、時代考証的には問題があっても、クレンペラーの演奏に、バッハが感動した可能性だって否定できないのである。

特に木管楽器の素朴で温かい音色が印象的で、今日のオリジナル楽器による演奏にも一脈通じる新鮮さが感じられるところであり、幼少の頃からバッハの音楽に親しみ、特別な愛着を育んだクレンペラーが、大らかな響きで包み込んだブランデンブルク協奏曲と言えよう。

いずれにしても、これだけ重厚で力強いブランデンブルク協奏曲は、他にも類例はなく、このような演奏様式による、いわゆる旧スタイルの演奏の中では、随一の名演と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:59コメント(0)トラックバック(0) 

2014年12月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。

特に、本盤に収められたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。

クレンペラーは、LP時代に3枚にもわたるワーグナーの管弦楽曲集のスタジオ録音を行った(1960〜1961年)。

CD時代には、収録時間の関係もあって2枚にまとめられたが、EMIのSACD化に際しての基本方針はLP盤の可能な限りの復刻を目指していることから、今般のシングルレイヤーによるSACD盤の発売に際しては、再び3枚に分割されることになった。

当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。

本盤には、長大な楽劇「ニーベルングの指輪」からの抜粋、そして歌劇「タンホイザー」第3幕への前奏曲、舞台神聖祝典劇「パルジファル」第1幕への前奏曲が収められているが、このうち楽劇「ニーベルングの指環」については、クレンペラーは若き日より何度も指揮を行ってきたところだ。

残念ながら、ライヴ録音も含め、現時点では全曲録音が遺されていないようであり、その意味では本盤の存在は極めて貴重なものと言えるだろう。

本盤の各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるもの。

フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。

テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有している。

これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。

そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。

もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、1960〜1961年のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、クレンペラーによる名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:36コメント(0)トラックバック(0) 

2014年12月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、ワーグナーの有名な管弦楽曲である歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲、楽劇「マイスタージンガー」第1幕への前奏曲、「徒弟たちの踊りと親方たちの入場」、楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死、そして楽劇「ニーベルングの指環」から「神々の黄昏」第3幕のジークフリートの葬送行進曲が収められている。

諸説はあると思うが、筆者としてはクレンペラーならではの名演と評価したいと考える。

押しも押されぬ大巨匠であるクレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。

特に、本盤に収められたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。

クレンペラーは、LP時代に3枚にもわたるワーグナーの管弦楽曲集のスタジオ録音を行った(1960〜1961年)。

CD時代には、収録時間の関係もあって2枚にまとめられたが、EMIのSACD化に際しての基本方針はLP盤の可能な限りの復刻を目指していることから、今般のシングルレイヤーによるSACD盤の発売に際しては、再び3枚に分割されることになった。

当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。

本盤の各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるもの。

フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。

テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有している。

これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、作曲家の音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。

そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。

もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、1960年のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、クレンペラーによる名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:41コメント(0)トラックバック(0) 

2014年12月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターなど、綺羅星の如く大巨匠が活躍していた20世紀の前半であったが、これらの大巨匠は1960年代の前半には殆どが鬼籍に入ってしまった。

そうした中で、ステレオ録音の爛熟期まで生き延びた幸運な大巨匠(それは、我々クラシック音楽ファンにとっても幸運であったが)こそは、クレンペラーであった。

クレンペラーは、EMIに対して膨大な点数のスタジオ録音を行ったが、その大半はこの大巨匠の指揮芸術の素晴らしさを味わうことが可能な名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

そうした巨匠クレンペラーのレパートリーの中心は独墺系の作曲家の楽曲であったことは異論のないところであるが、そのすべてが必ずしもベストの評価を得ているわけではない。

特に、本盤に収められたワーグナーの管弦楽曲集については、賛否両論があるものと言えるだろう。

クレンペラーは、LP時代に3枚にもわたるワーグナーの管弦楽曲集のスタジオ録音を行った(1960〜1961年)。

CD時代には、収録時間の関係もあって2枚にまとめられたが、EMIのSACD化に際しての基本方針はLP盤の可能な限りの復刻を目指していることから、今般のシングルレイヤーによるSACD盤の発売に際しては、再び3枚に分割されることになった。

当時の独墺系の巨匠指揮者に共通するものとして、クレンペラーも歌劇場からキャリアをスタートさせただけに、ワーグナーのオペラについても得意のレパートリーとしていた。

本盤には、歌劇「リエンツィ」序曲、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、歌劇「タンホイザー」序曲、歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲が収められているが、これら各楽曲のアプローチは、クレンペラーならではの悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定による重厚かつ剛毅とも言えるもの。

フルトヴェングラーのようなテンポの思い切った振幅やアッチェレランドなどを駆使したドラマティックな表現などは薬にしたくもなく、限りなくインテンポを基調したものと言える。

テンポ設定だけを採れば、同時代の巨匠で言えば、ワーグナーを十八番としていたクナッパーツブッシュの演奏に限りなく近いが、深遠かつ荘重な演奏とも言えたクナッパーツブッシュの演奏に対して、クレンペラーの演奏は、深みにおいては遜色がないものの、前述のように剛毅で武骨な性格を有している。

これは、クレンペラーによるブルックナーの交響曲の演奏にも共通するところであるが、アクセントなどがいささかきつめに聴こえるなど、聴きようによっては、ワーグナーの音楽というよりは、クレンペラーの個性の方が勝った演奏になっているとも言えなくもない。

そうした演奏の特徴が、前述のように、クレンペラーによるワーグナーの管弦楽曲集の演奏に対する定まらない評価に繋がっているのではないかとも考えられるところだ。

もっとも、こうした演奏は、他の作曲家、例えばベートーヴェンやマーラーの交響曲などにおける歴史的な超名演との極めて高い次元での比較の問題であり、そうした超名演との比較さえしなければ、本盤の演奏を一般的な意味における名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、1960年のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、クレンペラーによる名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:26コメント(0)トラックバック(0) 

2014年11月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラーの死の4年前、最晩年の演奏であるが、いかにも巨匠ならではの重厚な名演である。

幼少期の頃からバッハの音楽に親しんできたクレンペラーの最晩年の指揮、そしてそれを演奏するのはイギリスを代表する一流オケであり、クレンペラーとの信頼が厚いニュー・フィルハーモニア管弦楽団。

勿論悪いはずがなく、これを聴かない人はバッハの音楽を聴かないも同然であり、聴いて損はない。

ヒストリカルな見地からはとんでもない演奏なのだろうが、その悠然たる風格には圧倒される。

グッと抑えた表現からにじみ出る詩情はまさにドイツのバッハであり、スケールの大きさや重量感を持ちながら透明感も十分な実にユニークな演奏だ。

バッハの演奏様式については、近年ではピリオド楽器による古楽器奏法や、現代楽器による古楽器奏法などによる小編成のオーケストラ演奏が主流となっている。

本盤に聴かれるような大編成のオーケストラによる重厚な演奏は、かつては主流であったが、近年ではすっかりと聴かれなくなってしまった。

そうした旧スタイルの演奏様式を古色蒼然と批判する向きもあるくらいである。

しかしながら、近年の演奏の何と言う味気ないことか。

芸術性の高い演奏も、稀には存在しているが、殆どは軽妙浮薄の最たるものであり、学者は喜ぶかもしれないが、音楽芸術の感動という点からは著しくかけ離れているのではないかと筆者としては考えている。

このような軽妙浮薄な演奏が流布している中で、本盤のクレンペラーの演奏は何と感動的に響くことか。

かつてはこうした交響楽指揮者がバッハを堂々と演奏していたものである。

ここには、ベートーヴェン以降の交響曲にも匹敵する厚みのある内容がぎっしり詰まっている。

いずれも雄大なフランス風序曲で始まるバッハの管弦楽組曲に、クレンペラーは晴れやかな響きを行き渡らせている。

これはベートーヴェンで見せるような、厳然とした面もちとはまた違ったクレンペラーの魅力であり、巨匠の本質にさまざまな角度から接することができる。

テンポも微動だにしない堂々たるインテンポであり、例えば、第2番のバディネリのように、かつての大編成のオーケストラによる旧スタイルの演奏の際にも、速めのテンポで駆け抜けるのが主流の楽曲でも、深沈たるテンポで実に味わい深い演奏を行っている。

金管の鋭い響きや、巨象が踏みしめるような堂々たる音楽の進め方など、スケールは極大であり、この旧スタイルの演奏としては、トップの座を争う名演と高く評価したい。

この演奏を聴くと、これほど悠揚とした演奏はもう今後耳にすることはできないのではないかとすら思えてくる。

そしてクレンペラーこそ、まさに偉大で風格のあるアポロン的演奏家ではなかろうか。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ドイツ・レクイエムはブラームスの作曲した声楽作品の最高峰であるだけでなく、ブラームスの最高傑作と評価する識者もいるほどの偉大な作品である。

それだけに、これまで様々な指揮者によって数多くの演奏・録音が行われてきているが、クレンペラーのスタジオ盤(EMI)は、録音から既に50年が経過しているにもかかわらず、現在でもなおトップの座を争う至高の超名演であるが、本演奏もクレンペラー壮年期の貴重な録音として聴き逃すことはできない。

1956年当時のクレンペラーならではの引き締まったテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。

奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏とも言える。

それ故に、同曲の厳粛かつ壮麗さが見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた比類のない演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。

木管楽器を時として強調させているのもクレンペラーならではの表現と言えるが、それが演奏全体に独特の味わい深さを付加させている点も忘れてはならない。

この演奏においては、スムーズな響きや、しなやかなフレージングといったものは希薄であるが、決して硬直した演奏になっているわけではなく、推進力や勢いがあって、切れ味鋭いアクセントやフレージングによって、作品の世界を峻厳なる表現によって描きつくし、そしてそれが精神の輝きとなって放射しているような感すらあって、聴いていてただならぬ感動に打ちのめされてしまったところだ。

こうして聴いてみると、ケルン放送響時代のクレンペラーの演奏には、他の時期とは異なった特色があり、クレンペラーの心身の充実と、自身の持ち味であるザッハリヒさと、ケルン放送響のアンサンブルとの相性とによる相乗効果によって、この時期ならではの独特な完成度と充実感があると言える。

独唱陣も超豪華な布陣であり、清楚な美声のグリュンマー、若きプライの朗々とした迫力ある歌も実に魅力的であり、その歌唱の素晴らしさはあらためて言うまでもないところだ。

クレンペラーの確かな統率の下、ケルン放送交響楽団や同合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、このCDの音質は大変に秀逸で、デジタルマスタリングが行われてはいるものの、放送局のオリジナルマスターに記録されていたであろう音の雰囲気があまり損なわれておらず、音のキレや力感、硬質のカッチリした響きといったものを堪能することができる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:14コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シェリングとクレンペラーという夢の共演が実現したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の登場だ。

1957年秋のベートーヴェン・ツィクルス(その素晴らしい演奏の模様は「第9」やアラウとの協奏曲で聴くことが出来る)に続いて、クレンペラーが指揮をした1959年のベートーヴェン・フェスティヴァル(1958年はクレンペラーの生死に関わるといわれた大火傷によってベイヌムが指揮をとった)におけるコンサートのライヴ録音である。

クレンペラーはこの年、全8回のコンサートを指揮、全9曲の交響曲のほか、序曲や3曲のピアノ協奏曲(独奏はアンソニー・ディ・ボナヴェントゥラ)が演奏されたが、シェリングをソリストに迎えたヴァイオリン協奏曲の演奏は、中でもひときわ高い感銘を聴衆に与えた。

「これほどの力強さ、輝かしさ、たくましさをもって、この作品に取り組めるヴァイオリニストが現在何人いるだろうか」と、当時のデイリー・テレグラフ紙も絶賛していた。

実際、ここでのシェリングは彼独特の構成感と艶やかな音色、そして何よりもその貴族的ともいえる優雅さで全曲を圧倒し、聴き手を最後まで釘付けにしている。

さらに、クレンペラーのサポートが凄く、彼は1966年にメニューインとともにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲をEMIに録音しているが、何度もリハーサルや実演を重ねたにもかかわらず、本人にとって決して満足のいく出来栄えではなかったようだ。

また、1957年のツィクルスの際にも、トッシー・スピヴァコフスキーのソロで同曲を演奏しており、レコーディングの要望もあったようだが、クレンペラーはそれを拒否。

クレンペラーのベートーヴェンのスコアに対する妥協のない厳しい姿勢を完全に理解することは、並大抵のヴァイオリニストにとっては至難の業なのかもしれない(当時41歳のシェリングはそんなクレンペラーの高い要求に応える演奏を成し遂げていると言える)。

前述したように、この1959年はクレンペラーが前年に致命傷ともいえる大火傷から不死鳥のごとく復活し、偉大なる巨匠へと変貌する基軸となった年。

実際、ここで聴かれる演奏も、第1楽章から恐ろしく張り詰めたオーケストラの緊張感のなかで始まり、EMIのレコーディングにもまして際立つ木管群とここぞとばかりに叩きつけられるティンパニの強打に打ちのめされた後、クレンペラーでしか到達し得ないであろうあまりにも気高く崇高な第2楽章を経て、怒涛のコーダで終焉を迎える第3楽章で結ばれている(その結果は聴衆の拍手が物語っている)。

このような一点もゆるがせにしない完璧な音楽のフォルムや輝かしい音色、そして何より志の高さを感じさせる高潔な精神性は、まさにクレンペラーの思い描く理想のベートーヴェン像の顕現と言えるだろう。

余白に収録されている「シャコンヌ」は、1967年(あの名演として名高いDGへの全曲録音と同じ年)に、BBCのために行われたスタジオ・ライヴにおける録音で、ここでもシェリングの音楽に対する真摯な姿勢は聴くものの胸を打つ演奏となっている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ミサ・ソレムニスは交響曲第9番と並ぶベートーヴェンの最高傑作であるが、交響曲第9番には若干の親しみやすさがあるのに対して、晦渋な箇所も多く、容易には聴き手を寄せ付けないような峻厳さがあると言えるだろう。

したがって、生半可な指揮では、名演など到底望むべくもないと考えられる。

同曲には、クレンペラーのほか、トスカニーニやワルター、そしてカラヤンやバーンスタインなどの名演も存在しているが、クレンペラーによる演奏こそは、同曲のあらゆる名演に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

なお、クレンペラーは、その芸術が同曲と符号しているせいか、同曲の録音を本演奏のほか、ケルン放送響(1955年ライヴ)及びフィルハーモニア管(1963年ライヴ)、ニュー・フィルハーモニア管(1965年スタジオ)との演奏の4種類遺している。

音質面などを総合的に考慮すれば、最後のスタジオ録音の優位は動かないものと考えられるが、本盤はそれとは正反対の速いテンポでぐいぐい引っ張っていく、クレンペラー壮年期の緊迫感溢れる素晴らしい演奏であり、これも捨て難い。

ここでのクレンペラーは速めのテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出していくというものだ。

そして、ここぞと言うときの強靭な迫力は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っている。

演奏全体の様相としては、奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏と言っても過言ではあるまい。

もっとも、同曲の壮麗さは見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた彫りの深い演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。

例によって、木管楽器の活かし方もクレンペラーならではのものであるが、それが演奏に独特の豊かなニュアンスを付加するのに大きく貢献している点も忘れてはならない。

独唱陣も素晴らしい歌唱を披露しており、クレンペラーの確かな統率の下、最高のパフォーマンスを行っている合唱団に対しても大きな拍手を送りたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0) 

2014年06月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「ミサ・ソレムニス」は交響曲第9番と並ぶベートーヴェンの最高傑作であるが、交響曲第9番には若干の親しみやすさがあるのに対して、晦渋な箇所も多く、容易には聴き手を寄せ付けないような峻厳さがあると言えるだろう。

したがって、生半可な指揮では、名演など到底望むべくもないと考えられる。

同曲には、クレンペラーのほか、ワルターやトスカニーニ、そしてカラヤンやバーンスタインなどの名演も存在しているが、クレンペラーによる本演奏こそは、同曲のあらゆる名演に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

ベートーヴェンはクレンペラーにとって、最も重要なレパートリーで、EMIに同じフィルハーモニア管弦楽団を指揮しての交響曲全集録音もあるが、もちろん、これはそれとは別テイクの放送音源である。

なお、クレンペラーは、その芸風が同曲と符号しているせいか、同曲の録音をスタジオ録音を含め、本演奏のほかにも行っているが、ライヴだからこその緊張感やスケール感が明確に伝わってくることの素晴らしさという点を考慮すれば、本演奏の優位は動かないものと考える。

クレンペラーは悠揚迫らぬテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。

そして、ここぞと言うときの強靭な迫力は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っている。

演奏全体の様相としては、奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏と言っても過言ではあるまい。

もっとも、同曲の壮麗さは見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた彫りの深い演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。

例によって、木管楽器の生かし方もクレンペラーならではのものであるが、それが演奏に独特の豊かなニュアンスを付加するのに大きく貢献している点も忘れてはならない。

独唱陣も素晴らしい歌唱を披露しており、クレンペラーの確かな統率の下、最高のパフォーマンスを行っているフィルハーモニア管弦楽団及び同合唱団に対しても大きな拍手を送りたいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:05コメント(0)トラックバック(0) 

2014年03月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラーによるベートーヴェンの交響曲全集がシングルレイヤーによるSACD盤で発売されるというのは、大変喜ばしいことであるが、本盤にはその大トリとして、交響曲第9番と、「レオノーレ」序曲第3番、「シュテファン王」序曲が収められている。

EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、今般のシングルレイヤーによるSACD化に際しても同様に、LP時代のカップリングやジャケットにも強い拘りを有しており、それ故に本盤の2枚組の収録曲としてはいささか物足りないCDとなっているものと思われる。

第9交響曲は1枚で収録できるのに、あとの序曲2曲は別に発売すべきではなかったのではないか。

価格面も含め、そうした不満は否めないが、ここまで細かく分けて発売する必要はどこにあるのかと苦言を呈しておきたい。

演奏自体は、悠揚迫らぬ素晴らしい名演だ。

ベートーヴェンの「第9」の名演としては、フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管弦楽団によるドラマティックな超名演(1951年)の印象があまりにも強烈であるが、当該名演とは対照的に、微動だにしないゆったりとしたインテンポによって曲想を精緻に、そして格調高く描き出しているクレンペラーによる重厚な名演もまた、格別な味わいに満ち溢れている。

クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、とりわけ木管楽器をやや強めにするのはユニークであるが、いささかも無機的な演奏に陥ることがなく、どこをとっても彫りの深い音楽が紡ぎ出されていく。

巧言令色などとは全く無縁であり、飾り気が全くない微笑まない音楽であるが、これはまさに質実剛健な音楽と言えるのではないだろうか。

全体の造型はきわめて堅固であるがスケールは極大であり、いずれにしても、本演奏は、前述のフルトヴェングラーによる名演も含め、古今東西の様々な指揮者による名演の中でも、最も峻厳で剛毅な名演と高く評価したい。

独唱陣はいずれも優秀であるが、とりわけバリトンのハンス・ホッターとメゾ・ソプラノのクリスタ・ルートヴィヒは比類のない名唱を披露している。

クレンペラーの統率の下、フィルハーモニア管弦楽団や同合唱団も最高のパフォーマンスを示しているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

2曲の序曲もクレンペラーの長所が最高度に発揮された立派な演奏で、その気宇壮大な表現には圧倒される。

特に「レオノーレ」序曲第3番はベートーヴェンの音楽の真髄を極めた快演で、クレンペラーの芸格の高さを如実に示す名演奏である。

音質は、1957年(序曲は1963年、1959年)のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。

ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、合唱や独唱、オーケストラ演奏が見事に分離して聴こえる明瞭さ、音圧の凄さ、音場の拡がりのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:11コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



この第7番は素晴らしい超名演だ。

筆者としては、比較的最近発売された1968年盤の方をさらに上位に置きたいが、本盤の方もほぼ同格の名演と高く評価したい。

このようなクレンペラーによる至高の名演について、今般、シングルレイヤーによるSACD化されるというのは何と言う素晴らしいことであろうか。

EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、当該SACD化がハイブリッドであったのに対して、今般はより高音質化が望めるシングルレイヤーによるSACD化であり、加えてLP時代のカップリングやジャケットへの強い拘りも、高く評価されるべきであろう。

楽曲の進行は殆ど鈍行列車だ。

しかしながら、鈍行列車であるが故に、他の演奏では聴かれないような旋律やニュアンスが完璧に表現されており、踏みしめるような重量感溢れるリズムなど、殆ど人間業とは思えないような圧巻のド迫力だ。

このような微動だにしないインテンポによる威風堂々たる重厚なベートーヴェンにはただただ頭を垂れるのみである。

最近では、ベートーヴェンの演奏にも、古楽器奏法やピリオド楽器による小編成のオーケストラによる演奏など、軽妙浮薄な演奏が流行であるが、本盤を聴いていると、現代の演奏など、まるで子どものお遊びのように感じてしまう。

それくらい、本盤は、巨木のような大芸術作品と言うことができるだろう。

テンポも遅いが、何にも邪魔をされることがない悠々たる進行は、まさに巨象が大地を踏みしめるが如き重量感に満ち溢れている。

それでいて、ウドの大木に陥ることなく、第2楽章に聴かれるような情感の豊かさも聴きものだ。

「献堂式」序曲も、単なる序曲にとどまらないようなスケール雄大な名演であり、あらためて巨匠クレンペラーの芸術の底知れぬ深さを感じさせられた。

音質は、1960年(序曲は1959年)のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。

ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても素晴らしい仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:44コメント(0)トラックバック(0) 

2014年03月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラーならではのスケール雄大な名演だ。

このような歴史的な名演が、今般、シングルレイヤーによるSACD化されるというのは何と言う素晴らしいことであろうか。

EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、当該SACD化がハイブリッドであったのに対して、今般はより高音質化が望めるシングルレイヤーによるSACD化であり、加えてLP時代のカップリングやジャケットへの強い拘りも、高く評価されるべきであろう。

1957年というステレオ初期の録音ということもあり、クレンペラーの芸術が完成期を迎える(1960年代以降)少し前の録音ではあるが、ここでは、晩年のクレンペラーの堂々たる至芸を味わうことが可能である。

ゆったりとした微動だにしないインテンポは、沈み込んでいくような深みがあるが、それでいて、いわゆる「田園」ならではの明瞭さにいささかの不足もない。

むしろ、こうした深みのアプローチが、演奏に潤いとコクを与えている点を見過ごしてはならないであろう。

ワルターやベームの「田園」のような独特の愉悦感や優美さには欠けているかもしれないが、演奏の有する深みにおいては、ワルターやベームといえども一歩譲ると言える。

併録の「レオノーレ」序曲第1番も、ゆったりとしたテンポによるスケールの壮大な超名演だ。

そもそも、この楽曲には他に競合する名演が少ないこともあり、クレンペラーの独壇場とも言うべき名演と評価することも可能である。

音質は、1957年(序曲は1963年)のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。

ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても素晴らしい仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:58コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは名演揃いのクレンペラーによるベートーヴェンの交響曲の演奏の中でも、本盤に収められた第5番の演奏は、第7番と同様に2トップを形成する至高の超名演だ。

このような歴史的な超名演が、今般、シングルレイヤーによるSACD化されるというのは何と言う素晴らしいことであろうか。

EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、当該SACD化がハイブリッドであったのに対して、今般はより高音質化が望めるシングルレイヤーによるSACD化であり、加えてLP時代のカップリングやジャケットへの強い拘りも、高く評価されるべきであろう。

近年においては、ベートーヴェンの交響曲演奏は、ピリオド楽器やピリオド奏法による演奏が一般化しているが、本盤の第5番の演奏は、そうした近年の傾向とは真逆の伝統的な、ドイツ正統派によるものと言えるだろう。

本演奏において、クレンペラーは格調の高さをいささかも損なうことなく、悠揚迫らぬテンポで精緻に楽想を描き出している。

木管楽器を強調するのはクレンペラーならではのユニークなものではあるが、各楽器を力強く演奏させて、いささかも隙間風が吹かない重量感溢れる重厚な音楽が紡ぎだされていく。

テンポの振幅などは最小限に抑えるなど、ドラマティックな要素などは薬にしたくもなく、演奏全体の造型は極めて堅固である。

第5番のこれまでの名演としては、かのフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる至高の超名演(1947年)が掲げられるところであり、当該名演とは対照的な本演奏であるが、そのスケールの雄大さや巨木のような威容、崇高さにおいては、フルトヴェングラーによる超名演にもいささかも引けを取っていないと高く評価したい。

フィルハーモニア管弦楽団もしっかりと付いていき、ドイツ風の重厚な音色を出すなど、最高のパフォーマンスを発揮していることも高く評価すべきものと考える。

いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの巨大な芸術の凄さを十二分に満喫することが可能であるとともに、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

併録の「コリオラン」序曲についても、交響曲第5番と同様に、クレンペラーのスケール雄大な音楽づくりを味わうことができる素晴らしい名演だ。

音質は、1957、1959年のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。

ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても素晴らしい仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:49コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クラシック音楽ファンにとって、クレンペラーによるベートーヴェンの交響曲全集がシングルレイヤーによるSACD盤で発売されるというのは、大変喜ばしいことであるが、本盤にはその第4弾として、交響曲第4番と劇音楽「エグモント」から序曲ほかの抜粋が収められている。

EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、今般のシングルレイヤーによるSACD化に際しても同様に、LP時代のカップリングやジャケットにも強い拘りを有しており、それ故に本盤の収録曲としてはいささか物足りないCDとなっているものと思われる(とは言っても、交響曲第4番のみを収録した昨年発売されたクライバー&バイエルン国立管弦楽団によるSACD盤よりは少しましと言えるが)。

価格面も含め、そうした不満は否めないが、演奏自体はクレンペラーならではの圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。

近年においては、ベートーヴェンの交響曲演奏は、ピリオド楽器やピリオド奏法による演奏が一般化しているが、本演奏は、そうした近年の傾向とは真逆の伝統的な、ドイツ正統派によるものと言えるだろう。

加えて、ベートーヴェンの交響曲第4番の旧スタイルの名演としては、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる名演(1973年)や、前述のクライバーによる名演(1982年)など、速めのテンポによる颯爽とした様相の演奏が高く評価されているが、本盤のクレンペラーによる演奏は、そうした名演とも一線を画している。

悠揚迫らぬゆったりとしたテンポによる演奏は、あたりを振り払うかのような威容に持ち溢れており、ベートーヴェンがスコアに記した音符の一つ一つを徹底的に鳴らし切るなど、あたかも巨象が進軍するかのような重量感に満ち溢れている。

テンポの振幅は必要最小限に抑えるなど、小賢しいアプローチとは無縁であるが、それでいて木管楽器を効果的に活かすなど格調の高さを損なわない範囲において随所にスパイスを利かせるなど、必ずしもウドの大木のような演奏にはいささかも陥っていない。

ベートーヴェンの交響曲の一般的な演奏スタイルとして、偶数番の交響曲は柔和に行うとの考えも一部にあるが、クレンペラーにはそのような考えは薬にしたくもなく、前後に高峰として聳え立つエロイカや第5番などに行うようなアプローチで交響曲第4番の演奏に臨むことによって、同曲をスケール雄大な大交響曲に構築していった点を高く評価すべきであろう。

クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団もしっかりと付いていき、ドイツ風の重厚な音色を出すなど、最高のパフォーマンスを発揮していることも高く評価すべきものと考える。

いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの巨大な芸術の凄さを十二分に満喫することが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の劇音楽「エグモント」からの抜粋についても、往年の大歌手ビルギット・ニルソンの名唱も相俟って、交響曲第4番と同様に、クレンペラーのスケール雄大な音楽づくりを味わうことができる素晴らしい名演だ。

音質は、1957年のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。

ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても素晴らしい仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:12コメント(0)トラックバック(0) 

2014年03月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは凄い演奏だ。

「エロイカ」にしても「フィデリオ」序曲にしても、クレンペラーの巨大とも言える音楽を満喫することが可能な圧倒的な名演と評価したい。

このようなクレンペラーによる至高の名演について、今般、シングルレイヤーによるSACD化されるというのは何と言う素晴らしいことであろうか。

EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、当該SACD化がハイブリッドであったのに対して、今般はより高音質化が望めるシングルレイヤーによるSACD化であり、加えてLP時代のカップリングやジャケットへの強い拘りも、高く評価されるべきであろう。

近年においては、ベートーヴェンの交響曲演奏は、ピリオド楽器やピリオド奏法による演奏が一般化しているが、本盤の「エロイカ」の演奏は、そうした近年の傾向とは真逆の伝統的な、ドイツ正統派によるものと言えるだろう。

そもそも冒頭の2つの和音からして胸にずしりと響いてくるものがある。

その後は悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を精緻に、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出して行く。

クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、隙間風が全く吹かない重厚な音楽が紡ぎ出されている。

木管楽器をやや強めに演奏させるのはいかにもクレンペラーならではのものであるが、これによって演奏がウドの大木になることを避ける結果となっており、演奏のどこをとっても彫りの深さが健在である。

演奏全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールは極大であり、重厚にして重量感溢れる音楽が構築されている。

「エロイカ」には、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによる1944年盤(ウラニア)及び1952年盤(EMI)という至高の超名演が存在しており、この2強を超える演奏を成し遂げることは困難を極める(私見ではあるが、この2強を脅かすには、カラヤンのように徹底した音のドラマの構築という、音楽内容の精神的な深みを追求したフルトヴェングラーとは別の土俵で勝負する以外にはないのではないかと考えている)が、クレンペラーによる本演奏は、そのスケールの雄大さや仰ぎ見るような威容、演奏の充実度や重厚さにおいて、前述の2強に肉薄する素晴らしい名演と高く評価したい。

クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団もしっかりと付いていき、ドイツ風の重厚な音色を出すなど、最高のパフォーマンスを発揮していることも高く評価すべきものと考える。

併録の「フィデリオ」序曲についても、「エロイカ」と同様に、クレンペラーのスケール雄大な音楽づくりを味わうことができる素晴らしい名演だ。

音質は、1960年前後のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。

ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても素晴らしい仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:14コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、待望のクレンペラーによるベートーヴェンの交響曲全集のシングルレイヤーによるSACD化の第2弾として、交響曲第2番と「レオノーレ」序曲第2番及び「プロメテウスの創造物」序曲が収められている。

EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、今般のシングルレイヤーによるSACD化に際しても同様に、LP時代のカップングやジャケットにも強い拘りを有しており、それ故に本盤の収録曲としてはいささか物足りないCDとなっているものと思われる。

価格面も含め、そうした不満は否めないが、演奏自体はクレンペラーならではの圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。

近年においては、ベートーヴェンの交響曲演奏は、ピリオド楽器やピリオド奏法による演奏が一般化しているが、本演奏は、そうした近年の傾向とは真逆の伝統的な、ドイツ正統派によるものと言えるだろう。

交響曲第2番に至っては、全体を約37分もの時間をかけて演奏しているが、こうした悠揚迫らぬゆったりとしたテンポによる演奏は、あたりを振り払うかのような威容に持ち溢れており、ベートーヴェンがスコアに記した音符の一つ一つを徹底的に鳴らし切るなど、あたかも巨象が進軍するかのような重量感に満ち溢れている。

テンポの振幅は必要最小限に抑えるなど、小賢しいアプローチとは無縁であるが、それでいて木管楽器を効果的に活かすなど格調の高さを損なわない範囲において随所にスパイスを利かせるなど、必ずしもウドの大木のような演奏にはいささかも陥っていない。

ベートーヴェンの交響曲の一般的な演奏スタイルとして、偶数番の交響曲は柔和に行うとの考えも一部にあるが、クレンペラーにはそのような考えは薬にしたくもなく、「エロイカ」や第5番などに行うようなアプローチで交響曲第2番の演奏に臨むことによって、同曲をスケール雄大な大交響曲に構築していった点を高く評価すべきであろう。

クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団もしっかりと付いていき、ドイツ風の重厚な音色を出すなど、最高のパフォーマンスを発揮していることも高く評価すべきものと考える。

いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの巨大な芸術の凄さを十二分に満喫することが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の「レオノーレ」序曲第2番及び「プロメテウスの創造物」序曲についても、交響曲第2番と同様に、クレンペラーのスケール雄大な音楽づくりを味わうことができる素晴らしい名演だ。

音質は、1957年(序曲は1963年)のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。

ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても素晴らしい仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:33コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



EMIは、昨年のフルトヴェングラーによる一連の録音のSACD化を皮切りとしてSACD盤の発売を開始したが、今般、ついに待望のクレンペラーによるベートーヴェンの交響曲全集のSACD化が行われる運びとなった。

既に、EMIは、過去の名演を100種選定して、昨年末からSACD化して発売しているが、それらはハイブリッドSACD盤であった。

これに対して、今般のクレンペラーによるベートーヴェンの交響曲の一連の録音に際しては、シングルレイヤーによるSACD盤での発売であり、価格がやや高めであるのは難点ではあるが、音質においては極めて期待を持てると言えるだろう。

それはさておき、本盤には、ベートーヴェンの交響曲第1番と第8番が収められている。

前述のハイブリッドSACD盤においてもそうであったが、EMIはLP時代のカップリングやジャケットにも強い拘りを有しており、それ故に収録曲としては、従来CD盤やHQCD盤のカップリングとは異なっている。

これは、LP時代からのコアなクラシック音楽ファンにとっては大変に喜ばしいもののではないかと思われる。

いずれにしても、演奏自体は実に素晴らしい。

近年においては、ベートーヴェンの交響曲演奏は、ピリオド楽器やピリオド奏法による演奏が一般化しているが、両曲の演奏は、そうした近年の傾向とは真逆の伝統的な、ドイツ正統派によるものと言えるだろう。

悠揚迫らぬゆったりとしたテンポによる演奏は、あたりを振り払うかのような威容に持ち溢れており、あたかも巨象が進軍するかのような重量感に満ち溢れている。

テンポの振幅は必要最小限に抑えるなど、小賢しいアプローチとは無縁であるが、それでいて木管楽器を効果的に活かすなど格調の高さを損なわない範囲において随所にスパイスを効かせるなど、必ずしもウドの大木のような演奏にはいささかも陥っていない。

交響曲第1番や第8番のこれまでの様々な指揮者による演奏としては、ベートーヴェンの交響曲の中でも規模の小さい交響曲だけに比較的軽快に演奏ものが多いが、クレンペラーは、あたかも大交響曲に接するかのようなスケールの雄大な演奏を行っており、おそらくは同曲の演奏史上でも最も構えの大きい演奏ではないだろうか。

クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団もしっかりと付いていき、ドイツ風の重厚な音色を出すなど、最高のパフォーマンスを発揮していることも高く評価すべきものと考える。

いずれにしても、本演奏は、クレンペラーの巨大な芸術の凄さを十二分に満喫することが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1957年のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも、そして数年前に発売されたHQCD盤でも、比較的満足できるものであった。

ところが、前述のように、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで、圧倒的な高音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても素晴らしい仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:59コメント(0)トラックバック(0) 

2014年02月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラー「ライヴ」のベートーヴェン:交響曲全集。

録音データは、以下の通り。

交響曲第1番(ケルン放送響、1954年10月25日)、交響曲第3番「英雄」(ベルリン放送響、1958年3月29日)、交響曲第2番(ベルリン放送響、1958年3月29日)、交響曲第5番「運命」(LAP、1934年1月1日)、交響曲第4番(COA、1956年5月9日)、交響曲第7番(NDR、1955年9月28日)、交響曲第8番(ケルン放送響、1955年5月28日)、交響曲第6番「田園」(ベルリン放送響、1954年2月15日)交響曲第9番(COA、1956年5月17日)

『運命』は1934年の演奏だが、他は病を乗り越えヨーロッパで尊敬を一身に集めた時期である1950年代中盤から後半の名演。

演奏は興味深いものが多い。

1枚目から何となく聴き始めたが、「第1」など極めて立派な活気のある名演だった。

「第5」のみ音が古めかしいが、貴重なロス時代のクレンペラーの姿…と思えばよい。

「第2」、「第7」もどっしりとして、かつ音楽の勢いや流れも失われておらず、意外な掘り出し物だった。

リズム重視でずしりと手ごたえのあるのはいつものことであるが、クレンペラーといえども人の子。

聴衆を前に存分に熱している。

それぞれに分売されているのだろうが、価格面でも「とりあえず」触れてみるには手頃なセットである。

クレンペラーはフィルハーモニア管とも優れたベートーヴェンを遺しているが、ヨーロッパ強豪オケの重厚なサウンドはクレンペラーのヘビーな解釈にぴったりと言えよう。

但し、音質はいずれの曲も著しい低音不足で、アンプで低音域を強調しなければならない。

最近のこのレーベルはこういう傾向の音が多く、そのままだと聴いていて疲れてしまう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:53コメント(0)トラックバック(0) 

2014年01月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1951年7月のオランダ音楽祭でのライヴ録音。

乳癌のために早世したキャスリーン・フェリアーは、ブルーノ・ワルターの指揮でDeccaにスタジオ録音した《大地の歌》の独唱者として、不滅の評価を得ている。

この名アルト歌手が、ワルターとならんでマーラーの弟子として知られるクレンペラーと共演したのが、ここに聴ける「復活」交響曲のライヴ録音である。

現今では、マーラーの「復活」は、バーンスタインやテンシュテットなどの激情的な名演、小澤やインバルなどの純音楽的な名演など、数多くの名演が目白押しである。

そのような中で、マーラーの直弟子であるクレンペラーの名演はどのような位置づけになるのであろうか。

同じくマーラーの直弟子であったワルターが、「復活」に関しては録音のせいも多分にあるとは思うが、これぞ!という名演を遺していないだけに、俄然、クレンペラーの演奏の意義は高いとも言える。

この演奏は「復活」のあらゆる録音のなかでも最速のものとして知られているが、ただ速いだけでなく、凄まじい推進力に満ちており、峻厳・激烈でさながら青白い炎の様だ。

没後40周年を迎えた恩師の音楽を、なかなか認めようとしない世間へのクレンペラーの怒りが込められているかのような、怒髪天を突く「復活」だ。

特に、感心させられるのは、終楽章。

ここの中間部は、名演と称されるものでもいささか冗長さを感じさせる箇所であるが、クレンペラーは、ここを幾分テンポを落として、終結部の復活の合唱への布石のように崇高に心をこめて旋律を歌いあげていく。

この「復活」は、楽曲の本質を個性的な見地で捉えるなど奥深い内容をそなえた重厚な名演と高く評価したい。

マーラーの作品が一般に浸透するには、これからなお10年以上の歳月を必要としたのである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 11:55コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「ベルリン時代のクレンペラー」が、ついにRIASオリジナル・マスターより望みうる最高の音質でのCD化が実現した。

オットー・クレンペラー(1885-1973)が戦後ヨーロッパに復帰後のベルリンで、RIAS響および改称後のベルリン放送響を指揮したもので、ベートーヴェン、モーツァルト、マーラーほか巨匠ゆかりのプログラムを取り上げた注目の内容。

マーラーの推薦を得て、1907年にプラハで指揮者としてデビューしたのちのクレンペラーは、バルメン、シュトラスブルク、ケルン、ヴィースバーデンといった歌劇場の指揮者を歴任し、急速にドイツを代表する指揮者のひとりとして注目を浴びるようになるのだが、クレンペラーのキャリアのなかでも重要な活動として知られるものが、1927年に始まるクロール・オーパーでの仕事であった。

ベルリン国立歌劇場の一部門として創設されたクロール・オーパーでは、クレンペラーのもと、ヒンデミットの「カルディヤック」「今日のニュース」、シェーンベルクの「期待」「幸福な手」、さらにクレンペラー自ら演出を手掛けたストラヴィンスキー「エディプス王」「マヴラ」など同時代の作品が積極的に紹介されると同時に、旧来の有名な曲目に対しても新しい現代的な演出が試みられるが、その意欲的な試みは多くの支持と反発を引き起こすことになった。

さらに、折からのドイツ経済の危機的状況とナチスに代表される右翼の圧力から、1931年に劇場は閉鎖に追い込まれてしまい、1933年ついにクレンペラーはナチス・ドイツ政権を逃れてアメリカ合衆国に移住した。

こうした経緯もあって、おそらく文化的・政治的状況のために、クレンペラーが第2次大戦後にヨーロッパに戻ったあとも、クレンペラーと戦前因縁のあったベルリン国立歌劇場は一切の接触を断ったままで、ベルリン・フィルとRIAS響がクレンペラーを客演に招いているものの、「ベルリンでのクレンペラー」の演奏の絶対数は決して多いとは言えない状況なので、こうしてまとめてリリースされる意義はきわめて大きいと言えるだろう。

しかも、すべての収録内容が、オリジナル・マスターからの初の正規復刻というのはやはり大きなポイントと思われる。

このたびのセットには、厳格な対位法処理により金字塔として名高いベートーヴェンと奥深いモーツァルトをはじめ、師マーラーの交響曲と、クレンペラーがもっとも得意としていたプログラムで、ファンにはよく知られている演奏が大半を占める一方で、シュナーベルに師事し、ベートーヴェン弾きとして知られたリーベンスアーム(1906 ケーニヒスベルク生まれ)をソリストに迎えたピアノ協奏曲第3番と、クロール時代の記憶も強烈なヒンデミットという、おそらく初出と思われる音源が含まれているのも見逃せないところだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:15コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラーは戦後、アメリカ・ヴォックスにまとまった量の録音をおこなっているが、この2曲はそのなかで1951年に録音されたものである。

ヴォックスの録音は壮年期のクレンペラー演奏の貴重な記録であり、そもそもかなり素っ気ない1950年代のクレンペラーの演奏を、ウィーン交響楽団の潤いある音響が補っている秀演。

ブルックナーの交響曲第4番『ロマンティック』は、SP時代のベーム、ヨッフムに続く史上3番目の録音で、LP用の初めての録音でもあった。

この『ロマンティック』はおよそブルックナーらしからぬ快速演奏に驚嘆、と思う間もなくこの大指揮者の音楽に鷲掴みにされ一気に最後まで聴き通してしまう、比類なき名演。

もうひとつ指摘しなければならないのは、この当時のウィーン響の音である。

この頃はまだ古い楽器を使用していたのだろう、ホルンをはじめオーボエなどの管楽器がいかにも鄙びた味わいである。

弦楽器もかなり艶っぽい音を出している。

たとえば第2楽章のヴィオラ、チェロなど、この頃のウィーン響がこんなに甘い音だったとは知らなかった。

なお、クレンペラーはこの第2楽章の途中のヴィオラの旋律をソロに変更している。

むろん、これはクレンペラー独自の改変で、賛否はあるだろうが、これはこれでなかなか味があると思う。

マーラーの『大地の歌』はワルターのSP録音に続く史上2番目の録音で、ブルックナー同様最初のLP用録音である。

作曲者直伝の十八番マーラーはクレンペラーならではの正統的な演奏。

『ロマンティック』同様、速めのテンポで処理しているが、ここでもオーケストラの柔らかい音色が十分に物を言っている。

さすがにワルター/ウィーン・フィルほど結晶化はされているとは言えないものの、個性的であるのは間違いない。

随所にあらわれるヴァイオリン・ソロなどもかなり甘く歌っている。

歌手陣では、デルモータの美声がさすがで、この曲の名唱のひとつではないだろうか。

一方のカヴェルティはポルタメントが多い古いスタイルの歌い方だが、この曲の退廃的な雰囲気とよく合っていて、決して悪いとは思わない。

ただ、この2人の歌手があまりにもマイクに近すぎるのが少し気になる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:22コメント(0)トラックバック(0) 

2013年12月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラーは22歳という若さでマーラーの推挙もあってプラハのドイツ歌劇場の指揮者としてキャリアをスタートさせている。

マーラーの弟子という点でワルターとよく比較されるが、確かに頻繁に取り上げていたワルターに比べ、クレンペラーのマーラー演奏評はその出来に比べ低く評価されている気がしないではない。

しかし、残された演奏を聴く限り安定感があり、しっかりとした地に足が着いた演奏は、さすが巨匠の芸術というべきものであろう。

第4交響曲に関して言えば、今回のケルンを筆頭に、コンセルトヘボウ、ベルリンRIAS響、ウィーン響、バイエルン放送響、フィルハーモニア管などとの録音も残されているので、それぞれ聴き比べしてみるのも面白いだろう。

他の演奏に比べて速めのテンポで進めるが、決して雑ではなく逆に力強い推進力を感じるほどだ。

とても70歳に近い人物が指揮をしているなど音だけでは絶対にわからないだろう。

それだけ、この演奏にかけるクレンペラーの集中力は凄まじく、第3楽章にはクレンペラーと思える唸り声が聞こえる箇所がある。

モントリオール空港でのタラップ転落事故による怪我も癒え、絶好調だったクレンペラーのエネルギーが迸るマーラー演奏である。

トータル・タイム49分9秒は、全ての第4交響曲のディスクの中でも最速となるものだが、時間の短さは主に第3楽章の16分52秒というタイムに起因しているので、ほかの楽章がそれほど極端に速いというわけではない。

とはいえスタジオ録音のEMI盤に較べると、トータルで5分違うので印象はやはり大きく異なる。

この演奏の特徴は、作品のイメージそのままに推進力に満ちたテンポ設定がおこなわれている点と、飛び交う数々のフレーズにより、魅惑的な場面が連続的に形成されているということになるであろうか。

ここにはEMI盤のように足を止めて景色をじっくり眺めるといった雰囲気はないが、快適なテンポで闊歩し、それぞれの景色を積極的に楽しむといった趣がある。

曲が柔和な「第4」だけに、クレンペラーの演奏については世評は必ずしも高いとは言えないが、筆者としては、クレンペラーならではの個性的な名演と評価したい。

ソプラノのトレッチェルも明るく屈託の無い歌唱で曲にふさわしく、2年後のバイエルン放送響との演奏で起用されていたことにも納得の仕上がりである。

相性の良かったケルン放送響を元気なクレンペラーが指揮した見事な演奏と言えるだろう。

1954年2月21日のライヴ録音だが、音質もモノラルとしてはかなり上質で聴きやすい水準に達している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:57コメント(0)トラックバック(0) 

2013年12月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1957年6月7日 ケルンWDRフンクハウスでのライヴ録音である。

クレンペラーのブルックナー「第8」では、最晩年に近い1970年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団を振ったスタジオ録音があるが、こちらは第4楽章で大胆なカットが入っており、それを理由に一般には評判が芳しくない。

一方、本盤は遡ること13年前、カットなしの演奏である。

いやはや驚くべき演奏である。

レコ芸にこの新譜の批評が載っていたが、そこで「この演奏には人間の情感や意図を超えて、大宇宙の鼓動や深奥へと踏み入ろうとする様な、壮絶な気迫が溢れている」といった文章を読んで、まさしくその通りだと共感した。

クレンペラーのライヴ演奏には、こうした神がかり的な圧倒と説得力が必ず現れている。

演奏時間は決して遅くないが、せかせかした印象など皆無で、ブルックナー「第8」が純交響楽作品であることを、この演奏ほど見事に提示した例は他にない。

巨大な構築力を感じさせ、またゴツゴツとした鋭角的な枠取りが特色で、いわゆる音を徹底的に磨き上げた流麗な演奏とは対極に立つ。

また、第3楽章などフレーズの処理でもややクレンペラー流「脚色」の強さを感じる部分もある。

筆者は日頃、ヴァント、朝比奈の「第8」を好むが、このクレンペラー盤は、その「個性的な際だち」では他に例をみないし、弛緩なき集中力では両者に比肩し、第1、第4楽章のスパークする部分のダイナミクスでは、これらを凌いでいるかも知れない。

ケルン放送響は、クレンペラーにとって馴染みの楽団だが、ライヴ特有の強い燃焼度をみせる。

今でも日本では語り草になっているマタチッチ&N響の一期一会の「第8」に連想がいく。

リスナーの好みによるが、筆者にとっては「第8」のライブラリーにまた一つ名盤が加わった新たな喜びを感じる。

さらに、この時代のライヴ録音としては、驚異的に音質が良い。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:52コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1958年2月26日、各紙で絶賛されたコンサートのライヴ録音の登場だ。

ブルックナーを得意とする指揮者は少なくないが、その器の大きさという点で、クレンペラーと肩を並べ得るような人は、ほとんどいっていいほどいない。

その発想の奥深いこと、語り口が強靭で、男性的な逞しさと持っているということで、彼は他から際立った存在である。

どんな指揮者でも、彼のように、あるがままの姿でブルックナーの音楽を示すことは、容易には出来得ない。

その外観の大きさばかり気にとられていると、出来上がった演奏はまとまりのつかないものになりやすいし、また、いくら美しい旋律があるからといって、必要以上に飾りたてるようなことをすると、ブルックナーとしては的を得ないものになってしまう。

そのあたりの兼ね合いのようなものが、実に難しい。

クレンペラーは、それらのことを、無理なく、自然な振る舞いを持って、立派にやりぬくことのできる指揮者だった。

それができる数少ない指揮者だった。

このディスクは、そのようなクレンペラーの意義を如実に示しているものとして、きわめて高く評価されねばならないだろう。

クレンペラーがこの世を去ってしまってから、既に約40年。

我々は、指揮者の分野において、もはや彼のような巨大な存在は持てなくなってしまっている。

ブルックナーの音楽がよく聴かれるようになったにもかかわらず、このディスクのような、真にすぐれたブルックナーの演奏にふれる機会が少なくなりつつあるというのも、残念ながら、事実だ。

その意味で、このディスクは、現在の状況を考えるうえでの、ひとつの座標軸となりうるものと言えるのではないだろうか。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:24コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1958年9月3日、ルツェルンでのライヴレコーディング(モノラル)。

クレンペラーが珍しくベルリン・フィルを指揮した、ブルックナー「第7」の隠れた名盤。

カトリックのブルックナーにかなり辛辣だったクレンペラーだが、ここでは稀に見る途轍もない名演を成し遂げている。

剛毅で重厚なクレンペラーのアプローチと、ブルックナーの交響曲中で最も優美な「第7」の取り合わせ。

どう見ても、なかなか噛み合わないのではないかと大いに危惧したが、聴き終えてそれは杞憂に終わった。

比較的にテンポが速いのだが、見事なハーモニーとアゴーギク、揺るぎないテンポの深さ、全楽章の表現力量配分の適正さ、なかでも終楽章が絶品。

第1楽章の冒頭からして、深沈たる深みのある演奏であり、随所で聴かれる美しい木管の響かせ方もクレンペラーならではのものだ。

第2楽章も崇高な演奏であり、決して低俗な抒情に流されることなく、格調の高さを失わない点はさすがと言うべきである。

第3楽章は、クレンペラーの剛毅で重厚な芸風に最も符号する楽章であり、テンポといい強弱の付け方といい、文句のつけようのない素晴らしさだ。

終楽章も、踏みしめるようなリズムなど、ベルリン・フィルらしい重量感溢れる演奏であり、「第7」の欠点とも言われるスケールの小ささなど微塵も感じられない。

この交響曲で終楽章を際立たせる演奏は、なかなか他では見出だせない。

それにしても、クレンペラーが、このような優美な「第7」で名演を成し遂げるというのは実に不思議だ。

メンデルスゾーンの「スコットランド」や「真夏の夜の夢」などで名演を成し遂げたのと同様に、これは指揮界の七不思議と言ってもいいかもしれない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0) 

2013年10月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラーは、メンデルスゾーンの楽曲を得意としており、とりわけ交響曲第3番「スコットランド」(1960年)や劇音楽「真夏の夜の夢」(1960年)、序曲「フィンガルの洞窟」の演奏などは、現在でも他の指揮者による数々の名演に冠絶する至高の超名演と言っても過言ではあるまい。

これに対して、交響曲第4番「イタリア」の演奏の評価は必ずしも芳しいとは言い難い。

これには、とある影響力の大きい某音楽評論家が酷評していることも一つの要因とも言えるが、確かに、トスカニーニ&NBC交響楽団による豪演(1954年)などと比較すると、切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力や、イタリア風の歌謡性溢れるカンタービレの美しさなどにおいて、いささか分が悪いと言わざるを得ないところだ。

しかしながら、北ヨーロッパ人が南国イタリアに憧れるという境地を描いた演奏という考え方(ライナー・ノーツにおける解説において、松沢氏が「武骨で不器用な男気に溢れた演奏」と評価されているが、誠に至言である)に立てば、必ずしも否定的に聴かれるべきではないのではないかと考えられるところであり、本演奏の深沈たる味わい深さとスケールの雄大さにおいては、出色のものがあると言えるのではないだろうか。

いずれにしても、筆者としては、クレンペラーの悠揚迫らぬ芸風が顕著にあらわれた素晴らしい名演と高く評価したい。

これに対して、シューマンの交響曲第4番は、まさに文句のつけようがない至高の名演だ。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、意外にも速めのテンポによる演奏であるが、スケールの雄大さは相変わらずであり、重厚さにおいてもいささかの不足はない。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎだされており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせる(とりわけ、第2楽章は抗し難い美しさに満ち溢れている)のもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

第4番は、独墺系の大指揮者(フルトヴェングラーを始め、ベーム、カラヤン、ヴァントなど)がその最晩年に相次いで名演を遺している楽曲である。

特に、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる超名演(1953年)の存在感があまりにも大きいものであるため、他の演奏はどうしても不利な立場にあるが、クレンペラーは前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、シューマンが同曲に込めた寂寥感や絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、前述のフルトヴェングラーによる超名演にも肉薄する名演と言えるのではないか。

音質は、従来CD盤がARTによるリマスタリングによって比較的良好な音質であった(両曲のうちシューマンの交響曲第4番については、昨年、ESOTERICがフランクの交響曲ニ短調とのカップリングで第4番をSACD化したところであり、これによって素晴らしい鮮明な高音質に生まれ変わった)。

しかしながら、今般、ついにEMIによって両曲ともに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった(シューマンの交響曲第4番については、ESOTERIC盤との優劣については議論の分かれるところだ)。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:33コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第3番及びゲーテの「ファウスト」らの情景からの序曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたインテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

第3番の緩徐楽章などにおける情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

両曲ともに名演であるが、先ず交響曲第3番については、「ライン」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では、第1番「春」に次いで明朗で詩情に満ち溢れた楽曲である。

クレンペラーは、本演奏においても前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。

演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫りの深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲最高の名演とされるシューリヒト&パリ音楽院管弦楽団による名演(1953年)やジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる名演(1980年)にも肉薄する至高の名演と評価しても過言ではあるまい。

ゲーテの「ファウスト」からの情景からの序曲も極めて優れた名演だ。

同曲にはライバルともなり得る名演が存在していないことから、まさにクレンペラーの独壇場と言っても過言ではあるまい。

クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、他の演奏をいささかも寄せ付けない至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1969年のスタジオ録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:57コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第2番及び歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

交響曲第2番の緩徐箇所(特に第3楽章)等における情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

交響曲第2番は、シューマンの精神的な疾患の影響が反映された楽曲であり、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)や、より激情的でドラマティックなバーンスタイン&ウィーン・フィルによる演奏(1985年)の方がより同曲に相応しい名演のように思えなくもないところだ。

しかしながら、前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、本演奏はシューマンが同曲に込めた絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、前述のシノーポリやバーンスタインによる名演にも肉薄する名演と高く評価したい。

一方、歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲も極めて優れた名演だ。

同曲にはライバルともなり得る名演が存在していないことから、まさにクレンペラーの独壇場と言っても過言ではあるまい。

クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、他の演奏をいささかも寄せ付けない至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1968年のスタジオ録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:47コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第1番及び「マンフレッド」序曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

交響曲第1番の緩徐楽章等における情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

全集の中でも交響曲第1番は最も優れた超名演として、これまで多くの音楽評論家によって絶賛されてきたところだ。

「春」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では明朗で詩情に満ち溢れた楽曲であるが、クレンペラーは前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。

演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫りの深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲の様々な演奏に冠絶する至高の超名演と評価しても過言ではあるまい。

一方、「マンフレッド」序曲も極めて優れた名演奏だ。

同曲には、フルトヴェングラーがベルリン・フィルとともに録音した超名演(1949年)が存在しており、それはいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな豪演であった。

これに対して、クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、前述のフルトヴェングラーによる超名演にも肉薄し得る素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1960年代半ばの録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:15コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、クレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団によるメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」と序曲「フィンガルの洞窟」が収められている。

このカップリングはLP時代のもの(CD時代になってからは、交響曲第3番「スコットランド」と交響曲第4番「イタリア」との組み合わせとなった)であり、その意味では極めて懐かしく感じられるところだ。

「スコットランド」の名演は、これだけの名曲にしては意外にも少ないと言えるのではないだろうか。

独墺系の作曲家による交響曲については、相当の点数の名演が存在するのが通例であるが、「スコットランド」については、本盤に収められたクレンペラーによる演奏がダントツの超名演であり、他はマーク&ロンドン交響楽団による演奏(1957年)やカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)、アバド&ロンドン交響楽団による演奏(1984年)が掲げられる程度。

シューマンの交響曲全集で素晴らしい名演を成し遂げたバーンスタインによるイスラエル・フィルとの演奏(1979年)も、決して凡庸な演奏とは言えないものの、今一つ魅力に乏しい演奏にとどまっている。

それにしても、本盤のクレンペラーによる演奏は、録音から既に50年以上が経過しているにもかかわらず、今なお同曲最高の超名演の座に君臨しているというのは、殆ど驚異的ですらある。

悠揚迫らぬテンポによる演奏であり、その古武士のような風格と、奥行きのある深沈たる味わいには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

第2楽章のゆったりとしたテンポによる味の濃い音楽は、他の指揮者によるどの演奏よりも図抜けた芸術性を発揮していると言っても過言ではあるまい。

終楽章の終結部において、クレンペラーは、後年のバイエルン放送交響楽団との演奏(1966年)で、冒頭部の主題に改編して演奏しているが、本盤の雄渾にしてスケール雄大な名演を聴いていると、原作に忠実な本演奏の方がより優れているのではないかと感じられてくる。

序曲「フィンガルの洞窟」も、「スコットランド」と同様に、その雄渾なスケール感に圧倒される。

ゆったりとしたインテンポによる演奏で、特に、何か特別な解釈を施しているわけではないが、その深沈たる内容の濃さは、他のいかなる名演をも凌駕する至高のレベルに達していると高く評価したい。

音質は、1960年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、そもそも次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:24コメント(0)トラックバック(0) 

2013年10月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



スケールの雄大な異色の名演だ。

確かにユニークだが、この上なく格調高い演奏。

ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」と言えば、ボヘミア風の民族色豊かな演奏を期待されるところであり、これまでに成し遂げられた名演の多くも、そうした点に主眼を置いてきたような感がある。

しかしながら、クレンペラーには、そのような民族色など、いささかも眼中にはないのではないかと思われる。

クレンペラーは、同曲を、ベートーヴェンやブラームスの大交響曲に接するのと同様のアプローチで、指揮していると言える。

冒頭のおどろおどろしい導入や、弱いティンパニの音色の響かせ方など、いかにもドイツ音楽風の重厚な響きがするし、第3楽章のゆったりとしたインテンポによる進軍も、あたかもブルックナーの交響曲のような重量感のある迫力だ。

遅めのテンポで堂々と、しかし鈍臭くなく、リズムの刻みもしっかりしていて、木管の音色も実に鮮明に響いており素晴らしく、トゥッティの響きは力強くもふくよかで立派。

ひたすらドイツ的な響きを徹底したクレンペラーはすごい。

誰もが思いつくようでそれを実践したのはクレンペラーだけなのだ。

クレンペラーは、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」という国民楽派の交響曲を、ベートーヴェンの交響曲にも匹敵する大芸術作品に引き上げたのだ。

したがって、同曲に、ボヘミア風の民族色豊かな演奏を期待する聴き手からすれば、野暮ったさや場違いな印象を与えることも考えられるが、前述のように国民楽派の範疇にとどまらず、後期ロマン派を代表する至高の芸術作品に引き上げたクレンペラーの功績は、やはり讃えられてしかるべきであろう。

模範的な「新世界より」に飽きてしまった人には特に強く薦めたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:49コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは徹頭徹尾、クレンペラーの至芸を味わうべきCDである。

録音は1966年であり、大器晩成型の巨匠クレンペラーがいよいよその本領を発揮し、持ち前のスケール雄大な超名演の数々を成し遂げていた時期のものである。

本盤に収められたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏も素晴らしい超名演だ。

冒頭から悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を精緻に、そして格調の高さを失うことなく描き出して行く。

クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽が紡ぎ出されている。

木管楽器をやや強めに演奏させるのは、いかにもクレンペラーならではのものであるが無機的になることはなく、どこをとっても彫りの深さが健在である。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールは極大であり、悠揚迫らぬ重量感溢れる音楽が構築されている。

このような立派で仰ぎ見るような威容を誇る堂々たる音楽は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

このような偉大な演奏を聴いていると、近年のベートーヴェンの演奏において主流となりつつある、古楽器奏法やピリオド楽器による小編成のオーケストラによる軽妙浮薄な演奏など、実に小賢しく感じてしまう。

それくらい、本盤の演奏は、巨木のような大芸術作品と言うことができる。

こうしたクレンペラーの指揮に対して、メニューインの演奏はいささか個性に乏しいとも言えるだろう。

同曲を、メニューインはフルトヴェングラーとともに録音しているが(1947年及び1953年)、その頃がメニューインの全盛期であり、本盤の演奏の時には、既にかつて面影は殆ど消え失せていると言ってもいいのではないかとさえ思われるところだ。

それでも、クレンペラーの偉大な芸術の奉仕者としては、それなりに立派な演奏を行っているとも言えるところであり、クレンペラーによる本名演の価値を損なうということにはなっていない点を強調しておきたい。

いずれにしても、本盤の演奏は、巨匠クレンペラーの偉大な芸術を味わうことができる素晴らしい名演と高く評価したい。

音質については、1966年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたリマスタリング盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、メニューインのヴァイオリンの弓使いが鮮明に聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:32コメント(0)トラックバック(0) 

2013年08月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



晩年のクレンペラーならではの豊かな音楽性に裏打ちされたスケール雄大な至高の名演である。

巷間では重厚すぎてフランクらしくないと言われ、定評の高くなかった演奏であるが、個人的には、その重厚な音の運びによりフランクらしい憧れの感情が熱く伝わってくる超名演だと思う。

フランクが晩年に作曲した唯一の交響曲ニ短調は、瞑想的ともいえる響きの中に深い情熱を宿した傑作であるが、クレンペラーは卓越した造形力で、重厚な響きの中にも生命力にみちた音楽を表出している。

クレンペラーは、フランクの交響曲においても、例によって、ゆったりとしたインテンポで楽曲を進めていくが、よく聴くと、インテンポというように単純に割り切れるものではなく、実にニュアンス豊かなコクのある演奏を行っているのがわかる。

トゥッティの箇所においては、テンポを自在に動かして、各管楽器の強弱に微妙な変化を付けさせている。

特に、木管楽器の響かせ方は、他の演奏では決して聴くことができない味わい深さがあると言えるところであり、いかにも巨匠クレンペラーの奥の深い芸術性を感じさせる。

低弦の響きも実に分厚いものがあり、フランクの交響曲の、いわゆるドイツ的な要素を全面に打ち出した至高の名演と高く評価したい。

飄々と進められるアポロ的なモントゥー盤のまさに対極にあるデュオニソス的名演と評したい。

本盤は、名演のわりには、長らく輸入盤でしか入手できなかったが、久々に、しかもHQCD化されて登場したのは大変歓迎すべきことであると考える。

音質は、旧来の輸入盤と比較して、若干鮮明になるとともに、音場がより広くなったのも素晴らしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:31コメント(0)トラックバック(0) 

2013年08月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



モーツァルトの交響曲第40番&第41番の名演としては、ワルター&コロンビア交響楽団(1959〜1960年)(特に、第40番についてはワルター&ウィーン・フィル(1952年))、ベーム&ベルリン・フィル(1961〜1962年)、クーベリック&バイエルン放送響(1980年)などによる名演がいの一番に思い浮かぶ。

これらの名演と比較すると、本盤に収められたクレンペラーによる演奏は、一部の熱心なファンを除きこれまで殆ど注目されることがなかったと言っても過言ではあるまい。

確かに本演奏は、前述の名演が基調としていた流麗な優美さなどは薬にしたくもなく、むしろ、武骨なまでに剛直とさえ言えるところだ。

クレンペラーは悠揚迫らぬインテンポで、一音一音を蔑ろにせず、各楽器を分厚く鳴らして、いささかも隙間風の吹かない重厚な演奏を展開している。

まさにクレンペラーは、ベートーヴェンの交響曲を指揮する時と同様のアプローチで、モーツァルトの交響曲にも接していると言えるだろう。

しかしながら、一聴すると武骨ささえ感じさせる様々なフレーズの端々から漂ってくる深沈たる情感の豊かさには抗し難い魅力があり、このような演奏の彫りの深さといった面においては、前述の名演をも凌駕しているとさえ思われるところである。

巧言令色とは程遠い本演奏の特徴を一言で言えば、噛めば噛むほど味が出てくる味わい深い演奏ということになる。

いずれにしても本演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な質実剛健を絵に描いたような剛毅な名演と高く評価したい。

近年では、モーツァルトの交響曲の演奏は、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏が主流となりつつあるが、そのような軽妙な演奏に慣れた耳からすると、クレンペラーによる重厚にしてシンフォニックな本演奏は実に芸術的かつ立派に聴こえるところであり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

音質は今から約50年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であった。

このような中で、数年前にHQCD化されたことにより、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1956年や1964年のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:58コメント(0)トラックバック(0) 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ